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Web誌友会 板/2

2742復興G:2013/09/08(日) 12:58:55 ID:AB6RqYXc

 前記、「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」 は魂にひびいて、嬉しくなりました。

 これは、雅宣総裁の 『日々の祈り』 から “「すべては一体」 と実感する祈り” でなくてよかったと、しみじみ思います。

       ○

    「すべては一体」 と実感する祈り

 神はすべての存在の創り主にてあり給う。我は神の子として、神の創り給いしすべての存在の懐の中に抱かれているのである。だから我は、すべての真実存在と一体であり、すべての真実存在は我と一体にして、我を包み、庇護(ひご)し、安らぎを与えてくれるのである。

 真実存在は神の表れであるから、相互に不和はなく、不調和はなく、戦いや争いはないのである。我とすべての真実存在も、だから大調和中で神の愛に包まれているのである。

 鳥たちのさえずりは、神の無限生命の表れである。遠く近く、長く短く、華やかに時に静かに、多様に、絶妙な調和の中に、鳥たちが呼び交わす数々の声は、そのまま天上の交響曲である。

 森林を風がわたる低い和音、虫の声、小川の流れ、蛙の合唱、キツツキの槌の音。どれ一つとして互いに調和しない音はない。驟雨の音、雷の轟音、木の裂ける音でさえ、神の無限生命力の表現である。

 神の無限の美が、すべての存在に満ち溢れているのである。だから神の子・人間は、すべての真実存在に美しさを感じ、喜びを見出すのである。

 空の青と雲の白は、神の無限の美の表れである。輝く新緑と黒い木々の枝、若葉と森の深緑のコントラストを見よ。花々の鮮やかな色、微妙な色の移ろい、葉の緑の中でそれらが生み出す対照の妙を見よ。その対照を感じて、虫たちが花を訪れ、神の愛の使者として植物を受粉させ、新たな生命の進展を用意する。

 植物が実をつければ、その色の信号を合図に鳥たちが訪れ、豊穣の香りと味と滋養を得て、神の知恵に導かれつつ植物の種を遠方に伝播する。植物は虫や鳥に愛を与え、虫や鳥は植物の命の発展に協力するのである。そこに神の生命があり、愛があり、知恵が表れているのである。

 我らは神の子であるから、それら自然の営みの中に神の無限の知恵、無限の愛、無限の生命力を如実に感じるのである。神の無限の生かす力をすべての真実存在の中に感じるのである。

 感じるとは共鳴することである。我がうちに神の無限の生かす力がすでにあるから、自然界に現れる神の力に共鳴することができるのである。だから我は神と一体であり、すべての真実存在と一体である。我は神に生かされており、すべての真実存在に生かされている。

 それは、物質的栄養を得ているのではない。物質は、真実存在の仮の相である。物質は、真実存在が人間の頭脳によって翻訳された姿にすぎない。物質はエネルギーであることを知れ。エネルギーに色はなく、音はなく、肌触りはなく、匂いはない。しかし、人間の感覚と頭脳を通過するとき、エネルギーは色がつき、音を出し、匂いがし、肌触りのある“物質”のような外貌を呈するのである。

 だから、我らの周囲には、神の無限エネルギーが満ち溢れているのである。周囲だけでなく、我が肉体も神の無限エネルギーの1個の表現である。神の無限の知恵と愛と命の表現として、我は自分の肉体を表現しているのである。

 我は神の子であるから、1個の肉体の中に縮こまって存在しているのではない。木々の緑、鳥の声、川の流れ、大洋の大波、空の青、星雲の渦巻きに美を感じる我は、その微妙かつ壮大な美を我がうちに包蔵するのである。

 それら自然の営みの中に不可思議の知恵を感じる我は、その知恵と同じ無限の知恵を我がうちに包蔵するのである。自然の営みの背後に生かし合いの愛を感じる我は、神の無限の愛を我がうちに包蔵するのである。

 我は神と一体なり。我は宇宙と一体なり。すべては神と一体なり。すべては我と一体なり。我、真実存在の知恵と愛と生命を与え給いし神に、無限感謝の意を表現し奉る。ありがとうございます。
   (谷口雅宣著 『「すべては一体」 と実感する祈り』 より)


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