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聖典引用 板

3094a hope:2014/10/27(月) 23:21:35 ID:brQxC10.
>>3093つづき

 p19

人間の基本的人権の復活であるとか、自由の復活であるとか、平等の復活であるとか云いましても、
「人間とは何ぞや」と云う其の「人間」そのものの把握が間違っていると此のような結果になるのであります。

「人間」とは如何なるものであるかと云うその「人間」の理解が、単に人間を「物質」の偶然的結合として是(これ)を把握し、
単なる快楽本能・所有本能に左右される事が自然の権利だというような「肉体」として人間を把握(つか)んでいるから、
快楽本能・所有本能を満足せしめる為には人を殺しても好いなどと云うことになるのであります。

肉体として人間を理解せず、「霊」として「神の子」として、神の霊が今此の「肉体」と見える相(すがた)に
変貌して天降(あまくだ)っているのであると「人間」を理解することができた上で、
「今吾は何を為すべきか」と考えたならば、まさか女を強姦するとか、
わずかな金銭を奪うために自動車強盗をやるなんて、そんな見苦しい卑しいことは迚(とて)もやれない。

「神様が今天降って〝自分〝 として顕現している」と思ったら、人間の行動はおのずから神聖になるのであって、
ただ肉体の快楽を貪(むさぼ)る金を得るために、自動車運転手を後から殴りつけて殺したり、
ドスで刺して殺すなどと云う「生命不尊重」の行動が出来る筈がない。

それに反して人間を単なる「肉体」であると考えるならば、斯うも考えられる、
「彼れ運転手と云う者はただ単に物質が結合して斯くの如く機械的に動いているものである。
彼れの心の動きと云うものは物質が或る配合をして結合した場合にあらわれている作用に過ぎない。
あれが死んだからと云って物質が結合していたのが離れただけであるから、これは別に殺生というわけではないのである。
彼等はこれから何年間自動車運転手として、人生の苦しみを苦しまなければならんかも知れぬのに、
今此の物質的結合を一瞬の苦しみによって分離させてやったら、彼等はその無駄な長い苦しみから解放されるのである。
そうすると、自分もまた金を奪うことによって肉体に快楽が貪(むさぼ)られるし、
運転手もこれからの人生の苦しみを逃れることが出来る、これは一石二鳥と云うものである。」

泥棒にも三分の理があると云う諺(ことわざ)がありますが、斯のようにハッキリと推論しないにしても、
かれが唯物論である限りに於いて、人間は物質が偶然集合して出来て居るのであると考え、
如何に基本的人権の平等であるとか、自由の平等であるとか云っても、その生命を充分尊重し得ない事になるのは当然であります。
(つづく)


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