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聖典引用 板

2379SAKURA:2013/06/26(水) 22:16:48 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350>>2351>>2372>>2378 の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

■□第一章     信仰
――――――  二度目の母   ―――――  その①

 私の母は、私が六歳の時、難産が原因で亡くなりました。
 そのとき産まれた赤ん坊(私の妹)も生後三十分で死んだのです。
 そのとき私には姉一人と、弟三人があり、つまり五人姉弟でした。
 しかも、姉がまだ九歳でしたから、父はどんなにか当惑したと思います。
 翌年、二度目の母が来ました。

 今日はお父様の結婚式、というので、私達五人は玄関の横の書生部屋というところ
から、襖を少しあけてのぞいていました。
 始めに、モーニングコートを着た父が入って来て、つづいて新しい母が入って来ました。

 私の産みの母は地味な人で、おしろいは一度もつけたことがなく、それでも色が白
いからきれいでした。

 学校へくるとき縞のきものに黒い紋付の羽織を着、家に居るときは必ず白い割烹着
をつけていました。
ところが今、目の前に現れた二度目の母は、きれいに髪を結い、美しいきものを
着、ピカピカ光る帯をしめていました。

 私は「あっ」と驚きました。   そして、
「とても、こんな人をお母さんとは呼べない」 と思いました。
 それでも、私は多少、ませていたので、三日目におそるおそる、
「お母様」
とよびましたら、母は大層喜んでくれました。

 母は何でも出来る人で、お料理も、お裁縫も上手でした。お花もお習字も長唄もあ
みものも、全部出来ました。

 たった一つ出来ないことは、上手に子供を可愛がることでした。
 母は子供を産んだことがないので、五人の幼い子供を、どうして教育してよいの
か、どうやって、なつかせるか、途方にくれたのだと思います。

 けっきょく、子供にはきびしい躾けをすることが最も大切である、と考えたのでは
ないかと思います。

一番下の弟が病気で亡くなり、私達は四人姉弟となりました。

 父は、母が来てくれたおかげで、仕事に精を出すことが出来たと見え、ずんずん出
世して、やがて田園調布に七百三十坪の土地を買い、家を建てました。

 庭にはテニスコートがあり、家には当時余りなかった電気冷蔵庫や、電気洗濯機が
置かれていました。

 女中さんも三人から五人位いたこともあり、家は大変裕福でした。
 しかし、  私は、少しも楽しくありませんでした。

                      つづく


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