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聖典引用 板

1954さくら:2013/01/19(土) 07:14:46 ID:e8ieIrPA
(つづき)
しかし、なぜ二十年にしたのかは、どこにも記されていない。
すべて後世の人が理由づけしたのだ。

まず木造建築と萱の屋根の耐久年限である。
確かに素木の御殿は、二十年たてば部分的に傷みができ、清々しい美しさは失われ、尊厳な姿を保つには限度がある。
だが建物の朽損だけが理由でない、二十年は時代の大きな区切りである。

人生も二十、四十、六十の還暦と世代の区切りであり、現代でこそ平均寿命が八十歳にもなったが、ついこのあいだまで「人生わずか五十年」であった。
それが千三百年も昔のことだから、その平均寿命はずっと低かったはずである。
つまり技術や信仰を次世代に伝承するにも、精いっぱいの年限だったと思う。

また二十年に一度、正確には十九年七か月だそうだが、正月と立春が重なるという大陸渡来の暦学の知識からという説や、古代天皇の宮殿が御一代ごとに遷都されたこと、また米の力というか貯蓄しておける年限が二十年であるという新説もある。
しかしいずれにしてもそれはまことにふさわしい年限であった。
耐久面からみても二十年を過ぎると傷みは急速に早まり、遷宮後の古材を再利用するにもできなくなる。
わかりやすい例は、五十鈴川にかかる宇治橋の大鳥居は、内側が内宮の、外側は外宮の御正殿の棟持柱を再利用して、さらには参宮街道の鈴鹿峠のふもと、関の追分や、桑名の七里の渡しの鳥居となって合計六十年のつとめを果たし、さらにまた氏神のなにかに利用されたりして、ほとんどの古材は神宮と緑の深い神社に払い下げられて再利用される。
このように式年遷宮の制度はまことに理にかなっており、これを千三百年も守りつづけてきたことに頭が下がる。

松の木はいつも緑をたたえ、不易のシンボルとされるが、緑を維持するために松は密かに古い葉を落とし、私たちの身体も常に細胞を新陳代謝することで、みずみずしさを保っているのと同じシステムを取りいれたのである。」

『伊勢神宮の衣食住』矢野 憲一 著


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