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聖典引用 板
2053
:
うのはな
:2013/02/25(月) 14:08:01 ID:pW0hF87w
あまり相手を心で見つめると反対効果がでる
ある商売人がこう言われたですよ。個人の専門店と百貨店とがあるでしょう。
百貨店の方がよく売れる。なぜかというと百貨店は自由に品物を手にもってみたり、あるいは
出させたりして買わないで、シューと向うへ行っても、店員がそう怨めしそうな顔はしない。
ところが、専門店へ行って、あれ出さして、これ出さして、気に入らないで帰るというと、怨めしそうな顔をして、
「買ってくれるはずだ」と思って出したのに買いやがらないと思って、怨んでいるようでそれで気持ちが悪いというですね。
店を出るときに気がひける。そこでこういう個人の専門店に入るよりも、百貨店に入る方が気が楽だというわけで百貨店に入る方が
気が楽だというわけで百貨店の品物はよく売れるんだという話をされたことがありますね。
ま、そういうように、もう始終お客さんが来たら、じっとその側に立って、いちいち品物を見るのをみつめたりしていると、心で縛られているようで、
窮屈でね、もうその店に買いに入るのが嫌になってしまう。
ところが、いくら見たって、知らん顔して、店員が知らん顔で自由にさしてくれると、そうすると非常にのんびりした気持で、その百貨店へ入ることができるんだというわけです。
それで、夫と妻との間も、やっぱりそういうところがあるんです。
あんまり窮屈に、あんまり愛しすぎて、愛するといっても掴む方の執着の愛でして、掴みすぎて、そして窮屈にするとそれから逃げ出したいというような状態が出てくるわけであります。
そして、まことに“愛”というものは、相手を心で掴むことから始まってそれを卒業して、そして放つことによって卒業するということになるわけであります。
愛は、相手との自分との自他一体の自覚である。だから愛は最初は惜しみなく奪おうとする。
最後には、惜しみなく愛は与うというわけであって、自由に放してしまった時に、しかも、その実相の完全な相を信じて放す時にこの完全な姿が現われてくるということになるのであります。
清聴を感謝いたします。
(昭和三十九年八月九日、第五回生命の教育研修会に於ける講話)
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