したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

聖典引用 板

3342志恩:2017/12/14(木) 07:53:12 ID:6hRUvSRg
3339:『生長の家の全貌』 の、つづきー


こう云う主張をするときには、「だから生長の家は迷信だと言うんだよ。 人間が天から天降って来るものか」と。 
私は答える  ―  私は人間を「肉体」として話しているのではない。
 人間を「霊」として話しているものである。

 だから私は、この論文の最初の項に、現代の日本には、如何に多くの「人体」ばかりが横行していて「人間」がいないことであるか  
―  と言って揶揄したのであります。

「人体」が「人間」として生きて動き出すために神の「霊」が天降らなければならないのであります。

 霊なき「人体」は「人間」ではなく、それは人間の「無き殻」に過ぎないのであります。

 人間が、人間であるためには、「なきがら」に「霊」が天降らなければならない。

 かくてのみ霊なき「なきがら」が人間となり、ただの「人体」が生きた「人間」となり得るのであります。

 これを「天孫降臨」即ち「神の眞子」の天降りと言うのであります。

古代日本人の自覚は日本民族全体を「天孫」即ち「神の眞子」の降臨だと観じたのであり、
それを天孫降臨の神話として表現したのであります。

これは決して単なる迷信でもなければ、ただの作り物語でもない。

 実に日本民族が、人間の本性を「久遠の神」の表現と直観し得たところのものの表現であり、
それは仏典に於いて、例えば、釈迦が、その「神(たましい)」を
兜率天界より地上の摩耶夫人に降して右脇に孕んだと大無量寿経に書かれているのと同様であり、

キリスト教聖書に於いては、
イエスの霊が天の使にたずさえられて処女マリアに懐妊したと云うのと同巧異曲で、まことに雄大な人間尊厳の自覚でありまして、
これをただ科学的に人間の肉体の発生を物質的精子、卵子の結合と観ずる如き、高貴なる理想なく、

雄渾なる夢なきただの唯物論者の見地から迷信だと断定して抹殺し去ろうとするが如きは、
みずから人間存在の基底を侮辱するものであって、まことに気の毒な自己劣等感と言わなければならないのであります。


真の身種主義なるものは、「神霊降下」の人間の高貴の根本自覚から出発しなければならないのでありまして、
人間が瓦礫と等しく、ただの物質的分子の集合体であるならば、人間に基本人権と云うような高貴なものの存在の
余地がないのであります。

斯くの如く説くことによって、生長の家は、日本の神話的歴史を否定することなく、
しかもそれを民主主義に根拠を与えながら、人間尊厳の自覚に貢献しつつあるのであります。

===============================


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板