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聖典引用 板

3058a hope:2014/10/01(水) 23:34:09 ID:cEpBaIdo

第五章 ロダンの鼻欠け像の倫理 

「普門成就」より p67〜

・・・「普門」というのはあまねくいっさいの門にわたって救うということであって、この門は救わぬ、
あの門は嫌いだというように毛嫌いしているのでは、普門の徳を備えているのではないのであります。
いっさいの門を普(あまね)く救うのがこの観世音菩薩の普門の徳である。
各宗門、各法門にわたってこの普門の観世音菩薩的働きをするのが「生長の家」であって、
別に何々教と一宗教に凝り固まらないのでありますが、それぞれの宗教の神髄が、
今までどうも合点のゆかなかったようなところがハッキリとなり、すべてにわたって生き生きとしてくるのであります。

キリスト教でも、各派によって聖書の解釈の仕方がそれぞれちがうのであります。そして、互に争うようなことになるとそれは普門の働きではない。
宗教というものは、和解によって生きてくるものであります。
普門の働きはいっさいを生かす、いっさいを生かすためにはいっさいの宗教が和解しなければならない。
和解すると申しますのはその教えのニセの説き方に迎合するのではない。
その教えの実相と和解し、実相を正しく観、その教えの神髄を拝み顕すことなのであります。
そしてどんな宗教でも、いやしくも立派なものである限りは、その神髄、その教えの実相に和解してしまえば、そこの「生長の家」と全然同じ真理が見いだせるのであります。


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