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5382a hope:2015/05/01(金) 20:51:59 ID:cEpBaIdo
(つづき)
仏教では、「さとりを得る」ことを「解脱する」と言う。

すなわち、迷いによって自己を縛って窮屈にしていた状態から人間を解脱せしめ解放するのが、正しい宗教的信仰なのである。

正しい信仰には真理の裏づけがなければならない。

だから真理を知った人を仏教では「覚者」すなわち「仏陀」と称したのである。

キリスト教では「真理はなんじを自由ならしめん」と言っている。

所詮、正しい宗教的信仰は、人間を自由自在ならしめるものである。

すべての正しき宗教はこのように人間の全体的解放の道を示すのである。

人間が全的に解放され、「内在の生命」が自由自在に発露する結果、運命も好転するし病気も治ることもあるが、そんなことは宗教の随伴的功徳であって、中心的な救いではない。

人間が全的に解放されるとき、どのように人間が自由になり、心の底から悦べるかは、本書の内容を読んでいただければよくわかるのである。

本篇に収録された各章は生長の家草創当時、わたしがまだ神戸の郊外の住吉村にいたころに、集まって来た人達が自分の信仰体験について互に語り合った対話を筆録したものを筆録したものであって、対話者は、いずれも、キリスト教にするならば原始キリスト教時代の十二使徒とも言うべき人々であって、その対話も正しい信仰の深い境地を語っていて、その行履(あんり)はもって永遠に範(はん)とするに足るものなのである。

おそらく聖書の「使徒の書」が永遠の生命を失わないのと同じように、この書も永遠に汲めば汲むほど新しい生命の泉となるべきものをもっていると信ずる。

幸いに常に携帯して座右の友とし、小閑を利用翻読(ほんどく)して本書のすべてのページより常にその滋味を吸収して神徠(インスピレーション)を受けられんことを希(こいねが)う。

昭和三十八年九月十日      著者しるす


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