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聖典引用 板
1989
:
goro
:2013/01/29(火) 23:17:16 ID:nCo1DokU
>>1985
の続き
この重光外相の寄稿文は、日本歴史、否、世界歴史の上で、極めて貴重な文献である。マ元帥すでになきいま、陛下は、あくまで沈黙を守られるであろうし、重光氏も、また、他界した今日、この文献の価値は至大である。かく思うがゆえに、私は読売新聞社の了解を得て、左に重光氏の寄稿の一部を掲げる。
重光「東京出発前、那須御用邸で、陛下に拝謁した際、陛下は、”もしマッカーサー元帥と会合の機もあらば、自分は米国人の友情を忘れた事はない。米国との友好関係は終始重んずるところである。特に元帥の友情を常に感謝して、その健康を祈っている、と伝えてもらいたい”とのことであった」
マック「自分は日本天皇の御伝言を他のなにものよりも喜ぶものである。私は陛下にお出会いして以来、戦後の日本の幸福に最も貢献した人は天皇陛下なりと断言するに憚らないのである。それにもかかわらず、陛下のなされたことは未だかつて、十分に世に知らされておらぬ。十年前、平和再来以来、欧州のことが常に書き立てられて、陛下の平和貢献の仕事が十分了解されていないうらみがある。その時代の歴史が正当に書かれる場合には、天皇陛下こそ新日本の生みの親であるといって崇められることになると信じます。
私は戦前には、天皇陛下にお目にかかったことはありません。初めてお出会いしたのは、東京の米国大使館内であった。どんな態度で陛下が私に会われるかと好奇心を以ってお出会いしました。
しかるに実に驚きました。陛下は、まず戦争責任の問題を自ら持ち出され、つぎのようにおっしゃいました。これには実にびっくりさせられました。すなはち、「私は、日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また、事件にも、全責任をとります。また私は、日本の名においてなされた、すべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。
自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題ではない。私は全責任を負います」これが陛下の御言葉でした。私はこれを聞いて、興奮の余り、陛下にキスしよう、とした位です。もし国の罪をあがのうことが出来れば進んで絞首台に上がることを申出る、という、この日本の元首に対する占領軍の司令官としての私の尊敬の念は、その後ますます高まるばかりでした。
陛下は御自身に対して、いまだかつて恩恵を私に要請したことはありませんでした。どうか日本にお帰りの上は、自分の温かいごあいさつと親しみの情を陛下にお伝え下さい。その際、自分の心からなる尊敬の念をも同時にささげて下さい」
重光「それは必ずお受合い申上げます。」
以下 略
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