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聖典引用 板

2714a hope:2013/12/22(日) 19:09:49 ID:/9IAdiFk

頭注版 生命の實相 第36巻 幸福生活篇 「第二章 ありのままの生活 四」より抜粋
 p47 2行目〜(日本教文社)

・・・人格の立派な人のなかには他(ひと)の世話になるということを非常にいやがって、自分でなるべく自分のことをしたいというような考えを持つ人がたくさんあります。「生長の家」の教えにも「自分ひとりで立て」という意味のことが書いてあります。

たとえば中風の人が杖に縋(すが)らなければ歩けないと信じて杖に縋っている。そのためにいつまでも中風がなおらない。そんなときに、すべて他に頼るような頼り心というものは悪いものであって、一人で立つようにしなければならない、生命は一人で立つのが本当であるから一人で立つようにしなければいけない、依頼心を起こすのはいけないと教えてあり、本当にその教えを信じて「ひとりで立つ」という心を素直に起こした人はその人の中風は治ってしまうのであります。

ところがそれも一つの※対機説法でありまして、依頼心ばかり起こしている人には依頼心を起こすのはいけないと説くのであります。みずから立つ力があることを忘れすべてに頼り、薬に頼り、あるいは他(ひと)の力に頼り、あるいは寄付合力に頼るような、そういうさもしい頼り心を持っている人には、そう説くことが相手を生かすことになるのであります。

しかしそれは対機説法であって、必ずしもあらゆる場合にあてはめてそれが真理だとは言えないのであります。宇宙は一体ですから本当は他給自足かつ自給他足であるのが本当なのです。頼り心を持つ人は他給自足とずるいことばかりを考えて自給他足を考えない。そこで「ひとりで立て」というのはそんな人に対する「喝(かつ)」なのであります。「ひとりで立て」といっても人間は決してひとりで生きることができないのです。

わしはだれにも頼らぬといっても、自分で稲を植えて、自分で収穫して、自分で蚕を飼って、自分で糸を紡いで、自分で織物をこしらえて、自分で染物をして、自分で縫ってと、そういうぐあいにひとりの力ではとうていそれはできないのです。そこで本当の真理はどうであるかといいますと自他一体が本当の真理であります。自給他足かつ他給自足ということになるのであります。このどちらが欠けてもいけないのです。
(つづく)


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