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聖典引用 板

1979goro:2013/01/27(日) 12:22:38 ID:nCo1DokU
>>1978の続き

この事件は既に新聞がやかましく報道していた汚職事件であるが、何分にも火中の人物が政治上の権力者であるので首相及び司法大臣が果たして起訴を断行する勇気ありや否やが世人の注目の的であった。私は、この上奏書を一見した瞬間、総理もいよいよ決心されたか、といささか痛快な気持ちで、これを陛下のお机の上にさしあげた。汚職といえば、陛下の最も忌み嫌われる問題であるから、すぐ裁可の印をお捺しになるだろうと思っていたところ、以外にも、陛下はその書類を一見遊ばすや否、非常にご当惑の御態度をお示しになった。困ったなーといったような御様子である。

これを拝見した瞬間、私の胸中には、はて、なぜだろうか。というような、かすかな疑問が湧いたが、陛下は上奏書に付属した司法大臣の起訴理由書をくり返し、くり返しごらんになり、なかなか裁可の印をお捺しになろうとなさらない。だんだん時がたつにつれ、おそばに立ってお待ちしている私も、いろいろ考え始めた。自分は陛下より十以上も年上の男でありながら、先刻来、いささかなりとも痛快味を覚えたことは、何んと浅ましく恥かしいことか。

陛下は、われわれと違って、いつ人とお会いになっても、対立感というものを少しもお持ちにならない。それだから、汚職そのものは徹底的にお嫌いだが、汚職をした人を憎いとは、お思いにならないらしい。ただ汚職の行われる世の中を、いとも悲しと観じておいでになるのではなかろうか。われわれは、人と会えば、すぐ持ち前の対立感に促われて、この人は自分より身長(せい)が高いか低いか、から始まって果ては、馬鹿か利口かに至るまで、あらゆる比較を腹の中でするものだが、ほんとのところ、神様の目から見れば、お互いに五十歩、百歩のちがいに過ぎないことには、とんと気がつかない。ああ、なんと恥ずかしいことか、と恥じ入る他はなかった。

稍暫らくして、とうとう、陛下は上奏文書に裁可の印をお捺しになった。これで起訴は決定したわけだ。何某氏は今夜にでも逮捕されることになったのである。私はその書類をいただいて、箱に入れ鍵をかけ、一刻も早く、私を待っている内閣書記官に渡そうと思い、一歩お室を踏みだそうとしたところ、私をお呼び止めになったから、何か別の御用かと思い、お側に近づいたところ、ただ一言、沈痛なお声で、「わたしが悪いのだよ」とおっしゃって、考えておいでになる。

このとき私は、ほんとうに、なんともいわれぬ、つらい思いに胸を炒めた。われわれの仲間の犯したあやまちが、かほどまでに、陛下のお胸を傷めるのか、あいすまぬことだ、と思っていたら、つとお椅子から立って椽側におでになったから、、私も無言のままお伴をして椽側に出た。この椽側は、このたびの戦災で焼失してしまったが、明治神宮の絵画館に掲げてある数多の油画のうちの一つ、教育勅語下賜の図という大きな額面に描かれているお二階−御学問所と呼ばれる−の椽側がそれである。


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