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聖典引用 板

2581うのはな:2013/10/05(土) 13:38:13 ID:l9K9RG/Y

「身体も国も共に、観る者(主体)から反映せられる世界(客体)である。観る心の要請が身体に於ては脳髄の
存在となり、国に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。
天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る.......」

 この神示によりますと、観られる対象は、「観る心」の反映であり、その感情想念又は自覚が、対象に移入されて、対象をそのように
感ずるのでありますから、吾々が国家に於ても、「変らざる永遠の中心者」を要請するのは、人間自身の生命に「変らざる永遠の中心者」を
要請する理念があるからであります。

 人間自身の生命に「変らざる永遠の中心者」を要請する理念が宿っているのは、人間生命をつくった「大生命」(神)御自身に、「変らざる永遠の中心者」を
要請する根本要求があるためであって、そのためにすべての造られたる物には「変らざる永遠の中心」が備わっているのであります。
即ち原子には原子核があり、細胞には細胞核があり、樹木には幹があり、人間及び高等動物には脳神経中枢があり、太陽系統には太陽という「永遠に変らざる中心」があるのであります。

 このような宇宙萬物を造った「大生命」の生命を宿し生れている人間の心の中に「変らざる永遠の中心者」を求める要請が宿っているのは当然のことであります。
だから、「観る心の要請が、身体に於ては脳髄の存在となり、国に於ては永遠の元首となる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである」と
示されているのであります。
 この神示に於て注目すべき点は「無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇」とあることであります。

天皇は単に「一切の主」であるだけではなく、「無にして絶対」なのであります。
他の国の色々の人間団体にも中心者や主宰者はあります。しかし「無にして絶対」なる中心者は殆ど全く存在しないのであります。
だから常に権力争いが附き物であり、権力候補が選任争いをするか、実力闘争によって中心者の座を占めようとするのであります。

 ところが日本天皇に限り、権力争いというようなことがない。自己を主張しようとはせられないし、対立がないのであります。だから「無」なのであります。

   『秘められたる神示 神示講義 秘の巻』 谷口雅春 先生著

 (原文旧漢字、旧かな遣い) 投稿者現代字に変更入力  拝。


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