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聖典引用 板
2637
:
SAKURA
:2013/11/01(金) 19:36:52 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…… ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500
>>2501
>>2504
>>2507
>>2522
>>2523
>>2539
>>2554
>>2563
>>2566
>>2567
>>2571
>>2582
>>2589
>>2601
の投稿の続きです…。
【 女性の本質 】 谷口雅春著
――― 女というもの ―――
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その⑤ 【転載編…】
>>2589
投稿の続きです…。
「その理由は、その叔母さんが、あなたが好まない所の唯一人の人であるからです」
とマン女史は答えました。
何故叔母さんに深切にせんならんかと言うと“貴女が叔母さんを憎んでいるからだ。憎
んでいるから、深切にしなければならない“というのです。
「貴女は本当に叔母さんを好まないのではないのです。誰でも人を憎む時には自分自身に
憎むべきものがあって、その罪を相手に映して、相手を悪いと思うのです。あなたは自分
のよき住居をもち、それ相応の立派な家具や調度をもつ権利があると思っているのにそれ
が得られない――その自分に対して腹立たしいのです。その腹立たしさを叔母さんに罪を
かぶせようとするのです」
誰でも人を憎む時には、自分自身に憎むべき欠点があって、自分を憎んでいるのだが、
その罪を相手に移して肩替りさせる。彼女も叔母さんに罪をかぶせて叔母さんは吝嗇坊で
私に金をくれないという風に憎むようになっているんだということを指摘した訳です。自
分が憎んでいる者程愛しなければならないということは、これは非常に大切なことなのです。
愛している者を愛したって、何の値打もない。自分が生んだ子供を母親が愛する――当
り前のことです。別に徳が高いというものでない。むしろ、子供を愛しないのは気違い
か馬鹿かであって、愛する者を愛するのは当り前のことなんです。
愛というものは、センチメンタルな“ 好き ”というような感情ではないのです。愛とい
うのは、実じ實相の中から出てくるところの自他一體の自覚なのです。自他一體、即ち自分と
他、相手と自分とが、肉體は別れているけれども、本来一つであるという自覚なのです。
その本来一つであるところの自覚が出てこない間は、表面のセンチメンタルな心では
“あいつは虫が好かん”とか“叔母さんはけちん坊”だとか言って離れているけれども……
然しその奥底は、互いに一つの生命である神から生まれたのです。その内部から出てくるとこ
ろの、本来一つの自覚に基づいた意志の實践―何々せんと欲すという意志を實践する時
に、魂の進歩というものがあるのです。
我々の魂の底には、通俗の言葉で言えば、“良心”という良き心が宿っている。佛教的
な言葉で言うと、所謂 “実相”とか“佛性”とかいうものが宿っているのです。實相にお
いては、皆佛であって一體でる。ところが表面のセンチメンタルな心では“好き”だと
か“嫌い”だとか色々言って、反撥したりしているのです。
つづく
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