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聖典引用 板

2909SAKURA:2014/06/08(日) 19:58:17 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行  

*========*【 いっさいのものを拝め ― その7【転載編】  ― 】*=======*=======*

■それからじゃ無限次元の複雑な美しさが捨象られている、ただそれが比較的歪みなしに映って
いるのは、健康な人間として顕われているのであります。

そうして誌友皆さんの家庭生活等でも、「生長の家」へ入信して以来、本当に極楽のような円満な
家庭が出てきたという事実がたくさんありますけれども、たといそれが極楽の“よ”う“な家庭で
ありましても、現象世界の極楽状態は本当の実相の極楽状態には及ばないのであります。

ともかく、われわれは現象を見て現象だけを見てそれを全部だと思ってはいけないのです。その現
象の奥にある実相を見、そこに十全なる神の相、実相の円満な相を観て、そうしてそれに対して敬礼
をするという気持にならなければならないのであります。

蓮如上人は「一枚の紙もすべて仏物である」と言われたそうでありますが、その心持こそ大切である。
「生長の家の経済学」には「物質は無限供給であるから使うほど殖える」ということが書いてあります。

「使うほど殖える」から、紙でも無暗に一字ぐらい書いて紙屑籠に捨てると、これは大変経済循環を
よくしていいことだろう、こう考える人があるかもしれない。しかし、それは嘘である。
本当に使えば使うほど殖えるけれども、それは破って捨てるのは使うのじゃないのです。

われわれは一枚の紙にも、その背後に神の生命を見、神の無限の光を見、神の無限の愛を見、
これを拝まずにはおれない。これを礼拝して使わずにはおれない。今までは「もったいない」ということ
は棚の上に上げて蔵って置くとこういうふうな考え方が多かった。
それで「もったいない、もったいない、食べたらもったいない。着たらもったいない」と、戸棚や箪笥に
入れて置くという、これじゃいけないのです。

神の生命は、使ったら減るというふうなものでない。実に立派なものであるから、この立派なものを、
その顕われている生命の働きを十二分に発揮させて使うほど殖えるということになるのであります。

無限供給であるから破って捨てるというのじゃなにのであって、用途に従ってそこに顕われている
神の生命を使うほど、神の生命がはっきり顕われてくる、それが無限供給である。
使えば使うほど殖えるということになるのであります。

「物質は無い」ということは、そこに何も無いということではない。みんな仏物である、
みんな神の生かす力の顕現(あらわれ)である。その奥には物質ならぬ実相があるということであります。
これを履き違えると大変なまちがいになるのであります。

                         つづく


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