したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

聖典引用 板

2377うのはな:2013/06/26(水) 15:20:10 ID:6wcvlhrI
至高の愛はこの世の一切のものを棄てさせる

 三島由紀夫氏の自決について、「朝日」の投書欄にのっていた話に、戦犯者として南方で
処刑された将校の未亡人にその感想をきいてみたら、その未亡人は「わたしは三島の頬ぺたをピシャリと
痛いほどなぐってやりたいと思います」と答えたということである。

 この未亡人の悲しみはわかる。それが愛というものである。
愛していない者にはこの悲しみはわからないであろう。しかし愛はその悲しみを通過し、それを克服しつつあるところに
魂の美しさがあるのである。そしてそれを克服し切って光の世界に浮かび上がった時、
本当の愛は勝利を得る。

 三島由紀夫氏もその妻を愛し子供を愛し、しかも人一倍愛していられたに相違ない。
自刃の数日前に、妻子をつれて一緒に何処かへ出かけて行き、一同楽し気に食事をしながら、
何事もないような話をして妻子に最後の別れをしていられるのである。死ぬべきときには死ななければ
ならない。自己愛は棄てなければならない。

〝本当の愛〟は〝佛心〟即ち四量無心でなければならない。四量無心とは慈悲喜捨の四つの妙心である。
そして四量無心は最後の〝捨徳〟をもって完うするのである。「愛するとは放つことである」自己愛を、妻子への愛を
棄て、一層高次の愛にー神の召命ーにこたえるために最もにがき盃をも受けなければならないのである。

 イエスがゲッセマネの祈りで「神よ、こいねがわくば、この盃をわれより取り去り給え。されど、わが意を成さんとには非ず、
御心のままにならしめ給え」と自己愛を完全に神への愛のために無条件放棄したのであった。
 三島由紀夫氏も自己愛を、妻子への愛を、そして創作への欲望をも、この世の栄誉と快楽との一切を棄てて、神の召命にこたえたのであった。


『愛はかくして完成す』 谷口雅春 先生著


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板