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聖典引用 板

2746 a hope:2014/02/02(日) 17:21:47 ID:tLWd4hcY
生命の實相 第29巻
第九章 深切行について 
三、無一物の深切行p114〜

そういうふうに生長の家の深切行というものは実に広々としたもので何にもなくても行えるものであります。むろんこの一枚の紙がなければ、一枚の紙のほしい人には与えることはできませんけれども、何も施すことは一枚の紙に限らないので、何もなくてもわれわれは人々に深切を施すことができるのであります。

たとえば失意の人に希望の言葉を投げかける、あるいは会う人ごとに厚意と深切との微笑を投げかける、人が何かをしたら、朗らかに相手の長所をほめる。かういうふうなことは与えてもちっとも減らないのでありまして、どんな貧乏人でも自分の顔は持っているから、自分の顔を莞爾(かんじ・にっこり)と微笑させるぐらいはできますし、どんな貧乏人でも自分の口は持っていて唖でないかぎりは言葉を出すことはできるのでありますから、それでその言葉によって相手の長所をほめるくらいのことはできるのであります。

これが大きな功徳であり施しになるのであります。そんなら唖であったら褒めるわけにはいかないと言われるかもしれませんが、合掌くらいはできるのであります。合掌して相手を拝む、その「拝み」だけでも大きな施しになるのであります。手のない片輪者ならどうしたらよいかと言う人があるかもしれませんが、心で拝む、心で本当に拝めたら、手で拝むよりも、金銭を与えるよりも、まだまだ尊い深切であることがあるのであります。


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