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聖典引用 板

1991goro:2013/01/30(水) 22:01:44 ID:nCo1DokU
>>1990の続き

 今しがた、外国兵の歩哨の前を通って、坂下門のところまで来たのであるけれども、別段怖れた様子もなく、それかといって別に昂然たるところもないが、語る言葉は一語また一語、進むにつれて真剣味を帯びてくる。

われわれの郷里の出身に、長谷川峻という人がいる。緒方国務大臣の秘書官をしていた人だから調べてもらえば判る。この人が先日郷里に帰ってきたとき、皇居の前の広場がたいへん荒廃してることを歎いて話してくれた。そこで、われわれは集って相談をした。それは、まことに相すまぬことだ。みんなで東京へ行って、草刈りや、お掃除のお手伝をして上げようではないか。草刈りは毎日野良でしているのだから、そんなことは何んでもない。だが待てよ、今どき天子様のために何か働いたら、マッカーサがわれわれを検挙するかも知れない。

それで万一検挙されるようなことがあったときの用意として、第二隊は郷里に待機させて、第一隊六十人だけ上京してきた。県庁の知事さんにも挨拶して上京すべきであったが、これも後で、何かの迷惑がかかっては悪いと思ってだまってこっそり郷里をはなれてきた。娘っ子のうちには、両親兄弟と永い別れの水盃をかわしてきたものもいる。と上京の動機や万一の覚悟について、縷々説明するのであった。きいているうちに、私たちは粛然襟を正ださざるを得なかった。厚く一同の厚意を謝するとともに、遠路はるばる上京されたのだから、二重橋前もさることながら、皇居の内は人手不足のため、宮殿の焼跡には、いまだに瓦やコンクリートの破片が到るところに山積している。どうか、皇居の内にきて、それを片付けては下さらぬか、と提案したところ、この予期しない言葉に、一同の喜びはたいへんなものであった。万一を覚悟した検挙どころか、全く予期もしない皇居内の作業をたのまれたものだから、一同の喜びはたいへんなもので、その活動ぷりたるや、連日、実にすさまじいものがあった。

宮殿の焼跡は上下二段の段地で、なかなか広く、上段が奥宮殿、下段が表宮殿の跡である。六十人の青年たちは、ここを作業場として三日問猛烈に働いてくれた。皇居の附近には泊るところもないので、宿舎は小金井附近であったと思うが、皇居から二〇キロもはなれているのに、当時、交通機関も充分に復旧しない混雑の中を、毎日そこから通ってきて、朝からタ刻まで、手弁当で働いてくれたのである。


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