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1770とおりすがり:2012/12/07(金) 12:07:43 ID:???
八日の経言――

境遇と運命をと支配する言葉

吾れはいま吾が境遇と運命とを自己の思考によって支配し得ることを知ったのである。

吾が心情が善きものであるならば吾が想う所は善であり、
吾が想いが善であれば吾が言葉は善であり、
吾が言葉が善であれば、吾が住む世界も善なる理想世界なることを知ったのである。

其れ故、吾れは今後吾が唇に封印して敢て悪をば語らない。
吾れは吾が思想と言葉とにいちいち気をつけるのである。
吾れは今より悪のことを考えない。

吾れは禍のことを語らない。
吾れは禍のことを決して耳にしないと決意したのである。

人を審判(さば)こうとする吾が性癖は今まったく自分から離れたのである。
悪を見出す吾が習慣はもう消滅して無くなったのである。

吾れは最早自分を、そして自分の友達を、それから自分の職業を、
悲観的な言葉をもっては評さない。

吾れは楽観そのものである。
希望そのものである。
吾れは深き歓びに満ち溢れている。

吾れは万人に幸福を与え、万物を祝福する。
吾れは凡ての者に勇気を与える。

吾が言葉は肉となりて形相(かたち)の世界に姿をあらわすのである。

『日々読誦三十章経』より謹写――

吾れは今実現せんとする事物に対して『此の事は実現する』と
確信に充ちた言葉を発するのである。

此の言葉は創造作用ある言葉である。
従って欲する事物はやがて必ず自己の周囲に集まり来たらざるを得ないのである。

吾れは此の確信を与えたまいしことを神に感謝致します。

1771ハマナス:2012/12/08(土) 00:00:32 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

心のレンズ  (『新版 生活の智慧365章』P.307)

その人の肉体と環境との状態は、その人の“心”が如何に「実相」(霊的実在)を翻訳して、
縦横厚みの空間に、それを映し出したかの成績をあらわしているのである。その人の “心”
がその肉体から去れば、その人の環境というものも、その人の肉体と云うのも、共に消えて
しまうのである。それは映写機のレンズが無くなれば、映画の画面に映っていた光景が消え
てしまうようなものである。だから“心”をレンズにたとえて“心のレンズ”と称すること
もある。

“心のレンズ”が変に収縮して波形になっておればスクリーンに映る映像も波形に歪んで
うつるのである。“心のレンズ”が実相に対して完全に焦点距離を合わすことが出来な
ければ、実相が如何に完全であっても、その完全な姿がハッキリとあらわれずボケてあら
われるのである。そして如何に映像が歪んであらわれようとも、如何に映像がボケて現わ
れようとも、実在の景色はハッキリとして美しいのと同じうように、私たちの肉体や環境が
どんなに不完全にあらわれようとも、それは私たち自身の“心のレンズ”の収縮、歪み、
曇りなどが原因で、そのようにあらわれるのであって、“実相の世界”及び“実相の自分”
は完全なのである。

感謝合掌

1772「訊け」管理人:2012/12/08(土) 17:32:58 ID:???

『常楽への道』(吉田國太郎著)296頁より謹写――


 根底に於いて悪を見、困却の相を見たところからの心の動きは、その心自身が、如何に尊げな姿に於いて現れ、如何に深度の状態に於いて現れ、宇宙的な迄の高度な状態の如くに現れても、いずれも全てよしなく空しいことである。それは神の心にもとり、実在の相を忘失し、業の輪廻を深めたに過ぎない。業と云い無明と云うは神の去脱状態であり、人の生命の仮死的窒息状態である。神の国、実在の国にあっては悪と困却とは本来無いのであり、悪と困却とをみていることが無明であり、業障の根なのである。

 困却のない生命を観なければなければならない。悪に禍いされていない生命を観なければならない。それを、かくの如くに静的な相(すがた)に於いて観ると同時に、又即時に、動的な相に於いて観なければならない。動的な相、即ちまことに端的に鳴り渡る真理の音をききえなければならない。

<了>

1773「訊け」管理人:2012/12/08(土) 17:33:59 ID:???

九日の経言――

自己を偉大にする言葉


 吾れは吾が心のうちに広大無辺なる宇宙を蔵する。星をみつめて佇む吾れは見詰めらるる星よりもなお広大なのである。吾れは吾れのうちに星を理解する類なき能力のある事を見出すのである。吾れは空の星以上のものである。何故なら吾れは彼等を理解すると同時に、自分をも理解するからである。吾れは天に在(ましま)す神々の如くに造られたのである。吾れは星の軌道を闊歩する偉大なるものなのだ。吾れは主の如く永遠の道を歩む者なのだ。吾れ心を有するが故に、吾れは世界の王者である。いま吾れは吾が仕事の上に王者としての第一歩を踏むのである。

 吾れは星よりも大なるが故に此の宇宙を造れる力と同じものなのである。然り、吾れは宇宙を造れる力と一体なのである。いま吾れは凡ゆる種類の恐怖と弱小と卑陋(ひろう)とを超越して生活する。吾れは空の星に比肩せらるべきものである。吾れは、大地をつくり、天空を支えたまう神が、吾れを安固(あんこ)に保護したまうことを信ずるのである。それ故に吾はこころ安らかである。地の造り主、天の造り主と吾れは眞(まこと)に一体である。御親神様に感謝いたします

『日々読誦三十章経』より謹写――

1774とおりすがり:2012/12/08(土) 20:24:51 ID:???


十日の経言――

完全健康の言葉

吾が生きている生命(せいめい)は無限の生命(せいめい)である。
それ故に吾は完全に健康である。

吾がいだいている愛は無限の愛である、
それ故に吾れは完全に幸福である。

吾が心に宿る智慧は無限の智慧である、
それ故に吾れは平和であり調和である。

今われは平和と、安心と、及び漲る力の感じとに満たされているのである。

吾れは神の無限の生命(せいめい)の内に生きているのである。
無限の愛の内に生きているのである。
無限の智慧の内に生きているのである。

無限の智慧、無限の愛、無限の生命(せいめい)なる
吾が親(みおや)なる神に感謝いたします。

『日々読誦三十章経』より謹写――

1775さくら:2012/12/08(土) 22:52:38 ID:e8ieIrPA
『日常生活の中の真理 無門関・聖書篇』 谷口 雅春先生

「◎◎◎――――仏に遭っては仏を殺し

「仏に遭って仏を殺し、祖に会っては祖を殺す」と禅語にあるのは宗教の祖に遭ったら宗教の師を殺す、そして祖先や父母に会ったら祖先や父母を亡きものにするなどと云う意味じゃないのであります。
師恩は大切でありますが、本当の師は弟子に何を教えようとしたかと言うと「真理」を教えようとしたのであって、決して恩や愛着を売りつけようとしたのではありません。
それなのに「あの先生がやめたら、私もこの教えを止める」などと云う弟子があるが、これは「愛着」を受けとって「真理」を受け取っていないのであります。
この「愛着」を断ち切って真理に直参するのが、「仏に遭っては仏を殺し、祖に会っては祖を殺す」であります。

家庭においても、本当に父母を愛しようと思ったら父母を殺さんといかぬのであります。
こう言っても刀なんかで突いて殺すのではありません。ほんとうの父母を父母たらしめることが出来ないのであります。
僕でも父母を殺しているのです。僕は世間的に謂えば、大変親不孝です。九十幾歳の老母を神戸に放ったらかしておるのです。
あれは恩愛の執着を殺しておるのです。恩愛の情を殺して置かぬと父母が父母として本当に生きることが出来ない。
若し私が「最高理想の生活はこう云う理想の生活だから、お父さんお母さんこう云う具合になさい」と言って連れて来て、そしてその通りにしなさいと言ったらお父さんお母さんは窮屈でとても堪え切れないで、キットお困りになるだろうと思うのであります。
一燈園などでは「棄恩入無為」と言っています。恩愛の情を一度棄て切って、「無為」即ち、「そのまま」の実相があらわれるのであります。」

1776さくら:2012/12/08(土) 22:57:26 ID:e8ieIrPA
ほんとうの父母を父母たらしめることが出来ないのであります。

訂正:本当に父母を父母たらしめようと思ったならば、父母に対する愛着を殺さぬと
父母を父母たらしめることが出来ないのであります。

1777ハマナス:2012/12/08(土) 23:56:13 ID:mR2szZkc

人類意識の大波を超出すべし
(『新版生活の智慧365章』p.308)

「病気は無い」と“心”で念じたら病気が消えるならば、「肉体は無い」と“心"で念じたら肉体が消える筈だが、そんなに念じても肉体は消えないではないかと云う質問があるが、それは“心”と云うものが幾層にも重なっていて、一個人の単なる表層の現在意識で念ずるだけでは、人類全体の意識や、個人の意識にしても深層にある潜在意識面にある観念は容易に消えないと云う理由によるのである。

一個人一個人の意識内容は集団して一個人の人類意識と云う巨大な波動となって、個人個人の意識をその上に浮動させているのである。だから人類意識が「此の毒薬を幾グラム服(の)んだら死ぬ」と知っている毒薬を飲むならば、その人個人は、それが毒薬だと知らなくとも服用すれば、人類意識の“唯識の所現”としてその人は毒薬に当てられて死ぬことになるのである。だから其の人が人類意識の大波を超出するのだけの大信念を起し得るよう、熱心に神想観をして実相の完全さを揺るぎなく瞶(みつ)めない限りは、人類意識の大波のまにまに打ち上げられて破壊されることになるのである。

個人が「肉体がない」と心の表層で念じても肉体が早速には消えないのは、個人自身の潜在意識の中に「肉体がある」と云う観念の惰力が残っているのと、人類意識の中に「人類は肉体をもつ」と云う観念があり、その波から超出出来ないからである。

感謝合掌

1778NANCY:2012/12/09(日) 01:06:41 ID:jH5uEFzM
トキ様 ヘ
観覧者の皆様 ヘ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635>>1639>>1643>>1766の投稿の続きです。

■ ■  祈るたび毎に あなたの魂は浄められる    谷口雅春著「人生をみつめて」より

なによりもまず祈ることにいたしましょう。
祈りというものは、そのとき神と交通して、神の持ちたまえる、色々の素晴らしい御徳が
自分の方へ流れこむことによって、自分の霊が浄められ、高められんがするものなのです。

常に祈るということが大切です。祈るたび毎にあなたの魂が浄められるのです。

                                  (一部抜粋…)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

今年も残り少ない日時となりましたかと…思います。此処昨今は“暗い出来事”と申しますか、
更にここ【生長の家…お家騒動】も含めまして、人間関係の複雑さと、申しますか…?更に!
本当に「生長の家の信者」なのかと?疑いたくなるような言動には、それ以前の事ですが……
【分派…の方々との思考の相違】…そこからの“悪態”・“中傷”…etc…“暗い出来事”が…><

これは、どの様に考えるべきなのでしょうか?はたまた受け止めるべきなのでしょうか?
❤【感情論…】が先行していますかと、思う次第です。その根底には、やはり【我欲…欲望】が、
あるのではないでしょうか??改めて“言葉…”から伺えますかと?思う次第です。
真の【人 へ の 救 済】??

こういう時こそ【祈り…】すべて神に全托でしょうか?必ず!神の御心に叶うものは【実現…】
そうです〜〜〜ョネ!
この地上…『現実世界に、時間・空間を経て…叶いますでしょう』かと……。
■【 正 し い 祈 り … 現 実 化 !】でしょう。

                                再合掌

1779SAKURA:2012/12/09(日) 02:15:40 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>投稿の続きです… が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」
を〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃ
いました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
■第二章 無我自在の「生命の本性」を発揮せよ

❤心を肉体に引っかからせるな  その①
=====【生命の実相 2巻から抜粋 】=======================
 病気にかかるとすぐ医者のところへ駆けつけて、胃が悪くないか、心臓はよわっていないか、
肺臓にラッセルでも聞こえていやしないかいろいろと詳しい説明をききたがる人がありますが、
…云々…「人類的恐怖がありますかので、その恐怖を「肉体なる影」に映し出していよいよ本
当に肺臓の組織まで悪くしてしまうのであります。心が肉体の生理作用に及ぼす影響は実に恐
ろしいものがあります。〜〜〜たとえば我々が肩に力が入れれば肩がこります。肩が凝るとい
うのは血液が肩に滞って新しい血液と入れ換わらないことをいうのであります。……云々……
                        
                        つづく

1780SAKURA:2012/12/09(日) 02:19:29 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>投稿の続きです… が

❤心を肉体に引っかからせるな  その②
>>1779投稿の続きです…。
…云々…
心が上の方に集注しているから肩におのずから力が入るのであって、決して「筋肉」という物質
が、物質自身の作用でそこに力を入れるというわけではないのであります、心が持とうと思わな
い限り、どうしても鉛筆一本でも持てないでありましょう。で、われわれが肩に力を入れたとい
うのは「心が」肩に力を入れたことであります。「心」が肩に力をいれたとき何が起こるかといい
ますと、「心」の影として最も最初に鋭敏に「心」のとおりに動き出すものは血液なのであります。血は生命の根源ではなく、「心」の作用に最も感じやすい「心の影」なのであります。完全に
血があっても心が死ねば、その人が死ぬ実例は前章にたくさんあげておきました。ただ血は影の
形に添うがごとく心の行くところに添うので、血は古来から霊性があるように思われて、
日本の古書には「霊」のことをチと読ませたところがあります。  (谷口雅春著)                          
===========================================
■そうです〜〜〜ョネ!!心に暗示をかける事でしょうか?そう【アラジンのランプ…」で〜
♫〜ごまひらけ〜♫〜と…心に入れ込む事ですョネ???さらに決めつける「心」からは、何も
生まれないようにも思えます。たとえば”悪口”ばかりいいます人は、寄ってきます人も、
それ好みの方が仲間にでしょうかと???【類の法則…」も、単に”モノ”だけではなく、そう
【心の法則の類の仲間】同士にも、云えます事ではと思えます。当に……!!
❤〜【すべてが”こころ”で決まる】事なんでしょう〜〜〜ネ!!今回、ここでも”固定観念”
で決めつける方が、いらっしゃいます様に思えます。この人は〜〜〜と>< 自分の狭い心で
相手を服従させるような表現が多いです〜〜〜ョネ!そのような時の私の心は、確かに、一瞬!
萎縮して構えます。…が?

■ここが“ミソ”で、まずは、何も自分は変わらないのだから、つかむ事もない!!!と…
”心…”で思いますと、まるで〜まるで〜澄みきった気持ちに、なりますかと。

更に!どうしても落ち着かない場合は、そう〜〜【神想観…」が一番”ピッタリ”でしょうか?
余談ですが?最近!過去を振り向いている自分がいます。そのような時【心は反省】ばかり><
更に、このような人間に出会ったおかげで”私は聴力喪失になった事”…許しがたい!この考え
は、本来の私自身は”楽観主義的思考”なのですが、現在の私に取りまして…あまりにも執拗な
相手の尾行…これも今まで考えなかった事ですから、【心が過去に…タイムマシ−ン】です。

■振り向きますと”過去”にとどまり”前進…”は、ないのです〜〜〜ョネ!!でも少しは、
その過去の【業…】に対しての清算カモ??そうしますと必要な事カモ??と、今の私は、
【強い信念…】で、過去の資料を調べているところです〜〜〜が???

今回頂きました【テキスト該当部分の冒頭から…】
当に【全て…”こころ”で決まる人生とは?全て自分自身の”こころ”で決る。決断!】かと…
あらためまして、思いました。…が???■■【 心の法則 】なのですネ!   再合掌

1781神の子さん:2012/12/09(日) 09:22:05 ID:pic01rm6
いいえ、日本製ですよ

1782「訊け」管理人:2012/12/09(日) 12:33:07 ID:???

◇「悪」を分析しても「善」は顕れて来ない

 「現象悪」を実在すると観て、それを観察し、分析し、「悪」の要素を排撃しようとして「悪」と戦う心を称して「智慧の樹の果」を食べた心と称するのです。併し「悪」と戦う心を起こしても、決して「悪」は減じないのです。それは「水爆」と戦う心を起こせば起すほど、水爆の実験の回数はふえ、地球を取巻く空気は愈々益々ストルンチューム90の放射能で汚染せられる度合が増加するようなものです。若し各国が、相互の相手国の「悪」を見ず、ただ「善」と「愛」とのみを見て親愛の情を深めて行きさえするならば、水爆という〝悪〟は自然に消えて、其処には唯、「原子力の平和利用」と言う〝善〟のみが実現する世界が出て来るのであります。

『眞理』實相篇384頁――



◇暗黒の中に失望してはならない

 暗黒は光明の来るしるしである。あなたは暗黒をおそれないのである。夜明け前には丑満時が来るのである。現象界は暗黒と光明との交錯によってあらわれる映画である。陰極は必ず陽転するのである。暗黒の後に新しい日は生まれる。
 新しい日は光明と自信とに満たされているのである。自信は如何なる暗黒の中にも光明を見て突き進む。既に光明は〝ある〟のである。努力と精進とによって、この暗黒の岩屋を突き破って光明の彼方に出ることができるのである。あなたは神の子であるから、無限の力が宿っており、無限の力は努力によって噴出するのである。信念と努力――これが万事を成就するのである。
 その努力と精進の力も神から来るのである。努力する勇気が湧いてこない時には、「神よ、私に善き事に対して努力する勇気を与えたまえ」と祈るがよい。

『眞理』實相篇128頁――

1783SAKURA:2012/12/09(日) 13:34:48 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>
投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。
「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。…が?
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】でしょうか…??

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
■第二章 無我自在の「生命の本性」を発揮せよ

❤ 血の滞りは心の滞り
======生命の実相 2巻から抜粋=========================

 ともかく「心が」しじゅう滞る場所には血液が滞るのでありまして、「心」が肩に、滞る人
は血が肩に滞って肩が凝り、「心」が首にとどこおって脳充血や脳溢血や不眠症などを起こす
のであります。こういう傾向のある人はとどこおっている箇所を按摩してもらうと一時その
滞っている血を散らすことになって非常によい気持ちでありますが、それは一時的であって、
「心」を滞らせている限り、そこにまた間もなく鬱血して来てそこが凝るのであります。
                              (谷口雅春著…)
===========================================

■以前は〜〜〜私も“肩コリ”…本当に“コリ〜コリ〜”なのです。特に、この寒さが増し
ます処の冬場は…いつも“首を回して”いましたかと。ですが?此処最近は、少々“肩コリ”
もありますが、以前のようには“肩コリ”飛んで行け〜〜〜♫〜〜〜なのです。
アラ〜〜〜?如何してかしらンと、思ってみますと、以前よりそうなのです。小さい物事に
【執着…】しなくなったのです〜〜〜ョネ!!

そして、今年母がなくなりましたが、此処3年間分からない事実が〜〜〜><
❤〜【亡き母の霊界通信…】で、何と「亡き母」からの【直感…】でしょうか???見え
ない事が?理解しがたい事が?今では、物事が良く見えるよな【透視…】が、多少とも
出来出しまして、それからなのでしょうか…??“肩コリ”の材料が、幾分以前より薄れ
てきまして、最近では、前以上に“物事”が見え、それが良し悪しに付けましても、こう
いう時こそ前に進む言動力の傾向にと……!!言えますでしょうかしら〜〜〜ン

■さて“心が滞る事”は、やはりこれも【執着…】からでしょうか???以前の私は、
ある面【執着のかたまり】でしたでしょうか??“コリ〜コリ〜執着?”
今では【放す事…を!すべて神様におまかせ…全托していたら?】という感じでの“行動・
スタイル“なのです!!そうなのです。モ〜〜〜ウ!何の不安もなく、まず!前進!前進!
前に進む事が【人間の使命…】でしょうかと???
それでも“血液の流れ”は滞る事もあり、この時はまだ【執着心…】が?あるのではと、今
頂きました“復興G様のテキスト該当部分”にて改めて思えます。…が?まだまだ足りない
のでしょうか?【心の執着…を放す、そして、おまかせ心になる事が〜〜〜】でしょうかと。

❤〜【私の“肩コリ”は、心の狭さから器量でしょう〜〜〜ネ!!!また、一つですが?
“心の進歩”に、私の“心のエッセンス”です〜〜〜ネ!!】
この素晴らしい〜〜〜【真理…】を勉強させて頂きます機会に感謝です。
                                   再合掌

1784さくら:2012/12/09(日) 20:53:38 ID:e8ieIrPA
『藭ひとに語り給ふ』 
                谷口 雅春 先生   

「              萬教歸一の藭示  

われに姿かたちあるやうに言ふものあれどわれは姿なきものである。われは道(ことば)である、われは靈性である、智恵である、愛である、生命である。われは如来である、われは一つにして多である。信仰深き諸方のわが藭姿を示したることあれども、そはわが眞の姿に非ず、見えたる藭姿は靈覚者の心識の所現に非ず。そは、われ藭通力によつて、疑う者の蒙を啓かんがために、異る場所と異る人とに同じき一定の藭姿を示して、藭の客観的存在を實証したにすぎない。

されど、本来われに一定の藭姿はない。如何なる姿も欲ひのままに現ずることが自由である。されば、嘗てわれ汝に告げたのである『吾に藭殿は不要である』と。われは藭殿がないとて身の入れ場所に困るやうな藭ではない。供へ物も要らぬ。わが姿を見んと欲がうものは『生長の家』を讀め。われは言葉である。吾が言葉を盛る雑誌こそ吾が藭殿である。この雑誌をひろがるのこそわが藭殿の大きくなることである。われにすがた形はない。われは靈の海である。大海原である。すべての宗教流れ来たりて吾に入らん。吾は完成する者である。われは『七つの燈臺』に燈を点ずる者である。古道も、佛教も、キリスト教も、天理教も、金光教も、黒住教も、大本教も、すべての教我に流れ入りて生命を得ん。

われは大いなるものなるかな。すべての教を呑吐して、これに生命を與へ、すべての相争ふ教をその眞髄に於て握手せしめる。吾れはすべてを包容し、すべてに光を與へ、すべてに栄養を與へ、すべてを生かす地下水である。他の如何なる宗教をも誹らず批たず、常に讃事と、善き言葉とを雨ふらして、それを浄めその眞髄に燈を点ずる。あらゆる宗教がその眞髄を禮拝して手をつなぐやうにならねば此の現實世界の改造は完成せぬ。精藭界が先で現實界はその影である、元亂れて影完からず、宗教家よ、宗派争いをしてゐる時ではない。

(昭和六年四月五日藭示)」

1785うのはな:2012/12/09(日) 23:14:26 ID:RjJT/itc
   『いつまでも楽しくすこやかに』内田久子 先生著

   発刊のことば 総本山知恩院執事長 おてつぎ運動本部長 寺本哲栄 

 近年、多くの日本人のあいだで「健康」についての関心が高まってきました。
医療の進歩によって日本人の平均寿命が延び、長生きできる時代になりましたのはまことに
結構なことであり、みなさんがいつまでも元気で長生きしたいという願望をお持ちになるのは
当然でございます。

 若い方々は、ややもすれば度を過したり、誤った考えにより健康を損なったりしていますが、
私は、日本の将来のため憂うべきことだと思っています。ところで健康というのは、もともと「健康康心」
から来たことばですから、体が健やかで心が安らかな状態を指すのでありましょう。
また西洋の諺にも「健全な精神は、健全な肉体に宿る」とあります。

 慥かに、体が元気ですと気分も壮快になり、病苦に苛まされますと気分も滅入ったりいたします。
また、精神的なストレスにより、体に悪い影響を及ぼすことがあります。
正しい宗教心をお持ちの方が、とく病を克服されたということもお聞きします。

 私はかねてより、人間の心と体について、宗教心を持たれた医師の方からお話を承りたいと思っていました。
さいわい、長年、病弱な体を克服し、その体験をふまえながら患者の治療にあたってこられた内田久子先生に
講演をお願いすることができました。そのお話の内容がたいへん参考になりますので、おてつぎ講演集の一冊として
とりまとめ刊行することにしたゆえんでございます。

 読者の方々は、その行間に滲み出ている内田先生の宗教心を見過ごされることなく、
心と体の健康について再考されますよう念願し、発刊のことばといたします。、


 おてつぎ運動本部

1786うのはな:2012/12/09(日) 23:29:08 ID:9TO4H8Ho
    はじめに  内田久子 先生

 私は内科医師として、日々病院勤務で診療しておりましたが、この度、このような
素晴らしい知恩院様にご縁をいただくということを伺いまいた時、一時はびっくりいたしましたが、
折角のお申し越しでございますので、喜んでお受けさせていただいたのでございます。

「いつまでも楽しくすこやかに」という今日のテーマと同じ言葉を、拙著『生命医療を求めて』に署名
させていただいております。
 現代社会では、文明や科学が進み、病院も立派になりたくさん医療施設ができて、いろいろ研究され病院も
解明されてきているにも拘らず、病院に行けばどこも満員ですね。これほど医学が発達すれば、病院は閑古鳥が
鳴いてもいいはずなのに、現実はこれに正比例して満員なのは何故でしょうか。
私たちはみな、健康だけでなく、人生を楽しく生きがいをもって生きたいという願いをもっています。

 この題の中の「いつまでも」というのは、今だけでなく、死にぎわも元気で、あの世へ行っても、来世もずっと
楽しくすこやかに、という意味です。

1787「訊け」管理人:2012/12/10(月) 09:27:58 ID:???

十日の経言――

完全健康の言葉

 吾が生きている生命は無限の生命である。それ故に吾は完全に健康である。吾がいだいている愛は無限の愛である、それ故に吾れは完全に幸福である。吾が心に宿る智慧は無限の智慧である、それ故に吾れは平和であり調和である。今われは平和と、安心と、及び漲る力の感じとに満たされているのである。

 吾れは神の無限の生命の内に生きているのである。無限の愛の内に生きているのである。無限の智慧の内に生きているのである。無限の智慧、無限の愛、無限の生命なる吾が親(みおや)なる神に感謝いたします。


『日々読誦三十章経』より謹写――

1788「訊け」管理人:2012/12/10(月) 12:47:54 ID:???

『真理入門25章』248頁より謹写――


◆ 〝神洲日本〟そして〝神洲清潔の民〟

 日本人は人間のいのちが〝神の子〟のいのちであることを知っていたのと同時に、日本の国も、神が建てた国で、神から頂いた国だという信念を持っていました。それで日本を〝神洲〟といったのであります。支那から漢字が伝わって来ましたら、我が国の名前(国号といいます)を「日本」と漢字で書いて、「やまと」とか「ひのもと」とか読むようにしました。それは『古事記』に伝えられたところによりますと、日本の国は人間が計画して建てた国でなくして、天照大御神という御名前の“宇宙を照らしたもう神”が、「豊葦原の瑞穂国は世々わが子孫の王たるべき地なり」と、国の根本的設計を示されまして、その設計にしたがって神武天皇さまが天皇中心の国をお建てになったのが国の始めであります。だから日本国は〝神洲〟すなわち〝神国〟なのであります。
 そして、日本人は、この日本国を「日本神国」「日本神国」と呼んでいたのであります。「神国」に〝神の子〟たる日本人が天照大御神の子孫である天皇さまを中心にして住んでいる清らかな国が日本国ほんらいの姿だったのであります。それで日本人のことを「神洲清潔の民」といいました。それなのに西洋の科学文明が入って来て〝国〟というのは、鉱物で出来ている土の塊だくらいに考えて、何も尊いことも何もないと考えはじめました。


◆ 善の代りの語に〝清明心〟といった

 日本人は〝神洲清潔の民〟でありますから、日本人ほど清潔を尊ぶ民族は他にないのであります。『古事記』にある神話の中には天照大御神さまと、須佐之男命さ(スサノオ)さまとが、「受霊」といって、互いの霊を取り交わして、どちらが善かその善悪を定める場面が描かれておりますが、その時に、「心が善い」という言葉の代りに天照大御神は「汝の心の清明(あか)きことはどうしたらわかるか」と仰せられ、須佐之男命は「わが心が清明き故にわたしの魂から、やさしい女の子が生まれた」といっていられます。善とか悪とかいう言葉を使わないで、心が清く明らかで陰気に曇らないのを古代の日本民族は〝善〟であるとしたのでありまして、近代人の考えているような、「こうするのが、悪である」とか「こんな行いが善である」とかいって、事こまかく一々の行ないを定めるのではなく、清く明らかな〝清明心〟をもった者を〝善〟であるとしたのが日本人だったのであります。
 いちいち〝これは善、これは悪〟と分類して、こまかく分けて研究するのは科学的精神でありますが、〝科〟という字は「枝」という意味の字で、科学をこまかく枝を分けて分析的に分析して研究する、「科(えだ)の学」であります。日本人は〝善悪〟といわずに〝清明心〟といったところに、まことに一つにまとめる日本人の心があらわれているのであります。


<了>

1789とおりすがり:2012/12/10(月) 15:03:43 ID:???
>>1784

『藭ひとに語り給ふ』は、光明掲示板でコスモス様がすでに謹写しておられます。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=819

1790とおりすがり:2012/12/10(月) 15:06:19 ID:???
十一日の経言(のりごと)――

【善と健康とを実現する言葉】

吾れは善事を求める。善事をのみ求めるのである。
吾れは万物のうちに、そして万人のうちに神の『善』の宿るのを見る。

神は『善』である。
そして吾が求むるもの、吾が思うものを、何よりも先ず与え給う。

吾れは神を吾が『愛深き父』『優しき救い主』だと認める。
吾れは凡てのうちに宿る神の調和と、宇宙にみなぎる愛と心とを感ずる。
神は凡ての者の父であり給う。

それ故に吾れは万人を吾が友、吾が兄弟であると観ずる。
誰も此の世界に吾れに敵対する者もなければ、
吾れも亦此の世界の誰に対しても敵対しないのである。

全人類は吾が親戚であり、吾れは全人類の友である。

吾れはいま万物、万人および宇宙を司どる法則が
吾が心を反映するものであることを知るのである。
―― それ故に、吾れは高き善き想念のみを心に描きつつあるのである。

吾れはいま最も輝かしき信仰と、朗らかな情緒とで満ちあふれているのである。

吾れは、『悪』に与えた力を取り返すのである。
即ち『悪』が実在すると云う思想を撤回する。
それ故に『悪』は今本来の『無』に帰したのである。

吾れはいま円満完全なる神の子である。

吾れは完全なるものと調和せるもののみを思考する。
吾れはいま健全と調和とのみを宇宙より受けるのである。
宇宙の心は吾が想念に全く相応ずる事物を造って呉れつつあるのである。

吾が想念は完全円満である。
吾が信仰は確固不壊である。

吾れは自己が完全に健康であることを思考する。
いま、吾れは既に癒されたのである。

つねに吾が求めを聴き給う神に感謝致します。

いまより吾れは神と偕(とも)に語り、神と偕に歩む。
それ故に吾れは吾れを信じ、総てのものを信ずるのである。

『日々読誦三十章経』より謹写――

1791さくら:2012/12/10(月) 17:25:22 ID:Ox.iz1Zc
>>1789
通りすがり様

教えて頂いてありがとうございます。
『神ひとに語り給ふ』のすべての神示を拝読でき、コスモス様の素晴らしい愛行ですね!

わたしもこの度、自分の学びのために謹写させて頂いて、この神示の内容の深さに打たれています。

追放されてしまいました掲示板ですが(笑)、
同じ生長の家の真理に触れて学ばせて頂けるとは、
…なんて素晴らしいんだろうと、感激しています。

どうぞまた、よろしくお願いいたします。

ありがとうございます。



1792SAKURA:2012/12/10(月) 20:01:27 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783
投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』

❤ 生理的状態は暗示によって感染する   その①
======生命の実相 2巻から抜粋=========================
 精神的感染によって、あくびという生理作用が感染ったり、人の涙を見てこちらも涙が出た
り人の食べるのを見て唾液が出たりする事実は、誰でも知っているところであります。これを
見ればわれわれの心の状態がどんなに生理作用に影響を及ぼすかは考えてみてもわかるのであ
ります〜〜云々〜〜ラジオ・ドクタ−が衛生のことや健康法のことについて説くことは参考に
なります。けれども、黴菌の恐るべきことや、人間が少しでも不注意であれば病気に冒される
ことなどを説いて、恐怖心をそそることは感心しないのであります。それは人々を病気の想念
の中におくことになりますし、病気の想念により喚起された恐怖心によって、生理作用が攪乱
され、病気に対する抵抗力が鈍ってしまいかえって病気になってしまうのであります。予防医
学は社会政策的立場において必要でありますけれども、すでに病気になっている人が、通俗医
学の書を読んだりラジオ・ドクターの病気恐怖の話をきくのは必要でないばかりか、恐怖心を
そそられて病気に対する抵抗力を薄弱ならしめますから、なるべく避ける方が結構であります。
                             (谷口雅春著)
==========================================

■“病気になる事”は、以前の“心の種をまいた結果”でしょうか???たとえばですが?
父親が【癌に侵されて病気】になりまして、悲しいかな?死亡…そうしますと、人間の潜在
意識の中に【自分もいつか〜〜〜“癌…”になって、同じような死を迎える】という
“恐怖心の種”が、無意識に植えつけられて、いつか月日が立ち【時間・空間】でしょうか?
忘れた時に“恐怖の病気の芽”があらわれるのです〜〜〜ョネ!!
                          つづく

1793SAKURA:2012/12/10(月) 20:03:27 ID:jH5uEFzM
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こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>1792>>投稿の続きです。…が


■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
>>1792投稿の続きです…。

❤ 生理的状態は暗示によって感染する  その②
これは【三界の唯心所現】として現れる!「生長の家の人」ならば、必ず知っています言葉!

■私も“5歳の頃交通事故…”に遭い、その時、空中に跳ね跳ばされて運よく“木の枝”が
クッションになり、一命を取り留める結果となりました。…が?ですから“顔のホホ”に、
傷が出来ておりまして“4センチ”くらい縫合しております。当時の医療では難しいのです
が、私の記憶では、車に乗せられて横になって運ばれていく光景を、今でも覚えています。

その後、手術が無事にすみ、目が覚めて“顔のホホを中心に包帯…”更に、腕も骨折です。
ですから、三角巾??みたいな固定していた感じ?当時の包帯をした“姿…”が、この頃よ
く浮かんできます私です。その時、当然の事ながら頭部を打っていますから「体の後遺症」
がと?当時の“両親の恐怖心”は???多大なものであった事でしょう。
ある時…小2の頃でしょうか?「担任先生」が“左の聴力”が、以前より聞こえがオカシイ
のではないのかと言われて、“病院…”へ、その時の病院の担当医の先生は、頭部を打ってい
ますから、今回は、運よく“無事”に乗り切れましたが、今度、なにか事故で…例えば、
頭部を叩かれたり?打ったり?このように“頭部”に何らかの力で、損傷しますと神経系が、
侵かされる事になると…つまり■【聴力喪失…】を言ってた事を「亡き母」は、良く言って
いましたから、私は“潜在意識”で、常に“交通事故…”を、再度!起こさなければいいと
思い、そうしますと、潜在意識に【 “大丈夫!”事故が起きなければいい!! 】と…、
いつかその自覚を、忘れてしまい、そうこうしています内に【21歳の夏の頃…の出来事】…
これが「タタキ男」に叩かれ“出血…”です。
その後、忘れもしませんが“22歳の3月10日の朝”に目が覚めても“音〜♫〜”が全く><
前日の【音のある世界…から…音のない世界】に、当に【暗闇の世界…】に引きずり落とされ
この日が【聴力喪失…日時】に、なりました。

■逆に今思いますと【 心 の 法 則 】 つまり“両親の言葉の念?”で、この様な
“悪い男…タタキ男”に、想念感情から結ぶ事となつたのでしょう〜〜〜。
「種をまく!」のも、やはり“いい種”を巻く事が、その後!結果として“大輪の花”が、
咲くのではと思います。…が?この【タタキ男の執着…】は、今日でも“腹”が立ちます
が、それを「雅春先生の言葉」から…【こころで縛りますと、また同じ繰り返し〜】になり
【四次元の世界…】に入っていくようなモノです〜〜〜ョネ!!この様に、毎日!毎日!
“決めつける事=思い込み事”は、必ずその時は、一時的にごまかしても、必ずや!
化けの皮が、出てくるのですから、そう断言して思うこの頃です。【円環…】

■あの「ヒットラ−の時代」も“永遠”には続かなかった事でしたでしょ〜〜〜う!!
これにならって【必ず!今は善くないけれど…必ず!良くなる事を信じて進む事】に、心を
振り向け…そして【祈る…】事が出来る人が❤〜【人生の勝者…】と思う次第です。

最終的に、相手に“恐怖心”を与える言葉を使用するよりも“希望の言葉”が一番!!
しかも【 正しい希望実現の言葉…】でしょうかと。?

1794ハマナス:2012/12/10(月) 23:45:21 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

野生の鳥は風邪を引かない  (『新版 生活の智慧365章』P.309)

 野生の馬は決して風邪を引かないけれども、人間がそれを捕えて家畜とし、厩に入れて
風邪を引かぬように夜は毛布を掛けてやるようにすれば、毛布を忘れたときは風邪を引く
ようになるものである。野鳥はどんなに寒風に晒(さら)されても風邪もひかず霜焼にも
ならないものであるが、これを捕えて暖かい部屋に入れ、風邪を引きはしないかと人間が
心配してやれば風邪を引くようになるものである。これは人類意識と飼主の病的意識に
巻き込まれてその影響を蒙(こうむ)るからである。謂わば、動物に対して人間が「知恵
の樹の果(み)」を食べさせて病的精神に教育した結果なのである。

 病理学 の本を読み、栄養学の本を読み、薬剤の広告をラジオで聴かされ、テレビで視聴
させられて人間は必ず「病むべきもの」と云う印象を潜在意識にたたき込まれれば、集団
インフルエンザで学童が集団欠席を必要とするような事態を生ずるのである。このような
マスコミの力で「言葉の力による病的観念」を吹き込まれておれば人類は益々不健康になり、
医者と薬が唯一の頼りとなり、医者が集団休診すれば、どうなるかと恐怖しなければなら
なくなるのである。併し、本当に病気を治してくれるものは、自己の生命力そのものだと
知らなければならないのである。

感謝合掌

1795a hope:2012/12/11(火) 08:27:19 ID:ueIDSztA

新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう

♦愉快でいることを義務と思え(P94〜)

人間は愉快でいることを義務だと思うようにならなければなりません。
自分の顔は自分の勝手だから、どんなにふくれ面していても、ほって置いてくれたら好いと考える人があるかも知れませんが、それは大変な間違いであります。

自分ひとりが不愉快な顔をしているために、その周囲(まわり)の人たちがどんなに不愉快になるかも知れません。
不愉快な顔をしているだけで、その人は周囲の人たちに大変な害を与えているのです。

家庭で誰かが膨れ面(ふくれつら)をしていて面白くない気分に皆がなったために、その日仕事へいって怪我をしたなどと云うことはよくある例であります。
不調和は不調和を呼び、調和は調和を招くのであります。


明るい心のものは繁栄を引寄せます。
誰でも明るい世界を好むものです。
赤ん坊を寝かせて置いても明るい方へ顔を向けます。
誰でも愉快な楽しい顔を見ることを喜ぶものです。
吾々は本能的(うまれつき)に暗い顔や、ふさいだ顔を見るのを好みません。

日本人はとかく、あまりにも鹿爪(しかつめ)らしく、苦が虫がおおいようです。
そうして暗い不愉快なところには善い仕事は出来ません。

仕事が激しければ激しいほど、心に光をさしこますことが必要なのです。
心に光がさしこまないで激しい仕事に長く堪えることは出来ません。
野球の試合や、ラグビーの試合は、激しい仕事ですけれども、心が愉快で明るい気持でやっているから決して疲れないのであります。

愉快な楽しい顔をしている店員はお客様を沢山ひきよせます。
不愉快な顔をしている店員が店にいては、その品物は上等でも売行はよくありません。
だから普通店番には愉快な愛嬌(あいきょう)のよい娘などを置くのです。

これは別に娘を売物にすると云う訳ではないのです。
人間は他の人々に好感(よいかんじ)を与えるようでないと、他から協力(ちからをあわす)されるものではありません。
よい感じをあたえることそのことが、サービスであり、世のためになることなのです。
(つづく)

1796SAKURA:2012/12/11(火) 20:33:40 ID:jH5uEFzM
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>>1792>>1792>>1793投稿の続きです。…が
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
❤  病気の真の感染原因
======生命の実相 2巻から抜粋========================
 病気は物質的感染によっても起こる場合もありますが、その根本原因は、物質的感染を
容易ならしめる薄弱な抵抗力と、その病気の忌まわしい症状を心に描く連想作用とが、病
気感染の有力なる精神的土台を作るのであります。 食中毒を起こして下痢をして赤痢に
なったというがごときは、赤痢菌の感染による場合もありますが、その食事の時「これは
変だ」と思わしめるのがあったか「あまり水を飲みすぎてお腹がじゃぶじゃぶする」とか、
「お腹が冷えた」とかいう感じが病気を連想せしめて、 胃腸の消化作用を弱め、腸内消
毒作用をもつ胆汁の分泌などを少なくし、ついに病菌に打ち勝った抵抗力をなくして病気
を起こすのであります。                 (谷口雅春著)
==========================================

■病気になりますと、必ず!【原因・結果の法則】があるようにも思えます。ので、病気の
原因をつきとめていきますと、必ず!心からの“精神作用”が多大でしょうかと??まれに
【外部要因…】で起こる事も、本当にありますモノ! 私の経験ですが、今!思いますと、
当にそのような事が、度々起きたのです。…が?

■此処で、当時「千葉の行徳在中の頃」の出来事です。そこの“賃貸住居…”で、やはり?
今振り返りますと【水…】に、何か?異物が混入された感じの経験があります。…が?
その時は、知らずに【水…】を使用していましたら“パ−トナ−”は胸にしこり、そして、
私も“出血”が頻繁に起きるようになり、当時の私の潜在意識には【病気はない!!】と
固く〜固く〜信じていました時に〜〜〜エッ!【パ−トナ−のガンの早期発見】でした。

その時、自分の病気の事に“心を振り向ける”よりも、ひたすら“パ−トナ−のガン”に
集中!!の私でした。…が?当時は、まず【祈り…】そして【治る…】これのみを“集中”
していましたら【検査の結果…】2週間後に“ガンが消えて”いましたが、この時、私も
気がつきますと【自分自身の出血も収まり】当に【祈り…】で、全て治ったのです。ややも
しますと“病気”は不安ですが、此処で【 一念集中して祈り…】に徹し、心を振り向ける
のですから、この時こそ【チ ャ ン ス 到 来】なんでしょうかと思います。それは当に!

今!今しか出来ない事を、神様が私に“振り向かせる事”その気づき…頂いたものと!
本当に【心 の 法 則 の 訓 練】なんです〜〜〜ョネ!!

「唯物論的…原因」??その前に、全ては【心の精神作用での病気】言い換えますと、すべて
【自分の心の影…迷い】ですから、必ず“治る事”を信じることが、そしてこの事への
【持続精神作用…】が必要かと思えます。
【病気こそ正しい道徳観念の気づきをもつ“チャンス到来”】と解釈しても良いかと思えます。

■■“言葉の力”で……プラス思考の暗示を続けましょう。そうしますと、必ず!
【無限の宝庫…】があらわれる〜〜〜〜そう!「なんでも出来る!無限力」

最後に、今の私は、この時の“心境”を思い出し【獅子奮迅にて前に進む事!!】でしょうか?
「病気本来無し…」これこそ【無の境地…】でしょうか〜〜〜?

1797ハマナス:2012/12/11(火) 23:48:11 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
こんばんは。

薬剤に服従する勿れ(『新版 生活の智慧365章』P.310)

 栄養学に執(とら)われて、幼児に毎食、食膳にビタミン錠剤を与える習慣は、多くの
場合に於いてその子供に物質殊に薬剤に頼らねば健康が保持できないと云う観念を与える
ことになるのであり、従って幼児に病気が絶えないようになりがちである。かく言えばとて、
ビタミンBや必須アミノ酸が子供の発育促進に必要でないと私は言うのではないのである。
ビタミンB群や必須アミノ酸は発育促進に欠くべからざる栄養素であるけれども、それは、
幼児に“薬を与える”と云うような形式で与えないで、唯、自然の食物を与えているような
形で与える方がよいと云うことである。

 幼い時に潜在意識に「人間が薬剤に屈従する」と云う観念を植えつけると、成人してから
も長く「人間は病むべきもの」と云う観念から脱却するのになかなか手数がかかるものである。
幼いときから子供に対して、「人間は神の子よ。病気なんかには罹(かか)らないものよ」と
常々言ってきかせて置くことは、子供を常に無病にして置く秘訣である。

感謝合掌

1798a hope:2012/12/12(水) 07:03:49 ID:w2ws6uag
みなさま おはようございます。

わたし専用のパソコンの調子が悪いので(今朝は起動すらしません・汗)、
今朝は聖典謹写をおやすみさせていただきます。

感謝 合掌

1799「訊け」管理人:2012/12/12(水) 07:32:16 ID:???

十二日の経言――

愛と繁栄とを実現する言葉

 いま吾が生活を支配する法則は、愛と信仰と繁栄と、そして真理とである。吾れは何の間違もなく吾が未来を透見し得る ―― 何故なら吾れは今日(こんにち)未来の刈入れのために善き種子(たね)を蒔きつつあるからである。
 われは善き収穫を預期する。それ故、吾れは平和と信仰とのうちに晏然(あんぜん)としているのである。吾れは神の御手に吾れを委(ゆだ)ねる。神の法則は愛である。愛なる神に感謝致します。

『日々読誦三十章経』より謹写――

1800さくら:2012/12/12(水) 08:33:45 ID:e8ieIrPA
『新版 叡智の断片』

谷口雅春先生

「意識的世界に高く向上するためには、無意識の世界に深く没することが必要である。
大寂の世界から浮かび上がって来た生命のみが常に清新である。」

1801SAKURA:2012/12/12(水) 19:52:49 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
❤  人類意識と個人の潜在意識との問題

======生命の実相 2巻から抜粋========================
 病気の知識のない子どもには、病気に対する恐怖心などというものはないのであろうに、
病気にかかることがあるのは、病気が決して心の作用によるのではなく、じっさいに物質
的原因で起こる証拠ではないか――という人があるかもしれませんけれども、それは赤ん
坊の「意識」といえども「人類全体の潜在意識の大海原」の中に動いている「一波」なので
あります。したがって無邪気な赤ん坊の意識は「人類全体の病気を信ずる心」の波動に常に
乗せられて動いているのでありますから、親が病気を思わないでも、本人が思わないで赤ん
坊は病気にかかるのであります。そしてまた「こうしたら病気が治る」ということをすれば
病気がなおるのであります。               (谷口雅春著)
==========================================

■前回!記しました様に、本当にそうなのです〜〜〜ョネ!と、改めて思います、
【念の波動…】を、知らずに受け入れる!これは「無意識な状態」での事でしょうか???
「雅春先生」のおっしゃる言葉から❤〜【 「人類全体の潜在意識の大海原」 】これが
【念の波動】なんです〜〜〜ョネ!!そうしますと【 密教 】も、それに当たります。

…が?

【 密教 】とは???実際に“行”じています「黒幕デザイナ−」・「吸血鬼」・「ゾンビ」が、
更に「元々元W会長」達…もでしょうか【密教の対象…】にしています「人?」もしくは
「赤ん坊のような素直な心の人?」へ…… 知らず知らずの内に…【潜在意識…】に入れ込む
【念の波動…】が、あるのです〜〜〜ョネ!!
これを知らずに受けた方は??その人の心の中に【悪感情…ネガティブ感情】がありますと
この念波と同調し“アクシデント”が起きる事となりますでしょうか?? 逆に申しますと
この【悪念波…密教】を受けた方が、これを知って“捕まえない心境”そうなのです〜〜ョネ!

■【放つ心…捕まえない心】が、一番の対処法でしょうか?
「生長の家…現象なし!物質は無い!心も無い!……」従いまして…「無い…の世界」かと。
そして、心が【正しい心境・境地】に入っていきますと、この様な
「人類全体の潜在意識の悪波動」を、つまり受けつけない事になるはずなのです。

そうしますとこのような【環境は心の影という事!!】になります〜〜〜ョネ!!今の私は、
彼等の仕業に、更に!彼らの“心の貧しさ?=低級霊”に、引っかからない様にと…
【無我の心境】として…
【人間としての大きな使命観】をもちまして、前に進む事と・・・でしょうか??
                        
  再合掌

1802ハマナス:2012/12/12(水) 23:24:10 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
ありがとうございます。

医者と薬をアクセサリーとする勿れ  (『新版 生活の智慧365章』P.311)

 一寸とした病気にも医者にかかることを、裕福な経済力ある家庭の名誉の如く考えてはならないのである。
なかには医者に罹っていないと、何だか頼りないような気になる婦人もあると云うことである。そうなれば
病膏肓(やまいこうこう)に入ったわけで、医者に罹ることや、薬剤をたしなむことが、一種の生活の装飾
となり、アクセサリーとなるので、それがなければ淋しくなり、淋しくなった時分に病気にかかり、医者に
罹って薬を飲んでそのアクセサリー欲を満足すると、その病気が恢復するのである。

 若し人がこのような状態に陥るならば、それは正に“知恵の樹の実”をたべたアダムとイヴとになって
しまうのである。これらの人はインテリではあるけれども、自分の食った知恵に縛られて自由を失った状態
になっているのである。即ち「エホバ神アダムを召(よ)びて之に言いたまいけるは汝は何処におるや」と
言うようになるのである。最早かれの心は「神の国」にはいないで、迷いの国にいるのである。「エホバ神
彼をエデンの園よりいだし其の取りて造られたるところの土を耕さしめたまえり」(「創世記)、第三章」
と云う楽園追放の状態になるのである。「土」とは物質の象徴であり、唯物論的人生観を耕して、乏しき
世界に悪戦苦闘をしなければならなくなるという意味である。

感謝合掌

1803「訊け」管理人:2012/12/13(木) 10:15:17 ID:???

十三日の経言――

信仰と愛を昂める言葉

 吾れは、神は生命(せいめい)であり、愛であり、そして智慧であることを知る。吾れは神と一体であるが故に、吾れは神の生命と愛と智慧とが吾がうちに宿っていることを知る。吾が裡(うち)には広大なる信仰が植えつけられているのである。吾れは無限愛の持主なる神より流れ出(いで)たところの新しい信念を感ずるのである。吾れのうちに、吾れの上に、吾が周囲に、神が隅々に行き亙(わた)って神の愛は宿っているのである。神のすべての力すべての愛は吾れに与えられているのである。吾が心は完全に浄まっているのである。
 吾れは今神の与え給う最高のものを受けつつあるのである。吾れは今深き歓喜と感謝とに充たされながらそれを受けつつあるのである。吾が求めに常に応えたまう吾(わが)父なるあなたに感謝致します。

『日々読誦三十章経』より謹写――

1804SAKURA:2012/12/13(木) 20:05:20 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783
>>1792>>1792>>1793>>1796>>1801>>投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
❤  通俗医学書の功罪
======生命の実相 2巻から抜粋========================

 したがってわれわれは人類の病理学的知識がどんなものであるか、治療学的知識がど
んなものであるかを知っておくことはある意味からいって必要なのであります。人類の通
念は、それを現在意識が知ると知らざるとにかかわらず(潜在意識はそれを知っているが
ゆえに)それに触れると害せられ、それに従うとつごうがよくゆくのは、法律はそれを知
ると知らざるとにかかわらず、触れた者は罰せられるようなものであります。だから人類
全体または一地方、一時代の多数人が「これは害がある」とか「こうすると病気にかかる」
というようなことはしないほうが「君子危うきに近寄らず」ということになるのでありま
す。しかしここがむずかしいところでありまして、「これはいかぬ」「これは善い」といろ
いろのことを知りますと、いわゆる「知恵の樹の果」をたべた結果となりまして、生活の一
挙手一投足が戦々競々として、ただこれ、栄養学に、衛生学に、予防医学にかなわざらん
ことを希うことになりますから、常に病気恐怖に心がとらえられ、ちょっとしたことにも
病気を連想し、心に描くものが形にあらわれるという原則にしたがってかえって病気にか
かりやすくなるのであります。            (谷口雅春著)

=========================================

■【知識…】は、知らないより知った方が、いいです〜〜〜ョネ!良く言われます処の
【知らずにします事より、知ってした方が大きなやけどもしません】ですから…そう!!
“知識”を習得しますと、潜在意識に無意識なる“行動”が…“ラクな方”を求めやすい
のカモ…そうしますと【楽々に治る!全てが順調にいく!…】この様になりますでしょうか?

たとえば【金…】をもっていれば、なんでも出来ると、考えやすく、そこから本人の
【自己中心的なる行動…】が生じますでしょうか!【楽〜楽〜〜〜〜♫〜〜】たとえ
不利な状態でもそこに“金”という“ステ−タス”を置いていますと、そこに、その人は
猛進なのです〜〜〜ョネ!!相手の“不幸”とか顧みずと…とりあえずは“表面上”を
つくろう形での“行動”ですかと?

このような人種が「黒幕デザイナ−」と「吸血鬼」「ゾンビ」達…でしょうか???そして
「吸血鬼」「ゾンビ達」は、必ずその言葉の中に似た“表現言葉”で、それは、必ずや
【暴力団…ヤクザ…金…】此の言葉が〜〜〜出てきますネ! これは、ある人に取りネガティ
ブ感情を与えますモノと…そして、この人に取りましては、相手の感情を“ネガティブな状況
へと催眠状態…に導く手段“でしょうか〜〜〜??
これは先生のおっしゃいますように「君子危うきに近寄らず」に当てはまります。…が?
ですから【正しい知識】は、大事なのです〜〜〜ョネ!!【真理…】を、正しく表現できる
ように今の私は、前に!又一つ…前に!進む過程なのですが???そして、【正しい心の法則】
を知りますと、こような人達と関わる接点も?必要性も?自然と消滅するのです。

皆様は、本当に“悪しき言葉…”は、それだけの【価値観…】だと思います。…が?
■■悪い「知恵の樹の果」食べないことは【日々…の祈り】になるはずです。…が?

                          再合掌

1805さくら:2012/12/13(木) 20:45:56 ID:e8ieIrPA
『到彼岸の藭示』               谷口 雅春先生
 
             聲字即實相の藭示

吾が第一の藭殿は既に成れり。名付けて『生命の實相』と云ふ。完成の年になりて吾が第一の藭殿が完成するのも生命の顕現には周期的波動があるからである。
七つが事物の顕現の周期律になつてゐる。吾れに藭殿は不要であると嘗て示したことがあらう。吾は道(ことば)であるから、吾が道(ことば)を語るところに吾が藭殿は築かれる。

吾が道(ことば)を載せた『生命の實相』こそ吾が藭殿である。『生命の實相』は吾が本體であり、無形の『生命の實相』を形にあらはしたのが『生命の實相』の本である。
『言葉』を載せた書物を『本』と云うのも、『言葉』こそ事物の本であり本質であり、本體であり、本物であるからである。『言葉の宇宙』が先づ出來て、『形の宇宙』がその映像(かげ)としてあらはれるのである。

今迄の宇宙は、『言葉』が實相を語らず、不調和で濁つてゐたから、宇宙の萬物の運行が亂れて生活苦や、病氣や、天災や戦争など色いろ不調和なことばかり起つたのである。『生命の實相』の本が出た以上は、言葉が實相を語り、善き圓滿な調和した言葉の『本』が調うたのであるから今後は何事も急轉直下する。

『生命の實相』を披らくだけで病念は去り、煩悶は解決し、人々ただ自己生命の實相を知り歓喜踊躍して手の舞ひ足の踏む所を知らないに至る位はその三番叟に過ぎない。その歓びの相こそ人間の生命の實相である。

吾が道(ことば)を『生命の實相』と呼ばしめ、それを本の形にして、披らいて讀むものにさせたのも象徴的因縁あることである。『生命の實相』を展開けば形の理想世界が成就するのである。

今は過渡期であるから、假相(かりのすがた)の自壊作用として色色の出來事が突發する。
日支の戦ひはその序幕である。
藭が戦ひをさせてゐるのではない。

迷ひと迷ひと相搏つて自壊するのだ。まだまだ烈しいことが今後起こるであらうともそれは迷ひのケミカライゼーションであるから生命の實相をしつかり握つて藭に委せてゐるものは何も恐るる所はない。

(昭和七年一月十一日藭示)

1806ハマナス:2012/12/13(木) 23:08:41 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
ありがとうございます。

神を差し措いた技術 (『新版 生活の智慧365章』P.312)

 神は一切の実在(本当に在るもの)の本源であり、本当に在るものは唯、神のみから生じた
のである。さすれば、本当に癒す力も唯神のみから来るのであることは当然である。神を差し
措いて、自分だけの力で何事にても成そうと考えるところに唯物論者の間違があるのである。
化学薬品はある毒素を分解し、又中和したりして毒性を和げることが出来る。しかしその分解
産物や中和産物を体外に搬(はこ)び出して血液を浄化し、毒素によって荒らされた肉体組織を
新たに修復するのは神(即ち自己に宿る生命力)によるほかはないのである。

 物質は他の力によって動かされ、且つその惰力によって動くほかは、自動することができない
のである。従って、自己に宿る生命(神)の叡智がはたらいて何処に何の成分を保存し、何の
成分を排泄し、如何に分子組織を変化して“生きた細胞”としてそれを組み立てるかは、知性の
ない「物質」それみずからの力にては出来る筈はないのである。つまり、病気や毒物で破壊され
た組織を完全に修復するには、叡智が必要なのであって、その叡智は自己の「内に宿る神」(生命)
の力に俟(ま)つほかはないのである。神を無視した医術などはあり得ようがないのである。

感謝合掌

1807a hope:2012/12/14(金) 06:51:22 ID:w2ws6uag
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう

♦常に愉快な顔をしましょう(p96〜)

愉快な心を持つことは何をしなくともそれだけで大変よい事をしていることになるのです。
自分が楽しい顔をしておれば、自分の周囲(まわり)の人が、その顔を見るだけでも楽しくなります。

御飯の時にあなたが「おいしい、おいしい」と云ってニコニコしてたべれば、あなたの消化(こなれ)がよくなるばかりでなく、
あなたのお父さんの、またお母さんの、兄さんの、姉さんの、消化もよくなるのです。

福山の佐々木流道(りゅうどう)さんと云われる医学博士は、唾液(くちのなかのつば)の消化力を研究して
医学博士になったひとですが、その人の研究によりますと、普通の時の、普通の人の唾液は千五百単位と云って
唾液(つば)の分量の千五百倍の澱粉(でんぷん)を消化する力をもっています。

澱粉と云うのはお米や、麦や、ウドン、ソーメンなどに沢山ふくまれているもので、
人間にとって石炭のような働きをするものです。
人間の身体(からだ)に「体温」といって温か味があるのは、その澱粉が唾液や膵液(すいえき)の力で砂糖分にかわり、
それが血となって身体をめぐって少しずつ燃えているからであります。

だから澱粉が唾液の力で砂糖分にかわらないと、身体の中で燃えませんから、
石炭や薪(まき)をくべないでお風呂をわかそうとするのと同じで、だんだん人間は元気がなくなり痩せてしまいます。
だから、この唾液の消化力を強くして置くことが必要なのです。

長生きした人の唾液をとってその消化力をためして見ますと、たいてい二万倍の澱粉を消化する力をもっています。
だから長生きしようと思うと、唾液の消化力を強めて置かねばならぬ事がわかりましょう。
(つづく)

1808「訊け」管理人:2012/12/14(金) 12:02:06 ID:???

十四日の経言――

新しき計画を生む言葉


 吾れは創造者なる宇宙霊と一体である。宇宙の心は、吾れに依って完全に自己を表現しようとしているのである。吾れは神とともに創造する使命を与えられたのである。今、吾れは創造せんとする理念と構図でみたされている。
 吾れは一切のものを造りたまいし智慧そのものと一体である。吾れは何を思考し何を造るべきかを宇宙の心に教えられるのである。吾れはいまより神の霊に導かれて巧みにそして完全に創作することが出来るのである。吾れは新しき力と能力とを感ずる。吾れは心も肉体も新生したのである。吾れは歓びと希望とに雀躍(こおどり)している。吾れは智慧そのもの真理そのものが自分に宿っている事を感ずる。それ故に吾が創造力は完全である。創造者たる宇宙霊に感謝し奉る。


『日々読誦三十章経』より謹写――

1809「訊け」管理人:2012/12/14(金) 21:09:47 ID:???

十五日の経言――

自信力を増大する言葉


 吾れはいま見えざる力に結ばれている。吾れは神と一体である。神のもち給える一切のものを吾れも亦有(も)つのである。天地をつくり給いし神より吾が援(たす)けは来(きた)るのである。神の力は同時に吾が力である。吾れは神の子である。吾れは神の有(も)ちたまえる一切の物の継承者(よつぎ)である。

 神は力そのものである。それ故吾も亦力そのものである。神は智慧そのものである。それ故、吾れはあらゆる場合に神の智慧に導かれる。神は貧しさをしらない。其れ故、吾れも亦貧しさを知らない。神は愛そのものである。其れ故、われは慈悲と愛とにみたされているのである。神が満たしたまわない欲望は吾れに一つだにないのである。神の目は雀をすら見まもり給う。それ故神が吾れを見まもり給わない筈はないのである。吾れは吾がうちに宿れる神性を自覚して歓喜勇躍している。吾れは神と偕(とも)なるが故に、如何なる禍(わざわい)をも恐れない。常に永久に吾れは与えられて不足すると云うことはないのである。

 今、吾が求めはなされたのである。吾が求めは今なされたのである。吾が求めを常にききたまう吾が御祖(みおや)の神に感謝します。


『日々読誦三十章経』より謹写――

1810さくら:2012/12/14(金) 22:08:31 ID:e8ieIrPA
心の法則”と“平和への道”の藭示            谷口 雅春先生

 吾が來れるは古へ誤れる道徳観念を修正し、新しき正しき生き方を人類に示さんがためである。
『治にゐて亂を忘れず』と云ふのが古き人類の道徳であつたが、『生長の家』の生き方は亂にゐて治を忘れざる生活である。

亂を忘れざる者はつひに亂に逢ふ。亂を忘れざるが故に常に恐怖し、亂を忘れざるが故に武備をたくはへ、武備を蓄ふるが故に近隣を威脅し、近隣を威脅するがために、近隣また恐怖して武備を増す。

かくの如くして近隣兵を増すを見て、また自國は更に兵を加へて互に虎視眈々として近隣相睥睨す。武備に國費を要し、教育費は削られ、俸給は縮められ、民に正色なく、國に寧日なきは當然である。

汝ら、若し治にゐて亂を忘れざらばつひに亂に會ひ、亂にゐて治を忘れざらば平和に逢はん。亂を忘れざるを教へたる古き教も吾前には愚かなる者なるかな。
治にゐて亂を忘れざる者は健康にゐて病ひを忘れざる者である。健康にゐて病ひを忘れざる者は、如何なる善行の者も、如何なる積徳の者も、すべては病ひに逢わん。
忘れずと云ふことは、心の力にて呼び寄せることを意味する。

求めよ、與へられん。呼べよ、答へんと吾れ汝に告げたであらう。
呼ぶものは皆來ることを疑ふな。
高徳の人が病氣になるのは實に不思議だと思ふ人があるかも知れぬが、治にゐて亂を忘れざるを高徳と称すべくんば、健康にゐて病ひを忘れざる高徳者が、病氣になつたとて不思議ではないのである。吾れは汝に、死を豫想するなと言ひ、遺言状を書くなと教へたることがあらう。
また、不幸に對して用意すな、病氣の起る時の用意をして薬をて携へ歩むなと教へたことがあらう。
すべて是れ『心の法則』である。如何なる高徳の者も『心の法則』の外に出ることは出來ぬ。

如何なる高徳の者も『心の法則』の外に出ることは出來ぬ。
汝ら心して亂を思ふこと勿れ、心して病ひを思ふこと勿れ、亂の眞つただ中にゐてすらも、實相の世界の常住平和を思へ。
汝ら眞に實相世界の平和を思へば、汝の世界にも平和は來たるのである。
また汝ら病ひの眞つただ中にゐてすらも、本當の汝の常住健康を思へ。
汝ら眞に實在の汝の健康を念へば健康は來たるのである。

されど悲しいかな。いま實在世界の常住平和を知るものは 寥々なる暁天の星であるぞ。
いま皆のものは一刻と雖も亂を思はない時とてない。
逆の精神波動が積り積つて、汝ら世界はもう累卵の危ぶさである。近いうちに汝らの世界には一大変動が來るであらう。迷ひの自壊作用である。
○○は○○○と戦はねばならぬ。
藭はその時の惨害を出來るだけ少なくするやうに努力してゐるが、人間の方でもその惨害を出來るだけ少なくするやうに協力するやう頼む。

協力と云うても何も難しいことではない。亂の中にゐても心の平和を失はぬ修行をすることである。そのためには常々藭想観の修行をさしてある。

(昭和六年五月三十日夜藭示)

1811a hope:2012/12/15(土) 06:10:00 ID:w2ws6uag
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう

♦どうしたら唾液の消化力が増すか(p97〜)

それでは唾液の消化力がどうしたら強まるかと云いますと、食べ物を見て「美味しいな、有りがたいな」と喜んで、
感謝して、そして、充分「たべたい」と云う気持を心にしっかり起こしてから食べれば、その唾液(だえき)の消化力は、
二万五千倍の澱粉(でんぷん)を消化する力があると云うことを、佐々木博士は実験せられました。

だから食べ物はよく見もせずに呑み込まずに、充分にその美味しそうな色や形を見て、
「おいしいな、たべたいな」と云う気持ちを起して、
「神様からこんなに美味しい食べ物を頂いて有り難うございます」と感謝しながらたべなさい。
すると、どんな食物でも、よく消化して血となり肉となるのです。

佐々木博士は、また好きな人の顔を見ながら、うれしい気持ちでお食事をすると、
唾液の消化力がすばらしく強くなると云うことを実験なさいました。

ですから御飯をたべるときには、いつもあなたがニコニコしていれば、
可愛いあなたの顔を見ながらお父さまも、お母さまも、兄さまも、姉さまも、みんなうれしくなり、
お父様もお母様も、兄さまも、姉さまも、食べ物がよくこなれて長生きをして下さいます。
(つづく)

1812SAKURA:2012/12/15(土) 21:56:59 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783
>>1792>>1792>>1793>>1796>>1801>>1804>>投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』  その①
❤  病気の精神的感染を防ぐ法

======生命の実相 2巻から抜粋========================
 そこで栄養学や衛生学や予防医学は知っておかねばなりませんが、それはただ参考にし
ておくくらいで、「人間は神の子であるから、かかる学説を自分の道具として使用するこ
とはできるが、かかる学説に支配され奴隷となるものでない。『神の子』たる人間の権威
を自覚した者はいっさいの主人公であって、決して物質の法則には害されないものではない」
と常に確乎とした信念をもっておりましたら、通常なら人類の通念に抵触して病気にかか
るはずのときでも、病気にならないですむのであります。子供がもし人類の病気を起こす
潜在意識に抵触して病気にかかったり、かかりそうな予感がした場合には「自分の子は神
の子であるから、決して人類の病気の通念によって害されるものでない。自分の子は神
の愛に護られ、常に安全であり、ただ健康のみなる実相の世界に住んでいるのであるから
あんしんである」と強く繰り返し念じて、恐怖の観念を取り去り、病気の人類通念から超出
してその波長に合わないようにしてしまうことが必要なのであります、もし人類の病気の
一般的通念からその母親が超出することができましたならば、母親の「人間、神の子。病
気無し」の信念が子供に反省して、子供が病気にかからず、また病気にかかっていてもす
みやかに治ってしまうのであります。 (谷口雅春著)
=========================================

■そうです〜〜〜ョネ…! このような捉え方の尺度を【老人症…】として捉えますと、
近頃は、思うのですが?確かに【長生き…平均寿命は延びましたかと】それと、相反する
に【認知症……ボケ症状】とか【そう欝症】とかの新たなる“病気かと”…??
❤〜「人類の通念に抵触して病気にかかる」余の“念…”でしょうか???これと同様に、
“高齢…”になりますと、誰しも先の将来の不安があるのではないでしょうか……??

■そのような時【決して“人類の認知(ボケ症状)?・老人症?】は無いと…唯、健康で
私は「愛念の世界…」に入っていく“心境へ念を送る事”でしょうかと???そう!!
それは、強い【意志=意識】になるのです〜〜〜ョネ!!

                つづく

1813SAKURA:2012/12/15(土) 21:59:20 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1812>>投稿の続きです…。

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』  その②
❤  病気の精神的感染を防ぐ法

「亡き母」が“医者の言葉”に、信じきり?という表現になりますでしょうか?
【認知症…】にされましたが…【意志=意識】は、しっかりあると言いながら“矛盾”の
言葉を、医者自身が“言葉”として口に発し使用していた事を、思い出します。…が?
現在の医者は、しばしば高齢化社会という名の基【社会保障…福祉医療…】中心ですから
【ボケ老人…認知症…】拡大でしょうか?

■此処で、極端な例ですが…私の知人で「介護関係…ケアマネ−ジャ−」から直ぐ○○すると
保障があり個人負担は、たった○○で済むのです…申請した方が…云々…
この知人自身、自己負担は少なくて済むが…あくまでも■【介護関連会社…】国への申請にて
かなりの資金が流れてくるのでしょう。最終的には、国の財源・次世代を考えているのかと。
あまりにも…次から次への「申請事…」これでは、将来の『国の財源』はどうなるのか?

■ましてや、自民党時代の旧社保庁の【年金問題…未解明】これを【民主党…】がプロジェクト
組んで処理し始めましたが…此処最近は【原発問題で鈍化】でしょうかと。??

今や【高齢化社会…社会福祉医療…国民負担率??】この件で、【介護関連…会社】を増やす事
が、本来の“彼らの思惑”なのでしょうか??そうしないと確実なる“収入源…”が???で
しょうか???【国の医療の資金が流用】されているのでは??このような
【医者としての使命】が欠けた“医者…”も、今後は、ある面で増えてきているのも事実です。

そのような状態ですから、私達は、将来!もし【老人症…認知症?】になるという……
【社会の人類の通念…】として、“こころ…”が侵されている状況になりつつあります。当に!
【潜在意識にインプット】でしょうか??このような時、本当に【真理…】を真剣に、学ぶ
時期ではと思う次第です。…が?

■■【私は神の子、人間病なし、病気も無し、老人症も無し・・・・その他・・・】かと。
この“信念に送り込む事”が、前に〜前に〜進む事ではと、この頃つくづく思う次第です。
「亡き母」の当時の私の無知に、今日!おおきな“損失”をしましたが、これらの事は、
「亡き母からの伝言」の様にこだまして、響くのです。今!今!!・・・起て!今こそ
【生長の家…】をもう一度なのです。モット!魅力ある“ 聡 明 人 間 ”に…

                             再合掌
PS:トキ様
この様な状態の【老人医療関係…あるいは認知症】を、どう思われますでしょうか??
マ〜〜〜ァ?一般の末端信者の考えは、“くだらない!一言”でしょう〜〜〜かしら〜〜〜ン!!
私自身から見ますと【風見鶏論…方】が、お好きな様ですから〜〜〜今の日本の“現状…”は、
厳しい状態です。…が?今後の事を、考えますと、複雑ですが?如何な考えなのでしょうか?

1814「訊け」管理人:2012/12/15(土) 23:54:35 ID:???

十六日の経言――

災厄除けの言葉

 神は吾が光であり給い、吾が救いでありたまう。されば吾れ誰をか恐れんや。神は吾が護りであり給う。されば吾れ誰をか恐れんや。吾れは吾が経験する一切の事物のうちに吾れを導き給う神を感ずる。神が吾れを護り給うとき、吾れに何等の災厄もないのである。神がわれを慰めたまう時、吾れに何等の悲しみもないのである。吾れは神の曇りなき愛、完たき心にいだかれているのである。吾れは神の保護を漏れる恐れを知らない――神の在(い)まさざる所はないからである。
 吾れは『善』そのものに取り巻かれているのである。吾れは『善』そのものの懐にいるのである。神の愛は吾れを取巻きて、吾がうちに、そして吾が外に、周(あま)ねく、在(まし)まして、吾れを見捨て給わないのである。

 吾れ闇を歩むとも、神は吾が光であり給う。吾れ海を航するとも、神は吾が羅針盤にてあり給う。吾れ孤(ひと)りいるときも、神は吾が羅針盤にてあり給う。吾れ孤(ひと)りいるときも、神は吾が伴侶にてあり給う。されば吾れ誰をか恐れんや。吾れには恐るる所のものも人もないのである。吾れに死は来たらない。生命(せいめい)のみが凡てであることを知るからである。吾れは暗黒に見ゆる谷を歩むとも光明はつねに吾れに附き随う。吾れに禍は来たらない。禍と見ゆるものは進一歩の過程である。吾れは生命(いのち)、神は生命(いのち)、凡ては生命(せいめい)であるのである。吾れはいまより信仰と、自信力とをもって進み行くのである。

 神の恵み深き護りに感謝いたします。

『日々読誦三十章経』より謹写――

1815ハマナス:2012/12/16(日) 00:39:57 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
ありがとうございます。

生物発生の大作用を知れ  (『新版 生活の智慧365章』P.313)

 神よりも物質に強く信頼を置くものは神の心に協(かな)わないものである。物質の力に
頼れば頼るほど、内在の神の力は減ずるのである。科学的知識が発達すればするほど、霊感
と云うものは乏しくなる。薬剤に頼れば霊的治病力はそれだけ減ずるのである。天秤の一方の
皿に「神」を置き、もう一方の皿に「科学知識」を置き、化学知識の方に重点を置くほど、
「神」は軽視せられて、科学知識が、“神の叡智”にとって代わるようになるのである。科学
知識が“神の叡智”に代って、人工衛星や、金星ステーションまで射ち上げるようになっても、
神を軽視したこれらの科学兵器は、ただ人類を破壊の恐怖に追いやる役目をしているだけで
あって何ら人間の招福の源泉とはならないのである。

 生命現象と云うものは、「生命」と云う不可視のものが、物質を支配し、物質の法則を支配し、
単に物質の法則だけでは、どうしても出来ないところの「生物」と云う有機体をこしらえ上げた
ところに起こるのである。試験管の中で、アミノ酸似のものを生ずることに成功しても、それは
“生命の起源”ではなく、生命が生産したところの一種の化合物を模倣してこしらえただけで
あって、物理化学の実験ではアミノ酸以上に進んで、生きた生体を作ることは出来ないのである。
生物が其処に発生するには、生命が“物理化学の法則”をも利用しながら、それを超える生命的
なハタラキを演ずることが必須条件となるのである。

感謝合掌

1816さくら:2012/12/16(日) 07:44:51 ID:e8ieIrPA
『生死の教』        谷口 雅春先生

  生死はままならぬと云へども生死は心のままである。
兄弟を生かす心の者は生き、兄弟を殺す心の者は死す。

殺すと云うても刀で斬ることではない。兄弟を生かす心のないものは殺してゐるのである。
周囲の人々の思はくをいかしてやるのがは『兄弟を生かす』の最も大なるものである。
自己の好まざる所を他に転嫁するのは『兄弟を殺す』の最も大なるものである。

周囲に痰を吐き散らすな、紙屑を投げ捨てるな。
これは物質のことでもあれど、物質のことだけではない。
口角沫を飛ばして兄弟を非難する者は兄弟の心に唾を吐きかける者である。
腹立ちを手紙に書いて送る者は兄弟の心に紙屑を投げる者である。
かれは兄弟の心を言葉で殺し文字で殺す者である。

兄弟の心を殺すより尚大いなる殺しがある。
汝の両親の思ひやりを殺し、汝の主君の思ひやりを殺す者である。
本當に汝が、心の殺人を止めて感謝の心に充たされるやうになるまでは、心の波長が違ふから藭の救ひの霊波はうけられぬ。

(昭和六年九月五日藭示)

1817ハマナス:2012/12/17(月) 00:30:03 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
こんばんは。今日から、第十二章に入ります。

第十二章 若さと元気はどこからくるか

「宇宙的な自己」への目覚め (『新版 生活の智慧365章』P.315)

 誰でも人生のある段階に達したとき、人間が単なる物質ではなく、物質以上のもの、肉体
以上のものが自分に宿っており、それに生かされているのであることを悟る瞬間が一度や
二度は必ずあるものなのである。それは何か非常な危険に晒されて、迚(とて)も自分の力
ではその危難から救われる筈がないと思われる瞬間に、何か不思議な力によってその危難から
免れ得たようなとき、または既に医師も家族も、自分も、絶望だと信じ切っていたような瞬間
に、ふと気がついてみたら生きている自分を発見したようなとき、此処に生きている生命
(いのち)は自分の生命ではなく、一層偉大なるものに生かされていると云う自覚が得られる
のである。

 そんな体験をある人は軽く見逃してしまって記憶にとどめないで忘れてしまうが、或る人
にはそれが深い感銘を与えて「人間」を見る眼が一変してしまう。小さな「個」の存在から、
偉大なる「宇宙的な自己」へと目覚める――それが新生である。本当の新生は決して、寄る
年波をかぞえる暦の上での新年を迎えることではないのである。

感謝合掌

1818「訊け」管理人:2012/12/17(月) 05:47:15 ID:???

十七日の経言――

恐怖を消滅する言葉

 吾れは恐れない。神はすべてであり給う。神以外のものは何も存在しないのである。神は善なるが故に悪は決して存在しないのである。神は護り給う。神は養いたまう。神は吾れを抱きたまう。神は吾れを愛したまう。如何なる禍(わざわい)も吾れに来らず、如何なる疫病(やまい)も吾が家には見舞わない。神は吾が行くところに常にその天使をつかわしたまいて吾れを看(み)まもり給うのである。吾れは真理を自覚したるがゆえに自由である。吾れは神と偕(とも)に人生の行路を歩む。吾れは『善』と『真理』とのみを見る。吾れはそのほかの何物をも見ないのである。神は渾(すべ)てでありたまう。吾れは終日(ひねもす)吾がたましいの内にかく叫ぶのを聞くのである―― 吾れは心のうちに病いも貧しさも恐怖も考えない。吾れはただ真理と愛と生命とのみを考える。一切のものは神のものである。吾れは神の子である。それ故に一切のものは吾がものである。
 神の力のみが実在する力である。神のもち給う一切のものは吾がものである。吾れ一切のものを神より承(う)けたるが故に、吾れは全てである。吾が父なる神に感謝いたします。

『日々読誦三十章経』より謹写――

1819a hope:2012/12/17(月) 07:52:21 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう

♦心は自分の運命を変化する

心と云うものは唾液(つば)の性質を変ずる(かえること)だけではなく、人間の運命もかえる力をもっています。
「人を倒そうと思ったらピストルの引金を引く必要はない。ただ心で彼を憎み呪うだけで充分だ」
と英国の哲学者カーライルは云っています。

あなたが成功し、出世し、すぐれて人のためになり、尊敬される人になるには、
先ず自分は「神の子だ、何でもすぐれて充分出来る」という自信をもつことが必要であります。

こんな人もあります。
A君は九歳の時に、お母さんの机の上にあった『光の泉』をふと読み出して以来、
「人間は神の子だ、何でも出来る。成績は優良(すぐれている)なのが当たり前だ」
と自覚(じぶんでおもう)しますと、急に中位(ちゅうくらい)の成績から七番になり、
五番になり、三番になり、ついに主席(いちばん)になって、特待生になりました。

それから海軍兵学校へ楽々入りましたが、終戦となり、学費がたりないので、夜警の仕事をしながら大学に通い、
夜はわずか二時間しか眠らないのですが、「人間は神の子で無限力だ」と云う自覚をもっているために、疲れもせず、
病気にもかからず、益々元気に肥えて最近大学を卒業さられました。
(つづく)

1820うのはな:2012/12/17(月) 15:06:23 ID:r.C5sfeA

 神話的に云ひますならば、日本国家は天照大御神の理念の中に先ず造られて、
それが「千五百秋の瑞穂の国は世々わが子孫の王たるべき地なり」と云ふ天孫降臨の
神勅となってあらはれてをります。

 神話と云ふのは、作者が誰と云ふ一定の人間ではなくて古代の民族が、その民族全体の
精神によって作られたものであつて、民族全体の一致した信念の協同作品と云ひやうなものであります。
この民族全体の協同信念によつて各人が集団して、日本は天皇中心の国家を形作つたのでありますから、
日本国家が天皇中心の国家であると云ふことは最も民主的なことであります。

 この民族全体の協同精神が謂はば日本国家の設計のやうなものであつて、その協同精神の通りに、形の世界の
日本国は、家が色々の材料が集められて徐々に出来上がるやうに、出来たのです。
 だから日本国家の本質及び設計は、天皇国家の姿をとるべく日本民族全体の心の中に既にあつたのであります。
そして、神武天皇が大和に都をはじめ給うたのは、天皇中心の国と云ふ日本民族全体の精神が具現化した第一期工事の
完成だと云ふことになります。

 『真理』第一巻 谷口雅春 先生著

1821SAKURA:2012/12/17(月) 22:08:49 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>投稿の続きです。…が
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』  
❤  子供の病気の時に母親が動揺してはならない  その①

======生命の実相 2巻から抜粋==========================
 子供が病気にかかったらしい時に母親の心が動揺してはなりません。母親の心の動揺は
ただちに子供に反戦いたします。心の波動そのものは波及いたしますし、顔色や態度や語
調でも子供に影響を与えるのであります。子供の顔色が悪いからといって、「お前顔色が
悪いよ」とか「どこか悪くないの?」「疲れやしない?」「お腹痛くない?」などと言葉の力
で子供自身に不安の念を起こさせたり、病気を連想せしめるような言葉を使ってはならな
いのであります。               (谷口雅春著)
============================================

■子供が病気をしたら“母親”は、動揺しているのでしょうか?それは“ノー!”と、
「亡き両親」の時代は答える事が出来ますでしょうかと。??しかしながら、実の処……?
現代社会に於きましては【現象=現実】では、“断言の言葉”は、言えますでしょうか?

ここで、反対に、自分自身の周辺部の知人が、病気をしたり?仕事先が失ったり?…etc…今!
現状の状態が、悪くなったとしても、それに【心が動揺…】しますのではと??
正直申しますと、日本人の精神面は、以前と比較しますとある面では【軟弱…】でしょうか?
出来る限り、こちらからの“明るい光明面”を、見せる事も、大事なのでしょうかと思うの
です。…が?
つづく

1822SAKURA:2012/12/17(月) 22:12:26 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>投稿の続きです。…が

❤  子供の病気の時に母親が動揺してはならない   その②
>>1821その①の投稿の続きです…。

■私一人が『ローソクの灯…』を照らすとしますと、次に、また一人の方が照らしていく様に、
『心の光明面…』でしょうか?振り返りますと【古き良き時代?…一番いい時代は、国民が
一眼となって、経済面で日本復興との思いでしたかと。】そうですョネ!働いていましたネ!

「亡き両親の時代」ですが、隣の家の“夕食…”が、お互いに判る時代背景でしたのです。
あの頃の状態までは〜〜〜如何に〜〜〜でしょうか??
❤〜【私は太陽だ!!お日様がさんさんと輝いています〜〜と“心…”で唱えていく内に
…そう!人間は“想念の世界”ですから、“あ・うん呼吸”でいきましょうかと???】
その様に、なっていくのでは??全ての物事のに関しまして…健康!経済面!…etc…も、
■【『ローソクの灯』の様に……『心の灯』の連鎖反応・連想…】でしょうかと???

さて!ブレイクしますが…“昔の顔”を見て下さい「生き生き…イキ・スタイル」ですモノ!
これを見ながら…子供の頃の時代から“姉が大ファン…”でしたが【ピーナツ…】
今!振り返り【検索…】しますと、結構“イケてる感!”でしょうか??良いですネ!
いつからか?「日本人の心は何処に?」と思う面も?なきにしもあらず?でしょうか??
もう一度【常にポジティブな…明るい表情…真理の言葉】を、そこからの“スタート”と!

❤〜今から、“一人!一人!の力を合わせて…一本の”ローソクの灯“を〜〜〜”でしょう。
ビックリは【30年前で…この曲を英語で歌った事】は?素敵な感!と“パートナー”が…
私も、かすかな聴力にて、始めて聞こえてきましたが〜><本当に“リズム感・センス”が
“グー”でしょうかと! 本当に、今こそ〜〜〜〜〜!
【いいモノの価値観が認識され、後世に残る処の…“本物志向”でしょうか?】

■■本当に、誠意ある“行動”の時代に入っていく…『時代!それを“リード”する』のは、
私達【生長の家…真理】なのでは〜〜〜その様に、思います。…が?
■皆様…もう一度“原点”に戻りまして、まず!暗黒面を見るべから〜〜〜ず!!です。
そこから【スタート!ガンバロー!!!】と、心が躍動しています。いえ!その様に
“心を方向転換”している最中です。…が?余談ですが、当時の両親達の時代が見えます。
ある面では【妥 協 の 許 さ な い 社 会】でしたでしょうかと?
                               再合掌

1823ハマナス:2012/12/18(火) 00:23:48 ID:x2zmnlqw

悟りと実践  (『新版 生活の智慧365章』P.316)

自己の内に埋蔵されたる「一層偉大なるもの」を発見するのが「新生」であり、仏教的に
謂うならば「悟り」である。併し、その「悟り」が一時的な“魂の光耀”で消え去って
しまう人が多いのは、その「悟り」を実践の上で生かさないからである。白隠禅師が「大悟
十八回」を重ねられたと云うのは、その「悟り」が「悟り」のままで静止し、眠ってしまわ
ないで、動的な「悟り」となり、実践的に、その「悟り」が実現して行く、巨大なる“悟り
歩み”の足跡を振り返ってみて斯く形容されたものだと思われる。

誰でも実践的に使わないところの力は退歩してしまう。“悟り”も実践的にそれを行使しない
とき、折角、その悟られたる「一層大なる力」は徒(いたず)らに眠ってしまう。凡そ人生に
於て偉大に聳(そび)え立つところの人は、その悟りによって把握したところの「一層大い
なる内在の力」を眠らせないでそれを自由に駆使して行った人々である。

感謝合掌

1824「訊け」管理人:2012/12/18(火) 07:19:18 ID:???

十八日の経言――

萬成就の言葉

 神は霊の世界にまします。霊の世界に『悪』は無い。吾れはもう悪を恐れない。何故なら神は吾れと偕にいますからである。如何なる禍も吾身に振りかかっては来ないし、如何なる疫病も吾が住家(すみか)には来たらない。神は吾が往くところに常にその使者(つかい)を遣わして吾れをまもり給うているのである。神の使者(みつかい)の手は吾が身を支えてい給うが故に、吾れを躓かしめる一箇の石だもないのである。
 吾れはまったき愛に懐かれて恐怖心一切は消滅したのである。吾れは最高のもの至美(しいび)のもののみを心に思うが故に、恐怖心は吾れに近寄らない。失望よ、恐怖よ、吾れは今汝を正視して汝を拒絶する。吾れは汝以上のものである。汝は自分に何の関係もないのである。
 吾は自分を憐れまない。何故なら自己憐憫は恐怖心を一層増大するものであるからである。吾れは天に於いても、地に於いても神の全ての力を与えられているのである。吾れは此の吾が内に宿れる神の力を駆使して、一切の欲する事を成就し得て神に感謝し奉る。自己憐憫及び恐怖の情は最早われに対して何の力もないのである。吾れは何人(なんぴと)も自分を憐憫することを許さない。何故なら他から憐れまれるのは自分の弱さを肯定する事である。自分は神の子であるが故に決して弱さをもっていないのである。自分は完全に神と結ばれているが故に、吾は決して恐れはしないのである。

 吾が事業は神に導かれて必ず成就するのである。吾が事業に必要なる一切は、必要な時必要な場所に於て与えられるのである。否既に実相の世界に於て与えられているのである。野の百合をすら装わせ給うた神が吾がことを看まもっていたまうのである。それ故何事かがすらすら進まなかったならばそれは一層善きことが来たらんがためである。吾れはそれを安心して確信することが出来るのである。信念を持て。此れが最も必要なことである。自己を信頼せよ。他(ひと)を信頼せよ。未来を信頼せよ。神を信頼せよ。勇気と信念とだにあれば其の戦(たたかい)は既に半ばは勝ったのである。決断、意志の強さ、勤勉は残りの半分であることを知るのである。吾れは勝利する力があると知るが故に吾れは勝利するのである。吾れは吾が志すことを必ず勝利する。吾れは信念そのものである。吾れは勝利そのものである。信仰は世界を支配する勝利者である。吾が信仰は宇宙にひろがる大きさを有(も)っているのである。

 神よ、あなたは何よりも先(ま)づ吾が求むるものを与え給います。吾れの関係せる事物はすべて都合よく行くことを御親の神に感謝致します。

『日々読誦三十章経』より謹写――

1825a hope:2012/12/18(火) 08:05:38 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう

♦周囲の人々と調和せよ

人の成功は、他(ひと)が自分を信じてくれる為であり、人が自分を持ち上げてくれる為であります。
人間は自分のみが幾ら偉くとも他が認めてくれず、協力してくれないならば、大きな仕事は出来るものではありません。

だから、成功しようと思う人は周囲の人々と仲良く調和することが必要で、また他から信じられるには、
自分の自信力が相手の心にうつるのですから、自分自身を自分が信じないような事では、他の人もまた自分を信じてはくれません。

信念と云うものは伝染力をもっているものですから、「自分は神の子で立派なものだ」と云う自分の信念が他にうつって、
他もまた、あなたを「あの人は立派だ」と信じてあなたのことをきいてくれ、
仕事に力を協(あわ)してくれるようになるのであります。

虎の檻の中にはいりましても、その人が、「これは虎ではない、猫である。優しい、優しい、猫である」
と信じていますと、その虎は猫のように優しくなるのです。

柳生但馬守(やぎゅうたじまのかみ)が虎の檻の中へ入って害されなかったり、
ペルシャのダニエルと云う人が虎の檻の中で害されなかったりしたのは、こちらの信念の影であります。

先ず自分を「神の子である」と信ずる事が第一です。
(つづく)

1826ハマナス:2012/12/18(火) 23:31:38 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

内部と外部をつなぐスイッチ (『新版 生活の智慧365章』P.317)

 人間は五官に感じられる面から観れば肉体と云う物質的な存在である。しかしその内性を
観ずれば、宇宙大生命が宿っているのである。宇宙大生命は虚空に満ちており、わが内に
流れ入って個々の人々の内部生命を成しているのである。しかし内部に満ちているからとて
必ずしも現実的な力にはならない。蓄電池のうちに電気が満ちているからとて、必ずしも
それが現実的な力となってあらわれて来ないのと同じことである。

 内部の電気的力を現実的な力とし“光”を輝かせ、モーターを回転させるためには、内部と
外部とを繋ぐためにスイッチを入れなければならない。その“内部”の「一層大なる力」と、
“現実”の「有限なる力」とを結び合わすスイッチとなるものは“心”である。“心”の媒介
を通じて、内部の「霊」の無限の力は外界にまであらわれて現実的な力となってくれるのである。

感謝合掌

1827a hope:2012/12/19(水) 08:16:17 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう

♦自己を信ずる力

自己を信ずる者は、他人をして自己を信ぜしめます。
決然、引き結んだ唇、断乎たる眼光(まなざし)、信念に満ちた言葉――これらは人を引きずって、
その人に協力(ちからをあわす)させずには置きません。

信念の力は、魔術的なラジオの波となって八方にひろがり、適当な時に、適当な物を、適当な人を引寄せます。
信じて「波に静まれ」と云ったら波もまた静まるのであります。
信じて「汝病なし」と断言すれば、その人の病は癒えるのです。
信じて「われ神の子なり成績は優良なり」と常に念ずれば、必ず成績は優良になるのであります。

ああ信念の力なるかな。
(第九章終り)


数日間、聖典の謹写をおやすみします。
 
合掌

1828「訊け」管理人:2012/12/19(水) 09:17:40 ID:???

十九日の経言――

神と融合するための言葉


 吾れは今最(い)と高き御親の神の奥殿に這入(はい)ったのである。吾れは神の御前(みまえ)にいて平和である。此の世のものは今わが眼界にない。吾れは今五官の世界を去って霊の奥殿にとじこもるっている。われは渾ての渾てなる者 ―― 神に触れている。吾れはそこから生命と平和と豊富との泉を汲むのである。吾れは神の御前(みまえ)に侍る ―― 神は吾が力を新生したまいつつある。吾が心は開かれ、吾がたましいは啓示を待つ。吾が体は神の無限の治癒力に触れている。此の霊の静かなる奥殿に吾れは恐れなく、いとやすらかにいるのである。如何なる禍も、吾れには降りかかることが出来ない。如何なる悪も吾を悩ますことは出来ない。何故なら吾れは悪を恐れない。悪は実在の力ではないからである。

 吾れは唯善のみを見、善の実を聞くのである。吾が前にはすべてのものは美(うる)わしく、すべてのものは善である。吾れは神の有(も)ちたまう新生力と創造力にうちまかせる。吾れは神を信じて法悦に満たされているのである。御祖(みおや)の神に感謝をささげます。


『日々読誦三十章経』より謹写――

1829NANCY:2012/12/19(水) 12:14:36 ID:bdP2hNg2
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635>>1639>>1643>>1766>>1778>>の投稿の続きです

無事に“衆院選挙投票…”も終わり、残り少ない日々…となりました。…が?早いものでしょうかと。
今年も、あと“半月…をキリ”……>< 全てに於きまして、ラスト・スパ−ト!!

今日は【 清超澄先生……『 「愛」は勝利する 』よりの抜粋…

■【 「心に強く描く」 ことは、全てが「祈り」である

❤〜祈りはかなえられる。それは「心」によってこの現象界が作られて行くものであります
から、「心」さえしっかりと求めるものを描いてはなさなかったならば、やがてそれが或る
時間の経過に実現してくるようになっているからであります。
「心に強く描く」ことが実は「祈り」なのであります。   (抜粋投稿)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【 心に強く描く事=祈り 】そうなのです〜〜〜ョネ!
これが当に【 心の法則 】でしょう。
しかしながら?やはり【神様の御心に…】叶わなければならないでしょうかと…

❤〜【祈り…『イブの日に…』夜空の・:・☆・:・:に向かって“祈り” 】

〜♫〜 きよしこの夜 星はひかり
すくいのみ子は
まぶねの中に
ねむりたまう いとやすく

きよしこの夜
み告げうけし
ひつじかいらは
み子のみ前に
ぬかずきぬ かしこみて

きよしこの夜
み子の笑みに
めぐみのみ代みに
あしたのひかり
かがやけり ほがらかに      〜♫〜

■【夢…実現】に向かい…心に強く≪設計図≫を、描きま〜〜〜す。…シ−クレット…  

再合掌

1830ハマナス:2012/12/19(水) 23:20:17 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
こんばんは。

内部の霊なる智慧  (『新版 生活の智慧365章』P.317)

 内部の「霊」は「一層大なる自己」であると共に、「一層大なる智慧」である。その智慧の
啓示にしたがって生活する者は、流れに従って航(こう)するようなもので、速やかに進む
ことができるが、その智慧の啓示に従わずして生活する者は流れに逆らって航するもので、
色々の困難を閲(けみ)しなければならないのである。だから、私たちは「内部の霊なる智慧」
を呼び出して来て、その導きに素直に随うようにしなければならないのである。

 ただ肉体脳髄の限られたる知識だけで、不安定な道を遮二無二突き進んで行くだけでは、
肉体的力は消耗(しょうこう)してしまって、ついに完全に物事を成就することは出来ない
のである。この「内部の霊なる智慧」を導き出すのが「心」の働きであって、神想観を実修
して「心」を調節することによって、内部の霊と波長が合い、内部の智慧が肉体面に現実化
してくることになるのである。

感謝合掌

1831「訊け」管理人:2012/12/20(木) 10:07:39 ID:???

二十日の経言――

萬能の自信を強むる言葉


 『神と偕なるが故に一切のこと能(あた)わざるなしである。われは如何なる禍をも恐れない。神われと偕にいますからである。われは神を信ずる。神を愛する人に対しては、一切萬事都合よく行くのである。吾れは今新しき世界を発見しつつあるのである。』

 一日三回、きまった間隔をおいて、三、四分間まったく静かな休養の時間を見出して諸君は自己自身に対し以上の如く繰返されよ。―― こう断乎として決然とした態度で自己自身に云うのである。諸君はこれによって、法則をして諸君の都合よきようにめぐらしめる事が出来るであろう。

『日々読誦三十章経』より謹写――

1832うのはな:2012/12/20(木) 23:32:38 ID:LB749By6
   『唯神実相の世界を説く』 谷口雅春 先生 P11〜

     唯"善なる神のみ”が実在である

 皆さん、有難うございます。
生長の家の教は、唯心論と唯物論を並べると、唯心論の中に包括されるようではありますけれども、
精しく言うと、体験談の中にも出たようですが、唯神実相論というところの哲学であります。
唯神とは“唯、神のみ”唯、神のみが実在であるということであります。

 神の造り給うた完全な存在のみが実在であって、悪は本来ないのであるーというところの根本的な、
善なる神の存在を信ずる、この根本信念から全てのものは出て来ているのであります。

 私はこの詳密講習会で、どういう話をしようかと考えておったんです。
詳密というのは詳しく緻密に話をしなければならないが、しかしこの生長の家の教を根本的に理解しようと思ったならば、
善なる一つの神の実在を本当に信ずるという、これがまず大切であります。

 “善なる神”のみが本当に実在する。悪意のある神とか、色々の罰を当てたり、呪いをかけたり、腹立てて復讐をする、そういう神を
信ずる信仰から完全に自分自身を脱却させることが必要であります。
 さて、テキストとして書物の名前が数冊出ておりますが、『甘露の法雨』なんかは出ていないけれども、『甘露の法雨』を皆さんはともかく
読んでいますですね。これが根本なんですよ。この『甘露の法雨』をずうっと講義するーそうすればそこに全ての問題が含まれているわけなんです。
ですからこれを講義しながら話をしたいと思うわけであります。

 まず、こう書いてありますね。
『神ー或る日天使い生長の家に来たりて歌い給うー』
 何の気もなしに読むと、文字の表面は、解ったようだけれども、これは非常に
深い意味が書かれているのであります。

 「或る日」というのは、何月何日、某月某日というような意味ではないのです。
「或る日」というのは、あの『奇蹟の時は今』という書物がありますね、あの永遠の今なんです。
何時でも「或る日」です。どの時間にでも其処にましますのは「天使」である。
「天使」とは何かと言うと、これは神様の愛念の放射ですね。念というのは、一つの念波と言って、
光のように波に乗って出て来るんです。それで、神様の愛の念波が人格化してーパーソニファイされて、
そして或る童子のような姿をした、観世音菩薩みたいな姿をして出て来られるー仏教で言えば、一仏一切仏ということ
が含まれているのであります。

 この“一仏一切仏”を忘れていると、仏の名前の数だけ、宗派が別々にあるように考えて、それが対立的になって、派閥的な
宗派的信仰というものが、そこに起ることになるのであります。

1833ハマナス:2012/12/20(木) 23:33:01 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
ありがとうございます。

平和と幸福の大道  (『新版 生活の智慧365章』P.318)

禅宗に「日日是好日」と云う語(ことば)があるが、そのような流れに沿うて仙境を下るような眺めのよい生活を
日々おくるようになるには心が調和して、「肉体」の生活が「内部の霊」の生活と波長が合ったものとならなければ
ならない。神は決して人間を罰したまうことなく、平和と幸福との大道をつくって下さっているのであるけれども、
肉体の歩みが、叡智の導きに従わないがゆえに、時々「神の備えたまわざる道」を歩んで墜落して怪我をするのである。

 即ち私たちが傷つくのは神罰ではなく、智慧の導きを受ける方法を知らないため、又は知っていても、その導きを
受けようとしないために、みずから道をが踏み外して崖から墜落するのである。神は法則を与えた。そして法則を
人間が「心」の力によって発見するように委ねられたのである。

感謝合掌

1834「訊け」管理人:2012/12/21(金) 08:27:10 ID:???


全員が暗いから、
私は明るくいく。



――斎藤一人の言葉

1835うのはな:2012/12/21(金) 17:33:08 ID:R80If25o

この「永遠の開祖、谷口雅春師による真の生長の家の御教え」こそ、
時代を超え、国境をこえて人々の魂を救い、現実の人生から不幸や病を消し、
さらに、人々の人生を、単なる“もの”や“金”や肉体の欲望満足のためのものから、
喜びと生き甲斐にあふれる有意義な人生に一変するものなのである。

 そして、このような「真の生長の家の教え」を、開祖のいのちのひびきと共に世に伝え、
後世にしっかりと伝え残していくことは、われわれにとって最高の生き甲斐でもあり、また
われわれがこの世で為しえる最高の人々への奉仕であり、それぞれの祖国への報恩の道であり、
母なる大地への感謝の実践ともなるのではなかろうか。

「生長の家オーストラリア法人」の独立も、日本の「ときみつる會」の発足も、すべてこの目的の
ためであり、ほんのささやかな団体ではあるが、われわれはあくまでも谷口雅春先生を永遠の開祖と
仰ぎ、「雅春先生による真の生長の家の御教え」を堅く信じ、人々にお伝えし、かつ後世に伝え残すため、
そして開祖の高邁なる理想を現代と未来に向けて実現するために邁進する。

 本章の終わりに、『生長乃家三拾年史』冒頭から谷口雅春先生の御文章を転載させていただく。

 愈々、“生長の家”も発祥以来三十周年を迎えることになりました。色々の宗教が発生し、潰れ、
非難され、受難を受けたなかにいて、生長の家のみは戦前も戦中も戦後も、終始一貫ひたすら真理を
説きながら、受難もなくスクスクと伸びて来ることが出来たのは、神護の灼然なることは無論ですが、
常に、間違った野心を起さず、謙遜に、神授された真理をただひたすら説きつづけて来たからでもあり、
更にその上、誌友や読者や信徒の方々がこの真理を護りつづけて来て下さったお蔭であると感謝せずには
いられないのであります。

 谷口雅春先生のこのお言葉を胸にいただき、これからも先生の説かれた尊い真理を護りつづけて、
雅春先生にさらにお喜びいただけるよう、感謝と報恩のまことをつくそうではありませんか。
雅春先生と輝子先生は今でも、神界からわたしたちをじっと見守っていて下さるのです。

『谷口雅春師に捧げる誓いと信仰』 宮澤 潔・宮澤壽美 先生著

1836SAKURA:2012/12/21(金) 23:05:28 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>1822>>投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』  その①

======生命の実相 37 巻から抜粋 ========================

今日は記念すべき本が出る。わたしの『人間死んでも死なぬ』という本。これがわたしが
関東大震災に遭って無一物になって郷里へ帰って、職業もなく養父母の許で居候しながら無
数の心霊現象の原書を取り寄せてそのうちから興味のある事実を取り上げ、系統づけて書き
上げて、小西書店から『心霊現象と宗教思想』と題して出した本を最近に増補改訂したもの
である。類は類を招び、貧しい運命の時には、貧しさを招ぶものと見えて、当時素寒貧のわ
たしに、小西書店は一銭も印税もよこさなかった。わたしはやむをえず印税代わりに紙型を
貰っておいたのを友人鳥谷部君が生活に困っているので、その紙型を差し上げて、原稿料も
活字の組賃も不要で鳥谷部君の生活費の幾分にでもなるように進上した。これは『信仰革命』
と題して再販まででているから鳥谷部君は幾分かこれで助かっているはずである。今この本
にさらに百数十ペ−ジを加えて『人間死んでも死なぬ』と題する本としてだしたのは、戦死
した軍人の遺族への贈り物としてである。人間は肉体ではないから、肉体は死んでも「人間
そのもの」は死んではいない。この理論と哲学とは『生命の実相』のあらゆる部分に書いて
ある。しかしその実証は、死んだ人が出て来て実際に通信した無数の実話、死の刹那に霊魂
の幽体が脱離する瞬間に撮った写真、その死後の状態はそういう状態であるか――

                    つづく

1837SAKURA:2012/12/21(金) 23:07:47 ID:jH5uEFzM
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>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>1822>>1836>>投稿の続きです。…が

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』  その ②

>>1836 その①の投稿の続きです…。
■これは
『生命の実相』の「霊界編」にも出ているが、この書に採録したのは英 国 心 霊 大 学
の学長マッケンジ−博士(数年前物故)が精神統一状態中の霊魂出遊現象によって七圏に分
かれている霊界を探検踏査してその状態を記述した記事であって、それには当時「哲学者グ
ル−プの集まっている」霊界の第四圏にいたハ−ヴァ−ド大学のウイリアム・ジェイムス
教授の霊が指導霊となったといわれている。その記録は『生命の実相』中にヴェッテリ二
の霊界通信と符節を合わして霊界存在の真実性をいっそうハッキリ確認せしむるものがあ
る。この書を戦死者の遺族に、また戦死者でなくとも、良人を、妻を、子を、親類縁者を
失える悲しめる遺族たちに贈ることは大いなる意義と慰めとを与うるものであると思う。
                     つづく

PS:「トキ様」へ
『霊界編…』を読んで、更に「浅野先生の書籍」で、詳しく判り、霊界の中身が見えてきまし
た。…が?そうです〜〜〜ネ!長崎に在中の頃でしょうか??本当に『霊界の世界??』が、
あるという“書籍上の言葉”としてだけで、それは、当時の私には、『霊界の妻が語るの本』の
中で、当時の私は「想いを寄せた人」を、浮かべながらも、もし??という時このような関係
は、“素敵だな〜〜〜☆”と思ったものです。…が??【架空の世界…】
“想いを寄せる人”が、今世で縁がなければ『霊界…』ではと思っていましたが『霊界…』
でも、厳しく【類の法則…】なのだと、あらためて、考えされました次第です。…が?今年は
「亡き母」が亡くなってもうすぐ“一年近く”となります。その間に「亡き母かの伝言…」が、
耳元にこだまして、今まで判らなかった“答え…”が、ことごとく“ス〜〜〜っ”と理解出来
るのです。【不思議な気分…】かと。全て〜〜〜「母からのメッセ−ジ」かと??

ちなみに今日の「亡き母のメッセ−ジ」なのですが……【早起きして職場・学校に行く〜♫】
これが、目につきまして、最近?仕事場に行くのが〜〜〜><

そして「今年のおせち料理…」は、まず【喪に服す…】にて出来ません。…が?
「2月の旧暦…」に、作ろうかと思いますが??「雅春先生」のおおらかな“金銭…”にこだ
わらない…【イエスキリスト…パン】を連想しまして、【器…】が、後から大きくなったよう
ですかと、思いますが、私の場合も、後半からの年齢で逞しく【運勢…】をよくするには、まず
【心 の 法 則】しかも【霊界…】でもその様ですので、私がおおきな【心の器…】になれば
もしかしますと【霊界…】にもこだまして、それなりの『類の法則』に、仲間入りで…しょうかと?フト!!!思いました。…が???
                                      再合掌

1838ハマナス:2012/12/21(金) 23:16:11 ID:x2zmnlqw

「心」は人生航路の船長  (『新版 生活の智慧365章』P.319)

 人生はみずからそれの自然の流れに逆らわないで、“そのままの心”で人生の航路を渡る
ならば、そんなに困難な世界でないのである。すべて人生に於て与えられるものは、科学の
世界に属するものも、霊の政界に属するものも、法則を通じて与えられるものなのである。
そして其の法則を発見するのは「心」であり、「心」が法則を発見する方法は、「調心」と
「研究」とである。

 「研究」に一心になるとき、心がそれに統一されておのずから「調心」が得られるので
あるが、研究が正しい方向に向かっているかどうかを知るのは「調心」即ち心を整えることに
よってである。ただ遮二無に努力して航海をつづけるだけでは暗礁に乗り上げるかも知れない
のである。「心」は船長であり、正しい方向に行動の舵をとらなければならない。

感謝合掌

1839うのはな:2012/12/22(土) 02:00:58 ID:eorGcccE
谷口雅春氏に献ぐ(正しき宗教の樹立と促進に関する谷口氏の貢献)

           ハーヴィ・S・ハードマン (関口野薔薇 訳)

 過ぎし歴史の年月の 代々の聖者は 民の指導と教化の為めに
 真理の言葉を口より語り 又は筆もて之を誌した。
   (中略)
 私は精神科学協会の 創立者または頭領として
 北米合衆国内の 門弟及び朋輩と共に
 谷口氏の為め 讃嘆の言葉を捧げよう。
 
 『世に希望と平和を齎らさんとて 皎々として輝く星が
  東洋のみ空に現われた。 その光を仰見る人こそ 幸福なるかな』と。

 斯くは谷口氏を賞讃しつつ 私自身は 私の奉ずる『精神科学』と
 谷口氏の『生命の實相』に 全き調和の存在する事を 嬉しく思うものである。
 西と東と 所を遠く隔って居ても 真理は一つ
 アア、深遠なる哲理よ 神の御声よ

1840うのはな:2012/12/22(土) 02:22:54 ID:Gsql6f66
    わが憂国の戦い

 谷口雅春先生は、昭和二十七年四月の講和条約発効を期して、日本再建の論策を次々と
月刊誌を通じて発表して行かれた。そして、その頂点に立つ論文「日本再建の道を拓くもの」
が『生長の家』昭和二十七年八月号に発表された。

《 新しき日本が生れる。新しい人間が生れる。朝々が新生である。昨日見た夢がどんなに
  見苦しいものであったにせよ。夜がそれを消してくれたのである。(中略)新しい人生を
  つくり出す基礎は、過去を捨てる諸君自身の能力にある。敗戦した日本などはないのである。
  日に日に新しき日本である。戦前よりも数等すぐれたる新しき日本である。
  しかも占領下に押しつけられたる民主主義の日本であってはならない。

  すでにそれも過去である。過去はないのである。万物は常に新しく生れる。
  過去を把まなければ過去は消えるのである。押しつけられたる民主主義も
  結局過去のものである。それを捨てよ。捨てて新しきものを見出しそれに生きよ》

 力強い書き出しで始まるこの論文は、つづいて「暴力を捨てる自由」「無我献身の美徳を復活せよ」
「礼拝合掌の精神を復興せよ」「"家”の制度を復活せよ」「忠孝の感情を育成せよ」
「民主主義を再検討せよ」「人口制限は日本を弱体化する」等々、講和発効後の日本のあるべき姿について
 いち早く喝破されたのであった。

 (後略)

  『神ハ愛也』 谷口雅春先生九十年の足跡

1841「訊け」管理人:2012/12/22(土) 11:26:15 ID:???

二十二日の経言――

消極的暗示を排撃する言葉

 吾れはいま吾が生命にどんな欠陥も感じられない。吾れはいま自分の認めたところのもののみ実在であることを知ったのである。吾れは最早禍と生命の弛緩とに本来なき所の力を賦与しない。吾れは悪と不幸とを見ないのである。吾れは悪と不幸とを聞かないのである。吾れは悪と不幸とを語らない。誰も自分に対しては不正と不完全とに就いて話を持ち出すことは出来ないのである。何故なら自分は不正と不完全とを聴かないからである。吾れは消極的なる思想や暗示に感じない。そのようなものは自分を動かすことは出来ないのである。何故なら自分は其れら以上のものであるからだ。
 吾れは、あらゆる弱さと小ささとを踏み越えてしまっているのである。いま、吾が心は積極的である。自分は果断と、勇気と、そして神、人間、及び自己に対する信頼の念で満たされている。吾れは吾が為す所のものを権威をもってなすのである。吾れは吾が云うところの言葉を断固たる態度で云うのである。自分は強く、力に充ち、沈着で、平静である。吾が背後には神の無限の生命、無限の愛、無限の智慧がひかえているのである。吾れは強き自信力にみたされて揺るがないのである。吾れは天に於ても地に於ても、一切の権(ちから)を与えられているのである。

 吾が御親の神に感謝いたします。

『日々読誦三十章経』より謹写――

1842SAKURA:2012/12/24(月) 15:36:03 ID:q9UkkTZw
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>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>1822>>1836>>1837投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』  その ③

>>1836>>1837>> その①②の投稿の続きです…。
 先日高地の一誌友から、戦死せる婚約の青年に殉ずるために戦死の報知を受け取ると同
時にカルモチンを致死量飲んだ令嬢が医者の手当てで蘇生したが、殉死を覚悟せる彼女は、
遺骨到着の日にふたたび自殺すると主張して頑として応じない、そして「わたしは『生命の
実相』の本全一五巻をことごとく読みましたが、その三分の一は運命であり、三分の一は自
己の決定により、その三分の一は霊界の高級の霊魂人の運命の修正により避けうるとある
だけで、自殺は悪いとは「生命の実相」には書いてないから、自殺は悪いとは思えません」
と主張するので、なんとかわたしから自殺を思い止まらす手紙を書いてくれ、という要求
を受け取った。そのわたしからの手紙が到着しない先に遺骨が着いた。彼女は再び遺書の
到着した日に、前回よりも大量の超致死量の薬剤を呑んだ。しかし彼女は死ななかった。
霊界から高級霊の干渉があったのであろう。しかもさらに彼女は第三回の自殺を考え
ていた。そこへわたしからの手紙(家内に代筆させた)が着いた。その手紙によってかろう
じて彼女は慰められ、三回目は自殺は思い止まったのであった。

 
わたしの記憶のうちには、ある霊界通信に因れば、自殺を超越した神の目からは、自殺
は他殺と同じく殺人であると書いてあって、そのことを『生命の実相』の中に書いておいた
と思って『生命の実相』の索引によって検べてみたが見出すことができなかった。だから、
それに対する返事は記憶によって書いたのだった。あとで気がついてみると、それは今度
出る『人間死んでも死なぬ』の本の中に自殺者の霊魂が霊界へ移行しても自殺の時の行為そ
のままの状態で、たとえば短刀を腹に刺したままの状態で永らく苦悶を継続しているのだ
というような霊界通信の実例が書いてあるのであった。

                 つづく

1843SAKURA:2012/12/24(月) 15:38:21 ID:q9UkkTZw
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>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>1822>>1836>>1837>>1842投稿の続きです。

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』  その ④

>>1836>>1837>>1842 その①②③の投稿の続きです…。
■しかもこの書におさめられている霊界通信の中には、欧州大戦中砲弾の破片に当たって
戦士した兵士の霊魂が、少しも傷つかずに自分の遺骸を眺めながら歩いていたという通信
もある。我執で死ぬのと、国家に捧げて死するのは、死の意義の異なるのがこれで分かる。

 こういうことをこの本によって戦死者の遺族に知らせてやりたい。
 戦死を悲報だと思うのはまちがいである。このまちがいの中から反戦思想が生まれ、戦
後の国家攪乱運動がはぐくまれる。霊界の消息を知るとき、戦死は実に光栄であり、霊魂
の高揚であるのだ。  (一部抜粋論)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

PS:「トキ様」へ
 【自殺…】尊い命を…自ら断つ!!私が“高校時代の友人”はこの「自殺」で……><
振り返りますと、友人は物静かな性格・頭脳優秀の友人でしたでしょうか??
「母子家庭…」で育った友人!しかも、後日知ることとなりましたが“母親の職業”は、
【清掃の仕事…】に携わっており、ついそのそぶりすらも、この友人は、最後まで、私に
見せることなく他界してしまいました。…が?正直、【自殺…】する前迄、私は彼女の自宅に
も行った事がなく、彼女の死後、はじめて“母親の職業”を、知った訳ですが、当時!
高校の学費も、正直言いますと「高い私学…」ですから、きっと、彼女の母親は、
一生懸命彼女の為に働き、苦しいやりくりにもそれなりの【夢…】を、彼女に託していた
モノと思います。

その原因は「年下の男の子に恋?」をして「失恋…」でしょうか?それも、
その「年下の男の子」からの【きつい言葉…一言】にて、投げかけられた“言葉”で…
更に、当時の若い“思春期”ですから、“母親の職業”をひた隠しした当時の【傷つきやすい心】
全てがガラスの破片の様に粉々に…いつしか“彼女の顔”から【笑い…】そのモノが消え去り、
【自殺まで追い込まれた…彼女】…当日は、普断通りに学校に来て、一緒に途中まで帰りま
したが、その後、この事件が起きたのですが〜〜〜?


当時の私はまだ若く、相手の「年下の男の子の自宅」に、文句を云いに行きたくなったくらい
当時、激怒して、しばらくは感情が納まりきれずの状態でしたかと。相手の両親が、一応は、
お詫びに、彼女の家に御焼香に……行った様です。…が?【差別用語…】からの発展劇かと、
最近!理解した次第ですが、きっと友人もある面では【我執…心】で、命を断っています
から、今私は言えるのは『霊の世界…向こう側でも“精神の放浪”なのでしょうか』
今回【宇治別格本山…】に、お位牌を出さなくてはと、改めて思いました。…が?

ブレイクしますが『小泉元総理』は、毎回靖国に参杯されていらっしゃいましたかと…私も
毎年“年の初め…”には【靖国神社へのお参り】には行ったものです。来年は、新年早々の
『講習会…』もありますから、当日、参加しますと、当然ですが、【靖国神社参拝…】を!

■本当に「今日の我が国…日本!」…「日本国の存在」は、この戦死されました方々の
尊い霊魂…の上で成り立っていますモノと…思います。…が?
勿論!あの【明治維新…】でも携わった人々も含めまして、
【我 執 も 無 く し 〜 〜 国 家 安 泰 】という尊い志…にて、
初めて、【私が国…日本!!日いずるところの国…和の国…『日本国が発展』したモノ】と、
断言していいのではないのでしょうか??
心から【この尊き英霊の霊魂…】対して、感謝申し上げます…。

                                  再合掌

1844a hope:2012/12/26(水) 08:54:03 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆感謝する顔と喜ぶ顔は美しい(p112〜)

感謝するということは、金銭よりも、とうといものを、周囲(まわり)の人々におくるということになるのであります。
合掌(てをあわす)して感謝している姿ほど美しいものはありません。

怒っている顔はみぐるしいし、にこにこしている顔は美しいものです。
よろこびを周囲の人にふりまくことは、ほかのものを周囲の人にふりまくよりも、とうといことです。

喜んでいると血液はきよまります。
そして顔色が生き生きと美しくなり、元気になり、達者になり、人からもかわいがられるようになります。
子供が喜んでいる顔ほど楽しいものはありません。
(つづく)

1845a hope:2012/12/27(木) 07:41:11 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆人のよろこびを喜びなさい(p113〜)

自分に楽しいものがなかったならば、そして他の人が楽しいものを持っているならば、
人が楽しいものを持っていることを喜びなさい。

誰がたのしんでいても、それが喜べるようになったとき、人のよろこびをうらやむ心はなくなるものです。

人の喜びをうらやむ者は常に苦しいものですが、人の喜びを喜ぶものは楽しいばかりであります。
(つづく)

1846通りすがり:2012/12/27(木) 11:58:46 ID:???
>>1844

a hope様、いつも謹写をありがとうございます。

2012/12/19(水)にて、
「(第九章終り)数日間、聖典の謹写をおやすみします。」と書かれていましたので私もしばらく訪問せず、いま久しぶりにアクセスさせていただきましたが、昨日、第十一章から始まっています。
第十章が見当たりません。私の見落としでしょうか?

1847さくら:2012/12/28(金) 06:14:23 ID:ens0NEME
合掌。
十二月二十八日は、「日本の實相顯現の神示」の天降った日ですので、謹写させて頂きます。

みなさま、今年も残りわずかですが、
よいお年をお迎えくださいますようお祈りいたします。



1848さくら:2012/12/28(金) 06:15:14 ID:ens0NEME
『日本の實相顯現の神示』谷口雅春先生

「 敗戰の原因は多々あれども戰爭を始めたから敗けたのである。
是は過去現在未来永劫に變ることなき眞理である。
戰爭を始めねば敗戰もない。
當り前のことが當り前なのである。
眞理と云ふものは簡單で直截明瞭である。
當り前のことがなかなか解らぬ人が多いから此の世界が亂れるのである。
神が戰をさせてゐるのではない、
迷ひと迷ひと打ち合つて自壊するのだと教へてある。
迷ひの軍隊を皇軍だなどと思つたのが間違だつたのである。

この神の教へは『自給他足・他給自足』と教へてあるのに獨逸にならつて經濟自給圏を確立しようと思つたりしたのが既に相對のこころである。
心に相對があらはれ、彼我對立する心は既に戰ひの心、分裂抗争を豫想しての心であるから、戰爭準備の心である。

世界は一圓相であると云ふことを知らねばならぬ。
世界一環互に手と手を繋ぎ合って、しつかりと和する心になつてゐたらば戰爭もなく敗戰もなく、實相無限の圓満調和世界が實現する筈であつたのに、當時の日本人は氣が狭くて島國根性であり、排他的精神で、我慢自慢獨善精神に陥り、それを日本精神だと誤解して、一人よがりに易々加減な氣持になつて、遂に世界を敵として戰ふやうになつたのである。


(つづく)

1849さくら:2012/12/28(金) 06:16:01 ID:ens0NEME
(つづき)
排他の心は、他と自分とを切り分ける心であるから、
切る心は切られる心と教へてある通りに自分が切られる事になつたのである。

切る心は三日月の心であり、利鎌のやうに氣が細く、
角だつてゐて、空にあらはれてゐる時間も少く、その光も弱く、
直に地平線下に沈んでしまふ心である。

心の通りに日本の國が沈んでしまつても、
それは日本人の心みづからの反映であるから、
徒に失望、落膽、放心してしまつてはならない。

『見よ、われすべてのものを新たにするなり』と教へてある。
現象の三日月は沈んでも實相の圓満玲瓏一圓相の満月は依然として虚空に輝いてゐる。

これと同じく、心狭く尖りたる排他的な軍國主義の似非日本の國は沈んでしまつも、
實相圓満の日章旗のやうにまんまるい日本の國は無くなつてはゐないのである。

有るもの、有りしものは永遠に滅びることなく、
必ずそれは日本人全體の心が圓満になり、實相の波動に日本人全體の心の波動がぴつたりと合ふやうになれば、
現象界にもその不滅圓相のすがたをあらはすのである。

無きものは滅びるほかはない。
軍國日本の如きは本来無き國であるから滅びたのである。

神州日本は不滅であり、永遠に滅びることはない。
滅びたやうに見えてゐるのは實相が蔽ひ隠されてゐるだけである。
實相を蔽ふ心が眼鏡をかけてゐる心である。
すべて此の世の中の事物は象徴であるから、
その象をよく見てゐれば、世界に何が起こりつつあるかを知ることが出来るのである。」

(昭和二十年十二月二十八に日未明神示)

1850a hope:2012/12/28(金) 07:35:41 ID:E6WSUXC.
>>1846「通りすがり」さま

はじめまして!
わたしが、「第十章」を飛ばしたことに気づいてくださりうれしいです。
わたしは聖典を謹写しながら、この掲示板をご覧のみなさまの幸せをお祈りさせていただいているのですが、
聖典一冊丸ごとの謹写になってしまうと著作権などを侵害してしまう可能性を御指摘いただいたので、
今回、故意に「第十章」を飛ばさせていただきました。


「第十章」は、『今あなたの失望を捨てましょう』 というタイトルで、
「因果の法則」や「心の法則」がわかりやすく説明されています。

これからも、無理のないように聖典謹写をしていきたいと思いますので、
みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

感謝 合掌

1851a hope:2012/12/28(金) 07:39:42 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆あるまずしい人の喜び

あるところに貴金属商がありました。
そのショーウィンドウには立派なダイヤモンドや黄金(きん)の指輪や、いろいろの宝の玉がかざってありました。
一人のまずしい人がそのショーウィンドーの前に立って、それを見ていました。
しばらくすると、そのまずしい人は、その店へはいって「どうもたくさんのダイヤモンドを見せていただきましてありがとう」と感謝しました。
店の主人はおどろきました。そして、
「あなたは、どうしてそんな事を感謝するのですか。わたしは一個もあなたにダイヤモンドをさしあげていないのに」といいました。
すると貧乏人はいいました。
「わたしは見るだけでたくさんなのです。どんな金持ちでも、ダイヤモンドは見るだけでしょう。そうすると、
私はダイヤモンドを持っている金持ちと同じことです。
ただ、ちがうのは金持ちは、そのダイヤモンドをぬすまれないように心配しなければならぬのですが、私はただ見て楽しむだけで、
ぬすまれないように心配する必要はありません」といいました。

人が持っていても、それをうらやまず喜べたら、金持ちでなくとも、自分はいつでも楽しいのです。

つねに喜んでいる者には、なんとなく喜びの空気みたいなのもが、その人の身体(からだ)から出るものなのです。
その人の身体からでるなんとなき喜びの感じは、人をよろこばせて、その人になんとなくしたしみを感じさせるのであります。
そういう人は、人から人気があって、人をひきつけ、人の頭(かしら)となり、たくさんの崇拝者(うらやむひと)ができて、
えらいものになれるのです。
(つづく)

1852SAKURA:2012/12/28(金) 12:01:10 ID:MAOC5c.E
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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投稿の続きです…。
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』  

======「生命の実相 30 巻」からの抜粋 =======================
―――――― あなたが生きるべき時は、まさに「今」である――――――
  今の他に生きる時は一つもないのであります。「これは善いことだけれども明日に
しよう」などと考えているような人は、とても成功のおぼつかない人であります。「今」思い
たった時に、素直にこれは神が与え給うたことであるとして、ただちに実行に移りうる人は
心の柔軟性を保っている人であります         (谷口雅春著…「生命の実相」より)
==========================================

■そうですョネ〜〜〜!!当に【無限実行…】でしょうか??
先に“言葉”を、発しますと!大変な事に、なる事もあるのです〜〜〜ョネ!!
【有言実行…】がいいと?言いますが〜〜〜??
私の場合は、実に嫌な“思い出”もあります。私の知人関係ならいいのでしょうがと??

この頃では、まず【実行…】する前に“言葉”を発します時は、その時の状態が?果たして、
【生きるか?死ぬか?の問題!!】成功します要因は、思いついた事項は、どんどん取り入れ
る事も…そして、それを実行する事も…大事でしょうかと思います。!!……が?今!私も、
出来る事から、もう一度!!そうなのです〜〜〜ョネ!今日!出来る事から始めて行ってます。
…が?それでも、【人間は想念の世界…】ですので“言葉…”を発する前に【類の法則…】にて、
その仲間になる事が、いいでしょうかと。??

反対に【悪因縁…】を持たれている関係の方からの【想念感情…】は、その人の行動…etcを、
出来ない様にと、相手への“封じ込める想念・感情”があり、従いまして【今!活かす…】
この時は、こちら側は、その人以上の【想念…】を持つ必要性がありますでしょうか??
私は、今回【東京…】に急遽行きまして、以前と変わらずに、のびのび〜〜〜伸びと、話せる
“環境…”に感謝しました。!!やはり【同じ類の法則…】に基ずいて行く“行動”ですと、
どんな事でもやりぬける【意志力…】が、“自然に湧き出でまして、更に、強く!益々と揺るぎ
のないものとなり〜〜〜ますでしょうか??逆に申しますと【反対の環境下…の場合】では、
こちらが【確固たる多大な想念…】を起こす事が必要なります。!!

■【今を活かす事…】とは、ある面では“環境”も自分で“心を切り替える事”ではと???
思いながら、現在の私は 、前に進む!ひたすら進む!この事に焦点を当てている次第です。

                                    再合掌

1853ハマナス:2012/12/28(金) 13:26:36 ID:mR2szZkc
神の子のみなさまありがとうございます。

ご無沙汰しております。実家に帰っていますので、すみませんが、しばらくお休みさせて頂きます。

皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。

感謝合掌

1854通りすがり:2012/12/28(金) 17:08:16 ID:???
>>1850

a hope様

そうだったのですね、わかりました!
十一章からもよろしくお願いいたしますm(_ _)m

1855通りすがり:2012/12/28(金) 17:11:12 ID:???
>>1853

ハマナス様

いつもすばらしい謹写ありがとうございます。
ハマナス様も良いお年をお迎え下さいませ。

来年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m

1856トキ:2012/12/28(金) 21:44:45 ID:QejVymnY
>>1853

 ハマナス様、いつも素晴らしいご投稿に感謝申し上げます。

 今年はお世話になりました。来年もよろしくお願いします。
よいお年を御迎え下さい。

合掌 ありがとうございます

1857さくら:2012/12/29(土) 07:33:44 ID:MAv9sFeE
>>1853ハマナス様

いつもありがとうございます。

ご実家は、ハーバードのお近くですか?笑。

どうぞ、ご家族みなさまと、よいお年をお迎えくださいますように…。

ありがとうございます。



1858a hope:2012/12/29(土) 08:33:05 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆人をひきつける力ある人となれ

えらい人は、どことなく人をひきつける力をもっているのです。
人をひきつけて、理屈なしに、人をひきずってゆく力をもっており、そのために、よい友だちや、
よい協力者が出来てきて、その人の仕事はいよいよますます大きくなってゆくのであります。

そういう力はどうしたら出来るかというと、いつも感謝し、よろこんでいる人に出来るのです。
だからみなさん、つねに感謝し、よろこぼうではありませんか。
(つづく)

1859a hope:2012/12/31(月) 07:15:48 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆心に喜べば形に喜びが出てきます

すべてのものは心の中に出てきたものが、形にあらわれてくるのです。
心の中に喜んでいるものは、きっと喜ぶべき、たのしいことが出てくるのです。
よろこべば喜びがあらわれてきますし、悲しめば悲しみが出てくるのです。
それでは、いつでもにこにこして喜ぼうではありませんか。
(つづく)

わたしの愛する「生長の家」のみなさま、大切な方々と喜びにあふれたすばらしい新年をお迎えください!

1860通りすがり:2012/12/31(月) 07:27:12 ID:???
>>1859

a hope様

合掌 いつもありがとうございます。

良いお年をお迎えくださいませ。

そして来年もよろしくお願いします。

1861トキ:2012/12/31(月) 22:54:10 ID:FptI/wKI
>>1859

a hope様

 すばらしいご投稿をありがとうございます。

 こういう地道で真面目な投稿者様によって、この掲示板は支えられていると痛感します。
本当にありがとうございます。

 来年もぜひ、ご投稿を宜しくお願いいたします。

 来年が実り多き年でありますよう、心からお祈り申しあげます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1862トキ:2012/12/31(月) 23:02:43 ID:FptI/wKI
>>1857

さくら様

 ご挨拶、ありがとうございました。いつも、さくら様のご投稿は、熱意と誠意に溢れており、感銘を
受けています。私も学ぶ点が多々あり、さくら様のご投稿を拝見するのが楽しみです。

来年もぜひ、ご投稿を宜しくお願いいたします。

 さくら様にとり、来年が実り多き年でありますよう、心からお祈り申しあげます。

合掌 ありがとうございます

トキ

1863a hope:2013/01/04(金) 09:33:54 ID:E6WSUXC.

トキさま、みなさま あけましておめでとうございます。

わたしは、毎朝、神想観後に聖経「真理の吟唱」を黙読しています。
“神の子”の自覚がさらに深まるような気がします。
すばらしい「生長の家の教え」とこの掲示板のみなさまに出会えたことに心から感謝して、
今年も自分にできることを無理なく頑張っていこうと思います。

みなさま、今年もa hopeをどうぞよろしくお願いいたします。

1864トキ:2013/01/04(金) 09:40:29 ID:G6NygkMI
>>1863

a hope 様

 あけまして おめでとうございます。

 昨年は素晴らしい聖典をご紹介下さり、ありがとうございました。
本当に素晴らしい文章で、感激しています。
 今年も、無理のない範囲で、この掲示板でお会いできれば嬉しいです。

 今年も、a hope 様にとって、幸多い1年でありますよう、お祈り申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1865a hope:2013/01/04(金) 09:42:52 ID:E6WSUXC.

聖経「真理の吟唱」(日本教文社)より

新しき天地に生まれる祈りp138〜


生まれ変わりの時が来たのである。
われわれ自身がまず生まれ変わることが必要なのである。
自分自身の心が生まれ変わることが必要なのである。
釈尊の説かれたごとく、この世界はことごとく自分の心の展開であるから、
自分の心が生まれ変わることは自分の環境が一変し、自分の生活が一変し、
自分の肉体の健康が一変することを意味するのである。
われわれが心に強く描いてそれを見つめるところのものが現象界にあらわれてくるのである。
これが現象顕現の法則である。
だから、私たちは、人を見るのに、人を悪人だと見て、それを善導しようなどと思っては、
決して相手の人々を強化して善ならしめることはできないのである。
“悪人”と見れば、そしてその人の“悪”を心で見つめれば、
悪は一層ハッキリと現象化いきたって収拾がつかなくなるのである。
だから、私たちは、決して人の“悪”をば、肉眼で見ることがあっても、心では見ないのである。
そして彼は実相においては善であり、彼の内には釈尊同様に仏性が宿っており、
キリスト同様に神性が宿っているのだと見て、心で合掌し礼拝するのである。
私たちは、自分自身が自分の心で善のみを見ることができるようになったとき、
環境も運命もただ“善”のみの展開としてよくなるよりほかはないと知るのである。

私たちは、まず心を神に振り向ける。
心を神に振り向けるとき、この世界に神があらわれるのである。
神は善であるから、この世界に神があらわれれば、この世界は善のみの世界となることは当然であるのである。
神は病まないのであるから、心を神にのみ振り向けるとき、自分たちは病むことなき状態に到達し得るのである。

心を神にのみ振り向けるとき神は乏しくないのであるからわれわれも求むるのに乏しいということはあり得なくなるのである。

心を神にのみ振り向けるとき神は老いないのであるから、われわれも老いるということが無くなるのである。

すべての病い、貧乏、老衰等の悪現象は神の造りたまうたものないのであって、
人間の消極的想念の産物であるのであるから、われわれが心を神に振り向けるようにのみ心がけるならば、
すべての悪現象は私たちの世界から姿を消してしまうようになるのである。
それはあたかも光の照るところの世界には闇が存在し得ないようにである。

われわれは遷(うつ)り易(かわ)る現象の善悪に心を捕えられてはならないのである。
遷り易るものは本来実在でないから、先のものが消えては、次のものがあらわれ、あらわれてはまた消えるのである。
われわれがこの遷り易る現象世界に住みながら常住不変のただ善のみの世界を諦観(ていかん)するとき、
このうつり変わる現象世界に「永遠の善の世界」が影をうつして、現象世界に、ただ善のみの世界が展開する。
これが地上に永久平和の天国楽園を建設する唯一の道なのである。
この真理をしらせ給いし神に対して深く篤(あつ)き感謝をささげます。

1866a hope:2013/01/05(土) 06:11:06 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆心の中の泥棒に気をつけなさい(p116〜)

あなたは家(うち)の中へ泥棒がしのび入って、お金や着物を、うばっていったら、あなたは悲しいでありましょう。
しかしあなたの心の中へ泥棒がはいって、あなたの心の中の「喜び」をうばってゆくのは、
なお悲しいことではありませんか。

あなたの心の中の喜びは、お金や、着物などよりも、もっともっと大切なものです。
お金や着物がどんなにたくさんあっても、なんにもならないではありませんか。
あなたが一つ喜べば、あなたの心の中に一つの「宝物」をふやすことになるのです。
二つ喜べば、二つの「宝物」をふやすことになるのです。
三つ喜べば、三つの宝物をふやすことになるのです。

腹を立てたり、泣いたりすれば、そのたびごとに、この宝物がなくなるのです。
「腹立ち」や「悲しみ」は、あなたの心の中から「喜び」の宝物をうばってゆく泥棒と同じことですから
腹を立てたり、泣いたりしてはなりません。
いつもにこにこ、うれしで感謝しておれば、かならずうれしいことがやってくるのです。
(つづく)

1867うのはな:2013/01/05(土) 21:50:02 ID:XuKa5ZNI
  谷口雅春先生 あなたは既に神から人生を動かす梃子を与えられた

 充分しっかりした支点と、その支点を中心にして動かす充分長い梃子とを与えてくれたならば、
わたしは、その梃子によって地球を動かして見せるといった人がある。
これは紀元前三世紀のギリシャの数学者アルキメデスであるが、これは喩えであるが、梃子とは、
“心の力”の喩えであり、その梃子の支点にたとえられているのは“心の法則”であり、〝地球"にたとえられて
いるのは自分の住む人生である。

 梃子は既に与えられているのである。つまりあなたには“心の力”が既に与えられているのである。
そしてその“心の力”という梃子を支えている支点となる“心の法則”は宇宙普遍の法則として常にあるのである。

  ● しかし“心”は単なる梃子ではない

 アルキメデスのこの考え方は既に、それはそれとして吾々に自信を与えてくれるものである。
しかしながら生長の家の説く真理は、あなたに尚一層の真理と自身とを与えてくれるにちがいない。
 何故なら生長の家の聖経『甘露の法雨』は“心”を定義するのに、単なる人生というものを相手にして
それを動かす力だけではなく、“心”は万物の実質であり、また万物の造り主であり、“心”こそ“全能の神”である
ということを次の如く説いているからである。

 神こそ渾ての渾て、
 神は渾てにましまして絶対なるが故に、
 神の外にあるものなし。
 神は実在のすべてを蔽う。
 存在するものにして
 神によって造られざるものなし
 神が一切のものを造りたまうや・・・(中略)
 如何なる道具も材料も用い給わず、
 ただ〝心〟をもって造りたまう。
 〝心〟はすべての造り主、
 〝心〟は宇宙に満つる実質、〝心〟こそ〝全能〟の神にして遍在したまう。

1868うのはな:2013/01/05(土) 22:00:09 ID:f2bwKGw2
1867 つづき

 わたしは、もう一度、生長の家の真理をたしかめるために『甘露の法雨』を披いて見て、
以上に引用したところまで読み進んで、毎日読んでいる聖句でありながら、それが常とは異る
別の光をもって、別の新しき力をもって、私に迫ってくることを感じたのだった。

〝心〟は単なる人生を動かし万物を動かす梃子ではなく、人生の実質、存在の実質であると同時に、
それは創造神であり、全能の神であり、遍在の神であるから、自分自身にも、その〝全能なる神〟が
宿っているのだという新しき大自覚であった。

 聖経『甘露の法雨』の受持せられるところ、読誦されるところ色々の奇蹟が出現するのは、その内容が
そのように実に深遠なるものであるからだと気がついたのであった。

 『生長乃家』 昭和五十二年四月号 谷口雅春 先生 法語

1869うのはな:2013/01/05(土) 23:23:31 ID:Lu5TENfc
    友達と読み物は明るいものを選べ

   じかに阿弥陀仏の懐へパッと飛びこむのがよいのである(『女の教養』)
 
 子供の友達は快活な明るい者を選ぶがよい。暗い陰気な子供とまじわらしていると、
自分の子供も暗い陰気なものになりやすい。したがって健康も害われやすいのである。
快活な明るい子供と遊ばせることにしただけでも、その子供が健康になった実例があります。

 子供の読物は明るい、父母の愛や、友愛にみちた物語、、道徳的な、努力して楽しむ、困難を物ともせず
成功する立志伝または武勇伝などがよい。陰気な物語、お化けの出てくる物語、正しき者が滅びる物語などはよろしくありません。
子供は絶対に叱ってはならないということはない。過って悪を犯したり、人の迷惑になることをしたときのみは、叱っても悪くはない。
けれども「そんなことをする子は悪人です」などと、本人そのものを悪人と宣言するような叱り方をしてはならない。

 もしそんな叱り方をするならば、子供は自分を悪人だと思いこんでしまい、善に遷る動機と勇気を見失ってしまう。
子供が過ちを犯したら、「あなたは善い子だのに、こんなことをするはずの子ではないのに、悪いと気がつかなかったのね。
もう悪いと気がついたらけっして悪いことをするあなたではありません」と断言するがよい。


『新しい結婚』 谷口雅春 先生著

1870うのはな:2013/01/05(土) 23:59:22 ID:vkulhJXI
『生長乃家』昭和五十一年十一月号 谷口雅春 先生 六日の法語

   ストレスというもの

 精神身体医学の世界的権威であるといわれている、カナダのモントリオール大学の
ハンス・セリエ博士という教授は、総ての病気は心の「ストレス」(stress)
から起ると、こういっているのであります。

「ストレス」というのは、心の沈みとか、歪みとか、あるいは異常痙攣とかいうようなものであります。
この語は本来、材料力学や工学上の用語だったのを、心の歪みに用いるようになったのであります。
例えば此処に屋根があるとします。此の屋根は地球の引力ー言い換えると“重力”で、(書籍の表紙を開いて屋根形に
俯向けて示しながら)こういうふうに重みで歪もうとしているのであります。

 けれども、それがやっぱり真直ぐでいるのは、歪もうとする力に反対の、逆の押し返す力が内部に働いているのでありまして、
その両方の力が平均して、この屋根が歪まないで真直になっているのであります。
この相手の押しつける重力に応じてそれに抵抗して内部に起る逆歪みの力がストレスでありまして、昔はこれを“応力”と訳したものであります。

 例えば家庭に於いて姑が嫁に圧力をかける、すると、こういうふうに(表紙を歪めて見せながら)圧力をかける、それでもそのお嫁さんは、内心は強く
反撥を感じていますけども、すました顔して、そして真直な平常の顔を現わしている。
けれども、これはそのお嫁さんの心が真直ぐなんじゃなくって、心の内部には、相手の圧迫に対する反対歪みという念が起って怺えている。
この何かの圧迫に応じて起る反対歪みの心を「ストレス」(応力)というわけであります。

1871さくら:2013/01/06(日) 06:18:00 ID:g0C9V0mg
新年明けましておめでとうございます。(遅ればせながら…)
トキ管理人さま
ご縁のあるみなさま
今年もさらなる飛躍の素晴らしい一年になりますことを、こころより祈念いたします。

P.S.トキさま
年末には、温かいご挨拶を賜りまして、ありがとうございます。
今年もますますのご活躍をお祈り申し上げます。

本日は、『大和の國の神示』が天降った日です。



1872さくら:2013/01/06(日) 06:18:35 ID:g0C9V0mg
『大和の國の神示』 谷口雅春先生

われ再び大日本天津日嗣天皇と云ふ意味について語らん。

天孫降臨と云ふことは天の父のみこころが天降つて、天の下ことごとくが一つの光の世界になり、大和、平和の世界があらはれると云ふ意味の象徴的表現である。

日本民族が世界を治めるのでなく、
『天孫』すなはち『天の父のみこころ』が全世界を治める時期が到ることである。
これがイエスの『主の祈り』にある御心が既に成る世界の意味である。

それが真の大日本世界國である。

大日本世界國と云ふことを狭い意味に解して、日本民族の國だなどと考へるから誤解を生ずるのである。
そんなものは、小日本であり、本當の大日本國ではない。

天の下ことごとくが『天のみこころ』で満ちひろがる世界が来ることを「全世界五大洲の國土を『天孫(てんのみこころ)』に御奉還申すべき時期が來る」と教へたのである。

天孫とは肉體のことではない。
「肉體は無い」と云ふことをあれほど教へてあるのに、やはり肉體のことだと思つて執着が強いから大それた間違をして取返しがつかぬことになるのである。

神からみればすべての人間は神の子であるから、特に日本民族のみを愛すると云ふことはない。
あまり自惚れるから間違ふのである。

大日本天津日嗣スメラミコトとは固有名詞ではない。

理念の表現である。

「大日本」すなわち「ひかりあまねき」、「天津」すなわち「天の父の」、「日嗣」すなわち「みこころを嗣ぎたまへる」、「スメラミコト」すなはち「天降りましたる帝王」と云ふ意味であるから、
総じて譯せば「ひかりあまねき天の父のみこころを嗣ぎたまへる天降りましたる帝王」と云ふことである。

天の父のみこころが全世界に光被してあまねく平和になる世界になれば、それが本當の大和の國である。

それが本當の大日本天津日嗣すめらみことの治しめし給世界である。
肉體のことではない。

(昭和二十一年一月六日朝の啓示による)

1873「靖国見真会」参加者:2013/01/06(日) 10:24:39 ID:D6Ow5sls

「さくら」さんへ

一月六日に因み、「大和の國の神示」を引いていただき感謝申し上げます。

蛇足とは思いましたが、この「神示」を考察するにおいて、谷口雅春先生がどうお書きになっていられるかということも大事だと思い、ここに記されていただく次第です。

これは、「光明掲示板」において(3976)で書かせていただいたものの一部です。

〉谷口雅宣先生は、「神示」を解釈するに当たっては、それが生まれた時代背景を見逃してはならないと、常に口をすっぱくして指導してきました。

そうであれば、当然「大和の国の神示」ついても、それが生まれた時代背景を抜きにしてはいけない筈です。

ところが、谷口雅宣先生はこの観点を見事にスポイルしてしまっているのです。

この「大和の国の神示」をどう解釈するか、それについては、次の観点が要注意だと谷口雅春先生は次のように仰っています。

『大和の国日本』より引用させていただきます。(33頁)

…さてこの「大和の国の神示」は、昭和二十一年一月一日に「天皇の人間宣言」と世にいわれる詔勅が渙発された五日後の一月六日の朝に掲示されたものであります。そして当時のことを回想すると、神武天皇の「八紘為宇」の建国の理想は世界を征服して一つに統一するという侵略主義であって、その軍閥の中枢を成しているのが天皇であるといった判断を連合国がもっていて、日本を裁くところの極東軍事裁判(東京裁判)において、天皇を戦争犯罪人として出廷せしめようとする強い動きがあるなかで、私はこの啓示を受けたのであります。従って占領軍の天皇への風当たりを避けしめるためその表現には配慮がなされているわけであります。私は、天皇さまを、實相を直視して全知全能の神の御現われであるというように今も考えているのであります。そしてアインシュタインがいみじくも言った如く世界連邦が成立し、誰をその連邦の神聖な中心にすべきであるかというと、自然に日本天皇がその首座に推されるほかはないと信ずるものであります。


如何でありましょうか。

これが、谷口雅春先生の御心なのです。

最後の「信ずるものであります」

この谷口雅春先生のお言葉が、如実に示されたのが、先に私が引用した『限りなく日本を愛す』のこの箇所なのだと私は理解しています。

…「併し、時期が来ます。キリスト再臨の時が!天皇の實相が天降りたまひて、人の王であるところの天皇が、王の王であるところの實相をあらはし給ふ時が!!

谷口雅春先生のこの“真意”からすれば、谷口雅宣先生の今回の解釈は、極めて“恣意”に過ぎると言わざるを得ません。

谷口雅春先生の御心に反して、意図的に自分の主義主張に合うように、都合のいいように「神示」解釈を施している、そんな気がしてならないのです。

谷口雅春先生の“真意”に添うべく尽力するのが、少なくとも、法燈を継承したものの責務ではないでしょうか。〈

1874うのはな:2013/01/06(日) 14:24:11 ID:pdwtTUcA
   合掌の中にすべてがある

 最大多数の最大幸福が叫ばれています。他のための幸福を先にしたならば必ず
私益もそれに伴って流れ入って来るのでありますが、それを予想して働くのでは、
それはまだ捧げているとは言えないのであります。

 唯無我奉公の心になって御心を本当に行じているところに、其処に必要なものが
おのづから与えられるのであります。日本人は『無我奉公』などと云う言葉をよく使い
ますが、奉公とは、社会的道徳を守り、社会の公けに奉ずることですが、日本人の社会道徳は
今まで随分ひどかったのであります。

 これが現れて戦争中でも現地の器物や人間までも大切にしなかった。これはすべての物と人との
本質が『神』であると云うことを知らず、拝む心、合掌の心を知らなかった結果であります。
すべての物の本質を神として拝む心の中にこそ民主主義があるのであります。

『愛と光との生活』 谷口雅春 先生著 ※ 投稿者現代字に変更謹写 拝。

1875SAKURA:2013/01/06(日) 15:46:43 ID:tDwE4uGo
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日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』  その①
======「生命の実相 37巻」からの抜粋 =======================
 われわを生かすのは明るい思想である。さし昇る朝日のごとくさわやかな思想である。さし
昇る朝日のごとくさわやかな精神こそ日本精神である。生命は暗黒の中にも光を見る。暗室に
置かれた豆もやしは、外から洩れるわずかな光を求めて、光の方へ光の方へと向いて行く。そ
して光のない間は細く長くかよわく貧弱に伸びてゆくにすぎないが、ひとたび光を得たときに
は太くしっかりと逞しく勢いよく生長する。生命には光が必要なのである。光が全然ないとき
には、伸びかかった豆もやしも数日枯れてしまう。再び言う、生命には光が必要なのである。

新しい年には新しい心が生まれる。元旦は物事の始めであり、生活更新に最も都合の良い時
である。他の時にも新しい覚悟ができ、賢明なる人はいつからでも新生活に突進しうるが、わ
れわれには新しい決意を実行するのには元旦がよい。元旦からまず始めよう。それは明るい心
を持つということである。一度にあれこれもと考えて、それが実行できなかったら、新しい決
意も最初に一日から崩れてしまう。ただ今日いちにち明るい心を持つことにしたい。
ただそれだけ一つのことである。これだけのことならばわたしにもできると思う。

 明るい心を持つには何事が起こっても怒らぬということである。何事が起こっても悲しまぬ
ということである。何事が起こっても失望せぬということである。何事が起こっても怒らず悲
しまず失望せぬためには、起こった事物は「もうすんだのだ」としることである。
去年の暮はもう起こったからすんだのである。すんだからこそ新しい年が来たのである。
木枯に散る葉があるからこそ、春には美しい若葉の美が讃えられるのである。
つづく

1876SAKURA:2013/01/06(日) 15:48:58 ID:tDwE4uGo
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>1822>>1836>>1837>>1842>>1843>>1852
>>1875>>投稿の続きです…。
■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』  その② 

>>1875>>その①の投稿の続きです
 明るい心を持つには何事が起こっても怒らぬということである。何事が起こっても悲しまぬ
ということである。何事が起こっても失望せぬということである。何事が起こっても怒らず悲
しまず失望せぬためには、起こった事物は「もうすんだのだ」としることである。
去年の暮はもう起こったからすんだのである。すんだからこそ新しい年が来たのである。
木枯に散る葉があるからこそ、春には美しい若葉の美が讃えられるのである。

天地一新。悪しきことは未だかってひとつも起こらなかったし、これからも起こらない。
それはすべて一新しゆく姿である。                 (谷口雅春著)
===========================================

PS:「トキ様」 へ
今年は【正月…早々の風邪】で、寝込み落ち込んでいましたら、今日の「雅春先生」の……
【元旦の言葉】が目にとまり、“パワ−・アップ”頂きましたでしょうかと【元気パワ−】!!
まだ、熱がありますが、それでも「意志・気力…」で、今!投稿させて頂いておりますモノ?
逆に申しますと…【年の初めに病気しました事は、きっと一年間は病気知らず!起動再開始!】
でしょうかと思いました次第です。…が?近くの病院で“薬の処方”をして頂き、いつもですと
その“薬…”を、TYOの先生に連絡して、アドバイスを頂くのですが??いつもの感じで…
TELしますと、先生は【国外脱出?旅行先が“タイ”】ということです。

ア〜〜〜〜〜ッ!!先生も東南アジアにと?これまた?また?落ち込みましたが、あそこには
【アンコ−ル・ワット】があります。…が?年早々〜〜〜“腰”にでも?身体の支障が、おき
なければいいのですが〜〜〜個人的に、ついつい思いながら、今回の私は「東南アジアの風邪?」を、空気感染にてうつされましので、【ネガティブ思想の芽生え…】を、360度転換しまして?
思いかえしましての【ポジティブ思想…】にて、【前以上に良くなるほかにな〜〜〜イ!】と、
【年の初めに際し、生活更新…】にて、一新し息を吹き返しましたかしら〜〜〜ン!

■サ〜〜〜ァ!今日もまた“一年間”私は、前以上に進む!〜〜〜進む!これが、私の中の
【心の光明面…ポジティブ思想に向かって邁進!】です。走って〜走って〜行こうと思います。

今日は、まだ熱もあります。…が?愛犬“ワン君”が、ちゃめっけたっぷりで“運動不足”
との意志表示ですので、出来る限り、後で【散歩…ウオ−キングする予定】で〜〜〜す。

■すべて“光”ある所に、すくすく伸びて行くのです〜〜〜ョネ!
今!私の“心…”も、太陽からの輝く光にサン〜サン〜照らされています。きっと!きっと!
あの【ゴ−ル…に向かい】夢中に、突き進んでいく内に、この“熱…”は、何処かに吹き飛ば
されて行く事でしょうかと。すべては【正しいモノのみが、最後に残るのです〜〜〜ョネ!!】

■■当に!完治の後は【一新して、生まれ変わる姿でしょう。…すべて一新しゆく姿…】
「トキ様」は、どう思われますでしょう〜〜〜か??
                                   再合掌

1877NANCY:2013/01/06(日) 16:17:28 ID:tDwE4uGo
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635>>1639>>1643>>1766>>1778>>1829>>の投稿の続きです

■遅くなりましたが……
本年も、皆様方に取りまして、幸多き素晴らしい年になります事を、心よりお祈り申し上げます。
何卒、宜しくお願い申し上げます…。    

===【谷口 清澄 先生著】==============================

■■何事が起こって来ようとも、それは常に絶好の機会である

もしあなたにとって苦しく困難な事が起こり「とても私には務まらない」と思ったら、その
時こそ飛躍のチャンスである。人は自分がやすやすと乗りこえられるハ−ドルを越えても、
何一つ進歩しない。
けれども、自分には出来そうもない事をやりとげた時は、大いに飛躍するのだ。

============================================

■今日の頂きました“言葉…”そうなのです〜〜〜ョネ!実は、私はお客様に“販売”すると
いう職種は、当に【晴天の霹靂…】でした。しかも長時間“立つ…”この事も、含めまして?
当時は?心に不安感?恐怖心?が充満していたモノです…。併しながら?不思議なモノです。

人間【土壇場…】と申しますか?いざ!
「心に自分の強い決意…」を秘め、トライ!しかも【目標数字…】認識しての販売は……
今でも忘れませんが【当に…不可能を可能…無限力が出ますモノ】

今回当時の事を思い出しながら【今!今!出来そうにもな〜〜〜ィ!その心を…今一度…
この大きな【 ハ−ドル=壁 】に向かいトライする!!この勇気を、過去の忘れ去った経験を
踏まえまして…【今日の言葉】から…再挑戦です…。

                              再合掌

1878a hope:2013/01/07(月) 07:19:28 ID:E6WSUXC.

新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆似たものがあつまってくる(p117〜)

世の中のものは、なんでも類をもってあつまってくるものであります。
すべて似たものがあつまってくるのであります。
だから「泣きっ面に蜂」というとおり、泣いて悲しんでおれば、
泣かなければならぬ悲しいことがいくらでもやってきます。

朝に一ぺん悲しい思いをおこしますと、その日、一日じゅう、
なんだか悲しい事ばかり出てきて、なんでもつまらなくなってくるのです。

朝おきると、にこにこして、「お父さん、お母さん、おはようございます。ありがとうございます」
ということが出来て、うれしくなれば、その日一日じゅううれしいことが出てくるでしょう。

だから朝に嬉しい気持を持つことは一日じゅう、うれしい感じをつづけるのに便利です。
もし悲しいことがあっても泣かぬことです。

「私は神の子なんだもの、なにも悲しいことはない。私はうれしいのだ」と一生懸命おもうようになさい。
きっとうれしくなってきます。
(つづく)

1879SAKURA:2013/01/07(月) 18:45:18 ID:SbalnCM2
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>1822>>1836>>1837>>1842>>1843>>1852
>>1875>>1876>>投稿の続きです…。
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』  

======「生命の実相 37巻」からの抜粋 ====================

 すんだことの中に生活せず、「今」のなかに生活せよ。「今」は常に生きている。「今」の中
にはあらゆるものが輝いている。「今」は常に新しく、「今」は常に喜びに満ちている。過去
にどんな悲しいことがあったにしても、それについては思い煩うな。「今」天地一新したの
である。もう別の天地に生きているのである。過去に寒風に吹き暴されたことを嘆かない
で、「今」梅の花は喜びに満たされて咲いている。梅の花よりも尊く強く逞しきが人間で
ある。
喜ぶべきことしかないのが人生である。           (谷口雅春著)                          

==========================================

■現在の状態!置かれた環境を、ながめても、まず【過去の私…】に、振り返るのではなく
今!現在起きた事は、必ず“修復できる…”といった感じが、幾分“心の何処に?”芽生え
始めて来ました。…が?帰郷してからの、四年間…実に私の潜在意識には『時間の無駄…』を、
考えて行くより【今…】を生かすことに、集中!でしょうかと。? 【全力投球…】

そこから、まず!進む事になりそうです。クヨクヨする前に、まず“心を前向き…”に、
振り向くだけでも、前!前!に進む“原動力”になりますし、今からは、まず“進む事”が
それが【三歩進んで二歩下がる…つまり確実に一歩…前進】この事が【本年度の課題】です。

■【病気で倒れた事】は、今は静養中ですが?前以上に前に進める事を、信じて行く事も…
【心の法則…】ではと、要約!思えますこの頃になりましたかと。まず!今年は、
【爽やかに…感謝】でしょうか???今日も前に進む!爽やかななるSTARTで…!
気持ちは、次第にハイテンション!!『頑張ろう〜〜〜と!』…風邪の症状は、少しずつ良く
なってきています。…が?逆に言いますと、これだけ倒れた事で、きっと「免疫力がつき…」
今年は、これ以上おおきな「病気ナシ〜♫」です。そして、
改めまして…いろんな方との出会い…支え…があり、私が生かされている事に対しまして

■■【報恩の感謝】今年は〜〜〜走り続けましょうかと…。

                                再合掌

1880NANCY:2013/01/07(月) 19:12:29 ID:SbalnCM2
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635>>1639>>1643>>1766>>1778>>1829>>1877>>の投稿の続きです。

===【 谷口 雅春 先生 著 】===========================

■■吾々の中に、すでに一切のよきものがある。

自信をお持ちなさい。あなたは神の子なんですから。あなたの実相は、現象的に表面に
あらわれている相よりも余程立派な優れた状態なのである。あなたは完全であり、
万徳を兼備しており、神通自在なのである。
劣等感に陥って、自分で自分を限ってはなりません。   『新版 栄える生活365章』より

============================================

■やはり“心の持ち方…”次第でしょうか??
気持ちが“明るく持てる事”は、その時の精神状態は、やはり『自信…』が、大なり小なり?
ある面では、持っていますかと。

今!『大学受験…シ−ズン』になりましたが?やはり『自信…』がなく受験しますと…
【結果も〜〜〜><】それなりの事しか?出て来ませんモノ。勿論【努力…】は必要ですが…!
そうです〜〜〜ョネ!『ネガティブな感情…不安・恐怖…etc』 は、その通りの事しかと?
今の私は当時を振り返りますと…【自分自身の力を限定…自己限定の結果】が、その通りに、
現実となって表れたモノと【確信…】出来ますでしょう。

【揺るぎのない強い意志・信念…にてのチャレンジ…】は、それなりの【結果…】が、
出て来ますモノと、今は断言できますでしょうか?そして、『親の信じる心…』この事も、
【想念感情…】として相手(子供達)にも伝わりましょうかと。

そうなのです〜〜〜ョネ!これは【最大の援軍…両親の信じる“信力”…】でしょうと!!!

                                   再合掌

1881うのはな:2013/01/08(火) 00:08:40 ID:hdrUUxBw
   生長の家入門講義(八) 谷口雅春 先生

  第六十九章 本当の〝富〟とは如何なるものであるか

 最後に経済問題の話をしたいと思うのであります。大抵の人は〝富〟というのは紙幣が
沢山あることだと考えたり、あるいは土地や建物や物質が沢山あるのが〝富〟だと考えたりするのであります。
然しそれは本当の〝富〟では無いのであって、〝富〟の物質的幻影であります。

 本当の富というものは神様のお拵えになった実相世界、本当の世界、神の国にあるところの人間を幸福にするアイディアそのものが
〝富〟であります。神様は無限の〝智慧〟であり、〝愛〟であり、〝富〟の源泉であられますから、神の子たる人間が幸福に、豊かに、
健康に生活するために必要なあらゆるアイディアを持っておられるのであります。

 神様の、その人間を幸福にするアイディアの放送を、我々が受信機となって、それを受取ってそれをテレビの様に人生の画面に姿を
現わせば現実の〝富〟になって出て来るのであります。
 ある人が〝富〟を得ようと思って神様に祈りました。そしてこう言いました。
「神様私に百万ドルを与え給え」と、一心に祈りました。その人は紙幣が沢山有るのを〝富〟だと考えていたのであって、
紙幣さえ沢山有れば何でも出来ると考えておりました。その人は神様にどうぞ私に百万ドル与え給えと一心に祈りましたから、神様はその祈りを
聞き給うて、〝天の使〟を多勢集めて言われました。神様はこう言われたのです。

『皆さん、私は聖書の中で「求めよ、さらば与えられん」と約束しました。
ところが彼は私に百万ドルを与え給えと祈っているのであるから、それを与えなかったら私は嘘をついたことになるから、それで是非とも
お前達は此の神の世界を探し廻って、紙幣を百万ドル集めて彼にやってくれ』

 神の天使ーエンゼル達は、羽を拡げて神様の命令に従って、神の国中百万ドルの紙幣を探し廻って歩きました。
やがて天の使達は神様の前にやって来まして、『神様まことに申訳ございませんけれども、神様の御命令で此の実相の国じゅう探し廻って百万ドル紙幣を
集めようと努力いたしましたけれども、百万ドルどころか壱ドルの紙幣も見当たらないのであります。どういう訳かといろいろ考えて見ましたのですが、
実相世界には貨幣制度が無いのでございまして、紙幣を一枚も印刷したことがないので、いくら探しても見つからない訳がわかりましてございます』と言いました。

つづく

1882うのはな:2013/01/08(火) 00:30:57 ID:bnNIA3Jo

   第七十章 神の国の〝善きアイディア〟を得る祈り

 これは寓話でありますが、物質の富ばかり追いかけ廻している人達は、
此の愚かなる百万ドルの紙幣のみを求めている人と同じであります。物質の
富というものはそれは恰度太陽から来るところの光と熱みたいなものでありまして、
我々はそれを光と感じ、熱と感ずるのでありますけれども、太陽の世界へ行ったらあれは
水素の原子核融合によりまして、ヘリウムに原子転換するときの、その放射線が送られているの
でありまして、その目に見えない放射線が地球の人間界に入って来ると、それが光と熱とに感じられるのであります。

 それと同じように神様の世界にある人間を幸福にする善きアイディアが、肉眼に見えないけれどもそれが人間界に
入って来た時に、それが人間を幸福にする色々の〝富〟の形と変わって来るのであります。
 それゆえに皆さんが、富を得ようと思うならば、〝我に百万ドルの紙幣を与え給え〟と祈るよりも、次の如く祈るといいのであります。
その祈りの言葉は次の如くであります。

「私の天分にかないまする出来るだけ多くの人を幸福にする善きアイディアを与え給え。善き智慧を与え給え。そしてそのアイディアを実現
する力を与え給え」

 このように念じてから、多勢の人を幸福にする善きアイディアが光明燦然と輝きながら自分に天降って来る有様を、心の目でじいっと見つめて、
暫くそれに精神を統一してそれを既に受けたと思って「有難うございます」と感謝の語を念ずるといいのであります。
 実例をもって話したいと思います。今から約八年前、生長の家本部へ訪れて来た人があります。
その人はリコーというカメラ会社の社長であります。名前は市村清といいます。
市村清さんは私に面会を求めて「先生にもっと早くお礼に上らなければならなかったけれども、然しあまり事業が忙しいのでお礼に参上することが
遅れまして申訳ありません。本日、更めてお礼に上りました」と言われました。

つづく

1883a hope:2013/01/08(火) 07:11:19 ID:PzSu3pbw
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆明るい心には暗いものははいらぬ(p118)

たびたび云うようですが、吾々は心に明るい希望をもつようにしなければなりません。
なんでもよくなることばかりを考えるのです。

よくなることばかりを考えていれば、よいことばかり出てくるのです。
明るいことばかりを考えていたならば、わるいことは考えられなくなります。
人間の心は明るいこと、暗いことを一しょに考えることは出来ないのです。

つねに心に明るい希望をいだいておれば、暗いことや、陰気なことや、
悪いことは考えられませんから、自然によいことばかりが出て来るようになるのであります。
(つづく)

1884うのはな:2013/01/08(火) 12:49:08 ID:HwTu0TYs
>>1882

 市村さんは続いて言われました。
「今から三十年程前に、わたしは肺結核に罹って入院しておったんでありますが、その時は
結核の特効薬は未だ発明されていないので、もう結核に罹ったら死ぬ、もう特定の療法が無い。
空気療法、安静療法、医者の薬も気安めになるくらいで、段々悪くなって死に近づいておりました。

「ところが一人の友達が『生命の實相』という本を持って来て、君、これを読め、〝人間は神の子・病気は無い〟
という哲学が書いてある。病気本来無いという哲学が分ったら、そんな病気はけし飛んでしまう。
だから是非読めといって本を置いて行きました。それを読むに従って、人本来無病という哲学を知って、そして速やかに
病気が癒って私は退院して、今に到るまで三十年間一度も病気に罹ったことはありません。
ところがその『生命の實相』には、経済問題の事も書いてありました。
そして〝富〟を得るために如何に祈るかということが書いてありました。
それで私は毎日寝しなに神想観をして、祈ることを始めたのであります。

『生命の實相』に書いてある通り、こう言って祈りました。
〝私の天分にかないます出来るだけ多勢の人を幸福にする善きアイディアを与え給え。
そしてそれを実現する力を与え給え〟と祈りました」

つづく

1885うのはな:2013/01/08(火) 16:00:23 ID:Hn6nsTC2
>>1884 続

   第七十一章 祈りが叶えられるためにまず大切なことは

 皆さん、これは、〝典型的な祈り〟であります。誰でも天分にかなうものを祈らなければ
いけないのであります。バラの木がバラの美しき花を咲かしめ給えと祈るんだったら、その祈りをかなえられる
わけであります。然しそのバラの木が、杉の木が亭々と高く延びているのを見て羨ましがって「私はバラの木でこんなに
背が低いのでございます。あの杉の木のように亭々と高く伸ばして下さい」と祈っても、それは叶えられないのであります。

 もし、此の谷口がプロレスの選手になって、「どんなに強いプロレスの相手にでも打ち勝つような、筋肉隆々とした体格にならせて
下さい」と祈っても、それは叶えられないのであります。然しもし私が、「神よ、私の天分にかないますところの、人類の魂を救済する善き智慧を
与え給え、その真理を人類に普及する手段を与え給え」と祈ったら、そういう智慧と手段とは与えられるのであります。
そして、それは多くの人類を幸福にする智慧でありますから、その智慧が天降って来てそれを普及したら、自から富にもなるのであります。
併し、今は自分のことは言わないで、市村清さんの体験の話のつづきを言います。

つづく

1886志恩:2013/01/08(火) 16:53:31 ID:.QY5jUA6
 〜生長の家の「今の教え」の考え方は、「鶏肉」は「肉」ではない 
          という認識です。〜

生長の家青年会の、公式のホームページに、
「クリスマス・イヴをノーミートで過ごしませんか?」

  というスロ-ガンが掲載されてます。

【生長の家青年会では、12月24日を
「ノーミート・デー」と定めました。その間、肉食の弊害に関する情報や、

肉を使わない「ノーミート料理」をネットで紹介するなど、
肉食の習慣を改善するためのキャンペーンを展開します。】と載せているのです。

普通でしたら、どのご家庭でも
クリスマス・イヴの食事の主役は、なにを食卓にだすでしょう?

ずっと昔から、海外では「七面鳥の丸焼き」ですが、
日本では、主役は通常「ニワトリの丸焼き」(ローストチキン)と、決まっています。

しかし、生長の家は「ノーミート運動」をやっているので

その,習慣をやめましょう。肉を食べないクリスマス・イヴを,実践しましょう。
と、公式のホームページで,青年会 全信徒に、呼びかけているのです。

http://www.jp.seicho-no-ie.org/yyaa/no-meat/nm-111224-event.html

この写真には「牛」「豚」だけでなく、「ニワトリ」も「肉のなかま」として、写っています。

つまり、生長の家の信徒の多くは,鶏肉も、「肉」として認識していることになります。

純子先生のブログ”恵味な日々”の12月24日の
表向きの写真には、
純子先生が「お料理に腕を振るいました」というコメントを述べられ、

テーブルに並べられた表の写真には、主役である筈の【ローストチキン】はありません。

   【ノーミート料理の部分だけ】を写した写真を載せているのです。

これを閲覧された信徒たちは、

「さすが、ノーミートを推進されている純子先生でいらっしゃるわ。
ノーミート料理だけで、12月24日の誕生パーティをされたんだ」と、
勘違いして思うでしょう。

しかし、番記者様が,光明掲示板に、載せてくださった 裏写真 のほうには、

大きめの「ローストチキン レッグ」が、同じテーブル上の皿に、堂々と写っている。
テーブルの奥の方にも、いくつか写っている…

それで、な〜んだ、ということになりまして、

お二人の相変わらずの、隠蔽体質というか、言行不一致という点を、
光明掲示板のほうで皆様で、論議していたわけなのです。

鶏肉は肉ではないと,ご主張されるなら、主役であるローストチキンを
表の写真として、堂々と載せないのはなぜでしょう。

そして、先にも書きましたが
生長の家の公式の青年会のホームページに

「肉(ローストチキン)を食べないクリスマス イヴを実践しましょう」
などと、信徒に呼びかけたのは、なぜでしょう。

このような行為は、信徒からみたら、雅宣総裁先生ご夫妻に対して
いよいよ不信感を抱く恐れのある行為のように思います。

世間一般常識である「ノーミート」とは、いうまでもなく
「牛、豚、鶏肉」を食べない事をいいます。

今回判明したことによりますと、
雅宣総裁先生ご夫妻は、「鶏肉」については、「肉ではない」という
お考えだということが分りました。

純子先生の出版された肝腎のノーミートの本にも鶏肉は、肉ではない
ということも、ひとことも触れられていないのですが。

ですから、知らなくて,ノーミーとを実践せねばと真面目に捉えて
鶏肉も 食べない信徒の方々も、多くいらっしゃると思います。

そういうわけで、皆様、
今の生長の家の教えの考え方は、鶏肉は 肉 ではない、という考え方だそうですから
今後は,心置きなく 鶏肉 を 召し上がって下さいませ。

1887志恩:2013/01/08(火) 17:02:26 ID:.QY5jUA6
トキ様

間違えて、聖典版に書き込みました。
すみませんが、
1886と、ここの削除を お願いします。

1888SAKURA:2013/01/08(火) 17:30:31 ID:s5HxQYFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>1822>>1836>>1837>>1842>>1843>>1852
>>1875>>1876>>1879>>投稿の続きです…。
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』  その①

======「生命の実相 37巻」からの抜粋 ====================
 人生の唯一の目的は神の国をこの世の実現するということである。神の国は天人常に
充満し、絶えず天鼓の響妙に、摩訶曼陀羅華の花降る世界である。
 
天鼓とは天の鼓ではない。人間の人を賞め讃える声である。曼陀羅華とはインドにある
華ではない。華の笑むように和やかな微笑、深切な言葉、思いやりのある行ないが天上か
ら降る曼陀羅華である。
 
これら天鼓と曼陀羅華とで飾られた妙なる世界の姿が天国である。天国とは別の世界の
ことではない。われらの思いと、言葉と、行ないとの中にある。   (谷口雅春著)
==========================================
■天国とは別の世界のことではない。われらの思いと、言葉と、行ないとの中にある。  

確かに、そう思います。今回の私は“東南アジアの風邪?”にかかり、医者から“皇室の方々”
もひかれた同様な症状なのです〜〜ョネ!この様に、病院に行って診察を受けまして、担当
医師の言葉を、聞きまして“ビックリ・マ−ク”でした。…が?実に、私なりに、
…風邪に至りました“経過報告”を、事こまやかに伝えましての【診断結果…】でした。…が?

【 初めて東南アジアの風邪? 】肺炎にまでは至らずこの事だけでも幸いで…空気感染です
から、今から急増の兆しのインフルエンザ対策も含めまして【煙草を吸われる方よりその周辺部
の人に影響…】とよく耳にしますが…益々と用心なのです…。
【煙草を吸われていらっしゃいますと、どうしても慢性的な気管支の炎症を起こしやすくなり、
空気の通りが悪くなるためしつこい「せき」の原因ともなり、更に2次感染として、第三者に、
空気感染にて細菌・ウイルスが侵入する事になりますので…今の【日本人の体力?】に、どの
ように感染しますかは、問題です。更に、“おかしな菌??”が、入ってきていますから、尚の
事【精神力は、前以上に強靭なる戦い!!】の必要性でしょうかと。??

つづく

1889SAKURA:2013/01/08(火) 17:32:11 ID:s5HxQYFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>1822>>1836>>1837>>1842>>1843>>1852
>>1875>>1876>>1879>>1888>>投稿の続きです…。

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』  その②

>>1888>> その① 投稿の続きです…。
■何故!どうして!【 国 際 運 動 】という言葉自身…もう一度考える必要性を感じ
ます次第です。…が?さて、今の状態が「現象…」なのでしょうか?私は、その状態を、
体験しまして、今回はこれを活かす事が【実相世界に入っていく】このような気持ちになり
今の私は、まだ、自分自身で“料理が出来る体力”に、まず【感謝…】し、口にご飯を通す
事も出来ます事に【感謝…感謝…していく内に、此処天国が見えてくるのでは〜〜〜?】と。

では【天国…は何処?】自分の“心の力量”にも見えるものですから、【地獄も天国も紙一重…】
なのでは〜〜〜と思いますモノ。そのように考えて行きますと、今の於かれた私は、きっと
潜在意識の中に、無意識な何かにしばられた“心…”が、何処かにあり、これが形としての
今回の【病気としての風邪…】になったのでしょうかと。きっと【私の心の影…】と思います。

今の私は、まず【現象人間の戦い…吸血鬼・ゾンビ達とのかかわりを一切もたない事!】で
しょうか〜〜〜>< 今だに、こちらが捕まえる心があるのでは?と思いながら、まだ!
まだ!【自分の“心…”での天国の量り…】を、見比べている処でしょうか???

■今回の私は、前以上に【心 の 法 則】の勉強中です。“言葉は神”ですので、
【天国は、まじかに、私の心にある!!広き門を広げる心…まるで天の岩戸をあける心】
この様な心境の私でしょうか〜〜〜???
                                  再合掌
PS: トキ様 へ
【天国とは別の世界のことではない。われらの思いと、言葉と、行ないとの中にある。】この
言葉…いかように思われますのでしょうか??当に此処【地上天国とするために…真理】を、
人々の心の中に“種”をまいていく事が「生長の家」の信者としての使命かと??
今日も、【ネット・ニュ−ス】にて、若者が【自殺…尊い命を…】本当に“悲しい出来事”です。  

http://mainichi.jp/feature/news/20130108dde041040007000c.html
■自殺:体罰受けた高2、自宅で バスケ部主将「顧問から」と手紙−−大阪

1890NANCY:2013/01/08(火) 17:59:59 ID:s5HxQYFA

トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635>>1639>>1643>>1766>>1778>>1829>>1877>>の投稿の続きです。

===【谷口 清超 先生著】=============================

■ 困難と見えるものは、成功への足がかりである

「困難」と見えるものは、成功への足がかりなのだ。人間は、如何なる困難にもへこたれず
それを逆に活用し、そこから又と得難い教訓を学びとって、初めて立派な人間となることが
できる。
困難にうちひしがれることなく、決然として立ち上がろう。そして、生き生きと積極的に
生き抜いていこう。                  『真実を求めて』より     
============================================

■【困難…】この言葉は、だれしもが必ず一度は“脳裏”に浮かぶ言葉でしょうかと。つまり、
この時の、自分の“心…”は、すでに自分自身の“力…無限力”を、否定し、精神的には
「マイナス要因…ダメ!ダメ!」という気持ちにて、既にそこからが『負け組?』でしょうか?

【生長の家…無限力】この信念・意志力ですと、自ずからそれなりの“行動…”となりましょう。
私もこの“意志力…気薄”の時は、まず!【言葉の力…魔術】にて、自己暗示を入れます…。
【出来る!間に合う!…】何度も〜何度も〜脳裏にinput!!で〜〜〜す。

そうしますと…「心の持ち方…気持ちの上での変化」が生まれまして、次第に「プラス要因」の
心の方へと、方向転換です。こうなりますと“やった〜〜!次は”行動…“へと繋がりますモノ。

「清超先生の言葉」どおり、積極的思考にて、与えられた【人生…】を、前向きに進んでいく
この思いを、常に心に持ちたいと思います。…が? 
                                再合掌

1891goro:2013/01/08(火) 18:23:19 ID:nCo1DokU

皇室と国民 元侍従次長 木下道雄著
 昭和44年10月 財団法人 皇居外苑保存教会発行

 目次
1.まえがき
2.陛下と皇室財産
3.荒天下の分列式
4.鹿児島湾上の聖なる夜景
5.天皇とその御責任
6.皇居勤労奉仕発端の物語
7.敬重すべき二つのやまとことば「しらす」と「うしはく」
8.国民に対する陛下の御期待
9.あとがき

 1.まえがき

 我々日本人には、民族としての長い間の君民同和の歴史があり且つこれに伴う信仰がある。
終戦時、占領軍と共に国内に持ち込まれた「自由」と「民主主義」とに関する半知半解の鵜呑みの模倣は三十余年後の今日、果たして国内各地に意外な程の無秩序な混乱をかもしつつある。

元来、我々は海外のよきものを採り入れて之を活用することに特に優れた才能を持った国民である。儒教も採り入れた。仏教もとりいれた。これらは、ともに、国民の共同生活の上で、且つまた、一家、一族、一国の秩序、組織を固める上で非常に役に立った。

この経験を生かし、「自由」も「民主主義」も単なる模倣をやめ、われわれの叡智と信仰を以って、これをよりよきものに向上させ、以て世界平和の中核たらしめようではないか。
この国民運動を起こすに先だち、まず承りたいのは、陛下の御心境である。

  (註)
  「自由」も「民主主義」も口先だけでは何もならぬ。「教とまごころと信仰」とを以て必ずこれを包 
  をことを忘れてはならない。これを怠れば、世の中はたちまち混乱し、悪党横行の天下となる
  こと必定。民主主義の元祖の如くいわれるリンカーン大統領も米合衆国の南北戦争のさなか、
  ゲッチスバーグの古戦場跡の建墓式式典で「われわれは神のみ前に跪いて「自由」という言葉
  の意味を、もう一度よく考えなおしてみようではないか」と言う意味のことを聴衆に訴えているし、
  また「孟子」にも、仁義に関し、自重自由の重んずべきことを思わせる自暴自棄論があるでは
  ないか。

1892goro:2013/01/08(火) 18:33:12 ID:nCo1DokU
 私は大正十三年の夏、三十七歳の時、内閣書記官から東宮事務官兼東宮侍従に転任を命ぜられ、親しく東宮殿下(今の天皇陛下)の御身辺に侍することとなった。友人などからは、さぞ窮屈だろうなどと同情の言葉をもらったこともあったが、私としては始めこそは、見るもの、聞くもの、皆珍しく思ったこともあったが、だんだん落ちついてくると、ちょっと暫く海外旅行をしてきた者が久しぶりで日本の港の土を踏んだときの気持ちのようなものを感ずるようになった。
 
 それは、こここそは、ほんとうの日本だな、と言うような気持ちだ。なぜそんな気持ちになったか、その理由を尋ねられてもちょっと説明はできないが、とにかく、そんな気持ちになったことは事実であり、思えば不思議な事である。私が転任したのは東宮殿下御結婚直後のことであり、殿下のお年が二十三、妃殿下(今の皇后さま)のお年が二十一、おん父君、大正天皇が久しく御病気であらせられたため、東宮殿下が天皇に代わって摂政のお仕事をしておいでになったときであった。

 両殿下の周囲には珍田東宮大夫、入江東宮侍従長、奈良東宮武官長、島津東宮女官長という年長のかたがたは別として若い連中としては東宮侍従が七人、東宮武官が陸海各二人、東宮女官が五人、侍医が四人いたが、これらの者は各一人づつ宿直するのが定めであった。当時、両殿下のお住まいは今の赤坂迎賓館であり、正面から向かって右半分が置く宮殿、左半分が表宮殿として使われており、摂政殿下の御政務室、謁見室その他東宮職の事務室、宿直室等は全部表宮殿にあり、奥宮殿は御家庭向きのところとして使われていた。

夜、我々が宿直をしながら雑談をしていると、ときどき、殿下が仲間入りをなさる。われわれは殿下が仲間入りをなさったからといって別段四角張りもしなかったが、ただ他人の批評特に悪口は絶対につつしむことに申し合わせていた。その内に私は、はっきりした解決がつかないまま、一抹のの疑問を胸中に抱くようになった。それは何かというと、世の中には身分の高い貴族の家や大金持ちの家に生まれ、幼少のときから多くの召使に世話を受けて育った人で非常に聡明な人物も少なくないが、残念ながら殆んどが一種の通弊を持っている。それは何かというと、周囲の人々に対する好き嫌いの感情が露骨に顕れるということで、自分では努めて抑制しているつもりでも、どことなく、それが現れてくる。

ところが、殿下は常に十数人の男たちに囲まれておられながら誰彼への好憎の念をいささかもお持ちにならない。そこで私はひそかに考えた。殿下に限ってこの共通の弱点をお持ちにならないということは一体何に起因するのであろうか。殿下の御幼少の頃から殿下をお預り申して専心その御教育につとめたのが東郷元帥、乃木大将、杉浦重剛先生の諸氏であるから、その懸命の努力の結果であろうか、それとも、これが皇室の御伝統であろうか。

1893goro:2013/01/08(火) 18:34:12 ID:nCo1DokU

 たまたま、その秋、殿下は京都に御旅行になり、京都御所内にある仙洞御所に一週間御滞在になったことがある。京都御所内には数棟の土蔵があるが、その内の一つ、別に目立たぬ普通のお蔵のようであるが。これが所謂東山御文庫で皇室にとっては非常に大切なお蔵である。扉には勅封が施されてあり、毎年秋季に東京から特に侍従が差し遣わされ、開扉の上約一ヶ月かかって内蔵品を曝涼するのが霊となっている。内蔵されているものは御歴代の宸翰、旧記の類である。

 殿下の京都御滞在が、ちょうど、この曝涼期間であったため、一日、殿下はお蔵拝見においでになった。私もお供をしていたため内部を拝見する機会を得たのであるが、多くの陳列品のうち、たまたま私の目にうつったのが光格天皇の御書簡であった。明治天皇より三代前の光格天皇は幼少僅か九歳で閑院宮家から入って継がせられ、御先々代、御桜町上皇(女帝)の並々ならぬ御訓育を多年に亘り受けさせられた次第であるが、御年二十九歳のとき、その上皇に対し、したためられた御書簡がこれであった。別にゆっくり拝読したわけではなかったが、

「仰せの通り、身に欲なく、天下万民をのみ慈悲仁恵に存じ候うこと、人君たるものの第一の教云々」

のお筆の跡に、私は一瞬電撃を感じた次第であった。大江戸城によって天下を睥睨する徳川幕府全盛の時代にあって、三十六峰に包まれた、ここ京洛の地、清くさやけき御所のうちには、人知れず寂かに天下万民をのみ念とせられる御精神が脈々として皇統のうちに流れていた長い年月のあったことを初めて知り、私はおのずから身の引き締まるのを覚えた次第であった。

 右の御書簡の外、色々なお歌等を拝見しているうちに、私は大いに覚るところがあった。東山御文庫に充満する空気は「無私、ただ、くにたみを念う」の一言に尽きる、と私は観たのである。その夜、京都市民の盛大な提灯行列が催され、一群また一群と数万の人々が仙洞御所の御門前を通り、万歳の声は広い御苑内を埋め尽くした。

 殿下は提灯片手に御門のところに立たせられて歓呼の声にこたええられ、私もお側におったが、そのうちに私の両眼から玉のような涙が次から次へと出てきて、何ともしようがない。いくら暗がりでも、あたりの人に余り恥ずかしいので、私は提灯の列を横ぎって反対側の人のいない芝生に逃れでて遠慮なく泣いた。

1894a hope:2013/01/09(水) 07:08:56 ID:PzSu3pbw
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆悲しい事よりも嬉しい事の方がたくさんある(P118〜)

前にあった悲しいことを考えるな。
それはもう過ぎさってなくなったものなのです。

自分を害した人を考えるな。
それも、すでにすんだのです。
今、自分は幸福だと考えなさい。

どんなに悲しいことがあっても、それは一つではありませんか。
もう一つ悲しいことがあるというのですか。
それをあわせても二つではありませんか。
しかも、それは、今ではないでしょう。
それは昨日のことか、一時間前のことか、十二分まえのことか、ともかく、もう、すんだことでしょう。

嬉しいことは一つや二つではないではありませんか。
お父さんもいらっしゃるし、お母さんもいらっしゃるし、家もあるし、洋服もあるし、靴もあるし、本もあるし、御飯も食べられるし
……まだまだうれしいことがたくさんあるではありませんか。

そんなに嬉しいことが、たくさんあるのに、一つや二つの悲しいことばかりを考える必要はないではありませんか。
悲しいこと、暗いこと、腹の立つことは心に中からすてましょう。
そして、よいことばかりを、うれしいことばかりを、心に花園でそだてましょう。
(後半につづく)

1895a hope:2013/01/09(水) 07:11:56 ID:PzSu3pbw
>>1894のつづき)
心のお庭には、うれしい花を植えましょう。
悲しい心は雑草ですから、ぬきすてましょう。
腹の立つのも雑草ですから抜きすてましょう。

たのしい思い出だけをのこしておきましょう。
つねに、自分はうれしいのだ、幸福なものだとお考えなさい。
自分をかわいそうなものだと思ってはなりません。

人間は思ったとおりになるのですから、自分を幸福なものだと考えたら幸福になります。
つねに、自分は幸福だ、今までどんなことがあったにしても、
もう此の『生活読本』を読み出したら幸福になるより仕方がないと信じなさい。

一日かならず十ページは、よい本を読むように心がけなさい。
その十ページがきっとあなたの心に元気をつけ、勇気をださせ、心を美しくし、
一しょうけんめい勉強する力を出させてくれます。

つまらない本をよむと、心の中につまらない事がつめこみますから、
一年二年とたつうちには、あなたはつまらない人間になってしまいます。

毎日十ページでもよい本を読めば、あなたの心に毎日よい事がつめこまれますから、
一年、二年とたつうちには、あなたはきっと立派な人になっています。
(つづく)

1896a hope:2013/01/10(木) 08:08:53 ID:PzSu3pbw

「久遠生命」の神示
(無相円相一切相の神示)

吾が臨(きた)れるのは物のためではない、生命のためである。
肉のためではない、霊のためである。
これを覚(さと)るものは少ない。
物の生滅に心を捉われ、物が殖えたときに信仰を高め、物が減ったとこに信仰を失い、
身体が健康になったときに神を讃(たた)え、家族の誰かに病苦が起ったと云っては信仰を失うが如きは、
神を信じているのではなく物を信じているのである。
物は結局移り変わるものであるから、物の御利益の上に建てられた信仰は、物の移り変わりによって壊れるのである。
神が病気を治して見せるのは、肉体は心でどうにでも移り変わらせることが出来ると云う事実を見せて、
『体(たい)』は念(こころ)の影だと云う真理をさとらせるためである。
念の影だと云う『体』とは肉体ばかりのことではない。
幽体も霊体もすべて念の影である。
『死は無い』というのは肉体のことではない。
現に肉体細胞は刻々死滅し流転している。
生き通しであるのは、斯(か)くならしめている『生命』のみである。
『生命』のみが吾れであり汝であり、そのほかに吾れも汝もないのである。
此の『生命』をみたまと云う。
みたまの形は珠(たま)のように真ん円いからみたまと云うように解するものもあれども、真ん円いのは形のことではない。
神は本来形無く、空(くう)のうちに円満具足して自由自在であるから仮に称して円相と云うのである。
自由自在なるが故に或る時は竜神の姿を現じ、また或る時は衣冠束帯の姿を現じ、或る時は天使天童の姿を現ずる。
いずれの姿も権化(こんげ)であって偽(いつわり)ではない。
しかし一つの形に執(しゅう)して、それのみを吾であると思うものは、吾が真実を知らざるものである。
吾が全相を知らざるものである。
汝ら心して真(まこと)を知れ。
汝たちも神の子であるから我れと同じきものである。
肉体は汝の一つの現れであって汝の全相ではないのである。
(昭和七年四月十日、神示)

感謝 合掌。

1897a hope:2013/01/10(木) 08:47:14 ID:PzSu3pbw

(帰幽の神示)

汝の肉体は汝の念弦(ねんげん)の弾奏する曲譜である。
生命が肉体に宿ると云うのは二元的な考え方であって真理ではない。
正しく言えば生命はその念弦の断ずる曲譜に従って肉体を現すのである。
肉体と云い、複体と云い、幽体と云い、霊体と云うはこれ悉(ことごと)く念の映像に過ぎない、
汝の念譜(ねんぷ)の種類に従って或いは肉体を現じ、或いは複体を現じ、或いは幽体を現じ、或いは霊体を現ずる。
すべての人はいつかは肉体を失うであろうが死ぬのではない。
人は神の子であるから不死である。
念譜の形式が変るに従って汝の仮有(けう)の形式が変るのである。
すべての人の仮有は念の異(ことな)るに従って、その顕現を異(こと)にする。
念の形式に大変動を生ずれば、汝の仮有は高いに顕現し、今迄の念の顕現たる肉体は速かに自壊自消(じかいじしょう)する。
これを人々は死と呼ぶが死ではない。
それは『生命』が念の弦をもって一曲を弾じ終ってそれを止め、他の奏曲に移らんとするにも等しい。
『生命』の弾ずる念の曲譜の形式に大変動を生ぜず、その念弦の律動にただ調和を欠きたるのみなるを病と云う。
かくの如き病は、念弦の律動の調子を直せば治るのである。
併(しか)し如何にもその念弦の律動正しくとも初歩の一曲は必ず終って一層高き形式の曲譜を学ばねばならない。
吾が云う意味は、地上の生活は必ず終らねばならないと云うことである。
地上の生活は汝の初歩の一曲である。
速かにこれを終るものは、初歩の教本を速やかに終えたものである。
一曲が終らんとするを悲しむな。
それはなお高き一曲に進まんがためである。
その前に調律者が来て汝の念弦の調子を正すであろう。
この調律のために一時汝の仮有は調子ならぬ調子を奏でるであろう。
此の世の一曲が終る前に肉体の調子が乱れたように見えるのは此の調律のためであって真(しん)に調子が乱れたのではない。
汝らかくの如くして次第に高き曲譜に進み行け。
一曲は終るとも弾き手は終るのではない。
弾き手は神の子であって不死であるぞ。
(昭和六年六月二十六日、 神示)

感謝 合掌。

1898さくら:2013/01/11(金) 03:50:56 ID:VxpE5cyY
合掌ありがとうございます。

本日は、『聲字即實相の神示』が天降った日です。

改めて謹写させて頂きます。



1899さくら:2013/01/11(金) 03:51:26 ID:VxpE5cyY
 『聲字即實相の神示』    谷口雅春先生
 
            吾が第一の神殿は既に成れり。
名付けて『生命の實相』と云ふ。
完成の年になりて吾が第一の神殿が完成するのも生命の顕現には周期的波動があるからである。
七つが事物の顕現の周期律になつてゐる。

吾れに神殿は不要であると嘗て示したことがあらう。
吾は道(ことば)であるから、吾が道(ことば)を語るところに吾が神殿は築かれる。
吾が道(ことば)を載せた『生命の實相』こそ吾が神殿である。
『生命の實相』は吾が本體であり、無形の『生命の實相』を形にあらはしたのが『生命の實相』の本である。
『言葉』を載せた書物を『本』と云うのも、『言葉』こそ事物の本であり本質であり、本體であり、本物であるからである。
『言葉の宇宙』が先づ出來て、『形の宇宙』がその映像(かげ)としてあらはれるのである。

今迄の宇宙は、『言葉』が實相を語らず、不調和で濁つてゐたから、宇宙の萬物の運行が亂れて生活苦や、病氣や、天災や戦争など色いろ不調和なことばかり起つたのである。

『生命の實相』の本が出た以上は、言葉が實相を語り、善き圓滿な調和した言葉の『本』が調うたのであるから今後は何事も急轉直下する。

『生命の實相』を披らくだけで病念は去り、煩悶は解決し、人々ただ自己生命の實相を知り歓喜踊躍して手の舞ひ足の踏む所を知らないに至る位はその三番叟に過ぎない。
その歓びの相こそ人間の生命の實相である。

吾が道(ことば)を『生命の實相』と呼ばしめ、それを本の形にして、披らいて讀むものにさせたのも象徴的因縁あることである。
『生命の實相』を展開けば形の理想世界が成就するのである。

今は過渡期であるから、假相(かりのすがた)の自壊作用として色色の出來事が突發する。
日支の戦ひはその序幕である。
神が戦ひをさせてゐるのではない。

迷ひと迷ひと相搏つて自壊するのだ。
まだまだ烈しいことが今後起こるであらうともそれは迷ひのケミカライゼーションであるから生命の實相をしつかり握つて神に委せてゐるものは何も恐るる所はない。

(昭和七年一月十一日神示)

1900a hope:2013/01/11(金) 08:05:08 ID:PzSu3pbw
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆父母に立派な本を選んでもらいなさい

どんな本が立派な本かは、お父さんや、お母さんや、先生が知っていられます。
よい本は出来るだけたくさん買ってもらいなさい。

本というものは、「心」が外の景色を見るための窓のようなものです。
私が中学生の時分には、中学に図書室(本をならべたへや)がありまして、
昼の休憩時間に一しょうけんめい読んだものです。
それが今でもたいへん私の役に立っているのであります。

「本のない部屋は窓のないようなものだ」といった人もあります。
よい本がならんでいるのを見るだけでも、自分の心に楽しいよろこびをあたえるものです。

よい本をしっかり読まない人で、立派になった人はありません。
ほかの玩具(おもちゃ)や、遊び道具を買ってもらうよりも、よい本をお父さま、
お母さまに買ってもらって、それをつねに読むように心がけなさい。
(つづく)

1901通りすがり:2013/01/11(金) 08:40:37 ID:???
>>1899

一行目の「吾が第一の神殿は既に成れり。」は、中央揃いでよろしいですか?

1902goro:2013/01/11(金) 11:45:39 ID:nCo1DokU
>>1893の続き

 殿下は、この万歳の声を、どんなお気持ちでお聞きになっておいでになるだろうかと思うと、涙が止まらない。今日の昼、ごらんになった東山御文庫内の烈々たる芳香は、いま殿下を厳しく且つ暖かく包んでいるに相違ない。いま聞こえるこの万歳の歓呼の声は、結局は歴代の聖天子の御余得に対する京都市民の感謝の声ではないか。積徳の余栄に、いま、このお若い殿下が酔われてはならぬ、と思うと、居ても立ってもいられない気持ちになった。

やがて提灯行列も終り、殿下は御殿にお帰りになったが、泣きぬれた私は、もはや人に顔を見られたくないから、そっと後から御殿に足をふみ入れはしたが、明るい室には顔を出すのも恥ずかしく、薄暗い廊下で、ありあわせの巻紙を引き割いて、鉛筆で自分の思うところを、無遠慮に且つ露骨に、したためていた。

先刻から私が姿を消してしまったのを心配して、広い御殿の中を捜してくれていた先輩の西園寺御用掛が、薄暗い廊下で私を見付け、声をかけてきたので私は余計なことは云わず、ただ、これを殿下に、と私の書いた紙片を同氏に渡したまま、私は旅館に早々に退出してしまった。床に横たわっても興奮は治まらない。自分は奈良に正倉院という世界的に有名なお蔵のあることは知っていけれども、この京都の御所の内に、かくも立派な東山御文庫のあることを少しも知らなかった自分の愚鈍を憐れむと共に、長い年月の間、静かに流れつづけてきた、この皇統無私の御精神に対し、知らぬこととは云いながら、いささかの感拝の念をも起こしたことのなかったことは、誠に相すまぬことだったと思う自責の念に深くさいなまれた。

翌朝、御殿に参上すると、西園寺先輩が「君、殿下に鉛筆の走り書きなどを上げるのは失礼だよ」と新米侍従の私をたしなめながらも、「だから僕は、あれを殿下に読んでおきかせしたよ」と、誠に行きとどいたことをしてくれた。後で殿下にお目にかかったら、大そう真面目なお顔つきで「昨晩は、よいことをいってくれて、ありがとう」とお小言の影すらもなかった。

長い間、私が考えつづけてきた心中の疑問は、この一瞬に解決した。皇統無私の御精神は、そのまま殿下がうけついでおいでになる。これに磨きをかけて差し上げたのが東郷、乃木、杉浦の諸公だ、というのが、この時から私の確信となった次第である。思えば、私が若き日に、お供をして東山御文庫内で、光格天皇の御書簡を拝見したという一事は私にとっては忘れがたいことであり、爾来私が日本皇室の伝統的御精神ということについて特別の関心を持つようになったのも、このためではないかと思っているし、また、古文書の保存ということが、いかに大切であるかということを思い知らされた次第でもあった。

1903さくら:2013/01/11(金) 12:27:46 ID:VxpE5cyY
>>1901
通りすがり様

ご指摘、ありがとうございます。

実は、いつもはじめの文字のスペース一つでは、一マス空けることができなくて、
余分にスペースを打ちすぎてこのようになりましたという、…ミスです。
ひとマス空けて、左揃えで読んで頂けましたら、有難いです。

せっかくの神示が、見づらい様子になりまして、申し訳ありません、



これからもご教示、よろしくお願い申し上げます。



1904通りすがり:2013/01/11(金) 14:54:22 ID:???
>>1903
さくら様

お返事ありがとうございます。承知いたしました。
あと、普通ならちっちゃい「っ」だと思いますが、旧仮名遣いだから大きい「つ」になっているのでしょうか?
細かいことを申し上げますが、お許しくださいませ。

1905さくら:2013/01/11(金) 17:04:47 ID:VxpE5cyY
>>1904
通りすがり様

はい、ご指摘の通りです。

旧仮名遣いであるので、
例えば、「なっている。」のちっちゃい「っ」が、「なつてゐる。」と表記されておりました。

行き届いた配慮で、目を通して頂きまして、ありがとうございます。

どうぞよろしくお願いいたします。




1906うのはな:2013/01/11(金) 22:06:58 ID:DYtKCfk2
>1881 生長の家入門講義 『生長乃家』 誌 谷口雅春先生

 1881から続けて謹写させていただいてきましたが、都合により
 中途で終了します。
 関連する話が光明掲示板にありましたので御参照下さい。

  http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1037

1912さくら:2013/01/12(土) 07:05:27 ID:77/ZZxYM
『静思集』 谷口雅春先生



「潔く生きると云うこと。

潔く生きるとは我と云うものが無くなることである。
一寸でも我があったら潔くなれない。
潔くとは一寸も引っかからずにサラリと水のように神様のみこころに流されて行くことである。

「法、法の中に住せず」と云う語『観普賢菩薩行法経』にあるが、
萬法すなわち萬ずの現象が、住まらず、
流水のように引っかかりなく、はからい心なく、そのままに流れ行くことである。
我があっては、そう云うように引っかからずにいる訳には行かない。

我が無くなったのが佛である。
我と云う固塊がほどけてしまって、ただ「神」がうちから湧き出て来ることである。
強いて言えば、「衆生の内から湧き出て来た神」がほとけである。
「ほとけとは衆生が悟りを開いたものである」と云う意味は斯う云う意味である。

衆生が悟りを開いて佛となるが、その佛なるものは、
同時に超越的なところにあって、この世界をあるべきようにあらしめているところの神である。

此の世界をあるべきようにあらしめていることを此の世界を「神が造った」と云うのである。
そして、その神を創造神と云うのである。

こう考えて来ると、衆生の内から湧き出て来るところの内在の神(佛性)と、
この外から、又は超越的なところから、この世界をあるべきようにあらしめていること「神」とは、本来「一つ」である。

神佛一體論は斯うしたところからも頷ける。」

1913SAKURA:2013/01/12(土) 14:08:11 ID:U9ONro8Y
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こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>1875>>1876>>1879>>1888>>1889>>投稿の続きです…。

ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』 その①
======【生命の実相 37巻】からの抜粋 ====================
『生命の実相』を読んで薬を廃めて病気の治る人もある。薬を廃めないで治る人もある。
またかえって薬を拝んで服むようになり、心境の一変とともに病勢とみに減ずる人もある。
これはその人のひとりひとりの心の悟りである。刺身包丁を見て、それで人殺しをする人も
あれば、自殺する者もある。また包丁は包丁だけに魚肉だけを料理して喜ぶ人もある。先
日はまた医師がメスを出すのを見て発狂して鉄道自殺を遂げた美貌の若き母があった。そ
れはまたその人ひとりひとりの心境の問題である。たまたま包丁で人殺しをしたり、メス
を見て発狂または自殺をしたりする人があるからとて、包丁やメスは危険であるからとい
って、その発狂や所有を禁止したり、メスや包丁を殺人罪で告発したら滑稽であろう。
『生命の実相』には病人に対してむやみに医薬の服用を止めよと書いたところは一句もな
い。たとえば『生命の実相』の巻頭の神示には、
 「もし病人にして医薬を服用する者あらんにはそれを四口に分けて飲み、この同じ想念
をなして飲めば病必ず速やかに癒えるのである。すべての他の人の罪を赦すは、吾らの
過ちをまた大生命なる神より赦されんがためである。もしわれらが心を閉じて他を赦
さなければ、大生命の癒能もまた閉ざされてわれらに流れ入ることはできないのである。」

 この『同じ想念』をなすというのは「一口目を手にしては、これ今まで過ちて人に対して
憎み怒りし自己の罪が神によって赦されんがための供物であると念いて服み、二口目を手
してはこれすべての人の罪が神によりて赦されんがための供物であると念いて服み、三
口目を手にしては是れ神の護りによりて自己が再び隣人を憎み怒るの罪を犯さざらんがた
めの供物であると念いて服み、四口目に一杯の飲料を手にしてはすべての人の罪をこの水
のごとくわが心より洗い流して心にとどめざらんがための象徴(しるし)であると思って
服(の)む」べきことがその前行の文章に書いてあるのである。

 これは薬物服用の際における心の持ち方の懇切なる指導である。それが『生命の実相』
の、特に巻頭に書いてあったのは、それが重大な事柄であるからである。近代のサイコア
ナリシス(精神分析)は観念泄瀉が心的原因の病気の治療に大いなる効果のあることを証明
した。この神示にははっきりと書いてあるところの方法は、医薬の服用と同時に観念泄瀉を
行なう方法であるともいえるのである。
                   つづく

1914SAKURA:2013/01/12(土) 14:10:18 ID:U9ONro8Y
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>>1875>>1876>>1879>>1888>>1889>>1913>>投稿の続きです…。

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』 その①
>>1913 その①の投稿の続きです
■『生命の実相』は現に医薬を服用していない者に
「医薬を服め」とは勧めてはいないが、「病人にして医薬を服用する者あらんには……かく
かく心持にて服め」と書いてあるのであって、「服むな」とか「その服用を廃せよ」とは書
いてはない。しかるに『生命の実相』を読んで、薬を廃める者があるのは、仏教的真理「色
即是空」(物質本来無し)、または諸法皆空(現象本来無し)の思想に目覚めた結果、自己内在
の生命の自然超能力に頼ることを重んじて物質的薬剤に頼ることを軽視するようになる
からである。                (谷口雅春著)
==========================================
■今年の年頭から“風邪?”にかかり、昨日(11日)まで【検査の結果…】が分かるまで、
自宅療養でした。昨日にて検査結果の中身が分かり、一安心です。(ホッ〜☆)検査はまだ軽症
との事で…飛沫感染によるモノであり、喘息にもかからずよかったと思います。【感謝…】
やはり細菌がまだ体内に少しあり、もう少しで、完治する様ですが、本当にこのような“風邪”
今までの中で初めてでした。たまたま数日前、少し快方に向かい【神社のお札】だけは?
年明けて勿論「亡き母」の事もありますが…一度も神社へ伺う事もできず「自宅待機…」で
した。そして9日に体調がいいので、何となく行く事に、その帰り、また“フラ〜〜〜?”と
してしまいますから「コ−ヒ−ショップ」により休憩しますと!><10分もたたずに、
“変な?変な?仲間”が場違いかと思う人が?隣に坐り…一瞬の感にて?【吸血鬼仲間…】と
分かり“コ−ヒ−”も飲めずに、その場を立ち去りました。…が?体調が、幾分ふらつき状態
ですから、また、もう一軒の「コ−ヒ−店(ドト−ル)」に立ち寄りますと、また15分後に
今度は【吸血鬼…男自身?】が、変態みたいに寄ってきますから、私達は、あわてて立ち上がり
その場から逃げ去った状況でした。その間、一瞬でありますが飛沫感染にて、相手の細菌が強く、また幾分ぶり返しの状態です。【吸血鬼達…?】は自覚がなく、病院にいっても担当医に病気の
症状を明確に伝えないのが実情かと?果たして“説明”が〜〜〜?【尾行でも…感染かと】

■ある担当医師は、このような“人種?”がいて、通院に来てなく困りモノ!!更に、
飛沫感染症の場合は、周囲の人の事も考慮するのが「人間としてのモラル」とおっしゃつて…
【吸血鬼達…】は、単なる“風邪…”だろうと、安易な考えにての行動でも、最終的な結果は、
かなり悪いのです〜〜〜ョネ!この様な人が、此処九州は、自覚のない人が多くて、今回の
“風邪…”も確かに…
■【生長の家の御教え…病気はない!!】と自覚しても、一応【神の警告…】として、私どもに
“予防対策のお知せ”だと、今回思えたのです。…が?先日は「東京のホ−ム・ドクタ−」先生
が、旅行中で留守でしたから、東京の行きつけの「薬剤師…」に問い合わせますと【大丈夫…】
ホ〜ッ☆と…安心して服用しました。【感謝…】この様に“薬…”も時と!場合!には、やはり
【神様の導き…】と思い、今は、服用出来る事に、ただただ【素直に感謝…】して服用していき
ましたが、更に、今日からはまた
❤〜【医者の薬の勧めに従いまして…神の導きによります処の“一口目”〜〜〜“四口目”に
実行していきます】この事に【感謝…】の念が……
本当に今回の“風邪症状”は軽症にて済みまして【大安心…】でした。きっと、あの日
一生懸命【先祖供養…】しました時、いつもより“ロ−ソクの減り方”が早くて??もしかし
ますと【義春様…が私達は?どんな人物かと?見に来て下さいましたのでしょうか???】と、
ついつい思いましたが、今回は【感謝して…素直に薬に依存】しました次第です。…が?

■「医薬を服め」とは勧めてはいないが、「病人にして医薬を服用する者あらんには……かく
かく心持にて服め」と書いてあるのであって、「服むな」とか「その服用を廃せよ」とは書
いてはない。…この“言葉”がしっかりと潜在意識に入りましたかと。
                                再合掌

1915a hope:2013/01/14(月) 07:13:45 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう

・本は先生よりも十倍安くてためになる


よい百科事典(なんでもあるじびき)や、歴史の本や、生長の家の『人生読本』や、
清超先生の童話『黄色い灯台』などは、つねに机のそばにおいて読むようにしますと、ためになります。

たのしみに、十ページ、二十ページと読んでいるうちに、いつのまにか、よい先生についているよりも、
もっと自分に力がつき、もっと自分の心が美しくなり、深切なよい自分になってしまうのです。

本というものは、それを書いた人が、自分の知っているうちで、
一番立派なものを書いて出しているのですから、学校の先生について習う時間の十分の一ぐらいの時間と、
十分の一位の費用で、もっと立派な智慧と、よい心とを植えつけてくれるものなのです。
(つづく)

1916うのはな:2013/01/14(月) 13:49:10 ID:O14KGmdU

      太陽の讃歌

 わたしが昔見た光は 月光帯びて幽谷を流れる水であったのに
 今わたしの見る光は 旭日を映した真赤な大海洋になっている
 いつのまに 
 こんなに大きな海原に出て来たのか私は知らない
 
 ただわたしは
 海の波のその一つ一つが 唇をそろえて太陽をたたえる
 その讃歌を聞くのみだ

 ああわたしも
 太陽を讃えたくなった 太陽をほめる千万の波の唇と共に
 わたしも声をそろえて 生命の讃歌をうたおう

 『ひかりの語録』より  谷口雅春先生著

1917うのはな:2013/01/14(月) 15:59:45 ID:j/a0WopM
   「保守」の本当の意義について

 神は無限であり、その無限内容を常に新しき創造をもって顕現したまうのである。
陳きものは謝り行き、新しきものが常に創造せられつつあるのである。
 私たちは陳きものが新しきものによって取って代られることを悲しんではならないのである。

 けれども私たちは神の創造の根本構図を破壊することを「新しき創造」だと考えちがいしてはならないのである。
例えば、人体の根本構図は胴体を中軸として四肢が適当な位置に適当な長さで調和した姿で備わっている筈なのに、
それが人体の根本構図であるのに、サリドマイド睡眠剤を服用した母親から生まれた奇形児の如きは、これまでになかった
両腕の不足している「新しき形態」であるけれども、それは「新しき創造」ではなく、歪められた創造であり、神の創造であり、
神の創造の根本構図が破壊されたイビツの姿であるに過ぎないのである。

 これは一例であるけれども、何でも破壊して「新たなる形」を表現するのが「新いい進歩」だとか「革新」だと思ってはならないのである。
前衛書道や、活け花のオブジェというものの内には、このようなサリドマイド的奇形があるのである。ここに真の「保守」が却って本当の尊さの
あることを知らなければならないのである。

「保守」とは決して何でも古いものを踏襲するというような浅い意味ではないのである。
「保守」とは本来の「神の構図」を崩さないように守りながら、その構図の線に則って新たなる発展をなすことなのである。
人体が躯幹四肢を完全に備えながら、それが貧弱ではなく益々その美を発揮するようなものである。

 それ故に私は今日、次の如く、真理を心の中に吟唱するのである。

〝神の構図われに流れ入り給いて、わが人體は益々美しく強健となり、わが為すことは神の愛に
かなうところの自ずからなる善行となるのである。ありがとうございます〟


 『白鳩』五月号 昭和四十六年 谷口雅春 先生 ○ 投稿者現代字に変更写 拝。

1918NANCY:2013/01/14(月) 22:34:19 ID:2h8iqLlY
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635>>1639>>1643>>1766>>1778>>1829>>1877>>1880>>1890の投稿の続きです

===【谷口 清超 著】================================
 
■すべての物は、みな一つの神の命のあらわれである。
 
万物は本来みな「神」である。その根本を忘れ、神を否定したり無視したりして、
地球の万物を単なる物質だとみて暮らすことから、“エネルギ−浪費”の方向に文明を
推し進めて行ったのである。
この点を強く反省し、現象の奥に宿る「神」への感謝・礼拝・報恩を忘れないことが
大切である。                  『一番大切なもの』より

============================================

■私達は、今日の生活基盤は【自然との共存である地球…】この事自体を【唯物論…】的な
捉え方をしている人もおおいのでしょうか?今日は、関東方面の気象は【大雪…】とのこと。
それにはそれなりの“エネルギ−(暖房)”が必要になりますでしょうかと。例えば……
石油・ガス・原子力エネルギ−…昔の木炭・石炭…etcも含めまして?
このエネルギ−も「神の国にからの宝物」として【感謝…】を忘れない事が…
如何なる状況になりましても必ずや「神の賜物」を受け取ることになりますでしょうかと。

先日の【中国の大気汚染…ニュ−ス】は、此処の企業・事業団体が…利益追求という事で、
“生産過剰”・“大量消費”…から生じて来ましたのですからそこに【需要・供給のバランス】
とは程遠い【現象界での利益追求】でしょうかと。いつも「神に心を振り向けます事は…」
そこに【無限の富者となる真理…この法則】を、悟る事となりますでしょうかと。

■■常に【現象の奥に宿る「神」への感謝・礼拝・報恩を忘れないこと】が、
神からの賜物を受ける事になりますでしょう…。今以上に、心を明るくもって
“神の波長”にあう心を常に起こさなければなりません〜〜〜ョネ!どんな時でも…!!!

                              再合掌

1919a hope:2013/01/15(火) 07:21:47 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう

着物など節約して本を買いなさい(p122〜)


着物や洋服や靴は「つぎ」が当っているもので我慢しても、その代わりによい本を買ってもらいなさい。
着物や洋服や靴がどんなに立派であっても、ぜいたくな感じを起させるだけで、別によい事は教えてくれません。
それよりも良い本はつねにあなたによい事を教えてくれるのであります。

よい本を書斎(べんきょうのへや)にならべておくことは、良い先生をやとっておくのと同じことで、
時として、よい百科事典は良い先生よりも、なんでもくわしく知っているのであります。
着物や靴をせつやくして本を買いなさい。

あなたの身体の筋肉は、それをよく運動させることによって立派になり、
力瘤(ちからこぶ)がもりあがるように発達(ちからづよくなる)します。
あなたの精神は心を運動させることによって発達するのです。

心の運動を充分させるには、よい本を読むことによってであります。
よい本を読んで、人に深切にすることが善いことだとわかれば、
人に深切を実行することによって心の中の愛(しんせつのこころ)が発達します。

本をよむと、昔のえらい人の言葉にもじかにふれることが出来ます。
昔のえらい先生も、今のえらい先生も、一堂(ひとつのいえ)にあつめてその教えを受けることが出来るのです。
(つづく)

1920さくら:2013/01/15(火) 07:47:23 ID:LeI7UqPY
合掌ありがとうございます。

本日は、『完成(ななつ)の燈臺の神示』が、天降った一月十五日ですので、
謹写させて頂きます。



1921さくら:2013/01/15(火) 07:48:24 ID:LeI7UqPY
『完成(ななつ)の燈臺の神示』 谷口雅春先生

時が來た。
今すべての病人は起つことが出來るのである。
最早、あなたにとつて病氣は存在しない時が來たのである。

二千年前、キリストが『汝の信仰によつて汝の信ずる如くなれ』と云ふ唯一語で、
遠隔の地にゐる病人を癒やした其の眞理が、
すべての人類に開顕される時期が來たのである。

『生長の家』を讀み眞理を知るだけで遠くにゐて病氣が治る事實を見よ。
此の燈臺より眞理の光を受くるものは、
創世記のエデンの楽園追放以後、人類を悩ましたところの『罪』と『病』と『死』との三暗黒を消盡するのである。

光が近付くときすべての暗黒は消える。
『眞理』が近づく時、すべての『迷』が消える。
『迷』が消える時、『迷』の産物は『罪』『病』『死』とは消える。

疑はずに吾が光を受けよ。
われは『完成(ななつ)の燈臺』に燈を點ずるものである。

(昭和六年一月十五日神示)

1922閲覧者:2013/01/15(火) 17:21:26 ID:???
>>1921
新さくら様でしょうか?

とても読みやすく、旧漢字で謹写してくださりありがとうございます。

1923SAKURA:2013/01/15(火) 21:28:47 ID:dGeUHjWM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。

■■ 『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』   ― その① ―

======【生命の実相 37巻】からの抜粋 ====================
ある強化団体のある講師があるところへ講演に出かけて行った。彼はその教化団体で救
われ人生観が一変し、性格が一変し、生活が一変したものであるからそのことを聴衆に
語りたかった。どんなに自分の生活が一変したかということを知らせるには、自分の過去
の生活を述べねばならない。彼は「わたしはこんなに悪い者だったのです」といって女を騙
したことや、酒を飲んだことなどを過去の生活を懺悔のつもりで五十分間も喋り続けた。
そしてこんな浄まった生活になったのはこういう動機であるといって、その転向の明暗を明朗
(はっきり)させるつもりであったのだが、彼が五十分間も自分の過去の罪悪を喋っている
間に、聴衆は『そんな悪い人の話は聴く必要はない』と一人去り二人去りして、彼が本当
によくなったところを話すころには聴衆は四分の一に減ってしまった。

 懺悔でも、悪いことをあまり喋りつづける者は、ついに人の信用を墜すものである。言
葉は力であるからできるだけ善いことを喋らねばならぬ。美人の色の白さを引き立てるた
めの斑点美粧も、それが顔反面イッパイに及ぶようになっては痣としてまちがえられる。
光を引き立たす陰影(かげ)は濃く、ただし少量でなければならむ。  
(谷口雅春著)
========================================
                                 
つづく

1924SAKURA:2013/01/15(火) 21:30:43 ID:dGeUHjWM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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■■ 『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』   ― その② ―
>>1923>>投稿の続きです…。

PS:「トキ様」へ
■そうで〜〜〜ョネ!【他人の過去…】は、その人自身の問題に関してですから、やはり、正直申し
ますと【ア〜〜〜ダ!コ〜〜〜ダ!くどくど論】を言われますと、第三者も“聞く耳…心”も、次第に
失せていきますのが…人間の【心理…】かと。私も「吸血鬼・ゾンビ…」の事を、此処で記しますが、
個人的感情にて、やはり“頻繁に尾行”されてくると…この連中に!!〜〜と思ってしまいますモノ!
でも、やはり、まず!【今の“こころ”を進化…】しなくてはいけませんのです〜〜〜ョネ!

今回、或る本から【御霊様…】になりますと〜〜〜〜〜><現実世界と異なりまして、
■【肉体もない!!洋服すべて、物質は無い!!のです。】よく言われます処の『生長の家…』では、
【物質がないという事は、私たちが今、お互いにコミュニケーションとして相手に伝えます手段としての、
“空中で言葉(ボディ−ランゲッジ含む)”として発します『言葉…』もないのです〜〜〜ョネ!
そうしますと?どの様に、相手に伝える為には??如何になされていますかと言いますと……?

■【テレパシ−】からなのです〜〜〜ョネ!
例えば、現象界で【言葉…】に発する前に、その脳裏に思った【思念…念】と申しますか?
…この事?なのです【その心…】が相手に、瞬時にして伝わるのです〜〜〜ョネ!
■■ 【 ジュリアンの伝言 】でも、見透かされると…この表現を、確か記載されていました。…が?
その通りで【 こころのパイプレーション!!】そのモノなのです。そして、
【 ネガティブな心=感情 】は、絶対に相手に通じないようになっていますから、例えば…
自分の“嘆き”とか?“恨み・中傷の感情(言葉)”…は、まず!!通用しないのですから・・…
【 意 識 は 私 は 神 の 子!と……私は!私は!と〜〜〜】言い続けることに集中でしょうか?

この様に、相手からの“ネガティブ言葉・・・感情”を、いつまでも、いつまでも……ダラダラと聞いても、
【それは、自分自身が、精神をポジティブなる!!明るい方向へと持って行かない限り…
「現実世界=現象世界」以上に…次なる「霊の世界…」では、誰も聞いてくれないのだと思いました。

ますます【今を活かす事…ポジティブ=善】この事が【魂の向上…信仰上】の大切な要素としての
エネルギーでしょうか??実は、この事は〜〜〜〜〜!!
■■今日の朝方【 亡き母から…の伝言 】の様に…私の脳裏に、突然浮かんでしまいまし次第です。

                                           再合掌

1925goro:2013/01/16(水) 00:03:36 ID:nCo1DokU
1902の続き

 殿下と皇室財産

或る時、ある地方に大水害があったので、御手元金のうちから、数百万円を救恤のために御下賜されることになった。その手続として、必要な書類が大臣官房から侍従職に廻ってきたので、私はそれを持って陛下のお室に参り、ご覧に入れた。御覧になるや否や、陛下はすぐに裁可の印をお捺になった。

当時の数百万円は、今の時価でいうと、莫大な金額になるが、そんなことは何とも思っておいでにならない。全て大臣の処置に信頼をおいておいでになる。私は、その書類を頂いてお側をはなれようとして、フト、お机の上を見ると、ちょうど、そのとき、なにか調べものをしておいでになったらしく、小さな仏和辞書がおいてある。それが、もうボロボロになって、いかにもおひきにくそうであったから、「陛下、その仏和辞書を新しいのに、おかえ致しましょうか」とお尋ねしたところ、ご心配そうに、「金はあるだろうか」とおききになる。「ございますとも」と申し上げて、直ちに書店に同じものをを注文したことがあるが、その代価は、たしか二十円たらずであった。

御救恤金といい、仏和辞書といい、購入財源は皆、皇室財産の収入によるものであるが、当時(昭和の初年)、皇室財産は森林だけでも全国に百三十万町歩もあり、その大部分は大河川の水源



地その他、交通不便な山奥等個人経営には不適当な地方ではあったが、それでも、一定の伐採計画に従って、年々市場に供出される木材の収入は、相当多額に上ったため、国内の一部の論者は、皇室財産を目して、国内大財閥の一となして、とかく批判の声をあげるし、省内でも、この問題について会議を開いたこともあったが、私は、皇室財産は国民のための貯蓄であって、いかに多くとも心配ご無用の一点張りで議論をおし通したことを覚えているが、これは、あの「金はあるだろうか」の御一言のうちに含まれている陛下のお心持ちが、深く身にしみていたからこそ、躊躇なく発言し得た私の確信であった。

終戦後、皇室財産の殆んど全部が、政府の所管に移ったが、陛下としては、国民が、金が入り用で自分たちの貯金を引き出した、としか思っておいでにならないだろう。もともとお自身のものとは、考えておいでにならなかったのだから。

1926志恩:2013/01/16(水) 06:34:37 ID:.QY5jUA6
>>1922:閲覧者様

 「>>1921
 新さくら様でしょうか?」と,コメントされてますが、

 さくら様と、SAKURA様は、別人です。

1927さくら:2013/01/16(水) 08:02:34 ID:e8ieIrPA
>>1922
閲覧者様
志恩様

お言葉、ありがとうございます。

新さくらといえば、新年になり、「重い衣」を脱いだような心地がいたします。
(…薄着になったわけではなく心が軽くなった、気持ちです)

ご指導(お手柔らかに…)お願い申し上げます。



1929閲覧者:2013/01/16(水) 17:45:13 ID:???
>>1926
志恩様 ありがとうございます。
久しぶりにきまして、去年いらしたさくら様ではない感じがしましたので新しいさくら様かと思いました。

1930閲覧者:2013/01/16(水) 17:48:05 ID:???
>>1927
さくら様 ありがとうございます。
昨年こちらを閲覧しておるときのさくら様はもっとじゃじゃ馬な感じに思えました(失礼)
すっかり上品になられましたね、別人みたいです(苦笑)

1931NANCY:2013/01/16(水) 19:13:05 ID:dGeUHjWM
管理人「トキ様」へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)【NANCY】です。
■此処に、無関係な“質問…投稿”と、思いますが??投稿させて頂きます。

■■>このスレッドは、生長の家の「今の教え」と「本流復活」の問題に関連して、雅春先生や
御高弟、他の真理の言葉のみを掲載していくという板です。
上記に関連するテ−マなら、広く受け付けます…云々…<  (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

上記の規約が冒頭に記載されています。それが■【 聖 典 引 用 板】のポリシ−かと。
しかし、此処最近は【 お互いに讃嘆する?・自画自賛? 会議場所…】になっていますかと??
>>1926>>1927>>1929>>1930>>を閲覧しますと……

本来はの【 聖 典 板 …】にして頂きたいのですが??
■■これが【生長の家…分派】の方々の【規約に反する事…】をしても“素晴らしいとする行動”
と、世間一般でいえますのでしょうか?? 疑問ですが〜〜〜?

■新し〜〜〜イ!信者の方が、すべての【生長の家…○○会】へ、入信して来ますでしょうか?                                再合掌

1932goro:2013/01/16(水) 23:02:53 ID:nCo1DokU

1925の続き

 荒天下の分列式

大正十五年の暮れ、大正天皇の崩御に伴う諒闇(つつしみ)の昭和二年も静かに過ぎ、人々は左腕の喪章もとりはずして、いよいよ、今上陛下の即位の大礼を迎える昭和三年に入った。この年の秋、京都で行われる即位式の日程も発表される。京都から東京にお帰りになったら、何日には陸軍大観兵式、何日には海軍大観艦式、何日には何と、奉祝の行事は、次から次へときまっていく。行き逢う人ごとに、お目出とうと喜びの声は全国をおおい、津々浦々、人みな勇み浮き立っている。

宮内省も大礼の準備に忙しくなり始めたが、これに引きかえ、この頃から、陛下の側近に奉仕する侍従のわれわれは、何ごとか沈思黙考の陛下のおん憂いのお姿を煩雑に拝するようになった。お口に出しては何も仰せにならないが、それだけに、御心中は深くお察し申し上げなければならない。

摂政御在任五年、御践祚後すでに一年余、無私、ただ国と民との将来の安危を憂える一念で、政治の機微に触れてこられた陛下のお胸のうちに、いま来往するものは、果たして何であろうか。

第一次世界大戦後、巴里の講和会議において、わが国の提唱にかかる人種平等案の否決は、たしかに世界平和のため、由々しき悪因ながら、覆水ふたたび盆には、かえらない。これに端を発し、大正十三年北米合衆国に於ける排日移民法の実施、昭和二年より三年にかけての、中国に於ける日貨排斥運動、及び欧米一部人士の使嗾によるよる排日教育の激化、ジュネーブに於ける日英米海軍軍縮会議の決裂、済南に於ける日支両軍の衝突、更に近くは、満州における張作霖将軍の爆死事件等、国家の前途、西に東に、黒雲むらがり電光ひらめくのを、陛下は、いち早く望見しておられたのではなかろうか。

この国家の難局を打開する一人の政治家もなきか。議会たのむに足らずする軍部の台頭に、国民はまさに歓呼の嵐を送ろうとしている。やんぬる哉、邦家の艱難必ず来ると、もんもんの幾日夜、遂に国民と同艱共苦の御覚悟を固められたのも、この頃ではなかったか、と私は思う。

1933a hope:2013/01/17(木) 07:31:49 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう

◆本を可愛がって読めば力がつく

勉強室は、すきな本をたくさんならべておいて、気がむいたとき、
自然に、自分でよろこんで読むことにする方が、力がつくのであります。

いやいや人から「読め」といわれて、気がすすまぬのに読んだのでは、
心の窓がしまっていて、本に書いてあることが充分頭へはいらぬのであります。

本を可愛がって、その本をひらくことが、楽しい気持ちになって「わたしの可愛い本よ」といって可愛がってから本を読めば、
本に書いてあることが、一層よく心の中にはいって来るのであります。

食物もよくかみしめて消化して吸収(からだにすいこむ)しなければ力になりません。
本を読んでも、よくかみしめて、それをしみじみ味わって読まねば、あまり力にならないのです。

よくかみしめて読む方法は、五、六行よんでから、その本をとじ、
眼をとじて、その意味を心の中で思い浮かべて深く味わって見ることです。

私などは少年の頃、こうしますと、眼(まなこ)をつぶると眼の前に、
その本のページの形が眼に浮かんで来て、その通りのことがおぼえられたものです。

これは一種の記憶法にもなるのであります。
本を読みながら、時々、眼をつぶってそれを考えて、一々首をすこし動かし
「うなずく」ようにすると、よくおぼえられるものです。
(つづく)

1934SAKURA:2013/01/17(木) 13:45:53 ID:RZS.njMc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>1822>>1836>>1837>>1842>>1843>>1852
>>1875>>1876>>1879>>1888>>1889>>1913>>1914>>1923>>1924 投稿の続きです…。

ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。

■■ 『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』   その①

======【生命の実相 37巻】からの抜粋 =====================

善人ということは正しいばかり善人ではない。善悪の標準は生長の家の出現によって変化し
たのである。正しくても暗い人は善人ではない、その人は自分を殺し、他を殺すからである。
正しくとも捉われる人は善人ではない、その人は自分を窮屈にし、他と争い、自分を殺し、
他を殺すからである。正しくとも力の弱い人は善人ではない、彼は自分を殺し、他を助ける
ことができず、同時に他を見殺しにせねばならぬからである。

 どんなに正しい胸せまき人たちが病気になったことであろう。真っ直などということだけ
が善ではない。三角も四角も円も楕円も善である。人時所三相応せるものが善である。生か
すことが真理である。まっすぐばかりが善だと思っているために腹が立てたり、胸が塞がっ
て死んだ人の数は欧州大戦で死んだ人の数よりおおいのである。  (谷口雅春著)

===========================================

PS:「トキ様」
ここで”投稿… “させて頂いておりますと、いつの間にか?という表現が適しますかはさておき、
何が正しいとか?…ゆずりあい?…理解しましょう?の様な柔軟姿勢のものがいつしか無く、
まるで『勝ち組・負け組・対抗論』のように、目に移る時もありますかと。今回も!また…
『新しい板…スレッド』を作成されます…云々…???

そして、「内容…」は、懸案中の規約??と申しますか??
【教えのすばらしさを讃歌・謳歌するオンリ−場所とか??】私は、何か変な〜〜〜ァ感じです。
【この……“ 教え ”の解釈論は、どのように受け止めたら宜しいのでしょうか??】…が?
いつもクレッション・マ−クに思います。私どもの表現から申しますと【生長の家…分派】の   
方々の“提案”らしいのですが?きっと、これも【分派…の皆様方】でのメイン・ボ−ドになります
でしょうかと。そして『舞台設定…に多々作る』ような場合もありますかと?その感じでしょうか?

                           つづく

1935SAKURA:2013/01/17(木) 13:48:58 ID:RZS.njMc
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こんにちは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>1822>>1836>>1837>>1842>>1843>>1852
>>1875>>1876>>1879>>1888>>1889>>1913>>1914>>1923>>1924>>1934 投稿の続きです…。

■■ 『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』   その②

>>1934 その①の投稿の続き…。
■果たして【和解…】この事は、何処までのお考えなのでしょうか??既に【原宿教団…】から、
個人的理由?その退職に於けます理由は多々でしょうが?自分が“一番正しい”と言った考え方
が、潜在意識の根底にありますでしょうから、これも【認めない心…】ですかと。ですから、
今の状態では、良〜〜〜〜〜く!考えましても【無理な関係…】にも反面見えます。…が?

私は私の考え、思考ですが【人それぞれが、同じ“思考”を持つ事は、昔の“軍体調〜♫”の様にも
見え隠れします。…本来は、捉え方の問題ですから、個性があるモノと思います。やはり…
活かす事は、生活面でも活かす事でしょうか???今から“世の中”がもっと混沌とした状態に、
なりそうな感じで ><モット!【 思考豊かな表現 】ができる状態の私に【こころ…豊か】に
今の私は、【全てを活かす事…感謝…】が課題なのでしょうかと。?

「トキ様」…本当にいろんな方がいますから、またいろんな思考もありますでしょうかと。やはり
これは、どうしても【自分での尺度で物事を、測っている面】が多々でしょうと。その様に思い
ます。…?唯!この点が、難しいです〜〜〜ョネ!!このような時は、やはり【神想観…】に
なるようです。【 正 し い 理 念 】…神様からの“メッセ−ジ”かと。

❤〜【 人・時・所・三相応せるものが善である 】そうです〜〜ョネ“
混沌とした、現代社会では、ますますと時代状況によって【方便…】を用いての“説き方”には
変化があって当然ですかと。それでも【正しい理念】が必要でしょう。それには【神からの啓示】!                 

■【神と常に一体…真の神の子ですから…】全ては【祈りに…始まり…祈りに…終わる】という事
でしょうか??
      再合掌

1936NANCY:2013/01/17(木) 19:43:31 ID:dGeUHjWM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635>>1639>>1643>>1766>>1778>>1829>>1877>>1880>>1890>>1918>>1931の投稿の続きです

===【 谷口 雅春 先生 著 】===============================

■ 生 活 を 芸 術 化 せ よ                  (女性の幸福365章 より)

放蕩息子となって、現象の“ 夢 幻 
の 世 界 ” を貧しい思いを起こして彷徨(さまよ)
い歩いてはならない。智慧の灯火をともしてあなたの行く手を照らして
進むがよい。人生は、「人間・神の子」
という実相の聖地にたどり着くため
の巡礼の旅路である。                             *普及誌に掲載

=============================================

■上記の「雅春先生の言葉」は、【普及誌…白鳩No.30】に、記載されています“言葉”です。

今回の【生長の家…お家騒動】に関しまして、この『 放蕩息子…云々… 』と、値しますのでしょうか〜〜と
いう事なのでしょうかと。??
現原宿教団…『谷口雅宣総裁先生…』と、自分自身の“解釈論”つまり“捉え方”が…
各々の【分派の皆様方…】に於きましては、そぐわない?相反するモノと、言う事でしょう。??

私ども“一般信者…末端信者…”にまで【お家騒動…】が明確に解ったのは、此処最近ですかと。

■原宿本部の【生長の家…雅春先生が建立まして長崎に行かれるまでの拠点地】になりますが??
そこから、何らかの個人個人の考え方により、去られまして…『複数の分派…設立』となりました。…が? 

■【創立者…谷口雅春先生】の、生長の家…信者に託されました【使命感??】と申しますか、
【生長の家…門をくぐる】事が、つまり“聖使命会員”とか?“活動・・・”とか?それも必要でしょうが、
根本は【生長の家…信者】とは、本来、この人生に於きまして【魂の向上…つまり!!成長】と言う
事になりますのでしょうか??
【魂 の 日 々 の 向 上!】かと。そうしますと、各々の“心”には、当然ながら、
【人 間 は 真 神 の 子】と言う認識が、自然に潜在意識に入り、そうしますと“行動”も、
それなりの“行動”になりますかと。そうしますと…『お家騒動は???』如何なものでしょうか??

❤…最終的には【 実 相 】この姿が、現われますでしょうかと……。
この『魂 の 向 上 の 旅』へ……私は、今を活かし、日々邁進すべきと、新たなる自覚となりました。

                                                     再合掌

1937goro:2013/01/18(金) 00:15:24 ID:nCo1DokU
>>1932の続き

東京府でも、奉祝行事として数々の催しを企てたが、そのうちで最も大がかりなものは、府下の大学、高等学校、中学校、青年訓練所の男女学生及び在郷軍人等約五万の参加の下に、代々木練兵場に於いて挙行する男子の分列式及び女子の奉祝歌奉唱の行事であった。ところが、これを伝え聞いた隣の千葉、埼玉、山梨、神奈川の四県から約三万の参加申込があり、結局参加総人員は八万となってしまった。こんな多人数になると、雨天順延ということは、どうしても、できない。それは、これらの多数の人員を泊める宿舎が東京にはないからである。また青年訓練所の勤労青年の参加がある以上、毎月一日と十五日との公休日を除いては、他に適当な日がない。更にまた、雨天でも決行するということになると、代々木は泥濘が甚だしいので、二重橋前の広場以外には適当な場所がない。

以上の訳で、東京府としては、両陛下が京都から御帰京後、十二月十五日午後二時より一時間二十分の間、晴雨に拘わらず二重橋前広場で、東京、千葉、埼玉、山梨、神奈川の一府四県の青年男女八万の分列式及び奉祝歌奉唱の式を行い、これに陛下の御親臨を仰ぎたいという案を以って、あらかじめ、宮内省に申し入れがあった。

この申し入れに関し、宮内省でも会議を開いたが、一同は相当難色を示した。殆んど一ヶ月に亙る御即位の各種の行事で、陛下も随分お疲れであろうし、且つ既に寒冷季に入った十二月中旬に、一時間二十分にも及ぶ長時間、野外にお立ちを願うことは、御健康上、いかがであろうか、殊に晴雨に拘わらずということであると尚更である。一木宮内大臣は非常に心配されたが、とにかく、事は陛下ご自身の御行動に関することであるので、席上私に、陛下の御内意を伺うべく指示があった。これは昭和三年の夏の末ごろであったと記憶する。

1938蟋蟀:2013/01/18(金) 01:10:22 ID:???
goro閣下

よーく読んでね。

>このスレッドは、生長の家の「今の教え」と「本流復活」の問題に関連して、雅春先生や
御高弟、他の真理の言葉のみを掲載していくという板です。

1939志恩:2013/01/18(金) 02:19:43 ID:.QY5jUA6
蟋蟀

あなたこそ、goro様の文を、
よーく読んでね。

天皇陛下のことを、書いて下さっているのですよ。

今の教えでは、説かなくなった、されど、雅春先生の時代では説かれていた

天皇陛下の大事なお話を,書かれているというのに、

なにを、あなたは、ねぼけたことを 言ってるの !

おみおつけで 顔 を洗って 出直して おいで !

1940志恩:2013/01/18(金) 02:40:07 ID:.QY5jUA6
蟋蟀(こおろぎ)様

こおろぎ様の敬称が抜けていました。
すみませんでした。

1941ガガ・ミラノ:2013/01/18(金) 03:27:11 ID:acQyNrDM
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1942NANCY:2013/01/18(金) 06:42:25 ID:5Z7kf.HM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
おはようございます…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635>>1639>>1643>>1766>>1778>>1829>>1877>>1880>>1890>>1918>>1931の投稿の続きです

===【 谷口 雅春 先生 著 】===============================

■ 生 活 を 芸 術 化 せ よ                  (女性の幸福365章 より)

放蕩息子となって、現象の“ 夢 幻 
の 世 界 ” を貧しい思いを起こして彷徨(さまよ)
い歩いてはならない。智慧の灯火をともしてあなたの行く手を照らして
進むがよい。人生は、「人間・神の子」
という実相の聖地にたどり着くため
の巡礼の旅路である。                             *普及誌に掲載

=============================================

■上記の「雅春先生の言葉」は、【普及誌…白鳩No.30】に、記載されています“言葉”です。

今回の【生長の家…お家騒動】に関しまして、この『 放蕩息子…云々… 』と、値しますのでしょうか〜〜と
いう事なのでしょうかと。??
現原宿教団…『谷口雅宣総裁先生…』と、自分自身の“解釈論”つまり“捉え方”が…
各々の【分派の皆様方…】に於きましては、そぐわない?相反するモノと、言う事でしょう。??

私ども“一般信者…末端信者…”にまで【お家騒動…】が明確に解ったのは、此処最近ですかと。

■原宿本部の【生長の家…雅春先生が建立まして長崎に行かれるまでの拠点地】になりますが??
そこから、何らかの個人個人の考え方により、去られまして…『複数の分派…設立』となりました。…が? 

■【創立者…谷口雅春先生】の、生長の家…信者に託されました【使命感??】と申しますか、
【生長の家…門をくぐる】事が、つまり“聖使命会員”とか?“活動・・・”とか?それも必要でしょうが、
根本は【生長の家…信者】とは、本来、この人生に於きまして【魂の向上…つまり!!成長】と言う
事になりますのでしょうか??
【魂 の 日 々 の 向 上!】かと。そうしますと、各々の“心”には、当然ながら、
【人 間 は 真 神 の 子】と言う認識が、自然に潜在意識に入り、そうしますと“行動”も、
それなりの“行動”になりますかと。そうしますと…『お家騒動は???』如何なものでしょうか??

❤…最終的には【 実 相 】この姿が、現われますでしょうかと……。
この『魂 の 向 上 の 旅』へ……私は、今を活かし、日々邁進すべきと、新たなる自覚となりました。

                                                     再合掌

1943NANCY:2013/01/18(金) 06:44:34 ID:5Z7kf.HM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
おはようございます……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>1822>>1836>>1837>>1842>>1843>>1852
>>1875>>1876>>1879>>1888>>1889>>1913>>1914>>1923>>1924 投稿の続きです…。

ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。

■■ 『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』   その①

======【生命の実相 37巻】からの抜粋 =====================

善人ということは正しいばかり善人ではない。善悪の標準は生長の家の出現によって変化し
たのである。正しくても暗い人は善人ではない、その人は自分を殺し、他を殺すからである。
正しくとも捉われる人は善人ではない、その人は自分を窮屈にし、他と争い、自分を殺し、
他を殺すからである。正しくとも力の弱い人は善人ではない、彼は自分を殺し、他を助ける
ことができず、同時に他を見殺しにせねばならぬからである。

 どんなに正しい胸せまき人たちが病気になったことであろう。真っ直などということだけ
が善ではない。三角も四角も円も楕円も善である。人時所三相応せるものが善である。生か
すことが真理である。まっすぐばかりが善だと思っているために腹が立てたり、胸が塞がっ
て死んだ人の数は欧州大戦で死んだ人の数よりおおいのである。  (谷口雅春著)

===========================================

PS:「トキ様」
ここで”投稿… “させて頂いておりますと、いつの間にか?という表現が適しますかはさておき、
何が正しいとか?…ゆずりあい?…理解しましょう?の様な柔軟姿勢のものがいつしか無く、
まるで『勝ち組・負け組・対抗論』のように、目に移る時もありますかと。今回も!また…
『新しい板…スレッド』を作成されます…云々…???

そして、「内容…」は、懸案中の規約??と申しますか??
【教えのすばらしさを讃歌・謳歌するオンリ−場所とか??】私は、何か変な〜〜〜ァ感じです。
【この……“ 教え ”の解釈論は、どのように受け止めたら宜しいのでしょうか??】…が?
いつもクレッション・マ−クに思います。私どもの表現から申しますと【生長の家…分派】の   
方々の“提案”らしいのですが?きっと、これも【分派…の皆様方】でのメイン・ボ−ドになります
でしょうかと。そして『舞台設定…に多々作る』ような場合もありますかと?その感じでしょうか?

                           つづく

1944SAKURA:2013/01/18(金) 06:55:25 ID:5Z7kf.HM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
おはようございます……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

上記の■>>1943の“投稿…”は ―――>   【正しくは…【SAKURA…】の投稿です。
    ↓             ↓          ↓ 
   投稿者の名前…【NANCY】 ×  間違いです。申し訳ござしません。

1945SAKURA:2013/01/18(金) 06:56:32 ID:5Z7kf.HM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
おはようございます……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>1822>>1836>>1837>>1842>>1843>>1852
>>1875>>1876>>1879>>1888>>1889>>1913>>1914>>1923>>1924>>1934 投稿の続きです…。

■■ 『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』   その②

>>1934 その①の投稿の続き…。
■果たして【和解…】この事は、何処までのお考えなのでしょうか??既に【原宿教団…】から、
個人的理由?その退職に於けます理由は多々でしょうが?自分が“一番正しい”と言った考え方
が、潜在意識の根底にありますでしょうから、これも【認めない心…】ですかと。ですから、
今の状態では、良〜〜〜〜〜く!考えましても【無理な関係…】にも反面見えます。…が?

私は私の考え、思考ですが【人それぞれが、同じ“思考”を持つ事は、昔の“軍体調〜♫”の様にも
見え隠れします。…本来は、捉え方の問題ですから、個性があるモノと思います。やはり…
活かす事は、生活面でも活かす事でしょうか???今から“世の中”がもっと混沌とした状態に、
なりそうな感じで ><モット!【 思考豊かな表現 】ができる状態の私に【こころ…豊か】に
今の私は、【全てを活かす事…感謝…】が課題なのでしょうかと。?

「トキ様」…本当にいろんな方がいますから、またいろんな思考もありますでしょうかと。やはり
これは、どうしても【自分での尺度で物事を、測っている面】が多々でしょうと。その様に思い
ます。…?唯!この点が、難しいです〜〜〜ョネ!!このような時は、やはり【神想観…】に
なるようです。【 正 し い 理 念 】…神様からの“メッセ−ジ”かと。

❤〜【 人・時・所・三相応せるものが善である 】そうです〜〜ョネ“
混沌とした、現代社会では、ますますと時代状況によって【方便…】を用いての“説き方”には
変化があって当然ですかと。それでも【正しい理念】が必要でしょう。それには【神からの啓示】!                 

■【神と常に一体…真の神の子ですから…】全ては【祈りに…始まり…祈りに…終わる】という事
でしょうか??
                                 再合掌

1946志恩:2013/01/18(金) 07:03:52 ID:.QY5jUA6
SAKURA様

>>私は私の考え、思考ですが【人それぞれが、同じ“思考”を持つ事は、昔の“軍体調〜♫”の様にも
見え隠れします。…本来は、捉え方の問題ですから、個性があるモノと思います<<


昔の軍隊を、小バカにした言い草ですね。
昔の軍隊が、あったればこそ、今のわれわれの安泰があるのと 違いますか?

1947NANCY:2013/01/18(金) 07:16:04 ID:5Z7kf.HM
管理人「トキ様」へ
おはようございます……。     ロ−マ字(大文字)【NANCY】です。
■此処に、無関係な“質問…投稿”と、思いますが??投稿させて頂きます。

■■>このスレッドは、生長の家の「今の教え」と「本流復活」の問題に関連して、雅春先生や
御高弟、他の真理の言葉のみを掲載していくという板です。
上記に関連するテ−マなら、広く受け付けます…云々…<  (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

上記の規約が冒頭に記載されています。それが■【 聖 典 引 用 板】のポリシ−かと。
しかし、此処最近は【 お互いに讃嘆する?・自画自賛? 会議場所…他…】になっていますかと??
昨日も…この事は“投稿…”致しましたが??

本来の【 聖 典 板 …】にして頂きたいのですが??
■■これが【生長の家…分派】の方々の【規約に反する事…】をしても“素晴らしいとする行動”
と、世間一般で、通用しますのでしょうか?? 疑問ですが〜〜〜?
本当に!何度も〜何度も〜このボードの“規約を破る事”が〜【分派の皆様方の方針】なのでしょうか?
【雅春先生の御教え…の魂の向上】を、考えますと…
■新し〜〜〜イ!信者の方が、すべての【生長の家…○○会】へ、この様な行動では、果たして?
入信して来られますでしょうか? 
                                                                      再合掌

PS:
此処は【聖典ボード…】ですので…【投稿者…様】に対する意見・質問は【 他 の 部 室 板 】でと?
「管理人…トキ様」が、以前!確か?おっしゃいっていましたが……??

1950goro:2013/01/18(金) 11:10:58 ID:nCo1DokU
蟋蟀殿

>このスレッドは、生長の家の「今の教え」と「本流復活」の問題に関連して、雅春先生や
御高弟、他の真理の言葉のみを掲載していくという板です。

アナタも確認されているように「他の真理の言葉」を紹介しています。
昭和天皇が御即位されてまもなくの頃、お側に仕えておられた木下元侍従次長の回想録です。
在りし日の昭和天皇の面影を偲び、謹んで転載させて頂いています。
国民のことを「オオミタカラ」とお思いくださり、国民を限りなく慈しんでくださる
天皇陛下をお慕いするヨスガにしていただければ幸いです。

志恩様いつもいつもフォローしてくださり、心から感謝しています。
ありがとう御座います。

1951goro:2013/01/18(金) 11:14:45 ID:nCo1DokU
>>1937の続き

 私は早速、陛下に式の次第を御説明して御内意を伺ったところ、十二月十五日という式の日取りについて、暫く考えておいでになったが、夜の祭りにさえ差支えが起こらぬならば、他はすべて、それでよろしいとの御意見であった。夜の祭りとは例年十二月十五日の夜には、賢所御神楽の儀という祭事が執行されるので、陛下のお寝みになるのは、どうしても、夜半の十二時を過ぎる日なのである。

御同意と同時に、陛下は二つのことを私に御指示になった。一つは、もし雨が降ったならば、青年たちには遠慮なく雨具を着用させること、もう一つは、ご自身のお立ちになる場所には、たとえ、いかように大雨が降っても、天幕は張ってはならぬということであった。これは明らかに、もし雨が降るならば、青年たちだけを雨の中に立たせてはおかない。御自身も共に、というご覚悟であろう。

陛下の御同意を得たので、分列式の準備は東京府庁の手で着々と進められた。私は宮内省側の主務官を命ぜられ、東京府と連絡して式の準備に取り掛かった。計画の一番の難点は十二月十四日の夜半から十五日の朝にかけて、千葉、埼玉、山梨、神奈川の各県から続々と臨時列車で入京する三万余の集団を、いかように手順よく二重橋前の広場付近に集結させ、定刻に分列式及び奉唱式に参加させるかということであったが、これは予め府から陸軍省に交渉し、今村(均)中佐以下数名の将校の努力によって立派に計画実施された。また式のとき、陛下のお立ちになるところとしては、二重橋前の傾斜地の中央に、四尺ばかりの高さの一坪の台を設けることにしたが、
私は陛下の御指示どおり、係りの者に、いかように雨が降っても、天幕を張ってはならぬ旨、予めよく申し渡しておいた。

いよいよ十二月十四日、準備万端でき上がったが、ただ気にかかるのは天気予報だ。明日晴天なりとは一言も言ってくれない。夕刻に私は式場を一巡したが、玉座には私の指示どおり天幕は張ってなく、ただ白布で木部が巻いてあるだけであった。私は我が家に帰って、お天気の心配をしながら床についたが、十五日の夜明けに豪雨の音で目が覚めた。豪雨も豪雨、近年稀な大雨で、しかも西北の強風にあおられて、雨戸も開けられぬような嵐、庭の木も枝も折れんばかりに、ゆさぶられている。驚いた私は、すぐさま宮内省に急いだ。

1952さくら:2013/01/19(土) 07:13:39 ID:e8ieIrPA
平成25年、今年は第62回神宮式年遷宮です。

式年遷宮広報本部公式ウェブサイト

http://www.sengu.info/about.html

 「神宮の祭りの本義は、天皇が御親ら皇祖天照大神(こうそあまてらすおおみかみ)をおまつりされるところにあります。それは、神勅にもとづき第10代崇神(すじん)天皇の御代までは皇居内で、また皇居を離れられた約2000年前からは伊勢の地で、どの時代も皇室の弥栄、国家の安泰、国民の平安、五穀の豊穣を祈るお祭りが変ることなくおこなわれてきました。そのことは、かつては斎内親王(いつきのひめみこ)が天皇に代わって神宮にお仕えになり、現在では、祭主(さいしゅ)が天皇の御手代(みてしろ)としてお仕えになっておられることからも理解できることでしょう。このように神宮のまつりは常に歴代天皇のみ心を体して続けられているのです。
 神宮には年間に千数百ものお祭りがあります。これらの祭りは、恒例祭(こうれいさい)と臨時祭(りんじさい)と遷宮祭(せんぐうさい)とに分けることができます。
 恒例祭とは、毎年定められた月日に行われるお祭りです。その内、神嘗祭(かんなめさい)と6月・12月の月次祭(つきなみさい)は古来、三節祭(さんせつさい)といわれ、とりわけ重要なお祭りです。これに祈年祭(きねんさい)と新嘗祭(にいなめさい)を加えて、五大祭(ごだいさい)と呼ばれます。祈年祭、月次祭(つきなみさい)、神嘗祭(かんなめさい)、新嘗祭には、天皇陛下より幣帛(へいはく)が奉られ、月次祭を除くお祭りには天皇が勅使(ちょくし)を差し遣わされます。
 神嘗祭は、一年で最も大きなお祭りです。祭器具等を新しくし、その年の新穀をまず天照大神にささげ豊穣を感謝するとともに更なるご神徳をいただくというところにこのお祭りの意義があります。
 豊受大神宮(外宮)では毎日、天照大神をはじめ神々に朝夕食事をさし上げるお祭り(日別朝夕大御饌祭・ひごとあさゆうおおみけさい)が鎮座以来欠かすことなく続けられています。
 臨時祭とは、皇室・国家に重大事があったとき、臨時に行われるお祭りです。
 遷宮祭とは、20年に一度お宮を立て替え御装束・御神宝をも新調して、大御神に新宮へお遷りいただくお祭りです。式年遷宮は神宮最大の重儀で大神嘗祭(おおかんなめさい)ともいわれ、社殿や御神宝類をはじめ一切を新しくして、神嘗祭を完全なかたちでとり行うところに本来の趣旨があります。」

1953さくら:2013/01/19(土) 07:14:13 ID:e8ieIrPA

「 遷宮はなぜ二十年

神宮の神殿は東と西に同じ広さの宮地があり、
二十年ごとに同じ形の殿舎をつくる。
そのことによりもっとも古い建築が苔むす姿でなくて、いつも新しいままでどの時代にも存在してきた。
これは自然の生物が、個体の命を維持するために生まれ変わるのと同じ発想である。
このあたりまえのような文化の伝承の方法が、世界のどの国にもみられないのだ。
いま、文化に関心をもつ世界の人々が「伊勢」に注目してくれるのは、この発想とその約束を守りつづけてきた日本の伝統と心にある。

遷宮といえばお宮を移すだけと思われるかもしれないが、そこには稲作を根本とする古代の深遠な思想と信仰がある。
それは伊勢の神宮が新しくなることで、日本の国も生まれ変わり、国の魂が新しく強く若返り、日本の精神がみずみずしさを取り戻し、日本のあるべき姿と民族の自覚を高め、信念と誇りを新たにして、永遠の発展を祈ろうという信仰である。

式年遷宮のめざすところは「常若(とこわか)」という神道の理想であると私は思う。
この言葉は平安時代の遷宮の記録にすでにみられるが、太陽の信仰に基づいていると思う。天照大神に象徴される太陽が、毎朝、東の空に新しく生まれ変わって昇り、お正月にはさらに新鮮な初日の出としてよみがえるのである。

日本の国は常に二十歳のころのように若々しく元気で、「弥栄」をめざしたいという信仰である。
それにはなるべくいつもフレッシュな状態を保つべきであり、その理想をめざして古代は社殿も一年に一度新しくしていたのではなかろうか。

詳しくは拙著『伊勢神宮 知られざる社のうち』に書いたが、毎年遷宮するなんて、そんなことはできないだろうと思われるだろう。
だが榊のヒモロギに御神体の御鏡をかけてお祭りをしたような太古は、神嘗祭に新しい祠をつくり、そこに新米をお供えしたのであろう。
その名残は、いまも「神嘗祭は神官のお正月」といい、できる限りの祭具や調度品もこの大祭の前に新調していることにもみられる。
だが、千三百年前に大きな立派な神殿に発達すると、毎年は遷宮できないから、何年ごとにしようかと天武天皇も考えられたのだろう。

1954さくら:2013/01/19(土) 07:14:46 ID:e8ieIrPA
(つづき)
しかし、なぜ二十年にしたのかは、どこにも記されていない。
すべて後世の人が理由づけしたのだ。

まず木造建築と萱の屋根の耐久年限である。
確かに素木の御殿は、二十年たてば部分的に傷みができ、清々しい美しさは失われ、尊厳な姿を保つには限度がある。
だが建物の朽損だけが理由でない、二十年は時代の大きな区切りである。

人生も二十、四十、六十の還暦と世代の区切りであり、現代でこそ平均寿命が八十歳にもなったが、ついこのあいだまで「人生わずか五十年」であった。
それが千三百年も昔のことだから、その平均寿命はずっと低かったはずである。
つまり技術や信仰を次世代に伝承するにも、精いっぱいの年限だったと思う。

また二十年に一度、正確には十九年七か月だそうだが、正月と立春が重なるという大陸渡来の暦学の知識からという説や、古代天皇の宮殿が御一代ごとに遷都されたこと、また米の力というか貯蓄しておける年限が二十年であるという新説もある。
しかしいずれにしてもそれはまことにふさわしい年限であった。
耐久面からみても二十年を過ぎると傷みは急速に早まり、遷宮後の古材を再利用するにもできなくなる。
わかりやすい例は、五十鈴川にかかる宇治橋の大鳥居は、内側が内宮の、外側は外宮の御正殿の棟持柱を再利用して、さらには参宮街道の鈴鹿峠のふもと、関の追分や、桑名の七里の渡しの鳥居となって合計六十年のつとめを果たし、さらにまた氏神のなにかに利用されたりして、ほとんどの古材は神宮と緑の深い神社に払い下げられて再利用される。
このように式年遷宮の制度はまことに理にかなっており、これを千三百年も守りつづけてきたことに頭が下がる。

松の木はいつも緑をたたえ、不易のシンボルとされるが、緑を維持するために松は密かに古い葉を落とし、私たちの身体も常に細胞を新陳代謝することで、みずみずしさを保っているのと同じシステムを取りいれたのである。」

『伊勢神宮の衣食住』矢野 憲一 著

1955NANCY:2013/01/19(土) 16:41:44 ID:dGeUHjWM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635>>1639>>1643>>1766>>1778>>1829>>1877>>1880>>1890>>1918>>1931>>1942>>
の投稿の続きです

===【 谷口 雅春 先生 著 】=============================

■ 希 望 を 実 現 す る 三 つ の 肥 料     普及誌に掲載

希望を実現するためには、“希望の樹”に肥料をあたえなければならないのである。そ
の肥料には三種類ある。霊的肥料と、精神的肥料と、物質的肥料とである。すべて与え
た程度に報いかえされるのが法則である。 肥料を“希望の樹”に与えないでいて、その
“希望の樹”が大なる成功の実を結ぶと考えてはならないのである。

霊的肥料を与えるには神想観をして、 実相無限の供給を感じて、観の中で、その仕事
を“無限供給の霊”の中に包んでしまうがよい。すると実相 “無限の供給の世界” から
その事業が育てられ、その事業を育てるに必要な人材や資料や要素が自然に集って来る
ことになるのである。次に精神的肥料は愛と智慧とをその仕事及びその仕事の協力者及
び従業員に注ぐことである。 愛がその仕事に注がれず、また仕事をしてくれる人に愛を
注がないでいたら、その事業を育成するために必要な主要な精神的肥料が与えられない 
ことになるのである。
                              希望を叶える365章 より

=============================================

■【人生という舞台…】必ずや「夢…希望」を抱きながら、それを「実現…」させると云う事で
それに必要な多々なる“事物…”に、トライ!でしょうかと。常に【ポジティブ感!!】かと。

本日の「雅春先生の言葉」に【希望の樹…実現】の為の三大肥料…つまりは、
【霊的肥料と、神的肥料と、物質的肥料…】との“言葉…”を、頂きました。最も重要とします
【霊的肥料…】この為には【神想観…】によります処の“イメ−ジトレ−ニング”を、
日々の“行”として行い、“無限供給の霊”から必要とする物・事…集まって来るのですネ!

それは、確かに「納得…」です。以前の事ですが……
「店舗…を持ちたい〜〜〜ワ!」と、おもいました時に、【紙にその青写真】を、
事細かに記載しまして…当時『神想観…』を、揺るぎない気持ちにて、毎日!毎日!【お祈り…】
に、徹しますと…それなりの【店舗…】が見つかり、その時“資金…”が〜〜〜><手元には、
ほとんどなく、それでも【神想観…】つまり【お祈り…】に徹しますと…それなりの物事が、
確かに“スム−ズ”に、不思議なのですが…集まってきます〜〜〜ョネ!

■当に…“必要”に応じ〜〜〜“事”に応じ〜〜〜かと。

此処最近は【魂の向上…】が、停滞気味でしたかと。もう一度…【夢…】にむかって…そう!
『希望の樹…実現』に向かい、まず!【霊 的 肥 料 …神 想 観】にて“無限の供給の世界”
からの【扉…を開く】を、強く!強く!信じましてトライ!トライ!
この事を【実現させるために…行動】かと。
只今【私 の 今 回 の 希 望 の 樹 … 青 写 真 作 成 中…】進行形ですが?

                             再合掌

1956SAKURA:2013/01/19(土) 17:43:40 ID:dGeUHjWM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>1822>>1836>>1837>>1842>>1843>>1852
>>1875>>1876>>1879>>1888>>1889>>1913>>1914>>1923>>1934>>1935 投稿の続きです…。
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。

■■ 『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』   ― その① ―

======【生命の実相 37巻】からの抜粋 =====================
 たえず親から叱られつづけてきた子は、どうも気遅れしがちである。そうでなければ極
端に反抗的に乱暴である。
 
この世の中に悪人はいないということ、もし欠点を指摘してくれる者があったら、その
人は決して悪意からでなく、自分をよくしてくれるために教えてくれるものであるとい
うことを幼い時から子供に知らすことが肝要である。
 子供の(大人も同じであるが)欠点を直すために指摘する際に、腹立ち声を出すことはなん
の益もない。ただ気遅れのする子供をつくるだけである。その性質は生長後も時として「生
涯つきまとい。その人の運命の重荷となることがあるものである。親が子を害していると
知らないで、どんなに多くの子を害していることであろう。
 
心理学者の実験によると、幼児は一定以上の高声または高音響に対して本能的に恐怖
の表情を示すのである。そのことは学童以上の年齢になっても継続する。もし子供をよ
くしてやりたいとの親切から子供の欠点を指摘するような場合には、普通の話以上の高声
を出したり、憤怒の調子を帯びた言葉で話してはならないことである。もし相手に訓示を
与える際に相手に恐怖や不快の念を与えたら、それは反抗となってせっかく話したこと
が反対の結果になることがある。
 
恐怖は閉じる心である。形は心の影である。蛤を見て悟るがよい。高音を出して恐れ
させれば、その蛤は貝殻を閉じるであろう。
 貝殻を閉じる蛤のような気遅れする人間に育てたのは、物を教えるときに使う荒立
った高声である。                (谷口雅春著)

========================================

PS:「トキ様」 ヘ
私も「亡き 父」からよく叱られた方でしょうかと。??確かに“叱る事”はその子の為にとの、
“想い…”からとは理解していますでしょうが?意外と、叱られている間は、その相手の感情
からの“恐怖心”が先走り、何も覚えていないし?聞いていない?のではと、思います。…が?

つづく

1957SAKURA:2013/01/19(土) 17:46:02 ID:dGeUHjWM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>1822>>1836>>1837>>1842>>1843>>1852
>>1875>>1876>>1879>>1888>>1889>>1913>>1914>>1923>>1934>>1935>>1956 投稿の続きです…。

■■ 『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』   ― その② ―

>>1956その①の投稿の続きです…。
■今回の【大阪での高校生の自殺】も、そうでなのしょうかと。
【運動クラブ…】に、そのような“先生…”がいるようです。私の高校時代の頃です。
友人が「テニス・クラブ」に入って“部活活動…”をしていました。或る時の事です。
「テニス・クラブの早朝訓練…」があり、友人は事もあろうに“寝坊”して“遅刻”したのです。
その時、笑い事ではありませんが「テニス・クラブ」の何人かも“遅刻”をしてしまい、その
「テニス・クラブ担当の先生」は、そうなのです!!【テニスのラケット】で“顔…”を叩いて
いったのです。朝の授業時間が、いつものように始まりまして、その友人は、いつもより遅く教室
に入ってきました。その時の“顔…”は、当然の事ですが、はれていますから“ビックリ…”

■授業の担当の先生が、“赤くはれている顔…”を、見るやいなや“ビックリ…”それで、先生は
彼女のそばに来て“声…”をかけて理由を聞きますと、瞬間!泣きだしながら「テニス・クラブでの
たたかれた話」を担任に話をしますと…クラスの全員が、彼女の話の内容が、余りにも“スゴイ〜”
クラス全員が、みんな〜〜〜頭に来て、その授業時間は、とう〜〜とう〜〜担当の先生は、切り替え
まして【道徳の問題…】についての授業になりました。私は?チョッピリですが【どうして〜〜〜?
数学の授業が道徳の授業になるの〜〜〜】と、あの頃は、考え方が自己中心的?でしょうか……
それでも、担任の先生の“お話…”を聞きながら【叱ると言う行動・虐待!】を、考えこんでしま
いました。当時のこの担任の先生は〜〜〜

やはり【虐待・荒い罵倒をした口調の声】は、何の効果もないし、逆に、精神の問題にまで発展する
事になりうると…かなりの立腹にて、とう〜〜とう〜〜これがきっかけで【問題…】は大きくなって
いったのです。この「テニス・クラブの先生」は、過去に“栄光”のある先生で、この先生のお陰で
私の学校は【テニスが強い…】と云うイメージが定着しまして、当然ながら、結構ですが〜〜〜
【大会優勝…】も結構あった様ですかと。…が?正直、この【大会優勝…】などの名声!!これは
生徒にとって何の“益…”があるのでしょうかと??個人的な考えですが、結局!大人の【テニス
クラブの先生の勲章】だけしか、残らないと思った次第なのです。この様に、その人の為に【叱って
いる事】は、自分の“欲得?つまり”名声?“を、優先にしているのではと、あの時思ったものです。

■私は“独身…”です。…が?「里親」になるとしたら、やはり!子供の為になる【教育…】は、
まず【言葉=言霊】から、始まるのでしょうかと。??此処で〜〜〜
【叱 る と 優 し く 教 え る 事 】とは違うのです〜〜〜ョネ!!私の場合は、母が
“頭の回転が早い”ので「亡き父」にしますと、いつも「亡き母」の方が、有利に見えて、「亡き父」
にしますと私を見ますと、一番母に似ていますのでしょうか?【八つ当たり??】だったのでしょう
かと。今にしてみれば、当時の父の気持ちが、理解できる様になりましたでしょうか?本当に、当時
の私は【叱られるという事…】がわからずに、いつも“一人で腹立ち”を、父に対し抱いていました。
…が?今にしてみますと、本当に【真理の把握…】をするだけで、物事が解決するのです〜〜ョネ?

■「トキ様」も属言います【スパルタ教育…】は、どう思われますでしょうか??そして、
“腹が立つ事”がありましたら、その感情を、どのように対処されていますでしょか??
同じように、やはり【神にお任せして神想観…】でしょうか??やはり【お祈りが一番…】かと。

                                  再合掌

1958goro:2013/01/19(土) 19:56:45 ID:nCo1DokU

>>1951の続き

 二重橋の前に行ってみると、なんと玉座には金色燦たる菊花御紋章のかがやいた天幕が一張張ってあり、且つは正面を除く三方も色幕で雨水が入らぬように囲ってあるではないか。何たることをしてくれたかと、腹も立ったが、さすがにこの大雨では係りの者も張らずにはおけなかったのだろう、と思い直して、別に小言もいわず、そのまま侍従職に急いだ。

雨はいよいよ降りしきるばかりで、一向やむ様子もない。十時頃私は一人で、楠公銅像付近を見廻ってみた。ここは女史の団体、七千名の集合地点に当てられていたので、心配のあまり、見に行った訳だった。見ると雨宿りする蔭もないので、新聞紙或いはふろしきを頭にのせて、立ちながら早昼をたべている。傘を持っているものもいるし、持っていないものもいる。持っていない者は多分きのう家を出て汽車で来た人たちであろう。

侍従職に帰って、陛下に、女子の部隊はいま、かくかくの有様で、陛下のおいでをお待ちしております、ということも申上げたが、十一時半頃になって、あまり雨が降るので心配のあまり、一木宮内大臣と関屋宮内次官とが珍田侍従長の室に来られ、私を呼ばれたので、行ってみると、大臣は私に、この大雨でも分列式をやるのか、と尋ねられる。予定通りやります、と私は答えた。大臣は更に「玉座に天幕は張ってあるだろうね」と念をおされたので、私は今朝不本意ながら天幕の張ってあるのを見てきているので、張ってあります、と答えると、大臣は重ねて、「陛下は天幕の中におはいりになるであろうか」と心配そうに尋ねられる。そこで私は、「たぶん、おはいりにならないと思います」とほんとうのことを答えた。すると大臣は、「それは、よろしくない。きょうは、こんな荒天であるから、ぜひ天幕の中におはいりになるように、これからお願いしてくる。がしかし、防水マントのご用意はしてあるか」とまた問われるので、「それは準備してあります」と私は答えた。

御座所で、陛下との大臣の間に、今日は非常な荒天でございますから、どうか天幕の中で御親閲を願いとう存じます、と申し上げられたが、陛下は常になく、大臣の言葉をお聞き入れにならない。そこで大臣は例を軍隊にとって、一軍の司令官というものは、たとえ部下の兵たちが敵の弾雨の下に立つからといって、司令官自身第一線に立つものではございません。司令官には全軍を指揮する大切な任務がありますので、遙か後方で指揮をとります。陛下は長い間大礼の諸行事でお疲れの際でありますから、きょう青年たちが雨に打たれるからといって、ご自身も雨の中に立たれることは間違っております。

1959goro:2013/01/19(土) 19:59:36 ID:nCo1DokU

>>1958の続き

ぜひ天幕の中に、と重ねて進言されたのであるが、陛下は仲々お聞き入れにならず、司令官でも、時と場合によっては、第一線に立つことがある。今日はその積りであるから、天幕はとり除くように、とのお言葉に、さすがの大臣もお返しする言葉がなく、然らば防水マントはお着用になるように、とお願いし、それは着ようとのお言葉を得て、侍従長室へ帰ってこられ、私に玉座の天幕をとりはずすように、と指示された。

午後一時頃、私は天幕をとりはずすため、係りの者をつれて現場に来た。当日、分列式陪観のために招待を受けた向きは、外国大公使を始め、内閣総理大臣以下各大臣、陸海軍元帥以下将星、貴衆両院議長議員その他沢山の人達であったが、もはやその六分通り陪観席を埋めて、雨傘や、カーキ或は黒のマントが入り混じっている。

この人々の面前で、私たちが玉座の天幕を撤去しはじめたのを見て、みな驚いたらしく、式が中止になるのではないか、場所が変更になるのではないか、など心配して、数々の人々が、わざわざ陪観席から私の立っているところまで来て、何故にこの大雨の中で、玉座の天幕をはずすのか、という質問だ。私は、その方々には、一々、陛下の思召によって撤去しているのです。と答えておったら、そのうちに今村中佐の部下の若い将校が陸軍の本部から走ってきて、私に同じ質問をするから私も同じ答えをした。その若い将校は、朝からの活動で、ずぶぬれの有様だったが、非常な感激の様子で、ああ、そうでしたか、と陸軍の本部に馳せ帰ったが、直ちに伝騎数組を派遣して、この時刻に、すでに皇居の周辺に集結している約八万の青年たちに、陛下の思召により玉座の天幕撤去の旨を伝達せしめた。この伝令の声が、青年たちの胸に、いかように響いたかは、いうまでもない。

当日、朝早くから、武装した約四万の青年の集団は、皇居の大手門外から九段下にかけて、あのコンクリートの道路上に立ったまま、大雨に打たれ、寒風にさらされ、式の開始を長い間、待っていたのだ。体は濡れにぬれて冷えきっている。眠気は出る。腹はへる。恐らく不平だらだらののものも沢山いたであろう。そこに今の伝令の声、思召により天幕の撤去、裏を返せば、君たちがぬれるなら、私も濡れようという陛下のお声だ。

感激の嵐、急に熱い火の玉が、からだの中を走り廻り始めたのであろう。皆いちどきに、雨の中で外套を脱いでしまった。脱ぐには脱いだが、これを巻いてまた背嚢につける場所の余裕が無い。分列行進のときに、紅張した顔で、外套を左わきに抱え、右肩に銃を担った異様な姿で、大地もくだけよとばかり、靴音高く、ザック、ザックと感激に満ちた眼光で、陛下を見上げながら、玉座の前を通過していた青年集団の張り切った姿を、私は今でも忘れない。

1960goro:2013/01/20(日) 16:21:34 ID:nCo1DokU
>>1959の続き

 雨は幸い小降りとなったが、身を切るような寒い北西風は相変わらず吹きまくっている。私は二時少し前、陛下の防水マントを持った野口(明)侍従と二人で、玉座のところに先着して、陛下の御到着をお待ちした。正二時、陛下は二重橋正門から自動車で式場に御到着御下車、野口侍従は直ちに陛下のお後からマントをお掛けした。陛下はお手ずからマントのホックをかけながら、二、三歩砂地を踏んで、四段ばかりの階段を玉座にお上りになったが、台上にお立ちになるや否や、どういう訳か、またマントを後ろにお脱ぎ捨てになってしまった。階段の下には、ちょうど奈良(武次)侍従武官長がおられたので、落ちてきたマントをお受けはしたが、ここで重ねて武官長台に登って陛下にマントをお勧めするという訳にはいかなかった。というのは、壇上にお立ちになると同時に、君が代の軍楽、全員捧げ銃、式場は一瞬にして厳粛なる空気に包まれてしまったのである。

それから一時間と二十分、私たちは玉座の後方にいたが、寒さが身にしみて胴ぶるいが止まらない。足をやたらに踏んで、かろうじて堪えていたが、陛下は高い台の上に御起立、さぞ、お寒かったろうに御前を通過する各集団の敬礼に、挙手の礼を賜る外は微動だになさらない。

陛下が皇居にお帰りになってから後で、夕刻、私は陛下に、なぜ、あのときマントをおぬぎすて遊ばされたか、お尋ねしたところ「皆が着ておらぬから」との御言葉であった。もし、雨天ならば、参加者一同には雨具を着用させ、御自身もマントをお召しになるおつもりであったのに、玉座の階段をお上がりになる瞬間、一同が雨具を脱いでいることが、お目にとまり、それならば自分も、と台の上からマントをお脱ぎ捨てになったのであろう。玉座の天幕が撤去されたときけば、青年たちは雨具を脱いでしまう。青年たちが雨具をつけていない姿をごらんになれば、こんどは陛下がマントを捨てておしまいになる。これは皆、寒い雨風の中で、次から次へと起こった出来事であった。何という心あたたかい上下の感応であろう。私が、陛下の、国民と共に同艱共苦の御覚悟を如実に見せていただいたような気がしたのは、この時である。

1961goro:2013/01/20(日) 16:23:45 ID:nCo1DokU
>>1960

鹿児島湾上の聖なる夜景

今は故人となられたが、大審院(今の最高裁判所)判事の三宅正太郎くんが書かれた本に「嘘のゆくえというのがある。この本のうちに「宮城前」という、まことに面白い、日本人と独逸人との「ものの考え方」のちがいを書いた一文がある。これを、かいつまんでいうと、三宅君が昔、独逸に留学中に知りあった一人の老判事が、東洋旅行の途中、日本に立ち寄って三宅君を訪問したことがあった。一日、三宅君は彼を案内して、東京見物にでかけ、まず二重橋前に行ったところ、時は恰も日支事変勃発直後のことであり、多くの在郷軍人が動員令を受けて、自分の所属する連隊に馳せ参ずるに先だち、二重橋前に来て、陰ながら、陛下に、只今から、戦いに行って参ります、とお別れを申し上げている光景が、そこに展開されていた。

応召の目印のたすきを肩にかけた若者たちは、或は親兄弟と共に、ある群れは旗を立て、またある群れは賑やかな楽隊を伴い、いく群れとなく広場は織るが如くに雑踏している。三宅君たち二人は、この、またとない珍しい光景を眺めていると、そのとき、東京駅の方から、田舎の人らしい親子三人連れが、こちらに近づいてくるのが目に止まった。年老いた父親と応召の息子とその妹らしい三人だが、たった今、東京駅について、また、どこかに旅立っていくのであろう、手には旅の荷物を持っている。三人は遠慮がちに二重橋の奥の玉垣のところに近づく。どうするかと見ていると、彼らは、そこに荷物をおいて、いかにも敬虔な態度でお祈りをしている。

これを、先程から、じーっと見ていた独逸の老判事は、二重橋の上方にある伏見櫓(倉庫)を見上げながら、そっと声を呑んで、「皇帝陛下はいま、あのお城の窓から、こちらを見ておいでになるのか」と三宅君の耳にささやいた。察するところ、この人の考えでは、国民のこんな敬虔な態度は、皇帝陛下の見ておいでになる前でなければ、ありえないことだ、と思ったのであろう。この問を受けた瞬間、三宅君の脳裏にひらめいたのは、かの目をいからせ、腕を振って、群衆を前に、叱咤激励、獅子吼する彼の国の独裁者の姿であった。また、かくしなければ、国民の心を捉えることができない国柄と、我が日本の国柄との、いちじるしい違いを深く心に感じながら、三宅君は「否」とのみ答え、感極まって、しばしその場を立ち去りかねた、という物語である。

これを読んだとき、私は、ぜひ三宅君に見せて上げたい、と思うものがあったが、残念ながら、遂にその機会を得ずに終わった。それは他でもない、ただ一幅の絵である。私の眼底に鮮やかに残る、鹿児島湾上の聖なる夜景が、それである。

1962goro:2013/01/21(月) 22:13:19 ID:nCo1DokU
>>1961

昭和6年の秋、熊本地方で陸軍特別大演習があり、陛下は往路は汽車で熊本までおいでになったが、おかえりは、演習終了後、汽車で鹿児島へ、鹿児島からは軍艦榛名で横須賀へ向かわせられたことがあった。当時、私は行幸任務を主管する大臣官房総務課長として、お伴のうちに加わっていた。忘れもせぬ、時は十一月十九日、日没と同時に、榛名は供奉の駆逐艦四隻を随え、県市民の盛大なる奉送裡に、煙副桜島を後に、いま静かに鹿児島湾を南下しつつある。

艦上に立って見上げると、ゴツゴツした小山のような巨艦の檣頭には天皇旗がへんぽんとひるがえり、忙しく立ち働く水兵たちはみな喜色満面。自分たちの艦に、天皇旗を掲げるということは譬えようもない喜びなのである。御召艦と決定してからの、伝染病予防のための長い間の上陸禁止、艦内整頓、清掃のための日夜の猛作業、みなこれ今日の栄えある日を迎えるためだったのではないか、喜ばずにおられようか。

艦内に於ける陛下の御生活は、いつも極めて御愉快であり、ご自由である。陸上に於けるが如き警戒、警衛は一切ない。全艦みなこれ国家の干城、一人の狂者もおらぬからである。作業にいそしむ水兵たちの群がるなかを、お一人で割っておはいりになる、そのおたのしみ、肩と肩とのすれあい、若者たちの熱気のうちに、われ国民と共にありの御気分を満喫されるからであろう。

榛名で、陛下の御居室兼食堂に充てられたのは、後甲板の真下の司令長官室であった。お室の入り口のすぐ近くに長官専用の階段が上へ通じているから、いつでも、ご自由に、後甲板においでになることができる。この後甲板は陛下の最もお好きな場所で、雨が降っても心配がないように、上にはズックのおおいが一面に張ってある。夜は広い甲板の中央のところに、電灯がたった一つつくだけで、うす暗いところではあるが、夜でも、よくここにおでましになる。折りたたみの軽いズックの椅子が数脚、それから、陛下はタバコをおすいにならないが、他の者のために、火縄のついた大きな灰おとしの真鍮の壺が二、三あるだけで、装飾は何もない。ただ、遠望の御用のために、脚付きの望遠鏡が右舷にも左舷にもところ、どころに備え付けてあるのと、海図の机が一つ、この海図には担当の将校が鉛筆で、艦のコースを書き入れている。

これを見ると鹿児島湾の幅は約二十キロ、鹿児島市から湾口までの距離は約八十キロ、艦のコースはちょうど湾の中央線を、まっすぐに湾口さして南下し、それから、太平洋を黒潮の流れに乗って横須賀へ向かうことになっている。見渡せば、左舷、大隅半島の陸地も、右舷・薩摩半島の山々も、共に十余キロの彼方、夕闇のうちに、薄黒く見えるだけである。

1963goro:2013/01/22(火) 20:28:39 ID:nCo1DokU
>>1962の続き

 間もなく、六時の夕食の時刻となったので、われわれは艦内に降りて、士官の食堂で食事にとりかかった。航海中、陛下の御夕食には艦長以下上級将校が、代わるがわるお相伴に召されるのを例としていたが、このときは出港直後のことであり、艦長以下一同、業務多忙のため、陛下は御居室でお一人でお食事中であった。ちょうど六時半頃であったか、私は皆と食事中、フト昔の記憶が頭に浮かんできた。それは大正十四年の夏、まだ皇太子であらせられたときのことであるが、軍艦長門で樺太に御旅行になったことがある。

ある日、樺太の南端にある大泊の港から、西海岸にある本斗、真岡の方へ回航の途中、その夜、長門は海馬島という絶海の孤島の島かげに仮泊する予定になっていたので、夕食後、われわれは、殿下を中心に、後甲板で涼しい汐風に吹かれながら、黒ずんだ小さな海馬島の小高い丘が、だんだん近づいてくるのを、物珍しく眺めていた。当日は風波がかなりあったので、艦は丘の風下にあたる静かなところに泊めるために、速力を落とし、徐行して、ぐるっと島を廻っている、その時、突然、夜やみの波の間、艦のすぐ近くに、何やら、泣くような、叫ぶような大声がきこえてきた。

舷窓をもれる明かりに照らしだされたところを見ると、日の丸の旗を舳先に立てた一そうの小舟が、荒波にもまれながら、艦と並行して、六人の若者が一生懸命に櫓をこいでいる。左手に、しかと、とも櫓を握って指揮をしているのは、一見、六七十の老父のようであったが、紋付、羽織、袴に、右手に山高帽を高々と差し上げながら、なにか叫んでいる。風が強いため、その言葉はききとれなかったが、嬉し泣きに泣いていることだけは、よくわかる。

私は、一ヶ月前、下検分でこの島にも立ちよったので、島の事情は知っていた。昔から、この島には、百人あまりの日本の漁民がいて、ここを根拠地として漁業を営んでいるのである。きょうの夜、殿下の御召艦が、ここに仮泊することは、みな、知っていたので、恐らく島の人たちは総出で、船をだして、沖で殿下をお迎えする積りでいたのだろうが、日が暮れて、波荒れ狂う夜闇の海上で、そのうちの一艘が、やっと長門の艦影を発見し、少しでもお側に近づこうとして、えいえいと漕いでいたのである。

われわれは、後甲板の上から、帽子やハンカチを振って挨拶をかわしたが、艦がいくら徐行しているとはいえ、二つの船の速力には格段のちがいがあるので一瞬の間に別れてしまった。私は、もしほんとに、手がとどくなら、抱き合って、一緒に喜びたい、と思ったが、まことに残念なことであった。

1964goro:2013/01/23(水) 10:35:33 ID:nCo1DokU
>>1963の続き

 このことを、私は食事中に思い出し、ここも波の静かな鹿児島湾内のことであるから、いつ、どこから、船が来ないとも限らない。今は陛下もお食事中であろうし、我々も皆食堂にいる。後甲板には、いま、誰もおらぬだろう。もし船でも来たら、相すまぬことになる、と考え、皆より早く食事をおえ、大急ぎで後甲板に駆け上がった。艦内は非常によく照明されていて明るいが、後甲板の上は、まことに暗く、電灯の下ならともかく、少しはなれたら、人の顔も、よく見分けのつかぬ有様であった。

ところが、誰もおらぬとばかり思って飛びだした私の目にうつったのが、右舷の手すりのところに、西を向いて立っている、ひとりの人の後ろ姿であった。望遠鏡から手をはなし、挙手敬礼の後ろ姿。

ハテ、今ごろ、誰が、と思って、近づいてみると、こは、いかに、陛下ではないか。さては、奉迎船が下にきているな、と私はすぐ右舷に馳せよって下を見たが、船らしいものは見えない。ハテ、なにか望遠鏡でごらんになったのかな、と思って私も近くの望遠鏡に目をあててみたが、明るいところから、急に暗いところにくると、目が慣れていないので、なかなか見えない。ジーッとがまんして、のぞいていると、そのうちに、だんだんと目がなれてきて、薩摩半島の山々の輪郭が、ぼんやりながら見えてきた。

時刻から推測して、指宿の沖合あたりかな、と思った。そのうちに、こんどは、海の色と陸の色との区別が付くようになり、水陸の境目つまり海岸線一帯に、延々果てしなくつづく赤い紐のようなものが見える。ハテ、これは何だろうか、と考えていたら、次に見えてきたのは、この赤い紐の上、小高いところに、幾百メートルかの間隔をおいて点々ともえさかる篝火。これで私は万事を了解した。

当夜は月もなく、星も稀な、曇りがちの空模様で陸からは軍艦の姿は見えないが、時刻から考えて、今ごろは陛下のお船が沖を通過になるときだ。と語り合い、薩摩半島の村々に住む人々、老いも若きも、ちょうちんやたいまつを持って海岸に立ちならび、また若者たちは山々に登って篝火をたき、半島に住む村びと、こぞって陛下をお見送りしているのである。

陛下は、いま、望遠鏡で、これを発見遊ばされ、うす暗い甲板の上から、ただ、おひとりで沿岸一帯の奉送の灯火に対し、はるかに、御挨拶をなさっておいでになったのである。

1965うのはな:2013/01/23(水) 21:28:39 ID:Gsql6f66
    国旗「日の丸」 阿久根 貢

      形あるものは心の具象化

 すべて形あるものは心の影である。換言すれば内部生命の動きはそれが具象化して
形にあらわれるということであります。それによって、何故日本皇室の御紋章が十六菊であるかと
言いますと、「菊」というものは「聴く」ということを象徴的にあらわしたのであります。

 ヨハネ伝にありますように、全てのものはことばによって作られているのであります。
「治める」というのは「収める」と語源が同じで、自分の方へ取り込んでしまうものでありますが、
そのような収め方は日本天皇の治め方ではないのであります。

 日本天皇の治められるのを「しろしめす」というのは、「知る」という語の敬語であります。
即ち十六方の民のコトバを聴いて、それを知り給うことが「しろしめす」ということであります。
 蓮華蔵世界である実相のハチスの中心から現象界が開き出でて、いろいろの民族や国民が現われて来ている。
その民族や国民の声を聞き給うて、十六方向にある所の世界のすべての民の言葉をその心の思いを
悉く聞いてそれを知らしめして、その民の声をそのままに政治を行われるというのが、天皇が国を治めしめし給う
所の治め方であります。

 だから日本天皇の政治のあり方を「しろしめす」というのであります。

『愛国心の教育』 生長の家教育者研修会

1966SAKURA:2013/01/23(水) 22:08:52 ID:ropSe4RI
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
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ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。

■■ 『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』   その①
===【生命の実相…2巻 抜粋】==============================

■【五感的存在の否定】    その①

>>皆さん御承知のアイシュタイン博士でありますが、この科学界の大天才が「相対性原理」
という法則を発見した。この学説はなかなかむずかしいもので世界中で数人の天才しか本当
に理解しえないであろうと、アイシュタイン博士自身が言っているほどの学説・・・・
・・その学説の中心となるのは、われわれの五官で知ることの出来るものは、われわれの
知覚力との関係上、相対的にそう見えるにすぎないので、存在の本当の相(すがた)がわか
るのではないかということであります。
>>その一、二の例をここに解りやすく…云々…

>>たとえばある薬を服ませれば、その人には手に持った時計が床の上まで落ちるのに二十四
時間もかかって落ちるように感じられる。それかといってそう感じる人の方がまちがっている
という証拠がはない。
>>ふつうの人がはいろいろの食物や栄養をとって、それが吸収されて知覚機関に循環してい
る結果、手に持った床の上に落ちるまで瞬時しかかからないように感じられるのであります
>>・・・すべてこれは関係上の問題すなわち相対的の問題であって、本当にその時間がどれ
ほど長くかかっているものであるかは、五官では解らないのであります。(一部抜粋)
==============================================

■人によって【時間の観念…】は、本当に違うのです〜〜〜ョネ!
例えば、この時期ですと、ついつい“学生時代”を思い出します。受験の時間は、その内容に、
ある時は「難問の難しい問題〜〜><」が、出ますと、それを理解するまでは、時は、一瞬止まっ
たような感じでしょうか??そして、解答を出すのに“イライラ…焦り”かと。逆に、その問題
が、簡単に解決しますと、その時間は“時間もクリアする…”従いまして、残りの時間も“タップリ”
別の表現ですが、例えば、仕事として“販売の時…”は、売れています際、お客様との回転率が、
多く、本当に“時間の経過”も、“ア〜〜〜ッ!”という間に過ぎていきます。…が?逆に、
お客様との接客が少ない…つまり回転率が殆ど無い場合には、実に悲惨な状況ですかと。(微笑)
実に、ものすごく一日が?時間が?長〜〜〜く!感じられます。このような心理が、全ては……
【人間の心…】から、きているのではと思うのです。
狭量の“考え方”は、またそれも、ある面では【時間経過が無駄!】に過ぎていくのでは?
【時間は常に、刻々と平等に過ぎ去るモノ】では?しかしながら、【心の捉え方…】で、
一日に於けます「時間観念…」が変わり、過ぎ去り、終わっていくのです〜〜〜ョネ!!

                         つづく

1967神の子さん:2013/01/23(水) 23:59:28 ID:pic01rm6

無料ですよ。

1968a hope:2013/01/24(木) 08:38:55 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう

◆本の良い処を考えて吸いとれ

ただ読みっぱなしでは、それの中にある知識は本を書いた人のものにすぎません。
それをよく心でかみくだいて自分のものとした時にのみ、それがはたらく智慧になるのであります。

むやみに、たくさん読んだからとて力にならないのは、むやみにたくさんたべたからとて、
人間の肉にならないのと同じであります。
考えながら、うなずきながら、心の中へ飲みこむようにしながら読むことが大切であります。

本に読まれてはならないのです。
本は読まねばなりません。

読む分量ばかり多くて、読んだことについて深く自分で考えてみない者は、
本に読まれたのであって、本を読んだのではないのであります。

「ことごとく書を信ずれば書なきにしかず」という諺(ことわざ)もあります。
書に読まれてしまっては、自分の力はつきません。

自分で本の善いところを吸いとるだけの力がなくてはなりません。
(つづく)

1969goro:2013/01/24(木) 20:06:11 ID:nCo1DokU
 >>1964の続き

 この光景を、思いがけなくも、私が拝した次第であった。ああ、これこそ、ほんとうの日本の姿、と私は思った。何とか連絡をとって、いま、陛下は艦上から、あなたがたのお見送りのともしびに対して、ご挨拶をしておいでになりますよ、と知らせたい気持ちで胸一杯の私は、その方法がないのに、もだえ苦しんだ。。無線で打電しようかとも思ったが、いま、あの山の上で、かがり火をたいている人たちの耳に、到底、今夜のうちに届くとは思われない。

フト、そのとき、一案を思いついた私は、すぐさま艦長室へ走った。艦長に事情を話して、艦の探照灯を全部つけて貰うことを頼んだところ、艦長も感激して、すぐつけましょう、という。私はお願いしますの一語を残して、また、すぐ後甲板に引き返したところ、そのときは、もう六ケの探照灯の光芒が皎々と、左は大隅半島、右は薩摩半島の空や山や海岸一帯を、くまなく撫でまわしていた。
はるかに、ワッ、とあがる両岸の歓声を想像しながら、私はほんとに嬉しかった。

海上、聖夜の讃

 月もなく星も稀な夜空の元、黙々と鹿児島湾を南下する軍艦榛名の薄暗き後甲板は、人なく声なく、ただ一人、陛下のおん挙手の尊影を仰ぐ。
御会釈を賜る者は、そも誰か。肉眼にこれを求めて之を得ず、わずかに望遠鏡のレンズのうちに、薩摩半島沿岸一帯、はるかに見ゆる奉送のともし火、盛んなるかな、山々には、かがり火、岸辺には、ちょうちんの群れ、延々として果てしなくつづく。

さらば陛下、いざさらば、
  おんすこやかにおかえりませ。

ありがとう、
 皆も元気でね。

げに闇をも貫くは、真心の通い路。海波遠くへだてて、君民無言の、わかれのかたらい。
ああ、誰か、邦家万古の伝統を想わざる。時はこれ、昭和六年十一月十九日。

1970さくら:2013/01/25(金) 07:48:05 ID:e8ieIrPA
合掌ありがとうございます。

本日、一月二十五日は、『自然流通の神示』が天降った日です。



1971さくら:2013/01/25(金) 07:48:41 ID:e8ieIrPA


『自然流通の神示』 谷口雅春先生

『生長の家』は奇蹟を見せるところではない。
『生長の家』は奇蹟を無くするところである。
人間が健康になるのが何が奇蹟であるか。
人間は本來健康なのであるから、健康になるのは自然であつて奇蹟ではない。

『生長の家』はすべての者に眞理を悟らしめ、異常現象を無くし、當り前の人間に人類を歸らしめ、
當り前のままで其の儘で喜べる人間にならしめる處である。
あらゆる人間の不幸は、當り前で喜べない爲に起るものであることを知れ。

當り前で喜べるやうになつたとき、その人の一切の不幸は拭ひとられる。
病氣もなければ、貧乏もない、また搾取された富もなければ、搾取した富もない。
蹂躙られた弱者もなければ蹂躙つた強者もない。
唯、一切が渾然として一切の者が富んでゐる。
此れが實相である。

大いなる生命の流れが一切者に貫流し、とどまらず、堰くところなく、豊かに流れて、ものの供給もおのづから無限である。
一切のものが必要に應じて流れ入ること、一つの大河の流れより水を汲みとれば、隣の水來りて其の虚を埋めるのと同じさまである。

流通無限、貧に執せざるが故に貧とならず、
富に執せざるが故に他を搾取せず、
流通せざる固定の富なきが故に、みづから豊富なる供給の流れを受くれどもそれを占據せず、執着せず、來るに從つて拒まず、受けて更に價値を増して他を潤す。

自給自足などとは自他に捉われた狭い考へである。
自他は一つである。
『生長の家』は自給他足、他給自足、循環してとどまらず、大實在の無限流通の有様を見て、その有様の如く現實世界を生きるのが現實界の『生長の家』である。
貧に執する聖者も、富に執する富者も、『生長の家』人ではない。
當り前の人間を自覺し、當り前に生きるのが『生長の家』の人である。
『當り前の人間』が神の子である。
皆此の眞理を悟つた人が少い。
『當り前の人間』のほかに『神の子』があるやうに思つて異常なものを憧れるのは、
太陽に背を向けて光を求めて走るに等しい。

皆の者よ、人間の生命の實相を悟つて病が治るのは、病念と云ふ異常現象が止んで、人間が本來の自然に歸るからである。
異常現象はすべて病氣の一種である。
貧しさも異常現象であるから、人間の心が自然に還ればなほるのである。

異常現象のなかに神があると思ふな。
そこには好奇を喜ぶ不自然な心があるばかりである。
怒り、憎しみ、恐れ、嫉み、他を蹂躙つて打ち勝ちたい心ーーーすべて是等は異常な心であるから病氣の因である。
異常な心を去れば病氣も貧しさも治る。
當り前の人間になることが大切である。
當り前の人間のほかに神の子はない。

(昭和八年一月二十五日神示)

1972SAKURA:2013/01/25(金) 10:23:08 ID:vHmGGzRQ
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
おはようございます……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653>>1654>>1661>>1674>>1675>>1744>>1753>>1765>>1779>>1780>>1783>>1792>>1792
>>1793>>1796>>1801>>1804>>1812>>1813>>1821>>1822>>1836>>1837>>1842>>1843>>1852
>>1875>>1876>>1879>>1888>>1889>>1913>>1914>>1923>>1924>>1934>>1935>>1956>>1957
>>1966>>投稿の続きです…。

ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。

■■ 『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』   
===【生命の実相…2巻 抜粋】============================

■【五感的存在の否定】   その②
>>われわれの眼にカーブが曲って見えたり、直線がまっすぐに見えたりするのも、われ
われの眼球がまん円い結果であって、眼球をまん円く」ないもの取りかえるとすると、カ
ーブの方がまっすぐに見えたり、直線の方が曲って見えたりするのであります。するとわ
れわれが曲線だ、といっているのも、その線そのものがまっすぐなのであるか、曲って
いるためであるかは五官では判別できない、ただそれはわれわれの眼の球との関係上、そ
う見えるにすぎないのであります。時間的長さも空間的形態も、このようにわれわれの知
覚機関との関係上、相対的にただそう感じられるだけで存在(もの)の実相(ほんとのすがた)
はわれわれの五官ではしることができないのであります。  (一部抜粋)
=============================================

■■ですので【現象での物事】は、それぞれの見た事だけを、認めない見方です〜〜〜ョネ!
人によって、その人の“心の捉え方”で、【人生が短くも!長くも!ある事となり、現象での五官
とは、五感で見る事になりますよ〜〜〜ネ!!
そうして考えますと、やはり【時間の使い方…】は“楽しい心”を伸ばすことは、
【心=実相世界に入る事】でしょうか??やはり無理して“環境”の合わない人とは、避けていき、
どうしても避けられな状況の場合は【心の眼で実相…】を見て【祈る…】だけでいいと思います。
何故なら、今の私は、彼らの「世界観が理解できないし、そして、それは私に取り、理解出来無い
世界ですから」と思います。■【 時 間 の 観 念 は 心 で 決 ま る 】のでしょう。

===【生命の実相…2巻抜粋】==============================

>>先生は、さらに五官を通じて存在(もの)を見る心は{迷わしの心}であって、存在(もの)
の実相(すがた)を観る心ではないことが分かるのであります。
≫≫五官の感覚で見たりしたところのものを存在(もの)の実相(ほんとのすがた)だと
思ってはならない。   (一部抜粋)
===========================================

■■この様に「雅春先生…」は、私どもに指導しておられますので
【心の眼で見る事は、やはり“神想観”でしょうかと??神に“心…”を振り向ける事!!】が、
これが、一番の“かなめ”かと改めて思う次第です。…が?
                               つづく

1973goro:2013/01/25(金) 13:23:04 ID:nCo1DokU
>>1969

天皇とその御責任

戦後、私が皇后宮大夫兼侍従次長として、再び両陛下のお側にお仕えするようになったのは、昭和二十年の十月のことであった。思えば、昭和五年侍従兼皇后宮事務官の職を離れてから十数年ぶりで、その間、私は、宮内大臣官房秘書課長、総務課長、内匠頭、帝室会計審査局長官と、いろいろな仕事に従事したが、久しぶりで侍従職に帰ってみると、往事とは事情が一変しているのに気がついた。長年の間、君側にあって、常時、輔弼の重責を担ってきた内大臣府が戦後、すでに廃止されて、その仕事は侍従職に移管されている。

連合軍の国内進駐、時が時だけに、皇室の将来を憂える論客、隠士、或はまた、一情報を入手するために万金一擲を辞せぬ有志があるかと思えば、また一方には、占領軍との特殊な関係を笠に得意満面の俄か官僚等々、大波小波寄せ来る中に、侍従職は立った次第であった。当時は、いつ何どき、何が起こるか、油断のならぬ時節であったので、私はベッドを侍従職の自室に持ち込んで夜を過ごすことが多くなり、したがって夜毎に、陛下のお室で、ゆっくり、いろいろなお話しを承る機会を持つようになった。

当時、天皇の戦争責任に関する占領軍当局の調査は、かなり手厳しいものがあったらしい。これに対する日本政府の釈明としては、日本は立憲君主国であるから、政治上の最高責任者と軍事上の最高責任者とが一致して開戦を上奏してきた場合には、天皇はこれを裁可せざるを得ない。この場合、もし天皇が独自の判断を以て、これを拒否したとするならば、それは専制君主的の行動であって、立憲君主としては、到底なし得ざるところである。ということであったように聞き及んでいるが、陛下から、ゆっくりいろいろと、お話しを承っているうちに、私が私なりに考えたことは、次のようなことであった。

前掲の日本政府の釈明もさることながら、陛下のお心のうちには、もし自分が開戦を絶対に許さなかったならば、軍部の隠忍自重も遂いにその限界に達するであろうし、もし一歩でも、その限界を踏み越えたとなれば、跡は感情の激発するところ、かえって凶暴なる戦が開始され、その結果、長く世界歴史の上に、日本人の汚名を残すようなことになるのではなかろうか、という、まことに悲痛な御心配と御覚悟があったのではなかろうか。

1974a hope:2013/01/26(土) 10:25:46 ID:TqpbsVIM

新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう

◆本を読むにもコツがあります(p125〜)

魚をとるには魚をとる方法があります。
小さな魚を、目のあらい網でとろうと思っても、とれるものではありません。
それと同じように本を読むには、本を読む方法があります。
読みかたが大切なのであります。

いたずらに本をたくさん読んだからといって、えらいわけではありません。
世の中にでて、立派な人になれるか、なれないかということも、その大部分は、
どのようにその人が本を読んで、自分を養ったかによって、きまるのであります。

網やザルで水をすくうようにしたからとて、何一つ自分のものになるわけではありません。
トンネルの中を走る汽車のように、盲(めくら)めっぽう早く本の中を走り抜けたからとて、
何一つ心の中に残らないようでは、なんにもならないでしょう。

汽車に乗っても落着いて、四方の景色をよくながめ、どこの駅は何県の何町にあり、
なんの産地であるか、昔、歴史では織田信長がどうしたところであるかとか、
よく考えながら景色を見ていますと、汽車の走り旅でも、修学旅行ほどの知識が得られますのに、
ただ呆然(ぼんやり)と外を見ながら、汽車で走っているだけでは、何も得ることは出来ないのです。

これと同じような調子で、心が「うわの空」になって本を読んでいるのでは、
それは人間の生命(いのち)と時間との無駄使いをやっているにすぎないのであります。
本を読んでも、その著者(ほんをかいたひと)は誰か、中味には何が書いてあったか、
何を教える為にその本は書かれていたか―――こんなことさえ気がつかないで本を読んだ気持ちになっている人も随分ありますが、
それは実におろかな本の読みかたです。
(つづく)

1975goro:2013/01/26(土) 17:44:29 ID:nCo1DokU
>>1973の続き

かく思うとき、私は明治十年薩摩における西郷隆盛挙兵の心情がよく判るような気がした。忠誠なる彼が、陛下に敵対するような考えのないことは明瞭であり、且つ日本陸軍育ての親の一人として、鹿児島一地方の兵力が全日本陸軍の兵力に対し、到底対抗のできないことは百も承知で上でありながら、敢えて薩摩隼人の強請に応じて立ち上がったのは、我が愛する若殿原に見苦しい狂い死にはさせたくない。この際、自分が統制をとって、われもろとも立派に玉砕しよう、という自分の名誉も命も捨てた最後の処置であったのではなかろうか。

開戦当時、私はお側にお仕えしていなかったが、ほんとに偶然なことで、ちょうど日米戦端の開かれた昭和十六年十二月八日の朝、三十分ばかり、陛下にお目にかかることになった。当時、私は帝室会計審査局長官の職にあったが、長官の仕事は、宮内大臣の指揮監督外に立って、宮内省会計の全般に亙って、これを審査した上、独自の判断を以て、その適否を直接、陛下に上奏する責任を持っていた。この拝謁上奏の時期は毎年十二月が常例であったので、私は十一月の中旬、侍従職を経て、陛下に十二月何日の何時に拝謁上奏いたすべきや御都合をお伺いしたところ、十二月八日午前十時との御指定があった。

八日朝早く、私は我が家の庭の梅の木の下に立った、というのは、上奏のとき図表を御説明する指し棒として、我家の庭の梅の若枝一本を持参するのを毎年の例としていたからである。適当な枝を、と選んでいると、そのとき、ラジオが俄然威勢のいい軍艦マーチを放送しはじめ、続いて日米海軍衝突、真珠湾奇襲攻撃成功の重大ニュースが発表され、日頃静かな私たちの街も俄に騒然としてきた。さては、いよいよ日米衝突か、今日の上奏は当然お取止めになるだろうと思ったが、侍従職から何ら取りやめの電話がないので、私は予定時刻に侍従職に出頭した。

私の到着を聞いて、百武侍従武官長が出てこられ、只今、御前で重大な会議が開かれているから、暫く待たれるように、とのことであった。三十分ばかりたって拝謁したが、陛下は、いかにもお寝不足の御様子である。会計審査報告などは、何も今日に限ったことではない、いつでもよろしいのに、陛下は、一旦お決めになったことは、なかなかご変更にならない。

1976goro:2013/01/26(土) 17:48:00 ID:nCo1DokU
>>1975の続き

私は、陛下のお疲れを思い、いつもなら一時間くらいかかる上奏を、三十分ばかりに短縮して御前を退出することにしたが、数年間お側におった関係から、、つい、いよいよ戦が始まりまして、と申し上げたところ、極めて沈痛な御様子で、真珠湾の緒戦には幸い成功したが・・・ねと仰せになっただけでなっただけでお言葉がない。極めて御心配の御様子だ。私は御心のうちを拝察して何ともいわれぬ気持ちになった。

今日からは敵味方、何万という若者たちが失われていくのか、ということが、勝敗を度外視して、お心にかかっていたのであろう。一歩、皇居の外に出ると、奇襲攻撃成功、万歳々々の歓声のうず。ああ、誰か皇居の奥深く、戦争の悲劇に、心から憂いのおん目を向けさせられて陛下のお心のうちを拝察したものがあったであろうか。

昭和二十年八月十五日、終戦の時にも、私は会計審査局にいたから、当時の陛下の御様子を語る資格はないが、当時お詠みになったお歌を後で拝見させていただいたので、四首ここに載せさせていただく。

  爆撃に倒れ行く民の上をおもひ
    いくさとめけり身はいかならむとも

  身はいかになるともいくさとどめけり
    ただたふれゆく民をおもいて

  国がらをただ守らんといばら道
    すすみゆくともいくさとめけり

外国と離れ小島にのこる民の
    うへやすかれとただいのるなり 

鳥にたとえては、甚だ恐縮であるが、猛鳥の襲撃に対し、雛まもる親鳥の決死の姿を、涙して想うだけである。

1977SAKURA:2013/01/26(土) 17:59:49 ID:ace8L14.
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こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>1966>>1972>> 投稿の続きです…。

ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。

■■ 『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』   
===【生命の実相…2巻 抜粋】============================

■【実相の世界における神人としてのわれの存在】   その②
>>善財童子が金剛蔵道場の普賢菩薩を見たときの心はどうであったかと申しますと
『華厳経』入法界品第三十四ノ十七によりますと、「正念して……虚空界に等しき心、
一切無着の心、一切刹を清めて障礙なき心、一切法の境涯において障礙なき心、一切十方
に充満する」等々の心を起こしたとあります。この正念して虚空界に等しき等々の心を
起こすことが神想観であります。

>>音声無辺であるというのは、われわれの実相は天地に満つるコトバであるからであります。
これが金剛蔵道場すなわち実相世界における「われ」の実相の世界に入る自分の座っている
のはこれ実相の世界であって、神の無限の知恵、無限の愛、無限の生命、無限の供給に満た
されている大調和の世界である。この大調和の実相の世界にいてわれ神の子として神より無限
の生かす力の供給を受けつつあるのである」と念じて精神統一にいるのは、自己が衆生の一人
であると同時に普賢菩薩と同じように身量無辺、音声無辺、色蔵無辺である自己の実相を悟ら
んがための行法でありまして、これこそ真正の観普賢菩薩行法なのであります。(一部抜粋)
============================================

■■私達は、「普賢菩薩様…」のように【日々の祈り】の自覚が、そして、日々のこの行事で
あります【神想観=瞑想】で〜〜〜【神との一体】になれる素晴らしさは、計り知れないモノ
でありまして、それは【心の青空…あの澄み切った世界観】がみえてきますのでしょうかと。

時折ですが?仕事の関係上【先祖供養…】だけですませる事がありましたが、最近は、
【神想観…】を中心に致しますと、やはり【発想の転換…】ができまして、良い事と云いますか?
物事が、スムーズになる事が、生じます。…が?そして、如何しても【現象で物事捉える】この
ような傾向がちですが、今の私は「活かされている〜〜〜実感」がフツフツ湧きあがり、この
素晴らしい【精神統一…神想観】に感謝です。もっと、深く【祈り…】に徹していき〜〜〜
私も【普賢菩薩の仲間入り】になれるようです〜〜〜ネ!!

■毎日「金剛蔵道場すなわち実相世界における「われ」の実相の世界に入る自分の座っている」
私は、“実に〜幸せかな〜〜♫〜〜”と、あらためて「雅春先生」に感謝です。そして、
現在の「総裁先生」に感謝です。では、今から、そうですとも!
【人間…神の子ですもの!!】と認識しながら“金剛蔵道場”の中へ入っていきましょう!!

                                  つづく

1978goro:2013/01/27(日) 01:20:28 ID:nCo1DokU
>>1976の続き

終戦後の御心境については、語るべき多くの事柄がある。前述のように、私が再び陛下のお側にお仕えするようになったのは、終戦の日から二ヶ月ばかり後であった。当時、国内の状況はいかがであったか。国民は衣食住すべて窮乏の極に達している。私は陛下の御心中を拝察して、まことに断腸の思いに耐えなかった。

敗戦による国内秩序の混乱、また戦時中の統制が解除されたのを機とし、言論の自由は特に目にあまるものがあった。特に天皇の御責任を追求する論説には、なかなか鋭いものがある。陛下は新聞をよくお読みになるから、これらの論説の横行は、よく御存知であるが、どういう訳か、天皇の戦争責任に関する論議にだけは、一言もおふれにならないで、避けよう避けようとなさる。何かのはずみで、話題が天皇の責任論に近ずく様子が見えると、すぐに話題を変えておしまいになる。

私の胸には、昭和の初めの頃の話であるが、陛下が、御自分の御責任について、深刻な反省をなされたことの記憶があるので、このたびの敗戦については、さぞかし、これに数倍する深刻さを以て、おん自らを責めておいでになるであろうことは、お察しするに余りある次第であるが、なぜ、御自分の御責任に関する話題を回避なさるのか、その理由を私の在職中には遂に知ることができなかった。

昭和の初めころのお話しというのは、個人の名誉に関することであるから、その人の姓名や事件の起こった時期を、此処で明らかにすることは避けるが、とにかく私が侍従として陛下のお側におった或る秋の夕暮の頃のことである。その時の内閣書記官が、慌ただしく侍従職に馳せつけてきて、一個の上奏箱を私に手渡していうには、この箱の内には、一刻を争う内閣総理大臣の至急の上奏書が入っているから、速やかに御裁可を仰ぐように特に配慮していただきたい、とのことであった。私は、その箱を受け取って、直ちに陛下のお室に参り、陛下のお机の上にある鍵箱から鍵を拝借して、これを開いた。これは通例のことで、上奏箱は、この鍵でなければ開くことができないのである。

箱の中から出てきたのは、ただ一通の上奏文書であった。何某起訴処分の件、右謹んで裁可を仰ぐ。年月日。内閣総理大臣何某印、という表題の上奏紙の裏に、数枚に亙る司法(現在の法務)大臣の起訴理由書が綴ってあった。当時の慣例として、正三位勲一等というような身分の人が犯罪の疑を持って起訴される場合には、陛下のお許しがなければ手を付けることができない内規があったので、大至急そのお許しを得るための上奏であったのである。

1979goro:2013/01/27(日) 12:22:38 ID:nCo1DokU
>>1978の続き

この事件は既に新聞がやかましく報道していた汚職事件であるが、何分にも火中の人物が政治上の権力者であるので首相及び司法大臣が果たして起訴を断行する勇気ありや否やが世人の注目の的であった。私は、この上奏書を一見した瞬間、総理もいよいよ決心されたか、といささか痛快な気持ちで、これを陛下のお机の上にさしあげた。汚職といえば、陛下の最も忌み嫌われる問題であるから、すぐ裁可の印をお捺しになるだろうと思っていたところ、以外にも、陛下はその書類を一見遊ばすや否、非常にご当惑の御態度をお示しになった。困ったなーといったような御様子である。

これを拝見した瞬間、私の胸中には、はて、なぜだろうか。というような、かすかな疑問が湧いたが、陛下は上奏書に付属した司法大臣の起訴理由書をくり返し、くり返しごらんになり、なかなか裁可の印をお捺しになろうとなさらない。だんだん時がたつにつれ、おそばに立ってお待ちしている私も、いろいろ考え始めた。自分は陛下より十以上も年上の男でありながら、先刻来、いささかなりとも痛快味を覚えたことは、何んと浅ましく恥かしいことか。

陛下は、われわれと違って、いつ人とお会いになっても、対立感というものを少しもお持ちにならない。それだから、汚職そのものは徹底的にお嫌いだが、汚職をした人を憎いとは、お思いにならないらしい。ただ汚職の行われる世の中を、いとも悲しと観じておいでになるのではなかろうか。われわれは、人と会えば、すぐ持ち前の対立感に促われて、この人は自分より身長(せい)が高いか低いか、から始まって果ては、馬鹿か利口かに至るまで、あらゆる比較を腹の中でするものだが、ほんとのところ、神様の目から見れば、お互いに五十歩、百歩のちがいに過ぎないことには、とんと気がつかない。ああ、なんと恥ずかしいことか、と恥じ入る他はなかった。

稍暫らくして、とうとう、陛下は上奏文書に裁可の印をお捺しになった。これで起訴は決定したわけだ。何某氏は今夜にでも逮捕されることになったのである。私はその書類をいただいて、箱に入れ鍵をかけ、一刻も早く、私を待っている内閣書記官に渡そうと思い、一歩お室を踏みだそうとしたところ、私をお呼び止めになったから、何か別の御用かと思い、お側に近づいたところ、ただ一言、沈痛なお声で、「わたしが悪いのだよ」とおっしゃって、考えておいでになる。

このとき私は、ほんとうに、なんともいわれぬ、つらい思いに胸を炒めた。われわれの仲間の犯したあやまちが、かほどまでに、陛下のお胸を傷めるのか、あいすまぬことだ、と思っていたら、つとお椅子から立って椽側におでになったから、、私も無言のままお伴をして椽側に出た。この椽側は、このたびの戦災で焼失してしまったが、明治神宮の絵画館に掲げてある数多の油画のうちの一つ、教育勅語下賜の図という大きな額面に描かれているお二階−御学問所と呼ばれる−の椽側がそれである。

1980goro:2013/01/27(日) 12:27:32 ID:nCo1DokU
>>1979

非常によく晴れた秋の日暮れ、夕日がお庭の松に照りそっていたが、天を仰いで、おっしゃるには、わたしが悪いのだよ、どうすれば政治家の堕落が防げるであろうか、結局わたしの徳が足りないから、こんなことになるのだ。どうすればよいと思うか、とお尋ねになる。このお尋ねをうけても、つい先程、持ち前の対立感から、いささかなりとも痛快味を覚えた私ごとき者に、何とお答えができよう。あふれる涙を抑えて、ただ無言でお室を退出したことがあった。この時の記憶は、あまりにもあざやかで、今でも秋の非常によく晴れた夕暮れ、空を仰ぐと、ときどき、このことが思い出される。

こういう深刻な記憶を胸に焼き付けた、この私が、敗戦後、再び陛下のおん許に帰ってきたのだから、お胸のうちの、おつらさは、よく判るのだが、なぜ、話題が天皇責任論にふれるのをお避けになるのか、その理由の真相は、これを知る由もなかった。私がこれを知ったのは、ずーっと後のことである。私は二十一年に退職し、二十五年以来、荒廃した二重橋前の広場の復旧整備を志す皇居外苑保存教会の仕事に引き続き今も従事しているが、ちょうど昭和三十年の九月十四日の朝、何気なく読売新聞を開いてみたら、その第二面に大きな見出しで「天皇陛下を讃えるマ元帥」という重光外務大臣の手記が掲載されていた。

これを読んでいるうちに、私の胸のうちには感謝感激の情が潮のように高鳴ってきた。それは、終戦以来、私が心ひそかに、求めていた、あるものを、遂に発見したからである。それは何であったか、これは、日本にとって最も大事なことだが、日本に憲法があるとなしとに拘わらず、また、憲法が天皇の御地位に関して、いかような規定を設けようとも、天皇は、日本国民の運命に関しては、皇祖皇宗に対し更にまた上天に対し、絶対の責任を自覚せらるるおん方である。とする私の考え−少なくとも数年間、側近に奉仕した私としては、かく考えざるを得ない−が現に正確な史上の事実として、ここに明らかとなったからである。

終戦処理上、陛下が、いかようなお覚悟を以って、いかような事をなされたか、そして、これを何故に黙秘して、近侍の者にさえ、一言もお洩らしなされなかったか、このことの顛末が、詳細明らかになると共に、あの無遠慮な天皇責任論の横行時代に、敵将との約束を固く守って、一言の説明もなさらず、堪えぬいて来られた、そのおつらさ、その御苦労を拝察して、ただ、ただ、陛下、本当にありがとうございました、と心からお礼を申し上げるより他はなかった。

陛下が、日本占領軍の総大将マッカーサー元帥と初めてお会いになったのは、昭和二十年の九月二十七日のことで、場所は東京のアメリカ大使館内のマ元帥の室であった。この御会見は、会談の内容は一切厳秘に付する堅い約束の下に行われたものであるから、マ元帥は幕僚も遠ざけ、只一人。陛下も通訳一人のほか、何びともおつれにならず、真に一対一の御会見であった。

1981SAKURA:2013/01/28(月) 14:00:04 ID:DcZTURFY
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こんにちは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>1966>>1972>>1977 投稿の続きです…。

ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。
では最後に〜〜〜❤〜〜〜〜

===【生命の実相…2巻 抜粋】===========================

■【実相の世界における神人としてのわれの存在】   その③−1
>>この自己を掴むためにする修業が、毎日一定の時間を期してみなさんに実修して、
いただいている「神想観」の修行であります。
>>だから「生長の家」の「知恵の言葉」には「道を歩く時には今神が歩いていると思え」
とあるのであります。同じようにわれわれは机に*よっている時も「今神が机に*よっている」
と思うべきであります。こういうようにして常にわれは神人であるという自覚を失わないよう
にすると、われわれは常に朗らかな光線ゆたかな気分を維持することができ、自分の実相の
円満さが「影であるところの肉体」または「境遇」に映写されてきて、肉体は健康に境遇
は幸福になってくるのであります。

==========================================

■【神想観の重み…】を、深く理解しました。私も、今から【神想観の素晴らしさ】にて、
遥かかなたの「宇宙に〜〜宇宙に〜〜☆」に、入っていきそうです。
昨日は【別板…】で、こちらも“ビックリ・マークの出来事”で、「まじめな私?」には、
なじめない部分もあるのでしょうかと?その様な時には、流れがちがいますのでしょうか?
時々!その職業が「夜の世界観?」にみえるような感じもあり、この様に見えます時は、
“心…”は、暗くネガティブ感にて意気消沈…しぼんでしまいますモノ!
その様な時は〜〜〜❤
                        つづく

1982SAKURA:2013/01/28(月) 14:02:41 ID:DcZTURFY
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こんにちは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1875>>1876>>1879>>1888>>1889>>1913>>1914>>1923>>1924>>1934>>1935>>1956>>1957
>>1966>>1972>>1977>>1981 投稿の続きです…。

■【実相の世界における神人としてのわれの存在】   その③−2

>>1981 その③−1の投稿の続きです…。
■【一つ一つが自分にとって何が幸せかを“幸せ探し〜❤探し物は何ですか〜❤…
“コトバの力”で探求…!!
「コトバは神と共にあり…」でしょう?「私の行くところはいつも晴天!」と「雅春先生」が、
おっしゃっていました。そして「現総裁雅宣先生」も行くところは、いつも晴天でしょうかと。
“曇り空…”でも、雲の谷間から“ポッカリとお日さま”が、あらわれて頭上を照らして来ます
でしょうかと!これは、逆に申しますと【今神が机に*よっている。】
【どこでも一体の言葉=神があらわれる】のです〜〜〜ョネ!!今日の私は、久しぶりに、
“徹夜”が出来た事に若さを取り戻しつつでしょうかと?【感謝…】そうだ〜〜〜ヮ!この足で
歩く事も出来る“幸せ…”!!一人だけど…必ず!「神様…」そばにいつもいて下さいまして、
素晴らしい方との出会いを導いて来ると確信!!(微笑)この様に、気持ちを新たにしながら…

〜♫〜愛にあこがれながら、 愛をしらないままで、
人は生きてゆくのさ、    この知らない町を、
ひとりぼっちだと、     思う前に何かする事はあるのだろうか…?
〜♫〜愛をふりまきながら、 愛を日々かせながら〜♫〜

【愛…】は、配るモノなんです〜〜〜ョネ!!私でも【愛…】に、確かに、あこがれながらも…
私はと…見つけて行く内に、ダンダン〜ダンダン〜“幸福列車”に乗れるような気持ちになり
ました。そうなので〜〜〜すョネ!!
■【世の為!人の為!に世界中に走ります!!モ〜〜〜ゥ!「吸血気」・「ゾンビ」達とか?そして、
「黒幕デザイナー」には、モ〜〜〜ゥ!恐れない“強い心”に…!!聞こえないこの耳でも…
心の耳で聞く…いつも私の中にも「神様」が、愛の音色を“心の耳”で聞く事を…教えて下さり
日々!の生活に活かされていますことに、感謝が、ますますとできますかと〜♫〜エクササイズ!

❤〜【神様!!私の“心の影である肉体”…当に「コトバの力」で幸福になれるのです〜ョネ!
毎日が〜毎日が〜“楽しい修行”になりそうな気配なので〜〜〜す。楽しい〜〜〜なぁ!幸せ
一杯です〜〜〜ョネ!当に【祈り…】も、今のこの時を活かす事ですかしら〜〜〜ン!!            

この素晴らしい“気づき”を…我が内なる「神…」に感謝でしょう。ありがとうございます…。

つづく

1983NANCY:2013/01/29(火) 02:58:11 ID:aF3cZJnQ
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635>>1639>>1643>>1766>>1778>>1829>>1877>>1880>>1890>>1918>>1931>>1942
>>1955 の投稿の続きです

===【 谷口 雅春 先生 著 】===========================

■ 人間には、自分の運命を、自由に支配する力がある。

あなたにはあなたの運命の主人公であり、あなたの境遇の支配者なのであるから、
あなた自身の想念で、あなたがあなたの独特の運命を造るのを何人も妨げること
は出来ないのである。あなたが想念に描くものと類似のものが、あなたの運命
及び境遇として展開してくるのである。

                   谷口雅春著 『新版 栄える生活365章』

============================================

■■ 何も「信仰…」に触れていない時の私は…『運命…』この言葉は、生まれる前からの
宿命みたいな感覚での捉え方でしたかと。ところが「生長の家…御教え」に触れますと…
思いだしますが「信仰…」当初は、私自身は、まだ!まだ!同じような感覚を抱いておりました。

…が?次第に『心 の 法 則』と言う事を、知りますと【全てのものは“こころ”でつくる】
この事が、次第にわかりだしましたかと、思うのです。
その【心での想念・感情 …】とは、つまり
【心での想った事が?それが良きにしろ?悪しきにしろ?この“現実世界”にて現れてくる
わけですから、それならば“良い〜〜〜想念”を念じ、今現実世界に、現れてきた方が…
それはいいですモノ!!
このように、考えて参りますと【私自身の“こころ”にて、自由に〜〜はばたいて勝ち取る
ことが出来るのです〜〜〜ョネ」!】
ますますと【心 の 法 則】クリア―かと、痛感致しました。

                              再合掌

1984a hope:2013/01/29(火) 07:30:52 ID:TqpbsVIM

新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう

◆よく考えながら読み、善いことは実行しなさい(p127〜)

本を読むには、考えながら読むことが必要です。

豊臣秀吉が草履取りをしていたときに、どうして出世をしたかというようなことも、
唯(ただ)おもしいなと思うだけでなしに、なぜ出世をしたのであるか、
なぜ草履をふところの中で温めていたのか感心であるのか、考えながら読まねばなりません。

そして、ここは感心だというようなところへは、赤いすじでもひいて心の中に深くきざみつけるようにし、
一ぺん読んだ本でも、その赤い線を引いたところはなんべんもそこをひらいて、忘れないように思い出し、
それを噛みしめるようにして、よいことは自分もそのとおり実行するようにすることが大切であります。
(つづく)

1985goro:2013/01/29(火) 09:57:54 ID:nCo1DokU
>>1980の続き

このような次第であるから、御会見の内容は一切、外部には不明のまま、年月が経過していったのである。当時、巷間には、いろいろな風説が流布されたけれども、誰も、事の真相を知っているものはいなかった。ところが、昭和三十年の夏、時の外務大臣重光葵氏が用務を帯びて、米国に赴くことになり、出発に先だち、お暇乞いのため、那須の御用邸に伺候して、へいかにおめにかかった。このとき、陛下は重光外相に、一つのご伝言を託された。それはニューヨークにいるマッカーサー元帥に対する、陛下のご挨拶の御言葉であった。

そこで重光外相は、九月二日の朝、ニューヨークで、加瀬国連大使を伴って、ワードルフ・アストリア・ホテルにマ元帥を訪問し、陛下の御伝言を伝えた次第であるが、この際、重光氏はマ元帥の口から、従来厳秘に付せられていた昭和二十年九月二十七日、陛下対マ元帥、第一回御会見の内容を初めて聴かされた次第であった。

元来、内容は一切、厳秘に付された御会見のことであるから、爾来、陛下は一切を黙して、一言たりともお洩らしになったことがない。然るに十年後とはいえ、マ元帥が重光氏に、あえて事の真相を物語ったことは、恐らく、元帥自身の世界情勢判断と、且つ陛下に対する深い思慕の情と非常な好意とが然かあらしめたのであろう。

これを聴き知った重光外相の驚きと喜びとは、想象に絶したものであったらしい、同氏は事の正確を期するため、この会見に同席し、マ元帥と重光外相との会話を詳細に速記していたスクリップ・ハワード通信社主ロイ・ハワード氏の速記録と自己の記録とを照合し、帰朝の後、これを邦訳して、九月十四日の読売の朝刊に寄稿した次第。これが、昭和二十年九月二十七日、陛下とマ元帥との第一回の御会見に関する日本人向けの報道の第一報となったわけである。

この第一回の御会見の際、命乞いに来たのだ、とばかり思って、服も改めず、お出迎えもせず、自分の居室で陛下を迎えた元帥が、お帰りの際には、いとも鄭重に玄関先までお見送り申し上げていることは、一体何を物語るのであろうか。数千年の世界歴史の上で、民族の興亡は、いくたびも、いくたびも、くりかえされたが、未だかつて、国民を庇って、身命を捨てる君主のあることを知らなかった元帥が、眼前に立たれる陛下のお姿を熟視して、何と感じたであろうか。自分は、あのとき、興奮のあまり、陛下に抱きついて、キスしようと思った、と重光外相に告白していることは、元帥がいかに、はげしく、感激したか、を物語るものといわなければなるまい。

1986SAKURA:2013/01/29(火) 11:50:14 ID:x8DbpmW2
トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1875>>1876>>1879>>1888>>1889>>1913>>1914>>1923>>1924>>1934>>1935>>1956>>1957
>>1966>>1972>>1977>>1981>>1982 投稿の続きです…。

ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。

■■ 『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』       【 その① 】 
===【女 の 浄 土】=================================

■些事も行う心の態度に魂の進歩がある
毎日の生活の小事を親切丁寧に誠心を盡す実践の中に、魂の進歩があるのである。
自分の前におかれたる小さな仕事を熱心に、「神から興へられた仕事」として行き届いて実行する
ことが人間を課せられた第一次の使命なのである。その第一次の使命を無事に卒業することによって
自分の生涯の究極目的として 「神から興へられた第二次の使命」に人間は近づいて行くことが出来る
のである。炊事、洗濯、掃除その他、一寸見ればただの雑事で無価値な仕事のやうに見えるかも知れな
いけれども、仕事そのものの重要性如何の問題ではなく、自分の心が、その仕事をどのやうに扱ふかの
心境如何のよって、自分の魂に異なる點數(てんすう)がつくのである。どんなつまらなく見える仕事
でも感謝して行ふがよい。     (一部抜粋)       (谷口雅春著)

================================================

PS:本を開いて“ペ−ジ”を〜〜〜開きますと、そこには「ボ−ダ−ライン」が〜〜〜??
「亡き母」が引いた赤い線を見て、きっと毎日!毎日!の仕事をこなし、そして、「亡き母」
なりにしたい事が、あったのでしょうか??
当時の母は“普通の主婦”と違い「経理…」・「営業…」「母親…」…etc全てこなし、更に
仕事との両立性を考えますと“主婦業…”も大変だったと思います。…が?
私は、その様な「亡き母」の後ろ姿をいつも見ながら、結婚したらこの様に自由がなくなる
ものだと思いながら……も?例えいやな仕事でも、当たり前のようにこなして、顔にも
見せずに本当に「亡き母」は、素晴らしい人だったと、思います。
                 
つづく

1987SAKURA:2013/01/29(火) 11:53:28 ID:x8DbpmW2
トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1875>>1876>>1879>>1888>>1889>>1913>>1914>>1923>>1924>>1934>>1935>>1956>>1957
>>1966>>1972>>1977>>1981>>1982>>1986>> 投稿の続きです…。

■■ 『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』   【 その② 】

>>1986 その①の投稿の続きです…。
■“89歳…”までは、自分でお風呂に入っていましたから…今の私でしたら…やはりそのよう
な年になったら、どうなのかしら〜〜〜ンと、思います。…が?亡くなる前に
「亡き母の言葉」は〜〜〜〜?
【人間は働く事…】この言葉を私に残して、他界しました。「新しい世界へ…」

そして「老人ホ−ム」に入る前に、私の【将来の結婚式…】に着るるつもりでいた着物…これ
を、私に渡し「亡き母」は、寂しそうな表情の顔を初めて私に、正直に見せましたかと。今!
思い出しますと〜〜〜!!随分昔の事〜〜〜になりますでしょうか?その頃は、既に、私の
耳は「タタキ男の暴力」により【聴力喪失…】となっていたのです…。当時の私は、将来性も
考えまして、或る“お見合い”により…意を決して【結婚…】と考え、決断しましたのです。

【結婚…】の日取りが決まり、三日後に【結婚の予定…】でした。…が?今回、度々投稿します
結論は「タタキ男…」に壊されて!!その相手の家まで殴り込み……云々…その時、実に“感情”の激しい人間…何をしでかすのか?解らない…人間と初めて【男性の身勝手…】を垣間見ました。相手は【まじめな人で…これという取り得は〜〜〜><】それでも、その結婚相手は【結婚…
申し込み】をと…云いよってくれました。色々なる観点から〜><考えての“ことわり”を…!
他にも…話が……(後日、詳しくにての“投稿形式”をと…思っております。)

今!ふり返りますと【人 生 汚 点…人 間 の 嘘】を見つけきれなかった後悔が…
これに関連しますのが…「吸血鬼・ゾンビ…集団」です。その中の女性群…吉○・馬○・光○
(阿○)そして男性群…河○…因○…他にもでしょうかと(学歴詐欺…職歴詐欺は日常茶飯事…)
実に「口のうまい集団…洗脳集団」でしょうかと…いずれにしましても「黒幕デザイナ−含め」
【人 生 の 汚 点…回 想 記】を詳しく投稿するつもりです。【若い世代に…向けて!!】
この事は、ある面では【神から興へられた第二次の使命!!】に近づいて行くのカモ??

■「雅春先生の言葉」には【菩薩、心に闘争をみたせば、その世界に戦い絶えず…】…
この頃では、全てが【心 の 問 題…心 の 法 則】この事を、駆使すべきでしょうか〜〜?


                                  再合掌

1988NANCY:2013/01/29(火) 21:13:31 ID:NvcmVTKk
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635>>1639>>1643>>1766>>1778>>1829>>1877>>1880>>1890>>1918>>1931>>1942
>>1955>>1983>> の投稿の続きです。

===【谷口 雅春 先生 著】============================= 

■“ まず神の国を求めよ ”ということ
実相の世界を「神の国」とも「天国」ともいうのである。
そこには善きものは常に無限に充満しているのである。しかし「神の国」は霊の国であるから、
「物質の国」のみを見る力しかない五官(眼耳鼻舌身)の感覚によってはそれを観ることは
出来ないのである。それゆえにしばらく五官を瞑じ、五官の感を蕩尽して、心の眼をもって、
神の国の美しく荘厳なる有様を観ずるようにするがよいのである。これがイエスの教えられ
た「先ず神の国と神の義(霊的秩序)とを求めよ」である。すると、「その余りのものは汝ら
に加えらるべし」とあるように、その「余のもの」(現象界の功徳)はおのずから顕れて来る
ことになるのである。 (一部抜粋)
============================================

■上記は今回の機関誌2月号…冒頭に取り上げられています「雅春先生」の言葉です。以前
此処の投稿にて…「雅春先生の言葉」が〜〜〜ない?とかの記載がありましたかと?記憶の
中にありますが〜〜〜そうでもないです〜〜〜ョネ!

ここに「五官」…(眼耳鼻舌身)の感覚で見ます“世界観”は、どうしても個人個人の捉え方
の視点が異なりますので…先日からの【虚説…】これに関しては、此の肉体人間での五官
(眼耳鼻舌身)からの判断では???或る人は「善きかな?」或る人は「悪しきことかな?」
この様な捉え方になりますでしょうと思います。それは、自分自身の「人間智」での判断です
から、当然のことながらそこに【我欲…欲徳】が入ってきますでしょうかと。それでは、い
つまでたっても解決しませんでしょうかとも。こういう時は、「雅春先生」のおっしゃいます
【心の眼…神想観】にて…「本来あるべき姿…実相」を観る訓練を、日々行ないまして……
「神と一体…神の子の自覚…」をもつべきでしょう。

これでようやく「神の国…扉」をあけることの出来ます“入り口”にたちますのでしょうか?
今回!私も正直な話ですが「五官でみますと…以前出会ったことのない人物達…」これが…
「吸血鬼・ゾンビ達…」に値しますのです…。捉え方の尺度が…かみ合わないと申しましょうか
【類 の 法 則】とではない人達とは…この現象界に於きましては【断ち切る…】これしか?
ないのかと…色々な観点から【神の国・神の義】を含め…考えてしまいました。

■先ず神の国と神の義(霊的秩序)とを求めよ!その余りのものは汝らに加えらるべし!
                              
再合掌

1989goro:2013/01/29(火) 23:17:16 ID:nCo1DokU
>>1985の続き

この重光外相の寄稿文は、日本歴史、否、世界歴史の上で、極めて貴重な文献である。マ元帥すでになきいま、陛下は、あくまで沈黙を守られるであろうし、重光氏も、また、他界した今日、この文献の価値は至大である。かく思うがゆえに、私は読売新聞社の了解を得て、左に重光氏の寄稿の一部を掲げる。

重光「東京出発前、那須御用邸で、陛下に拝謁した際、陛下は、”もしマッカーサー元帥と会合の機もあらば、自分は米国人の友情を忘れた事はない。米国との友好関係は終始重んずるところである。特に元帥の友情を常に感謝して、その健康を祈っている、と伝えてもらいたい”とのことであった」

マック「自分は日本天皇の御伝言を他のなにものよりも喜ぶものである。私は陛下にお出会いして以来、戦後の日本の幸福に最も貢献した人は天皇陛下なりと断言するに憚らないのである。それにもかかわらず、陛下のなされたことは未だかつて、十分に世に知らされておらぬ。十年前、平和再来以来、欧州のことが常に書き立てられて、陛下の平和貢献の仕事が十分了解されていないうらみがある。その時代の歴史が正当に書かれる場合には、天皇陛下こそ新日本の生みの親であるといって崇められることになると信じます。

私は戦前には、天皇陛下にお目にかかったことはありません。初めてお出会いしたのは、東京の米国大使館内であった。どんな態度で陛下が私に会われるかと好奇心を以ってお出会いしました。
しかるに実に驚きました。陛下は、まず戦争責任の問題を自ら持ち出され、つぎのようにおっしゃいました。これには実にびっくりさせられました。すなはち、「私は、日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また、事件にも、全責任をとります。また私は、日本の名においてなされた、すべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。

自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題ではない。私は全責任を負います」これが陛下の御言葉でした。私はこれを聞いて、興奮の余り、陛下にキスしよう、とした位です。もし国の罪をあがのうことが出来れば進んで絞首台に上がることを申出る、という、この日本の元首に対する占領軍の司令官としての私の尊敬の念は、その後ますます高まるばかりでした。

陛下は御自身に対して、いまだかつて恩恵を私に要請したことはありませんでした。どうか日本にお帰りの上は、自分の温かいごあいさつと親しみの情を陛下にお伝え下さい。その際、自分の心からなる尊敬の念をも同時にささげて下さい」

重光「それは必ずお受合い申上げます。」

以下 略

1990goro:2013/01/30(水) 13:02:37 ID:nCo1DokU
>>1989の続き

皇居勤労奉仕発端の物語

この物語は昭和二十年、終戦の年にさかのぼる。戦敗れて人みな茫然自失、言語や風俗の全くちがう占領軍将兵の威圧下にあって、国民全体として行動の積極性を頗る欠いておった当時の有様を読者各位は一応おふくみの上で、この物語を読んでいただきたい。当時、皇居周辺の状況は、どんなであったか。皇居の御門という御門には、いずこも、ここも、占領軍の歩哨が立っている。これは好奇心にかられた無遠慮の外国兵の入門を阻止するための、占領軍総司令部の好意ある意図もおりこまれた処置ではあったろうけれども、事情を知らぬ日本人の眼には、甚だ以て不愉快千万、「日本人近よるべからず」と無言のうちに威圧を加える態度のようにうつったことも無理からぬことであった。

二重橋前の十万坪の広場は、管理の統制を欠いだため、六十余ヶ所の照明灯は一つも残らず破壊され、道路といわず芝生といわず、到るところ踏み荒らされて、昔のような、すがすがしい清らかなおもかげは、どこにもない。あまつさえ占領軍観兵式用の大スタンドが、二重橋の真正面に二ヶ所設けられ、時折は兵士どもが分列式などをやっている。お濠と森林とに囲まれた皇居は、外観こそは一見、昔とかわらぬようであるけれども、一歩、皇居内に踏み入れば、木造の建築物は殆んど消失し、さしも端正雄大であった宮殿の跡も、礎石、玉石、煉瓦、至るところに散乱し、まことに、いたましい有様であった。

ところが、十二月に入って間もないときであったが、皇居の坂下門の門外に六十人ばかりの青年の一群が到着、どこかの駅から下車したまま、まっすぐに来たのであろう、手に手に荷物を携帯している。守門の皇宮警察官を通じて宮内省への申し入れは、--------私たちは、宮城県栗原郡の各村のものでありますが、二重橋前の広場に雑草が生い茂って、たいへん荒れている、ということを聞きましたので、草刈りやお掃除のお手伝いのために上京してきました。東京には食料や燃料が乏しいということも聞いていますので、私たちに必要な数日間分は、ちゃんと用意して持ってきていますから、東京の人たちに迷惑をかけるようなことはいたしません、どうかお手伝いをさせて下さい。--------とのことであった。(昭和二十四年まで二重橋前の広場は宮内省の所管であった)

このことは、すぐ侍従次長の私の室へ大臣官房の筧総務課長から電話で知らせてきた。私は思った。今どき東京の人は、きょう自分たち一家が食べるお米があるか、ないかが、最大の感心事であるというのに、百里も遠くの、仙台のもっと北の地方から、何十人という若い人たちが、二重橋前の広場のお掃除に上京してくるとは、何とたのもしいことだろう。ぜひその人たちの顔を見たいという気持ちになったので、筧君と一緒に二人で坂下門外に出て一同に面会してみると、六十人の人たちは、みな二、三十歳の青年で、うち数名は年も若いモンペ姿の娘さんたちであったが、食料、燃料は勿論のこと、みな一挺ずつ草刈鎌を携えている。

1991goro:2013/01/30(水) 22:01:44 ID:nCo1DokU
>>1990の続き

 今しがた、外国兵の歩哨の前を通って、坂下門のところまで来たのであるけれども、別段怖れた様子もなく、それかといって別に昂然たるところもないが、語る言葉は一語また一語、進むにつれて真剣味を帯びてくる。

われわれの郷里の出身に、長谷川峻という人がいる。緒方国務大臣の秘書官をしていた人だから調べてもらえば判る。この人が先日郷里に帰ってきたとき、皇居の前の広場がたいへん荒廃してることを歎いて話してくれた。そこで、われわれは集って相談をした。それは、まことに相すまぬことだ。みんなで東京へ行って、草刈りや、お掃除のお手伝をして上げようではないか。草刈りは毎日野良でしているのだから、そんなことは何んでもない。だが待てよ、今どき天子様のために何か働いたら、マッカーサがわれわれを検挙するかも知れない。

それで万一検挙されるようなことがあったときの用意として、第二隊は郷里に待機させて、第一隊六十人だけ上京してきた。県庁の知事さんにも挨拶して上京すべきであったが、これも後で、何かの迷惑がかかっては悪いと思ってだまってこっそり郷里をはなれてきた。娘っ子のうちには、両親兄弟と永い別れの水盃をかわしてきたものもいる。と上京の動機や万一の覚悟について、縷々説明するのであった。きいているうちに、私たちは粛然襟を正ださざるを得なかった。厚く一同の厚意を謝するとともに、遠路はるばる上京されたのだから、二重橋前もさることながら、皇居の内は人手不足のため、宮殿の焼跡には、いまだに瓦やコンクリートの破片が到るところに山積している。どうか、皇居の内にきて、それを片付けては下さらぬか、と提案したところ、この予期しない言葉に、一同の喜びはたいへんなものであった。万一を覚悟した検挙どころか、全く予期もしない皇居内の作業をたのまれたものだから、一同の喜びはたいへんなもので、その活動ぷりたるや、連日、実にすさまじいものがあった。

宮殿の焼跡は上下二段の段地で、なかなか広く、上段が奥宮殿、下段が表宮殿の跡である。六十人の青年たちは、ここを作業場として三日問猛烈に働いてくれた。皇居の附近には泊るところもないので、宿舎は小金井附近であったと思うが、皇居から二〇キロもはなれているのに、当時、交通機関も充分に復旧しない混雑の中を、毎日そこから通ってきて、朝からタ刻まで、手弁当で働いてくれたのである。

1992goro:2013/01/31(木) 11:16:55 ID:nCo1DokU
>>1991

三日の後には、何万個という瓦や石の破片は宮殿跡の上段と下段地との境目にある石垣のところに、実に美事に積み上げられてしまった。東北の田舎から遥々上京してきた沢山の青年男女が、皇居内の清掃を手伝つてくれるということは、既に両陛下のお耳にも達していたが、連日の作業が、
いよいよ、今日から始まるという十二月八日の朝、陛下から私に、今日から仕事が始まるなら、その前に一同に会いたい、との御希望があった。

私も、心ひそかに、それを期待していたので、大喜びで、早速使を出して、現場にいる六十人の人たちに、お昼前に、天皇陛下が、作業現場においではなるから、そのつもりでいてもらいたい、ということを通知しておいた。陛下が作業現場におでましになるとき、お供をしたのは僅か数人であつたが、私は御座所から現場まで数百歩の道すがら、焼土の上に歩を進められる陛下のお心のうちを、あれこれと、お後にお供しながら考えた。

ザックザックと砂をふんで一歩また一歩、現場に近ずかれるお靴の音は、まさに日本歴史大転換の歯車のきしる音としか思えない。国民と共に語り、共に苦しみ、共に楽しまんとの御決意は、すでに御即位のときから明瞭に、われわれお側にお仕えしている者には、拝察できたことだったにも拘わらず、いろいろな事情のために、その実現はできなかったが、奇しくも国破れた今日、陛下は、その機会をつかまれたのだ。

宮殿の焼失などは、いま露ほども惜しいとは思っておいでにならないに相違ない。ただ、夜となく昼となく、常にお胸のうちを去らないものは、亜細亜大陸の各地、また太平洋の島々に、とり残こされた末復員の将兵その他の同胞の安否や、国民各家庭のさまざまな悲惨辛苦のことだ。いま数分後には、はるばる仙台の奥から手伝いにきてくれた青年たちにお会いになれる。こんなことが皇居内で行われることは未だ嘗て前例のないことだが、少しはお気が晴れることだろう、など。

陛下のお姿を遠くから拝した六十人の人たちは仕事をやめて、あちこちから集ってきて、陛下をお迎えし、ここに前例のない御対談が始まったのである。代表者(慶応義塾出身の鈴木徳一君、惜しくも昨年末仙台で病投)が御前に出て御挨拶を申し上げたのに対し、陛下は、遠いところから来てくれて、まことにありがとう。郷里の農作のぐあいは、どんなか、地下足袋は満足に手に入るか、肥料の配給はどうか、何が一番不自由か、など、御質間は次から次へと、なかなか尽きない。

1993goro:2013/01/31(木) 17:47:38 ID:nCo1DokU
>>1992の続き

かれこれ十分間ほどお話しがあり、何とぞ国家再建のために、たゆまず精を出して努力して貰いたい。とのお言葉を最後に、一同とお別れになり、また、もとの路をお帰りになるべく、二、三十歩おあるきになったそのとき、突如、列中から湧きおこったのが、君が代の合唱であった。当時、占領軍の取締りがやかましく、殆んど禁句のように思われて誰も口にすることを遠慮していた、その君が代が誰に相談するでもなく、おのずからに皆の胸の中から、ほとばしり出たのであった。ところが意外にも、この君が代の歌ごえに、陛下はおん歩みを止めさせられ、じっと、これをきき入っておいでになる。

一同は、君が代の合唱裡に、陛下をお見送り申上げようと思ったのであろうが、このお姿を拝して、ご歩行をお止めしては相済まぬ、早く唱い終ってお帰りを願わねば、とあせればあせるほど、その歌声は、とだえがちとなり、はては嗚咽(おえつ)の声に代ってしまった。見ると、真黒な手拭を顔に押しあてた面伏(おもぶし)しの姿もある。万感胸に迫り、悲しくて悲しくて唱えないのだ。私も悲しかった、誰も彼も悲しかった。しかし、それは、ただの空しい悲しさではない。何かしら云い知れぬ大きな力のこもった悲しさであった。今から思えば、この大きな力のこもったこの悲しさこそ、日本復興の大原動力となったのではなかろうか。

辛うじて唱い終ったとき、陛下は再び歩を進められてお帰りになったが、私は暫らく後に居残ったところ、青年たちは私に、皇居の草を一把ずついただいて郷里への土産にしたい、という。何のためかと思って尋ねてみたら、その答は次の通りであった。私たちは農民です。草を刈つて、肥料のために堆肥を造ります。この一把の皇居の草を(といつて、堅く、かたく握りしめ、眼に涙していう)いただいて、持って帰って、堆肥の素とし、私たちの畑を皇居と直結したいのです。

この青年たちとの御対談に、陛下は何かよほどお感じになったことが、おありになったご様子で、お部屋にお帰りになるや、皇后さまに、午後、作業現場にゆかるるように、おすすめになり、そのときも、私は再びお供をして現場に参ったが、第二回からは、両陛下お揃いで、奉仕の人々にお会いになることになり、それが今日まで二十数年間つづいているのである。

1994goro:2013/01/31(木) 17:54:19 ID:nCo1DokU
>>1993の続き

 第一回目のとき、皇后さまが陛下に御同行なされなかったのには訳がある当時、国内の各港には、海外で働いていた同胞の引揚げ船が続々と到着しつつあったが、殊に南方から帰つてくる人々は、防寒服がなく、みな薄着のままで日本の冬に上陸せねばならず、老幼の困難は特に甚だしいものがあつた。皇后さまは、これを非常にご心配になり、何か暖かい衣をとお考えになるのだけれども、店は品切れだし、皇居の内も、宮殿は焼失、倉庫も大部分焼けて材料が乏しい。それでも捜せば、多少の綿や布類があるので、それをできるだけお集めになり、女官相手に、毛糸でスウエッター、また綿や布でチャンチャンコを、できる限り沢山おつくりになるのでお忙がしかったのである。

前例の全くない、皇居内での陛下と地方青年たちとの御対談を、宮内省詰めの新聞記者諸君が見のがす筈はない。ニュースは、すぐに全国に伝えられた。三日間の感激の奉仕をおえ、おのおの一把の皇居の草を抱きしめて郷里にかえる青年たちの汽車の旅は、上京のときとは全く反対で、
まことに朗ちかな希望に満ちたものであったに違いない。無断上京のお詫びを兼ね、知事さんに挨拶のため、仙台に途中下車、一同県庁を訪れたところ、折から開会中の県会は青年隊無事帰着の報に接し、にわかに議事を中止し、知事以下議員総出で一同を喜び迎え、大いにその意気と労とをねぎらったとのことである。

以上語りしるす事柄は、国民対皇室、皇室対国民の間に見られる、あらゆる事象のうちの、単なる一こまとして、風の如く来り、また風の如く空しく過ぎ去ったであろうか。疑いもなく、これは名もなき農村青年男女六十人の渺たる一団である。だが然し、名誉を思わず、利益を求めず、占領軍の弾圧あらばあれ、ただ一片の衷情やみがたく、やまとごころの一筋に立ち上った、この一群れの間にひらめく正気の光は、決して空しくは消え去らなかった。

正気は友を呼ぷ。この報、一たび全国に伝わるや、当時、断腸の思いに沈んでいた国民の心の琴線は、俄然、高鳴りを始めだしたのである。栗原郡からは、第二隊、第三隊、第四隊、第五隊と続々上京してくるし、次ぎには隣りの郡、また、その次ぎには隣りの県、終には北は北海遣、南は九州のはてに至るまで、全国からの奉仕の願い出は殺到するばかりで、今日すでにその奉仕の人員は、数十万に達するであろう。官辺より何らの指示勧奨もあるのではない。ただ国民至情の赴くところ、しかあらしめるのである。

1995goro:2013/02/01(金) 15:39:09 ID:nCo1DokU
SAPIO 2009年2月11-18日合併号掲載

【GHQを驚かせた占領下の「皇居勤労奉仕」誕生秘話】

JUGEM(ジュゲム)ブログ 「たまねぎ通信」より転載 (写真付き)
http://tokiy.jugem.jp/?eid=816  

 皇居勤労奉仕
読者のみなさんは、この言葉を耳にしたことがおありだろうか。
全国各地から多くの人々がグループを作って上京し、皇居の中で四日間、ボランティアの清掃活動を行っている。その数、平成に入ってからの実績で言えば、一年間を通じておよそ一万人。この活動のことを「皇居勤労奉仕」と呼んでいる。
  *
清掃活動はまったくの無報酬であるのはもちろん、交通費も宿泊費もすべて自己負担だ。それでも約一万人もの人々が毎年、皇居での勤労奉仕を続けている。一般にはほとんど知られていない事実だ。しかし十分、注目に値するだろう。では、この皇居勤労奉仕はいつ、どのような経緯で始まったのか。この点については、幸いなことに、いくつか関係者の証言が残っている。まず、昭和天皇の側近に仕えた木下道雄侍従次長(当時)の証言を紹介しよう。

時は昭和20年12月。つまり終戦の年の年末のことだ。当時、日本は言うまでもなく占領下にあった。皇居も各門にはアメリカ兵が見張りに立っているありさまだった。その皇居自体も、外観こそ戦前と変わらぬ様子であったものの、一歩、中に入ると戦災の跡が歴然として痛々しいまでの変貌ぶりだった。木造の建造物はほとんど焼失していた。明治時代に建てられた端正雄大な宮殿も焼け落ちて礎石や瓦、レンガなどが散乱し、目も当てられない状態だった。手入れが行き届かないため、雑草があちこち伸び放題に生い茂っていた。これは皇居前広場も同様だったから、外からも一目瞭然にわかった。そんな折、皇居の坂下門の門外に60人ばかりの青年の一団が到着した−−。

【皇居の清掃奉仕を申し出た若者たち】

この若者たちは、門衛の皇官警察官を通して、次のように申し入れたという。
「私たちは、宮城県栗原郡の各村のものでありますが、二重橋の前の広場に雑草が生い茂って、たいへん荒れている、ということを聞きましたので、草刈りやお掃除のお手伝いのため上京してきました。‥どうかお手伝いさせて下さい」と。

このことを筧素彦総務課長(当時)から電話で知らされた木下氏は、ただちに筧氏と一緒に門外で彼らと面会。その熱意に打たれて「一同の厚意に謝するとともに、遠路はるばる上京されたのだから、二重橋前もさることながら、皇居の内は人手不足のため、宮殿の焼跡には、いまだ瓦やコンクリートの破片が到るところに山積している。どうか、皇居の内にきて、それを片付けては下さらぬか、と提案したところ、この予期しない言葉に一同の喜びはたいへんなものであった」−−。
木下氏の証言によれば、皇居勤労奉仕はこのような形で始まったことになっている(同氏『皇室と国民』。)

当時の交通事情を考えると、宮城県栗原郡の地元から上京してくるだけで、大変な苦労があったはずだ。しかも終戦直後だから経済情勢は極めて悪く、食糧の入手さえ困難な状況下でのことだ。その上、皇室そのものの行く末もなお不透明だった頃である。
出獄した日本共産党の面々は虚脱した国民の前で「天皇制の打倒」を叫び、GHQは昭和天皇側近だった内大臣の木戸幸一を戦犯容疑者として捕らえ、皇族の長老、梨本宮守正王まで拘引される始末だった。

そうした中で、60人もの若者たちが意を決して上京してきたことは、じつに驚くべきことと言ってよい。ただし、木下氏の証言だとも六十人の青年グループが突然、皇居に押しかけて「手伝い」を申し出たように受けとれるが、じつはこれ以前に勤労奉仕の受け入れをめぐるやりとりがあった。
この点については筧氏の証言がある。

1996goro:2013/02/01(金) 15:44:33 ID:nCo1DokU
>>1995の続き

【宮内省 総務課長の勇断】

それによれば、ことのいきさつは以下の通りだった。
この年の11月22日、宮城県から上京してきた二人の人物が宮内省(当時)を訪れた。この時、二人に応対したのが筧氏だった。

この二人は、地元で指導的役割を果たしていた。一人は青年団運動のリーダー、鈴木徳一氏、46歳。もう一人は東久邇宮(*ひがしくにのみや)内閣の緒方竹虎国務大臣の秘書官だった長谷川竣氏(のちの衆議院議員)、33歳。彼らは現今の思想悪化を憂いつつ、なお皇室のことを思って荒れた皇居の清掃にあたりたいと願う青年男女がすでに地元に60名にもおよんでいることを告げ、勤労奉仕の許可を求めたのであった。

この熱意ある申し出に対し、筧氏はどう対応したのか。氏の証言を引用しよう。
「当時はすでに占領下にあって、ことごとに占領軍の抑圧を受けている極めて酷い事情の下にあるので、こういう申し出をされる方も命がけなら、それを受け入れる決断をする方もまた異常の覚悟を要する状態でした。(中略)これを組織による意思決定の形をとったら、(中略)万一の場合、上の方にご迷惑が及ぶことがあっては一大事であると考え(中略)一切の責任を負って自分だけの独断でやることを決意しました」(日本教文社編『皇居を愛する人々』)

かくて筧氏は、信頼するただ一人の上司にだけ打ち明け、その内諾を得るや、ただちに二人に勤労奉仕の許可を申し渡したのであった。何とも恐れ入った勇断と言うほかない。

この時、鈴木・長谷川両氏は、何の書類審査もなく即日、許可されてビックリ仰天したという。それも無理はない。ただでさえお役所仕事というのは手続きが煩雑で、時間がかかる。ましてや天皇陛下のお側近くで仕える宮内省に、まったく前例のないことを申請しようというのだから、二人とも相当に手間暇がかかることは覚悟していたはずだ。それなのにただ一回の口頭の申し入れただけで、ただちに願いが聞き届けられたのだから。

1997goro:2013/02/01(金) 15:46:19 ID:nCo1DokU

>>1996の続き

【拡大する勤労奉仕にGHQが疑念】

宮城県栗原郡の若者たちは「みくに奉仕団」と名乗った。正確には男性55名、女性7名の計62名で、団長の鈴木氏と副団長の長谷川氏を除き、ほとんどが22、3歳の若さだった。苛酷な占領下のことゆえ、彼らの行動に対しGHQがどのような対応をとるか予測がつかず、「娘っ子のうちには、両親兄弟と永い別れの水盃をかわしてきたものもいる」という(木下氏証言)。

むろん、占領当局によって拘束されるようなことはなかった。ばかりか、奉仕の初日に一同にとって思いもよらぬ感激的な場面が待っていた。みなの前に昭和天皇が姿を現されたのだ。
鈴木氏の証言を紹介する。

「奉仕はだんだん進んで正午近くになった頃です。静かだった奥御殿の石垣の上に、かすかに人の群の気配がするので、ひょっと見上げると、陛下がお立ちになって、こちらをご覧になっていられます。(中略)お付きの方が見えて、陛下がお呼びだという。私は作業衣のまま石段を上って御前にまいりますと、木下次長さんがお取次ぎで、いろいろ御下問を賜りました。(中略)やがてご政務所へお帰りになりましたが、その御後姿を拝し一同期せずして君が代を合唱しました。誰の眼にも涙がいっぱい光っていました」(前掲書)

その後、女官を伴って香淳皇后もお出ましになった。両陛下のお出ましに一同がどれほど感激したか、察するに余りあるだろう。
「みくに奉仕団」のことが各地に伝わると、我も我もと次々と奉仕団が結成され、勤労奉仕の申し出が宮内省に殺到した。何しろ翌21年には早くも188の奉仕団が名乗りをあげ、一万人余の人々が勤労奉仕に参加しているのだ。ピークは昭和26年で、何と4万人近くの国民が参加した(奉仕団は831団体)。

こうした動きに対し、GHQもさすがに疑念を抱き、背後に強力な組織があって、巨額の資金を投じ、彼らにとって良からぬ策謀をめぐらしているのではないかと、独自の調査を行ったらしい。その情報をキャッチした海外のメディアが奉仕団に取材をかけるようなこともあった。総力戦に敗れた国の君主制は第一次大戦時のドイツや第二次大戦時のイタリアのように滅びるのが通例だ。なのに日本の皇室の場合、滅びるどころか多くの国民がボランティアで皇居の清掃活動を行っている。彼らが不審に思うのも当然だ。だがもちろん、そこには何の背後関係もなかった。人々のひたむきな皇室への思いだけがあったのだ。

【これまで累計 約120万人が奉仕】

占領下から独立回復後、昭和から平成へと時代は推移しても、皇居勤労奉仕は一年の中断もなく続けられている。これまでの参加者は、昭和20年から平成19年までの累計で約120万人にも達している。

この勤労奉仕は、15名以上60名までの奉仕団を結成し、奉仕日(4日間)の半年ないし1ヶ月前までに名簿を提出して申し込めば、原則として誰でも参加することができる(詳しくは宮内庁のHP参照)。だから高校生や大学生などの奉仕団もある。

奉仕期間中の1日、やむを得ない事情がないかぎり、今も天皇・皇后両陛下から直接、お言葉をいただく機会がある。それは天皇と普通の国民が最も近づく貴重なチャンスと言ってよいだろう。

昭和天皇の御製
戦にやぶれしあとのいまもなほ 民のよりきてここに草とる

何だか泣けますね‥。

GHQの占領下、決死の覚悟で焼け跡となった皇居の清掃を申し出る青年団。それも、東京から遠い宮城県の村から。 そして、それに応える宮内省、侍従、陛下。

今回の震災でもそうですが、日本人は困った時ほど、人を助ける事に熱心な民族だと思いました。
で、今、66年前に皇居清掃を申し出た宮城県の皆さんが甚大な被害を受けているんですよね‥。

以上 転載終わり

1998goro:2013/02/01(金) 16:20:19 ID:nCo1DokU

以上で「皇室と国民」元侍従次長 木下道雄著の転載を終ります。

SAPIO 2009年2月11-18日合併号掲載 
【GHQを驚かせた占領下の「皇居勤労奉仕」誕生秘話】

JUGEM(ジュゲム)ブログ 「たまねぎ通信」より転載 (写真付き)につきましては、
特に探したわけでもないのですが、どこからともなく出て来まして?
内容が良かったので転載させて頂きました。

「苟も民に利あらば、何ぞ聖の造に妨はむ」
いやしくも たみにくぼさあらば なんぞひじりのわざにたがはむ

神武天皇の御心そのままに私たち国民を慈しんで下さる
天皇陛下に感謝せずにいられません。

 天皇陛下万歳

1999NANCY:2013/02/01(金) 19:41:40 ID:dGeUHjWM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635>>1639>>1643>>1766>>1778>>1829>>1877>>1880>>1890>>1918>>1931>>1942
>>1955>>1983>>1988>> の投稿の続きです。

===【谷口 雅春 先生 著】============================= 

■ 明るい希望をもって一日を出発しよう

あなたの人生は、あなたの心の状態の反映であるから、朝起きた時、まず「わたしは
神の子、神の愛に護られて善いことが来る。」 と念じて、
明るい愉しい希望と期待とをもって一日を出発するようにしましょう。
自分の心が、幸福の波動を起こせば、幸福が自然にやって来るのである。

                      『如意自在の生活365章』より
=============================================

■■今日から…新しい月…「2月」旧暦では〜〜〜【如月…きさらぎ】と呼びますかと。
此処でブレイクしますが〜〜♫〜〜「閲覧者の皆様」も御存じでいらっしゃいますでしょうが……

1)旧暦では二月でもまだまだ寒さが残っているので、衣(きぬ)を更に着る月であるから
つまり「きさらぎ…衣更着」

2)草木の芽が張り出す月から「草木張月(くさきはりづき)」

今月は、色々な意味で【出発…始まり】という感じでしょうかしら〜〜ン!
人は…ポジティブな感情…心の状態ですと、前に!前に!と前進する事ができますかと。
それは、確かに、私自身でもネガティブ感情である“恐怖・怠惰・自己満足…etc”とは、
グッバイ!グッバイ!…此処からが、スタ−トとなります。でも、時としては、
何と言いましょうか?外聞を気にしますと…この“心の?感情の?切り替え…”に、躊躇感も
ありますかと…。その時、私自身は【 勇気…持続性 】この自覚が必要になりますでしょう。
やはりそれには、日々の“心の持ち方…”が、大切になりますでしょう。

■朝起きた時、まず「わたしは神の子、神の愛に護られて善いことが来る。」 と念じて…!

そうなのです〜〜〜ョネ!
先ず!!【 真 の 神 の 子 …】この自覚を“潜在意識”に、インプットですモノ…

■■此処で、ブレイクしますが…
今日の“投稿”の中に…「おかしな人??」と云われている投稿…目に入りました。…が?
これって…私のこと〜〜〜!【現総雅宣裁先生…擁護派への中傷〜〜〜】そこで、私の感情が、
“ネガティブ…ヤカン頭??”になりますかと。(微笑)
しかしながら…ヨ〜〜〜ク!考えますと❤〜【与えよ!さらば〜〜〜与えられん!】という言葉…

つまり【やまびこの様に…自分に戻る(返る)!】という事になりますかと。そうです〜〜〜ョネ!
相手も…「おかしな人」という事です〜〜〜ネ!この様に、相手を“侮る様なネガティブ言葉”は…
此処でストップ!!今からは〜〜〜「 ポジティブな言葉 」がいいですモノ!これで…
私の【ネガティブな心】〜〜〜が〜〜〜【ポジティブな心】へと変わりますでショ!!

■この事が…【人 生 の 幸 福 へ の 切 符】になりますモノ!!

さて!私も…この“言葉” 朝の目覚めました時…【 20回 】唱えています…。…が?
皆様も如何でしょうか〜〜〜♫〜〜〜これも、日々の持続が必要かと。“トライ”(微笑)

■しっかり…【脳内革命…クリア−な世界】 サ〜〜〜ァ!【 人 生 の 幸 福 論 へ 】

                                     再合掌

2000トキ:2013/02/01(金) 21:02:53 ID:QuzhyFVA
謹告

 従来、スレッドの投稿数は、2000を限界にしておりました。
が、現在のペースで投稿が続くと、数年で板が満杯になります。

 調べてみると、スレッドの投稿数を増加する事が可能な事が分かりました。

 そこで、誠に勝手ですが、掲示板の投稿数を今後は6000に増やす事に
いたしました。

 以上、勝手ですが、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

2001トキ:2013/02/01(金) 21:03:47 ID:QuzhyFVA
引き続き、この掲示板をご利用下さい。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

2002a hope:2013/02/03(日) 09:22:53 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう

◆立派な人の伝記をお読みなさい

本にかいてあることは、ただお料理の材料みたいなものであります。
その材料をどのように組みあわせて美味しい料理にし、それを自分の心の滋養物にするかどうかは、
本を読む人自身にあるのであります。

材料のよいところは捨ててしまって、くずのところばかりを「面白い、面白い」といって読んで、
ためになるところを捨ててしまっては読まぬほうがましな位です。

面白いばかりを目的に書いた本よりも、昔から立派な人になったり、
世の中のために尽くした人々の伝記をお読みになることは、たいへんためになります。

文章はコトバの力で、書いてあることと同じように、読む人をならせる力をもっているのです。
つまらぬ本を読んでいますと、詰まらぬ人になりますし、
聖人の伝記を読んでいますと、聖人になりますし、英雄の伝記を読んでいますと英雄になるものです。
(つづく)

2003SAKURA:2013/02/03(日) 19:39:04 ID:Ux7iAm.A
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こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1875>>1876>>1879>>1888>>1889>>1913>>1914>>1923>>1924>>1934>>1935>>1956>>1957
>>1966>>1972>>1977>>1981>>1982>>1986>>1987 投稿の続きです…。
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    

===========【第六章  幸福を完うする秘密  ―その①― 】============
■アン未亡人の三つの悩み 

『ウイクリ−・ユニティ』誌に「女性の幸福五十項目」とでも訳してもよい記事を掲げている。日本
の女性もだんだん欧米化しつつあるので、何らかの参考になるかと思うので、その要點を次に紹介す
ることにする。

 日本の女性にとっても、此の頃、肥える事が悩みとなっている人が多数あるらしいのであるが、僕
など女は肥えてゐても痩せてゐても大した関心はないのであり、ある男は痩せた女性に心を魅かれる
が、ある男は肥えた肉感的な女性の肉体に魅力を感ずるかも知れない。しかし、結局は心の問題では
ないだろうか。肥えゐても、そんなにセクシュアルな雰囲気をもたない婦人もあるし、痩せてゐる
癖に非常に性的な魅力をもってゐる婦人もある。
 それにしてもアン・アダムスといふアメリカ婦人には、極めて重大な問題――しかも中々解決でき
ない問題をもってゐた。それは、非常に彼女の体重が重すぎる、格言すれば肥えすぎてゐるといふこ
とであった。

 もう一つの重大問題は、彼女の働き口がなかなか見つからないといふことであった。彼女の良人は
長患いひをして、結婚以来二十年間もかかって蓄めてゐた貯金を殆ど全部療養費に使い尽くしてし
まってから死んだのであつた。良人の生命保険も、もう殆どつかい尽くしてしまつたので、
生活を得るためには是非就職しなければならなかった。それで自分の出来ると思う仕事先へ
数か所、就職を申し込んだが、悉く無駄であつた。就職をことわられた理由は、もうその年齢
では女性の就職はおそすぎるというのであった。彼女の年齢は既に四十五歳であった。
 
もう一つの彼女の悩みは、孤独感であった。良人を死んで以来、きう知の友達も近よらな
くなったし、前のやうに友人から晩餐に招かれるようなこともなくなった。電話で話してく
れる人さへなくなってしまってゐたのであった。          (抜粋投稿…)
                                
===========================================
PS:トキ様
当時の「アメリカ…」でも、今の日本との差がないです〜〜〜ネ??さて「アンさん」は、
その後どのように展開されていくかが、楽しみです〜〜〜ネ!御主人が亡くなりますと、
一般の主婦はやはり、精神的に大変なようですかと。他人事では、ありませんモノ!!

                             つづく

2004SAKURA:2013/02/03(日) 19:41:44 ID:Ux7iAm.A
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>>1875>>1876>>1879>>1888>>1889>>1913>>1914>>1923>>1924>>1934>>1935>>1956>>1957
>>1966>>1972>>1977>>1981>>1982>>1986>>1987>>2003>> 投稿の続きです…。

【第六章  幸福を完うする秘密  ―その②― 】

>>2003 その①の投稿の続きです…。
■此処で、私の友人とかは、ある一定の年齢になって、急に働くようになりました。(これは、
家庭事情によりますが…)当時は、子供が中学になり、手がかからなくなり、将来を考えて、
「鍋の会社…?ビタクラフト(ドイツ)…」ですが、そこに“求人募集”がありまして、
たまたまそこに申し込んでみますと、面接にて“OK”でした。…が?職種は事務職でした。
御主人は、NTTの工事関係の職員で、その友人は年上でしたのですが、年齢差が見た目にて
感じる事は一度もありませんでした。…が?ただ!!当時の彼女は、いつも口癖のよう〜〜〜
“現場で事故が起きたら?〜〜〜たら?”…その後、一人で子供を育てなくてはとの状況の
時は〜〜〜と思うようになり、子供が中学入ってから「就職…」を決意しまして……彼女は
“念願”がかないまして「有名な…鍋のメ−カ−(ビタクラフト)」に、就職できたわけです
〜〜〜ョネ!!

私の記憶では、当時!その「鍋セット…10万?」でしたが、それが“卸…”で進めてくれて
ましたので、妹を紹介しまして、購入してくれました。…今!思い出しますと「主婦…」にな
りますと、「鍋…」一つでも、料理をしますと、それなりの“価値観”が分かり、また、家族の
問題とか?子供の問題とか?それなりのいろいろな“問題”もあり、今回「アンさんの問題…」
を参考に致しまして〜〜〜女性の場合は、社会からの受け入れ体制は、当時は、現在以上に、
【大きな壁…】がありましたです〜〜〜ョネ!

さて…私も、一つ悩み問題!!現状の“肥満なるボディ−”なので、どの様にこのストレス
を解消しますかが〜〜〜問題なのですモノ。ある人が「精神状態で痩せて行く」とのアドバ
イスを……>< 次回が楽しみで〜〜〜すネ〜❤〜???

■最後に「雅春先生」の言葉に〜〜〜❤!
【 新しい女性は「今」を完全に生きなければなりません。「今」と云うものを完全に生き切る

では、次は“ 心を不調和から調和に一転するには ”で〜〜〜す。   つづく

PPS
完全に生き切る女性こそ新しい女性なのです。エマ−ソンは、…
「あなたのハ−トに1年のうち最も善き日が『今日』であることを銘記せよ。『今日』と云うも
のはどんな華麗な衣装よりも更に更に絢爛と輝くあなたの衣装なのです」と言っています。

2005さくら:2013/02/04(月) 07:29:37 ID:y2p6rnoM
合掌ありがとうございます。


本日、2月4日は、雅春先生を通して、
生長の家に『自他一體』の天降った日です。



ありがとうございます。



2006さくら:2013/02/04(月) 07:30:12 ID:y2p6rnoM
「自他一體の神示」 谷口雅春先生

『生命の實相』を讀んで自分だけが眞理を悟つてそれで善いと思ふものはまだ“生命の實相”を悟ったものではない。
眞理は自他一體のものであるから、ひとに傳へるとき、其處に『結び』の力が發現するのである。

『結び』は愛の力、慈悲の力、神の力、佛の力である。
これを日本古道ではムスビ(産靈)と言ひ、ムスビによつて醸生(神)の力、即ち生々化育の力が發現して来るのである。

だから『生命の實相』に書いてある通りのことを病人に愛の心で話してあげれば、ただ、話をするだけで病氣が治るのである。
話が下手なら『生命の實相』の中で『光明の眞理』のところを、本の由来を話してから讀んで聞かせてもよい。

神の道では『結び』の反對『切る』ことを最も厭ふのである。
怒つたり、審判いたりするのでは心で切るから善くない。
離縁、背信、忘恩、不忠、叛逆等がすべて善くないのは人と人との間を切るからである。

『神』は『道』であると云ふのも『道』と云ふものは離れてゐるものを結び合はす働きがあるから『道』即ち神である。

結び合わす働きがなくて、審判く働きばかりあるものはどんな善人でも神に遠い。

一人の男子が縁あって一人の女性と結ばれたならば再び離れるのは『道』ではない、それを圓く結んでやるのが道である。

神の道を知り『生命の實相』を知ると云ふこともその道びきになる人々の間には深い因縁があることであるから、橋掛けになつた人の恩を忘れてはならぬ。
自分はもう神と直取引が出来るから、橋掛けになつた人の恩は忘れても良いと思ふやうな人は、自分はもう神を知つたから神に背いても好いと云ふのと同じく不合理である。

『生長の家』を知らしてくれる人は其の人にとつて天の使ひであるから何日までも恩を忘れてはならぬ。

日本人は忠孝一貫恩を忘れぬ國民であるから強いのである。

今度の戰ひは國民の魂の質から言へば知恩と忘恩との戰ひ、『結び』働きと、バラバラに分離する働きとの戰ひである。
バラバラに分離する働きは結局自滅して『結ぶ働き』が世界を統一する。
醫學て大和の醫學は結合の醫學であるが外國の醫學は分析の醫學である。
『生命』は綜合の統體であるからバラバラの醫學では解らぬ。

(昭和七年二月四日神示)

2007a hope:2013/02/04(月) 09:20:01 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう

◆善い本は同じ本でもたびたび読みなさい(p129〜)

数をたくさん読むよりも、すこしの立派な本をよく味わいながら読むことは、その人の精神を立派なものにします。
むやみに大食するよりも、適当な養分を適量にいただくほうが健康によいようなものであります。

よい書物は一遍や二編読んだだけで捨ててしまわないで、十回でも二十回でも、繰返し読むことです。
本の表紙は大切にして上包みでもして、一遍読み終わるごとに取りかえて、新しい気持ちを出すのがよろしい。

本の中味は、読んで感心したところに赤い線を一度引いておき、
その次にまた感心したところには青い線を引いておくなどもたいへんよろしい。
本にすじを引くのを遠慮することはいりません。

読んだときの感想などを本の余白(あいているところ)に書いて置くことはあとでたいへん参考になり、
大人になってからも、自分の少年少女時代にこんなところを、
こう考えながら読んだのだな―――と思い出すのも楽しいものです。

本の中に、こうして書きこみを作るのはよろしいが、読みかたにフリガナを鉛筆でつけておくなどはよくありません。
漢字をいつまでもおぼえないで、仮名ばかりをあてにして読むようになると、文字を憶える力がなくなります。

本は大切にしなければなりません。
本を大切にしない人は、本から教えられることもすくないのです。

早稲田の野球の監督水原義雄さんはバットを非常に大切にして一緒にだいて寝るくらいだったから、
 イザという時には、きっと、そのバットがボールにカチリと当って勝つことが出来たということです。
(つづく)

2008SAKURA:2013/02/05(火) 15:22:12 ID:rqQQibm6
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日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
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投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    

===========【第六章  幸福を完うする秘密  ―その①― 】============
■心を不調和から調和に一轉するには

 彼女はこの現象のみじめさから心を一轉し実相の光明に振向かうとつとめるのだったけれども、
それは不可能であった。現象のみじめさを思ふまいと思へども思ひ出されて来るのであった。

 彼女はその頃、人生相談の回答者として有名になってゐた或る教師を訪問した。そして泣きなが
ら自分の悩みをうちあけたのだった。

 その教師は、彼女があるだけの感情を涙と共に放出して、心が静まり、涙がかわいてくるのを待っ
て、彼女を同情の眼をもってみつめながら深切な語調でたづねた。

「あなたは、御自分の住居はお持ちですか」
「はい」
「それは有りがたいことですね。それからあなたの健康はどうですか?」
「健康でゐられることを感謝してをります」
「それはありがたいことです」
 と教師は微笑をたたへながらいった。――
「ねぇ、あんた、色々と問題をもっていらっしゃるやうですけれども、結局はそれらの問題は一つに
歸著(きちゃく)しますね。あまりあんたは問題をにぎり過ぎるのがいけないのですよ」
 彼女はその言葉をきくと魂に希望の光が射して来るやうに感じた。そして、
「先生、先生の仰言る通りに、わたくしいたします。問題は一つに歸著すると仰言いましたが、それ
はどういふ意味なんでございませうか」
 教師は印象的に手を前方へ突き出しながら説明した。
「あなたは、今ある幸福を心に思はないで絶え間なく問題ばかり掴んで考へつづけてゐるのです
よ。不調和を癒す道は、調和を考へるにあるのですよ。病気を癒す道は健康をかんがへるにあるの
ですよ。孤独の境涯から逃れる道は孤独を考えないで友達のことを考えるにあるのですよ。それら
の問題を一つにまとめますと、こうなるんです。すべて吾々の問題の解決は“今ある神からの恵福
(めぐみ)”を考へることなんです。あなたは自家へお帰りになったら、先づ、今あなたが受けてい
る恵み――これは感謝しなければならぬ幸福だといふもの五十種類思い出して、それを書いて御覧
なさい」                          (谷口雅春著)
=============================================

PS; 「トキ様」へ
【個人相談…】は、若い時は、素直に相談していました。…が?「タタキ男…」に、出会って?
その後の私は【個人相談…】は、自分の問題は別にして“他人の問題”ばかり相談するような
傾向でしたでしょうか??やはり、私自身の心には複雑な心境が〜〜〜

今は神様には〜〜〜』と云った感じがありました。…が?最近では、率直に言いますと、
私は【神様に祈り…神想観で神様の御心になしたまえ〜と!導きたまえ〜と!…祈っている】
のです。ですので、【祈り…も実相顕現】です〜〜〜ョネ!!


                       つづく

2009SAKURA:2013/02/05(火) 15:25:43 ID:rqQQibm6
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>1966>>1972>>1977>>1981>>1982>>1986>>1987>>2003>>2004>>2008>> 投稿の続きです…。

【 第六章 幸福を完うする秘密  ―その②― 】

>>2008 その①の投稿の続きです…。

現在の【個人相談…】は、どうなんでしょうかと。私の場合は、過去の於きまして、結局!
相談しました話…?逆にその“内容…”を利用されました苦い経験が〜〜〜ありますから?
『人 生 の 問 題』は、内なる「神…」との〜〜〜対話になりますでしょうかと。

此処で【別板…】で「死にたいと言われた方」は、きっと、何か問題がありそうです。
まず!その人の心の嘆きを?まず!耳を傾ける事が大切ではと。先に、自分の“自慢話…”は、
「人生での難問題」の悩みがある人は〜〜〜耳を傾ける事は、ないのです〜〜〜ョネ!!
【先祖供養の話】なども、まずその人の立場で聞いてから、それから“次へ”と、タイミングを
考えまして“導く事”ではと思います。…が?すぐ!【先祖供養…】と云います事は?相手が、
無神論者の場合には、果たして何処までの理解が足出来ますでしょうかと考えますと“ビックリ”
しました。…が?(今回の“別板での相談投稿の方は、問題が解決に至ったそうで…^^)

■「萩窪…」に住んでいた頃、当時!第二教区に出入りしていました。…が?そこで、当時の
トップの人が「相手の良かったところ?いい印象のところ?をお互いに記載して“何点”その人
から貰えるかのゲ−ム」をしました。例えば…「ある人は全くもって無〜〜〜い!」・「何さんは
とても親切にしてくれた」・「何々さんは笑顔が良く、よく気がきく」…etc点数の多い人程〜その
人は【幸福な人生を歩むこと〜〜〜】になりますかと。私は当時“ひねくれ?”ていましたので、
讃嘆よりも「笑顔が足りない」と言われました“言葉…”が、始めての“採点…”で、やはり、
この時の“ショック”はいまでも〜〜〜><心の奥に残っていますでしょうか??その後、私は、
そこでの開催行事には参加しなくなりました。やはり、他人からの言葉にて【自信…喪失】かと。
当時は【自ら“神の子”という本性の自覚が・・・足りなかったのではと】当時!他人の言葉に
自らを翻弄されてしまったような感が致します。相手の【比較主義論…】は、差別みたいな感じ
が致しますが〜〜〜><
それよりも「リ−・ミルティアさん」が“アドバイス”してくださいました〜〜〜事柄が〜〜〜
【一日の良かった子ちゃん…が!それは、どれ位善い事があったかを書く“日記”】は“グ−”!!
つまり【自分自身を正しく見る!…本当の自分を…これは実相世界】に入る事を意味していくモノ
かと。心が前向きになるので〜す。そして、私も『神の恵み…が?どれだけあるのかしら〜〜〜ン』
今日から、久しぶりに記してみましょうと思います。「50項目!探してみましょうと???」
これは【 生長の家…自己讃嘆… 】と同じ事です〜〜〜ョネ!

❤〜その後の〜〜〜「アンさん」は、どうされていくのでしょうか?興味深く〜〜〜???

「トキ様…」も【個人相談…】は、去年までは“大事とか?”おっしゃっていました。…が?今年
は【聖典・教義よりも〜〜〜組織・運営のほうが大事とか?】信仰の姿勢が、変化していって
いるのですネ!!但し、それが、結果的には“良い事?”“悪しき事?”…如何かと。冷静に見まし
ても「信者…」を大事にしない“幹部職”が多いようです〜〜〜ネ!!そうしますと、
必ずや【神様の御心に叶うものかと?従いまして…それなりの事が起きるかもしれません。】

私は今年に入り「管理人…トキ様」の【中道論…】とお聞き致しておりますが〜〜〜
情緒不安定に、思えてなりません。…が?                   再合掌

                     ❤〜次回は「アンさんの感謝行」で〜〜す。

2010NANCY:2013/02/05(火) 20:32:11 ID:LyynxGoY
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
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>>1955>>1983>>1988>>1999 の投稿の続きです。

===【谷口 雅春 先生 著】============================= 

■人の光明面のみを 観るのが“ 愛 ”である
   
人の光明面を観よ。人の光明面のみを観るのが“ 愛 ”である。人の暗黒面のみを
観るとき、観る人が地獄に堕ちるのである。誰にも皆、光明面と暗黒面とがあるので
ある。誰でも皆、美点と欠点とがあるのである。そして、観れば見た面が強くあらわれる
のである。

                        谷口雅春著 『愛はかくして完成す』より
=============================================

■相手から、美点…つまり“讃嘆”されますと、こちらも“うれし〜〜〜い!楽し〜〜〜い!と…
こころもウキウキしていきますので…これが繰り返し〜〜潜在意識に入りますと…『自信…』に
繋がりますでしょうかと。そうしますと…ますますとその自信に満ちた行動になりますでしょう。

「教育問題…」でも、よく世間でいいますところの『誉める!!讃嘆する!!』この旨を、踏まえ
ての指導は、やはり子供の個性を伸ばすうえで、大切な事と思います。

余談ですが、やはり子供の”こころ”は、素直ですから…この「讃嘆された言葉…」素直に
『脳内回路…』に入っていく事と思います。…が

                                    再合掌

2011a hope:2013/02/06(水) 07:53:05 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう

◆本に書いてある知識をつかう力を養うには(p130〜)

吾々は本を読んで、それをおぼえるばかりでは充分だということは出来ません。
おぼえるだけでは、ただ人間が辞書(じびき)になるに過ぎません。

どんな知識も、それを自分の自由につかいこなすことが出来ない間は、
つかい方のわからぬ道具をむやみに買いこんで箱にいれているのと同じであります。

どこへ、どういうようにつかえばよいかがわかったときに、その道具が役に立つように、
本を読んで得た知識も、それを応用し、つかう力が出来ないうちは、役にたたぬのであります。

本に書いてあることをつかう力をやしなうには、本をすこし読んでは考えながら、また読むことです。
(つづく)

2012NANCY:2013/02/06(水) 20:37:40 ID:dGeUHjWM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
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>>1955>>1983>>1988>>1999>>2010の投稿の続きです。

===【谷口 清超 先生 著】==============================

■ 希望を失わずに進んで行けば、必ず道がひらかれる

  私達は、決してみせかけの失敗や破綻に失望落胆してはならないのです。
  たとい周囲の人が、みな「絶望だ」といったところで、絶望しない者にとっては、
  絶望はない。
  困難も、それにたち向い、克服する者にとっては、かえってすばらしい向上の機会に
  他ならないのです。

                    『サラリ−マンの精神衛生』より
==============================================

■私達は、失敗・破綻により…【自信喪失…】になってしまいますモノ!あの時?あの場所で?…
色々悩みあぐねますと、益々と“ 闇の世界 ”へと…底知れぬ“ 暗黒の世界 ”への終着駅で
しょうか…?そうです〜〜〜ネ!【打ちひしがれた“心模様…”でしょうかと】

私は「生長の家…御教え」…つまり「真理…」にふれるまでは、底知れぬ“ 闇の世界 ”へと…
前向きに進むことが…中々出来ない状態が、過去の私でした。日常生活に於きまして、ほとんど
不安感を感じる方でしたかと。皆様の中にも??多少は思い当たる事ではないでしょうか??
私事ですが…特に此処、FUKに於きましては“ビックリな出来事”が…><

しかしながら「真理…」にふれる事により、今までの【自信喪失・自己不信…】を、克服する事
こそが、生きていく上で大きな利益になる。つまり「希望…目標」に向かうためのそれは
【魂の向上】に繋がり…揺るぎない「絶対意識」をもつ訓練の場を、頂いたモノと、思うように
なった次第なのです。

■“心のチャンネル”を切り替え、この【失敗・破綻…から来るところの不安】を、バネとして、
❤【不安をチャンスに切り替え…】まして、【今!この事が価値あるモノに繋がる】と…
この強い『不屈な精神…』これこそが…次なる機会ヘの【鍵…】かと……
そのように思える私自身……になり始めています。

❤〜今日は駄目だった……>< 明日こそ!明日こそ!手につかむ!!でしょう…… (ほほ笑み)

                                    再合掌

2013SAKURA:2013/02/06(水) 23:18:01 ID:dGeUHjWM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1875>>1876>>1879>>1888>>1889>>1913>>1914>>1923>>1924>>1934>>1935>>1956>>1957
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投稿の続きです…。
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    

===========【第六章  幸福を完うする秘密  ―その①― 】============
■“ 今持てる幸福の目録 ”

 「五十種類の幸福ですって?そんなに……無論わたくし感謝しなければならぬ恵みが今でもニ、三
はあることを知っていますが、そのように沢山の幸福をもっているとは思いません」
 教師は愉快そうに笑った。

「そんなに沢山、あんたが神様に感謝すべき幸福をあれこれを探し出さねばならないというと、吃驚
なさるかも知れませんね。しかし、少し時間をかけて、御自分が持っている。“今の幸福”を目標に
して書いて御覧なさい。五十種類位はすぐ出て来ますよ尾。五十種類の幸福リストが出来たら、私に
電話して下さい」

 そこで彼女は自宅へ帰ると、ノートブックと鉛筆と出して、それに「吾が持てる幸福」という題
を書いた。そして題の下に、あの人生指導の教師と話していた時に思い出した幸福、
一、わたしは自分の家を持っている。
二、わたしは、健康である。
そして、テーブルにその鉛筆を置きかけた時に彼女はもう一つ自分の幸福を思い出して書いた。
三、 わたしは夜、熟睡することができる。
さて彼女は居間に入って部屋着に着がへかけたときに、自分の手首に腕時計があることに気がつい
た。これも“自分の今もてる幸福”である。その時計は午後二時を指していた。そんなにもう時間が
たっているとは考えてもみなかったのである。彼女は九時頃に朝食をたべた切りまだ何も食べていな
かった。いつもは、正午頃になると、昼飯が待ちきれない位に餓えを感じてたくさんの食事をとるの
に、(それが肥満の原因でもあった)どういうものか、その日は、まだその時間になっても空腹を感
じていないのは不思議だと思った。
 
 部屋着に着がえてから、彼女は簡単な食事を、主として生野菜のサラダで済ました。それでも彼女
は充分満腹した感じだった。
 食後、彼女は流し場で、お皿を洗いながら、窓ガラスを通して裏庭に眼をやった。
 そこには花園があって春たけなのに緑の葉が伸びて花が咲いていた。あの、かって板はりつつ植え
つけた紫苑が所せまきまで込み合って繁茂していることよ。彼女は良人の死んだ時以来、忘れたよう
になっていた古い友達のジェーン・ウィンストン夫人のことを思い出した、“彼女はどんなに此の紫
苑を愛していたことだろう“ と思った。

 彼女は「この紫苑の花をウィンストン夫人に自分みづから自動車で持って行ってあげよう。ジェー
ンはさぞ喜ぶだろう」と思った。それで電話をかけようと思った。その途端に彼女は、「わたしは電
話をめぐまれているし、自動車ももっている」ということにきがついたのだ。

 彼女は急に居間に駆け込んで、
「わたしは電話を持っている、自動車をもっている、幸福にめぐまれている」
と、“今持てる幸福の目録”に書いた。

                       つづく

2014a hope:2013/02/07(木) 08:58:10 ID:TqpbsVIM

今朝は、「生活読本」の謹写はお休みして、昨日の光明掲示板の伝統さまの投稿を紹介させていただきます。
伝統さま、いつも素晴らしい真理のお言葉をありがとうございます。

合掌

2015a hope:2013/02/07(木) 08:59:56 ID:TqpbsVIM
日時:2013年02月06日 (水) 04時46分
名前:伝統
       *醍醐千里・著「魂の約束」より


私たちは生まれるとき、神様から魂をいただきました。
みんなその魂を、自分の真ん中においています。

魂は磨けば磨くほど光ります。

漢字の練習を一生懸命しました。
魂は昨日より光ります。

電車でおじいさんに席をゆずりました。
魂は昨日より光ります。

弟におやつをあげました。
魂は昨日より光ります。

今日はごめんねが言えました。
魂は昨日より光ります。

あの人にありがとうが言えました。
魂は昨日より光ります。

努力をしたり、誰かや何かに優しくすることは
魂を磨きます。


けれど
努力をしたり、優しくすることだけではなく、
楽しいこと、うれしいことも、
魂を光らせることが分かりました。

友だちと楽しく大笑い。
魂は昨日より光ります。

誕生日のプレゼント。
魂は昨日より光ります。

楽しいことやうれしいことも魂を磨くと知って、
私はなんだかホッとしました。

(つづく)

2016a hope:2013/02/07(木) 09:02:05 ID:TqpbsVIM
(つづき)

ある日、そうじをさぼって友だちと遊びました。
友だちと楽しく大笑い。
けれどその日、自分の中の魂を見て驚きました。

あんなに楽しく笑ったあとだったのに、
魂は、光るどころかくもっているのです。


ある日、友だちからネックレスをもらいました。
お店から盗ってきたネックレスだと言います。
ほしかったものなので、
よく考えもせずにそれを受け取りました。

その夜、魂を見てみたら、その日もまた魂は、
昨日よりくもっていました。


ある日、一人が言いました。

ねぇ、あの子、はぶかない?
あっという間に、その子はひとりぼっちになりました。
私は、その子をひとりぼっちにさせる側にいました。
その輪の中で私には、急に仲間が増えました。
新しくできた仲間とともに、おもしろおかしく過ごしました。

そんな日々を送る中、
私は久し振りに、自分の中の魂を見てみました。

私の魂は真っ黒になっていました。
私は、自分の魂の色を見て、
とてもおそろしくなりました。


楽しいこと、うれしいことの中にも、
魂をくもらせること、
魂を濁らせることもあると分かりました。



楽しいこと、うれしいことには、
2種類あると分かったので、
これからは、
気をつけていかなければならないと思いました。

(つづく)

2017a hope:2013/02/07(木) 09:04:12 ID:TqpbsVIM
(つづき)

     *

毎日魂を磨き、
毎日魂の様子を見ているうちに、
私は不思議なことに気がつきました。


磨いたつもりのない日でも、
魂の輝きが、増しているときがあるのです。

そういう日の一日を振り返ってみると、
その日は、きれいな花を見たり、美しい夕焼けを見たり、
そういう日だったことが分かってきました。

映画を見たり、本を読んだり、音楽を聴いたり。

そういうことでも魂を、磨くことができるのです。

楽しいことやうれしいこと、
目にした景色や、聞こえてくるメロディ、あたたかな言葉。
その日その日のなんでもないことも、
私の魂を磨き続けてくれたのです。

     *

できるだけ魂を光らせようと、毎日を送っていましたが、
ある日、私は少しだけ疲れてしまいました。

夢の中で私は、神様に会いました。

夢の中で私は、神様に聞いてみました。

神様、私はいつまで魂を磨けばいいのですか。
私の魂は、いつ完璧に美しくなるのですか。

神様は言いました。

あなたは、あなたの最後のひと呼吸まで、
魂を磨き続けなさい。
みんなその約束をして、地上に生まれているのですよ。

でも、神様、磨き終わらないうちに、
最後のひと呼吸がきたら、
どうすればよいのですか。

心配しなくて大丈夫。
あなたの魂は、最後のひと呼吸のとき、
必ず、最高の光を放ちます。


神様、私にはその自信がないのです。

あなたは、毎日魂を磨いています。
だから大丈夫。
最後のひと呼吸のとき、
魂はそれまでで一番美しい姿を見せてくれます。
何も心配いりませんよ。
あなたの魂は毎日、昨日より輝きを増しているのです。

ときどき、自分の魂を、離れたところから見てごらんなさい。

あなたの魂があなたの体を越えて、
まわりに光を与えていることにも、
気づくことができるでしょう。
このごろでは、あなたの魂の輝きで、
道を明るくする人も増えてきました。


さぁ、戻って、魂を磨いてきなさい。
毎日を楽しくうれしく感謝の気持ちで送るのですよ。
そうするとあなたの魂は、キラキラと光を強くしていきます。

あなたがここに来るのは、まだまだずっとずっと先。
あなたの人生を、楽しんでいらっしゃい。

あなたがどんなに素晴らしい魂を持って、ここに帰ってくるか、
私はそれを楽しみにしています。

(つづく)

2018a hope:2013/02/07(木) 09:05:34 ID:TqpbsVIM
(つづき)

    *

目が覚めた私は、
それまで気づかなかったことに気づきました。

昨日より今日。
今日より明日。

私の魂は輝きを増し続け、毎日新しく生まれ変わります。
そして必ず、その日の魂が1番光る魂。


少しの努力、優しい気持ち、
そして
うれしいこと、楽しいこと。
日々の中に散りばめられた美しいもの。


神様との約束を思い出したので、
私は、なんにも心配しないで、
毎日を送っていくことができそうです。

なんにも心配しなくても、
私の魂は、昨日より光ります。

光り続けます。          

(完)

(著者のことば)

最後までお読みいただきありがとうございます。

        * * *

2006年秋の発表以来、卒業式や朝会、道徳の時間、また学校通信、学級通信、
小学校の読み聞かせ、高校の教育講演会、病院等、さまざまの場で読んで頂いて
おります。

勤務校の廊下で書き上げたこの詩が、今こうしてたくさんの方々の心に深く
受けとめていただけるようになったことに、毎日感謝の気持ちが絶えません。
ありがとうございます。

HPやブログ、メールマガジンへの転載につきましてもお問い合わせが
続いておりますのでお伝えします。

一人でも多くの方、子どもたちに読んでいただけたらこんなに嬉しいことは
ありませんのでどうぞご自由に転載なさってください。


・・・

参考Webとして、以下の(「生長の家“本流宣言”掲示板」内)のスレッドがあります。

(1)人生は魂修行の場
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=89

(2)地球は魂修行の学校 (2925)
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=575

            <感謝合掌 平成25年2月6日 頓首再拝>

2019SAKURA:2013/02/07(木) 11:35:44 ID:bvtHsLjY
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こんにちは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1875>>1876>>1879>>1888>>1889>>1913>>1914>>1923>>1924>>1934>>1935>>1956>>1957
>>1966>>1972>>1977>>1981>>1982>>1986>>1987>>2003>>2004>>2013 >> 投稿の続きです…。

【第六章  幸福を完うする秘密  ―その②― 】
■“ 今持てる幸福の目録
>>2013その①の投稿の続きです…。
 彼女はジェーン・ウィンストン夫人に電話をかけると、夫人は非常に喜んで、「あなたが紫苑をも
つてこられたら、ディンナ―を御馳走いたしますから暫く話して下さる時間を予定して置いて下さい」
という返事であった。

 その晩アン未亡人は、“今持てる幸福の目録”に、
「わたしは再びよき友達を得た」
と書いた。

こうして彼女の“今持てる幸福の目録” 書き込まれる事項は段々と殖えて往つた。それにつれ
て気がついたことは、神から与えられた色々の恵みは必ずしも肉眼で見えるものばかりでないとい
うことが悟れて来たのであった。最も大いなる神から興えられた惠蘄は、愛とか、誠實とか、知性
とか、叡智とか、深切とか、同情とか、勇気とか、信頼など……といふものであることがわかって
来たのであった。アン未亡人は、“今持てる幸福の目録”がふえて来るのを見るに従って、毎日の
生活が楽しくなって来、焦躁の感じがなくなり、心が落ち着いて来て、悲しい気持が段々晴れやか
になって来るのであった。
                            つづく

PS:トキ様 へ
■【アンさんの個人指導の講師の導き方…】が、私には、ぐんぐんと“このお話”にひかれていく
ように……「そうだヮ!そうなのョネ!」と……本当に、納得するものであり、【個人相談…】は、
ある面、他人を導く時、本当に“楽しいもの?”だと思いました。【自分自身も魂の成長へ…】…

私の「亡き母」の時代の、誌友会は皆さんは、よく勉強されていたのでしょうか〜〜〜?
「亡き母」の時代に、「2代目総裁…清超先生」が、はじめて講習会に登場された時が〜〜〜その
記念となります【 書籍……実相・現象 】でした。そして「雅春先生」の自筆サインが入っており
その本には“ボーダーライン”がぎっしりです。やはり、当時の「白鳩会…」は熱心だったかと、
あらためて当時の事が伺えます。「亡き母」は、忙しい時間を凌いで、いろんな方が相談に来ました。
その人と、一緒になって考える。更に!出来ない事は、それなりに、調べてアドバイスをする事と?
そうして考えていきますと、当時の「誌友会…会員」は多いハズです。

■ある時の事です。長崎総本山の「練成会」に参加して、母と一緒に「見知らぬ人」が〜〜〜><
おまけをつれて来ました。(私の表現)この人は、奈良の出身の人で、どうも学校の“英語教師”だ
とか?それから、その人は、私の家に“3日間位…”でしたか?いまして、最後には“お金”を借り
て帰りました。当時の私は「亡き母」に対し『相談は、本にて解決ができるのではないかしら〜ン』
と云いますと「亡き母」は平然として『どちらにしても“生活”が困っているのだから、まず!
“お金”を貸したのョ…』と答えました。私は、それに対し『お金は戻ってこないわ〜〜〜ョ!』と
云いました。

何故なら“英語教師”で、御主人は“黒人の方…米軍の方らしい”とか……?更に、
“子供がハーフ”になりますし、系統が“黒人に近い外見”にて生まれまして、社会生活が><
ある日、黒人の御主人が『問題…』を起こし、米軍のキャンプに残る事が出来ない状態になったそう
です。この女性の方の選択肢は❤〜【アメリカに行く?もしくは…離婚して子供を育てるか?】と
いう感じの選択肢でした。たまたま【長崎総本山の“練成会…”】に出会いました「亡き母」に
相談した事から、此の人の【新たなる人生の再出発…】が、始まったと云っても過言ではない
のでしょうか??

■今日の私は「亡き母」の【個人指導…】の選択肢は〜〜〜神の御心に叶っていましたのでしょう。
その後……
                                  再合掌

                      つづく

2020SAKURA:2013/02/07(木) 19:23:45 ID:dGeUHjWM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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投稿の続きです・…。

【第六章  幸福を完うする秘密  ―その③― 】
■“ 今持てる幸福の目録
>>2013>>2019 その①②の投稿の続きです…。

■何故!「長崎総本山…」まで行って、当時の「本部講師」に相談しなかったのでしょうか〜〜?

やはり口から出ました言葉は【「本部講師」自身が、信者に対して『さげすむ見方…』が多いとか。】
「亡き母」は言っていました。…が?この人は、当時の“米軍の黒人の収入”が悪く、生活はすべて
自分の“英語教師としての収入”で賄っていましたから、尚の事【アメリカ行き?】は躊躇した
ようです。当然の事ですが〜〜〜「お金も片道切符」ですから、まず「亡き母」は、近所の友人を
つれてきて【個人相談…】となりましたのです。勿論!その中には“お兄ちゃん”の父親も…
当時は確かに【ベトナム戦争…が時代背景】にありましたでしょうかと。
そして、このお兄ちゃんの父親が「塾を開設しても良い能力があるから〜〜」…大丈夫!!

❤〜【日本で黒人の子供を育てる〜〜〜のは?大変な事…?】と、みな異口同音言っていました。
【何 故 な ら イ ジ メ が 必 ず 起 き る で し ょ う 〜 〜ネ!】かと。
現在でも、この「 イ ジ メ 問 題 …」は、色々な形での社会問題になっております〜〜〜ョネ!!
しかしも【海外のアメリカでは“人種差別”があり、更に、兵役の義務にて、どこへ行かされるの
かと思うと〜〜〜><何処になるのか不安ですし、更に、当時の戦線で“ベトナム…”に行くよう
になれば〜〜〜><御主人は、まず!生きて帰って来ない事に><】どちらにしても、この人の
【人生…論】はと、みんなで話しあって、そうこうしています内に、いつの間「亡き母」が、つれ
て来たその女性は、急に“奈良…”に帰ってしまいました。

それから〜〜〜月日がたちまして〜〜〜(その間…相談した人の間には手紙でのやり取りが〜〜)

■忘れもしません!!その女性は【30前後…】でしたでしょうか?そうなのです!!あの時の
“女性…”が【【急にもう一度!何がこの先起きましょうとも、自分の子供は此処“日本で育てる!”
しかも、“イジメがあれば、強い信念にて対処する!”この様に≪子供を育ててみせる!!≫と云って…】】皆さんに“お金を借り”ての“再出発…”となったのが当時の【個人相談…】の結果だったのです。

それから、月日が立ちまして、私が【問題…】を起こした前後の時に、その“女性…”から、
≪大きな封筒に〜〜〜“お金”〜〜〜≫が入っており、しかも!貸した“お金…?倍”となって……
【 書 留 郵 便 】が〜〜〜何冊か〜〜〜(おぼろげな記憶にてですが??)
戻ってきました。その時の「亡き母」の顔の“満足な笑み”が思い出されます次第です。
この方は、その後!持ち前の教師という資格にて【数学・英語の塾…】を開設して…当時「亡き母」
が“貸したお金を資金源”にしての【再出発…】をしたそうです。(かなりの○○○万という金額)

当初!その女性に連絡しますと…❤【【黒人の御主人は【ベトナム戦争…】に派遣されて、多分!
戻ってこないでしょう〜〜〜との返事が来て、更に、亡くなりますと“一人で育てていく事”が、
これからの残された課題で“生命は永遠…”と云って、御夫婦の写真を一緒に添えられて……】
「亡き母」へ手紙が舞い込んで来ました。…が?あれから〜〜〜どうなったんでしょうかと、

この頃は「亡き母」を偲びますと、ツイ!ツイ!【 両親の愛行… 】を身近に見ておりましたので、
感慨深いモノがあります。…が?

■この様に、現在の【 生長の家…雅春先生の真理 】を本当に地道に“行”じた年代が〜〜〜
「亡き両親」の年代でしょうかと…今は【誇り…】に思えます。そして…

                           つづく

2021a hope:2013/02/08(金) 08:20:57 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう

◆元気になる本を読みなさい

悲しいことの書いてある本や小説を読んではなりません。
悲しいことの書いてある本を読みまと、心の中に悲しいことを思いますから、
心が悲しくなり、悲しいことがあつまってきて、身体も弱くなります。

勇敢なことの書いてある本、勇気の出る本、元気になる本、
男らしい冒険のことの書いてある本、人に深切をする喜びの書いてある本などを読むと、
読んだ通りに、勇気のある、元気な、健康な、深切な人になります。
(つづく)

2022「訊け」管理人:2013/02/08(金) 17:48:08 ID:???

『成功の秘訣』(F.L.ホルムス著 谷口清超訳)149頁より謹写――

神よ!吾らに人を与え給え。今こそ
真実の心、強き頭、すぐれたる手を。
金銭で得られぬ仕事への愛をもつ人を。
誇り高き人を、誠なる人を。
下らぬ策略や情実に超然たる
強き人物をこそ与え給え。
たじろがず邪まなるデマを粉砕する人を。
何故なら、下劣な詐欺漢が、ひからびた信条や、
卑しき行為や、下らぬやり方で、
些細なことを論じ合うため、ああ、自由が泣き、
虚偽が地を覆い、正義を持つ人が泣いているから。

――F.L.ホルムス

http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65716146.html

2023SAKURA:2013/02/08(金) 18:53:30 ID:bdP2hNg2
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>>2020>>投稿の続きです・…。 

【第六章  幸福を完うする秘密  ―その④― 】
■“ 今持てる幸福の目録
>>2013>>2019>>2020 その①②③の投稿の続きです…。

■そして…この時の「亡き母」と一緒にその女性の将来を考えて下さいましたお兄ちゃんの
“父親(東大卒)”は、地方講師でもありませんでしたが…><この「地方講師」…肩書きの無い
人ほど…多いのでしょうかと「亡き母」の言葉…です。それで、近所の人達も同じ考え……
私も納得する面が〜〜〜【生長の家…絶対の愛】この基本の理念にての【個人相談…】が、
私の近所の誌友さんの考えでしたかと。

■■さて、月日がたち…ある時の事!調布から“玉川の高島屋”に買い物の帰りの事です。偶然!
バスの中で〜〜〜当時は知りませんでしたが……?「母親は有名人?」ですかと。そうしますと、
“黒人の方との間に子供を出産され育て上げた方…”が〜〜〜いましたですョネ!!ご存知で
しょうか?確か?今では≪コマーシャル≫に出演でしたかしら〜〜〜ン!実は、乗車しまして、
後方席の方へと進みますと、何と!その方が、私の座席の後ろに座って、横に“子供さん…”が?
その“目の大きい!綺麗な瞳!…”その子供の“顔…表情”と云いますか?印象としては、
「肌が黒いのですが、素直な顔…」を、していた事が思いだされます。
ふと!「今回の奈良の女性の方」を思い出しまして、私の“脳裏”に、きっと大変だったのでは?
と、その“有名人の伝記”を読んで「亡き母」のした事は❤〜【やはり“ 愛 ”なのですネ!】

今回「アンさんの個人指導のお話」から〜〜〜?思い出してしまいました。余談ですが…私も、
逆の立場にて「お金をお借りした事」はあります。…が?私も、当時は、苦しい状況で“お金”
を借りて、それが、すぐさま返せなく、相手…に対して、嫌な感情を抱かせてしまいました事を…
思いだしました。

■でも、今の私も「亡き母」のした事は
❤〜【世間では“お人よし…”と云われて、その瞬間はバカ!バカ!にされたカモ】〜〜でも!!
【 相手を信じての“行…”しかない!! 】と「亡き母」の言葉に【個人相談…】は〜〜〜
難しいと思いました。かなりの“智慧…体験”がいりますかと。どうしても、人は自分自身の
体験しました?或いは似た環境の対象の方しか【個人相談…】は難しい点がありますでしょう…。

■■当時!この「女性…」は、「長崎の総本山」の「本部講師」に相談しますと、
【黒人の子供を出産した事を、まるで“売 春”みたいな表現での“言葉”を頂いたそうです】…
まして【更に!!さげすむ見方…視線が?】かなり“落ち込む”精神状態になったそうです。…が?

■【だれも相手にされず、「亡き母」が一人だけ“声…”をかけて、それから個人的な話に…】その
様になったそうです。母が私に教えてくれました事は“英語教師…”と聞いて、親近感?でしょうか?
「亡き母」はその人と一緒に「英語で話…が出来る事」にある面“心を開いた”のかしら〜〜〜ン
と…私が≪中学1年…≫までは「亡き母」が教えてくれました。…が?仕事で忙しくなり、
英語は、姉は≪高校2年…≫まで習っていた様です。…が??

■■【個 人 相 談】…これは其の人の「人生を左右する“羅針盤”・・・」となりますから、
如何に重要なのかと思う次第です。場合によりましては「潜在意識に…」そうです〜〜〜ョネ!
【自信喪失…】に繋がるモノと考えますと・・・・【個人相談】での
「言葉…=言霊」これは、導く側としては、もう一度!考えるべきモノかと、個人的に思います。
                              再合掌

2024NANCY:2013/02/08(金) 19:59:52 ID:bdP2hNg2
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>>1955>>1983>>1988>>1999>>2010>>2012の投稿の続きです。

===【谷口 清超 先生 著】==============================

■「 困 難 」と見えるものは 成功への足がかりである

  「困難」と見えるものは、成功への足がかりなのだ。人間は、如何なる困難にもへこ
たれず、それを逆に活用し、そこから又と得難い教訓を学びとって、
初めて立派な人間となることが出来る。困難にうちひしがれることなく、
決然として立ち上がろう。そして、生き生きと積極的に生き抜いて行こう。

                    谷口清超新書文集4 『真実を求めて』

==============================================

■「 困 難 」此の文字?言葉?を、見ますと…><
どうしても、目の前に【大きな〜大きな〜壁!壁!】が立ちふさがると云います感じでしょうか?
「出来ない!」「治らない!」「無理…!」…この様なネガティブ感情ばかりでしょうか><

そこには、すでに【自 己 限 定】が、潜在意識に入り込んでいますでしょうかと。
そうです〜〜〜ネ!【限定する!】この事は、前に一歩も進みません。そこで【停滞…路線?】
或いは【妥協…路線?】になりますでしょうか?

■今思いますと…この【困 難】こそが、それを“バネ”として…次なる“ステップ”に行くことの
出来ます大切な〜大切な〜【通行手形?…】でしょうかと。若い頃は、???をして見ましょう!
その様に思っても…当時の私は【資金が?能力が?…etc】とのア〜〜〜ダ!コ〜〜〜ダ!にて、
随分と大切な時間を“無駄…”に過ごした感じがします。今でいいますと【後悔!!】かと。

要約〜〜〜その眼の前の「現実=現象」に心をとらわれることなく…「誠意在意識」の〜〜〜
奥を観て…それをこの現実にもって来ることが可能!出来る!と云います【絶対意識…】を、
少しづつ私のマインド・コントロ−ルとして、只今【修行中…】で〜〜〜〜す。

❤ 積極的に!!邁進!!〜〜♫〜〜ワン!ツウ!スリ!〜〜♫〜〜

                                     再合掌

2025さくら:2013/02/09(土) 06:57:48 ID:sh8EJSx.
合掌、ありがとうございます。

本日、二月九日は、

『上求菩薩・下化衆生の神示』が、天降った日です。



2026さくら:2013/02/09(土) 06:58:25 ID:sh8EJSx.
『上求菩薩・下化衆生の神示』 谷口雅春先生

實生活は捨ててはならず、捨てねばならぬ、そこが難しいのである。
實生活を捨てるのも自分だけ浄まるために捨てるのと、他を救ふために捨てるのと二種類ある。

實生活をあまり忙しがるな。
皆の者が『道』をきき病ひを癒して貰ひたうても遠慮して頼みに來にくい。
そのうちに救われる機縁を失うて取返しがつかぬやうになる人もあるのが可哀さうだ。

同じ家族でも心の持方、悟りの程度で、ひとりひとりの運命は別々である。
わが第一の神殿は皆の誠によつて形の世界へ顕はれたから第二の神殿に取りかかつて貰わねばならぬ。

第一の神殿は聖典『生命の實相』であつて智慧のの神殿である。
第二の神殿は愛の神殿であつて、神が愛であり、愛は癒す力であることを知らす『見眞道場』である。

智慧と愛とふたつの神殿が『生長の家』に揃へば全世界の地上天國建設の心柱が出来るのである。
この心柱は心の柱で智慧と愛との十字である、卍である。

(昭和七年二月九日神示)

2027a hope:2013/02/10(日) 06:45:42 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう

◆良書を読んで運命を好くしましょう

凡ての人間は自分自身の運命の製造者であります。
自分が出世するのも、富豪(かねもち)になるものも、
運がよくてなるのではなく、運と云うものは皆自分がつくるものなのです。

人間は自分の運命の建築技師であるばかりでなく、
一つ一つ自分の運命をきずきあげる煉瓦(れんが)を自分で積むものなのです。

諸君は時間を大切にしなければなりません。
貴方は時間を如何に使っていらっしゃいますか。

二十四時間のうち、学校で六時間ほど勉強したら、あとの十八時間は何につかっていらっしゃいますか。
八時間眠るにしてもまだ十時間もあるでしょう。
お食事や休憩の時間に三時間位とっても、まだ七時間もあるでしょう。

その中の五時間を自分の定めた勉強の時間にして御覧なさい。
毎日五時間、これと定めた目的のことを勉強するならば本を読むにしても、
音楽を勉強するにしても、そのほか何を勉強するにしても、二、三年のうちには余程上達して、
五年もしたら、その方面の名人にもなれるものなのです。

何もせずにぽかんとしていたり、役にもたたぬ、勉強にもならぬ、
つまらない仕事に時間をつぶしていては世の中の落伍者(おちぶれもの)となるほか仕方ありませぬ。
(つづく)

2028NANCY:2013/02/10(日) 22:03:44 ID:dGeUHjWM
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>>1955>>1983>>1988>>1999>>2010>>2012>>2024の投稿の続きです。

===【谷口 雅春 先生 著】==============================

■経験は魂の栄養素である、感謝して受け、味わうべし

経験は、魂の食物みたいなものである。どんなに貧しい経験であろうとも、
どんなに苦しい経験であろうとも、それは、他の経験では得られない種類の
“ 魂の栄養素 ”を、含んでいるのである。
だから、それを感謝して受け、その経験が自分に何を悟らせようとしているかを
よく噛みしめて味わうべきである。

                   『如意自在の生活365章』より
==============================================

■■【経験…】これは、ある時は自信をつける時もありますが〜〜〜この【経験…】が、失敗と
いう結果の時が“問題…”なのです。その時の“心の持ち方”この事が、この先の「人生の方向」
を、決めてしまいますかと。

どうしても失敗の経験は、自分をなじんだり、悲観したりして…“ネガティブ思考…”に陥りやす
くなりますでしょう。自分を客観的に見る事が、若い頃はどうしても出来なかったと、今振り返り
ますと…かなりの“遠まわり…”をしてしまったかと思います…。自分自身を低くみてしまった
感が致します。【本当の自分探し〜♫〜】を……しなければと!

この「生長の家…御教え」を【SAKURA】 さんから紹介して頂きまして…その“失敗…”の意義が、
解りましたのです…。此の“失敗…”を、“失敗…”だとそこで掴んだ“心…”で停滞するよりも?
(ふさぎ込んでしまう事よりも?)><【不屈の精神】にて…これは一つの“デ−タ−”ができた…
【目標…クリア】するための、次なるステップに進みます時の情報デ−タ−と、潜在意識に入れ込み
ますと、新しい方法?つまり前向きの考え方が、浮かんできました。

                つづく

2029NANCY:2013/02/10(日) 22:05:06 ID:dGeUHjWM
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>>1955>>1983>>1988>>1999>>2010>>2012>>2024>>2028の投稿の続きです。

【谷口 雅春 先生 著 『如意自在の生活365章』より 】================

>>2028投稿の続きです…。
■私も…ふり返りますと…【転職組…】です。【SAKURA】さんと仕事を組み出しました時…
そうです〜〜〜ネ!分担作業として【SAKURA】さんは「デザイン・パタ−ン」を担当…!
『縫製部門』は二人仲良くでしたかと。当然ながら“営業”と云いますか「販売=接客」は“私…”
なのですが〜〜〜><当に!青天のへきれき〜〜〜><お客様との“会話…”に、先ずは、躊躇し
てしまい、そうこうしていますと、タイミングが合わずに“お客様…”が〜〜〜
しかも…私でなければ“彼女は販売は出来ないヮ!”と云います“力…”んだモノがありましたかと。
ですから、そういう時は、どうしても思考がそちらに行ってしまい…自分達なりの【営業ノルマ…】
が、思うようにいかない状況でした。…が?それに、当初は資金も無く【絶体絶命…】の後戻りの
きかない状況でした。しかも『販売は〜〜〜大嫌い〜〜〜イ!』という正直な話?“バカにした
モノ“が〜〜〜この様な”固定観念“が〜〜〜><私の潜在意識にはありましたかと…。いざと
なりますと難し〜〜〜イ!これが感想です…。【自分に返って〜〜〜やまびこ!】

❤〜ある時【そのままの姿の二人…】で〜ハンディ−があっても接客出来る!【二人で一人前…】
との考えで【SAKURA】さんも接客を一緒に…「ア〜〜ウン〜〜」の呼吸にて初めますと…但し??
“組み初めました頃”は、随分メチャクチャなる販売を致しましたが…その後…「営業数字…ノルマ
達成」となって行きました。(微笑)そして、私の気持ちの上でも「お客様がワザワザ来て下さって、
私共の商品を購入して下さる」何時しか『感謝…』の気持ちが芽生えました…。そうしますと…
「販売の会話がルン〜〜ルン〜〜♫」楽しくなりました…。そして、一番嬉しく思いましたのが…
或る≪財界のトップ≫の方が「あなた達と会話するのは楽し〜〜イヮ!」ワザワザ…大阪在住でし
たが、東京に上京するに至り、私どもの住まいまで足を運んで下さいました事が、印象的でした。

■この様に一度は“心の持ち方を失敗”しましたが、これを経験として“心のスウィチ”を、変え
る事により、結果的には“良い方向”へと進んだ訳です…。しかもこの事が【自信へと…】

■■どんな失敗に経験でも、これを「不屈の精神」でクリア−する事で「自信」を見出す事ができ、
最終的には、これを何度も何度もマスタ−する事=前向きに進む事により【人生の成功】ヘの道を
進む足がかりかと、この頃は思う次第です。 

                                   再合掌

2030a hope:2013/02/11(月) 08:23:32 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう

◆世間は偉い人を見のがさぬ

自分でこの世界に道をひらいて行く人の前には、どんな邪魔者も、自然に姿を消してしまうのです。

あなたの生まれがどんなに貧しくとも、また職業がどんな仕事でも、
そんなことは人間の値打には何の関係もないことなのです。

それは途中の出来事であって、豊臣秀吉の血筋だと云っても、
それは中村弥助と云う百姓の血統に過ぎないのです。
蜂須賀小六(はちすかころく)と云う盗賊の弟子をしていたこともあるのです。

祖先に遡(さかのぼ)ったら、出世していた祖先もあり、落ちぶれていた祖先もあります。
しかし、もっともっと祖先の祖先のその又祖先に遡って行きますならば、皆さんはすべて神様の子孫なのです。

皆神の子であって生まれが悪いなどと云う人は一人もないのです。
神様の子はどれほど出世しても出世しすぎると云うこともあり得ないのです。

どんなに力を出してもこれで力の種切れだと云うこともないのです。
出せば出すほど力が出るのです。
勉強すれば勉強するほど力がつくのが人間なのです。

つまらない遊びにつぶす時間を、十分間でも二十分間でも節約して、
その時間によい書物を読んで立派な人間をつくることです。

本と云うものは、兎も角、立派な人が一生涯かかったような研究を、
しばらくの間に知ることのできるようにまとめたものですから大したものです。
(第十一章 終わり)

2031SAKURA:2013/02/11(月) 20:16:23 ID:ybpOApPc
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>>2020>>2023>>投稿の続きです・…。 
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。

■■『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    

===========【 第六章  幸福を完うする秘密 】================
■“ 愈々體重が減じて来た “

 それから一カ月たって気がついたのは、彼女の體重が数ポンド減量したことであった。彼女が今ま
で痩せたいと思ひながらも、たくさん食べなければならなかったのは、官能を楽します感覚的刺激に
よって失意や自己憐憫の感情を胡麻化すためだったのである。アルコ−ルや甘味品は心の悩みを胡麻
化すための痲醉劑の代用となることが多いのである。しかもこのやうな食物が脂肪に變じて體重増加
の原因になるのである。心の惱みがそれだけ無くなると、このやうな含水炭素系の食物を多食しなく
なり、自然に體重を殖やさない健康食で満足できるやうになるのである。

『ウイクリ−・ユニティ−』誌にはこのアン未亡人が職業を得たかどうかは書かれてゐなかったが、
屹度、今頃は適業を興へられて幸福にくらしてゐるのだろうと私は思ふのである。

 かうして、良人が亡くなって以来、誰も訪ねてくれるものなく、晩餐を伴にする相手もなく、電
話をかけてくれる友さへない寂しさを喞つてゐた彼女も、庭にある紫苑の花を友人に持っていってあ
げようといふ愛念を起こしたときに、既にその寂しさは癒される事になってゐたのである。ディンナ−
に招かれ、直ぐ歸らないで話していってくれといってくれる友達ができてゐたのである。

                            つづく
PS:トキ様
彼女は、小さな【感謝…】から一つ一つ感謝行が出来て行くうちに、いつの間にか、“愛”が芽生
えて、更に“心のゆとり”もできて、小さな発見に至ったのでしょうか??
【本部練成道場…飛田給の玄関】にあります❤〜「神は愛なり」の言葉が思いだします。小さな
積み重ねで、やがて何時か〜何処かで〜【勝利の女神…】が微笑んで来ること……今回「アンさん」
の“50項目の感謝行”を……私も参加しています!!
一つ思いますには、此処【2チャンネル…】で、私は前以上に、精神状態が強くなった事に“感謝行
…リスト“の中に、上げれるようになりました。「トキ様」の思考もある面ためになっている事が
ありまして、これも“感謝行…リスト”へ???

■当初は「50項目…」見つけるのに大変〜〜〜で!当時の私が、如何に“感謝のバロメ−タ”が
悪すぎました事に…【反省】で〜〜〜す。その後は〜〜(微笑)ブツブツ?と云いますか?不満が
無くなりましたでしょうか?但し「黒幕デザイナ−・吸血鬼・ゾンビ…」は問題外なのです〜が?

さて「トキ様」も“感謝行…”は、今は〜〜〜【監査役…】になっているのではと??今とても
大事な時期ですし、体調も壊しやすい季節ですので、いろんな思考が“グルグルと回転”…まる
で「回転木馬…」のような感じですかしら〜〜〜ン!私もいろんな方を見て“パンク寸前”ですが、
❤〜【神は愛なり…】と思えば、まだまだ思考回路の中で??ユトリを!!まずは【心の一本道…
真実路】に到達しますには、やはり“感謝行…”こそが「幸福の近道…切符」でしょうか???
「トキ様」は、どう?お考えでしょうか〜〜〜?

                                   再合掌

2032a hope:2013/02/12(火) 06:43:48 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十二章 心と顔に太陽を輝かしましょう(p134〜)

◆美しく生きましょう

人間に一番大切なことは、自分自身を美しく生きることです。
決して自分の生活を汚くしてはいけません。

世の中にはお金をもうけることばかりに自分の生命(いのち)を使って、
自分の生き方がどんなに汚くなってもかまわないような人がありますが、
こんな人はお金の尊いということをしっても自分自身の生命の尊さとうことをしらないのです。

美しく生きるということは、自分の心がいらいらせず、くよくよせず、人を突き倒すような悪いことを考えず、
自分ばかり得がゆけば人がどうなってよいというような考え方をおこさず、
人のためを思って、やさしく深切に愛の心をもって人のためにつくしてあげることです。

自分のことばかり考えて欲張っている人を「あの人は汚い人だ」というでしょう。
おおよそそういう言葉から考えて見れば、きれいな生き方と汚い生き方とは自(おのず)からわかるのであります。
(つづく)

2033SAKURA:2013/02/12(火) 13:26:07 ID:1rgrwDUA
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>>2020>>2023>>2031>>投稿の続きです・…。 
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    †

===========【 第六章  幸福を完うする秘密 】================
 −† 與へよ、さらば與へられん †−   その①

友達だけではなく、生活費なども、今自分のもてるものを隣人に與へて、隣人を幸福にしてあげる
ために奉仕してゐるならば、自然にあたへられることになるのである。『生活の智慧365章』の中に
は或る未亡人が、寂しく孤独感に悩みながら生活してゐたが、光明思想に触れて、“自分の今もてる
能力“を他に與へて、他を幸福にすることによって、反転して、その幸福が自分に還って来るもので
あることを知った話が載ってゐる。

彼女は、「自分が今、人を幸福になし得る“何”を一体もつてゐるのだろうか」と考へた。彼女はピ
アノが相当弾けたが、ピアノ教授を堂々と看板を出してできるほどではなかった。しかし誰かに與
へ得る能力として自分の持つてゐるものは、このピアノの才能だけであつた。

そこで彼女は、「子供の娯楽会などでピアノの演奏を無料奉仕します」といふ小さな三行広告を出す
ことにしたのであつた。すると時々諸方のそのやうな集りから来てくれといふ依頼が来るやうにな
つた。彼女の孤独感も寂寥感もそれによつて終わりを告げた。

「自分は此の世に生まれて誰かのためになつてゐるのだ。誰かに必要とされてゐるのだ」といふ自覚
が出来たときに、その人は愛の息吹を感じ、生き甲斐を感じ、友人を身近に感じ、孤独感が消えてな
くなるのである。

 或る日、彼女は、学童たちの娯楽会にピアノ演奏の奉仕にでかけて往つた。そこで彼女はその娯楽
会に自分の幼い子供を伴れて来てゐる丁度よい年頃の父親と知り合ひになつたのだつた。知った瞬間
から二人は互いに魅力を感じた。やがてふたりは恋愛するやうになり、つひに目出たく結婚すること
になつた。

                        つづく

2034SAKURA:2013/02/12(火) 13:28:19 ID:1rgrwDUA
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>>2020>>2023>>2031>>2033投稿の続きです・…。 

【 第六章  幸福を完うする秘密 】
−† 與へよ、さらば與へられん †−   その②

>>2033 その①の投稿の続きです…。
■かうして彼女の孤独生活は完全に終りを告げ、経済的にも富める家の夫人としてゆたかなる生活を
送ることができるやうになつたのである。私たちは、今もてるどんな小さなものからでも、
“自分のもの”で起ちあがらなければならないのである。

アン未亡人が五十項目も、自分の持つてゐる幸福があるものかと最初は疑つてゐたのであるが、さて
自分の持てる幸福を計へあげてみると、次から次に出て来るのである。そして私は「こんなに豊かに
持つてゐる」といふ感情が心の底から湧いて来るやうになると、この世界は心の現はす所の世界(唯
心所現)であるから、本当に現実世界も裕かになつて来るのである。

==============================================

PS:トキ様
【相手の幸福を願う…??】これは捉え方?であり、中身の問題でもあるのでは?と、今回思いま
した。「亡き母」は、確かに、当時、国際結婚(黒人の方との子供)のその女性に“お金…”を貸し
ました。それは、当時の時代の背景もあるかもしれません。近所の方と相談して(お兄ちゃんの父親)
…いろいろな角度で考えたすえかと。その女性の才能は【知識・能力…そして意志力】でしたのでは。振り返りますと、今“出来る事”は、当時の「亡き母」に取りましては、出来る範囲の“お金…”
詳しくは…(近所の方も出し合った部分もありましたのでしょうか?)という事です。…が?後に、
【“お金…”もそうですが〜〜〜たくさんの“お返し…”を頂いた時】……「亡き母」は、この
沢山もらっといったのは、ある面では、その女性の“気持ち…感謝の念”がひしひしと伝わりまし
たのでしょうかと。これ程素晴らしい!最高のモノという感で…「いっぱい〜〜頂いた」と…!
相手の女性の“お返し…”も〜〜〜【 愛 】だったのです〜〜〜ョネ!!
今、私も“出来る事”はと自問自答しています。……勿論の事、此処で閲覧されています皆様方も、
“いろんな悩み・迷い”が在りますでしょう。…“苦い経験”…此処で、私なりに経験した事を、
さらに“具体論…”で投稿させて頂く事が、大事ではと思いました次第です。

ある人は「引用…」を利用しての“悪口答弁?投稿”…その様に、その人が見えるのは〜〜〜><
その人の“心…”そのものがその様に見える?思う?つまり【鏡の表裏一体論】でしょうかと。??
相手に“映るモノ”は〜〜〜自分自身の“心そのモノ…”と思えますから、私は【分派の皆様の活動
体制…】を見て思いましたのは、『真理…』はさておき『生長の家…』の私達の宗教の“中傷ばかり”
ではないのでは?納得して、御自分達の“志…”にての新しい『分派…???会』を作られ、参加し
活動していますのに『現象論』ばかりの内容、更に、観覧者の皆様に不快なる言葉で…嫌な“感情”
のみを、ある面では与える事に値するモノと思います。…が?
これは【与えば さらば 与えられん…の法則】に基ずきますと、結果は『現象』では?与えたモノ
は『現象…』のみですから〜〜❤【天国の門…】は、程遠いものではと、つくづく思えるのです。

此処【2チャネル…】で、いろいろな“思考…”が入り、今の 私は、本当の意味で……
【生長の家…成長する魂…】は、当然のことながら「現総裁雅宣先生」を中心帰一としての
【真理…】を学び【魂の向上…】と思います。昨日は、ブログにて「原宿本部…」にての“お話”
の内容を知ることが出来ました事は、その場に参加できなかった“信者”への愛念では〜〜〜!

❤【今!活かすことから、全てが始まるのですから〜〜〜】私も自分の持てる範囲での行動はと?
“心…豊かに”〜〜〜そうです〜〜ョネ!!【与える事!活かす事!】此処から出発では!!

                                       再合掌

2035goro:2013/02/13(水) 22:47:24 ID:nCo1DokU

 雅宣総裁の建国記念日(紀元節)式典の御挨拶「建国神話の普遍性と特殊性」の内容と、生長の家の本来の古事記解釈とは根本的な違いがあります。雅宣総裁には、生長の家の最高指導者として、せめて、天皇国家としての建国の理想を語って欲しかったと思います。

 以下の文章は、野木先生の「古事記の序文概説」の一部を抜粋したものです。
雅春尊師の「唯神実相哲学」と、野木先生の古事記解釈が渾然一体となって、「天皇国日本の実相」を余すところなく説いて下さっていますので、古事記の学びの道標として参考にして下さい。

 古事記には、外来思想のように、英雄偉人や聖者という固有名詞の評価や理想はない。神々の事績を鏡として、民衆や下位の者に(サタンの利でなく)真実の利があるかどうかという「聖の道」のみが存在する。この違いが見えなければ古事記の思想は理解できない。従って、序文は、次のように古事記の思想を結論している。

泰平の世は歩むようで…事ある時は疾走するように…時代の動きは、異なった時代が、あざなう縄のように去り…現れてくる。「文雅な政治」と、「質朴な政治」は、違っているように思われやすく、時の天皇によって、異なった政治をしているように見えるが、歴代天皇は、歴史を貫く「古事記の初心に従った未来」を見通しており、常に「神々の事績に神習うこと」を一貫した指針として知ろしめす。

従って、教化道徳は廃れ切って、自国の歴史を否定する者が出て来ると…
その中でこそ、人心の汚濁は濾過されて…時節至れば…真実は自ずから萌え騰り、古事記の心を種とする天皇と、神の子吾を自覚する人々が出てきて、常に、新しい時代に応じて…さらに未来を見通した古事記の心が蘇る。従って、新しい学問や風潮が現れて…「古事記の心は絶えるか」と思えても、神ながらなる道は人知れず補われ…必ず新生して顕れるのである。

これは政治に限らない。天地一切のものは、宇宙的レベルから地上の自然や個人に至るまで、それぞれの道(性質)にしたがって、春夏秋冬のような時節を経過している。しかも、現象の世界は、原子的な極微の次元の波動がテレビの画像のように、間断もなく映し出している「映像の世界」(人間関係は想念の現れ)であり、「古(いにしえ)を稽(かんが)え」の言葉通り、天地創造の初めから現在まで造化参神の道に継続して進んでいる。

しかしながら、「風猷(風教道徳)すでに頽(すた)れたるに」という場合。実際は、時代の流行的乱れや組織社会での乱れもあるけれども、根本的な課題として、創世記で言えば、「地を這う蛇(サタン)の知恵に眩(くら)まされた心と認識」であり、古事記の「黄泉国・須佐之男命が事依さしに従わなかった時・天之石屋戸開き」の問題である。須佐之男命は、地上に追放されて、大蛇(おろち)を退治て得た草薙剣を、天照大御神に献上した。この時、天地初発の初心に継続して「和歌(敷島の道)の祖(おや)」となった。

これは、肉体(サタン)人間の心から「神の子人間」を自覚して「風猷(ふうゆう)頽(すた)れたるに縄(ただ)された」のである。即ち「廃(すた)れない限り」例えば、食べ物は、体内で完全に腐敗しなければ下痢になる。果物は熟して腐らなければ種が熟成しない。

「自分で黄泉の心に気づくまでは、神でも為す術(すべ)はない」ということである。

聖哲が真実を説いても、開拓者が事業を起こしても、受け継ぐ組織の地位を得た者は、たちまちサタンに変身して権力者となり世相は廃れる。しかし、マルチメディアの時代になって権力や贈収賄など、役得根性(サタンの心)も糺されて裁かれる時代になって、権力者は存在しにくくなった。…さらに、人間の無責任なサタン的生き方は、自然環境や生態に悪影響を与えている。…二十一世紀以後は、権利と自由謳歌のサタン思想で「自滅する」か「仕え祭る・真釣合う」という、人類初発の思想が常識になるかどうかである。

2037a hope:2013/02/14(木) 07:37:11 ID:TqpbsVIM
「児童教育に関する神示」

多くの母親は子供のことを余りに取り越し苦労するために、
かえって子供に悪思念を放送して子供の健康や運命を害している。
ある母親は一瞬間でも自分の眼の前にいないと心配でたまらないのである。
彼は自分の想像の中で、躓(つまず)いて転んでいる自分の子供の姿を思い浮かべる。
自動車にひかれかかっている自分の子供の姿を思い浮かべる。
水に陥って溺れかかっている自分の子供の姿を思い浮かべる。
世の母親よ、何故あなたはこの反対をしては可けないのか。
こんな取り越し苦労が起こるのは、
子供を神の子だと思わないで人間の子だと思うからである。
神の子は神が育て、人間の子は人間が育てる。
人間の子だと思うものは終世、取り越し苦労をして育てねばならぬ。
子供を神の子だと思うものは、子供を尊敬して出来るだけその世話をさせてはいただくが、
神が守ってい給うと信ずるがゆえに取り越し苦労は必要はないのでる。
人間力で子供を生かしうると思うなら終日終夜起きて子供の番をしておれ。
それはできなかろう。
できない間に子供を生かしているのは神の力である。

感謝 合掌

2038a hope:2013/02/14(木) 08:07:35 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十二章 心と顔に太陽を輝かしましょう

◆暗い顔をしてはいけません

きれいな心の人はまるで太陽の光や青空を運んでくるような人です。
その人の行く所に何となくあたたかみがさしてくるものなのです。
取越苦労や心配は光の射すようなそんな明るい気持ちの人の近くへ来ると、
自然に和やかになって消えてしまうのです。

吾々は人に深切であっても、にこにこ笑う喜びの心をなくして、深切をするのでは、
一方では人に深切にしながら、自分の暗い顔つきで、人を気持ち悪くしているのですからその深切が何にもなりません。
吾々は明るく生活しなければなりません。

明るい生活の中にはすべての善いものが集まってくるのです。
昔から「笑う門には福来る」という諺がありますが、にこにこ笑っていると、自然に善いことが集まってくるのです。
人をたのしく愉快にしてあげることは美しい行いであり善いことであります。

その楽しく愉快にしてあげるには、色々の贈物をさしあげるのも、一つの方法でありますけれども、
物をさしあげなくとも吾々がにこにこ楽しい顔つきをして、たのしい心を他の人に移してやればそれが最も深切な、
人に幸福を与える方法であります。
(つづく)

2039SAKURA:2013/02/14(木) 22:57:23 ID:KoNTudh6
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2020>>2023>>2031>>2033>>2034>>投稿の続きです・…。 

ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    

===========【 第六章  幸福を完うする秘密 】================
■ 祖先の霊に “聖 教 読 誦”により真理を與へること

さて、その「與へよ、さらば與へられん」の無限供給の黄金律は、親に“深切”を與へる、即ち親
孝行をすることや、先祖に“真理の言葉”を與へる、即ち先祖にむかつて聖経を読誦することも含ま
れてゐるのである。含まれるどころか、非常に重要な報恩行なのである。吾々は現在この現象界に
生を享けてうまれて来たのは、神の生命が、祖先を通し、父母を通して、地上に自己顕現したのであ
って、今日私たちが、かうして生きてゐられるのは祖先及び父母のお陰なのである。それに対して報
恩の行ひをしないならば、私たちは、“天の倉”から借り越しになってゐる。借り越しになってゐる
ものは、この世には、“バランスの法則”があって返さなければならない。かえさなければ法則によっ
ていつかは強制執行せられることになってゐるのである――この強制執行を受けた状態が、儲けよう
と努力しても儲からないで素寒貧になった状態なのである。こんな人が祖先に感謝し、租先の霊に
對して聖経を上げ、父母に感謝するようになり、更に、夫婦が睦まじく調和した状態になるならば、
神の「無限供給」の霊波と波長が会うようになり、経済的にも裕になって来るのである。その實
例の一つを挙げれば、昭和四十一年五月二十日、小倉市の市民会館で生長の家の講習会があった
時に、北九州市若松区紺屋町の小山壽子さんがこんな体験をお話になったのである。参考につぎに
その一部分を紹介する――
                              つづく

PS:「 トキ様 」へ
■「昭和41年…」ですか〜〜?私は何才だったのかしら〜〜〜ン!この頃を回想しますと〜〜〜
『小倉市民会館で講演…』をなされていたのです〜〜〜ョネ!!【納得感!!】が?
当時は、福岡県内でも“北九州の方々”が、熱心に!さらに道場も!と……当に!
日の目を見る勢いで…切り開いていく“勢い”でした。…が?当時の「亡き父・亡き母の時代背景」が、
見えて参ります……でしょうかと?『ジャンジャンジャンジャンジャン〜〜〜♫』ですもの! 

再合掌

2040SAKURA:2013/02/15(金) 13:56:34 ID:cjjCC9AE
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>>2020>>2023>>2031>>2033>>2034>>2039>>投稿の続きです・…。 
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜!では
“続き投稿”していきます。そして「雅宣先生の哲学」も理解できるようになった私です!!感謝…

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    

===========【 第六章  幸福を完うする秘密 】================
>>2039 の投稿の続きです…。
■ 祖先の霊に “聖 教 読 誦”により真理を與へること   その①――>その②
 ……私は四十一歳か二歳になる頃まで、この生長の家っていう此の素晴らしい真理を知りませんで
した。それでもう自分の我で、非常にもうっ張りで、お転婆で……もう何にも、神佛がいらっしゃ
やることも分かりませんでしたし、また両親に感謝するなんていう、そういうことも分かりませんで、
まぁ子供の時から余りに苦労しりませんで、まぁ順調に過させて頂きまして、お嫁に参りましても、
主人が非常に温和しくってまぁ大変立派な主人だったんですけれども、私が其の主人の素晴らしいこ
とを観ることもしりませんで――

 主人は勤め先から帰って来ても一つも私に口を利いてくれないんです。だもんですから、私共は見
合い結婚だったもんですから、“あー”これは主人は私を好かんのだなぁー“とこう思っちゃったん
です。それで、
「好かんのですか」
と聞いても返事もしないんですよね。
「好きなんですか」
と聞いても、返事もしない。“これはどうしても誰か好きな人があったんじゃないかな?”と思い
まして、妄想を逞しく致しましてね、主人の若い時の写真をこうして出して見るんです。

そうすると、学生時代に女の方と写真うつってるのがあるんです。“ア−これだ、これだ、こんな人が
あったもんだから私を好いてくれなかったんだ、もう親が「仕様がない貰え」ちゅうもんだから貰った
んだな“と思ったもんですから、それを心の中に持ってをりまして、ずぅーっと十五、六年間、主人を
唯恨んで、“情けないね”私をちっとも愛してくれないが“なんて思いながら、もう悲しく悲しく過し
て来たんです。

 夫婦が不調和だったらラジオのスイッチが切れたようなもので、神からの恵みの放送がうけられな
いと生長の家で教えられています通りです。

その時分は私は生長の家の真理を知らないもんですからね。やっぱり段々悪くなっちゃうんです。私は
主人を尊敬しませんし、“もうこんな人、もう温和しいばっかりで何もならんわ“と思ってですね、”私
が何かやらなきゃ詰まらんわ“と思ってるもんですから、素晴らしい天文のある主人だったのが、私の
想念が具体化して意気地がなくなっちゃいまして、もう本当に失業状態になったのが今から十二年位前
でございました。長いこと話していましたら時間がございませんので掻い摘んで申しますと、兎に角何
にも無くなっちゃったんです。

                            つづく

2041SAKURA:2013/02/17(日) 16:19:01 ID:d36N9scE
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>>2020>>2023>>2031>>2033>>2034>>2039>>2040>>投稿の続きです・…。 
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜!では
“続き投稿”していきます。そして「雅宣先生の哲学」も理解できるようになった私です!!感謝…

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    
===========【 第六章  幸福を完うする秘密 】==================

■ 祖先の霊に “聖 教 読 誦”により真理を與へること   その③
>>2039>>2040>> の投稿の続きです…。
両親はもうとっくに死んじゃいましたから居ませんし、五人の子供と主人と私とまあ親子七人だけにな
っちゃったんです。家財道具も、お嫁に来るときもって来たものも何も無くなってしまいました。
最初は、私の物から質屋に持ってってましたけど、もう終いには主人の物持って行く、最後には子供の
物持って行くという状態で、……私が、勤めるなんて、仕事をするなんて、いうその術も知らないし、
考えたこともない……それは昔のことで、もう女学校を出ましたらただ家におって、それからまぁお嫁
さんの口があってパッと今の主人のところへ、(話者が手をひろげた途端にマイク倒れる。聴衆大笑い)
もうこんなふうにお転婆だったもんですから(爆笑)主人も迚も困っておりましたらしかったんです。

それで、もう愈々何にも無くなっちゃいまして、ゆかた一枚になって、もう私は割烹前掛一枚になり、
本当に何でもかんでもある物は皆な持って行って、唯、道具屋さんに持って行ってお金を貰って、それ
を子供に食べさせているという状態だったんです。
それで主人にも、「もうこんなことでは仕様がない。貴方土方でも何でもいいからなさいませ」
っていうんですけど、
「俺はならん」ちゅうんですよね。
「土方なんかなったら一生土方しなきゃならんから、まぁこれで一生終りゃしないから」
なんで呑気なことを言って、自分も骨皮筋右衛門になって、こんなに痩せちゃってんですよね。

それで子供達は――丁度、当時、現在十五の子が三つでございました。その子が一番下で――もう本当
に食べる物が無くなってですね、終戦後はお金が有ったって食べる物が無かったんですけど、その頃は
もうお金さえあれば何でも買えた時分なんです、昭和二十九年でございましたからね。それがもう何
にもがないんですよね、お金がないから。勤め人がお金がなくなっちゃったら本当にないんですよね、
もうそれで私はね、“もう何でもいい”女中でもいいしね、もう何でもいいからやりましょう“と思い
ましてね、本当、女中もやりました――それは一週間でしたけれども――そしてまぁ凡ゆる苦労を
しました。

 そうしているうちに、わたしくしに生長の家に触れましたら、「まぁ理屈を言はんで、
兎に角素直にね、この生長の家の真理を聴きなさい」と仰言ったんですよ。

そのときは、もう私は放っといたら――病気じゃなかったんですけど――もう本当に餓死寸前ですよね。
だもんですからね、もう私もいくら強情張りでも素直に聴きました。そして、

つづく

2042SAKURA:2013/02/17(日) 16:21:33 ID:d36N9scE
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>>2020>>2023>>2031>>2033>>2034>>2039>>2040>>2041>> 投稿の続きです・…。 

===========【 第六章  幸福を完うする秘密 】 ================

■ 祖先の霊に “聖 教 読 誦”により真理を與へること   その④
>>2039>>2040>>2041>> の投稿の続きです…。
「もう理屈なしに、兎に角“ありがとうございます”と言ひなさい。その中に有難くなって来るよ」と
仰言つたもんですから“まあお金の要る事やないし、ほんなら有難うございます言はう”と思ひまして、

それで「ありがとうございます、ありがとうございます」やつてましたらね、
いま此の會場に来ていらつしゃるかも知れませんが、若松の生長の家の方がですね。 
                                 つづく
PS:「トキ様」へ
この時代に於きまして、北九州は、確か?私が小学校時代“生活保護の方”がクラスに1人から2人は
必ずいましたが、ただ私のクラスでは“イジメ対象”にすることもなく和気あいあいの感がありました。
逆に、隣のクラスでは“生活保護の子供”からの“裕福な子供”に対して【いじめ…】つまり“妬み・
嫉み…“の感情でしょうか?頻繁にありまして、よく担任先生は、その子供たちに「どんなに貧乏でも
必ず努力をすれば、幸せになれると…!」口酸っぱく云っていました。…が?或る日の事です…。

この先生の教え子!卒業生が先生を訪ねて来たのです。その方は、環境から高校も行けずに中卒でした。
それで、担任の先生が“自衛隊…”を紹介し「精神修行には一番いい処…」と云って、3年間そこに
入隊、その後!高校までか?大学までか?…進学するようにと、勧めたそうです。その子は素直に従い
3年後、自衛隊退官しまして、その間の貯金の一部を両親の生活費として渡し、残りは全て貯金をして、
高校進学へ…3年遅れての入学となりました。…が?更に、知識が入り、いろんなバイトを周囲の人の
愛念にての紹介で…更に「奨学金…」を得て、国立の大学に進学するまでになったそうです。この様に
先生は「生活保護でも、学問の自由…受ける権利がある!若さの特権は“時間…”の取り戻すチャンス
なのだ!!」と、その時ノホ〜〜〜ン!とした私どもに対し「高校に行けない時は、自分の処にまで、
相談に来なさい!」と云いていた事を、思い出します。現代でいいますと【金八先生…】でしょうか?
余談ですが〜〜〜「その先生のお名前が……楠本先生」なのです。つい!「宇治…」を思い出し〜♫

■当時の【学校教育…の先生】の方針が【限定することなく…無限力を引き出す!】事でしょうか?

また、当時“生活保護”を受けていた別の男性は、私が、ある時、母に頼まれて野菜屋に行きますと…
尚!その頃の私は、既に“タタキ男の原因で聴力喪失”の状態でしたが……><「野菜屋の御主人」と
なっており、久しぶりの出会いに懐かしさと…私の身の上で起きました“聴力喪失”の状況を知り、
その「野菜屋…経営」の男性が“ビックリ”して、心配してくれた事を、思い出します。…が?和やかな
会話をしておりますと、奥の方から“奥様”が来て、お互いに挨拶を交わし、タイムマシーンにて〜♫〜
「過去の学生時代…」にタイムスリップ!!楽しい〜〜〜昔話を〜〜〜!!

そのように、当時の時代背景が、見えて来ます。私も、また「新たなる挑戦…」が湧いてくるようです!
今回、女性柔道家の「故人…福田敬子」さんは、亡くなる直前まで、全て自分でされたそうですとの事!
「若松の方の“体験談”…」を拝読しながら、私が幼少時代の“ひとコマ”が見えて参りまして、
本当に「亡き両親」に対して…経済的な心配もなくスクスク?育ててくれました事に対しても……
いろんな面で【感謝…】が足りなかったと思います。今では「亡き両親を誇り…」の思う次第です。

❤〜ではまた次を………
                 つづく

2043うのはな:2013/02/18(月) 19:14:34 ID:XnNLNTjU

永遠(とわ)に国護り給わん 谷口雅春先生

 http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=seinen&mode=res&log=70

2044SAKURA:2013/02/18(月) 22:11:47 ID:rqQQibm6
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こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2020>>2023>>2031>>2033>>2034>>2039>>2040>>2041>>2042投稿の続きです・…。 

===========【 第六章  幸福を完うする秘密 】 ================

■ 祖先の霊に “聖 教 読 誦”により真理を與へること   その⑤
>>2039>>2040>>2041>>2042 の投稿の続きです…。

非常にもう皆さんが心配して下さいまして、全然知りもしない私を― 親戚の者でもないのに 
―生長の家の方は本当に暖かくて、三十年のお正月なんか何もないんですよ、 そしたら生長の家の
誌友の皆さんがお餅をかう皆な集めて、家へ持って来て下さつたりね、……それはもう何て生長の家
の皆さんは暖かい素晴しい方なんでせうと思ひました。それから皆さんの教へて下さる通り一生懸命
やつたんです。

御先祖の供養なんてもんも知りませんでした。ほいで「御先祖様の供養をして、『甘露の法雨』を
御先祖様に誦げなさい」つて、それで「お宅がで日蓮宗なら日蓮宗でいいから(私は祖先から身延山の
日蓮宗なんですけど)、その日蓮宗をやめること要らないんだから、まあ『甘露の法雨』を御先祖様に
誦げなさいそしたらよくなりますよ」と仰言つた。

ところが私、日蓮宗なんですけど、“南無妙法蓮華経”を誦げたこともなかつたんですよね。お祖父
ちゃんでもお祖母ちゃんでもいらつしゃればやつたかも知れませんけど、結婚と同時に亡くなつちゃ
つたもんですから。それで私、もう一生懸命『甘露の法雨』を誦げました。

 その頃私はね、家賃も出せないもんですから …… 実はね、山の中腹の、もう本当に、夏になると
百足は出てくるねえ、また蛇も出て来る、そらゃすごい処に居ましたんですよ。 電気はない、水道は
ない、無論ガスはない、山から薪を取つて来て炊いて、そしてチョロチョロ流れて来る水で御飯を拵
へたり、洗濯したりしたんです。 ところが雨が降ったら、ジャーッと真茶色の水が出ましてね、もう
飲めないんですよね。もう家賃出せませんから、そんな処に居たんです。さうしたところが、この位
の小さな細い蝋燭……大きい蝋燭を買ふと高いもんですから、小さいのん沢山あつた方が安いと思ひ
ましてね、そしてこの蝋燭を手に持つちや此の『甘露の法雨』をね、もう毎日夜誦げたんですわ。
私、女中は一週間で止めましたあと、保険に出て働きましてね、そして、帰って来ちや聖教を
誦げたんです。ホラーもう一生懸命『甘露の法雨』を誦げましたねェ。 そしてもう神想観をする、
『甘露の法雨』を誦げる、ジャンジャンジャンジャンやつた。 そしてね、「自分の念つたことが顕て
来るんだから、それを実行しなさい」と先生が仰言る。それで私は、“それじゃ私、お家を与えて頂き
ましょう“と思いましてね、”先ず電気と水道のあるところ、そしてガスも(贅沢言ったら悪いけど)
ガスもあって、そしてまぁ、せめて……七人ですから三間あったらいいから、六畳、四畳半、三畳の
家を“とお願いして、そして一生懸命やっていました。そしたら、五月の二日から、”家を与え
られた“と念ずる行をやり始めまして、四か月でその家が、ぴ−ったり与えられました。

                                つづく

2045SAKURA:2013/02/18(月) 22:14:54 ID:rqQQibm6
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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===========【 第六章  幸福を完うする秘密 】 ================

■ 祖先の霊に “聖 教 読 誦”により真理を與へること   その⑥
>>2039>>2040>>2041>>2042>>2044>> の投稿の続きです…。

 この『甘露の法雨』の功徳は素晴らしいもんですから、自分が直に体験しておりますので、もう三人
集まれば三人の処、四人集まれば四人の処、お花の時はお花の処、ほかの何の会合でもこの生長の家の
『甘露の法雨』の功徳のお話をするんです。そうしましたらね、皆さん御不幸で泣いていらっしゃる
方もどんどん――素直になすった方は――好くなるんです、これで。もう素晴らしいんですよ、生長の
家なんか全然知らない方でもね。
「御先祖様に『甘露の法雨』を誦げてごらんなさいませ」
というとね、よくなっちゃうんです。……(下略)
                          つづく
PS:トキ様・皆様へ
今まで「管理人…トキ様」に随分と助けられました点がありましたでしょうかと?全くもって?〜〜〜
拝読されていないようですかと。【分派…中心】なのでしょう〜〜〜ネ!【 管理人=中立の立場 】
これは?こちらサイドの考え方でしたのでしょう〜〜〜かと?今にして思う次第です。さて!さて!
【別板…での管理人の返事は七重?八重?にてサカン…】なのですかと。遂に【有限の世界…どっぷり】
の…管理人様なのでしょうか?【一般の閲覧者の皆様と…真理の追究…無限の世界観へと〜〜♫〜〜】
多少は落ち込みました。…が?「ノケモノ意識」は寂しいです〜〜〜ョネ!!でもやはり、今の私の
【使命…】として此処に“投稿…”頑張りますとの“決意表明”でしょうか。

「小山さん」は、素直に【聖経読誦】をなされて、その後トントンと良くなっていってる光景が目に
浮かびます。此処九州に戻りましてからの、私は“現象的に見る事”が多く【有限世界観…】でした。
そして今!【無限的に思考していくべきなのではとの事】なのに〜〜〜。当に【無限の中に有限を認め
たような感じでしたから、いつまでも〜いつまでも〜“外…”を追っていたのでしょうかと。??
それでも「東京の在中」の頃は、一生懸命【聖経読誦】を唱えたモノです。
昨日ある「ニュース」で見て、人の心の移り変わりの変化が〜〜鮮やかに見えて来まして、考え込んで
しまいました。そんな時、私は今ここで【有限的認めている〜〜〜と!それは無限に到達できない事を
感じ】…十年振りに、まずいろんな事を!心の掃除をしていかないといけないと思うようになりました。

■何時までも〜〜ある一定の事物に、執着しますと、前に進めない!今回「小山さん」の【祈り…】の
実践から教えられて、益々私は❤〜【 神想観・聖経読誦 】を実践していきます。益々と実践していく
事で、その先に何か“答え…”が出てくるのではないかとの期待感も含めて…
私は今回「雅宣先生のお経…」を読まさせて頂いて、前以上に【魂が澄みきって〜♫】いくようです。
当時!萩窪に在中の頃、年を越せない経験があり、その頃の「支部長さん」が、年末の忙しい時期に
【お正月のおせち料理…】を持って来て下さいまして、当時の私は、タダタダ「感謝…」した事です。
思い出しながら〜〜♫〜〜あの頃の【感謝…】色々な“人間関係…”を思い出しまして、今後の人生を
歩んでいく上で、それを無駄にしない「行動」・「実践」していく事でしょうかと。!!

今は、この気持を、一人でも多くの人に「真理…伝道」させて頂きましてと…私の様に遠回りしない
ようにと……「此の素晴らしい御教えの世界観」をお伝えしていきたいと…思う次第です。…が?

では〜〜〜また〜〜〜次は「雅春先生の御説明」がありますので?? ❤〜
                                     再合掌

2046SAKURA:2013/02/19(火) 22:30:20 ID:dGeUHjWM
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===========【 第六章  幸福を完うする秘密 】 ================

■ 祖先の霊に “聖 教 読 誦”により真理を與へること   その⑥
>>2039>>2040>>2041>>2042>>2044>>2045 の投稿の続きです…。

■ 小山壽子さんのこの体験はまだ続いていて聖経『甘露の法雨』を読誦することによって、禿いに
フサフサと黒い髪の毛が生えた人のことをお話になったのであるが、それは今日の話の主流とは異る
ので割愛することにした。この体験談でわかることは、妻というものは良人の運命を左右する力があ
るということである。良人を“甲菱性なし”のように思っている間は、立派な良人もその能力を充分
発揮することができないで、一家は貧窮のドン底に沈んでいたのであるが、生長の家の教えにふれ
て、良人を”神の子“として尊敬し夫婦が調和するようになると運命が好転して来たのである。夫婦
が調和せずして、天輿の恵蘄を受けようと思うのは、スイッチを入れないで陰陽の電気を通じない
で、テレビの放送番組を受像しようとするのと同じことである。

更に聖経『甘露の法雨』を祖先霊の供養のためにいふことは、祖先から受けた恩恵に対する報恩行事
であるのである。受けた恩恵を返さないことは、”天の倉”に於ける借金であるから、その借金を聖
経読誦によって、”真理の言葉”を供養して返す事になるのである。何故なら、既にこの世を去って
”霊魂”になっている祖先にとっては、金銭は”用なし”であり、物質的食物もお喋りにはならない
のであるから、金銭や食物のような物質的なもので報恩することはできないのである。

しかし霊魂は”真理”を知る程度に随って向上し、一層霊界に於て自由を得るのである。聖経という
ものは仏教のお経でも生長の家の『甘露の法雨』でも”真理”が説かれているのであるから、祖先霊
に対して聖経を読誦するとき、霊魂はそれを受けとって歓喜し向上するに従って神通力を増し、それ
も子孫が自分を憶ひ出して聖経を読誦してくれたお陰であると感謝して、今度は、祖先がその神通力
によって、子孫を護ってくれることになるのである。

このやうな色々の事情が交錯して聖経読誦が運命好轉の原因となるのである。小山壽子さんが僅か
四ケ月間祖先に”聖経読誦”を供養して、望み通りの家が得られたのは、祖先霊の加護と導きとが
あったに相違ないのである。吾々は祖先霊の加護と導きとを通さないで、大いなる事は成就し得ない
ものである。
                           終わり・・・次回につづく ❤〜
PS:「トキ様」・「観覧者の皆様」 へ
『先祖供養の孝徳??』は、実に計り知れないものでしょうかと。??
私も就眠の前には、必ずと『先祖供養…』をしてから、横になります。これを、毎日〜毎日〜と続ける事により、
前に!前に!更に〜〜〜前向きに進む!それは、さらに【 魂の向上 】にも、繋がるようですかと。
そして、私も過去の体験にて、それなりにやはり【孝徳…】を頂いてると実感した次第です。…が?
やはり「四カ月間…」は、確かにかかりましたのです。(微笑)

ここでの閲覧者の皆様も「目標…」がありますと、その「目的…」に向かって真剣に『先祖供養』されたら
それなりの【霊界…からの功徳】を頂けますかと。その様に思う次第です。…が?

                                          再合掌

2047うのはな:2013/02/20(水) 18:03:19 ID:Zr.RJU5A
聖使命 昭和53年12月15日 第1127号
 
 龍宮住吉本宮・鎮護国家出龍宮顕斉殿 落慶鎮座奉祝大祭特集 より

        鎮座降神詞

 掛けまくも綾に畏き住吉大神(すみのえのおほかみ)龍宮実相世界の天津御座より、
此の瑞(みず)の御殿(みあらか)龍宮住吉本宮の、御神座に奉安し奉る。
 ここに、“護国の神剣”に、大神の尊き神霊(みたま)を天降し給ひて鎮座(しづまりま)して
この神剣を世界平和の核として、この神剣より世界全部に輝くところの平和の霊光を発し給ひて、
まことに地上に天国を創造(つくり)給へと請(こ)ひ祈(の)み奉(まつ)らくと白(まお)す。

   警蹕(けいひつ)
 
   住吉大神、高天原より天降りまして、この御神体に鎮まります。
  アーオーウーエーイー アーオーウーエーイー アーオーウーエーイー

   警蹕(けいひつ)

  住吉大神、宇宙すべてを浄め給ひて、天照大御神の出でます道を浄め給へり。
   アーオーウーエーイー アーオーウーエーイー アーオーウーエーイー

   警蹕(けいひつ)

 今ぞ護国の神剣に天降(あも)りましたる住吉大神の神霊(みたま)より
 平和の霊光世界全部に広がりまして、洵に地上に天国は創造せられる。
 明日より、総てのことは浄まりまして、世界は別の姿を現すのであります。
 有難うございます。有難うございます。

  アーオーウーエーイー アーオーウーエーイー アーオーウーエーイー
(御気合)イユーウーウーッ

   警蹕(けいひつ)

2048SAKURA:2013/02/21(木) 23:09:56 ID:dGeUHjWM
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【第七章  あなたが繁栄を得るために 】
■ 先ず “ 種を蒔く” といふこと

 繁栄のための第一歩は“與へる”といふことであるのである。植物にこれを譬えれば、“種”を蒔
くということに當るのである。“種を”を蒔くことをしないで収穫を得ようと考えるのに似ているの
が、“與へる”ことなくして繁栄を得ようとすることである。地中に“種”を蒔くことが、経済界で
言ふならば投資をするといふことに當るのである。「與へよ、さらば與へられん」の法則は宇宙に儼
存してゐるのであって、その法則に背くならば繁栄は到底得られないのである。

 若しあなたが或る事業を経営してゐて繁栄してゐないならば、先づ振り返りて、
「自分は眞に與へてゐるか」と自問自答するがよいのである。
「じぶんは與へてゐる。それなのに繁栄してゐない」と考へるものは、次に「自分は何に對して與へ
てあるか」と自問自答してみるがよいのである。 (一部抜粋文…)
=============================================
                              つづく
PS:「トキ様 ・観覧者の皆様」 へ
 
❤「與へよ、さらば與へられん」の法則は…“種を蒔く”…【 心の法則 】でしょうか。
“ことば…”で、相手の悪口を毎日〜毎日〜言っていますのも?逆に申しますと“ことば…の力”
にて、相手にネガティブな事を与える事ですから〜〜〜?当に“ことばの種まき…”も同じ事で
しょうかと。
毎日!「良いことを抜粋投稿する事」も〜〜〜よい“想念を与える事…種まき”ですから〜〜〜!
「與へよ、さらば與へられん!!」は、すべてに通じます【 心の法則 】になります〜〜〜ョネ!!

【意識も…よい波動から】と言いますから〜〜〜今の私もここで【聖典板 投稿】をさせて頂いて
いますことは【 与える法則 】になるのではと?思います。 ❤〜では次回に????

                                 再合掌

2049SAKURA:2013/02/23(土) 12:55:41 ID:g1svTII2
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こんにちは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2048 投稿の続きです…。 

■【 生命の実相から2巻 】
†† 第五章 神への道しるべ(1) からなのですが……

===【抜粋文】=====================================
>>真宗の人は阿弥陀仏だけを信じて、南無阿弥陀仏と六字の名号だけをとなえておれば救われる
というかと思いますと、日蓮上人などは、『無量義経』においてお釈迦様は今まで四十余年間にわた
って説教したことは方便にいったことで真実をいったのではない、今こそ本当の真理を説くといっ
て『妙法蓮華経』をお説きになったのであるから、この『妙法蓮華経』に説かれてあることだけが
本当で、それまでの説法は嘘である、むろん念仏をとなえて救われるなどということは真っ赤な嘘
であって念仏をとなえれば無間地獄(むけんじごく)におちるといって日蓮上人は親鸞聖人の教えを
非常にわるくいっています。   (一部抜粋)
=============================================

■南無阿弥陀仏と六字の名号だけをとなえておれば救われるというかと思いますと<…云々…
と〜〜〜思いますに「念仏…」だけでは、救われないのです〜〜〜ョネ!
これも【霊の世界…】では、以前に於きまして“投稿記載”していますが?やはり
【 意識=心 】ではと、思う次第なのです。…が〜〜〜??

先程「管理人…トキ様」が法要で?お坊様が、“威張るとの事”だそうで、これも【上下関係…】
なのですョネ!!個人的ですが、私の菩提寺のお寺は、確かに“腰の低い方”なんだと思ってい
ましたら、どうも他の処では、やはり「大住職様の顔」を伺かがっているような方がいらっしゃい
まして、これには“ビックリ”…やはり「人間関係 = コミュニケ−ション」の知識から来る
のではと思います。…が?今回、私も話す内容が、いつも宗教に付いて質問しますから、
「大住職様」も、前以上に勉強されているようにお見受けいたしますが、いつも、大それた
質問内容ばかりを「大住職様」に持ち込みます。…が?この頃では、「大住職様」サイドでは前以
上に、私が質問しても“返答…”が早くなって参りまして、こちらも次の質問に勉強でしょうか?

この様に「南無阿弥陀仏と六字の名号」だけを唱えると…救われる事は、やはり“無い!”との事
で、やはり“行じる事…”でしょうかと。
ですから、やはり日本史上でも【宗教同士の争い…】は、実に醜いものではないでしょうか??
それに、西洋の「十字軍…のような戦い(国家間)にも、発展しかねないとしますと…複雑です。
そう云えば日本でも「平安時代…」に「鳥羽上皇?」でしたか?「延暦寺の僧侶での乱」でした
か?この時代の出来事も、これと付随するのかも?やはり「日本…」でもあった事なのです~ョネ!

さて「お寺のお坊さんも威張る人?」ほど、果たして“気位の高さ(中身の勉強)は〜〜〜?”
【 ゼロ 】に等しく思える部分もありましょうかと。

そして【信仰の正しさが劣っている?いない?】は別問題でありまして…如何に現代人が
“無神論者”が多い存在にても…「神の存在」を知ることが大切なのでしょうかと…考えさせら
れます文章かと…思いました次第です。

                                    つづく

2050SAKURA:2013/02/23(土) 20:15:06 ID:dGeUHjWM
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>>2048>>2049 投稿の続きです

【第七章  あなたが繁栄を得るために 】
■ 何に對して與へてゐるか

「あなたは何に對して與へてゐるか」この第二問も第一問に比べて劣らぬほどに大切なものである。
折角、“種”を蒔いても、石地に播種したものは、発芽しないし、一時は発芽してもすぐ枯れてしま
ふのである。痩地に播種したものは発芽し生長するにしても花をつけず果も結ばぬのである。「與へ
る」と一様にいっても、お妾に金を與へるのもあれば、競輪・競馬やパチンコに與へて、財産をすり
減らしてしまふものもあるのである。「何に與へるか」といふことによって、“種”が発芽せず、生
長せず、開花せず、果を結ばないなどの相違があることに注意しなければならない。

                                         つづく

PS:「トキ様」 ・「 閲覧者の皆様」 へ
【法則…に叶わない者】は、実を結ばない!!!ごっもとも〜〜〜と、思います。先程から
【怪談……四ツ谷怪談のお話】から〜〜〜或る女性の方の当時の話です。…が?
其の女性は妊娠されまして、その期間中に、ご主人に対して「何処か遊びにいけばいい〜〜〜わ」と…
自分の身代わりの女性にと……“お金…”を渡したそうです。そうしますと、その御主人は、出来た女性と
いって喜ばれたとか〜〜〜??これって!これって!【与える法則…】なる行為になるのでしょうか??
この事を【出来た女性の〜〜〜“鏡”】とかは?ここFUK市には、多く聞かされますのです。…が?

後に、私は、その話を、聞いて“ビックリ…”です。何も知らずに“遊ばれた女性の方”はと??
〜〜〜如何なるのですかと!! 従いまして、今でも「この夫婦…」は、果たして【落ち着いた生活…】が、
出来ていますのでしょうか〜〜〜他人を“こけおろしてまでの世界観”で、現在でも生活しているようです。
まるで〜〜まるで〜〜【四谷怪談…地獄絵図の世界観】ですかしら〜〜〜ン!

PPS: 上記は 【お岩さん…の話】から、思い出しました…。余談ですが…❤〜『お岩さんの話…』は〜〜〜
■■【「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2 】にて、唯今!“公開中!!!”
                                                          
  再合掌

2051SAKURA:2013/02/24(日) 13:03:39 ID:TeNkDr3.
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■【 生命の実相から2巻 】
†† 第五章 神への道しるべ(1) からなのですが……

===【抜 粋 投 稿】=================================
>>たとえばわれわれがバラの色を観てこれを美しいと感じる。この美しいというのは、たいてい
の人はバラの花だけの美しいのをわれわれが感ずるのだと思っていますが、実は自分の心に美しさ
があるから、バラの花の美を感じうるのであってバラの花そのものだけが美しいのではありません。
 バラの花そのものだけが美しいのでありましたら、猫がバラの花を見ても美しいと感じなければ
ならない、鼠がバラの花を見ても美しいと感じなければならない。ところが猫が花を植えて楽しん
でいるのをわたしたちは見たことがありませんし、鼠がバラの花を見て、その美に感心しているの
も見たことはありません。
 これによってみても、美しさは観る人の心が対象たるバラの花に映って、その反射が自分の心に
返ってきて、そこで始めて美しいと感じることがわかるのであります。<<  (一部抜粋)
=============================================

■■バラの例えは、分かりやすい見かたでしょうかと、思います。…が?
同様に“視角…視点…”はそれは【その人の“心の中”の開発??】ということでしょうか?…
“オ−バ−”な話ですが【類 の 法 則 の 仲 間】でいきますと、同様な“心…”は、
“テレパシ−”の如く、“心…”に響くモノなんです〜〜〜ョネ!!その様に“類似性”もしくは
“異なる見方”とは、最終的なる原因は「環境から来る!」のではと思います。…が??
もうすぐ、此処九州はいち早く“春…”が訪れますが…此の地上に咲ききます各種の花は、神様の
世界の“多様性”を表していますでしょうか〜〜〜?

つづく
                                   再合掌

2052SAKURA:2013/02/25(月) 13:05:43 ID:y8fsR43M
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■【 生命の実相から2巻 】
†† 第五章 神への道しるべ からなのですが……此処で「亡き清超先生…の言葉」からの抜粋文

===【抜 粋 投 稿】=================================
ためしに奥深い山に分け入るならば、私達はそこにも人知れずひっそりと、美しい花が咲き誇って
いるのを発見するでしょう。その花は幸いにして今人に知られたかも知れませんが、不幸にして
人間に一度も知られる事なく、むなしく咲いては枯れる草花がどれだけ多くあったかわからないの
です。しかしこれらの草花は、人に知られるからといって美しく咲くのでもなく、人に知られない
からといってイイカゲンに咲くのでもなく、その場所に与えられた条件での最善を尽くし、せい一
杯に咲き誇っていたのであります。それはどの草花においても例外なくそうなのであります。
このような“平素の努力”があるからこそ、たまたま人に見つけられると、「ああ美しい」と感嘆さ
れ……云々……もし彼らが「人に見られる時だけ美しく咲こう」と、平素山奥で咲いている時には
怠けてウスギタナク咲いているのであれば、それは怪物であります。そんなものはもはや「美」で
はなく「醜」であり、吾々はそのような花を、とても珍重する気にはなれないのです。(一部抜粋)
=============================================

例えば…ある人は「バラの花が好き」それは、人に知られている“花…バラ”であり、ある人は
「人知れず…野に咲く花…が好き」…十人十色…ですモノ〜♫〜 今回の「WEB誌友会」にて?
お邪魔虫【SAKURA…】ですが〜〜〜【現総裁先生…擁護派…】ここでは【類の法則…】程遠い
かと〜〜〜これも「バラの花」と似ていますのでしょうかと〜〜〜?

■同じ花を見ましても「綺麗いネ〜〜」と捉えるその“心…”は、そのような似た環境かと。
つまり【環境はこころの影…】だと理解が出来まして、前以上に【類 の 法 則】にのっかり
ますには、やはり〜〜〜【自分の心を向上 = 魂の向上】更に、“奥の〜奥の〜深層部の心”を
引き出すという事かと。
【本当の自分との出会い】==>【実相の姿】に戻ることでしょうか??ミセカケの“心…”では
なく、本当の“心…”私の“心…”に宿った本来の姿が【心の現れ=実相の私=神の子の私】と、
改めて感じいりました次第です。
それは一人一人の【実相…本当の自分の姿】は異なりますから「恨みの心?憎む心?」は当然なが
ら捨て去り…このような心を捨てさえすれば「幸福…切符論」を頂けましょうかと。
かといって…そんなことぐらい〜〜〜わけないこと〜〜〜?でしょうか  (微笑)

                          つづく

PS: 今日は〜〜〜私の“独り言…”舞台〜〜の投稿に〜〜  。
今日は…「閲覧者の皆様」に取りまして、ますますとハッピ−な一日であります事を「お祈り…」…
もちろん!明日も〜〜明後日も〜〜♫

2053うのはな:2013/02/25(月) 14:08:01 ID:pW0hF87w
   あまり相手を心で見つめると反対効果がでる

 ある商売人がこう言われたですよ。個人の専門店と百貨店とがあるでしょう。
百貨店の方がよく売れる。なぜかというと百貨店は自由に品物を手にもってみたり、あるいは
出させたりして買わないで、シューと向うへ行っても、店員がそう怨めしそうな顔はしない。
ところが、専門店へ行って、あれ出さして、これ出さして、気に入らないで帰るというと、怨めしそうな顔をして、
「買ってくれるはずだ」と思って出したのに買いやがらないと思って、怨んでいるようでそれで気持ちが悪いというですね。
店を出るときに気がひける。そこでこういう個人の専門店に入るよりも、百貨店に入る方が気が楽だというわけで百貨店に入る方が
気が楽だというわけで百貨店の品物はよく売れるんだという話をされたことがありますね。

ま、そういうように、もう始終お客さんが来たら、じっとその側に立って、いちいち品物を見るのをみつめたりしていると、心で縛られているようで、
窮屈でね、もうその店に買いに入るのが嫌になってしまう。
ところが、いくら見たって、知らん顔して、店員が知らん顔で自由にさしてくれると、そうすると非常にのんびりした気持で、その百貨店へ入ることができるんだというわけです。
それで、夫と妻との間も、やっぱりそういうところがあるんです。
あんまり窮屈に、あんまり愛しすぎて、愛するといっても掴む方の執着の愛でして、掴みすぎて、そして窮屈にするとそれから逃げ出したいというような状態が出てくるわけであります。
そして、まことに“愛”というものは、相手を心で掴むことから始まってそれを卒業して、そして放つことによって卒業するということになるわけであります。

 愛は、相手との自分との自他一体の自覚である。だから愛は最初は惜しみなく奪おうとする。
最後には、惜しみなく愛は与うというわけであって、自由に放してしまった時に、しかも、その実相の完全な相を信じて放す時にこの完全な姿が現われてくるということになるのであります。
清聴を感謝いたします。

(昭和三十九年八月九日、第五回生命の教育研修会に於ける講話)

2054SAKURA:2013/02/26(火) 15:12:49 ID:ZcyE/ry6
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■【 生命の実相から2巻 】
†† 第五章 神への道しるべ からなのですが……此処で「亡き清超先生…の言葉」からの抜粋

>>2052 の投稿の続きです…。
此処で、私がまだTYOに上京するまでは、此処FUKの人々との違和感は、全くありませんので、
素直に受け入れた感もあります。…が?一つだけ相違点なのは「個性…」での見方でしたかと。
彼らは、“美しい〜♫”といった感じ、例えばですが?【男女の関係の場合…】に於きましては、
此処FUKの方は、必ず「私の事を、どう思ってるの〜〜〜」この様な事を必ず相手に訊きますネ?
つまり「感情論…好き?愛している?」このような事からの会話=コミュニケ−ション術でしょうか?
しかしながら、TYOでは“思考…”が先に優先しますから、“理性…”での物事を捉えた方が多く、
“たわいのない会話内容”でも、第三者からの視点での会話であり、また受け入れる事も多いの
です。…が?

此処に居たりましてFUKの方は【精神面より?肉体(外形)?を先行かと】この重視が強く、正直
な話ですが“ビックリ感”を抱いてが??当時、若い頃の私は、周りの友人の会話の内容を聴いて
いました内容とかが、此処の【土地柄の影響…】だと、帰郷しまして判断することに成りました。
…が?20年ぶりに“帰郷…”して、私の周囲の環境が変わり、その手の“冗談会話”がダメになっ
ていた事に気づきましたのです〜〜〜ョネ!やはり、この様に【土地柄の環境…】もあり……
「雅春先生の言葉」に❤【 環境は心の影 】だと、当に身をもっての痛感を感じた次第です。

■同じバラを見て「綺麗いネ〜〜」と捉えるその“心…”は、そのような【環境のこころの影…】
だと理解が出来まして、前以上に【類 の 法 則】にのっかりますには、やはり〜〜〜
【自分の心を向上 = 魂の向上】更に、“奥の〜奥の〜深層部の心”を引き出すという事かと。
【本当の自分との出会い】==>【実相の姿】に戻ることでしょうか??
ミセカケの“心…”ではなく、本当の“心…”
私の“心…”に宿った本来の姿が…【心の現れ=実相の私=神の子の私】と、改めて感じいりました。

「谷口雅春先生」は、更にこのように、おっしゃっています。…が??

                            再合掌

2055SAKURA:2013/02/26(火) 15:16:00 ID:ZcyE/ry6
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>>2048>>2049>>2050>>2051>>2052>>2054 投稿の続きです

■【 生命の実相から2巻 】
■ここで【WEB誌友会】にて「復興G様」からの“お返事”を頂きました投稿内容の文章中…
>>207のこの中からの一部抜粋投稿せて頂きましたモノです。下記のURL…にて詳しく閲覧できます。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/207 

===【抜 粋 投 稿 文】================================
>それらがすべて無であることが真理でなければ、「どうして全能なる神が、釈迦、キリストのよ
うに修行の出来ている人々と、修行の出来ないものとをつくったのか。どうして不完全なもの、す
なわち修行をしなければ救われないものをつくったか」という疑問を解くことが出来ない。神は完
全であるということは、修行の成績は無であって、本来このままで救われ切っている完全なるもの
だけがあるということであります。<   (一部抜粋)
==============================================

「修行の成績は無であって、本来このままで救われ切っている完全なるモノ…云々…」此処の解釈
は、如何なモノでしょうか〜〜〜と一人で考えておりますと
私の捉え方としましては【自我…我】を棄て去る…つまり【無我…】にして初めて、
「全脳なる親さまなる神が、わたくしのすべてのことを見守り下さいますモノと…そして私は
神様にすべてをまかせることとなり、当然ながら心も平和になるモノかと。それは必ずや……
成就するのである」という事なのでしょうかと〜〜〜♫
しかしながら…今の私は「我…無我」という心の修行が、まだまだ〜〜〜><でしょうかと。

それに「修行…」という“言葉からのイメ−ジ”は、どうしても個人的な解釈になりますが……
よく言いますところの修験道的(山伏)なるイメ−ジが個人的にはもたげてしまいますでしょうか?
…山に立てこもり…云々…このような感が致しますかと。
それよりも「雅春先生…神想観=瞑想」によりまして…『神様…とは〜〜〜?』
活ける愛の神・生命の神・智慧の神・美の神…云々…このように「甘露の法雨」の中にも…
そして「神との一体」を深めてまいりまして…これは「神の子なる自覚意識」に入ることとなり…
【実相世界…】への“鍵”を頂いていますモノと、個人的な捉え方に到りましたのですが…。

今回「雅春先生…」の色々なる視点での“解釈…”を改めて知ることが出来ました事に…
感謝いたします。それと共に「テキスト…教材」として取り上げて頂きました「復興G様」へ
感謝申し上げます…。

引き続き…「生命の実相から2巻から(WEB誌友会テキスト…)」からの閲覧にての感想を順次
投稿させて頂きます。
                                   再合掌

2056SAKURA:2013/02/27(水) 13:36:31 ID:StkVUJY6
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>>2048>>2049>>2050>>2051>>2052>>2054>>2055>> 投稿の続きです

■【 生命の実相から2巻 】
†† 第五章 神への道しるべ(1) からなのですが……

===【投稿文】======================================
>そこでわれわれはバラの花の美を感ずる。しかし同じバラの花の美を感ずるにしましても、
それを感ずるわれわれの心のうちに宿っているところの「美」がどの程度まで開発されている
かによって、美の感じかたにも、深さがいろいろあるのであります。<  (一部抜粋)
==============================================

■そのように“心の深さ=魂の高さ”によるものと思うのです。…が?では“魂の高さ”を、
より高く〜高く〜高度にするには〜〜〜もちろんです〜〜ョネ!【真理の勉強…】
つまり、一つは【WEB誌友会…】での意見・捉え方の相違点はありましょうとも…お互いに
意見交換にての“真理を掴む”ということでしょうか〜〜〜

そういえば【別板…】で見ますと『肉体年齢??』と投稿された方がいました。…が?
「雅春先生」も【肉体もすべて、心で!決まる。つまり“精神統一に繋がる”事で……】なのでは
と、思います。「亡き母」を思い出しますと“91歳…”で他界しましたが、思い出しますと、
“89歳”までは、顔の変化もなく、その後「老人ホ−ム」に入ってからでしょうか……??
次第に“老化現象”が第三者的に見ましても、少し出始めた感が致します。…が?
それでも私たちが「老人ホ−ム」を訪ねますと、次第にお互いの会話から「亡き母」の表情が“89歳”
以前のもとの顔を、のぞかせるようになりました。…が?

                         つづく

2058a hope:2013/02/28(木) 07:32:19 ID:TqpbsVIM
みなさま おはようございます。

今朝より、聖典「生活読本」の謹写を再開させていただきます。

感謝 合掌。

2059a hope:2013/02/28(木) 07:33:53 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十二章 心と顔に太陽を輝かしましょう

◆幸福とは心が楽しいことです

家の中に一人でも不機嫌な人がありますと、その家の人達の心全体が乱れてくるのです。
そして家族は始終病気をしたり、面白くないことばかり起こってくるのです。
そんな家に住んでいる人は、お金を百万円つんであっても幸福だということはできません。

幸福な生活とは心が楽しい生活です。
家族互いにうれしそうな顔をしてにこにこせずにはいられない生活が幸福な生活です。
(つづく)

2060SAKURA:2013/02/28(木) 11:35:31 ID:GAUySuWA
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>>2048>>2049>>2050>>2051>>2052>>2054>>2056>> 投稿の続きです

■【 生命の実相から2巻 】
†† 第五章 神への道しるべ(1) からなのですが……

>>2056 投稿の続きです…。

■やはり「心…が顔に現れる」という事を、その当時、自覚しました。…が?このように
「肉体は、仮モノ」です〜〜〜ョネ!「現象=現実…」で、その人の姿・形としての年齢を見ますと、老化なのでしょうか?年齢制限で見てるのでしょうか?その人自身が「老化現象…」が、かなり肉体
的に顕れているので、相手に対して「にくじ事…」を言われているのではと〜〜〜?感じた次第です。

■ 別板の中の【掲示板・運営/方針 板】==========================
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11788/1346745644/874 
↓     ↓     ↓     ↓
>>861 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11788/1346745644/861 志恩様の投稿

874 :神の子様:2013/02/16(土) 12:40:49
還暦もすぎた70歳(女性)の書き込みだって。
キモチワル 。。。
↓     ↓     ↓     ↓     
875 名前:神の子様 投稿日: 2013/02/16(土) 13:18:18
>>862
それは肉体の年でしょうが                  (一部抜粋)
=============================================

■■≪・・・???≫このよな“会話投稿”を閲覧しまして「精神年齢の幼稚さ」で“ビックリ”
です。この様に【外ばかり求める〜〜〜肉体ばかり求める方達は〜〜〜しかも本人達の年齢も?】

思いますに「投稿の会話…」では“70歳…”と聞いただけで「もう老化と断定!」して……
「気持ち悪いとか?」此の言葉は、ここに登場する事が気持ちが悪い〜〜〜?とも受け止められ、
此の人の“偏見なる見方”は、余りにも幼稚な見方で、全てが『現象的=現実的』にみて、本当に
『心貧しきモノ』という感が致した次第です。…が?このように“投稿された人物こそ”が、
今!時代の流れのピ−クでしょうか【整形のしすぎ…】であるのでしょうかと。本人自身が尚の事
“老化現象”が激しいのでしょう〜〜〜ネ!!

同じ老化でも……“綺麗〜ネと見える方”…更に同じ“70代…でも老けているネと見られる方”…
ここが「ポイント…」ではないでしょうか??「亡き母」は“89歳”までは肉体的には(顔)の
年齢が見受けられませんでした。肉体的に“老けて見られる方”は【現象論】ばかり見つめすぎて、
綺麗に見せる心の“美の開発”されていないのですかと。
先ず【実 相 を 見 る】には、それは何度も言います様に“種をまく”やがて“芽が出て来ます”

この様に『バラの花が綺麗ね〜〜〜』と云われるように〜〜〜
“心に種をまく”・・・それは【祈り…祈り…】で潜在意識の奥底の心を、引き出す事ではないでし
ょうか???最近は、確かに、現象的に「身近な…整形にての変身術」があります。…が?
『パット花…』になる事は『散るのも早い整形…かと』それよりも
『心を見つめて知識・智慧を磨く…さらに“神地一体!”…これは“祈り…”』にてと思いました。
                        
つづく

2061NANCY:2013/02/28(木) 11:45:29 ID:GAUySuWA
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>>1955>>1983>>1988>>1999>>2010>>2012>>2024>>2028>>2029の投稿の続きです。

===【谷口 雅春 先生 著】============================= 

■ あなたが生きるべき時は、まさに「今」である

今の他に生きる時は一つもないのであります。「これは善いことだけれども明日にしよ
う」などと考えているような人は、とても成功のおぼつかないひとであります。
「今」思い立った時に、素直にこれは神が与え給うたことであるとして、ただちに実行
に移り移りうる人は心の柔軟性を保っているひとであります。

                         『生命の実相』頭注版30巻より

============================================

■そうなのです〜〜〜ョネ!
時々私の心に囁きかける声〜〜〜!明日があるさ!明日があるさ!〜〜〜〜明日が!><
この様な気持ちになる時は、私の“心の弱さ…意志の弱さ?”でしょうか?
やはり「時間…」という概念に、甘えがある時は、意外と不思議なモノで、結果的には??
あまり“いい答え…”が得られなかったりしますでしょうかとも、思います。

本日の“言葉…”改めまして【時間管理…今!今!を活かす事】に邁進して行く事に〜〜〜

                                   再合掌

2062a hope:2013/03/01(金) 07:55:42 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十二章 心と顔に太陽を輝かしましょう

◆真面目くさって脹れ面をしてはいかぬ

まじめなことは必要でありますけれども、
まじめくさってしまうと生き生きしさが失われてしまいます。

吾々は常にどこかに笑いのある愉快な所を残しておかなければ、
仕事ばかりで忙しいのでは美しい生活だとはいえません。

うれしくて笑っている時の顔と、面白くない時にふくれている時の顔と、
この両方を鏡にうつしてごらんなさい。
どちらが美しいかがおわかりになるでしょう。

美しい顔をしたたのしい生活が美しい生活なのです。
吾々はたのしい愉快な顔を人様に見せるのを義務だと考えなければなりません。

自分の顔だから、どんな顔つきをしていても勝手じゃないかとなどと
考える人があるかもしれませんけれども、それは大変なまちがいであります。

自分の顔は自分の顔であってもその顔の形が人に不快を与えるようになっては
世の中に害を流してしることになるのです。

だから吾々は義務として人に対しては、
たのしい愉快な顔つきをするようにしなければなりません。
(つづく)

2063a hope:2013/03/02(土) 09:07:15 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十二章 心と顔に太陽を輝かしましょう

◆人に愉快な元気な顔をするのは善いことです

人に愉快な顔をしてみせるのが大変善いことであるばかりでなく、
自分自身が愉快であることが、又自分自身にとって大変善いことをしているのです。

第一、どんなにつまらないことがあっても、無理にでも顔つきをにこにこしていますと、
実際に自分の心がたのしくなってくるのです。

人間はたのしいと笑いますが、無理に笑っていると仕舞にはたのしくなるものです。
だから面白くない時程一そう笑うようにすることが必要なのです。

「これは私の顔だから、勝手にふくれる権利がある」などというのではいけません。
「これは私の顔だから、人が何をいおうが、外の世界に何がおころうが、
私は私の顔をたのしく笑わす権利がある」というように明るくくらさなければなりません。
(つづく)

2064アクエリアン:2013/03/02(土) 09:42:23 ID:58IsEi0I
■生長の家誌昭和五十一年六月号谷口雅春先生 法語

善き”未来運命”を創造するために

一日の法語

困難を克服し得た勝利感

人は何故、野球を楽しみ、スキーを楽しみ、 ヒマラヤやアルプスの峻峰(しゅんぽう)に登 ることを壮快に感じ、時としては顚落(てんら く)して死することがある危険を前途に見なが ら、随分の費用をかけて、みずから進んでその 困難に直面して行こうとするのであろうか。 それは”困難”は自己に内在する”未見の我 ” ”神の子なる未見の無限力”を、顕在の世 界にあらわしたいという潜在的願いがあるから なのである。 そしてその困難を征服したときに、わたし達 は勝利の快感を味わう。生き甲斐を感じるので ある。何の困難もない平々凡々の生活が毎日続 く時には、人間は倦怠感を生じて、人生そのも のにウンザリしてしまうであろう。

二日の法語

勝利感と生き甲斐の源泉は何か

困難を克服し得た勝利感はどうして起こるの であろうか。実は”困難”というものは、”外 ”にあるのではなくて、自分の”内”にある” 心が描いた仮存在”なのだからである。 人間の実相は”神の子”であり、”無限力” であるから、”困難”などある筈がないのであ る。その本来の”無限力”を覆い隠して”包み ”(罪)によって、”困難”を感ずるのである 。一つでも、その”困難”を征服し得たという ことは”包み”を破って、内在実相の”無限力 ”が一歩一歩一層多く顕現し得たことであるか ら、自己の「実相隠蔽」を克服したことに勝利 感を感ずるのである。そして自己の「実相」が 一歩でも現象の世界に一層多く顕現し得たこと に生き甲斐を感ずるのである。

三日の法語

「我れ世に勝てり」

イエスは自分が磔(はりつけ)の刑に遭うべ き前途を予見したときにゲッセマネで祈るとき 、先ず「願わくはこの苦き盃(さかずき)をわ れより取り去り給え」と祈っているのである。 この願いは”肉体の願い”である。誰でも十字 架上に釘つけられて槍で刺されることを願う肉 体はあり得ない。誰の肉体でも、肉体は苦しみ を避け楽を得ようと欲するのである。しかし、 やがてイエスは「されど我が意(こころ)を成 さんとするには非ず、みこころの如くならしめ 給え」と、”別の言葉”を以って祈っているの である。「”苦き盃”(困難)を取り去り給え 」という前半の祈りは”肉体の願い”であり、 ”世俗的願い”である。しかし、「されど我が 意(こころ)を成さんとするには非ずみこころ の如くならしめ給え」という後半の祈りは、肉 体的自我を放棄し、その”世俗的願い”に打ち 勝ち、人類の罪の身代わりとなる崇高なる魂の 願いに身を捧げる決意ができたとき、彼は”世 俗的願い”に打ち勝ったのである。そこに真の 生き甲斐を感じ、彼は「我れ世に勝てり」と宣 言したのである。

四日の法語

世俗的な自己評価に雷同するな

人間は五官の感覚をもって自分の肉体を見、 自己を一定量の物質だという知覚を得て、常に 自己限定しつつ生活しつつあるのである。その 自己限定のままで生きている限りは、それは世 俗になじんで生きているのであり、「われ世に 勝てり」と宣言することはできないのである。 「われ世に勝てり」とは、外界の物質世界を征 服することではないのである。自己の内にある 「世俗的な自己評価」に打ち勝つことなのであ る。 自己を”神の子”と自覚することは、今これ が「自分の肉体的力」の極限だという自己限定 を打ち破って、常に自己に出来るだけ以上の事 を成すという理想目標をおいて、毎日一歩でも より多く前進し、進歩することなのである。

五日の法語

困難は実相内在の美を磨き出す研 磨機である

困難は、自己に内在する力を、平常普段の生 活以上に発揮させてくれる”呼び水”になるも のである。目標が、日常生活程度では、誰でも 出来る平凡な普通一般の生活になっていて、別 に現在以上の力を引き出してくれる機会をつく ってくれないのである。 それだから、神は一見”困難”と見える問題 又は事象を、時々すべての人に課して、それを 解決するために、その人が”日常以上の力”を 発揮する機会を与えて下さるのである。それだ から”困難”の来る毎に、その”困難”と、そ して、その困難を与え給うた神とに感謝せよ。 困難という研磨機を通して、わたし達の魂に 内在する貴き光が、一層多く燦然と輝き出すこ とになるのである。

2065アクエリアン:2013/03/02(土) 17:49:22 ID:0VgMO/wg
■生長の家誌昭和五十一年六月号
谷口雅春先生 法語

善き”未来運命”を創造するために

六日の法語

運命は課せられた労役ではない

運命というものを他から課せられた労役だと 思ってはならない。”運命”を物質でつくった 革輪(ベルト)が回転させている「物質の歯車 」であるなどとは考えてはならない。”運命の 原点”は”自分の心”にあるのである。”心” が運命の原点である。 ”運命の原点”である”自分の心”が明るく 輝けば、明るい運命が自分に向ってやって来る のである。 何よりも大切なのは”自分の心”を明るくす ることである。部屋が暗いと思っていたが、実 は自分が自分所有の電燈をともさなかったから だと気がつく人は幸いである。 誰でも自己の内に無限燭光(しょっこう)の ”霊の灯(ともしび)”が決意を以てスイッチ を入れれば輝くような霊の実相の霊源をもって いるのである。

七日の法語

”心”を光明面に向くよう切り換 えよ

自分の”心”が暗黒の方向へ向いているか、 光明の方向へ向いているか、自分の心を顧みな さい。そして暗黒の方向へ向いておれば光明の 方向へ心を切り換えなさい。 ”心”という電車が、あなたの”心”の向く ところへ回転して行ってあなたを運ぶのです。 それを”運命”と人はいうのである。『愛と光 との生活』(新選谷口雅春法話集第八巻)の7 7貢には次のように書かれている。暗黒な気分 になった時には必ずこの本をひらいて、その一 節をお読みなさい。必ず心が明るくなり、運命 が明るい方向に回転してまいります。 「諸君よ、必ず諸君の心の中に”光明”のみを 描け、必ず諸君の心の中に成功のみを描け。心 に描くことは、心の世界に種子を蒔いたことに なるのです。そうして、心に”光明”の種子を 蒔いて置いてから、その手入れをし、施肥(こ やし)を一所懸命にやるように、形の世界でで も、出来るだけ勉強し、出来るだけ働き、前進 前進、ただ前進、ただ伸びることのみを知って 、一寸の暇もなく間断なく進むのです・・・・ ・・」

八日の法語

”心”を「幸福行」の電車に乗り 換えよ

さて、『愛と光との生活』の本には「皆さん が幸福な成功をしようと思ったら、手足を無暗 に動かすまでに、心の向きを”幸福行”にして 置かなければなりません」と書かれている。手 足は自分で行き先の方向をきめず、”心”がそ の方向を定(き)めるのであるからである。 しかし ”心”は如何にすれば、その習慣的 方向を定(き)めることができるであろうか。 暗い心を明るくしようと思っても、従来の習慣 や惰力ではどうしても心が暗くなる人があるの である。そこで ”心”を支配するものは何か ? という重要な問題に逢着するのである。

九日の法語

”心”が先か ”コトバ”が先か

”心”を支配するものは ”コトバ”なので ある。聖書の『ヨハネ伝』には「はじめにコト バあり、コトバは神とともに在り、コトバは神 なりき。万のものこれによりて成り、成りたる もの一つとして之(これ)によりて成らざるも のなし」と示されているのである。 また『甘露の法雨』には「『心』動き出でて コトバとなれば一切の現象展開して万物成る」 とも書かれているのである。 「コトバ」は万物生成の根元であり、万物の 本質を成しているもの、万物生成の第一原因は コトバであるというのが『ヨハネ伝』の記述で あるが、『甘露の法雨』の方は、

「神が一切のものを造りたまふや(中略) ただ『心』をもつて造りたまふ。
『心』はすべての造り主、
『心』は宇宙に満つる実質、
『心』こそ『全能』の神にして偏在したまふ。
この全能なる神、 完全なる神の 『心』動き出でてコトバとなれば 一切の現象展開して万物成る」

と示されているのである。そこで ”心”が 先であるか、コトバが先であるかの問題が生ず るのである。

2066NANCY:2013/03/02(土) 20:33:28 ID:VaTGaQRA
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>>1955>>1983>>1988>>1999>>2010>>2012>>2024>>2028>>2029>>2061の投稿の続きです。

===【谷口 雅春 先生 著】==============================

■ 人生は鏡である。 こちらが微笑すれば 人生も微笑する

 一日数回、必ず鏡を見て微笑せよ。人に対しても、人の話しているのをきくとき、
 微笑を顔に浮かべながら好感をもって相手の話をきくようにするのである。
 すると相手と調和して事をはこぶことが出きるのである。
 人生は一種の鏡であって、こちらが微笑すれば人生も微笑する。

                        『新版 真理』第2巻「基礎編」
=============================================

■「笑顔…微笑」これは一番の『幸福生活をうる上での…切符』でしょうかと、思います。…が?
確かに、「雅春先生」は「心の法則」の中で〜〜〜最初におっしゃいます『生き方…』には〜〜〜
そうなのです〜〜〜ョネ!(生長の家…創刊号にも…)

❤【 ※『生長の家』では朗らかに笑って生きる。※  】

しかしながら、理解していますつもり?つもり?でも、時としましては〜〜?実は、私の経験です。
若い頃は、人との対面での営業は〜〜〜とても“苦手…”なのです。【SAKURAさん】と、始めて
小売店への営業を始めました時、先ず!それでなくとも私自身〜〜〜最初の“コトバ”〜〜〜><
どの様に致しましょう〜〜〜。頭の脳細胞「右脳・左脳…」はめまぐるしく“行ったり?来たり?”
でしたか?しかも、その小売店近くに気まして…ガラス越しから見えます「オ−ナ−の顔?」を
見ますと気持ちの上で“弱気…”に“ムリ?”でしょうか?瞬時、脳裏に浮かびましたモノです。
その時、いつもの“パワ−”を【SAKURAさん】から、いただきましたモノです…。“コトバ”!

「出来る!出来る!〜〜〜〜〜〜〜出来る!」という事を!潜在意識の中にシッカリとインプット!

此処までは、何となく“弱気の私…NANCY”でも〜〜〜さて!営業に必要な”スマイル…“は、
私には次なる【難問題…】です。私の顔の表情は、おそらく“憂鬱そのもの…”でしたかと。
しかし…笑い話ですが、逆に「お店のオ−ナ−」さんから〜〜〜“スマイル”を教えて頂きました。

今では、ふり返りますとオカシイ話なのですが??“ドア…”を開けますと…さすがで〜〜〜す!
明るい声!微笑!〜〜〜私どもに向けてくださいまして、逆に、今までの緊張感が、なくなり、
ホット!何時しか、私自身も“微笑…スマイル”になって、その「小売店」との無事に営業を、
終わらせました…この様な“懐かしい思い出〜♫”が、ありましたモノです。

やはり「笑い・・・微笑」は、そこに漂う特有の雰囲気が在りましても、「微笑=笑い…」という
不思議なパワ−にて、全体の空気をイキイキさせて来る“不思議な魔力……”が、あるのですかと。
此の事が【人生…最大の幸福への切符】ですかしら〜〜〜ン!

                            再合掌

2067NANCY:2013/03/02(土) 20:37:21 ID:VaTGaQRA

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の投稿の続きです。

❤【 ※『生長の家』では朗らかに笑って生きる。※  】
此の事に関しまして…もう少し「雅春先生の御文章」の中から抜粋投稿させて頂きます。…が?

===【抜粋投稿】=====================================

吾らは快活に小鳥のやうに陽気にならなければならない。陽気に充ちた家は必ず生長する。
その家は生長の家となる。此の世界は何も吾々が悲しんでやらなければ、悲しみに不足して困
ると云うやうなことではないか。黒住教祖は醫者に見捨てられた自己の大患を陽気で癒やした。
陽気になれ、嬉しいことを語れ。 噪やげ。 哄笑せよ。 微笑せよ。 併し苦笑や冷笑はお
ことはりだ。
 
カリフォルニアに一人の婦人があつた。とマ−デンは書いてゐる――悲惨な運命に打ちく
だかれてそれ以来憂鬱性にかかつた。夜は眠れない、食べものは味がなくて食べれば胸につか
へる……等々の症状を呈した。そこで彼女は此の憂鬱を拂ひのけんがために一大決心をして実
行にとりかかつた。彼女は一日少なくとも三回、どんなことがあつても必ず心から声を出して笑
ふといふことに極めたのである。それで人と話してゐるときなど、一寸したきっかけがあつても
必ず心から笑ふやうにし、自分の部屋にゐるときには鏡を見て笑ふやうにしたところが、間もな
く健康が見ちがえるやうに良くなり、性格もいっぺんして明るくなつた。かうして主婦が快活に
なると共にその家庭は明るい愉快な幸福な家庭になつていつた。家庭の明るいと暗いとは主婦の
笑ひの分量によるところが多いのである。…云々…
                        (一部抜粋)

=============================================

■【笑い〜〜〜微笑】とは〜〜〜〜!当に!
【 世 界 共 通 … 幸 福 生 活 へ の ス テ イ タ ス か と! 】思います。
♫〜 嬉しい〜〜〜〜〜なぁ!!!楽しい〜〜〜〜〜なぁ!!!幸せだ〜〜〜〜〜なぁ!!!

この様に思う次第です。…が?                  再合掌

2068SAKURA:2013/03/02(土) 22:29:32 ID:VaTGaQRA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2048>>2049>>2050>>2051>>2052>>2054>>2056>>2060 投稿の続きです

ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に
“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では
“続き投稿…”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶が
あります。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』
===========【第七章  あなたの繁栄を得るために 】===============

何に對して與へてゐるか    ―― その① ――
 「あなたは何に對して與へてゐるか」この第二回も第一問に比べて劣らぬほどに大切なものである。
折角、“種”を蒔いても、石地に播種したものは、発芽しないし、一時は発芽してもすぐ枯れてしま
ふなのである。痩地に播種したものは発芽し生長するにしても花をつけずミ果も結ばぬのである。
「與へる」と一様にいっても、お妾に金を與へるのもあれば、競輪、競馬やパチンコに與へて、財産
をすり減らしてしまふものもあるのである。「何に與へるか」といふことによって、“種”が発芽せず、生長せず、開花せず、果を結ばないなどの相違があることに注意しなければならない。
                                   谷口雅春著
==============================================

■何に對して与えるかは、それは“生きたモノ”でしょうか??“生きたモノ”とは、他人を活か
す事では?ないのでしょうか???此処!九州の男性の方は、思うのですが〜〜〜><
“お金に余裕”が出来ますと、必ず!若い女性との関連が多いのでしょうか?「今昔物語…」かと。
それはある時、何かに対しての【業因……“ツケ”がでてくるのカモ!!何故なら?そうですョネ!
【正しい法則…】では無いですモノ!!ここで“コメント投稿”の時間が???と思うことが、時と
してあります。…が?「下ネタの話題…」に注視した“コメント投稿”は、やはり〜〜〜
生きた!活かした!“種まき”では?ないのではと、思う次第です。…が?

“言葉の実感”が生じ、また!現代社会人への“心…”へ、生きた内容?活かす内容?は、やはり、
その人へ伝えたいとの愛念によります“個人の個性ある文章体にもあるのでは?”と、この頃は
思い直しましたかと。

最近は、時間ができますとやはり【真理…】そして、私の実体験した内容を書く事も“種まき”に
と、ある面では思えます。…が?「亡き母」の時代の【誌友会…】がありました頃のことです。
私の町内の【割烹店…】があり、かなり大きな【割烹店…】でした。ここの“女将さん”は、ある
面〜〜〜申し訳ありませんが?何処かの「重役の二号さん」で、本妻は近くに住んでいたそうです。

その方にも、やはり子供が出来まして?妊娠されました当時、近所の方は“出産しないといけない”
と〜〜〜皆で近所の方々は言います。この“女将さん”は、一人で子供を産んで育てていく事を決
められたと……私の【誌友会…】の当時の方達が言っていました。それからは一銭も「相手の男性
の方…」から“お金…”を頂かずに、本当に、真剣に【祈り…】に徹しながら、女性一人で当時は
小さな〜小さな〜お店でしたが、一生懸命働かれまして、いつの間にか、その姿に心を打たれ、
陰口をついていました人達もですが?勿論の事ながら!近所の人達が、応援するようになり、
町内の人も何かの行事(宴会…)を、そこで利用し食事をするようになりましたでしょうか?
【小さな〜輪!!それが、いつしか大きな〜輪!!】になりまして、いつの間にか大きな
【割烹店…】になりました。

                        つづく

2069SAKURA:2013/03/02(土) 22:33:21 ID:VaTGaQRA
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>>2048>>2049>>2050>>2051>>2052>>2054>>2056>>2060>>2068 投稿の続きです

【第七章  あなたの繁栄を得るために 】  >>その①の投稿の続きです…。

何に對して與へてゐるか    ―― その② ――
■そして、気がつきますと〜〜〜相手の男性の方は病気で、その後亡くなり、その時の本妻の方は?
お金を稼ぐ事を、知らない方だとか?お聞きしていましたのです。…が?当然ながら「生活が窮地…」になり……子供との生活能力もなく……そうこうしていますと、その“女将さん”は、人の“噂”で
その事を耳にして…それから「毎月の生活費を贈る!」様になり、更に、本妻の子供を大学までいか
せましたそうです。この“女将さん”がおっしゃるには「全て、私の、過去の“業…”が消えて
いく事で、自分の子供にその“業因…”が関わってこないことが大事なのです。」と…その後、
この本妻は、あの時に、この“女将さん”がした事が、自分の“家庭崩壊の原因なので、当たり前と
…近所の人に、云いふらかしていました。…が?果たして…【神様の御心は〜〜〜】と?

ジ〜〜〜ッと耐えて“子供の将来の事”だけを考えながら……或るとき「製鉄の幹部」が【支店を…
東京……】にと“声…”を掛けられて、その後、いつも〜いつも〜その事を云われる状況でしたかと。
或る時、一大決心をされまして“或る土地”を売却し、その一部の“お金…”を、その本妻の家庭に、
困らないようにと“お金…”を渡して、また“新しい新天地へ”と…この“種まき…”をなさった後
東京に行った様です。…が?その後、その“女将さん”は、向こうで“結婚…”されたと云う話を
風の便りで耳にしましたかと。勿論!2号さんではなく、キチンとした「正統的な奥様に…」と〜!
月日がたち、そのような連絡が入りまして、近所の方達は、それは嬉しそうでした。

「亡き母」も含めて……異口同音に
【やはり!いい種まきも〜〜〜ある面では“精神修行”がかなりいるのですネ!】この話を…私の
母の誌友会員さん達が、ある時なのですが?私に話して下さいました。これも【與へる法則…】では
ないのでしょうか〜〜〜??最近の私は、
❤〜【毎日!悪口を言わない事!毎日!前向きの“言葉…”を発する事!】だと決心しました。
これも【生活の日々の與へる〜〜〜事では、と思いますが??】
「分派の方々への擁護をなされています…「トキ様」は、果たして?如何思われますでしょうか?」

■最後に「トキ様」も今回の【最高裁…判決】に関して「分派…支援側」としての“投稿内容”を
いつも〜いつも〜“アドバイス…投稿?”されています様ですが〜〜〜ハッキリ申しますと
【現総裁雅宣先生…】だからこそ、今回の【新聖経…】を、信者に導いて下さいましたかと。
その様に、思う次第です。…が?それに、仮に「最高裁…判決」が悪い結果?その直前にてでは、
『時間的にも?信者の心にも?』〜〜〜〜〜【動揺…】が生じますでしょうから…その点も踏まえ
ましての今回の行動かと!思います。…が?

                                   再合掌

2070a hope:2013/03/03(日) 08:52:45 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十二章 心と顔に太陽を輝かしましょう

◆たのしくしていると出世します

たのしい人は幸福になれるばかりではなく、世の中のためになる人になり、
長生きができ、人づきあいがよく、出世ができるのです。

人間は神の子ですからこの世の中に悪口をいったり憎んだりするために生まれてきたのではなく、
よいことを見つけたり、人をほめたり、自分が愉快になったりするように生まれてきたのです。

何時でも、どの時間にも、たのしくしていることが人間の義務であると思って、
どんな時にもたのしくしているように努力しましょう。
(つづく)

2071アクエリアン:2013/03/03(日) 09:11:44 ID:BixDf6bQ
■生長の家誌昭和五十一年六月号
谷口雅春先生 法語

善き”未来運命”を創造するために


十日の法語

医師のコトバは患者の症状を左右 する

ある人が近頃、肉体に元気がなく、衰弱を感 ずるので医師の診察を請うと「これは肝硬変で あるから絶対治らない。入院しても入院しなく とも結局は死ぬ」という診断を受けた。この診 断を下された当人は、妻の下に帰ってくると、 顔色蒼白、気力喪失、診察を受けるまではそれ ほどでもなかった衰弱状態が倍加していたとい うのである。

この場合の現象を考察してみると、
(一)医 師の診断というのはコトバで成された。コトバ によってその後の衰弱現象は成ったのである。
(二)コトバが患者の”心”を動かして、不安 恐怖で満たしたのである。コトバは患者の”心 ”を動かしたのである。
(三)”心”が不安恐 怖で満たされた結果、彼の肉体の症状が悪化し て一層疲労憔悴を増したのである。即ち”心” は生理作用に影響を与えるのである。

以上、コトバを”心”を動かして次に起こる 現象発生の第一原因者として解釈したのである 。しかしこの医師の発したコトバというのは、 本人のコトバではなく、第三者たる医師が発し たコトバの影響である。わたしたちは第三者の 不幸や病気を暗示するコトバに左右されてはな らないのである。他より来る暗黒のコトバを防 衛する方法を知っておかなければならない。

十一日の法語

"心”はコトバと顕れて生理作用 を変化させる

では、第三者たる医師のコトバに左右されず 、自分自身のコトバによって、自分自身の肉体 の症状又は生理作用を健康の方向に支配するこ とができないものだろうか。この場合は「自分 の心」が先ず決意して「私は神の子である。病 気はないのだ」という明るいコトバを心の中で 発し、常に繰返し念ずるのである。即ち、「心 動き出でてコトバと成れば一切の現象展開して 万物なる」と示されている『甘露の法雨』の聖 句の順序に従って、”心”先ず動いてそれ以後 の現象が展開することに成っているのである。

十二日の法語

凡夫は三業に翻転せられて止ま る所を知らず

「南無阿弥陀仏」と称名念仏して、極楽浄土 に往生するという浄土教の諸宗の教義の場合を 考えてみるならば、称名念仏することは「コト バを発する」ことであり、「コトバの力」の応 用である。 ところで称名念仏しようと思うのは、先ず” 心”が思うのであるから「心動き出でてコトバ となる」ということである。コトバは「心のエ ネルギー」の上に乗ったアイディアの展開であ る。 ”心”は動き出でてコトバとなり、その「コ トバの力」によって万物は展開してあらわれる 。その万物を見て”心”が動く。かくて再びコ トバが生じ、コトバによって万物が生じ、その 万物を見て”心”が動く、永遠に循環展伝して 繰返して止まるところを知らないのである。こ れを意業・口業・身業ーー三業の流転といい、 業の流転のままに流され動かされていることを 「業力に転ぜらる」と言うのである。

十三日の法語

善業つねに循環す

「業が深い」などというと、過去の悪業の蓄 積が多いことに普通用いられているけれども、 業というものには善業もあり悪業もあるのであ る。善業の展開として生じたる幸福や健康や繁 栄を見て、心が幸福や健康や繁栄を心に描く。 心に描かれたこのが、また具象化するという法 則に従って、また幸福、健康、繁栄が現われ無 限に連鎖循環するに至ることが善業を積んでお けば起こるのだから、業力に翻転せられている ことは必ずしも悪くはないのである。それは善 業の永遠の流転となって、積善の報いとして善 き現象があらわれて来るので、その善き現象を 見て”心”がよろこび、”心”がよろこんで明 るくなるので、明るい積極的な愛他的な行為が 出来る。そして自然に和顔となり、感謝となり 、親切丁寧なコトバが出て来、善きアイディア が発想せられて来るのである。このようにして 、運の好い人はいつまでも好運にめぐまれ、そ の好運が常につき添って幸福な生活が自然に送 られて来るようになるのである。

2072アクエリアン:2013/03/03(日) 09:48:35 ID:TXUA99pE
■生長の家誌昭和五十一年六月号
谷口雅春先生 法語

善き”未来運命”を創造するために

十四日の法語

あなたの生活を「幸福新幹線」 に乗りかえなさい

以上は常に善業を蓄積している人のことであ るが、過去に悪業を積み重ねて来て、暗い現象 を見、心が暗くなり、心に暗いアイディアのみ が想い浮び、そのアイディアの具象化として暗 い運命、不幸や災厄や病気のおとずれに見舞わ れ、その現象を見て、更に心が暗くなって、暗 い事のみ心に思い浮かぶような気の毒な人は、 どうしたらこの業の流転を喰い停め、業力に翻 転せられる事なしに、幸福の”人生電車”に乗 り換えることができるのだろうか? それは、”不幸の業力”の電車に乗っている ままだから、その「不幸電車」が運んで行くと ころについて行くより仕方がないのである、「 幸福新幹線の電車」に乗り換えればよいのであ る。

十五日の法語

観の原点を「実相世界」に移す こと

「幸福新幹線」に乗り換えるというのは、言 葉はやさしいけれども、一体、具体的には、ど うすればよいのであろうか。人間の住む世界は ”心の世界”であるから、”自分の心”が不幸 ばかりの”暗い世界”を描いて、その自分の描 いた”暗い世界”に、”自分の心”が今まで住 んでいたのであるから、そんな”暗い世界”か ら”自分の心”を呼び出せばよいのである。 「一躍超入実相地」ともいうべき境地に入る のである。今まで”自分の心”という”生活の 原点”が、”現象の脚場”の上に立ち、”現象 の周囲”を見廻して、その現象の暗さのみを見 て、暗いアイディアを積み重ねて来たために、 そのアイディアの具象化としての暗い世界ばか りがあらわれていたのであるから、今度は、「 われ今五官の世界を去って、実相の世界に入( い)る」と、神想観実修の最初の「観の原点」 の転換をするために唱える言葉にある如く、今 まで”五官の世界”(現象界)に立って、現象 界の暗い事象のみを眺めて来ていた其の「観の 原点」を、実相世界に移すのである。 そして新しき”観”がはじまる。神の無限に 完全なる智慧が満ち、その、完全なる智慧によ って構図されたる無欠の実相世界が今ある。其 の万徳現前の世界を”観る”のである。”観る ”ことは、”既にある”ものを顕すことになる のである。

十六日の法語

色受想行識の円環を完成するこ と

”観る”は、心のはたらきであり、意識のは たらきであるから”意業”である、”色受想行 識”の”想業”である。”観る”ことによって 、”想”が思い浮ぶーー内在のアイディアが顕 在になるのである。心の世界に於いてアイディ アが思い浮かぶとき、これを具体化するための ”行動”が起こる、それが”行”である。”行 ”は”想”を完成するのである。”行”が伴わ ない”想”は”空想”に堕してしまう。「今年 は私の田地一段歩に十俵のお米がとれました。 神さま、ありがとうございます。」と神に感謝 して祈っても、種蒔きとか耕運とかの”行”が 伴わない時は、感謝の念も、アイディアの想念 も空転して消えてしまうことになるのである。 ”色”は波動的存在であり、波動を受けて感 覚がそれを感ずる、その”受けて感ずる”のが ”受”である。受けて感じて、それは何を意味 するかを”想う”、即ち感覚がアイディアとな り、想念となり、”行動”となる。その全体を 統合総攬する”心”が”識”である。 この色受想行識の連環を一円想に完結すると き、単に心の波動にすぎなかったものが、現象 界に具体をもって完成するのである。

十七日の法語

あなたに宿る”生命”は”神” である

それゆえに”行”が必要である。行動が必要 なのである。その行動の必要と仕方とを説いた のが私の『人生を前進する』である。毎日”光 ”をかかげて前進するものはついに、”暗い過 去の影”を消して光明輝く世界に自分の住む世 界を光転してしまうことができるのである。『 人生を前進する』の本には、幾たびも過去に地 殻が変動し、一度築かれたものが破壊されて地 殻の中に埋没されても、またその地殻の上に何 かを築きあげずには置かなかった大自然の生命 力の逞しさを説いて、それと同じ生命力が自分 の内に宿っていることを説き、次の如く結論し ているのである。

「諸君に宿っているところの生命力もおよそか くの如きものである。生命がかくも執拗にたく ましく、埋没されても、圧下されても、滅びる ことを知らずに伸びることのみを知って退嬰し ないのは生命とは『神』であるからである」( 『人生を前進する』200頁)

2073a hope:2013/03/04(月) 07:39:37 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十二章 心と顔に太陽を輝かしましょう

◆難しい仕事もニコニコしてやれば易しくなる

あなたの仕事や勉強がどんなに難しくとも、難しければ難しいほど、そこへ愉快を吹きこまなければなりません。
人生に愉快を吹きこむ技術程尊いものはありません。

たのしく愉快でいつもいられる方法をあなたが発明なさいますならば、
それこそどんな大学でうける教育よりも立派な自己教育ができたものだといわなければなりません。

大学を出ても社会の下づみになっているような人は、大抵まじめくさった暗い顔つきをしている人が多いのでありまして、
学校などは余り出ないでも常にニコニコしている人は、何時の間にか出世して財産も沢山できてくるのです。

どんな難しい仕事でもニコニコしながらやってのけると難しさが難しくなくなります。
所がどんなやさしい問題でもしかつめらしい顔をして重々しい態度でそれを行いますと、
やさしい問題が難しい問題に変ってしまうのです。

だからどんな問題が出て来ても、ニコニコたのしくやってのけることが必要であります。
(つづく)

2074SAKURA:2013/03/04(月) 16:08:32 ID:IhbOR9.o
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>>2048>>2049>>2050>>2051>>2052>>2054>>2056>>2060>>2068>>2069投稿の続きです

■【 生命の実相から2巻 】
†† 第五章 神への道しるべ(1) からなのですが……

>>2056>>2060 の続きです…。
では次に私の「亡き母」と同じ年齢の方ですが『犬養道子さんの画像』を見られたら、如何に…・
『宗教は精神と意識に繋がること……』だと思いましたので、この場にて張り付けさせて頂きます。

■犬養道子さんの写真画像ですが(2007年)の頃ですが???
http://www.inukai-kikin.jp/2007report.htm  ≪ 素敵な画像〜♫ ≫

■キリスト教特別講演会開催 (2004)年ころですが???
http://www.rakuno.ac.jp/news/200412/news28.html 

尚!現在は「老人ホ−ム」に在中との事ですが??

===【素敵なブログ… 転載記事 】============================
母はとある老人ホームに入っている。そこには、聖書の研究家として有名な犬養道子さんが
住んでおられる。ひょんなきっかけから、犬養さんを母が教会へ行くとき、母の運転する車に
おのせすることとなった。父のお別れ会のときも、ご高齢で歩くのがやっとなのに、犬養さんは
来てくださった。私は、子どものころから、聖書を読む習慣がある。洗礼は受けていない。ここ
数年、うつがひどかったせいもあり、しばらく聖書を読んでいなかった。父が亡くなって、また
読みたいと思ったが、愛用の聖書がみつからない。そこで、どうせ買うなら、英語版、しかも口
語体でなるべく易しいものを探したいと思った。どう探してよいかわからなかったので、母から
犬養さんに聞いてもらった。すると、突然、母のところに犬養さんから、さしあげます、と一冊の
聖書が届いた。それは以下のものである。私がいただき、読ませていただくことにした。

尚、「此の方のブログ…URL…」を、下記にて紹介させて頂きます。
ご多忙中と存じますが…閲覧して頂けますと幸いに思います。

http://plaza.rakuten.co.jp/olive3518/diary/?ctgy=5 【素敵なブログ… 転載記事 】

                       
つづく

2075SAKURA:2013/03/04(月) 16:13:50 ID:IhbOR9.o
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>>2020>>2023>>2031>>2033>>2034>>2039>>2040>>2041>>2042>>2044>>2045>>2046
>>2046>>2048>>2049>>2050>>2051>>2052>>2054>>2056>>2060>>2068>>2069>>2074
投稿の続きです

††【 第五章 神への道しるべ (2―4) 】からなのですが……

>>2056>>2060>>2074 の続きです…。
■おなじ老人ホームの在中の方の娘さんのプログですが、そこで犬養さんから頂いた本の抜粋です。
つくづく聖典をよんで行くことでしょうか??心にス〜〜ト入りましたが??如何でしょうか??
「下ネタでかわす言葉」より「後でいい余韻を残す言葉」は、永遠性です〜〜〜ョネ〜〜〜

The New Jerusalem Bible Reader's Editin
DOUBLEDAY ISBN:0-385-24833-4
今、この中で、愛するものが亡くなった時に読む言葉を読んでいる。それは以下のものである。
THE NEW TESTMENT より

Blessed are those who moun:
they shall be comforted.
(MATTEW CHAPTER 5 - 4)
P.1152

悲しむ者は幸いです。
その人は慰められるからです。
(マタイの福音書 5章 第4節)

Blessed be the God and Father of our Lord Jesus Christ,the mercifull Father and
the God who gives evry possible encouragement;
he supports us in every hardship,so that we are able to come to the support of others,in
every hardship of theirs because of the encouragement that we ourselves receive from God.
(2 ORINTHIANS THE SECOND LETTER OF PAUL TO THE CHURCH AT CORINTH
INTRODUCTION
Address and greetings.Thanksgiving 3,4)
P.1339

私達の主イエス・キリストの父なる神、慈悲の神、すべての慰めの神がほめたたえられますように。
神はどのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私達も、自分自身が神か
ら受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。

(コリント人への手紙第2 第1章 第3節、4節)
===============================================

■ 上記は抜粋投稿させて頂きました…。
やはり「魂を磨く…向上」する事は、改めて素晴らし〜〜イ!「生長の家…テキスト」により、
各個人の方々の捉え方を閲覧することが出来ますし、自分自身なりに考え直す機会を頂きます事は
…感謝!です…。そして、ここ2チャンネルでの「聖典 板」での投稿は意義あるものでしょう。?
此処に管理人「トキ様」の寛大なる方針にて参加させて頂く機会を得ました事に“感謝の念”を〜
                                
つづく

2076a hope:2013/03/05(火) 07:19:20 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十二章 心と顔に太陽を輝かしましょう

◆仕事や勉強につかれたときには

仕事や勉強につかれた時には、しばらく目をとじて
「私は愉快だ、たのしいのだ。私は神の子だから決してつかれることはない」
こうとなえながら、その言葉の通りに愉快なたんしい気持ちになりながらとなえるのです。

するといつの間にか愉快にたのしくなってきて、つかれもすーっとやすまります。
そして目をつぶったまま、一番自分のうれしい顔を想像して、にこにこ笑うのです。

すると自分の心がほんとうにうれしくたのしくなってきます。
そして元気がでてくるのです。
それから又勉強を始めれば元気が一そう出て来て、その勉強が早く上手にできるでしょう。
(つづく)

2077SAKURA:2013/03/05(火) 14:39:13 ID:3zGtf1Ww
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>>2046>>2048>>2049>>2050>>2051>>2052>>2054>>2056>>2060>>2068>>2069>>2074
>>2075 投稿の続きです

■【 生命の実相から2巻 】
††【 第五章 神への道しるべ 】からです。…が?

===【抜粋文】======================================
>>そのようにわれわれは自分の心のうちにあるものしか見ることができません。またたとい
触れてもそれを感ずることができません〜〜略〜〜
>>あまり現在の境遇に満足し切っている人は
神をもとめる必要がないから、神を見ることも感ずることもしないのであります。 
それは神を見ることができないのではなく、しないのであります。<<  (一部抜粋)
==============================================

■■神をもとめ…神を見るは……♫
【背 水 の 陣】をひいた方なのでしょうか……??それも含まれますかと思います。常日頃から
それよりもひたすら【 神にすがる心 = 祈り 】ではと思います。
人は、神様から各自への“テレパシ−”を頂いておりまして、それぞれのアンテナにて受信する
ことが出来るのですから、但し、そのチャンネルはキチンとしていませんと…正確なる
“テレパシ−”は受信することが出来ないかと。それに答えるためにも……やはり
【 祈り・神想観 更に“イメ−ジ” 】だと思えます。…が?

まだ!まだ!私も【祈り…】が足りないのでは…?と思いながら、本格的に『神地一体に融合』で
しょうか??私も〜〜♫〜〜ジャン・ジャン・ジャン・ジャンと【祈る事…】…

それが“宇宙…への遭遇……邁進”で〜〜〜す。…が??
                                再合掌

                          つづく

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ

ひたすら【祈り…】に、徹していきますと、私の心に応じた分量の神様が現れるのでしょうか?
…と?最近思う次第ですが?「トキ様」は、どう思われますか?? ウフフ!
私自身のこの頃の、心境なのですが???

2078a hope:2013/03/06(水) 07:42:10 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十二章 心と顔に太陽を輝かしましょう

◆ハツラツとした元気を失ってはならぬ

ある大新聞の編集長は決して五十歳以上の社員をやとわぬことにしていたということです。

その理由はとたずねると、五十歳以上にもなってこの世の苦労をなめて来た人は、
その人の顔から溌剌(いきいき)とした元気さと愉快な笑いがなくなってしまっているからだと答えました。

一人の気むつかしい人が事務所にいると全体の事務所がたのしくなくなってくるのです。
そしてそんな事務所で考えられた計画は必ず暗い影をもっていて失敗することが多いのです。
(つづく)

2079SAKURA:2013/03/06(水) 13:01:46 ID:aj.7X2Bg
「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2020>>2023>>2031>>2033>>2034>>2039>>2040>>2041>>2042>>2044>>2045>>2046
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>>2075>>2077>>投稿の続きです

■【 生命の実相から2巻 】
††【 第五章 神への道しるべ 】からなのですが……

===【投稿文】======================================>>キリストが「富める者が神の国に入る事のむずかしいのは、らくだが針の孔を通るよりもむ
ずかしい」と嘆じられましたのは、富める者の驕慢な心が神のみ心にかなわないという意味もあ
りますが、現状に満足しているものは、みずから進んで神の国に入ろうとしないことをいわれた
のでもありましょう。

>> またあるときには「貧しき者は幸いなるかな、神の国はなんじらのものなればなり」と
いわれたのも、貧しくして現状に不満足なものほど神の国に入りたいという欲求が盛んになる
ことをいわれたのでありましょう。   (一部抜粋)
==============================================

■「富める者は神の国に入る事は、むずかしい」…“納得”でしょうかと。??反対に……
「貧しき者は幸いなるかな、神の国はなんじらのものなればなり」これも、分かる感じがします。
“宗教の門=信仰の門を叩く”場合は、やはり!窮地に追い込まれた時の【絶体絶命状態…】から、
神にすがる気持ち!ひたすらすがる気持ち!が、益々と強くなるものでしょう。

逆に「平穏!平和!な状態」ですと、何の不自由感もない場合とか、更に“お金…”に執着した
モノとかは……まず“心…”がモノに焦点をあわせていますから「神様…」は現象的な捉え方に
なるのでしょうか。「神の国…」に入るには、その人の【絶体絶命状態…の心理】においては、
その「神の国の門」を叩き、入りやすのです〜〜〜ョネ??
それでも、尚「貧しき者」になってしまいますのは、やはり【感謝の心…】でしょうかと。
【SAKURA…】 は、ますます【感謝探しの冒険の旅〜☆〜】でしょうか???
“ガンバル心…”…“持続精神…”は『感謝…』からかしら〜〜〜ン!!

                             つづく

2080a hope:2013/03/07(木) 07:34:07 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十二章 心と顔に太陽を輝かしましょう

◆笑う門に福来たる

昔ドイツでは笑う奴は戦争も忘れるからいかぬといって法律で笑いを禁止したことがあるそうです。
そのように笑いというものは人間の心に平和をもたらすものなのです。

しかつめらしく眉の間に皺をよせて考えているような人の頭からは、
どうしたらあの人をやっつけることができるかなどの暗い考えが思いおこされてくるのです。

暗い考えをしている者は自然と顔も暗くなり、にこにこした明るい顔をした人が
よい仕事をもってきてくれても波長があわないから、二度と幸運が訪れなくなるのです。

ジョンソン博士は、「一日の中(うち)その幾時間かは人間は笑いをもって過ごさねばならぬ」といっています。
どんなに人間が笑いや冗談をもとめているかということは、軽い喜劇や、落語や、まん才や、
手品などがどんなに客をあつめているか、又放送で喜ばれているかということを見ればはっきりわかるのです。

人間は動物とちがうことは笑わずにはおられない所だといった人があります。
何よりも人生に大切な心の休憩所は「笑い」であります。

どんな無学の人でも、どんな貧しい人でもできる所のもっとも尊い人生の成功は
常にどんな所へでもにこにこした顔をして人に接することであります。
そして誰にでも好意のある眼差しをして深切をつくしてあげるということです。

与えられただけの仕事はしているのであるから、悲しい時に笑ったりなどさせられてたまるものかと
考える人があるかもしれませんが、人間は与えられた仕事だけをしているのでは本当に出世するということはできないのです。

十の仕事を与えられたら、十二以上を与え返すようでなければなりません。
それは必ずしも仕事で与え返さなくとも十の仕事を十だけして
あとの二つは人をよろこばす嬉しい気持の表情(かおつき)態度をするようにしてもよいのであります。
(つづく)

2081「訊け」管理人:2013/03/07(木) 11:43:13 ID:???
『アホは神の望み』(村上和雄著)より――

 「苦しいときこそ笑っていられる」ようなアホやバカがいまこそ必要なのだということを述べたい。笑いが減るのと平行するように世の中に利口な人が増えました。頭の回転が速く目先のことに鼻がきいて、機を見るに敏、人に先行して、競争に強く、ムダや抜け目がなく、合理的かつ効率的で、どんな問題もすばやく解いて、決められた道を最短距離で行くことが得意、いわばそんな人たちです。

 しかし、そういう利口な人たちを見て気づくことがあります。一つは、その利口やかしこさのスケールがどこか「小さい」点です。頭は切れる、学歴も高い、知識も豊富だ。しかし、ヘンに世間知らずだったり人間関係がうまく結べなかったり、人の心の機微に疎かったり、あるいは分析は鋭いけれど視野がせまかったり、理が勝ちすぎていて柔軟性にかけていたり…


◇村上和雄先生講演会(動画)
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65720292.html

2082SAKURA:2013/03/07(木) 13:50:34 ID:BywkQNJ6
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こんにちは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2075>>2077>>2079 の投稿の続きです…。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/249 
>>249 上記は復興G様の投稿の(URL…)です。その中からの一部抜粋……

===【抜粋投稿】===================================

■>>高き霊界のリズムと調子を合わすことによってのみいっそう偉大に進歩せる霊界、
天界、さらに進んでは実相世界のリズムを感受し、それによって人間界に偉大な芸術や、偉大な
発明や、偉大な思想を生み出すことができるのであります。<<(一部抜粋文)

>>自分の奥底の魂のリズムを高潔にすること…云々…『神想観』…<<  (一部抜粋文)
=============================================

■此の事は…『神想観…瞑想』の重要性をつくづく感じます…。まだまだ〜〜時としては、
周囲の“煩わしい煩悩”にいまだにフラフラ〜〜〜(微笑)ですが??
普段の行動が「神の子…」としての自覚ある行動かと考えますと?いまだに【我欲…】あり…
でしょうか??これでは〜〜〜反省しつつ〜〜〜強い「意志力…」にて
【神想観=>実相世界】へ、突入??日々の努力にて【神想観…神地一体】トライ!トライ!
して参ります…。此の決意を、新たにでしょうかと。
                            再合掌

                 つづく

2083NANCY:2013/03/07(木) 14:17:25 ID:BywkQNJ6
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こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
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の投稿の続きです。

===【谷口 清超 著】=================================

■コトバは一回では駄目だ。何回も何回も繰り返す。それも毎日一定の周期をもって
「うれしい、幸福だ」と言う。
そうすれば必ずそのような人生が、あなたのものとなるのである。

あなたはきれいなのである。ただ自分の心でそのすばらしさを蔽いくらましている。…中略…
あなたはまずあなた自身を讃美することである。あなたの夫や妻をほめ称え、さらにあなたの
子供たちを讃美しなければならない。
それはコトバで言うだけではなく「態度でしめそうよ」でなければならない。

                            『幸せへのパスポート』より抜粋
=============================================

■本当にそうなのです〜〜〜ネ!「コトバ…」は、人間だけの“コミュニケーション言語…”だけでなく
そこに“霊…魂”が、入り込みますモノ!ですから?前以上に、この年齢(??)になりますと、その
重要性が分かりますかと…? そうなのです。例えば〜〜〜
相手を傷つけたり?こちらがそのような意味で使っていなくても誤解が生じましたリ??複雑な気分?

そうしますと〜〜〜場合によりましては?悩んだ末での“コトバ…”となります事もあるのです。
…が??>< 
それでもいえます事は「讃嘆するコトバ…」は〜〜〜相手への自信・活力を与えますかと思う次第です。
そして…〜♫ “たいど”で示そうよ  そら  みんなで示そうよ ♫〜
                               
 再合掌

2084トキ:2013/03/07(木) 20:25:05 ID:zDFBGQos
 昭和50年3月号の「生長の家」誌の「明窓浄机」にて、谷口雅春先生が
以下の通り、お書きになっておられます。(p94,95)

 自分は深く感じた点がありましたので、ご紹介をさせていただきます。
(以下、谷口雅春先生のご文章です。)

--------------------------------------------------------------------


 次は、中華民国の台北から来た賀状である。

「谷口雅春先生。

 始めてお手紙差し上げます。先生には人類福祉の増進にご精励の事慶祝に
たへない次第でございます。小生も弘道者の一人として、念々実相に忘るる
事なく、心をつくし、魂をつくし、力をつくし得るべく熱願をしているもの
です。
 

 もともと衆生を度するとは、もっぱら他を救うを目標と思っておりました
が、先生の教えに預かりましてから、衆生自ら我にある事を悟らせて頂き、
歓喜にたえない次第でございます。内にとは肉体の中ではなくて、実相の
事、私にも偉大な超意識世界の真我なる中心が悟入出来得て、感激に涙
もこぼれてしまった程でございます。真理の光を皆様にも悟らせていた
だくべく、こちらの”聖理”誌にもときどき先生の御教えを抜粋で訳して
おきましたところ、普ねく共鳴が得られて、真理そのものの偉大なる力
に頭が自ら下がります。私も仏教の経典を永年修習してきましたが、
先生に点晴しいて下さいましてからはすべてがぐらりと変わってま
いりました。

 この感謝、感激に満る心、ご推察下さい。将来音楽が好きですので、
仏教奉唱の革新を図り事の調べに寄せて、”心経”の曲譜を書いたも
のがありますので、別便にてお送り致しました。ご教示を仰ぎます。
般若の心得は、先生の肉体なし、物質なし、全てはなきと知ったとき
に只ひとつ実相ありの御教へと完全に一致するばかりでなく、詞
ばも簡潔で、ありがたいです。ついであつかましいながら、生長の家
のご家族と仲良く通信が致したいと切願しております故、御幇助の程
一へにお願い申し上げます。

 いよいよ御殊勝に、全人類の幸福の為にご清鋭あらん事を、心から
合掌して祈り上げます。

洪徳声 敬上」

 この手紙で感激したのは、

「衆生を度するとは、もっぱら他を救うを目標と思っておりました
が、先生の教えに預かりましてから、衆生自ら我にある事を悟らせて頂き」

という点である。読者よろしく三読三思して、自己の内に全てがあること
を悟られたい。

(以下、省略)

2085a hope:2013/03/08(金) 07:11:36 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十二章 心と顔に太陽を輝かしましょう

◆明るい心を持っている者は無限の宝を持つ者だ

うれしい顔をするには何の資本(もとで)もいりません。
深切な目付きをするにも何の資本もいらぬのです。

吾々は、この人をよろこばしてあげたいとただ思うだけで深切な顔にもなれたり、
愉快な微笑を顔に浮かべたりできるのです。

あなたの愉快な顔つきは曇った日にさしこんで来た太陽の光のようなものです。
周囲の人が苦虫をかみつぶしたような顔をしていればいるほど、あなたの明るい顔が必要なのです。

どんな富や財産をもっているよりも明るい心をもっているものは、
もっとも尊い宝をもっているものだといわなければなりません。
(つづく)

2086a hope:2013/03/09(土) 06:51:18 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十二章 心と顔に太陽を輝かしましょう

◆自分の人物試験法

先ずあなたの顔を鏡にうつしてごらんなさい。
当たり前にしている時の心持でわざと顔の表情をかえないで、今あるままの顔で、
口をボンヤリ開いているならば開いているままで、眉をしかめているならばしかめているままで、
ソーッと今あなたの机の上にある手鏡を、あなたの顔に前に持ってお出でなさい。
そして、その鏡の中にうっている自分の顔をごらんなさい。

あなたの顔は明るい気持ちの好い顔をしておりますか。
あなたの今のその顔は自分でも好きですか。
自分でもいやになるような陰気な顔をしておられはしませんか。

口がポカンとあいている癖があったら、これから常に心を引締めて物を言わない時には、
口がしっかりつぐんでいる習慣をつけましょう。
眉をひそめている習慣があるのは、心が常にイライラしているか、あせっているか、悲しんでいるか、
狭い心でいる証拠ですから、眉を左右に伸ばしてのんびりした広々とした愉快な気持ちにおなんなさい。
そして口のあたりに微笑をたたえて、すべての物に微笑みかける気持ちになんなさい。

そういう人は人生の宝です。
世の中が世智辛くなって、みんながイライラした顔をしている中に、
そういう愉快な輝かしい顔をしている人は人生の宝です。

人生の宝ならば、あちらからも、こちらからも、来てほしいという人が沢山あって、
思わぬ幸福はそこから生まれて来るのです。
これが出世する道、幸福になる道です。
(第十二章終わり)

2087アクエリアン:2013/03/09(土) 10:36:40 ID:ycMJVpl.
■生長の家誌昭和五十一年六月号
谷口雅春先生 法語

善き”未来運命”を創造するために


十八日の法語

ころぶたびに前進している

まことに人生は”七転び八起き”である。現 象はころんだように見えても、その人の魂はこ ろんでいないで、ころぶたびに前進している。 わたしは九州に移転してから曾孫に午前一回、 午後一回、お茶の時間に会うことにしている。 まだ生後一年数ヵ月にしかならない其の幼児は 、一分間もじっとしていないで室の中を走り廻 るのであるが、まだ歩き慣れないものだから、 時々倒れる、けれどもその倒れたことを悲しむ こともなく、にこにこ笑いながら自分で起きる 。彼は倒れた姿勢のときから立ち上がるのに、 どこの筋肉はどのように力を入れれば立ち上が ることができるか、それを自修しつつあるので あり、ついに誰に教えられないでも、絶対に倒 れないで歩いたり走ったりする術を自得し、横 に伏したり、俯向きに臥した状態からどのよう に腕をつっぱり、脚を動かせば直ぐ起き上がれ るかを習得する。彼は幾度も倒れながら、彼は 常に前進しているのである。わたしは、こんな 幼な児の、生命の不屈不撓の精神を讃美する。 イエスは「凡そ、天国に入る者は、この幼児の 如きものである」とわたしのように、また別の 意味で讃美しているのである。

十九日の法語

病気は自己限定によって起る

『愛と光の生活』の91頁には”病気も怠け 者も本当は無い”と題して次のように書かれて いるのである。----------

「神様は善でいらっしゃいますから、悪いもの を決してお創造りになりませんでした。悪いも のを神様は決してお創造りにはならなかったの でありますから、悪いものはあるように見えて も、それは無いのです。病気もあるように見え ても無いのです。あなたがたとい怠け者に見え ていようとも、怠け者のあなたは無いのです。 本当のあなたは決して病気でもありませんし、 怠け者でもないのです。ただあなたはあなたの 心で、病気のように、また怠け者のようにあら わしているに過ぎないのです。それは一万円で あっても五円位きり出さないのと同じなのです 。病気や怠け者は、あるだけの力を出さないで 、一万円を五円の値打ちだと思い間違えている のと同じなのです。」

と示されているのである。
つまり、”人間・ 神の子、無限力”と自分の実相の”本当の健全 さ”を悟ると、自己限定によって生じている病 気は消えてしまうのである。

二十日の法語

運命の三種類について

現在の不幸や病気を運命だなどと考え、自ら の考えによって、その不幸や病気を現象面に固 定させてしまってはならないのである。 だいたい運命には三種類あるのである。

一、根本運命
二、中間運命
三、未来運命 の三つである。

二十一日の法語

人間の根本運命には不幸も病 気もない

だいたい”運命”の”命”という字はイノチ ともミコトとも読む字である。ミコトとはミコ トバ(御言)のことであって、人間のイノチは 神のミコトバが宿っていて、それがわれわれの 人体に運(めぐ)り循環しているので、われわ れは生きているのである。新約聖書の『ヨハネ 伝』に、

「言(ことば)は肉体となりて我らの中(うち )に宿りたまえり。我らその栄光を見たり」( 第一章十四節)

とある。根本運命とはこの一節に録(しる)さ れているわれらの内に宿るところの”栄光”で あるのである。この栄光ある”神の子”として の実相を、”根本運命”又は”根本業”として 、神の像(かたち)の如く、不可視の神の像( かたち)が、可視的像(かたち)をもって生ま れて来たのが人間であるのである。この”根本 運命”として授かって来た”命”をそのまま歪 めることなしに運行せしめて来たならば、人間 はいつまでも本来の完全の相(すがた)にあら われて、病気や不幸はあり得ない筈なのである 。 ”根本運命”というのは、「人間は”神の子” であり、あらゆる方面に於いて完全円満無欠で ある」ということである。これは変わることな き人間の享けた根本の運命である。

2088http://gucci.kanpaku.jp/:2013/03/09(土) 16:44:15 ID:???
***Τ****l*****???(^_^;)*******

2089SAKURA:2013/03/10(日) 03:02:08 ID:I4aQXl92
「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

現在!個人的事情にて、時間調整がとれずに、休んでいます。…が?
も〜〜〜う!しばらくしまして後、投稿をさせて頂きたく思う次第です。何卒ご了承くださいませ。
                                        再合掌

2090アクエリアン:2013/03/10(日) 08:03:53 ID:HX8pgqKg
■生長の家誌昭和五十一年六月号
谷口雅春先生 法語

善き”未来運命”を創造するために

二十二日の法語

中間運命について

第二の中間運命というのは、人間が自己の肉 体的顕現を見て、自己を物質的存在であり、有 限の存在であり、他より奪わなければその”有 限”を何とか”やり繰り”できない不完全な存 在だと誤認することによって、実相の完全な顕 現の上に、”迷い”のヴェールを着せられ、実 相が眩まされて不完全にあらわれて生活が狂っ て来た、その狂って来た生活に於いていとなん だ”間違いの業”の運行が中間運命として、現 世の生活にあらわれているのを指すのである。

その中間運命の現在の運行の轍から大抵の人 は免れることができない。それは自分自身が造 った業であり、その業の轍の運行に今も自分が 関与して、それを運(めぐ)らす”心の力”を それに加えつつあるからである。

二十三日の法語

あなたは”過去の業”の後押 しをしていないか

自分自身が”心の力”を加えて、不幸や病気 をつくる”過去の業”を後押しして運行せしめ ているのであるから、”過去の業”に引きずら れて、その業の運転する方向へ進んで行くほか はない。そして「因果は免れることは出来ない 」とか「業というものは果たさなければならな い」とか思ったりして”呟く”のである。

わたしが一般人は、過去の業の轍に”心の力 ”を加えて後押ししているというのは、「過去 の業は果たさねばならない」とか「因果は免れ ることは出来ない」とか思うことを指して言う のである。「思う」ということは「意業」のエ ネルギーを加えて更に”過去の業”に後押しし ていることであり、それを言葉に出して言った り呟いたりすることは、”言葉の業”(即ち口 業)によって、”過去の業”の運行に拍車をか けて益々、その業力を強めて、自分自身が”業 ”の運行に引き摺られて行くことになるのであ る。

二十四日の法語

あなたの根本運命に超入せよ

あなたが、もし”過去の業”を”心の力”( 意業)や”口業”(言葉の力)によって後押し をしているならば、即刻、今それを止めなさい 。つまり言葉や呟よって、「自分には悪い業が つきまとっている」とか「業は果たさねばなら ない」とかいうことを表現することを止めなさ い。そして、「人間・神の子」の地上誕生の” 原点”に心を振り向けなさい。あなたは決して 、”過去の業”を”誕生の原点”としてこの世 に生まれてたのではなかったのです。”心”を 一躍させて、”神のコトバ”によって創造られ て完全な自性をもって生まれた其の原点に還る のです、『創世記』が示すところの「神の像( かたち)の如く人を創造(つく)り」と神が仰 せられて、人間をつくり給うた”人間の根本運 命”に立ちかえるのです。根本運命だけが、青 空のように常住なのです。”中間運命”に心を 引っかからせて現実の不幸や病気を悩んではな りません。”中間運命”は、青空の上に途中か ら湧き出た”雲”のようなものであり、それは 根本実在ではないから、あなたが”心の力”で それを握って、消えるのを妨げない限り必ず消 えるのです。あなたの”心”の中から”中間運 命”に過ぎない不幸や病気を、今直ぐ放ち去っ て、常住の存在である青空の如き、あなたの根 本運命「人間・神の子の実相」に想いを馳せ、 その根本運命こそ実在だ、そのほかに何もない のだと、「実相」の中に超入するのです。

2091SAKURA:2013/03/11(月) 15:04:34 ID:HzCpoNio
「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2020>>2023>>2031>>2033>>2034>>2039>>2040>>2041>>2042>>2044>>2045>>2046
>>2046>>2048>>2049>>2050>>2051>>2052>>2054>>2056>>2060>>2068>>2069>>2074
>>2075>>2077>>2079>>2082の投稿の続きです…。

「 運は外から来るのではなく、 
自分が心で
 作るものである!! 」


■「好運のチャンス…!」というものは、外から突然やって来るものであるかのように
見えるけれども、実は自分でつくって、自分で引き寄せるのである。
昔から「積善の家に余慶あり」という諺がる。人に対して、常に愛行をつとめている
人には自然に、自分が、悦べるようなチャンスがめぐってくるものである。
             (谷口雅春著『神と偕に生きる真理365章』より)


PS:
いつまでも〜いつまでも〜外を追っていますと…【架空の世界観?】なのでしょうか?
そうなのです〜〜〜ョネ!先ずは……!
地に足を付けて大地に根をはり、自分で引き寄せる事は…【心の法則】でしょうか?
私も『類の仲間…』に入っていけるように【心の法則】に乗っかる“訓練…”が??
それは〜〜〜「秘密?公開?」――>【よい種を、まく事】と思う次第です。…が?
もちろん!もちろん!【心の修行…】は、神想観でしょうか??

【三正行】 1)神想観 2)聖典 3)愛行 とのステップ!!
……では〜〜START〜〜❤ 今から生まれ変わり…始まります「生長の家…」かと。

                                再合掌

2092a hope:2013/03/12(火) 07:21:06 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十三章 こうして富をつくりましょう(p146〜)

◆心で蒔いたものが芽をふいて実をむすぶ

ある学校に一人の生徒がありました。
その生徒の後ろの机にいる生徒が、時々お尻の所を鉛筆でつついていじめるので、
その生徒はたまらなくなって、先生の所へ行きました。
そしてこう申しました。

「先生、橋本君が、授業中に私のお尻を鉛筆のとがった尖(さき)で、つついていじめるのです。
先生、橋本君をしかってください。」

すると先生はおっしゃいました。

「君が鉛筆でつつかれる様な種を蒔いているからそうなるのです。
他(ほか)の生徒を橋本君は鉛筆でつつかないでしょう。
あなただけを鉛筆でつつくのは、あなたに鉛筆でつつくような心があるからです。」

その生徒はいいました。

「先生、私はけっして橋音君のお尻を鉛筆でつついたりはいたしません。
それだのに橋本君が、私のお尻ばかりをつつくのです。」

先生はおっしゃいました。

「君はね、よく考えてごらんなさいよ。
自分のした事を、先生にいいつけられる事ほど、生徒にとっていたいことはないでしょう。
生徒というものは自分の悪い事を告げられるのが、一番いたいのだ。
そのいたいことを君はしようとする。
君は目に見える肉眼では橋本君をつつかないかもしれないけれども、
君の心ではもっともっと痛いもので橋本君をつついているんですよ。
だから自分の心でしたとおりのことが、橋本君からかえってくるのです。
橋本君にあやまりなさい。
そして橋本君に深切にしてあげなさい。
そしたら、橋本君も君にたいして深切になりますよ」

その生徒は橋本君に、

「鉛筆でつつかれた事を、先生にいいつけたりしてすまなかった。かんべんね」

といっておわびしました。

「僕が悪かったんだからゆるしてください」と、涙をながした。

すると橋本君も涙を流しました。

「君が悪いんじゃない。僕が悪いんだ。ゆるしておくれよ。」

二人はたがいに抱きあいました。
二人は仲よしになりました。
そしてたがいに深切のしあいをして、本当によいお友達になりました。

心で蒔いたものが、皆自分の方へ芽をふいてかえって来るのです。
(つづく)

2094SAKURA:2013/03/12(火) 10:56:21 ID:U1Xo11KY
「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2075>>2077>>2079>>2082>>2091 の投稿の続きです…。
この頃思いますに【生長の家…お家騒動】は〜〜〜最終結末は???でしょうか?

――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・
■□ 『人を憎んだり恨んだりすれば、傷つくのは自分自身である 』 □■

肉体は心の影であって、自分の心がすべて肉体にあらわれてくるのである。
自分の腹立つ心が、自分の肉体を傷つける。病気があらわれてくるのである。
だから、腹立つ心をすて、憎しみをすて、そのかわりに感謝の心をおこし、
有難うございますという生活をすれば、必ずよいことが起こってくる。 
                     谷口清超著 『病いが消える』より
――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・

PS:「トキ様」へ  「観覧者の皆様」へ
東京に“雷おこし…”という“おせんべい”があります〜〜〜ョネ!
実は?これって!ひもときますと【おこす…感謝の気持ちをおこす…】という〜〜〜
例えなのでしょうか〜〜〜??(微笑)
東京在中の頃は、本当に【おこす方が、多い感じでした次第です。…が?】
此処九州では【おこす!といいますより“愚痴を葺きだす”という“塊…”で
しょうか?】???

まるで!まるで!【心が石の塊…】に見える事も、ありますが?今の私は、
【おこしのせんべい…】でしょうか〜〜〜?思いだして
【お こ し 感 謝 の 気 持 ち…】を、起こす事でしょう〜〜〜ネ!!

                           再合掌

2095SAKURA:2013/03/12(火) 12:48:52 ID:U1Xo11KY
「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ
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――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・
■□ 『心に強く描く 』ことは、全てが『祈り』である □■

祈りは叶えられる。それは「心」に。よってこの現象界がつくられて行くものであり
ますから、「心」さえしっかりと求めるものを描いてはなさなかったならば、やがて
それが或る時間の経過の後に実現して来るようになっているからであります。
「心に強く描く」ことが実は「祈り」なのであります。 
                谷口清超新書文集5著 (『愛は』は勝利するより)
――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・

PS:「トキ様」へ  「観覧者の皆様」へ
“こころ”が不安定な時は、やはり【 祈りor 瞑想 】になるようですが、時としては〜〜〜〜><
【祈る…】までの心境は、“精神の状態”が多分に影響が在りますでしょうかと。??まだ!まだ!
【祈り…】に徹する事に到るまでのフラ〜フラ〜感が在りますでしょうかと、あらためて思います。【反省】

心の奥の“潜在意識…”に入れ込む事、それも“自然に?力まずに?そのままのお任せの精神かも?”
つまり…“お任せ?”は、もうすべてに「イメ−ジ化」しておくことでしょうか〜〜〜??
今!出来ることから〜〜〜はじめましょう〜♫〜
❤〜「祈り」にて、強く!強く!「心に描く事…」これが【実現のための…第一歩!!】そして、
更に「愛を行じる事!!…愛行」でしょうかと。「トキ様…」も、そう思いませんでしょうか〜〜〜?

                               再合掌

2096a hope:2013/03/13(水) 07:58:38 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十三章 こうして富をつくりましょう

◆貧乏の人でも悲観することはない

力というものは困難を迎えてこれに打ち勝った時に得られるものであります。
弱い相手とばかり競争しているのでは、自分の中にある一杯の力は出て来ないのであります。

力一杯出すことによってのみ、その人の力は発達いたしまして、
その次に力を出す時には尚一そう大きな力が出て来るのであります。

でありますから、貧しい家に生まれたということは、決して自分にとって不幸なことではないのであります。
「こんなにお金があるのに、なぜ働かなければならないか、何でも買える金があるのに、
なぜ勉強しなければならないか」といって、勉強もせず、働きもせずにいるために、
その人の肉体の力も、心の力も発達しないで、だらくしてしまった人は沢山あるのであります。

こういう意味から考えると貧しいということは決して人間にとっては不幸ではないのであります。
貧乏からぬけ出そうと思って、一生懸命働くことが、その人の中にある力を引き出すことになった人はどんなに多いか知れないのであります。

金持ちが三代続かないといわれているのも、金があるのは便利であって有利(とく)であるからますます栄えて行きそうなものであるのに、
それが栄えないのは、金があるから努力しなくてもよいと考えてなまけてしまうからであります。

そういう人は折角「金持」という有利な条件がありながらでも、
無一物からたたきあげて来て、充分力がでるようになっている人に負けてしまうからです。
(つづく)

2097SAKURA:2013/03/13(水) 19:30:48 ID:NbYyDdRY
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こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2075>>2077>>2079>>2082>>2091>>2094>>2095の投稿の続きです…。

■【 生命の実相から2巻 】
††【 第五章 神への道しるべ 】からなのですが…… 

===【投稿文】=====================================
>> われわれがこのように現実世界の状態や、現実世界の人間の不完全不円満にあきたらない
で、円満な世界や人格をもとめようとするのは、不完全な現実世界とはピッタリ調和することの
できない完全円満なあるものをわれわれの内にもっているからであります。
われわれが完全円満なあるものを内部にもっていなければ完全円満な人格や状態を予想する
ことができないのであります。このわれわれの内にある完全円満なあるもの、これがすなわち
神であります<< (一部抜粋)
==============================================

■ですので【感謝…】は“人格の形成”にも繋がるのでしょうかと??
「神の国」に入る事は【 人格=心理=真理 】につながる!心は“イメ−ジ”で瞑想する事です
ので、正しい思考へと導く書籍本を読む事でもあり……更に、それを“実践する行動”は〜〜〜、
【 祈り=実践行動 】でしょうか。それが「神の国に入る入門」でしょう。しかも、
完全な円満な世界観を“イメ−ジ・トレ−ニングする訓練”する事で、これがイメ−ジ化に繋がり
この“トレ−ニングのその延長線”が【神想観…】とも言えるのではないのでしょうか?
何となく〜〜何となく〜〜わかった様な感じですが。

❤〜まずは【実践・行動…】へ!! ゴ―!!
                           
  再合掌

2098a hope:2013/03/14(木) 07:57:35 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十三章 こうして富をつくりましょう

◆自分で新しいものを造る者は強い

人生は「創造」即ち「物を造り出す働き」と、「享受」即ち、
「造られたものを享(う)けて楽しむ」という二つの要素から成り立っているのであります。
この二つが調和する時に人間は幸福になり、人生は楽しくなるのであります。

所が金持ちというものは、金を出せばなんでも得られるというので、
「創造」即ち物を造る方の働きに力を出すことをしないで、
「享受」即ち享けて楽しむことの方ばかりに力を費やしますから、
そのために人間が惰弱(なまけていくじのないこと)になり、
なまけた弱々しい人になってしまって、遂に大金持の三代目がつぶれてしまうことになったり、
国でも、ローマの大帝国のようなものでもつぶれてしまったりするのであります。

アメリカが強いのは、あの国は新しい国であって、貧しい出稼ぎ人から、
努力して自分の能力をきたえあげた人々が多く集まっている国であるからであります。

これに反して、古くから文明のある国は、大抵親ゆずりの財産や、顔や、
名前で飯を食っているのでありますから、何でも独創的(じぶんのかんがえでものごとをはじめること)に、
自分で力を出してやるという性質が欠けているから、やがてつぶれてしまうのであります。

日本でも古い国でありましたから、自分で新しいものを造るということを忘れて、
皆古い人の真似をすることによって生活をしていましたので、外国文明が、日本に入って来ましてからでも、
外国の真似をするだけで、自分で独創的に考えて、困難を自分の力で押し切っていくことになれていませんでしたから、
強いように見えていても弱くなってしまっていたのであります。
(つづく)

2099SAKURA:2013/03/14(木) 11:28:23 ID:P.bDOuWc
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>>2075>>2077>>2079>>2082>>2091>>2094>>2095>>2097 の投稿の続きです…。

■【 生命の実相から2巻 】
††【 第五章 神への道しるべ 】からなのですが……  その①

===【投稿文】=====================================
>>外形は五尺ばかりの有限な肉体でありながら、われわれがこのように「無限」の美を追求
しなければどうしても完全に安心ができないというのは、われわれの内部には「無限性」が宿っ
ていて、その「無限性」の開顕を内部から要求してやまないからであります。 (一部抜粋)
=============================================

■■「肉体は心の影…」と云いますように、現在の私の?“肉体はふくよかで〜〜〜す。
希望としては?モット!細くなりたいと願っていながらも「ダイエット作戦」を思考錯誤して
も?尚〜〜〜現“ボディ!”はと??つまり五官で見るところの“形”に現れたものだけを見て
行く……これが【有限の世界観…】がある限りは、次なる【無限の世界観…】が見えないのです
〜〜〜ョネ!!そうしますと【無限…】を引き出すには、それは魂の奥の奥の心に入れ込む事で
しょうか?【有限…】で見えても、そう“脳を騙す?”とある方が云いました様に、私の潜在
意識に送り込む“言葉の力”で、それは【有限…】でも【無限…】に広がっていくのですョネ!

【 有限から無限に行く 】には、そうですョ!!“ヒカリ”がピカット!光るように
“言葉の力”を出すことも、それは【神からの伝言言葉】になるのです〜〜〜ョネ!!

❤【神は愛なり〜】と云いますように“言葉から潜在意識に入っていく事”を、別の表現では?
【 有限から無限に、繋がっていく事 】を改めて理解しましたかと。
(此処までは「WEB誌友会」にて投稿致しました【SAKURA】 の内容です。)

                        つづく

2100SAKURA:2013/03/14(木) 11:30:16 ID:P.bDOuWc
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>>2075>>2077>>2079>>2082>>2091>>2094>>2095>>2097>>2099 の投稿の続きです…。

■【 生命の実相から2巻 】
††【 第五章 神への道しるべ 】からなのですが……  その②
 
>>2099 その①の投稿の続きです
PS:「トキ様」「観覧者の皆様」 へ
今回の【生命の実相…抜粋】は、全て【2月開催のWEB誌友会…】参加時での私のコメントです。
“再度投稿形式”をしておりますが。更に、今“ふい”に思いますが?『ひらがなのさくら様』
は、別のボ−ド板・光明掲示板にて■【祈りは光と…】表現されていましたが、この事は、
私の【WEB誌友会…】での投稿より、私が上記にて解釈しておりますところの“聖典の内容”
ですが?ある面では?私の“投稿内容…参照”からの解釈から取られていますのでは?尚!更に
深く考えますと?全くその“奥の解釈”は違います。…が?更に【祈りは光…】については、
解釈の捉え方が間違いますと困りますので【SAKURA…】の捉え方を投稿掲載させて頂きます。

■【光…】は、その人の“心からのエ−テル”が、顕れた時に生じるモノですかと。それが時と
して『インスピ−レ−ション』とかでしょうか??『仏教…』では、ある方は“仏様が現れたと
か?”“観世音菩薩が現れとか?”この様に表現としていいますでしょうか??全ての人間に備わ
っているモノなのですが、それは何処からかと申しますと【あなたの心…更に…言葉】からも、
顕れて最終的には『心に浸透…』していくように思いますので〜〜〜!そして、同じ光でも?
【ブラックの光===>悪魔の光】でも確かに【光…】がありますでしょうかと。出来るならば、
私は【黄金の輝かしい光 ===> 天使の光】をと思う次第です。…が????

此の件に関しましては、では、また“
【別のボ−ド板】で詳しく何時か投稿してみたいと思います”ので〜〜〜す。!!
最後に……
【お断り…】として『ひらがなのさくら様』とは、私【ロ−マ字のSAKURA】と全くもちまして、
❤同一人物ではありません=別人ですので…!本当に“前回の文の投稿”をよくコピ−されてい
ますのでしょうか?困ってしまいます〜〜〜が!!            再合掌

2101風に訊け:2013/03/14(木) 12:22:29 ID:???
  『いのちのゆには』の神示

 ・・・愛の心で来るものは神徳を受けて帰るが
 審判く心や素見し心で来るものは神と心の波長が合わぬから
 其の心が直らぬうちは神徳は受けとられぬ。

        (昭和七年三月十四日 神示)

 ブロガ―よ・・・

2102風に訊け:2013/03/14(木) 12:24:04 ID:???
修正

 受けとられぬ  ⇒ 受けられぬ

2103a hope:2013/03/15(金) 09:42:19 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十三章 こうして富をつくりましょう

◆金持ちでも勉強すれば無論よい

もっとも貧乏の方が金持よりよいというのではありません。
貧乏が値打ちがあるのは、金が必要であるという絶対絶命の押し出す力に刺戟(しげき)されて、
いやでもおうでも自分の力を出し切るようにならせられるということであります。

それは恰度(ちょうど)スポーツの競技に、打ち勝たなければならない相手があるので、
否でも応でも練習をして、自分の体力が発達して来るのと同じことであります。

貧乏だと否でも応でも、何とかしてそれに打ち勝ちたいと色々の智慧を廻らします。
それが大変ありがたい結果になって、自分の智慧が発達し、その智慧を色々の方面に応用できますので、
貧乏からきたえあげた人は、色々の人生の問題にも、金持できたえない人よりも考えが自由自在で遂に打ち勝つようになるのであります。

だから、すでに富んでいる家に生まれた人達は、金持だから努力しなくともよいというような考えを持たずに、
勉強したり、仕事に一所懸命になったりするのは、自分の能力を磨くためであって、決してお金のためではないということを知って、
出来るだけあらゆる方面に趣味をもち、勉強をし、自分が天分だと思う仕事を一所懸命することが必要であります。
(つづく)

2105SAKURA:2013/03/15(金) 12:48:43 ID:ndMIxCBA
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■【 生命の実相から2巻 】
††【 第五章 神への道しるべ 】からなのですが…… 

===【投稿文】======================================
>> われわれのうちに宿っている円満完全性――これをさっきは神であるといいましたが、
今はわれわれに宿っている「無限性」を神であると申すのであります。つまり、「円満完全性」と
「無限性」とは同じものであります。無限であってこそ完全円満なのでありまして有限なものは
それだけに限られていてけっして円満完全でありえないのであります。(一部抜粋)
==============================================

■「生長の家」では、円満完全をよく唱えますが、これも“無限性に繋がる事”で、当に!!一体
になれる言葉でしょうか??完全円満〜♫と、唱えて行くうちに無限性が出て来まして、
【神地一体…】なのです〜〜〜ネ??

❤【言葉は神…さらに神は愛なり】ですから、更に付け加えて【愛…】も必須条件に見えます。
“言葉”から発した“言葉”は、愛の言葉からは、“神は愛なり…”と自覚し、さらに“無限性”が
広がっていくように思えます。!!

『私は神の子完全円満〜〜〜〜♫〜〜』唱えると〜〜〜そうなので〜〜〜す!繰り返しの“反復…”
そうしますと・…・「そこに!“ヒカリ…”がやがて差し込んで来るのです〜〜〜ョネ!
そのままの心は、澄み切った“心…”で、心遣い・やさしさをかける事となり、“言葉”は……
全て「言霊=魂」に繋がりますものと。【 無限性は神の心=神の子 】なんです〜〜〜ョネ!!

■すべての始まりは、すべて【言葉…】から始まるのですョネ!! ❤〜“神は愛なり”
                        
  再合掌

2106a hope:2013/03/16(土) 08:11:25 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十三章 こうして富をつくりましょう

◆与える者は与えられる

ある時、アメリカの大鉄道会社の総裁が特別仕立の汽車にのって検察旅行に出掛けたのでありました。
ある所まで行きますと、そこに路線の修繕工夫(しゅうぜんこうふ)が鶴嘴(つるはし)をもって働いているのでした。

総裁は汽車を止めておりると、その働きぶりをみるために工夫の所へ近づいてまいりました。
すると突然一人の男が、総裁の手を握りました。

みると彼の少年時代からの親友で、暫く一緒に鉄道で働いていたことのある友達でした。
かれは今も鉄道工夫の土方(どかた)をしているのです。

「随分君は出世をしたね」とその土方の友達はいいました。
「お互いに何年か前には、一日三ドル貰おうと思って、働いていたんだったがね。」
こういわれると、総裁はその顔に微笑を浮かべました。

「そうだったね。」といったものの総裁は心の中で、
「僕は決して君と同じじゃないよ。君は一日三ドル貰うために、働いたかも知れないが、
僕はその時も今も、この鉄道のために働いているのだ」と考えました。

ここが一人の友達がいつまでも鉄道の工夫をしており、もう一人はいつの間にか、
一大鉄道会社の社長になっている相異(ちがい)のできる原因なのです。

三ドル貰おうと思って働いている者は、「もらおう、もらおう」と思って働いているのであって、
与えようと思って働いているのではないのです。

所が、その時も今も鉄道のために働いているという総裁は、鉄道のために「与えよう、与えよう」と思って働いているのです。
だから「与えるものは与えられる」という心の法則に従って、彼には鉄道会社の総裁という地位が与えられたのであります。

勉強するのでも、点数を「取ろう、取ろう」と思って勉強したり、この学校を卒業したら
「できるだけ多く月給を取ろう」と思って勉強したのでは、本当に立派な成績をあげることはできないのであります。

その勉強に自分の生命を打ち込むのです。
自分の生命を勉強に与える時、自分の勉強が一そうよくできるようになるのです。

自分が一つ偉いものになって、「金を取ってやろう」と考えるよりも、
世の中の人のためにできるだけなってやりたいと考えると、その勉強がよくできて、
学校を卒業してからの仕事にも、色々人のためになるいい考えが浮かんで来て、
世の中のためになると同時に、自分も大変成功することになるのであります。
(つづく)

2107神の子さん:2013/03/16(土) 09:05:02 ID:UhZzopRI
■生長の家誌昭和五十一年六月号
谷口雅春先生 法語

善き”未来運命”を創造するために

二十五日の法語

自己の実相たる神の根本業を 観よ

わたしは人間の運命を「根本運命」「中間運 命」「未来運命」という語で説明して来ました が、それを次の如くを言い換えれば、人によっ ては一層理解し易いかと思います。 ”運命” という語を”業”という語におきかえるので す。

一、根本業(根本運命)
二、中間業(中間運命)
三、未来業(未来運命)

「根本業」というのは、神のコトバによって 、天地一切のものを支配すべき「神の代表」( 神の像(かたち))としてつくられたところの 、あなた自身の存在の根元たる神のみ業(わざ )のことであります。”神のコトバ”が「汝、 わが像(わが代表)として天地一切のものを支 配せよ」と仰せられた。その「コトバ」が我ら の内に宿り給うて地上に誕生した自己の実相の 尊厳さと栄光とを”自覚”の内に観るのであ ります。

「ここに神の御業によって誕生した”神の子 ”たる自分がある」と、今直ちに自分の実相の 完全さを観、”神の子”の完全さを繰り返し コトバに唱え、繰返し心で念じなさい。また毎 朝神想観のときに念じなさい。病気なんていう 中途に出来た”迷いの雲”は吹っ飛んでしま うでしょう。

二十六日の法語

神の根本業こそ本当の実在で ある

「根本業」とか「中間業」とか「未来業」と か申しましたが、”業”という字は”わざ” と読む字で行動または行為を表現するのであり ますが、神は「万物を想うということによって 創造った」と仰せられているのであるが、(『 神 真理を告げ給う』参照)”想う”という行 為をするとは、何をするかと言いますと、コト バ即ちアイディアを心の中に思い浮かべ、それ を心の中で唱えていることであります。それは 心の中にコトバを唱えていることでありますか ら、意業であると共に、口業であります。それ だから”業”という字はわざと読む字であり ますが、業(鳴り)とも読まれる字であります 。在原業平という『伊勢物語』に出て来る有名 な歌人もありましたが、生活とか渡世とかいう 意味の語に「なりわい」(業生い)という語も あります。

兎も角、「元始(はじめ)にコトバあり、コ トバは神とともにあり、コトバは神なりき」と いう『ヨハネ伝』の冒頭の語は、神の”根本業 ”としてコトバ(アイディア)が業(わざ)と なり行動となって、”人間神の子”が創造さ れた人間存在の根本業(根本運命)を示すので あって、その根本業にくらべれば、中間業とし ての現在の不幸な運命の如きものは浮雲のよう に間もなく消えて行くべきものであります。

二十七日の法語

お前の商売をやめて神の商売 をやれ

『生命の実相』の中にこんな話が書かれてあ ります。第一次世界大戦のとき、巨億の船成金 になった山下市助さんが大正九年の恐慌のとき にすべての財産の価値が暴落し、借金だけは暴 落しないので、三百万円の借金が出来、(当時 の三百万円は現在の三十億円にも当たる)その 返済が不可能になった時、山下市助さんは金光 教の信者であったので、当時有名な指導者であ った大阪泉尾教会の三宅先生に指導を求めると 、先生はいとも簡単に「借金なら払ったらよい 」といわれた。「払える力がある位なら先生に 相談にまいりません」と市助さんが答えると、 三宅先生は「お前には払えないかも知れないが 、神なら払える。今日からお前の商売はやめて しまって、神の商売をやれ、そして神の番頭と なって、神さまのお導きのままに動け」といわ れた。そのお導きの通りに実行して破産の宣言 をまぬがれ、再び捲土重来して満州に鉛の鉱山 を経営されという実話が載っているのである。

2108SAKURA:2013/03/16(土) 11:04:37 ID:XKr/ryCE
「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……     ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2020>>2023>>2031>>2033>>2034>>2039>>2040>>2041>>2042>>2044>>2045>>2046
>>2046>>2048>>2049>>2050>>2051>>2052>>2054>>2056>>2060>>2068>>2069>>2074
>>2075>>2077>>2079>>2082>>2091>>2094>>2095>>2100>>2105 の投稿の続きです…。

(生命の実相から2巻ジャンプしまして〜♫〜)
■■『生命の實相』第9巻 p.121 〜♫

===【 霊界通信 投稿 】================================
>>スピリット自身は「芸術」についてかく語る
 自分はさらに他の問題――芸術――に話題を転じた。霊界の生活には、自分たちが現世で、音楽や
絵画や彫刻や詩歌によって得るような歓喜に相応するものがあるか?――とたずねた。
 「なんのことはない! あらゆる芸術の発生する根元の世界は霊界なのだ!」とヴェッテリニは
叫んだ。…<<     (一部抜粋)
==============================================

■頂きました“テキスト”の中から…初めて「生命の実相」を拝読しました時の事です…。
個人的に“霊の世界”…興味シンシン〜♫〜でしたので??特に上記の文章内容のところで…フト!
当時を思い出しました。

❤「霊界の世界…パワ―頂けるのでしょうか??」そうでしたらと…当時……
今は亡き「デザィナ−・ディオ−ル」の芸術感覚を〜〜〜ことさら「祈り…」にての【暗示…】
を頂ければと〜〜〜【暗示=アイデア】を、ひたすら!ひたすら!でしたかしら〜〜〜ン!
実は、その頃は(15〜17年前…ある大阪財界の方の着物のリフォ−ム)を手掛けるに当たり、
初めての挑戦で…「形見の着物…」と言われますと、尚の事〜〜><心臓がドキドキ!でしたかと?

その後!!【出来る!出来る!〜〜〜出来る!】と云い聞かせながら…途中で、多少の弱気なる
“こころ”にもなりましたが…強い“意志力…出来る!”と潜在意識に入れ込みまして…
以前より「神想観…」真剣に〜♫〜させて頂きまして“多少のアイデア…”を頂き、無事に…
「形見の着物」を、よみがえさせる事が出来ましたのです。…が?
改めて…繰り返し〜繰り返しの“言葉の力”にて…「潜在意識はのインプット」で〜〜〜す。
あの時の【真剣さ…?】しかし、今!【復興G様のテキスト】を拝読していますと…当時の
私はある面では当時の【弱気の心 = 有限…での心】でしたのかと。人間は「有限にして無限」…
と云います事は【強い意志力にての“出来る心”= 無限…での心】に成っていく!

但し、その方法として「雅春先生…言葉の重要性」を、改めて感じました次第です…。
それで…【2月開催のウエブ誌友会】の「復興G様」のこのテキストの部分を拝読しながら…
“思い出”深いモノがありましたので…此処にて、私自身の再認識も含め…
再投稿形式をさせて頂いた次第です…。                                

再合掌

2109アクエリアン:2013/03/17(日) 11:00:00 ID:eu/P8Akc
■生長の家誌昭和五十一年六月号
谷口雅春先生 法語

善き”未来運命”を創造するために


二十八日の法語

自性円満の根本運命に還って 出直すこと

「今から、お前の商売をやめて、神の商売を やれ、神ならどんな巨額な借金でも払える」と いう指導は、単に、商売や、金銭上の問題だけ ではないのである。「今からお前の生活をやめ て、神の生活をはじめる。神ならどんな困難も 切り開くことが出来る」という意味にも解する ことが出来るのである。人間が色々の生活上の 問題で困難を生ずるのは、人間の「我の心」で 利己心が出たり、欲心が出たり、煩悩が出たり して、根本運命であるところの「自分は神の子 」であるという自性円満を忘れてしまって、「 自分は猿の子孫で、動物と同じような下等なも のだ」という現代科学とやらの示す常識で”中 間運命” の不完全な生活をするからなのであ る。こうして生じた困難を解決するには、宜し く ”中間運命” の世界にマゴマゴすること なく、自分の ”根本運命” たる「人間神の 子」の実相に立ちかえって生活をやり直すのが よいのである。本源に還るということによって のみ人間は自由無碍の世界に出ることが出来、 困難が解消するのである。

二十九日の法語

毎日一定時間に神想観を修す ること

『人生を前進する』という本の第四十七章に は次のように書かれている。

「人間は神の自己実現である。最高の自己実現 なのである。自己実現ということは坐して手を 拱いていて”神の実現”が出て来るというこ とではなく、日々の行持を通して行動化してあ らわれて来ることなのである。」

われわれは日々の行持を大切に実行しなけれ ばならないのである。朝起きて洗顔を終った時 、一定時間を定めて必ず神想観をすることによ って、自分の心を神の方向へ向けかえてその日 の出発をするがよいのである。成就したい希望 があるならば、神と一体感を得た心の状態に於 いて、その”希望”を心に唱え、その希望が ”心の世界”に於いて既に成就したことを感謝 するがよい。その希望の成就が世のため人のた めになると同時に、自己の魂の向上に役立つも のであるならば、”心の世界”に於いて既に受 けて感謝したところのその事柄は屹度(きっと )現象界に投影して、実現して来るに相違ない のである。

三十日の法語

善き幸福な ”未来運命” を 創造するために

本源に心の視点を定めて、”根本運命”たる 神の子に本来定められている幸福を見、健康を 見、繁栄を視るがよい。

人間の根本運命は、神がつくった根本の御業 (みわざ)(根本業)なのであるから、それが 唯今、現象界にあらわれていようと、あらわれ ていまいと、それは消えることも無くなること もないのである。”運が悪い”という人は、” 根本運命”が悪いのではなく、神のつくった根 本の御業(みわざ)(根本業)の運行に随わな いで、自分の”我の心”で選んだ、道なき道 を勝手気儘に進んで来たからなのである。

”運が悪い”と思う人は、ここらで一寸たち 停って、自分の生活が本当の道の上を歩いてい るか脚下照顧して考えて見ることが大切なので 、自分が途中で、どんな業(わざ)をしたか、 人を憎んだことはないか、腹を立てたことはな いか、人を怨んだことはないか、憂え悲しんで 暗い心になったことはないか、栄えている人を 見て嫉妬したことはないか、自分の持ち分でな いものを羨んで欲しがったことはないか、人と 喧嘩したことはないか、恩ある人を逆に罵った ことはないか、これらのことは途中で自分がこ しらえた”中間業”であるから、一度それを 懺悔して洗い浄めてしまってから、青空のよう に曇りのない本来運命の方へ進んで行き、本来 運命の延長としての、唯、善のみ、幸福のみ、 繁栄のみの”未来運命”を創造して行くがよ い。その善き未来運命の建物を建てる地均(じ なら)しとして、一度は練成会に参加して、浄 心行を受け、以上あげたような色々の”中間業 ”を紙に書いて懺悔し『甘露の法雨』の集団読 じゅの中に、その懺悔の神と共に悪しき”中間 業”を消去してしまうがよい。

2110トキ:2013/03/17(日) 21:40:35 ID:pzhiBXgA
>>2108

 霊界編は、苦手という人も多いですが、それだけに紹介して下さり、感謝しています。
これからもよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

2111トキ:2013/03/17(日) 21:41:32 ID:pzhiBXgA
>>2109


 すばらしい部分を紹介して下さり、ありがとうございます。聖典の抜粋は信徒にはとても
大事だと感じます。これからもよろしくお願いします。

2112a hope:2013/03/21(木) 07:37:04 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十三章 こうして富をつくりましょう

◆富は神さまから来る

吾々が富むためには、富を人間のずるい考えから来るものだなどと考えてはならないのであります。
富というものの来る本源(みなもと)は神さまからくるのでありますから、
神さまのような深切な人のためになる考えを持つことによって、富むということができるのであります。

心に思うことが形に現れるというのが心の法則であります。
今どんなに貧しくとも、「自分は貧しい」などと考えてはなりません。

もし自分が貧乏であると考えだすならば、自分の心の波によって、
貧乏の波をひきよせて、自分を貧乏にしてしまうのであります。

それよりも「自分は神の子である。自分は、もうすでに金持ちである」と考えるようにしておれば、
自然とお金が集まって来るようになるのであります。

お金のことばかりでなく自分の成績でも同じことであります。
今たとい成績が悪くとも、あなたは神の子であって、無限の力がすでに与えられているのですから、
それを自分の心の磁石でひきだして来れば、きっと立派な自分の力がひきだされて来て、成績もよくなるのであります。

勉強する前に目をつぶって、

「私は神の子だから勉強はよくできる。
一ぺん読んだことは決して忘れない。
私は神の子だから、よい頭をもっているのである。
どんな難しい問題でも、すらすらとわかるのだ」

と念ずるようにしていますと、きっとどんな学課でも旨(うま)くできるようになるのであります。
(つづく)

2113うのはな:2013/03/21(木) 17:48:44 ID:HAmNivww

 神に委せよ。神が汝をつかんでいるから必ず善き事のほか起こりようがないと信ぜよ。
然らば必ず善き事のほか起こりようがないのである。
 神に手を握って貰おうと思ったならば、ほかの握っている手を離さなければならぬ。

 空手にして郷に帰るとき、掌の上に、「無限」が載るのである。
しかし神は決して人間に強制して、その悲しみまたは悩みをつかんでいる手を
離させようとはいたまわぬ。つかむも放つも人間の自由である。

 しかし一切を放って神にその空手を差出さぬば 
 神の慈手も彼の手を握ることは出来ぬのである。

『新版 光明法語(道の巻)』135ページ 谷口雅春先生著

2114六期:2013/03/21(木) 18:06:11 ID:oaDOi2n.
うのはなさん

別板版に書き込んでます。

みてくりゃれ!これで書き込み終わるから。

仕事持ちは、時間がないのでな!

2115SAKURA:2013/03/21(木) 22:41:37 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2041>>2042>>2044>>2045>>2046>>2048>>2050>>2068>>2069「女の浄土」投稿の続きです…。

■□ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    

===========【 第七章  あなたが繁栄を得るために 】 ==============■ あなたは何を與へてゐるか
  
 與へてゐるのに繁栄しないのは、與へる“場所”又は“對象”が間違ってゐたと気がついたときに
は、自分は“何に對して”“何を與へる”のが正しいかを考へなければならないのである。「與へる」
とは決して“金銭だけ”與へることをしないのである。“金銭だけを與へてゐて、それが「與へ
損」になってゐて繁栄の芽が吹いて来ない場合には、「自分は金銭のほかに何か與へるものを忘れて
ゐるのではないか」と反省してみるがよいのである。私たちは自分のもってる能力を、愛を、智慧
を、深切を、誠実に與へなければならないのであって、それらの最も重要なものを與へないでゐて、
「私はこれだけ献金したのに!」といふやうな思ひ上がった考へを起こしてはならないのである。
                                     (谷口雅春著)
============================================
                            
PS:「トキ様」「観覧者の皆様」へ

“痛いところ?”をついています〜〜〜ョネ!!確かに、私は【献金斜陽族…】です。…が??
此処が、当時「両親が献金した事」は、両親自身は【恩…?】をうった事を聞いたことは無いです。
…が?段々〜〜〜そうですネ!“晩年…?”でしょうか??
【生長の家…】の中身が“表面上の状態”になり【モト!献金家族…】よりも【職員中心…の
信仰状態?】になった事でしょうかしら〜〜〜ン??その様に、捉える事になり出しましてから…?

今回ですが?私が「末端信者 = 一般信者」として「2チャンネル」の此処に投稿していきますと、
本当に【分派の方達…?】は〜〜本当に「生長の家…?」と聞き直したいくらいの“不信感…”が
芽生えてきますでしょうか?晩年の両親の「生長の家の活動…」は、どう見ましても?このような
結末になる事は【価値感があったのでしょうか〜〜〜?】といった具合で見ますから「献金家族…」
は、ある面では、かなり厳しい感じを抱いてしまいますでしょうか?……なので“その様な想い?”
〜〜〜が?あるような事はないのでは??そうしますと、当然ながら
【與へることは、本当に神様に與へる根本のような気持】で與へていかないといけませんですョネ!

そう!そう!❤【與へることは?まず、祈り!!】…「早朝神想観…」から與へる事でしょうか??
この時間帯は【 朝の祈りは神様に與へる事 】になります!!かと。このように?思うのです。
…が??「トキ様」は?どの様に思われますでしょうか〜〜〜と?

❤〜それを“行…”ずる事により、すばらしい“芽が出てくように〜〜〜”思えます。??

                                       再合掌

2116NANCY:2013/03/22(金) 19:29:43 ID:BEUD3XFA
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こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
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>>2083の投稿の続きです。

===【谷口 清超 先生 著】===============================

■ 人は誰でも、まだ充分現われていない「 宝 」を沢山持っている

人間は誰でもすばらしい才能や愛を持っているが、それは今この世に全て顕れている
のではなく、大部分が隠されている。
ところがこれらの「宝」は、どこかにアルから、それを発見して現し出すと、とても
嬉しくなるし、有難くて、楽しくてたまらなくなる。人が“ 喜ぶ ”のはこのよう
な時である。

                       『あなたを解放するもの』より
==============================================

PS:「トキ様」・「観覧者の皆様」 ヘ

■「“宝物”探し〜〜〜?」は、やはり“ポジティブ感”になりますでしょうか? 
しかしながら…自分自身の心が“ネガティブ感…”どうしても悪感情の時は、どうしても、この
「“宝物”探し〜〜〜?」なかなかと難しく感じますでしょうかと。><
この“ネガティブ感…”の時は、きっと「心のレンズ…」曇っていますから、尚の事…探し物であり
ます「“宝物”探し〜〜〜?」は、どうしても自信がありませんでしょうかと。
皆様は〜〜〜どの様に思われますかしら〜〜〜ン!

しかし!

此処で【自己開発…】という事で「心のレンズ…」を磨きあげまして「“宝物”探し〜〜〜?」を、
こう云います時こそ…すべきなのでしょうか?
只今!自問自答しながら“トライ!”・“トライ!”……“トライ!”です。
繰り返しの“反復”が、何時かしら〜〜〜ン!必ず……潜在意識の中に入り込むでしょうかと。

只今!!私の心情に“ピッタリ”の言葉を…頂きましたかと。「感謝…」
                                    再合掌

2117NANCY:2013/03/23(土) 19:30:47 ID:BEUD3XFA
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こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
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>>1955>>1983>>1988>>1999>>2010>>2012>>2024>>2028>>2029>>2061>>2066>>2067
>>2083>>2116の投稿の続きです。

===【谷口 清超 先生 著】==============================

■肉体とエンジン
近ごろは日本にも随分自動車がふえた。毎年新しいドライバ−が増える。しかしどんな新米
のドライバ−でも、ガソリンの代わりに水をいれたり、焼酎をガソリン・タンクにいれたりす
ることはないだろう。こんなことをすると、たちまち機械が駄目になるからである。
 ところが、自動車ではなく、自分の肉体となると、あまりよくない飲料とわかっていても、
いくらでもそそぎ込む。それならこの人々はやがて肉体という機械が故障すると判っているか
というと、そうでもない。若ければいくら酒を飲んでも大丈夫と思ったり、いくらたばこをす
っても大したことはないと考える。これは一体どうしたことだろう。
 いや、そればかりでなく、自分の飲んだり吸ったりするついでに、人にまですすめる。これ
は、自分のガソリン・タンクに水をいれるついでに、人のタンクにまで水や牛の小便をそそぎ
込むようなものではないか。
 さらにもっと健康に悪いことしている。それは人の心をつまらぬことでかき乱すことだ。心
をかき乱すのは、自動車のガソリン・タンクに牛の小便と焼酎をカクテルにしてそそぎ込むより
まだ悪い。まるで車のエンジン・カバ−を開いて、火をつけてもやすようなものである。
 もしあなたが人と争いたくなったら、この事を思い出していただきたい。その上、自分自身の
車のエンジンにも火をつけようとしているのだ。これではあなたの肉体という最高級「自動車」
はあまり長持ちしなくなるのは当たり前ではないか。
 「まさか、そんなことはあるまい」と思うかもしれない。しかしこれは本当だ。この吾々の
肉体という機械は、明らかに心によって動かされている。「右に行こう」と思えば右に行くし、
「左へ行こう」と思えば、左に動くのである。目を開こうと思えば開くし、閉じようと思えば
閉じる。
 つまりこのように肉体は心によって自由自在にあやつられる。だから心がカットすると、身
体中に火がついたようになる。そして当たり前の調和のとれた運転ができなくなってしまうので
ある。
 ことに肉体にはもう一つ、「人の心を現わし出す」という働きがある。そこで目の上の者と争
っていると、とかく頭の病気にかかりやすいし、胸の中にモヤモヤの気持ちを抱いていると、胸
の病気によくかかる。またこれと同じ理由によって、ガンとして人に譲らず自我を張り通すよう
な心をもっていると、癌にかかりやすくなるのである。
                            『幸せへのパスポ−ト』より抜粋
============================================== 

■人は「幸福へのパスポ−ト」〜〜〜誰しもが“願う…”ものです…。今日の「清超先生…の言葉」
からでも〜〜〜やはり最終的には?そうなのです〜〜〜ョネ【心…心でつくる】という事かと。

この事は「雅春先生」勿論「現総裁雅宣先生」もおっしゃっていますモノ!!!
改めて「心の訓練…心の法則」を、しっかり〜〜〜〜〜と理解しまして、正しく用いる事により
『歓び…!』『健康…!』『富…!』そして、『平和…!』…etcもたらしてくれますでしょうか?

❤“サ〜〜〜ァ!”今の瞬間からでも、益々と『心の法則…』理解・実践…かと。
                                      再合掌

PS:「トキ様」「観覧者の皆様」へ

この頃…ここFUKで日常茶飯事に見かけます光景が〜〜〜路上で歩きながら〜〜〜><
【くわえたばこ…】しかも!しかも!「若い女性・・・」も!!なので〜〜〜す。
これはTYOでは?見た事ありませんモノ。しかも【ポイ捨て…たばこ】を路面に〜〜〜です。
そして「顔の血色は〜〜〜黄疸?黒々?」当に【肉体は〜〜〜ポンコツ車】でしょうか?
周囲の人への“心くばり〜♫”が必要かと。個人的には、思うのです〜〜〜が?それに、
この頃ではTYOでは「都民の自覚」として【罰金制度…】が、潜在意識に入っていますモノ!
皆様は〜〜〜どの様に思われますでしょうかしら〜〜〜ン!「マナ−面」も考慮して…

2118SAKURA:2013/03/23(土) 19:46:26 ID:BEUD3XFA
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「女の浄土」投稿の続きです…。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』   その① 
===========【 第七章  あなたが繁栄を得るために 】 =============

■ あなたは誠実と愛と深切を與へてゐるか
“與へる”には、自己の誠実を実現し、深切を実現し、深切を實現するために與へなければならない
のである。お正月に明治藭宮に参拝すると、、遠くから賽銭を、まるで河原にゐる乞食に物を投げ與
へるやうに、投げ銭をしてゐる人が多数あるのである。これなどは全く神を穢すものであって、いく
ら與へても功徳はないのである。神は誠実を欲し給ふのである。私は『生命の實相』の中に四国八十
八か所の弘法大師開基の霊場を急速力で自転車でお詣りをして、誠心もなく、ただ「納め札」だけを
して来て、自分の家に歸ってみると、自分が各霊場で奉納して来た「納め札」が全部誰かがまとめて
返して来てあったといふ神秘を書いたことがある。この神秘は、、實際あったことか、單なる傳へ話か
は知らないが、神は誠実を受け給ふのであって決して非禮を受け給はないことが表現されてゐる物語
であるのである。だから藭佛には奉納金の多寡は問題にはならないのであって、如何に自分が誠実を
もってそれを奉納したかが問題となるのである。

 だから「貧者の一燈」 といふ諺もあるのである。 貧しき者は、乏しい中から僅かな献金をする
のにも、殆ど生命懸けの誠心が要るのであるが、富める人が、貧しい人と同額の獻金えおしてゐては
生命懸けの誠心はでて来ない。そこに什一献金の必要なる意義が出て来るのであって、本當に収入の
“什分の一“ 以上の獻金をしようとするには、如何なる富める人も、誠心が動かないと出来ない
訳なのである。                         (投稿抜粋)
==============================================

PS:「トキ様」「観覧者の皆様」へ

東京在中の頃は「お正月…」には勿論のこと『明治神宮…参拝』かと。!!人が多くて、何と!
本殿までたどりつきますまでの“人の行列”には〜〜〜“ビックリ…”でした。…が?始めて上京
しました時…「賽銭…」しますまでの“長蛇の列!!”今でも“長〜〜〜い!”この思い出でしょう
かと。中には?本当に、遠くから「賽銭箱…」めがけて投げる方が、多々いらっしゃいましたで
しょうかしら〜〜〜ン??
                              つづく

2119SAKURA:2013/03/23(土) 19:48:09 ID:BEUD3XFA
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こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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「女の浄土」投稿の続きです…。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』   
■ あなたは誠実と愛と深切を與へてゐるか      その② 

>>2118 その①の投稿 の続きです。
当時の私は、あのような事をして、いいのかしら〜〜〜ンと思い?ちら〜〜〜っ!相手を見ますと、
一件風〜〜〜の裕福そうな感じでした。…が?今では、あの方達は、どうなんでしょう〜〜〜ネ?
❤さて、私も“長〜〜〜イ!行列”にならんで…賽銭したモノですが?正直申しまして……
ここ「FUK」では並ぶ事は、ありますでしょうが?その“行列…?”は、まるで幼稚園のような感じ
でしょう〜〜〜か?><それでも、遠くから「賽銭…される方」が、確かにいますから、これはやは
り“育ち…”になりますのでしょうかと思いましたが、やはり“良い事ではない?”です〜〜〜ネ?

■さて『什一献金…』は、本当に自分の気持ちの“十分の一”ですから【聖使命会費…】は毎月の
“月はじめ”が〜〜良いと言っておられました。…が?私も、この件は「守れていませんでした」…
ので、『月はじめ…に収める』ようにと??                          

私事ですが?私の教区からいつも「支部長さん…」の口座に振り込みしますが、必ず「本部…」から
一緒に提出します処の“確認用紙”が送付されてくるのですが〜〜〜これを、いつもの事ながら、
「後回し〜〜〜組」後で!後で〜〜〜!送り損ねる事が多くておそらく「教区に会費…」が支払われ
てないことになっているのです〜〜〜ョネ?この「専用用紙を記載」し、後に送りますと〜〜〜?
ようやくの事「会費支払い…」この状態になる分けなのです。でも?何だか〜変です〜〜〜ョネ!

「支部長さん」には口座振り込みしていますが「支部長さん」宛てに、その「専用用紙…」を同時に
提出しない事には?そうなのです〜〜〜ョネ【会費未納扱い組…】の状態になっているのではと…
思います。…が?なるべくこの「専用用紙…」を『毎月心こめて同時に送付』しないといけません
です〜〜〜ョネ!!【反省…】そして、更に“一年分をまとめ払い”しますと〜〜〜〜〜?これは
私も『遠くから賽銭箱に投げた事と、果たして同格と見なすべき行為なのでしょうか?』と思います。
と〜〜〜“メンドクサイ!”この感情を抱く前に【神様にお返し〜〜〜】といった気持での自分自身
の“心…”を表す事だと、今!今!本当に思いました次第です。一言〜〜〜【反省…】です!!

                                       再合掌

2120a hope:2013/03/24(日) 07:35:45 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十三章 こうして富をつくりましょう

◆出来ると思えば出来る

まず何でも「出来る」という考えを起こすことによって、それをする力がでて来るのであります。
誰でも、「私は歩けない」と思いながら、歩ける人はないのであります。

「私は歩ける」と思っているからこそ、歩けているのであります。
心で思う力はそれを行いに現す力となって来るのであります。

あなたの成績も、富も、地位も、悉くあなたの心の思う通りになるのであります。
(つづく)

2123SAKURA:2013/03/25(月) 19:55:29 ID:BEUD3XFA
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こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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「女の浄土」投稿の続きです…。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    

――――― 【 第七章  あなたが繁栄を得るために 】―――――
■ 食べる物がなくとも與へるものはある   

 ユニティの『繁栄』(Good Business)といふ雑誌にこんな実話が載っていたことを私は思い出す
のである。
 子供が澤山あって、貧乏で、愈々、行き詰って、その多勢の子供に食べさすお昼の食物すらない
のである。昨日から家族一同何一つたべていないのである。それでユニティ教派の個人指導部へ相談
の電話をかけたのであった。
 個人指導受持ちの女の教師が、まず、「受ける」ためには「與へる」ことが先立たねばならぬこと
を教えてくれた。「あなたは何らかの方法で、“與へる”ことをしなければならないのです。
“與へる”という最初の行動によって、宇宙にある“富”の源泉を動かす第一歩がはじまって、
その源泉の出口がひらいて、宇宙の富の源泉から供給が流れ出て、あなたのところへ返ってくるの
ですよ」
 そう教えられても、子供に昨日から食事をやることもできない貧しさで、先ず何を人に與へよと
いうのだろうか。彼女は戸惑うほかなかった。彼女は悲しそうに言った。
「それが問題なのでございます。だって、わたくし何も與へるものをもっていないんですもの」
教師は、かまわず答えた。
「いいえ、あなたは必ず“與へるもの”をもっています。あなたの周囲を見て御覧なさい。屹度あり
ます。“神様”何を人を悦ばすために與へたらよいか教えて下さい“と祈りながら周囲を見て御覧な
さい」
更にその教師は次のように続けた。
「そうしてあなたが與へた後には、すでに宇宙の“富”の源泉からの流出口はひらいているのです
か、そこから流れ出るものを、どのような形にして受けようかと、“受ける準備”をするんですよ。
即ち、心の中に子供に何を食べさせようか、台所で要るものは何と何であるか、台所にある限りの美
しい食器をならべて、それに盛るべき御馳走は何と何とであるかと、それを心の中にリストを作っ
て、“必ずこれらのものは神の無限の資源から流れ来って姿をあらわしてくれるにちがいない”と強
く信じなさい」
 ユニティの指導部の教師からこのような指導を受けた彼女は、この指導に従うほかに道はなにの
で、
「神様、人を悦ばすために何を與へたらよろしゅうございますか」と心に祈りながら周囲を見廻した。
その時、彼女は庭の雑草の中に咲いている美しい草花に目がついたのである。その次に彼女は近所に
久しく病床に横たわっている貧しい婦人の事を想い出したのである。そこで庭の草花を切って、そ
れを病めるこの隣人に持って往ってやった。病人は非常に悦んでくれたのであった。彼女は“與へる
悦び“を知ったのであった。彼女は隣家から帰ってくると、食卓をきれいに拭いて、教えられた通り
に、ある限りの美しい食器――銀器、陶器、新しいリネンのナプキンなどを食卓に並べた。そして天
の使いが今まさに、本当にこの食器に豊かな美味しい食物を並べて下さるにちがいないと信じたので
あった。

❤〜 次の項目に続きます。

2124SAKURA:2013/03/25(月) 19:57:24 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2003>>2004>>2008>>2009>>2013>>2019>>2020>>2023>>2031>>2033>>2034>>2039>>2040
>>2041>>2042>>2044>>2045>>2046>>2048>>2050>>2068>>2069>>2115>>2118 >>2119>>2123
「女の浄土」投稿の続きです…。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    

――――― 【 第七章  あなたが繁栄を得るために 】―――――
■ 富を得るための三つの根本法則

 以上の富を得るための三つの法則を要約すれば、
(一)先ず“與へる”ことによって、神からの無限資源に対して供給の通路をひらくことになるの
である。
(二)心の中に既に食卓に豊かな食物があることを描くこと。供給の通路をひらいた後には“受け
る“態勢を整えなければならぬ。その”受ける“態勢が、食卓の上に、銀器、陶器等の美し
き食器を並べることによって、家族の心の中につくられたのである。子供たちはそれらの
食器が食卓に並ぶのを見ると、今にも御馳走が並ぶにちがいないと期待して喜んだのであ
った。
(三)深く信ずること。彼女は、これによって必ず必要なものは現実化して来ると信じて、買い
物すべてのリストをつくったのであった。

 ところが、間もなく彼女の家を訪れる人があった。彼女はその人を殆ど忘れていたが、以前に多
少、その人に金を貸して会ったのである。その人が急にその事を思い出して、借りた金三十ドルを
支払いに来てくれたのであった。私たちは、“無代で何物かを得ようと思ってはならないのである。
無論、電話一つで数百万円儲かることもあれば、パチンコや、競輪や、思わぬ金が入ることもある
が、それらは“形”だけの影であって、“富”の実質であるところの“人類の幸福に奉仕する”内
容“が無いために、実質のないものは、一時は大いに膨らんで美しい五彩の光を放つシャボン玉の
ように、やがて間もなく、あとかたもなく消えてしまうことになるのである。

PS:「トキ様」「観覧者の皆様」へ
本日のユニティの雑誌の実話〜〜〜当に【心の法則…】】が出来ます【富の宝庫…】は、“無限…”
に、ひろがるので〜〜〜すネ!!
さて、私事ですが?かって或るところで〜〜〜確か「四日市にての販売…」の頃の話です。…が??
そこの販売場所に参れまして、会場に足を踏み込んだその瞬間!“まさか〜〜〜”><この直感が
働きまして、此処は売りにくいと……とっさに思いましたので、販売の当日…初日の日ですが?
早めに会場に行きましてから〜〜〜まだ、他の販売員もそこにいませんから、誰もいないその場で
「大きな声…」で、いかにも、目の前に「お客様…」が押し寄せてきたという“イメ−ジを”を、
思い描きまして…“パ−トナ−”と二人して〜〜〜「大きな声」で〜♫〜 そうなので〜〜〜す!!

❤〜「いらっしゃいませ!」と…言いながら、更に「何がお好みでしょうか?」とか〜〜〜?
「今日は、何かお求めの商品が、私どものコ−ナ−にありますでしょうか?」とか……云々……
「サイズ的には?如何でしょうか?」とか〜〜〜?【イメ−ジ・トレ−ニングのレッスン…です。】
いかにも目の前に、お客様がいらっしゃるような感じで、パ−トナ−と二人で…会話を致しました
モノです…。開店までの…時間の許す限りなのです。…が?当然!二人の脳裏には【大入り…】の
お客様の…【イメ−ジ化…】で〜〜〜す。時間は“ア〜〜〜ッ”という間に、他の販売員も会場に!

それでも、二人して…誰もいないという認識にて、例え?こちらを“ジ〜〜〜ッ”と見ている人が
いて【イメ−ジ・トレ−ニング中断】になりそうな気配にもめげず…恐らく!相手の販売員の方は、
【気がふれたの〜〜〜?クレイジ−かと?】いった感じで見られましょうとも…
そこは「生長の家…」当に【心の法則】を、多少なりとも信じて?確信して?おりますから〜〜〜♫
更に、次の段階の【売上目標数字…のイメ−ジ化】を、当に!今からする“予定…”でしたが?
残念ながら【タイム…オ−バ−】に。><“モ〜〜〜ゥ!”出来ませんでした〜〜が?(少し弱気)

❤〜嬉しい事に「天の倉…扉がオ−プン!」でしょうか? この日は 確かに【大入り…】でした。
本当に、信じきっての“行…”は、「神様…」に通じますかと。 改めまして『感謝…』


                              再合掌

2125トキ:2013/03/25(月) 20:31:13 ID:QpKnnYcA
SAKURA様

 今、生命の実相第8巻を拝読しているのですが、p150の当たりで、おなじ
ような意味の事が書かれていました。やはり、そういう部分をじっくりと
読むのは大事ですね。素晴らしい御文章、ありがとうございました。

合掌 ありがとうございます

2126神の子さん:2013/03/25(月) 21:24:29 ID:???
SAKURA様
素晴らしいお話と体験をありがとうございます
目頭が熱くなりました

2127SAKURA:2013/03/25(月) 21:41:14 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>2125「トキ様」の“お返事” ありがとうございます…。

本当にそうなのです〜〜〜ョネ!『生命の実相』は〜〜〜永遠に現代社会にても通じるものが〜〜〜
ありますので…「雅春先生」は、私ども信者に(個人的には“スロ−テンポ”にての理解力?)
【繰り返し〜繰り返し〜にての…『 心の法則 』の力を、教えて頂いておりましたかと。】思います。

従いまして、或る時など?こちらが忘れていました事が、今になって…また!また!
『反省の材料…』になるので〜〜〜す。当に!!!【継 続 性 の パ ワ −】でしょうかと。
本当に“潜在意識”に入れ込む事は、繰り返し〜繰り返し〜「心を切り替える=順応性」に、なる
のです〜〜〜ョネ!!【 時! 処!…その状況!にての対応出来ます処の“心の法則” 】かと。
頭で、分かっている事なのに〜〜〜?これが〜〜〜いつもの【 悪循環 】なので〜〜〜す。

私は『服飾…』をしていますから“デザイン”が浮かびますと、そこから“制作…”に入りますの
で〜〜〜つまり【でき上がった服?…頭の中でイメ−ジを膨らませて制作へ】といきますから
“デザイン画”から〜〜〜“生地(布)”を使いましての〜〜〜“制作”で〜〜〜す。この過程にて、
【洋服が完成する!!】で〜〜〜ショ!!
これと同じ事なのに【無 限 供 給 の 原 理 が 心 の 悪 循 環】になるのは?と…、
そうなのです〜〜〜ョネ!この頃では、思いますに〜〜〜
「吸血鬼・ゾンビ…黒幕デザイナ−達」を見たくな〜〜〜い!><関わりたくな〜〜〜い!と…
思えば〜思うほど〜変な風になっていきまして、連中達は、必ず!不意打ちのように〜〜〜急に
「地下鉄…車内」に現れてきます。…が?当に!“その通り〜〜”となるのでしょうかしら〜ン!
更に、この頃では「浮浪者??古物商にも見えますが??」に頼んでの〜〜“嫌がらせ”なのです。
…が?この事は??彼らは「類の法則…」と判断すべきなでしょう〜〜〜か??

■これも〜〜〜【心の捉え方?】なのですから、モ〜〜〜ゥ!どうしても「切り替え…スイッチ」が
出来ない場合は〜〜〜❤〜【実相…】に突入するには【祈り・・・神想観】になるのですかと。

「祈り」に〜〜〜「祈り」に〜〜〜【心 の 法 則 を 切 り 替 え る】これで、
ゴ−!ゴ−!サイン……かと思う次第なのです。…が?

そして、あのマザ−テレサのように【祈り…も“世のため!”そして“人のため”でしょうかと】

                                再合掌

2128「訊け」管理人:2013/03/26(火) 19:45:57 ID:???
「輝く日々のために」谷口清超

◇虎と人間

 ガツガツ要求するばかりが能ではない。それではまるで、飢えた虎のようなものだ。そこには何ら人間的な美しさが見られない。「何を求めるか」ではなく、「何を与えるか」が問題だ。与える者が与え返されるのであり、奪う者は、奪い返される。あなた自身を国に、社会に、そして神に与えるのだ。そうすれば、神はあなたに必ず、「悦び」と「生き甲斐」とを与え給う。その他、凡ゆるよきもの、よき人々、そして又愛と感動とが確実にあなたのものになるのである。                                           

◇敵と味方

 あまり遠く隔った関係の者同士には、争いは起こりにくい。ところが近しい関係の者の間には、憎しみや対立が起こりやすいのである。中ソの対立も、華国鋒と江青四人組との対立もいそして又党内左右の対立も、親子喧嘩も、夫婦喧嘩も、みなそのようなものだ。だから、「憎い」という関係は、同時に親しくなれる仲間同士の関係を意味している。もしあなたに「憎い人」がおれば、その人はあなたにとって、「味方」となりうる筆頭候補者だと思え。最も害を与える者が、実は最も大いなる救いを与えてくれる〝友人〟なのだ。

◇あなたの分岐点

 あなたの中には全てがある。あなたの中にないものが、あなたの周囲に現われるはずがない。あなたが、誰かをバカだと思えば、そのバカはあなたの中にあるのだ。あなたが誰かを「偉い人だ」と思えば、その偉さや立派さは、あなたの中の、「あなたの偉大さ」なのである。あなたは、あなたの中のバカをのさばらせるか、それともあなたの中の真のあなた、即ち「神の子」の素晴しさを発展させ、周囲の人々を讃嘆しつつ生きぬくか。これがあなたの運命の分岐点だ。

『理想世界』誌(昭和52年5月号)より謹写――
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65721891.html

2129NANCY:2013/03/26(火) 20:31:07 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ    「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635>>1639>>1643>>1766>>1778>>1829>>1877>>1880>>1890>>1918>>1931>>1942
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>>2083>>2116>>2117の投稿の続きです。

===【谷口 清超 先生 著】==============================

■心を活性化する
 人は何事をしても、その心が仕事に現れてくる。仕事というよりも、生活全般にと言った方が
よいであろう。従って主婦が料理を作っても、洗濯をしても、買い物に行っても、育児をしても、
彼女の心がそこにあらわれ、彼女の「作品」を作り出しているのである。
 
例を料理にとると、ぞんざいな心の人は、料理もそんざいな作り、最新式の自動炊飯器を使っ
てもコゲメシを作ったり、生にえごはんを作る。それは水加減を間違えたり、炊飯器の予約時間
を間違えるからである。その上、おかずの塩加減が、一向に定まらない。中に砂をいれたままで
アサリのミソ汁を作るということもよくある。
 ところが心が感謝と悦びにみたされてくると、「この料理如何で、夫が死んだり生きたり、子供
が健康になったり病気になったりする」
 と思うから、力一杯、明るい行きとどいた心で調理し、気持のよい食事が整うのである。その上
さらに夫婦の心がピッタリしていると、夫が「これがほしいな」と思うものも、妻が作りたくなる
から実に不思議である。
 料理ばかりではないが、食事はことに人間生活の原点であるから、その影響する所が大きい。
もし妻がいいかげんな食事を、インスタントラ−メン的に作つていると、家族全体の健康が蝕まれ、
ついには夫が早死したり、子供が発育が充分でなくなったりする。そうなって始めて医者にかかっ
ても、医者は食事のことまで「過去にさかのぼって調整」してはくれないから、中々治らない。
健康は永い間かかって築き上げた城の石垣のようなものであるから、それを根もとから取りかえる
のは大変である。
 
健康ばかりではなく、心もまた多くの時間をかけて作り上げて行く。しかし心はその奥に「神性・
仏性」を宿している。そして又これこそが人間の「本心」であるから、この心を目醒めさせ、活力
化させると、あとからくっつけられたゴミや塵埃のような「迷い心」は、いつとはなしに消えうせ
る。このような心の大浄化を行うことが何よりも肝腎であり、それをやらないでいて、ゴミの上に
又塵埃をつみかさね、見せかけや体面や、上つらの胡麻かしばかりをしてお茶を濁していると、や
がてトンデモナイ事が起って、大いに苦しみ悩むのである。
 
そのトンデモナイ事は、家族の難病、失業、倒産等色々あるが、不倫の愛人がいたという発見も
ある。そのような時、相手をいくら憎み、とがめ、うらみ、罵っても、不幸は深まるばかりである。
けれども唯一絶対の解決法がある。それは正しい信仰によって「神の子・人間」の本心を目ざめ
させ、神の子の愛をもって、悦びと、祈りと、和顔とに徹底するという生き方である。
                         『幸せへのパスポ−ト』より(一部抜粋)
==============================================

■「トキ様」・「観覧者の皆様」へ
本当に「清超先生…」の言葉通り〜〜〜ですかと。 全ての物事に際しては〜〜〜【心…】から
始まりますモノ……!やはり思いますに〜〜〜
「日常生活…」での恨み?憎しみ?恐怖?……etc…このような“悪感情”は精神作用としては、
マイナスになり、人生も全てが〜〜〜悪い方向へと〜〜〜流されて ><

それでは〜〜〜?『 如 何に 生 き る べ き か ? 』と……

それは〜〜〜?
新しい思想「人間・神の子」の姿をもって私ども各自の実際の生活に生かされる……つまり!!
❤〜【 神の子の愛をもって、悦びと、祈りと、和顔とに徹底するという生き方 】かと…。
一日も早く…持続性をもちまして「生長の家…らしく?」の生活を邁進していく事を…
ここで、もう一度「決意…」を新たに〜〜〜トライ!で〜〜〜す。
本日の“清超先生の言葉”に…【感謝…】
                                       再合掌

2130SAKURA:2013/03/27(水) 20:39:01 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ  「神の子様(ブル−色)」 ヘ
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>2126 「神の子様(ブル−色)」 ヘ
うれし〜〜〜イ!“お言葉”を頂きました。【 感謝 】です…。(遅くなりまして…ごめんなさい)

振り返りますと〜〜〜随分「若さのいたり??」無鉄砲な事を〜〜〜他にも多々ありましたかと!
今!思い出しますと〜〜“冷汗…”かと。
【あの頃の“成りきること…”此のパワ−】を今!再び!よみがえれ〜〜〜〜“パワ−”です。

そして、今後も〜〜〜閲覧した頂きましたら〜〜〜“幸 せ 一 杯!!”の「SAKURA」です。

                              再合掌

2131a hope:2013/03/28(木) 07:33:57 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十三章 こうして富をつくりましょう

◆自分の頭は好いと考えなさい

あなたは「自分の頭が悪い」と考えることも自由であります。
又「自分が頭が好い」と考えることも自由であります。
そして、思い通りになるのであります。

あなたは自分の体を丈夫だと考えることもできます。
そうすると体が自然に丈夫になります。

あなたは自分が弱いと考えることもできます。
もしそう考えれば、自分の体が弱くなります。

あなたは自分が頭が好くなりたいですか。
それなら、「私の頭は好い」と常に考えるようになさいませ。

あなたは体を達者にしたいですか。
それならいつでも「私の体は達者だ」と考えるようになしませ。

心に思う力ほど強い力は他にないのです。
肉体の力というものは、どんなにあるように見えても、
心がなければ肉体は動かないのであります。

死骸の動いているのを見たことがないでしょう。
死骸には心がないからです。

どんなによく肥った筋肉をもった人でも、「もう負ける」と心が思ったら、
もっと痩せている人にも負けるのであります。

だから吾々は決して自分を「弱いもの」と考えますまい。
「私は神の子だ。強いのだ。何でもできるのだ」と考えるように致しましょう。

医者に見てもらえば、どうしても治らない足の立たない子供が、
「私は神の子だ。私は達者なのだ。歩けるのだ」と常に心でとなえるようにして、
自分の心の中に、もうすでに歩いて、
愉快にとびはねている自分の姿を毎日思うようにしていましたら、
到頭(とうとう)歩くことができたという話もあります。

自分を体の弱い、力のないつまらないものだと考えれば、その通りになるのであります。
自分は体の丈夫な、頭の好い、立派な人間だと思えば、その通りになるのであります。

あなたが心に思った通りのものが、あなたの姿になるのですから、
これから必ず善いことばかりを心の中で考えましょう。
(つづく)

2132トキ:2013/03/28(木) 10:37:21 ID:30rDhisw
SAKURA様、a hope様

 いつも素晴らしい御文章を書いて下さり、本当に感謝しております。

 多くの閲覧者様にとって、朝の真理の補充になると思います。
応援しています。

合掌 ありがとうございます

2134NANCY:2013/03/28(木) 20:13:30 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ    「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635>>1639>>1643>>1766>>1778>>1829>>1877>>1880>>1890>>1918>>1931>>1942
>>1955>>1983>>1988>>1999>>2010>>2012>>2024>>2028>>2029>>2061>>2066>>2067
>>2083>>2116>>2117>>2129の投稿の続きです。

===【谷口 清超 先生 著】==============================

■心で造り出す      その①
人間はすばらしい「心」をもっている。この「心」で自分の運命を、どのようにでも操縦する。
たとえば、右に行こうと思えば右にいけるし、寝ようと思えば、ねむれるし、山に登ろうと思えば、
登山することができる。
 
それと同じように、自分の肉体も、どうにでも支配することができるのだ。強くなりたい人は
強くなれるし、病気をしたい人は、病気ばかりするようになる。少しなまけて、
「こんなに忙しいのはいやだ。ゆっくり一日中寝ていたい」
と思うと、すぐカゼを引いて、「一日中寝る」ようになるのは、そのせいである。

 しかし、「心」で自由に支配できるといっても、やはりそれには練習がいるし、努力もいる。
ボ−ツとして何の努力もせず、なまけながら「支配する」ということはできない。それでは人間を
「なまけもの」にするばかりだからである。人間は本来「神の子」で、努力家で、しっかりした心
の持ち主であり、多くのことをやりぬく力を持った人格だ。

 病気を治す場合も同じである。「心」で自由にできるがそれには努力が必要である。というのは、
病気をつくり出したものも「心」であるから、もとの「心」を変えなければならないからだ。

 ではどんな心が病気をつくるかというと、第一に「病気になりたい心」即ち「病気でいた方が
都合がよい」という心である。

 次に「自分は弱いものだ」と思う心である。小さい時から「そらカゼを引きますよ」「お腹をこわ
しても知りませんよ」などと言って育てられると、いつの間にか、「自分は弱いカラダである。すぐ
カゼを引き、お腹をこわすものだ」という信念が出来上がる。
 この心が、病気を次々に作り出して行く。だから、そのような間違った心を消し去り、

その代わりに、
 「私は神の子だ、無限力だ、強い、丈夫な人間だ」
 と思う“練習”をしなければならない。
さらには又次には、色々なことをクヨクヨ悩んだり、腹立てたり、心配していると、よく病気
になる。そのような「暗い心」が、不調和な肉体を作り出す。

                      つづく

2135NANCY:2013/03/28(木) 20:17:39 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ    「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635>>1639>>1643>>1766>>1778>>1829>>1877>>1880>>1890>>1918>>1931>>1942
>>1955>>1983>>1988>>1999>>2010>>2012>>2024>>2028>>2029>>2061>>2066>>2067
>>2083>>2116>>2117>>2129>>2134の投稿の続きです。

===【谷口 清超 先生 著】==============================

■心で造り出す     その②

「肉体は心の影」
 
心は肉体の影となってあらわれてくる。いわばオ−トメ−ション的に、自分の心に似た肉体が
作られて行く。それは無意識の力でそうなるともいえる。
 だから私達は、いつも強く明るく愛ふかくい心をもつようにし、毎日コトバでそのような明るい
自分だと唱え、日々調和した心で暮らすようにしなければならない。日々の「神想観」がとても
大切である。  (一部抜粋)
                      『幸福へのパスポ−ト』より
==============================================

■本日の「清超先生…の言葉」も〜〜〜♫〜〜〜
「雅春先生…」が私どもにご指導して頂きましたように【人生は心で支配せよ】という事でしょう
かと。更に、この事は「現総裁雅宣先生…」の著籍…「心で作る世界…」でも述べられております。

此処で「雅春先生…書籍の言葉」からの抜粋です…。(下記にて)

−−−「抜粋文」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
当に「『悪』も『病気』も、一切は唯心所現であるから、現われている限りは存在する」と云った
ような、アルとアラワレルとの重大な混同をホルムスがしているのも気になるのである。…云々…
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

そうなのです〜〜〜ョネ!特に『病気』などの時には、どうしても?悪く〜悪く〜ネガティブ感情に
なりやすいですモノ!!こういう時こそ『よくなるしかない!!よくなる前ぶれ!!』という物事の
捉え方を、強く〜明るく〜ポジティブ感情に持っていくべきかと。

❤〜これが当に『「私は神の子だ、無限力だ、強い、丈夫な人間だ」……【アル…という断定!】
この根本が『生長の家…御教え』です〜〜〜ョネ!今日も「神の子」……明日も「神の子」……
永久に〜〜〜強く〜〜〜【神の子…人間】この事を、無意識にも【自覚・行動】出来ますように、
しっかりと“潜在意識”の奥〜奥〜にインプット!!頑張りま〜〜〜す。

                                 再合掌

2136トキ:2013/03/28(木) 20:40:56 ID:30rDhisw
>>2135

 谷口清超先生のご聖典も素晴らしいですね。これからも
よろしくお願いします。


合掌 ありがとうございます

2138トキ:2013/03/28(木) 21:14:10 ID:30rDhisw
それで思い出しましたが、義春さんが、亡くなる前に、高級霊界で、谷口清超先生を中心にして、
弟子達が円になって取り囲み、今回の紛争の平穏な解決を祈っている、という事を言っていたよう
です。

 亡くなる前の義春さんは、肉体が衰弱したので、霊的な能力がかなり強くなっており、自身が
「霊界」の下見をしてきた、とも話していたようですから、十分にあり得る事だと思います。

 聞く所では、谷口雅宣先生も、他の谷口家の御兄弟姉妹も、お父様を深く尊敬されていたみた
いです。それだけに、残念なことです。

 今回の事は、総裁だけに責任があるのではないと思います。他にもいろいろな要因があった
と思います。また、解決は真理にのっとってなされるべきだと信じています。

 話し合えば、お互いに理解できる内容だと確信しています。高級霊界での
祈りは届くと信じています。

2139a hope:2013/03/29(金) 06:34:20 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十三章 こうして富をつくりましょう

◆正直をこちらが出したら正直が返って来る

「正直者が損をする」と云いますけれども、それは損をするのではなく、
こちらが正直に所得額を申告すれば、向うは正直にそれに対して税金をかけて来るのであります。

正直を出したら正直が返って来るのであります。
与えただけのものが返って来ると云うのが心の法則であります。

今あなたが、どんな地位にいるかと云うこと、又は今あなたがどんな成績を挙げているかと云うことは、
あなたが今迄に何を自分が「出した」かということの総計であります。

だから「正直」を出しただけでは必ずも「富」とはならないのであります。
(つづく)

2140解説者:2013/03/29(金) 09:22:00 ID:???

トキ様

>>2138

本流派のなかには現教団の混迷と凋落は
「谷口清超先生に原因がある」と考えている人たちもいるようです。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1332

「学ぶ会」の誌友会の画像もアップされています。
参加者の手元には日本青年協議会の月刊誌「祖国と青年」も写っています。
それも一人一冊ずつ。

これは「学ぶ会」=日本青年協議会ということでしょうか???

2142NANCY:2013/03/29(金) 19:48:13 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ    「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。

>>2136>>2138 の「トキ様の言葉…」ありがとうございます…。(遅くなりまして…)
こちらの方こそ〜〜〜拝読して頂いております事に…感謝申し上げます…。(冷汗)

私の方が…!私の方こそが…!『真理の勉強…』を此処2チャンネルでさせて頂いておりますかと。

そして「>>2138」の「トキ様の投稿文…中」…からですが?

−−−「抜粋投稿」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>>今回の事は、総裁だけに責任があるのではないと思います。他にもいろいろな要因があった
と思います。また、解決は真理にのっとってなされるべきだと信じています。

 話し合えば、お互いに理解できる内容だと確信しています。高級霊界での祈りは届くと
信じています<<              (抜粋文)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

■そうです〜〜〜ネ!『祈り…』にて…神様からの“メッセ−ジ”をキャッチ致しまして…
「神様の御心…」のなすがままに〜〜〜必ず!こういう状況でも『解決…』ができますでしょうかと。

                              再合掌

2143SAKURA:2013/03/29(金) 20:13:32 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2124 「女の浄土」投稿の続きです…。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    

――――― 【 第七章  あなたが繁栄を得るために 】―――――
■ 誰に? 何時? 何の目的で?

 以上の実例によって富を築くところの根本法則は、先づ “與へる”ことにあることが明らかに
なったのであるが、“與へる”ということも、簡単明瞭なことのようであるが中々むつかしいので
ある。誰に、何の目的に使うために、何時與へるかということが大切なのである。即ち、人時處の
三相應を得なければ、與へたことが却って無駄になるどころか、仇になって還って来ることもあり
得るのである。「自分が今持てるもの」を與へるといっても、一切の本源は“神”であるから、本来
自分のものといふものは無いのであって、神から預からせて頂いてゐるのであるから、無駄なとこ
ろへ消費しては、神から財を委託されてゐる人間として神に叛くことになるのである。神から預ら
せて頂いてゐるものは最も効率高きところに、そして人類のためになるところに與へなければなら
ないのである。
                         (谷口雅春著)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

PS:「トキ様」・「観覧者の皆様」へ
■本当に〜〜世のため!人のため!にと…?この“心からの呼びかけ…”は、いつのまにか?
何処かへ?〜〜飛んでいってしまったの?このような人生での日々の『心模様…?』でしょうかと。
私も!もう一度〜〜〜今かだら…明日へと飛び立ちま〜〜〜す!
『バタフライ〜 ♫ 〜 バタフライ〜 ♫ 〜 バタフライ〜 ♫ 〜名もない蝶ちょ…』

そうです〜〜〜ョネ!「行動…」にでるには、やはり
【世のため!人のため!に、今現在の私で、どれだけのことが出来るのでしょう〜〜〜か?】此処が
【ポ イ ン ト !!】になるのです〜〜〜ネ??
今からの私は、どれだけの【愛…】を〜〜〜と!!もう一度見つめ直す事にと〜〜〜【原点…】に
立ち戻り〜〜〜冷静に!判断して「行ずる…!!」必要がありますのでしょうかしら〜〜〜ン!
此処が、今の私の“分岐点…”でしょう〜〜〜か??

本当にFUKに帰郷してから、毎日!毎日!が〜〜〜「吸血鬼・ゾンビ…の尾行」に、“神経…”が、
ピリピリ〜〜〜の状態でしたのです。このような「現象人間の行動を見ていく…」と、果たして?
【相手に対し〜〜〜“愛を与える此の行為”は??何処までも〜〜〜何処までも〜〜〜続くのかと。
ところが、気がついたのです…。つまり、私自身の見方の角度を変えていくべきでは〜〜〜と!
そうしなければ〜〜〜私自身も「何時までも!現象的に見る人間」である事と…!!
この「気づき・・・」をいただきましたので〜〜〜まずは、
【心から〜〜〜与えよ!さらば…与えられん】でしょうか〜〜〜??まだ、正直言いますと、
【頭でっかち…。の部分が〜〜〜】まず!今の私にとりましては【別の形での行動再開!!】です。

                                 再合掌

2144青協会員:2013/03/30(土) 11:22:29 ID:0PL7dBUs


“生長の家「本流復活」について考える”掲示板管理人“トキ”殿



 私は、日本協議会・日本青年協議会の古くからの一会員ですが、貴殿がインターネットに開設されているサイト(http://jbbs.livedoor.jp/bbs/lite/read.cgi/study/11346/1322022766/l30)に、適法な根拠を示すことなく事実無根の下記の内容を記載された行為は、日本青年協議会及びその創設者について、悪質な虚偽の風説を流布し、その信用を毀損するものであり、かつ虚偽の事実を適示して名誉を毀損するものでありますから、刑法第233条及び第230条により、三年以下の懲役等に処せられるべき重大な犯罪であります。

 私は、貴殿が即時に謝罪と削除をしない場合、日本協議会・日本青年協議会の会員として、直ちに刑事告訴を行うこと及びプロバイダに対して貴殿の住所氏名を法令に基づき開示するよう、直ちに責任者に進言し、協力する弁護士等を紹介する決意であります。

 なお、古くからの生長の家信徒の方々にも確認しましたが、生長の家教団が、日本青年協議会との「絶縁」宣言を、聖使命新聞や神誌に掲載したことなどはなかったそうです。

 また、私自身は、古くからの『祖國と青年』の愛読者ですが、“谷口清超先生の法灯継承も否定する”ような文章を同誌や他の刊行物で読んだことはまったくありません。



                  記



2141:トキ 2013/03/29(金) 10:09:11ID:xFlQ.Ll. >>2140



日本青年協議会については、私は意識的に距離を置いて来たので、詳細は知りません。ただ、聞く所では、かって生学連で大活躍したK氏が創設し愛国運動に活躍しましたが、生長の家の組織のラインやお金を勝手に使って日本青年協議会の活動をしたりするなど、生長の家の組織に弊害が出たので、教団が「絶縁」宣言を出したみたいです。



 そういう経過や、また生長の家の政治からの撤退もあり、日本青年協議会は、谷口清超先生の法灯継承も否定する立場にあるみたいです。



以上

2145「訊け」管理人:2013/03/30(土) 11:27:52 ID:???

>>悪質な虚偽の風説を流布し、その信用を毀損するものであり、かつ虚偽の事実を適示して名誉を毀損するものでありますから、刑法第233条及び第230条により、三年以下の懲役等に処せられるべき重大な犯罪であります。<<


 総裁が大東亜戦争を「全否定した!」とかも、該当しますかね?(熊本鎮台殿・・・・)





2146トキ:2013/03/30(土) 14:39:06 ID:9j9358Jw
>>2144

青協会員 様

 ご投稿、ありがとうございました。お返事が遅れた点を御詫びします。

 先ず、「絶縁宣言」をご存じないとしたら、あなたは生長の家のことをご存知ではないと思います。
 聖使命新聞や生長の家の定期刊行物に掲載されないが、幹部へは通達される事項は多いです。その点を
ご存知がないようですね。

 現役の活動者は、「日本協議会・日本青年協議会」との接触を持たないように厳しく命令をされていましたし、
現在もそうです。幹部がかかわりを持つと、厳しい処分を受けました。もし、私の言う事が信用できないのなら
お近くの生長の家の教化部か道場に行って、「祖国と青年」を配ってみたら、すぐに分かると思います。

 つぎに、名誉毀損罪の成立について。

 私が上記の投稿の根拠にしたのは、谷口雅宣先生が、講師会部部長をされていた時代の「講師会会報」に掲載
された御文章です。その中で、名指しはしませんが、見る人がみたらすぐに分かる表現で、「ある団体」が
生長の家の組織のラインを利用して活動をしていた事や、組織のお金を流用していたという記述が書かれています。

 さらには、「貴方への手紙」という文章には、さらに詳細な内容が書かれていますが、これは無署名ですから、
証拠にはしません。

 そこで、青協会員 様にお伺いしたいのは、上記の講師会会報は、広く生長の家の地方講師に配布されている上、
宗教法人 生長の家の公式の文書です、すると、もし虚偽の事実だとしたら、「日本協議会・日本青年協議会」の
名誉を毀損するので、刑事告訴の対象になり得ます。当時、「日本協議会・日本青年協議会」の関係者が宗教法人
生長の家または執筆者の谷口雅宣先生を刑事告訴した事実はあるのでしょうか? もし、そういう事実がなるのなら、
私は、御詫びして、取り消します。しかし、私は、そのような事実を知りません。

 私は、上記の通り、現在は総裁にあり、当時は講師部長をされた谷口雅宣先生が、講師会会報という公式
の文章に書かれたご文章を根拠にしました。すると、もし、事実関係が正確なら、これは名誉毀損罪の構成要件に
該当しませんから、犯罪にはなりません。もし、事実関係が不正確でも、根拠をしめした以上、刑法230条の2の
第1項と第2項により、違法性が阻却され、犯罪は成立しません。

(つづく)

2147元々:2013/03/30(土) 15:01:39 ID:???

 統一教会との関係が噂されるTJよりも

 健全だとおもいます。

2148トキ:2013/03/30(土) 15:13:02 ID:9j9358Jw
>>2146

 法律に詳しい友人から指摘があり、訂正をいたします。

 事実関係が正確なら、刑法230条の2の第1項と第2項により、犯罪が不成立。
事実関係が不正確な場合でも、相当の根拠があるので、いわゆる事実の錯誤(
刑法38条)により、違法性が阻却され、犯罪不成立との事でした。

 結論には変化はありませんが、説明が不正確でした。御詫びして、訂正します。

(つづく)

2149トキ:2013/03/30(土) 15:14:37 ID:9j9358Jw
>>2147

 私はよく知りませんでしたが、今回、この文章を書くので、知り合いから「祖国と青年」を借りて
読みました。何十年もこれを続けているのは、すごいと思います。信念は強いと思うし、素直に敬意
は表したいと思います。

2150トキ:2013/03/30(土) 16:08:01 ID:9j9358Jw
(つづき)

 「日本協議会・日本青年協議会」が、谷口清超先生の法灯継承を否定しているか、どうかですが、
教団側は、少なくても、そういう認識でいるようです。かなり多数の本部職員から、そういう発言
を聞いています。また、ある会合に出席したときに、「日本協議会・日本青年協議会」の出席者
が複数おられ、谷口清超先生を名指しで罵倒していた場面に遭遇しています。

 私は、そういう経験から、日本協議会・日本青年協議会」が谷口清超先生の法灯継承を否定している、と
書きました。

 ただ、それが、正確ではないと言うのなら、もちろん御詫びして訂正する事にやぶさか
ではありません。ぜひ、責任ある立場の方が、谷口清超先生の法灯継承を否定している、と
言うのは間違いである、と宣言をして下さい。

(つづく)

2151「訊け」管理人:2013/03/30(土) 16:11:33 ID:???

『人生の秘訣365章』309頁より謹写――

◇宗教家よ口に剣をとること勿れ

 世界の平和は、神を信ずる宗教ですら宗派争いをして激しく他の教団の悪口を宣伝して自分の宗派を拡大しようというような劣悪な教団が幅を利かせているような有様では、到底達成することはできないのである。この山にてもあれ、この教会にてもあれ、この寺院にてもあれ、本尊の名前は異なれども、等しく宇宙本源の唯一の神を礼拝するようにならなければならないのである。キリストは「剣をとる者は剣にて滅びる」とペテロに教えているのであるが、この剣は決して、鋼鉄をもってつくられた剣だけのことではないのである。烈しく他教団を悪口をもって斬りまくる宗教人は、やはり剣をとる者である。神は愛であるのに、愛をもって一切宗教を包容することができずに、攻撃をもって自分の勢力圏の拡大を願う如きは、結局、我執と貪欲と権勢欲によって掉り廻されているのであって、そのような者は宗教界の風上にも立つことができないものである。

2154「訊け」管理人:2013/03/30(土) 16:53:32 ID:???

>>現在の生長の家の言い分が間違っていると思うのなら、それを堂々と主張す
ればいいのです。それを、刑法を持ち出して、言論そのものを封印するやり方は、私は尊敬できないです。<<

 チェスト!



 ・・・・いや、もうホント、やや「マジメな話」をして良いですか?

 いや、「著作権」ですけども、もう「教団に返してよ」と(笑)。そんな話です。・・・本日、この事を強く思う出来事が、あったのです。

 それは、「子供向けの練成会」に出くわした、そんな時の話なのですが、「『生命の實相』をサ、もう、この子らに学ばせてあげなよ」と・・・・。今日は、清超先生の本を購入するため教化部に、行ったんです。そしたら、子供がダーッ、とおりまして(笑)。25−30名くらいでしたか。まあ、ウジャウジャいるわけです。しかも、どの子も(お世辞ではなく)キラキラしておりまして・・・・なお、暴れん坊は、たったの「5名」でした(笑)それは余談。さて・・・・・

 ・・・・・私はこの光景を観て、「これだけの数の子が雅春先生を学ぼうとしてんのか!?」と、感動したんです。なかには「自分から行きたい」と云った、小学生もいた様子です。そして、その時です。
 この子らの、キラキラ輝く瞳を観ている際にですね、こんな(キャバ廃人な)私でも、「・・・・『生命の實相』をサ、もう、この子らに学ばせてあげなよ」と・・・・・(現総裁が「抹殺してて!」とか、このタイミングではよしましょうねw裁判前まではええ、ハッキリと『生命の實相』ですが、使われていたわけであり・・・・なーーーにが「抹殺」ですか。)

 ・・・・いやもう、可哀相ですよ、「あの子」ら。

 裁判さえ無けりゃ、まあ、『生命の實相』を学べたわけでしょう?(よくワカンナイけど。子供の「練成会内容」ね)

 ・・・・それでもう、私なんかはこう、考えるのです。いやあの、「著作権」ですけどももう「教団に返してよ」と(笑)。なんか、いくら大義名分あれども、あの子らを見てみましょうよ。いや、ホント可哀相じゃない?



 
追伸

 ところで、以下は余談です。白鳩姉さんと立ち話したんですが、なんでも「王さんのお母さん」と、「大鵬のお母さん」は生長の家だったとか(!)これ、ホントなんですかね?また、サッカーの本田圭祐と長友佑都ですが、「子供の頃に練成会に来てた」とか(!)

 ・・・いやトキさん、これらって、ホントの話?(つづきは「部室板」あたりで)

2156 NANCY:2013/03/30(土) 18:04:14 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。 

■横スレにて…失礼致しますが〜〜〜?

どうしても「疑問…」に思いますのは〜〜〜?
此処の【聖 典 板】にて投稿されていますのは〜〜〜個人的には“オカシイ?”のでは〜〜〜
思うのです。…が? 重要な内容でもあり〜〜〜別の【ボ−ド板…】かと。

具体的には……
■上記の「>>2144の投稿…」に関しまして〜〜〜そして、
此の事は、前回の投稿の「>>2140の投稿」が“キッカケ”と?なりましてなのでしょうかと。

前回も此処の【聖典引用 板】にて、多々なる討論とかが?ありましたが…
今回の【上記の投稿内容は…別板?組織板?…】にての内容かとも〜〜〜思う次第です。

ここでの「討論…」は、【聖 典 板…】という事で、本来は“問題外…”と思います。…が?
                               再合掌

PS:
仮に此の上記の投稿者の方々が…【分派…の方々の幹部の皆様】でしたら〜〜〜?思いますに?
やはり上に立たれます方は〜〜〜【ボ−ド板…の選択にての投稿…】も冷静に見て頂くべきかと?

■【谷口清超先生の法灯継承を否定…云々…】他にもありますようです〜〜〜が?

それを一般は閲覧しまして【分派の会…】に対しましての〜〜〜
【賛 否 両 論】の考えになりますかと。このように思うのですが?

2157トキ:2013/03/30(土) 18:18:06 ID:9j9358Jw
>>2156

 ご指摘、ありがとうございました。

 その通りですね。申し訳ありませんでした。以後、別の板に書きます。
よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

2158SAKURA:2013/03/30(土) 18:49:21 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2124>>2143 「女の浄土」投稿の続きです…。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    
――――― 【 第七章  あなたが繁栄を得るために 】―――――

■ “ 富 “ を排斥する心をもってはならぬ    その①

 私は嘗て、 “富” を富子さんに譬へて、富子さんには両親があるのであるといふ話をしたことがあ
る。父親は 「出して入れてやる働き」 であり、 「種を蒔く働き」 である。しかしいくら種を 蒔いて
も、 「受ける働き」 が缺乏(けつぼう)してゐては富子さんは懐妊することはできないのである。それは
石地に種を蒔くやうなものであって實(みの)りがないのは當然(とうぜん)である。高潔なる人士で「自分
は與へたいのであって、報いを受ける気持などサラに無い」といふやうな人があるが、それは清貧をよろ
こぶ人であって、一生獨身(どくしん)の男子みたいで富子さんを産むことができないのである。このやう
な気持の人は清らかではあるけれども、清貧を固く心に握ってゐて、神から無限の供給を受けようとしな
い人である。こんな人が事業に手を出すと、屹度失敗して損をするのである。
                                            (谷口雅春著)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆
                                       次回に続く

PS: 「トキ様」・「観覧者の皆様」 へ
■私…一個人での“尺度”からの捉え方なのです〜〜〜〜が?
【何が正しいのかは〜〜〜、それは「神様…」に、お尋ねする事でしょうかと??】………【祈り…】ての答え!

最近では、本当にいつも此処にて投稿しますが?【尾行…】が多くて困ってしまいます。いつも投稿します
「黒幕デザイナ−」の存在は、かなり〜〜〜の【悪…そのもの】ですかと。後継者に「孫娘…」に〜〜と!
さらに【本人の名声・を……“永遠性〜〜”に、後世に残したいのでしょうか??】

此処でブレイクしますが?皆様も御存じの【ココ・シャネル…】は、戦後のことですが「パリ…」で〜〜〜
≪ファションショ−≫を開きました時のこと、詳しく申しますと「戦争…」という時代背景にて、一時【中断…】
しておりましたのです。…が?戦争が終結しまして…人々は、また!新しいデザインを〜〜と期待しまして!!
ですから、当時の「マスコミ」更に「シャネル・ファン…」は、期待に胸を膨らませて〜〜≪ファションショ−≫を!
【結果…】は、また〜また〜“同じラインの服…”の発表でした。しかも…><戦前に発表したデザインです。
ですから【パリの人々は失望】し〜〜〜、当時の「マスコミ」からも??〜〜〜です。…が?

                                          つづく

2159SAKURA:2013/03/30(土) 18:51:24 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2003>>2004>>2008>>2009>>2013>>2019>>2020>>2023>>2031>>2033>>2034>>2039>>2040
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>>2124>>2143>>2158 「女の浄土」投稿の続きです…。

■ “ 富 “ を排斥する心をもってはならぬ    その②

>>2158その①の続き投稿です…。
ところが【アメリカ…】は、逆に、彼女のデザインを受け入れ、此処で【シャネルは成功…への道】の足がかり
となりまして、その後…本家であります【フランス…】も、受け入れていきま〜〜〜す。思いますに、この様に
彼女の【デザインは、機能性があり!しかも〜〜〜女性の解放へ!と導いたのでしょうかと。】
この様に、いつまでも〜いつまでも〜【シャネル・スーツ…】は、どの時代にも順応性に応じる事のできる
【不変の法則…】【永久不変…】としての存在がありまして…このことが〜〜〜皆様がおっしゃるところの
【ブ ラ ン ド!】―――>永遠性では?ないのでしょうか??更に!〜〜〜
「メリヤス編み…」は、今日では、皆様も御存知の【ティシャツ…下着…etc】とか用いられていますでショ!

この様に【ブ ラ ン ド の 永 遠 性】とは、どの時代でも、活かされるわけで〜〜〜
【ブランド名が残る…】のです〜〜〜ョネ!!「黒幕デザイナ−」は、時代性もあり、その当時の洋服としては、
珍しいモノ=現象として、もてはやされたモノではないでしょうかと??思うのです。…が?
「○○模様を打ちだし…デザイナー・デビュー」の時は、映画全盛時代?背景もありまして、衣装担当としての
「デザイナー」から〜〜〜その後、「デザイナー」としてのデビューのようですが?
やはり【シャネル…】とは、全くかけ離れた感じに見えます。【ブ ラ ン ド】に永遠性を求めるのは〜〜〜?
どれだけ〜〜〜世のため!人のために??が〜〜〜御本人からは見える事なく?ただ!ただ!〜〜〜
「孫娘??」・「本人の名声??」これだけで〜〜〜後世にまでその名前が残るのでしょうかと。??

この頃では【尾行…】もひどくなり、あるところから?「黒幕デザイナー」は〜〜〜
北朝鮮との関係がとか〜〜〜その様なこともあり、そうでしたら、もしかしたら?もしかしたら?〜〜〜
私達が【拉 致!】されましたら、私は此処での投稿は〜〜〜ストップ・モウション!!!で〜〜〜す。
最近!ある所からですが【公安警察の存在…】を〜〜〜知りまして、如何もこれにも【関連…】しての〜><
いろいろと【虚説“噂…多き人”との判断?】〜〜〜かと。 これでは?【無限供給…は〜〜〜?】                

再合掌

2160a hope:2013/03/31(日) 07:17:42 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十三章 こうして富をつくりましょう

◆ 「人の役に立つ」ことが富である

百姓は土地に種子(たね)を蒔くでしょう。
土地に種子を与えないでいて、収穫(とりいれ)を得ようと思っても、そんな事は出来ません。

麦を蒔けば麦が出る。
米を蒔けば米が出る。
野菜を蒔けば野菜が出ます。

人は自分の蒔いたもの、与えたものだけをかりとることが出来るのです。
友達がほしければ自分が其人(そのひと)に深切に友達らしくしてやることです。
そうすると其の人は友達になってくれるでしょう。
すべて自分が与えないものは与えられないのです。

尤(もっと)も与えないでいて、突然大金持の遺産をもらったり、
運よく富籤(とみくじ)が当って、たった十円の金で百万円を収穫したと云うような人もあるにはあります。

しかしそれは本当ではありません。
一寸(ちょっと)見るとそのようにも見えますが、自分が少しも与えることなしに受けたものは、
それは「実物」でなしに唯「影」に過ぎませんから、屹度(きっと)長持ちいたしません。

富とか金とか云うものは、神の「愛」と「智慧」と人のためになる「働き」との変形なのであります。
人の役に立つ働き(英語ではサービスと申します)が、それが影をうつしてあらわれたのが富ですから、
人の役に立たないでいて得た富は、結局、それは「影」だけのものですから直ぐに消えてしまうのです。
(後半へ)

2161a hope:2013/03/31(日) 07:18:28 ID:TqpbsVIM
(前半から)
先日も新聞に出ていましたが、一人の強盗がとっ捉まって刑務所に送られたのです。
何故強盗になったかと取調べられた結果、その前に「三角籤(さんかくくじ)」に当って
十万円思いもかけぬお金が入ったのでした。

それで急に嬉しくなって料理屋へお酒をのみに行ったのです。
御馳走も食べました。
女給みたいな女が来て一緒にたべた料理代も皆自分が支払わされてしまったのです。
またたく間に十万円位のお金はそれでおしまいになってしまいました。

そのお金は「人のために働いた」と云う「サービス」の実物のない、
ただ「影」だけの「富」でしたから、こんなに早く無くなってしまったのです。

だが、お料理屋の味が忘れられない。
しかしお金がない、金が儲かる近道としてとうとう強盗になったが、やりそこなったと云うのです。

昔から「悪銭身につかず」の諺(ことわざ)もあります。
「売家と唐様に書く三代目」と云う諺もあります。

第一代目は自分が大いにサービスをし、人によいものを与えて来ましたので第一代目はつぶれません。
第二代目になっても第一代目のサービスの徳が蓄えられているのでまだ其の家はつぶれません。

第三代目になるとだんだん初代の徳が失われまして中味のない形ばかりの富になって来ますから、
とうとう先祖からの家も売り払ってしまわなければならぬようになるのであります。

(つづく)

2162SAKURA:2013/03/31(日) 13:23:31 ID:q9UkkTZw
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんにちは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2041>>2042>>2044>>2045>>2046>>2048>>2050>>2068>>2069>>2115>>2118 >>2119>>2123
>>2124>>2143>>2158>>2159 「女の浄土」投稿の続きです…。 が【番外編】です…。

本日は、「hope様の聖典投稿…」の抜粋から、私なりの引用解説論を、させて頂きます…。

◆ 「人の役に立つ」ことが富であるのシリ−ズですが??
「雅春先生…のお言葉」確かに納得感!かと。…此処で、私の取り巻く現状での捉え方を、先生の
言葉から…“オモシロク”感じたところがあります。この事に関しまして、記載させて頂きます。

急に【大金…】が入りますと、確かに、無駄使いになりがちになる事も…ありますネ??この様な
経験は?誰にでも、勿論!私にもありますので〜〜〜>< 
逆に、急に【お金(大金)…】が減りますと、そこで【お金の価値観…】が消えていきますから、
後には、何にも残るものがなくなってしまうのです〜ョネ!!当時!私の「お客様」でした。…が?
【宝くじ…】が当たったそうです。その時「お客様」が、私達に洋服を注文しながら「私達の商品
は、何年も!何年も!着れるから〜当然ながら、後にでも残る“存在価値”になるヮ〜〜〜ネ!
これは、生きた使い方なのョ!!」と云われまして、当時の私達には、ものすご〜〜〜く!うれし
くなる気持ちの“言葉”を頂きました。余談ですが〜〜〜私どもにとりましては…何よりも益々の
活力を頂く事になり…しなくても良い「サ−ビス…」をこの「お客様」にしてしまいました。…が?

この様に「お客様」との関係でも【お金…】の使用感は【生かしたお金…モノへの変換?】は、
確かに、相手を活かす事となり…如何に喜んでもらえるかにつながる事と成るのでしょうかと。…
これは『納得感…』があります。❤ある面では「世の中のためになる…」と……

さて……下記にて“抜粋…”投稿をさせて頂きます…。

>>「第一代目は自分が大いにサ−ビスをし、人によいものを与えて来ましたので第一代目はつぶれません。
第二代目になっても第一代目のサービスの徳が蓄えられているのでまだ其の家はつぶれません。
第三代目になるとだんだん初代の徳が失われまして中味のない形ばかりの富になって来ますから、
とうとう先祖からの家も売り払ってしまわなければならぬようになるのであります」<<
◆―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆

これは現在の私を取り巻く環境での【捉え方…】でいきますと【分派…皆様側】には、解釈としては、
都合のいい感じにもなりますでしょうか〜〜〜と??
ここで、私の【現総裁雅宣先生…擁護派】としての“解説論をと…”メスを入れてみたくなりましたが?

                               つづく

2163SAKURA:2013/03/31(日) 13:27:05 ID:q9UkkTZw
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんにちは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2041>>2042>>2044>>2045>>2046>>2048>>2050>>2068>>2069>>2115>>2118 >>2119>>2123
>>2124>>2143>>2158>>2159>>2162「女の浄土」投稿の続きです…。 が番外編です…。

>>2162 投稿の続きです…。

※一代目…本人の希望から立ち上がった“創立者…”自身ですから“心意気…”も入りますので当たり前!

※二代目…その“意志を受け継ぐ”事に【焦点…】を置き、又はその事に重点を置きすぎて行きますから、
一応は、二代目が一番大事になのです〜〜〜ョネ!!また、その時点で、将来性とかを考慮した方針を…
それが企業方針とします場合には、その変換期での行動・組織力を再編成となり、その方向で進む事と
したら〜〜〜???果たして、それが途中段階〜〜〜になったり?内部抗争(派閥…)が生じました場合?

※三代目…かなりの【頭脳明晰力!!判断力!!】つまり思いきった「改革」が必要になるのではと…?

■さて!!此処で「雅春先生の言葉」…下記の投稿文の中から〜〜〜

>>第三代目になるとだんだん初代の徳が失われまして中味のない形ばかりの富になって来ますから、
とうとう先祖からの家も売り払ってしまわなければならぬようになるのであります。
◆――−−―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆

これは「三代目…の立場」は、確かに!世間一般でも、このような状態は多いカモしれません。…が?
「2代目…」の残された方針の【あとかたずけ…】が〜〜〜〜〜〜〜
「三代目…」に、否応なしに降りかかってきますから、かなりの【頭脳明瞭…冷静な判断】のある人物が
受け継がないと〜〜〜ダメでしょうかしら〜〜〜ン!!❤【徳川時代の…家光でしょうか?】今日!
私達の「現総裁雅宣先生…」は、いろんな角度での“思考…”を入れ込みながら【組織再編成…】かと。
当に…「石橋を叩いて渡る…」此の心境ながら〜〜〜の【思考錯誤…】では〜〜〜?思うのです。

それでも【真理…】への完成度は、時代背景を考慮の上、前以上に“理解…”出来るのですから【不思議】
なので〜〜〜す。さらに『先祖供養…』もこの頃では、その「聖教読誦…」に際しまして…今の私どもを
取り巻く「地球環境問題…」を含めまして【ご先祖様…】に対しましては、私の“想い…”を込めて〜〜〜
【大自然賛歌…】も読誦させて頂いております。…が?それは、それなりに「良き事…」が、現在では、
大なり〜小なり〜起きていますから【不思議…気分】なので〜〜〜す。!

そして、今回『貴康先生…のブログ』より、閲覧させて頂きながら【生命の実相15編からの引用…】を
拝読いたしましての“感想論…”は〜〜〜〜人それぞれの“捉え方”になりますでしょうかと。
                                   再合掌

PS:「トキ様」「観覧者の皆様」へ
思いますに「黒幕デザイナ−」の場合は〜〜〜【三代目…孫娘】に関しましてはどうなるのでしょうか?
今?一人で【SAKURA投稿>>2158>>2159の引き続き…】にて、今回の「三代目…」の在り方は〜かと。
色々考えさせられました次第です。…が?そして〜〜〜

最後になってしまいましたが…「a hope様」の本日の投稿言葉…ありがとうございます。『感謝…』

2164トキ:2013/04/01(月) 09:59:15 ID:Esid1Gs2
>>2163

 ご投稿、ありがとうございました。

 今時間がないので、後ほど投稿をします。

合掌 ありがとうございます

2165 NANCY:2013/04/01(月) 19:58:56 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ    「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635>>1639>>1643>>1766>>1778>>1829>>1877>>1880>>1890>>1918>>1931>>1942
>>1955>>1983>>1988>>1999>>2010>>2012>>2024>>2028>>2029>>2061>>2066>>2067
>>2083>>2116>>2117>>2129>>2134>>2135の投稿の続きです。

===【谷口 清超 先生 著】==============================

■恐怖心を取り去れ        その1
 人はいくら病気を恐れても、それによって病気に罹らなくなる訳ではな
い。それどころか「いつもカゼを引きやすい」と思って恐れおののいてい
る「厚着人間」は、かえってカゼを引いたり腹くだしをしたりして、青白
く痩せ細るのだ。ところが病気のことなど何も考えず、冬でも薄着で寒風
の中をいさましく働いたりスポーツをしたりしている人々は、かえって元
気一杯の人生を送る。

 これは「恐怖心」が人間の力を委縮させるからである。動物を見ても、
弱い動物は、ライオンのような強い動物にねらわれると、腰を抜かしたよ
うになって逃げられなくなる。勿論、人間も「腰を抜かす」。昔の人々はこ
んな臆病者を「腰抜け武士」といって嘲ったものだ。

 原則は全て同じであるから、「敵」と見なされる相手が人間でも、ウィル
スでも、細菌でも、気温でも、ほこりでも花粉でも、同じことである。人
によると「戦争」を恐怖させると、戦争が起らなくなると考え、その恐ろ
しさばかりを強調して「軍備などは持たないのがよい」と主張する。しか
しこの考えは間違っていて、戦争をおそれると、戦争にならないのではな
く、「強敵には戦わずして侵略される」という結果が起り、丁度ライオンの
前で小動物が腰を抜かすような恰好になるのだ。

 即ちこれ一種の「腰抜け主義」であって、昔の武士の最も軽蔑した心情
だ。が今はそのような人々が「平和主義者」だと言われる。しかしながら
本当の平和は、国民が他国から支配され、自由にされるような腰抜けの姿
ではなく、自らが自らの主人公であり、自由自在であるところの「独立の
平和」である。そのためには「戦争を恐怖させる」方法をとるのはまずい
方策で、逆に「人間は神の子であるから死なない」ことを教え、一切の恐
怖心をとりはらうに越したことはない。
 
                   つづく

2166 NANCY:2013/04/01(月) 20:00:51 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ    「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635>>1639>>1643>>1766>>1778>>1829>>1877>>1880>>1890>>1918>>1931>>1942
>>1955>>1983>>1988>>1999>>2010>>2012>>2024>>2028>>2029>>2061>>2066>>2067
>>2083>>2116>>2117>>2129>>2134>>2135>>2165の投稿の続きです。

■恐怖心を取り去れ   その2
>>こうして真に人間が自由自在な「神性」そのものであり、「死なないも
の」と分ったならば、恐怖心から抜け出し、生命力が充実し、病気にも罹
らず、落第も失敗もおそれず、人々のつまらぬ噂にも動じない「無為の真
人」が誕生する。こうなるとどこにも敵はなく、自由自在であり、天衣無
縫である。自由であるから、妙な過去の行きがかりにとらわれることな
く、適当な判断を下して人生の勝利者となることが出来る。
 
このような人間が政治をとるならば、彼の政策は当然日本にとって一番
ふさわしく安全な政策をとりうるのであって「相手を怒らせないためには
非武装の方がよい」などというオドオド理論は通用しない。一%のワクを
こえた防衛費ならどうの、こえないとあぶないのという、タワケタことを
言わない。愛するに「雨がふれば傘をさし、天気になれば傘をささぬ」よ
うなあたり前の自衛策が自由に取れる筈である。   (抜粋投稿)
                            『幸せへのパスポ−ト』より
============================================== 

PS: 「トキ様」「観覧者の皆様」へ
■【恐怖心…】これは、人間の「心の悪魔〜〜〜の1つ」なのでしょうか〜〜〜〜と。

確かに?心が「恐怖…」を抱きますと……体も全て「委縮…」いてしまいます〜〜〜ョネ!
当然ながら、前に!前に!進むことは出来ませんモノ。当に【無用の産物…】ですかと。
そして…過去を振り向く事は…ある面そればかりを誇示し!執着!…これらは同様に【心の悪魔…】
が、その人の心に充満して【恐怖心…種】を、同じように植え付けますかと?思うので〜〜〜す。

例えば〜〜〜「嫌な出来事」に遭遇しますと〜〜〜そればかりを捕まえての“話題性…”になり、
そうしますと此処最近では?その解決策を“ア〜〜〜ダ!コ〜〜〜ダ!”時間ばかりが過ぎて…
そこで堂々巡りになってしまい、本当に【停滞…】という表現が“ピッタリ感〜♫〜”このような
事を〜〜〜皆様も、一度は体験されましかと?思うので〜〜〜すが?

このように【向上心…】これは、人間の「明るい〜〜光を求めての心〜〜」から来るものですョネ!
❤【 夢 … 実 現 】に向けて〜〜〜勿論の事ながら〜〜〜思考はプラスへかと。そして、
【前進!前進!……】には、自分自身への“讃嘆…”勿論の事ですが〜〜〜相手への“讃嘆…”が
必ずや【自 信…】を作り出しまして、それにては、新たなる“パワ−”を頂きますかと。

処で?「現代社会…」に置きましては?政治面・経済面・社会面……多々なる事件が多い昨今です。
そして「ゴシップ…」「噂…」……により「心のコントロ−ル」が?上手くいかず><
その様な時こそ…本日の「清超先生…の言葉」心に刻み〜♫〜

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
■>人々のつまらぬ噂にも動じない「無為の真人」が誕生する。こうなるとどこにも敵はなく、
自由自在であり、天衣無縫である。自由であるから、妙な過去の行きがかりにとらわれること
なく、適当な判断を下して人生の勝利者となることが出来る。<(抜粋の言葉…)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

❤今回!「心配・不安・恐怖…ネガティブ感情」の前に【思考力を前向きに強く】かと思いました。
                                再合掌
PPS:「トキ様」へ 
大変遅くなりましたが〜〜〜「>>2157のお返事…」ありがとうございました…。

2167a hope:2013/04/02(火) 06:10:09 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十三章 こうして富をつくりましょう

◆生活のためになるもの

富と云うものは、「生活の為になるもの」を云うのであります。
通用しない紙幣や、鼻紙にもならないお札などは富ではないのであります。

お札が「富」と考えられるのは「生活のためになるもの」買うことができるからであります。
生活のためになるものが買えなくなるとお札は富ではなくなるのであります。

だから「富」とは「生活のためになるもの」であることが分かります。
したがって「富」を得るには「生活のためになるもの」を与えれば、
生活のためになるものを与えられることになります。

すなわち人のためになるものを、此の世の中に送り出せば送り出すほど、
その人は「富」を与えられることになるのであります。

だから「生活のためになるもの」を送り出さないでいて、ただ正直ばかりでは富は出来ません。
いわんや、サボタージュやストライキで「生活のためになるもの」を
造り出すことをやめていては富は出来っこありません。

またいくら働いても、多くの人の生活のためになるものを作り出さない働きでは富は出来ません。
(つづく)

2168 SAKURA:2013/04/02(火) 18:24:12 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2041>>2042>>2044>>2045>>2046>>2048>>2050>>2068>>2069>>2115>>2118 >>2119>>2123
>>2124>>2143>>2158>>2159>>2162>>2163「女の浄土」投稿の続きです…。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    
――――― 【 第七章  あなたが繁栄を得るために 】―――――

■ “與へる” と “受ける” との調和で宇宙は成り立ってゐる

この世界は、“與へる” と “受ける” との二つの法則、男性原理と女性原理の調和した組み合わせ
によって成立ってゐるのであるから、 いくら清潔であらうとも、 女性ぎらひでは子供が出来ないと
同様に “受ける” ことを 潔しとしない人は富むことはできない。大いに受けて、それを更に與へて
(出資して)文化の創造に役立たせるのが富を産みだす根本となるのである。 “富”の創造は文化の
創造とつながらなければならないのであって、単に物資を積んで置くことが “富” の創造ではないの
である。  (抜粋投稿)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

PS:「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ
■【 “與へる” と “受ける” 】との「二つの法則」の組み合わせで、成立しているのです…ネ!
此処で「雅春先生」の❤【男女の解説論…】でオモシロイ!と思います。…が?逆に、私達の経験から行き
ますと「組み合わせ…」でも〜〜〜「無理…」に合わせる必要もなきにしもあらずのではと〜〜〜?誰に対
しても「はつぽう系…」は、どうなんでしょう〜〜〜ネ??正直申しますと、

❤【 意 志 表 示 】は必要ではないのでしょうか〜〜〜??

さて、個人的になりますが、今でも、「嫌な吸血鬼・ゾンビ…達」は、見るだけでも“背筋が凍って”しま
います。…が?最初は、このような感情は無く、いつもの感じでの“挨拶・接触…”ですが?
相手との思考感・行動〜〜〜が?どう考えてみましても“合わない事”・“嫌な行動…”を第三者にされます
と、これは〜〜〜もう【調和の世界…】ではないですョ!!「尾行…」は本当にスゴイ〜〜〜です。><

今日も“タタキ男?の奥さん”なのでしょうか〜〜〜「隣のマンション…」から出勤途中にて、突如?と
申しますか…出てきました。何度も表現しますが「も〜〜〜う!見るだけでも気分の悪い姿・形…です。」
このように【受け入れる=受け入れられない!!】は、「かみあわない者同志…」では【二つの法則…】
から成立しない事でしょう!!そうしますと、この対応策は〜〜〜?このように考えますと、ここで「切る」
つまり「遮断する事…」も、時と!!場合!!により必要なのではと、思います。…が?私も【過去の問題】
で、今では【 後 悔 】の一言に尽きますでしょうかと。当時の私を取り巻く環境から、それを
“導く大人〜〜〜”が余りにも、いなかったのではと思います。…が?一見「吸血鬼・ゾンビ達…」をみて
あまりにも“表面上に惑わす事”が〜〜〜多い連中のようですかと。【唯物論的…でしょうか?】

■まずは【外見で判断する…】前に❤【中身=心を見る事では…】とそれを、どうやって見極めるかが??
【問 題】でしょうか。それは【祈り…神想観】という事につきますでしょうか?
ひたすら〜ひたすら〜【心を神にむけて…「祈り…」に徹しますと、正しい導きが訪れてきますかと。!!】

❤私は今は「ひたすら神にむけて…祈り」を、日々の“行”としていますが〜〜〜
これも【二 つの 法 則】から成り立つのでは、この様に思いますが〜〜〜??  再合掌

PPS:
此の事は「生長の家…お家騒動」に関しても、結びつけての【判 断 を 下 す】事にもなるのでは?

2169うのはな:2013/04/02(火) 19:33:43 ID:yeY/9TTw

 『生命の實相』をより深く読むために (谷口雅春先生著『生命の實相』頭注版全四〇巻索引)

       はじめに 

  本書は、宗教法人「生長の家」の創始者、谷口雅春先生が著された『生命の實相』頭注版全四〇巻の内容を、
 人生のそれぞれの問題に応じた見出し語によって索引できるようにしたものである。
 『生命の實相』は、宗教のみならず、哲学・芸術・経済・健康・教育など、人生のあらゆる問題に対しての理解、および解決の方法が
 説かれており、われわれが幸福になるための、日常生活における貴重な指南書になると思われる。

 『生命の實相』においては、これらの問題に対する解答が、人に応じ場合に応じて、それぞれ異なった表現で、あるいは全く逆の表現で説かれて
 いることがある。このことについて『生命の實相』の中で、例えば第三〇巻二九〇頁にはつぎのように書かれている。
 ある時には、「病気本来なし」と哲学的実在論にによって単刀直入に病気の存在を否定する。

病気もよいじゃありませんか。痛いのは治る働きですよ。その痛さに感謝なさいよ。」こう言うこともある。
 これは悟りに導くための方便自在なのです、ある時はまた、「あなたはお医者さんに行きなさいよ」と言うこともある。
 いろいろの相手に従っていろいろに説き方が変わってくるのです。

 ある一人に言ったことを横合いから観て、それがいつも真理であると思っているとまちがいなのです。
 真理には絶対的真理と相対的真理があります。相対的真理というのはその時の相手にとって相応するように真理を薄めて説く。
 「病気が無い」というのは絶対的真理すなわち第一義諦で、「病気は心の持ち方で生ずる」というのは相対的真理であります。
 従って、問題を誤りなく理解するためには、いろいろの場合を参照することが望ましく、本書はできるだけ同種の項目を整理しまとめる
 よう心がけた。

 また『生命の實相』においては、それぞれの文章が極めて緊密に構成されており、ある文章の深い意味を把握するためには、その前後の文章を
 広く読む必要がある。本書の見出し語は『生命の實相』のそれぞれのページにおけるキーワードと思われるものを選んだが、これに関する文章は、数行の場合もあり
 また数頁に及ぶものもある。少なくともこの文章を含む一節、できれば一章すべてを読むことが望ましい。

 なお見出し語の下の数字、例えば[一・は七]は第一巻のはしがき七頁を示し、[三・五九]は第三巻五十九頁を示す。
 また見出し語の中に複雑な漢字(第2水準漢字)がある場合は、これを平仮名で代用した。

 発行 平成二年十二月二十七日  著者 加納正義

2170トキ:2013/04/02(火) 19:39:32 ID:hzOGmLpM
>>2160

 そういう本があるのははじめて知りました。

ご紹介、ありがとございました。

合掌 ありがとうございます

2171a hope:2013/04/03(水) 07:43:38 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十三章 こうして富をつくりましょう

◆出来るだけ多くの人を喜ばせよ

富もうと思うものは、出来るだけ多くの人々の「生活のためになるもの」
を発明し、制作し、それを売出せば好いのであります。

十人の人を喜ばすものを作れば、十人の人の喜びがその報酬(むくい)として吾々に与えられて来るでしょう。
万人の人を喜ばすものを作れば、万人の喜びがその報酬として吾々に与えられてくるでしょう。

こちらから出しただけのものが与え返されてくるのであります。
それを知らぬ人は、与えないでいて、出来るだけ少なく与えて出来るだけ多く得ようとするのであります。

それでは泥棒根性であります。
奪おうとするものは奪われるのであります。

「奪い心」をこちらが出せば、向こうからも「奪う心」を起こすでしょう。
「与える心」をこちらが出せば、向こうからも与える心をおこすでしょう。

世界の戦争はみんな与える心で起こったのではありません。
奪う心で起こったのです。

とり合い、奪い合いの世界ほど、みぐるしいものはありません。
吾々はこれから与えられる心ばかりを起そうではありませんか。
(つづく)

2172a hope:2013/04/05(金) 06:46:28 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十三章 こうして富をつくりましょう

◆心の法則・因果の法則


此の世界は「心の法則」で支配されているのです。
これを「因果の法則」と云うのです。

「原因あれば結果あり」の法則であります。
原因の「因」と云う字と、結果の「果」と云う字と二つ合わせて「因果の法則」と云うのです。

与えた通りに与えられるのです。
こちらがAKの波長を起せばAKの放送がかかって来るのです。
こちらがBKの波長を起せばBKの放送がかかって来るのです。

自分が波を起した真空管は小さくとも、同じ波長のものが皆かかって来て、あらわれて来ますから、
こちらが悪い心の波長を起せば、悪い波長が続々とかかって来て、面白くないことが続々と起ってまいります。

運がかたむいて来たと云う人が、親が死ぬ、子が死ぬ、損をする等、
色々禄でもないことが次へ次へと起ってくるのはそのためです。

運の好いと云う人が、お金は儲かる、子供は達者、成績は好い、家じゅう御機嫌がよいなどと云うのは、
その人の心の波が「好運」のところに波長が合っていますから次から次へと好運がやってくるのであります。
(つづく)

2173 NANCY:2013/04/05(金) 20:20:51 ID:BEUD3XFA

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===【谷口 清超 先生 著】==============================

■苦しみを楽しみに
人間は苦しいことがあっても、へこたれてはならない。平生楽な生活ばかりを送っていると、身も心も
ダラケてしまう。雪がふったといって、炬燵にあたってじっとしていては、仕事もできないし、身体も
弱ってしまう。
 そんな時、少しぐらい苦しくても、雪の中にとび出して作業すると、身体も丈夫になるし、仕事もはか
どる。「雪」を決して苦難だと思うな。

「わがものと 思えば軽し 笠の雪」
 というが、自分からすすんで「わがもの」とするとき、凡ての苦しみは、単なる苦悩ではなく、自分の
ための「訓練の道具」になるのである。
 
ある雪のふる寒い日、私は早朝本部へ行くために歩いて、いつも通る四つ角に出た。そこはいつも見なれ
た大通り(神宮前交叉点)だが、その日は特別美しくみえた。雪が一切のきたないものを蔽い隠したから
である。
 「居ながらにして、北欧に行ったようだ」
と思いながら、赤信号が青信号に変わるのを待っていた。この信号も、私が交叉点へ来た時丁度赤になった
ので、永い間待っていなければならない。寒い風の中で「待たされる」と思えば面白くないが、
「丁度よいぐあいに、雪景色をながめる時間が与えられた」
 と思えば、すこしも永くはない。むしろ、短すぎるくらいだ。私はその日、雪がふったので、いつもより
早く家を出た。その時、
「どうして、今日は、早く出るんですか」
と家内はいぶかしがったが、雪がふるからと答えた。そうすれば、雪の日が一層気持よいし、途中で少々の
おくれがあっても、いつもと同じころ目的地へつける。
 いやなことがあったら、それを進んで「よいこと」に変えればよい。永い人生では、色々のことがある。
それらすべてを「よいこと」に変える力が、吾々にはある。心が主人公であり、心に従ってどうにでも
変って行くからである。
 
たとえば、病気になって、熱が出たとしよう。その時、熱が出た、いやだなあ――と思うだけではダメ
だ。そうじゃない。
「熱が出た。今、私の内の自然療能力が働き、最も能率よく活動し出したのだ」
 と思え。熱は自然(神)が用意して下さった万能薬なのだ。どんな病気をも治して下さる働きをもってい
るのが「熱」である。それが、今働き出した。
 「ああ、有難い、万能治療機が動き出した」
 と感謝しなければならない。多少、寒けがしたり、身体が重かったりするだろう。しかし、それでよく
なって行く。見せかけの苦しみは、すべて治そう、一層よくしようとする働きなのであるから。
                                  『幸せへのパスポ−ト』から
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

■>>いやなことがあったら、それを進んで「よいこと」に変えればよい。永い人生では、色々のことが
ある。それらすべてを「よいこと」に変える力が、吾々にはある。心が主人公であり、心に従ってどうに
でも変って行くからである。<<  (一部抜粋)

本日の上記の“言葉…”は、まさしく『心の切り替えスイッチ…』つまり、「ポジティブ=よいこと…」へと
いう・・・この素晴らしい“パワ−”が、各々に備わっている。それを「実行…」するのが、吾々に課され
たモノであり……本当に『 プラス思考 』をすることは〜〜〜前へ!前へ!進む起動力かと。

時には?忘れてしまいそうな〜〜〜?><
どうしても、自分を取り巻く“環境…”に負けそうな時?「この先生の御文章」を思い出しまして、常に
『善きこと…プラス思考』に転換出来ます私自身である事を…自覚しまして“行”じて行きたいと思います。
当に【心 の 法 則】で〜〜〜すネ!!!
                                      再合掌

PS:個人的には?当時の「2代目総裁清超先生の…心境」……
>>雪が一切のきたないものを蔽い隠したからである。…云々…<<此処の言葉に、云い知れぬ“苦悩”が、
「トップ」としての第三者に云えぬ“孤独感”とか〜〜〜が?何となく感じられるモノが〜〜ありますかと。

2174SAKURA:2013/04/07(日) 20:35:33 ID:xF5rKKA.
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2041>>2042>>2044>>2045>>2046>>2048>>2050>>2068>>2069>>2115>>2118 >>2119>>2123
>>2124>>2143>>2158>>2159>>2162>>2163>>2168>>「女の浄土」投稿の続きです…。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    
――――― 【 第七章  あなたが繁栄を得るために 】―――――

■ 貸しアパ−ト経営者の実例    その①

 「與へよ、さらば與へられん」の法則の實現であるとしてユニティではその機関誌に次のやうな実
例を挙げてゐるのである。

 フロリダ州バ−ム・ビ−チの或る貸しアパ−ト経営者の話である。彼は、海水浴客を宿泊させるた
めのアパ−トを持ってゐた。しかもそれはワ−ス湖と大西洋に面する海岸との中間といふ實に理想的
な位置にあって、湖岸にも、海岸にもどちらにも行ける極めて便利な處(ところ)に位置してあるの
だけれども、一向に宿泊者が得られないのであった。彼は現象的にはお客が得られるやうに随分宣傳
(せんでん)をしてみたけれども全然効果がなかったのであった。ところが彼は或る日ユニティ教会
で催される「繁昌のための講習會」があるといふことをきいて、その講習會に於て、繁栄のための第
一法則は、「與へよ、さらば與へられん」の大法則であることを教えられたのである。彼は自分が今ま
で、“儲ける”ことばかりを考へて、“與へる”ことを忘れてゐたことに気がついた。自分のアパ−ト
に季節に拘らず海水浴客が集まらないのは、供給の本源へのパイプを“與へる”といふ行動によって
栓をねじ開いてゐなかったためだったと気がついたのであった。

                              つづく

2175SAKURA:2013/04/07(日) 20:37:50 ID:xF5rKKA.
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2041>>2042>>2044>>2045>>2046>>2048>>2050>>2068>>2069>>2115>>2118 >>2119>>2123
>>2124>>2143>>2158>>2159>>2162>>2163>>2168>>2174「女の浄土」投稿の続きです…。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    
――――― 【 第七章  あなたが繁栄を得るために 】―――――

■ 貸しアパ−ト経営者の実例    その②

>>2174その①の投稿の続きです…。
 彼は、「何を誰に與へたらよいのだろうか」と考へた。彼の心の中に「與へよう」といふ気が動い
たのである。心は無線電信よりも速かに通ずるものなのである。恰も彼の“與へよう”といふ決心
に應(こた)へるものの如く、郊外に住んでゐる一組の友だちから、「この暑中休暇にバ−ム・ビ
−チへ往きたいのだが、好い宿を世話して貰へないか」といふ電話がかかって来たのであった。そ
こで彼は自分のアパ−トの貸室でない部屋の方を無料で提供して友達にサ−ビスすることにしたので
あった。それ以来、彼のアパ−トの貸室は、その季節の前後ズ−ッと満員つづきの盛況であった。ど
うしてそれまで客が来ないかが不思議な位であった。やっぱり“與へる”といふ繁栄の法則が其処に
働いてゐるとみるほかはないのである。                  
                                  つづく

PS:「トキ様」・「観覧者の皆様」へ
【與へる〜〜〜?】何を“與へる”べきか?今の私にとりましては、いったいなんなのでしょうか〜〜〜??
私達の世代は、この閲覧して頂きます皆様の中にも御存じの通り「日教組に教育…」されていますから、
「與へる事…」は、まず!「自分自身を喜ばす事?」もしくは「同じ仲間たちの共有性?」でしょうかと?
広い観点の視点は〜〜〜何処まで出来ますのでしょうか??

近頃“ニュ―ス”では60代からでの死亡説が多いですョネ??これは、何故こんなにも多いのかしら〜〜ン
と考えていくうちに、どうしても切り離せないモノは、やはり「教育…」からきている感じですかと。??
殆どの方は、自己中心者の世代にも見えますので、これは【業…の深い世代】とも云えるカモ???

■今回の事の発端は「社会事業団問題−−>著作権」を持ち去った事から始まるものなのでしょうか??
「社会事業団…」は、“著作権の権利”を持てば、それで永遠にやっていけるという感じでの行動かと。!

今回の書籍本から拝読していきますと、果たして、これは“正しい事…”なのでしょうか〜〜〜?><

私には、まず見えません!持ち去った“モノ”は、【與へる行動…が欠けている!】ようにも思えます。
「生長に家…」の原点は、まず“生活面に真理を活かす事”なのではないのですか。「著作権」を持ち去っ
てもそれを“活かす事…”は出来ないのです〜〜〜ョネ!【奪うモノは、奪われる…!】ここで、
持ち去られた後…なくしたものを、如何に生みだす作業が〜〜〜此処からが始まりですかと。
【無〜〜〜からの産物】が、今回「現総裁雅宣先生」には、お見受け致します。此処から〜〜〜♫〜〜〜
初めて【與へる作業…が出てきたのでは??】と思えてならないのです。【與へる事…】は、新しい進歩した
モノを生みだす作業にもみえます!!奪い取ったものは〜〜〜><何も生み出す“力…”はなく、ただ!
ただ!永遠に埋もれていくようなモノのように思えてなりません。!

❤ボンヤリ〜ボンヤリ〜考えながら…           再合掌

2178a hope:2013/04/08(月) 11:19:08 ID:6kIbHHgs
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十三章 こうして富をつくりましょう

◆信じても信じないでも法則は働く

「与えれば与えられる」と云う法則は貴方が信じようと信じまいと、知ろうと知るまいと、
そんなことは問題なく、貴方の生活にいつもその法則は行われているのであります。

それは地球の引力の法則と同じで、そんな法則があると知ろうが知るまいが
林檎が上から下へどこでも落ちると同じように、何処にでも行われているのであります。

若(も)し、貴方が欲しいものを得ることが出来なかったならば、それは誰の罪でもない。
貴方が他の人の欲しいものを与えたことがなかったか、与えることが少なかったに過ぎません。

天秤はその秤皿(おさら)に多くのせれば載せるほど下がるのです。
若しさがらなかったら、秤皿の上に何も与えなかったからにほかならないのです。

若し吾々が他(ひと)から与えられる事が少なければ自己が他に与えたことが少ないことを恥じなさい。

吾々は他から与えられることを考えるよりも、他にどうしたら与え得るか。
どうしたらサービスが完全に出来るか。
そのことばかり一生懸命に考えるようにしていたら好いのです。
(つづく)

2181SAKURA:2013/04/08(月) 20:31:02 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2124>>2143>>2158>>2159>>2162>>2163>>2168>>2174>>2175>> 「女の浄土」投稿の続きです…。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    
――――― 【 第七章  あなたが繁栄を得るために 】―――――

■ 貸しアパ−ト経営者の実例    その③

>>2174>>2175>>その①の投稿の続きです…。
 ユニティ教會の教への著者の一人であるガ−ドナ−・ハンディング氏の著に『神と偕に働きて』
(Working with God)といふ本がある。ガ−ドナ−は「與ヘよ、さらば與へられん」の法則を the
Law of come-back(応報の法則) として次のやうに書いてゐるのである。

 「今、あなたが何処にゐようとも、直ぐ今、其処で、何でもよい“善きもの”をあなたの最も近くに
ある人に與へ始めよ。そして、その與へる行動に対して最初に何が返つて来るかに頓箸(とんじゃく)す
ることなく、その與へる行動に対して最初に何が返って来るかに頓箸することなく、その與へる行動を毎
日續(つづ)けよ。實行せよ! 人にそれを語ること勿れ! その時、あなたは、あなたが悩んでゐる
問題が如何に深刻であろうとも、その問題がスラスラ解決に至ることを見るであらう。試みに實践してみ
たまへ。あなたはその結果に驚くであろう。……咽喉が渇いてたまらない時に、水をゴクゴクのどをなら
しながら飲むほどの熱心さで、忍耐強くその實践を續けよ。あなたは必ず報いを得る――到底、夢にだも
描かなかったやうな報いが必ず来るのである。誰でも、男でも、女でも、子供でも、與へることによって
事物の進行を一變(いっぺん)し、人生全體(じんせいぜんたい)を變貌(へんぼう)することができる
のである」

 このやうな事が書かれてゐるガ−ドナ−の著書『神と偕働きて』を読んで非常に感激した一人の實業家
の話を『繁栄』誌上にカサ−リン・ポンダ−女史は書いてゐるのである。

 それは第二次世界大戦の始まる少し前のことであった。彼は與へることの功徳を知るや、自分が思ひつ
く限りの色々の方面に與へることを始めたのであった。すると彼は或る晩、夢の中で、飛行機に使う特殊
の箸陸用のギヤ−のアイディアを得たのであった。彼は、その夢の中の箸想をもとにして箸陸用新型ギヤ
−を発明した。そして彼の発明したギヤ―は第二次世界戦争中、全世界の航空機に採用せられた。その後
も彼は人類に裨﨟(ひえき)する幾多の発明を行って、間もなく億万長者になってしまったのであった。
今も彼は、與へる、與へる、與へる――それをつづけてゐるのである。何故なら、これこそが繁栄の秘密
だと彼は悟ったからであった。なかにも彼は、自分がこの繁栄の原理を最初に知らしてくれたガ−ドナ−
の著書を知人その他に獻本(けんほん)すること数百冊、そして自分の所属する教會に巨額の維持費
や、敷地を寄付してゐるのである。

 ガ−ドナ−は言ふ「あなたは求むる事物は「自分の内」に既に今存在するのである」と。それを
「見える世界に導き出すための通路を開くのが「與へる」といふ行為なのである」と。

                         つづく

2182SAKURA:2013/04/08(月) 20:43:43 ID:BEUD3XFA

「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2124>>2143>>2158>>2159>>2162>>2163>>2168>>2174>>2175>>2181「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    
――――― 【 第七章  あなたが繁栄を得るために 】―――――

■ 貸しアパ−ト経営者の実例    その④
>>2181投稿の続きです…。

PS: 「トキ様」 「観覧者の皆様」 ヘ
■昨日!投稿しましたように【与える行為…】は、決して【奪う事ではない…】のです〜〜〜ョネ!
此処で、昨日の投稿の続きなのです。…が?

今!今!自分の“こころ…の願い”を現実世界=顕現世界に導くのが〜〜〜そうです【與へる事!!】ではと。
與へる!與へる!與へる!〜〜〜それを如何なる状況でありましょうとも続ける事が【繁栄の法則】!やはり、
考えますに、今回の【分派の皆様…行動は?】疑問に思いますかと。「社会事業団の行動」は、当然ながら
オカシイですし、「著作権」は、たまたま社会事業団の理事の方が〜〜〜勝手な判断にての行動したと?この
様にお聞きしていますが(こう表現しますと語弊がありましょうが?)なので、これはある面での視点から
判断しますと、その理由からでも【 人類の光明化運動 】という“基本方針…”を根底として考えてみま
しても〜〜変!で〜〜すかしら〜〜〜ン? ><
勝手に持ち出した「著作権…」を、たまたま〜〜〜当時の理事担当の方が〜〜〜更に次なる行動にへと!!
果たして?【一般信者…?への救済の行動】それまで、どのような想いにて、行動されていたのでしょうか?
それを、踏まえての“決定!行動!”に出られましたのでしょうか?〜〜〜此の点は、如何でしょうか?

当時の様子では「一般信者…」に対しては、傲慢な態度が伺えましたし?更に御自身は「選ばれた人間」との
自負があられた態度を、お見受け致しましたが?【奉 職 】とは〜〜〜なんと解釈すべきですかと。

更に「社会事業団」の中身は〜〜〜?私の記憶の中では「生命の実相」の冒頭に〜〜〜
「雅春先生の時代」は、あくまでも、戦後すぐとの時代背景からでしょうかと……?つまり【日本人…】
が対象ではなかったかと。果たして、現状は〜〜〜「海外?対象も……」なのでしょうか?それに、
人づてに耳に致しておりますのは〜〜〜その「理事…の方」が、「貴康先生の奥様のお姉様」に当たる方と…
つまり、その「理事…の方との結婚」…云々…とお聞きしています。…が?此の事は?どの様な影響が、
今後起きますかと考えますと〜〜〜ここが“オカシイ感じ”かと。何故なら…その「理事の方」の
【傲 慢 な る 態 度 …】を総本山の奉仕にて、目のあたりに見ておりましたので……

■何と言っても〜〜〜【法則…】に基づいた行動には、私には到底ながら、当時の事を回想しながらも
納得しかねます。…が?更に、此処でも何度も〜何度も〜投稿させて頂いておりますが〜〜〜
【 第一教区の元々元W会長 】は現在72歳前後なのでしょうか〜〜〜?この方の【お金の持ち出し】も!
❤この「莫大なる金額…」当然ながら【新し〜〜〜イ!分派の会…発足の資金源】にもなる位の金額…
結果的には【 教区のお金を奪う形に〜〜〜><】なるのです〜〜〜ョネ!!そのように考えていきますと?

【その後の「教区活動…」此の資金不足には〜〜〜信者の皆様方の一願となっての“大変なる努力”が??】
勿論…その後の「白鳩会長の…功績」は〜〜〜多大ですかと。

つづく

2183SAKURA:2013/04/08(月) 20:46:55 ID:BEUD3XFA
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「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    
――――― 【 第七章  あなたが繁栄を得るために 】―――――

■ 貸しアパ−ト経営者の実例    その⑤
>>2181>>2182投稿の続きです…。

■やはり【 “無…”からの出発は、創り出す原動力です!財産なのです!】

従いまして〜〜〜産み出すモノは、これは、これから見える世界=現実世界に現れてきますかと……!!
今回の『 現総裁雅宣先生 』の私ども信者に❤【與へて下さいました?作られました?“お経…”】は、
今後、形として【奇蹟…etc】 があらわれる事!!そこからが始まりになりますでしょうか〜〜〜♫

❤まだ!まだ!〜〜〜この【新しいお経…「観自在菩薩」・「大自然讃歌」の読誦】は始まったばかりです。
今!!スタ−ト地点です…。【勝利の道へのスタ−ト…】なのです。
それが?いばらの道であろうとも〜〜〜必ずや!【魂の向上…】に繋がる「成長への道…」です。

■■此処で〜〜〜「ガ−ドナ−氏の言葉」からも伺えますが〜〜〜

【見える世界につながる事は、云うまでもなく“導く原動力…”になるのです〜〜〜ョネ!今の私は、
今後の『生長の家…』の繁栄の道…この繁栄の通路をひらく“鍵…”になって行く事でしょう〜〜〜かと。】
この様に、確信しました次第です。…が?
                               再合掌

2184a hope:2013/04/09(火) 07:23:43 ID:6kIbHHgs
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十三章 こうして富をつくりましょう

◆暗い方を見ずに明るい方を見なさい

誰でも、自分は貧しい貧しいとこぼしながら金持ちになった人はありません。
そんな人も支払いをケチにして、少々位のお金をやめることはあるかもしれませんが、
相当立派な富豪になることなどは出来ません。

誰でも、いつも「自分は身体(からだ)が弱い」とこぼしながら立派な健康をもっている人はありません。
人は誰でも、自分がコトバで云うとおりの人間になるのです。

よく覚えて置きなさい。
何でも、悪い方、暗い方、不景気な方を見て、それを言葉で云ったり、心にとめてはいけません。

常に明るい方のみを、善い方のみを見て、それをコトバで云うことにし、心に思うことにしておれば、
世の中のことはそのとおりに善い方ばかりが出て来るのです。 
(つづく)

2186a hope:2013/04/11(木) 08:39:59 ID:6kIbHHgs
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十三章 こうして富をつくりましょう

◆常に自分を立派な者だと思いなさい

常に自分を立派なものだと思いなさい。
自分は神の子であって屹度(きっと)立派に成長すると信じなさい。

人間が立派になるには明るい心で常に、その「立派なこと」を心に思い続けるようにすることが必要なのです。
人間は常に心の中に持ちつづけている「思い」の通りの者になるのです。

そして心に常に思わぬように、忘れるようにしているものは、だんだんその姿を消してしまうのです。

悪い事を思いなさるな。
他(ひと)の悪い事を思いなさるな。
自分の悪い事をも思いなさるな。

善い事ばかりを思いなさい。
そうすると貴方の周囲(まわり)には善い事ばかりが集まってくるようになり、
自然と成績がよくなり、出世し、幸福になるものなのです。
(つづく)

2188SAKURA:2013/04/11(木) 22:06:43 ID:BEUD3XFA
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「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    
――――― 【 第七章  あなたが繁栄を得るために 】―――――

■ 真理の本を “與へる” 功徳はこのやうに
 最近、三十年来の熱心な誌友である磯三喜代さんから御手紙を頂いた。この人は夫婦揃って懸命
に、真理の本を獻本して、隠れたる處で、多くの人々を救ってゐられる人なのである。その手紙の一
節には次のやうな功徳が書かれてゐる。

『……日頃は直接組織活動に餘り(あまり)大きく働いてをりませんが、私共夫婦の人間関係と交際を通じ
て、その一人一人を片っ端から真理に直接させて頂く運動には火の様な情熱をかけて毎日過してをり
ます。否、そうせざるを得ないのです」 このようにして磯さんは、真理を “與へる“ 布施行(愛行ともいう) 
を実践しておられるのであるが、すると、自然に磯さんの仕事の方が発展して来ることになるのであった。
磯さんは続いてつぎのように書いていられる……

『一方私は仕事にかけての情熱も又三十年になるのでございます。好きな音楽を通じ長女の幼児ピアノ
指導を手始めに、この導入の段階のみを見つめて三十年、必要にせまれつつ、数年前、 “幼児ピアノ・
レッスン“ 書を纏めました所、文部省真篠先生の推薦によって、数年前、全音楽譜社から出版されたわ
けでありますが、指導上に真理を当てはめて見て、驚く体験ばかりさせて頂いてをります。その要点を
書きますと、

                                            つづく

2189SAKURA:2013/04/11(木) 22:37:50 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2041>>2042>>2044>>2045>>2046>>2048>>2050>>2068>>2069>>2115>>2118 >>2119>>2123
>>2124>>2143>>2158>>2159>>2162>>2163>>2168>>2174>>2175>>2181>>2182>>2183>>2188
「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    
――――― 【 第七章  あなたが繁栄を得るために 】―――――

■ 真理の本を “與へる” 功徳はこのに   その①〜②に入ります。

一、 中心を固定して教える事
上五線と下五線の間に実はもう一本の中心の線があって之が盲線になっているために、子供がこの盲点
にひっかって苦しむのでありますが、中央を復元して楽器の中心に固定さして教えると初めてはっきりと
理解して行くわけでありますが、折角始めたピアノを中断している子供の多くが大抵この點(てん)に行き
づまってゐるのを救い出す方法でもあるわけですが、これだけでも真理なるかなとうなづけます。
                                      つづく

2190SAKURA:2013/04/11(木) 23:03:45 ID:BEUD3XFA
「管理人 トキ様」 へ   
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2041>>2042>>2044>>2045>>2046>>2048>>2050>>2068>>2069>>2115>>2118 >>2119>>2123
>>2124>>2143>>2158>>2159>>2162>>2163>>2168>>2174>>2175>>2181>>2182>>2183>>2188
>>2189>>「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    

■□「管理人 トキ様」 ヘ 
【22時37分前後の事です…】不思議な現象なのです。…が?
※此処で投稿するのは、この「ボ−ド板」の主旨に相反しますが、実は、前回もありましたのですが
此処にて、「女の浄土」の原文を投稿させて頂いておりますが〜〜〜御承知の事と思います。…が?

■【N G エラ−】の“メッセ−ジ”が、何度!投稿しても…

今回の投稿は>>2188>>2189に続き【原文…文章の投稿のみ】なのです。…が?此の事は、オカシイのでは!
のではないのでしょうかと思いつつ?(今回は、解釈論は投稿内容としては記載しておりませんでしたが)
【雅春先生…】の御文章が〜〜〜 「ネット上には?投稿無理」という事でしょうか?
此の件の【理由…】を、参考までに…お知らせくださいますと…幸いです。宜しくお願い致します…。

                            再合掌

PS:尚…投稿が【聖典板…】に入力不能でしたので【小項目…】にての投稿となりました次第です。…が?
この続きがありますので〜〜〜理解しがたい“現象…”です。(今までは、旧かなづかいも投稿できており?)

2191SAKURA:2013/04/12(金) 00:53:17 ID:BEUD3XFA
「管理人 トキ様」 へ
こんばんは…… ローマ字(大文字)の【SAKURA】 で〜〜〜す。
此処で【問 題 発 生…解 決 糸 口! 】で〜〜〜す。…が?
【別板…】にて…多々なる「TEST投稿…」を、【「まじめな話」板】そして【ひとり言板】にて、投稿させて頂きました。
◆……………………………………………………………………………………………………◆
二 誉め言葉を使う事
浴びせかける○○に注ぐのですが〜〜〜  (テストの言葉…) 但し【「まじめな話」板>> 699の投稿から】
◆……………………………………………………………………………………………………◆

此処で【 「まじめな話」板>>695>>696>>697>>698>>699 】 に、関しましては、
昨日『本板…聖典引用』にて…【問題発生…】が生じまして…詳細は下記にてURL…記載しております。
此処で昨晩(URL…下記)のことですが…投稿しておりますと ❤『  NG が発生 』なのです…。何度も!
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2188
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2189
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2190

§§この中の『言葉…』なのですが〜〜〜まさか?まさか?「雅春先生…言葉」で〜〜〜><
二 誉め言葉を使う事…

浴びせかける??????  (テストの言葉…) この部分の○○――>「 よう 」という日本語
この言葉が〜〜〜【 NG 】 になります…。
この事は…【別板…多々なるTEST】 をさせて頂きまして…判明しましたが〜〜〜??

別板にて…此の○○にして【再投稿…】致しますと…【投稿ができました…(下記URL…参照) 】
変ですかと??思うのですが〜〜〜??
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11788/1343270550/3265

◆◆ 今後は【〜〜〜よう】という言葉…変に思いませんか??【不思議発見…】
それとも〜〜〜【イジメ!!…】になるのでしょうか????

最終的には…「現総裁雅宣先生」のおっしゃいますように
❤「雅春先生の言葉」…現代に通用しない“言葉づかい” も〜〜〜という事になりますのでしょうか??
ヘン〜〜〜ですネ??
                                   再合掌

2192【開業日の特恵の活動情報】:2013/04/12(金) 00:59:55 ID:9jzMTzUk
【開業日の特恵の活動情報】

http://www.bagv5.com

2193SAKURA:2013/04/12(金) 05:46:21 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 ・  「観覧者の皆様」 へ
おはようございます…。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■今回の【 NG 問題 に関して 】 >> 2191の続きですが……

下記にて【 NG 機能の変わった使い方 】参考にしながら〜〜〜 (URL… 参照)
http://dic.nicovideo.jp/a/ng%E6%A9%9F%E8%83%BD

思うのですが??? 「管理人 トキ様」へ

1)「NGユ−ザID 」これに関しましては?
この頃この中の【うのはな様…】のIDはほとんど投稿の全てと言いますか?【異なる…ID】 ですかと。
そうしますと…上記資料から…今回の私の【ID…】に関しては、2種類ですから 、容易にこの操作にて
【NG…操作】が可能かと〜〜〜判断ができますでしょうか??
これでは、今後の【ID…が明確に認識されている相手】に関しては、この処置が可能でしょうかと。??

2)更に今回の「雅春先生…」の言葉〜〜〜○○――>よう
この言葉が…【NG 問題 対象?】かと…いうことになりました。
しかも、もっとオモシロイ事に、“ふ”に落ちませんこの通常、誰しもが使用する頻度?の“言葉…”
此の事が【 NGコマンド all 】対象なのでしょうか??

■思うのですが〜〜〜まだしも、その前の「雅春先生の言葉」−―>浴びせかける
上記の言葉ですと…解釈論が「批判的…」「罵倒する言葉…」この様に検索しますと、明記されていました。
これに関し〜〜〜「浴びせかける」此の言葉づかいに対しましての【NG 問題…】でしたら、理解できます。
…が?
ところで…実は、以前も同じような事がありまして、それに関しては、当時何とか「対処法…」にて、
巧く処置ができましたのですが〜〜〜
今回の内容は「2チャンネル…内部」での〜〜〜ことなのでしょうかとの『推測』に至るのですいが?

此処で思いますに【末端信者にはこの様にしていいということなのでしょうか〜〜〜?】
「雅春先生」時代からの、献金斜陽族としては不満に思いますが???
この件を、ご多忙と存じますが…お知らせくださいますと幸いです…。
尚「管理人 トキ様」も複数いらっしゃるとの事を(5人?)此処の投稿者様が、おっしゃつていましたが?

                           再合掌

2194a hope:2013/04/12(金) 07:40:25 ID:6kIbHHgs
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十三章 こうして富をつくりましょう

◆善い考えの次には善い実行を

心に常に善い事を思い、善い事が来ると予想し、自分は必ずよくなると考え、
自分の家や会社や工場は必ずよくなると信じているならば、その人は必ず、
毎日が愉快な人であり、楽しい人であり、幸福な人であり、前途(ゆくさき)必ず伸びる人なのです。

然し(しかし)心でそう思ったり信じたりするだけでは、まだ足りないのです。
信じたとおりにその計画や仕事を実行することが大切です。
善い考えを起こしても、ただ、じっとして考えているだけでは物事は出来ません。

ニュー・ヨークの一番よく売れる店にしても、「繁昌(はんじょう)のこと」をしゃべっているだけで、
良い品物を仕入れず、買いに来ても売りもせず、店の掃除もせずにいたら、結局其の店は繁昌しないことになると思います。

では出世したり、繁昌したりする本(もと)は、よいことを考えること、
その善い考えで、うれしくて、明るくなって、物事をチャンチャンと実行することにあるのです。
(つづく)

2195SAKURA:2013/04/12(金) 16:12:33 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 ・ 「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。    

■今回の【 NG 問題 に関して『聖典引用 板』投稿の件 】
>>2191>>2193>>【聖典板…】の続きなのですが? この場にて、一言おことわり申し上げます…。

私事ですが…「聖典引用 板」に下記投稿内容を…記載しますのは恐縮ですが〜〜
『 NG問題…言葉? 』に問題がありますならば…今後の「雅春先生…書籍本」投稿に関しても
関わるモノかと思いまして…今回は此処にて投稿させて頂きます事をご了承の程、御願い申し上げます。
                         
再合掌

2196SAKURA:2013/04/12(金) 16:27:14 ID:BEUD3XFA

「トキ様」 ・ 「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。    ― その1―
■今回の【 NG 問題 に関して『聖典引用 板』投稿の件 】
>>2191>>2193>>2195>>【聖典板…】の続きですが……

昨日から、“キツネ!”につかまれた感じですが……? 今回の出来事…は、どのように考え直しても
オカシイ現象ではと、思います。実は此の【 NG 問題 】は、以前もありその時は対処できました。
処で…昨日は、いつもの調子で〜軽いタッチにての“投稿…”をさせて頂きましょうかと。
それは、【 聖典引用 板 】なのです。…が?何時ものように、一昨日も投稿が“重い文章…”になり
ましたでしょうか??正直申しますと…
「雅春先生のご文章」は、正確に「旧かな遣い」・「旧漢字…」にての投稿をする上では、個人的ですが?
結構!キーボードを打つ上でも、大変なので〜〜〜す。…が? フ〜〜〜ゥ!><

そのような時でも……これは私に課された「勉強…」でしょうかと、ツイツイ学生時代を思い出しながら
「口語・現代語」…etcあの頃の私〜〜〜逆戻りですから?それでも今日では「知識を頂く事の楽しさ」
と云いましょうか〜〜〜一つ一つ新しい物事との出会いは、実に新鮮で躍動力になりますでしょうかと。
そして、いつものように“投稿…”しますと、【 NG問題 】が発生なのです。“緊急事態”……

何度も〜何度も〜何度も〜【その言葉… NG】が画面上に出るのです。それで、以前の知識を頼りながら
【NG…発生】は、「文体にひわいな文章・言葉」があるのかしら〜〜〜ン!と再度見直し…?
まず『旧漢字・旧かな遣い』ですから?最初に、脳裏に引っかかりましたのが『旧かな遣い』なのかしら
〜〜〜ンと…『現代かな』に切り替えて再投稿に挑戦!!〜〜〜でも!又〜又〜又〜現れる【NG…】
何か、こらが悪い事をしたのかしら〜〜〜ン!といった感じに、思わずにはいられない気持ちが心の片隅
に浮かんできましたのです。段々〜〜〜と非常に気分が悪く???そうこうしていますと、フト!!
「うのはな様」が、まるで私に対しての『脅しの文章?言葉?』の投稿があり、その時、瞬時の閲覧にて
非常に気分を害した事を思い出し〜〜〜【何か嫌な出来事が〜〜〜起きるのか?或いは、故意に何かを
擁護派の私に対しするのかしら〜〜〜ン】と思いましたのです。思い出しますと【2チャンネル…投稿】
の各板の中に【“本流板”から“女子会板”に、嫌な文体とも思われる不吉な感じの予告】に今にして
思えるのですが〜〜〜><

◆−−−「抜粋文 その1」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆
923 :うのさん:2013/04/11(木) 18:20:03 ID:bkwlVsik    (本流板)
>>922   SAKURAさま
あなたのレスに反応してザ・ヒットパレードなど歌の貼りをやったわたしも悪いですが、
ここは一応、トキ第二管理人が訊け管理人に使われている、訊け雑談マンガ専用版みたいなものですから  
上のような投稿は今後、部室版などを使用されてはどうでしょうか?  拝。

◆−−−「抜粋文 その2」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆
335 名前:うのさん 投稿日: 2013/04/11(木) 15:18:14 ID:ZlQWsofA (女子会)
悪ふざけをした子に。保育者 やったのはだれ?正直に言いなさい。
 ○ 手を洗っているとき、子どもたちが何やら騒ぎ始めました。誰かがふざけて水を
かけたせいで、何人かの服に水がかかってしまったようです。なかには泣き出す子もいて大騒ぎです。
〜〜〜以下 省略〜〜〜http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1350959344/335 
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

 つづく

2197SAKURA:2013/04/12(金) 16:29:13 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 ・ 「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。    ― その2 ―

■今回の【 NG 問題 に関して 『聖典引用 板』投稿の件 】
>>2191>>2193>>2195>>2196>>【聖典板…】の続きですが……

さて!このように、何か“不吉な感じ”につつまれ、まるでまるで“嫌な感じの想念”が生じますが?
その後【事件発生…NG問題】……

◆−――「抜粋文 その3」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆
>>「うのはな様」が、またまた“不思議な物語”なのですョ???題名が…(生きた宗教 (1))http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1341453150/1237 谷口雅春師 『生活改善の鍵』>>
◆−――−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

大変失礼ながら、これは何故そのような想いを抱いたかと申しますと…ある事を思い出したのです。
【 第一教区の元々元 渡○会長 がお好きな文章 】でした事を、思い出しましたので……
「教区内の演説…」では、正直今思いますと“ポイント…”が薄れた感じで、私がはじめて拝聴しました
時は内容が、理解し難く“支離滅裂…”それに“言葉に創価学会用語…”が講話の中〜〜〜でしたかと。

■世間一般での判断になりますと【3期…9年の白鳩会長…】になりますと【真理の言葉…方便】も含め
きちんと講話・演説が出来るものと思うのが当然でしょうが〜〜それで初めての講話は、ウキウキ気分
にて“楽しみ”に…いざ!「教区会館…」で拝聴したのです。…が??「春爛漫…霞がかかっていましたのでしょうか?」私どもの“想い”とは裏腹〜〜〜の講話・演説でしたのです。…が??このような印象が
ありまして、当時はその白鳩会長に対しましての「講演のお話…?」は〜〜〜その後、私どもの期待感を
失せた感じかと。FUKに戻りまして、当時「白鳩元元々W会長」を、まだ信じきっていましたから、よく
「第一教区の練成会に参加」したモノです。振り返りますと…経費は痛かったのです〜〜〜が><
此の事は、後にも先にも「ご自分の人数優先…行為」なのでしょうか??
それに会話する中で、御本人は「FUKからの上京」この意味は?「お金…」を使わせらる事にかとも><
「うのはな様」の【生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4の登場…投稿】は、実に“嫌な予感”がよぎり
ましたのです…。『 暗 雲 』此処で色々な“交差する想い”が生じていた時…「今回の出来事」と、なったのです

その後は、それにもめげずに……【NG問題…解析】の行動をとる事になり、探す作業を始めましたのです。
(以前もありましたので……今回はさすがに……)根気よく!!!難行の作業なのです。
その後の件は、以下のURL…の説明で御理解できますのではないのでしょうかと。??
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2191  (参照URL…)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2193 (参照URL…)

更に、「別板…TEST投稿 」を根気よく続行していきますと、分かりましたのが、或る「言葉…」が〜〜それは、
❤ 【 様=よう 】です。最初はポカン!ポカン!あいた口が〜〜何故!この様になるのかと。いろんな角度で
更に、調べて行きますと…?(「別板…」にてのTEST投稿・・・ご迷惑をおかけ致しました。申し訳ありませんでした。)

■□【 イジメ問題 】〜〜〜段々とその様な判断!!に思えまして……

さらに「管理人…トキ様」の許可なのでしょうか??最近の言葉……が印象的で……しょうか?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358853467/896   (上記参照URL…)

それとも「複数の人間の“スパイ大作戦”」なのでしょうか〜〜〜??思いながら〜〜〜??
更に、『 したらば 』側からの職員への「賄賂説…」なのでしょうか??パ−トナ−と二人して、
討論なのです…。まるで冷戦時代の『ス パ イ 代 作 戦』ですネ???
これは【分派…側】のこの様なキタナイ!行動かと“判断…”しましたのです。擁護派の私達ですから><

                                 つづく

2198SAKURA:2013/04/12(金) 16:33:00 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 ・ 「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。    ― その2 ―

■今回の【 NG 問題 に関して 『聖典引用 板』投稿の件 】
>>2191>>2193>>2195>>2196>>2197【聖典板…】の続きですが……

そして、此処『2チャンネル…参加』させて頂いております現状の中、当初は分かりませんでしたが、
段々と最後には「う の は な 様 =此処の 女 神 様」これは「管理人 トキ様」の言葉でも
ありますし、私自身は「全てが“イ ヤ ミ”文章」に見えます昨今でしたが??
『追いかけ論・・・』・『スル―!スル―!論』〜〜〜今の私どもに取りましては【生長の家の真理…】が
心の安らぎとしてほしいのです。ことのほか、昨日の投稿は“嫌み…”に目に移りましたかと。??
「観覧者の皆様」の捉え方は、果たしてどのように思われるのでしょうか?

尚!『管理人 トキ様』は、如何しても此処昨今では『分派…擁護派』の様にお見受けますので…
前回の投稿内容状況でも「うのはな様が女王様…」とかの認識のようです。…が??(複数の管理人様説…)
それはそれで宜しいのでは、ないでしょうかと思います。但し、こちら、一般信者は【NG問題…発生】
にて困っています次第なのです。今回の“原因究明解釈”を、どのように思ったらいいのでしょうか?
今後の『雅春先生…御文章』の聖典投稿を今一度、考えるべき問題かと思った次第です。
( 「雅春先生…文章」は、ネット上の媒介をする上で、誤解を招く面もあり〜なのでしょうか )
この様にも判断できますのでしょうか?此の事は「現総裁雅宣先生…」のおっしゃつていました理論が
納得できますのではと、新たに思ったのです。
『雅春先生・・・回帰』を、唱えておられます【分派側…】の主旨には?時代の変化を考えるべきとの
結論に至るのではないのでしょうか???

■「管理人 トキ様」ご自身に取りましては【 NG問題 】が発生しても〜〜〜「うのはな様」とは
特別なる○○関係なのでしょうが〜〜〜??(裏メ−ル作戦でしょうか…?)
一般的にはイメ−ジします『中立…管理人様』の立場から、この件は何卒「原因究明調査…」を、御願い
申し上げます…。御多忙中と思いますが??“社会人”としては、あたり前の事と思うのです。が?
そして今後の両者「現原宿」「分派…」側に於けます処の
【インタ−ネット活用システム…】に於きましては、その『善悪…』の携わっています処の
システムエンジニアの人格も…考慮すべきでしょうかと、思う次第ですが…。

※しかも、今後は【運営上の中枢機関…としての役割】のようですから、尚の事でしょうかと。

                                  再合掌

2199トキ:2013/04/12(金) 18:09:36 ID:kPyknb4Y
>>2198

 うのはな様とは、裏面でそういうやりとりはしておりません。
ですから、ご安心下さい。

 また、掲示板自体は「中立」ですから、どの立場の投稿でも
歓迎をしています。

 それと、トキですが、残念な事に、光明掲示板などでは、
「総裁援護派」と思われているみたいです。少なくても、
「分派」の共鳴者とは思われていないみたいです。

 疑問があるなら、「靖国見真会参加者」様に

「トキさんは、分派の共鳴者だと思われますか?」

とお尋ね下さい。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

2200SAKURA:2013/04/12(金) 19:11:41 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 ・ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>2199 「管理人 トキ様」
早々の返事頂きました事に、感謝申し上げます…。…が?さて!私が投稿しておりますところの
>>2191>>2193>>2195>>2196>>2197>>2198>>此処【聖典引用 板】の続きになります。…が。 ●印
(この場にての投稿を…皆様方にご迷惑となります事には、深くお詫び申し上げます…。)

「うのはな様との件」ですが、果たして、全体的な投稿のいきさつをよく拝読されていらっしゃらないかと。
裏メール?メールのやり取り…云々…がないようだとか??それは、そちらの関係の中のようですから〜〜?
私には、全くもちまして「男女の中?」・「ギブ・&テイク??の相互関係」ではないでしょうか……
この件は、あくまでも横においての問題…なのです。私の誤認でしたら…この場にてお詫び申し上げます。。。

一番肝心なのは〜〜〜
■今回の【 NG 問題 に関して 『聖典引用 板』投稿の件 】ついての内容を・…これに関してなのですが??
具体的には、私の言いたい事は【 NG…言葉 −―>よう 】が、如何して起きるのでしょうか〜〜〜??
此の事が〜〜〜疑問なのです。…が??
さらに、今回の件は【分派側…】の方にとの推測も致しておりますし、、「文章体が討論会話」にて…最近では
多い感じですから、【分派…側】かと思いましたが???
何と申しましても問題の鍵は【 NG … 雅春先生の書籍本での言葉…の件 】についての“お答…”を、
お願いしたく、その前後関係を詳細に(表現が不十分でしたら申し訳ございません。)●印の項目…にて!
記載投稿しております。…が?それで【 聖典引用 板】にての、今後の投稿の
【聖典・教本…抜粋】に関連して考慮すべき問題がありますかとの??判断なのです…。

余談ですが?「うのはな様」の文章体はある面“嫌味…”に見えますのですが〜〜〜??
これも“好みの問題…”でしょうから「管理人 トキ様」は、それが〜〜〜随分と面白くも?おかしくも?ありと
感じられますようですかと…。人それぞれですネ!!
                                               再合掌

2201うのはな:2013/04/12(金) 19:20:03 ID:tO32XR0w
>うのはな様との件」ですが、果たして、全体的な投稿のいきさつをよく拝読されていらっしゃらないかと。
裏メール?メールのやり取り…云々…がないようだとか??それは、そちらの関係の中のようですから〜〜?
私には、全くもちまして「男女の中?」・「ギブ・&テイク??の相互関係」ではないでしょうか……

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 世の中は、みんなギブ&テイクの関係ですよ。
 しかしわたしはトキ様になにかギブしているでしょうか?
 それが心配なところです。

  (大爆笑wwww)

2202るんるん:2013/04/13(土) 08:55:02 ID:P9lpBWPw
SAKURAsama

トキ管理人様は、うのはなさんに『金』でも借りてるんじゃないの?

2203トキ:2013/04/13(土) 10:19:10 ID:sQgDkB/I
>>2202

 うーん、借金はないですね。まあ、貸してくれませんが(笑)

2204トキ:2013/04/13(土) 10:51:08 ID:sQgDkB/I
 ところで、ここは聖典引用板ですから、みなさま、小話は他の板でしましょう。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

2205「訊け」管理人:2013/04/13(土) 16:02:36 ID:???

明るく歩もう
谷口清超

 君は本当に「明るい」だろうか。君は悲壮感を漂わせてはいないか。それは、君を孤立させ、失敗させる雰囲気となる。悲劇の主人公となり、人々がそのために涙するような主役となることを、私は君に、どうしてもすすめるわけには行かないのである。

 人は心ら奥底で想い描く通りの運命を辿る。君が周囲の人々とあまりにも孤立してしまえば、だれも君について来ない。ついて来ても、ごく少数のえらばれたものだけだ。これでは本当の「人類光明化」はできないのである。

 人類を救うことは、人類という多数者に、誰かが光線を与えることではない。人類そのものの意識が光となってもえ上るのだ。多数の人々が「その心」にならなくてはならない。

 それはあたかも多くの幼な児を連れて目的地へ歩くようなものだ。君が眉にしわをよせ、悲壮な気持で引っぱって行っては、子供達はついてこれないだろう。歌をうたい、笑い、なぐさめ、はげまし、おやつを与え、水筒の水を分ちのみ、たのしく明るく永い道のりを歩むのである。


『理想世界』誌(昭和53年4月号)より謹写――

2208a hope:2013/04/16(火) 07:10:37 ID:6kIbHHgs
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十三章 こうして富をつくりましょう

◆言葉の力を利用しなさい

食べ物でもそれを食べながら、「これは美味しい、滋養になる。」とほめながら食べると本当に滋養になるのです。
心の中で不味(まず)いとか、食中毒がするとか認めなければ、消化が良く行われてお腹をこわすなどと云うことはないのです。

店の繁昌も、食物の消化も言葉の力で変って来るのです。

マーデンは、或るニューヨークの一番繁昌している店にいった時その店に
「この店では繁昌の話ばかりをする」と云う標語が書いてあったので、

「成程(なるほど)、この店が繁昌する理由は此処にある。
繁昌の話をするから繁昌が出て来るのだ。
彼らは貧乏を認めないから、貧乏が出て来ないのだ」と気がついたと云います。

これは言葉の力に気がついたのです。
(つづく)

2209SAKURA:2013/04/16(火) 16:18:18 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんにちは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2041>>2042>>2044>>2045>>2046>>2048>>2050>>2068>>2069>>2115>>2118 >>2119>>2123
>>2124>>2143>>2158>>2159>>2162>>2163>>2168>>2174>>2175>>2181>>2182>>2183>>2188
「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    
――――― 【 第七章  あなたが繁栄を得るために 】―――――

■ 真理の本を “與へる” 功徳はこのやうにに 
  
一、中心を固定して教える事
上五線と下五線の間に実はもう一本の中心の線があって之が盲線になっているために、子供がこの盲点
にひっかって苦しむのでありますが、中央を復元して楽器の中心に固定さして教えると初めてはっきりと
理解して行くわけでありますが、折角始めたピアノを中断している子供の多くが大抵この點(てん)に行き
づまってゐるのを救い出す方法でもあるわけですが、これだけでも真理なるかなとうなづけます。

二、賞め言葉を使ふこと
御稽古始めの幼児にまるで誉め言葉を浴びせかけるように注ぐのですが、『あなたの “お父さん指” 
は御利口ね』などと何でも見つけ次第誉める事によって、まだ音楽的曲らしく何も弾けない子供でも、
その誉められる雰囲気によって、寝ても覚めてもうれしくて、 “早く行かう、早く行かう” とママの手を
引張ってよろこんでまいりますが、今や如何なる人でも子供でも必ず弾くようにさしてあげれる道は
この事によってなしとげられると、私自身の信念ともなって、真理のお導きの素晴らしさを心からよろ
こんでいるわけであります。

三、エミールイ・ク−エ 訓練の方法…・
この方法により、習慣性をつくり、子供の忍耐力、集中力等を養う。特に、自然に、幼児期にその練習
法が身につくと、バイエルの教則本を就学以前に簡単に終了いたしますが、精神科の先生方が仰言っ
ているように、指先の訓練により脳髄の開発が促進されると実証されている如く、ピアノ教育は凡ゆる
子供の御稽古事の中でも最大の任務をもつものであると自負しながら、悦びをもってさせて頂いてを
ります。
                                          つづく

2210SAKURA:2013/04/16(火) 17:03:45 ID:BEUD3XFA
「トキ様」  へ   「観覧者の皆様」  へ
こんにちは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■ 前回に於きまして、「トキ様」・「閲覧者の皆様」へ、大変お騒がせましたところの……><
【NG問題 … 含む 聖典投稿】を、本日、念の為に“投稿…”と。

尚【再投稿…聖典】を上記「>>2209」にさせて頂きました。ホ〜〜〜ッ!ホ〜〜〜ッ!無事に通過の
今の心境です…。【無事通過…】

本当に、ありがとうございました…。   感謝!


PS:
【☼】そして、今後も「雅春先生・・・ 真理の言葉」を、投稿させて頂きますので…引き続き…
閲覧の程、よろしくお願いいたします…。
                                    再合掌

2211a hope:2013/04/17(水) 07:43:06 ID:6kIbHHgs
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十三章 こうして富をつくりましょう

◆出世する秘訣

言葉でいう事は心の中に這入(はい)り、心の中に這入ったことは、
すべて形にあらわれて来るのです。

達者になる秘訣は(こつ・ひでん)は、「達者だ」という事を、
常に心の中に有(も)つ事なのです。

出世する秘訣は、「私は必ず出世する」とコトバに唱え、心に思う事なのです。

成績がよくなる秘訣は、「私は成績が良い、毎日一層私の成績はよくなる」
と常にコトバで云って、そして心の中にそれを信じる事なのです。

商売が繁昌する秘訣は繁昌の事ばかり喋って、
心の中に「繁昌すること」を信ずれば繁昌するのです。

この秘訣を皆さんのお父さんお母さんに教えてあげて下さい。
すると、お父さんの商売が繁昌し皆さん自身も幸福になるでしょう。
(つづく)

2212SAKURA:2013/04/17(水) 21:06:54 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2041>>2042>>2044>>2045>>2046>>2048>>2050>>2068>>2069>>2115>>2118 >>2119>>2123
>>2124>>2143>>2158>>2159>>2162>>2163>>2168>>2174>>2175>>2181>>2182>>2183>>2188
>>2209 「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    
――――― 【 第七章  あなたが繁栄を得るために 】―――――

■ 真理の本を “與へる” 功徳はこのやうに   その①〜その②です

 ❤入園時、中以下の知能指数しかなかった幼兒に施して、入学後全國トップ指数を出してゐる子供も
顕はれ、それに近い例が澤山あがってまゐりまして、ピアノが情操教育として、補助教育としての役
割の偉大なるを痛感しながら、毎日を意義ある生活させて頂いてをります。

 今日の私の體(からだ)があるのが元よりのこと、これら凡て御師谷口先生のお陰であることを思へ
ば、その感謝の気持ちは筆舌に盡(つく)せません。

 最近も私の希望である息が飛田給練成をうけました所、これまた眞理にふれる縁となりまして、此
の息が自由ヶ丘にサンピアノ社を開業いたしました。もともとやはり音楽が好きで、早稲田の政経
と、藝大器樂科を卒業しました息でございますが、早くから店を経営いたしたくて、ここ数年勤め人
としての行き詰り状態にゐた者が一挙に魚の水を得た如く活気づきまして、嫁も大體決まり大變張切
ってまゐりました。これも亦全くお陰様で御座いますが、小資本ながら、わたくし取締役社長とい
ふことで、高輪教室と共に発展させたい気で一ぱいでございます。

 わたくし女で少々幅つたい言ひ方かも解りませんが、教育事業を夢みてゐます。で、此の際“はじ
め會“に入會させて頂きたく、谷口先生の御誕生日を記念として入會させて頂きます。大事業家のお揃
ひの中に、少々面映(おもはゆ)い気がいたしますが、御先輩に引きあげて頂きたいと思ひますから、
今後とも何分よろしくお願ひ申し上げます。……」
(注・“はじめ會”といふのは生長の家の繁栄の原則を実行しつつ現に繁栄してゐる実業家の集まりであり、時々研究会や講習会を開いて生長の家講師の講話を聴き、自己の繁栄の体験を交換している。栄える會と改称)

 この磯三喜代さんの手紙には全く繁栄の原理が漲ってをり、それを実践していられるところに尊い
ものがあり、必ず繁栄の大道に乗ることになると私は信ずるのである。大実業家や既に財閥の後嗣者
(こうししゃ)として大資本で出発しているような人々の体験談は、一般の人たちでは足元にもよれな
いので参考になれない事が多いが、普通の生活程度の中から次第に伸びて行きながら人類に貢献しつつ
更に伸びて行き繁栄して行きつつある体験をきくことは一層多くの悦びとなり励ましとなることなので
ある。

                            つづく

2213a hope:2013/04/18(木) 07:35:45 ID:6kIbHHgs
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十三章 こうして富をつくりましょう

◆店が繁昌する秘訣

「どうぞ私の店がつぶれそうですから、たすけると思って私の店へ買いに来て下さい。」
こんな言葉を書いた広告ビラをふりまいたら、その店は繁昌するとおもいますか。

決して繁昌するものではありません。
「どうせあんな店にある品物は、流行おくれのローズ物かなんかだろう」と思って買いにこないのです。
これでは、さっぱり繁昌のしようがないのです。

それよりも大切なのは、
「私の店には立派な品物がある。どんどん新しい流行品が入荷しています。
私の店で売り出す品物が今年の流行(はやり)の魁(さきがけ)となるのです。」
などと景気のよいことを書いてあったら、誰でもその店へ買いに行きたくなり、
従ってその店が繁昌することでしょう。

これが言葉の力というものなのです。
(第十三章 終わり)

2214うのはな:2013/04/18(木) 11:31:41 ID:iB5EfKYI
     自己の全身は大日如来の説法である

 華厳経に示されている“重現無礙”の真理のように、わが全身は大日如来の全身であり、その全身を
構成するひとつひとつの細胞全部はことごとく一世界を構成していて、其処にまた大日如来が坐し給うて
真理の説法をしていたまうのであり、その大日如来の全身の細胞も、更にその世界の微塵の砂粒にいたるまで、
ことごとく皆一世界であって、その中に大日如来が坐して説法していたまうのである。

 つまり吾々の人体を構成している細胞、細胞を構成している分子、その分子を構成している素粒子・・・等等に
至るまで、そこに如来がましまして説法(いのちのひびき)していたまうのだ。
それが人間の實相なのだ。そんな人間が病気などする筈はないのだ。
だから病気などすべての災いは、ことごとく幻でしかないのである。

 この人体がそのまま如来のいのちの顕現だという真理が自覚されるならば、人間は病気など
する筈はないのであり、今、病気に罹っていても、自分が大日如来なる實相を観ずれば、
病気が消えてしまうのが当然なのである。


現代文字に投稿者変更書写 『生長の家』昭和四十一年十二月 谷口雅春 先生著

2215うのはな:2013/04/18(木) 16:02:41 ID:tzEoRToI
晴れときどき競馬とホークス ブログ 今日の言葉より

    『生命の教育』の目指すもの

 生命の教育というのは、『人間・神の子の自覚であり、中心に対する自覚』であるわけです。

 それが非常に単的に現れたのは、生命の教育は別名『神話の教育』であると考えられる位に、神話自体の流れの中にずっと一貫しているものは、この宇宙の根本設計が中心帰一であって、それがあらゆる面に現れた時に、秩序ある世界が此処に成就する。

 しかしあの古事記神話が学校でよく教えられ、一般に理解されればいいんですけれども、神話は登場したけれども、一向にその精神は伝わっていないという現状であります。


 そういう流れに、現在の家庭・学校・社会等の混乱の原因が“中心の問題”である。それは現憲法に由来するところの“中心破壊”が隅々まで浸透している。それを実際に癒して行く。それを心の立場から、教育の立場から、長い時間かかってもやらなければならない“生命の教育運動”の中に実は憲法復原の内面から見た重大な要素をはらんでいるという点を指摘します。


 『生命学園』では“四つの柱”を建てたわけです。


 第一は神想観 ―― これは第一義的にして、神の子の自覚、中心生命の自覚をする。

 第二には日本人としての自覚を体で体得するということに最も重点をおいています。日本の礼法ですね。坐ったり立ったり歩いたり、呼吸のしかたなどがこれが全部中心に帰一するようになっています。それを体で学ぶというわけです。

 第三には、これは和歌の道 ―― 敷島の道というので、小田村寅二郎さんの『日本思想の源流』という本が出版されましたが、これには歴代天皇の和歌のことがくわしく説かれています。歴代の天皇がお一人で一千首、二千首とお詠みになっている。

 歴代天皇は国家の難局に処してお困りになった時、あるいは国民を指導する時、色々な機会に全部和歌でなさっている。国民に対しましても“命令”という形でなしに、“言依さし給う”形で和歌にして示されるということをあらためて学んだわけです。

 生命学園で和歌を取上げましたのは、やはり日本の根源の思想にふれるには、どうしても天皇の御心が解らないといけない。その天皇の御心を理解するには、天皇の事蹟やその時代の事件を知るだけではなかなかわからない。

 天皇のお心を知るには、歴代天皇が“敷島の道”として御精進してこられた和歌の道を国民が全部やったら一番よく解るだろうということで、まあ上手に作ろうとか、技術を上達させようとかいうことを超えて日本人の心の底にある魂の感動を何とかして歌い上げようというので和歌を取上げたのです。


 第四には全国の生命学園で“道”という名のつくものは、指導者さえ得られたらこれをやろうとしています。今“道”として書道を指導しています。

 これも単に字を習うというのでなしに、谷口雅春先生の神示のお言葉を中心に座右の銘を書くということで、この“道”を学ぶということにしています。

 それから地域地域によって、剣道の先生が得られれば剣道をやる。お花の先生が得られれば華道をやるということにしています。

 日本の歴史をみても、この日本が濁流ににごった時には、いつも神のみもとに立ちかえり日本の道に澄みきるとき、日本の本当の相が出て来るということであります。

           鹿沼景揚 東京学芸大学教授  『生長の家』誌46年11月号

2216NANCY:2013/04/19(金) 21:44:43 ID:BEUD3XFA
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===【谷口 清超 先生 著】==============================

■ 壁に耳あり
ある夜半、彼女はフト目をさました。すると隣室で、父と母とが、中学生である彼女の噂話をしていた
のである。母が彼女のことを悪く言う。
「あんな子は、うちではもういらない、どこかへ行ってしまえばよい・・・・・・・」
と話すのを聞いた。彼女はびっくりすると同時にムカ―ッとして、以来母に反抗するようになったので
ある。父ともケンカをし、成績も下がったと私に訴えてくるのであった。

 これはコトバの悪用であり、母親の愚かな泣き言が、子供の人生にどんな悪影響を与えるかの見本例で
ある。

しかしこれとは反対に、もしこの時父と母とがお互いに彼女をほめ合い、いい子だね、よかったね、
あんないい子はきっと幸せな人生を送って呉れるだろうね・・・などと話し合っていたなら、彼女はその
コトバの通りいい子になっていたはずである。たとえまだ少しくらい欠点があっても、長所がのびれば短所
は消える。必ずよくなるのに間違いないのである。
 
それと同じように、一家の主婦が、子供もと一緒になって、夫の悪口を言い合っていたらどうなるので
あろう。そんな家庭はとんでもなく悪い夫、そして悪い父を作り出してゆく「武器密造工場」となるに
違いない。
「夫が聞いていない所ならばよかろう……」
 と思うかも知れない。しかしそれは間違いである。昔から 「壁に耳あり、徳利に口あり」と言われるよう
に、「壁の耳」がきいていて、夫が帰宅した後にも、まるで録音機のように、妻と子の悪口を呟き出す。何?
そんな声を聞いたことがない? ハッキリした言葉になっていなくても、一種のモヤモヤとした雰囲気とし
て、心の耳には聞こえてくる。
 
いや、それ以前に心と心とは、どんな距離を距てていても通じ合うから、悪口でも善口でも、必ず伝わ
るのだ。そしてコトバが人生をそのコトバ通りに作り上げて行く。それをよく心得て、「作りたい人生」を
お互いに話し合うことである。

                                       つづく

2217NANCY:2013/04/19(金) 21:47:04 ID:BEUD3XFA
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>>2216 の投稿の続きです…。

■これはあまりにも簡単すぎるから、その効果を疑う人もいるかも知れないが、一年間実行すれば、必ず
コトバ通りになることがわかるであろう。テレビ・ドラマもコトバの筋書で作られるし、会社の会議の決定
も言葉で作られる。
「どこそこへ転勤を命ず」
という一通の辞令でニュヨ−クへでもロンドンへでもとばされる。
これもコトバの力であるから、もしあなたが心の中で、
「あなたなんか、どうせダメ人間だ」
 などと呟いていたら、夫はダメ人生の吹き溜りに「飛ばされる」に違いないのである。そんなことを
して人間の粗大ゴミを作ってはならない。神の子の実相をしっかり、拝み、コトバに出し、唱名し、夫や
子供や、さらに自分自身を輝かしい本来の姿に現わし出し、全世界の繁栄と家庭の平和と宇宙全体の保全と
に貢献しようではないか。  
(一部抜粋) 『幸せへのパスポ−ト』より

◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

■始めに“コトバ…”あり〜〜〜♫ 人間関係のコミュニ−ケ−ションでも“コトバ…”
そして、自分の人生を思うままに動かす?もう一度やり直してみたいな〜〜〜ァ!と望むならば、やはり
【コトバ…創化力】と申しますか、改めて…【心で思う事――>コトバでの反復――>現実世界へ】……
でしょうか?

どうしても環境に負けそうな時は【コトバ…力】にて、人生の意義を生みだして…私自身の価値観を、今!
もう一度見極めてみよう〜〜〜かとこの頃思います…。
先日…???年ぶりに思っていましたモノ(恐らく潜在意識の奥深く…)ありましたモノが、時間空間にて
やっと〜〜〜目の前に!!でも、ハット気づきましたのが「体力…><」今、自分自身には?〜〜〜
心で出来る〜〜〜出来る〜〜〜出来る〜〜〜念じ!“コトバ…”として口に出し…トライ!トライ!です。

■ 「体力〜〜〜自信がな〜〜〜ぁイ!」
ましてや、第三者から…「まだ!見えるのですか〜〜〜?」この“コトバ”を頂きました時には〜〜〜
フゥ >< 当に、落ち込み〜〜〜ダウン!ダウン!なのです。

しかしながら「生長の家…御教え」の【真理…】を学ぶようになりまして…「決めつけ論…」は撤回!!
【全ては〜〜〜神様にお任せ〜〜〜します】この様な気持ちになりましたので〜〜〜す。当然ながら、
この【決断…】をしましてからは、
【人生の最終価値…】をもう一度、振り返りながら“使命感…”…にてゴ―!!当に〜〜〜今の私は、
【青春…時代】にタイム・スリップ……かと?思う次第です。…が?

■□■ 自分自身の〜〜〜最高を引き出すのは〜〜〜“コトバ…”から、始まりますでしょうか??

                                    再合掌

2220NANCY:2013/04/23(火) 21:35:05 ID:BEUD3XFA
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===【谷口 雅春 先生 著】=================================

■善き想念の種子を蒔こう
 わたしたちは“想念”という種子を、創造の基盤たる“心の世界”に蒔くのである。その想念が神の
国より受け嗣がれたる“想念”である場合には、それを“正念”といい、夢中に囈語を語るがごとく、
“正念”をはずれて、出鱈目または無闇な想念を思い浮かべたものを“妄念”というのである。
わたしたちは美しき、愛深き、愉しき、明るき、光に満ちた、健やかな、生き生きとした積極的な想念を、
宇宙の創造の沃地に播かなければならないのである。そのような想念を常に起こしているならば、それは
種子となって発芽し、ついに現象界に生長して、現実によき果を結ぶことになるのである。
                     谷口雅春先生著 『如意自在の生活365章』より
================================================

■そうなのです〜〜〜ョネ!「想念…」は、必ず!と言っていいほど、此の「現象世界=顕現世界」に、
時間・空間をへて…現われますかと。例えば〜〜〜 

先日、或る“品物…”を、それは、どうしても日常生活にて、必要でした。但し?私の予算の想定を、
「○○○○円」内としておりました。…が?そうです〜〜〜ネ!丁度、2月頃でしたか?たまたま「検索…」
をしておりますと…実に私の“欲しい外観商品”であり、更に“割引セ−ル中…”何と…“ラッキ−!”
と思いましたが…そのショップの「ホ−ム・ペ−ジ」を閲覧していますと?悲しいかな〜〜〜
○○人待ち><との事で…更に、その待つにしても“ハズレ…”もありますと…コメントを頂きまして!!

『期待>>落胆』の思いを、同時に抱く事になり〜〜〜それでも「○○人待ち…」気長〜〜〜に、
待ちましょうかと、思いなおしました。実は、その商品は、手間ひまかけたのでは〜〜〜?その様に、
心にフト!思いましたし、その値段で購入するのも〜〜〜?悪いワ〜〜〜と、思い直しまして
もしも?もしも?【購入出来るならば〜〜〜】と…♫〜待ちぼうけ〜♫…この様に気持ちを切り替え!

ところが!!何と〜何と〜その商品を「ゲット…」出来たのです…。嬉しい〜愉しい〜幸せ〜“気分”
頂く事に…この「期待感…」は、キット「神様の御心」に叶ったのですかと…
当に【正念…】と…!それが現実化したモノと…。

この様に「想念」は❤【人間関係=コミュニケ−ション】に関しても必ずや通じるモノですから、
やはり「神の国より受けつがれたる“想念”を抱く…」事の重要性を改めて感じる事となり、
今回の【生長の家…お家騒動】は、当然ながら『神の国=神の御心に叶う』正しき“正念…”を、
抱かない限りは、どちらも『共倒れ…』になりますでしょうか?

■必ず!【信じて〜〜〜待つ!】そうなのです〜〜〜ョネ!【忍耐づよく〜〜〜待つ!】
そうしますと「善き種…答え」が、この現実に現われてくるものかと、思うのです…。

                               再合掌

2221a hope:2013/04/24(水) 09:43:27 ID:6kIbHHgs
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十四章 心で貴方を幸福にいたしましょう

◆神さまとはどんなものか

あなたは神さまをどのようなものだと、おかんがえになっていますか?
あなたは子供が思っているような、神さまとは非常に大きなすばらしい力をもった立派な方で、
雲の上の天国にいて、吾々を上から見下ろしていて、そしてよきものにはよき玩具をくださり、
悪しきものには罰をあたえ給うというような方だと、おかんがえになっておりますか?

神さまとは、決してそんな方ではありません。
神さまが天にばかりいらっしゃるようでしたら、吾々を守ってくださるわけにはまいりません。

神さまはどこにでもいらっしゃるのです。
どこにでもいらっしゃるものは、あまり大きすぎて目に見えないのであります。

空気はどこにでも、みちているから見えないのでしょう。
すべて目に見えるものには限りがあるからです。

神さまには限りがないから見えないのです。
見えないから「かくりみ」と申しまして、か’く’れ’て’いるお姿なのであります。

「か くり み」の中の二字をりゃくして「かみ」といったのであります。
(つづく)

2222a hope:2013/04/25(木) 08:45:53 ID:6kIbHHgs
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十四章 心で貴方を幸福にいたしましょう

◆神さまはどんなにして世界を造ったか

神さまが此の世界をお造りになりましたのは、色々の材料を使って、
物質の鏝(こて)やスコップでかきまわし、セメントや粘土で造りかためたのではないのであります。

この世界の始めにはセメントも粘土もスコップも鏝もありませんでしたから、
そんなものをお使いになることはできないのであります。

物質というような目に見える、形のあるものは何もなかったのでありますから、
ただ心の力をお使いになったにすぎないのであります。
(つづく)

2225SAKURA:2013/04/25(木) 22:25:43 ID:BEUD3XFA
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>>2209>>2212 「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    
――――― 【 第七章  あなたが繁栄を得るために 】―――――

■ 真理の本を “與へる” 功徳はこのやうに   その③
 
 磯さんの繁栄の原理は以上箇条書にかかげられたもののほかになほ注目すべき點がある。それは感
謝の念を忘れてゐられないことと、その繁栄が單に金儲けのためでなくピアノの教授を通して児童の
情操教育に、基礎教育に、補助教育に、貢献しようといふ神聖な目的があることであり、そこに生き甲
斐の感じが得られ、同時に神の人類救済の智慧に波長が合ひ、神界にある“人間を幸福にするアイデ
ィア“と波長が合ひ、新しき事業が、その令息の希望と共に伸展しつつあることである。私は『祈り
の科学』の本の中に、單に金儲けのために小説を書いた婦人の原稿が、どんなに祈っても、どの雑誌
にも出ないし、單行本にもならなかった実話を書いたし、また東京大学へ入学したいと一心に祈りな
がら、数回受験してもいづれも失敗に終った青年が、「何故東大を選んだか」について、何の神聖な
理由もなく、單に將来就職の便宜が得られ易いといふ物質的な理由だけであるために、神からの共
鳴が得られない、又は神からの電波にこちらの心の波長が合はない結果であると回答したことがある
のである。眞の繁栄を得るには他を生かすところの神聖なる目的がなければならぬのである。

                            つづく

PS: 「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
【サンピアノ…】今現在でも、残ってるようです〜〜〜ネ!!
さて!私も【反省…】です。第三者的に見ましても、最近の販売では、以前より、やはり“数字…”が、
先行しての販売のようです。従いまして〜〜〜これは“納得!!…”で〜〜〜す。
私共が、初めての“販売場所”の実体験〜〜〜思い出深いのは❤【福岡の老舗でありました西新岩田屋】でした。
但し?今は〜〜〜テナントビル〜〜となりましたが!この頃は、まだ“ノホ〜〜ン!”と言う風潮がありました
ようで、“数字…”というよりも、私達の商品を販売し、「お客様」との楽しいコミュニケ−ションを楽しむ〜♫
従いまして、心理的には、まず!商品が売れたら“グ−!”と言う感覚での販売でしたがと。【素人…感覚?】
それにて“上代の設定…”を〜〜〜深く考えていなかったように思います。今!振り返りますと「販売期間…」
と言う“制限期間での売上数字…”の認識が、正直な話?自覚がほとんどなかったかと。期間終了まじかに、
バタバタと…原価プラス薄利の数字にて“上代設定…”を、やり直しまして、その場を切り抜けました。…が?
確か?【上位3位ランク…内】には入り〜〜〜ややヤ!有頂天気味の“パ−トナ−と二人”でした。…が?><

最終的には、【赤字…】と言う数字になると判断しまして〜〜〜“顔色が蒼白……”になった思い出があります。

                                         つづく

2226SAKURA:2013/04/25(木) 22:27:32 ID:BEUD3XFA
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>>2209>>2212>>2225 「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    
――――― 【 第七章  あなたが繁栄を得るために 】―――――

■ 真理の本を “與へる” 功徳はこのやうに   その④

■>>それが、私どもの初めての「販売体験…思い出」でもあります…。当に【失敗…】なのです。

この事を踏まえまして、素直に「次回の販売先…」で、トライ!その時は?当時のメ−カ−と対等に
“高級服の価格”での挑戦となりまして「熊本のISETAN… 」で販売しました。そうしますと〜〜此処は
「生長の家…無限力」の復活です。【売れる〜〜売れる〜〜売りきる〜〜】シッカリ“潜在意識…”へ!結果は
「総売り上額」を計算しますと、前回の売り上げより、確かに伸びているのです。当時は、初めてでしたから
販売期間として「3日間…の日程」を頂きまして、総合的に比較しますと【価格を上げた方が?売れ筋に…】
この結果が出たのです。その後!此の勢いに乗りまして……また!ワンランク上げて…今度は「長崎の浜屋…」
に販売です。これからが〜〜上昇気流にて〜〜売れて行くのです。振り返りますと…「九州各県での思い出…」
多々ありますかと。一つの“キッカケ…”から自信がつきまして…私自身の「聴力喪失…」の自覚は亡くなり、
つまり【販売は出来ない!】この潜在意識をぬぐいさる事となり〜〜〜

❤〜【 人間関係=「お客様」との“楽しいおしゃれ会話…” 】この事を焦点としての接客して参ります内に、
売り上げ数字も、右上がりへと〜〜〜!当時!聴力の悪い私は“オシャレとか?日常会話とか?…いろいろな
お話を、一方的に話しながら“パ−トナ−”が上手にタイミングよく会話中に入って、そこから次なる話の展開
へと…この様な販売形式を…【二人三脚…】で致しながらの「お客様」方々との“共有性…”でしょうかと??
更に【一番より〜〜〜二番にての売り上げで〜〜〜オンリ−ワン!】でいっていましたが><
不思議なモノで〜〜〜気がつきますと“ナンバ−・ワン…”にいつしか〜〜〜そこでも“イジメ…”が><

特に!大阪でのデパ−トであります「高○屋…」では、担当者から、常に【まずは、売上〜〜売上〜】と、
朝礼での通達でしたから〜〜〜この時からいつしか私の脳裏に【数字優先…】になってしまいましたかと。
いつしか?「お客様」とのコミュニケ−ション――>“楽しい!”という満足感を亡くした感がします。

❤これが〜〜〜わたしの『崩壊…』の始まりでした。今では【反省…】…更にこの事を踏まえ【次なる挑戦…】
この様に、前向きに〜〜〜「 新たな挑戦… 」が始まっています…。

                                 再合掌

2228NANCY:2013/04/26(金) 13:24:11 ID:Hm5lYAz.
「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……     ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
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の投稿の続きです。

――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・
■□ 目的と手段とは、共に正しくなければならない □■

生長の家では、目的と同時に、手段も正当であり、合法的であることをよしとする。
なぜかというと、手段は行動であり、行動はコトバであり、それが業となって、人々
の運命を決定づけて行くからである。行動が間違っておれば、目的が何であろうが、
不幸な結果を招くのは当然だ。
 
                谷口清超著 (『新しいチャンスのとき』より)
――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・

PS:「トキ様」へ  「観覧者の皆様」へ
今!色々な意味で…一つの「タ−ニ−ング・ポイント」でしょうか?
観覧者の皆様も御存じのように「東北・関東大震災…」にての『原発事故…福島の原発事故』これは、当然ながら
【 地震国日本 】の認識ある人でありましたならば、安全性を考えた場合?「人間智…」では考えられない
事故が今後でも発生するという事は、誰しもが推測されますモノと思います。

確かに、此処数年に於きまして「豊富なエネルギ−」の恩恵を受けました私どもは、多々なる面に於きまして、
便利なライフスタイルを過ごす事が、可能になってまいりました。…が?今回の【事故…】は、一つの【警告…】
として受け止めるべき【問題…】と思います。
此処【2チャンネル…ボ−ド】をかわきりに、投稿者・閲覧の皆様方の相互関係が、以前より
【ネット活用依存度…にて情報】が、容易に、しかも時間短縮と云いますか??随分と便利な時代になりました。

…が?そのために知らず知らずの内に『自然破壊…』が、あったのではないのでしょうか?又!私ども自身が
安全面という事を、多少なりとも軽視していた面があり…これが【地震国…日本】という一つの「神からの
メッセ−ジ」かと……!一時期は、電気料金が安く〜〜この様に喜んだ私でもありますが〜〜〜><

従いまして、今回の「原発事故…」は、【原因−−>結果】という事を、冷静に考えて、今後の私どもの行動を、
如何に取るべきか?という問題定義を頂いたモノと…思います。

さて!此処で【分派…の皆様】の中には『エコ運動…』に関しまして?かなりの【ブ−イング=中傷のコトバ】
を【本流対策板…5】多々の投稿がありますが?今日の私どもの生活がなされる上では、やはり【自然との共生】
また【自然に対しての謙虚さなる想い】が必要かと思います…。

そうしませんと…最終的には【文明生活…一瞬に崩壊】する事は、間違いないのでは??
例えば?中国の有害物質汚染問題は?一つの例として、私どもは受けとめていくべきではないでしょうかと。
                                 
■■【 自 然 と 共 に 伸 び て い く べ き も の 】この考え方は、私ども…
次なる世代への…引き渡しとしての【使命感】を痛切に感じます。

再合掌

2229SAKURA & NANCY:2013/04/26(金) 22:10:21 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA & NANCY】で〜〜〜す。

■白鳩 No.38 からとても楽しく拝読しました内容です。独身の女性かたにも“おすすめ”です。

――― 信仰随想   「なんていい男!」――夫への変わらぬ想い その①――――――

 ❤最初の結婚を三カ月で解消し、八年間ずっと一人で生きてきたある日、父が言いました。
「お前は一生一人で生きていくかもしれないな。その時のために金を貯めておけよ」

 小説を書きたい夢を持っていた私は、「大丈夫よ、直木賞か何か取って、悠々と生きていくから。
そうでしょ?お母さん」と言って母を見ると、人前で涙を見せたことのない母が泣いているのです。
「娘が一生一人で生きていくのかと考えただけで、親はこんなにも悲しむものなのか」と胸が衝かれ、
「縁があるなら再婚しよう!」と、その時決意しました。

 間もなくです。それまで勤め先のスポーツ仲間としかみていなかった隣席の亀ちゃんが、「今度の休
み、ドライブに行かない?」と誘ってくれたのです。彼は十九歳、私は三十二歳でした。
彼の自宅がある、「森の石松」で有名な静岡県西部の森町へドライブした日は、秋の彼岸の中日で、
山際や川の土手、田の畦などに彼岸花が一面咲き誇っていたのを鮮やかに思い出します。
もしかしたら、それは御先祖の導きがあったからではないか、また、私が再婚を決意すると同時に彼が
動きだしたのは、「吾れ祈れば天地応え、吾れ動けば宇宙動く」
という生長の家の真理が動いたからだったのではないかと、み教えを知ってから思い当たりました。

 さて、彼はその日、私を自宅に連れて行き、家族に紹介までし始めました。出戻り、しかも年上女
という引け目があり、身の置き所のない心地の私でしたが、彼はすでにその時、「この人と結婚しよう」
と決めていたのだと、後になって聞きました。

 周囲の猛反対も、二つの条件を受け入れることで渋々許してもらえることになりました。
一つは、彼が父親から言われた言葉。「絶対に、離婚話など持って来るな。もってきたらバットで
叩き出してやるからな」。一方、私が母から言われたのは「亀澤さんが壮年の男性に成長した時、必ず
あなたより若くて美しい女性に心を移す。その時、あなたが涙一滴もこぼさず、笑って送り出してや
れる覚悟があるなら、結婚してみるのも良いでしょう」でした。

                         つづく

2230SAKURA & NANCY:2013/04/26(金) 22:12:17 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

――― 信仰随想   「なんていい男!」――夫への変わらぬ想い  その②――――――
>>2229 の投稿の続きです…。
❤ 二人の子どもに恵まれ、多少の波風はあるものの、ごく平凡に暮らしていた数年後のある日、
目の前に建つ市営住宅のとある一軒が妙に気になり始めました。そのお宅へは数人の女性がしばしば
出入りしていましたが、そのたびにそこだけ光が当たっているような、空気が躍っているような不思
議な雰囲気。なのです。

 そのうち娘がそのお宅のお嬢さんと仲良しになったので様子を見ていると、そのお嬢さんはいつ
でも相手の喜ぶことをしようとして我が無く、これが三歳の子かと驚きました。
どうしてもこの子のお母様に会いたいと願っていると、ポスト『白鳩』誌が入っており、裏には
その方の名前が書かれていました。その時からわが家は幸せの方向へと歩き始めた気がします。

 かつて暗く内向的だった私に、母は「あなたは十回結婚しても十回離婚する」と断言したもの
ですが、二回目の結婚は三十年が過ぎようとしてしています。
初めの頃、夫の傍らにいるだけで安堵し、安心感に浸ったものですが、それは今も変わりません。
夫のことを思うたびに胸が熱くなり、「何ていい男なの!」と心の中で叫んでいます。

 夫の出会い、「人間・神の子」の真理に出会い、その結果、嬉々として生きている私に、常に
辛口だった母が言いました。
「あなた生長の家さえあれば大丈夫ね」と。私は内心で「夫もね」と付け加えながら、夫の
全面的な理解と応援をバックに、今日も人類光明化に駆け廻っています。

PS:「トキ様」・「観覧者の皆様」へ
拝読して参りますと〜〜〜何と?こちらまで【夢ふくらむ〜〜〜心地】が出来たようです。
私も〜〜〜「年齢は関係ない!!」と…この頃では、思えるようになりました。…が?まずは!これ
ばかりは「神様の御心…」でしょうか〜〜〜??

❤「独身の皆様…」…或いは「年齢が…と考えられます皆様」方も〜〜〜まず「神様に祈り」ですネ?
そうなのです〜〜〜!実は〜〜〜!私も「星の王子様…出会い」は〜〜〜本当に【祈り…】にての
出会いがかなったのですモノ???全ては…【祈り…】から始まる「物語…」でしょう。
❤今!これも〜〜〜『過去のおさらい…SAKURA』なのです〜〜〜(ウフフ)

                                  再合掌

2231a hope:2013/04/27(土) 11:22:06 ID:6kIbHHgs
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十四章 心で貴方を幸福にいたしましょう

◆心におもった形があらわれる

皆さんが家を建てようとおかんがえになりますと、
まず心の中に自分の建てたい家の形を思い浮かべられますことでしょう。

すると、その心に描いた形が図形に現われて、それが大工に渡されると、
自然に色々の材料が集まって来て、心に描いた通りの家が出来あがるでしょう。

そのように心に思うものが、形に現れて来るのであります。

神さまがこの世界をお造りになった時には太陽もなし、地球もなし、
したがって地球の上にあるような地面もなし、木もなし、煉瓦もなし、
しかたがないから、神さまは「心」でこの世界をつくるより仕方がなかったのであります。

だから「心」がすべてのものの材料になっているのです。
「心」がすべてのものの設計になっているのであり、
さらに「心」がすべてのものを造る力になっているのであります。

「心」とはそんなに力のあるものなのです。
(つづく)

2233a hope:2013/04/29(月) 08:36:25 ID:dHQNZBQc
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十四章 心で貴方を幸福にいたしましょう

◆神さまが心で思われたことが法則となる

神さまは一番はじめに、何も形のない姿で、ただ「考える力」すなわち「心」でいられたのでありますから、
ものを造るには、ただ「心」で思うより仕方がなかったのであります。
思うとその通りのものが、自然の法則で形にあらわれて来たのであります。

神さまが「酸素と水素とあらわれて来い」と思われますと、酸素と水素があらわれてまいりました。
そして「酸素と水素と結合して水になれ」とおっしゃいますと、水がそこにあらわれてまいりました。
神さまのいわれます言葉を、「ノリ」というのであります。

神さまのいわれましたことが「法則」すなわち「宜(の)り」となってあらわれて来るのであります。
(つづく)

2234SAKURA & NANCY:2013/04/29(月) 22:11:14 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA & NANCY】で〜〜〜す。
>>2229>>2230 【 白鳩普及誌シリーズ 】で〜〜す…。

■白鳩 No.31 の表紙の1ペ−ジ…フォトエッセイ〜〜〜♫ にて  その①

−−−−「 谷口雅春   (生長の家創始者) 」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

■ ひとの長所を讚めましょう!!

  ひとの欠点を見るよりも、美点を見よ。見るものが自分の心の中に入り来って、
 自分を清めたりするのである。ひとの長所を見てそれを惜しみなく讚めるがよい。
 讚めれば長所が拡大して来る。

 長所が拡大して来れば短所が消えるのである。それは光が拡大してくれば闇が消
えるようなものである。闇をいじくり廻しても、闇は消えるものではない。

光をともしさえしたら闇は消えるのである。

            (「新版 女性の幸福365章」103ページ、日本教文社)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−―−−−◆

PS: 「トキ様」 へ ・「観覧者の皆様」 へ
そうです〜〜〜ョネ!!『ネット…』で見ますと、意外と〜〜〜“落とし穴”が??思わぬところに
意外と人の欠点が良く見えるモノなのでしょうか??一つの“マス…の中”にいますから、何時しか?
【個 人 錯 覚 論】が見えたり〜〜〜ですョネ!!『ネット…』は、見えない世界観なのですが、
読者にとって、その人“個人の思考感覚の問題…”もありますから“文章が理解できない!”><のは、
それだけの事〜〜〜でいいのでは?ないでしょうかと。??

つづく

2235SAKURA & NANCY:2013/04/29(月) 22:13:48 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA & NANCY】で〜〜〜す。
>>2229>>2230>>2234 白鳩普及誌シリーズで〜〜す…。

■白鳩 No.31 の表紙の1ペ−ジ…フォトエッセイ〜〜〜♫ にて   その②
−−−−「 谷口雅春   (生長の家創始者) 」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「文章の理解…!」もやはり“生活感の共有”もあり、その人の“世界観”ではないかしら〜〜〜ン!
ですので、自分との“反対論の声…”を耳に致しますと、モ〜〜〜ウ!それを排撃したいとか?更に、
相手の欠点を、見つけ出す事で、更には、それを材料にして【攻撃・中傷論】でしょうか???その後、
相手を抑え封じ込めますと、その後は【優越感…】を抱く事になり、更に、その事に【満足感…】を
第三者的にみましても?伺える過程がよく見えますから【文 章 表 現・理 解 力!】に関して、
今回も?何気ない事での“コトバ”からの発展性なのですが、或いは?何かの“チャンス…”を狙って…
日頃につけて、気に入らない相手への感情を、タイミング良く“タタキ・追い出すこと”の理由が、
出来る“チャンス…”を探している感じでしょうかと。

これも、前回の同じ〜〜〜繰り返し!繰り返し!なのです〜〜〜ョネ!前回、私は「記号の文章体…」
に関し?いろいろなる評価?それも一応“理性のない言動…”を、随部と頂きました。…が?まずは、
それでも一応?…云々…と自問自答した上で、続けての投稿をさせて頂きました。…が?今回も
“私の文章…”に関してですが、人それぞれの捉え方ですから、理解できない?出来る?賛否両論との事で、
これは、その人の理解能力の問題ですから、それならば【類の法則…】にて、こちらの投稿の文章を、
無視!無視!〜〜〜していかれればよいのではないかしら〜〜〜ンと、思います。…が???そして、
いつも〜いつも〜理解できないとか?読んでいないとか?――>この“コトバ…”如何に相手を傷つけ
るのでしょうかということを?逆の立場にて、お考えになられた事があられますのでしょうかと思い
ながらも、私自身も【反省…】!!常に〜〜【自他一体…】この想いを抱きながらの“文章投稿…”
を、させて頂こうと思いました。

■正直申しますと?『これって〜〜〜本当に生長の家?信者なのかしら〜〜〜ン』と思うのです。でも
思い返して!!まず、その人の『心範囲の容積…』がよく見えてくる問題ですので…。私は、なるべく
その方達との“交流は避けた方〜〜〜”が賢明でしょうかと。!!『類の法則??』を考えますと、そう
思えて致し方ないのです。…が?そして、それでいいのでは?と、この頃では、常に思い直している処
なんですが??

❤【人間関係=コミュニケ−ション】での『成功の法則』は、やはり【類は友を呼ぶ…こと】ですから
此処からが“スタ−ト”だと思えるのです!!
まず!私の出来る事は、【善のみ…この事が神の御心に叶う】…従いまして、面識ない相手の欠点を
探さない事!!更に、悪口も言わない事!これができれば〜〜〜『一歩!一歩!前進…』です。
そうしていく内に〜〜〜『闇…』が消えるのですョネ!〜〜♫〜〜❤【光明面を見るべし〜〜〜!】
本当に【類の法則の仲間】が、現れて来るのです〜〜〜ョネ!!
この様な出会いは?仲間は?−――>進歩!前進!益々〜〜〜行進するのですかと。!!
                              再合掌

2237トキ:2013/05/01(水) 18:34:02 ID:VRTidxTM
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

1日の法語 自信力は推進の原動力である

 全ての資格や能力が同じであったら、その人が成功し、又は幸福を得る程度は、
その人の自信力の多少によって定まるのである。優秀なる才能を持ちながら自信力
が欠乏しているために、常に後退していて、その優秀なる能力を発揮し得ないで、
いたづらに為す事なく人生を過ごしてしまう人も多いのである。自信力は船を推進
する力のようなもので、「優秀なる能力」という宝を満載している船も、その船を
推進する力を持たない場合には、その船は立ち往生して目的の所へ運んで行く事は
できないのである。自信力というのは心の力である。それは内部にある「素晴ら
しきもの」を表現するための原動力であるのである。内部に「神の子」として
素晴らしいものを包蔵しようとも表現することが出来ないならば甲斐なき事で
ある。

昭和29年5月号より謹写、p2

2238うのはな:2013/05/01(水) 18:59:21 ID:Y/lCwUCY
  谷口雅春先生をお慕いする掲示板より 五月の祈り

「学ぶ誌5月号水曜日の箴言より」


★★暗黒から光明に転向すること★★

 神から来る智慧と能力(ちから)と生命力と、あらゆる善きものとの供給を、少しも絞らずに豊かにそれらを受けようと思うならば、自己中心・利己主義の心を止(や)め、愛他的の心を起し、心を寛大にして他を赦すと共に、すべての人々に調和と善意の心を持ち、自己をも“罪”の観念によって縛らないようにしなければなりません。「罪」は「包み」であり、「隠覆」であり、「光」に向かず、「光」に背を向けている状態に過ぎません。

「悔改め」と云うのは「ああ、今まで私は光に背を向けていた、間違っていた、済まなかった」と気がついて、クルリと向きをかえて光に面することを言うのです。暗黒から転向して光に向かうことが完了しなければ、本当に「悔改め」が完了したのではありません。

 いつまでも暗い方を向いて「自分は悪かった、悪かった」と自己責罰の感情に捉われているのは「悔改め」ではありません。

2239SAKURA:2013/05/01(水) 22:49:36 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2041>>2042>>2044>>2045>>2046>>2048>>2050>>2068>>2069>>2115>>2118 >>2119>>2123
>>2124>>2143>>2158>>2159>>2162>>2163>>2168>>2174>>2175>>2181>>2182>>2183>>2188
>>2209>>2212>>2225>>2226>> 「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    谷口雅春著
――――― 【 第八章  家庭はかうして光明化される 】―――――

■ 感謝し合って逆下睫の治った話
 わたしがまだ赤坂の檜町の道場で、午後一時から花嫁学校の生徒に一時間講義をして、そのあと
の時間を、一般の信徒及び未信徒のために個人指導をしてゐた頃のことであります。

 八十歳になる老母をつれて来た五十五、六歳の奥さんがありました。その老母は逆睫で、眼をひ
らくと、睫毛が眼球を逆に刺して痛くて仕方がないので、眼をつむってその奥様に手をひかれて来
たのでした。

『どういふ心でこのやうな逆睫になるのですか』と、その奥さんは病状を説明してから尋ねられまし
した。そこで私は、

『眼球といふものは光を見るために神様から與へられたものです。“光”といふものは神様の恵みで
す。その光を素直に受け入れないで逆にそれを衝く心といふものがあるために、それが形にあらはれ
て、光を見ることが出来ないで、神様から與へられた眼球を衝くことになるのですよ。肉体は“心の
影“といひまして自分の心の相(すがた)があらわれて、それを見て自分の心を直すやうに色々の形が
あらはれて来るのです。人から深切に言ってくれる事を逆にとって、それに腹を立てて突き返すやうな
心、人の深切を素直に受け容れないで、逆にとって、ブツブツ不平を言ふ心――そのやうな心を棄てる
やうになさいましたら、瞼も睫毛も素直になって眼球を衝かなくなりますよ』
と答えました。すると、奥さんは、八十歳の老母に向って、

『それみて御覧なさい。お母さん、先生の被仰る通りですよ』と言って、私の方を向いて、『母は眼
が不自由で、人の世話にならねば何事もできないのですのに、どんなに深切にしてあげても、少しも
感謝したことはないのです。いつもブツブツ小言を言って不平ばかり言ふのでございますよ。先生、
よくこの母に言ってきかせてあげて下さい』
と言ふのです。

そこで私はその奥さんに言ひました。
『あんたは、“どんなに深切にしてあげても”などと、自分がこんなに深切にしてあげてゐるのに、し
てあげてゐるのに、と恩に着せがましい心で深切をしてあげてゐるからいけないのですよ。人にいく
ら深切をしてあげても、“こんなに私はお前に深切をしてやってゐるぞ。これがわからなぬか”といふ
ふうに、恩に着せがましく押し付けがましい心で、世話をしてやってやるぞといふふうにやられると、
いくら深切にしてあげても反撥心が起って感謝できなくなるものですよ。お母さんが八十歳以上にな
るまで健康で生きてゐて下さること、そしてそのお母さんをお世話させて頂くこと、その事だけでも、
ありがたいのですよ。それなのにそれを有りがたいと思はず、“こんなに世話をしてやってるるのに
“と思ふ。あんたが感謝がたりないで世話してゐるから、お母さんも世話してもらいひながら感謝が
できなくなるのですよ。あんたの方からは、“お母さんのお世話をさせて頂いてありがとうございます
“と感謝の言葉を心のうちで唱へなさい。そしてお母さんの方は、”眼が不自由でいちいちお世話になら
ねばならぬのに、よくお世話をして下さいました、ありがとうございます“と心のうちで唱えなさい』
                                 つづく

2240SAKURA:2013/05/01(水) 22:51:11 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2041>>2042>>2044>>2045>>2046>>2048>>2050>>2068>>2069>>2115>>2118 >>2119>>2123
>>2124>>2143>>2158>>2159>>2162>>2163>>2168>>2174>>2175>>2181>>2182>>2183>>2188
>>2209>>2212>>2225>>2226>>2239「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    谷口雅春著
――――― 【 第八章  家庭はかうして光明化される 】―――――

 このやうに指導しましてから、神想観の實修の時間が来ましたので、このお両人も一緒に神
想観を實修なさいました。神想観を終りまして、一同散會する時間になりますと、来る時には
手をひかれて眼をつぶって来た八十歳のお婆さんが、誰にも頼らないで、一禮すると、とつとと
自分だけで躓きもせず當り前に歸って行かれたのであります。翌日、老母をつれて来られた奥さ
んが私の宅へ完全に逆睫が治ったといって感謝にこられたのでした。   

                       ❤〜次回は「肉体も環境も〜〜」に入ります。

PS;「トキ様」 ・ 「観覧者の皆様」 へ
『お話…』の中から、まるで〜まるで〜今回の【WEB誌友会の問題…】に類似していると思いました。
そして、ある部分的にて、このように、いろいろな角度での捉え方があります。…が?
私は、此処【2チャンネル…】で、参加投稿をさせて頂きますようになり、私なりに、前以上に
「精神学・心理学の書籍本…」を読む機会を頂きましたことは、改めて『感謝…』です。
【未知なるジャンル…書籍本】へのチャレンジ!なので〜〜〜す。

以前の私なら、きっと自分の事ばかりの「世界感での物事を捉えていた事」でしょうかと。!!
それは過言でもありません。また!相変わらずに「吸血鬼・ゾンビ…」は、更に「黒幕Mデザイナ−」
の、執着心にての執拗な命令での“尾行…”は、今でも相変わらずです。従いまして、本当に、晴天
下で心地よい風に当たりながら〜〜〜街を歩く機会がありましょうとも〜〜〜><楽しくな〜〜〜イ!
ストレスは増大!なのです。…が?【2チャンネルでの聖典板…】での、コメント投稿して行きます内
に、次第次第のうちに〜〜〜何時しか〜〜〜私なりの“思考…”が出来ていた事に、驚きでした。
そして、今の私にとりまして、必ずや【一日一回は、生長の家の聖典・教義の本】を拝読することは、
まさしく「心の安らぎ…」更に「心の広がり感…」が、出来ているとの確信がこの頃感じます次第です。

今回は、こちらも「観覧者の立場…」として、更には、私の【類の法則の方々】と、楽しんで〜♫〜
行ける事――>共有性を重視としての、此処【2チャンネル…】を閲覧として訪れて下さる皆様に
対しましてといった気持ちでの【感謝の念…】いっぱい〜〜〜の心で“ライティング…”修行中!!

益々、時間の合間にて、皆様と一緒に【真理の勉強…】をして行けたら〜〜〜と、思うのです。
今回の“キッカケ”で勉強になりました。ありがとうございます!!
❤〜【生長の家…万歳!!】と〜〜〜
天に向かい“こころのうち”で叫び……!!さぁ〜〜〜今からスタ−ト地点です。       
                                     再合掌

2241「訊け」管理人:2013/05/02(木) 11:59:00 ID:???

『眞理』實相篇96頁より謹写――

苦痛にも感謝せよ

 苦痛は肉体の何処かに故障があるのを警告するために霊が送って来るところの信号である。苦痛はまたその痛むところへ全生命力を集中して早く治癒に導くための信号である。苦痛のあるところに生命力は集中し、その復旧に必要なる細胞と養分とが送られるのである。だから肉体の何処かに苦痛が現れた場合には、その苦痛を憎んではならないのである。

 むしろ其の苦痛の起こる毎に「これで私の病気は癒されつつあるのだ」と念ずるがよいのである。むしろその苦痛に感謝せよ。苦痛にも調和するとき、その苦痛は消滅してしまうのである。「天地一切のものに和解せよ」と云う教えは「苦痛にも感謝せよ」と云うことを含んでいるのである。

2242「訊け」管理人:2013/05/02(木) 12:04:26 ID:???

『生活の智慧365章』130頁頁より謹写――

あなたの不幸は出尽くした  
 
 悲しみを棄てよ。怒りを棄てよ。憎しみを棄てよ。そこから天国浄土が実現するであろう。よくよく考えて見るならば、真に悲しむべき事は一度もこの世界に起こったこともなければ、これからも起こらないであろう。
 あの戦争の犠牲者となって霊界に悼(おもむ)いた人たちも、本当はその霊魂は生き通しであって、決して死んではいないものであるから、現象界は〝想像の影〟世界にすぎないのであって、実在――即ち「本当に在るもの」は、未だ嘗て無くなりはしないし、無くなるものは、〝本来無いもの〟ばかりであるからである。

 もし悲しみや、怒りや、憎しみを起こすならば、その人は事物の暗い面のみを想像し、必要以上に、不幸や悪を拡大して見、みずから好んで自分の想像がつくり出した暗い煙の中に窒息してしまうことになるであろう。
 不幸は想像することによって増大し、悲しみは〝類は友を招ぶ〟ことによって続々その数を加えて来るのであろう。不幸が起こったときには、これで不幸は出尽くしたと思うのがよい。悲しみが起ったら、これで悲しみは出尽くしたと思うがよい。そしてみずからを祝福し、みずからを歓喜せよ。

2243トキ:2013/05/02(木) 21:44:25 ID:4pIOd94.
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

2日の法語 心の深層にある劣等感

 自信力の必要なことが解っただけで、その自信力を養成する方法を知らなければ何にもならない。
自信力は養成し得るものであることを先ず知らなければならない。自信力は先ず「心」の中にある
のである。その「心」というのも、表面の心即ち「現在意識」の中にのみあるのではなくて、心の
深層すなはち「潜在意識」の中に印象されている「劣等感」としてあるのである。すなはち、
「自信力の養成」は必然的に「劣等感の克服」という問題を含んでいるのである。自信力がないと
いうことは、先ず、幼い時に何かをやって失敗した 、その印象が深く心の深層に残っていて、
「今度もまた失敗するに違いない」という予想が先に立って何事も出来なくさせているのである。

「生長の家」誌 昭和29年5月号 P3 より謹写、

2244訊けに訊けという人:2013/05/02(木) 23:12:25 ID:???
あなたの不幸は出尽くした

2245トキ:2013/05/03(金) 15:35:57 ID:Y/X2RMTk
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

3日の法語 誰にでも失敗はある、失敗に悲観するな

 誰でも、どんな能力のある人でも、現象界にそれを応用する場合には、十の成功のうちには2つや3つは旨く行かぬ事柄があるものである。
どんな横綱でも百場所のうち15日間を全部を勝ちはなすことは出来ないのと同じ事である。そのような場合に「旨くいかなかった」場合だ
けを心にとめて、「自分はダメだ!」と思い込んでは劣等感を増加するばかりだと言う事になるのである。いっぺんの失敗でも、百遍心に
繰り返せば、百遍自分の心に印象されることになるのである。こうして、いっぱんの失敗は、それを思い起こすたびに、百倍、千倍、萬倍に
印象されることになる。そして、これが劣等感の原因になる。だから、劣等感を無くしようと思ったならば、失敗をしたことを嘆く事を止めて
成功した事を数える方が良いのである。


「生長の家」誌 昭和29年5月号 P3 より謹写、

2246SAKURA:2013/05/03(金) 23:13:12 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2041>>2042>>2044>>2045>>2046>>2048>>2050>>2068>>2069>>2115>>2118 >>2119>>2123
>>2124>>2143>>2158>>2159>>2162>>2163>>2168>>2174>>2175>>2181>>2182>>2183>>2188
>>2209>>2212>>2225>>2226>>2239>>2240 「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    谷口雅春著
――――― 【 第八章  家庭はかうして光明化される 】―――――

■ 肉体も環境も “心の影” の実例
以上の話を思ひ出したのは譯があるのです。それは昭和四十一年の三月十三日に兵庫県の加古川市
で生長の家の講習會がありました時に、西宮市甲子園濱田町六六ノ一にお住ひになってゐられる梅原
和江さんといふ奥さんが體験発表の時間に子供に逆睫――等いろいろの故障が起った次のような體験
談をせられたからであります。ここにその體験談の録音をテ−プから筆記したものがありますから、
朗読することにいたします。

 「谷口先生ありがたうございます。皆様ありがたうございます。私が此のみ教へに触れましたの
は、四年程前でございまして、まだ日も浅うございますけれども、四年前の私と現在の私とは雲泥
の差がございまして、唯今生き甲斐のある毎日を過さして頂いてをります。

 私が嫁いで参りましたのは、四年前、両親のある梅原の家へ参りました。両親も夫も心の優しい
人でしたし、私も孝養を盡したいと思って嫁いで参りましたけれども――愛情の一方交通と申しま
すか――お互ひに理解出来ずに……時に触れては摩擦もございました。結婚して間もなく男の子も
生れましたし、両親への心遣ひと子供の育児とに毎日明け暮れてをりました。父は厳格な人で、ま
あ子供をよく可愛がってくれたんでございますけれども、厳しい躾で私は陰で何度も泣いたことが
ございます。私も、子供をよくしようと思ふよりも両親への當てつけのやうな形で子供を叱ってゐ
たやうなわけでございます。そのやうな心が子供に反映しましたのか、成長するにつれて子供はイ
タズラがはげしくなりますし、両方の眼は逆睫で手術致しますし、喉もアデノイドと扁桃腺を手
術し、耳は絶えずオデキが出来ていたがります。その上、いくらお醫者さんにかかりまして鼻血
が止まりませんでしたし、挙句の果ては、肺炎を患って入院するやうな始末でございました。
その間、母も持病の心臓の発作がございまして、一週間か十日位には夜中にお醫者さんに走る
やうな、そんなやうな毎日でございました。そのやうなことで私は、人間は何の為に生きてゐ
るのかしら?といふ人生の意義も分からなくなってをりましたところ、私の實家の母が浄土真宗
の信仰家でございましたので、そのやうなことを話しますと、『人間は皆、宿業をもって生れて
来てゐるのだから、現世で果して行かなければならない……』といふやうな話でございました。
私は、私の何も知らない前世の宿業をどうして現世で果さなければ可けないのかしら?といふ
疑問を持ちながらも、何とか善くならうと努力してゐたのでございます。

                                つづく

2247a hope:2013/05/04(土) 07:32:57 ID:dHQNZBQc
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十四章 心で貴方を幸福にいたしましょう

◆「自然の法則」というのがノリである

この世界は何も神さまがこしらえたのではないのだ。
「自然の法則」がこしらえたのだという人があるかも知れませんが、
その「法則」というのが、すなわち「宜り」でありまして、
「法」という字も「則」という字も、どちらも「のり」とよむ字であります。

神さまの心の中で「のり言(ごと)」せらたること、すなわち「心」に思われたことが「法則」となって、
その法則ですべてのものは生まれて来るのであります。

皆さんは、なぜ二と二とかけると四になのか知っていらっしゃいますか。
それには理屈はないのであります。

それが法則なのであります。
法則は絶対的に力をもっていますから、その外になることはできないのであります。

法則はどこにもありますが、皆さんは法則を見たことはありますまい。
2×2=4は数字の法則を、数字をかりて書きあらわしたものでありますが、
この式は消すことが出来ますが、二と二をかけるとかならず四になるという法則は、
どこにもみちみちていて、どうしても消すことも、止めることも出来ないものであります。

それを打ち消すことも、反対することも出来ません。
これが絶対的な力であります。

しかも、その絶対的な力は肉眼(にんげんのめ)では目に見えないものであります。
目に見える式は消せるが、目に見えないものは消せないのです。

法則は目に見えないけれどもかならずある、どこにもあるのです。
だから二と二とあわせると、かならず四になるのであります。

どんなに反抗しても、どんなに反対しても、それをかえることは出来ません。
目に見えないが、こんなに大きな力が、法則という絶対的な力がどこにも、かしこにもみちているのです。

その力を神というのです。
吾々は神さまを人間のようなものだと考える迷信をやめなければなりません。
(つづく)

2248トキ:2013/05/04(土) 17:45:18 ID:1lpvUpuM
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

4日の法語 失敗をいかに取り扱うか
 
 失敗を考えず、成功したことばかり考えて有頂天になっているのでは、脚下照顧を忘れることが起こる。
却下をしっかりとみつめて行かなければ断崖絶壁から奈落底へ墜落するかもしれない。そこで失敗は再び
奈落底へ墜落しないために何事かを教えているということを知らなければならない。「失敗」を見るに、
自分の「能力の低い証拠」として見ないで、今後の「成功」を約束するための「教科課程」として、
「何故にこれは失敗をしたか、その原因を知れ」という問題が出たとして、その失敗の「原因」を検討して
、再びその原因を繰り返さないようにすれば、「失敗の原因」がなくなるから「結果としての失敗」も
なくなる。失敗を自分の「無能力」と連想させないで、将来の成功を約束する「教科課程」と見る事
が必要である。

「生長の家」誌 昭和29年5月号 P34 より謹写、

2249SAKURA:2013/05/05(日) 07:20:53 ID:snyNZiPs
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
おはようございます……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2209>>2212>>2225>>2226>>2239>>2240>>2246 「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    谷口雅春著
――――― 【 第八章  家庭はかうして光明化される 】―――――

■■  肉体も環境も “心の影” の実例  >>2246 投稿の続きです…。

■その間、私も教會へ行きましたり、お寺へお説教を聴きに行きましたりして、私なりに努力して
をりましたけれども、私の求めるものは何も得られなかったのでございます。
 さうしますと、実家の母が、

『此の本はいいことが書いてあるから読んでごらん』

と言ひまして、『白鳩』と『光の泉』を持って来てくれました。それには私の求めることが一杯
書いてあるのでございます。私は、同じ本を何度もなんども感激して読まして頂きました。さうし
て早速、御近所の生長の家の方に伺いまして、西宮の道場へ参りました。ちょうどその時、田中イサ
ノ先生でございまして、素晴らしいお話で、私は一番前で泣きながら聴いたのでございます。

私は間違ってゐた!!いま迄、“善くならう善くならう”と努力しながら、結局私は間違った方向へ
進んでゐたのでございます。私は、両親に嫁として充分仕へてるといふさういふ自負心ばかりで、
夫や両親に何一つ感謝の気持がなかったのでございます。その頃はもう、父は亡くなってをりまし
て、本当に申し譯ないと思ってお詫び致しました。子供ももう五年生になつてをりましたのです
が、今まではもう、学校からイタズラをするといふ苦情ばかりでございましたが、その頃からは、
さういふ小言は一つもなくなりまして、御蔭さまでお賞めの言葉を頂くやうになりました。

その頃、法貴先生の御講話の中に “法貴先生の素晴しい坊ちゃんのお話” を聞きまして、私の
子供も、どうか法貴先生の坊ちゃんのやうに、阪神間の名門である甲陽中學へ入學さして頂きたい
ものと念じてをりました。その頃から子供の成績もぐんぐん伸びまして、殆んどクラス一番で通し
まして、現在、甲陽中學の二年生に在學致してをります。

私が嘗って、“法貴先生の坊ちゃんのやうに……“と念じてをりましたことが實現したのでござい
ます。入信しまして間もなく気付かせて頂いたのでございますけれども、私の子供が永い間お医者
さんにかかりましても治らなかった鼻血がピタリ止つてをりましたし、母の心臓の発作もその頃か
ら一遍も起つたことがございません。

私は現在、このやうな素晴しい環境に生かされてをりまして、本当に感謝致してをります。どう
か、私もこのやうな素晴しい教へを一人にでもおすすめ致したいと思ひまして努力致してをりま
す。お陰様でこの頃は子供の教育のために入信して下さる方が殖えましたので、本当にうれしい
ことと存じてをります。谷口先生ありがたうございます。皆さんありがたうございます」

  つづく

2250うのはな:2013/05/05(日) 17:56:43 ID:m3449q6Y

“あなた及びあなたの肉体が宇宙と調子を合わせて完全な作用をなし得るように、
 あなたの内部に静けさと平和とを確立せよ。

 あなたの心が静謐となるとき、身辺に高級霊の光を引きつけ得るのである。
 そして、これらの光はあなたにとって、積極的な、愉快な、生ける現実的な人格と
 なってあなたを導くのである”

 『真理』第8巻 信仰篇   谷口雅春 先生著

2251トキ:2013/05/05(日) 20:33:41 ID:5zW6NmK2
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

5日の法語 失敗と成功とを如何に扱うか

 失敗を「成功のための過程」として扱うと同時に、成功や勝利を「ただ偶然の産物」として有頂天になって
「われ神の子だから、何でも出来る」といい加減な安心感をもっているだけでは、将来、必ず成功と勝利とが
得られるか、どうか、疑わしいのである。「我、これをなさんとす、神がなさしめ給うのであるから必ず成就
する」という最初の信念が必要なのは言うまでもないのであるが、その信念だけで万事終われりとして手を
こまねいているだけでは成功は得られないのである。成功と勝利との要素には緻密なる計算と、用意周到なる
実行とが必要なのである。そのためには「失敗」を将来の「成功のための教材」として研究すると同時に過去の
「成功」について何が故に成功したかを周密に検討することが必要である。


「生長の家」誌 昭和29年5月号 P4 より謹写、

2252「訊け」管理人:2013/05/06(月) 06:08:56 ID:???

WEB「榎本恵吾記念館」
「葩(はなびら)さんさん」(5)より謹写――
http://homepage2.nifty.com/hanabira/


 生長の家の人が實相と現象のことで尋ねてこられる際、「實相は完全円満で、現象は無いのですから、現象にとらわれずに實相を観ればよいのに、どうしても現象にとらわれてしまうのです」という人が多いのですが、この悩みにすべての問題は帰着するのではないかとさえ思えます。
 実はこのような人は、實相は完全円満であるというときの、この「完全」の意味をよく解っていないだけのことなのです。實相は完全なのですから、こちらの心で観ようが観まいが、いちいち努力して實相を引っぱり出そうとしなくても、絶対的に自分で出てくる力を完備しているのです。それを知らないから観る、観ないに引っかかってしまうのです。
 そして、實相と現象の中間あたりに自分を置いて、「實相⇔現象」「實相⇔現象」と左を向いたり右を向いたり、その中間あたりでキョロキョロと首を振っている状態を「観ずる」とか「観じない」とか、「自覚する」とか「自覚しない」とかということだと思ってしまっているのです。なるほど「實相は観ずれば顕われ、観じざれば顕われることなし」と書かれていますし、また、『生命の實相』の第1巻の本論の第1行目には「生命の實相の自性円満を自覚すれば、大生命の癒力が働いてメタフィジカルヒーリング(神癒)となります」と書かれています。しかし、そこに書かれている「観ずる」「自覚する」ということと、自分の受け取っている「観ずる」「自覚する」ということの意味が違ってはいないでしょうか。

 谷口雅春先生が抱かれたお悩みというのは、すべては心の展開であり、いわゆる三界は唯心の所現であるということは解るけれども、その心が思うように支配できなくて困り果てられたのです。そして、「この心を改心して懺悔して改めてからでないと救われないのであれば、自分は決して救われることはない。改心しないまま、懺悔しないままで救ってくれる神が欲しい」と切実に願われたのでした。この悩みを拡げて解釈すれば、實相の円満完全を観ようとしてもなかなか思うように観ることができないから、實相を観られないままで、自覚もできないままで救ってくれる神(實相)が欲しいと言われたということになるでしょう。
 やがて、現象無し、不完全無し、観る観ない、自覚するしないという心も無い、實相はそのまま円満であり、この實相は完全なるがゆえに自ら出てくる力をも備えているということを神からの啓示によって知られたのでした。そして、そのとき初めて「心」というものから解放されて、「生かされている」という喜び、つまり感謝が湧き起こられたのでした。「實相は完全であるからこちらの力は何も要らない」というふうに、喜ぶのを遠慮しないことが「實相を観ずる」とか「自覚する」とかいうことであったのです。

 ですから、實相にはこちらの力というものが要らないのです。ただただ實相のみの世界なのです。實相を現象に顕すといっても、實相が自分で顕れて来るのであり、實相だけがすべてのすべてなのです。顕れる、顕れないは現象であって、顕れても顕れなくてもどちらも無いのであって、實相だけを喜んでいればよいというのが「今を生きよ」ということなのです。實相は「今」完全であり、實相だけでよい、というのが「今」ということなのです。顕すための心や時間というものは要らないということなのです。

(つづく)

2253「訊け」管理人:2013/05/06(月) 06:09:35 ID:???

(つづき)

 「観ずる」ということについては、生長の家で行う行(ぎょう)の一つである「神想観」がまず思い浮かぶのですが、「神想観」は「神を想い観る」ということと同時に、「神が想い観給う」ということでもあるようです。神想観を始めるときに唱える「招神歌」にありますように、すべては神が為し給うのでありますから、自分はどこにも要らないのです。観ることも、自覚することも、感謝することも、すべては神が為し給うているのです。

 「自覚する」ということも、「自覚」という言葉は自ら覚めると書くように、はじめの初めから、宗教をやるやらないとか祈る祈らないよりも以前から、そして今も生きとし生けるものとして生かされている實相なるものが「自ら目覚めて出てくる」ということなのです。内なる實相が自ら出てきて、生長の家の話を聴き、内なる實相が自ら出てきて、聖典を読んでいるのです。すべては外から来るのではないのです。内なる實相がそのままどんどん出てくるのに任せればよいのです。出てくることが、自覚が始まっているということなのですから、それを勝手に自分でああしてから、こうしてからと邪魔をしないことがすばらしいのです。ただただ喜んでいるだけでよいのです。言い替えれば、喜んでもよいということなのです。實相だけでよいと喜んでいることが感謝ということなのです。「感謝せよ」とは「喜べ」ということに他ならなかったのです。喜びとは自分は要らなかったということであり、すでに完成している實相を遠慮しないこと、そのままでよいことを遠慮しないことであったのです。遠慮しないのは神のためであって自分のためではないのです。そのまま今喜んでよいということでなければ、神は今完全な世界を生んでいないということになり、不完全なものしか生めなかったものは神とは言えませんから、神は無いということになってしまうのです。ですから、實相円満、そのままでよいということを認め喜ぶのは自分のためではないのです。神のために遠慮しないようにしなければならないのです。喜びましょう。喜びましょう。すべての不完全は不完全なるがゆえに無いのです。無いということは、今赦され切って、生かされているということなのです。

 ああしてから、こうしてからは止めて、今そのまま素っ裸のままで喜ばせてくださるのが生長の家の御教えなのです。

 どんな善いことでも、ああしてから、こうしてからは要らないのです。善いことをたくさん身にまとっていくと、だんだんと裸でなくなっていくのです。実はこの善いことが曲者なのです。「感謝してから」「我を消してから」「懺悔してから」「潜在意識を浄めてから」「教えを実行してから」「実感してから」「愛行をして徳をたくさん積んでから」「先祖供養してから」「祈ってから」「信仰に徹してから」「實相を観じてから」「實相を自覚してから」……。まだまだ立派な善いことを掴んではいないでしょうか。それをすべて吐き出して、脱ぎ捨ててしまいましょう。死んだつもりになってすべてを捨てるのが生長の家です。そしてゼロでよいのが無我ということなのです。ゼロということは何も要らないということです。自分も要らないということです。

<了>

2254トキ:2013/05/06(月) 11:30:34 ID:eaw/TCPU
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

6日の法語 臆病を無くするには

 さて、その「失敗の原因」となった要素が、自分の臆病から来たものということが過去の事物を検討して
わかったならば「自分は臆病だから駄目だ」と考える事を止めて、「臆病」とは全然反対の要素を自分の
「心」の中へ追加するようにすればよいのである。「臆病」の反対の要素というのは「大胆」と「勇敢」と
である。こういう場合には、「自分は神の子であるから、決して何事も恐れない。自分は大胆と勇敢との美徳
を兼ね備えているから、常に断行すべき場合には、何事にも大胆勇敢に邁進するのである。自分は”大胆”その
ものであり、”勇敢”そのものである」という言葉を起床時、就寝時の精神の落ち着いた時、又は神想観のとき
に自己暗示するようにすれば、臆病の欠点は除かれて断行の勇気を得るのである。

「生長の家」誌 昭和29年5月号 P4 より謹写、

2255うのはな:2013/05/07(火) 13:40:32 ID:U1E1fz8c
    “神の最高の自己実現”たる実相を喚び出す祈り

 『神は光であり、生命であり、健康の源泉であり、無限供給の本源であり、一切の善きものの根源であるのである。』
   (聖経版『真理の吟唱』二五九頁)

 その神が我々の親様だ。大生命だ。その大生命から流れ出たところの生命の流れが、自分の内に滔々と流れているのであります。
『わたしたちは神の子であるから、光と生命と健康と富と、(神の持ち給える)一切の善きものの後継者として、すべてのものを自己の内に内在
せしめているのである。』

 その内在しているところの「如意宝珠」− 如意自在の宝の球ですー それを自分が持っていることを自覚することが必要です。
それを自覚したら、自分の内に内在する宝の蔵ー如意自在の宝の蔵が開かれる。
『わたしたちは今、おのが心の窓をひらいて神の光の流入に身をゆだねるのである。神の光は暗黒を照す光であり、光が流れ入るとき、
 心の中の暗黒は消え、光明ばかりが充満することになるのである。』

 皆さん、練成会で「祈り合いの神想観」というのがありますね。
この詳密講習会では終わりに近づいた頃に、「祈り合いの神想観」をやりたいと思っているんです。(拍手)
そうして、自分の力だけでは、自分の内にこの輝く実相の生命が充ち満ちているということがハッキリと自覚出来なかったのを、
この祈りの力によって、此処に今、自分の内に、完全円満な神の生命が、無量寿の生命が無限の幸が、如意宝珠が自分の内に在るんだという
それを自覚して頂きたい。

 それを自覚し得た時に、皆さんはその悦びを人に分つことが出来る。
 そうすると、人々がまた喜ぶんです。

 『唯神実相の世界を説く』 谷口雅春先生 著 P129−130

2256トキ:2013/05/07(火) 21:46:00 ID:EcYhkS1g
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

7日の法語 神の智慧を受け取るためには

 もし、我々が計画に智慧を欠いていたために失敗したのであったならば、
「自分は智慧が足りない。もう駄目だ」などとは考えないで智慧をグングン自分に
流し入れるようにしたら良いのであります。実際そんな事ができるかと疑う人が
あるかも知れませんが、それは何でもありません。宇宙には無限の智慧が満ち満ちて
いるのであります。その智慧を自分に汲み取れば良いのです。そのためには、神想観
のときに次のように祈ると宜しい。

 「神よ、私の生命をあなたが私に使命づけられた仕事のために捧げます。その使命
を遂行するために必要な智慧を私に与えたまえ。」

 このように一心に祈ってから暫く、その智慧の流れ入るのを受けるつもりで、
「受身」の心で静かに精神統一して待つが宜しい。

「生長の家」誌 昭和29年5月号 P5 より謹写、

2257SAKURA:2013/05/07(火) 21:49:19 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2209>>2212>>2225>>2226>>2239>>2240>>2246>> 2249 「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    谷口雅春著
――――― 【 第八章  家庭はかうして光明化される 】―――――

■■  肉体も環境も “心の影” の実例  >>2246>>2249 投稿の続きです…。

■以上の対験談は「肉体は心の影」といふ眞理をまことに端的に表現してゐて、多勢の家庭人を救ふ
のに役立つと思ふから敢て発表した譯でありまして、この體験を分析しながら皆さんに眞理をよく解
って頂きたいと思ふのであります。

 梅原家では両親も夫も心の優しい人であったし、嫁いで来た和江さんも、“孝養を盡したい”といふ
善い覚悟で嫁に来られた。それなのに「子供はイタズラがはげしくなるし、両方の眼は逆睫で手術し
なければならなくなるし、喉もアデノイドと扁桃腺を手術したし、絶えず耳には腫物ができるし、鼻
血が出て醫者に来て貰っても中々止まらないし、挙句の果てに肺炎で入院するといふやうな始末」だ
ったといふのであります。父母も嫁も皆立派な人たちであるのに何故こんな気の毒なことにあったの
でせうか。その原因を考えてみたいと思ふのであります。
                          つづく


PS:「管理人 トキ様」 ・ 「観覧者の皆様」 ヘ

やはり現在の私は、本当に「言葉の使い方」を〜〜〜と?思います。いろいろな面でこの頃、考え
込んでしまいますかと。そうです〜〜〜ネ!よく「おせっかい…!」この“コトバ…”なのですが?
相手が親切にしてきます。…が?それは、受けた側…私にとっては不要なモノで、或る時は、逆に
【 不愉快なネガティブ感情 】が湧きます。
例えば、「日本語がなっていない」「記号が使う事…自体がオカシイ」…etc他にも多々あります。
このようにですが?その事が〜〜〜何度も何度も繰り返されてくると…いつしか?それは、

❤【 感情兵器〜〜? 】になりますでしょうか?その時の“感情が高ぶる事…”は〜〜〜><

それは〜〜いつしか【病気を誘引して…】いく事もなりますのです〜〜〜ョネ!!そこで原因として?
【感情兵器…このもつれかと〜〜〜カモ >< 】? (微笑)
「D.カーネギー」氏の言葉から【ネガティブ感情はむだな時間…かと!】おっしゃっていましたが、
私も、その様に思える次第なのです。…が >< 

❤〜では詳しく次回に「雅春先生」が〜〜〜更に!次の解説論を〜〜なされていますので〜〜〜
                               つづく

2258SAKURA:2013/05/08(水) 14:10:35 ID:686YdHbo
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■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    谷口雅春著
――――― 【 第八章  家庭はかうして光明化される 】―――――

■■ “善” に執すれば “善” も悪に變ずる   その①

 和江さんはかう言ってをられます。
「父は厳格な人で、まぁ子供をよく可愛がってくれたんでございますけれども、厳しい躾で私は陰で
何度も泣いたことがございます」と、厳格といふことは、その人の人格の高さを示す示標の一つであ
りまして、「霊界通信」によっても、魂の高さをあらはす特徴の一つは「寛大なる峻厳」だと教えられて
ゐるのです。(『生命の実相』“霊界篇”)厳格とは善を善として悪を悪として一歩も曲げない峻厳さです。
しかしその峻厳さが“寛大”といふオブラ−トに包まれることがわすれますと、「諫言口に苦し」といふ
諺にありますやうに、苦くて呑み込めないで、折角おぢいさんの愛情で、「子供を良くしたい」思ひいつ
ぱいの言葉も、逆に吐き出したくなるのです。その折角の愛情の深切な諫言を、「おぢいさんは深切で
私を愛して、私を良くしたいために、あんなにいつて下さるのだ」とは受取ることができないで、それ
に反抗して、逆さまに突き上げる心が起きる。そのやうな「逆様に突き上げる心」のあらわれが、子供
の逆睫となってゐた譯です。おぢいさんの厳格な叱責に、口答へをしたいと思ふけれども、口答へをす
れば又しかられるから、不平の思ひを吐き出すことが出来ないで「ふくれる思ひ」を咽喉に止めてゐる
心が肉體化して咽喉の奥にアデノイドが腫れ、咽喉の出口の扁桃腺が腫れて手術を必要とするやうにな
ったのであり、あまりに厳格な小言を聞きたくないので、耳で聴きながらブツブツ思ふ不平のふくれる
思ひが肉體化して「子供の耳に絶えずお腫ができた」のであります。   (谷口雅春著)
                               
◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ

■そうです〜〜〜ョネ?????今の私の事なのですが?その様に云えるのかも知れません。…が?
【分派の方達…】の捉え方は、とても私どもからみれば“執拗…”に【軍国調の回帰…切望型】のように
見えてしまいますが??現在社会情勢の中では【イデオロギ−】が生じ無きにしも?その時の責任は?
持たれますかしら〜〜〜ン!とか……複雑な気持ちでの閲覧です。おそらくは〜〜〜

【分派の方達…】は、それは「生長の家…」を、善くしたいとの“一心…”で動いているのでしょうけれ
ども、こちらで見ますと、異様な集団にも見えて行くのです〜〜〜ョネ!!【御教えの根本…】が?

正直申しますと【信者…】に対してなのでしょうか〜〜〜??それとも〜〜〜
【分派の方達】の“メンツが最優先”している感じで、まるで【一般信者…】を利用に過ぎません。


                        つづく

2259SAKURA:2013/05/08(水) 14:12:42 ID:686YdHbo
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんにちは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2124>>2143>>2158>>2159>>2162>>2163>>2168>>2174>>2175>>2181>>2182>>2183>>2188
>>2209>>2212>>2225>>2226>>2239>>2240>>2249>>2257>>2258「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    谷口雅春著
――――― 【 第八章  家庭はかうして光明化される 】―――――

■■ “善” に執すれば “善” も悪に變ずる    その②

■果たして?【一般信者…はモノ扱いなのでしょうか〜〜〜?】

私は、この事がとても立腹する事になりますから、“体…”に良くない事なのでしょうと、最近では思えて
致し方がありません。これは【感情兵器…】ですかと。当にこれは【悪魔の兵器…一つ】なのかと?
そのように思います…。

今回も、また!また!こちら「現総裁雅宣先生…擁護派」が投稿しますと、凄い〜〜〜勢いで、こちらの
投稿を!当にア〜〜〜ッ!間に【↓】になったり?或いは【奥殿…ボ−ド行き】作戦法でしょうか??
これは、世間一般の第三者の誰しもが閲覧されてみて、【異常な集団…】に見えてくるモノと思います。
ですから???【人間の心理…】は、バンコク不変の法則と申しますか【ポジティブなコトバ…】或いは
【ポジティブな感情】の方面に行く事を〜〜〜改めて“再発見…”です。これ位の“エネルギ−”を使用
していますから、本当に“無駄な産物…”だと改めて思える私です。❤【光ある方向へ…向きますかと。】

さて【厳格…】とは?本当にどういう事なのでしょうか???たぶん「復興G様」は、キット私達のために
きつく云ったと再三言われます。…が?「記号が?オカシイ」とか??「日本語がオカシイ」とか?これは
「寛大な…厳格なる言葉」でしょうかと???【自問自答…】しております。
又、ある時は「私の言葉の表現が分かりにくい…」と、これも又よく言われます。…が?そのようならば、
キット!キット!今までの【元分派の幹部達の運動展開】は〜〜〜キット伸びたのでしょうか〜〜〜???
それは【一般信者…】へ軍国調にて強制的な部分が多少は存在していたのではないのでは?それ自体が、
ハッキリ言えば〜〜〜“魅力…”がないように思えます。現在人では?義務教育を受けていますから、まず
人は【人格!…人格論】から見て行く事になりますでしょう。!!
そのような時こそ、こちらの「精神修行…」を頂いたモノと感謝しながら…逆にそれは新しい
“旅立ち…出発”なのかしら〜〜〜ンと、思える私ですが???いま仕事の途中ですが、本当に今回つくづく
そう〜〜〜思いましたのです。…が?こちらも【向サイド…分派の感情】を、どうしてそのようになるので
しょうか?こちらも貰わないように気をつけませんと【心の不平…病気を呼ぶ】事になりかねませんネ???

そして思いますに…
「“善” に執すれば “善” も悪に變ずる」は、今の現状では、何に、当てはまるのでしょうか??

「トキ様…」以外は、特別今日の時点(午前中)では【全てスル−!スル−!】してでの投稿ですから、
私どもに対しての批判「記号が?日本語が?…表現が?」この様におっしゃる事と、現実での
「スル−!投稿」との相違は?どの様に解釈していきましたらいいのでしょうか????

■今までの分派の行為は【善の行為…?】なのでしょうか??反対に【悪の行為…】に変じてなのかしらン??、
特に献金斜陽族としては…… >< 一般信者かもしれませんが?

                                   再合掌

2260トキ:2013/05/08(水) 20:47:13 ID:.EGbH5eE
SAKURA様

 いつもご投稿、ありがとうございます。

 これは個人的な感想ですが、確かにSAKURA様の御文章は個性的過ぎて、少し読みにくいと思います。
特に、携帯端末やタブレットなどを御使用の方には、少し読むのが厳しいと思います。復興G様のご意見
は、別にSAKURA様の投稿の内容に関連したものではなくて、単に表記の問題点についての言及です。

 場合によっては、教区のお友達に、ご自分の御文章を見てもらい、ご感想を求めてみられては
どうでしょうか。

 どうも、失礼な内容の投稿になり、たいへん申し訳ありません。ご気分を害されたら、深くお詫び
します。

合掌 ありがとうございます

2262トキ:2013/05/08(水) 21:31:54 ID:.EGbH5eE
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

8日の法語 運命の転換のための自壊作用

 仕事の成功を求めるために、「神よ、私の生命をあなたが私に使命づけられた仕事のために捧げます。」と言って祈った場合、
あなたはその仕事に失敗するかもしれません。それを自壊作用と言うのです。あなたが現在やっている仕事が、「神があなたに
使命づけられた仕事」ではなかった場合には、その仕事を自然に止めるようになるのは当然のことなのです。いくらあなたが
「神の使命づけられない仕事」に一時的に成功なさいましても、「神の使命づけられない仕事」は恰も根のない樹のようなもの
ですから、やがては枯れることになるのは当然なのです。しかし、「神が使命づけられた仕事」に到著するまでは、現在与えられて
いる仕事は、その使命に到達する過程としての練成であると思い、一心に真心をもってその仕事に邁進すれば、やがてはそれを
踏石として次の仕事が現れて来るのです。


「生長の家」誌 昭和29年5月号 P5 より謹写、

2263SAKURA:2013/05/08(水) 21:55:30 ID:BEUD3XFA
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2124>>2143>>2158>>2159>>2162>>2163>>2168>>2174>>2175>>2181>>2182>>2183>>2188
>>2209>>2212>>2225>>2226>>2239>>2240>>2249>>2257>>2258>>2259「女の浄土」投稿の続きです。

>>2260 「管理人 トキ様」 へ
「管理人…トキ様」からの“感想の言葉”ありがとうございました。
御投稿の内容主旨は理解しました…。…が?私の知人関係は〜〜〜理解しております。私事なのですが?

正直申しますと【あいまいな表現?ある面分かりにくい表現】にしました。此処で“ストレ−ト”なる表現
ですと、傷つけますし?いがみ合い?が生じます“モノ”との、判断が在ります。あくまでも?理解して頂
く方々が。。。閲覧して下さればとの思いにての「投稿形式…」と致しております。

■「リンカ−ン」みたいに暗殺されては〜〜〜怖い話ですモノかと。(微笑)

但し“文通しています知人(これは信仰とは関係ない知人関係)も含めまして、このような感じで
楽しんでおります。

■ ―――|―― 【文 章 表 現】
■■凡ての人に…凡てを理解して頂こうと…それは【不 可 能…】と思います。人それぞれ…かと。

■やはり「凡ての方々に理解して頂こうとは?」正直「難しい問題…」と思いますし、思っていません。
また、「感情…」は人により?程度により?異なりますから、此処「管理人 トキ様」何番目の方なのかは、
存じませんが?【分派より…派】ですからそこに感情が多少入りましての閲覧の場合もありますでしょうかと。
それに「トキ様」自身の中には?「御高齢の○○様(漢字)」もいらっしゃいますのでは?

■■それから?【携帯…】【タブレット…】の場合は、正直“投稿…”あるいは“閲覧…”となりますと、
逆に質問ですが?【御自分の思考…考え】を何処まで?表現できますでしょうか?
いつも?第三者的にみておりますと?これは【携帯… 或いは?タブレット…】の場合は、その返答も正直
私どもサイドから申しますと「簡略化しての文章表現でその人の考え方は〜〜〜と?思う事が、多々です。…が?」
逆に?理解しがたいものが在ります。…が?(知り合いの若者の間でも?同じ考えですが?)

このようになりますと?果たして【真理…討論】は〜〜〜何処まで可能なのでしょうかと。?
今後?逆に申しますと「携帯…」「タブレット」対象にての【ネット活動体制…メイン】とお考えなので
しょうか?

■■そして【年代の差…】での“文章内容投稿”もありますかと?思います…。少なくとも、私の知人関係では、
【ギッシリと…詰まった文章は??多少〜〜〜拒絶感が在りますと…】異口同音にお互いに云い合って、
おります次第です。ですから?これも【好みの問題…】に入りますでしょうか??
昭和の戦前?戦後?この頃までの…余りにも「硬い文章(言葉の表現が難しいのです。…が)は??」と、
しばしば思う事が在りますでしょうか?

■■私は?申し訳ありませんが【パソコン…】閲覧者の皆様方々を…メインとしての投稿をさせて頂いて
おります。私個人の思考を伝える手段としては「パソコン」中心という事になります。それから、少なくとも
私の知人関係の「生長の家…信者」では?此の事は“意志疎通…”でしょうかと、思う次第です。…が?

 再合掌

2264トキ:2013/05/09(木) 19:29:28 ID:yXWdSU0Q
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

8日の法語 成功と繁栄との要素

 成功の要素の一つは、「精神の明るさ」という事です。それが成功の要素の全てではありませんが、非常に重要な要素です。
あらゆる成功の他の要素を備えていても、「精神の明るさ」が無いために人から排斥され、仕事が繁盛しなくなる事もあるもの
です。しかし、心さえ明るくしておれば他の要素は不必要かと言うと、そうではありません。商売なら顧客を礼拝し感謝する
個々とを常に起こし、そして儲けるよりも顧客のためを思う心になって、顧客に喜んでもらいたいという心を起こす事が必要
です。「ぜひ、買ってもらはなければならなぬ」という心を起こしてはなりません。そんな心を起こしたら「相手を縛る心」
ですから、客が窮屈に感じて店に入って来ないのです。

「生長の家」誌 昭和29年5月号 P6 より謹写、

2265トキ:2013/05/10(金) 19:54:54 ID:FwaClEcE
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

10日の法語 全てを祝福するための祈り

 「神のみが実在であって、今、われを祝福したまう」事務所で仕事をしている時にも、ご飯を食べている時にも、
店でお客と応対している時にも、この言葉を心のうちに唱えて、この「仕事」が神であって今私を祝福してい給う
のである。このご飯が神であって、今、私を祝福し養い給うのである。このお客が神であって今私を祝福しに来て
いられるのである。こういう気持ちにあることが、あなたを繁盛させ成功させ幸福にならしめる心的原因になるの
である。もし、気に喰わぬ人が来た場合にはやはり「神のみが実在であって、今、この人を通して私を祝福するた
めに来たり給うたのである」と繰り返し念ずるならば、敵と見える人も味方と変じ、自分の不快感情も腹立ちの
感情も自然暖かい感情に変化してしまうのである。

「生長の家」誌 昭和29年5月号 P7 より謹写、

2266うのはな:2013/05/11(土) 14:53:50 ID:Azzizfgc

神話的に云ひますならば、日本国家は、天照大御神の理念の中に先ず造られて、
それが「千五百秋の瑞穂の国は世々わが子孫の王たるべき地なり」と云ふ天孫降臨の
神勅となつてあらはれてをります。神話と云ふのは、作者が誰と云ふ一定の人間ではなくて
古代の民族が、その民族全体の精神によつて作られたものであつて、民族全体の一致した
協同作品と云うやうなものであります。

 この民族の協同信念によつて各人が集団して、日本は天皇中心の国家を形作つたのでありますから、
日本国家が天皇中心の国家であると云ふことは最も民主的なことであります。
 この民族全体の協同精神が謂はば日本国家の設計のやうなものであつて、その協同精神の通りに、形の世界
の日本国は、家が色々の材料が集められて徐々に出来上がるやうに、出来たのです。

 だから日本国家の本質及び設計は、天皇国家の姿をとるべく日本民族全体の心の中に既にあつたのであります。
それが世の中の進むに従ひ、形の世界に徐々に出来上がつて来たのであります。
そして、神武天皇が大和に都をはじめた給うたのは、天皇中心の国と云ふ日本民族全体の精神が具体化した第一期工事の
完成だと云ふことになります。

〇 文中旧漢字ひらかなに変更あり

 『真理』第一巻 谷口雅春 先生著

2267うのはな:2013/05/11(土) 16:27:19 ID:N1z5R5m2

  意義深い昭和五十七年 生長の家理事長 和田英雄先生( 聖使命新聞より一部抜粋)

 『生命の實相』というのは、次元を超えた絶対の世界、時間、空間を超えた世界、そこに唯々生命が
躍動している世界であります。しかし、ともすると、吾々は人類光明化運動を傍観者的な立場で論じ、
又、アウトサイダー的な活動をやっていないだろうかと、反省してみる事が大切だと思います。

 例えば、吾々は日本国実相顕現を叫び続けてきていますが、果して、どこまで日本の実相が、現実に顕現してきた
でしょうか。現実は、依然として、主権在民の占領憲法下にあって、「明治憲法に復元せよと叫けべも声いたづらに街に消えゆく」
状態がそのまま続いているのであります。

 そうしたことをじっくりと考えると、一時たりとも安閑としてはいられないのであります。
『生命の實相』発行満五十年に当る今年、今年こそ徹底した光明化運動を展開していかなければならないと思います。
幸いにして、『生命の實相』初版本の復刻版が、今度発行されることになりました。

 皆様一人一人が、この復刻版を手にされて、総裁先生がお受けになられました「今起て!」の啓示そのままを、
吾々も改めて感得して、体当たりで昭和五十七年に臨んで頂きたいと思います。
今年、総裁先生は九十歳即ち卒寿をお迎えになられます。大変すばらしいおめでたい事で、今年こそ総裁先生の御悲願
にお応えすべく吾々信徒は、思いを尽くし、誠を尽くし、五感を超え夫々の組織を通して、無限の可能性を爆発的に開発し、
一大飛躍的に教勢拡大を図ってゆこうではありませんか。

2268うのはな:2013/05/11(土) 17:53:03 ID:ZvmnD.Gc
ヒルトン・ハワイアン・ビレッジで開かれた一般大講演会の模様を報道した
ハワイ最大の日刊紙『ホノルル・スターブレテン』3月28日 紙

    『2500名が光明思想家の講演に集まる』(抄訳)

 昨夜の一般講演会参加者数からみても、谷口雅春博士は、ハワイにおびただしい数の熱心なる共鳴者を
有していることがわかる。
 2500名以上が、万人に宿る神性を説く現代日本の哲学者の講演を聴くために押し寄せてワイキキの海岸通りを
来るまで一杯に埋めた。

 師は43年前に、罪なく、既に救われている人間の実相を説くこの宗教を創始した。
今日全世界に400万人の信徒を擁し、300冊にのぼる著書を出版している。
 その一つ、『生命の實相』は1200万部も出ているのである。

 谷口師はイエス・キリストの教えや釈迦の教えは、人間はすべて神の子と説いたのであって、
教えは正しいのであるが、キリストの弟子達は、イエスだけが神の子であると説き、釈迦の弟子達は
釈迦だけが仏であると説き、その他の人間は罪の子であると説いてきたのである。

 人間は罪の子であると教えられると、罪の意識が起り、罪の償いとして、自己処罰をして病気や不幸、
更には戦争までも造り出すのである。この事は、ベトナム戦争の場合についても明らかに実証されると述べた。
つづいて谷口師は真の平和をこの世に実現するには、この罪の意識を人類の心の中から払拭しなければならない。
そのために、生長の家が出現したのである、と述べた。

 又、谷口師は、ルーテルの宗教改革よりも、もっと深い意義をもつキリスト教の革命が今起りつつある。
しかし、師自身がその革命を指導するのではない。むしろ、聖書自身が此の第二の宗教改革をもたらすことになるであろうと語った。

『真理は民族を超えて』 谷口雅春先生御夫妻御巡鍚記念写真帖

2269うのはな:2013/05/11(土) 17:55:18 ID:DCC2AIpY

  『真理の吟唱』 初版 はしがき
  http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=1563

2270トキ:2013/05/11(土) 18:28:40 ID:laSoKZN6
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

11日の法語 自覚と目的と行動と

 今、神が私を祝福したもう。この「今」の自覚が大切なのである。常に「今、ここに神が吾とともにあり給うてわれを祝福し護りたもう」
と念じ、信ずることが大切であるのである。次には、「今」既にわが求むる事物は実際にここに与えられているのだと信ずることが必要で
ある。かくて、「神とともにある力」が第1に確認され、次に、何を得べきかが定められーそれが実際にあるということが確認されたわけ
で、その次には「その既にあるもの」を得るように行動することによって、それが現実に得られることになるのである。いくら信念を持ち、
目的物を定めても、実際に行動を起こさなかったら、その目的物は自分の方へ飛び込んでは来ないのである。

「生長の家」誌 昭和29年5月号 P7 より謹写、

2271SAKURA:2013/05/11(土) 20:12:44 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2124>>2143>>2158>>2159>>2162>>2163>>2168>>2174>>2175>>2181>>2182>>2183>>2188
>>2209>>2212>>2225>>2226>>2239>>2240>>2249>>2257>>2258>>2259>>2263
「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    谷口雅春著
――――― 【 第八章  家庭はかうして光明化される 】―――――

■■ 鼻血は高慢な心のあらわれ  >>2246>>2249>>2258>>2259>>2263 投稿の続きです…。

■鼻血が出るのは、高慢な心で、人の深切や愛情や惠みなどを突き戻して棄てる心のあらはれであり
ます。“鼻にかける” とか “鼻が高い” とかいふ俗語にあらはれてゐるやうに高慢の象徴であ
り、血は神の愛が物質化して全身を流れてゐて、人間はそれによって生かされてゐるのであります。

その神の愛が“父の小言”といふ形で、その子供を“よくしよう”として流れ出るのを、素直に受け
容れないで棄てるのが、出血といふ現象であります。鼻血にかぎらず、凡そ、人體から出血する症
状を伴ふ病気は、恩を仇で返すとか、人の深切を素直に受け容れないで流し棄てる心の象徴であり
ます。みんな善人であり、思い人は一人もいないのに、家族に病気が次々とあらはれたりする場合に
は、この善良な梅原さんの一家に次々と病気があらはれたやうな気がつかないところに抑壓し陰覆さ
れた精神的あらしがあって、それが肉体に具象化してあらわれてゐる場合が多いのでありますから、
そのことをよく反省して、家庭の精神的雰囲気を改めますと、家族に病気が起らなくなるのでありま
す。                             ( 谷口雅春著 )
                       
                  ――  つづく ――


PS: 「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
「鼻が高い?」「鼻にかける?」……?若い時〜〜〜此の態度が在りましたかと。「反省…」ですネ!
余談ですが?確かに“親ゆづり…”と申しますか?私の鼻は確かに“鼻の高さ…”が、高いのです〜ョネ!

従いまして、意外と、第三者の方が見ますと?外見上の判断にて“鼻が高い…”と、ある面では、
「高慢な感じ」を与えたようにも、今考えますと〜〜〜><更に“愛嬌が悪い方…”でしたから、尚の事
そのように相手に与えてしまったカモ…と思うのです。…が?此処最近では【整形…】で“鼻…”を高く
された方が多いです〜〜〜が?やはり第三者的に判断して見ますと、やはり!【高慢…】に見えますので
しょうか??如何しても?白人とのコンプレックス観?なのでしょうか?“鼻を高く…”しますと、
綺麗になれると言った感じの【神話…】があるようですネ!!私は、街ですれ違う女性の姿をみまして、
若い時の自分自身が、恥かしく思えるようになりました。

■やはり!まず『顔…は、心の状態の現れです……。』から、【心…】で“整形…”出来るのですョネ!

このように思うのです。??実に“不思議”です〜〜〜ョネ???【心のパワ−】
さて!病気は「生活習慣…」からでも大いに関連しまして“病気…”になるようですが、そして、
“心の状態…”からも起きますから、やはり【ネガティブ感情=妬み?嫉み?更に抑壓された感じの状態
とか?……etc】は、【病気…】になりがちで、それは“ 環境…”から生まれますところの「トラブル…」を
更に起こしやすくなっていきますので、余計に【病気…】を作るようなモノです〜〜〜ョネ!!

そして【感謝…】を失いますと、必ず“天の声…”が耳もとで囁き入りまして【病気…】と言った
肉体上に“警告状”かと。此の「現実世界…」に明瞭に形として現われる=病気になる!!という事
でしょうか?こうして考えますと「現象世界…」で、私達は“嫌な想念・感情”を起こさない事!!そして、
更に【和顔愛語…賛嘆して】いきますと、必ず!天の倉が開き【病気の種…】を吹き飛ばすことに繋がる
ように思えます。当に〜〜〜

■今!!今!!活かしながら〜〜〜現象界で生きる私は、今から【幸福の種まき】に発芽するまでは、
【三 界 唯 心 所 現】でしょうか??

❤ 目指せ!!〜〜〜幸福切符を〜〜〜!!今を活かす私なのです…。    
                                   再合掌

2272トキ:2013/05/11(土) 20:46:11 ID:laSoKZN6
>>2271

 そう言えば、生命の実相40巻に顔の話が出ていますね。

しかし、大事なのは、【幸福の種まき】をすることです。頑張って下さい。

合掌 ありがとうございます

2273トキ:2013/05/12(日) 21:50:49 ID:/TYlhGRg
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

12日の法語 流れる水は腐らない

 どんなに清らかな水でも流れずにじっと溜まっていたら腐ってしまう時が来るのである。どんなに繁盛している職業でも
常に一層改善される方法を研究し、注意深く一層能率を挙げ、一層よき物を提供するように努力を払わなければ、流行に
遅れるし、新しき設備は他に設けられ、自分の事業は退転するより仕方がなくなるのである。「人間」そのものの養成も
同じ事である。百年1日の如く、その「人間」そのものが進歩しないでは、その人間は陳腐くさくなってしまい、世界の
進歩におくれてしまい、世の中から顧みられなくなってしまうのです。絶えず進歩する者は心が常に新しいから老いること
も少なく常に健康でありうるのである。

「生長の家」誌 昭和29年5月号 P78より謹写、

2274SAKURA:2013/05/12(日) 22:04:19 ID:ti/6XHz2
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■>> 2272 「生命の実相…40巻」…
「トキ様…」からのアドバイス?にて……拝読しましたので〜〜〜す。

「雅春先生…」の博識を改めて思う事となりましたかと。
その中で…【鼻…】に関連して〜〜〜実に“当たっているので〜〜〜”
−−−「生命の実相 40巻」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
…中略…
観想学が成り立つ根本原理は、
三界は唯心の所現、
肉体は心の影、
環境は心の影、
運命は心の影、
形態は心の影、
顔はその人の住む世界を代表す、
顔の中心部位たる鼻は宇宙または環境の中心たる自己をあらわす。
ということであります。人相は当たるも八卦当たらぬも八卦というような不確実なものではありません。
当たるのが当りまえであって、人間は実にその顔のとおりの心なのであります。嘘も隠しもありません。
…云々……                    (谷口雅春著「生命の実相」より 一部抜粋)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−―−−―◆

只今!鏡と“ニラメッコ…”です。【心の柔和な人=顔も柔和】ですから〜〜〜
どんな時でも〜♫〜どんな時でも〜♫〜“スマイル・マ−ク”をと…「鏡…」に向かいエクササイズです。
「トキ様」…教えて頂きまして【感謝…】申し上げます…。
                                       再合掌

2277a hope:2013/05/14(火) 07:10:18 ID:edEDolt2
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十四章 心で貴方を幸福にいたしましょう

◆良いものがほしければ良い原因を積まねばならぬ

皆さんは2×2=4の法則に、一生懸命祈ってみて、それを2×2=5にならせてくださいとたのんでも、
けっして五のかずは出来ないのであります。

そうすると、皆さんがいくら神さまにたのんでみても、
百円しか出来ないような働きよりしないでいながら「一万円ください」と神さまに祈っても、けっして一万円は出て来ないで、
百円しか出て来ないことがわかるでしょう。

この世界には、原因があれば、かならずその通りの結果が出て来る。
水素と酸素をあわせれば、水になる。

二と二をあわせたら、四になるというように、かならず原因の通りの結果が来るようになっているのでありまして、
これは目に見えぬ法則(すなわち神さま)が、そのようになさるのでありまして、
善人だから二と二をあわせて六になるとか、悪人だから、二と二を合わせて四にしてやらないで、
三になるということはないのであります。

いくら神さまにたのんでみても、二と二をあわせれば、四になるしか仕方がないのであります。
だから良い結果を得ようと思うならば、良い原因を積んでおくよりほか仕方ないのであります。

人に親切をしてやれば、また自分に親切がかえってまいります。
それは銀行に預けておいた金が、ひきだす時には、かならず利子がついて出て来るのと同じことであります。

一つの親切をしておけば、いつか後の時には、とても大きい親切の数が、
自分にかえって来るようになるのであります。

蒔いた種の通りのものを刈り入れることが出来るのであります。
蒔かない種は生えないのであります。

瓜を蒔いたら瓜がなり茄子をまいたら茄子がなるのであります。
一粒の麦を蒔いたら、かならず麦が出来るのでありますが、一粒の麦から出た一本の穂には七十粒も、
八十粒も、多いのには百二十粒も麦がついているのであります。

与えた通りの所のものが利子がついて与えられるのが、原因結果の法則というものでありまして、
それが数字では数字の法則として現れているのでありまして、この法則がすなわち神なのであります。
(つづく)

2278SAKURA:2013/05/14(火) 13:59:23 ID:ace8L14.
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2124>>2143>>2158>>2159>>2162>>2163>>2168>>2174>>2175>>2181>>2182>>2183>>2188
>>2209>>2212>>2225>>2226>>2239>>2240>>2249>>2257>>2258>>2259>>2263>>2271
「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    谷口雅春著
――――― 【 第八章  家庭はかうして光明化される 】―――――
         >>2246>>2249>>2258>>2259>>2263>>2271 第八章の投稿の続きです…。

■■ 心臓疾患は “愛情を求める心” のあらはれ

梅原さんのお宅では、お母さんも持病の心臓病で一週間か十日位に夜中に発作して医者のとこ
ろへ家族が走らなければならなかったといふことでありますが、心臓といふのは、グレン・クラーク
教授も嘗て指摘してゐますやうに、“愛情”を象徴する器官であります。そこに発作を起こすのは、
愛情に餓えてゐて“いたはつて貰いたい魂の要求”が時々爆発して、周囲の人々から愛情あるいた
はりを受けて、その発作が一時をさまるのであります。このことは谷口清超氏譯・マン女史の『怖れ
なき生活』(日本教文社)の中に出て来るポラード夫人の心臓病の實例の於ても明かであります。(同書・参
照)あまりに厳格な家庭に於ては、受動的に愛を受けたい天分をもつ女性が、時として病気を装ふ
ことによって、愛といたはりとを受けたい衝動を満足させるのであります。
(注・現在意識が意識的に仮病を使ふのでなく、潜在意識が偽装するのであるから、本人は仮病の
つもりはないし、苦しんでいるのは本當に本人である)
                            つづく

PS:「トキ様」 ・ 「観覧者の皆様」へ

『心臓病は愛情を象徴…?』は、つまり“いたわってほしい??といいます”魂の要求“なのです〜〜〜ネ!
そう!【愛情…】表現なのです〜〜〜ョネ!!此処で、話は変わりますが?【仮病…】とは〜〜〜><
よくつかう行動といいますか?私が学生時代でしょうか??此処で公開?します。…が?実は、当時、いやな
“授業科目”がありまして、その授業時間に限って、不思議と“お腹が痛くなる”のです。詳しく申しますと、
それは?確か“宿題の課題…”がクリア出来ていない時に、その授業内容についていけない時に、必ずと生じ
ました現象です。…が?これって?【条件反射…】でしょうか?或る時、急にモノすごく〜〜〜腹痛がしまして、
保険部に行きました。そしますと…笑い事ではありませんが?その“保険室”に行ったとたん〜〜〜“ケロッ!”
と治っているのです。ですから、その時の私の取りました行動は、“10分位ベッドに横になり、お腹が納まり
ましたと、保健室担当の先生に、腹痛が納まった事を告げて、再び教室に、戻りました。すると!また!また!
しばらくして腹痛が〜〜〜><このような『発作…』が起きるのです。

これはやはり、授業内容をクリアしていないので、急にいいがかりのような潜在意識が、起きたのでしょうネ!!
今にして思えば?やはり【病気はこころで作る…!】と思いました次第です。…が?これから?
【登校拒否…】の問題に入っていくのでしょうか?

「観覧者の皆様」の中にも、悩んだり、更に!ネガティブ感情になりやすい?なったりして?…それが、
繰り返されますと、いつしか知らず知らずに、やはり【病気…】になりやすいのでは。従いまして、
いつも「光明面を見る!!」だけでも【人生の勝利者…では?】と、つくづくこの頃思うのです。
個人的には、今の現状に於きましては、この事は?ある面難しいモノでもあり、修行中で〜〜〜す。(微笑)

■すべて【心で決定する!!】のです〜〜〜ョネ??「管理人 トキ様」は、この事に関しましては?
果たして、どう思われますでしょうかと。??

2279トキ:2013/05/14(火) 21:39:47 ID:5cIOGcgs
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

13日の法語 行きている物は新しい芽を出す

 樹木でも生きている限りは、絶えず新しき芽を出し、一寸でも一分でも必ず常に伸びて行くのである。
今年は芽が出ないし、枝も伸びないのはどうした訳かと調べてみると、その木は既に枯れているのである。
人間でも、もう少しも新しい計画(新芽)を考える力がなくなり、少しも新しく発展しなくなったときに
は、既にその人の生命は枯れつつあるのである。常に新しきことを考え、計画し、新しき事に興味を持つ
者は老いないのである。常に何事でも、少しづつでも改良して行く心掛けは、新しき想念を生み出す原動力
となるのある。そして、想念こそ肉体を崩壊せしめず或る一定の形に維持する力であるから、新しき想念
を生み出している限り人間は老いないのである。

「生長の家」誌 昭和29年5月号 78より謹写、

2280トキ:2013/05/14(火) 21:56:53 ID:5cIOGcgs
>>2278

 復興G様が書かれていましたが、その心は、「神様の心」でるべきですね。

2281a hope:2013/05/15(水) 08:34:21 ID:edEDolt2
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十四章 心で貴方を幸福にいたしましょう

◆心の調子をととのえましょう

あなたたちは神さまの生命の宿っている神の子ですから、神様が思われたことが法則となるように、
あなたの思ったことが、云いかえると、あなたの心の持ち方があなたの運命の形をあたえる法則となるのです。
あなたの「心」はほかの何よりも大切であります。

あなたの家に立派なピアノがあるとしたら、そのピアノを調律(ちょうしをあわす)して、
いつでも立派な響のでるようにしておかれるでありましょう。

あなたの大切な本は出来るだけ汚さないように、その表紙を紙に包んで、
頁(ページ)を開くにも、そっと丁寧にお開きになるでしょう。

所がその立派なピアノよりも、あなたの好きな立派な本よりも尚一層大切なものがあることをあなたはご存じでありますか?
一体それは何でしょうか?

それはあなたの「心」であります。
あなたの人生(ひとのくらし)が楽しいということは、あなたの「心」が楽しいということなのです。
あなたの人生が楽しくないということは、あなたの「心」が楽しくないということなのです。

あなたはあなたの「心」をどんな具合に調律せられますか。
調律というのは、調子を整えるということであります。

あなたの「心」の調子をどんなに整えるかということによって、あなたの人生の幸福と不幸とは分かれて来るのであります。
人間は自分の心に思う通りのものになるのであります。

先ず、自分自身をどのように思うかということが、自分自身の「あり方」を定めるのであります。
自分自身を不幸であると思う人は、その人は不幸なのであります。
自分自身を幸福だと思う人は、自分自身が幸福なのであります。

自分自身を「楽しい」と思う人は、その人は楽しいのであります。
自分自身を「悲しい」と思う人は自分自身が悲しいのであります。

こんなあたりまえのことが、どうして多くの人にわからないのでしょう。
(つづく)

2282NANCY:2013/05/15(水) 20:26:32 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……     ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
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>>2228の投稿の続きです。

この頃、思うのですが?【美…】此の理想の“美…意識”が?多々ありますかと。下記にて創立者
「雅春先生」の【女性の幸福  365章】からの一部抜粋です。尚「白鳩普及誌 No.36」に掲載〜♫〜です。

−−−「抜粋 投稿」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

■ 【美 は 自 分 で 創 る も の!】

生命はそれ自身のうち「内在の美」を備えており、如何なる目的であろうとも、生命が働くとき、
其処に「 美 」が発現するのである。 とも角、生命は働くときには何時、如何なるときにも
美が発現するのである。              『女性の幸福 365章』より

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−ーー

■此処昨今は?街角ですれ違う若い女性のイキイキした姿を〜〜〜目に留まることが多い昨今です。
先日?個人的な“相談…”を【SAKURA】と受けることになり〜〜〜【美…】とは〜〜〜?
考えさせられました「問題…」でしょうか??

此処昨今は?【外見上…肉体的】に走る傾向が強いように思います…。個人的には?特に此処FUKは、
土地柄でしょうか?強い感じです〜〜〜ョネ!しかしながら思いますに ><

■「永遠性…美」とは、やはり「 内在の美 」が普遍の原理と申しますでしょうか??

これは?この頃、つくづく思うのですが〜〜〜?私事です。…が?「年齢…」を或るトキ?自覚しますと〜
「若さの雰囲気」もこれも一つの「 内在の美… 」に繋がるものでしょうかとも。?意識的に念じながら
更に!若い人の中にいますと?【心理的若返り…】となり、いつしか現象世界での自分自身の行動…しかも
思考も前向きに!冒険的に!〜〜〜「心模様が変化」していってる事に気づきましたのです。
それは?周囲にも多少は“若さの雰囲気…”感染させます要因になりますのでは?

この頃は【意識的に念じて…若さの雰囲気】をと…トライ中です…。これも「 内在の美 」!!                     

再合掌

2283トキ:2013/05/15(水) 20:39:35 ID:IWDOe9VE
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

14日の法語 競争者を進歩の契機だと思え

 競争者が現れるということは、その人の内部に宿っている「無限の可能性」を現象界に引き出す契機を与える
ことになるのであるから、競争者を憎んではならないのである。殺し合いの戦争というものは好ましくないけれ
でも、戦争というものは生命を賭けて競争をする者であり、敗ければ殺されるのであるから、戦争に間に発明さ
れる科学的装置というものは平和時のそれに比べると十数倍するのである。吾々は、ストライキなどに自分の
生命を浪費する暇に平和時において、戦争時と同じような生命を賭けての真剣さをもって、新しき創意を工夫し
新計画を発案し、それを平和産業や、人類の厚生のために応用するならば、賃金闘争などせずとも日常生活に
物資の豊かな世界が現れる。

「生長の家」誌 昭和29年5月号 p9より謹写、

2284SAKURA:2013/05/15(水) 22:05:26 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>2280 の投稿を頂きまして〜〜〜
>>その心は、「神様の心」であるべきですね。<<
実に難問?でもありますかしら〜〜〜ン! 日々!更新の心にて〜〜〜唯今!修行中です。

❤〜ありがとうございます…。

2285SAKURA:2013/05/15(水) 22:26:13 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    谷口雅春著
――――― 【 第八章  家庭はかうして光明化される 】―――――

■■ 宿業は本当にあるか?  その①

 この体験談の中に宿業の問題が触れられています。「宿業はあるか」という事は重大な問題であ
りますが、「中間因」より生じた中間存在として仮に假りに「宿業」はあるのであります。”本来存在”
としては「宿業」はないのであります。”本来存在”としては宿業はないといふのは、本来人間は
”神の子”であり、佛教的に謂へば”佛子”でありますから、悪の要素を含むといふ意味での”宿
業といふものは本来存在しないのであります。

 ”中間存在として假りに存在するといふ”宿業”は、本来、月には雲がないから、月に雲がかかり
やうがないのに、中間に何らかの原因で月に叢雲がかかったやうに見える ――つまり人間が假りに
「心の曇り」を起して、その曇りを通して月を見るから月が曇ったやうに見えるが、月には本當は雲
がかかってゐないのと同じであります。中間の原因を取り去ってしまへば、本来の實相の完全圓満さ
があらはれて来るのであります。人間の「迷ひの心」を除去してしまへば人間本来の完全さがあらは
れて来るわけであります。                           谷口雅春著

◆−――−――−――−――−――−――−――−――−――−――−――−――−――−――−――−−◆

PS:トキ様 へ  観覧者の皆様 へ

「宿業はあるか」???これは【実相…ではない!】のですが?【現象世界…では???ある!】のではと
思うのです。従いまして、これは「中間因」から中間存在として、ある訳です〜〜〜ョネ???
私共は、生きてゆく上で「正しい理念…」に於いての行動ならばいいのでしょうが〜〜〜??今回!私の
教区の「お金の行方……持ち逃げ??」は、彼らは【生長の家…を戻す!】という理念での行動したと言っ
ていますが〜〜〜??正直な話…これって何が正しいのかが、分からないのです…。…が?

つづく

2286SAKURA:2013/05/15(水) 22:32:51 ID:BEUD3XFA
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    谷口雅春著
――――― 【 第八章  家庭はかうして光明化される 】―――――

■■ 宿業は本当にあるか?   その②
「教区…」の今までの”信者のお金…”を〜〜〜><持ちだしての【生長の家…を戻す!】この行動は?
それを”正しい行動だとか?”が、このような【中 間 因 念 の 捉 え 方】が、今その人が「業…」
として現われる場合は、病気になり、形としてあらわれているのではないでしょうか???
「業…」は、やはりその人の”正しい理念”に導くようなものだと思いますから、その人が【正しい理念】に
振り向いた途端に〜〜〜
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          
【業…」は、消えるはずですから、当然!『無い…』といって【悪い事を正当化?】しています方が、多い
のです。…が?つくづく❤【業はやはり無いようで〜〜〜在る!のですネ!】それは、その人の【心の法則】
に従い、それが”正しい理念での導き方が出来てない場合に、起きる問題では〜〜〜?”と思うのですョネ?

❤「月に雲がかかって見える心」が〜〜〜つまり!「その人の曇った心…」から見える事であり、実際は、
雲は掛かっていないのです。従いまして、そう見える事は、やはり【心の捉え方…】になるのでしょうネ!!
今回!私でも「曇った心…」で見ますと、いろんな姿・形が現象として表れてきますので、まず!
「心を正しい理念に、振り向ける事!!」そして、まず!みじかに出来る事は【祈り……】ことでしょうかと。

【祈り…】に、入って行きますと〜〜〜?【神の英知を頂き、更に、導いてくれる!】はずですから〜〜〜
【実相世界にはいって行くのです。ですから、当に「心の宝船に乗れる事!」が可能となり、そこで、
はじめて【業…】は消えていくはずです。更に!そうして行く内に、悪い性格も改善されて、本来の実相なる
性格になっていくでしょうかと。??

「管理人 トキ様」は〜〜〜【宿業…】は?どの様に思われますかと。???  再合掌

2287a hope:2013/05/16(木) 06:42:51 ID:edEDolt2
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十四章 心で貴方を幸福にいたしましょう

◆食事の時には楽しく召しあがれ

あなたがお食事をなさる時にも、その食事に感謝して楽しい気持ちでおあがりなさい。
その時には、口の中に非常に消化力の強い唾液が出て、そのためにたべる食物が口の中で消化して、
甘くなるからおいしく感じられるのであります。

即ち楽しい思いを以て食べれば、食事は一層楽しくなり、「楽しさ」は一層楽しさをよびだして来るのあります。
これに反して楽しくない心で食べれば、口の中に出て来る唾液は消化力の弱いものとなりますから、
どの食物もおいしさがなくなって、ますます楽しさがなくなってまいります。

楽しくない心を起こせば一層楽しくないことをひきよせることになるのです。
(つづく)

2288SAKURA:2013/05/16(木) 22:10:49 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2286 「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    谷口雅春著
――――― 【 第八章  家庭はかうして光明化される 】―――――

■■ 「迷ひの心」を如何にして去るか   その①

 さて、「迷ひの心」をどのようにして取り去るかといふ問題になると却々(なかなか)むつかしいのです。
“宿業”や“迷ひの心”をアルとして意識がつかんでゐる限りは、煙の出る煙草を指の間にはさんでゐな
がら、その煙を拂(はら)はうとしても、次から次へと煙が出て来て煙の消えやうがないと同じで、そんな
ことでは“迷ひの心”は消えないのであります。煙を消すには「煙の出る煙草」を自分の手から棄ててし
まふことが必要であります。“迷ひの心”を消すには“迷ひの心”をつかんでゐて、“何とかしなければな
らぬ“力んでゐたのでは結局駄目なのです。そんな”迷ひ“をつかむ心を煙草を棄てるように棄ててしまっ
て、“迷ひはない”と知ることが必要なのです。和江さんが「善くなろう善くなろうと努力しながら、結局
私は間違った方向へ進んでゐたのでございます」と言ってゐられるのがそれであります。“悪”の存在を
みとめて、人を「善くしよう」と思ったり、自分を「善くしよう」と思つても、“悪”の存在を心で掴んで
ゐるから、「煙の出る煙草」をつかんでゐるのと同じで、“悪”は消えないのであります。
                                   谷口雅春著

PS:「トキ様」 「観覧者の皆様」 へ

■やはり【心で人生は支配する…】この“心こそが、決定する”!!という感じでしょうか?
ネガティブな感情で、同じように【心で人生を縛る…】ような事も、あるのです〜〜〜ョネ!!【闇の世界?】
いつも私は「時間管理が〜〜><」ここまでいかなければいけない……と言いながら、実際は、クリア出来て
いなのが、此処最近の私です。“焦り…”〜〜しかも、嫌な出来事が毎日!毎日!現象として、連続的に起きます。

例えば〜〜〜それは“通勤中”の事です。…が?いつもの〜いつもの〜“パ−タ−ン???”〜〜〜><
「吸血鬼・ゾンビ…etc」更に「黒幕デザイナ−」そして「元元々W会長の仲間…etc」ドン〜ドン〜押し寄せて
きます。

                            つづく

2289SAKURA:2013/05/16(木) 22:12:49 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2209>>2212>>2225>>2226>>2239>>2240>>2249>>2257>>2258>>2259>>2263>>2271>>2278>>2285
>>2286>>2288「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    谷口雅春著
――――― 【 第八章  家庭はかうして光明化される 】―――――

■■ 「迷ひの心」を如何にして去るか  その②

■私の心は、次第にネガティブになり?暗くなります。このように、私の心の葛藤が〜〜〜><在ります。
そして、正直な話ですが? かなりのウエイトを占めておりましたでしょうか?最近!隣のビル「玄関側の方…」から
見まして…以前は“イエロ−のロ−ルカ−テン”でしたが?此処最近?その隣のビルの住人の方が〜変わったので
しょうかと。?「壁…」と「キッチン」……etc改装工事が要約終った感じなのです。…が?以前は〜〜〜確か?
私の記憶では「小西○○デザイナ―」がいたのです〜ョネ!!それが〜〜いつの間にか〜〜変わったのでしょうか?
【何と!同じ系統の〜〜〜カラ−??】他にも〜〜〜><

その事を思い出しながら?まさか?まさか?また〜〜〜「分派の中の誰か??」なのでしょうか?更に!一時は
「吸血鬼…達とか??」この様に、見ていましたのです。…が???

■【や め た!!】そのような“こころで執着”している私が、逆に!そう見ている事に気づきましたのです。

「心で縛りつけた事!!」だけの事!その“値した事”しか【人生にかえってこない!】のです〜〜〜ョネ!!
私は、モ〜〜〜ウ!そのような【心…】を〜〜〜“蜘蛛の糸”のように〜〜〜今日から〜〜〜
“ハサミ”でチョキ〜〜チョキ〜〜〜切りましたら〜〜〜その途端に!目の前が、ものすごく!開けまして、
前!前!〜〜〜前!に進んでいる“私を再発見…”です!!

そして、昨日は「ミシン講義…」を?“家庭ミシン…”なのです。…が?○十年ぶりに携わり、実に!オモシロイ
のです。開催場に参加しましたら「若い男性も参加」…これには“ビックリ”です。…が?時代も代り〜〜♫〜〜
何と!「色の配色の選び方」も、やはり“個性…”があるのです〜〜〜ネ!この様に、人それぞれですから、当然
今の私は、まず!【“心…”次第で〜〜〜前に進む事に繋がり〜〜〜日々の生活を活かす事ことが出来る!!】
そのようになれば、モ〜〜〜ウ!これは【人生の勝利者】かなぁ〜〜〜(微笑)と思えるようになり、

この頃は、前以上に心が落ち着いてきておりますが――>何事にも動じない“こころ”……そして、 
【今を活かす事!】とは、更に!まず!【今、出来る事に集中して行く内に、周囲の状況を気にならなくように
なって行くのかと?】この様に思えるようになりましたのです。まずは〜〜〜、
【自分の心を完成する事!!】これこそ!先決問題でしょうかと。そして【人生の勝利者…】へと…

「トキ様…」は〜〜〜?どのように感じられましたでしょうか???       再合掌

2290トキ:2013/05/17(金) 19:45:10 ID:gLnHKbBE
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

15日の法語 人間が新しくなるために

 繁昌している店のショーウインドウの陳列品は1週間して行ってみると全然新しくなっているのである。百年1日のごとく
同じ商品を同じように列べている店は繁昌しようがないのである。地方の洋装店主や美容術師は1ヶ月に1度位は上京して最新
の東京の流行と雰囲気に触れねば、洋装のスタイルも、洋髪のスタイルも流行おくれになって客が来なくなるのである。都会は
常に新しい想念で動いている。それは悪い意味では軽薄だと言う事も出来るが、それだけ生命が溌剌として動いているのである。
田舎の流動のテンポが遅いのである。新しい想念がないから田舎の人は空気が良い割合に早く老いるのである。

「生長の家」誌 昭和29年5月号 p9より謹写、

2291NANCY:2013/05/17(金) 20:21:25 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
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>>2228>>2282の投稿の続きです。

−−−「抜粋 投稿  谷口雅春 著」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

■ 【 愛 と 讃嘆 を 雨ふらせましょう】      (普及誌 白鳩  No.33)
 光明面のみを見よ。あなたの良人の、あなたの子供の美点のみを見て、たといその美点が
今ちいさくとも、それを言葉にて讃嘆し、こころにて尊敬せよ。
美点はだんだん拡大され、すべての欠点を消してしまう偉大なる光明にまで発展するのである。
                                 『女性の幸福 365章』より
◆−――−――−−――−−――−――−−――−−――−――−−――−−――−――−――−−――−◆

■【讃嘆する事…】この事は、相手に対して「自信を与える事…」になります〜〜〜ョネ!

例えばですが??
私自身…“字体…”が〜〜〜下手!という【コンプレックス…】がありました。
学生時代は、いつも〜いつも〜私の答案用紙のところで、担任の先生が“ニヤリ…”と笑いながら…
いつもの“コトバ”を。。。「どうにかならないのか〜〜〜なぁ??此の字体…」と?授業中!!生徒の前にて
言われた事を…思い出します…。

それからです…。私自身?そんなに“字体がオカシイ〜〜〜の”と…悩み始め…「心の傷」が… ><

或る時!学友で「書道○段の彼女」が…私に出来ない事はないから「ペン習字?書道?」をトライ!したら?
そして…その学友自身も“下手”だったの〜〜〜ヨ!と私に頑張って“トライ!”するように〜〜〜
それに「文字〜〜〜から、その人の性格…判断できるし…云々…」と…言われ少し心が動きました。…が?
正直!その時は?「ペン習字?書道?」…トライまでは〜〜〜行きませんでした。

ところが?「社会人…」になりまして…或る時の事!彼女のアドバイスが〜〜〜脳裏に浮かびましたのです。
それは?上司から?「研究報告…」を、清書するように言われました。かなりの枚数です。参考までにと?
その上司から他の【研究報告…清書のレポ−ト】を拝見しますと〜〜〜その瞬間!蒼白になりまして、
相当なる落ち込みを抱いた事を、「過去の思い出」として脳裏にあります。とにかく、当時はあたふたして、
何とか【研究報告…清書】を作成しました。それからです…!!「書道…習いに行こう」と…心に決めました
のです。(常日頃から、どうしても?トレッシング用紙に書きまして、コピ−しますと〜〜オカシイと判断が
在りましたのです。)その後…少しづつですが?以前よりも「字体・・・」が多少上手くなったのでは〜〜〜
あくまでも?自己採点〜〜〜(微笑)

今回「現総裁雅宣先生…」の発案…?【書道…】は、お手本となる【文字…日本語】をよく見ながら、やはり
心を其処に“集中…”して書きますから??勿論!持続の意志力も入りますかと。或る面では「精神の向上」
にも繋がるモノでは?このように考えます。…が?

※余談ですが?それから〜〜〜何時しか嬉しい“コトバ”を頂くようになりました。
大阪の財界の或る「お客様」からの“コトバ…”ですが〜〜〜♫
「頂いた筆で書かれた手紙が〜〜〜モッタイナイ!大切に保管していますから〜〜〜ネ!」…
此の“コトバ”を頂いた時が…最高に嬉しい瞬間でした…。今!お元気でしょうかと?思いながら……

■「讃嘆のコトバ…」の雨をふらすことは〜〜〜相手に自信・活力…前向きなる姿勢…etc与える事に
繋がりますモノと…思う次第です。…が?
                             再合掌

2292トキ:2013/05/17(金) 21:11:51 ID:gLnHKbBE
>>2291

 書道をされているのですか。素晴らしいですね。

 また、作品を見せて下さい。

2293SAKURA:2013/05/18(土) 21:03:50 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1955>>1983>>1988>>1999>>2010>>2012>>2024>>2028>>2029>>2061>>2066>>2067
>>2083>>2116>>2117>>2129>>2134>>2135>>2165>>2166>>2173>>2216 >>2217>>2220
>>2228>>2282>>2291の投稿の続きです。

−−−「抜粋 投稿  谷口雅春 著」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

■ 生活を芸術化せよ     ( 普及誌 白鳩  No.30)  
 放蕩息子となって、現象の“夢幻の世界”を貧しい思いを起こして彷徨(さまよ)い歩いてはならない。
智慧の灯火をともしてあなたの行く手を照らして進むがよい。
人生は、「人間・神の子」という実相の聖地にたどり着くための巡礼の旅路である。
        
                      『女性の幸福 365章』より
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

■【人生は〜〜〜「人間・神の子」という実相の聖地にたどり着くための巡礼の旅路】……

この“コトバ…”確かに〜〜〜そうなのです。…が?ところが?
今の私の「思考の力?」は、不安定です。従いまして、未だに『人間・神の子』この自覚が〜〜〜時と
しては“ふらつき…”となります。

例えば〜〜〜>< 
個人的なのです。…が? 時には?肉体的反応?と申しますか〜〜〜“嫌な出来事”に遭遇しますと、
どうしても「愚痴…」「憎しみ」「恨み」「罵り」…etcが生まれてきます。それが“コトバ…”として
口から出てしまうのです。これは〜〜〜最悪状態です〜〜〜ョネ!このような“コトバ…”を発る事は、
既に【人間・神の子】の自覚からは〜〜〜全くもって遠のいていますモノ!
昨日、私も【SAKURA】 さんと買い物に行きました時…「長谷川仏壇にての“お線香”を買い求める」際の、
女性の行動…には“へきへき”なのです。
このように現象世界の目の前の出来事にこだわりますと〜〜〜何時までも!何時までも!
【人間・神の子】の自覚 が〜〜〜遠のいて行く事となる!此の事は、自分自身でも理解しているつもりです。
…が?

その「打開策??」として〜〜【切り替え…スイッチ】でしょうかと。【シャット・ダウン!!】なのです。
そして「心の強化」を図るために【祈り…】に徹する。当に「心の訓練−−>心の法則」でしょうかと。
この頃では、つくづくと考えてしまうのです。…が?
従いまして…以前よりも!モット!モット!【実相の聖地…】にたどり着くという事の認識の基に〜〜〜

【神想観=イメ−ジトレ−ニング】にて、【実相世界へ向かう旅路】を、日々【祈り…】て〜〜〜
楽しみながら、実現へと!!それも“一歩一歩”でしょうかと、思う次第です。…が?

                                   再合掌
PS: 「管理人 トキ様」へ
拝読して頂きましての“感想の言葉…”を頂き、ありがとうございます…。 【感謝!】
しかしながら?やはり思いますが〜〜〜“日々のお稽古”が…全て結果として“形”として出てくるのかと。
実は〜〜〜此処数年は“書道…筆を取る”事がありませんでしたので〜〜〜もう一度“トライ”です。

2294NANCY:2013/05/18(土) 21:10:57 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……     ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。

■【 お詫び ……インフォメ−ション 】
>>2293 の投稿は【NANCY】です。 大変!そそっかしくて…申し訳ありません。(ごめんなさい)
                               
再合掌

PS:只今!【SAKURA】さんと…「パソコン」を取り合いバトルにての投稿で……><
ごめんなさい…。

2295トキ:2013/05/18(土) 21:26:52 ID:sWbuwuBA
>>2294

 1日も早い平和をお祈りします。

2296ありがとう:2013/05/18(土) 23:44:43 ID:???

   『言葉の力と国民歌の選択』
             (後半部分)


爰に私は大東亜戦争が勃発して間もなく帝國海軍から発せられた標語『敵を倒すまでは死ぬな』と云う言葉に深き思いを致さねばならないと思うのである。死は易く、生は難しである。死すべき時に死せざれば、死後まで末代の恥辱であるが、ただ『死』のみを連想して、『死』を迅(はや)まらしむるような標語を国内に弘めることは避くべきであると思う。

 かの大伴家持の『海ゆかば水漬かばね、山ゆかば草むす屍・・・』の歌は大伴家持の一死 大君の大生命に帰一する純情の名歌ではるが、これを国民歌の如くにして、全国津々浦々に唱和せしむることは『言葉の力』を知る吾らにとっては、余りにもその影響が大なる気持もするのである。

 『真黒けのけ』の俗歌が流行した時には大阪北区に大火があり、『枯れすすき』の俗歌がはやったときには、関東大震災があって東都全体が『枯れすすき』のような状態を呈したと云うことを顧みるとき、『海ゆかば水漬く屍、山ゆかば草むす屍・・・・』の家持の歌が、まるで国民歌の如く全国津々浦々に流行せる時、恰もアップ島の玉砕の事あり、斯かる相関関係は偶然か否かは大いに考慮しなければならぬ大切な問題であると思うのである。

 あの歌は『大君の辺にこそ死なめ』の純忠の感情はあれども、屍となって倒れることの方が強調されていて、『戦勝』と云う意味も、『敵に勝つ』と云う意味も少しも言葉の中に表現せられてはおらぬ風に響く。それは、出陣の敦盛のような、ただ悉くの者戦死も止むを得ないと云う悲壮な感情が哀調の中に歌われているとも聞える。

 戦争はただ悲壮な戦死を常に歌い、味方の死屍累々を心に描くばかりでは打ち勝つことは出来ないのである。『討ちて止まん』『敵を仆すまでは死ぬな』『敵を仆すまでは死んでも死なぬぞ』と云う強力なる意志と、感情を想望する雄渾な歌詞をこそ国民歌として選択すべきものと思う。

 『先陣訓』の中にも『戦へは必ず勝ち』とあって死屍累々たれとは書いてはない。大伴家持のこの歌があまりにも国民全体に喜ばれているとき、斯くの如き言をなすのは、ひとり異説を唱える者として憎まれ者になる恐れがあるが、『心に描くことは実現する』の唯心所現の哲学もあり、今は國を思うの切なるものあり、味方の死屍を連想せしめ勝ちのものよりも、もっと一億全体を戦勝に駆り立てる勇壮なる歌詞の流行を希うの余り、一言これを為す。寛容の心にて斯かる方面にも今後御考慮を願うものである。

          『生長の家』18年8月号 38〜40p

2297a hope:2013/05/19(日) 11:36:15 ID:edEDolt2
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十四章 心で貴方を幸福にいたしましょう

◆先ず自分を神の子だと考えよ

まず心に自分自身が「神の子」あって、楽しいのがあたりまえだと考えなさい。
「私は神の子で、いつも楽しい」と毎日心の中で唱えるようにしていますと、
本当に楽しくなって、勉強でも仕事でも何でも立派にできるようになるのであります。

「神の子」にはどんな力でも出るのであります。
まずそれを信じなければなりません。

ナポレオンが第一線に出て来た時には、全軍の士気(へいたいのゆうき)が急にふるいたって、強くなったということであります。
指揮官(めいれいするひと)が自信をもってすれば、全体の人は自然に元気になってくるのであります。

「心」は吾々の指揮官であります。
「心」が愉快に楽しく自信をもっておれば、体全体が調子よく働くのであり、頭の働きも又よくなるのであります。

人間は、自分が自信をもっている程度より以上には偉くなれるものではありません。
ナポレオンがアルプス山脈を越えることができたのは、アルプス山脈を越え得られるという自信があったからであります。

「心」に「出来る」ということを考えないでいて、出来ることは一つもないのであります。
出来ると信じた程度の通りにできるのであります。

どんなに学問があり、能力があり天才(うまれつきのちえと力)がありましょうとも、
できないと思っている限りは何もできないのであります。

世の中には立派な才能を持ちながら、自分自身はできないと思っているために、
何の働きも世の中に捧げることができずに、一生涯を無駄に過ごしてしまう人も随分多いのであります。

余り才能がない人でもできるという自信をもっているために、
お花やお茶の先生をして立派な収入(みいり)を得ている人も随分あるのであります。

ともかく人間は信ずる通りになるのでありますから、自分自身を信じなさい。
どんな力でも信じた通りに出て来るのであります。
(つづく)

2298SAKURA:2013/05/19(日) 22:58:19 ID:t8X0oXoc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2209>>2212>>2225>>2226>>2239>>2240>>2249>>2257>>2258>>2259>>2263>>2271>>2278>>2285
>>2286>>2288>>2289「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    谷口雅春著

――――― 【 第八章  家庭はかうして光明化される 】―――――
■■ 十方感謝の心になれば宿業は消える             その①

 すべては善である。あの人も善である。自分も善である。神の造り給うたこの世界には悪などない
のである。悪と見えるのは、「仮面をかぶった善」である。すべては有りがたいのである。「ありがと
うございます」と十方感謝の気持ちになりますと、その時こそ「煙の出る煙草」を指から放して棄てた
時であって、もう“迷いの雲”はたちのぼらなくなり、假存在としての宿業は消え、あらゆる面によ
きもののみがあらわれて来るのであります。そうすると家族も病気しなくなりますし、子供も自然に
優良になるのであります。だから和江さんは次のように言われるのであります。

「その時から子供の成績もぐんぐん伸びまして、殆んどクラス一番で通しまして、現在、甲陽中学
の二年生に在学致しております。……子供が永い間お医者さんにかかりましても治らなかった鼻血が
ピタリと止まっておりましたし、母の心臓の発作もその頃から一遍も起こったことが御座いません」

 このように“宿業”のように言われていたものでも、それは「本来の存在」ではなく、「中間因」
によって生じた「中間存在」でありますから、「中間因」をつかまずに、心の世界から、それを棄て
てしまひ、ただ、「善」なる実相のみ実在であるとして、ただそれのみを神想観によって観じ、天地
一切のもの、特に祖先及び父母に感謝しておりますと、悪なる「中間因」は消え、嘗て吐いた煙草の
煙が、いつの間にか消えるように、消えてしまい、ただ善なる根本実在なる“神の子”の立派な相の
みがあらわれて来るのであります。この時あなたの家庭は、神のつくり給うたそのままの天国浄土と
化するのであります。              (谷口雅春著)

PS;「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
そうです〜〜〜ョネ!…。現在の私も?今は“反省…”しきりなのです…。子供頃は、父という存在は、
絶対的存在なのでした。それも、私の場合は、かなりの間と申しましょうか?20歳頃までは、確かに、
父親に対しての絶対的存在感が、ありました。…が?これが〜〜〜><そうなのです…。或る時の「誤った
出会い…」21歳になりました頃「タタキ男…」に、出会いましてから「亡き父」に対しての絶対的存在
が崩れ去りましたかと。その頃、この「タタキ男」自身は【一番が自分で…偉いのだ!】この様な感じにて、
私の潜在意識にしきりに“input”なのです。それに、まるでわたしの父親が、無学に等しい学歴ですから、
当の本人は“大卒…”という学歴にて、私の「亡き父」を見下した感じなのでしょうかと。??
                       
                                         つづく

2299SAKURA:2013/05/19(日) 23:09:21 ID:t8X0oXoc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2209>>2212>>2225>>2226>>2239>>2240>>2249>>2257>>2258>>2259>>2263>>2271>>2278>>2285
>>2286>>2288>>2289>>2298「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    谷口雅春著

――――― 【 第八章  家庭はかうして光明化される 】―――――
■■ 十方感謝の心になれば宿業は消える               その②

>>2298その①の投稿の続きです…。
確かに、当時の私は、社会情勢から、大学に行った事の意味がウエイト的にも大きく見えていましたから、
その当時の私は、世間で言います“学歴コンプレックス”の塊のような気持ちをいつしか抱くようになり、
世間的にも、かなり“損…”をする事になりますかと?こう思うようになりまして、しかも、一般論から
みましても、その事は否定できないのでは?この様なネガティブ感情をいつしか「亡き父」に対して持つ
ようになり、それが私の“行動”として表れて来ましたから、この前後の時から、何かにつけて「亡き父」
に反抗するようになったのです。…が?

確かに「亡き父」は≪戦前教育≫です。そして、私は≪戦後教育≫なのです。ですから、何かにつけまして、
意見の対立が??生じまして〜〜〜><例えば「生長の家の御教え…」にも〜〜〜?
その通りに“実行…”がなされてない「亡き父」を見ますと、そこから「亡き父」に対しての
“コトバ…”によります【水かけ論…】が〜〜〜><そうで〜〜〜すョネ!

「此処は、この様に、雅春先生が、こう云って下さっているから〜〜〜オカシイヮ!!」と、いいますと〜
もう!これは「亡き父」にして見ますと【恥…】なのでしょうか?随分と、これに関しては、事あるごとに、
よく怒られたモノです。…が?この様に“学力…つまり理解しようという心”がありませんと、こちらが?
理解してもらいたいとの想いで“コトバ…”を発しても、何も通じないのだと思うようになりまして、いつしか?
その「タタキ男」が言っている事が【正当論…】に見えていったのです〜〜ョネ?

今にして想えば“おかしな出来事”でもあり【マインド・コントロ−ル…】されていましたかと。
正しい事が、正しいとは〜〜如何なる基準で、果たして、それは、どこまで“判断”を下す事が出来るのでしょうか?
この様に【人の弱点…に付け込む人…】は、今日では多い最中、この【真理…一剣】にて、如何なる状況下でも、
それに動じる事がない心−―>金剛心と申しますか?−―>これは、何処から来るのでしょうか???

こう思えるようになり、最近!気がつきますと、本当に【実 相】は〜〜【善一元の世界…】なのに、いろんな
見方からの展開で『人間関係…』が出来てきます現状!そこに【我…】が生じましての〜〜〜分かっていても
“認めたくない心”が、先に!優先しますと、それが【中間因…】になるのです〜〜ョネ!!私の世代では、
「日教組教育…」が全盛時代でしたから、何かにつけて、平均的に先に【負けん気=我】が生じまして〜〜〜
「勝ち組!負け組!」このような優先順位なのでしょうか??従いまして『真の愛?やさしさ?』…が、特に
欠けている方が多いのです。此処九州に至っては、特別に感じるようになりますから、ほとんど【中間因…】
ばかりの男女に見えてしまいます。!!ですから、私自身もどうしても【現象…】で捉えがちになっている事
に気がつきまして、それに、ある面では、その事は“翻弄されていく事!”にもなるのです〜〜ョネ??

若い時の“失敗…”は解らなかった………!!が、今では、私自身、その事が理解できるようになりまして、
まず【神に向かって祈る!〜〜祈る!ひたすら祈る!】そうしていきますと、全て!その現象の中に、
自ずと“讃嘆出来る良い面”が見えて〜〜〜それは“雲が隠れて見えない”のでは無く、そこの“奥…”が
見えていくような世界が〜〜〜開けて行くような世界に、今の私は導かれていくようなのです。

気がつきますと【中間因…】は消えさり【業…】も消えていく感じに、今の私は「過去のおさらい」を、
していますが??❤〜もうすぐ、私にも【心 の 春 が お と ず れ …】となるでしょう〜〜〜!!

■>>「ただ善なる根本実在なる“神の子”の立派な相のみがあらわれて来るのであります。
この時あなたの家庭は、神のつくり給うたそのままの天国浄土と化するのであります。」<<

                                再合掌

2300トキ:2013/05/20(月) 21:39:57 ID:KVAgk9YU
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

16日の法語 日に進歩する店と進歩する人

 毎日見ている自分の店の格好などは、見るに慣れてしまってその欠点がわからないが、都会の流行を見て来た
客がたまにその店を訪れて百年1日のような品物の並べ方をしてあるのを見れば、その店の進歩のなさが眼について
その店の品物など買う気にならないのに相違ないのである。東京の大百貨店でも、数年に1度は大改装や大増築を
行って、日に日に進んで行く大衆の鑑賞眼におくれないようにしなければ、その百貨店は流行遅れになってしまって
繁昌しなくなるのである。私は店や商売のことばかりを言っているのではない。店でさえその通りであるから、人間
は毎日何事かを自分について改良し、何事か新しき想念を加え、日に日に新しくならなければ人後に落ちることを
言いたいのである。

「生長の家」誌 昭和29年5月号 p10より謹写、

2301a hope:2013/05/21(火) 08:42:50 ID:edEDolt2
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十四章 心で貴方を幸福にいたしましょう

◆人間の値打ちはこうしてわかる

人間の値打ちというものは、その人が自分の勉強や仕事を、どういう態度でするかということによってわかるのであります。
金もうけになるからするというのでは、自分の生命を金によって使われているのでありますから、体の力の切り売りです。

仕事は他の人を愛するために、他の人につくしてあげたいために、
他の人のためになることが嬉しくてたまらないので、するのでなくては値打ちがありません。

勉強は自分の力を磨きあげ、自分の人格を高めあげるためにすることは善いことですが、
まだ最上ではありません。
点数とりの勉強が値打ちがないのは、金のための仕事と同じで点数の奴隷であるからであります。

そこで勉強するのは自分の人格を高め、能力を磨いて、人の役にたつようにしたいと思ってするのでなくてはなりません。
(つづく)

2302ユタカ:2013/05/21(火) 09:27:57 ID:R1D4Jmeg
『理想世界』誌の拡大は理想世界を建設する同志が増えるから尊いのです
 


 吾々青年の機関誌『理想世界』誌も諸君が弘めようとして、努力したら一度に数万も増えたけれども、近頃又多少減って来たというので、一ぺんに無理して努力しても、また減るから、つまらんから、あんまり大きな目標を立てないで徐々に、着実に少しずつ増やそうなんていうことになったそうだけれども、そんなに自己縮小することは私は賛成しないのであります。


 大いに増やしておいたら、脱落する人も多いから、大いに増やさないことにしたら脱落する人も少なくなる、そんな消極的な論理を弄んでいたら、もう一人も誌友をつくらなかったら、一人も誌友が減らないことになる。 それでは『理想世界』はどうして実現するのです?


 一時増えた誌友が脱落するのは、雑誌を大いに弘めたからではない。 単に部数を増やすということばかり考えて、理想世界建設の人間をつくらなかったからです。 部数のふえることばかり考えているが『理想世界』の部数拡大は、理想世界を建設する同志が増えるから尊いのです。


 吾々は人類を救うのです。 人類を救うんだ。 雑誌をふやすのはただ理想実現の手段にすぎないのである。 それなのに新聞配達みたいに、増やす部数のことばかりやって、その人間を、理想実現の選士に導かなかったら喜びがないのですよ。 喜びがないから脱落するのです。


 実際に雑誌を手渡した人たちに、人類を救う選士になったという喜びをもたせることが出来た時に、その時はじめて、 『あの人も救われた』 『この人も救われた』 というので、どこどこまでも喜びが続くので脱落しない。 また其の人から救われた人もただ雑誌をもらっただけではなしに、その感激が出て来るから、また次へ次へと伝えるということが出来てくるのであります。


 だけども、『とにかく部数さえ増やせ』というわけで、ただ雑誌を配ったらそれでお終いということなら、自分の知人に皆な渡した、もうあとに知人はないから渡す人はないのだ。という様なことになって行詰まってしまう。 そこから、後退する人がでて来るのです。


 吾々同志は理想世界実現、日本の実相顕現、人を救う喜びの躍動というものを出て来させなければならぬ。 その時に、はじめて、自分は 『人のお役にたっているのだ』 という魂の喜びが起って来る。


             谷口雅春師  『實相と現象』「七つの光明宣言」解義より


童子さんブログから貼り付け

2303SAKURA:2013/05/21(火) 20:03:28 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2209>>2212>>2225>>2226>>2239>>2240>>2249>>2257>>2258>>2259>>2263>>2271>>2278>>2285
>>2286>>2288>>2289>>2298>>2299 「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    谷口雅春著

――――― 【 第九章 感謝の實踐はすべてを癒す 】――――― 

■■ “生長の家” 出現の意義について            その①

 生長の家の教へは『甘露の法雨』の巻頭にも、『生命の實相』の第一巻の冒頭にも収録されてをり
ますところの“七つの燈台の点燈者の神示”が中心でありまして、この神示が本当に実行されると
き、家庭は調和し、家業は繁栄し、子供は優秀となり、癌の如き難病も、原因不明の奇病も悉く姿を
消し、世界に平和が来るのであります。そこでここに、“七つの燈台の点燈者の神示”の一部を次に掲
げて、それに当て嵌まる実例を本章に書くことにしたいと思ふのであります。

 『七つの燈台の点燈者』の神示(抜粋)
 
『汝ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の
味方である。天地一切のものが、汝の味方となるとき、天地の萬物何物も汝を害することは出来ぬ。汝
が何物かに傷つけられたり、黴菌や悪霊に冒されたりするのは汝が天地一切のものと和解してゐない證
據(しょうこ)であるから省みて和解せよ……神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなは
ぬ。天地萬物と和解せよとは、天地萬物に感謝せよとの意味である。本當の和解は互ひに怺へ合ったり、
我慢し合ったりするのでは得られぬ。怺へたり我慢してゐるのでは心の奥底で和解してゐぬ。感謝し合
ったとき本當の和解が成立する。神に感謝しても天地萬物に感謝せぬものは天地萬物と和解が成立せぬ。
天地萬物との和解が成立せねば、神は助けたうても、争ひの念派は神の救の念派を能う受けぬ。

 皇恩に感謝せよ。汝の父母に感謝せよ。汝の夫又は妻に感謝せよ。汝の子に感謝せよ。汝の召使に
感謝せよ。一切の人々に感謝せよ。天地の萬物に感謝せよ。その感謝の念の中にこそ汝はわが姿を
見、わが救を受けるあらう。われは全ての総てであるからすべてと和解したものの中にのみわれは
ゐる……』

                          つづく

2304SAKURA:2013/05/21(火) 20:05:37 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2209>>2212>>2225>>2226>>2239>>2240>>2249>>2257>>2258>>2259>>2263>>2271>>2278>>2285
>>2286>>2288>>2289>>2298>>2299>>2303「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    谷口雅春著

――――― 【 第九章 感謝の實踐はすべてを癒す 】――――― 

■■ “生長の家” 出現の意義について    その②

 この神示の中の「皇恩に感謝せよ」といふのは国家の中心者に對して歸一の精神を起すことであ
り、『父母に感謝』といふのは、一家の中心者に歸一する精神を起すことであり、同時に、父母の更
に父母たる祖先の祭祀を怠らぬことであり、「汝の夫又は妻に感謝せよ」とは妻は夫に感謝し、夫は
妻に感謝することであります。これは人間道徳の規範でありまして、天界神界の秩序に属するもの
であり、その秩序が地上に實踐せられるとき、『神意の天になる世界』が地に成ることになり、家は
栄え、病気は消え、地上に天国が成就するのであります。        (谷口雅春著)
◆―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ

■『七つの燈台の点燈者の神示』この真理の中に〜〜〜?いつも!いつも!引っ掛かると言いますか?
此処のキ−ワ−ド!【両親…】と云います処の“コトバ”詳しく言いますと“引っ掛かり”がありました
のです。

■ 【汝の父母に感謝せよ〜〜〜】との“御教え…”〜〜〜

これが、私の「最大の親不幸…」でしたから、いつも、此処を拝読…?音読…?いたします時は、私自身の
“自我…”もありまして❤【正討論…】を、ある面では全面的に打ち出しておりました。…が?

本日の「雅春先生の言葉」から、やはり思いますに【先祖を崇拝する事…】は、逆に言いますと
【両親を崇拝している事…に繋がる…】のです〜〜〜ョネ??この様に、解釈が出来ますのでは……??
此処の閲覧して頂いておられます皆様の中に、私のように【親 不 幸】しているという自負を持っていら
っしゃる方も〜〜〜今日の「雅春先生…言葉」にて、肩の荷を〜〜〜少し取り除くことが出来ますのでは?

詳しくは?【戦前・戦後】と云います時代背景もありますから「感覚」「思考」…違ってくるものと思います。
そうしますと「両親との間に…考えの格差」が生じますから、結果として…【大きな壁】となり…
ある時は、衝突する事も、多々ありますでしょうかと。そうしますと、両親の時代と、現状の時代背景では、
相反する間違った捉え方をしている場合もありますから???この事を、いつも【両親に対して“ハイ”…】
と言えない場合もありますでしょうかと。此処の処が、常日頃の私の脳裏には『罪悪感…』という想いに
まで発展しておりましたのです。【我慢の子〜〜〜><】

今回は、❤【先祖崇拝でも十分〜〜〜だと】理解致しまして、今の私は「仏壇…」にむけて〜〜〜
日々の【先祖供養は…大事な行事】だと思えます。そして、やはり“中心”とは、今の「生長の家…」は、
「現総裁先生…雅宣先生に対しての“御教え”に…中心歸一する事!!」これこそが正討論では?
この様に改めて思えるのです。…が?

❤【国家として…天皇を崇拝・礼拝する事!!】…さらに…一家の中心は【先祖を崇拝…】…
このように、総てに対しての【感謝…】からが【七つの燈台の入口…】に入って行く事なのでしょうかと。?
当に!!【天国の門…の扉】を、入って行く事の出来る“キ−”が〜〜〜【感謝…】かと。

                                       再合掌

2305トキ:2013/05/21(火) 20:37:58 ID:r4B.BR0c
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

17日の法語 貧乏に打ち克ちましょう

 貧乏というものも単に物資が足りないだけのものではなく、これは心の病気であり、間違った考え方が経済界に現れたものに過ぎないのである。
人間は神の子であり、神は宇宙の創造り主であり、神の子たる人間を豊かに生活せしめ給うのが神の意志であるから、本来、人間はその可能性と
して「無限の富」を内に蔵しているのである。その人間が偶々貧乏であったりするのは、それは当たり前のことではなく異常現象だと言わなけれ
ばならないのである。貧乏は人間が神の子たる本質と矛盾するのである。人間が富むためには、先ず自覚を変えなければならない。人間は貧乏が
当たり前だと信じていて貧乏から脱出する努力を続けてもその効果は乏しいのである。

「生長の家」誌 昭和29年5月号 p10より謹写、

2306トキ:2013/05/22(水) 21:11:55 ID:YstzgC7U
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

18日の法語 富を得るには

 ストライキをして大金持ちになった人を見た事はないのである。努力と働きを出来るだけ少なく出して、出来るだけ多くの賃金を得ようと考えそのものが「心の法則」
に対して貧乏を呼び出しつつあるのである。世界中の貧乏人の90%までは、「暗い考え」をもっている。常に「自分」を改造し進歩さす努力が足りない。常に自分の
「仕事」を改良する努力が足りない。多分に利己主義であって、目先の小利を小掬いするために他に損をかけていて、他を喜ばすにはどうすればよいかを考えないので
ある。真理を言えば、富というものは他を喜ばした報酬として自分に与えられるものであるから始終より良く他を悦ばすために、常に自己改造と自分の「仕事」又は商品
の改良をしている者のみが本当に富んでくるのである。

「生長の家」誌 昭和29年5月号 p11より謹写、

2307神の子さん:2013/05/22(水) 22:02:08 ID:Kc3SY8lo
トキ様
五月の法語ありがとうございます。
途中、変なところで改行になっており、少し読みにくいです。
できましたら、句点で改行してくださることを望みます。
すみません 合掌

2308SAKURA:2013/05/22(水) 22:11:38 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2286>>2288>>2289>>2298>>2299>>2303>>2304 「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    谷口雅春著

――――― 【 第九章 感謝の實踐はすべてを癒す 】――――― 

■■ “ 中心歸一 ”を実践して繁栄す      その①

 先ず私は アメリカ及びブラジルを講演旅行した時の憶ひ出を記録の中から探り出してその實例を
書くことに致します。

 アメリカのカリフォルニア州サンノゼに住んでゐられて、アメリカ在住の日本人中でも成功者の中
にかぞえへられる荒木榮(かえ)さんが昭和三十八年五月七日、サンノゼ市の小倉ホールで私の講習会が催され
た時に、その家の繁栄が“中心歸一”の真理の實踐から来ることをみづから演壇に立ってお話にな
ったのですが、その体験談は次の通りであります。
「皆さん、ありたうございます。
 私が生長の家の入信させていただきましたのは、上西正太郎先生の中心歸一のお話をうけたまは
りて、日本人としてこの中心歸一の素晴しいお話を、本当に感動してうけたまはったのであります。

 そして『生命の実相』と『甘露の法雨』をわけていただきまして、家へ帰りましてこの『生命の
実相』の“地の巻”をいただきまして、それを読み終わった時は、明けの朝の遠くが明るくなってか
らでしたが、その間、夢中になってこの『甘露の法雨』を呼んでいたのでございます。

 色々と體験は澤山(たくさん)ございますけれども、時間もございませんので、一つの私の體験を発表
させていただき、御礼の言葉にかへさせていただきます」

 かういう前置きをして荒木さんは、“中心歸一”の必要なこと、家庭の中心は祖先であり父母であ
り、この中心に歸一してこそその人の家が整ひ、幸福と繁栄とが来るといふ眞理をお話になったの
であります。

 『生長の家の教へでは、私共は御先祖さまを禮拝(らいはい)しなくてはいけない。お父さん、お母さ
んに對して感謝しなくてはいけないといふことが説かれてゐるのであります。しかしこれは私にはどうして
も出来なかったのであります。

 といふのは、私が生れてからすぐにお母さんは里の方に行ってしまひ、私が五歳の時にお父さんはこの
アメリカに来たのであります。

 それで私は二人の親の顔を知らなかったのであります。そんな譯で私はこちらに来ましてもお父さん、
お母さんを本当に怨んでをりました。死んで行ったならばともかく、私を置きざりにして去ったお母さん
を、私は非常に怨んでゐたのであります。

 しかし、アメリカに来て、この『生命の実相』や『甘露の法雨』を讀ましていただきます時に、自分が
今ここにあるといふことは、お父さん、お母さんがあったればこそ自分がここにあるのである。もしお父
さんお母さんがなかったならば自分は今ここにゐないであるといふことを分からせていただきまして、それ
から後は、お父さん、お母さんに私の今まで思ってゐたことが間違ひであった、すまなかったと本当に懺悔
の気持になって、朝に晩に『甘露の法雨』をあげさせていただき神想観のうちにも懺悔の気持が湧いて来る
やうになったのであります。

                                つづく

2309SAKURA:2013/05/23(木) 01:14:50 ID:R5MpE4xE
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2286>>2288>>2289>>2298>>2299>>2303>>2304>>2308「女の浄土」投稿の続きです。

■■ “ 中心歸一 ”を実践して繁栄す      その②

>>2308>>その①の投稿の続きです
PS:トキ様 へ  観覧者の皆様 へ
■【WEB 誌友会】での話から、「生学連…」の当時の“活動状態…”を、見ていました。ボンヤリ〜♫
実は〜〜〜【聖典の投稿文…】と、思った矢先に…同じ名前…のこの人物像…【 荒木 栄 氏 】
たまたま【 荒木栄日系人の活動… 】が、知りたく【検索…】しますと、不思議なのです〜〜〜ョネ!

■この方が…【三池炭鉱…闘争に関与】していらっしゃる〜〜〜“ビックリ“です。

【同姓同名…の名前】が、しかも〜〜〜なんとこの方は【共産党に途中で入会!!】したようですかと。
更に【Tub…での画像】を見ていきますと、複雑なる想いが致しました…。失礼ながら〜〜〜個人的には、
当時の「生学連の活動」は、如何しても【憲法改正運動…】ですかと。このインパクト感が強いのです。

さて!!もう一人の【同姓同名…の名前】であります「荒木さん…」は〜〜〜!!

■□「復興G様」も【昭和35年……】当時の事を…私に ”お返事投稿“ いただきました中から〜〜〜
>> 共産党の嵐の吹き荒れる…云々…「 日本は沈没 」にちかい …云々 << 
【 三池炭鉱の当時の闘争が〜〜〜すごく!! 】その時、この方々は、“歌〜♫〜”にたくしながら〜〜〜
「闘う姿勢…」それは思いますに、当時の第一次産業…当に経済復興の基盤といえます「炭鉱の仕事の誇り」を
持っている【三池の従業員の使命…】から、そこから〜〜〜彼らは【企業側の三井の汚い政策(労働条件…etc)に
対して闘う事】だったのでしょうか??そこには?❤【日々の生活面での幸福論たる願い】が〜〜〜それは
人間としての…日本国民としての基本的人権問題も含め…当前なる“願い…”かと思います…。

■更に!思い出したのです。…が?確か〜「三井…」が関連していたとの〜〜〜“記憶”があるのです。
…が?それは〜〜〜
【満州事変…】これに関し?その“戦争勃発のきっかけ…”を作った事…それは?ある朝鮮人の方が…
この事に関連していましたとの“記事内容…”を、東京在住の時、知ったのですが??この事は有名ですョネ?

さて!ここ彼らは【国の誇り…】もあり、しかも、当時「三池炭鉱」の方々は、確か?そこは【天皇崇拝者…】が
多かったようです。…が?実際に、戦後すぐ…日本復興にて…「昭和天皇」も「三池炭鉱…」にも立ち寄られましたかと…。
【 何故!!如何して!!次第に〜〜〜「共産党より…><」に入って行く事に???成りましたのでしょうか?】

この事は「復興G様」も…【共産党の嵐…がふきあれ】この事を…【昭和35年…前後】の時代背景を…教えて
いただく事となりましたのです…。 この事も…踏まえまして…考えて参りますと〜〜〜

                             つづく

2310SAKURA:2013/05/23(木) 01:17:52 ID:R5MpE4xE
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こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2286>>2288>>2289>>2298>>2299>>2303>>2304>>2308>>2309「女の浄土」投稿の続きです。

■■ “ 中心歸一 ”を実践して繁栄す     その③
>>2308>>2309 その①②③の投稿の続きです

■長編音楽ドキュメンタリー「荒木栄の歌が聞こえる」予告編
http://www.youtube.com/watch?v=_V7HKeD3ho0 
http://www.youtube.com/watch?v=n-D09b2myPQ 地底の歌

此処から、更に〜〜〜“疑問…”が、生じました。
当時の【福岡…での大牟田!筑豊!方面での道場……】は、かなり“立派なる建物“との記憶があります…。

■□「生長の家の活動体制…生学連」 VS 「三池炭鉱…従業員」の関連性は〜〜〜??と…
私自身の考えが〜〜〜このようになっていくのです。

そして、不思議に思う次第なのです。…が?本当に【大牟田の生長の家の道場…】もあり、そして
さらには【久留米にも生長の家の道場…】が在りましたのです。当然ながら“信者の方々…”も多く
本当に今思い出しましても〜〜〜実に【おおきな建物…】でしたのです。…が?

「生長の家の教え…」が先程の【三池炭鉱…闘争】の【Tub…】を閲覧して頂きますと…【 信者の救済…】より
余りにも【憲法改正…運動】に入って行く−−>政治運動…活動体制に入り過ぎたこの【ひずみ…】が、
ある面では【マイナス要素…】になりましたのではないのでしょうか?確かに【 憲法改正 は、大事です!】
…が?当時の彼らは、まず!【生活面での幸福論が重大な問題…】でしたから〜〜〜当然ですョネ!!
ここから『真理…を学ぶ…導く…』事がある面では?優先すべき問題でもありましたでしょうか〜〜〜
「信者…」を顧みずにの【運動展開論…】が、余りにも急激なる【憲法改正運動…】に思えてなりません…。

■ 参考に…【 同姓同名の荒木 栄 様の歌〜♫ 】の当時の闘争…三池炭鉱時代が見えてきます…。
これも「現象の展開…」ですが〜〜〜やはり当時の彼らの【切なる願い…】とは??と思うのです。…が???

                                       再合掌

PS:「トキ様」の今日の【聖典投稿…】により、やはり“ストライキは金持ちにはなれな〜〜い???”
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2306 トキ様投稿文より
まさに当たっていますかと…思った次第です。
そして「地底の歌〜♫」の【 【Tub…での画像】にて…【まなぶ会…】の文字が〜〜〜??
やはり【中心帰一…】は、現在の「雅宣総裁先生」しかいいらっしゃらないように思えます。…が?
やはり【戦い…】とは、【心の戦い…】とも言えますから、最終的には、相手を蹴落とすことから始まり、
結果的には??? >< 結末になりますかと。やはり、私も
「新作の洋服を作る事の拒否…ストライキ…?」を自分自身で潜在意識に入れ込みまして…?今にして思い
ますと【無駄な時間…】でした。それは同時に【“こころ”の成長…無駄な時間】を過ごした事なんでしょうネ??「トキ様・・・」やはり“中心…”は一人です。そうしませんと…「闘争…派閥?」論争ですネ!
今の「 生長の家の中心は〜〜〜雅宣総裁先生」になりますし、冷静に見ましても、
それ以上の人物は〜〜〜見当たりませんと、この様に思う次第です。…が?

2311トキ:2013/05/23(木) 20:26:10 ID:ZZzaMua2
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

* 19日の法語 自己をもっと信頼しましょう


  自己を信頼するということは強固なる人格の特徴である。

 自己を「神の子」なりと信頼する者は、一時如何なる逆境におかれようとも、やがては必ず立ち上がる勇気と手段とを見いだすことができるのである。

 一ぺんや二編の失敗で失望落胆してしまう者は、無限の可能性がある「神の子」の自覚が足りないのである。

 「神の子」の自覚を快復したならば、弱者もたちまち強者となるのである。

 「神の子」に貧乏はない、病弱はない。

 貧乏や病弱の想念をあなたの心の隅々から抹殺せよ。

 あなたの動作、表情、寝具、服装ー等ーあなたの身辺にある一切のものから貧乏と病弱との想念を抹殺せよ。

 そこから本当の「富」が芽生え始めるのである。


「生長の家」誌 昭和29年5月号 p11より謹写、

2312トキ:2013/05/23(木) 20:26:43 ID:ZZzaMua2
>>2307

 ご指摘、ありがとうございました。

2313トキ:2013/05/24(金) 19:58:12 ID:OKFhirTQ
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

* 20日の法語 「徳」は一切の富の源泉である


  吾々の「徳」がそこに整うたとき、その「徳」に値するものが既にそこに成就せられているのである。

だから外形の「富」を求めるよりも、「富」にふさわしい「徳」を積むことこそ先づ第一である。

「徳」が整えばその余のものは一切おのづから加えられるのである。

この事をキリストは、「先ず神の国と神の義を求めよ、その余のものは汝らに加えられるべし」と教えてのである。

若し何か高価なものを、それを得るだけの「徳」を備えていないのものが得たするならば、それは「借り越し」になっているのであるから、

やがて其の得たと思っていた「富」も土崩瓦解して「無」に帰してしまうのである。

「徳」を積む事を先づ心掛けて、「富」を先に心掛けてはならない。

「生長の家」誌 昭和29年5月号 p12より謹写、

2314NANCY:2013/05/24(金) 21:48:02 ID:BEUD3XFA
トキ様 ヘ   観覧者の皆様 ヘ
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
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>>2083>>2116>>2117>>2129>>2134>>2135>>2165>>2166>>2173>>2216 >>2217>>2220
>>2228>>2282>>2291>>2293 の投稿の続きです。

−−−「抜粋 投稿  谷口雅春 著」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
■ 幸いなるかな、 言葉美しき者                普及誌No.32 より

愛情に満ちた言葉は、そこに天国の像(イメ−ジ)をつくり出す。それは人々の心を柔げ、
争いを停止し、平和をもち来たらす。どんな反感でも愛情に満ちた言葉の前には影を消す
のである。文字に書けば同じ語(ことば)でも愛情に満ちて言うときには、言葉のひびきが
異なるのである。

子供に物を言うときにも、良人に物を言うときでも、常に愛情に充ちたやわらかい言葉を
出すがよい。
                           『女性の幸福 365章』 より
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

■ 本当に“コトバ…”この使い方〜〜〜此処最近では“難しい!”痛切に感じます〜〜〜ョネ!
唯…“コトバ…”を、使う?口に発する?(語弊が〜〜〜ありますカモ?)この場合、どうしても…
【感情…パワ−】が、その前提にあるのではないでしょうかと〜〜〜><

例えば・・・なのですが?
“ネガティブな感情”そうですネ!相手を憎む!恨む!嫉妬!…或いは…恐怖!このような感情ですと…
その“コトバ…”自体が〜〜〜反感を生みだすような“コトバ…”となり、相手へ使う?口に発する?
このようになりますのでは?

従いまして、自分自身の感じるべき【感情…パワ−】は?
“ポジティブ感情”そうですネ!いつも明るく!快活!楽し〜〜〜イ! このような感情ですと……
自分の自信を高め、人生を楽しいモノへと……それは当然ながら【周囲の人へも同じような気持ち(感情)
を抱かせることになり…】その時の“コトバ…”は、
相手への【愛情に充ちた〜〜〜おだやかな?やわらかい?“コトバ…”】となります〜〜〜ョネ!

しかし…“ポジティブ感情…”を如何なる困難な時にも出来る事は〜〜〜逆に言いますと?
その様に出来る人…それこそ【人間・神の子】この自覚が揺るぎのない人でありますかと。!
それは、とても〜とても〜「知的・聡明…」本当に素晴らし〜〜〜イ!人物像ですネ!

今からでも、この“気付き…”…シッカリ【脳内…】にインプットして…日々の行動に〜〜〜
“頑張り〜〜〜ます。”  
                               再合掌

2315トキ:2013/05/25(土) 20:05:22 ID:lnDw923o
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

* 21日の法語 機会はどこにあるか


  「好機会をつかむ」という言葉があるが、好機会は常にあるのである。

 しかし、「つかむ」のは自分自身の心境の問題である。

 自分の心境が開いていなかったら、「好機会」が戸を叩いていてさえも、戸を開いて入れる事ができないのである。

 実際、吾々の心境がそれに相応しくなったとき、何事でも出来ないことはないのである。

 多くの実業界の名士が、実業界に成功しているのは、彼らの心境が実業界に成功するに相応しい状態になっているからである。

 ある会社の重役が羨ましいからとて、社員の一人をその重役の位置に仮に抜擢して据えてみても、前の重役通りの仕事ができるかどうかは疑問である。

 その人の心境によっては、前の重役よりも成績をあげうるが、その反対の場合も多い。

 心がどの程度その仕事に相応しいかが問題だ。

 
「生長の家」誌 昭和29年5月号 p12より謹写、

2316トキ:2013/05/25(土) 20:08:56 ID:lnDw923o
皆様へ

 聖典をうつす事は、読まれる人にも喜びだと思いますが、うつしている人間にも大変な勉強になります。

 目で追っているだけでは忘れる事でも、自分が指をうごかして打ち込むと、そのご文章が記憶に残ります。

 聖典を読んで感激したなら、その部分を紹介し、自分の感想をそえて、その本を読む様に呼びかけたり、
既に絶版になっている本の場合は、それを教えてあげるのも良い事だと思います。

 毎日では負担になりますが、気が向いたときだけでも、良いと思います。

一度、チャレンジしてみて下さい。

合掌 ありがとうございます

2317SAKURA:2013/05/27(月) 00:58:35 ID:mwJ7ICqo
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2286>>2288>>2289>>2298>>2299>>2303>>2304>>2308>>2309>>2310「女の浄土」投稿の続きです。

■■ “ 中心歸一 ”を実践して繁栄す     その④(その①の講話の続きです)

■さうしてをりますと、三年ばかり前でございましたが、私の息子が言うのですよ。自分の友人に
家を建てたいという人があるんだが、もう家は抵当に入って、ファースト・モゲ―ジ(一番抵当)
では金はかせないけれど、セカンド・モゲ―ジ(二番抵当)で金を貸してくれる人を探していると言
うのです。

「お父さん、あんた貸してやらんか」と息子は言うのです。『セカンド・モゲ―ジで金を借して、
払えなかったらどうすか、丸損になるぞ』と言ったら、

息子が言うのです。

『そんな心配はない。自分と同じ處に働いている。月は千ドル近く月給を取っているからな、金の利息
位なんでもないのですよ』

そこで私は、

『金の利息はいくら払うのか』と言ったら、

『一割二分、払う』というのですよ。

『お前がそう言うなら借してやる』
という様なことで貸してやったのです。

ところが、その男は、新しい家を借りた金で土地を買って建てたのです。そして出来上がってその
新しい家に引越して入って、その古い家を売りに出したのです。ところが、その家がセカンド・モ
ゲ―ジに入っているから売れないのです。それで私の息子が言うのです。

『当分あの間々では家が売れないから、それだからお父さん、あれはもう払ったことにして借用証書
もあちらに返してしまいなさい。それでなければあの家は売れないから』

『そうか、それなら、そうするより仕方がないなあ。 私が何時まで金を貸した貸したと言っとっ
たのでは、その家が売れないのだから、それなら借用証書を戻してしまおう』
というようなことで、借用証書は向うに返してしまったのですよ。

 それで戻す時に、タイト−・コンパニーにちゃんと保証して貰わなければいけないから、書き物
は是非とも取っておかなければいけないということで、それを売ったらこちらに返してもらうとい
うことに、その書き物をタイト−・コンパニーに書いていただいて、そしてその借用証書を返し
てしまったのです。そしたところが何時までも返事がないからどうだろうかと思いましたとこ
ろ、二か月ばかりしたら、家が売れたと言って返済してきたのです。

それで、ですな。その間千五百ドルばかりの利息をいただいたのです。それでこのような金は自
分の智慧でいただいたものではない。神さまからいただいたのだから、まづ私のお父さん、お母さ
んを宇治の宝蔵神社にお参りしましょうという気になりましてですな。私を育てて下さった伯母さん
と、三柱の御霊を宝蔵神社にお参りしたのであります。

                              つづく

PS:「トキ様…」の投稿>>2316 の内容は〜〜〜本当にそうなのです〜〜〜ョネ!
「パソコン…のキ−」を打つ事により≪真理の言葉≫が、前以上に理解出来る事は確かですかと。
“コピペ…”だけでは〜〜〜><どこまで理解が、出来るのか?更に、自分自身で感銘しました処の“訴える
箇所…“…その人の個人差での感想も、自然に〜〜〜浮かんでくるようになりますのではないのでしょうか?
そのように思うのですが〜〜〜?但し、今回は、当用漢字に致しました。御了承の程……お願い申し上げます。

                                    再合掌

2318うのはな:2013/05/27(月) 18:13:13 ID:tcgvRH7.

大聖師御講義 生長の家 今昔物語より
  http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/

2319SAKURA:2013/05/27(月) 19:22:38 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2209>>2212>>2225>>2226>>2239>>2240>>2249>>2257>>2258>>2259>>2263>>2271>>2278>>2285
>>2286>>2288>>2289>>2298>>2299>>2303>>2304>>2308>>2309>>2310>>2317
「女の浄土」投稿の続きです。

■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』    谷口雅春著

――――― 【 第九章 感謝の實踐はすべてを癒す 】――――― 
■■ “ 中心歸一 ”を実践して繁栄す     その⑤(その①④の講話の続きです)

■ところが、静かに私が考へてみますと、自分だけはお父さんお母さんをお祀りしたけれども、私
の妻にも矢張りお父さんお母さんがあるな、これをなほざりにしてはいけないといふ様な気持にな
りまして、それからすぐに住友銀行に行って六百ドルの送金手形を書いて貰って寶藏神社(はうざうじん
じゃ)にお祀りしてもたったのです。

 ところがですな、それからが素晴らしいのであります。
 本当に神様の世界は有難いのですよ。この息子が素晴らしくひきたてられて、素晴らしい仕事をいた
だいたんです。

 それで、丁度田村先生のおいでになる前のことでありましたが、息子が會社の重要な御用をつと
めてワシントンの政府へ行って、會社との商賣上の何かの説明を仰せつかるやうなことにもなり
ました。ちゃうど其の時、政府の航空部の金の消費が餘りにも多すぎるので、そのことで公聽會が
あったので、そこにも出席して自分も聞かせていただいたといふ様なことを歸って来て報告しより
ました。

 今では週に三回づつ位ロスアンジェルスの方に飛行機で行って色々と政府の航空部の需要な用事
をさせていただくといふやうな素晴らしいことになったのであります。

 これは私共が自分の力で、“かうしよう” “ああしよう” と思ふ――これは本當につまらないも
のでありますが、すべて神様におまかせして、よろしくお願ひ致しますと、かうやってをりまし
たら、これは素晴らしいことが出来てくるといふことを体験させていただいたのです。

                             つづく
PS: 「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ

【現象…】で起きた時は、すべて“神様・・・”に、お任せする心境でいますと、素晴らしい日々を、迎え
ていけますのですネ!!といいます事は、必ずや!「神様…」が、導いてくださる事を、確信した次第です。
今の私は、まだ〜まだ〜ある面ではふらつきの迷いの心〜〜それは【現象で見ていた事】だけであり、
現実の視界を、認める“心…”其のモノは、まだ!「神様…」の目が、私自身!備わっていない事でしょうか??
❤ 昨日――>?“休み…の一日”と致しました。

実は?“野菜…”が少なくなり、パ−トナ−と“野菜…”を買い付けに行く元気が〜〜〜><正直!全く
ありませんでした。…が?何処からともなく「今日行く事…暗示」を頂き、意を決して買い付けに〜〜♫
行く途中、思いのほか“体力…ダウン”に気づきましたので、薬局で“ドリンク…”を買い求め〜〜
隣の店舗の前に立ちますと?いつも〜〜〜気が付きませんでしたが、
そこに〜〜〜❤【観自在菩薩…】が祀られていました。私が、その前で?購入しました“ドリンク”を飲もうか?どうしましょうか?悩みましたが〜〜〜【観世音菩薩様の仏像…】に合掌して、飲む事に致しました。すると!
不思議です。すぐ様〜〜本当にすぐ!〜〜〜“元気パワ−”を頂きましたのです〜〜〜ョネ!
それで❤「野菜の買い付け…」足取りが軽〜〜〜くなりまして、その帰りに【長谷川仏壇…】に立ち寄りまして、そこで〜前回躊躇していました…「お線香を購入」しまして“ホット!ホット!”安堵感となりました。そして、【長谷川仏壇…】のお店から頂きました、【一服のさくら茶…】心がなごみ、更に元気になりましたので〜〜す。

■何か?全て如何なる状況の時でも「神様…」に、いつもお任せしています!!〜〜〜と、必ず、それなりの
導きを下さるのですネ!!何となく〜〜〜何となく〜〜〜昨日は、いろんな意味で、
必ず「神様…」に、お任せの心境は【神地一体…】で、そこには大安心の心境にて、乗り切れるのですョネ!!

当たり前の出来事〜〜〜自然体〜〜〜全てに【感謝…】ですネ!          再合掌

2320トキ:2013/05/27(月) 20:55:51 ID:pKXf0H7M
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

* 22日の法語 祝福をいかに受けるか


  神は貴方を祝福したもうている。

 それは本当だ。

 しかし、それは空気が既に無限に与えられいるのと同じことなのである。

 人類にとってはその無限の「祝福」であるところの空気を吾々が無限に受け取る事が出来るためには、先ず吾々は息を吐き出す事が必要であるのである。

 吸い込む事や、貰うことばかり心掛けていて出すことや与える事を忘れている者は、無限の空気を吸おうと思って、一度も息を吐き出さずに吸ってばかりいる人と同じである。

 結局、その人は少しも吸う事ができないで窒息してしまうほかないのである。

 吾々が既に与えられている神の祝福を現実に受けるためには、先ず自らが他を祝福し、他を利する奉仕精神を起こし、奉仕を実践しなければならぬ。

 それを実践したとき、他からの祝福が入ってくるのである。
 
「生長の家」誌 昭和29年5月号 p13より謹写、

2321トキ:2013/05/28(火) 21:07:00 ID:4MLkYzvs
五月の法語「実生活を改善する心の持ち方」

谷口雅春先生

* 23日の法語 自分の使命を知るには


  神が「汝これを為せ」と吾々に使命をハッキリ与へ給うまで何事もしないで待っていることでは機会を逃してしまうのである。

 吾々の最後の究極的使命は、遥か遠くに雲の中に霞んでいる景色のようなものであって、吾々が今一歩一歩前進しなければ、その使命が何であるかわからないのである。

 一歩前進すれば一歩だけ前方の景色がハッキリして来るのである。

 今目の前に横たわるあなたの仕事を忠実に実行することは一歩前進することになり、それだけ本当の「使命」に近づきつつあるのである。

 まだその「使命」が何であるかがハッキリ判らなくとも、それは前進すればするほどハッキリして来るのであるから、そんなことは別に気にかけずに、今眼前の仕事に誠心をつくすことだ。
 
「生長の家」誌 昭和29年5月号 p13より謹写、

2324SAKURA:2013/05/30(木) 13:03:29 ID:jtL0zmY.
「管理人トキ様」へ  「観覧者様」へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■ 【 生命の実相3巻 】より
此処では「現総裁雅宣先生…擁護派」として、私なりの捉え方で…楽しんで投稿させて頂いております。
従いまして、中には私の捉え方に反対の意見・思考があっても当然だと…それは個性かと…。
(今回は…私事にて、“過去の引きずった書籍・品物”の整頓にて??−−>ごみ箱??気ばかりが、
焦りとなり投稿させて頂く余裕が、ありませんでしたので…私自身のふたらなさかとも?)

■日本教文社発行の…『 生命の実相 』からの抜粋は、以前!気がつかなかった事を、私なりに解釈する
機会を頂く事となり…今回の「最高裁判決…」にて益々と…『真理探究への道』を頂き感謝申し上げます…。

■□ 今回の『生命の実相…3巻』の冒頭に……
−−−「抜粋投稿」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−―
「平和」それは人間が常に求めているものであり、この実現のためには人間は絶大な努力を払って
来ました。
しかし、“人間とは何か”を深く考えずに行動しようとすると、互いに衝突したり、奪いあったり、
傷つけあったりするだけで、そこからはなんの平和も生まれてきません。
…云々…                      『生命の実相』…第3巻
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−―−―
この言葉が…最初にインパクトを感じましたかと…個人的に思います。

■≪平和≫…言い換えますと…「雅春先生のコトバ」の中に、
>>【心のやすらぎ・生き抜く力】とを与えずにはおかないでしょう。<<
本当に、この【2チャンネル…各ボ−ド】を閲覧して頂いております「観覧者の皆様方々」に…そのような
感情を、少しでも抱いて頂けますならば【生長の家−――>成長の家――>魂いの向上】この事が、私どもに、
課せられた≪使命…≫ではないかと…改めて“この言葉”に一つ一つを、胸中に刻み込みました…。

改めて…素晴らしい「生命の実相」…【生命を活かす…活かしきる】この事を痛感させて頂きました。

                                         感謝拝

PS: 時間の合間に…皆様の投稿の内容を閲覧させて頂きながら…第3巻の【真理の勉強】を〜〜〜
抜粋投稿…此処での感想を、【SAKURA流?】にて投稿させて頂きます…。
尚!閲覧者の皆様の中には?“投稿の内容に??反論も個人的にはありますでしょうが?

❤最後に…「生長の家…」の創立者…「谷口雅春先生」は、一番【云いワケ…論】を嫌われましたかと。

2325SAKURA:2013/05/31(金) 12:54:17 ID:R3EaGm3s
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こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2324 【 生命の実相3巻 シリ−ズ 】から〜〜〜

■今回は…「御神像…」論争が〜〜〜><持ちあがっていますが?
【真理…追究】が?先決かと思うのです。
ひとりひとりの心の中に〜〜〜真理の種〜〜〜植えましょう〜♫
『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」のはしりがき…その① 】からの感想とさせていただきます…。

==========【 生命の実相 3巻 はしがき より 】==================

>>人間はなぜ、平和をもとめながら戦争をするのであろうか。その本当の理由を知る人は少ないので
ある。人類は生命に到る道をもとめながら死への道を選んでいるがごとく見える。それは、人間が自
己の本来清浄の霊的実在なる本質を知らないのと、キリスト教的原罪観または仏教的罪業間で自己処
罰、自己破壊をとげつつあるからである。自己の「霊」なる本質を知らないで、自己を「物」として
観、「肉」であると自覚する人間は、「物」としての自分を持続し、拡大しようと望まずにはいられな
い。しかも「物」は有限であるから、自己を無限に拡大しようとする希望は互いに衝突したり、奪い
合ったりするほかはなくなる。だから、唯物論的人生観にたつ以上は、人間は平和を欲しながら戦争
へと突入し、生命の完全なる伸展を欲しながら、自己破壊をつづけてゆかなければならないのである。<<
                                    (谷口雅春著)
===============================================

■なぜ戦争になるのでしょうか〜〜〜???平和を求めながら〜〜〜???この様になるのですかと。
この頃思うのです。…が? 【人間関係の争い事…】は、二通りあるように見受けます。…が?
それは「お金の執着=経済的利益追求からの正当論…」??もう一つは「本人のプライド…からの正当論」
でしょうか??

                             つづく

2326SAKURA:2013/05/31(金) 13:00:16 ID:R3EaGm3s
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こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2324>>2325【 生命の実相3巻 シリ−ズ 】から〜〜〜

■【 「生命の実相…3巻」のはしりがき…その2 】  
どちらも、結局は【我の強さ…】からなのです〜〜〜ョネ???
「戦争…」は、やはりこのような二通り理由からの中身で…互いに衝突、奪いあう、傷つけあう…etc
のようにも見えます。…が!!

私が、今!振り返りますと、やはり「若い時の執着心…」からも生じる事がありますかと。当時の「聴力
喪失」となる前の頃ですが、当時の「亡き父」は、ある事から【タタキ男の腰の高さ…】には、辟易して
いましたのです。ところが、当時の私は【人類はみな兄弟と…】云った感じでいますから、どんな人間
でも必ずや、いいところがあるので、まずは“信じる事…から全てが始まる!!”このような考え方でした。

「亡き父」は、娘がそのような考えでいますので、ある時の事です。その「タタキ男…」が【免許停止…】
になり、私の処にどうにかならないのか??この様な事を言いだしたので……実は「亡き父」は、当時の
「警察署長さん」と親しい間柄ですから“何とかはからい!!”をと当時、私は【免許停止…】になる前に、
「何か対処できないかしら〜〜〜ン??」と「亡き父」に相談しますと、当時の「亡き父」は気持ちよく、
警察にはからいに行ってくれました。そして、当時の親しい署長さんも、気持ち良く動いてくれました。
(まだ若いし、前途があるし、将来性を考えて〜〜〜との事から、気持ちが動いたのでしょうかと。)
…が?その後の【連絡…】では、【NG…発生】でした。実は〜〜〜【本人の記録】は、余りにも〜〜〜
スピ−ド違反の内容が〜〜〜??他にも〜〜〜??という事で、“はからい事…”が出来なかったのです。

それでも、その頃の私は【決め付ける…大人のやり方に反抗心…】が募りだしましたので〜〜それからは、
〜〜〜【我の戦い…】になり、気がつきますと■【頭部を瞬時に叩かれ…聴力喪失】今では、このような
姿・形なのです。…が?【ネガティブな感情の激突…破壊行為…へと…!!】

【戦争…】も同じ事で、これが正しい行動でしょう!−――>この【正当論…】が???ある人にとり、
“ねじ曲がった現象展開…”になっていくのでしょう〜〜〜ネ!!
❤【 初めにコトバがあり 】と云いますように、私の「過去のおさらい」も始めに「亡き父」の言葉を
素直に聞き入れなかった事からでしょうか???【我…の張り合い?での代賞と云いますか??】
こうして考えていきますと【個人の思考の問題】ですから、やはり思いますには【戦争…】という前に
【生命とは〜〜〜?の論理観…】が、一番大事だと思えます。…が??

❤では〜〜〜次の「文章投稿…」の感想に入っていきま〜〜〜す。         

つづく

PS: 此処で初めて閲覧されます…「観覧者」の皆様に対しまして…“一言”お断りをと。
〜〜【我の戦い…】になり、気がつきますと■【頭部を瞬時に叩かれ…聴力喪失】今では、このような
姿・形なのです。…が?【ネガティブな感情の激突…破壊行為…へと…!!】
此処で【頭部を叩いたのは】当然の事ですが『タタキ男…』ですので…御了承下さいませ…。

                                     再合掌

2327志恩:2013/06/01(土) 14:02:16 ID:.QY5jUA6
光明掲示板より【そのままの心】について

そのままの心こそ神様の智慧である (3760)
日時:2012年11月19日 (月) 08時21分
名前:マリーゴールド



 さて、夫の方は森田先生にお礼を言ってから、こういう質問もしました。

 「私は彫刻家なんですけれども、毎年定期に開かれる帝展という政府のやっている美術展覧会に出品するんですけれども、一度も入選しないんですが、どうして入選しないんですか、入選する道を教えてください」


 と言いました。そしたら森田先生は、


 「あんたは構える心があるからいけないんですよ。構える心というのは、今年の帝展審査員はこういう人と、こういう人である。こういう人はこういう傾向の作品が好きであるから、審査員の好きなその好みに迎合するように、その先生が喜ぶような作品を造ろう、と思って造るでしょう。

そういう、人に迎合する精神で造った作品には、生命が籠っていないから入選しないのですよ。生命の籠った作品を造る秘訣を教えましょう。

“生長の家”の教えには、“そのままの心”を大切にすべし、という教えがあります。“そのままの心”というのは、神様が与えられたその生命の、そのままを人間の知識や工夫でゆがめられないで、そのまま出すということです」


 と教えました。


 「人間には神様の子として神様の生命が宿り、神様の智慧が宿っているんだから、その神様が与えられた神様の生命の動きを、その儘出したら生き生きした生命が表現された完全作品になるんだけれども、そこに“人間の工夫”が入って来る。

『創世記』の言葉をもって言えば、蛇の知恵にだまされて、“知識の樹の実”を食べたら、エデンの楽園から追放されたという、この神話と同じように、人間の知識で神様のその儘の生命の動きをゆがめてしまう。

だから、本当の生命が表現されないんですよ。あなたが“その儘の心”を出した時に、そしてそのままの心で彫刻を創作した時に、その時に完全な作品が出来て入選するということになるんですよ」


 とこう教えられました。


 日本語の“その儘の心”というのは、英語なんかに訳すと、なかなか難しくて西洋の人には分り難いのであります。私はブラジル語は知りませんけれども、通訳者はなかなか素晴しく訳しておられるので、分って頂いたと思います。

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“そのままの心”で胃癌が癒された婦人の実話 (3815)
日時:2012年11月20日 (火) 20時37分
名前:マリーゴールド



 “その儘の心”をもう一つ解って頂く為に、他の実例を話したいと思うのであります。


 日本の山口県で講習会がありました時に、生長の家の『生命の實相』を読んだ結果、医者が駄目だと言っておった胃癌が癒って、今まで何を食べても吐き出しておったのが、吐き出さなくなった体験を話された御婦人がありました。


 その御婦人は『生命の實相』を読んで、人間は神様の生命がここに宿っているんだから、神様の生命の“その儘”を出せば、病気は無いんだ、といわれました。


 その婦人は、自分は神の子であるから完全である。その完全な生命のその儘を出すのには、ちょうど濡れタオルを手拭掛に掛けるように、唯自分の我を何もなしに唯々神様の生命にもたれ込むように、濡れタオルを手拭掛に掛けると、

タオルは手拭掛に依りかかり、もたれ込んで、自分で垂直になろうとしないでも、そのまま真っ直ぐになっているように、自分の生命を神様にその儘まかせる、

そういう気持になった時に、今迄食べたものを全部吐き出しておったのが止まって、胃癌が治ってしまったと、こう言われました。


 このタオルは(と、卓上に白墨で汚れた手を吹くためにおかれたタオルを手にとり)人間の知恵で色々工夫して、こうしてギューと固くしぼって、棒のようにして倒れないようにして、そしてそれをここに立てる。


 そしてこれを倒れないように垂直に立てても(と言って机上に縄のように固く絞った手拭を立てて見せて、どうしても倒れるのを聴衆に示しつつ)どうしても立たんのであります。(動作を繰返しながら)いくらやっても立たんのであります。


 けれども人間の知恵でやったら立たんけれども、その儘神様の生命に投げ掛けると(と言って掌をつき出して手拭掛として、濡れタオルをそれに掛けると、手拭はそのまま垂直になっているのを聴衆に見せつつ)このようにその儘立っている。


 これは自分の力で立っているんじゃない。神様の生命をその儘、神様に任せ切った時にその儘立っている。これが病気が治る根本的な心の持ち方なのであります。

2328志恩:2013/06/01(土) 14:12:39 ID:.QY5jUA6
光明掲示板より、【そのままの心】について

コスモス様が謹写されてます「そのままの心」については、
たくさんありますので、すみませんが、そのうちの一部のみ、転載させて頂きます。


大聖師 谷口雅春先生御著 『神ひとに語り給う』神示講義 教えの巻 《自然流通の神示》 ⑤ (4073)
日時:2012年11月28日 (水) 20時45分
名前:コスモス


 多くの失業者は「職業がない」と訴えて居りますけれども、職業の無い人は一人も無いのであります。
「だって誰も私を雇ってくれないんだもの、職業はないんだ」と言う人があるけれども、しかし一寸往来を見渡しても沢山のゴモクが落ち散って居て醜(みぐる)しいのでありますが、誰も掃除して居らない。

 「往来」は無言の声で我らに呼び掛けている。「大分、よごれましたから誰か私を掃除してくれませんか」と。
「よし来た。私が掃除しよう」と、素直に、その呼び掛けに応えたら、もう其処に自分の職業があるのであります。

 唯、その職業は金を呉れんだけであります。失業者の多くは、「金をくれんから働かん」と思っているから職業がないのであります。

 かれ等は「金」という条件によって自分が縛られているから、「そのままの働き」を失って、仕事が眼の前にありながら、仕事をしないのであります。


 「そのままの心」になれば、
  自然に汚いものをきれいにしたいという衝動が起って来る。その運(めぐ)り合いに任せ切るのが任運無作、自然法爾なのであります。


 それなのに貨幣制度だとか、搾取だとか、いろいろの問題にひっかかって、自分がそれに縛られているから、

 そのまま"自然のはたらき"を失って居るから、 

生命自身の自由自在の働きというものが出てこないで 職業がない、収入がない、ということになるのであります。

             (つづき)


       平成二十四年十一月二十八日謹写 感謝合掌

2331SAKURA:2013/06/01(土) 14:59:34 ID:BiiPCx.6
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こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2324 【 日本教文社発行の 「生命の実相…3巻」 シリ−ズ 】から〜〜〜

■今回は…「御神像…」論争が〜〜〜><持ちあがっていますが?【真理…追究】が?先決かと思うのです。
ひとりひとりの心の中に〜〜〜真理の種〜〜〜植えましょう〜♫
『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤個人的には【 日本教文社「生命の実相…3巻」のはしりがき…その① 】からの感想とさせていただきます…。

==========【 生命の実相 3巻 はしがき より 】==================

>>人間はなぜ、平和をもとめながら戦争をするのであろうか。その本当の理由を知る人は少ないので
ある。人類は生命に到る道をもとめながら死への道を選んでいるがごとく見える。それは、人間が自
己の本来清浄の霊的実在なる本質を知らないのと、キリスト教的原罪観または仏教的罪業間で自己処
罰、自己破壊をとげつつあるからである。自己の「霊」なる本質を知らないで、自己を「物」として
観、「肉」であると自覚する人間は、「物」としての自分を持続し、拡大しようと望まずにはいられな
い。しかも「物」は有限であるから、自己を無限に拡大しようとする希望は互いに衝突したり、奪い
合ったりするほかはなくなる。だから、唯物論的人生観にたつ以上は、人間は平和を欲しながら戦争
へと突入し、生命の完全なる伸展を欲しながら、自己破壊をつづけてゆかなければならないのである。<<
                                    (谷口雅春著)
===============================================

■なぜ戦争になるのでしょうか〜〜〜???平和を求めながら〜〜〜???この様になるのですかと。
この頃思うのです。…が? 【人間関係の争い事…】は、二通りあるように見受けます。…が?
それは「お金の執着=経済的利益追求からの正当論…」??もう一つは「本人のプライド…からの正当論」
でしょうか??

                             つづく

2332SAKURA:2013/06/01(土) 15:02:18 ID:BiiPCx.6
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こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2324>>2331 日本教文社【 生命の実相3巻 シリ−ズ 】から〜〜〜

■【日本教文社「生命の実相…3巻」のはしりがき…その2 】  
どちらも、結局は【我の強さ…】からなのです〜〜〜ョネ???
「戦争…」は、やはりこのような二通り理由からの中身で…互いに衝突、奪いあう、傷つけあう…etc
のようにも見えます。…が!!

私が、今!振り返りますと、やはり「若い時の執着心…」からも生じる事がありますかと。当時の「聴力
喪失」となる前の頃ですが、当時の「亡き父」は、ある事から【タタキ男の腰の高さ…】には、辟易して
いましたのです。ところが、当時の私は【人類はみな兄弟と…】云った感じでいますから、どんな人間
でも必ずや、いいところがあるので、まずは“信じる事…から全てが始まる!!”このような考え方でした。

「亡き父」は、娘がそのような考えでいますので、ある時の事です。その「タタキ男…」が【免許停止…】
になり、私の処にどうにかならないのか??この様な事を言いだしたので……実は「亡き父」は、当時の
「警察署長さん」と親しい間柄ですから“何とかはからい!!”をと当時、私は【免許停止…】になる前に、
「何か対処できないかしら〜〜〜ン??」と「亡き父」に相談しますと、当時の「亡き父」は気持ちよく、
警察にはからいに行ってくれました。そして、当時の親しい署長さんも、気持ち良く動いてくれました。
(まだ若いし、前途があるし、将来性を考えて〜〜〜との事から、気持ちが動いたのでしょうかと。)
…が?その後の【連絡…】では、【NG…発生】でした。実は〜〜〜【本人の記録】は、余りにも〜〜〜
スピ−ド違反の内容が〜〜〜??他にも〜〜〜??という事で、“はからい事…”が出来なかったのです。

それでも、その頃の私は【決め付ける…大人のやり方に反抗心…】が募りだしましたので〜〜それからは、
〜〜〜【我の戦い…】になり、気がつきますと■【頭部を瞬時に叩かれ…聴力喪失】今では、このような
姿・形なのです。…が?【ネガティブな感情の激突…破壊行為…へと…!!】

【戦争…】も同じ事で、これが正しい行動でしょう!−――>この【正当論…】が???ある人にとり、
“ねじ曲がった現象展開…”になっていくのでしょう〜〜〜ネ!!
❤【 初めにコトバがあり 】と云いますように、私の「過去のおさらい」も始めに「亡き父」の言葉を
素直に聞き入れなかった事からでしょうか???【我…の張り合い?での代賞と云いますか??】
こうして考えていきますと【個人の思考の問題】ですから、やはり思いますには【戦争…】という前に
【生命とは〜〜〜?の論理観…】が、一番大事だと思えます。…が??

❤では〜〜〜次の「文章投稿…」の感想に入っていきま〜〜〜す。         

つづく

PS: 此処で初めて閲覧されます…「観覧者」の皆様に対しまして…“一言”お断りをと。
〜〜【我の戦い…】になり、気がつきますと■【頭部を瞬時に叩かれ…聴力喪失】今では、このような
姿・形なのです。…が?【ネガティブな感情の激突…破壊行為…へと…!!】
此処で【頭部を叩いたのは】当然の事ですが『タタキ男…』ですので…御了承下さいませ…。

                                     再合掌

2333SAKURA:2013/06/01(土) 15:05:09 ID:BiiPCx.6
「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2324>>2325>>2332>> □日本教文社【 生命の実相3巻 シリ−ズ 】から〜〜〜

■『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……
❤〜個人的には【 「生命の実相…3巻」のはしりがき…】からの感想とさせていただきます…。

==========【 生命の実相 3巻 はしがき よりその③ 】==============

>>わたしは最近、アメリカの精神身体医学の大家カ−ル・メニンジャ−博士の『おのれに背くもの』
を日本教文社発行の翻訳で読んだが、これは人間に自己破壊の矛盾的な欲望を自殺本能とし、慢性病
を一種の慢性自殺としてその精神過程を分析している大変興味ある書物である。そしてその自己破壊
的本能を陶冶することによって病気の治ることを実例を挙げて説明しているのである。メニンジャ−
は「不運を嘆く一群」の人たちについても、その不運の大部分が不測の外部的禍いでくるのではなく
して、自己が他人に自分を虐待するようにし向けておいて、その反動として自分が逆境におかれてそ
の苦しみに耐えしのぶことに、一種のマゾヒスチックな快感を味あうものであることを指摘している
のである。<<               (一部抜粋)

==============================================

そうです〜〜〜ョネ!私も以前はある面「障害者として…」この“コトバ…”を、パ−トナ−は、よく
使っておりました。…が?当の私は〜〜〜【 心の葛藤 】〜〜〜><

当時は、一見「障害者…」に、みられたくな〜〜〜いの想いがあり、オスマシにしておりましら、
“パ−トナ−”は、私の繊細なる気持ち(?)とは裏腹に、必ず!オ−プンにしますので、気がつきますと、
私自身も、ノセラレ族と申しますか?ある面では、本当にオ−プン的になりました。

これも「潜在意識…」に、「障害者として…」の負い目があり、時には“武器に使う手段…”も必要かと?
このように、おもいます。そうです〜〜〜ネ!【ケ−ス・バイ・ケ−ス…】でしょうか?

「障害者…」として“オ−プン!”にしますと、以前の日本社会は、正直申しますと“閉鎖的…”でしたが、
東京に住みだしてから、ある事を目撃するにいたり『人権の差別化…』を目のあたりにしてからは、
これは、【正々堂々…としないといけない事!!】を、イヤ〜〜〜と云うほど垣間見る事となり、また、
私も体験をする事となりました。
                                  つづく

2334SAKURA:2013/06/01(土) 15:07:50 ID:BiiPCx.6
管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2324>>2325>>2332>>2333  □日本教文社【 生命の実相3巻 シリ−ズ 】から〜〜〜

❤〜個人的には【日本教文社 「生命の実相…3巻」のはしりがき…】からの感想とさせていただきます…。
「マイペ−ス」にて……
【 生命の実相 3巻 はしがき よりその③ 】>>2333 の続き投稿です…。

■『生長の家…』では、客観的に申しますと〜〜〜表面上は「障害者…」に対して、好意的な状態・態度に
見えるように思います。…が?相手が「障害者…」での、男女関係に関しては、殊のほか?反対される方が
多いように思いました。(過去の体験…から)当時の「役職の方々」は、必ず「障害者…」との結婚問題はと?
「苦労をします…。」この様ないい方でしたかと。??それに「肩書優先…」でしたかと。??
更には、一方的な事情での判断でしたかと。??

これには【ショック…】でした〜〜が??当時の私は、心の傷として、かなりの負い目をもちました。
その事も、一つは“キッカケ”となりまして、その後【創価学会に入会】となったのです。
尚!現状でも〜〜〜この様な傾向が『生長の家…全体像』として残っているかも?知れません。

しばらくしまして「学会の方…」が❤【障害者でもデザイナ−になれる〜ワョ!】と言って「励ましのコト
バ!」更に〜〜「聴覚障害の団体…」があるから、そこの“クラブ…”に出入りしてみたらと…アドバイスを
いただき、『国立の文化ホ−ル…』に、はじめて出向きました。

そこには、当時「聴覚障害者の方」が、かなりいまして、正直“ビックリ…”です。
生まれつきの「聴覚障害者…」で、その年に『早稲田大学に合格』したのでしょう。その子は、記憶では
“大田区…在住の男性”でしたが〜〜〜?その後!やはり、周囲の学会員の方が、負い目を持たせる事よりも、
世間に対等に前に〜前に〜進む事を…見守って行く!その様な周囲の光景が、今でも印象的ですかと…。

或る時は、“パ−トナ−と、二人とも独身”ですから、周囲の方々の“はからい”で「お見合い…」のような感じ
での紹介をして頂き、この様にして頂きました事を、今では、懐かしく、今にして思いますが【感謝】かと。

今の『生長の家…お家騒動』は、当時の私に対しての“コトバ…の使い方?投げ方?”は〜今では【分派】に、
いかれた職員の皆様方でも、正直な話ですが❤『やさしさの欠如……』がどうしても伺えます。
■【 何故?如何して?会員が減少したのか〜〜〜】を、改めて振り返る時、そこには「過去の障害者の見方」
への【差別化…】此の事も原因の一つの様に思いました。それに【同和問題】も、差別化しされた傾向が、
此処昨今の投稿内容から感じました。…が?果たして〜〜〜如何なものでしょうかと???

振り返りますと、この当時の私は、確かに【 不運を嘆く一群 】を嘆き悲しむ“私…自身”でした。…が?
それと、同じように【分派の皆様の中には〜〜〜被害者意識!!があるかと。これでは、まるで〜まるで〜
「悲劇の主人公…」にも見受られてしまいます。】…ある面は、理解も出来ますが【中傷が先行しますと!】

■最終的には【過去の私と似ている!!】
この様に、世間一般では、見られてるのですかと。!!そして今回【 悲劇の主人公を演じている様に〜〜
それは「罪と罰」…で】しょうか??そう!その様に思われますのでは?更に、考えますと…逆の観点から?

【 不 運 を 嘆 く 集 団 に 見 え る の で す か と 。】

折角❤「雅春先生…回帰」此の事を『スロ−ガン…』になされています【分派…皆様方々】も、
「不運を嘆く一群…信仰団体」なのですかしら〜〜〜ン???この様に、見られているのでは??
そう!!あまりにも【中 傷 が 先 行 さ れ る 方】此の行為は、結局!!
自分自身で、自分自身の【人格…が無】になる事と、そして【傷をつける…】ようなモノです〜〜〜ョネ!
                                          
                        つづく

2335ルイヴィトン 通販:2013/06/01(土) 16:07:57 ID:???
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2336志恩:2013/06/01(土) 21:51:08 ID:.QY5jUA6
本流青年掲示板より
 「そのままの心」について〜

第十三章  青年と真理を語る  (2) (394)
日時:2011年08月14日 (日) 21時28分
名前:さくらふぶき

 人生の目的と、神の愛を生きるには

 岩間 人生の目的というのがよくわからないんでお訊きしたいんです。

 愛行そのものを人生の目的として愛念を実行すること、それから神様と一体となる、そういうような実感を得るのを人生の目的とするかということ、
 そういうことでいろいろ悩んでいるんですけど。
 それでどうも生活がちぐはぐになっていくのを引きしめるために、どういうふうにして目的をたてていくかということをお聞きしたいのです。

 谷口 人生の目的という問題は、いつも講習会で一日の講義の課題になっておるのでありまして、それを唯今の短時間で全部話すということは、
ちょっと難しいんでありますけれども、
大体もう予備知識もある方だと思いますから簡単にいいますと、人間は神様の自己実現であり、
しかも最高の自己実現として、万物の霊長として現れているのであります。

 そこでその神というのはいかなるものかというと、「神は愛なり」とキリスト教ではいいますし、仏教では仏心とは大慈悲心だともいいます。
 その大慈悲心そのものの顕れが観世音菩薩であるといわれているのであります。
 だからキリスト教でも仏教でも慈悲とか愛とかいわれるのが仏様や神様の内容を為しておると見ていい訳であります。

 それで神の愛を人間が実現するということは、人間が地上に顕れたところの究極の目的であるといえます。
 愛を本当に実現し得た時に、人間は本当に深い喜びを感ずることが出来るのはそのためであります。

 そこで愛を実現するには、どうしたらいいかということになるのでありますが、
 これは趙州和尚が「平常心是道」と言ったように、先ず第一、平常の心――そのままの心――を大切にすべしというのが、

 あの生長の家の信徒行持要目に書いてありますが、「そのままの心」というのになることです。
「そのままの心」です。「そのままの心」というのは〇(ゼロ)の心であって、〇(ゼロ)っていうのは一体何かというと、我というものが無い心です。

 我というものは一種の個人主義を持っています。そして肉体的な性格を持っているのであってその自己中心的な性格を一遍精算してしまって、
 これから必ず人の為にだけなることを実行致しましょうというように大決心をすることです。

 その大決心によって「自己中心的」な自分というものを自己抛棄し、捨て去って、そこから自然に動き出してくるのが「
 本当の平常心」「そのままの心」ですね。

 自己愛や利己心もそのままにあるのが、「そのままでいいんだ」と、

 そういう「そのままの心」じゃなくって一遍「ニセモノの自分」を捨ててホンモノの「そのままの心」ですね。

 そのまま自我の我というものがなくなって、〇(ゼロ)になったときの「そのままの心」です。

 無我になると、そうすると物事がなんでもスラスラといくようになるのです。
 なんでも我というものがあるとスラスラといかない。
 自分の「我」の形に引っかかるわけです。

 そして周囲が「我」の形にぴったりと添うてくれなかったら、摩擦がおこってうまくいかない、
 つまりチグハグになるのだから自分というものをまず〇(ゼロ)にするんですね。       つづく

2337志恩:2013/06/01(土) 21:55:49 ID:.QY5jUA6
 (つづき)

   大体人間が神の自己実現として、神をこの世の中に実現するには、二つの方法がある。

 一つは、自分が〇(ゼロ)になって神様に全部無条件降伏をすることなんです。
 そうすると、その自分の我が無条件降伏したら、自分というものがなくなって、神様がそこに顕れて、

 神様が「本当の自分」だから、それで「自分がやること」が即ち「神のやること」であるということになるのです。


 もうひとつのやり方は、自分というものをできるだけ拡大すること。
 「自己拡大」を徹底的にやるのであって、それは自分は「神の子」であるということを一心に念じて、

 常に「自分はここに神が生きているのである」という念を、ふだんも常に念々持続して絶やさないように精進努力をして、
 そして神想観を一所懸命に励んで、そして自分の努力によって、自己の自覚を拡大してゆく、今日は昨日よりも拡大し、

 明日は今日より、あさっては明日よりも拡大してですね。
 毎日毎日神想観を励んで、われ神の子なりの自覚を一層深めていくというその修業によって、自分が拡大されて、

 ついに神と同じような偉大な生活に入っていくというわけで、その自分で努力して一所懸命にやっていくのが、
 いわゆる自力門とか聖道門とかいわれるのであって、よほどの大努力を要するわけなんです。

 もっとも第一の「自己抛棄」の方も「抛棄する努力」はいるけでども、
 とも角それは現象の自分の現在というものがほんとうに見苦しいものだ、こんなにきたない、無力なものであると気がついて、

 自分では努力しても甲斐がないというので、へりくだりの心を起してすっかり自分の「我」というようなものを捨てて、
 “神様どうでもして下さい、神様のせよとおっしゃることを、なんでも素直に致します”というので、それに無条件降伏するんです。

 即ち、神のとりこになる。神の捕虜になってしまうのです。
 神の捕虜になったら反抗するわけにはいかんのであって、神様がするとおりにさせられるということになって、
 ここにはじめて「自分の置換」というものが他動的に行われるということになるんです。

 まあその二つの他力的方法か、自力的方法か、
 どちらかによって自分というものを自己抛棄して他力的に乗托して自分というものをおきかえるか、

 自己拡大してついに神に達するかによって、
 自分というものが「ここに神が生きておる」という大自覚のところへ入っていくのでありますね。

 他力的方法も自力的方法も、いずれも兎も角、現在の不完全な自分は否定しなければならぬ。

 そして「神が自分に生きている。神は愛である」ということがわかってくると、
 それが実際に生活に実現してくるのでありまして、それがなお、いろいろと摩擦があったり、さわりがあったりするのは、
 まだその自覚に到達しないのであるから、そこのところをよく反省して、自分を捨てるか、

 それとも自己拡大するか、まあ自分の生まれつきの性格に従って、どちらでも選んで、そして精進努力して行かれれば、
 やがて、本当に神を自己の内に自覚せられる時が来るにちがいありません。

2340SAKURA:2013/06/03(月) 22:25:41 ID:Kpiz95ro
「管理人 トキ様」へ  「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2324>>2325>>2332>>2333>>2334 ■□日本教文社【 生命の実相3巻 シリ−ズ 】から〜〜〜

■ようやく日本教文社発行『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤〜個人的には【 日本教文社「生命の実相…3巻」のはしりがき…】からの感想とさせていただきます…。

==========【 生命の実相 3巻 はしがき よりその④ 】==============

戦争も、闘争も、人類のあらゆる不幸、災禍、病気、貧苦等もこの種の人間の自己破壊願望のマゾ
ヒスチックな傾向からくるものであること、そしてその自己破壊願望の完全な修正が行われない限
りは、人間は、生命に到る道を欲しながら、死の世界に突入せざるをえないことが精神病理学者の
方から指摘せられはじめたのは興味あることである。わたしの『生命の実相』全集を読む人たちが、
おのずから病気が癒え、戦場においてさえも傷つかず、あらゆる人生の不幸を克服しえつつあるのは、
それを読むことによって、人間が本来物質的存在にあらざるところの『完全霊』なる自覚を得、“アダ
ムの原罪的“な人類共通の罪悪感が消滅して自己処罰の必要がなくなり、人間の自己破壊のゆがめ
る願望が根本的に修正せられるからである。          (谷口雅春著)

==============================================

■>>戦争も、闘争も、人類のあらゆる不幸、災禍、病気、貧苦等もこの種の人間の自己破壊願望のマゾ
ヒスチックな傾向からくるものであること…云々…<<

【分派…の皆様方達…】の今までの投稿内容を閲覧させて頂きながら、正直、ある面では「被害者意識…」
が強くどうしても見えるのです。…が?? 例えばなのですが〜〜〜><
※このように私は総裁にされたとか…?
※日本教文社の本の中には重版があり、これがなくなると「雅春先生の生存された頃の書籍」が失われて
しまうとか??この責任は〜〜〜??

全ての『行為…』が、【現総裁雅宣先生…】に原因があると言いたげな“投稿内容…”ではないのでしょうか?
全て〜〜〜なす事全て〜〜〜❤「現総裁雅宣先生…責任転嫁」にお見受けします。…が?

此処で!【 現総裁雅宣先生…責任転嫁 】別の方面からの捉え方です。…が?例えば〜〜〜
此処最近、【森のオフィス…云々】に関しての討論投稿が〜〜〜話題性としてクローズ・アップでしたかと。
私の記憶の中では「現原宿の建物――>森のオフィス」これに関し、亡くなられました「2代目清超先生…」
でも、「本部会館での催事」の中で、おっしゃつていらっしゃいました“コトバ…” が、
❤『 建物は修善しないといけませんし、当然!もつのです〜〜ョネ 』このように述べられまして、更に、
『理事会が〜〜〜』という事を、公の場にておっしゃいました記憶があります。という事は【分派側…】に、
いかれました方々の中は、当時の『理事会…』の関与された方もいらっしゃいますのでは?ないのでしょうか?
そうしますと「雅春先生…建立された建築物」への想いは、理解できますモノもありますが〜〜〜
その頃でも【修復工事…一度もなされた形跡が〜〜〜見受けられません。】それでは、【多々なる条件でも
耐久年数がもつものも〜〜〜今ではもたないのでは??】このように考えます。

                           つづく

2341SAKURA:2013/06/03(月) 22:29:11 ID:Kpiz95ro
「管理人 トキ様」へ  「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2324>>2325>>2332>>2333>>2334>>2340 □日本教文社【 生命の実相3巻 シリ−ズ 】から〜〜

■ようやく日本教文社発行『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と

❤〜個人的には【 日本教文社「生命の実相…3巻」のはしりがき…】からの感想とさせていただきます…。

【 日本教文社 生命の実相 3巻 はしがき よりその④ 】>>2340 続き投稿です…。
■そして、「観覧者の皆様」もご存知のように、此処昨今では〜〜〜??『地殻変動…地震発生』が多々です!
此の事も踏まえますと、いつ!【大自然災害…】が起こるとも?そうしますと、その時の【人命の保障…】を
考えた上での、行動かと?個人的にはお見受けしております。…が?そして「現原宿本部の立て直し…」
一部はそのまま?のような事を、お聞きしておりますが?当然「耐震性…」も考慮では〜?ないのでしょうか。
【分派の方々…】が、仮にその様な事態が発生した場合、責任もって【人命の保障…】を、逆に、なさいます
のでしょうか?正直な話「疑問…?」です〜〜〜ョネ!

【 別板 「まじめな話」の板 】では、「菅原理事…」様の事を、記載されていました。…が?

当時!萩窪時代の頃でしょうか??その姿を、本部会館にて、せわしく歩いていらっしゃいました姿を、
お見受けした事があります。その頃でしょうか?確か「青年会長…」から「本部…」へ…その後!確か〜〜
「アメリカ…」に行かれたとか?風の便りで、訊きました。…が?正直!その当たりの事は、詳しくは存じません。
…が?そして「長崎総本山の総務」をなさっていらっしゃいましたかと?その後、再び「本部…」へ〜〜?

■【青年会…会長】という経歴からの現役職…「理事…」の立場に!!

さて!個人的には?多々なるこの「青年会からの〜〜〜」此の捉え方は、多々あるかと思います。…が?
中には【分派…】の方に行かれた方の中には、同じように【元青年会…役職!】の方もいらっしゃるものと
推測致しております…。…が?此処は、個人の捉え方でしょうか〜〜〜!

■【中 心 帰 一 !】を、どこに?誰に?対してもつかによりまして【分岐点…】となったのでは?
つまり「現原宿…雅宣先生側」そして「分派側…雅春先生への回帰論…」これにて、当然ながら、御本人達の
「肩書…」が変わってきたのが、現状ではないのでしょうか?
ですから、その判断にて、現状の立場がある分けですから?それを【中傷…】する事は“オカシイ?”と、
思うのです…。その当時の【判断…これはあくまでも自分自身での決断での“行動”…】となりますから…?

相手を中傷する事は、世間一般から見ましても“オカシイ”ものとおもわれますかと。果たして〜〜〜><
批難する事は〜〜〜?世間でも通用しないモノと思います。【自己責任…】なのでは〜〜〜?

唯!「辛口メッセージ?」になりましょうが?果たして、【奉 職 者 と し て の 認 識 度】は?
つまり【信者…ヘの“救済への想い”…】何処までのモノなのかは?これからの御本人の【愛行…行】に
なりますモノと思います。
❤ 一般信者は〜〜〜今!冷静な目で〜〜〜見守っている!このような“心…”を抱きながら?でしょうか?

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11788/1345969739/774【別板 「まじめな話」の板から】

【菅原理事…云々…】此の中傷 “コトバ” に関してですが〜〜〜当たり前の行動を…なさったのでは?
その様に思いますが?「本部…」からの任命に“ハイ!”をなさったその後の〜〜〜本人が今!の役職かと
今回の「判決…」の結果は?一人一人が…❤【真理…探求への船旅】…あの「ヒョツコリ!ひょうたん島」
のように〜〜〜♫〜〜〜【 神との心の波長 】合わせながら〜♫〜

                                         再合掌

2342うのはな:2013/06/06(木) 17:19:57 ID:jrfqdwUk

谷口雅春先生 御著『私の日本憲法論』はここで読めます。

  http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=1717

2343うのはな:2013/06/07(金) 18:25:37 ID:ErfthWE6
        『生長の家』誌昭和二十一年七月号・『新生の書』収録

     大和理念としての日本国

 私は限りなく日本を愛する。私は限りなく愛国者であることを欲する。
こう云う言葉は真に日本を愛しない非愛国者から憎まれるかも知れない。憎まれても好い、
私は限りなく日本を愛し、日本的なるものを愛するのである。

 兎も角も日本国が地上にいつの時代からか存在し、神が日本人なるものを此の地上に生んだことは、
何か日本国なるものや、日本民族なるものに特殊の使命が与えられているのだと考えざるを得ない。
 特殊だと云っても必ずしも、日本民族が他民族に優れていると云うのではない。

 ささやかな梅の花にも梅の花に許された特殊の美しさがある。それは豊艶な桜や牡丹の花には及ばないにしても、
梅の花には梅の花に許された特殊の美がある。日本民族にも日本民族に許された小さいながらも梅の花のような美があるのではなかろうか。
 私は、それがあることを信ずる、信ぜざるを得ない。私は、桜の花や牡丹の花を愛しないのではないが、此の小さい梅の花の雪に蔽われ、
寒気と戦いながら清楚に咲き出でた其の美を限りなく愛するように、何か日本民族の許されたる日本的な美しさがあることを信じこれを愛せざるを得ないし、
愛し育てたいことを念願とするのである。

    『大和の国日本』 谷口雅春 先生著 P127

2344SAKURA:2013/06/07(金) 18:50:44 ID:m1q2iwKA
「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2324>>2325>>2332>>2333>>2334>>2340>>2341 □日本教文社【生命の実相3巻 シリ−ズ】から〜〜

■ようやく日本教文社発行『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……

❤〜個人的には【 日本教文社「生命の実相…3巻」のはしりがき…】からの感想とさせていただきます…。
■今回は…私事にて【第13回WEB誌友会…テキスト資料】を閲覧する機会が…遅くなりましたので…

==========【日本教文社 生命の実相 3巻 はしがき よりその⑤ 】==========

本書は新修版『生命の実相』全集第二巻にあたり、「完全霊」としての自覚を得た人間が、いかに爆
弾雨下の戦場においても傷つかないかを、その実戦下の状態を描写したる場面を収録したと同時に、
さらに病気が、潜伏せる自己破壊願望によって起こるものであるから、(特にこの事は物質的医療が
てこずっている慢性病にいちじるしい)それにたいして薬剤を用いることをその事が自己破壊願望の発
露として、自己の肉体的にも経済的にも苦しめつつあることを指摘したのである、だから薬剤はおお
むね『一つの病気を征服することによって、他の病気を造る』ことになる事実を明らかにし、真に無
病、健全、そして、あらゆる闘争から超越した生活を送ろうとするならば、人生観を転換して、人類
の原罪観を払拭し、真に自在無礙なる生命の実相に目ざめなければならぬことを力説せる部分を収録し
て、一冊としたのである。戦場において傷つかない心境は、もって日常生活においても傷つかない心境
であるはずである。時局あわただしきに際して本書によって読者が八面玲瑯、無礙自在に傷つかない
心境であるはずである。時局あわただしきに際して本書によって読者が八面玲瑯、無礙自在に傷つか
ずに病まざる信念が獲得せられれば幸いである。            著者識す (谷口雅春著)

==============================================

■この様に、今の私に課せられた現状の“環境”は、本当に【精神向上の戦い場】でもあるのかも知れません。
今の私は、此処[「FUK… 」は生れ故郷なのです。…が?本当に【心の葛藤…】の日々ですかと。

さて!【国際化…】になり、今までの日本人の常識をくつがえすような?想定外の“アクシデント…発生”の
状況に直面することが、多々あります。エ〜〜〜ッ!考えられな〜〜〜イ!いつも「心の叫び…」かと。し
かもアジア圏の一員としての「日本国…」でありますから!特にここ「FUK…」は、アジア圏各国の交流場
としての“窓口…”との位置づけでしょうか?その様になりますのは、当然かもしれませんが〜〜〜

此処昨今では「地球温暖化…」によります【 異変… 】での、生態系圏に多々なる変化が生じていますの
は、誰しもご存知かと思います。以前は「鳥インフルエンザ」人間には、害がない!という定説論でしたが
現在では【人間感染が確認されまして…しかも、此処昨今の“ニュ−スの情報…”は、多々でしょうか??】

■ 中国 鳥インフルエンザ 「日本上陸」政府警戒 往来活発 GW迫る
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/snk20130422095.html (ダニによる媒介でもある…云々… )

どうしても「体力…」つまり「免疫力…」は、従来!日本人の場合は「衛生面…」に気をつけておりますから、
体質的には〜〜〜若干「弱い!言い換えますと〜〜〜温室育ち?」になりますでしょうかと。従いまして、
海外からの今までにないウイルス菌ですと「日本人…」が“バタバタ死ぬ…”その様な状況に陥るのではとの
一抹の不安がよぎります…。更には、考えられない「病気…」を併発してしまうのでは?
或る病院の先生は、その【医者の使命感…】から、一心に患者さんを診察しておられましたが、或る時、肺炎?
カゼ?…病気をうつされましたのでしょうか〜〜〜?帰らぬ人となりました。また或る先生は〜〜家族とは、
現在、一緒に住む事をなさらずにての【医者の使命感……?】から、別居生活中のようです。…が?

                                     つづく

2345SAKURA:2013/06/07(金) 18:53:03 ID:m1q2iwKA
「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ   
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2324>>2325>>2332>>2333>>2334>>2340>>2341>>2344
■□ 日本教文社【 生命の実相3巻 シリ−ズ 】から〜〜

■ようやく日本教文社発行『生命の実相…3巻』を拝読、そして、多々なる資料を閲覧しながらの投稿と……
❤〜個人的には【 日本教文社「生命の実相…3巻」のはしりがき…】からの感想とさせていただきます…。

【 生命の実相 3巻 はしがき よりその⑤ 】>>2344  の投稿の続きです…。

■>>「完全霊」としての自覚を得た人間が、いかに爆弾雨下の戦場においても傷つかないか…云々…<<
上記から「雅春先生」の【人間は肉体にあらず…!霊的人間…!】との自覚当然かとは思います。…が?
ある面では、対応策としての予防は必要ではないのでしょうかとも〜〜〜 >< 
此処は?柔軟性の【SAKURA…】なのです。

❤〜「雅春先生…」の言葉通りに〜〜〜
【“心…”で自己破壊願望を悲劇の主人公にならずに、神ともに立ち向かう精神……そのように“心…”を
訓練していく内に八面玲瑯、無礙自在に傷つかずに病まざる信念…つまり“心…”が獲得せられれば幸いである。】

【この“心…”ができる!!】今現在の私は、不動の心=信念の獲得に“焦点”を、しぼる事だと思います。
このように【分派…皆様方】も、今!置かれています立場は、こちら「現原宿教団…」に対しての【中傷論…】の前に
〜〜〜つまり【こころを振り向けるよりも…折角「雅春先生…回帰」というスロ−ガンを掲げて…】
いらっしゃいますから、その“想い=想念”を、まずは「神…」に向けていかれた方が〜〜〜と思います。…が??

■□ 1990年(平成2年度)当時「2代目清超先生…時代」に於けます私の「亡き母」の八幡道場…
そこに於けまけす「白鳩の皆様」の当時の様子が??克明に理解出来ますのでは〜〜〜ないでしょうか?
※此処で「亡き母様」の遺品の中からの【手紙のやりとり…】にて〜〜〜投稿形式(原文)を〜〜

■□■━━【 お知らせ メッセ−ジ 】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
■亡き母へ 【 第二回 】   その① 〜 ③          
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1341453150/1431 その①  I ・Mより
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1341453150/1432 その②  I ・Mより
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1341453150/1433 その③  I ・Mより
■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□■

【新しい〜〜〜信者〜〜〜悩める人々を救済〜〜〜】これこそが「雅春先生の御心」の叶うかと思います。
現状の「行動…」は、果たして【別なる〜〜〜目的かと?】一般的には思われますのでは?
上記を参考に……【前に!前に!進むべき方針案…】必要では?ないのでしょうかと。?

■【 こころの安らぎと〜〜〜生き抜く力は〜〜〜「生長の家…真理パワ−」より始まるかと… 】

                                   再合掌

2347女神の部屋:2013/06/12(水) 18:22:45 ID:6TyiMBAE
 
 昭和天皇の数々の逸話のご紹介
 http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&amp;mode=res&amp;log=790

2348NANCY:2013/06/13(木) 19:21:28 ID:BEUD3XFA
「トキ様」  ヘ   「観覧者の皆様」 ヘ
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>2083>>2116>>2117>>2129>>2134>>2135>>2165>>2166>>2173>>2216 >>2217>>2220
>>2228>>2282>>2291>>2293>>2314の投稿の続きです。

−−−「抜粋 投稿  谷口雅春 著」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

■ 真珠貝のように                普及誌No.28 より

 困難を歓迎してはならない。
困難を歓迎する心は、その潜在意識が困難を呼び寄せることになるからいけない。

しかし、既に自分に臨んで来た困難を悲しんではならない。
真珠貝はその殻に傷つけられた 「 傷 」を玉成して 美しき真珠をつくる。

此方の受けようによって、自分の能力と品性とを高めない困難はないのである。

                           『女性の幸福 365章』 より

◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

■【人生の旅】に於きましては、必ず!【 困 難 】此の“コトバ…”は必ずや、誰しもが遭遇して
しまう?課題でしょうかと。??
但し、その時の“心の持ち方…一つ”で〜〜〜この【 困難… 】が、プラス作用になりますか?或いは?
マイナス作用になりますか?「雅春先生」のおっしゃいます受け方?〜〜捉え方?次第なのです〜〜ョネ!

現在の状況…【過去のおさらい…】をふり返っておりますと〜〜〜
今回の【 「生長の家」…お家騒動 】は?【 問題=困難 】といいますか?事の発端は〜〜〜?
■□「創立者 雅春先生…「生命の実相」の著作権…云々…」つまり【社会事業団との論争】になりますが?
此の事は?〜〜〜〜〜><

本当に【信者の事?】を考えての…【人を救済…】を考えての…行動でしたのでしょうか?
結果的には〜〜〜【世間にこのお家騒動??公表】になりましたでしょうかと。この様にお見受けします。
それが、時間の経過により〜〜〜振り返ってみますと?どう云う【結果】になるのかは?疑問視ではあります。…が?

正直な話?結果的には非常に精神的に、此処【2チャンネル…各ボ−ド】を閲覧しておりますと〜〜〜
余りにも【3代目…雅宣先生への中傷論!】・【「生長の家…原宿本部」が“新体制…”での活動への中傷】
これに対してあまりにもスゴ〜〜〜イ!暴言!には、どうしても“こころがネガティブ…”になってしまい
そうなのです!“こころ−−>傷つき?”><

■しかしながら?「雅春先生…御教え」であります〜〜〜又!「現総裁雅宣先生」もおっしゃつています
【心の法則…】にて〜〜〜❤【悲しむ暇はな〜〜〜い】と〜〜〜少しづつ前向きになって行きました。

■今の私〜〜〜【NANCY】は「50歳代にして天命?…ウフフ!!」ですから〜〜〜
しかしながら??平均寿命が延びましたから?現在では【60歳にして天命?…】でしょうか?

>>【傷つけられた 「 傷 」を玉成して 美しき真珠をつくる。】<< (抜粋言葉…)
そうですネ!【 成功の法則 】として【心を磨く−−>常にポジティブ感?−−>目標達成!!】
に向かうステイタスでしょうか〜〜〜♫〜〜〜

■□【 自分の能力と品性とを高める。 】この事に繋がるとの“信念…”で、多々なる“困難…”に、
打ち勝つパワ−にて【成功の法則…“夢…実現”に向かい人生を支配する“こころのパワ−”】を
ゲットするためにも〜〜〜頑張ります〜〜〜!!
                              
再合掌

2349SAKURA:2013/06/13(木) 20:44:52 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

第一章 信仰
―――――― 人間は生まれ更われるか ―――――   その①

 私の主人の祖母に、法貴加寿という人がおりました。丹波の法貴村というところに
八十八歳までいましたが、その後は主人の父母のいる東京に引きとられ、姑が世話を
していました。

 戦争がだんだん激しくなり、本土空襲もある、という噂が流れ始めた昭和十九年の
ことです。私は結婚したときから住んでいた世田谷松原町の家から、吉祥寺という
郊外に引越ししました。

 引越した翌日、私の父がその吉祥寺の家にやって来ました。父は、
「お前は今迄、お父さんのやった家に無料(ただ)で住んでいたが、今度は家賃を払うそう
で、気の毒だから、二年分の家賃を持って来た」
といって、二千円のお金をくれました。
 
当時、二千円のお金は大金です。
私は、お金を貰って、考えました。
「家賃は、毎月払えるのだから、このお金は何か、良いことに使おう」と。
 私はその頃、乃木坂の生長の家本部に行って、よく、谷口雅春先生の講話をきいて
いました。 

 先生が、
「お金は、良いことに使いなさい」
といわれました。それから、
「先祖を大切にしなさい」
とも言われました。

 私はこの時、法貴加寿お祖母様のことを想い出したのです。

お祖母様は九十二歳でした。
「そうだ。このお金で、お祖母様のお世話をしよう。お姑様ももう七十歳近いのだか
ら、お祖母様を連れて、空襲の中を逃げるのが大変。そうだ、私が見よう」

                             つづく

2350SAKURA:2013/06/13(木) 20:46:51 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349 投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

第二章 信仰
―――――― 人間は生まれ更われるか ―――――   その②

 そこで早速、東京の新宿区にいる両親のところへ出かけて行き、
「お祖母様、うちに遊びにいらっしゃい」
と申しますと、祖母は大層喜び、風呂敷包みの中に、じゅばんや、きものを入れ、一
番上に仏壇の中の仏像を入れました。

 それは真黒くなったお厨子に入っている、羅漢様でした。
「親に会いたくば、京の三十三間堂にござれ、五百羅漢に似てござる、というて、こ
の羅漢様には、必ず、似たものがあるのもんじゃ」

そういって、祖母は、大切そうに、その仏像を包んだのです。
 私が、その風呂敷包みを持ち、祖母をつれて、電車に乗りますと、祖母は電車の中に
座り込んで、大きな声で、
「わしはこれから、孫嫁のところへ行きます」
と、しゃべっていました。余程嬉しかったのでしょう。

 それから三月、私は祖母と暮らしました。
 主人は仕事でよく出かけ、私と祖母の二人きりの日が多く、食事も二人でした。
 私は例の二千円で、その頃ヤミでなければ買えないお米や、お砂糖などを、高
い高い値段で買い、祖母に上げたので、祖母はとても喜び、毎日、
「有難い、有難い」といっていました。

 ある日、突然、
「あんたは嫁に来て何年になるの?」 ときかれました。
「七年になります」
「まだ、ややさんのおとせんの?」(子供ができないか?ということ)
「はい」 と答えると、
「わしは、あんたに、大層世話になった。何というて恩返しをして良いか判らん。せ
めてあんたの子になって、生れ更わる」 と言いました。

「そんな便利なことが出来るものだろうか」
と、思いました。
                            つづく
PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
お久しぶりです。【法貴先生…のお名前】そして【書籍…】は〜〜〜!
直接とお会いした中で、とても〜〜〜とても〜〜〜素敵な〜〜〜素敵な〜〜〜“笑顔の先生”でした。
そして先生の“思い出”も、いろいろあります。…が? この本の中でも「先生の人柄」がみえてきて〜

そうです〜〜〜ョネ!当時の戦前・戦後の物価!!当時の東京での日常生活が伝わります。〜〜〜が?
今回の“投稿文章…”にては〜〜〜確か!この頃「戦争中…」でしたのです〜〜〜ョネ!!
更に「法貴先生」の住まわれていらっしゃいました【松原町…】此処は、現在どのようになっていますかと
東京の「田園調布…」と言いますと??過去は〜〜〜「富裕族…居住のたたずまい」と言います認識が
在りましたが?何時しか?マスコミの影響でしょうか〜〜〜><【ミ−ハ−族!!】が住む様になり
随分と変貌して行きましたかと〜〜〜><もう“荒れ果てた街…”になってしまったの〜〜〜??

そう言いますと何人かの【古物商…】が在中している感じで、今にして思えば、信じられませんが><
私の“大濠公園界わいも〜〜〜古物商だらけ”で、「環境が悪化!!」となって参り、街全体が〜〜〜
汚い感じに見受けられてしまいますかと。此処で幼少から育った方が〜〜〜“一言…!”
『 そういえば、此処も“下町”も含め〜〜変り果てて〜〜>< ドンドン冒されていって〜〜〜
“三流化…”になっていく 』…これはどう捉えるべきでしょうか??
ボンヤリ〜ボンヤリ〜考えているのです。
                               再合掌

2351SAKURA:2013/06/18(火) 22:59:27 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350 の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

第二章 信仰
―――――― 人間は生まれ更われるか ―――――   その③
◆ 祖母の生れ更り〃〃〃〃〃

昭和二十年、一月二十三日、祖母は眠るように亡くなりました。九十三歳でした。
ちょうど、木が枯れるように静かな最後でした。
 昭和二十七年四月十七日、祖母が死んで七年目に、私は女の子を生みました。
その前(昭和二十四年)に男の子が生まれ、実家の母が、主人の父の名を一字いただい
て、慶一とつけました。
「今度の子供は、誰が、何とつけてくれるのかしら」
と病院でしきりに考えているのに、誰も名をつけてくれません。
そのうちお七夜になりました。
主人が病院へやって来て、
「おい、今度生まれた子供に、おばあさんの名前を貰って来た」 というので、
「誰がくれました?」 と聞くと、
「おやじだ、おやじが、お前のところの子には、僕の母の名をやろう、といってくれたんだ」 
といいました。
「あっ。それではこの子はお祖母様の生まれ更わりだ、何故なら、お祖母様が、私に
あんなことを言ったのは誰も知らない。知らないのに名前をくれたのは、この子が生
まれ更わりだからだ」
 その日は、月こそ違え、二十三日、祖母の命日の日でした。
 加寿では古いので、「和子」とつけました。和子は利口な子で、やがて東大を卒業し、
現在イギリスにいます。

 何よりうれしいのは、和子が、大変、私にやさしいのです。
若し、私が祖母にやさしくしなかったら、生まれ更わりの和子も、やっぱり私にや
さしくしなかったであろうと思うと、あのとき、深切にしてよかった、と思っています。

 二千円のお金は初七日の日に全部なくなりましたが、祖母の残してくれた羅漢様
は、今もなお私の家の仏壇にあり、その顔は心なしか、和子に似ているのも不思議です。

 人のいのちは、永遠生き通し、とききました。
 
 祖母、法貴加寿の不滅の生命は、娘、和子の中に生きているでしょうか。
 そういえば、生命は百年を一節として生まれ更わる、ともききました。

祖母の生命は九十三歳で一たんこの世を去り、七年後、即ち、百年目に、再び地上
にあらわれたのかも知れません。
                                    つづく

2352SAKURA:2013/06/18(火) 23:01:15 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351 の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

第二章 信仰 ―――――― 人間は生まれ更われるか ―――――   その④
◆ 祖母の生れ更り〃〃〃〃〃

2350>>2351の投稿の続きです…。
PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
■【生まれかわり…?】きっと!きっと!霊界から何かのかたちでの「霊界通信…」でしょうか??
東京在住の頃ですが〜〜〜「亡き法貴先生」の娘さんを、一度見たことが在ります。それは〜〜〜
「法貴先生」が亡くなられた直後に〜〜〜「原宿本部内…」で見かけた記憶が、在ります。…が?
その当時!「法貴先生の“思い出”」があったので?娘さんに“声…”をかけようと思った矢先に、
本部職員と“お話…”をされていましたので、残念ながら“話す機会…”を失ってしまいましたが、
イメ−ジとしては〜〜〜確かに遠くで見ましても“顔がしまっておられ…聡明な感じ・・・”でしたかと。??

笑い事ですが〜〜〜あの頃の「亡き法貴先生」は、いつも私の“顔…”を見ますと、必ず!【整形の話…】をなさいましたが、今は、屹度!『霊界で〜〜〜ごめんね!勘違いしていたわ』と…言っておられます事でしょう。私は「亡き法貴先生」の【光明化運動の〜〜〜足跡】を見ながら〜〜〜本当に“心のコトバ…”を沢山!頂きました。そして、今!振り返りますと〜〜〜あの頃の私は、物事の見方が表面上であり、深く
考えなかった事が反省させられ、今は「亡き法貴先生」の「コトバ…私なりの理解」が出来まして……
シッカリとした足取りにて「光明化…運動」を邁進する想いです。

更に、今回【長崎総本山…】で「現総裁雅宣総裁先生…」がおっしゃた“コトバ…”をかみしめて、
私も「亡き法貴先生」のなされた【光明化運動の完成】に少しでも参加しますと、長崎で【祈り…】ました。■□ 今から〜〜〜あらたなる〜〜〜出発の旅〜〜〜です!!
身を引き締めて!!【真理は一つ!】更に、それを【応用編にまで〜〜〜出来る事】だと、思います。

■【「亡き母」の手紙のやりとり】から〜〜〜もう一度❤〜【生長の家の“灯…”をともす運動にと!!!!】

                                       再合掌

2353神の子さん:2013/06/18(火) 23:12:21 ID:ihQVsXCo
生長の家には、自由・平等・博愛はあるのか?これがないなら、ただのインチキ宗教だよね。

2354神の子さん:2013/06/18(火) 23:19:28 ID:ihQVsXCo
個人の自由、個々人の平等、そして博愛の精神。今時これらをクリアしないような団体が存続できるほど、世の中、甘くないですよね。

2355神の子さん:2013/06/18(火) 23:22:33 ID:ihQVsXCo
自由・平等・博愛の理念に著しく反する組織・団体・集団・個人には、ペナルティがあること知ってる?

2356トキ:2013/06/19(水) 09:46:24 ID:Mh/E.L56
>>2353~2355

 規約を熟読の上、ご投稿下さい。生長の家自体の中傷のご投稿はお断りしています。

2357トキ:2013/06/19(水) 09:48:14 ID:Mh/E.L56
 法貴雪子先生のお嬢様は、本を出版されていましたね。
ロンドン在住で、芸術関係の御仕事をされていたみたいです。
いろいろご苦労をされたみたいですが、今は落ち着かれていると
思います。

2358神の子さん:2013/06/19(水) 10:20:56 ID:???
>>2349-2353

SAKURAさん興味深いお話ありがとうございます
ご先祖様に誦げている聖経は自分の魂も向上させる
何故なら自分も生まれ変わりかもしれないから、ですね。

2359トキ:2013/06/19(水) 10:21:27 ID:Mh/E.L56
>>2353~>>2355

 時間がないので、簡単に。

 自由・平等・博愛の理念というのは、フランス革命のときの理念だと記憶しています。
これは、当時のキリスト教の組織がかなりの力を持っていて、いろいろと不都合な事があったから
だと思います。少数派のカタリ派の虐殺などもありましたし、宗教の組織が暴走したときの危険性
はありえると思います。信仰者として、こういう面について気をつける必要はあるとは思います。

 しかし、私の知る限り、生長の家という組織は、基本的に、基本的な人権の擁護にはかなり
熱心な姿勢を取り続けていました。問題がなかったとは言いませんし、特に今は問題が多いです
が、>>2353から>>2355のような投稿は失当というしかありません。

 現在の法律では、個人の価値の存在が絶対であり、そのために自己実現と自己統治を守るという
発想にたよっています。そのために、いろいろな憲法や法律で、人権を認めています。
 「信仰の自由」は、基本的人権の中で重要な人権の一つです。生長の家に関する
議論も、この「信仰の自由」に基づくものです。その点は十分に気をつけて下さい。

 具体的に問題点があるのなら、それに対しては誠心誠意、ご対応はしますが、投稿を拝見する
限り、これらの投稿を書かれた方は、生長の家に関する基本的な知識も無い方で、おもいつき
の発言であり、きわめて残念に思っています。

管理人

2360トキ:2013/06/19(水) 10:24:14 ID:Mh/E.L56
>>2353から>>2355

 この板の趣旨に反するので、一定の時間が経過したら、別板へうつします。

ご理解下さい。

合掌 ありがとうございます

2361ありがとう:2013/06/19(水) 10:39:26 ID:???

  生長の家自体の中傷のご投稿はお断りしています

    〜〜〜

  教義・方針の批判ならば可ですから
  どしどし 投稿してください。

2364トキ:2013/06/19(水) 11:43:26 ID:Mh/E.L56
>>2361

 ごめんなさい、「教義」の批判もやはり目的外になります。

この点は線引きは難しいですが、基本的に、谷口雅春先生の説かれた教えへの
攻撃は目的外になると考えています。

 よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

2365SAKURA:2013/06/19(水) 13:22:16 ID:6cSfeI62
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2352のSAKURA投稿の続きです。――【法貴雪子先生…シリ−ズ】――

>>2357 「トキ様」 へ ■>>2358 「神の子(ブル−色)様」 へ

「法貴先生」が私どもによくおっしゃいました“コトバ…”の中から〜
■□私の名前は【法貴…ほうき】ですから〜〜〜サッサッ〜〜〜サッ!と…綺麗に全てを“掃除…”するのです。
そうなのです〜〜〜ョネ!今!【法貴先生が…霊界から…浄化運動】当に!今!始まったのでしょうか??

御様子から「法貴先生の娘様」は、キット!現在の状況をバネにして、更なる飛躍をなされる方と…思います…。
【ピンチはチャンス…】でしょうかと。そのように今回!改めて思った次第です…。
つまり【生長の家…お家騒動】も含めまして…新たなる「生まれ変わり…新生のとき…きたり」でしょうかと。

最後に……
「法貴先生の娘様」の情報…教えて頂きました事に、深く感謝申しあ上げます。
そして「神の子(ブル−色)様」からの“コトバ…”当にそうなのです〜〜〜ョネ!
私も…「神の子様」のように【先祖供養…心をこめて】…読誦させて頂きます…。【感謝…】
                                  合掌

PS: 「トキ様」 「観覧者の皆様」へ
独り事ですが〜〜〜
「今!法貴先生の娘様」は?【生長の家…御教え?】にはその後…“ノ−!タッチ”なのでしょうか??
「亡き法貴先生…のDNA」が流れていらっしゃいますから〜〜〜強い!強い!援軍です〜〜〜ョネ!
先生の書籍の中には?娘さんも〜〜〜確か登場されて【心理学…】をやはり把握されていらっしゃいますのでは?
ないのでしょうかと思った次第です。…が?

2366NANCY:2013/06/19(水) 13:31:41 ID:6cSfeI62
「トキ様」 「観覧者の皆様」へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。

■「SAKURA」さん へ  【 法貴先生…の書籍シリ−ズ!!お答えします…。 】から〜〜

私こと【NANCY】も…【亡き法貴先生…】のお人柄には〜〜〜
そして「書籍の中の先生」には?意外な面を 発見する事となり〜〜〜やはりその「足跡…」には感銘を受けます。…此処で「SAKURAさんの投稿」を…再投稿させて頂きます…。

===【 再投稿文 】=======================================
2351 :SAKURA:2013/06/18(火) 22:59:27 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350 の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

第二章 信仰
―――――― 人間は生まれ更われるか ―――――   その③
◆ 祖母の生れ更り〃〃〃〃〃

昭和二十年、一月二十三日、祖母は眠るように亡くなりました。九十三歳でした。
ちょうど、木が枯れるように静かな最後でした。
 昭和二十七年四月十七日、祖母が死んで七年目に、私は女の子を生みました。
その前(昭和二十四年)に男の子が生まれ、実家の母が、主人の父の名を一字いただい
て、慶一とつけました。
「今度の子供は、誰が、何とつけてくれるのかしら」
と病院でしきりに考えているのに、誰も名をつけてくれません。
そのうちお七夜になりました。
主人が病院へやって来て、
「おい、今度生まれた子供に、おばあさんの名前を貰って来た」 というので、
「誰がくれました?」 と聞くと、
「おやじだ、おやじが、お前のところの子には、僕の母の名をやろう、といってくれたんだ」 
といいました。
「あっ。それではこの子はお祖母様の生まれ更わりだ、何故なら、お祖母様が、私に
あんなことを言ったのは誰も知らない。知らないのに名前をくれたのは、この子が生
まれ更わりだからだ」
 その日は、月こそ違え、二十三日、祖母の命日の日でした。
 加寿では古いので、「和子」とつけました。和子は利口な子で、やがて東大を卒業し、
現在イギリスにいます。

 何よりうれしいのは、和子が、大変、私にやさしいのです。
若し、私が祖母にやさしくしなかったら、生まれ更わりの和子も、やっぱり私にや
さしくしなかったであろうと思うと、あのとき、深切にしてよかった、と思っています。

 二千円のお金は初七日の日に全部なくなりましたが、祖母の残してくれた羅漢様
は、今もなお私の家の仏壇にあり、その顔は心なしか、和子に似ているのも不思議です。

 人のいのちは、永遠生き通し、とききました。
 
 祖母、法貴加寿の不滅の生命は、娘、和子の中に生きているでしょうか。
 そういえば、生命は百年を一節として生まれ更わる、ともききました。

祖母の生命は九十三歳で一たんこの世を去り、七年後、即ち、百年目に、再び地上
にあらわれたのかも知れません。
                                    つづく

2367NANCY:2013/06/19(水) 13:40:35 ID:6cSfeI62
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>2366の【再投稿の続き…】です…。

===【 再投稿文 】=======================================
2352 :SAKURA:2013/06/18(火) 23:01:15 ID:BEUD3XFA
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こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

第二章 信仰 ―――――― 人間は生まれ更われるか ―――――   その④
◆ 祖母の生れ更り〃〃〃〃〃

>>2351の投稿の続きです…。

PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ

■【生まれかわり…?】きっと!きっと!霊界から何かのかたちでの「霊界通信…」でしょうか??
東京在住の頃ですが〜〜〜「亡き法貴先生」の娘さんを、一度見たことが在ります。それは〜〜〜
「法貴先生」が亡くなられた直後に〜〜〜「原宿本部内…」で見かけた記憶が、在ります。…が?
その当時!「法貴先生の“思い出”」があったので?娘さんに“声…”をかけようと思った矢先に、
本部職員と“お話…”をされていましたので、残念ながら“話す機会…”を失ってしまいましたが、
イメ−ジとしては〜〜〜確かに遠くで見ましても“顔がしまっておられ…聡明な感じ・・・”でしたかと。??

笑い事ですが〜〜〜あの頃の「亡き法貴先生」は、いつも私の“顔…”を見ますと、必ず!【整形の話…】
をなさいましたが、今は、屹度!『霊界で〜〜〜ごめんね!勘違いしていたわ』と…言っておられます事
でしょう。私は「亡き法貴先生」の【光明化運動の〜〜〜足跡】を見ながら〜〜〜本当に“心のコトバ…”を
沢山!頂きました。

そして、今!振り返りますと〜〜〜あの頃の私は、物事の見方が表面上であり、深く
考えなかった事が反省させられ、今は「亡き法貴先生」の「コトバ…私なりの理解」が出来まして……
シッカリとした足取りにて「光明化…運動」を邁進する想いです。

更に、今回【長崎総本山…】で「現総裁雅宣総裁先生…」がおっしゃた“コトバ…”をかみしめて、
私も「亡き法貴先生」のなされた【光明化運動の完成】に少しでも参加しますと、長崎で【祈り…】ました。

■□ 今から〜〜〜あらたなる〜〜〜出発の旅〜〜〜です!!
身を引き締めて!!【真理は一つ!】更に、それを【応用編にまで〜〜〜出来る事】だと、思います。

■【「亡き母」の手紙のやりとり】から〜〜〜もう一度❤〜【生長の家の“灯…”をともす運動にと!!!!】

                                       再合掌

2369うのはな:2013/06/21(金) 19:01:38 ID:lpxq1AYI
     『何故』はない
 
 先験的に知っていることは、理屈を超えているのです。『何故?』と云うことはないのです。
お腹が脹れたら『何故』子が出来るのであるか、『何故』生れたらお乳が自然に吸いたくなるか。
それには『何故?』はないのです。『理屈』はないのです。

 唯自分は子供を産むのだと云う事を『其の儘』知って居るのです。
此の『その儘』が大切なのです。『理屈なし』に知って居るのです。此の『理屈なし』が尊いことなのです。
我々は余り外からの知識にたより過ぎ、所謂『智慧の樹の實』をたべたものですから、
『何故神さまはあるか』『何故人間は人に深切にせねばならぬか』とか言ってそれが解決せねば
何も実行出来ないと考えたりするのです。これでは『楽園』から追い出されるのであります。

『何故?』『何故?』と言っていたら吾々は幸福にならないのです。
神はあるからあるのであって『何故』はない、『愛』は尊いから尊いのであって、『何故』はないのであります。


 『愛と光の生活』 谷口雅春 先生著  (投稿者 現代字に変更写)

2370うのはな:2013/06/22(土) 19:01:38 ID:MM5aHmm6

 聖胎長養のため宗教に専念せん 昭和43年10月
 谷口雅春先生 http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=seinen&amp;mode=res&amp;log=89

2371SAKURA:2013/06/23(日) 20:34:25 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351 の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

第一章 信仰 ―――――― 永遠不滅の生命とは ―――――   その①
 
◆ 私の父は現在九十九歳です。大変元気ですが昨年、つまり九十八歳のとき、ちょっ
と体の弱ったことがありました。

 私はちょうどその頃、東京の晴海の貿易センターで開かれた「生長の家」の講習会
に行き、谷口清超先生から、「死」についての講話をききました。
「死とは、生命のなくなることであって、肉体の滅びることではない」
「生命がなくなるから、肉体が滅びるのであてって、肉体が滅びるから生命がなくなるのではない」
私は、
「はっ」
と思いました。

 今迄、度たび本でも読んだけれど、このときは、このことが私の胸の中にははっきり
と影をおとしました。
 
私は早速父のところへ往き、父にこのことを伝えたのです。
「お父様、
 人間が死ぬのは、肉体が滅びるからではありません。生命がなくなるからです。生
命がなくならなければ、人間は死にません。だから、生命がなくならないように、生
命を喜ばして大切にしていれば、肉体もいつ迄も滅びません。谷口清超先生がそうお
っしゃいました」
 すると、父は、私の顔をじっと見ていましたが、
「よし、判った。では死なないようにする」
と申しました。
 それから次は元気になりました。
 
昨年の十一月、
 今度は長崎県西彼町の「生長の家」総本山で谷口雅春先生の講話がありました。

「人間の生命は永遠不滅です。」
「生命は、生まれ更わることが出来る」
「生まれ更わり、生まれ更わり、生命は永遠につづく」
 そういう意味の講話でした。

 私は早速、父のところに行き、その講話を父に伝えました。

                          つづく

2372SAKURA:2013/06/23(日) 20:40:11 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2371 の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

第一章 信仰 ―――――― 永遠不滅の生命とは ―――――   その②

 すると、父は、そのときはだまってきいていましたが、翌、五十八年、つまり、今
年のお正月に、私が年始に行きますと、こんなことを言いました。
「雪子、判ったよ。
 私は今日迄、余り悪いことはして来なかった。だからずっとしあわせだった。
 このままで行くと、たとえ死んでも、余り悪いところへは行かないと思うよ。
 つまり、生きているときにいるところと、死んでからいくところは同じだから、生
きることと、死ぬことは、同じだと思うよ」

 今度は私が、じっと父の顔をみてしまいました。
 私は父の口から、こんなすばらしい言葉をきくとは思っていませんでした。
 父の顔をまことに明るく、はればれとして百歳に近い人には、とても見えませんでした。
 
父は更につづけて、
「雪子、まだ元気だから、死なないと思うよ」
と笑い乍ら申しました。
 私はもう、答えるすべをしりませんでした。
 
  柿若葉眺めて黙す父と娘がときの刻みをいと  ほしみつつ

 白寿なりと祝ひてをれば御父の老い給ひしも   楽しかりけり

つづく


PS: 「トキ様」へ 「観覧者の皆様」 へ

「法貴先生のお父様」は〜〜〜?百近くまで長生きされたのです〜〜〜ネ!!
やはり【人生…】は、本当に【 こころの法則 】通りにと!あらためて思ってしまいます。
現在の私の、おかれた“環境…”は、屹度「神様…」が、モット!モット!後に“素晴らしい〜〜環境”
を導くための試金石でしょうか……と!思える心境になりましたのです…。ですので、振り返りますと、
この何年間も、彼らの事を避けているにも関わらず〜〜いつしか潜在意識に、否応なしに、入り込んで…
結果的には、振り回された事になっていたかと。

それなりの【魂だけの価値観…】だと?思えるようになり、今の私は、先ず!自分で置かれた“環境…”を、
もう一度見つめ直し、自分自身「神様と一体…」になりまして、そこから脱出する事!!次なる世界へ!
この様に思いますと〜〜〜実に【 こころが自由に!広がっていきそうで〜〜〜す。 】

「亡き法貴先生の人生観」を、久しぶりに、読み直しまして、此処年数間は?
私自身【 魂の向上は〜〜〜たった??分だけ!成長している!】と、思いましたのです。

■□ 【魂の成長…それこそ!生長して行く事が〜〜〜「生長の家…」なのでしょうか???】
            
                                         再合掌

2373a hope:2013/06/24(月) 08:31:48 ID:edEDolt2
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十四章 心で貴方を幸福にいたしましょう

♦いやいやすれば疲れる

勉強でも仕事でも、それをする態度によって、自分の肉体の疲れようが違いますし、
又自分の人格の高まりようも違ってくるのであります。
いやいやする仕事は非常にあなたの肉体を疲れさせますし、あなたの心をいらいらさせたり、
うんざりさせたりして肉体のためにも心のためにもならないのであります。
その人の勉強のしぶり及び仕事のしぶりをみていますと、その人の値打ちがわかるのであります。

いやいややっているのでは、その人の充分の力は出ないのであります。
だから仕事の能率も上がらず、勉強しても覚えられず、
遂にその人は世の中に出ても、人に負けることになるのであります。

だから吾々は仕事をするときに、「神さま、この仕事を私に与えてくださいましてありがとうございます」と
心の内に感謝してから仕事をするようにすれば、この仕事が楽しくて、
又その仕事が立派に出来るようになってくるのであります。
世の中に、失業者といって、仕事のない人がどんなに沢山あるかということを考えますならば、
吾々がどんな仕事でも与えられているということはありがたいことだといわなければなりません。
又学校へ行けないあわれな貧しい人々がどんなに世界中に沢山あるかということを考えてみるならば、
あなたが今、どんな学校にせよ、日本の国に生まれて、勉強させて頂いているということを考えれば、
それは実にありがたいことだと考えなければなりません。

『愛は刑よりも強し』という本に私はスター・デーリーという人の話を書きましたが、
この人は自分のもっと得意でない仕事をするのがもっとも自分を磨くことになるといって、
自分の不得手な書物を書くことと、一等きらいな講演をすることで生活しているのであります。
一番眠い時に起きて神想観をするのも一番効果があるというので、
この人は午前四時には必ず起きて神想観をするということであります。
重いものを引き上げる程腕の力は発達するのであります。
力は抵抗に正比例して出るのであります。
つらいことを敢えてする時、その人の力は発達するのであります。
どんな仕事でありましょうとも、あなたにせよ、といわれることは、
その時その仕事が、あなたにとって一番のよき訓練になるから、あなたに与えられた仕事なのです。
この世の中の仕事はそれがどんな仕事であっても、誰かのためになるからこそ、仕事として出てきているのであります。
忠実に熱心にそれを実行しなさい。
それは誰かのためになっているのであり、同時に自分の人格(にんげんとしてのねうち)を
磨き上げる仕事になっているのであります。
(つづく)

2374女神の部屋:2013/06/24(月) 15:21:45 ID:ErfthWE6

 聖歌 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=1613

2375a hope:2013/06/25(火) 07:36:32 ID:edEDolt2
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十四章 心で貴方を幸福にいたしましょう

♦自分の心の通りのものが出てくる

人間の心持ちというものは、ラジオ・セットの波長ように、その波長と同じようなものを自分にひきよせるようになっているのでありますから、
仕事をする時に、面白くない、楽しくない、不愉快な気持ちをしていますと、楽しくない、面白くない、
不愉快なものばかりを自分の周りにひきよせて来て、遂に自分の職業や商売がだめになってしまうのであります。

そこで吾々が仕事をする時には、その仕事に感謝し、この仕事を通して私は誰かのためになっているのであると考え、
誰かのためになることは尊いことであり、それをするのは名誉であると考えて楽しくなって仕事をすることが大切であります。
そういう心の波長で仕事をすれば、自分の心の波長によく似た誰かのためになる善き人ばかりが自分の周りにも集まって来て、
自分のためにもなり、自分の職業が栄えて来るようになるのであります。
(つづく)

2376a hope:2013/06/26(水) 08:20:16 ID:edEDolt2
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十四章 心で貴方を幸福にいたしましょう

♦奴隷の心で仕事をするな

仕事をするのに奴隷の心で仕事をしてはなりません。
主人公として仕事をしなければなりません。

させられるのだと考えてはなりません。
「私は人のためになることを欲する(したい)。だから進んでこの仕事をするのです」
というように喜んで仕事をするのでなければなりません。

あなたの一生涯の姿は、あなたの一生の歴史であります。
あなたの生活の肖像画のようなものであります。

あなたは自分の歴史が醜いものにみたされていることをお好みにはならないでしょう。
又あなた自身の肖像画が醜い利己的な顔をしていることをお喜びにならないでしょう。

そうすれば、あなたは自分の勉強や仕事をいやいやせずに、自分の一生の歴史を飾る偉い仕事だとして、
自分の肖像を、一刻々々刻みつつある尊い彫刻刀であると思って、尊いけだかい心でやらなければなりません。

人間が世の中に出て、出世をし、偉大なる功績(てがら)をあげ、
事業がなしとげることができるかどうかは、その人の仕事をする態度(こころがまえ)にあるのです。

仕事を成功する秘訣(こつ)は、その仕事を、「つまらない、面白くない仕事」だと考えないで、
その仕事に感謝し、その人、その仕事を愉快に楽しく熱心にすることにあるのであります。

仕事と勉強とに喜びを感じる人は結局世の中に出て勝利者となるのであります。
(第14章 終わり)

2377うのはな:2013/06/26(水) 15:20:10 ID:6wcvlhrI
至高の愛はこの世の一切のものを棄てさせる

 三島由紀夫氏の自決について、「朝日」の投書欄にのっていた話に、戦犯者として南方で
処刑された将校の未亡人にその感想をきいてみたら、その未亡人は「わたしは三島の頬ぺたをピシャリと
痛いほどなぐってやりたいと思います」と答えたということである。

 この未亡人の悲しみはわかる。それが愛というものである。
愛していない者にはこの悲しみはわからないであろう。しかし愛はその悲しみを通過し、それを克服しつつあるところに
魂の美しさがあるのである。そしてそれを克服し切って光の世界に浮かび上がった時、
本当の愛は勝利を得る。

 三島由紀夫氏もその妻を愛し子供を愛し、しかも人一倍愛していられたに相違ない。
自刃の数日前に、妻子をつれて一緒に何処かへ出かけて行き、一同楽し気に食事をしながら、
何事もないような話をして妻子に最後の別れをしていられるのである。死ぬべきときには死ななければ
ならない。自己愛は棄てなければならない。

〝本当の愛〟は〝佛心〟即ち四量無心でなければならない。四量無心とは慈悲喜捨の四つの妙心である。
そして四量無心は最後の〝捨徳〟をもって完うするのである。「愛するとは放つことである」自己愛を、妻子への愛を
棄て、一層高次の愛にー神の召命ーにこたえるために最もにがき盃をも受けなければならないのである。

 イエスがゲッセマネの祈りで「神よ、こいねがわくば、この盃をわれより取り去り給え。されど、わが意を成さんとには非ず、
御心のままにならしめ給え」と自己愛を完全に神への愛のために無条件放棄したのであった。
 三島由紀夫氏も自己愛を、妻子への愛を、そして創作への欲望をも、この世の栄誉と快楽との一切を棄てて、神の召命にこたえたのであった。


『愛はかくして完成す』 谷口雅春 先生著

2378SAKURA:2013/06/26(水) 22:14:39 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2372  の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

■□第一章     信仰
――――――  生さぬ仲の問題解決法 ―――― 

「生(な)さぬ仲」と、黒板に書いたら、
「生き(いき)さぬ仲」と、読んだ高校生がいて、がっかりしました。

生さぬ仲とは、つまり産まない子と母との間柄で、そのお母さんのお腹に宿らない
で、他の人のお腹から産まれた子、と母との関係です。

 では、自分のお腹に宿らなかった子は、本当の子ではないのでしょうか。
又、自分を産んでくれなかった母は、本当の母ではないのでしょうか。
古今、東西を問わず、この問題で悩んでいる人が、どんなに多いことでしょう。
 私は、この難問題を解決した一人の人間として、皆様に、私の体験をきいていただ
き、悩める方へのお答えとしたいと思います。

つづく

2379SAKURA:2013/06/26(水) 22:16:48 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2372>>2378 の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

■□第一章     信仰
――――――  二度目の母   ―――――  その①

 私の母は、私が六歳の時、難産が原因で亡くなりました。
 そのとき産まれた赤ん坊(私の妹)も生後三十分で死んだのです。
 そのとき私には姉一人と、弟三人があり、つまり五人姉弟でした。
 しかも、姉がまだ九歳でしたから、父はどんなにか当惑したと思います。
 翌年、二度目の母が来ました。

 今日はお父様の結婚式、というので、私達五人は玄関の横の書生部屋というところ
から、襖を少しあけてのぞいていました。
 始めに、モーニングコートを着た父が入って来て、つづいて新しい母が入って来ました。

 私の産みの母は地味な人で、おしろいは一度もつけたことがなく、それでも色が白
いからきれいでした。

 学校へくるとき縞のきものに黒い紋付の羽織を着、家に居るときは必ず白い割烹着
をつけていました。
ところが今、目の前に現れた二度目の母は、きれいに髪を結い、美しいきものを
着、ピカピカ光る帯をしめていました。

 私は「あっ」と驚きました。   そして、
「とても、こんな人をお母さんとは呼べない」 と思いました。
 それでも、私は多少、ませていたので、三日目におそるおそる、
「お母様」
とよびましたら、母は大層喜んでくれました。

 母は何でも出来る人で、お料理も、お裁縫も上手でした。お花もお習字も長唄もあ
みものも、全部出来ました。

 たった一つ出来ないことは、上手に子供を可愛がることでした。
 母は子供を産んだことがないので、五人の幼い子供を、どうして教育してよいの
か、どうやって、なつかせるか、途方にくれたのだと思います。

 けっきょく、子供にはきびしい躾けをすることが最も大切である、と考えたのでは
ないかと思います。

一番下の弟が病気で亡くなり、私達は四人姉弟となりました。

 父は、母が来てくれたおかげで、仕事に精を出すことが出来たと見え、ずんずん出
世して、やがて田園調布に七百三十坪の土地を買い、家を建てました。

 庭にはテニスコートがあり、家には当時余りなかった電気冷蔵庫や、電気洗濯機が
置かれていました。

 女中さんも三人から五人位いたこともあり、家は大変裕福でした。
 しかし、  私は、少しも楽しくありませんでした。

                      つづく

2380a hope:2013/06/27(木) 07:24:44 ID:edEDolt2
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第15章 斯うして能力を高めましょうP188〜
♦わが心の音楽をととのえましょう

吾々がピアノに対して弾奏(ひく)する場合には、その一音階一音階に気をつけて、
少しも不調和の起らないように弾奏するのでありますが、
吾々が自分の心の音楽を弾奏する場合には、それが調和のある響きを立てようが、
不調和な騒音(やかましいおと)を起こそうが一向気にかけないのは余り無頓着ではありませんか。

皆さん、「ピアノ」と「自分の心」とはどちらが大切でありましょうか。

吾々が生活に必要なことは、自分の力を最高の高さまで発揮することなのであります。
もしそれができなかったら、大なる機会がやってきてもそれをとらえることができず、
いたずらにそれを見逃してしまうことになるのであります。

機会と云うのは、何でも善いことが出て来るのに、うまくこちらが出くわすハズミです。
英語ではチャンスと云います。

よいチャンスをつかむには、生活の調子が整い、心の調子が整うことが必要です。
心と体の調子の整うことは、人間が大きな仕事をするのに是非とも必要な条件であります。
(つづく)

2381SAKURA:2013/06/27(木) 21:34:07 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2372>>2378>>2379>>2379 の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

■□第一章     信仰
――――――  二度目の母   ―――――  その②

 母はきびしく躾けはしても、余り愛の表現をしなかったからです。
 
 私は幸い、勉強好きでしたから、学校(私立森林学園・東京府第三高等女学校)へ行っているとき
が一番楽しく、家に帰っても本を読んだり、文章を書いたりばかりしていました。
 
物理学や幾何の問題を、一人、じっと考えていると、淋しさも忘れ、一番楽しい、と思ったりしま
した。

 そんな私が、いよいよ女学校卒業の前のとし、母は私が上級学校へ行くのをとめたのです。
「あなたのような生意気な娘は、これ以上勉強したら、お嫁に貰い手がない」
 母はそういって、女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)か、津田英学熟(現在の津田塾)に
行きたい、と切に願う私の希望を絶ったのです。

 私は泣きました。一晩中、体の震える程の悲しみに打ちのめされました。そして遂に、朝迄かかって
あきらめました。この時、私の体験したことは、
 
 「人間は、どうしてもあきらめなければならないことがある」 ことを知ったことでした。

 最近の子供は、暑ければルームクーラー、寒ければ暖房装置、そしてお腹がすけばお夜食と、
凡そ、がまんをする、ということがありませんが、私は十六歳のとき、この最大のつらさに打
ち勝ちました。私は今、このことを大変倖せに思っています。

 しかし、その頃はそう思いませんでした。私は母を恨みました。

 母が産みの母でないから、生さぬ仲であるから、私の希望を叶えてくれないのだ、と思いました。

 庭に出て空を仰ぐと、星が一杯見えました。
 あの星の中の、どれが私のお母様か、亡き母を慕って泣きました。
 よその人は皆、本当の母があって、自分のしたいことをしているのに、と思うと、死んでしまった
母迄が恨めしく、自分の不幸をなげきました。

 翌年、女学校を卒業し家政学院(現在の家政大学)へ行きました。そこは料理やお裁縫が主でし
たから、母も許してくれたのです。

 でも、私は不満でした。
 おまけに、母が学校から帰った私を容赦なく使うのが、私には耐えられませんでした。

                                 つづく

2382SAKURA:2013/06/27(木) 21:36:26 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2372>>2378>>2379>>2379>>2381 の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

■□第一章     信仰
――――――  二度目の母   ―――――  その②

>>2381 >投稿の続きです…。

■私はとうとう「死にたい」と思うようになりました。
 そう思った通り。私は病気になり、大腸カタルで何も食べられなくなりました。
 医者が、
「このお嬢さんの腸は、一部分ゆ着していて、もうなおる見込みはない」
といいました。
治る見込みがない、ということはつまり、
「死ぬ」
ということです。私は何だか暗い穴の中へ、ドスン、とおとされてたような気がして、
毎日シクシク泣いていました。

                                    ❤〜 つづく

PS: 「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
【生さぬ仲???〜〜〜???】
私は?「いかさぬ〜〜〜なか」と呼んでしまいました。…が?果たして〜〜〜“パートナー”は???
二人で考えすぎて???では〜〜〜“なさぬ”と呼ぶんですネ!!更に「産まぬ事…」らしいのです。…が??

結構〜〜〜「戦前の女性の見方」は、実に或る面では厳しい感じにも?受けとめてしまい??
私も【 過去のおさらい… 】で、つい!つい!この時点にて更に別の観点から【過去の事を反省…】します。
やはり〜〜〜>< 今にして思えば〜〜〜何で!あのような事を!と…【結局…】〜〜〜はと、今にして、思うこの頃なのですが???

さて「亡き法貴先生」の【人生相談…】は、あの時代での【お答えします…】ですが?〜〜〜♫〜〜〜
現在の日本の社会が直面しております問題…意外と現在に当てはまる問題が多々ありまして〜〜過去に於きまして
一度は読んだつもり?〜〜〜つもり?〜〜〜でいますので、今にして思えば「星の王子様」を、想いって居ます頃の
私は“キチン…”と理解したモノではなく>< 読み流し〜〜〜この表現が適切でしょうか?【反省…中】
ある方は、早読みで〜〜〜何と一時間足らずだそうで?? すごいです〜〜〜ネ!
ですが〜〜〜中身の「捉え方」は?「理解度」は??人それぞれでしょう。【マイペース…】での投稿を〜〜〜

■□ では〜〜〜また!あらたに【 私の人生一本道 】です…。❤【 前に進行 = 信仰 】で〜〜〜す。
                             
再合掌

2383a hope:2013/06/28(金) 07:28:25 ID:edEDolt2
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第15章 斯うして能力を高めましょう

♦自分の力を最高に出すには

自分の力を最高の程度まで発揮(だすこと)することができるためには、
人間は自分自身を大切にしなければならないのです。

自分自身の心を大切にしなければならない。
自分自身の生命(いのち)を大切にしなければならない。

出す力を無駄に使ってはならない。
出す力をよいことばかりに使わなければならないのであります。

人間は自分の思う通りの所のものになるのであります。
自分を馬鹿だと思えば、馬鹿になります。
自分を「神の子」だと思えば、神の子のように立派な人になるのであります。

常に吾々は、自分を「神の子」だと思わなければなりません。
自分を立派なものだと思わねばなりません。
(つづく)

2384うのはな:2013/06/29(土) 13:20:33 ID:GFCWEKlA

谷口雅春先生 憲法論に寄せる識者の辞
 http://plaza.rakuten.co.jp/tecnopla/

2385志恩:2013/06/29(土) 19:31:40 ID:.QY5jUA6
SAK URA様

SAKURA様が、「お答えします」のことを書いて下さったので、
私も買って読ませて頂きました。いいご本のご紹介、ありがとうございました。

法貴雪子先生の「お答えします」は、一度目は、夜中でしたので、
急いで1時間で、ざっと通して読ませて頂きましたが、

傍に置いておいて、時間があるとき、再読しましたよ。
そうしたら、一度目のとき、読み落したところも、再読したとき、
きづかせてもらって…、涙、、うるうるになりました。

憎んでいたお母様を、生長の家にふれたおかげで、感謝できた体験談は、
昔、本部へ法貴先生が、あそびにいらしていたときに、
ご本人の口から、お聞きしてましたので、よく覚えております。

まだ、法貴先生とはよばず、法貴さんとお呼びしていました頃のことです。
それは、法貴先生が
白鳩会全国会長になられる前の、地方講師でいらした
西宮にお住まいの時代のことでした。

(東京のお方ですが、ご主人の転勤で、西宮市にしばらくいらしていた頃の)

前にもお話したことが、ありますが

法貴さんと、私の二人は、生長の家の女性信徒として、

昭和39年9月号の「婦人画報」という
婦人向けの月刊誌に、各々の体験談が載ったこともあるのです。

そこの編集局のカメラマンが本部にきて、ご神像の真下のところで、
私は写真を撮って頂きました。
今も、その「婦人画報」は、たいせつに保存して私は持っています。

法貴先生は、ご自宅で、学者であるご主人とお二人で、にこやかに
写っている写真を、文とともに載せておられます。

昔、法貴さんが本部にいらしたときは、
当時、私も 親しくお話していました。

法貴先生には、親友(女性)がいらして、そのお方とお二人で、いつも
本部へいらしていました。
親友も明るいお方で、お名前は、たしか、佐々木さんだったと思います。

先生は、とても、気さくなお方で、話術が巧みでいらして、
底抜けにあかるくて、大変魅力のある女性でいらっしゃいましたね。

「お答えします」は、とても味わい深い、生長の家の良さが、
自然と把握できる すばらしいご本だと思います。
今の時代でも、充分、通用しますよね。このご本。

ありがとうございます。

2386SAKURA:2013/06/29(土) 22:37:12 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2372>>2378>>2379>>2379>>2381>>2382 の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

■□第一章     信仰
――――――  二冊のパンフレット   ―――――  

 そんなあるとき、私の伯父(父の兄)が富山県から私の見舞に来てくれました。
 何だか小さなパンフレットを二冊持って来て、
「この本読むと病気がなおるよ」
と言って帰って行きました。

 私は、妙なことを言う、と思いました。
「くすりなら、のどから通って胃袋に行き、そこから腸へ行って腸がなおる、それな
ら理くつに合っている。しかし本は目で読むのだから腸には行かない。多分、脳の方
へ行くのだろう。脳と腸とは離れていて、とても脳をなおすとは思えない」
 私はそう思いました。

 それで、本を読みませんでした。 しかし、

「この本読んだら病気がなおる」
と言った伯父の言葉が耳から離れず、遂にある日、その小さなパンフレットを手にと
ってみました。

 その二冊の本の表紙には、
「わが心の王国」
「神への道しるべ」
と書いてありました。

 私は小さいとき、教会(日曜学校)へ行ったことがあります。
 そのとき、神、ということばを聞きましたが、幼い私には理解が出来ませんでした。

そののち、父が、
「アンクル・トムズ・ケビン」  という本を買って来てくれました。

 私は、その本を読んで驚きました。
 私は今迄、人生というものは、自分の為にあるのだ、と思っていました。
 自分の為に勉強し、自分の為にあるのだ、と思っていました。
 ところが、その本には、トム、という黒人が「人の為に尽す」ことだけが書いてありました。

「人の為の人生」というものもあるのだ。
と知った私は、本当にびっくりしてその本を熱心に読みました。

 その本の中に「神」という字が沢山出て来ました。何故なら、その本の作者は
クリスチャンだったからです。

 しかし、その中に出てくる「神」は、私とは縁のないものでした。
 それは遠い外国の話であり、主人公も外国人だったからです。

 けれども、今、「読んだらなおる」と言われた本の表紙に「神」という字が書いて
あるのを見て、私は動揺しました。何だか、目に見えない神様が、音もなく私に近付
いて来るような気がして、私は
その二冊のパンフレットを読む気持ちになりました。

                               つづく

2387SAKURA:2013/06/29(土) 23:03:53 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■ 「志恩様」 ヘ   >>2385 の投稿から〜〜〜

【 法貴先生… お答えします… 】紹介させて頂きましたが〜〜〜♫
お忙しい中…「志恩様」が〜〜〜読んで頂けましたとの事で…嬉しい限りです…。個人的には、本当に?
「法貴先生」は、文章からのイメージと…「一体…感」が致しましたのです…。

■【自 然 体 … 派?】それに〜〜〜記憶が定かではありませんが〜〜〜
一時ですが?東京から静岡教化部まで(白鳩会長?なのでしょうか) 新幹線での通勤が〜〜〜あった事を、
お聞き致しております。…が? スゴ〜〜〜イ!ですネ!

そして「志恩様」も御存じとの事で……【 アピ−ル…派? 】はじめて?知る事となりました…。…が?
スゴ〜〜〜イ!ですネ! 

■それから?余談ですが❤【 婦人画報 】…このコトバで【NG…】が発生しましたのです。
個人的に?度々登場の「黒幕デザイナ−」は?何年かに一度…しかも「正月号…登場」の人物…この事を、
つい思い出してしまいました…。

本当に「雅春先生時代…白鳩の幹部の方々」は〜〜〜【有言実行!…】そして【愛…実践組!】改めて〜〜〜
個人的には讃嘆しております。スゴ〜〜〜〜〜イ!

                                再合掌

2390神の子さん:2013/06/30(日) 18:34:20 ID:D3DJ3PEQ
名前:トキ 投稿日: 2011/11/23(水) 13:32:46 ID:YRze2u3c このスレッドは、生長の家の「今の教え」と「本流復活」の問題に関連して、雅春先生や
御高弟、他の真理の言葉のみを掲載していくという板です。

2393a hope:2013/07/01(月) 09:24:23 ID:edEDolt2
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第15章 斯うして能力を高めましょう

♦運がよくなるには

勉強しても、仕事をしても、半分眠っているような人があります。
そういう人は、自分の心の思いが生き生きしていないから、体が生き生きとしないのです。

元気を出すことです。
自分を「神の子」だと思うことです。

この世界は自分の心が映る鏡のような世界でありますから、
自分の心だけのものが映ってくるのであります。
自分はきっと幸福になるに違いないと思えば、幸福になるのです。

自分は運が強いと信ずれば、きっと運がよくなるのです。
そういう人には、自分の心持ちが映って、向こうからいい機会がやってくるのです。

機会というものは、やってきたときにつかまないと、
それはすりぬけて逃げてしまうものなのです。

あなたがピアノを大切にするように、あなたの心も体も大切にしなければなりません。
何でも大切にすると長持ちするのです。

本でも鉛筆でも、大切にするのとしないのとではその持ち具合が違うのです。
それは心の力が加わるからです。

体を大切にするのは、まず自分の体が神の子の体だということをしらなければなりません。
顔を洗うときにも、この顔は神の子の顔だ、ありがとうございますと感謝しながら洗うのです。

目を洗うときにも、この目は神の子の目だから健全(たっしゃ)で益々よく見えるのだと思いながら洗うのです。
そうすると目の力は益々強くなり、近眼も自然と治ってまいります。

或る人は非常な近眼と乱視でありましたが、眠りしなに自分の手を目の上に置いて
「この眼は神さまの眼である。だんだん見る力が増えてくるのである。
 この眼は神さまの眼だから、人の悪いことは決して見ないのである。
人のよいことだけが見えるのである。」
こう心に唱えるようにしていますと或る日、目が覚めてみますと、
眼鏡をかけて、どうしても物が見えないのです。

眼鏡をはずしてみますと、却ってそれがよく見えるのです。
そういうようにして、その人の乱視は治ってしまったのです。
(つづく)

2394a hope:2013/07/02(火) 07:40:07 ID:edEDolt2
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第15章 斯うして能力を高めましょう

♦体は神様のお宮です

吾々の体は神さまの生命(いのち)の入っているお宮ですから、
どれほど丁寧にあつかっても丁寧すぎるということはないのであります。
丁寧にあつかうといっても、じっと箱に入れてしまっておくことではないのです。

お菓子でも箱に入れて何時までもしまっておけば黴が生えます。
お米でも長いこと米櫃(こめびつ)に入れておけば虫がつきます。

人間もじっと体を休ませておくばかりが、体を大切にするのではないのです。
身体(からだ)を大切にするには、適当に働かせることです。

靴でも穿(は)かずにしまっておくより、二足の靴を代りがわりに穿くようにすると、
却って長持ちするものです。

余り働かしすぎてもならないし、休みすぎてもならないのです。
適当に勉強し、適当に休息し、適当に睡眠をとることが必要であります。

もっとも人間は単なる靴ではありませんから、
働かせるほど禿(ち)びるというものではありません。
歩けば歩くほど足の裏は硬くなります。

腕は使えば使うほど力瘤(つからこぶ)が発達します。
だから人間はきっかり何時間休憩しなければならないということはないのです。

必要に応じて精神が緊張(ひきしまる)すれば、どれほど働いても疲れないのです。
しかし精神が緊張せねば働くほど疲れます。

靴と人間との区別はどこにありますか。
靴には精神がない。

人間には精神があるということです。
その精神を大切にすることが必要なのです。

精神で人を憎んだら、自分が草臥(くたび)れます。
肉体が病気になります。

一生懸命労働しても大してつかれませんが、それよりも、
ただ暫くの間でも人を憎んだり腹を立てますと、人間の体は草臥れるのです。

自分の心を大切にしなさい。
自分の精神を深切に取り扱いなさい。

何よりも大切なのは体よりも心なのです。

動物にも心がありますが、それは何でも自由にできる心ではなく、本能といって、
蚕が必ず桑を食うように、機械的に同じことを繰り返す心であって、自由に人間のように、
何でも食べるものをえらんだり、思ったりすることができる心ではないのです。

賢い犬でも、それがチンチンするのは自分の力でするのではなく、
食事を与えるときにそういう癖をつけると、必ず機械的にそうするのです。

シェパード種の犬でも、幼い時から道の左側を歩くように習慣づけておくと、
人間のように左側でも右側でも思いのままに歩かないで、必ず道の左側を歩くのです。

これは犬が道徳的にそうせねばいかんと思っているのではなく、
同じ動作を本能的に繰り返す癖があるからです。

人間は蚕や犬ではありませんから、必ずしも左側を歩いたり、
一定の食物ばかりを食べたりなど致しません。
時に応じて何でも自由にできるのです。

何でも自由にできながら、それで自分が一番正しい道を歩いて行くのが
人間の尊い所なのであります。
(つづく)

2395SAKURA:2013/07/02(火) 21:37:39 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2372>>2378>>2379>>2379>>2381>>2382>>2386>>2387 の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

■□第一章     信仰
――――――  二冊のパンフレット   ―――――  

◆「神への道しるべ」 の第一頁には次のように書いてありました。

「この世のすべての人は愛し合っています。あなたが一番憎いと思っている人でも、
本当のあなたを愛しているのです。 
そしてあなたも亦、その人を愛しているのです。
何故なら、この世は『神』の作り給うたものであって『神』とは『愛』のことだからであります」

私は、天地がひっくり返る程驚きました。

「あの冷たい母が私を愛している。そして又私があの母を愛している」
 
そんなことは、とても信じられませんでした。そこで私はじっと考えて見ました。

「もし、私が『お母様』といって母に呼びかけたとき『ああ、雪子や』といって母が私をやさしく抱い
てくれたら、そんあことは決してないけれど、もし、そうしてくれたら、私はどうするだろうか?」
と。そしてこう思いました。

「その時私は、きっと『お母様』といって母にかじりつくだろう……
と、いうことは、私はやっぱり母を愛しているのだ。少くとも、愛そうと思っているのだ」

 それから私は、その二冊の本をずっとしまいまで読みました。
 読んでいるうちに、涙がとめどもなく流れ、

「たとえ母が私を愛していなくても、私だけは母を愛するようになりたい。
この世で親を憎むほど悲しいことはない。私は母を愛したい。一生かかってもいい、私は
母を心から愛するようになろう」 と、固く固く思いました。

 おわりまでよむと、そこに「生長の家」と書いてありました。

 こうして、私は「生長の家」に入ったのです。
 それは昭和九年、私が十七歳のときでした。
次回は「父の愛を知る」に入ります。

◆PS: 「トキ様 」 へ   「観覧者の皆様」 へ

やはり!若い時に【聖典…】を何度も〜何度も〜深く〜深く〜読みますと、やはり【人格形成】にも
繋がりますから〜〜〜❤【そのままの心のように素敵な人格…中身?】が見えてきますでしょうかと??
「法貴先生」は、確かに、今日でも私どもの“❤…”を揺さぶる普及活動…に見受けられまして、実に!
素晴らしいモノでしたかと…今回の「書籍…」から感じますモノが在ります…。
今でも「法貴先生」の【活動…足あと】を振り返りみますと〜〜〜いろんな出来事が記載投稿されて
いまして、やはり?と〜〜〜思うのです〜〜〜ョネ!!

つづく

2396SAKURA:2013/07/02(火) 21:40:40 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2372>>2378>>2379>>2379>>2381>>2382>>2386>>2387>>2395 の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

■□第一章     信仰
――――――  二冊のパンフレット   ―――――  

>>2395 投稿の続きです…。
■□【無理のない数字…】それは、確かに【知識…判断力】が“ナイ”と出来ませんモノ!!

創立者「雅春先生」がお亡くなりになりましてから『数字…優先』ヘの方針になりましたのは〜〜〜><
どうみましても、その後の【白鳩会長…】からでしょうか??
それに?失礼ながら【 飛田給道場 での「亡き清超先生」の講習会開催 】の時…現在同様に
一般信者からの【質疑応答…】が在りました時…或る方が、「講習会…券」に関しまして、勇気を持ち
質問され…その返答が〜〜〜『 白鳩に…全て任せていますから…? 』この“コトバ…”をおっしゃつて
…おそらく当時の時代背景は既に【数の論理…】での活動体制で…正直この返答には?失望を抱く事にと…

■ また……【「亡き母」の手紙のやりとり…】にも、当時「雅春先生」が亡くなった後は、すべてが、
【白鳩…中心主義】にさせればいいと言った…【風潮…】があり、大変失礼ながら〜〜〜
当時の「2代目…清超先生」が或る面!【人任せ…】と云う事が、浮き彫りに見えて来ます。…が?

■□「法貴先生…」の後に〜〜〜確か❤「上田(うえだ)全国白鳩会長」では〜〜〜?この人からは、
ものすごく〜〜〜「本部職員…」でいらっしゃいましたのでしょうか??
モ〜〜〜ゥ!!【普及誌の本の……購読部数】をかなり増やしていく方針案でしたのか?この時からの
「白鳩の婦人の負担…」は〜〜〜>< 本当に!なみなみならぬモノでしょうかと。
当然!【講習券…】も、私の知る限りでは〜〜〜
実家まで“お金…の工面“とか〜〜〜”満期保険金…解約使用“とか〜〜〜これって〜〜〜変!

更に、このような方が、今では【英雄…での「特別講師」とか…??】…果たして「特別講師…」とは、
このように【信者の〜〜〜お金を…全て吸収いたぶる人が、特別の存在なのでしょうか??】
この事が【人類を救う事?逆に!“コネ・コネ〜〜〜コネ”ばかりが【浸透・優先】して行った事にと、
私は、見受けられてしまいました…。現在でもこの【腐敗体制…?】は、続いておりますかと。

■「自分は偉い!!」とかばかりの状態になりまして『人格…』は何処に行ったのでしょうか??
創立者「雅春先生」の本当の「御教え…」は、やはり【人格形成…論】が、必ず!取りざたされています。

思いますには?この様に「文章…」に、その人の❤【姿・形…】が見えてくるのです〜〜〜ョネ?
ですので「法貴先生派…」今の私達でも、当時の事を振り返り「再現…」致したとしましても?
見ていて【おごりたかぶることなく!“自然体…”】にお見受けしまして、やはり!素晴らしい〜〜〜
「法貴先生……」さらに“行動派〜〜〜”でしたのでしょうかと。?

■□多々なる観点から?やはり【トップ…】になられる方は、ある程度の金銭的余裕が居る様にも?
思えます“フシ・・・”が?との……考え方が在ります。…従いまして?今までの現状はと?
今の現状はと〜〜〜 ><

【 ポケット・マネーが氾濫されている様にかと…】思えますが???「全てが??叶う??」と云う事?
■しかもそれを…【公表する?暴路する?…勇気】は〜〜〜何処まででしょうか??

                                 再合掌

2397a hope:2013/07/03(水) 07:37:48 ID:edEDolt2
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第15章 斯うして能力を高めましょう

♦食物についての注意

身体は神様の御宮ですから、心さえ快く明るくもったら、
食物も空気も運動も清潔もいらないかと思うとそうではありません。
この四つは肉体の面から必ず必要なのです。

先ずあなたのおあがりになる食物を拝みなさい。
これが健康の第一です。

食物が口の中でかみくだかれ、それが唾液(つば)で消化されるので、
かむにしたがって甘くなってくるのです。

しっかり噛む習慣をおつけなさい。
噛むほど唾液が沢山出て来てよく消化するのです。

佐々木流動(りゅうどう)博士と云って、唾液の研究によって博士になった人は、
一口の御飯を消化するには、一口を十六回噛んだら、
丁度その消化に適当な唾液が出て来ると云うことを実験なさいました。

もっとも、腹が立ったり、かんしゃくを起こしたりしていると、唾液は充分出ませんし、
唾液の性質もずっと悪くなっておりますから、いくら噛んでもよく消化いたしません。

「美味しい、美味しい。これを造って下さった神様、お父様、お母様ありがとう」と心の中でとなえながら
「うれしい、うれしい」と思って食べていると、よき性質の唾液がたくさん出て来て、
どんな食物でも皆りっぱな滋養になるのです。
(つづく)

2398NANCY:2013/07/03(水) 20:18:10 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【NANCY】で〜〜〜す。
>>2083>>2116>>2117>>2129>>2134>>2135>>2165>>2166>>2173>>2216 >>2217>>2220
>>2228>>2282>>2291>>2293>>2314>> 2348 の投稿の続きです。

今月は〜〜〜何となく「夜空…」を見上げます機会が?多いのカモ知れません…。つまり!
【星に願い〜♫】でしょうか?此処で?■【希望を実現する心の要素…】に関する“コトバ…”を
投稿させて頂きます…。

===【 谷口 雅春 先生 著  】==================================
                                  ≪ 白鳩普及誌 No. 31 ≫
■希望を実現する三つの肥料

希望を実現するためには、“ 希望の樹 ”に肥料を与えなければならないのである。そ
の肥料には三種類ある。霊的肥料と、精神的肥料と、物質的肥料とである。すべて与え
た程度に報い返されるのが法則である。肥料を“希望の樹”に与えないでいて、その
“ 希望の樹”が大なる成功の果を結ぶと考えてはならないのである。

 霊的肥料を与えるには神想観をして、実相無限の供給を観じて、観の中で、その仕事
を“ 無限供給の霊 ”の中に包んでしまうがよい。すると実相“ 無限供給の世界 ”から
その事業が育てられ、その事業を育てるに必要な人材や資料や要素が自然に集って来る
ことになるのである。次に精神的肥料は愛と智慧とをその仕事及びその仕事の協力者及び
従業員に注ぐことである。愛がその仕事に注がれず、また仕事をしてくれる人に愛を
注がないでいたら、その事業を育成するために必要な主要な精神的肥料が与えられない
ことになるのである。
                        新版「希望を叶える365章」より(日本教文社刊)
===================================================

■ 今月は〜〜〜「 七夕様〜⋆☆ 」と云いますか〜?
「夜空の星に…願い」をこめて…【 希望実現! 】するために〜〜〜『祈り…』かと。

つまり、自分自身は?この様な【 夢=希望=イメ−ジ の実現化 】と申しますか?この事は?
当然ながら、自分の「人生での豊かさ…」これを『希望…』するという事でしょうか??
それにはやはり「雅春先生…コトバ」に…■『 希望を実現する三つの肥料 』と云う事なのですネ!

1)霊的肥料
2)精神的肥料
3)物質的肥料

特に「霊的肥料=神想観」この事は〜〜〜
別のボ−ドに記載されていました…【SAKURA】さんの【ジュリアの音信……】で取り上げられて
いました事!……【 愛! 与える愛!それは“男女の愛…”ではなく! 】この事を、少し潜在意識の
片隅にとどめながら>< (微笑)
 ■□【 絶対の愛! 】唯ひたすらに“無我…の境地”と云いましょうか?【祈り…】に集中!
「生長の家…」で云います【神想観…】にて…ひたすら「実相=イメ−ジ」を描き……まして、
属に申します「心の中の“青写真”…描き」トレ−ニング!!です…。

私も今回「雅春先生…コトバ」シッカリ受け止めまして…■□【希望の樹…】に肥料を…そして、
大きな成果??チョッピリ期待と申しますか〜〜〜“願い!実現”でしょうかと。?
そのように、思いました次第です…。

                                  再合掌

2399SAKURA:2013/07/03(水) 21:04:31 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2372>>2378>>2379>>2379>>2381>>2382>>2386>>2387>>2395>>2396 の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

■□第一章     信仰
――――――  父の愛を知る   ―――――  その①

 本は読んだけれど、なかなかそう簡単に母を愛せるようになれませんでした。
 でも、私はとにかく、母を憎むことだけはやめました。
 すると、不思議なことに、私の病気は、「あっ」という間になおってしまいました。
 医者が、
「絶対癒らない」
といっていたのに。

 そう言った医者のほうがそののち胃腸病で亡くなり、私は当時五銭のパンフレット
二冊で、すっかり元気になりました。
 以来、今年まで四十九年間、病気らしい病気をしたことがありません。
 それは、

 私が母を憎まなかったので、私の全身の細胞が、脳の命令で正しく作動するよう
になったからではないかと思います。
 元気になった私は、病気の為中退した家政学院からお茶の水家庭寮という花嫁学校
へ行くようになりました。

 お正月の元旦、我家では家中が着物を着かえ、食堂に集まり父の挨拶をまちます。
父も羽織を着て席に着き、
「あけましておめでとう」
と皆に言います。
 ところが、私の病気がなおった年の元旦、父は、珍らしくそのつづきを言いました。
「今年は一番芽出度いことは」
 私は、
「あ、また、会社がもうかったんだな」 と思いました。

しかし父は、こう言いました。
「今年一番芽出度いことは、雪子の病気のなおったことだ」
私は又、びっくりしました。
 父が、私のことを、そんなに愛してくれているとは、少しも知らなかったからです。

 父は、技術者で、同時に会社経営をしている非常に忙しい人でしたから、私の病
気のことなど、全然、気にしていないのだと思っていました。

 その父が、
「雪子の病気がなおったことが芽出度い」  といってくれたのです。
 私は、涙がしたたりおちました。  そして
「このお父様のために、どうしても立派な人になろう」 と固く心に誓いました。

 私の父は今年数えで九十九歳。今なお元気です。
 私が白鳩会の会長をさせていただけていることを、心から喜んでおります。

                      つづく

2400a hope:2013/07/04(木) 07:39:06 ID:edEDolt2
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第15章 斯うして能力を高めましょう

♦食物が人間になる理由

口の中で噛みくだかれた食物が胃袋へはいって行きますと、
そこには胃液と云う酸性(すっぱい)消化液が出て来て、またさらに消化してくれます。
そこで充分消化されると、それが腸へはいっていって、腸の消化液で消化されます。

そしてその一遍煮たり、焼いたり、塩漬けにしたりして死んでいた筈(はず)のお米や、
お菜や、お魚などが、生きた養分となって身体の中に吸いとられ、
人間の生きた血となり、肉となるのであります。

これこそ死んでいたものが行きかえる奇蹟(ふしぎなこと)とも云うべきものであります。
死んでいたお米や、野菜や魚が数時間の後には人間の肉となり、
力となると云うのですから素晴らしいのであります。

あなたの生き方、考える力、楽しい心、嬉しい心などは、
これからの食物を道具として働いているのですから、
道具を立派にみがいておかないと、よい働きはできません。

食物と云う道具をよくみがく方法は、先ずその食物を丹念(ていねい)に噛むことなのです。
しかしただ噛むだけでは足りないのです。

噛んでいる間に「神様がこの食物を与えたもうて、私の力とならせて下さいます。有りがとうございます」
と考えながら食べるとき、本当にどんな食物でも立派な滋養(やしない)となるのです。
(つづく)

2401a hope:2013/07/04(木) 07:42:21 ID:edEDolt2
>>2400 訂正
♦食物が人間になる理由→♦食物が人間になる奇蹟

2402a hope:2013/07/05(金) 07:47:18 ID:edEDolt2
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第15章 斯うして能力を高めましょう

♦スポーツは心を明るくします

勉強もたいせつですけれどもスポーツも大切です。
スポーツとは遊戯であり、運動であり、競技であり、よき空気であります。

遊戯という点では、スボーツは人間の心を愉快にしてくれます。
あまり勉強にばかり凝りかたまって、机の上にかがみこんでいる場合には、
心が暗くかがみこんでくることがあります。

一時間でも二時間でも続けて勉強したあとでは、愉快にスポーツをすることが必要です。
スポーツする相手がなかったら、手を身体の両側から上へあげて、深呼吸を十回し、
息をはくときは、唇をごくほそくあけて、そこから「つかれ」をはきだすような気もちで、
ゆっくり息をはくと「つかれ」がなおって、また、元気がでてまいります。

息をすうときには「神の生命(いのち)が流れ入る、流れ入る」と思いながら、
しずかに息を吸うのです。
息をはくときには「すべてのつかれや、老廃物(いらぬもの)ははく息と共にでてゆく」と念ずるのです。

それを十数回くりかえしてやりますと、元気になり、達者になり、つかれがなおって、
また勉強するのがたのしくなります。
(つづく)

2403SAKURA:2013/07/05(金) 20:18:06 ID:BEUD3XFA
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こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2372>>2378>>2379>>2379>>2381>>2382>>2386>>2387>>2395>>2396>>2399
の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

■□ 第一章     信仰
――――――  父の愛を知る   ―――――  その②

 さて、
母との間がまだ完全に解け切らぬままに、私は昭和十四年、結婚しました。
 夫は学者でしたし、私は父から貰った小遣いもありましたので、ひまさえあれば
「生長の家」の講話をききに行きました。
 やがて戦争になり、空襲で実家も焼け、日本は惨めな、敗戦国、となりまSた。

 しかし、「生長に家」の講話をきいたり、『生命の実相』(谷口雅春著、全二十巻)を読
んでいた私は、余り打撃を受けませんでした。何か、私の前途には、いつも光り輝く
ものが待っているような気がして、結婚してなかなか、子供が出来ないことも、いま
だに母と、しっくり行かないことも、余り苦にならなかったのです。

こうして昭和二十二年、私は遂に母と心から和解することが出来ました。

 当時、私の家は東京の郊外の吉祥寺というところにあり、その町内に花上真一さん
という町会長が住んで居られました。
 そこの家が「生長の家」で、御夫婦とも、大変良い方でしたので、私は毎日遊びに
行きました。

 しかし、本当を言うと、その家は庭が広く、畑で何でもとれるので、その頃、全く
食べるものの無かった日本人の一人である私は、そこで収穫されたじゃがいもや、と
うもろこし、きうり、トマトなどを御馳走になることが最大の魅力だったのです。

 或る日、いつものように花上さんを訪れた私は、とりたてのとうもろこしを御馳走
になることになり、七輪の火をおこしていました。
 花上さんの奥さんは、私の横で、とうもろこしの皮をむいていました。
「ねぇ、花上さんの小母さま」
と、私はいつものように、母の話を始めました。
「そうしたら、私の本当の母がね、そうしたら私の二度目の母がね」
と話しつづけていると、突然、とうもろこしの皮をむく手を止めた花上さんの奥さん
が、私の方を、きっ、と向いて、いきなり、
「法貴さん、それは違う。
 あなたはいつも、本当の母とか、二度目の母とかいっているけれど、あなたのお母
さんは、どっちも本当のお母さんです。
 大体、あなたは人間を『肉体』だと思っているんでしょう? 人間は『肉体』では
ありません。『肉体』は人間の所有物であって、『肉体』そのものが人間ではないんです。

 だから、『肉体』と『肉体』のつながっている人だけが本当の親子じゃない。『肉
体』と『肉体』とにつながりが無くても、本当の親子なんです」

 そう言って、それから花上さんは、私に、「人間が『肉体』でない」話をしてくれました。

                                    つづく

2404SAKURA:2013/07/05(金) 20:21:34 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2372>>2378>>2379>>2379>>2381>>2382>>2386>>2387>>2395>>2396>>2399
>>2403の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

■□ 第一章     信仰
――――――  父の愛を知る   ―――――  その②    >>2403投稿の続きです…。

PS: 「管理人 トキ様」 ヘ  「観覧者の皆様」 ヘ

■□【和解する事……】此の事とは〜〜〜まずは?誰しもが抱く【幸せへの第一歩…】なのでしょうかと??

「法貴先生…」が、病気になられて、その後【心の和解…】が出来まして、その後!「家政学院」を中退……
そして、その後!遠まわりされましたカモ知れませんが?念願の【お茶の水…家庭寮】に入学です〜〜〜ョネ!
少しづつですが〜〜〜“前進…”でしょうかと??

一般的には【和解…論】は、本当に全てを〜〜〜潤すモノなんです〜〜〜ネ!!
今回!考えさせられます。…が?これが今日の❤〜【生長の家…お家騒動の問題】になりますと
やはり!根本の騒動の“原因”は〜〜〜【社会事業団…!】になる訳です〜〜〜ョネ!!

一応!は当時の「社会事業団…」…それから…後としてのその位置ずけの「社会事業団…」この事は〜〜〜?
創立者「雅春先生」の【 失 跡 】でしょうか〜〜〜><

【当時の時代背景=戦後の焼け野原からの復興…】御存じのように?「日本人の見なし子たちの救済…」から
の“スタ−ト”が〜〜いつの間にか「東南アジア中心…」に或る面では?なっていったような感じが致します
から〜〜(それは?或る面では…?まさか〜〜〜裁判までとは〜〜〜考えるよしもありませんでした。)
更に?別の表現で云いますと
「名前…」だけの「中身が他人…」に乗っ取られたようなモノで【名前がし…】の様なものでしょうか?
理事であられました「松○理事…」とおっしゃいました方は【社会事業団との因果関係は〜〜〜??】
しかも今回の【お家騒動…】は〜〜〜「雅春先生の御教え」に…【汚点…】をのこした形となりましたのでは?
ないのでしょうか?そのような一抹の悲しげな“想い…”が、在ります…。

逆に申しますと…「古い信者…私達2世」は、【両親の献金…】を見て…或る面では“異常…”に感じる
ときもありましたでしょうか?時が過ぎ去り〜〜〜いつの間にか【献金斜陽族…】となり、此処で?

■ほとんどの「古き信者…雅春先生時代」つまり!最初の「信者…」は、晩年は〜〜〜
いいような思いを抱いての状態には〜〜〜なっていません。…が?むしろ或る面では【ネガティブ感情】を
抱きながら〜〜〜葛藤を抱きながら〜〜〜次なる世界へと〜〜〜「旅立ち…」でしょう。

これは、本当に「おかしな?おかしな?…問題」で……何で??如何して??【社会事業団…】が
予算的にに苦しいと……いわれる事が〜〜〜私たち「古き信者…」には【疑問…】です。
信者や自信も?過去も!今現在でも!例えば…ですが><御主人で内緒にて“お金の工面…”が実情なのです。
具体的には……「保険金解約…」「実家に借りに…」「サラ金…まで」……ひたすら…“お金の工面…”なのです。
どうかしますと…【離婚問題…】に近い状況…まで行かれた方も ><

■□「信者…」は、苦しい時でも〜〜〜歯を食いしばって〜〜〜【排水の陣をひいても〜〜〜】……

そこに「神様…」に、一心に【祈る心のパイプ…】を広げて行きましたのです。
従いまして…まず!いつまでも【著作権…ア〜〜〜ダ!コ〜〜〜ダ!論争】にたよる事よりも、
当に日々の生活…今!今!を活かす【信仰…真理】の姿が必要ではないでしょうか?今の【分派…】の皆様
には、正直お見受け致しかねます。…が?

しかも【著作権を盗む…】このやり方は【 調 和 精 神…】に相反する行為そのものでは?
そのように、考えます次第です。…が?
■□ 最後に!!!上記の事と?今回の投稿内容【法貴先生の和解…】とは全然!異なる事……と
思う次第なのです。…が?

                                     再合掌

2405うのはな:2013/07/06(土) 15:07:33 ID:1BFtbBPQ

 昭和二十年八月十五日、講和詔書が換発せられた。私はその夕方、代用パンに添えてたべる為の味噌汁の実に春菊の葉を
一握り採取して、下の畠からお山へ帰ろうとすると、本部の教化事務所を一時貸してある軍の医務室の人が「谷口先生、面会人ですよ」という。
それは善良な神経質らしい成城学園の学生という表示を胸間に縫いつけた一人の青年であった。

 私は立ち留った。「何か御用ですか」「先生、今日の変化について吾々はどのように行動したら宜しいですか」
「君は学生だから、学校当局のいわれる通り素直に随って行けば好い」「吾々は今日のことについて、どのように考えたら好いのですか」
それは肇国以来一度も負けたことのない日本が、敵の「無条件降伏せよ」との提案を受諾したということについて神国必勝の理念が覆されるのではないかという
意味を含んでいるが、そんな言葉をハッキリ表に出したくない意味が読めた。

 私にしても同じことだ。「今日のことか。国体とは国の面積の広さのことではない。また相手を叩き伏せる暴力的強さのことでもない。我が国の国体は天皇の大慈悲が国を
貫いているということだ。陛下は『自分の一身はどうなってもよい、一億の民草をこれ以上苦しめるには忍びない』と仰せられた。
ここに仁徳天皇の大御心が今上陛下に現れ給うた。今日ほど日本の国体が明瞭になったことはない。国体とは天皇の大慈悲が国を貫いているということだ。わかったかね、皇軍というのも
真の皇軍とは形の上の人を殺傷する軍隊のことではない。この大慈悲の軍隊なのだ。天皇の大慈悲はキリストの大愛と同じである。キリストは十字架に上らんとする時『吾れ世に勝てり』といった。
勝つとは暴力のことではない。自己を十字架につけて万民を救うということだ。どうだ、わかったかね、わかったら帰りたまえ」
「はい」その青年は帰って往った。(『白鳩』昭和二十年十一月号)

 そしてこのときの門答を傍で見守っていた本部員の堀静氏は、
畑仕事を終えられた先生は、トルストイのような百姓姿で、鍬を支えて立っておられました。
そばに青年が、殺気立った、今にも先生にとびかかるような様子で立っている。
心配になりながらウカツにそばに行くこともできず見ていると、何ともいえない険悪な雰囲気です。

 その中に先生がじゅんじゅんと説かれるお言葉に、青年は遂に土下座になって泣き出した。
若い人達の張りつめた純な気持がよく現れていた。後で本人に聞くと、先生にダマサレたと思い、横須賀から
駆けつけてきたそうで、懐に白刃を忍ばせ、相撃ちの覚悟できたとのことでした。

と語っている。

  『大和の国 日本』 谷口雅春 先生著
P248〜249 占領下の谷口雅春先生と生長の家 阪田成一(生長の家基礎文化研究所)

2408a hope:2013/07/09(火) 06:41:29 ID:edEDolt2
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第15章 斯うして能力を高めましょう

♦運動は身体の発達のために必要です

運動としてのスポーツは身体を激しく動かしますので、肉体を達者にします。
運動ぎらいな習慣(ならわし)はなるべくやめねばなりません。

少年少女時代に運動した身体は大人になってからも丈夫で、
激しい仕事についても、めったにたおれるということはありません。

おさない時に運動できたえてない身体は、世の中に出てからも抵抗力がよわくて、
充分活動ができないで、大きな立派な仕事をなしとげねばならぬときに、
身体がつづかないようなことになります。

少年少女期というものは肉体がまだ「できつつある」ときであります。
家でももうできあがってからは、こわさねば改造できませんが、
たてかけのときなら、どのようにでも立派な家にやりかえることができますように、
人間の身体も、できつつある成長期に、筋肉を運動させておきますと、
なんでも動かすところほど発達するのが自然界の法則ですから、
筋肉が立派に発達して立派になります。

女の子でも本当に美しい肉体は、筋肉が充分発達したその上に、
女らしくやわらか味の脂肪がおおうていなければならないのです。
筋肉の発達しない身体は、男でも女でも美しくはなりません。
(つづく)

2409a hope:2013/07/10(水) 07:02:31 ID:edEDolt2
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第15章 斯うして能力を高めましょう

♦競技としてのスポーツ

運動のためや、心を明るくするリクレーション(きばらし)のためだけでなく、
競技のためのスポーツは、是非とも人間の心の働きを活発にするためにも、
心の働きを機敏(はやくする)にするためにも、必要なのであります。

世の中で立派な仕事をとげるには、何事が起っても、心の働きが活発(いきいきして)で機敏(すばやく)に、
つぎつぎ起ってくる事件に対処(それにたいしてよきはたらきをする)することができなければなりません。

物事に成功するか、成功せぬとかは、その人の心が物事に対して機敏に働くかどうかできまるのであります。
その心の機敏さを養うにはスポーツが、面白くて愉快なうちに機敏さが養えるのですから好いことです。

また競技としてのスポーツは、最後までの頑張りで勝ち負けが決まるのでありますから、
耐久力(ながくもちこたえるちから)とか、忍耐力とか、
頑張りの力とかを養成するにもたいへん結構な練習となるのであります。

世の中の仕事でも、もう一カ月頑張ることができたならば、成功したと思われるようなときに、
最後の頑張る力を失ってしまったために、失敗した実例もあります。

スポーツ精神の善きは、心が明るくなること、心が機敏になること、
最後の頑張りの力を養うことなど、色々よいことがあるのであります。
(つづく)

2410無人:2013/07/10(水) 14:32:14 ID:m90krdPo
398 :うのはな:2011/11/19(土) 08:31:20 ID:iM0b0bt6 妻への手紙 任地で綴った書簡集  藤原敏之 先生著

 今、寒波は全国的なものです。鹿児島さえも相当な積雪があったとか。
宇治も相当冷え込むことと思いますが、身体に気をつけて元気で留守番をしていて下さい。
今の私には貴女が元気でいて下さることが何よりの希望であり、喜びです。
貴女は私の力の源泉です。私を幸せにし、私をいつまでも元気で活躍させようと願って下されば、
貴女がいつまでも健康でいて下さることです。
 年が寄れば寄るほど、夫婦が強く結ばれて行き、力になり合うものです。
人間はどうしても心の支えというものが必要です。益々生命が一つに結ばれて行くものです。
この気持ちを理解し、心に張りをもって、いつまでも元気でいて下さい。
貴女はいつも、私を送ってから逝くと言っております。大変によい事です。
この気持ちを忘れないように元気を出して下さい。
 私達は素晴らしい神の子様をいただき、幸福者です。これからさらにさらに幸福になります。
大いに希望をもって生きましょう。
 いかなる時にも、神様を忘れてはなりません。心配も不安も、神様を忘れ、神様から離れた時にだけあるのです。
こちらが忘れていても、神様は寸時もお忘れになることなく常に守っていて下さるのです。
 人生とは汽車旅行のようなもので、乗っている自分はあっても、走っている自分はないのです。
常に生かされている自分はあっても生きている自分はないのです。この事を忘れて自分が生きていると錯覚した時、
不安になり、苦痛が生れるのです。自分が無いと判った時、一切のものが神様として拝まれるのです。
一切のものが神様として拝まれるまで、拝み切りましょう。信仰とは生活することであり、考えることではないのです。
実践を怠って考え初めた時、迷うのです。考えるということは過去の亡霊(現象)を掴むことです。
 今しかないのです。現実とは今を言うのです。今以外は非現実です。苦痛が生じるのは今以外の
非現実を生きた結果です。今を生きる者には苦痛は無いのです。今は神様から許された今であり神様からいただいた今です。
今を感謝する以外に無いのです。宗教とは生活することであり、感謝する生活であります。
感謝のみが神を現わし、神と共なる生活を実現させます。神と共にある時完全であります。
病気、不幸、災難は神を離れた状態をいうのであります。私達は常に神を呼びましょう。
それは「ありがとうございます」と称えることです。一切を神様として拝むことです。
神様はいかなる場合にも私共と共にあるのです。私共の前に問題が現われるのは、そのことを
知らせ、思い出させるためなのです。 (後略)

『魂のめぐり逢い』P124−126

2411SAKURA:2013/07/10(水) 19:08:20 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2372>>2378>>2379>>2379>>2381>>2382>>2386>>2387>>2395>>2396
>>2399>>2403>>2404の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

■□ 第一章     信仰
―――――― 人間が 「肉体」でない話   ―――――  その①

人間とはいったい何でしょうか。
この一米余り五十キロ程の肉のかたまりが人間なのでしょうか。

もし、人間が単なる肉のかたまりならば、あの、肉屋の店頭に並んでいる、牛や豚の固まりと
同じように、何日かたったら、次第に腐って行く筈です。しかし、私達のからだは牛や豚のよう
に腐ったりはしません。何故でしょう。
 
それは、私達のからだには「生命」が宿っているからです。
 牛や豚の固まりには「生命」がない。すると人間の「肉体」は、「生命」の “いれもの”かも知れ
ません。そうです。「肉体」とは人間の「生命」のいれもの、つまり「箱」のようなものであります。

「箱」と「中味」と、どっちが主体かといえば、それは「中味」にきまっています。
 
即ち「人間」とは「肉体」のことをいうのではなくて「生命」のことをいうのです。
 言葉をかえて言えば「霊」とも言えます。
 
ところで、本当の親子、というのは、どういう親子のことを言うのでしょう。
それは、「肉体」と「肉体」との間につながりのある、つまり母親の子宮の中の胎盤と、子供のおへそ
とが、へそのお(臍帯)でつながっている、或いはつながっていた、親子のことを言うのだと思います。

 それなら、人間は、何でつながっているのでしょう。
 さきにのべたように「人間」は「生命」であり、「霊」であるならば、「人間」のつながり
もまた、「霊」のつながりと言えましょう。

  さて、 「霊」とは一体何のことでしょう。

「霊」とは、すべてのもののうちなる本体をいうのではないかと思います。一切のものに
宿っている、そのものの本体が「霊」であるとしたら、それは、どうやって形に現れるのでしょう。

 見ることも、捉えることも出来ない「霊」。それは「コトバ」となって現れます。
「はじめにコトバあり、コトバは神と偕にあり、コトバは神なりき」
「すべてのものこれによりて成り、これによらで、成りたるはなし。これにいのちあり」と、
聖書に書いてあります。

 一切のものが「コトバ」によって成る、即ち「霊」とは言いかえれば「コトバ」であることが
これによって判ります。

 つまり、「人間」とは「霊」であり「コトバ」であります。だから、人間と人間の関係も、結局は、 
「コトバ」であるというわけです。
                           つづく

PS: 「管理人 トキ様」 へ  「観覧者の皆様」へ
■【コトバ…】即ち【霊…】と言いますのは?正直な話……此処最近私自身も“自覚”する事と成りました。
しかしながら思いますに〜〜〜ここ4〜5日間の“オフ…”にての皆様の投稿は〜〜〜
感心させて頂きます位の【悪口…ネガティブなあらを探しての投稿】を、拝読させて頂きました。

これって「コトバ…=霊」としますから、当に【悪魔…囁き】になりますのでしょうか??

現代社会では「人々の心に光…」それを少しでも与える事と致しますと…
「ポジティブなコトバ = 真理そのモノ」ではないのでしょうか?【悪口論争…】の前に「真理…」かと!!

                           再合掌

2412無人の部屋:2013/07/11(木) 18:59:15 ID:0tXHbQqE

『無門関の日本的解釋』http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&amp;mode=res&amp;log=62

2413SAKURA:2013/07/11(木) 22:30:03 ID:pMLLKHKU
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>>2399>>2403>>2404>>2411 の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

■□ 第一章     信仰
―――――― 人間が 「肉体」でない話   ―――――  その②

■私は長い間、母を、 「お母様」 とよんできました。
ただ一言も、 「もしもし、まま母さま」と、言ったことはありません。
母もまた、 「これ、 まま子や」 などと言ったことはありません。
人には、 「ムスメ」 といい、私には、「雪子、雪子」とムスメのように呼びました。

 私と母とのコトバの関係は、全くの親子でありました。
「そうだ。あの人は私のお母さんだ。本当のお母さんなんだ」 私は愕然としました。
「あの人が私の本当のお母さんなら、私を憎んでいる者はない。何故なら、本当のお母さんが、
本当の子供を憎む筈がない。又、私も、あの人の本当の子なら、あの人を憎んでいる筈はない」
この時の私の驚きは大変なものでした。

「やっと判った。どんなに憎もうとしても私が本当に母を憎むことが出来なかったわけが」
「人間は『肉体』じゃない。だから『肉』はつながらなくてもいいんだ。人間は『霊』だ。
『コトバ』だ。『コトバ』で母と呼ぶ人が母であり、『コトバ』で子と呼ぶものが子なんだ」
 私は花子さんの家を飛び出しました。

 夢中で家に帰ると、がま口をもって飛び出しました。そして電車に乗り、母の家に向かって
駅から、一心に走りました。
 遂に、私は、人間が肉体でないことを知ったのです。

                              つづく

2414SAKURA:2013/07/11(木) 22:33:24 ID:pMLLKHKU
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■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

■□ 第一章     信仰
―――――― 母との和解  ―――――  その①

 ■当時、私の実家は空襲で丸焼けとなり、多摩川の近くに小さな家を借りて、父と母と女中さんが
一人、やっと生活していました。
 終戦と同時に父は戦犯となり、二人の弟は戦地に行ったまま行方不明でした。
 私は、いきなり台所で下駄を脱ぐと、あげ板をカタカタと踏みならして茶の間に飛び込みました。
 ちょうど、父は留守でした。女中さんもお使いに行っていませんでした。
 
あの美しく、立派であった母が、洗いざらしの浴衣を着、白粉もつけず、やせ衰えて、
悄然と座っていました。
「お母様、私が悪かった、ごめんなさい、これから親孝行するから、堪忍して」
私はいきなり母に抱きついて、そういいました。

 すると母は、今迄、一度も優しく抱いてくれなかった母は、私を固く抱きしめ、自分の顔を
私の顔にこすりつけ、涙を滝のように流して、こう言いました。
「私は五人の子供のあるところへ来て、一番先に私を『お母様』と呼んでくれたあなたが、一番
可愛かった。でも、あなたは、小さいときは『ハイ、ハイ』と言うことをきいてくれたけど、
大きくなってからは口返答ばかりして、少しも言うことをきいてくれなかった。どうしたら
良い子になって、いいところへお嫁にやれるかと思ってきびしく躾けをしただけだ」
と母は声を上げて泣きました。
私は本当に驚きました。 母はやはり私を愛していたのでした。
「この世は愛である、すべての人を愛し合っている」 とかって五銭のパンフレットで読んだことは
本当だったのです。それから、私と母とは抱き合って一時間も泣きました。
こうして、母と私は心の底から解け会うことが出来たのです。

                         つづく

2415SAKURA:2013/07/11(木) 22:35:02 ID:pMLLKHKU
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こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

■□ 第一章     信仰
―――――― 人間が 「肉体」でない話   ―――――  その②

■私はこの体験によって、もう一つのことを知りました。
それは、
「人間はみな、心の中では愛し合っているのだ」 ということです。
「どんな恐ろしい顔をしている人でも、本当はいい人なんだ」 ということであります。
何故なら、
あんな恐い顔をしていた母が、こんなに私を愛していたからです。
母は、そのことを教えるために、この世に出て来た観世音菩薩でありました。
そして、
人間は、決して「肉体」だけでつながっているのではないことを、自ら、証し人と
なって、私に示してくれました。
 このとき以来、私達親子は、全く、産みのことなって母が昭和四十五年、七十七歳で亡くなる迄、
人々が生さぬ仲とは気が付かぬ程、仲よく過ごしました。
 母が亡くなったとき、私は、ついて行きたい程悲しく、涙にくれました。
 今も尚、母の面影は私の中に生き、永遠にいのちのつながりとなって、私をはげましてくれています。

                          ❤〜 第二章に続きます・・・。
PS:「トキ様」 ヘ  「観覧者の皆様」へ
今の【生長の家の問題…】は〜>< 既に水面下では?十数年前からの「問題…」とも言えますでしょう。 
やはり「現総裁雅宣先生」の方針・考え方に相違点が在られます皆様が、どうしてもついていけない
という事での【お家騒動…ぼっ発】になりますのでしょうか??
“投稿文章…”を拝読してみますと「決めつけ論!」或いは「当人にとりましての都合のいい解釈論」…
最終的には?全くもっての【 真 理?は 何 処 に…><】見えますし、
果たして、本当に「信者…」とは〜〜〜名目ばかりなのでしょうか??つまり…
「質問…ばかり?の謎の分派…皆様」でしょうか??

■更に【 讃歌 】も“頭で考えたモノ…”云々…とか?個人差と言いますか?色々なる解釈論が〜〜〜><
此処で?勝手なる判断が、余りにも多く感じる次第なのです。…が?
まずは『真 理』が一番!!なのに『中 傷・批 判』が一番なる展開のような感じですし><

■さて「讃歌…」も創立者「雅春先生の本」の中から…そのコトバ…の一部と申しますか?
根本てきなる捉え方…が見つかりましてから〜〜〜“ビックリ…!マ−ク…!”です。
これに関しましては?後日『私自身のプログ』に投稿しようと思います。
更に!此処でコメント記載しても〜〜〜まず『真理がない会話…』の投稿の中で、
■□【雅春先生…回帰論】のスロ−ガンは〜〜〜実際の処?何を…何処を…どの様なる「雅春先生の本」の
中からの【理解…解釈説明】なのでしょうか??個人的には?あまり見えないのです…。

唯!私一個人と致しましては、最近『大自然讃歌での奇蹟…』が〜〜〜【小さな!小さな!……奇蹟】
■モット〜〜〜モット〜〜〜続けて“読誦”していきたいと思います。
ゴ−!ゴ−!サインで〜〜〜す。
                                  再合掌

2416a hope:2013/07/17(水) 11:38:40 ID:edEDolt2

新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第15章 斯うして能力を高めましょう

♦ 規則を正しく守って勝敗に心を捉えられぬことが必要です

さらに競技としてのスポーツは、ただの「運動」とはちがって規則(ルール)を守るという善い習慣をつくることにもなるのであります。
競技には、卑怯ということは許されません。
本当に自分の力を出し切る習慣をつけ、規則を破ってズルイことをして勝つなどという悪い習慣をなくします。

勝つも負けるも、自分の実力であって勝った時にも傲(たかぶ)らず、
負けたときも長くやまず、腹を立てず、敵をにくまず、
人生を遊戯として楽しく生活しながら、遊戯だと馬鹿にせず、
全力を常につくして心を迅速に(すばやく)はたらかす習慣ができるのが、スポーツのよい点です。
だからスポーツは自分の趣味や体力に適するものを是非とも選んで何かおやりになる事が必要であります。

しかし、スポーツが面白いからとて、学校の勉強をおろそかにしてはなりません。
スポーツばかりでは科学的な知識や、数学や、語学や、是非この世の中に生きていく上に必要な色々の知識は得られません。

そこで学問の勉強と、スポーツとは車の両輪(両方のわ)のようなものです。
学問の勉強七分にスポーツ三分をまじえて、身体をきたえ、心を明るくし、機敏にし、
忍耐力や勇気を養いながら、一所懸命学問にも精をだすことこそ若い人たちのつとめであります。
(第15章 終わり)

2417うのはな:2013/07/17(水) 13:01:44 ID:IRtVZGfo
   自己を日子・日女として神の子を自覚した反映として、
   その国は神国となったのである

 「人間生命が神より生れたる神聖なるものであるといふ自覚が、その外延であるところの国をも神より生れたる国であるとの
神聖性を要求するのである。この要求が神によつてその国が造られたのであるとの神話を創造するのである。(『秘められたる神示』)

 この神示を根拠として考えてみるならば日本人がこの日本の国を〝神国〟であると古来唱え来ったのは、日本民族が特にその魂が高級であって、
自分自身のいのちが、神のいのちが宿っているのであるという自覚を、生れつき持っていて、外から教育されないでも、いのちそのものの中に、神のいのちを
頂いているんだという自覚があったために、自己のいのちの外延として現われている自分の国を〝神の国〟であると自然に認めざるを得なくなり、そういう神話が
自ずから創作されて語り伝えられることになったのであり、〝神の子〟なる〝国民の生命〟の外延としての〝国〟を〝神洲〟とみとめることに何の不合理もないのである。

『理想世界』 六十年四月 谷口雅春 先生著

2418SAKURA:2013/07/17(水) 21:17:03 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

■□ 第一章      家庭と夫婦
―――――― 因果の法則はあるか  ―――――  

 私のかって扱った調停事件にこんなのがありました。
 ある若夫婦が、親の家業を嫌って家を出たのです。
 そこの家は先祖からつづいた酒屋でした。
 長男(息子は一人しかいません、あとは嫁いだ姉でした)の嫁が、どうしても酒屋
はいやだというのです。親は猛反対でした。

 遂に家庭裁判所に訴えた結果、若夫婦は引越料を貰って家を出ました。
 私も、両親を気の毒に思いましたが、若いお嫁さんは臨月でしたから、若い二人の
気のすむようにして上げました。

 ところで、それから三年程たち、私が近所の「問題児を迎えた母親の集まり」に招
かれて、話をしに行きましたところ、
「先生、お忘れですか?」
という奥さんがいたので、ふと顔をみると、あの酒屋の若い奥さんでした。

「あら、あなた」
「先生、子供が自閉症です」
私は思わず、ハッとしました。あのとき、
「姑とは、口もききたくない」
といっていた人の子は、親の口をきかない子になっていたのです。
「自分の蒔いた種子は、自分で刈り取らねばならない」
と、私は教えられました。

 自分が人にしたことは、その人からではなく、ほかから返って来ます。
 これを「因果の法則」といいます。
 それなら「因果の法則」は恐ろしいだけでしょうか。そんなことはありません。
「悪かった、すまなかった」
と思った瞬間、今度は新しい因果の法則が働いて、相手も亦、
「悪かった、すまなかった」
と思ってくれるのです。

 法則とは神とは愛だからであります。あの若奥さんも今頃はそれを悟ってく
れたことと思っています。

                         つづく
PS:「トキ様」へ  「観覧者の皆様」ヘ 
【因果の法則】は、私なりに理解する事が出来ました。今までの“行い?…”からの【結果…】と
申しましょうか?現実世界に、現状あらわれて出でてきた事は、過去の【原因…】が何かの形での現れる!
それも〜〜〜“横のつながり…”からとか?でしょうか〜〜〜?

今回、此処…帰福してからと云うモノの(4年位経ちますでしょうか?)関わりたくない【人間…】が
しかも、それが現実となって現われ生じました事とは、やはり【過去の問題…】からだと思えます。
…が?本当に不思議に思うのです。
「吸血鬼・ゾンビ…」そして【タタキ男】更は【黒幕デザイナ−】……etc
■クロ!クロ!〜〜〜黒幕〜〜〜幕達は、一見としての「第一印象…」は、第三者から果たして
どのように見えるのでしょうか……??

私は見た瞬間…脳裏に過ります「印象度…」は〜〜〜><良い印象がないのです。…が?
処が?此処、FUKでは,もしかしますと?当たり前でしょうかしら〜〜〜ン!

それでも「世間一般=社会…」に、もまれていません【信仰関係の方々…】は、簡単に表現に語弊を
生じますと困りますが??このような方達を「かわいそ〜〜〜う!」此の感情からでしょうか?相手が、
【悲劇の主人公…】としての巧みなる“コトバ…”を、すぐさま一瞬!信用するのでしょうネ!
…と思いながら、それでも、やはり、『相手を讃嘆…』という“心の目…”で、どんなに良く見ようと
思いましても〜〜〜失礼ながら?良い印象がないのが〜〜〜正直な話です…。

このような方達は、汚い事ばかりしていて【お金…を手段】にしていますから、いずれは
【法則…】としての【因果の法則…】が必ず来るのだと思います。

今の私は【過去の清算…】をしていると思いながら、一心に【心を調整中…】です。『集中…』

                                    再合掌

2419a hope:2013/07/18(木) 06:30:22 ID:edEDolt2

新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第16章 理想を高く掲げましょう(p202〜)

♦登ればいよいよ高くなる

登ればいよいよ高くなり見晴らしがよくなります。
一歩々々登るほど希望の努力を勇気づけるものはありません。

いかに今歩いている所が麓の近い傾斜(さかみち)であろうとも
やがては世界第一の最高峰(いちばんたかいみね)の頂上に到達して、
眺めよき世界を見はるかす事ができるという希望ほど
吾々の生活上の勇気をひきたたせてくれるものはないのであります。

あなたの、今している仕事又は研究が、いかなるものであろうとも、
その種類は問う所ではないのです。
必ずそれが向上の道につづいているという夢を失ってはならないのです。
(つづく)

2420a hope:2013/07/19(金) 07:40:29 ID:edEDolt2

新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第16章 理想を高く掲げましょう

♦悪いことを予想する習慣をやめよ

多くの人たちは自分自身の生活習慣そのものによって、
自分の生命の伸びる力に堰(せき)をしている人たちが多いのであります。
まずその一つは消極的な悲観的な物の暗い面を考える考え方です。

石橋をたたいて渡るという確実性は必要でありますが、
それが病的になってしまって「何か悪いことがおこるかもしれぬ」と不安で
あらゆる出来事を打診(ようすをみる)しているような心の状態になってしまっては、
その人は伸びることができないのであります。

吾々は物の暗い半分を必ず見る習慣をすてて、
明るい面のみを見て前進する習慣をつけなければならないのです。

どんな美人を見てもその腹わたの中にある汚いものを
連想(おもいあわす)するような生活の仕方は光明思想ではないのであります。

どんな事件にも、どんな人にも決して暗い面を見ずに、
明るい面のみをみて喜び感謝する習慣をつくるべきであります。

何か人のことだというと、どんないいことであっても、一つ二つは、
欠点を見出しそれを批判してみなければ満足が出来ないというような浅ましい心になってはいけません。
智慧の言葉には「隠れたる所にて人をほめ得るような心境となれ」とかいてあります。

吾々がすてなければならない習慣の中で、第一にあげなければならないのは、
人の欠点を探すという習慣です。

吾々は自分の心に人の欠点ばかりをならべて見ていれば、
それが自分を包んでしまう屏風になってしまって、
その彼方に輝いている美しい姿や神の光を見失ってしまうことが随分あるのであります。
(つづく)

2421SAKURA:2013/07/19(金) 21:00:31 ID:pMLLKHKU
トキ様 へ 観覧者野皆様 へ
こんばんは、ローマ字のSAKURAで〜〜〜す・・・。

■小閑 雑感
―――― 失敗 と 成功 ――――          谷口雅宣

“花金”と言えば「花の金曜日」だが、木曜日が休日の私は “花金”だ。ということで、
レオナルド・デカプリオ主演の「アビエイタ―」を見ることにした。

 午後7時開演に間に合うように夕食をすませるるつもりで、妻と二人で家を出た。
目指すは、六本木ヒルズ。ところが、席を確保するために事前に映画館のチケット売場へ行くと、
前の会は5時開演で、次の開演は8時20分だという。出発前に家から映画館に電話をかけて
確認した時間と、大いに違っていた。抗議しようと思ったが、今さらどうにもならない。
最終回の8時20分まで待つにはシンドイし、どうしても見たい映画でもなかった。
また「いつでも見れる」と思ったので、悪アガキはやめてスッパリと諦めた。

 では、ゆっくりと夕食を……と思って、周囲を歩き回って安めの和食屋へ入った。一時間ほど
たってその店を出て、地下鉄日比谷線の駅近くの本屋へ寄った。時間に余裕のあるときには、
我々はよく本屋へ入る。そして、思い思いの棚の前へ行って物色する。だが今日は、私は店の
中へすぐに入らず、店先の路上の棚でセールをしていた洋書は、流行作家の小説や、英文科の
女学生好みの作家の本や旅行書が多い。しかし、場所が六本木だから、ネイティブ・スピーカー用
の普通の本もあるかもしれない……思いながら、何の気なしに1冊を棚から抜き取った。本当に
「なんの気なしに」で、背表紙の文字もロクに読まなかった。その本を手に持ちながら、
しかし私の目は近くの別の本の表紙に書かれた「SILENTSPRING」というタイトルを読んだ。
どこかで聞いたことがある。著者名を見ると「Rachel Carson」とある。
そうだ、レイチェル・カーソンの名著『沈黙の春』だった。思わず手に取ってみたが、
この本の和訳本の文庫版はもう買って家にある。いくらセールとはいえ、2冊ある必要はないと
考え棚にもどした。

 もう一方の手に持っていた本を、私はその時改めて見た。著者の「ROSENBERG」と
いう名前が、記憶に引っかかった。
知っている名前だと思ったが、誰なのか思い出せない。タイトルは「the fransformed cell」とある。
副題は「unlocking the mysteries of cancer」だ。著者は「MD」であり「PHD」であり、
癌(cancer)に関する本である。ここまで読んで、私は思い出した。記憶とは不思議なもので、
一端つかむと、それに引かれてズルズルと残りが出てくる長い紐のようだ。癌の免疫療法をアメリカ
で行っている医師のことを、もう何年も前にABCニュースで見た。その医師の、白髪混じりの短髪と
アゴ髭までも目の裏に浮んできた。その人の名前が確か「ROSENBERG」なのだった。立ち読みで
「まえがき」を読み、確信を得たので買うことにした。セールの本の売り値はどれも500円だから、
私にとっては確かに“掘り出し物”だった。

 このローゼンバ−グ博士の弟子として働いていた日本人医者が帰国し、癌の免疫法をしていること
を、私はかって生長の家の講習会で話していたことがある。患者自身の免疫系にあるNK細胞を血液
から取り出し、試験管内で大量に増殖させ、それを再び体内にもどして癌細胞と戦わせる――
こういう治療法である。
人間には本来、癌を治す力があるということを、医学的にこれだけ有力に立証するものはない。
そう思って紹介していた。だから、懐かしい気持ちでこの本を手に持ち、帰途についた。

 私は、本とのこういう、“予期せぬ出会い”を大切にしている。「本が自分を招ぶ」と言えば
迷信臭いかもしれないが、「人間は意識せずに必要な本を見つける能力をもっている」と感じる
ような出会いを、私は過去に何回も経験している。多分これは「親和の法則」の一部だろう。
そのかげで、お目当ての映画の時間を間違えたという“失敗”も見事に“成功”に変ってしまった。

                                       谷口雅宣著
◆ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◆
                                                     つづく

2422SAKURA:2013/07/19(金) 21:02:05 ID:pMLLKHKU
トキ様 へ 観覧者野皆様 へ
こんばんは、ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す・・・。
>>2421  のSAKURA投稿の続きです…。

■小閑 雑感
―――― 失敗 と 成功 ――――          谷口雅宣      ―その②―

PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ

そうです〜〜〜ョネ!【人生は…予定通りには行かない事??】が〜〜〜><
ハプニング…アクシデント…が、もしも?もしも?起きた時は、その人の“心の状態…”があけすけに?正直に見えて
きますでしょうかと。…その後の展開にて、一瞬!の【判断の思考…】そこが〜〜〜ポイントでしょうか??

「総裁先生」は『抗議の展開』といいます行動をとらずに、気持の向きをガラリと、切り替えての“行動…”から??
当に「スイッチ…切り替えモード」した事によります…そこで得たのは〜〜〜それが【成功…】に!!繋がる結果ヘと…

このような“アクシデント…”の【応用…編】が、私どもの日常生活には多々あります。…が?今の私も、生活面で
【我の張り合い…】とか?いろいろある中、やはり“アクシデント…”が起きた時は【神の警告…】と!!
表現が、ちょっとオーバー気味でしょうか?その時の“心の状態…”にて、気持の向きを切り替える事が、ある面では、
必ずや【成功…法則】へ導くキッカケにつながるようにも思えます。 (微笑)

私も、まだ【執着…】がある間は【成功の法則…】は〜〜〜?もしくは【天国の門…】は何処になるのでしょう…かと?
フト!「総裁先生」の2005年度にての、今回のご文章を読んで思いましたのです。本屋さんに入って、手に取った本を
…そして、おぼろげに別の本を手に取り〜〜〜パラパラ〜〜〜めくり始めたモノの?手に持ったままの“本…”!!
気になりながらも〜〜〜そして、又もや“或る本…”を取り〜〜〜また“本…”を元に戻す。もう一つの手に持ち続けた
その“本…”を改めて読んで、此処から【幸福の運命…】に導かれる事なのでしょうか??
目的の【映画…】は見ない分〜〜〜逆に!有意義な時間が出来た事……という結果に終わったのではないでしょうか?

■□この様に【成功 と 失敗…】はちょっとした弾みからくる事を何となく〜そう!!【霊界の導き…】なのでしょうか??

>>私は、本とのこういう、“予期せぬ出会い”を大切にしている。「本が自分を招ぶ」と言えば
迷信臭いかもしれないが、「人間は意識せずに必要な本を見つける能力をもっている」と感じる
ような出会いを、私は過去に何回も経験している。多分これは「親和の法則」の一部だろう。
そのかげで、お目当ての映画の時間を間違えたという“失敗”も見事に“成功”に変ってしまった。<<
                                 (抜粋文)
◆――−――−――−――−――−――−――−――−――−――−――−――−――−――−――−――−――◆

【 人間は意識せずに必要な本を見つける能力をもっている。 】

そうなのです〜〜〜ョネ!!【 成功も幸福 】論も【意識=無意識】から起きる事なのでしょうか??
この結果は?当に「縦の真理…」を…つまり【神の声…】をどのように受信できますかと〜〜〜><
それは「自我…」が多少なりともありますと「彎曲した…メッセージ」にややもしますと成りかねませんネ!
今日からの私は「無意識状態…」に入り、そこから【 意識状態…そう!!潜在意識…へ 】に、
繋がっていく事を、改めて勉強させて頂きました。
                           【 感謝!! 】

PS: 此処から「無意識?意識」の【ユング…!フロイト…!】の心理学が〜〜〜フト!
思いだしてしまいましたかと…… ボンヤリ〜♫

2423SAKURA:2013/07/19(金) 21:18:04 ID:pMLLKHKU
トキ様 へ 観覧者野皆様 へ
こんばんは、ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す・・・。
>>2421>>2422 のSAKURA投稿の続きです…。

■ 小閑 雑感
―――― 梅の実の落ちるころ ――――          谷口雅宣      ―その1―

 夕食後の静かな時間、居間で窓に背を向けて新聞を読んでいたら、背後で突然、トーンと音がした
ので驚いた。サンルームのアクリル・ガラスの屋根に小石のようなモノが当り、そして小いものが転が
る音がした。一瞬「何だ!」と身構えたが、その音には憶えがある。まもなく“犯人”に思い当たった、
梅の実なのだ。

 サンルームの上に覆いかぶさるようにして、紅梅の古木が1本ある。祖母の還暦祝いにもらった
盆栽が、地植えして育ったものだから、樹齢は40年を超えるだろう。毎年、寒風の中、他の木に
先駆けて濃いピンクの花を咲かせ、我々の心を温めてくれる。否、紅梅より先にサザンカやツバキが
花をつけているが、これらはあくまでも「冬の花」だ。紅梅はその色のせいか、寒中に咲いても春の
訪れを感じさせる。

 それに続いてジンチョウゲ、ハクモクレン、ユキヤナギ、レンギョウ、ヤマブキ、ヤマザクラ、
キリシマツツジと咲けば、もう春もたけなわ。桃色のサツキ、白い可憐なブルーベリーがこれに加わり
いつのまにか5月になる。そんな時、風が強く吹く夜など、花から実になった梅が落ちて人を驚かす。

 この紅梅の木にはネコが登る。その理由の一つだと私が考えているのがキーウィ−だ。サンルームの
透明の屋根に隣接してキーウィ−の棚がある。夏になり、この植物の蔓が伸び葉が繁ると野良ネコたち
が近づきたがる。

 この話は『 小閑雑感Part 』 にも書いたが、キーウィ−はマタタビ科だから、ネコにはその匂い
がたまらないのだ。紅梅足がけにサンルームの屋根に上り、屋根からキーウィ−棚に近づいて、その匂
いをかぐ。

 下で読書などしている人間にとっては、それが気になって鬱陶しいので、ネコが屋根に上らないよう
に、紅梅の幹の中途にネコの登攀を妨げるため鍔の「キャット・ストップ」なるものを工夫して設置した
ことがある。刀の鍔のように、べニア板で梅の木の周囲を取り囲み、ネコの前進を阻もうというわけである。
が、ネコはその上を跳び越えてしまた。金網を梅の枝に張ってみたが、それもネコの運動能力の前には無力
だった。

 そんなネコと人間との難しい関係が始まる前に、紅梅は実を落とすのである。もう夏は目の前だ。

  ♫〜 薄屋根に 梅の実落つや 春の宵  

谷口雅宣著

                                       つづく

2424SAKURA:2013/07/19(金) 21:20:12 ID:pMLLKHKU
トキ様 へ 観覧者野皆様 へ
こんばんは、ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す・・・。
>>2421>>2422>>2423 のSAKURA投稿の続きです…。

■ 小閑 雑感
―――― 梅の実の落ちるころ ――――          谷口雅宣      ―その2―
PS:「トキ様 」 ヘ  「観覧者の皆様」 ヘ

【古木の“紅梅”と“ネコちゃん”の関係との描写】を……当時の心境が、見えてきますかと??
確かに?古今到来と申しましょうか?〜〜〜語弊が生じますと??困りますが><
植木されています方は、或る面では【大敵=>ネコとの戦い】と思いますかと。実は「亡き父」に関連しますが?
「亡き父」の趣味?と申しますか?モノごころつきました時には【温室…】がありました。そこには「温室栽培…バラ
の花」温室の中には、「亡き父」が愛念をこめた“バラの花…”の栽培をしていました。…が?当時!
野良猫ちゃんがいまして、タイミングよくと申しますか“花が咲く前…”に〜〜〜><ダメ−ジを!!
「亡き父」にしますと〜〜〜明日!キット“一輪の花…開花”するかと…期待しながら(微笑)大事に!
大事に!育てた“バラの花…”が〜〜〜?“露の如く><”でしょうか?そうこうしておりますと…

■突如!朝〜〜〜起きてから、「亡き父」の声!!!けたたましい〜〜〜その声!!!
しかも〜〜〜明日“バラの花が開花する…当日の朝”このタイミングにて毎回の“けたたましい声!声!…”
この“声…”に目を覚ます〜〜〜“日課…”でしたかと。

「亡き父」が取りました【野良猫ちゃんヘの対策…】に〜〜〜!ネコちゃんが屋根裏から来ますので、
その通路に“ハトよけみたいな釘?”を板に何本も付けて、通れないようにしていました。

或る日の事です。私がフト!その通路を見ますと?野良猫の子猫ちゃんが通りそうに見えまして、私は、
倉庫から梯子をだしてきまして、その子猫ちゃんが通らない様に誘導していましたら、その様子を「亡き父」
が運悪くと申しますか?見ていまして、それから【親子喧嘩の始まり…】なのです。

❤「亡き父」の言い分は〜〜〜と云いますと?
【“ばらの花…”が咲く!しかも実に“難しい花…一つ”だそうで、毎回と云っていいくらい
“バラの花が、咲く前に…><”ネコちゃんが……

❤逆に、私の言い分は〜〜〜と云いますと?
私は“子猫ちゃん”は“柵…”から跳び越える事は〜〜〜とても出来ないし、もしかして!最悪の場合に
“釘に刺さる…”と〜〜〜“からすの餌食”でしょう!!命ある生きもの方が大事ではないの??と……

私なりの【反論…】そうしますと「亡き父」も負けていませんでしたが〜〜〜??

結果的には、当時の私は“子猫ちゃん”を安全な場所に連れて行った事があります。そして、動物を
飼ってほしいとの希望を?しましたが「亡き父」はネコを飼ってくれる事はありませんでした。
当時は、意外と「生長の家の人…」は、『動物を大事にされる方が少ない!!』と、心の中で、よく思った
ものなのです。…が?反対に、“鳩…”とかヘの関心は〜〜〜凄いという感じを抱いておりました。

■逆に言いますと「ネコ・犬…」は?“ペットブ−ム…”のあおりもあり〜〜〜
此処昨今では〜〜〜あくまでも【人間との関係…癒し系?】という具合に、友好的?な感じでしょうか??
最近の「総裁雅宣先生」でも昆虫…そして動物へ優しい“目…”で見て下さる感じに思えますし…
確か?フェイス・ブックにも「笑うネコ…」という〜〜〜ユニ−クなぬいぐるみ??が〜〜〜かと。

確かに「自然の植物…」も大事ですが?「野生の動物達(生きモノ)」への“関心の目…”を向ける事が
〜〜〜モット!モット!【優しさ…倍増】では?個人的にはそのように思えます。

                                    つづく

2425SAKURA:2013/07/19(金) 21:21:41 ID:pMLLKHKU
トキ様 へ 観覧者野皆様 へ
こんばんは、ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す・・・。
>>2421>>2422>>2423>>2424 のSAKURA投稿の続きです…。

■ 小閑 雑感
―――― 梅の実の落ちるころ ――――          谷口雅宣      ―その3―

■□話は元の本題に戻りまして〜〜〜【古木の“紅梅”と“ネコちゃん”の関係との描写】〜〜〜
今のの問題……つまり【生長の家…お家騒動】にもありますように、それは【 縦と横の関係 】でしょうか?

【分派の皆様方】は、あくまでも「現総裁雅宣先生…」を認めない【心…そのものが先にあり!!】と云う
事でしょうか?それは〜〜〜【真理を把握…】しますと、色々な【応用編…】が出来てきますし、
まず!中心はあくまでも【現総裁雅宣先生…に従う事】だと思うのです。
更に、相手を“中傷…”すれば、するほど、その人は、それだけの【人格…価値観】ですかと。

■今の私は、常に!【心の変化が〜〜〜ある事自体が〜〜〜進歩向上!!】と思えるようになり、今は、
まず【心の想念を、正しい心の想念感情を〜〜〜!!!】とこのように思う次第です。

                                    再合掌

PS:「トキ様」 ヘ   「観覧者の皆様」 ヘ
昨日…木曜日午後7時からの「栄える会…」会合に参加させて頂きました…。場所は「天神センタ−」です。
此処に、福岡の「現白鳩会長…T様」が講演にきて下さるとの事でしたので〜〜〜参加しました。
そして、参加「心は讃歌…」と云う状態のポジティブな想念になりました。…が??

フト!今は「亡き両親」が、『誌友会…会場としての自宅』に、当時の佐賀教化部長先生でしたか?
「亡き喜多先生」が講話された頃の事を、思いだしました。そうなのです〜〜〜ョネ!
このような話口調の方…一本の“説得感…”がありましたかと。
それは?まるで!まるで!【紅梅とネコの戦いの“大調和の展開?”…】のお話に感じまして〜〜〜
説得感!エネルギッシュなパワ−!が〜〜〜此方にも頂きまして、やはり「講話が上手な方」でしょうかと?
余談ですが?
正直申しますと「元々元第一教区の渡●会長…」は、今にして思いますと、比較に成らないほど“講話は×”
でしたかと思うのです。今回の「白鳩会長…様の講演」は、当に【人生の生きた証の跡…重量感】を、実に
ユニ−クに、今の日常生活に基づきました【真理…引用】にての素晴らしい講話を聴く事が出来ました事に…
感謝申しあげます…。
                                 再合掌

PPS:
❤ では〜〜〜また後の「栄える会での講話内容」を〜〜〜!!

2426神の子さん:2013/07/19(金) 21:21:44 ID:???
谷口雅宣著「小閑雑感」は「聖典」ではありません。

このスレッドは「聖典引用版」です。トキさんそうですよね。

2427トキ:2013/07/19(金) 21:54:17 ID:8kf2B54Y
>>2426

 これは、一本、取られました。個人的には良いとは思いますが、確かに理屈は通っているので、
誠に申し訳ありませんが、総裁のご文章は、信仰/体験板/2にお願いします。

 ただ、考えたら、ご高弟様などの文章など、聖典でない文章でも、紹介に値するものはあります。
そういう文章を紹介する場所があっても良いかもしれませんね。

 少し思案をいたします。できれば、『部室」板などに、ご意見を投稿して下されば、幸いです。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

2428a hope:2013/07/20(土) 08:20:13 ID:edEDolt2

新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第16章 理想を高く掲げましょう

♦常に人の美点を見つけましょう

常に明るいことのみを心に描きましょう。
常に人々の美点のみをみつけてそれを賞嘆(ほめててえる)しましょう。
人々の美点を他山の石(じぶんのためにするたとえ)として
尚一そう大いなる美に到達するのを自分の理想といたしましょう。

みにくき欠点を見ないで、いよいよ高く美しき理想を描きましょう。
自分の描く理想は自己の生活する人生の性格を一変してしまうものなのです。

人は理想に従って、その人の人生の色彩、匂い、動作、性格、方向、運命等が自(おのず)から変ってくるものなのです。
もし理想が低ければ、吾々の人生の全体の調子が低いものとなってしまうでありましょう。
そこから、堕落と下向(したへむく)とが始まるのです。

もし吾々の理想(だい一のきぼう)が高く清く尊きものであるならば、
それは必ず吾々の日常の言行動作(おこない・うごき)に現われるのであります。

強いてそれを他(ひと)に告げずとも人々は、その人から発する所の雰囲気によってそれを知り、
その周囲に自(おのず)から集まって来て、彼をその高き理想まで、おしあげてくれる仕事をしてくれるのであります。

かかる人の全身(からだじゅう)からは何となき崇高(けだかい)なる雰囲気がたちのぼるのです。
かくの如き人こそ常に天国に住む人といわなければなりません。

天国に住む人とは、富の俗悪(げびてみにくい)な物質のがらくたが
山積(山のようにつもる)している中に埋もれてすむことではなくして、
斯くの如き天国的な雰囲気の中に住む人こそいうのであります。
(つづきあり)

2429a hope:2013/07/20(土) 08:22:05 ID:edEDolt2
>>2428のつづき)

すべてこれらのことは、心の習慣によって人間の雰囲気が変ることを示しているのであります。
今日行う勉強とか教養とかの目的は、人間を粗野(いやしくげひん)なる欠点ばかり見つける習慣から
美なるものを見つける崇高な習慣へあらためさせることにあるのであります。

常に間断(たえま)なく一そう高き理想に邁進(おそれずすすむ)するものは、
常によき雰囲気を得るのであります。

偉大なる人格とは常に美点のみを見て欠点を見ず、常に光のみを見て闇を見ず、
善悪ともにそのあたたかき光にて包んでしまう太陽の如き人をいうのであります。

すべて欠点を心に描けば、その暗い影はまず自分の心に印象(きざみつける)せられるのであって、
自分の心を汚す汚点(よごれ)となるのであります。
(つづく)

2430トキ:2013/07/20(土) 09:39:21 ID:C.s9Wkso
 一晩考えたのですが、現在の総裁の引用も「弟子」の発言として認めようと思います。
また、本流復活派におられる先生の発言も『弟子」の発言として認めようと思います。
 この扱いには、双方から強い異論があるのは承知していますが、ご理解のほど、
お願いします。

 ただ、原則として、『聖典」の引用をメインにお願いします。聖典以外の引用は、
『信仰 体験」板での投稿を推奨いたします。

 勝手なお願いですが、よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

2431SAKURA:2013/07/20(土) 18:31:47 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2372>>2378>>2379>>2379>>2381>>2382>>2386>>2387>>2395>>2396
>>2399>>2403>>2404>>2411>>2413>>2414>>2415>>2418 の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

■□ 第一章      家庭と夫婦
―――――― 子供が出来ない方のために  ―――――  

 私には十年間子供が出来ませんでした。
だから十一年間目に男の子が生まれたときは、天にも昇るほど嬉しく、天地が輝いて見えたのです。

 どうして出来なかったかといえば、私には子供の母なる資格がなかったからだと思います。
自分がまだ子供のように我儘で、我が強く、そして、母らしい愛情が不足していたのでしょう。
子供が欲しい、と切に思うようになったら何となく子供の多勢ある人と親しくなりました。

 そのころ近所に子供が五人もあるひとがあったので、そこへよく遊びに行きました。
 そこの奥さんは、家の中は余り片付いていないけれど、大変愛情のある人で、とて
も御主人を大切にしていました。
 あるとき、町内のお祭りの寄付をとりに来ました。僅かな額でしたから、私は、
「ハイ」 といってすぐ出しました。
するとその奥さんは、
「主人にきいてからお返事します。」
といってすぐ出しませんでした。

 私より、ずっとお金のある、しかも五人も子供があって、一家の実験を握っている
その奥さんがそういったので、私はびっくりしました。

 そのとき、何となく、自分に子供の出来ないわけが判ったような気がしました。
 此頃は男女同権で、こんなことをする家は余りないかも知れませんが、男女同権と
いうことは、社会の中の秩序であって、一軒の家の中に、全く同権の人が二人いた
ら、とても家は治まらないと思います。

 古事記をよむと、日本の国は、男が先だち、女が従ったらよい子が生まれた、と書
いてあり、女が先だつと、うまく行かないように記されています。

神からさずけられたいのちは平等でも、男には男の役割があり、女には女の役割
りがあって、決して同じではありません。

                       つづく

2432SAKURA:2013/07/20(土) 20:23:39 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2372>>2378>>2379>>2379>>2381>>2382>>2386>>2387>>2395>>2396
>>2399>>2403>>2404>>2411>>2413>>2414>>2415>>2418>>2431 の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫
■□ 第一章      家庭と夫婦
―――――― 子供が出来ない方のために  ―――――  

 例えば、男には子供を生むことも出来ないし、お乳を出すことも出来ません。
 だから、女性の妊娠、出産、は、男性の庇護のもとに、行なわれ、そして又、その幼い子は、
柔い母の手で育てられて行きます。
 母は自分の体の一部のように子をいちくしみ、保護するのです。 そのために男は智慧と体力
を養い、一家の経営を考え、家族をリードして行く大責任を持たねばなりません。
 私は、女性が働くことを大いに奨励する人間ですが、子供を育てることを放棄して迄、外に出よ
とは言わないつもりです。子供を育てるという大責任を負う妻はどうしても夫について行かねばなり
ません。自分の心の中にこの設計が確立したとき子供は必ず生れます。
                     ❤〜次に続きます…。

PS:「トキ様」 「観覧者の皆様」 へ
【子供が出来る人…??】【出来ない人…??】…これも?「コウノトリ」になりますかしら〜〜〜ン!
何となく私自身も?理解出来ますし〜〜〜此処で、フト!
【結婚?出来る人…??】【出来ない人…??】も当に、しかと〜〜〜当てはまる様に思うのです

私事になりますが〜〜〜モ〜〜〜ゥ!密かに長く思いを寄せていました人が、いました。…が?
今だに成立しておりません。…と言いますことは?これも「法貴先生…」の捉え方でいきますと、
私の“心の中の準備が〜〜〜まだ!まだ!不足…”なのでしょうネ??…と、最近思えるのです。
ヤ〜〜〜ット!この年になりまして“物事の見方…”がわかり、この頃は「亡き母」をよく思い出します。
私から見ますと、如何なる時でも、病気で横になった事が無く、子供心に?いつも【不思議…な人】…!

ある時の事です…。「亡き母」に、その事を聞きますと〜〜〜
「結婚したら、母親になり、自分の事より、子供中心になるから、病気の事など考える暇がないワ!」と
半分!自分自身にも言いきかせたような表情で、答えてくれたものです。この事は、今回の
「法貴先生の言葉」から伺えますかと…。

更に【男女同権…】これは“夫婦の関係…”からでしょうが、ある面では〜〜〜例えば!
すぐ思い浮かびますのが【市川房江さん】…彼女の功績として
1)政府・議会に婦人参政権を求める運動を続け…
2)汚職反対・母子保護・生活防衛などを目的とした様々な運動…に関わった人物…
この様に、彼女の貢献により【女性の立場…】は、やはりこの様な人々のある面では?
“犠牲的精神…の愛”があり、多くの人の運動に於いて【法案成立…】ですから〜〜〜??

さて!此処昨今では?「子供虐待事件」更に「産み捨て事件」多々です。…が?
特に、皆様も御存じの〜〜〜
■□【広島での…車内と外でみんなで暴行…広島遺棄事件…】
これも、モット!モット!“道徳面…”と申しますか〜〜〜ある面では、やはり【善・悪…】に
関しましての???考える“思考力…”がいるのではと思います。
今回のように、私の捉え方としては〜〜〜“棒読みの理解力…”は果して〜〜〜><
最近の「若者…」に対し“思考力を育てる!”この意味では?どういうものかとの疑問が浮かんでし
まいます。…が?
海外では【哲学…偉人の書籍本を参考にしながら?自分の考えを表現する場・或いはその権利があり、
どう考えましても“棒読み…”は?いかに【道徳面の思考力の発達に…貢献度としては〜〜〜】と、
思う次第です…。【思考力…低下】ではないでしょうか??そして個性ある個人個人の【思考力…】
そから次なる…【討論の場…】にての意見交換が成立して参りますのでしょうかと。【決めつけ論…】

最後に…個人的ですが、今回は、多方面で考えさせられる機会を頂く事と成りました。…が?
「亡き法貴先生」の考え方に〜私自身は時代の差こそ感ぜず【賛同!納得!】の面が多い私なのです。
❤「法貴先生著…」 素敵な書籍との出会いに…感謝申し上げます…。更に!続きます〜❤
                      再合掌

2433a hope:2013/07/21(日) 08:28:28 ID:edEDolt2

讃美歌 391番 『奉仕』

ナルドの壺ならねど、
ささげまつる わが愛
みわざのため 主よ、潔(きよめ)めて
うけませ。

よわき民に ちからを、
おぐらき世に ひかりを
あたえて主の たかき御旨
なさばや。

怖(お)ずるものに 平和を、
なげくものに のぞみを
わかちて主の ふかき恵み
あらわさん。

この世のわざ おわりて、
あまつ国に、かえらば、
主よ、みまえに 仕えまつらん
ときわに。



申命記 15章7節〜11節

あなたの神、主が与えられる土地で、どこかの町に貧しい同胞が一人でもいるならば、
その貧しい同胞に対して心をかたくなにせず、手を閉ざすことなく、
彼に手を大きく開いて、必要とするものを十分に貸し与えなさい。

「七年目の負債免除の年が近づいた」と、よこしまな考えを持って、
貧しい同胞を見捨て、物を断ることのないように注意しなさい。
その同胞があなたを主に訴えるならば、あなたは罪に問われよう。

彼に必ず与えなさい。
また与えるとき、心に未練があってはならない。
このことのために、あなたの神、主はあなたの手の働きすべてを祝福してくださる。

この国から貧しい者がいなくなることはないであろう。
それゆえ、わたしはあなたに命じる。
この国にいる同胞のうち、生活に苦しむ貧しい者に手を大きく開きなさい。

2434SAKURA:2013/07/21(日) 22:11:36 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2399>>2403>>2404>>2411>>2413>>2414>>2415>>2418>>2431>>2432の投稿の続きです。尚【引用…】となります…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫
■□ 第一章      家庭と夫婦
―――――― 倦怠期とは  ―――――  

 長唄をやっていて倦きたら、ピアノに変えてもよいし、絵を習うのにあきたら、手
芸に変えても良いでしょう。
 でも、夫婦生活に倦きたから、といって、相手を変えるわけにはなかなかいきません。

どうしましょう?? ・・・  こうしましょう。
大体、あきる、のは、ひま、だからです。
私も結婚して四十年たちますが、とても倦きているひまがありませんでした。忙しかったです。

私には、生長の家の講師、という役目のほかに、民生委員、PTAの役員、のちに
は、家庭裁判所の調停委員、いのちのでんわのカウンセラー、と、いつも仕事がありました。

 その上、主人の両親も長生きでしたし、私の母は七十七歳で亡くなりしたが、父
は九十九歳で現在しております。
 大変疎遠になって申し訳ないとは思い乍も数多い親戚とは、出来る限りつき合うよ
にしています。(母が途中で代ったので、両方に親類があります)
その上、長唄も、多少やりましたし、友の会(婦人会)のもよりリーダー迄、若いうちはやりました。

タイプも習いに行き、自動車の練習にも行きましたが、これはどちらも、ものになりませんでした。
(前のほうは指が短いから、後ろのほうは足が短いから)
お花も、お茶も、洋裁も、結婚してから又、習いました。
料理は本来好きなので、あち、こち、と習いに行き、今でも、ときどき行きます。
月謝をどうしたか、と言えば、上手に講習会などを利用して、安いところへ行きました。

こんなに忙しい奥さんが、唯一の心の慰めである結婚生活にどうして飽きているひまがあるでしょう。
しかし、私は、止むを得ず忙しかったのではありません。
本当は、自分で自分を忙しくしていたのです。

「小人、閑居すれば不善をなす」 と 昔のひとが言いました。
閑居しても不善なさないほど、私は聖人ではありません。
だから、私は、あえて忙しくしたのだと思います。
こんな忙しいお母さんを、子供はときには冷たい母、と思ったかも知れません。

「すまなかった」 と、いつも思っています。

しかし子供は、私を尊敬しているらしく、大切にしてくれます。
忙しい中から、夫や、子供に遣う心は、相手に通じない筈はないと思います。
皆様も、思い切って忙しくして見ませんか?

                             つづく

2435SAKURA:2013/07/21(日) 22:13:52 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
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■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫
■□ 第一章      家庭と夫婦
―――――― 倦怠期とは  ―――――  

PS:「トキ様」へ  「観覧者の皆様」ヘ

「法貴先生…」は【時間管理…が、実に上手だった事と】…今回の書籍から多々なる言葉からも推察
出来ますかと…思うのです。!!しかも〜しかも〜♫〜「明るい口調でのお話の仕方」…その当時の講話を
を振り返りましても「法貴先生先生の顔…」が今でも思い浮かんでまいりますかと…。
“場…”の雰囲気を明るくされる先生との印象がありますが、【時間管理を上手に出来る人…】とは、
すべてに関し『魅力のある方〜♫』ではと、この頃つくづく思いますから、これは【反省…】です。

「言い訳…」ばかりでは【人生の生きた足跡の価値!既にその瞬間!何もかもが失っていくようにも?】
思えますし、今の私は、多々なる“壁…”と申しますか?問題解決に忙しく考え続けて…如何しても?
「言い訳…」事になりそうな私自身の姿が、時として如何しても……><でしょうかと?従いまして、
まず!「言い訳…」はこの瞬間から“卒業…”して行こうと決意を新たに思います。
そして私も出来るだけ「忙しい頭=振る回転脳革命」になる事と!!それは〜〜〜
「頭脳明瞭」になると云います事は〜〜〜『人生の勝利者…』に???と…
私も【類の法則…】の仲間入りになろうと今!「吾が内なる神様…」に宣言〜〜〜(微笑)しましたので、
「言い訳…」更には「肉体年齢の自覚?」は〜〜〜ストップです!!

❤〜いつも【心は青春時代……】

では〜♫ 「今日の言葉…」より……讃嘆日記――>「良い事のみ見ていく私にと変身!で〜〜〜す。
■□【わたしの心は、ダイヤモンドの輝き…】と言えるくらい“心を進歩・向上”へと!!!
                                      
                         再合掌

2436a hope:2013/07/22(月) 09:01:20 ID:edEDolt2

新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第16章 理想を高く掲げましょう

♦人をしぼれば自分がしぼられる

世の中には人を見れば、「あの人をどのように利用してやろう。あいつをこういう足場にして、これこれこうして、」
と考えて人を自分の足場に使い、人から奪うことばかりを考えている性格(しょうぶん)の人もありますが、
そんな人は一時は人を踏み台にして高き位置に登ることができるかもしれませんが、
決してそれは長つづきするものではありません。

人をしぼれば、又自分がしぼられるのであります。
ずるい、狡猾(こうかつ)な、抜け目のない悪賢さで人を踏み台にしようという性格ぐらい、
世の中に汚いものはないのであります。

吾々は人を利用するような習慣を出来るだけなくすることが必要です。
「与えれば与えられる」というのが無限供給の黄金律(かわらぬきそく)ですから、
狡(ずる)い方法で人からしぼり奪うことばかり計画している人間は、
その性格から柔らかいあたたかさが消えてしまい、物質的富は集まるかも知れませんが、
自分の人格(ひととなり)の中のもっとも尊い宝が貧しくなってしまうのであります。

更に人の弱点をつかんでそれを利用することによって自らの利益を得ようとするが如き人にいたっては、
人格の価値所(ねうちどころ)のさわぎでなく、目もあてられない餓鬼道(がきどう)の状態でありまして、
世の髑髏(されこうべ)に少し残っている滋味(おいしいあじ)すら根こそぎさらってしまうという
もっとも見苦しい性格を露呈(あらわす)しているのであります。

吾々はかくの如き生き馬の目を抜くような鋭い狡猾(ずるい)な人になってはならないのであります。
人格の価値(ねうち)はその広々とした寛大(こころのひろさ)にあります。

どんな欠点を見ても、しかも之を見ず、相手の人の実相の完全円満なる神の姿の現れんことを、
じっと愛と忍耐とをもって静かに待ちもうけ得る広々しさが必要であります。

2437a hope:2013/07/23(火) 07:20:22 ID:edEDolt2

新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第16章 理想を高く掲げましょう

♦理想を高くもっても小さな事が大切です

蟻の穴から堤(つつみ)が崩れるという諺があります。
野鼠があけた小さな穴から、堤が崩れてオランダ全体が海の底に沈んでしまおうとしたことがありました。

オランダという国は海の水の高さよりも土地が低いのでその海の水の侵入(はいってくる)を
防ぐために堤防をきずいているのであります。

ある時その堤防の底の近くに小さな野鼠の穴があいているのをみつけた少年があったのです。
満潮になって段々と水嵩(みずかさ)が上がって来ますと、
水が滔々(とうとう)とポンプのようにその穴からふきだしました。

その少年は「これはオランダ全体の大問題だ」と思いました。
「もしこの穴から段々水が入って、オランダ全体が水の下に沈んでしまうことになれば大変だ」
と思いまして、その少年はその水の吹きでる穴を自分の掌(てのひら)で一所懸命押さえつづけていたものです。

蟻の穴のような小さな所からでも水がもれておれば、土が崩れて段々穴が大きくなり、
しまいには堤が崩れて、もうどうにもならなくなるのが普通なのです。
ものは小さい内に防ぎとめておかなければ、大事になってからは防ぐことは到底できないのであります。

その少年は鼠の穴を自分の手のひらで押さえながら町の人が通りかかるのを待っていました。
そして人が通りかかると大声をあげて「この穴を防(ふさ)いでくれ」と叫びました。

町の人々が集まって来て其の堤を修繕しました。
こうしてこの少年はほっておけば遂にオランダ全国が滅びてしまうのを救う事ができたのであります。

2438うのはな:2013/07/24(水) 17:16:46 ID:yQQ75ICI

 昭和二十六年八月六日、父は公職追放解除となり、再び光明化運動の陣頭に立たれることになりました。
旅行先からのお手紙にも光明化運動への酔う様々なお指図が多くなりました。そのお指図への夫からの返事と
私からの近況報告です。

    おとうさま     恵美子

 お元気でゐらつしやる御様子でよろこんで居ります。何かと御不自由なことばかりで本当に大変ですわね。
御健康御幸福を毎日お祈りして居ります。
 (中略)
 明日は私の誕生日です。ありがたうございます。自分が親になつてみて子供の誕生日と云ふものは親にとつて何とも
云へなくうれしいものだと云ふことが分かりました。二日の佳代子の誕生日には豊島園へ遊びに参りました。
子供にとつてはあらゆる乗物があつて一日中乗つてまはつても遊びつきないほど楽しめるところでした。
それにお掃除もゆきとどいてお花も咲いてゐてきれいでした。(中略)

 皆元気で居りますから御安心下さいませ。
お腹の赤ちゃん(雅宣)も八ヶ月に入りました。とてもよく動きます。佳世子も壽美も大変元気で競争してあばれて居ります。
寿美もそろそろお話が上手になることと思ひます。お祖母ちやまは「バーチャン」「バーバ」など云ひます。
カーチャンはまだ云へません。

 夕食のあとお食堂で、
「おやすみなさい」とお祖母ちやまに皆で申しますと寿美だけしらん顔してさつさとお祖父ちやまのお部屋へ行ってしまふのです。
お祖父ちやまに先におやすみをするつもりなのです。今日もさうでしたので又皆でお離家へ行つて四畳半にお祖母ちやまに居てもらつて
お辞儀のしなほしをしましたら「ター」と二度もペシャンコになつてお辞儀をしました。
「おぢいちやまは?」と聞くと大きな目をまんまるくして不思議さうに見まはして居りました。(中略)

 おとうさまも解除になられてお忙しいでせうが又ご自分でいろいろお出来になれるやうになつたのでよろこんで居ります。
ますますすばらしくすべてがなることでせう。
 お帰りお待ちして居ります。お元気でいらして下さいませ。

「子を持って知る親の恩」と申しますが、本当にそうだと思います。
子供たちが、ただ元気でいてくれるだけでいい、それだけで胸ふくらむ思いでした。
子を持って、幸福とは愛することと私は尊い体験を得たのです。愛してもらうことよりも、
心から愛することの出来る仕合せを、私はしみじみと嬉しいと思うのでした。
 それと共に、私たちの父への愛と感謝の思いは更に深まってゆくのでした。

『こころの旅路』 谷口恵美子 先生 編著  日本教文社

2439a hope:2013/07/25(木) 07:06:25 ID:edEDolt2

新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第16章 理想を高く掲げましょう

♦欠点は小さなときに直しておけば大きくならぬ

着物ほころびでも小さい中に修繕(つくろう)しておけば大きく破れてこないものです。
人間の小さい欠点でも、小さい欠点だからといって、いつまでもそれを見逃しておいたら、
それはだんだん大きくなって始末におえなくなるのです。

ほんの小さな孔の開いているバケツに水を入れておいても、
いつの間にかその水がなくなってしまうものであります。
大きく目立つ孔の沢山あるザルに水を入れておく人はありませんから、
却って小さな孔に注意しないと、とりかえしのつかないことになるのであります。

どんな立派な宝石でも、ほんの目につかない傷があるだけで、大変な値下がりをするものです。
そのうえ一度傷ができると、「どうせ、傷ができたのだからかまわない」
と思って物事をぞんざいにするようになりますから、傷はますます大きくなのであります。

2440SAKURA:2013/07/25(木) 21:48:57 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
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■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

■□ 第一章      家庭と夫婦                
―――――― 夫に女の人が出来たという方に  ―――――   その 1

 私が家庭裁判所の調停委員をしていた頃、夫の浮気による離婚事件をたびたび取り扱
いました。
 
そんなとき私はよく、
「あなたには好きな人がいませんか?」 とききました。
女性は憤然として、
「飛んでもありません。 絶対にそんな人はいません」 と、 必ず言います。
「別に恋人、という意味ではありません。夫より、もう少しましな人はいないかし
ら、と思ったことはありませんか?という意味です」
と私が言うと、
「ああ、それなら、始終思っています」
と彼女は答えます。

「それは一種の浮気です。夫はそれではいつも妻のぬけがらを抱いているようなものですね」
と、私は言いました。しかし裁判所では、これ以上言っても余り判って貰えないの
で、結論を出すしかありませんでしたが、ときには私の言葉で反省して、離婚を取り
下げてくれた人もありました。

「夫婦は一体である。夫の浮気は妻の浮気である」と、私は習いました。

女にとって、最初の恋人は父であるとも言われています。父は女性にとって最高の
人であり、いつ迄も忘れられない存在です。
結婚しても尚、尊敬出来る父に比べて、とかく見劣りする夫は、ときには鼻につ
くこともあるのでしょう。

❤〜 つづく

2441a hope:2013/07/26(金) 06:51:26 ID:edEDolt2

新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第16章 理想を高く掲げましょう

♦立派なものはいつまでも立派、傷ついたものは一層傷つく

私はある時一人のお供を連れて旅行にでました。
私の四角な革のトランクは、もう度々の旅行にでていますので
随分ほうぼうがすり切れて搔(か)き傷なども、一ぱいにできているのです。

所がお伴のもっている革の手提げカバンは
新しいまだ傷のないつやつやしたつやのある革でできていましたので、
各地で出迎えに来る人は、私の傷だらけのトランクは、きっとお伴の人のものであると思い、
自動車の泥だらけの床の上になげだされて、車の振動でますます傷は大きくなって行きますが、
お供の人の手提げカバンは大きさも手ごろであり、傷のないピカピカ光ったものでありましたので、
みんながそれを尊敬して膝の上にだいて大切にしていましたので、
いつまでもその手提げカバンは傷がつかないでいるのでした。

こういうように、一度傷がつきかけると、自分も大切にしなくなりますし、
人も尊敬してくれませんので、ますます傷だらけになって来るのは、
トランクばかりの話ではありません。

人間も小さな欠点を見逃しておきますと、いくら欠点ができてもたいして気にかからなくなり、
平気で悪いあやまちをも犯すようになるものでありますから、
欠点は小さな時から直すように気をつけねばなりません。

2442SAKURA:2013/07/26(金) 22:32:56 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
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■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫
■□ 第一章      家庭と夫婦               
―――――― 夫に女の人が出来たという方に  ―――――   その 2

こんなとき、  「夫婦は一体である」
のことばの通り、夫もまた、別の女性を心に描くようになるのです。

人間は、思うことは自由です。それなら、いっそ他の人のことを心に描くのを止め
て、自分の夫の良いところを探し出し、感謝してみたらどうでしょう。
何故なら夫婦は一体だからです。

うそだと思ったら一度やってごらんになりませんか?
                                ❤〜 次回に続く…。

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ     
私は?【独身…??】です。・…が?
今後!仮に“相談…”受けますと??もしも?もしも?〜〜〜色々思い巡らしまして…
「法貴先生の本」を読みますと、ちょっと!やはり〜〜〜!と思える“フシ…”がありますョネ!

“話…”はそれてしまいますが【問題の吸血鬼・ゾンビ達…】はと、“思考回路…振る回転”します。
思い出します。…が?その中の或る「吸血鬼の女性」は?【3・4年前に再会…】しました時に、その
「吸血鬼女性」は、当時!御主人がいたのです。どうも?話の内容では…【夫婦問題…】があり何となく?
【離婚…】の事をほのめかせて、当時、将来が見えずにいて悩みあぐねた状態かと。“別れたい心境”><
そのような含んだ表現を私に言っていました。…が?

その理由は、将来!の事を考えますと(今では分かれたその御主人)定年退職をしたら〜〜〜><
モ〜〜〜ウ!仕事をしないとか?更に、まだ“家のローンが残って…”とかで、その理由から?
現在の【吸血鬼のドン?男…】が、当時【10軒の店舗…】を持っているとか?ほだされて……私から
言いますと、当時の御主人との【離婚理由…】は、それが〜〜〜“離婚の理由”です。…が?

さて!今では〜〜〜本当に、そうだったのでしょうか??? そして…
しかも、当時から「吸血鬼のドン男…」と同居しながら、元夫に対しては【別居を実行…】していました
ようですから、それが、現在では【その吸血鬼のドン男】との【籍…】に入っているのでしょうか??
【吸血鬼のドン男】は〜〜〜??遠くで【顕微鏡…】にてみますと??現在!でも
まだ!【籍は〜〜〜?単に「吸血鬼のドン男と一緒の生活」】の様子です。…が?
しかも、【単純な〜〜男と女の関係…物語】なんでしょうネ!!これって!九州では多い関係でしょうか?
つまり【男女とも?クレイジーな関係】と最近思えるのですが????

私から見ますと「吸血鬼のドン男」は、どうも〜〜〜【ホストクラブを経営…】しているとか??
風の便りでは…更に「小料理店」とか?「スナック」とか?…女性を離婚させてまで…何件も【お店…】
を持たせて、その各々の店からの「ピンハネ…徴収!」が多いとか〜〜〜??
■□ 「いい噂…」は、いまだに聞いた事がありませんし、しかも「嘘…の言葉」の連続…
【 瞬間の嘘の連続… 】と申しましょうか?誠に持ちまして…「嘘…」の多い人間ですかとが??
元の御主人との「あの時点でのやり直し…」その関係ができたのではないのでしょうか〜〜〜?

                         つづく

2443SAKURA:2013/07/26(金) 22:35:02 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2372>>2378>>2379>>2379>>2381>>2382>>2386>>2387>>2395>>2396
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■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫
■□ 第一章      家庭と夫婦               
―――――― 夫に女の人が出来たという方に  ―――――   その 3

■□ 前の御主人と【離婚…】をしなければ、本当の「幸せロード…」が後からついてきましたのでは
と?遠くからどうしても、見えてしまうのです〜〜〜が??

本当の【夫婦一体…】とは??単なる【金銭の関係のみ…】ではない!!と思えますから〜〜〜
そうこう見ていますと〜〜〜??
この「吸血鬼女性」は現在では「吸血鬼のドン男」からいろんな形での【束縛】がされていますのでは?
もしかして!【分かれるチャンスを狙いながら、また!また!金でズルズルと引き寄せの関係】にて…
流されていっているのでしょうか??果たして「心と心の結びつき…」は何処にでしょうか…?

■□ 【 人生…いろいろ! 】でしょう〜〜〜ネ!

この様に【思考回路…振る回転?】していきますと【男女の関係…】とは、
「肉体…」は?何処ですから【精神面での結びつきが〜〜〜一番!大事では?】と思うのです。
色々な角度で【思考回路…】の最中に本当に「法貴先生…」のように私は、導く事が出来る“私”に
なりたぁ〜〜〜い!それには「先生の本…」を参考に…思考力変換!導く!…その言葉遣いでしょうか?

私の「過去のおさらい」は、失敗の連続なのですが、今は【吸血鬼…ゾンビ…達とタタキ男…達】との
出会いは非常に〜〜〜後悔の日々の連続なのです??

■□ 未来ある若い方達ヘ…
伝えたい“メッセージ”は〜〜〜【言葉の表面上…そして、外見上…にまどわされるな〜〜!!】と、
叫んでいます“私…”なのです!!
【人生…一度】この現象界での“出会い…”を大切に…かと思うのです。     再合掌

2446a hope:2013/07/27(土) 07:15:58 ID:edEDolt2

☆愛無限の祈り(p 28)

神は愛である。
愛は人の幸福になるためにつくすのである。
私は神の子であり、神の愛を自己の内に宿しているのであるから、
人のためにつくすことが大好きである。
隠れたるところでないしょにだれにも知られずにする深切な行いは、
神さまが見ていられて天国でほめていられるのである。
私は天国でほめられる人となるのである。


「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社

2447ユタカ:2013/07/27(土) 08:08:17 ID:R1D4Jmeg
>>2444 を消さないで。素晴らしいから! アレンジで良かったです。

2448トキ:2013/07/27(土) 09:47:06 ID:KiO9057.
>>2444

a hope様、どうしましょう? そのままでも良いと思うのですが。

2449ありがとう:2013/07/27(土) 11:05:22 ID:???

 明らかな誤植ですから まずいでしょう。

 削除すべきです!

2450トキ:2013/07/27(土) 12:30:11 ID:KiO9057.
>>2449

 了解しました。

2451a hope:2013/07/27(土) 13:21:32 ID:edEDolt2
>>ユタカさま トキさま ありがとうさま みなさま 

お騒がせいたしました。
削除していただいて、良かったです。
聖典の内容は、正しく伝えるべきだと思います。
ただ、ユタカさまのコメントにも心から感謝いたします。
ありがとうございました。 合掌。

2452NANCY:2013/07/27(土) 17:24:52 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【NANCY】で〜〜〜す。

此処昨今は暗い〜〜〜“ニュース”が…TV・インターネット上にて…流れてきますでしょうか?
特に【男女…問題】は?年齢を問わず、個人的には悲惨な状況の事件が?特に目に移りますでしょうか?

■□ 「SAKURA…」さんの昨日の投稿は〜〜〜今後「個人指導…」する上で…参考になりますかと…!!
此処で私事…【NANCY】 にて“再投稿”を、させて頂きます…。

「徳久先生…」の講話テープでも…やはり【女性は御主人を非難する前に…自分の行動を今一度振り返るべき!】
この様なアドバイスがありましたかと…!(「SAKURA」さんにも“ 筆談での…テープ講話”を伝えましたのです。…が?)
つまり【ご主人の…上げ足を、とっいたのでしょうか?そして、今でも…同じ繰り返しなのでしょうか…?】この件は?
「法貴先生…」の投稿内容に納得しましたので…この形式を取らせて頂きます。【若者へのメッセージ】も含め…!!
また、此処で問題なのは〜〜〜【 正しい? 正しくない?】 この件はその人自身の捉え方でしょうか??

―――【 再 投 稿 文 その1 】――――――――――――――――――――――――――――――――
2440 :SAKURA:2013/07/25(木) 21:48:57 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2372>>2378>>2379>>2379>>2381>>2382>>2386>>2387>>2395>>2396
>>2399>>2403>>2404>>2411>>2413>>2414>>2415>>2418>>2431>>2432>>2434>>2435 の投稿の続きです。尚!【引用…】となります…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

■□ 第一章      家庭と夫婦                
―――――― 夫に女の人が出来たという方に  ―――――   その 1

 私が家庭裁判所の調停委員をしていた頃、夫の浮気による離婚事件をたびたび取り扱
いました。
 
そんなとき私はよく、
「あなたには好きな人がいませんか?」 とききました。
女性は憤然として、
「飛んでもありません。 絶対にそんな人はいません」 と、 必ず言います。
「別に恋人、という意味ではありません。夫より、もう少しましな人はいないかし
ら、と思ったことはありませんか?という意味です」
と私が言うと、
「ああ、それなら、始終思っています」
と彼女は答えます。

「それは一種の浮気です。夫はそれではいつも妻のぬけがらを抱いているようなものですね」
と、私は言いました。しかし裁判所では、これ以上言っても余り判って貰えないの
で、結論を出すしかありませんでしたが、ときには私の言葉で反省して、離婚を取り
下げてくれた人もありました。

「夫婦は一体である。夫の浮気は妻の浮気である」と、私は習いました。

女にとって、最初の恋人は父であるとも言われています。父は女性にとって最高の
人であり、いつ迄も忘れられない存在です。
結婚しても尚、尊敬出来る父に比べて、とかく見劣りする夫は、ときには鼻につ
くこともあるのでしょう。

❤〜 つづく

2453NANCY:2013/07/27(土) 17:26:46 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【NANCY】で〜〜〜す。
>>2452 続き投稿です…。

―――【 再 投 稿 文   その2】―――――――――――――――――――――――――――――――
2442 :SAKURA:2013/07/26(金) 22:32:56 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2372>>2378>>2379>>2379>>2381>>2382>>2386>>2387>>2395>>2396
>>2399>>2403>>2404>>2411>>2413>>2414>>2415>>2418>>2431>>2432>>2434>>2435>>2440 の投稿の続きです。尚!【引用…】となります…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫
■□ 第一章      家庭と夫婦               
―――――― 夫に女の人が出来たという方に  ―――――   その 2

こんなとき、  「夫婦は一体である」
のことばの通り、夫もまた、別の女性を心に描くようになるのです。

人間は、思うことは自由です。それなら、いっそ他の人のことを心に描くのを止め
て、自分の夫の良いところを探し出し、感謝してみたらどうでしょう。
何故なら夫婦は一体だからです。

うそだと思ったら一度やってごらんになりませんか?
                                ❤〜 次回に続く…。

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ     
私は?【独身…??】です。・…が?
今後!仮に“相談…”受けますと??もしも?もしも?〜〜〜色々思い巡らしまして…
「法貴先生の本」を読みますと、ちょっと!やはり〜〜〜!と思える“フシ…”がありますョネ!

“話…”はそれてしまいますが【問題の吸血鬼・ゾンビ達…】はと、“思考回路…振る回転”します。
思い出します。…が?その中の或る「吸血鬼の女性」は?【3・4年前に再会…】しました時に、その
「吸血鬼女性」は、当時!御主人がいたのです。どうも?話の内容では…【夫婦問題…】があり何となく?
【離婚…】の事をほのめかせて、当時、将来が見えずにいて悩みあぐねた状態かと。“別れたい心境”><
そのような含んだ表現を私に言っていました。…が?

その理由は、将来!の事を考えますと(今では分かれたその御主人)定年退職をしたら〜〜〜><
モ〜〜〜ウ!仕事をしないとか?更に、まだ“家のローンが残って…”とかで、その理由から?
現在の【吸血鬼のドン?男…】が、当時【10軒の店舗…】を持っているとか?ほだされて……私から
言いますと、当時の御主人との【離婚理由…】は、それが〜〜〜“離婚の理由”です。…が?

さて!今では〜〜〜本当に、そうだったのでしょうか??? そして…
しかも、当時から「吸血鬼のドン男…」と同居しながら、元夫に対しては【別居を実行…】していました
ようですから、それが、現在では【その吸血鬼のドン男】との【籍…】に入っているのでしょうか??
【吸血鬼のドン男】は〜〜〜??遠くで【顕微鏡…】にてみますと??現在!でも
まだ!【籍は〜〜〜?単に「吸血鬼のドン男と一緒の生活」】の様子です。…が?
しかも、【単純な〜〜男と女の関係…物語】なんでしょうネ!!これって!九州では多い関係でしょうか?
つまり【男女とも?クレイジーな関係】と最近思えるのですが????

私から見ますと「吸血鬼のドン男」は、どうも〜〜〜【ホストクラブを経営…】しているとか??
風の便りでは…更に「小料理店」とか?「スナック」とか?…女性を離婚させてまで…何件も【お店…】
を持たせて、その各々の店からの「ピンハネ…徴収!」が多いとか〜〜〜??
■□ 「いい噂…」は、いまだに聞いた事がありませんし、しかも「嘘…の言葉」の連続…
【 瞬間の嘘の連続… 】と申しましょうか?誠に持ちまして…「嘘…」の多い人間ですかとが??
元の御主人との「あの時点でのやり直し…」その関係ができたのではないのでしょうか〜〜〜?

                         つづく

2454NANCY:2013/07/27(土) 17:28:59 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【NANCY】で〜〜〜す。
>>2452>>2453続き投稿です…。

―――【 再 投 稿 文   その3 】―――――――――――――――――――――――――――――
2443 :SAKURA:2013/07/26(金) 22:35:02 ID:pMLLKHKU
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■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫
■□ 第一章      家庭と夫婦               
―――――― 夫に女の人が出来たという方に  ―――――   その 3

■□ 前の御主人と【離婚…】をしなければ、本当の「幸せロード…」が後からついてきましたのでは
と?遠くからどうしても、見えてしまうのです〜〜〜が??

本当の【夫婦一体…】とは??単なる【金銭の関係のみ…】ではない!!と思えますから〜〜〜
そうこう見ていますと〜〜〜??
この「吸血鬼女性」は現在では「吸血鬼のドン男」からいろんな形での【束縛】がされていますのでは?
もしかして!【分かれるチャンスを狙いながら、また!また!金でズルズルと引き寄せの関係】にて…
流されていっているのでしょうか??果たして「心と心の結びつき…」は何処にでしょうか…?

■□ 【 人生…いろいろ! 】でしょう〜〜〜ネ!

この様に【思考回路…振る回転?】していきますと【男女の関係…】とは、
「肉体…」は?何処ですから【精神面での結びつきが〜〜〜一番!大事では?】と思うのです。
色々な角度で【思考回路…】の最中に本当に「法貴先生…」のように私は、導く事が出来る“私”に
なりたぁ〜〜〜い!それには「先生の本…」を参考に…思考力変換!導く!…その言葉遣いでしょうか?

私の「過去のおさらい」は、失敗の連続なのですが、今は【吸血鬼…ゾンビ…達とタタキ男…達】との
出会いは非常に〜〜〜後悔の日々の連続なのです??

■□ 未来ある若い方達ヘ…
伝えたい“メッセージ”は〜〜〜【言葉の表面上…そして、外見上…にまどわされるな〜〜!!】と、
叫んでいます“私…”なのです!!
【人生…一度】この現象界での“出会い…”を大切に…かと思うのです。     再合掌

2455a hope:2013/07/29(月) 07:57:02 ID:edEDolt2

☆神を呼吸する祈り

私は今、大空に向かって心ひらいて呼吸しているのである。
私の吸う空気はけっして単なる物質ではないのである。
それには、神の″生命の気″が満ちているから、
それを吸うことによって、私は生かされるのである。
空気も食物も衣服もすべて、その材料は神によってつくられたものである。
私は神にいつも生かされ護られているのである。
ありがとうございます。


「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2456SAKURA:2013/07/31(水) 21:28:21 ID:pMLLKHKU
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>>2411>>2413>>2414>>2415>>2418>>2431>>2432>>2434>>2435>>2440>>2442>>2443>> の投稿の続きです。尚!【転載編…】となります…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫
■□ 第一章      家庭と夫婦               
―――――― 夫婦を長持ちさせたい方に  ―――――   その ①

私のうちに、夫婦だけのカレンダーがあります。
銀行からもらった、普通のカレンダーですが、余白が多いのと、余分な宣伝が書いてないので愛用しています。

主人がそこに印をつけてくれます。
○印は、夕食を定時にたべる。
□印は、たべるけれどもおそくなる。
×印は、たべない。
△印は、どうなるか判らない。

私は赤で印をつけます。
私の印は×だけです。つまり仕事で出張して家に帰らない日です。
主人の食事は、私がいないときは、必ず誰かに頼みますから、主人が帰って来て、
ごはんの仕度がしてない、などということは、決してありません。

×印でも、ごはんだけはたいておきます。

万一、たべるかも知れないからです。おかずは、いつも、何かしら用意してありますから
(佃煮や、つけもの、海苔など)ごはんさえあれば、何とかたべられます。

男の人は、極端にいうと、食事の仕度さえしてあれば、余り文句をいいません。反対に、
食事の仕度のしてない家ほど、さびしいものはないそうです。

「どうせ私は、台所の係よ。一生、主人のごはんを作っているんだから」
などと言わずに、こんな簡単なことで夫婦が長持ちするなら、夫婦専用カレンダーを作って、
夫の食事について真剣に考えて御らんなりませんか。

ある定年になった夫の奥さんが言いました。
「主人がうちにいて、三度々々ごはんをたべるので大変です」
「あなたは?」ときいたら、
「私も、三度食べます」 といっていました。

その顔は何となく幸せそうに見えました。
                                つづく

2457SAKURA:2013/07/31(水) 21:31:02 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2411>>2413>>2414>>2415>>2418>>2431>>2432>>2434>>2435>>2440>>2442>>2443>>2456 の投稿の続きです。尚!【引用編…】となります…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫
■□ 第一章      家庭と夫婦               
―――――― 夫婦を長持ちさせたい方に  ―――――   その ②

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ

■ 私の両親も含め〜〜〜振り返りますと「三度の食事…」を頂いておりました。
それが【母の味…】でしょうかと??当たり前に、思う点がありましたかと思います・…。それでも、
晩年は〜〜〜やはり「亡き母の手料理…」しみじみと思い出す事が〜〜〜多々です。

さて話は…
『パートナーの母親…』現在は、老人ホームなのです。…が?振り返りますと?15年前からでしょうか?
全くもって“料理…”をしなくなったとの事なのです。…が?当の!“パートナーの父親”は、その当時、
それが原因と申しますか?弟さんの家に“パートナーの父親”はこっそり〜こっそり〜と、食事を食べに
行くようになりましたのです。…が? >< 
❤〜当に『原因は〜〜〜さっぱり判らないとの事なのです…。』今でも〜〜〜不可不思議!!なのです。

その頃の事を振り返りますと〜〜〜15年前!!は「千葉の行徳…」に在中の頃からなので〜〜〜す。
そして、そこに居住しますようになったのは・…『問題の黒幕Mデザイナー…』この接点からなのです。

当時!1階にはその『黒幕Mデザイナーが家主…』で居住しておりまして…当時は、かなり【盗聴…】して
いたのでしょうか??私の「補聴器…」は?ある場所に行きますと【ハウリング…】が頻繁で〜〜〜><
丁度その頃から、“パートナーの母親…”に【マインド・コントロール・…】を、したのでしょうかと??

■□“パートナーの母親…”も、かなり【マメに…料理】をしていましたし、特に!
【健康的な食事療法…】は、かなり詳しい感じでしたのです。??例えば…
【にがり…を購入しての豆腐つくり】【さつま揚げ…つくり】【魚の干しモノ】【切り干大根…ニンジン】
…etc つまり、全て自分自身で作る!!これを優先するという事でしょうか??

何故なら、当時私が「お客様」から、【理研のだし…3キロ】を、頂きましたのですが?これは、ほとんど
“本物のダシ〜〜〜?”なのです。ところが?何時だったでしょうか〜〜〜?
当時“パートナーの母親”が、遊びに来まして、「冷蔵庫の中身…」を見ましたのです。ところが…
「これは体に良くな〜〜〜イ!」と言って、ポ〜〜〜ン!と捨て去られたのですが、
この様に【科学食品は、必要以上にタブー!!】の人でした。…が??しかしながら、
当時の【理研のだし…3キロ】は、本物だったのに〜〜〜><今は、もう入手できないのです〜〜〜ョネ!

そうこうしております内に、その後は“パートナーの母親”は〜〜〜【インスタント…派】となりまして、
今ではお手のものでしょうか〜〜〜???余りにもの様変わり〜〜〜><ビックリ!ビックリ!なのです。

これって【食べ物…オンリ−】とは〜〜〜最終的には【心と食物…】このバランスになりますのでしょうか?

■□ 【幸せは……本当に!すきな人に美味しいものを作れる〜〜〜環境が一番です〜〜〜ョネ!!】

では〜〜〜今日か明日にまでは【SAKURA弁当…プログ】を紹介しま〜〜〜す!!見て下さいネ!!

                                    再合掌

2458a hope:2013/08/01(木) 06:50:14 ID:edEDolt2

☆明るい心の祈り(p25)

神は光であり、すべての闇を照らして明るくしたまうのである。
私は神の子である。
だから神さまの光が私の中に宿っていて、
私の心は神さまの光に照らされて常に明るいのである。
だから私は常に明朗であり、ニコニコしてすべての人の心を明るくする。


「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2459SAKURA:2013/08/01(木) 22:33:36 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫
■□ 第一章      家庭と夫婦               
―――――― 料理が好きになりたい方に  ―――――   その①

「今夜、何しようかしら! と、思っただけで憂鬱になる」 という人がいます。
私は、
「今夜、何にしようかしら!」 と、思っただけで、胸がわくわくします。

女の仕事の中で、「料理」ほど面白いものはない、と、思っているからでしょうか。
一昨年、ロンドンとロスアンゼルスにちょっと行きましたが、日本に比べてその材
料の貧しいのにびっくりしました。

 日本は四方、海に囲まれ、気候に変化が多いせいか、実に食物が豊富だと、そのと
き、つくづく思いました。

 この豊かな材料あるが故に、ほんの少々手を加えれば、たちどころにおいしい料理
が出来上がります。何という幸せでしょうか。

 料理、という大変なようですが、結局は、

一、 なまでたべる
二、 塩にする
三、 酢につける
四、 煮る(ゆでる)
五、 焼く
六、 蒸す
七、 あげる(いためる)
八、 あえる

ぐらいしかありません。これにつける味でも、

一、 甘い
二、 辛い
三、 酸っぱい
四、 苦い
それぐらい
五、 甘辛い
六、 甘ずっぱい
七、 甘苦い(百合根のにものなど)
八、 ピリピリ辛い(とうがらしなど)

などで、余り難しい味はありません。
だからこれ等の基本さえ上手に出来れば、何でも簡単に出来ます。

                          つづく

2464SAKURA:2013/08/03(土) 19:01:04 ID:pMLLKHKU
トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫
■□ 第一章      家庭と夫婦               
―――――― 料理が好きになりたい方に  ―――――   その②

基本は料理の本にも出ているし、テレビの料理番組をみていても判ります。 
 区役所、市役所、PTA、ガス会社、など主催の料理の講習会などを適当に利用して、たえず勉強して
いると、だんだん料理が面白くなり、好きになります。

 ときに夫にねだって、高級レストランなどにも連れて行って貰い、味をみるのも良い勉強です。
 食器は安くて美しいものをバーゲンセールなどで買って来て、いろいろ換えて使います。
たまには友人と交換などすると気分が変って面白いでしょう。

 スーパーも便利ですが、なるべく魚は魚屋で、やさいは八百屋で買うほうがいろいろ選べて楽しいし、
新鮮です。 家族が四人なら、四種類に味をかえて上げるほど親切なお母さんなら、子供や夫は絶対に
外で御飯をたべて来ません。

 私の料理の先生は、赤堀先生といって、私が二十歳の時七十歳位でしたからもう居られませんが、
実に立派なかたでした。
 明治天皇・大正天皇・今上天皇、と三代の天皇にお仕えしたそうです。

あるとき、
「天皇陛下のおからは、吹けば飛ぶようにいる」 と言われたので、そのことが判りました。

 おからは今のように豆の粉から作った豆腐ではとりようもありませんが、昔は、豆腐屋の店先に、
ホカホカ湯気の立ったおからが、多少、邪魔みたいにおいてありました。
五銭も買うと、家中でたべられました。

 赤堀先生は、このおからを洗い桶に入れ、上に浮いたゴミをとり、沈んだおからを、ふきんで
絞れ、と教えて下さいました。

 鍋にいためものとしては多過ぎる位の油を入れ、おからをいれて、煎ります。十分位もいっていると、
パサパサになり、お更に入れて鼻の先へ持ってくると、鼻の息で、飛ぶようになる。
これに塩とさとうと醤油極少量で味を付けます。
 これだけで、おからはとてもおいしくなりますが、このままでは殺風景ですから、
人じん、しいたけ、きくらげ、ひじき、ごぼう、ひき肉、など、細かくして煮たものを入れます。
最後に、酢で〆めた魚の細切りと、針生姜を水にさらしたものをのせ、酢を一寸かけますと、
こんな御馳走なない、という程おいしいのです。

それにしても、
天皇陛下は、どのようなおからを召し上がったのでしょうか??
                            つづく

PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
「トキ様…」〜〜〜!実は?昨日はすばらしい出会いが在りましたので〜〜〜す。
何と!何と!誰と〜〜〜〜思われますでしょうか??
「日野原先生」なのです!!もうすばらしいですね“年齢…満100歳”とは〜〜〜“ビックリ”
見えないですネ〜〜〜すばらしいです!!【人生は…すばらし〜〜〜イ!再発見で〜〜〜す。】
                                 再合掌

2465うのはな:2013/08/03(土) 19:05:20 ID:ht6VpdV.

 生命の在るところに必ず道がある。生命とは道であるからである。 
 道は形なく一つであるけれども、その顕われは無限である。
 男性に顕われると男性の道となり、女性に顕われると女性の道となり、
 老人に顕われると老人の道となり、子どもに顕われると子供の道となる。(略)

 女性の天分は、愛と美と調和と平和と、純潔とで勝れている。
 女性たちが、この天分に目ざめて、女性でなければできない文化の一大分野に、
 美の世界に愛の世界に育の世界に和の世界に、女性の天分を発揮するとき、
 人生の光明化も大調和の世界の創造もできるのである。

  『生長の家三拾年史』257頁 谷口雅春 先生著

2467a hope:2013/08/04(日) 07:58:06 ID:edEDolt2

☆神を讃える祈り(p31)

神さま、ありがとうございます。
花が咲いております。
花のいのちは神さまから来たのでございます。
鳥が啼いております。
鳥のいのちは神さまから来たのでございます。
雨あがりの青空はすみきって空気は清くスガスガしうございます。
あの青空のように私の心をすみきらせて下さいませ。
私のいのちを花のように美しく生かして下さい。
私はいま鳥のごとくよろこびの歌を歌って神さまをほめ讃えます。
ありがとうございます。


「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2468a hope:2013/08/05(月) 07:59:09 ID:edEDolt2

☆神を呼び出す祈り(p34)

わが魂の底の底なる神よ、無限の力わき出でよ。
わが魂の底の底なる神よ、無限の力わき出でよ。
わが魂の底には″神″が宿っていらっしゃるのである。
その魂の底にいます神にふり向けばいつでも神さまは、
私に必要な知恵と力を与えて下さるのである。
神さまありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2469a hope:2013/08/06(火) 06:22:24 ID:edEDolt2

☆判断正確の祈り

神は全能でありたまう。
神の力とともにあるとき、すべてのことは必ず成し得(う)るのである。
神は常に、その全能なる力をわれらに授けたまい、
全知なる知恵によって導きたもうたのである。
その御護(おんまも)りは完全であるから、いかなる出来ごとが起ってきても、
それに対処するにはどうしたらよいかをすぐ知ることができて、
常に善い結果を得るのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2470SAKURA:2013/08/06(火) 22:49:46 ID:pMLLKHKU
トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2372>>2378>>2379>>2379>>2381>>2382>>2386>>2387>>2395>>2396>>2399
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>>2456>>2457>>2459>>2464 の投稿の続きです。尚!【引用編…】となります…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫
■□ 第一章      家庭と夫婦               

―――――― 料理が好きになりたい方に  ―――――   その③

 赤堀先生の言われたことを、今、想い出しますと、大変ためになります。

先生はこんなことを言われました。
「栄養、栄養、というが、『うまい』と思って食べてこそ栄養になる。栄養をにがさ
ないように、と言って、うまくない料理を作っても駄目だ』

『安いものがうまいんだ。季節のものは必ず安い。その時がそのものの旬だからだ、季節外れの高いものは
決してうまくない』 何だか耳の痛い話ですね。

『御馳走は馳ける走ると書く。材料をそろえることが先ず第一だ』 
スーパーで全部揃えるのはどうかと 思います。

「まな板に切り屑をつけておいたら、鍋の中に煮物の残りをつけておくのは料理人の恥だ」
『包丁は始終とぎなさい。 包丁はだしっぱなしにしないように」
「料理はとり合わせが大切だ。 すしの横に酢のものをつけたり、味つけごはんの隣に味噌汁などを出すな。
すしにはきんとんとか煮豆のような甘いもの。 味つけごはんには吸物が合う』 とも言われました。

『ごまあえのごまは、すってすって油の出る迄』
『みそ汁は食べる分だけみそをとく。煮立てたみそ汁はおいしくない』
『みそ汁の王様は鰹のすり流し(かつおの身をすってみそ汁にする)。その次がそら豆と豆腐』
『しじみ汁の吸い口はときがらし』
『みつばと柚子を一緒にいれたりしないこと。匂いは一いろ』 と教えて下さいました・

『なますは糸のように切る。マッチ棒では太い』
『不意の客には台所の野菜かごをさがす。人じん、じゃがいも、大こんなどを同じ位の大きさに切り、
固いものから順に出しで煮て、とりでもあれば一片れ入れ、吸物にして片栗で薄いくず汁にする。うす
くず碗、といって立派な料理になる』


                            つづく

2471SAKURA:2013/08/06(火) 22:52:09 ID:pMLLKHKU
トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2372>>2378>>2379>>2379>>2381>>2382>>2386>>2387>>2395>>2396>>2399
>>2403>>2404>>2411>>2413>>2414>>2415>>2418>>2431>>2432>>2434>>2435>>2440>>2442>>2443
>>2456>>2457>>2459>>2464>>2470の投稿の続きです。尚!【引用編…】となります…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫
■□ 第一章      家庭と夫婦               

―――――― 料理が好きになりたい方に  ―――――   その④

「魚の骨も、熱湯に入れ、あくをとってねぎをそろえればおいしい吸ものになる」
『筍は、頭の先はきのめあえ、次が煮物、それから御飯に入れる。次は油で揚げる。皮の柔い部分も、
いためて中華料理に使える。捨てるところはありません。新しい筍は、よく洗って糖など入れずにゆでる。
その水で御飯をたけば、筍の節約になる』
「魚を焼くには串を打つ。串は泳いでいるような形に打てばよい。二本打って、手先を狭くしておけば持ち
がよい。ひれには全部塩をつけて広げる。楽しくやける』
『あえものは、客が来てからあえる。盛りつけは客が鍋につく直前に。それでないと、水が出る』

本当になつかしい先生の教訓、今も忘れることが出来ません。
                                次回に続く

PS;「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
『料理の手順…項目?』は、大体…護っています。……が?
時には?あえものは〜〜〜材料によっては、しみ込ませの時間で、先に作る場合もありますが??

■随分前の事ですが〜〜〜?ある処で「栗原晴美さんのお店…」に食事を〜♫〜 ルンルン〜♫〜
その時!隣の若い男性の食事…ちらり?ちらり?…と ><
実は「組み合わせ…」に“ビックリ…”した事があります。余談ですが?怪訝な表情をついしてしまいました。
それは〜〜〜><
皆様も…子供の頃のレシピ…一番と言いましょうか?そうなのです…。
【 カレーライス 】…此処までは?…と【 みそ汁 】これって合うのでしょうか??

と…その当時は?オイシイのかしら〜〜〜ン!ところで、最近“試し…”てみたのです。
これって?“ス−プ感覚…”でみれば〜〜〜オカシクないのでしょうか??
私も時代の波?乗り遅れ組なのでしょうか??「古い人間の仲間入り…」なのですかと。

今の私は【外食…】はほとんどないです〜〜〜ネ!以前は、仕事の関係で「デパートの食堂街…」に、
よく立ち寄って食したモノです。…が?
そこで食した“思い出…”は、恐らくは?皆様よりも少ないのでは??このように個人的には思うのです。
「銀座の松屋の田村割烹」・更に「天ぷら…つな八・天一」・「美濃吉」・「橘…」・「四川飯店」…etc…
いろいろ食しに行きました。…が?この時の“味付け…”が脳裏の中にインプット!でしょうか?
すべて…感謝して…今では??“一番!私の料理がオイシイ!”〜〜〜自我自賛しています。…が?

それが…明日の【 SAKURA 弁当つくり 】…エネルギ−・パワ−なのです…。(微笑)


                            再合掌

2472a hope:2013/08/07(水) 06:55:57 ID:edEDolt2

☆向上の祈り

神はわが親でありたまう。
私は神の子である。
わが内に無限の良さが宿っているのである。
私の良さは無限であるから、これだけ良くなったら、
もうそれ以上は良くならないなどということはないのである。
私はまだまだ毎日いっそう良くなるのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2473女神の部屋:2013/08/07(水) 10:06:59 ID:PDo2pGwE

『神命の書』http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&amp;mode=res&amp;log=281

2474SAKURA:2013/08/07(水) 23:11:18 ID:pMLLKHKU
トキ様 へ 観覧者野皆様 へ
こんばんは、ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す・・・。
>>2421>>2422>>2423>>2424>>2425 のSAKURA投稿の続きです…。『 転載編・… 』

■小閑 雑感

―――― 語訳恐るべし ――――       谷口雅宣   ―その1―

 出版業界には「語植恐るべし」という言葉があるが、ニューヨークの世界では
「誤訳」の問題はあまり重要視されていないようだ。というのは、NHKの海外ニュ
ースの翻訳がいい加減の場合があることに時々気がつくからである。

 今日(5月12日)の朝のフランス・ドゥ―のニュースを、新聞を読みながら聞き
流していたところ、フランス語を日本語に翻訳して読んでいる女性が、ワシントン上
空の飛行禁止区域にセスナ機が過って侵入した事件について伝えている中に「その時、
プッシュ大統領はメリーランド州にサイクリングをしていた」とか「ジョージア州で
手投げ弾が発見されたのに」などというのが聞こえた。

録画していたわけではないので正確な引用ではないが、確かにそういうニュアンスの
日本語であった。しかし、このいずれも正確とは言えないし、2番目の例などは明ら
かな誤りである。

これは、オリジナルのフランス語が間違っていたのではなく、日本語への翻訳の過程
でチェックが甘いのだ。

 当時のプッシュ大統領の居場所については、フランス・ドゥ―の直前に放送された
ABCニュースでは「メリーランドの自然公園に自転車乗りに出ていた」というものだ。

この情報は公式のホワイトハウスの発表によるものだろうから、公式のフランス人記者
もその同じ会見で得た情報を流したはずだ。

フランス語では何と言ったか知らないがNHKで流れた「メリーランド州でサイクリン
グをしていた」という日本語は誤解を招く。

それは「その時、大統領がホワイトハウスのあるワシントンDCから公務で別の州ヘ
行っていて、そこでたまたまサイクリングをしていた」という解釈が容易にできるからだ。

 しかし。この日の「産経新聞」が「当時、プッシュ大統領はホワイトハウス内にいな
かった」と書き、「朝日」(夕刊)は「郊外に自転車乗りに出掛けて不在だった」と書い
ているように、プッシュ大統領は何か公用があってホワイトハウスを離れていたのでは
なく、その時たまたま運動のため自転車乗りに出かけていたのである。『朝日』の「郊
外」という言葉にあるように、メリーランド州はワシントンの目と鼻の先にある。

つづく

2476神の子さん:2013/08/08(木) 08:26:11 ID:9lnnupHc

語訳=誤訳?

2477a hope:2013/08/09(金) 07:07:33 ID:edEDolt2

☆親孝行の祈り

私は″神の子″である。
神から いのち をいただき、神の いのち が父母を通してこの世に出てきたのである。
父母がなかったら私はこの世に出てこられなかったのである。
お父さん、お母さん、ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2478SAKURA:2013/08/09(金) 14:26:30 ID:m1q2iwKA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2421>>2422>>2423>>2424>>2425>>2474 のSAKURA投稿の続きです…。『 転載編… 』

>>2474 の投稿中… 【訂 正…】申し上げます…。(下記にて…記載させて頂きます…。)

■小閑 雑感
―――― 語訳恐るべし ――――       谷口雅宣   ―その1―
出版業界には「語植恐るべし」という言葉があるが、ニューヨークの世界では…云々…
◆−――−――−――−――−――−――−――−――−――−――−――−――−――−――−−◆
この中にて……
語訳恐るべし   ×   誤訳恐るべし   ○   (タイトル…箇所)
語植恐るべし   ×   誤植恐るべし   ○   (本文…箇所)

>>2476 の「神の子様(グリーン色)」… 御忠告ありがとうございます…。(お化け目??でした。)
遅くなりましたが…教えていただきました事に、感謝申し上げます…。 
                                 再合掌

2482うのはな:2013/08/09(金) 22:12:28 ID:858lKgWk

 谷口雅春先生監修 『實相研鑽』がはじまりました!
  拝http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/

2485a hope:2013/08/10(土) 06:44:58 ID:edEDolt2

☆今を感謝する祈り

神は私を″神の子″として、自分の心も魂も体も、ともに最も、
勉強になり鍛錬(たんれん)になる場所で私を訓練してくださるのである。
この訓練は神さまの愛から来ているのであるから、
今私はどんな場所におかれても感謝し、
どんなことえお命ぜられても素直に今の仕事を感謝して
ていねい深切に実行するのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2488a hope:2013/08/12(月) 07:52:26 ID:edEDolt2

☆今を生きる祈り

過去は過ぎ去ったのである。
過去に人が私をいじめたからとて、
私は過去のことには捉われないのである。
私は過去のことをクヨクヨ思いわずらうことはしない。
過去にだれかが私に不都合なことをしたとて、
それはすでに過ぎ去ったのである。
私は神の子として、すべての友だちをゆるしたのである。
神さまありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2489SAKURA:2013/08/13(火) 05:12:07 ID:3DzQVjzk
トキ様 へ 観覧者野皆様 へ
おはようございます……。  ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2421>>2422>>2423>>2424>>2425>>2474>>2478 のSAKURA投稿の続きです…。『 転載編… 』

■小閑 雑感

―――― 語訳恐るべし ――――       谷口雅宣   ―その2―

2番目の翻訳の重大の過ちは、
英語の「Georgia」をアメリカ南部の州である「ジョージア州」だと早合点したことだ。

このような間違いをホワイトハウス担当のフランス人記者がするはずはない。
なぜなら、彼らは大統領の外国訪問の日程を知悉しているし、多くの記者は大統領に
実際に同行するからだ。

そして、つい数日前に「大統領の演説していた広場で手投げ弾が発見された」などと
いう重大なことが、どこであったかを忘れずはずがないのである。

その場所とは、グルシア共和国の首都・トビリシの自由広場である。
グルジアを英語では「Georgia」と書き、発音もジョージアである。きっとフランス語
の発音でも、この2つを区別しないのだろう。
とすると、「州」という言葉を付け加えたのはNHKの翻訳者であり、その翻訳者は、
海外ニュース担当であるにかかわらず、グルジアでの事件を知らなかったということ
になる。

何ともお粗末と言えないだろうか?

 まぁ、NHKに同情すれば、日本では英語に比べてフランス語の教育が遅れている
から、この程度の翻訳はしかたがないのである。

またフランス語のできる人は、きっと英語が苦手なのだろう。ニュースの翻訳担当で
あっても、日本語の新聞で自分の翻訳をダブルチェックする時間はないのだ。さらに、
今日もたまたま翻訳担当者の上司は出社していなかったのかもしれない。それに、
フランス語のニュースを日本語で聞くような視聴者は、きっと数が少ないのだ。

だから皆さん、NHKの外国語ニュースの日本語の翻訳は湯呑みにしない方がいいのです。

                           再合掌
PS: 「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ
上記の「現総裁雅宣先生…小閑雑感」の中からの記事を拝読しての“感想…”は〜〜〜
【 SAKURA の独り言 】という形式にて、下記プログ(URL…)に載せていますので
お時間ございましたら閲覧していて抱きますと幸いに存じます…。(下記要領…にて)

■ゆ・と・り・す・と…『真理』SEICHO−NO−IE 【小閑雑感 PART.4−3】 

** http://hert1706-go4snbs3yts.blog.so-net.ne.jp/
** http://hert1706-go4snbs3yts.blog.so-net.ne.jp/archive/20130623

■尚!「グ−グル…検索窓口」に於きまして??
前回もそうでしたが〜〜〜?時として!!検索が不能?になる【不思議現象…】が生じます。
同じ【URL…】なのに?或る処の【URL…】を記載しますと??「ブログなし」この様なメッセージ?
実に「オカシナ〜オカシナ〜オカシナ〜現象」で〜〜〜す。

その際は、【ブログ題名…】にてスル−して【検索エンジン】をして頂きまして、その後…
■最新版記事…【小閑雑感 PART.4−3】の処をクリックして頂きますと…閲覧出来ます。

御多忙中と思いますが…宜しくお願い申し上げます…。
では?少し遅れての「朝のお祈り…タイム」に…
                               再合掌

2490a hope:2013/08/13(火) 07:03:22 ID:edEDolt2

☆決意・断行・持続の祈り

私は神の子である。
神は何が最も良きかを示したまう。
″これ良し″と判断した以上は、私はそれをなすことをかたく決意し、
必ずそれを断行するのである。
いったん、決意し断行した以上は、途中でどんな困難が生じても
私は勇気を失うことなく続けて行うから必ず成功するのである。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2491ババババァ〜んブログより:2013/08/13(火) 11:23:51 ID:???
      あなたは生長の家信者ではない。

 生長の家創始者  谷 口  雅 春 大聖師




 “『生命の實相』はもう読んで知っている。 一時は幾多の奇蹟を生じたくらいなんだもの” と、それで、もうわかったぞと、卒業した気になって、易々加減な生活を送って来て、その易々加減の心境の反映で不幸があらわれて来て、最後に “『生命の實相』は私には効かなくなった” と言って、やがて生長の家から離れて行く人があるのですが、これは『生命の實相』が効かなくなったのではなく、信仰がマンネリズムに陥った結果であります。

 『生命の實相』を読んだ当初は、はじめて『人間神の子』の大真理に触れ、空気の美味しさがわかるように、『人間神の子』の嬉しさを満喫して感謝一ぱいになるのであり、その心境の程度に応じて、幾多の奇蹟もあらわれるのでありますけれども、いつの間にかそれが形式化してしまう人があるのです。

 食前に感謝する行事でも、最初は本当に感謝の心を起こし、感謝の黙祷を捧げて、合掌して食物を『戴く』気持ちで食するのですけれども、それが段々形式的になり、瞬間的にパッと合掌して終わるということになります。 これは食前の祈祷における一例でありますが、生活の全体がこの調子に、『信仰』という内容のない、形式ばかりになるのであります。

 こういう信仰内容のない生長の家信者は、生長の家信者であって信者ではない。

 『人間神の子』の真理は、嘗てものの本で読んだことがあり、そう書いてあったことは覚えているけれども、記憶しているということと、自分が『人間・神の子』の自覚を得ていることとは別なのです。

2492a hope:2013/08/16(金) 07:27:46 ID:edEDolt2

☆明るい心の祈り

神さまは、光であります。
私は神さまの子であるから、″光の子″であります。
″光の子″であるから常に明るい心をもっていて、父母にも先生にも、
常に明るいハキハキした返事をいたします。
私の心が明るいから、明るい善いものばかりが集まってきます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2499うのはな:2013/08/19(月) 11:59:58 ID:.XY5yRLI

 實相世界の光の世界を開く鍵
 http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/24571118.html

2500SAKURA:2013/08/19(月) 23:02:42 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【引用含む…】

【  女性の本質  】       谷口雅春著
――― 女というもの ―――

■他の心を変える祈りは正しいか ・・・・・

 ここに皆さんに紹介致しますのは『祈りの科学』(新選 谷口雅春選集④・日本教文社)と
いう本でありますが、この本はアメリカ“ニュー・ソート”(New Thought)と言って
直訳すれば“新しい思想”となるのでありますけれども、もう七・八十年も前から始まっ
ているところの思想運動でありますから、新しい思想と訳したのでは一寸変でありますの
で、私は何時もこれを光明思想と訳しているのであります。すべての暗黒面を見ないで、
光明面ばかりを見るところの思想でありまして、生長の家と非常によく似ているのであります。

 世界中にインターナショナル・ニューソート・アライアンス(International New Tho-
ught Alliance)という連盟がありまして、ニューソートの国際連盟とでもいうもので、生
長の家は日本に於けるその代表をしているのであります。この一派の女の思想家で、ステ
ラ・テリルマン(Stella Terriel Mann)いうアメリカの放送局等におきまして講演者
として有名な方があります。諸法に講演しておられまして、この人の講演には群衆が千人
を下ることがないといわれている女流講演者であります。

 このマン女史から『祈りによってあなたの運命を改造せよ』という本を送ってきたこと
があります。終戦後三年目位の時でありまして、その時分には出版条件が非常に不便であ
りました。翻訳するには、アメリカのG・H・Qの許可を一々受けたり色々複雑な問題が
ありましたので、まるくち翻訳することをやめまして、その大意を紹介しながら生長の家
の光明思想を織りこんでこしらえたのが、この『祈りの科学』という本なのであります。

 マン女史の本の中にこういう話が書かれています――大體マン女史は女でありますか
ら、人生相談に訪ねて行く人も女の人が多いのであります。それで、この本は御婦人方が
人生の行路を生きてゆく上に非常に参考になることが書かれていますので、その内の一つ
の話を紹介しようと思うのであります――

                            つづく

PS: 「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ

『ステラ・テリルマン女史…』は、個人的に“すきな作家…”です。…が?
■彼女の名前から【 14年間 の 円環】この事を、ついつい連想してしまいます〜〜〜ネ!

まず!学生時代の頃確か“祈りの科学”というような本の“普及誌”をよく読んでいました。
実に!興味ぶかい?好きな本籍でした。…が?すべて『哲学的に解釈』されていましたが、
この本は「2代目…清超先生の代」からでしたか〜〜〜?【廃版…】になったのですかと。??
その後…「幸福の科学」という【 信仰団体…設立の方 】が出現ですから〜〜〜

振り返りますと「次代のタイミング!!」が、良かったのでしょう〜〜〜ネ!!

■今からは本当に〜〜〜騙す?翻弄する?その様な【言葉の会話…】ではなく〜〜〜
本当に【真理を話す…】事が出来る人が〜〜〜【病んだ心を救う…】第一人者となる方でしょうか???
と思いながら【マン女史の講話…】が?私どもにとりまして、何かの“手がかり…”になる様に思います。

❤〜ではまた後に続きをお楽しみにして下さい〜〜〜〜〜〜

                                      再合掌

2501SAKURA:2013/08/20(火) 22:31:25 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【引用含む…】
>>2500からの投稿の続きです…。

【  女性の本質  】       谷口雅春著
――― 女というもの ―――

■他の心を変える祈りは正しいか ・・・・・ >>2500から①=>②に入ります。

 ある日、一人の若い婦人がマン女史を訪れてきました。この婦人は家庭生活の暇に二年
間もかかって小説を一生懸命に書いたのです。何しろ小説ブームなので、当れば大いに儲
かるというわけで、一生懸命に書いて、ある出版会社へその原稿を送ったが「うちの会社
では、こういう系統の書物は適当しない」といって返してきた。他の雑誌社へも送ったけ
ど、まだ返事が来ないが、どうも駄目らしい気がするというわけだったのです。

 そこでマン女史に、こう言って頼みました。
「あなたの祈りの力が素晴らしいということは評判になっていますが……ひとつ私の原稿が
採用になるように、あの雑誌社の編集局長の心を変えるように祈って下さい」

こういう願いは正しいものであるか、正しくないか、皆さんはどういう風にお考えにな
りますか?

 また、その婦人は、こう続けました。
「私、何時でも原稿を書く時には“これを送れば、すぐ売れますように”と祈って原稿を
書きます。また原稿を発送する時にも必ず“これが売れますように”と祈りつつ発送する
のですが、それでも矢っ張り売れないんです。私の祈り方が悪いのでしょうか、どうぞ先
生、あの雑誌社の編集長が喜んで私の原稿を載せてやろうという気持になるように祈って
頂きたいんです」

 皆さんは、こういう祈り方が正しい祈りであるとお考えになりますか?皆さんなら、ど
ういう風にお考えになり、またどういう風に解答なさいますか?

 マン女史は、こう答えられたのです。
「“編集長の心を小説を採用するように変えて下さい”と言って神様に祈る必要なんてあ
りません。人間は自分自身の心の通りの環境が出てくるのですから、自分の運命を変えよ
うと思ったならば、自分自身の心が変わるように祈ればよいのです。雑誌社の編集長という
ものは、良い原稿さえ送れば、それを載せたくて仕方がないのです。読者が求めているよ
うな原稿を欲しているのです。
 ところがなかなか読者が求めているような立派な作品、立派なインスピレーション、
立派な寛用記事または読者に求められるような良い書物の原稿は滅多に見つからないので
す。もし、あなたが、読者が求めてるような作品をお書きになったら、どんあ編集長だっ
て、その原稿をほしがるのです。要は、あなたの心の問題です。あなたの心が、どれほど
の作品を作りうるかということが問題なのです」

そうしたら、質問にきた婦人は、
「だって先生、失禮ですが私の考えは先生の考えと違います。近頃、雑誌の頁は少ないし、
有名な既成作家がみんな書いて頑張っているんですから、私みたいな無名作家は、もし編
集長が特別な好意をもって頁をさいてくれなかったら、のせてもらえる機会なんてないん
ですもの」
と言ったのです。マン女史の答は、こうでした。

                           つづく
PS 
少し考えされる面があるのではと……? 「トキ様」は?どのようなお考えなのでしょうかと???
私も、今【祈り…】につ考えているところですが〜〜〜??【祈り…】〜〜〜〜については〜〜〜
“フ〜〜〜ン?”【ロダン…】で〜〜〜す。

それでは〜〜〜また明日〜〜〜まで〜〜〜♫

2502a hope:2013/08/21(水) 09:14:03 ID:edEDolt2

☆努力と練習の祈り

神さま、私は神の子であります。
神は無限能力であります。
私は神の無限能力を今ここに受けついでいるのです。
しかしその無限能力は、努力と練習とによって、いくらでも出てくるのです。
努力と練習もしないで力が出てきたらなまけ者になりますから、
神さまは努力さすために、りっぱな宝石は地の底深くかくされてあるのです。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2503rei:2013/08/22(木) 21:49:41 ID:ZIftZ1jM
「限りなく日本を愛す」より
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

天皇から叡智を引き出すのは国民の 天皇信仰による
 
 私は仮に反対論者の云うように「一時的の叡智の晦ましから国民を不幸に陥れることがある」としても、
天皇愛の感情から、それに従う純忠の精神が、損得によって離反迎合する商売主義よりも一層美しく価値
あると云いましたが、これは反対論者の提出せる仮定の下に仮に申し上げたのでありまして、私は国民が
天皇の叡智を完全に信じ全托する心境になるとき、天皇は決してその叡智を晦まされるものでないことを
信ずるのであります。真に生長の家の家族が、暴虐暗愚の家長(父又は良人)を完全円満なる神の子とし
て拝むとき、その暴虐暗愚の家長が至慈至愛の家長と変貌する実例によって、天皇に於いても国民全体が
天皇を本当に愛し敬し、その円満なる叡智と至仁なる政治を信ずるとき、天皇には必ず、国民全体の幸福
を実現する神ながらの叡智が発揮されるものであることを信ずるのであります。
 「天皇が国民の中で最高の叡智者であると云う証拠はない」これと同じ論法で、「良人が常に正しいと
云う証拠はない」「父が常に正しいと云う証拠はない」と云う常識的見解から(これは常識的や、現象を見
る見地からすれば正しいのであるが)良人を批判し、父に反抗し、そのために如何に多くの家庭が不幸に堕
つたか。又其の不幸に陥っていた家庭が、如何に多く生長の家の「実相を拝む」方法により、愛し敬し、そ
の円相を信じて委せる方法によって、その良人又は父が如何によくなり、家族自身の自由も却ってそれによ
って完全に確保せられるに到ったかは事実の証明する處であります。天皇に於ても此の事あるは當然であり
まして、「天皇が最高の叡智者であるという証拠はない」と云っている限りは證拠はあらわれないのであっ
てその実相の円満を観ずるとき、その叡智があらわれるのであります。家庭に於いてはこの種の実例を無数
にあげることが出来ます。国家も一つの「家庭」であります。

                  
202〜203頁より


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


誤字脱字、旧仮名遣いを直してしまったり、改行してしまいました。

現在の総裁の間違ったご指導をそのまま信ずるわけにはいきませんが、
(その違ったところは指摘して頂きたくてここを訪れております)
上記の谷口雅春先生のご文章は信じたいと思っています。
そうすると、こちら側の(信徒側)の信仰の問題ですね。

最後まで信ずる事ができるかどうかが問われている様に思います。
自分との対面なのだと思います。
厳しい道です。
できるかどうか、、、、不安です。

2504SAKURA:2013/08/22(木) 22:05:59 ID:pMLLKHKU
トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【引用含みます。…】
>>2500>>2501 の 投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――

■他の心を変える祈りは正しいか ・・・・・ その③

「そんなことはありませんよ。どんな有名作家だって、最初はみんな無名作家だったので
す。しかい、あなたが、そう信じている限りは、その通りになるのです。無名作家だった
ら載せてもらえないと信じていれば、信じている通りになるのだから、あなたはとても、
その原稿を採用してもらえません。一方で、そう信じていながら、片方では、“どうぞ神様
採用して下さい“と祈るのは、自分の信念が二つに分裂してしまっていることになるのです。

 “汝ら祈りて何事にても求むる時、すでにそれを受けたりと信ぜよ。汝はそれを得ん”と
いう風にイエスは教えられたでしょう。

 ところが、すでに受けたと信ずるどころか、とてもそれは採用されないと信じながら
祈るということは、信念がバラバラによろめいている姿であるから、そんなことじゃとて
も駄目ですよ」

 さらにマン女史は、言葉を一転して、こう言っているのです――

「あなたは何のために小説を書いたのですか。あなたが小説をお書きになったその奥底の
心の真なる願いというものは、一體どういう願いなんですか。その小説を売りつけること
が、あなたの願いなんですか。あなたが、本当に著述家になりたい、小説家になりたい。
私でなければ書けないところの材料をもっているんだ。それを書くことによって人生に何
か益を与えるとか、新しい美を加えるとか、新しい何か善きものを人生に加えるというよ
うな自信でもあって、お書きになったのですか?……」

 ここが非常に大切なところなんです。實際に、その天分があり、神様がその人に対して
小説を書くことによって人生に新たなる価値即ち値打ちを加えるというような使命を与えら
れている人であったら、無名作家であっても必ず世に出ることができるようになるわけなのです。

 ところが、ただ金を儲けたいための方便に小説を書いているんだったら、その小説の内
容も魂の底から本当に出てきたところの、生きた値打ちがないということになるわけです。
そんな生きた値打ちのないようなものは、やっぱり編集者が読んでみても、ちゃんと解るわ
けなんです。全て手段であるところのものは、真なる願いには遠いものである。手段手段
と言っているのでは、いけないのです。

 生長の家では、 ”今を生かせ“と言います。
                           つづく

PS:「トキ様」 「観覧者の皆様」へ
【祈り…】も〜〜〜全て【 心から真なる願い 】のスタートからになりますでしょうか??
今回の【マン女史…】の指導の過程を…見ておりますと?「過去のおさらい…」と申しましょうか?
最初の頃の【私の…願いの祈り】と?或る面では、重複してしまいます…。(冷汗)
やはり【 神は愛なり… 】この【愛…】と言う事に…強く“こころの動向…”を抱いている次第です。
「過去のおさらい…」をしておりますと、随分と今までとは違う『祈り…心模様』になったような
感じが致します…。個人的には?【生長?…成長?】しましたのでしょうか?
深く〜深く〜深〜〜〜く【心の真なる願い…そして“愛…”】でしょうか?【祈り…】に際して自問自答!
❤この事は【ジュリアの音信…】にも関連しますでしょうが〜〜〜♫

ではさらに続きを〜〜〜ではまた次回に〜〜〜〜!!

2505閲覧者99:2013/08/25(日) 21:44:08 ID:6vRtJMu.

 徳久先生『精神科学』より
http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533

2506a hope:2013/08/27(火) 06:28:37 ID:kcv2QXTk

☆歓びいっぱいの祈り

神さま、あなたがこの世界をお造りになりましたのは、
歓びの心でお造りになりました。
それですからこの世界には歓びが充ち満ちているのです。
太陽は歓びに輝いています。
新緑も悦びの色で燃えるようです。
小鳥も悦んでさえずっています。
私も歓びいっぱいで元気に勉強いたします。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2507SAKURA:2013/08/30(金) 20:28:42 ID:pMLLKHKU
トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編&引用編…】
>>2500>>2501>>2504  の 投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――

■他の心を変える祈りは正しいか ・・・・・ その④

 生長の家では、“今を生かせ”と言います。

 今の中に全てがある。その今に全力をこめることなのです。孔子が、“朝に道をきかば、
夕べに死すとも可なり“と言いましたが、聞くというのは、必ずしも耳で聞くだけじゃな
い。“聞く”というのは、生命で実践することです。耳だけでなく、眼が“利く”、鼻が
“きく”口が“利く”、“腕きき”という言葉もあるように、結局“きく”ということは、
生命によって実践するということなのです。

 今、本当に自分の真なる願いを実践したら――朝に道をきかば……道を実践したら――
夕べに死すとも可なり……一瞬でも、今本当に生命(いのち)を生きたならば、その一瞬の中に永遠
があるわけです。英語でいうと、eternal now という言葉がありますが、永遠の今です。
久遠の今です。久遠の今、永遠の今を生きたならば……一瞬の生き方であっても、そこに
無限を生きた感じがするものですから、吾々の腹の内部から、“でかした、でかした。よく
生きた“というので、もう死んでも良い、もう完全に生き切ってしまったという気持ちが起
ってくることができるわけなのです。だから、吾々は、手段の生活というものをしていた
らいけないわけなのです。

 今生長の家の理事をしておられる徳久克己先生が、岡山の医大を出てから、医大の研究
室で博士になろうと思って勉強しておられた頃のことを御自分で、こう言われたことがあ
ります。

 毎日、自宅から自転車に乗って研究室へ通われたそうですが、何のために通うかという
と、それは研究室で研究して博士になるための手段である。それなら博士になるのは、何
のための手段かというと、博士になれば値打が上がって開業でもすれば、余計儲かる。つ
まり金を儲ける手段として博士になりたいのである。金を儲けるのは、何のためかという
と、女でも……妾でも沢山こしらえて……と。
(勿論これは、生長の家に入る前のことです)

 全てがこうした手段、手段の生活だったというわけですが、その頃徳久さんは腸チフス
になって高熱を発して昏々として、頭が麻痺したような状態でねておられた時に、お母さ
んが、『甘露の法雨』を枕許で一心にお読みになっておった。それが、何か天国の音楽の
ように聞えたそうです。それから、不思議に快方に赴いたというので、興味をもたれまし
て、それから『生命の実相』をお読みになったわけなのです。

『生命の実相』をお読みになりましてから、“今を生きよ”という今の生命の一瞬の今に、
永遠の生命の値打が溢れたということをお悟りになりまして、何時ものように、自転車に
乗って岡山の医大へ通った。そうすると、それまで岡山の医大へ行く手段として自転車
に乗っているんだから自転車に乗っていても景色も何も見えやしなかった……

 ところが、一瞬一瞬が、“今を生きる”ところの価値生活――値打の生活というのに変っ
てしまったのです。

                            つづく
PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ 

【 手段=実践 】これが〜〜〜ポイント!!でしょうか??

>>「朝に道をきかば……道を実践したら――夕べに死すとも可なり……一瞬でも、今本当に生命(いのち)
を生きたならば、その一瞬の中に永遠があるわけです。」<< (抜粋)
◆―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆

一瞬!一瞬!が生きた事…生かす事…への日々が、それを“永遠…”に生かす!!
本当に、私の本当の望みを願う事は、一瞬!一瞬!【毎日の日々の“心…”を鍛える事】その心でしょうか??
まず!言葉から【道…未知なる世界)】が始まり、そこからそれに繋がる【実践…】のようですネ!!
まだ〜〜〜まだ〜〜〜私は甘えてる〜〜〜かも?〜〜〜ネ!
…このように思いましたが??

【 手段===>実践===>それが生活に生かす…しかもそれは“願いが叶う事”でしょうかと???】

                                再合掌

2508zhishishe:2013/09/01(日) 00:30:10 ID:oIevayCQ
http://www.zhishishe.com/topics/4713/

2509志恩:2013/09/01(日) 03:15:55 ID:.QY5jUA6
(谷口雅春【著】:『新版 生活読本』より)


 愉快な 生々した人になれ

何よりも吾々は 人らしい人 になることが必要なのです。

神の子の生活と云うのは 別に人を離れて 神の子の生活があるのではございません。 

それでは 人らしい生活と云うのはどういう生活であるかと云うと、
お釈迦さんは、「笑うべき時に笑わず、歓ぶべき時に歓ばず、
慈心(なさけごころ)を起すべき時に 慈心を起さず、悪をなして恥じず、善を聞いて意(こころ)につけない人は
確かに人らしくない人である。」

そして又こう云われた。
「笑うべき時に笑い、歓ぶべき時に歓び、悪をなして恥じ、善を聞いてそれを意に感銘する者は確かに人らしい人である。」

愉快に楽しく生々していることは、確かに人間にとっての美徳であるのである。美徳と云うのは美しい徳だと云うことである。
徳と云う字は「直心(じきしん)を行ず」と云うことを文字に組み合わせたものである。
直心と云うのは、素直にそのままの心を出すことである。

即ち笑うべき時に笑うことである。
歓ぶべき時に歓ぶことである。なさけの心を起すべき時に、素直に可哀そうだと思って救(たす)けてやることである。

歓びと云うものは、身体の血のめぐりをよくし、
勉強や仕事をする力を増し、悲観したり、気がふさいだりしている人にはとても及ばない良い考えを起させてくれるものである。
日本人は、古くから、「喜怒、色に現わさず」と云って、喜びがあっても喜ばない、怒りの念が起こっても其の怒りを
顔にあらわさないことを美徳としてきましたが、これは大変な間違いだったのです。

多くの病気は、心の中に持っている喜びや悲しみを形にあらわさないために起こるのです。
怒ることは感心しませんが、素直な気持ちで、何でも心に思っていることを出すようにしていますと、心にものがたまって
腐ることがありませんから、怒ることも自然になくなるのです。

何でも心を自由にしていると人間の実相は愉快なのが本当ですから、愉快に楽しくなるほかはないのです。

常にニコニコ微笑している者は身体も達者であります。
微笑とは「ほほえみ」です。

「頬」に何となく嬉しさの笑いが浮かんでいることです。
「ニコニコ健康法」を機会ある毎におやんなさい。

人間は愉快なときにも笑いますが、笑っていると愉快になるのです。笑っているとズンズン健康になってくるのです。

2510志恩:2013/09/01(日) 03:28:58 ID:.QY5jUA6
2509:
訂正  谷口雅春【著】→谷口雅春先生【著】

2511a hope:2013/09/01(日) 07:22:57 ID:dyDQLtZQ

「生命の實相」第11巻 万教帰一篇上 P18〜

○神いい給いけるは水には生き物饒(さわ)に生じ、鳥は天の穹蒼(おおぞら)の面(おもて)に地の上を飛ぶべしと。
神巨大(おおい)なる魚と、水に饒(さわ)に生じてうごく諸(すべ)ての生き物の類に従いて創造(つく)り、
又羽翼(つばさ)ある諸(すべ)ての鳥を其の類に従いて作り給えり。
神之を善しと観たまえり。
神之を祝し曰く、生めよ殖えよ、海の水に充てよ。
又鳥は地に殖えよと、夕あり朝(あした)ありき之五日(いつか)なり。
神言いたまいけるは地は生き物を其の類に従いて出(いだ)し家畜と昆虫(はうむし)と地の獣をその類に従いて出(いだ)すべしと即ち斯くなりぬ。
神、地の獣を其の類に従いて造り、家畜を其の類に従いて造り、地のすべての昆虫を其の類に従いて造り給えり、神これを善しと観たまえり。
(『創世記』第一章 ―― 二十〜二十五)

五官の心――感覚の心にとっては、われわれの住む世界は物質的なもの――いろいろの物質的元素の集合でできていますけれども、
それはわれわれの「迷いの心」を通して見る「影の世界」でありまして「実在の世界」ではないのであります。
これを「実相覚」(自己に宿る生命の実相と、客観の実相とが直接的に触れて知る直接的なサトリ)によって観ますと、
この世界は、神の言葉によって成り立っている観念の世界であります。
いわば「神」という一大光源から放射された光で成り立つ世界であります。
一つ一つの生物(いきもの)はその一つ一つの光線にも比(くら)ぶべきものであります。
水の中を自由自在に泳ぎまわる魚(うお)その他の生き物が最初に神から放射された生命の観念であったのは、生命というものは本来自由自在なるものである。
それはどんな抵抗があっても、その抵抗を利用してかえって前進して行くものである、水というものは実に強い抵抗力を有している、
ことに深海の底深く這入って行くと、その水の重さからくる圧力というものは非常に強いものである。
ふつうの人間が入って行けば、その水の圧力で押しつぶされてしまう。
潜水服をつけて深海に入って行っても、十分間以上はとても作業を続けることができないといわれるほどのものである。
(つづく)

2512a hope:2013/09/02(月) 07:37:13 ID:dyDQLtZQ
>>2511つづき)

「生命の實相」第11巻 万教帰一篇上 P19 6行目〜

これだけの抵抗、これだけの重さ、これだけの圧力を受けても、海の魚は自由自在に泳ぎまわる、どんな重さも苦にならない、どんな抵抗も悩みにならない。
岩があってもヒラリヒラリと燕のように身を翻(ひるがえ)して泳いで行く。
水の抵抗や、水の重さというものがあるので、かえってその中に住む「生命」はその自由自在な本性を発揮することができるのであります。
「生命」とは、ひっきょうかくのごときものである。
そこで、その本性の自覚がまず形象(かたち)に化せられて海の魚となって出現したことは当然のことであります。
形象(かたち)に化してあらわれるといいましても、これはまだ物質世界以前の実相の世界のことでありまして、
そこには完全な調和があり、決して魚類相食むというような不調和な世界ではなく、
「食ありといえども、実に食するものなし、ただ色を見、香をがぎて、意(こころ)に食すると思えば自然に飽き足る」底(てい)の完全大調和の世界であります。
だから神がこれを観て善しと認めたまうたのであります。
次につくられたところの地の上から天の大空へと天翔(あまかけ)る鳥というのは、生命の自由自在であって水の中の魚のように、
ヒラリヒラリとどんな重さも、どんな抵抗をも潜り抜けて前進するだけのものではなく、なおそれ以上に高くのぼるという本性がある。
最高神に対する憧憬(あこが)れ、地的なものだけでは満足できない天的な向上心がある。
この憧憬心(しょうけいしん)と向上心との自覚の観念が形に化して出現したのが空を自由自在に飛び廻るもろもろの鳥である。
「生命」というものは、たんに自由自在なものだえけではなく、また高きに憧憬(あこが)れがあるだけでなく、それと同時に偉大さをも備えているのであります。
この偉大さの自覚の観念の象徴として「巨大(おおい)なる魚」がつくられている。
この「巨大なる魚」というのは、英訳の聖書を見ますと〝Whale〝 すなわち「鯨(くじら)」と書いてあります。
鯨は生命の偉大さの象徴化されたものとして適当なものでありましょう。
(つづく)

2515a hope:2013/09/03(火) 07:09:42 ID:dyDQLtZQ
(>>2512つづき)

「生命の實相」第11巻 万教帰一篇上 P20 後ろから4行目〜

生命とはこうして自由自在なものである。低きに満足できないものである。しかも偉大な巨大なものである。
しかしまだそのほかに、生命は一にして多、多にして一、その種類において、
大(おお)いさにおいて、色彩において、形態において無限の豊富さを備えていなければならぬ。
大いさとか、色彩とか、形態とかいうけれども、それは物質ではない。神から放射された観念なのであります。
それは無限の豊富さをもっているけれども、その一つ一つは互に完全に調和している。
この世界が「実相の世界」であります。
神と「神より出でたる観念の世界」これのみが「実相の世界」で、唯一の「実在の世界」なのであります。
この世界のほかに「実在の世界」はない。この世界の生き物はすべて美しく、愛すべく、調和した生き物であります。
ひとつして下等動物だとか、低級なものだとかいって軽蔑するべきものはない。
どんな微細な生物もそれ自身において完全であり調和しており、霊妙な生きる力をもっているのであります。
この世界は「神より発した第一念の世界」だというべきでありましょう。
こうして神から発した第一念の世界に住む生物が夢を見る、自分自身が神より発した純粋観念であり、
だから霊的実在であることを自覚せずに、「形あるゆえに自分は物質だ」と第二念を起こして夢を見る。
この第二念の描かれた夢幻の世界、これがわれわれの住んでいる現実世界であって、第一義的実在世界ではないのであります。
それを「実在の世界」だと迷って執着する。
執着するところに苦しみが生じて迷いは迷いを呼び、ここに現実のごとき争闘の世界、生存競争の世界が現出したのであります。
(つづく)

2516a hope:2013/09/04(水) 08:03:17 ID:dyDQLtZQ
>>2515つづき)

「生命の實相」第11巻 万教帰一篇上 P21 後ろから2行目〜

神はその第一念によって実相の世界、大調和の世界、円満具足の世界、
一にして多、多にして一、自他一体の渾然たる霊的実在の世界を創造し給うたのであります。
この神の創造したまえる世界のいっさいの事物は、猛獣のように強いものであっても、
強いなかに必ずやさしさがあり愛があり、美しさがある。
虎や獅子を見ても、その勇猛なうちに美と優しさとを備えているのであります。
もし、われわれ生物が、第二念に捉われない時代が来れば、
預言者イザヤが次のように歌ったような理想世界が実現して来るのであります。

狼は小羊とともに宿り
豹は小山羊とともに伏し
獅子は牝牛のごとく藁を食い
犢(こうし)と若獅子とはともに草を食まん。

牝牛と熊とはともに子供に導かれ
食をともにして相ともに戯れん。
乳呑み児は毒蛇の窩(あな)の上を匍匋(はらば)い
乳離れの子は手を蝮(まむし)の窩(あな)にさし入るるも傷つかざらん。

わが聖(きよ)き山にはいずれの処にも
傷つくる者なく、殺す者なし。
そは海原を水の蔽(おお)えるごとく
大いなる神の知恵この地上に満つればなり。(『イザヤ書』第十一章――六〜九新訳)
(つづく)

2517閲覧者99:2013/09/04(水) 12:02:58 ID:aLdANEEo

 『實相研鑽』第一集 生長の家の健康学
http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/

2518a hope:2013/09/05(木) 07:48:05 ID:dyDQLtZQ
>>2516つづき)

「生命の實相」第11巻 万教帰一篇上 P23 4行目〜

こんな理想世界が果たして来るのであろうかなどと疑われる方もあるかもしれませんが、
来るとか来ぬとかいうことは、われわれの第二念の世界(映像(かげ)の世界)だけのことでありまして、
神の第一念の世界(実相の世界)においては神の創造の最初から無限の未来を通じて現在にこの理想的大調和の状態にあるのでありまして、
これからいろいろ工夫し改善されて来るというような緩慢(まだる)っこいものではないのであります。
今現に実相世界は完全に大調和の状態にある!
これを悟ることが真理を悟るということなのであります。
この完全な大調和な理想世界が今現にあるということを悟らないで、歪な「迷いの色眼鏡」をかけて眺め、
いたずらに相争い、相犯し、相恐れるものでありますから、真理の光線が屈折して、まん円(まる)いものも、
歪な形を映し出しているのがこの現実世界であります。
結局、これは「迷いの色眼鏡」をかけているがためでありますから、真理の正しい眼鏡をかけて事物を眺めるようにするならば、
実相世界はそのままの大調和の状態がこの映像(かげ)の世界(現実世界)に現出するのであります。
キリストは「み心の天に成るがごとく地にも成らせ給え」と祈られました。
この祈りは天(すなわち霊なる実相の世界)にはすでに神意が実現して大調和の状態にある証拠でありまして、
「実相の世界」がすでに大調和の状態にあるがごとく、現実世界もまた大調和の状態を現出せしめたまえと祈られたのであります。

釈迦は『弥勒菩薩下 生経』において末法の世が過ぎ去れば弥勒菩薩が下生して来たまい現象世界にも
大調和の世界が実現して来るということを予言していられるのであります。
これはキリスト教で予言されているキリストの再臨ということにあたるのでありましょう。
しかし、肉体は「念の映像(かげ)」でありますから、肉体をもった弥勒菩薩が下生して来られるとか、
肉体をもったキリストがこの地上に再臨し給うとかいうことは、真実(ほんとう)ではありますが、
「映像(かげ)すなわち肉体の世界」に捉われず、常に「実相の世界」を観たとき、
現実の世界の不調和が忽然としてわれわれの眼界から消え去るのであります。
そのさまはちょうど『黙示録』の第二十一章に書かれております。―――

○我また新しき天と新しき地とを見たり。
これ前の天と地とは過ぎ去り、前の海も亦(また)なきなり。
我また聖なる都、新しきエルサレムの、夫のために飾りたる新婦(はなよめ)のごとく備えして神の許をいで、天より降るを見たり。
(『ヨハネ黙示録』第二十一章 ―― 一〜二)

このように新天新地というものは天から降って来るのであって、現実世界だけにいろいろ改造運動を施してでき上がるものではないのであります。
天から地へと降って来るというのは「実相の世界」から「現実世界」へ映って来ることをいうのでありまして、
完全な「実相世界」そのままの相を「現実世界」へ映し出すには正しいレンズがいる。
この正しいレンズとはなんであるかといいますと、真理を悟った心――すなわち「サトリを開いた心」であります。
われわれが真理を知り、サトリを開いたときに、忽然「みこころが天になるがごとく地にも成る」
――すなわち新天新地が「実相の世界」から天降って来るのであります。
そのときに初めてわれわれは、「神と人とが一体であり、死もなくすべての悲しみもないのが人間の本来である」ことがわかるのであります。
(以下、略 謹写終わり)

2519a hope:2013/09/08(日) 08:04:22 ID:dyDQLtZQ

☆ 幸福の祈り

私は神の子である。神は私を愛したまう。
私は父母の子である。父母は私を愛したまう。
〝神さま〝 ととなえるとき私はうれしくなる。
お父さんと呼ぶとき私はお父さんの愛を感じる。
お母さんと呼ぶとき私はお母さんの愛を感じる。
私は、神と父母との愛につつまれて幸福である。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2520a hope:2013/09/09(月) 08:02:36 ID:dyDQLtZQ

p66

人の喜びをうらやむ者は
 常に苦しいものですが
人の喜びを喜ぶ者は
 楽しいばかりであります

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2522SAKURA:2013/09/09(月) 22:16:24 ID:j7IGF7Cw
トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編&引用編…】
>>2500>>2501>>2504>>2507の投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――

■他の心を変える祈りは正しいか ・・・・・ その⑤

 すると今まで気がつかなかったところの、お空に漂っている白い雲と
か、或いは、その辺の野原に生い繁っている草花であるとか、林の樹木であるとかが、非
常に美しいものになって、“ここに今天国浄土がある”ということが自覚できるようになっ
たというのであります。

 “今を生きる”ということは、そのように時々刻々瞬々の生命(いのち)の中に、本当の
値打ちを見出し、美を見出し、そして生き甲斐を見出すという生活になるわけなんです。

                             つづく

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ 
■【今!一瞬を生かす……生活感】が〜〜〜人間としての“使命”にも思えます。
そして、今日の乱れた「広告…」は、何の生きがい?意義?があるのでしょうかと。??
未来ある「若者…達」に■【人生の生きる重要感…】は、「肉体美ではない!!…」と教える事が、
大事ではナイのでしょうかと、思います。
あくまでも…時の流れが醫瞬の中に於きまして【泡の如く消えて行く人生…にならず!!
生かす事!!…人生を生かす!!…生活を生かす!!】この“道理”・“価値観”が大事なのですかと。
肉体美はいずれは〜〜〜滅ぶモノ?見た瞬間に?泡の如く消えゆくモノです。

■【こころに残る瞬間…】とは、『オスカーワイルド…』でも
“愛”…人を生かすやさしの“愛”!!これは「今を生かすことへの道=道徳」にも入って行くように思えます

やりたい放題の自由・肉体は?いずれは滅ぶもの…その「執着心…」は【地獄の切符…】にもつながるよう
にも思えますが!!

あくまでも【宗教観…】とは【人間の律を正しい心へ導くもの】と思います。…が?
今!を生かす一日〜〜過去を振り返ってみて、どれだけ生かしきれているか????唯今!自問自答です。

再合掌

2523SAKURA:2013/09/09(月) 22:18:42 ID:pMLLKHKU
トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編&引用編…】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522の 投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――

■最後の目的とする真実の願い・・・・・ その①

 さて、マン女史を訪れて来たところの小説を書いた、その婦人の本当の真なる願いとい
うものは一體何であったかと言いますと……よくよくその話を聞いてみると、その人は自
分の現在の家庭生活が面白くないので、その生活から逃れたいという希望をもっておった
わけなんです。

 というのは、その婦人は弟夫婦の家に同居しておりまして、弟夫婦の厄介になっている
ということが、非常に劣等感と言いますか、屈辱感になっていたのです。それで、お金を
儲けて弟夫婦の家庭に居候している生活から、どうしえも逃れたい。それで、お金を儲け
たい。そのために小説を書きたいということえあったのであります。

 そこで、マン女史は“小説家とか音楽家とか、或いは彫刻家とか詩人であるとか……特
殊天分を与えられている婦人は別として、大體、普通の婦人の願いというものは、愛と
平和と調和に充ち満ちた、日常生活に必要な凡ゆるものが豊かに与えられている家庭生活
をもちたいというのが、魂の底なる願いである“ということを指摘されたのであります。

そして、
「そういう願いこそ、あなたの真なる願いなのですから、そんな小説などを書くよりも、
愛と平和と調和に満ちて豊かな恵みをもつ幸福な生活を祈るようにしたらどうですか?
そういう生活ができるなら、あなたはどんな職業をしても良いんじゃないですか?」と
訊いてみたのです。その婦人は、こう答えたのです。
「そういう生活が得られるのなら、どんな職業でも良いけれど、唯一つ嫌なのは、家政
婦みたいな仕事です」

ここに、この婦人の第二の躓きの石がある。マン女史は、こう書いています。

――吾々があることを神に祈ったならば、その祈りの波長に合うところの事物が、例え
ば放送のプログラムのように、神の定め給うた順序を追うて現われてくる。一遍に、その求
めた願うところのものが、パッとその人の前に必ずしも出てくるとは決っていない。それ
には順序がある――

 例えば、富士山なら富士山の頂上へどうぞ登らせて下さいとお願いしたとすると、友達
が旅行に行こうと誘ってくれて、まず富士山の麓の御殿場なら御殿場へ行く。その時に
“私は御殿場みたいな処へやってくれと言ったんじゃない。富士山の頂上へやって下さい
とお願いしたんです“と言って、自分の眼の前に出てきた御殿場を有難く思わない。有難
く受けないことは、その次の善きものを受ける準備ができないという結果になるわけです。

                         つづく
PS;「トキ様」 「観覧者の皆様」 へ
【祈り…】も、やはり〜〜〜思いますには【心の準備期間…】があるようなのですネ??
この意味が、ようやくわかりかけてきました。・・・が?
…ですので、今!【成就が不能の場合〜〜〜?】は??逆にいいますと?
【心の受ける準備…】が出来ていないわけなんです〜〜〜ョネ!!
では、そのためにモット〜モット〜「神様…」にその準備を導いていただかなくては〜〜〜(笑い)

                                     再合掌

2524a hope:2013/09/10(火) 09:34:24 ID:dyDQLtZQ
 
▣ 父母に感謝の祈り

神さまありがとうございます。
常に私たち家族をお護り下さいまして家族皆々健康で幸福でございます。
お父さん、お母さん、ありがとうございます。

お父さんとお母さんの愛は、目に見えない神さまの愛が、
人間という形にあらわれて私たちを愛して下さるのでございます。
神さまありがとうございます。
お父さん、お母さんありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2525a hope:2013/09/11(水) 07:38:33 ID:dyDQLtZQ

▣ 感謝の祈り

神さま、あなたは太陽となって私たちに光と熱とを適当に与えて下さいます。
空気も、水も、食物もみな神さまの御生命(おんいのち)のあらわれであります。

だから空気を吸い、水を飲み、食物をいただくことによって私は、生命を得(う)るのであります。
天地すべてのものに感謝いたします。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2526a hope:2013/09/12(木) 08:25:41 ID:dyDQLtZQ

▣ 明朗精神の祈り

私は″神の子″である。
神は常に楽しいのであるから、″神の子″たる私も常に楽しいのである。
過去の悲しいことや、腹立つようないやなことがあっても、
そんなことはみなじょうずに忘れてしまうのである。

″日まわり″の花が光の方へ常に向きがかわるのと同じように、
私は明るいことばかり考え、明るいことばかりを思い出して楽しいのである。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2527a hope:2013/09/13(金) 07:15:06 ID:dyDQLtZQ

▣ 善き言葉の祈り

私は神の子である。
神の子であるから、神の子らしくない悪しき言葉、乱暴な言葉、腹立つ言葉、
人の悪口を言う言葉などはけっして使わないのである。

私は善き言葉のみを使う。
悪く批評せねばならぬ時にはだまっていて語らない。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2528うのはな:2013/09/14(土) 11:19:44 ID:Q5x361sg
      心臓の動悸に和解すること

 心臓の動悸が激しくて、始終それが気になって何時、心臓麻痺で死ぬかも知れぬと恐怖心に悩まされている
婦人が私に指導を求めて態々大阪からたずねて来たことがあった。その婦人は「大阪教化部駐在の栗原保介先生に導いて
貰って子宮疾患と糖尿病と何やらとは治ったが、心臓のドキドキだけはどうしても治らないので、谷口先生に直接指導を受けたら
治るだろうと思って来た」というのである。

 私はつくづくその婦人の顔を見てから、「あんたの心臓のドキドキを治してあげたいと思うけれども、心臓のドキドキをとめたらあんたは
死んでしまうから、治す訳にゆかぬ」といった。その婦人は「栗原先生は、心臓のドキドキを気にかけるからいけないので、そんなものは忘れてしまいなさいと
いわれるのですけれども、忘れようと思うほど思い出して気にかかるのです」というのである。
その時、わたしは声をはげまして、
「あんたは心臓のドキドキのお陰で全身に血がめぐって生きているのですよ。それを忘れようとは何事です。そんな恩知らずの事を考えるから、心臓は憤慨して
〝今もこのように一所懸命に血をめぐらしているんですよ〟だから、一分一秒間と雖も、心臓のドキドキを忘れてはならない。出来るだけそれを思い出すようにして、
〝今も心臓がドキドキして血をめぐらしてくれているのである。ありがとうございます。ありがとうございます〟と思い出す毎に感謝するようにしなさい」と言った。

 すると、その婦人は、翌日私を訪れて「心臓のドキドキはお陰でなくなりました」といって感謝せられたのであった。
この婦人は「心臓のドキドキに和解した」ために、病気が消えたのであった。

 『愛はかくして完成す』p121−122  谷口雅春 先生著

2529うのはな:2013/09/14(土) 15:49:29 ID:sMmtx8Ho

 佐藤栄作首相閣下

 大学生の現体制破壊行動は、国際・国内の共産主義者の示唆や扇動に動かされたからではありますが、
彼らが、その扇動に動かされるような心境にならざるを得なかったのは、現在の自民党政府が、生命を尊重する掛声だけをして、本当は
毎年三百万人も殺されている胎児を見殺しにして顧みないようなウソツキであるからであります。

 ゲバ学生を権力や、自衛隊や、機動隊で「外から押えること」には成功しても、「内から破壊衝動を抑える権力機構との激突となって多数の死傷者を
出すことになり、根本的解決にはなりません。「内から破壊衝動を抑える政策」というのは、第一のものを第一にすることなのであります。
破壊衝動の起る根因を絶滅することなのです。

 〝内〟が鎮まれば〝外〟も鎮まるのです。その〝内〟を鎮めるということは何であるか、あなた様はまだお気づきになりませんか。
現在日本の大人が「昭和元禄」と形容されるくらうの贅沢繁栄の生活をいとなむことのできているのは、毎年三百万人の胎児を虐殺して堕胎するという非人道的犠牲の上に
成り立っているのであります。霊魂の存続をみとめない唯物論者には理解できないかも知れませんが、あなた様なら解っていただけると思うのであります。
おのおのの受胎した霊魂たちは、神から、地上において果すべき使命を受けて宿って来たのであります。

 その胎児の地上生活を断ち切って殺してしまうことは、受胎せる子供の霊魂に対して重大な侵犯を冒すものであります。
そこには民主主義はありません。強制的殺人があるばかりです。弱肉強食主義があるばかりです、そこには道義の確立はありません。
自分さえ快楽を貪り裕かであればよいという御都合主義の利己主義があるばかりです。
物質的繁栄や享楽のために生命を殺すことを何とも思わないのは単に利己主義であるばかりでなく、強盗殺人行為f¥であります。
それを放置されるのはあなたの責任であります。

『占領憲法下の政治批判』  谷口雅春 先生著

2535a hope:2013/09/15(日) 08:13:20 ID:dyDQLtZQ

▣ 素直な祈り

神は素直を好みたまう。
ハイの精神こそ日本精神であるのである。
神は私の″良心″として、わたしのうちに宿っていられるのである。
その″良心″のささやきは神さまの命令である。
だから私は″良心″のささやきに素直にハイとしたがうのである。
けっそて″良心″がとがめるようなことはいたしません。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2539SAKURA:2013/09/15(日) 22:06:49 ID:pMLLKHKU
トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523 の 投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――

■最後の目的とする真実の願い・・・・・ その②

 ところで、その婦人が家政婦的な仕事は嫌だと言ったのは、何故であるか。マン女史は、
その婦人の精神分析をして、こう解釈しています。

 ――それは、弟夫婦の家に居候して家政婦的な仕事の手伝いをさせられているからであ
る。そういう仕事をしている自分に対して非常な自己嫌悪を感じている。屈辱的を感じて、
自分で自分を軽蔑している。そして、自己嫌悪に陥っている自分を憎んでいるから、従っ
て弟夫婦をも憎んでいるのである。

 大体人が他の人を憎むのは何故かというと、自分自身を自己嫌悪して、自己の惨めさが
あまりに耐えられないので、自分が惨めな状態にいるのは、あの人が悪いからだと他の人
の原因に転嫁しようとしているからなのです。惨めな状態にあるのは、自分が悪いのだと
素直に認めれば良いのですが、それでは余り自分自身が惨めなので、自己嫌悪し自分を憎
む心を他の人のせいにして、あの人が悪いから私はこういうことになったと思って人を憎
むことになる。

 つまり、その婦人は弟夫婦の家政婦的な仕事を居候としてさせられているのは、自分の
心の姿が現われているのだと認めるのが嫌で、弟夫婦を却って憎んでいるわけです。

 自分が悪いのではない。弟夫婦の家族を助けてやる為に自分の青春を犠牲にしているの
だと考えて、“弟夫婦を憎み“こんな家政婦的な仕事は絶対に嫌だ”などと考えるようにな
ったのである――マン女史は注釈しているのです。
 ❤〜 つづく

2541a hope:2013/09/17(火) 08:53:50 ID:dyDQLtZQ

▣ 愛行の祈り

神は常に愛を実行していられるのである。
神の愛によって万物は育ち生長する。
その神のいのちを私たちは宿して″神の子″ として生まれてきたのであるから、
私も常に愛を実行するのである。

愛とはすべての人に物に事に深切なことである。
私はすべての人に物に事にいきとどいて深切をつくすのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2542かぴ:2013/09/17(火) 10:59:41 ID:kJa/VU7Q

「与えよ、さらばあたえられん」が我々が幸福を得るための黄金率である。それを「与えたら一層大なる御礼が来る」というふうに物質的にのみ考えては間違いである。「与える」ということによって得られる幸福は、「与えている」その行動と同時に感じられるところの、何処から来るともわからぬ言いようのない祝福感である。これは必ずしも「行動と同時」だけではなく、「与えよう」と創造したときからその祝福感はあらわれ、与える実践によってその祝福感は高潮に達し、与え終ってからも長く心の中に反芻するようにその余韻をひいて其の人の魂を悦ばしめるのである。

「人生を見つめて」 谷口雅春先生著

大熊先生が「奇蹟の事務所」を開いてから、支援する多くの人に素晴らしい奇蹟が起こっているそうです。

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151

2545a hope:2013/09/18(水) 08:46:15 ID:dyDQLtZQ
 
▣ 愛行実践の祈り

神は″神の子″たる私に、無限の力をあらわすことを教えたまう。
神は私を″神の子″として、神の無限の力を受けつぎ、
その力をもって人を幸福にするための深切愛行を行わしめたまうのである。
神は人に深切をし、愛行をし、人々を幸福にするために無限の力を私に与えられたのである。
人に深切をし、愛行をし、人々を幸福にするために無限の力を私に与えられたのである。
人に深切愛行をする程度にしたがって、私の力はふえてくるのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2548かぴ:2013/09/18(水) 19:11:21 ID:kJa/VU7Q

吾々は「与える心」を起こさなければならない。「与える者のみ与えられる」のであります。

吾々は「物」をもっていなくても、「愛」を与え「親切」を与え「感謝」を与えることが出来るのです。

与える者は、かならず与えられて、豊かな人生を送ることが出来るのであります。

(谷口 清超先生著「愛と祈りを実現するには」)

2551a hope:2013/09/19(木) 09:14:49 ID:dyDQLtZQ

▣ 父母へ感謝の祈り

私は神の子として、神の生命が父母を通して生まれたのである。
私がいくら神の子であっても、人間の父母を通して生まれなかったならば、万物の霊長として、
生き物のうちで最も美しく最も知恵があり最も幸福な生活のできる人間には生まれることができなかったのである。
お父さん、お母さん、ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2553かぴ:2013/09/19(木) 18:12:51 ID:kJa/VU7Q
「あいつは悪い、あいつは悪い」と念ずることは、その思念の力によってその相手の人をして益々悪くならせることになるのである。

念ずれば念ずるとおりにあらわれるのが心の法則であるからである。正義によって憤ると云うことは、「彼は間違っているから、善くしてやりたい」と云う希望から成されるのであるから、「彼は本来あんな悪いことをする人間ではない。善い人間である。だから今後は善い事ばかりをする」と念じてやるべきである。

彼をよくしてやるのは説教ではなく、愛である。

(谷口 雅春先生著 「幸福を招く365章」 )

2554SAKURA:2013/09/19(木) 21:45:00 ID:pMLLKHKU
トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539 の 投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――

■最後の目的とする真実の願い・・・・・ その③

 マン女史は、人生問題について相談に来た人の心の奥底を探るために、ある方面を使っ
ているのです。それは、その人の宗教的及び教育方面の訓練、又は教育を詳しく履歴書に
書かせると同時に、感情の歴史とでもいいうべき憎しみ、恐怖、満たされざる願い、希望、
野心等を詳しく書かせるのです。それを見ると、その人の魂を貫いているところの感情生
活の主流が、どの方面に傾いているかということが解るのです。

 生長の家の個人指導部でも、ケース・カードというものをこしらえて、それに類するこ
とをしておりますが……

 その婦人にも、これを書かせてみましたら、彼女が非常に子供に愛情をもっていること
が解った。その告白によると、弟夫婦は彼女を養ってやらねばならないので、生活費の節
約のために子供を生むことを遠慮していることを彼女も薄々知っていたので、それが厄介
になっている自分を自己嫌悪させる一つの原因になっていたことも解ったのです。

 この婦人は決して小説書きになりたいのではなかった。彼女の「女」としての真なる願
いというものは、子供達を愛をもって世話する仕事がほしいのであったというわけなので
す。金を儲けるために小説が採用されますようにという願いは、手段としての願いであ
る。小説が採用されるとか、金が儲かるとか云うのは、それは手段であって、最後の目標
は何であるかというと、愛と平和と調和に満たされた善き良人と善き子供のいる暖かい家
庭を欲しているのが、一般に「女というもの」の本当の願いであるのです。

 それを欲するならば、その本当の願い、真なる願いを直接に祈って求めれば可いのであ
る。その本当の願いを求めないで、途中の手段としての小説や金儲けを求めるからいけな
い。最後の目的とする「真實の願い」と云うものを本当に祈って、神様の智慧と一致した
ら、途中のことは適当に神様が順序をこしらえて下さるのだとマン女史は訓えたのです。

                        つづく

2555a hope:2013/09/20(金) 07:41:53 ID:dyDQLtZQ

▣ 家庭祝福の祈り

わが家は″神の子″の家である。
わたしの家族はことごとく″神の子″ばかりである。
わたしの家庭には神の愛が充ち満ちているから、みんな調和して仲がよいのである。
わたしの家庭には神の知恵が充ち満ちているから、みんな調和してまちがいをすることはないのである。
みんな″神の子″であり健康で善い人ばかりである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2556SAKURA:2013/09/22(日) 21:56:58 ID:pMLLKHKU
トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>> の 投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――

■最後の目的とする真実の願い・・・・・ その④

 そこで、この婦人は、マン女史のすすめに従って“子供達を愛をもって世話することが
できる仕事を与えたまえ“と祈ったのであります。そうしますと、間もなく、その祈りは
きかれて、二人の子供をもった若い検事の家に子供の世話係りとして雇われることになっ
たのです。矢張り女の人は、子供の世話をする愛情の表現のある仕事というものに、非常
に価値を感じ、生き甲斐を感じるものなのです。

 そして、そこで働いているうちに、その検事の宅に出入りする法律家とが仲良くなり、
終いにはその法律家と恋愛関係になって、やがて結婚して本当の魂の願いである愛と平和
と調和との良き良人と善き子供に囲まれた、婦人として、女として真なる願いを満足す
る境遇に入ることができたという話であります。

 皆さんも、女として真なる願いを直接的に求めることにして、“既にそれを与えられて
おります。“有難うございますと毎日感謝しておられましたら、やがて、それが実現して
くるということになるのであります。
                            つづく

PS:「トキ様」 へ ・ 「観覧者の皆様」 へ
私も、やはり!いささか【心のふらつき?】が多かったようにも、この事を反省しております。
モット〜モット〜「神 様」に甘えていかなければ〜〜〜♫ と?深く思うのです。
まずは【祈り…】の捉え方が〜〜〜まだ〜まだ〜【 “我”は ?? われに?? 】でしょうか?

もっと【心の法則…】に従いまして「神 様」へ〜〜〜
【授ける“心…”!!お任せの“心…”】このように展開していける自分自身の【 心…】かと。

すべては「神 様」に向けて、私の“心…”は、アケスケニ〜〜〜“素直な心…”でもって行く感じで
ひたすら「神 様」に向けて【祈り…】ましょうかと。
まだ!まだ!【成就できない…願い】この意味が?「マン女史のお話」で〜〜〜
実に!ほんのり〜♫ ほんのり〜♫ と、解りかけてきましたでしょうかしら〜〜〜ン!!
今回!切なる心の奥底からの“願い…”で【病気が治る】事は、『神様の御心』に叶いましたのでしょうか?

■まだ!まだ!修行中の“心…模様”なので〜〜〜す。
モウ〜〜〜モウ〜〜〜【真剣に!益々と!神様と神地一体!!】です。
                                        再合掌

2557かぴ:2013/09/24(火) 10:56:53 ID:oEnYKIyI
過去の不幸を心の中で繰返すな。過去は既に過ぎ去ったのであり、未来は自分の心の中にあるのである。朝々が新生である。新たなる人生があなたを訪れるのである。未来はあなたの掌中にある。

夜の帳はあなたの過去のすべての嘆きを拭い去ったのである。この朝、あなたは新生したのである。新しき機会があなたを訪れる。これこそが真理である。

昨日までの一切の不幸を嘆くな。一切の病弱を、一切の貧苦を。それは過去のあなたの想念の影に過ぎなかったのである。

過去は、あなたが心でそれを捉えない限りはあなたを最早や苦しめることは出来ないのである。

過去を捨て、現在に生きることが光明生活の極意である。今ここにあなたが、人々の幸福のために何物かを与えれば、未来にあなたの幸福が実って来る。あなた自身が未来を創造りつつあるのである。

(  谷口 雅春先生著 「幸福を招く365章」   )

2558a hope:2013/09/25(水) 08:11:50 ID:dyDQLtZQ

▣ 悦び無限の祈り

神はこの世界を、歓びの心をもっておつくりになりました。
太陽も月も星もことごとく、神の悦びの感情の表現であります。
神の悦びの最高のきわまりの時に、人間は生まれたのであります。
それゆえ、私は常に悦びの感情に満たされております。

私は何を見ても神の悦びの芸術に見え、何を見ても神の悦びの言葉にきこえるのです。
悦びは悦びを呼び、毎日私の悦びはふえるばかりであります。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2559かぴ:2013/09/25(水) 10:25:24 ID:oEnYKIyI

すべてのものは先ず心の世界に発生し、それが形にあらわれてまいります。

よき意味の歌を合唱又は斉唱しますと、その合唱又は斉唱の際に於ける精神統一の刹那に、そのよき想念が、潜在意識界に根をおろし、やがて芽を吹き、実を結ぶのであります。

潜在意識の奥底は、深く宇宙意識のの創化作につながっており、潜在意識に印象したことを、宇宙意識が実現してくれるのであります。

( 谷口 雅春先生著 「幸福生活論」   )

2560かぴ:2013/09/25(水) 10:28:34 ID:oEnYKIyI

×創化作→○創化作用 (失礼しました。)

2561a hope:2013/09/26(木) 09:35:11 ID:dyDQLtZQ

▣ 歓喜の祈り

神は神罰の神ではありません。
神は、歓びの神であり、幸福の神であります。
その歓びの神、幸福の神の子が私であります。
したがって、私はつねに幸福であり、歓びであります。

私は常に愉快なうれしい顔をしておりますから、
人から好かれるのであります。
私は常に、ニコニコしています。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2562かぴ:2013/09/26(木) 18:09:49 ID:oEnYKIyI

すべての人間は神の子であり、互いに兄弟であるから、互いに理解されることを望んでいるのである。

愛されることと理解されることと、この二つを失った人は真に孤独であり、寂寥感に襲われずにはいられないのである。

しからば愛と理解とを失って、この世に生きる希望を失った人々は如何にすべきであろうか。

愛と理解とを与えられることを求めるな。先ず愛と理解とを与えてあげることを試みよ。人々を愛せよ。憎い人でも愛せよ。

愛すると云うことは必ずしも感情ではない。その人のためになることを隠れて熱心にしてあげよ。本当に愛が湧いて来るに違いない。

( 谷口 雅春先生著 「 新版 幸福を招く365章 」)

2563SAKURA:2013/09/26(木) 21:08:24 ID:pMLLKHKU
トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2556 の投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   

■ 肉體・性別は人生劇場の舞台の姿・・・・・ その①

 最近、私は朝日新聞に載っている井上靖の『潮』という小説を読んでいます。この人の
小説は、非常に人情の機微を穿っているので、私は井上靖の小説が好きなのであります。

 この小説の中に伊沙子という女主人公が出て来ますが、彼女は光一という戦災孤児の少
年に、夜学へ行くための学資を一度供給してやったことがある。少年が何かの問題で警察
へ引っぱられた時、警察へもらい受けに行ったりする。ところが伊沙子の良人は、そのこ
とに余り賛成していない。

 けれども子供のいない伊沙子には、子供を愛したい願いというものが矢っ張りある。良人
に内緒で少年に白いセーターを買ってやったりするが、少年は、このセーターに同僚(少
年は会社で給仕をして昼間働いて夜学に通っている)からインクをつけられて、喧嘩をす
る。この時も警察沙汰になって、伊沙子が又貰い下げに行くのですが、家へ連れて帰ると
良人が嫌うので、この時には鳥巣という音楽家の家へ少年を預けるのです。

 鳥巣という男は、前に伊沙子に恋愛遊戯をしかけたこともある人物ですが、少年も預け
たことから二人が又段々親しくなってゆくという筋なのです。

 この少説を読んで感ずることは、良人が嫌っていることを、内証でしようとするところ
に伊沙子の心にすきが出来ている。そこへもってきて、良人の側には、若い宗方律子とい
う女が、人知れず恋愛感情をもっていて、良人に対していろいろ誕生祝いなどと言って贈
物をしているのです。

 家庭の中でこうした三角関係のようなものが始まる微妙な心理は、お互いに秘密をもっ
ていることがもとになっているのです。良人が嫌がっていることを内証でしてみたり、奥
さんの知らない女から、夫が贈物をもらったりするようなところから始まるのです。良人
があんなことをしているんだったら、私もというような気持ちになるんじゃないかと思うの
ですが、兎も角、御婦人というものは、愛されたい、特に良人に愛されたいという願いが
強いものだと思います。

 女と云うものは、一度肉体的関係を結んだところの男性に対して非常に愛着を観ずる
ものなのです。本当の恋愛でなくても、そんな関係の後には強い愛着というものを感じて
離れ離れなるような傾向があるものなのであります。

                            つづく
PS: 「トキ様」「観覧者の皆様」へ
正直申しますと?【女性の認識・本質】此処昨今では?随分変わってきておりますでしょうか?
「雅春先生…時代」は?やはり〜〜〜世間一般で申します〜〜〜
或る意味では【男尊女卑…】という事で封建的な考え方が根強くありましたでしょうか?

さて!かといって?今日の若い女性の或る面での【ドライな考え…】これも?両者を比較しますと
随分考えさせられます点が?ありますネ!
一言云えますのは 最高の“男女間の愛…”とは〜〜〜? 『魂…向上の結びつき!』でしょうか?

■「古事記…」に示されております処の…「日本の国の法則」と申しますか?
『 夫まず唱え、妻これに従う 』というところの大八洲国すなわち日本の国の法則…
男女の役割、男女の生き方の役割とでもいいますか?アメリカの民主主義が入ってきましてから
女性優先〜〜〜或る面では“離婚”を増やす要因になるかと…。亡き「雅春先生」が?
懸念されていました事柄〜〜〜でしょうか?

再合掌

2564a hope:2013/09/27(金) 08:41:36 ID:dyDQLtZQ

▣ 幸福と健康の祈り

私は神の子である。
神は完全であるから健康そのものである。
その神の生命が私に宿って私の生命となっているのであるから、
私は健康であるほかはないのである。
神は常に私を護って私を健康に幸福にしていて下さるのである。
このことを神に感謝いたします。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2565うのはな:2013/09/27(金) 16:59:18 ID:mCQxOykY
昭和二十二年五月二十六日 京都より東京へ

       輝子様    雅春

  これは第三信です。第二信は名古屋のヤマトホテルで五円札一枚出して切手をかつて
貼つてもらふつもりで「出してください」と云つて渡しましたが、今日は京都の講習会の三日目です。
京都の講習会の員数は約五百五十人かと思ひますがハッキリした数は唯今わかりません。

 広い相国寺の方丈に一パイになつてゐまして、一日千円の室料であります。
今に相国寺は生長の家の道場になつてしまふと相国寺の信徒総代が云つてゐたさうです。(中略)

  死せるに非ず生けるなりとラザロに云ひし耶蘇のごと現象の奥に実相を見んかな

  善悪総じてもて存知せざるなり、ただ礼拝すべしと教へられける

   『こころの旅路』 谷口恵美子 先生編著

2566 SAKURA:2013/09/28(土) 22:42:12 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563 の 投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 肉體・性別は人生劇場の舞台の姿・・・・・ その②

 その一例として、先夜、林芙美子の『放浪記』のラジオ放送の一節がフッと耳に入って
きたのですが…… それは、林芙美子がアパートの部屋代が拂えないで困っていた頃の話
で、彼女を非常に愛していた青年が、その部屋代にと言って無理に置いて行ってくれた十
円札(今なら五千円程度)を、部屋代に費わずに、それ以前に尾道でカフェ―の女給をして
いた頃に関係のあった男に逢いにゆくために費うという筋でした。

 林芙美子はその中で、“とも角、あの人は私を女にしてくれた人なんだ。だから何とな
く逢いたくてたまらないんだ“というようなことを言っています。こうした感情が「女と
云うもの」にはあるものなのです。實際に恋愛を感じていないでも、一編でも肉体関係を
結んだところの男性に対しては非常に心をひかれる。それはどういう訳かと言いますと、
女性というものは生理的に、普通ならば一年間に一人しか子供を産むことができないから
なのです。

 一年間に一人しか子供を産むことができないから、男をいくら変えてみても何の役にも
立たない。結局、ただ一人なる男性、しかもやがて自分が産むべきところの子供の唯一人
なる父親になる男性を願い求める欲求が、自然に「女というもの」の恋愛感情として出て
くるものなのであります。

 恋愛と性慾とは複雑に交錯していますが、人間の性慾というものは、何のためにあるか
というと、これは人間の魂の欲望じゃないのです。聖書にも“我々が霊界へ行っても肉體
的な夫婦関係があるか“と弟子がキリストに聞いたら、”霊界へ行ったら、そういうものは
ない“と答えたとかかれていますが、結局、魂が地上に降りてきて、ある使命を果たすため
の作業服が肉体なのです。その作業服に、男と女の二種類がある。肉体が「女である」と
いうことは、その女の作業服をつけて人生劇場の舞台に現われたというわけになるのです。

 今、女に生れている方でも、必ずしも、毎回女ばかりに生れるわけじゃないのです。現
在男に生まれている人も、やがて、女に生れ変って、女でなければ體験できない體験を積む
ことによって、魂が、それまで知らなかった経験を通して磨かれるということになるのです。

 そういう訳ですから、我々の肉体というものは、人間そのものじゃなくて、人生劇場で
割り当てられた其の配役にふさわしい人間の衣装である。だから、女の衣装をつけて、この
地上に生まれてきたら、女らしく振る舞うのが、神様のみ旨(こころ)である。人生を劇場に
みれば、歌右衛門のように男であっても、女形として舞台に現れたら、女以上に女らしく振
舞うのが名優であると言われるのと同じことです。女と生まれたら、女らしくなければなら
ないのであります。また男に生まれたら男らしくなければならないのです。

                                つづく

2567 SAKURA:2013/09/28(土) 22:43:54 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566 の 投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 肉體・性別は人生劇場の舞台の姿・・・・・ その③

 「女らしい」と云うことはその肉體と云う衣装が示していますように、肉體の動作も、言
語も、表情も、柔く温く潤いがあってゴツゴツしていない優美な愛情のあふれた感じをもっ
ているべきなのです。

現代は戦後の反動時代で、女性が男性化しようと云う傾向が強いようですけれども、いくら
女性が男性化しても、“男性そのもの”には成り切らないで、“男性の贋(まが)いもの”が
できるばかりで、贋いものは真物(ほんもの)ほどの価値がないから、女性は女性として男
性には真似のできない優しさの愛の美徳を発揮していただきたいものであります。

                               
PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ

最近〜〜〜思うのですが
【 女性化した男性の方が〜〜〜多い!! ニュハーフの時代?? 】を感じる此処昨今です。…が?
見ていますと“動作…”が〜〜〜最近!「女性…」以上に【女性らしい?】と見られる現役の方が?
いますでしょうかと?? これには〜〜〜複雑ですかと。又?この逆もありますモノ…?

例えばです。…が? 「郁子」さん……この方の最初の“イメージ!”は、失礼ながら〜〜〜最初は?
なよなよした感じの“イメージ!”個人的には抱いておりました。
どうかしますと【 男性==>女性化 】なのですが?当初は?まだまだ“荒削り…”でしたでしょうか??
処が???この頃は“磨き…”がかかった彼女?彼氏?と言いますか〜〜〜
最近みました「写真画像…」では、見る限り〜〜〜
■【ワァ〜〜〜!!こんなに、女性らしくなったの〜〜〜ネ!】〜〜〜と、思わず“賛嘆…言葉”
思わず〜〜〜或る「広告…」で見た時の私の感想でありますが、これは〜〜〜
現状の『視覚的…捉え方』となりますが〜〜〜♫ この範囲内での中からの“イメージ”を
「郁子さん・・・」らしく感じた気持です。さらには「男性…」から見た『視覚的な描写…』でしょうか??

ですので、本当に女性らしく?不思議な気持ちなのですが〜〜〜どうしても見えてしまいますかと??
平均的に、男性は〜〜〜外部上の“表面…”を造ろう傾向が?女性より強いように思えます。
その「研究…」と申しますか?「観察…」と申しましょうか〜〜〜(微笑)
ですので、ある面では【男性の眼…からの“女性像…”になるのでしょう〜〜〜ネ!】

そうしますと、やはり“生活感の無い…女性像”にある面では感じてしまいますから〜〜〜果して?
その奥底の❤【女性の特有の母性本能…本質部での“女性らしさ〜♫”】は、ないように見えてきます!!

>贋いものは真物(ほんもの)ほどの価値がないから、女性は女性として男性には真似の
できない優しさの愛の美徳を発揮<<   (一部抜粋)
◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆

まさに創立者「谷口 雅春先生の言葉」の意味が理解できますかと思う次第です。!!
ここでは〜〜〜?
■□【表 面 に 惑 わ さ れ る 事 の な い よ う に 〜♫ 】と云う事でしょうかと。

                                 再合掌

2568a hope:2013/09/29(日) 07:06:19 ID:dyDQLtZQ

▣ 無限力発揮の祈り

私は神の子である。神は無限の生命(いのち)である。
神の子たる私は神の無限の生命と、
無限の力をうけついでもっているのである。
無限の生命、無限の力をもっているものが、
疲れたり、病気になったりするはずがないのである。
それゆえに私はいくら勉強しても、いくら運動しても、
健康で、疲れるということを知らないのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2569志恩:2013/09/29(日) 09:21:29 ID:.QY5jUA6
晴れときどき競馬とホークスより

 肺結核と祖国反逆

2013/9/28(土) 午後 0:06

 祖先の霊の念波は、現実世界にいる子孫の運命に影響を及ぼすということであります。

 (1)祖先または自分に関心ある縁者の霊魂の好まないところを子孫が行えば、
    祖先または縁者の霊魂の反対観念を受けて、その人の運命が妨げられます。

 (2)祖先、または自分に関心ある縁者の霊魂が迷いにとらわれ、信ずベからざるを信じ、
    妄執にとらわれていますと、
    現実界の子孫たるわれらがその反対観念の掣肘を受けて、正しいことを行なっていても、
    それがおもしろくいかないことになるから、
    祖先の霊魂にはすみやかに真理を悟らしてあげる必要があります。


 この第一の原理により、われわれは父祖が現世になくなっていようとも
  、父祖の期待に背くということを行なえば、

  その父祖の霊魂の反対観念によって制裁を受けることになるのであります。

 さらに父祖に対して反逆の行動をとるようなことをすれば、
 必ずその子孫の運命はよくゆかないのであります。 

・・・・・ 祖国に対して反逆的行動をとろうとするような思想の人たちの健康を
調べてみると、肺結核にかかっている人が多いということを誰かが発表していましたが、

肺結核の原因は本全集の 『實相篇』 にも述べましたように、
いろいろの原因がありますから、一概にはいえない。 

 概して申せば、肺病は狭量な極端にサバク心、
切る心が自己の肉体にその形をあらわしたのでありますが、

祖国愛するをわれわれの祖先の霊魂の反対観念によって制裁されている
場合が多いことも明らかな事実でありまして、

親不孝の人に胸を患っている人が多いのであります。


                     谷口雅春師 『生命の實相』 生命篇より

2570かぴ:2013/10/01(火) 17:30:46 ID:oEnYKIyI

受ける者よりも、与える者の方が幸福である。与えると云うことには幸福感を伴う。

神の愛は「与えてやまぬ愛」であるから、与える心の中には神の愛が目覚めて来るのである。しかし受ける者があるので与える悦びが完了するのである。

だから受ける者を軽蔑してはならぬ。受ける者を軽蔑したとき、与える悦びは減ってしまうのである。

受ける者を愛し祝福する気持ちになったとき、与えた悦びは増大するのである。

与える喜びも大切であるが、何事にても受けるときに真にそれを神の恵みとして感謝するならば、受けることも大なる悦びに変化して来るのである。

自分が与える悦びばかりに固執していて、他に与えさす機会を与えないのは他の人の魂の進歩を妨げることがある。

( 谷口 雅春先生著 「幸福を招く365章」  )

2571SAKURA:2013/10/01(火) 22:22:03 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
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【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その①

アメリカのステラ・テリル・マン女史のところへ、また別の婦人訊ねてきました。そ
の婦人は、富を実現したい、金持になりたいという願いをもっていたのでした――

 彼女の叔母(寡婦)という人は、大した富豪でありました。それで、その財産の全部を
貰いたいと思った訳じゃないのですが、その叔母さんから三千弗貰って、ささやかな自分
の住宅を建てるか、又は買いたいと思っていたのです。

 ところが、最近になって、その叔母さんが或る法律家と恋愛関係になって、逢い引きを
しているという噂がある。そして、間もなく結婚するんじゃないかと言われている。もし
叔母さんが結婚して了ったら、叔母さんの死後には、その若い法律家が財産全部を後継し
て、自分には一文も入らなくなる。それでは困るので、叔母がその法律家との恋愛が破れ
て自分に三千弗を与えてくれるように、祈って下さいと言って頼みに来た訳なのです。

 そこで、マン女史は、こう尋ねました。

「ところで、あなたはその叔母さんに家を買う金をもらいたいと言ったのですか?」

「いいえ、叔母は、それはそれはけちん坊で吝嗇で何時も機嫌が悪くてとても私叔母にな
んて、そんなこと言えませんわ。言ったって、とても聞いてくれたりなどしませんわ」

「あなたは私に祈ってくれるお願いになる必要はありません」
とマン女史は答えました。
「あなたの祈り――祈りとはあなたがもっとも深く心の中で信じていることです――それ
は必ずきかれるのです。とてもけちで吝嗇で私のいうことなど決してきいてくれないとあ
なたが叔母さんのことを祈っていられる限りは、きっとその通りになるのです……」

 祈りというものはを、“何々して下さい”と泣きついて頼みこむことだと思っている人があ
りますが、常に心の中で深く信じていること、思い続けていることが、本当の祈りという
ものなのです。ですから“あの叔母さんは、けちん坊で吝嗇で、とても私になんかお金を
くれるものか。財産を譲ってくれたりするものか、三千弗も貸してくれるものか“と思っ
ていたら、それが祈りなのです。つまり“叔母さんは、けちん坊でお金を貸してくれませ
んように“と祈っているのと同じことになるのです。

                           つづく

2572a hope:2013/10/02(水) 08:01:31 ID:dyDQLtZQ

▣ 安全の祈り

神は私の魂の親さまである。
父母は私の肉体の親さまである。
魂の親さまなる神は私を内から導いて下さるのであり、
肉体の親さまなる父母は、外からいろいろの助言をして導いて下さるのである。

その導きに素直にしたがっているならばけっして危険なところに近づくことはないのである。
私は常に安全であります。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2573かぴ:2013/10/02(水) 11:41:18 ID:oEnYKIyI
   ○
他人が喧嘩をしているのを見るのは、自分の心の中に喧嘩があるから見るのである。

自分の心の中に喧嘩がなくなれば、他人の喧嘩も消滅する。私に対して遠隔思念をして病気を癒してくれと言って来る人があるのは私の心の中にまだ病気があるからである。

  ○
自分ひとりが浄まったなら、世界は浄まるのである。自分の心がきよまらざる故に世界はきよまらないのだ。

自分の心をきよめることによって、全世界を浄めることが出来るのである。

  ○
魂の切なる願いは、かならずかなえられる。というよりも、既にそのことがかなえられているが故に、それが切実な欲求となってあらわれるのであるとも言える。

(  谷口 雅春先生著 「叡智の断片」  )

2574うのはな:2013/10/02(水) 18:00:51 ID:91cj0URY
     カンサス・シティ

 ユニティ本部はカンサス・シティ東郊、車でおよそ30分ほどのところにある。
昭和24年市内にあった本部をここに移して、今日のユニティ・ヴィレッジができた。
1400エーカー即ち5平方坪余りの広大な敷地、中に三つの湖をもち、詩情漂う美しい田園の村を
形づくっている。

 ユニティは、1892年チャールズ・フィルモア夫妻によって創始された「人間・神の子」を説き、
キリスト教の各派の万教帰一を唱道する真理運動である。
 ユニティの発祥は1886年に遡る。その頃マートル・フィルモア夫人は大変健康を害していた。
或る春の夜のことであった。夫人は講演を聞いて帰る道すがら、ある一つの考えが心の中に何度も繰返して閃めいてくるのであった。

 その考えというのは、「私は神の子だ。だから病は本来ないのだ!」ということであった。
自分が神の子であり、神の御心は完全であるという真理が彼女の全存在を満たした。
そして神癒が直ちに始った。そして一時間もせぬうちにマートルの病弱の身体が変ってしまった。
この奇蹟の治癒体験を知った人々が彼女に救いを求めて集まって来た。そして多くの人が神のいのちに
触れて癒された。チャールズはこれを目のあたりに見て心をひかれ、夫妻協力して、すべての人の内に宿る真理キリストを通じ、
人々を健康、繁栄、幸福に導く運動に献げることになったという。

 ユニティのことについては谷口先生が夙に御紹介下さっており、生長の家との提携は久しいものがある。
しかし、谷口先生が実際にユニティ本部を御訪問になり、現教主チャールズ・フィルモア氏(創始者の孫になる)をはじめとする幹部の方々と
親交を深められたのは今回が初めてであった。

 4月13日はカンサス・シティ御到着後、直ちにユニティ・ヴィレッジを御訪問。
本部の塔、本館、年中休みなく続けられる神癒祈願局、コンピューターを導入した印刷、出版、教育部門等を視察され、更にホテル、モテル、宿舎等各種施設を
含む美しい敷地を車でご覧になった。
 更に夜御講演に先立って、教主チャールズ・フィルモア氏、教主の叔父ロウェル・フィルモア氏等にお会いになり親交を深められた。御講演はユニティ本部の講堂で開催された。

 講堂を一杯に埋めて集まった600名の聴衆を前に、先生は、ユニティを讃えられつつ、生長の家の独自の面をお話になった。その内容は浄心行、聖経の功徳、ハワイ日系二世第100大隊、442部隊の偉勲、
『心と癌』所載の奇蹟的治癒体験、中心帰一、夫婦調和と広い範囲にわたり、聴衆ひとしく感銘したのであった。

    『真理は民族を超えて』 P20−21

2575a hope:2013/10/03(木) 09:06:19 ID:Zlo2YeaM

▣ 幸福な家庭の祈り

私の家は神の子の家、神の子の家は神に愛され、神に護られているのであから、
いかなる悪しきことも近づいてこないのである。

父母も兄弟もみな神の子であって、
悪い人は一人もないから争いはけっしてなく本当に幸福なのが我が家である。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2576うのはな:2013/10/03(木) 16:39:41 ID:AgGUbAB6
      再開された巡錫 『こころの旅路』 谷口恵美子 先生編著

 戦後の巡錫は、終戦の翌年、昭和二十一年から始まりましたが、交通事情も悪く、長期の本格的な
巡錫が再開されますのは、昭和二十二年の五月からでした。この二ヵ月前に父は福岡に行っていらっしゃいます。

    昭和二十二年三月二十一日  福岡から東京へ
      輝子様      雅春

 昨年の十二月も今年の一月も、そして三月十八日の出発の九州講習会も私が出発する日になると、急に温度が高くなるのである。
私は恵まれてゐる気がする。私はまだ若い気持ちでゐるけれども、既に還暦を過ぎた私は、もつと身体を大事に取扱はなければならないと
深切に誠心をもつて注意して下さる人もあるので、汽車もあまり遠距離は成るべく一気に飛ばないことにしてゐるのである。
私が一日多く長生きしてゐることは、それだけ人類にとつて何等かの貢献をなし得ると信じてゐるからである。

 人間は「生命」であつて物質ではないから、肉体など大切にする必要はないと云ふことはないのである。
人間が念の力によつて、地上生活の営みのための道具として「肉体」を物質的にあらはした以上は、その肉体は或る程度物質界の法則に
支配されるである。足の裏は使へば使ふほどその皮膚は厚くなり、ただの物質の摩滅の法則とは異るやうにあらはれる。

 それは生命が働いて「物質の法則」を超えながら、「物質の法則」を利用して新たに細胞組織を増殖するからである。
しかし「生命」が細胞を新たに増殖することが出来る以上に、足の裏の皮膚を磨滅させたら、皮膚はやぶれ肉は露出し擦過傷を生ずるのである。
例へば、目の疎い鑢で間断なく擦つたら、幾ら部厚い足の裏の皮でも破れて血が出るのである。
肉体はただの物質ではないから、単なる物質の磨滅の法則には従はないが、同時に物質として物質の法則に従ふ面もあるのである。

 だから吾々は食物も食べねばならないし、入浴すれば垢も落ちるのである。
単に精神統一をして「吾が身体は清浄なり」と念じても、一年に一回も沐浴しないでは垢はとれないのである。
何でも心で思ふとほりになると云ふので、物質の法則を全然無視してしまふのは極端な観念論であつて、生長の家の唯神実相論ではないのである。

 唯神実相論と云ふのは、実相界には既に完全な世界(人間及事物を含む)があつて、それが「念」を媒介として自然界(物質界現象界)にあらはれて来ると
云ふのである。例へば私の出発する日になると大寒中でも稍々暖かくなり、旅行しやすくなると云ふ風にである。
「何もしないでただ精神統一して念じてをれ」と云ふのではない。精神統一して念ずることは、一定時間にやるが、それを契機として、現象界には生命の「自然に動きたい衝動」が
起こつて来て、現象界に自然に「行動」及び「生理作用」「自然のめぐり合せ」等としてあらはれるのであり、「念」が正しい程度に従つて吾々の「行動」や「生理作用」や「自然のめぐり合せ」が
順潮に行くやうになるのである。これを私は嘗て「生活の円滑化現象」として
『生命の實相』に書いたことがあるのである。

 自然によき食物が口中の入るやうになり、自然に環境が整ひ、天候なども自然の巡り合はせがよくなるのである。
「何もしないで念じてゐる」のではなく、行動と「発して行ふことが悉く節に中るやうになる。これを自然の和と云ふ」(「中庸」による)
のである。「無量の勝方便は実相を想ふより得」(普賢菩薩行法経による)であつて、何の方便もないのではなく、最も適当な方便があらはれて
来るのである。

 兎も角、現象界の知恵を無視するのが実相智のあらはれではない。現象界の最も勝れたる知恵が湧いて来るのが、実相に一致したときに得られる結果なのである。
だから無理に頑張つて鑢で皮膚を擦り減らさねばならぬことはないと同じやうに、無理に肉体を駆使しなければならぬと云ふこともないのである。
と云つて懶けて労力を惜しむと云ふのも感心しないのである。そんな訳で私は、帰心矢の如き帰京の時以外は夜汽車を使はぬことにしてゐるのである(下略)

2577かぴ:2013/10/03(木) 17:24:34 ID:oEnYKIyI

   ”光は暗(やみ)を消す”

子供は暗を恐れる、

しかし本当は恐るべき何物もないのである。

光をとぼせば暗が消える。

光をとぼさないでいて、”暗を恐れるな”といっても、

それは子供には無理なのである。

人類はまだ子供である、

彼らには光が必要なのだ。

真理の光が必要なのだ。

真理の光をもっているのはあなたではないか。

(  谷口 雅春先生著 「神と倶に生きる真理365章」  )

2581うのはな:2013/10/05(土) 13:38:13 ID:l9K9RG/Y

「身体も国も共に、観る者(主体)から反映せられる世界(客体)である。観る心の要請が身体に於ては脳髄の
存在となり、国に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。
天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る.......」

 この神示によりますと、観られる対象は、「観る心」の反映であり、その感情想念又は自覚が、対象に移入されて、対象をそのように
感ずるのでありますから、吾々が国家に於ても、「変らざる永遠の中心者」を要請するのは、人間自身の生命に「変らざる永遠の中心者」を
要請する理念があるからであります。

 人間自身の生命に「変らざる永遠の中心者」を要請する理念が宿っているのは、人間生命をつくった「大生命」(神)御自身に、「変らざる永遠の中心者」を
要請する根本要求があるためであって、そのためにすべての造られたる物には「変らざる永遠の中心」が備わっているのであります。
即ち原子には原子核があり、細胞には細胞核があり、樹木には幹があり、人間及び高等動物には脳神経中枢があり、太陽系統には太陽という「永遠に変らざる中心」があるのであります。

 このような宇宙萬物を造った「大生命」の生命を宿し生れている人間の心の中に「変らざる永遠の中心者」を求める要請が宿っているのは当然のことであります。
だから、「観る心の要請が、身体に於ては脳髄の存在となり、国に於ては永遠の元首となる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである」と
示されているのであります。
 この神示に於て注目すべき点は「無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇」とあることであります。

天皇は単に「一切の主」であるだけではなく、「無にして絶対」なのであります。
他の国の色々の人間団体にも中心者や主宰者はあります。しかし「無にして絶対」なる中心者は殆ど全く存在しないのであります。
だから常に権力争いが附き物であり、権力候補が選任争いをするか、実力闘争によって中心者の座を占めようとするのであります。

 ところが日本天皇に限り、権力争いというようなことがない。自己を主張しようとはせられないし、対立がないのであります。だから「無」なのであります。

   『秘められたる神示 神示講義 秘の巻』 谷口雅春 先生著

 (原文旧漢字、旧かな遣い) 投稿者現代字に変更入力  拝。

2582SAKURA:2013/10/05(土) 17:37:29 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567>>2571 の 投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その②

叔母さんから、お金をも貰おうと思ったら、“叔母さんはとても寛大で裕で恵み深くて、
貧乏人にお金をやるのが好きで……“という風に念ずれば、叔母さんが心広々と豊かな気
持ちになって、お金でもくれることになるわけです。

 マン女史は、続けて、こう言われたのです。

「叔母さんのことなど忘れてしまいなさい。自分の運命は自分で掌中にあり、自分の心
の通りに成就するのです。先ず自分が変ることが必要なのです。受けるためには与えなけ
ればなりません。それが法則です。」

 ここが大切なところです。与えないでいて、受けようというのは、泥坊です。銀行へ行
ってごらんなさい。預けてない金を貰おうと思ってもくれません。だから、買おうと思っ
たら、与えなければならないのです。

 だからマン女史は、その婦人に言われた。

「所で、あなたはその叔母さんに、その叔母さんでなくともこの世界に、何か与えるべき
ものをもっていらっしゃいますか。他の人では与え得ないような、あなたでなければ与え
ることのできないようなものを?」

 これも亦大切な点です。誰でもが、ざらに与えられるようなものでは、本当の値打がな
いのです。神様がこの地上に別々の顔をして、別々の個性をもった人間を生み出されたの
はその人でなければならない価値=値打を創り出して人生に与える使命のためなのです。

 だから、その人でなければ与えることのできないようなあるものをもっていますか。与
えることができますか、マン女史は聞いた訳なのです。

                            つづく

PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ

そう〜〜〜ですネ!『 与えよ!さらば与えられん! 』
「生長の家…」では〜〜〜必ず!信者として“真理の言葉…”の代表たる“コトバ…”でしょうか?
「神様…」からの【無現供給をいただく…!】のは、「神様」との“パイプ…”をしっかり……
バトンする事と思うのです〜〜〜ョネ!!

「マン女史」の文章の中から『預けてない金を貰おうと思ってもくれません。だから、買おうと思っ
たら、与えなければならないのです。…云々…』そうなのです〜〜〜ョネ!!

■それと同様に、【 普及活動… 】も今までの“供給…”が枯れていましたら、当然ながら
“普及…”も枯れているわけですから??此処で“元…”をただせば「ステラ・テリルマン女史」の
おっしゃる通りに、先ず!【 銀行に行ったら、預ける事からスタート…!預けることは???
人に与える事と!!】これは?分かりやすい【法則の論理観】を私どもに説いて下さいましたかと。
個人個人の“個性…”もありますでしょう。…が?まず!!〜〜〜♫
『 与えよ!さらば与えられん! 』この“法則の展開”からでしょうか??当に【スタート…!!】

此処で自問自答しながら
❤【私の使命…は???】と今!今!今!〜〜〜私の「ベストフレンド」と?問いかけ中???

 それでは“次回”ヘ…

2583a hope:2013/10/06(日) 08:16:50 ID:Zlo2YeaM

▣ 霊長の祈り

神さま、あなたは宇宙のすべてのものをお造りになりました。
すべてのものは神さまから生まれたのであります。
そのなかで人間は万物の霊長として、最もすぐれた知恵を与えられ、
すべてのものを自分の兄弟として、どんなものでも大切にあつかうのであります。
大切にするものはこわれないで長持ちします。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2584かぴ:2013/10/06(日) 17:44:39 ID:oEnYKIyI

    神にこうして導きをうけよ

 人間のなすべきことは空っぽになることである。自分が空っぽになってその中に神の御心を入れ、自分は唯道具になって神の御心通り動くと云うことである。

「借金なら支払ったら好い。お前には支払えないかも知れないが神なら払える。今日からお前の商売を自分の商売だと思わず、神の商売だと思い、お前は神の番頭となれ、そして神のお指図のままに動くのだ。」

このやり方が即ち自分が空っぽになって神の御心通りに動く生活である。神は全智にして全能なるが故にその導きに間違はない。

( 谷口雅春先生著 「新版 幸福を招く365章」 )

2585a hope:2013/10/07(月) 07:48:35 ID:Zlo2YeaM

▣ 神への感謝の祈り

神さま、毎日のお導きとお護りとに感謝いたします。
神さまあなたは私に必要な日光も空気も水も食物も、あらゆる必要ないろいろの物も、
私がお願いする前からゆたかに与えて下さっているのです。
おかげで私はこうして今日まで生かされて生長してきたのです。
感謝がおくれてすみません。
神さま本当にありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2586a hope:2013/10/08(火) 09:10:41 ID:Zlo2YeaM

▣ 進歩の祈り

神さま、私は神の子であります。
神は無限の知恵と能力とをもっておられ、それが常に進歩というすがたで形にあらわれてまいります。

私も神の子として、神の無限の知恵と能力を内にやどしていて、毎日それが進歩というすがたで形にあらわれてまいります。
ありがとうございます。


「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2587a hope:2013/10/09(水) 08:43:05 ID:Zlo2YeaM

▣ 努力勉強の祈り

神は私たちの親さまであり、私たちの生命は神より来ったのである。
神は天地万物をつくりたもうてから、
今日にいたるまで常に働きたもうてけっして休みたまうことはないのである。
それゆえに地球は自転し公転し、春夏秋冬はめぐり来たって美しい景色は生じ、
豊かに作物は実るのである。
それゆえ、私も休みなく勉強するのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2588かぴ:2013/10/09(水) 11:35:03 ID:oEnYKIyI

あなたは何らかの使命を神から与えられ、何らかを神から尽すべく命ぜられて此世に生まれて来たのです。

自分の使命が何であるか、あなたはまだハッキリお判りににならないかも知れません。しかしあなたが今いられる其処にあなたが全力を尽すと云うことが、今のあなたの使命なのです。

それはもっと大なる貴方の使命に比べたら、唯の踏台にしかならないような小さな使命であるかも知れません。

併しあなたはその踏台である使命を通過することによって、更に一層大なる使命の座につくことが出来るのであります。と云って、現状の状態に甘んぜよと云うのではありません。

現在を忠実に尽す者のみ、次の昇進の機会があたえられ、また機会が来たときに、その機会を摑む能力が練成されていることになるのであります。

  ( 谷口雅春先生著 「新版 幸福を招く365章」 )

2589SAKURA:2013/10/09(水) 20:33:08 ID:j7IGF7Cw
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567>>2571>>2582 の投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その③

 婦人は、こう答えました。
「何ももっていません。私は貧しいのです。私には四人の幼い子供があるんです。叔母は
大きな家に住んでおって、召使を沢山雇っているし、使っても使いきれない程のお金をも
っているんです。所があの狡猾な法律家が叔母に愛情を感じているかのように見せかけ
て、叔母をたぶらかそうとしているんです。叔母は淋しいもんですから、その法律家と一
緒に散歩に出掛けたりなどしているのです……」

「そんな男女的な愛情を別として、あなたはその叔母さんの唯一の生きている血縁なのだ
から、あなたには、あなたでなければ与えることのできない肉親のものからの愛情がある
筈だ。それを与えるのには、金がなかったら与えられないとか、貧しくては駄目だなどと
いうことはない。一文もなくても、叔母さんに対して優しい言葉、深切な行い、親身な思
いやりというようなものは、与えようと思えば与えられる。叔母さんも本当は、そのよう
な愛情を受けたいのが本心なんですよ」
とマン女史は言われました。そして、

「真理の生活をその叔母さんに対して実践してごらんなさい。愛行をしてごらんなさい。
それを実践するのにお金を目的にしたり、何かの種類の助けを求めてはなりません。天と
地とを創った宇宙大生命、そして凡ゆるよきものとよき考えとで満たされている大生命に
求めるのです」
と、 善きことを与えておいたら、それが天の倉に貯えられる、その天の倉なる大生命に
蘄田=蘄の田として貯えられるのだから、叔母さんに対して無条件に、貰おうと思わない
で、天の倉に貯えられるために、叔母さんの求めている、唯一の肉親の者としての愛情を与え
てあげなさいということを教えられたのです。

“愛情讃歌を与えなさい。叔母さんを勇気づけるような優しい讃め言葉で、出来るだけ叔
母さんの善き性質をみつけるように努めてあげなさい。叔母さんも神の子であって凡ゆる
善き性質をもっているんですよ“とマン女史は訓えました。ところが、彼女はこんなこと
を言いました。

「叔母さんが、あんななのに、私が叔母さんにそんなに深切にしなければならない理由が私
わかりませんわ」
                             つづく

2590SAKURA:2013/10/09(水) 20:40:13 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567>>2571>>2582>>2589
の投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その④   【引用編…】
>>2589投稿の続きです…。

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ

■今日のお話から〜♫
過去にさかのぼりますが〜♫ 当時!或る「東京の教化部長」の事を思い出します。
❤〜【 その教化部長先生の体験談なのです。…が? 】
それは『青年会の頃…』その時の事です。当時!御年配で、身寄りのいない方でしたでしょうか?
但し、身体が不自由なご様子でしたので、御夫婦二人で…つまり「奥様…」と一緒に【介 護!】を
なされたようです。この時、先生は、全ての介護を〜〜〜したそうです。…が?
今日の【介護…】と同じく、【その全部の介護!!】でしたかと。相手の方は、身寄りがいない事…ふびんに
思われ、更に、寂しく「あの世」に行かせる事は、出来ないと、当時!純粋なる気持で、
『青年会で出会った奥様』と一緒に【介護の日々…】ですかと。その後、とうとう亡くなられて…><
この時に、相手の方(この方…)がなされた“真心…”は、この“お礼…”として、全て〜〜〜
当時でいいますと〜〜〜私が若い頃ですから「昭和40年〜〜50年代」になるのでしょうか??

その頃!【遺産の土地…?お金…?】をいただき!金銭価値として『一億…』いただいたそうです。
この様な事をお聞きしましたが?この頃で❤【 奇 蹟 】と騒いでいましたようです。…が??

■「ステラ・テリルマン女史…」での答弁では〜〜〜??【当たり前…】と言われそうですネ!
当時の私は“スゴ〜〜イ!”と思って、何で?如何して?そのような“大金…”が入るのでしょうか??
…と、ひそかに思いましたので〜〜〜す。…が?今!ようやく分かるようになりました。

【お金…】この希望成就でしたら?当然ながら、その前提として「神様の御心に叶った願い…」である事は?
いうまでもありませんが 〜♫ 当に!
■「与えよ!さらば…与えられん」の法則……にのる事でしょうか??

「トキ様…」は、このお話を御存じですかと思うのですが〜〜〜?尚!このいただいた【お金…】の一部は、
現在の「生長の家…献金」なさったとの事を耳にしております次第です。…が?この先生でも「献金…」後は?
「末端信者・・・」ですから〜♫ 気になりますのは・・・!
今ではこの「教化部長先生」は、何処にいらっしゃいますのでしょうか???知るよしもありません。…が?

                                                                再合掌

2591a hope:2013/10/10(木) 07:58:08 ID:Zlo2YeaM

▣ 堅忍不抜(けんにんふばつ)の祈り

私は″神の子″である。
神の子にとっては、すべての出来事が、自分が向上し進歩し、きたえられる好機会なのである。
悦びが来るときは、私の魂が明るくなる好機会であり、
試合や勝負やテストのあるときには、私の中にある″無限力″が呼び出される好機会であり、
困難が来たり、だれかが圧迫を加える時には、忍耐の力を養成する好機会である。
私は決してくじけることはないのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2592a hope:2013/10/11(金) 07:56:01 ID:Zlo2YeaM

▣ 感謝の祈り

毎日毎日が″神の日″である。
なぜなら、神はすべての造り主であって、すべての日は神によって造られ、
神によって祝福され、神によって護られ、神によって運行せしめられているからである。
それゆえに毎日毎日は善き日であり、幸福の日であり、成功の日であるのである。
このことを神に感謝したてまつる。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2593かぴ:2013/10/11(金) 18:13:26 ID:oEnYKIyI

ある人は毎日必ず五人以上の隣人を祝福してあげることにしたという。その祝福は心の中で、「神よ彼に本当の幸福を与え給え。彼は神の愛に守られて本当に幸福になります」と静かに合掌するような気持ちで一二分間祈ってやるだけのことであるが、それは誰も知らない所の本当に隠れたる愛の奉仕であるのである。

けれども、このような祝福が目に見えないだけにかえって尊いのである。

もし全世界の人間が、このような気持ちで隣人を、そしてどこの国の国民をも祝福してやる気持ちになれば全世界に戦争というようなものは再び起こらないのである。こういう小さい行ないの中に本当の報い求めぬ与えるばかりの愛があるのである。

そしてそれは神の前に大いなるものとせられるのである。

( 谷口雅春先生著  信仰の活人剣【「生活と人間の再建」より】 )

2594かぴ:2013/10/12(土) 14:01:54 ID:oEnYKIyI

他の人を扱うのに冷酷をもってしてはならない。他に冷酷なものは、酷(きび)しく人を縛るがゆえに自分自身の組織を縛られて、組織が硬くなり、血管が硬化して老衰するのである。

老衰しまいと思うならば柔かな温い愛深き心を常に保っていなければならない。愛は潤滑油としてあらゆる部分の摩擦をやわらげ、組織を柔軟にし、生理作用を円満にするのである。

他に対する心は直に自己に帰って来るものであるから、人につめたければ自分の身体も冷たくなり「冷え」に関連する病気を患うのである。

手足が冷えるのは手足(部下とか家族とか)に冷たい証拠であり、腰が冷えるのは夫婦関係がつめたい。お腹が冷えるのは、人々との仲が悪いのである。みんな自分の心の影である。

( 谷口雅春先生著  「新版 幸福を招く365章」より )

2595うのはな:2013/10/13(日) 20:46:46 ID:fKKb1Zok
   金婚、喜寿を迎えて  昭和四十年代

 金婚奉告式 本部にて(昭和四十五年十一月二十二日 谷口雅春先生七十八歳 輝子先生七十五歳)

   金婚の夫婦たたえて 祝福の いのち 花降る 千代に 生きよと
  
                               雅春
                               輝子

《 ・・・・・五十年前の春五月、私たちは婚約をした。
  その時、結婚式はいつにしようかと相談した。相手の人は「僕の誕生日が一番良いですよ」
  と言われた。大安も、黄道吉日も問題ではなかった。当時は、一枚の着物に縄の帯をしめていた
  ような貧しいその人が「僕の誕生日が一番良い」と言われた時、私は不思議な気がしてその人の
  顔を見つめた。大安が良い、仏滅が悪いという世間の常識を無視して、自分の誕生日が一番良いと
  いうこの人は、ずいぶん自信があるのだなあと私は思い、そのまま素直に同意したものであった。
  ・・・・・四十五年十一月の金婚式は、五十年前とは雲泥の差であって、生長の家本部道場で挙式され
  白髪まじりの夫と私とは、新調の紋附を着て、「實相」の掛軸の前に頭を垂れた。
  その二人並んで立った背後には、階下も階上も信徒でいっぱいであり、二階の後方には立っている人も
  沢山居られた。老いも若きも、男も女も、みんな私たち二人を祝福して、清らかな眼を輝かして見つめて居られた。》

 (『人生の光と影より』) 『光を見つめて』 谷口輝子先生九十年の足跡 編集・発行 生長の家温故資料館

2597a hope:2013/10/15(火) 07:19:50 ID:Zlo2YeaM

▣ 完全の祈り

今わたしは自分のいのちが神のいのちを、父母のいのちを通していただいたことを知ったのであります。
だから私は父母の子であると同時に″神の子″であります。
″神の子″というのは、神の生命がわたしに宿っていることでありますから私は完全であります。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2598a hope:2013/10/16(水) 07:29:11 ID:Zlo2YeaM

▣ 進歩の祈り

私は神の子である。
だから無限の力が私の内にはやどっているのである。
その無限の力が常にますます多く発揮されるがゆえに、私は常に進歩するのである。
神の力は、学校でも家庭でも、山でも海でも、ますます発揮されるのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2599a hope:2013/10/17(木) 08:33:06 ID:Zlo2YeaM

▣ 調和を得る祈り

神は愛であります。
神は調和によってまっとうせられます。
調和のないところには争いや憎しみや嫉妬があって愛はありません。
神は愛であり、愛は調和であり、私は″神の子″でありますから、
私はすべての人々に調和してなんでも行います。
他の人が私に反対をとなえれば、その人が調和してくれるように祈ってけっして争いません。
したがってその人もきっとわたしの味方になってくれます。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2600SAKURA:2013/10/17(木) 10:39:22 ID:FIUIhwU2
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567>>2571>>2582 の投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その③

 婦人は、こう答えました。
「何ももっていません。私は貧しいのです。私には四人の幼い子供があるんです。叔母は
大きな家に住んでおって、召使を沢山雇っているし、使っても使いきれない程のお金をも
っているんです。所があの狡猾な法律家が叔母に愛情を感じているかのように見せかけ
て、叔母をたぶらかそうとしているんです。叔母は淋しいもんですから、その法律家と一
緒に散歩に出掛けたりなどしているのです……」

「そんな男女的な愛情を別として、あなたはその叔母さんの唯一の生きている血縁なのだ
から、あなたには、あなたでなければ与えることのできない肉親のものからの愛情がある
筈だ。それを与えるのには、金がなかったら与えられないとか、貧しくては駄目だなどと
いうことはない。一文もなくても、叔母さんに対して優しい言葉、深切な行い、親身な思
いやりというようなものは、与えようと思えば与えられる。叔母さんも本当は、そのよう
な愛情を受けたいのが本心なんですよ」
とマン女史は言われました。そして、

「真理の生活をその叔母さんに対して実践してごらんなさい。愛行をしてごらんなさい。
それを実践するのにお金を目的にしたり、何かの種類の助けを求めてはなりません。天と
地とを創った宇宙大生命、そして凡ゆるよきものとよき考えとで満たされている大生命に
求めるのです」
と、 善きことを与えておいたら、それが天の倉に貯えられる、その天の倉なる大生命に
蘄田=蘄の田として貯えられるのだから、叔母さんに対して無条件に、貰おうと思わない
で、天の倉に貯えられるために、叔母さんの求めている、唯一の肉親の者としての愛情を与え
てあげなさいということを教えられたのです。

“愛情讃歌を与えなさい。叔母さんを勇気づけるような優しい讃め言葉で、出来るだけ叔
母さんの善き性質をみつけるように努めてあげなさい。叔母さんも神の子であって凡ゆる
善き性質をもっているんですよ“とマン女史は訓えました。ところが、彼女はこんなこと
を言いました。

「叔母さんが、あんななのに、私が叔母さんにそんなに深切にしなければならない理由が私
わかりませんわ」
                             つづく

2601SAKURA:2013/10/17(木) 10:41:13 ID:FIUIhwU2
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567>>2571>>2582>>2589
の投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その④   【引用編…】
>>2589投稿の続きです…。

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ

■今日のお話から〜♫
過去にさかのぼりますが〜♫ 当時!或る「東京の教化部長」の事を思い出します。
❤〜【 その教化部長先生の体験談なのです。…が? 】
それは『青年会の頃…』その時の事です。当時!御年配で、身寄りのいない方でしたでしょうか?
但し、身体が不自由なご様子でしたので、御夫婦二人で…つまり「奥様…」と一緒に【介 護!】を
なされたようです。この時、先生は、全ての介護を〜〜〜したそうです。…が?
今日の【介護…】と同じく、【その全部の介護!!】でしたかと。相手の方は、身寄りがいない事…ふびんに
思われ、更に、寂しく「あの世」に行かせる事は、出来ないと、当時!純粋なる気持で、
『青年会で出会った奥様』と一緒に【介護の日々…】ですかと。その後、とうとう亡くなられて…><
この時に、相手の方(この方…)がなされた“真心…”は、この“お礼…”として、全て〜〜〜
当時でいいますと〜〜〜私が若い頃ですから「昭和40年〜〜50年代」になるのでしょうか??

その頃!【遺産の土地…?お金…?】をいただき!金銭価値として『一億…』いただいたそうです。
この様な事をお聞きしましたが?この頃で❤【 奇 蹟 】と騒いでいましたようです。…が??

■「ステラ・テリルマン女史…」での答弁では〜〜〜??【当たり前…】と言われそうですネ!
当時の私は“スゴ〜〜イ!”と思って、何で?如何して?そのような“大金…”が入るのでしょうか??
…と、ひそかに思いましたので〜〜〜す。…が?今!ようやく分かるようになりました。

【お金…】この希望成就でしたら?当然ながら、その前提として「神様の御心に叶った願い…」である事は?
いうまでもありませんが 〜♫ 当に!
■「与えよ!さらば…与えられん」の法則……にのる事でしょうか??

「トキ様…」は、このお話を御存じですかと思うのですが〜〜〜?尚!このいただいた【お金…】の一部は、
現在の「生長の家…献金」なさったとの事を耳にしております次第です。…が?この先生でも「献金…」後は?
「末端信者・・・」ですから〜♫ 気になりますのは・・・!
今ではこの「教化部長先生」は、何処にいらっしゃいますのでしょうか???知るよしもありません。…が?

                                              再合掌

2602a hope:2013/10/18(金) 08:11:30 ID:Zlo2YeaM

▣ 人々に愛される祈り

私は″神の子″である。
″神の子″であるから、″神″なる親さまの″光の心″が宿っているのである。
その光は愛の光である。
私の心は神の愛の光に照らされて、すべての人々のあやまちを赦すことができるのである。
愛の光の行くところ、憎しみの暗(やみ)は消え、すべての人々となかよくなることができるのである。
私はすべての人を愛するがゆえにすべての人に愛されるのである。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2603うのはな:2013/10/18(金) 18:03:59 ID:csrtWQ46
   「わたしは金剛不壊である。わたしは不変である。わたしは生命そのものである」

『無限の生命』 浄め

 日本人は早くから海は神聖なものと信じて来た。禊や祓をすれば身のけがれが取り除かれるものだと
疑わなかった。藻塩や塩を浄めのために使うのは、すでにわれわれの中で日常化している。
 われわれ日本人は海から生まれ育ち、海と共に生きてきました。周りを海に囲まれた環境からいって自然のことです。

 その海にみなぎる水は水平に平等に横たわり極まるところがありません。
そして清らかに澄む水に穢(けがれ)を除く神秘さがあると昔から信じられてきました。
 水に身体を浸し、身体についた穢れを洗い流す禊(みそぎ)はその精神を端的に物語ったものです。
海水から生まれる塩にも神聖さがあるとするのは水の浄化力を具象化したものです。

 あるいは海藻や潮水を神前にささげるのは、塩が穢れをはらうと信ずるからです。
所によっては潮水のかわりに海砂や川砂を使います。それが「お潮井」の行事です。
われわれの日常を見回してみましょう。相撲の仕切りの時に力士がまく塩。弔いのあとに五体を清める浄め塩などの
習俗が思い出されます。

 また瀬戸内海や九州の漁村では一家の主人が早朝、浜辺に行き潮水桶に海水を汲んできて神棚に供えたり、門前にまいて
辺りを浄める風習があります。農村の中には早稲の刈り入れの時、最初に刈る稲に潮井をかけ「神の穂」にする儀礼が残っています。
先にふれたみそぎの例ですが、祭礼の前に潮掻(しおかき)といって、潮垢離(しおごり)つまり潔斎をする習わしが、ほうぼうの漁村で見られます。
この「浄」のイメージは、われわれの古典「古事記」や「日本書紀」の中のイザナギ、イザナミの神の物語りに見ることができます。

 イザナミの神は火の神を生んだので黄泉国(よもつくに)に帰りました。
イザナギの神はその后(あと)を恋しく思い黄泉国に行ってみると、そこは暗黒と汚濁の世界です。
イザナギの神は奥へ行き、頭にさしていた櫛の歯の一本を折って火を灯し、中をご覧になるとイザナミの神の体にウジがいっぱい湧き、頭、胸、腹などに
八種の雷神がいる、といったものすごさです。イザナギの神は一生懸命になって、そこを逃げ出されました。

 生と死の戦いからやっと解放されたイザナギの神はいのちの根源である心身を浄めねばなりません。
明かるく健やかな生命こそ、限りない幸せを生み金剛不壊(こんごうふえ)の境涯をささえるものだからです。
イザナギの神は禊(みそぎ)の場所を求めて筑紫(つくし)の日向(ひむか)橘の小戸の阿波峡(あはき)が原に行かれました。

 筑紫は日本文化の発生の地であり、日向はやがてさし昇る太陽を迎えることのできる陽明の方角であり、橘は良き今の続く常世(とこよ)の
めでたさを象徴する霊木であり、その青々として緑なす地帯が阿波峡(檍)が原だったのです。
 イザナギの神は、その神聖な海辺の中つ瀬を選んで身を沈め、体についたけがれを振り落して浄められました。
すると最初はマガツヒノカミなど汚い神々が生まれました。

 禊祓というのは洗濯ですから汚い汁が出るというわけです。最後に生まれたのがウワツツノオ、ナカツツノノオ、ソコツツノオの
三柱の神でした。「古事記」では「三柱の神は、墨江の三前の大神なり」と書いています。
これが住吉の大神で禊ぎという浄めによって天照大御神が誕生されました。

   希望をもて夢を描け そして前進せよ  生長の家 』

○このような全面広告が西日本新聞にも長崎新聞にも出たのである。

 (原文旧漢字・旧仮名 投稿者 現代字に変更)

2606うのはな:2013/10/20(日) 22:32:54 ID:tk5vccSQ

  国のいのち 人のいのち
  http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32

2607かぴ:2013/10/21(月) 11:27:29 ID:oEnYKIyI

心と行動に太陽を持て

あなたは一分一秒といえども、暗い想念や陰鬱な感情で自分の心をみたしてはならないのである。常に積極的に、前進的に、物を考え、明るい心をもって、常にいまよりも一層善き状態が顕れて来ることを信じて、勇気を以って仕事に取りかかるのがよいのである。

あなたは、あなたの仕事を金銭の価値をもって考えてはならない。あなたは自分の”生命エネルギー”を情熱をもって献(ささ)げなければならない。

豊かに献げることをもって歓びとせよ。豊かに献げるとき、報い求めずしてかえって一層大なる報いが返って来るのである。

( 谷口 雅春先生著 「信仰の活人剣」より )

2608SAKURA:2013/10/21(月) 21:57:58 ID:A5psoVbE
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…】

■□ 今日は、久しぶりに「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

   二 月 十 日
 
憎みながら叱る心で軽く打つと子供は泣く。同じ強さで打っても愛撫する心で愛慰(あいい)
すような形で打ったら子供はかえって喜ぶだろう。痛さは心にあるからである。

 かって野村義隆さんが道場で指導していた朝のことである。禅家の道場破りを仕事に
しているような物凄い格好の修行者が来た。そしてたずねた。
「生長の家では肉体は無いというんですね。」
「そうです。」
「痛みは心にあるんですね。」
「そうです。」
「では痛みは肉体にはないんですね」。」
「そうです。」
「それではあなたの肉体を打っても痛くありませんね。僕はこれから君を打ってやる!」
殺気がその修行者の眼から一閃、野村さんの方へ走った。そのままいたら野村さん
を殴りでもしかねるまじき姿勢である。

 と、たちまち野村さんの方が起ち上がってその修行者の方へ近づいていったかと思う
と、ピシリとその修行者の頬を打った。痛いか痛くないか冷暖を自知せよというのにあ
ったらしい。やがて野村さんは元の座へ還って来て、何事もなかったように別の修行者
と話していた。

 野村さんが打たなかったら、野村さんは修行者に打たれていたかもしれない。野村さ
んの気魄の方が修行者の気魄に打ち勝ったので修行者がうたれたのあった。
 打つ心は打たれなかったら、野村さんは修行者に打たれていたかもしれない。野村さ
んの気魄の方が修行者の気魄に打ち勝ったので修行者が打たれたのであった。

 打つ心は打たれる心である。打つことを心に描けば、その念(こころ)は形と表れて相手
を打つ。相手の気魄が強ければ、それはかえって自分自身に還ってきて自分自身を打つので
ある。阿難が釈尊に対って人を憎んだ心を相手が受けなかったら、その憎んだ心はどこへ行
きますかと尋ねたときに、釈尊は「お前は贈り物を人に持っていった時に相手がそれを受け
取らなかったらその贈り物は誰のものになるか」と問い返された。阿難は「それは贈った
人に返ってきます」と答えた。釈尊は「人を憎む心もそのとおりだ」とおっしゃった。

 そのころ、道場には夜も指導があって、夜間はわたしが受け持っていた。その同じ修
行者がその夜も来ていて同じようにわたしに問いかけた。
「肉体は本来無いんですね」
「そうです。」わたしは朝の出来事を知らないので何心なくこう答えた。
「痛みは心にあるんですね。」
「そうです。」
「それでは先生の肉体を僕はこれから撲りますが、傷みはありませんね。」
修行者は今にも撲りに来そうな姿勢である。
「それは痛いにきまっている」とわたしはとっさに答えた。
「なぜ痛いんだ、無い肉体がなぜ痛いんだ。痛ければ、今後肉体に痛みは無いなどと言うな。」
 
恐ろしい剣幕で修行者は詰めかける。わたしは静かに答えた。
「肉体そのものは傷まないが、お前の心が痛いのだ。人を譲ろうとするお前の心には痛み
がある。『五官は心の影を見るに過ぎず』と『甘露の法雨』にある。五官は心の痛みを映すものだ」
『ウーム、よし!』と言ったきり、修行者は立ち上がりかけた膝を畳に落ちつけて俯向
いたまま動かなかった。そしてわたしが他の修行者と話しているうちにその修行者はど
こかへ姿を消してしまった。
                          つづく

2609かぴ:2013/10/23(水) 10:38:41 ID:oEnYKIyI

”目無堅間(めなしかつま)の小船”は大乗至彼岸の神秘行

 目無堅間の小船と云ふのは、時間空間の目盛りがなく空間なく、無空間にきしっと堅く詰っている堅間の小船であって、時間、空間十字交叉の十字の中心の時間、空間いまだ顕はれざる「無」の一点の、一点もない超時空の世界ーーそれが竜宮海であって、そこへ運んで行く船が目無堅間の小船であって、それは、「我れ今五官の世界を去って、実相の世界に入る」といふ神想観によって、ズーッと何物も失はれてゐない実相世界に入って行くことです。

 それを入竜宮不可思議境界といふのです。

 つまり、目無堅間の小船に乗るといふことは、塩椎神さまより神想観を教へられて、実相の世界、言ひかへると竜宮海へつれて行かれたわけであります。

 彦火火出見尊が竜宮海へお出でになりますと、そこに一尾の鯛がちか頃、喉に何かひっかかって喉が痛い痛いといってゐるさうであるといふので、「彼を呼んでこい」と、いふことになりまして、その鯛を呼んで来て口を開けてのぞいてみると、ちゃんとそこに釣針があったといふのであります。その彦火火出見尊様が豊玉姫命即ち謂ゆる竜宮の乙姫様と結婚をなさいますことが古事記に書かれております。

( 谷口 雅春先生 神武建国の系譜とその理想   古事記の彦火火出見尊が釣り針をなくしてなげいて泣いておられた時に出てこられた塩土神様の話より )

2612a hope:2013/10/25(金) 07:37:15 ID:Zlo2YeaM

▣ 神と一体感の祈り

神はすべてである。
神はいたるところに満ちみちていられるのである。
私の周囲に、上にも下にも、前にも後ろにも、右にも左にも、
すっかり神が私を包んでいるのである。
私は神の中に生き、神は私の中に生きているのである。
私の生命が神の生命なのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2613SAKURA:2013/10/25(金) 20:32:48 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編… &  引用編… 】

■□ 今日は、久しぶりに「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

   二 月 十 日
>>2608 の投稿の続きです。

■□ 野村さんの捌き方と、わたしの捌き方とどちらも個性が出ていておもしろいと思う。野
村さんが道場に出れば「叱られる、叱られる。野村さんはこわい」と修行者は噂する。と
きには「道場であんなに憤怒の形相をされては生長の家の名にかかわるから一日も早く道
場へ出ないようにしてほしい」と投書して来た人もあった。

 しかし野村さんに叱られて悟ったと喜ぶ人も、叱られて病気が治ったと感謝する人も
たくさんあった。相手を愛しなければ、公な心であんなに思うままに修行者を叱りう
るものでない、損得を考えたらあんなに叱りうるものではないと批評する人もあった。
「そんなに叱ったら生長の家へ修行に来なくなりますよ」と忠告する人があると、「指導
の最中には相手を指導することきり考えない。修行者が増えるとか減るとか、損得のこ
とを考えて指導する奴があるか」と野村さんはその人に一喝したこともあったと噂にきい
たことがある。

PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ

>> 打つ心は打たれる心である。打つことを心に描けば、その念(こころ)は形と表れて相手
を打つ。相手の気魄が強ければ、それはかえって自分自身に還ってきて自分自身を打つので
ある。阿難が釈尊に対って人を憎んだ心を相手が受けなかったら、その憎んだ心はどこへ行
きますかと尋ねたときに、釈尊は「お前は贈り物を人に持っていった時に相手がそれを受け
取らなかったらその贈り物は誰のものになるか」と問い返された。阿難は「それは贈った
人に返ってきます」と答えた。釈尊は「人を憎む心もそのとおりだ」とおっしゃった<< (抜粋文)
◆ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◆

■ほんとうにそうです〜〜〜ネ!!【 贈物 】をしまして、仮に相手が、受け取らない場合?
その時はと?――>その【 贈物 】は、自分に戻ってきますョネ!!
この事は、案外と普段?気付かないものなのでしょうかしら〜〜〜ン??

昨日は【フエス・ブックにシェア―】が紹介されていました。その方の文章から〜〜〜♫

【 相手を変えようと思う前にまず自分が、先に変わらないといけませんですね!!】と…
同感しましたので〜〜〜す。簡単なようで?これも相手に【変・化】を求める前に、此方が
変わらないと〜〜〜何の進歩も見出せないと思えたのです!!ですので【恨む事…】このような
ネガティブ感情は、何の“役…(プラス)”にもならないものでしょうかと。!!まず【恨む前…】
更に【裁く…】前に、相手の〜〜〜【重・要・感・は??】考えますと〜〜〜
此処に人間関係のつながりがみえて来ます。(相手の方から、素敵なメッセージ頂きました…。感謝)

■□昨日・・・「総裁先生…」は〜〜〜しつこく?(微笑)【キノコシリ−ズ…】です。

皆様は、これに関して〜〜“うんざりした事ばかり”の“きのこ…”繰り返し投稿記載が書かれています。
これは?まず!相手を優先に〜〜〜裁いているのです〜〜〜ョネ!
相手を裁く事は〜〜〜その本人がどれだけ裁く事の“人格…”があるのでしょうか?
当然その権利は〜〜〜「神様だけ…?」・・・正直!“人格…”見えませ〜〜ンョネ!
その前に、まず!どうしてこのように【 キノコがエコ運動】に繋がるかを、相手の【重・要・感】を
見る“心の目”がベターのように思います。

私は、昨日〜〜〜【再・発・見…】この気付を頂きましたので〜〜〜す。

                                   つづく

2614SAKURA:2013/10/25(金) 21:24:51 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 引用編…】

■□今日は、久しぶりに「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

>>2608>>2613投稿の続きで〜〜〜す。

■【 キ・ノ・コ は“エコ運動=ノ−ミート”で〜〜〜す。 】

【 肉・食 】ではなく!これも【エコ運動】だと!更に【お肉なし??】でも、こんなに
“ボリューム”たっぷり美味しくいただけるョ〜♫ と… そうなのです〜〜〜ョネ!

このように「皆様方」に一つの“提案…お知らせ”をしていただいていると分かったので〜〜〜す。
こうして考えてのいきますと…こちらも【心が豊か…】になりますでしょう。 (微笑)

                                     再合掌
PS:「トキ様」へ  「観覧者の皆様」へ
この投稿の続きは 〜〜〜♫
■□ 更に【ブログ…】にて“一両日中…?”に投稿させて頂きます…。
↓     ↓     ↓     ↓
■ ゆ・と・り・す・と…『真理』SEICHO−NO−IE
http://hert1706-go4snbs3yts.blog.so-net.ne.jp/  ブログ名…・URL…

【徒・然・物・語…】にての“投稿…”とさせて頂きます…。 のんびり〜〜のんびり〜〜♫

2615アクエリアン:2013/10/26(土) 20:12:23 ID:F2iFe02Y
ラルフ・ウォルドー・トライン著
「幸福はあなたの心で」を日英両語で読む


Chapter 2 - The Supreme Fact Of The Universe

第二章
宇宙における至高の真理

THE great central fact of the universe is that Spirit of Infinite Life and Power that is behind all, that animates all, that manifests itself in and through all; that self-existent principle of life from which all has come, and not only from which all has come, but from which all is continually coming.

宇宙における最も目をみはる中心的事実は何といっても無限の生命、無限の力を有する宇宙霊というようなものがあらゆるものの背後に存在して、それがすべてのものに生命を賦(あた)え、すべてのものの内に、すべてのものを通して、それみづから顕現しつつあるということである。それは第一原因として、それみづから存在する原理であって、その原理から万物が生じ来ったのである。否、単に生じ来っただけではなく、今も尚、こんこんと湧き出づる泉の如く万物がそこから発生しつつあるのである。

谷口雅春先生訳「幸福はあなたの心で」より

宇宙の中心にある偉大な事実ーーそれは、すべての背後には「無限の生命と力のスピリット」が働いていてすべてを動かし、すべてを通じて、すべてのなかに現れているということである。すべては、この自立した生命の原則から生じた。すべてが生じたばかりではなく、いまも生じ続けている。

吉田利子訳「人生の扉をひらく「万能の鍵」」より

2616アクエリアン:2013/10/27(日) 14:34:39 ID:N1gtCt5s
ラルフ・ウォルドー・トライン著
「幸福はあなたの心で」を日英両語で読む

Chapter 2 - The Supreme Fact Of The Universe

第二章
宇宙における至高の真理②

There is then this Spirit of Infinite Life and Power behind all, which is the source of all. This Infinite Power is creating, working, ruling through the agency of great immutable laws and forces that run through all the universe that surrounds us on every side. Every act of
our everyday lives is governed by these same great laws and forces. Every flower that blooms by the wayside, springs up, grows, blooms, fades, according to certain great immutable laws. Every snowflake that plays between earth and heaven, forms, falls, melts, according to certain great unchangeable laws.

それだから、すべての物の背後には、すべてのものの本源なるところの無限生命・無限力なる「霊」が存在するのである。我々を取り巻いて至るところに遍在するこの無限力者は、一定不変の大法則と力とを媒介とし、創造し、働き、支配しつつあるのである。我々の日常生活のあらゆる行動もこの同じ大法則と力とによって支配されているのである。路傍に咲きいでる名もなき花の一つ一つも、この一定不変の法則に従って萌え出で、生長し、花咲き、やがて萎むのである。また天と地との間にひひとして降る雪も、一定不変のある大法則によって形成せられ、降りつもり、やがて融けるということになっているのである。

谷口雅春先生訳「幸福はあなたの心で」(日本教文社)より

そうだとすれば、すべての背後にある「無限の生命と力のスピリット」はすべての源なのである。この無限のパワーが不変の法則を通じて創造し、作用し、支配している。そして、その力がたしたちを取り巻く宇宙全体に貫かれているのだ。日常生活のあらゆる行動も、その偉大な法則と力が律している。道端に咲く花々は偉大な不変の法則に従って芽生え、育ち、咲き、枯れていく。天と地のあいだを舞う雪のひとひらひとひらも、偉大な不変の法則に従って形づくられ、舞い落ち、消えていく…。

吉田利子訳「人生の扉をひらく「万能の鍵」」(サンマーク出版)より

2617a hope:2013/10/27(日) 14:59:08 ID:/9IAdiFk

生命の實相 第27巻 久遠物性篇上 

第七章 久遠を流るるいのち

十 トライアンの著作について (より抜粋 P166 7行目〜)

・・・わたしがトライアンのニュー・ソートの本の一つを得たのはわたしに悟りの精神革命が起って「生長の家」をはじめてから後、偶然の機会に、それを古本屋で見出し、立ち読みしてみると、生長の家の思想にソックリのことが書いてあるので、買う気になって持って帰ったのが最初である。

そののち彼の行文がわたしが『生長の家』を書く参考に大いになったものであるが、読み行くにつれて、三十年前日本で『ブッシング・ツー・ザ・フロント』などで有名であったマーデンの著書の文章の一節を始めから終りまでソックリそのままの文句がなんら引用符をもなしに転用させられているのにわたしは驚いて、マーデンの本を引き出して対照してみたこともある。

マーデンとトライアンとは全く同じことが書いてある。

マーデンは平易で通俗的であるが、トライアンは文体が高尚で哲学的である。

その後、わたしの手許に他の著者のニュー・ソートの著書も多く集まって来、それらを読破するにつれて、これらの本はどの著者も悉く同じような文体で、少々ばかり表現を変えていて、実例や比喩までも往々同一なものが混って同じ思想を述べているものであることを発見したのである。

したがってもしわれわれがニュー・ソートを援用する場合において「何某の著述はかく言う」ということはかえってその独創者を誤らしめるくらいである。


ニュー・ソートはかくのごとく十九世紀の前半において米国の書籍店中の書籍の半ばを席巻するほど広く氾濫したらしいのであるが、それが仏教と称せずして実は仏の教えの英国への浸潤であったことはすでに述べたとおりである。

しかし、それはたとい、仏の教えであっても、ラジオの受信機が異なるごとに、その音声に一種の癖をもっているように、その神髄は仏の教えであっても、その悉くが、(その雑音までもが)仏の教えであるわけがない。

ニュー・ソートの著者においても、物質無をといているものもあれば、物質有として汎神論を説いているものもある。

仏教においても、真言宗も、天台宗も、禅宗も、浄土宗も、真宗も、日蓮宗も、そのいずれも仏の教えであるに相違ないが、その悉くが(その雑音までもが)仏の教えであるわけはない。

われわれはただそのうちから「久遠を流れるいのち」を見出し、それに触れ、それに合流すればよいのである。

2618a hope:2013/10/27(日) 15:00:46 ID:/9IAdiFk
>>2616アクエリアンさま

『ラルフ・ウォルドー・トライン著「幸福はあなたの心で」を日英両語で読む』をご紹介くださりありがとうございます。
つい最近、わたしは>>2617に謹写させていただいた箇所を拝読していまして、アメリカのニュー・ソートに関してお勉強したばかりだったので、
とても興味深く、この二つの日本語への翻訳文を拝見できました。

それにしても、同じ英文を翻訳しても、こんなにも表現が違うというのは興味深いですね。
一見、吉田利子さん翻訳文の方が、余計な脚色がなくて簡潔で分かりやすいように感じますが、
雅春先生の御文章には、その宇宙の真理をまことに体得した人でなければ表現できないような説得力というか、
ご文章自体に真理の波動が感じられるように思いました。

2619アクエリアン:2013/10/27(日) 19:47:05 ID:yh1CrJ.I
hope様

コメントありがとうございます。

雅春先生と吉田利子さんの翻訳に対するコメント、私も同感です。

こうして、コメントをしてもらうと、トラインの紹介者として、嬉しいかぎりです。

吉田利子さんは、世界的ベストセラーとなった、「神との対話」の翻訳者で、さすが、トラインの文章の意味を的確に捉えられて上手い日本語に訳されているなと勉強になります。

雅春先生の翻訳は、かつて、ヴァキュームオイルカンパニーで非常に厳密な翻訳を要求される部所で翻訳を担当されておられた方だなということを感じさせられます。

一言一句を決しておろそかにされない翻訳姿勢、そして、トラインの真理の言葉を日本人の読者に漏れなく十全に伝えようという情熱に感服するばかりです。

同じ文章に対して、複数の翻訳を読み比べる作業というのは、非常に勉強になりますし、面白いですね。

2620SAKURA:2013/10/27(日) 20:45:29 ID:bdP2hNg2
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 引用編…】
>>2608>>2613>>2614 投稿の続きで〜〜〜す。

┃■■━┳━━【 お知らせ 】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【 回復力…湧く 】〜〜それは【 真理は一つだからです!! 】
■□−「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜♫
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2608 (第一回)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2613 (第二回)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2614 (第三回)
※転載・引用(一部)を【聖典板】に投稿していました。…が?この【 続き投稿 】を【ブログ…】に記載!
↓     ↓     ↓
■ ゆ・と・り・す・と…『真理』SEICHO−NO−IE
http://hert1706-go4snbs3yts.blog.so-net.ne.jp/  ブログ名…・URL…

━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━−■■

再合掌

2622SAKURA:2013/10/27(日) 21:40:48 ID:bdP2hNg2
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載・引用編】
>>2608>>2613>>2614>>2620 投稿の続きで〜〜〜す。

★♪/
 ┏∞┓ ■ 【 幸せへのパスポート!! 】   谷口清超 著 ■
 ┗┻┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━‥・

❤ 【 心 で 作 り だ す 】

 人間はすばらしい「心」をもっている。この「心」で自分の運命を、どのようにでも操縦する。
たとえば、右に行こうと思えば右に行けるし、寝ようと思えば、ねむれるし、山に登ろうと思え
ば、登山することができる。

 それと同じように、自分の肉体も、どうにでも支配することができるのだ、強くなりたい人は
強くなれるし、病気したい人は、病気ばかりするようになる。少しなまけて、
「こんなに忙しいのはいやだ。ゆっくり一日中寝ていたい」と思うと、すぐカゼを引いて、
「一日中寝る」ようになるのは、そのせいである。

 しかし、「心」で自由に支配できるといっても、やはりそれには練習がいるし、努力もいる。
ボーッとして何の努力もせず、なまけながら「支配する」ということはできない。それでは
人間を「なまけもの」にするばかりだからである。人間は本来、「神の子」で、努力家で、
しっかりした心の持ち主であり、多くのことをやりぬく力をもった人格だ。

 病気を治す場合でも同じである。「心」で自由にできるが、それには努力が必要である。と
いうのは、病気をつくり出したのも、「心」であるから、もとの「心」を支えなければならな
いからだ。 (一部抜粋)
                             つづく 

PS: 「トキ様」 へ    「観覧者の皆様」 へ
■□「 心 … こころ」で、すべてが思う様になるのは〜〜〜やはり【訓・練】ですネ!!
「SAKURA」も今回・・・前回の投稿コメント>>2608>>2613>>2614>>2620からの続きから・・・

やはり! やはり! 【 心…こころ 】で、駆使する事を学びました次第です…。
更に、現在もまだ!まだ!続行中で〜〜〜す。!!
【 幸せへのパスポ−ト――> こころ… 】 その素晴らしさを生みだす事が出来ます〜〜〜ョネ!
                              
再合掌

2623アクエリアン:2013/10/27(日) 23:40:21 ID:f9aisZqc
ラルフ・ウォルドー・トライン著 「幸福はあなたの心で」を日英両語で読む

Chapter 2 - The Supreme Fact Of The Universe

http://newthoughtlibrary.com/trineRalphWaldo/inTune/pages/in-tune-with-the-infinite-011.htm#TopOfText

第二章 宇宙における至高の真理③

In a sense there is nothing in all the great universe but law. If this is true there must of necessity be a force behind it all that is maker of these laws, and a force greater than the laws that are made. This Spirit of Infinite Life and Power that is behind all is what I call God. I care not what term you may use, be it Kindly Light, Providence, the Over Soul, Omnipotence, or whatever term may be most convenient. I care not what the term may be as long as we are agreed in regard to the great central fact itself.

ある意味では、この大宇宙には法則のほかに何ものもないとも言えるのである。もしこのことが真実であるならば、その法則の背後にはこれらすべての法則の創造者である「力」が存在しなければならないし、その「力」は創造せられたる法則よりも偉大なるものでなければならないのである。この凡てのものの背後に存在する“無限生命”にして“無限力”なる“霊”を私は称して「神」とよぶのである。私は諸君がそれを何と呼ぼうと意に介しない。大慈、光明、摂理、超越霊、全能者又は諸君が最も便宜と思われるどんな名称で呼んでも差し支えないのである。宇宙には一切の本源者が存在するというこの中心的な大事実を、私たちが一致して認める限り、その名称如何は何ら意に介する必要はないのである。

谷口雅春先生訳「幸福はあなたの心で」(日本教文社)より

ある意味では、壮大な宇宙にあるのはその法則だけだともいえる。それが真理なら、その法則の背後に何らかの力があってさまざまな法則を生み出しているはずだし、その力はさまざまな法則よりもさらに偉大なもののはずだ。すべての背後にあるその「無限の生命と力のスピリット」を、わたしたちは神と呼ぶ。呼び方は何でもかまわない。「優しい光」でも「恩寵」でも「至高の魂」でも「遍在」でも、わかりやすい言葉なら何でもいい。その偉大な中心的な事実についての理解が一致している限り、呼び方は何でもかまわない。

吉田利子訳「人生の扉をひらく「万能の鍵」」(サンマーク出版)より

>>2615
第二章 宇宙における至高の真理①
>>2616
第二章 宇宙における至高の真理②

2625アクエリアン:2013/10/28(月) 20:52:23 ID:f9aisZqc
ラルフ・ウォルドー・トライン著 「幸福はあなたの心で」を日英両語で 読む

Chapter 2 - The Supreme Fact Of The Universe

http://newthoughtlibrary.com/trineRalphWaldo/inTune/pages/in-tune-with-the-infinite-011.htm#TopOfText

第二章 宇宙における至高の真理④

God, then, is this Infinite Spirit which fills all the universe with Himself alone, so that all is from Him and in Him, and there is nothing that is outside. Indeed and in truth, then, in Him we live and move and have our being. He is the life of our life, our very life itself. We have received, we are continually receiving our life from Him. We are partakers of the life of God; and though we differ from Him in that we are individualized spirits, while He is the Infinite
Spirit including us as well as all else beside, yet in essence the life of God and the life of man are identically the same, and so are one. They differ not in essence, in quality; they differ in degree.

【語句】partaker:苦楽などを共にする人

そういう訳で、私はこれを神と呼ぶが、神はこの無限者なる太霊であって宇宙の至るところに遍在し給うのである。そしてそれゆえに、一切のものは神より生まれたものであり、神の内にあり、神の外にあるものは一つとして存在しないのである。さればまことにも、真理をもととして論ずれば、神の内に私たちは生き、動き、我々の存在を保っているのである。「神」こそは私たちの「生命の生命」であり、我々の「生命」そのものであるのである。私たちは私たちの生命を神より承けた、そして今も間断なく生命を注がれ承けているのである。私たちは神の生命を分かち有(も)つものである。私たちは「個性化した霊」として出現したという意味で「全体生命」から分離したようではある。神は、我々及び諸他の一切のものを包容する無限者なる霊であり、その精髄においては、「神の生命」と「人間の生命」とは全然同一なのである。だから「神の生命」と「人間の生命」とは一体であるのである。それはその精髄においてその性質において異ならないのであって、その程度において異なるに過ぎないのである。

谷口雅春先生訳「幸福はあなたの心で」(日本教文社)より

神とは神ご自身のみによって宇宙全体を満たすこの「無限のスピリット」なのである。すべては神から生まれ、神のなかにあり、神でないものは何もない。したがって、わたしたちは神のなかで生命を得て、動き、存在しているわけで、神はわたしたちの生命であり、人生そのものなのだ。わたしたちは神から生命を授けられたのだし、いまも授けられ続けている。わたしたちは神の生命の一部なのだ。わたしたちと神は違うが、それはわたしたちが個々のスピリットであるのに対し、神はわたしたちすべてもわたしたち以外のすべても包み込む「無限のスピリット」であるからで、本質的には神の生命と人間の生命は同じひとつのものなのである。本質的な違いがあるわけではなく、それは程度の違いに過ぎない。

吉田利子訳「人生の扉をひらく「万能の鍵」」(サンマーク出版)より


>>2623
第二章 宇宙における至高の真理③

2626a hope:2013/10/29(火) 08:14:11 ID:/9IAdiFk

▣ 自然の祈り

ああ、神は偉大なるかな。
見わたすかぎり無限にひろがる大宇宙に数知れぬ多くの星を造りたもうたのである。
その星の中には太陽の二十万倍も大きな星があるのである。
それが、宇宙があまり広大なために小さな星に見えているのである。

ああ、神は偉大なるかな。
偉大なる″神の生命″を私は宿して人間として生まれてきたのである。
ああ、私の生命は偉大なるかな。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2628a hope:2013/10/30(水) 09:03:48 ID:/9IAdiFk

▣ 礼拝の祈り

神はすべてである。
すべてのものは神から生まれたのである。
だから神がこうしていろいろのものの姿にあらわれていられるのである。

机も鉛筆もペンもインキも紙もことごとく神のあらわれである。
だから私はすべてのものの内に神が宿ることを知り、一枚の紙、一本の鉛筆でも大切にする。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2629うのはな:2013/10/30(水) 11:14:28 ID:wCSq1zyk
      急ぐと焦ると

 生長の家本部へ修行に来ている「ひとのみち」信徒がある時「ひとのみちでは急ぐということは善くないと
申しますが、昔から『善は急げ』という諺がございます、善事は急ぐべきでしょうか。それとも善事でも急いでは
ひとのみちに反くことになりましょうか」とお尋ねになったことがあった。

 生長の家では、「常に時は今である」と言う。それは今の瞬間に久遠永劫の力がかかって、動こうとしていることを知れという
ことである。水道の栓を一つ捻らねば永劫にその栓を捻じる時はこないのである。
われわれの行動の支点は常に「今」にかかっている。「今」よりほかに何事も成す時はない。

「今」を見逃す者は永劫に実行の機会を見逃すことになる。だから「善は急げ」である。
しかし、現象界は一定の時間的順序で展開するから、今水道栓を捻じっても、ただちには浴槽の水が一杯になるものではない。
水道の栓を捻じった時、心の世界ではすでに浴槽の水は一杯になっているのである。

 それが形にあらわれるには時間経過を要する。すでに満たされている心の世界を信じないでその時間経過を待ち遠しく焦る者は
事を破壊するのである。種子を播いた時、すでに心の世界でその種子は芽が出ている。形の世界ではある時間経過の後芽が出る。
その時間経過を待たずに急いで土を掘り返して見る者は事を破壊する者である。
だから焦らず、善は急いで今を生かせである。

  『生命の實相』第23巻 宗教問答篇  谷口雅春 先生著

2630かぴ:2013/10/30(水) 11:24:21 ID:oEnYKIyI

   逆境に処して斯く祈れ

 若しあなたを不正にいじめる者があったり、不正に待遇する者があったり、正しいあなたの収入を不正に少くしたり奪ったりするものがあったり、あなたを誤解する者があったとしても、その相手を直接怨んだりしてはならないのである。

 キリストは斯う云う場合「悪に抗する事勿れ」と教えている。

 悪の存在を見てそれに抗したり、悪を認める心によって悪は消えることはないのである。

 あなたの信仰を変えよ。そして「自己にとって相応しき善なる者は自己の心の波長によって引寄せられて来るのである。自分は彼らを愛するが故に、彼らは決して私を害することはないのである。今彼らが私に敵対しているように見えても、それは一層善なるよき物が来る過程である。」かく思念することによって実際一層よき物が来るのである。

( 谷口 雅春先生著  「新版 幸福を招く365章 」より )

2631アクエリアン:2013/10/30(水) 18:29:25 ID:hIJRxoBg
ラルフ・ウォルドー・トライン著「幸福は あなたの心で」を日英両語で読む

Chapter 3 - The Supreme Fact Of Human Life

http://newthoughtlibrary.com/trineRalphWaldo/inTune/pages/in-tune-with-the-infinite-016.htm#TopOfText

第三章人間生活における最大の真理①

From the great central fact of the universe in regard to which we have agreed, namely, this Spirit of Infinite Life that is behind all and from which all comes, we are led to inquire as to what is the great central fact in human life. From what has gone before, the question almost answers itself.

前章において私たちがその結論に同意したるところの宇宙における最大なる中心的真理ーー即ち、凡てのものの背後には無限なる大生命の霊が存在し、それからして万物が発生したのであるという真理ーーよりして私たちは人間生活における最大の中心的真理は何であるかの提題に導かれて行くのである。既に前述したところの真理よりして、この問題に対する回答は自然に引き出されて来るのである。曰くーー

(谷口雅春先生訳)

先にお話しした宇宙の中心にある偉大な事実、つまりすべての背後に「無限の生命のスピリット」があって、そこからすべてが生じるという事実。そこから生まれるのは、人生の中心にある偉大な事実とは何かという問いかけである。これについての答えは、その前提を考えればすぐにわかるだろう。

(吉田利子さん訳)


The great central fact in human life, in your life and mine, is the coming into a conscious, vital realization of our oneness with this Infinite Life, and the opening of ourselves fully to this divine inflow .

人間の生命ーーあなた方の生命も私たちの生命も引っくるめてーーその最大の中心的真理はわれわれの生命はこの大生命と一体である、したがって、私たちはこの真理を意識的に生き生きと自覚すれば、意識的に神の生命の聖なる流れに充分完全に自分の心の窓を打ち開き得るはずであるということである。

(谷口雅春先生訳)

人生の偉大な中心的な事実、あなたの人生やわたしの人生の偉大な中心的事実とは、わたしたちがこの「無限の生命」とひとつであることに気づき、肝に銘じて、充分に自分を開いて聖なる流れを受け入れることだ。

(吉田利子さん訳)

>>2625
第二章 宇宙における至高の真理④

【参考資料】
■アマゾンブックレビューより転載

新選谷口雅春選集 9 幸福はあなたの心で

これは素晴らしいです。 By きらく- 2011/6/15

謝 世輝氏著「願望をゼッタイかなえる信念の魔術」に この本は良書と紹介してあったので、読んでみま した。 これは素晴らしいです。 引き寄せの法則 などの本を読み、ある程度の理 解のある方なら、 きっと気に入ると思います。 訳者が、昭和41年に訳されたからか?
旧仮名遣い、旧漢字が多くて、ちょっと読みにくいかもしれませんが、 漢字には全部ルビがふってあるので大丈夫です。 「人生の扉をひらく「万能の鍵」」という本は、 他の方の訳により、新たに出版された本だそうで す。

2633a hope:2013/11/01(金) 08:52:57 ID:/9IAdiFk

▣ 歓びの祈り

神は光である。
神は光であるから明るい歓びの心をもちたまう。
私は神の子である。
神から明るい心を譲られていて、暗い陰気な心はけっしてもたないのである。
だから私は何を見ても愉しいのである。
歓びばかりがやって来るのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2634a hope:2013/11/01(金) 09:13:28 ID:/9IAdiFk

▣ 善き言葉の祈り

神は言葉によって一切のものを造りたもうたのである。
言葉で話す通りのものが自分の周囲にあらわれてくるのである。
私は人の欠点を話さない、美点のみを話すのである。
だから自分には善きことのみが集まってくるのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2637SAKURA:2013/11/01(金) 19:36:52 ID:3/pn4/Pc

「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567>>2571>>2582>>2589
>>2601 の投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その⑤   【転載編…】
>>2589投稿の続きです…。

「その理由は、その叔母さんが、あなたが好まない所の唯一人の人であるからです」
とマン女史は答えました。
何故叔母さんに深切にせんならんかと言うと“貴女が叔母さんを憎んでいるからだ。憎
んでいるから、深切にしなければならない“というのです。

「貴女は本当に叔母さんを好まないのではないのです。誰でも人を憎む時には自分自身に
憎むべきものがあって、その罪を相手に映して、相手を悪いと思うのです。あなたは自分
のよき住居をもち、それ相応の立派な家具や調度をもつ権利があると思っているのにそれ
が得られない――その自分に対して腹立たしいのです。その腹立たしさを叔母さんに罪を
かぶせようとするのです」


 誰でも人を憎む時には、自分自身に憎むべき欠点があって、自分を憎んでいるのだが、
その罪を相手に移して肩替りさせる。彼女も叔母さんに罪をかぶせて叔母さんは吝嗇坊で
私に金をくれないという風に憎むようになっているんだということを指摘した訳です。自
分が憎んでいる者程愛しなければならないということは、これは非常に大切なことなのです。

 愛している者を愛したって、何の値打もない。自分が生んだ子供を母親が愛する――当
り前のことです。別に徳が高いというものでない。むしろ、子供を愛しないのは気違い
か馬鹿かであって、愛する者を愛するのは当り前のことなんです。

 愛というものは、センチメンタルな“ 好き ”というような感情ではないのです。愛とい
うのは、実じ實相の中から出てくるところの自他一體の自覚なのです。自他一體、即ち自分と
他、相手と自分とが、肉體は別れているけれども、本来一つであるという自覚なのです。

 その本来一つであるところの自覚が出てこない間は、表面のセンチメンタルな心では
“あいつは虫が好かん”とか“叔母さんはけちん坊”だとか言って離れているけれども……
然しその奥底は、互いに一つの生命である神から生まれたのです。その内部から出てくるとこ
ろの、本来一つの自覚に基づいた意志の實践―何々せんと欲すという意志を實践する時
に、魂の進歩というものがあるのです。

 我々の魂の底には、通俗の言葉で言えば、“良心”という良き心が宿っている。佛教的
な言葉で言うと、所謂 “実相”とか“佛性”とかいうものが宿っているのです。實相にお
いては、皆佛であって一體でる。ところが表面のセンチメンタルな心では“好き”だと
か“嫌い”だとか色々言って、反撥したりしているのです。

                              つづく

2638SAKURA:2013/11/01(金) 21:42:37 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567>>2571>>2582>>2589
>>2601>>2637 の投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その⑥   【引用編…】
>>2589>>2637 投稿の続きです…。

PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
此処で「気に入らない人!!」 「嫌がらせされている人!!」……
そのような人こそ【相手の実相…】を見なさいという事……これって!本当に、難しいです〜〜〜ョネ!!
何故なら〜♫〜 まず!私の【視・界…外の方達】から、非常に関わりたくないのに ><
【 尾・行 】とか?いろんな形で、【 四面楚歌 】つまりは〜♫ 一日中の見張りに見えます。…が?
これって?まず【情・報 を先・取・り】したい為なんでしょうかしら〜〜〜ン!首をかしげながら?

私にしますと、このような人は、まず【切・る…事】と〜〜〜更に!まず【この世に存在していないモノ】
このように見るようにしています此処昨今です。実は?“三日前…”でしたか?
「タタキ男の奥さん」でしょうかと。??一瞬!一瞬!変な感じ〜〜〜♫と思いながら?更に“マスク…”
をしていましたのが?雰囲気的にそのしぐさから?こちらに向けて〜〜〜♫フン!フン!と見せつけるように
近づいてすれ違いました。かなりの「形 ・ 成 経由…」でしたが?この女性の好みから〜♫
「タタキ男の嫁さんでしょうか?」との判断に至り〜〜〜【若さ…とは】若作りを本人はしているつもり?
外見上のみの様な感じが、こちらから見ますと見えて致し方なく?【心は〜〜〜何処〜〜〜】

■□ 何か〜〜〜“おかしな世界観…” その様に感じてしまうのです…。

まず!!興味がない訳ですから?私は、そのように一人一人の各自の個性がありますし、
【世界観…】は全くもちまして異なるのですモノ!!ですから〜〜〜♫ このような
人達の【 実・相 】を見る事より、【ノータッチ…かかわらない】まず!心で〜〜〜
唯今【 10月31日 ハロウイン……悪魔払い 】に徹する事でしょうかと??

【続々甘露の法雨…】にも、すべて〜〜〜が【心で作る世界…決定】します。
心!まずトラの“例え話…”を思いました。
■□ 良いも〜〜〜悪いも〜〜〜まず“切・る!!”事から始まる予感でしょうか???
最終的には〜〜〜今回の「マン女史」のお話の方は…【 実・相 】をみる訓練かと…
ケ−ス!バイ!ケ−ス!という事でしょうか???このように思いますネ!!!

再合掌

2639アクエリアン:2013/11/02(土) 12:11:26 ID:6oAY2dpc
ラルフ・ウォルドー・トライン著「幸 福は あなたの心で」を日英両語で読 む

Chapter 3 - The Supreme Fact Of Human Life

http://newthoughtlibrary.com/trineRalphWaldo/inTune/pages/in-tune-with-the-infinite-016.htm#TopOfText

第三章人間生活における最大の真理②

This is the great central fact in human life, for in this all else is included, all else follows in its train. In just the degree that we come into a conscious realization of our oneness with the Infinite Life, and open ourselves to this divine inflow, do we actualize in ourselves the qualities and powers of the Infinite Life.

これこそが人間生活における最大の中心的真理であって、この中心的な事実のうちに他の一切のことは含まれており、爾余の一切は付随的に発生するのである。私たちがこの無限の大生命と一体であるという真理を意識的に自覚し、自分自身を大生命の聖なる流れに、自分の心を打ち開き得る程度によって、私たちが実人生において大生命の徳と力とをどの程度現実化し得るかということがきまるのでる。

(谷口雅春先生訳)

これが人生の偉大な中心的な事実であり、すべてはここに含まれるし、すべてはここから始まる。どこまで意識して「無限の生命」とひとつになれるか。この聖なる流れにどこまで自分を開けるか。その度合いに応じて、わたしたちは自分のなかにある「無限の生命」の資質と力を実現することができる。

(吉田利子さん訳)

>>2631
第三章人間生活における最大の真理①

2640a hope:2013/11/04(月) 22:11:42 ID:/9IAdiFk

類纂・生命の實相 『人類無罪宣言』谷口雅春先生著
編者 楠本加美野先生


   罪業もとよりかたちなし
   妄想顛倒のなせるなり
    ――― 親鸞 ――――

編者のことば①  (p1〜)

人間の不幸は、最近の精神分析の新しい発見によると潜在意識の深層に淀んでいて消えない ″罪″の観念の自己処罰だと解釈されています。
この意識の深層に横たわる罪の意識が消されるならば、自己処罰による人間の不幸が生じないで終熄(しゅうそく)する筈である。
戦争の発生すらも罪の意識を焼却するための自己処罰だと精神分析学者は言います。
多くの人たちが『生命の實相』を読むことにより、不治の病から癒された実例が体験としてあらわれているのは『生命の實相』の説く
「人間、本来、神の子にして罪無し」の真理が同書の雄勁(ゆうけい)なる文章の力となって読者の潜在意識に浸透し、
意識の深層にある罪の観念の蓄積即ち ″業″が消去せられるからなのです。
罪業本来無し、それはただ観念的存在なのであることを私は自分の体験によって実証したのです。
(つづく)

2641a hope:2013/11/04(月) 22:15:45 ID:/9IAdiFk
>>2640つづき)

編者のことば② 

私は昭和三十一年、宇治修練道場に於いて練成の手伝いに励んでいた頃、
後に述べるが如き家系に係る業因について悩んでいたのであるが、練成局長である徳久克己理事から、
『生命の實相』の各章から「罪本来なし」に関する文章を系統的にまとめて抜粋筆写して
潜在意識の中にある ″罪″の観念を徹底的に消去するよう勧められました。

その頃宇治では山を崩し、谷を埋める献労を中心とした練成をしていました。
私は昼間は山崩しに全精力を捧げ、夜は『生命の實相』をひたすら読み「罪本来なし」の問題にとりくんでいました。

私は新しい気持ちで『生命の實相』を読みはじめました。
入信まもなくの頃『生命の實相』十回通読を念願にたて、四回までは毎日毎日少しずつ読みましたが、
それからはわかりきった事を読むような気がして、思い出しては読む程度で八回通読しました。
今度はテーマを与えられた事によって、今までと全然違った感激をもって、読むことができました。
すると、今までわかったような気がしていたのが、実は漠然としていてさっぱりわかっていなかったことがはっきりしてきました。
(つづく)

2642a hope:2013/11/04(月) 22:18:38 ID:/9IAdiFk
>>2641つづき)

編者ことば③(p2〜)

先ず罪の問題を全て『生命の實相』から抜き書きしました。
次に谷口雅春先生のあらゆる御本から抜き書きしました。
しかしそれを系統的にまとめる事が難事でした。
何回もあきらめようとしましたが、その度に徳久先生から励まされ、終りに「祈りなさい」と言われました。

私は四時に起きて神想観をすることにしました。
二か月位つづけた時、目次がひらめきました。
それは、″苦行不要″ ″犠牲不要″ ″神罰なし″ ″罪なし″ ″懺悔″ ″因果を超越する″でした。
私は希望に燃えてまとめ出しました。

その頃、それまで三回も流産してその後、子供が宿らなかったわが家に、神の子が宿りました。
そしてこれまでの研究を「人類無罪宣言」としてまとめ上げた時、長男が生まれました。
谷口先生から行孝(ゆきたか)と御命名いただきました。
(つづく)

2644a hope:2013/11/05(火) 00:02:23 ID:/9IAdiFk
 (>>2642つづき)


編者のことば④(p3〜)

この事は谷口先生が、『生長の家』誌三十三年号の「明窓浄机」に次のようにお書きいただきました。

>生長の家宇治修練道場の楠本加美野講師夫人が去年の暮ちかく玉の如き男子を出生せられたことを爰(ここ)に報告しておきたい。
同夫人はこれまで三回も流産された。これについては楠本講師が、まだ青年時代の頃の自分自身の親不孝の罪の具象化、
又は家系につながる両親の跡嗣(あとつぎ)は得られない業因の具象化であって、
もう永久に自分には血のつながれる跡嗣が得られないかも知れないと心配されていたのであるが、
徳久克己理事が飛田給や宇治の職員に『生命の實相』を繰返し精読する機縁を与えるように、
それぞれ或る問題に視点を集注して、特に或る事項に関する抜き書きを職員たちに命ぜられた。
楠本加美野講師に割当てられた事項は、「罪本来なし」という真理に関して記述してある『生命の實相』中の文章を特に注目して、
書き抜いて筆写して整理することであった。
ところが楠本講師がその「罪本来なし」の真理と取り組んで筆写しておる内に、
「自分の親不孝の罪業も家系に伝わる両親の跡嗣となる子供が代々得られないという業因も本来なし」ということが
徹底的に潜在意識に印象されるようになったのである。
そこで今まで潜在意識中につかまれていた流産の業因が消えてしまって、玉の如き男児が得られることになったのである。
この実例によって、業というものは何処に存在しているかといえば、潜在意識の中につかまれているのであって、
聖典読誦の繰返しによって潜在意識を浄化すれば、個人及び家系に伝わるすべての罪業は
消えてしまうものだということが証明されたのである。<
(つづく)

2646再掲:2013/11/05(火) 02:00:04 ID:???

名前:SAKURA 投稿日: 2013/11/04(月) 21:58:30 ID:FDHLkvKk
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ 

■□「古きよき時代…雅春先生の時代の真理の伝・道…」但し?【 回・想】に思いふけるのは?
本当に!今を活かす事に繋がるのでしょうかとも?

2647SAKURA:2013/11/05(火) 03:08:16 ID:aWzD9cbE
「トキ様」へ  「観覧者の皆様」へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2637>>2638 の投稿から “思考…範囲” をひろめますと〜♫

■ 類纂・生命の実相   【 人 類 無 罪 宣 言 】     谷口雅春著
                        楠本加美野 編    日本教文社

■□ 第五章 宗教上の 「罪の赦し」 について   P.166〜167頁まで

…中略…
神想観は罪あるままで勘弁する意味では罪を赦すのではありません。円満無罪の実相の中へ溶け込
むことによって、罪(悪念の運動慣性)が無くなるのであります。負債を支払わないで勘弁してもら
うのではなく、実相の富があらわれて来るから、負債が自然に支払われて来るのであります。プラスが
出て来るから自然にマイナスが消滅するのです。貧しいままで、相手から卑屈に負債を免じてもらう
のではなく、自然に富んで来て負債を支払いうるようになるのであります。その例もずいぶんありま
す。悪癖のある人が悪癖のあるがままで人々から我慢されるようになるのではなく、悪念の運動慣性
が破壊されるからその悪癖が無くなるのであります。タバコや、飲酒や、吃語癖などが神想観で自然
に治ったのはそれであります。病気の人が病気のままでもその病気を我慢してもらって、人から迷惑
がられなくなるのではなく、神の子無病に実相があらわれるから自然に病気そのものが影を消すので
あります。その例も無数にたくさんあります。約言すればすべて他から我慢してもらう意味では罪が
赦されるのではなく、罪の運動慣性が消滅せしめられる意味において罪が赦され、罪がけされること
になるのであります。…中略…
                          (一部抜粋)

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
さて!今回の『聖典板…』上記の皆様方が投稿されています“内・容”に???
【 罪の無罪宣言 】です。…が?最近、よく考えてしまいます。…が?
当時の事です…。私が、まだまだ?新米の頃?という表現になりますでしょうか?
やはり【親・不・孝…】をしておりましたから???当時の私は、一度この書籍を拝読しました時!
この衝撃的な “コトバ…”

■ 【罪・は・無・い!!】
この様に、今では、恥ずかしいのですが?勝手に思いまして、“気…”が楽になりました。何故ならば?
皆様もご存知の「甘露の法雨…」の冒頭に、
【天地一切のものに感謝せよ!!…中略…汝らの兄弟のうちに最も大なる者は汝らの父母である。】と…
此処から、いつも〜いつも〜私の“心の中は?闇の世界”という具合に、暗く打ちのべされていました。
それは ><
■「タタキ男…出・会・い(人をだます手口)」が〜〜〜“原因”です。此処から?
すべての『歯車が狂い…』まさに【人生の汚点…烙・印】でしたでしょうかと。??当時?その時に、
【人 類 無 罪 宣 言】この書籍本を読みまして、しかも“途中…リタイア?”なのでしたが?(微笑)

当時の私の“魂…”では〜〜〜勝手な判断にて「モ〜〜〜ウ!罪が無い!!」のだと思えたのです。
【罪…】これは【包み隠す…表れが…罪なのです】
これに【縛りつけられますと〜〜〜罪は、永遠なのです】この様に思えるようになりました次第です。

そうしますと【罪…】・【罪・業】は?どうしますと無くなるのでしょうか!!
■それは“愛”=“慈愛精神”から始まり、そこから「道…心の扇」が開かれてゆくのでしょうかと??

「楠本先生」の素晴らし〜〜〜イ【愛の精神】そして【慈愛精神】へと繋がり、更には、
そこから【天・国・の・門】が〜〜〜開いたものと、改めて“確信”ができました。『感謝…』です…。
そうです〜〜〜ョネ!強い〜強い〜【意・識】が繋がり…先生の慈愛精神が【罪・業】が消す事になった
のです〜〜〜ョネ!!そして〜多々なる「奇・蹟」が生まれたモノと、思う次第です。
ここが“ポイント”でしょうか?

まず【罪は本来無いとの自覚…】とは〜〜〜?
「無・意・識」の中から、何か“施しの精神”が生まれる【慈・愛】これが【愛…】なのですから?
これが生じますと【人間…神の子!!】の目覚めができ始めて〜〜〜【罪・業】が消えていく!!

ですので【無・罪・宣・言】とは、まず、
相手に対していつも【慈・愛・精・神・が・永・遠・に・つ・づ・く・事!】がカギでしょうかと??
この様に思うのです。
                                再合掌

2648a hope:2013/11/05(火) 09:24:44 ID:/9IAdiFk
>>2644つづき)

 編者のことば⑤(p4〜)

この記事を読んだとき初めて、何故いままで流産していたか。なぜ今回子供が誕生したかがわかりました。
私は生まれるとまもなく実父に離れ、十三歳の時継父が出来たわけですが、その二人の父と母を憎んでいました。
飛田給練成をうける事により、二人の父に母に感謝できるようになりました。

その後、婚約を断りに行った時、そこで二十数年ぶりに実父に再会出来、更に数年後、結婚が成立する時、
楠本家の先祖が明らかになったわけです。

こうして結婚する過程に親とか先祖に調和して多くの人々から祝福された結婚でしたが、
子供が宿ったと喜ぶと間もなく流産しました。
また子供が宿ると不思議に夫婦の間に険悪な空気が流れて、後で考えると馬鹿馬鹿しい事で争い、
その結果流産してしまいました。
二度目の流産の後二人は深く反省しました。
今度宿った時、三度目には調和した生活をして立派な子供を生もうと二人はそれぞれ精進して、
三度目の妊娠に備えました。
そうして三度目が宿りました。
しかしその努力はむなしく、二人の間には又も険悪な空気が流れ出しました。
それは二人の力ではどうすることもできませんでした。
それが業の催しだったのです。
そして終(つい)に流産してしまったのです。
何故流産するか、あらゆる面から考えましたが、その当時は不明でした。
私達夫婦の間には、子供が出来ると不幸になるような不可抗的な力があるように思えました。
(つづく)

2652a hope:2013/11/06(水) 08:49:51 ID:/9IAdiFk
>>2848つづき)

編者のことば⑥(p5〜)

しかしながら真理は私を救ってくれました。
前記のように『生命の實相』の全巻の中から「罪本来無し」の真理を重点にして抜粋し、
その筆写が「人類無罪宣言」の一冊にまとまるほどに原稿用紙に整理された時、
家系連綿とつづいた ″業″が消えたとみえて、私の家庭に長男が恵まれたのです。
本書はこうして綴られた、『生命の實相』中の業因を消去する聖句の部分の類纂であるわけです。

楠本家には何代かにわたって、つねに、もし子供が生まれたら子供一人を遺して親は死ぬ。
親と子とは両立できない恐ろしい業因が連綿としてありました。
私は結婚しました。
そして、その連綿継続した業因が消えないままで、もし子供が出来たら私たちは子供一人を遺して、
生き別れか死に別れの運命にあったのです。
親が死ぬか、子供が死ぬか、それがその時まで子供が次々と流産した深いわけでした。

それは恐ろしい家系につながる ″業″でした。
しかし私が、『生命の實相』の中から「業本来無し」「罪本来無し」の項目に関する文章を抜粋して筆写して、
その研鑽が徹底して「本来、人間・神の子、罪業無し」の真理が私の潜在意識の奥底に印象された時、
その業因が消えて長男が生まれたわけです。
そしてその後、尚、二人の子供も出来、今は全く幸福な家庭に恵まれているのです。
(つづく)

2653a hope:2013/11/07(木) 08:45:24 ID:/9IAdiFk
>>2652つづき)

編者のことば⑦(p6〜)

こうして筆写類纂した「人類無罪宣言」の原稿と子供の写真を谷口先生に献上し、
お礼を申しあげたく先生のお宅にお伺いしましたとき、輝子奥様から「よかったね」と喜びのお言葉をいただきました。
そのとき私はお礼の言葉も言えず、感謝感激のあまり、その場に慟哭するかのように泣いてしまったのでした。
今度、この類纂された『生命の實相』中の「人類無罪宣言」が原著者谷口雅春先生の御厚志で世に出ることになったのです。

私と同じように罪の観念で苦しんでいる人、先祖代々から「悪業」によって苦しんでいる方は、
先ず『生命の實相』の中から特に、 ″罪業本来無し″の真理を抜粋類纂したる本書を読まれて
罪業の観念を消去せられるが良いと思います。
イエスは「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」と言いました。
更に進んで『生命の實相』全巻をくり返し通読されることにより、凡ゆる種類の要素から人間は解放され、
″罪・業本来なし″の真理が心の底に確立され、家庭に幸福は訪れ、事業に繁栄は来たり、
全人類に戦争の業苦なき永久平和の楽園が招来されること疑いはないのです。

ここに、『生命の實相』の説く真理によって家系につづく罪業の束縛から解放されて再び人生に楽園を奪還し得た証し人として、
本書をすべての人類にお薦めしたいと思うのです。

昭和四十七年十二月八日   楠本加美野しるす



以上、

類纂・生命の實相 『人類無罪宣言』谷口雅春先生著
編者 楠本加美野先生  (日本教文社) より

「編者のことば」の謹写をさせていただきました。

感謝合掌

2654a hope:2013/11/07(木) 08:57:42 ID:/9IAdiFk

「罪本来無し」は今月のweb誌友会のテーマでもあります。

「潜在意識が浄まれば、すべての罪業は消える!」って、素晴らしい真理だと思いませんか?

「人類無罪宣言」楠本加美野先生ご講話 
https://www.youtube.com/watch?v=8r5Q7nMza_Q

こちらも素晴らしいですよ!

2657うのはな:2013/11/09(土) 16:05:49 ID:fljG76iQ

『生命の實相』戦前版 第十二巻より  光明掲示板第二
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&amp;mode=res&amp;log=568

2658アクエリアン:2013/11/09(土) 23:33:28 ID:sNQQ/oh6
ラルフ・ウォルドー・トライン著「幸 福は あなたの心で」を日英両語で読 む

が、投稿できません。

NGワードが含まれている、?

NGワードとは何なのか、分かりません。

この投稿はこの掲示板歓迎されていないなんでしょう。

ということでこれはやめます。

2659トキ:2013/11/10(日) 09:50:43 ID:ka8gZUjc
>>2658

アクエリアン 様

 ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

 この掲示版には、毎日、営利目的の投稿が多数来ています。
毎日、それらを削除すると共に、営利目的の投稿をされないプログラムを
組んでいます。それらが誤作動して、真面目な投稿がなされない場合があり
ます。

 この場合、別板へ投稿をされ、本板への移転希望と書かれるか、または、
管理人宛にメールで送って下されば、管理人が代理投稿をします。

tokirijicyo@yahoo.co.jp

です。

 折角のご投稿ができない、という事で、たいへんすみませんでした。
よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

2660アクエリアン:2013/11/10(日) 10:04:19 ID:eNK.dsZ.
トキ様

レスありがとうございます。

なるほど、掲示板運営者側のプログラムに引っ掛かったというわけですね。

了解しました。

2661トキ:2013/11/10(日) 10:06:28 ID:ka8gZUjc
>>2660

 そうです。お手数をかけて、ごめんなさい。

なお、別板に投稿をして、こちらには、『別板の何番にこういう文章を書いたので、
ご覧下さい」と書いて、リンクを貼る方法もあります。よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

2662SAKURA:2013/11/10(日) 15:32:35 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567>>2571>>2582>>2589
>>2601>>2637>>2638 の投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その⑦   【転載編】
>>2589>>2637>>2638 投稿の続きです…。

反撥したりしているのは、表面に浮んでいるもやもやとした雲みたいなものであって、
そんなもやもやしたものに従うのは本当の愛ではないのです。本当の愛というものは、内
部から出てくるところの、彼と我とは本来一つであるという佛の命の實相を自覚する――
そこから押し出してくるものが本当の願いであり、本当の愛なのです。

 表面の心では憎くても、内部から押し出してくる本当の良心、本当の愛に従って相手を
愛し切るという努力の中に魂の進歩というものがある訳なのです。

「そうおっしゃると、私があの叔母を憎んでいる限り、私自身の生活を正しく生きる努力
をしていないということになるんでございますか?」
「その通りです。叔母さんは、いわば囮に使われた羊のようなものなのです。目的は別に
あるのです。真に叔母さんを愛し、その美点を見つけるように努めなさい。あなた自身の
愛が満足されたならば、あなたはあなた自身を憎むこともなくなり、その反映として叔母
さんを憎むこともなくなります」

 本当に叔母さんの美点を見つめて、それを愛するように努力していると……その愛が満
足されたら、自分自身が満足感を得るから、自分を憎むことがなくなる。自分自身を憎む
ことがなくなったら、その反映として、叔母さんを憎むことがなくなるという訳です。

 それから、その婦人は、一生懸命に叔母さんの美点を見つけ、出来るだけ叔母さんに深
切な言葉を言うために、時々御機嫌伺いに出かけて行ったり、親類の者としては自分一人
しかいないのだからと思って、世話してあげることにしたのです。

                           つづく

2663a hope:2013/11/11(月) 07:51:59 ID:/9IAdiFk

▣ 真心(まごころ)の祈り

真心というのは、ま’こ’と’の心なのである。
人間の真(まこと)の心は、″神の心″が宿っているのであるから、
真心を出したとき神の力がわき出てくるのである。
真心を出したとき、他の人々の真心にふれて、
他の人から信じられ、愛され、悦ばれる。
真心を出したとき、何でも親切にできて失敗しないのである。
私はきっと真心をだします。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2665a hope:2013/11/13(水) 07:48:57 ID:/9IAdiFk

▣ 心清まる祈り

月の光の静かなるがごとく、私の心も静かであって、
少しも腹を立てたり、悲しんだり、不平に思ったりすることはないのである。

なぜなら私は神の子であって、神に導かれ、神に護られ、
善きこと、うれしいことのほか何ごとも私に近づいてこないからである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2668a hope:2013/11/15(金) 08:37:57 ID:/9IAdiFk

▣ 愛を深める祈り

私は″神の子″である。
神は愛であるから、″神の子″の私も愛である。
愛の深い人は憎まないのである。
だから私は人を憎まないのである。

たとい人が意地悪をすることがあっても、
その人がまちがっているのであって、
気の毒な人だと思ってその人を赦すのである。
赦しの大きいものほど愛が深く、人物が大きいのである。
私は″神の子″で人物が大きいのである。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2671a hope:2013/11/17(日) 12:15:24 ID:/9IAdiFk

類纂 『あなたは無限能力者』谷口雅春先生著
編者 楠本加美野先生 (日本教文社)

「編者 はしがきより」抜粋P3〜

・・・私は永い間 ″自分さえよければ″という考えをもっていた。今から思うと極端な利己主義者であった。
それは私の生いたちからきたもので根深いものがあった。又この世は生存競争、弱肉強食の世界である。
幸福に生きて行くためにはあらゆる手段を使って生存競争に勝たねばならないと思っていた。
生長の家に入信してもその考えは変わらなかった。
利己的信仰者は人生問題に遭うと『法華教』に書いてあるが、
その通り利己的信仰者であった私は生長の家を熱心にやっていながら終戦後生きる希望を失った。
その時、神性開発練成会をうけ、再び『生命の實相』を心読した。そして私は新生した。

自分の力でいきているのではなく、生かされている真実にめざめた。
そして生かしてくれている空気に、太陽に、あらゆる人の奥に愛を見出し感謝できるようになった。
生かされている私の生きる道は他を生かすことにある。
愛されている私の生きる道は愛行にあると、愛行に自分の使命を見出した。
自分の一生の方針が決まったのである。

更にこの書を編纂することによって、不幸も、苦痛も、競争者までもが、その人の生命を生長させるために与えてくれるものであり、
それを感謝して受けた時、その人の生命が最もすみやかに生長する、生長と共にその問題は解決するものであるという正しい解決法がわかり、
どんなに不幸と思えることの奥にも愛があるということがわかった。・・・

以上、謹写終わり

感謝 合掌。

2672SAKURA:2013/11/20(水) 23:05:21 ID:3/pn4/Pc

「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…】
>>2608投稿の続きです
■□ 今日は、久しぶりに「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。【 転載・引用 】

―――【 生命の実相 37巻 谷口雅春著(日本教文社出版) その① 】―――――−

   二 月 十三 日
 悲しいことがあれば、喜びの初めである。イエス・キリストも「幸蘄なるかな悲しむ者。
その人の慰められたん」と言っている。物質の満足に五官の表層を快く楽しませていたよ
うな人が、その物質なる富が眼の前から剝落した時に、物質なる肉体があるいは病み、あ
るいは眼の前から姿を没しようとする時に、その人は悲しむのである。悲しむだけ悲しむ
がよい。涙はその人の心の汚れを浄めるであろう。浄まり浄まったとき、本当の世界は物
質の世界でなかったということがわかるのである。浄まり浄まったとき、本当の人間は物
質の肉体ではなかったことを知るのである。「本当の人間」は物質なる肉体が死んだと見え
ているときにも、死んではいないのであって、彼が生きた程度に従って、より自由に生き
通ししていることを知るのである。

 人間は死なない。ことに公のために殉じた者はいっそう高く生きているのである。この
ことについては、「生命の実相」の第九・十巻「霊界と死後の救い」を読んでいただきたい。

 肉体は蒲団の上にいて、誰のためにもならず、かえって人に迷惑をかけつつもついには
滅びるものである。陛下のために、国家のために、全国民のために、何か捧げて死するこ
とができるならば光栄これに過ぐるものはないではないか。

                          谷口雅春著

PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ

先月…「歌手…加川良さんの “教訓の歌〜♫”」からも〜〜〜? (一部抜粋)

■□ 〜♫ 悲しい事は 悲しみなさい 気にする事はありません ♫〜
〜♫ あなたの大事な心に 関わるものでは ありません〜♫

このような“歌〜♫”からでも、フト!思うのです…。
やはり〜やはり〜■【 “心”からも問題が〜〜 >< 】


さて!「雅春先生の言葉」からでも、本日の【生命の実相の言葉…】に 〜♫
■【悲しむ事から…次の一歩が始まる事でもあるのですョネ】〜〜私も?かなり長い〜〜〜期間!!
この“悲しむ事の月日〜〜〜を抱き続けたカモしれません。…が?”
これって〜〜〜【執・着・カ・モ】〜〜〜と思いながら??長〜〜く思い続けてしまいました…。そして、
何故!どうして!このようになったのかを〜〜〜最近では、よく考える事が多くなりましたでしょうか?
さて【 先週…パートナーのお父さんがまた“九大病院… 】に診察…それで福岡に来られました。
勿論! “泊まり…”で〜〜〜す。此処で?問題があるのです…。
実は?私達の家は【テレビ…】を置いていません!!従いまして〜〜〜

強制的にパートナーの「お父様」には、【本…】を勧める事になります。前回から〜〜〜
「お気にいりの本…なのですが? バビロンの大富豪の本」を〜〜♫〜〜これを読んでいるところに、
横やり「普及誌…」を渡しますと、これも読んで下さいましたのです。

                              つづく

2673SAKURA:2013/11/20(水) 23:08:56 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…】
>>2608>>2672 投稿の続きです
■□ 今日は、久しぶりに「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

―――【 生命の実相 37巻  谷口雅春著(日本教文社出版) その② 】―――――――

>>2672投稿の続きです…。

■実は!とても嬉し〜〜〜イ! “言葉…”を頂きましたのです。
それは〜〜〜「思考力が強くなり、更に!視力も強くなった感じがするそうです。」という“コトバ…”です。
先日パートナーのお父さんは地元の“眼科…”に行きまして〜〜ルンルン〜〜
【診察の結果…】かなり〜〜〜“視力…”が戻ったそうです。…が?

■□これも『聖典の本』を読む…【良書の本】を読む事で“パートナーのお父様”の〜〜〜
【 心・の・進・化・の・模・様・が… 】でしょうか?

さて「九大病院…」の診察日…帰宅しまして?食事後なのです。…が?
当日の晩に……私から見ましても“ナンシ−さんのお父様”は、テレビがなく【退・屈…】そうで……
そこで、私はパソコンを開きまして【 Tub… 】にて?何か“リクエスト…”がありますか?
聞きますと、どうも〜〜〜「予科練…特攻隊の歌」を聞きたいとの事で【検・索…】です。

「予科練の歌 〜♫ 」が流れてきます〜〜〜。確か?“ナンシ−さんのお父様”は【海・軍…】
更に【海軍の方達の歌を検・索】しますと、お父様の口から“この人達は”大学…“かなり上の方とか?
そして、戦争が激しくなっていくと…ほとんどの優秀なる若者が?【お国の為…】という事で…
【死の恐怖…】を心に秘めて…【戦地へ…そして…戦死!!】
遠い〜遠い〜遠い〜目を一点に据えて…其処には云いようもない無言の空気が ><

戦火が益々とひどくなっていく最中?当時の“パートナーのお父様”は、まだ!中学生から〜
“海軍…”に入隊したとの事…しかも、その当時の時代の“学校様子…”が【 Tub… 】映像が出てきます。
おじ様の横顔は?いろいろな事を思い出されたのでしょう。
【特・攻・隊・の・友・情・の・場・面…とか?】思い出され…当時の【海軍の母船で…無線連絡(ハム)】
をしていて…暗号を流す事に…当然ですが?“飛行機”で?母船から飛び立つ友人達が〜〜〜果たして!
無事に帰還出来るのか?死との背中合わせ…【お国の為…】この言葉を何度も〜何度も〜

更に【 Tub… 戦艦 武・蔵 】なのですが?本当に【戦・艦・大・和】と同じくらいの大きな船が
映像として出てきます。
■本当に私の「亡き父」「おじ様」の【青・春・は・戦・争・体・験】だけど〜〜〜
其処には〜〜〜【永・遠・な・る・友・情…】が見えましたかと。

■□>>陛下のために、国家のために、全国民のために、何か捧げて死することができるならば光栄
これに過ぐるものはないではないか。<<

この言葉が瞼に浮かびます。戦争の時でも【人間関係の友情…】は、はるかに素晴らしいモノですネ!!
私の「亡き父」は【陸・軍】でした。…が?戦友仲間の集まりの【同窓会…】があり、度々【大・分】へ…

■□戦争が終わり…終戦直後…【帰還した兵士の皆様】
当時の仕事は、ほとんど【第一産業で…石・炭・採・掘・の・仕・事】しかなかったそうで〜〜〜す。
この事は?「亡き父」も同じ事を…言っておりました。

■この件のお話を〜〜〜いつか?「プログ…日本の歴史」として?現在の若者に
少しでも?時代背景を理解して頂く参考になればいいかしら〜〜〜ン!そのように考えまして
投稿記載してみようかと???思った次第なのです。…が?

                                        再合掌

2675SAKURA:2013/11/23(土) 20:27:21 ID:yk2sDVQ.
「トキ様」へ  「観覧者の皆様」へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。 『転載・引用』

■□ いのちの環   45    「生長の家普及誌」より……その①

■□━━━【 い・の・ち・の・回・廊 】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□■

幸福には制限はない
幸福はどれ程ありすぎても
困ることはない。
自分を限るな。
自分がいくら幸福になっても、
それによって他人の幸福が
減るなどということはない。
幸福は無限である。
それどころか、かえって、
自分が本当に幸福になってこそ、
他人も又幸福になれるのである。
類は類を呼ぶ。
自分がいくら富んだとて、
他人にめいわくはかけぬ。
かえって自分が富めば富む程、
他人も富むのである。
多くは実る林檎の樹は、
自分が多く実れば実るほど、
人類を幸福にするのである。
                    谷口雅春著 「新版  叡智の断片」322ページ
■□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□■

PS:「トキ様」 へ「観覧者の皆様」へ 
正直?雅春先生の今回の“コトバ…”最初!読みました時は、一瞬!ムカ〜〜〜ッ!となりました。…が?
今!新たに普及誌を開いて〜読み返しますと〜♫
なるほど!なるほど!そう〜〜〜ネ!と思ってしまいます。(微笑)まず『光・明・』・でも?
まずは、私自身が、太陽の如く【幸せなココロ…】にならなければ出来ない事なのです〜〜〜ョネ!!

                          つづく

2676SAKURA:2013/11/23(土) 20:29:42 ID:yk2sDVQ.
「トキ様」へ  「観覧者の皆様」へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。 『転載・引用』

■□ いのちの環   45    「生長の家普及誌」より……その②
>>2675 投稿の続きです

■此処で、私の【 体・験・談 】なのです。…が?
以前「東京のデパートでの販売」をしていました時、当時!売り上げが順調に伸びていました。
その時、反対の売り場の人は、私達に、向かって
「あなた達が全ての客をさらっていくので、こちらに廻ってこないのョ!」と愚痴をこぼしています。
私達はタダ!タダ!にこやかに『いらっしゃいませ〜♫』この言葉から始まります。
目の前のお客様に対しまして…“スマイルマーク”です。そうしますと、必ず!「お客様」が立ち寄って
下さいまして、色々な私どもの「商・品…」に目を向けて、試着していただける状況になります。…が?
時としては、単に試着…だけの事もあります。それでも?気軽に試着出来て良かった〜〜〜ヮ!この様な
気持ちを抱いて頂けれと思ったモノです。その際には、更に、色々な世間話の雑談を聞いて、それに
かなりの時間を要しましても…当然ながら、それでも購買しない事が、度々生じましても
「後で、考え直してきます。」とか??「下のコーナーで見て来ます。」とか??いわれます。
その時!私達は、“得上の笑顔…スマイル!”で「どうぞ、下の階の方へ見に行ってください…」と
気軽に「お客様のココロの負担…」を軽くするような行動を取らせて頂きましたのです…。

しかしながら、その時は売れなくても、後に「ア〜〜〜ッ!楽しかった〜〜〜ヮ」と云った感じの
響がお互いにありますから、また!何かの時にそれこそ『御・縁…』がありましたら〜♫
以心伝心と申しますか?「お客様」も、ほとんど!また“次回…来店”の形となりました。…が?

この様に「強制的な販売…」をしていない私達の経験を踏まえますと、ここの【2チャンネル…】の
投稿者の皆様達と、同様に「相手への気持ちの“やさしさ〜♫”がない場合は、売上!!更に
『生長の家…会員数』は、果たして“何処に行くのでしょうか??”この様に思いました。

やはり、これは【類・の・法・則】に乗っかる事とは、私自信が、如何に大きな波に乗る〜ココロ!
その“心…”とは、誰がみても【あの太陽のようなココロなる事】に、本当の【富…】をゲット出来るのですネ!!
『過去の私…』は、やはり!やはり!それがあったので〜〜〜す!!
まず!!【ココロ…その“…心…”が【類・の・法・則】さらには【無・限・供・給】なのです〜〜〜ョネ!

今日の【女子会 板】の投稿の中に「山本富士子様からの“コトバ…”」
『論・客』と言う言葉を頂き、これって〜〜〜どういう意味かしら〜〜〜ンと!
一瞬!当時の販売の方々の人達と同じ捉え方のレベルに見えました。…が?これも、彼女の同じ仲間の方々
でしたら……同じレベルの捉え方の【類・の・法・則】なのです〜〜〜ョネ!!
本当の【富…】は、誰もが“楽しめる心…”をこの【2チャンネル…にて伝える事】が出来る事でしょうかと??
拝読していて、逆に、私自信の“投稿文章…”を再確認し「ア!ソウダ〜〜〜ヮ!」と共感・思える人は、
私の仲間の方でしょうかと。??

■□この様に『販・売・の・時』と『光・明・化・の・時』も同じように思えて来ますかしら〜〜〜ン!

此処で?話は変わりますが〜〜〜続き投稿として「若い女性の言葉…」を抜粋投稿させて頂きます。
実に!シッカリした御自身の“ポリシー”があり…更には、説得感がありますでしょうかと。(日を改めて)
当に【同・じ・類・の・類・の・法・則】・の皆様方は、お忙しいと思いますが?閲覧下さいませ!!

2677a hope:2013/11/24(日) 20:43:42 ID:/9IAdiFk

▣ 感謝の祈り

感謝は神の波長に最もよくあう心の波長である。
私はまず神に感謝し、父母に感謝し、先生たちに感謝し、兄弟姉妹に感謝し、
友だちに感謝し、いっさいの人と物と事とに感謝するのである。

とくに今私は日本国と天皇の御恩に感謝するのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2678a hope:2013/11/26(火) 23:05:05 ID:/9IAdiFk

生命の實相 第36巻 幸福生活篇 第三章「無礙の大道」より 抜粋 (p59〜)

(略)第一、この生長の家と申しますのは、皆さんも御存知でありましょうが、一宗一派に執(とら)われた宗教ではないのであります。いわゆる宗派とか、宗門というものに執われないのであります。一宗一派というと、もう囲いをめぐらしているから無礙(むげ)ではありません。そこで生長の家とは何もないのであります。

何かあったら引っかかるが、何もないから引っかかりようがない、だからこれは無礙の大道であります。宗教であるかというと思うと必ずしも宗教ではない。何かあったらいっさいを包むことはできません。「生長の家は仏教か」という人があったら「ハイ、そのようであります」とお答えします。生長の家は「キリスト教か」と言う人があったら「ハイ、そのようです」ともお答えします。

「それでは矛盾しているじゃないか」と言われれば「そのようであります」とお答えします。矛盾を包容するものでないとないと無礙の大道でないのであります。一昨年末、生長の家を教化団体として法人の申請をしようと思いまして文部省の係りの人の内意を伺いますと、生長の家を文部省ではどこの課で取り扱ったらいいのかちょっと見当がつかない。宗教なら宗教局で取り扱われねばならぬし、教化団体なら普通学務局で取り扱わねばならない。

文部省の見解では、生長の家をなんであるかとハッキリ認めるだけの認識ができていないから、せっかく申請書を出しても何局へその申請書が回るか、行き場所がわからないので、も少しはっきりと内容が闡明(せんめい)になってから申請しなければ、せっかくの申請書も行き場に困って戸惑うことになるから、しばらく待ってほしい、というような話であったのであります。
(つづく)

2679a hope:2013/11/27(水) 21:12:36 ID:/9IAdiFk
>>2678つづき)

ともかく、生長の家は正体がわからないものなのです。何か一定の固定したものであったら、それが何であるかということがわかるのですが、生長の家はこれといって一つも固定したものではないのであります。檜町の乃木神社前の生長の家本部建物へ道を聴くためにお集まりになっている人は、毎日三、四百人は集まっておられるのでありますが、その中のある人がある日のこと、女の人でありましたが、こういうことをお尋ねになったことがあります。

「わたしの夫は生長の家というものにあまり興味をもっていません。別に生長の家というものに反対ということもないけれども、それでもあまりわたしが生長の家へ出かけて行くことを喜ばれません。ですから、夫が会社へ出勤せられますと、さっそく夫から自由に解放されたというような気持で道場へ来て先生のお話を伺います。それがいつとなしにまた、夫に漏れると夫の機嫌が悪いのです。そこで先生どうしたらよろしいでしょう。わたしは、どうしても生長の家というものは、ありがたくて離れられないというような気持ちがするのですが、いったいどうしたらよろしいでしょうか」と言ってお訊きになったのであります。

その時にわたしが申し上げた言葉はどうであるかといいますと、「生長の家というのは、この講堂の建物のことを言うのじゃないのですよ。生長の家というのは家庭仲のよい家ということを言うのですよ。生長の家の聖典『生命の實相』の第一巻巻頭にどう書いてあるかといいますと、『汝ら天地一切のものと和解せよ』とこう書いてある。そのとおり天地一切のものと仲良しになったら、そこがそのまま生長の家なんです。

いわんや夫と仲よしにならねば、いくらあなたが生長の家の雑誌を読んでもあなたのいる処(ところ)は生長の家ということはできない。生長の家というのは、こういう講堂であるとか校舎であるとかいうような建物の名前ではないのですよ。本当に大調和な和解した仲よしになった人々の集まっている家ならそこが生長の家ですよ。ですからあなたが自分の家にお帰りになって夫と本当に仲がよくなったらそこが生長の家なのだから、生長の家へ行きたければ自分の家でご主人と仲良くしなさい。それが生長の家に行ったことになる」こういうように申し上げたのであります。
(つづく)

2680a hope:2013/11/27(水) 21:16:55 ID:/9IAdiFk
>>2679つづき)

「生長の家」に凝って家庭が破壊したなどという人がもしあれば、その人は『生命の實相』の第一ページだけすら読んで実行しなかった人だと言わねばなりません。生長の家というものは建物でもなければ、一個人の家でもないのであります。むろん、わたしの家ではありません。生長の家というのは宇宙の普遍内在の実相である。普遍内在の実相というのは、事物の内部にいたるところに満ちている本当の相(すがた)のことであります。

宇宙内在の本当の相(すがた)なるものは生々化育そのものであって、無限に伸びてゆく相をしているのであります。これが生長の家というものであります。ですから「生長の家」とはここに見よ、かしこに見よと言ってはないのであります。たとい『生長の家』の誌友名簿に登録してありましょうとも、真理に随(した)がって生々化育して伸びてゆくところの宇宙内在の相があらわれていなければ、その人は生長の家の人だとは言えないのであります。

だからわれわれは生長の家の道場に行きたいと思えばシッカリと脚下を踏みしめて、自分は生長の家の道場にいるかということを照顧(しょうこ)してみる必要があるのであります。講堂も道場ではありますが、家庭はいっそう「生長の家」の道場であります。いかにこの自分の家庭に円満完全なる生長の家を実現するかが、皆さんに与えられたる公案であります。
(つづく)

2681SAKURA:2013/11/27(水) 23:03:21 ID:.UaJe2uQ
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…引用編】
>>2608>>2672>>2673 投稿の続きです
■□ 「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

―――【 生命の実相 37巻 谷口雅春著(日本教文社出版)】―――――−その①
   二 月 十四 日

■素直に飛びついて来る子供はかわいがられる。素直に舅 姑の懐にとびついて来る
嫁はかわいがられる。素直に先生の懐に飛びついてくる生徒はかわいがらる。夫婦仲
が悪いとか、家庭はおもしろくないとかいう人があるけれども、それは互いに飛びつくよ
うな素直さをなくしたからである。神のみふところに飛びつく者は神に愛される。

                          谷口雅春著

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
■『素直に飛びつく人』は、一番いいです〜〜〜ョネ!!
【素・直・に・な・れ・る・事】が出来る事は、まず!“環境…”からもあるのでは、ないでしょうか?
それから『夫・婦・問・題』でも、「九州」と「関東」では随分と『夫婦の仲の捉え方』は?違うのでしょうか??

欧州でも、特にフランスでの男性は、女性には“誉め言葉…”が多いとか???
例えば?かなりの【年齢の女性…】でも、その人の魅力引き出す為に〜♫
「此処が素敵だと…」まずは『 賛辞の言葉 』が「男性の社交辞令」だとか?聞いた事があります。…が?

私が、福岡に帰郷しましてから、まず!思った事は【同世代の女性がかな老けてみえて…><】
“ビックリ…”した事があります。
                            つづく

2682SAKURA:2013/11/27(水) 23:06:24 ID:.UaJe2uQ
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…引用編】
>>2608>>2672>>2673>>2681  投稿の続きです
■□ 「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

―――【 生命の実相 37巻 谷口雅春著(日本教文社出版)】―――――−その②

>>2681 投稿の続きです…。
■【 何故?老けるのかを…… 】最近!分かった次第です。…が?

此処「福岡の夫婦の会話」から〜♫〜なのです。…が?
必ず「男性…」は、他の「女性」との【比・較・論】になるのでしょうか??

私達の世代は【日教組の教育…】です。従いまして、人一倍の『負けん気』がありまして、
どうしても、同世代の中では……特に「女性」は【競・争・意・識】がまず!強いですネ!!
例えで申しますと、他の同世代の「女性…」が、若く見えるとします。そうしますと…
「男性陣」は、まず!「言・葉…」から【比・較・論】に入って行きまして【欠点とか?】〜〜〜
いろんな角度での見方から「女性」は素直になるどころではなくなり、一年中『外見への…依存度』が、
本人自身の潜在意識に、奥深く入り込み〜♫ 『奥の細道…』かなり…奥の奥まで……でしょうか?
実に、大変な感じが致しますモノ!最終的には〜〜〜?

「若い?」或いは「老いて?」この【比・較・論】に入りまして【女性として扱われなくなる】のですョネ!!
ですのでかなり、老化現象の方が多くて〜〜〜私達を見ますと、必ず❤『形成病院に直行…』かと。

■その後の【後・遺・症】は???と私は思います。…が? 大丈夫なの〜〜〜><でしょうか?

【外・見・思・考】に走る…【素直に走ると言う事】なのでしょか?けれども〜
【真理・聖典の勉強】さらに【祈り…】はおろそかになるようでは?彼らの【素直な心での行動…】とは?
全て!全て!【物質化した欲求の価値観…結果】に、逆におかれている感じで〜〜〜す!!

【素直になるのは当たり前】で、此処で「舅・姑の問題」は、これは「おしん」の問題で……
その人の【精神修行】になるのでしょう!!

と云う事は・…・現在の私の於かれた【環・境】は、「吸血鬼とその仲間とか?」に、尾行されています。
ので……【素直に彼らを受け入れる気持ち】は飛んで行け〜♫ その気持ちにはならないし、
【素直に相談は〜〜〜出来る事も出来ない!】のでは?更に、今の私は「神との融合…」を深めていく事!
そこから〜〜始まりますでしょう。まずは【祈り…】に徹する事でしょうか??

余談ですが〜〜〜只今!「おたふく風邪」にかかり【祈り…】で何とか?体調が回復出来ているのです。
…が??

■□本当に【素直になれるような環境…】に行きた〜〜〜イ!そこはキット【天・国…】でしょうネ!!

                              再合掌

2683a hope:2013/11/28(木) 22:40:49 ID:/9IAdiFk
>>2680つづき)

その公案を説くために助言となり、導きとなるのは『生命の實相』という本であり、『生長の家』という雑誌でありますが、家庭をいかにして生長の家(生々化育の家)たらしめるかという公案を解くことが面倒くさいというので、家庭を放擲(ほうてき)して教化部の建物ばかりへやってきて「私は生長の家に熱心なのです」と言っても、そういう人は生長の家に熱心なのではありません。そういう人は、家庭を生長の家にするのに不熱心なのです。

家庭が整うて社会が整い、社会が整うて国家が整い、国家が整うて宇宙が整うのであります。整うとは円満完全にいっさいが諧和(かいわ)し、生々化育の普遍内在の実相が、現実界にあらわれてくるということであります。そこで生長の家は、そのように、宇宙の普遍内在の実相であり、一ヵ所の名前ではありませんが、その代り、その内在の生々化育の実践が完全にできる人は何宗教に属しておられてもまた属しておられなくとも、生長の家がそこに顕れたということになります。

この真理を伝える雑誌にわたしは最初『生長の家』という名前をつけましたが、この真理が弘(ひろ)がるにつれ、その出版または講演説法のために講師団のようなものが要るようになりまして、この講師団に教化団体「生長の家」と名づけることになりました。この団体は、宇宙の真理は生々化育の家であるということを人類に弘めて、そして人類全体を光明化するための団体でありまして、これは教化用の団体の名称で、宇宙内在の普遍実相である生長の家とはおのずから別であります。また皆さんの家庭が生々化育の大調和の家という意味での「生長の家」という場合と、教化団体の雑誌を読んでいるという意味での『生長の家』誌友という場合とも別であります。
(つづく)

2684a hope:2013/11/28(木) 22:43:03 ID:/9IAdiFk
>>2683つづき)

そこで冠詞とか形容詞とかをつけないで、単に抽象的に生長の家という場合、それは何処にあるかといいますと、宇宙普遍の原理そのものが生長の家でありまして、その原理を教えられたところの皆さんのお家が、本当にそれを実現した時に、あなたの家庭が生長の家となるわけで、それは普遍の原理が具象化したのであり、真理(コトバ)が肉体となったので、そこにあなたの家が無限に生長し、伸び、繁昌し、幸福になってくるということになるのであります。

その無限に生長し、無限に伸びてゆく宇宙の原理を体験するにはどうしたらいいかといいますと、宇宙の道に乗ればよいのです。そうか、そんなら、その宇宙の道というものに乗りたいから、その宇宙の道というものを見せてほしいと言われる人がありましても、その宇宙の道は「無礙の大道」というものであって、形がないから見せようがない、どこにも障りがないから触れてみようがない、これが生々化育の原理なのであります。

「我」という形がなくなれば衝突もない、争いもない。障りもない。障りがないから本当にわれわれが伸び伸びと伸びる、生々化育するのであります。何かに障りがありますと、われわれは本当に伸びるということができません。無礙になった時にのみ本当に伸び伸びと生長することができるのです。無礙になるとは無我になることです。我がなくなってなんの引っかかりもないようになる道を教えるのが生長の家であります。(略)

以上 謹写終わり

生命の實相 第36巻 幸福生活篇 第三章「無礙の大道」より、一部抜粋
谷口雅春先生著(日本教文社)

2689a hope:2013/11/30(土) 17:18:27 ID:/9IAdiFk

増捕新かな版 詳説 神想観 谷口雅春先生著 (日本教文社)

第五章 神想観と聖典読誦と感謝行並びに愛行P186〜


【神想観と聖典読誦】 神想観の根本として大切なのは聖典を充分お読みになることです。先ず、『生命の實相』を繰返し噛みしめてお読みになり、自分の「生命」の実相(ほんとうのすがた)が物質ではなく、神性であり仏性であることを充分現在意識に理解しておいて神想観しなければなりません。神想観は、「自分の内に神の生命流れ入って、自分の生命となっているのだ。自分の生命と神の生命とは一体である」ということを呼吸(いき)をととのえ、精神を統一して念じて、潜在意識の底の底までも、「我れは神と一体である」という自覚を得させるのでありますが、しかし現在意識は、何と言っても主働者でありまして、現在意識そのものが、「神とは何だ」ということがハッキリ理解されていませんでしたら「神と一体だ」と言っても、一体「何と一体だか」わけがわからないことになります。だからどうしても『生命の實相』を充分味わって読み、「神」というものをよく理解した上で「神と一体だ」と念ずる神想観をしなければなりません。

「神想観」をするということと、『生命の實相』の教えを読み、如来すなわち神の子たる者の生き通しの生命を悟ることは両方から互に相寄って吾々の信念と理解とを深めてくれるのであり、どちらも忽(ゆる)がせにすることはできないのであります。

生長の家は「神想観」」ばかりしていたら好いかというとそうでもない。「神想観は神想観を教える」と同時に、「神想観は日常生活を教える」ので、日常生活の意義が一変するのです。心の姿勢を正しくすれば、身体の姿勢は正しくなり、身体の姿勢が正しくなれば、常住坐作進退(じょうじゅうざさしんたい)、法にかなうことになり、従って実生活も軌道にのり万般の事物順調に行くようになります。しかし山に籠って自分だけ悟る式の神想観ではいけませぬ。これは「人類一体」の実相を如実に生きないことになさるのですからひとりよがりに陥らずに、市井(しせい)に交じって道伝えに努力し、「全人類が未だ悟らないのは私の努力が足りないからだ」と言いえる境地にならなければなりません。そのために人に真理を充分説き得るように真理の書を詳しく広く読むことも必要です。

「生長の家は静座法だ、坐り方だけ教えて貰えばそれでよいのだ」などと安易に理解されないようにすることも必要です。講演のみに偏ってはならないし、同時に神想観だけに偏ってもならないのです。脱線して行く誌友たちは、どちらかに偏りがあり、自分免許で悟ってしまって、「すでに得たり、もう得る処なし」と考えるからで、もう得る処がなければ、与える菩薩行をなすべきなのに、それをわすれ、自己満足した結果でありましょう。

2690a hope:2013/11/30(土) 17:23:37 ID:/9IAdiFk
(>>2689つづき)

【神想観の助業としての感謝行】 神想観をただ精神統一によって摩訶不思議な霊験を得る行法であるとのみお考えになっている方がありますと、躓(つまず)くのでありますから、感謝行というものが伴わねば、観念だけの神想観ではいわゆる野狐禅になってしまって、高慢、忘恩、無恥になって自己を滅ぼしてしまうことになるのであります。だから吾々は神想観の助業として感謝行ということが必要になるのであります。

感謝行と申しますと、常住坐臥常に心に「ありがたい」の念を失わないようにする心の上での行であります。「ありがたい」の反対は不平、不満足、怨み、腹立ち等であります。神想観は仮相を超越して「実相」を観る修行であり、不平不満足「実相」を隠して仮相に捉われる業行でありますから、両者は全く正反対であり、互に一方の効果を打ち消す働きをしていますので、神想観の功徳を完全に得ようとするには、日常生活において、不平不満足の反対、――感謝行を忘れぬようにすることが肝心です。

【神想観と現象処理】 吾々は神想観において、決して現象の不完全さと取組んではならないのである。神想観はただ神のみを思い、神のみを観るのである。それは往相精進(おうそうしょうじん)の行である。それは上に向かって進む。しかし神想観によって得たる真智により、現象界に向下して方便智自在に現象界を処理するのである。

2691a hope:2013/11/30(土) 17:25:31 ID:/9IAdiFk
(>>2690つづき)

【真理を完全に悟るには――生長の家の三行】 「生長の家」の真理を体得するには、神想観や『生長の家』の読誦などという静的工夫の他に、動的の工夫が要るのであります。真理は生命そのものでありますから、そして生命は「動」が本態でありますから、動的の工夫に移って、真理というものは、初めてその潜在していた生命の正体――生かす力の正体をあらわすのであります。

存在(ものそのもの)の実相を完全に自己の心に把(つか)むには、一方に『生長の家』とか『生命の實相』のような真理の経典を読み、真理を正解して邪見を防ぎつつ、一方にその真理を信念にまで高めるために神想観を修し、その真理を愛行によって実践するほかはないのであります。「知」が「信」によって生命を吹き込まれ、更にそれを愛行によって実践するとき真理が生動するものとなるのです。

その時、吾らの心はもはや真理の皮相(ひそう)のみを眺めないで、完全に我が本来の実相の真生命と本当に一体になる。そして吾らは実相の周囲をもはやどうどう廻りしないで現実に実相と重り合う、この時こそ吾等は真理を完全に悟ったと言い得るのであります。

以上 謹写 終わり

感謝 合掌

2692閲覧者99:2013/12/01(日) 10:36:37 ID:SOToXT5M
  晴れときどき競馬とホークス いいちこ様ブログから

真理を知るには

 



 「如何なる言葉も、伝えんとする真理を完全に表現出来ない。 完全なる真理でないものは虚偽である。 人は虚偽の言葉を表現することによって辛うじて自己の伝えんと欲することを表現するのである。 されば言葉は沈黙にまさり、沈黙は言葉にまさるのである。 事物は存在すると同時に存在しない。 有であると同時に無である。 全宇宙にはただ一つのものがある。 それは創造者にして同時に被造物と現れ、心的存在にして物的表現をもち、善であると共に不善である ・・・・・」



 これはエマースンの論文の一節である。 真理を知るためには、文字そのものに捉われず、行間又は字間の間を縫って沈黙の間に鳴るヒビキを聴く事を要するのである。



 釈迦は四十年説法して「一字不説」と云い、禅宗では「言詮不及・不立文字」と云う。 不立文字と云いながら数千数万言を長口舌するもの禅であり、世尊陞坐して一字説かずして、文殊菩薩撃槌して「説法終れり」と云う。 われ既に生命の實相を説いてあますところなしと雖も、いまだ一字も説かず、これから、益々長口舌を揮わんとする所以も爰にあるのである。



 言語は沈黙にまさり、沈黙は言語にまさる。 共に真理にして真理にあらず。 黙して神想観して天地の啓示を受け沈黙のうちに得たる啓示を文章にあらわす。 不言にして多言、多言にして不言。 真理は無にして有、有にして無。 説いて説かず。 聴き方上手読み方上手が必要である。




                谷口雅春師  『生長の家』誌 昭和22年12月号

2693「訊け」管理人:2013/12/04(水) 11:45:44 ID:???


實相研鑽会「妻が夫にハイと言う限界について」
谷口雅春先生御結語より謹写――


◇実相の夫に従う

 梅津さんの言われた、商売の不得手な夫が奥さんに「この商売どうしたらいいのか、お前ひとつ教えてくれ」といわれるのに「私はもうハイの精神で、夫の言うことにばかり従うんだからもう私の意見は言いません」というのは、ハイじゃないと思いますね。夫は「教えてくれ」と言ってるんだから「ハイ」と言って教えたらいいんだろうと思いますがね。これはむしろ夫に対して反抗的に「もう何だって私の意見を言うものか」というような気持になっているのであって、素直に教えないのは本当じゃないと思います。
 夫に素直に従うということは、夫を神としてですね、実相の本当の夫に従うということでなければならないわけで、夫をいかに神として信頼しているか否か、という根本が定まらなければいかんと思うんですよ。その根本が定まらないところに、「夫はときどき間違うものである、夫は時には“泥坊せよ”とも言うものである。言うかもしれんのであるが、それに従ってもいいのであるか」という考えが起る。それは、すでに妻が夫の完全な実相を見ていないことである。だから妻の観る通りに夫が現れるということになって、やはり夫に“迷い”が現れる。そこでその“迷い”(の夫)の言う通りに従ったら、(正しい)夫の言う通りに従っているのでなくて、自分の迷いが夫に映ったその迷いを聴いて従っているのであって、自分で“自分の迷い”に従っているということになるわけです。
 だから先ず根本的に、夫を神の子として尊敬して、夫の実相を喚び出さなければいかんわけです。そしたら夫は悪いことは言わんわけですよ。「おまえ間男せい。わしはお前嫌いになったから、間男せい」なんていったって、ハイと素直に従うて「間男して来ようか」と、そんな馬鹿なことはないのですね。本当の夫はそんなこと言うもんじゃないということを、根本的に実相を拝んで実相の完全さを引出した上で、夫の要求を聴いて素直に従う、というのであれば間違いないと思うわけですよ。


◇夫の実相を喚び出す

 それから“夫が堕胎せよという、いやなら離婚する”というK婦人の話の場合、夫は必ずしも堕胎せよと言ってやしないんです。「堕胎するか離婚するか、どちらか二つのうち一つを選べ」と言っている。そうでしょう。だから、どっちが本当に夫の実相が呼びかけているのか、ということを聴かなくちゃいかんと思うのですよ。
 そうすると、夫の実相は神なんですから、神ならどう言うか。神なら“おろせ”とは言わん。そしたら、神のみに従うということが夫の実相に従うことになるわけだから、「それでは離婚さしていただきます」と素直に言って夫の実相の声に従う。「堕胎いたしません」と言うのも、夫の本当の声に従ったのですよ。その本当の夫の声に従ったから、夫は“もうこの妻を離婚する必要はない”と自然に実相が発露したというわけで、妻が夫の実相を喚び出さなくちゃいかんですよ。実相を喚び出さないで迷いを喚び出して迷いに従っていながら、「夫に素直に従っているんだ」と言うのは、根本的に間違っていると思います。だから、“神に従うことが即ち夫に従うことである”と完全に一致することになるわけであります。(拍手)

2694SAKURA:2013/12/05(木) 22:00:54 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…引用編】
>>2608>>2672>>2673>>2681>>2682 投稿の続きです

■□ 「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

―――【 生命の実相 37巻 谷口雅春著(日本教文社出版)】―――――−その①
   二 月 十五 日

 どんな美しいバラの花でも、その棘に触ったときにはハッと驚いて捨てられる。人に嫌
われるのは心に棘があるからである。これだけ立派な仕事をしているのに人が自分を遠ざ
けるというような人は、これだけ美しい花が咲いているのになぜ人が自分を捨てるのだろ
うと、みずから疑うバラの花のようなものである。

 とげとげしい眼、とげとげしい言葉、とげとげしい行動、その一つ一つを抑えようとし
てもなかなか直るものではない。まずとげとげしい心を捨てなければならぬ。とげとげし
い心を捨てるには「とげとげしい心」をアリとして抑えてもなかなか直る物ではない。暗
は暗をいくら押さえてみても消えるものではない。暗を消すには光を持ってくるにかぎる。
とげとげしい心が自分にあると気づいたら、その反対を持って来るのである。「自分は優
しい優しい人間であって、とげとげしいところはちょっともない」と、その反対の念を自
分自身にいって聞かせればよいのである。

                             つづく

PS: 「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
■此処昨今は、私もいい気持ちになる事が〜〜〜ネガティブ感の一日が多いのです。そんな時は?やはり!
心がすさんでしまいます〜〜〜ョネ!あまり“ポジティブ=良い事”が考えれない感じになった現実は
もしかしますと?私自身の“心が塞がった感じ…”なのでしょうか??

■「とげとげしい……心」アリ〜♫   う・ふ・ふ

そん時には、やはり【神・想・観】をしてみるとか?【イメージ・トレーニング】とか?してみますと
心が安らぎ…ますから、一番いい事かと思うのです〜〜〜ョネ!
「心の難…」が来れば〜〜〜前以上に【精神の修行…】をして行く事でしょうか??

■■「心の光・・」を見つけるには〜〜〜やはり【神・想・観】が一番おススメで〜〜〜す!!

「トキ様」は?そう〜〜〜思いになりませんでしょうか?


再合掌

2695a hope:2013/12/08(日) 13:45:50 ID:/9IAdiFk

「生命の實相」第39巻 佛教篇 P20 9行目〜

…釈迦が弟子のところへ行かれたら弟子が熱病を患っていた。そこで釈迦は、お前にかつて教えてやったところの悟りに至る七覚支(かくし)というものをもう一度暗誦してみよ、こうその病弟子に言われた。弟子の比丘(びく)はそれを再び暗誦してみたらたちまち病気が治ったということが『阿含経』(あごんきょう)に見えている。

これを釈迦が神通力に秀でておいでになったのだと、こういうふうに考えるのは必ずしもまちがいでありますまいが、実はその比丘が病気になっていたのは、それは今まで悟りに至る七つの道を忘れておったからなのです。ところが釈迦がもう一度それを思い出して暗誦してみよ、こう言われて、その弟子が暗誦してみると、病気が治った。

これは生長の家で「『生命の實相』を読みなさい」と言うのと同じであります。比丘に対して、「暗誦してみよ、もう一遍口に出して言ってみよ」と言われると、弟子はすぐ謂えたから記憶にも確かに残っていたにちがいないのですが、それが明瞭(はっきり)と意識の上に出て来なかったために迷って病気になっていたのであります。

それで真理の書物はそれをお読みになって、その真理がよく解ったとしましても、それをもう一つ言葉に出して復誦するというところに、そこに本当の言葉の力というものが出て来るのであります。これが真言(しんごん)の力であり、あるいはお題目の力であり、阿弥陀仏の名号(みょうごう)の力であり、写経の力であり、言葉の力であり、言葉によって自己に内在する仏を招(よ)び出すということになるのであります。…

(途中もとても重要な内容であると感じていますが、中略させていただきます。)

P 24 8行目〜
…それでわたしは、「何よりもまず『生命の實相』をお読みなさい。再読または再読飽くまで真理に徹してください」とこう申すのであります。八回であれ、十回であれ、反復熟読してくださいましたならばおのずから悟るところがあり、その心境に従って病気その他いっさいの現象的不幸も自然自消(しぜんじしょう)することになるのであります。要するに現象界は遷(うつ)り変わる波の相(すがた)でありますから、悟りによって善き波を起こすことが必要になるのであります。…

以上 謹写 終わり

感謝 合掌

2696a hope:2013/12/08(日) 13:50:13 ID:/9IAdiFk

>>2695 a hope所感)

谷口雅春先生は、聖典の中で、

<<「何よりもまず『生命の實相』をお読みなさい。再読または再読飽くまで真理に徹してください」とこう申すのであります。八回であれ、十回であれ、反復熟読してくださいましたならばおのずから悟るところがあり、その心境に従って病気その他いっさいの現象的不幸も自然自消(しぜんじしょう)することになるのであります。要するに現象界は遷(うつ)り変わる波の相(すがた)でありますから、悟りによって善き波を起こすことが必要になるのであります。>>

と、こんなにハッキリと、そして強い口調で「聖典『生命の實相』を読みなさい」とご教示くださっています。
そして、きっと雅春先生の直弟子と言われる講師の先生方はそのご著書や、わたしが講演会等のテープを拝聴する限り、この雅春先生のご教示を硬く守られていたのではないかと拝察できます。
そして、その「悟り」によって、現象界にも数々の奇跡(人類光明化)が起こっていたのでしょうね。

「『生命の實相』拝読による悟り」これこそが、「生長の家出現の使命」を果たすために必要な最も基本的で、最も重要なことであるとわたしは確信しました。

「生長の家」にとって、その「悟り」なくしては、「日本国実相顕現」も、「世界平和」も『絵に描いた餅』となってしまう気がします。

2697流氷:2013/12/11(水) 13:23:22 ID:mEYFfSdA

『實相研鑽』第二集http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/

2698a hope:2013/12/12(木) 08:56:13 ID:/9IAdiFk
>>2696訂正

きっと雅春先生の直弟子と言われる講師の先生方は【そのご著書や、わたしが講演会等のテープを拝聴する限り、】この雅春先生のご教示を硬く守られていたのではないかと拝察できます。

きっと雅春先生の直弟子と言われる講師の先生方は、【わたしがそのご著書や講演会等のテープを拝読したり拝聴したりする限り、】この雅春先生のご教示を硬く守られていたのではないかと拝察できます。

2699a hope:2013/12/12(木) 08:57:45 ID:/9IAdiFk

生命の實相 第35巻 下化衆生篇 p70

たのしく生きるのが神の道である。
神は「生かす力」であるから生かさない神は神の道ではない。
憂愁にとざされている心は生命を生かさないから神が遠ざかった心である。
自分も生かし他も生かす楽しい心が神心(かみこころ)である。
人は神の子であるから楽しいのが本来である。
楽しくないのは「迷い」である。
その「迷い」からいろいろな不幸が生まれてくるのである。
「迷い」を覚ませよ。

( a hope より)
このお言葉は、大熊先生のブログでも紹介されています。
大熊先生のブログは、拝見すると元気になりますね!

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151

それではみなさま、今日も元気に素晴らしい一日をお過ごしください!

2700a hope:2013/12/13(金) 09:23:54 ID:/9IAdiFk

頭注版 生命の實相 第35巻 下化衆生篇 p71 (日本教文社)

『生命の實相』を読んでいてある瞬間に達すれば必ず真理の光がたましいの中へ射し込んでくるのである。
その光は太陽の光よりもなお明るい光である。
自分の身体(からだ)が透明になったような感じがする。
自己の生命が無限生命の光線の中につつまれる。
その無限の光線の中に溶け込みつつ燦然として輝いている生き通しの生命こそわが生命であることが悟られる。
これこそ自分の本当の生命であったのだ――今生きつつある地上の生命の小さきことよ。
それはただ自分の本当の生命の輝きが、迷いの雲間を洩れて、地上に記(しる)した小さな光の点々にすぎなかったのだ。
迷いの雲間は裂ける。
本当の自分は輝き出でる。
地上の晴天の日の太陽が照らすごとく、本当の自分は無限の輝きを放って地上の生活を照のである。

2701a hope:2013/12/13(金) 09:29:15 ID:/9IAdiFk
>>2700 訂正 最後の行

地上の生活を【照】のである。→ 地上の生活を【照らす】のである。

2702神の子さん:2013/12/13(金) 18:55:10 ID:thJx..Ls

  聖なる使命を与えられて 『生命の實相』頭注版 1巻より
  http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&amp;mode=res&amp;log=112

2703a hope:2013/12/15(日) 12:37:48 ID:/9IAdiFk

頭注版 生命の實相 第35巻 下化衆生篇 p68 (日本教文社)

第三章 世に勝つ原理(より抜粋)

    ○
神の絶対無限力を信じないものは、神を瀆(けが)すものである。
神の絶対無限力を瀆す、すなわち認めないということがすべての罪のうち最大なる罪であることは、イエス自身も「誠に汝らに告ぐ、人の子らの凡ての罪と、けがす瀆(けがし)とは赦されん。然(され)ど聖霊をけがす者は、永遠(とこしえ)に赦されず、永遠の罪に定められるべし」(「マルコ伝」第三章二八―二九)と言っている。

「聖霊」とは聖書のなかでは、神と本来一体なるところの「神の分霊(わけだま)」のことをいうのである。およそわれらが生きているのはこの聖霊を受けているからである。聖霊こそわが本体であり、「真の人間」であり、「本当の自分」であり、「神の子なる自分」なのである。「人 間 は 神 の 子 で は な い」 と か 、「神 の 子 で も 病 気 に か か る」 な ど と い う の は、こ の 「聖 霊」 を 瀆 す 罪 で あ っ て 「 永 遠 に 赦 さ れ ず 、 永 遠 の 罪 に 定 め ら れ る 」 と キ リ ス ト 自 身 が 宣 言 し て い る 罪  で あ る 。ところがキリスト教徒と自称しているところの人々の多くが、神の霊の宿れる人間を「神の子」と呼ばず、この「聖霊を瀆す罪」を犯しているということはなんと驚くべきことであろう。
(つづく)

2704a hope:2013/12/15(日) 12:40:22 ID:/9IAdiFk
>>2703つづき)

だから、敬虔なクリスチャンだと自身も認め、人も許しているような人の霊魂を霊媒に招霊(しょうれい)してたずねてみると「自分はまだ暗いところにいる」とか、「まだ病苦を持続して苦しみ続けている」とかいうような例が大変多いのは当然なことである。それはイエスの教えが悪いのではない。イエスの教えの真義を誤解しているキリスト教徒自身が悪いのである。その名称はキリスト教徒でも、キリストが第一にして最大なる罪――永遠に赦されない罪だと宣言している「聖霊を瀆す罪」平然として犯している反クリスチャンでありながら、みずからキリスト教徒と誣称(ふしょう)しているのであるからすざましいものである。

何故「すべての罪とすべてのけがす罪とは赦されても、聖霊を瀆す罪は永遠に赦されない」とイエスは宣言せられたのであろうか。――それは一つ一つの一局部的な行ないや考え方にまちがいがあっても、根本的に「人間は神の子である」との大真理を悟っていたならば、その人は「久遠生命」の本来相を通してすでに救われているのであるからである。

ところが聖霊を瀆す罪――すなわち「人間に宿る神性――神の子であるとの本来の資格」を押し込め認めない罪(神性隠蔽)を犯さば一つ一つの局部的な善行をいくら積んでいってもそれは一生涯毎日毎日一善を積み重ねていっても、百年で三万六千五百遍の善しか積み重ならない。その百倍の善を重なていっても、三百六十万の善しか積み重ならない。結局神――すなわち無限の善には永遠に到達しないことになるのである。

以上 謹写 終わり

2705a hope:2013/12/15(日) 12:42:51 ID:/9IAdiFk

(a hope所感)

文中に、『根本的に「人間は神の子である」との大真理を悟っていたならば、
その人は「久遠生命」の本来相を通してすでに救われているのであるからである。』
とありますが、
この大真理を悟らせるために、谷口雅春先生がわたしたち「生長の家」信徒に残して下さったのが、
聖典「生命の實相」なのだと思うのです。
ですから、誰でも、聖典「生命の實相」を真剣に拝読すれば必ず大真理を悟れて、
必ず救われると思うのです。
だって、そう聖典「生命の實相」に書いてあるのです。

これはわたしの個人的な意見ですが、現在の「生長の家」はこの「生命の實相」の文書伝道を忘れ、
それ以外の練成会や講習会等、または「生命の實相」以外の「生長の家」の書籍等を中心にしての伝道がメインになってしまっているような気がします。
わたしは、そこに「生長の家」の混乱の原因があるのだと思っています。
(この「生長の家」という意味は、教団のことでも、他の「生長の家」関係の団体さまのことでもありません。
「生長の家」の教えを信仰する信徒一人一人という意味で使わせていただきました)

わたしは自分自身が「反生長の家信徒でありながら、みずから生長の家の信徒であると誣称(ふしょう)している」
というような悲惨なことにならないために、これからも真剣に「生命の實相」を拝読しつづけ、
「人間は神の子である」の大真理をさとる努力をしたいと思っています。

※誣称(ふしょう)…誣(いつわ)って称(とな)える。(頭注より)

2706SAKURA:2013/12/17(火) 19:03:48 ID:d1sbFPns
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…引用編】
>>2608>>2672>>2673>>2681>>2682>>2694 投稿の続きです

■□ 「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

―――【 生命の実相 37巻 谷口雅春著(日本教文社出版)】―――――−その①

   二 月 十六 日

 常に新しくなるものは老いない。老いるとは常に新しくなれないことの別名である。人
体の細胞を切り離して培養し、その培養基を常に新しく取り替えれば、結局人間の細胞
は永遠に分裂増殖して死なないものであることを生物学上の実験によって確かめられた
という。人間の肉体が老いて衰え死するということは、細胞が複雑に組み合っているため
に、常に新しくなれないからであって、必ずしも人間が老衰死するということが運命では
ないのである。ただ老衰死の原因は常にわれらが新しくなれないということが原因である。

 人間の心もそのとおりである。常に毎日新しくなれないものは死につつあるものである。
陳びつつあるものである。

 老人が陳腐であるといって人から嫌われるのは、ただ過去の惰力で生きており、過去の
惰力でものを考え、過去の惰力で行為をし、過去の惰力で若い人を推し測るからである。

 過去の惰力で行為されたものは、すでに形骸であって生命はない。これを称して型には
まるというのである。型にはまっているものは形は立派に見えても、もう屍である。

                            つづく

2707SAKURA:2013/12/17(火) 19:06:54 ID:d1sbFPns
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…引用編】
>>2608>>2672>>2673>>2681>>2682>>2694>>2706 投稿の続きです

■□ 「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。
―――【 生命の実相 37巻 谷口雅春著(日本教文社出版)】―――――−その②

>>2706 その①の投稿の続きです。…

PS:「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ
この様に本当に【人・生・は・進・歩・向・上・の・魂を・磨・く・事】しょうか??しかし、
この“言葉…”を誤解されている方が、此の現状では?実に多いのでしょうかと??

「雅春先生の本」を読誦していますのに〜〜〜>< 【分・派・の・方・達】は何一つ??
「先生の言葉」の意味を理解せずに??自分流?都合のいい“解・釈・論”ですから??
久しぶりに?皆様の投稿を閲覧させて頂きますと…正直!理解の捉え方が、本当に都合のいい“解・釈・論”
での展開でしょうか??そのように思えてなりません。

閲覧していても〜〜〜相変わらずの【繰り返し論…のコメント】何一つ、進歩が見えずに?ただ!唯!
スル−!!スル−!!ばかりでは!!この様に、私一個人はみえてしまうのです。…が?
果たして、閲覧者の皆様(コメンタ−以外の方達)の中には、私と同様な…そのような見方をなされて
いる方も結構多いように思う次第なのです。…が?【 人それ…ぞれ〜♫】??

さて【老いる…】といいますのは、まず!【心が前に向いてなく遠くにボンヤリ人生の交差ばかりの
それは、現在存在するモノが見えない実現…又!出来ない悩み心の向上心の喪失でしょうかと??

■□━━━━『トーマス・カーライル』━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□

「我々にとって大切なことは、遠くにぼんやりと存在するモノに目をやることではなく、
手近にはっきりと存在することを実行することだ」

■□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□

これを読んで参りますと『甘・露・の・法・雨』にも・・・
「外にこれを追い求むる者は夢を追いて走る者にして 永遠に神の国を得ることを能わず。」

これと同じように、先ばかり〜遠く!遠く!をボンヤリ……見る人は、いつまでも『神・の・国』に入れも
せずに、さらには、『老・人・化』していくのです〜〜〜ョネ!!と…私はこの頃思えます。…が?
『理・想…』は、確かにいいのでしょう。…が?

■【理・想・と・夢・は・違・い・ま・す…】理想は?あこがれで終わります。…が?〜〜〜〜〜♫
『夢…青写真』が出来上がりましたら、まず!【出来る事からフルに起動する事…】でしょうか??

極めて“平・凡”でも??日々を活かす事は【夢の実現…】に到達する事ですし?
しかも〜〜【前・向・き】に向上していく過程があり、それが【精・神・の・向・上】にも繋がる…
最終的には、見受けられていく事でしょうか??

■□日々を活かす事は、「一日の区切り…」は【成・功・の・鍵…】でもあり?
【老人化しない法則…】でもあるのではと?この頃ではつくづく思います。

■【人間は魂の向上を目指す事!!】そして【日々を活かすのが人間!!】と思います…。
トキ様?閲覧の皆様?は〜〜〜どのように思われますでしょうか??
                                  再合掌

2708エマソンの光明思想と生長の家 ①:2013/12/18(水) 22:18:50 ID:Wf383SKY
理想世界誌昭和四十七年十月号
輪読のための青 年法語

■エマソンの光明思想と生長の家

谷口雅春先生

■一日のことば 本当の人間は肉体人間ではな い

「わたくしたちが通常「人間」と呼ぶ者--つま り食べたり、飲んだり、栽培をしたり、取引の 勘定をしたりしている人間は、わたくしたちが 自覚しているようには、人間そものものを表さ ず、人間を歪めて表現しているのである。その ような肉体人間を私どもは尊敬しない。しかし ながらその肉体人間が魂の器官となって、その 行為を通して、内なる魂を表現せしめるならば 、わたしはその前に跪かずにはいられないので ある」 「What we commonly call man, the eating, dri nking, planting, counting man, does not, as we know him, represent himself, but misrep resents himself.

Him we do not respect, but the soul, whose or gan he is, would he let it appear through his action, would make our knees bend. 」

(これはエマソンの「The Over Soul」という エッセイの一節である。このエッセイの完訳は 日本教文社発行の「エマソン選集」第二巻「精 神について」の篇に出ている。なかなか丹念な 訳であるから読まれたい。しかしその訳の中で 「精神」と訳出されている原語はSoulであるか ら、そのつもりで読まれないと意味が混同され るおそれがある。上記の訳は一層わかり易くSo ul を「魂」又は「内なる魂」と訳したのである 。)

明らかにエマソンは「肉体人間」と「本当の人 間」とを区別して、飲んだり食ったり田を耕し たり商売勘定をしている「肉体人間」を、その まま「本当の人間」だと思ったら間違いである ということを書いているのである。それだから 、私はエマソンを近代における光明思想の幽祖 であるといっているのである。しかし釈尊は2 千数百年前の古代においてそれを説いていられ るのである。

2709トキ:2013/12/18(水) 22:34:33 ID:0/huqta2
>>2707

SAKURA様

 難しい問題ですが、今のような価値観が多様化した時代では、生長の家の信徒が増えると、
一つにまとめる事はかなり難しいとは感じます。政治の世界では、小さな政府か大きな政府
か、という議論がありますが、教団が対社会的な動きをする場合、利益や意見が対立する問題
にはあまり教団自身が乗り出すのが難しくなると思います。

 そうすると、もっと地味な内容の動き、具体的に言えば、生活に密着した信仰の具体化が大事
になるかと思います。

 個人としての信仰者が目指すのは、そういう点になるような気がします。

2710エマソンの光明思想と生長の家②:2013/12/19(木) 18:47:11 ID:bdCntvMw
理想世界誌昭和四十七年十月号

【輪読のための青 年法語】

◆エマソンの光明思想と生長の家

谷口雅春先生

■二日のことば

涅槃経にあらわれたる人間の実 相

涅槃経には釈尊が臨終の直前に見舞に来られ たところの人たちに対して、真理の説法をせら れた時の光景と、釈尊が直接彼らに ”真理” を伝授せられた説法とが載せられているので ある。

その涅槃経の ”金剛身品” に、金剛不壊 の実相身(本当の人間の身)のことが説かれて いる。釈尊と迦葉(かしょう)菩薩との対話の 一節を次に引用する。

「爾(そ)の時、世尊、後(また)、迦葉に告 げたまわく、”善男子、如来身とは是常住身、 不可壊身(ふかえしん)、金剛身、非雑食身( ひぞうじきしん)、即ち是れ法身(ほっしん) なり。”」

迦葉菩薩、仏に白(もう)して言(もう)さ く、

”世尊、仏の説き給う所の如き等の身を、われ 悉く見ず。唯、無常、破壊(はえ)、塵土(じ んど)、雑食(ぞうじき)の身をのみ見る。何 故かと言えば、如来は、今当(まさ)に涅槃に 入ろうとしていられるからである。”

迦葉菩薩の指摘したところの ”無常” と いうのは、釈尊の説かれる”常住身”に対して いわれた語であり、”破壊(はえ)”というの は、釈尊の所謂る ”不可壊身(ふかえしん) ” に対した語であり、”塵土(じんど)” というのは『創世記』にアダムとイブが ”土 の塵(ちり)” でつくられたとあるーー即ち 結局、滅して土に帰る唯物論的人間観の表現で あるのである。しかし迦葉菩薩が、今まさに涅 槃に入り、滅して土に帰ると、肉眼で見たとこ ろの人間は、エマソンに言わせると「人間その ものを表わさず、人間を歪めて表わしているの である。」

だから釈尊は迦葉に対して反論して次の如く 言っていられるのである。

「汝、いま、如来の身は ”不堅(ふけん)” である ”可壊(かえ)” であって、凡夫 (注・肉体人間)の身の如しと考えているが、 そんな考えを起こしてはならない。善男子よ、 汝、今当に知るべし、如来の身は無量億劫堅牢 (むりょうおくこうけんろう)にして壊(くだ)け がたいものである。如来の身は、現象界の人間 や天人のもつ身ではない。恐怖によって病気を 起こすような身ではない。雑食で栄養を摂らな かったら死ぬような身ではない。如来の身は ”非身是身(ひしんぜしん)” だ(この身に 非らざる身が是こそ実相の身なのだ)それは不 生不滅だ。習わずして知り、修めずして一切に 通達して残すところなく、有限の身ではなく無 量無辺にして限りがないから、去って去ること なく、来たって来ることなく、去来を超えてい るから足跡もない。鳥の飛んだ後の青空にその 翼の跡をのこさない如く、”知” という ” 知” はなく、”形” という形はない。” 知” があって ”形” を把(つか)めば 汚れるということもあろうが、”知” がなく 、”形” がなく、青空そのもののように畢竟 清浄なのが如来の身だ・・・・・・・」

まだまだ涅槃経には実相身の清浄無碍広大無 辺なることがかいてあるが、これだけ引用した だけでも充分理解できると思う。併し頭脳で理 解できるだけではなく、それを生命と生命とが 触れ、本質と本質が触れ、実相と実相とが相触 れて、直接的に全的に自覚されなければ、本当 の悟りではないのである。

>>2708
エマソンの光明思想と生長の家①

2711エマソンの光明思想と生長の家③:2013/12/20(金) 21:49:30 ID:iqd0ui12
理想世界誌昭和四十七年十月号

【輪読のための青 年法語】

◆エマソンの光明思想と生長の家

谷口雅春先生

■ 三日のことば

人間の生命の本質について

エマソンに於いては、Soul という語を、生 命の奥の奥にある人間の ”本質” 又は ” 魂” という意味で使っているのである。これ を ”精神” と訳しても間違いではない。精 神という語は「精髄であるところの神(たまし い)」という意味をもっているからである。併 し、現代語として ”精神” という語が使わ れる場合には「あいつの精神はくさっている」 とか「あいつの精神はどうかしている」「精神 の退廃」とかいう風に、脳髄の作用として出て 来る一種の ”心の働き” を ”精神” と いう通俗語で表現することが多いのである。エ マソンのSoulという語を ”精神” と和訳さ れている場合、その”精神”という語をそんな ”脳髄のはたらきである精神” というよう な通俗な意味にとってはならないのである。そ れは ”人間の本質である魂” という意義に 解しなければならないのである。

そういう意味に解してエマソンのエッセイを 入江勇起男氏の訳を読んで行けば、エマソンの 真意味が光って来るのである。すなわち、

「人間の生命の本質である魂は一つの器官では なく、あらゆる器官を生かし働かせるものであ り、記憶、判断、比較の力のような一機能では なくて、これらを手足のように使うもの、一能 力ではなくて一つの光であり、知力または意志 ではなくて知力、意志の主であり、それらを含 む私どもの存在の背景をなすものである。つま り、Soul(魂)は何物にも属さない、また何物 にも所有されることのあり得ない無際限のもの である」というのである。

All goes to show that the soul in man is not an organ, but animates and exercises all the organs; is not a function, like t he power of memory, of calculation, of comparison, but uses these as h ands and feet; is not a faculty, but a light; is not the intellect or the will, but t he master of the intellect and the will; is the background of our being, in which they lie,--an immensity not possessed and that cannot be possessed.

このエマソンの人間のSoulの無際限を説くと ころは、涅槃経の「それは不生不滅だ、習わず して知り、修めずして一切に通達し、有限の身 ではなく、無量無辺にして限りがない」と説か れているのと同じ意義なのである。

>>2710

エマソンの光明思想と生長の家②

2712うのはな:2013/12/21(土) 04:20:11 ID:EEajPWOc
     『悟』への近道

 併しこの有難い法悦の境に達するにはどうしたら好いかこの有難い悟を得るにはどうしたら好いか、
これが問題なのであります。昔から悟を開いたと云ふ人はそう沢山にはいないのであります。
釈迦、キリスト以来名僧知識が出られましたけれども、それは数えるほどしか出ていないのであります。

 此のように悟を開くと云うことは、なまやさしいことではないのであります。生長の家では割合にやさしく悟が
開けるように工夫されているのであります。そこが今までの宗教と異うところであります。
『悟』の中味に違いはないのでありますけれども、導き方が大変やさしく出来ているのであります。
それは近道から直ぐ『悟』の世界へぶつ衝かるようになっているのであります。

 その近道はどんな近道かと申しますと、『物質はない』『肉体はない』と云う近道であります。
今まで多くの教祖がお苦しみになって道を開かれた、お釈迦様が悟の道をお開きになったのにも大変な
苦労がありましたが、それは『肉体はない』と云う近道をお通りにならなかったからであります。

 この肉体と云うものをあるとお認めになって、この『肉体』をどう始末したらよかろうかと云うので、
肉体を山へ籠らせ足り、飯も食はずに頑張ったりして苦行をして来られたのであります。肉体をアルとして取扱うから、
どうも、此の肉体が嵩張って其の取扱方が不便になるのであります。この肉体と云うものがあるとすると、肉体と云う奴はほかの
『肉体』を殺して殺生をして生きている、肉体と云うものがあるので人と人との争い、恨み、色々な地獄の真似のようなことをやっている。
そこでこの肉体と云う奴の始末をつけなければならない。

 その始末をつけるのには何うしよう?こう思って多くの教祖は苦しまれたのでありますが、生長の家では『肉体なし、物質なし』と、此の始末にあまる
『肉体』をば、言葉の力と、思いを変えることによって始末してしまったのであります。
真理は簡単であります。理屈を言えば沢山言えますし、又、『生命の實相』にはその疑問にお答えする為に八方から詳しい理論が書いてありますけれども、それは
理屈を言う人に対しては、理屈を以て相対する方便説法であって、要するにそれは始末に終えない『肉体』の物質性を打破って自由自在の境地に入れるように工夫がしてあるのであります。

 まあ考えて御覧なさい。『此の肉体はアルように見えてもナイのだ、本当の自分は神のいのちだ』
と─斯う気がついたときのスガスガしさ、もう何も食べなければならないとも心配しないし、働き過ぎたり、勉強し過ぎたと思って身体が悪くなると云う心配もない。活動写真がフィルムの影で
あるのと同じように、身体は心に『思う通り』の影なのだとわかりますから、そこで心配も取越苦労もなくなり、心が朗らかになるから、血液循環もよくなるのであります。

 『愛と光との生活』谷口雅春先生著  ※原文は旧漢字、旧仮名遣い

2713エマソンの光明思想と生長の家④:2013/12/22(日) 14:54:51 ID:bAijypnk
理想世界誌昭和四十七年十月号

【輪読のための青 年法語】

■エマソンの光明思想と生長の家

谷口雅春先生

■四日のことば**

超越的自己を自覚するために

わたし達は「本当の自分」ではないところの単なる仮装の存在である肉体にばかり気をとられ、肉体が生活している「物質と見えている環境」の有様にのみ心を集中して生活している時には、この内在の「本当の自分」――――Soul(魂)なる自分には気がつかないのである。

しかし或る瞬間―――それは座禅や鎮魂や神想観や瞑想や―――兎も角、外界に心を振り向けずに自分の内的生命にのみひたすら心を振り向けた機会に、自己の内的生命の自覚が顕在になって来る。そのとき、イ エスが「われはアブラハムの生まれぬ前 (さき)より在るものなり」と自覚され た時のような、肉体の年齢や時間を超越 して実在するところの自分を自覚するの であるーー諸君もそれを自覚するときが 来るのだーーそのためには毎日怠らずに 神想観を実修するがよい。

【参考資料】

自分の超越的自己を見出だそうとする必要はない。どちらにしてもそんなことは不可能である。自分の眼は、眼自体を見ることができるだろうか?
必要とされているのは、自分の記憶、心、身体、感情、思考との偽りの同一化を、執拗に脱落させていくことだけである。
この脱落には超人的な努力や理論的理解は不要である。
第一に必要とされているのは―――見ることができるものは見る者ではありえない、という―――ただひとつの理解だけである。
自分自身について知っていることは、すべて自分自身でも、知る者でもない。
内なる自己性は知覚することも定義することもできず、いかなる種類の対象にもなりえないものである。
束縛とは見る者とその対象となるあらゆる物事のまちがった同一化にすぎない。
解放は、このまちがいの単純な逆転からはじまるのである
・・・・・・・・
これは単純ではあるが、骨の折れる作業である。だが、その結果は、人生における解放意外の何ものでもない。
超越的自己はあらゆる伝統では聖なる耀きとされているからである。
原則的には自分の超越的自己は神(あなたが神をどう認識しようと)と同一の性質のものである。
究極的にはただ神のみが、われわれの眼をとおしてながめ、耳で聞き、口で話をするからである。

これこそがユングのメッセージであり、アメリカ原住民、タオイスト、ヒンドゥー教、イスラム教、仏教、キリスト教の聖者のメッセージでもある―――自分の魂の根底には人類自体の魂がある。

それは束縛から解放へ、恍惚から目覚めへ、時から永遠へ、死から不死へと導いてくれる聖なる超越的魂である。

ケンウィルバー著「無境界」より

>>2711
エマソンの光明思想と生長の家③

2714a hope:2013/12/22(日) 19:09:49 ID:/9IAdiFk

頭注版 生命の實相 第36巻 幸福生活篇 「第二章 ありのままの生活 四」より抜粋
 p47 2行目〜(日本教文社)

・・・人格の立派な人のなかには他(ひと)の世話になるということを非常にいやがって、自分でなるべく自分のことをしたいというような考えを持つ人がたくさんあります。「生長の家」の教えにも「自分ひとりで立て」という意味のことが書いてあります。

たとえば中風の人が杖に縋(すが)らなければ歩けないと信じて杖に縋っている。そのためにいつまでも中風がなおらない。そんなときに、すべて他に頼るような頼り心というものは悪いものであって、一人で立つようにしなければならない、生命は一人で立つのが本当であるから一人で立つようにしなければいけない、依頼心を起こすのはいけないと教えてあり、本当にその教えを信じて「ひとりで立つ」という心を素直に起こした人はその人の中風は治ってしまうのであります。

ところがそれも一つの※対機説法でありまして、依頼心ばかり起こしている人には依頼心を起こすのはいけないと説くのであります。みずから立つ力があることを忘れすべてに頼り、薬に頼り、あるいは他(ひと)の力に頼り、あるいは寄付合力に頼るような、そういうさもしい頼り心を持っている人には、そう説くことが相手を生かすことになるのであります。

しかしそれは対機説法であって、必ずしもあらゆる場合にあてはめてそれが真理だとは言えないのであります。宇宙は一体ですから本当は他給自足かつ自給他足であるのが本当なのです。頼り心を持つ人は他給自足とずるいことばかりを考えて自給他足を考えない。そこで「ひとりで立て」というのはそんな人に対する「喝(かつ)」なのであります。「ひとりで立て」といっても人間は決してひとりで生きることができないのです。

わしはだれにも頼らぬといっても、自分で稲を植えて、自分で収穫して、自分で蚕を飼って、自分で糸を紡いで、自分で織物をこしらえて、自分で染物をして、自分で縫ってと、そういうぐあいにひとりの力ではとうていそれはできないのです。そこで本当の真理はどうであるかといいますと自他一体が本当の真理であります。自給他足かつ他給自足ということになるのであります。このどちらが欠けてもいけないのです。
(つづく)

2715a hope:2013/12/22(日) 19:10:43 ID:/9IAdiFk
>>2714つづき)

いつも薬に頼り、物に頼り、人様のやっかいになることばかり考えている人には「自ら立て」「物質はない」「いのちはそれ自身で立つ」と申します。そこを『生命の實相』を読む人は、よく考えて読まなければならないのです。

真理は目に見えないから、現実の言葉で言い表そうとすると対機説法になるのです。現象はすべて相対的にあらわれているから対機説法ということができます。対機説法でないそのままの真理を言えと言われたら、天地とともに黙っているほかはないのです。天地は常に説法し、常に黙っています。

対機説法を見て、こことここと矛盾しているなどとある場所の一句とこちらの場所の一句とを持って来て並べてみて、一方は「他(ひと)に頼るな、みずから立て」と書いてあるかと思うと、一方は「他給自足」だと書いてあるから大変矛盾しているなどと理屈を言う人は文字に引っかかっているのです。

文字は真理に到らしむるために書いてあるので、決して矛盾ではないのであります。言葉に引っかかれば矛盾であり、文字だけを見れば矛盾のように見えましても、矛盾ではない。右手を動かし左手を動かしましても右へも左へも行くためでなく、まっすぐに泳いで行くために右手を動かし左手を動かすのであります。目的は右にもなければ、左にもないのであります。

※対機説法・・・相手の機根(きこん)つまり素質に応じて理解のゆくように法(真理)を説くこと。また、その説法。

2716a hope:2013/12/22(日) 19:12:34 ID:/9IAdiFk

>>2714 >>2715 a hope 所感)

聖典『生命の實相』を拝読していて、わたしが心のどこかでいつも感じていた微かな疑問がここで解消されました。

その疑問とはなにかというと、

「『生命の實相』は神さまが谷口雅春先生を通して書かれた聖典だと言われていますし、
わたしもそう信じていますが、その内容の多くは谷口雅春先生以外の講師や信徒の体験談なのです。
それらの内容も神のオコトバ(絶対の真理)と言えるのだろうか?」

ということでした。

ですが、わたしが今回謹写させていただいた場所を拝読していて、わたしはその疑問をすっきり解消できました。

文中に、

「真理は目に見えないから、現実の言葉で言い表そうとすると対機説法になるのです。現象はすべて相対的にあらわれているから対機説法ということができます。対機説法でないそのままの真理を言えと言われたら、天地とともに黙っているほかはないのです。天地は常に説法し、常に黙っています。」

とあります。

ということは、『生命の實相』はじめ、すべての聖典は、全文が対機説法だったのですね!
要するに、「真理」は言葉では直接言い表せないのだから、
『生命の實相』や他の聖典のコトバや文字に捉われていては「真理」は悟れないというわけですね。

聖典文中の矛盾と感じられることも、すべてが対機説法なのだから当たり前なわけですから、
そのコトバや文字に捉われることなく素直に拝読し、表面ではなく波動を捉え、
自己の魂に共振させるような読み方をすればいいのだと思いました。

クロールをするにしても、水中で休むことなく右手や左手、右足や左足をぐるぐるバタバタ動かして泳いでいれば必ずゴールに到着します。
そこで、立ち止まって「どうしてこういう風に体を動かすと前に進むのだろう?」
なんて考えていたらいつまでたってもゴールには到着しません。

聖典も、深く考えることなく、素直に拝読していれば、必ず「真理」に到着するようにできているのだと思いました。

2717アクエリアン:2013/12/23(月) 13:00:56 ID:bAijypnk
谷口雅春先生の青年法語の中で、超越的自己について説かれていますので、それに関連した、アメリカの光明思想家マリアンウィリアムソン女史のユニティマガジンの文章の一部を紹介させてもらいます。私は非常に感銘を受けた記事であります。
全文は下記のURLでどうぞ。
http://content.unity.org/homepageArchive/features/agingSpirituality.html

Aging Spiritually (霊的に年を重ねる)

By Marianne Williamson

Excerpt from the March/April 2008 issue of Unity Magazine (ユニティマガジン2008年3、4月 号の記事からの抜粋)

My father once told me, “When you’re old, you don’t feel old.” I can appreciate what he meant when he said that, as I ponder the fact that the essential being I am inside myse lf is the same in my 50s as when I was only 15.
So who am I really?
Am I the woman who has changed with age, or am I the changeless self within?
Am I the woman who is encased in time or the being who dwells apart from it?

【語句】 appreciate:称賛する、感謝する、正しく 認識する
ponder:じっくり考える
encase:すっぽり包む dwell:住む

私の父がかつて次のように私に語ったこ とがありました。
「お前が年をとったとしてもお前は自分 が老いたとは感じないよ。」
私は父がこのことを語ったとき何を言お うとしていたのか、ということが、今の 私なら理解できます。 というのも、私は、私の内なる本質は、 15歳のときだろうが、50歳代のとき だろうが、不変なのであるという事実を 、ずっと考え続けているからです。
それでは、私とは一体いかなる存在なの でしょうか?
年齢とともに変わって行く一人の女性な のでしょうか?
あるいは、内なる不変の自己なのでしょ うか?
時間という要素に制約されている女性な のか?
あるいは、時間という要素の制約を超え た存在なのでしょうか?

Sometimes when referring to things that happened long ago, we say things like “I remember it like it was yes terday.” And that’s because in a way it was. If time, as Einstein declar ed, is merely an illusion of consciousness, then linear time itself is a metaphysical fiction; everything that has happened, is happening, or will happen, is happening now. There, in that realm of the eternal now, is the tr ue “I am.”

しばしば、かなり前に起きた事について 言及するとき、「それは昨日のことのよ うに覚えている」と言うことがある。そ して、それはある意味その通りだからな のです。もし、時間というものがアイン シュタインが言うように、単なる意識の 幻影でしかないのならば、一直線に進む 時間という概念そのものは、頭の中だけ のフィクションにしかすぎないというこ とになります。かつて起こったこと、今 起こっていること、そして将来起こるで あろうこと、これらのすべてのことは、 今この瞬間に起きているのです。永遠の 今という領域においてのみ、真の”私” が存在しているのです。

(続きます。)

2718アクエリアン:2013/12/23(月) 13:14:01 ID:xOsRIjpM
The eternal self dwells in eternity, and et ernity intersects linear time at only one point: the present. Who you are in this moment, therefore, is who you truly are. And from that esse ntial point of perfect being―created anew by God in every instant―m iracles flow naturally. Thoughts of love interrupt the past and open the f uture to new probabilities. No matter who you are, no matter how o ld you are, in the present, all things are possible.

久遠の自己は永遠のなかに存在するので す。そして、永遠と現象の直線的な、連 続する時間とは、ただ一つの地点ーーつ まり、現在ですねーーにおいて、まじわ るのです。この瞬間のあなたの姿が、そ れゆえに、あなたの本当の存在の顕れな のだということになります。そして、あ なたの本質は完全な存在である、つまり 真の自己は瞬間瞬間に神によって新たに 創造されているのだという絶対的な次元 から奇跡は自然に生まれてくるのです。 愛は過去を造り変えますし、未来に対し て新たな可能性を開くのです。現在のあ たながどのような境涯であろうと、何歳 であろうと、あらゆる可能性が開かれて いるのです。

The physical self ages, of course, but the spiritual self does not. As we identify more with the spiritual di mension of our lives, then our experience begins to shift from the c hangeable to the changeless . . . from limitation to limitlessness . . . fr om fear to love. As our journey through linear time gets s horter, our consciousness can in fact expand. And as it does, time itself is affected. The deeper we go into the love of God, the more we act ualize our earthly potential.

肉体の自己は、勿論、老化はまぬがれる ことはできませんが、霊的自己はそうで はないのです。私たちの思考が、もっと 霊的な次元に移行すればするほど、わた したちの経験は、不安定なものから不変 のものへ、限定から無限へ、恐怖から愛 へと転換しはじめるのです。わたしたち の意識が現象の時間の束縛から解放され る度合いにしたがって、わたしたちの意 識は本当に拡大していくのです。そして 意識が拡大していくと、時間そのものも 影響を受けます。わたしたちが神の愛の 中へ深く入っていけばいくほど、この地 上におけるわたしたちの潜在能力をより 多く実現していくのです。

The understanding of that which does no t change is the key to our power within a world that does. In aligning ours elves with the eternal self, we age not in a straight line leading from luscious youth to decrepit age, but rather like the flowering lotus openin g more and more to the light of the sun.

【語句】
luscious:甘美な、官能的な、きらびやかな

変化しない永遠の存在への覚醒が、この 無常の世界の中に潜むわたしたちのパワ ーを開花させるための鍵です。わたした ちの真の自己である永遠の自己に目覚め るとき、わたしたちは、甘美な青春期か ら老いぼれた老年期へという常識的な人 生のコースではなく、むしろ、蓮の花が 太陽の光に向かって花開くような年齢の とり方をするようになってくるのです。

Aging Spirituallyー((霊的に年を重ねる)

By Marianne Williamson

Excerpt from the March/April 2008 issue of Unity Magazine (ユニティマガジン2008年3、4月 号の記事からの抜粋)
http://content.unity.org/homepageArchive/features/agingSpirituality.html

>>2713
エマソンの光明思想と生長の家④

2719るん吉:2013/12/23(月) 16:49:46 ID:fYlJIcas
アクエリアンさま

英文と訳 有難うございます。ぜひ
読ませて頂き 勉強します。私は英語を勉強し初めて1年半位になります。

たまにyountube で英文で投稿しますが、一番最初に投稿した時は(1年半前に)

3通も返信がきて(カナダ人、スウェーデン人、イギリス人から)嬉しかったんですが

この時が最高で、それからあとは、良い時でも1通の返信です。無しのつぶても有やす。(・・。)ゞ

自分は、自動詞や他動詞さえ知らなかったので、ほんとに1からです。アクエリアンさんのブログにお邪魔したことが

あります。甘露の法雨が英文でかかれてました。が詩はわたしには まだ難しいです。
主語 述語動詞 目的語 や補語等や(目的語が二つ続いてるから前の目的語がSVOOの間接目的語か?)
 というような順序で まだ文を作っていきまた文を読み解いていってる段階です。(私の
いつか、you tubeや海外掲示板上で(日本人の事をすごい勘違いしたコメントがまだまだ
いっぱいありますので)そんなでたらめなコメに対して正しい事柄を投稿したいと
思ってます。それにはやっぱり英語をがんばらないといけません。ので・・
この文、 保存させてもらいます。有難うございました。

2720アクエリアン:2013/12/23(月) 21:52:32 ID:BUfrVyJk
るん吉様

コメントありがとうございます。

英語学習頑張って下さい。

最近、英語学習に非常に参考になる動画を発見しました。
同時通訳者横山カズ氏の「パワー音読」という動画です。

https://www.youtube.com/watch?v=T5-FhsAJW58&amp;feature=youtube_gdata_player

こういうやり方で、音読をやっていけば英語力は飛躍的に伸びていくのではないかと思っています。

このウィリアムソン女史の英語などはパワー音読の教材として潜在意識の中に内在化させていくのには理想的ではないのかと思っています。(勿論、この内容に共鳴していることが条件ですが)

又、甘露の法雨の英訳文なども音読するのには最適の教材だと思います。

もう1つ、おすすめの本があります。
林則行著「「銅メダル英語」をめざせ―――発想を変えれば今すぐ話せる―――」(光文社新書)です。
私も最近読みまして、大いに参考になりました。ビジネスのために英語を必要としている人にとって、参考になるのではないかと思っています。アマゾンの書評は非常に評価が高いですね。

2721るん吉:2013/12/24(火) 00:42:50 ID:fYlJIcas
アクエリアンさま

動画、有難うございます、拝聴いたしました。
ふむ・・・。音読は大事ですね。文法とで車の両輪のようなかんじですかね。
この人が同時通訳というところが説得力を持ちますね。

有難うございます。ぜひ参考にさせていただきますね。

2723SAKURA:2013/12/28(土) 19:46:57 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…引用編】
>>2608>>2672>>2673>>2681>>2682>>2694>>2706>>2707 投稿の続きです

■□ 「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

―――【 生命の実相 37巻 谷口雅春著(日本教文社出版)】―――――  その①
  二 月 十七 日

 ぼつぼつ樹木に新しい芽が出る。まだ嫩葉にも開かない前の、あのふっくりとした逞し
い樹の芽を見ていると、本当に若々しい生命に触れた気がする。開き切った葉よりもまだ
開かない新芽の方に力がある。生命は久遠であるが、現象界のものは何物でもまだ完全
に開き切らないものには底力がこもっている。宗教でも古い時代に起こったものは過ぎ
去る。今は新しい時代が来つつあるのである。史代革新期である。新しい酒を古き革袋に
容れるときは破れる。

―――――――――――――――――――――――――つづく――――――――

PS:「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」へ
「トキ様」……この頃?思います〜〜事は〜〜
何も?何も?現状は〜〜〜“変・化・な・し”〜〜〜の状態なのです〜〜〜ョネ??

「山梨…森のオフイス」が本年度…秋から「国際本部」としての機能が、いざ開始となりました。…が?
「森のオフィス…建物の完成」〜〜〜当初!出来ました頃は、私も含め、きっと!「観覧者の皆様」も〜〜〜
一応は歓喜したのです。…が?ところが〜〜〜段々!段々!それに対して、私達の【環・境・問・題】と
【本・部・側…職・員】のこの【環・境・の・捉・え・方…】に、いささか戸惑いとか?逆に……
投稿内容を拝読しておりますと〜〜〜“幽・鬱・状・態…”になり?如何してもネガティブ感情が先行して
行くような感じでしょうか?

どうかしますと?こちらの“精神の状態”が〜〜〜段々と日常の生活慣習の相違から?ネガティブな状態に
陥りやすくされていく感じ?なのでしょうか??
これは、視点が、私どもの方からの見方ですから?逆に言いますと本部の職員側からですと…
果たして?現状は?理解する事が現在!未来!に於きましても、理解しがたいモノなのでしょうかと。!!
特に!若い年代の方は、「創立者・・・雅春先生時代」の頃の現状への理解は〜〜〜何処まで把握出来るのかが?
あくまでも「亡き両親」の【信・仰・へ・の・姿・勢】を?振り返りながら…複雑です〜〜〜ョネ!

■現状…彼らはいつも【信・者・優・先…のようにふるまう】かと言いましても?【中・身・は・相・変・わ・ら・ず…】
なのでしょうか?【一般=末端信者=老年層】は〜〜〜【もう!もう!窓際=川下】でしょうか??
…と思う位の“幽・鬱・状・態…”になります。

ですから〜〜〜><
                                        つづく

2724SAKURA:2013/12/28(土) 19:51:59 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■□ 「管理人 トキ様」 へ

お忙しいと存じますが??【2重…投稿】となりましたので
>>2722 の投稿を…【削・除…】して頂きますよう、お願い申し上げます…。 (ごめんなさい)

                                    再合掌

2725SAKURA:2013/12/28(土) 19:56:28 ID:3/pn4/Pc
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…引用編】
>>2608>>2672>>2673>>2681>>2682>>2694>>2706>>2707>>2723 投稿の続きです

■□ 「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

―――【 生命の実相 37巻 谷口雅春著(日本教文社出版)】―――――  その②

>>2723 の投稿の続きです…。

■このような時…今!今!〜〜〜今!私しか出来ない事とは?何かといいますと……
【心=意志を強くして行く事…】そして【愛の種を蒔く…種まき人間になるにはやはり書籍本を読み、真理をつかむ事】
この頃、つくづく思うのです〜〜〜。そして、まず私自身【心=意志の鍛錬の練習】と思いながら、
今は?ジ〜〜〜ット!見守っていても〜〜〜“芽…”が其処に出てくるのでしょうか?多少のジレンマを抱きながら、
今!今!私しか出来ないこの時…【 旅の開始…ゴーサイン 】となり出しましたので〜〜〜す。

■本当に「森のオフィス=山梨…」は、私達には【無・縁・の・世・界…】ですし、今!【エコ運動…】は、町の人間でも、
自分の取り巻く環境を踏まえて…いろんな角度での“戦・い…”が、必ずやあるのではないかと思えますから、
私は、自分の於かれました環境=街での軌・道・修・正…していくつもりです。

それでも、新しい建物を見ながら『長崎の総本山…』は、何の補修工事もなされていないようで…
「トイレ…のドア」それから、資料館の傍の「太陽光…設備」に於きましては、一部鉄の部分の腐食が長〜〜〜く!
そのまま!放置の状態でしょうかと?【信者…】ヘの??
唯!「信者の献金」がたよりで……【補修工事…】はどのようになされて】しまうのでしょうかと、思いますと、
一体「信者…」は【総本山ヘの長い間の参勤交代】…職員であります彼らの“生活を豊かにする…源”であり、
奴隷の如く……このように見えていた仕方がないのです。

■□「生長の家の本部…国際本部」と「信者」との〜〜〜共有性〜〜〜とは?果たしてありえるのでしょうか?
ノ−!ノ−!ノ−!〜〜〜♫ ノ−!ノ−!ノ−!〜〜〜♫

■この頃では?【情報社会…】ネットという媒体にて…こればかりが、最近!目についてしまいますので、
どうしてもネガティブな考え?感情?を抱く事になり仕方がないのです。…が?
■唯!いつの時代でも、現状!現時点で【ゆ・と・り・の・あ・る・方・は〜〜〜何・も・感・じ・な・い・の・で・し・ょ・う・か…】

新しい「船の舵…」は?「羅針盤…」は?
【信者の一人一人が自覚を持って…
信仰・哲学などの書物を片手に、真理をつかむ事へ…めざめて行く…この重要感を抱くべきかと思う私達です。】
…と、この頃、本当に思えるようになりました。此れが【新しい時代…】へと繋がるのでしょうか?

                                                 再合掌

2726SAKURA:2014/01/01(水) 21:55:21 ID:RIOFtJIE
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…引用編】
>>2608>>2672>>2673>>2681>>2682>>2694>>2706>>2707>>2723>>2724>>2725 投稿の続きです

【  あけましておめでとうございます…。   元旦   】
■ 今年も引き続き…「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。
―――【 生命の実相 37巻 谷口雅春著(日本教文社出版)】―――――
  一 月 一 日

 われわれを生かすのは明るい思想である。さし昇る朝日のごとくさわやかな思想であ
る。さし昇る朝日のごとくさわやかな精神こそ日本精神である。生命は暗黒の中にも光を
見る。暗室に置かれたる豆もやしは、外から洩れるわずかな光を求めて、光の方へ光
の方へと向いて行く。そして光のない間は長くかよわく貧弱に伸びて行くにすぎないが、
ひとたび光を得たトキには、太くしっかり逞しく勢いよく生長する。生命には光が必要
なのである。光が全然ないときには、伸びかかった豆もやしも数日間で枯れてしまう。再
び言う。生命には光が必要なのである。

 新しい年には新しい心が生まれる。元旦は物事の始めであり、生活更新に最も都合の良
い時である。他の時にも新しい覚悟ができ、賢明なる人はいつからでも新生活に突進しう
るが、われわれには新しい決意を実行するには元旦がよい。元旦からまず始めよう。そ
れは明るい心を持つということである。一度にあれこれもと考えて、それが実行できな
かったら、新しい決意も最初の一日から崩れてしまう。ただ今日一日明るい心を持つこと
にしたい。ただそれだけ一つのことである。これだけのことならばわたしにもできると思う。

 明るい心を持つには何事が起こっても怒らぬということである。何事が起こっても悲し
まぬということである。何事が起こっても失望せぬということである。何事が起こっても
怒らず悲しまず失望せぬためには、起こった事物は、「もうすんだのだ」と知ることである。
木枯に散る葉があるからこそ、春には美しい若葉の美が讃えられるのである。

 天地一新。悪しきことは未だかってひとつも起こらなかったし、これから起こらない。
それはすべて一新しゆく姿である。
                         谷口雅春著
PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」へ
今年の年末は、本当に【アクシデント…】発生しまして?これが【原・因…】でそれに、
振り回されてしまい〜〜〜><気が付きますと???
■本来の【おせち料理…】がやっと!やっと!今日で“出来上がるように…”なりました。…が?

このように、私の「心…の揺れ?」が、そのように【暗・黒・状・態…】になりましたのでしょうか?
しかしながら…本日の「創立者…谷口雅春先生」の“コトバ…”から…
すべては、相手がどうであろうと?相手がどのように思っていようとも?何事にも左右されない事!!

■【心に太陽の言葉…】を発生出来なければ〜〜〜と、改めて思った次第です…。そう!!
その【決意…】とは、当に、【元・旦…】から始めるべきでしょうか?
【心が、全てを支配している事への…確認!!】が、私なりに出来ましたようです!!

■□>>天地一新。悪しきことは未だかってひとつも起こらなかったし、これから起こらない。
それはすべて一新しゆく姿である。<< 一部抜粋…

毎日!毎日!今の私は…
【心・を・一・新・・し・て・い・く・事!】に…一新生活感に“突・入”です!!
                                  再合掌

2727トキ:2014/01/04(土) 20:36:15 ID:dipoCezs
SAKURA様

 素晴らしい聖典からのご文章、ありがとうございました。年末年始はバタバタしていますが、
こういう文章を拝読する事で、心が落ち着きますね。じっくりと聖典を読む事は、実は忙しい
人にはとても重要だと感じます。

 今年もよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

2728SAKURA:2014/01/04(土) 21:57:39 ID:aWzD9cbE
「トキ様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)」の【SAKURA】で〜〜〜す。

■□ >>2727 「管理人 トキ様」へ
あけまして  おめでとうございます…。
こちらこそ…いつも励ましの“お声…お返事”いただきまして…感謝申し上げます…。

■>>じっくりと聖典を読む事は、実は忙しい人にはとても重要だと感じます。<<(抜粋文)

本当に聖典を拝読しますと…豊かになるための【 鍵 】となるのでしょうか?そう思います。
つまり「豊かな心…」になります…。
これは「あたえる心…」が?自分自身の“心…”に生みだされ…あの人にしてあげたいなぁ〜♫
広々とした【愛・の・心…】が生まれて来るようです…。

今後とも…投稿させて頂きます。それから!この機会をいただきました事に「トキ様」感謝申し上げます。
                                   再合掌

2729SAKURA:2014/01/06(月) 19:01:58 ID:jd1lCjOk
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…引用編】
>>2608>>2672>>2673>>2681>>2682>>2694>>2706>>2707>>2723>>2724>>2725>>2726投稿の続きです
■ 今年も引き続き…「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

―――【 生命の実相 37巻 谷口雅春著(日本教文社出版)】―――――
  一 月 ニ 日

 すんだことの中に生活せず、「今」のなかに生活せよ。「今」は常に生きている。「今」の中
にはあらゆるものが輝いている。「今」は常に新しく、「今」は常に喜びに満ちている。過去
にどんな悲しいことがあったにしても、それについては思い煩うな。「今」天地一新したの
である。もう別の天地に生きているのである。過去に寒風に吹き暴されたことを嘆かない
で、「今」梅の花の喜びに満たされて咲いている。梅の花よりも尊く強く逞しきが人間である。
喜ぶべきことしかないのが人生である。            
=================================谷口雅春著
つづく

PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
■今日から…【仕事始め…】の会社が…多いですかと?思う次第です…。
そうですョネ!「今」を生かす事が「今」を歩む事への『人・生・観』でしょう!!
なのに?なのに?この“まどろんだ心…”は〜〜〜><
『元・旦…』早々、私は色々な“複・雑・観…”をいただく事になろうとは、思いもかけませんでした。…が?

『2014年度…今年』の出発は〜〜〜【暴・風…如く!吹き荒れた?空・模・様】なのですが、これも
異臭の私の「心の掃除・浄化作用…」と思いまして、前以上に、前に!前に!進む【人生の一本道…】を
だだ!ただ!ひたすら進む事でしょうかしら〜〜〜ン??
まず、今年も無事に「おせち料理」も間に合い!生かされた事に【感・謝】です〜〜〜ョネ!!

>>「今」梅の花の喜びに満たされて咲いている。梅の花よりも尊く強く逞しきが人間である。
喜ぶべきことしかなにのが人生である。<< 抜粋言葉…

■□まず!【感・謝・探・し・の・心・の・旅…】を見つける事が、
この【人生劇場のゲームの中での勝・利・者】となるわけなのでしょうか??

「観覧者の皆様」も?「今年の正月…」は、如何お過ごしでしたでしょうか??
改めまして…今年【2014年度…】素晴らしい年になります事を…御祈り申し上げます…。

                                    再合掌

2730SAKURA:2014/01/06(月) 19:21:25 ID:jd1lCjOk
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…引用編】
>>2608>>2672>>2673>>2681>>2682>>2694>>2706>>2707>>2723>>2724>>2725>>2726>>2729投稿の続きです
■ 今年も引き続き…「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

―――【 生命の実相 37巻 谷口雅春著(日本教文社出版)】―――――
  一 月 三 日

■人生の唯一の目的は神の国をこの世に実現するということである。神の国とは天人常に
充満し、絶えず天鼓の響に妙え、摩訶曼陀羅華の花降る世界である。
天鼓とは天の鼓ではない。人間の人を賞め讃える声である。曼陀羅華とはインドにある
華ではない。華の笑むように和やかな微笑、親切な言葉、思いやりのある行ないが天上か
ら降る曼陀羅華である。
 これから天鼓と曼陀羅華とで飾られた妙なる世界の姿が天国である。天国とは別の世界の
ことではない。われらの思いと、言葉と、行ないとの中にある。(生命の実相からの言葉…)

==========================【 谷口雅春著 】========

                                   つづく

PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ

■「閲覧者の皆様」も?今日から【仕事始め…】となります会社が多いモノと思われます。
此処に【 2014年度 】が素晴らしい年になります事を…お祈りさせて頂きます…。

>>華の笑むように和やかな微笑、親切な言葉、思いやりのある行ないが天上か
ら降る曼陀羅華である<<  一部抜粋

■まさに、今年の日々の『教・訓』と思いますので、私も『肝…に銘じて…邁進!!邁進!!』
                                     再合掌

Cf: 先程【女子会 板】に日付を間違いまして…「一月二日」と記載投稿しましたが?
一月三日の間違いです…。改めて「訂正…」させて頂きます…。

                           再合掌

2731エマソンの光明思想と生長の 家⑤:2014/01/06(月) 20:39:54 ID:kzsrkxKM
理想世界誌昭和四十七年十月号

輪読のための青 年法語

◆エマソンの光明思想と生長の家

谷口雅春先生

■五日のことば ”生命は”常に前向きに前進 する

やがて、あなたに時間・空間を超越した実相 の自分を自覚し得た一瞬が来る。 それまでは、普通の人は「時間と空間の障壁は 真実で克服しがたく思われるほど、感覚の力は 心を圧倒してしまっている」とエマソンは言っ ている。私たちの肉体は、時間・空間の枠の中 で生活している。そしてこの肉体を五官の感覚 で見て実在であるかの如く感ずる。そして又、 肉体をとり巻いている外界の一切のものを、固 定した存在の如く考える。しかしエマソンは言 う。

「私どもが今固定していると考えることも、あ たかも熟れた果実のように、ポタリ、ポタリと 、私どもの経験から離脱して落ちて行くのだ・ ・・・・風景、人物、ボストン、ロンドンも昔 の制度や一抹の霧や煙と同様に一時的なものだ 。社会もそうだ、世界もそうだ。Soul(魂)は じっと前を見つめ、前途に一つの世界を創造し 、背後にいくつも世界を捨てていく。Soul(魂 )には日付けもなく、儀式もなく、からだもな く、専門もなく、人間もないのだ。Soul(魂) はSoul(魂)のみを知る。森羅万象はSoul(魂 )が包まれている外装に過ぎないのだ。」

The things we now esteem fixed shall, one by one, detach themselves like ripe fruit from our experience, and fall. The wi nd shall blow them none knows whither. The landscape, the figures, Boston, Lo ndon, are facts as fugitive as any institution past, or any whiff of mist or sm oke, and so is society, and so is the world. The soul looketh steadily forward s, creating a world before her, leaving worlds behind her. She has no dates, n or rites, nor persons, nor specialties nor men. The soul knows only the s oul; the web of events is the flowing robe in which she is clothed.

森羅万象は、(それは自分の肉体も引っくる めて)Soul(魂)が創造した外皮なのである。 それは蚕の生命が創造した繭のようなものであ り、蛇が生長して行く毎に脱皮する“皮”(蛇 の抜け殻)みたいなものである。脱け殻は蛇の 一時的外装であって、それは嘗て蛇によって創 造せられ、用終わりて棄て去られ消え行くべき ものなのである。生命は嘗て創造して、用を果 したところのものを棄てて行くが、”生命”は 死ぬのではなく、常に前向きに前進するのであ る。その”生命”がただの生きる力でなく、叡 智を備えた普遍的なものであるとみとめたとき 、それをSoul(魂)とエマソンは呼んでいるの である。

>>2713:エマソンの光明思想と生長の 家④

2732うのはな:2014/01/08(水) 20:35:10 ID:I1ZO449E

感謝行は同時に深切行である。ひとのために尽したならば自分の生命力が減ると思うのは迷信に
すぎない。信徒某氏は眼病の中でも最も難症だと言われている網膜剥離症に罹っていられて、
聖典『生命の実相』の細かい活字を読むのに、自分のために読むのだったら、一ページ半も読めば、
眼底と後頭部とに苦痛を感じて読むに堪えないのである。

 それだのに驚くなかれ、他の病気を癒してあげたいと思って『生命の實相』を他に読んで聞かせる段になると、
一時的にその眼疾が癒ってしまって、連続四、五十ページを読んでも眼に痛みを感ぜず、読後また眼の疲労を少しも
覚えないのである。

 『生命の實相』は自分の悟りのために読むのも結構であるが、他の悟りのために読んで聞かせてあげるのは一層結構である。
自分のためでない自他一体の無限生命力が発現し、自分のためでない所に自他一体の無限の悟りに到達する。
まだ病気が顕われているのは働きに利己主義の心持が混るからである。

 自分の病気が治ったら他を救ってあげようと思っていては機会がなく、他を救っている間は病気は治っているのである。
永久に他を救っていれば、永久に病気はない。

 頭注版 『生命の實相』第8巻 観行篇 P191−192 谷口雅春 先生著

2733SAKURA:2014/01/09(木) 15:33:34 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…引用編】

>>2608>>2672>>2673>>2681>>2682>>2694>>2706>>2707>>2723>>2724>>2725>>2726>>2729>>2730
投稿の続きです
■ 今年も引き続き…「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。その①

―――【 生命の実相 37巻 谷口雅春著(日本教文社出版)】―――――
  一 月 四 日

■何よりも大切なのは、まず自分の家庭を天国とする術である。それができなければ人間
生活の土台が完成したとは言えぬ。まず手近にある家族を愛せよ。そこから天国が生まれ
てくるのである。われわれは天国とはどこか遠い国にあるように思い、幸福とはどこか外
のところにあるように思っていたが、脚下にあるのである。

 まず、朝起きたとき、すべての家族たちに優しい言葉を、朗らかな響きのある語調で投
げかけよ。これが第一家庭を幸福な天国にする秘訣である。気がついたら今日からそれを
始めよう。

――――――――――――――――――――――――――−谷口雅春著――――――――
                                  
つづく

2734SAKURA:2014/01/09(木) 15:35:45 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…引用編】
>>2608>>2672>>2673>>2681>>2682>>2694>>2706>>2707>>2723>>2724>>2725>>2726>>2729>>2730
>>2733稿の続きです

■ 今年も引き続き…「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。その②

>>2733の①の投稿の続きです
PS: 「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
そうです〜〜ョネ!!本当に、まずは【天国は家庭…】からでしょうか??そうしますと……
私の【不・幸…】は??と、今!気がついた次第ですが??やはり【生長の家…】は、まず!
“信者も家族…”ですから!人それぞれの捉え方…と言われる方も中にはいらっしゃいますでしょうか?
今回の【第・一】とは、「創立者 谷口雅春先生の娘さん恵美子先生」のへの?例え?引退という形
でありましょうとも、今回の“情報…”を信者に、多少なりとも、やはり“伝・達…”する事も
必要な部分ではないのでしょうかと。??
「亡き 2代目清超先生」の事も振り返りますと…「プライバシ−問題」と済まされるモノなのでしょうか?
複雑なモノを感じる次第です。…が?

【原宿本部】が本部としての運営機能がありました頃?誕生日に恵美子先生を招待しましたとか?
多少の情報を頂いて居りましたが?今回の事を踏まえますと…
本当に「恵美子先生」とのご関係は?そして、お元気でいらっしゃるのでしょうか?…と、まず思います。…が?

■「現白鳩総裁先生の奥様」の里帰り…は、正直申しますと?世間一般の考え方ですと…
【谷口家…嫁がれて来られましたから】先ずは?【谷口家の大元…恵美子先生】の状況を私共は、
知りたいのが気持の上では…“信者の心理”としては心に抱くのではないのでしょうかと思う次第です。
世間一般的には【嫁ぎ先の…家庭…】がすでに!【ご・家・族…認・識】かと?この事は?或る財界の
方も…おっしゃつていましたモノです。…が?

従いまして…【伊勢神宮参拝…】という事とは、全く!もちまして“興味のない世界観”でしょうか??
まず!その前に、現在の「恵美子先生のご高齢」も踏まえますと?気になるところです。…が?
例えば…【比・較・論…】で申しますと、現「天皇家」はもとより「イギリスのエリザベス女王 様」は、
今でも【イギリス国民】に対しまして「ネット…」を通じての世界発信をなされていますから…
今でもお元気なのですネ!!このように気持の上でも…ポジティブ感になります。“お元気な顔…smile”

私は、今日から、まず!足元から【実・行・開・始…】です!!
>>まず、朝起きたとき、すべての家族たちに優しい言葉を、朗らかな響きのある語調で投
げかけよ。これが第一家庭を幸福な天国にする秘訣である。気がついたら今日からそれを
始めよう。<< (一部抜粋)

                        再合掌

2735志恩:2014/01/11(土) 07:32:35 ID:.QY5jUA6
💙《無相》について、雅春先生が、説かれておられます。

「菩薩とはあなた自身のことである」

(谷口雅春先生著「日常生活の中の真理・仏典篇」より)


この維摩が菩薩らに道を説くのでありますが、菩薩というのは一体何であるかと言いますと、
観世音菩薩とか普賢菩薩とかいってですねえ、お釈迦さんが居らっしゃった時代には、
神通力をもって自由自在に空中を飛行して、そして釈尊の説法を聴きに来たというような、

そういう神通自在の菩薩もありますけれども、なにもそのように神通自在でなくっても、
菩薩というのはあるわけなんであります。

私の著書に『菩薩は何を為すべきか』という本がありますが、
それの〝はしがき〟のところに、菩薩とはこういう人であると書かれております。

「菩薩とは如何なる人のことであるかといえば、諸君のことである。

自利のためのみに生活せず、利他のために真理を深く研究し、自己の魂を向上せしめると共に、
その真理をもって多くの他の人々の魂の向上に貢献し、幸福を施してやまざる如き人々である。

維摩経に、維摩居士が故意に自己に病いをあらわして、見舞いに来た文殊菩薩に対し
『菩薩は何を為すべきか』について 説くところがあるが、その中に次のような語句がある。

『一切衆生を摂すといえども、而も愛着せざるは、是れ菩薩の行なり・・・・』」

〝一切衆生(即ち全ての人)を摂す〟というのは、自分の心の中に摂り入れる。

つまり、可哀相な人を見ては〝ああ可哀相だ〟と、相手の苦しみを自分の内に摂り入れることで、
悲しんでいる人には〝ああ可哀相だ、あの悲しみを除ってやりたい〟と自分の内に相手
の悲しみを摂り入れることであります。

「一切衆生を摂すといえども」つまり、すべての衆生の苦しみ、悲しみを自分の中に摂り入れるけれども
「而も愛着せざるは、是れ菩薩の行なり」となるわけであります。

 愛着して愛に溺れてしまって為すところを知らないで、却って〝可哀相な、可哀相な〟と一緒に泣いてしまって、
そして悲しみの世界に自分も堕ちてしまうのでは相手を救うことができない。
そこで「而も愛着せざるは、是れ菩薩の行なり」と 説かれているのです。

 次に『維摩経』にはこう書かれています。「遠離(おんり)を楽(ねが)うといえども、
しかも身心の尽くるに依らざるは、是れ菩薩の行なり」遠離というのは、遠ざかり離れるということです。

すなわち浮世の悩み、苦しみ、煩悩というようなものを遠ざけて、それから離れたいと願うけれども、それでも自分の身心の
尽きない限りは、その煩悩を離れたいと思いながら

煩悩の中に入って人を救う実践をする。これが菩薩であると、こういうように維摩は説いているわけなんであります。
 
さて次には、「空を行ずるといえども、しかも衆(もろもろ)の徳本を植うるは、是れ菩薩の行なり」とある。

仏教の真理は〝空〟であるという。仏教の言葉では〝五蘊皆空〟と言います。
一切の現象は、現れていながらそのまま無いのである。

空しきものであるというわけであります。だから、〝そんな空しいものに執着して救済するなんて
馬鹿らしいことである〟と、まあこういうように思うかも知れないけれどもですねえ、

しかもその空である現象、結局無常であり、掴んでおっても消えてしまうところの泡沫(うたかた)
のようなものであると思うけれども、

その空の現象の中に・・・
「・・・衆(もろもろ)の徳本を植うるは、是れ菩薩の行なり」

・・・衆の慈悲を行じ、深切を行じ、救済を行じて行くのがこれが菩薩の行であると、説かれているわけです。
さらに進むと、

「💙無相を行ずといえども、しかも衆生を度するは、是れ菩薩の行なり」とも説かれています。

💙無相というのは、相が無いと書いてあるのでありまして、一切の存在は空であるから本来常住の相がない。

そして自分も無我であってですね、〝儂が儂がという儂という者も無い〟

ということを知って、
それを生活に実現するのであるけれど、みんな無い空の空なるものであるからと言って、
衆生を放って置くのでなくって、

衆生をたすけるために夜も昼も休まずに働くのが、これが菩薩の行である。

こういうように維摩は説いているのであります。そして皆さんがその菩薩なんであります。(つづく)

2736志恩:2014/01/11(土) 07:38:17 ID:.QY5jUA6
(谷口雅春先生著「日常生活の中の真理・仏典篇」より) (つづき)


☆ 如何にすれば本物の生命が出て来るか

さて、その菩薩の一人の長者、すなわち金持の宝積に対して、

釈尊はこういうように言われたということが、
『維摩経』に書かれております。

「菩薩たち即ち人を救わんがために 精進努力している人たちは
『直心( じきしん)』でなければならない
ということです。

『直心』というのは、『そのままの心』が直ちにスラ
リとそのままに出ることを言うのです。・・・」

 例えば、ちょっと紙くずが落ちていて汚いなと思って
〝これ片付けたい〟と思うけれども、人が見ていると、

〝紙くず拾っているのは、どうも極まりが悪いなァ〟
と第二念というものが出て来て、

折角〝紙くずを掃除しよう〟と思うその直ぐ出て来た直心を、

それを消してしまったりすることがあります。

これは直心を行じないということになるわけです。

 菩薩というものは、そのままの心がスラリッと
そのまま行いに出るのが、これが菩薩の行いである
というわけであります。

それでそのまま出る心が、即ち実相の心である。

実相とは実の相です。人間には実相と仮相とがある。

第一存在としての本当の自分と、第二存在として
の迷いの心のあらわれである、

そういう相とがあるわけなんです。

大抵の人たちは、この実相の心、
直心を失ってしまっておって、

そして〝人がどう思うかも知れない〟とか、
いろいろ上辺を飾る虚栄心みたいなもので
直心を隠してしまっているところに、

この世界に完全な神の創りたまえる
真如そのままの実相が、

現れて来ないということに
なるわけなんであります。

で、人間の生命の実相というものは、
唯一つの神が宇宙の根元であり、

全ての生命の根元でありますから、
われわれの実相の生命というものは、
全ての生命と一体であるというわけなんです。

自他一体であり、彼我一体である。

だから人の苦しみを見たら、
自然と人を救いたくなる。

その苦しみを除いて楽を与えてやりたくなる。

これが当たり前なんです。

そういう救いを行いたくなることを発行(ほつぎょう)という。

行を発するというのであります。

それで、こうして人を救いたくなり、その救いを行じて
いきますと、自分の生命の奥深い所にある実の相、実相、

ほんものの生命のはたらきがそこに出て来るので
あります。

この心を『維摩経』では深心(じんしん)と言っている。

すなわち、自分の生命の実相の奥深いところから、
ほんものの心が動いて来るのが、
これが深心であります。

2737志恩:2014/01/11(土) 08:09:36 ID:.QY5jUA6
昭和七年四月十日 に、谷口雅春先生は、
 💙<無相円相一切相の神示> も、発表されてます。

2739トキ:2014/01/24(金) 18:07:57 ID:imJLzwls
大懺悔と小懺悔についての説明です。

「人間苦の解放宣言」p56より抜粋します。

(質疑応答)

問い 怨んでいた相手がもう亡くなってしまった場合はどう書きますか。
答え 亡くなられても、霊界にちゃんといらっしゃり、念は感応するのですから同じ事です。
   怨みに思った心をありのあま書いて焼き、霊界の御霊に和解し感謝されたらよいのです。

問い 怨んでいる人がたくさんある場合はどうですか。
答え 何人でも思いだされて次々お書きなさい。

(つづく)

2740トキ:2014/01/24(金) 18:09:08 ID:imJLzwls
(つづく)

問い 誰も怨んでいないのですが、悪い事をして自分で苦しんでいるのですが・・・・。

答え 人に言えないその苦しい気持ち、「ああ、こんなことをしてすまなかった。なんと
   罪深い私であろうか」という気持ちを思う存分紙に書いて神様に消していただき、
   後は、「本当にそんな罪を犯したことのなり自分だった」と、大懺悔の世界、
   光明一元の世界にお入りなさい。
    懺悔には小懺悔と大懺悔があります。悪い事をして

   「ああ、すまなかった」

 と思う事は小懺悔で、これは尊いことですが、いつまでも
   「すまなかった、すまなかった」とすまいことをした自分にひっかかっていますと、
   「すまなかった」と思いながら、又、罪を犯したりします。

  懺悔の神示に、「罪を一旦懺悔した以上は、再びその罪に心を捉えられて、神の分身
  なる自己の心を苦しむることなかれ。罪は懺悔と共に消ゆるなり」と示されています。
  浄心行で罪を消していただいたら、最後の感謝和解の祈りで、本来罪を犯した自分も
  なく、犯された相手もない、はじめから「唯仏与仏」の光明一元の世界にいる自分を
  見いだすのです。これが大懺悔です。「観普賢菩薩行法経」には次のように書かれて
  あります。

 無量の勝方便は実相を思うより得・・・・

 一切の業障海は皆妄想より生ず

 若し懺悔せんと欲せば端座して実相を念え

 衆罪は霜露の如し、慧日能く消除す。

2741うのはな:2014/01/24(金) 19:45:50 ID:Qem6RNIo
  ひさみからおとう様への第2の手紙

(第一章)今とってもねむいです。きのうちょっとおそかったせいです。楽しみにしていた期末考査もあと四日と近づいてきました。
それにつれて教室では休み時間にもいすにすわってせっせとなにか覚えている姿が見かけられますよ。まだまだ.....とちょっとなめるほどに
やってきていたわたしはちょっとふためいています。期末テストの何千何万倍もうれしいクリスマスに近づきたいとひかえなるべく期末テストから
離れ、それでいてクリスマスに近づきたいというこんたんを持って生活しています。

(第二章)私は今年Xマスをすごく楽しみにしています。それは.....なのです。
お正月とXマスとどっちが好きですか?とやまて米会話できかれた時、「Xマス」とすぐ答えました。(ここで私は寝床にはいったのであります)クリスマスがもっと
楽しくなるには雪が降らねばなりません。雪がふってもつもらねばならないのであります。
それも深くつもってくれれば私にとってこれ以上さいわいなことはないのであります。
私ばかりでなく全世界の様々な人種の子供が喜びます。いいことです。

(第三章)少し学校の事についてのべます。
学校にはストーブがつきました。むろん石炭ストーブです。
それがまわり二メートルはん囲の暑いのなんのって、すごい暑さです。でも一メートルの所に
ちゃんとした人間がすわって授業を受けているのですから大したものです。私は2分とあそこにはいられません。
その人たちが暑いともフゥーともいわないのに教室の一番後ろのはじの連中が「ウワーあつぅーあついなぁー」と
いつもいっています。ふしぎなものです。これも自然現象でしょう。

 クリスマスが近づいたのでクリスマス・ソングがどこにいても聞かれます。
今もマサノブ君が「ジングルベルジングルベール.....ホップステップジャンプ」のジャンプでわたくしめにぶつかったからです。
アブナイデす。きのうカリフォルニアにいらっしゃる鯉沼先生に寄書きを出しました。
私のところには授業中にまわってきました。「先生にはあとで長ーい手紙をさしあげます」と左手で書きました。
左手で書くとこんな字になります。

中森先生のじかんに(図形)に「よんだらどんどんまわして下さい」という手紙が五、六通まわってきますが、私めは読まないでほうりなげます、
するとうしろのがうけとめるという手順になっています。ソロソロオーバーを着たり、マフラに足をうずめたりする人が出だしましたが、私はマダマダです。
これからも元気にやっていこうと思っています。

(第四章)もう時間です。八時ですから。
今日は調理のテストです。といっても皿を洗ってふくテストです。音楽もあります。
このあいだの時歌わされました。(一人で)
「一学期にくらべるととてもよくなっています」といわれてニコニコです。
体育はたっ球です。なかなかうまいのがいてかんしんします。そういった程度です。
あっそうそう、このあいだ甘露の法雨を焼いて自殺するといっていた人が自殺するのをやーめたっといっていますよ。
よかったですね。それでは、おかあさまをどならせないよう、学校に行ってまいります。
 いってまいりますーー  ひさみより

『こころの旅路』 谷口恵美子 編著

2742 a hope:2014/01/30(木) 21:36:49 ID:G/pK6qF2
生命の實相 第29巻p111〜
第九章 深切行について
一、 人生を円滑にする油の差し方

「生長の家」の生き方は無一物にならなければできないとか、何宗にならなければできないというような狭いかたよった生き方ではないのであります。生長の家の教えはいっさいを生かし、いっさいと仲よくなる教えでありますから、他を排擠(はいせい)して生長の家宗になる必要はないのであります。

それゆえわれわれは、別に今までの宗教をやめて生長の家にお入りなさいとは申しません。今までの宗教そのままでよいのであります。甲をやめて乙に入れという教えでありましたならば、それはすでに対立的な教えであって、一つの教団に対するまた別の教団ということになるのでありますけれども、生長の家は、何宗という教団ではないのでありますから、何宗でもよいのであります。

それは宗教であるかというと、そういう「宗団教」ではない。要するにいっさいの生命あるもの、生きとし生けるものことごとく自他一体が本来であるということを悟って、それに深切行を志す人たちが生長の家であって、その自他一体の真理を※奉戴(ほうたい)して人に深切を行うということが、生長の家の生き方であります。

ですから、必ずしもある宗団のように毎朝「朝詣(まい)り」をして道場に坐らなくてはならんということもない、出てこられても出てこられなくても、いっこうにさしつかえないのであります。ただわれわれの心を浄めるために一日のうちの暇な時間を選んで三十分でも実相を観ずるとか、あるいは電車の中でも、汽車の中でも、聖典を読んで心を浄めるようにし、そうして自他一体の真理を生きる、すなわち人に深切行をするように心掛けてほしいというわけであります。

※奉戴(ほうたい)…つつしんでいただく。(頭注より)

2743 a hope:2014/01/30(木) 21:38:52 ID:G/pK6qF2
(a hope 所感)

>>それは宗教であるかというと、そういう「宗団教」ではない。要するにいっさいの生命あるもの、生きとし生けるものことごとく自他一体が本来であるということを悟って、それに深切行を志す人たちの家が生長の家であって、その自他一体の真理を※奉戴(ほうたい)して人に深切を行うということが、生長の家の生き方であります。<<


これこそ、「生長の家」の本来の意味であり、まことの「生長の家の生き方」なのだと思いました。

この「生長の家の生き方」を全人類にひろめていくことこそが、谷口雅春先生の悲願であり、
その波が広がることにより、日本国の実相が顕現し世界平和が実現していくのですよね。

そして、それこそが「生長の家」の使命なのでしょう?

わたしはそうとしか思えませんが・・・。

2744 a hope:2014/01/31(金) 08:00:00 ID:G/pK6qF2
生命の實相 第29巻
第九章 深切行について 
二 深切は誰にでもできる p112 〜

ところで、この「深切行」の問題でありますが、深切行をするには、金持ちでなければできないとか、あるいは財産を捨てなければできないというような、そんなむつかしい、また制限のある深切をするのではないのであります。金が無くても人に深切ができるのであります。

人々が下駄を脱ぎ散らかしているならば、下駄を揃えるのも一つの深切行であります。一枚の塵紙(ちりがみ)がなくて困っている人には一枚の塵紙を与えるのが深切行であります。下駄の鼻緒が切れて困っている人を見出したら、いつも紐の切れ端ぐらいは携帯していてそれを与えるというようにするのが、生長の家の生活であります。

雨が降っている時に一緒に同じ方向に同じ速力で行く人があるのに、自分は傘をさしているけれどもしれぬ顔して勝手に濡れておりなさいというようにしてゆくのは生長の家の生き方ではないのであります。みんなに深切を与えるのが生長の家であります。別に自分の物を減らさなくてもよろしいのです。

減るものを与えるのではともすれば執着がかかるのでありましてそれは本当の深切にはならないことが多いのであります。よく深切にしてやったのに相手に恩返しをされないで恩を仇で返されたといって不平に思い、怨みに思う人がありますけれども、あとで怨みに変るのは「我」があるからです。

「わしがした、わしがした」のわしがあるからです。本当の深切は無我の深切でなければならないのです。自分が施すということも知らないところの無我の深切でなければ、本当の深切であるというわけにゆかないのであります。

本当の深切は自他一体の意識から自然法爾(じねんほうに)に出てくるのでありまして、「彼」と「我」とは別れていないという本当の真理を悟ったところから、自然に深切というものが流れでてくるので、それはちょうど、高い所と低い所との区別のしきりを除(と)ったら、水が自然に流れ出てくるように、自他一体の悟りによって「自」と「他」とのしきりが除(と)れたら自然に流れ出てくるのであります。

すでに「自」と「他」とのしきりがないとしましたら、「わたしが」「彼に」してやったという力みはないはずであります。「わたしが」「彼に」してやったと、「わたしが……わたしが」と、力むことは、本当の自他一体の深切行になっていないのであります。

「わたしが」「彼に」施しをしたとか深切をしたかということを心に溜めておって、それが原因になって腹が立つとか、あるいは恨みに思うとかいうようなくらいなら、そんな深切は初めからうその深切であります。本当の深切というものはいつそんなことをしたかわからないうちに深切ができているように、あたりまえにできるようにならなければ、本当の深切ではないのであります。

2745 a hope:2014/01/31(金) 08:01:19 ID:G/pK6qF2
(a hope所感)

つまりは、「自他一体の真理」って「無我の愛」のことで、その実践が「無我の深切行」なのですね!

<<本当の深切は自他一体の意識から自然法爾(じねんほうに)に出てくるのでありまして、「彼」と「我」とは別れていないという本当の真理を悟ったところから、自然に深切というものが流れでてくるので、それはちょうど、高い所と低い所との区別のしきりを除(と)ったら、水が自然に流れ出てくるように、自他一体の悟りによって「自」と「他」とのしきりが除(と)れたら自然に流れ出てくるのであります。>>


「生命の實相」って本当にすごいバイブルですね!!

2746 a hope:2014/02/02(日) 17:21:47 ID:tLWd4hcY
生命の實相 第29巻
第九章 深切行について 
三、無一物の深切行p114〜

そういうふうに生長の家の深切行というものは実に広々としたもので何にもなくても行えるものであります。むろんこの一枚の紙がなければ、一枚の紙のほしい人には与えることはできませんけれども、何も施すことは一枚の紙に限らないので、何もなくてもわれわれは人々に深切を施すことができるのであります。

たとえば失意の人に希望の言葉を投げかける、あるいは会う人ごとに厚意と深切との微笑を投げかける、人が何かをしたら、朗らかに相手の長所をほめる。かういうふうなことは与えてもちっとも減らないのでありまして、どんな貧乏人でも自分の顔は持っているから、自分の顔を莞爾(かんじ・にっこり)と微笑させるぐらいはできますし、どんな貧乏人でも自分の口は持っていて唖でないかぎりは言葉を出すことはできるのでありますから、それでその言葉によって相手の長所をほめるくらいのことはできるのであります。

これが大きな功徳であり施しになるのであります。そんなら唖であったら褒めるわけにはいかないと言われるかもしれませんが、合掌くらいはできるのであります。合掌して相手を拝む、その「拝み」だけでも大きな施しになるのであります。手のない片輪者ならどうしたらよいかと言う人があるかもしれませんが、心で拝む、心で本当に拝めたら、手で拝むよりも、金銭を与えるよりも、まだまだ尊い深切であることがあるのであります。

2747 a hope:2014/02/02(日) 17:23:18 ID:tLWd4hcY
(a hope所感)

<<心で本当に拝めたら、手で拝むよりも、金銭を与えるよりも、まだまだ尊い深切であることがあるのであります。>>

これだったら、たとえ寝たきり状態になっても出来ますが、
でも、この「心で本当に拝む」というのがなかなか難しいことなのかもしれません。
ですがそれがまことにできたときには、とめどなく、拝ませていただく相手への
「感謝の気持ち」が溢れてくるような気がしています。

2748流氷:2014/02/05(水) 20:47:47 ID:zkT6v8o2

 <あなたは必ず救われる> 藤原敏之 先生 生長の家今昔物語
 http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/

2749レンゲソウ:2014/02/14(金) 00:23:31 ID:pDIUw3sQ
『二月の祈り」  谷口雅春先生

 わたしは”神の子”であり、今、実相世界にありて宇宙神霊の前に坐すのである。

 わが周囲ことごとく神霊である。物質にて成るものひとつも無いのである。

 わたしは霊の空気を呼吸し、神の霊気わが全身をみぐり満つるのである。

 わたしは神の霊に生かされているのである。

 神の霊は平和の霊であり、調和の霊である。

 神の平和と調和がわが全身に充ち満ち、わが周囲に充ち満ちているのである。

 わが内に平和はあり、わが周囲に平和はあるのである。

 神の平和は単なる”静かに何もしない”平和ではないのである。

 神の平和は秩序と調和に満ちたる、活気臨々たるリズムに満ちたる平和である。

 静中動あり、動中静あり、無限に新しき、人類を生かすところの良きアイデアが常に
こんこんと湧き出て来る平和である。

 私は神より湧き出ずるアイディアに導かれて、常に人類のために国家のためになる行動に献身するのである。

 私は平和の子であり、平和の天使である。ありがとうございます。


(『理想世界」昭和46年2月号より)

2750SAKURA:2014/02/14(金) 08:20:58 ID:ewKVx23E
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
おはようございます。 ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…引用編】
>>2608>>2672>>2673 投稿の続きです
■□ 「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

―――【 生命の実相 37巻 谷口雅春著(日本教文社出版)】―――――−その①
   二 月 十四 日

■素直に飛びついて来る子供はかわいがられる。素直に舅 姑の懐にとびついて来る
嫁はかわいがられる。素直に先生の懐に飛びついてくる生徒はかわいがらる。夫婦仲
が悪いとか、家庭はおもしろくないとかいう人があるけれども、それは互いに飛びつくよ
うな素直さをなくしたからである。神のみふところに飛びつく者は神に愛される。

                          谷口雅春著

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
■『素直に飛びつく人』は、一番いいです〜〜〜ョネ!!
【素・直・に・な・れ・る・事】が出来る事は、まず!“環境…”からもあるのでは、ないでしょうか?
それから『夫・婦・問・題』でも、「九州」と「関東」では随分と『夫婦の仲の捉え方』は?違うのでしょうか??

「欧州」でも、特に「フランス」での男性は、女性には“誉め言葉…”が多いとか???
例えば?かなりの【年齢の女性…】でも、その人の魅力引き出す為に〜♫
「此処が素敵だと…」まずは『 賛辞の言葉 』が「男性の社交辞令」だとか?聞いた事があります。…が?

私が、福岡に帰郷しましてから、まず!思った事は【同世代の女性がかな老けてみえて…><】
“ビックリ…”した事があります。

■或る本からなのですが【 人間の運 】についての本を読みまして“納得感”が?

■□【 何故?老けるのかを…… 】最近!分かった次第です。…が?

此処「福岡の夫婦の会話」から〜♫〜なのです。…が?
必ず「男性…」は、他の「女性」との【比・較・論】になるのでしょうか??

私達の世代は【日教組の教育…】です。従いまして、人一倍の『負けん気』がありまして、
どうしても、同世代の中では……特に「女性」は【競・争・意・識】がまず!強いですネ!!
例えで申しますと、他の同世代の「女性…」が、若く見えるとします。そうしますと…
「男性陣」は、まず!「言・葉…」から【比・較・論】に入って行きまして【欠点とか?】〜〜〜
いろんな角度での見方から「女性」は素直になるどころではなくなり、一年中『外見への…依存度』が、
本人自身の潜在意識に、奥深く入り込み〜♫ 『奥の細道…』かなり…奥の奥まで……でしょうか?
実に、大変な感じが致しますモノ!最終的には〜〜〜?

つづく

2751SAKURA:2014/02/14(金) 08:26:54 ID:ewKVx23E
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
おはようございます……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…引用編】
>>2608>>2672>>2673>>2681>>2750投稿の続きです
■□ 「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

―――【 生命の実相 37巻 谷口雅春著(日本教文社出版)】―――――−その②

>>2681>>2750  投稿の続きです…。

「若い?」或いは「老いて?」この【比・較・論】に入りまして【女性として扱われなくなる】のですョネ!!
ですのでかなり、老化現象の方が多くて〜〜〜私達を見ますと、必ず❤『形成病院に直行…』かと。

■その後の【後・遺・症】は???と私は思います。…が? 大丈夫なの〜〜〜><でしょうか?

【外・見・思・考】に走る…【素直に走ると言う事】なのでしょか?けれども〜
【真理・聖典の勉強】さらに【祈り…】はおろそかになるようでは?彼らの【素直な心での行動…】とは?
全て!全て!【物質化した欲求の価値観…結果】に、逆におかれている感じで〜〜〜す!!
当に【 唯物論…思考型 】ですかと思うのです。

【素直になるのは当たり前】で、此処で「舅・姑の問題」は、これは「おしん」の問題で……
その人の【精神修行】になるのでしょう!!

さらに「相手を褒める事…」も、環境のいい!!さらに伸び伸び育った環境での子供は、意外と素直だそうです。
これは、両親の育てから来るのでしょうか??この人が言われている事は、
日本に帰ってくるたびに感じる事は、自分の事を「つまらない人」「ちっぽけな人間」と、思っている人が
意外に、多いそうです。
これは【教育の問題】にも関連して、深刻でしょうかと……!!
振り返りますと…「褒められる事」より、「怒られる事」の方が、多いのが現状であり、
アメリカの教育は「誉める事」の方が、断然多いので、自分に【自・信】を持っている方が、とても多いとの事!!

■【自・信】を持つ事は、かなりの“エネルギ−”がいるのです〜〜〜ョネ!!
【自・信】をもたせるくらいの“誉める環境…”に育てる事でしょうか!!そして、
両親は子供に対して誇りをもつ事が…ベタ−なのでしょうか!!そこから【素直になれる環境】にも…?

また【職・場】でも、注意したり!叱りつけたり!…しての指導よりも、遥かに【誉めた方】が、
ずっと伸びるのではないでしょうか!!そして、この様に、互いに【誉める事】は、そこから“スタ−ト”しますし、
さらに【感謝の心】がわきますから、自然と素直に受け入れる“心…”になっていく事でしょうか??

今回!私は【ノーミート=食事療法】と言います事に、投稿しますと、どうも或る方が「総裁先生」が、
■「ノ−ミ−ト」と「食事療法」は違うと云われたそうで〜〜〜す。
私は?そこまで誇示しての分類が必要なのでしょうか?そのように思った次第です。
つまり「食事」を全体像としますと…その中に「ノ−ミ−ト」という項目があり、或いは「食事療法」の中にも
「ノ−ミ−ト」という部分があるモノと…このようなる解釈です…。(重なる部分…)
最終的には【 健康管理 】という前提を私は考えています。

つづく

2752SAKURA:2014/02/14(金) 08:29:01 ID:ewKVx23E
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
おはようございます……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…引用編】
>>2608>>2672>>2673>>2681>>2750>>2751 投稿の続きです
■□ 「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

―――【 生命の実相 37巻 谷口雅春著(日本教文社出版)】―――――−その③

>>2681>>2750>>2751 投稿の続きです…。

但し…「総裁先生」の「ノーミート」は…10年前からでしたか?あくまでもその根底には【エコ運動】としての
「ノーミート」という事を、当時「牛の放牧…その為の飼料」に関しての莫大なる“エネルギーの必要性”を
講習会でおっしゃっていました事…その事が【地球温暖化への影響…するのか?】その記憶があります。…が?
そして、現在では「総裁先生の奥様」が、ここ数年前から信者に対しまして「ノーミートのお弁当」を
紹介されている事から、その「区・別」を明確化されていらっしゃいますのでしょうか?

■□「料理…」とは?このとらえ方が…色々あるモノと…この頃では痛感する次第なのです。

以前!栄養管理士の方が…バランス良く「料理」を提示してくださった普及誌がありましたが…
やはり【健康管理】という上では、当時大変参考に思っておりました。また!信者の皆様の中には、
それ以上の「料・理…レシピ」が???と、実際のところ、私の周りの同世代の友人は、
かなり「料・理…が上手な方」が多いのです。…が?此処から、お互いに、工夫しての料理を、
投稿して頂きますと…それは、ますますと「家族の健康」にプラスメリットになるモノと思うのです。
お互いに【料理の紹介…】を、喜びあう!!褒めあう!そこから次なるステップへ“循環した事”が、
始まるモノと…【運…?】まずそのような方達の登場は、やはり?「ノーミート運動」を活発化する上では、
非常に、いい事ではと思います。…が?この事を聞いてから?
「区別」する事…そこに【定・義=決めつけ論】を置かなければならないのでしょうか?
…オカシナ気持になりましたが、

この事からでも【素直に従う事…】とは、合わせるのではなく…
【納得した事は、素直に表現します事】ではないのでしょうか!!と思いながら…現在の私の於かれた
【環・境】は、「吸血鬼とその仲間とか?」に、尾行されています。なので……
【素直に彼らを受け入れる気持ち】は、飛んで行け〜♫ 飛んで行け〜♫ このような気持ちであり
【類の法則】ではない人達…という観念です。従いまして、【素直に相談は〜出来る事も出来ない!】のでは?
更に、今の私は「神との融合…」を深めていく事!そこから〜〜始まりますでしょう。
まずは【祈り…】に徹する事でしょうか??


■□本当に【素直になれるような環境…】に行きた〜〜〜イ!まず・・自分を褒めることから
讃嘆!!それがベターになれば、私の世界はもうそこは、キット【天・国階段の入り口…】でしょうネ!!

                              再合掌

2753トキ:2014/02/15(土) 16:23:55 ID:C5p9.pG6
「過去の体験から教訓を得て過去を棄てること」

 過去の不幸や不快や過ちの記憶を拭い去れ。それらの出来事は無駄にあなたの前にあらわれた
のではなかったのである。それらの出来事は何らかの教訓をあなたの魂に与えるためにやって
来たのである。過去を振り返ってそれらの不幸な出来事や不快な経験が、自分のどんな想念の
影であらわれたのかを吟味して見て、再びそのような想念を起こさないようにすればよい。
そうすれば、それらの出来事や経験はあなたの魂に教訓を与えるためにあらわれた教科書の
役割りをしたことになるのである。1年生の教科書から学んでしまって2年生になったら、
もう1年生の教科書は棄ててしまって、2年生の教科に進むのがよいのである。過去の不幸
や不快や過ちを、いつまでも持ち続けてクヨクヨ思って自己劣等感に陥る者には、2年生に
なっても、3年生になっても、1年生の教科書にしがみついているような「人生の劣等生」
なのである。諸君はそんな劣等生になってはならないのである。

如意自在の生活365章 谷口雅春先生著、206pより

*個人でも、組織でも、同じ事が言えるような気がします。(トキの感想です)

2754SAKURA:2014/02/15(土) 20:55:31 ID:KNM8zFDU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…引用編】
>>2608>>2672>>2673>>2681>>2750>>2751>>2752>> 投稿の続きです

■□ 「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

―――【 生命の実相 37巻 谷口雅春著(日本教文社出版)】―――――
   二 月 十五 日

 どんな美しいバラの花でも、その棘に触ったときにはハッと驚いて捨てられる。人に嫌
われるのは心に棘があるからである。これだけ立派な仕事をしているのに人が自分を遠ざ
けるというような人は、これだけ美しい花が咲いているのになぜ人が自分を捨てるのだろ
うと、みずから疑うバラの花のようなものである。

 とげとげしい眼、とげとげしい言葉、とげとげしい行動、その一つ一つを抑えようとし
てもなかなか直るものではない。まずとげとげしい心を捨てなければならぬ。とげとげし
い心を捨てるには「とげとげしい心」をアリとして抑えてもなかなか直る物ではない。暗
は暗をいくら押さえてみても消えるものではない。暗を消すには光を持ってくるにかぎる。
とげとげしい心が自分にあると気づいたら、その反対を持って来るのである。「自分は優
しい優しい人間であって、とげとげしいところはちょっともない」と、その反対の念を自
分自身にいって聞かせればよいのである。

                             つづく

PS: 「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
■此処昨今は、私もいい気持ちになる事が〜〜〜ネガティブ感の一日が多いのです。そんな時は?やはり!
心がすさんでしまいます〜〜〜ョネ!あまり“ポジティブ=良い事”が考えれない感じになった現実は
もしかしますと?私自身の“ 心が塞がった感じ… ” なのでしょうか??

今日一日楽しくすごせそうな…感じでいますと、そう!本当に“心…”が楽しく、ウキウキ気分の時、
当にその時です…。必ず!必ず!出没しますのが〜〜〜「吸血鬼・ゾンビの仲間…」なのです。
或る時は?歩行しています時?さらに地下鉄の電車内に、隣に近づいてきたリ?で…
また、コンビニ内で? 銀行のATM利用の時に? まるで〜♫ まるで〜♫ のぞきに来た感じで、
非常に気分を悪くする事が、多々あり…このような時に、私の“精神”は非常に、心が高ぶりやすく
なりますので……これに「自・制・を・重・く…」しますと、表情は?本当に冷たい!冷たい!感じ…
になりますが〜〜〜><

小さな事での【感・情】で、前に進む事が出来なくなるよりも、私の【理・性】を最優先に於く事が
【重・要・感…】では??そのような状態の時は、やはり!このような人間に“心…”を振り回されたら、
私の【人・生・は・暗・黒・に……】と、そう!そうなのです!私は、前以上に
“心を別の角度で思考回路する事”!!この様に、写真を撮ります時は、ご存知でしょうか?
フランス出身の『 モレシャン 』さんが、随分前におつしゃつておりましたのです。…が?

■『 一番!自分に…素・敵に見える“角・度”を、認識する事!! 』

フランス人はそれを一番知っているとの事です。
今!これと同じように【心もイイ角度…に切り替える!】これが、大事なポイントでしょうか??
相手にふりまわされて、「吸血鬼・ゾンビ…暗黒団」に入っていくよりも、ちょっとした【笑・顔…】で、
他人に見せない“心…模様”も、日頃の訓練です〜〜〜ョネ!!私は若い時以上に、ここ最近は、ますますと、
表情が出ないのですが?そう!そうなのです〜〜〜ョネ!もっと【素敵な…笑・顔】をインプットします!!

■「とげとげしい……心」アリ〜♫   う・ふ・ふ 

今日から【モナリザの微笑み…】でいきましょうか???もうそれには私の心の奥に〜〜奥に〜〜
そうです!!そのような心境になれる近道は、神の世界=心の世界です!!神想観=心想観 です。

幸福の近道は、やはり【神・想・観】をしてみるとか?【イメージ・トレーニング】とか?してみますと
心が安らぎ…ますから、一番いい事かと思うのです〜〜〜ョネ!そして【モナリザ…】になれるので〜〜す。
【心の難…】が来れば〜〜〜前以上に【精神の修行…】をして行く事でしょうか??

■■「心の光・・」を見つけるには〜〜〜やはり【神・想・観】が一番おススメで〜〜〜す!!

「トキ様」は?そう〜〜〜思いになりませんでしょうか?

                               再合掌

2755トキ:2014/02/17(月) 20:38:31 ID:qvIK8UMY
 「先日もある人が、「自分は商売が下手なんです。私にはまるっきり商才がないのです。損ばかり
しています。何か良い方法を教えて下さい」と尋ねて来ました。自分で商才がないと言いますが、
商才とは何でしょう。この人は商才を何か特殊な技術のように考えているようですが、商才とは
そんな小手先の技術ではないのです。
 
 商才とは商人の”誠意”と”腹”だと思うのです。顧客に仕える心と小さな損得に拘泥しない豊かな
心です。この心で商売をやれば誰だってはやるのが当たり前なのです。

 大阪の春名徳雄さん(前 生長の家大阪府相愛会副会長)に伺ったのですが、大阪の十三に大変
よくはやっている呉服屋がありました。ご夫婦とも熱心な信者ですが、生長の家の話もよく聴きに
こられるのだそうです。この方は戦前一度商売に失敗されたのです。とうとう夜逃げの相談をして、
アメリカか、どこかに移民に出ようという話になって、一度、金光教の先生のお話を伺おうという
ことから教会に行ったのです。

 その時に、教会の先生が「それなら、僕がまず尋ねますが、仮に東京で太鼓を叩いていたら裏が
裂けて鳴らなくなったので、その破れた太鼓を、今度は大阪に持って来て叩けば鳴りますか?」
と聞いたのです。

 「そりゃ、皮を張り替えんと鳴りませんね」と返答したら、先生はカラカラとお笑いになって、
「そらなら大阪で破れた太鼓をわざわざアメリカまで持って行って叩かなくてもいいじゃないか、
まず皮を張り替えなさいよ」と言われました。

 この呉服屋さんは、この一言に胸を打たれて再び大道商人から立ち直って誠実一路ついに今日
の基礎を築かれました。

 「環境は心の影だ」という生長の家の真理がよく表れています。

 昔から、”商売は前垂れをかけて”とよく言われます。前垂れとは前へ頭を低く垂れることです。

 「ありがとうございます」とただ誠実一路に生きることです。ただ売ってやる式の商売や、
ただ儲けよう式のやり方では客に飽きられます。顧客から悦んで貰う聖人になることです。

 商才がないというのは単なる言い訳に過ぎません。成功する人には成功するだけの苦労も
あるのです。

 「幸せに到る道」(故 北尾巳代次先生著、日本教文社)29〜30pより抜粋。

2756レンゲソウ:2014/02/18(火) 01:38:35 ID:BrBAlyYA
 あなたの身体を言葉をもって祝福しなさい。
あなたの身体は決して物質でできている肉体ではないのである。
それはたとえ肉体のように見えても、それは神の霊によってつくられた霊体である。
そして、それが創造られたそもそもの始めから完全につくられているのである。
だから、自分自身の身体に向かって次の如く心の中で、”言葉”をもって祝福するのがよい。

 「あなたは神の最高の自己顕現として最(い)と完全に作られた霊体であります。霊体で
ありますから、温度や気象や微生物hによって決して傷つけられるよぅな事はありませ
ん。あなたは今も現に神につくられたままに完全な健康な身体であります。

生長の家誌 昭和43年2月号 p16 19日の法語より謹写

2757 a hope:2014/02/19(水) 11:10:05 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第9巻 霊界篇p1〜

はしがき

人間の運命の一半(ぱん)は、霊界との連関において、定まるのであって、本人の自由意志のみで定まるのではない。本人の過去の想念、言葉、行為は一種の惰力的な力をもっていて、その人の運命を一定の方向に導いて行こうとする。

これは仏教でいわゆる「業力(ごうりき)」と称せられるところのものであって、一定の方向を走る汽車はその後もその方向へ走って行こうとする惰力をもっていて、あまりに急に変向せしめることはできないし、急角度で変向すれば脱線するようなものである。

個人のみならず、国家にも、民族にも、過去の想念、言葉、行為の力は蓄積されていて、ある惰力をもってその特有な運命の軌道を走ろうとするものである。そしてその個人の運命も、国家または民族の一員である限りにおいてその全体的な運命から脱却することはできない。
(つづく)

2758 a hope:2014/02/19(水) 11:10:57 ID:cEpBaIdo
われわれは国家または民族の積み来った業の流れの中に棹(さお)す幾多の舟艇(しゅてい)のようなものである。われわれは何れも全体の流れの影響を受けないことはむずかしいが流れさるものもあるし、向こう岸に安全に到達するものもあるであろう。

そこには個人の努力や、自由意志の働く部分もあるのであり、その努力の価値と、運命の変向力とを否定することはできないが、いずれにせよ、個人の運命は国家や民族の運命と混り合っているのである。さらにくわしく言えば地上の人類全体の運命は国家や民族の運命と混じり合っているのである。

そして地球やその他の天体は、人間の霊魂がそこにおいて修行し、向上し、内在無限の神性をより多く発揮するための「場」だということができるのである。したがって、肉体をもっている人間の運命は、肉体を脱却して、よりいっそう進化向上せる霊魂の指導を受けて、種々に導かれ、修正されつつあるのである。

われわれはこれらの関係を無視して人間の運命を論ずることはできない。人間は決して肉体存続期間だけの存在でもなければ、その生活圏が地球上だけに関係しているのでもない。あらゆる天体はわれわれの生活の「場」であり、進化向上の「場」として造られたものであって、天体の運命と、個人の運命とは密接に関係せしめられているのである。

われわれがここで言う「運命」とは運がよくて金が儲かるとか、運が悪くて失敗するとかそのような小さな問題を言うのではない。もっと人類全体と、そして宇宙全体とに、連関せるところの大いなる運命である。
(つづく)

2759 a hope:2014/02/19(水) 11:11:39 ID:cEpBaIdo
人間はなんのために創造(つく)られたか、いずこより来り、いずこに到るか。地球上の民族の霊魂は決して一時期に移植せしめられたるものではなく、数次にわたって、数個の集団として、他の天体においてある程度修行せしめられたものが、遷移(せんい)し来れるものであるヴェッテリニはその霊示において告げている。

それゆえに、高く上がる者、低く降る者、民族はそれぞれの集団的運命を受けるのであり、われわれは現にそれを受けつつあるのである。この霊界の秘密を知らずして人間の運命を予知することはできない。われわれがアジア民族または日本民族としての関心もそこに集中せざるをえないのである。
(つづく)

2760 a hope:2014/02/19(水) 11:12:14 ID:cEpBaIdo
わたしは数百種におよぶ「霊界通信」の書籍を読んだが、ヴェッテリニの霊誥(れいこく)ほど、合理的で深い感銘をわれわれに与えたものはないのである。わたしは高級霊ヴェッテリニの霊誥を、霊界通信に出て来る経路を語る一節のほかは、コルニリエ氏が原文に書いた順序にはこの書に集録しないで、その霊界通信を整理して分類的な順序にそれを並べて検索に便利にしたのである。

この書はかつて『出生前(しゅっしょうぜん)・生・死・死後の研究』と題して単行本で出たとき数十版を重ねたが、後に『生命の實相』の第五巻「霊界篇」に収録されてまた数十版を重ねたのである。

いずれかの書で読んだ人はこの書を読む必要はないのであるが、戦後、霊媒現象の取り締まりがなくなり、詐術霊媒が宗教法人を造って人々を欺(あざむ)く例が頻繁にあるので、その方面に興味をもつ人は、本書をその批評の尺度として対照せられるならば、迷わされる危険は少ないであろうし、人類的運命に連関して、今後、地球上がいかなる運命に見舞われるかについての覚悟を得る上にも、確かに参考になるであろうと思う。

人類の運命は本書にあるように、高級霊の愛深き指導によって間断なく修正されつつあるがゆえに、わたしは必ずしも、本書に示される各民族の運命を絶対だと信ずるものではない。しかしアジア民族の一員としてアジア民族の今後の運命に関して関心しておく能(あた)わぬものである。

昭和三十七年十二月十日       著書しるす

2761 a hope:2014/02/20(木) 23:48:07 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第21巻 経典篇 「はしがき」

『甘露の法雨』はいわゆるインスピレーションによって突然浮かんできた思想が一種詩的なリズムを帯びてきたのを書き止めて置いたものである。後より見るとこの聖経は期せずして、『生命の實相』全巻の真理を縮約して歌ったものになっている。それを読誦することによっていろいろの奇跡を演じたので、ついに聖経と称せられることになったのである。

その英訳をたんに携帯することによって第二次大戦中ハワイの日本民族第二世の軍隊(第百大隊、四四二部隊)がイタリーの南端から上陸する際に、機関銃弾がその英訳『甘露の法雨』に命中しながら、それを貫通することができず無傷で大量の兵員が上陸して戦功を立てたような奇跡もあり、交通事故に遭いながら無事だったと実例のごときは数限りもないのである。

この聖経はたんに現実界の人間が読誦して悟りを開いて病苦悩苦を去るばかりでなく、霊界の諸霊もその読誦の声を聞いて悟りをひらき、迷える障りの霊も守護の霊となることが後に明らかとなったので、神仏礼拝の際その祭壇に対(むか)いて読誦すべき生長の家の聖経となったのである。

しかし読んで意味の分からぬようでは功徳が薄いので、かつて毎日曜日に東京小石川護国寺の月光殿においてその大要を講義したものを次に掲げことにした。主として講義の速記によったのでわたしの文章だというよりも、わたしの語調が写されているところに特徴があるであろう。『生命の實相』の縮約が『甘露の法雨』であるから、この講義を読むだけで生命の実相の大要が摑めることと思う。第一章は当時の講義の筆記漏れを後より再述して完璧にしたのである。

昭和三十九年 一月十日  著者しるす

2762 a hope:2014/02/23(日) 12:24:34 ID:cEpBaIdo

『七つの燈台の点燈者』の神示

汝ら天地一切のものと和解せよ。
天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。
天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。
汝が何物かに傷つけられたり黴菌や悪霊に冒されたりするのは
汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ。
われ嘗(かつ)て神の祭壇の前に供物(そなえもの)を献(さ)ぐるとき、
先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である。
汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である。
神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ。
天地万物と和解せよとは、天地万物に感謝せよとの意味である。
本当の和解は互に怺(こら)え合ったり、我慢し合ったりするのでは得られぬ。
怺えたり我慢したりしているのでは心の奥底で和解していぬ。
感謝し合ったとき本当の和解が成立する。
神に感謝しても天地万物に感謝せぬものは天地万物と和解が成立せぬ。
天地万物と和解が成立せねば、争いの念波は神の救いの念波を能(よ)う受けぬ。
皇恩に感謝せよ。
汝の父母に感謝せよ。
汝の夫又は妻に感謝せよ。
天地の万物に感謝せよ。
その感謝の念の中にこそ汝はわが姿を観、わが救いを受けるであろう。
われは全ての総てであるからすべてと和解したものの中にのみわれはいる。
われは此処に見よ、彼処(かしこ)に見よというが如くにはいないのである。
だからわれは霊媒には憑(かか)らぬ。
神を霊媒に招(よ)んでみて神が来ると思ってはならぬ。
われを招ばんとすれば天地一切のものと和解してわれを招べ。
われは愛であるから、汝が天地一切のものと和解したときに其処にわれは顕れる。

(昭和六年九月二十七日夜神示)

2763 a hope:2014/02/23(日) 12:26:23 ID:cEpBaIdo
>>2762 a hope所感)

この神示は、命令口調なので、神がわたしたち人間に「喧嘩せず、仲直りしなさい。身近な人に感謝しなさい。」
とおさとしくださっているような印象を持っていましたが、
本当は、そんな意味ではないような気がしてきました。

この神示は、神さまの無限(無償)の愛、仏さまの大慈悲の表現なのではないかと・・・。

神さまが相手を赦せなくて苦しんでいる人間に、「赦せばすべてが救われるんだよ。」と、
切ないまでの大きな愛の心で、訴えられているような気がしてきました。

ただ、「本当の赦し(和解)」とは虚説に和解することではないので、
そこは気を付けなければいけないことだと思っていますが・・・。

「間違った言動」まで赦してしまうのが和解ではないので、自分自身の良心に反する行動や、
内在の神への信仰心に反するような「間違った教え」には、決して和解してはいけないのだと思います。

2764トキ:2014/02/24(月) 19:02:14 ID:0wHNOXro
「神様にお願いするには」

 あなたがお祈りになっても祈りの効果が思うようにあらわれないのは、
あまり複雑に面倒なことをいろいろと考えて、こんなことではこの祈り
はなかなかかなえられないかも知れないなどとお考えになるからです。

 祈りは自分の愛人に物言うように直接簡単明瞭で、「ねえ、あなた、
何何して下さい。して下さるにきまっているわね」と良人にあまえる
奥様のように、屹度その祈りがかなえらえるに違いないと云うことを
信じて、神様に話しかけるのが好いのです。姑さんに遠慮して物を言う
お嫁さんのように、オズオズと気兼ねがちに神様にいのっても、自分の
心の遠慮が絶縁的力になってその祈りが成就しにくいことになるのです。

 祈りが教会で人の見ている前で、人にきかれて恥ずかしいから上手に
唱えなければならないと、祈りの言葉を吟味して、名文でも朗誦しよう
と云うような気持ちになりますと、恥ずかしさやら、虚栄心や、知的な
工夫巧者などが混じりますから、それだけ雑音まじりで、神様にはっき
り通じないことになるのです。と云うよりは、神様の恵がこちらに通じ
ないことになるのです。もっとザックバランにお父さんに物言うように、
愛人に物言うように、祈りなさい。しかし、誰も肉眼に見える相手がい
ないのに大声で神様に呼びかけていては、人が気狂いかと思いますから
やはり神想観のときに、又は、神想観のときのように眼をつぶって、心
のうちで神様に、簡単な愛情のこもった言葉でお話しかけになるのがよ
いのであります。

新版 「真理」 第3巻 初学編 谷口雅春先生著、45〜46pより謹写

2765トキ:2014/02/24(月) 19:05:59 ID:0wHNOXro
(トキの感想)

 この場合の「祈り」は正しい祈りであることが大事だと思います。
その点を心得たら、とても安心できるご教示だと思います。

2766トキ:2014/02/28(金) 20:46:42 ID:RQOZFu86
「生かす力・癒す力」

 宇宙全体は神の”大生命”の海原である。一切の生命体を「無」の世界から生み出した
ところの「生かす力」「生み出す力」「生理作用を整える力」が宇宙全体に充ち満ちて
いるのである。その力が「病める者」を癒す力としてはたらくのである。すべての人間
は、この万物を生かし、すべての病を癒す”無限の力”に取り囲まれ、とりまかれているの
である。病気を癒されたいと思う人は、この”無限の力”に波長を合わせればよいのである。
 神想観をして次のように念ずるのがよい。

 「宇宙には神の癒す力が無限に充ち満ちているのである。

 私は今この神の癒す力に対して心を振り向け波長を合わすのである。

 神の無限の癒す力、今滔々と自分に流れ入り、一切の暗い考え、心配、取越苦労などを一掃し、
 生き生きとした生命力をもって全身の全器官全組織を満たし、全身を賦活して健かならしめ給い
 つつあるのである。

  刻々瞬々、私の全身の細胞は活力を得、若返り、一層健かとなりつつあるのである。

  この神想観を終わりたる後も、常に間断なく、大生命の癒しの力が休みなく私に流れ入って、
 最早や病の存在する余地を与えないのである。

 神の護りに感謝いたします。」

 新版 生活の智慧365章 谷口雅春先生著、60pより謹写

2767神の子さん:2014/03/03(月) 10:56:43 ID:5pNnMYt.
谷口雅宣先生の病気が早く治りますように。

2768神の子さん:2014/03/03(月) 12:43:32 ID:8OxTIoyM
いたって健康です。
ご心配無用。

2769うのはな:2014/03/03(月) 17:27:21 ID:0ebm3k/s

 『第二青年の書』よりhttp://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&amp;mode=res&amp;log=1234

2770トキ:2014/03/03(月) 21:04:05 ID:NDrvF/0Q
「機嫌の善さは万人を明るくする」

 「愛はよく耐え忍ぶ」ということは、愛深き人は、怒りや不機嫌を爆発さすとき、その影響
がどんなに多くの人に破壊的効果をもたらすかを知っているからである。御機嫌がよいと云う
ことはその人の心が明るいことであり、心が明るい時には、その人の持って生まれた智能がい
つもよりよく働くから、よき考えが浮び、よき仕事ができるということになるのである。心明
るき時には、不幸や災難の波長を受信することはないのである。心明るきときには肩が凝らな
い。筋肉が無理な緊張をしない。人が自分を侮辱して来ても腹が立たない。常に平和で、何事
も善意に受取ることができるのである。新しき智慧が涌き出で、新しき勇気を生じ、どんな逆境
も好転させる不思議なるインスピレーションを受け取ることができる。次の如く念ぜよ。

 「私は神の子である。神は光である。私は光の子である。それゆえ私は常に心が明るくて、
何事も光明面を見て暗黒を見ないのである。自分自身が光であるから暗が近づいてもそれを
光に変えてしまうことができるのである。」

2771トキ:2014/03/03(月) 21:20:01 ID:NDrvF/0Q
>>2770 は、新版「生活の智慧365章」 谷口雅春先生 142p より謹写です。

2773トキ:2014/03/06(木) 18:46:41 ID:aoV8gyjg
「各人の幸福にも個性がある」

 各人の幸福は、人それぞれの個性が異なり、絶対者の個性化であるから、その幸福にも人それぞれに
個性があり、しかもその人独特の個性ある幸福であり、絶対者の延長として先生えられた幸福であるか
ら、幸福それ自体、絶対性をもっていて、相対的に他の人の幸福と比較し得べきものではないのである。

 だから陶芸家となって日夜、陶土をいじり、窯をつくって楽しむことが無上の幸福である人も出て来
るし、彫刻家となって、毎日、原木に立ち向かって鑿を揮うことが至上の幸福だと感ずる人もあるし、
死の危険を賭してまでヒマラヤの氷壁をのぼる登山家もあるし、真裸で土俵の上で力を競う相撲とりに
なりたくで特にその弟子入りをする青年もある・・・色々書けば限りがないので、この位にしておくが、
みんなおのおの異なる幸福の天国をもっているのである。各人にとっては、それは絶対価値の幸福であ
って、他の人の幸福と比較しても甲乙の点数をつけようがないのである。

「如意自在の生活365章」 谷口雅春先生著、82〜83P より謹写

2774 a hope:2014/03/10(月) 13:01:17 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第11巻 萬教歸一篇上 はしがきより抜粋  p2 10行目〜


たとえば大戦後、海南島に戦犯容疑で死刑囚として判決をうけて抑留されていた遠藤義雄氏は、次々と死刑を執行されてゆく同胞の姿を見て、自分の死刑の日も、もうほど遠くないと考えていた。


するとある日、死刑の執行に連れてゆかれる某大尉が、監房の格子戸から『生命の實相』第六巻(頭注版の第十一。十二巻のことすなわち本書である)と、『甘露の法雨』〔田中静壹大将が自刃(じじん)の際、読誦して机上に置いてあった生長の家の聖経〕を筆写したものとを抛(ほう)り込んでいったのである。

遠藤義雄氏はそれを読んでみると、肉体は人間ではなく、それは現象にすぎない、人間そのものは霊的実在であって不生不滅の実在であるという自覚を得たのである。すなわち「現象存在」は滅すると見えるときも「わが浄土」(実在界)は天人常に充満し、その不滅の天人が自己であるということを自覚するとともに、死刑の執行が少しも恐ろしくなくなった。

遠藤氏は監房な中にいては仕事もなく暇であるからこの真理の書を読むことを日課とし、それに書かれている神想観を、おおよそこうするのであろうと懸命に合掌して精神統一して禅定の境に入ったのである。すると、南方支那に処する監房のこことて、群る蚊が身体(からだ)一面に黒胡麻を振りまいたようにたかっていたが一匹も氏の血を吸うものがなくなった。

ベッドには南京虫が行列していたが一匹も遠藤氏を螫(さ)さなくなった。監房にいっさい衆生が調和している天国浄土の状態が実現したのである。遠藤氏の相貌(そうぼう)は明日死刑になるともあらないともわからない囚人のように見えない大安心に輝いてきた。まことに「地涌(ちよう)の浄土」が出現したのである。
(つづく)

2775 a hope:2014/03/10(月) 13:02:39 ID:cEpBaIdo
>>2774 つづき)

するとある日、中国人の看守が遠藤氏に、「君は大丈夫死刑にならないよ。わたしは死刑になる人をたくさん見て来たが、皆死相をあらわしている。しかし君の人相は光顔巍々(こうがんぎぎ)と大安心に輝いて死刑になる人の相貌をしていない。免刑の嘆願書を出したか」と言ってきいてくれた。

「実は軍に嘆願書をだしたがなんの反応もない」と言うと、

「軍などに免刑の嘆願書を出してもだめだ。蒋介石の中央政府に出すのだ。嘆願書をお前が書けばわたしが翻訳して中央政府へ無罪の嘆願の手続きをしてやる」と深切に言ってくれた。


遠藤氏の自覚がかわると、看守が大慈母大悲の菩薩に変貌したのである。かくて間もなく突如として中央政府から「無罪」の宣告文が送られて遠藤氏は九死に一生の奇蹟的生還をとげたのである。


唯心所現の世界はこのように、自覚がかわれば変わるのである。わたしはここにいたずらに奇蹟を必要をみとめない。本書こそ『生命の實相』の中でも、最も深い「存在の実相」が、壊(え)せず滅せず常住久遠のものであることを自覚する悟りに導く中心の巻の一つとして、ぜひとも無宗教の方にもあらゆる宗教宗派の方にも読んでいただきたいのである。    

合掌。


昭和三十八年 二月 十日             著者しるす

2776トキ:2014/03/10(月) 20:27:31 ID:sA8gBtFU
 本当の神というものはただ一つーそれは力が足りないということもない、愛が足りないこと
もない、われわれが悪いから神罰をあてるということもない、といってわれわれを悪いように
も造ってい給わない(われわれが罪を犯すように見えるのは本当の相ではないのであって、念
の仮作せる影であります)無限の力で、われわれとこの世界とを実に円満完全に神そのままの
相に造ってくだっさった神が本当の神であります。これが生長の家の大信仰でありまして、そ
のほかに不完全な神や、力が足りない神や、日本の神や、外国の神があって戦っているなどと
思うのはみんな迷信に過ぎません。生長の家の神というのも固有名詞ではないのでありまして、
生長の家において顕わされた宇宙神であります。

生命の実相 第3巻 77pより謹写

2777トキ:2014/03/13(木) 21:42:01 ID:YgQSZefk
「事業好転の思念」

 どんなに神に祈っても、問題が解決しない事があるならば、それは
あなたが其の問題をつかみ過ぎているからである。祈りは既に成就し
て、それは現実化しようとして其の途上にあるのだけど、あなたが其
の問題を心でつかみ過ぎているために、その現実化の通路がふさがれ
ているだけである。そんなときには、あなたの心をその問題から完全
に放してしまうのがよいのである。

 「この問題を神様あなたにおまかせします。わが意を成さんとする
には非ず、神のみ心のままにならしめ給え」と祈ることによって、
自己解放をとげ、自分の心を自由にするのがよいのである。「祈り」
と云うものも、執着をもって遮二無二祈るときには、自己の祈りの
念力によって何物かを成就しようと自力的に力むことによって却っ
て其の祈りの成就を妨げるのである。

 新版 生活の智慧365章 谷口雅春先生著、193pより謹写

2778SAKURA:2014/03/15(土) 16:45:03 ID:xF5rKKA.
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…】

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】     ― その1 ―
(生長の家家族の祈願および修養)     谷口雅春著  昭和46年初版発行

※「亡き父」が、良く読んでいた書籍のようです。…が?ボーダーラインがたくさんあり!父の理解は???
私なりに、今日は、心を静めて…初めてその書籍本のページを開いて見ますと、更に!ビックリするという…
現在の私の正直な心情なのです。…が?
しかしながら?ページが進むに従いまして…内容が現在の私にも理解しやすい形態様式になって行くようです。
では〜〜〜♫ 今回の投稿は?素直に開いたページ(神からの伝言?)でしょうか〜〜〜♫

尚!次回からは、この書籍本の最初のページ〜〜〜♫
■□ 「生長の家の意義・・・」についてから、順次にて投稿させて頂きます。

*========*【 いっさいのものを拝め ― その1 ― 】*=======*=======* =======*=======*

■われらは野を、野の花を、み空を、み空の星を、蒼海を、大地を、火を、水を、いっ
さいの大自然と生物とを観るに、その背後に神の生命の円相を観、その生命を敬し、
礼し、愛し、いやしくとも浪費せざらんことを期す。
                             
そこで、自分自身が神の子であると自覚した時に、次いでこの神の自覚が発動し動き出
した場合に神の子が活動する環境はどういう世界であるかというと、これは第一ヵ条のと
ころでいったとおり、無限創造の宇宙すなわち「生長の家」であります。仏教でいうと寂光
土である。寂光度というとちょっと平和すぎるので、活気溌剌たる「生長の家」すなわち無
限創造の宇宙だとわれわれはいううのですが、この無限創造の宇宙たるやどういうものであ
るかというと、聖経『甘露の法雨』の講義の時に申しましたように、それは無限次元の世界
である。

われわれの住んでいるこの三次元(縦・横・厚みの三つの広がり)の世界だけでもこんなに
美しい世界であるのに、それが無限次元の妙なる世界である。その妙なる世界が、この五官には
その全体の貌は見えないけれども、妙なる世界の“う”つ“しとし、写真として見える。
(たとえば写真ですが、実際のわれわれ人間の相 は写真に比べると、もっと複雑な相をし、もっ
と複雑次元を備え、もっと複雑な色彩を備えているのであるけれども、写真にはただ一色の平面
の姿に写っている。)それと同じに、われわれの五官で認識(みと)める三次元の世界では実相の
世界の複雑微妙な無限次元(ひろがり)の妙なる美しい世界が平凡な世界に見えているのであります。

 けれどもわれわれはこの肉眼で見るところの野を、野の花や、み空の星や、蒼海や、大地や、火や、
水や、いっさいの大自然や、生物や、いっさいの現象を見るのに、この第三次元の縦・横・厚みの
この下らない、単純な、味のすくない世界とは見えないで、その奥の奥を観て、実相を観て、もっと
無限に美しい円満な、完全な神の生命というものを観る、そうしてそれを敬し、礼し、愛し、いやし
くも浪費せざらんことを念願するのが生長の家の生き方であります。
                          
つづく

2779SAKURA:2014/03/15(土) 18:26:25 ID:78CkCzrk
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こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…】

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】     

(生長の家家族の祈願および修養)     谷口雅春著  昭和46年初版発行

*=======*【 いっさいのものを拝め ― その2 ― 】*=======*=======* =======*======*
>>2778 投稿の続きです…。

 「生長の家」は、ここに明らかに生命礼拝の宗教でありますが、原始人の生命礼拝の宗教とはちがう。
原始人は物の奥の奥にある実相などというものを知らない。だから生命礼拝といっても浅薄な現象生命の
礼拝であったので、現象そのものを不思議がって礼拝していたのであります。

この現象の奥の実相を観て礼拝することを教えたのはまず「法華経」であります。
生長の家と仏教とは根本において少しもちがっておりませんけれども、現在世人が普通に考えられている
仏教というものとはややちがうのであります。というのは、釈迦の説き方がわるいのではない、釈迦の説
き方を理解することが出来なかった後の祖述者が教祖の正説を完全に伝えなかったというわけであります。

仏教では「色即是空」――物質は空であると、こういうぐあいにいうのであります。

「生長の家」でも物質は本来空であるというのであります。仏教でもむろん「実相」という言葉は使って
おりますけれどもそいつが時々誤れまして、「“実相”すなわち空なり」というぐあいに説いている人が
多いのであります。
実相を空であるとすると、そうすると、その「空」とはどんなものであるかというと、空であるから、
空気みたいで、エーテルみたいで形がない。形がないから、何もないようなものであるから金剛不壊
である。たとえば空気はいくら斬っても斬れやしない。もう一つ空気よりも、手にも触れないエーテル
みたいなものになってしまうといよいよ斬ることができないものである、それであるから金剛不壊である。

実相はエーテルみたいなものであるから自由自在であると、こう実相を空々漠々なものとある仏教家は考える。
ところがもしわれわれの実相というものがエーテルみたいなものであって、空々漠々のもので無色透明の、
ちっとも美しいこともなんともない、そういうふうなものが実相であって、変化の姿、美しい姿というもの
は幻みたいな何もないものであると、こういうふうに説くまちがった仏教者に従って「汝ら実相
に還れ」という教えを生きることになるのが、仏教に従うことになってしまう。

これではさしずめ三原山や浅間山の噴火口が賑うことになるのでありますが、これではいけないのであります。

 空を単に無と解すれば実相というものはそんな空じゃないのです。空は現象であって、実相は空ではない、
それは無限荘厳の世界である。無限の荘厳(うつくしさ)のある世界なのであります。

ここが大切なところでありまして、『法華経』以前の仏教では「一切皆空」となっているのであります。
『華厳経』なんかでも、心・仏・衆生三無差別であって本来空のものである。心が悟れば仏になり、
仏が迷えば衆生になる。そうして仏といえども本来は空であって、なんにもないようなものであると、
こういうぐあいに説いてあるところがある。

そうするとわれわれ悟りを開いて涅槃寂静、本来の実相に帰するということは空になってエーテルみたいな
ものになることだとこういいぐあいに考えられる。そうなると、われわれは首でもくくって自殺してしまった
ならば、座禅も禅定も要りはしない。そういうエーテルみたようなものがわれわれの生命の実相であり、
それに帰するのが実相に帰するのだとしたならば、生きているのは何のために生きているのだかわからない、
こういうふうに仏教をまちがって解釈した人が多かったのが仏教衰退の原因なのであります。

                                つづく

2780トキ:2014/03/17(月) 22:32:02 ID:18XrI3jo
「供養の心と供養の実践」

 時には「供養の心さえあれば供養は要らないのではないか」という人があるが、
併し心があれば、行いが自然と現われることになるのである。先祖を大切にする
心があれば、自然にお祀りを大切にする訳である。心があれば何もしなくてもよ
いというのは、心がないという証拠である。たとえお坊さんであっても他家の先祖
の位牌を預かって祀っていて毎日読経をしていても、自分の先祖に対してお祀りと
供養がなされていなかったら、先祖供養をしたことにならないのである。

「人生を支配する先祖供養」 谷口雅春先生著、48pより謹写

2781a hope:2014/03/18(火) 08:20:40 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第11巻 万教帰一篇上 P21 後ろから2行目〜

神はその第一念によって実相の世界、大調和の世界、円満具足の世界、一にして多、多にして一、自他一体の渾然たる霊的実在の世界を創造し給うたのであります。この神の創造したまえる世界のいっさいの事物は、猛獣のように強いものであっても、強いなかに必ずやさしさがあり愛があり、美しさがある。虎や獅子を見ても、その勇猛なうちに美と優しさとを備えているのであります。もし、われわれ生物が、第二念に捉われない時代が来れば、預言者イザヤが次のように歌ったような理想世界が実現して来るのであります。

狼は小羊とともに宿り
豹は小山羊とともに伏し
獅子は牝牛のごとく藁を食い
犢(こうし)と若獅子とはともに草を食まん。

牝牛と熊とはともに子供に導かれ
食をともにして相ともに戯れん。
乳呑み児は毒蛇の窩(あな)の上を匍匋(はらば)い
乳離れの子は手を蝮(まむし)の窩(あな)にさし入るるも傷つかざらん。

わが聖(きよ)き山にはいずれの処にも
傷つくる者なく、殺す者なし。
そは海原を水の蔽(おお)えるごとく
大いなる神の知恵この地上に満つればなり。(『イザヤ書』第十一章――六〜九新訳)
(つづく)

2782a hope:2014/03/18(火) 08:21:46 ID:cEpBaIdo
(つづき)
こんな理想世界が果たして来るのであろうかなどと疑われる方もあるかもしれませんが、来るとか来ぬとかいうことは、われわれの第二念の世界(映像(かげ)の世界)だけのことでありまして、神の第一念の世界(実相の世界)においては神の創造の最初から無限の未来を通じて現在にこの理想的大調和の状態にあるのでありまして、これからいろいろ工夫し改善されて来るというような緩慢(まだる)っこいものではないのであります。今現に実相世界は完全に大調和の状態にある!これを悟ることが真理を悟るということなのであります。

この完全な大調和な理想世界が今現にあるということを悟らないで、歪な「迷いの色眼鏡」をかけて眺め、いたずらに相争い、相犯し、相恐れるものでありますから、真理の光線が屈折して、まん円(まる)いものも、歪な形を映し出しているのがこの現実世界であります。結局、これは「迷いの色眼鏡」をかけているがためでありますから、真理の正しい眼鏡をかけて事物を眺めるようにするならば、実相世界はそのままの大調和の状態がこの映像(かげ)の世界(現実世界)に現出するのであります。

キリストは「み心の天に成るがごとく地にも成らせ給え」と祈られました。この祈りは天(すなわち霊なる実相の世界)にはすでに神意が実現して大調和の状態にある証拠でありまして、「実相の世界」がすでに大調和の状態にあるがごとく、現実世界もまた大調和の状態を現出せしめたまえと祈られたのであります。

釈迦は『弥勒菩薩下 生経』において末法の世が過ぎ去れば弥勒菩薩が下生して来たまい現象世界にも大調和の世界が実現して来るということを予言していられるのであります。これはキリスト教で予言されているキリストの再臨ということにあたるのでありましょう。しかし、肉体は「念の映像(かげ)」でありますから、肉体をもった弥勒菩薩が下生して来られるとか、肉体をもったキリストがこの地上に再臨し給うとかいうことは、真実(ほんとう)ではありますが、「映像(かげ)すなわち肉体の世界」に捉われず、常に「実相の世界」を観たとき、現実の世界の不調和が忽然としてわれわれの眼界から消え去るのであります。そのさまはちょうど『黙示録』の第二十一章に書かれております。―――
(つづく)

2783a hope:2014/03/18(火) 08:22:41 ID:cEpBaIdo
(つづき)
○我また新しき天と新しき地とを見たり。
これ前の天と地とは過ぎ去り、前の海も亦(また)なきなり。
我また聖なる都、新しきエルサレムの、夫のために飾りたる新婦(はなよめ)のごとく備えして神の許をいで、天より降るを見たり。(『ヨハネ黙示録』第二十一章 ―― 一〜二)

このように新天新地というものは天から降って来るのであって、現実世界だけにいろいろ改造運動を施してでき上がるものではないのであります。天から地へと降って来るというのは「実相の世界」から「現実世界」へ映って来ることをいうのでありまして、完全な「実相世界」そのままの相を「現実世界」へ映し出すには正しいレンズがいる。

この正しいレンズとはなんであるかといいますと、真理を悟った心――すなわち「サトリを開いた心」であります。われわれが真理を知り、サトリを開いたときに、忽然「みこころが天になるがごとく地にも成る」――すなわち新天新地が「実相の世界」から天降って来るのであります。そのときに初めてわれわれは、「神と人とが一体であり、死もなくすべての悲しみもないのが人間の本来である」ことがわかるのであります。
(以下、略 謹写終わり)

2784SAKURA:2014/03/18(火) 11:26:31 ID:bVpYKXPA
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こんにちは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…】

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】  
(生長の家家族の祈願および修養)     谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 いっさいのものを拝め ― その3 ― 】*=======*=======* =======*=======*
>>2778>>2779>> 投稿の続きです…。

 けれども、『法華経』は決してこの、そういうエーテルみたいな、千遍一律の、空気よりも
まだまだ」はかないような同室平等な世界を説いているのじゃないのであります。
『法華経』の「自我偈」に書いてある実相の世界は、一様平等なホモジニヤスな世界ではなく、
実に実に美しい世界が書いてある。園林諸々の堂閣、種々の宝をもって荘厳せり、宝樹華果多く
して衆生の遊楽する所なりと書いてある。あれが本当の実相の世界です。

言葉に現わしてあるからまだ完全に現れていない。それはただ形容が書いてあるだけであります
けれども、あれが実相の世界であります。その美しい実相の世界が、われわれの五官のレンズ
を通して眺めると、そのレンズに曇りがあるからいまわれわれが肉眼で見ているような、こう
いう美しさやら、汚れやら、愛やら、争いやらが取り交ぜて現れている。美人もあれば、病人の
ような憔悴した醜い相もあるというふうに出ているのでありますけれども、本当のわれという
ものは「無限荘厳の我」である。活気溌剌たる無限に生きる力を持って、無限荘厳の身を持ち、
無限荘厳の世界の中に今現に住んでいるいるのであります。

今現にその実相世界に住んでいるのです。今現に住んでいるその世界を、肉体が死んでから
そういう無限荘厳の世界へ往くのだと思うとまちがいであります。衆生劫尽きて大火に焼かる
ると見る時にも、病苦にて痩せさらばうて貧しい病床にいるように見える時にも、今現に、
われわれは宝樹華果多き実相の国土に安楽身を逍遥させているのです。

今現に実相の国土にいるけれども、五官のスクリーンすなわち網目を通して、下へ映る世界は
縦・横・厚みだけしか映らない。それ以上のひろがりの世界はスクリーンの上にあって残って
いるので、われわれの五官という網目を通して見るとどうしても縦横厚みの三次元しか見えない。
その三次元だけでも完全に原形そのままに見えればよいのだけれども、念のレンズに凹凸さま
ざまの歪みがあるために、真直な顔が歪んで見えたり、近眼でもないものが近眼に現われたり
している。

それでその念のレンズの無明(くもり)というものを断ってしまったら近眼が近眼でなくなり、
あるいは、病人でなくなるといううふうになる。けれども、ここに健康になり、近眼の治った
人間でも、それが五官に見える現象人間である限り、まだまだ本当の人間ではない。
それは本当の無限荘厳の、無限の美しさ――その何といおうか、言いようのない、無限の妙なる
実相人間の姿を、ただ縦横厚みの三次元だけを撮影する写真機で映した人間なのです。

それからは無限次元の複雑な美しさ捨象(すて)られている、ただそれが比較的歪みなしに
映っているのは、健康な人間として扱われているのであります。

つづく

2785トキ:2014/03/18(火) 23:22:30 ID:h6GdR2gA
「過去」に感謝せよ

あなたの心の緊張を解きゆるめなさい。過去はないのです。今の苦しみも既に過去に刻々
なりつつあるのです。それらのものは全て過ぎ去るものに過ぎないのです過ぎ去るものは
実在ではないのです。実在でないところのものを捉えて悩んでみても仕方がないではあり
ませんか。心に重荷を背負わせてはなりません。過ぎ去るものが、如何にあなたに苦悩を
あたえたにせよ、それが過ぎ去るときには祝福と感謝とを与えなさい。どんな艱難も何か
の意味に於いて、あんたの魂に経験を与えそれだけあなたの魂に教訓を与えたのです。

 過ぎ去るものに御礼を言う心持になったとき、次ぎに貴方によって一層よきものとな
るのです。一切を祝福する気持ちになったとき、もう何ものもあなたを害することは
出来ないのです。すべて憎むとき怨むとき、心につかんで嘆くときのみ、それはあなた
を害するのです。

新版 生活の智慧365章 谷口雅春先生著 284pより謹写

2786SAKURA:2014/03/20(木) 20:36:29 ID:P.bDOuWc
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こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…】

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】  
(生長の家家族の祈願および修養)     谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 いっさいのものを拝め ― その4 ― 】*=======*=======* =======*=======*
>>2778>>2779>>2784 投稿の続きです…。

そうして誌友会さんの家庭生活等でも、「生長の家」へ入信して以来、本当に極楽のような
円満な家庭が出てきたという事実がたくさんありますけれども、たといそれが極楽のような
家庭でありましても、現象世界の極楽状態は本当の実相の極楽状態には及ばないのであります。

ともかく、われわれ現象を見ても現象だけを見てそれを全部だと思ってはいけないのです。
その現象の奥にある実相を見、そこに十分なる神の相、実相の円満な相を観て、そうして
それに対して敬礼をするという気持ちにならなければならないのであります。

蓮如上人は「一枚の紙もすべて仏物である」と言われたそうでありますが、その心持こそ大切である。

「生長の家の経済学」には「物質は無限供給であるから使うほど殖える」ということが書いて
あります。「使うほど殖える」から、紙でも無暗に一字ぐらい書いて紙屑籠に捨てると、これ
は大変経済循環をよくしていいことだろう、こう考える人があるかもしれない。
しかし、それは嘘である。本当に使えば使うほど殖えるけれども、それは破って捨てるのは使う
じゃないのです。われわれは一枚の紙にも、その背後に神の生命うを見、神の無限の光を見、
神の無限の愛を見、これを拝まずにはおれない。これを礼拝してつかわずにはおれない。

今までは「もったない」ということは棚の上に上げて蔵って置くとこういうふうな考え方が多か
った。それで「もったない、もったない、食べたらもったない。着たらもったない」と、戸棚や
箪笥に入れて置くという、これじゃいけないのです。

神の生命は、使ったら減るというふうなものでない。実に立派なものであるから、この立派なも
のを、その顕われている生命の働きを十二分に発展させて使えば使うほど殖えるということにな
るのであります。

無限供給であるから破って捨てるというのじゃないのであって、用途に従ってそこに顕われている
神の生命を使えば使うほど、神の生命がはっきり顕わされてくる、それが無限供給である。使えば
使うほど殖えるということになるのであります。

「物質は無い」ということはそこに何も無いということではない。

みんな仏物である、みんな神の生かす力の顕現(あらわれ)である。
その奥には物質ならぬ実相があるということであります。
これを履き違えると大変なまちがいになるのであります。

生命は生きる、生きるから生活であります。我れ神の子なりと知ったら、
神の子を今、生、き、る、といううこと、これが神の子を知るということであると申しました。
それをまた客観界のものにしましたならば、紙が一枚ここにある。この紙一枚が、その奥にある
実相を見れば、それが仏様であり、神様であって、ここに神の生命が現われているといううことを
知れば、それを生きるということは、ことごとく与えられたる生命を完全に発揮させるということです。

この「生命を発揮させる」ということが紙を使うということです。
すると使えば使うほど殖えるのであります。この一枚の紙の使命を完全に発揮させたならば、そこに
神の生命が生きてきて無限供給ということが出てくるのであります。

                          つづく

2787うのはな:2014/03/23(日) 18:16:08 ID:4pd1ccDk

思想理論よりも宗教的興奮
 http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/18172187.html

2788トキ:2014/03/24(月) 19:55:06 ID:LLKAImFM
「法華経」の中に説いてある譬え話、財宝無限の長者というのは、われわれの父で
あるところの神である。そして貧窮の子とは人間である。神は無限の富をどうぞ人間
に譲りたいと願っていられるのである。しかし肉体こそ人間だと思っている限り人間
は貧窮の息子である。肉体というものは物質であり、物質は有限であるから、肉体を人
間自身だと思っている限りは無限の供給はわれらに決して与えられないのである。

 本来人間は神の子であるから、そうぞして無限の供給を与えたいというのが、親
たる神の念願である。否、すでに戸籍の上では無限無尽の供給をわれわれは与えら
れているのである。それを迷いによって与えられていないと空想している。そこで
現実世界はわれわれの念の投影でありますから、その無限無尽の供給が与えられて
はいないという空想が現実界に反映して、われわれになくてはならぬものもたりな
いというような顕われ方をしている。これはただそういう顕われ方をしているだけ
で、実際はたりないのではない、神は無限無尽の供給であるからわれわれに対する
供給が足りないことは決してない。ただそう顕われているだけである。

生命の実相第11巻 125から126pより謹写

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  画家の林 武先生は、義務教育の小学校のみが正規の学業で、日本美術学校
(これも正規の学校ではない)で学んだと云っても一年と続いていません。

 若くして樗牛賞を受賞、その後、「独立美術協会」を同志とともに設立、
当時より実力はかわれていましたが、長く不遇でした。しかし、奥様の献身的
な応援のおかげで成功し、文化勲章を受賞するなど、画壇の第一人者となら
れました。

 林先生は生長の家の信徒としても熱心な方でしたが、奥様にもめぐまれま
した。無限の供給を受けるのは、やはり家族の調和が大事かと思います。

2789トキ:2014/03/24(月) 20:38:25 ID:LLKAImFM
>>2786

SAKURA様

 すばらしいご投稿、ありがとうございました。

私も「無限供給」をお題に、投稿しました。

よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

2790うのはな:2014/03/26(水) 13:05:43 ID:5d.jGat2

絶版になった谷口雅春先生の御本をここで読むことができます
 http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&amp;mode=res&amp;log=1340

2791トキ:2014/03/26(水) 21:11:13 ID:wPOoKL4Y
「声なき声の導き」

 人は神との一体感が深まって来るにつれて、「生命の本源」なる無限者との波長が一層ぴっ
たり合うようになって来、普通の肉体力や精神力では到底できないような奇蹟的な力を発揮す
ることができるようになるのである。

 これに反して、あまりにも心が物質的なものに捉われ、個人主義的な心の持ち方となり、
「全体生命」又は「普遍生命」なる神との波長が普通以下になって来たとき、普通の健全
生活が出来なくなり色々の心配事や不調和な争いや病気や事業の失敗等があわれて来るよ
うになるのである。吾々は常に心を調えて、大生命の”声なき声”の導きを心の耳で感じと
ることができるように修養しなければならないのである。それは少なくても毎日1回(出
来得べきんば早朝起床時と就床前との二回)神想観を実修して心のチャンネルを神に振向
け、神との交通の習慣をつけて置くことが必要なのである。そうすることによって衝突す
る汽車電車自動車などには何となく自然に乗らなくなるのである。

新版 生活の智慧365章 谷口雅春先生著、48pより謹写

2792うのはな:2014/03/28(金) 19:18:22 ID:9BQVgwDU

 『神ひとに語り給ふ』を読めるようにしました。光明掲示板・第二
  http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&amp;mode=res&amp;log=1412

2793トキ:2014/03/29(土) 21:36:46 ID:th4mVDzM
「声なき声の導き」

 人は神との一体感が深まって来るにつれて、「生命の本源」なる無限者との波長が一層ぴっ
たり合うようになって来、普通の肉体力や精神力では到底できないような奇蹟的な力を発揮す
ることができるようになるのである。

 これに反して、あまりに心が物質的なものに捉われ、個人主義的な心の持ち主と
なり、「全体生命」又は「普遍生命」なる神との波長が普通以下になって来る
とき、普通の健全生活が出来なくなり色々の心配事や不調和な争いや病気や事業の
失敗等があらわれて来るようになるのです。吾々は常に心を調のえて、大生命の
”声なき声”の導きを心の耳で感じとることができるように修養しなければならない
のである。それは少なくても毎日1回(出来得べくんば早朝起床時と就床前との
二回)神想観を実修して心のチャンネルを神に振向け、神との交通の習慣をつけて
置くことが必要なのである。そうすることによって衝突する汽車電車自動車など
には自然に乗らなくなるのである。

新版 生活の智慧365章 48p谷口雅春先生より、謹写

2794SAKURA:2014/03/29(土) 21:49:12 ID:8WDNj1FI
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…】

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】  
(生長の家家族の祈願および修養)     谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 いっさいのものを拝め ― その5 ― 】*=======*=======* =======*=======*
>>2778>>2779>>2784>>2786 投稿の続きです…。

 光明思想普及会(この仕事は、現在財団法人世界聖典普及協会がしている)が成立いたしまして、
たくさんの働く人が要るからというので就職希望の人は、就職希望願いを出しておきなさいという
ふうに、広告が出ておりましたら、それに対して、就職願いをお出しになった方がたくさんある。

そのすべての人に対してまだ返事を差し上げていないのであります。写真をみな写真ブックに貼り
ましてそれに番号を付し、そうしておのおの経歴を表のようにして写真と経歴とを一目瞭然として
わかるようにして事業の伸張するに連れてこの人が欲しいなという人を一人来て下さいというふう
に通知をすることになっております。そうして現在ではもう百名以上も社員が出来ているのであります。

ところが、こんな人がある。「実はわたしは生長の家の誌友になって実に自信に満ちておる、自分の
願うことは必ず成就すると信ずる、それで光明思想普及会へ雇われようと思ったら必ず成就すると
わたしは信じて、今まで余所に働き口があっても、働かずに何にもしないで待っておりましたが、
とうとう一文も無くなりましたから、どうぞ使って下さい」という人があります。

なぜこの人は働き口があっても働かなかったのでしょうか。今自分が神の子であるということを
知ったら、今「神の子」を生きるということを知らなければならないのです。

 この一枚の紙ですらも、この一枚の紙の使命を発揮させるということが生きるということである。
いわんやここに人間がいるのに、今を生きるということを知らないで「自分の希望は必ず成就さして
くれるであろうから、成就さしてもらったら、雇ってもらったら働こう、それまではまァ待命だ」と
こう思っている――会社や軍隊なら待命があるかもしれませんけれども、この宇宙という「大生命の
会社に」には待命の期間というものは一つもないのです。

今ここに自分が生命として現われている限り“も”う“常”に“現”職“です。現職ではない人は一人
もないのです。それを自分で勝手に休職にしているから金も入らなくなり、あるいは病気の人なら
どんどん身体が弱ってくるのです。
これは自分の生命を休職にさしているからです。生命を休職にさしていたら経済的には窮迫し、
肉体的は生命を生命を涸渇してくるのは当然のことです。

われわれは常にこの「宇宙大生命の大会社」の中に常に現職で雇われているということ
を知らなくちゃならないのです。そうすればどこにいても現職の社員であるから、一生懸命に
今働かなくちゃならない、これが肝腎であります。

今、普及会に働いておられる人でも、雇ってあげるといわないうちから、勝手にやってきて
一生懸命荷造りしたり外部で一生懸命に宣伝していたような人が多いのです。
その中に「あの人あんなに頼まないでも働くのだから入社させて上げたら」ということになって、
社員になっておられる人もあります。

こんな人は、光明思想普及会の就職の辞令はずっと後に出たかもしれないけれども、実相では宇宙
大生命の会社に就職していた人です。

ところが、じっとしないでいましたら、無一物になりました。生長の家を信じたら無限供給だと思
って、信じてじっとして待っていたのですからぜひやとって下さい」と、そういうようなのは、
ちょっと根本の解りようがまちがっているということになるのであります。
常にわれわれは自分の生命を、あるいは「物」の生命を、百%生かすということが必要なのであります。
人間雇われなくても、大生命に雇われて働けるような人でなければ、本当に雇ってみても本当に働けや
しないのであります。
                      つづく   (次回は別の項目に入ります。)

2795SAKURA:2014/03/29(土) 21:51:24 ID:8WDNj1FI
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【引用編】

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】  
*========*【 いっさいのものを拝め ― その5 ― 】*=======*=======* =======*=======*
>>2778>>2779>>2784>>2786>>2794 投稿の続きです…。

PS:「トキ様」 へ 「観覧車の皆様」 へ
■“今を生かす…”は『生長の家の教え…』であり、
これは“今”生かす事とは、『心を生かす事…』に繋がるように思えてなりません。

そして、当時の『生長の家の職員…』のあり方が、よくわかります。…が?果たして?生かす事とは……
「信・者」に対しての“愛”は、何処まで実行されているのかしら〜〜〜ンと考えますと?
「過去」も「現在」も〜〜〜何一つ変わっていない感じですネ!!
■「言葉の表現…」一つでごまかすようにも、受け止められ、実に読んで複雑なる気分です。
「生長の家の職員同士」の世界観は?一人よがりでしょうか?同じ立場での『連・帯・感…』が?
どうしても?見え隠れてしまうのは、私だけなのでしょうか??

東京在中に、当時の副会長さんは「職員の方」は、本当に
『生長の教え…』よりサラリーマン的感覚での『雇・わ・れ・て・い・る…感覚』が多い感じで?〜〜〜と、
いわれていましたが、当時の私は、私なりの現状での捉え方で、それには「反・論…」したものです。
今だから笑い草となりますでしょうか?あれから時が過ぎ…現在の私は?といいますと〜〜〜ウ・フ・フ!
当時の副会長さんと同じような事を言っていますから、
何の変化も〜〜〜進歩も〜〜〜ない感じでしょうか?
つまり〜〜〜『 時間よ!そこに……停・滞… 』という事でしょうか? 


更に!私も、現在の環境は「吸血鬼」「ゾンビ達…」更に「タタキ男…」は【黒幕デザイナー】からの
仕事が出来ないようにという指令での【行・動…】でしょう。??

■【障害者虐待…法的に持っていけるモノ】かと思います…。

此処昨今〜〜〜パートナーの叔父様が亡くなられてからは〜〜〜嫌がらせはすごいです。このような状態での
私は、“今”を生かす事とは〜〜〜“心”生かす事につなげないと〜〜〜前!に一歩も進めないのです。
…が?生かす事は〜〜〜「行・動…」にもなるのです〜〜〜ネ!!

更に【唯物論−−>物質】に対しても、そうなのです〜〜〜ョネ!
個人的にですが〜〜〜【東京在住の時は?履き道楽…】といいますか?モトモト……私自身【靴の購買】は
どちらかといいますと【履き道楽…族】という風に〜〜〜多い方です。収入が安定になりましてから、
【靴のバーゲン】を目にして見ますと、当時!若い私は〜〜〜そく【購・買…】になる方でした。
かといいまして〜〜〜それをすぐさま履くのかといいますと〜〜〜><逆で!当時の「環・境」で言いますと
歩道が舗装された“デコボコ道”履けないという拒否反応が〜〜〜潜在意識に!!!

■モッタイナ〜〜〜イ!!モッタイナ〜〜〜イ!!ツイツイ〜♫ タイミングが〜〜〜><
新しい靴を出してまでとか?今は履かないで先でといいといいます感じでの【先延ばし組】……

気がつきますと?年数がたち、また!それなりの流行が〜〜〜当時の流行とは異なり〜〜〜><
しかしも、私自身の体型が“フクヨカ”になりましたから、履く内容の条件が、随分と当時と比較しましても
縁遠いという感じで…気がつきますと【靴箱の中に〜〜〜箱の中に〜〜〜】そのままですし、それから
“年齢…”によります志向が変わり、今にして思いますと【唯物論=物質】も〜〜〜“今活かす事!”
改めて…痛感しております。

現在!【靴・箱…】から、また新たに「昔の靴を活かす事」…これに専念しての挑戦で〜〜〜す。
これも“心…”が入るのではと思えます。…が??皆さんもそのような体験はおありでは…?

「心…」が動けば「言葉…」に現われて「動…」になりそれが「活かす原・動・力」でしょうか??
「活かす事…」とは「心から〜〜〜働く」と思いましたが???皆様もそう思われませんか???

■□「トキ様」には【辛・口・論】ですが、「現職員」としての立場からの……
【 生長の家 】について……
“今”活かす事とは?「森のオフィスへの本部移転…」また「多々なる方針の変更」
そして「気候の変化による自然との共存」…etc総合的な観点での…現状の感想は如何でしょうかと??
このような質問をさせて頂きました次第です。…が??

                                      再合掌

2796SAKURA:2014/03/30(日) 19:53:04 ID:Y2.AuFrY
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…】

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】  
(生長の家家族の祈願および修養)     谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 われらの祈願および修養 ― その1 ― 】*=======*=======* =======*=======*
>>2778>>2779>>2784>>2786>>2794>>2795 投稿の続きです…

■>>生長の家の意義と誕生について<<
 これから「生長の家家族の祈願および修養」の講義の概略を申し上げます。生長の家の家
族たち誌友たちの祈願として修養せんとするところの箇条書がこれに書いてあるのであり
ます。順々にそれを説明いたします。

■>>『生長の家』の誌友および読者はすべて「生長の家」の家族としてこの祈願に従いて、
生活し、修養し、おのおの隣人を照らす燈台たらんことを期す。<<

 ここに書いてありますとおり『生長の家』の誌友および読者すべて生長の家の家族とい
うわけでありまして、これから述べる祈願および修養の道しるべに従って生活し、そうし
て隣人を照らす燈台となろうという光明の大願をもって各自の生活を出発せしめるのであ
ります。

 そもそも、この生長の家というのは何であるかといいますと、最初はわたしが修養雑誌
を出したその雑誌にたまたま付けられた名前ではあったのですが、しかしながら本当の
『生長の家』というのはこの雑誌の名前ではない、といってまたわたしの個人の家の名前
でもないのであります。

 「家」というと、何か屋根のある、ある一定の建物のような気がするのでありますけれども、
『生長の家』というのは『大宇宙』ということであります。「生長の家」というのは創造する
ことで、いくらでも無限に創造し伸びてゆくのが宇宙の実相である。だから大宇宙のことを
『生長の家』と申しますので、この大宇宙に満ちている生命創化の法則を研究し、その法則を
宣べ伝えて、広く人類を教化しようという目的の団体を現在「宗教法人生長の家」と称されて
います。

 「宗教法人生長の家」と「大宇宙」そのものなる「生長の家」とは別物であります。で、こ
の「実相世界」のことをわたくしどもでは「生長の家」とこういっている。仏教では「寂光
土」という言葉を使っているのであります。これはその形容がなんとなく静的すぎる、ち
ょっと眠たいようなあんまり平和すぎるような、活気のないような言葉でございます。わ
たしは実相世界を形容するのに、そのように活気のない言葉を使いたくないのであります。

無論、この寂光的な平和の極の世界だというような一面も「実相世界」にはあるのでありま
すが、そういう静的な、活気のないような状態をあらわす言葉では「実相浄土」の無限に光
明 輝く、伸び伸びしい生き生きした状態を現わすことができないきらいがありますので、、
われわれはこの実相浄土を表わすのに、常に老いぬ、無限に若いような、活気溌剌たる少
年のような感じを出す言葉を使いたいと思って、『生長の家』といい、仏教では「寂光土」
を現わしているのであります。

                       つづく

2797SAKURA:2014/04/01(火) 18:43:02 ID:.mG0mT4Q
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 引用編…】

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】  
(生長の家家族の祈願および修養)     谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 われらの祈願および修養 ― その2 ― 】*=======*=======* =======*=======*
>>2778>>2779>>2784>>2786>>2794>>2795>>2796 投稿の続きです…

PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ

■或る人から「生長の家…の家族」との意味を、当時の私は、履き違えて解釈した事がありました。
ここで「亡き両親」のテキストの中には、一杯の“ボーダーライン”が引いてありました。
そこで「亡き父」は、当時の父なりの解釈に基づき「生長の家…の家族」と言うことで、
近所の方に、奉仕した事!!さらには、献金も……今にして思いますと、当時の「亡き両親」の時代は、
誰しもが〜〜〜素直な心であり〜〜〜理解力はと言いますと〜〜〜??

さて私の時代になりましてから、そう【日教組の教育論…利己主義…】ですから、
【すべて…合理的に思考する方が、実に多いのです。…が?】当時の私も、都合のいい解釈論でしたが、
今にして思いますと、もっと身近にこの「生長の家の書籍本」と「海外の哲学本」を拝読しておりましたならば、
このような遠回りには、ならなかったでしょう〜〜〜♫ と、改めて思う次第です。

>>無論、この寂光的な平和の極の世界だというような一面も「実相世界」にはあるのでありま
すが、そういう静的な、活気のないような状態をあらわす言葉では「実相浄土」の無限に光
明 輝く、伸び伸びしい生き生きした状態を現わすことができないきらいがありますので、、
われわれはこの実相浄土を表わすのに、常に老いぬ、無限に若いような、活気溌剌たる少
年のような感じを出す言葉を使いたいと思って、『生長の家』といい、仏教では「寂光土」
を現わしているのであります。<< (一部抜粋)

上記の文章から、本当に【実・相・浄・土】とは、何処までも“神と一体になれたか??”…が?
…ということではないのでしょうか?
つまりは『信じきる…神にゆだねきる心』そのモノでしょうか?

つづく

2798SAKURA:2014/04/01(火) 18:44:58 ID:.mG0mT4Q
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 引用編…】

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】  
(生長の家家族の祈願および修養)     谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 われらの祈願および修養 ― その3 ― 】*=======*=======* =======*=======*
>>2778>>2779>>2784>>2786>>2794>>2795>>2796>>2797 投稿の続きです…

■ 私が当時東京在中の頃ですが、当時の「副会長」さんは、どれだけ『神と一体になれるか?』が、
『神様との連絡が出来るかが〜〜〜大事なのョ!』と言われました。当時の私は、まだまだ信仰が浅く、
【現象で物事を決定しやすい…真理の浅さ】が、如実に物語っておりましたかと…『反省…』なのです。

更に、どんなに表面上ごまかしても『心…』と言いますのは、その人の『心の目…をみればわかるのョ〜♫』と、
よく!私に言っておられました。…が?今にしますと〜〜〜本当にわかるのですネ!!

当時の「副会長」さんとは「会長候補」にあげられた方です。…確か?当時の教化部長先生であられました
(最近まで「大阪教化部長…妹尾先生」で…)が、推薦された方でもありましたのです。〜〜〜><
 ■『数・の・論・理…』で、残念ながら?「○本会長」が、選出されました時、妹尾教化部長先生が、
「○○副会長」として…補佐になりましたからと話された記憶があります。
今に思いますと、お会いするたびに〜〜〜「美しい人…」と言っていいのかしら〜〜〜ン!
「年・齢」は、まず!第一印象としては?感じられませんでしたが、最後にお会いしたのが〜〜〜
80歳近くなられていましたでしょうか?益々と〜〜〜モット!モット!それ以上に『心から聡明な感じ』を、
抱く方でした。…が?当時の私は、随分!「副会長さん」に甘えてばかりで……したかと。

一つ思い出したのが…当時「萩窪に在中の頃」の事なのです。【引っ越し…】がしたくて〜〜〜それでも
“年齢…”と言う制限があり、どうしても【保・証・人…は??】この事が直ぐ浮かんでしまいました。
このような時に「副会長さん」の誌友さんが…この先生に『賃貸の保証人』を依頼されたとか?その時に
「副会長さん」は

『まず〜〜〜「実・相・顕・現…」をしますと〜〜〜もう!すでに与えられたと
思って行動されなさい!そして、いつも神に、もう私は素晴らしい処に移り住んでいます〜♫ と…』

これを【言・葉・の・力…】で祈りきる事を指導されたそうです。

その後!半年後に『保証人も無く…夢のようなマンションに引っ越しが出来た事』この体験を話して下さいました。
更に!詳しい事情をお聞きしますと〜〜〜ご主人が会社を首になりまして、収入が無い最中での出来事で、
このような素晴らし〜〜〜い!住まいを与えられたと……それはそれは…当時の誌友さん達に、ご自分の事の
ように、うれしそうに話をされていましたのです…。
この時の私は「ひねくれ虫?」でしたから…ホントにホント!!〜〜〜作り話とか?思ったのです。…が?

■【神と一体=心地一体】とは、どこまで神にすがることが出来ますかと、そうなのです〜〜〜ョネ!
そこには「悩みも無い世界」が〜〜〜そこに現われる事になり…ようやく今の私は、理解出来た次第です。

今は【感・謝…】出来るし、嫌な出来事でも、それを理解することができる事…この事が、モット!
重要な気がしまして、その時に、「谷口雅春先生の言葉…」から 〜♫

>>われわれはこの実相浄土を表わすのに、常に老いぬ、無限に若いような、活気溌剌たる少
年のような感じを出す言葉を使いたいと思って、『生長の家』といい、仏教では「寂光土」
を現わしているのであります。<<  (一部投稿)

■□【実相浄土…】に入って行くのは〜♫
【 私の心=神に何処まで信じきる事…が出来るかが?? 】…それは【神・想・観…】意外に無いと、
言いきるようになりました。でも〜〜〜なかなか〜〜〜難しい?修行中です。(微笑)

                          再合掌

2799トキ:2014/04/02(水) 21:06:34 ID:DmFbtC8k
>>2798

SAKURA様

 立派な講師にお会いできて幸いでしたね。
こういうロールモデルに遭える事は、ものすごい財産だと思います。

 今度は、SAKURA様がみんなの見本になるように、頑張って下さい。
期待しております。

合掌 ありがとうございます

2800トキ:2014/04/02(水) 21:24:31 ID:DmFbtC8k
「上役のやさしいコトバ」

 人は本当に自由になったとき、責任感をもち、真面目に仕事をすることができるのである。
業主は従業員を自分の息子又は娘であると感じて、その幸福のために誠心を尽くしてやるべ
できである。誠心は誠心を招び出し、冷酷は冷酷を招び出すのである。冷酷なる親に対して
は子は親不孝になるのは当然である。子は親の愛を感じたら、親に対して反逆の心を起こし
たりすることはないのである。

 従業員は概ね貧しいのである。その生活には苦労が多いのである。その上経営者から辛く
扱われてはたまらないのである。経営者はもっと従業員の生活の苦労を軽減してやるように
意を用いてやれねばならないのである。上役のやさしいコトバや、同情ある態度、思いやり
ある扱いが、これらの従業員を明るい温かいものにしてくれるのである。人は何の位置にお
かれても人に愛を施すことができるのである。

新版 生活の智慧365章 谷口雅春先生著、242pより謹写

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 その前にちょっと考えて欲しいのは、大学病院の先生が全員、態度が悪いわけではない
ということです。ひとくちに大学病院としっても、医者の態度がものすごく悪い病院と
いい病院がある。その違いはどこからくるか?

 以前、東北大学医学部の老年内科に行ったとき、その理由がわかりました。

 と、言うのも、その老年内科の教授というのが、非常に人格者で、患者さん
にも若い医者たちにも、そのすごく愛想がいい。そればかりか、患者さんに
呼ばれたら、診察時間外でもいつでも、ホイホイと病棟に飛んで行くのです。

 だからその老年内科では、医局員全員、とても愛想がよく、サービス精神が
行き渡っていました。

 つまり、トップの問題だったのです。トップが患者さんにサービスするのが
当たり前だと思っていたから、それが全員に徹底されていたのです。それまで
威張っていたような人でも、自分より偉いトップの腰が低かったら、自分だけ
威張っているわけにはいきませんから。

「医学部の大罪」 和田秀樹著、ディスカバリー携書113 185pより

2801SAKURA:2014/04/02(水) 22:01:39 ID:CkiET3/Q
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>2799 「トキ様」 から頂きました…“言葉…”(此処にての返事…申し訳ございません。…が?) 

>> 立派な講師にお会いできて幸いでしたね。
こういうロールモデルに遭える事は、ものすごい財産だと思います。<< (一部抜粋)

本当にそうなのです〜〜〜ョネ!
私も、ここ最近まで、『感・謝…』は??と云いった感じでしたが〜〜〜><
「雅春先生」の今回の書籍本から、更に「カーネギーの書籍本」の中に〜〜♫〜〜

■【 神との一体感は〜〜〜〜? 】

そのように本を、拝読していきます内に、私の内部の“心の変化…”が生じてきたのです。
そして「副会長さん」のいつもの“言・葉”から、そのさりげない“シグサ”とかが、
思い出されます〜〜此処昨今でもあります。

本当に【素晴らし〜〜〜イ!素敵な講師】に会えたと思います。当時は、その認識が…不足していたように
思います。いつも!いつも!私達の身辺を心配されていたようです…。連絡を…一時とだえておりました時も
遠くから〜〜〜思念!聖使命…!こっそりして頂いておりました…。

実は!この「副会長さん」は〜〜〜【わたしの日時計日記】の管理人さんと同じ…
「津田塾…○期生」であられたそうで、そして、
当時の独身時代の職業は、『パン・アメリカンSW』でしたと…さらには「生命の実相」の中にも…
嫁がれた先の家……「家・名…も有名」のようなのです。…が?
「副会長さん」は、義理のお母さまが亡くならました時に、私どもに涙ながら…

私にも(副会長さん)にも、反対されていた結婚のようで【遺・産・の・分・与】を〜〜〜頂いてと!
反対されていると思っていましたら…このように、私にも分与の遺産を……泣きあかした事を…
それから〜〜〜必死に【生長の家の貢献…】をなされましたようです。…が?

■当時の私は【反・抗・期…】そのモノで…今にして思いますと、
当時!「副会長さん」の言葉!一つ一つが思い出されます…。
(当時の方針にて仕方なく動いていた事(上からの枠)が、此処の投稿させて頂いている内に、
理解する事が出来ました次第です…。)

今度!東京に上京しましたら、一番に〜〜〜お遭いしたい方だと、正直思っております…。
最後に…3年前に見ました時の姿が…印象的で…今でも、お元気なのでしょうか???

                          再合掌

2802SAKURA:2014/04/03(木) 22:07:33 ID:qG1K.PNs
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…】

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】  
(生長の家家族の祈願および修養)     谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 われらの祈願および修養 ― その4 ― 】*=======*=======* =======*=======*
>>2778>>2779>>2784>>2786>>2794>>2795>>2796>>2797>>2798>>2801投稿の続きです….。

■『法華経』の「寿量品」の「自我偈」には「衆生劫尽きてこの世が焼け尽くると見える時にも
わが浄土は壊せず」ということが書かれているのであります。が、その衆生がこの世を焼け
つくると見、憂苦が充ち満つると見ても、そういう憂苦満ち破壊満つると見える娑婆の
世界は、活動写真のような、念の化作した偽存在の世界であって、本当の世界には天人
が伎楽を奏している美しい堂塔伽藍が建ち並んでいる実に立派な世界、これが寂光土であ
る、そういうふうに書いてあるのであります。

寂光土といえば空な何もない静のほかには、何もない世界かと思ったら、天人が伎楽を奏し
歓楽が満ちている、喜びが満ちている、美しさが満ちている、無限の智慧が満ちている、
無限の喜びが満ちている、無限の楽しみが満ちている世界だと書いてある。そういう実相の
浄土を称して寂光土というのには相応しくないような気がする、やはり無限創造、無限伸展の
世界と言いたい、無限「生長の家」だと言いたい、それでわれわれはこの実相の浄土を無限
創造の「生長の家」と言うのであります。

この生長の家なる実相が仮に世界に影を投影して現われたのが、地上の「生長の家」で
あります。皆さんのお宅も実相の善さが顕現したら皆ことごとく生長の家であります。

この「実相の浄土」たる「生長の家」が地上に形を映して、文章に――その言葉の響きの現
われたのが、最初この『生長の家』という雑誌であったわけであります。その雑誌は最初、
昭和五年の一月に本当は誕生したのであります。その前年の十二月に、わたしがちょうど
関東大震災受難後二回目の泥棒に遭いまして、すっかり物がなくなって、それが機会に無
一物の「今」のうちに無限の力が宿っていることが本当に悟れて、「今」起たなければ、「今」
生きなければ生きる時機(とき)はないのである、現象的の条件が備わってから自分の使命
を遂行しようというふうな、そんな“あ”ま“い、”ま“だ”る“っ”こ“い”ことを考えて
いるようなことでは本当の生きる道はない、「今」の一瞬にいっさいが包蔵されているから、
「今」欲することに取りかかろうという大決心をいたしまして、十二月にさっそく家を移転
してそれから執筆を始めまして一月元旦には最初の第一号が出たのであります。

                      つづく

2803SAKURA:2014/04/06(日) 23:34:40 ID:bGw2IpeM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…】
>>2778>>2779>>2784>>2786>>2794>>2795>>2796>>2797>>2798>>2801>>2802 投稿の続きです….。

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】  
(生長の家家族の祈願および修養)     谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 われらの祈願および修養 ― その5 ― 】*=======*=======* =======*=======*

 ちょうど、その頃のは、わたしの著書の読者や、友人の雑誌の書いたわたしの文章を読
んだ人でよく手紙をよこしておられたような人たちが百五十人ばかりありました。その百
五十人の人たちに、新しく印刷した雑誌『生長の家』をお送りしたのであります。千部印刷
いたしましたけれども、知っている人は百五十人ぐらいしかない。そうして、弘めようと
いってもむやみに無駄に振り撒くわけにもゆかない、因縁のない人にあげて紙屑にされる
のもつまらないことである。それで、百五十人ぐらいの人たちにニ、三回ぐらいずつ上げ
て、誰か知人にやってくれませんか、いくらでもほしい人には上げますからというふうな
具合にして送っておったのであります。

それがちょうど昭和五年の一月の初めのことでありましたが、納本後二カ月の余裕を持たし
て創刊号の発行日は三月一日として印刷しておいたのであります。『キング』や『日の出』
は発行日の前月五日頃の出る、『生長の家』は前々月末に出たといううようなことになって
いた。というのは、最初の創刊号によって誌友を獲得して、どれだけの部数が出るかだい
たい見当をつけてから次の号を出したいので、一ヵ月のうちに誌友を獲得することはとうて
いできないので、その間に二ヵ月間の余裕を置いておきたい、とこういうのでその年の一月
の終わりごろの納本された雑誌に三月一日発行と日付して出しておったので、公の創刊号
発行記念日は三月一日ということになっており、これが、三月一日なら時候もよいので、
春季の生長の家記念日と後に定められることになったのであります。

                  つづく


PS: 「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ

当時の時代背景をみますと「創立者…雅春先生」が『生長の家…灯』をと立ち上がられました当時の
運動展開は〜♫ 正直申しますと…深い思慮の上で『無理難題が無〜〜〜イ』
そうなのです〜〜〜ョネ!『石橋を叩いて渡る…?と申しますか…地道に!シッカリとした光明化運動』を
感じる次第です…。

そうしますと…現在の【運・動・展・開…】は如何なモノなのでしょうか?

『2代目清超先生』からなのでしょうか?

■『数・の・論・理…優・先?』この事が…先行きの運動展開に陰りを…及ぼす事となり…敗因の一つでは?

しかも『少子化』この穴埋めをするように『光明化…国際運動』この事に…「栄える会を中心」に、
余りにも地盤である『日本国内の信者』を おろそかにした感が個人的には感じられます…。が?

毎回【 ボランティア… 】中心の行動のように「各本部講師のフェイス・ブック」を拝読しますと…
そのインパクトが…余りにも強く感じる次第です…。
理想としては〜〜〜やはり「真理の言葉…」「ご本人の体験談」…多少なりともその中に…取り入れて
「悩める人々へ」…【信仰団体としての…使命】を伝えて頂きたいものです〜〜〜ョネ!

従いまして「いつも…ボランティア!」感じますような…現状では?個人的には、この事は?
難しい〜〜〜問題のように受け止めている次第です…。

                             再合掌

2804訊商業:2014/04/07(月) 08:54:09 ID:???


『生命の實相』14巻31頁より謹写――

◇ 猫と雛鳥とはかくのごとく調和している

 昭和九年五月六日、わたしは上京しまして、浅草富士小学校で講演しました際に、千葉の松崎武雄という人が来ておられまして、こういう話をされたのであります。数年前、松崎君は百姓愛道場の江渡狄嶺さんの著書『ある百姓の家』というのをお読みになった。その中にこういうことが書いてある。江渡さんが鶏の雛を飼っておられた。それを泥棒猫がねらって、ともすれば捉えて食べてしかたがない。そこで江渡さんはある方法を考えつかれた。それは「兄弟なる猫よ、兄弟なる鶏の雛を食うなかれ」と紙に書いて鶏舎に貼り付けて置かれた。するとその日から猫が鶏をねらわなくなった。そこまではよいのですけれども、数日後に付近の線路で轢き殺されている猫を見いだしたというのであります。これはまさか泥棒猫がその貼り紙を見て、もう今後鶏の雛を食べるわけにはゆかないと思って悲観の極自殺したわけではありますまいが、雛鶏との間は江渡さんの愛の念波で調和してしまったけれども、猫自身に不調和な心が残っていて、その不調和な念の具象化として、その猫は轢殺されてしまったのであります。

 ところが松崎武雄君のお宅でも雛を飼っておられた。その雛を猫がねらってしかたがない。そこで松崎君は江渡さんのように貼り紙はせられなかったが神想観して、「猫と雛鶏とはその実相において完全に調和している。決して噛み合い殺し合いなどは存在しない」ということを念じられたのであります。すると不思議や、それ以来猫が雛鶏をねらわなくなったのであります。しかしその場合は、江渡さんの場合のように猫が殺されてそこにいなくなったのではない。猫はちゃんとそこにいる。そして猫と雛鶏との間が調和して猫が雛鶏をねらわなくなったのであります。

<了>

2805訊商業:2014/04/08(火) 11:13:31 ID:???


『別冊 真理』108頁より謹写――

◇ 今迄の宗教は何故人類に平和を持ち来たさなかったのか

 大体、生長の家の教が今迄の宗教と違う点は、今迄の宗教というものは、心を直すにしても、〝悪〟を認め、〝悪〟を認めて、そして、〝お前は斯う云う有様に現れているが、斯ういう有様でいてはいかんじゃないか〟と云うふうに、その現れている悪い姿を見詰めさせて、〝よくよく此処を直すようにしなければお前はいかんぞ〟とか、〝此処がお前は悪いんだ。こんな罪を犯していたぞ〟と言って責めて反省させますので、その人は〝自分は「罪の塊」じゃ〟と斯う云う観念が潜在意識に植えつけられて、その結果、自分は悪人だ、罪人だと云う観念が自働して、それが具象化して「悪」があらわれ、「罪」があらわれて来て、人類を救おうと念願すれども愈々益々「悪」があらわれ、「罪」があらわれて来る結果となったのです。

◇ 教祖に背いたことを自覚せぬ弟子たち

 だから釈迦牟尼世尊、イエス・キリストをはじめとしてその他無数の偉大なすぐれた宗教教祖が出て来ましてもそれで人類が道徳的に善くなったかと言うと決して善くなっておりません。それは何故かと言うと、釈迦牟尼世尊やイエス・キリストは真理を正しく教えたけれども、その教を祖述する弟子が、その教祖先生たる釈迦牟尼世尊や、イエス・キリストの教えられた真理を伝えるとき、それを歪めて伝えたからであります。すなわち人間の「実相」の完全さを観る様に教えることをわすれて、あべこべに現象の「悪」を見て、その「悪」を直せと教える様になったので、「悪」を見詰めれば、「悪」があらわれると云う心の法則によって「悪」が消えないことになっているのであります。キリストでも「我れ神の子なり」と説き、「我れ往きて汝ら来るなり」と説いて、すべての人間に「神の子」が宿っていて完全であると云う事を説いたのだけれども、その弟子なる牧師たちは「汝ら神の子よ」と説かないで、「汝等罪人よ悔い改めよ」と言った。だから、キリスト教の牧師はキリストの教とはあべこべのことを言ったのであります。

<了>

2806神の子さん:2014/04/08(火) 17:07:51 ID:5uCVw2y6

 谷口雅春大聖師 御文章
 http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/18219673.html

2807SAKURA:2014/04/09(水) 23:36:41 ID:cjjCC9AE
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】  
(生長の家家族の祈願および修養)     谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 われらの祈願および修養 ― その6 ― 】*=======*=======* =======*=======*

 ともかく、こういうふうにして、実相の浄土にあるところの、喜びの勝てる、光に満て
る実相の言葉が地上の雑誌として初めてこの世に現われてきたのであります。そうしてそ
の言葉に最初触れる人たちが、地上における「生長の家家族」ということになったわけであ
ります。

 むろん、この「生長の家」の家族というのは必ずしも『生長の家』の誌友あるいは読者には
限らないのであります。本当に実相の浄土を地上に生きる人、この人はむろん生長の家家
族であるわけであります。だけれども、まず第一にここでは本当にこの生長の家すなわち
実相の浄土を地上に生きる第一世として現われた『生長の家』誌友が、この現世を照らす光
となり、おのおのの隣人を照らす燈台となるようにしようじゃないか、こういうのがわれら
の祈願の第一条の標識であります。

                     つづく

2808SAKURA:2014/04/09(水) 23:51:21 ID:cjjCC9AE
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こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【  引用編… 】その1
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 われらの祈願および修養 ― その7 ― 】*=======*=======* =======*=======*

PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ

※「トキ様…」雅春先生の書籍を読んでいきますと、今の現状の『 生長の家 』でいきますと〜?

■「生長の家…2世」とは〜〜〜【廃・棄・物】つまり【不要の人・間】でしょうか??
更には〜〜〜「多国籍軍…信者(日本国内信者…?)」いかがなモノとお考えなのでしょうか??
今は「亡き両親」…当時の「誌友会員」の方々は、現状の【生長の家…】が、このような状況になると思って、

※「家族の反対を押し切り」 ※「ある面では御主人に内緒で献金」※「どうかしますと現在でも内緒での運動資金」…etc

■現在の『生長の家…』にはなるとは、ついひとつも思わずに、ひたすら『愛行…』すなわち
戦後の日本経済も含め【日・本・復・興】というスローガ―ンのもとに、当時の皆様は、
【生長の家の「家族」…】この言葉からの【愛の行動】をなされた事だと思います。…が?
現在の【生長の家…】は、ほとんど「和田一夫」さんから『栄える会』優先での運動が始まり…
当に、洪水の流れのように…… >< 語弊を抱かれますと困りますが?ある時期から…

「日・本」にかなりの方が流れ込んできた?連れてきた?【国際色豊かな国…日本】……変貌!
かといって?彼らの慣習は【自国の慣習・思想】そのままに、生活しているように見えます。そうしますと、
そこで【摩擦…】が生じ〜〜〜日本人の捉え方と異なりますから或る面では【並行線…】でしょうか?
このように地元の方々がおっしゃいました言葉を耳にしております。そうなのです〜〜〜ョネ!

つづく

2809SAKURA:2014/04/09(水) 23:53:05 ID:cjjCC9AE
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こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【  引用編… 】その2
>>2778>>2779>>2784>>2786>>2794>>2795>>2796>>2797>>2798>>2801>>2802>>2803>>2807>>2808
の 投稿の続きです….。

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 われらの祈願および修養 ― その8 ― 】*=======*=======* =======*=======*

■【 真理 】が人々の心を動かし…心を癒すのではないのでしょうか??

自己満足の【与えよ…さらば…与えられん!!】の流れに【少子化対策】も便乗と云いますか??

此処では「東南アジア圏の方々」が非常に多く感じられる光景が、日増しに強く感じます。
単に?今の運動の流れとしては【生長の家の教え…】は、どうしても?ただ【ボランティア…】という事を…
強調した感じに見受けられます。更に「現総裁先生の顔色(ご自分の考え発言する事が?受け入れる場が?)」
が全くない状況のようで…それでは【物事への前進】は如何なものでしょうか?
思いますに、やはり「人々の意見を聞く」「耳を貸す」…この事から始めて次なるステイタスに繋がるモノと
個人的には思うのです。

■現状では「職員の皆様?」及び「信者?」を見てますと【統一教会…】のように見えてしまいます。

本当に「現職員」の中にもどうしてもそのように見えて、そして今回の話題であります【先・祖・供・養?】
人それぞれでしょうが?あのような【儀・式…】をした事がないモノで???
これも【変・革…】された…今の【生長の家…】方針なのでしょうか?
更に【各教区…】にて“一月に一回の教区”の【先祖供養…】だけで、供養が出来ますのでしょうか?
この頃では??この考えが【生長の家…捉え方】となりますのでしょうか?複雑なる気分です。

■「雅春先生の時代」とは〜〜〜全く考えられない【先祖供養に対しての捉え方】なのですネ!
【 他・力 】で「供養」という事でしょうか?個人的には【先祖供養の意味】を理解されているのでしょうかとも。

■余談ですが〜【日蓮聖人のお母様の…供・養】
それは?「地・獄…」に行かれた方を救うには、確かに、大勢の【団体での供養】がいいと聞いております。
…が?それでも〜一番大切なのは【常日頃の…毎日の…個人先祖供養】も大事なモノと思います。
更には、【教・区…での白鳩会員の奥様方々の先祖供養の仕方】が〜〜〜当時と随分変わっているようで?

オカシイ感じが致します。でも【現状…生長の家】これに関しては或る処で「多くのイイ…ネ」表示を、
なされているようで、この事が〜〜〜【公・認…】なのでしょうか?
この事も【国際籍他国軍…カラフル化】にての運動方針という事なのでしょうか?「疑問??」
しかも【職員の皆様も先祖供養の唱え方】に関しては〜〜〜

賛否両論の意見すら【現生長の家…体制】では、「発・言・権…」が全く無いのでしょうか?
此処の投稿にて【誰一人…記載されない】のは、【現在の総裁先生の指導…】そのモノなのでしょう??

■□【言・論・の・自・由…】
この事に、自由に答弁できますのは【国際籍他国…】のみの方々なのでしょうか?【不思議な気分】で…

再合掌

2810トキ:2014/04/10(木) 21:08:41 ID:nb7s81UQ
”神の国”の遠さはサイクルの相違である

 ”神の国”が「汝の内に在り」であるならば、なぜ、「神の国に入ること能わず」とか、
「神の国に入ることができる」などというのだろうか。それは、”神の国”が今ここにあ
りながら、その今ここにある”神の国”に触れることもできないし、”神の国”に近づく事
ができない人もあるからである。

 それは”神の国”を”神”という放送局から放送される”番組であると喩えるならばよく理解
し得るのである。”神の国”を放送している電波は、今ここにすでに来ているのである。
恐らくその電波はわれわれの身体の中にもあるであろう。すなわち”神の国”なるものは
すでに「汝の内にある」のである。しかしその「自己の内」にすでにある”神の国”は
肉眼で見える状態ではないのであるから、肉体としての自分はまだ”神の国”にいないの
である。今ここにありながら無限の遠さにその”神の国”はあるということができるので
ある。その遠さは空間的ひろがりの中にある距離の遠さではなく、サイクルの相違ま
たは次元の相違から来る遠さなのである。今ここに”神の国”の電波はありながら、そ
れは無限の遠さであって見ることも触れることもできないのである。


 如意自在の生活365章 谷口雅春先生 267p より謹写

2812SAKURA:2014/04/15(火) 13:27:25 ID:JmNWDmlc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【  引用編… 】その2
>>2778>>2779>>2784>>2786>>2794>>2795>>2796>>2797>>2798>>2801>>2802>>2803>>2807>>2808
>>2809 の 投稿の続きです….。

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 各宗教に対する生長の家の立場 ―その8 ― 】*=======*=======* =======*=======*

 ≪われらはあらゆる宗教が大生命より発せる救いの放射光線なることを信じ、他宗を
そしらず、他人の尊崇の対象たるものに敬礼せんことをを期す。≪

 いろいろの宗教がこの世に出ておりますけれども、その宗教はどれもみなこの世の
光となろうとする使命をもって生れているのでありまして、電燈の光も、ガス燈の光
も、ランプの光も、あるいはマッチの光もことごとくこれ照らさんがために現われている
のであります。照らさんがために現われているけれども、おのおの用途がちがう。小さな
懐中電灯は小さな懐中電灯として用途があり、大きな五百燭光の電燈はまた五百燭光
の電燈として用途があるというわけでありまして、床下の小さなところを照らすのに、
五百燭光の大きな電燈で照らしてみようとするとかえって邪魔になるというふうになる
わけでもあります。それで小さな電燈もわるいものでなければ、大きな電燈もわるいもので
ない。あるいは電燈の笠の形にも、スタンドの形にもいろいろある。そしてそのどれにも
特殊な美しさがある。けれども、その特殊の美しさもそれを用いる部屋とか、あるいはそ
の光を求める場所とか、それぞれに応じて適当な形をし、適当な美しさを備えているのが
よいのでありまして、部屋の中へつけるような装置の、構造の電燈が、いくら格好がよい
からとて玄関へぶら下げてみても、かえって変な格好になるし、あるいは四畳半の部屋に
こういう大講堂につけるようなシャンデリアを装置してみてもこれまた眩しくて、書物を
読んでも、紙面が光ってかえって読めないということになるかもしれないのです。

そういうわけで、光というものは照らす役目のものであるけれども、いろいろの程度の光
やいろいろの形の燈具がまた必要である。あるいはX光線のような人体を透視するような
光も必要である。あるいは紫外光線のような、目には見えないけれども、われわれに有効
な働きをするところの光もまた必要である。目には見えないからこいつはなんの光もない
のだとこういってある光を排斥してしまうということはできないのであります。

                       つづく
PS: 「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ
どの「宗・教」も、確かに【光の言葉…】があります〜〜〜ョネ??
しかしながら、その人の心??の理解が何処まで理解力があるかしら〜〜〜ン!と…つい最近は思えるよに
なり〜〜私は、やはり「思考は書物から…」と思えますようになりましたのです。『生長の家の書物』を
読んで、その時に分からなくても?必ず「神様」及び「私の守護霊」が、導いてくださるように思えて
きます事が、この現象界で形として起きていま〜〜〜す、此処昨今なのです。

■近くの【 金光教の教祖の言葉 】から
>>信心せよ。 信心ということは 心 わが心
  じんは 神なり  わが心が 神に 向かうをもって
  信心というなり 恩徳の中におっても
  氏子  信 なければ  おかげなし <<

上記の言葉からも【光…】が見えてきませんか??
そうなのです〜〜〜ョネ!【 心は、すべて光に導かれて行くのでしょうか!! 】

                                     再合掌

2814a hope:2014/04/17(木) 10:20:22 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第12巻 p36 4行目〜

谷口―― 人間は神の子でありますから、神の道は人間の道、ふつうの道であって、難行苦行の道ではないのであります。「道というのは、すべてを捨てなければえられない」とあなたは今おっしゃいましたが、正(まさ)にそうであって、すべてを捨てる、すなわち難行苦行という道さえも捨てきったとき、本当の道がでてくるのです。その本当の道は、平凡の道であります。この平凡な道が歓んで歩めるようになったときに、その人は本当の生活に入ったのであります。

外面を見て花々しい生活をしたら生き甲斐があるとか、大いに世の中の人を助けたから生き甲斐があるとかいうのでは本当ではない。そんなことでは外面に花々しい生活ができなかった時や、大いに世の中を益することができなかったときには生き甲斐が感じられなくなります。そんなことではわれわれの生き甲斐というものは外の成績によって左右されているので、神の子たる生命の実相を知った人の「生き甲斐」ではなくなるのであります。

先日、東京へまいりました時に、非常に信仰の深い牧師が神経衰弱にかかっている話を承りましたが、その牧師が神経衰弱になった理由がなんであるかといいますと、予定どおり人数をキリスト教に導くことができないから、神様に対して申しわけないというものであります。つまりこのような人たちの生き甲斐というものは、外の成績に左右されているのであって、実相の悟りをつかんでいる生き甲斐ではないから、外から打ち負かされたら神経衰弱になるのであります。

キリストはこの点では実相を摑んでいたから、外の形の上、数の上で打ち負かされても、生き甲斐が感じられたのです。「右の頬打つものがあれば左の頬を打たせよ」とか「外衣(うわぎ)をとらんとする者には下衣(したぎ)も与えよ」とか「十里の公役(こうえき)を強いられなば二十里を往け」などと、キリストが言いえたのは、形の上で打ち負かされても負けるようなものが神の子たる人間ではない、本当に勝つとは形の上のことではないということをしっていられたからであります。

先刻有元さんの御紹介になった「有るものは皆吹き払え大空の無きこそ元の住みかなりけれ」という黒住教祖のお歌のように、キリストは「無きこそ元の住みかなれけれ」の心境に入っておられたから、形あるものの上で負けても、神の子たる本当の生き甲斐が感じられていたのであります。これがわかってくると、キリスト教も黒住教も、根本において同じ教えを説いたものだということがわかるのです。
(つづく)

2815a hope:2014/04/17(木) 10:21:03 ID:cEpBaIdo
(つづき)
われわれが、ひとから右の頬をうたれると、すぐに腹が立ってくるのは、自分というものが叩かれるくらいで傷つくような脆い肉身であると思って、どんなに叩かれても傷つくことのない金剛不壊の実相身であるということを自覚しないからであります。

自分がどんな体よりも堅い金剛不壊の実相身であるということが悟れると、誰が自分に対して殴って来ても、子供が金剛不壊の仁王様に対して打ちかかって行くようなものであって、腹の立ちようがない。われわれでも赤ん坊がわれわれの頬辺(ほおぺた)を叩いて来ても腹が立たない。腹が立たないのは、叩かれても負けないと思っているからです。

ところがわれわれが何によらず腹が立つのは、叩かれて来られると負けると思うからです。だから常にわれわれは赤ん坊と角力(すもう)をとるつもりでおれば腹が立たないのであります。

2816a hope:2014/04/17(木) 10:22:01 ID:cEpBaIdo
(a hope 所感)

わたしは「生命の實相」やその他の雅春先生の聖典を拝読していていると、内容はもちろんですが、その文章の流れ、リズムに引き込まれてしまいます。
そのリズムに乗って拝読していると全身がジンジンとしびれたように反応します。
本当に、すごい聖典だと感じ、昨晩などは聖典が拝読できる幸せに浸ってしまい、つい夜更かしをしてしまいました(笑)

2817:2014/04/17(木) 15:43:24 ID:oeUx5MQw
a hope様
合掌 ありがとうございます

 こんにちは、遅くなり申し訳ございませんでした。
一闡提については、大般涅槃経解釈の冒頭から書かれていますので、直接お読みになられるのが一番間違いないと思います。

 『生命の實相』を読み進めて行きますと、こういう時にどうすべきかを書かれてある部分も出て来ると思いますので、そのまま読み続けられると良いと思います。

 私の方ですが、頼まれ事を依頼主から急いでほしいと言われ、時間が取れなくて、もうweb誌友会にお邪魔することが出来ないと思うのです。
 a hope様の益々のご活躍をお祈り申し上げます。ありがとうございました。 再拝

2818:2014/04/17(木) 15:54:18 ID:oeUx5MQw
追伸:
ごめんなさい、場所を間違えたようです、web誌友板の内容でした。

2819a hope:2014/04/18(金) 09:59:43 ID:cEpBaIdo
>>2817縹さま

お久しぶりです。
そして、ご指導をありがとうございます。 合掌。

先日、web誌友板で縹さまが「法華経解釈」より二乗・三条についての御文章を引用してくださったのでさっそくを購入しました。
時間のある時に、図書館などに行って静かに拝読したいと思っていましたが、
今回、「大般涅槃経解釈」もご紹介くださり嬉しい悲鳴をあげておりますヽ(*'0'*)ツ ワァオォ!!。

わたしは、もともと、仏教に興味があって、子育ての一番忙しい時から、近くのお寺の座禅会に参加し、
住職さんのご法話を拝聴するのを楽しみにしていました。

ですから、今、こうして谷口雅春先生のご解釈の「本物の仏教の真理」をお勉強できることが本当に嬉しいのです。

縹さま、お忙しくされているようで、web誌友会へのご参加は難しいそうですが、
わたしの「生命の實相」の解釈等があまりにひどいような場合は、どうぞご指摘、ご指導をよろしくお願いいたします。

わたしは、本当の「生長の家の教え」が知りたくてここでお勉強させいただいているのであって、他意は全くないのです。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

2820SAKURA:2014/04/18(金) 14:16:58 ID:GAUySuWA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【  転載編… 】その2
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>>2809>>2812 の 投稿の続きです….。

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 各宗教に対する生長の家の立場 ―その9−1 】*=======*=======* =======*=======*

 ■こんなわけで、この世の中のあらゆる宗教は、おのおの総ての電燈は照らす光として
働いているのと同じように、すべて人生の燈台となり、人の心を照らす光の輝きをしてい
るのであります。

 それに、いちいち相手をけなして自分ばかり善いのであると、こういうような宗教争
いをするようなことでは実にみっともないことであります。

 宗教は要するに愛を説くものである。愛とは、仏教でいえば慈悲と申しますが、キリ
スト教でいえばたいてい愛という。愛とは何であるかというと自他一体の実相の働きで
す。すべて生物および森羅万象を、その形容である物質的方面から見ると、自と他の対
立したように分かれているけれども、本来一つのものであるということを知ることが愛で
あります。たとえば、われわれが子供を可愛いと思うのはどうして可愛いのであるかとい
うと、それは自分から出たものである、本来自分と一つのものであるという気持がするか
ら自分の子供が可愛い。ところが、他人の子供は何となしに自分から出たような気がしな
い。すでに悟った人は別でありますけれども、肉眼で見たところ、どうも自分から出たよ
うな気がしない、自分と一体であるような気がしない、それで他人の子供はあまり可愛く
なくて自分の子供だけは可愛いという鬼子母神のようなかたよった愛になるのでありま
す。つまり、愛というのは自分と他とは一つのものであるということを知ることが愛であ
ります。この愛というものを宗教の上に押し広げてゆきます時には、自分の宗教と他の

>>宗教とはやはり一つのものである。ということがわかった時にははじめて宗教とが愛
によって結ばれるということになるのであります。<<

すべての生きとし生けるもの、すべての人間を愛によって結びつけ自他一体であるという
実相を知らせ本当の相を悟らせるために現われたところのこの宗教が、宗教同志仲がわる
くて、互いに欠点をあばいて石を投げ合いして、あいつはわるい、あいつを撲滅しなけれ
ばならない、あいつが栄えたらわしの方の宗教が栄えなくなるというふうな利己的な観念
をもって、争いあうというふうでは本当に宗教がこの世を照らすために現われたという
目的に反くわけであります。

                    つづく

2821SAKURA:2014/04/18(金) 14:18:51 ID:GAUySuWA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【  転載編… 】その2
>>2778>>2779>>2784>>2786>>2794>>2795>>2796>>2797>>2798>>2801>>2802>>2803>>2807>>2808
>>2809>>2812>>2820 の 投稿の続きです….。

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 各宗教に対する生長の家の立場 ―その9−2 】*=======*=======* =======*=======*

PS:「トキ様」へ  「観覧者の皆様」 へ
>>宗教とはやはり一つのものである。ということがわかった時にははじめて宗教とが愛
によって結ばれるということになるのであります。<<   (一部抜粋言葉)

今の【生長の家のお家騒動…】は、何か本当の【真理の勉強の原点…】に戻る事を、つまり!
神様からのメッセージ…という事なのではないのでしょうか??
此処で言います【原・点】とは〜〜〜??
創立者『 谷口雅春先生 』の御教えがア〜〜〜ダ!コ〜〜〜ダ!その教えにならないとか?
そのようなちっぽけな『議・論』よりも
如何に人を救う事――>自体一体の意味である――>愛(慈愛)
最終的には、履き違えているように、思えます。今回!!私も【反・省】で〜〜〜す。
>すべての生きとし生けるもの、すべての人間を愛によって結びつけ自他一体であるという
実相を知らせ本当の相を悟らせるために現われたところのこの宗教<<

如何に!国内での【宗・教】同志の争い…私の知る限り…露骨にされる【宗・教…】が〜〜〜??
そして、同じ仲間だけ(同じ宗教信者)での…コミュニケーション!!
それでは本当の意味での【宗教】というよりも【醜・教】と改名した方がいいように思いますかしらン!!

それから、私も小さな〜小さな〜【心のケチ論の展開】があったようですので、まだ〜〜【反省の心】
まずは、【自分を優位に置く】のではなく、それよりも、まず【相手を生かす心の展開】に切り替えて
行こうと…此処からが【自他一体――>神は愛なり】の”心…神様”と共に私は、
生かされている〜〜満たされている〜〜”心の展開…再起動中 ”です。(微笑)

■□ 【 宗教 = 愛 = 自他一体の愛 】そのモノですネ!!この気付きに感謝申し上げます…。

                               再合掌

2822:2014/04/19(土) 01:36:09 ID:xPhLnWm.
2819番 a hope様
合掌 ありがとうございます

 こんばんは、ご指導だなんてそんな私は先生ではないので…。もっと立派な方にご依頼されたほうが良いと思うのです。
法華経解釈を早速ご購入されたのですか、あれは大部分が佐藤氏の御文章ですので、私も引用をなるべく控えて、お勧めしなかったのです。多分、『生命の實相』の中に入っている雅春先生の御文章から法華経その他を感じ取られるほうが良いような気がするのですが…。
 日常生活の中の真理仏典編のほうが読みやすいかも知れないと思うのですが、仏教に親しまれてらしたa hope様でしたら大丈夫なのでしょうか。

 大般涅槃経解釈をご紹介させて戴きましたのは、一闡提の解釈について先生がとても苦しく思われたいきさつが書かれてありますので、それを直接お読みになられたほうが良いかも知れないと思っただけでして、全編をおすすめさせて戴いたのではないのです。
 多分、『生命の實相』の最初の方を繰り返し読まれるのを先に重点的にされたほうが、より早くお幸せになられると思って、このようなことを申し上げさせて戴いておりますが、でもご自由にされて下さいね。

 法華経に興味をお持ちになられますのは、本当に素晴しい事だと思います。
これは私一人が思う事ですが、生長の家創刊号をお手元に置かれますと(忘れないでいるとという意味です)、法華経を感覚的につかめるかも知れません?
a hope様の益々のご活躍をお祈り致します。

2823a hope:2014/04/21(月) 10:17:58 ID:cEpBaIdo
>>2822 縹さま 

たくさんの貴重なアドバイスをありがとうございます。
さっそく、創刊号と日常生活の中の真理仏典編を購入しました。
大般涅槃経解釈は、後のお楽しみにしておきます。

わが家の実家は、詳しい宗派は言えませんがもともと仏教を信仰していて、
家には立派な仏壇もありますし、お葬式や法事なんかもすべて檀家になっているお寺にお願いしています。

だから、わたしも仏教徒なのです。

だから、わたしがまことの釈迦の教え(仏教)をお勉強して悟れば、
とても良い先祖供養になると思うのです。


<<『生命の實相』の中に入っている雅春先生の御文章から法華経その他を感じ取られるほうが良いような気がするのですが…。>>

とのお言葉ですが、生長の家の教えは万教帰一ですし、その真理はまことの法華経と同じであると聖典に書かれていますから、
聖典『生命の實相』を拝読することが、法華経やその他の仏教の真理を理解することにつながるということでしょうか?

昨晩、法華経解釈の最初の方と、後ろの方を少し拝読してみました。

仏教用語がたくさん出てきますから、難しいと言えば難しいですが、
その内容はさすが雅春先生が尊敬していらっしゃったという佐藤勝身先生の御文章だけあって、
(さらに雅春先生がわかりやすく手直しもされているようです)わたしは素晴らしいと感じました。

ですが、ちょっと気になったのは、「創価学会」に関する言及です。

ふつうに考えれば、万教帰一の生長の家が、なぜ「創価学会」のことを批判的に書いているのだろうか、との疑問が浮かぶと思います。

ですが、これこそ、「悪はない しかし、『虚説』には和解してはいけない」 ということの本当の意味なのではないかと感じています。
雅春先生は、宗教で「虚説」を説くことの危険性を、ご警告・ご教示くださっているように感じます。

2824:2014/04/24(木) 20:09:05 ID:oeUx5MQw
a hope様
合掌 ありがとうございます

 こんばんは、遅くなり申し訳ございません。
a hope様は、早速ご購入されたのですか、ご熱心で偉いですね。
『日常生活の中の真理 仏典編』の表紙カバーは、たしか、知恩院所蔵の仏画だったと思います。
知恩院は浄土宗ですね、京都の円山公園の枝垂桜の近くですね。まだ八重桜位は残っているでしょうか…。

 創刊号をそばに置いてという意味は、ずっと後になって分かってくる事になると思います。


>だから、わたしがまことの釈迦の教え(仏教)をお勉強して悟れば、
>とても良い先祖供養になると思うのです。

 先祖供養が目的でしたら、『生命の實相』をご仏壇の前で、時間を決めて朗読されると良いですよとの谷口雅春先生の御指導です。


>とのお言葉ですが、生長の家の教えは万教帰一ですし、その真理はまことの法華経と同じであると聖典に書かれていますから、
>聖典『生命の實相』を拝読することが、法華経やその他の仏教の真理を理解することにつながるということでしょうか?

 『生命の實相』の中に、雅春先生が直接『法華経』の内容をご説明下さっている部分が出て参りますので、そちらのほうがよりおすすめですよ、という意味でした。



>ふつうに考えれば、万教帰一の生長の家が、なぜ「創価学会」のことを批判的に書いているのだろうか、との疑問が浮かぶと思います。
>ですが、これこそ、「悪はない しかし、『虚説』には和解してはいけない」 ということの本当の意味なのではないかと感じています。
>雅春先生は、宗教で「虚説」を説くことの危険性を、ご警告・ご教示くださっているように感じます。

 これは、掲示板上で論を尽くされた内容ですね。


a hope様は、法華経にご関心をお向けになられて素晴らしいですね。
益々のご活躍をお祈り申し上げます。

「自分とは何者か」


私は、頭脳では辿りつけない場所に感じます。
心の温かさの中にあると感じています。

2825a hope:2014/04/24(木) 23:14:31 ID:cEpBaIdo
>>2824 縹さま

ありがとうございます!

お忙しいのに、ご丁寧なお返事をいただきとてもうれしいです。

「日常生活の中の真理」の表紙カバーは、知恩院所蔵の仏画なのですね!
今までは、仏像や仏画にはあまり興味がありませんでしたが、
こうして仏教の真理をお勉強していると、とても興味深く拝見できそうです。



「法華経解釈」が難しかったからでしょうか、「日常生活の中の真理」はとてもわかり易くすらすらと拝読できます。

第一章は「維摩経解釈」の解説のようになっているのですね。
実は、「維摩経解釈」は数年前に購入して手元にあるのですが、当時はまだ難しすぎてほとんど拝読していませんでした。
今ならだいぶ理解できるのではないかと思うので、早く拝読したいのですが、
わたしの机のまわりには、その他の読みたい聖典が山積みになってしまっていて、自分自身の欲深さに呆れています(笑)。


また、創刊号に関しては、予言的なお言葉をありがとうございます。
どのページを開いていても、とても力強い若々しい波動を感じます。
こちらも、拝読するのがとても楽しみです。



<<先祖供養が目的でしたら、『生命の實相』をご仏壇の前で、時間を決めて朗読されると良いですよとの谷口雅春先生の御指導です。>>

この事は、わたしも聖典のどこかで拝読していて知っていました。
 先祖供養といったら「甘露の法雨」が定番のようになっていますが、
実は、わたしは神想観は大好きなのですが、「甘露の法雨」の読誦はあまり得意ではないので、
これからは『生命の實相』を朗読するようにしてみます。
その方が自分の真理のお勉強にもなるので「自他一体」の真理からすれば、そちらの方がいいような気もします。



今のわたしにとって、真理のお勉強はほんとうに楽しいです。
ですが、web誌友板でトキさまもおっしゃっていましたが、
そのお勉強した真理が生活に生きてこないと、本物とはいえないと思うのです。

ですが、ありがたいことに、自分には家族もいますし仕事もしていますから、
真理を生活に生かす機会にはとても恵まれているのです。

「生長の家」の教えをお勉強し始めてからも、色々な困難と感じられる出来事にぶつかって来ましが、
ですが、どんなに心配事や心の動揺があっても、聖典を拝読したり神想観をすることで自分の心が整えば、
全ての事がうまくいくようになってしまうから不思議です。

「生長の家」の教えって本当にすごいですよね!


それから、最後に縹さまからの


「自分とは何者か」


というご公案?ですが、わたしの心の中に、

「自分は神であり、神は全ての全てであり、そして愛である」

という言葉が浮かんできました。


縹さまのおっしゃる「心の温かさ」とは「愛」のことなのではないでしょうか?

わたしは、実生活のなかで、もっともっと神の愛を出していきたいです。

縹さま、また、こちらの板で「聖典」について、色々ご教示いただけると、とてもお勉強になります。
これからも縹さまの時間の取れるときだけでかまいませんので、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

2826:2014/04/26(土) 00:53:02 ID:oeUx5MQw
a hope様
合掌 ありがとうございます

 こんばんは、レスをありがとうございました。
a hope様はご熱心でそのご姿勢が本当に素晴らしいですね。


>「日常生活の中の真理」の表紙カバーは、知恩院所蔵の仏画なのですね

 知恩院を調べましたら、浄土宗ですので阿弥陀様が御本尊様なのですね。
それで、開祖の法然上人が、以下のお歌を残しておられる事を知りました。
丁度、阿弥陀様と月光の関係について調べていた所でしたので驚きました。
以下は知恵袋からの転載です。


「 月影のいたらぬ里はなけれども ながむる人の心にぞすむ 」

浄土宗の開祖として有名な法然の和歌です。
「月影」 、月の光とは、実は阿弥陀如来の光明、救済のこと。

“月の光はこの世をあまねく照らして、どんな辺鄙な里にも
届くけれど、それを眺める人の心が澄んでいるからこそ
その美しさが心に宿るんですよ”

心を澄ませる、つまり、阿弥陀の光に心を向けて、「南無
阿弥陀仏」 と念仏を一心に唱えてこそ、阿弥陀如来の光
(仏の救い) は人の心に “住む” んですよ。
「すむ」 = 澄む + 住むのダブルミーニング、掛詞です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11108072876
・・・転載以上です。


 谷口雅春先生は、生長の家大神様(住吉大神様)は、阿弥陀如来様でもあらせられると教えて下さっていましたので、
澄む=住むですよ、という所は、少し嬉しいですね。

a hope様のお陰で、偶然知りました、本当にありがとうございます。


「」内は公案ではなく法華経についての言葉でした。
a hope様のご熱意にとても驚いています。
現代にもそのような方がおられるのですね。
益々のご活躍をお祈り申し上げます。 再拝

2827SAKURA:2014/04/26(土) 21:58:23 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【  転載編… 】>>2778>>2779>>2784>>2786>>2794>>2795>>2796>>2797>>2798>>2801>>2802>>2803>>2807>>2808
>>2809>>2812>>2820>>2821の 投稿の続きです….。
■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 各宗教に対する生長の家の立場 ―その10 ― 】*=======*=======* =======*=======*

■かく、宗教というものはこの世を照らす光でありますから、どれだけ他にあってもよ
いのであります。自分は自分で光ればよいのであって、他はまた他で光ればよい。人類も
多種多様であるからその対象たる人類に適するように多種多様の宗教が現れてこれを
照らす、五百燭光の電燈がありさえすれば、懐中電燈は要らぬというわけではない、太
陽が出ている時でも、活動写真を映すときには電燈の光が要るのであります。

 生長の家では決してたの宗教をわるくいわないのであります。みんな結構である――。
真宗の方が来られると、真宗ですか、阿弥陀様を信心されてたいへん結構でございます、
阿弥陀様をせいぜいしっかり信仰しなさい、こう申し上げるのであります。しかし、阿弥
陀様を西方十万億土の彼方に一国の城主のごとく一つの境界をめぐらして、そこに王様
のようにしているようなそんな小さな阿弥陀様だと思いなさんな。尽十方無辺の世界に満
ちているところの限りなき無礙光であり、大いなる生命であるこの無量寿の仏様を本当
に見なさい。これが真宗の本尊で、本当の救いは、この尽十方無礙光如来と本来一体であ
ることを知ることにある、と真宗の人にはお話するようなわけであります。

 あるいはまたクリスチャンの方が来られると、ああキリスト教の神様は非常に結構な神
様である。キリスト教の開祖であるイエスを、たんに二千年前にユダヤに生まれ、そうし
て磔刑になって、三十三歳で死んでしまった、そんな生まれて死んだような、そんな
小さな肉体的存在だと思いなさんな、久遠の昔から生きている真理の顕現――これが本当
のキリストである。キリスト自身「アブラハムの生まれぬ前より我は在るなり」といわれて
いる――これが本当のキリストですが――あんたはもっともっと深くキリスト教の奥まで
入って、もっともっと大きくキリスト教の教祖を生かさなければなりませんぞ、というふ
うなぐあいに申し上げるわけであります。

                       つづく

2828NANCY:2014/04/26(土) 22:17:02 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」へ
こんばんは… ローマ字(大文字)の【NANCY】で〜〜〜す。

■「管理人 トキ様」へ
お尋ねしたいことなのですが〜〜♫ あります。先日から閲覧させて頂いておりますが?
此処の『聖典ボード板』での…宗教に関しての議論?討論?
果して【主・旨…】にそぐわないモノと思うのですが…?如何でしょうか?

あくまでも【聖典の転載・引用】という名目上の意義になるモノと思う次第です…。・・・が?

                             再合掌
PS:「トキ様」へ
此処にこの様な上記投稿を致しました事…お詫び申し上げます…。正直なる思いでの投稿です。…が?

2829a hope:2014/04/26(土) 23:10:20 ID:cEpBaIdo
>>2826縹さま

お返事を信仰/体験板2にさせていただきました。


>>SAKRAさま

いつも素晴らしい聖典のお言葉をご紹介くださりありがとうございます。
また、このたびはご忠告をありがとうございます。
縹さまへのお返事は別の板にさせていただきました。

合掌。

2830:2014/04/27(日) 18:48:17 ID:oeUx5MQw
聖典引用板の皆様へ
合掌 ありがとうございます

 書き込む板を間違えてしまい、ご迷惑をお掛けして、大変申し訳ございませんでした。
場所を移させて戴きました。 再拝

2834a hope:2014/05/02(金) 22:41:32 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第36巻 幸福生活篇 p75

『無礙の大道』
            


この実例でもわかりますように、われわれはどんな時でも失望してはいけないのであります。そのままそこがありがたいと、その場その場を生かす生き方――これが一番大事のことでありまして、常に「今」を生きるということが必要なのであります。生長の家の生き方は「今」を生かす生活だと言われています。今ここに生活が植えつけられている。この地球上に生命が植えつけられているということは何か意義のあることでなければならない。

この地上のここでなければ果たすことのできない使命があるために、今ここに生かされているのだと思って、今あるがままをできるだけ百パーセント生きるということ、これが大切です。ひっくりかえって躓(つまず)いておろうと怪我しておろうとどうしておろうと、その時そのままでなければ得られないところの一番いいものが与えられているということを知るのが無礙の大道を生きることであります。

そうすると病気も幸福であるし、災難も幸福である、どんな苦しみも、困難も、みんなその時でなければ得られないところのものがその時自分に得られているというのでありますから、そこにいっさいの呪いがなくなる。初めて天地一切のものと調和するということができるのであります。

「これは嫌い」「あれは嫌い」ということがなくなってしまうのです。これが嫌いであるとかあれが嫌いであるとかいうことがありましたら、天地一切のものと調和できていない証拠であります。そのまま、そこのありがたいことがわからないと災難がやって来ると悲しまなければならない。あるいは病気になるとやはり悲しまなければならない。あの人はわたしにこういう仕打ちをしたから憎いとか恨めしいとか思ったりして、心がひっかかって苦しまなければならないのです。

そこで引っかからない道というのは、今の時今あることが一番いいのだと知ることでありまして、それには自分に「注文」というものがあってはいけないのであります。「注文」を出すと、自分の注文以上のものが出てくると悲しくなる。われわれは常に自分の注文以上のものがすべてわれわれに与えられているのであります。われわれはこれから起ってくるいっさいのことをことごとく予想して注文するわけにはゆかないのであります。注文しないでも注文するより余計に善いものをわれわれは常に与えられているということまず知るのが、自由を得る知恵であります。

2835a hope:2014/05/02(金) 22:42:10 ID:cEpBaIdo
そういうふうになりますと、すべてのもの、美しいものはもちろん、醜いものでも、人が嫌うようなものでも、いやらしいものでも、みんなそのままでありがたいということになることができるのであります。そのままありがたいということになりましたら、不平も、不満足も、腹立ちも何もなくなってしまいまして、ただただありがたいばかりである。苦しめられてもそこに本当にありがたいものがあるのだ、こんなにまでして、わたしを鍛えてくださるのである、ああありがたいと、こう思えるようになるのであります。


こうして天地一切のものと和解し仲よしになったら、本当に感謝の念が湧いてくるのです。世間普通の人はいいことを与えられた時には、「こんなにまでしていただくのだ、ありがたい」こう思うのでありますけれども、生長の家の生き方はいいことでも悪いことでも、「こんなにしてまでわれわれに体験を積ませていただくのだ、ああありがたい」とこう思わなければならないのです。雨が降ってもありがたいし、天気でもありがたい。

ところが天気なら天気ということばかり把(つか)まえておりましたら、雨が降る時にはうるさい、うっとうしいというような小言がでてくるのであります。ところがまた百姓さんが旱魃(かんばつ)の時に、雨が欲しい欲しい、こう思って雨が欲しいということばかり把まえておりましたら、せっかくいい天気でみんながうららかな天気だと思って喜んでいる時に、自分だけは悲しまなければならないでありましょう。

形の世界では、同時に二つのことはできないことが多いのです。雨が降って太陽が美しく輝いて道が渇いているということはできませんから、人間はなんでもこういう形がほしいと一つの形を把まえたらもうだめです。把まえたらもう自由ではなくなり苦しくなるのです。何も把まえないで手放しになってしまって、引っかかりをみんな外してゆく生活になります時、本当に自由自在な幸福の生活というものを送ることができるのであります。

2837流氷:2014/05/09(金) 19:29:16 ID:DvxQpm5c

 人がどう思うかも知れぬと、そんなことばかり気にかけているようなことでは心の苦しみは絶えぬものだ。
自分がどの位愛したか、自分がどんな仕事をしたか、そればかりを考えるが好い。肉体の人間は誤解するものだとあれほど
言いきかしてある。肉体は念の集積で出来たレンズ又はプリズムであるから、人によって其の『眼鏡』は違うから、どんな光線でもみんな屈折して
見えるし、人によって屈折の仕方も違うのだ。三角のものも丸く見えるし、丸いものも三角に見える。深切で言ったつもりが悪意にとられたり、失敗って言った
言葉でおかげを受ける人もある。誰が何と思っても、それは迷いで屈折して色々に観るのであるから、ただ神に知られることだけを求めて人に知られようなどとは
思わぬが好い。人間の苦しみの一つの元は上べを飾りたい心である。
(昭和七年三月十五日執務中神示

 これは昭和七年五月号の『生長の家』誌の巻頭に発表されている神示である。特に「執務中神示」と但し書きが入っている。
まだ私がヴァキューム・オイル会社に勤務しながら『生長の家』誌を出していたころの神示である。何故「執務中」などという但し書きが入れてあるのか、
もう約三十年も前のことなので最初は充分思い出せなかったのであるが、やっと、こんなことであったろうと思い出したのである。執務中というのは、自宅で原稿を
とっていたときに、このような〝声なき声〟が聞えて来たものだということを想い起すのである。

 その頃私はヴァキューム・オイル会社で、随分いそがしい翻訳の仕事をしていた。それは宣伝部に属する仕事で、機械の構造を詳しく説明してそれにかかる圧力、その圧力に
対抗するための油の性質などが説明してあるPR用の菊二倍判の相当部厚いパンフレット(それは大冊であって、テクニカル・ブレティンと言っていた)の翻訳をする、
そしてそれを印刷屋に注文して日本語訳の同じ大きさの同じ頁数の冊子をつくるのであった。その会社は宣伝部と技術部とが対立していて仲が悪く、宣伝部で翻訳したものが技術的に見て
間違ってでもいるものなら技術部から公けに集中攻撃を受けて大変なことが起るのである。

 技術に関する文章の間違を技術部の人が指摘するので、問題は一層複雑だったのである。
私の前任者は、翻訳そのものの誤りではなく、〝弊社〟とあるべき印刷物が〝幣社〟となっていたので、技術部の誰かが「吾社は油の会社であるのに、幣社すなわち紙の会社と翻訳している、こんな出鱈目な
翻訳をする者は信頼できないではありませんか」と言って英国人の総支配人に投書したために、英国人には、その誤植の経路がわからないために大変な誤訳をする翻訳者だと思われて、馘になったのである。

 その後任にやとわれたのが関東大震災後、郷里に帰っていた私であるから、単に翻訳だけでなく、校正なども余程注意しなければならないので、私は殆ど逐語訳のように完全に訳して原書と翻訳書をつかわねば文字が行にある位に
精確精密に翻訳をしたものだった。それは大変神経をつかはねばならなかった仕事であった。そのために私は殆ど神経衰弱のようになって、眼をつぶっても、校正中の印刷物の文字が空中で踊るのが幻想されるほどになっていたのである。
そのような肉体のピンチの中で、私は、使命感をもって『生長の家』の雑誌を書きはじめたのであった。
すると却って私の健康は増進し、神経衰弱の状態は消えて往った。しかし会社の仕事と、雑誌発行の仕事との二重生活をやっているので、
時間的に無理があった。徹夜して原稿を書くことも多かった。

 私の会社の仕事は、そんな繁忙な仕事の一段落がすむと、次の仕事が来るまでに、片手間で出来る手紙の翻訳位のほかは閑な、何もしないで唯出勤していると
いうふうな時間に恵まれることもあった。そんな時に同僚の社員たちは、仕事がないのに、仕事をしているような顔をして、時間を無駄に過すのである。
 それは勤務時間中の自分のいのちは、会社に買いとられたものであるから、時間が余っていても、自分のために使ってはならないという遠慮があるらしいのである。
そんな時に私には、その卑屈さが耐えられなく不快に感じられるのである。
仕事がないなら、仕事をしている真似などしないで、もっと有益なことに時間を利用すればよいではないか。


後略

『到彼岸の神示』 神示講義・自覚の巻 谷口雅春先生著
(投稿者 現代字変更謹写 拝)

2839SAKURA:2014/05/11(日) 13:39:12 ID:IQVHvpPo
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こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…引用編】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行   (その1)
*========*【 各宗教に対する生長の家の立場 ―その11 ― 】*=======*=======* =======*=======*

あるいは神道の方が来られるとしますと、天照大御神といわれる神様は、たんなる有限
存在としてある過去の年代に、ある短い寿命をもって生れられ、今はすぐに在(いま)さずし
て、ただわれらの追憶を満足さすための記念としてお祀りしてあるというふうな、そうい
う短い寿命の神様だと思いなさんな。天照大御神とは高天原すなわち「光明遍照の実相
世界」に編満する万徳円満の大光明である、その万徳から一切の生物が生まれ出た。しか
し、動植物はその万徳の一部分を表現しているにすぎない。その万徳を完全に体現し
て生まれ出たのが人間である。だから人間の男性を日子といい、女性を日女という。だが
ら人間は神の全徳の最高顕現として実に尊いのであって、その元の大元の大きな生き通し
の編満十全の御徳、これが、天照大神様である。たんなる、過去の存在ではない、たん
に過去の存在を記念するためにのみ祭祀し、奉るというようなそんな小さな神様ではない。

本当に今もありありと生き通して、久遠の昔から今に至るまでありありと生き通しておら
れ、われわれに生命を幸延えたまい、われわれの生命を生かしていられるところの天地編
満の無限の天照、無限の生命の根源が、天照大御神様である。この親神様の全徳の天体的
表現が太陽である。われわれは太陽に生かされているのである。われらが神の子という
のは親神様の尊い生命の流れを受けて親子関係にあることであう、と申し上げる。つまりど
の宗教の方が来られても、もっともっとその宗教の奥へ這入りなさい、大変あなたの
宗教は結構であります、こう申し上げてすべての宗教を生かすのであります。

                         つづく
PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」へ
■【生長の家…真理】は、本当に“万国共通”のモノなのですョネ!!そして…現在まで、私自身
そのように、解釈していたわけなのです。…が?
今回!この頃では「3代目の総裁先生」の指導から〜〜〜特別!最近“頭”がオカシクなっているのです。

「現総裁の教え」の基本は、簡単な?素朴な?思考の【アラブの原理主義】に似ているようですかと?
どうしても思えて仕方がありません。

毎日!毎日!通勤の途中に『金光教の建物…・』があり、毎月!掲示板が…門の入口には、
【毎月の言葉】が貼っており、それを購読してみますと、さわやかな気分〜♫ そう!何となくそうなのョネ!
…と!一人でハミングしているので〜〜〜す。

そう!創立者「谷口雅春先生の教え」と同じ【解・釈】で、当時の昔の言葉からでも…
❤に伝わるモノがありますから、本当に【真・理・は一・つ】と思えるのです。
そして、フト!振り返った時に「そこの団体に、入信すれば?いいじゃないの〜〜♫…」と、誰かが?
耳元に…囁きかけるのです。ほほを…心地よい風が…その時「私は、そう〜〜〜ョネ」…
「でも、亡き両親が【生長の家…信者】でありましたし、素朴に!素直に!【信・仰】された事を…」
現在の私は、いろいろ考えて…やはり聞きなれた「お経」が一番!と「亡き母」が伝えてきます。
私も、そう〜〜〜そうなの〜〜〜このように思えるのです。

■さて現在の【生長の家の幹部理事】は、失礼ながら?まず「2世の信者の皆様」モット別の表現ですが…
「創立者 雅春先生時代からの2世の信者」が〜〜〜果たして【役・職】になられていないようですかと。
ですから?ある面…【本当の真理】は、何処までなのでしょうか??

■ダン!ダン!〜〜〜ダン!ダン!〜〜〜【ちゃんぽん】に見えて参り〜♫〜 複雑なる気分ですネ!

                  (その2)に…続く

2840SAKURA:2014/05/11(日) 13:45:34 ID:IQVHvpPo
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…引用編】
>>2809>>2812>>2820>>2821>>2827>>2839 の投稿の続きです….。
■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  (その2)
*========*【 各宗教に対する生長の家の立場 ―その11 ― 】*=======*=======* =======*=======*

■□ 話は元に戻りますが…・…・
先程の「現総裁先生」の【基・本…は、原・理・主・義】といいましたのは、
全てにおきましての【言・葉】から〜〜〜
■しょうがない!しょうがない!神のお導き〜〜〜アラーのお導き〜〜〜と…
そのような言葉が、この頃では「連続的」に記載投稿されております。

■なぜ!なぜ!「しょうがな〜〜〜い」と、いいます“表現”が多いのかしら〜〜〜ン!と…
思っていましたら、「或る書籍本」に?
【アラビアロレンスの影響】で…云々…この方はの体験を、記載投稿させて頂きます。

>>私はロレンスのすすめに従い、アラビア人ともに住むことにした。今の私は、そうし
て良かったと思っている。彼らアラビア人は、悩みを克服する方法を私に教えてくれた。
略〜〜〜私がサハラ砂漠に住んでいた時に経験したシロッコという猛烈な熱風の話をしよう。
この熱風は三日三晩ものすごい勢いで吹き荒れた。あまりに強烈をきわめたので、サハラ砂漠
は遠く地中海を隔てて数百キロの彼方にあるフランスのローヌ川流域を真っ白に染めたほどだった。
風の熱気も強烈をきわめ、頭髪が焼け落ちるのではないかと思った。のどは焼けつき、目は燃えた。
歯の間には砂がいっぱいたまった。まるでガラス工場の炉の前に立っているような感じであった。
私はもう少しで気が狂うところで」あった。しかし。アラビア人は決して不平を言わなかった。

彼らは肩をすくめて言った、「メクトウブ!」……「すでに書かれている」と。けれども嵐が
収まると、彼らはすぐに活動を開始した。まず小羊をすべて殺した。いずれにしても死ぬことを
知っていたからだ。即刻小羊を殺すことによって、母羊を救おうと考えたのだ。そして小羊を
殺し終わると、羊の群れを南の水場へと誘導していった。彼らは自分たちの受けた被害を悔やむ
でもなく、何の不平も悩みもない様子で、静かにこれを実行したのであった。
■アラビア人の族長は言った。「まぁまぁだね。一切合切を失うところだったのに神のおかげで、
四割の羊が残ったのだから、また新しく出直しさ」
また、こんな出来事もあった。自動車でサハラ砂漠を横断中、タイヤがパンクしてしまった。
運転手はスペア・タイヤの修理を忘れていた。それで、我々は三つのタイヤしか使えないことになった。
私はジリジリし、興奮して、いったいどうするつもりかとアラビア人に尋ねた。すると彼らは、興奮
したところで何にもならない、いったいどうするつもりかとアラビア人に尋ねた。すると彼らは、
興奮したところで何にもならない、一層暑くなるばかりだ、タイヤがパンクしたのは、アラーの神の
思し召しであるから、どうにもならないと言うのだ。そこで、我々はタイヤを外し」、リムのまま
地を這うようにして進みはじめた。やがて車が動かなくなった。ガソリンは切れたのだ。族長は
「メクトウブ!」と言っただった。そして」、またしても皆は、十分にガソリンを入れてこなかった
運転手を非難せずに、相変わらず静かな態度で、歌を歌いながら目的地へと歩いていったのだ。<<

■ 上記のように【D・カ−ネギ−】の書籍から……実は、投稿させて頂きましたのです…。
「閲覧者」の皆様の中では…この【 D・カ−ネギ− 】の投稿言葉の中には?
どのように受け止められましたでしょうか?
ところで【 D・カ−ネギ−】自身、最終的には…全てはイイとは限らないが…
【避けようもない事態に対して愉快に服従する】……この様な内容の記載がありましたが…
「現総裁先生」も【原理主義…しょうがない!しょうがない】という事の解釈論になりますでしょうか?

唯!アラブの於かれた環境と…現状の国内日本の環境とは…異なるように思います…。
この【原理主義…解釈論】でいきますと
「総裁先生の捉え方」は?――>本部職員(召使い)−−>信者(奴隷)
この様に見られているのでしょうか???そうしますと、これが【幹部役員もトップに見習え…】
この様な捉え方となりますと…実に!複雑なる思いでありますネ!!!

■【 あの素晴らし〜〜〜イ! 真理は何処へ〜〜〜飛んでいったの? 】 フ〜〜〜ゥ!再合掌

2841a hope:2014/05/13(火) 08:25:15 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第13巻 p66〜67

倫理の基礎としての人格の自由

「愛行生活も、物質的環境が逆らえば不幸な実際生活を生む」とか、愛行の生活と物質の法則とが相衝突する時、愛行の生活が、物質の法則に打ち破られ、悲惨に打ち挫(ひし)がれて、惨々に叩き据えられてしまうということになりますと、人間は外界から押し寄せる物質的盲目的力に左右されているということになりますので、本当の自由は得られないということになります。

「行為者の本当の自由」というものが確立しなければ、人格的行為というものは成り立たないのであります。人格的行為というものが成り立たず、機械的行為というものならば善も悪もないのであります。

心だけ正しければ、外界はその心のとおりに現れなくとも「善」である。人格の自由というものは「心だけの自由」のことであって、外界の自由ということではないというようなことになれば、内外一貫した人間の道徳的自由というものは存在しなくなり、自由といい善というのはひっきょう、心の中ではかなく描かれた空想にすぎないということになります。それでは人間の「善」というものは本当には成り立たない。現実には成り立たないということになります。

ところが、われわれが外界にも生きて行く上に「善」を云為(うんい)し、魂が一種の善(ただ)しさを要求し、「善」とか、「人道」とか、「愛」とか、「憐憫」とかいうものに関心をもたずにいられないというのは、自己の存在の根底において、われわれは内界において自由であるとともに、外界においても自由であるとの根本自覚をもっているからであります。

『創世記』の第一章に、その作者が霊感によって人間の本性を描いて、人間は神の像(すがた)に創造(つく)られ、すべてのものを支配する権能(けんのう)を与えられていると説いているように、われわれはいっさいのものを外界をも完全に支配する自由を与えられているのであります。

外界と内界とを対立させて、善なる主体が悪なる客観に働きかけるというような考えをしている限りにおいては、人間には内外両面相(あい)貫いた自由さはない、内外両面相貫いた本当の自由のないところには、内外両面相貫いた善というものは存在しないということになり、そこにはただ「空想だけの善」が、現実生活では惨めに「踏み躙(にじ)られた善」しか存在しないことになります。

だから、人の世に内外両面、主客相(あい)貫いた「善」というものの価値と権威を確立するには、心の自由は同時に行為の自由であり、心に描かれたことは必ず客観世界にも実現する、心の世界と客観世界とはただ一つのものの両面である――客観世界は心の世界の影であるという、「生長の家」の所説に基づいてこなければならない。

倫理学は要するに、「生長の家」に来なければ主客両面、内外相貫いたその本当の根拠がつかめないということになるのであります。

2842SAKURA:2014/05/13(火) 20:03:58 ID:3/pn4/Pc
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こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…引用編】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  
*========*【 各宗教に対する生長の家の立場 ―その12 ― 】*=======*=======* =======*=======*
あるいは金光教の方が来られると、金光教の神様は天地金の神といわれる神様である。
天地金の神というと、金の字がついているから、拝んだら金でも儲かる神様である、こう
いうぐあいに思って、御利益信心で詣っておられるような人もあるけれども、そんな“けち”
な神様がこの金光教の神様ではない。金の神というのは「金剛不滅の実相の神様」というこ
とである。天地編満の金剛不壊実相の神様、これが金光教の天地金の神であります。その
金の神という名前がついているから、どうぞ金を儲けさしてくださいなんて、頼む奴には
金を儲けさして、頼まぬ奴には儲けさせぬ、そういう依怙贔屓のあるような神様が金光教
の神様ではない。金光教の神様は、金光教祖がいわれたように「頼まいでもおかげはやっ
てある」こういわれる。これは面白い言葉である。頼まいでもお陰はやってある――これ
は「生長の家」の教えと同じことであります。すでにわれわれは神の子として、無限者の後
継ぎとして神の命じ給えるいっさいのものを与えられているのである。いっさいのものを
与えられているのであるから、「頼まいでもおかげはやってある」とこういううぐあいに金光
教祖はその御理解の中で説いておられるのであります。「たのまいでもおかげはやってあ
る」――それをまちがえて、どうぞ金を儲けさしてくださいと、頼みに行く先が金光教の
神様であるように思ったりしていては教祖が嘆かれる、あんたの宗教の本来の教えはよ
いのだけれども、取りようがまちがっている、だからもっともっと金光教の奥深く這入っ
てゆきなさい。こういうふうに申し上げるのであります。金光教の教えは実によい教えで
ありまして、「神は宮の中におらぬから、わたしを拝みたければ外へ出て拝め」というふ
うな徹底した教祖の御理解もあります。それにもかかわらず立派なお宮をこしらえて、そ
うして蝦で鯛を釣るつもりで、わずかなお賽銭を上げて金を儲けさせてもらおうと思って
拝んだりしている者があるから先般のような金光教の大騒動が起こってくるということに
なる。あれは金光教祖の教えではない。金光教祖の教えは実に立派な教えである。神は宮
の中におらぬ。天地編満の金剛不壊実相の神様がお宮の中に、物質という箱の中に入っ
て、そうしてお賽銭を貰って、お賽銭の多寡によって御利益に大小があるなんて、そんな
馬鹿なことがあるはずない。それをちゃんと金光教祖は喝破しておられたのでありま
す。だから「頼まいでもお陰はやってある」とか「疑いを離れて見よ、われらは神徳の中
に生かされてあり」とか言っておられるのであります。われわれは神徳の中に今、このま
ま生かされているものを、眼をつぶってまだ貰っていないようなきがしておる、そうして
どうぞお陰を与えてください。どうぞお陰を与えてください、こういうぐあいにいってい
るのです。だから、金光教祖は「疑いを離れて広き大道を開き見よ、われらは神徳の中に
生かされてあり」と喝破しておられるのであります。
                       つづく
Ps:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
出勤途中に、【金・光・教】の伝言板に…毎月の言葉が掲示されています…。
確かに…私の心の中に〜〜〜ス〜〜トン!…と入って来ます。
その後!心…心そのモノが、軽〜〜くなり?足取りも?リズム〜♫が出来るので納得でしょうか??
本当に【真理】を理解するにしても、間違った捉え方での行動は、どうなんでしょうか??

2843a hope:2014/05/14(水) 09:07:36 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第13巻 p67〜71

「善」の一般的要素

倫理の基礎として「人格の自由」ということが確立せられましたら、ついでにその自由の主体たる人格が何をなすか、人として善であるか悪であるかの問題に移らねばならない順序となるのであります。

われわれは子供の時から善と悪との区別を教えられているので、善とはなんぞや、悪とはなんぞやということは誰でも知っているはずでありますが、さて、ひとかどの成人に対(むか)って「人のある心または行為が善と認められる要素はなんであるか、またそれが悪と認められる要素はなんであるか」と尋ねますと、ちょっと返事に困るでありましょう。

では「善とは何?」「悪とは何?」これを「生長の家」の倫理学で解説しますとなんでもないのであります。「生長の家」で申しますと、善というものは固定した「律」ではないのであります。善の確立する根本原理は、

唯一の「善」は神のみである。

ということであります。「善(グッド)」は「神(ゴッド)」の別名なのであります。「神」のいます処、そこに、「善」があり、「神」のいまさない処、そこに「善」がないということになるのであります。

「生長の家」で申しますところの神とは、すべてのものの創造主(つくりぬし)であります。言い換えれば、神があらわれてすべてのものとなったのであります。だからすべてのものは、神において一体なのであります。すなわち「創造(せいちょう)の宇宙(いえ)」においては神はその御親(みおや)であり、すべてのものは、その御親より出でたる御子(みこ)であります。すべてのものは、御親の生命の分化でありまして、神において一体なのであります。

自と他と、我と彼と、心と物と相離れているように見えますけれども、実は相離れているのではない、本来、自他一体なのであります。神を愛するには、神と、神より出でたるものすべてを愛さなければならない。それで、『マタイ伝』二十二章にもイエスの言葉としてこう書いてあります。

「一人(ひとり)の教法師、イエスを試むるために問う『師よ、律法(おきて)のうち、いずれの誡(いまし)めが大なるか』イエス言い給う『なんじ心を尽(つく)し、精神を尽し、思いを尽して主なるなんじの神を愛すべし。これ大にして第一の誡なり、第二もまたこれにひとし、おのれの如く、なんじの隣(となり)を愛すべし。律法(おきて)全体と預言者とはこの二つの誡によるなり』」(『マタイ伝』第二十二章三十五―四十節)

2844a hope:2014/05/14(水) 09:09:09 ID:cEpBaIdo
>>2843つづき)
パウロもまた『ロマ書』の中で、

「汝等(なんじら)互いに愛を負うのほか何をも人に負うな。人を愛する者は律法を全うするなり。それ『姦淫(かんいん)する勿(なか)れ、殺すなかれ、盗むなかれ、貪(むさぼ)るなかれ』と云える、この他なお誡命(いましめ)ありとも『おのれの如く隣(となり)を愛すべし』と云う言葉の中にみな籠るなり。」(『ロマ書』第十三章八―九節)

「兄弟よ、汝らの召されたるは自由を与えられんためなり。ただ其の自由を肉に従う機会となさず、反(かえ)って愛をもて互いに事(つか)えよ。その律法(おきて)の全体は『おのれの如く、なんじの隣を愛すべし』との一言(げん)にて全うせらるるなり。」(『ガラテヤ書』第五章十三―十四節)

といっています。

「愛」のうちにこそいっさいの人倫は含まれているのであります。イエスは、その弟子のパウロに、「おのれのごとく、なんじの隣を愛すべし」と申しましたが、「生長の家」では「自他一体なるがゆえに、なんじの隣を愛すべし」と申しましたが、「生長の家」では「自他一体なるがゆえに、なんじの隣を愛すべし」というのであります。他をおのれのごとく愛するのではまだ足りない。自己と他とは一体なるがゆえに、自己はすなわち他なるがゆえに自己を愛するということは、必然他をも同時に愛しなければならないのであります。

使徒ヨハネは、

「愛する者よ、われら互に相(あい)愛すべし、愛は神より出ず、おおよそ愛ある者は、神より生まれ、神を知るなり。愛なき者は神を知らず、神は愛なればなり。」(『ヨハネ第一書(だいちのふみ)』第四章七―八節)

といっているのであります。「神は愛である」とは、『ヨハネ第一書』以来今日にいたるまで、神について下された最も要領を得た定義であります。では愛とは?「おのれのごとく隣人を愛すべし」何故(なにゆえ)であるか。答えて曰く、神はすべての親であるから、自己と他とは一体であるから、その答えは大いによろしい。自他包容の渾一体(こんいったい)――すなわち「自他一体」そのものが神なのであります。自他一体を生きるということが神を生きるということ、神をこの世に顕現することであります。

自他一体を生きることが神を生きることになるのでありますから、軽くいえば自己のごとく他を愛する。いっそう切実にいえば自己そのものとして他を愛することが、神を生きることになるのでありまして、「神を生きる」すなわち永遠価値の生活を生きることは「愛」を生きることにほかならないのであります。

2846a hope:2014/05/15(木) 09:17:46 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第13巻 p71〜72

「神を愛なり」とは何を意味するか

「神は愛なり」とヨハネは申しました。有島武雄氏は「惜しみなく愛は奪う」と申しました。これは愛とは一体と感ずる、換言すれば「自己のものとして観る」ということであります。「神は愛なり」とは、神は万物の本源でありますから、「神はすべてのものを自己そのものとして観給う」――これが「神は愛なり」という意義であります。

「われわが子を愛す」といえば、「われそのものとして観る」ということであります。子を愛する母は、わが子の噛んだものを口移しに食べても「穢(きたな)い」と感じない、それはわが子をわれそのものとして観るからであります。「穢い」などという感じ、すべての軽蔑の感じは自と他と相疎隔した感じによって起るのであります。

われわれは口中に常に若干の唾液を持っているものでありますが、その唾液を穢いともいやらしいとも感じたことがない、それはその唾液を「自己」そのものとして感じているからであります。いったんその唾液を吐き出して自分と離れた所に置きますと、もうその唾液は穢くて再び自分の口へ入れる気にはなれますまい。これは自己と離れているという感覚的印象に従って、自分と離れた感じ「穢い」という感じを起こさせるのであります。

また、もう一つ例をいえば、われわれは常に自己の腸管内に多少の糞便を溜めているのでありますが、それを誰も穢いと思ったものはない、また糞便があるということを知らぬのでもない、しかし穢いとは思わない、これは自己の腸管内にあるうちは糞便をも自己そのものの一部として観じているからであって、ひとたび体外に排出して、自己と離れた感じを受けるに到れば、その糞便は「穢い」として感じられてくるのであります。

こういうように、どんなものでも「自己そのものとして感ずる」ときには穢いとは感じないのであります。「美とはそこに生命があらわれていることである」と『智慧の言葉』にありますが、ある種の美術はちょっと見るとどこが美しいのかわからない、じっと見ていると美しさがわかってくる、それはその美術に顕れている「生命」を見いだし、その「生命」を自分の「生命」と同じものとして感じる、すなわち自他一体の感じを受けるから「美しい」と感ずるのであります。だから「美」も「愛」も「生長の家」から観れば同じことでありまして、自己と同じ生命を見出すとき、そこに美を感じ愛を観ずるのであります。

2847a hope:2014/05/15(木) 09:19:40 ID:cEpBaIdo
>>2846 訂正
「神【を】愛なり」とは何を意味するか→「神【は】愛なり」とは何を意味するか

2848SAKURA:2014/05/15(木) 20:03:22 ID:3/pn4/Pc
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>>2809>>2812>>2820>>2821>>2827>>2839>>2840>>2842の投稿の続きです….。
■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  
*========*【 各宗教に対する生長の家の立場 ―その13 ― 】*=======*=======* =======*=======*

 それからまた、たとえば天理教の方が来られますと、天理教はたいへん結構な教えで
す、こう申し上げる。天理王命といわれる神様はこれは天地の理法が神様として人格化
して顕われられたものである。これはたいへん結構な神様である。生長の家でもやはり天
理教のように『心の法則』ということを説いている。天理教の教えは、生長の家でいう「心
の法則」、仏教でいう因果の法則を「理」として取り扱ったもので、一方にはやはり人間本
来神の子であって、完全な水晶球のような汚れない霊(みたま)である、それにちょいと塵がつい
ただけである、こういうぐあいに天理教祖の「筆さき」の中に書いてあります。天理教
祖の「筆さき」の主なる解釈は『生命の実相』全集「萬教歸一篇」の中に書いておきましたか
ら見てくださればいいのでありますが、要するに、天理教も実に立派な教えである。そん
な立派な教えを本当に立派なものにしないで、取りようがまちがって、そうしてもっとも
っと一段と低いものに変えてしまった、それが気の毒である。それで生長の家では天理教
をわるくいわない。天理教は実に立派な教えだが、あなたが今思っているようなそんな下
らない迷信的分子のあるものだと思いなさんな、もっと教えの本体を見て立派なものだと
思いなさい。金を持ってこなければ御利益をやらぬぞ、そんなけちを言うような教会宗
教だと思いなさんな。こういうぐあいに申し上げるのであります。

                      つづく

2849a hope:2014/05/16(金) 09:20:48 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第13巻 p73〜76

「神を愛する」とは神と一体と感ずること

「神は愛なり」「愛の感じは自他一体の感じである」といたしますと、愛の反対は自他疎隔の感じであります。自他疎隔することは、すべてなんに対しても吐き捨てた唾液のように、「あれは自分自身ではない」という感じを持つことであります。

われわれ「生長の家」の家族が「神と一体である、神の子である、神と同体である」と申しますと、「人間が神の子であってたまるものか、人間と神と一体であるとは不遜なことをいう。神は人間の主(しゅ)であり人間は神の僕(しもべ)にすぎない」といって、われわれが「神と一体である」ということを大変謙遜でないといって攻撃される人がありますが、特にそういう攻撃をされる人がキリスト信者に多いのでありますが、キリスト教の開祖はなんといったかといいますと、

「なんじ心を尽し、精神を尽し、思いを尽して主なる汝の神を愛すべし。これ大にして第一の誡(いましめ)めなり。」(『マタイ伝』第二十二章三十七 ― 三十八)

といっているのであります。ここに「主なる」とあるのは、僕(しもべ)に対する主人のような疎隔した意味でいっているのではなく、至高者(いとたかきもの)というような意味の形容でなければならない。だからこれは「いと高きなんじの神を愛すべし、これ大にして第一の誡めなり」という意味であります。

2850a hope:2014/05/16(金) 09:22:32 ID:cEpBaIdo
>>2849つづき) 

では「神を愛する」とはなんであるかと申しますと、「愛する」とは自己と一体として認めることであるという一般定義に従いますと、「神を愛する」とは神と一体であると認めることをもって第一とするのであります。妻を愛するとは妻と一体であると認めること、子を愛するとは子と一体であると認めること、隣人を愛するとは隣人と一体であると認めること、この「一体であると認める」すなわち愛するということが第一であっていろいろの律法――「殺すなかれ」とか、「盗むなかれ」とか「姦淫するなかれ」とか、「偽りの誓いを立つるなかれ」とかいういろいろの外形的な細目は、「神と一体であると認める」(すなわち「神を愛する」)という中心自覚とがととのえば自然にととのってくることなのであります。

「われ神と一体である」との中心自覚がととのわねば、神を愛しようと努力しても本当に神を愛することはできないのであります。それはちょうど、子を愛しようと努力しても、「その子は本当に自分の実子である。自分とこの子は一体である」という自覚ができねば、本当に愛することができないのでありまして、「この子は継子(ままこ)である、自分の生命はこの子につながってはいない、この子の生命と自分の生命とは一体でない」と自覚しているようなことでは、いかに愛しようと努めても愛することはできるものではない。

それで「神を愛する」ということでも同じことであって、本当に「神を愛する」ためには、「神とわれとは一体である」との中心自覚がなければならないのであります。これを神と人間とを主人と僕婢(ぼくひ)の関係に見立てて、「神を愛しなければ叱られる、罰せられる」と思って愛しようと努力し、愛したと同じ行いを、外に顕わしたにしましても、それは努力して「愛する外形を真似た」というだけであって、 本当に「神を愛した」ということにならない。

2851a hope:2014/05/16(金) 09:25:27 ID:cEpBaIdo
>>2850 つつき)
では神を愛するとは、「自分が神の子である。神の子である神の生命とは一体である」なお、極言するならば、「自分は神そのものである」との中心自覚がととのってこそわれらは完全に神を愛しうるのであります。この中心自覚がととのわないで「神を愛する」などということは、たとえば「継子を愛する」のと同様、自分と一体でない生命を愛しようといういたずらな努力の愛になってしまって、本当に完全に愛することはできないのであります。

だからわれわれの目指すべき中心善はなんであるかといいますと、イエスの口調を借りていえば、「なんじら、まず神と一体であることを認めよ、これ大にして第一の誡命(いましめ)なり。この中心善を認めよ、すべての善はおのずからなんじに調うべし」であります。われらが、「神と一体である」と認めることが決して神を冒涜するゆえんにあらず、かえって、「神と一体であると認めないことが神を愛しないことになることがわかったでありましょう。

わたしはこの序論の冒頭に、「人生の目的とは、要するにこの世の神の生命を顕現することにある。神がこの世にあらわれた生活を示現(じげん)することである」と書きましたが、われわれがその本来相において「神と一体である」という事実を肯定しなければ、われらはこの世に神の生命を顕現することもできず、神がこの世にあらわれた生活を示現することもできないのであります。

ただ、神なるもののみ、神なる生命をこの世に示現することができるのであります。本来、人が神でないならばいくら努力しても神の生命をこの世に示現することはできない。そして「神」のみが「善」であるから、本来、神でない人間がもしありとすれば、彼らはいつまでも善に到達することはできないということになるのであります。

ところが幸いに、人間は本来神の子であり、その本性において神そのものであるがゆえに、「本当の人間(リーアル・マン)」が生活されたならば、そこに「神がこの世にあらわれたことになり、神なる生命がこの世に示現した」ことになるのであります。

2853SAKURA:2014/05/16(金) 21:52:16 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…引用編】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  
*========*【 各宗教に対する生長の家の立場 ―その14 ― 】*=======*=======* =======*=======*

 「生長の家」へも時々天理教から、病気が癒らぬので治してほしいといって来られて、うったえ
られるのです。わたしは「あなたは天理教で心の持ち方を教えてもらったでしょう。

そのとおりの心の持ち方になれば、三界は唯心の所現ですから治るんですよ」と申し上げると、
「運びが足らぬと天理教の先生がおっしゃいました」と、こういうふうなことをよくいわれるのです。
天理教布教師はなんのつもりで、なんの運びのつもりで言われたのか知りませぬけれども、その人が
言われるには、「あまり運んでおると財産も何もなくなってしまいますので、もうとうていやりきれぬ
というのでやめにしました」と言われるのです。

ところが天理教の布教師が、「あなたは運びが足らぬ。何もかも神様に上げてしまいなさい。
そしたらあなたは救われるのだ」とこういうぐあいにいわれるのは、それは真理なのです。
「運びが足らぬ」というのは心の運びが足らぬのです。心がスッカリと転向していないのです。

「何もかも神様に上げてしまいなさい」ということは、要するに、「何もかも、神の他のものは何
もないということを知りなさい」ということなのです。われわれが百万円の金を持っているとして、
何もかも神様にお上げしようと思って、百万円すっかり上げたってまだ何もかも上げたということには
ならない。やはり着物も着ているし、肉体も持っているし、いろいろ茶碗と箸ぐらいは持っている。

それをみな、肉体のみんな上げなさいと言ったって、それはできることじゃないこととなってしまう。
では「みんな何もかも神様に上げてしまいなさい」ということはどういうことかというと、これは自覚(さとり)である。自覚の転換である。今までは「そこらにあるものは自分のものだ」と思っておったのだが、
「何もかも上げてしまいなさい」とこういいうふうにいわれて「本当に全部上げてしまった」と
いうことになると、今ここにこのままいながら、自分というものは何も無い、本来無一物、ただ神
だけがあり、神のものだけがある。この体も、生命も神のものであるということが覚れる。こいつ
が肝腎なんです。この自分の生きている生命も神のものである。
そうすると、言い換えると自分すら神のものだということになるのであります。

いろいろと財産を持ち運んで行ってその報酬に御利益を貰うのではないのです。自分が今このまま
神のものである。神のほかに何ものない、神のみが実在である。この自覚こそすべての持ち物をみな
神様に上げてしまうということなのです。
                           つづく
PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
>>「運びが足らぬ」というのは心の運びが足らぬのです。心がスッカリと転向していないのです。<<
そうですョネ!!

『心…』がもしかして“曇り空”になれば…それは「神よりも悪魔…」の
しわざかしら〜〜〜ン?? そこで、本当に【神地一体】とは、神に振り向ける…つまり!
『心の往復切符…それは“幸福の切符”』でしょうかと??
モ〜〜〜ゥ!何もかも委ねるそうですョネ!!神に任せ切る“心”なんです…ネ!…
「三界は唯心の所現」は、【心・の・法・則】の基本なのです〜〜〜ョネ!!
現在!私は、現象=>実相に映る過程の道…「神に任せる…心を神様に振り向ける心」これが、
今の私たちの“今”生きる事とは「神様に任せ切る心…」
この事を認識することが出来まして…本当に「神様に委ねる…甘えて行く事」なんです〜〜〜ネ!! 
【 再・発・見!!再・認・識 】 この【気づき】に感謝いたします…。   再合掌

2854a hope:2014/05/16(金) 23:07:16 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第13巻 p125

第五章 実相を隠蔽する驕慢と自卑

第一の神性隠蔽(罪)としては「神我一体」の実相を包んで見ざること、第二の神性隠蔽としては「自他一体」の実相を隠して見ざること、第三の隠蔽としては「隠蔽(つみ)の隠蔽(いんぺい)として自己弁解すること、第四の隠蔽としては外界がただ自心の展開なる事実を観ず悟らず、外界をもって自分に対立するところの有限の世界だとして観じ、自心の整理を先にせず、物に執し物を奪い合わんがために、兄弟と相争い――ここにこれら四つの根本的神性隠蔽が相寄り相混じて、種々なる罪を構成するにいたるのであることは、前節までにおいて詳細説明せるところであります。

「物あり」と思うがゆえに、物に執着し迷うのであります。「物」が自心の展開であるということが判れば、自心を整えるよりほかに物を得る道はないので執着が破れてしまうのであります。

「自他一体」の事実が悟れないゆえに、利己主義が生じ、利己主義が、「物あり」という迷いと混合して、貪欲、怒り、憎み、嫉妬、虚栄などの諸罪を構成するのであります。・・・

2855a hope:2014/05/18(日) 10:12:31 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第13巻 p82

宗教争いは偶像崇拝より起こる

物質的な形あるものを礼拝の的にするようになりますと、物質的な形あるものは有限でありますから、ここまでは自分の領分であって、お前の領分ではないというような争いができてくるのであります。人間を和合させる働きをせねばならぬ宗教でさえも、肉体キリストという物質的顕現に捉えられていましては、顕現せられましたそれぞれの応身または報身は異なりますから、互に信者争い、領分争いをしなければならぬようになってくるのは当然であります。

その宗教が偶像崇拝教である程度は他教を排斥する程度でわかるのであります。

つまり、すべての争いの第一の萌芽(ほうが)は、物質的な形あるものを崇拝すること――すなわち偶像崇拝――よりくるものであります。

すなわち「すべての罪のうち最も重きものはなんであるか」と問う人がありますならば、「偶像崇拝をもってその第一とす」と「生長の家倫理学」は答えるのであります。

キリストでもこれを肉体イエスという「物質的形体」に見いださず、「アブラハムの生まれぬ前よりわれは在り」といわれた「永遠神性」にこれを見いだし、仏でもこれを肉体釈迦に見いださず、「過去の諸仏は皆わが弟子なり」と阿難答えた「久遠の釈迦」に見いだし、「生長の家」でもこれを肉体谷口の家に見いださず「すべての教えわれに流れ入りて生命を得ん」と示された「久遠実在の生長の家」に見いだすとき、すべての教えは、ここからあすこまでは自分の領分だなどという縄張り争いをする必要がなくなるのであります。

2856SAKURA:2014/05/18(日) 19:32:11 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…引用編】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  
*========*【 各宗教に対する生長の家の立場 ―その15 ― 】*=======*=======* =======*=======*

■「われのもの」であると思っているが、その「われ」というものすら無いものだとすっかり何も無く
なってしまって、もう“神様だけである”、神様のみが実在である。

ここに神様がいる、あるいは親兄弟姑さんとか、意地悪の小姑さんとかがいるとしても、そんな悪いよ
うに見えるものは、アルように見えても何もない。みんな神である、神以外のもは一つもない。そうい
うことがわかるのが「みんな神様に上げてしまいなさい」ということである。

存在のすべてを神に託したのですから、みんな神に献げたことになる。所有財産中の一部の百万円や、
五百万円や、財産残らず持って行ってもそんなことでは全部を神様に献げたことにならない、そんな
不徹底なやり方ではいけないのです。もう生きているこの生命の元さえも少しも残るところもなく全
部神様に上げる。そしてここに「神だけがある」というふうにしなさい。

これが本当に全部神様に捧げるということであります。こういうふうに説いてあげますから天理教の
信者たちも、あの自分の信じた天理教はそんなに立派な教えであったのか、と喜んでお帰りになるの
であります。

天理教もこう見てくると実に立派なものである。仏教の極地の「ただ実相のみがある」という仏教の
極地と天理教の極地とは実にぴたりと一つになれる。
天理教を病気だけ治してもらう宗教だと思って病気を治してもらうことばかりを思うのはまちがいで
ある。もっとあんたは自分の信ずる宗教を立派な宗教と思いなさい、と、信者自身が思っていりより
ずっと立派なものであると、おう称えてあげるのが生長の家であります。宗教というものは、ずっと
その奥堂へ入ってゆくと、こういうふうに実相の世界へ入ってゆく、実相の世界とは先刻申しました
おり、「生長の家」でありますから、天理教は天理教のままで生長の家に入れ、仏教は仏教のままで
神道のままでみんな生長の家に入れるのです。

それで、聖書にも「父の国には住居多し」と書いてある。

つまり、生長の家は、アパートみたようなもので、天理教の住まう家もあれば仏教の住まう家もあると、
まぁこういうふうな一切包容の「家」であります。

                       つづく
PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
分かりやすく説いてくださっています。
【神に全托なさる事】とは、もう【無限供給の門】を一歩踏み出した事と!!この様に解釈しました。
「神様」にすべてにお任せして〜現在の掟ます事も含んで、まず!「マザーテレサなみになる事」かと。
私自身の「魂の向上」に向けて下さって居ます事の「お知らせ…配信」つまりは、
【神様からの配信…】と、只今思えるようになりました。
複雑な現在社会構造の中で、益々【心のよりどころ】は、まず!当然ながら【心の形成を建てなおす事】
でしょう!!もう少し私自身の【心を大海原に走って行こう…!】と思います。
「雅春先生」…ますますと、この自覚が入りました事に、ありがとうございます!! 再合掌

2857a hope:2014/05/19(月) 09:22:42 ID:cEpBaIdo
>>2855つづき)

「生命の實相」第13巻 p83

人間の不自由の萌芽(ほうが)

ところが、これに反して、少しでも物質的形体に捉われはじめますと、人間は本来の「自由」をわれとわが念で固定して「不自由」ならしめるのであります。「争い」というのも「不自由」の一面のすがたであります。すなわち本来の全体としての自由を失っているから「争い」が起こりのであります。

時計の歯車でも全体としての自由が失われていなければ、どの歯車も不自由にカチ合い争うなどということはないのでありますが、全体としての自由が失われると、歯車と歯車とが互いに調和して運行しないで、カチ合って時計が止まってしまうのであります。

この全体としての自由を失った「カチ合い」が、「争い」なのであります。

宗派争いをして仏教を罵ったり、キリスト教を排斥したりして、和協合同しえないのは、この「カチ合い」でありまして、人類の和協合同を説くべき宗教みずからが、和協合同を失っているという矛盾を演じているのでありまして、これというのも礼拝の本尊をば、「永遠の神性」とか、「久遠本仏」とかに見いださず、物質的形体のイエスに見いだしたり、肉体釈迦に見いだしたりして、「第一の神性隠蔽」に捉われているからであります。

宗教でさえも礼拝の本尊を「物質的形体」においたならば、このように争いが起こるのでありますが、個人の生命を「久遠の生命」の流れの中に見いださず、それを「肉体」に置き換えた原罪(第一の神性隠蔽)から出発して諸々の罪悪が発生するのであります。

2860SAKURA:2014/05/20(火) 22:58:27 ID:3/pn4/Pc
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  
*========*【 神の子の生活を今生きよ ―その1 ― 】*=======*=======* =======*=======*

■>>われらは自分を神の子(または仏子)なりと信じ、常にけだかく人生の道を歩み、内な
る魂の誇持“ほこり”(きょうじ)を傷つけざらんことを期す。<<

 さて、この自分は神の子であるということがわかりましたならば、そのわかった神の子
を今生きて行くということが必要なのであります。「自分は神の子である」とわかりながら
それを今生きて行かないというのは、これは実に矛盾したことであります。そういう人は
実際は、本当に神の子であるとわかっていないのであります。そういう人が神の子である
と思うのは、偽存在“にせもの”の自分を神の子であると思っている場合にそうなるのでありま
す。偽存在の自分、我の働きが神の子であるとこう思っている、その場合には、いくら聖
典を読んでも実際に神の子らしき行ないとしてそこに現れてこないのであります。偽存
在の自分をいくら磨いても本物になるわけはないのであります。真鍮の指輪をもってき
て、磨いたら黄金になるであろうと思っていくら磨いたって、真鍮はやはり真鍮なのであ
ります。それと同じく、この偽存在の自分をもって「神の子である、神の子である」とこう
思っても、なかなかわれわれは神の子になれっこはない。それでわれわれは神の子である
という自覚を実相から出してくるということが必要であります。

                      つづく

2861a hope:2014/05/21(水) 08:48:04 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第13巻 p88

久遠神性にある救い

何人の肉体的顕現を通さなくとも、「久遠の実在」としての実相人間を信ずる者には、永遠の生命が与えられる、これが「生長の家」の発見した真理であります。すべての人間が「久遠の実在」の顕現であり、現象世界が善かろうと悪かろうとそんなことは写真の映りが善いとか悪いとかの問題であって「実際の人間(リーアル・マン)は悪くはないのであります。

この事実を知らないから、人間は自己軽蔑する。「自分などはとても駄目なものだ」と思って「神性隠蔽」(罪)をするのであります。神性隠蔽をしておいて現象界も映し出しても、完全な神性が映るはずはないのであります。

人間を風呂敷で包んでおいて写真をとってごらんなさい。完全な人間の姿は写りますまい。それと同じく、自己の「神性」を包み隠しておいて、「自分はとても駄目だ」などという念のレンズで現象界を造り出したのでは、完全な現象界は出現するはずはないのです。

それで「自分は罪人だ」という観念はすべて現象界の罪悪の母胎であり、自分は神の子だという観念は善き現象界を造る母胎となるのであります。

2864a hope:2014/05/24(土) 20:12:58 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第13巻 

隣人に対する罪 p102 

・・・その次にイエスがあげた第二の誡命(いましめ)はなんであるかといいますと、「おのれのごとくなんじの隣人を愛せよ」ということであります。

そこで隣人に対する罪とは、この第二の誡命を破るということにあたるのでありますが、なぜおのれのごとく隣人を愛しないことが罪であるかと申しますと、それはわれと隣人とは本来一体であるからであります。

「われと隣人は本来一体である」という事実は、どこから来るかといいますと、「われは神と一体である」との第一最大の真理から必然生まれてくるのであります。

甲も神と一体であり、乙も神と一体であり、丙も神と一体である。

かかるがゆえに甲も乙も丙も神と一体であることになるのであります。

隣人を愛しないというのはこの自他一体であるという実相を見ないからであります。

それは五官の眼で自分と他人とを見ますと、自分というものは他と離れ離れのものであるということを結論しなければならない、肉体は一人一人別々である、頭は一人一人離れている、手足は一人一人離れているということになるのでありますけれども、それは五官のまどわしに捉えられているからであります。

五官を離れて、あるいは五官を深く掘り下げてゆきますならば、自と他とは本来一体であるということがわかってくるのであります。

2865a hope:2014/05/26(月) 08:25:03 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第13巻 p105〜

利己主義すなわち自他一体の実相の隠蔽

・・・だから、より大いなる自他一体に進展しようとしないところの、小さな自他一体の団体は、一時は大いに発展するようにみえましても、やがては全体からの生命の供給を
はばまれ、それ自身たつことができぬようになるのであります。

周囲に反対して無理に成就せしめた恋愛などが、一時は大変好都合にゆくように見えましても、いつの間にか夫婦の愛に異常を生じて破綻をきたしたりする例がおいおいありますが、それはやはり全体からの生命の供給をはばまれた結果、その恋愛が正常の発達を遂げることができず、歪(いびつ)に不自然になってしまった結果でありあす。 

恋愛そのものが悪いのではなく周囲との不調和がわるいのであります。

なぜわれわれが利己的動機に陥るかと申しますと、五官をもって事物を見る結果、その印象にあざむかれて物質有限の感を抱くにいたるからであります。

物質が「心の影」だとわかったならば、心にしたがってどんなにでも、多くでも少なくでも顕すことができるのでありますから、他を制して自分の方へ集めましても、物質無限でありますから、「他を制する」必要だけは全然なくなるのであります。

この「他を制して自分の方ばかり集める」という利己主義の展開としてやる商売や職業は、結局行き詰まってくるのであります。

2866SAKURA:2014/05/26(月) 21:52:23 ID:3/pn4/Pc
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  
*========*【 神の子の生活を今生きよ ―その2 ― 】*=======*=======* =======*=======*

■よく病気の方などで、あんた『生命の実相』をよく読んでおられますかというと、よく読んで
います、朝から晩まで『生命の実相』ばかり読んでそうして疲れてしまって何もできません(笑声)
とこういう人があります。

こういう人は『生命の実相』の真理をどこへ滲み込ませようとしているのであるかというと、偽存
在の自分の中に滲み込ませようとしているのあります。だから何か金粉のようなものを付け加えて
磨いておったらしまいには金になるであろう、こういうふうに思って朝から晩まで真鍮を磨いてい
る方である。

それじゃいけないのであります。それでわれわれは神の子であると知るということは、結局は
“神の子を生きる“ということで、「知る」ということと「生きる」ということと別にあると思うと
まちがいであります。つまり「知る」とは「生きる」ということである。

親鸞聖人が「信心よろこぶその人を如来とひとしとときたまう。
大信心は仏性なり。仏性すなわち如来なり」ということを『弥陀和讃』の中で説いておられる。
という意味は、信心を起こす心、この本当の信心というものは、如来と同じものであるということである。

では、如来はどういう働きをしたかというと、一切衆生を生かさんがために、いろいろ無限の愛を
もって超載劫の永い間行をして、今西方に安楽国という浄土を建設して、そうしてそこに、わたし
を頼むと利他的な念願で働きをしておられるのであります。その仏の働きが自分の中に出てきたら
これが信心である。

信心というのはただ南無阿弥陀仏とこう口先にいって、「偽存在の肉体の自分」が蓄音器のレコード
みたいに「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」といいながら、行の上で嫁いじめをしているというふうな
ことではこれは信心ではない。

“信心とは仏の心が自分の中に生きる“ことである。金光教祖は、「日に日に生くるが信心なり」と
こういわれた。日に日に生くるが信心なり――そうしますと、この南無阿弥陀仏というのは何である
かというと、「南無」というのは帰命である、弥陀の命に帰一するということです。

阿弥陀様の生命のままに生きましょうというのが南無阿弥陀仏であります。

                    つづく

2867SAKURA:2014/05/26(月) 21:59:50 ID:3/pn4/Pc
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  
*========*【 神の子の生活を今生きよ ―その3 ― 】*=======*=======* =======*=======*

ところが、阿弥陀様の生命のままに生きましょうと口に唱えて、その――阿弥陀様は慈悲の権化で
あるのに、その阿弥陀様の生命のままに生きましょうといいながら、嫁をいじめてみたり、欲ばっ
て泥棒してみたり、無理なことをして儲けてみたり、「このくらいのことはよいだろうから、ちょっ
とだけ猾いことをしよう」とそういうふうなことを考えているようなことでは、「阿弥陀様の生命の
ままに生きましょう」とこういいながら、阿弥陀様に背を向けている、どこにも阿弥陀さまに帰命し
ていない。これではその人は信心じゃないのであります。

本当の信心というのは「ここに神が生きる」「ここに仏が生きる」この自覚で生ききるのが信心であります。

今まで仏様というものをまちがって解釈して、なんでも涅槃寂静であって、力のない、空のなんにも
ないようなものである、とこういうふうに考え、なんの力なく、死んだように、空になったように
遁世してしまう。これが仏様の命令のままに生きるのだと考えたらまちがいなのであります。

仏様は無礙自在の働きをして、少しも休む暇なく働いていられるのであります。人のために休む暇も
なく働いて働いてやまない、これが仏様の心をわが心とし、仏様に帰命することであります。

この世、現世は無常であって、本来ない空であると仏典はいう。そして仏様も空である、みんな空で
あるからどうでもよいのだと、したいままをして、結局空に帰して、それで一生涯であるというふう
な考え方をして、この世をつまらなく否定してしまうことを本当に仏道を生きることだと思っていると、
それはまちがいなのであります。現代の仏教が本当の教祖たる釈迦の御教えから外れてしまって、ただ
この現世は無常である。空々漠々である、仏様も空である、みんな空であって、その空から阿弥陀如来
というものが現われて、そうして西方極楽浄土に報土を作って、この南無阿弥陀仏と口の先だけで称え
ておったら、死んでからそういう極楽浄土で楽をさしてもらうのだというような、そんな馬鹿な考えを
もっている似而非仏教信者があるために、せっかくの尊い釈迦の教えが死んでしまい現実を生かさない
という残念なことになっているのであります。

この釈尊の御教えを本当に生かし、同時にすべての善き宗教の教祖の御教えの神髄を生かすのが
生長の家であります。

本当の信心は、今自分が仏子であり、神の子であるということを知る、そうして、今自分がその仏なり
神の子なり生きることであります。

つづく

2868SAKURA:2014/05/26(月) 22:02:05 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【引用編】
>>2778>>2779>>2784>>2786>>2794>>2795>>2796>>2797>>2798>>2801>>2802>>2803>>2807>>2808 
>>2809>>2812>>2820>>2821>>2827>>2839>>2840>>2842>>2848>>2853>>2856>>2860>>2866>>2867
の投稿の続きです….。

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  
*========*【 神の子の生活を今生きよ ―その2・3の引用編 ― 】*=======*=======*

>>2866>>2867投稿の続きです…。
PS:「トキ様」・ 「観覧者の皆様」 へ
『人間の真理』について書かれています。〜〜「複・雑・感…」でしょうか??
当時の信者もどれくらいの理解力が〜〜〜><と思いつつ、そうこうしております、現代の私達の
置かれています【生長の家のお家騒動…】を思いながら〜〜久しぶりに閲覧しますと?
「皆様」は、こうなければ〜〜〜こうだったとか〜〜〜??色んな捉え方が〜〜〜??

しかしながら今回の「雅春先生の言葉」から、やはり【信・仰】について詳しく取り上げて頂き、
この本は「信者に向けての中身…」でしょうか??
今回!私も「総裁先生」を応援しながら〜〜始めて【ネット…】での『生長の家のグループ』に、
参加……その後!その後!〜〜〜の私の見方が〜〜〜180度変化したのです。

そこでは、私は、いろんな“形でのアクシデント…”から、【フェスブックの友人達】を、意を決して、
かなり白紙と致しました。残ったのは〜〜〜ごく【少・数…】でしたし〜〜〜更に!!
パートナーの「ナンシーさん」のフェイスブックの問題があり、いろいろな形で〜〜〜「総裁先生」に、
一言〜〜〜言いたいで〜〜〜す。

■【他人まかせ…】で、行きますと〜〜〜怖いですネ!!ある時!〜〜〜><
【ネット関連の方達の信頼度】は〜〜〜不思議と閲覧していますと、此処で、私は、ある面では、
彼らからの被害者という事になりますでしょう。…が?
お陰さまで【神・想・観…】中に 気をつける事とのメッセージを頂く事となり、色々考えたすえ、
【決・断】した行動は〜〜〜「フェイスブック研究会…49のグループ」は脱退しました。
詳しくは、また後に……そして【信・仰】しながらの、相手の『悪・口・論・争』のコソコソは??
…と、改めて思いました。
やはり【生長の家は信仰】ですので、まず【真・理】からが大事!!しかも〜〜〜
間違った解釈は??でしょうか?
■まだ!まだ!私も!!【真理=実行】の私にと…【有・言・実・行】当に勉強中で〜〜〜す!!

                         再合掌
:

2870トキ:2014/05/28(水) 18:44:06 ID:K6oful.2
>>2868

 生きて居る限り、誤解をされるのは仕方がないです。

 釈尊はダイバダッタに背かれ、キリストはユダに裏切られました。
谷口雅春先生ですら、弟子に裏切られています。

 でも、それでも、以上の方々は人類に多大な貢献をしました。

 「倒されし 竹はいつかは 起き上がり、 倒せし雪は いつかは 消え去る」

 頑張って下さい。

2871SAKURA:2014/05/28(水) 21:12:15 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
>>2778>>2779>>2784>>2786>>2794>>2795>>2796>>2797>>2798>>2801>>2802>>2803>>2807>>2808 
>>2809>>2812>>2820>>2821>>2827>>2839>>2840>>2842>>2848>>2853>>2856>>2860>>2866>>2867
の投稿の続きです….。

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  
*========*【 神の子の生活を今生きよ ―その4 ― 】*=======*=======*

>>2866>>2867投稿の続きです…。
 「日に日に生くる信心なり」を本当に知ったならば今生きることである。仏様は衆生を救わんが
ために千変万化していられることを知ったら、自分もそのとおりに生きることです。

これが本当の信心なのであります。
たとえばわれわれが百万長者であるということを本当に知ったら、その百万円の金をじっとさして
おくはずがなにのであります。あれも買いたい、これも買いたい、あの人にもちょっとやって喜ば
してやりたい、こういう事業も起こしたいと、これは本当に百万円を持ったということを知った人
のことです。だけれども百万円親が遺産として残しておいてくれても、そいつを見つけない間は、
百万円持っていてもそういう働きが起こってこないのです。

ところが、われわれが本当に百万円を持っているということを知ったら、そこに百万円の活動が
始まってくる。知るということは活動することである。われわれが仏の子であり、神の子である
ということを知ったならば、その仏を生活に生き、神を生活に生きるということになってこなけ
ればならないのです。

それを生活に移さないのはまだ本当に知らないということです。だからわれわれは仏の心を行動に
移すということによってはじめて仏をここに実現したということになるのです。

仏は法である、法は「宜」であり「述べる」であり、コトバである。また聖書のいうとおり、神も
コトバである。コトバとは何であるかというと震動である。震動とは何であるかというと活動で
ある。活動が神であり、仏である。仏は涅槃寂静で、空で何にもない――そんなことじゃないのです。

活動が仏である。法藏菩薩は活動せられて極楽浄土を建立せられた、今もまだ働き給うのです。
仏の本願とは、仏の活動です。仏とは“ほどける”ことで、縛りがなくなって自由自在になること
であって、無礙自在な働きができなくては、これは仏ではない、神ではないということになるので
あります

だから今、皆さんが神の子であるという実相を「生長の家」によって知らして頂いたならば、た
だちに、即刻、今日から、今から、この瞬間から「神の子」を活動させる、愛によって隣人に
働きかけてこれを光明化し救うということが必要なのであります。

                       つづく

2872SAKURA:2014/05/28(水) 21:15:02 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【引用編】
>>2778>>2779>>2784>>2786>>2794>>2795>>2796>>2797>>2798>>2801>>2802>>2803>>2807>>2808 
>>2809>>2812>>2820>>2821>>2827>>2839>>2840>>2842>>2848>>2853>>2856>>2860>>2866>>2867
>>2871の投稿の続きです….。

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  
*========*【 神の子の生活を今生きよ ―その4の引用編 ― 】*=======*=======*

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
■>>日に日に生くる信心なり」を本当に知ったならば今生きることである<<

人間…生まれた以上は、まず!「働く事」と〜〜〜そう!!そうなのです!!
日日!!活かす事が全てを生かすモノに繋がる事でしょうか??

例えば「百万円の価値観」は、その人の中身…“心”からスタートと思います。ですので…
ユダヤの長者のお話??【バビロンの大富豪のお話】からも〜〜〜♫
【お金の価値観は、まず活かす事】から…そうしますと?私達の「生活習慣」も…
■【時は金なり〜〜〜】と言われます様に、すべて“心”からでしょうか??

■昨日私の「フエイスブックの友人」から【 祈りの招待状 】が舞い込みました。
正直な話…いつもなら、私の偏見が〜〜〜どうしても先に脳裏に浮かぶのです…。…が?

例えば…「整形しているから子供…その“業”として…子孫にきたのョ」と、いつもの私が…
ところが?昨日の「友人の招待」から…WEB投稿記事を見ますと…
■母親の“愛”に動かされたのです。「霊界の法則」にも〜〜〜いわれます様に【 “愛”!! 】

■創立者「雅春先生」が【真・理】・【光・明】・【智・慧】・【絶・対・の“ 愛 ”】この言葉から…
〜♫ 汝ら天地一切のものに感謝せよ ♫〜の冒頭が浮かんで…
そして、子供に対するひたむきなる母親の【 愛…の・姿 】…涙が…心を動かされました。

もう一度!もう一度!「皆様」の……【集団の祈り】
【集団の祈り】が〜〜〜??そうです。必ず!必ず!必ず!【叶・う!】
〜〜そして、主催者が「四万人の呼びかけ運動」なのです。

■【祈りリレ−】が、今!今!世界中に始まっているのです〜〜〜??
それで、此処【2チャネルに投稿】更に【わたしの日時計日記】にも呼びかけました。
昨日の結果は「5人の皆様のイイネ」を頂きました。【 感謝 】です。…が?
【祈りあい神想観】という「雅春先生の時代から…隣人愛」への素晴らしい【祈り方】…
それで、当時は、多々なる【奇・蹟】がありましたと思います…。
この事は「生長の家」…【光明化運動】に置けます【専売特許??】みたいにも思えるのですネ!
お忙しいと存じますが「皆様」……宜しくお願い致します…。

余談ですが〜〜〜何と!何と!この信仰に「無関係の友人の名前」が〜〜〜すばらしい方!!
本当に“活かす事”は、ここから!そうなのです!【愛…】からと思いました。
これこそ…【祈りにての…想念で…救済】すばらしい〜事と思うのです。…が?
この事は?「トキ様」全く!【信・仰…】とまったく無関係な事と思われますのでしょうか〜〜〜?

                                   再合掌

2873志恩:2014/05/29(木) 08:24:09 ID:.QY5jUA6
 藤原敏之先生著・「あなたは必ず救われる」より

【人生とは 魂向上のための 学校の様なものでありますから、何も問題がなくなるということはないのであります。
 人生とは問題のあるところだと考えた方がよろしいのであります。】

   {人生は魂修行の道場}

ものには裏と表があるように、人生観にも表(実相)から観た人生観と裏(現象)から観た人生観とがあります。
この自分の側(現象面)から観た人生観でありますが、それは人生とは魂修行の場であり、道場であるとする観方であります。

私達の霊魂は永遠に不滅でありまして無限に向上を続けているのであります。

 若い方が私に良く質問されることの中に、「人間死んだらどうなるか」というのがよくあります。
そんな時私は「死んでから先のことを知ろうとすれば、今を見たらよろしい」と申します。これは類推といって、今ある現実を通して未だ来ておらないことを予知して、予見する方法であります。

「君は今のあることを認めるかね」と言いますと「いまあることは認める」と言われますか「それでは死んだ先にも今と同じように世界があり、続きの世界があり、続きの生活があるよ」と申します。

今日があることを認めるものは明日のあることを認めるでしょう。
今年のあることを認めるものは来年のあることを認めるでしょう。今日があるということは昨日があった証拠であります。
してみれば今があるということは未来、死んだ先がある証拠でありますよと申しますと大抵は納得せられます。

その様に私達は仏教でいう始めなき始めから終わりなき終りと無限に続く旅路のようなものでありまして、向上への道程なのであります。
従って人生とは魂向上のための学校の様なものでありますから、

何も問題がなくなるということはないのであります。

 ですから人生とは問題のあるところだと考えた方がよろしいのであります。

学校には上級になればなる程、勉強の内容が難しくなるのであります。決して楽にはならないでしょう。それは力に応じて問題が与えられるからであります。

小学生には必ず小学生にあった教科書や授業が行われれます。中学生には中学生、高校生には高校生と段々に難しくなり、それに合った科目や授業が課せられます。

その様に私達も魂の向上の程度に従って、最も合った問題が与えられることになるのであります。
つづく

2874志恩:2014/05/29(木) 08:27:02 ID:.QY5jUA6
つづき

そのことが分らないと、やたらと問題が苦になり逃れることばかり考えるようになります。
そうなりますと、やれば出来る力がありながら力を発揮することが出来ず、
逃れることばかりに力を入れることになります。

これは大変な間違いであります。

 中学生の教科書が与えられ、中学生の試験問題がでるのは中学生の力があるからです。高校生の教科書が与えられ、高校生の試験問題が出るのは高校生の力があるからです。

それを忘れて努力しようともせず、中学生が小学生の問題を見て「小学生はいいな!」と羨んだとしたら中学生でありながら、中学生であることを忘れて中学生の資格を放棄することになります。

高校生が中学生の問題を見て中学生が羨ましくなり、こんな難しい問題は嫌だといって試験を逃れようとすることは
試験をボイコットすることになり、逃げ出そうとすることであります。

この様に自分に与えられた問題を他人に比べて、私だけが何でこのような目に合わなければならないのだろうかと愚痴を言ったり、不平不満ばかり言っている人は、

ちょうど学生が下級生の試験問題を羨んで試験を受けようとしないのと同じように落第することになり、落第すれば何遍でも及第するまで同じ試験を受けなければならないことになるのであります。

同じ問題で何時まで経っても解決しないで悩み続けている人は、この学生の試験ボイコットと同じであります。

 どんな問題でも、ちょっと大変だと思われるような事件でも、ああ私の魂は修行のために、
向上のためになくてはならない尊い問題が今与えられたのだ、これは私に必ず解決する力がある証拠だと信じて
「ありがとうございます」と感謝して受けたとき、どんな問題もスラスラと解決するのであります。

人間はもともと神の子であって無限力が与えられてありますから、どんな問題でも逃れようと思わず、
「ありがとうございます」と感謝で受けたとき必ず良くなるのであります。

向う倍力といって、逃れようと思わなければ、5の問題が与えられたら必ず10の力が湧き、10の問題が与えられたら20の力が湧いて来て必ず処理出来るのであります。

このことを信ずることが大切であります。

全て何でも他人と比べる位無駄なことはないのであります。人間の不幸の原因はみんなこの比べたがる心から起るのであります。

比べることは相対でありますから、不足はあっても感謝はありません。
感謝とは絶対のもの、必要なものとして、また神様からの授かりものとして受ける心であります。

「私だけが何故であろうか」と考える時、有る力も失われ苦しみは増すばかりであります。

2875a hope:2014/05/29(木) 10:26:02 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第13巻 p109

第三の神性隠蔽としての罪の弁解

神と一体であるところの自己の実相を知らないことは第一の神性隠蔽であり、他と一体であるところの自己の実相を知らないことは第二の神性隠蔽となるのでありますが、これらの神性隠蔽を弁解してごまかしてしまう心は第三の神性隠蔽を生ずるのであります。

罪があればそれを隠して放さずにおくようなことをしないであからさまにして放置すれば、(知られまいとして「念」の力で繋ぎとめておかなければ)神性は「実」であり神性隠蔽は「虚」でありますから、自然に隠蔽は消え神性は顕れて出るのでありますが、なんとかいって神性隠蔽を(罪)でないと言いくるめようとするならば、弁解は隠蔽を生み、隠蔽は弁解を呼び、ツミ相(あい)相続して、実相の神我はますます深く隠蔽されてしまうのであります。

これに反して隠蔽(つみ)を罪と正直にみとめてそれを懺悔してしまい、謝罪(あやま)りきってしまいますと、それはちょうど夏の夕立が過剰の空中水分を泄瀉(せっしゃ)してしまいますように、あとにはすがすがしい神の子たる己(おの)が実相があらわれるようになるのであります。

罪の弁解は良心の麻痺を伴います。良心とは罪を犯しているところの肉我(にくが)の叫びではなく、自己に宿っているところの神(すなわち真我)の叫びなのであります。

だから、自己の罪の弁解は必然「真我」をくらますことになるのであります。

真我をくらませばますます真我の浮かぶ瀬がなくなるのであります。

だから、自己の罪を弁解して言葉で言いくるめましても、その勝つものは「偽りのわれ」のみでありまして、真我はますます覆いかくされ、内なる敗北はとうていそれをくらますことはできないのであります。

しかし、真我は敗北したのではない、内なる敗北は依然として「ニセ物のわれ」のみであります。

どんなにか罪を弁解しても、どんなにか罪を隠蔽してみても、心の奥底には蔽(おお)えば蔽うほど隠せばかくすほど、圧力を与えれば与えるほどハネかえる圧搾空気のように、良心の叫びというものは力強くなり、それをさらに潜在意識の底の方へ推し込んで忘れてしまえば、それはさらに肉体の病気というような別の姿で表面にあらわれてくるのであります。

2876a hope:2014/05/29(木) 10:27:23 ID:cEpBaIdo

トキさま、みなさますみません。

今、web誌友会板は志恩さまがわたしの質問にお答えくださっていますので、こちらでテキストのお勉強の続きをさせていただきます。
最初にもいいましたが、今回のテキスト第13巻14巻には現在の「生長の家」の問題を解決する大切なヒントが隠されていると思っているので、
中断したり、飛ばし読みしないように、丁寧にお勉強を続けてさせていただきたいのです。

トキさま、ですが不都合がありましたら、別の板に移動しますのでその時はご指示くださいね。

2877a hope:2014/05/29(木) 10:29:14 ID:cEpBaIdo

>>2875 a hope所感)

ここで言う「罪」とは、

1、 神と一体であるところの自己の実相を知らないこと
2、 他と一体であるところの自己の実相を知らないこと

になるのだと思います。

そして、

<<どんなにか罪を弁解しても、どんなにか罪を隠蔽してみても、心の奥底には蔽(おお)えば蔽うほど隠せばかくすほど、圧力を与えれば与えるほどハネかえる圧搾空気のように、良心の叫びというものは力強くなり、それをさらに潜在意識の底の方へ推し込んで忘れてしまえば、それはさらに肉体の病気というような別の姿で表面にあらわれてくるのであります。>>

とあります。

「神我一体」「自他一体」の真理こそ生長の家の『唯神実相』なのだと思いました。

それでは、「罪の弁解」「罪の隠蔽」とは、具体的にはどのようなことなのでしょうか?

このまま聖典をお勉強して行けば、より深く理解できるような気がしています。

2878トキ:2014/05/29(木) 10:44:17 ID:hDbyuNQo
>>2876

 いえいえ。何も問題はありません。よろしくお願いします。

2879志恩:2014/05/29(木) 13:01:57 ID:.QY5jUA6
トキ様

本流のお方から a hopeさんに お返事がなかったので、本流の代わりに、
少し、出させて頂きましたが、

すみませんけれど、私は、卒業したので、もう、消えたいのです。
あとの続きは、トキ様、ご指導を よろしく。
…………………………………………………...
a hope様

お返事は、私宛でなく、トキ様にお願いしましたので、私宛でなく、
できましたら、トキ様宛で、お願いします。

2880SAKURA:2014/05/29(木) 17:56:19 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
>>2778>>2779>>2784>>2786>>2794>>2795>>2796>>2797>>2798>>2801>>2802>>2803>>2807>>2808 
>>2809>>2812>>2820>>2821>>2827>>2839>>2840>>2842>>2848>>2853>>2856>>2860>>2866>>2867
の投稿の続きです….。

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  
*========*【 神の子の生活を今生きよ ―その4 ― 】*=======*=======*

>>2866>>2867投稿の続きです…。
 「日に日に生くる信心なり」を本当に知ったならば今生きることである。仏様は衆生を救わんが
ために千変万化していられることを知ったら、自分もそのとおりに生きることです。

これが本当の信心なのであります。
たとえばわれわれが百万長者であるということを本当に知ったら、その百万円の金をじっとさして
おくはずがなにのであります。あれも買いたい、これも買いたい、あの人にもちょっとやって喜ば
してやりたい、こういう事業も起こしたいと、これは本当に百万円を持ったということを知った人
のことです。だけれども百万円親が遺産として残しておいてくれても、そいつを見つけない間は、
百万円持っていてもそういう働きが起こってこないのです。

ところが、われわれが本当に百万円を持っているということを知ったら、そこに百万円の活動が
始まってくる。知るということは活動することである。われわれが仏の子であり、神の子である
ということを知ったならば、その仏を生活に生き、神を生活に生きるということになってこなけ
ればならないのです。

それを生活に移さないのはまだ本当に知らないということです。だからわれわれは仏の心を行動に
移すということによってはじめて仏をここに実現したということになるのです。

仏は法である、法は「宜」であり「述べる」であり、コトバである。また聖書のいうとおり、神も
コトバである。コトバとは何であるかというと震動である。震動とは何であるかというと活動で
ある。活動が神であり、仏である。仏は涅槃寂静で、空で何にもない――そんなことじゃないのです。

活動が仏である。法藏菩薩は活動せられて極楽浄土を建立せられた、今もまだ働き給うのです。
仏の本願とは、仏の活動です。仏とは“ほどける”ことで、縛りがなくなって自由自在になること
であって、無礙自在な働きができなくては、これは仏ではない、神ではないということになるので
あります

だから今、皆さんが神の子であるという実相を「生長の家」によって知らして頂いたならば、た
だちに、即刻、今日から、今から、この瞬間から「神の子」を活動させる、愛によって隣人に
働きかけてこれを光明化し救うということが必要なのであります。

                       つづく

2881SAKURA:2014/05/29(木) 17:57:57 ID:Do8GpIFQ
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【引用編】
>>2778>>2779>>2784>>2786>>2794>>2795>>2796>>2797>>2798>>2801>>2802>>2803>>2807>>2808 
>>2809>>2812>>2820>>2821>>2827>>2839>>2840>>2842>>2848>>2853>>2856>>2860>>2866>>2867
>>2871の投稿の続きです….。

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  
*========*【 神の子の生活を今生きよ ―その4の引用編 ― 】*=======*=======*

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
■>>日に日に生くる信心なり」を本当に知ったならば今生きることである<<

人間…生まれた以上は、まず!「働く事」と〜〜〜そう!!そうなのです!!
日日!!活かす事が全てを生かすモノに繋がる事でしょうか??

例えば「百万円の価値観」は、その人の中身…“心”からスタートと思います。ですので…
ユダヤの長者のお話??【バビロンの大富豪のお話】からも〜〜〜♫
【お金の価値観は、まず活かす事】から…そうしますと?私達の「生活習慣」も…
■【時は金なり〜〜〜】と言われます様に、すべて“心”からでしょうか??

■昨日私の「フエイスブックの友人」から【 祈りの招待状 】が舞い込みました。
正直な話…いつもなら、私の偏見が〜〜〜どうしても先に脳裏に浮かぶのです…。…が?

例えば…「整形しているから子供…その“業”として…子孫にきたのョ」と、いつもの私が…
ところが?昨日の「友人の招待」から…WEB投稿記事を見ますと…
■母親の“愛”に動かされたのです。「霊界の法則」にも〜〜〜いわれます様に【 “愛”!! 】

■創立者「雅春先生」が【真・理】・【光・明】・【智・慧】・【絶・対・の“ 愛 ”】この言葉から…
〜♫ 汝ら天地一切のものに感謝せよ ♫〜の冒頭が浮かんで…
そして、子供に対するひたむきなる母親の【 愛…の・姿 】…涙が…心を動かされました。

もう一度!もう一度!「皆様」の……【集団の祈り】
【集団の祈り】が〜〜〜??そうです。必ず!必ず!必ず!【叶・う!】
〜〜そして、主催者が「四万人の呼びかけ運動」なのです。

■【祈りリレ−】が、今!今!世界中に始まっているのです〜〜〜??
それで、此処【2チャネルに投稿】更に【わたしの日時計日記】にも呼びかけました。
昨日の結果は「5人の皆様のイイネ」を頂きました。【 感謝 】です。…が?
【祈りあい神想観】という「雅春先生の時代から…隣人愛」への素晴らしい【祈り方】…
それで、当時は、多々なる【奇・蹟】がありましたと思います…。
この事は「生長の家」…【光明化運動】に置けます【専売特許??】みたいにも思えるのですネ!
お忙しいと存じますが「皆様」……宜しくお願い致します…。

余談ですが〜〜〜何と!何と!この信仰に「無関係の友人の名前」が〜〜〜すばらしい方!!
本当に“活かす事”は、ここから!そうなのです!【愛…】からと思いました。
これこそ…【祈りにての…想念で…救済】すばらしい〜事と思うのです。…が?
この事は?「トキ様」全く!【信・仰…】とまったく無関係な事と思われますのでしょうか〜〜〜?

                                   再合掌

2882a hope:2014/05/30(金) 08:41:33 ID:cEpBaIdo
「あなたは必ず救われる」藤原敏之先生著
『正しい人間観とは何か』p90〜

生長の家の『生命の實相』第一巻(頭注版)の七九ページに、「真理はなんじを自由ならしめん」という見出しで次のように書かれてありますが、これが生長の家の救いの根源なのであります。

<<「『生命』自身の力で治すには『生命』とはいったいどんなものであるかということを知らねばなりません。

表面の心で知るだけではなく、奥底の心で知らねばなりません。

『生命とは神の子である』―― 一言にしてこういえばなんでもないけれども、なかなかこの真理が本当にわかる人が少ない。

本当にこれがわかれば自分で自分を治すことができる。病気だけでなく境遇でも運命でも自分で治すことができる。

治すだけでなく、真理を本当に知ったときひとりでに治っているのである」 (p92 8行目〜)>>


<<谷口雅春先生も常に、「私が発見したことは字の数にすればたった五文字でありますよ」と申され、それが「人間神の子」の五文字なのであります。

このことをはなれて生長の家はありません。

他に沢山のことが書かれていますが、みんなこの「なぜに人間が神の子であるか」ということをあらゆる角度から説明せられているだけであります。

せんじ詰めれば、あくまでもこの五字なのであります。

ですからこの五文字の意味が頭の先だけでなく腹の底(魂)までわかったとき、救いが成就するのであります。(p93 5行目〜)>>

(つづく)

2883a hope:2014/05/30(金) 08:44:43 ID:cEpBaIdo
>>2882 つづき)

<< 影は影である

このように人生は神様からの尊い御使命であると同時に、自己の魂の向上のための道場でもありますから、何でも「ありがとう」と感謝して受けることが肝心なのであります。

生長の家は「天地一切のものに感謝せよ」との教えでありまして、都合のいいものだけや、よくしてくれるものだけに感謝するのであれば楽でありますが、そうではなく最も都合のわるいものや、自分を苦しめるものにまで感謝せよというのでありますから、ちょっとむずかしいのであります。

以上が生長の家の御教えの根本であるところの縦の真理であり、実相直視、本当のことを観ることによってどんな難問題でも立ちどころに解決する根本真理であります。

これを抜きにして現象だけを処理し解決しようとすることは、夢の中で夢を無くしようと努力するようなものでありまして、正しい解決法ではないのであります。

宗教の救いは無い現象を無くすことではなく、実相を現すことによってもともと無い現象が消えていくのであります。

それはもともとない暗(やみ)を無くしようと努力することではなく光をもってくることによって、あるかのごとく現れていた暗が自然に無くなるのと同じであります。

救いが現実に現れないのは、実相と現象、実体と影の関係を明確にしないで混同するからであります。

影は影であるとわかるとき、何が現れても心配がなくなるのであります。(p149 後ろから4行目〜)>>

感謝 合掌。

2884a hope:2014/05/30(金) 09:04:54 ID:cEpBaIdo
>>2882訂正 

【<<】を付ける位置を間違えました。
文章の始まりに付けてお読みくださいm(__)m。

2885a hope:2014/05/31(土) 22:29:24 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会  案内 ☆ ☆ ☆

期間  5月 6月
テキスト 「生命の實相」第13巻 及び 14巻
場所  聖典引用板

※管理人のトキさまから御承認いただきましたので、こちらでweb誌友会板でしていた聖典「生命の實相」のお勉強の続きをさせていただきます。
13巻と14巻は両方とも倫理篇ですので、6月になりましても第25回web誌友会をそのまま継続させていただきます。ご了承ください。

みなさまも是非ご参加くださいね!

2886a hope:2014/05/31(土) 22:30:58 ID:cEpBaIdo
☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆

第四章 自心の展開としての客観世界 p111〜

第四の隠蔽は、三界唯心の理(り)を隠蔽すること

前節までにおいて、わたしは「罪」とは神性隠蔽であり、その第一は自己と神とが一体なる「神我一体」の実相の隠蔽であり、第二は自己と他己とが一体なる「自他一体」の実相の隠蔽であり、第三の隠蔽は隠蔽を生んで、自己弁解という第三の隠蔽を生ずるということを説いてきました。

「罪」とはじつは実相の隠蔽なのでありました。

なぜ「罪」というものができ上がるかと申しますと、外界は一見自己の外にあるように見えますから、外界というものが内界の投影であるという事実を忘れて、外界そのものとして、自己とは独立した存在であると思い込んでしまうところに、「罪」すなわち「実相隠蔽」ができ上がるのであります。たとえば

・・・(略)・・・

仏教では「三界は唯心の所現であり、心外に別に存在無し」と申しますが、それを徹底的に実生活の上でも実証せしめているのが「生長の家」であります。

キリスト教でも「口に入るものはなんじを汚さず、口より出(い)ずるものなんじを汚す」とイエスがいっていますのは、外にあるように見えているものは、本当は外に独立性をもっているものではないから、それ自身で穢す力はない、外の物で穢されるとか穢されぬとかいうけれども、実は外は内界の投影であるから、もし汚されるならば、内から出るものすなわち「心」によって、および心によって発せられる「言葉」によって汚されるのだといっているのであります。

われわれは日常生活において、「これは外界だ、われわれの心ではどうすることもできない」と思っている事件や、周囲の人々の行為や心持ちが、われわれ自身の一個の心を変えることによって、事件が変わっていき、人々の行為や心持ちが変わってくる事実によって外界はわれわれ自身の内界の投影だということがわかってくるのであります。

それは理論ではなく、事実なのであります。

2887a hope:2014/05/31(土) 22:33:27 ID:cEpBaIdo

>>2886 a hope所感)

第四章には、とても厳しい真理が述べられていると思いました。

ここのところを拝読すると、「生長の家」の信仰とは、決して生易しいものではないということがわかります。

<<われわれは日常生活において、「これは外界だ、われわれの心ではどうすることもできない」と思っている事件や、周囲の人々の行為や心持ちが、われわれ自身の一個の心を変えることによって、事件が変わっていき、人々の行為や心持ちが変わってくる事実によって外界はわれわれ自身の内界の投影だということがわかってくるのであります。
それは理論ではなく、事実なのであります。>>

この文の内容を素直に解釈すると、

自分にとって「不都合」であったり、「間違い」であると感じられる三界(現象世界)の出来事や、悪人と思える人物の所業ですら、
すべて自分の心の投影であるということになってしまいます。

そしてさらに雅春先生は、

『それは理論ではなく、事実なのであります。』

と断言されているのですから、ただならぬ気迫を感じてしまうのは、わたしだけでしょうか?

2888a hope:2014/06/01(日) 07:45:42 ID:cEpBaIdo
☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆

「生命の實相」第13巻 p117〜

子供は母親にとって一見すれば外界の存在のように見える。外界の存在だと思って、外界扱いして、内界をうっちゃらかして、外界ばかりを治そうとしてみても治らないが、内界を治してしまうと、外界と見える子供の病気が治ってしまう。

すなわちこの二人の母親にとっては、彼女の子供は彼女の「外界」ではなく「内界」だったのであります。

これを押し広めて考えてみますと、彼女の子供だけなく彼女の周囲いっさいの人々が、彼女の外界の存在ではなく、彼女の内界の存在であることが判明するのであります。

さらにこれを押し広めて考えてみますと、すべて「外界」というものは無い。

すべてが自己の「心内の存在」だといいうるのであります。

こういうようにしてすべてが自己の心内の存在であるということを悟るのが、本当の知恵というものなのです。

すべてが自己の心内であるということが解ると、本当に「自他一体の実相」がわかってくるのであります。

言葉の便宜上、自他一体と仮に申しますけれども、「他」は本来無い、「自」ばかりなのであります。彼Aも「自分」であり、彼Bも「自分」であり、彼Cも「自分」なのであります。

三界は「ただわが心の所現」であることがわかるのであります。


で、罪とは「自他一体」の実相を知らないことであるとともに、「三界はただわが心の所現である」との真理を隠蔽して知らないことをいうのであります。

客観世界からただ自心の展開であることを悟らないために、外界に見える事物を「内界(こころのうち)の存在」だと知らず、外界に心を捉えられ、心をひっかからすために、ここに「五官的存在」に捉われる罪(隠蔽)が顕われてくるのであります。

2889a hope:2014/06/01(日) 07:53:44 ID:cEpBaIdo
>>2888 a hope 所感)

<<すなわちこの二人の母親にとっては、彼女の子供は彼女の「外界」ではなく「内界」だったのであります。
これを押し広めて考えてみますと、彼女の子供だけなく彼女の周囲いっさいの人々が、彼女の外界の存在ではなく、彼女の内界の存在であることが判明するのであります。
さらにこれを押し広めて考えてみますと、すべて「外界」というものは無い。
すべてが自己の「心内の存在」だといいうるのであります。
こういうようにしてすべてが自己の心内の存在であるということを悟るのが、本当の知恵というものなのです。
すべてが自己の心内であるということが解ると、本当に「自他一体の実相」がわかってくるのであります。
言葉の便宜上、自他一体と仮に申しますけれども、「他」は本来無い、「自」ばかりなのであります。彼Aも「自分」であり、彼Bも「自分」であり、彼Cも「自分」なのであります。
三界は「ただわが心の所現」であることがわかるのであります。>>


仏教で説く「三界唯心所現」の真理も、万教帰一の生長の家が解釈すると、「自他一体」の真理に行きつくようです。

ここの部分を拝読すると、生長の家の「心の法則」つまりは「唯心所現」の真理は、家族などの身近な人間だけではなくて、
自分の周りのすべての人々にあてはまってしまうのが本当の生長の家の教えのようですね。

2890SAKURA:2014/06/02(月) 14:57:24 ID:3/pn4/Pc
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こんにちは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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>>2871>>2881 の投稿の続きです….。

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  
*========*【 いっさいのものを拝め ―その1の転載編 ― 】*=======*=======*

>>われらは野を、野の花を、み空を、み空の星を、青海を、大地を、火を、いっ
さいの大自然と生物とを観るに、その背後に神の生命の円相を観、その生命を敬し、
礼し、愛し、いやしくも浪費せざらんことを期す。<<

■そこで、自分自身が神の子であると自覚した時に、次いでこの神の自覚が発動し動き出
した場合に神の子が活動する環境はどういう世界であるかというと、これは第一カ条のと
ころでいったとおり、無限創造の宇宙すなわち「生長の家」であります。

仏教でいうと寂光土である。寂光土というとちょっと平和すぎるので、」活気溌溂たる
「生長の家」すなわち無限創造の宇宙だとわれわれはいうのですが、この無限創造の宇宙た
るやどういうものであるかというと、聖教『甘露の法雨』の講義の時に申しましたように、
それは無限次元の世界である。

われわれの住んでるいるこの三次元(縦・横・厚みの三つの広がり)の世界だけでもこんなに
美しい世界であるのに、それが無限次元の妙なる世界である。

その妙なる世界が、この五官にはその全体の貎は見えないけれども、妙なる世界のうつしとし、
写真とした見える。
(たとえば写真ですが、実際のわれわれ人間の相は写真と比べると、もっと複雑な相をし、も
っと複雑な次元を備え、もっと複雑な色彩を備えているのであるけれども、写真にはただ一色
の平面の姿に写っている。)

                       つづく

2891SAKURA:2014/06/02(月) 14:59:15 ID:3/pn4/Pc
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  
*========*【 いっさいのものを拝め ―その2の転載編&引用編 ― 】*=======*=======*

□それと同じに、われわれの五官で認識める三次元の世界では実相の世界の複雑微妙な無限次元
の妙なる美しい世界が平凡な世界に見えているのであります。

かれどもわれわれはこの肉眼で見るところの野を、野の花や、み空の星や、蒼海や大地や、火や、
水や、いっさいの大自然や、生物や、いっさいの現象を見るのに、この第三次元の「縦横厚み」
厚みのこんな下らない、単純な、味のすくない世界とは見ないで、その奥の奥を観て、実相を観て、
もっと無限に美しい円満な、完全な神の生命というものを観る、そうしてそれを敬し、礼し愛し、
いやしくも浪費背せざらんことを念願とするのが生長の家の生き方であります。
                         
(その3)につづく

PS:「トキ様」・「観覧者の皆様」へ
『生長の家』の教義について、今回!私自身のフエス・ブックにて、前回より、こちらのコーナーで、
『絵本の「ジュリアの音信」…』を、シリーズで投稿しておりますが、やはり!やはり!
【人間の心…で決まる事】が、更に【霊・界】でも、それは「生前の行為」…更に、
【その奥の〜〜〜奥の潜在意識】とかが、全て!ごまかしが出来ないのが【霊界の世界】なのですネ!!

つまり【スケスケ〜〜〜の「神様」が全て…見通し】ということですネ!!

毎日の通勤にて【金光教の教祖のお言葉】が毎月!月初めに…「掲示板」に貼られていました。
そうです!“今月…6月も〜〜〜新しい〜「コトバ」がその掲示板に…!!それを読んで、やはり、
同じ事を〜〜〜今!現に「教え=心の訓練」を現実界で訓練していかないと…いけない!!
今!今!しか出来ない!!

■それは「ジュリアの音信」の本文の書籍本が入手出来まして、その本からも、
【人間は、霊的人間ですから…一日必ず!瞑想が大事です。その時間を無駄にされる事は???
更に、正しい固定観念の理念も…】と…言われています。

□【信・仰】しながら、媚を打つ事が【信・仰】ではない!!!更に、悪口とかも〜〜!
【信・仰は正しい理念をもつ事】なのではないでしょうか!!

では、次の続きを〜〜〜また!次回投稿させて頂きます…。
今回、私は「総裁先生」は、ある面では「エコ運動」が全面的に打ち出されています解釈になり、
従いまして【唯・物・論…】に見えてきます〜〜。

□■【人の心】は何処へ〜〜〜と…
この奥深い思考回路は??いかようにお考えなされていますのでしょうかと??「考える人」です。

                               再合掌

2892a hope:2014/06/03(火) 18:41:15 ID:cEpBaIdo
☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆

「生命の實相」第13巻 p123〜

感覚世界の自主的征服

さて、この「三界はただ自心の展開である」との事実に眼が覚めてきますと、すべての感覚的事物への自己の奴隷的屈従がなくなるのであります。

ほとんどすべての悪徳は、一切事物を「自己の心内(こころのうち)の存在だ」と気がつかず、独立せる外界を構成せる事物であるとして、自己の内界(こころのうち)を調べないで、外界をできるだけ多く、自己の所有としようとし、他を制して、他と争い(利己主義)、あるいは自己を忘れて外界に隷属(感覚的耽溺)することになるのであります。

かくのごとくして、いっさいをただ「自身の展開」と見ないものには、利己主義と「感覚的事物への隷属」とがこもごも生ずることになり、争い、嫉妬、羨望、憤怒、憎悪、焦燥、貪欲、虚飾その他あらゆる罪悪(真理隠蔽)が、「三界はただ自心の展開である」という根幹的真理の隠蔽の枝葉として繁茂するのであります。


考えてみますのに、「争い」というものは、いっさいをただ自心の展開としてみないで、幸福の源泉を「物」にありと観、あるいは自己の幸福を奪うものを他者にありとして、他に犯されまじとして防ぎ、あるいは他者を侵して他者より「物」を奪うことによって、自己の幸福を増大せしめようとして、互に侵し防ぐことによって生ずるのであります。

すべてが「自心の展開」である、ということが判明しますと、ただわれわれの幸福を得るための仕事は、互に争うことではなく、ただ自心をととのえれば自己が生きるとともに、自他一体なるがゆえに他者もともに生きるという幸福なる環境が展開し、いっさいの争いは滅尽(めつじん)してしまうのであります。

羨望、嫉妬、憤怒、憎悪などという対他的悪感情は、争いと同じくいっさいを「自心の展開だ」とみないために起る第五、第六等々・・・の神性隠蔽として起るのでありますから、羨望するな、嫉妬するな、憤怒するな、憎悪するな、などと一々その悪徳について従来の「なかれ主義」の修養的倫理学によってこれを制しようとしましても、なかなか制しきれるものではないのであります。

それにはどうしても「生長の家の倫理学」によって「いっさいは自信の展開である」との真理をきわめ、それを実証的に自己自身の上に体験して初めて、対他的に争っても憤怒しても嫉妬しても羨望しても憎悪してもなんにもならない。

ただ自心を豊かにすれば、物が豊かに集まる。ただ自心を尖らせれば、自己を鋭く刺すがごとき尖った環境がやって来る。

すべては自心のとおりのものが現れて集まって来ることを如実に悟ったとき、自然にいっさいの対他的悪徳が消滅してしまうのであります。

2893a hope:2014/06/03(火) 18:43:21 ID:cEpBaIdo
>>2892 a hope 所感)

<<考えてみますのに、「争い」というものは、いっさいをただ自心の展開としてみないで、幸福の源泉を「物」にありと観、あるいは自己の幸福を奪うものを他者にありとして、他に犯されまじとして防ぎ、あるいは他者を侵して他者より「物」を奪うことによって、自己の幸福を増大せしめようとして、互に侵し防ぐことによって生ずるのであります。

すべてが「自心の展開」である、ということが判明しますと、ただわれわれの幸福を得るための仕事は、互に争うことではなく、ただ自心をととのえれば自己が生きるとともに、自他一体なるがゆえに他者もともに生きるという幸福なる環境が展開し、いっさいの争いは滅尽(めつじん)してしまうのであります。>>


ここに、「和解の方法」がしっかりと示されていますよね。
『聖典裁判』真只中の「生長の家」ですが、雅宣先生はじめ「教団」や「本流復活派」の講師の先生方は、
練成会や講習会でこの真理をどのようにご指導くださるのでしょう?

a hopeは興味津々です。

2894a hope:2014/06/05(木) 08:28:30 ID:cEpBaIdo
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「生命の實相」第13巻 p125

第五章 実相を隠蔽する驕慢と自卑

第一の神性隠蔽(罪)としては「神我一体」の実相を包んで見ざること、第二の神性隠蔽としては「自他一体」の実相を隠して見ざること、第三の隠蔽としては「隠蔽(つみ)の隠蔽(いんぺい)として自己弁解すること、第四の隠蔽としては外界がただ自心の展開なる事実を観ず悟らず、外界をもって自分に対立するところの有限の世界だとして観じ、自心の整理を先にせず、物に執し物を奪い合わんがために、兄弟と相争い――ここにこれら四つの根本的神性隠蔽が相寄り相混じて、種々なる罪を構成するにいたるのであることは、前節までにおいて詳細説明せるところであります。

「物あり」と思うがゆえに、物に執着し迷うのであります。「物」が自心の展開であるということが判れば、自心を整えるよりほかに物を得る道はないので執着が破れてしまうのであります。

「自他一体」の事実が悟れないゆえに、利己主義が生じ、利己主義が、「物あり」という迷いと混合して、貪欲、怒り、憎み、嫉妬、虚栄などの諸罪を構成するので

2895a hope:2014/06/05(木) 08:31:10 ID:cEpBaIdo

>>2894 a hope 所感)

この部分は、今回のテキストである倫理篇のお勉強に入る前に、一度謹写させていただいたものの再掲載ですが、
「神性隠蔽」(罪)の仕組みがわかり易く説明されていると思います。

今まで、テキスト内容をじっくりお勉強してきましたので、今、あらためて拝読してみると、その言葉の意味がさらによく理解できるようになりました。


「罪なし」の生長の家の教えであっても、例外的にこの「四つの罪」は認めているようです。

<<ここにこれら四つの根本的神性隠蔽が相寄り相混じて、種々なる罪を構成するにいたるのである>>


「罪」とは ・・・

1、「神我一体」の実相の隠蔽
2、「自他一体」の実相の隠蔽
3、自己弁解
4、兄弟との相争い

2896carpinteyroywz:2014/06/05(木) 21:04:27 ID:???
|Avoid hot water when bathing and showering. Hot water causes your pores to open and lets natural skin oils escape. These oils are essential to keep your skin moisturized. The easiest way to avoid this is to use warm or tepid water. Doing so is more likely to keep your skin soft. You will also save money on energy bills.

2897曳馬野:2014/06/05(木) 22:20:10 ID:I/wU8psA


>>2893  a hope さん

すべてが「自心の展開」である、ということが判明しますと、ただわれわれの幸福を得るための仕事は、互に争うことではなく、ただ自心をととのえれば
自己が生きるとともに、自他一体なるがゆえに他者もともに生きるという幸福なる環境が展開し、いっさいの争いは滅尽(めつじん)してしまうのであり
ます。

ここに、「和解の方法」がしっかりと示されていますよね。
『聖典裁判』真只中の「生長の家」ですが、雅宣先生はじめ「教団」や「本流復活派」の講師の先生方は、
練成会や講習会でこの真理をどのようにご指導くださるのでしょう?

a hopeは興味津々です。
************************************************************************************
a hopeさんの云う事、笑っちゃいますね。この『生命の実相』の言葉が真理であると云うのであれば、
【ここに、「和解の方法」がしっかりと示されていますよね。】と「しっかりと」の修辞つきで断定しているのですから、ご自分が実践しさえすれば事足
れりではないですか。興味津々です、なんて周りを冷やかす必要はないですよ。【和解の方法】なんて言い方、そもそも可笑しいでしょう。第三者として
評論家になっているからこその発言ですね。あなたの心の影としての外界しか無い、というのが上の真理の言葉の意味でしょう。
雅宣先生や教団本流派の講師の先生方、というあなたと別人の見解なんて何で関係あるのですか。ご指導くださるのでしょうか、なんて言い方は、
「私から見たら皆さん真理の実践がありませんね」と云うのと変わりません。そのように自分と切り離された周りの人々がいる、と自ら真理に外れている
ことを表明しているのですよ。まして向こうに出張ってまで自分の信念を述べる、これは恥の上塗りでありましょう。

2898SAKURA:2014/06/05(木) 22:47:58 ID:3/pn4/Pc
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  

*========*【 いっさいのものを拝め ―その3 転載編 ― 】*=======*=======*

「生長の家」は、ここに明らかに生命礼拝の宗教でありますが、
原始人の生命礼拝の宗教とはちがう。
原始人は物の奥にある実相などというものを知らない。

だから生命礼拝といっても浅薄な現象の生命の礼拝であったので、
現象そのもを不思議がって礼拝していたのであります。この現象の奥の実相を観て礼拝することを
教えたのはまず『法華経』であります。
生長の家と仏教とは根本において少しもちがっておりませんけれども、現在世人が
普通に考えられている仏教というものとはややちがうのであります。

というのは、釈迦の説き方がわるいのでない、釈迦の説き方を理解することができなかった後の
祖述者が教祖の正説を完全に伝えなかったというわけであります。
仏教では「色即是空」――物質は空であると、こういうぐあいにいうのであります。

「生長の家」でも物質は本来空であるというのでありますが「生長の家」では
もう一つ「空」を越えた存在に「実」というのを付けているのであります。
仏教でもむろん「実相」という言葉は使っておりますけれどもそいつが時々誤れまして、
実相はすなわち空なり」というぐあいに説いている人が多いのであります。

実相を空であるとすると、そうすると、その「空」とはどんなものであるかというと、
空であるから、空気みたいで、エーテルみたいで形がない。形がないから、
何もないようなものであるから金剛不壊である。

たとえば空気はいくら斬っても斬れやしない。もう一つ空気よりも、手にも触れない、
エーテルみたいなものになってしまうといよいよ斬ることができないものである、
それであるから金剛不壊である。実相はエーテルみたいなものであるから自由自在であると、
こう実相を空々漠々なものとある仏教家は考える。

                    つづく

2902a hope:2014/06/06(金) 07:33:21 ID:cEpBaIdo
☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆

「生命の實相」第13巻 p128〜

実相我を隠蔽する自卑(じひ)

驕慢(きょうまん)はかくのごとく「肉体我」を強調させた果てに「われ神なり」もしくは「われ神と高さを競うべきものなり」との自覚に入(い)るのでありますが、「肉体我」は本来無いのでありますから、それをいくら強めていってもくだけてしまうのであります。

驕慢の反対に、実相我を隠蔽する罪としては、自卑があります。

自卑と謙遜とが相似ることは、あたかも驕慢と自尊とが相似ているがごとくであります。

驕慢は肉我に対する過度の信頼であり、自尊は実相我に対するまったき信頼でありますが、それと相対照して、謙遜とは肉我の価値なき誇るに足らざることの自覚であり、自卑とは実相我のまったきことを知らず認めず、われ全体を不完全無力な採るにたりないものとして、みずから卑しめてしまうのであります。

謙遜の裏には「実相の自覚」があり、実相を尺度として反省し、まだ足りない、まだ足りないと自分を伸ばしてゆくのでありますから、いくらでも無限に伸びてゆく可能性がありますが、自卑の裏には自卑があるばかりでありますから、生長することができない、常にみずからの不完全を嘆き、失望落胆自棄あるのみとなるのであります。

2903a hope:2014/06/06(金) 07:35:20 ID:cEpBaIdo
>>2902 まとめ)

驕慢・・・肉我に対する過度の信頼
自尊・・・実相我に対するまったき信頼

謙遜・・・肉我の価値なき誇るに足らざることの自覚 。→「実相の自覚」。
自卑・・・われ全体を不完全無力なものとして、みずから卑しめてしまうこと。→「実相我の隠蔽」

2905SAKURA:2014/06/06(金) 22:08:38 ID:Do8GpIFQ
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(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  

*========*【 いっさいのものを拝め ―その3 転載編・引用編 ― 】*=======*=======*

■ところがもしわれわれの実相というものがエーテルみたいなものであって、空々漠々のもで無色
透明の、ちっとも美しいこともなんともない、そういうふうなものが実相であって、変化の姿、美し
い姿というものは幻みたいな何もないものであると、こういうふうに説くまちがった仏教者に従って
「汝ら実相に還れ」という教えを生きることになったら、空になる、エーテルみたいになる、死んで
超高熱度で焼かれて、透明なガス体になるのが、仏教に従うことになってしまう。これではさしずめ
三原山の浅間山の噴火口に賑うことになるのでありますが、これではいけないのであります。

 空を単に解すれば実相というものはそんな空じゃないのっです。空は現象であって、実相は空では
ない、それは無限荘厳の世界である。無限の荘厳(うつくしき)のあるせかいなのであります。
ここが大切なところでありまして、『法華経』以前の仏教では「一切皆空」となっているのであります。
『華厳経』なんかでも、心・仏・衆生三無差別であって本来空のものである。心が悟れば仏になり、
仏が迷えば衆生になる。そうして仏といえども本来は空であって、なんにもないようなものであると、
こういうぐあいに説いてあるところがある。そうするとわれわれが悟りを開いて涅槃寂静、本来の
実相に帰するということは空になってエーテルみたいなものになることだとこういうぐあいに考え
られる。そうなると、われわれは首でも縊って自殺してしまったならば、座禅も禅定も要りはしない。
そういうエーテルみたようなものがわれわれの生命の実相であり、それに帰するのが実相に帰する
のだとしたならば、生きているのは何のために生きているのだかわからない、こういうふうに仏教
をまちがって解釈した人が多かったのが仏教衰頽の原因なのであります。

                         つづく

2906SAKURA:2014/06/06(金) 22:10:27 ID:3/pn4/Pc
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  

*========*【 いっさいのものを拝め ―その4 引用編 ― 】*=======*=======*

PS:「トキ様 」へ「観覧者の皆様」へ
■只今!また「霊界通信」に此処昨今は、ハマって!読みふけっています。
「霊の世界」では、一人一人各自が「死後の世界」で導かれて行かれる世界は違うとの事!!
そして、さらに「悪霊」もしくは「憑依」とかの話なのです。…が?当時の「イギリス」での事です。
或る精神病院の博士は、「悪霊」に憑依された人は、その実験をなされ、その博士は〜〜〜?
「迷える霊」との対話の基本あるモノとは、一刻も霊的実相に目覚めさせて、迷いから救って
あげると同時に患者も正常に戻してあげたいという……では!どのような実験かと申しますと、

>>迷える霊を救うことに、三十年以上も、続けた精神科医は
米国人ですが、まず、「精神病」は“憑・依”であるとして、自ら考案した特殊装置で、患者に静電気を
掛ける。すると、その電波が霊にはカミナリに当ったような反応をするらしく、いたたまれなくなって、
患者の身体から離れる。そこを、この時と言わんばかりに…つかさず「背後霊団…」が捕えて、
今度は「霊媒」であるウイックランド夫人に乗り移らせる。霊は生身の人間に乗り移っているという
自覚なしにに霊媒師と対話を交わし、次第に自分の置かれている実情に目覚めていく。
これを“超霊実験”と言われるそうです<<。

このお話から【先祖供養】も「地・獄」に行かれた方には、まず!目がつぶれているのですョネ!
別の表現では〜〜〜『真っ暗な世界』そこからの〜〜〜精神の修行は??まず!無理ですが?
この方は、それでも〜〜〜「供養」もある面では、大事です〜〜〜ョネ!!
「西・洋」でのこの博士の「供養方法」も、それなりに『霊界の供養…救出は大事だと』思いました。

■【迷える羊】は、まず!!!【真理=心の展開】からだと思います。
今!今!私にかせられた課題は〜〜〜【出来る事をもっと!もっと!有言実行…】と思いました。

                             再合掌

2907SAKURA:2014/06/07(土) 20:57:15 ID:3/pn4/Pc
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  

*========*【 いっさいのものを拝め ― その5 【転載編】 ― 】*=======*=======*

■けれども、『法華経』は決してこの、そういうエーテルみたいな千遍一律の、空気よりも
まだまだはかないような同質平等な世界を説いているのじゃないのであります。

『法華経』の「自我偈」に書いてある実相の世界は、一様平等なホモジニヤスな世界では
なく、実に実に美しい世界が書いてある。園林諸々の堂閣、種々の宝をもって荘厳せり、
宝樹華果多くして衆生の遊楽する所なりと書いてある。

あれが本当の実相の世界です。

言葉に現わしてあるからまだ完全に現われてない。
それはただ形容が書いてあるだけでありますけれども、あれが実相の世界であります。
その美しい実相の世界が、われわれの五官のレンズを通して眺めると、そのレンズに
曇りがあるから今われわれが肉眼で見ているような、こういう美しさやら、汚れやら、
愛やら、争いやらが取り交ぜて現われている。美人もあれば、病人のような憔悴した
醜い相もあるというふうにでているのでありますけれども、本当のわれというものは
「無限荘厳の我」である。活気溌溂たる無限に生きる力を持って、無限荘厳の身を持ち、
無限荘厳の世界の中に今現に住んでいるのであります。

今現にその実相世界に住んでいるのです。

今現に住んでいるその世界を、肉体が死んでからそういう実相荘厳の世界へ住くのだと
思うとまちがいであります。衆生劫尽きて大火に焼かるると見る時にも、病苦にて痩せ
さらばうて貧しい病床にいるように見える時にも、今現に、われわれは宝樹華果多き実相
の国土に安楽身を逍遥させているのです。

今現に実相の国土にいるけれども、五官のスクリーンすなわち網目を通して、下へ映る
世界は縦・横・厚みだけしか映らない。それ以上のひろがりの世界はスクリーンの上に
あって残っているので、われわれの五官という網目を通して見るとどうしても縦横厚み
の三次元しか見えない。

その三次元だけでも完全に原型そのままに見えれば良いのだけれども、念のレンズに凹凸
さまざまの歪みがあるために、真直な顔が歪んで見えたり、近眼でないものが近眼に現わ
れたりしている。

それでその念のレンズの無明(くもり)というものを断ってしまったら近眼が近眼でなくなり、
あるいは病人が病人でなくなるというふうになる。けれども、ここに健康になり、近眼の治っ
た人間でも、それが五官に見える現象人間である限り、まだまだ本当の人間ではない。

それは本当の無限荘厳の、無限の美しさ――その何といおうか、言いようのない、無限の妙なる
実相人間の姿を、ただ縦横厚みの三次元(みっつのひろがり)だけを撮影する写真機で映した
人間なのです。

                     つづく

2908SAKURA:2014/06/07(土) 20:58:33 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【引用編】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  

*========*【 いっさいのものを拝め ― その6【引用編】  ― 】*=======*=======*

PS:「トキ様」「観覧者の皆様」 へ 
【念の具象化】は、それぞれ“環・境”によって異なります〜〜〜ョネ!
ある人は裕福な生活をしている。ある人は生活貧窮に陥ってる環境それぞれ見方は
異なるのです〜〜〜ョネ!そうしますと【念の具象化】もまた異なる訳です〜〜〜ネ??

さて【念…】とは、その人の持ってるモノ=人格形成=思考になりますから、見方は
いろんな形で〜〜〜「変・形」!!

■私達の住んでいますこの「地・球」自体…現実!現象!が〜〜〜これが「三次元」なのでしょうか?
もしくは?あの世の集合体…此処では全て「思・考からのスタート」で〜〜〜す。

しかし、私達!現実の生活園内は「地球を自転」として動いています“環・境”……
言い換えますと…思うのですが??
「現象・現実として…五官の世界で見る事の出来ます“地球”を中心」にでしょうか?

此処で【霊の世界】では〜〜〜♫
「思考」で動いていますから、ここからも「念の取らえ方〜〜〜?」はと思いました。

【念=思考】もやはり、すべてが環境から来る訳ですから、今の私は、今現在、置かれて
います現状の出来事での【思考】よりも、
まずは、この「思考」を「4次元…の世界観での優先にと…」この様な【訓・練】が〜
大事ではないか〜〜〜な??と思えるようになり、現象で物事を理解するのではなく!

モット!モット!「心の目」を見つめての「無限なる思・考」……
此処からが本当に【こころが〜〜〜形に現われた世界観〜〜〜】が出現!!
これが……「谷口雅春先生」の…
>>それは本当の無限荘厳の、無限の美しさ<<が、
必ずや!「現象世界」でも現われるモノと…確信した次第なのです。     再合掌

2909SAKURA:2014/06/08(日) 19:58:17 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  

*========*【 いっさいのものを拝め ― その7【転載編】  ― 】*=======*=======*

■それからじゃ無限次元の複雑な美しさが捨象られている、ただそれが比較的歪みなしに映って
いるのは、健康な人間として顕われているのであります。

そうして誌友皆さんの家庭生活等でも、「生長の家」へ入信して以来、本当に極楽のような円満な
家庭が出てきたという事実がたくさんありますけれども、たといそれが極楽の“よ”う“な家庭で
ありましても、現象世界の極楽状態は本当の実相の極楽状態には及ばないのであります。

ともかく、われわれは現象を見て現象だけを見てそれを全部だと思ってはいけないのです。その現
象の奥にある実相を見、そこに十全なる神の相、実相の円満な相を観て、そうしてそれに対して敬礼
をするという気持にならなければならないのであります。

蓮如上人は「一枚の紙もすべて仏物である」と言われたそうでありますが、その心持こそ大切である。
「生長の家の経済学」には「物質は無限供給であるから使うほど殖える」ということが書いてあります。

「使うほど殖える」から、紙でも無暗に一字ぐらい書いて紙屑籠に捨てると、これは大変経済循環を
よくしていいことだろう、こう考える人があるかもしれない。しかし、それは嘘である。
本当に使えば使うほど殖えるけれども、それは破って捨てるのは使うのじゃないのです。

われわれは一枚の紙にも、その背後に神の生命を見、神の無限の光を見、神の無限の愛を見、
これを拝まずにはおれない。これを礼拝して使わずにはおれない。今までは「もったいない」ということ
は棚の上に上げて蔵って置くとこういうふうな考え方が多かった。
それで「もったいない、もったいない、食べたらもったいない。着たらもったいない」と、戸棚や箪笥に
入れて置くという、これじゃいけないのです。

神の生命は、使ったら減るというふうなものでない。実に立派なものであるから、この立派なものを、
その顕われている生命の働きを十二分に発揮させて使うほど殖えるということになるのであります。

無限供給であるから破って捨てるというのじゃなにのであって、用途に従ってそこに顕われている
神の生命を使うほど、神の生命がはっきり顕われてくる、それが無限供給である。
使えば使うほど殖えるということになるのであります。

「物質は無い」ということは、そこに何も無いということではない。みんな仏物である、
みんな神の生かす力の顕現(あらわれ)である。その奥には物質ならぬ実相があるということであります。
これを履き違えると大変なまちがいになるのであります。

                         つづく

2910SAKURA:2014/06/08(日) 20:00:15 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【引用編】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  

*========*【 いっさいのものを拝め ― その8【引用編】  ― 】*=======*=======*

PS:「トキ様」「観覧者の皆様」へ
そうです〜〜〜ョネ!物に関しても、私たちの世代は、どうしても?「親譲りの癖」が…
まるで伝統みたいに、ありますでしょうか??【モノを粗末に使用してはいけない!!】と…
或いは【質素倹約】…etc と言って、捨てきれない事が〜〜〜私もそうですが?
いつの間にか【ゴミの山…と】です〜〜〜ョネ!きっと〜〜〜「両親の時代」から受け継がれた?
いい事か?悪い事か?別問題と致しまして「親達の癖」…これは、戦争体験からの【物の無い時代】
…受け継ぐ事になりますのでしょうかしら〜〜〜ン!

今回!「亡きの母」の遺品の品の数々の整理に、正直!私も“思い出”があり、捨てきれなくて、
これが〜〜〜かなりあり、部屋が〜〜〜狭くなってしまいました。…が?今回!あるキッカケから、
全てを処分する“決心・決断”が出来たのです。!!

■それは〜〜〜人間は“霊・的・人・間…!”なのです〜〜〜ョネ!『ステッドの書籍』から〜♫

この頃では、死後直前に私に知らせてくれた「亡き母の白い〜白い〜丸い〜丸い〜御霊様」…
「亡き母」は?どこの部屋の世界に移動していますかと?勿論!知る由もありませんが「亡き母」の
大事なモノは〜〜〜きっと『心の想念』で、『霊の世界』では、全て目の前に出てくるようです。
きっと「亡き母」も、そのような『世・界』にいるモノと思えるような気持になりました。

それから「パートナーのお母様」が、若い頃に着物など、殆ど!手を通してないモノがあり、
多分〜〜〜きっと当時は、もったいない!もったいない!といって、着る機会を失くしたのでしょうか?
それから、【宝・石】も〜〜〜そうです。…が?
その年齢に応じたときの宝石の品があるモノと…それに身に着けて…それが活かされる「年齢に応じ」…
と言いましょうか?或る「一定の年齢」になると、これは【宝のもちぐされに等しい】モノへと、
移り変わっていく事と〜〜〜これが【無限供給】が?消えゆくのカモ〜〜〜><
さて、私も〜〜〜「もったいない!もったいない!〜〜〜のこのコトバ」から、今からは?
ドン!ドン!使用していきたいと思いま〜〜〜す。

今現在、沢山の『シルクの生地』があり、或る人は「スカーフに作られて商品化したら?」と…
言われました。当時の私は『シルクのスカーフ〜〜♫〜〜に??』…正直!ピンと?きませんでしたネ!

先に、どうしても「もったいない病」と言う感情が〜〜〜どうしても芽生えたモノでしょうか?
今では『お蔵に保管する』よりも、これを活かす事が『無・限・供・給』なのです〜〜〜ョネ!!

私は、実に、かなりの『無限なる宝物…失くしていたのでしょうネ』この様に思える昨今です。
今から【無・限に広がるアイディアを活かそう!みんな一人一人の…心を駆使しての運・動!】
このような『心の想念』をしていきま〜〜〜す。

■「神様」へ〜〜〜『天の倉に〜〜〜届け〜〜〜!願いを〜〜〜!』    

再合掌

2911神の子さん:2014/06/08(日) 21:44:55 ID:JJ2GRsqw

素晴らしい御教えを初心に帰って、学びましょう。 (106)
日時:2014年06月08日 (日) 18時36分
名前:感謝感激雨霰



素晴らしい御教えを初心に帰って、学びましょう。

http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/36749841.html
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ええ…すごすぎる。。 (107)
日時:2014年06月08日 (日) 18時41分
名前:奈良の幽斎殿フアン



今朝の幽斎殿は、すごすぎる。

有り難いです。。。

2912トキ:2014/06/08(日) 21:47:33 ID:IhPq/Qug
>>2910

 質素倹約はいいと思いますよ。
ただ、程度が大事なのでしょうね。

 私も気をつけたいと思います。

2913a hope:2014/06/11(水) 10:04:38 ID:cEpBaIdo
☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆

「生命の實相」第13巻 p130〜

不信仰は迷信の因(もと)

恐怖、臆病は究極において自卑の一種でありますが、焦燥不安の状態を喚起し、神への従順――ジッと大きなものにお委(まか)せすること――ができないような状態にいたらしめるのであります。

お委せの心がないから恐怖する、恐怖するからジッと委せておくことができない。

二つの隠蔽は、互に相反映して、ますます実相無畏(むい)の状態を隠蔽(いんぺい)してゆくのであります。

実相本源の神に委すことができず、実相無畏の状態が隠されてきますと、何か物質的な眼に見えるもので霊妙な働きをするものに頼らずにはおられなくなる。

そのためにいろいろの迷信発生し、偶像崇拝となり、本源神を忘れて、霊媒に乗りうつって出てくるいろいろの霊たちの教えを本源の神の示しと取り違えて、まことしやかに信ずることになるのであります。

ここにまた実相の神を隠蔽(いんぺい)する隠蔽(つみ)を生ずるのであります。

霊媒信頼は、かくのごとく実相本源の神にお任せすることができない不信仰のあらわれなのであります。

淫嗣邪神(いんしじゃしん)の崇拝も、人から見たら「あの人は信心深い人だ」と思われるかもしれませんが、また本人も自己を信心深いと思っているかもしれませんが、決して本当に信心深いのではありません。

それはかえって実相本源の神を信じないから、アチラの神を拝み、コチラの神を拝するようになるのであります。

2914a hope:2014/06/11(水) 10:06:37 ID:cEpBaIdo
>>2913 a hope 所感)

「実相本源の神」とは、「自分自身の実相」のことになるのだと思います。
そして、「神我一体」「自他一体」の真理から考えると、目の前に現れた自分とはかけ離れているように見える人物の中にも、
全て自分と同じ神(実相)が宿っていて、兄弟であるどころか、その人とは一体だということになります。

だから、わたしたちは本来「アチラの神を拝み、コチラの神を拝する」必要はなく、
目の前に現れている人間を、自分だと信じて、神だと信じて、常に拝んでいればいいのですね。

常不軽菩薩のような心になることこそ、生長の家の「実相礼拝」なのだと思いました。

なかなか難しいことだと思いますが、これができた時が大調和の時ではないかと感じています。

そういえば、わたしが入信したばかりの頃(4年前くらいですが)は、出会うと必ず信徒の皆さんはお互いに手を合わせて、
「ありがとうございます」と言って、拝み合っていたような気がします。

最近の生長の家は、どうなのでしょうか?

2915SAKURA:2014/06/11(水) 20:33:21 ID:TJDm.2/U
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【引用編】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  

*========*【 いっさいのものを拝め ― その9【転載編】  ― 】*=======*=======*

 生命は生きるから生活であります。我れ神の子なりと知ったら、神の子を“今”生“き”る
と、いうことと、これが神の子を知るということであると申しました。それをまた客観界の
ものにしましたならば、神が一枚ここにある。この紙一枚が、その奥にある実相を見れば、
それが仏様であり、神様であって、ここに神の生命が現われているということを知れば、
それを“生”き“るということは、ことごとく与えられたる生命を完全に発揮させるという
ことです。この「生命を発揮させる」ということが紙を使うということです。すると使えば
使うほど殖えるのであります。この一枚の紙の使命を完全に発揮させたならば、そこに神
の生命が生きてきて無限供給ということが出てくるのであります。

 光明思想普及協会(この仕事は、現在は財団法人世界聖典普及協会がしている)が設立いた
しまして、たくさんの働く人が要るからというので就職希望の人は、就職希望願いを出してお
きなさいというふうに、広告が出ておりましたら、それに対して、就職願いをお出しにな
った方がたくさんある。そのすべての人に対してはまだ返事を差し上げていないのであり
ます。写真をみな写真ブックに貼りましてそれに番号を付し、そうしておのおの経歴を表
のようにして写真と経歴とを一目瞭然としてわかるようにして事業の伸張するに連れて
この人が欲しいなという人を一人来て下さいというふうに通知をすることになっておりま
す。そうして現在ではもう百名以上も社員が出来ているのであります。おころが、こんな
人がある。「実はわたしは生長の家の誌友になって実に自信に満ちておる、自分の願うこ
とは必ず成就すると信ずる、それで光明思想普及会へ雇われようと思ったら必ず成就する
とわたしは信じて、今まで余所に働き口があっても、働かずに何もしないで待っておりま
したが、とうとう一文も無くなりましたから、どうぞ使って下さい」とこういう人があり
ます。なぜこの人は働き口があっても働かなかったのでしょうか。今自分が神の子である
ということを知ったら、今「神の子」を生きるということを知らなければならないのです。

この一枚の紙ですらも、この一枚の紙の使命を発揮させるということが“生きる”という
ことである。いわんやここに人間がいるのに、今を生きるということを知らないで、「自分
の希望は必ず成就さしてくれるであろうから、成就さしてもらったら、雇ってもらったら
働こう、それまではまァ待命だ」とこう思っている――会社や軍隊なら待命があるかもしれま
せんけれども、この宇宙という「大生命の会社」には待命の期間というものは一つもないの
です。今ここに自分が生命として現われている限りは“もう常に現職です。

                      つづく

2916a hope:2014/06/12(木) 10:36:44 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆

「生命の實相」第13巻 「第六章 価値の本質 」 

(p135 4行目〜)
・・・存在するように見えていても、本当にそれがなかったら値打ちがないでしょう。
そうすれば値打ち本体は「本当に存在する」ということから始まります。
そこで生長の家では、「本当に存在する」ものを実相と申します。・・・(略)


(後ろから4行目〜)
・・・それでは「本当にある」というものは一体なんであるかというと、相対的に表れたり消えたりするものは、「本当にある」とは言えないのです。

真とか善とか美とか仏性とか神性とかいうものは、それが現れていても現れていなくとも普遍的に存在するものであって、そこに条件がととのったときに認識せられるように顕現するのであります。・・・・(略)


(p138 後から5行目〜)
・・・真、善、美と三つを同列に並べて説明する人がありますが、真とは本当にあるものということで、「本当にあるもの」の道徳的活動が善であり、「本当にあるもの」の芸術的活動が美であります。

人生の目的とはなんぞや?

といいますと、人生に「真(しん)」すなわち「本当にあるもの」すなわち実相を表現することであります。

2917a hope:2014/06/12(木) 10:37:41 ID:cEpBaIdo
>>2916 a hopeまとめ)

本当に存在するもの = 実相 (真・善・美・仏性・神性などの不偏的存在)
本当には存在しないもの = 仮相 (相対的に表れたり消えたりする物質的・現象的存在)

○真・・・本当にあるもの 
○善・・・「本当にあるもの」の道徳的活動
○美・・・「本当にあるもの」の芸術的活動
○人生の目的・・・人生に「真(しん)」すなわち「本当にあるもの」すなわち実相を表現すること

2918SAKURA:2014/06/12(木) 22:41:34 ID:TJDm.2/U
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【引用編】
>>2809>>2812>>2820>>2821>>2827>>2839>>2840>>2842>>2848>>2853>>2856>>2860>>2866>>2867
>>2871>>2881>>2890>>2891>>2898>>2905>>2907>>2908>>2909>>2910>>の投稿の続きです….。

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  

*========*【 いっさいのものを拝め ― その10【転載編&引用編 ― 】*=======*=======*

■現職ではない人は一人もないのです。それを自分で勝手に休職にしているから金も入らなくなり、
あるいは病気の人ならどんどん身体が弱ってくるのです。これは自分の生命を休職にさしているか
らです。

生命を休職にさしていたら経済的に窮迫し、肉体的には生命が涸渇してくるのは当然のことです。
われわれは常にこの「宇宙大生命の大会社」の中に常に現職で雇われているということをしらな
くちゃならないのです。そうすればどこにいても現職の社員であるから、一生懸命に今働かな
くちゃならない、これが肝心であります。今、普及会に働いておられる人でも、雇ってあげると
いわないうちから、勝手にやってきて一生懸命荷造りしたり外部で一生懸命に宣伝していたよう
な人が多いのです。

その中に「あの人あんなに頼まないでも働くのだから入社させて上げたら」ということになって
社員になっておられる人もあります。こんな人は、光明思想普及協会の就職の辞令はずっと後に
出たかもしれないけれども、実相では宇宙大生命の会社に就職していた人です。

ところが、じっとしておって、「わたしは就職するにちがいないのであると思念していて、それま
で何もしないでいましたら、無一物になりました。生長の家を信じたら無限供給だと思って、信
じてじっとして待っていたのですからぜひやとって下さい」と、そういうようなのは、ちょっと
根本の解りようがまちがっているということになるのであります。

常にわれわれは自分の生命を、あるいは「物」の生命を、百%生かすということが必要なのであ
ります。人間に雇われなくても、大生命に雇われて働けるような人でなければ、本当に雇ってみ
ても本当に働けやしないのであります。
                     つづく
PS:「トキ様」  「観覧者の皆さま」 へ
複雑な心境です…。確かに!勉強もしなければ〜〜〜いい点を取る事はできない事。。。
ここが〜〜〜“努・力”なのです。…が?神の生命を生かす事とは、大生命をフルに使う!使いきる!
事でしょうかと??
当時の「雅春先生時代」の「職員の採用」は〜〜〜??如何なる募集法なのでしたかと??

私の記憶では?今回の記載されています事が、全てそのような形での「社員採用」がなされたとは?
或る面!言い難い面が見えます。…が?更に「信者」に対しての〜〜〜『見方』の伝統は?
どうだったかと思いますと、今にしてみますと、当時の「亡き両親の見方」…そして、
「私達の世代の見方」が、そこに時代背景も含めての【偏・見】が生じているように思えます。

「私の同世代の方」は、逆に【就・職】は〜〜〜当時「大卒は?本部職員としての希望」は?いたのでしょうか??
知る限り〜〜〜当時は、殆んど「企業就職」に行かれた方が多いように思えました。…が??
当時!知りあいの幹部は「大卒」が入社して来ないので、困っているとか?当時の教区幹部の大人の人が
言っておりましたが、それくらい「大・卒」は少なかったのです〜〜〜ョネ!
ですので、此処からも〜〜〜ある面では「矛・盾」を感じるモノがあります…。

■当時の採用の仕方を見ますと〜〜〜どれが正しいのか〜〜〜複雑です…。
現在の状態からも見ますと、自ずから「答え…」が出てきます。
〜〜あまりにも〜〜あまりにも〜〜他人任せが〜〜〜浮き彫りに感じる次第です…。

【いい人材…確保】〜〜これは『信・仰』という立場では〜〜どのように考慮すべきなのでしょう。

                                  再合掌

2919SAKURA:2014/06/15(日) 17:37:55 ID:TJDm.2/U
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【引用編】
>>2809>>2812>>2820>>2821>>2827>>2839>>2840>>2842>>2848>>2853>>2856>>2860>>2866>>2867
>>2871>>2881>>2890>>2891>>2898>>2905>>2907>>2908>>2909>>2910>>2915>>2918>>
の投稿の続きです….。

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  

*========*【 心を清く空虚にせよ ― その1【転載編&引用編 ― 】*=======*=======*

■「心の清き者は神を見ることを得」*ということは、キリスト教のパイプルにある句であり
ます。「心の清き者」というのはどういうものであるかというと、何も無い人です。何もない
人が「心の清き者」です。つまり「我」のない人であります。この幼児の心を持ったものが
初めて真理を知ることができるということは、バイブルにも、『生長の家』にも書いてあるので
ありまして、われわれがいくら知恵や学問をもっておりましても、本当に心が虚無(からっぽ)
になっていないと本当の真理を受け容れることができないのであります。

きのうも、ある青年学生が来て、「水素と酸素とを合わしたら水になるという化学の実験を
見てきたが、その時気がついたことですが、なぜ水素と酸素とを合わしたらどうして水ができ
るか、その『どうしてできるか?』というわけを教えて下さい」といってきたのであります。

それは原子価の関係や、イオンの関係で水素と酸素とが合したら水になると説明すること
ができますが、その奥をまた尋ねて原子価がこう、イオンがこうであれば、なぜそう結合し
て水になるかの理屈をさらに尋ねられたら理屈では答えられない。これは理屈ではない事実
なのです。
「水素と酸素と合したら水になる」ただそれは事実だから否定できないのである。これは事実で
ある。あるいは酸素と水素と合したら炭になるというふうな理屈が仮に成り立ったところが、
ただ「酸素と水素と合すれば水ができる」ということが事実であれば、事実ほど強いものはない、
こう答えたのであります。世の中には妙な人があって、生長の家で病気が治る事実があるのに、
「宗教で病気が治るはずがない、もし治ったらそれは邪教だ」という理屈を製造して躍起に
なっている人もあります。理屈で「治らない」と弁証し、多数決で決定しても事実治ったら
仕方がないのであります。

 それと同じくわれわれが「神の子である」ちはなぜ神の子であるか、なぜ人間は神の子で
ないのかとこういったところが、神の子である、これはもう理屈ではないのです。
神の子であるから神の子である。

 よく「無明(まよい)はどうして無いのか」と、こういわれる。「無明はないから、ないのだ」
と、これしか答えようがない。いろいろ理屈をいうことはできます。ある程度まで、
八十パーセントまで、なるほど、なるほどと思われるくらいには説明もできますけれども、
いくら巧みに弁舌巧妙に理屈を説いてみたところが、事実そうでなかったら何にもならない。
ところがいくら理屈で言えなくても事実がそうであればそれはもう否定することができないので
あります。
                             続く
PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
心を清く空虚にしますには、「我」失くすことでしょうかと「谷口雅春先生」がおっしゃています。
そうしますと「我」とは〜〜〜相手を捌く心持ちも“我”なのですョネ!!
【 捌く=砂漠 】ですから、本当に“心を空虚”になることは『砂・漠』のような心持でしょうか??
 (微笑)何処までも〜何処までも〜何もない!無の世界!!しかし其処には【無限に広がるモノ】が??
                             再合掌

2920a hope:2014/06/16(月) 09:28:41 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆

「生命の實相」第13巻 p140〜

教育の目的

教育とは道徳教育にせよ、職業教育にせよ、芸術教育にせよ、知能教育にせよ、本来あるものを現れの世界に引っ張り出すところの方法、本当にある値打を現実の世界に延長しだしてくるということであります。
  
そこでこの人生の目的も、道徳の目的も、教育の目的も、芸術の目的もみな一つの本当にあるものに一致してくるということになるのであります。

むろんそれが一致してこなければならないというのは、それはすべての価値は本当にあるものに源を発するのであり、人生の目的は、本当にあるものを現すにあるからなのであります。

人生の目的がそうであるとしますと、道徳の目的も、芸術の目的も、教育の目的も、さらにもっと進んでいえば、あらゆる人間の文化活動の目的はいずれも本当にある値打をいかに現すか、ということが根本になるわけなのであります。

2921a hope:2014/06/16(月) 09:30:16 ID:cEpBaIdo
>>2920 a hope所感)

「人生の目的は何?」

これは、人間として生まれてきたからには、誰でも一度は考えることなのではないでしょうか?

人によっては哲学的に深く掘り下げて考えたり、精神世界に目覚めて来世に期待をかけてみたり、
また、魂や来世なんてないと信じて唯物的に勝手気ままに生きてみたり、人それぞだと思います。

わたしは今まで、人一倍、この「人生の目的」について考えて生きて来たと自負しています。
そして、たどり着いたのが、この「生命の實相」でした。

谷口雅春先生はご昇天されましたが、こんなに素晴らし聖典をわたしたちに残してくださいました。

だからわたしは、谷口雅春先生のご遺志を引き継ぐために、「生命の實相」をお勉強せずにはいられません。

2922a hope:2014/06/17(火) 08:23:26 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆

「生命の實相」第13巻 

教育の方法論の根拠 p141 後から5行目〜

今まで教育盛んにしてますます「悪」が盛んになったのは、「悪」を指摘し、「悪」を心の世界に描くようにしたからであります。

心の世界で「『悪』というものはないんだ、あるかのごとく見えても、それは心をそこから放下してしまえば本来無いのであるから消えるほかはない」と、全然考えないことにしますと、それで消えてしまうのであります。


ある宗教で「かんしゃくを起こすな」という御神宣をいただいたとする。

しかし癇癪を起すまいとしましても、腹が立つ。

「そんな値打ちのないことしなさんな」といわれるけれども、「値打ちがないこと」も、それが言葉で表現する限り、「アル」として表現されているので、人生は言葉の表現を模倣するものですから、腹立ちも「値打ちのないこと」も本来ないにもかかわらず消えないのであります。

2923a hope:2014/06/17(火) 08:24:17 ID:cEpBaIdo
>>2922 a hope 所感)

催眠術は、相手を催眠状態にして、暗示の言葉で相手の体や心を自由に動かしますが、
この「心の法則」は、自分の心の波動を整えることで、相手の心の波動もよくしてしまうという原理なのではないかと感じています。

また、反対に自分の心を尖らせて波動を悪くすれば、相手の波動も乱れ、不機嫌になったり怒り出したりするのだと思います。

ですから、この「心の法則」は個人の力では、より心情的に身近な家族や友だち、同僚、直属の上司などにはより強く働きかけるのでしょうが、
その一人一人の波動が集結して大きな集団になった時には、善いことにせよ悪いことにせよ、
信じられないような大きな力を発揮することになるのだと思います。

2926a hope:2014/06/18(水) 10:18:08 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆

「生命の實相」第13巻 p142〜

悪は実在しない

「悪しきもの」は「価値がない」、「あるものは必ず価値がある」「価値の本体はあるということである」だから、「価値がない」ということは本来存在しない、あるいは本当にあるものが現れていないことである。

ここまでわかれば釈迦の説かれた――「まことに『怨み心』をもってしては、怨みをとくことができない。『怨まない心』のみ『怨み』を解くことができる」といわれた本当の意味がわかるのであります。

憎む、腹が立つ、怨めしい!ああしかしながら、「悪」は恕(ゆる)さなければならぬから、恕してやりたいと、そんな心構えでは怨みは解くことはできないのであります。

実在の世界は善のみであるから、恨むべきような悪があるがごとく見えても、そんなものは無いんだ、ただ愛のみ実在であるから、彼は自分を愛し、自分は彼を愛している、これのみ本当にあると、これのみ実在であると、それのみを念じておりましたら、実在は「念」を表現の媒体として顕現してくるものでありますから、怨み憎しみは消えてしまって、本当にある愛の生活のみが顕現してくるのであります。

『甘露の法雨』に「仮想(かりのすがた)に対しては実相を以て相対せよ」とあるのはこれでありまして、これが「生長の家」の倫理学および教育学の根本になるのであります。


ともかく倫理学とは価値の学問であり、教育学とはその価値を引き出す学問であり、価値とは値打であり、値打は、有るという実相からくる。

そこで「ある」とは一体なんであるか、世界は見えるとおりにあるのではあるか、世界は「物質」でできているのであろうか、「心」でできているのであろうか。

今しばらくその点を再論してみたいと思います。

2927a hope:2014/06/18(水) 10:20:51 ID:cEpBaIdo

>>2926 a hope所感)

<<実在の世界は善のみであるから、恨むべきような悪があるがごとく見えても、
そんなものは無いんだ、ただ愛のみ実在であるから、彼は自分を愛し、自分は彼を愛している、
これのみ本当にあると、これのみ実在であると、それのみを念じておりましたら、
実在は「念」を表現の媒体として顕現してくるものでありますから、怨み憎しみは消えてしまって、
本当にある愛の生活のみが顕現してくるのであります。>>

ここにも、具体的な和解の方法が述べられていました。

「彼は自分を愛し、自分は彼を愛している」と念じていれば、「怨み心」は消えてしまうと書かれています。

そして、そう念ずることで、自分の中に「怨まない心」(愛)が現れた時、
現象的にも大調和が訪れる(本当にある愛の生活のみが顕現する)ということですね!

2928a hope:2014/06/18(水) 10:23:31 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第13巻」p54

仏陀の聖訓

「まことに『恨み心』をもってしては、その怨みを解くことはできない。ただ『怨みなき心』によってのみ怨みを解くことができる。このことは、永恒(えいごう)に易(かわ)ることのない真理である」とは『法句経(ほっくきょう)』の第五にある仏陀の聖言である。

「恨み心」をもってしては怨みを解くことはできない、「怨み無き心」によってのみ怨みを解くことができるなどと実にきまりきったことだというような、怒っている心は怒っているのだ、笑っている心は笑っているのだというようなあたりまえのことを仏陀は何故いったのであろうか。

これは「迷っている妄心」で「迷い」を無くしようと思っても、結局その迷いを解くことはできないものであるという真理を説かれたものである。

怨みを解くには、怨んでいる心でその怨みを解消しようと思っても駄目なのである。

「本来怨んでいない心」を出して来た時、怨みはひとりでに解けてしまってしるのである。

「暗(やみ)の心」で「暗の心」を消そうと思っても駄目である。

「光の心」を出して来さえしたら暗の心は自然に消える。

そのほかの心をもってしては「暗の心」はとうてい消えないのである。

「暗の心」は「無い」と知ったら、「怨み心」は本来無いと知ったら、もう暗の心は消えており、恨み心は消えているのである。

2930うのはな:2014/06/18(水) 16:32:20 ID:HRiaVPh.

   生長の家は『生命弁証法
  http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=1424

2931SAKURA:2014/06/18(水) 17:31:19 ID:TJDm.2/U
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【引用編】
>>2809>>2812>>2820>>2821>>2827>>2839>>2840>>2842>>2848>>2853>>2856>>2860>>2866>>2867
>>2871>>2881>>2890>>2891>>2898>>2905>>2907>>2908>>2909>>2910>>2915>>2918>>
の投稿の続きです….。

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  

*========*【 心を清く空虚にせよ ― その1【転載編&引用編 ― 】*=======*=======*

■「心の清き者は神を見ることを得」*ということは、キリスト教のバイブルにある句であり
ます。「心の清き者」というのはどういうものであるかというと、何も無い人です。何もない
人が「心の清き者」です。つまり「我」のない人であります。この幼児の心を持ったものが
初めて真理を知ることができるということは、バイブルにも、『生長の家』にも書いてあるので
ありまして、われわれがいくら知恵や学問をもっておりましても、本当に心が虚無(からっぽ)
になっていないと本当の真理を受け容れることができないのであります。

きのうも、ある青年学生が来て、「水素と酸素とを合わしたら水になるという化学の実験を
見てきたが、その時気がついたことですが、なぜ水素と酸素とを合わしたらどうして水ができ
るか、その『どうしてできるか?』というわけを教えて下さい」といってきたのであります。

それは原子価の関係や、イオンの関係で水素と酸素とが合したら水になると説明すること
ができますが、その奥をまた尋ねて原子価がこう、イオンがこうであれば、なぜそう結合し
て水になるかの理屈をさらに尋ねられたら理屈では答えられない。これは理屈ではない事実
なのです。
「水素と酸素と合したら水になる」ただそれは事実だから否定できないのである。これは事実で
ある。あるいは酸素と水素と合したら炭になるというふうな理屈が仮に成り立ったところが、
ただ「酸素と水素と合すれば水ができる」ということが事実であれば、事実ほど強いものはない、
こう答えたのであります。世の中には妙な人があって、生長の家で病気が治る事実があるのに、
「宗教で病気が治るはずがない、もし治ったらそれは邪教だ」という理屈を製造して躍起に
なっている人もあります。理屈で「治らない」と弁証し、多数決で決定しても事実治ったら
仕方がないのであります。

 それと同じくわれわれが「神の子である」ちはなぜ神の子であるか、なぜ人間は神の子で
ないのかとこういったところが、神の子である、これはもう理屈ではないのです。
神の子であるから神の子である。

 よく「無明(まよい)はどうして無いのか」と、こういわれる。「無明はないから、ないのだ」
と、これしか答えようがない。いろいろ理屈をいうことはできます。ある程度まで、
八十パーセントまで、なるほど、なるほどと思われるくらいには説明もできますけれども、
いくら巧みに弁舌巧妙に理屈を説いてみたところが、事実そうでなかったら何にもならない。
ところがいくら理屈で言えなくても事実がそうであればそれはもう否定することができないので
あります。
                             続く
PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
心を清く空虚にしますには、「我」失くすことでしょうかと「谷口雅春先生」がおっしゃています。
そうしますと「我」とは〜〜〜相手を捌く心持ちも“我”なのですョネ!!
【 捌く=砂漠 】ですから、本当に“心を空虚”になることは『砂・漠』のような心持でしょうか??
 (微笑)何処までも〜何処までも〜何もない!無の世界!!しかし其処には【無限に広がるモノ】が??
                             再合掌

2932SAKURA:2014/06/18(水) 21:03:41 ID:TJDm.2/U
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編・引用編】
>>2809>>2812>>2820>>2821>>2827>>2839>>2840>>2842>>2848>>2853>>2856>>2860>>2866>>2867
>>2871>>2881>>2890>>2891>>2898>>2905>>2907>>2908>>2909>>2910>>2915>>2918>>2931
の投稿の続きです….。

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  

*========*【 心を清く空虚にせよ ―その2【 転載編&引用編 ―】*=======*=======*

■人間はどうして神の子であるのか、人間はどうして物質ではないのか――ゆうべ
出た話ですが――人間はどうして神でないのか、こういったところが、これはそんなよう
な理屈が成り立っても、人間は神であるという事実があれば仕方がない。事実が実相であ
る。それできのうもある人が来られて言われるのに、「先生は実相は真理である、真理ほ
ど確かなものはないと言われますが、わたしはその真理という言葉が感心しない、理とい
うとなんだか理屈で本当の真ではない気がする。こんな気になったのは、先生実はある雑
誌に生長の家の妄評が書いてある、本を読んで病気が治るなんて、そういう馬鹿なことは
あるはずがない、もし治るのなら、生長の家が騷ぎ出してから、日本全人口の中ので何パー
セント死亡率が減ったか、何パーセント罹病率が減ったかということを示してみよ、生長
の家が宣伝し出してから、ちっとも日本人全体の罹病率は減ってはおるまいがな、という
ふうなことが書いてある。なるほどひと理屈らしいのですが、これは理屈です。日本人総
体の死亡率が減っていなければ、いくら個々の人の病気が治った実例があってもそれはウ
ソだとその雑誌は言っているのです。先生こんなのを事実を無視した理屈の『真理』と言う
のですなァ」と言われるのです。この人は生長の家で現に病気の治る事実を見て知ってい
られるのです。幸いに生長の家では罹病率の激減した会社の統計や、事故率が絶無に減じ
た鉄道の統計があったからそれを発表しましたが、仮にここに三十人の生徒が近眼であっ
た、その三十人の近眼が治ったら、近眼が三十人減ったということは事実である。理屈で
推論して、とっとも日本人全体の病人数は減っておらぬといっても、十人病気が治ったら、
事実十人病人は減ったのであって、これほど確実なことはないのです。理屈さえ通ったら
事実が消せると思ったらまちがいです。そのうち日本人総隊の死亡率が減ったとわかる
時代が来ると信じます。

ともかくこういうふうに理屈が心の中にいろいろと詰まっている。人は事実があっても
本当に素直に受容れることができない。現に眼の前で病人が一人減り二人減り続々と減って
おる事実を見ても全人口でどこが減っておるかという、こういうことを言いたくなってくる
人を、こういう我の理屈や塵挨を心の中にいろいろともっていて真実を受入れることが出来ない
人を、心の清くない人というのであります。

心の清き人は本当に神を見る、実相を見ることができる。心の中に塵挨(ごもく)が一パイ
にないからするすると真理が入るのであります。かえって幼児に、なんの学問もない、小さ
な五つ六つぐらいの子供が生長の家の真理を知り、神を知っているというような実例がたく
さんあります。
                           つづく

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」へ
実例?事実?〜〜〜これって…本当に「素直に受け入れる事」でしょうか??

■私事ですが?「私自身のフエイス」には【霊界通信…新樹】を投稿していま〜す。前回の
「ジュリアの音信」から続いての投稿なのです。…が?

実は、「トキ様」が紹介して頂きましてから「新樹の通信」を、一度!は、読んでいたのです。
今回、“ライティング”という事で、もう一度復習し直し!改めて「霊界の中身」が見えてきます。

                              つづく

2933SAKURA:2014/06/18(水) 21:05:25 ID:TJDm.2/U
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【引用編】
>>2809>>2812>>2820>>2821>>2827>>2839>>2840>>2842>>2848>>2853>>2856>>2860>>2866>>2867
>>2871>>2881>>2890>>2891>>2898>>2905>>2907>>2908>>2909>>2910>>2915>>2918>>2931>>2932
の投稿の続きです….。

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  

*========*【 心を清く空虚にせよ ―その2【 引用編 ―】*=======*=======*
>>2932 【転載編…投稿】の続きです…。

更に「ステッド通信」と交互に読んでいく内に、私達一人一人には【守・護・霊】がいますョネ!
海外の「イギリス」では、その方が亡くなられますと、その【守・護・霊】なのですが〜〜〜
年代の背景が余り大差がなく、身内とか?〜〜〜時代の誤差はあまり生じていないのですョネ!

ところが?「日本」の場合は〜〜〜何と!何と!「新樹の母様の守護霊」は〜〜〜
足利時代の方が【守・護・霊】という事で〜〜〜ビックリマークです。
更に「新授の守護霊」は〜〜〜かなりお爺様!!しかも『年代の差』があるように見えます。

そうしますと、このように【西洋】対【日本】との比較では?どうしても隔たりが……><
当時!昭和五年前後の中身にてなのです。…が?これも事実なのです〜〜ョネ??

■では「現在の私達」は〜〜〜どうなんでしょうか??「考える人」

しかも?思うに…現在の私達の【日本語=漢字】が〜〜〜簡略化に成り過ぎていますし、
更に、江戸から〜〜〜現在まで〜〜〜【幽・界】では殆んどが〜〜〜「地・獄」と思えてしまいます。

┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏
┏━━━┓
┃\_/┃ " ステッド通信からの言葉より〜♫〜 "
┗━━━┛            ■【 ステッドの言葉 】…
 この実在界では、いかなる存在との間にも親和力を感じます。地上で人間どうしで
感じる親近感よりはるかに親密です。その親和力がこの世界全体に光輝をを生み出して
います。地上のように光線となって放たれているのではありません。この世界の大気
に相当する雰囲気そのもが、明るい活性力をもった生命力にあふれているのです。

 ここで生命活動は壮麗という形容がふさわしいでしょう。大胆になるといっても
よいでしょう。幸福感に満ちあふれております。しかし、そうした恩恵に浴すること
ができるのは、地上で分別あるまともな生活を送った人間に限られます。

無分別な生活、自己中心の欲望に駆られた人生を送った者は、死後、困難と苦悶と悲哀
とが待ちうけております。げに、“蒔いたタネは自分で狩り取らねばならない”のです。
┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏

上記に【ステッド通信…】からの抜粋投稿なのです。
「ステッド氏」が【ブルーアイランド】から次ぎの界に上昇した世界の処を、
紹介しておりますが、【霊界の入口】には、【ブルーアインランド】・【サマ−アイランド】があり、
そこでも、厳しい現世での行為への「おさらい?」があるようです。そして、更には、その上の階級に
上昇して行く過程にても、やはり「過去のおさらい事?」があるのです〜〜〜ョネ!!
【 蒔いた種は〜〜〜自分で刈り取らなければならない 】…

■このような事でも〜〜〜或る人は信じる事となり?或る人はいや信じない事と?〜〜〜
これも?「死後の世界=あの世」…旅立って分かる事でしょうか??
「ステッド氏」は、この事を「理解出来る人」そして「それを信じる事」も〜〜〜
「素直な心」だとも言っています。

歴史上有名な…あの「タイタニック号」の現場で…「ステッド氏」はご自身の生命を顧みずに、
命がけで「700のボートに人々を乗せた救命活動」は〜〜〜スゴイ!一言に尽きますネ!!

さて!「トキ様」…これも【理・屈】で考えますでしょうか??それとも【屁・理・屈】???
やはり、すべて【真・理】をつかんだモノが〜〜〜【天国の門=狭き門】なのですョネ!!
                                再合掌

2936トキ:2014/06/19(木) 13:51:10 ID:9YaKBDTs
>>2933

 タイタニック号は、心霊現象に関する話題が多いです。
衝突を事前に予言していた人も多いみたいでした。

 理屈も大事ですが、事実は説得力がありますね。
科学理論でも、実験という事実で裏付けされて、初めて
真実だとされますから。

2940SAKURA:2014/06/19(木) 22:19:45 ID:TJDm.2/U
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【引用編】
>>2809>>2812>>2820>>2821>>2827>>2839>>2840>>2842>>2848>>2853>>2856>>2860>>2866>>2867
>>2871>>2881>>2890>>2891>>2898>>2905>>2907>>2908>>2909>>2910>>2915>>2918>>2931>>2932
>>2933の投稿の続きです….。

>>2936「トキ様」……お返事ありがとうございます。

最近!まじめに、取り組んでいるのです。…が??
今まで「心霊現象」を或る方は〜〜〜“タタリ…”とか??“魔物が取りつく…”とか??
そのように、子供の頃は、実に〜〜〜“怖い存在”でしたのですネ?

■私の「フエイス・ブック」に投稿するようになりましたキッカケは、最近!
【人間の心が枯れて行ってる状態〜〜〜??】ではないのでしょうか?

しかも!特に私の周辺に出没します…「皆様」も御存知の「吸血鬼・ゾンビ達」の
【常識のない行動】には〜〜〜モウ!モウ!モ〜〜ウ!と言いた感じで。。。
毎日毎日【心…がドンドン枯れて行っていました!】そのような時に、
正直申しますと「雅春先生の書籍本の数々」を読んでも〜〜〜><
また!【現・象】にどっぷりと?浸るような錯覚現象がおきていたので〜〜〜す。

或る時、何気なく「アマゾン」のコーナーから【ジュリアの音信】の本…
それも“本文”で「中古の本」〜〜〜それを注文して、その後!「心が何となく〜〜〜スッキリ!」
まるで!雲の間から…光〜☆!が……それから、去年!買っておりましたが「本棚」に…
「タイタニック号の書籍」が……その本を開きますと!何と!何と!【ステッドの通信…】

■ 【 人間は〜〜〜霊的人間〜〜〜魂は永遠〜〜〜!!! 】

また!また!その内容から〜〜本当に「真実論に展開して行く」のですから〜〜〜気が附きますと、
「谷口雅春先生のお言葉」が〜〜〜自称!前以上に理解が出来まして、この頃では
【神想観】が出来ない時は、電車の中で“瞼”をつむって…【瞑・想】その時?オカシナ現象事ですが?
【実相円満行…】をしている私なので〜〜〜す。

■現象で物事を見て行く時…どうかしますと【相手を捌く心】がどうしても心の中に…生じます。
その時の私は〜〜〜「人間!皆神の子なのだヮ!!」と云い聞かせて〜〜〜みても〜〜〜><
正直!なかなか「心…」そのモノが〜〜〜変わるわけでもない〜〜〜意味がないように思え〜〜〜
そこで“瞼”を閉じて【円満な世界観を描く…円満行】をしますと〜〜〜♫
不思議な現象事が〜〜〜起きるのです。
■やはり「人間は霊的に備わっている!」のです〜〜〜ョネ!そのように納得しています。…が?

※「トキ様」は?どのように思われますでしょう〜〜〜か??    再合掌

2945トキ:2014/06/20(金) 18:48:10 ID:yJ0/2CfA
>>2940

SAKURA 様

 素晴らしいご投稿、ありがとうございました。

 そういう細かいですが、大事なポイントを実行するのは大切ですね。
電車の中で、自分なりの実相円満唱行を実践して、それが効果があれば
掲示板をご覧になっている皆様に、その効果のほどを知らせるのは、そ
れも伝道だと感じます。

 頑張って下さいね。

合掌 ありがとうございます

2946SAKURA:2014/06/20(金) 21:13:35 ID:TJDm.2/U
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【引用編】
>>2809>>2812>>2820>>2821>>2827>>2839>>2840>>2842>>2848>>2853>>2856>>2860>>2866>>2867
>>2871>>2881>>2890>>2891>>2898>>2905>>2907>>2908>>2909>>2910>>2915>>2918>>2931>>2932
>>2933>>2940の投稿の続きです….。

>>2945 「トキ様」……お返事ありがとうございます。

※その中からの一部抜粋なのです。…が?
>>自分なりの実相円満唱行を実践して、それが効果があれば掲示板をご覧になっている皆様に、
その効果のほどを知らせるのは、それも伝道だと感じます。<< (トキ様の投稿文より…)

■確かに、そう思います。…が?ここ【2チャンネル】の方達の「上げ足論」には、どのような
真実でも〜〜〜果たして「理解度」となりますと?どうなんでしょうか??

今までの私は『おまじないのような感じ?』でした。…が??今回は、
【霊・界・通・信】から〜〜〜本当に、まず【心・の・浄・化・作・用】が大事なんですョネ!!

いずれ?『旅立つ世界=死後の世界』…私もこの世界に行きます時〜〜〜は??さて!
どのような「展・開」にと?思ってしまうので〜〜〜す。
何故なら【ステッド氏】が、生前の時に、出会った書物から…既に本人は、この「霊界の意味」が
判りかけて…まず!【信じる事…信じて其処からの活動事】で〜〜〜す。
いざ!『死後の世界=霊界』にいきますと〜〜〜死後は?本当に!その人の書物が正しいとの「判・断」
しかも信じたおかげで、無事に『霊界の世界』にスムーズにとけこんで行けた事と。。。

■これは?信じる!信じない!は〜〜〜その後に起きる問題なのですかと、更には?
『信仰も正しい理念が無くては…』と思うのです。
そうしませんと〜〜〜その後の形として…自分自身で刈り取る事になるようです。。。と!!

このようにいろいろな「文・章」にて、いろいろなる観点から教えてくださっていますし、
私も今までの「心の心境」が〜〜〜あの世では〜〜〜アケスケですから、
表面上は「イエス!」と云っても〜〜〜心が「ノ―!」ではと…このように、まずは、今の気がついた
時点から〜〜〜訓練中なのです。

■例えば…
まず「心の浄化作用訓練」は、【神・想・観】が一番と思うのです。…が?
時として?出来ない状況=環境…と云いましょうか??
具体的には?電車の中で(どうしても時間制限の時)…そこに「関わりたくない人」が乗車して
来たと致します。

その時は〜〜〜これは「神様」へ身近に祈る【実・相】をみつめ…【祈る事】が先決だとは思うのです。
つまり「心の眼で見つめて行きます。」心静かに〜〜〜深層部まで〜〜〜

ところが?その場では?〜〜〜どうしても「ネガティブ感情」が〜〜〜先立ってしまいます時、
簡単な「瞑・想・法」。。。それは〜♫ 瞼を閉じて【実・相】を見つめると同時に「実相円満完全」と、
唱えて行きますと、不思議なモノで〜〜〜本当に【いやな現象が消えて行く】ので〜〜〜す。

そして、更に!心が〜〜〜スカッと!さわやか!になり、そうこうしていく内に、気が附きますと
モウ!何もかも〜〜〜「神様」におまかせム―ドに、心境が変化しているのですから、
本当に「亡き母」の世代の【祈・り】は簡単ですし、更にいつでも?どこでも?唱える簡単な呪文
なのですョネ〜〜♫

■このように、公の場にて、人に公表するようなモノではなく、当たり前の【生長の家】の信者なら
すこぶる当たり前の事ではないのでしょうかと?思う次第なのです。…が??

「トキ様」は如何お考えでしょうかしら〜〜〜ン!!     再合掌

2947SAKURA:2014/06/20(金) 21:25:06 ID:TJDm.2/U
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載・引用編】
>>2809>>2812>>2820>>2821>>2827>>2839>>2840>>2842>>2848>>2853>>2856>>2860>>2866>>2867
>>2871>>2881>>2890>>2891>>2898>>2905>>2907>>2908>>2909>>2910>>2915>>2918>>2931>>2932
>>2933>>2940>>2946の投稿の続きです….。

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  

*========*【 心を清く空虚にせよ ―その3【 転載編 ―】*=======*=======*

わたしが服部さん宅の誌友会へ行きました時に、弘ちゃんという五、六歳の子供がいて
どこかの柱で手を打った。誌友の一人が痛いでしょうといったら、「痛いというから痛い
のだ、痛いことないよ。僕は神の子だから痛いことなんかないよ」といって威張っている
のです。子供というものは心に塵埃がないから実に素直だ!この子供の親は熱心な生長
の家の誌友だったから、親の時々言う言葉をそのままなんの疑いもなく受け入れて自分は
神の子であると信じきっている。痛いの?といえば心が痛いのであって実際の人間は痛
くないとちゃんと知っている。

これは心の清き人にしてはじめて可能のことである。

それで、われわれは『生命の実相』を読んでも、この心の清きものになって『生命の実相』を
読まなければならないのです。『生命の実相』を読んでもすぐに病気がなおらないような人は、
きっとこの心の清くない人です――心が清くないというても、泥棒するとかそういうふうな
意味ではないのです。――知恵や学問の塵埃でいっぱいに詰まっている、そういう人ほど
かえって生命の実相を素直に受け容れることができないので――

まず一遍いっさいの知恵学問を捨て『生命の実相』を読まなくてはならない。いっさい人知を
否定してしまうのじゃありませんけれども、一度は傍のバケツへ知恵の水を移し代えておいて、
心のコップの中に水を注ぐように入れるわけです。コップの中へ濁った液体を入れておいて、
その上からさらに清い水を容れてやろうと思ってもなかなか入りにくいのであります。

それで一度は心のコップを空けてしまっておいて、空虚にしておいて入れる。この虚無の心、
虚無のこの心が「清きもの」であって、嘘を吐かぬとかそういうふうなことじゃないのであり
ます。本当にこの虚無の心になった時に初めて神を観ることができるというわけであります。

                         つづく

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」へ

■【虚・無…】〜〜〜??やはり「実相円満行」も、やはり!空っぽの心!!何ですョネ!!
モット!モット!モット!『心を円満…』にして行かないといけないでしょう〜〜〜☆…と
また!また!一つの宿・題が〜〜〜出来ましたのです〜〜〜ョネ!!

                          再合掌

2949a hope:2014/06/21(土) 08:57:40 ID:cEpBaIdo
☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆


「生命の實相」第13巻 第六章 「価値の本質」

(キーワード&キーセンテンス)

p146〜
○価値要求
・・・われわれの生活に「価値」がないということを、甘んじて許しておかない本性の要求 
・・・「善」をなせ、値打ある行いをなせという要求、


○悟性
・・・誰かが善いことをした時、われわれの心の中でそれは値打のある行為であると認める判断力(哲学上の言葉)
・・・人の行為の善悪価値を判断する力

p149〜
○価値感
・・・「善」を実行した時に感じる喜びの念
・・・生き甲斐の感じ「値打」の感じ
・・・内部にある価値の標準に合ったものを賞賛する感じ


○絶対的な価値(善悪)の判断
・・・普遍的で時代によって変化しない

例)人類の福祉のために己(おのれ)を空(むな)しゅうして仕えるというような値打ある行いを「善」とする


△相対的な価値(善悪)の判断
・・・時代によって変化してくる。

例)主君の怨みを晴らす敵討(かたきう)ちは、その時代には「善」であったが、現代では「善」だとは考えられない

2950a hope:2014/06/21(土) 08:58:45 ID:cEpBaIdo

p151〜
○当為
・・・「価値」「値打ち」の表現要求
・・・「当(まさ)に為すべし」という内部からの本当にあるものの表現要求
・・・道徳的良心の叫びで内部よりわれわれを強制する

例)内部から至上命令的に何々せよ、善をなすべしというふうに迫ってくる力で、それをしない時にはどうしても気持ちが悪い


△不可不
・・・自然界(現象世界)の法則
・・・「ザルベカラズ」というのであって、このほかにありようがない絶対法則と言われている
・・・かくあるよりしかたないと外部よりわれわれを強制する

例)ここに水がある。あるいは酸素と水素が結合した場合水になるのである、これは真理である


△【今までの倫理学の考え方】
「不可不」と「当為」が衝突する場合には、「当為」は「不可不」に打ち負かされる
自然界の法則は「不可不」の法則(絶対法則)であるから善も悪も征服して働く
それはなんとも避けることができない法則である

例1)泥棒しようと思って、「悪」の動機で忍び込むために、水の冷たい中に這入って三十分もしゃがんでおったにせよ、また、子供が溺れようとしているのを助けようと思って、「善」の動機で冷たい水の中におったにせよ、やはり同じように冷たい水の影響を受け、自然界の法則によって風邪を引いて、肺炎になって死んでしまうのです。(p153 後ろから5行目〜)

例2)心に愛の念を抱こうが、憎しみの念を抱こうが、日向(ひなた)に出れば暖かいし、陰におれば涼しい、そういう具合に自然界の法則というものは「不可不」に働くというものであります。(p154 4行目〜)

2951a hope:2014/06/21(土) 09:01:31 ID:cEpBaIdo

>>2949 >>2950 a hope所感)

テキストである「生命の實相」第13巻のp146〜154 までのキーワード&キーセンテンスをまとめてみました。

p154からは、いよいよ、「生長の家の倫理学」の神髄が説かれています。
雅春先生はどういうわけかその「教え」を、「谷口倫理学」と呼ばれ説明されていて興味深いです。
ここのところの真理を体得できれば、かつて「生長の家」の奇蹟とよばれてきたようなことが起こせるようになるのだと思います。

ですから、あせらず、ゆっくり、丁寧にお勉強していきたいです。

2953SAKURA:2014/06/21(土) 20:06:53 ID:TJDm.2/U
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【引用編】
>>2809>>2812>>2820>>2821>>2827>>2839>>2840>>2842>>2848>>2853>>2856>>2860>>2866>>2867
>>2871>>2881>>2890>>2891>>2898>>2905>>2907>>2908>>2909>>2910>>2915>>2918>>2931>>2932
>>2933>>2940>>2947の投稿の続きです….。

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  

*========*【 自己のホッせぬことを思うな ―その1【 転載編 ―】*=======*=======*

■ われらは『類は類を招ぶ』の心の法則を知るをもっていやしく自己の欲せざること
を心に思わざらんことを期す。

 「類は類を招ぶ」というのは生長の家の横の真理であります。仏教でいえば「三界は唯心
の所現」である。これは、現象界が展開して来る、業の流転してくる法則を現わしたもの
であります。業はいかにして流転するかというと、この「類は類を招ぶ」という法則によっ
て流転しているのであります。ここへ集まっておられる方はそれぞれまた「類は類を招ぶ」
という法則によって集まっておられるのでありますから、ここにおられる皆さんの心はよ
く調和している、そして仲のわるい人は一人もない、みんな生長の家の家族であるという
懐かしい感じがする。根本の思想というものがちょうど相牽引する類似の人ばかりが集ま
っていられるからであります。

よくお嫁に行かれた御婦人が嫁いだ先の姑さんはひどい姑さんであったと、こういって
自分のことを棚に上げておいて姑ばかりひどいひどいと思っているようなお嫁さんが往々に
してありますけれども、「類は類を招ぶ」という心の法則をもし知ったならば、自分自身が
姑と類似の心をもっていたということに気がついて、自然に懺悔の心が起こってきて、
ああわたしがわるかった、これは自分の心の鏡であった、本当に申しわけなかったという
ことに気がつくのであります。

                       つづく

2956a hope:2014/06/22(日) 14:52:30 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆

>>2950つづき

○【谷口倫理学の考え方】
<<ところが、谷口倫理学ではそう考えないのであって、人間の内部から、「これをなすべし」という「善をなせ」という至上命令がでてくる場合に、その善を実行した時に、自然界の法則にふれ、自然界の法則では病気になるはずのことをしても、病気になるというようなそんなことはないというのです。>>p154 11行目〜

<<谷口倫理学では、善の法則は自然界の法則を蹂躙(じゅうりん)してしまうという説き方をしたのです。かく説かれてのみ善の絶対権威というものが確立するのです。>>p155 4行目〜


○ 善
・・・すでに本当にあるもの
・・・存在の本体であり、自分の本体 ⇒ 現せば現すだけ自分が殖える
・・・神から出たいのち(自分)は善なるほかはない


○善の絶対権威(善の法則)
・・・善の絶対自由を確保するため、自然界の法則(不可不の法則)を蹂躙(ふみにじ)りうる権威


△Qなぜ、自然界の法則(不可不の法則)が善の法則に打ち勝つごとき状態を生ずるか?

A<<われわれ人間が心の世界に自然の法則を認めて、甘んじて自然の法則は善の法則よりも強いものであると認めているから、それでその法則に勝手に負けているのです。>>p156 後ろから3行目〜


○Q「自然界の法則(不可不の法則)」はなぜ「善の法則」よりも弱いのか?

A<<自然界の法則とは、※業の法則であり、善の法則とは「本当にあるもの」の法則であるからです。>>p157 1行目〜

※業の法則
・・・生命がある時に活動したその時のレコードで、そのレコードをかけている限りはいつでも同じような音を立てる
・・・生命がある時期に宇宙のある時期にそういう波動を起こして印象を作って、その印象に刻まれた痕跡(自然科学の法則)

例1) 酸素と水素を結合したら水になる
例2) 冷たい水に触れれば風邪を引く


○人格の自由
・・・そのレコードは人間の生命が刻んだ以上、生命がまたそのレコードを破る力、業を破壊する力が人間になければならない
・・・足跡がいくらついているからとてわれわれはその足跡の上ばかりを歩かなければならないということはない
・・・自己の内部から「これをなせ」と迫ってくる「当為」そのまま実行して、その実行が砕けてしまわないということ


○人格の自由の確立 ⇒ 倫理の成立 ⇒ 道徳の権威の確保
・・・人格の自由のない所に人倫はない

2957a hope:2014/06/22(日) 14:54:59 ID:cEpBaIdo

>>2956 a hope所感)

ここから「谷口倫理学」が説かれていますが、正直、これはかなり常識破りな倫理学だと思うので、
一般的にはすんなりとは受け入れがたい「教え」なのではないかと感じています。

なぜなら、「自然界の法則」はわたしたち現象人間にとってみれば、ごくあたりまえの常識で、
わたしたちは普段からその法則にのって生活しているのに、「谷口倫理学」はそれを頭から否定してしまっているのですから・・・

ですから、「真の『善』が何たるか」をちゃんと理解していない状態(生悟り状態)では、
この「谷口倫理学」の言わんとしていることも正しく理解できず、曲解してしまう恐れもあると思うので、
慎重にお勉強を続けていきたいです。

2958SAKURA:2014/06/22(日) 18:31:01 ID:TJDm.2/U
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【引用編】
>>2809>>2812>>2820>>2821>>2827>>2839>>2840>>2842>>2848>>2853>>2856>>2860>>2866>>2867
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>>2933>>2940の投稿の続きです….。

>>2945 「トキ様」……お返事ありがとうございます。

※その中からの一部抜粋なのです。…が?
>>自分なりの実相円満唱行を実践して、それが効果があれば掲示板をご覧になっている皆様に、
その効果のほどを知らせるのは、それも伝道だと感じます。<< (トキ様の投稿文より…)

■確かに、そう思います。…が?ここ【2チャンネル】の方達の「上げ足論」には、どのような
真実でも〜〜〜果たして「理解度」となりますと?どうなんでしょうか??

今までの私は『おまじないのような感じ?』でした。…が??今回は、
【霊・界・通・信】から〜〜〜本当に、まず【心・の・浄・化・作・用】が大事なんですョネ!!

いずれ?『旅立つ世界=死後の世界』…私もこの世界に行きます時〜〜〜は??さて!
どのような「展・開」にと?思ってしまうので〜〜〜す。
何故なら【ステッド氏】が、生前の時に、出会った書物から…既に本人は、この「霊界の意味」が
判りかけて…まず!【信じる事…信じて其処からの活動事】で〜〜〜す。
いざ!『死後の世界=霊界』にいきますと〜〜〜死後は?本当に!その人の書物が正しいとの「判・断」
しかも信じたおかげで、無事に『霊界の世界』にスムーズにとけこんで行けた事と。。。

■これは?信じる!信じない!は〜〜〜その後に起きる問題なのですかと、更には?
『信仰も正しい理念が無くては…』と思うのです。
そうしませんと〜〜〜その後の形として…自分自身で刈り取る事になるようです。。。と!!

このようにいろいろな「文・章」にて、いろいろなる観点から教えてくださっていますし、
私も今までの「心の心境」が〜〜〜あの世では〜〜〜アケスケですから、
表面上は「イエス!」と云っても〜〜〜心が「ノ―!」ではと…このように、まずは、今の気がついた
時点から〜〜〜訓練中なのです。

■例えば…
まず「心の浄化作用訓練」は、【神・想・観】が一番と思うのです。…が?
時として?出来ない状況=環境…と云いましょうか??
具体的には?電車の中で(どうしても時間制限の時)…そこに「関わりたくない人」が乗車して
来たと致します。

その時は〜〜〜これは「神様」へ身近に祈る【実・相】をみつめ…【祈る事】が先決だとは思うのです。
つまり「心の眼で見つめて行きます。」心静かに〜〜〜深層部まで〜〜〜

ところが?その場では?〜〜〜どうしても「ネガティブ感情」が〜〜〜先立ってしまいます時、
簡単な「瞑・想・法」。。。それは〜♫ 瞼を閉じて【実・相】を見つめると同時に「実相円満完全」と、
唱えて行きますと、不思議なモノで〜〜〜本当に【いやな現象が消えて行く】ので〜〜〜す。

そして、更に!心が〜〜〜スカッと!さわやか!になり、そうこうしていく内に、気が附きますと
モウ!何もかも〜〜〜「神様」におまかせム―ドに、心境が変化しているのですから、
本当に「亡き母」の世代の【祈・り】は簡単ですし、更にいつでも?どこでも?唱える簡単な呪文
なのですョネ〜〜♫

■このように、公の場にて、人に公表するようなモノではなく、当たり前の【生長の家】の信者なら
すこぶる当たり前の事ではないのでしょうかと?思う次第なのです。…が??

「トキ様」は如何お考えでしょうかしら〜〜〜ン!!     再合掌

2959SAKURA:2014/06/22(日) 18:32:37 ID:TJDm.2/U
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載・引用編】
>>2809>>2812>>2820>>2821>>2827>>2839>>2840>>2842>>2848>>2853>>2856>>2860>>2866>>2867
>>2871>>2881>>2890>>2891>>2898>>2905>>2907>>2908>>2909>>2910>>2915>>2918>>2931>>2932
>>2933>>2940>>2946の投稿の続きです….。

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  

*========*【 心を清く空虚にせよ ―その3【 転載編 ―】*=======*=======*

わたしが服部さん宅の誌友会へ行きました時に、弘ちゃんという五、六歳の子供がいて
どこかの柱で手を打った。誌友の一人が痛いでしょうといったら、「痛いというから痛い
のだ、痛いことないよ。僕は神の子だから痛いことなんかないよ」といって威張っている
のです。子供というものは心に塵埃がないから実に素直だ!この子供の親は熱心な生長
の家の誌友だったから、親の時々言う言葉をそのままなんの疑いもなく受け入れて自分は
神の子であると信じきっている。痛いの?といえば心が痛いのであって実際の人間は痛
くないとちゃんと知っている。

これは心の清き人にしてはじめて可能のことである。

それで、われわれは『生命の実相』を読んでも、この心の清きものになって『生命の実相』を
読まなければならないのです。『生命の実相』を読んでもすぐに病気がなおらないような人は、
きっとこの心の清くない人です――心が清くないというても、泥棒するとかそういうふうな
意味ではないのです。――知恵や学問の塵埃でいっぱいに詰まっている、そういう人ほど
かえって生命の実相を素直に受け容れることができないので――

まず一遍いっさいの知恵学問を捨て『生命の実相』を読まなくてはならない。いっさい人知を
否定してしまうのじゃありませんけれども、一度は傍のバケツへ知恵の水を移し代えておいて、
心のコップの中に水を注ぐように入れるわけです。コップの中へ濁った液体を入れておいて、
その上からさらに清い水を容れてやろうと思ってもなかなか入りにくいのであります。

それで一度は心のコップを空けてしまっておいて、空虚にしておいて入れる。この虚無の心、
虚無のこの心が「清きもの」であって、嘘を吐かぬとかそういうふうなことじゃないのであり
ます。本当にこの虚無の心になった時に初めて神を観ることができるというわけであります。

                         つづく

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」へ

■【虚・無…】〜〜〜??やはり「実相円満行」も、やはり!空っぽの心!!何ですョネ!!
モット!モット!モット!『心を円満…』にして行かないといけないでしょう〜〜〜☆…と
また!また!一つの宿・題が〜〜〜出来ましたのです〜〜〜ョネ!!

                          再合掌

2965a hope:2014/06/24(火) 08:20:38 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆

>>2956つづき

○主観的の世界における人格の自由
・・・時間空間を超越した絶対存在(道)と一つになり絶対価値を生きること
・・・完全円満な生命の実相の悟り(a hope解釈)

○客観的世界における人格の自由
・・・この世の道徳は形に客観的に現われて成り立つ
・・・道徳の勝利を確保するためには、「当為」の実現力の前には、自然界の法則は無でなければならない(谷口倫理学の主張)
・・・実相が現象世界に顕現するとき(善の実行がなされるとき)、不都合なことは一切起きずすべてがうまくいく(a hope解釈)



○【主客両面貫いての人格の自由とは】

<<本当の人間は人格の絶対自由を持っているのである。これが人間の実相なのです。人間の実相は自由である。

無限の自由を与えられていて、何事でもこれをなそうとすればできないということは一つもないのであります。

もしできないものが一つでもあったら無限の自由ではないので、無限の自由というものはできないというものが一つもないということです。

ですから、本当の自分――善なる自分が救(たす)けたいと思ったら救(たす)けられるし、氷のような冷たい水の中に入っても、心でこうして助けたも自分は決して風邪を引かない、肺炎にもならないと信じたら、ちゃんとそのとおりになるのであって、必ずしも物質界の法則に縛られるものではない、かくてこそ、善の権威が主客両面に貫いて確保せられるのであります。>>p160 後から7行目〜

2966a hope:2014/06/24(火) 08:24:33 ID:cEpBaIdo

>>2965 a hope所感)

ここにも、すごく深い真理が述べられていると感じています。

要するに、「生命の實相」の悟りを開いただけの状態は主観的であり、
その悟りを現象世界に表現すると客観的になるということなのではないかとわたしは解釈しました。。

ここの部分の小見出しは『道徳は主客貫いての人格の自由を要求する』ですが、
「主観貫いての人格の自由」とは、つまり、
本当に「生命の實相」を悟ったのであれば、その人格の自由は内面的な状態だけにとどまらず、
客観世界においても自由自在であり、自然界の法則に縛られることはないということになるのだと思います。

2967a hope:2014/06/25(水) 08:56:51 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆

>>2965つづき

△自責感
・・・自己内在の価値を表現しない時、「ああ自分はいやらしい行為をした」というはずかしい感じ


<<ここに飢饉が起こったとしまして、わずかの食べ物しかないと仮にいたしますその食べ物を遠慮して自分が食べずにいたら自分が飢えて死ぬかもしれない。

しかし他の人がまさに飢えんとしているという場合に、人に食わせないで自分がくって自分が助かるということは、なんだか軽蔑されるべき値打のない行為をしているというような非難が自分の内心から出てくるのです。

人が飢えているのに、自分が横取りして食べるとは――なんという汚い、値打のないことをする自分であろうという非難が自分の内部から湧き上がってくるのです。

この内部よりの非難はどうして起こるかというと、自分の本もの(本当にあるもの)値打のあるものが出ていないから、値打なく感ずるのであります。

自分の本もの(本当にあるもの)が出たら必ず値打があるから、必ず価値感の喜びを感ずるのであります。>>p161 4行目〜

2968a hope:2014/06/25(水) 08:58:38 ID:cEpBaIdo

>>2967つづき

○【自然界の法則による考え方】
飢饉の時に食物を他の人に食べさせれば、食べた人は助かるが、自分は何も食べなかったら死んでしまう。つまりは、人を救けて善いことをしながら、自分はかえって死んでしまうような結果になる


○【谷口倫理学による考え方】
人間は「本当にあるもの」(善)が顕われたら何も食べなくても死なないし、また死ぬまでに適当な食物が与えられることを実証して自然界の法則を破ってしまう



<<谷口倫理学の前には不可不の法則は零(ゼロ)になってしまうのです。「本当にあるもの」が出たら、「本当にあるものは」自主独立の存在でありますから、「人間」に飯(めし)をプラスしなければ死ぬということはないのであります。

飯をつけ加えないでも人間は生きられるということが確立してこそ、はじめて人格の自由というものが出てくるのです。

また、飯を自分の外界であると見ずに、自己の無限供給性の反影として、自然に必要に応じて現われるものと見てこそ人格の自由が確保されるのです。

人を救けて、心だけで満足して自分が死んでしまうのだったら、どこに人格の自由があるかということになるのです。

本当の自分がなすべしと命令することをしてそれで飢えて死んでしまったら、それはたんなる主観の満足であって、主客両面貫いて人格の自由を得たというわけにゆかないことになるのです。

そこで人に物を恵んで自分が飢えて死ぬなんていうことはない、かえって与えれば与えるほど殖えるのであるというのが人格の絶対自由を主張する谷口倫理学なのであります。>>p162 9行目〜

2969a hope:2014/06/26(木) 09:41:44 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆


「生命の實相」第13巻 p163〜

本当の価値を発揮したら供給無限が備わる

皆さんはすでに上述のことを体験しておられることと思いますが、本当に「本物の自分」を発揮したときに、欲するものが自然に出てくるという一つの不思議なことが起こってくるのです。

「本当にあるもの」とは「本当の自分」です。

「本当の自分」とは本当の値打ちです。

本当の自分、本当にあるもの、本当の値打ちというものを発揮した時に、その本当の値打ちを維持するに必要ないっさいのものが備わるのです。

なぜなら本当にあるものとは神であり、いっさいの供給の本源なのですから、本当にあるものが発揮されたときいっさいのものが整うのは当然のことです。

2970a hope:2014/06/26(木) 09:42:51 ID:cEpBaIdo
>>2969 a hope まとめと所感)

「本当にあるもの」=「本当の自分」=「本当の値打ち」=「神」 →(発揮)→ いっさいのものが整う


ところで、「本当でないもの」とは、「ニセモノ」なわけですから、「ホンモノ」だけが発揮されて世の中から「ニセモノ」が無くなれば、
完全円満の実相世界が顕現するのは当然かもしれませんね。

ですが谷口倫理学では、その「本当にあるもの」とは「神」だというんですから、それを発揮するというのは、
なかなか難しいことなのかもしれません。

2971a hope:2014/06/27(金) 08:02:02 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆


○【今までの倫理学】p165 9行目〜
・・・人間は善をなしても現象界では滅びることがあるかもしれない
・・・「朝(あした)に道を聴かば夕(ゆうべ)に死すとも可(か)なり」であるから、心で満足して莞爾(かんじ・にっこり)して死ね――というようにおおむね説かれている


○【谷口倫理学】p165 11行目〜
・・・善と福の完全な一致
・・・もしわれわれが不幸であるならば、まだわれわれの善(本当にあるもの――いっさい備われるもの)の出し方がたりないからである
・・・善を本当に発揮すれば物質界まで動いてくる
・・・人格の自由を発揮する邪魔になるような法則(自然界の法則・不可不の法則・業の法則)は、われわれは自分の心の力で自由に破棄することができる


例)<<たとえば、ここに「不可不」の法則、すなわち自然界の法則の上からいえば、胃癌にかかった場合は、切開手術するほかは――「死せざるべからず」「死ぬよりほかにありようがない」と定められている。

ところが、胃癌にかかった人が、もし自分の「本当にあるもの」を出す、「本当の自分」を出す、徹底的に和解と感謝の心を出すと、自然界の法則が打ち破られて、今まで「不可不」の法則が縛っていたところの「胃癌にかかれば死ぬ」という「不可不」の命令が破壊されてしまうのであります。

胃癌などという価値なきものを恐れる人がありますが、胃癌が「価値なきもの」であるという一事だけでも、その非実在を証明しているのでありますら、価値なきものは「価値あるもの」を出したら消えるに定(き)まっているのですから、恐れる必要はないのであります。p166 2行目〜

2972a hope:2014/06/27(金) 08:05:34 ID:cEpBaIdo

>>2971a hope 所感)

わたしはこの 例)の聖典からの引用文章中に、理屈を超えてとても単純明快に、
誰でもそれさえできれば無条件で救われて、幸せになれる方法が書かれていると思いました。

その答えは・・・


>>徹底的に和解と感謝の心を出す<<


これですね!!

2973曳馬野:2014/06/27(金) 09:06:54 ID:I/wU8psA

>>2972

徹底的に和解と感謝の心を出す

誰でもそれさえできれば無条件で救われて、幸せになれる方法が書かれていると思いました。

**********************************

貴女が見た人聞いた人で、出来た方はいましたか?

和解せねばの心には感謝が足りず、本当に感謝の心のところには和解しなくてはと云う思いは無いのではありませんか?

2974a hope:2014/06/27(金) 09:31:22 ID:cEpBaIdo

>>2973 曳馬野さま

いつもわたしの投稿に素晴らしいご反応をいただきありがとうございます。

こちらの大熊先生のブログをご覧ください↓

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/11926692.html

生長の家の元講師である大熊先生のご指導で、一人の男性がご両親に感謝され、和解され実際に救われています。
これはつい最近の話です。

また、宇治別格本山では今でもたくさんの方々が、楠本加美野先生などの生長の家の講師の先生方のご指導により、
感謝と和解の心を出され救われています。

そのような指導をして個人救済をすることで人類光明化していくのが、
本来の生長の家の使命なのではないかとだとわたしは思っています。

2975曳馬野:2014/06/27(金) 09:57:47 ID:I/wU8psA
>>2974

そのような指導をして個人救済をすることで人類光明化していくのが、本来の生長の家の使命なのではないかとだとわたしは思っています。

***********************************

そのように考えるのが普通でありますが、心で環境を変えることのできる強い心の持ち主ばかりでないので、環境を整えることにより心の変化を助けるという、
意味から生長の家は政治の世界に出たのではありませんか?つまり一人一人を救っていこうと云うのでは埒が明かないとして、政治により悩むことの少ない
世界を築き、地上天国を築こうとしたのが過っての政治に出た時の生長の家ではなかったでしょうか?

優生保護法などと云うものが出来てから、堕胎天国に成ったので、かっては堕胎防止法によりきつく堕胎は禁止されていました。
いかなる理由であれ堕胎は厳罰に処し、手を貸した医師は厳罰に処す法律を作る政治の世界から赤ちゃんを守ることと、大熊さんのように一人一人を助けて
いく生き方とは両方なければいけませんね。

然し生長の家出現すれど社会はますます個人の尊厳を優先する民主主義とやらのせいか、戦前より酷いものに成ってはいませんでしょうか?

2976a hope:2014/06/27(金) 09:58:15 ID:cEpBaIdo
>>2974訂正

そのような指導をして個人救済をすることで人類光明化していくのが、
本来の生長の家の【使命なのではないかとだと】わたしは思っています。

そのような指導をして個人救済をすることで人類光明化していくのが、
本来の生長の家の【使命なのではないか】とわたしは思っています。

2977a hope:2014/06/27(金) 10:12:38 ID:cEpBaIdo

>>2975 曳馬野さま

web誌友会板にお返事させていただきますね。

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2981a hope:2014/06/30(月) 00:37:17 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆


○「善」とはなにか
・・・「本当にあるもの」の実現または表現
・・・一定律の画一的な形ではない
・・・「人格の自由」がなければ顕現しない実相・神性(a hope解釈)


△「善」とはいえない行為とは
・・・形は「善」に見えるようでも、「本当にある善」が内から表現されていない行為

例1)
<<子供が寒中水に溺れているのを救けるという行為をした場合に、その水に溺れた子供を寒中より救いあげたら、褒美の金が千円貰えるというので、その褒美の金欲しさにその子供を救けたとしますと、その一つの行いは、なんの利益も考えないで自分の生命(いのち)まで投げ出して救けた献身的な救助と、形の上から見ると皆(みな)同じことですが、一方は「千円儲けよう」という意図でしたから善行とはいえないのです。

生命(いのち)を賭けて人を救けたにしましても「千円欲しい」のが目的では、千円で生命(いのち)を売っているのでありまして別に善ということはいえないのであります。>> P167 9行目〜

例2)
<<囚人は朝早く起きるが、それは厭でも応でも起きなかったら看守にひっぱたかれる。強制的な機械的な力で、朝早く叩き起こされ、便所の掃除をさせられ、またその他の与えられたいろいろの苦役や、生産的な世の中のためになる仕事をする。

そして彼らの労役によって作られた生産品は、安い値段で買われて喜ばれるかもしれないけれども、その囚人は自発的にその行為をしたのではないのであって、強制力という機械的力に駆使されて、厭でも応でも働くしかなかったので、働いたのですから、囚人のかくのごとくしてできた行為は善ではなくして、機械的行為であります。>>p168 7行目〜



○「善行」とは
・・・自分の内心の要求から進んでするもの
・・・自由というものが根本条件になっている

(つづく)

2982a hope:2014/06/30(月) 00:39:44 ID:cEpBaIdo
>>2981つづき)

○善なる子供を育てる子育て

<<本当に善なる子供を育てるには、その子供を本当に自由にしておかなければならないのです。

本当に自由にしておけば、その子供が本当に自発的に内部から善を催してくるのであります。

それは人間の実相は善であり、人格の自由にまかせておいたとき、自然に形の世界にまで「善」が発現してくることになるのであります。>>p169 10行目〜



△「人格の自由」を認めない子育て

<<親があまり規則ずくめにして、厭でも応でもこうしなければなぐるぞというふうに定めまして、その子供が委縮して、我儘をいう余地がなく、外から見ると少しも悪いことをしない、行儀の良い子供ができ上がったとしましても、その子供は善人ではないのであります。

その子供は少しも自由が許されていないから善人ではない、善なる行為をいまだかつて一つもしたことがないということになるのであります。>> p169 1行目〜


<<今までの教育は外部から型にはめて、太鼓饅頭でも焼くような形式に、厭でも応でも一定の方に嵌めるようにしていたのであります。

太鼓饅頭はいかに完全円満で形がマン丸くとも善ではないのであります。あれは善ではなくて、形が正しいというのであります。

なぜなら、あれは外部から丸い容器の中にいれて蓋をして焼いたから、とにかく丸くなるより仕方ない――人格の自由がないのです。

人格の自由がなくて形ばかり正しい人間は太鼓饅頭式人間であって、善人ではないのであります。>>p169 後ろから3行目〜


○本来善とは
・・・人間の本性(本当にある人間)は神から出たものである
・・・本当に自由にすれば自然法爾(じねんほうに)に善がでてくる(谷口教育学の根本)


△「悪」とはなにか

<<自由に対する束縛、隠蔽、あるいは束縛および隠蔽に対する反抗が、「悪」という姿になってでてくるのであります。

家庭に不良児童が出る――そこには必ず自由に対する束縛、隠蔽というものがあるのであります。>> p170 後から8行目〜

2983a hope:2014/06/30(月) 00:42:13 ID:cEpBaIdo

>>2981 >>2982 a hope所感)

ここからは、「谷口倫理学」から「谷口教育学」に話が展開しています。
わたしは母親として実際に子供を育てていて、実際に子供たちに激しく反抗されることが多々ありますが、
やはり、そのようなときには子供の自由な行動を親の勝手な都合で束縛したりしている場合がほとんどなので、ここのところの内容は特に身に染みて納得できます。

2986a hope:2014/07/02(水) 00:04:22 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆


「物質の否定・棄揚(きよう)・実相の肯定」p170 後から3行目〜

○「生長の家」の倫理学  
・・・神一元の実在を説く完全なる唯神實相論
・・・自由自在の神のみが実在であるから、物質的不自由はない

 → 物質はない【物質の否定】


○「生長の家」の「物質無」「肉体無」の哲学  
・・・物質を否定し、肉体を否定したとき、かえって否定の極の肯定となる
・・・物質、物質に非ず、いっそう高きものの表現である
・・・肉体は、神聖なる神の生命(いのち)の自己実現である 【※棄揚(きよう)】

→ 物質として土塊の生成物のごとく無価値に見られていた「人間」が、
自己の価値観を回復し、人生に生き甲斐を生ぜしめ、光明を見いだす【実相の肯定】

※棄揚(きよう)・・・あるものをそのものとしては否定しながら、かえっていっそう高い次元にこれを生かすこと。止揚。アウフヘーベン。


<<ここに「生長の家」は唯物論に対立するような唯心論でなく、唯物、唯心を超越した唯神実相論であることがわかるのであります。

物質の否定は否定のための否定でなく、大なる肯定のための否定である。

かくのごとくして今まで「物質」と認められていたところのものも神力の表現であると大きく再肯定するのが「生長の家」倫理学の特長であります。>> p172 後1行目〜

2987a hope:2014/07/02(水) 00:08:59 ID:cEpBaIdo

>>2986 a hope所感)

ここには、ちょっと読んだだけでは見過ごしてしまいそうな、とても重要な真理が書かれていると思いました。

「生長の家の教え」は「物質なし」であると言われていますが、ここには「物質なし」は単なる物質の「否定」ではないと説かれています。

それは、「大なる肯定」のための否定であると・・・

物質はいっそう高きものの表現であると・・・

肉体は、神聖なる神の生命(いのち)の自己実現であると・・・


わたしは自分がこの不完全な現象世界に肉体を持って生まれてきたことを、以前はとても恨んでいましたが、
でも、そんなわたしの肉体も、本当は神の生命(いのち)の自己実現なのですね。

そう思うと、不完全に見える自分の肉体もなんだかすごく愛せそうな気がしてきます。



ところで、この「物質の否定・棄揚(きよう)・実相の肯定」という一連の行為はもしや・・・生長の家の「観の360度転回」???

2989うのはな:2014/07/02(水) 20:32:38 ID:/wuDNhkM
      火神誕生

 かつて出版された『神の真義とその理解』という本の中で、何故生長の家の総本山に龍宮住吉本宮が御斎祀されるに到ったかという本義を、
谷口雅春先生は諄々としてお説きになった。ここに明らかにされているように、生長の家では心に宇宙大生命を祭るのである。
そしてその幽の幽なる神として天之御中主神をお祭りし、幽なる神として天照皇大神をお祭りする。

 幽とは現象の奥の世界のことであるから、これらは幽斎といって、心の中でお祭りするだけだ。
さらにその現人神としての天皇陛下も、心の中だけで礼拝申し上げるのであるから、どこかに神社を建立してお祭りするということはない。
つまりこれを幽斎と申し上げる。

 ところでこの天之御中主神は、宇宙大生命であり、大宇宙の本源神であるから、古事記の冒頭には、「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神」と
書かれている。そしてさらに、「次に高御産巣日神、次に神産巣日神。此の三柱の神は、並独神成り坐して、身を隠したまいき」とある。
 つまりこの三神は絶対神であり、幽の幽なる神様だということである。しかしこれは絶対神が三つあるという意味ではなく、天之御中主神が陽の原理(高御巣日神)と陰の原理(神産巣日神)とに
分極して働き給うということなのである。

 しかもその陰陽の二大原理がさらに人格的に現われ出られて、「次に伊邪那岐神、次に妹伊邪那美神」となるのである。
妹は女性につける接頭語であるから、これは伊邪那岐神が男神、伊邪那美神が女性神ということである。さて古事記では、この二柱の神が国生みをなさって日本国を次々に生んで行かれる。(もっともその前に淤能碁呂島、
つまり太陽系又は地球全体を生み給うのだが)こうして大八嶋国ができ上る。
さらに小さな島々を六つ(六嶋)生み給う。この国生みをおえられてから、さらに神々を生み給うのである。

 これらの神々は全て天然現象を神の名で表わし、さらに野山の生物から生理現象までをも表わしている。がしかしこのような御働きの過程において、伊邪那美神は火の神を産み給うたのがもとで、ついにおなくなりになるのである。
さて又一面この火の神は戦争のための兵器であり、爆発物でもあるから、この物語りは遂に大戦争が勃発して、日本中が大戦火にみまわれる象徴でもある。こうして日本の生みの母なる伊邪那美神のみほと(生産工場)がやけただれ、ついに
生産力ががたおちになって日本が敗戦するということが、伊邪那美神の死によって象徴されていたのであった。

   『生長の家總本山 祭祀作法教範』 P61-62 谷口清超先生

2990うのはな:2014/07/02(水) 20:43:49 ID:rr3kpM4o

 『神の真義とその理解』大聖師 谷口雅春先生 著
 http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&amp;mode=res&amp;log=968

2991ニューバランス 996:2014/07/02(水) 22:58:07 ID:???
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2992a hope:2014/07/03(木) 11:17:33 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆


「邁進日本の心と力」
第1篇「日本精神の倫理」
第三章 『物質の否定・棄揚・神国の肯定』より

(以下、生命の實相第13巻 p170 の『物質の否定・棄揚・実相の肯定』の文章にない部分、
つまり『物質の否定・棄揚・神国の肯定』にのみ掲載されている部分を現代文に直して謹写させていただきます。 合掌。)

p43 後から2行目〜

日本の国土は物質で出来ているのに、物質は無いと云うのは国土の否定となって日本の国体に適しない哲学であると批評するが如き愚かしき妄論は実在と表現との区別を知らざる哲学的無知から来るのである。

もし諸君が日本の国が物質で出来ていることを主張するならば、諸君は日本の国が『神の国』であることを否定して「物質の国」であることを主張することになるのではないか。

そして今日から日本の国を、『神国』と呼ばずして『物国』と云わねばならないことになるであろう。

およそ為政者はこの点について大いに考えなければならないのである。

『物質はある』と云う論者は『実在』と『表現』とを混同しているので、『表現』のことを、『ある』と間違えているのである。

『本当にある』が、それが『表現』であるかは、それが変化しない存在であるか、変化無常の相であるかを見ていれば分かるのである。

物質は変化無常のものであるから、吾々は『物質は実在(ある)のではない』と云い、それは単に表現(あらわれ)であると云うのである。

愛国者であるように見える者のなかに、唯物論の手先があり、露西亜コミンテルンの諜者(まわしもの)があり、『日本神国』を主張する論者の言葉尻を捉えてこれを陥穽(かんせい)に落とし入れ、日本国体に適せざる論者として、却ってこれを弾圧せしめ、日本が神国であると云う観念を抜き去って、『日本は物国』であると云う観念を植え付けるように努力しているコミンテルンの諜者(まわしもの)があるかも知れないのである。かかる一団の者に使嗾(しそう)せられて、本当の日本神国論者を却って非難、圧迫するがごとしきことがあれば、それは由々しき国家の大事である。

(謹写 つづく)

2993a hope:2014/07/03(木) 11:19:36 ID:cEpBaIdo

>>2992 a hope 所感)

わたしは、先日、web誌友会のお勉強のめに、生命の實相第13巻 p170 の『物質の否定・棄揚・実相の肯定』の文章を拝読していて、なんとなく違和感を覚えました。

その違和感は、「ここにはとても大切な真理が述べられていそうなのに、具体的な事例が少なく抽象論で終わっていて、理解しにくいな」というものでした。

ですが、今回、そのオリジナルと思われる文章を「邁進日本の心と力」の中に発見し、
そのわたしの違和感は正しい物であったと確信できました。

その部分は、当時の日本人が日本を「神国」と呼んでいたような時代に書かれただけあって、
雅春先生が今回の真理である「実相の肯定」の具体例としてあげられている内容が、
「神国の肯定」になってしまっているのだと感じました。

ですが、今現在の日本で国民に、「あなたは日本を神国だと信じていますか?」という質問をしたら、
いったい何パーセントの人が「ハイ」と答えるのでしょうか?

ちなみに1年前のわたしの答えは、確実に「いいえ」でした。

そして、今現在でも「勉強不足でよくわかりません。」です。


それくらいの、自覚しかない国民が多く暮らす現代の日本で、この雅春先生の御文章は、残念ですが一般的には受け入れがたいものなのではないかと思います。

ですがその御文章の内容は、真理だと思うので、わたしにはとても理解しやすいです。

<<『物質はある』と云う論者は『実在』と『表現』とを混同しているので、『表現』のことを、『ある』と間違えているのである。
『本当にある』が、それが『表現』であるかは、それが変化しない存在であるか、変化無常の相であるかを見ていれば分かるのである。
物質は変化無常のものであるから、吾々は『物質は実在(ある)のではない』と云い、それは単に表現(あらわれ)であると云うのである。>>


と文中にありますが、
真理「本当にあるもの」つまり「実相」は普遍であるが、「表現」は時代によって変化するものであるという実際の具体例として、
雅春先生ご自身が示して下さった、この事例(聖典からの戦前の状況に関連した「愛国」「天皇」に関する御文章の削除)を拝見して、わたしはとても納得でしました。

2994a hope:2014/07/04(金) 00:22:32 ID:cEpBaIdo
>>2992 つづき)

「邁進日本の心と力」p45 2行目〜

二 

『物質が本来無である』ことを生長の家が説くのが、日本国体に適しないのであるならば、最近著しく発達せる新興物理学は日本国体に適しないから、大学の講座から放逐(ほうちく)しなければならなくなるだろう。

日本評論三月号にも、吉岡氏は物質は波動であって、その波動も、水とか空気とか云う如き、波動すべき何物かがあって波動するのではなくて、かかる波動の媒体などはなく何物もなくしてただ波動が顕れる、その波動の先端が電子となる、と物質無のことを説いている。

科学が物質無を説くのに哲学や宗教が無を説いたら日本国体に適しないなどと考えるのは愚かしき極みである。

2995a hope:2014/07/04(金) 00:24:14 ID:cEpBaIdo
(>>2994 つづき)

科学が、哲学が、宗教が、物質無を説いてくれることは日本神国の国体明徴によくないどころか、物質本来無であってそれがただ本体(実在)の『表現』であることが明徴になってのみ国体の明徴が期し得るのである。

もし物質が実在であると説くならば日本神国観念はいかにして徹底し得るであろうか。

畏(かしこ)くも高天原よりの天孫降臨を唯物論者はいかに説明するだろうか。

それが『物』の世界から、『物』の世界への降臨であるならば、地上の一地域から一地域への移住と云うことになって、天孫降臨とは遊牧民族とか漂着民族とかと云うことを類推せしむることになり、何ら日本国体に神聖性を与えることにならないのである。

物の世界をひとたびは否定し更にこれを棄揚(きよう)したときに初めて 天孫降臨の神聖さが判り、日本国体の尊厳が判るのである。

2996a hope:2014/07/04(金) 00:25:09 ID:cEpBaIdo
>>2995 つづき)

日本国が神国であると云うには三つの要素が必要なのである。

(一) その中心総攬者(そうらんしゃ)であらせられる すめらみことが神でましますこと。

(二) その国土が物質ではなく神の表現であること。(物質、物質に非ず、これを通称して物質と呼ぶに過ぎないことは最近の物理学の証明するところである。)


(三) その国民がすべて神の子の表現であって、親神の御表現にまします すめらみことの中心に帰一していること、

この三つの要素が、神一元に終始することによって、始めて完全に『神国』と称し得て、そこに『物国』の影の止(とど)めないことになるのである。

2997a hope:2014/07/04(金) 00:26:15 ID:cEpBaIdo
>>2996 つづき)

生長の家倫理学では高天原とは物質的国土の一地点とは認めないのである。

もし物質的国土の一地点だと認めれば、日本民族は移住民族だとなる。

吾々は高天原を無量智、無量寿、無量光明遍照の実相世界であると認めるのである。

天皇降臨とは すめらみことが高天原なる実在の世界から現象の世界への御表現を完成し給ひしを指して云うのである。

即ち 天照大神の久遠金剛不壊実在の皇位が現象世界へ降臨し給うたその御表現が歴代の 天皇であらせられるのである。

だから歴代の 天皇は畏(かしこ)くも久遠皇位の御表現であらせられ給うて、御表現としては御肉体を現(げん)じ給う現人神(あらひとがみ・あらわれの人の神)であらせられ、生じまた滅し給うように見えまつるのは吾々の五官に映ずる御表現であらせられるのみであって、御本体は久遠永劫金剛不壊の天照大神の御本体であらせられるのである。

だから歴代の 天皇が崩御ましますとも、天皇の御本体は永遠に崩御ましますことなく、崩御の瞬間に次なる御践祚(せんそ)があって、久遠皇位の御表現に些(いささ)かの間隙(かんげき)もなく、御表現身は歴代御代(おんかわ)り遊ばすとも御本体身は朽ちず、久遠存在であらせられ給うのである。

(謹写つづく)

2998a hope:2014/07/04(金) 00:28:36 ID:cEpBaIdo

>>2994>>2997 a hope 所感)

ここに、「生長の家」が日本の国体や天皇をどうとらえているかが述べられていて、とても興味深いです。
この後、さらに、詳しい説明がつづきます。

2999a hope:2014/07/05(土) 00:47:26 ID:cEpBaIdo

(>>2997 つづき)

「邁進日本の心と力」p47〜



もし、唯物論者の云うが如く、御表現身なる玉體(ぎょくたい)を以て御表現身であると見奉(たてまつ)らわずして、天皇の御本体そのものを死滅の法則の中にある肉体であると認めることになれば、天皇は永遠の御存在ではなく、崩御と共に御本体の朽ち滅ぶべき御存在であらせられると云うことになり、たとえ崩御の瞬間に践祚(せんそ)のことあらせられるとも、ひとたびは滅して、皇嗣子(こうしし)が、御位(みくらい)につき給うことになるから、天皇がひとたびは滅し給うことを予想するものである。

畏れ多くも、天皇のひとたびは滅して次なる 天皇の御登位を予想することは、皇位の中断を予想せしめることになる惧(おそ)れがあるのである。

すべて滅して、次が代わると云う事は、終末と更新とを予想せしむるものであって、終末と更新とがある以上、それがどんなに瞬間的であっても中断を予想せしむるものである。

しかも仲哀天皇崩御ましまして、応神天皇未だ御生誕遊ばされざるその間の期間の如きは、天皇の御本体を御肉体であると在来の如く観じ奉る限りに於いて、皇位が中断したと云う事になり、萬世一系の名は空しくなるのである。

生長の家の云うが如く、天皇の御本体を久遠常住の霊的実在なりと観奉り、その御表現身が御肉体であると観奉れば、御表現神が暫(しば)し崩御ましまして、次なる御表現身の御位につき給うまでの期間が、暫時あろうとも、皇位の中断と云うことが断じてないことが判り、皇位の萬世一系は、ただ、生長の家倫理学によってのみ明らかとなる。

滅なく久遠常住の存在のみが中断なきものである。

唯物論者の云うが如く、 天皇の御本体を生滅ある御肉体であると観奉る限り、 天皇が久遠不滅の存在にましますことを否定することになり、天皇に対して由々しき不敬を犯すことになるのである。

国体精神を明徴にならしめるもの生長の家倫理学に及ぶものはないのだ。

3000a hope:2014/07/05(土) 00:48:14 ID:cEpBaIdo
>>2999 a hope 所感)

ここでは、「天皇の御本体は生滅ある御肉体ではまく、久遠不滅の存在である」理由がとても丁寧に説明されていて、
戦後教育にどっぷりつかってしまっているわたしにもその重大性が伝わってきます。


そして

<<皇位の萬世一系は、ただ、生長の家倫理学によってのみ明らかとなる。>>
<<国体精神を明徴にならしめるもの生長の家倫理学に及ぶものはないのだ。>>

と、生長の家倫理学は、「皇位の萬世一系」や「国体精神」を明らかにすると述べられています。


ですが、一方、「生命の実相」第13巻 (p171〜)の方には、「天皇」や「国体」に関する記述は一切なく、
「人間の肉体(物質)」を例にあげ『物質の否定・棄揚・実相の肯定』の真理が短く述べられているのですが、正直わたしにはその内容はとても分かりにくく、違和感がありました。

おそらく、雅春先生が聖典を執筆されているときは、「神がかり」の状態だったと思うので、
その文章はその時点で完成していて、完璧だったのではないかと思うのです。

ですから、時が流れ、状況が変わって、その内容を変更しなければならなくなった時、
その不都合な箇所を、たとえ、雅春先生御自身が変更されたとしても、
なにかバランス的にちょっとおかしくなってしまうこともあるのかもしれないな、と今、感じています。(あくまでも、わたしの個人的な感想ですが・・・)

3001a hope:2014/07/06(日) 13:27:38 ID:cEpBaIdo
>>2999 つづき)

「邁進日本の心と力」P48 後ろから2行目〜



天皇の御本体はかくの如く久遠永遠の御存在であらせられが故に、歴代御表現身が御交代遊ばすともその皇位に滅なく中断なきことを知ることが出来るのである。

その如くまた 天皇の御本体は永遠穢れなきところの御存在であり、無量智、無量光、無量寿の御法体にましますが故に未だかつて御迷い遊ばすと云うこともお間違い遊ばすということもないのである。

道鏡などの如き大逆臣にお惑わされ遊ばした如き記録が史上にはあるけれども、これも 天皇の御本体と御表現との区別が判らない歴史家が、御表現にましますところの御肉体を  天皇の御本体と思い違いせるが故に、天皇が道鏡にお惑わされ遊ばしたなどと云う不敬な思想が顕れたのである。


天皇は本来神聖にましましてその御本体は無量智であらせられるが故に、未だかつて如何なる奸侫(かんねい)の臣下(しんか)にもお惑わされ遊ばしたこととてはないのである。

古事記下巻などに描かれている 天皇の神聖をけがし奉る如く感じられる事実は、事些細なことといえども 天皇の御本体に関することではないのである。

しかし、御肉体は御表現であらせられるが故に、それは鏡の如きものである。

鏡は一切のものを映すが故に、国民が迷えるときには国民の迷いを反映し奉って、陛下の御悩(おんなやみ)となって顕れることもあるのである。

であるから吾らは恐懼(きょうく)反省して 陛下の御宸襟(ごしんきん)をお悩まし申さないようにしなければならないのである。

天皇の御本体はかくの如く神聖であり、一切の悪に責任があり給わないから、如何なる間違った政治を時の為政者が行(おこな)おうとも、たとへ、それに御名御璽(ぎょめいぎょじ)がありましょうとも、その全ては大多数国民の心の反映であり、また時の為政者の心の反映であるが故に、天皇は本来神聖にましまして、責(せめ)を執(と)り給うべきではなく、すべては輔弼(ほひつ)の諸臣(しょじん)の責任となるのである。

肉体をもって すめらみことの全存在であるとし、 すめらみことの御本体と御表現身との区別をわきまえざる唯物論者にはこの辺の微妙な消息は理解し得ざるところである。

そして政治の良からざるは すめらみことの御責任であるかの如く すめらみことをお怨み申し上げる不届者(ふとどきもの)さえも時には生ずる。

左翼の徒の如きはこれであって、御本体と御表現との区別をわきまえざるが故である。

すめらみことが責を執り給わざることを、ただかくの如き機関を設け置くことが便利なるが故にかくあると考えるが如き、天皇機関説を唱える迷妄の徒には、我等の肉体本来無し(詳言すれば、永遠不滅不垢(えいえんふめつふく)の霊的実在身こそ御本体にましまして御肉体は御表現身なり)との哲学が如何に日本国体を明徴するにすぐれたる哲学であるかがお判りにならないであろう。

3002a hope:2014/07/06(日) 13:29:20 ID:cEpBaIdo
>>3001 a hope 所感)

<<しかし、御肉体は御表現であらせられるが故に、それは鏡の如きものである。
鏡は一切のものを映すが故に、国民が迷えるときには国民の迷いを反映し奉って、陛下の御悩(おんなやみ)となって顕れることもあるのである。
であるから吾らは恐懼(きょうく)反省して 陛下の御宸襟(ごしんきん)をお悩まし申さないようにしなければならないのである。
天皇の御本体はかくの如く神聖であり、一切の悪に責任があり給わないから、如何なる間違った政治を時の為政者が行(おこな)おうとも、たとへ、それに御名御璽(ぎょめいぎょじ)がありましょうとも、その全ては大多数国民の心の反映であり、また時の為政者の心の反映であるが故に、天皇は本来神聖にましまして、責(せめ)を執(と)り給うべきではなく、すべては輔弼(ほひつ)の諸臣(しょじん)の責任となるのである。>>


上の抜粋部分は、戦後まもなく発表された「君民同治の神示」>>672 に通じるものだと思いました。
「君民同治の神示」は、『秘められたる神示』中の「君民同治の神示講義」(1)>>678に、
谷口雅春先生がこの神示を神さまから授かったときの日本の状況(終戦の年)等が詳しく述べられていてとても興味深いです。
※参照「君民同治の神示講義」(2)>>680(3) >>683 (4)>>684 (5)>>709

一方、わたしが今、謹写中の「万進日本の心と力」は昭和13年発行とありますから戦前の執筆です。
この二つの内容をくらべてみる限り、戦前、戦中、戦後を通して、谷口雅春先生は生長の家の「天皇信仰」に関して同じ真理を主張されているように感じます。


ですが、これはわたしが疑問に感じていたことで、web誌友会板での曳馬野さまのご質問内容にも通じるのですが、
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4097n-

それでは、なぜ、雅春先生は、戦後の聖典から、日本神国や天皇に関するご文章を変更・削除されたのでしょうか?

それは、戦後、占領下の日本で教育を受けた世代の人間に、「生長の家の教え」を伝道していくにあたり、
いきなり、天皇信仰を持ち出すと、明らかな拒絶反応を示す人が多かったからではないのでしょうか?

なぜならわたし自身もそのような思想の持主でしたし、別板でアクエリアンさまがご指摘されていますが、
とても残念なことに、現在の「生長の家」総裁である雅宣先生御自身がそのような思想の持主なのだと思うのです。

これはわたし個人の考えですが、雅春先生が、戦後の聖典から日本神国や天皇に関するご文章を変更・削除されたのは、
雅春先生の戦前のご主張(真理)が間違っていたからではなくて、それは確かな真理であるけれども、
時代の状況の変化に伴い万教帰一である「生長の家の教え」をどのような思想の人間にも広く伝道するために、
ご表現を変えられただけのことだったのではないでしょうか?

3003a hope:2014/07/06(日) 13:59:11 ID:brQxC10.
>>3002 追記

>>3002で紹介させていただいた、「君民同治の神示」、『秘められたる神示』の「君民同治の神示講義」の謹写文は、
第3回web誌友会の資料として、金木犀さまが謹写してくださったものです。 感謝 合掌。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/23n-

あの誌友会での話題も多岐にわたっていましたが、あの時は、後夜祭が長く続き、
金木犀さまや復興Gさまに、現憲法の問題点や天皇信仰について色々教えていただいたのでした。

もう一度読み直して、復習してみたいと思います。

3004志恩:2014/07/06(日) 14:19:35 ID:.QY5jUA6
a hope様

>>(徳久先生談ー
谷口先生が公職追放になられて、
愛国心、天皇への中心帰一、このことが説けなくなった時、
そうだ、練成会の根本的な目的を、 「父母への感謝」  にしよう、と決心しました。<<

という記事が、本流愛国掲示板にのっていました。
ですから、公職追放が、原因で、
戦争直後は、説きたくても説く事を禁止されていたので….
ということが、戦前、戦後の文章の違いの理由ではないでしょうか?


愛国本流掲示板より
谷口先生の公職追放で、愛国心は語られるのか  〔飛田給練成道場〕 (3557)
日時:2014年04月21日 (月) 22時00分
名前:iiko

 >「父母への感謝」にしよう、と決心しました。なぜなら「父母への感謝」 が本当にわかったら、愛国心が湧き、天皇に中心帰一するようになる、と確信したからです。<
天皇に帰一できない「森の中教団」は、親不孝教団なのでしょうか。

………………………………………………... 


谷口先生の公職追放で、愛国心は語られるのか 

 〔飛田給練成道場〕

生長の家長老  徳 久  克 己

 練成会も、昭和23年の9月から 『祈りの会』 という名称に変り行なわれました。
 谷口雅春先生が公職追放になったということは、
生長の家の真理を布教しようという私たち本部講師にとっては、とても大きな問題でありました。

 イロイロとウワサをする人がありまして、
生長の家は解散させられるのではないか、と言う人さえあったのです。


 とにかく、私たち講師の言動に、もし公職追放にふれるようなことがあれば、
谷口先生が指示しているのではないかと疑われ、谷口先生に御迷惑がかかることになる、
ということを考えまして、講話の内容などもシンチョウに考えなければならなくなりました。

 公職追放の理由は、戦時中の言論活動が超国家主義であった、
という誤解でありましたので、執筆も、時局や国家問題に関する文章は禁じられ、
宗教的な文章だけに限られたのですから、私たちの講師の話も、
それに従わなければならないことになりました。


 それですから、愛国心に燃える青年の養成を目的としてはじめた練成会も、
講話の内容を変えなければならないことになりました。

戦前・戦中に教育をうけてきた私は、日本国のすばらしさ、
天皇への忠を、学校で教えられて育ってきました。


 それに私の父は軍人でしたので、
家庭の中でもヒシヒシと忠君愛国を思想を教えられてきました。

 そんな私でありましたのに、心のなかには、
なにかスッキリしないモヤモヤしたものがあったのです。 
ところが29歳の時に、病後に母の導きで 『生命の實相』 を読みはじめ、
当時は全15巻でありましたが、毎月1冊ずつ読んで、約20日のあいだで読み終り、
心の底から、父母に感謝する気持が湧いてきました時

 「天皇陛下ありがとうございます」

と思わず口ずさんで、涙があふれている自分を、自分で発見したのでした。 
そして 『大調和の神示』 のなかの、 
 「神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」 
 という聖句を心のなかに思い浮かべました。 

 「父母に感謝する」 ということは、
こんなにすばらしい、人間を生まれかわせる聖なることであったのか、
という思いが深く深く私の心をうちました。 
「無条件の父母への感謝」 こそ人間の根本的な新生であったのだ、
とその時に私は深く教えられました。


 『生命の實相』 という聖典は、
まことに不思議な聖典でありまして、父母に感謝しなければならない、
というような強制的ななというか、義務的におしつけるようなことは、
一切書いてないのですが、読み終わったら、いつのまにか父母に感謝する私になっていたのです。 それ以来、本当の愛国心、天皇への中心帰一は、父母への無条件の感謝ができないとわからない、と私なりに信ずるようになりました。

 こうして私には  「神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」 
 というこの聖句が、自分の信仰の根本的な信条になったのでした。

 そこで、谷口先生が公職追放になられて、
愛国心、天皇への中心帰一、このことが説けなくなった時、
そうだ、練成会の根本的な目的を、 「父母への感謝」  にしよう、と決心しました。

 なぜなら、 「父母への感謝」 が本当にわかったら、
愛国心が湧き、天皇に中心帰一するようになる、と確信したからです。 


         『心の持ち方一つ』 より

3005a hope:2014/07/06(日) 16:16:45 ID:cEpBaIdo

>>3004 志恩さま

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&amp;mode=res&amp;log=1302&amp;submitlog=1302

この記事ですね。


貴重な情報と、素晴らしい徳久先生の御文章ご紹介くださりありがとうございます!

<<公職追放の理由は、戦時中の言論活動が超国家主義であった、
という誤解でありましたので、執筆も、時局や国家問題に関する文章は禁じられ、
宗教的な文章だけに限られたのですから、私たちの講師の話も、
それに従わなければならないことになりました。>>

よく、お勉強すれば、生長の家の愛国とか天皇信仰はとても宗教的で普遍的な万教帰一の教えだとわかると思うのですが、
ちゃんとその真理を理解していない人達には、超国家主義などという誤解を受けてしまうこともあるのですね。


でも、さすが、徳久先生ですね!


<<そこで、谷口先生が公職追放になられて、
愛国心、天皇への中心帰一、このことが説けなくなった時、
そうだ、練成会の根本的な目的を、 「父母への感謝」  にしよう、と決心しました。

 なぜなら、 「父母への感謝」 が本当にわかったら、
愛国心が湧き、天皇に中心帰一するようになる、と確信したからです。 >>


この事に関しては、わたしも、毎日聖典を拝読して「人間神の子」の自覚が深まってくれば、
本当にそうなって来るのではないかと感じています。

人間は実相が顕現すれば、自然に中心に帰一していくものだと感じているからです。


ですが、「天地一切のもの」への感謝も、もっとも身近な両親、兄弟からしていかないと、
本当の中心帰一の形にはならないと思うのです。


それに、この「父母への感謝」の教えだったら、政府に誤解されることもなく、
現代の若者にも、抵抗なく受け入れられるのではないでしょうか?

今でも、宇治別格本山では、その教えが中心のようですが・・・。

教団も、本流復活派の団体も、『「父母への感謝」の教え』を教義の中心にもってくれば、
本来の「生長の家」が復活し大調和できるのではないでしょうか?

志恩さまは、どう思われますか?

3006a hope:2014/07/06(日) 16:21:39 ID:cEpBaIdo
>>3005 訂正

ちゃんとその真理を理解していない人達【には】、超国家主義などという誤解を受けてしまうこともあるのですね。

ちゃんとその真理を理解していない人達【からは】、超国家主義などという誤解を【されてしまうこともあるのですね。】。

3007志恩:2014/07/07(月) 04:05:44 ID:.QY5jUA6
a hope様

net

《公職追放令(1945年=昭和20年)》が、GHQ(占領軍)により発令された。

完全なる言論統制が敷かれ、占領軍の批判は一切できなくなった。
戦後の占領下、GHQの命令によって国家の中枢となるべき20万人以上の日本人が、
戦争協力者という名前を冠せられ公職から追放された。
戦前、少しでも重要なポストに就いていた者であれば、戦後は公職についてはいけないという指令だった。
これは実業界にも波及したが、最も悪い影響を受けたのは学界、言論界だった。

追放令の覚書は、追放すべき人物を、
A項 戦争犯罪人
B項 職業軍人
C項 極端な国家主義団体などの有力分子
D項 大政翼賛会・翼賛政治会・大日本政治会などの有力分子
E項 日本の膨張に関係した金融機関ならびに開発機関の役員
F項 占領地の行政長官など
G項 その他の軍国主義者および極端な国家主義者
に分類した。

その後、1951年、サンフランシスコ講和条約で日本が独立したので、追放令は廃止されたのである。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/yougo/koshoku_tuihorei.html

3008志恩:2014/07/07(月) 04:06:33 ID:.QY5jUA6
a hope様

net

《公職追放令(1945年=昭和20年)》が、GHQ(占領軍)により発令された。

完全なる言論統制が敷かれ、占領軍の批判は一切できなくなった。
戦後の占領下、GHQの命令によって国家の中枢となるべき20万人以上の日本人が、
戦争協力者という名前を冠せられ公職から追放された。
戦前、少しでも重要なポストに就いていた者であれば、戦後は公職についてはいけないという指令だった。
これは実業界にも波及したが、最も悪い影響を受けたのは学界、言論界だった。

追放令の覚書は、追放すべき人物を、
A項 戦争犯罪人
B項 職業軍人
C項 極端な国家主義団体などの有力分子
D項 大政翼賛会・翼賛政治会・大日本政治会などの有力分子
E項 日本の膨張に関係した金融機関ならびに開発機関の役員
F項 占領地の行政長官など
G項 その他の軍国主義者および極端な国家主義者
に分類した。

その後、1951年、サンフランシスコ講和条約で日本が独立したので、追放令は廃止されたのである。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/yougo/koshoku_tuihorei.html

3009志恩:2014/07/07(月) 04:08:32 ID:.QY5jUA6
トキ様
すみませんけれど、2重投稿になりましたので、3008とここの削除をお願いします。

3010志恩:2014/07/07(月) 04:50:26 ID:.QY5jUA6
a hope様

戦争直後にアメリカの占領軍(GHQ)により発令された公職追放令は、
サンフランシスコ講和条約を締結したので、廃止されたと、載っていました。

ですから、公職令の 廃止後は、自由に言論することが可能になったのでしょう。

終戦直後、
徳久先生は、天皇については、雅春先生が公職追放された関係で
語ることができなくなったので、
親孝行の話を中心にしよう。親孝行は天皇・・に繋がる。

そう思われた徳久先生は、
当時の飛田給道場では、天皇の話は、せず、親孝行中心の話をするように、
されていた。

私が、初、飛田給 夏期高校生練成会に参加した中学3年生の時とは、
昭和30年代の
最初のころでしたから、菊地藤吉先生(共産党から転向した先生)や、
加藤栄太先生などが、すでに、練成会で熱く天皇陛下のお話をされていました。

しかし、当時は、これも、占領軍政策で、日本弱体化のために、左翼思想の人間を
教育界のトップにすえて、言論統制を行った成果が出ていて、日本国土全体は、
共産党,社会党の、赤い、反日思想によって、牛耳られていました。

そして、その反日思想の人らの手によって、、
天皇が、日本国民を戦争に駆り出した責任者なのだとか、日本人は悪い国民なのだという
教育をタタミコマレテ、
われわれ日本人は、洗脳されていった時代でしたから、

雅春先生が、日本の国民に、それは、間違った考え方なのだという真実を、日本人が、
愛国心を取り戻すために、命がけで、説き、愛国運動をされていたことは、
当然のことだったと、思います。

でも、天皇万歳というと、右翼的ですから、
昔の説き方じゃなくて、親孝行を話をされるときに、天皇という生き方は、
無私であり、日々、国民のために四方拝もされてて、。。。というふうに、

親孝行の話とともに、他国には無い、天皇の、本当のすばらしさも、説けば、
自然に聞き手に受け入れてもらえると思っております。

ですから、親孝行の話から入り、日本人に対しては、天皇の話もする、、というのが、自然体では
ないかしら。

3011a hope:2014/07/07(月) 10:49:07 ID:cEpBaIdo
>>3010 志恩さま

お返事は、web誌友会板にさせていただきました。

3012a hope:2014/07/09(水) 09:40:38 ID:cEpBaIdo
(>>3001つづき)

「邁進日本の心と力」p50 後から3行目〜



古事記を御進講(ごしんこう)申上げたる筧(かけひ)克彦博士も 天皇の御本質を観奉るに、決してその肉体を以てしてはならないのである。肉体を本質と観奉るときには大凡(おおよそ)神聖性は覆い隠されてしまうのである。

筧博士は『続古神道講義』四二五ページにおいて、この事を説いて『神武天皇とても矢張り手が二本お有りになり、足も二本お有りになり。脈もうてば呼吸もなされたでありましょうが、ただそのような方面より観奉るのではなく』とかくの如き物質的方面では神聖性が判らないことを指摘し、語をついで、【以下の本文には傍点あり→】『無形的に如何なる御人格を有っておいでになったか、如何なる神様であらるるかを分析して見ますると実に深い根底がありまして、神代の神々の御関係が悉(ことごと)く含まれて居り、【印刷不良の漢字】つて 天皇のいられらるる皇居は即ち神宮であり、その皇居の存する国土もまた神居たる神宮に外ならず、これによりても実に我が建国の深くして広く且遠いことが分かる次第である』【傍点終わり】と言っている。

傍点は私が付けたのではなく筧博士自身がつけたのである。有形の御表現体のみを見ていたのでは神聖性が判明しないのであるから、筧博士は『無形的に』――『御人格を』――と圏点を附し、無形的に御人格を観奉ったときに『神様であらるる』ことが判ると云う風に、御表現身を観奉らず、御表現身の奥に内在せられる実相身を観奉るとき、 すめらみことが如何なる神であらせられるかと云うことが判ると申しているのであって、そして今迄外形ばかり見ていた場合には物質を御入れ申した『物質の御舎(みあらか)としか見えなかった皇居も、物質と見ないで、無形的に(筧博士の言葉をかる)実相身(御本体)を観奉るときには、『天皇のいらせらるる皇居即ち神宮であり、その皇居の存する国土も亦神居(しんきょ)に外ならず』と云うことになり、物質を否定したとき、却って否定の極みの肯定となって、今迄単なる木材その他の物質を材料とした建築物と思はれていたものも神居たる神宮であると悟られ神の国と認め得るようになるのである。

生長の家で、常に『物質なし』と云っていることは、今迄『物質』を単なる物質であると思って、無機物的、無価値の存在であると軽蔑していたその観念を排除し、『物質、物質に非ず、一層高きものの表現である』ことを肯定せしめんがためなのである。


ここに生長の家は唯物論に対立するような唯心論でなく、唯物、唯心を超越した唯神実相論であることが判るであろう。

物質の否定は否定のための否定でなく、大なる肯定の為の否定であることが判る。

かくの如くして今迄『物質』と認められていたところのものも、神力の表現であると大きく肯定するのはこの生長の家倫理学であり、日本国土は物質国土と認められていたものを、更に『神の国』であると大きく再肯定するのがこの生長の家倫理学であることが判るのであろう。

飛び読みした一二の語句を根拠として生長の家の思想を批判することなく、本当に生長の家の思想を批判せんとせられるならば、少くとも『生命の實相』全十五冊を読了してそれを貫いて存する一大肯定の真理を把握せられんことを希望せざるを得ないのである。



(補注) 表現者と云う意味で 天皇を申し上げたのには筧克彦博士の『続古神道講義』に『此の 鵜葺草葺不合命(うがやふきあへずのみこと)からお生まれになりました御方が、神倭伊波禮毘古命(かむやまといはれびこのみこと)即(すなわち) 神武天皇であります。
……「伊波禮(いはれ)と申すは集滿(しゅうまん)の意味で、……これを遠く申すと、別天神、神代七代の神々を悉くご自分の中に集めおいでになる御方であって大なる存在の最高的表現者、自主的表現者であらせられます』と云う言葉などがある。

(以上、「物質の否定・棄揚(きよう)・神国の肯定」の謹写終わり)

3013a hope:2014/07/09(水) 09:43:10 ID:cEpBaIdo

>>3012 a hope所感)

この「一大肯定の真理」は、頭注版「生命の實相」第13巻の 「物質の否定・棄揚(きよう)・実相の肯定」では、わずか2ページちょっとの説明しかありませんでしたが、
この「邁進日本の心と力」の 「物質の否定・棄揚(きよう)・神国の肯定」の方では、同じ真理が10ページにもわたって説明されていました。

その内容は、「生長の家」が現象の天皇や国土をどうとらえているかがとてもわかりやすく説明されていて、
「物質に非ず、いっそう高きものの表現である」の一大肯定の真理をとてもよく理解できたような気がします。

3014a hope:2014/07/09(水) 09:52:02 ID:cEpBaIdo

以下、戦後の頭注版「生命の實相」での「一大肯定」の真理の説明と、戦前の「邁進日本の心と力」での説明をまとめて比較してみます。

(まとめと比較)

○頭注版「生命の實相」13巻「物質の否定・棄揚(きよう)・実相の肯定」

① 【物質の否定】

物質はない 肉体はない 


② 【棄揚(きよう)】

物質、物質に非ず、いっそう高きものの表現である
肉体は、神聖なる神の生命(いのち)の自己実現である 


③ 【実相の肯定】

物質として土塊の生成物のごとく無価値に見られていた「人間」が、
自己の価値観を回復し(神の子の自覚)、人生に生き甲斐を生ぜしめ、光明を見いだす【実相の肯定】



○「邁進日本の心と力」「物質の否定・棄揚(きよう)・神国の肯定」

① 【物質の否定】

天皇の玉體は肉体である →肉体はない
国民は肉体である →肉体はない
皇居も物質である →物質はない
国土は物質である →物質はない


② 【棄揚(きよう)】

天皇は親神の御表現でまします すめらみことである。
国民すべては神の子の表現であって、親神の御表現でまします すめらみことの中心に帰一している。
皇居は天皇(すめらみこと)のいらせらるる神宮でありその皇居の存する国土もまた神たる神宮であると悟り、
即ち日本は神の国であると認めるようになる


③ 【神国の肯定】

物質的国土と認められていた日本の国土を、『神の国』と大きく再肯定する

3015a hope:2014/07/09(水) 09:55:14 ID:cEpBaIdo

>>3014 a hope所感)

こうしてみると、確かに「生長の家」の教えは「物質なし」「肉体なし」の教えですが、
決して、現象に現れている物質や肉体を軽んじていないのがわかります。

また、天皇に関しては、>>3001

<<天皇は本来神聖にましましてその御本体は無量智であらせられるが故に、未だかつて如何なる奸侫(かんねい)の臣下(しんか)にもお惑わされ遊ばしたこととてはないのである。
古事記下巻などに描かれている 天皇の神聖をけがし奉る如く感じられる事実は、事些細なことといえども 天皇の御本体に関することではないのである。

しかし、御肉体は御表現であらせられるが故に、それは鏡の如きものである。
鏡は一切のものを映すが故に、国民が迷えるときには国民の迷いを反映し奉って、陛下の御悩(おんなやみ)となって顕れることもあるのである>>

と説明されていて、国民の心を映す鏡のようなものだと説明されています。
日本の国土においても同じだと思います。


これは、小さく見れば人間同士や人間と物質、つまり、ひとりの人間とそのまわりの環境においてもやはり同じなのではないかと感じています。

対峙する人が悪人に見えれるようであれば自分の内に悪を見る心があるからであり、
対峙する人が迷っているように見えるのであれば自分の心が迷っているからであり、
また、まわりの環境が自分にとって良くないものであると感じるのは、自分の心が良く整っていないからとなるのだと思います。

つまりその真理が「三界唯心所現」あり「心の法則」であり、それを、教えてくださっているのが周りの人々であり環境であるから、だから観世音菩薩さまなのですね。


うーん、わたしはこの真理は、理屈としてはかなり納得いっているのですが、現実に自分が悟っているかというと、???です(笑)

神想観をして、自覚を深めたいです。

3016a hope:2014/07/10(木) 23:00:13 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆

「生命の實相」第十三巻  p173 5行目〜


倫理学の研究の対象

(まとめ)

人(Person)とはラテン語の※Personare (ペルソナ)が転じたもの
Personare・・・〝to sound through″「天地に鳴りわたる」ところの本当の人間、「人格」

○『ヨハネ伝』第一章 
・・・「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、万(よろず)の物これに由りて成り、成たる物に一つとして之(これ)によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき」
・・・「人の光なる生命」= 言(ことば)=天地に鳴り亙(わた)る(to sound through)ところの生命

※ Personare (ペルソナ)―― Persona(ペルソナ)演劇で、仮面をかぶる人またその役。(頭注より)


○仏教
・・・仏性が本当の「人」であり、肉体はその仮面にすぎない
・・・人は生まれず死なない存在である 『涅槃行』


○日本語 
・・・人は「霊人」(ひと)であり霊的実在なる所の普遍的存在で、朽ち果てるべき「仮面の人間」ではない
・・・「霊子(ひこ)」(久遠男性) 「霊女(ひめ)」(久遠女性)


p175 3行目〜
<<「本当の人間」(Real man)の認識が倫理の根本になるのである。

「本当の人間」がいかなる存在であるかは、すでに『生命の實相』その他多くの著述を通してわたしが述べきたったごとく、「神そのままの相(すがた)」なのである。

換言すれば人間とは神性にほかならないのである。


しかしその「本当の人間」(神性)が「思い」に、あるいは「行為」に、表現せられたとき「善」となる。

「神があらわるればすなわち善となり、義となり、慈悲となり、調和おのずから備わり」と『甘露の法雨』にわたしが書いたごとく、神性が表現すればそれが「善」であって、神性が顕現しなければそれは悪である。

さらに詳しくいえば「悪」といい、「罪」というのは神性が顕現していない状態――すなわち、ないという消極的状態を「悪」といい「罪」というのであって、「罪悪」なるものは存在の仮面を被ってはいるけれども、非実在であるというのである。

悪の非実在、罪の非実在――これが谷口倫理学の特徴をなすものである。谷口教育学もここから抽(ひ)き出されてきて不可思議な実践効果を顕わしているのであるが、これは教育学の方に譲ることにする。>>

3017a hope:2014/07/10(木) 23:01:59 ID:cEpBaIdo

>>3016 a hope所感)

「物質の否定・棄揚・実相の肯定」のところで少し寄り道をしましたが、わたしにとってはとてもよいお勉強になりました。
今まで、避けていた雅春先生の愛国書ですがじっくり拝読しているととても味わい深く、その真理の深さに引き込まれてしまいます。

ですが、時々でてくる、唯物論者への強いご批判や、「駆逐」、「露西亜コミンテルンの諜(まわし)者」などというようなご表現の激しさには正直驚いています。

まあ、「虚説には和解してはならない」ということは、こういうことなのかな、とも思いましたが・・・・。


一方、愛国書以外の「生命の實相」をはじめとする「生長の家の聖典」と呼ばれているものからは、
雅春先生の激しいご批判の言葉はほとんど見当たらないのではないかと思います。

ですから、わたしは「聖典」を拝読していると「神の子」の自覚が深まるのはもちろんですが、とても心穏やかになり喜びがあふれてきます。

今またここで、聖典「生命の實相」がお勉強できる幸せに心から感謝しています!

3023トキ:2014/07/14(月) 21:15:33 ID:g.x8ZpLU
以上の実例によってわかったように吾々は真に何を求むるかを知らなければならないのある。
そして、吾々の求めるものは結局は他のものではなくしてもっと内的なものを本当は求めているので
あるということがわかるのである。金を求めるものも、実は真に金を求めているのではなく、人間ら
しい生活を、人間らしい愛と同情と賞賛を求めているのであり、そして結局は魂の進歩することを
求めていることがわかるのである。豊かなる生活、愛と同情と讃歎と、そして魂の喜びにみちた進歩
と -これらは実相の世界(御心の天になる世界ー神の国)に既に成就せる所のものであるのである。
事すでに成れりであるのである。吾々は唯それに波長を合わせばいいのである。「神の國と神の義を
求めよ、その余のものは汝らに加えられるべし」であるのである。吾々が真に求むべきものを知り、
その求むべきものを真に魂の世界に於いて波長を合わす時には形の世界に於いてはそれは成就すること
になるのである。

谷口雅春先生著 「祈りの科学」 71p より謹写

3024a hope:2014/07/15(火) 22:29:14 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第13巻 

『人間に神を実現する 』p178

然(しか)り。肉体の人間(小我の人間)は善をなしうるものではない。
いかなる我の知恵もそれは有限知であるがゆえに、あらゆる場合と条件とを尽すことはできない。

しかも実際生活の場合と条件とは無限であってその変化は※端倪(たんげい)をゆるさない。
ここにおいて有限知は必ず矛盾葛藤に陥る。

そこで本当の「善」はこの有限知の葛藤を飛び越えなければ得られないものである。
これは形式を超越するのであり、飛躍するのである。
飛躍があって、はじめてわれわれの心は※法界を覆う知恵に達することができるのである。

法界を覆う知恵に達してはじめてすべての場合と条件とを尽して、人相応、時相応、所相応の三相応を具備することができるのである。

これにはどうしても禅的な修養が必要である。


※端倪(たんげい)―― 推測すること(「端」は山頂「倪」は水の底)(頭注より)

※法界(以下web辞典より)
ほっかい【法界】〔「ほうかい」とも〕
〘仏〙
① 意識の対象となるものの範疇(はんちゆう)。十八界の一。
② 存在するものの世界。
③ 真理そのもの。すべてのあり方の根源。真如・実相などと同義。

3025トキ:2014/07/16(水) 20:34:04 ID:h6GdR2gA
まず”霊”を求めよ、”物”は自然に備わるであろう

 人間は”神の子”であるから神のもち給える一切の善きものを譲られているのである。
これ以上人間に与え過ぎたら人間は不幸になるなどとは神はその供給を限定し給うこと
はないのである。しかし神は霊であり、この世界の実質は霊であるから神から来たる恵
みや祥福は霊的波動として吾々に放送されているのである。その放送を吾々が時間・空間
の「認識の形式」によって受像するとき、ある時間継続するところの空間的ひろがりの
ある存在として感ずるのである。それゆえに現象的に形のあるご利益は、神から来る
”祥福の霊的波動”に過ぎないのである。イエスが「まず神の国と神の義を求めよ、その
余のものは汝らに加えられるべし」といったとき、それは「神の霊の世界にあるものを
求め、それに吾々が自分の心の波長を合わしたら自然と現世利益は加えられる」という
真理を教えたのである。

「女は愛の太陽だ」 谷口雅春先生著、115pより謹写

*まだまだお金の事で悩んでいる人が多いです。繁栄について、今一度、みんなで
 勉強する事も大事かと感じます。

3026a hope:2014/07/17(木) 11:00:15 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第13巻 

『自我のおきかえ』p179

法界を覆う英知に達して、善を完(まっと)うするのは、人間(肉我の)にはできないことであるが、神にしてのみ能(あた)うことである。

なぜなら、神ははじめから法界を蔽うすべてを尽しているからである。

しかし神が善をしても人間が「善」をなさなければ、人間生活にはなんの関係もないし、道徳の対象にも、倫理学の対象にもならないのである。

そこで「善」をなすには、「神」を人間の「思い」の中に「行為」の中に持ち来さなければならない、神を人間に実現するを要するのである。

神人合一境である。

肉の人間が棄揚(きよう)せられて神が実現されるのである。

自我の転換である。

復活であり、悔い改めであり、廻心(えしん)である。

小慈小悲(しょうじしょうひ)もない自分からクラリと転じて、仏と合一することである。

小我の力で行った善を、雑行雑修(ぞうぎょうざっしゅう)の善であるとして軽蔑してひたすら阿弥陀仏の方へ振り向いた親鸞(しんらん)聖人の心がここにわかるのである。

全法界を覆う能わざる小知で善をなしたと小善ぼこりをしても、必ずそれは悪に変じているのである。(もっとも「悪」とは積極的存在の状態ではない。心が全法界に達していないという消極的状態なのである。心がそこに達しさえしたら、もうそこは善となっているのである。)


人間の小知は決して全法界に達せざるがゆえに、根本的には善をなすことができない。

重盛の「忠ならんと欲すれば孝ならず」のごとく人時所(にんじしょ)の三相応を得(う)ることができないのである。

そこで唯一の善は飛躍をすることである。

そこで親鸞は小善奉行を雑行雑修として振りすてて、如来の方へ飛躍したのである。

飛躍するまでは親鸞といえども有限知の葛藤に悩んで、六角堂の観音に日参したのである。

禅宗では公案をつくりことさらに矛盾難関を構えてこの飛躍の修行をするのである。

3027a hope:2014/07/18(金) 22:26:52 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第13巻 

「香厳上樹(きょうげんじょうじゅ)、飛躍の道」p180

たとえば『無門関』の第五の公案「香厳上樹」のごときはその適例である。
この公案は香厳和尚が「人が断崖絶壁の上に懸垂する樹に上(のぼ)り、口は樹枝(じゅし)を啣(ふく)んで樹よりぶらさがり、手も足も何も支えるものがないとき、樹下にあって、『祖師西来(そしせいらい)の意(い)如何(いかん)』と問うものがあればどうするか。答えざれば禅門の礼儀として問答に敗れることになる。答えれば、身を支えている口が樹枝を離れるがゆえに、断崖絶壁に墜落して身を喪(うしな)ってしまう」というので、「さてどうするか」という公案を提出したというのである。


右するも滅(ほろ)び、左するも亡(ほろ)びるのである。
形の上では逃れる道はない。
不可不の法則が両方から追い迫ってくるのである。
縦横厚みの三次元空間に生活している限り、逃れる道は断たれている。
もう絶体絶命である。
われわれはこの三次元空間を飛躍するほかに生きる道がない。
そこで飛躍が行われる。
われわれの生命はこの時、不可不の法則以外の世界における自分を発見する。
口に樹枝を啣んだまま、「ウーン」と彼は一嘯(いっしょう)するか、口を開いて「サタンよ、去れ!」と一喝するか―――どちらを選ぶか、他の方法によるか、それは形の関するところではない。
「形」の模倣では価値はなさない。
「形」はどちらをとるにしてもその人が三次元空間を超越した自己を発見していたならば、彼の前に世界が変貌するのである。

「飢えて死ぬか。悪魔にひざまずいて食を摂るか」これはイエスの公案であった。
かくのごとくキリスト教は禅的公案に出発しているのである。
イエスは「サタンよ、去れ!」と一喝した。
しかる時、サタンは去って、天使がイエスにつかえたと聖書は録(しる)している。
(つづく)

3028a hope:2014/07/18(金) 22:28:44 ID:cEpBaIdo
>>3027 つづき)

イエスが「サタンよ去れ!」と一喝した後にイエスの世界は変貌した。
それは悪魔に取り巻かれた世界から天使に取り巻かれた世界へと変貌したのである。
イエスはその後も食事をとっているのである。
しかしそれは今までのように、悪魔によって供給された食ではない。
換言すれば他から奪って得たところの食でもなければ、殺生によって得たところの食でもない。
それは天使が彼に捧持(ほうじ)する食物であるのである。
形から見れば、三次元的空間的立場から見ればやはり悟前の生活も悟後の生活も同じであるかもしれない。
あるいは異なるかも知れない。
それはおそらく異なるであろうが、それは異なるにしても空間的立場からはやはりイエスは空間の制約の中に生活している。
しかしイエスの自覚はもう空間的立場を超えているのである。
「われは道なり、真理なり、われは復活なり、生命のパンであり、尽くることなき生命の泉であり、われに汲むものは永遠に渇(かわ)くことなし」という、彼の自覚はもう三次元的空間的存在の意識から超越して、無形の真理であり、道であり、生命であるという境地にまで高昇(こうしょう)したのである。
この境地に高昇したときには、すでに相対的善悪形式的善悪は超越せられてしまっている。
そこで「上衣(うわぎ)を取る者には下着をを拒むな」と無抵抗であるかと思うと、その無抵抗という形すらも飛び超(こ)えて、縄の鞭にて神殿の鳩売りを逐(お)い出す――それがすべて人時所にふさわしきところの三相応の「善」となる。


およそ「善」とは「十里の公益を強いられて二十里を行く」ことでも、「縄の鞭にて神殿の鳩売りを逐い出す」ことでもない。
また必ずしもその反対を実行することでもない。
それでは、また心の赴くままに滅多やたらにふしだらにやりたいとおりに実行することでもない。

「善」とは形ではないが、形を破ることでもない。
形に捉われないということにもとらわれないように超越しなければならないのである。
形に捉われず、空に捉われず、自由自在ということにも捉われず、それではどうすればよいか、※亡言絶慮(もうごんぜつりょ)、絶体絶命である。
いっさいの空間的認識の私的立場(自分の角度から見た判断)から脱して、法的立場または宇宙的立場からの「思い」と行為とがそこに顕現する。


法的立場から叩き伏せるべきものは叩き伏せるし、生かすべきものは生かすし、看過(みの)がすべきものは看過がす――そして、それで人時所相応の「善」となるのである。

「神があらわるれば善となる」のであって、われらはまず「神」を把握しなければ「善」を顕現することもできないし、「調和おのずから備わる」ところの人時所相応の善を奉行(ぶぎょう)することもできないのである。


※亡言絶慮(もうごんぜつりょ)・・・言葉を亡(うしな)い、思慮を絶すること。
(頭注より)

3029a hope:2014/07/19(土) 09:29:47 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第13巻 

人格の自由と「認め」の倫理 p183

人間において行為の善悪が問題視せられるのは、人間には本具の「自由」というものがあると先験的に認められているからである。

人間において人格の自由というものが本来ないものであるならば、善悪の批判は成り立たないのである。

列車は軌道の上を真っ直ぐ走るであろう。

しかしこれは強制されて軌道の上を「正しく走る」のであって、「善」を行為するのではない。

なぜなら列車は軌道の上を正しく走るほかに自由なくして、やむをえずに軌道の上を正しく走っているにすぎないからである。

それはいくら精確に走ったからとて機械的精確さで走っているのであって、道徳的自由で行為するのではないのである。

しかるに人間においては行為の善悪がただちに問題となる。

それは人間はなんびとにも先駆的に「自由なるもの」が内在することを認めているからである。


この何人(なんびと)にも先験的に認められているところの人間内在の「自由なるもの」を、われわれは「人格」という。

その自由性を「人格の自由」という。

だから人格とは、肉体のことではない。

肉体ははじめから時間空間に制約せられて自由ではありえないからである。

外から観れば自由ならざる肉体であるところの人間が、どうしても「自由なるもの」を自己の内に内在するとして先験的に肯定しなければならないのは、
「本当の人間」は肉体的ではないからである。

そして「本当の人間」とは「本来自由なるもの」――仏性、神性そのものなのである。

3030トキ:2014/07/21(月) 16:05:11 ID:9wlISb0c
実在宇宙は無限創造の世界
 
 実相は単なる「空」ではありません。実相の世界の第三の特徴は、宇摩志阿斯訶備比古遅神
といはれるこの神の名によって現されてをりますように、無限創造の働、無限のものを
産み出す働、これが実相の世界の特徴でありまして、この実相の世界を単なる空の世界であって
何もないからからつぼのものであると考えてはならないのであります。肉体的五官の感覚をもって
見ると実相の世界は見えないのでありますから、「空」と云ったりしますけれども、「空」
の奥に「無限相」無限の創造があることを知らなければならないのであります。

「限りなく日本を愛す」 谷口雅春先生著、145p より謹写

*トキの感想

 以前、この掲示板でも、実相のあり方について議論がありました。
実相のあり方は、谷口雅春先生のご指導によれば、以上のものです。興味の有る方は
以下、詳細に書かれていますから、ご覧下さい。

3031a hope:2014/07/21(月) 17:20:14 ID:cEpBaIdo

「驀進日本の心と力」より 

『善の存立し得る根本条件』 p67


「善」の存立しうる根本条件は、かくの如く「人格の自由」であるが、人格の絶対自由は、本当の人間が、現にアルかのごとく見ゆる時間空間に制約されたる肉体でないことによってのみ確認せられるのである。

しかして人格の絶対自由が確認せられてのみ人格の権威が認められる。

ジョーウインドウのマネキン人形には人格の自由はないから、人格の権威は認められないのである。

奴隷には自由が認められていないから権威がない。

権威は自由の認められた程度にあるのだ。


天皇は神聖にして冒すべからずと申上ぐるは、天皇は最大最高の自由を有し給う御本体の御表現にましますが故に、その権威は最高であらせられることを称したてまったのである。

人格の自由が最大最高の自由にまで高揚せられたる境地に於いては吾々はこれを人格と申上げず、神格と申上げる。

そこで 天皇は神格であらせられるが故に現人神(あらひとかみ)と申上げる。

所有権、領土権と云うものも、その本源は人格の自由にある。

最初地上に人間が出現したとき、先ず発見し、『これは我が所有、これは吾が領土』と認めたところのものが我が所有となり、吾が領土となったのである。

今でも無人島を発見してそこに最初に国旗を掲揚した国が、その無人島を領有する。

なぜ最初に発見し、まずそれを我が国土、我が所有と宣言せる者がその国土を領有するか。

それは人格の自由に基づくのである。

事物はこれを認めたときに存在に入る。(唯心所現)

認める心が存在しないとき、一切の事物は存在しない。

『神光あれと宣(のたま)ひければ光ありき』『宣ひ』に先立ってまず『認め』がある。

認めがあって(換言すれば心のヒビキ)があって『宣ひ』が発現し、『宣ひ』が発現してその事物が存在に入るのである。

コトバは事物に先立ち、『認め』はコトバに先立ち、『認め』は人格の自由によるのである。


ここに我等は 天照大御神の天皇降臨の御神勅(ごしんちょく)の如何に尊いものであるかを知ることが出来るのである。

『認め』の本質、『コトバ』の本質、存在の本質が判らないでいて、御神勅(ミコトノリ)の権威が分明する筈がないのである。

天照大御神の天皇降臨の御神勅――

『葦原(あしはら)の千五百秋(ひいほあき)の瑞穂国(みずほのくに)は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地なり。』

とは『認め』であり、しかも伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)より高天原すなわち実在界の主宰者なりと宣言せられ給いし 天照大御神の『認め』であり、同時に『コトバ』である。

認めない時には事物はアルとも無きと同様なるが故に瑞穂の国の真の存在事実はこの時より始まるのである。

しかしてこの神勅は全実在界(高天原)の主宰者たる 天照大御神のミコトバなるが故に動かすことの出来ない天地の真理となったのである。

『コトバは神なりき。一切のものこれによりて成る』と聖書にあるが如く、この時より『水火(みづほ)の国』は確実に存在界に入り、主権者が確立し、領土権が確立したのである。

水火の国とは、そのコトバの示す如く水火――陰陽組合せの一切の存在を云う。

今さら、日本国を東洋の一小国だなどと考える如きはコトバの本質を知らぬものの云うことである。

普天率土(ふてんそつど)、一切の存在、スメラミコトの御領土ならぬはないのである。 
(つづく)

3032a hope:2014/07/21(月) 17:50:58 ID:cEpBaIdo
>>3031 訂正

称したてまったのである。→ 称し奉ったのである。

天照大御神の【天皇降臨】の御神勅 →天照大御神の【天孫降臨】の御神勅

3033トキ:2014/07/22(火) 20:50:22 ID:wLVGMUNw
 あなた達が善業を積み重ねて行くには、「与えよ、さらば与えられん」の黄金律に
従って、人のためになるものを与えるという愛行を積み重ねるのが最も確実で容易な
道である。”与える”といっても色々の与え方があり、何を与えるかの問題もある。

 貧しい人に金銭を恵んで与えるのも其の人の一時的な助けになる。その人が助かっ
た程度だけ、あなたはそれだけ善業の種子を播いたことになる。けれども金銭その他
の物資を恵み与える場合には、その助けは永遠の助けとはならないで、その金銭又は
物資が無くなる時までの一時的な助けとなるだけである。その功徳は一時発芽して
伸びただけでひでりに遭って途中で枯れてしまう苗木のようなものである。物資を
与える場合の功徳は一時的であるから、あなたが折角蒔いた善業の種子も発芽して
少しだけ伸びて、あとは枯れてしまうのは惜しいことである。折角あなたは与えた
のだけども途中で枯れてしまうようでは、あまりにも勿体ない事であるから、途中
で枯れないような永遠に伸びて生長して行くような善業の種子をお蒔きなさい。

 永遠に伸び増殖して行くものを布施するならば、相手が受けた功徳は永遠に伸び
るのであるから、その功徳があなたに撥ね返って来る功徳も永遠に伸びることにな
るのである。

 それでは永遠に伸び増殖して行くような布施とは何を与えたらよいであろうか。
それは真理を与えることである。”人間・神の子、無限力”の真理を、あなたが
人々に与えて、与えられたその人が真理を使えば、真理は永遠に減るものでなく、
それを繰り返し使うほど光を発揮し、能率は増加し、その真理を又その日とが他の
人に伝えるならば、恰も鼠算用のように功徳が増えて行くから、あなたに撥ね
返ってくる功徳も永遠に伸び増殖して、最初蒔いた真理の”小さな種子”がついに
は天を摩する巨樹のように伸び行くことになる。真理を与える功徳はまことに
無限無尽であると云わねばならない。

「神 真理を告げ給う」 谷口雅春先生 96P より謹写

3034a hope:2014/07/22(火) 22:54:21 ID:cEpBaIdo
>>3031つづき)

「驀進日本の心と力」より 

『領土権の根拠は那辺(なへん)にありや』p69


領土権は、人格の自由に基づくところの『認め』(認識)と『コトバ』(宣言又は表現)によってかくの如く確立する。

この『認め』の本質と権威とを知るとき歴史以前に於て、既に一切の存在が 大日本天津日嗣(あまつひつぎ)すめらみことの知ろしめし給ふところなることが明らかである。

『知ろしめす』とは『認め』の本質である。

『認め』と共に存在に入るのである。

『認め』は存在の本源であり、一切事物の存在は認めに基くミコトノリに発するのである。

歴史以後に世界各国がこの国土は自分の国土であると宣言したところが、それは既に、歴史以前の大宣言(おおみことのり)であるから、世界各国の統治者は国土を『※うしはく』のであって知ろしめすのではないのである。

かくの如く『認め』の権威が明らかとなったとき、はじめて、夫婦の貞潔と云うものの価値と権威とも明らかになるのである。

夫婦の貞潔(ていけつ)が美徳であると云うのは単なる良人の占取欲(せんしゅよく)のためではなく、社会公安上の便宜ではなく領土権と等しく『人格の自由』と『認め』と、その『認め』の発表のコトバの力に基づくのである。

良人の占取欲や、独占欲や、社会公安上のために仮に設けたただの規則が夫婦間の貞操であるならば、良人の独占欲が無くなったり、社会の事情がかわって来たならば、夫婦の貞潔は却って美徳とせられなくなるかも知れないのである。

然るに、夫婦の貞潔が美徳であるのは、対社会的方便や、占取欲的やによって変化するような相対的関係によって※然(し)かなるのではないのである。

夫婦の貞潔が美徳であるのは、

一、 人格の自由
二、 認めの権威
三、 宣言の権威

に基づく、一人の男子が、一人の女子を、一人の女子が一人の男子を、その各々の人格の尊厳に於いて、その各々の人格の自由に於いて、互に相手を自分の良人又は妻であるとして知り、認め、しかして宣言する。

その宣言の形式は、役場の戸籍簿に登録せられることであっても、結婚式を行うことであっても、親戚知己(ちき)に手紙で披露することであっても好い。

兎も角、認め、認められて宣言が行われる。

ここに「人格の自由」とその自由なる人格による「認め」と、その「認め」に基づく『宣言(コトバ)』とによって、コトバは一切の存在の支持者として、そこに彼は彼女の良人であり、彼女は彼の妻であることが存在に入(い)るのである。

ここに人格の自由による「認め」と「宣言」によって、それがかくあることが持続せられて、互に相冒(あいおか)してはならないことの権威が生ずる。

権威人格の自由に基づき、宣言によってそれが確保せられる。


※うしはく・・・領地として治める。支配する。(Web辞書より)

※然(し)か・・・そのように。さように。(生命の實相第13巻の頭注より)

(つづく)

3035流氷:2014/07/23(水) 03:54:31 ID:5mX.1AXk

 『真理の吟唱』ジュニア版http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&amp;mode=res&amp;log=58

3036トキ:2014/07/23(水) 19:17:10 ID:ILCvoLUk
「善き”言葉の力”によって地上に天国を建設せよ」

 神はコトバによって実相界の一切のものを創造せられたのである。神の最高の自己実現としてうま
れた人間はまたコトバの力によって万物を現象界に創造するのである。神は実相界の万物を創造し給
い人間は現象界の万物を創作する。実相界と、現象界と、その分担は異なっているれども、”コトバの
力”によって万物が創造せられることに相違はないのである。それゆえに私たちは、善き”コトバの力”
を駆使して、「真理」の言葉を唱え、”善き世界”を顕現するようにしなければならないのである。その
ためには毎日「真理の吟唱」にある実相完全の世界を表現したコトバを読誦し”コトバの力”によって、
”実相世界”の完全の相を、現象世界に実現するよう努めなければならないのである。かくして地上に
天国が建設せられ、竜宮城が実現するのである。

「美しき日本の再建」 谷口雅春先生著、148pより謹写

*トキの感想。

 このコトバの力の発揮は、日常の生活の中で使う訓練が大事ですね。
心掛けたいと思います。

3037a hope:2014/07/24(木) 08:37:03 ID:cEpBaIdo
>>3034つづき)

「驀進日本の心と力」より 

『貞操の根拠は那辺にあるか』p71


夫婦の貞潔を冒してはならないのは、領土権を侵犯してはならないのと同様である。

人格は自由であるが故に、何をしても好いのだということはこの場合には成立(なりた)たない。

人格は自由であるが故に、その人格の自由の尊厳の故に、既に他の人が、その人格の自由によって、『認め』かつ『宣言』したことを犯すことは出来ないのである。

『自由』と云うことはふしだらなことでも、だらしのないことでも、めったやたらにやることでもない。

『自由』が『自由』としてその『自由』の権威が保持され能(あた)うのは、実に他者が既に「認め」かつ宣言したところ『自由』を侵さないこと、また侵されないことによって成立つのである。

夫婦の貞潔が美徳であるのは、かくの如き、人間の人格の自由と『認め』と『宣言」』とによるのである。

3038SAKURA:2014/07/25(金) 00:50:48 ID:TJDm.2/U
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行

*========*【 自己を欲せぬことを思うな ―その1―【 転載編 ―】*=======*=======*

われらは『類は類を招ぶ』の心の法則を知るをもっていやしくも自己の欲せざること
を心に思わざらんことを期す。

「類は類を招ぶ」というのは生長の家の横の真理であります。仏教でいえば「三界は唯心
所現」である。これは、現象界が展開して来る、業の流転してくる法則を現わしたもの
であります。業はいかにして流転するかというと、この「類は類を招ぶ」という法則によっ
て流転しているのであります。ここへ集まっておられる方はそれぞれまた「類は類を招ぶ」
という法則によって集まっておられるのでありますから、ここにおられる皆さんの心はよ
く調和している、そして仲のわるい人は一人もない、みんな生長の家の家族であるという
懐かしい感じがする。根本の思想というものがちょうど相牽引する類似の人ばかりが集ま
っていられるからであります。

よく嫁に行かれた御婦人が嫁いだ先の姑さんはひどい姑さんであったと、こういって自分
のことを棚に上げておいて姑ばかりひどいひどいと思っているようなお嫁さんが往々にして
ありますけれども、「類は類を招ぶ」という心の法則をもし知ったならば、自分自身が姑と
類似の心をもっていたということに気がついて、自然と懺悔の心が起こってきて、ああわた
しがわるかった、これは自分の心の鏡であった、本当に申しわけなかったということに気が
つくのであります。

こんな実話があります。ある人がお嫁に行かれまして、そこの姑さんが非常に吝嗇で、
お嫁さんが御飯を一杯よそって食べますと、お櫃に蓋をして、お姑さんがお櫃の上へ
肘をかけて見ておられるのです。それからニ杯目には、「ちょっと済みませんが」とい
って、蓋をあけさしてもらってよそう。それが三杯目になると、「ちょっと済みませんが
……」というのも気が引ける。

まァそれでお腹が空いているけれどもやむをえず我慢しておったが、あんまりひど
いと思って、その姑を憎み憎みしていた。また姑の方からも意地わるばかりしてくれ
るというので、とうとうそこを離婚してもらって、別のところへ再縁して行かれたの
です。今度は姑のない家でないと嫁かぬというのでそういう家を選って再縁して行か
れたのですが、今度はそこの夫がお櫃の蓋に肱を掛けて蓋をあけさせないようにして
見ておる。それでもまァ、ニ杯目ぐらいは遠慮しながらでも食べられるけれども、三
杯目になると、「お前あんまり肥ったらいかんぞ、細いのがわたしは好きだから……」
と、そういうふなことをいわれる、とうとうそこの家も駄目になって実家へ帰ってき
たという実際の話があります。

こういうふうな人は自分はわるくないと思っているけれども、自分の心の中に同じも
のがあるのであります。それと同じものがあるのでその人の行く先行く先で自分の心
と同じような事件が展開してくるのであります。
                         つづく

                          再合掌

3039トキ:2014/07/25(金) 19:48:47 ID:cXqqwViw
>>3038

 ご投稿、ありがとうございます。
続きを期待しております。

合掌 ありがとうございます

3041a hope:2014/07/27(日) 12:40:09 ID:cEpBaIdo
>>3037つづき)

「驀進日本の心と力」より 

『所有権の根拠』p72


領土権や、夫婦の貞潔が人格の自由の上に基礎を置くが如く、所有権も吾等の人格の自由の上に基礎を置くのである。

所有はある人格の延長と見らるるものである。

彼は彼自身の行動の自由を、その所有を通って発現する。

彼の所有は彼の人格の自由が『認め』かつ『宣言』したものであると云う点に於て彼の人格の延長であるが、同時に彼はその所有を道具として自分の人格の自由を形の世界に実現する点に於て、また彼の人格の延長なのである。

これを侵すことは人格の自由を侵害することになる。

それ故に、所有権の侵害は人格の自由の侵害として罪悪としてみとめられるのである。


すべて、罪悪とは人格の自由の隠蔽又は侵害である。

人格の自由はそのおのずからなる顕現として、円満完全さを伴うものである。

『自由』の別名は『完全』であるを要する。

なぜなら『不完全』は自由自在の欠乏を意味するからである。

本当に生命の本質――即ち人格が自由にして無礙であるならば、その発現は完全なるものとならざるを得ないのである。

本来人格の自由と云うことが倫理学上、先験的に要請せられるものである以上、人格の本来円満完全と云うことも、倫理学上、先験的に要請せられねばならないのである。

そこで本来円満完全なる人格が円満完全さが隠蔽(おお)われて不完全不円満を顕すが故に、これを『隠蔽(いんぺい)』即ち『ツツミ』すなわち『ツミ』と云うのである。

本来不円満不完全なるところの者が不円満不完全なる有様を呈しても罪とはいわない。


それは円満さの隠蔽ではないからである。

牛が隣の土地の草を喰っていても牛の罪とはならないが、人間が隣の所有権を侵せば罪となるのは、人間の本来完全であることが要請せられ、他者の人格を尊重し所有権を尊重するのが当然であると要請せられているからである。

されば吾等の罪が問題にされるのは、人間が本来完全であることを先験的に要求されるからであると云わざるを得ない。

されば谷口倫理学では、人間は本来完全なりと主張するのである。


(注)「認め」の倫理的価値は、遥かに遡(さかのぼ)れば『法華経』の「常不軽菩薩品(じょうふぎょうぼさつほん)」に於て、常不軽菩薩が万人を成仏すべきものとして礼拝したのに始まる。認めて初めて存在に入るのである。この時よりして万人は成仏すべく定められたのである。大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)が※十劫(こう)の間を道場に坐してしかもなお成仏しなかったのは、本来「仏」でありながら「認め」が存在しなかったからである。
近代文学に於いて認めの価値を力説したのはオスカー・ワイルドであって『倫敦(ロンドン)の霧は詩人がこれを歌うまでは存在に入らなかった』と云った。
また頼襄(らいじょう)が『耶馬溪(やばけい)を以て海内第一とするは頼山陽(らいさんよう)より始まる』と豪語したのも『認め』の価値を力説あいたのである。(谷口)


※十劫・・・きわめて長い時限のこと。天女が五百年に一度、羽衣で岩をかすめ、その岩がすりへってなくなるまでの時間を一劫という。(「生命の實相」13巻の頭注より)


(以上、謹写終わり 感謝 合掌)

3042流氷:2014/07/27(日) 15:12:11 ID:Ftu8YlPU

理念の『生長の家』http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=1099

3043トキ:2014/07/28(月) 20:59:36 ID:lqUaVStc
 「生長の家」では「物質は無い」と申します。一方において「物質は無い」と言いながら、ここに
「無限供給を受ける道」という題示を掲げますと、大変矛盾を申しますようでありますが、物質が本来
「無」であるが故に、それは心の影であるが故に、無限無尽にこれを現すことができるのであります。

 物質が具体的にあるもので、どこかにある有形有限のものを持って来なければ「物質」が出て来ない
ものでありますならば、それは「物質は有限だ」とも言い得ましょう。甲所から物質を乙所まで持って
来ると、乙所の物質は殖えるかわりに、甲所の物質は減ってしまいますから「物質は有限だ」というわ
けであります。しかし物質が本来「無」であって、「念」の鶴嘴によって、無限無尽の世界(神の世界)
から発掘して来るものでありますならば、それは発掘するに従って無限無尽だと言わなければならない
でありましょう。

生命の実相 第8巻 116Pより謹写

*聖典には、一見、矛盾するような内容の部分がありますが、その真の意味を掘り下げると、矛盾がな
いのであります。よくよく吟味するべきだと思います。

3045SAKURA:2014/08/11(月) 23:03:09 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行

*========*【 自己を欲せぬことを思うな ―その2―【 転載編 ―】*=======*=======*
 
 上海事変の時に上海のある高等学校の先生が災害を恐れて逃げて、弾丸が隣の家へ落
ちるとまた引っ越しをする、引っ越すとまたその隣に落ちまた逃げるというふうなことを
やって、行く先行く先で弾丸に見舞われて、死にはしなかったけれども、幾回逃げても、
そのつい隣にまで弾丸がやってくるような目にあっておられた事実の報道が『生命の実相』
第三巻に出ていましたが、ちょうどそれと同じようなことであります。

われわれに弾丸があたるのは、わるい姑というものが当たるのと同じことで、自分の心の
とおりのものが外に現れているのであります。弾丸は外にあるのかと思うと、決して外ば
かりじゃない。

意地わるの姑というものも外にあるのかと思うと、自分の心の中にある。それで今度は姑の
いないところへさえ行けば意地わるの姑というものはおらんかと思い姑のない家へ行くと、
今度は姑と同じような、男の顔をしているけれども、意地わるの夫があるということになり、
そこをやめて帰ると奥さんの実家では、出戻りであるというので虐められて、帰ってからも
御飯のお櫃(おはち)の上へ肘をやって虐められたかどうかは知りませんけれども、お前の
ようなものはどこへ行っても辛抱ができないとか何とかいって、同じ種類の虐められかたを
したに相違ないと思うのであります。

 そこで、われわれの運命というものは、どこへ行っても鏡が変わるだけであって、そこの
場所で自分の心の顔の相が映るということになるのであります。

それで「類は類を招ぶ」という心の法則を知って、自分が不幸が嫌いならば、いやしくも
自分の心にそれと同じような心持を抱かないようにしなければならないのであります。

よく病気を恐ろしがる人がある。「わたしは病気が恐ろしいのです。」こういっておられる
人がある。

病気が恐ろしかったら病気を思わぬようにしなさい、こう言うのでありますけれども、病気の
恐ろしい人ほど病気のことを考えている、もう二六時中病気のことばかり考えている。病気に
罹ったら、とこう考えておられる。

そういうふうな人は、結局普通よりも早く病気にかかって死ぬということになるのであります。

 生長の家の誌友の親類のひとで秋吉さんといわれる未亡人がおりましたが、その方の夫と
いわれる人はチフスの恐怖症であって、親類の人のチフスで死んだ印象を受けて、それから
自分はチフス菌というものは非常に恐ろしくなって、チフス菌は煮沸したならば死んでしまう
というので、どんなものでもみんな煮沸して食べ、生の物なんか食べたことはない。

 生水なんかむろん飲まない。顔を洗うのだって、くちをすすぐのだって、チフス菌がおった
ら危ないというのでみんな一度沸騰さした湯ざましで顔を洗うということまでやっておられた。

ところがやはりチフス菌に冒され、どこから入ってきたのか知らぬけれども、チフスに罹って
死んでしまわれたのです。こんなに何でも煮沸して使いながらチフスに罹って死んだのは
「類は類を招ぶ」という心の法則によって、自分の心の中にに描いたものが形に現れてきたので
あるということになるのであります。

                                つづく

3047トキ:2014/08/13(水) 10:59:31 ID:PLs7iwpU
>>3045

SAKURA 様

 素晴らしい文章を書いて下さり、ありがとうございます。
こういう点はとても大事だと感じます。続きを楽しみにして
おります。

合掌 ありがとうございます

3049SAKURA:2014/08/23(土) 22:06:46 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行

*========*【 自己を欲せぬことを思うな ―その3―【 転載編 ―】*=======*=======*

 自分の心にチフスを描けばチフスが出てくるのです。肺病を描けば肺病が出てくる、胃病を
描けば胃病が出てくるのであります。
それで肺病の恐ろしい人は、肺病を思わないようにするといいのです。

『生命の実相』を読むと、『人間は神の子で病気は〝な〝い』と書いてある。

〝な〝いと書いてあるだけでどうして治るのかというと、本当に〝な〝いと知ったら悩みがなく
なる、心に思わなくなる。ないように思うだけではない、本来無いから悟った時にその本来無いが
あらわれてそれで治ってしまうのです。病気が本来アルと思っている間はどうしても治りにくい。
人によって徐々に治ってくるのは、その「“無“い」が徐々に知られてくるから徐々に治ってくる
わけであります。

この「類は類を招ぶ」というのは、肺病を思えば肺病が起こるということだけでなしに、たとえば
この「心配」――言い換えると、胸に思いを溜めると、すぐにこの胸が痛くなってきて、やがて
それが蓄積して昔なら恋煩いというふうなことになる。

恋煩いというのは今なら肺病肋膜炎というところです。心で思うから病気をするんだと教えてあげ
ると、わたしは肺病を思ったことはありませんのになんだか身体が衰弱する、疲労をするので医者
へ行きましたら肺病だと宣告されました、こういわれる。

これは心の法則を知らざる人が言うことであって、肺病と思わなくても、胸に思いを溜めると
「類は類を招ぶ」という法則にによって胸に血液が欝血し、血行が悪くなり、その部分の抵抗力が
衰えて胸の病気に罹るということになるのであります。

これは「類は類を招ぶ」という法則によって出てくるのであります。

われわれが人から、わたしはちょっと足がわるいのです、わたしは手がどうでございます、
これはどういう心持からきますかと、こういって、いろいろと病気の起こる原因(もと)の心を
指摘せよと言われる。それをあんたのこういう心持起こるのですよ、こういって上げることができ
るもは、それを開く鍵はどこにあるかというと「類 は類を招ぶ」という心の法則が鍵であります。

この鍵によって病気の原因を開けば治るのであります。

『生命の実相』を読めば自然とその鍵がわかるように書いてある。だから『生命の実相』
を読めば、誰でも教祖のようになって「あなたの病気はこういう心持で起こる」と御神宣
を下すことができるようになる。自身が病気の人なら自分で自分の心の欠点が『生命の実相』
を読んでいるうちに省みられ、是正されて病気が治ってくるのであります。

たとえ中風に罹ってふるえている人に、あんた癇癪持ちですね、こういうとたしかに当たる、
嘘ではない、必ず当たる。

それは『生命の実相』を読み「類は類を招ぶ」という心の法則を知れば病気の形に従って、
ハハアこれはどういう心が具象化(かたちにあらわ)れたものだと分かるのです。このことは
近代の精神分析(サイコアナリシス)がある程度まで科学的に立証した。人が本当に激昂したら
身体がぐっと固くなって身震いする、手が慄えている、あるいは完全に発言することができない。
そいつが今度ある機会に形に現われてそうして手が慄えるような病気に罹っている。

それをあんたは癇癪持ちですねというとすぐ当たるのです。秘密も秘伝も何もない。
誰でも『生命の実相』を読めば御神宣が下されるわけであります。

                   ❤〜SAKURA つづく

3050流氷:2014/09/01(月) 09:38:48 ID:xLYSKxhc

  天皇絶対論とその影響 謹序より
  http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/18669271.html

3051SAKURA:2014/09/01(月) 21:28:44 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行

*========*【 自己を欲せぬことを思うな ―その4―【 転載編 ―】*=======*=======*

 精神分析では神経症しか治らないが、生長の家式に「類は類を招ぶ」心の法則を理解すれば
器質上の具体的病気でも治るのであります。

たとえば顔にお腫物ができた人が来るとする。顔にお腫物ができるとその顔が脹れている。
「あんたは不平の心をもったですね。」そう言うとピッタリ的中する。それは本当であって、
「肉体は心の影」である。「類は類を招ぶ」という心の法則によって、不平を起こしている人
は脹れる病気にかかるのです。不平な心でいる人に「お前は脹れる面をしている」という、
心が脹れれば肉体も脹れるのです。聖典を熱心にお読みなりさえすれば、誰に聞かなくても
必ずしも献納金を出して、「ひとのみち」の教祖に聞かなくてもいいのです。

「ひとのみち」を悪い教えのように言っている人があるが、御神宣は心の法則を摑んでいて
信者に一般に公にしないのです。ところが皆さんが、みんな自分で教祖のようになれるのが
「生長の家」の特色であります。近眼の人が治してほしいと言ってくれば、あなたはこういう
心持だから近眼であると、ピタリピタリと的中する。『生命の実相』を読んだだけで人の心の
欠点を指摘して一語または数語で、医界難治の近眼を治した人の実例がわれわれの発行していた
雑誌『生命の教育』の「近眼は治る特集号」に多く収録されたことがあります。病気を見て人
の心持を何でもよく当てることができるのは「類は類を招ぶ」ということによって、心のとおり
の相が肉体に現われているのを看破するから当てられるのです。

このように、肉体は心の影でありますから、われわれが円満完全な相好をし、円満完全健康な
肉体をし、円満完全で何不自由なき境遇になろうと思うならば、まず心が円満完全にならなけ
ればならないのであります。その円満完全なる心になろうとしましても、修業や克気で、腹立
つ心が抑えたり、憎む心をを制したり、不平不足な心を抑えたり、いろいろわるいことを一つ
一つ抑えてゆこうとすると、こいつはなかなかむつかしいのである。

けれども、われわれは、そういう怒る心、腹立つ心、憎む心というような一つ一つの心を抑え
なくても急所がある。猫でも首の上のところを摘んでひょっと上げる、急所を掴むとじっとし
ている。それと同じで、われわれの感情でも急所を掴んでひょっと上げるともう温和しくなっ
てしまうのです。その急所はどこにあるかというと「実相」です。
われわれは「生命の実相」を捉む、人間の実相を捉んでぶら下げると誰でもみな温和しくなる。

ほかの修業では心を外から抑えてゆこうとしますが、
「生長の家」では『生命の實相』を読んでいるうちに「実相」を表現した文章の力、言葉の力で、
読むだけで心が和んでき、心の欠点が直ってくるようになっていて、外から無理に抑えなくても
万事がよくなるようになっているのです。

それでどんな意地悪な姑さんでも猫と同じことで、こちらの心が穏やかになって、相手の実相――
神の子――という急所WP捉むと、そうするとみんな猫のようにイヤそうじゃない、神の子のように
温和しくなりまして、そうしてみんなあの人も神の子である。この人も神の子であると、本当に大調和
した世界が、家庭にも環境にも実現してくると、自分のゆくところ神の子たらざる人はないというように
なって、円満完全な調和した世界が現われるということになるのであります。

                   次の項目につづきます。

 ❤〜SAKURA

3052SAKURA:2014/09/01(月) 21:29:39 ID:???
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>3047トキ様より
ありがとうございます。…遅くなりました事…申しわけありません。
逆に、この『2チャンネル』にて、、、随分と精神の向上の場を与えられたことに…感謝!

本当に「谷口雅春先生」の言葉を…PCのキ―にて打ち込んでいきますと、あらたな発見です。
そして、こちらも不思議な事に「精神の修行に近い物事」が起きますから、
今の私自身の戦いは、このように「雅春先生の本」から教えられていく形になっているようです。

こちらこそ「トキ様」のお陰で、
いい意味での【聖・典】の勉強をさせて頂いております。少し!ゆっくりペースですが?
つづき投稿させて頂きます。宜しくお願い致します…。

今月から『9月』…読書の秋…ますますと「谷口雅春先生の書籍本」を時間の合間にて、
読んでまいりたく思うのです。 秋の〜〜〜夜長〜〜〜♫

                         再合掌

3053トキ:2014/09/02(火) 22:58:12 ID:KLM0wVTc
SAKURA 様

 ご投稿、ありがとうございます。
いつも楽しみにしております。これからもよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

3054SAKURA:2014/09/15(月) 20:36:38 ID:???
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(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行

*========*【 自他の悪を思わず常に光明に転向せよ ―その1―【 転載編 ―】*=======*=======*

   ■われらは自他の悪を云為する時間あらば、神を想い、
自己の新生と生長とに利用せんことを期す。

 病気でも幸福だという人があるかもしれませんが、それはその人個中の消息であって、
本当にその人の働きで人生を積極的に幸福にしているとは申せません。

病人自身は病気を楽しみ、病気の人生における意義を考え、苦痛の喜びを魂で歌っている
ことがあるうるにしましても、またそういう人がありえたということが、病める多くの隣
人の「慰め」にはなるにしましても、それは、ただ消極的に病人の「慰め」になるのであ
って、積極的現実的に病人を病患より救うことはできません。

病苦を耐え忍びうる知恵を授けるのも必要ではありますが、それは消極的です。
病苦を気の毒だと思うならば、病苦を耐え忍ぶ方法よりも、病苦の消える方法を教える方が
いっそう病人に対して深切でありましょう。

さらに病苦の消える方法を教えるよりも、積極的に健康となる方法を教えることができれば、
それに越したことはないでしょう。

 前項でも申しましたとおり、「肉体は心の影」でもあります。
われらの心の念(おも)は肉体中のすべての器官すべての細胞にその形を印して、その念い
のとおりに肉体を変形してしまうのであります。最近の例をとり挙げますならば、金沢市の
生長の家誌友会の北島是隆氏は、同時にわたしが穏田の自宅で会った時には七分どおり白い
頭髪をしていられましたが、翌年六月わたしが赤坂の生長の家本部講堂で会いました時には
まるで白髪染で染めたような真黒な頭髪をしていられました。

そして言われるには「これは決して白髪染で染めたのではありません。

第二回講習会に列して先生の御講義を聴きながら、先生の頭髪に一本も白髪がなくて黒々して
いるのを見て、わたしも先生と同じく神の子であるから、ああいうふうに艶々した黒い髪の毛が
生えているのが実相である、こんな白髪はあるように見えても仮相(かそう)であると心に強く
思いました。

そうしたら不思議なことに、しばらくのうちにこんなに黒々とした髪の毛になりました」と言われました。

北島さんは今までは年が寄ったら頭髪は白くなるのがあたりまえだと思っていられたのですが、
今度は人間の頭髪は黒いのがあたりまえだと悟ったために、その「心の影」として頭髪がくろく
なってしまったのです。

これが「悟り」の肉体に及ばず影響であります。
ちょっとそう思ったくらいでは白髪は黒髪にならないかもしれない。

それはわたしの講習を受けられている間にわたしの言葉の力が北島さんの老衰した心的内容を
血気旺な心的内容に変えてしまったのであります。
                      つづく
❤〜SAKURA

3055トキ:2014/09/17(水) 09:37:15 ID:mIMPYigI
>>3054

 続き、楽しみにしております。

3056SAKURA:2014/09/17(水) 21:27:57 ID:???
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*========*【 自他の悪を思わず常に光明に転向せよ ―その2―【 転載編 ―】*=======*=======*

 また横浜市神奈川区子安一四一二番の家名田二郎(やなだじろう)さんは『生命の実相』
の「蓄膿症は素直でない心から起こる」という項を読んで、今まで親に反抗心を持っていたので
悪かった、と気がついたときに、数年来詰まっていた蓄膿症の鼻が一方だけスッと故障がなくなって
空気が完全に流通するようになった。

それからわたしにお礼が言いたくなって本部講堂へやって来られてわたしの顔を見ると同時に、
もう一方の詰まっていた鼻がスーッと通って両方とも完全に治ってしまったといって昭和十一年
七月十五日にわたしの聖典講義のあとで突然お礼を申されたのであります。

これは何もわたしの顔が蓄膿症の薬になったわけではない、わたしの本を読んだり講義を聴いたり
しているうちに本人の心が素直に上から下へ、上の者の命令が素直にスーッと下の方へ通るように
なったのであります。こういうように肉体は心の影でありまして、深く心に印象した念(おもい)の
とおりに肉体が変化するのであります。

■「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」と申しますが、なおいっそうそれよりも真実なのは
「健全なる肉体は健全なる精神の反映である」ということであります。
概して健全なる肉体を反映するところの健全なる精神は、

■自覚の心
一、 平和の心
二、 明るい心
三、 悦びの心
四、 深切の心
五、 有難い心
六、 無我の心
七、 自在の心
でありまして、その反対の
■迷いの心
一、 不安、焦燥、恐怖の心
二、 暗い心、陰欝な心
三、 不平、不満足の心
四、 冷淡な心
五、 忘恩的な心
六、 利己的な心、嫉妬、猜疑、羨望
七、 一事物に引っかかる心
■などは病気を起こす心であり、その症状も心の状態相応の形をもって現われるのであ
ります。細かく分類すれば、病気の数だけ「迷いの心」もあるわけですが、それを一つに
纏めると、「迷いの心」とは「我執の心」であります。

我執があるから、一事物に引っかかり、不安、焦燥、恐怖、憂鬱、不平、不満足、冷淡、
忘恩、嫉妬、猜疑、羨望などが起こってくるのですあります。
                      つづく ❤〜SAKURA

3058a hope:2014/10/01(水) 23:34:09 ID:cEpBaIdo

第五章 ロダンの鼻欠け像の倫理 

「普門成就」より p67〜

・・・「普門」というのはあまねくいっさいの門にわたって救うということであって、この門は救わぬ、
あの門は嫌いだというように毛嫌いしているのでは、普門の徳を備えているのではないのであります。
いっさいの門を普(あまね)く救うのがこの観世音菩薩の普門の徳である。
各宗門、各法門にわたってこの普門の観世音菩薩的働きをするのが「生長の家」であって、
別に何々教と一宗教に凝り固まらないのでありますが、それぞれの宗教の神髄が、
今までどうも合点のゆかなかったようなところがハッキリとなり、すべてにわたって生き生きとしてくるのであります。

キリスト教でも、各派によって聖書の解釈の仕方がそれぞれちがうのであります。そして、互に争うようなことになるとそれは普門の働きではない。
宗教というものは、和解によって生きてくるものであります。
普門の働きはいっさいを生かす、いっさいを生かすためにはいっさいの宗教が和解しなければならない。
和解すると申しますのはその教えのニセの説き方に迎合するのではない。
その教えの実相と和解し、実相を正しく観、その教えの神髄を拝み顕すことなのであります。
そしてどんな宗教でも、いやしくも立派なものである限りは、その神髄、その教えの実相に和解してしまえば、そこの「生長の家」と全然同じ真理が見いだせるのであります。

3059a hope:2014/10/01(水) 23:37:06 ID:cEpBaIdo

(>>3058 a hope所感)

万教帰一である「生長の家の教え」の神髄といえば「唯神実相」ですから、そうすると、
他の宗教(聖典のお言葉では、「いやしくも立派なもの」)の神髄も「唯神実相」と言うことになるのですね!

3060a hope:2014/10/02(木) 19:00:11 ID:cEpBaIdo

生命の實相14巻 p70 3行目〜

<<仏教はふつう「われは無い」と説いている。
われがないとすれば、むろん「霊魂」はないわけで無霊魂論だと思われています。
ところが釈迦はその弟子たちに、お前は寿命が終わったら、いずこに生まれる、かしこに生まれるなどともいっているのであります。
それで『阿含経』を見ますと、釈迦が王舎城の伽藍陀竹園にいられたときに、
仙尼(せんに)と名づける外道の出家が出て来て、その点について釈迦に疑問を提出しているのであります。>>


(a hopeまとめと所感)

その後の文章で釈迦が答えた、『世間における「我」の三種の説き方(人生観』をまとめてみます。

① 『断見』 ・・・ 現在世のこの「我」を真実の「我」と見る、そして現在世の肉体が終わった後は「我」というものは消えてしまう 【物質主義者の考え方】

② 『常見』 ・・・ 現在世の「我」というものも真実のわれであって、死んでから霊界に行く「我」も真実のわれである  現象我の常住不滅を説く
             【心霊学(psychic science)的立場 】【スピリチュアリズム(心霊主義)的立場】

③ 釈迦の所説 ・・・「われとなんじらの思っているそのわれは本来無いものじゃ。現在世でわれと見えるものも、霊界でいろいろの所へ生まれかわってくるわれと見えるものも本来無い物じゃ」
             【実相独在】【真我独在】

仙尼は、その答えを聞いてもその意味がわからないので、釈迦に反問します。
そうすると、釈迦は
「ますますなんじの疑いが深くなるのは無理はない、「我」というものがあるように見えているのにないというのだから解らないのは無理はない、
それは微妙(みみょう)の実相を照見する一切知(実相覚)というもので悟らなければ分かるものではない」
という内容の返事をしたそうです。

つまり、「実相を悟っていないものには、『実相独在』はわからないのだ」ということなのだと思います。

3061a hope:2014/10/02(木) 19:12:46 ID:cEpBaIdo

(>>3060 つづき)

その後のテキストの文章の謹写を続けます。

p71 後から3行目〜

<<「現象我が本来無いというなら誰に対して道を説くのであるか、宗教というものは本来救われている真我に対して説くのではない、
救われていないところの現象我があるからしてこそ、それに対して道を説くのではないか」
などと「生長の家」の説く「現象我」否定論に反対する人が出て来たような例もありますが、
この「現象我」は、今現にかく考えかく迷っている「我」があるように見えているのですから、
その「現象我(いまのわれ)」を否定することはなかなか了解し難いのであります。>>

ここに、いかにわたしたちが生長の家の『「現象我」否定論』を認めることが難しいかが説明されています。 


テキストでは、その後、釈迦と仙尼のやり取りを会話文で紹介しながら、図解も交えながら今度は五つの段階を追った説で、
世間の人々が、「我」(人生観)をどうとらえているかを詳しく説明しています。

詳しい内容は、テキストを読めばわかると思いますが、その五つの段階を二つに分けると、
現象我のみとめる「唯物論(霊魂を含む)」と真我の存在をみとめる「唯心論」に大別されます。

そして、「唯心論」の中でも最上の「人生観」が、生長の家の「人生観」であると説明されています。
以下に謹写を続けます。

p76 8行目〜

<<然るに(5)の人生観に到って、初めてわれわれは根本的に明朗な人生観に到達するのであります。
この見解は真我独在、実相独在の見解でありまして、現象界を滅して如来というものが初めて出て来るのではない。
現象界は本来無いのであるから、現象界を滅しても滅しなくとも、そのままそこに如来が現前する、
そのままそこに涅槃がある、そのままそこに常楽の実相土があり天国浄土があるというのですから、
すでにその天国浄土は今あるというのですから、これから、いろいろ修行したり、工夫したりするのでありませんから、
こんな明朗な人生観はないのであります。

この第五の人生観、至妙完全なる実相の独在、真我の独在を主張して、
いっさいの現象はありとみゆれども本来無しと観ずる見解が「生長の家」の人生観であって、
この人生観を得てあらゆる現象界の苦を離脱するために逃げる必要もなく、楽を求めるために執着する必要もなく、
「現象の我」は「実相の我」を映して自由自在に常楽に円満に現れてくるのであります。>>

3062a hope:2014/10/02(木) 19:16:35 ID:cEpBaIdo
>>3061 訂正
現象我のみとめる「唯物論(霊魂を含む)」と→現象我の存在をみとめる「唯物論(霊魂を含む)」と

3063a hope:2014/10/05(日) 17:45:49 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 

『現象界は実相生命の芸術』 p77〜79

そこで実相独在、真我独在、すでに絶対神と同一なる「我」のみが存在するのであって現象界の不完全なる「我」は無いとしたならば、
この現象界(現世および霊界)は「我」の進歩の過程としてなぜ顕われているかということになるのであります。

それは現象界は実相生命の芸術としてあるのであります。
それは芸術であります。
実相生命が描き出した影に、形象化して描き出さんがためであります。

活動写真は影の芸術である。
それと同じように現象世界は影の芸術である。
実相世界はすでに完全の世界すでに成れる世界でありますから、過去、現在、未来、東西、南北、天地が共存せる世界であります。
これは五官をもってしては想像することができない。
一点の中にいっさいが握られている、いな、その一点すらも無い、「無」の中にいっさいが握られているのであります。

ところが現象世界は映画芸術の世界でありますから、映画にはスクリーンの空間的光袤(こうぼう)と、
フィルムを交替出現せしめる時間的過程とが必要となり、ここに時間空間的展開があらわれているのであります。


優れたる芸術家は、時間空間のスクリーンに投影されたる形象だけをとらえるのではない。
時間空間に投映されたる影をそのまま実在するものとして、精確にその寸法を測定し重量を秤量し、
その間の法則をとらえるのは科学者の仕事である。

芸術家は影をそのまま実在として観ないで、影の奥にある生命を、実相生命を、把(つか)むのであります。
だから、芸術家は凹凸さまざまな不細工な顔の奥にもその実相生命の美を捉えて表現する。
ロダンの作った「鼻欠け像」は形そのものとしては美はないけれども、実相生命が捉えてあるから、
そこのわれわれは生命の美を感得するのであります。

言い換えると、ロダンは、形の上では鼻欠け像を塑作していても、
鼻の欠けていない実相を塑作していたということができるのであります。
さらに言い換えると、「欠けている鼻はない」ということを現象の上では
「欠けている鼻」を塑作しながら表そうとするのが優れたる芸術家なのであります。

ここでは芸術家は実際は宗教家であるといえるでしょう。
医者なら「鼻欠け」を「鼻欠け」として見る。
芸術家は「鼻欠け」を「鼻あり」としえみるのであります。
そしてあらゆる生活上の態度において「欠陥ある現象人間」を見るに、ただそれを欠陥なき神の子としての人間として見よ、
そこに欠陥なき人間があらわれて来るであろう ―― というのが「生長の家」倫理学の中心となる誡命(いましめ)であります。
されは生活における芸術的態度といわれるでありましょう。

3064a hope:2014/10/05(日) 17:50:57 ID:cEpBaIdo

>>3063 a hope所感)

<<実相世界はすでに完全の世界すでに成れる世界でありますから、過去、現在、未来、東西、南北、天地が共存せる世界であります。
これは五官をもってしては想像することができない。
一点の中にいっさいが握られている、いな、その一点すらも無い、「無」の中にいっさいが握られているのであります。>>

上のところは、「久遠の今」のことだと思うのですが、この「久遠の今」と現象世界(時間空間の世界)の関係について、
あまむし庵さまが御自身のブログで『久遠の今シリーズ』としてとても詳しくご説明してくださっています。

http://56937977.at.webry.info/201409/article_1.html

とても科学的に証明してくださっているので、ちゃんと拝読していくと「やっぱり、物質はないんだ」と妙に納得してしまいます。
ですが一方で、現象世界にどっぷりつかって生活しているわたしには、そのお話は遥か彼方の夢物語のようにも感じてしまいます。

「久遠の今」というのは、「無」の真理でもありますが、無限大に広がる宇宙の真理でもあるんですね。

3065a hope:2014/10/09(木) 18:35:24 ID:cEpBaIdo

☆ 新版 菩薩は何を為すべきか  谷口雅春・谷口清超 ☆

はしがき 

菩薩とは如何なる人々のことであるかと謂えば、諸君のことである。自利のためのみに生活せず、利他のために真理を深く研究し、自己の魂を向上せしめると共に、その真理をもって多くの他の魂の向上に貢献し幸福を施してやまざる如き人々である。

維摩経に、維摩居士が故意に自己に病をあらわして、見舞いに来た文殊菩薩に対し「菩薩は何を為すべきか」について説くところがあるが、その中に次のような語句がある。――「一切衆生を摂すと雖(いえど)も、而(しか)も、愛着せざるは、これ菩薩の行なり。遠離を楽(ねが)うと雖も、しかも身心の尽くるに依らざるは、是れ菩薩の行なり。空を行ずると雖も、而も衆(もろもろ)の徳本を植うるは、是れ菩薩の行なり。無相を行ずと雖も、而も衆生を度するは、是れ菩薩の行なり。」

菩薩と云うものは、「一切衆生」すなわち人類を自分の心のうちに摂りいれなければならない。今や人類は全面戦争か平和かの危機に立たされているのに、自分だけ安閑としていてはならないのである。それを救うために出発した運動が人類光明化運動である。人類光明化運動は、〝人類の危機〝を自分の心のうちに摂りいれた人々の菩薩行である。

無論仏教的に言えば、現象界は空の空なるものである。達観すれば人類光明化運動などと云って力む必要はないものである。だから愛着せずして愛し光明化せんことを希(こいねが)うのである。現象界の空しくて遷りかわる無常のものであるということを知りながら、人類光明化に尽せずにはいられないのが菩薩である。

こんな世の中に生きていても空しいことだから生きていても仕方ない。寧(むし)ろ遠離した方がましだと知りながら、身心がおのずから滅びるときがくるまで人を利益することに励むのである。これを「空を行ずと雖も、しかも衆(もろもろ)の徳本を植うるは菩薩の行なり。無相を行ずと雖も、しかも衆生を度するは、是れ菩薩の行なり」と謂うのである。

生長の家は万教帰一の教えである。教壇に立っても、宗教家としての特別の法衣をまとわず厳めしい儀式を行わない点から謂えば、在家の宗教である。その点で維摩の説く菩薩の生活が生長の家の信徒又は誌友の生活である。在家の宗教は、生活そのものが宗教となるところに特色があるのである。即(すなわ)ち、人は菩薩となり、生活は菩薩行となるのが本道である。菩薩行とは自己がみずから完全に救われないでも、自己のことは顧みず、率先して他を救おうとする即ち人類光明化運動にまで発展すべきである。

〝人類光明化運動指針〝と云うのは『生命の實相』はじめ其の他の私の著書の中より、菩薩を志すものが、現代の日本に生まれて来て如何に考え、如何に処すべきかにつき、其の菩薩行の精髄を抜粋して、それを数人の編纂者が文意を凝縮し章句を練って簡単なる十三ヶ条にまとめたものである。

本書の第一章はその十三ヶ条を宇治で毎夏行われる講習会で谷口雅春が解説した口述の録音をもとに文章を整えたものであり、第二章は上記の菩薩たち(諸君自身のことである)の精魂を宝筐(ほうきょう)に安置して毎朝夕、その実相・完全の相が実現するよう祈願するときに読誦する『聖使命菩薩讃偈』を谷口清超が解釈したものである。第三章以下は第一章にその題名のみ引用してあって本文には無く、是非毎日読んで反省するよう勧められているところの文献の全文である。

聖使命会員として本部の宝前に自己の誠魂を祭祀せられる人は勿論、少なくとも生長の家の誌友であり、又は今後信徒となって菩薩行をはげみ、日々聖行に精進せんとする者は、本書を常に必携して日々の行持の完成をきせられたいものである。


なお本文の各所に「神想観」とあるは祈りと坐禅とを混然一体にしたる一種の瞑想法である。詳しくは『詳説・神想観』をお読み下さい。

昭和三十五年 一月二十五日     著書 識(する)す

3066a hope:2014/10/09(木) 18:39:40 ID:cEpBaIdo
>>3065 a hope所感 )

わたしは以前、この「菩薩は何を為すべきか」を拝読してとても感動したのを思い出しました。
そして、『この本に書いてある通りを実行していけば、自分にも人類光明化運動ができるぞ!』
と思ったのでした。

ですので、これから自分のペースでこの聖典引用板に謹写させていただいて、所感を述べていきたいと思います。

いきなりですが、今回謹写部分の「 はしがき」 には、

<<菩薩と云うものは、「一切衆生」すなわち人類を自分の心のうちに摂りいれなければならない。今や人類は全面戦争か平和かの危機に立たされているのに、自分だけ安閑としていてはならないのである。それを救うために出発した運動が人類光明化運動である。人類光明化運動は、〝人類の危機〝を自分の心のうちに摂りいれた人々の菩薩行である。

無論仏教的に言えば、現象界は空の空なるものである。達観すれば人類光明化運動などと云って力む必要はないものである。だから愛着せずして愛し光明化せんことを希(こいねが)うのである。現象界の空しくて遷りかわる無常のものであるということを知りながら、人類光明化に尽せずにはいられないのが菩薩である。>>

とあり、「菩薩の使命は何なのか」、「人類光明化運動とは何なのか」がハッキリと説明されていました。

↑の抜粋分をわたしなりに要約してみますと、

『実相世界の完全円満さを悟ったものにとっては、人類の苦悩などという現象世界の出来事は本来無いものである。
だから、それに愛着する必要はないのだけれども、それでも自分だけ安閑としていてはいられないと、
〝人類の危機〝を自分の心のうちに摂りいれて人類を光明化せんとして出発した運動が人類光明化運動である。』

となりました。

以前web誌友会でユタカさまから、雅春先生も人類の苦悩を観られて、その現象に対応して光明化運動を始められたのだから、
雅宣先生も地球の苦しむ姿を見られて、その現象に対応して環境運動をされているのだから同じであるというようなご意見をいただきました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4328

そして、実際に雅宣先生の「新・四無量心を行ずる神想観」には、

『わが心、神の無限の愛、仏の四無量心と一体にして、
さらに虚空に広がり宇宙に満ち、地球のすべての生命と鉱物の一切を見そなわして、
その苦しみを除き、楽を与え、多様性を護(まも)り、喜びを与えんと欲するのである。』

とあり、雅宣先生は生長の家の聖使命菩薩会員の使命として、人類の魂の救済と共に、他の生物や鉱物の魂の救済までをするよう、
この「新・四無量心を行ずる神想観」でお達しくださっているように感じます。

わたし自身は、人間以外の生物や鉱物に人間と同様の苦しみや悲しみを感ずるような魂があるとは到底思えません。

なぜなら、人間は神の子の自覚を得るために神から現象界に放射された光(神)そのものであって、
他の生物や鉱物とは現象に現れ出ている理由も、現象世界での存在価値もまるで違うと信じているからです。

今は、そのことがはっきりわかりましたが、入信当初は現在意識では全くわかっていませんでした。
ですが、きっと潜在意識ではそのことをわかっていたのだと思います。

ですから「新・四無量心を行ずる神想観」を行じ続けていると、わたしの魂がパニックを起こし、
集中できなくなり、徐々に心身の状態がおかしくなっていったのだと思います。

ですが、これはあくまでもわたしの個人的な見解であって体験です。
だから、本当の真理がどうなのかは定かではありません。


今回、大熊先生がそのことに関連した内容をブログでご指導くださっています。

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151

じっくり拝見して、お勉強させていただきたいと思います。 合掌。

3067a hope:2014/10/13(月) 17:19:01 ID:cEpBaIdo

☆ 新版 菩薩は何を為すべきか  谷口雅春先生・谷口清超先生共著 ☆

菩薩の正しき生き方に就いて

(注)この人類光明化運動指針生長の家各員の運動心得十三ヶ条は、昭和三十三年二月十四日第二次三か月計画の頭初に発表されたものであり、現時点においては例えば第四条・第七条・第八条の「隣保班」という表現を、白鳩会は最寄会、青年会は単位青年会と置き換えて各組織において徹底する。

昭和五十五年二十一日    生長の家本部理事会


第一章 人類光明化運動指針の解義 p3

最近吾々の同志として菩薩行を行う者の運動指針として、十三ヶ条から成る「人類光明化運動指針」と云うのが、本部の各役員が私の凡(あら)ゆる著書を典拠として作成され、私に示されましたので、それを拝見いたしますに、私たちが生ける菩薩として何を為すべきかがよく書かれておりますので、これは一個の作者のものでなく、人類光明化の使命を担う、高級霊の加護と指導とによって書かれたものであるとみとめ、それについて、私は私なりの意見と解釈を申上げようと思います。


第一条 生長の家の各員は、毎朝、早朝神想観後、「大調和の神示」と共に、必ず「七つの光明宣言」「生長の家家族の祈願及修養」「信徒行持要目」「生長の家の信条」を拝誦して一日の決意を新たにすべきである。

(雅春先生のご解説)

「大調和の神示」は「和解の神示」とも言われて『甘露の法雨』の巻頭及び『生命の實相』第一巻又は他の巻の巻頭にのっております。
あの「汝ら天地一切のものと和解せよ」というところの神示であります。
「七つの光明宣言」と云うものも既に皆さんは御存知だと思います。

「生長の家家族の祈願及び修養」と並んで、このふたつはいずれも『生命の實相』(注 愛蔵版十四巻、頭注版の第一・第二十七巻)に説明がしてあるのでありまして、それを読んで頂くと良くわかると思います。

「信徒行持要目」というのは、信徒「行事」ではないのでありまして、「行持」であります。行持とは如何に自分の生活を行い、如何に自分の行為を持するかということであります。
これは『聖光録』の中に「信徒行持要目」という項に掲載されておりますから、それを読んで頂けばわかるのであります。

それから「生長の家の信条」というのは何処にあるかと申しますと、昭和三十三年度の『生長の家』の一月号の巻頭言に載せられていましたもので、
他の必要な項目と共に本書の末巻に収録してあります。
これは「生長の家」の信仰主要なるものを箇条書きに要約して書かれたものでありまして、
新年号であるからはじめて読む人もあるから、ただこれを読むだけで、「生長の家」とは如何なる宗教かと云うことが判るように私が書いたものであります。

そういう意味から、此の「生長の家の信条」をお読みになると簡単な文章のうちに、生長の家の信仰の全貌がつかみ易いのであります。
これらのものは、いずれも、信条とか、宣言とか、要目とかという名称に現れておりますように、
箇条書きに生長の家は何を信じ、何を行ずるか、如何なる目的を持って出現したのであるか、
というようなことが簡にして要を得た形式で書かれているのですから、毎日それをひととおり眼を通しては、
自分は「生長の家」人であると云うことを思い出し、忘れているところを思い出して、
一日の決意を新たにして生活することが菩薩たる者の道であり、同時に菩薩として成るべき人たちの生活行道であります。

3068a hope:2014/10/13(月) 17:23:02 ID:cEpBaIdo

>>3067 a hope所感)

わたしは生長の家の信仰とは、三正行に励むことだと思っていました。
つまりは、聖経・聖典の拝読、神想観、愛行でです。

ですが、ここに、

<<それから「生長の家の信条」というのは何処にあるかと申しますと、昭和三十三年度の『生長の家』の一月号の巻頭言に載せられていましたもので、
他の必要な項目と共に本書の末巻に収録してあります。
これは「生長の家」の信仰主要なるものを箇条書きに要約して書かれたものでありまして、
新年号であるからはじめて読む人もあるから、ただこれを読むだけで、「生長の家」とは如何なる宗教かと云うことが判るように私が書いたものであります。
そういう意味から、此の「生長の家の信条」をお読みになると簡単な文章のうちに、生長の家の信仰の全貌がつかみ易いのであります。>>

とあり、その信条には、本当にわかりやすく簡潔に生長の家の信仰とはどういうことなのかが要約されていました。

これは、本当は、同著書の第三章p139〜に掲載されています。
なんが、とても感動したので、以下に最初に謹写させていただきます。 合掌。

3069a hope:2014/10/13(月) 17:26:12 ID:cEpBaIdo

生長の家の信条(要約)

一、 吾らは、名称は各民族宗派にて異なれども、神(又は仏)が吾らの救いの本尊であることを信ずる。【万教帰一】

二、 吾らは神が一切存在の根源であり給い、無限の愛と智慧とをもって吾らを守り導き給うものであることを信ずる。【唯神実相】

三、 吾らはすべての宗教が時と場所と救いの対象たる人とを異にするに随(したが)い、異なる説き方をもってあらわれたる同一根元神の教えなることを信じる。【万教帰一・唯神実相】

四、 吾らは神(又は仏)が決して神罰を与えたまような残酷にて無常なる存在ではなく、一切の苦しみと悩みとは、自己の心の反映として象徴的にあらわれるか、又は自己処罰及び自己毀損(じこきそん)の現象としてあらわれるものでるから、その象徴を見て自己を顧み心を転ずることによって凡(あら)ゆる病悩苦を脱し得るものなる事を信ずる。【神罰の否定・心の法則(唯心所現)・業の流転】

五、 吾らは実相と現象とを明瞭に区別し、実相は常に円満完全なるも、現象は吾らの?迷い心? の所現として、時に実相の完全円満さを覆い隠して不完全に顕しめることがあることを知り、常に?迷い心? を去り、実相円満の風光を見詰めて、それを現実化せんことを期する。【実相顕現】

六、 吾らは、実相円満の風光を心よりはなたらんことを期し、毎日一回以上神想観を修することを誓う。【神想観】

七、 吾らは一切の存在、一切の生物、一切の人類に感謝するは勿論、特に享け難き人身を享けて地上に生を受けることに到りたる祖先並びに父母の恩恵に常に感謝する。【天地一切のものへの感謝】

八、 吾らは人間が?神の子? として神の最高実現なることを信じ、その信念に背かざる高邁にして潔き聖なる生活を送らんことを期する。【神の子の自覚】

九、 吾らは人間は限りなき生命を有し、肉体死後もその生命(霊魂)の存続することを信じ、常に先祖の霊魂の供養を怠らざらんことを誓う。【永遠不滅の生命・先祖供養】

十、 吾らは言葉の創造力を駆使して、人類の心を潔め、地上に全ての人類の相愛協力を実現せる地上天国建設の一大人類光明化運動を起しつつあるものである。【言葉の創価力・人類光明化運動】


注)【 】内の言葉は、 わたしが、勝手につけました。(間違いがあればご指摘ください)

3070a hope:2014/10/13(月) 17:30:49 ID:cEpBaIdo
>>3069 訂正
?迷い心? ?神の子? → 〝迷い心〝 〝神の子〝

3071SAKURA:2014/10/16(木) 22:30:25 ID:???
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
>>2809>>2812>>2820>>2821>>2827>>2839>>2840>>2842>>2848>>2853>>2856>>2860>>2866>>2867
>>2871>>2881>>2890>>2891>>2898>>2905>>2907>>2908>>2909>>2910>>2915>>2918>>2931>>2932
>>2933>>2940>>2946>>2947>>2953>>2958>>2959>>3038>>3045>>3049>>3051>>3054>>3056
の投稿の続きです….。
■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行

*========*【 自他の悪を思わず常に光明に転向せよ ―その3―【 転載編 ―】*=======*=======*

■我執がなくなりますて、「天地と共に過ぎ往かん」というような広々した心になりますと、
人間として何も考えないから、事業などのことも出放題、まかせ放題になってしまって、
何もしなくなるかと申しますと、そうではありません。そういう状態になるのを「空執」と
申しまして、まだ「我執」があるために、その「我」が「何もしないでもよい」ということに引
っかかるのであります。この「何もしないでもよい」ということに引っかかる「我」さえも無
くしてしまったときに天地の生命と共に自由自在に活動するところの本当の我(大我)を見
出すのであります。

 そういう「空執」にも陥らない自由自在融通無碍の境地に達したならば、すべての迷いの
心は消えてしまうのですけれども、それまでは、前記の七種の「迷いの心」をなるべく起こ
さないように努め、七種の「自覚(さとり)の心」を保つようにしなければならないのであ
ります。

 われわれの心の状態は肉体にのみ反映するのであって、事業やら運命には反映しないと
思っているとまちがいであります。多くの商店会社の不繁昌の原因は従業員の心の不調
和であります。内部に立ち働く人の心が不調和になってきますと、繁栄の雰囲気は逃れ去
り、繁栄の雰囲気が逃れ去れば、注文に激減し、外部の注文が激変すれば不安は募り、内
部の不安が募れば外部の注文はさらに激変し、その商社の没落に拍車をかけることになる
のであります。
                 つづく
❤〜SAKURA

3072a hope:2014/10/19(日) 08:09:06 ID:cEpBaIdo

☆ 新版 菩薩は何を為すべきか  谷口雅春先生・谷口清超先生共著 ☆

第二条  生長の家の各員は、各員が生長の家に参加したる所以のものは、ただ単に自分一身一家の幸福と繁栄を念願し或は御教を自己の生活に行ずるに止まるところにあるのではなく、それももちろんであるが、更に進んで、生長の家大神は如何なる御考えがあって谷口雅春先生をこの時世に下し給うて万教帰一のこの完璧の御教えを説かしめ給うのであるか、その立教の使命因縁を絶えず心に銘記して、各人の分に応じ、力量に応じ、各人の生活と家庭と職業と地位立場を悉く機会として所在地区の教勢発展の礎(いしずえ)たらん事を期して行くときに、はじめて生長の家人たり得ると云う自覚に徹すべきである。

3073a hope:2014/10/19(日) 08:10:26 ID:cEpBaIdo
>>3072つづき)

(谷口雅春先生解説)

生長の家は菩薩道であります。
特に爰(ここ)に注目すべきところを申しますと、「各員」と書かれてあるのは、幹部も新しい人も、総べてのメンバーと云う意味であります。
だから信徒というようなはっきりとした信者じゃなくても、誌友と云う人たちも今日初めて
新たに道場に坐って光明思想を聴く人も皆、「各員」であります。

その人達が偶々(たまたま)因縁に依って「生長の家」の運動に参加し、
(これは、参加といっても、こうして此の思想信仰に触れられたのも参加でありますが)
何の為に皆さんがこう云う生長の家の運動にふれる様な因縁になったのであるか、
と云うことを考えて頂きたいという訳であります。

まず最初に自分一身一家の幸福と繁栄を念願し、或は御教えを自己の生活に行ずるに止(とど)まるところにあるのではなく、
「それも勿論であるが」と書いてありますが、決して一身一家の幸福繁栄を念願したらいかんとは書いてないのでありますから、
一身一家の幸福を求めることを遠慮する必要はない。
それを求めることは、当たり前が当たり前の事にして「勿論であるが」であります。

そして御教を自己の生活に行ずることによって一身一家の幸福繁栄は来るのでありますが、
たんにそれに止まるといかんと云うのであります。
其処が菩薩の道であります。
「生長の家」の教えは、まず「自分」がクラリと転回しなければならないのです。
「生長の家」の教えは、まず自分に深切であれという教えなのでありますが、
自分自身に深切であれと云うことは如何なることであるかと云うことを考えねばなりませぬ。

その「自分」とは如何なるものかを本当に知ることが肝要(かんよう)であります。
肉体の病気が治ることも、一家の貧乏が治る事も、家族が健康になることも、家業が繁栄することも、
一身一家が幸福になるという事も一応は「自分に深切である」けれども、その「自分」と云うものを見直して、
それを出来るだけ正しく大きく生かして行くと云うことが、なお一層自分に深切なわけであります。

「自分」と云うものをただの肉体的存在だと考え、利己的生活だけを送って、一身一家の事のみ幸福になればそれで宜しいとは思って居る様な、そんな小さい「ニセモノの自分」でそれで宜しいと考えて居るのは、
それは余りにも「本当の自分」に深切でないと云うことになります。
「ニセモノの自分」を去り、「本物の自分」を出して来て、「自分」と云うものを、もっと大きく育てなければならないのであります。
(つづく)

3074a hope:2014/10/20(月) 15:36:45 ID:cEpBaIdo
>>3073つづき)

それで「生長の家の大神は如何なるお考えがあって谷口雅春先生をお下しになったか」と、ここに書いてありますが、
これはわたしの弟子である本部の人たちが集まって編纂したので「先生」とありますが、
私は決して「先生」とは言っていないので、「私はラッパである」と常に言っているのであります。

聖書のマタイ伝二十四章に「これらの日の患難(なやみ)ののち直ちに日は暗く、
月は光を発(はな)たず、星は空より隕(お)ち、天の万象ふるい動かん。
そのとき人の子の兆(しるし)、天に現れん。
……また彼は使いたちを大いなるラッパの声とともに遣わさん。
使いたちは天の此の極(はて)より彼の極(はて)まで、四方より選民を集めん」とあります。

このラッパの役が私であり、このラッパの声を斯うして聴いて集まって来られた方々は天の使いたちであります。
従って皆さんはこのラッパの声をきいて集まって来て、天の果てから地の果てまで
散在する選ばれた人たちを集める役割を神様から頂いている人たちでありまして
決して一身一家のみの幸福を満足せしめるために此の生長の家に触れられたのではないのであります。

世界が此のように急速に航空機や電波受信機が発達してせまくならない前だったら、地球は広いから、
色々の宗派が群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)していてもあまり互に障りにならなかったけれども、
此のように地球が狭くなって来たら、どうしても万教帰一のこの「生長の家のような、
総(あら)ゆるものを生かすところの完璧な宗教が要るようになったのであります。

「完璧」の「壁」というのは、瑕(きず)のない立派な珠(たま)のことであります。
瑕のない立派な珠(たま)の様な総(あら)ゆる人類を生かし調和せしめる、
そういう教えを私と云うラッパを通して神が説かしめられたのは、深い意義のある事なのであります。
只(ただ)単に今迄の宗教のように、自分だけが浄土に生まれるとか現世利益を受けるとか云うことだけでよかったならば、
何も新たに「生長の家」が出て来る必要はないのですけれども、
こう云う万教帰一の宗教が出て来たのには特別の神様の思召しがあり、
そこに集まってこられた人々には特別の使命があり、深い因縁があるのである。
(つづく)

3075a hope:2014/10/20(月) 15:38:16 ID:cEpBaIdo
>>3074つづき)

特別に神縁深くしてこの宗教に触れられたのは、聖書に「天使たちを遣わさん」と預言されたる如く、
ラッパによって先ず引き寄せられ、此処に集まることになったので、皆さんが天使(てんのつかい)たちであるからである。
「この使命因縁と云うものを、心に絶えず銘記して」と書いてありますように、
此の尊い得がたい使命因縁を心に深く刻みつけて各人の本分に応じ、力量に応じ各人の生活と家庭と職業と地位立場を悉く機会として、
皆さんがこの生長の家を弘めようと思ったならば、何処かに行って講師として喋れなければならないかと云うと必ずしもそうではない。
自分の生活している「場」と云うものが、其処が即ちそのまま生長の家を弘める所の与えられた一つの「場」になっているのです。

まず家庭です。
皆さんの家庭がよくならない様な事では生長の家の教えも駄目だと言われます。
「あの家庭を見よ。あの人はこの頃生長の家に入って気狂(きちが)いみたいにやって居るけれども、
家庭を見たら一向よくなっとらんじゃないか」と言われるようでは、生長の家を弘めることにはならないのであります。
却って生長の家の悪宣伝をして居るようなものです。
大体「家庭で喜ばれる様な人にならぬと、本当の生長の家人ではない」と言われているのであります。

それは家庭の人と云うものは、その人について何でも皆知っているのです。
背中にホクロのあることまでちゃんと知っているのです。
自分には背中のホクロは判らんけれども、家族は背中のホクロ迄知って居るのです。
その位にみんな知って居るのですら、その総(す)べてのものを知っている家族が、
「ああうちのお父さんは近頃生長の家に入って素晴らしくなった。大変よいお父さんになった」と言って感銘するようになったり、
或いは「自分の息子は生長の家に入って大変よくなった。矢張り生長の家は素晴らしい」
と自分の息子ながら誉めずにおれなくなったり、
良人から見て、「自分の家内は近頃生長の家に入ったらすっかり変ってよくなったから、
ひとつ生長の家とはどんなものか、読んでみてやろう」という気持ちが起こる様になれば、
その人は家庭に居るだけでも、既に立派にこの教えを弘めているということになっているのです。

そういう状態が職業に於いても、どんな地位においても、現れて来ることが必要であります。

3076a hope:2014/10/20(月) 15:41:11 ID:cEpBaIdo
>>3075 a hope所感)

<<まず家庭です。
皆さんの家庭がよくならない様な事では生長の家の教えも駄目だと言われます。
「あの家庭を見よ。あの人はこの頃生長の家に入って気狂(きちが)いみたいにやって居るけれども、
家庭を見たら一向よくなっとらんじゃないか」と言われるようでは、生長の家を弘めることにはならないのであります。
却って生長の家の悪宣伝をして居るようなものです。>>

わたしは、この事に関しては、本当にそう思います。
「生長の家」を信仰しているという者の家庭や職場が大調和していなかったら、それは「生長の家」の悪宣伝にしかならないですよね。
わたしもまずは自分の周りから、自分の本分をわきまえて自分にできる光明化運動をしていきたいと思います。

3077トキ:2014/10/20(月) 20:28:13 ID:gp2X4kJ6
>>3075

 これは、大事な内容が含まれています。

 講師を見ても、重要な役職を歴任され、素晴らしいご講話をされる講師の子供さんが
生長の家をされていないというケースが散見されます。逆に、地味で目立たない人やそ
れほど重い役職をされていない信徒さんの御子弟さんが、揃って信徒になっているとい
う人も多いです。

 この件については、いろいろと議論があるところです。ただ、私の周囲を見ると、活動
に熱心であるあまり、ご家庭のことがおろそかになっている幹部さんはおられました。こ
の点は、本当に考えるべき点だと感じます。

 その点に関連してですが、私が戦前の信徒さんから聞いた話では、戦前、谷口雅春先生が
組織指導をされていた頃は、仕事や学業、家庭を大事にする事が大前提であり、その上での
活動である、という方針だったみたいです。戦後の神誌に谷口雅春先生が書かれていたご文章
によれば、信徒さんへの経済的な負担をかけない、という点にも注意されていたみたいです。

 が、そのため、職員さんの待遇が悪く、いろいろと問題も生じたみたいです。谷口清超先生
はその点を心配され、職員の福利厚生や待遇にも腐心されました。おかげで、本部職員の待遇
はかなり、教区職員の待遇も少しはよくなりました。しかし、他で使い物にならないような人
が待遇につられて職員に応募するケースも生じて来て、これはこれで問題になりました。

 あと、組織が巨大化するにつれ、官僚化、形骸化も目立つようになりました。教区に来る人
の中には、信仰というよりも、何かサークルの感覚で来られる人も見えるようになりました。
この点は、戦前を知る、古い信徒さんが嘆いていました。

 一連の騒動は嘆くべきですが、こういう点を反省する機会にもなったと感じます。

3078神の子さん:2014/10/21(火) 03:53:03 ID:???
総裁ファミリーも生長の家やっていないね

3079神の子さん:2014/10/21(火) 09:25:09 ID:???
>総裁ファミリーも生長の家やっていないね

はい、ノーミートもお絵かきもやっていません。

3080「訊」:2014/10/22(水) 07:30:59 ID:???
2456 :K機関諜報員:2014/10/21(火) 18:44:04 ID:???

はじめまして。

K機関諜報員と申します。「K」とでもお呼びくださいませ。

とりあえず、ご挨拶代わりに大聖師谷口雅春先生最後の御講話の音声ファイルを皆様にお届けします。

http://yahoo.jp/box/_mtnIY

上記からダウンロードできます。

貴重な音声ファイルです。教団や本流派を攻撃するための「道具」として使われるのは、私の本意ではありませんし、谷口雅春先生も望んではおられないと思います。

谷口雅春先生の教えの下に、教団も本流も一つになることを願っています。

K機関諜報員 拝

3081a hope:2014/10/22(水) 09:54:15 ID:cEpBaIdo

☆ 新版 菩薩は何を為すべきか  谷口雅春先生・谷口清超先生共著 ☆

第一章 人類光明化運動指針の解義 

p12
第三条 生長の家の各員は、立教の使命とする人類光明化運動とは先ず第一に何をなさんとする運動であるかを常に明らかにしなければならない。即ちそれは、「神の子としての人間なるものの本当の相」を凡(すべ)ての人々のうちに開顕(かいけん)し確立する事によって光明化する運動である。自由と云い平等と云い人権と云い民主主義と云い、世界平和と云い、或は政治と云い社会と云い労働と云い教育と云うも、すべてみな人間なるものの実体の確立なしには在り得ない。生命の尊重が今日ほど激しく叫ばれた事はないに拘わらず、今日ほど生命が無視されている時代はない。この矛盾、この混乱は、みな、人間が人間でありながら人間なるものの本当の相(すがた)を見失っている所から発している事実を凝視し、機縁は生老病死のいずれであろうと、必ず人間神の子の自覚の確立に導入する事が光明化運動の本旨である事を互に明らかにし合わなければならない。

3082a hope:2014/10/22(水) 09:56:47 ID:cEpBaIdo
>>3081つづき 

(雅春先生のご解説)

抑々(そもそも)生長の家と云うものが現れて来たその立教の使命
――即ち此の教えが立てられた所の使命と云うものは何であるかと言いますと、
私はこれを最初から「人類光明化運動」と言っておったのであります。

この間幹部会の席上で、或る人が「人類光明化運動というと俗耳(じくじ)には解り難(にく)いから、
愛国運動とこうハッキリ言ってしまった方が、人々に一層判り易いであろう」と言われたのでありますけれども、
それでは私たちの運動を完全に言表(いいあら)わしていないのであります。

それは何故であるかと云いますと、「愛国運動」と云うと国だけを愛すると云う意味にとれますし、
而も「愛国」という文字は、日本国民が「愛国」という場合には、一種の国粋主義として日本の国だけを愛すると云う意味になって、
世界の人類を愛すると云うところまで広くその光明化に意味が徹底しないということになるのでありますから、
直ちに唯物論者や左翼思想の人などはついて来ると云うことにならないと云う欠点があります。

ところが人類を救うと云うことになれば、唯物論の人でも左翼の人でも、苟(いやいく)も人類を愛する人ならば、
そんな人でも皆ついて来られるのでありますから、矢張り吾々の運動は人類光明化運動でなければならないのであります。
(つづく)

3083a hope:2014/10/23(木) 21:58:28 ID:cEpBaIdo
>>3082つづき

その立教の使命である人類光明化運動とは第一に何を為さんとする運動であるかと云いますと、
「それは神の子としての人間なるものの本当の相(すがた)を凡(すべ)ての人々のうちに開顕し」と書かれているのであります。

ここにも此の光明化運動が決して日本人だけを対象とするものではないことが明記されているのであります。

この運動は、凡ての人々の中にですね、その実相が神の子であると云うことを開顕するところの運動であり、
それを確立するところの運動であるわけであります。

「すべての人々の中に」と云う「中に」と云うのは〝Among the all people〝 と云う意味、
「すべての人類全体に行きわたって」と云う意味であります。

人間が神の子であるところの実相を顕して、それをフラフラの自覚ではなく、
シッカリと悟りとして確立すると云うことが人類を光明化することになるのであります。
(つづく)

3084「訊」:2014/10/24(金) 16:21:59 ID:???
『生長の家ってどんな教え?』(谷口雅宣総裁著書)116頁より謹写――


唯心所現について



Q:

〝唯一絶対〟の神様が、どうして有限の世界に人間をつくられたのでしょうか。そして、人間は神の子であるのに、どうして病気や争いを心に描いてしまうのでしょうか?(二十九歳・女性)



A:

 二つの質問です。一つ目は「有限の世界に人間をどうしてつくられたのか?」という質問です。私は、午前中、舞台俳優の話を喩えに使いましたが、この喩え話は理解が難しいかもしれません。私たちは実相世界においては、この俳優のようにいろいろな役割を演じる潜在能力をもっている。その俳優さんが舞台の上にいて、あるいは映画の中にいる場合、これを私は現象世界の出来事に喩えた。この人は、ある配役をもって生まれ、現象界に登場して生きている。それは、自分で選んでやっているということです。

 この方の質問は、「〝唯一絶対〟の神様がどうして有限の世界に人間をつくられたのでしょうか?」というものです。けれども、私は、「神は現象世界に人間をつくった」とは言いませんでした。そうではなくて「もともと実相世界しかない」という話をしました。しかし、この方は「いやこの世界はある」と思っている。だから、「有限の世界に人間をつくった」という質問になる。しかし私は、「有限の世界はナイ。実相世界がある」という話をしたのです。だから、神の創造された実相世界に、人間は今も神の子、仏として存在しているのです。どこか別の所にいるのではないのです。

 私は、今、現象的にも舞台に上がっていますけれども(笑い)、皆さま方も、それぞれが心で描かれた人生の舞台に上がっていて、それぞれの役を演じている。この方は、「神は舞台上の配役をどうしてつくったか?」とおっしゃいますが、神様は配役はつくっていない。それは、例えば「私はロミオとジュリエットの中のロミオになります」と私たちが自分で決めて、それを演じるのです。「ロミオの配役を演じる」と決めるのも自分であるから、ロミオとしての人間を神が創ったのではなくて、「自分がロミオを演じよう」と決めて舞台に上がっている ―― それは現象世界のことです。しかし、その時にも俳優はロミオとは違う人格と社会的立場をもっている ―― これは実相世界のことです。だから、神様が現象世界に人間をつくったのではなくて、我々が自分で現象上の配役を作り上げて舞台上で演じているのです。


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○現象世界は何のためにあるのか


 では、質問の仕方を変えて、「なぜ、この〝舞台〟としての現象世界があるのか?」という問題を考えてみます。それを、俳優に訊いたら何と答えるでしょうか?恐らくそれは「表現をすることが喜びであるから」という答えになると思います。俳優にとって、表現は喜びなんです。人間はもともと、実相においては神の子、仏の子であって、それを表現する場がほしいのです。だから、現象的にはいろいろな世界に流転していく。これは、業の流転によって「苦しみの人生を繰り返す」という解釈の仕方もありますが、生長の家ではそう解釈しない。人間は一種の〝舞台俳優〟として表現を繰り返すのです。たまには変な役が回ってくることもあります。これは結局、自分でつくるわけですが、もしもその配役が嫌だったら、自分で脚本を書き換えればいいのです。「私は来世はヒーロー役をするのだ!」と決めたらいい。まぁ、今生からでもいいですがね、急には変えられないこともあります。でも、「ヒーローになる」という脚本を自分にあてがって、今から演じればよろしいんです。これらは皆、神様がやっているのではなくて、私たち一人一人が自分で決めた道を行く。「私はロミオである」と決めたらそれを自分が演じるということです。その時に「ロミオでない自分」がいることを忘れてしまうと、それが自己限定となり、自ら有限の世界を体験するのです。これが、一つ目の質問に対するお答えです。

(つづく)

3085「訊」:2014/10/24(金) 16:23:27 ID:???
>>3084つづき)


 さらには「表現の場を創ったのは神様じゃないか」と仰る人がいるかもしれませんが、まぁ、そう言って必ずしも間違いではない。この場合の「表現の場」というのは、ここ(頭を指しながら)で起っていることなんです。だから、肉体という表現媒体を与えてくださったのが神様だと解釈すれば、それは必ずしも間違ってはいない。しかし、我々が「この世界」という時には、ここ(頭)に入っているんであって、ここ(周囲を指しながら)にはないんですよ。私たちは、自分の周りの世界のことを「外界」と呼ぶことがあります。自分はこっち側にいて、向こう側に、外に広がる世界がある ―― というニュアンスです。しかし、そんな「外界」はない。この〝外の世界〟はどうやって知るかと言ったら、結局、感覚によって ―― 目と耳と鼻と口と皮膚の感覚によって得られた情報を脳が一つの〝作品〟に創り上げて、それを外側に映し出しているものですから、まぁ一種の〝幻灯機の映像〟を見ているわけですよ。そして、幻灯機だけだったら、音がしないし、感覚はありませんけれども、肉体という媒体には五官の感覚 ―― 色づけや匂いや動作も、すべて外へ投影できる。そういう装置があると思ったらよろしいと思います。
 最近テクノロジーの発達によって、視覚と聴覚に伝わる情報は、豊かなものを人工的に作ることができます。それから、今、実験中ですが、運動感覚や匂いなども、人工的に作ることができるようになっている。そういうようにして、五感をヘルメットのような箱の中で実験できる装置ができたら、私たちは、それによってできた世界を「外界」と呼ぶでしょうか?(笑い)それは外界ではなく、ニセモノの世界ですが、五感はすべてを動員しているので、本当にリアルに感じられる。それに近いものを、私たちは肉体を通して体験しているのです。「それは何のためか?」と言えば、「自分の神性・仏性を表現するためだ」というのが生長の家の解釈です。
 「罪のつぐないをするため」とか「悪業の報いを受けるため」というように解釈しよいうと思ったらできないわけではないけれども、それは「悪がある」という観点なんです。生長の家のように「悪はナイ」という観点から見ると、それは「失敗を修正していく過程」というように、積極的なところにポイントを置くわけです。そうではなくて、悪業を積んだ結果、その報いとして悪果を受けていくと考えると、「悪がある」という信仰になってしまう。
 しかし、「神の創造された世界に悪はない」というのが生長の家の信仰です。もし悪が神の創造だったら、「悪業」という言葉が妙なものになるんですよ。私たちの積む業に「悪いもの」があるという考え自体がおかしくなる。神の創造が「悪い」はずがないからです。また、本当に悪があるんだったら、私たちの存在自体が悪だとしたら、私たちは、悪を行なった時に、「ああ気持がよかった!」と感じるはずです。でも、そんな人は一人もいない。「これは私の本性ではない」というネガティヴな自覚を、「悪」と呼んでいるだけです。
 例えば、画家が女性の絵を描いているときに、ある箇所には本来、顔の部分だから肌色を置くべきだった。しかし、ちょっと手がすべって黒い色を置いてしまったとします。そんな時、「あぁ、これは良い作品になった」とは普通は思わない。そうではなくて、「あそこに間違ったものがある。だから気になってしょうがない。ああ、直したい」という気持が起ってくる。人間は「悪い」という言葉を、そういう文脈で使うんですね。「悪い」というのは、そこに「ふさわしくないものがある」という一種の違和感です。だからその違和感を除いてしまいたい、と思う。もし我々の本性が悪そのものだったら、悪に直面した時には、「あぁうれしい、魂が喜んでいる」と感動するはずなんです。しかし、我々の体験を思い起してみると、そんなことは決してない。事実はまったく逆である。ということは、私たちは善一元の世界から来た神の子であり仏だという証拠である ―― こう生長の家では考えるわけです。

(つづく)

3086「訊」:2014/10/24(金) 16:24:31 ID:???

>>3085つづき)

○なぜ神の子が病気や争いを心に描くのか

 次に、二つ目の質問です。「どうして人間は神の子であるのに、病気や争いを心に描いてしまうのでしょうか?」――
 時々、こういう種類の質問を受けることがありますが、それらは「なぜ神の子である人間が間違うのか?」という質問に帰結すると思います。これと似た質問は、「神の子だったら、なぜ罪を犯すのか?」「なぜ間違いを犯すのか?」「迷いがどうしてあるのか?」などいろいろあります。
 私は、こういう質問にお答えする時には、いつもこの字を書くんです。(と、黒板に「自由」と書く)。自由がなければ、善はどうしても表現できない。これは、私たちがよく知っている現実世界でも同じです。
 例えばある銀行に強盗が押し入り「お金を出せ」と言って、一番前のカウンターにいた女性銀行員にピストルを突きつけたとします。彼女がもし強盗が命じたこと以外の行動をすれば、生命の危険がある。だから、これは自由を奪うことです。自分の意志を相手に強制している。変なことをしたら撃ち殺すぞというのですから、脅迫によって自由を縛っている。こういう状態で、もしその銀行員が、お客の預金のうち何十万円とか何百万円を強盗に渡したとします。その場合、この銀行員の行動は「悪い」と言えるでしょうか?普通、それは常識でも日本の刑法でも「悪い」ということにはなりません。なぜなら、脅迫されて、意思の自由を奪われた中で行ったことは、「善い」とか「悪い」などと責任を問われることはない。それが普通の考えです。同じようにして、もし神様が「人間は絶対間違えず、迷うこともなく善を実行させよう」と考えて人間を創造されたら、善そのものを表すことができないんです。この論理はお分かりですか?善というものは、悪を選択する余地がある中で自ら選び取った時に、初めて成立するものです。
 もう一つ例を挙げます。ある所におっかないお父さんがいて、子供がいつもビクビクしている家庭があったとします。そんな家で子供が何でもハイハイとお父さんの言うとおりにやっていたら、そういう子を「よい子」と言えるでしょうか?私は、言えないと思います。幼い時は、そんな環境が一時的に必要な場合があるかもしれないが、そんな状態が長く続いては子供の善性は開発されない。そうではなくて、「自由にしていいから、好きなようにやりなさい」と言われた時に、自分で考えてとった行動が善い行いであった場合に、本当の意味で「よい子」として認められる。
 
(つづく)

3087「訊」:2014/10/24(金) 16:25:03 ID:???

>>3086つづき)

 生長の家では、神の本性は真・善・美であると説きますが、その中の「善」を実現するためには、自由が必要なのです。自由であるためには、間違った選択も与えられていることが必要なんです。
 このことは、生物学的にも言えることです。人間の脳は、自然の支配を最も受けにくい構造になっています。(脳の構造の概略図を描く)まず、脳の最も奥の中心部分には「脳幹と視床下部」というのがあって、その外側を二重三重の構造が覆っている・・・(脳の構造解説部分を割愛)・・・つまり、その大脳の内側には爬虫類や両生類がもっているのと同じ構造の脳があるんですが、外側を覆う大脳は、そういう爬虫類や両生類のような動きが自動的に出るのを制御する役割をもっている。これは、自動反応的に欲望が出てきた時に、欲望実現のための仕組みは整っているけれども、その上に覆いかぶさって、自分の意志で欲望をコントロールするための構造である。
 このことを見れば、まさに脳の構造そのものが、「いろいろな選択肢の中から正しいものを自分で選択する」ように出来ているのですから、人間は「自由である」のが特徴ということになるのです。しかし、大脳の新皮質が発達していない多くの動物には、自由がない。例えば、この間、春になって啓蟄を迎えると、土中からカエルが出てきた。彼等は温度と湿度の条件が一定の値になると、自動的に眠りから覚めて土の中から出てきます。そこには「もっと眠っていたい」などと思う自由はありません。また、土から出てきたら早速、相手を見つけて交尾することになる。ココにも自由はありません。人間以外に、神様は自由のない生物を数多く創っておられる。だから、それ以上のものを創造されようと思ったならば、それは神の定めた予定行動を自動的に繰り返す生物では足りない。〝自動機械〟はただ与えられた動作をするだけで、そこには善も悪もない。だから「自由」を与えれば「善」が実現するという、より高度な創造の段階にいたって人間が創造された。それが人間創造の意味なのです。
 だから、質問にもあるように、私たちは「病気」や「争い」を心に描いてしまう可能性をもちながら、そうでないものを描く選択をすることによって、この世の「善」が実現することになる。善を表現するためには、人間のような肉体をもったものが必要であるということです。だから、我々が「人間らしく生きる」ということは、「欲望のままに行動する」ということではないんです。時々それをはき違える人がいますけれど・・・・・・・・「人間らしい生き方」というのは、「眠くなったら眠り」「性欲が出たら発散させ」「食欲が湧いたらいつでも、どれだけでも食べる」なんてことじゃない。それとは全く逆である。

 我々はだから大脳の機能をしっかり訓練して、欲望は周囲の状況に合わせて適切に制御し、自分と社会の共存を進めていくのが本当です。欲望どおりに生きるのでは、両生類や爬虫類と変らないんです。まぁ、そういうことですね。

(2008年三月九日、大阪市の大阪城ホール)

3088a hope:2014/10/24(金) 17:35:56 ID:cEpBaIdo
>>3038 つづき

p14

法華経に「常不軽菩薩」という一章があります。

常不軽とは「常に軽んぜず」と書いてありますが、「われ常に軽んぜず」と、常にこの菩薩は如何なる人間を見ても、
たとえその相手が、どんなルンペンでも、やくざでも、或いは泥棒でも、強盗でも、殺人犯人であっても、
みんな其の人を仏の子として拝んだと云うのであります。

どう云って拝んだかと云いますと、「あなた様の実相は仏様でいらっしゃいます。
当来必ず素晴らしい仏の実相が顕れる方でございます」と言って拝んだのであります。

すると其の相手の男は、「なにッ、俺みたいなやくざが、何処が神の子じゃ!!どこが仏じゃ!!そんな馬鹿なことがあるものか。
いい加減な出鱈目を言って俺を言いくるめてごまかそうとする。けしからんやつじゃ」と言って、
石を投げつけて其の菩薩を傷つけようとしたけれども、然しその常不軽菩薩は、
投げる石のとどかぬ所迄行って又そのやくざを拝んだというのであります。

どんなに、相手が乱暴をはたらこうとも、「貴方様は本来仏様でいらっしゃいます。当来必ず仏の実相の顕れる方でございます」
と言って拝んだ。

これが菩薩たる者の生き方であります。

(つづく)

3089a hope:2014/10/25(土) 18:00:33 ID:cEpBaIdo
>>3088 つづき

p15

そして釈尊が仰せられるには、「こうして其の菩薩が、全ての人間の実相を仏であるとして拝んだ功徳に依って
彼は今釈迦牟尼如来として顕われているのである。自分がその菩薩であったのだ」とおっしゃったのであります。

この全ての人間の実相を神であるとして拝むことによって、その実相の完全さを顕わし、その完全さを確立する運動が、
生長の家の人類光明化運動で、その実践者が聖使命菩薩であります。

「神の子」と云い「仏」と云っても万教帰一的立場から謂いますと同じ事でありますが、
まず人間の実相と云うものは「神の子」であり「仏」であると云うことを確立しないでおって、
「自由と云い平等と云い人権と云い民主主義と云い、世界平和と云い政治と云い、社会と云い労働と云い教育と云っても」
その根本が確立されておらなかったら、目的の方向へ行くつもりで却って反対の方を向いて行くと云うことになるのであります。

東京から下関の方に行こうといくら思っても、実際に青森の方向を向いていたら幾ら一生懸命に汽車に乗って行っても、
飛行機に乗って行っても、下関に行くことは出来ないと云うことになるのであります。

だから最初に先ず、人間がどちらを向くかと云う事が大切であります。

その向く方向の根本が人間は「肉体」であるか「神の子」であるか、人間は「物質」であるか「霊的実在」であるか、
と云うその根本が定まらないでいて人権を主張するならば、人間は自由を求め、幸福を求めながら反対の方向に行くことがある。

例えば、人間とは快くないとか、苦しいとか、つらいとか、嬉しいとかと云うことを感覚に依って感ずる所の
本来の性質を有(も)つところの単なる物質的肉体である――と云う、そう云う前提のもとに人権を主張するならば、
人間はその本来の性質である肉体の要求するだけ能うかぎり快楽をむさぼり、自分だけの楽しみに耽り、
自分の感覚的な娯楽ばかりを自由不羈(じゆうふき)に追求することが基本人権である――という事にもなってまいります。

そこから、貞操になんの価値があるか、そう云う道徳観念は人間の肉体の快楽追求の人権を束縛するものであって憲法違反であると云う説も成立ったことになる。
(つづく)

3090a hope:2014/10/25(土) 18:14:47 ID:cEpBaIdo

>>3098 a hope所感)

<<まず人間の実相と云うものは「神の子」であり「仏」であると云うことを確立しないでおって、
「自由と云い平等と云い人権と云い民主主義と云い、世界平和と云い政治と云い、社会と云い労働と云い教育と云っても」
その根本が確立されておらなかったら、目的の方向へ行くつもりで却って反対の方を向いて行くと云うことになるのであります。>>

上のお言葉は、谷口雅春先生のお言葉でが、

「生長の家の教え」は、全ての運動の前提にこの「人間神の子」の自覚がくるのですね。
そうでなければ、雅春先生のご意志とはまったく違う方向へ行ってしまうということが書かれているのだと思いました。

みなさんのされている「生長の家の運動」は、どちらに進んでいるのでしょうか?

3091a hope:2014/10/25(土) 18:16:47 ID:cEpBaIdo
>>3090 訂正
>>3098 a hope所感)→(>>3089 a hope所感)

3092a hope:2014/10/26(日) 17:03:24 ID:cEpBaIdo
>>3089つづき

p17

或る進歩的文化人に云わせると、女性の貞操なんてものは、封建時代に、男性が女性を自分の〝持ち物〝 としておった時代に、
自分の〝持ち物〝 は誰にもさわらせたくないものだから、貞操と云うものを女性に教え込んで女性の第二の習性として飼いならしたものである、
処女性なんてものも何の価値があるか、あれは結局男が女を〝持ち物〝 にして楽しもうと思っていた時代の習慣の残りである。

例えば、自分が持ち物にしようとする場合に、人がさわった手垢のついた品物や着物では余り面白くない、
やっぱり持ち物は手垢のつかぬ、誰も使ったことのない新しいものがよいでしょう。

皆さんでも、ハンドバッグを買うのでも人の手垢で汚して居る品物を「これは幾らでございますか」「三千円でございます」
「こんな汚れたのが――」と思って、人様の使い古しでは嫌になる。

それと同じことで、処女性とか貞操とかが尊いと云うのは、結局、処女性とか、貞操とか、それ自体はなにも尊くはないのに、
それを男が女を〝持ち物〝 にするという観念からその新しさや、他の人の手垢のつかぬ純粋さが喜ばれるのである。

それ以外に何の意味もないのだと考えるのです。

こうして、人間と云うものを只の「物質」として、「持ち物」的立場から考えると処女性も貞操も、
奴隷として男から持たれた時代の観念であるから、そう云う観念を打破ることによってのみ
女性は真に解放されるのだと云う議論をなすのであります。
(つづく)

3093a hope:2014/10/27(月) 23:16:41 ID:cEpBaIdo
>>3092つづき

p18

これは一例でありますけれども、人間がその本質を「肉体」と見るか「霊的実在である」かと云う根本の人間観を確立しなければ、
人間の自由と云い、平等と云い、人権と云い、民主主義と叫んでみましても、此の肉体を人間としてみるか、
実相なる霊的実在を人間としてみるかによって、人間の生き方が全然アベコベを向いてしまうのであります。

憲法に定められているところに随(したが)って、人間は自由であると云っても、又哲学的唯物論に立って、
人間は自由である、人間は肉体的に快いことを楽しむように自由の本能が斯くの如く人間を規定しているのであるから、
その自然の快楽本能を満足さす為には何をやったってよいではないかと云う様な道徳的無視になるのであります。

実際、戦後の日本は占領軍の日本人の性的頽廃(たいはい)による日本弱体化の政策にあやつられてそれらのことが随分流行っているのであります。

その為に色々の弊害が起っていることは皆さんが既に御存知の通りであります。

その結果此処にも「生命の尊重が今日ほど激しく叫ばれた事はないに拘らず、今日ほど生命が無視されている時代はない」と指摘されている通り、
性的犯罪や、自動車強盗や、殺人や、自殺が今日ほど大量に流行している時代はないと云ってよいのであります。
(つづく)

3094a hope:2014/10/27(月) 23:21:35 ID:brQxC10.
>>3093つづき

 p19

人間の基本的人権の復活であるとか、自由の復活であるとか、平等の復活であるとか云いましても、
「人間とは何ぞや」と云う其の「人間」そのものの把握が間違っていると此のような結果になるのであります。

「人間」とは如何なるものであるかと云うその「人間」の理解が、単に人間を「物質」の偶然的結合として是(これ)を把握し、
単なる快楽本能・所有本能に左右される事が自然の権利だというような「肉体」として人間を把握(つか)んでいるから、
快楽本能・所有本能を満足せしめる為には人を殺しても好いなどと云うことになるのであります。

肉体として人間を理解せず、「霊」として「神の子」として、神の霊が今此の「肉体」と見える相(すがた)に
変貌して天降(あまくだ)っているのであると「人間」を理解することができた上で、
「今吾は何を為すべきか」と考えたならば、まさか女を強姦するとか、
わずかな金銭を奪うために自動車強盗をやるなんて、そんな見苦しい卑しいことは迚(とて)もやれない。

「神様が今天降って〝自分〝 として顕現している」と思ったら、人間の行動はおのずから神聖になるのであって、
ただ肉体の快楽を貪(むさぼ)る金を得るために、自動車運転手を後から殴りつけて殺したり、
ドスで刺して殺すなどと云う「生命不尊重」の行動が出来る筈がない。

それに反して人間を単なる「肉体」であると考えるならば、斯うも考えられる、
「彼れ運転手と云う者はただ単に物質が結合して斯くの如く機械的に動いているものである。
彼れの心の動きと云うものは物質が或る配合をして結合した場合にあらわれている作用に過ぎない。
あれが死んだからと云って物質が結合していたのが離れただけであるから、これは別に殺生というわけではないのである。
彼等はこれから何年間自動車運転手として、人生の苦しみを苦しまなければならんかも知れぬのに、
今此の物質的結合を一瞬の苦しみによって分離させてやったら、彼等はその無駄な長い苦しみから解放されるのである。
そうすると、自分もまた金を奪うことによって肉体に快楽が貪(むさぼ)られるし、
運転手もこれからの人生の苦しみを逃れることが出来る、これは一石二鳥と云うものである。」

泥棒にも三分の理があると云う諺(ことわざ)がありますが、斯のようにハッキリと推論しないにしても、
かれが唯物論である限りに於いて、人間は物質が偶然集合して出来て居るのであると考え、
如何に基本的人権の平等であるとか、自由の平等であるとか云っても、その生命を充分尊重し得ない事になるのは当然であります。
(つづく)

3095a hope:2014/10/27(月) 23:23:48 ID:cEpBaIdo
>>3094つづき

p21

それですから真に人権を尊重し、その自由と平等との基礎を確立しようと思ったならば、
「人間は神の子である」と云うところの根本を把握せしめなければならないのであります。

戦後、殊にこう云う混乱が起こって来るのは、爰(ここ)に示されている通り、
「人間が人間でありながら人間なるものの本当の相(すがた)を見失っている所から発している」のであるから、
其の事実を見つめなければならないのです。

爰(ここ)に「機縁は」とあるのは、皆さんが、生長の家に入って来られるその「機(はずみ)」になった「縁(えん)」と云うものは、
「生老病死」即ち、生活の苦しみや、老いる苦しみや、病の苦しみや、将又(はたまた)、
死の恐怖と云うものが機縁になって入って来られたかも知れぬけれども、その入信の機縁は「生老病死」のいずれであろうとも、
「必ず人間神の子の自覚の確立に、導いて行くことが光明化運動の本旨(ほんし)である」その事を自分だけ知ったら足れりと云う訳ではない。

他の人をも、その本旨を悟るように導いて行くのが菩薩としての愛行であります。

だから、この最後の所にどう書いてあるかと云うと、「……光明化の本旨であることを互に明らかにし合わなければならない」と書いてあるのです。

「互に明らかにし合わなければならない」――明らかにし合うのであって、自分だけいいと云うのではなくて、
互に「人間は神の子である」と云う実相を把握せしめる事こそ人類光明化運動だと云うことを、
相互扶助して明らかにし合わなければならないと示されているのであります。


それじゃあ人間神の子の把握をしっかりしなければならんと云うが、
その人間神の子の自覚とはそもそもどの様な自覚を根本とするかを明らかにしなければならないと云って次に説明してあるわけです。――

(第三条 についての雅春先生のご解説、終わり)

3096a hope:2014/10/30(木) 17:52:29 ID:cEpBaIdo

☆ 新版 菩薩は何を為すべきか  谷口雅春先生・谷口清超先生共著 ☆

第一章 人類光明化運動指針の解義 

p22 後から1行目〜

【第四条】 生長の家の各員は「人間神の子」の自覚とは、そもそもどの様な自覚を根本とするかを明らかにしなければならない。
神の無限生命の当体と云い、神の最高の自己実現でると云う自覚は、「一切はすべて自分の責任であり、自分以外の他のなにものの責任ではないのだ」と云う覚悟に徹しその覚悟を徹頭徹尾生き切る事である。諸悪不幸のすべては責任を他に転嫁するところから始まる。家庭も環境も運命も社会も政治も国家も世界も、隣保班の事も青年会の事も白鳩会の事も相愛会の事も県連の事も、光明化運動の消長も立教の使命遂行も、すべてみな自分以外の他の何人の責任でもなく、自分自身の日々念々の思いと祈りと行動のうちに在るものであり、一切の衆生が残らず救われてしまわなければ「吾れ正覚をとらじ」と誓われた御仏の心、即ち自己を一切者とする自覚の発動こそ真に人間神の子の自覚の証左である。さすればすべては自分の心の影となり、吾れ祈れば天地応え、吾れ動けば宇宙動くものなる事をよくよく思い知るべきである。

3097a hope:2014/10/30(木) 17:53:30 ID:cEpBaIdo
>>3069 つづき

(第四条・雅春先生のご解説) p23 後から1行目〜

この第四条に於いては、「人間・神の子の自覚」とは如何なる内容のものであるかと云うことが書かれて居るのであります。

それは、今読みました所で明らかであります様に、「自己を一切者とする自覚」と云うのであります。

爰(ここ)には、単に「神様が私を生んだから、私は神の子だ」と云う漠然とした宗教感情だけに止まらず、哲学的にそれが解明してあるのであります。

即ち、自分というものは只(ただ)の個人だと云うようなものではなくて、「自分は全宇宙を包容するところの実体であって、自分は全てである」と云うこの大自覚である。

これこそ本当に「自分自身に深切であれ」と云うことであるわけであります。

「自分自身に本当に深切である」と云うことは、自分の責任を回避すると云うことであってはならない。

責任を回避しなければならぬような小さいものだと「自分自身」を思うことは、自分を侮辱していることであり、自分に深切をしていないと云うことになるのであります。

だから自分を一切者とする此の自覚の発動こそ真に「人間・神の子の自覚」の証左であるのであります。
(つづく)

3098神の子さん:2014/10/30(木) 17:54:45 ID:cEpBaIdo
>>3097 つづき

p24 後から2行目〜

ところが、これとは反対に「環境が悪いから、制度が悪いから、政治が悪いから、人間は幸福になれないのだ」という人が多くある。

きくところによりますと、共産党の人なんかが、貧しい人の家などを訪問して行って、「君達が貧乏しているのは政治が悪いからである。経済が悪いからである。国家が悪いからである。こう云う政治家を倒し、天皇制国家を潰して、人民のための人民の政府を建てなければ、人民は決して幸福になれないのである」と言って、凡(あら)ゆる人民の不幸を「人民の政府」が樹立していないからである、と人間の責任回避癖(せきにんかいいへき)の盲点を衝いて説くのであります。

そうすると国民の多くは、特に無産階級の人は「成程そうか」と思いまして、「私が貧乏をして居るのは政治が悪いんだ。日本国家が悪いんだ。天皇制が悪いんだ。若し天皇制国家がつぶれてソ連みたいになったら、日本の人民は、余程金持になれるんだろう」と虫の好いことを思う人が出来て来るのだけれども、実際、ソ連に行ったり、中共にいったりしてその実際の農民の生活状態を見てきた人の話によるならば、彼らの多くは日本の農民の充分の一位の低い生活程度をしているのであります。

それでも過去に帝政ロシアや、支那(しな)の督軍(とくぐん)などに搾取せられていた時代の農民よりも余程よくなっているので、彼らの国民がそれで満足して社会主義を謳歌するのは、それはそれでよいのでありますけれども、日本の農民と比較すると彼らの国の農民は余程低い生活をしている。

それにも拘らず日本の農民は、社会主義国の農民よりもひどく搾取せられていると云うそう云う宣伝にのせられるのは何故かと云うと、「人間・神の子」の自主的自覚がなく周囲のものが我々を不幸にするのである、などと云う「責任回避」の物の考え方をしているからであります。

周囲に一切の責任をなすりつける考え方は「人間・神の子」の自覚ではなくて、「人間は恰(あたか)もメリケン粉で焼いた太鼓饅頭みたいに、周囲の型にはめられてその型の通りになるしか仕方ないものである」と考えるところの唯物論であり、自己劣等感に過ぎないのであります。

わたしたちが本当に幸福になるためには、自己劣等感を克服して「自分はどう云う環境に置かれても自由自在である」というところの、自主的存在だと云う自覚を得なければならないのであります。
(つづく)

3099a hope:2014/10/30(木) 18:05:33 ID:cEpBaIdo

>>3096>>3098 a hope 所感)

この章には、たいへん重要な事が書かれていると思いました。

<<神の最高の自己実現でると云う自覚は、「一切はすべて自分の責任であり、自分以外の他のなにものの責任ではないのだ」と云う覚悟に徹しその覚悟を徹頭徹尾生き切る事である。>>

要するに、「神の子の自覚」とは、「一切者の自覚」にほかならないということが述べられているのだと思います。


<<周囲に一切の責任をなすりつける考え方は「人間・神の子」の自覚ではなくて、「人間は恰(あたか)もメリケン粉で焼いた太鼓饅頭みたいに、周囲の型にはめられてその型の通りになるしか仕方ないものである」と考えるところの唯物論であり、自己劣等感に過ぎないのであります。
わたしたちが本当に幸福になるためには、自己劣等感を克服して「自分はどう云う環境に置かれても自由自在である」というところの、自主的存在だと云う自覚を得なければならないのであります。>>

ここに、「自己劣等感」という言葉が出てきました。

この言葉、最近どこかで聞いたことがあるな〜?と思いましたら、先日web誌友板でのある「神の子さん」のご発言でした。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4573


「一切者の自覚」が「神の子の自覚」で「周囲に一切の責任をなすりつける考え方」が「自己劣等感」だとあります。

これは、確かに「神の子の自覚」があるかないかの証左になりそうですね。

わたしは、人間・神の子が基本真理の「生長の家」教団のトップに立つ谷口雅宣総裁が、
まさか、この「一切者の自覚」つまり「神の子の自覚」がなくて、一切の責任を他人になすりつけるような、
自己劣等感をお持ちのお方であるとは信じられません。

きっと、雅宣先生は、「生長の家総裁」として、聖典裁判はじめ信徒の大量脱会等、
数々の「生長の家」で起きている諸問題の責任を、「一切者の自覚」をもって感じていらっしゃると拝察しています。

3100流氷:2014/11/01(土) 09:18:54 ID:LyU7SE0.
   民意とメディアと政治は、三位一体

森)皆さんの意見を聞きながら、ふと思いついたことがあります。かつて今と似たような雰囲気があった時代
のことです。もちろん僕はリアルタイムには知りません。あくまでも本などで読んだ知識ですが、日本が国際連盟を
脱退した時代が、今の時代とデジャ・ブのように重複します。

司会)A級戦犯の一人でもある松岡洋石は、日本代表団の首席全権として出席した国際連盟総会で、満州国建国を認めないとの
決議を出されたとき、四五分にわたる連盟決別の演説を英語で行ってから、最後に「さようなら」と日本語で言って、堂々と退場したと
言われています。これをきっかけに日本の軍国化が加速したとの見方もあります。

森)でもね、実のところ松岡は会期中に、「脱退のやむなきにいたるが如きは、遺憾ながら、あえてこれをとらずに」と日本政府に打電しています。
つまり彼自身などうやら、脱退はまったく考えていなかったようです。この少し前に、日本の新聞一三二社は、共同で宣言を発表します。
内容は満州国の正当性を主張するとともに、「満州国非承認と連名で決議されたとしても、これを受諾しないように」と
日本政府に迫るものでした。同時に新聞各紙は記事においても、連盟から脱退すべしと国民に訴え続けています。

C)朝日新聞もそんな主張をしていたんですね。なんだか意外。

森)最後の演説でも松岡は、日本政府や満州国の正当性を主張はしているけれど、脱退するとはひと言も言っていません。
ところがこのときの朝日新聞の見出しは、あの有名な「連盟よさらば!連盟報告書を採択 わが代表堂々と退場す」。本文では
「松岡の姿は、凱旋将軍のようだった。わが国は初めて、『我は我なり』という独自の外交を打ち立てるにいたったのだ」とも書かれています。
当然ながら国民はこの記事に熱狂し、そうした世相を背景に、日本政府は国際連盟脱退を通告し、帰国した松岡は国民的英雄として迎えられます。

D)じゃあ、連盟脱退を煽ったのは、朝日新聞をはじめとするメディアだったわけですか。

森)そのとおりなんだけど、忘れてはいけないのは、メディアも政治も民意の合わせ鏡であるということです。
つまり新聞は国民の主張や願望を反映したとの見方もできる。そう考えたとき、仮にいま安倍政権が諸外国に対して強気の外交を
行っているとしても、その理由は、強気にならないと支持率が下がるという危機感があると考えたほうがいいと思う。
つまり強気になったのは安倍政権ではなくて、この国の民意です。そもそも安倍さんの今の人気は、拉致が明らかになった北朝鮮に対して、
強硬な姿勢を示すことで始まりました。強気に出たほうが国民は支持する。そう考えたとしても不思議はない。

A)ブッシュ政権を見習った可能性もありますね。

D) じゃあ、そもそもの要因は民意だということになりますか。

森)ただしその民意は、メディアによって大きな影響を受けながら形成されます。
でもメディアも民意に誘導される。先ほど満州事変後の状況を説明すれば、新聞は当初、軍部の
大陸進出に対して批判的でした。でも部数がどんどん落ちる。それで強硬な方針に換えた。
満州勃発から数ヵ月後、「国家重大事なのだから、なるべく軍部を批判するような記事は載せない」と決めた
朝日新聞重役会議の議事録が残っています。

 この朝日の変節について、右翼からの圧力があったとの説もあったけれど、むしろ圧力よりは自主規制だろうと僕は思います。
要するにメディアも民意によって造形されていると言えるわけで、.....悩ましいですね。民意とメディアと政治は常に三位一体、三つ巴なんです。

  『アは「愛国」のア』 森達也 著

3101管理人:2014/11/01(土) 09:23:45 ID:HLm/peec

>3100 と、今のこの投稿の削除をお願いします。

3102a hope:2014/11/01(土) 21:36:06 ID:cEpBaIdo

>>3098 つづき

p26 後から5行目〜

世間には往々、資本主義制度があるが為に人民は貧乏になるのだと云う風に屁理屈を言う人がありますけれども、
決してそうではないのであります。

アメリカでも自動車王として世界第二の富豪になったフォード自動車会社の創立者であるヘンリー・フォード第一世は、
資本主義制度に於ける一介の鍛冶屋さんの職工であったのであります。

資本主義下においては、職工は何時までも職工で終らなければならぬと考えて居ることが、
「人間・神の子」の自覚がないわけであります。

資本主義の世界においても職工さんが、世界で三番目位の金持になれる機会は幾らでもあるわけであります。

戦後で日本一の富豪になった松下電器産業の松下幸之助氏は、手工業的に塑(ね)り物で電灯のソケットを製造販売していた
手工業の半職工的商人であつた。

資本主義制度だから一介の工員から富豪にならないと云う事はない。

資本主義化の世界は大衆によろこばれる物を作るものが忽ちにのし上がる機会の多い世界である。

美空ひばりや江利チエミは歌の口真似から出発して大衆に喜ばれた為に、忽ち毎年千万円以上も収入のある歌手にのし上がった。

ソ連で帝王の如くなったスターリンも鍛冶屋だったか靴屋さんだかの子であったそうだが、
ともかくどんな制度においても、どんな境遇におっても、伸びるものは伸びるし、伸びないものは伸びない。

戦後の日本では大抵既成財閥は解体になり、固定資産税や財産税で殆ど財産はみな召し上げられ、
土地を無代(ただ)同様の値段で買上げて細分せられ、旧財閥や特権階級の人は、斜陽族の〝なれの果て〝 みたいなのに大抵なった。

斯うして戦後の日本人は、戦後最初の富の出発点は大抵似ておった。

どんな戦前の金持も同じ位の経済的レベルに落とされ、財産は殆どみんな税金にとられて、
三万円以上はみな没収みたいに封鎖せられてしまった。

そして、手と身(からだ)だけの其処からでも、新興財閥として伸びて来る人はぐうっと伸びて来ているのである。

むろん、何時迄も下積におる人もあるんだけれども、資本主義下では実力のある伸びる人は伸びる機会がある。

だから自分が貧乏をして世間を呪っているのは制度が悪いからと云うんじゃなくて、自分自身の自覚が足りないからであります。

どんな制度の下に於いても、賤しき貧しき家に生まれながらでも、「神の子・無限力」の自覚をもつものは
其処から伸びることも出来るわけであります。

封建時代にでも、豊太閤(ほうたいこう)みたいな人は百姓の倅(せがれ)から最高の栄誉ある地位にのぼった。

どんな制度の世界に於ても伸びる者は伸びるのに、自分が伸び得ないことを制度が悪い環境が悪いなんて考えて、
自分自身の責任を回避して、他を呪うのは間違いであります。

3103a hope:2014/11/01(土) 21:37:33 ID:cEpBaIdo

>>3102 a hope所感)

<<だから自分が貧乏をして世間を呪っているのは制度が悪いからと云うんじゃなくて、自分自身の自覚が足りないからであります。
どんな制度の下に於いても、賤しき貧しき家に生まれながらでも、「神の子・無限力」の自覚をもつものは
其処から伸びることも出来るわけであります。>>

わたしはこうも考えられると思いました。
つまり、「神の子・無限力」の自覚をもつものは、どんな組織に属していてもいなくても、どんな運動をしていてもいなくても、
伸びない人は伸びないし、伸びる人は伸びるんだな、と。

だって、「神の子・無限力」の自覚を得るためにすべきことは「三正行」以外ありませんものね!

3104SAKURA:2014/11/02(日) 21:33:23 ID:???
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
>>2809>>2812>>2820>>2821>>2827>>2839>>2840>>2842>>2848>>2853>>2856>>2860>>2866>>2867
>>2871>>2881>>2890>>2891>>2898>>2905>>2907>>2908>>2909>>2910>>2915>>2918>>2931>>2932
>>2933>>2940>>2946>>2947>>2953>>2958>>2959>>3038>>3045>>3049>>3051>>3054>>3056>> 3071 
の投稿の続きです….。
■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 自他の悪を思わず常に光明に転向せよ ―その4―【 転載編 ―】*=======*=======*

■かかる場合、毅然として起って、全従業員の不安、焦燥、恐怖の心を去りうるところ
の偉大なる首脳者が顕われ、事業をして従事せる全員に平和と明朗と前途の楽観を与えう
る場合には、没落せんとしたその商社も運命を回復することができるのであります。この
時、事業の首脳者にして、商勢を挽回せんとて憂い悲しみ、従業員の欠点のみを見、その
欠点を直早そうとして短気と焦燥とに駆られる時には、頽勢はかえって挽回するに由なく、
股昿と頼む忠実なる人たちは彼を見捨て去り、有為の雇員(こいん)は背き去り、顧客(こかく)
は続かず、終にさしもの繁栄を誇った商社も没落してしまうのであります。

これは現象に捕らわれて、一時の暗黒を実在だと思い、心に強く欠点と暗黒を描いた結果
であります。欠点と暗黒とはあるように見えても本来ないものでありますから、心に描か
ずに捨て置けば消えるのであります。美点と光明とはないように見えても本来実在なので
すから、心が執われなくなったときその本来のある姿があらわれてくるのであります。だ
から生長の家家族の祈願には自他の悪を云為する時間があるならば、神を想い、完全を
想い、自己の新生と生長とを努めるようではないかと書いてあるのであります。

 商売の衰頽も肉体の病気も「不調和の心」の顕われですから、「不調和の心」に「不調和の
心」を追加しているようなことでは、それを回復することはできないのであります。不安、
焦燥、恐怖で平和を失っている状態に、さらに憤怒と憎みと欠点暴露をもってするのは、
火を消さんとして火に油を注ぐようなものであります。七つの「迷いの心」が起こってきた
ときには、七つの「自覚の心」で相対すべきであります。

               つづく
❤〜SAKURA

3105a hope:2014/11/03(月) 21:08:54 ID:cEpBaIdo
>>3102つづき

p28 後から3行目〜

私が諸方へ講習に行きましても、時々こう云う弁解をされる地方がある。

「ああ農繁期でございますからどうも人の集まりが悪いのでございます。」そうかと思うと、
「祭日とかち合いましたので、人がその方へ行きまして、講習会の集まりが悪いのでございます。」

あるいは「雨が降りましたのでどうも人の集まりが悪いので御座います、」などと、
責任を農繁期や祭日や雨天に課して、自分の努力の不足にアリバイをつけようとする人がある。

ところが、或る農村に講習に行って雨が降ったときに、「先生、今日は雨が降りまして有難うございます」とお礼を言われたこともある。

そう云う所では「雨が降ったので百姓が野良にでられないから、野良にでるかわりに、
この講習会に集って来るのでございます。神様有難うございます」と喜ばれるのであります。

それなのに、口実をつけるところは、「雨が降ったから人が集まり難いのであります。もしお天気なら、もっと集っとったんでございます」
まあそう云うように理屈をつけて自己弁解する。

その自己弁解をするようでは、この自らの主人公であるところの自覚が足りないのであると言わなければならないのであります。

(第四条についての雅春先生の解説終わり)

3106a hope:2014/11/14(金) 08:41:51 ID:cEpBaIdo

☆ 新版 菩薩は何を為すべきか  谷口雅春先生・谷口清超先生共著 ☆

第一章 人類光明化運動指針の解義 

第五条 生長の家の各員は、人間神の子の自覚が、日本民族が悠久の昔より世々代々承(う)け継ぎ語り継いで来た「命(みこと)」の自覚にほかならず、生長の家立教の使命が同時に日本建国の理念の現成(げんじょう)にほかならない事を明らかにすべきである。

日本民族は存在の窮極を、一切のものの生成の根源たる普遍的絶対者を、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)として把握し、その「中(みなか)」への中心帰一とその「中」の展開、即ち宇宙普遍の原理の地上的顕現を日本国家形成の理念とし、天津日嗣(あまつひつぎ)とはこの理念のさながらなる継承以外にはなく、天皇の権威は権力をもって思うがままにこの国を支配する権利にあるのではなく、この理念の継承実現にまします事、従って天皇を中心と仰ぐ日本の国家の発展は、天皇の人民支配の手段としての国家の発展と云うが如き専制的な性格のものでは微塵もなく、宇宙真理、即ち神意の地上顕現の至純至高の形体としての日本国家の精神である。

この真理の現成の大まつりごとに、神の子としての命(みこと)として自己の責任としてまつろい奉(たてまつ)る事が実相の成就である事を明らかにすべきである。

単に自分の祖国のみの理由にて日本を愛するのではなく、東洋と西洋との中間に位して一切を生かす大乗の真理国家たる事が日本の理念であるからこそこの国の国体を鑚仰(さんぎょう)してやまず、この国の神の子国民として生を享(う)けしめられた所以の深さに感泣(かんきゅう)し、わが一身もわが家庭もわが生活もすべてこの理念現成に捧げられてはじめて存在の意義を持ち得るものなることを、各自互に明確に自覚し合い、その行動の根拠となし合うべきである。

3107a hope:2014/11/14(金) 08:43:18 ID:cEpBaIdo

>>3106 a hope所感)

この第五条には、わたしが理解しなければいけない日本国に「生長の家」の出現した本当の理由、
つまり「鎮護国家」がなぜそれほどにも大切なことなのかが述べられているのではないかと感じています。

これから、雅春先生のこの第五条のご解説を丁寧にお勉強していきたいと思います。

3108もうすぐ冬だけど春:2014/11/14(金) 19:22:17 ID:sJIV9CK.
a hope さま

一つ前から聞きたかったのですが、この掲示板で、何を求めていらしゃっているのですか?


自己満足の暇持てあましの、お勉強ですか?

3109もうすぐ冬だけど春:2014/11/14(金) 19:25:03 ID:sJIV9CK.
この真理の現成の大まつりごとに、神の子としての命(みこと)として自己の責任としてまつろい奉(たてまつ)る事が実相の成就である事を明らかにすべきである。

謹舎慕って、意味わかってんいっしょ? ぶっちゃけ。

3110トキ:2014/11/14(金) 20:00:39 ID:NbEVi5/s
>>3108

 管理人としては、a hope様のご投稿は、掲示板の目的に沿うものであり、
内容も素晴らしく、歓迎しております。継続してのご投稿にも感謝してお
ります。

 教団がこうなった以上、掲示板での勉強は大きな意味があります。

 a hope様におかれましては、今後も継続して、ご投稿をお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

3111a hope:2014/11/14(金) 20:34:30 ID:cEpBaIdo

>>3108 春さま

わたしは、この掲示板でお勉強させていただくことで、
何が本当の生長の教え(真理)なのか自分自身で明らかにしていきたいと思っています。

そして、自分自身が真理を悟って幸せになりたいというのも勿論ですが、
自分が悟ることで、周りの苦しんでいる人々を救えるような人間になりたいのです。

ですからわたしがこの掲示板でお勉強させていただいているのは、
自己満足といえば自己満足かもしれませんが、「生長の家」の教えを体得して、
人類光明化運動を展開していきたいという大きな夢のためでもあります。


とても申し訳ありませんが、>>3109のご質問の意味はよくわからないのでお返事ができません。

ところで、春さまはどうしてこの掲示板に書き込みをされているのですか?

3112a hope:2014/11/14(金) 20:35:13 ID:cEpBaIdo

>>3110 トキさま

コメントありがとうございます。
これからも、自分のペースでお勉強させていただきます。

感謝 合掌。

3113もうすぐ冬だけど春:2014/11/14(金) 21:11:27 ID:ng3olj7k
この真理の現成の大まつりごと


意味、分かりますか?

神の子としての命(みこと)として

この意味分かっていたら、鎮護国家はずし意味が理解できますか?

自己の責任としてまつろい奉(たてまつ)る事が

これは貴殿が書かれた"できることをまずしよう"でいいと思われますが、
この先は、
何を目指しているか、お考えですか?

人類光明化運動を展開していきたいという大きな夢のためでもあります。

この為の方法が、
掲示板でお勉強させていただいているの

では、全然話にならない、足りない、ともうい上げているのです。

3114トキ:2014/11/14(金) 21:49:06 ID:NbEVi5/s
>>3112

a hope 様

 お返事、恐縮します。今後ともご投稿を期待しております。
頑張ってください。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

3115a hope:2014/11/14(金) 22:02:56 ID:cEpBaIdo

>>3113 春さま

人類光明化運動指針第五条の条文だけを読んだのでは確かにその意味はよく理解できないかも知れませんが、
「菩薩は何を為すべきか」には、各条文の後に、雅春先生が「人類光明化運動指針の解義」として、
その内容を詳しくご解説してくださっているのです。

ですから、これからそれを謹写しながらお勉強して行こうと思っているのです。
丁寧にお勉強して行けば、こんなわたしにも「鎮護国家」の重要性が理解できるような気がしています。


現実の春さまがどのような方で、どのような運動をされている方なのかわたしは知りません。

ですが、春さまもわたしのすべてを御存知ではないですよね?

この掲示板の管理人さまであるトキさまがお許しくださっていますので、
わたしはわたしのやり方でこれからもお勉強を進めさせていただきたいと思います。

ご理解くださるとありがたいです。

3117もうすぐ冬だけど春:2014/11/15(土) 09:00:22 ID:EAWJz.aM
丁寧にお勉強して行けば、こんなわたしにも「鎮護国家」の重要性が理解できるような気がしています。

失礼ながら、到底無理と考えています。

丁寧にお勉強すれば。。のレベルでなく、当たり前の事が当たり前に感じられる【感性】とでもいうべきものが必要で、今後も貴殿のお好きなように書かれて行く事は大事にしたいと考えますが、

1+1=2
が分からない人が、謹写していても、しないよりはましな程度で、
1+1=10になるという(たととえですが)は、永遠にたどりつかないでしょう。

献労と愛行が欠けているからではないですか。

初心者様が言った、インターネットで真理が分かるなどあり得ない、と言うのは、事実と思います。

3118a hope:2014/11/15(土) 09:11:02 ID:cEpBaIdo
>>3117 春さま 信仰/体験板にお返事させていただきます。

3119a hope:2014/11/15(土) 09:14:45 ID:cEpBaIdo

(第五条 雅春先生のご解説)p31

ここは非常に重大な一節であります。民主主義かぶれのしている人には解するのに難しいところであります。

生長の家は「人類光明化運動」と云うから人類を愛したらいいのであって、日本の国なんかどうだっていいじゃあないか、と考える人があるかも知れませんが、決してそうじゃあないのであります。

皆さんは日本民族の一員として日本人として生まれた。その事実に立脚して生きている以上、日本民族と云うものは如何なる自覚を持ち如何なる使命を持って此の地上に誕生したのであるかと云うことほど重大な問題はないのであります。

古代の日本人は全て何某(なにがし)の命(みこと)、何某の日子(ひこ)、何某の日女(ひめ)と云うように自分自身をも呼び、他の人をも尊称して居りました。

日子とは即ち天照大神の御子(みこ)という意味であり、日女とは即ち天照大神の女(むすめ)という意味であり、すべての人間は命(みこと)であったのであります。

命とは即ち「神の生命」そのもの、それが天降(あまくだ)って来たのが人間であると云う、そう云う魂の自覚をもって日本人は日本民族の歴史を作ってきたのであります。
(つづく)

3121トキ:2014/11/15(土) 19:01:43 ID:kJfjg7Wc
「白鳩」昭和48年3月号 14pより、謹写

<<10日の箴言 迷霊には問答打ち切り宣言が早いほどよい>>  谷口雅春先生


 イエスもヨルダン河で40日40夜断食水行して自分の心を潔めようとしているときに「自己とは別の
世界に棲む迷霊サタン」があらはれて来て問答しているのである。この迷霊とイエスとの問題は、頭に
ブリキのバケツを被って迷霊の言葉をアースして避けようとした人のようには、その迷霊に、長くはかか
はり合っていないのである。迷霊との問答は、長くかかはり合っていると、人間を翻弄して楽しみたいの
が彼ら迷霊が人間に話しかける動機であるから、いつまでもその迷霊がねばりついて間断なく話しかける
ため人間の方がノイローゼになってしまう。イエスと迷霊サタンとの問答は極めて簡潔にして、イエスは
「去れ」といって、迷霊を突き放しているのである。

サタンーなんじ若し神の子ならば、命じて此等の石を変じてパンとなせ。
イエスー人の生くるはパンのみにあらず、神の口より出づる凡ての言に由る。
サタンーなんじ若し神の子ならば己が身を下に投げよ。若しなんじ神の子ならば聖書に録された如く
    「神はみ使いたちに命じて、彼らの手にて汝を支え、その足を石にうちあたることなからしめん。」
イエスー「主なる汝の神を試むべからず」と聖書には録されている。
サタンー汝もしひれ伏して我を拝せば此れらの栄華を皆なんじらに与えん
イエスーサタンよ去れ。聖書には「主なる汝の神を排し、ただ之のみに事ふべし」と書かれているでは
    ないか。

 この簡単な会話によってイエスは迷霊が、言葉を弄して、彼にからみついて来るのを突き放しているの
である。これは若し諸君のうちに誰かに迷霊がかかって来て愚弄しようとするとき、簡単にそれを突き放し
てしまって、今後話しかけても取り合わないようにすれば、それ以後は迷霊は沈黙してしまうという実例で
ある。

3122SAKURA:2014/11/15(土) 22:31:16 ID:???
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こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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>>3104の投稿の続きです….。
■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 自他の悪を思わず常に光明に転向せよ ―その5―【 転載編 ―】*=======*==

■不安、焦燥、恐怖が起ってきたときには、不安に思うまい、イライラすまい、焦るま
い、恐れるましと思ってそれを抑圧してもたいてい駄目であります。

不安に思うまいと努めれば努めるほど不安になり、焦るまいと思えば思うほど焦り出し、
恐れまいと恐怖を抑えれば恐怖し出すのがわれわれの心であります。それは「不安を……」
と思ったときにすでにわれわれは「不安」を心に描きますから、心に描いたものが強く現わ
れるのが心の法則でありますから。
「不安を……抑えよう」と思ったのでは不安は決して無くならないのであります。

「不安」を無くするには、「不安を……」とすら考えないで、全然別なる完全なる状態に
心を集中しなければならないのであります。すなわち、この時こそわれらは、「神のように
努めなければならないのであります。

その方法の一つとしては、神想観を行なうに当たって招神歌(かみよびうた)を誦(とな)え
終わると次のように念ずるのがよろしい。

「自分は神の子であるから、本来神と波長の合った心の波動をもっているのである。神
と波長の合った心の波動をもっている自分はただ神の大調和の念波を受けるだけであっ
ていかなる不調和の念波をも受けることはないのである。我は神の子であり、我が環境
は我が心の影であるから、我が環境は今現実に大調和であり、神の無限の智慧と愛と
生命と供給とが満ちているのである。」

                    つづく
❤〜SAKURA

3123a hope:2014/11/17(月) 09:37:07 ID:cEpBaIdo
>>3119つづき)

こう云う歴史を背負ってその歴史的現実として具象化して、今皆さんが此処に生きておると云うことは誠に荘厳な事実なのであります。

他の国の民族の中には、そういう自覚を持って生まれて来た民族はいない。その独特の伝承を私たちは尊ばなくてはならない。

西洋では人類はアダムとイブの子孫であり「罪の子」の子孫である、と云う様に説かれて来て、彼らh「罪の子」の子孫であると云う、あまり芳しからぬ自覚を伝承しているのですけれども、日本人だけは「神の子」」として、「命(みこと)」としてこの地上に生まれて来、そして世々代々その伝統を承(う)け継いで来て、「われは命(みこと)なり」の自覚のもとに生きて来たのであります。

そして神の子が天降(くだ)って、地に平和をもたらすために此処に日本民族が大和と云う国号の国を建てたという光栄ある自覚を尊重しなければならぬわけであります。
(つづく)

3124a hope:2014/11/18(火) 08:52:32 ID:cEpBaIdo
>>3123つづき) p32 後から3行目〜

その神の子とは如何なるものかと申しますと、爰(ここ)に書かれておりますように、「日本民族は存在の窮極を、一切のものの生成の根源たる普遍的絶対者を天之御中主神(あまのみなかぬしかみ)として把握」したのであります。

日本民族はみずからを「命」と呼び、日子(ひこ)、日女(ひめ)と称するけれども、決して一人の有限な肉体を持った神様から誕生したと云う意味での「神の子」ではない。

日本書紀或は古事記の神話にあるところの天之御中主神の「中(みなか)」の本源より発したる基本生命の自覚である。

天之御中主神とは、一個人の人格神の固有名詞ではないのであって、「天(あま)」の次に「之(の)」という接続の詞(ことば)がついて居る所に注目しなければならないのであって、これが固有名詞ではない証拠であります。

「之(の)」がついているのは、固有名詞ではなく、説明のための接続詞としてついているのであります。

何を説明しようとしているかと云いますと、「天(あま)」即ち「天球」即ち「大宇宙」の「中(みなか)」にして主なるところの神様と云う意味を説明していたのであります。

私たちはその「中(みなか)」の「主」なるところの神様から生まれて来たのであっって、その中(みなか)のいのちより出でて中(みなか)に帰る、吾々は中(みなか)に帰一しなければならない。

「神の子」とは天之御中主神の生命が此処に出現して、「中(みなか)」の理念を実現する為に此処に生きて居るということであります。
(つづく)

3125SAKURA:2014/11/18(火) 22:41:14 ID:???
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こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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>>3104>>3122の投稿の続きです….。
■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 自他の悪を思わず常に光明に転向せよ ―その6―【 転載編 ―】*=======*==

■この光明思念を繰り返しつつ精神統一状態に入り、いっさいの悪を思わず、今現実に
大調和の世界がここに展開しているという大信念に到達してその神想観を終わり、神想観
後の日常生活もできるかぎり明朗なる心境を持続するように努めれば、現実の苦難の状
態は克服され実相世界の完全なる状態がしだいに現実生活にまで再現してくるのであります。

                 次の項目に続きます。
❤〜SAKURA

3126SAKURA:2014/11/18(火) 22:42:25 ID:???
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>>3104>>3122>>3125の投稿の続きです….。
■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 神と偕に無畏無憂の生活を送れ ―その1―【 転載編 ―】*=======*==

■われらは常に無限力と偕に生くることを信じ、神に背くことのほか、何ものをも恐
れず、取越し苦労をせざらんことを期す。

 ■われらの心の明朗の極点は『神の無限力』と一体で生きているという自覚であります。
他のいろいろの方法によって心の明朗さを得ようとも、それはたいてい一時的の明朗さで
あります。

また次なる重大なる事件が起って来るとともに、その明朗さ破壊せられずにはいないのであり
ます。どんあ重大なる事件が起こって来ようとも、我が味方は「神」であり「神」がその事件
をわれらの真の幸福にまで導き給うものであると自覚さえありさえすれば、われわれはその重大
なる事件を静かに支配することができるのであります。

かかる重大事の起こっている時に際して、最も恐るべきは「重大なる事件」そのものではなく、
重大なる事件に驚愕し周章狼狽して「神吾と偕に在り」との自覚を失ってしまうことであり
ます。この自覚さえあれば「重大事」はいつの間にか方向転換して幸福の曙光が見えはじめ
ます。しかし「神と偕なる」自覚を失ってしまったが最後、事件は層一層危険の度を加え、
その人は加速度をもって危殆の世界に押しやられて行くのであります。

 ですから、われわれは何事が起ころうとも事件そのものは恐ろしくない。どんあ成功者
といえども必ずや幾度も失敗と見える経験を繰り返したのです。しかし彼が成功したのは
普通ならば「失敗」として悲願し退嬰(たいえい)してしまうような時にも、それを「失敗」
とは見ないでその「失敗」を次なる成功の足場としたのであります。

ヘンリー・フォードは言っています。

『自分はいまだかって事業に一度も失敗したことはない。われらの事業はたとえば化学の
実験のようなものである。予定の結果が出て来る時も、また別の結果が出て来る時も、共
に化学の実験としては成果を収めているのである』と。まったく常住「楽観病」と評さるる
ヘンリー・フォードが言いそうなことであります。この常住「楽観病」こそ事業を成功に
まで導き来す大原動力であって、その背後には「神と一体」の自覚があって可能なのであり
ます。

                     −その2−につづく
❤〜SAKURA

3127a hope:2014/11/19(水) 08:43:59 ID:cEpBaIdo
>>3124 つづき) p33  後から1行目〜

「中(みなか)」と云うのは、『中庸』と云う支那(しな)の書物に、「喜怒哀楽未だ発せざるを中(ちゅう)と云う」とありますが、この「中(ちゅう)」と云う字は、○(宇宙の象徴)に一本貫いた様につくられたのが本来の字形なのであります。

四角に一本棒を挿したのじゃなくて、○(うちゅう)を貫く象(かたち)を表した⏀であります。この「○」は宇宙であって、宇宙を貫く処の真理が⏀(みなか)なのであります。

真ん中だけを貫いて居るのではないのであって、これはただ「宇宙を貫く」という意味を象形的に書かれているのです。

宇宙の一切の物貫く所の原理に在(まし)ますところの神様が天之御中主神であります。

その「中(みなか)」の原理と云うものは何処にでも現れて居る⦿(ス)の原理であって、それは一切のものには一つの中心があると云うことであります。

つまり太陽系統には太陽と云う中心がある。そして周囲には遊星が廻って居る。存在の最小単位である原子にも原子核と云う中心があって、その周囲に電子が廻っている。
(つづく)

3128a hope:2014/11/19(水) 08:44:53 ID:cEpBaIdo
>>3127つづき)

人体を形成して居る所の細胞にも真中に細胞核と云うのがあって、そして周囲に原形質がある。鶏卵にもちゃんと黄身と云う中心がある。

中心がなくなったら、細胞もなくなり、卵は死んでしまうのであります。白色レグボーンの鶏の卵の白身だけを抜いて、プリムスロック種の鶏の白身と入れ替える実験をソ連でやったら、それを孵化させるとプリムスロックの雛が産まれたという話もあるが、白身は他のものと取替られるけれども「中心」なる黄身を取り替えたらもうその鶏卵は生命を失ってしまうのであります。

このように中心は一番大切であります。原子でも、原子核を破壊したら、原子は崩壊して飛び散ってしまう、われわれの肉体を構成している細胞も、その中心であるところの細胞核を殺してしまったら、細胞は死んでしまう。

植物にも幹という中心がある。幹を殺したら植物は枯れてしまう。

太陽系統も真中にある太陽が放射能を出し尽くして冷えてしまうようなことがあったら、太陽系統には生物がなくなる、結局吾々の地球も冷えてしまって人類もその他の生物も死ななければならない。

どうしても⦿(ス)をもって表象する「中(みなか)」の理念と云うものに一致したときそこに生命があらわれるのであり、「中(みなか)」の理念によって宇宙の一切のものは生かされて支えられて居るのであります。

此の一切存在の基本原理なる「中(みなか)」の理念を体現した国家、換言すれば「真理国家」の現成が日本国家なのであります。
(つづく)

3129SAKURA:2014/11/19(水) 22:57:39 ID:???
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こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 神と偕に無畏無憂の生活を送れ ―その2―【 転載編 ―】*=======*==

■取越し苦労病患者は、常住楽観者の反対であります。常住楽観者は失敗の中にでも
成功を見て心を明るくするに反して、取越し苦労病患者は成功の中にでも失敗を見るの
であります。こんな人は幸福の真最中にいてすらも、「こんなに幸福であったらもったな
い」とか、「幸福が続けば必ず不幸が来るのだ」とか、「悪」を心に描いて恐怖します。そし
て実際不幸が来ればいよいよますます恐怖し、悲観し、周章狼狽して手を束ねて策の施
すところを知らないのであります。

 およそこのような取越し苦労、不安、恐怖は精神力の適用でありますから、精神エネル
ギーを消耗することおびただしく、明るい希望に満ちた心で考えれば疲労せずに名案が
浮かぶものを、いたずらに憂苦し懊悩するために、頭脳は疲労し、よき考えは逃げてしま
い、時局を好転するに必要なる縦横な機略は姿を潜めて出て来なくなるのであります。

 取越し苦労や心配が心の底から湧き起こるときには、ただちに心を一転して「われ神の
子である、われ神と偕に生く、われ神と偕に歩む、わが砦は神であるから恐るるところの
ものはない」と断々乎として心の中に唱えて自分自身に言って聞かすようにする習慣をつ
けるがよい。またヘンリー・フォードが考えたように、人生の体験はどんな体験でも失敗
はない、どんな体験も次なる成功に達する一階段であると喜んで勇んで、その現在の地点
を足場として明朗な心境で新たに出発するものは必ず最後に成功するのであります。
柔道という武術は自分の不利の地点をそのまま自分の利用すべき足場として相手を投げる
のです。

すなわち向こうから衝いてくるとか、引っ張り込むとかしてくる。衝かれるとか、引かれ
るとかいうことは自分が重心を失う危殆の時なのです。それをそのまま利用して引っぱら
れれば敵の懐に飛び込み、突かれればその力を利用して敵の姿勢を引き落とす。柔道の
試合には、相手が技をかけてくれる時の勝利の好機会なのであります。われわれの事業に
おいても運命がわれわれを危殆に引き摺り込もうとする時こそ、その運命の懐に飛び込
んでその「不幸」に背負投げを食わすべき好機なのであります。逆転を幸運の足場になしう
る人にしてはじめて人生の常勝者なることができるのであります。

             次の項目に続きます。
❤〜SAKURA

3130トキ:2014/11/20(木) 09:41:50 ID:EQq/iyn.
御礼

 SAKURA様、a hope様、すばらしい御文章を紹介してくださり、心から感謝申し上げます。
多くの閲覧者様もお喜びだと思います。
今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

3131SAKURA:2014/11/20(木) 23:24:03 ID:???
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こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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>>3104>>3122>>3125>>3126>>3129 の投稿の続きです….。
■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 躓く刹那に光明に転向せよ ―その1―【 転載編 ―】*=======*=

■□われらはたとい躓くことありとも渋面せず、その瞬間起き上りて光明に面せんことを期す。!!

■人生にはいろいろのことが起こって来ます。それは無限創造の世界であるからでありま
す。われわれが自分だけの小さき立場から、かくあれかしと祈っても、事件は自分の欲す
るとおりに展開しないことがあります。しかしそれは神が諾き給わないのだろうか。否々
否、この時こそ神がわれらにいっそう大なる生長を遂げしめんためにわれわれの内部より
無限の力を引き出さんとしてその動機を与え給うているのであります。

 あまりに裕福な家庭に生まれ、欲しいものはすべて親より与えられ、なんの労苦なくし
ていっさいの必要品が贅沢に揃えられるというような家庭に育った子女たちは一面におい
ては誠に不幸な人たちであります。なぜなら、そういう人たちは、すべて善き物はこと
ごとく外からのみ与えられて、自分自身の内部から生み出す機会を恵まれないからです。

本当の幸福というものは、自分の内にあるところの善きものを生み出すことにあるのです。
他から与えられた幸福は他が立派な着物を着ているのと同じであって、自分自身の立派さ
でないのです。自分自身が立派になることのほかに自分が幸福になる道はないのです。自
分自身に力がつくよりほかに自分の強くなる道はないのです。

                 ―その2― つづく
❤〜SAKURA

3132a hope:2014/11/21(金) 09:16:30 ID:cEpBaIdo

>>3128 つづき) p35 後から3行目〜

日本国家は西洋の国家の様にバラバラの個人が民主主義の精神によって、ただ個人の幸福を得るための機関又は道具として、個人が代表者を立てて契約して、国家を形成したと云うような国家ではないのであります。

外国の国家は〝State〝(ステイト)と云う。「ステイト」と云うのは、「状態」と云うことである。

人間と人間とが生活をするのに、ただ個人ひとりずつでは淋しいし、或いは敵が攻めて来たり、或いは猛獣が襲って来たりする場合に、それを防ぐために個人では都合が悪いから団結をして護ろうじゃないか、と互に約束して、そこに或る集団状態があらわれた、これが state(ステイト)であって、訳せば契約国家とでも申しますか、そう云う単なる状態とは、日本国家は異なるのであります。

この日本国家は個人の利害関係の集国ではなくして「真理」を体現したところの「真理国家」なのであります。日本の建国は〝天孫降臨〝 にはじまると云うのは「天之御中(あまのみなか)」の理念の降臨にはじまると云うそれであります。

日本民族と云うのは、天之御中主神(あまのみなかぬしかみ)の理念を承(う)継いで、その生命(いのち)を出発さした、即ち「命(みこと)」の自覚に依って生まれた特殊な存在を保つ。

その「命(みこと)」即ち「命(いのち)」の本質は何処から出て来たかと云うと、天之御中主神なるところの、○を貫くところの、宇宙普遍の真理――其処から生まれたところの生命であるのであります。

そして其の宇宙を貫くところの原理は⦿(ス)の原理であり、中心帰一の原理でありますから、その原理の体現としての日本国は、中心帰一の理念が天降(まくだっ)て来て、〝中心帰一国家〝 と云うものを其処に形成することになったのであります。

理念が先にあって、理念が形として現成して国家となったのでありまして、人間の個々別々のバラバラが契約をして自分の都合のよいように拵(こしら)えた「道具」や「機関」としての国家ではないのであります。


天之御中主神の「中(みなか)」の理念が天降って、天孫降臨(理念の降臨)となり、それが具体化して神武天皇の〝八紘(はっこう)を字(いえ)と為す〝 (八方の国々を一家庭的邦(くに)とする)即ち世界連邦の基礎国家としての「大和」の国の建国となったのであります。
(つづく)

3133SAKURA:2014/11/21(金) 22:38:57 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 躓く刹那に光明に転向せよ ―その2 ―【 転載編 ―】*=======*=

■かかる意味において逆境はわれわれを鍛えて、われわれの中味の善さを出してくれる
冶金の坩堝なのです。坩堝の中へ投げ入れられて、われわれは鉛か金か、鍍金か本物かが
わかるのです。われわれは好んで逆境を招ぶのではありませんが、逆境がいかにわれわれ
を捉えようとも、それはわれわれをいっそう聖化し強化するところの機会だとして、内よ
り奮迅の力を揮い起こすものはついに大成して逆境を却下に蹂躪(ふみにじ)ることがで
きるのであります。

 されば逆境の来るごとに莞爾として微笑せよ。これは「生長の家」の生活であります。
微笑は心の中に光明を点じていっさいの苦難を耐え易(やす)からしめ、失われたる希望を
喚び(よび)起こし、再起の勇気を奮い立たし、暗黒なる生活を光明に転向せしむるのであ
ります。

キリストは「死にし者に死にし者を葬らせよ」と言っています。すでに来れる逆境を嘆いた
とてなんになりましょう。すでに来り終われるものは「すでに死せる者」なのです。
「すでに死せる者」について嘆いてみたとてなんになりましょう。
すでに来り終われるものを嘆き悲しむ暇あらば、莞爾(かんじ)として新しき幸福に突進す
べきであります。光明に満てる微笑こそはわれらによき運命の微笑を招ぶのです。
我れ渋面すれば運命も渋面するのです。

「嬉しいぞ、これから運命が開けるのだ。」苦難に捉われず、難関の来るごとに、莞爾とし
て微笑しつつ奮迅の勇気を奮い起こすものこそ生長の家の生活であって、必ずいかなる難
関をも征服して自己自身の力で幸福なる運命を建設することができるのであります。


                次の項目に続きます。
❤〜SAKURA

3134SAKURA:2014/11/22(土) 22:48:48 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 隣人を光明生活に活かせ ―その1 ―【 転載編 ―】*=======*=

■□われらはできる限り悩める隣人を扶けてその暗黒なる生活を光明に転向せんことを期す――

■人間は自己が幸運を築き上げたばかりで満足すべきではありません。

自己が幸福になったならばこの幸福を人に及ぼさなければなりません。
われらは肉体的に周囲の人とはなんの関係もない一個の孤立存在のように見えていまし
けれども、その実、われらはことごとく一体なのでありますから、周囲の人が本当に幸福に
ならない限りは、自分一個人も本当に幸福にならないのであります。

単に病気の問題のみからいってみましても、良人の病気が妻の心の反映から来ている場合は
ザラにあります。妻の病気が良人の心の反映から来ている場合もたびたびあります。子供の
病気が親の心の反映で起こっている場合もたびたびあります。

さらに祖先の霊魂の霊界での悩みが現実の世界の子供に不幸や病気を起こしていて、祖霊に
対して『生命の実相』の一節を読んで聞かせるだけで子孫の病気が消えたり、運命が好転し
たりしてくる場合がたびたびあります。

そのほか他人の嫉視憎悪反感がわれらに不幸をもたらし、それが解消することによって不幸が
消えてなくなることもあります。

このようにわれわれの肉体とおして離ればなれのように見えても、心の世界では一つでありま
すから、自分自身が本当に幸福であるためには、推し及ぼして周囲の隣人をも幸福にしてあげ
なければならないのであります。

ある場合には扶けてあげることもよろしい。しかし物質で扶けることは一時的の救助になっても
永遠の救いとはならないことが多いのです。物質で扶けてもらう習慣性がつきますと、その人の
他に頼る依頼心が増大し、かえってその人の永久の救いとならないことが多いものです。

ですから隣人を救うには、心に光明を点ずる方法を教えてあげる方がいっそうよろしいのであり
ます。
                ―その2 ―につづく
❤〜SAKURA

3135a hope:2014/11/22(土) 23:34:47 ID:cEpBaIdo

>>3132 つづき)p37 後から6行目〜

大和(ヤマト)の国は「大和(だいわ)の国」である共に、単なる集団の国ではない、天津日嗣(あまつひつぎ)の国である。天津日嗣とは、天之御中主神の「中(みなか)」の理念が天降(あまくだ)って来ることを言うのであります。

日嗣の「日」は「霊」であって「霊的理念」のことであります。「中(みなか)」の理念をさながらに承(う)け継いで、そしてその姿が国家として顕われたのが、「天皇を中心とするところの国家」である。

其処にある天皇の権威と云うものは、真理の体現者としての権威であって、決して個人が強いから天皇になって、その権力に依って人民を圧(おさ)えているのではないのであります。

そしてその天之御中主神の理念の実現としての真理国家たる日本軍の中心核体として其処に天皇が顕われていられるのであります。随って天皇を中心と仰ぐ日本国家の形態は、天皇の人民支配の手段としての国家形態というようなものではないのであります。

(つづく)

3136a hope:2014/11/23(日) 19:10:21 ID:cEpBaIdo

>>3135 つづき)

だから日本国は「天皇国家」であると云っても専制君主的なところは微塵もなく、宇宙の真理、即ち神意の地上顕現の至純至高の理想形態としての日本国家の形成であります。

天皇あるがゆえに人民あり、人民あるが故に天皇あり、天皇と人民とはその生命の本源に於て一体であり、それが、天之御中主神の理念に随(したが)って所を得ているのです。

どんな細胞にも、どんな電子にも、どんな太陽系統にも、みんな「中心帰一理念」と云うものが現れているのであります。国家だけが中心のないバラバラの存在であると云うことは宇宙意志に自然の発現にそむくわけであります。

その「中心帰一理念」と云うものが、現象界に天降ってきて自然に中心帰一国家を最も理想的に形成したのが日本国でありますから、日本の国家は「宇宙真理」即ち「神の御心(みこころ)」の地上顕現の最も純粋であり、最も高き形態としての国家であるといい得るのであります。
(つづく)

3137SAKURA:2014/11/23(日) 22:59:24 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 隣人を光明生活に活かせ ―その2―【 転載編 ―】*=======*=

■といって、全然「物質」で隣人を扶けるのが悪いというわけではありまえん。

「物質」で人を扶けてよい場合は、それは長途の坂道を重荷の車を曳いて疲労しきり、
もうそれ以上は一歩も車を曳いて上がる力もないし、といって力を一歩緩めたら車が逆転
してその人がはずみをくらって真逆様に谷底へ墜落しそうな場合です。こういう時には一時、
重荷を肩代りして曳いてやるのが、その人の内から力を喚び出すことになりましょう。

しかしその肩代りは暫時でなくてはいけません。常に肩代りして重荷を別の人が曳いて
やりますと、本人の筋肉は衰え、自助の勇気は減じ、依頼心は増長し、相手を扶けようと
して相手を弱めることになるのです。これは病気の時に物質薬で扶けるのも同じことです。

本人の体力が疲労困憊、みずから栄養を消化吸収する力なきある時期に、消火剤や栄養注射
やリンゲル注射が効を奏することもありましょう。
それは長途の坂道で疲れて転落しようとする人の重荷を代わって担ってやるのも同じことです。

しばらく他者(ひと)に重荷を肩代りしてもらっている間に、その人が活力を回復する――
その時再び重荷をみずから担うように、生命をみずから生きるように、重荷を本人の肩へもど
すことが必要なのです。

医者が薬を用いるのも、人生の行路に物質で扶けてあげるのも、よく相手を観察して
この心遣いが必要なのです。いつも物質を与えるばかりで人を助けるのは、年中消火剤を
与えて胃腸を丈夫にしようとするのと同じことです。

そんなことをすれば本人自身の消火液の分泌量は減ってしまうと同じように本人自身の
自活能力は減ってしまうのです。これでは人を助けたことにならないのです。
本当に助けることは本人自身の力を強め、価値を高め、その人格を向上さし、
神の子そのまま自主的完全さにまで生長せしめてあげることでなくてはなりません。

              ―その3―につづく
❤〜SAKURA

3138a hope:2014/11/24(月) 18:57:37 ID:cEpBaIdo

>>3136 つづき)

国家を単に国民が幸福になるための施設であると見て、個人が幸福になれないような日本国家ならつぶしてしまって、ソ連の様になった方が都合がよいじゃあないか。

アメリカのように大統領でもいいじゃあないかという人もあるそうで、鈴木茂三郎氏のことを或る党員は「大統領、大統領」と言って居たともききましたけれども、日本国家は大統領や書記長で治めようと思っても、それはいけないのです。

仮にアメリカが大統領でうまく治(おさま)って行ったとしても、ソ連が書記長でうまく行っておるとしても、そんな事はまた別の建国の歴史をもった他の国のことであって、日本には日本としての抜きさしならぬ歴史を背負った特殊性があるのであります。

日本民族というものが如何(いか)に何処(どこ)から如何なる自覚を持って生まれて来たか。古事記に表れたような民族神話をつくり「命(みこと)」の自覚を代々継承して今日に至る、そう云う霊的歴史的伝統のすべてを背負って、今此処に出現しているところの日本民族の特殊性というものを知らなければならないのです。
(つづく)

3139a hope:2014/11/24(月) 18:58:27 ID:cEpBaIdo
>>3138 つづき)

民族の特殊性を強調しますと、それは偏狭(へんきょう)であって、人類的でなくなるように思う人もありますけれども、実は決してそうじゃあないのであります。
どの民族でも、その民族固有の特殊性を完全に発揮することに依(よ)って、却って全人類が幸福になるのであります。

それは何故かと申しますと、吾々は人間でも、頭脳は頭脳としての特殊性を持って、その特殊性が「考える働き」であるとするなら其の「考える働き」という特殊性を頭脳が完全に発揮する時にはじめて人体が最も完全に、その生理機能を営むことができるのと同じであります。
手としての特殊性を完全に発揮することに依(よ)って人体全体が幸福になるのであります。

全ての世界各国の民族も、民族各々(おのおの)の特殊性をよく自覚して、その特殊性を発揮することに依って人類全体が本当に幸福になるのであります。

そう云う訳で、日本の国家にも其の個性的な特殊性がある。即ちそれは上述の如き真理国家であって、天之御中主神の理念そのものが実現している万邦無比(ばんぽうむひ)の国体であると云うことである。

今の中学生や高等学校の生徒に「国体」と言ったら、「国民体育」の略称かと思って、「真理国家としての国体」などと云うと何の意味かもわからぬ人がある。
真に残念な事でありますが、解り易く言いますと、其の〝国〝 の本来の在り方として内在する「国家理念」と言うものが国体であります。
「日本国の実相」と云ってもよろしい。
日本のそうした「国の本来の在り方」と云うものはまことに素晴らしいものなのであります。

即ち大和国(ヤマトくに)を基礎国家として、「六合(りくごう)を兼ねて都をひらき、八紘(はっこう)を掩(おお)いて宇(いえ)と為し」世界の国々をこわすことなく一つの家庭的つながりの国とする使命を内在する国家なのであります。

私たちがこのような国に生まれたことは実に有難いことであると云う自覚を持たなければならない。
その自覚は自分だけが持っていたら、それで足れりとするようなものではない。
この箇条の最後に書いてありますように、各自互に明確に自覚し合わなければならない。
「自覚し合う」のであって、互にその自覚を研(みがき)合い、「その行動の根拠となし合う」べきであると示されているのであります。

(第五条 雅春先生のご解説終わり)

3140a hope:2014/11/24(月) 20:19:34 ID:cEpBaIdo

>>3106>>3139 まで、「人類光明化運動指針」第五条とその雅春先生の解義を謹写しました。


よく本流の先輩方が「生長の家の運動」とは、「人類光明化運動」と「日本国実相顕現運動」であり、
どちらも「生長の家の運動」であるとご主張されています。

聖典「生命の實相」だけを勉強していると、「人類光明化運動」に関してはとても詳しく書かれているのですが、
後者の「日本国実相顕現運動」に関してはまったくといっていいほど書かれていないので、
わたしには「日本国実相顕現運動」というのが、具体的にどんなことをするのかまったくわからず、
「生長の家」が日本国に出現した本当の理由や日本民族の使命なども殆ど興味のない状態でいました。

今回、人類光明化運動指針を勉強していて、生長の家の「万教帰一の教え」が、
なぜ、日本国に出現したのかようやくわかってきました。


ところで、生長の家の著書には二種類あるのだと思います。

一つは、「生命の實相」を代表とする「聖典」であり、もう一つは「愛国書」なのではないかと思います。

生長の家の教えは日本国内にとどまらず、世界各国に広がり、「生命の實相」等の「聖典」は各国語に翻訳されて、
たくさんの外国人の方にも読まれているのだと思いますが、愛国書の方はどうなのでしょうか?


今回、「人類光明化運動指針」第五条を丁寧に勉強してみて、
たしかに、日本民族が「生命の實相」の真理を具体的な宗教という形で信仰して行くのであれば、
天皇信仰になるのが当然であるということがわかりました。


ですが、世界中の(日本国内であっても)キリスト教や仏教、その他の宗教を信仰されている方々には、
生長の家の「愛国書」に書かれているような、日本人の愛国心や天皇信仰は理解され難いのではないでしょうか?


「生長の家」の著書が「聖典」と「愛国書」にハッキリと分かれている理由はそこにあるのではないかと感じました。


そこで、雅宣先生は国際化が進む現代の日本において、
「生長の家」が日本民族独特の天皇信仰に固執していることを時代にそぐわないと判断され、、
愛国書の数々を重版停止にしたり、「鎮護国家」を「世界平和」にされたり、
世界的にも通用しそうな絶対神である天之御中主神を総本山にお祀りされたりしているというわけですね。


うーん、雅宣先生のお考え方もわからないではないのですが、やはり、そのような強引な変更は、
今迄真面目に「生長の家」を信仰してきた信徒の方々には心境的に受け入れ難いのではないかと拝察しています。

特に今回の「天之御中主神のお祀り」に関しては、わたしのような入信浅い信徒であっても、
「生長の家」の神聖な伝統が汚されてしまったようなとてもいやな感じがしています。



今日は、一日特別予定がなかったので、『生長の家の「人類光明化運動」と日本民族の特殊性について』を、
今迄謹写してきた「菩薩は何を為すべきか」の文章を抜粋しながら小見出しをつけてまとめています。

後で、こちらに謹写させていただきます。 合掌。

3141a hope:2014/11/24(月) 22:04:50 ID:cEpBaIdo

『生長の家の「人類光明化運動」と日本民族の特殊性について』をまとめたものは、
生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4 に、謹写させていただきました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1341453150/2879n-

3142SAKURA:2014/11/25(火) 23:00:30 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 隣人を光明生活に活かせ ―その3―【 転載編 ―】*=======*=

■ このように他を救うということは、金のある人がただ金のみをダラシなくやってさえお
けばそれでよいというような簡単なものではありません。それには深切なる心遣いというも
のが必要なのです。

ただ機会(チャンス)が儲けさせてくれた金をなんの思慮もなく振り撒いて歩くのが他を助
けることでありますならば、そんな人助けは自分自身を富ませることはできません。
それはただの「ダラシ無さ」です。『ダラシ無さ』は自分の知恵の貧しさ意思の弱さの現われ
でしかありません。
そんあことでは自分自身は生長しないのです。何事にでも賢き思慮が必要です。

「物質では短期間扶けよ。温かい愛では常に助けよ」とは生長の家の標語であります。
温かい愛はいくら常に与えても与え過ぎるということはありまえん。明るい希望に満ちた深切な
言葉、優しい眼光(まなざし)、愛情のこもった手紙、好意に満ちた握手、愛橋ある微笑、「何、
大丈夫だよ、」という激励、「愛する兄弟姉妹!」と呼びかわす言葉――これこそ永久に癖になら
ない魂の強壮剤であります。かかる光明を照らすような交わりこそ生命の泉であります。

その生命の泉に触れるときわれわれの衰えたる活力は蘇生(よみがえ)るのです。
これは、外のものに頼るところの依頼心の増長ではありません。われわれの愛が、相手の内に
埋蔵(かく)されていた無限の力を喚び起こすのです。これこそ本当に隣人への助けです。

生長の家の誌友は互に兄弟なのですから、ただひとり聖典を読んで高慢に他を批評するような
のは本当の悟りではありません。本当の悟りは人間互いに兄弟であることを悟って、互いに好意
の花葩(はなびら)を投げかけ合うことです。好意ある微笑、希望に満ちた光明の掛声こそ失意
のドン底にある人々にとってどんな物質的扶助(ぶっしつてきたすけ)よりも、大いなる助けに
なるのです。

 悟りとは、人を審判(さば)くところの鋭い知識のメスを研ぎすますことではありません。
悟りとは、広く大いなる明るい人物となることなのです。悟りとは山に籠って行ない澄まし
ていることではありません。市(まち)に下って誰にてもあれ、魂の光明を打ち開いてその光で
相手を包んでしまう人のことです。

               ―その4― につづく
❤〜SAKURA

3143SAKURA:2014/11/28(金) 22:17:42 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 隣人を光明生活に活かせ ―その4―【 転載編 ―】*=======*=

■われのわれの心が狭くなれば、われわれは生長したのではなく、縮小したのです。宗教
家が宗派で互いに相争っているのは醜いことです。彼らは「縮小」を「生長」と思い違いして
いるのです。誰にてもあれ、人を審判く(さばく)一つの尺度を持つようになったならば、
その人には「型」ができたのであり、「殻」を造ってその中へ入ったのであり、大きくなる
代わりに小さくなったのであります。
その時その人には人を排斥する力ばかり強くなり、容れる力がなくなって、味方となるべき
はずの人も逃げ去り、事業の発展は停ってしまうのであります。

 皆さんはただその人の側へ坐るだけでもなんとなく険しい、気詰まりな、憂欝な、窮屈
な感じを受け取る人がありましょう。またある人の側に坐ると春風駘蕩のような感じがし
て、何でも打ち明けて話したい、その人の胸に飛び込んで抱擁されたいような感じがする
ことがありましょう。これは人それぞれの人格の雰囲気でありまして前者のような感じが
する人は何事をやっても発達しない人であり、後者のような感じがする人は何事をやって
も発達する人であります。

 では、どうして人格の雰囲気にこのような相異を来すのであるかと申しますと、それは、
その人おのおのの心の習慣によるのであります。常に明るい打ち開いた秘密のない朗らか
な心をもち、深切な言葉、優しい微笑を投げかける習慣をもちつづけているものは、終に
はそれが習い性となって、誰にも頼られるところの温かい柔かい雰囲気を放散する大人物
になることができるのであります。かかる人物は何をやってもそれを扶ける人々が集っ
て来、その仕事を成就するために働いてくれるのであります。

 これに反して、美点を見出す代わりに常に鋭く人々の欠点を見つけ出し、何でもその人
の口にかかったら、陰口や、誹謗や、不平の種にならない物はないというような人々は、
どんなに知恵者で頭脳が発達していましても、その人の行くところい冷たい雰囲気が
漂い、人々が叛き去り、運命も彼に対しては酷薄となり物事成就せんとして破壊するに
到るのであります。人を生かす者は自分も生き、人を殺す者は自分も殺され、他の欠点を
指摘する者は、自分の欠陥をも審判かれるのであります。

                  ―その5― につづく

❤〜SAKURA

3144SAKURA:2014/11/29(土) 22:45:56 ID:???
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こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 隣人を光明生活に活かせ ―その5 ―【 転載編 ―】*=======*=

■もし、あなたの生来(うまれつき)が冷淡な鋭い性質の人であったとしましたら、努めて、
心を温かくし、円満にし、できるだけ人の美点を見るように努め、出す言葉もできるだけ
丸味のある柔かい深切丁寧な言葉を出すようにしてごらんなさい。
あなたの周囲がどんなにか光明化することでしょう。

今まであなたに冷淡であった人々が深切になり、今まで強情であった家族が従順になり、
今まで冷たい沈滞した空気に満ちていた家庭や事務所が温かい繁栄にの気に満ちたところ
となるでしょう。

そしてそこは生長の家となるのです。

 生長の家とはわたしの家の名前でもなければ、また「生長の家」という表札を出してある
大きな建築物をいうのではないのです。心の法則に随って宇宙生々の雰囲気を漂わしている
皆様自身の家庭が生長の家なのです。そういう家庭の満つる国家は、「生長の国家」であり、
全世界がそういう国家ばかりになったら、地上に天国が成就したことになるのです。

何でも一歩からです。まず一人が和顔愛語の「生長の人」になることが肝腎です。顧みて自
分が和顔愛語の人たらずして、人の好意と深切とを受ける雅量なく、順序を誤ったからど
うだとか、体面にかかわるからどうだとか、手続きにまちがいがあるからどうだとか、形に
あらわれている一つ一つの欠点を拾い上げて、相手を審判(さば)いているようなことでは、
あなたの事業は生長の家でなくて伸びるべきものも伸びなくなるのですあから、この点大い
に御注意ありたいのであります。
                ―その6 ―につづく。

❤〜SAKURA

3145トキ:2014/11/30(日) 19:15:37 ID:ZDU4CADo
 素晴らしいご投稿、ありがとうございます。
続きを楽しみにしております。

3146SAKURA:2014/11/30(日) 22:38:11 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 まず自分に深切であれ ―その1 ―【 転載編 ―】*=======*=

■□われらは自己の好むところを他に施し、自己の好まざるところを他に転嫁せざらんことを期す

■この「生長の家」の生き方はどこから出てくるかと申しますと、われわれの実相から出て
くるのであります。自分の好まないところを他人に施さず自分の好むところを他人に施す、
これは実践道徳上の最も根本となる指導原理であります。

生長の家では「自分に深切であれ」という金言があります。
世間普通の道徳では「他人に深切であれ」というのでありますけれども、生長の家ではまず
「自分に深切であれ」というのであります。キリスト教の聖書にも「己を愛するがごとく神を愛せよ」
あるいは「己を愛するがごとく隣人を愛せよ」といううような言葉がありますが、
この聖句を考えてみますに、「己」というものが、神を愛し隣人を愛する基準になっているので
あります。

神を愛するのも、己を愛するのも、まず「己を愛するがごとく」でありますから、
もしわれわれが本当に自分を愛することができなかったならば、本当に神を愛することも、
また本当に隣人を愛することができないのであります。

それで、われわれの道徳の根本基準になるのは、いかに自分を愛することができるか、
という程度にあるのであります。
それでは「自分自身を愛する」とはどういうことであるか、と申しますと、
自分というものを最も尊敬すること、自分の実の相を本当に知って尊敬することであります。
自分の実の相が神の子である、あるいは仏の子であるということを根本的に知ることこそ、
自分を本当に愛するということになるのであります。

                  ―その2 ―につづく
❤〜SAKURA

3147SAKURA:2014/12/01(月) 22:51:22 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 まず自分に深切であれ ―その2 ―【 転載編 ―】*=======**========*

■普通世間の人は「自分を愛する」といえば、自分が金儲けするとか、あるいは地位や名誉
を得るとか、そういう利己的なことで得をすることを「自分を愛する」ことだと思っていま
すけれども、それは本当は自分を愛するものではないのであります。

自分自身を愛するということは、自分自身を最も大きく観るということであります。
この自分自身を最も大きく観ることができる人にして、はじめて他の人をも最も大きく
観ることができるのです。

自分を愛する程度にしたがって本当に他をも愛することができるのです。人間なんてつま
らないものだと考えて自分を軽蔑している人は、その同じ人間であるところの他人をも軽
蔑する人であります。

 われわれはよく、お客さんが来られますと、煙草の好きな人にはさっそく煙草盆を出し
ます。それから甘いものの好きな人には甘いお菓子を出します。わたしの例をとってみま
すならばわたしは今は食欲が正しくなって甘いものをあまり好まなくなりましたが、前に
は甘いものが大変好きでありましたから、煙草の好きな人が来られても煙草盆を出すこと
には気がつかないで、「お菓子を持っておいで……」と命令してお菓子を出させたもので
あります。

そうすると、お客さんの方から、
「ちょっと済みませんが、煙草盆か灰皿かを貸して下さいませんか」と請求される。
そうして「ああこの人は煙草が好きなんだ」と思って気がついて灰皿を出すという始末です。

ところが私自身は煙草の煙は大嫌いなんです。
嫌いなものだから、嫌いなものを人に与えては済まないというような気持がするものです
から、甘い美味しいお菓子をあげようというつもりで、甘いお菓子を出すのですけれども、
その相手の人が甘いものが嫌いで、煙草が好きだというような場合には、こちらのせっ
かくの好意が無駄になるというようなことが往々にしてあるのであります。

               ―その3 ― につづく
❤〜SAKURA

3148SAKURA:2014/12/02(火) 22:04:38 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 まず自分に深切であれ ―その3―【 転載編 ―】*=======**========*

■ある時わたしが大阪にいる中學時代の友人のところへ久し振りに訪ねて行ったことがあ
りましたが、中學を出てから十年以上も逢わないでおりまして、突然そこの家へ行きまし
たら、その友達が大変喜んでくれまして、大きな湯呑に茶を入れてわたしの前へ置いてく
れたのであります。

わたしは茶を飲むのが大好きで、それも煎茶茶碗の底にひっついているようなのは嫌いで、
大きな湯呑にたっぷり入っているのを、なみなみと呑むのが好きですから、
「この友達、さすがに古くからの友達で気がきいている」と思いまして湯呑を取って飲ん
でみると、茶であるかと思いのほかそれは酒だったのであります。

この友達は学校卒業後たいへん酒が好きになって、近頃で茶の代わりに酒を飲んでいる――
そういうふううな人であるのでありますから、その人にとっては自分は酒が大好きであるから、
酒を饗応することは、最も隣人を愛する所以であるとこういう具合に思うておられたのであり
ます。

こんな具合でわれわれは自分を大酒飲みだと思ったら他人をも大酒飲みのように愛する。自分を
甘党だと思ったら、甘党のように愛する。そして自分が神の子だと思ったら神の子のように愛する。

なんでも自分が基準になるのでありますから、われわれが本当に隣人を愛しよう、兄弟を愛しよう
と思うには、自分自身が本当に高くなり、自分自身をいかに愛するかということを知らなければなら
ない。そうでなければ、愛しているつもりで相手を突き落としていることがあるのであります。
                 
  ―その3― につづく

❤〜SAKURA

3149SAKURA:2014/12/03(水) 23:03:17 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 まず自分に深切であれ ―その4―【 転載編 ―】*=======**========*

■先日ある誌友が来ておられまして、女の方でありましたが、「自分の子供がどうも利己
主義であって人には良いものを寄越さないで自分が一番いいものを取ろうとする、これを
どういうふうにして直したらいいものでしょうか」というふうな質問をされたのであります。

それでわたしは「それはあんた自身の心が映っているのでありませんか、あんたはこれは
自分に一等良い、一番良いと思うものを、本当に取りたくありませんか」と言いましたら、
その御婦人は腑に落ちぬような表情で、どこが自分が利己主義なんだろうかというような
表情で、ちょっと考えておられたのであります。

それでわたしは、「もしあんたの坊ちゃんが今度中學学校へ入学試験を受ける、そういう時
には自分は一番良いものを取りたくないのだから、できるだけ下の点数を取って落第する、
こう言われたらあんたはどうせられますか」とお尋ねしたのであります。

それにはその婦人お困りなった。やはり自分の子供は一番良い点数で入学させたい、自分の子が
一人入学すれば、他の一人は落第するのだけれど、それは仕方がたがないと思っていられる。
それにかかわらず、自分の子は利己主義で困るといわれる。その人にとっては道徳の標準という
ものが本当には決まっていないのであります。ある場合には、自分の子供が一番良いものを取る
ことは利己主義で困ると思うているが、そうかと思うと学校入学の席順は他を突き落としても
自分の息子は一番良いのを取ってくれなければ困る、とこう思うておられる。

こんなことでは本当に他を愛するということはできないのであります。ところが
この本当に自分を愛する、あるいは人を本当に愛するということは、そういう
一つ一つの行為について、一番良いものを取るからいけないの、一番わるいものを
取ろうと心掛けなにのがいけないのだというふうなものではないのでありまして、
根本にわれわれは自分自身を本当に愛するということから出発して行く時に、はじめて
隣人をいかに愛するべきかということがわかるのであります。

自分自身をいかに愛するかといえば、自分を神の子と感じ、自分を仏の子であると感ずる、これ
が本当に自分を愛することなのであります。自分を本当に神の子だと感じ、自分の子供も神の子
だと感じ、他人の子供も神の子だと感ずるようになりますと、受験にだって自分の子供が正々堂
々と一番良いものを取ってもいいことがわかる。みだりに他にセンチメンタルな愛情によって、
実力が出ないうちに、試験にお情落第させてもらうような卑怯なことを、相手の神の子にさせよう
とは思わなくなる。みんな一番良いものを取ってよいということがわかるのであります。

自分の子も神の子、他人の子も神の子ということになれば、少しも依怙贔屓のない道徳が確立する
のであります。

              ―その5―に続きます。

❤〜SAKURA

3150SAKURA:2014/12/04(木) 22:29:52 ID:???
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(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 まず自分に深切であれ ―その5―【 転載編 ―】*=======**========*

■ある人が、自分を豚の子のように思って軽蔑し、そうして自分の子供をも豚の子の
ように軽蔑していい罵っておったら、その子供が豚の子のように蒲団の上で寝小便
するようになって、親の心が一変するまでは、それがどうしても治らなかった。
それが人の子を「神の子」だと考えていないで豚の児のように考えていた。その考えが
治らなかったからです。

その点を生長の家の講師が指摘して、
「あんたは自分の子供を豚の子のように思っているから、それで寝床に寝小便するので
すよ。そんな豚の子のように人間の子供を軽蔑してはいけない、自分の子供は「神の子」
であるということを本当に思いなさい」と言って諭されたら、その晩から豚の子が本当の
「人の子」になって寝床に小便ををしなくなったという実話がありますが、結局(つまり)、
この自覚が大切であります。

われわれは自分自身が神の子であるということを、ともすれば忘れがちであります。
自分自身が「神の子」であるということを忘れるがために、相手もまた神の子であると
いうことを忘れてしまうのであります。

自文自身が仏であるということを忘れてしまうから、相手もまた仏であるとうことを
忘れてしまうのです。そういうことでは本当に自分を愛することもできなければ、
他をも愛することができない。

それでは
「己を愛するがごとくに隣人を愛せよ」
あるいは「己を愛するがごとく神を愛せよ」という教えを守ることができないことに
なるのであります。

 それでですから、本当に自分を愛するというのは、自分自身を最も価値あるものに
すること、自分自身を最も高き価値まで繡(たか)め揚げるということにほかならな
いのであります。

では、自分を最も高き価値まで繡め揚げるとは、いったいどうすることであるかと
申しますと、必ずしも学校で一番の成績をとるということではないのです。
自分が「神の子」になり、「仏」になるということである。

すでに「神の子」であり「仏」であるところの人間の実相(ほんとのすがた)を、
「今」自覚すること――これがいっさいの信仰の、いっさいの道徳の中心になり、
出発点になるのであります。

キリストは聖書の中で「神の子」というところを「人の子」といって両語を混雑して
使っていますが、これは、本当に「人の子」は「神の子」であるという自覚からくる
のです。

自分が神の子であり仏であるということを知らなければ、すべての道徳は中心を失い、
柱を失ってしまって、どうしてよいかわからなくなるのであります。

 ―その5―に続きます。
❤〜SAKURA

3151SAKURA:2014/12/06(土) 21:36:12 ID:???
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(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 まず自分に深切であれ ―その6―【 転載編 ―】*=======**========*

■では、仏とは何であるかと申しますと、これは解けることである。
いっさいの縛りとなるもの、いっさいの凝りというものから解けてしまって、解脱した状態に
なってしまう――その解脱(ほど)けた状態、これが仏であります。

この自分自身が解脱した状態になって、自由自在な窮地になって、その自由自在な境地を愛する
ことができて、はじめて他の人々の人格の自由を完全に生かす愛ができてくるのであります。

 ですから、われわれはまず自分自身をはっきりと把(つか)まなければならないのであります。
自分自身が神の子であり、仏であるということをはっきり把んでしまって、何ものにも執われ(とらわれ)
ない、自由自在な相というものを自覚して、そうして自分は神の子であると自分自身を愛し礼し、
己を愛し礼するごとく、そのごとく他に対して、神の子として、仏として尊敬し、敬い、人の内に
宿っているところの実相――神性というものを生かしてゆくようにする、これが本当に自己を
愛するごとく他をも愛するということなのであります。

 ですから、自己を愛するかのごとく人を愛するということは、要するに自分と他とが一つで
あるという根本実相(ひとのほんとのすがた)から来るのであります。自分と他とが一つである。
自分と他とが一つでなければこの愛ということは成り立たないのであります。

自分と他とが全然別のものであったならば、自分の喜びが他人(ひと)の喜びであると
いうはずがない、他人の悲しみが自分の悲しみであるというはずがないのであります。

 ですから、われわれがじぶんの好むところを他に与え、他(ひと)の欲せざるところを
他に転嫁しまいと思うのは、要するに自分というものと他人(ひと)というものが、本来同じもの
である。

同じものであるから同じように感ずるものであるという根本的な直観的認識から来るのであります。
この「自他一体」の直感認識がなければ道徳的価値評価というものは成り立たないで
いっさいの行為はバラバラで道徳的にはなんらの価値もないということになるのであります。

このように道徳とは自他一体の直感認識から始まって、自分の喜ぶ状態に他をもしてあげたいと
いう願いに始まるのですから、自分の実相が仏であること、そしてこの仏のの相とは何ものにも
縛られない自由自在なものであるということを自分自身に自覚した人のみ、本当に人々にも
その人の実相すなわち仏を自覚せしめて、いかなる外のものにも縛られない自由自在なる状態を、
その人に施してあげることができるのであります。

この自由自在な無畏の状態を施してあげることが仏教では無畏施といって施しの中でも
最も尊いものとなされているのであります。

               ―その7―につづく

❤〜SAKURA

3152SAKURA:2014/12/07(日) 23:15:34 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 まず自分に深切であれ ―その7―【 転載編 ―】*=======**========*

■さっき申しましたように、甘いものの好きな人は甘いものを他に与え、煙草の好きな人
は煙草を他に与える。そして自分自身の自由自在な実相の好きな人は実相を他に与えるの
であります。

 ところが誰でも、本来自由自在なのが実相(ほんとのすがた)なのでありますから、
自由自在の境地を求めない人はない。煙草の好きな人も本当は煙草そのものが好きなのでない、
なんとなくぎコチなく淋しく自由自在な感じが失われている、その感じをごまかすために
煙草を喫み酒を飲むのです。

金の欲しい人でも、金のそのものが欲しいのではない、金があると自由自在になんでも
ふるまえると思うから金をほしがるのです。ところが金を持っても酒煙草を喫んでも、
それに執(とら)われたらかえって自由自在が失われる。

金に執すれば金に縛られ、酒煙草に執すれば、酒煙草の奴隷にせられてしまう。
これでは、もともと自由自在を求めたのが何にもならない。自由自在を求めてかえって
不自由自在を得たことになるのです。

 ですから自分が真に自由自在に解脱した喜びというものに得たならば、
われわれは全人類の得(え)んとして目指しているこの喜びを人々に与えなければならぬのです。
これが自他一体の真理なのです。そうしてここに自分が仏の実相を鳴り出せば、かたわらにいる
人々の内にある仏が鳴り出すということになるのであります。

これは釣鐘の共鳴のようなものであって、二つの釣鐘を並べて置いてこちらの釣鐘をゴーンと
撞くとその隣の釣鐘もゴーンとまた共鳴して鳴り出すのです。それは、一人の人の実相の響きが
鳴り出す時は、「一切衆生仏性あり」で、他の人々の中に宿っているところの仏性が鳴り出して
表面に顕われて顕在的になるのであります。

だから人を悟らすには、まず「自分は神の子だ、仏の子だ」と気づいた人が、そうであると
いうことを言葉に出してガ―ンと鳴り出すということが必要なのであります。そうすると
その隣の鐘――否、その付近にいる人たちもやはり自分のうちにある尊き仏性がガ―ンと
鳴り出して顕在となり、またその響きがさらに共鳴を起こして、すべて人々、到るところに
仏が現われて来るということになるのであります。

そしてすべての人々悉く仏性が顕われ、これが本当に隣人を愛するということになるのであります。
それでその次の第十二条にはこう書いてあります。

              次の項目につづく
❤〜SAKURA

3153SAKURA:2014/12/11(木) 22:48:45 ID:???
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こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 真理を伝えるのは愛の道 ―その1―【 転載編 ―】*=======**========

■□  われらはすべての人類をして健康と幸福と安住との生活を得しめんがため、この光
明思想「生長の家」をひろめ全人類に真理を伝えんことを期す。

 さて、この光明思想「生長の家」を人類に弘めるということは、何も自分が物質的利益
を得るために弘めるのでもなければ、自分は人に道を説くところの第一番の高き導師であ
るという名誉心を満足せしめるために弘めるのでもない。

ただわれわれは、自分が仏であるという自覚を得たときに、そうしてまた他の人々も同じく
仏であるということを知った時に、その仏であるべき人間が仏でないような相の現われてい
るのを見た時に気の毒になってたまらない、自分も仏である、あの人も仏であるのに、あん
なに仏でないと思って、あんなに貧しい相をし、あんなに病める相をしている、あんなに悲
しい相をしている、どうも気の毒でならない、とこう気がついた時に、どうしてもその人に
仏であるという実相を知らしてあげなくてはならない衝動に駆られるのです。

これは結局「自分と他とは本来一体である」事実から出て来る衝動であって、自分が仏であ
るということがわかったら相手に対しても仏であるということを知らさずにおれない。

自分が神であるということがわかったら相手に対してまた神であるということを知らさず
にはおれない――これが自他一体の愛――仏の愛であり、神の愛である。そしてそれを実行
するのは菩薩の行であるわけであります。

 ですから、この「生長の家」を弘めるというと、何か雑誌を弘めるというようにお考えに
なる方もあるかもしれませんけれども、これは雑誌を弘めるのでない、「仏」を弘めるので
ある、「神の子」をひろめるのである。すべての人間を「仏」にし、「神の子」にする言葉の
響きを弘めるのであります。

キリストは路傍で説教した。日蓮は辻説法した。これは何も自分自身のためにするところ
の運動ではない。辻で説法するのは下品だとか何とかいっておれないのは人類を愛するから
なのです。

すべての人間を、われ自らのごとく愛するから、その悟った真理を伝えずにはいられないので、
世間から見た格好が、悪いのいいのといってはいられないのです。自分自身が「神の子」であ
り「仏」であると悟ったらそれを全人類に弘めなくてはいられない。ですから今までいろいろ
宗教が現われてきておりますが、すべての教祖はその已み難き衝動に駆られて「仏」を伝え、
「神の子」を伝えたものであります。

                 ―その2―につづく

❤〜SAKURA

3154SAKURA:2014/12/14(日) 22:35:59 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 真理を伝えるのは愛の道 ―その2―【 転載編 ―】*=======**========

■しかしそれぞれその時代、その環境に応じて、その教えを伝え弘める形式は変わってきた
のであります。

過去の時代には、通信機関や印刷機関が不便でありましたので、おおむね直接説法によらなけれ
ばならないから、説法のコトバの力で「仏」を大量生産することができなかったのであります。

ところが、現代においてはこの「生長の家」が出現して、印刷物によって「仏」をヒビキ伝えると
いう不思議な、時代応現の用(はたらき)というものが出てきたのであります。現代のようにこんな
人口が増え、そうして学問が進歩し、印刷術が発達している時代に、今までのような姑息な、
単に教会という一つの建物、あるいは寺院という一つの建物の中で牧師や坊さんが喋っていると
いうだけでは、なかなか人間全体に「仏」を伝えることはできないのです。

ですから、この時代に最も相応(ふさわ)しく、活字の力というもの、印刷の力というものを以て、
また大量生産的に「仏」の響きを出させて、したがってまた大量生産的に救われるということに
なったのであります。

                ―その3― につづく
❤〜SAKURA

3155志恩:2014/12/17(水) 05:03:21 ID:.QY5jUA6
谷口雅春先生著『新版 女性の幸福365章』より


すべて偉大なる人格の特徴はその人の包容力の広さである。
寛容の徳は母たる者に必須の徳性である。

心広き者は決して金切声を出さないし、粗野な荒々しい振舞をしないのである。
愛の完成は心広くしてのみ<遂げられる。

愛がありながら、心狭きときは、愛が捩れて憎しみと変わる。
どんな時にも憎しみや嫉妬に変化しない愛こそ純粋の愛。

3156SAKURA:2014/12/17(水) 22:51:35 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 真理を伝えるのは愛の道 ―その3―【 転載編 ―】*=======**========

■そんなわけで、この「生長の家」から出る出版物は、活字を組んで(なら)べてあるだけであります
けれども、その列んでいる言葉そのものは「仏」のヒビキでありますから、解脱して自由自在になった
生命のヒビキでありますから、『生長の家』がある誌友のところへ着いただけでその誌友の病気がよく
なったとか、あるいは乱視が治ったとかいうふうな不思議なことも往々起こってくるのは、「生長の家」
の出版物が単に活字を列べて紙の上に印刷してあるというだけのものではない、そこに文字「仏」の自
在無礙の響きがあり、言葉に「神の子」の解脱の響きがあるからであります。

その言葉の響き、文字の響きを全世界に弘め、これによって全世界が光明化され、それを受け取りそれを
読んだすべての人が自己のうちに宿っている仏の響きに共鳴して、発見されて、そうしてみなみな自分が
仏であるということを自覚することができる。こうなれば「仏陀」の大量生産が成就するのであります。

 この間、伊藤三郎さんがわたしのところへ『日蓮主義』という雑誌を持って来て下さいました。それは
ニ、三日前、ここで伊藤三郎さんがお話しになった逗子に住んでいる人から伊藤三郎さんに送って来られ
た雑誌なのだそうであります。あの話はこうであります。

ある日伊藤三郎さんを訪ねて来た旧友がある。その旧友が伊藤三郎さん自身では引き受けることを躊躇し
なければならないと思われるようなある重大な仕事に一肌脱いでほしいと頼みに来られたそうであります。

その知人に会ってみると、その顔がなんとなく明るく輝いて見えるので、ちょっと躊躇するよな大仕事
なのだけれどもなんとなく引き受けてもよいかも知れぬという気になり、一つ神意に問うてみようと別室
に退いて神想観をされた。

するとその仕事を引き受けてもよいという霊感があったので、伊藤さんは自分の奥様に相談なさると、伊
藤さんの奥様は「神さまからそういう霊感があったならば、引き受けておやりになさい」と言われました
ので、またその逗子からの旧友のところに出て来られて、「では、その仕事をお引き受けしましょう」と
言われた。

そして「実はあなたに上げたいと思って署名した本がここにある。ちゃんとあなたの名前が扉に書いてあ
る」と言って『生命の実相』をお上げになったら、その旧友はその『生命の実相』を見て大変お喜びにな
って、実はわたしは「生長の家」のことは『生命の藝術』という雑誌を新聞広告を見て無代進呈してもら
って読みましたら、今まで信仰していた日蓮上人の教えの神髄を深く穿ったものと感じて、非常にありが
たく思いましたので、それに書いてある神想観の説明、これさえあればよいというので、一生懸命、
神想観の歌を暗記していました。

すると自分の長らくの喘息が治ってしまいましたのでまったくありがたくて『生命の実相』を欲しい欲しい
と思っていました。欲しい物が集まって生長の家の無限供給が成就したのです、というわけです。

             ―その3―につづく
❤〜SAKURA

3157SAKURA:2014/12/21(日) 20:50:38 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 真理を伝えるのは愛の道 ―その4―【 転載編 ―】*=======**========

■この方はただ今、名前を思い出しましたが村田武一郎という方です。
この村田さんから最近伊藤三郎さんへ「日蓮主義」という雑誌を送って来られた。
実はこの中に「生長の家」の攻撃が書いてある。

その攻撃というのは「生長の家」は日蓮主義と同じことだというのです。
日蓮主義と同じものに「生長の家」という名をつけて新聞に大袈裟な広告をして自分の一派の
宗教に引き込もうとしているというのが攻撃の材料になっているのです。

それに対して村田さんは自分の救われたお礼に反駁分を書いたからそれを見てほしい、これで
よいかと付け加えて書いていられるのです。その反駁分にはこう書いてあります。

「自分は元来日蓮宗であるのに日蓮宗のありがたいことがわからないで、あまり熱心でなかったが、
『生長の家』を読むようになってから日蓮宗が本当にありがたいと解っていっそう日蓮宗に熱心に
なった。この事実を見てもッ生長の家は自宗に引きつけるような宗教ではない。

すべて宗教の神髄を穿っているから、どの宗派の人が見ても、自分の宗教と同じことを説いて
いると見えて、かえって自分の宗教がありがたくなるのである。宗教とは結局、同じ救いに導く
ものであるから、どの宗教から見ても自分の宗教と同一真理を説くものだと認められるぐらいで
ないと本物ではない。

ひんぴん新聞に大袈裟に広告するのが、あまり大袈裟で、宣伝じみてきるというの当たらない。

今もし日蓮上人がこの世に出て来られたらならば、辻説法のような緩慢なことをして、少しの人を
集めて道を説き少数の人類しか救わぬというようなことはしないはずである。必ずや谷口先生と
同じような大袈裟な、出版機関を利用し、新聞を利用し、講演をりようしあるいはラジオを利用し、
文明の利器をできるだけ利用して、できるだけ大袈裟に宣伝して大衆に達するようにし、一日も早く
この真理を全人類に伝えるように努力せられたにちがいない。

新聞広告をして宣伝じみて外聞が悪いとか、辻説法をして乞食坊主にまちがえられて外聞が悪いとか、
そんな自己の名聞なんて考えている暇がない、それが捨我精進(しゃがようじん)であって、
あらゆる機会をことごとく見のがさないで仏を伝えるように努力するのが、これ自己が仏を悟った
人の道である」
というようなことをその反駁分に書いて、その雑誌と一緒に送って来られたのであります。
                   ―その5―に続く
❤〜SAKURA

3158SAKURA:2014/12/21(日) 20:51:51 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 真理を伝えるのは愛の道 ―その5―【 転載編 ―】*=======**========

■この村田さんのおっしゃるように、われわれが真理(ほとけ)を知ったならば、それをできるだけ
多くの人に伝えるということがこれ仏様の働きである、方便としてあらゆる機会を利用して宣伝する
――決してこれは利己主義の働きじゃないのであります。

これはすべての人の実相を生かす最も尊い仕事でありまして、それには時代相応のいろいろの手段、
方便ということが必要なのであります。あるいは光明思想普及会の新聞広告が、病気の治った礼状が
たくさん出ている、治してもらった体験談がたくさん出ている、まるで「有田ドラッグ」のようで
あるというような攻撃をなさる方がある。

しかし。「有田ドラッグがどうして悪いのか」というと、何もわるいという理由はない、有田ドラッグ
もなかなか言葉の力を巧く利用してそうして薬を売っている。薬を売っているだけじゃなにのであって、
あれは半分は光明思想である。有田ドラッグの広告を読んでみると「病気は薬では治らぬ、精神の持ち
方や信仰によってなおる」と書いてある。

そうして付けたりに、その薬を飲んだらいっそう良く治るということをいって、精神療法、信仰療法を
勧めて、心の作用で病気を治しておいて、その治った治験例を掲げて、薬で治ったように装い薬代だけ
を有田の方へせしめている。

「病気は自然が治して、謝礼は医者が取る」という諺がありますが、これは「病気は心が治して、
治ったお代薬屋に払う」というようなことになっているのでああります。だから有田ドラッグは
なかなか賢い、必ずしも世の中に害毒ばかり流しているということはないのであります。

世間には病気が治るということを新聞に発表すると何か下品なことのように思うている人があるが、
これは実にまちがったことであります。

              ―その6―につづく
❤〜SAKURA

3159SAKURA:2014/12/27(土) 22:25:04 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 真理を伝えるのは愛の道 ―その6―【 転載編 ―】*=======**========

■というのは医学博士が病気を治したという治験例をば医事雑誌にずっと並べたら、誰が
下品であるといいますか。医学博士が動物をいろりろと解剖してみたり、物質的の実験を
やってみたりして形而下(けいじか)のことを列べて、形のある物質を使用して病気を治
した実例を列べますと、大衆はいかにも仰々しく科学であると嘆称(たんしょう)するの
でありますが、それならば、生長の家が薬を使わないで、ただその発行書を読んだだけで
病気が治るというような、在来の常識を覆すような治験例を発表しえたならば、これは医
学博士よりもいっそう偉大なるものであるといって、皆さんは讃嘆しなければならないは
ずなのであります。

それにもかかわらず、病気の治験例を発表するということはこれは下品である、有田ドラ
ッグのようであるなどということは、実に偏見に執われた批評なのであります。むしろ新
聞に発表して下品なのは人殺しや盗賊や強姦やいろいろの悪徳の記事である。

病気の流行るというような恐怖をそそる記事も人々に熱感を与えて下品である。

しかしそういう記事をのせている新聞を見ても下品だと言わないで、どんな病気でも心の
持ち方で治るという気持のよい治験例を発表する記事を下品視するのは人間の頭が悪い
からであります。

                       ≪その7≫につづく
❤〜SAKURA

3160るん吉:2015/01/02(金) 12:15:42 ID:p..UGkhA
神様以外のものや実在でもない現象を相手にして解決の方法を研究するところ

ではありません。神一元、實相一元の教えでありますよ。

今あなたは神様以外のものや、ありもしない現象の出来事に心を奪われて、慌てて行き詰っておられるではありませんか。

そんな生長の家はありません。それでは生長の家を知らない世間一般の人と同じで、

全然生長の家になっておりませんよ

                       藤原敏之先生の御著書「あなたは必ず救われる」より

3161るん吉:2015/01/02(金) 12:28:52 ID:p..UGkhA
SAKURA様

明けましておめでとうございます。

沢山の投稿をされていられますね! 今、読ませて頂いてました。

SAKURA様も、今まで色々嫌な事があったのですね?(ゾンビ野郎とかひどい奴に出くわしてきたのですね)

しかも、それで耳に障害が残ってしまわれたとは、どんなに悔しい出来事でありましたろう!

自分がそうなったら。SAKURA様のように明るくふるまれるかな?と思います。

あと、sakura様は、すごい正直な方ですね。(そこまで言っていいんかい!て思うほど)

なんにしても、貴女はすごい良い人です。読んで色々解りました。

パートナー様にも、よろしく。外に出れるようになった(雪の具合)ので出かけようと思います。

今年もよろしくお願い致します。

3162SAKURA:2015/01/02(金) 21:02:35 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 真理を伝えるのは愛の道 ―その7 ―【 転載編 ―】*=======**========

■釈迦が悟りに入られた最初の動機は何であったかと申しますと、生・老・病・死の四苦
を観て、これを解脱することを考えなくてはならないということを思いつかれて、そうし
てそれを解脱する道を得られたのであります。われわれが生老病死の四苦につまずくこと
によって、それを機縁として、自分の実相が仏であるということを悟らせられるというこ
とは、実際釈迦でさえもそうであったのであります。いわんや、われわれがこの病気とい
うもの、あるいは生活難というもの、人生苦というものなどに臨んでいる――その契機を
利用して、それを解決する道がここにあるということを広告によって知らして、そうしてわ
れわれの団体へ呼び寄せてきて、真理を知らせ実相を悟らせるということはこれ実に仏さ
んのあるがたい慈悲の現われであるといわなければならないのであります。人はこの病気
の治るという治験例を発表することはいかにも下品なこととお考えになるのであります。

そして、われわれも、物質なる肉体の治るとか治らぬとかいうような小さいことを問題に
していないのでありますけれども、物質上の御利益などは問題とするに足らぬと思いなが
らも、現世の苦悩に悩んでいる人がある以上、その現世苦悩の低さまで降りて行ってあげ
なければ人を救うことができないので、それで上品だとか下品だとか、そういうことを考
えないで、自分もいったん人の所へ降りて行って、病気本来無いということを知らせ、病
気が治ったという治験例を発表して、一般の人に呼びかけ、病人に呼びかける、救わるべ
き相手は迷える人、病める人である。迷っている人にはしばらく迷いの相を現わして、そ
うしてそれらの人を一段高い所へ引き上げるというのが仏の自由自在な慈悲の働きなので
あります。

                 ―その8 ― つづく
❤〜SAKURA

3163SAKURA:2015/01/02(金) 22:31:48 ID:???
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■ あけまして おめでとうございます…。本年度もよろしくお願い申し上げます。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3161 
>>3161 「るん吉様」から私宛にですが〜〜『この場には?』と…

別の所で…投稿させて戴きます…。

3164「訊」:2015/01/02(金) 23:21:43 ID:???


 新しい年には新しい心が生まれる。



 元旦は物事の始めであり、生活更新に最も都合の良い時である。他の時にも新しい覚悟ができ、賢明なる人はいつからでも新生活に突進しうるが、われわれには新しい決意を実行するには元旦がよい。元旦からまず始めよう。



 それは明るい心を持つということである。



 一度にあれもこれもと考えて、それが実行できなかったら、新しい決意も最初の一日から崩れてしまう。ただ今日一日明るい心を持つことにしたい。ただそれだけ一つのことである。これだけのことならばわたしにもできると思う。明るい心を持つには何事が起こっても怒らぬということである。何事が起こっても悲しまぬということである。何事が起こっても失望せぬということである。何事が起こっても怒らず悲しまず失望せぬためには、起こった事物は「もうすんだのだ」と知ることである。



 去年の暮れはもう起こったからすんだのである。すんだからこそ新しい年が来たのである。木枯しに散る葉があるからこそ、春に美しい若葉の美が讃えられるのである。



 天地一新。悪しきことは未だかつてひとつも起こらなかったし、これからも起こらない。それはすべて一新しゆく姿である。


『生命の實相』37巻4頁より謹写――

3165トキ:2015/01/03(土) 12:56:31 ID:Qj6Pg0Tc
「訊」 様

 あけましておめでとうございます。
新年早々、素晴らしい御文章を紹介してくださり、ありがとうございました。
今年も期待しています。

 よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

3166「訊」:2015/01/03(土) 22:23:09 ID:???


◆ 新天新地を迎へて

 私たちは皆さんと共に新しき年を祝福するのであります。
 皆さんがたとい過去の年に於いて如何なることを経験せられたにせよ、何を心に思い、何を身に行ったにせよ、それ等は既に過ぎ去ったのであります。されど若し、皆さんが同じ心を依然として持ち続けるならば、いづこかに新しき年はあらんやであるのであります。

 皆さんは新年と共に想念を新しくならしめなければならないのです。旧態依然たる争闘と摩擦と不平と慈哀と不健康と貧乏との想念を持ちつづけるならば、それは年は新たであるにしても、内容的には古き年の継続に過ぎないと云わなければならないのである。
 真理は皆さんに新しき人生と新しき幸福とを持ち来すべく待っているのである。それは単なる期待でも単なる希望でもないのである。如何なる人々も生長の家の真理に触れるとき、絶対に新しき生活を、絶対に幸福なる生活を、絶対に豊かなる生活を、絶対に健康なる生活を、営むことの出来る資格と権利と方法とを本来与えられていることを自覚せられるに相違ないのである。

 真理とは何ぞや。人間は「神の子」であると云うことである。仏教的に云えば「仏子」であると云うことである。神道的に云えば、人間は、すべてミコトであり、日子(ひこ)であり日女(ひめ)であり、尽十方に満つる光の子みなさんと云うことである。

 此処に諸君(みなさん)が、絶対に幸福なる生活に、絶対に豊かなる生活に入る門を開く鍵があるのである。「人間は神の子」と云い、「仏子」と云い「日子」と云い日女と云うと雖も、それは鍵であって、諸君がこの鍵をもって、新しき生活への門をひらくと開かざるとは諸君(みなさん)の自由であるのである。鍵は鍵孔に入れてこれを回転しなければならない。ここに静的真理が動的事実として展開し来り、新しき生活への門がひらかれるのである。

 昨日までの物質的又は肉体的状態が如何にあろうとも、五官に見える姿は唯かぎられたる視野から眺められたる姿であって、決して貴方の世界でもなければ、貴方自身の全相でもないのである。肉眼の視野の彼方に、顕微鏡下の世界があり、望遠鏡上の姿があると同じく、更に無限に美しき天国浄土の世界があるのである。それこそが、此の世界の實相であり、それは既にある世界であるに拘らず、心の波長を合わさないから出て来ないに過ぎないのである。心の波長を合わすとき突如として冒頭に掲げたる「われ新しき天と地とを見たり」と云う至福の世界が実現し来るのである。

「白鳩」誌(昭和28年新年号)より謹写――

3167「訊」:2015/01/03(土) 22:24:39 ID:???



◆ 「過去」を「今」に変貌するな

過去になずむこと勿れ
過去は既に過ぎ去ったのだ。

過ぎ去ったものだけれども
”今”それを思えば、
過去が”今”に変貌する。

牛は過去に食べた食物を
腸に送るまでに反芻して
もう一度”今”に戻して咀嚼するそうだが、

過去の悲しみでも
それを”今”にもどして反芻すれば、
過去が過去でなくなって、
今ある悲しみにそれは変貌する。

過去を素直に放つ者のみが、
新しい喜びを素直にそのまま受けることができるのである。

3168志恩:2015/01/09(金) 20:24:39 ID:.QY5jUA6
『愛の波動を高めよう』より  アイリーン・キャディ【著】:山川紘矢/亜希子【訳】

🎴 新しい世界 🐲

「近ごろの世界はなんと乱れているのだろう。
世界は混沌と混乱のきわみだ」という言葉を、あなたは何回聞いたことでしょうか。
また自分でも そう言って 何度なげいたことでしょうか。

そして、それに対して自分ができることは何もないと感じています。
もう絶望的だ、自分にはどうしようもないと感じて、カタツムリのように からの中に閉じこもってしまって、
世界が ますます悪くなってゆくに まかせています。

この地球の現状に関するあなたの責任感はどこにいってしまったのですか?
あなたが行うこと、あなたの生き方、あなたの考え方が、
世界を良くも悪くもすることに気がついていないのでしょうか?

海岸を作っているのは小さな一粒一粒の砂です。
大洋を作っているのは小さな一滴一滴の水滴です。

あなたがどう考えて何をするかが、世界を良くも悪くもするのです。

あなたはそのことを考えたことがありますか?
愛のあるポジティブで建設的な思いを持つ魂が 増えれば増えるほど 地球は良い場所になります。
あなた方は みなこのすばらしい世界の とても大切な一部なのです。

あなた方の一人ひとりは この大きな全体の中のとても小さな部分ですが、それぞれに果たさなければならない特別な役割があります。
あなたがその役割に早く気がつけば、それだけ早く、世界の状況は変わります。

世界的な 混沌と混乱と 破壊の思考の渦 に巻きこまれるのはやめましょう。
今すぐ、あなたのまわりの世界のすばらしさと美しさに、心を集中させましょう。

すべてのものに感謝しましょう。
あなたが出会う人すべてを祝福しましょう。
人々の中、ものごとの中、状況に中に最悪の部分を見るのはやめ、
いつも最善の部分を見るようにしましょう。

最善の部分に意識を集中し、あなたのまわりの世界で起こる すばらしい変化を 見るようにしましょう。

あなたにはそれができます。
それも今日から始めることができます。
いいえ、今すぐ始めることができます。

これは、だちょうのように頭を砂の中にかくして、世界の現実に直面するのを拒否するのとは違います。
ただ、すべてのものごと、すべての人の中に、最もすばらしい点をさがし、そこに意識を集中させるということです。

あなたはあなた自身の小さな世界です。
あなたの内にある世界に平和と調和と愛と理解がある時、それはあなたのまわりの外の世界に影響を与えます。

まず、自分の家の中をきちんとすることから始めましょう。
あなたの思いと生活の整理から始めなさい。

3169志恩:2015/01/09(金) 20:32:40 ID:.QY5jUA6
谷口貴康さんのブログより

徳川家康秘話。
徳川300年「江戸時代」を生んだのは、「笑いのこころ」(明るき心)­であると説く大熊理事長。
日本笑い学会講師でもある大熊理事長が、笑いながら、笑いの­持つ「力」と影響力を説く。

★≪新春≫いのちが喜ぶ話(第5話)★大熊良樹理事長 
「徳川300年を生んだ笑いの心」
https://www.youtube.com/watch?v=HNm_xNPN8RM&amp;feature=share

3170志恩:2015/01/09(金) 20:36:23 ID:.QY5jUA6
3169は、聖典引用ではなくて、いのちが喜ぶ話の引用でしたので他板の方に転載すべきでしたね。^^

3171志恩:2015/01/10(土) 07:56:08 ID:.QY5jUA6
📖 パラマハンサ・ヨガナンダの言葉

人生の体験を あまりに真剣に 受けとっては いけません。
とくに、その体験のために 苦しんでは なりません。
なぜなら、本当は、すべては ほんの夢に すぎないのですから・・・

もし 状況が悪くて、耐え忍ばなければ ならないとしたら、
その状況を あなたの一部と しないことです。

人生の あなたの役を 演じなさい。
そして、
それが 単なる役に すぎないということを 忘れないでください。

3172SAKURA:2015/01/10(土) 21:16:18 ID:???
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 真理を伝えるのは愛の道 ―その8 ―【 転載編 ―】*=======**========

■『法華経』の中に「長者窮子」の譬がある。
あるところに金持があって、その家の跡継ぎの息子が家出をして、諸方を流浪してルンペンに
なってそうして彷徨うていたが、とうとうまた故郷へ帰って来た。

どこへも寄る辺がないので、自分の故郷の親の家の門から、ふと覗いて見ましたら、そのお金持が
大勢の召使をずっと列べて、いかにも王様のような姿をして坐っている。その姿を見た時に、
自分のようなルンペンの、破れた半纏を着たこんな男が、こんなところでうろうろしておったら
家来たちに捕えられてどんあひどい目に遇うかもしれないと逃げ出した。

そうすると、王様は一目見ると、『あれは自分の子である、本当の子はあの子のほかにない、
自分の全財産を譲るべきはあの子である。自分の全財産の持ち主は本当はあの子なのである、
あれを呼び戻せ、あれにこの財産を与えるのである』とこういった。

ところが家来たちが追っかけて行くと、ルンペンはますます恐怖を感じて、とうとうびっくりして、
目を廻して倒れてしまった。皆が寄って介抱をしてようやく気がついた。ところで、立派な服装の
高位高官の家来のような姿をしておったら、何か自分を取り押さえるためにでも来たように思って
怖がるから、その家来は父の長者の命によって方便を設けてみすぼらしい服装をし、
「こういう土方仕事の下らない仕事があるのだが、君一つ働かないか」
といったら、そのルンペンも安心して土方をしている。

そうして、少し働いているうちに少し位を上げて土方の頭にする、もうしばらく働いていると
監督にするというような塩梅式に、だんだん出世さして、高い位になってきた時分に、
もうお前は長者の跡継ぎであるといってやっても恐れて逃げない時が来る。

その時になって初めて、お前はわたしの本当の子である、自分の全財産はお前のものであると、
こういうぐあいに長者がいわれたという話がありますが、光明思想の普及のやり方もそれと
同じことである。

われわれは初めから
「人間は神の子である、仏である、すでにお救われているのである」
こう教えてあげても、
「そんな馬鹿なことがあるものか、自分は現に病気で困っている、貧乏で困っている」
と反駁する。

中には「そんな迷信があるものか」といって逃げ出す人もある。そういう人に対しては、やはりこちらが
下まで降りて行って、そうして土方の親方ぐらいに化けて行って、

「あんた病気か、病気なら病気を治すえらい便利なものがあるぜ。こういう本を読んだら治る、たった
五銭で一冊のパンフレットを読んで治った人もたくさんある。どこの誰もこうである、どこの何さんも
こうである」と実例を挙げる。

すると「そうか、そういう結構な薬があるのなら」と読んでみると、
読むにつれて、「なるほど自分は神の子である、病気は本来無い」ということがちゃんと悟れるように
なっている。救われるべき相手の高さの程度まで降りて行く、これが仏様の本当の慈悲の働きであって、
下品なように見えているけれども、下品なように現わなければ救われない人に対しては、
われわれはそういう相を現わして救うほかはない。

これが菩薩行である。
観世音菩薩が三十三身に身を変じて衆生をお救い下さるというのもみなそれである。

                    つづく
❤〜SAKURA

3173志恩:2015/01/12(月) 01:50:21 ID:.QY5jUA6
『愛の波動を高めよう』より  アイリーン・キャディ【著】:山川紘矢/亜希子【訳】

📙 神 と ひとつであること

私たちは 神の存在そのものの中に 生きています。
私たちの中に 神がいるのです。
私たちは 常に 神の存在と ひとつですから、神の愛とも 常にひとつです。
私たちは 神の命と ひとつなのです。

自分が 神の中で生きていることに 気がつくと、私たちは ほっとリラックスします。
何も恐れるものは ありません。神は いつも 私たちと共にいるからです。
神の癒しの力が 及ばない状況は 存在しません。
私たちを祝福し、変容させる神の力より 大きな不調和もありません。

今、この瞬間、神の存在が私たちを満たし、私たちを包んでいます。
私たちは 決して孤独ではありません。
私たちは いつも神の命、神の光、神の平和、神の力とひとつです。
神は 今も、私たちを 癒し続けています。
神は 今も、私たちを 祝福しています。
神は 今、私たちを導き、インスピレーションを与え、私たちを 繁栄させています。

私たちは 神の存在の中に 生かされています。
神は 私たちの中に 生きています。
私たちは ずっと、神と ひとつです。すべては 完璧です。
そして 私たちの進む道は、なだらかで 整然としています。

3174志恩:2015/01/12(月) 02:09:44 ID:.QY5jUA6
『愛の波動を高めよう』より  アイリーン・キャディ【著】:山川紘矢/亜希子【訳】

📗 神の 助けを 借りて

神の助けを 借りて、ものごとを 起こらせましょう。
神に 意識を 集中します。
肯定的に考え、話し、行動しましょう。
そうすれば 神のエネルギーが あなたを 助けてくれます。

外部の いかなるものも、あなたを 傷つける
力を 持っていないことに 気づく 練習をしましょう。

あなたにとって 問題なのは あなた自身の 思い であって、
他の 何ものでも ありません。

そのことを 憶えておいて 下さい。
あなたの 思いぐせを コントロールし、
良いことに 焦点をあて 続けましょう。

難問、仲の良くない人、困難な状況などには、
感情的にならずに、距離をおいて、公平な態度で臨みましょう。

敗北主義、自己憐憫、後悔は止めましょう。
自分に起こることに 過剰反応を しないようにします。
あまりにも 真剣になりすぎては いけません。
自分を 笑いとばせるように なりましょう。

あなたについて 他人が考えたり 言ったりすることを
気にしては いけません。夜、寝る時、
自分の悩みについて、あれこれ 考えては いけません。

日々の行動のすべてを 神のために 捧げなさい。
すべてを 所有しなさい。

しかし、何ものにも あなたを所有させては いけません。
自分は 神の中にいるということを知り、
常に そのことを忘れないように しなさい。
あなたと 他の人々との間に、適度のバランスを 持つように 心がけなさい。

世界にとって、自分が重要であることを 知りなさい。
そして、この世界のどこかに、必ずあなただけの
居場所があることも 知りなさい。
地面に 種子を蒔く時は、蒔いた種子のまわりに 柵を作って、
その種子を守ります。
自分の心の中に 種子を蒔く時も、その種子を 困難や 心配などの
外から侵入する思いから 守るために、心理的な防衛柵を 設けましょう。
あなたの潜在意識が その種子を受け入れ、
それが発芽し、成長し始めるまで、そっとしておきましょう。

3175志恩:2015/01/12(月) 02:24:49 ID:.QY5jUA6
つづき

📘1つの種子のことを考えてみましょう。

袋の中に入っている限り、それは 眠ったままです。
それが一度、袋から取り出され、土の暗闇に播かれた時、
変化し始め、成長し、広がってゆきます。
ある種子は 他の種子と比べて、発芽に時間がかかります。

自分に何が起きているのか、よく見るための時間が必要です。

私は 種子と同じように、成長して変わるために、

暗闇の中に 入ってゆかなければ なりませんでした。

暗闇にいると言って 落ち込んでしまうかわりに、
これは ひとつのすばらしい神の計画の一部であって、
成長し、変化し、動いている時間であり、そのすべてが
暗闇の中で起こっているのだと理解することができます。

恐れることは 何もありません。
通過しなくてはならない過程であることを 受け入れ、
すべてのものと一緒に 流れてゆくことだけが 必要なのです。

自分が思っていたよりも、この段階が長く続いたとしても、
落ち込んで絶望してしまわずに、多くのことが 自分の中で、
そして 暗闇の中で起こっていることを 理解し、
辛抱強く 神の完全なタイミングを 待つことが必要です。

すべて 自分に起こって来ることは、
自分が学ばなければならないレッスンとして受け入れます。

このレッスンは たくさんの人々を助けるために 使うことができます。
彼らが いま通過している 大変な暗黒の時期は、
人生の中で 特別に 大切な時期として 利用することができること、

そしてますます苦況におちいらないためにも、落ちこんだり、
絶望してはならないということを明らかにするからです。

この暗闇の時期に、すばらしい変化が 人生に たくさん起こるのです。
最初 人生が 真っ暗闇に落ちた時、私は とても恐れました。
すべてを失ったと感じて、
木ばかりが見えて、森全体が見えなかったからです。

私は 気持ちを平和に保ち、森の中に一本の細い道を見ました。
そして、その道にそって進んでゆきました。
すると、美しい木や森が見えただけでなく、
私にまわりの自然の美しさも目に入ってきました。
私は何も物が見えなかったのに、今はよく見えます。
そして見るものすべてに感謝しています。

3176SAKURA:2015/01/16(金) 17:08:49 ID:???
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こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 真理を伝えるのは愛の道 ―その9 ―【 転載編 ―】*=======**========

■維摩経がみずから身に病を現わしてそうして本来病無き所以をお説きになったということが、
仏説『維摩経』に書いてある。これもやはりお釈迦様がお説きになった教えである。

キリスト教の聖書の中には、キリストが病気を治し給うた記録がたくさんある。
ところが、生長の家で病気が治ったという事実を発表すると、多くの仏教者やクリスチャンや
そのほかいろいろの宗教家が「宗教で病気が治るのは邪道である」というふうなことをいって
攻撃されるのであります。

それならキリスト教は聖書に病気の治った話があるから邪教であり、釈迦は『維摩経』で
病を縁として実相を説いたから仏教は邪道だということになる。こういう観方でゆくとすべての
宗教は邪道に観えてくる。

こういう人こそ実に気の毒な人であって、自分の心の眼が「邪教」であるから、
すべての教えが邪教に見えるのであります。
お釈迦様は「総ての衆生を見ること一子羅喉羅の如し」とこういうぐあいにいっておられる。

もしここにわれわれが、自分の子供が病気をしているという時にこれを宗教で治してくれた人が
あったら「なんじゃあいつ、病気を治しやがって邪道である」と罵倒しうる父親、
母親がありうるでしょうか。

そうしたならば、多くの人類が生長の家によって治されていると事実を見て、多くの人類はすべて
自分の一子羅喉羅のごとしであるから、救わなければならぬ子であると思うているはずの宗教家た
るものが、自分の子供と同様な衆生が、生長の家によって病気が治っているという事実に対しては、
「ああ、ありがたい、わたしが行って世話してあげなくちゃならないところを生長の家が治して
くれたのだ、ありがたい」という気持になるのであってこそ、これ仏様の心なのであります。

ところが、自分の子供同様救わなければならない衆生が、生長の家で病気が治っている――
その事実を見て、「なんじゃ、あんなところに行きやがって、病気治しやがって……」と、
鬼のような心をもってそうして本当に救う働きを現わしている、観世音菩薩の働きを現わしている
「生長の家」に対して咀いの言葉を投げかけるような宗教家があるというようなことは、
彼が宗教家であるのか、地獄からの使者であるのか、実に嘆かわしい次第であると思うのであります。

               次の項目につづく
❤〜SAKURA

3177ママ:2015/01/17(土) 00:42:07 ID:YqbfME42
志恩さま、sakuraさま、読んで幸せな気分にならせていただきました
我が家は、本は、それぞれの部屋に分散してて、読みたいときによめないので、
何気にここ見て良かったです゜

3178志恩:2015/01/22(木) 03:15:22 ID:.QY5jUA6
谷口雅春先生著《人生読本》より

『他(ひと)から見て どう見える』

仕事でも、顔でも、店構えでも、事務所の玄関でも、外から見て どう見えるかを 調べてから、他に見せるようにすることが大切です。

仕事をする上からいえば、自分は その仕事をやりとげることに熱心すぎて、ちょっとぐらいよごれていても、
気がつかない事がありがちです。

いかに立派な製品でも、ほんのちょっと手垢がついているために、つまらないものだと見向きもされないこともあります。

まず自分がお客になって玄関へ入って行くと、どんな感じがするか、什器や椅子の並べ方は不快ではないか、
応接室で待っているとどんな感じがするか、何分間待たせられるか、待っている間に放っておかれるか、

何か出されるか、その出し方はどんなふうにするか、読み物はあるか、最初の面談はどんなふうに始められるか。
・・・・・こんなことでも、自分が客となって見なければわからないのです。

他の事務所や商店と比較してみて、悪いところはできるだけ廃(や)めるようにし、良い所はできるだけ取り入れるようにし、
さらによそに見られぬ好い感じを出すようにしなければなりません。

自分の店や自分の事務所ばかりを見ていては、欠点があっても、その欠点は慣れてしまって、
それが当たり前のような気がして気づかないものです。

臭い空気に慣れてしまっては、その空気が臭い空気だということに気がつきません。しかし外から入って来たら、
「なんてここは臭い空気だろう」と気がつくのです。

 客は外から入って来るのですから、一番誰よりもその室(へや)の空気の良し悪しには気がつくのです。
室の空気の良し悪しというのは、鼻から吸う空気だけのことではありません。 心で吸うなんとなきその室の味です。

その室の匂いです。その室の感じです。

その中には人間のようすもあり、微笑もあり、心の思いもあり、椅子や家具の並べ方もあり、
「ああ、ここは気持ちが好い」と思われるようにしなければなりません。

3179志恩:2015/01/22(木) 03:22:52 ID:.QY5jUA6
谷口雅春先生著「女性の幸福365章」

「生きることは美しい」

悲劇にさえも其処に美がある。悲しみさえも、
それは生命の働きであるから其処に美が構成されるのである。

人がその人生航路において右するも死、
左するも死・・・の板挟みに立たされながら、

辛うじて「生」のバランスを保っているところには、
恰も生死の構図の不等辺三角形が、倒れんとして倒れないで、
不均衡の均衡を保っている美に類似した美しさがあるのである。

円盤投げ選手の姿勢の美しさや、体操選手の平均台上における
美しいフォームなども、不均衡の均衡、倒れんとして倒れざる、
重圧に対してそれを克服しつつある内部生命の美しさの表現である。

人生の重荷も、もしそれを私達がよく耐え忍ぶならば、
私たちはこの宇宙に何らかの「美」を創造しつつあるのである。

「私は今、この人生苦を耐え忍ぶことによって
人生に“美”を創造しつつあるのだ」という考えを起すならば、

無価値と見える人生に私たちは価値を見出し、
生きる希望と勇気とを与えられることになるのである。

3180志恩:2015/01/22(木) 03:30:04 ID:.QY5jUA6
谷口雅春先生著「女性の幸福365章」より

 「急ぐことは いらない」

瞑目して自己に語れ、
「われは神の子であるから、実相に於いて完全である。
その完全さは、
毎日一層より多く自己の生活にあらわれつつあるのだ」と。

神は急がない。
無限の時間があり、無限の機会がある。
必ず成就する、神が成就せしめる。
神にまかせよ。自然に熟する時が来る。

過去の失敗や不幸を回想してはならない。
過去は過ぎ去ったのである。
反芻して過ぎ去った苦痛を、もう一度味わうのは愚かなことである。
毎日々々、過去を捨て去り、今日を新しく生きるがよい。

3181SAKURA:2015/01/22(木) 19:22:11 ID:???
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こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 皇室および一家の祖先を礼拝せよ ―その1 ―【 転載編 ―】*=======**========

  ■われらは生命は永遠なるを信じ、毎朝、皇霊を遥拝し奉り、次いで一家の祖先の
霊魂を祀れる祭壇または仏壇の前に座してその冥福を祈願し、かつ自己の生命も永
遠なれば常に若く愉快に青年のごとく生きんことを期す。■

■このわれわれの生命が永遠なる存在であるということは、生長の家の真理の根本を貫く
ところのものであります。これがハッキリわからなければ「皇霊を遥拝し」ということの
意儀もわかりません。皇霊を礼拝するということも虚礼ではありません。

いろいろの批判はあるにしても、われわれ日本人は日本国の歴史を通して「今の」一点に
生きているのです。そしていろいろの日本国の興隆不沈はあったにしても、どんなときにも
日本国が動揺せずに、ここまで日本民族が発展してきました不倒翁(おきあがりこぼし)の
重心のごとくドッシリとして、その中心からどんな時にも日本国が立ち直ることができた重
心は天皇がましましたからであります。

われわれは歴代の天皇のこの御恩沢を忘れてはならない。
恩を知るということが実践道徳と実践宗教との中心になるのであります。だからわれわれは
歴代の皇霊に対して崇敬の誠を捧げるのであります。


 仏教では霊魂という言葉を使わないのであります。それで、「生長の家」で霊魂というよ
うな言葉を使うと、それは仏教と衝突するといって反対なさる方も時にはあるのであります。

しかし仏教では「霊魂」という言葉を使わないけれども「神」という言葉を使う。『無量寿経』
にも釈迦が兜卒天宮(とそつてんぐう)より降ってこの世に生まれることを「兜卒天に処して
正法を弘宣し、彼の天宮を捨てて神(たましい)を母胎に降し、右脇より生ぜり」とあります。

この「たましい」という字は「神」(じん)という字を書いています。このように仏教も有霊魂論
なのですから撲滅しないでよろしいのであります。一昨日でしたかラジオで、誰かが日蓮上人の
遺文録の講義をしておられた時に、ふとスイッチをひねったのであります。

めったにラジオのスイッチをひねったことはなかったのですけれども、その時なんだかひねって
みたくなって聞きましたら、その中で、日蓮上人が竜の口で斬罪に遇うところの講義に「自分は
たといこうしてここで斬罪に遇って死んでも、魂獏この世に止まって云々」ということを日蓮上人
が言われたそうです。

それはなんでも『開目鈔』にある言葉らしいのですが、確かに「魂魄」というものを日蓮上人は
認めておられた。これはやはりわれわれのいう「霊魂」の異名なのであります。
また仏教では霊魂という言葉を使わないで、「有」という字を使うこともあります。

                        つづく
❤〜SAKURA

3182SAKURA:2015/01/26(月) 21:46:37 ID:???
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
>>3104>>3122>>3125>>3126>>3129>>3131>>3133>>3134>>3137>>3142>>3143>>3144>>3146>>3147 
>>3148>>3149>>3150>>3151>>3152>>3153>>3154>>3156>>3157>>3158>>3159>>3162>>3172>>3176
>>3181 の投稿の続きです….。
■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 皇室および一家の祖先を礼拝せよ ―その2 ―【 転載編 ―】*=======**========

■すなわちわれわれの死んで行く世界を「有」と名づけてありまして、六道を二十五有にわけ
るというふうなことをやっておる。

そうして仏教ではわれわれの肉体が滅して四十九日のあいだは中有に迷うという言葉を使って
おるのであって、まだその「二十五有」の中のどこへ行くか決まっていない間が四十九日ある、
その四十九日間を中有に迷って家の棟にふらふらとしている。それからその期間が過ぎると、
その期間が満ちたというので「満中院」と称し「満中院志」というのを配ったりします。

その時期が来るとお前は前世の業がこうだから六道のうちのどの道を行けということは前世の
業に従い、自然の摂理に従って未来世の行くところが定(きま)ってくるのであります。

ところでこの「有」というのは何であるかというと『仮存在』である。本来久遠生きとおし
常恒の存在であるところの「生命」が因縁によって仮存在として、アチラに現われたりする、
コチラに現われたりする、これが輪廻転生というものであります。「実相の生命」には来世と
いうことはない、生まれ変わるということはないのでありますが、仮存在としての生命は生まれ
更わるのであります。

そうしてこの肉体の世というものもこの仮存在の一つであります。
さて、その仮の世というものが何でできているかと申しますと、業でできているのです。
業というのは何であるかというと、「念波」であります。「念波」の集積が業であります。

それで、われわれの肉体というものは、科学的にはこれは物質の体で、物質の体とは何で
あるかというと、エーテルの波の中にできた渦巻の塊である。そのエーテルも本来無いと
いうような最近の説までありますが、結局「何もないもの」無の一種の波であるということに
なっているのであります。

そんなわけで、この肉体というものも何もないものも一種の波であるのでありますが、
肉体として現われている波と、霊魂の体として現われている波とがあるのです。

眼に見える波動(すなわち肉体)だけ存在すると思ってなりません。眼に見えない、
われわれの五官に触れない無数の波動が存在するということを知らねばなりません。

                            つづく
❤〜SAKURA

3183志恩:2015/01/30(金) 07:15:13 ID:.QY5jUA6
 谷口雅春先生・「叡智の断片」




先ず自分は何処に立っているかを考えて見よ。


自分の我欲の上に立っているか、

神の御心の上に立っているか。


脚下証拠。

3184志恩:2015/02/08(日) 04:03:52 ID:.QY5jUA6
谷口雅春先生のおことば

  神と偕に生きる

今日、誰かに必ず役に立つ仕事をしよう。

大いなる仕事が見つからなかったら、

目の前にある些細な愛行や、深切な言葉や、

奉仕や、清掃などの仕事でもよい。

何か誰かに悦ばれる事を必ずするがよいのである。

他の人の自由や財産を侵して自分が利益を得たり、

権力を得ようと思ってはならない。

このようにあなたの日常生活を浄めることによって、

あなたは神の霊波と波長が合うことになるのである。

3185志恩:2015/02/08(日) 04:09:09 ID:.QY5jUA6

谷口雅春先生著「真理 第2巻」


我が毎日が新生である。一瞬一刻に挑戦せよ!




昨日と同じものはひとつもない。

ひとつひとつの体験が悉く自分の魂の

向上進歩の段階となるものなのである。

過去にとらわれてはならない。


今、新しき経験があなたの目の前にあるのである。

それを真心を以って一心不乱につくすとき、

その次の段階がひらけて来るのである。

3186トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/02/18(水) 20:20:56 ID:TXLBGFCU
「栄える生活」

 動には必ず反動が伴うものであって退くこと多ければ進むことも大きいのであるのである。
常緑の木には豊かに花をつけるものはないのである。それは退くことがないから進むことも
ないのである。時計の振り子は右に振れただけ左に振れるのである。動と反動とは同一の量
であるのが物理的法則である。吾々は必ず退いただけ進むに違いないのである。諸君の運命に
秋が訪れ、また冬が訪れてこようとも決して吾々はそれに驚くことはないのである。冬がいっそ
う寒いときには麦はいっそうよく実るであろう。されば吾々は常に今あることを感謝せよ。

(「青年の書」谷口雅春先生 159pより 謹写)

 現在、生長の家は、教団の組織指導と信仰指導が混迷し、また一種の内紛とも見える状態を
呈しています。この掲示板をご覧の方の中には、失望落胆されている方もおられるかもしれません。

 しかし、こういうことが起きた後、やり方を間違えなければ、必ず、正しい方向へ伸びます。
今起きていることは、全て、良くなる前に必要な過程であります。

 そのためにも、信仰者の皆様は、聖典を再読し、行をいたしましょう。

3187アクエリアン:2015/03/04(水) 11:49:23 ID:X49tdNOI

■マリアン・ウィリアムソンを読む(1)

Aging Spiritually
(霊的に年を重ねる)

By Marianne Williamson

Excerpt from the March/April 2008 issue of Unity Magazine
(ユニティマガジン2008年3、4月号の記事からの抜粋)

My father once told me, “When you’re old, you don’t feel old.”
I can appreciate what he meant when he said that, as I ponder the fact
that the essential being I am inside myself is the same in my 50s as
when I was only 15.

So who am I really?

Am I the woman who has changed with age, or am I the changeless self
within?

Am I the woman who is encased in time or the being who dwells apart from it?

appreciate:称賛する、感謝する、正しく認識する
ponder:じっくり考える
encase:すっぽり包む
dwell:住む

私の父がかつて次のように私に語ったことがありました。

「お前が年をとったとしてもお前は自分が老いたとは感じないよ。」

私は父がこのことを語ったとき何を言おうとしていたのか、ということが、今の私なら理解できます。
というのも、私は、私の内なる本質は、15歳のときだろうが、50歳代のときだろうが、不変なのであるという事実を、ずっと考え続けているからです。

それでは、私とは一体いかなる存在なのでしょうか?

年齢とともに変わって行く一人の女性なのでしょうか?

あるいは、内なる不変の自己なのでしょうか?

時間という要素に制約されている女性なのか?

あるいは、時間という要素の制約を超えた存在なのでしょうか?

3188アクエリアン:2015/03/04(水) 20:31:44 ID:X49tdNOI

■マリアン・ウィリアムソンを読む(2)

Aging Spirituallyー(2)
(霊的に年をとる)

By Marianne Williamson

Excerpt from the March/April 2008 issue of Unity Magazine
(ユニティマガジン2008年3、4月号の記事からの抜粋)

Sometimes when referring to things that happened long ago, we say things like “I remember it like it was yesterday.”
And that’s because in a way it was.

If time, as Einstein declared, is merely an illusion of consciousness, then linear time itself is a metaphysical fiction;
everything that has happened, is happening, or will happen, is happening now. There, in that realm of the eternal now,
is the true “I am.”

illusion :幻影
linear:直線の
metaphysical :形而上学的な、きわめて抽象的な
realm:領域、範囲

しばしば、ずいぶん前に起きた事について言及するとき、「それは昨日おこったことのように覚えている」と言うことがあります。
そして、それはある意味、その通りだからなのです。

もし、時間というものがアインシュタインが言うように、単なる意識の幻影でしかないのならば、一直線に進む時間という概念そのものは、
頭の中だけのフィクションにしかすぎないということになります。かつて起こったこと、今起こっていること、そして将来起こるであろうこと、
これらのすべてのことは、今この瞬間に起きているのです。永遠の今という領域においてのみ、真の”私”が存在しているのです。

「everything that has happened, is happening, or will happen, is happening now.」
「かつて起こったこと、今起こっていること、そして将来起こるであろうこと、これらのすべてのことは、今この瞬間に起きているのです。」

この文章は、「the eternal now(永遠の今)」という概念を解説する文章として、なかなかうまいこと表しているなと思います。

過去も、未来も、すべてこの「永遠の今」という瞬間において、自己の心の掌中に握られているのだ、ということでしょうか。

これは、常に口に出したい文章で、私は非常に好きです。

「甘露の法雨」に曰く、

生命は時間の尺度のうちにあらず、

老朽の尺度のうちにあらず、

却って時間は生命の掌中にあり。

これを握れば一点となり、

これを開けば無窮となる。

若しと思う者は忽ち若返り、

老いたりと思う者は忽ち老い朽つるも宜(むべ)なるかな。

3189なでしこ:2015/03/05(木) 01:04:38 ID:EIiX3Duo
アクエリアン様

有難く拝読させて頂いております。合掌

3190志恩:2015/03/05(木) 06:31:34 ID:.QY5jUA6
3187,3188:アクエリアン様

>>アクエリアン様の文、一部抜粋

■マリアン・ウィリアムソンを読む
Aging Spirituallyー
(霊的に年をとる)

もし、時間というものがアインシュタインが言うように、単なる意識の幻影でしかないのならば、
一直線に進む時間という概念そのものは、
頭の中だけのフィクションにしかすぎないということになります。

かつて起こったこと、今起こっていること、そして将来起こるであろうこと、
これらのすべてのことは、今この瞬間に起きているのです。
永遠の今という領域においてのみ、真の”私”が存在しているのです。

「everything that has happened, is happening, or will happen, is happening now.」
「かつて起こったこと、今起こっていること、そして将来起こるであろうこと、
これらのすべてのことは、今この瞬間に起きているのです。」

この文章は、「the eternal now(永遠の今)」という概念を解説する文章として、
なかなかうまいこと表しているなと思います。

過去も、未来も、すべてこの「永遠の今」という瞬間において、
自己の心の掌中に握られているのだ、ということでしょうか。<<
……………………………………………………………………
アクエリアン様

ユニティの格調高い文と、他板では、歌のご紹介も、感謝します。
雅春先生時代には、海外の光明思想家の方々が、次ぎから次ぎへと、雅春先生に会いに、
来日されていましたものね。デーヴィスさん、ホルナディさん...、輝くオーラを放ちながら、
講演も、通訳つきでされて、信徒たちを啓蒙して下さってました。
また、こういう時代が来るといいですね。

3191アクエリアン:2015/03/05(木) 20:55:47 ID:X49tdNOI

■マリアン・ウィリアムソンを読む(3)

Aging Spiritually
(霊的に年を重ねる)

By Marianne Williamson

Excerpt from the March/April 2008 issue of Unity Magazine
(ユニティマガジン2008年3、4月号の記事からの抜粋)

The eternal self dwells in eternity, and eternity intersects linear time at only one point: the present.

intersect:交差する、相交わる

Who you are in this moment, therefore, is who you truly are.

And from that essential point of perfect being―created anew by God in every instant―miracles flow naturally.

anew:新たに、
instant:瞬時、瞬間

Thoughts of love interrupt the past and open the future to new probabilities.

No matter who you are, no matter how old you are, in the present, all things are possible.

久遠の自己は久遠のなかに存在するのです。そして、久遠と、この現象の時間とは、ただ一つの地点ーーつまり、現在ですねーーにおいて、交差するのです。この瞬間のあなたの姿が、それゆえに、あなたの久遠の自己の顕れなのだということになります。そして、真の自己は、瞬間瞬間、神によって新たに創造されている完全な存在なのだという絶対的な次元から奇跡は自然に生まれてくるのです。愛は過去からの悪影響を遮断し、未来に対して新たな可能性を開くのです。現在のあなたがどのような境涯であろうと、何歳であろうと、あらゆる可能性が開かれているのです。

なでしこ様、志恩様、メッセージありがとうございます。

マリアン・ウィリアムソン女史は、アメリカ人でありながら、非常に深い真理を体得されているように思います。
前世、インドか日本で、インド哲学か仏教などを学んでいたのではないかと思わせられる、宗教的センスの良さが
感じられて、魅力を感じています。

3192アクエリアン:2015/03/06(金) 20:48:04 ID:X49tdNOI

■マリアン・ウィリアムソンを読む(4)


Aging Spirituallyー(4)
(霊的に年を重ねる)

By Marianne Williamson

Excerpt from the March/April 2008 issue of Unity Magazine
(ユニティマガジン2008年3、4月号の記事からの抜粋)

The physical self ages, of course, but the spiritual self does not.
As we identify more with the spiritual dimension of our lives, then
our experience begins to shift from the changeable to the changeless
. . . from limitation to limitlessness . . . from fear to love.
As our journey through linear time gets shorter, our consciousness can
in fact expand. And as it does, time itself is affected. The deeper we
go into the love of God, the more we actualize our earthly potential.

identify with;・・・・に関係する、共鳴する

肉体の自己は、勿論、老化はまぬがれることはできませんが、霊的自己はそうではないのです。私たちの生活が、もっと霊的な次元を意識するようになると、私たちの経験は、無常なものから常住のものへ、限定から無限へ、恐怖から愛へと転換しはじめるのです。私たちが現象の時間を意識することが少なくなるほど、私たちの意識は本当に拡大していくのです。そして意識が拡大していくと、時間そのものも影響を受けます。私たちが神の愛の中へ深く入っていけばいくほど、この地上における私たちの潜在能力をより多く実現していくのです。

3193アクエリアン:2015/03/08(日) 10:27:37 ID:X49tdNOI

■マリアン・ウィリアムソンを読む(5)

Aging Spirituallyー(5)
(霊的に年を重ねる)

By Marianne Williamson

Excerpt from the March/April 2008 issue of Unity Magazine
(ユニティマガジン2008年3、4月号の記事からの抜粋)

The understanding of that which does not change is the key to our power within a world that does. In aligning ourselves with the eternal self, we age not in a straight line leading from luscious youth to decrepit age, but rather like the flowering lotus opening more and more to the light of the sun.

align oneself with:・・・・と提携する
luscious:甘美な、官能的な、きらびやかな
decrepit:老いぼれた

変化しない永遠の存在への覚醒が、この無常の世界の内に眠っているわたしたちのパワーを開花させるための鍵です。わたしたちの真の自己である久遠の自己に目覚めるとき、わたしたちは、甘美な青春期から老いぼれた老年期へという通常の人生のコースではなく、むしろ、蓮の花が太陽の光に向かって花開くような年齢のとり方をするようになってくるのです。

3194アクエリアン:2015/03/12(木) 20:36:35 ID:X49tdNOI
「エマソンの光明思想と生長の家」 谷口雅春先生

理想世界誌昭和四十七年十月号輪読のための青年法語より


■四日のことば 超越的自己を自覚するために

わたし達は “本当の自分” ではないところの単なる仮装の存在である肉体にばかり気をとられ、 肉体が生活している “物質と見えている環境” の有様にのみ心を集中して生活している時には、 この内在の “本当の自分”---Soul(魂)なる自分には気がつかないのである。

しかしある瞬間 ---それは座禅や鎮魂や神想観や瞑想や---兎も角、外界に心を振り向けずに自分の内的生命にのみ ひたすら心を振り向けた機会に、自己の内的生命の自覚が顕在になって来る。そのとき、イエスが

「われはアブラハムの生まれぬ前(さき)より在るものなり」

と自覚された時のような、肉体の 年令や時間を超越して実在するところの自分を自覚するのである---諸君もそれを自覚するときが 来るのだ---そのためには毎日怠らず神想観を実修するがよい。

【コメント】
この法語で説かれているように、「超越的自己」の自覚、ということが、生長の家のみならず、宗教の究極の目的ではないでしょうか。マリアン・ウィリアムソン女史の言う、「the eternal self」ですね。

3195島津綾久:2015/06/12(金) 16:12:07 ID:???


 誰であれ人に会ったら「夜中12時にはこの世を去る」そんなつもりになって、いままでとは違った態度で接する。それは極めて簡単である上に、それと引き換えに人生が永久に変わるのです。ぜひ試してください。


 明日という日があるのは愚か者の暦だけ。昨日の敗北は忘れ、明日の問題は無視します。今日こそ、最後の審判の日。あなたの持っているすべて。それを一年で最高の日にするのです。もう一度人生をやり直せたらという言葉ほどわびしいものはありません。今日はあなたの日です。


 一日一日が神からの特別な贈り物です。人生は常に公平というわけにはいかないかもしれません。しかし、醜い自己憐憫のマントをまとっていては絶対に勝てないし、泣きごとの不快な響きは成功のチャンスを必ず追い払います。そんなことはもうやめましょう。もっと良い生き方があるのです。


 欠点が邪魔をして前進できないのではないかと取り越し苦労をするのはやめること。人間は神の創造物であり、志を高く持てばどんな夢でもかなうのだと折にふれて思い出すようにしよう。自分は飛べると思ったら本当に飛べるのです。失敗するのではないかなどと2度と考えないこと。


 1974年、ハンク・アーロンがベーブ・ルースのホームラン記録に近づいたある朝、私はアトランタブレーブスの広報課に電話しました。「ハンクのホームランが710本で、あと5本でベーブルースの記録を破ることは知っています。ところで、ハンクの三振はいままで何回ですか?」電話に出た青年は言った「1262回です」不世出のホームラン王でさえホームランを一本飛ばすために、倍近く三振を出さねばならないのです。


 失敗は人生が人に教訓を与える手立てなのです。ときどきへまをやらかす能力は、目標に到達する能力と切っても切り離せない関係になります。連勝連敗の勇士などどこにもいないのです。失敗してもそれは成長の一部でしかありません。たとえばへまといっさい縁を切ったとします。ときたま失敗することなしにどうして自分の限界がわかるでしょう。失敗しても投げ出さないこと。そうすればいまにあなたの番がきます。


 ひとたび明日から給料以上の働きをすると心に決めたら、人生に奇跡が起こり始めます。現在何で生計を立てているか、仕事のいかんにかかわらず、毎日給料以上の働きをすれば、生活はすぐさま向上しはじめます。費用は全くかからないのに効果は抜群で、このルールに従えば人生は永久に変わります。


 何ごとも期待される以上の仕事をするという秘訣を習得すれば、成功の勝利は半ば手に入れたも同然です。職場に欠かせない人材になるように、役に立つ人間になるのです。もう1マイル行く権利を行使して、それによってもたらされるさまざまな報酬を手に入れるのです。あなたはそうした報いを受ける価値があります。


――――――――――――――――――――――――――――
●オグ・マンディーノ
 1923年アメリカボストン生まれ。高校卒業後アメリカ空軍中尉とし
て活躍後、保険の営業を経て出版社を経営。 1976年から著作活
動と講演活動に従事し、『地上最強の商人』の大ヒットによって一躍、
人気作家に。アメリカで最も精神的影響力を与える作家の一人とし
て挙げられると同時に、その講演内容にも定評があり、全米各地で
人気を博す。著書15冊、世界で2500万部を越える。1996年9月
急逝。
――――――――――――――――――――――――――――

3196島津綾久:2015/06/13(土) 05:11:47 ID:???

 〝病なし! 迷いなし! 罪なし!〟これが生長の家の根本真理であります。それでは、神様ただ今より眠らせていただきます。

6月13日3:30am
谷口雅春先生 最後のお言葉――

3197a hope:2015/07/17(金) 12:04:33 ID:cEpBaIdo

「神 真理を告げ給う」 p87

               ○    

何よりも日本の青年たちを堕落せしめる根本原因になっているものは、アメリカ軍が敗戦の日本に当時押しつけた「日本国憲法」の残存である。この憲法が青年たちを道徳の頽廃に導く根因を成しているというのは、人間を単なる性・色の本能をもてる肉体だという考え方から出発して、双方の性欲さえ動けば結婚は自由であるという風に規定しており、更に、国民はその肉体が健康で快適な生活を送る権利が有る――そのようなことを基本的人権として書いているからである。


肉体が健康で快適な生活を送るためには、国民各自みずから努力し修養し、そのような境地に達する義務があるのであるが、この憲法はその義務をかいていないのである。この憲法には国民みずから努力の義務なくして、国家ばかりに国民を健康にし快適な環境を生活させる義務を負わせている。そのために何か自分に都合が悪いことが起これば、国が悪いのだ、政治が悪いのだと、自分の不幸の責任を国と政府に肩代わりさせて、国を憎み、政府に反逆するように書かれているのである。責任を他に転嫁して自分が責任のがれをする生活は、安易である代りに、人間を卑怯に育てて堕落させる結果を招くのである。

               ○

3198a hope:2015/07/17(金) 12:10:37 ID:cEpBaIdo

>>3197 a hope 所感)

たしかに日本国民の道徳観はどんどん頽廃してきているようにみえます。
離婚にともなう片親家庭の増加、当たり前のようにする不倫など、わたしの周りではもうそのようなことはめずらしくありません。
少し前までは後ろ指をさされる様なこともあったかもしれませんが、最近では当事者であっても悪びれたそぶりも見せません。


ですが、数日前に信仰/体験板に謹写した同聖典の言葉に、

<<地上で果たすべき最後の課程を卒業した霊魂は高級天体の世界に移住して、もう地球上に帰還することはない。
その卒業移住と引き替えに、他の地球よりも、もっと低い階級の天体に住んでいた未発達の多くの霊魂が、恰(あたか)も中学校卒業の子供が高校へ入学して来るように、地球に移住してきたのである。
それが戦後に生まれて来た人たちの霊魂である。
彼らは他の天体に今まで住んでいて、他の天体で発達した文明と文化と習慣の中で生活した霊魂であるから、今まで地球で住んでいた人類の道徳とは異(ことな)る道徳的規準を身につけており、絵を描くにしても、音楽をたしなむにしても、衣装をつけ、髪形を調えるにしても、男女交際のあり方にしても、全く戦争前地球人とは全然異(ことな)る
趣味と表現と風習とをもっているのである。
けれども彼らはやがて地球という稍々(やや)上級天体の生活に、彼ら自身の生活振りと行動とを慣らして行く時が来るのである。
世界は悪化しつつあると見える時にも、結局は一層良い方に移行して行くのであるから余り心配しないがよい。>>

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1333192083/2618

とあります。

そのことから考えると、現憲法である「日本国憲法」は霊性の高い谷口雅春先生、又は戦前生まれの方々からみれば波長の合わないものだったかもしれませんが、
『他の天体に今まで住んでいて…今まで地球で住んでいた人類の道徳とは異(ことな)る道徳的規準を身につけて』いるという、
戦後に生まれたわたしたちには、きっとピッタリ波長があってしまったのでしょうね。
だからこそ、70年間も存続し続けたのだと思います。

ですが神さまは、そのような最悪と見えるような状態も、

<<けれども彼らはやがて地球という稍々(やや)上級天体の生活に、彼ら自身の生活振りと行動とを慣らして行く時が来るのである。
世界は悪化しつつあると見える時にも、結局は一層良い方に移行して行くのであるから余り心配しないがよい。>>

と、とても楽観視されてます。

「限りなく日本を愛す」の谷口雅春先生の切羽詰ったような論調とは明らかに趣が異なります。

神さま! 今日本で起きているすべてのことは、日本が、わたしたち日本人が良くなるための自壊作用ということなのでしょうか?

3199「訊」:2015/09/10(木) 08:49:47 ID:???




 敗退したるところの日本精神は、決して精神主義的なものでも心霊主義的なものでもなく、日本精神の仮面を被った唯物論そのものであったことは先ず最初に注意すべき事柄である。(中略)日本軍部の敗退の原因は其の徹底的唯物論であって兵を観るに『人格』として視ることなく、ただの物品として取扱った。打つ、擲(なぐ)る、蹴るは無論のこと、『鶯の谷渡りをせよ』と云って小鳥の真似をさせたり、『蝉になれ』と云って柱に数時間とまっている真似をさせたり、人間を人格として観ず、鶯や、昆虫や無機物として取扱った。(中略)更に、日本軍部敗退の原因は其の軍需経済の建て方が、唯物的であったと云うことである。換言すれば『奪えば増加し、与えれば減る』と云う物質的算術図式の経済しか知らぬ幼稚なものであったのである。

「白鳩」誌(昭和二十一年六月号)より謹写――


 軍も官も概ね利己に心の眼がくらみ、富める国より、有てる国より奪うことによって、日本を大きくしようと考え、それに付随して自己の栄達を希(ねが)って、国民を引摺って行ったのである。国民もそれに無我に随って行ったようであるが、真に無我ではなかった。やはり利己的動機で儲けようと考え(中略)尚それよりも重大なのは、やはり富める国より、その領土を奪って、日本領土を拡張することが国に忠義であるとの国家的利己主義に眼がくらんで、それを謳歌していたのである。国民はかくして眼くらみ、盲人となって盲人なる軍官指導者に手を引きずられつつ歩んで行った。そうしてついに今日の破局に墜落したのである。

「生長の家」誌(昭和二十年十二月号)より謹写――


 『神の国』と彼等日本人は自国を称したけれども、それは『封建的上位階級の支配する国』と云う意味であった。従って『日本神国』と称すれば、如何にも他から察せば、宗教立国の国のように聴えたけれども、実は無神論も無神論、ただ特殊上位階級を指してカミと称した偶像崇拝者支配の国と云う意味であったのである。このようなことではどうして、真の宗教をもち、真の『神』を信ずるアメリカ軍の信念の力に立向うことが出来る筈がなかったのである。



「白鳩」誌(昭和二十一年六月号)より謹写――

 
 縛る心が『病気』である。病気と云っても肉体の事ばかりではない。国民を縛る国は病気の国であり、国民を縛る軍隊は病気の軍隊である。そのような国が敗れ、そのような軍隊が自壊したのは当然である。人間も病気にならないことを希うならば、また病人が治ることを欲するならば、『こうでなければならぬ』と人を縛る心、『こうありたい』と人を縛る心から、自分自身を解放しなければならぬ。他を縛る心は、自分自身をもそれに引っかからせて、自分自身を縛っているのである。人を『斯うでなければならぬ』と心で縛っている間じゅう、自分自身の心は窮屈であろうがな。道徳家はよく病気をする、他を審判(さば)き、他を縛る心があるからである。他を解放したときに、自分自身も解放される。一切万事われより出でてわれに還るのは此処に於ても真実である。


「白鳩」誌(昭和21年5月号)より謹写――

3200a hope:2015/09/20(日) 05:59:05 ID:H4pfxWHA

○いっさいの実在は神なる一元より発生したものである。

われわれは神の中にいる。

常住神を離れることはできない。

だから神に近づくとは一歩一歩、いろいろの工夫を凝らして神にまで攀(よ)じ登ることではない。

工夫という私の計らいがなくなった時、そのままで神の中におり、神に一致し、神のままに行為し生活している自分を見出だすのである。


「生命の實相」第22巻『知慧の言葉』より

3205トキ:2015/10/09(金) 01:09:10 ID:DxPu/lj2
全ての人間を”神の子″として拝むこと


あなたが”神の子″であるだけではなく、すべての人間が”神の子″であり、わたしたちと兄弟姉
                         
妹であるのであるから、わたしたちはいかなる人間をも”神の子″として礼拝し、全ての人間を祝福
                     
してあげなければならないのである。人を軽蔑してはならない。どんな不完全な状態がその人に現在
                                  
顧われておろうとも、その顕われだけを見て、その人間を根本的に蔑視するようなことがあってはな

らないのである。顕われのみを見ず、実相の完全さを見つめ、観じ、祝福することを継続するなら

ば、実相の完全さが、必ずやがて顕われて来るに相違ないのである。

「如意自在の生活365章」 谷口雅春先生著、193ページより謹写

3206a hope:2015/10/12(月) 10:23:32 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻 p2 8行目〜

はしがきより抜粋


・・・「聖語篇」に収録されている「智慧の言葉」は人間知の言葉という意味ではない、わたしという思想のラジオ的受信機に天界から放送された思想の宝玉的結晶である。

その放送は、わたしがあの『生い立ちの記』(本書・携帯版〈第十九・二十巻〉「自傳篇上・下」)にあるような霊感を受けて以来、道を歩いている時にも突然わたしの頭へ閃くように降って来ることが繁くなった。

わたしは手帳を常に携帯していてそれを走り書きとめる。

その時書きとめないでおくと、あとからどれだけ思い出そうとしても思い出せないことがある。

またわたしが会社にいたころ全然「生長の家」に関係のない期間書類の翻訳などに熱中しているときに、突然その機械に関係のない一つの言葉がわたしの頭に浮かんで、それをどうしても書かずにいられないで、走書きでまた書きとめておいたものもある。

そうして書きとめられた断片的思想を集めたのが、この「智慧の言葉」である。

いろいろ一つの問題に苦心して人間心で考え出したのではなく、全然他の問題に熱中している時にでも、まったく当時没頭している実際問題となんの関係もなく真理の言葉が天から降るようにわたしの頭にポッカリ湧いてくるのだから、わたしはこれを天界からくる霊的言葉だと信ぜずにはいられないのである。

昭和三十九年三月十日

著者しるす

3207a hope:2015/10/12(月) 10:25:21 ID:cEpBaIdo

○真理のみ、ただ真理のみがわれを生かすのだ。われを生かすものはパンではない。物質ではない。

○ただ霊によって新生するもののみが真に生きるのだ。そのほかの人の生はニセ物の生である。
霊によって新生せる者には激情はない。利己的欲望はない。憎しみはない。恐怖はない。
五官の快楽の虚妄を知るがゆえに、それに捉われることはない。

○旧我を放下せよ。今日から神の子となれる。

『智慧の言葉』より

3208a hope:2015/10/13(火) 09:06:25 ID:cEpBaIdo

○執すれば善も善にあらず、執せざれば悪も悪にらず、流るる水のごとく、
とどまざるところに、否その奥に本当の善がある。

○肉体は肉体である、人間ではない。

○罪は罪である、人間ではない。

○明日しようと思っている間に時は過ぎゆく。
あやまることは早くあやまるがよいし、和解することは早く和解するがよい。
すべての支払いは「明日に、明日に」と思っている間に、
延ばしていた期間だけ先方から悪い念波の放送を受け自分自身の生長を妨げられる。

○みんな自分の念が悪いのだ。自分の念の影であったのだ。

○ひとを責めようとしていたのはまちがいであった。

○他を喜ばそうという考えは自分を健康にし、他から喜ばしてもらおうという考えは病気を招く。

○人は自分の心だと言う。しかし自分の心をもっていると思うのはまちがいである。
自分が心をもつのではなくて、自分はすなわち心である。人は何よりもまず「心」である。

○わが肉体はわが心の影。

『智慧の言葉』より

3209a hope:2015/10/14(水) 08:55:36 ID:cEpBaIdo

○誉むべきことあればその人の前にて直言せよとは古(いにしえ)の教えである。
責むべき点あらば誉むべき点のみ探し出してその人を誉めよとは生長の家の教えである。

○自分に深切であれ――これを本当に実行している人は少ない。

○いかに多くの人々が毎日自分を傷つけていることであろう。憤怒、憎悪、恐怖、罵詈――その他すべての悪徳は自分を傷つける。

○すべての心の動きはその人の顔に印象される。
三年間同一の職業をつづけている人は(特異な思想生活を別にもっている人のほかは)一見してその職業がなんであるかがわかる。

○白粉(おしろい)で化粧しても心情の下劣は隠せない。心で化粧せよ。

『智慧の言葉』より

3210a hope:2015/10/15(木) 08:46:31 ID:cEpBaIdo

○真理は大きい。誰もその全部を摑んだ者はない。

○われらの無尽蔵とは良き水脈に穿(うが)たれた井戸のように汲めども尽きぬことを言うのであって、洪水のことではない。

○洪水はわれわれを滅ぼし、不断につきない井戸水はわれらを生かす。

○贅沢はわれわれを滅ぼし、程よき衣食住はわれわれを生長さす。

○どうでもよいことにいつまでもかかわるな、生命は貴(とうと)い。

『智慧の言葉』より

3211a hope:2015/10/16(金) 18:28:20 ID:cEpBaIdo

○ひとを拝め、自分を拝め、みんな神の子だ。肉体のことではないぞ。

○神の子たちが互いに挨拶するように、人間よ互いに挨拶せよ。

○世にもし軽蔑すべきものがあるならばそれは唯一つ、軽蔑するという行為である。

○世話になるすべてのものに感謝せよ。

『智慧の言葉』より

3212a hope:2015/10/17(土) 06:54:02 ID:cEpBaIdo

○苦痛を不幸だと思うのは肉体心のあやまりである。苦痛がたましいの生長にどんなに必要だとかいうことを知る者は苦痛でも喜べる。

○苦痛が喜べるようになった時、その人には恐ろしいものはない。

○人を憎むな、憎むのは自分の苦痛をこわがっているからだ。苦痛が喜べるようになったときその人は憎みから解放される。

○苦痛の火の中にあって、自分のたましいが白金か鉛か自問せよ。

『智慧の言葉』より

3213a hope:2015/10/18(日) 08:34:01 ID:75EsoCW6

○病気がなおったという理由で神を讃えるものは、今度病気になったとき神を呪わないとは限らない。

○いつでも神をたたえうる者は幸いだ。

○人間がみんな神の子であることを自覚しないのは実に気の毒なことだ。自己が神の子であるという自覚がいっさいのもとである。

『智慧の言葉』より

3214a hope:2015/10/19(月) 07:47:35 ID:YuH7GFGM

○なろうと思うよりも、なれると思って明るい気持ちで努力せよ。

○意志の力よりも想像の力の方が強い。想像力は創造力だ。

○みんな希望を実現しようと思って焦るが実現できると思って悠々と努力する者は少ない。失敗者の多いのはそのためだ。

○できると思うものは必ずできる。

『智慧の言葉』より

3215a hope:2015/10/20(火) 08:46:06 ID:cEpBaIdo

○わが教えは広く大いなる道である。あらゆる存在が尊べる道だ。生命あらゆる存在を拝む道だ。机でも大根でも拝む道だ。

○わが教えは審判(さば)く道ではないのだ。礼拝の道だ。包容の道だ。

○物を生かして使え。しかし生命はもっと大事だ。物を大事にしようと思って人間を不大事にする者は本末を転倒するものだ。一枚の皿を破ったといって人間をガミガミ叱るな。人間は皿より尊い。

○といって一枚の皿をも大切にせよ、それを造った人の生命が宿っている。

『智慧の言葉』より

3216a hope:2015/10/21(水) 07:34:40 ID:cEpBaIdo

○われらは種を蒔く人である。常に善き種を蒔け。深切な思いの種を蒔け。愛の種を蒔け。好意の種を蒔け。

○チューリップの花のように、バラの花のように、われわれの蒔いたよき思いがやがて花をさかすときの楽しみを思って喜べ。

○喜ぶ人は喜びの種を蒔く人だ。呪う人は呪いの種を蒔く人だ。悲しむ人は悲しみの種を蒔く人だ。

○蒔けば殖える。だからどんな方便でもして喜べ。

『智慧の言葉』より

3217a hope:2015/10/22(木) 08:58:58 ID:cEpBaIdo

○欠点を見つけるな。荒立てるな。静かに彼のために祈れ。

○家庭の精神的葛藤(いざこざ)で病気をつくっているものが多勢(おおぜい)ある。そんな病気はどんな薬も、霊術も、家庭の乱れを治さねば根本的には治すことはできぬ。

○事務所に窒息するような空気をつくるのも、輝くような雰囲気をつくるのも上役の心持(こころもち)次第である。

○家庭の幸福を内に持たない子供はかわいそうだ。危険と堕落とが外から呑もうとして待っている。

○子を愛する親たちよ、家庭を乱すな。

○子供をあまり束縛するな、神に委ねよ。家庭より外の方が楽しいようになったとき、子供は危険の淵に立つ。

『智慧の言葉』より

3218a hope:2015/10/23(金) 09:47:31 ID:cEpBaIdo

○すべての善さを知るものは幸いだ。自分の生活のみがいちばん善いと思っている間はだめだと知れ。どれも皆それぞれの姿において一ばん善いことを知るのが知恵である。

○善いということは生命がそこに顕現しているということである。

○朝顔の花をいちばん美しいと思うな。バラの花をいちばん美しいと思うな。藤の花をいちばん美しいと思うな。牡丹の花をいちばん美しいと思うな。生命は皆美しいのである。万象ことごとく美である。

『智慧の言葉』より

3219a hope:2015/10/24(土) 08:44:44 ID:cEpBaIdo

○人生は「迷惑」という側から見れば「迷惑」のかけ合いである。「世話をする」という側から見れば世話のし合いである。人に世話になることを恐れるな。その代わり他の世話をすることを惜しむな。助け合うという側から見れば助け合いばかりである。 そこは愛の世界がある。光明の世界がある。

○ひとの世話はしても、ひとの世話になりたくないという心はまだ「我」のくだかれない心である。

○愛でひとの世話をする人もあるが、誇りでひとの世話をする人もある。前者は神の前で高くせられ後者は神の前で低くせられる。

○自分がひとの世話をしたと思うな。みな大生命がさせたのである。胃腸は自分の力で全身に栄養をおくるのではない。胃腸のはたらきは全身の生命の機能である。世話をする者も世話をされるものもみな一体である。

○もし胃腸が栄養を送ってほかの部分を養うだけで、自分がほかから養われていることを拒むならば胃腸自身はほろびるだけでなく全体の生命がほろびる。

○世話したい人には素直に世話してもらって感謝し、世話されて余裕のある人は、また助けを呼んでいるものを世話してあげよ。これが愛の循環であり、報恩の道である。

『智慧の言葉』より

3220a hope:2015/10/25(日) 09:19:04 ID:cEpBaIdo

○相対性理論で有名なアインシュタイン博士は光線が引力によって引き寄せられて屈(ま)がることを発見した。引力をエーテルの作用だと言っている学者もあるが、引力とは結び合う力、愛の力、生命から放射する力である。

○地上の動物は引力(愛)の方向に従うとき最も多く生長する。姿勢の悪い植物はそれだけ生長が悪いのである。これはあらゆる生物についても同じである。

○あなたよ、姿勢を正しくせよ。それだけであなたは健康になる。

『智慧の言葉』より

3221a hope:2015/10/26(月) 09:29:15 ID:cEpBaIdo

○「祈り」で自分の心が調うことが第一であって、自分と大生命とのつながりができたとき、人間以上のものが人間の行為を導くのである。

○医者の診断も霊感と直覚とかによって正しく導かれねばならない。医者こそ最も多く祈らねばならない人たちである。

○生長の家ではだいたい薬は用いない。「生命の法則」に順(したが)うとき病気にならないのが普通であるからである。しかしもし「生命の法則」を破って病気になったときはどうするか。祈りを深めてゆくことによってどういう療法をとるべきかについて大生命からおはからいがあるのである。

『智慧の言葉』より

3222a hope:2015/10/27(火) 08:21:43 ID:cEpBaIdo

○罪人よ罪人よと言うなかれ、皆な神の子だ。罪人はひとりもいないのである。

○けがれたるこの身このまま罪なしと思う心はまた迷いである。このままで罪なしと思うのは驕慢の心である。けがれたるこの身は本当の自分ではないのだ。けがれない円満なる本性が自分のうちにあって、この本性こそ本当の自分であると知るものが自己の本性をしるものである。

○このままで罪なしと自任するのは、このままの自分を本当の自分だと思い違えているのである。迷いを実在と見、それに執着しているのである。

○省みて迷いと本性とを区別し、迷いの相(あらわれ)を否定し尽し、円満完全なる自性を肯定しつくしたとき、五官の眼でこれが自分だと思っていた不完全な相(すがた)が消滅して、円満完全融通無礙なる自分の本性が開顕するのである。

『智慧の言葉』より

3223a hope:2015/10/28(水) 09:00:50 ID:cEpBaIdo

○打たれて腹が立ったり、膨れたり、反抗したりするのは負けた感じがするからである。強がりは本当は弱いのである。上手がりは本当は下手なのである。

○赤ん坊に対して腹が立たぬのは負けた感じがテンデしないからである。

○本当に強者としての自覚があれば、従順になれるのである。従順になる稽古は強者になる稽古である。神の子になる稽古である。

『智慧の言葉』より

3224a hope:2015/10/29(木) 06:14:55 ID:cEpBaIdo

○愛に一時報いがないように見えても愛の力を疑うな。愛した相手に叛(そむ)かれても愛の力を疑うな。すぐに結果がでるような功利的なものよりも大きな果(み)を愛は結ぶのだ。

○愛はすべての物に調和と平和とを齎(もたら)す精神波動である。この世に隠れたる愛がなかったらもっとこの世は悲惨であったに違いない。愛の精神波動は永遠に消えないでついに神のみ許(もと)に達するのだ。

○今まで注がれた愛でいまだ一度も無駄であったものはない。愛はこの世で花を開いて皆の者に喜ばれ、神の国で実を結ぶ。

『智慧の言葉』より

3225a hope:2015/10/30(金) 08:13:39 ID:cEpBaIdo

○愛は、人と人との接触を和らげ、人生を住みよきものたらしめる。そこまでは誰でも知っている。されど、人間の愛が自然界に及ぼす影響を知っている人は少ない。すべての人間が互いに愛するようになり、怒りや憎しみや妬みなどの不調和な精神波動がこの世から消滅してしまえば、自然界の現象を支えている内的な力に一大変化が起こり、調和がおのずから自然界を支配し、聖書にあるような獅子と羊とが一緒に遊んでいる世界が出現するのである。眼に見える世界は心の世界の影でしかないからである。ことに万物の霊長でたる人間の心は万物を支配する。

○その時植物は今よりいっそう美しく花を開き、小鳥は今よりいっそう美しき声で鳴き、猛獣は猫のように人間の膝に眠る。

○生長の家が憎しみに反対するのは憎しみが人生の不幸の根であるからである。宇宙を支えている心の力を清めなければ、外界の一つの不調和をなんらかの方法で刈りとっても、またほかから不調和の芽が出て来る。不調和の根が残っているからである。

○心の改造に立脚せぬ社会改造運動が善いように見えて、結果がおもしろくないのは、不調和の根(心的実在)を刈りとることを忘れているからである。「剣をとるものは剣でほろびる。」憎しみで立つものは憎しみで滅びる。

○なんじら憎みのパン種で膨らましたパンを慎(つつし)めよ。それは美味しく見えても食べる者の心を憎しみで膨らますのである。

○一国を支配する者は名君である。しかし自己の心を支配しうる者の方がいっそうの名君である。

『智慧の言葉』より

3226a hope:2015/10/31(土) 07:02:48 ID:cEpBaIdo

○損をしたという。だけれども、よくよく考えれば人生はどんなに損をしようと思っても損のできないように造られているのである。損をしたと見えるような時こそ、魂が何かを摑んでいる時である。

○苦しみは損ではない。貧乏も損ではない。良薬は口に苦し。何が来ても、その中から養分を吸いとってわが生命は肥(ふと)るのだ。

○金銭の損で心を穢(けが)すな。昔から真に偉大な人は、みずから好んで金銭を捨てた人の方に多いのだ。

○他人(ひと)を我で自由にしようと思うな。自分で自由にしようとして自由にできる物は一つもない。しかし自分で自由にしようと力まないようになれば、なんと不思議、すべてのことが自由にらくに運ぶのである。我がなくなるからである。

『智慧の言葉』より

3227a hope:2015/11/01(日) 09:29:54 ID:cEpBaIdo

○生命の実相を信ぜよ。実相の神を信ぜよ。実相の神に結びつくとき、いっさいの罪は自分から切り離される。実相の世界には罪は存在しないからである。自分から切り離された罪は消滅する。

○生命の実相――生長の家の礼拝の対象はこれである。生命の実相――あらわれて阿弥陀仏となり、釈迦となり、イエスとなり、一切善き宗教の教えとなる。「彼を信ずる者の、その名によりて罪の赦しを得るべきことを証しす」と『使徒行伝』十章四十三にあるが、彼とは生命の実相である。生命の実相を信じ礼しこれに結びつく者は幸いなるかな。

『智慧の言葉』より

3228a hope:2015/11/02(月) 08:57:05 ID:cEpBaIdo

○ある所に重荷を背負ってくるしみながら歩いている男があった。馬車屋が、その男が重荷に苦しんでいるのを見てこの馬車に乗って行けと言った。男は喜んでその馬車に乗った。「その荷物を下へおろしなさい。値段は同じこと無代(ただ)だから」と馬車屋は言った。「めっそうな、わたしは載せてもらうだけでもありがたいのですから、この荷物はわたしが舁(かつ)いで行きます」とその男は答えた。
これはアイルランドのお伽噺だ。実相の神は渾(すべ)てであるからわれわれが馬車の中で重荷を背負わなくとも一緒に運んで下さるのである。

○なんじの悩みは神に語れ。人に語らずして神に語れ。人に悩みを語ればその悩みは反響してさらに悩みは増加するであろう。神に語れば悩みは消える。神は実相の神であり、実相の光の射す所に悩みの暗(やみ)は存在しないからである。悩みは変じて喜びとなり、訴えは変じて感謝となるであろう。すべてのものはすでになんじらに与えられているのである。

○悩みを数えるよりも、恩恵を数え上げよ。なんじはそんなに賜物が多いのになぜ呟くのだろう。不健康にならなければ健康を感謝しないものには不健康が来り、囀(さえず)る鳥が飛び去らねば囀る鳥の妙音に讃嘆し得ない者の庭からは、囀る鳥は飛び去るのである。生長の家の生活は、感謝の生活である。

○生長の家の生活はすべてが与えられた生活であるから、感謝の生活のほかはない。

『智慧の言葉』より

3229a hope:2015/11/03(火) 11:09:54 ID:cEpBaIdo

○病気に悩んでいる者でも、今まで健康を頂いていたことに感謝しなかったことをお詫びし、さらに現に健康が与えられていることに感謝し、神想観をしてその感謝の精神を統一して感謝の念を深めてゆけば、その病気が癒されるのである。眼の悪い人は、今まで完全な眼を与えられていながら感謝しなかったことをお詫びし、さらに進んで現に完全な眼を与えられていることを確認して、それに対して徹底的に感謝の念を深めてゆくときはその眼が癒えるのである。徹底的感謝生活に病気はない。

○感謝は実に絶大な力である。それは与えられた事物に対する受身の力だけでなく積極的な創造力である。

『智慧の言葉』より

3230a hope:2015/11/04(水) 08:47:15 ID:cEpBaIdo

○「個」を絶したところに「本当の神」があり、「本当の我」がある。

○本当の信仰というものは父を知り自分を知ることから始まらねばならぬ。父とは神、自分とは神の子だ。

○われと神の子とが、ぴったりと出会うこと、父と子とが完全に相会うこと、これが本当の信仰である。

○信仰とは神のみ懐(ふところ)に抱かれることである。

『智慧の言葉』より

3231a hope:2015/11/06(金) 08:31:10 ID:cEpBaIdo

○「霊」が心霊現象実験室に出て来たと言う者があるけれども、「霊」は実験室にも五官の世界にも六官の世界にさえも出て来るものではない。五官はもちろん、六官の世界にさえも姿をあらわすのは「霊」そのものではなく念波の現象化したのである。体は実験できるが、霊は実験にのらない。

○逆説(パラドクス)のようだが、実験しうるものはかえって実在しないのであって、実験しえないものがかえって実在する。

○人は「霊」である。「霊」は神である。人を肉体だと思っている夢から覚めよ。

『智慧の言葉』より

3232a hope:2015/11/08(日) 10:18:59 ID:cEpBaIdo

○人間は物質にいない。

○消滅する者は真の人間ではない。

○永遠不滅のものが真の人間である。


○神は人間の母胎であり、人間は神の子の誕生である。

○神についての学説は何するものぞ。自分が神であるという一大事に目覚めることが大切である。

『智慧の言葉』より

3233a hope:2015/11/09(月) 09:51:38 ID:cEpBaIdo

○人には適業がある。しかし今を深く穿(うが)ち入るとき、その適業に到達し、ついにそれを発見する。わたしは本来無学、会社員生活に深く穿ち入ることによって、生長の家生活に到達し、多病に深く穿ち入って生長の家の健康学に到達し、長時間の激務をつぶさに味わいて、人類を経済的苦難より救うべき生長の家経済学に到達したのである。適業は、現在に深く穿ち入り深く味わい深く考え、些細のものにもその有する意義に触れるときひとりでに得られる。

『智慧の言葉』より

3234a hope:2015/11/10(火) 07:54:30 ID:cEpBaIdo

○できるだけ大多数の人類のために働け、しかし、最も近き一人のものに深切でない者は神のみ心に適(かな)わないものである。

○生命は坂道を登る車のようなものである。静止すれば後退し、動けば必ず上昇する。

○すべての知識を軽蔑するな。またすべての知識を盲信するな。すべての知識は、ひとりひとりの人類の選手が昇ったところのその高度をあらわす。

○善いと思ったことにはすぐに取りかかれ。失敗しても倒れても恥ずかしくない。再び起き上がった時には以前より進歩している。

○魂から動け、自己を偽るな。

○家庭で善き人たれ。家庭で尊敬されず喜ばれない者の価値は知れている。近き人を愛しえないで人類を愛すると称するものは、人類を愛していると空想しているにすぎない。

『智慧の言葉』より

3235a hope:2015/11/11(水) 10:16:40 ID:cEpBaIdo

○かつて満州に大刀会(だいとうかい)というのがあって、腹に一種の護符(ごふ)を巻きつけ「弾丸(たま)は当たらない、当たっても死なない、死んでも生き還る」という大信念をもって、大刀を振りかぶって突進してくる信仰団体の軍があった。

それは機関銃の猛射を浴びせかけてもなかなか仆(たお)れぬ。

さすがに弾丸(たま)は当たるが、当たっても二発や三発ではなかなか死にはしない。

いったん倒れてもまたムクムクと起き上がって来て肉迫するのだそうだ。

だから大刀会が出て来るとどうしても※白兵戦を演じないと納まらない。

斃(たお)れた彼らを見ると身にいすれも十数弾を受けてなおかつ前進して、ついに、斬り死にしたものであることがわかったそうだ。

信念の力はかくのごとく偉大なものだ。

一回や二回や三回の喀血で驚くのはこの大刀会の人たちの信念に恥じるがよい。

一回や二回や三回の人生の蹉跌(さてつ)で再び起き上がらないものも愧(は)じるがよい。

恥ずかしいのは躓(つまず)くことでも倒れることでもない、再び起き上がる力を失うことだ。

井戸の水でも井戸替えするときには一時涸(か)れがれになるが、一時涸れるのはいっそうよき水が豊富に出るためであるから恥ずかしくない。

人間は一時挫折したように見えても再び滾々(こんこん)と神の生命が与えられるのである。

『智慧の言葉』より


※白刃を使っての肉迫戦。

3236a hope:2015/11/15(日) 10:35:13 ID:cEpBaIdo

○みんな病気の人を見ていると治してもらったら神を信じようと思っているが、アベコベである。

神を信じたら癒(なお)るのである。

神を信ずるということは神に対するラジオ的受信機をつくることである。

受信機のない所でラジオは聞こえない。

いろいろの神を信じたが癒らなかったという人は、どんな神を信じたか自分で信仰を考えてみるがよい。

本当の神とは偶像の神ではない、またいろいろ執念をもつ「霊」たちのことでもない。

本当の神はただ一つ――完(まった)きわれらの造り主にして救い主なる神である。

本当の神に感応するにはそれに合う心の波長の受信機を作らねばならぬ。

『智慧の言葉』より

3237a hope:2015/11/17(火) 08:56:00 ID:cEpBaIdo

○不平、出し惜み、怒り、妬み、すべて擦れる心、和解せぬこころは病気の因(もと)である。

○実相のほかに、外的な神を認めなくなったとき、本当の魂(たましい)の夜明けが来る。それまでは人間はいろいろの霊に頼り、人間に頼り、偶像に頼って失敗する。

○何よりも自己の良心を礼拝し、それに絶対服従するものは、形の神に誓いをたてるものよりも信心深い者である。

『智慧の言葉』より

3238a hope:2015/11/19(木) 09:12:22 ID:cEpBaIdo

○薬剤の広告や栄養剤の広告はなるべく見ないがよい。

それを見ていると釣り込まれて薬剤や栄養剤が欲しくなる。

その欲望を満たしたい潜在意識が、内部からその薬剤や栄養剤を必要とする病気を造り上げる。

潜在意識が求めた薬剤に出会(でくわ)したら満足して病気を引っ込める。

薬剤や栄養剤の広告は病の作り手であるから見ないがよい。

『智慧の言葉』より

3239a hope:2015/11/24(火) 09:14:06 ID:cEpBaIdo

○これ以上できないという「限度」はない。現在の報酬以上を欲するものは、この「限度」の考えを捨てよ。今の限度を超えることが進歩の秘訣である。

○報酬とは人間から貰うサラリーのことばかりではない。神から頂く報酬もある。その人自身の発達ということこそ、神から頂くいっそう大切な報酬だと知らねばならぬ。物質的報酬は「主」ではなく随伴物にすぎない。

○百円の報酬をもらっている者が常に百円の仕事をしたのでは昇給の見込みはない。百二十円の仕事を常になすとき、ついに認められて百二十円に昇給される。これは人生の譬話(たとえばなし)である。だんだん仕事の品質を落としてゆくものはついに解雇されるのである。

○佳(よ)きものは認められるまでに時間がかかることもまた知らねばならぬ。

○仕事をすることと、人間から給料をもらうということは別である。仕事はどこにも満ちているが、人間から給料をもらう仕事は欠乏している。神から「霊魂の発達」という給料を貰うつもりの仕事ならどこにもある。

『智慧の言葉』より

3240a hope:2015/11/28(土) 10:11:27 ID:cEpBaIdo

○一つの憎しみは十人の憎しみを招(よ)び、一つの愛念は百人の愛念を招(よ)ぶ。

○本来自己のうちにはすべてがある。ただ見出せないだけである。

○あらゆる生長は、外から触れるものに触発せられて、内部にあるものが出て来るのである。

○愛しない生活は生活ではない。それは「生ける屍(しかばね)」の生活である。

『智慧の言葉』より

3241a hope:2015/12/29(火) 05:20:57 ID:xVBwxesw
○済んだことの中に生活せず、「今」の中に生活せよ。「今」は常に生きている。今の中にはあらゆるものが輝いている。「今」は常に新しく、「今」は常に喜びに満ちている。

過去にどんな悲しいことがあったにしても、それについては思い煩うな。「今」天地は一新したのである。もう別の天地に生きているのである。

過去に寒風に吹き曝(さら)されたことを嘆かないで、「今」梅の花は喜びに満たされて咲いている。梅の花よりも尊く強く逞しきが人間である。喜ぶことしか無いのが人間である。

○善とは生命の実相に仕えること、生命の実相の催しのままに生きることである。物質的手段に頼って見たり、時には生命の実相に頼って見たり、フラフラするようなことではなんの甲斐もない。人は二人の主に仕えることは出来ない。

○真理への道はただ一つ――人間は神の子だ――ということである。

○神をもっと尊べ。神のみが造り主だ。神から出たものに悪があると思うな。神から出たものに病気などという不完全なものがあると思うな。

『智慧の言葉』より

3242a hope:2015/12/30(水) 06:07:40 ID:xVBwxesw

○愛して報償を求める愛は巧利的な愛である。利益にならなければ腹の立つ愛である。

○われを忘れた愛が惟神(かんながら)の愛である。神流れの愛である。神催しの愛である。神と偕(とも)なる愛である。大菩薩の愛である。

『智慧の言葉』より

3243a hope:2015/12/31(木) 10:06:43 ID:xVBwxesw

○ぜひせねばならぬ仕事が多いと呟くな。忙しいということを感謝せよ。必要は埋蔵されたる「内なる無限力」を呼び覚ます。

○懶(なま)け者の悪魔を駆り立て、逐(お)いだし、生命の本然(ほんねん)を完(まっと)うさせてくれるものは、「必要」と「多忙」である。「必要」と「多忙」とで病気の治った人はたくさんある。

○生命の本念は働くことである。生命は働くことによって生長する。「必要」と「多忙」に感謝する者は生長する。

『智慧の言葉』より

3247a hope:2016/01/01(金) 05:24:51 ID:vdNCBnG6

「新天新地の神示」

見よ、われ既に天地をあらたならしめたのである。

人々よ、眼の蔽(おほ)ひをとれ、われは新しき智慧である。

新しき生命である。

新しき宇宙である。

新しき光明である。

われ臨(きた)つて此の世界は既に變貌(へんぼう)したのである。

既に信ずる者の暗黒は消え、醜汚は滅し、病は癒え、悲しみは慰められ、苦しみは柔らげられた。

神秘を見て人々よ、目覚めよ。

覚めてわが新しき光に照らして存在の真實を見よ。

われは存在の實相を照らし出す完成(なゝつ)の燈台に燈(ひ)を點(てん)ずるものである。

悲しみに泣き濡れた人々よ。

いま眼を上げて吾が光を受けよ。

汝の悲しみは喜びに變(かわ)るであらう。

病める者よ、いま病(やまひ)の床より起ちて、わが生命を受けよ。

われを拒むな。

われを信ぜざる者は已(や)むを得ぬ。

われを信ずる者は黙坐してわれを念じ、われに依り頼れ。

われ汝等に『神想観』と云ふ観行を教えへたれば、それを為せ。

われに汲(く)むものは常に新しき力に涸(か)れないであらう。

吾れを呼ぶ者のもとに吾れは常にありて、汝らのために汝らの重きくびきを軽からしめる。

なんじ一人ならば吾れを念じて吾れとともに二人と思え。

悩める者よ、わが言葉を讀(よ)めば苦しめる魂も軽くなり、悲しめる魂も慰めを得ん。

そはわれは限りなき大愛(たいあい)であるからである。

汝ら事にのぞんでわれを呼べば、自己の知らざる智慧の湧き出づるに驚くであらう。

信ぜぬ者、呼ばぬ者は、不憫であるが助けやうがないのである。

汝の心の疑いがわが救いの波長に合はないからである。

遠くにゐて救はれてゐる者もあるが、近くにゐても救はれぬ人もある。

仕方のないことであるが不憫である。

もっと兄弟たちに、『生長の家』を傳(つた)えよ。

神の愛は貰い切りではならぬ。

頂いたお蔭を『私』しないで、神の人類光明化運動に協力せよ。

『生長の家の神』と假(か)りに呼ばしてあるが、『七つの燈臺の點燈者』と呼んでも好い。

七つの教へとイスラエルの十二の分派(わかれ)がわが教へ
で新しき生命を得るのだ。

わが教へはどんな宗派をも排斥するような狭い宗派ではない。

教への太宗(もと)であるから宗教と云ふのである。

3248a hope:2016/01/01(金) 05:29:00 ID:xVBwxesw

トキさま みなさま

明けましておめでとうございます。

「生長の家」とは全世界、全宇宙のことをさしてそう喚ぶのでしたね。

どこにいても、何を信じ、どんな宗教を信仰していても、わたしたち人類は生長の家の家族なんですね。

世界中どこにも、誰一人として生長の家の家族じゃない人なんていない…


この壮大な真理を学べることに感謝の気持ちでいっぱいです!

みなさま、今年もどうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m

3253a hope:2016/01/02(土) 06:23:31 ID:AvzVlmnc

○思想は時として天上から降って来る。あるいは地下から予期もしない時に湧いて来る。その思想は時として霊界からの放送の感受でもあれば自己の神性からの噴出であることもある。

天上の思想も地湧(ちゆう)の霊想も時間を超越している。す
ぐその時、間に合わなくとも捨てるべきではない。忘れてしまえば二度と想い出せないような思想に価値のあるものが多いのである。しばらく筺底(きょうてい)に埋めておけばやがて現実の用途に花咲く思想もある。

「想」は現実に先だち、「想」あって現実が芽生える。小さな手帳を常に懐中しておき、「想」起こるに従ってそれを簡単に書き止めておくのは良い方法である。


○「想」に詩想もあれば、思想もあり、実用に関する解決の暗示もある。これを部分別(クラシフアイ)して手帳に書きとめておき、問題に従って、そこを開いて見ると非常に導かれることが多いものである。


○他を羨むな。自己の現実に満足するな。自己の奥にあるところの無限の宝を羨んで、その無限性を掴むべく突貫するのが最も自己生長の道である。


○思想はこれを紙に書くときいっそう深まる。計画もこれを書き下すときいっそう微細のところに注意が行き届く。書いてみると精神が統一する。書いてみると分析と統一とが同時に行われる。


『智慧の言葉』より

3254a hope:2016/01/03(日) 05:11:47 ID:db3DXNJE

○黄金は指環にしても金貨にしても帯留(おびどめ)にしても黄金に変わりない。いろいろの形をしているのは中間因果であり、どんな形にしても黄金の本質を失わないのは本来因果である。
人間も神の子であることが本来因果であり、どんな形になっても、肉体が壊れても、神の子である本質は壊れてしまうことはないのである。

○死んだと思ったら生きられるのだ。形にとらわれなくなるからだ。

『智慧の言葉』より

3255a hope:2016/01/04(月) 05:57:56 ID:AvzVlmnc

○最も善き施しは、罪を消し、死を消し、欠乏を消し、すべてが完全に備われる自己の生命を自覚せしめる教えである。

○至上階の愛は自分がしたのではない。神と偕(とも)なるとき、おのずからできた愛であるから、「自分がした」という感じが少しも残っていないのである。

『智慧の言葉』より

3256a hope:2016/01/05(火) 06:50:04 ID:vdNCBnG6

○真理のみ、ただ真理のみわれを生かすのだ。われを生かすのはパンではない。物質ではない。

○ただ霊によって新生せるもののみが真に生きるのだ。そのほかの人の生はニセ物の生である。霊によって新生する者には激情はない。利己的欲望はない。憎みはない。恐怖はない。五官の快楽の虚妄(こもう)を知るがゆえに、それに捉えられることはない。

『智慧の言葉』より

3257a hope:2016/01/06(水) 05:07:28 ID:vdNCBnG6

○明日しようと思っている間に時は過ぎゆく。あやまることは早くあやまるがよいし、和解することは早く和解するがよい。すべての支払いは明日に、明日にと思っている間に、延ばしていた期間だけ先方から悪い念波を受け自分自身の生長のを妨げられる。

○他を喜ばそうという考えは自分を健康にし、他から喜ばしてもらおうという考えは病気を招く。

○ひとに対して晴れやかに笑え、晴れやかな笑いは自他の栄養剤である。

『智慧の言葉』より

3258a hope:2016/01/07(木) 06:00:29 ID:xVBwxesw

○明日の苦を思い煩(わずら)うことなかれ。一日の苦労は一日にて足れリ、想像の苦痛は現実の苦痛よりも耐えがたい。

○わが肉体はわが心の影である。わが境遇もわが心の影である。

○希望は現実の母である。希望に燃えよ。希望の火でいっさいを焼きつくせ。

『智慧の言葉』より

3259a hope:2016/01/08(金) 05:45:38 ID:vdNCBnG6

○その日その日が宗教生活である。自己を生かすことが宗教生活である。働くことが宗教生活である。愛することが宗教生活である。周囲を生かすことが宗教生活である。

○天に地に感謝せよ。万物が皆ありがたい。おのずから合掌される。始終この心持ちでおれ。

『智慧の言葉』より

3260a hope:2016/01/09(土) 06:17:17 ID:U0u35Q4s

○苦しみよりもむしろ恍惚感を警戒せよ。そこに魂を麻痺さすニセ物の歓びがある。

○心が善くならないでいて病気が治るものは禍(わざわい)いだ。

○世界は正札で駆け引きも値引きもない。世界は当人の心だけのものを投げ返す。

○小さなことを口惜(くや)むな。われらの最も口惜やむべきことは、そんな小さなことに心を動かすという自分の小ささだ。

『智慧の言葉』より

3261a hope:2016/01/10(日) 06:02:54 ID:xVBwxesw

○生命の尺度で価値を測れ、金ではかるな。

○きょう種を蒔いたからとてきょうは生えない。芽が出るには時間が要るのだ。信じて待つということは仕事の秘訣だ。

○なろうと思うよりも、なれると思って明るい気持ちで努力せよ。

『智慧の言葉』より

3262アクエリアン:2016/01/10(日) 08:41:57 ID:fJvizyYg
アメリカの光明思想家マリアン・ウィリアムソン女史のツイッターより

Marianne Williamson ‏@marwilliamson &middot; 1月8日

The real you is not a body. Your body is merely a suit of clothes. Physical birth was not your beginning and physical death is not your end.

本当のあなたは肉体ではないのである。
あなたの肉体は単なる衣服なのである。
肉体の誕生はあなたの始まりではなく、肉体の死はあなたの終わりではない。

3263a hope:2016/01/11(月) 04:58:28 ID:ff8KF8HE

○意志の力よりも想像の力の方が強い。想像力は創造力だ。

○みずから起て。自分の弱さを語るな。自分の弱さは語るほど自分を弱める。

○人は自分と同じ者を相手に見出だす。あらゆる場合において、人は相手そのものを見るのではない。自分の心を相手という鏡にうつして見るのである。

『智慧の言葉』より

3264a hope:2016/01/12(火) 06:52:30 ID:eEgXmqXM

○もっと奥深い「生命」まで突っ込んで行け。奥の奥、裏の裏にある生命を見よ。

○われらは種子を蒔く人である。常に善き種を蒔け。深切な思いの種を蒔け。愛の種を蒔け。好意の種を蒔け。

『智慧の言葉』より

3265a hope:2016/01/13(水) 07:44:22 ID:soD8RaA2

○陰を見るな。光明の方面を見よ。見た方面が強くあらわれる。

○手を伸ばし、腹を伸ばし、胸を伸ばし、眉を伸ばせ。これが生長の道である。

『智慧の言葉』より

3266a hope:2016/01/14(木) 12:20:32 ID:UDuecul.

○捉われないことと不注意とは別物である。注意深くして捉われないのが上々である。

○欠点を見つけるな。荒立てるな。静かに彼のために祈れ。

『智慧の言葉』より

3267a hope:2016/01/16(土) 07:00:46 ID:Doq6emUU

○家庭の精神的葛藤(いざこざ)で病気をつくっているものが多勢ある。そんな病気はどんな薬も、霊術も、家庭の乱れを治さねば根本的には治すことはできぬ。

○家庭の幸福を内にもたない子供はかわいそうだ。危険と堕落とが外から呑もうとしてまっている。

○子供をあまり拘束するな、神に委ねよ。家庭よりも外の方が楽しいようになったとき、子供は危険の淵に立つ。

『智慧の言葉』より

3268a hope:2016/01/19(火) 09:46:29 ID:cEpBaIdo

○常に生活が引き算になってはいけない。加え算にしなくてはならぬ。「これをしては他の迷惑になりはしないか。あの人は自分を迷惑がっていないか」などと消極的に引っ込んでしまってはいけない。愛しよう、喜ばそう、為になろうと積極的に加え算になるようにすれば他(ほか)をも生かし自分も生かす。

○愛でひとを世話する人もさるが、誇りでひとを世話する人もある。前者は神の前で高くせられ後者は神の前で低くせられる。

○世話したい人には素直に世話してもらって感謝し、せわされて余裕のある人は、また助けを呼んでいるものを世話してあげよ。これが愛の巡環であり、報恩の道である。

○神に近づく道は一歩一歩小善を積むことにある。

『智慧の言葉』より

3269行雲流水:2016/02/02(火) 16:53:27 ID:AQTKgfSE
「いのちのゆには」の神示

見真道場(いのちのゆには)とは真(まこと)を見(あら)はす齋(きよ)めの場(には)である。



愛の心で来るものは神徳を受けて帰るが、審判(さば)く心や素見(ひやか)し心で来るものは神と心の波長が合わぬから其の心が直らぬうちは神徳は受けられぬ。

(昭和七年三月十四日神示)

3270天の使い:2016/02/02(火) 17:34:24 ID:AQTKgfSE
(天の使い)地を指して宣わく
 
「見よ、これ実相世界なり。実相世界は父の国なり。天国なり、浄土なり。

 父の国には住居多し。実相世界の住居は悉くこれ「生長の家」なれば

 住民に飢えなく、悲しみなく、争いなく、病なく、

 万の物ことごとく意に従って出現し、用足りておのずから姿を消す。

 円満具足清浄微妙の世界。

 これ実相世界、これ汝らの世界、そのほかに世界あることなし。」

(聖経天使の言葉)

3271a hope:2016/02/03(水) 09:54:49 ID:cEpBaIdo

○苦しくても逃げ出そうと思うな。自己が置かれている境遇が、自己のたましいの生長に最もよい栄養であるのである。たましいがその境遇から得られるあらゆる栄養を吸いとったとき、別の境遇がおのずから開けてくる。

『智慧の言葉』より

3272a hope:2016/02/05(金) 08:00:40 ID:cEpBaIdo

○天の愛と地の愛と、父の愛と母の愛と。天の生気と地の生気と両々そろって万物は育成するのだ。

○あなたよ、姿勢を正しくせよ。それだけであなたは健康になる。

○「祈り」で自分の心が調うことが第一であって、自分と大生命とのつながりができたとき、人間以上のものが人間の行為を導くのである。

『智慧の言葉』より

3273a hope:2016/02/29(月) 11:17:04 ID:cEpBaIdo

「神の真義とその理解」 谷口雅春先生著


はしがき

神とは如何なるものであるか、知らない人が多いのである。

自己の内に生きている生命の尊厳を本当は自覚しながら、それ故にこそ生命の尊厳を主張し、基本人権の絶対権を説きながら、それでいて「自分は無神論者だ」とか「唯物論者だ」とか思っている人々もある。

それとは又別に、実に敬虔に神を信じ、神を礼拝し、神を讃えながら、その神が自分の生命とは別に、自己の外に在る神道自在の神秘者であり、〝自分〝 というものは、その権力の前に躓(ひざまづ)いていなければならない〝奴隷的存在〝 に過ぎないと自己卑下している気の毒な善人もある。

しかし本当の神は、そんなに自己の外のみあるのではないのである。

神は普遍的存在であると同時に自己の内にある生命が〝神〝 であるのである。

その実相を自覚しない気の毒な善人は、常に〝神の前〝 に戦々競々として慴(おび)えていなければならないのである。

そんな人たちが、神罰の予想の前に、ニセモノの宗教家に欺(あざむ)かれて、いつまでもその邪宗に縛りつけられてそこから脱出できないで常に搾取せられているのは、まことに見るに堪えない気の毒さである。

3274a hope:2016/02/29(月) 11:17:50 ID:cEpBaIdo
それ故にわたしは、既に五十年前に亙(わた)って人間の生命の実相(ほんとうのすがた)が、〝神〝 の生命であることを『生命の實相』に於いて説きつづけて来たのである。

かくて私の著書『生命の實相』を読むことによって、自己が決して「罪の子」でなく、「罪悪深重の凡夫」でもなく、神の生命こそ、自己に宿って、自己の生命となっており、自己というものが個性的に顕現した普遍的存在であるという神の真義を知り、自己の生命の尊厳と本来の円満完全さとを自覚すると共に、今まで、自己の罪悪意識に由るところの〝自己処罰〝 による色々の病気や、不幸や、遭難や、貧乏を克服して、真の自由人となり、自己の生命を本当に尊重することによって自己の人生を快適にして裕(ゆた)かなる楽園たらしめ得ると同時に、周囲の人々をも救い得た幾多の人々の体験があらわれて来たのである。

生長の家の信者という人たちは、そのような人たちの集まりである。

3275a hope:2016/02/29(月) 11:18:34 ID:cEpBaIdo
しかし神は自己に内在する「生命の実相」としての神だけではなく、色々の段階に於いて神は無限の姿をあらわしてい給うのである。

「われに姿かたちがあるようにいう者あれどもわれは姿なきものである」と宣言し給える、絶対者としての神もあり、森羅万象の中にその姿をあらわしてい給う普遍的存在なる神もある。

その普遍的存在たる実相を媒介として、人間は神と霊交し、森羅万象の生命と互いに交通する、その霊的交通によって、われわれは森羅万象に向かって話しかけ、意のままに楽園の天国を地上に建設することが出来るのである。

絶対者としての神は無言でわれわれに話しかけ給う。

しかし顕現者としての神は、聴こえる声でも話しかけ給う。

顕現者としての神と吾々は交通し得たとき、神は吾々の〝天の父〝 ともなって人格的な神との交通が得られるのである。

その人格的な神との接触を、具体的に実現するために、神社や拝殿を造営して、神との人格的接触の〝場〝 とすることも出来る。

その造営に必要な布施又は荘厳供養の実践によって、人間は〝愛〝 というものを生活の具体的営みの中に体験し霊魂が進歩し向上するのである。

3276a hope:2016/02/29(月) 11:19:16 ID:cEpBaIdo
神は〝一〝 であると同時に〝全〝 であり〝多〝 である。

〝一即多〝 〝多即一〝 であり、一神即万神であり、一仏一切仏である。

しかし神は自己の個性的顕現をもって、自己内在の無限を表現し給うのであるから、同一個性を持って万人又は万物があらわれることを嫌い給うのである。

それ故に〝一神即万神〝 として色々の使命をもつ神々を顕現し給う。

また〝一仏一切仏〝 として無数の如来を顕現し給い、その使命又は役割も、個性をもって各々異り給うのである。

3277a hope:2016/02/29(月) 11:19:56 ID:cEpBaIdo
住吉大神の如く宇宙天地の万物万生を浄め給うて、地上に天国を建立する使命をもち給う神もあるのである。

最近私は、日本の国情が混乱汚濁(おじょく)して、日本国本来の美しき荘厳なる秩序がなくなりつつあることを憂え、住吉大神を鎮護国家、龍宮無限の宝蔵を開顕したまう〝場〝 であることを希(こいねが)いて、龍宮住吉本宮を、九州長崎県西彼杵郡西彼町の〝大神平〝 と称せられた土地を朴(ぼく)して、建立したのである。

この地を彼杵郡(そのぎぐん)と称したのは、嘗て天から神の祝福の黄金の杵(きね)が降って来たという故事にもとづくと謂うことである。

吾々人間の礼拝の〝場〝 が出来ることは、神がそこから祝福の霊波を放送し給う〝放送局〝 が一局増加したようなものである。

3278a hope:2016/02/29(月) 11:20:32 ID:cEpBaIdo
詳しいことは本分を読んで頂いて、神人の関係を尚一層よく認識して、諸賢が、龍宮無量の寿福を享受し給わんことを庶幾(しょき)して、この前文を擱筆(かくひつ)する。

昭和五十四年一月十六日         著書しるす

3279a hope:2016/03/14(月) 08:26:29 ID:cEpBaIdo

○今まで注がれていた愛でいまだ一度も無駄であったものはない。
愛はこの世で花を開いて皆の者に喜ばれ、神の国で実を結ぶ。

○愛せよ、少しも求めずに愛せよ。これが愛の秘訣である。

○結果を求めた愛は必ず不幸に終わる。

『智慧の言葉』より

3280a hope:2016/03/16(水) 08:46:34 ID:cEpBaIdo

○失敗しても成功しても、損をしても儲けても、それはただ生命が仮想の舞台で遊戯したにすぎない。

○失敗は大したことではない。損も大したことではない。自己の心を乱すか乱さないのかの方が大切だ。

○淋しき時にはわれを思え。われはなんじらのために祈るものである。

『智慧の言葉』より

3281a hope:2016/03/17(木) 09:55:11 ID:cEpBaIdo

○躓(つまず)いたがために落ちる人もあれば、躓いたたがために落ちる前に気づく人もある。

○なんじの悩みは神に語れ。人に語らずして神に語れ。人に悩みを語ればその悩みは反響してさらに悩みは増加するであろう。神に語れば悩みは消える。神は実相の神であり、実相の光の射す所に悩みの時は存在しえないからである。悩みは変じて喜びとなり、訴えは変じて感謝となるであろう。すべてのものはすでになんじらに与えられているのである。

○信仰とは神のみ懐(ふところ)に抱かれることである。

『智慧の言葉』より

3283a hope:2016/03/24(木) 08:14:16 ID:cEpBaIdo

○恐れる代わりに働く者はついに勝ち、呟(つぶや)く代わりに働く者はついに勝つ。
生長する人には恐れる時間と呟く時間はないものである。

○「今」の時間を尊ばねば、生涯その人に尊ぶべき時間は来ないのである。

○あらゆる言葉、あらゆる行動ことごとく未来に果(み)を結ぶ種子となる。

『智慧の言葉』より

3284a hope:2016/04/01(金) 07:51:38 ID:cEpBaIdo

○幸運がないというな。一瞬一瞬が幸福である。一瞬を完全に生き切るときなんじは永遠に生きるのである。

○心の眼をひらけば幸運はいたるところに手を伸ばして待っている。地球の引力を発見したニュートンにとってはリンゴの落ちることが運であった。空間の電波を発見したフランクリンにとっては雷鳴を聞くことが運であった。誰でも見返すところに心の眼の開(あ)いた人には運がある。

『智慧の言葉』より

3285a hope:2016/04/02(土) 07:49:47 ID:cEpBaIdo

○思い立ったが吉日。(日取りの善悪について)

○自分は宇宙の中心であるからどちらを向くのも吉方である。(方角の善悪について)

『智慧の言葉』より

3286a hope:2016/04/14(木) 10:46:07 ID:vdNCBnG6

○相性は心の中にある、我を殺しさえすれば相性は善くなる。二つのものが一つにつながるのが道であり、相性である。どんなに相性の善い夫婦でも我を立て話し合いしていては相性も悪くなり運命も悪くなる。(相性の善悪について)

『智慧の言葉』より

3287a hope:2016/04/15(金) 09:16:49 ID:xVBwxesw

○困難があるので、魂は向上する。軌道に摩擦があるので汽車は進行するのだ。

○独りで悟っている悟りは本物ではない。他の救いのために動き出すと本物の悟りに入る。

○もっと魂をみがいてから他を救おうと思うのは考え違いである。自分を磨く金剛砂(こんごうしゃ)他を救う実行にある。

『智慧の言葉』より

3288a hope:2016/04/16(土) 06:20:47 ID:vdNCBnG6

○本当の信仰は怪力崇拝になってはならぬ。異常現象崇拝になってはならぬ。正しき力の崇拝、愛の力の崇拝、調和の力の崇拝にならねばならぬ。

○肉体が治ったとき自分は悟ったと思うとおおまちがいである。治らないでも自由自在の自分自身であることを悟らないものはやがて躓(つまず)く。

『智慧の言葉』より

3289a hope:2016/04/26(火) 11:17:08 ID:vdNCBnG6

○富そのものは清くも穢(きたな)くもない。富はただいっそう高貴なる目的のために使用するとき清くなり、自己の栄華と名声のためのみに使用する時汚れたものとなる。

『智慧の言葉』より

3290志恩:2016/08/15(月) 08:23:48 ID:6hRUvSRg
【梅の花の神示】
≪無明(まよい)の自壊作用がないのに 光明遍照の楽土が
来るなどと 甘いことを思うな。
この二つの運動の衝突は 避けられぬ。

時機は 迫っているのに、まだヒノモトの使命を知らぬ者が
あるのは 歯痒(はがゆ)い。

本当の愛は 甘えかす愛では ない。
戦いの愛 である。≫


【声字即実相の神示】
≪今は 過渡時代であるから、
仮相(かりのすがた)の自壊作用として 色々の出来事が突発する。

迷いと迷いと 相搏(あいう)って 自壊するのだ。

まだまだ烈しいことが今後起るであろうともそれは
迷いのケミカライゼーションであるから

生命の實相を しっかり握って 神に委せているものは
何も恐るる所はない。≫

3294トキ ◆NeaLgIQX3w:2016/09/16(金) 19:38:34 ID:o0gb0UwQ
*明日、月刊誌 「新潮45」に生長の家の問題が掲載されるみたいです。

 それに関連して、以下の文章を紹介します。


「 わたしは今、皆さんの足を洗った。これはただ足を浄めるためではなかった。

別の深い意味があったのだ。

わたしは少なくても教えにおいては皆さんの師であった。

その師たる者が弟子たる者の足を洗ったのは、わたしは皆仲よくせよということを形に示したのである。

わたしがいなくても皆仲よくしてほしい。

わたしがいなくなっても仲よくしてほしい。

わたしがしばらくいないうちに相争い相なぐり合っているのがわたしの仲間であるかと思うと、

わたしは情けなくなる。

(涙ぐむ)皆さん、どうぞ、これはわたしの遺言だ。

わたしがいなくなっても互いに兄弟たち仲よくして道を弘めて往ってほしい。」

谷口雅春先生 生命の実相 第31巻 宗教戯曲編 上 136ページより 謹写す

3295志恩:2016/12/01(木) 07:08:04 ID:6hRUvSRg
絶えず不幸を見出す人になるな
貴方は世界に対して、良きものを支払っていますか。
微笑みを支払っていますか。悲しみを支払っていますか。

微笑みを支払っているならば、微笑みが周囲からやって来るでしょう。
悲しみを支払っているならば、悲しみが周囲からやって来るでしょう。

大体は、「今日は楽しくない」と思う習慣のある人は
常に楽しくないことに取りまかれるでありましょう。
そう云う人は、天気が曇りであると云っては鬱陶しいと云い、
雨が降ると、ジメジメして気持ちが悪いと云い、晴れていると暑苦しいと云う。
何が来ても不平を云い、面白くないと云う。

御飯が固いと云っては小言を云い、柔らかければお粥のようで不味いと云う。
そして絶えず小言を云っているうちに自分の性格がそこなわれ、
人からは嫌われ、世の中のすべての物は面白くなくなります。

その反対を行いなさい。世の中は屹度幸福になります。
雨が降ったら「ありがたいお湿りです。これで水力電気が沢山とれます。
畑の作物が喜びます」と云いなさい。
曇っていれば「今日の天気は落ち着いていて宜しい」と云いなさい。

晴れていれば「まことに朗らかな快晴で結構です。気分まで晴々します」
と云いなさい。この通りに云わなければならぬのではありません。

何でも好い方面を見て、褒めたり感謝したりするようにしていますと、
終いには、ほめたり感謝したりすることばかりがあなたの周囲に集まってくる
ことになるのです。

(谷口雅春先生著『新版 生活読本』より)

3296志恩:2016/12/01(木) 20:56:03 ID:6hRUvSRg
あなたが神の賜物を受けるには

この世界は法則によって支配されているのである。
法則を無視しては何事も自分の思うようにはゆかないのである。

飛行機が飛行するためには、流体力学の法則を無視するわけにはゆかない。
石油を掘鑿するにもいろいろの物理的法則によらなければならない。

神の国にある宝物を受けとるには、
神は霊であるから、霊の法則を無視することはできないのである。

霊の賜物を受けとるには、
物質の器によって受けとることはできないのである。

霊の賜物を受けるには、霊に対しては霊的波動を浄めるーーー
すなわち魂を純粋にして受けなければならないのである。

感謝の霊的波動によって受けなければならないのである。
愛念の霊的波動によって受けなければならないのである。

暗い感情は神の光の霊波に背く。
それゆえに、心を明るくもって、
象徴される神の霊波に波長の合う心を起さなければならないのである。

(谷口雅春先生著『如意自在の生活365章』より)

3297志恩:2016/12/01(木) 21:06:46 ID:6hRUvSRg
われわれは神の愛に包まれている
わたしたちは“法則”の世界に住んでいる。
どこにも“法則”の存在しない世界はないのである。

わたしたちは法則にとり囲まれて生活しているのである。
それは神の愛に包まれて生きていることである。
わたしたちは神の愛から逃げ出すことはできないのである。

わたしたちは法則に随順するとき
神の愛に護られることになるのである。

法則には物質面の法則と、精神面の法則と、
さらに霊的面の法則とがあるのである。

多くの人たちは物質面の法則のみを研究して
それを応用しているのであるけれども、

“精神面の法則”を理解し応用する人は少なく、
さらに“心霊面の法則”を理解し応用する人は稀であるのである。

(谷口雅春先生著『如意自在の生活365章』より)

3298志恩:2016/12/01(木) 21:15:24 ID:6hRUvSRg
明暗の二途

多少表面的には損をしても、心配はいらない。
善い行いをし、信仰を深めれば、将来は明るいのである。
何故なら現象の損失は真の損失ではなく、一時的縮小であり、
その間に得た「生きた経験」がモノを言うからである。

ある人は病を得、ある人は受験や仕事で失敗した。
しかしその前に「魂を進歩向上」させ得た人の失敗は、実は成功である。
彼は必ずより偉大となり、より充実した人格を作り上げる。

けれども失敗を失意と無気力で迎えた人は、より一層の深みにはまり込む。
人生にはどんな時にも、向上と下降との二つの途が用意されている。
だからひたすら向上の道を歩め。光に向かって進もうではないか。

(谷口清超先生著『純粋に生きよう』より)

3299志恩:2016/12/02(金) 07:44:39 ID:6hRUvSRg
本当の自由

吾々は“無限”を求める存在であると同時に、“自由”を求める存在である。
何故なら人間は神の自己顕現であり、本来“無限の自由”を内に蔵するからである。

「自由」を、何か自分を縛る物を破壊することだ、と考える人があるが、
本当の自由は、そのような対立的観念、相対的な物の考え方では
得られるものではないのである。

本当の自由は「絶対者」となることによってのみ得られる。
自分が神の自顕現であり、
「絶対者」の自己実現であるとの悟りによってのみ得られるのである。

それ故に本当の自由は、神想観によってのみ得られる。

何故なら吾々は神想観によって自己が神と一体であり、
絶対者と一体であり、環境とか外物とか見えるものも「他物」ではなく
自己の心の顕現であると悟ることができるからである。

それだから神想観は真に最高の尊き神人合一の行事であると共に、
何人も“本当の自由”を求むる限り修しなければならない修業であって、
生ま易しいものではないのである。

(谷口雅春先生著『新版 生活の智慧365章』より)

3300志恩:2016/12/02(金) 07:48:23 ID:6hRUvSRg
問題を神にゆだねよ

如何なる問題が起こって来ても、
常に明るい心を以ってそれに立ち向かうことが必要である。

どんな問題でも、神なら解決できるのである。

自分の「我」の力で解決しようと思うから、解決の方法を失って
どうすることもできないような事になるのである。
問題を神に振向け、神に肩代わりしてもらうがよいのである。

そのためには「神は全智全能であるから、どんな問題でも必ず解決できるのである。
私はこの問題を神さまあなたに委ねます」と繰返し繰返し、
心に念じて祈り、その問題を神に委ねるがよい。

徹底的に神に問題を委ねたら、神は必ずその問題を解決に導き給うのである。

それは自分に好い考えが浮かんで来ることもあれば、誰か、
思いがけないところから、援助の手を差しのべる人が出て来ることもあるのである。

充分祈った後に、誰かがその問題解決について案を示してくれるならば
素直にそれに従うがよい。

(谷口雅春先生著『新版 生活の智慧365章』より)

3301志恩:2016/12/02(金) 07:55:25 ID:6hRUvSRg
無限次元の世界

とにかく人はどこまでも「明るく生きる」ことが大切である。
何故なら、人は皆“神の子”であって、全てのものが与えられずみだからだ。
いのちも無限だし、才能も力も、幸福も豊かさも無限である。
しかもそれが「なくなる」ことがないのだから、こんな有難いことはない。

ところがその実相に気付かず、現象世界というこの世の物質的側面ばかりを見ていると、
不幸や、病気や、欠乏や、争いが目について、どうしても憂鬱になってしまう。
だから「物質世界は本物でない、影の世界だ」と知らなくてはならないのである。

御存知のように物質界は縦・横・厚みの三次元世界だ。
しかもこれは実在する世界ではない。

実在界、即ち実相の「神の国」を三次元の尺度でとらえて、
そのように感覚するだけの、「影の世界」なのである。
例えば今部屋の中にいる人の姿を、障子に映ったその人の影で見ると、
とても不完全に見えるだろう。

目も鼻もハッキリせず、色も黒っぽくて、ボーッとしている。
それは“三次元の肉体”を“二次元の影”に映して見ているから、
本物より一層不完全に見えるのだ。
そのように、次元を一つ下げて、三次元を二次元にすると、もっと不完全になる。
だから四次元を三次元に映しても(感覚しても)、
四次元世界より一層不完全になるのである。

即ち今、縦・横・厚みの三次元に時間の尺度を加えて四次元の“時空間”を考えると、
時間の次元が一つ加わっただけ、より自由になり、ゆとりが出来るものだ。

例えば、あるカメラを買おうと思って店に行ったところ
もう売れていて、在庫がナイと言う。しかし問屋に注文すると、
一週間後には入荷するという場合を仮定しよう。
カメラという三次元物質は今ないが、
そこに時間(一週間)を加えて考えると、「手に入る」という自由を得るのだ。
これが四次元世界の特徴であり、このようにして四次元、五次元、
六次元と次元を加え続けて、無限次元まで遡ると、
無限に自由な世界、即ち「神の国」に達する。

これが「実在」であり、「実相」であるということが出来るのである。
この実在界・神の国からみると、この物質界は
その三次元的「影」の世界であるから、極めて不完全なのは当然であろう。

この不完全さをより少なくするには、
「実在界を心で観ること」に熟達するに限るのだ。

するといかに物質世界が不完全で、限定され、
悪条件に満たされているようでも、その条件を克服し、
そこをうまく擦り抜けて、自由自在な「安全領域」に達することが出来るのである。

(谷口清超先生著『生長の家の信仰について』より)

3302志恩:2016/12/03(土) 01:30:55 ID:6hRUvSRg
神に相談して仕事をする

常に自分の行為又は仕事を、
「自分だけ」でやることなしに、神に相談し、
神の智慧の導きを受け、神が人類に幸福を与え給う
神業の一環としてそれを為すのがよいのである。

「自分だけ」でやった行為は、
どんなにそれが立派な仕事であっても「我」の行為であり、
広大なる意義への連関はないのである。

そして、それは如何にすぐれたる智慧で行っても、
我の知恵ではどこかに見落としがあり、
先が見えず、やがて躓く時が来るのである。

何事を行うにも、その仕事が、神の人類救済の仕事
(又は人間に何らかの幸福を与える仕事)として、
神御自身の祈りと連関して、
祈りの中に於いて計画し、遂行するならば、
神の智慧には誤算がないから行き詰まることがないのみならず、
自分の仕事が、単に個人的価値ではなく、
「神の仕事」としての意義と価値とを有つことになり、
其処に本当に生き甲斐というものが感じられることになるのである。

また“「神」という「無限価値」との連関に於いて我れ仕事を為す”
と云う自覚があるとき、仕事に対する深い悦びが湧いて来て、
仕事の“退屈さ”ということがなくなり、
精神的にくたびれる程度が少なくなるのである。

(谷口雅春先生著『新版 希望を叶える365章』より)

3303神の子さん:2016/12/04(日) 11:22:04 ID:6hRUvSRg
何を信ずるか

魂を清め、高め、内在力を引き出しさえすれば、
あなたの周囲には続々とすばらしい環境があらわれる。

しかしその出現には多少時間的なズレがあるから、
あとになってゆっくりとあらわれてくることも多い。

それをあせって「まだか、まだか」と思い、
うろたえ、疑い、なげいてはならぬ。

そんなことでは神を信じているのではなく、“現象”を信じているのだ。

こんな気持ちでいて「信仰している」と思い上がってはならない。

環境にまだあらわれていないのは、決して神が怠慢なのではない。

あなたの心の高まりは、すでに業の世界に記録され、
その展開が始まりつつある。

あなたの焦りや疑いで、出現を停止させるな。


(谷口清超先生著『純粋に生きよう』より)

3304トンチンカン信徒:2016/12/08(木) 01:19:09 ID:yH0.YhUw

〜平和を願い祈り〜

神よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。

憎しみのあるところに、愛を

いさかいのあるとこに、ゆるしを

分裂のあるところに、一致を

迷いのあるところに、信仰を

誤りのあるところに、真理を

絶望のあるところに、希望を

悲しみのあるとろに、喜びを

闇のあるところに、光をもたらすことができますように。

神よ、わたしに、慰めらよるよりも慰めることを
理解されるよりも、理解することを

愛されるよりも、愛するを望ませてください。

自分を捨てて初めて自分を見いだしゆるしてこそゆるされ、
死ぬことによってのみ、永遠のいのちによみがえることを深く悟らせてください。


アーメン、サンタ・マリア

合掌礼拝

3305志恩:2016/12/08(木) 03:21:14 ID:6hRUvSRg
あなたの価値

名刺の肩書などは、その会社の、そのイスに座っている瞬間の
あなたの『仮の寸法』であって、けっして、
あなた自身の人間としての寸法ではないわけです。

名刺、バッジ、身分証明書、それらすべてを落とし去って
裸の自分で人前に出た時のあなたの『感じ取られ方』、
それだけが真のあなたの価値であり、寸法なのです。

そこのところを誤解していると、ある日、とんでもなく
落ち込むことになりますので、御用心、御用心。

(ひろはまかずとし氏の言葉)

3306志恩:2016/12/08(木) 03:29:37 ID:6hRUvSRg
何が起こるかわからない。

右を向いて左を向いて、上を見て下を見て、
注意に注意を重ねても、それでも何が起こるかわからない。

それが人生というものであり、それが世の中というものである。

まして今日のように時代のテンポが速くなり、世の中が、
そして世界が複雑に入り組み合ってくると、
全く予期もしないことが次々に起こってくる。

何が起こるかわからない。

まずそれだけの覚悟を、お互いにしっかり持っておきたい。
今日は昨日の続きで、明日は今日の続きで、
だから毎日が事もなく続くとは、何の保証もないのである。

大切なことは、何が起こっても、
まず素直にその状態を受けとめるということである。

捉われた心、私心ある眼では、事態の本質を見誤ってしまう。

平穏無事な時ならば、いささかの私心もやむを得ないとしても、
大事な時の捉われた心は、それよりとりかえしのつかない一大事をひきおこす。

今日ほど、質素な心の大切な時はないのである。

(松下幸之助著『新 道をひらく』より)

3307志恩:2016/12/08(木) 03:32:56 ID:6hRUvSRg
日々是好日
雨がふる日は、天気が悪い‥‥と、
一体誰がきめたのか。

カラカラにかわき上がった畑は、
雨がふる日は天気がよいのだ。

そのような「よい天気」に恵まれたといって、
感謝する人も多いのである。

では、晴れた日は天気が悪いのか‥‥というと、
決してそうではない。

雨の日も、風の日も、晴れた日も、
秋も冬も夏も、いつも天気がよいのである。
いや、よい天気なのだ。

それが分れば日々是好日、
毎日毎日がよろこびの連続となるのである。


(谷口清超先生『伸びゆく日々の言葉』より)

3308志恩:2016/12/08(木) 03:37:49 ID:6hRUvSRg
心の力と、言葉の力

人間の生命は、宇宙全体の生命の一部分であり、
人間の心は宇宙全体の心の一部分であるのである。
星を造り、太陽を造り、一切万物を造ったと同じ心の力が、
人間に宿っているのである。

だから人間の心は一切のものを造ることが出来るのである。
「心の力」と云うものは単なる空想でも、観念論でもないのである。
現実に立証し得る所の力なのである。

特に信念を持った心の力が、言葉によって発せられるとき、
それは驚くべき大いなる創造力を発揮するのである。

信念をもった宗教家や、占い者や医者が、
「お前の運命はこうなる」と云ったとき、その言葉の通りになるのは、
心の力が言葉を通して有力に働いた結果である。

(谷口雅春先生著『新版 幸福を招く365章』より)

3309志恩:2016/12/10(土) 07:17:31 ID:6hRUvSRg
今を生かされていることに感謝

今を生きていることに感謝すると同時に、
私たちは「今を生かされている」ことに感謝することが肝要です。

大いなる自然界に生かされているからこそ、私たちは毎日、
食べたり飲んだり語らったりすることができるのです。

生きていることは当たり前のことではありません。

様々な要素、奇蹟的な巡り合わせが重なった結果、私たちはこうして生きています。
日本人は「心構え」や「覚悟」という言葉を大事にしてきました。

生きている間に起ることすべてに対して、「自分が責任をとる」
「すべてを受け入れる」という姿勢を貫いてきたからです。
心構えも覚悟も「心の準備」なのです。

心の準備は、いつどこからすればいいというものではありません。
それは一人ひとりが普段から行うものであり、胸の内で静かに行ったらよいと思います。

武士道では「生きることは死ぬること」とされます。
あらゆる事態を想定して、つまりいつ死んでもいいように普段から身綺麗にし、
心の準備をするということです。

また「武士に二言なし」という言葉もあります。これは「武士の一言」から発生した言葉です。
武士の一言とは「言い訳なき真実を保証する」こと。だから二言はないというわけです。

病気や死についても、私たちはそれぞれが心の準備を求められます。
急性期医療、つまり、病気が発症した直後の医療よりも、
長い期間の治療を必要とする慢性期医療では、患者さんにとって、医師をはじめとする
医療スタッフや身内の方々とのきめ細やかなコミュニケーションが必要となります。
患者さんは精神的、肉体的につらいことが多く、自分の伝えたいことをうまく伝えられない
ような場合があるでしょう。
また、身体の不調からストレスが溜まり、治療そのものに嫌気がさすこともあります。

そんな状況でも、忘れてはならないことがあります。それは「すべては学び」という言葉です。

私たちは「おかげさま」という、ネットワークから、いかなる時も試されています。

どんなにうまくいかない時でも、今ある現実をいったん全部受け入れてください。
そして、うまくいかない理由ときちんと向き合ってみることが大切です。
あるがままの自分を受け入れ、苦境から学ぶことが、自分と周囲に対する
最上の愛へとつながっていきます。

生きることとは死ぬこと。あるがままの自分を受け入れ、すべては学びである」と知る。

あなたは一人で生きているのではない。
自分だけが悪いとか、相手だけが悪いと思っていては、正しい生き方を見つけることは
できない。

(矢作直樹氏著『おかげさまで生きる』より)

3310志恩:2016/12/10(土) 07:21:52 ID:6hRUvSRg
常によき想念をもつこと

よき想念を常に持つことにしましょう。
よき想念はよき行動を伴う。
ひとたびのよき行動はひとたびでは終わらないのである。

行動はそれが終わったのちにも蓄積されて習慣となり、
次の行動をひき起こす原動力となり、
それがあなたの将来の運命を決定する。

運命は決して他動的に外部の権威者から
割当てられたものではないのである。

すべて自分が蓄積しておいたところの
過去の想念・行動・習慣・業の具象化であるから、
今後、幸福な運命をもちたいと思うならば、
先ず常に、明るき、楽しき、善き、裕(ゆた)かな、
積極的な想念をもつように心掛けるがよいのである。

(谷口雅春先生著『新版 女性の幸福365章』より)

3311志恩:2016/12/12(月) 08:38:00 ID:6hRUvSRg
愉快な生々した人になれ

何よりも吾々は人らしい人になることが必要なのです。

神の子の生活と云うのは別に人を離れて神の子の生活が
あるのではございません。
 
それでは人らしい生活と云うのはどういう生活であるかと云うと、
お釈迦さんは、
「笑うべき時に笑わず、歓ぶべき時に歓ばず、
慈心(なさけごころ)を起すべき時に慈心を起さず、

悪をなして恥じず、善を聞いて意(こころ)につけない人は
確かに人らしくない人である。」
そして又こう云われた。

「笑うべき時に笑い、歓ぶべき時に歓び、悪をなして恥じ、
善を聞いてそれを意に感銘する者は確かに人らしい人である。」

愉快に楽しく生々していることは、確かに人間にとっての美徳である
のである。美徳と云うのは美しい徳だと云うことである。

徳と云う字は「直心(じきしん)を行ず」と云うことを
文字に組み合わせたものである。

直心と云うのは、素直にそのままの心を出すことである。
即ち笑うべき時に笑うことである。

歓ぶべき時に歓ぶことである。なさけの心を起すべき時に、
素直に可哀そうだと思って救(たす)けてやることである。

歓びと云うものは、身体の血のめぐりをよくし、
勉強や仕事をする力を増し、悲観したり、気がふさいだりしている
人にはとても及ばない良い考えを起させてくれるものである。

日本人は、古くから、「喜怒、色に現わさず」と云って、
喜びがあっても喜ばない、怒りの念が起こっても其の怒りを
顔にあらわさないことを美徳としてきましたが、
これは大変な間違いだったのです。

多くの病気は、心の中に持っている喜びや悲しみを形に
あらわさないために起こるのです。

怒ることは感心しませんが、素直な気持ちで、何でも心に
思っていることを出すようにしていますと、心にものがたまって
腐ることがありませんから、怒ることも自然になくなるのです。

何でも心を自由にしていると人間の実相は愉快なのが本当ですから、
愉快に楽しくなるほかはないのです。

常にニコニコ微笑している者は身体も達者であります。

微笑とは「ほほえみ」です。

「頬」に何となく嬉しさの笑いが浮かんでいることです。
「ニコニコ健康法」を機会ある毎におやんなさい。

人間は愉快なときにも笑いますが、笑っていると愉快になるのです。
笑っているとズンズン健康になってくるのです。

(谷口雅春先生著『新版 生活読本』より)

3312志恩:2016/12/13(火) 09:39:46 ID:6hRUvSRg
「当たり前」は奇蹟以上にすばらしい!

「当たり前」のことが、とても嬉しく有難いことだ。
手が動き、足が動き、「あたり前に呼吸ができる」という、その
「当たり前のこと」が、とても有難くすばらしい。

‘奇蹟’を求めて、それが信仰の証しだというのは、
‘奇蹟’にとらわれた考えだ。

「当たり前」の中にこそ「神の子」の実体があるのだ。
「当たり前」は奇蹟以上にすばらしい。


(谷口清超先生:『生命が悦ぶ生活』より)

3313志恩:2016/12/13(火) 09:55:56 ID:6hRUvSRg
あなたが現実に幸福になるために

神はあなたに既に幸福を与え給うているにである。

それが現象界にあらわれると、あらわれないとは、
あなた自身の“心”が、
その既に与えられている祝福に同調するか否かの問題である。
つまり、あなたの心境の問題である。

既に与えられている幸福を現実化するか否かは、
既にビデオテープに録画されている光景を
テレビセットに上映するか否かの問題である。
上映とは“与える実践”である。

神から既に“与えられているもの”を受けとるには、
こちらが先ず人に“与える”という実践をするとき、
“神の与え給う心と人間が人に与える心”とが
同調して波長が合うということになるのである。

(谷口雅春先生著『如意自在の生活365章』より)

3315トンチンカン信徒:2016/12/14(水) 04:00:21 ID:xEgRVi..
これがわたしの"生命の実〜肉体が変化しても、その奥にあって死滅しないで継続している実在としての生命を、わたしは"生命の実相"と名づけてたのである。そしてそれこそが"人間の真物"であるのである。〜

3316トンチンカン信徒:2016/12/15(木) 20:36:08 ID:WeFB8ISg
〜もし、諸君が不快な考えにとらわるようなことがあるならば、もし諸君が他の人に対して憎しみや、怒り、嫉妬や復讐を感じるようなことがあるならば、諸君は自己の心に盗賊が忍び込んで幸福のダイヤモンドを奪おうとしているのだということを自覚しなくてはならぬ。諸君は靴を一足盗みにはいった盗賊でも逐いだすではないか。それだのに心の中にあなたの最も高貴な幸福のダイヤモンドを盗みはいた盗賊をばいつまでもなぜ歓待しようとするのであろう。われわれは心の内に溜ったカスを捨て去ろう。われわれは靴の中にはいった小石のようなに悲しみを心から放(な)げ棄てよう。憎しみをほかそう。そして憂鬱を脱ぎ棄てて、晴れやかな太陽の輝いている世界へ、新しい喜びの靴を穿きなおして歩み出そう。これが『生長の家』の生き方であるのだ。〜『日時計主義の生活』より。

3317志恩:2016/12/15(木) 22:13:57 ID:6hRUvSRg

うまくいかないことが多少あっても、それは、自分を鍛え、
学ばせようとする愛なのだということに、いつも感謝してください。

困難や障害があるからこそ、人生は輝くのです。
それは、あなたが愛されているという証拠でもあるのです。


エナジーは、誰かからもらうものではありません。
「大我の愛」が芽生えれば、自身のたましいより、泉のごとく湧き上がります。

愛の炎が消えなければ、そのエナジーは永遠に枯れることはありません。


愛はいかなる苦難、幸せな宝に変えてしまいます。
どんな苦難も、愛の力にはかないません。それほどに愛は偉大なのです。
人はみな、愛の電池で生きるのです。愛があれば、何も怖いものはありません。


本気で人とかかわれば、醜い嫉妬心や、強い憎しみを持つこともあるでしょう。
それを悔やむことはありません。

ネガティブな感情に苦しんだことのある人は、強い愛情も持てる人です。
人一倍、深い思いやりも持てるのです。


「誰も自分を愛してくれない」と思うときは、あなた自身が
そもそも「人」を愛しているかどうか、
振り返ってください。
人を心から愛してこそ、愛されるあなたになれるのです。


いまこそ、
「ごめんなさい」と「ありがとう」という心を思い出しましょう。

正しき 愛念をもって、シンプルに 生きることが 必要なのです。

(江原啓之氏著『未来を拓く言の葉』より)

3318志恩:2016/12/15(木) 22:42:24 ID:6hRUvSRg
偉大なものに常に立ち戻る。

偉大なものに敬意を示す。

そういう姿勢があれば大抵のことはなんとか なります。

偉大なものを尊重する姿勢と卑小なものを避ける姿勢があれば、それでいいのです。

(ゲーテの言葉)

3319志恩:2016/12/15(木) 23:00:00 ID:6hRUvSRg
教養とは 概念的な教養のことではなく、
なかんずく、
直観し 正しく選択する 教育の事である。

それは、音楽家が 暗がりの中で正しく演奏するようなものだ。

一民族を教育して 教養を得させるのは、本質的には、優れた典型に慣れさせ、
高度な諸要求を 形成させる事だ。

なぜ 優れたものに触れないといけないのか?

価値判断力を 身につけるためです。

暗い芭蕉でも、道を間違えずに 歩く事ができるようになるためです。
夜、照明を落とせば、真っ暗になりますが、そのうちに目が慣れてくる。

同様に、古典に接近する中で、次第に見えてくるものがある。

見えてくることが、歴史的に証明されているからこそ、古典は残っているのです。
見えてくることにより、改めて古典の価値が確認される。

偉大なものを、ただつまらないとか、古臭いと言って拒絶するのは幼児です。
古典を読むということは、大人になるということです。

(ニーチェ「生成の無垢」より)

3320志恩:2016/12/15(木) 23:02:18 ID:6hRUvSRg
3319:暗い芭蕉でも➡暗い場所でも、に訂正。

3321規約:2016/12/15(木) 23:35:45 ID:R9GcJyNI
:トキ :2011/11/23(水) 13:32:46 ID:YRze2u3c
 このスレッドは、生長の家の「今の教え」と「本流復活」の問題に関連して、雅春先生や
御高弟、他の真理の言葉のみを掲載していくという板です。

3322志恩:2016/12/16(金) 17:54:12 ID:6hRUvSRg
平等にして 差別があるのが 大調和

生きとし生けるものが 平等だということは、
生きる命はみんな神様の力が宿っているのであるから、
どれも皆同じように尊いということである。

しかし形の世界では、その神様の力のあらわれ方がみんな違う。

平等にして差別ありの真理を知らねばならぬ。

人間はみんな尊いが、

人と時と処との三つの相応(ちょうどよい)と

いうことを知らねばならぬ。

この相応を得たときにすべてのものが大調和するのである。

(、谷口雅春先生著『人生読本』より)

3323志恩:2016/12/16(金) 17:56:32 ID:6hRUvSRg
神と偕に生きる


今日、誰かに必ず役に立つ仕事をしよう。

大いなる仕事が見つからなかったら、

目の前にある些細な愛行や、深切な言葉や、

奉仕や、清掃などの仕事でもよい。

何か誰かに悦ばれる事を必ずするがよいのである。

他の人の自由や財産を侵して自分が利益を得たり、

権力を得ようと思ってはならない。

このようにあなたの日常生活を浄めることによって、

あなたは神の霊波と波長が合うことになるのである。

(谷口雅春先生の言葉)

3324志恩:2016/12/16(金) 18:05:09 ID:6hRUvSRg
『他(ひと)から見て どう見えるか』

仕事でも、顔でも、店構えでも、事務所の玄関でも、外から見てどう見える
かを調べてから、他に見せるようにすることが大切です。

仕事をする上からいえば、自分はその仕事をやりとげることに熱心すぎて、
ちょっとぐらいよごれていても、気がつかない事がありがちです。

いかに立派な製品でも、ほんのちょっと手垢がついているために、つまら
ないものだと見向きもされないこともあります。

まず自分がお客になって玄関へ入って行くと、どんな感じがするか、什器や
椅子の並べ方は不快ではないか、応接室で待っているとどんな感じがする
か、何分間待たせられるか、待っている間に放っておかれるか、何か出され
るか、その出し方はどんなふうにするか、読み物はあるか、最初の面談は
どんなふうに始められるか。

・・・・・こんなことでも、自分が客となって
見なければわからないのです。

他の事務所や商店と比較してみて、悪いところはできるだけ廃(や)める
ようにし、良い所はできるだけ取り入れるようにし、さらによそに見られぬ
好い感じを出すようにしなければなりません。

自分の店や自分の事務所ばかりを見ていては、欠点があっても、その欠点は
慣れてしまって、それが当たり前のような気がして気づかないものです。

臭い空気に慣れてしまっては、その空気が臭い空気だということに気がつき
ません。しかし外から入って来たら、「なんてここは臭い空気だろう」と
気がつくのです。 客は外から入って来るのですから、一番誰よりもその
室(へや)の空気の良し悪しには気がつくのです。

室の空気の良し悪しというのは、鼻から吸う空気だけのことではありませ
ん。 心で吸うなんとなきその室の味です。その室の匂いです。

その室の感じです。

その中には人間のようすもあり、微笑もあり、心の思い
もあり、椅子や家具の並べ方もあり、「ああ、ここは気持ちが好い」と思わ
れるようにしなければなりません。

(谷口雅春先生の言葉)

3325志恩:2016/12/17(土) 07:10:40 ID:6hRUvSRg
『困難と見えるものは、成功への足がかりである』


「困難」と見えるものは、

成功への足がかりなのだ。

人間は、如何なる困難にもへこたれず、

それを逆に活用し、

そこから又と得難い教訓を学びとって、

はじめて立派な人間となることが出来る。

困難にうちひしがれることなく、

決然として立ち上がろう。

そして、

生き生きと積極的に生き抜いて行こう。

(谷口清超先生の言葉)

3326志恩:2016/12/17(土) 07:15:36 ID:6hRUvSRg
「今」を生かせ

あなたの前に現れて来る時々刻々を、「今」よりほかに為すべき時はないと
信じて「今」を生かして使う者は永遠に楽しく生きることが出来るのです。

「今」の時を、歓びと、愛と、仕事と勇気をもって生きることです。

勇気を持て、愛を持て、歓びを持て、而して今為すべきことを
明日に延ばさず、今それを行うことであるのです。

多くの人は「今」なすべきことを
次の時に、次の日に、次の月に荏苒(じんぜん)それを
延ばしてしますことによって、
時間がない時間がないとつぶやいている人が多いのです。

実は時間がないのではないのであって、時間を生かさないからです。

今を悔いなく生きよ。

過去について思い煩うこと勿れ、未来について思い煩うことなかれ。
刻々瞬々が「今」のみを生きるとき無限に悦びに満たされた
毎日となるのである。

(谷口雅春先生著『新版 真理』第二巻より)

3327志恩:2016/12/17(土) 07:31:51 ID:6hRUvSRg
宇宙の根本真理である神の自己顕現の秩序は、どの様な相(すがた)をとるのでしょうか。

神がこの地上に自己を現わす場合の、もっとも合理的な最高の相は、
国家 と云う形体、国 と云う相であります。

「国」とは宇宙秩序の地上的表現であります。

宇宙の普遍原理たる 神の地上に於ける自己形成の総合的基本形態を

「国」 と云うのであります。

今日世界を構成しているものは国家群であって、直ちに人類ではありません。

 一口に人類と云いますが、
その人類とは必ずアメリカ人であるか中国人であるか印度人であるか
フランス人であるか日本人等々であるかであって、
いずれにも属さない人類とは抽象観念に過ぎません。

人間は皆、言語を異にし風習を異にし国情を異にし
歴史を異にする いずれかの国に属して
その国を構成する いずれかの国の国民なのであります。

(山口悌治先生著『中(みなか)のこころ』より )

3328志恩:2016/12/17(土) 21:03:16 ID:6hRUvSRg
思い切りよく、押し強く、勇敢に断行せよ!


今、汝の決心をすぐ実行に移せ。
思想はそれが実践せられるまではただの夢でしかない。

諸君に競争者があるか。あっても恐れることはない。
それはただ人間ではないか。 

行け! あえて行くところに道が開かれるのだ。

決意をもって進む人の前には、万人がひざまずいて奉仕しようと申し出るのだ。
困難、それがなんだ。勇敢にそれを押しのけよ。

失意すべき時に失意せず、落胆すべき時に落胆せず、
勇気を失わずにあえて前進する者には困難が困難でなくなるのである。

人生は明快な決断力を有する人のためにのみ、
よい座席をあけて待っていてくれるのである。

不決断の人の前にはたとい空席があろうとも、彼がその座席に座るまでに、
ほかのいっそう決断力のある人がその椅子にかけてしまう。

勇敢なる人は自分の目の前にあらわれたる困難を、
そのまま神が自分に与え給うた「希望」実現のための踏み石として
感謝して受け、困難を踏み台としてなおいっそう前進する。

かかる人には困難はかえってその人の魂の向上の資料となる。


(谷口雅春先生著『生命の実相』第7巻より)

3333志恩:2016/12/22(木) 23:55:46 ID:6hRUvSRg
陽気を 失うとき 生長は とまる


明るい人間でないとだめ。

どんな才能を持っていても、明るさがないと のびていかない。

いのちは 光に向かってのびる。

それは、一粒の種子が 光に向かってのびていくようなものだ。

明るくあれ。 心に親切な思いをもて。

何事にも善意を見出せ。

人々の、神の万物のあたたかい「愛」を 味わうことが大切である。

(谷口清超先生の言葉)

3334志恩:2016/12/22(木) 23:59:02 ID:6hRUvSRg
神に託して生きましょう


問題がこんがらがって来たら、

神様に解決をお願いする心になるがよい。

神は、あらゆる問題を解決して下さる

無限の智慧と能力とをもっていられるのである。

(谷口雅春先生著『新版 女性の幸福365章』より)

3335志恩:2016/12/23(金) 07:41:58 ID:6hRUvSRg
(榎本恵吾先生 文書より)

(9)た た み

<平成11年8月 内報『宇治』123号より〉

あれは中学校の終わりか、高校のはじめ頃だったか、学校から帰ってくると、仏壇の前で母が神想観をしていたのである。
その時母は、「如意宝珠観」をしていたのであった。

一寸首を右の方にかしげるようにして、にこやかな表情をしてとても明るくて、やさしくて小声で「住む人悉(ことごと)く身健かに、
心美しく、相(すがた)形(かたち)美(うる)わしく、和顔愛語讃嘆に満たされたり」と唱えながら、ますます口元に柔らかさがにじみ出てくるのであった。

 それは、一瞬の間に眼に入ってきた姿であったが、その時「神想観とはいいものなんだなあー」という明るいものが私の腹の中に収まったらしいのである。
そして、「如意宝珠観」が大好きになったのである。

それから、高校一年の秋に青年会に姉が誘ってくれて入って、大学浪人二年目の四月に飛田給と宇治の一般練成を受けた。
練成会中、私が一番関心を持ったのは、神想観の先導者が座る四角のたたみであった。「あの上で神想観をすればいいだろうなあ」と
来る日も来る日も思ったのであった。

うちに帰ると、早速それと同じものを作ってもらったのである。青年会の先輩の竹内憲仁という人が、畳屋さんであったことも好都合であった。
竹内さんは喜んで作ってくれた。それからというもの、憧れのそのたたみ半畳分のその上で、私は神想観をしたり、
聖典を拝読したりしたものであった。

それは、もう四十年以上も前のことになるが、郷里の紀州でまだ熱心に生長の家をやっておられる竹内さんが、
六、七年くらい前だったか、丸い形のうすべり(円座)を送ってこられて、幽斎殿の正面の台座の上にでも置いて下されば
うれしいと寄付してこられた。

私は今、毎日その畳の円座の上で神想観をさせて頂いているのである。“そういえば、母のしていたのも龍宮観とも言われる
「如意宝珠観」だったなあー”と、
いろいろなことを重ね合わせて  神縁とか、運命とか、使命とかのことを思って、感慨をかみしめているのである。

3336志恩:2017/01/02(月) 14:29:55 ID:6hRUvSRg
「いくら口先で弁解しても、その人の行動は、結果となって現れてくる。

何々のせい・・であるとか、誰々のせい・・でこうなったと言っても、

『ではあなたは、ただ単なるデクノボーか、かかし・・・・であったのか』と

問われるであろう。


原因は、そんな外部にあるのではなく、あなたの心にある」


(谷口清超先生著『伸びゆく日々の言葉』、77頁)

3339志恩:2017/12/14(木) 07:36:36 ID:6hRUvSRg
『生長の家の全貌』  13頁〜16頁

古代日本人の自覚は日本民族全体を「神の子」の降臨と観じた 
 ―  西欧支配に対する東洋文化の対抗

  谷口雅春 先生


 戦後、日本を襲ったところの民主主義旋風は、その旋風の名にふさわしいように、上下の秩序の混乱を引起しました。

権威破壊の民衆の精神的暴風は一切の特権階級を烈しくゆさぶり落して、
天皇の権威さえも、風におののく晩秋の桜の葉のようにいつ落葉するかも知れないような有様となったのであります。

イザナミ文明を核心とする西欧文明は「分断して支配せよ」との原理に従って、
物質を細かく分割して原子爆弾、水素爆弾を製作し、それによってビキニ環礁を細末に粉砕して死の灰をふらせて問題を
惹き起したのでありますが、
「分割して支配せよ」との西欧的支配イデオロギーは、日本を弱体化するために蜘蛛の網のようにあらゆる方面に張り渡されて、
着々日本弱体化が実行せられたのであります。

先ずそれは、日本国が「神なる天皇」を中心に国民は天皇の赤子であって、
一大家族国家であるという信念を、細く分断して日本国民の団結力を弱からしめようと云う方策が用いられたことであった。

そのために、マッカーサーは天皇をしてみずから「神に非ず人間なり」と云う詔勅を喚発せしめるなど愚にもつかない子供だましの
策略を行ったり、古事記及び日本書紀にある日本上代の歴史のうち、崇神天皇までを、ただの神話であるとして、
瓊々杵尊や神武天皇を日本建国の歴史の中から省いてしまうことに努力したのであります。

この西欧の「分割支配」の方策におどらせられて、日本の文化人中、霊感なき唯物論的実証主義者の歴史家たちは、
瓊々杵尊は勿論、神武建国の記事を「社会科」の歴史教科書中から省いてしまったのであります。

かくて、日本の建国の理想は曖昧となり、戦後10数年後の学校卒業者には、神武天皇の名さえ知らざる者がその大部分を
占めるであろうような教育企画に乗ぜられてしまったのであります。
 
このため、神武建国を記念するところの、紀元節又は建国節は今に至るも制定の運びとならない現状で、
日本は建国なき国として今も亡国にちかき現状で引続いているのであります。

これに対して、生長の家の主張するところは「人間神の子」の真理により、吾々日本国民がすべて「神の生命」を自己の内に宿す以上、
天皇も亦、「神」の生命をやどすのであり、だから天皇も亦「神」にましますことは当然であり、

吾々日本民族は、瓊々杵尊が高天原より天降られて地上に日本国を建設せられたときに、
瓊々杵尊と同時に天降って来た皇族又は五伴緒命の子孫として互いに血縁関係と云う密接な紐帯によって結ばれていると主張するのであります。

つづく

3342志恩:2017/12/14(木) 07:53:12 ID:6hRUvSRg
3339:『生長の家の全貌』 の、つづきー


こう云う主張をするときには、「だから生長の家は迷信だと言うんだよ。 人間が天から天降って来るものか」と。 
私は答える  ―  私は人間を「肉体」として話しているのではない。
 人間を「霊」として話しているものである。

 だから私は、この論文の最初の項に、現代の日本には、如何に多くの「人体」ばかりが横行していて「人間」がいないことであるか  
―  と言って揶揄したのであります。

「人体」が「人間」として生きて動き出すために神の「霊」が天降らなければならないのであります。

 霊なき「人体」は「人間」ではなく、それは人間の「無き殻」に過ぎないのであります。

 人間が、人間であるためには、「なきがら」に「霊」が天降らなければならない。

 かくてのみ霊なき「なきがら」が人間となり、ただの「人体」が生きた「人間」となり得るのであります。

 これを「天孫降臨」即ち「神の眞子」の天降りと言うのであります。

古代日本人の自覚は日本民族全体を「天孫」即ち「神の眞子」の降臨だと観じたのであり、
それを天孫降臨の神話として表現したのであります。

これは決して単なる迷信でもなければ、ただの作り物語でもない。

 実に日本民族が、人間の本性を「久遠の神」の表現と直観し得たところのものの表現であり、
それは仏典に於いて、例えば、釈迦が、その「神(たましい)」を
兜率天界より地上の摩耶夫人に降して右脇に孕んだと大無量寿経に書かれているのと同様であり、

キリスト教聖書に於いては、
イエスの霊が天の使にたずさえられて処女マリアに懐妊したと云うのと同巧異曲で、まことに雄大な人間尊厳の自覚でありまして、
これをただ科学的に人間の肉体の発生を物質的精子、卵子の結合と観ずる如き、高貴なる理想なく、

雄渾なる夢なきただの唯物論者の見地から迷信だと断定して抹殺し去ろうとするが如きは、
みずから人間存在の基底を侮辱するものであって、まことに気の毒な自己劣等感と言わなければならないのであります。


真の身種主義なるものは、「神霊降下」の人間の高貴の根本自覚から出発しなければならないのでありまして、
人間が瓦礫と等しく、ただの物質的分子の集合体であるならば、人間に基本人権と云うような高貴なものの存在の
余地がないのであります。

斯くの如く説くことによって、生長の家は、日本の神話的歴史を否定することなく、
しかもそれを民主主義に根拠を与えながら、人間尊厳の自覚に貢献しつつあるのであります。

===============================

3343神の子さん:2017/12/14(木) 08:58:02 ID:8UEVfL8A
>>3342
♪貴女に資格は、ありませんよね♪

(トンチンカン=志恩さんが、生長の家を、何十年も前に、脱会されている、証拠のコメント)

※→私も私で、私が義兄に、「今は 払いたくないんです」と払わないように

お願いしているにもかかわらず、

義兄は、夫と私の二人分の聖使命会費を、「そういうわけには、まいりません」と、


①聖使命を、第三者奉納なので?すでに?信徒?信者で無い亊は?明確な事実です♪

②従って、愛国だろと?トキ掲示版だろと?生長の家や谷口雅春先生や?清超先生、雅宣先生、その他谷口家の人や?生長の家の講師や関係者に?対し?コメントするは?出来ないし?資格も無いのです?

③②を侵して、コメントしてるのは、単なる、自己満足者、マニア、愛玩者です♪ 3342:志恩

17/12/14(木) 07:53:12 ID:6hRUvSRg
3339:『生長の家の全貌』 の、つづきー


こう云う主張をするときには、「だから生長の家は迷信だと言うんだよ。 人間が天から天降って来るものか」と。 
私は答える  ―  私は人間を「肉体」として話しているのではない。
 人間を「霊」として話しているものである。

 だから私は、この論文の最初の項に、現代の日本には、如何に多くの「人体」ばかりが横行していて「人間」がいないことであるか  
―  と言って揶揄したのであります。

「人体」が「人間」として生きて動き出すために神の「霊」が天降らなければならないのであります。

 霊なき「人体」は「人間」ではなく、それは人間の「無き殻」に過ぎないのであります。

 人間が、人間であるためには、「なきがら」に「霊」が天降らなければならない。

 かくてのみ霊なき「なきがら」が人間となり、ただの「人体」が生きた「人間」となり得るのであります。

 これを「天孫降臨」即ち「神の眞子」の天降りと言うのであります。

古代日本人の自覚は日本民族全体を「天孫」即ち「神の眞子」の降臨だと観じたのであり、
それを天孫降臨の神話として表現したのであります。

これは決して単なる迷信でもなければ、ただの作り物語でもない。

 実に日本民族が、人間の本性を「久遠の神」の表現と直観し得たところのものの表現であり、
それは仏典に於いて、例えば、釈迦が、その「神(たましい)」を
兜率天界より地上の摩耶夫人に降して右脇に孕んだと大無量寿経に書かれているのと同様であり、

キリスト教聖書に於いては、
イエスの霊が天の使にたずさえられて処女マリアに懐妊したと云うのと同巧異曲で、まことに雄大な人間尊厳の自覚でありまして、
これをただ科学的に人間の肉体の発生を物質的精子、卵子の結合と観ずる如き、高貴なる理想なく、

雄渾なる夢なきただの唯物論者の見地から迷信だと断定して抹殺し去ろうとするが如きは、
みずから人間存在の基底を侮辱するものであって、まことに気の毒な自己劣等感と言わなければならないのであります。


真の身種主義なるものは、「神霊降下」の人間の高貴の根本自覚から出発しなければならないのでありまして、
人間が瓦礫と等しく、ただの物質的分子の集合体であるならば、人間に基本人権と云うような高貴なものの存在の
余地がないのであります。

斯くの如く説くことによって、生長の家は、日本の神話的歴史を否定することなく、
しかもそれを民主主義に根拠を与えながら、人間尊厳の自覚に貢献しつつあるのであります。

===============================
3342:志恩

17/12/14(木) 07:53:12 ID:6hRUvSRg
3339:『生長の家の全貌』 の、つづきー

3344神の子さん:2017/12/16(土) 23:48:38 ID:VhgSEtgQ
http://www.bit.ly/2kJFRlx

3345志恩:2017/12/17(日) 15:42:27 ID:6hRUvSRg
田中忠雄先生著「こころの姿勢」よりー

かなり有名なある評論家が、道元禅師の 『永平清規』 をさんざんこきおろしていました。 
『永平清規』 というのは、道元禅師が道場における心得を示されたもので、目上の人にたいする心得、
洗面のときの心得、食事のときの心得などをくわしく書いたものです。

この評論家は、それを読んで昔の軍隊を思い出すと言ったのです。 
「一つ軍人は信義を重んずべし」 などという 「軍人勅諭」 を思い出し、その先入見に捉われたのでしょう。
彼はそれを軍国主義だのファシズムだのと結びつけてさんざん悪口を言っておりました。

けれども、こういうのは浅はかな考えであって、昔の軍隊でやっておったことを何でもかんでもみな軍国主義だとか
ファシズムとか言うのが、そもそものまちがいであります。

軍隊には秩序が大切ですし、特に規律が大切である。 世界中の軍隊に規律のない軍隊というものはありません。 
だからそれを要約した形で、日々の心得を表したものがどの国にもあるわけです。 
それを全て軍国主義的だとかファシズム的だとか言うなら、地球上の軍隊で、軍国主義的・ファシズム的でない国は
どこにもないことになってしまうでしょう。

そいう浅はかな自由思想で規律や心得というものに反対するならば、あらゆる共同生活、あらゆる集団生活、あらゆる職場生活は、
ばらばらになって解体することになるでしょう。 国や民族も統一を失ってばらばらになって、やがて衰頽してしまうでしょう。

信仰上の集団ならば、教えのうえから当然でてくるところの心得があり、それによって日常生活の基準にすることがあります。
 これが確立されていれば、勝手気侭なことはできないわけで、その力で秩序が保たれるのです。

秩序が保たれるだけでなく、教えそのものが永く受け継がれることになるのであります。
もし 『永平清規』 というものがなかったならば、道元禅師の宗風はとっくに失われ、七百年以上もつづいて今日にまで
伝わることは決してできなかったでしょう。 

ですから私は、こういう心得や規律の意味を吟味して 「歴史継承の型」 と呼んでいます。 
この 「型」 によって、教えが後世に受継がれる、つまり継承されるのであります。

むろん 「型」 というものは、「型にはまる」 と言われるように、精神を失ってただ形だけのものになる恐れがあります。
それを形式主義というのです。 

ですから、常に根本の精神に立ち返って、絶えずその 「型」 に魂を入れてゆかねばなりません。

既成宗教という言葉がありますが、それは長い年月のあいだに偉大な宗祖の精神を失い、ただ形式だけまねているということです。
そういう場合にも、その形式がまだ残っているなら、その形式に含まれた精神をよび戻すことができます。

 古来、そういう仕事をした立派な人のことを 「中興の祖」 と呼ぶのであります。

3346シオンな番組:2017/12/17(日) 17:37:54 ID:ComiSPMU
>3345
矛盾した過去コメをしてる、志恩さんの経歴※

①(そもも、生長の家じゃ無いから、コメント出来ない)

(トンチンカン=志恩さんが、生長の家を、何十年も前に、脱会されている、証拠のコメント)

※→私も私で、私が義兄に、「今は 払いたくないんです」と払わないように

お願いしているにもかかわらず、

義兄は、夫と私の二人分の聖使命会費を、「そういうわけには、まいりません」と、


①聖使命を、第三者奉納なので?すでに?信徒?信者で無い亊は?明確な事実です♪

②従って、愛国だろと?トキ掲示版だろと?生長の家や谷口雅春先生や?清超先生、雅宣先生、その他谷口家の人や?生長の家の講師や関係者に?対し?コメントするは?出来ないし?資格も無いのです?

③②を侵して、コメントしてるのは、単なる、自己満足者、マニア、愛玩者です♪
※※※※※※※※※※※
②(アレ?曹洞宗は?リベラルで?志恩さんは?それに?批判してるわけです?今回は、コメントは、可笑しいですね)

(矛盾したリベラル賛成コメント)http://bbs5.sekkaku.net/bbs/toki2/&amp;mode=res&amp;log=122 6054:志恩

17/02/17(金) 06:01:12 ID:6hRUvSRg
リベラル派か、保守派か に分かれる 各宗教団体
__________________________________________
日野掲示板より
44 :トンチンカン信徒 :2017/02/14(火) 04:14:45
現在、『他宗に学ぶ』
として、各宗教団体活動を、観てもらって、
(志恩:注:観て回って?)いるのです。


トキ掲示版の異端派擁護の人や、マニア雅春教徒の人達に、言われてる
状況と外部宗教界の状況(政治:経済の世界とは別)は違う様です。


どこの、団体も、
『環境問題』や『リベラル的』取り組みが、宗教界の流れの様です。
_____________________________________________________

>>ネット:政治と宗教より

「信者と支持者が完全に重なっているわけではないという注釈付きですが、

党単位でいうと基本的に、

自民党は、真如苑や神道政治連盟、

民進党なら。立正佼成会、崇教真光などから、

政治献金を受けているほか、

選挙支援や日常の政務で教団の信者が、

ボランティアスタッフになるなどして、

支援を受けています」<<

__________________________________________________
志恩ー
トンチンカン信徒さんが言われる

トンチンカン信徒さんが、
観て回った?という宗教団体とは、

リベラル派の宗教団体が取り組んでいるという
『環境問題』や『リベラル的』なこと。

それらを推進している、

「立正佼成会」などを 観たからではないでしょうか?

つまり、保守派ではなくリベラル派のみの宗教団体を見て、
これが、「宗教界」の流れだと、
思い込まれたのでは、ないでしょうか。


雅宣総裁も純子奥様も、ずっと以前から
リベラル派の左翼政治学者の著書や話に
夢中であり、お二人とも全身全霊でリベラル的な
考え方に傾倒しておられますので、

他の宗教団体でも、そちら系を推進している他の宗教団体と気があうの
ではないでしょうか。

※※※※※※※※※※※

3347シオンな場組:2017/12/17(日) 17:39:42 ID:0VX4btUY
>>3346
※③志恩さんの矛盾した、コメント?

3345:志恩

17/12/17(日) 15:42:27 ID:6hRUvSRg
田中忠雄先生著「こころの姿勢」よりー

かなり有名なある評論家が、道元禅師の 『永平清規』 をさんざんこきおろしていました。 
『永平清規』 というのは、道元禅師が道場における心得を示されたもので、目上の人にたいする心得、
洗面のときの心得、食事のときの心得などをくわしく書いたものです。

!!!!!!!!!!!!
※謝罪しましょ※

3348神の子さん:2017/12/17(日) 17:41:44 ID:0VX4btUY
>>3342
※速やか、謝罪しましょ※

3349志恩:2017/12/18(月) 12:11:38 ID:6hRUvSRg
道元禅師は京都の人だそうですよ。

道元禅師は、鎌倉時代の1200年(正治2年)1月26日(陰暦では1月2日)に
京都でお生まれになりました。

諸説ありますが、
父は 内大臣久我通親(こがみちちか)、
母は 摂政関白藤原元房の女(むすめ)伊子(いし)である
といわれています。

幼少より聡明さを発揮され9歳で『倶舎論』を読まれたとの逸話が残っています。

道元禅師は3歳の時に父を亡くし、8歳で母の死にあうという悲しい体験をとおして世の無常を強く感じられ、
その心を仏の道へと傾けられたのでした。

2.出家修行
    略
3.入宋と正師との出会い
    略「日々の修行がそのまま悟りである」とお示しです。

4.日本へ帰国
    略
5.入寂
1253年9月29日(陰暦8月28日)に54歳でその生涯をとじられました。
http://www.soto-kinki.net/about/dogen.php

__________________
志恩ー
道元禅師は
幼いときに、両親を亡くされまして、この世の無常を全身全霊で、感じたのでしょう。

幼いときから、お金持ちで、札束を枕にして寝てみたり、一万円の 紙幣をガボッと好きなだけ
お小遣いにもらって
誰かさんのように贅沢に生きてきた人間は、ラクダを針の穴に通すが如く、なかなか
本物の信仰者には なり難いのかもしれません。

3350志恩:2017/12/18(月) 12:13:53 ID:6hRUvSRg
トンチンカン信徒という名も長いから、もっと短い方が、言いやすいと思います。

3351志恩:2017/12/18(月) 12:16:05 ID:6hRUvSRg
道元、も 白隠も 名が短い。

3352神の子さん:2017/12/18(月) 17:06:11 ID:RIlAdG1s
> 幼いときから、お金持ちで、札束を枕にして寝てみたり、札束を枕にして寝てみたり誰かさんのように贅沢に生きてきた人間は、ラクダを針の穴に通すが如く、なかなか本物の信仰者には なり難いのかもしれません。<


「札束を枕にして寝てみたり」「札束を枕にして寝てみたり」

こんな風に谷口清超先生、恵美子先生は子育てをしていたのですね。とても宗教の指導者とは言えませんね。志恩さんの云うことが正しいとしますと、そんな風にしか恵美子先生を育てられなかった雅春先生も、責任を問われますね。

「ラクダを針の穴に通すが如く、なかなか本物の信仰者には」

志恩さんは「富める者」ですね。都会で金を使って生きる生き方ですから。

(ルカによる福音書18章)18-22イエスはこれを聞いて言われた、「あなたのする事がまだ一つ残っている。持っているものをみな売り払って、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。18-23彼はこの言葉を聞いて非常に悲しんだ。大金持ちであったからである。18-24イエスは彼の様子を見て言われた、「財産のある者が神の国にはいるのはなんとむずかしいことであろう。18-25富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。

(マタイによる福音書)7-13狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。7-14命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者がすくない。

3353志恩:2017/12/18(月) 17:54:11 ID:6hRUvSRg
3352;さんは、大金持ちの曵馬野さんでしょうか?
私は、小金持ちでもなく、平凡な暮らしをしているごく普通の質素な年金生活者ですから、
あのお方よりもラクダよりも 楽に 針の穴から 通れると思います。

3354神の子さん:2017/12/18(月) 21:41:43 ID:.crkIyiU
>>3351
※道元さんも、白陰さんもお坊さん※

※でも?志恩さんは、韓国女性の名前(笑)新羅人の志恩さん言い逃れ※

※※※※※※※※※※※※
3351:志恩

17/12/18(月) 12:16:05 ID:6hRUvSRg
道元、も 白隠も 名が短い。

※※※※※※※※※※※
(志恩は韓国女性名)
http://trs02.mxcd.imodesearch.jp/t/0919nbSzbCVTfRrx/4?_jurl=http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fmt_erech_ave%2Fkorean_girl.html&amp;_jlite=0&amp;_juid=&amp;_jsrc=&amp;_jkw=%8A%D8%8D%91%8F%97%90%AB%96%BC&amp;_jimg=1&amp;guid=on

※第二光明掲示版に、<山ちゃんさんのコピペ>投稿した?志恩さんの内容が?面白?自分のハンネ→韓国女性名で有り?遠祖は?新羅国人である?志恩さん?日本人のフリを?する?嘘つき投稿の?証拠です♪♪
③(こちらが、志恩さんが、嘘投稿した、光明掲示版入り口)

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/i.pl?id=koumyou2&amp;log=4376&amp;l=921
♪『實相と現象』のP35に、谷口雅春先生のありがたい、お言葉が、次のよう、示されいるのであります♪

♪<『新羅<志恩さん=トンチンカンさんの遠祖の国>は、日本の敵として非常に優勢に見えているけれでも、日本は神国であるから、決して滅ぼされると云う事はないのである。日本にして来る様な新羅の国は存在しないのである』と、魂の底ふかく否定するとこの思念が"潮干珠゛であります>♪
※※※※※※※※※※※※
※皆が、証明してます※
(アクエリアンさんのコメント)
→<人間の探究 897 創価学会幹部は朝鮮人!>


(志恩さんの日吉町で、創価の女性と、仲の良いこと示すコメント)

②→創価学会のおばさんは、私が生長の家だということはご存知ですから、たぶん創価学会の勧誘はしないと
思います。したら、断るだけです。

なぜ、あちらが突然話しかけてきたのかな、ということですが、普段、道で会えば、お互い、会釈だけは
してきたので、あのおばさんは、私のことを、嫌な人間ではないと、思っていたからだと思います。

でも、たとえ、この度、珍しく あちらが、話しかけてきたからといいましても
あのおばさんは、見るからに、こせこせした感じで、すぐに怒り出すような 短気そうなタイプで、
私の好きなタイプの人では ありませんから、今後も お友達には なりません。

(解説)=実に、不可思議な、志恩さんの、コメント内容です?同じ?日吉に在住で?日頃から?近所なんですね?技と?仲の悪いフリをしてる?コメントですが?相手の方は?近づいてくるてことは?秘密理に?お話してるて?亊ですね?しかも?選挙の前後だしね?
(雅春先生の教えに従うなら、志恩さんは、明に祖国は、新羅国→現在=韓国・北朝鮮になってくる)

※(志恩は韓国女性名)
http://trs02.mxcd.imodesearch.jp/t/0919nbSzbCVTfRrx/4?_jurl=http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fmt_erech_ave%2Fkorean_girl.html&amp;_jlite=0&amp;_juid=&amp;_jsrc=&amp;_jkw=%8A%D8%8D%91%8F%97%90%AB%96%BC&amp;_jimg=1&amp;guid=on

※愛国掲示版へ行っても?志恩さん<変身すると、トンチンカン>が、新羅人を、遠祖に持つ、事実は変わらない♪

※雅春先生も指摘した、志恩さん新羅人説と、志恩さんは、日本の江戸時代の認識さえない

①<トンチンカン・志恩様の最近の日本に対する、新羅人らしい、歴史認識コメント>
♪♪<江戸時代の「藩」とは、江戸時代の支配組織のことで、「藩」とは、
ほぼ今日の「県」に相当する大きさだったそうですが、>♪♪♪


②<トンチンカン・志恩様は、新羅人として、谷口雅春先生、生長の家初代総裁の言葉を、学ばなくていけない>


♪『實相と現象』のP35に、谷口雅春先生のありがたい、お言葉が、次のよう、示されいるのであります♪

♪<『新羅<志恩さん=トンチンカンさんの遠祖の国>は、日本の敵として非常に優勢に見えているけれでも、日本は神国であるから、決して滅ぼされると云う事はないのである。日本にして来る様な新羅の国は存在しないのである』と、魂の底ふかく否定するとこの思念が"潮干珠゛であります>♪

♪志恩さんは、<本当は違う>否定してましだが?トキ本島掲示板や、パソコン無いの全ての海(心の世界)にいる限り、<新羅国の志恩さんで、あり続けしか無のであ、現実世界も、そうなると、雅春先生は、言われているわけで、私、トンチンカン信徒の私見では無いのです、だから、お伝えしただけの、愛行伝道、お節介伝道です♪


※志恩さん、愛国掲示版で、出鱈目を、宣伝してはダメですよ♪貴女の遠祖は?新羅?現在は?韓国じゃないですか

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/i.pl?id=daityouwa&amp;log=18579&amp;l=7016

3355志恩:2017/12/19(火) 05:33:01 ID:6hRUvSRg
大金持ちの曵馬野さん

おはよーございます。私は年金生活者で慎ましく生きている大和撫子の志恩です。
今朝も、爽やかな朝ですね。

なんか、聞くところによると、雅宣先生は、コーヒーも飲まないし、
唯一食べていらした鶏肉も、食べなくなったみたいですよ。

クリスマスイブには、その辺にいる 野生の きじばと とか、ウグイス
とか、カラスでも 捕獲して、絞め殺して、それを丸焼きにして食されるのかしら。

野生の鳥は、抗生物質なしで生きてますからね。

曵馬野さんは、鶏肉、食べますか?

肉でも、ワニの肉も、野生ですが、抗生物質不使用で、淡白なお味で、美味しいそうですよ。
ワニの肉も、アマゾンコムで買えます。

私の場合は、いつも抗生物質不使用の岩手産の鶏肉を美味しくいただいております。
近所のデパートやスーパーで売っています。

3356志恩:2017/12/19(火) 05:49:56 ID:6hRUvSRg
アマゾンコムで買えるワニの肉(値段が 高いのが難ですね)

クロコダイルつめ400g ワニ肉 【販売元:The Meat Guy(ザ・ミートガイ)】

価格: ¥ 2,750 + \ 850 関東への配送料
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51Ao2z0KroL.jpg

カスタマーレビュー
●ちょっと緑臭いと周りから声は上がりましたが、インパクトもあるし、いい感じでした。
食べごたえとしては、ガッチリした鶏肉@超微量コケ風味(僕は感じなかった)ですかね。
美味しいです。

●場合によっては人間がワニに食べられることもあるというのに、
そのワニを食べることが出来るというのですから、人類文明の偉大さを感じずにはいられません。
ワニに対する圧倒的勝利感を感じることができます。

3357志恩:2017/12/19(火) 05:54:47 ID:6hRUvSRg
ダチョウの肉という手もありますが、鶏肉に比較して、値段が高いですから、まだまだ
庶民の口には、入りません。

●鹿児島県牧場より直送!ヘルシーな国産ダチョウ (フィレ肉, 500g/3〜4ブロック)
国産ダチョウ

フィレ肉
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通常3〜4日以内に発送します。 在庫状況について

鹿児島県牧場より直送
ダチョウ肉(フィレ肉)①3〜4ブロック 合計:500g ②6〜8ブロック 合計:1.0kg
賞味期限:冷凍保存で約1年以上。(製品パックに記載してあります)

3358志恩:2017/12/19(火) 14:35:46 ID:6hRUvSRg
とうとう鶏肉もダメになりました。
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/daityouwa/&amp;mode=res&amp;log=7272

抗生物質を与えて育てている鶏肉もあるのでしょうけれど、
抗生物質不使用で育てた鶏肉も、全国の身近にある普通のスーパーやデパートで
何処でも 売っています。

それを、抗生物質を大量に投与しているからという理由で、鶏肉まで食べない方がいいというのは、
あまりに、無知と言いますか、世間を知らなすぎると言いますか、

生長の家の教団は、バカ狂団なのかと、全国中の皆様からの、物笑いの種になります。
そのような浅はかな、お達しは、早急に、引っ込めないと、生長の家の恥です。

3359神の子さん:2017/12/19(火) 17:40:32 ID:0VX4btUY
>>3355
♪目も悪くなって来た、志恩さん♪

♪静岡のお爺さんは、お話ですか?♪

♪志恩さんのコメント<笑>♪

※→<< 16/12/04(日) 20:51:24 ID:R9GcJyNI
3006 :志恩 :2016/12/04(日) 19:31:14 ID:6hRUvSRg
曵馬野さんは、静岡県在住だと前におっしゃっておられましたものね。
本宮山や、モミジの紅葉する大洞院、ユーチューブにありました。>>
※※※※※※※※※※

♪夢から、覚めましたかし、認知症の進行が、ひどいようですね、志恩さん♪

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
3355:志恩

17/12/19(火) 05:33:01 ID:6hRUvSRg
大金持ちの曵馬野さん

おはよーございます。私は年金生活者で慎ましく生きている大和撫子の志恩です。
今朝も、爽やかな朝ですね。

3360神の子さん:2017/12/19(火) 17:42:39 ID:ComiSPMU
>>3358
♪志恩さんは、新羅人ですから、新羅料理ができませんね、気の毒にね♪

3361神の子さん:2017/12/19(火) 17:49:17 ID:0VX4btUY
>>3355
♪誰で雅宣も、一生懸命にする、志恩さん♪

♪楽しい、愛国掲示版へ投稿は、脱会メーンバーで、神奈川県民センターで、やっぱり、本を売ってましたね<笑>♪

3362ホンリュウ派の不都合な真実:2017/12/19(火) 18:12:43 ID:jG5ZML/Q

肉食大好きなホンリュウ派の天敵・日野智貴君がヴィーガン仲間とともにラジオに出演!!

https://www.facebook.com/tomoki.hino.5/posts/1173200239476752

日野君をバカにしてお茶を濁したいホンリュウ派に対し、日野君の投稿への反応はというと・・・・

「すっごーい!!!大活躍だね😂😂😂」

「やっぱり日野氏はすごい!!!」

「これは私もとても凄いことだと思います!!!こういう話がラジオやテレビで放送されるようになると、私もとても嬉しいでーす」

「動物を人間の為に利用することが当たり前だった今までの日本から、確実に時代が変わり、進歩している・・という証拠ですね🎵」

「だから安倍はダメなんだよwww"(-""-)"」

3363ホンリュウ派の不都合な真実:2017/12/19(火) 18:13:45 ID:jG5ZML/Q

肉食大好きなホンリュウ派は教団だけでなく外部の人間からも笑い者!!

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=528440277534281&amp;id=100011049394146&amp;notif_id=1513673517094127&amp;notif_t=story_reshare

あまりにも不都合すぎる真実にホンリュウ派は無視を決め込む!?

3364大和撫子・志恩:2017/12/19(火) 18:17:53 ID:6hRUvSRg
♪つけて、登場されたから、トンチンカン信徒さんでしょうか?
新羅人 新羅人 新羅人 新羅人 新羅人 新羅人て、

しつこいから、しばらく「大和撫子・志恩」で 出るべー。

だけど、雅宣先生の近くにいるアシスタントって、誰なんでしょうね。
周りの連中はバカの集まりか!!
ろくに調べもしないで、鶏肉情報も 雅宣先生を焚きつけてさ....、
あんなの、調べればすぐにわかることを、発表させて、
全国の信徒さんから、雅宣先生が、笑われるわ。okawaisouni

焚きつけた人、誰なんでしょう。厳しく叱っとかないと!!

3365大和撫子・志恩:2017/12/19(火) 18:23:18 ID:6hRUvSRg
いつもいつも自分で自分を讃えるしかない日野くん、ビーガン日野くん、
こんにちわ。
たまには、野菜と豆だけでなく、
ワニの肉も、食べると、もっと凶暴になれそうですよ。

3366ホンリュウ派の不都合な真実:2017/12/19(火) 18:31:27 ID:jG5ZML/Q

>いつもいつも自分で自分を讃えるしかない日野くん、ビーガン日野くん<

日野君やヴィーガニズムへの支持が集まっている現実を直視できないホンリュウ派!

都合の悪い掲示板の投稿も日野認定、Facebookでの応援書き込みアカウントもすべて日野君のソックパペットだと思い込むつもりか?

ましてや、日野君の「ひ」の字も出ていないホンリュウ派批判のFB投稿は完全無視!

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=528440277534281&amp;id=100011049394146¬if_id=1513673517094127¬if_t=story_reshare

外部からも笑い者になるという「不都合すぎる真実」を直視できないホンリュウ派でした。

3367神の子さん:2017/12/19(火) 18:49:00 ID:WeFB8ISg
>>3364
(志恩は韓国女性名)
http://trs02.mxcd.imodesearch.jp/t/0919nbSzbCVTfRrx/4?_jurl=http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fmt_erech_ave%2Fkorean_girl.html&amp;_jlite=0&amp;_juid=&amp;_jsrc=&amp;_jkw=%8A%D8%8D%91%8F%97%90%AB%96%BC&amp;_jimg=1&amp;guid=on

※第二光明掲示版に、<山ちゃんさんのコピペ>投稿した?志恩さんの内容が?面白?自分のハンネ→韓国女性名で有り?遠祖は?新羅国人である?志恩さん?日本人のフリを?する?嘘つき投稿の?証拠です♪♪
③(こちらが、志恩さんが、嘘投稿した、光明掲示版入り口)

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/i.pl?id=koumyou2&amp;log=4376&amp;l=921
♪『實相と現象』のP35に、谷口雅春先生のありがたい、お言葉が、次のよう、示されいるのであります♪

♪<『新羅<志恩さん=トンチンカンさんの遠祖の国>は、日本の敵として非常に優勢に見えているけれでも、日本は神国であるから、決して滅ぼされると云う事はないのである。日本にして来る様な新羅の国は存在しないのである』と、魂の底ふかく否定するとこの思念が"潮干珠゛であります>♪
※(志恩さん、嘘をついては、いけません、貴女の遠祖=新羅国王賜姓でしょ)

3364:大和撫子・志恩

17/12/19(火) 18:17:53 ID:6hRUvSRg
♪つけて、登場されたから、トンチンカン信徒さんでしょうか?
新羅人 新羅人 新羅人 新羅人 新羅人 新羅人て、

しつこいから、しばらく「大和撫子・志恩」で 出るべー。

だけど、雅宣先生の近くにいるアシスタントって、誰なんでしょうね。
周りの連中はバカの集まりか!!
ろくに調べもしないで、鶏肉情報も 雅宣先生を焚きつけてさ....、
あんなの、調べればすぐにわかることを、発表させて、
全国の信徒さんから、雅宣先生が、笑われるわ。okawaisouni

新羅民族の志恩さんへ

3368神の子さん:2017/12/19(火) 18:51:40 ID:WeFB8ISg
>>3366
♪ほら、ここにも、志恩さん、洗脳され、関西のボンが、いますよ♪

3366:ホンリュウ派の不都合な真実

17/12/19(火) 18:31:27 ID:jG5ZML/Q

>いつもいつも自分で自分を讃えるしかない日野くん、ビーガン日野くん<

日野君やヴィーガニズムへの支持が集まっている現実を直視できないホンリュウ派!

都合の悪い掲示板の投稿も日野認定、Facebookでの応援書き込みアカウントもすべて日野君のソックパペットだと思い込むつもりか?

ましてや、日野君の「ひ」の字も出ていないホンリュウ派批判のFB投稿は完全無視!

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=528440277534281&amp;id=100011049394146¬if_id=1513673517094127¬if_t=story_reshare

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

♪ボンは、ホンリュウとか言ってます♪

3369大和撫子・志恩:2017/12/19(火) 18:53:00 ID:6hRUvSRg
3363:宗教としてでなく❗
>>小松 菊理 さんからのシェア
生長の家の谷口氏は、早くからアメリカによる、戦後の日本文化の破壊を憂えていました。
このまま行けば、将来、日本はとんでも無いことになる!国民の心身の健康は損なわれ、
犯罪者の横行する国になる!親子が分断され、子供は迷子となる!
と危惧して、
衣食住、子育ての要である母親達に向けて、全国を手弁当で講演して歩いていたそうです。

うちの母は宗教が嫌いなので「生長の家」の会員になることはありませんでしたが、私がお腹にいる頃、
谷口氏と膝を交えてお話しすることができ、その後の子育てにとても参考になった、と。<<
______________________
大和撫子・志恩-

>>生長の家の谷口氏は(略)衣食住、子育ての要である母親達に向けて、
全国を手弁当で講演して歩いていたそうです。<<

全国へを手弁当で、ということは、自腹で、講演して歩いていたという谷口氏とは、
どの谷口氏のことでしょうか?私は、初耳なんですけれど。

3370神の子さん:2017/12/19(火) 18:57:18 ID:e4liBBCk
>>3369
3369:大和撫子・志恩

17/12/19(火) 18:53:00 ID:6hRUvSRg

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

間違いですよね♪

金 志恩さん=新羅民族ですよ♪

3371神の子さん:2017/12/19(火) 19:12:00 ID:M5DTe3G6
>>3369
(正式に新羅民族=志恩さん)通名は、やめようね♪(志恩は韓国女性名)
http://trs02.mxcd.imodesearch.jp/t/0919nbSzbCVTfRrx/4?_jurl=http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fmt_erech_ave%2Fkorean_girl.html&amp;_jlite=0&amp;_juid=&amp;_jsrc=&amp;_jkw=%8A%D8%8D%91%8F%97%90%AB%96%BC&amp;_jimg=1&amp;guid=on
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
3369:大和撫子・志恩

17/12/19(火) 18:53:00 ID:6hRUvSRg
3363:宗教としてでなく・
>>小松 菊理 さんからのシェア
生長の家の谷口氏は、早くからアメリカによる、戦後の日本文化の破壊を憂えていました。
このまま行けば、将来、日本はとんでも無いことになる!国民の心身の健康は損なわれ、
犯罪者の横行する国になる!親子が分断され、子供は迷子となる!
と危惧して、
衣食住、子育ての要である母親達に向けて、全国を手弁当で講演して歩いていたそうです。

うちの母は宗教が嫌いなので「生長の家」の会員になることはありませんでしたが、私がお腹にいる頃、
谷口氏と膝を交えてお話しすることができ、その後の子育てにとても参考になった、と。<<
______________________
大和撫子・志恩-

>>生長の家の谷口氏は(略)衣食住、子育ての要である母親達に向けて、
全国を手弁当で講演して歩いていたそうです。<<

全国へを手弁当で、ということは、自腹で、講演して歩いていたという谷口氏とは、
どの谷口氏のことでしょうか?私は、初耳なんですけれど。

3372神の子さん:2017/12/19(火) 20:13:31 ID:RIlAdG1s
>クリスマスイブには、その辺にいる 野生の きじばと とか、ウグイスとか、カラスでも 捕獲して、絞め殺して、それを丸焼きにして食されるのかしら。
>生長の家の教団は、バカ狂団なのかと、全国中の皆様からの、物笑いの種になります。そのような浅はかな、お達しは、早急に、引っ込めないと、生長の家の恥です。

人間を殺すのは大殺生、鳥獣を殺すのは中殺生、「不殺生戒」は自他一体の命の本然から出て来るものです。
「絞め殺して」などと云う志恩さん、地獄行きにならないようお気をつけて。

総持寺が近いから貫主さんにでも聴いてごらん、「殺生」者の行く末を。
おバカで浅はかなのはあなたです。

3373ホンリュウ派の不都合な真実:2017/12/19(火) 20:53:15 ID:jG5ZML/Q
>>3372

貴方も志恩さんの機嫌を損ねると「日野認定」されるかもw

トンチンカン信徒さんも都合の悪い投稿はすべて「日野認定」だもんねw

3374神の子さん:2017/12/19(火) 22:01:20 ID:.crkIyiU

♪(笑)関西のボン=日野くんで、無いようですよ、志恩さん♪

♪志恩さんに、『洗脳され』たくないらしい〜が♪

♪『ホンリュウ〜、ホンリュウ〜』と、志恩さんに、夢中の、関西のボン♪
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
3373:ホンリュウ派の不都合な真実

17/12/19(火) 20:53:15 ID:jG5ZML/Q
>>3372

貴方も志恩さんの機嫌を損ねると「日野認定」されるかもw

トンチンカン信徒さんも都合の悪い投稿はすべて「日野認定」だもんねw
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

*そうか、関西のボン=日野さんじゃ無いのか、そりゃ悪かたね、御免、御免、泣かない、泣かない♪

3375神の子さん:2017/12/19(火) 22:52:03 ID:yBpsWdHU
(志恩は韓国女性名)
http://trs02.mxcd.imodesearch.jp/t/0919nbSzbCVTfRrx/4?_jurl=http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fmt_erech_ave%2Fkorean_girl.html&amp;_jlite=0&amp;_juid=&amp;_jsrc=&amp;_jkw=%8A%D8%8D%91%8F%97%90%AB%96%BC&amp;_jimg=1&amp;guid=on

※第二光明掲示版に、<山ちゃんさんのコピペ>投稿した?志恩さんの内容が?面白?自分のハンネ→韓国女性名で有り?遠祖は?新羅国人である?志恩さん?日本人のフリを?する?嘘つき投稿の?証拠です♪♪
③(こちらが、志恩さんが、嘘投稿した、光明掲示版入り口)

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/i.pl?id=koumyou2&amp;log=4376&amp;l=921
♪『實相と現象』のP35に、谷口雅春先生のありがたい、お言葉が、次のよう、示されいるのであります♪

♪<『新羅<志恩さん=トンチンカンさんの遠祖の国>は、日本の敵として非常に優勢に見えているけれでも、日本は神国であるから、決して滅ぼされると云う事はないのである。日本にして来る様な新羅の国は存在しないのである』と、魂の底ふかく否定するとこの思念が"潮干珠゛であります>♪
(志恩家の食生活)

(御徒町の下手物食品に詳しいのは、志恩さん?新羅人の証し)

① 3136:志恩

16/12/18(日) 15:12:30 ID:6hRUvSRg
ノーミートと言わずに牛、豚よりも、「ダチョウの肉」を食べましょう。と言ったほうが、ヘルシーだし、いいと思う。
鳥は、食べても、良い訳でしょう。値段も手頃で、通販で買える。そういう私は、まだ買ったことありませんが。
近いうちに、買ってみようと思っています。味も、臭みがなくて、美味しいと聞きます。

http://store.dacho.co.jp/

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
② 3138:志恩

16/12/18(日) 15:24:18 ID:6hRUvSRg
ところで、日野くんのことだけれど、
日野君は、ムカデでも怖いという人だから、ワニは、食べれないかもね。
ワニに、食われる前に、おいらが、ワニを食べてしまうのだ、ということかな!
ムカデに、刺される前に、ムカデをやっつけておこう。
今度、日野くんの住まいに行って、大きいサイズのムカデを浴槽に5匹ぐらい、泳がせておこうか。
日野くんが、その後、男として、強くなったかどうか、確かめに行きたいね。

3376大和撫子・志恩:2017/12/20(水) 00:03:48 ID:6hRUvSRg
以下の 大和撫子・志恩の質問に、答えてないですよ。回答をお願いします。
==============================================
3369: 大和撫子・志恩 :2017/12/19(火) 18:53:00 ID:6hRUvSRg
3363:宗教としてでなく❗
>>小松 菊理 さんからのシェア
生長の家の谷口氏は、早くからアメリカによる、戦後の日本文化の破壊を憂えていました。
このまま行けば、将来、日本はとんでも無いことになる!国民の心身の健康は損なわれ、
犯罪者の横行する国になる!親子が分断され、子供は迷子となる!
と危惧して、衣食住、子育ての要である母親達に向けて、全国を手弁当で講演して歩いていたそうです。略<<
______________________
大和撫子・志恩の質問-
>>生長の家の谷口氏は(略)衣食住、子育ての要である母親達に向けて、
全国を手弁当で講演して歩いていたそうです。<<

全国へを手弁当で、ということは、自腹で、講演して歩いていたという谷口氏とは、
どの谷口氏のことでしょうか? 私は、初耳なんですけれど。

3377大和撫子・志恩:2017/12/20(水) 00:27:09 ID:6hRUvSRg
人生の暗号の言葉より

権威を認められている人は
 「過去の業績」によって評価された人が多いから、
 人格はともかく知識や能力は既に役に立たなくなっている可能性がある。 
 ゆえに権威の言葉も鵜呑みにしないほうがいい。

3378大和撫子・志恩:2017/12/20(水) 00:36:14 ID:6hRUvSRg
常に希望を失うな

  ヘレン・ケラー女史は
「楽天主義こそ一切を成功にみちびくところの信仰である。
希望がなければ何事も成就しない」と云いました。
楽天主義とは、ものの明るい方面ばかりを見て常に
「よくなる」と云う希望を失わない「考え方」です。

今、日本に必要なのは、
この「必ずよくなると云う希望」ではないでしょうか。
希望を失わない、愉快な明るい民族は栄えるのです。

発達する国民の奥にはこの愉快な明るい国民性があるのです。

日本人も本来、明るい国民でしたが、いつの間にか暗い陰気な
苦虫かみつぶした顔をしている方が上品だなどと考え出したのです。
暗いところでは大きな樹はそだちません。人間でも同じです。

心に日光をもつことです。
暗い気持ちで物をつくっても、好いものは作れません。
明るい気持ちで物をつくれば好い考えが浮かんでくるでしょう。

愉快な気持ちは、機械に油をさすように、心の運転に油をさすものです。
油を充分さした機械は、どんなに激しく回転しても摩擦する(すれてちびる)
ことはありません。それと同じく、「楽しさ」で油をさした心は、
どんなに働いても疲れることはありません。

(谷口雅春先生著:『新版 生活読本』より)

3379大和撫子・志恩:2017/12/20(水) 00:55:34 ID:6hRUvSRg
天使の愛より

美しい祈りは
 光になって
  まっしぐらに 
   天にとどきます

清らかな祈りは 
 光になって
  あなたのもとに 
   かえってきます

感謝する祈りは 
 光になって
  人々を包み込み 
   世界を癒します

3380神の子さん:2017/12/20(水) 03:01:27 ID:uJjU67ek
>>3378
(志恩は韓国女性名)
http://trs02.mxcd.imodesearch.jp/t/0919nbSzbCVTfRrx/4?_jurl=http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fmt_erech_ave%2Fkorean_girl.html&amp;_jlite=0&amp;_juid=&amp;_jsrc=&amp;_jkw=%8A%D8%8D%91%8F%97%90%AB%96%BC&amp;_jimg=1&amp;guid=on

※第二光明掲示版に、<山ちゃんさんのコピペ>投稿した?志恩さんの内容が?面白?自分のハンネ→韓国女性名で有り?遠祖は?新羅国人である?志恩さん?日本人のフリを?する?嘘つき投稿の?証拠です♪♪
③(こちらが、志恩さんが、嘘投稿した、光明掲示版入り口)

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/i.pl?id=koumyou2&amp;log=4376&amp;l=921
♪『實相と現象』のP35に、谷口雅春先生のありがたい、お言葉が、次のよう、示されいるのであります♪

♪<『新羅<志恩さん=トンチンカンさんの遠祖の国>は、日本の敵として非常に優勢に見えているけれでも、日本は神国であるから、決して滅ぼされると云う事はないのである。日本にして来る様な新羅の国は存在しないのである』と、魂の底ふかく否定するとこの思念が"潮干珠゛であります>♪
3378:大和撫子・志恩

17/12/20(水) 00:36:14 ID:6hRUvSRg
常に希望を失うな

  ヘレン・ケラー女史は
「楽天主義こそ一切を成功にみちびくところの信仰である。
希望がなければ何事も成就しない」と云いました。
楽天主義とは、ものの明るい方面ばかりを見て常に
「よくなる」と云う希望

3381神の子さん:2017/12/20(水) 03:03:14 ID:RHFydYFY
>>3380
※嘘ついては、いけません、シャンソンさん、大変怒ってます※

3382神の子さん:2017/12/20(水) 03:05:39 ID:0s20hZHM
>>3379
(志恩は韓国女性名)
http://trs02.mxcd.imodesearch.jp/t/0919nbSzbCVTfRrx/4?_jurl=http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fmt_erech_ave%2Fkorean_girl.html&amp;_jlite=0&amp;_juid=&amp;_jsrc=&amp;_jkw=%8A%D8%8D%91%8F%97%90%AB%96%BC&amp;_jimg=1&amp;guid=on

※第二光明掲示版に、<山ちゃんさんのコピペ>投稿した?志恩さんの内容が?面白?自分のハンネ→韓国女性名で有り?遠祖は?新羅国人である?志恩さん?日本人のフリを?する?嘘つき投稿の?証拠です♪♪
③(こちらが、志恩さんが、嘘投稿した、光明掲示版入り口)

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/i.pl?id=koumyou2&amp;log=4376&amp;l=921
♪『實相と現象』のP35に、谷口雅春先生のありがたい、お言葉が、次のよう、示されいるのであります♪

♪<『新羅<志恩さん=トンチンカンさんの遠祖の国>は、日本の敵として非常に優勢に見えているけれでも、日本は神国であるから、決して滅ぼされると云う事はないのである。日本にして来る様な新羅の国は存在しないのである』と、魂の底ふかく否定するとこの思念が"潮干珠゛であります>♪
※※※※※※※※※※

3379:大和撫子・志恩

17/12/20(水) 00:55:34 ID:6hRUvSRg
天使の愛より

美しい祈りは
 光になって
  まっしぐらに 
   天にとどきます

清らかな祈りは 
 光になって
  あなたのもとに 
   かえってきます

感謝する祈りは 
 光になって
  人々を包み込み 
   世界を癒します

※※※※※※※※※※


(志恩は韓国女性名)
http://trs02.mxcd.imodesearch.jp/t/0919nbSzbCVTfRrx/4?_jurl=http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fmt_erech_ave%2Fkorean_girl.html&amp;_jlite=0&amp;_juid=&amp;_jsrc=&amp;_jkw=%8A%D8%8D%91%8F%97%90%AB%96%BC&amp;_jimg=1&amp;guid=on

※第二光明掲示版に、<山ちゃんさんのコピペ>投稿した?志恩さんの内容が?面白?自分のハンネ→韓国女性名で有り?遠祖は?新羅国人である?志恩さん?日本人のフリを?する?嘘つき投稿の?証拠です♪♪
③(こちらが、志恩さんが、嘘投稿した、光明掲示版入り口)

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/i.pl?id=koumyou2&amp;log=4376&amp;l=921
♪『實相と現象』のP35に、谷口雅春先生のありがたい、お言葉が、次のよう、示されいるのであります♪

♪<『新羅<志恩さん=トンチンカンさんの遠祖の国>は、日本の敵として非常に優勢に見えているけれでも、日本は神国であるから、決して滅ぼされると云う事はないのである。日本にして来る様な新羅の国は存在しないのである』と、魂の底ふかく否定するとこの思念が"潮干珠゛であります>♪

3383神の子さん:2017/12/20(水) 03:07:48 ID:EqeKtMPM
>>3382
♪天皇陛下から賜姓の無い、志恩家は、日本民族では無い♪

3384神の子さん:2017/12/20(水) 03:11:00 ID:EqeKtMPM
志恩家は新羅国王賜姓の遠祖の新羅民族であります。

3385神の子さん:2017/12/20(水) 03:13:07 ID:0s20hZHM
♪金志恩さんと言うが、正しいのであります♪

3386神の子さん:2017/12/20(水) 17:37:11 ID:0T2/uuL6
※志恩さん放送は、傍流ばんで※

3387トンチンカン:2017/12/21(木) 11:45:16 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<すり替え> <差し替え> 〜〜   <自由自在> !!

<デタラメ> <不合理> 〜〜   <言いたい放題> !!

「フェイク雅宣」の ≪本性≫ がこれだから〜〜  「今の教団は」〜〜??
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

3388神の子さん:2017/12/21(木) 13:42:39 ID:g5hdZ7NQ
>>3387
♪アレ?聖典版だよね♪
♪トンチンカンさん?♪
♪貴女?ここの?住民なんでしょ?違反だね♪
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
3387:トンチンカン

17/12/21(木) 11:45:16 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<すり替え> <差し替え> 〜〜   <自由自在> !!

<デタラメ> <不合理> 〜〜   <言いたい放題> !!

「フェイク雅宣」の ≪本性≫ がこれだから〜〜  「今の教団は」〜〜??
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
♪ホラね?違反を?してるでしょ♪

3389トンチンカン:2017/12/21(木) 16:36:44 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『♪貴女?ここの?住民なんでしょ?違反だね♪』    (曳馬野ご一統)


・よくも、こんなコトが言えるのですね〜〜???

・>>3380 〜 >>3386 〜〜〜 一体、誰が書いたの〜〜??

・『♪天皇陛下から賜姓の無い、志恩家は、日本民族では無い♪』〜〜<聖典なの??>
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜





(参考) <聖典引用 板>
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
3388: 神の子さん :2017/12/21(木) 13:42:39 ID:g5hdZ7NQ
>>3387
♪アレ?聖典版だよね♪
♪トンチンカンさん?♪
♪貴女?ここの?住民なんでしょ?違反だね♪
(後略)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

3390トンチンカン:2017/12/22(金) 00:24:26 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「谷口雅春先生」の ≪真理の視点の話≫ なら聞くけど〜〜

「マサノプ君」の <持論> なら聞かないよ〜〜〜

<鳥>さんも <牛>さんも <鶏>さんも 頂っきまーす!  合掌
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




<トキ掲示板(続したらば版)>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
雅春先生の真理の視点の話なら聞くけど、マサノプ君の持論なら聞かないよ (1099)
日時:2017年12月19日 (火) 14時20分
名前:会員改め生命の実相信者


鳥さんも牛さんも頂っきまーす!合掌


昨日、お歳暮でチキントマトスープ と ビーフカレー
とコーンのクリームスープとミネストロンスープの缶詰の詰め合わせを頂きました〜。
家族みんなで美味しく頂きまーす。


あと、美ノ国のハムの詰め合わせも食べよう。 あ、焼き豚も届いてしまった 。


買わないけど、貰うから仕方ないよ〜〜〜。


食べるしかない!! 来年から魚にして下さいなんて言えないよーーー。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3391トンチンカン:2017/12/22(金) 00:37:10 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<鳥>さんも <牛>さんも <豚>さんも ≪感謝≫して、頂っきまーす!!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

3392神の子さん:2017/12/22(金) 01:19:53 ID:g5hdZ7NQ
>>3391
♪アレ、アレ♪
(嵐行為のコメント)
① → 3390:トンチンカン

17/12/22(金) 00:24:26 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「谷口雅春先生」の ≪真理の視点の話≫ なら聞くけど〜〜

「マサノプ君」の <持論> なら聞かないよ〜〜〜

<鳥>さんも <牛>さんも <鶏>さんも 頂っきまーす!  合掌
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




<トキ掲示板(続したらば版)>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
雅春先生の真理の視点の話なら聞くけど、マサノプ君の持論なら聞かないよ (1099)
日時:2017年12月19日 (火) 14時20分
名前:会員改め生命の実相信者


鳥さんも牛さんも頂っきまーす!合掌


昨日、お歳暮でチキントマトスープ と ビーフカレー
とコーンのクリームスープとミネストロンスープの缶詰の詰め合わせを頂きました〜。
家族みんなで美味しく頂きまーす。


あと、美ノ国のハムの詰め合わせも食べよう。 あ、焼き豚も届いてしまった 。


買わないけど、貰うから仕方ないよ〜〜〜。


食べるしかない!! 来年から魚にして下さいなんて言えないよーーー。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→((これも、嵐行為のコメント)
②→ 3391:トンチンカン

17/12/22(金) 00:37:10 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<鳥>さんも <牛>さんも <豚>さんも ≪感謝≫して、頂っきまーす!!
→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→

※聖典版を、(嵐行為)してますね?トンチンカンさん?違反ですね?

3393トンチンカン:2017/12/22(金) 01:52:58 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>>3380 〜 >>3386 〜〜〜 一体、誰が書いたの〜〜??

「曳馬野ご一統」じゃないですか〜〜

「曳馬野ご一統」だけは〜〜  <出没完全自由>なのですね〜〜??

「曳馬野ご一統」だけは〜〜  ≪デタラメ書き放題≫が許されるの〜〜??
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

3394トンチンカン:2017/12/22(金) 09:47:25 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<すり替え> <差し替え> 〜〜   <自由自在> !!

<デタラメ> <不合理> 〜〜   <言いたい放題> !!

「フェイク雅宣」の ≪本性≫ がこれだから〜〜  「今の教団は」〜〜??
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

3395神の子さん:2017/12/22(金) 19:02:57 ID:rWW0juJk
言われても、頑固に、トキ掲示版で、『嵐行為』を繰り返す、トンチンカン(志恩)さんの、行動♪
①→ 3394:トンチンカン

17/12/22(金) 09:47:25 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<すり替え> <差し替え> 〜〜   <自由自在> !!

<デタラメ> <不合理> 〜〜   <言いたい放題> !!

「フェイク雅宣」の ≪本性≫ がこれだから〜〜  「今の教団は」〜〜??
※※※※※※※※※※※
②→ 3393:トンチンカン

17/12/22(金) 01:52:58 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>>3380 〜 >>3386 〜〜〜 一体、誰が書いたの〜〜??

「曳馬野ご一統」じゃないですか〜〜

「曳馬野ご一統」だけは〜〜  <出没完全自由>なのですね〜〜??

「曳馬野ご一統」だけは〜〜  ≪デタラメ書き放題≫が許されるの〜〜??
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜※※※※※※※※※※※
(貴女に、そもそも、投稿資格ないわけである、生長の家の信仰はして無いからだ)

(トンチンカン=志恩さんが、生長の家を、何十年も前に、脱会されている、証拠のコメント)

※→私も私で、私が義兄に、「今は 払いたくないんです」と払わないように

お願いしているにもかかわらず、

義兄は、夫と私の二人分の聖使命会費を、「そういうわけには、まいりません」と、


①聖使命を、第三者奉納なので?すでに?信徒?信者で無い亊は?明確な事実です♪

②従って、愛国だろと?トキ掲示版だろと?生長の家や谷口雅春先生や?清超先生、雅宣先生、その他谷口家の人や?生長の家の講師や関係者に?対し?コメントするは?出来ないし?資格も無いのです?

③②を侵して、コメントしてるのは、単なる、自己満足者、マニア、愛玩者です♪

3396神の子さん:2017/12/22(金) 19:08:05 ID:.crkIyiU
>>3394
♪そもそも?フェイク雅宣て?誰よ?トンチンカン(志恩)さん?♪

♪貴女が?志恩さんの変身なのとは、わけが、違うのよ♪


♪貴女?日吉と横浜の一般者の観測があるの♪

3397トンチンカン:2017/12/22(金) 19:48:03 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<すり替え> <差し替え> 〜〜   <自由自在> !!

<デタラメ> <不合理> 〜〜   <言いたい放題> !!

「フェイク雅宣」の ≪本性≫ がこれだから〜〜  「今の教団は」〜〜??
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

3398トンチンカン:2017/12/22(金) 19:48:37 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<鳥>さんも <牛>さんも <豚>さんも ≪感謝≫して、頂っきまーす!!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

3399トンチンカン:2017/12/22(金) 19:49:37 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>>3380 〜 >>3386 〜〜〜 一体、誰が書いたの〜〜??

「曳馬野ご一統」じゃないですか〜〜

「曳馬野ご一統」だけは〜〜  <出没完全自由>なのですね〜〜??

「曳馬野ご一統」だけは〜〜  ≪デタラメ書き放題≫が許されるの〜〜??
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

3400志恩:2017/12/29(金) 06:16:51 ID:6hRUvSRg
3398 :トンチンカン :2017/12/22(金) 19:48:37 ID:LCJhHBlg
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<鳥>さんも <牛>さんも <豚>さんも ≪感謝≫して、頂っきまーす!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
志恩ー
私も トンチンカンさんのご意見に 賛成します。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

(谷口雅春先生著:『新版 生活読本』より)

絶えず不幸を見出す人になるな
貴方は世界に対して、良きものを支払っていますか。
微笑みを支払っていますか。悲しみを支払っていますか。

微笑みを支払っているならば、微笑みが周囲からやって来るでしょう。
悲しみを支払っているならば、悲しみが周囲からやって来るでしょう。

大体は、「今日は楽しくない」と思う習慣のある人は
常に楽しくないことに取りまかれるでありましょう。
そう云う人は、天気が曇りであると云っては鬱陶しいと云い、
雨が降ると、ジメジメして気持ちが悪いと云い、晴れていると暑苦しいと云う。
何が来ても不平を云い、面白くないと云う。

御飯が固いと云っては小言を云い、柔らかければお粥のようで不味いと云う。
そして絶えず小言を云っているうちに自分の性格がそこなわれ、
人からは嫌われ、世の中のすべての物は面白くなくなります。

その反対を行いなさい。世の中は屹度幸福になります。
雨が降ったら「ありがたいお湿りです。これで水力電気が沢山とれます。
畑の作物が喜びます」と云いなさい。
曇っていれば「今日の天気は落ち着いていて宜しい」と云いなさい。

晴れていれば「まことに朗らかな快晴で結構です。
気分まで晴々します」と云いなさい。

3401アクエリアン:2018/02/16(金) 18:37:55 ID:UNlwyDdw
今日の言葉「World Peace(世界平和)」

Monday, February 12, 2018
http://www.dailyword.com/dailyword/world-peace-monday-february-12-2018

Open to infinite love, I practice peace.
無限の愛に導かれ、私は平和への道を実践するのである。

An awakening to the love of God as a Presence within all and the Power to overcome all is the strong foundation for peace in the world. One by one, we build on this foundation.
すべての人の内に宿っている神の愛、そしてすべてに打ち勝つパワーに目覚めることが、世界平和への力強い土台である。一人一人、この土台の上に、世界平和を実現するのである。

Love is patient. As individuals and as leaders of countries, we listen to one another. We acquaint ourselves with the views and needs of others. Our understanding moves us beyond what is exclusive to what is inclusive.
愛は忍耐である。それぞれの国々の個人として指導者として、わたしたちはお互いにそれぞれの声を聴くのである。わたしたちは他者の見解や求めているものをよく知らなければならない。わたしたちのこのような理解が排斥ではなく仲間へと導いていくのである。

Love is kind. Thinking and speaking the best about others initiates a similar response. The gentleness conveyed envelopes others—whether in person or afar. Love calls on us to want and do the best for all.
愛は思いやりである。他者にとってベストなこととは何かを考え、伝えることが、同じような反応を引き起こすのである。伝えられる寛大さはーー個人であれ、それ以上であれーー他者を包みこむのである。わたしたちに訪れた愛はすべての人たちにとってベストなことを成し遂げるのである。

Open to infinite love, I practice peace.
無限の愛に導かれ、私は平和への道を実行するのである。

Love is patient; love is kind ... It bears all things, believes all things, hopes all things.—1 Corinthians 13:4, 7
愛は忍耐強い。愛は情け深い。・・・・すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望む。ーーコリントの信徒への手紙

3402アクエリアン:2018/02/16(金) 19:17:41 ID:UNlwyDdw
>>3401

生長の家の世界平和の祈り

神の無限の愛、
吾(われ)に流れ入(い)り給(たま)いて、
愛の霊光 燦然(さんぜん)と輝き給(たま)う(タモー)

その光 いよいよ輝きを増(ま)して
全地上を覆(おお)い給(たま)い、

すべての人々の心に
愛と平和と秩序と中心帰一の
真理を満(み)たし給(たま)う。(タモー)

( 『 新編 聖光録 』 145頁 )
(『 菩薩は何を為すべきか 』 人類光明化運動指針 第十条 63〜64頁 )

ー世界平和の祈りと人類無罪宣言ー 【1】光明思想運動の活動家にエールを送る
https://www.youtube.com/watch?v=eD0MrCRFdow

3403アクエリアン:2018/02/16(金) 19:28:16 ID:UNlwyDdw

生長の家とユニティの関係

ユニティ本部はカンサス・シティ東郊、車でおよそ30分ほどのところにある。昭和24年市内にあった本部をここに移して、今日のユニティ・ヴィレッジができた。1400エーカーあまりの広大な敷地、中に三つの湖をもち、詩情漂う美しい田園の村を形つくっている。

 ユニティは、1892年チャールズ・フィルモア夫妻によって創始された「人間神の子」を説き、キリスト教各派の万教帰一を唱道する真理運動である。

 ユニティの発祥は1886年に遡る。そのころマートル・フィルモア夫人は大変健康を害していた。或る春の夜のことであった。夫人は講演を聞いて帰る道すがら、ある一つの考えが心の中に何度も繰り返して閃いてくるのであった。
 その考えというのは、「私は神の子だ。だから病は本来ないのだ!」ということであった。自分が神の子であり、神の御心は完全であるという真理が彼女の全存在を満たした。そして神癒が直ちに始まった。そして一時間もせぬうちにマートルの病弱の身体が変わってしまった。この奇蹟の神癒体験を知った人々が彼女に救いを求めて集まって来た。そして多くの人が神のいのちに触れて癒された。
 チャールズはこれを目のあたりに見て心をひかれ、夫婦協力して、すべての人の内に宿る真理キリストを通じ、人々を健康、繁栄、幸福に導く運動に捧げることになったという。

   ユニティのことについては、谷口雅春先生が夙に御紹介下さっており、生長の家との提携は久しいものがある。しかし、谷口先生が実際にユニティ本部を御訪問になり、現教主チャールズ・フィルモア氏(創始者の孫になる)をはじめとする幹部の方々と親交を深められたのは今回が初めてであった。
   4月13日はカンサス・シティご到着後、直ちにユニティ・ヴィレッジを御訪問。本部の塔、本館、年中休みなく続けられる神癒祈願部、コンピューターを導入した印刷、出版、教育部門等を視察され、更にホテル、モテル、宿舎等を各種施設を含む美しい敷地を車でご覧になった。
  更に夜ご講演に先立って、教主チャールズ・フィルモア氏、教主の叔父ロウェル・フィルモア氏等にお会いになり、親交を深められた。
  御講演は、ユニティ本部の講堂で開催された。講堂をいっぱいに埋めて集った600名の聴衆を前に、先生は、ユニティを讃えられつつ、生長の家の独自の面をお話になった。その内容は、浄心行、聖経の功徳、ハワイ日系ニ世第100大隊、442部隊の大偉業、「心と癌」所載の奇蹟的治癒体験、中心帰一、夫婦調和と広い範囲にわたり、聴衆等しく感銘したのであった。

「真理は民族を超えて」より

3404アクエリアン:2018/02/16(金) 19:35:40 ID:UNlwyDdw
今日の歌「We Are Unity - Association of Unity Churches International 」
https://www.youtube.com/watch?v=_HY9AS95JxY

I'm one with you.
私はあなたと一つ。

You're one with me
あなたは私と一つ

Together we are Unity
私たちは共にユニティ

We are and will forever be.
私たちはこれからも永遠にユニティ

We are one, we are Unity.
私たちは一つ、そして私たちはユニティ

We share one fate.
私たちは同じ運命を分かち合う

We answer the call
私たちは助けを求める声にこたえる

We create a world that works for all.
私たちはすべての人にとって利益になる世界を創る

We celebrate living in heaven on earth
私たちは至上の幸福の中で生きることを祝う

Here to Love and serve
愛するために、そして役立つためにここに存在している

I'm one with you.
私はあなたと一つ。

You're one with me
あなたは私と一つ

Together we are Unity
私たちは共にユニティ

We are and will forever be.
私たちはこれからも永遠にユニティ

We are one, we are Unity.
私たちは一つ、そして私たちはユニティ

I am Unity
私はユニティ

You are Unity
あなたはユニティ

We are Unity
私たちはユニティ

When one is bound then none are free
もし一人でも縛られているなら誰も自由でいられない

3405アクエリアン:2018/02/20(火) 19:29:58 ID:UNlwyDdw
アメリカの光明思想家マリアン・ウィリアムソン女史「久遠の自己」を語る
http://blog.livedoor.jp/newthought/archives/22258385.html

Aging Spiritually
(霊的に年を重ねる)

Excerpt from the March/April 2008 issue of Unity Magazine
(ユニティマガジン2008年3、4月号の記事からの抜粋)

My father once told me, “When you’re old, you don’t feel old.”
I can appreciate what he meant when he said that, as I ponder the fact that the essential being I am inside myself is the same in my 50s as when I was only 15.
So who am I really?
Am I the woman who has changed with age, or am I the changeless self
within?
Am I the woman who is encased in time or the being who dwells apart from it?

私の父がかつて次のように私に語ったことがありました。
「お前が年をとったとしてもお前は自分が老いたとは感じないよ。」
私は父がこのことを語ったとき何を言おうとしていたのか、ということが、今の私なら理解できます。
というのも、私は、私の内なる本質は、15歳のときだろうが、50歳代のときだろうが、不変なのであるという事実を、ずっと考え続けているからです。
それでは、私とは一体いかなる存在なのでしょうか?
年齢とともに変わって行く一人の女性なのでしょうか?
あるいは、内なる不変の自己なのでしょうか?
時間という要素に制約されている女性なのか?
あるいは、時間という要素の制約を超えた存在なのでしょうか?

Sometimes when referring to things that happened long ago, we say things like “I remember it like it was yesterday.”
And that’s because in a way it was. If time, as Einstein declared, is merely an illusion of
consciousness, then linear time itself is a metaphysical fiction; everything that has happened, is happening, or will happen, is happening now. There, in that realm of the eternal now, is the true “I am.”

しばしば、かなり前に起きた事について言及するとき、「それは昨日のことのように覚えている」と言うことがある。そして、それはある意味その通りだからなのです。もし、時間というものがアインシュタインが言うように、単なる意識の幻影でしかないのならば、一直線に進む時間という概念そのものは、頭の中だけのフィクションにしかすぎないということになります。かつて起こったこと、今起こっていること、そして将来起こるであろうこと、これらのすべてのことは、今この瞬間に起きているのです。永遠の今という領域においてのみ、真の”私”が存在しているのです。

The eternal self dwells in eternity, and eternity intersects linear time at only one point: the present.
Who you are in this moment, therefore, is who you truly are. And from that essential point of perfect being―created anew by God in every instant―miracles flow naturally.
Thoughts of love interrupt the past and open the future to new probabilities.
No matter who you are, no matter how old you are, in the present, all things are possible.

久遠の自己は永遠のなかに存在するのです。そして、永遠と現象の直線的な、連続する時間とは、ただ一つの地点ーーつまり、現在ですねーーにおいて、まじわるのです。この瞬間のあなたの姿が、それゆえに、あなたの本当の存在の顕れなのだということになります。そして、あなたの本質は完全な存在である、つまり真の自己は瞬間瞬間に神によって新たに創造されているのだという絶対的な次元から奇跡は自然に生まれてくるのです。愛は過去を造り変えますし、未来に対して新たな可能性を開くのです。現在のあたながどのような境涯であろうと、何歳であろうと、あらゆる可能性が開かれているのです。

3406アクエリアン:2018/02/20(火) 19:34:59 ID:UNlwyDdw
アメリカの光明思想家マリアン・ウィリアムソン女史「久遠の自己」を語る (2)
http://blog.livedoor.jp/newthought/archives/22258385.html

The physical self ages, of course, but the spiritual self does not.
As we identify more with the spiritual dimension of our lives, then our experience begins to shift from the changeable to the changeless . . . from limitation to limitlessness . . . from fear to love.
As our journey through linear time gets shorter, our consciousness can in fact expand. And as it does, time itself is affected.
The deeper we go into the love of God, the more we actualize our earthly potential.

肉体の自己は、勿論、老化はまぬがれることはできませんが、霊的自己はそうではないのです。私たちの思考が、もっと霊的な次元に移行すればするほど、わたしたちの経験は、不安定なものから不変のものへ、限定から無限へ、恐怖から愛へと転換しはじめるのです。わたしたちの意識が現象の時間の束縛から解放される度合いにしたがって、わたしたちの意識は本当に拡大していくのです。そして意識が拡大していくと、時間そのものも影響を受けます。わたしたちが神の愛の中へ深く入っていけばいくほど、この地上におけるわたしたちの潜在能力をより多く実現していくのです。

The understanding of that which does not change is the key to our power within a world that does. In aligning ourselves with the eternal self, we age not in a straight line leading from luscious youth to decrepit age, but rather like the flowering lotus opening more and more to the light of the sun.

変化しない永遠の存在への覚醒が、この無常の世界の中に潜むわたしたちのパワーを開花させるための鍵です。わたしたちの真の自己である永遠の自己に目覚めるとき、わたしたちは、甘美な青春期から老いぼれた老年期へという常識的な人生のコースではなく、むしろ、蓮の花が太陽の光に向かって花開くような年齢のとり方をするようになってくるのです。

3407アクエリアン:2018/02/20(火) 19:44:17 ID:UNlwyDdw
■理想世界誌青年法語ご紹介

マリアン・ウィリアムソン女史は非常に深い真理を語っているのですが、久遠の自己について、谷口雅春先生のご法語を紹介させてもらいます。

四日のことば 超越的自己を自覚するために

 わたし達は”本当の自分”ではないところの単なる仮装の存在である肉体にばかり気をとられ、肉体が生活している”物質と見えている環境”の有様にのみ心を集中して生活している時には、この内在の”本当の自分”ーーSoul(魂)なる自分には気がつかないのである。しかし或る瞬間ーーそれは座禅や鎮魂や神想観や瞑想やーー兎も角、外界に心を振り向けずに自分の内的生命にのみひたすら心を振り向けた機会に、自己の内的生命の自覚が顕在になって来る。そのとき、イエスが「われはアブラハムの生まれぬ前(さき)より在るものなり」と自覚された時のような、肉体の年齢や時間を超越して実在するところの自分を自覚するのであるーー諸君もそれを自覚するときが来るのだーーそのためには毎日怠らずに神想観を実修するがよい。

五日のことば ”生命”は常に前向きに前進する

 やがて、あなたに時間・空間を超越した実相の自分を自覚し得た一瞬が来る。それまでは、普通の人は「時間と空間の障壁は真実で克服しがたく思われるほど、感覚の力は心を圧倒してしまっている」とエマソンは言っている。私たちの肉体は、時間・空間の枠の中で生活している。そしてこの肉体を五官の感覚で見て実在であるかの如くに感ずる。そして又、肉体をとり巻いている外界の一切のものを、固定した存在の如く考える。しかしエマソンは言う。
「私どもが今固定していると考えていることも、あたかも熟れた果実のように、ポタリ、ポタリと、私どもの経験から離脱して落ちて行くのだ・・・・風景、人物、ボストン、ロンドンも昔の制度や一抹の霧や煙と同様に一時的なものだ。社会もそうだ。世界もそうだ。Soul(魂)はじっと前を見つめ、前途に一つの世界を創造し、背後にいくつもの世界を捨てていく。Soul(魂)には日付けもなく、儀式もなく、からだもなく、専門もなく、人間もないのだ。Soulは Soulのみを知る。森羅万象はSoulが包まれている外装に過ぎないのだ。」

 森羅万象は、(それは自分の肉体をもひっくるめて)Soul(魂)が創造した外皮なのである。それは蚕の生命が創造した繭のようなものであり、蛇が生長して行く毎に脱皮する”皮”(蛇の抜け殻)みたいなものである。抜け殻は蛇の一時的外装であって、それは嘗て蛇によって創造せられ、用終りて捨て去られ消えて行くべきものなのである。生命は嘗て創造して、要を果たしたところのものを棄てていくが、”生命”は死ぬのではなく、常に前向きに前進するのである。その”生命”がただの生きる力ではなく、叡智を備えた普遍的なものであるとみとめたとき、それをSoulとエマソンは呼んでいるのである。

六日のことば 自覚者の言葉
 
「Soulは真理をみとめ、それを顕すものである。これが真理だとSoulはいうのだ。懐疑論者や嘲る者たちが何といおうと、われわれは真理を見たとき、それが真理だと知るのだ。愚かなる人たちは、自分が聴きたくないことをあなたが語ると、”あなたはどうしてそれが真理であって、あなた自身の謬見でない事がわかるのですか”と問い返す。それはわれわれが目覚めているときには、自分の目覚めていることが自明であるように、真理を見ればこれが真理だと知り、ただのある人の見解でないと知るのだ。」
 
 まことにこのエマソンの言葉は自己に宿る真理が目覚めて、自己の内在の真理と、宇宙普遍の真理とがカチカチ相触れ合って、直接”真理”を自覚した人の言葉だということができるのである。

昭和四十七年10月号の青年法語「エマソンの光明思想と生長の家」より


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