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聖典引用 板

3098神の子さん:2014/10/30(木) 17:54:45 ID:cEpBaIdo
>>3097 つづき

p24 後から2行目〜

ところが、これとは反対に「環境が悪いから、制度が悪いから、政治が悪いから、人間は幸福になれないのだ」という人が多くある。

きくところによりますと、共産党の人なんかが、貧しい人の家などを訪問して行って、「君達が貧乏しているのは政治が悪いからである。経済が悪いからである。国家が悪いからである。こう云う政治家を倒し、天皇制国家を潰して、人民のための人民の政府を建てなければ、人民は決して幸福になれないのである」と言って、凡(あら)ゆる人民の不幸を「人民の政府」が樹立していないからである、と人間の責任回避癖(せきにんかいいへき)の盲点を衝いて説くのであります。

そうすると国民の多くは、特に無産階級の人は「成程そうか」と思いまして、「私が貧乏をして居るのは政治が悪いんだ。日本国家が悪いんだ。天皇制が悪いんだ。若し天皇制国家がつぶれてソ連みたいになったら、日本の人民は、余程金持になれるんだろう」と虫の好いことを思う人が出来て来るのだけれども、実際、ソ連に行ったり、中共にいったりしてその実際の農民の生活状態を見てきた人の話によるならば、彼らの多くは日本の農民の充分の一位の低い生活程度をしているのであります。

それでも過去に帝政ロシアや、支那(しな)の督軍(とくぐん)などに搾取せられていた時代の農民よりも余程よくなっているので、彼らの国民がそれで満足して社会主義を謳歌するのは、それはそれでよいのでありますけれども、日本の農民と比較すると彼らの国の農民は余程低い生活をしている。

それにも拘らず日本の農民は、社会主義国の農民よりもひどく搾取せられていると云うそう云う宣伝にのせられるのは何故かと云うと、「人間・神の子」の自主的自覚がなく周囲のものが我々を不幸にするのである、などと云う「責任回避」の物の考え方をしているからであります。

周囲に一切の責任をなすりつける考え方は「人間・神の子」の自覚ではなくて、「人間は恰(あたか)もメリケン粉で焼いた太鼓饅頭みたいに、周囲の型にはめられてその型の通りになるしか仕方ないものである」と考えるところの唯物論であり、自己劣等感に過ぎないのであります。

わたしたちが本当に幸福になるためには、自己劣等感を克服して「自分はどう云う環境に置かれても自由自在である」というところの、自主的存在だと云う自覚を得なければならないのであります。
(つづく)


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