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Web誌友会 板/2
464
:
復興G
:2013/03/08(金) 16:11:19 ID:AB6RqYXc
テキスト 『生命の實相』 第2巻 第6章より<9>
これを消費者側からいいますと、信仰心の深い人は「もったいない」ということをよくいわれますが、なんでも買わず使わずに不自由をがまんして窮屈な生活をしている方があります。「生長の家」ではそんな節約ぶりには大反対であります。
どんなものでも元は神さまが作ってくださったのだからもったいない――そのところまでは同じでありますが、次は異(ちが)います。
わたくしどもでは、つかわないではもったいないからできるだけ生かして使えというのであります。
与えられていないものまでを無理をして使うのはいけませんが、与えられているものを生かさない節約は人類の敵であります。
われわれが生命力を出して仕事をした。その仕事をだれも使ってくれなくてはその努力が生きて来ません。
物を生かして使うということは、人がそれをつくるために注いでくれた生命を生かすということになります。
この世は持ちつ持たれつの世のなかでありますから、人の注いだ生命を生かすことは自分の生命を生長向上発展さすことになるのであります。
だから「生長の家」では買うことを節約せよとはいいません。買うて生かせというのであります。
大いに生かすためには大いに買わねばなりません。
こうしますと購買力はふえ、製造会社や販売店の収入が増加し、職工も社員も店員もその収入が増加し、したがってますます購買力がふえ、新事業の計画もなんらの危険なく行なうことができ、したがってあとからあとから増加する人間の職業にも道がひらけてくるのであります。
こうなれば就職難も会社のつぶれる心配もないのであります。生産者側からいっても消費者側からいっても消極と積極とではこうも異ってくるのであります。
人は「寄付」行為の美徳を説きますが、買うということは、観方によれば一つの「寄付」であります。
金をあるところから無い方へ寄付して、そのかわり物をあるところから無い方へ廻してもらうのであります。
この有るところから無いところへ廻すということが一つの愛の行為でありまして、人間の美徳の一つであり、これによって経済界が円滑に循環して行くのであります。
しかも「買う」ということは、単に「寄付」するということよりもいっそうの美徳であります。
寄付するということは、働かぬ者にでも、なまけてずるい者にでも与えることになる場合があるのでありますが、「買う」ということは、働きという尊い生命活動に価いを支払い、次の生命活動を起こすだけの養いと勇気とを与えることになるので、いっそう尊いのであります。
金は使ったら減るから使うのはもったいない、というように、ふつう考えられていますが、わたしの考えでは、金は使っても持っている人が変わるだけで世界のどこかには必ず合計すれば同じだけの金がある。だから、宇宙経済の上から少しももったいないことはない。
しかもその効用の上からいえば、金は使えばつかうほどふえるのであります。つまり同じだけの金の分量しかなくともその社会に循環する回転率が増えるからです。
十円の金でも世間をグルグル廻って一ヵ月に十ぺん自分の手に戻っては出て行くと百円に生かしてつかうことができます。それを手許に死蔵しておきますと十円が十円だけの値打ちもない、なんにも利用できないことになるのであります。
しかし金を使って帰ってくるのならだれだって使いたいが、使えばなかなか帰って来ないので万一の時に貯蓄しておくことが必要だという人があります。これが世間の一般的な考え方であります。
「生長の家」では「心の法則」ということを常に申しまして、身体は心で思うようになるというのでありますが、経済界も心で思うようになるのであります。
「金は使ったらなかなか帰って来るものでない」と一般の人が固く心で思っている。だから自分の手許へ金がはいってきたが最後、金輪際出すまいとがんばります。まちがった道徳家はそれを節約の美徳だとして推賞します。
そこで流通と循環とが本体であるべき経済界に、金の流れをじゃまする詰まったところがあちらにもこちらにもできてきます。
節約だといって、大金持までが金をたんまりと持っていながら雇い人を解雇したり、人の作ったものを買わなくなったりします。
こうなると、経済界は不景気になって出した金がなかなか手許に帰って来なくなります。
すなわち心で思ったとおりになったのでありまして、実際の不景気が先に起こるのでなく心に起こった不景気が、つぎに形をあらわしたので、経済界も心のままになるのであります。
<つづく>
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