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聖典引用 板

1994goro:2013/01/31(木) 17:54:19 ID:nCo1DokU
>>1993の続き

 第一回目のとき、皇后さまが陛下に御同行なされなかったのには訳がある当時、国内の各港には、海外で働いていた同胞の引揚げ船が続々と到着しつつあったが、殊に南方から帰つてくる人々は、防寒服がなく、みな薄着のままで日本の冬に上陸せねばならず、老幼の困難は特に甚だしいものがあつた。皇后さまは、これを非常にご心配になり、何か暖かい衣をとお考えになるのだけれども、店は品切れだし、皇居の内も、宮殿は焼失、倉庫も大部分焼けて材料が乏しい。それでも捜せば、多少の綿や布類があるので、それをできるだけお集めになり、女官相手に、毛糸でスウエッター、また綿や布でチャンチャンコを、できる限り沢山おつくりになるのでお忙がしかったのである。

前例の全くない、皇居内での陛下と地方青年たちとの御対談を、宮内省詰めの新聞記者諸君が見のがす筈はない。ニュースは、すぐに全国に伝えられた。三日間の感激の奉仕をおえ、おのおの一把の皇居の草を抱きしめて郷里にかえる青年たちの汽車の旅は、上京のときとは全く反対で、
まことに朗ちかな希望に満ちたものであったに違いない。無断上京のお詫びを兼ね、知事さんに挨拶のため、仙台に途中下車、一同県庁を訪れたところ、折から開会中の県会は青年隊無事帰着の報に接し、にわかに議事を中止し、知事以下議員総出で一同を喜び迎え、大いにその意気と労とをねぎらったとのことである。

以上語りしるす事柄は、国民対皇室、皇室対国民の間に見られる、あらゆる事象のうちの、単なる一こまとして、風の如く来り、また風の如く空しく過ぎ去ったであろうか。疑いもなく、これは名もなき農村青年男女六十人の渺たる一団である。だが然し、名誉を思わず、利益を求めず、占領軍の弾圧あらばあれ、ただ一片の衷情やみがたく、やまとごころの一筋に立ち上った、この一群れの間にひらめく正気の光は、決して空しくは消え去らなかった。

正気は友を呼ぷ。この報、一たび全国に伝わるや、当時、断腸の思いに沈んでいた国民の心の琴線は、俄然、高鳴りを始めだしたのである。栗原郡からは、第二隊、第三隊、第四隊、第五隊と続々上京してくるし、次ぎには隣りの郡、また、その次ぎには隣りの県、終には北は北海遣、南は九州のはてに至るまで、全国からの奉仕の願い出は殺到するばかりで、今日すでにその奉仕の人員は、数十万に達するであろう。官辺より何らの指示勧奨もあるのではない。ただ国民至情の赴くところ、しかあらしめるのである。


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