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Web誌友会 板/2

4962a hope:2015/01/04(日) 22:17:21 ID:cEpBaIdo

>>4961 a hope 所感と提案)

この雅春先生のお話の前に、宮岸さんという方がお話をされています。
その内容を要約すると「自分は宗教が好きであるから、聖書の講義を聴いたり、仏典の講義を聴くとかして、本当の安心の深い生活をしたい。以前「一燈園」に入ろうとしたが、「一燈園」は宗教でないからやめた。自分の家の近くにお寺があるので、そこのお経の講義を聴きに行かせてもらおうかと思っている」というものです。
それに、雅春先生が答えになったものが、上に謹写した内容です。


『何々教という立派な名義の中にいて、お経やバイブルの講義をどんなに立派にしても、道をはずれた行いをする人は宗教家とはいえない。それは宗教業者です。』

『集まった人々の中には学者もあれば、教祖が簡単な単純な言葉で伝えられた「道」をいろいろ学者ぶったありがたそうな複雑な言葉で説明する。そこで表面はますます厳めしくなり、立派になってくるけれども、それを説く人の生活が道にかなわないと、だんだん、本当の「道」が奥の方に埋もれてくるのです。
はじめに権威のあった宗教がだんだん権威がなくなってくるのは、たいていそういう経路をとるものです。』


これって、今の「生長の家」教団のことなのではないでしょうか?
「生長の家の教え」を説いて下さっている、総裁や副総裁がご家族や本流の先輩方と和解してくださらなければ、
本当の「道」はどんどん奥の方に埋もれ、「生長の家」の権威もどんどんなくなってしまうということですね。

それ以前に、創始者である谷口雅春先生の残された聖典「生命の實相」のない「生長の家」教団は、もはや宗教団体とは言えないのではないかとも思いますが・・・。

これはわたしの個人的意見ですが、「生長の家」教団はいっそのこと、宗教法人からNPO法人か何かに方向を転換されたらいいのではないのでしょうか?

その方が「生長の家」教団の職員の方々や信徒の方々も、いろんな意味で救われるような気がします。

そうすれば、全信徒に「信仰の自由」が戻ってきますからね。
誰に遠慮することなく、雅春先生の説かれた万教帰一の「生長の家の教え」を信仰できるわけですから・・・。

雅宣先生、教団本部の方々、もしこの掲示板をご覧でしたら一考してみてください。


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