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聖典引用 板
2381
:
SAKURA
:2013/06/27(木) 21:34:07 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349
>>2350
>>2351
>>2372
>>2378
>>2379
>>2379
の投稿の続きです…。
■□▬▬▬▬ 【 お答えします!! 法貴雪子 著 】 ≪ 日本教文社発行 ≫
■□第一章 信仰
―――――― 二度目の母 ――――― その②
母はきびしく躾けはしても、余り愛の表現をしなかったからです。
私は幸い、勉強好きでしたから、学校(私立森林学園・東京府第三高等女学校)へ行っているとき
が一番楽しく、家に帰っても本を読んだり、文章を書いたりばかりしていました。
物理学や幾何の問題を、一人、じっと考えていると、淋しさも忘れ、一番楽しい、と思ったりしま
した。
そんな私が、いよいよ女学校卒業の前のとし、母は私が上級学校へ行くのをとめたのです。
「あなたのような生意気な娘は、これ以上勉強したら、お嫁に貰い手がない」
母はそういって、女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)か、津田英学熟(現在の津田塾)に
行きたい、と切に願う私の希望を絶ったのです。
私は泣きました。一晩中、体の震える程の悲しみに打ちのめされました。そして遂に、朝迄かかって
あきらめました。この時、私の体験したことは、
「人間は、どうしてもあきらめなければならないことがある」 ことを知ったことでした。
最近の子供は、暑ければルームクーラー、寒ければ暖房装置、そしてお腹がすけばお夜食と、
凡そ、がまんをする、ということがありませんが、私は十六歳のとき、この最大のつらさに打
ち勝ちました。私は今、このことを大変倖せに思っています。
しかし、その頃はそう思いませんでした。私は母を恨みました。
母が産みの母でないから、生さぬ仲であるから、私の希望を叶えてくれないのだ、と思いました。
庭に出て空を仰ぐと、星が一杯見えました。
あの星の中の、どれが私のお母様か、亡き母を慕って泣きました。
よその人は皆、本当の母があって、自分のしたいことをしているのに、と思うと、死んでしまった
母迄が恨めしく、自分の不幸をなげきました。
翌年、女学校を卒業し家政学院(現在の家政大学)へ行きました。そこは料理やお裁縫が主でし
たから、母も許してくれたのです。
でも、私は不満でした。
おまけに、母が学校から帰った私を容赦なく使うのが、私には耐えられませんでした。
つづく
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