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聖典引用 板

2679a hope:2013/11/27(水) 21:12:36 ID:/9IAdiFk
>>2678つづき)

ともかく、生長の家は正体がわからないものなのです。何か一定の固定したものであったら、それが何であるかということがわかるのですが、生長の家はこれといって一つも固定したものではないのであります。檜町の乃木神社前の生長の家本部建物へ道を聴くためにお集まりになっている人は、毎日三、四百人は集まっておられるのでありますが、その中のある人がある日のこと、女の人でありましたが、こういうことをお尋ねになったことがあります。

「わたしの夫は生長の家というものにあまり興味をもっていません。別に生長の家というものに反対ということもないけれども、それでもあまりわたしが生長の家へ出かけて行くことを喜ばれません。ですから、夫が会社へ出勤せられますと、さっそく夫から自由に解放されたというような気持で道場へ来て先生のお話を伺います。それがいつとなしにまた、夫に漏れると夫の機嫌が悪いのです。そこで先生どうしたらよろしいでしょう。わたしは、どうしても生長の家というものは、ありがたくて離れられないというような気持ちがするのですが、いったいどうしたらよろしいでしょうか」と言ってお訊きになったのであります。

その時にわたしが申し上げた言葉はどうであるかといいますと、「生長の家というのは、この講堂の建物のことを言うのじゃないのですよ。生長の家というのは家庭仲のよい家ということを言うのですよ。生長の家の聖典『生命の實相』の第一巻巻頭にどう書いてあるかといいますと、『汝ら天地一切のものと和解せよ』とこう書いてある。そのとおり天地一切のものと仲良しになったら、そこがそのまま生長の家なんです。

いわんや夫と仲よしにならねば、いくらあなたが生長の家の雑誌を読んでもあなたのいる処(ところ)は生長の家ということはできない。生長の家というのは、こういう講堂であるとか校舎であるとかいうような建物の名前ではないのですよ。本当に大調和な和解した仲よしになった人々の集まっている家ならそこが生長の家ですよ。ですからあなたが自分の家にお帰りになって夫と本当に仲がよくなったらそこが生長の家なのだから、生長の家へ行きたければ自分の家でご主人と仲良くしなさい。それが生長の家に行ったことになる」こういうように申し上げたのであります。
(つづく)


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