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聖典引用 板

2867SAKURA:2014/05/26(月) 21:59:50 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  
*========*【 神の子の生活を今生きよ ―その3 ― 】*=======*=======* =======*=======*

ところが、阿弥陀様の生命のままに生きましょうと口に唱えて、その――阿弥陀様は慈悲の権化で
あるのに、その阿弥陀様の生命のままに生きましょうといいながら、嫁をいじめてみたり、欲ばっ
て泥棒してみたり、無理なことをして儲けてみたり、「このくらいのことはよいだろうから、ちょっ
とだけ猾いことをしよう」とそういうふうなことを考えているようなことでは、「阿弥陀様の生命の
ままに生きましょう」とこういいながら、阿弥陀様に背を向けている、どこにも阿弥陀さまに帰命し
ていない。これではその人は信心じゃないのであります。

本当の信心というのは「ここに神が生きる」「ここに仏が生きる」この自覚で生ききるのが信心であります。

今まで仏様というものをまちがって解釈して、なんでも涅槃寂静であって、力のない、空のなんにも
ないようなものである、とこういうふうに考え、なんの力なく、死んだように、空になったように
遁世してしまう。これが仏様の命令のままに生きるのだと考えたらまちがいなのであります。

仏様は無礙自在の働きをして、少しも休む暇なく働いていられるのであります。人のために休む暇も
なく働いて働いてやまない、これが仏様の心をわが心とし、仏様に帰命することであります。

この世、現世は無常であって、本来ない空であると仏典はいう。そして仏様も空である、みんな空で
あるからどうでもよいのだと、したいままをして、結局空に帰して、それで一生涯であるというふう
な考え方をして、この世をつまらなく否定してしまうことを本当に仏道を生きることだと思っていると、
それはまちがいなのであります。現代の仏教が本当の教祖たる釈迦の御教えから外れてしまって、ただ
この現世は無常である。空々漠々である、仏様も空である、みんな空であって、その空から阿弥陀如来
というものが現われて、そうして西方極楽浄土に報土を作って、この南無阿弥陀仏と口の先だけで称え
ておったら、死んでからそういう極楽浄土で楽をさしてもらうのだというような、そんな馬鹿な考えを
もっている似而非仏教信者があるために、せっかくの尊い釈迦の教えが死んでしまい現実を生かさない
という残念なことになっているのであります。

この釈尊の御教えを本当に生かし、同時にすべての善き宗教の教祖の御教えの神髄を生かすのが
生長の家であります。

本当の信心は、今自分が仏子であり、神の子であるということを知る、そうして、今自分がその仏なり
神の子なり生きることであります。

つづく


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