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聖典引用 板

3002a hope:2014/07/06(日) 13:29:20 ID:cEpBaIdo
>>3001 a hope 所感)

<<しかし、御肉体は御表現であらせられるが故に、それは鏡の如きものである。
鏡は一切のものを映すが故に、国民が迷えるときには国民の迷いを反映し奉って、陛下の御悩(おんなやみ)となって顕れることもあるのである。
であるから吾らは恐懼(きょうく)反省して 陛下の御宸襟(ごしんきん)をお悩まし申さないようにしなければならないのである。
天皇の御本体はかくの如く神聖であり、一切の悪に責任があり給わないから、如何なる間違った政治を時の為政者が行(おこな)おうとも、たとへ、それに御名御璽(ぎょめいぎょじ)がありましょうとも、その全ては大多数国民の心の反映であり、また時の為政者の心の反映であるが故に、天皇は本来神聖にましまして、責(せめ)を執(と)り給うべきではなく、すべては輔弼(ほひつ)の諸臣(しょじん)の責任となるのである。>>


上の抜粋部分は、戦後まもなく発表された「君民同治の神示」>>672 に通じるものだと思いました。
「君民同治の神示」は、『秘められたる神示』中の「君民同治の神示講義」(1)>>678に、
谷口雅春先生がこの神示を神さまから授かったときの日本の状況(終戦の年)等が詳しく述べられていてとても興味深いです。
※参照「君民同治の神示講義」(2)>>680(3) >>683 (4)>>684 (5)>>709

一方、わたしが今、謹写中の「万進日本の心と力」は昭和13年発行とありますから戦前の執筆です。
この二つの内容をくらべてみる限り、戦前、戦中、戦後を通して、谷口雅春先生は生長の家の「天皇信仰」に関して同じ真理を主張されているように感じます。


ですが、これはわたしが疑問に感じていたことで、web誌友会板での曳馬野さまのご質問内容にも通じるのですが、
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4097n-

それでは、なぜ、雅春先生は、戦後の聖典から、日本神国や天皇に関するご文章を変更・削除されたのでしょうか?

それは、戦後、占領下の日本で教育を受けた世代の人間に、「生長の家の教え」を伝道していくにあたり、
いきなり、天皇信仰を持ち出すと、明らかな拒絶反応を示す人が多かったからではないのでしょうか?

なぜならわたし自身もそのような思想の持主でしたし、別板でアクエリアンさまがご指摘されていますが、
とても残念なことに、現在の「生長の家」総裁である雅宣先生御自身がそのような思想の持主なのだと思うのです。

これはわたし個人の考えですが、雅春先生が、戦後の聖典から日本神国や天皇に関するご文章を変更・削除されたのは、
雅春先生の戦前のご主張(真理)が間違っていたからではなくて、それは確かな真理であるけれども、
時代の状況の変化に伴い万教帰一である「生長の家の教え」をどのような思想の人間にも広く伝道するために、
ご表現を変えられただけのことだったのではないでしょうか?


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