したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

聖典引用 板

3084「訊」:2014/10/24(金) 16:21:59 ID:???
『生長の家ってどんな教え?』(谷口雅宣総裁著書)116頁より謹写――


唯心所現について



Q:

〝唯一絶対〟の神様が、どうして有限の世界に人間をつくられたのでしょうか。そして、人間は神の子であるのに、どうして病気や争いを心に描いてしまうのでしょうか?(二十九歳・女性)



A:

 二つの質問です。一つ目は「有限の世界に人間をどうしてつくられたのか?」という質問です。私は、午前中、舞台俳優の話を喩えに使いましたが、この喩え話は理解が難しいかもしれません。私たちは実相世界においては、この俳優のようにいろいろな役割を演じる潜在能力をもっている。その俳優さんが舞台の上にいて、あるいは映画の中にいる場合、これを私は現象世界の出来事に喩えた。この人は、ある配役をもって生まれ、現象界に登場して生きている。それは、自分で選んでやっているということです。

 この方の質問は、「〝唯一絶対〟の神様がどうして有限の世界に人間をつくられたのでしょうか?」というものです。けれども、私は、「神は現象世界に人間をつくった」とは言いませんでした。そうではなくて「もともと実相世界しかない」という話をしました。しかし、この方は「いやこの世界はある」と思っている。だから、「有限の世界に人間をつくった」という質問になる。しかし私は、「有限の世界はナイ。実相世界がある」という話をしたのです。だから、神の創造された実相世界に、人間は今も神の子、仏として存在しているのです。どこか別の所にいるのではないのです。

 私は、今、現象的にも舞台に上がっていますけれども(笑い)、皆さま方も、それぞれが心で描かれた人生の舞台に上がっていて、それぞれの役を演じている。この方は、「神は舞台上の配役をどうしてつくったか?」とおっしゃいますが、神様は配役はつくっていない。それは、例えば「私はロミオとジュリエットの中のロミオになります」と私たちが自分で決めて、それを演じるのです。「ロミオの配役を演じる」と決めるのも自分であるから、ロミオとしての人間を神が創ったのではなくて、「自分がロミオを演じよう」と決めて舞台に上がっている ―― それは現象世界のことです。しかし、その時にも俳優はロミオとは違う人格と社会的立場をもっている ―― これは実相世界のことです。だから、神様が現象世界に人間をつくったのではなくて、我々が自分で現象上の配役を作り上げて舞台上で演じているのです。


PHOT0000000000014D7C_500_0

○現象世界は何のためにあるのか


 では、質問の仕方を変えて、「なぜ、この〝舞台〟としての現象世界があるのか?」という問題を考えてみます。それを、俳優に訊いたら何と答えるでしょうか?恐らくそれは「表現をすることが喜びであるから」という答えになると思います。俳優にとって、表現は喜びなんです。人間はもともと、実相においては神の子、仏の子であって、それを表現する場がほしいのです。だから、現象的にはいろいろな世界に流転していく。これは、業の流転によって「苦しみの人生を繰り返す」という解釈の仕方もありますが、生長の家ではそう解釈しない。人間は一種の〝舞台俳優〟として表現を繰り返すのです。たまには変な役が回ってくることもあります。これは結局、自分でつくるわけですが、もしもその配役が嫌だったら、自分で脚本を書き換えればいいのです。「私は来世はヒーロー役をするのだ!」と決めたらいい。まぁ、今生からでもいいですがね、急には変えられないこともあります。でも、「ヒーローになる」という脚本を自分にあてがって、今から演じればよろしいんです。これらは皆、神様がやっているのではなくて、私たち一人一人が自分で決めた道を行く。「私はロミオである」と決めたらそれを自分が演じるということです。その時に「ロミオでない自分」がいることを忘れてしまうと、それが自己限定となり、自ら有限の世界を体験するのです。これが、一つ目の質問に対するお答えです。

(つづく)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板