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聖典引用 板

2898SAKURA:2014/06/05(木) 22:47:58 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  

*========*【 いっさいのものを拝め ―その3 転載編 ― 】*=======*=======*

「生長の家」は、ここに明らかに生命礼拝の宗教でありますが、
原始人の生命礼拝の宗教とはちがう。
原始人は物の奥にある実相などというものを知らない。

だから生命礼拝といっても浅薄な現象の生命の礼拝であったので、
現象そのもを不思議がって礼拝していたのであります。この現象の奥の実相を観て礼拝することを
教えたのはまず『法華経』であります。
生長の家と仏教とは根本において少しもちがっておりませんけれども、現在世人が
普通に考えられている仏教というものとはややちがうのであります。

というのは、釈迦の説き方がわるいのでない、釈迦の説き方を理解することができなかった後の
祖述者が教祖の正説を完全に伝えなかったというわけであります。
仏教では「色即是空」――物質は空であると、こういうぐあいにいうのであります。

「生長の家」でも物質は本来空であるというのでありますが「生長の家」では
もう一つ「空」を越えた存在に「実」というのを付けているのであります。
仏教でもむろん「実相」という言葉は使っておりますけれどもそいつが時々誤れまして、
実相はすなわち空なり」というぐあいに説いている人が多いのであります。

実相を空であるとすると、そうすると、その「空」とはどんなものであるかというと、
空であるから、空気みたいで、エーテルみたいで形がない。形がないから、
何もないようなものであるから金剛不壊である。

たとえば空気はいくら斬っても斬れやしない。もう一つ空気よりも、手にも触れない、
エーテルみたいなものになってしまうといよいよ斬ることができないものである、
それであるから金剛不壊である。実相はエーテルみたいなものであるから自由自在であると、
こう実相を空々漠々なものとある仏教家は考える。

                    つづく


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