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聖典引用 板

2788トキ:2014/03/24(月) 19:55:06 ID:LLKAImFM
「法華経」の中に説いてある譬え話、財宝無限の長者というのは、われわれの父で
あるところの神である。そして貧窮の子とは人間である。神は無限の富をどうぞ人間
に譲りたいと願っていられるのである。しかし肉体こそ人間だと思っている限り人間
は貧窮の息子である。肉体というものは物質であり、物質は有限であるから、肉体を人
間自身だと思っている限りは無限の供給はわれらに決して与えられないのである。

 本来人間は神の子であるから、そうぞして無限の供給を与えたいというのが、親
たる神の念願である。否、すでに戸籍の上では無限無尽の供給をわれわれは与えら
れているのである。それを迷いによって与えられていないと空想している。そこで
現実世界はわれわれの念の投影でありますから、その無限無尽の供給が与えられて
はいないという空想が現実界に反映して、われわれになくてはならぬものもたりな
いというような顕われ方をしている。これはただそういう顕われ方をしているだけ
で、実際はたりないのではない、神は無限無尽の供給であるからわれわれに対する
供給が足りないことは決してない。ただそう顕われているだけである。

生命の実相第11巻 125から126pより謹写

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  画家の林 武先生は、義務教育の小学校のみが正規の学業で、日本美術学校
(これも正規の学校ではない)で学んだと云っても一年と続いていません。

 若くして樗牛賞を受賞、その後、「独立美術協会」を同志とともに設立、
当時より実力はかわれていましたが、長く不遇でした。しかし、奥様の献身的
な応援のおかげで成功し、文化勲章を受賞するなど、画壇の第一人者となら
れました。

 林先生は生長の家の信徒としても熱心な方でしたが、奥様にもめぐまれま
した。無限の供給を受けるのは、やはり家族の調和が大事かと思います。


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