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2351SAKURA:2013/06/18(火) 22:59:27 ID:BEUD3XFA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2349>>2350 の投稿の続きです…。

■□▬▬▬▬ 【 お答えします!!   法貴雪子 著  】  ≪ 日本教文社発行 ≫

第二章 信仰
―――――― 人間は生まれ更われるか ―――――   その③
◆ 祖母の生れ更り〃〃〃〃〃

昭和二十年、一月二十三日、祖母は眠るように亡くなりました。九十三歳でした。
ちょうど、木が枯れるように静かな最後でした。
 昭和二十七年四月十七日、祖母が死んで七年目に、私は女の子を生みました。
その前(昭和二十四年)に男の子が生まれ、実家の母が、主人の父の名を一字いただい
て、慶一とつけました。
「今度の子供は、誰が、何とつけてくれるのかしら」
と病院でしきりに考えているのに、誰も名をつけてくれません。
そのうちお七夜になりました。
主人が病院へやって来て、
「おい、今度生まれた子供に、おばあさんの名前を貰って来た」 というので、
「誰がくれました?」 と聞くと、
「おやじだ、おやじが、お前のところの子には、僕の母の名をやろう、といってくれたんだ」 
といいました。
「あっ。それではこの子はお祖母様の生まれ更わりだ、何故なら、お祖母様が、私に
あんなことを言ったのは誰も知らない。知らないのに名前をくれたのは、この子が生
まれ更わりだからだ」
 その日は、月こそ違え、二十三日、祖母の命日の日でした。
 加寿では古いので、「和子」とつけました。和子は利口な子で、やがて東大を卒業し、
現在イギリスにいます。

 何よりうれしいのは、和子が、大変、私にやさしいのです。
若し、私が祖母にやさしくしなかったら、生まれ更わりの和子も、やっぱり私にや
さしくしなかったであろうと思うと、あのとき、深切にしてよかった、と思っています。

 二千円のお金は初七日の日に全部なくなりましたが、祖母の残してくれた羅漢様
は、今もなお私の家の仏壇にあり、その顔は心なしか、和子に似ているのも不思議です。

 人のいのちは、永遠生き通し、とききました。
 
 祖母、法貴加寿の不滅の生命は、娘、和子の中に生きているでしょうか。
 そういえば、生命は百年を一節として生まれ更わる、ともききました。

祖母の生命は九十三歳で一たんこの世を去り、七年後、即ち、百年目に、再び地上
にあらわれたのかも知れません。
                                    つづく


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