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聖典引用 板

3060a hope:2014/10/02(木) 19:00:11 ID:cEpBaIdo

生命の實相14巻 p70 3行目〜

<<仏教はふつう「われは無い」と説いている。
われがないとすれば、むろん「霊魂」はないわけで無霊魂論だと思われています。
ところが釈迦はその弟子たちに、お前は寿命が終わったら、いずこに生まれる、かしこに生まれるなどともいっているのであります。
それで『阿含経』を見ますと、釈迦が王舎城の伽藍陀竹園にいられたときに、
仙尼(せんに)と名づける外道の出家が出て来て、その点について釈迦に疑問を提出しているのであります。>>


(a hopeまとめと所感)

その後の文章で釈迦が答えた、『世間における「我」の三種の説き方(人生観』をまとめてみます。

① 『断見』 ・・・ 現在世のこの「我」を真実の「我」と見る、そして現在世の肉体が終わった後は「我」というものは消えてしまう 【物質主義者の考え方】

② 『常見』 ・・・ 現在世の「我」というものも真実のわれであって、死んでから霊界に行く「我」も真実のわれである  現象我の常住不滅を説く
             【心霊学(psychic science)的立場 】【スピリチュアリズム(心霊主義)的立場】

③ 釈迦の所説 ・・・「われとなんじらの思っているそのわれは本来無いものじゃ。現在世でわれと見えるものも、霊界でいろいろの所へ生まれかわってくるわれと見えるものも本来無い物じゃ」
             【実相独在】【真我独在】

仙尼は、その答えを聞いてもその意味がわからないので、釈迦に反問します。
そうすると、釈迦は
「ますますなんじの疑いが深くなるのは無理はない、「我」というものがあるように見えているのにないというのだから解らないのは無理はない、
それは微妙(みみょう)の実相を照見する一切知(実相覚)というもので悟らなければ分かるものではない」
という内容の返事をしたそうです。

つまり、「実相を悟っていないものには、『実相独在』はわからないのだ」ということなのだと思います。


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