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聖典引用 板
2986
:
a hope
:2014/07/02(水) 00:04:22 ID:cEpBaIdo
☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆
「物質の否定・棄揚(きよう)・実相の肯定」p170 後から3行目〜
○「生長の家」の倫理学
・・・神一元の実在を説く完全なる唯神實相論
・・・自由自在の神のみが実在であるから、物質的不自由はない
→ 物質はない【物質の否定】
○「生長の家」の「物質無」「肉体無」の哲学
・・・物質を否定し、肉体を否定したとき、かえって否定の極の肯定となる
・・・物質、物質に非ず、いっそう高きものの表現である
・・・肉体は、神聖なる神の生命(いのち)の自己実現である 【※棄揚(きよう)】
→ 物質として土塊の生成物のごとく無価値に見られていた「人間」が、
自己の価値観を回復し、人生に生き甲斐を生ぜしめ、光明を見いだす【実相の肯定】
※棄揚(きよう)・・・あるものをそのものとしては否定しながら、かえっていっそう高い次元にこれを生かすこと。止揚。アウフヘーベン。
<<ここに「生長の家」は唯物論に対立するような唯心論でなく、唯物、唯心を超越した唯神実相論であることがわかるのであります。
物質の否定は否定のための否定でなく、大なる肯定のための否定である。
かくのごとくして今まで「物質」と認められていたところのものも神力の表現であると大きく再肯定するのが「生長の家」倫理学の特長であります。>> p172 後1行目〜
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