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Web誌友会 板/2
595
:
復興G
:2013/03/14(木) 12:02:46 ID:AB6RqYXc
>>593
の続きです。
元青年会員 様に<592>でオススメいただいた吉田國太郎先生の「常楽への道」と藤原敏之先生の「あなたは必ず救われる」を繙き、目にとまったところを、元青年会員です 様に代わって、謹写掲示させて頂きます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
■ 吉田國太郎先生著『増補新版 常楽への道』p.346〜より
皆さんはそこに坐ってらして、今、“何”が坐っていらっしゃいますか? 今坐っている自分をジッと見ていただきたいのであります。(私の顔を見なくてもいいですから……笑声)
坐っている自分をじっと見ていただきたい。……この時足が痛くて、あるいはあの先生の話はちょっとむつかしくて、頭が痛くてというような風に、脳味噌が坐っているか、足が坐っているか。今、肉体が坐っていますか? 皆さん、そこに。
そこに肉体が坐っておりましたらばですね。皆さんは……“有難うございます”と言っても駄目です。……生長の家でいうところの“有難うございます”ではありません。
あるいはこうして声を出しますときに、歌を唱うときに、あるいは、私のように演壇から話すときに、あるいは雑談的に誰かと話すときに声帯でものを言っているような気がしませんか。今、今、しゃべっているのは、やっぱり喉だ、というような気がしますか。
どうですか皆さん。休憩時間に楽しそうに話した時に、今楽しそうに“誰々さん、何々何々”と話した時に、そういった現実の主人公は、“私の喉だ”とこう思ったですか。……そう思った人は今神の子ではありません。今ここに坐っているのは肉体だと思う人は、今、神の子ではありません。
そうしたあたりのところが、よく私たちの魂の中できれいに整理をされるところから、私たちの本当の信仰というものが生まれてまいります。
すべて、本当の信仰というものが権威を失いまして、形式的になり、本当の教えそのものの中にはすばらしい光と有難さがあってもですね、私達の生活の中にそれが出て来なくなるのは、そうしたあたりのところが崩れて行くことが、根本なのであります。
ともかくそうしたあたりを崩れさせて、崩れたままで、それから先きに使う、使う心の使い方ばかりを運んでいってしまうのが、いわゆる脳髄の人間であります。肉体人間であります。
生長の家では“肉体は無い”ということがですね、“物質はない”ということが、これが教えの一つの根本になってまいります。
皆さん、肉体はあると思いますか、無いと思いますか。
肉体あり、と思う人は顔洗って出直して来るんです。……ここで三、四日の間に洗えばいいんですけどね。……
肉体があると思って、肉体があると思っていて、それで“嬉しいッ”と言っても駄目ですよ。明日になったら危ない嬉しさですよ、それは。それは影にだまされる嬉しさです。物にだまされる嬉しさです。今のその自分の心を使いながら、神の子として使えばいい言葉を使って感謝していっても駄目です。
今現実に神の子として、使えばいい言葉を、そのまま素直に使って、その通りにただやりなさいということをただやって、それでいいと言うようなそんなナマやさしいものではないのです。そういうものは神の子が行ずる行ではございません。
『肉体は無い』ということですね。(黒板に字を書く)これを説いて下さっている教えは、この生長の家以外にはないのです。あらゆる宗教は、本当の神の光を、、本当の自分、ですから生命の解放を……本当の生命が解放されることが本当の幸福なのであります。幸福は外にあるのではないのであります。裸のままで無限の幸福なのであります。
生命が解放されたら、青空の中に、皆さん、無限の輝きが見えるんです。雀がおどっている姿の中に、すばらしいところの、あの鳴き声の中に、あのはばたきの中に、すばらしいところの美しさや、限りない懐しさがある。いわんや、人と人との、いのちの眼差しと眼差しとのやりとりの中にそれがあるのですね。
しかし、『肉体は無い』『物質は無い』ということを、私たちがこれを通さないで、ここがうやむやのままですね、うやむやのままで、神や仏を拝むようになってしまっているのが、あらゆる宗教なのです。ここに宗教が人類を解放出来なくなった、人類の本当の幸福をですね、与えることの出来なくなったところのガンがあるのです。このガンを摘出することを完全にやったのが生長の家なのです。
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