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聖典引用 板

3162SAKURA:2015/01/02(金) 21:02:35 ID:???
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 真理を伝えるのは愛の道 ―その7 ―【 転載編 ―】*=======**========

■釈迦が悟りに入られた最初の動機は何であったかと申しますと、生・老・病・死の四苦
を観て、これを解脱することを考えなくてはならないということを思いつかれて、そうし
てそれを解脱する道を得られたのであります。われわれが生老病死の四苦につまずくこと
によって、それを機縁として、自分の実相が仏であるということを悟らせられるというこ
とは、実際釈迦でさえもそうであったのであります。いわんや、われわれがこの病気とい
うもの、あるいは生活難というもの、人生苦というものなどに臨んでいる――その契機を
利用して、それを解決する道がここにあるということを広告によって知らして、そうしてわ
れわれの団体へ呼び寄せてきて、真理を知らせ実相を悟らせるということはこれ実に仏さ
んのあるがたい慈悲の現われであるといわなければならないのであります。人はこの病気
の治るという治験例を発表することはいかにも下品なこととお考えになるのであります。

そして、われわれも、物質なる肉体の治るとか治らぬとかいうような小さいことを問題に
していないのでありますけれども、物質上の御利益などは問題とするに足らぬと思いなが
らも、現世の苦悩に悩んでいる人がある以上、その現世苦悩の低さまで降りて行ってあげ
なければ人を救うことができないので、それで上品だとか下品だとか、そういうことを考
えないで、自分もいったん人の所へ降りて行って、病気本来無いということを知らせ、病
気が治ったという治験例を発表して、一般の人に呼びかけ、病人に呼びかける、救わるべ
き相手は迷える人、病める人である。迷っている人にはしばらく迷いの相を現わして、そ
うしてそれらの人を一段高い所へ引き上げるというのが仏の自由自在な慈悲の働きなので
あります。

                 ―その8 ― つづく
❤〜SAKURA


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