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聖典引用 板
3016
:
a hope
:2014/07/10(木) 23:00:13 ID:cEpBaIdo
☆ ☆ ☆ 出張 第25回 web誌友会 ☆ ☆ ☆
「生命の實相」第十三巻 p173 5行目〜
倫理学の研究の対象
(まとめ)
人(Person)とはラテン語の※Personare (ペルソナ)が転じたもの
Personare・・・〝to sound through″「天地に鳴りわたる」ところの本当の人間、「人格」
○『ヨハネ伝』第一章
・・・「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、万(よろず)の物これに由りて成り、成たる物に一つとして之(これ)によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき」
・・・「人の光なる生命」= 言(ことば)=天地に鳴り亙(わた)る(to sound through)ところの生命
※ Personare (ペルソナ)―― Persona(ペルソナ)演劇で、仮面をかぶる人またその役。(頭注より)
○仏教
・・・仏性が本当の「人」であり、肉体はその仮面にすぎない
・・・人は生まれず死なない存在である 『涅槃行』
○日本語
・・・人は「霊人」(ひと)であり霊的実在なる所の普遍的存在で、朽ち果てるべき「仮面の人間」ではない
・・・「霊子(ひこ)」(久遠男性) 「霊女(ひめ)」(久遠女性)
p175 3行目〜
<<「本当の人間」(Real man)の認識が倫理の根本になるのである。
「本当の人間」がいかなる存在であるかは、すでに『生命の實相』その他多くの著述を通してわたしが述べきたったごとく、「神そのままの相(すがた)」なのである。
換言すれば人間とは神性にほかならないのである。
しかしその「本当の人間」(神性)が「思い」に、あるいは「行為」に、表現せられたとき「善」となる。
「神があらわるればすなわち善となり、義となり、慈悲となり、調和おのずから備わり」と『甘露の法雨』にわたしが書いたごとく、神性が表現すればそれが「善」であって、神性が顕現しなければそれは悪である。
さらに詳しくいえば「悪」といい、「罪」というのは神性が顕現していない状態――すなわち、ないという消極的状態を「悪」といい「罪」というのであって、「罪悪」なるものは存在の仮面を被ってはいるけれども、非実在であるというのである。
悪の非実在、罪の非実在――これが谷口倫理学の特徴をなすものである。谷口教育学もここから抽(ひ)き出されてきて不可思議な実践効果を顕わしているのであるが、これは教育学の方に譲ることにする。>>
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