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聖典引用 板

2071アクエリアン:2013/03/03(日) 09:11:44 ID:BixDf6bQ
■生長の家誌昭和五十一年六月号
谷口雅春先生 法語

善き”未来運命”を創造するために


十日の法語

医師のコトバは患者の症状を左右 する

ある人が近頃、肉体に元気がなく、衰弱を感 ずるので医師の診察を請うと「これは肝硬変で あるから絶対治らない。入院しても入院しなく とも結局は死ぬ」という診断を受けた。この診 断を下された当人は、妻の下に帰ってくると、 顔色蒼白、気力喪失、診察を受けるまではそれ ほどでもなかった衰弱状態が倍加していたとい うのである。

この場合の現象を考察してみると、
(一)医 師の診断というのはコトバで成された。コトバ によってその後の衰弱現象は成ったのである。
(二)コトバが患者の”心”を動かして、不安 恐怖で満たしたのである。コトバは患者の”心 ”を動かしたのである。
(三)”心”が不安恐 怖で満たされた結果、彼の肉体の症状が悪化し て一層疲労憔悴を増したのである。即ち”心” は生理作用に影響を与えるのである。

以上、コトバを”心”を動かして次に起こる 現象発生の第一原因者として解釈したのである 。しかしこの医師の発したコトバというのは、 本人のコトバではなく、第三者たる医師が発し たコトバの影響である。わたしたちは第三者の 不幸や病気を暗示するコトバに左右されてはな らないのである。他より来る暗黒のコトバを防 衛する方法を知っておかなければならない。

十一日の法語

"心”はコトバと顕れて生理作用 を変化させる

では、第三者たる医師のコトバに左右されず 、自分自身のコトバによって、自分自身の肉体 の症状又は生理作用を健康の方向に支配するこ とができないものだろうか。この場合は「自分 の心」が先ず決意して「私は神の子である。病 気はないのだ」という明るいコトバを心の中で 発し、常に繰返し念ずるのである。即ち、「心 動き出でてコトバと成れば一切の現象展開して 万物なる」と示されている『甘露の法雨』の聖 句の順序に従って、”心”先ず動いてそれ以後 の現象が展開することに成っているのである。

十二日の法語

凡夫は三業に翻転せられて止ま る所を知らず

「南無阿弥陀仏」と称名念仏して、極楽浄土 に往生するという浄土教の諸宗の教義の場合を 考えてみるならば、称名念仏することは「コト バを発する」ことであり、「コトバの力」の応 用である。 ところで称名念仏しようと思うのは、先ず” 心”が思うのであるから「心動き出でてコトバ となる」ということである。コトバは「心のエ ネルギー」の上に乗ったアイディアの展開であ る。 ”心”は動き出でてコトバとなり、その「コ トバの力」によって万物は展開してあらわれる 。その万物を見て”心”が動く。かくて再びコ トバが生じ、コトバによって万物が生じ、その 万物を見て”心”が動く、永遠に循環展伝して 繰返して止まるところを知らないのである。こ れを意業・口業・身業ーー三業の流転といい、 業の流転のままに流され動かされていることを 「業力に転ぜらる」と言うのである。

十三日の法語

善業つねに循環す

「業が深い」などというと、過去の悪業の蓄 積が多いことに普通用いられているけれども、 業というものには善業もあり悪業もあるのであ る。善業の展開として生じたる幸福や健康や繁 栄を見て、心が幸福や健康や繁栄を心に描く。 心に描かれたこのが、また具象化するという法 則に従って、また幸福、健康、繁栄が現われ無 限に連鎖循環するに至ることが善業を積んでお けば起こるのだから、業力に翻転せられている ことは必ずしも悪くはないのである。それは善 業の永遠の流転となって、積善の報いとして善 き現象があらわれて来るので、その善き現象を 見て”心”がよろこび、”心”がよろこんで明 るくなるので、明るい積極的な愛他的な行為が 出来る。そして自然に和顔となり、感謝となり 、親切丁寧なコトバが出て来、善きアイディア が発想せられて来るのである。このようにして 、運の好い人はいつまでも好運にめぐまれ、そ の好運が常につき添って幸福な生活が自然に送 られて来るようになるのである。


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