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Web誌友会 板/2
2518
:
曳馬野
:2013/08/01(木) 22:49:03 ID:TZ2/719s
和合について
五月六日 心に隙が無くなる日
【天地一ぱいの心になるには、無心になるべし。無心が天地一ぱいなり。所謂る「我もなく敵もなく、天地を踏み破る」境地なり。と云って、無心になるにはどうすべきか。どうすべしと趣向を凝らせば、凝らすほどそれが邪念となりて無心から遠ざかるなり。そのままなり。そのままと云ってもどの其の儘かわからぬなり。其処で「肉体なし、物質なし」と一喝するなり。肉体あり、物質ありと思ふが故に、吾あり、対境ありと思ひ、吾と対境と分裂抗争して、其処に隙を生ずるなり。その隙が「敗れ」なり、「病気」なり。万事に於いてスキを無くすること肝要なり。無心とはその境地なり。一切との和合なり。】
五月八日 人を見て自分を直す日
【いさかいは実に山彦の反響かや我しづまれば向ふ音なし。これは心学の歌である。「和」と云ふのは、我と彼とがひとつであることを体得することである。向こうが悪いと思い、此方が善いと思っている間は、彼と我とは別のものであると思っているから「和」が成立せぬのである。「彼の姿は、私の心の姿である」と対手を見て自分に反照する、そこに真の「一」が出現する。「一」が「和」であり、「一」のくだけた姿が「不和」なのである。向こうの悪さを見て、此方の悪さを悟る、これが出来るのは人間だけだ。人間だけが、宇宙一体を知っている万物の霊長である。】
和解などでなく絶対無の実践のみが生長の家信徒の為すべきことと思います。
聖典「生命の實相」を神殿とされたのに、それをお勉強なさらずに、わざわざ「教え」を退行させる必要があるのでしょうか?とのことですが、退行しているかどうか私は知りません。私にとりましては絶対無の実践こそが問題でありますから。少なくとも本流回帰の方々が無心を行じているとは思われません。生命の実相を拝読することは、無心になるためにこそするべきと思います。
わたしが最初に発言したことは、簡単に言い換えれば、【すでに「万教帰一」の真理を悟っている生長の家で、今さら、世界の宗教をお勉強する必要があるのでしょうか?】ということです。
世界の宗教の勉強をしているかどうかは知りません。世界に出て往くについては絶対無の日本精神の実践のみでいいのですから、何教が何を言っているというようなことは必要ないでしょうね。
私の云いたいことは、本流回帰の方々が生命の実相、宇宙一体を自覚され無心に生きているでしょうか?ということです。
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