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聖典引用 板

1795a hope:2012/12/11(火) 08:27:19 ID:ueIDSztA

新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう

♦愉快でいることを義務と思え(P94〜)

人間は愉快でいることを義務だと思うようにならなければなりません。
自分の顔は自分の勝手だから、どんなにふくれ面していても、ほって置いてくれたら好いと考える人があるかも知れませんが、それは大変な間違いであります。

自分ひとりが不愉快な顔をしているために、その周囲(まわり)の人たちがどんなに不愉快になるかも知れません。
不愉快な顔をしているだけで、その人は周囲の人たちに大変な害を与えているのです。

家庭で誰かが膨れ面(ふくれつら)をしていて面白くない気分に皆がなったために、その日仕事へいって怪我をしたなどと云うことはよくある例であります。
不調和は不調和を呼び、調和は調和を招くのであります。


明るい心のものは繁栄を引寄せます。
誰でも明るい世界を好むものです。
赤ん坊を寝かせて置いても明るい方へ顔を向けます。
誰でも愉快な楽しい顔を見ることを喜ぶものです。
吾々は本能的(うまれつき)に暗い顔や、ふさいだ顔を見るのを好みません。

日本人はとかく、あまりにも鹿爪(しかつめ)らしく、苦が虫がおおいようです。
そうして暗い不愉快なところには善い仕事は出来ません。

仕事が激しければ激しいほど、心に光をさしこますことが必要なのです。
心に光がさしこまないで激しい仕事に長く堪えることは出来ません。
野球の試合や、ラグビーの試合は、激しい仕事ですけれども、心が愉快で明るい気持でやっているから決して疲れないのであります。

愉快な楽しい顔をしている店員はお客様を沢山ひきよせます。
不愉快な顔をしている店員が店にいては、その品物は上等でも売行はよくありません。
だから普通店番には愉快な愛嬌(あいきょう)のよい娘などを置くのです。

これは別に娘を売物にすると云う訳ではないのです。
人間は他の人々に好感(よいかんじ)を与えるようでないと、他から協力(ちからをあわす)されるものではありません。
よい感じをあたえることそのことが、サービスであり、世のためになることなのです。
(つづく)


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