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聖典引用 板

3139a hope:2014/11/24(月) 18:58:27 ID:cEpBaIdo
>>3138 つづき)

民族の特殊性を強調しますと、それは偏狭(へんきょう)であって、人類的でなくなるように思う人もありますけれども、実は決してそうじゃあないのであります。
どの民族でも、その民族固有の特殊性を完全に発揮することに依(よ)って、却って全人類が幸福になるのであります。

それは何故かと申しますと、吾々は人間でも、頭脳は頭脳としての特殊性を持って、その特殊性が「考える働き」であるとするなら其の「考える働き」という特殊性を頭脳が完全に発揮する時にはじめて人体が最も完全に、その生理機能を営むことができるのと同じであります。
手としての特殊性を完全に発揮することに依(よ)って人体全体が幸福になるのであります。

全ての世界各国の民族も、民族各々(おのおの)の特殊性をよく自覚して、その特殊性を発揮することに依って人類全体が本当に幸福になるのであります。

そう云う訳で、日本の国家にも其の個性的な特殊性がある。即ちそれは上述の如き真理国家であって、天之御中主神の理念そのものが実現している万邦無比(ばんぽうむひ)の国体であると云うことである。

今の中学生や高等学校の生徒に「国体」と言ったら、「国民体育」の略称かと思って、「真理国家としての国体」などと云うと何の意味かもわからぬ人がある。
真に残念な事でありますが、解り易く言いますと、其の〝国〝 の本来の在り方として内在する「国家理念」と言うものが国体であります。
「日本国の実相」と云ってもよろしい。
日本のそうした「国の本来の在り方」と云うものはまことに素晴らしいものなのであります。

即ち大和国(ヤマトくに)を基礎国家として、「六合(りくごう)を兼ねて都をひらき、八紘(はっこう)を掩(おお)いて宇(いえ)と為し」世界の国々をこわすことなく一つの家庭的つながりの国とする使命を内在する国家なのであります。

私たちがこのような国に生まれたことは実に有難いことであると云う自覚を持たなければならない。
その自覚は自分だけが持っていたら、それで足れりとするようなものではない。
この箇条の最後に書いてありますように、各自互に明確に自覚し合わなければならない。
「自覚し合う」のであって、互にその自覚を研(みがき)合い、「その行動の根拠となし合う」べきであると示されているのであります。

(第五条 雅春先生のご解説終わり)


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