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聖典引用 板

1961goro:2013/01/20(日) 16:23:45 ID:nCo1DokU
>>1960

鹿児島湾上の聖なる夜景

今は故人となられたが、大審院(今の最高裁判所)判事の三宅正太郎くんが書かれた本に「嘘のゆくえというのがある。この本のうちに「宮城前」という、まことに面白い、日本人と独逸人との「ものの考え方」のちがいを書いた一文がある。これを、かいつまんでいうと、三宅君が昔、独逸に留学中に知りあった一人の老判事が、東洋旅行の途中、日本に立ち寄って三宅君を訪問したことがあった。一日、三宅君は彼を案内して、東京見物にでかけ、まず二重橋前に行ったところ、時は恰も日支事変勃発直後のことであり、多くの在郷軍人が動員令を受けて、自分の所属する連隊に馳せ参ずるに先だち、二重橋前に来て、陰ながら、陛下に、只今から、戦いに行って参ります、とお別れを申し上げている光景が、そこに展開されていた。

応召の目印のたすきを肩にかけた若者たちは、或は親兄弟と共に、ある群れは旗を立て、またある群れは賑やかな楽隊を伴い、いく群れとなく広場は織るが如くに雑踏している。三宅君たち二人は、この、またとない珍しい光景を眺めていると、そのとき、東京駅の方から、田舎の人らしい親子三人連れが、こちらに近づいてくるのが目に止まった。年老いた父親と応召の息子とその妹らしい三人だが、たった今、東京駅について、また、どこかに旅立っていくのであろう、手には旅の荷物を持っている。三人は遠慮がちに二重橋の奥の玉垣のところに近づく。どうするかと見ていると、彼らは、そこに荷物をおいて、いかにも敬虔な態度でお祈りをしている。

これを、先程から、じーっと見ていた独逸の老判事は、二重橋の上方にある伏見櫓(倉庫)を見上げながら、そっと声を呑んで、「皇帝陛下はいま、あのお城の窓から、こちらを見ておいでになるのか」と三宅君の耳にささやいた。察するところ、この人の考えでは、国民のこんな敬虔な態度は、皇帝陛下の見ておいでになる前でなければ、ありえないことだ、と思ったのであろう。この問を受けた瞬間、三宅君の脳裏にひらめいたのは、かの目をいからせ、腕を振って、群衆を前に、叱咤激励、獅子吼する彼の国の独裁者の姿であった。また、かくしなければ、国民の心を捉えることができない国柄と、我が日本の国柄との、いちじるしい違いを深く心に感じながら、三宅君は「否」とのみ答え、感極まって、しばしその場を立ち去りかねた、という物語である。

これを読んだとき、私は、ぜひ三宅君に見せて上げたい、と思うものがあったが、残念ながら、遂にその機会を得ずに終わった。それは他でもない、ただ一幅の絵である。私の眼底に鮮やかに残る、鹿児島湾上の聖なる夜景が、それである。


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