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聖典引用 板

3166「訊」:2015/01/03(土) 22:23:09 ID:???


◆ 新天新地を迎へて

 私たちは皆さんと共に新しき年を祝福するのであります。
 皆さんがたとい過去の年に於いて如何なることを経験せられたにせよ、何を心に思い、何を身に行ったにせよ、それ等は既に過ぎ去ったのであります。されど若し、皆さんが同じ心を依然として持ち続けるならば、いづこかに新しき年はあらんやであるのであります。

 皆さんは新年と共に想念を新しくならしめなければならないのです。旧態依然たる争闘と摩擦と不平と慈哀と不健康と貧乏との想念を持ちつづけるならば、それは年は新たであるにしても、内容的には古き年の継続に過ぎないと云わなければならないのである。
 真理は皆さんに新しき人生と新しき幸福とを持ち来すべく待っているのである。それは単なる期待でも単なる希望でもないのである。如何なる人々も生長の家の真理に触れるとき、絶対に新しき生活を、絶対に幸福なる生活を、絶対に豊かなる生活を、絶対に健康なる生活を、営むことの出来る資格と権利と方法とを本来与えられていることを自覚せられるに相違ないのである。

 真理とは何ぞや。人間は「神の子」であると云うことである。仏教的に云えば「仏子」であると云うことである。神道的に云えば、人間は、すべてミコトであり、日子(ひこ)であり日女(ひめ)であり、尽十方に満つる光の子みなさんと云うことである。

 此処に諸君(みなさん)が、絶対に幸福なる生活に、絶対に豊かなる生活に入る門を開く鍵があるのである。「人間は神の子」と云い、「仏子」と云い「日子」と云い日女と云うと雖も、それは鍵であって、諸君がこの鍵をもって、新しき生活への門をひらくと開かざるとは諸君(みなさん)の自由であるのである。鍵は鍵孔に入れてこれを回転しなければならない。ここに静的真理が動的事実として展開し来り、新しき生活への門がひらかれるのである。

 昨日までの物質的又は肉体的状態が如何にあろうとも、五官に見える姿は唯かぎられたる視野から眺められたる姿であって、決して貴方の世界でもなければ、貴方自身の全相でもないのである。肉眼の視野の彼方に、顕微鏡下の世界があり、望遠鏡上の姿があると同じく、更に無限に美しき天国浄土の世界があるのである。それこそが、此の世界の實相であり、それは既にある世界であるに拘らず、心の波長を合わさないから出て来ないに過ぎないのである。心の波長を合わすとき突如として冒頭に掲げたる「われ新しき天と地とを見たり」と云う至福の世界が実現し来るのである。

「白鳩」誌(昭和28年新年号)より謹写――


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