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聖典引用 板
249
:
朝露夜露(代筆・志恩)
:2012/03/17(土) 14:30:32 ID:.QY5jUA6
当時、百済が滅びると,日本は、負けて亡命して来た百済のエリート氏族を、そのまま大量に受け入れ、
優遇するということもやったようです。
その人達と共に、外国の進んだ文化も輸入しました。その人達は、やがて日本人と融合していったのでしょう。
日本にはいま、先の大戦前後に日本に来て,今も帰化せずに、日本にいる朝鮮族の人達がいて、その人達のことは、
朝鮮族と言いますが、
そのずっと昔にも、朝鮮からわたってきた人がいたわけですが、その人達を朝鮮系とかいうことがないということは、
面白いとおもいませんか。
アメリカだったら、いつまでも、ドイツ系とかユダヤ系とか言うのにね。
朝廷では、大化の改新(646)のころには、日本の神々と共に、仏教の儀式も行うようになっていきます。
皇族のなかでは、聖徳太子が、最も早く熱心な仏教の信奉者となり、ご自分で三経義疏(さんぎょうぎしょ)と言って、
経典の注釈書をまとめたともいわれるほど、むずかしい仏教経典の研究に熱心でしたし、飛鳥寺も蘇我氏によって、建てられました。
時代が下がって、奈良時代には、8世紀に、奈良の大仏を第45代聖武天皇が、国力をつくして建立しました。
当時は、疫病なども多く、人々の暮らしは、たいへんだったとおもいますが、聖武天皇は、国の民の幸福をいのって、大仏を建立
させたとも言われています。
このような形で、神仏習合が、すすみますが、土着の宗教と外来の宗教の習合というのは、日本だけでなく、色々な国で起こっていることです。
〜 つづく〜
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