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web誌友会 板

23復興G:2012/05/20(日) 07:44:28 ID:84pogn5s

>>19 :志恩様。
>5月23日(水)21時〜23時.カレンダーに書き込みました。とても、ありがたく存じております。<

いつも絶大なご愛念、ありがとうございます。
どうぞ、遠慮なくご発言もお願い申し上げます。

ところで志恩様、聖典板の<672>に金木犀様が、『秘められたる神示』より「君民同治の神示」を謹写してくださっています。この中に

「人間生命が神より生れたる神聖なるものであるといふ自覺が、その外延であるところの國をも神より生れたる國であるとの神聖性を要求するのである。この要求が神によってその國が造られたのであるとの神話を創造するのである。しかも人は自己が無にして絶對であり、一切の主であり、永遠者であり、久遠の主宰者である(民主)との自覺を、生命の外延の世界に於ても持つことを要請するのである。観られる世界は観る人の心の世界であるからである。身體も國も共に観る者(主體)からの反映せられる世界(客體)である。観る心の要請が身體に於ては脳髄の存在となり、國に於ては永遠の元首なる、無にして絶對であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから來る。即ち観る主體(民)が神聖であるから、観らるる天皇が神聖なのである。観る主體(民)の神聖性が包まれ蔽はれて混濁するとき、天皇の神聖性は蔽はれて發現しなくなるのは其のためである。今の状態がそれである。」

とあります。
これは、日本国において、天皇と国民は合わせ鏡のようなものである、ということですね。
それは、生長の家において総裁と信徒は……と置き換えても、同じではないかという気がするのですが、どう思われますか?

24志恩:2012/05/20(日) 08:23:00 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

日本国においては、天皇と国民は、合わせ鏡のようなものである、ということですから、
生長の家においては、総裁と信徒は、合わせ鏡のようなものであるということも、言葉を、置き換え、「せい」を使わず、真面目に答えれば、そうなるでしょうね。

それで、彼と私は、合わせ鏡という捉え方ですが、実際は、どのように彼の考え方や行動を、自分だと、捉えて行っていくかですが、現れているのは、大浄化だとおっしゃいますが、
生長の家の教えの価値を否定される行いを、ただ大浄化と捉えて、見ているだけでいいのかといえば、それは、自分自身も内省が必要なように、様々な 一見厳しく聞こえる
声も、佳しであり、自分に厳しくするのと同様に、峻厳なる愛であると思っております。


私は、本流対策板に書きましたが、このたび「次世代への決断」を、買いまして、読んでいるところですが、
宗教的な個人的救済の真理は、全く無いです。これを、教えの1つとされるなら、いいけれど、主流にしてしまうのは、どうかと思っています。

私は、本流の運動があればこそ、雅春先生がお説きになられた真理が、いかに本物であったか、いかにすばらしいものであったか、再認識させて頂くことができました。
また、総裁先生が
雅春先生と同質の悟りを開かれたお方でいらしたら、空気が当たり前に感じているように、生長の家の本来の教えも、当たり前に感じていて、
「生命の實相」を読み返そうと、わくわくする気持ちには、なれなかったし、真剣の拝読し直すことも、なかったかもしれないと思っています。
しかし、
われわれは、それでいいのですが、新しい未来を担ってくださる青年の皆様が、魅力を感じない今の教えになってることは、
これも、奇跡が起きて、いいようになると、ただ 信じていればいいのかな、と疑念を感じている所です。

25a hope:2012/05/20(日) 09:30:08 ID:kcv2QXTk

みなさま おはようございます。

ユタカさまの、復興Gさまへのお返事があってから、わたしはお返事しようかと待っていましたが、
まだないようなので、先にお返事させていただきます。

>>③ a hope 様には、「web誌友会に関してはわたしもできるかぎり協力させていただきます」と言って頂きました。ありがとうございます。ぜひご協力をお願いします。
まずは、web誌友会のテーマとしてふさわしいと思われるような問題、率直な疑問の提出など、していただけませんでしょうか。そして、誌友会中は司会を補佐する気持ちでご発言をいただけたら、ありがたいです。ご意見、アイディアがありましたら、出して下さい。「司会補佐」ということで、いかがでしょうか。よろしくお願いいたします。<<

復興Gさま、了解いたしました。
自分自身の魂の向上のために、ありがたく、「司会補佐」のお仕事、引き受けさせていただきます。


そして、復興Gさまがおっしゃられている
「web誌友会のテーマとしてふさわしいと思われるような問題」について考えてみました。

わたしは「本来の生長の家の教え」とは、人々の魂をどんどん救える最高の教えであると確信しています。
それが、現在の「生長の家」においては、さまざまな転倒妄想のため、
本来の生長の家の「教えの実相」が眩まされているようで、残念でなりません。

これについては、志恩さま、ユタカさまからは個別にお返事をいただいていますし、
復興Gさまは、「合わせ鏡の真理」に関する資料を聖典引用板>>613〜>>616に謹写くださりました。

ですが、教えに対する転倒妄想は、「合わせ鏡の真理」だけではないような気がしています。
志恩さまが、「次世代の決断」を読まれたと、>>24でおっしゃっていますが、
わたしも購入して拝読しました(全部ではありませんが・・・)。

そこには、たくさんの現象問題が取り上げられ、総裁先生の考えが述べられています。
そして、その中に「物質はない」とか、「実相世界」とかという「生長の家の教え」もまぜこぜにされているのです。
わたしは、全然理解できませんでした。
このままだと、雅宣先生によって「本当の生長の家」の教えが完全に眩まされてしまう...という気がするのです。

わたし自身、「真の生長の家」の教えをしっかり理解しているわけではありません。
まだまだ、勉強不足です。
でも、直感でそう感じるのです。
そして、そのことをとても残念に思っています。

そこで、
「web誌友会のテーマとしてふさわしいと思われるような問題」についてですが、

わたしたちは、本来の「教えの実相」を顕現させるためには、
具体的にはわたしたちは、どうしていったらいいのでしょうか?

これを、提出させていだだきます。

復興Gさま、よろしくおねがいいたします。

26a hope:2012/05/20(日) 09:40:26 ID:kcv2QXTk
>>25

下から6行目の 提出した「問題」と言うか、「質問」の文章が少しおかしいので、
訂正させていただきます。

訂正後

「web誌友会のテーマとしてふさわしいと思われるような問題、率直な疑問」についてですが、

『わたしたち生長の家の教えを愛するものたちが、本来の「教えの実相」を顕現させるために、
具体的には、どうしていったらいいのでしょうか?』

これを、提出させていだだきます。

復興Gさま、よろしくおねがいいたします。

27復興G:2012/05/20(日) 10:58:38 ID:84pogn5s


合掌 ありがとうございます。
ユタカ様からお返事がないのは、>>3
>ユタカは当日まで一参加者です。よろしくお願いします。<

と書いた通り――ということでしょうか。「司会は交替制で」ということに皆さんが賛成され、偏りなくいろいろな人が運営に当たった方がよい、ということなので、「訊け」様が降板(一参加者として参加)なら自分も――というお気持ちかと拝察いたします。

それでは、いつまでもユタカ様のお返事を待っていては23日の準備にかかれませんので、「ユタカ様にリーダーないし誌友会サポーターを」ということは断念しましょう。ユタカ様にはぜひ「一参加者」としてのご参加をお願いし、先に進むことにいたします。

28復興G:2012/05/20(日) 11:43:11 ID:84pogn5s


>>25・26 :a hope様。

「司会補佐」ご快諾、そしてweb誌友会のテーマについてご提案、ありがとうございました!

『わたしたち生長の家の教えを愛するものたちが、本来の「教えの実相」を顕現させるために、具体的には、どうしていったらいいのでしょうか?』

ということですね。
今、現実に『生命の實相』の著作権問題をめぐって裁判になっており、これは「教えの実相」(といいますか「教えの中心・神髄」)がくらまされている結果であると思わざるを得ない。もちろん谷口雅春先生の時代にも、分派を立てるような弟子がいないわけではなかったが、今日のような「裁判沙汰」ということはなかったし、「こちらこそ生長の家本流である」と名乗るようなものはなかった。

それを考えると、a hope様の提起された、この問題は、
「web誌友会のテーマとしてふさわしいと思われるような問題、率直な疑問」として、逃げることの出来ない課題であると思われます。

ただ、生長の家の真理の根本神髄は、『生命の實相』第1巻の冒頭にありますように、

「生命の実相の自性円満(そのままでえんまんなこと)を自覚すれば大生命の癒力(なおすちから)が働いてメタフィジカル・ヒーリング(神癒)となります。」

ということであり、「自性円満(そのままでえんまん)」な実相から出発することが基本なのですね。
そこから出発しないで現象をありと認めることから出発しているから、
「人類は将に波にさらはれて覆没しやうとしてゐる小舟の如き」(『生長の家』創刊号巻頭のお言葉)
観を呈し、危機に瀕しているわけです。

「教えの実相を顕現させるために」というと、「今は教えの実相がくらまされている」と認める、現象からの出発で議論することになりそうですね。

われわれは、あくまでも「完全円満な実相」の、いのちの本源から――神から出発しなければ、問題を解決することはできないと思います。

そういう意味で、このテーマの文言は、もう少し検討の余地があるような気がしますが、いかがでしょうか。

29復興G:2012/05/20(日) 11:56:25 ID:84pogn5s

>>24 :志恩様。

ご丁寧なレス、ありがとうございました。

>……しかし、われわれは、それでいいのですが、新しい未来を担ってくださる青年の皆様が、魅力を感じない今の教えになってることは、これも、奇跡が起きて、いいようになると、ただ 信じていればいいのかな、と疑念を感じている所です。<

そうですね。これこそが、私たちに課せられた大きな課題だと思います。

WEB誌友会で、それを話し合いたいですね。

30a hope:2012/05/20(日) 15:37:56 ID:kcv2QXTk

復興Gさま

とても、難しいですね。

復興Gさまは、

>>ただ、生長の家の真理の根本神髄は、『生命の實相』第1巻の冒頭にありますように、

「生命の実相の自性円満(そのままでえんまんなこと)を自覚すれば大生命の癒力(なおすちから)が働いてメタフィジカル・ヒーリング(神癒)となります。」

ということであり、「自性円満(そのままでえんまん)」な実相から出発することが基本なのですね。
そこから出発しないで現象をありと認めることから出発しているから、
「人類は将に波にさらはれて覆没しやうとしてゐる小舟の如き」(『生長の家』創刊号巻頭のお言葉)
観を呈し、危機に瀕しているわけです。<<


と、おっしゃいますが、だって「現象なし」の教えの生長の家の総裁先生が、現象を認め、
本来の教えを曲解して現象問題を解説されているようにしかわたしには思えないのです。

たとえば、それが、分派を立てるような弟子がするのだったら、こんなに騒ぎは大きくならなかったのではないのでしょうか?
それが、ほとんどの信徒が(間違ってですが)中心帰一している、総裁先生だから問題解決が難しいのではないのでしょうか?

今、「生長の家教団」において、昔のような奇蹟が起きなくなってきてしまっているのは、まさに、現総裁が現象の悪や罪を認め、
人間を神の子として認めていないからだとわたしは感じてしまいます。

復興Gさま、 これがわたしの率直な感想です。

総裁先生自身が、

>>生長の家の真理の根本神髄は、『生命の實相』第1巻の冒頭にありますように、
「生命の実相の自性円満(そのままでえんまんなこと)を自覚すれば大生命の癒力(なおすちから)が働いてメタフィジカル・ヒーリング(神癒)となります。」<<

この、「生長の家の真理の根本真髄」を理解されていないのではないですか?


すみません、テーマの文言を変えることを投げ出したわけではありませんが、
今、わたしが率直に感じることを、述べさせていただきました。

よろしくお願い致します。

31復興G:2012/05/20(日) 16:23:25 ID:84pogn5s

>>30 :a hope様。

うーん、そうですね。
とても、難しいですね。

WEB誌友会の前夜祭が始まっていると考えられます。

「君民同治の神示」を謹写して下さいました金木犀様。
もしこちらをご覧になりましたら、ご意見ご感想をいただけませんでしょうか。

32如月:2012/05/20(日) 21:10:44 ID:ki/haAjk
復興Gさま

WEB誌友会の日程を決めていただきましてありがとうございます。
今、さっき帰って参りましたので、最初の方しか目を通せていない状態です。

復興Gさまにお声をかけていただいてユタカさまが来られないのは
パソコンの不調か、家に送られてくるFAXなどの事情があるのかなと推察しております。

そんな中でも、誌友会に向けて動いていただいてありがとうございます。

a hopeさまもサポートを快諾して下さいましてありがとうございます。

当日の私の帰宅時間は、恐らく今日と同じくらいと予想していますので
リアルタイムでの参加は難しいかもしれませんが、もし、少しでも
時間が合えば、一緒にお勉強させていただきたいと思います。

これからまた、ここまでの流れをじっくり読ませていただきます。

合掌 拝

33トキ:2012/05/20(日) 21:45:22 ID:DdhZokwY
 遅れました。トキです。復興G様、ご多忙の中、誌友会の件、ご快諾下さり、ありがとうございます。
心から感謝申し上げます。個人的には、復興G様のご意見を支持します。

34復興G:2012/05/20(日) 21:59:16 ID:84pogn5s

>>32 :如月様。

ご投稿、ありがとうございます。

>復興Gさまにお声をかけていただいてユタカさまが来られないのは、パソコンの不調か、家に送られてくるFAXなどの事情があるのかなと推察しております。<

そうなのでしょうね。音沙汰なしということは。
ユタカ様を頼りにせず、内なる無限力を発揮せよという神の御心でもあるのでしょうか。

そのような中で、如月様にレスをいただいて、嬉しい限りです。どうぞよろしくお願いいたします。

感謝 合掌 拝

35復興G:2012/05/20(日) 22:06:44 ID:84pogn5s

>>33 :トキ様。

ありがとうございます。
トキ様が支持を表明して下さいましたので、安心して進められます。よろしくお願い申し上げます。ありがとうございます。
感謝 合掌 拝

36金木犀:2012/05/20(日) 23:05:24 ID:L0Ei6.zw
復興G様

お声をかけて頂きありがとうございます。
私が君民同治の神示を謹写いたしましたのは、天皇というものが
日本国民にとって、どういうものかをはっきりとこの神示で、
皆様に自覚して欲しかったということと、憲法が占領憲法のままでは
日本の実相が蔽われていることの最も象徴的なことであるということを
考えて欲しかったからです。

この神示は、国と言うものが日本国民の外延であり、
天皇の神聖性が日本国民自身の神聖性の自覺から
来ているものであることを示して下さっており、
さらには、観られるものは、つまり環境は
観るものの心の反映であることを教えて下さっております。

いわゆる心の影ということではありますが、
環境とはわが心の世界、外延であるということであれば、
生長の家教団における総裁先生の行状は、信徒の心の反映であります。
法灯を正しく継承しない総裁は、信徒自身が法灯を正しく継承しない
ことから来ているのだろうかとも思います。
また、愛国書を絶版にされていることは、
信徒が愛国的な真理を理解しないか、そういう愛国の思いが
希薄になってきたことの心の反映なのではないかと思います。
このことは、雅春先生の強い愛国の情からすれば、
まさにその法灯が継承されていないのではないかと考えます。

生長の家とは堂塔伽藍でもなく、建物や組織でもなく、
生命の實相を語る神の言葉のあるところが生長の家だとすれば、
実相世界の生長の家が現われたものが、教団であるのか、
それとも本流であるのかは、両者の意識次第ではないかとも思います。

真理の法灯を継承するという意識の強いものが、法灯を継承することになる
のではと考えます。組織の大きい小さいとか、教団という名前には関係ないのでは
ないかという気もします。心の反映が環境でありますから、一滴もこぼさずに継承するという
意識のないところには、法灯の継承が形の上でも現れず、
それが生命の實相の敗訴にもなったのではないでしょうか。

和解が本当になされるかどうかは、和解の内容次第で、
和解とは相手の実相に和解することと書かれていますから、
単なる妥協は和解ではないと考えれば、
教義が雅春先生の教えそのものにならない限りは、
本流は妥協することはないのではと思います。

靖国見真会の動画を見ましたが、中島省治先生が、生長の家誌の一千号
なのに、それを記念する行事も祝辞もないと仰っておられたように、
生長の家の歴史を受け継ぐ感覚も、喜びもないところには、歴史が受け継がれることもないの
ではという感じがしています。

総裁先生の實相を礼拝することは、もちろん大切で、総裁先生がどういう使命をもって、
今の姿を現しておられるかということを受け取り、懺悔と感謝をしつつ、
真に法灯を継承するとはどうすればいいかを、考えて実行することではないかと思います。

37a hope:2012/05/21(月) 08:35:08 ID:kcv2QXTk

みなさま おはようございます。

今朝の金冠月食はご覧になりましたか?
わたしの住むところでは、残念ながら雲に隠れてみえませんでした。
しかし、TVの映像でSMAPのメンバーとともに楽しむことができましたよ!


如月さま

温かいお言葉、ありがとうございます。
わたしは、「生長の家の教え」が大好きなので、自分にできることがあるのなら、
なんでも喜んでさせていただきたいと思っているのですよ。
本当に、一生かけて学んでいきたいと思っているのです。
如月さまも今回は、無理のない形でいいので是非、web誌友会に参加してくださいね。
如月さまが応援してくださっていると思うと、とても心強いです。
よろしくお願い致します。


金木犀さま

素晴らしいご意見をありがとうございます。
毎回、金木犀さまの投稿を拝見して思うのですが、本当にその通り!の
なのだと感じています。

大切なのは、わたしたち「生長の家」を愛する一人ひとりが、そのことを自覚することなのではないかと感じました。

そこに、素晴らしい正論があっても、わたしたち一人ひとりがそのことを自覚して、
正しい行動をしていかなかったら、物事は良い方向に進展していかないのではないかと思います。

金木犀さまの最後のお言葉

>>真に法灯を継承するとはどうすればいいかを、考えて実行することではないかと思います。<<

これが、心に響きました。

復興Gさま、わたしは、この金木犀さまのお言葉が今回のweb誌友会のテーマにふさわしいように感じました。

つまり、

『わたしたち一人ひとりが、真に法灯を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』

です。

そのことを、是非、みなさんと一緒に考えていきたいとわたしは今思っています。

復興Gさま、いかがでしょうか?

38志恩:2012/05/21(月) 09:08:56 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

金木犀様のご投稿文には、私も、いつも頷くばかりです。
どのようなテーマにされるか、復興G様、ahope様に、決めて頂きましたら
私も、学ばせていただきます。

39復興G:2012/05/21(月) 09:23:59 ID:84pogn5s

>>36 :金木犀様。

真摯な長文のお答えをいただき、深謝いたします。
ありがとうございます。

>……中島省治先生が、生長の家誌の一千号なのに、それを記念する行事も祝辞もないと仰っておられたように、生長の家の歴史を受け継ぐ感覚も、喜びもないところには、歴史が受け継がれることもないのではという感じがしています。<

――うーん、それは気がつきませんでした。機関誌『生長の家』の5月号がちょうど通巻1000号になっているのですね。でも、それは表紙の上の方の、虫眼鏡でも持ってこなければ読めないような小さな活字(約1.5ミリ角)で記されているだけで、編集後記でもそのことには何も触れていませんからね。

しかし5月号本文の内容には、立教83年春季記念日での総裁のお言葉(『生長の家』創刊号で説かれた四無量心)などが収録されていますから、「生長の家の歴史を受け継ぐ感覚も、喜びもない」と断定することはどうかな――とも思われますが……。

>総裁先生の實相を礼拝することは、もちろん大切で、総裁先生がどういう使命をもって、今の姿を現しておられるかということを受け取り、懺悔と感謝をしつつ、真に法灯を継承するとはどうすればいいかを、考えて実行することではないかと思います。<

a hope様は、>>30

>今、「生長の家教団」において、昔のような奇蹟が起きなくなってきてしまっているのは、まさに、現総裁が現象の悪や罪を認め、人間を神の子として認めていないからだとわたしは感じてしまいます。<

と、率直な感想を述べてくださいました。
そこで、a hope様が提起された課題――

『わたしたち生長の家の教えを愛するものたちが、本来の「教えの実相」を顕現させるために、具体的には、どうしていったらいいのでしょうか?』

この 「具 体 的 に は」 というところが、重大な課題となるのでしょうね。

>環境とはわが心の世界、外延であるということであれば、生長の家教団における総裁先生の行状は、信徒の心の反映であります。法灯を正しく継承しない総裁は、信徒自身が法灯を正しく継承しないことから来ているのだろうかとも思います。<

とすると、信徒一人一人が正しく法燈を継承すること――それは、基本としては、前回のWEB誌友会のとき出てきた言葉――

>われわれが「生命」を礼拝すると申しますれば自分自身を敬い拝むことになるのであります。
――自分が生きているのではない。神が今ここに生きていらっしゃるんだ。だから、自分を拝むことが、神を拝むことなんだ。<
>谷口雅春先生は「皆さんが神の子=神ですよ」と、『生命の實相』の本を通して、今も私たちを拝んで下さっているのです。
「ありがとうございます」と、その御言葉を素直に受け、私たちもまた、常不軽菩薩となって、自分を拝み、すべての人を拝ませて頂く。それが、「信徒一人一人が法燈を継承する」ことではないかと、今、思っています。<

と書いておりました、これが基本ではないかと私は考えておりますが……

40復興G:2012/05/21(月) 09:35:37 ID:84pogn5s

>>37 :a hope様。

すばらしいご意見をありがとうございます。

『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』

これを今回のweb誌友会のテーマとして、みなさんと一緒に考えていきたい、ということですね。

それで行きましょう! ありがとうございます!

41復興G:2012/05/21(月) 09:45:46 ID:84pogn5s

>>38 :志恩様。

合掌 ご賛同、ご協力のレス、ありがとうございます。
よろしくお願い申し上げます。

42復興G:2012/05/21(月) 09:57:26 ID:84pogn5s

a hope様。

a hope様は、昨年、本流掲示板の方に、次のような投稿文を寄せられていました。

>私は、わが子が学校でいじめをしていると知った時、「あなたは間違っている!」と泣きながら言い聞かせ「そんなことが楽しくて学校に行っているんだったら、学校なんて行かなくていい、やめてしまえ!」と本気で怒り、いじめられていた子の家に連れていき謝らせました。
それは、いじめをしたわが子が憎かったからではなく、わが子の本当の姿(実相)は、そんな醜いものではないと信じたからこそとった行動でした。
この掲示板の先輩方は、雅宣先生に対して、きっとそのような思いから間違いを正そうとされているのだと、私は信じていますが、先輩方の口から、「もちろん、そうだよ」というお返事を聞けたら、安心します。
どうぞ、よろしくお願いいたします。<

このすばらしい愛のお心に、私は今あらためて感動の思いを新たにしています。
ありがとうございます。
感謝 合掌 拝

43復興G:2012/05/21(月) 12:32:31 ID:84pogn5s

金木犀様
皆々様

合掌 ありがとうございます。
金木犀様が、「聖典板」に、「君民同治の神示」の谷口雅春先生ご講義文を謹写してくださっています。
深く考えさせられるところです。
続きをたのしみにお待ちしています。
ありがとうございます。
感謝 合掌 拝

44金木犀:2012/05/21(月) 12:59:47 ID:L0Ei6.zw
復興G様

>> >われわれが「生命」を礼拝すると申しますれば自分自身を敬い拝むことになるのであります。
――自分が生きているのではない。神が今ここに生きていらっしゃるんだ。だから、自分を拝むことが、神を拝むことなんだ。<
>谷口雅春先生は「皆さんが神の子=神ですよ」と、『生命の實相』の本を通して、今も私たちを拝んで下さっているのです。
「ありがとうございます」と、その御言葉を素直に受け、私たちもまた、常不軽菩薩となって、自分を拝み、すべての人を拝ませて頂く。それが、「信徒一人一人が法燈を継承する」ことではないかと、今、思っています。<

と書いておりました、これが基本ではないかと私は考えておりますが……  >>


おっしゃる通りだと思います。
谷口雅春先生は、「皆さん一人一人が谷口雅春です」とも仰って頂きました。
また「皆さんは住吉大神の全身全霊である」とも仰って頂きました。
まさに「皆さんが神の子=神ですよ」のお言葉を素直に受け入れることだと思います。

a hope様

金環食、うちは丁度二階の東の窓からいい具合に見えたので、しっかりと
見ることが出来ました。金環食観察用のフィルターのようなものを昨日買いに行ったら
既に売り切れていたので、下敷きなどいろいろの物を利用して、見ました。
月が地球から遠い位置にいるのか、ダイヤモンドリングの状態にはならなかったですが、
それでも、こんなにしっかりと直に金環食をみたのは初めてです。
テレビはさすがに、うまく写していましたね。
これは、日本にとっての吉兆となるに違いないと思っております。

a hope様に私の拙い意見を参考にして頂き、大変ありがたく思います。
私自身も模索中であり、誌友会にそのようなテーマを掲げていただければ
皆様と共により考えを深めることが出来ると思います。
a hope様の誠意あるご発言に、前回のお二人とはまた違う素晴らしさで、
誌友会を楽しみにしております。

45SAKURA:2012/05/21(月) 14:25:34 ID:mhurj3iA
復興G様 へ
トキ様 へ
観覧者様へ
               
こんにちは…

今回!「5月23日WEB誌友会」開催 おめでとうございます…。
さて、皆様の“投稿文”はじめて拝読させて頂きました…。
正直“ビックリ”なる気分です…。

投稿文…一部抜粋にて

>>25
■>『わたしたち生長の家の教えを愛するものたちが、本来の「教えの実相」を
顕現させるために、具体的には、どうしていったらいいのでしょうか?』 <

>>28
■>「教えの実相を顕現させるために」というと、「今は教えの実相がくらまされている」
と認める、現象からの出発で議論することになりそうですね。
われわれは、あくまでも「完全円満な実相」の、いのちの本源から――神から出発
しなければ、問題を解決することはできないと思います。
そういう意味で、このテーマの文言は、もう少し検討の余地があるような気が
しますが、いかがでしょうか。<
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ☆

私の疑問点?【教えの実相】???【今は教えの実相がくらまされている?】
■はて!!!!!!!!!!!どの様に理解していくべきなのでしょうか??
下手しますと此の解釈論???【教え=実相】

■>しかし、われわれは、それでいいのですが、新しい未来を担ってくださる青年の
皆様が、魅力を感じない今の教えになってることは、これも、奇跡が起きて、いいようになると、ただ 信じていればいいのかな、と疑念を感じている所です。<

奇蹟が起きる?奇蹟を起こす?これが「此のWEB誌友会?」 この根本が皆様の考え方
なのでしょうか?【奇跡】とは何なのでしょうか??

これは?【WEB誌友会】とは、全く関係ない事云われましても困りますが??

PS:時間がありませんので、又!後程の投稿をさせて頂きます…。 <つづく>

46志恩:2012/05/21(月) 14:58:07 ID:.QY5jUA6
私も金環食見ました。
観察用のフィルター、買っておきましたので、しっかり、見る事ができました。
皆さんとご一緒に同じ時間に、同じ光景を、見ていたのだと思いますと、感動です。

47志恩:2012/05/21(月) 15:24:55 ID:.QY5jUA6
×金環食(金環日食の略)
○金環日食

48SAKURA:2012/05/21(月) 15:38:00 ID:BczH0TWI
>>46

あら〜〜〜〜〜!!今此の「ボ−ド…」
大切なのは「5月23日…WEB誌友会」に関してです〜〜〜〜〜もの?
あと“開催日…近し?”なのに?関係ありますの〜〜〜??
人それぞれの捉え方?なのでしょうけれども?【話題性…?】!!!
『金環食…???』該当するの〜〜〜〜〜??      

■『女子会ボ−ド』で…は私何も“日食を推薦”した覚えはないのですが〜〜♫〜〜
『毎日神想観で…“宇宙”に行っていますので……
これって!!『日食…』を見ているような“心境”でしょうかしら〜〜ン!

■『ここのボ−ドの主旨…』一部抜粋
*web誌友会についての話題は、このスレッドでお願いします。
上記に関連する話題なら、狭く解釈しないで、広く受け付けます
このスレッドは、生長の家信徒の人達のweb誌友会のために作成したスレッドです。
…云々…                      再合掌

PS:「金環食…」珍し〜〜い事!でしょうけれども??
此の情報を頂きました事には、感謝申し上げます…。

49a hope:2012/05/21(月) 17:03:30 ID:kcv2QXTk
みなさま こんにちは

すみません、みなさま、朝、仕事前であわてていて、金環日食のことを、金冠月食とひどい間違えをしまして、
申し訳ありませんでした。
あいさつ代わりに、言ったつもりなのですが、お恥ずかしいです(汗)。
また、SAKURAさま、ご指摘の通りここは、web誌友板でした。

以後、気をつけますね!


復興Gさま

わたしのテーマ、

『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』

を取り上げていただき、ありがとうございます。
また、以前のわたしの本流での発言を、探してくださりありがとうございます。
なんだか、あの投稿をした時が、懐かしいくらいに昔のような感じがします。

みなさまのおかげで、この1年間で、本当にたくさんのことを学んできました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。


志恩さま、金木犀さま、

テーマを一緒に学んでくださるのですね。
ありがとうございます。
本当に、心強いです。
大調和の「生長の家」になるように、わたしも一生懸命お勉強させていただきます。
どうぞ、よろしくお願い致します。

SAKURAさま

SAKURAさまは、投稿文を読んで、ビックリされたようですが、「生長の家」に関することでしたら、
web誌友会に全く無関係ということは、ほとんどないとわたしは思います。

このような、素晴らしい機会ですから、SAKURAさまのご意見もたくさん聞かせていただきたいです。
それから、テーマは、

『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』

に変わりましたので、わたしの発言 「教えの実相」は取り消させていただきます。
わたしは、生長の家の新入生ですから、間違った発言もたくさんすると思いますが、
また、色々ご指摘、御指導いただけるとありがたいです。

50さくら:2012/05/21(月) 20:41:06 ID:tPVxKQcE
司会者、復興Gさま
スタッフの皆さま
参加者の皆さま
合掌、ありがとうございます。
誌友会開設おめでとう御座います。

運営のやりとりもみなさまの信仰姿勢を学び、色々考える機会を頂き感謝しております。
運営にはあまり口出しが多く混乱しても・・と今まで遠慮しておりましたが、
今は、素晴らしいテーマが決まったようで、一般参加者も、このことについてこちらへ書き込んでもよいでしょうか。

『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』

このことについて、わたしの中では、生長の家が雅春先生を通して頂いた「生命の實相」を、自分の生活の本分に従って生かすことにつきる、そのようにかんじます。
警官なら警官として、医者なら医者として、主婦は主婦として、政治家は政治家として、宗教家は宗教家として、芸術家は芸術家として・・その本分は違います。
その本分によって、それだけ愛を出せるかというのは、仕事の大小に関係なく周りに素晴らしい影響を与えると思います。

例えば、宗教家の本分は、魂を救済する教えを説き、信仰による魂の深化を教えてくださる事があると思いますが、今の教団への違和感は、そのことからはずれてしまっていることがある、ともかんじています。
この、本分から離れてしまうと、いくら良いことをしていても、他の人には理解しにくく、迷惑がかかることもあるように思われます。

また、よろしくお願いいたします。



51SAKURA:2012/05/21(月) 21:10:44 ID:V.pKl3yA
>>49
a hope 様 へ

こんばんは…
お久しぶりです…。文章を一部抜粋させて頂きます…。

■> すみません、みなさま、朝、仕事前であわてていて、金環日食のことを、
金冠月食とひどい間違えをしまして、申し訳ありませんでした。
あいさつ代わりに、言ったつもりなのですが、お恥ずかしいです(汗)。
また、SAKURAさま、ご指摘の通りここは、web誌友板でした。<
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

誤解を受けられました様で…御断りしておきます…。
私が申しあげたい事は、実は……

■【女子会 板】
>>1353
>名前:志恩 投稿日: 2012/05/19(土) 12:08:15 ID:.QY5jUA6
前にSAKURA様っも言われてましたが、
5月21日、7時半、皆既日食、ダイヤモンドリングが見られるそうですね。<
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私自身随分考えこんでしまいましたが…?私自身は?正直言った覚えはないのですが??
そういう思い出“投稿”させて頂きました…。

                            再合掌

52SAKURA:2012/05/21(月) 21:31:20 ID:V.pKl3yA

さくら様 へ

こんばんは…
ロ−マ字の【SAKURA】です…。
「さくら様」とは、違う観点から……【辛口コメント…】申し上げます…。

■【テ−マ…】
『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』
この件案に、決定されましたのですか…?

■■さて下記“投稿文中”教えて頂きますと幸いに存じます…。

>>50
■「さくら様」投稿文より…一部抜粋
>例えば、宗教家の本分は、魂を救済する教えを説き、信仰による魂の深化を教えて
くださる事があると思いますが、今の教団への違和感は、そのことからはずれてしまって
いることがある、ともかんじています。この、本分から離れてしまうと、
いくら良いことをしていても、他の人には理解しにくく、
迷惑がかかることもあるように思われます。<
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「さくら様」にお尋ねしたい事は、【今の教団への違和感?】
具体的に教えて頂けませんでしょうか??宜しくお願い申し上げます…。
お待ち申し上げます…。 

                                再合掌

53SAKURA:2012/05/21(月) 22:03:30 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
復興G様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…?
いよいよ【WEB 誌友会】となりました様です〜〜ネ!

実は…この「WEB 誌友会」に関しまして疑問点が生じましたので“投稿”させて
頂いております…。

正直な話…開催に当たり「ユタカ様」が…独断で??色々おっしゃっていました事を…
第三者的に拝読させて頂いておりました…。
しかも…【投稿対象者に対しての“返事・意見”が、かたよっていました感が
致しておりました…】それで…今回は??との思いもあります…。


■私自身は【中立…どちらかと申しますと…?皆様も御存じでしょうが〜〜〜?
「現総裁先生雅宣先生より〜」になりますでしょうか……??】

今回!或いは他の“ボ−ド”で感じます事は、
御自分達の指示する〜〜〜【???会】以外の方々には?【バトル戦争??並み】に…
叩かれる感じでしょうかしら〜〜〜ン?(策略??も含め……)
従いまして…随分以前より考え込んでしまいました…。

今回の流れは、冷静に判断しますと【学ぶ会の皆様・ときみつる会の皆様…etc】よりの〜
方々が…多い様にとの判断なのですが……?

■その中で【中立なる立場としての指導・司会】を、切に希望いたしたく思いました。
この事は、世間一般からしても「司会者たる方・スタッフ」の心構えと思いますが??
この場をかりまして、素直に“投稿”させて頂きました。
                            再合掌

54トキ:2012/05/21(月) 22:34:10 ID:L8LXy.QI
>>53

 ご投稿、ありがとうございました。ただ、間際でのご提案ですから、少しきついですね。(笑)

 今回は、この陣営で誌友会を開催するとして、次回、来月はSAKURA様が中心になって誌友会を
企画運営をされてはどうでしょうか。これだと、バランスがとれると思います。

55さくら:2012/05/21(月) 23:07:22 ID:tPVxKQcE
ローマ字SAKURAさま

えっと、さくら、テーマが決まったと思い、勘違いでしたか・・?
そしたら、まだ、書くべきではなかったということですね。ごめんなさい。

今の組織の違和感ですか。
まず、組織活動の中で話せる内容が、明らかに偏りが出て来たことがありましたし、
真理の内容を話すのに、「タブー」がある雰囲気などは、おかしいと思っていました。
個人の悩みより、環境のこと。
環境問題には個人的にとても関心があったけれど、
活動で「節約したレジ袋を数える」とかいうことなどには、わたしは冷めました。
もっと真理のこと話したくて生長の家に入ったのだけど、
趣味でやるならよいですが、お料理教室や絵手紙、俳句の集まりにはあまり関心を持てませんでした。

わたしは今の組織で活動していないので、「雅宣派」ではありませんが、
雅宣先生の言ってることがすべて悪いとは思ってはないので、
全部否定しているわけではないです。
いまは組織活動からは離れて、雅宣先生の言ったことも参考にしながら、
世の中に役に立つことは何かを考えて行動していきたいと思っています。
SAKURAさんも関心のある、エネルギーの問題、食に関する問題、環境に配慮する生活、こうしたことは非常に重要だと思いますので、個人的な活動に、問題意識を持って実践していきたいと思ってます。
でもこれは、応用編というか、信仰をもった個人が、他の活動内容で十分取り組むべく問題と思っています。
これは、政治的立場も同じように、宗教団体の本分を逸脱して取り込まれることではないと思います。
このことは、純粋信仰を護る宗教としての本分と、信仰を持った個人の取り組むべき活動を分けるべきだという考えに繋がります。

この内容は、ここに書くべきではなかったでしょうか・・
とりあえず、SAKURAさまへのご質問にお答えいたしました。



56復興G:2012/05/21(月) 23:17:26 ID:84pogn5s


皆々様。

このたび、この掲示板の管理人 トキ様のご承認を得て、
第3回WEB誌友会を
5月23日(水)午後9時〜11時
このWEB誌友会板で開催する運びになっております。

振り返ってみますと、

第1回目は4月14日(土)21:30〜23:30於「部室」板
第2回目は4月28日(土)21:30〜23:30於トーキングスティックボード(TSB)板

で、この2回はユタカ様と「訊け」様の大変な熱意とパワーをもって開催され、「盛り上がった」と言えましょう。

さて第3回からは、司会者は交替制にしようということになり、今回は不肖 復興Gが司会を担当させていただくことになりました。そして司会補佐をa hope様にお願いし、快くご承諾をいただきました。

前2回を推進運営されたユタカ様・「訊け」様の時とは変わった雰囲気と、やり方になろうかと思います。不行き届きのことも多々あろうかと思いますが、ご勘弁ください。

WEB誌友会はまだ誕生してから1ヵ月ちょっとで、運営に関する規則も出来上がってはおりません。その時担当する世話役・司会者の考えでその場のルールが作られ、試行錯誤を重ねながら徐々に規則が出来上がって行く、という段階であろうと思います。

さて、今回第3回目のWEB誌友会では、次のようにさせていただきたいと思います。
     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
① テキストとして『生命の實相』第1巻「總説篇」を使用し、「七つの光明宣言」を、さらに掘り下げる。
② テーマを
  『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』
とする。(※ 注1)
③ 単なる論争の場とせず、『生命の實相』の教えを正しく学び、身に体して実行すること、行動の指針とすることを目的として話し合う。
④ そのため、他人の発言は自分の意見と違ってもそれを尊重し傾聴し、徒に感情的な言葉を発しないよう気をつけましょう。
     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ということでお願いしたいと思います。

② の(※ 注1)というのは――一般に「法燈継承」といえば外なる『生長の家』総裁の法燈継承について言われているわけですが、信徒一人ひとりの「内なる法燈継承」ということも大切なことではないか。つまり、谷口雅春先生が創刊号の「発進宣言」と言われているご文章に記された「生長の火」を、信徒一人ひとりがしっかと受けとめ受け継いでいきましょう、ということを意味しています。

さて、この誌友会に参加される皆様はみな神の子でいらっしゃって、それぞれ天分、使命、個性がちがっています。同じ人は一人もいらっしゃいません。その立場も、現教団組織に所属し、総裁を擁護して行こうとする方もあれば、反教団、総裁批判の立場をとっていらっしゃる方もある。現教団組織に所属しながら、総裁や教団の現状に疑問・批判を持っている方もあるし、反教団・総裁批判だが学ぶ会などにも批判的、という方もある。いろいろです。(ちなみに私は現教団組織に所属していますが、おかしいと思うところはおかしいと言います。)

一概に「誰それは○○派」と区別し差別することは無意味なことだと思っております。みんな元は一つ、神の子のいのちの兄弟なのですから。この誌友会の場では、みんな平等な神の子の立場で、お互いを尊重し、意見は違っても感情的にならないようにお互いに気をつけ、学び合い研鑽し合うということを貫いて行きたいと思っております。私は司会者として、無我・無私の心で、皆様を神様として礼拝して行きたいと思っておりますが、不行き届きで我が出てしまうことがあるかも知れません。そこはお互い人間としてご海容くださいますよう、お願いするしかございません。皆様が司会者の気持ちで臨んで頂ければありがたいことであると思います。なにとぞよろしくお願い申し上げます。

57さくら:2012/05/21(月) 23:30:16 ID:tPVxKQcE
復興G様

司会者の説明やご挨拶、テーマの正式発表のまえに
書き込みまして、大変失礼しました・・。



58復興G:2012/05/21(月) 23:37:23 ID:84pogn5s


>>53 :SAKURA様。

合掌 率直なご意見のご投稿、ありがとうございます。

お答えは、上記 >>56 に書いた通りでございます。
よろしくお願い申し上げます。

なお、トキ様が >>54 で書いて下さいましたように、

>次回、来月はSAKURA様が中心になって誌友会を企画運営をされてはどうでしょうか。これだと、バランスがとれると思います。<

私も大賛成。楽しみにしておりますので、よろしくお願い申し上げます。
合掌 拝

59復興G:2012/05/21(月) 23:44:53 ID:84pogn5s

>>57 :さくら様。

合掌 ありがとうございます。
積極的なご参加、まことにありがとうございました。

前夜祭から盛り上がりを見せてくださいまして、本当にありがとうございます。心から感謝申し上げます。

皆様のコメントをお待ちしましょう。
合掌 拝

60SAKURA:2012/05/22(火) 00:14:48 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者様 へ

>>54拝読させての“返答”をさせて頂きます…。
■一部抜粋
>今回は、この陣営で誌友会を開催するとして、次回、来月はSAKURA様が中心に
なって誌友会を、企画運営をされてはどうでしょうか。
これだと、バランスがとれると思います…。<

■■さて!>>53【SAKURA】の投稿文ですが…
今回の“投稿”私も【5月23日開催日…近く】にて、本当に随分悩んでの
“投稿”でした…。
【間際でのご提案ですから、少しきついですネ!トキ様の御文章…】
確かにおっしゃられましても…反論は致しません…。認めておりますもの…。
…が…私事ですが、何時も〜何時も〜“投稿文”致しても、そうです〜〜ネ!
正直な話…
■私どもに対しての【反応…】が、ほとんどといいましょうか?ありませんもので…?
それに、このような“ぎりぎり〜瀬戸際”になった事の気持ちは、
察して頂きますと幸いです…。
【司会者・スタッフの心構えとしての考え方を素直に投稿させて頂きましたが…
考え方の相違でしょうかしら〜ン?
それに、参加しにくい“雰囲気感”ではありましたが…此処にて素直に“投稿”させて、
頂きました事、ご承知置き下さいますと幸いに思います…。】

■さて!!話は上記の投稿文ですが…正直な話なのですが…
以前!!今回の「WEB誌友会」懸案として「トキ様」・「訊け管理人様」を、
そのまま司会者との「推薦」を以前しておりましたが…(私一個人の考えですが)
それに関しましたは、私の記憶では、ほかの方々も反論された方も中には、
いらっしゃいました様な“解釈”をとりましたが……?

そして【雅宣先生擁護派…】ですから、しかも“末端信者”ですし、
只今“修業中”ですので、この“お言葉”そのまま“返信…言葉”として使わさせて
頂きます…。「司会??」このような資格もありませんし…更に!
「トキ様」ありがとうございます…。でも?“バランス…”です〜〜か??
■嫌われ〜【SAKURA…】ですもの〜〜〜♪〜〜〜ネ!冗談でも?きつ〜イ?(頬笑)

最後に「WEB誌友会」…
第三者の皆様が「拝読・閲覧」されましても…“楽しい〜〜♫〜〜”
“次回は参加してみたいなぁ〜〜♫〜〜”その様な雰囲気作りの【誌友会…】       
切望いたします…。そして【今後…WEB誌友会】に関しましては…
■その中で【中立なる立場としての指導・司会】を、切に希望いたしたく思いました。
世間一般からしても「司会者たる方・スタッフ」の心構えと思いますが…?? 
そうする事で【一般の方も“参加”しやすいのではないでしょうか??】  
 再合掌

PS:今回は、第三者としての“ 観覧者の立場”で拝読させて頂きます…。

61SAKURA:2012/05/22(火) 02:11:28 ID:V.pKl3yA

さくら様 へ
観覧者の皆様 へ

>>55拝読致しまして…
“お返事”ありがとうございます…。
投稿文中…「さくら様」と“賛同”致します内容も、多々ありました…。(一部抜粋)

■>真理の内容を話すのに、「タブ−」がある雰囲気などは、
おかしいと思っていました。個人の悩みより、環境のこと。<

>確かにもっと真理のこと話したくて生長の家に入ったのだけど、
趣味でやるならよいですが、お料理教室や絵手紙、俳句の集まりにはあまり関心を持てませんでした。<
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

唯!今回…正直な話、私も一時は
「現総裁雅宣先生」が、どうして?何故?…環境問題ばかりに走られるのかと??
随分悩んだ時代もありました…。
併し、冷静に判断しながら、そうです〜〜ネ!“20年前”でしょうか…?
随分【講演内容】も変わられた感じです〜〜ネ!
今から凡そ“20年前”でしょうか?東京に上京したての頃の先生は、
一時の様に“環境問題”に関しては“スロ−テンポ”でしたかと?(筆談メモより)

何時頃でしたかしら〜〜〜ン!【環境問題・平和問題…】かなり力を入れられた事は、
私も記憶の中にあります…。併し、それは「学ぶ会・ときみつる会…」の方々も、
当時!【幹部として?本部職員として?在籍されていらっしゃいましたでしょう!!】
その様に、思いますが…!
ならば、当時【亡き清超先生・現雅宣総裁先生】に対しまして、その“本意”を、
申し伝えられたらよかったのではないでしょうか?
尚…【平和運動…丁度ヤオハンさん全盛期?】関連性がありますのでしょうか??

■生長の家「今の教え」と「本流復活を考える」
>>1610 ■ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1610
この“投稿文”を拝読しながら、やはり〜やはり〜♫ その様に思った節が……
ありますもの?

             <つづく>          No.1

62SAKURA:2012/05/22(火) 02:13:13 ID:V.pKl3yA
 <つづく>           No.2

■■それに【雅春先生著…“心と食物と人相と”!!】昭和51年発行
この書籍中に、一部抜粋ですが……
■【食物の取り合わせ如何は、健康や寿命の長短に関係があるだけでなく、食する人の
心に影響がるのである。昔から「食は心なり」という諺もある。
近頃、青年の気風がだんだん乱暴になり、殺伐になり、手製爆弾を仕掛けて、
恨みもない唯そこに居合せた人や、通りかかった人を殺したり重傷を負わせたりして、 
しかもそれを罪悪だとも、何とも思っていないらしい青年グル−プが出て来たりする
原因が“肉食”にあるのだという気がつかないで、動物性蛋白が優良食品だなどと
思ってそれを珍重して、たまに食う位ならまだよいけれども、国民に安い獣肉を
食わしてやりたいという慈悲心で、海外から獣肉を輸入することを勧めている政治家も
ある。こうして肉体的には肥満児童という奇型児をこしらえてみたり、精神的には
いろいろの形の奇型性格の国民をつくっていながら、その原因の奥を探れば
「食」にあることを知らない人も多いのである。…云々…】
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

上記文章からも既に、雅春先生は、当時から【食…ノ−ミ−ト運動】また、
その【獣肉…酪農関連】全てに関連して来る事と…更に先生は…
次の“文章”を、記載されています…。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
■「平和・平和」と叫びながら、何故人類は
大量殺戮兵器を、競争して製造しつつあるのだろうか。何故、世界の至る所に戦争の
叫びが絶えないのだろうか。この現象を、
精神分析の大家カ−ル・A・メニンジャ−博士は「人類は自己処罰しつつあるのだ」と
説明している。何のための自己処罰であるか。それは食用のため、人類は多くの獣類を
殺しているからだ。殺した者は“殺し”によって報いられなければならない。
現在意識は肉食をとることが習慣性になっているので、それを罪悪だとは
思わないけれども、潜在意識の奥の奥には“良心”という仏性があり、神性があり、
審判官がある。その“良心”が立ちあがって、人類を審判し、人類みずからを自己処罰
するために、いろいろの病気をつくったり、大量の自己処罰のためには、戦争という
一掃的な死刑執行場を繰り広げるのである。
 これからの戦争論と平和論とはこの序文だけの読者にはあまりに突飛で寄稿にきこえる
かも知れない。しかしこの書を読んで頂ければ、この論が正しいことが判って
頂けるであろう。
食物は“心”を変え、人相を変える。そして、人間は“心”によって行動し…云々…
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

上記のような文章が目にとまりました…。
昭和当時の先生の“書籍”の内容…ただただ!!感慨深く今!思いますと、私事ですが、
“言葉”になります。「雅春先生…」
従いまして「現総裁先生…雅宣先生」の運動展開は、この「雅春先生の御意向」に、
適っているのではないでしょうか??

但し!信者としては多少は【真理のお話…】拝聴したいのも当然ですよ〜〜ネ!
「さくら様」本当に“お返事”頂き感謝申し上げます…。
                            再合掌

63如月:2012/05/22(火) 06:31:14 ID:ki/haAjk
SAKURAさま

おはようございます。
私の記憶では、確か春らんまんさまに何度も暴言をあびせられて
大変お気の毒な時期がありましたが、今はそのような方もいらっしゃらないので
気にせずに誌友会に参加されてはどうですか?
少数派の意見だと思われるなら、尚のこと、存在を消してはいけないと思います。

私は前回、アナタがいるから誰某が来なかったと言われる事態を避けるため
参加を見送りましたが、SAKURAさまがいらっしゃるから参加したくない人なんて
いませんし、むしろSAKURAさまがいらっしゃらないのは寂しいです。

ところで上記のひらがなさくらさま宛のレスについて、ちょっと口を挟ませて下さい。
雅宣先生のノーミート運動は確かに、雅春先生のご意向を汲んでのものだと思います。
ただ、理屈っぽい言い方ですがご意向に沿っているかと言うと疑問です。

それは、ノーミートや環境問題ばかりを大きく取り上げられた為に
憲法や天皇問題の扱いが小さく(無く?)なってしまったからです。
雅春先生の教えに、順位をつけたからバランスがくずれたのでは?

話は変わりまして、SAKURAさまはヤオハンの事について触れられていましたね。
私はヤオハンが没落して行った事について知りたくて教室で何回か話を振りましたが
どなたも誤魔化されるだけで教えていただけませんでした。
SAKURAさまがご存知の事があれば、語れる範囲で結構ですので教えていただけると
ありがたいです。

64如月:2012/05/22(火) 07:11:39 ID:ki/haAjk
『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』

体験をする事だと思います。

まだ、生長の家の教えにふれて日の浅い私ですが
たくさんの奇蹟的体験をさせて頂きました。
その体験の感動から来る教えに対する自信と感動が
教えを守り伝えたいという私の原動力です。

恩返しの為にも伝えたいし、同じように苦しんだり
困ったりしている人も救ってあげたいし。

実は昨日も大変な事をやらかして、なす術が無く奇蹟の手帳か
神癒祈願かとオロオロしながら、落ち着くためにこの掲示板に来ましたところ
ハマナスさまが泣きっ面に蜂を謹写して下さったものが目に入りまして

(ハマナスさま!ありがとうございます!!)

「そうだ、現象から目を離そう」とひたすら甘露の法雨を誦げているうちに
神様に任せきりの心境になれたところ、勝手に問題が解決して行ったのです。
もう、日々が体験、感動なのです。

私が多くの体験をするので、生長の家の二世三世の先生は驚かれますが
どこかに、神は入りたての者には意図的に奇蹟起こるようにする事があると書かれてあったので
私はその状態なのかと思います。(その箇所、見つかればまた載せます)

残念ながら、どんな体験をしたかは個人特定につながるので書けません。
それが話せるのはやはり、教室など実際にお会いできる場所になります。
教室では、小さな体験も聞きますし、目にもします。
あんなに顔色の悪かった人が、次にお会いした時にはシャキーンと
されていたりするのを目の当たりにすると、みんなに感動が伝わりますし
みんなで喜べます。
その、意識の繋がりも素晴らしいです。
だから、教室も大切なのです。

今、教団は縮小に向かっていますが、体験が法燈継承のエネルギーになり
やがて奇蹟が当たり前の地上天国が実現すると私は考えます。

(出勤時間が迫ってきました。 読み直さずに投稿 失礼します!)

65さくら:2012/05/22(火) 08:42:35 ID:Didk5eTc
如月さま
皆様

皆さまにとっては「奇跡」とはなんでしょうか。
奇跡が起こらない生長の家は、本物でない、と言われたりすることがあります、
また奇跡をなくすのが、生長の家だとも、本来言われます。

わたしも個人の体験を、たいへん貴重なものだと感じています。
いくら本に、現象は心の影、鏡だと言われても、これは、体験しなくては、わからない世界がありますね。
体験を通してこそ、しみじみと、これはわたしの心の影であり、世界は鏡のようなものだと、「わかる」ことがあります。
個人の体験にこそ、神が働かれると、おもっています。

ただ、ここは微妙なことですが、
体験=信仰に偏ってもいけないということも感じています。

病気がなおる、事業が反映する、子供の非行がなおる、和解する、無くし物が見つかる、結婚できる…こうした個人的体験は、本来は「奇跡」ではなく、自己に宿る神が現れたことであって、「当たり前」の姿となりますね。
信仰とは、何かおこる奇跡が神ではなく、産まれて生きて無事に過ごすこととは、それ自体が奇跡と言えるとおもいますし、神には「奇跡」を期待せず、ただ、感謝を捧げるしかない、世界があるように感じることがあります。

「体験」至上になると、では奇跡が起きないことは、本物でないと言われたりしますが、本当にそうでしょうか。

ももんがさまが以前、キリスト教の「奇跡」の判断も厳しいことを書いていらっしゃいましたが、「神の奇跡」とは色々な種類があり判定の難しいことがあるのですね。
例えば極端なことですが、宗教のなかで、空中浮遊の奇跡を体験したから信じた、などあれば、これは問題です、笑。

如月さまの体験は、たいへん尊重いたしますし、真の一要素であることだとおもいます。
ただ、「奇跡」が起こるから、体験したから、「本物の宗教だ」とはならない一面もあるとも、わたしはかんじます。

ですから一人ひとりの法燈継承は、体験することに偏らないとかんじますが、いかがでしょうか。

66うのはな:2012/05/22(火) 12:37:16 ID:???
 不参加者ですが、突然おじゃまします。

 みなさまが有意義な誌友会をなさっていたし、それを妨害するようなことも
しなかったつもりですが、訊け氏から自主アク禁にしろとか、以前のようになんだかんだ
と絡まれました。それについて前回から誰も責任を取るとかしてくれないようなので、
次回の誌友会が終了したら、「誌友会開催」はもうやらないでほしい、打ち切ってほしいと
思っています。

67うのはな:2012/05/22(火) 13:11:53 ID:???
トキさま、みなさまへ

 都合が悪くなると謹慎します、という訊け氏が自分のブログで、うのはなに
愛国本流へ行きなさいとか、ロッテリアの苦情がどうのと、ひとりで興奮しています。
あいかわらず私の話が理解できていないようです。
ここの誌友会に関係することなので、一参加者の意見として、興味のある方は御覧ください。

それと、トキさんや責任者の方にお尋ねしますが、今は不参加のつもりでも、
当日に変更して参加というのも有効ですか?
あまりにもひどい仕打ちに、逆に参加してやったらどうだろうと考えています。

68復興G:2012/05/22(火) 13:18:57 ID:84pogn5s

SAKURA様。

SAKURA様の投稿文で、私の印象に残っているのは、「本流対策室板」>>1039で、

■「生命の実相」より一部抜粋
孤独ということも、それが個人的なかぎりにおいては人の生長を害うものである。個人的なものは常に全体的なものより低卑である。

という引用文のお言葉でした。短いけれども、印象に残りました。
出所は書かれていなかったけれど、『生命の實相』第37巻「幸福篇」からですね。
(その前に23個も>>数字(前の投稿番号)が付けてあるのは余計で、それはない方がよかったと思いますが)

私は、「私は無いのである。全てが私なのである」と思った時、限りない心の豊かさと幸福を感じ、今生かされている喜びがわき出てきます。

その思いにぴったりくるお言葉だったので、印象に残ったのです。『生命の實相』の長いご文章の中から、よく「ここぞ」という寸句を抜粋されましたね。その感覚が素晴らしいと思います。

わかりにくい長い文章をだらだらと書き連ねられますと、うんざりして、しっかり読む気が起こりません。
願わくは、魂にひびく寸言、短い言葉を書いて頂きたいと思います。これは、私自身についての自戒でもありますが……。よろしくお願いいたします。

SAKURA様のご忠言は、ありがたく、しっかと受け止めました。ありがとうございました。感謝 合掌 拝

69復興G:2012/05/22(火) 13:19:38 ID:84pogn5s


>>64 :如月様。

>『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』
体験をする事だと思います。
実は昨日も大変な事をやらかして、なす術が無く、奇蹟の手帳か神癒祈願かとオロオロしながら、落ち着くためにこの掲示板に来ましたところ、ハマナスさまが泣きっ面に蜂を謹写して下さったものが目に入りまして
(ハマナスさま!ありがとうございます!!)
「そうだ、現象から目を離そう」とひたすら甘露の法雨を誦げているうちに 神様に任せきりの心境になれたところ、勝手に問題が解決して行ったのです。
もう、日々が体験、感動なのです。<

素晴らしい!
「日々が体験、感動なのです。」
ということが素晴らしいと思います。

>体験が法燈継承のエネルギーになり、やがて奇蹟が当たり前の地上天国が実現すると私は考えます。<

そう、それは、さくら様が>>65でおっしゃっていることと矛盾することではない、と私は思います。

>>65 :さくら様。

>病気がなおる、事業が反映する、子供の非行がなおる、和解する、無くし物が見つかる、結婚できる…こうした個人的体験は、本来は「奇跡」ではなく、自己に宿る神が現れたことであって、「当たり前」の姿となりますね。
信仰とは、何かおこる奇跡が神ではなく、産まれて生きて無事に過ごすこととは、それ自体が奇跡と言えるとおもいます<

その通りだと思います。
自我の欲望が満足される結果が出たというようなことは、奇跡でも何でもない。そのままの「日々が体験、感動なのです。」という、生かされている喜び、感動に満ちた生活こそが、真の宗教生活だと思います。
如月様が、
「真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?――体験をする事だと思います」
とおっしゃるのも、そういう「日常の日々が感動」という体験をすることだと、おっしゃっているのではないでしょうか。

「奇跡とは何か」。遺伝子工学の大家である村上和雄先生は、人間が、自分がこの世に誕生してきたこと、そのことが奇跡としか言いようがない、とおっしゃっています。
当り前が当たり前でなく奇跡だと日々感動できる、そういう体験が、「法燈継承のエネルギーになり、やがて奇蹟が当たり前の地上天国が実現する」ということではないでしょうか。

70復興G:2012/05/22(火) 14:03:02 ID:84pogn5s

>>69 補足です。

『奇蹟の時は今』という、J. E. アディントン原著・谷口雅春先生訳の本がありますが、まさに「今が奇蹟の時」でありますね。こうしてこのWEB掲示板で素晴らしい皆様にお会いできていること、これが奇蹟だと思います。居ながらにして、遠方にいらっしゃる皆様ともご一緒にこうしてWEB誌友会の前夜祭ができること、これはまさに奇蹟ではないかと私は感じています。有り難いこと(なかなかめったに有り得ないこと)だと、感動しています。

生長の家総裁と信徒との関係は、天皇と国民が「君民同治」の関係であるのと同様ではないか、と私が思ったときに、金木犀様が「聖典板」に、「君民同治の神示」を謹写して下さっている。これも“奇蹟”的なことでした。毎日毎日の出会いが、私にとって奇蹟的な体験の連続であり、感動の毎日です。本当にありがとうございます!

71復興G:2012/05/22(火) 14:25:02 ID:84pogn5s

>>66 :うのはな様。
>次回の誌友会が終了したら、「誌友会開催」はもうやらないでほしい、打ち切ってほしいと思っています。<

私はご意見承りました。しかしこれはトキ様、皆様が決められることですから、私は今何とも申し上げられません。

>>67 :うのはな様
 私は「訊け」氏のブログに行ってみるつもりはありませんが、WEB誌友会へのご参加は、いつでも、どなたでも歓迎したいと思います。
トキ様、a hope様、よろしいでしょうか。
ありがとうございます。

72さくら:2012/05/22(火) 15:02:20 ID:Didk5eTc
一人ひとりの、ということで、個人個人の「法燈継承」の意味するところは、違うのだと、こころえました。

ただ、体験することは、エネルギーとなる、とは、その通りだとおもいますが、
体験こそ法燈継承とすることには、体験至上主義的要素がないか、ということは、いつかどなたかに、お気に止めていただける機会があれば、幸いです。

奇跡の体験=地上天国なのかは、疑問に思っているところが、ありましたので…。

失礼しました。



73復興G:2012/05/22(火) 16:02:20 ID:84pogn5s

>>72 :さくら様。

「体験」というのは、形に現れた結果を言うのではなく、個人個人の内なるもの、いのちが躍動し、感動し、精神が高揚する喜び、そういったものが「体験」の本質的なものであり、その結果として「病気がなおる、事業が反映する、子供の非行がなおる、和解する、無くし物が見つかる、結婚できる」といったことが出てくることもある。しかし、そういう「結果」は「体験」の本質的なものではないと、私は思っています。いかがでしょうか。

74トキ:2012/05/22(火) 16:38:20 ID:V2wOWWeE
>>71

 はい、復興G様のご発言を支持します。

 誌友会については、今回の分は既に意見募集の期限が終わっているので、
終了後に再度、うのはな様とお話し合いをいたしましょう。

75さくら:2012/05/22(火) 16:45:57 ID:Didk5eTc
>73
復興Gさま

お答え頂き、ありがとうございます。

体験には、「個人個人の内なるもの、いのちが躍動し、感動し、精神が高揚する喜び」としてある「体験」の本質的なもの」と、「体験の結果として本質的ではないもの」があるということですね。

「体験の結果」は、分かりやすく評価ができますが、
「内なる体験」においては、「いのちが躍動し、感動し、精神が高揚する喜び」ということが、その証になるということでしょうか。

この内なる体験こそ、法燈継承の証でしょうか。

76さくら:2012/05/22(火) 17:23:13 ID:Didk5eTc
復興G様
皆様

しつこくて、すみません、

如月さまや、復興G様が意図されることは、とてもよく理解できることです。
…それでも、やはり「体験すること」とは、微妙な問題もあるものかもしれない、と、感じるところがあります。

例えば、他宗教においても、「個人個人の内なるもの、いのちが躍動し、感動し、精神が高揚する喜び」といった内なる体験があります。
しかし、それがあると言って、法燈継承にふさわしいかは、疑問です。

また雅宣総裁においても、こうした精神の喜びをもって、環境問題に取り組んおられるかもしれませんので、そうした体験をしている総裁は、生長の家の総裁としてふさわしいとなるのではないでしょうか。
でも、実際の結果、聖典も失う教団になりました。

わたしも体験の喜びは尊重しますが、あるべき本分を果たしていない喜びは、どこにあるのだろうか、と、考えてしまうのですが…。

77SAKURA:2012/05/22(火) 17:37:53 ID:lr1YNSeM
復興G様 へ
>>58>>59>>68拝読いたしまして…

合掌 ありがとうございます…。
“お返事”頂きました事に、深く〜深く〜感謝申し上げます…。

>>68拝読させて頂きまして(一部抜粋ですが…)
■>孤独ということも、それが個人的なかぎりにおいては人の生長を害うものである。
個人的なものは常に全体的なものより低卑である。<
…云々…
私は、「私は無いのである。全てが私なのである」と思った時、限りない心の
豊かさと幸福を感じ、今生かされている喜びがわき出てきます。
その思いにぴったりくるお言葉だったので、印象に残ったのです。
…云々…
わかりにくい長い文章をだらだらと書き連ねられますと、うんざりして、
しっかり読む気が起こりません。願わくは、魂にひびく寸言、短い言葉を
書いて頂きたいと思います。これは、私自身についての自戒でもありますが……。
よろしくお願いいたします。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
今回!5月23日【WEB誌友会】開催近くに“投稿”を致しました事に、
立腹された事でしょうかとは…こちらも反省致しております…。

それこそ「雅春先生のお言葉」通り…」
■【個人的なものは常に全体的なものより低卑である…。】
今回の私は、この“言葉…”其のモノでありましたでしょうか…自問自答しておりました。

そして、今までの“投稿”御文章…etc拝読しながら、「学ぶ会」「ときみつる会」…??
なのでしょうか??私の“心”の中に、いつしか【復興G様…】への 【固定観念…】が
潜在意識の中に“インプット”されて、意見を述べても?無理でしょうか…?
その様な考え方が“芽生え”ておりました事に、気づきました。

■■此の事は【学ぶ会】【ときみつる会】…の方々が…今思われていらっしゃいます
【概念…!!『現総裁先生…雅宣先生では“ダメ〜〜ダメ〜〜!!”』と云う事】と、
同様な事だと…そして無意識のうちにでしょうか…私自身が“行”じている事に
今回!反省しております次第です…。
■【復興G様】が、「司会…」初めてとおっしゃいました事…【私も信じて待つ!】…
そうなのですョ〜〜ネ!『認める心!!信じる心!!』の大切さ〜〜反省!しきりです。
素晴らし〜〜〜イ!分け隔てない“場”の盛り上げ…して頂く【復興G様の お姿】
そして【ご指導…】心より只今!!歓喜〜〜致しております…。

当日の『5月23日誌友会』心より楽しみに〜〜致しております…。
最後に「生命の実相」抜粋しておりました“投稿文”を、拝読して頂きましと事に、
心より感謝申し上げます…。                   
 再合掌
PS:「5月23日WEB誌友会」参加…時間が取れましたならば(仕事上)
参加させて頂こうかしら〜〜ン?只今…揺れ動いております…?
当日の仕事の“タイミング”にて……

78SAKURA:2012/05/22(火) 17:38:51 ID:lr1YNSeM
復興G様へ
>>73拝読させて頂きまして…

■>そういう「結果」は「体験」の本質的なものではないと、私は思っています。<

“賛同の考え方”でありましたので…益々「当日の誌友会」…楽しみに〜♫〜
なりました次第です…。
                        再合掌

79a hope:2012/05/22(火) 18:00:30 ID:kcv2QXTk
みなさま こんにちは

昨晩からのみなさまの投稿の内容の深さに感動しています。
今は忙しいので、後でもう一度ゆっくり拝見させていただきますね。

>>71復興Gさま

うのはなさまのweb誌友会参加の件ですが、わたしは大賛成です。
当日だけとはいわず、もうすぐにでもこの前夜祭に参加してくださることを願います!


うのはなさま

わたしはうのはなさまは、心から「生長の家の教え」を愛されているのだと感じています。
その理由は、うのはなさま自身も>>66でおっしゃっていますが、
たとえうのはなさまと気の合わない「訊け」管理人さまが司会・進行していても、
いままで、一度もweb誌友会を妨害されたことがなかったからです。
それどころか、誌友会後は褒めるところは褒めてくださっていますし、
毎回、公平に評価していただいているからです。
だから、もし「訊け」管理人さまが、うのはなさまが、今回のweb誌友会を妨害するのではないかと、
疑って「訊け」ブログからうのはなさまに呼びかけていらっしゃるのでしたら、
それは大きな勘違いですから、すぐにでも止めて欲しいですね。(拝見していないので正しくはわかりませんが・・・)

ですが、うのはなさま、「訊け」管理人さまは、とても頑固ですから、わたしがそう呼びかけてもきっと聞いてくださらないと思います。

そこで、うのはなさまに提案です!
「訊け」管理人さまは、今、自主謹慎中でこちらには書き込みされないはずですから、
うのはなさまが、「訊け」ブログの「女神の部屋」の閲覧さえされなければ、
うのはなさまの心の平安は保たれるのではないのでしょうか?

わたしは、うのはなさまの体調がとても心配なのです。
わたしのこの提案いかがでしょうか?

80SAKURA:2012/05/22(火) 18:34:44 ID:lr1YNSeM
如月様 へ
>>63拝読いたしまして

こんにちは…
昨日から私事で…気分的に“ネガティブ感情”でした時…
“朝のすがすがしい〜パソコン便り〜♫”拝読させて頂きました…。
本当に感謝申し上げます…。ましてや“出勤前”のお時間を割いて頂きまして…

■「如月様の投稿文」一部抜粋させて頂きまして…
>それは、ノーミートや環境問題ばかりを大きく取り上げられた為に
憲法や天皇問題の扱いが小さく(無く?)なってしまったからです。
雅春先生の教えに、順位をつけたからバランスがくずれたのでは?<

■「如月様」の“お考え方”を投稿して頂きうれしく想いました…。
私自身“憲法改正論”当時の雅春先生時代と少し考え方が、変わってきております。
勿論『憲法改正!!!』に関しましては【必要…!!】と思います。
そして『現憲法』これに関しては、学生時代の様に“討論”し出しますと…??
皆様の色々な考えが討議されまして、“面白く”思いますし…“行”じる事が
必要でしょう…その様に思いますが?
(過去の運動方法と又別の観点がありますでしょうかしら〜〜ン?時代に応じまして)

■但し『信仰と…政治関連…』此の2面性の問題も含みますし???
何時か?此の「現憲法論…」どの部分の条項目とか?具体的考えを教えて頂きますと
幸いに思います…。
本当に“朝の貴重な時間”素敵な“メ−ル”頂きました事、深く〜感謝申し上げます。

                                再合掌

PS:『ヤオハンさん…和田和夫』さんに関しましては、又!逐次私一個人の考え…
私の場合は、どちらかと言いますと『製造業部門』からの観点になりますでしょうか?
ヤオハンさんの場合は『流通機構…』の観点からで すので、又違った考え・捉え方に
なって来るモノと思います…。

■「ノ−ミネ−ト」については「女子会でhope様」が質問されまして、
これに一部ですが返答させて頂きましたのですが……“参考”までに
拝読して頂きますと、又!別の観点がある事を、少しは理解して頂きますモノと…
思いますが…??

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1333192083/448 

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1333192083/449 

もし?生まれ変わりがあると致しますと“後200年後?とか〜〜〜><
其の時“地球!!〜此の青い〜青い〜地球の存在”考えてしまいましたモノ?

81復興G:2012/05/22(火) 21:27:29 ID:84pogn5s

>>75 :さくら様
>体験には、「個人個人の内なるもの、いのちが躍動し、感動し、精神が高揚する喜び」としてある「体験」の本質的なもの」と、「体験の結果として本質的ではないもの」があるということですね。
「体験の結果」は、分かりやすく評価ができますが、「内なる体験」においては、「いのちが躍動し、感動し、精神が高揚する喜び」ということが、その証になるということでしょうか。この内なる体験こそ、法燈継承の証でしょうか。<

「内なる体験」というのは自内証、つまり「他者のうかがい知れない内面の世界の証、内証のさとり」ですから、「法燈継承の証」というと語弊があるでしょうね。
外なる総裁の法燈継承には、当然「面授」が必要です。
「信徒一人ひとりが法燈継承を」というのは「内なる法燈継承」ですから、それとは違います。

>>76
>例えば、他宗教においても、「個人個人の内なるもの、いのちが躍動し、感動し、精神が高揚する喜び」といった内なる体験があります。しかし、それがあると言って、法燈継承にふさわしいかは、疑問です。<
>また雅宣総裁においても、こうした精神の喜びをもって、環境問題に取り組んおられるかもしれませんので、そうした体験をしている総裁は、生長の家の総裁としてふさわしいとなるのではないでしょうか。でも、実際の結果、聖典も失う教団になりました。わたしも体験の喜びは尊重しますが、あるべき本分を果たしていない喜びは、どこにあるのだろうか、と、考えてしまうのですが…。<

この最後のところはちょっと意味不明なのですが。

「精神の高揚」とか「悟り」というようなものは、種類・程度の差が無限にあって、白隠禅師も「大悟18回、小悟は数知れず」と言われたそうですから、自内証の「法燈継承」ができたか、できないかどちらかと二分するわけにはいかないでしょう。「内なる法燈継承をしましょう」というのは、無限向上を目指す目標と言えるかも知れません。

でも、それは理論や理屈で真理を知るのではなく、実体験をもって、日々喜びと感動の生活を送ることが大切であろうと思うのですが、いかがですか。

82復興G:2012/05/22(火) 22:16:14 ID:84pogn5s

>>77 :SAKURA様。
ご丁寧なレス、ありがとうございました。

>私の“心”の中に、いつしか【復興G様…】への 【固定観念…】が潜在意識の中に“インプット”されて、意見を述べても?無理でしょうか…?その様な考え方が“芽生え”ておりました事に、気づきました。■■此の事は【学ぶ会】【ときみつる会】…の方々が…今思われていらっしゃいます【概念…!!『現総裁先生…雅宣先生では“ダメ〜〜ダメ〜〜!!”』と云う事】と、同様な事だと…そして無意識のうちにでしょうか…私自身が“行”じている事に今回!反省しております次第です…。<

ありがとうございます。
おっしゃる意味がよく分からない点もありますが、
私は【学ぶ会】【ときみつる会】には全く関係していません。「学ぶ」誌などの雑誌もとってません、たまにもらって読んだことはありますが。『現総裁先生…雅宣先生では“ダメ〜〜ダメ〜〜!!”』とは思っておりません。私は現教団の相愛会員で、地方講師でもあります。

しかし、社会事業団や学ぶ会、ときみつる会などを「敵」視して争っているのはおかしい、生長の家とは愛の家、一切は自心の反映である、一切は自己責任とする「一切者の自覚」をもつものだと教えられているのに、『生命の實相』の出版権問題では、「社会事業団が悪い」と他を責めるばかりで何の反省もないのはおかしいではないか、とも考えています。また、「総裁が悪い」「教団幹部が悪い」と他を責めるばかりでもいけない、とも思っています。

私の究極の夢は、「和解」と申し上げています。しかし現状は、とても「和解」などできそうな気配がありません。
この時にあたって、どうすべきか。何が出来るか。それが私の、私たちに与えられた公案、課題だと思っております。それをご一緒に勉強してまいりたい、というのがこのWEB誌友会開催の一つの必然的な課題であろうと思っております。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
合掌 拝

83復興G:2012/05/22(火) 22:40:45 ID:84pogn5s

皆々様。

WEB誌友会、いよいよ明日夜21:00〜23:00と迫りました。
それで、テキストの『生命の實相』第1巻「總説篇」(七つの光明宣言とそのご解説文)を、聖典引用板にUPさせていただこうと思います。テキストは皆さんお持ちでしょうけれど、謹写したものをアップしておけば、それを見て予習することも可能ですし、そこから部分的にコピペして感想を書く準備もできますから。

それともう一つ、『理想世界』誌昭和53年11月号に掲載された「顕斎の時は今」と題する座談会の記録、これがとてもすばらしく、「内なる法燈継承」を考え、日常生活に真理を生きる、神の子を生きる、住吉大神の全心全霊として生きることについて考えるとき素晴らしいヒントになると思われますので、これもアップロードさせて頂きましょう。少し長文になりますが……。

なお、金木犀様が精力的に謹写してくださいました、『秘められたる神示』から「君民同治の神示」とそのご講義は、既にお読み下さっている方が多いと思いますが、これもぜひ拝読して、誌友会に臨む準備をしていただくと、ありがたく存じます。よろしくお願い申し上げます。
感謝 合掌 拝

84ハマナス:2012/05/23(水) 00:39:31 ID:u5mC.eb2
如月様、みなさま
こんばんは。

ご丁寧にありがとうございます。お役に立てて嬉しいです。
>「そうだ、現象から目を離そう」とひたすら甘露の法雨を誦げているうちに 神様に任せきりの心境になれたところ、勝手に問題が解決して行ったのです。もう、日々が体験、感動なのです。<

素晴らしいですね!
生長の家では、“現象なし、実相独在”と教えられています。

「生命の実相と申候事(もうしそうろうこと)は、此世界が此儘(このまま)神の国で

あり、人間は其儘(そのまま)神の子なりと申すに候(そうろう 観ずればそれば

現わるるものに候 観ぜざれば現るる事なし

さればこそ心を静めて実相を見よと申すに御座候 現象に如何なる悪顕われ

候とも何れも神の作り給える実在には無之候間(これなくそうろうあいだ)

気にかけずに唯、実相円満完全なる姿のみを観ずれば、結局は円満完全なる

実相顕れるものに有之候(これありそうろう)」      (谷口雅春先生著 『詳説神想観』)

85SAKURA:2012/05/23(水) 00:49:10 ID:o6zNb24E
復興G様 へ
>>82拝読いたしまして…

こちらの方こそご丁寧なる“お返事”ありがとうございます…。
まだ〜まだ〜“若輩者”の身の上ですが、この様に“御文章”頂きますと、
“感謝”と云う言葉の一言に尽きます…。 ありがとうございます…。

■そして【和解…】此の事は「生長の家…大調和」ですもの〜〜〜と思う所存です。
改めまして「神様に祈り」此の事を、ひたすら…徹します…。
仮に、参加させて頂きます時は、私なりの“投稿”していきたいと思います…。
今日はいろんな“テキスト”を投稿していたただきコピ−して参考に……
更に「生命に実相」をお守り??片手に持って頑張るでしょう〜〜かしらン!!
宜しきお願い致します…。「どうしても?学ぶ会…?」〜〜〜〜〜変でしょうか?

最後に、【5月23日…WEB誌友会】開催…楽しみに致しております…。
此の思念を…そして次なるステップに益々活発なる“誌友会”になります
【実相…】顕現!!思念お祈り申し上げます…。
                            再合掌

PS:【聖典版…】にての“資料…”感謝申し上げます…。
くれぐれも「アイ・ケア―」そして【愛念…】を頂きました…。ありがとうございます。

86さくら:2012/05/23(水) 01:32:18 ID:tPVxKQcE
復興Gさま

丁寧な説明をしてくださり、ありがとうございます。

仰る通りですね、「内なる体験」というのは自内証、つまり「他者のうかがい知れない内面の世界の証、内証のさとり」であり、
外的な証、などではなく、「信徒一人ひとりが法燈継承を」というのは「内なる法燈継承」ということだと、理解いたしました。

その理解の上で、この誌友テーマを確認いたしますと、
「わたしたち一人ひとりが、真に法燈継承をするには、具体的にどうすればいいのか?」
とありましたので、内なる体験をした上で、具体的に、各人の行動とは、と考えていましたが、理屈だったようで、失礼しました。

聖典を読み内なる体験に喜び、感動する。それがひとりひとりの「法燈継承」ということでしょうか。

明日は仕事ですので、誌友会は参加できませんが、
発言の機会を与えていただいたことに、感謝いたします。
WEB誌友会の発展と復興Gさまの今後のご活躍をお祈りいたします。

ご返信、誠に感謝申し上げます。拝

87志恩:2012/05/23(水) 06:24:57 ID:.QY5jUA6
復興G様、金木犀様、

謹写を、有り難く存じております。後ほど、プリントアウトさせて頂きます。
私は、難しいことは言えませんので、自分なりに「内なる法燈継承」と考えて、実行していることを
自分の言葉で、述べさせて頂きます。


生長の家の1人1人の法燈継承とは、むづかしいことではなく、だれでも、たのしく充実感のある修行を連続することで、体得できることであると思います。

住吉大神様を全身全霊として生きるとは、法燈継承するとは、

私は、神殿中の神殿である【「生命の實相」を生きる】ことだと思っています。

生命の實相を生きるとは、つまり、それは、一番初めの段階で、自分が、「神の子である」ことが、確実にわかることが、第一歩で、
「三正行」をすると、神と偕に生きている、神のいのちを生きている 神の子の実相実現が可能になると教えられて参りました。

《①聖典を読む、②神想観をする、③愛行をする(愛行は、お金をかけなくても、人をよろこばす事も愛行)》。
    このたのしく充実感のある修行により、心の調律が根本的に完成されると思います。

「聖典読誦」で叡智を戴き、「神想観」で神通力を得て、神と偕に生きる「神の子」の生き方をする。

 {愛によって、愛を表現し、他人を生かす。}ことが、神の子の生き方。

 善い言葉によって、明るい表情によって、人々に希望を与える神と偕に生きる生き方。これが、出来るようになりますと,自分自身も
「わが向かうところ、善のみ光のみ」という真実の自信と確信が、持てるようになります。

神と偕に生きるとは、我意によって生きない。神にゆだね、神にまかせ、いずこにも救いを見、いずこにも光明を見、いずこにも摂理を見、
たゆまず屈せず、神と偕に生きること。

この本当の神の子の自覚に、立ち位置(礎・いしずえ)が立ってこそ、出発点が、神に根ざしていますから、個人的な幸福だけでは、とどまらなくなる。

住吉大神様の指令とは、「悟れ、そして、人類に奉仕せよ」という神界・霊界からの指令であり、自己の内なる神の導きだとも教えられております。

絶対絶命、窮地に追い込まれる状況になる事は、誰でもある事ですけれど、そういうことがあるからこそ、実相と現象の関係を勉強し修行をせざるを得なくなる。
だれでも、運命の自壊作用はあるように、仕組まれている。継承のうちに含まれている。

 (なんか、ピントがずれていき、復興G様や、金木犀様のように、頭がよくないので、じょうずに表現できてませんが、、
  日本国の実相顕現ということも、継承しないと、、、それ、書いてないな)

88志恩:2012/05/23(水) 07:46:23 ID:.QY5jUA6
〜住吉大神様を全身全霊で、表現する舞台が、この現象世界〜

神様が設定された重複創造ですが、〜神の波動即ちコトバによって創造された霊的存在であるところの「実相人間」と、
実相の自覚が、眠りに入って、自己を「土の塵」即ち物質にて造られたるものと夢みている「物質人間」とが、同時に
そこに出現しているのが、人間の存在だと、教えられて参りました。

これを重複創造というそうです。この設定は、神様がされました。

人間が重複創造であるのは、神は人間の中に、地上天国実現の念願を織り込んでおられるから。
現象には「自由な」心で、試行錯誤を繰り返しながら、善悪を識別する智的修行がある。

現象世界は、実相を探求し、実現していく世界。間違った行ないや想いで、善くない状況が現れたりしますが、
それは、人間の迷いの心から出た自壊作用。しかし、それにより、自分の行ないや想いが、正しかったかどうか
判断でき、やり直せる仕組みにもなっている。

89a hope:2012/05/23(水) 07:52:06 ID:kcv2QXTk

みなさま おはようございます。

みなさまのたくさんのテーマに関する書き込みに、わたしは感動しています。

復興Gさま
聖典引用板に、
テキストの『生命の實相』第1巻「總説篇」(七つの光明宣言とそのご解説文)と、
、『理想世界』誌昭和53年11月号に掲載された「顕斎の時は今」と題する座談会の記録を
UPくださりありがとうございます。
今日は、仕事はお休みなので、ゆっくりお勉強させていただきます。

わたしは、司会補助としてのお仕事がちゃんと務まるかはわかりませんが、
パソコン2台体制で、20時30分までにはスタンバイしますのでよろしくお願い致します。

それから、なんか前夜祭は復興Gさまを中心に、女性陣のみで盛り上がっているようですが、
この掲示板には、たよりになる男性もたくさんいらっしゃいますので、ご参加よろしくお願い致しますね。


ユタカさま、お元気ですか?
ユタカさまがいらっしゃらないとさびしいですよ。
どうぞ、また、いつでも元気に登場してくださいね。

「訊け」管理人さま、昨日は「頑固」などと言ってしまい、申し訳ありませんでした。
わたしも、「訊け」管理人さまも、組織にほとんどかかわったことなく
でも、「真の生長の家の教え」を求めているという点では同じですよね?
わたしたちは、復興Gさまが司会のこのweb誌友会で、
独学では得られないたくさんのことを学べるのではないでしょうか?
web誌友会にはどうか謹慎をとかれて、ご参加くださいね。

90志恩:2012/05/23(水) 08:07:14 ID:.QY5jUA6
現象は、「実相生命」の時空世界の表現舞台でありますから、仮の存在、無。
目に見える世界は、本当は、ない。
目に見えない世界が、本当は、ある。

復興G様や、金木犀様が、相手(現象)は、自分のこころの合わせ鏡だと、私に教えて下さったのは、
魂の修行の道標なのかもしれません。

現象は、仏が説法し合っているとも教えられていますので、人は、その現象における仏の説法を受け、
また、こちらも説法しつつ、ともに、向上をしているわけです。

ですから、本流の皆様も仏であり、ここの傍流の皆様も仏であると、思っています。

91志恩:2012/05/23(水) 08:11:40 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

司会補佐をしてくださるそうで、ありがとうございます。心強いです。
つぎの司会、SAKURAさまということも賛成です。

私は、今日は、昼間はいそがしいので、夜の誌友会を楽しみにさせていただきます。
ありがとうございます。

92「訊け」管理人:2012/05/23(水) 08:21:29 ID:???

>復興Gさま

 ありがとうございます。「顕 斎 (まつり) の 時 は 今」(『理想世界』昭和53年11月号)ですが現在、感激を以て拝読しております。ああこの座談会、本当に素晴らしいですね。

――――――――――――――――――――――――――――――――
(聖典板 >>701「顕 斎 (まつり) の 時 は 今 」より)
<自分の中に宇宙がある>

 ぼくはね、以前はベートーヴェンの音楽をきいても、バッハの音楽をきいても、「これはベートーヴェンという人の体験した、ある生命体験を描写したものだ」あるいは「バッハの世界を表現したのもだ」と思っていました。それは他人事(ひとごと)だったんです。そして、ベートーヴェンの能力に嫉妬心を起していたんです。ところが、そうではなかった。これは、ベートーヴェンが、ぼくのいのちをまつってくれて、ぼくのいのちをたたえて、こうして顕斎してくれているんだ、という気持になってきたんです。ベートーヴェンが他人事じゃなくなったんですね。こういった大天才たちが自分のいのちの延長として出て来て、自分のいのちをたたえてくれている、という感じになってきたんです。そしたらもう、うれしくてうれしくて……
――――――――――――――――――――――――――――――――

 上記引用箇所以外にも、なにかしら気づきを得られる予感がしております。これから再度、再々度拝読させて頂きます。

追伸

 ああ、こういった真理の話ですが、もっと読みたいですね。しかし素晴らしいなあ、昔の神誌は・・・私ももっと、蒐集します。




93「訊け」管理人:2012/05/23(水) 08:28:48 ID:???
追伸

>復興Gさま

 以下も良いですねえ・・・・感嘆しております。

――――――――――――――――――――――――――――――――
(聖典板 >>704「顕 斎 (まつり) の 時 は 今 」より)

K 先日私の知合いが、「北方領土返還要求」ということで、九州の南端から北海道の現地まで日本全国縦断のキャンペーンをやるんだという連絡が来て、もうスタートしちゃったそうだけれども、ぼくは「ちょっと待て、出発する前に話し合おう」と言いたかったところです。この北方領土の問題は。「それは日本のものだ、返せ」と言えば、向うはすでに自分のものとして基地を作ったりして、地図にもソ連領として書かれているとなると、「何を言ってるか」ということになる。そうすると今度は、力づくで取り戻さないと戻って来ないことになる。今、こういう状態では、戻る可能性は百パーセントないと言っていいですよ。「戻せ」というと戻さない。「何を言うか」とひとひねりされたら、もうしようがない。では、どうすればいいか。私は、エトロフ、クナシリや千島の島の神様をお祭りすればいいと思うんです。それは日本書紀に書かれてあるんですよね。島の国魂神の顕斎を、本当に心を合わせてやるようになったら必ず返ってきますよ。ソ連の居心地が悪くなって、いられなくなってきますよ。それは、一人や二人が祈ったのではだめだけれども、日本人の百人に一人が真剣に祈ったら、筒単に実現すると思うんです。

 ところが、「返せ、戻せ」と言ったら、現象の次元での衝突になってしまう。それではかえって、「何をいうか」ということになって、憎まれて、反動が来るだけで、どうしようもないと思うんだね。――――――――――――――――――――――――――――――――

94復興G:2012/05/23(水) 11:40:24 ID:84pogn5s


如月様、ハマナス様、さくら様、SAKURA様、志恩様、うのはな様、
a hope様、「訊け」管理人様、金木犀様、トキ様、皆々様。
(順不同ですみません)。

私は今、泣いております。なんだか嬉しくて、ありがたくて、感動の涙が出てくるんです。神様が天降っていらっしゃっているようで……。

ありがとうございます。

>>92・93 :「訊け」管理人様。
私も今、あらためて聖典板にupした「顕 斎 (まつり) の 時 は 今」(『理想世界』昭和53年11月号)を拝読しなおして、感に打たれています。

そして、金木犀様が謹写して下さっている「君民同治の神示ご講義」も、深く考えさせられるご文章です。
金木犀様、謹写の労に感謝申し上げます。

「神の恵みきたるとき、一切の争いは止み、すべての戦いは停止し、いにしときの敵と味方とは手を挙げて平和をほめたたう。」

この、第1回WEB誌友会のおみくじで、ユタカ様から頂いたこのお言葉、すでに実現しているすがたが目に浮かぶようです。
ありがとうございます。
感謝 合掌 拝

95「訊け」管理人:2012/05/23(水) 11:54:23 ID:???


>復興Gさま

 同座談会内容でありますが、これを「熱鉄丸を呑了」せねばなりませんね。

 ・・・・以前、貴殿からお教え頂いたコトバ、「熱鉄丸を呑了」ですが、ここで使わせて
頂きました。

 素晴らしいご文章掲載の労に対しまして、あらためて感謝申しあげます。





96「訊け」管理人:2012/05/23(水) 11:55:22 ID:???

<訂正>

 この熱鉄丸を、呑了せねばなりませんね。

97復興G:2012/05/23(水) 13:43:55 ID:84pogn5s

>>89 :a hope様。

>今日は、仕事はお休みなので、ゆっくりお勉強させていただきます。<

パートのお休みをとって頂いたのでしょう。ありがとうございます。

>わたしは、司会補助としてのお仕事がちゃんと務まるかはわかりませんが、パソコン2台体制で、20時30分までにはスタンバイしますのでよろしくお願い致します。<

パソコン2台体制ですか。1台を閲覧専用、1台は書き込み用とかにされるのでしょうか。すごいですね。
私も真似しようかな。

さて、司会は交替制ということですから、今後いろいろな方が、あまり負担を感じずに引き受けられるよう、前回までのようには凝った演出などしないで、出来る範囲で無理なくさせていただこうかと思っています。でも、a hope様の方で「ぜひこれをやってみたい」と思われるようなアイディアがありましたら、どうぞ遠慮なくやってくださいませ。
その場合、内緒の打合せが必要ならば、トキ様に仲介をお願いして、部室板1355 に書かれていました、
tokirijicyo@yahoo.co.jp
というフリーメールアドレス宛にメールしていただくという方法もとれるかなと思いますが、届くのが遅れる場合もあるそうですので、掲示板上で打合せでもよろしいでしょうね。

私は、開会直前に「真理の吟唱」(または「続――」)からの1節を掲示し、開会の祈りの言葉を掲示する。YouTube動画を使うことはしない。ということで、静かなオープニングにしようかと思っています。よろしいでしょうか。
今のところ、「おみくじ」もなし、で行こうかと思いますが――。でも、これからよいアイディアが天降ってきたら、あるいはa hope様が作ってくださるなら、おみくじが出るかも知れません。神ながら、神の導きのままに――ということでまいりたいと思っています。
よろしくお願いいたします。
合掌 拝

98復興G:2012/05/23(水) 14:22:45 ID:84pogn5s

>>95 :「訊け」管理人殿。

「熱鉄丸(ねってつがん)を呑了(どんりょう)」ですか。もう忘れてましたが、そういうお言葉が『無門関解釈』の「第1則 趙州狗子」のところにありましたね。

「それは絶体絶命、熱鉄の灼熱せる団子が咽喉につまつたやうに吐けども吐くことが出来ない。最初は無いと感じてゐたが、その無を感ずる感覚器官さへも焼けて了つて熱いも冷たいも無い、ただそこに熱鉄だけがある。のがれる道はない──その儘受ける──その心境になると、従前の悪知覚がなくなつて、苦しい熱鉄の団子を呑まされたと思つてゐた苦しい感覚がなくなる。そして「久々に純熟して自然に内外打成一片」となる。受ける自分(内界)と與へる外界とが渾然熟して一体となる。一体となるとき、その儘そこが極楽であることが、喋らないでも唖子が夢を見て自得するが如く自得するやうになるのである。忠義とは苦しいもの、孝行とは面倒くさいもの、夫婦相和は退屈なものと思つてゐたのが、忠孝とは愉しいもの、孝行とは悦ばしいもの、夫婦相和は楽なものであると其の儘素直に行へるやうになるのである。病気なら病気が癒える。」

――なかなか意味深な難しい言葉ですが、結局、「熱鉄丸を呑了」すれば、

「忠孝とは愉しいもの、孝行とは悦ばしいもの、夫婦相和は楽なものであると其の儘素直に行へるやうになる」

ということですね。
『理想世界』の座談会で発言している方々は、ただうれしい! ありがたい! ということしか言っていないようなので、「熱鉄丸」はもう超えているのでしょう。

99a hope:2012/05/23(水) 15:41:33 ID:kcv2QXTk

>>97 復興Gさま

すみません(汗)。
今日は仕事は、たまたま休みでしたし、司会補佐として特別なにかするつもりもありませんでした。

詩会補佐ではありますが、わたしも一参加者として、
今夜はみなさんと同じようにお勉強させていただきたいと思っています。

ただ、できることは、必ず参加することぐらいです(笑)

ですから、パソコン2台体制の1台は、どちらかがフリーズしたりしてしまって、
調子が悪くなったときのための予備という意味です。

あまり、役に立たない司会補佐かもしれませんが、よろしくお願い致します。
わたしも、気負わずに、復興Gさまがおっしゃるように、
―神ながら、神の導きのままに ―、web誌友会に参加させていただきます。

ところで、さきほど、復興GさまがUPしてくださった、「顕 斎 (まつり) の 時 は 今 』
と、金木犀さまの謹写して下さった、『秘められたる神示』を半分まで拝読しましたが、
今回のテーマへの、大きなヒントが示されていました。
昔の「生長の家」の座談会というのは、本当にレベルの高いお話がされていたのですね。
また、『秘められたる神示』の講義の体験談にも、身震いがしました。

それでは、復興Gさま、みなさま、a hopeは、なにもおみくじも、お茶もお料理もなにも用意いたしませんが、
今夜はみなさまと一緒に、誌友会を楽しみながらお勉強させていただきますので、どうぞよろしくお願い致しますね!

100SAKURA:2012/05/23(水) 17:47:50 ID:V.pKl3yA
>>99>>98
「復興G様」・ 「a hope 様」へ

“投稿の言葉”の中で…正確に使用して頂けないでしょうか〜〜〜♫〜〜〜
楽しみに〜〜♫〜〜皆様も拝読される事と(私も…)思いますので、御願いでましたら!

■【生長の家】−−>【誌友会…】です…。!!!!!!!

■【創価学会】−−>【座談会…】です…。!!!!!!!

もしかして??「昔〜創価学会???」いらっしゃいましたのですか〜〜〜??
この中に【創価学会の方】いらっしゃいますのですか〜〜〜??
それとも【両方入会】している方も?いらっしゃいますのですか〜〜〜?ともかく?
今回の「WEB …」は「生長の家」としての開催ですので…討論は別としまして??
                         
 再合掌

PS:

「復興G様」・ 「a hope 様」へ
今回の【WEB誌友会…開催】に当たりまして、ご活躍をお祈り申し上げます…。
(緊張されていらっしゃいますでしょうが…?)

101復興G:2012/05/23(水) 18:23:49 ID:84pogn5s

>>100 :SAKURA様。

応援をありがとうございます。
WEB誌友会の司会については、特別緊張はしていません。自然体で、成り行きまかせと言いますか、「神ながら」でさせていただくつもりです。

あと、『理想世界』の記事は、誌友会の記録ではありません。座談会です。「座談会」というのは別に、創価学会の専売特許ではありませんよ。生長の家でも、練成会の中で「座談会」が行われることもありますし、『理想世界』誌の記事の場合も、誌友会ではなく、記事をつくるための「座談会」でした。「座談会」が、正確な使用で、まちがっていませんので、よろしく。
ありがとうございます。合掌

102復興G:2012/05/23(水) 18:39:01 ID:84pogn5s

>>99 :a hope様。

>今日は仕事は、たまたま休みでしたし、司会補佐として特別なにかするつもりもありませんでした。
司会補佐ではありますが、わたしも一参加者として、今夜はみなさんと同じようにお勉強させていただきたいと思っています。<

それで安心しました。
子育て中でパートの仕事もしている主婦でも気楽に司会補佐ができる、という見本を示すためにも、そうして気楽にやっていただくことがよいと思います。特別な負担がかかるようだと、次にやる人がびびって尻込みしてしまいますから。

>気負わずに、復興Gさまがおっしゃるように、―神ながら、神の導きのままに ―、web誌友会に参加させていただきます。……それでは、復興Gさま、みなさま、a hopeは、なにもおみくじも、お茶もお料理もなにも用意いたしませんが、今夜はみなさまと一緒に、誌友会を楽しみながらお勉強させていただきますので、どうぞよろしくお願い致しますね!<

そう、楽に、楽しく行きましょう。ありがとうございます。

参加者皆様も、どうぞお気軽に、普段着でご参加くださいね。
感謝 合掌 拝

103役行者:2012/05/23(水) 18:49:49 ID:HhEhD55M

 復興Gさま

 私も誌友会に参加するつもりだったのですが、旧友が突然現れたので、しばし今から積もる話をしてきます。
 
 もし、間に合うようでしたら、途中から参加します!
 大盛会に、またすばらしい内容の誌友会になりますよう、心からお祈りしておりす。

         合 掌

104役行者:2012/05/23(水) 18:51:27 ID:HhEhD55M

 復興Gさま

 私も誌友会に参加するつもりだったのですが、旧友が突然現れたので、しばし今から積もる話をしてきます。
 
 もし、間に合うようでしたら、途中から参加します!
 大盛会に、またすばらしい内容の誌友会になりますよう、心からお祈りしておりす。

         合 掌

105トキ:2012/05/23(水) 19:11:34 ID:tIygbYjo
>>99

 パソコン2台ですか。気合いが入っていますね。素晴らしいです。

106SAKURA:2012/05/23(水) 20:04:59 ID:V.pKl3yA

復興G様 へ
>>101
“お返事”ありがとうございます…。

そうなのです〜〜〜〜〜ネ!私は、知りませんでした…。
『理想世界』での“この言葉”を使われています事…昔は使われていたかも?
ある時期から「雅春先生」が、切り替えられていたような
“おぼろげな記憶”でしたので…

教えて頂きまして、ありがとうございます…。       再合掌

107a hope:2012/05/23(水) 20:44:35 ID:kcv2QXTk
みなさま

今夜、あと、30分ほどで復興Gさま司会によるweb誌友会が開催されます。

あらためまして、詳細をお知らせしますね。
以下、>>56の復興Gさまの投稿より転写させていただきます。

5月23日(水)午後9時〜11時
このWEB誌友会板で開催

さて、今回第3回目のWEB誌友会では、次のようにさせていただきたいと思います。
     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
① テキストとして『生命の實相』第1巻「總説篇」を使用し、「七つの光明宣言」を、さらに掘り下げる。
② テーマを
  『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』
とする。(※ 注1)
③ 単なる論争の場とせず、『生命の實相』の教えを正しく学び、身に体して実行すること、行動の指針とすることを目的として話し合う。
④ そのため、他人の発言は自分の意見と違ってもそれを尊重し傾聴し、徒に感情的な言葉を発しないよう気をつけましょう。
     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ということでお願いしたいと思います。

② の(※ 注1)というのは――一般に「法燈継承」といえば外なる『生長の家』総裁の法燈継承について言われているわけですが、信徒一人ひとりの「内なる法燈継承」ということも大切なことではないか。つまり、谷口雅春先生が創刊号の「発進宣言」と言われているご文章に記された「生長の火」を、信徒一人ひとりがしっかと受けとめ受け継いでいきましょう、ということを意味しています。

さて、この誌友会に参加される皆様はみな神の子でいらっしゃって、それぞれ天分、使命、個性がちがっています。同じ人は一人もいらっしゃいません。その立場も、現教団組織に所属し、総裁を擁護して行こうとする方もあれば、反教団、総裁批判の立場をとっていらっしゃる方もある。現教団組織に所属しながら、総裁や教団の現状に疑問・批判を持っている方もあるし、反教団・総裁批判だが学ぶ会などにも批判的、という方もある。いろいろです。(ちなみに私は現教団組織に所属していますが、おかしいと思うところはおかしいと言います。)

一概に「誰それは○○派」と区別し差別することは無意味なことだと思っております。みんな元は一つ、神の子のいのちの兄弟なのですから。この誌友会の場では、みんな平等な神の子の立場で、お互いを尊重し、意見は違っても感情的にならないようにお互いに気をつけ、学び合い研鑽し合うということを貫いて行きたいと思っております。私は司会者として、無我・無私の心で、皆様を神様として礼拝して行きたいと思っておりますが、不行き届きで我が出てしまうことがあるかも知れません。そこはお互い人間としてご海容くださいますよう、お願いするしかございません。皆様が司会者の気持ちで臨んで頂ければありがたいことであると思います。なにとぞよろしくお願い申し上げます。


今夜、a hopeは、力不足ながら司会補佐をさせていただきます。
みなさま、ご協力をお願い致しますね。

108復興G:2012/05/23(水) 20:51:39 ID:84pogn5s


皆様
本日のWEB誌友会開会の時刻 21:00 が近づいてまいりましたので、前回「準備祈願」として発表されました祈りの言葉を、またここに貼らせて頂きます。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

(準備祈願) 住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
  住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
  今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の戦士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
  今夜の参加者お一人、お一人を浄化め給うて、使命を授け給う。
  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

109復興G:2012/05/23(水) 20:59:48 ID:84pogn5s


開会の祈り 合掌して神招歌をお唱えください。

ありがとうございます。ありがとうございます。
生長の家の大神さま、ありがとうございます。 住吉大神様ありがとうございます。 谷口雅春先生ありがとうございます。 人類光明化運動を邁進されておられる諸先輩方ありがとうございます。 トキさま始め皆々様ありがとうございます。 有難う御座います、有難うございます、ありがとうございます。

生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸え給え。
吾が生くるは吾が力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命。
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生きる祖神の権能。
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神守りませ。 
ありがとうございます。これから真理の吟唱を勉強させていただきます。この勉強会によって、生長の家の御教えを正しく理解し、神様の愛と智慧と勇気をもって伝道をさせていただきますことを感謝いたします。 吾等の伝道を護り給う、導きたまう。
有難うございます。ありがとうございます。

これから  『真理の吟唱』 を一緒に読んでいきましょう。
貼り付けていきますので、一緒によみましょう。 途中で発言される方はどうぞ発言してかまいませんので・・・

110復興G:2012/05/23(水) 21:01:07 ID:84pogn5s


 聖経 『真理の吟唱』 より <1>

    《内なる光を呼び出す祈り》

 神はわが御親にましますのである。
 神は光であり給う。
 その光は物質の光ではなく、一切のものを内より照り輝かす光であり給うのである。
 われは“神の子”である。
 さればわが生命の内に神の光は宿り給う。
 神の光はわれを照し給い、また一切のものを照し給う。
 わが行くところ一切の暗黒は消え、光明のみが輝くのである。

 われはこの世界に神の光を与えるために生まれたのである。
 神の光は、愛の光であり、智慧の光であり、平和の光であり、調和の光であり、歓びの光であり、癒しの光である。
 われはこの世に神の愛をもたらし、神の智慧を与え、平和と調和を持ち来し、悲しめる者に歓びを与え、病める者に癒しを与えんがために生まれたのである。

 神はわれを“神の子”としてすべての人類に光を与えんがために、この世に我れを遣わしたまうたのである。
 万人に光を与えることがわが使命なのである。
 さればわれは、われに触るる者ことごとくに光を与えるのである。
 この光は神より来れる無尽燈であるから不滅の光であり、如何なる闇も、いかなる反対もこの光を消すことはできないのである。

 すべての人々に“神の光”は宿り給う。
 単にわれのみに“神の光”が宿っているのではないのである。
 それは或る宗派では内在の「仏性」と呼び、ある宗教では内在の「キリスト」と称するのである。
 ただ光のみが光を知り、光を呼び出すことができるのである。
 われは今、自分が、“神の子”として自己の内に“神の光”が宿り給うことを自覚したのである。
 光はそれを自覚せる者の心の中に照り輝くのである。
 自己が自己に宿る光を照り輝かして、相手の人々を観れば、類は類を呼び出し、光は光を点じて、相手の人々から“神の光”が呼び出されてくるのである。
 すべての人々から“神の光”が呼び出されてくれば、地上に平和は来り、世界は天国浄土となるのである。
 わが来れるはこの世を天国浄土たらしめんがためなのである。

 真(まこと)に誠に、われは“神の子”である。
 わが内に“神の光”は宿り給い、わが光は全世界に照りわたるのである。
 光の照るところ闇なく、病いなく、悲しみなく、苦しみなく、不調和なく、争いなく、すべての人々相互いに睦び合い、尊敬し礼拝し合い、この世に天国浄土か実現するのである。

 われは今、“神の子”なる事を一層深く自覚し、その自覚の深まるに従って、わが魂の高揚を感ずるのである。
 わが魂の高揚するにつれて、わが“内なる光”はいよいよその輝きを増し、全世界を照すことができるのである。
 多くの人々、わが“内なる光”に照し出されて、各人みずからの“仏性”すなわち“内在のキリスト”の光をあらわし、唯一なる神をほめ讃う。
 ああ、ありがたきかな。神なる親様に感謝し奉る。

111復興G:2012/05/23(水) 21:03:01 ID:84pogn5s


 聖経 『真理の吟唱』 より <2>

    《天地一切と和解する祈り》

 われ今、ここに、神の子として新生し、神に感謝し奉る。
 神は普遍的存在にましますのである。
 一切を包容し、一切のものの周囲に、また一切のものの内にましまして、一切のものを渾然と一つに融和していたまうのである。
 それゆえに、私もまた、神の子として、その渾然たる一つの融和体の中に存在するのである。
 それゆえに私は、天地一切のものと融和し、天地一切のものと調和の関係にあり、わが働きは、他の天地一切のものを生かす働きとなり、また天地一切のものの動きは、また我れを生かす動きとなるのである。

 すべての人と事と物とは、今ここに渾然と調和しており、たがいに争い立つということはないのである。
 現象の世界に、如何なる対立の関係があろうとも、如何なる闘争の関係があろうとも、それは妄想の顕わすところであり、妄想はやがて消えるべき運命にあるのであるから、私はそれを恐れることもないし、それに愕(おどろ)くこともないのである。
 妖雲冪々(よううんべきべき)と空を覆うことがあっても、その上には常に蒼空(あおぞら)があるのと同じように、如何に暗澹たる状態が現象的にあらわれてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。
 心を動ずることがないから、何らの対策をも講じないのかというと、決してそうではないのである。
 心を動ずることがないから、最も適切なる智慧が泉の如く涌き出でて暗を消してしまう処置ができるのである。

 光の進軍に対しては暗は逆らうことも、抵抗することもできないのである。
 事に応じてわが為すところの行為は、神の子として大神の智慧の炬火(たいまつ)をとぼして進軍するのであるから、誰もそれを遮ることはできないのである。
 神は「暗に対しては光を以って相対せよ」と仰せられているのである。
 光は進む、暗は消える。神はわれらに「常に心を明るくもて」と仰せられているのである。
 一時(いっとき)といえとも私は心を曇らすことをしないのである。
 神は勇気の本源であり、神の子たる私は、勇気そのものである。
 神の智慧われに来りて、迅速果敢に適当なる決意と断行をなさしめ給うのである。

 ああ、感謝すべきかな、天地万物は、ことごとく神の子として兄弟姉妹であり、われを常に祝福し、われを常に援助し、わが希望を必ず成就せしめ給うのである。

112復興G:2012/05/23(水) 21:04:13 ID:84pogn5s


 聖経 『真理の吟唱』 より <2>

    《困難を克服して伸びる祈り》

 神は宇宙の本源であり給い、自己の内に“無限”を包蔵し給うのである。
 宇宙の一切のものは、神の無限の内容が、時間空間の枠を通して逐次に展開し行く姿であるのである。
 それゆえに今日は昨日よりも一層よく、明日は今日よりも一層よくなることは間違いないのてある。
 たとい一時、暗黒の状態があらわれようとも私は決してそれについて悲観することをしないのである。
 暗黒と見える時にも生命の生長の営みは行なわれているのであつて、植物は、夜のうちに一層伸びるということである。
 われわれの魂も、境遇が苛辣(からつ)であり、周囲の一切のものがただ暗黒に閉されていると見える時には、かえっていろいろの反省や努力が行なわれて、明るい幸運にめぐまれている時には、ないがしろにせられていた魂の部分が一層伸び且つ向上し進化するのである。
 肉眼には明暗の二相があるかのように見えているけれども、魂にとっては、明暗ともに、生長と進歩との機会なのである。悪しきものは宇宙のどこにも存在しないのである。

 “悪”は本来存在しないのであるし、失望落胆すべき事情も決して存在しないのである。
 わたしの希望は、神の希望がわたしという噴出口を通して、実現して来ようとしている衝動であるのであるから、その希望は自分自身の卑怯な臆病な躊躇逡巡(ちゅうちょ しゅんじゅん)をもって妨害しない限りは必ず成就し実現するのである。
 「不可能」という語は、それが他の人々に不幸を与え迷惑を蒙らせるような願いでない限り、あなたの「生活の辞書」には存在しないのである。

 私は今日より後、一切の卑怯な躊躇と臆病な逡巡とに別れを告げるのである。
 私は勇敢に希望実現の道を歩む。
 神が導き給うのであるから、決して道に迷うことはないのである。
 私は一切の不幸や災厄や病気や貧しさに対して別れを告げるのである。
 なぜなら、そんなものは本来“神の子”には存在しないのであり、それはただ“迷い”の影に過ぎないからである。

 私は今、“人間・神の子”の真理を、以前よりも尚一層明らかに覚ったのである。
 この真理の光に照されて私は光の中を歩むのである。
 真理の光の照り輝くところ闇は姿を消すのである。
 私は光に照されて、神の示したまえる大道を歩むがゆえに、私の行く先はことごとく神の光に照されて、暗きは明るくなり、瞼しきは平らかとなるのである。
 私は神を信じ、神の導きを信じ、つねに神の叡智を受けて進むがゆえに、わが心は疑いの念に一瞬でもくらまされるということはないのである。
 神に導かれるわれわれ家族にとつては、明日についての思い煩いも心配も不安もないのである。
 神の光に照されて人生の大道を歩む私たちは誠に幸福なるかなである。
 神に深く篤く感謝し奉る。

 ありがとうございます。ありがとうございます。

113復興G:2012/05/23(水) 21:12:59 ID:84pogn5s

皆様、ありがとうございます。

それでは、只今より
第3回 WEB誌友会を開催させていただきます。
ありがとうございます。

テキストは、『生命の實相』第1巻の「總説篇」七つの光明宣言とそのご解説文でございます。

さて、これは今回はじめてでなく、過去2回のWEB誌友会でもテキストとして勉強してきたところでありますが

さらに、もっと深めて勉強し、実際生活に生かせるよう、研鑽してまいりたいと存じます。

どうぞよろしくお願いいたします。

では、まず前回までに研鑽しました「七つの光明宣言」の1〜3までの復習で、特にご発言がございましたら、
どうぞご遠慮なくおっしゃってくださいませ。

114復興G:2012/05/23(水) 21:17:56 ID:84pogn5s

特にございませんでしたら、七つの光明宣言の4番目


 四、吾等は生命の糧は愛にして祈りと愛語と讃嘆とは愛を実現する言葉の創化力なりと信ず。

というところを拝読いたしまして、これについてのご発表をお願いいたします。どうぞ。

115復興G:2012/05/23(水) 21:21:54 ID:84pogn5s

テキストは、「聖典引用板」の689・690前後に謹写アップロードしてございます。

116トキ:2012/05/23(水) 21:26:30 ID:tIygbYjo
 「生命の実相の自性円満を自覚すれば大生命の癒力が働いてメタフィジカル・ヒーリング(神癒)
となります。」と「七つの光明宣言の解説」の冒頭にありまして、谷口雅春先生の直弟子の先生から
「こらが分かれば、それで全部分かります」と言われましたが、まだまだ分からない小生としては
勉強が楽しみです。

 実は、さっきまで電話で相談を受けていたのですが、第三者から見たら、バカな相談でも本人には
真剣な相談でありまして、そういう人への話し方は大変だと痛感しました。言葉遣い一つで、他人を
生かしも、殺しもします。丁度、この4の下りを拝見し、痛感しました。

117a hope:2012/05/23(水) 21:30:00 ID:kcv2QXTk
わたしは、P18後ろから3行目

>>愛は生み育てる力、癒す力であるということがわかるのでありますが、この愛も祈りという言葉の力がなかったら成就しなかったに相違ないのであります。黙祷でも言葉に出しての祈りでも、どちらもやはり言葉の力であります。<<

ここに、赤線をひきました。
ほとんどの母親は自分の子どもを愛していますが、言葉に出して表現しないことが大いいと思います。
言葉に出して祈ることの大切さが書かれていると思いました。

118復興G:2012/05/23(水) 21:33:44 ID:84pogn5s

「生命の糧は愛にして祈りと愛語と讃嘆とは愛を実現する言葉の創化力なりと信ず。」

ということですが、かつて日経新聞の夕刊「あすへの話題」欄に、お茶の水女子大学名誉教授の外山滋比古氏が、「ブタも木にのぼる」という題で書いておられたエッセーが感銘深く、切り抜きを保存していました。それには次のようにありました。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
若い仲間と小さな同人雑誌を始めた。編集のKさんのお父さんが脳梗塞のリハビリに好きな絵をかいているというから、表紙の絵やカットをかいてもらったら、と私が提案した。雑誌にのった絵はすばらしい。
絶賛の手紙をKさんに書いたら「父は涙を流して喜びました」という返事だった。その後、お父さんは人が変ったようにリハビリに精を出し、夢中になって絵をかいているそうで、「おかげさまで、思わぬ親孝行ができました。ほめられるのはクスリよりよく利くみたいです」とKさんが感心している。
ノーベル賞の田中耕一さんは富山県の小学校で学んだ。高学年の理科の実験の時間に田中少年はまわってきた澤柿教誠先生に質問した。いい質問だったから先生が「君はすごい!」とほめた。このひとことで田中少年の科学志望がきまった。
ノーベル賞を受けて帰国した田中さんは自宅よりさきに澤柿先生のところへ直行、感謝の報告をした。
ほめることばには驚くべき力がある。いまかりに40人のクラスがあるとする。学力が平均するようにA、B、20人ずつのグループをこしらえる。テストをして、Aのグループの答案は採点して返し、Bグループの答案は返さず、"よくできていた"とだけ告げる。これを数度くりかえしたあと、AとBとを比較すると、わけもなくほめられたBグループの方の点が高い。ピグマリオン効果といわれるものである。
山本五十六元帥は「ほめてやらねば人は動かじ」という名言をのこした。俗には、ほめればブタも木にのぼる、という。
あいにくのことに、人間は、ほめるより叱り、くさし、ケチをつける方が好きだ。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今、「賞める達人検定」などというのもできていて、世間一般に愛語讃嘆の言葉の力が見直されているようですよね。皆様、いかがでしょうか。

119SAKURA:2012/05/23(水) 21:37:42 ID:V.pKl3yA
■>愛を生み育てる力 癒す力であります。<

観世菩薩さまの愛のみが心が、子供を授かって愛したいという本人の母性愛に
感応ましまして、祈る人、与える霊、受ける人の三者の愛が揃うことになり、〜〜

愛は生み育てる力、癒す力であると云う事が分かるのでありますが〜〜〜
あ愛の祈りは愛=言葉の力からーーー>授受するのでしょう更に黙とうでも
言葉の力になりますよネ〜〜
【言葉は=神】です〜〜ネ!!“ことば”〜〜〜“愛”につながる一つの
点―――――>線でしょうか??

120あさひ:2012/05/23(水) 21:40:14 ID:/3nxKE2Q
>>>愛は生み育てる力、癒す力であるということがわかるのでありますが、この愛も祈りという言葉の力がなかったら成就しなかったに相違ないのであります。黙祷でも言葉に出しての祈りでも、どちらもやはり言葉の力であります。<<<私もここに傍線引きました。

121SAKURA:2012/05/23(水) 21:40:17 ID:V.pKl3yA
引き続きですが…

■>愛は生み育てる力、癒(いや)す力であります。<
この最初の“言葉”が…私には心打つものがあります…。
「雅春先生の」…絶対の“愛”本当に実感いたします…。

■今!“環境問題”も含みまして、今後の未来の子供達に対しまして、
■結果を求めない愛…!!!!!!【人類愛…】
あの“マザ−テレサ”を連想してしまいます…。

独り言を述べました事…お許しくだしませ…。  再合掌

122SAKURA:2012/05/23(水) 21:44:42 ID:V.pKl3yA
此処の文章に感銘を受けました…。

■かくのごとく愛は「生命」の生長に必須欠くべからざるものでありまして、生命界
の現象は大生命の愛の花模様であるということがができるのであります。

人間の生長として必ずひつようなものは“愛”なんですネ〜〜〜
歌にも“愛”がありそこからも奇蹟も生まれるのでしょうしすてきな人生も
愛はおしみなく業ずる事でしょう・・・・全てを癒すパワーなんですね〜〜〜!!

123a hope:2012/05/23(水) 21:46:47 ID:kcv2QXTk
P20 後ろから3行目

>>「生長の家」の智慧の言葉には「人を咎むべきことあれば、その人を咎めず、かえって賞むべき点をさがし出して賞めよ」という訓(おし)えがあります。愛がいかに深くとも、愛の心で批(う)つばかりで、讃嘆(ほめことば)がこれにともなわなければ、人間は善くなりにくいのであります。愛語(やさしきことば)も讃嘆(ほめことば)も「言葉の力」であって、善を造る力なのであります。<<

わたしは、ここにも、赤線を引きました。
どんなに、愛が深くても、批判してばかりでは、人間は善くなりにくいですよね。

124復興G:2012/05/23(水) 21:50:25 ID:84pogn5s

トキ様、a hpoe様、SAKURA様、あさひ様、コメントありがとうございます。

SAKURAさま、
>■今!“環境問題”も含みまして、今後の未来の子供達に対しまして、
■結果を求めない愛…!!!!!!【人類愛…】
あの“マザ−テレサ”を連想してしまいます…。<

そうですね。「結果を求めない愛」。

それが、結局 自分にとって 最も幸福なことになるのでしょうが、「実行」

こそが課題でしょう。いかに実行するができるか! 皆様、いかがでしょうか。

125復興G:2012/05/23(水) 21:52:16 ID:84pogn5s

× a hpoe様
○ a hope様

失礼しました。

126SAKURA:2012/05/23(水) 21:52:31 ID:V.pKl3yA
>>118拝読しまして

■『愛語讃嘆の言葉の力…』

そうですよ〜〜ネ!
『讃嘆する事』は…その人に『自信』を与えますし…更にそれは、
その人の【人生…】に於きまして、躍動する“エネルギ−”与え…
自分自身を動かす力…
例えば…『病気に打ち勝つ』…etc
全ての「原動力の源?エネルギ−」になりますでしょうかしら〜〜ン?

127復興G:2012/05/23(水) 22:00:49 ID:84pogn5s

ありがとうございます。

たくさんの書き込みを頂きました。

■『愛語讃嘆の言葉の力…』 これが大切、と皆様同意されています。

課題は、その「実行」でしょうね。

さて、そろそろ次の条項に移りましょう。


 五、吾等は神の子として無限の可能性を内に包有し、言葉の創化力を駆使して大自在の境に達し得ることを信ず。

というところです。

(四)の項と密接につながっていますね。よろしくお願いいたします。

128SAKURA:2012/05/23(水) 22:03:13 ID:V.pKl3yA
【賛嘆】につきまして…引き続き
■「生長の家」の智慧の言葉には「人をとがむべきことあれば、その人を咎めず、
かえって誉むべき点をさがしだして誉めよ」という訓えがあります。
“愛”がいかに深くとも、愛の心で批つばかりで、賛嘆がこれにともなければ、
人間は善くなりにくいのであります。
愛語(やさしきことば)も賛嘆(ほめことば)も「言葉の力」であって、
善を造る力なのであります。

感情で話す時は、“愛”は入っていませんですョネ!
逆に咎める事でしょうと…思います。
愛を持って咎めることは〜〜〜〜?先ずないのです
やはり【賛嘆…】です〜〜です〜〜ネ!
【和顔愛語賛嘆】から【進歩向上】でしょうか……?

■益々“ことばの力”は【引き寄せの引力】ですネ!!
願いは良い方面に……叶う!!

129金木犀:2012/05/23(水) 22:04:02 ID:L0Ei6.zw
皆様遅くなりまして申し訳ありません。
第四章で印象に残ったところは、31ページの最後の、愛の心は前々から親にはあるのだけど
それが賞賛の言葉となって現れ、賞賛の言葉となって書かれるまでは、その生かす力が完全に
発現しなかったのであります。・・・・
祈りや愛護や讃嘆の言葉となってあらわれるまでは、本当にその生かす力が完全に発現し無いということを
宣言してあります。

というところです。
つまり愛の心だけではだめだということですね。

130トキ:2012/05/23(水) 22:04:15 ID:tIygbYjo
 山本五十六の言葉は有名ですね。

 余談ですが、山本元帥の言葉に「殺しても、罪にはならぬ 原の虫」とか、
「男は天下を動かし、女はその男をも動かす」というのがありました。閑話休題。

 知人の踊りの先生は、生長の家に入る前は、生徒の悪い部分を指摘していたが、入信後は生徒の
美点を褒める指導に変えてみたら、ぐんぐん生徒が伸びたと話しておりました。

131復興G:2012/05/23(水) 22:05:11 ID:84pogn5s

「聖典板」に謹写させていただきました、『理想世界』昭和53年11月号の座談会記事、

ここにはこの「大自在境」に入ったような喜びの体験、感想が発表されているようで、

私は感銘を深くしたのですが、お読みになった方もいらっしゃいますか?

132復興G:2012/05/23(水) 22:09:04 ID:84pogn5s

>>130 :トキ様

>山本五十六の言葉は有名ですね。

 余談ですが、山本元帥の言葉に「殺しても、罪にはならぬ 原の虫」とか、
「男は天下を動かし、女はその男をも動かす」というのがありました。閑話休題。

これは初めて聞きましたが、名言です。

133如月:2012/05/23(水) 22:13:19 ID:ki/haAjk
遅くなりました。
すみません。

次の条項、、、無限の可能性。 今ここですね。

遠い昔私が所属していた合唱部はNHKのコンクールでいつも入賞していたのですが
そういえば指導くださった顧問の先生は、うまく歌えた時は絶賛してくれて、微妙な歌の時は
「…無限の…可能性がありますねぇ」と必ず誉めて下さる先生でした。

その先生が転任して新しい顧問になった途端、メンバーは変わらないのに
小さな大会ですら賞をとれない部になってしまいました。

その影響で私は今でも無限の可能性ということばを好んで使います。

134a hope:2012/05/23(水) 22:14:12 ID:kcv2QXTk
>>131 復興Gさま

『理想世界』昭和53年11月号の座談会記事、読ませていただきました。

「大自在境」、これに入ることが究極の「たましいの救い」なのですか?

135金木犀:2012/05/23(水) 22:14:51 ID:L0Ei6.zw
復興G 様の謹写されました座談記事は読みました。
あの最初に顕斎の記事を書かれた方が、顕斎とは生活のすべてであるというお話をされ、
そのことが解って、その記事を書いている内にタバコが自然に止まったと書いてありましたね。
生活全般が顕斎だということは、あれを読んで初めて気づきました。

136復興G:2012/05/23(水) 22:17:08 ID:84pogn5s
愛が深くても、批判してばかりでは、人間は善くなりにくい。

それが賞賛の言葉となって現れ、賞賛の言葉となって書かれるまでは、その生かす力が完全に
発現しない。

頭ではわかっているのだけれども、ついつい人の欠点ばかりが目について、つい批判の言葉を吐いてしまう……

ということになりがちな私です。皆様、讃嘆の言葉を実行する妙手がありますか?

137金木犀:2012/05/23(水) 22:18:00 ID:L0Ei6.zw
木間さんと言われる方ですか、顕斎というものがわかってきた時に、
奥さんや子供さんが可愛く思うようになって、庭の草花も可愛くなったと書かれていましたよね。

138トキ:2012/05/23(水) 22:19:55 ID:tIygbYjo
復興G様が聖典板で引用された部分で、感銘を受けたのが、以下の下りでした。(本題から外れて、申し訳ありません)


 K そうして、神ながらの運動をして行くには、青年会運動にも先輩からの継承がなくてはいけない。生長の家は「汝の父母に感謝せよ」が基本なんですから。一つには、今まで青年会運動の中で志半ばにして斃れた同志が全国では相当な数に上っていると思うので、その同志たちの顕彰感謝祭を行なうといいと思うんです。そうして、お祭りというのは全員参加、“村は総出の大祭り”で、みんなが一つ心になっておみこしをかつぐというところに大きな意義があるんですから、この顕斎を機会に、過去を捨ててみんな一つになって力を出し合うということが必要だと思う。今がそのチャンスなんです。
 ぼくは、これからおどろくべきすばらしいすがたが顕われてくると思う。

 本当に、過去の運動の中で、亡くなられた方もおられるのですから、これは、後輩の一人として、切に感じます。

 今、領土問題があちらこちらで大騒ぎになっていますが、本当に、信仰的な対応が必要であると痛感した次第であります。

139SAKURA:2012/05/23(水) 22:22:37 ID:V.pKl3yA
横スレで申し訳ありませんが…

特に、下記の文章に…引きつけられましたが?
■>「たましいの救い」とは最も厳粛な意味での救いでありまして、救われるということはわれわれのたましいが個性(ひとりびとりの特性)をもちながらも神または仏そのものなる大自在の境地――欲しいと思う事物(もの)はそこに現われ、欲せざる事物はそこから姿を消すというような大自在境に達するということであります。<

今の社会情勢に於きまして…【魂の救い】すなわち…
■『魂の救い――>真理』
当に!その『手段?』としては、最も『言葉の力』が、左右するものでしょう〜かと?思いましたが……

更に前の項目の処に関連しますが…
>>124拝読しまして…

■『実行』この“言葉”…
今の私には、痛烈に“イタイ!”で〜〜〜す。
先ず!!潜在意識にて、「言葉の力」で…
“出来る〜〜〜出来る〜〜〜出来る〜〜〜”このように“脳”をだます事!!
これから今!!はじめて…『行』というアクションに…その様に思います。
トライ!トライ!〜〜〜〜〜〜〜トライ!!です。

140SAKURA:2012/05/23(水) 22:24:06 ID:V.pKl3yA
・・・引き続き
■>われわれ「生長」とは実相の世界におけるこの大自在境を現象世界において、
一歩一歩その実現に近づかせることであります。
われわれの内に潜んでいるところの無限大のこの可能性こそわれわれの実相なる
ところの真如または仏性であります。<

>神の子として無限力秘めたるものが頭覚が出て来る心の他からもしくは
光でしょうか??
現象界にいま現在いますが心の訓練が胆嚢になるにつれて内に隠れた心が
一歩一歩芽が出て来るまでは現象に左右されない心「実相」を見る様に、
心の種をまく!!
かならず”芽”が出て来ます…。それが実現の可能性ですョネ
信じて待つ事でしょうか???神の子=神地一体ですネ

141復興G:2012/05/23(水) 22:27:34 ID:84pogn5s

a hope様、金木犀様

『理想世界』昭和53年11月号の座談会記事のご感想、ありがとうございます。

「大自在境」、これに入ることが究極の「たましいの救い」――でしょうね。

そして、生活全般が顕斎。

私は青年時代に、賀川豊彦さんが
「祭りだ、祭りだ! われわれの生活が神への祭りだ! 五尺の鯉(人間)を八足台に献げることは
最も愉快なことである」
というようなことを書いておられるのを読んだことがあり、感銘を受け、そうありたいと深く思ったことがあります。
今、思い出しました。

142如月:2012/05/23(水) 22:29:09 ID:ki/haAjk
エトロフ、クナシリや千島の島の神様をお祭り

これは是非!実行したいです。

143a hope:2012/05/23(水) 22:30:49 ID:kcv2QXTk
聖典引用板 >>703

>>頭だけで教えを聞いていることがある、その姿勢が問題だと思います。頭だけで教義を理解してわかった気になっていると、いのちが無くなってしまう。それが、「顕斎」となると、神の子が神そのものの御姿をあらわす、そういう自覚の生れ変りが行なわれて来るんだと思うんです。「両刃の剣」ですから、まず自分が正しいすがたをあらわす――そうして、全世界が、神さまのつくりたもうた世界のすがたをあらわして来る……

 E 「三界は唯心の所現」と最初にスパッと説かれたときに、全宇宙は自分の心の影なんだという、これはすごい宇宙をひらく言葉だったんです。それが今は、「自分の心も影もあるけど、ほかの国の心の影もある」というふうに、なにか切れ味がニブくなってきたんじゃないか。つまり、世界を変えるには、自分だけが変ればよいということを忘れているのではないか。「自分の心が変れば世界が変る」これをひっくり返して、「世界を変えるには自分の心を変えるだけでよい」というところまで徹底することができなくて、いささかニブっていて、そのニブった部分、その誤差の部分に光明化運動論を成立せしめているようなまちがいをおかしていないか……

 O うーん、それは痛烈な反省ですね。

 E 運動が、「実相独在」の否定から始まってはいないか――両刃の剣で「切る」としたら、まずその辺がいちばん先に切られるべきこととして、あるんじゃないか。

 早い話が、神想観して「光明一元」と言っちゃったら、光明化運動の意義づけができなくなるというような――それでは、祈ろうとしても本当にすっと祈ることができない。神想観が、おかしな神想観になってしまう。

 O こわい、こわい。

わたしは、ここのところがすごく気になりました。

特に、

>> E 運動が、「実相独在」の否定から始まってはいないか――両刃の剣で「切る」としたら、まずその辺がいちばん先に切られるべきこととして、あるんじゃないか。<<

この言葉が、今の生長の家の問題に関連しているのではないかと感じました。

144如月:2012/05/23(水) 22:32:39 ID:ki/haAjk
SAKURAさま

“出来る〜〜〜出来る〜〜〜出来る〜〜〜”このように“脳”をだます事
      ↑
いや、目覚めさせましょう!

145金木犀:2012/05/23(水) 22:32:54 ID:L0Ei6.zw
>>142
ほんとにそうです。
そのお祭りで、ロシアとも平和的に、思わぬ展開で島が帰ってきて
ロシアとも仲良く慣れるというようなことが
意外と起こるかもしれないですね。

神はすべての全てなんですからね。

146復興G:2012/05/23(水) 22:36:17 ID:84pogn5s

>>133 :如月様

ありがとうございます。
>遠い昔私が所属していた合唱部はNHKのコンクールでいつも入賞していたのですが
そういえば指導くださった顧問の先生は、うまく歌えた時は絶賛してくれて、微妙な歌の時は
「…無限の…可能性がありますねぇ」と必ず誉めて下さる先生でした。

その先生が転任して新しい顧問になった途端、メンバーは変わらないのに
小さな大会ですら賞をとれない部になってしまいました。<

なるほど。私も合唱が好きで、今でもやってますが、音をはずした人を注意するのはとても難しいです。
「…無限の…可能性がありますねぇ」と誉めてあげるとよいのですね。それをこころがけましょう。

147如月:2012/05/23(水) 22:40:29 ID:ki/haAjk
>>143
a hopeさまの示された箇所は解釈が難しいです。
「頭だけで教義を理解してわかった気になっている」状態にすら達せていません。

わかる時はスコーンとわかるのですね。きっと。
誌友会のあと何回も読み直してみます。

148SAKURA:2012/05/23(水) 22:40:38 ID:V.pKl3yA
>>144

そうです〜〜ネ!
■『目覚めよ〜〜〜我が魂〜〜〜の底の底なる“神よ”』ですもの〜〜ネ!
今から「言霊=魂」…“言葉の創化力”に目覚めます!!!!

■>宇宙のいっさい事物はリズムすなわち言葉(近代の科学的術語を使えば波動)
でできているからであります。「生長の家」では必ずしも耳に聞こえなくとも
エーテル波動(ラジオ等)でも思念波動でもすべて波動を指して、
コトバというのでありますがわれわれの実践生活のうえでは思念と発声音と表情とが
最も重要な、善かれ悪(あ)しかれわれわれの運命を左右するコトバになって
いるのであります<

改めまして…ここでの“言葉の表現”難し〜〜〜い !ですもの??

149あさひ:2012/05/23(水) 22:44:36 ID:/3nxKE2Q
「…無限の…可能性がありますねぇ」と誉める実行したいと思います。

150SAKURA:2012/05/23(水) 22:46:01 ID:V.pKl3yA
・・・引き続き

■>「さきの盗癖ある子供の母にしましても、根津嘉一郎氏のちちにしましても、
初めから子に対する”愛”をもっていられたのであって、子供は改心して行いを
改めるさいにのみ、愛の心が起こったのではありません。
愛の心は前々から親にあるのだけれども、それが賞賛の言葉になって表れ、
信頼の言葉となって書かれるまでは、その生かす力が完全に発現しなかったので
あります。だから「七つの光明宣言」第四条には生命の糧は”愛”であっても、
祈りや愛語や賛嘆の言葉となって表れるまでは、本当にその生かす力が完全に
発現しないということを宣言してあります」<

本当に言葉は神様ですから、今日は此方も普段の言葉使いを、思い出しますと
やはり【現象の言葉使い】でしょうかしら〜〜〜ン!
言葉の近道は【賛嘆から練習】していきます…その人の”美点のみ練習”ですネ!
【引き寄せの法則】は、当に!!!!言葉から〜〜〜♫

151a hope:2012/05/23(水) 22:47:59 ID:kcv2QXTk
>>147 如月さま

コメントありがとうございます。
わたしも、はっきり意味がわかっているわけではないのですよ。
特に、最後の

>>早い話が、神想観して「光明一元」と言っちゃったら、光明化運動の意義づけができなくなるというような――それでは、祈ろうとしても本当にすっと祈ることができない。神想観が、おかしな神想観になってしまう。<<

この言葉は、まったく理解できません。

152復興G:2012/05/23(水) 22:52:31 ID:84pogn5s

皆様から素晴らしい書き込みをたくさん頂いて、ひとつひとつにコメントをさしあげることができないまま、時間はどんどん経過し、
あと20分足らずになりました。

時間内にまとめきれないと思いますが、

「全宇宙は自分の心の影なんだ」

「“出来る〜〜〜出来る〜〜〜出来る〜〜〜”このように“脳”をだます事
      ↑
いや、目覚めさせましょう!」

「祭り(祈り)で、ロシアとも平和的に、思わぬ展開で島が帰ってきて
ロシアとも仲良く慣れるというようなことが
意外と起こるかもしれないですね。
神はすべての全てなんですからね。」

といった皆様の言葉が、とても印象深く刻み込まれています。

23時で一応誌友会をお開きにしますが、後夜祭もありますから、時間いっぱい、皆様、ご発言ください。
ありがとうございます。

153トキ:2012/05/23(水) 22:52:57 ID:tIygbYjo
>>147

 リアルの誌友会と違って、ここは後で読み直しが効くので、それが良いですね。

154如月:2012/05/23(水) 22:53:15 ID:ki/haAjk
>>149
あさひさま。
先日の日食はとても綺麗でした。

総裁先生も、無限の可能性があると思うのです。
私にも無限の可能性が(自画自賛)あると思うから失敗を重ねても
元気でやっていけてるなと思う今日この頃。

155金木犀:2012/05/23(水) 22:55:23 ID:L0Ei6.zw
>>151
たぶん、光明化運動が、現象の悪を見て、光明化するというところから始まっていると
仰っているのでしょう。だから光明一元といってしまうと、光明化運動の必要がなくなるから、
それでは運動できないということで、神想観ができなくなると言うことではないでしょうか。

光明化運動が神一元というところから始まっていないという意味だと思いますが。

156金木犀:2012/05/23(水) 23:01:12 ID:L0Ei6.zw
このことは確かに陥りやすい部分ですね。
SAKURA様によく悪い言葉をつかうと叱られる部分ですが。
しかし、現象と実相を区別して
やはり両方見る必要もあると思うのですが、一度は現象を見て、
その現象を否定し、実相を観るという手順がやはり必要な気もします。

157SAKURA:2012/05/23(水) 23:01:26 ID:V.pKl3yA
>>151拝読して

■{光明一元}???わたしも無理ですョ〜〜〜〜?
私の場合は〜〜〜なりたい”自分を描き”ながら…
それが実現するところの”脳の奥”に入れ込む事でしょうか???
つまり「脳を騙す」んです〜〜〜ョネ!

或る時・・・”できる〜〜できる〜〜〜”と唱えても実感が入らない時は?
もう〜〜【出来た!!〜〜〜〜出来た!!】今は、此の言葉に…変わりまして?
右脳と左脳交換が始まりますから〜〜〜
たとえば…如何にも【実現出来た】様に〜〜〜
振舞いながら気がつくと祈りも自然にはいって行きますが〜〜〜

158a hope:2012/05/23(水) 23:03:03 ID:kcv2QXTk
>>155 金木犀さま

そういうことでしたか。
納得しました。

ありがとうございます。

159復興G:2012/05/23(水) 23:03:43 ID:84pogn5s

如月様、a hope様

 >E 運動が、「実相独在」の否定から始まってはいないか――両刃の剣で「切る」としたら、まずその辺がいちばん先に切られるべきこととして、あるんじゃないか。

 早い話が、神想観して「光明一元」と言っちゃったら、光明化運動の意義づけができなくなるというような――それでは、祈ろうとしても本当にすっと祈ることができない。神想観が、おかしな神想観になってしまう。<

の意味――

もう、制限時間の23時になりますから、一応しめて、あと時間外で少しお話ししましょう。

皆々様、多勢のご参加、そしてたくさんの素晴らしい書き込みをありがとうございました。

時間が来ましたので、一応この第3回WEB誌友会をしめさせていただきます。

ありがとうございました。

ひきつづき、残れる方はどうぞ。

ありがとうございます。

160金木犀:2012/05/23(水) 23:07:30 ID:L0Ei6.zw
>>157
確かに最初は騙すところから入っていくのもいいかも知れません。
その内に段々実感が湧いてくるのかも知れません。
『善と福との実現』で、牝鹿の足の話が出てきますが、
潜在意識が現在意識の踏んだあとを一部の狂いもなく踏んでいくという具合になるように、
潜在意識が現在意識を裏切らないで後押しするようになれば何事も実現するとおっしゃっています。

161a hope:2012/05/23(水) 23:09:51 ID:kcv2QXTk
本当に、あっという間の2時間でしたね。

今回わたしは、復興Gさまが聖典引用板にUPしてくださった資料を、転写して利用させていただきました。
自分で書き込む手間が省けたので、助かりました。

時間が限られている上、書き込みに時間差があるので、なかなかみなさまとコミュニケーションをとりながらの、
お話が難しいと感じていますが、トキさまがおっしゃるように、ここは後の読みなおしがきくことが利点だと思います。

みなさまの、投稿あとでゆっくり拝見させていただきます。

復興Gさま、司会お疲れ様でした。
みなさま、お疲れ様でした。

162SAKURA:2012/05/23(水) 23:10:29 ID:V.pKl3yA

如月様 へ
>>154拝読しまして…

■> 総裁先生も、無限の可能性があると思うのです。
私にも無限の可能性が(自画自賛)あると思うから失敗を重ねても
元気でやっていけてるなと思う今日この頃。<

私も……“賛同”しま〜〜〜す!

更に!!「生長の家」…この「お家騒動」は自壊作用であり…
必ず!【大調和…和解】神の“御心”に叶う事が…
この『現象界=現実世界』に現われて参りますでしょう〜〜〜☆

■■>先日の“日食”はとても綺麗でした。<
後ほど!…【星に願いを〜〜〜♫〜〜〜】こめて?…お祈りさせて頂きます…。

163復興G:2012/05/23(水) 23:12:54 ID:84pogn5s

如月様、a hope様

 >E 運動が、「実相独在」の否定から始まってはいないか――両刃の剣で「切る」としたら、まずその辺がいちばん先に切られるべきこととして、あるんじゃないか。

 早い話が、神想観して「光明一元」と言っちゃったら、光明化運動の意義づけができなくなるというような――それでは、祈ろうとしても本当にすっと祈ることができない。神想観が、おかしな神想観になってしまう。<

の意味――

これについては、>>155で金木犀様がお答えくださいましたね。

私も、そういうことだろうと思います。「光明一元の否定」から始まったのでは、神想観がおかしな神想観になってしまう」ということですね。ありがとうございました。

164如月:2012/05/23(水) 23:13:17 ID:ki/haAjk
ありがとうございました。

遅れましたが参加できまして、大変喜んでいます。

復興Gさま、素晴らしい司会でした。 完璧ですなんて言うと
上から目線のようですが、そんなつもりではありません。本当に感動しました。

a hopeさま、サポート役お疲れ様でした。 30分前のまとめ素晴らしかったです。
さすがです。

165a hope:2012/05/23(水) 23:13:35 ID:kcv2QXTk
一応おしまいの挨拶をしましたが、引き続き質問させていただきます。

>>156 金木犀さま

>>しかし、現象と実相を区別して
やはり両方見る必要もあると思うのですが、一度は現象を見て、
その現象を否定し、実相を観るという手順がやはり必要な気もします。<<

これは、まず現象の悪や罪を認めてから否定するということになるのでしょうか?

166如月:2012/05/23(水) 23:15:25 ID:ki/haAjk
改めまして、聖典板に謹写していただいている皆さま

心の底からお礼を申し上げます。

私も貢献しなくてはと、反省、反省、やがて前進?

167SAKURA:2012/05/23(水) 23:18:38 ID:V.pKl3yA

「復興G様」・「a hope様」…

本日は、大変楽しい〜〜「誌友会」に参加させて頂きました事…
深く〜深く〜お礼申しあげます…。
ありがとうございます…。

私事ですが…正直”keyボ―ド”うつだけで…精一杯です…。
皆様の”御意見”を後程!拝読させて頂きまして、今後の私の「魂の向上」に、
一つの“知恵”を頂いた事と…感謝申し上げます…。
(コミュニケ−ションうまくいかず…ごめんなさい)

ありがとうございます…。          再合掌

168如月:2012/05/23(水) 23:19:22 ID:ki/haAjk
>>162
SAKURAさま

後ほど!…【星に願いを〜〜〜♫〜〜〜】こめて?…お祈りさせて頂きます…

ありがとうございます。私もお祈りさせていただきますね!

169復興G:2012/05/23(水) 23:19:39 ID:84pogn5s

>>164 :如月様。

お褒めの言葉、ありがとうございます。

ご協力、ありがとうございました。

そして a hope 様、如月さまのおっしゃるとおりです。
a hopeさま、サポート役お疲れ様でした。 30分前のまとめ素晴らしかったです。
さすがです。

本当に、ありがとうございました。

感謝 合掌 礼拝

170金木犀:2012/05/23(水) 23:25:11 ID:L0Ei6.zw
復興G様 a hope様

司会ありがとうございました。遅れてきましたが、大変有意義でした。
 
a hope様

私も、実はあまり良く解っていませんが、
現象を否定するには、一度は現象を見る必要があるかなと思ったのですが、
現象のいろんな事象を見て、全て良しと言ってしまうと、それはそれで、今度は現象の不完全を
良しとみとめることになりはしないかと思うのです。
現象そのままが善ではなく、その奥にある実相が善であると言うことは認識しなくてはいけないかと
思ったのです。

171如月:2012/05/23(水) 23:27:17 ID:ki/haAjk
>>88
志恩さま

見守り隊ありがとうございました。
重複想像の意味、よくわかりました。
これからも色々教えてくださいますようにお願い申し上げます。

172如月:2012/05/23(水) 23:30:32 ID:ki/haAjk
トキさま

今回はトキさまが何回も発言して下さって、とても嬉しかったです。
トキさまがすごく身近に思えました。
お忙しい中、ありがとうございました。

173復興G:2012/05/23(水) 23:32:55 ID:84pogn5s

>>167 :SAKURA様

たくさんの書き込み、ありがとうございました。

>私事ですが…正直”keyボ―ド”うつだけで…精一杯です…。
皆様の”御意見”を後程!拝読させて頂きまして、今後の私の「魂の向上」に、
一つの“知恵”を頂いた事と…感謝申し上げます…。<

私も、同様です。私も、<皆様の”御意見”を後程!拝読させて頂きまして、今後の私の「魂の向上」に>

努めさせて頂きましょう。

ありがとうございました。
再拝

174SAKURA:2012/05/23(水) 23:33:05 ID:V.pKl3yA
>>156
金木犀様 へ

「誌友会」終了いたしました様ですが…この場にて“投稿”させて頂きます…。

■「a hope 様」も「実相・現象」書かれていらっしゃいましたが…
【右脳・左脳】で云えば…
頭で考えることが【左脳的】で…行動することが【右脳的】なんです〜〜ョネ!
或る時は”言葉は悪い”と決め付けた時!!
それは「現実=現象}で物事を見ていますでしょ〜〜〜うかしら〜〜ン!

「実相は現実」では、まだ出てないものを引きさす…。
心の奥なんです〜〜ョネ!
悪い言葉は私でも現象かしますから、此処を”グッ〜〜〜ト!”押さえて前に進む
「精神作用」が旨く言えませんが…【感情】で理解せずに、
【右脳と左脳の交換】で…現象は実相が出て来るのだと思えて来るのです…?が…
いま私もここが”ポイント”で、悪く考えることで”現象”化していますから〜〜〜
■今を生かす事!が…「生長の家」で〜〜〜〜ショ!!!

例えば…「パタ−ン」を引きます。先ず!デザイン画から「パタ−ン」になります。
「デザイン画」を描く時は【右脳】です。
そして【左脳】で…「パタ−ン」を引きます…。
此の様に【左脳=右脳】が交換するのですが…
これが【実相・現象】だと思うのですが??如何でしょうかしら〜〜〜ン??
(うまく表現できませんので…ごめんなさい)

今から…もう少しで”終電”に間に合わせて〜〜〜〜〜帰ります…。  (ごめんなさい)

175如月:2012/05/23(水) 23:37:29 ID:ki/haAjk
金木犀さま

≪私が君民同治の神示を謹写いたしましたのは、天皇というものが
日本国民にとって、どういうものかをはっきりとこの神示で、
皆様に自覚して欲しかったということと、憲法が占領憲法のままでは
日本の実相が蔽われていることの最も象徴的なことであるということを
考えて欲しかったからです。≫

ご愛念しっかり受け取りました。謹写の労に報いるためにも、何度も読み直して
勉強させていただきます。 ありがとうございました。

176復興G:2012/05/23(水) 23:37:33 ID:84pogn5s

如月さま、金木犀さまも、司会補佐的なご協力、本当にありがとうございました。

感謝 合掌 礼拝

177如月:2012/05/23(水) 23:40:43 ID:ki/haAjk
>>176
と、と、と、とんでもない。

畏れ多いお言葉です。


金木犀さまは本当に素晴らしいご活躍でした。    私とは雲泥。

178復興G:2012/05/23(水) 23:41:58 ID:84pogn5s

トキ様。

最後になってしまいましたが、本当に、ご協力ありがとうございました。

如月さまもおっしゃってくださいましたように、
今回はトキさまが何回も発言して下さって、とても嬉しかったです。

本当にありがとうございました。
感謝 合掌 礼拝

179如月:2012/05/23(水) 23:48:13 ID:ki/haAjk
今回は

ももんがさま、ユタカさま、訊けさま、さくらさま、役行者さま、ハマナスさま(順不同ごめんなさい)
はじめ、参加されない方がいらっしゃっったのが寂しかったです。

以前、意地を張って参加しなかった自分を大いに反省致します。
ごめんなさい。ありがとうございます。

聖典板には、うのはなさまも書き込んで応援してくださっていました。
感動しました。

ルンルンさまの参加も期待していましたが、お忙しかったようですね。お疲れ様です。

180復興G:2012/05/23(水) 23:56:14 ID:84pogn5s

ありがとうございました。
それでは、おやすみなさい。

181a hope:2012/05/24(木) 00:00:00 ID:kcv2QXTk

わたしは、「全宇宙は自分の心の影なんだ」としたら、
現象のすべての不完全も自分の心の影ということになるような気がするのですが...

いつだったか、志恩さまが、冗談で「すべては総裁先生のせい!」みたいなことおっしゃっていましたが、
それ、反対に考えたら、総裁先生の現象の姿は、「すべてわたしたちのせい!」ということですよね?

この「全宇宙は自分の心の影なんだ」という真理が正しければ、今の「生長の家の姿・総裁先生の姿」は、
やっぱりわたしたちの心の影ということになるので、それ、正しいんじゃないかと思いました。

うーん。なんか、わかってきたような、わかってこないような...

現象が不完全なのは、自分の心が不完全だということなるのですね。

すみません。
なんか、わたし一人で引きずってますね。

みなさま、本当にお疲れ様でした。
また、たくさんの温かいお言葉ありがとうございました。

a hopeも今夜はこれでおしまいにします。

それでは、わたしの愛する「生長の家」のみなさま おやすみなさい。

182金木犀:2012/05/24(木) 00:12:35 ID:L0Ei6.zw
SAKURA様
有難うございます。右脳と左脳の話はよく知らなかったので、
そういう働きをするということを初めて知りました。なるほどと思います。
とはいっても、脳の話と実相・現象が似ているというのは、まだよくぴんと来ませんが。

私は、この板に来たばかりの時は、けっこう攻撃的な発言してましたからね。
まあ今も時にはそうなってしまいますが、確かに言葉でいくら議論しても、
攻撃的な気持ちが少しでもあると、何かを変えることも何も出来ないですね。最近はそう思います。
SAKURA様の言われることも、だからよく分かるのですよ。
言われて反省もホントはしているのですよ。もっとも総裁先生については見解は
やはり異なりますが、それはそれで、各人意見の違いがあるのは当然ですよね。
現総裁先生のことはともかく、雅春先生の御思いはなんとか実現したいと深く思います。
SAKURA様、電車に急がれる前に一言投稿して下さって、嬉しかったです。
ありがとうございました。

183金木犀:2012/05/24(木) 00:18:48 ID:L0Ei6.zw
復興G様

如月様よりもっと、と、と、とんでもないです。
私なんて、ものすごく遅れてしまって、ほんとに申し訳ないです。

復興G様の素晴らしい司会、a hope様の素晴らしい誠実な補佐、
ほんとに気持ちの有意義な時間をもてました。
有難うございます。おやすみなさいませ。

184金木犀:2012/05/24(木) 00:23:04 ID:L0Ei6.zw
如月様

私よりも如月様のほうがもっと活躍されたと思います。とても鋭い指摘も
されていたようで、如月様の御参加で、議論が盛り上がった気がします。

おやすみなさい。

185金木犀:2012/05/24(木) 00:37:04 ID:L0Ei6.zw
如月様

追伸
>>175
大変嬉しいお言葉、有難うございます。

186SAKURA:2012/05/24(木) 02:24:25 ID:79E/CdBc
金木犀様 へ

先程…ヤッ〜〜〜〜〜ト!自宅に帰りつきました…。
「12:07の最終電車…」小走り?にて間に合いました…!!
ホット?モット?でしょうか?

只今…「コ−ヒ−・タイム」…何と〜〜〜〜〜♫〜
PCを“オ−プン”〜〜〜!
うれしい“お返事のお言葉”感激です〜〜〜。ありがとうございました…。
今後とも、宜しくお願い致します…。
                          再合掌

187SAKURA:2012/05/24(木) 02:25:48 ID:79E/CdBc
如月様 へ

「誌友会…」にて“お言葉”を頂きまして、ありがとうございます…。
帰路中…「夜空の星〜〜〜♫〜」眺めながら…

■ 【目覚めよ〜〜〜「生長の家」此処に集まる全ての人々〜〜ョ!…魂の向上!】
今!今“〜〜〜〜〜目覚めつつあります…。

ブレイクしまして…「コ−ヒ−・タイム」です…。      再合掌

188SAKURA:2012/05/24(木) 02:27:08 ID:79E/CdBc
a hope 様 へ

昨日から〜〜「WEB誌友会」大変お世話になりました…。
これも…「a hope 様」の人柄で、自由に“投稿”させて頂く事が出来まして、
感謝申し上げます…。

前準備にて「PC…2台」スゴ〜〜〜〜〜イ!!です〜〜ネ!
安心して、“投稿”出来ましたのも、「a hope様」の人柄です…。
本当に、ありがとうございました。何卒、今後ともよろしくお願い申し上げます。
                              再合掌

189SAKURA:2012/05/24(木) 02:28:05 ID:79E/CdBc
復興G様 へ

昨日の「WEB誌友会」大変お世話になりました…。
今!「ブレイク・タイム」にて…

■「復興G様」の“お言葉”…皆様の“お言葉”…更に、拝読させて頂きながら、
参加させて頂きました事…
しかも“始まります〜〜♫〜〜前から…たつ巻旋風”を起こしまして…
申し訳ありませんでした…
それでも「復興G様」の人格にて“暖かい対応”を、頂きました事…
感謝申し上げます。…ありがとうございます…。
今後とも…若輩者ですが、何卒よろしくお願い申し上げます…。
                              再合掌

190SAKURA:2012/05/24(木) 02:30:04 ID:79E/CdBc
管理人「トキ様」へ

誌友会始まる前に…大変失礼な「辛口コメント」申し訳ありませんでした…。
今回私の“心の影”が〜〜〜“心のレンズ”が曇り空??でしたかも…?

【復興G様】の“心やさし〜〜い掛け声の”言葉“ …感謝申し上げる次第で…
まだまだ…【トキ様】のおっしゃいます様に…
魂〜〜〜磨かなくては〜〜〜いけませんもの??

■それから…
>山本五十六の言葉は有名ですね。
 余談ですが、山本元帥の言葉に「殺しても、罪にはならぬ 原の虫」とか、
「男は天下を動かし、女はその男をも動かす」というのがありました。閑話休題。<

少しばかり〜〜〜“ドッキリ〜〜♫〜〜”致しましたが…(微笑)

昨日の「WEB誌友会 」…ありがとうございました。感謝申しあ上げます…。
                      再合掌

191SAKURA:2012/05/24(木) 03:05:19 ID:79E/CdBc
■【SAKURA の 独り言】

この場にて…お詫び申し上げます…。
「皆様へのお礼の言葉」にて…下記の“投稿メッセ−ジ”が…
「奥の間」に行きそうで〜〜〜すので… 此処に“投稿”させて頂きました…。
>>178>>179>>180>>181>>182>>183>>184>>185
皆様…申し訳ありません…。

■更に…奥の〜〜奥の〜〜その又奥に〜〜♫「素敵なメッセ−ジ」があります〜ョ!

そして、ありがとうございました…。 感謝!             再合掌

192復興G:2012/05/24(木) 09:33:35 ID:84pogn5s

皆様、おはようございます。

昨夜は皆様のご協力により、たいへん素晴らしい充実したWEB誌友会を開催させていただき、まことにありがとうございました。

一夜明けて、まだその余韻が残っています。
そんな中で、現役の皆様は、それぞれのお仕事にかかっていらっしゃることと思います。感謝祝福を捧げます。

ちょっと振り返ってみます。

逆説的ですが、2時間で、まとまりきらなかったことが成功だった、とも言えると思います。

(課題の)積み残しが出ているから、いいんじゃないでしょうか。誌友会は、一応お開きになったけれど、むしろ本番はこれからかも知れない。課題が残っているから、いいんじゃないか。と、私は考えます。課題がなくなったら、人生終わり、かも知れませんからね。

さあ、これから「永遠のよろこびの誌友会」に、喜び勇んで出発しましょう。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

反省や、残した課題についてなどを、また後ほど書かせて頂きます。ありがとうございます。

193トキ:2012/05/24(木) 10:01:28 ID:glP3dfpk
 昨日は、たいへんお世話になり、ありがとうございました。
運営をして下さった復興G様をはじめ、皆様に深く感謝申し上げます。

 実は、私の知人が昨年入院しました。それまでも普及誌などを送っていたのですが、信仰には全く関心がない
人で、入院しても変化はありませんでした。ところが、入院後、別の病気にかかっている事がわかり、医師から
深刻な病状を告げられたのです。本人には告知はしませんでしたが、家族に医師が告げたので、ご家族が真剣に
谷口雅春先生の本やテープを勉強しだしたのです。もちろん、生長の家宇治別格本山の神癒祈願もされました。

 昨日、誌友会の最後のほうに、ご家族から連絡があり、医師から手術を告げられていたが、検査したら、病気
が消えていた、医師も不思議だと驚いていた、という事で、谷口雅春先生の教えの素晴らしさに感激をしておりました。

 身元を秘匿するため、詳細は書けませんが、誌友会のときに、不思議な事がありましたので、ご報告申し上げます。

合掌 ありがとうございます

194復興G:2012/05/24(木) 10:28:17 ID:84pogn5s

>>193 :トキ様。

昨夜はたいへんお世話になり、ほんとにありがとうございました。

>昨日、誌友会の最後のほうに、ご家族から連絡があり、医師から手術を告げられていたが、検査したら、病気が消えていた、医師も不思議だと驚いていた、という事で、谷口雅春先生の教えの素晴らしさに感激をしておりました。<

いやー、不思議なことがあるものですね。神霊が天降ったのでしょうか。ありがとうございます。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

さて、昨夜のWEB誌友会について。
振り返ってみますと、ほんとうに、皆々様の並々ならぬご愛念、ご協力によって昨夜の誌友会は大成功裡に終えることができたと思います。

管理人トキ様のご愛念。
前2回の誌友会で突破口を切り拓いてくださったユタカ様、「訊け」管理人様の絶大な貢献。
そして、a hope 様の誠実な懸命の司会補佐。
私の至らないところを補ってくださった如月様などのご愛念。
誌友会にご参加くださり、積極的なご発言をくださった多くの方々。
誌友会の時間内に直接参加はされなかったけれども、事前に積極的なコメントを頂戴し、応援してくださった志恩様、さくら様、うのはな様、「訊け」管理人様 ・・・ などなど、たくさんの方々の支えによって、素晴らしい充実した誌友会ができました。あらためて、深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

私は、「何とかなるだろう」とのんきに構えていました。
昨日は、だいたい一日中家にいましたから、ひげも剃っていませんでした。夕食時に、妻から「お父さん、ひげが生えてるけど、WEB誌友会なら皆さんに見えないからそれでいいの?」と言われ、「いや、肉眼で見えなくても、魂の目で見られてるだろうから、剃るよ」と、ひげを剃りました。

それから、開会前に「真理の吟唱」の1節を謹写してアップしようと、候補を三つ選んで謹写しました。ふと気がついたら、もう開会時間が迫っていて、あわてました。
誌友会の要項を、確認のため貼らなくちゃ・・・・・・とあわてて掲示板を見ましたら、 a hope 様が、ちょうど貼り終えてくださってるではありませんか! 
うわーっ、バンザイ! と、うれしくなりました。(笑い、涙。)

「開会の祈り」の言葉などは、前回の誌友会記録が保存してありましから、それをだいたいそのままコピペしてアップ。

「真理の吟唱」は、三つの候補のうちどれか一つを、と思っていましたが、「いや、三つともアップしよう」と、させていただきました。

・・・・・・と、こんなことが、開会前のドタバタの裏話でした。
が、不思議に誌友会は順調に運ばれました。これは全く、「わが業はわが為すにあらず」としか言いようがありません。皆様に神霊が天降り、導かれたのでしょうか。
ありがとうございます。

195復興G:2012/05/24(木) 10:47:52 ID:84pogn5s

SAKURAさま・金木犀さま。

WEB誌友会お開きの後にも、たくさんの書き込みをいただきまして、ありがとうございます。

コメントをさしあげたく思っていますが、少し時間をください。
ありがとうございます。感謝 合掌 拝

196SAKURA:2012/05/24(木) 11:58:49 ID:q9UkkTZw
復興G様 へ

>>194拝読させて頂きまして
昨日は「WEB誌友会」にて、大変お世話になりました…。
若輩者の私ですが、参加させて頂きました事に、心からお礼申し上げます。

“投稿文”を拝読させて頂きながら…
「復興G様」の別の“御顔〜〜☆”を、垣間見た感じで、
“奥様とのなごやかなファミリ−”伝わって参りました…。素敵です〜〜〜ネ! 

益々此の素晴らしい「生長の家…御教え」…“真理”の勉強をさせて頂きまして、
日々の生活に此の“真理”の実践…“行”じる事を、堅く決意いたしました…。

ありがとうございます…。                    再合掌

197SAKURA:2012/05/24(木) 12:04:14 ID:q9UkkTZw
トキ様 へ

>>193拝読させて頂きまして

こんにちは…
昨日の「WEB 誌友会」お世話になりました…。
知人の方の“吉報”宜しかったです〜〜ネ!
本当に「此の御教え…」眼に見えない“形”で、神様に守られている事を…
此の素晴らしい“投稿”にて感じとりました…。ありがとうございます…。

最後に、私事ですが…此の“聴力”も〜〜〜自己限定しないで!!その様に思います。
ますますと、此の「御教え…」勉強させて頂きます…。

心温まる“御投稿内容”本当に他人事でない様な感じの思いです。   再合掌

198金木犀:2012/05/24(木) 15:51:43 ID:L0Ei6.zw
SAKURA様

温かい御投稿有難うございます。また皆様へのこころのこもる御投稿
ほんとに素晴らしいですね。
こちらこそ、今後とも宜しくお願い致します。

199「訊け」管理人:2012/05/24(木) 16:05:01 ID:???



>復興Gさま
>皆々様

 昨夜のWEB誌友会ですが、開催の労に感謝申し上げます。私も経験者ですが、本当に傍目で見る以上に「大変」です。ですのでこれからじっくり拝読させて頂こうかと考えております。

 なお突然話しが飛びます。あの座談会(「理想世界」)ですが五回ほど拝読しました。実に素晴らしいご文章でありまして、ブログ記事にまでしたのですが気になることがございます。それは以下ご発言の発言者、これになる次第なのですが、

――――――――――――――――――――――――――――――――
E 運動が、「実相独在」の否定から始まってはいないか――両刃の剣で
「切る」としたら、まずその辺がいちばん先に切られるべきこととして、
あるんじゃないか。
――――――――――――――――――――――――――――――――

 このE氏とはもしかすると、「榎本恵吾先生」ではないでしょうか?いやなにかそんな予感、ありありなのですがいかがでしょう。
 このお言葉は本当に、重いですね。「運動が、『実相独在』の否定から始まってはいないか」――日々の業務前に必ず、各種聖典を拝読する私ではありますが、なにかこう、「実相独在の否定から」読んでいる気がします。つまり、「独在を否定する自分」を慰撫するために聖典、なんか読んでいないかなあ、と。

 こんなところは反省です。実相が独在なのになんでこれ、いつも心配しながら聖典を読んでいるんだろう。「それでは住吉大神を祭ったこと」に、〝ならぬ!〟・・・現在の気づきは、そんなところでございます。
 また皆さまのご発言など精読しまして、投稿致します。ありがとうございました。



200トキ:2012/05/24(木) 16:08:43 ID:glP3dfpk
>>197

 ご丁寧なコメント、ありがとうございます。
 
 以前は、電話をしても、誰かの悪口ばかり言っていた人でしたが、最近は、生長の家や谷口雅春先生
の話題になります。ありがたい事です。

201金木犀:2012/05/24(木) 16:19:26 ID:L0Ei6.zw
復興G様

本当に昨日はお世話になりました。またコメントを下さるとのこと、
楽しみにしております。

a hope様

昨日の最後の、私の書き込みました現象を一度は見て、という件に関してですが、
私の頭の中にありました現象というのは、その時思い浮かべていたのは、日本国憲法のことでした。
どうも私は常に憲法のことが頭にあって、憲法を破棄しなければという思いで、
実相のみを見て、占領憲法をそのままにして放置していることはやはりおかしいという思いがありました。
これに関しても、座談会で
>、元号法制化でも憲法復元でも、神ならそれを実現する方法をちゃんと知っていらっしゃる。
いや、憲法復元もすでに御心に成っている世界があるわけです>

と書いてあり、また先輩からの継承が必要とも書いてありましたし、
運動半ばで倒れた方の供養ということも書いてありましたが、
現在の状況で、ではどうすればいいかというと、
個人ならば神想観しか思い浮かびません。

とにかく、現憲法は否定すべきものであり、
これを実相は全て良しと実相ばかり見て放置しているのは
いけないのではと思ったのです。
ただ、何事も実相を観るということは不可欠であり、
神想観とともに進めていくというのは、大事なことであると思います。

202志恩:2012/05/24(木) 17:36:54 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

昨日の司会は、さすがでいらっしゃいました。深みがあって、すばらしかったです。
補佐役のahopeさま、その他の皆様の発言、トキ様も、多く発言されていて、大変、勉強になりました。
昨夜は、時々、家族の用事で席を立ちまして、
ゆっくり拝見できませんでしたので、今日の早朝になってから、落ちついて、再度、皆様の書き込みを拝見しました。

ありがとうございました。
それでは、みなさま、ごきげんよう。合掌。

203如月:2012/05/24(木) 21:06:26 ID:ki/haAjk
こんばんは!

みなさま昨日はお疲れ様でした。
充実した時間をありがとうございました。

今日は「残った課題」等々頭がいっぱいで、書きたい事も
あるのですが、いかんせんマイパソコンを持っていない身でございまして
立ち退きを要求されています。
また、占有できる時に書かせていただければと思います。

メッセージをたくさんありがとうございます。

204SAKURA:2012/05/24(木) 21:53:41 ID:V.pKl3yA
>>198
金木犀様

昨日からの“暖かい言葉”ありがとうございます…。

■正直な話なのですが…
「誌友会…」は、私は“パソコン”に、かじりついていましたのです…。
【格闘…!!】バトル戦争でしたのです〜〜〜ョ??(微笑)

話は変わりますが…
「金木犀様」の投稿を、いつも楽しく〜〜♫〜〜拝読させて頂きながら〜〜〜
「文章タッチ!!」なれていらっしゃいますモノ〜〜〜♫
どうしたら??その様になれるのかしら〜〜〜ン思いながら…私も…“トライ!!”

205SAKURA:2012/05/24(木) 21:59:43 ID:V.pKl3yA
>>204に続きですが
金木犀様

今後ともよろしくお願いいたします…。(コピ−忘れです…。)  再合掌

206SAKURA:2012/05/24(木) 22:04:03 ID:V.pKl3yA
>>200
トキ様 へ

“お返事”ありがとうございます……。
よかったです〜〜〜ネ!「生長の家・谷口雅春先生の話題」に……
何となく〜〜此方も〜〜前向きに!なれそうな予感!そうなのですョ〜〜ネ!
小〜〜大〜〜に“無限”に広がるのかしら 〜〜ン?
まるで〜まるで〜ポジティブ気分?そのような気持ちになりました…。
“舵”を握って…今から“貴方”は何処へ行くの〜〜〜♫〜〜〜と…
“声”をかけられても、
Oh! Oh!〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜Oh!私は「生長の家の家族で〜〜す!」と
言える集団に、もう一度“カムバック”ですかしら〜〜〜ン?

そして、“素敵なお話…”ありがとうございます…。 
今後も、此の様な“お話”…“光明化運動ガンバル!エネルギ−”を、
頂いた気持ちになります…。又、“お話…”して頂きますと幸いです…。
今後ともよろしくお願いいたします…。        再合掌

PS:「誌友会…」は、格闘しておりましたので〜〜〜
更に“目”が“オバケ目”の状態で…“投稿文”をよく拝読する時間も…
なかったのですョ〜〜〜〜ネ! (ごめんなさい)

207復興G:2012/05/24(木) 22:16:21 ID:84pogn5s


皆々様。

合掌 ありがとうございます。
私は今日、日中は他の用がありましたので、朝お約束しましたSAKURAさま・金木犀さまへのコメントも遅くなりました。また、「訊け」管理人様からもコメントを頂いております。その個々のコメント・お返事を申し上げる前に、私たちの立つべき本(もと)のところはどこか。『生命の實相』を拝読して体得すべき中心真理とは何かをしっかり考えて……
と、書き始めています。

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

昨夜のWEB誌友会最初の発言として、トキ様が、

>「生命の実相の自性円満(そのままでえんまんなこと)を自覚すれば大生命の癒力が働いてメタフィジカル・ヒーリング(神癒)となります。」と「七つの光明宣言の解説」の冒頭にありまして、谷口雅春先生の直弟子の先生から「これが分かれば、それで全部分かります」と言われましたが<

とおっしゃってくださいました。(>>116

実に、ここにこそ私たちの立つべき本(もと)のところ、生長の家の御教えの根本があると思います。

『日々読誦三十章経』三十日の経言(のりごと)に、
「今・此処・天国を実現する言葉」として

「絶対者と一体(ひとつ)になる最高の神想観はただ一つ――しずかに坐して次の如く念ぜよ。『吾が中(うち)に、神が今此処に、そして天国が今此処にある』」

とあります。(原文は正漢字、歴史的仮名遣い使用)
ただこれだけであります。

ここに、一切の現象が展開する大本の真理があります。

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

この根本真理にしっかと立って、皆様のコメントに残された課題を考えたいと思っております。
具体的なコメントは、また明日にさせてください。

では皆様、今日は、おやすみなさい。
感謝 合掌 拝

208a hope:2012/05/24(木) 22:20:44 ID:kcv2QXTk
みなさま こんばんは

昨晩web誌友会に参加されたみなさま、また観覧して下さったみなさま、お疲れさまでした。

>>193でトキさまが、誌友会の最中に、お知り合いの方から病気が消えたというお知らせがあったとか、
偶然と言ってしまえばそれまでですが、何か意味のある出来事のような気がします。
それにしても、以前は「生長の家」の教えで、病気が癒えるのは当たり前のことのように起きていたのですよね。

また、>>200で、トキさまが、

>>以前は、電話をしても、誰かの悪口ばかり言っていた人でしたが、最近は、生長の家や谷口雅春先生
の話題になります。ありがたい事です。<<

とも、おっしゃっています。
人の悪い面を見るのをやめて、生長の家の真理や谷口雅春先生の方に心を向けることで、
その方の実相が顕れて来たのかも知れませんね。

いずれにしても、そのような素晴らしくありがたい報告がweb誌友会中に、
掲示板の管理者であるトキさまの所に入ったわけですから、
やっぱり、復興Gさまがおっしゃるように「神霊が天降った」のかも知れませんね。

>>201 金木犀さま

わたしは、日本国憲法とか政治のお話には全く疎いのです。
谷口雅春先生のご著書でも、拝読したものは限られていますし、
まだまだ、これからお勉強していかなければいけないことだとは思っています。

話は違うのですが、金木犀さまが聖典板に謹写して下さた『秘められたる神示』の講義はとても感動しました。
特に後半の天皇さまについての講義には今までには勉強したことのない生長の家の教えがありとても興味深かったです。

最後の方を拝読中に、「国家の天皇さまにしても、生長の家の総裁先生にしても、
中心帰一するということは、自他一体の感覚を持つことなのではないか」ということを感じていました。
つまり、天皇であれ平民であれ、総裁であれ信徒であれ、同一の神性の内に皆一つなのではないかと感じました。

天皇陛下も総裁先生も、日本国家や「生長の家」の象徴ですから、
わたしたちは国民として信徒として心から敬うことはとても大切ですが、
だからと言って、絶対視して服従するような存在でもないのではないか..と。

ちょっと、ここところは、わたしの感じた感覚なのでまったく自信がありませんが...

あんまり、考えすぎると、眉間にしわができてしまうのでこれくらいにしておきますね。
また、昨日の誌友会のテーマに関してなど、復興Gさまから何かお話がありましたら、
一緒に考えさせていただきたいと思います。


それでは、わたしの大切な「生長の家」のみなさま、おやすみなさい。

209a hope:2012/05/25(金) 08:59:43 ID:kcv2QXTk
みなさま おはようございます。

復興Gさま

わたしは、昨日の「訊け」管理人さまの投稿>>199

>> なお突然話しが飛びます。あの座談会(「理想世界」)ですが五回ほど拝読しました。実に素晴らしいご文章でありまして、ブログ記事にまでしたのですが気になることがございます。それは以下ご発言の発言者、これになる次第なのですが、

――――――――――――――――――――――――――――――――
E 運動が、「実相独在」の否定から始まってはいないか――両刃の剣で
「切る」としたら、まずその辺がいちばん先に切られるべきこととして、
あるんじゃないか。
――――――――――――――――――――――――――――――――

 このE氏とはもしかすると、「榎本恵吾先生」ではないでしょうか?いやなにかそんな予感、ありありなのですがいかがでしょう。
 このお言葉は本当に、重いですね。「運動が、『実相独在』の否定から始まってはいないか」<<

を読んでから、榎本先生のことが気になりだしました。
それで、ふっと以前復興Gさまが、トーキングスティックボードでスティッカーだったときに、
榎本先生のお話をされていたのを思い出しました。

当時は、なんだか生長の家のすごい真理のお話をされているのだという認識だけはありましたが、
本当の意味で理解していませんでした。

でも、今はもっとそっかり理解できそうな気がしています。

web誌友会のときに話題に上がった「光明一元」のと光明化運動の関係がそこに書かれていますよね?

パートが終わったら見直してみたいと思います。

金木犀さま、「訊け」管理人さまや他の興味のあるみなさまもよろしかったらご覧になってくださいね。

トーキングスティックボードの>>109から、復興Gさまのお話が始まっています。
他のみなさまのコメントなんかもあって懐かしいですよ。

それでは、わたしの愛する「生長の家」のみなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしくださいね!

211a hope:2012/05/25(金) 09:02:19 ID:kcv2QXTk
トキさま

>>209と、>>210がニ重投稿になりました。
>>210とこの投稿の削除をお願い致します。

でも、なんでニ重投稿になったんだろう...?不思議だ。

212復興G:2012/05/25(金) 10:56:03 ID:84pogn5s

>>209 :a hope様。

>……榎本先生のことが気になりだしました。
それで、ふっと以前復興Gさまが、トーキングスティックボードでスティッカーだったときに、榎本先生のお話をされていたのを思い出しました。……トーキングスティックボードの>109から、復興Gさまのお話が始まっています。他のみなさまのコメントなんかもあって懐かしいですよ。<

私も、懐かしく読み返しました。ありがとうございます。
そしたら、>177で、「熱鉄丸」について次のように書いていたのも出てきました。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<<箇の熱鉄丸(ねってつがん)を呑了(どんりょう)するが如くに相似て、吐けども又吐き出さず。>>
<<従前の悪知悪覚を蕩尽(とうじん)し、久々(きゅうきゅう)に純熟して自然(じねん)に内外打成一片(ないげだじょういっぺん)ならば、唖子(おし)の夢を得るが如く只自知することを許す。>>

という語が、やはり『無門關』第1則「趙州狗子」の中にあります。

谷口雅春先生のご解説──
<冷暖自知せよ! 絶体絶命、熱鉄の灼熱せる団子が咽喉につまつたやうに吐けども吐くことが出来ない。最初は無いと感じてゐたが、その無を感ずる感覚器官さへも焼けて了つて熱いも冷たいも無い、ただそこに熱鉄だけがある。のがれる道はない──その儘受ける──その心境になると、従前の悪知覚がなくなつて、苦しい熱鉄の団子を呑まされたと思つてゐた苦しい感覚がなくなる。そして<<久々に純熟して自然に内外打成一片>>となる。受ける自分(内界)と与へる外界とが渾然熟して一体となる。一体となるとき、そのままそこが極楽であることが、喋らないでも唖子(おし)が夢を見て自得するが如く自得するやうになるのである。忠義とは苦しいもの、孝行とは面倒くさいもの、夫婦相和は退屈なものと思つてゐたのが、忠孝とは愉しいもの、孝行とは悦ばしいもの、夫婦相和は楽なものであると其のまま素直に行へるやうになるのである。病気なら病気が癒える。>
と。

──この「熱鉄丸を呑了する」ということは、「死んでしまう」ということ。
いっぺん死んでしまわなくてはだめだ、ということだと思いました。「自我を死にきるべし」ですね。

「自分」というものはなかった! と思ったら、
「すべてが自分だった!」
となる。
そしたら、神想観をして「われ今五官の世界を去って実相の世界に入る」というとき、「われ」は「全てのもの」となり、「全てのもの今五官の世界を去って実相の世界に入る」となる。「同時成道」である。

──今朝、神想観のとき、そういう思いになりました。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

と書いておりました。

あと、同板の>205からは 、a hope様が「愛」と「伝道」について、トーキングスティックを持って問答をしておられますね。これも、意義深いものでした。
ありがとうございます。

213復興G:2012/05/25(金) 11:46:56 ID:84pogn5s

SAKURA様。

たびたび、(もう数えきれないくらい)誠実な、長文の書き込みを、ありがとうございます。

現象はすべて「影」にすぎないので、本来ない。
個々の「自分」というものも、本来ない。その「自分」を死にきったとき、そのまま完全な「実相」独在! と、「フト」思えてくる時が来る――のだと思いますが、a hopeさまが言ってくださった、トーキングスティックボードの>109からの投稿文なども、できれば読んでみていただければと思います。
SAKURA様の、自性円満(そのままでえんまん)な神様であるお姿を拝ませて頂きます。

214SAKURA:2012/05/25(金) 12:39:51 ID:pSfJ0VGQ
復興G様 へ
>>213拝読させて頂きまして

”お返事“の言葉…感謝申し上げます…。
■>現象はすべて「影」にすぎないので、本来ない。個々の「自分」というものも、
本来ない。その「自分」を死にきったとき、そのまま完全な「実相」独在!<

此の“言葉”…少し私の答弁を述べさせていただきます…。
■「自分」を死に切った時…?此の解釈論??どの様に捉えるべきでしょうかしら〜〜ン?
いつも思いますが…
【死に切る=無我…】心の境地と云う解釈論の言葉…になります…。
その様に、私は捉えております次第ですが…。

■話は変わりますが…
「榎本先生」は、懐かしい存在です…。良く「宇治」に参りました時…
先生へ「実相・現象」此の言葉を投げかけ質問し致しました…。
その時、先生は…笑いながら?
「いつも僕は、実相・現象の繰り返しで…問題があると“甘露の法雨”を読んで
心静かに〜〜」その様におっしゃつていらつしゃいました…。
その時?此の言葉「実相……」潜在意識にしっかり入り込みました…。

この様に…【無我…此の境地】になります事は、瞬間は出来ますでしょうが?
しかしながら【人間は感情動物?…】どうしても
ある時は“ポジティブ感”・ある時は“ネガティブ感”此の繰り返しになりますでしょう。
そうしますと、【我<=>無我】こに境地の狭間になっている自分の存在に、
気がつく事が、往々にあります…。
必然的に【現象=現実】と【実相=本来の姿】の繰り返しになって【持続性…】
此の事が、今の私の“問題定義”となっております…。
此の【無我…境地】こそが【死に切る“自分”】と成り、【実相世界…突入】と、
参りますでしょうか…その様に思っております…。
此の後…【次に感謝!感謝!】と云う“感情”が自ずから〜なみなみと“心の底”から、
湧き出でてくる様になるのではと、思いますが…(一部投稿にて)

時間が今ありませんので…(ごめんなさい)
途中で申し訳ございませんが…仕事の合間〜合間にて“投稿”させて頂きます。

                           再合掌

215金木犀:2012/05/25(金) 13:49:58 ID:L0Ei6.zw
復興G様

榎本先生についての御投稿を読まして頂きました。
こんなすごい文章を書かれていたのですね。
これを呼んだら、この前の誌友会の資料として書かれていた座談会のことも、
非常によく理解できました。
ざっと読みましたので、もう一度静かに読みなおしてみます。
確かにすべての運動を実相独在から始めなくてはいけませんね。
どうしても、現状の悪に目が行ってしまいますが、
悪は本来無い、
実相は自ら顕れる力を持つ。
これが、真にわからないから、力みがでるのですね。

私も、なんとなくねばならぬに引っかかっていたのかも知れません。
素晴らしい教え、ありがとうございました。

216復興G:2012/05/25(金) 14:26:31 ID:84pogn5s


>>201 :金木犀様。

>復興G様 本当に昨日はお世話になりました。またコメントを下さるとのこと、楽しみにしております。<

遅くなりまして、すみません。

聖典板に、時宜に適った、貴重な長文の「君民同治の神示」とそのご講義文を謹写アップロードして下さいまして、本当にありがとうございました。あらためて、その労に深く感謝申し上げます。

そして、金木犀様と a hope様との往復コメントを拝見して、思いましたことなどを、書かせて頂きたいと思います。

――<引用>――
>>しかし、現象と実相を区別して やはり両方見る必要もあると思うのですが、一度は現象を見て、その現象を否定し、実相を観るという手順がやはり必要な気もします。<
(a hope様)これは、まず現象の悪や罪を認めてから否定するということになるのでしょうか? <
>私も、実はあまり良く解っていませんが、現象を否定するには、一度は現象を見る必要があるかなと思ったのですが、現象のいろんな事象を見て、全て良しと言ってしまうと、それはそれで、今度は現象の不完全を良しとみとめることになりはしないかと思うのです。現象そのままが善ではなく、その奥にある実相が善であると言うことは認識しなくてはいけないかと思ったのです。<
>私の書き込みました「現象を一度は見て、という件に関してですが、私の頭の中にありました現象というのは、その時思い浮かべていたのは、日本国憲法のことでした。
どうも私は常に憲法のことが頭にあって、憲法を破棄しなければという思いで、実相のみを見て、占領憲法をそのままにして放置していることはやはりおかしいという思いがありました。……とにかく、現憲法は否定すべきものであり、これを実相は全て良しと実相ばかり見て放置しているのはいけないのではと思ったのです。
ただ、何事も実相を観るということは不可欠であり、神想観とともに進めていくというのは、大事なことであると思います。<
――<引用終わり>――

ありがとうございます。

これを見て、私は「祈り合いの神想観」のときの心構えとして教えられていることを思い浮かべました。それは

(1)同悲の心を起こすこと

(2)実相直視と感謝

(3)力まず、幼な児の心をもって、ただ観ずる

(4)相手を癒すには非ず、自分の心を癒すなり

この4つの項目が大切であるということです(『人間苦の解放宣言』より)。

<つづく>

217復興G:2012/05/25(金) 14:30:19 ID:84pogn5s

<つづき 2>
同書のご解説で、この第1番目「同悲の心を起こすこと」というのは、

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 相手のために祈るということは、譬えてみると、相手のシャツの汚れを電気洗濯機で洗濯してあげるようなものである。

 相手のシャツを洗濯するためには、まず、相手がどんなに汗臭かろうとも、相手のところに近づいて行って、
「さあ、シャツを洗濯しましょう。貸してごらんなさい」と言って、まずシャツを自分の手許に取り込むことが必要である。

 祈ってもらいたいと出て来られた人に対し、
「あの人は、これだけお話をきいているのに、まだあんなことを悩んでいる。悟っていないねえ」
 などという気持は、シャツを自分のもとに取っていないのである。

「友の憂いに我は泣き、我が喜びに友は舞う」という友情をうたった歌があるが、相手の悩みを見て、「もしも、私があの人の立場だったら、どんなにつらいことだろう。あの人の悲しみは、我が悲しみだ。何とかしてあげたい」と、真に相手の悲しみを我が悲しみと感じ、共に手をとり涙を流さんばかりの気持となるとき、相手の悲しみが吾がうちに摂取されるのである。相手の汚れたシャッを自分の手許にとり込むことになるのである。

 聖書には、イエスが他の人のために祈った心がよく示されている。ラザロが死んで、その家族達が嘆き悲しんでいる所にイエスが来たとき、「イエス涙を流し給えり」とある。
 相手の人の苦痛や嘆きに対して、この、共に涙を流すほどの同悲の心があってこそ、神癒が行われるのである。

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

と書かれています。

金木犀様が、
>現象と実相を区別して やはり両方見る必要もあると思うのですが、一度は現象を見て、その現象を否定し、実相を観るという手順がやはり必要な気もします。<

とおっしゃるのは、この「同悲の心」を起こす必要がある、ということであろうと思います。これは誠に大切なことであると思います。
<つづく>

218復興G:2012/05/25(金) 14:31:10 ID:84pogn5s

<つづき 3>

しかしながら、その後には
(2)実相直視と感謝 が必要である、ということです。
この「実相直視と感謝」ということについて、同書(『人間苦の解放宣言』)では次のように解説されています。

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

(2)実相直視と感謝

 まず、相手の悲しみで汚れたシャツを自分のところに取り込むことが祈り合いには大切であるが、その汚れたシャツを自分のところに抱えこんだまま、いつまでもそれを持っていたら、自分までが汗臭く、汚れがしみ込むことになる。すなわち、うっかりすると、自分が相手の病念を背負いこむことになるのである。

 次にすることは、そのシャツを洗濯機の中にスッポリ放り込み、洗濯機のボタンを押すことである。
 洗濯機にシャツを放りこみ、ボタンを押すというのは、神様の世界にクラリとふりむいて、完全円満なる実相を直視することである。

 先ほどのキリストの祈りで、キリストまず涙を流し給うたのち、次にラザロに対し「死せるに非ず、眠れるなり。起ちて歩め」と宣言(=生命の宣り=祈り)し給うた。
 するとラザロは起ちて歩み出したとある。

 ひとたび相手と自分との生命の一体感をもって、相手の悲しみを我が内に摂取したならば、その相手と一つなる自分自身がクラリと実相の方に振り向いて、すべての罪を赦し、癒し給う神の愛と生命の流れが燦々と流れ入って、その中に満たされ、生かされているさまを心の眼で観じ、本来病んだこともなく、悩んだこともない完全円満なすがたを、そのまま、ジーッと観つめ、“既に祈りの叶えられた”ことを心の底深く信じて感謝するのである。

(3)力まず、幼な児の心をもって、ただ観ずる

 実相を直視する場合、力む必要はない。
「この私が祈って、相手を治し、よいところを見せてやろう」などと、力むことは無用である。

 祈る人の役目は、ただ相手の汚れたシャツを取り込んで、それを洗濯機の中にスッポリ放り込んで、スイッチを入れるだけでよい。あとは自ずから神さまの電流が流れ入って、洗濯機が回転し、シャッがきれいになるのである。スイッチを押すことは子供でも出来る。そこに必要なのは“幼な児の心”である。

 たとい目の前に七転八倒している病人の姿があろうとも、そんな不完全な姿は、夢の如く、幻の如く、本来無い! あるものは、ただ完全円満な神の子のみであるという実在を観じ、神の創り給いし世界のみが実在であることを百パーセント信ずる幼な児の信をもって、ただ実相――健全な相(すがた)をジーッと観ずるのである。それがスイッチを押すことになる。吾等の役目はただ観ずるだけである。すると自ずから電流が流れる、すなわち神の癒す力が流れ入り給う。み業は神がなし給うのである。

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<つづく>

219復興G:2012/05/25(金) 14:45:26 ID:84pogn5s

>>215 :金木犀様。

上記 >>216〜218 は、金木犀様の >>215 を拝読しないで書き込んでいました。
以前のトーキングスティックボード、榎本先生のことを書いたのを読んで下さったのですね。ありがとうございます。

私ももう一度読み直して、心を新たにしたいと思います。
本当に、ありがとうございました。
感謝 合掌 拝

220復興G:2012/05/25(金) 14:59:03 ID:84pogn5s

>>214 :SAKURA様。
>■「自分」を死に切った時…?此の解釈論??どの様に捉えるべきでしょうかしら〜〜ン? いつも思いますが…
【死に切る=無我…】心の境地と云う解釈論の言葉…になります…。その様に、私は捉えております次第ですが…。<

私の場合は、<<現象はすべて「影」にすぎないので、本来ない。個々の「自分」というものも、本来ない。空っぽなんだ>>

と、フト思ったとき、自分が解放された、宇宙いっぱいにひろがる自分を自覚したような気持ちになりました。そしてそれまでは、自分の欠点のことばかり気になっていたことから解放され、「私は光だ!」と、思えるようになったのです。
「自我を死にきる」というのは「死にきらなくてはならない」と力むことではなかった、とわかりました。空っぽになる、といいますか、そう、素直に、無我になることでした。
ありがとうございます。
合掌 拝

221復興G:2012/05/25(金) 15:47:57 ID:84pogn5s

>>199 :「訊け」管理人殿。
> 昨夜のWEB誌友会ですが、開催の労に感謝申し上げます。私も経験者ですが、本当に傍目で見る以上に「大変」です。<

そうですね。それは、やってみないとわからないでしょう。
司会、交替制でいろいろな方が体験されることにより、みんなが司会者の気持ちになって協力し合うようになれば、素晴らしいことになるのではないでしょうか。
お返事、遅くなりましたが、今までのご苦労にあらためて感謝します。

> なお突然話しが飛びます。あの座談会(「理想世界」)ですが五回ほど拝読しました。実に素晴らしいご文章でありまして、ブログ記事にまでしたのですが気になることがございます。それは以下ご発言の発言者、これになる次第なのですが、
―――――――――
E 運動が、「実相独在」の否定から始まってはいないか――両刃の剣で「切る」としたら、まずその辺がいちばん先に切られるべきこととして、あるんじゃないか。
―――――――――
 このE氏とはもしかすると、「榎本恵吾先生」ではないでしょうか? いやなにかそんな予感、ありありなのですがいかがでしょう。<

私も、そんな感じはしますが、まあ身元詮索はやめておきましょう。
それにしても、あの座談会はほんとに素晴らしいですね。
貴殿が前に引用された

「<自分の中に宇宙がある>
 ぼくはね、以前はベートーヴェンの音楽をきいても、バッハの音楽をきいても、「これはベートーヴェンという人の体験した、ある生命体験を描写したものだ」あるいは「バッハの世界を表現したのもだ」と思っていました。それは他人事(ひとごと)だったんです。そして、ベートーヴェンの能力に嫉妬心を起していたんです。ところが、そうではなかった。これは、ベートーヴェンが、ぼくのいのちをまつってくれて、ぼくのいのちをたたえて、こうして顕斎してくれているんだ、という気持になってきたんです。ベートーヴェンが他人事じゃなくなったんですね。こういった大天才たちが自分のいのちの延長として出て来て、自分のいのちをたたえてくれている、という感じになってきたんです。そしたらもう、うれしくてうれしくて……」

ここも、私も深い気づきのあったところです。

最初の、
 「日本人は本来、家を建ててもそれは自分の家を建てるんじゃなく、神さまの宮を建てて、神の宮に住まわせていただくんだという気持だったんですね。だから入口にしめなわを張って、おまつりをするんですよ。
 食事だって、天照大御神の御いのちをいただく神事であるし、寝るのだって、単に疲れたから寝るというのじゃなくて、マドコオウフスマに入ってお籠りをする神事なんです。すべてこれ顕斎ですよ。」

というところから、全部、嬉しくなる座談会記事です。
合掌。

222金木犀:2012/05/25(金) 18:24:58 ID:L0Ei6.zw
復興G様

コメントいただき、有難う御座いました。
私も悪を見て運動をはじめるというのは間違っているというお話で、
反省させられるところも多く、わからなくなったところもありましたが、
祈り合いの神想観の例を出して頂き、非常にわかりやすく、よく理解できました。
私も雅春先生がラザロの例を上げて説明されている文章を思い出したりもしていましたが、
なお漠然としていましたが、このように手順よく祈りの仕方が書かれていると、
心の持ちようがはっきりと分かりました。

とはいえ、現実への対処となると、神想観をしても、
なおわからないこともあります。
これは、神想観が足らないということだと思っています。
榎本先生について書かれた文章と共に
雅春先生の沢山のご著書をもう一度読みなおしてみます。

223「訊け」管理人:2012/05/25(金) 18:52:53 ID:???
>復興Gさま
>>181 a hopeさま

 あらためまして、第三回WEB誌友会の盛会をお慶び申し上げます。昨日来うーんうーんと唸っております。なぜと申せばこれ、以下の文章ですが、私の現在のテーマと関連しているからであります。そのテーマとは「同時成道」――これになる次第。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>>181 :a hopeさま

わたしは、「全宇宙は自分の心の影なんだ」としたら、
現象のすべての不完全も自分の心の影ということになるような気がするのですが...

この「全宇宙は自分の心の影なんだ」という真理が正しければ、今の「生長の家の姿・総裁先生の姿」は、
やっぱりわたしたちの心の影ということになるので、それ、正しいんじゃないかと思いました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ですんで本日は「これをハッキリさせよう」、そんな意気込みで対しております。なお、どれくらいの意気込みかと申せば、もう考えるのが楽しくて楽しくて、キャバクラ嬢に会うことも忘れ・・・(中略)・・・金曜日の夜、ぜいたくに過ごします。さっそくツラツラと私見を、披露して参ります。なお下記はこれ、「同時成道がワカンナイ」という一求道者の途中経過報告、そんな感じでお読みください(あまり、期待値を上げないでください)。それでは宜しくお願い致します。

<「同時成道」を誤解すると悲惨である>

 「同時成道」とはつまり、「自分を責めるための概念ではない」、そのことを強調したく以下文章、掲載した次第です。
 この「同時成道」とはともすれば、なにか「全世界のことを自分の責任のように」考えてしまうという、そんなことにもなりましょう。それは迷妄ですしそうすればせっかくの同概念、自分を責めるための「審判(さば)きに満ちた」教えになって仕舞います。それでは非常にもったいない、そんな理由から以下文章、掲載した次第です。

(つづく)

224「訊け」管理人 2:2012/05/25(金) 18:53:29 ID:???
<「横の真理」を有効機能させるためのコトバか!?>

 「私が変われば世界が変わる」(「同時成道」)というこの概念――言うまでもなく検証の仕様は、ございません。科学的に検証しようと思えばまあ、あの、カミオカンデを軽く超える規模の施設、これが必須要件となりましょう。ですので以下では「検証」、これは目的としません。ところで上記タイトルですが、やや方便です。「同時成道」ですがこれ、真理であることは間違いないのでしょう。ただ真理に見えないのはたぶん、私の五官知が迷っているからに過ぎないのでしょう。そのことを認めつつ、先に進みます。
 そこであえてこの「同時成道」ですが――「横の真理」を有効機能させるためのコトバか!?――こんな地点から思考してみようと思います。繰返しになりますがこれはやや、方便としてお聞きください。どんな方向けの方便かと申せば、「とにかく現象界を良化したいのよ」、そんなこと考えている(私のような)人です。そんな人がこの、「同時成道」を思考すればおそらく、現象界の良化に繋がるのだと考えるものです。たとえこの概念が、心底腑に落ちることがなくとも・・・・

 ・・・さてこの「私が変われば世界が変わる」(=「同時成道」)ですけれども、真意の一部はたぶん、こんなことだと思うのです。それは、

――――――――――――――――――――――――――――
○ 外界と自分とを「分離させた」まま、物事全般を眺めてはならない。
(=真我とはそんな、小さなものではない)
――――――――――――――――――――――――――――

 説明します。「自分が生まれ変わると、世界も変わるのである。」なぜならばそれは、谷口雅春先生が申されているが如く、「人間は神の子である」からである。それでは神の子とはいったい、そんな存在なのであろうか?
 ・・・それは、「霊」である。この肉体が人間ではないのであり、「霊」こそが本体なのである。それでは「霊」とはどんなものなのか?
 ・・・それは「宇宙全体に遍満している」実に不可思議な、そして、真空妙有・至美至妙なものである。否、「もの」などと形容されるものではなくこれこそ、万物を創生させたところの元なのである。まとめると、宇宙全体に遍満しているのが「霊」でありそして、この「霊」こそがこれ、我々人間の正体なのである。

<人間=霊ならば>

 谷口雅春先生が再発見された事実、これに拠ると人間は「霊」である。これを人間の「正体」と信ずるならばもう、全外界と自分との間に 「 分 離 」 な ど 存 在 し な い はずである。(!)自分と全外界との間に分離を残したまま自己を確立すること、これはもはや、不能となるはずでもある。自分と全外界を分離させたまま、物事を眺めるとどうなるのか?それは、霊を否定したことになるのである。
 ・・・霊を否定するとはいかなる意味か?それは(やや飛躍するが)、真我を否定して問題解決に乗り出すことを意味する。真我否定での解決思考とは、どんなものか?それは、肉体人間の知恵に全托することを意味する。肉体知恵を解決のための方策と、どうなるのか?それはもう、御教えに触れていない一般人と変わらない、そんな解決法しか思い浮かばないことになるはずである。

<「同時成道」を否定すると>

 「同時成道」とは実に、理解困難な概念ではある。しかし、これを無礙に否定することはつまり、「人間=霊」の否定にもつながる。そして、「人間=霊」の否定は問題解決の未達、これを顕現させるため現象の良化には繋がらない。


(つづく)

225「訊け」管理人 2:2012/05/25(金) 18:53:59 ID:???
<それではどうする?>

 「横の真理」――唯心所現を機能させる、そのための方便として「同時成道」は有効な概念である。

 言うまでもなく「唯心所現」とは、「心で思った通りになる」という法則である。しかしこの法則、機能させるにはなかなか骨が折れる。開祖・谷口雅春先生すらがもう、「心という暴れ馬を乗りこなせない」「ゆえに現象良化ができない」と嘆いておられるくらいにこの心、なかなか制御は難しい。
 ではどうするか?やや飛躍するがこれは、「迷える自分は本来無い」との一大否定、これが妙策となる。そしてこの、迷っていない我とは「霊」のことである。以下も飛躍ありだがこれ、希望実現を祈る際には「小我が望むに〝あらず〟」なのであり、「大我」――全宇宙に遍満するところの霊――が望むと観る。こう観ることで「横の真理」(唯心所現)はより、有効に機能する。
 なぜと申して今までは、肉体の我が「心を制御」し、肉体の我の範囲内での解決策に乗り出していたわけである。しかし「同時成道」――宇宙に遍満している我、森羅万象=我との自覚から「横の真理」を駆使すればもう、「山海草木すべてのすべてがその実現を祈っている」ことを意味することになる。

 冒頭述べた如くこの「同時成道」は、科学的検証は困難である。しかしながらこの概念を繰返し「考える」ことはつまり、真我の把握に繋がることになる。たとえ腑に落ちることがなくとも、たとえば『生命の實相』を繰返し拝読し同概念の探求するならばいつか、現象界の良化につながるのではないか。理由はこれ、真の我を把握(=霊体としての)すればもう、我々の抱える種々願望とはたとえば、「山海草木すべてのすべてがその実現を祈っている」ことを自覚することに、なるからである。肉体人間のイメージ法とは違い安心感が、格段に上がる。安心感が格段に上がればもう、「横の真理」はどんどん機能するのではなかろうか。
 今までは肉体の、取るに足らない我が実現を祈っていた。ところが森羅万象と我とが一体であると自覚した時、「山海草木すべてのすべてがその実現を祈っている」となればもう、その願望実現への期待感は格段に上昇する。この格段の上昇とは「膻の真理」の、有効機能を意味する。「願望が実現されぬわけ、ないではないか」この領域に、容易に跳躍できるための方便――これが「同時成道」なのではないか。
 


追伸

 ・・・・あああなんか、消化不良気味な文章です。なんかこう、もう少し言い足りない面があるのですが、それが何なのか不明です。ですがまあ、一度この駄文も掲載してみましょう。掲載したものを眺めながら、再度考えてみます。




226今の住人:2012/05/25(金) 19:51:56 ID:.HQBrKN.
 私個人的には、金木犀様が「ねばならぬに対しての気付き」が現れた事に嬉しさを
感じております。

 今動いている運動に対しても、常に聖典に戻ることを意識して、全ては佳きものであると信じて
進みたいと愚考する次第です。

227今の住人:2012/05/25(金) 20:01:04 ID:.HQBrKN.
>>「願望が実現されぬわけ、ないではないか」この領域に、容易に跳躍できるための方便――これが「同時成道」なのではないか。<<

雅春先生が言われた「生長の家の一つや二つ、ぶっ潰しても構わない」の願望通り
一時(教団が)は壊滅するのは筋書きとおりと拝察致しております。

 本流の方たちは、総裁先生の実相を拝む事です。(ただ祈ればいい、と言っているのではありません)
もう、結果は明らかですから、今も暇なく教団や総裁先生の批判を言うのは、次に活きない(終わっている現象・影を叩いてどうなる)と言っているのです。

228復興G:2012/05/25(金) 22:31:57 ID:84pogn5s


>>181 :a hopeさま
>わたしは、「全宇宙は自分の心の影なんだ」としたら、現象のすべての不完全も自分の心の影ということになるような気がするのですが...
いつだったか、志恩さまが、冗談で「すべては総裁先生のせい!」みたいなことおっしゃっていましたが、それ、反対に考えたら、総裁先生の現象の姿は、「すべてわたしたちのせい!」ということですよね?
この「全宇宙は自分の心の影なんだ」という真理が正しければ、今の「生長の家の姿・総裁先生の姿」は、やっぱりわたしたちの心の影ということになるので、それ、正しいんじゃないかと思いました。
うーん。なんか、わかってきたような、わかってこないような...現象が不完全なのは、自分の心が不完全だということなるのですね。<

と、おっしゃってました。これについて、コメントをさし上げなくてはと、その時思ったのですが、失念していました。そしたら、
>>223〜225 で「訊け」管理人様が、コメントをくださってますね。
ありがとうございます。

> 外界と自分とを「分離させた」まま、物事全般を眺めてはならない。(=真我とはそんな、小さなものではない)…… 「自分が生まれ変わると、世界も変わるのである。」なぜならばそれは、「人間は神の子である」からである。この肉体が人間ではないのであり、「宇宙全体に遍満している」実に不可思議な、そして、真空妙有・至美至妙なものである。この「霊」こそがこれ、我々人間の正体なのである。(要約) <

と、「訊け」管理人様がおっしゃってることを、私は実感体験しています。

「……のせい」というと、悪いものを認めているわけです。「電信ばしらが高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんな私が悪いのよ」なんていう言葉が流行ったことがありましたが。「環境は心の影」「三界は唯心の所現」というと、「みんな自分が悪いのよ」と、自分を責めてしまうことが多くなります。それでは、宗教が魂の救いになりませんね。

私は、「宇宙は真空を嫌うという自然界の法則があって、真空の処には外から他の流体が流れ込むようになっている。だから自分を空にすれば、宇宙大生命がいくらでも流れ入る」と何かに書いてあったのを読んで、なるほどと思い、たとえば神社の前に立って礼拝するとき「自分を空っぽにする」気持ちで礼拝し、柏手を打つと、その神社に祭られている神霊が自分に流れ入り自分と一体になって自分が大きく拡がった感じがする。仏壇の前で先祖を拝み自分を空にすると、先祖のいのちが自分に流れ入りパワーをいただいて、先祖が今ここに生きていらっしゃるという実感がわく――というようになってきました。それを重ねているうちに、あるときフッと、「そうだ、“自分が”“自分が”と思っていた“自分”というものはもともと無かったんだ! 先祖から頂いたいのち、先祖からいただいた身体。その元は神からいただいた生命、神から頂いた身体だった。自分は無かった、神様だった! 自分は光だった! 愛だった! 無限力だった! と、感じられたのです。

私はそれまで、自己劣等感が強く、「どうして自分はこんなに人の心がわからなくて愛が持てないんだろう」という罪の意識が根深くあって、明るくなれなかった。それで、人前で話をすることが一番苦手だった。――それが、その時フッと、吹っ切れたのです。
<つづく>

229復興G:2012/05/25(金) 22:32:34 ID:84pogn5s

<つづき>
そのとき、『眞理』第7巻に書かれてある「妙法蓮華経の多宝塔品」のお話――

 >>法華経の中に多宝塔品という所がありまして、釈迦牟尼如来が説法をなさいますと、荘厳きわまりなき多宝塔が空中に忽然(こつねん)と出て来る。そして塔の中に多宝如来が出現せられる。この時に、多宝如来の分身の、即ち分れたるからだの、無限のほとけ様が、一時にそこに集って来られるということが書かれてあるのであります。これがまた一仏は一切仏であることを現しております。そして釈迦牟尼如来が法華経をお説きになる時に、無数の分身の仏様がずーっと来集して来られて、そしてその説法を聞き給うのである、というと、これは話す人と話される人との対立関係みたいだけれども、それは全部自仏の分身の仏様なのです。他仏は何処にもないのであります。
 丁度私がここで説法をいたしておりますと、皆さんがここにこうして集って来て、そして、私の説法をお聞きになる、そうすると、話す人と聞く人と対立的に別れているように見えているけれども、実はそうじゃないのであって、互に私と皆さんとは一つなんであります。<<

とあることが、自分にぴたっと来たのです。
自分が地方講師として講話するときも、他仏に話すのではない、自分(の分身)に話すのだ。だから、何も構えることは要らない。そのまま自分自身に語るのだから――という気持ちになり、それから「話は苦手」という意識がまったくなくなりました。自己劣等感とか罪の意識も消えてしまったのです。

どれで何の失敗もしなくなったというわけではありません。失敗はあり、それについて反省はしますが、失敗に引っかかることはなくなりました。明るくなりました。

「神が、今此処に生きていらっしゃるんだ。だから、自分を拝むことが、神を拝むことなんだ!」と、思えるようになりました。
谷口雅春先生は、『生命の實相』のご本を通して、私たちの命を拝んで下さっているのだ! だから私たちはそれを「ありがとうございます」素直に受けて、またすべての人々を神として拝ませて頂くのだ! と思わせて頂くようになりました。

招神歌を歌っても、自分はないのだから、すべてが自分なのだから、「わが生くるはわが力ならず・・・」というとき、「すべての人が生きていらっしゃるのは自分の力で生きていらっしゃるのではなく、神様が生きていらっしゃるのだ」と念ずるようになりました。

そして、「総裁は自分の力で生きていらっしゃるのではない。神が総裁となって生きていらっしゃるのだ」という祈りが、自然に出てくるようになり、「本流を名乗る方々もまた、神のいのちを生きていらっしゃって、大調和していらっしゃるのである」という祈りも自然に出てくるようになりました。それが実相だと、実相を観じられるようになりました。

これを、ますます徹底してまいります。
ありがとうございます。
感謝 合掌 拝

230SAKURA:2012/05/25(金) 23:00:44 ID:V.pKl3yA
復興G様 へ
>>220拝読させて頂きまして

こんばんは…遅くなりまして
今日は“コメントの御返事”を頂きまして…
ありがとうございます…。

■>「自我を死にきる」というのは「死にきらなくてはならない」と力むことでは
なかった、とわかりました。空っぽになる、といいますか、そう、素直に、
無我になることでした。更に実相・現象についての投稿を
私なりに別の角度でまた新たにいま現在パソコンに打ち込んでいますが
明日までに投稿させて頂きたいと思います・・・<

そうなのですョ〜〜ネ!
「力む!…」事なく…自然体にて〜〜♫〜〜です〜〜ョネ!
時々??「ネガティブ感情…」もたげて来ますと…
全てに於きまして“マイナス要素ですもの〜”素直な気持ちに〜〜
どんな時でも〜如何なる状況の時でも〜“自我”を捨て切る心境…
唯今!!訓練途中〜〜〜です…。
「実相世界…突入…そのKEY WORD」頂きました…。ありがとうございます。

そうです〜〜〜ョネ!
■【自我を捨てる…】潜在意識に…インプット!インプット!させて頂いております。

                               再合掌
PS:
「復興G様」の【 実相=現象 の体験 】を楽しく読ませて頂きました…。
明日…私も「復興G様」の投稿を参考にさせて頂きながら…
もう一度【 実相=現象 】考えてみたいな〜〜〜〜ぁ!と思っております。 
そして私なりの「思考??」を…投稿させて頂こうかしら〜〜〜ン?

今日は「復興G様」様の沢山の“投稿文”…勉強させていただいております。
感謝申し上げます…。

231「訊け」管理人:2012/05/25(金) 23:05:20 ID:???

>「神が、今此処に生きていらっしゃるんだ。だから、自分を拝むことが、神を拝むことなんだ!」と、思えるようになりました。

 ああ、ありがとうございます。

 なぜでありましょうか。復興Gさまご文章の文中にてこの言葉――「自分を拝むことが、神を拝むことなんだ!」これを読みますと、非常に納得できました。何度も何度も読んだはずの、そんな重要概念です。それでも忘れてしまう自分がおります。吉田國太郎先生や服部仁郎先生も、そして、藤原敏之先生も榎本恵吾先生も、おっしゃっておられた話です。徳久克己先生も、「だあはははは」と笑ったあとに「自分を拝むことが、神を拝むことなんだ!」――そう力説されておられます。それでも忘れてしまいます。「自分を拝むことが、神を拝むことなんだ!」

 普段はなかなか、肉体の制限を超えられません。五官に瞞着されてしまいます。ですがなにか本日、上手く伝えられないのでありますけれども貴殿ご文章でこの言葉、これを拝読したわけでありますが・・・「自分を拝むことが、神を拝むことなんだ!」うん、なにか理由は不明ながら、腑に落ちた感じが致しました。

 本当にありがとうございました。明日も仕事をがんばれそうです。ええ、「神の子無限力」にて。

追伸

 やや話題が飛びますことを、お許しください。
 なにか失敗したとしましょう。その際は「直毘神(なおむすびのかみ)」の御働き、これを礼拝致します。古事記に登場するこの神(自壊作用を象徴)に感謝しながら、「これで悪いものが去った」と慶べる気がしています。失敗すらも「祭」に代えてしまえるような、そんな予感があります。

 ・・・・そういえば古事記ですが「奇魂」という話がありました。今思い出しましたがこの「奇魂」――自分の生命を祭ること(?)だったとか。どの神さまか忘れましたが、自分の生命の「神社を建立する」という話しであったと記憶しております。あれ?ああ、この神社で祭られる自分の生命を「奇魂」と言うんだったかな?(笑)調べずに書いてますが、すみません。

232「訊け」管理人:2012/05/25(金) 23:13:19 ID:???

>ですがなにか本日、上手く伝えられないのでありますけれども貴殿ご文章
>でこの言葉、これを拝読したわけでありますが・・・「自分を拝むことが、神
>を拝むことなんだ!」うん、なにか理由は不明ながら、腑に落ちた感じが
>致しました。


 理由が判明致しました。おそらく復興Gさまが、

――――――――――――――――――――――――――――――――
自分が地方講師として講話するときも、他仏に話すのではない、自分(の分身)
に話すのだ。だから、何も構えることは要らない。
――――――――――――――――――――――――――――――――

 真にこの領域におられるから、なのだと考えました。

 非常に感化されましたこと、重ねて感謝申し上げます。本当に不思議と納得、できました次第です。




233横槍ですいません。:2012/05/26(土) 00:28:06 ID:jgDlRgwI
今の住人様へ
思い上がりはいいかげんにしませんか。

志恩様に賛同されている方のほうが多いことを何故自覚できないのでしょうか?
私は今の住人様の沢山の間違いを指摘出来ます。だがここでは一つだけ指摘します。

それは礼儀がないということであります。

志恩様>1147 :今の住人:2012/05/23(水) 17:30:03 ID:On3nuabc

いかに終焉を迎えているとは言え、黄金期の晴れがましい生長の家の職員
だった方の申される内容とは到底思われません。<

これは志恩様を貶めた言葉です。卑劣であります。醜いそのものであります。


そんな言葉を吐きながら訊けさんに対してはこんな言葉を吐いている
>1180 :今の住人:2012/05/24(木) 20:05:33 ID:YH2TiDgE

結果的に、書き込み禁止(実質・追放)にし、訊け管理人様の意見に賛同した他の方
たちまだ一斉に書き込み禁止になった事実、これに対しての本流掲示板管理者様の
理由は釈然としないものでした。

恣意的にルールを変えて処分した点は、やはり謝罪するのが当たり前と考えます。<

志恩様はきっちりと謝罪されておられます。貴方こそ志恩様に謝罪するのが当然
だと思います。

私はこの言葉を今の住人が言われた時に志恩様はこの掲示板から去られると思いました。
そんなことぐらい理解出来なくてどうするのでしょうか?
その為に久しぶりにこの掲示板に戻りました。

私も過去の栄光を話を皆にしますが、もし不満ならばそれを上回る規模で行えばいいことです。
それも出来ないで「よくいうよ」というのが感想です。
それと相手に「糺す」ということばを使用されていますが、この言葉は間違いであります。
正確には「質す」であり、キツイ言葉で書くと「糾す」であります。「糺す」は糸のもつれを解す
ことなどで使用します。現在では「糺す」「糾す」は同語のような形ですが、京都の「糺の森」と
いうのがありますが、「精霊の地」として理解しています。下鴨神社の所は昔から「糺の森」と
よばれています。因みに「蚕の社」は「元糺の森」と称しています。
話はそれましたがこのような掲示板では「管理人」がしっかりして欲しいものです。
頑張って行っておられますが、こういう時にこそ実力を発揮しなければならないのです。

「和解」を標榜されているのですから、どうか実力を発揮して下さい。

234うのはな:2012/05/26(土) 01:03:52 ID:???

それは礼儀がないということであります。

志恩様>1147 :今の住人:2012/05/23(水) 17:30:03 ID:On3nuabc

いかに終焉を迎えているとは言え、黄金期の晴れがましい生長の家の職員
だった方の申される内容とは到底思われません。<

これは志恩様を貶めた言葉です。卑劣であります。醜いそのものであります。


「横槍ですみません」、様は、上記のようにおっしゃっていますが、
 私は「礼儀がない」というより、「愛がないなあ」ととらえていました。

 私ごときが、人の文だけ見て、えらそうにいえたものではないと思いましたが。
 これは訊け管理人や他の人の批判にもつながることですが、
 この件に関しては、言うのは控えます。今は。

235今の住人:2012/05/26(土) 06:39:54 ID:mW2NMPRk
横槍ですいません。様

>>恣意的にルールを変えて処分した点は、やはり謝罪するのが当たり前と考えます。<<

>志恩様はきっちりと謝罪されておられます。<

 恣意的にルールを変えて処分した点は、やはり謝罪するのが当たり前と考えます。<

 という文章の中の主語が抜けていましたね。
これは、>>「本流掲示板の管理者様が」やはり謝罪するのが当たり前と考えます。<<
と言う意味です。

 >志恩様はきっちりと謝罪されておられます<
 志恩様は、「私にはわからない、私に言われてもあちらの掲示板のことは何とも出来ない」
ということは、謝罪されています。

 この二つの文章を並べて批判されましても、書き方の粗雑さから招いた誤解というように受け取るしかありません。

 また、訊け管理人様がお聞きしたかったことは、本流掲示板管理者様の対応は、背教ではないのか、といったものでした。
この点について、完全にスルーだった(答えられていない)事から、志恩様の信仰態度なのか読解力不足なのかは分かりませんが、
失望したのは事実です。


>>いかに終焉を迎えているとは言え、黄金期の晴れがましい生長の家の職員
だった方の申される内容とは到底思われません。<

これは志恩様を貶めた言葉です。卑劣であります。醜いそのものであります。<<

 出だしの文章が、どの文章に対して私が感じたか不明ですが、私が志恩様に対して感じて発した言葉、これが貴方様が「不快に感じた」
「醜悪に感じた」「卑劣に感じた」のですよね。感じ方までこちらがどうこう言う事ではありませんが、
「これは志恩様を貶めた言葉です」は、決めつけではないでしょうか。

 「それは礼儀がないということであります。」
 私も、志恩様の身元詮索は「それは礼儀がない」と迷惑しましたし、ここの規約にも抵触していると思いました。
うのはな様が御指摘のように、「愛がない」のは確実です。
大迷惑していましたので、キツく接していました。


 >>私も過去の栄光を話を皆にしますが、もし不満ならばそれを上回る規模で行えばいいことです。
それも出来ないで「よくいうよ」というのが感想です。<<

 不満ではなく、不毛だと思っているのです。

 そして、志恩様がここで「8か月たっても訊けくんは、変わらない」とご自身が御嘆きになったのは、
訊け管理人様に問題があるかのように認識されているかと思われますが、
実は御自身の訊け管理人様に対しての先入観や読解ミスがあったのではないかと、
考えているのです。

 もういなくなった方のことをあれこれ書くのもどうかと思いますが、一応私に対しての投稿でしたのでご返事させていただきました。
 >>思い上がりはいいかげんにしませんか。<<
 そう捉えられたのは、それぞれの感覚で、御自由だと思います。
本流の方なんですか? いつもこういう決めつけと感情論、人格攻撃ばかりですよね。

>>志恩様に賛同されている方のほうが多いことを何故自覚できないのでしょうか?<<
 多いか少ないかは数を数えた訳ではありませんので、決めつけては言えませんが、
最近志恩様に攻撃が加えられていたと見る人たちが書いている内容を読めば、
それに自分の投稿か当てはまるのではないかと自責の念を持つ方が(私の認識では)
他にお二人いらしたので、その方たちが気にされてるとしたら気の毒だと感じたまでです。

>>「糺す」ということばを使用されていますが、この言葉は間違いであります。<<

 漢字の意味まで御丁寧に教えて下さって、ありがとうございます。

>>私はこの言葉を今の住人が言われた時に志恩様はこの掲示板から去られると思いました。
そんなことぐらい理解出来なくてどうするのでしょうか?<<

 全く意味がわかりませんでした。(繰り返して読みましたが)
もし再度御投稿のお気持がありましたら、再指導お願い致します。

236さくら:2012/05/26(土) 07:42:57 ID:R.KeU8zs
横槍失礼いたします。

志恩さまが、もし、個人攻撃などと捉えず、今の住人さまの意図を汲み取られたら、
志恩さまは、たいへん幸運に恵まれたことと思います。
大人になって気づきを得るのは、案外大変なことです。
それに志恩さまは、「み教えを体得し悟りを得る」より、人のために良いことがしたいと
仰ってましたので、ここにいるより地域や家族へのボランティアの方が、
本分が発揮でき、志恩さまの良さが引き立つとおもいます。
気が向けば、お仲間との交流は、女子板などに遊びに来られ楽しまれてください。
お世話になりました。
お身体ご自愛ください、お元気で。

237さくら:2012/05/26(土) 07:43:56 ID:R.KeU8zs
あ、ここ、web誌友会板か…、

238うのはな:2012/05/26(土) 08:14:01 ID:???

師恩さんは、何回も同じことをいう訊け氏に対して、本流の規約のことなど
自分の読みが抜けていた面があった、と訊け氏に対して謝っています。
そしてそのあともヤイヤイといっている訊け氏の横で、本流管理人さんに規約など
こういうふうに説明書きしたらどうかなど、提案するようなことを書かれていました。

 そして、本流管理人さんは朝になるまで考えて、丁寧な説明文を本流にアップしていました。

それについて、訊け氏から、お礼もなにもなかったと思います。自分とはちがう意見でも、
自分が問題にしたことで、これだけ振り回されている状況に何とも思わないのでしょうか。

 本流の規約でも、本流を背教と思うでも、それはその人の自由だと思いますが、
こんなことでヤイヤイと話合わなくてはならないのは、既に結論を持ったものからすれば
迷惑です。

 訊け氏は私が師恩さんやトキさんや他の人のことをなにかいうと、「これは教頭先生に謝罪したほうが
いいのではないか?」「トキさんにこんなこというなんて」とか、横からヤイヤイといってきて、
そのことで口論になったりしました。
 今回、師恩さんに何かいう人が出てきても何もいわないようです。

 師恩さんは昔自分がひどいことを書かれてもうビビッテいけないといっていた
谷口雅春に訊けブログを最近開いたみたいで、そしてブログコメントを見て
それはちがうわよ、というような意味を書くと、もうこんなにヤイヤイといわれているのです。
師恩さんには、ゆっくりと身体をやすめていただきたいと思います。

239238訂正:2012/05/26(土) 08:17:07 ID:???

これだけ周囲の人間がふりまわされている、師恩さんを疲弊させているという
状況がわからないのか  に訂正補足します

240さくら:2012/05/26(土) 08:37:56 ID:R.KeU8zs
うのちゃんさま

やいやいいうつもりは、ないけど、
結構ずっと気になってたからごめんなさい、

師恩さま⇨志恩さま、だとおもいますよ、

…これも、やいやい、かな?

どうかまた、ステキなエッセイを書いてください。
良い週末を。

…ちなみにわたしは、Sに似せてたことは、ありません、笑。

241a hope:2012/05/26(土) 08:54:55 ID:kcv2QXTk

みなさま おはようございます。

最近わたしは、パートを始め自身の生活形態が変化したので、
掲示板の閲覧や書き込みもこのweb誌友会板を中心にして、
他の板は控えておりましたが、みなさまのお話の様子では志恩さまがこの掲示板を去られたのですか?

どのような事情があられたのか良くわかりませんが、わたしは、志恩さまは大好きですし、心から尊敬しています。

志恩さまは、この掲示板の書き込みが少ない時でも、ご自分のお話や、「生長の家」の問題提起などを進んでしてくださり、
この掲示板を盛り上げて来て下さっていたのです。
その度に、、わたしは志恩さまが、ご自分の身元がばれようとも、ご自分がどのような誤解を受けようとも、
何とか今の「生長の家」を本来の姿に戻したいという強い意志を感じました。

話す内容が多ければ、このような場所ですから誤解も受けたり、また、間違いを指摘されることも多かったのだと思います。
ですが、志恩さまはその度に、訂正するときにはしっかり訂正され、謝られる時はしっかり謝られていました。

ですから、今回も、みなさまの厳しくも愛情あふれるアドバイスや励ましをしっかりと心に受けとめられて、
志恩さまは、きっとまた近いうちに戻られるとわたしは信じています。



ところで、さくらさまもおっしゃっていますが、ここはweb誌友板でした。

昨日からの、復興Gさまや「訊け」管理人さまの真理にふれ内容の濃い書き込みや、
それに関するSAKURAさま、金木犀さま、今の住人さまのコメントなどを拝見して、
わたしは、とてもレベルの高い、有意義なお話がここでされているのだと感じています。

一度読んだだけでは、しっかり理解できませんので、プリントアウトしてじっくり読ませていただきます。

それだは、また、あとで。

242横槍ですいません。:2012/05/26(土) 09:27:45 ID:jgDlRgwI
今の住人様
いや、読解力の無さに驚いております。それは下記の文章であります。

>>>>私はこの言葉を今の住人が言われた時に志恩様はこの掲示板から
去られると思いました。そんなことぐらい理解出来なくてどうする
のでしょうか?<<

 全く意味がわかりませんでした。(繰り返して読みましたが)
もし再度御投稿のお気持がありましたら、再指導お願い致します。<<

え〜、意味がわからないのでしょうか?
今の住人様の本流対策室/2 板での書き込みですね。
1146・1147 ・1152 などその根拠です。まあ醜い書き方だといっているのです。
それは今の住人様が云っている
>とにかく、人物特定で安心して井戸端会議をするより、書かれている
文章とその行間を読み取る訓練をする事によってしか、読解力のupはな
いと思いますので、鋭意ご努力を願います。<

あれ人のこと言えないじゃないのかな? 今の住人様の言葉で怪訝にされた人が
もう一人います。金木犀様です。
>1191 名前:金木犀 投稿日: 2012/05/25(金) 10:12:15 ID:L0Ei6.zw
志恩様

ここ最近の志恩様への攻撃を見ていて、私も志恩様と同じように、
かなり落ち込みました。そして、志恩様と同じような結論に至りました。
と言っても、志恩様のように引退というのではなく、
書き込みは最小限にしようと考えています。

結局、掲示板というものの持つ宿命というか、限界かなと感じました。
もちろん、皆様素晴らしい神の子で、それぞれ特徴があって、書き込みを読んでいると
楽しいのですが、個人への攻撃的な書き込みは、読んでいて辛いですね。<

このように金木犀様も個人攻撃といて断定してます。私もそのように思いました。
それが普通の感覚ですよ。志恩様の文章には厳しさながら愛がありました。
そういうのを如月様も感じて1190 :如月には

>志恩さまが、とても疲れて傷つかれたのに気付いていながら
何もできませんでした。 ごめんなさい。
みなさんの書き込みをちゃんと読んでいないので、どうしてこうなったのか
把握できていませんが、志恩さまが、だんだん元気を無くされていってるのは
感じていました。<

やはり私と同じように感じておられます。
1188:の山本富士子様も
>志恩様
私は志恩様の書き込みが一番わかりやすく好きでした。
それは、私のようなタイプも視野にいれて発言して
くださっているんだなと、ありがたく思っておりました。<

皆様は志恩様の発言に理解されておられます。理解されていないのは今の住人様と
訊け様だけであります。
もう少し沢山の本を読んで読解力を高めて下さい。

話は前後しますが
>>思い上がりはいいかげんにしませんか。<<
 そう捉えられたのは、それぞれの感覚で、御自由だと思います。
本流の方なんですか? いつもこういう決めつけと感情論、人格攻撃ばかりですよね。

そういう書き方しながら今の本流様も決め付けですよ。本流の方と勝手に判断されて
います。だから「よくいうよ」というのです。
あまりにも志恩様の攻撃が酷かったので発言しました。このように思っている人が多いと
思います。私はきっちりと例を引きながら説明しました。別に個人攻撃というものでは
ありません。それは反駁であります。志恩様はこのままでは可哀相であります。
それに対しての正論をここに掲載しただけであります。
今の住人様も決め付けしないできっちり反論してくださいね。
それと書き方が怒って書いておられるのがよくわかりますが、冷静に書いて下さい。

それと下記の文章ですがこれも誤読ですね。本流対策室/2の1155:でキッチリと
謝罪されています。

>>>志恩様はきっちりと謝罪されておられます<
 志恩様は、「私にはわからない、私に言われてもあちらの掲示板
のことは何とも出来ない」ということは、謝罪されています。<<

わけのわからない返答ですね。どう読んでも今の住人様に謝罪されていますよ。

まあ、これほど曲解してはいけません。もう少し素直になられるようにお願い致します。

最後に
>>「これは志恩様を貶めた言葉です」は、決めつけではないでしょうか。<<

今の住人様の言葉でこの掲示板から去られておられます。実際貴方の個人攻撃にて
去られました。これは「終焉」という言葉です。こんな酷い言葉はありません。
普通、誰だって嫌になりますよ。自分の言葉に責任持って下さい。
私もこの言葉で傷つきました。本当に生長の家の人でしょうか?

243うのはな:2012/05/26(土) 11:33:05 ID:???

 師恩さま ×  志恩さま ○

 さくらさん、ご指摘ありがとうございます。
 昨日は検査結果が驚くほど良かったので、ハメをはずして飲みに行き、
 二日酔いのまま、誤字ってることを気がつきませんでした。

 さくらさんがヤイヤイいっているとは思いません。
 こういういざこざの元凶は、訊け氏の投稿がきっかけだといってるだけです。
 重箱すみつつく男の話をしているうちに、私のほうが重箱すみつつく人間になってしまい、
 如月さまなどのご迷惑になってしまったようです。
 少し頭を冷やします。

244「訊け」管理人:2012/05/26(土) 11:55:55 ID:???


>復興Gさま
>a hopeさま
>WEB誌友会・後夜祭参加各位

>>231投稿文補足・参考資料

<「直毘神」について>

『限りなく日本を愛す』 256頁より謹写――

 みそぎ祓いをすると迷いの自壊作用として、一見事態が悪化したように見えることが起こってきて迷いの悪い働きという風なものが現われてくると、その時に我々はどういう風にしたらよいかといいますと、神直毘(かむなおび)大直毘神(おおなおびのかみ)の働きをすればよいのであります。神直毘(かむなおび)大直毘神(おおなおびのかみ)というのは、悪く見えるものでも、これは良いことの始めであると見直し、聞き直すことであります。(中略)どんな災難不幸が起こって来ましても、これはありがたいことだ、これによって過去の業が除かれて清浄の身になるのだ。こういう具合に観察しなおしていくのであります。

<遍満する「霊」について>

『生長の家五十年史』所収「住吉本宮建立の本義」より謹写――

 宗教といふものは、人種を超え、国家を超え、民族を超えてどんなにそれがわかれておっても一つの神様の生命によって互いに兄弟であるという、そういう考えを持っている。
 
 東洋に発達した文化というものは宗教文化であって、佛教は無論のこと、儒教にしても、道教にしても、日本の神道にしても、すべて霊的なものは、霊には境がないから、みな一つであるという、互いに仲良くなる原理を持っている。ところが西洋文明というのは、分割して支配せよ、という根本法則によって成立っているわけなのであります。それで、西洋文明、物質文明というのは、物資を細かく割って分子とし、分子を細かく割って原子として、原子をもう一つ細かく割って原子爆弾にして、それで宇宙の一切のものを粉砕して死の世界にまで追い込んでしまう。これが物質文明の最後の土壇場である。今や、西洋文明の、物質文明の最後のギリギリのところで、ただ、力のバランスによって核戦争が起こらないという危機一髪のところにまで来ている。もし、ソ連のほうがアメリカより軍事的にはっきり優勢であるとわかったらいつソ連はアメリカに対して攻撃をしかけるかもしれない。そうなれば、今の人類の三倍か五倍も死んでしまって、それでもなお、核兵器が余るという。これが物質文明の成れの果なのです。

245神の子さん:2012/05/26(土) 12:23:26 ID:8HSO87Es
終焉って生長の家教団の終焉じゃないの?

246復興G:2012/05/26(土) 14:20:50 ID:84pogn5s

皆々様。
榎本恵吾先生が宇治で研修生の指導を担当しておられたときに作られた「研修のヒント」というパンフレットに、次のように書かれていました。ここには、驚くべき信仰の革命的な言葉が盛られています。これぞ、「光明一元」からの出発の姿である! と思われます――。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ……人間は修行の積み重ねによって救われるのではない。修行が出来たか出来ないかということと、救われるか否かは全く関係のないこと。このまま自分もひとも生かされていることを喜び感謝するのが神の子の生活であります。

 修行。例えば、練成を受けること。研修を受けること。神想観をすること。聖典を読むこと。愛行をすること等……は、すべて現象であって無であること。

 それらがすべて無であることが真理でなければ、「どうして全能なる神が、釈迦、キリストのように修行の出来ている人々と、修行の出来ないものとをつくったのか。どうして不完全なもの、すなわち修行をしなければ救われないものをつくったか」という疑問を解くことが出来ない。神は完全であるということは、修行の成績は無であって、本来このままで救われ切っている完全なるものだけがあるということであります。

 ……もしも神は、修行した人だけしかよう救わないというのであれば、殆んどの人類を救うことが出来ない力不足の神を認めることになって、“修行しなければ”というのは神を尊敬するのではなく、神を軽蔑することになります。
 そして、最も重大な問題は、
「修行しなければ……」という立場に立つと、修行の出来ていないと思う人を審かざるを得ないのであります。「あの人も出来ていない」「この人も出来ていない」そして「自分も出来ていない」ということになって「天地一切を拝む」のではなくて、「天地一切を審く」という罪を犯すことになるということであります。
 そして、「あの道場は……」「この道場は……」と道場同志が審き合うということが始るのであります。これが多くの宗派が派閥に別れた原因の一つとなっているとも考えられるのであります。

 無条件にある光り、世界に比類のないみ教えにふれている私たちが、世界に比類のない調和と、拝みと、感謝の、崇高な、安らかさに満ちた毎日毎日を与えられていることに感謝を捧げる、ただ一筋の道がここにあります。

 この心に満ちて生きているとき、私たちは神への全托の道を生きているのです。神への全托の輝きに満ちている研修生をひたすら礼拝させていただくのみであります。われらの道は“審かない道” “拝む道”であり、自分を拝みひとを拝む道であります。
<つづく>

247復興G:2012/05/26(土) 14:21:36 ID:84pogn5s

<つづき>

   天地一切のものは、すでに和解し調和している

 尊師谷口雅春先生がお悟りになられたとき、目覚めてみれば天地一切のものが神そのものであったのであります。その心境を尊師は「汝ら天地一切のものと和解せよ」と喜びうたわれたのであります。

 『生命の實相』や『甘露の法雨』の冒頭に「大調和の神示」がおかれているのは、人間は「仲よくせよ」といってもなかなか仲よくしないから、先ず最初によくわかるように警告を発しておくために、あの神示がおかれているのではないのであります。

 そうではなくて、「私が悟ってみたら、どんなに殺し合い、憎しみあっているかのように見えていても、そのまますべてが神と神、仏と仏とが抱き合って喜んでいる姿に観えて来たのであります。ありがとうございます」と、尊くも尊師が天地一切のものを拝んでい給うことを示されたものであります。

 ですから、谷口雅春先生の住んでいられる世界は、すべてが神仏に観えていられるのであります。「神一元」つまり「唯神實相」論からゆけば、「今ここ極楽、天国浄土」なのでありますから、谷口雅春先生だけが悟っており、その他のものはすべて「これからみ教えによって教えて悟りに導いて彼岸に度すべき材料」ばかりが住んでいる、というような天国はないのであります。それ故、谷口雅春先生がお悟りになったということは、同時に全宇宙が悟ったのでなければならないのであります。「同時成道(どうじじょうどう)」なのであります。

 「同時成道」は釈迦の表現せられた言葉であります。お釈迦さんが悟りの眼をもってごらんになられたとき、山川草木国土悉皆成佛(さんせんそうもくこくどしっかいじょうぶつ)、有情非情同時成道(うじょうひじょうどうじじょうどう)と観えたのであります。そのように釈迦がすべてを拝まれたのであります。これはお釈迦様の「汝ら天地一切のものと和解せよ」の現成であったのであります。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ――そう、そうなのです!

「信徒一人ひとりが法燈を継承する」というのも、基本的には、この「既に全ては救われている」という、世界に比類のないみ教えにふれている私たちが、「世界に比類のない調和と、拝みと、感謝の、崇高な、安らかさに満ちた毎日毎日に感謝を捧げる、ただ一筋の道を歩むこと」であるのでしょう。

そして、

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  「ハイ」の無限力

……「ハイ」とは決意である。使命に対する決意である。如何なる困難も、吾使命を感ぜんか、「ハイ」の決意にてその困難は斫り拓かれ、坦々たる大道となる。「ハイ」は汝を自由ならしめる。「ハイ」は実相その儘である。

  「否定」の威力

……汝病気ならんか、「否!」と断じて言うべし。病いすなわち必ず癒えん。汝に不幸来らんか。「否!」と言うべし。如何なる不幸も汝を傷つける事は出来ない。最も自由なる人は自己の好まざることに対して断じて「否」と言う。……
(『光明法語』より)

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 を実践することではないかと、私は考えています。

248神の子さん:2012/05/26(土) 14:24:22 ID:VQb3HtRA
志恩さんの文は理解できました。
今の住人さんの文の方が、悪意ばかり際立って理解できません。
誰かのように小難しい文を書いて理解しにくいより、理解できる志恩さんの文の方がすきです。
今の住人さんのような人が幅をきかす生長の家教団て終焉じゃないの、と私も思いました。

249ルンルン:2012/05/26(土) 15:04:43 ID:NS71OwS.
>>245
神の子さん
私も、「今の住人さん」の書いた文の「終焉」とは
志恩さんの事をさして言ったのではなく
生長の家教団の事を指して言ってるんではないかな?と、思いました。

ただ、この「ハナクソ」の文はへたくそなのでわかりにくいのですよね!( ・`ω・´)

250如月:2012/05/26(土) 15:24:53 ID:ki/haAjk
誌友会前の復興Gさまの『私は今、泣いております。』を拝見して以来
私も泣いております。

トキさまのご友人のお話も泣きました。
SAKURAさまが、再びご自身の聴覚に希望を持たれたのを読んで、また泣きました。
今は、榎本先生のご文書を読みながら、感涙に溢れています。
a hopeさまが教えてくださったトーキングの過去ログも早く読みたいです。
皆さまに追いつくのはなかなかです、、、経過報告です。

251うのはな:2012/05/26(土) 19:19:51 ID:???

 誌友会に参加される方だけで、がんばってください、の意見を出しましたが、
今日の部室版での訊け氏の文を読んだり、トキさんの応答を読んで、前記の意見を
撤回取り消しします。

 不参加表明して実行したにもかかわらず、こないだまた訊け氏からからまれたので、
それを注意するとかおさめる役のユタカ氏も頼りないので、次回から誌友会で、訊け氏に
私にからんでこない、警告文など出してこない、周囲を混乱させないなどの約束ができないようなら、
訊け氏には司会、運営、参加などの権限をあたえないように要望します。

252「訊け」管理人:2012/05/26(土) 21:22:31 ID:???

>>246
>>247

 榎本恵吾先生、「真骨頂」という感じです。皆さんもぜひ、ご高覧ください。





253SAKURA:2012/05/26(土) 21:23:40 ID:V.pKl3yA
復興G様 へ

こんばんは……
今日の??【真夜中…】と申しましょうか??【朝方…】
“メッセ−ジ”を、投稿させて頂きましたのですが〜〜♫〜〜
>>230拝読して頂きますと〜〜幸いです…。

今!!【実相と現象…】途中??まで、なのですが〜〜〜〜〜><
後程…“投稿”させていただきます…。(スロ−スロ−で〜〜す。)

■■話は変わりますが…
「復興G様」の投稿文…を拝読させて頂きながら〜〜〜♫〜〜〜
>>246>> 247(一部抜粋)
■> 『生命の實相』や『甘露の法雨』の冒頭に「大調和の神示」がおかれているのは、人間は「仲よくせよ」といってもなかなか仲よくしないから、先ず最初に
よくわかるように警告を発しておくために、あの神示がおかれているのでは
ないのであります<

【人間は「仲よくせよ」といってもなかなか仲よくしないから…】
“この言葉”ハ−トに〜〜〜><そうなのです〜〜〜ョネ!
どうして…人は自分自身の“我”が優先しますと〜〜〜【我欲…】これを叶える為に?
そうです〜〜ネ!時としては…【不調和…】!!!!!!!!悲しい事です…。

■【我執…】この“心”は、“引っかかる心”この“我”を無くしました時…
自由自在に活動する処の本当の我(大我)を見出す…「雅春先生の言葉一部抜粋」

今回の「生長の家」…「お家騒動???」
【調和の世界…和解の世界】…
今!現実世界に【大調和の世界】此処に展開しているという“大信念”…
その「神想観」祈り〜祈り〜徹しま〜〜す。

本日の“言葉”ありがとうございます…。
                          再合掌

254SAKURA:2012/05/26(土) 22:04:00 ID:V.pKl3yA
如月様 へ

こんばんは…
>>250拝読させ頂き…

そうなのです〜〜〜ョネ!紹介して頂きました“投稿文”の処に“タイムマシ−ン”
>>94「復興G様」投稿文章… 拝読させて頂きました…。
■>「神の恵みきたるとき、一切の争いは止み、すべての戦いは停止し、
いにしときの敵と味方とは手を挙げて平和をほめたたう。」<
                        (一部抜粋です…)

■この言葉に…“心…”にしみじみと入りこみ〜〜〜><
良いです〜〜ョネ!今!この【現象界=現実世界】
皆様との“魂〜〜魂〜〜の巡り合い〜〜♫〜〜”ですもの…今!今!……
「生長の家の家族ですもの〜〜!“和解…”に向けまして…【祈り】徹しま〜〜す。」
「如月様」へ…
何時も“投稿文章”教えて頂きます事が…多々ありますもの〜〜ありがとうございます。

PS:
余談ですが〜〜〜
「他のボ−ド」での討論??私は“筋が通っていらっしゃいますかと……”
その様に思いましたが……(微笑)

255今の住人:2012/05/26(土) 22:34:32 ID:Q6hv.YTY
横槍ですいません様

 今日は出かけていて、遅くなりました。
ざっと読みましたが、明日も仕事ですので、明日の夕方意向か、明後日お返事致します。

 また、ここは板違いですので、ここの板を使われる方の御迷惑になります。

 部室板に移動していただいて、後日またお返事致しますので、何卒web板に御迷惑掛けないように、
ご協力お願い致します。

 (私自身としては、もうどうでもいいことなので、この話を続ける意味が今一つわかりませんが、
まだやりますか?
結局は人格否定で、訊け管理人様に行っていたのと同じ手法でしょうか?)


 私は「本流の方ですか?」と聞いただけで、もう、決めつけと言われてくる。

 いちゃもんの類にしか受け取れませんが、私の攻撃が原因で志恩様が引退したという証拠を提示してから
言って下さい。
私が、終焉と表記したのは、現実の生長の家教団のことです。

 では、時間も遅いのでこのへんで。

256復興G:2012/05/26(土) 22:48:12 ID:84pogn5s

皆々様。

今日は、約束の行事がありまして出かけておりましたが、只今帰ってまいりました。そしたら

>>前略
お元気でお過ごしでしょうか?
突然ですが、今日は「復興ワカメ」のおすそ分けをさせていただきます。
この「福福わかめ」と称するワカメは、昨年の大津波で、壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町の馬場中山地区のみなさんが、震災後、過酷な苦難を乗り越えた末に、ようやくの想いで再稼働にこぎつけた漁業「復興」の第一歩の産物です。
きっと、漁業を再開できた馬場中山地区のみなさんの、愛と汗と涙と感謝と喜びがつまった漁の味がすると思います。
ワカメとは、若芽であり、若女であり、生成発展の象徴であると思います。
美味しい日本の根っこの味でもあります。
ご賞味いただければ幸甚です。<<

というお手紙を添えられた、「復興わかめ」というのが送られて、届いておりました。

嬉しいことです。

「美味しい日本の根っこの味」であり、そして「美味しい生長の家の根っこの味」としてありがたく噛みしめ味わわせて頂きたいと思います。美しい日本の復興、そして「大和の国日本を興す礎となる生長の家の復興」を信じて。
ありがとうございます。
感謝 合掌 拝

257「訊け」管理人:2012/05/26(土) 23:02:36 ID:???

>復興Gさま

 あらためまして、こんにちは。さて、>>231掲載文に記しました「奇魂」の件を調べました。そうしましたら非常に感動を催す内容であった次第です。そしてさらには、貴殿ご投稿文、

>「神が、今此処に生きていらっしゃるんだ。だから、自分を拝むことが、神を拝むことなんだ!」と、思えるようになりました。<

 これにも非常に関連のあるものが、判明致しました。出典は『古事記と日本国の世界的使命』(光明思想社)になります。なお、聖典板ではなくここに掲載致しますが、何卒ご理解賜れましたら幸いであります――

<「奇魂」に関して>

『古事記と日本国の世界的使命』180頁より謹写――

 さてこの神は大神(おおみわ)神社としてお祭りしてある神様であります。『日本書紀』によりますと、大国主命(おおくにぬしのみこと)が『お前はどういう神様であるか』と訊かれますと、『私はお前の奇魂(くしみたま)である。我をよく斉(いつ)き祀れば国がよく治まり物事が成就するであろう』という意味のことを云われたということが書いてあるのであります。自分の奇魂をお祀りするというのは、自分の生命の實相(ほんとうのすがた)は神性仏性でありますから、その神性仏性をよく認めて、自分自身を拝む心になれという意味を現わしているのであります。自分のみたまは奇魂(くしみたま)である、『奇し』というのは、奇しき、いぶかしき、霊々妙々なという意味で、人間の實相の魂は妙法そのものである。自分のうちに妙法そのもの法体そのものの仏性神性が宿っているのに、それに気付かずして、他から貰った付焼刃の力で、そんな少名毘古那の、小さい、指の股からでも漏れ出るような力でこの国を治めているという風なことでは、教えて貰える間はいいけれども、付焼刃ですからやがては漏れ出て駄目になってしまう。自分の實相を悟り、自分の仏性神性が輝き出さなければならない、自分の魂を神として祀らなければならないというのであります。それで大国主命は自分の奇魂を大和の大神(おおみわ)神社へお祀りになったのであります。吾々は必ずしも自分自身の神性仏性をお宮を拵えてお宮に祀らなくても宜しいが、また祀っても宜しいが、吾々は自分自身の奇魂、實相の御魂というものを祀るが如く尊ばなければならぬ。祀るというのは拝むことです。本当に自分自身の實相を拝んで自分自身の中に神様が宿っているのであるということを知って、自分は神の子仏の子である、決して不完全なものではない、立派なものであるということを信じて、自分の生命を礼拝する心にならねばなりません。生長の家の『七つの光明宣言』の第一箇条に『吾等は生命を礼拝し』とあるのはそれで、必ずしも掌を合わせて拝まなくとも、心で自分自身を神の子なりと尊敬して拝む、そうしますと自分の力が発揮されて、何事でもスラスラと事が運ぶのであります。


※ 奇魂
 人間智と神智の二つ揃って完全な智慧となって(たとえば)アリアリと暗の国(迷いの国)の正体を見極められるようなもの(「同書」47頁参照)

258横槍ですいません。:2012/05/27(日) 00:53:17 ID:jgDlRgwI
今の住人様

何か貴方の文章読んで悲しくなります。
私も貴方の相手は出来ません。読解力が無いといえば駄々を捏ねる小学生。
自分は悪くないんだということしか頭にない。
低レベルな人とは相手したくありません。(これも志恩様に対して貴方が
書いた言葉です)
こんな人が生長の家だとは信じられません。
それと私が志恩様のこの掲示板を去った理由を書きました。私も嫌になる程
嫌悪感がありました。それは金木犀様も同じでした。
あの文章読んで何処が教団だと思うのですか?
誰が読んでも、志恩様を貶める言葉です。

>>あと、こういう類は、下種の勘ぐりと認識致しますよ。

いかに終焉を迎えているとは言え、黄金期の晴れがましい生長の家の職員だった
方の申される内容とは到底思われません。 <<

生長の家は別に終焉を迎えていません。教団の批判するならば本流に行ったほうが
いいのでは?
下種の勘ぐりや終焉や晴れがましい等、侮蔑する言葉ばかりじゃないですか。
その言葉を貴方にそのまま差し上げます。

多くの人は志恩様には肯定的であったのが、なによりの救いです。
志恩様の方が読解力があるし、文章も素晴らしい。
かわいそうなのは今の住人様、本当に誰か助けてあげて下さい。
誰も味方がいないのですね。

さあ、個人攻撃していると喚いて下さい。人格否定だと呟いて下さい。

本当に可哀相な人ですね。これで最後にします。あとは一人で頑張って書いて
下さい。

259神の子さん:2012/05/27(日) 08:17:15 ID:kcv2QXTk

みなさま おはようございます。

web誌友会の後夜祭では、復興Gさまが、「現象を見る」ということを、>>216から、
「祈り合いの神想観」を例にあげて、詳しく説明して下さっています。
わたしは、そのことから「現象を見る」とは、本来の姿(実相)を包み隠してしている罪を「慈悲の心」で、
見つめることなのではないかと思いました。

たとえば、現在の雅宣先生の本当の姿(実相)は確かにたくさんの罪に包まれてしまっているかもしれない。
でも、それはわたしたち自身の包み(罪)でもあるのだ気づき(自他一体の自覚)、懺悔する、慈悲の心を起こす、
ことがなのではないかと思いました。
そして、これこそ「生長の家の愛」なのだと思いました。

とても深い真理なので、まだわたしの中ではっきりしないところもありますが...

また、本当にうれしいことに、「訊け」管理んさまが久しぶりに真理のお話をして下さっています。
それも、とても謙虚に、まじめに「霊」のお話を...(感涙)

「同時成道」、これは「訊け」管理人さまが、復興GさまがTSBでお話されているころから質問されていたテーマでしたよね。
わたし自身、あのころはまだ、復興Gさまのお話が、半分くらいしかわかっていなかったのですが、
今、「訊け」管理人さまのお話も、復興Gさまのお話も、とてもよく理解できるようになっているので、自分でも驚いています。

久しぶりに、復興GさまのTSBを読み返してみて、榎本恵吾先生の偉大さにあらためて感動しています。
実相独在 光明一元、悪なし、罪なし、現象なし、これに徹していらしたのですね。

なんかわたし、すごくわかったのですが、この感覚を、正しく説明するのは難しいですね。

>>228復興Gさまの

>>私は、「宇宙は真空を嫌うという自然界の法則があって、真空の処には外から他の流体が流れ込むようになっている。だから自分を空にすれば、宇宙大生命がいくらでも流れ入る」と何かに書いてあったのを読んで、なるほどと思い、たとえば神社の前に立って礼拝するとき「自分を空っぽにする」気持ちで礼拝し、柏手を打つと、その神社に祭られている神霊が自分に流れ入り自分と一体になって自分が大きく拡がった感じがする。仏壇の前で先祖を拝み自分を空にすると、先祖のいのちが自分に流れ入りパワーをいただいて、先祖が今ここに生きていらっしゃるという実感がわく――というようになってきました。それを重ねているうちに、あるときフッと、「そうだ、“自分が”“自分が”と思っていた“自分”というものはもともと無かったんだ! 先祖から頂いたいのち、先祖からいただいた身体。その元は神からいただいた生命、神から頂いた身体だった。自分は無かった、神様だった! 自分は光だった! 愛だった! 無限力だった! と、感じられたのです。
私はそれまで、自己劣等感が強く、「どうして自分はこんなに人の心がわからなくて愛が持てないんだろう」という罪の意識が根深くあって、明るくなれなかった。それで、人前で話をすることが一番苦手だった。――それが、その時フッと、吹っ切れたのです。<<

この体験のお話も、とても感動しわたしの魂が震えました。
「からっぽ」とか、「無」とか、いわれても、今まで実感がよくわかなかったのですが、
「真空」という言葉と、「宇宙は真空を嫌う」という言葉に、わたしも実感としてその状態を感じることができました。

まだまだ、書きたいことはいっぱいあるのですが、今日はこれから出かけます。

本当に、今、わたしは「喜べ!喜べ!喜べ!」と榎本先生に言われているような気分です。

それでは、わたしの愛する「生長の家」のみなさま、素晴らしい休日をお過ごしください!

追伸

>>234うのはなさまのお言葉に、「愛がないなあ」とあったのにも感動しました。
わたしは、いつもたくさんの「愛」をうのはなさまから感じています。
うのはなさま、いつもありがとうございます。

260a hope:2012/05/27(日) 08:19:35 ID:kcv2QXTk
訂正

>>259 a hope です。

久しぶりにやってしまいました(笑)

261「訊け」管理人:2012/05/27(日) 11:09:28 ID:???

>a hopeさま
>誌友会参加各位

 >>247復興Gさまご投稿文ですが、ここも話を広げていきたいところです。これ、本当に大切な点だと思っています。
 たぶんあの領域の話ですが、これ、本来は『生命の實相』を何度も通読せねば気付けない点です。ですがまあ、ありがたいことに榎本恵吾先生、吾々のために詳細な説明を行ってくれておられます。WEB「榎本恵吾記念館」でも拝読可能ですが、あの点――「天地一切と和解せよ」の真意――をここまで詳細に説明下さっておられるのは恵吾先生だけです。

 週明けくらいから、この話を広げていけたら嬉しく思います。




262金木犀:2012/05/27(日) 14:12:43 ID:6XLEmIgs
a hope様

いつも実感のこもる誠実な投稿に、感動を覚えます。
私もあれから、実相一元からはじめる運動ということを
考えていましたが、憲法問題に関する運動も、
やはり同じだと気づきました。

どの神示だか忘れましたが、
「日本の国は嘗て一度も敗戦したことがないのが実相である」
というような言葉が出てきたのを覚えています。
この精神から始めなくてはいけないのだと思います。

今までは、戦後教育で国民が洗脳されているから、
きっと憲法復元(大日本帝国憲法)なんて、ものすごく大変なことだ
と感じ、道遠しという感がありました。
しかし、これは間違いなのだと思います。

日本人は日本人としての実相が既にあり、
日本国の実相は、今此処にあるのだと感じます。
南出弁護士も仰っているように、
今、大日本帝国憲法は生きているのであり、
これを復活させることは、単に本物を出してくることに過ぎず、
本物の前には、偽物はあっという間に消滅するのが道理であり、
これはまさに、今、機が熟して神佑がはたらきつつあり、
この通りになるような気がします。
神に不可能はないのであり、実相の前には、闇は消え去るのであり、
これを信じてやるべきことをやればいいだけだと感じました。

憲法と国民とは、また合わせ鏡のようなものであり、
偽物を頂いている限りは、偽物の作用が働くのであり、
国民に同意が得られないとか、この日本精神を広めてから
復元しようとか改正しようとか言っていては
何時になるかわからないと思います。

雅春先生は、現憲法のことを、
生命の実相に出てきたある体験談で述べられていました。

ある家の子供が、ある毛糸のジャケットを着るたびに
怪我をするということが起こりました。
それで、雅春先生に相談されたか何かで、
そのジャケットのことを調べると、
そのジャケットを編んだその家の女中が、
本人はそのことを既に忘れていたが、思い出してみると、
その時に何かで奥様に叱られたことを非常に怒りを感じながら
そのジャケットを編んだという話でした。

本人は既に怒りは消えているけれど、
そのジャケットに付いた怒りの念が、
いつまでも作用するのだというご説明でした。
この憲法も、アメリカがあの時に日本を何とかして弱体化したい
という強い念のもとで作られたもので、
この憲法を頂いている限り、
日本は弱体化するようにその念が動くというふうに
書いておられます。
あるいは、その時GHQにいた共産主義者が、
日本國家を解体したいという強い念と
言ってもいいかも知れませんが。

本物の大日本帝国憲法を復活させることで、
この憲法がもたらす闇は直ぐにも消滅し、
日本の実相が現れ始めるのではないかと思います。
本物は、神が護り給い、神が支えられると思います。
実相は何より強いということを信じて、進むべきだと感じました。

263うのはな:2012/05/27(日) 14:14:42 ID:???
>> 週明けくらいから、この話を広げていけたら嬉しく思います。

 貴殿には、口を閉じていただけたら嬉しく思います。
 週明けといわずに、今日からでも。

264金木犀:2012/05/27(日) 14:15:48 ID:6XLEmIgs
訂正します。

この憲法を頂いている限り、 → この憲法を戴いている限り、

265復興G:2012/05/27(日) 19:36:46 ID:84pogn5s

>>261 :「訊け」管理人殿。

ご投稿、ありがとうございます。
ところで、今回のWEB誌友会は、以下のガイドラインによって行ってきました。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
① テキストとして『生命の實相』第1巻「總説篇」を使用し、「七つの光明宣言」を、さらに掘り下げる。
② テーマを『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』とする。
③ 単なる論争の場とせず、『生命の實相』の教えを正しく学び、身に体して実行すること、行動の指針とすることを目的として話し合う。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この ② では特に 「具 体 的 に」 ということに眼目を置き、③ の「『生命の實相』の教えを正しく学び、身に体して実行すること、行動の指針とすることを目的として話し合う」ということを重要視してまいりました。

『新版 真理』第3巻に、次のように書かれています。

>>行動を伴わないような信念はほんとうの信念ではないのであります。「人間は神の子である、病気はない」と云うことはよく分かったのに、何故私は病気が治らないのだろう」と云ってベッドに横たわっている人がありますが、本当はそれは「自分に病気がない」と分かったのではないのでありまして、『生命の實相』の本に「人間は神の子で、病気がない」と書いてあることがわかった――のに過ぎないのであります。書いてあることがわかっただけでは何にもならないのであります。「本当に自分が神の子で病気でない」とわからなければならない。そして「自分が本当に病気でない」とわかったら、直ぐ病床を取上げて仕事をするか、勉強をするか、人の為に尽すか、兎に角、病気でないと云う信念を行動にあらわさなければならないのであります。行動を伴わない信念は本当の信念ではないのであります。<<

貴殿は、「天地一切と和解せよ」の真意について、話を広げていけたら・・・・・・とおっしゃるけれども、身近な「うのはな様」とすら和解が出来なくて、机上の空論を話し合うことに何の意味があるのでしょう。

そんなWEB誌友会は、もうやめにした方がよいと思います。
ありがとうございます。
合掌 拝

266復興G:2012/05/28(月) 07:56:16 ID:84pogn5s

皆々様

おはようございます。

上記>>265は、「訊け」管理人様宛の、大変きつい辛口コメントでした。

しかし、私は独裁者ではありません。このWEB誌友会は神様が導き給う誌友会だと思ってご参加くださり、誠実な投稿 書き込みをしてくださっている途中の皆様に対し、上記の
>そんなWEB誌友会は、もうやめにした方がよいと思います<
という言葉は大変失礼な暴言であったと反省し、深くお詫びを申し上げます。

今回のWEB誌友会 後 夜 祭 は、一応きっちりと、「祭り」の終了らしく終えられるまで、続けたいとおもいます。
a hope 様、金木犀様 ほか 皆々様。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

感謝 合掌 礼拝

267「訊け」管理人:2012/05/28(月) 09:45:43 ID:???


>WEB誌友会「後夜祭」参加各位


 本日は、実母のお話しを致します。私の母はここ4年ほど、加齢によりヒザを痛めていたのでありました。病気などほとんどしたことがない母ですので私は、心配をしていたのでありますが昨日、「治った」という報告を受けました。
 昨日は草野球の試合がありました。やや余談ですが昨日は、「在日米国人チーム」との一戦でありまして野球好きの母は、孫世話ついでに観戦に来たわけです。ええ、自ら(母)の手で左打者に転向させた作品(私)の完成度、これを確認に来たわけです。(余談終了。なお試合の方は、我が民族の魂を炸裂させ米国人を圧倒致しましたwやはり、「ベースボール」よりは「野球」の方、完成度が高いのです。)

 余談終了です。で、試合後に「あれ?母さん?」てな気付きがあったのです。今まではビっこ引きながら歩いていた、そんな母なのですがもう普通に球場内を歩いておりまして(笑)「なんで?」と聞いたら、「最近痛みがなくなってきた」と。そういえば孫――強烈な運動量を誇るこの生き物とも、なんか普通に接していたなあ(笑)もう、「なんで?」なんですが。

 以下は現象的なお話しです。
 母は『生命の實相』、一切読んでおりません。そして完治時期なのですがこの、WEB誌友会開催時期と合致しております。誌友会参加しましてそして、

 「生命の実相の自性円満(そのままでえんまんなこと)を自覚すれば大生命の癒力(なおすちから)が働いてメタフィジカル・ヒーリング(神癒)となります。」

 このことを考えていたことが、要因なのかもしれません(くどいが、あくまでも現象的には)。トキさんの友人の方にも奇蹟があった模様ですしやはり、谷口雅春先生の御教えですが、賛嘆する以外になにもございません。息子である私が『生命の實相』を拝読しただけで、無宗教の母に神癒があった今回の件ですが、皆さまいかが思われますか。「生命の実相の自性円満を自覚すれば大生命の癒力が働いてメタフィジカル・ヒーリング(神癒)となります。」――なんのことはない一文ですが、もう少し深化させたいテーマだと考える次第です。

追伸

 母が「痛い痛い」と云うたびに私は、「自壊作用だ、ありがたい」「悪いものが出ている、ありがたい」と念じてはおりました。でも本音を申せばこの私すらが、「母のヒザ痛、本当に治るかなああ」といった疑念もありました。
 こんな、疑念があってすらも神癒はあったわけであります。もうまさに、「雑念などナイ」のでしょう。意味は雑念ゴトキが起ころうともそんなモノに。「神の創造を破壞する力は、宿っていない」のでありましょう。


>復興Gさま

 真理実行の件ですが・・・・現在は、言及を避けることと致します。申し訳ございません。ただし、私への「大変きつい辛口コメントでした。」は今後も、よろしくお願い致します。むろん当方も貴殿より、その種のコメントを頂戴しないように努力して参ります。現在はこの程度の文章しか掲載できませんが、お許しください。



268復興G:2012/05/28(月) 15:51:01 ID:84pogn5s

>>263 :うのはな様。

私は、うのはな様の気持ちが、十分――かどうかはわかりませんが、かなりわかる気がします。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

>>262 :金木犀様。

横から失礼します。

>私もあれから、実相一元からはじめる運動ということを考えていましたが、憲法問題に関する運動も、やはり同じだと気づきました。
どの神示だか忘れましたが、「日本の国は嘗て一度も敗戦したことがないのが実相である」というような言葉が出てきたのを覚えています。この精神から始めなくてはいけないのだと思います。<

これは、大事なところですね。

「実相・神の国」は、一つの中心に帰一した大調和の国。イエス・キリストが言った「み心の天に成る世界(くに)」、釋尊が「金波羅華」を拈って示された中心帰一の国であり、それが大和の国日本の実相である。それで、おっしゃるとおり、

●「汝等嘆くことはない、滅びしものは本来無きもののみが滅びたのである。神洲日本は不滅であり、永遠に滅びることはない。滅びたように見えているのは実相が蔽い隠されているだけである。」

と、「日本の実相顕現の神示」にあります。また、「大和の国の神示」には

●「天孫降臨と云うことは天の父のみこころが天降って、天が下ことごとくが一つの光の世界になり、大和、平和の世界があらわれると云う意味の象徴的表現である。……『天孫』すなわち『天の父のみこころ』が全世界を治める時期が到ることである。これがイエスの『主の祈り』にある御心が既に成る世界の意味である。それが真の大日本世界国(ひかりあまねきせかいのくに)である。……天の父のみこころが全世界に光被してあまねく平和になる世界になれば、それが本当の大和の国である。」

とあります。

谷口雅春先生は、戦前も戦中も戦後も、一貫してこの中心真理を説き続けてこられました。
<つづく>

269復興G:2012/05/28(月) 15:51:38 ID:84pogn5s

<つづき>
『新版 叡智の断片』に、谷口雅春先生は次のように書かれています。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

     ○
 私を哲学者だと思っている人があるが、私は哲学者ではない。私は神の啓示を、取りついだものである。そして神の啓示にしたがって生きんことを希い、また努力しつつある者である。私は聖者ではなく、聖者たらんと修行しつつあるものである。これは『生命の實相』第一巻に、「生長の家と私」という項で書いた通りである。今もその通りで私も時には躓くし、間違うこともある。好い体験ばかり発表したら信用を博すること位は、よくよく私も知っているけれども、正直に失敗のことも発表するのは、私自身の失敗を隠して神に祭り上げられたくないからである。
     ○
 失敗と見えることが、実は尚一層良いものが出て来る前提であることがある。
     ○
 哲学的の思索は間違うことがある。唯物論の次には唯心論が現れる。思索というものはより多く頭脳的なものであり、論理的なものである。それだけ人間には合理的に見えるけれども、哲学というものは、時代を超えることが出来ない。合理は時代に即して合理だと思われるのである。時代に即しない合理は人から不合理だと思われる。或る時代に合理的だと思われたものは、次の時代には不合理だと思われる。人間の作った合理などは決して当てにならないものである。
     ○
 終戦前とその後とで、説き方が変って来なけれぼならないのはそれは現象的合理の方面であって「真理」そのものは終戦前も後も同じことである。
 現象を取り扱った言論や人間の頭脳的思索は、やがて時代に適合しなくなるものが出来るのは当然である。しかし神の啓示によるところの真理は超時代的なものである。雨がふるときに傘をさせと教えても、天気になったら、傘をさすなと教えるのは当然である。現象を取り扱うときには、時代を超えることは出来ないし、環境を超えることは出来ない。時処相応のことを説くのである。時代に即して変りながら終始一貫した真理を説くのが本当である。
     ○
「あの時は、傘をさせと教え、今は傘をさすなと教えるのは、前後矛盾である。先生は矛盾している」と言うのは間違いである。(『新版 叡智の断片』198〜200頁より)

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 谷口雅春先生が、戦前・戦中と戦後で、「日本の実相」「日本の世界的使命」についての説き方においては時処相応のことを説かれたということはあり、それが表面だけ見れば「戦前の考えを改められた」と見えることがあるようでも、神の啓示による終始一貫した中心真理を説かれたことにおいて、いささかの変わりもなかったことを、しっかり確認しなければならない。それが「法燈継承」の中心的な、極めて重要な課題であると、私は思っています。

270金木犀:2012/05/28(月) 16:44:40 ID:6XLEmIgs
復興G様

暖かいご助言、まことに有難うございます。
何だか読んでいると涙が出そうです。
この日本の実相、それが今此処に既にあるのだと思うと、
ほんとに嬉しくなります。
この日本の実相を感じ取ることから、
日本の実相顕現の運動に参加していきたいと思います。

雅春先生が、いつかの明窓浄机だったと思いますが、
「最近私は毎朝大日本神国観をやっている」と
書かれていたのを読んだことがあり、その時に、
初めて大日本神国観と言う神想観があることを知りました。

詳説神想観はもっていましたが、その時は全部読んだわけではなかったので、
気付かなかったのですが、
それ以来、ときどき大日本神国観をやるようになりましたが、
今ひとつ普通の神想観ほどに充実感が強くないというか、
どうもあっさりと終わってしまう様な感覚でした。

今回の誌友会後に、この大日本神国観の素晴らしさが
少しづつですがわかってきた気がします。
実相世界というものがどういうものかという、
まさに金波羅華実相の世界を感ずる神想観ですから、
この神想観をもとにして、すべての愛国運動がなされるべきですね。

本当に実相を見ることから始める光明化運動という言葉は、
素晴らしい言葉でした。
復興G様の御尽力の賜物です。有難うございます。

271復興G:2012/05/28(月) 19:32:38 ID:84pogn5s

金木犀様。
皆々様。

 合掌 ありがとうございます。
 『光明道中記』(谷口雅春先生著)より
 一月二十二日〜一月三十一日の金言を謹写投稿させていただきました。
 その中から、特にわが魂に響いた寸句を、こに挙げさせて頂きます。

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

○ 吾らは初めから如来であり、成仏している。

○ 打つのに色々な打ち方がある。昔は「お前は悪い奴じゃ。もっと修行せよ」と言って打った。生長の家は「お前は善い本性を無尽蔵に有っている。励めば励むほど、出せば出すほど力が出る」と言って打つ。どちらが効果があるかは既に実証済である。

○ 十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界とするが日本の使命である。

○ 生長の家とは建物の名ではない、「和」の名であり、「愛」の名である。

○ 生長の家は、「生長の人」と称さなかったところに深い意味が蔵されているのである。生長の家は個人主義ではないのである。「肉体本来無し」との宣言(よびかけ)は徹底的に個人主義を粉砕する。肉体のないところに個人はあり得ないからである。個人は無いが全体は有る! 今までの医学は個人医学であったゆえに此の世界から病人を少くすることが出来なかったのである。過去の政治は個人を目標とする政治、又は対立国家を目標とする政治であったが故に全世界を永久平和に置くことが出来なかったのである。今迄の経済は個人経済又は一国の経済を基礎としていたが故に循環流通無限供給と云うことが不可能だったのである。肉体無の真理を知り、ただ全体のみの存在する真理を知り、その全体とは神に在(ま)しますことを知り、その神の全徳の御表現が天皇(すめらみこと)に在らせられ吾らがその股肱(ここう)にして赤子(せきし)であると知る。一君万民、全世界の人類がただ上御一人(かみごいちにん)を大御親(おおみおや)として仰ぎまつるには、肉体を見、肉体の差別を見、皮膚の色、眼の色などを見ていないで、生命のひとつ流れを把握すべきである。

○ すべての善のうち最も大なるものは中心に帰一する心をもつことである。子は親に対して、妻は夫に対して素直に随順感謝するとき病気が不思議に治るのである。

○ 善くしてやろうと云う想念は相手を害し、既に善いとの想念は相手をよくする。

○ 阿弥陀仏を信ずるとは「南無阿弥陀仏」と称えることである。子を信ずるとは放って置くことではない。「善い子だ、有りがとう」と念じ称え、感謝の念を送ることである。

 ありがとうございます。
 感謝 合掌 拝

272復興G:2012/05/28(月) 19:40:58 ID:84pogn5s

合掌 ありがとうございます。上記、
『光明道中記』(谷口雅春先生著)より
 一月二十二日〜一月三十一日の金言全文を謹写投稿させていただいたのは、「聖典板」です。
ありがとうございます。

273a hope:2012/05/28(月) 19:57:34 ID:kcv2QXTk

>>262金木犀さま

わたしへの、温かいお言葉ありがとうございます。

そして、現憲法と、大日本国憲法についてのお話をありがとうございます。
でも、わたしは恐らく、完全に「戦後教育で洗脳されている国民」の一人なのだと思います。
それに、憲法問題に関しては、全くの無知です。
わたしには現憲法の何がいけないのか、大日本帝国憲法の何がいいのかさっぱり分からないのです。

ですが、金木犀さまがわたしにコメントくださったので、自分なりに考えてみました。

 
以下、金木犀さま投稿より転写させていただきます。

>>雅春先生は、現憲法のことを、
生命の実相に出てきたある体験談で述べられていました。

ある家の子供が、ある毛糸のジャケットを着るたびに
怪我をするということが起こりました。
それで、雅春先生に相談されたか何かで、
そのジャケットのことを調べると、
そのジャケットを編んだその家の女中が、
本人はそのことを既に忘れていたが、思い出してみると、
その時に何かで奥様に叱られたことを非常に怒りを感じながら
そのジャケットを編んだという話でした。

本人は既に怒りは消えているけれど、
そのジャケットに付いた怒りの念が、
いつまでも作用するのだというご説明でした。
この憲法も、アメリカがあの時に日本を何とかして弱体化したい
という強い念のもとで作られたもので、
この憲法を頂いている限り、
日本は弱体化するようにその念が動くというふうに
書いておられます。
あるいは、その時GHQにいた共産主義者が、
日本國家を解体したいという強い念と
言ってもいいかも知れませんが。<<


わたしは、毛糸のジャケットのお話を聞いて、「現憲法があまりいいものではないのだな」と感じました。

本当に、わたしのような無知のものが、憲法問題のお話などをすることはとてもできないのが、
それでも今朝、神想観した時に頭に浮かんだことがあります。
それは、

『わたしたち、日本国民一人ひとりが、光明一元、実相一元の世界に目覚め、
つまり「神の子」の自覚が芽生え光り輝けだせば、自然に日本国の実相が顕現し、
「憲法」も時代にあった正しいものになっていくのではないか』

ということです。

そして、最後に金木犀さまは、

>>本物の大日本帝国憲法を復活させることで、
この憲法がもたらす闇は直ぐにも消滅し、
日本の実相が現れ始めるのではないかと思います。
本物は、神が護り給い、神が支えられると思います。
実相は何より強いということを信じて、進むべきだと感じました。<<

とおっしゃっていますが、憲法問題にまったく無知なわたしが正直に感想を言わせていただくと、
「本物の大日本帝国憲法が復活することで、日本国の実相があらわれるかどうか」は、よく分かりませんでした。

もし、御気分を害されてしまったら本当にすみません。
ご指導いただけると、大変ありがたいです。

274如月:2012/05/30(水) 17:50:47 ID:ki/haAjk
私は今、とても反省しています。

それは皆さんの博学に押され、せっかくの後夜祭の参加を
ためらってしまった事です。

WEB誌友会後夜祭では、馬鹿だと思われたくないという我が働き
萎縮してずっと発言しないまま数日が過ぎてしまいました。

復興Gさまの「今回のWEB誌友会 後 夜 祭 は、一応きっちりと、「祭り」の終了らしく
終えられるまで、続けたいとおもいます。」
という声に今までお応えしなかったことにお詫び申し上げるとともに、少しずつでも
発言して行こうと思います。

また、今回は教団の動き、日本の外交問題、掲示板の住人同士の討論等
それどころじゃなくなっている雰囲気も伝わって来ていますが
明るさを失くしては生長の家の灯が消えてしまします。

絶望ばかりを思念せず、無理やりにでも笑っていれば道は開けて来ると思います。

275如月:2012/05/30(水) 18:34:35 ID:ki/haAjk
まずは憲法問題から

今回のテーマから憲法改正に至った意味が、わからなくて困惑していましたが
セーターの例え話で、やっと理解できました。

GHQが日本を弱体化させる為に作った憲法の元では真の日本国が
現れて来ないという事が。

ただ、GHQは占領下が終われば日本が憲法を改正するものだと思っていたと
聞いた事がありますし、憲法改正の要件自体、変更は可能だそうです。

a hopeさまが言われる通り、時代に即した憲法を望みますが
基本的には明治憲法に戻した上、修正を加えるという感じになるのでしょうか。

276SAKURA:2012/05/30(水) 19:44:45 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
如月様 へ

■如月様の投稿文より
>>275拝読いたしまして
■>GHQは占領下が終われば日本が憲法を改正するものだと思っていた…と<

そうなのですョ〜〜ネ!「知っています…」
この時点で、出来れば“よかった!!”のですが〜〜〜 ><
■■ 【日本は敗戦国…】です〜〜〜。
なので、当時は【吉田首相…】が何度も“アメリカ”へ…
【サンフランシスコ平和条約…】締結!!…に行かれましたが〜〜〜♫〜〜〜
当時の「アメリカ!!」の待遇は、【敗戦国=みすぼらしい人】に与える様な“待遇”
だった様です…。■【辛酸を舐める〜〜><その思い!】
此の時【吉田茂首相…は、かなり起きたのです!起て!日本国民!〜〜〜ですネ】
そうです!!「生長の家」で云いますと【今!!起て!!】でしょうか〜?

それくらい!!当時は【敗戦国…日本国民は負けた!】という事で…
其の落ち込みは?そうなのです。
“両親達の年代”ですが〜〜計り知れない“モノ”でしたでしょう〜〜ネ!

■萩窪時代の頃そうです〜〜ネ!
【神戸の地震】の時…隣の方がまるで「終戦直後の敗戦廃居跡…」?
其の当時に“そっくり”と、終戦後の廃居の東京の様子を、話して下さいましたが?
当時の【東京は焼け野原】です……。
■戦後昭和〜40年ぐらいからでしょうか【改憲運動…】が盛んに〜〜〜
更に!戦争で日本国民は、かなり【戦死されました方々】が〜〜
男性の人口が減少しておりましたので【国の政策…】で…
今の【人口増加政策?つまり“隣の国”との“混合結婚”…】が増えて行きます。
そして、それが【私達の世代…】なのです…。

■【団魂・断崖の世代】ですが〜〜大人になり【本当の日本人の血】でしょうか〜〜?
それをそれなりに【雅春先生…が号令!】をかけて、いい所までは行ったのですが?
【2代目清超先生】になり、【運動展開…が鈍化】になって参ります…。
■■その時が!!当に【チャンス!!チャンス!!はかなりあったのです】
…が…【当時の青年会は、それなりの“スロ−ガンのやり方”が〜〜??
あったのでしょうが???
                <つづく>

277SAKURA:2012/05/30(水) 20:21:56 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
如月様 へ

>>275拝読いたしまして、更に>>276続きです。
■■さて!!【現在…憲法改正】これは必要です…。
併し、此処で新たなる【問題発生】が生じています…。

■ブレイクしますが……
今の日本人?人口は〜〜〜知っていますか?
5〜7年前!当時【総務省にTEL…】実際の日本人の人口…をお尋ねいたしました…。
これは、別件にての私事から話が進展しまして…
当時既に【1億?千万の人口…併しながら、本来の日本人の人口?000万人】です。
後は…【海外の方が〜〜〜】国籍を取得されて…云々…
此の方が…【日本の慣習・習慣…考え方】が異なりますので…
■【選挙権…議員投票?】に関して更に!!問題が生じますでしょう???

その時!!日本も【アメリカ…の様になっていくの?】不安が…生じました。
ですから……【憲法改正…】も【難しい時代〜〜に突入】でしょうか?
確かに!「私達の世代」は【憲法改正…の必要性】は、少しは認識している方々が?
比率としては多いと思います…。

■ただ!【近代の歴史???の交差???】が〜〜〜【本当の真実…!】

■更に【ドミニカ共和国…】知っていますか〜〜〜???
歌でも有名です〜〜〜ョネ!
此処の国に移住した【日本人は、殆ど山口出身…!!!】なのです。。
更に!【純粋な日本人!!!!!!!】
当時の【政府のポスタ−】に騙されたのですが〜〜〜><
■土地をすてての“移住”ですから〜〜♫〜〜
【そこにいけば“広大な土地!恵まれた〜農業地!楽園の土地…??のスロ−ガン”
いざ!移住しますと【天国と地獄…】の状態にて…とうとう帰国出来ずに><
その方々のほとんどが「帰らぬ人」となりました…。

皆様もご存じでしょう??
政府が「此の問題」に要約重い腰を起し、対処して下さり〜〜
5〜6年前に来て【国の政策として、がわずかな保証】を渡しましたです〜〜ョネ!

■ある【ブログ…】にて、彼らの日本の土地の後は〜〜〜ほとんどが
「韓国人の方に土地」を渡した様だと【プログ…】に書いてありましたが…??
但し、現在!その【ブログ…】存在していますかは?分かりかねますが…??
どうも?彼らは?■【元!“公家”の家来!!!】ですから〜〜〜ネ!
これも【裏のやり方】でしょうかしら〜〜〜ン?
■本当の真実は・・・・・【神のみ知る…でしょうか…?】

■■【憲法改正論…】は認めますが……
「ときみつる会」「学ぶ会」「靖国見真会」の皆様方の“具体案を投稿”頂けますと、
幸いに思います…。
中には【国会議員の方々】もいらっしゃいます様ですから…?
個人的には【今までのやり方では?先ず!無理です…。】
正直申しますと【時遅し?もう〜〜〜時遅し?】のネガティブ感情が…
ですから!!!!!【先ずやり方!を変更する事】とでしょうか……???

                          再合掌

278SAKURA:2012/05/30(水) 20:40:36 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

【SAKURA の 独り言!】
私もTYO上京の際には…必ず!「靖国神社参拝…」致します…。
色々な考え方が、ありますでしょうが…??

【終戦後の焼け野原…復興!!】今日の日本の存在は……!!
【あの戦争で亡くなられました方々の英霊…】と、個人的には冥福・敬意を、
表します…。

或る時「防衛大の若者」と“ツ−ショット”…
とても礼儀正しく、此方の方が“国”の自覚をさせられるようになりました…。
すがすがしい〜〜心地よさを…彼らから頂きました…。
                          再合掌
PS:
此の「靖国神社…」にて「古物商…」の販売が〜〜〜(今!現在は??)
個人的には、あの「神聖な場所」にて〜〜〜悲しい思いがしましたが??

279a hope:2012/05/31(木) 13:13:36 ID:kcv2QXTk

>>274如月さま

>>明るさを失くしては生長の家の灯が消えてしまします。<<

同感です。暗い「生長の家」には、何の魅力もありませんね!

あらためて、今回のweb誌友会のテーマをを掲載させていただきます。

『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』

わたしも、今までの誌友会の書き込みや、聖典引用板の投稿などを参考に、もう一度このテーマについて考えてみたいと思います。


この掲示板のをご覧のみなさま方

どうぞ、この、web誌友会のテーマを他人事と思わず、今「生長の家」がこのような事態になってしまっているからこそ、
みなさま、一人ひとりが真剣にこのテーマを考えてみていただけたらうれしいです。

280復興G:2012/05/31(木) 21:55:26 ID:84pogn5s

皆々様。

合掌 ありがとうございます。
すでに第3回WEB誌友会開催後九日目になりました。
締めに入るべき時期なのですが、私は、
『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』
とした この誌友会のテーマについて、まだ私の結論をまとめることができないでいます。

>>273 :a hope様の質問(金木犀様宛、憲法の問題)にも、まだご回答がないので、私なりのコメントを申し上げたいと思いながら、それもまだ纏めきれないでいます。

もう少し、お時間をいただきたいと思います。

まず、『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』というテーマ。
これは前回、第2回WEB誌友会が
「継承者は、 汝 自 身 な り ―― ひとりひとりの法燈継承」 と宣言していたのを引き継いだことにもなっておりました。それで「わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには」という言葉は、私たちの中ではあまり違和感なく受け入れられたのではないかと思いますが、教団本部関係者などには「とんでもないことを言う、法燈継承者は総裁お一人に決まっているではないか」と、目をつり上げる方もあり……「外なる総裁の法燈継承だけでなく、信徒の内なる法燈継承が大切ではないか」という訴えかけは、まだ一般にはなじんでいなかったかと思われます。
一つの反省です。

それはさておき――

「本流対策室板」で真剣に話題にされている、「大自然讃歌」・「観世音菩薩讃歌」にまつわる問題。

これについて、>1232(本流対策室板)で、役行者様は
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>>「大自然讃歌」が「聖経」にされようかとしている 今、本当に、一人ひとりが一体、何を信じているのか、何を拠り所としているのか、それが問われていると思うのです。 <
 同意します。もちろん、同じく「菩薩讃歌」に対しても・・・ 生長の家信徒の皆様、一体、何を信じていたのか、何を拠り所にしていたのか? おのが内奥にひそむ良心に、今一度、根本的に問い直す時かと存じます。生長の家という存在は、自分にとって何なのか! このままでは聖経が、『生命の実相』が、なくなろうとしているのですから・・・ いまここで、どれだけの方が目覚めるかにより、生長の家の人類に果たすべき存在意義も変わってくるのではないかと存じます。
 >組織に残っている人は、なぜ、残っているのか? 残っていることの意味を、目的をはっきりとさせるときがきてると思うものです。<
 ……皆共に、熟考するときがきたのではないでしょうか。……<
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
と、書かれていました。
――私も、切実に、それを思います。
<つづく>

281復興G:2012/05/31(木) 21:56:19 ID:84pogn5s

<つづき>
 雅宣総裁の書かれた「大自然讃歌」・「観世音菩薩讃歌」は、おおむね、とてもよく出来た詩であると思います。文語体と口語体が入り交じっているようなところが気になるほかは。
SAKURA様が本流対策室板<1234>でおっしゃってるように、

>60歳代?のある方ですが…新しい「新聖経…」これをよく聞きますと…「雅春先生の時代の“お聖経”…」の意味を、含めての“表現では??”ないの〜〜〜♫〜〜〜良いんじゃないの〜〜♫
これは、これでいいのでは、ない〜〜〜かと思います〜〜〜ョネ!私達は「生長の家…教えについて行く訳で…現総裁先生について行くのです〜〜ョネ!」<

というような感想が出てきてもおかしくない出来です。

しかし、ここには重大な問題があると、私は思います。
それは――

谷口雅春先生は、『生命の實相』や聖経の本当の著者は、人間谷口雅春ではない。天界の神秘者、七つの燈台の点燈者=久遠のキリストであり、仏教的に言えば観世音菩薩である。自分はその神秘者の啓示を拝聴して、ひたすらそのように生きようとしている求道者である、とおっしゃっています。

谷口雅宣総裁は、自分の著書は自分が書いたものである。神の啓示を受けて書いたものではない。だから自分が書いたものは「聖典」と呼ぶな、とおっしゃっています。

ところで、聖経『甘露の法雨』は
「或る日天使生長の家に来りて歌い給う――」
で始まり、『天使の言葉』の出だしは
「天使また語りたまう――」
『続々甘露の法雨』は
「或る日、再び天使生長の家に来りて歌い給う――」
で始まっています。

「天使というのは、神様の救いの波が人格化してそこに現れたもの」(『新講「甘露の法雨」解釋』)
ということで、これらの聖経は、谷口雅春先生が神の啓示によって書かれたものであることを表しています。

ところが、このたび谷口雅宣総裁が書かれた「大自然讃歌」の出だしは
「或る日天使 虚空の水晶宮より出でて 緑の森へ立ち給う。…(中略)…天使、自然界を讃えて歌い給う――」

「観世音菩薩讃歌」は、
「天使、ふたたび生長の家に来りて教え給う――」
で始まっています。

いずれも、「天使(てんのつかい)」が語り給うという書き出しになっているのです。

これについて、総裁は
「私の長編詩は、形式としてはこれら聖経に似てはいるが、それに取って代わるものでは決してない。そうではなく、むしろ聖経で説かれた真理を引用しながら、聖経では強調されていなかった方面の教義−−例えば自然と人間との関係など−−について補強を試みている。」

と述べられています。「聖経に取って代わるもの」ではないが、聖経を補強するものとして、聖経と同列に置かれることを意図されているようです。
<つづく>

282復興G:2012/05/31(木) 21:56:55 ID:84pogn5s

<つづき>
私が生長の家人類光明化運動に生涯を、いのちをかけようと青年時代に決意したのは、これが人間業ではなく神業、神が始められた神の運動である、ということだからでした。それが、3代目谷口雅宣総裁の時代になったら、神の運動でなく人間の運動になりさがってしまう、ということであれば、何も「いのちがけ」になることはないわけです。神の運動であればこそ、いのちがけの信仰生活をしようと思ったわけです。

さて、聖経は「神様の救いの波が人格化してそこに現れた、天使」の啓示によって書かれたものです。
人間の知恵で聖経に似せてつくったものは、いくら上手に出来ていても、それを「聖経」とは呼びたくありません。

谷口雅宣総裁の作詞になる「観世音菩薩讃歌」には次のようなくだりがあります。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   秩 序
天使(てんのつかい)続けて説き給う――
法則により秩序生まれるが故に、
秩序はまた神の御徳の一(ひとつ)なり。
汝ら当に知るべし、
不可視の法則顕現して
不動の秩序生れん。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
総裁は、自らこの「秩序」を破っておられるのではないか。
という気がします。
人間知恵でつくられたものを、「天使説き給う」というような表現で書くこと、そのことが、秩序を破っておられるのではないか。そのように思われるのです。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

しかしながら、「すべてが自分」なのでした。

総裁のお姿は、自分の姿なのでした!

ありがとうございます!

雅宣総裁は、なぜ、そのような姿を現されるのか。
それについては、また後ほど、思うところを書かせていただきましょう。

283SAKURA:2012/05/31(木) 23:15:54 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 べ

ロ−マ字の【 SAKURA の独り言】です。

■■「甘露の法雨」これは、既に!社会事業団の手中!!では無いのでしょうか?
ですから!!!
そちらの皆様方つまり「学ぶ会」「ときみつる会」「靖国見真会」…
賛同される方々で…【運動展開…】されたら宜しいのではないのでしょうか?

今回「雅宣先生の新?聖経?」それでも良いのではと、知人は云っておりますが…?
「現教団側の練成会」に参加して“悪口”〜更に“信者を勧誘…?”
これは、「生長の家」を出て行かれました以上は…【考えの相違】でしょうかと?
ですから…■残った信者は【現教団で良い…!】との考えなのですが…。

■従いまして【練成会参加・葉書による中傷…】関係ない事では??

■現憲法でも【基本的人権…】がありますから〜〜♫〜〜
此処の信者が…【何処を指示し、更に“悪口”はもう〜〜〜シャット・ダウン】
その様に申していますのですから????変です〰〜〜〜〜〜〜〜〜ネ!

そこまでして【悪口を言いに来る?葉書にての中傷…】
「現総裁先生…雅宣先生」に対しての“非難・中傷…”その裏の?本当の【理由】

■「生長の家」崩壊を狙っているのは〜〜〜〜〜〜〜誰!誰!!!  
それは〜〜〜〜〜【非難・中傷の あ・な・た!!】
                            再合掌

284SAKURA:2012/05/31(木) 23:16:49 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 べ

ロ−マ字の【 SAKURA の独り言】です。

創立者「谷口雅春先生の言葉」難し〜〜イ><と…
現代国語になりまして【当用漢字…】指定の漢字?言葉の表現?が変わってきまして
更に「若者の日本語」??理解しがたいのですが…?

「70歳代〜80歳代の方々」ですら、おっしゃつていますのです〜〜ョ!
【日本語…難し〜〜〜イ!】
ましてや、今の若者“心悩めるモノ”此の方々の“ハ−ト”をつかむには・
【現代風の表現…エッセンス的なもの】が必要ではないでしょうか??

■では、先生の「甘露の法雨」に【誇示】されます方々… “おっしゃいます事!”
私個人としては、 多少理解しておりますが、
■単に!【読む…】此の事と【読む=理解】此の二者は???
【魂の向上=>実相を観る】に於きまして、相当な隔たりが生じます…。

それでは?どちらを取られますか…?また!お望みなのでしょうか…?
■今!現実に【生きた人間…そうです“目の前の心貧しき人”対しまして、
あくまでも【魂の向上=>実相を観る】此の事を、指導していくべきかと・
私は思いますが…?

ですから、今回の【雅宣先生の新・聖教?】分かりやす〜〜い!
おっしゃる方??賛否両論でしょうが…

先ずは!【心…は自由】ですから、美点を見てみられましたら如何でしょうか?

285復興G:2012/06/01(金) 00:03:08 ID:84pogn5s

>>282
>雅宣総裁は、なぜ、そのような姿を現されるのか。<

「私は、神ではない。私の書くものは、私が書いているのであって、神の啓示を受けて書いているのではない。」

と、雅宣総裁はおっしゃいました。

これは、「私は、皆さんと同じ人間だよ。特別な者ではないよ」と、おっしゃっていることだと思います。

谷口雅春先生は、「人間は皆、イエス・キリストと同じ神の子である」「皆さんが谷口雅春である」とおっしゃいました。しかしながら、実感をもって「そうでした!」とはなかなか思えない私たちでした。
谷口家に生まれ、生長の家総裁の法燈を継承されるような方は、特別な方である。――と、われわれは何となく感じてしまい勝ちです。そして他を頼り、内なる神の子の実相を覆い隠したままで終わってしまう。

ところが、「総裁は特別な方である」との思いを、雅宣総裁は打ち消すような言動をされた。それは、「谷口家に生まれても、生まれなくても、皆平等な神の子だよ」ということを、はっきりと自覚せしめるためではなかったか。

もし、谷口雅宣先生が宗教的素質に恵まれ、謙虚に谷口雅春先生のお教えを守り実践される、神様のようなお方であったなら、信徒は「さすが、谷口雅春先生のお孫様だ」とあがめまつり、総裁に頼り切りで、「自分が神の子、谷口雅春先生と同じき尊い存在である」「自分が王である、主人公である」という自覚にまで至ることは至難の業でありましょう。

そうではなく、谷口雅宣先生が、「私は神ではない」とおっしゃり、普通の人間の姿を演じられるのを見て、信徒は「人間は皆平等に神の子なのだ」という自覚を得やすくなっているのではないか――そんな気がします。いかがでしょうか。

谷口雅宣総裁のお姿は、そういう意味で、実に尊いお姿なのではないか、という気がするのです。

そういう姿を見せて、信徒の自覚を早める役割を演じておられるのが、雅宣総裁の姿、使命なのではないか。その意味で、私たちは雅宣総裁に、感謝しなければならない、と私は今、思っています。

そうして、信徒一人一人がしっかりと「内なる法燈継承」を果たすことが、総裁谷口雅宣先生のご恩に報いること。総裁は、「私は皆さんと同じ人間ですよ」とおっしゃっているのですから、私たちは総裁をあがめ奉るばかりではなくて、おかしいと思うことは素直に「おかしいのではありませんか」と意見を申し上げる。それも、私たちの使命なのだ――と、私は思うのです。

神に感謝し、谷口雅宣先生に感謝し、しっかりと「内なる法燈継承」をして、限りなく明るい光の前進をいたしましょう。

286金木犀:2012/06/01(金) 00:27:49 ID:SFSe1A9c
a hope様

ただ今、復興G様のコメントを読み、a hope様が私にコメントを求めておられることに気づきました。
以前にざっと読んで、a hope様が現憲法があまり良くないものであると感じたと
仰って頂いたことだけが頭に残りそれで満足していました。
もちろん気分など害していません。むしろ有難く感じています。

お返事を差し上げずに、大変失礼しました。復興G様の久しぶりのコメントに目を留めて
初めてお返事すべきことに気づいた次第です。申し訳ありませんでした。
後で、復興G様も、コメントくださると思いますので、今思いつくことを簡単に
述べさせて頂きます。

まず、雅春先生は、繰り返し繰り返し仰っておられましたが、
この憲法では、部分(国民)に主権があり、全体に統治の主権がない、すなわち人体で言えば、
それぞれの細胞に主権があり、又は各器官に主権があり、胃袋は胃袋、心臓は心臓それらが、各々
勝手に動いており、人体全体が統一して機能しないと言う状態だということです。
これはアメリカ流の民主主義を取り入れた憲法なので、最初に人民があり、
人民の都合や便利のために組合的な国家が作られるという人造的な国家の理念です。

しかし、日本の国は、自然発生した国家であり、ひとつの生命体であり、
それ故、生命体としての統一の中心があるのであり、
人体においては脳髄があるように、日本国家においてはそれが天皇であると。
これは君民同治の神示において一層わかりやすく書かれておりますが、
この部分と全体の話は、あるいは理念が先にあって、理念が天下って国となったのが、
日本の国であるという話は、いろんな書物で、雅春先生は述べておられます。

現行日本国憲法では、第一条に、この天皇の地位(象徴)は、
主権の存する国民の総意に基づくものであると書いてあり、
これは、ハッキリ言って、いつでもその現時点の国民の考え方次第では、
あるいは国会の審議次第では、たちまち天皇という地位を廃絶することも可能であると
いうことであります。
この憲法が、古来から続いた日本の国柄をあっという間に解体出来るという仕組みが
組み込まれた憲法であるというひとつの証です。

287金木犀:2012/06/01(金) 01:09:19 ID:SFSe1A9c
この憲法には、また国民の権利はたくさん書いてありますが、
義務らしい義務は納税の義務くらいしかないのです。
この憲法は、国民の権利は書いてあっても、
国家に関しては、○○してはならないという規制ばかりが書いてあるのです。
これは国家というものは悪であり、国民の権利を阻害するおそれがあるから、
なるべく国民の権利の行使を妨げないように規制しようという考え方です。国家は
必要悪の考え方で、作られており、そのため、国家観というものが積極的なプラスの
理念としてはないのです。そんな国家観では愛国心も湧かず、国民は国家とは、
時の政府の行政府としてしか考えず、時には自分の権利のために、国家を敵として、
裁判を起こすことはあっても、国家のために命を捧げて守ろうとする気持ちにはなりません。
この憲法には、日本国家としての歴史と伝統と個性ある生命体としての国家観は全く無いのです。

それから、この憲法の前文には、
「日本国民は、……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書かれています。
雅春先生は、これは敗戦国日本の、連合諸国への詫び証文である
とおっしゃっています。
これは日本は平和を愛する国ではなく、公正と信義などないが、
諸外国はそれがあるから、日本は戦争放棄して、
連合国のお情けに任せて生存を維持するという、いわば奴隷の
証文です。
雅春先生は、この部分を読むと情けなくて涙がでると
仰っていたことがあったような気がします。

そうして、第九条で、戦争放棄が歌われていますが、
国家は自縄自縛してはいけないと雅春先生は言われていました。
武力は必ずしも侵略のための武力ではなく、国家の威厳を現すものでもあり、
人体には白血球があるように、生命体にはみなその生命を守る機能がついているのです。
これを自縄自縛するのは、生命の自由な働きを阻害するものであり、
そこからは決して健全な国家活動は生れません。現に日本は、アメリカの属国化したり、
あるいは、中国との経済が活発になれば、今度は中国の属国と化しつつあります。

288金木犀:2012/06/01(金) 01:39:18 ID:SFSe1A9c
a hope様

長々と書いてしまい申し訳ありません。
日本国憲法に関しては、まだまだ色々ありますが、
とりあえず、これくらいにしておきます。

大日本帝国憲法は、日本国憲法が、
数週間余りでGHQの素人の手によって、起草されたのと違って、
審議に九ヶ月、起草に四年を要して作られました。
伊藤博文はヨーロッパに留学して憲法を研究し、井上毅は、日本の国柄を研究して、
伊藤からの情報をまとめ、祈りと言ってもいいような心境において、起草しました。
それは、ヨーロッパの近代的民主主義を取り入れながらも、日本独自の伝統とうまく融和した、
非常に美しい憲法だと、当時世界で賞賛されました。
この大日本帝国憲法の法文の前には、前文として、告文、勅語、上諭と言われる文章がついています。
告文とは、明治天皇が、皇祖・天照大御神並びに、皇宗(天皇のご先祖)の御神霊の前に
一人静寂の中にぬかづかれてご報告なさるもので、拝読すると、非常に荘厳で霊的な祝詞のような、神秘な感に打たれるような
お言葉が書いてあるのです。
勅語は明治天皇が国民にくださったものですが、憲法より格が上であり、やはりそこには日本の伝統が感じられ、
この憲法の権威を裏付けている感じがします。
この大日本帝国憲法の告文や勅語の厳かさを感じるだけで、この憲法が人間業ではないものを感じることが出来ます。
日本では政治は祭り事でしたが、その精神がまさにこの憲法にも生きていることがわかります。
五箇条の御誓文が明治の初めにあり、昭和天皇は、日本の近代民主主義の始まりはこの五箇条のご誓文から始まったと
言われましたが、万機公論に決すべしで有名な五箇条のご誓文とは、神に誓うということであり、
わが国の民主主義は、常に神の御心に真釣り合わせるという意味です。
だから、天皇が民安かれ、国安かれ、と祈られることこそ、わが国の真の民主主義
と言えます。

以上、ざっと述べさせていただきました。あとは復興G様が補足してくださると思います。

289Kジロウ:2012/06/01(金) 01:40:43 ID:VJun9unU
>>281
復興G様

しかし、ここには重大な問題があると、私は思います。
それは――

谷口雅春先生は、『生命の實相』や聖経の本当の著者は、人間谷口雅春ではない。自分はその神秘者の啓示を拝聴して、ひたすらそのように生きようとしている求道者である、

谷口雅宣総裁は、自分の著書は自分が書いた<

とされていますが、現総裁の
このあたりが反発を買うところだと思います!

総裁に求めるモノは、『カリスマ(性)』です

神の啓示という表現をしたくないならば、
今まで、信仰してきた集大成として書いた!
今後も精進していく!
こんな表現ならば、信徒も受け入れる事ができると思います!

政春先生は、計算してたか、どうかは別にして人の心を掴む表現がうまかったのだと思います!

290金木犀:2012/06/01(金) 02:02:29 ID:SFSe1A9c
大日本帝国憲法の告文を読みやすくするためにひらがなでの現代仮名遣いで書いて見ました。

大日本帝国憲法  
 
告文(つげぶみ)


皇(すめら)朕(わ)れ謹み畏み

皇祖
皇宗の神霊に告げ白さく皇朕れ天壌無窮の宏謨(こうぼ=雄大な方針)に

循(したが)い惟神(かんながら)の宝祚(=皇位)を

承継し旧図(きゅうと=古くからの計画)を保持して

敢えて失墜すること無し

顧みるに世局の進運に膺(よ)り人文の発達に随(したが)い宜しく

皇祖
皇宗の遺訓を明徴にし典憲を成立し条章を昭示し

内は以て子孫の卒由(=したがうこと)する所と為し

外は以て臣民翼賛の道を広め永遠に遵行せしめ

益々国家の丕基(ひき=天子が国を統治するという大事業の基礎)を

鞏固にして八州民生の慶福を増進すべし

ここに皇室典範及び憲法を制定す

惟(おも)うに此れ皆

皇祖
皇宗の後裔(こうえい=子孫)に貽(のこ=遺)したまえる統治の

洪範(こうはん=模範となる大法)を

紹述(=前人の後を受け継いで述べ行なうこと)するに外ならず

而して朕が躬(みずから)に逮(およん)で[=私の時代になって]

時と倶(とも)に挙行することを得るは洵(まこと)に

皇祖
皇宗及び我が

皇考(天皇の亡父=孝明天皇)の威霊に

倚藉(いしゃ=頼ること)するに由らざるは無し

皇朕れ仰ぎて

皇祖
皇宗及び

皇考の神祐を祈り併せて朕が現在及び将来に臣民に率先し

此の憲章を履行して愆(あやま=踏み外れる)らざらむことを誓う

庶(こい)幾(ねがわ)くば

神霊此れを鑒(かんが)みたまえ[御覧ください]

この告文の内容は、

この憲法が、古来より、ずっと伝えられてきたいわば不文の我が国のあり方を今の世に合わせて、条文として明らかにすることによって、国民(臣民)の子孫までそのあり方に従い、国民(臣民)が皆力をあわせて協力しあうように、永遠に守っていき、国の統治の基礎を強固にし、日本の国民(臣民)の喜びと幸せを増進するためにこれを制定するのであることを、神々に申し上げられます。

そしてこの憲法が、古来よりずっと伝わってきた精神を今の世に文字に表したものであり、神霊のお助けを得て、できたものであることを感謝され、明治天皇みずからが率先してこの憲法を履行され、遵守されることを誓われ、御神霊にそれを御覧になってくださいとお願いされるものです。

291役行者:2012/06/01(金) 07:42:46 ID:bisibc2o

 >>289

 Kジロウさま

横割り失礼します。

 
 >総裁に求めるモノは、『カリスマ(性)』です <


 信徒の端くれとして精進しているものですが、少なくとも私は総裁にカリスマ性を求めてません・・・


>神の啓示という表現をしたくないならば 、今まで、信仰してきた集大成として書いた! 今後も精進していく! こんな表現ならば、信徒も受け入れる事ができると 思います!
 政春先生は、計算してたか、どうかは別にして人の 心を掴む表現がうまかったのだと思います!<

 雅春先生は確かに人の心を掴む表現がうまかったかもしれませんが、それ以上に、真実性もありましたね。
 何よりも大悟されておられます。

 素朴な疑問なのですが、今までの信仰の集大成で今後も精進をされてゆくという段階で、天の使いが御出現あそばれています。これは、神の啓示といってよいのでしょうか?
 

 もし謙遜でも精進されている段階と仰るなら、「我はかく思うに」・・・とかそのような表現にしていただいた方が説得力があると勝手に思っています。
 
 中心帰一の真理から、このようなお尋ねすることすら、御法度なのでしょうか。 

 どちらにしても、信仰の集大成ということで、信徒は、あの長編詩を受け入れてくださるのでしょうか・・・復興Gさま、どう思われますか?

292如月:2012/06/01(金) 08:35:10 ID:ki/haAjk
末端の末端の信徒ですが、総裁にカリスマ性は求めていません。

総裁が何故、ポエムを発表し私のような末端信徒までガッカリ
させたのか考えましたが、生長の家は 崩壊 に向かっているのでは無く
開放されようとしているのではないかと思えるのですが。

293他掲示板より転写:2012/06/01(金) 08:48:56 ID:eWw166D.
「助けて」1日2万件、死にたい・食べてない…


東日本大震災後の社会不安の高まりを受けて、国の補助金で3月にスタートした無料相談ダイヤルに電話が殺到し、開設2か月あまりでパンク寸前となっている。

 「死にたい」「5日間何も食べていない」など深刻な悩みも多く、厳しい世相を反映している。

 一般社団法人「社会的包摂サポートセンター」(本部・東京)が行う24時間対応の「よりそいホットライン」。貧困、失業、いじめなどあらゆる悩みを1か所で受け止めるワンストップ型の支援が好評で、1日約2万件の電話に対し、つながるのは1200件程度だ。

 全国38か所の支援拠点で、午前10時〜午後10時は計30回線、深夜・早朝も計10回線を用意。1回線に2人の相談員がつき、計約1200人が交代で対応する。活動に協力する各地の弁護士などが必要に応じて助言。命に関わる場合には、福祉団体などの支援員が相談者のもとへ駆けつける。

 インターネット上の口コミなどで存在が周知され、今では平均20回かけてやっと通じる状態だ。

 相談の7割は生活上の悩みで、30〜50歳代からの電話が多い。「失業して家を失った」「生きていてもしょうがない」「誰かと話がしたかった」など、貧困や孤独を訴える声が目立つ。

 失業して生活保護を申請中という30歳代の男性は、「所持金が底をつき、何日も食べていない」と助けを求めてきた。衰弱した様子で、「命に関わる」と判断した相談員は、支援員に連絡して食料を届けた。「どこに相談しても、誰も助けてくれなかった」と、男性から感謝された。
.


被災地は大変な状態にもかかわらず政府は増税法案を通すことしか眼中に無い

宗教もそうである。生長の家は自分が幸せならすべて良し。

特に白鳩総裁は毎日が夢の中 自分は食べてるから幸せ 自分が幸せなら

他人は一切視野に入れる必要ありません。

「米が無いならケーキを食べなさい」とでも語るのだろう。

294役行者:2012/06/01(金) 10:22:40 ID:bisibc2o

合掌


>一般社団法人「社会的包摂サポートセンター」(本部・東京)が行う24時間対応の「よりそいホットライン」。貧困、失業、いじめなどあらゆる悩みを1か所で受け止めるワンストップ型の支援が好評で、1日約2万件の電話に対し、つながるのは1200件程度だ。

 全国38か所の支援拠点で、午前10時〜午後10時は計30回線、深夜・早朝も計10回線を用意。1回線に2人の相談員がつき、計約1200人が交代で対応する。活動に協力する各地の弁護士などが必要に応じて助言。命に関わる場合には、福祉団体などの支援員が相談者のもとへ駆けつける。

 インターネット上の口コミなどで存在が周知され、今では平均20回かけてやっと通じる状態だ。<

 いまこそボランティアで生長の家が支援しませんか・・・教団派も本流派も共に、訊けさあが訴えているよう、もう生長の家同士が争っている場合ではないですよ。
 まずは足元から、日本の国から愛行してゆきましょう。
 東日本大震災復興・被災者対策局なるものを生長の家本部に設置して、もろとも皆集い、愛行することを希望します。愛行に規制はないでしょう。

295復興G:2012/06/01(金) 10:46:04 ID:84pogn5s

>>289 :Kジロウ様
>>291 :役行者様
>>292 :如月様

合掌 ありがとうございます。

 >総裁に求めるモノは、『カリスマ(性)』です< (Kジロウ様)

 しかしそれは、“無い物ねだり”しても仕方ないし、役行者様・如月様もおっしゃってますように、総裁にカリスマ性を求めるのではなく、素直に“開放”されること、と申しますか、総裁が<今までの信仰の集大成で今後も精進をされてゆくという段階>ならば、「天使また語り給う」のような表現を使わず、「われ思うは」というような表現をしていただけば、信徒は素直に納得すると、私は思います。
 総裁が、「天使」を出して自作の詩というか、模造品みたいなものを発表されたことは、非常に残念なことで、私は総裁のそのような行為に対して、“No”と申し上げたいです。

296神の子さん:2012/06/01(金) 11:03:50 ID:???

>>283

  SUKURAさまに 「靖国見真会」参加者さまが応えてくれてます。

   http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&amp;mode=res&amp;log=2319

   「生長の家」崩壊を狙っているのは…?NEW (9744)
日時:2012年06月01日 (金) 08時44分
名前:「靖国見真会」参加者



「トキ」掲示板に、「SAKURA」さんが投稿しています。

その内容について、私なりの所感を述べさせていただきます。

〉web誌友会 板

283 :SAKURA:2012/05/31(木)
(前略)

何と言う読みにくさでしょう…。

如何にネットとはいえ、少しでも相手が読みやすいように配慮すべきだと思うのですが…?。

勿論、この人は、それが分かっていて、あえてわざとこんな文体にしているのだと思いますが…?

「正体」を眩ませたい思惑が働くと、時としてこういう書き方になりがちです…?

それはともあれ、問題はその内容です。

ある教区で、「谷口雅春先生を学ぶ会」の講演会を開きました。

主催者の方が、組織の人に声かけました。

すると、組織の幹部から文句が来ました。

「組織を辞めた人が、組織の人に声をかけるのはルール違反だ」

それに対して、この方は、こう言い返したそうです。

「それがルール違反だというのなら、谷口雅春先生の遺産はそっくりそのままいただいて、その上、尊師の聖典は勝手に絶版にする、それはルール違反ではないんですか?」

これには、相手も言葉が詰まったそうです。

これからの時代、何か言われたから、きちんと反論する…。

この方のように、こちらから逆に質問をするといいと思うのですよ。

「聖典の絶版」

これこそは、体制側にとって最も痛いところ、最も弱いところであります。

どんな申し開きをしても、納得させうることはできません。

それほどの、これは、教え親に対する「反逆行為」なのですから…。

どうして、こういう話を紹介したのかというと、これが「SAKURA」さんへの明解なる回答にもなっていると思ったからです。

〉「生長の家」崩壊を狙っているのは〜〜〜〜〜〜〜誰!誰!!!  
それは〜〜〜〜〜【非難・中傷の あ・な・た!!】

違います!

谷口雅春先生の聖典を絶版にした人こそが、「生長の家」の崩壊を狙っているのですよ!

「生長の家」の“神殿”とは何なのですか…?

谷口雅春先生の「教え」でしょ…、『生命の實相』でしょ…?

それを貶めた人こそが、「生長の家」を崩壊させているのですよ!

【非難・中傷の あ・な・た!!】なんか、可愛いものですよ…。

ただ、こうしてネットで“街宣”しているだけなんですから…。

それにどれほどの力があるというのですか…?

よし、それが「生長の家」の崩壊を狙っているとしましょう。

それに「崩壊」させるほどの力があるとしたら、それは、その「非難・中傷」が肯綮に当たっているからということになりはしませんか…?

つまり、教団が「非難・中傷」されても仕方のないような実態にあるからこそ、それが却って力を持ってしまったということになるわけですよ。

いくら「非難・中傷」を浴びても、それを歯牙にも掛けない…そんな堂々たる立派な教団だったら、あんな「非難・中傷」なんか放っておけ、所詮は犬の遠吠え、門前払いで終わりですよ。

何を申し上げたいか、そうです。

「非難・中傷」で教団が崩壊するのであれば、そういう「非難・中傷」が堪えるような教団にしてしまったこと、まさしくそのトップにこそ、一番の責任があるということです。

「SAKURA」さん、おわかりになりましたか…?

297如月:2012/06/01(金) 11:39:48 ID:ki/haAjk
復興Gさま

合掌 ありがとうございます。

大変レベルの低いお話をさせていただくことを最初にお詫び申し上げます。

会員になって以来、つきまとう不安があります。
このまま信仰を続けて行けば、何かの役が回って来るに違いない
(現在も出きるお仕事はさせて頂いています)
家族の賛同を得られていない私が、教区のお役に立てるとはとても思えない。
そうなれば、会員をやめるしかない。等々、考えない日はありません。

講習会ともなれば、ン十万円の資金を用意しなくてはいけない。
年金がもらえないと言われている世代の我々が、頑張れるのは現役のうちだけ。
いずれにしても、資金が尽きれば教団をやめるしかありません。

生長の家の開放とは、キリスト教や仏教のように、講習会や会費にしばられることなく
誰もが真理に触れ続けて行けるという事です。

ずっと疑問でした。 

嘗て釈迦無如来もキリストもこの為に来たのであれば
生長の家も同じような形になって行くはずなのに。
何故、生長の家には二代目三代目が存在するのか。
生き通しの命ならば、雅春先生を過去の人扱いにするのでは無く
現在も、生長の家の中心と考えればいいのではないかと思うのです。

無知からの発想で、ご気分を害されたら申し訳ございません。

読んで頂いてありがとうございました。

298如月:2012/06/01(金) 11:48:54 ID:ki/haAjk
「靖国見真会」参加者さま

合掌 ありがとうございます。

ご覧になっていますか?

SAKURAさまの文体について、私の勝手な想像を申し上げます。

SAKURAさまの耳はクリアーな音を拾えません。
もちろん、これからは、どんどん良くなりますので今現在の話です。

彼女の独特の文体は、現在の音の世界を表現したものだと私は解釈しています。
「正体」を眩ませたい思惑などでは無いはずです。

299SAKURA:2012/06/01(金) 12:28:03 ID:nzaNcD6I
トキ様 へ
観覧者の皆様 べ

ロ−マ字の【 SAKURA の独り言】です。
観覧者の皆様方の拝読を頂けますと、幸いに存じます…。

いつも“投稿”いたしましたが…【瞬時??】と言っても過言ではないのでしょうか?
■【直ぐ!!消去作戦にて……デリート】です“モノ”
【真夜中…変!同じ“同類項”での対話なのでしょうかしら〜〜ン!】
私一人が??【オンリーワン!!雅宣先生派??】
従いまして…【雨にも負けず〜♫〜 風にも負けず〜♫〜】 投稿させて頂きます…。
■■再投稿(下記文章……)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■■「甘露の法雨」これは、既に!社会事業団の手中!!では無いのでしょうか?
ですから!!!
そちらの皆様方つまり「学ぶ会」「ときみつる会」「靖国見真会」…
賛同される方々で…【運動展開…】されたら宜しいのではないのでしょうか?

今回「雅宣先生の新?聖経?」それでも良いのではと、知人は云っておりますが…?
「現教団側の練成会」に参加して“悪口”〜更に“信者を勧誘…?”
これは、「生長の家」を出て行かれました以上は…【考えの相違】でしょうかと?
ですから…■残った信者は【現教団で良い…!】との考えなのですが…。

■従いまして【練成会参加・葉書による中傷…】関係ない事では??

■現憲法でも【基本的人権…】がありますから〜〜♫〜〜
此処の信者が…【何処を指示し、更に“悪口”はもう〜〜〜シャット・ダウン】
その様に申していますのですから????変です〰〜〜〜〜〜〜〜〜ネ!

そこまでして【悪口を言いに来る?葉書にての中傷…】
「現総裁先生…雅宣先生」に対しての“非難・中傷…”その裏の?本当の【理由】

■「生長の家」崩壊を狙っているのは〜〜〜〜〜〜〜誰!誰!!!  
それは〜〜〜〜〜【非難・中傷の あ・な・た!!】
                            再合掌
                    <つづく>                No.1

300SAKURA:2012/06/01(金) 12:34:35 ID:nzaNcD6I
<つづく>                No.2
>>299の続き投稿です…。(再投稿)

トキ様 へ
観覧者の皆様 べ

ロ−マ字の【 SAKURA の独り言】です。

創立者「谷口雅春先生の言葉」難し〜〜イ><と…
現代国語になりまして【当用漢字…】指定の漢字?言葉の表現?が変わってきまして
更に「若者の日本語」??理解しがたいのですが…?

「70歳代〜80歳代の方々」ですら、おっしゃつていますのです〜〜ョ!
【日本語…難し〜〜〜イ!】
ましてや、今の若者“心悩めるモノ”此の方々の“ハ−ト”をつかむには・
【現代風の表現…エッセンス的なもの】が必要ではないでしょうか??

■では、先生の「甘露の法雨」に【誇示】されます方々… “おっしゃいます事!”
私個人としては、 多少理解しておりますが、
■単に!【読む…】此の事と【読む=理解】此の二者は???
【魂の向上=>実相を観る】に於きまして、相当な隔たりが生じます…。

それでは?どちらを取られますか…?また!お望みなのでしょうか…?
■今!現実に【生きた人間…そうです“目の前の心貧しき人”対しまして、
あくまでも【魂の向上=>実相を観る】此の事を、指導していくべきかと・
私は思いますが…?

ですから、今回の【雅宣先生の新・聖教?】分かりやす〜〜い!
おっしゃる方??賛否両論でしょうが…

先ずは!【心…は自由】ですから、美点を見てみられましたら如何でしょうか?
                            再合掌

301SAKURA:2012/06/01(金) 13:17:20 ID:nzaNcD6I
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

ロ−マ字の【 SAKURA の独り言】です。
私一人が??【オンリーワン!!雅宣先生派??】
従いまして…【雨にも負けず〜♫〜 風にも負けず〜♫〜】 投稿させて頂きます…。

今日は「ホームス先生に…助言を頂きに?■【文章投稿中傷論…に関して】
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■ SIKAKURA
「この頃…人の文章の「中傷〜〜〜♫〜」素晴らしい事です…ネ!
「生長の家」本来は、その言葉の中に必ず!【真理…】が入っておりますモノ!」

■ホームズ先生
「昨夜〜から先程までの、多々の“投稿者”の文章を見ていると〜〜
そうだね!「批判!中傷…!かと思うとその“言葉”に必ずや“イヤミ”文章なのかな?
「生長の家」かな?【真理…】本当に入っているのかな?」

■SAKURA
「そうです〜ネ!
今日は、【雅春先生の言葉】とても“素敵な言葉〜♫〜”がありましたので…“お話”を!!

■【幸福を招く365章】
――――悪しき噂 話をやめよ――――
人のアラさがしや、悪口や、同情のない冷酷な噂話(ゴシップ)などは
相手の人を傷つける以上に自分自身を傷つけるのである。吾々の言葉に
人の悪が出るのは自分の心のうちに愛が足らず、冷たい心があるからだと反省し、
出来るだけ愛ふかき、欠点を見ないで美点のみを見る心を養うように努力すべきである。
欠点が見えているのに見ないでいるなどと云うことは大変難しいようだが、
全ての人に「神」が宿っていることを知り、表面に何か現われていようとも
その人に宿る「神」のみを心に見ているのである。
人の欠点を見ている限り、人間の心は楽しくなれないのである。
吾々の心は自由であるから美点を見ることも出来るし、欠点を見ることも出来るが、
点を見ることによって自己処罰されて、自分が苦しくなるのである。
「あいつ悪い奴じゃ」と思うことは一種の攻撃精神であるから、
他に対する「攻撃精神」は自分の方へ反転して来て、自分を害することになるのである。
弾丸は先ずみずから薬莢を破壊してから相手に到達する。人の悪事を見たとき、
語ったとき既に自己は罰せられているのである。
                          (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
此の言葉…素晴らしい〜ですもの!
【生長の家】本来…■善一元!!つまり【実相を観る!】でしょうか?その様に思うのですが」

■ホームズ先生
「SAKURAさん?さっきの”雅春先生の言葉“への感想とか?”何かあるのかな?」

■SAKURA
「ホームズ先生あります…。ウフフ!私の“感じた事”述べます〜〜〜ネ」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/757 」

■ホームズ先生
「雅春先生の言葉…素晴らしい〜〜ネ!
SAKURASAさんの“感想”も今から読ませてもらうから!時間が?足りないから又!後日…」

■SAKURA
「はい!わかりました…。先生、又時間を作って下さい〜〜〜ネ!では〜〜〜♫」

■■観覧者の皆様へ…
「雅春先生の言葉」やはり素晴らしいです〜〜ネ!
人は!誰しも“ポジティブな言葉”はすんなり〜すんなり〜“心の中”に入ってi来ます〜ネ!
私も…
【吾々の言葉に、人の悪が出るのは自分の心のうちに愛が足らず、
冷たい心があるからだと反省し、出来るだけ愛ふかき、欠点を見ないで美点のみを
見る心を養うように努力すべきである。】
先生の“言葉=言霊”どうりに“行”じる事にトライ!
                                          再合掌

302Kジロウ:2012/06/01(金) 14:36:54 ID:VJun9unU
>>295:復興G様
および
>>291 :役行者様
>>292 :如月様

回答
ありがとうございます。
皆様が

総裁にカリスマ性を求めていらしゃっらない事は、わかりましたm(_ _)m

総裁が、「天使」を出して自作の詩という事には、違和感を感じられている様ですね

303復興G:2012/06/01(金) 15:42:07 ID:84pogn5s

>>297 :如月様。

 「開放」――それは、どういうことか、考えてみようと思っていました。コメント、ありがとうございます。

>会員になって以来、つきまとう不安があります。
このまま信仰を続けて行けば、何かの役が回って来るに違いない(現在も出きるお仕事はさせて頂いています)。
家族の賛同を得られていない私が、教区のお役に立てるとはとても思えない。そうなれば、会員をやめるしかない。等々、考えない日はありません。
講習会ともなれば、ン十万円の資金を用意しなくてはいけない。年金がもらえないと言われている世代の我々が、頑張れるのは現役のうちだけ。いずれにしても、資金が尽きれば教団をやめるしかありません。<

 ――私の好きな「老子」の言葉に、
 「跂(つまだ)つ者は立たず」
 というのがあります。

 爪先立ちをしている者は長く立っていられない。そのように、無理は長くは続かない、ということです。

 現在、生長の家教団も、またそれを批判攻撃している人たちも、双方ともちょっと無理している感があります。
無理は、つづきません。「無理して死んだ者は多い」です。このままでは、無理してつま先立ちしている教団は衰退の一途をたどるしかないでしょうし、また無理して教団を批判攻撃している人たちも自滅……かと思われます。
 如月様、無理をされることはありませんよ。無理せずにできる愛行を、喜んで、真心を尽くしてやってまいりましょう。

>生長の家の開放とは、キリスト教や仏教のように、講習会や会費にしばられることなく、誰もが真理に触れ続けて行けるという事です。<

 ――それが老子の言う「無為自然」の道でしょう。

>ずっと疑問でした。嘗て釈迦牟尼如来もキリストもこの為に来たのであれば、生長の家も同じような形になって行くはずなのに。何故、生長の家には二代目三代目が存在するのか。生き通しの命ならば、雅春先生を過去の人扱いにするのでは無く、現在も、生長の家の中心と考えればいいのではないかと思うのです。<

 ――私も、その通りだと思います。素晴らしいコメントを、ありがとうございます。

304役行者:2012/06/01(金) 15:45:31 ID:bisibc2o

>>297

如月さま
  
たぶん、はじめまして(^_^)
横レス失礼します。

>会員になって以来、つきまとう不安があります。
このまま信仰を続けて行けば、何かの役が回って来るに違いない
(現在も出きるお仕事はさせて頂いています)
家族の賛同を得られていない私が、教区のお役に立てるとはとても思えない。
そうなれば、会員をやめるしかない。等々、考えない日はありません。<

 無理をなされないで、自然体でね。

>講習会ともなれば、ン十万円の資金を用意しなくてはいけない。
年金がもらえないと言われている世代の我々が、頑張れるのは現役のうちだけ。
いずれにしても、資金が尽きれば教団をやめるしかありません。
生長の家の開放とは、キリスト教や仏教のように、講習会や会費にしばられることなく
誰もが真理に触れ続けて行けるという事です。<

 もともと、生長の家は誌友会という最小単位の行事で、自分の家を開放して始まりました。輪読して、講師のお話を聴いて、みんなで家族的に懇談して、明るく楽しく行われ、“生長の家で本来の姿に戻る”ことを“奇蹟”と一般的に呼んでいるのですが、そのようなこともしばしば起きていたようです。その連続と継続が拡大を呼び、地区連、総連、教化部、そして、信仰者みんなで思いを共有したいとの希望が、講習会、全国大会と発展していったのでしょう。

 開放とは、たぶん、それぞれの誌友会が充実していることでしょう。そうすれば自ずと、講習会も盛り上がってゆくでしょう。
 


>嘗て釈迦無如来もキリストもこの為に来たのであれば
生長の家も同じような形になって行くはずなのに。
何故、生長の家には二代目三代目が存在するのか。
生き通しの命ならば、雅春先生を過去の人扱いにするのでは無く
現在も、生長の家の中心と考えればいいのではないかと思うのです。<

 法燈継承の問題に繋がります。復興Gさまが丁寧に応えてくれると思いますが、古今東西、この問題は迷宮入りです。
 組織がある以上、その時、その時の指導者、責任者は必要でしょう。
 
横沢利昌氏の、「老舗企業について」は参考になりました。
老舗と云われいるファミリー企業には、家訓、社訓があり、守るべきものと革新すべきものを知っている。身の丈を知っている。無謀な設備投資なし。
帝王学とは、すべてを観て、そして、多くを見逃し、許し、ここ1番との急所を当て、少しずつ改革してゆく。

   http://www.cri-inc.co.jp/modules/wordpress3/index.php?p=42

305役行者:2012/06/01(金) 16:29:18 ID:bisibc2o

 Kジロウ様

 一般的に8割方の方は、カリスマは求めてないと思います。カリスマという言葉から思い出すイメージは、超越的なものであり、日本にはあまり馴染まないと思います。
 求めているモノは、家族的な憩いと、あたたかい懐かしさ、ほのぼのと透き通るものかと思うのです。
 
 

 >総裁が、「天使」を出して自作の詩という事には、違和感を感じられている様ですね


以前にも書いたのですが私は、内容は否定しません。自然を菩薩を讃歌しているわけですから・・・詩とは分かっていますが、それに超越項「天の使い」を出されたことに違和感を感じているのです。
  生長の家においては、「天の使い」を出すことにより、内容が絶対化されますよね。
 それを杞憂するのです。

306復興G:2012/06/01(金) 18:37:30 ID:84pogn5s

>>273 a hope 様
>>286・287・288・290 金木犀様

合掌 ありがとうございます。
金木犀様には、実に的を射たすばらしいご投稿をいただき、私もあらためて憲法について学ばせて頂き、考えさせて頂きました。ありがとうございました。

根本は、「神が心に描かれた理念・構図」は、既に神の御心において成就しているから、やがて現象界にも顕現せざるを得ないのであるということ。

日本の国は、神の心に描かれた理念が天降って誕生した。神の心によって誕生した神の国であると言える。そのアイディア、設計理念がある。それは中心帰一、大和、調和の理念である。それは、古事記・日本書紀などに記された神話物語に表現されている。天祖・天照大御神が天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に、

「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国は是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく汝皇孫(いましすめみま)就(ゆ)きて治らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさんこと、当(まさ)に天壌(あめつち)とともに窮(きわま)り無かるべし」
と、御神勅を下されたという物語の形式で、日本国は神の心に描かれた理念が天降って創られたということが表現されている。そうして、現実の日本の歴史の中では有為転変いろいろあったけれども、初代神武天皇の建国以来125代にわたり、天照大御神のご子孫である天皇が国の中心にあってしろしめす(統治される)国として続いてきたのである。

その神話−歴史・伝統に基づき、明治憲法(「大日本帝国憲法」)では、>>288で金木犀様が書いてくださったような手続きを経て、

<第一章 天皇>
第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第三条 天皇ハ藭聖ニシテ侵スヘカラス
第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
……

というような条文として表現されていました。

日本には、世界の中で実現すべき神の構図、独特の個性・使命がある。
それは、神武天皇建国の詔にあるように、「八紘(はっこう)を掩(おお)いて宇(いえ)とせん」(世界の荒れた八方のすみずみまでも、みんな一つの神のいのちの兄弟姉妹として、一つの家の家族のように仲よくしよう)ということである。それを「大和の理念」とも言う。

それは、『聖なる理想・国家・国民』の15頁に

<日本国家の理想とは何であるか。それは「宇宙の理想」と一つのものである。「宇宙の理想」とは釈尊の説く金波羅華(こんぱらげ)の世界であり、キリストの祈りである「みこころの天に成れる世界」である。日本国を“侵略国”と誣(し)いる者は何者ぞ。去れ!! 日本国は世界の救世主たる使命を帯ぶ。>

 と書かれているように、それは、偏狭な愛国心などではなく、世界的、神的な使命、理想なのである。

これは、生長の家の中心真理であり、いかに時代が移り替わっても変わることのない教えの中核、中心部分であると私は信じています。これをないがしろにしてCO2削減とか脱原発ばかり叫んでいるのは、本末顛倒であると思うのであります。

307復興G:2012/06/01(金) 18:45:33 ID:84pogn5s

<つづき>
金木犀様が>>262

>今までは、戦後教育で国民が洗脳されているから、きっと憲法(大日本帝国憲法)復元なんて、ものすごく大変なことだと感じ、道遠しという感がありました。しかし、これは間違いなのだと思います。
日本人は日本人としての実相が既にあり、日本国の実相は、今此処にあるのだと感じます。南出弁護士も仰っているように、今、大日本帝国憲法は生きているのであり、これを復活させることは、単に本物を出してくることに過ぎず、本物の前には、偽物はあっという間に消滅するのが道理であり、これはまさに、今、機が熟して神佑がはたらきつつあり、この通りになるような気がします。
神に不可能はないのであり、実相の前には、闇は消え去るのであり、これを信じてやるべきことをやればいいだけだと感じました。
本物は、神が護り給い、神が支えられると思います。
実相は何より強いということを信じて、進むべきだと感じました。<

と書かれていました。
この信念を持って、「今」できる愛行を、真心をもって、明るく喜んで、やってまいりましょう。

ありがとうございます。合掌 拝

308SAKURA:2012/06/01(金) 19:32:39 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 べ

ロ−マ字の【 SAKURA の独り言】です。
観覧者の皆様方の拝読を頂けますと、幸いに存じます…。

今月は…「6月…!!」
そうです〜ネ!■水無月…俗に申します…【つゆ!】
今月は?雨がシト〜〜シト〜〜♫です〜ネ!それも又!!風情ありでしょうかしら〜〜ン?
皆様に取りまして、“今月は?”どの様に“ライフスタイル”過ごされますでしょうか?

さて!いつも“投稿”いたしましたが【瞬時??】と言っても過言ではないのでしょうか?
■【直ぐ!!消去作戦にて……デリート】です“モノ”
【真夜中…変!同じ“同類項”での対話なのでしょうかしら〜〜ン!】
私一人が??【オンリ−ワン!!雅宣先生派??】
従いまして…【雨にも負けず〜♫〜 風にも負けず〜♫〜】 投稿させて頂きます…。

■■再投稿(下記文章……)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■■「甘露の法雨」これは、既に!社会事業団の手中!!では無いのでしょうか?
ですから!!!
そちらの皆様方つまり「学ぶ会」「ときみつる会」「靖国見真会」…
賛同される方々で…【運動展開…】されたら宜しいのではないのでしょうか?

今回「雅宣先生の新?聖経?」それでも良いのではと、知人は云っておりますが…?
「現教団側の練成会」に参加して“悪口”〜更に“信者を勧誘…?”
これは、「生長の家」を出て行かれました以上は…【考えの相違】でしょうかと?
ですから…■残った信者は【現教団で良い…!】との考えなのですが…。

■従いまして【練成会参加・葉書による中傷…】関係ない事では??

■現憲法でも【基本的人権…】がありますから〜〜♫〜〜
此処の信者が…【何処を指示し、更に“悪口”はもう〜〜〜シャット・ダウン】
その様に申していますのですから????変です〰〜〜〜〜〜〜〜〜ネ!

そこまでして【悪口を言いに来る?葉書にての中傷…】
「現総裁先生…雅宣先生」に対しての“非難・中傷…”その裏の?本当の【理由】

■「生長の家」崩壊を狙っているのは〜〜〜〜〜〜〜誰!誰!!!  
それは〜〜〜〜〜【非難・中傷の あ・な・た!!】
                            再合掌
                    <つづく>                No.1

309SAKURA:2012/06/01(金) 19:35:09 ID:V.pKl3yA
<つづく>                No.2

風薫る「五月…」のさわやかな季節を過ぎました。今月『梅雨』!!
皆様の生活に、良いことも?悪いことも?色々連れて来るのかも…??

一つは「つゆ=>カビ」のイメージでしょうか?これにはたまらないモノです〰〜ネ!
既に!昨年からの【裁判…】信者に取りましては、
「学ぶ会」「ときみつる会」「靖国見真会」…の皆様方…との【分派…】如何なものでしょうか?

■【失望の連続!!】の此処昨今です…。
■【雨のことばかりではない。人生、この雨に対応するごとく生きよ。雅春先生箸】

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
>>308の続き投稿です…。(再投稿)

トキ様 へ
観覧者の皆様 べ

ロ−マ字の【 SAKURA の独り言】です。

創立者「谷口雅春先生の言葉」難し〜〜イ><と…
現代国語になりまして【当用漢字…】指定の漢字?言葉の表現?が変わってきまして
更に「若者の日本語」??理解しがたいのですが…?

「70歳代〜80歳代の方々」ですら、おっしゃつていますのです〜〜ョ!
【日本語…難し〜〜〜イ!】
ましてや、今の若者“心悩めるモノ”此の方々の“ハ−ト”をつかむには・
【現代風の表現…エッセンス的なもの】が必要ではないでしょうか??

■では、先生の「甘露の法雨」に【誇示】されます方々… “おっしゃいます事!”
私個人としては、 多少理解しておりますが、
■単に!【読む…】此の事と【読む=理解】此の二者は???
【魂の向上=>実相を観る】に於きまして、相当な隔たりが生じます…。


■■それでは?どちらを取られますか…?また!お望みなのでしょうか…?

■今!現実に【生きた人間…そうです“目の前の心貧しき人”対しまして、
あくまでも【魂の向上=>実相を観る】此の事を、指導していくべきかと・
私は思いますが…?

ですから、今回の【雅宣先生の新・聖教?】分かりやす〜〜い!
私の知人関係は、その様な“声”が多いです…。そして私も!!勿論です。
今回の「新・聖経?」に関しましておっしゃる方?の意見は「賛否両論」でしょうが…

先ずは!【心…は自由】ですから、美点を見てみられましたら如何でしょうか?

310Kジロウ:2012/06/01(金) 19:38:54 ID:VJun9unU
>>302を書込んで

何かスッキリしないところが、自分の中にありましたが、わかりました

生長の家の大神
→総裁・副総裁
→真理が天下る

この事から、現総裁が書かれた「大自然讃歌」・「観世音菩薩讃歌」は
『真理』とは言えなくなります!

その点につきまして、皆様
どうお考えになりますか?

311復興G:2012/06/01(金) 22:44:01 ID:84pogn5s

>>310 :Kジロウ様。

『菩薩は何を為すべきか』(谷口雅春・谷口清超共著)の54頁以下、「人類光明化運動指針 第9条」 には、次のように記されています。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 生長の家大神――総裁・副総裁――御教。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である事を、生長の家人たるものは一瞬たりとも忘れてはならない。如何にその人が有力者であろうと長年光明化運動に献身して来ようと、素晴らしき体験をもつ指導者であろうと、断じてその人を中心にしてはならない。若しも人を中心とすれば、その人が理解し把握している以上の運動の展開は不可能となり、歪んでいれば運動も歪むほかなく、その人とそりの合わぬ者、反対意見の者は身を引くか、対立して禍根を残すであろうし、…(中略)…光明化運動に於いては人は中心ではない、神意が中心である。その神意現成の組織に於ける自己の部署と役割とを誤りなく遂行して、始めて人はその使命を果たし得るのである事をよくよく銘記して行動すべきである。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 このように書かれておりまして、光明化運動の不動の中心は 「 神 意 」 であることが明記されているのであります。「断じて人を中心にしてはならない」のであります。

 前述書には、その後のご解説で、次のように書かれております。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 この生長の家の人類光明化運動というのは、谷口雅春個人が始めたのではないと云うことであります。此の文章にありますように、「生長の家大神」と棒が引いてあって、「総裁・副総裁――御教」とあります。此の棒は教えが其の本源から流れて通過して出るパイプの系列を示しているのであります。生長の家の本部は“実相の世界”にあるということが『生命の實相』総説篇の冒頭に宣言しているのでありまして地上の生長の家本部が事務を執っている所の建物の如きは、地上で仕事をする為の中央事務所に過ぎないのであります。そしてまた私を生長の家の総裁と云うけれども、総裁と云うのは一体何かと言いますと、要するに爰に「生長の家大神――総裁・副総裁――御教」と書いてありますように、総裁・副総裁を通して生長の家大神の御教えが流れ出ている其のパイプ的役割が総裁・副総裁であります。即ちこの運動は宇宙の創造神に在しますところの生長の家大神が或る時期に住吉大神と顕れてコトバの力によって御禊祓をなしたまうところの運動であります。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

さて、Kジロウ様が

>この事から、現総裁が書かれた「大自然讃歌」・「観世音菩薩讃歌」は 『真理』とは言えなくなります!<

とおっしゃる意味は今ひとつ、よくわかりませんが、光明化運動の不動の中心は 「 神 意 」 であるわけで、谷口雅宣総裁が、生長の家大神の御教えが流れ出る其のパイプ的役割となって神意を聴いて書かれたのでなければ(人間知で書かれたとすれば)、それが教えの中心になるような「聖経」としてはならない、ということになるでしょう。その意味で、「『真理』とは言えなくなります!」 は、その通りであると思います。

312如月:2012/06/02(土) 09:36:48 ID:ki/haAjk

>>303  復興Gさま

 合掌 ありがとうございます。

てっきり、何もわかっていない と叱られるものだと覚悟して書きましたが
私のような者の立場を理解して、心優しいご回答を頂き感激しています。
ありがとうございます。

神様のことだから「ハイ」をしなくてはいけないという気持ちは〜ねばならないであり
このまま仕事が増えれば、という気持ちは取り越し苦労で、生長の家の活動を
すればするほど、生長の家らしくない心境になるジレンマに苦しんでいました。

しかし、「今」できることを「真心込めて」させて頂こうと決めますと
無理が無理ではないように思えて、心が随分軽くなりました。

生長の家が何故、キリスト教や仏教と同じ形にならないのか、雅春先生を中心帰一すれば等の
意見には、どんな厳しいお答えが来るだろうと覚悟しておりましたので
叱り飛ばさず、ひとつの意見であるとしっかり受け止めて頂き、ありがたい気持ちでいっぱいです。

                                            感謝  合掌  拝

313役行者:2012/06/02(土) 09:54:38 ID:hs0/Ckk.

 Kジロウさま

 復興Gさま

>生長の家の大神 →総裁・副総裁 →真理が天下る
  この事から、現総裁が書かれた「大自然讃歌」「 観世音菩薩讃歌」は 「真理』とは言えなくなります!<

についての考察なのですが・・・

まず、復興Gさまの

>光明化運動の不動の中心は 「 神 意 」 である わけで、谷口雅宣総裁が、生長の家大神の御教えが 流れ出る其のパイプ的役割となって神意を聴いて書 かれたのでなければ(人間知で書かれたとすれ ば)、それが教えの中心になるような「聖経」とし てはならない、ということになるでしょう。その意 味で、「『真理』とは言えなくなります!」 は その通りであると思います <


 に同意します。


 逆説的に私の見解は、
生長の家の大神 →総裁・副総裁 →真理が天下る
 による正当化に疑問符です。
 私の記憶によりますと、間違っておりましたらご指摘を・・生長の家の大神は、いわゆる 応現神 第二義的神、その働きは、宇宙浄化! すなわち、観世音菩薩であり、ミカエル天使であり、と確か学んでます。

 その天の使いが顕れてしまった以上、真理天下るとなります。ならば、その長編詩は、真理として、生長の家の信徒は、強制的に認めざる負えなくなる、これを、私は真理の絶対化と申し上げてるのです。

 天の使いという超越項がお出まししてしまった以上、生長の家の信仰者は、無条件に、何の熟考もすることなく、認めざる負えない、このようなことを一番嫌っていたのは雅宣総裁ではないかと思っています。
 創始者雅春先生の残された資料にメスを入れ、真理を究明しようとなされた痕跡もあります。

 また、現象世界に表現された言葉に注意を喚起なされ、聖典と云う言葉を極力避け、総本山までも、聖地のように!とご発言なされました。
 なのに、ご自分のつくられた長編詩は、天の使いの御出御により、まるで真理の天下りであるかのように、告知されて
おります。 

 申し訳ありませんが、一貫しているとはとても思えないのです。

 ところで、

>この事から、現総裁が書かれた「大自然讃歌」「 観世音菩薩讃歌」は 「真理』とは言えなくなります!<

 とは、どういう意味なのでしょうか?
 真理でないなら、「かく思うに」ということなのでしょうか、ならば憂慮することもないのですが・・・

314如月:2012/06/02(土) 10:12:17 ID:ki/haAjk

>>304 役行者さま

 はじめまして。 こちらからご挨拶申し上げないといけませんのに恐縮です。
   

 アドバイスをありがたく心に刻みました。
 自然体で、真心を込めてできることを、させていただきます。ありがとうございます。 

 >家族的に懇談して、明るく楽しく行われ、“生長の家で本来の姿に戻る”ことを“奇蹟”と一般的に呼んでいるのですが
 >そのようなこともしばしば起きていたようです。
 >その連続と継続が拡大を呼び、地区連、総連、教化部、そして、信仰者みんなで思いを共有したいとの希望が
 >講習会、全国大会と発展していったのでしょう。

 生き生きと喜びながら活動が拡大していった様子がわかります。
 現在は、惰性的に行われている行事が、昔は喜びの活動だったようですね。
 
 惰性的と書きましたが、大きな会場で行うメリットも、もちろんあります。
 個人宅では参入しにくい方も大きな会場なら、出入りに気をつかわなくて済みますし
 大きな会場でやるには組織が必要で、組織には指導者、責任者が必要というのもわかります。

 貼っていただいたリンクを見せていただきました(興味深いサイトでした)が、組織のおかれている状況を判断し
 守り抜くという決意のもとに柔軟な発想ができる方が、トップであれば言う事はありませんね。
 そのトップは世襲にこだわらず、ダライラマやローマ法王のような選ばれ方でも良いのではとは思います。
 
 いろいろと考えを広げていただきました。 これからもよろしくお願いいたします。
                                               
                                                    感謝 合掌 拝

315Kジロウ:2012/06/02(土) 10:59:12 ID:VJun9unU
>>311

復興G様

こちらの質問の足らない部分をご愛念で、補足、回答頂きありがとう御座います!

言いたかった事は、正にその事です!

316Kジロウ:2012/06/02(土) 13:21:36 ID:VJun9unU
>>313

>ところで〜


雅宣総裁は

人間谷口雅宣(個人)と生長の家総裁の立場

この2つがある方で、生長の家の資料にだけでなく、他方面からもよく研究されていると思います!

しかし、人間谷口雅宣が書いたモノであれば、生長の家として
正規のモノではないという事です!

内容が良い、悪いではないという事になります!

317トキ:2012/06/02(土) 14:52:21 ID:VW08YdXk
>>316

 横レス、失礼いたします。

 確かに仕事をしている人は、仕事とプライベートが別れます。しかし、信仰という世界に限定すれば、職業としての宗教家の前に
まず個人としての信仰者である事が求められます。信者でないが、宗教家であるというのは、あやしげな結婚式場にいる外人の牧師
ぐらいだと思います。

 信仰者という立場は、昼間は信者だが、夜は信者ではない、というものではありません。昼間も夜も信者ではない、という人は信仰者
ではないはずですし、ましてや生長の家総裁という立場は極端なまでに信仰者である事が求められます。谷口雅宣先生は真面目な求道者
ですから、きっと日夜、修行に励んでおられるに違いないと信じております。

 ですから、谷口雅宣先生が、生長の家以外の事もよく研究されていても、あくまでも生長の家の信仰を補強する材料である、という事
が前提になります。もし、宗教家ではあるが、信仰心はない、という事になれば、宗教家の前提である信仰者の要件をかくことになり、
谷口雅宣先生は、総裁を辞任しなければならなくなります。これは、谷口雅宣先生のような方には、少し本意ではない、と思っておられる
と拝察する次第です。

 以上、愚見を申し上げて、すみません。今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

318役行者:2012/06/02(土) 15:15:26 ID:hs0/Ckk.

 トキ様に続きますね。

 真理を悟るのに、また語るのに、個人も公人もありません。

 雅春先生ははじめ個人から始められております。

 宗教というのは、ビジネスとして割り切れないところがありますので、個人と公人との両方の側面を兼ね備えているのではないでしょうか。

 この発言は個人で、あの発言は公人ですから・・・とか云っているのなら、どこかの政治屋と同じ手法です。
 もっとも雅宣先生はそのような場当たりのご都合主義ではないでしょう。
 
 今まで一般論として述べさせていただきましたが、Kジロウさまが仰るよう、個人として長編詩を発表されたということであれば、安心です、そう願いたいものです。

319復興G:2012/06/02(土) 21:54:48 ID:84pogn5s

 明日、『新版 真理』第10巻の勉強会をすることになっているので、拝読しておりましたら、今の私たちにぴったりと思われるご教示がありました。聖典板でなく、ここに謹写させていただきます。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

   御心の天に成れる世界

 既に「現象以前の世界」には「完全な世界」が出来上っているのです。この「完全な世界」を「実相世界」と称するのです。それは既に電波として放送されている番組の世界のようなものであって、既にあるのですけれども、波長を合わすまでは現象的には見えて来ないのです。テレビ・セットに現象的にあらわれるまでは見えないでも、既に放送番組は存在するのと同じように、実相の「完全世界」は存在するのです。それをキリストは「御心の既に天に成れる世界」と云うように仰せられました。略して「天国」又は「神の国」と称するのです。「神の国」は既にあり今此処にテレビの放送電波のようにあるのですが、人類の“心”と云う“テレビ・セット”が其の「神の国」に波長を合わさないのでシューシューと云う争いの雑音のみが聴えているのです。

   “現象悪“を実在だと思ってはならない

 「完全な信仰」をもつと云うことは、「神の国」に「脳髄」と謂うテレビ・セットの波長を合わすことになるのです。「完全な信仰」とは「神」が完全であり、神がそのコトバ(生命の霊的波動)にて創造り給うた世界(実相世界のことである――現象世界に対しては放送番組に当る)も完全であると云う堅き信仰を言うのです。其の「完全なる信仰」によって「神の国」の放送された波長に同調して、現実界に完全な「神の構図(設計図、デザイン)」が実現することになるのです。神の創造(つく)り給うた世界が完全であると云うことを信ずるためには、現象界に如何なる“現象悪”があらわれていようとも、“そんなものは実在ではない”と知らなければならないのです。“悪”と見えるものを“実在”すると信ずるならば、“悪の存在感”に圧倒せられて、吾々の“心のラジオ”が、宇宙に浮遊する“悪念波”の波長に合うことになって、現象界は何時までも良くならないのです。

   「悪」を分析しても「善」は顕れて来ない

 「現象悪」を実在する(ほんとにある)と観て、それを観察し、分析し、「悪」の要素を排撃しようとして「悪」と戦う心を称して「知恵の樹の果」を食べた心と称するのです。併し「悪」と戦う心を起しても、決して「悪」は減じないのです。それは「水爆」と戦う心を起せば起すほど、水爆の実験の回数はふえ、地球を取巻く空気は愈々益々ストロンチューム90の放射能で汚染せられる度合が増加するようなものです。若し各国が、相互の相手国の「悪」を見ず、ただ「善」と「愛」のみを見て親愛の情を深めて行きさえするならば、水爆と云う“悪”は自然に消えて、其処には唯、「原子力の平和利用」と言う“善”のみが実現する世界が出て来るのであります。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<つづく>

320復興G:2012/06/02(土) 21:55:25 ID:84pogn5s

<つづき>
 ――上記の谷口雅春先生ご教示を拝読して、今思いますことは――

 現在の生長の家の分裂抗争状態は、上記の真理に立ち還ることによって消え去り、本来の「完全な世界」大調和の生長の家が顕現するのである。現在の状態は、まず谷口雅宣総裁が<「現象悪」を実在すると観て、それを観察し、「悪」の要素を排撃しようと>されたことから起こったとも思われる。しかし、それは以前の運動が、悪を排撃するような運動をしていたからだ、とも言える。これは、生長の家の組織運動 ン十年の業が現れて、消えて行く過程なのである。

 この業を断ち切るには、お互いに(総裁・教団側と、それを批判攻撃している側の双方が)上記の真理に立ち還り、相互礼拝の本来の生長の家に立ち還ることしかない――そのように思うのであります。

 私は、いやしくも生長の家の完璧な御教えにご縁のあった方々はすべて、『生命の實相』第1巻156頁に書かれていますように、

<生長の家の人類生活光明化運動が出現したということは、実に神様の恵み深き計画であって、この運動に参加してくださる方は……劫初以来の浅からぬ神縁のある方ばかりであります。この「神の国運動」の芽生えの時に神の使徒として人類生活光明化のためにつくしてくださる人は中でも特に「神縁の深い選ばれた人々]であって……>

 に当たる尊い方々であると拝ませて頂きます。
 そして雅宣総裁も、同じ人間の姿を現して、私たちが皆同じ神の法則のもとに生かされている神の子であることを、身を以て教えてくださっていると礼拝感謝し、私は私の使命と感ずるところを、今生のいのち尽きるまで、精一杯果たさせて頂こうと思います。
 ありがとうございます。

 礼拝 感謝 合掌 拝

321a hope:2012/06/03(日) 00:13:23 ID:kcv2QXTk

「生長の家」のみなさま こんばんは

わたしは、以前、「天使」に興味を持って調べていたときがあり、
こちらの女子会板でも、何回か投稿させていただきました。

今回、雅宣先生が「大自然讃歌」、「観世音菩薩讃歌」を発表され、
その長編詩の中に、天使(てんのつかい)を登場させられたことに関して、
今この板で、復興Gさまや役行者さまもお話されていますが、
わたしにもそのことに関しては、最初からとても大きな違和感がありました。

他の内容に関しては、良くできているとおっしゃる方もいらっしゃいますが、
わたしはほとんど読むことができません。
申し訳ないのですが、読もうとするだけで気分が悪くなってしまうのです。

無理して読んでいれば、精神状態や、体調を壊していくのがわかっていますので、
わたしはしませんが、それを、「生長の家」の練成会や、誌友会で読誦するというのは、
大変危険なことだと感じています。

おそらく、今までのわたしでしたら、この掲示板から一生懸命呼びかけているのかもしれません。
「生長の家の先輩方、どうか、雅宣先生に愛を持ってご忠告してあげてください」と...

ですが、正直にいえば、もうわたしは疲れてしまいました。
「相手を変えようとしても相手は変わらない。」ということが、だんだんわかってきたからだと思います。
「相手を変えるには、自分が変わればいいのだ」ということが、
10か月近くこの掲示板に書き込みを続けてきて実感としてわかってきたのです。

これは、このweb誌友会のテーマ

『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』

にもつながることだと思いますが、
「相手を変えようとしたり、環境を改善しようとする前に自分自身が変わること。」
これが、大切なのではないかと思いました。

具体的にどうするのかは、それもまた、「生長の家人」として、「神の子」として、
わたしたち一人ひとりが自分で考えていく必要があるのではないかと感じました。

みなさま、この掲示板で一緒に考えていきませんか?


金木犀さま 復興Gさま

わたしは、今まで、この国の憲法のことなど一度も真剣に考えたことがありませんでした。
ですが、今回、金木犀さまにお声をかけていただき、始めてお勉強させていただきました。
わたしには、今まで何の知識もなかったわけですから、本当に理解するにはまだまだ時間がかかりそうですが、
金木犀さまの >>286〜の投稿と、復興Gさまの>>306〜の投稿を拝見して、その奥深さに感動しています。
そしてそれは、わたしたちが考えなくてはいけない「本当の愛国心」と、
今後の「生長の家」の運動にも深くかかわっているのだと感じました。


金木犀さま

まだ、本当に興味を持ち始めたばかりなので、これ以上のコメントは控えさせていただきますが、
一つだけ教えてください。

>>270の金木犀さまの投稿を拝見して感じたのですが、金木犀さまは、

愛国運動=日本の実相顕現の運動=生長の家の人類光明化運動 とお考えなのでしょうか?

もしそうだとしたら、具体的にはどのような運動をされているのか教えていただけないでしょうか?

これは以前、春らんまんさまともお話させていただいたことなのですが、
どうしてもわたしには、生長の家の愛国運動というものが理解できないのです。

どうぞよろしくお願い致します。


それから、復興Gさまが、聖典引用板の謹写してくださった『菩薩は何を為すべきか』や、
>>319〜の投稿は、まだ拝見していませんが、明日、ゆっくり拝見したいと思っています。

いろいろ、お勉強させていたただくことができて、本当にありがたいです。

それではわたしの大切な「生長の家」のみなさま、おやすみなさい。

322神の子さん:2012/06/03(日) 14:19:13 ID:???

本流掲示板から転載
                    
般若心経NEW (9831)
日時:2012年06月02日 (土) 15時57分
名前:童子

 観世音菩薩様の誤った概念を打ち消したくて・・・

 安田良忍講師の「般若心経」の現代語訳がありましたので。




    無上甚深微妙法   百千万劫難遭遇
    我今見聞得受持   願解如来真実蔵

(實相訳 摩訶般若波羅蜜多心経

 観自在菩薩 汝仏の子よ、汝の真性は仏なるが故に無碍自在なり、汝自身は自在菩薩なりと観じて、其の自覚により般若即ち實相智に生かされ居ると信じ行じて。

 現象界は空なり無なりと照見すれば、一切の苦厄生老病死を解脱するなり。

 汝仏の子よ、諦(あきらか)に聴け、色は空に異らず、物質なし、空は色に異らず、無より一切を生ず、色即ちこれ空、有る様に見えても実在せず。空即ちこれ色、真空妙有なり、感受し、想うも行うも識るも亦々斯の如し。

 汝仏の子よ、この如来の法、實相は久遠の実在なれば生ぜず、滅せず、無垢、清浄にして完全圓萬なれば増せず、滅せず、この故に實相には色なく、受なく、想なく、行なく、識なし。

 肉体なく、五官なく、五官に映ずる世界もなし。

 光明世界なれば無明なく、無明の尽るなし、久遠生き通しなれば老死また老死の尽るなし、苦の集積に非ず、楽行道を覚るなり。智慧を磨きて悟るに非ず、損に非ず、得に非ず、所得なくとも、念に随って、無限に顕るるが故に、具足圓萬なり。

 神の子仏の子は實相智によるが故に、心にさし障りなし、さし障りなきが故に、吾仏の子の自覚にて恐怖あることなし。恐怖なきが故に一切の悩みをはなるる、本来仏なれば涅槃を究竟す。

 三世仏の子の兄弟は實相智によるが故に正しき覚りを得、まことに知りぬ、實相智はこれ神の御言葉なり。これ朗らかなる言葉なり、これこの上なき言葉なり。これ等しきものなき言葉なり。良く一切の苦しみを除く、真実にして虚しからず、故に有難き御言葉を説く、其言葉に曰く、羯諦自らも覚り、羯諦他をも悟らしめ、波羅羯諦自他共に悟り、波羅僧羯諦皆悉く和解して、菩提娑婆訶悟りの道成就せり、言葉は神なりき。

 摩訶般若波羅蜜多心経

 願わくばこの功徳を以て普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん事を――


              『生長の家』誌 13年6月号掲載

 ※註: 
 ・安田良忍氏は生長の家講師であり、真宗一ヶ寺住職でありました。
 ・頌文と結願文は仏壇前で朗読するために書かれたものです。

325Kジロウ:2012/06/03(日) 17:58:23 ID:VJun9unU
>>317

トキ様

>生長の家総裁という立場は極端なまでに信仰者である事が求められます。<

その通りだと思います!

雅宣総裁が宗教心がないとは思いません

総裁という立場からして、周りが公私とわけず受け取る意見もあると思います!


ただ、今回はご自身の口から自分が書いたモノとしている以上は


生長の家の大神
→総裁・副総裁
→御教え
の規律、戒律という観点から外れています

326金木犀:2012/06/03(日) 22:19:36 ID:j28jHRaM
a hope様

もう一度、a hope様の投稿を読んで、今ひとつお尋ねの主旨にお答えしてない気がしました。
愛国運動=日本の実相顕現の運動=生長の家の人類光明化運動
というのは、愛国運動をどのように定義するかという問題もありますが、
雅春先生の言われる日本国は実相世界そのままの真理国家ですから、
日本の使命は、八紘為宇の思想、世界の国をそれぞれの個性を生かしたままで、
勾玉の首飾りを連ねるように世界連邦をつくるということで、
これが最終的な人類光明化運動の姿であると思います。

もっとも、既に復興G様が謹写された『菩薩は何をなすべきか』の御文章を
読まれたと思います。日本人と生れて、日本人とはいかなる民族かという意識、
そして日本民族の使命を自覚するところから始めれば、
まず日本国の実相顕現へ向けての愛国運動が欠かせないのではと思います。
そして、愛国運動の中心は、現行日本国憲法の破棄と、大日本帝国憲法復活だと思います。
また教育勅語など、占領政策で日本弱体化を目指して行われた政策を破棄して、
元に戻しよりよい形で発展させることだと思います。

もちろん人類光明化運動は、愛国運動だけでなく、個人としての救済も必要だと思います。
根本はひとつのもので、色々様々な救済が必要であると思います。
それは人時所に応じて、細やかな対処法があると思います。

個人救済と国家の救済はどちらも欠けてはならないもので、
本来は一つものものだと思いますが、ともすると、人は個人で救われたのみでは、
ある種のお陰信仰に陥る可能性も出てきます。三車火宅の喩えのように、
個人の幸福にとどまっていては、いつの間にか現象を摑んでしまうことになりかねません。
と言って、愛国運動ばかりで、個人を救えないようでは真理を本当にわかったとはいえず、
やはりどちらもそろって初めて人類光明化が出来るのではないかと思います。

330如月:2012/06/04(月) 12:31:28 ID:ki/haAjk
第七回生長の家相愛会男子全国大会講話 谷口恵美子先生 より一部抜粋
    最高の教えを、正しく沢山の人々に

私は、ついこの間、長崎の生長の家総本山へ参りました。父が風邪をひいて、
ちょっと具合が悪いというので参りましたが、今はもうすっかり元気になりました。

米寿記念に母の『思い出の記』というカセットテープが出来まして、それに母の講演集が
入っておりますが、三月に、それを小さなカセットテープレコーダーで最初聴かれた時に
「こんな声は、全然本人の声でないから、駄目です」とおしゃっていました。

それでこの間、私が行きました時は、少し大きな、ステレオのついた、持ち運び出来る
レコーダーで、お聴かせしましたら、「ああ、この音なら良い」といわれて

「こういう音ならいい。どんなに講演の内容がよくても、カセットテープがよくても、
悪いレコーダーを使って聴いたんでは、本物の味が全然出ないから値打ちがない
効果がないよ」って申しました。

そして

「本当に、最高のもので教えを伝えなければ、生長の家は駄目になるよ」と父は申しました。

私はその時は「それでは、なるべく良い機械で聴くように申しますね」と言っていたのですが
父は「是非、この機械ならば良いというようなもので聴いて貰わなければいけない」
と申しました。

私はそれから暫らく経って、ハッと気がついて、「ああ、あれはテープレコーダーのことでは
なくて、私達が本当に生長の家の素晴らしいみ教えを自分がどの位、本当に正しく
良い機械になって、そして皆さまにお伝えしているか」ということなのだと悟り
本当に、そうしなければならないと感じたんですね。(拍手)

父はテープレコーダのことだけをおっしゃったようですけれど、このみ教えが
本当に正しく多くの人の心に伝わるように、私達が精進努力して、本物をお伝え
しなければならないと思いました。
最高のものを最高に伝えるということは、本当に大変なことですけれど
それば今こうして、み教えにふれさせて頂いた者の使命ではないかと思います。(拍手)

何時かの男子大会におきまして、私が長崎へ行きましたとき、父がテレビをみながら、
「生長の家がちっともテレビに出て来ないね」と申していましたと、皆さんに
お話したことがございました。

今はほんの十五秒、三十秒ですけれど「幼い命を大切に」というテレビの意見広告が
放映されるようになりました。
それは私の息子が企画してくれまして、ようやく生長の家という字がテレビに
出るようになりまして、本当に有難いことだと思っております。(拍手)
けれども、その十五秒とか、三十秒では、とても日本をよくするわけにはいかないんですね。

これはやはり、皆様がもっともっと一人ずつが本気になって、いろんなことを
考えて下さって、やって下さらなければ、とても沢山の方達には、いのちの大切さも
人間神の子の真理もとどかないわけです。 
偶然にそのチャンネルで、その十五秒か三十秒の意見広告を見るということは
殆どないのです。
その時間につけていなかったり、気を付けていても忘れたりして中々みられないのです。

それでも、莫大なお金が要るわけです。商品を売っているわけではないので
それによって儲かるというものではないのですね。小さないのち、幼い生命を
大切にしてほしいという切なる願いが皆様の心にとどいてほしいということです。
ですから素晴らしいスポンサーが付いて下さって、そして三十分番組とか、何か
素晴らしい企画がなされたら、どんなにいいかと思います。

私はこのように沢山の男子の方が集っていらっしゃるのですから、是非皆さんに
もっともっと、人間・神の子の真理が沢山の方に伝わる方法を考えて頂きたいと
思いますし、きっと成せば成ると思います。

本当にそうしなければ、何のために、こうして全国から集って一日を費やしていらっしゃるか、
何かやはり、やらなければならないと決意して頂かなければならないと思います。

私の、その息子の子供が、今二歳四ヶ月ですが、私の部屋へ入って来まして
「おばあちゃん”幼い生命を大切に”って知ってる?」と繰り返し言うんですね
たどたどしい声で。
「ああ、やっぱりお父さんの子だわ」と思いましたが、可愛いワッペンのことを
言っているようでした。
こうして私達は四代にわたって何らかの形で微力ではございますけれど、やらせて
頂いております。皆様もどうぞ一家揃って活動してくださいませ
。先ほどの方のように、隣に座った方を讃え、前の方を拝みして、沢山の同志を
つくって、日本を素晴らしいものにして頂きたいと思います。
どうぞ、よろしくお願い致します。有難うございます。
(拍手)

331a hope:2012/06/04(月) 16:12:46 ID:kcv2QXTk

金木犀さま

あれ、>>323を削除されてしまったのですか...
でも、わたし、プリントアウトして、拝見させていただきました。

金木犀さまの、日本の国、天皇陛下、そして谷口雅春先生を想われる気持ちが、
すごく伝わってきて、感動しました。

わたし自身、金木犀さまが、聖典引用板に謹写してくださった
>>710『秘められたる神示』 君民同治の神示講義(6)にあった文章、

>>それと同じく「無にして絕對なる天皇」は吾々が天皇に対して振り向くことなく、天皇をただ看板にして、「虎の威をかる狐」のように天皇をただ利用して軍閥が自分の権力の増大をはかっている限りは、天皇は神と同じく別に罰を与えられることもないが、その迷いを制せられることなく、その迷いの行くがままにそのまま委せていられるのでありますが、その迷いが行き詰まって、謙虚でいるしか仕方がなくなって天皇の方へ振り向くとき、其処に天皇の御心があらわれるのであります。日本の歴史は、常に時の権力階級が我の力が行き詰まっては、天皇の方に振り向き、そこから神智が実現して正しき道に帰るということが繰り返されているのであります。それですから、大東亜戦争の末期に於ける御前会議に於いて、誰も意見をのべる者がなくなった時、ついに天皇は「ほかに誰も意見を述べる者がないならば、私の意見を述べよう。私の身体はどうなってもよいから、この上国民を戦争の惨禍の中に苦しめるのは見るに忍びないからポツダム宣言を受諾して戦争をやめる」と仰せられ、その後、天皇はマッカーサー元帥を訪問せられて、
「戦争の責任は皆私にある。国民には責任はない。私は絞首刑をも覚悟している。皇室財産は司令部の処置にまかせる。私の一身はどうなってもよいから、国民をどうぞこれ以上苦しめないで頂きたい」と仰せられたのである。「無にして絕對であり、一切の主である」ということは、「無」でありながらも、責任を回避するということではない。「一切の主である」とは「一切の責任は自分にある」との自覚である。「無」であるがゆえに神聖であり、一切の責任を自己に背負って自己が一切の者に代って苦しもうとする愛の深さゆえに天皇は神聖であるのである。

を、拝読したとき、その天皇陛下の一切者の自覚からくる愛の深さと、神聖さにとても感動し、涙が止まりませんでした。
そして、その時少しですが「愛国」という意味がわかったような気がしたのです。

実は、今、同じく聖典引用板に、復興Gさまが謹写して下さった『菩薩は何を為すべきか』を拝読しようとしたのですが、
復興Gさまが謹写して下さったのは、第1章 「菩薩の正しき生き方について――人類光明化運動指針の解義」の
第5条と第9条だけでしたので、なんとなくそこから読む気になれなくて、
手元に購入して未読だった『菩薩は何を為すべきか』があったので、それを、最初から読んでいるのです。

時間がなくて、なかなか進まないのですが、そこにわたしたち「生長の家人」の使命である、
人類光明化運動のことが、とても丁寧に書いてあるので驚いています。
もうすでに、どのページも、赤線、青線だらけです。

現在の、生長の家の信徒さんたちは、ここに書いてあることを、本当に実践されているのでしょうか?

わたしは、生長の家にはたくさんの著書があってどれもこれも素晴らしいので、
次から次へと買い集めて、手当たりしだい読んでいました。
ですが、この『菩薩は何を為すべきか』こそ、もっと最初に読んでおくべき本だったと今、感じています。

今、第4条を読み終えたところですので、これから、第5条に入ります。
全条読み終わりましたら、また金木犀さまの、>>326のコメントに、お返事させていただきます。

閲覧者のみなさまも、もしよろしかったら、
『菩薩は何を為すべきか』の第1章 「菩薩の正しき生き方について――人類光明化運動指針の解義」を
ご覧になってくださいね。

そこに、このweb誌友会で話しあってきたすべての答えが書かれているような気がします。


>>330如月さま

すばらしい文章を謹写してくださり、ありがとうございます。

本当に、そういうことなのだと思います!!!
(拍手)

332金木犀:2012/06/04(月) 16:42:38 ID:j28jHRaM
a hope様

a hope様の誠実で真っ直ぐな信仰の御姿勢には、いつも感嘆しておりますが、
最近はまた、いろんな人が謹写された聖典に、打てば響くように受け取られる
非常な素晴らしい感性に、驚きを感じています。
私の謹写いたしました神示にも、涙を流して感動されたとは、写経者冥利につきる
思いです。

『菩薩は何をなすべきか』は、さすがに復興G様は適切な聖典引用をなさるものだと
感心してしまいました。私もa hope様にならって、もう一度全部読みなおそうと思います。
まさにおっしゃる通り、誌友会のテーマの答えそのものですね。

333如月:2012/06/04(月) 18:06:49 ID:ki/haAjk
これだけでは、わかってもらえないかなと思っておりましたが
読んで感想まで書いていただいて大変嬉しく思っています。

これは先輩に頂いた神誌に載っていた文章なのですが、
その方は、それはそれは惜しそうに本を下さって私も気持ちに応えるべく
隅から隅まで目を通しています。

こんな事がありました。
誌友会のあと、役をされている方が別の方に呼び止められて
生長の家の仕事を、ちゃんとしていないと注意されていました。
その注意された方は後で「でも大丈夫、私は第一のことは第一にしているから」と
おっしゃっていました。

その方にとって第一のことは、現在パート勤めをされているお仕事の事だそうです。
私は、神様の事が第一じゃないのかと疑問を持ちましたが、正解は何なのでしょう?

憲法問題と愛国運動ですが
主権を天皇に戻せばいいくらいにしか捉えていなかった私は、金木犀さまの
お答えを読んで、自分の無知に赤面してしまいました。
お教え下さいまして、ありがとうございます。

案外、真理を理解したと勘違いされている人は多いのではないかと、そんな気がします。
ダニと和解した青年が、肺臓全部じゃなければ住んでいいよと結核菌と間違った和解をして
死んでしまわれた話をどこかで読みましたが、真理を正しく理解しないまま次の世代に
伝えていては、生長の家は続きません。
総裁のお姿は正しく真理を悟っていない私達と合わせ鏡なのかと思いました。

334復興G:2012/06/04(月) 20:12:52 ID:84pogn5s

皆様 合掌 ありがとうございます。

>>330 で 如月様が投稿してくださいました、第七回生長の家相愛会男子全国大会での谷口恵美子先生の御講話も、WEB誌友会のテーマ
『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』
のお答えのように、胸に響きます。恵美子先生がお話しくださっているように、「本当に、最高のもので教えを伝えなければ、生長の家は駄目になる。私達が精進努力して、本物をお伝えしなければならない。最高のものを最高に伝えるということ」であると思います。

これは、>>331以下を読まないで書いておりますが――

>>321 のa hope 様のご発言

>正直にいえば、もうわたしは疲れてしまいました。
「相手を変えようとしても相手は変わらない。」ということが、だんだんわかってきたからだと思います。
「相手を変えるには、自分が変わればいいのだ」ということが、10か月近くこの掲示板に書き込みを続けてきて実感としてわかってきたのです。<

私も、正直いって、生長の家教団の現状には心が痛み、疲れました。夜も、疲れているのに眠れなかったりします。でも――

>「相手を変えようとしたり、環境を改善しようとする前に自分自身が変わること。」これが、大切なのではないかと思いました。<

――そうですね。自分ですね。他を批判するのでなく、自分が「実相独在」を信じて、明るく愛行奉仕に徹しましょう、と思います。
 それから、a hope 様は

>どうしてもわたしには、生長の家の愛国運動というものが理解できないのです。<

――とおっしゃっていました。このお言葉、とても重く受け止めてました。
 それで、「生長の家の愛国運動」についてもう一度深く考え学びなおして行こうと、谷口雅春先生の『限りなく日本を愛す』を最初から拝読し直しています。この本は昭和28年、つまり日本がサンフランシスコ講和条約を結んで独立を回復した翌年に、初版が発行されました。その序文の一部を謹写させて頂きます。(その後昭和40年に「改定初版」が発行され、私は昭和55年発行の「改定23版」というのも持っています。今でも、どなたでも新しい版を買うことができます)

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 『限りなく日本を愛す』 谷口雅春著

   は し が き

 今、日本人の多くは「日本」の理想を失ひつつあるのである。否、既にそれを完全に失つてしまつた人もあるし、「日本」の理想を失ふことを「新しい」と感じ、名誉あることと感じ、進んでそれを失はんとしつつある学徒もあり、それを次代の国民から失はしめて、日本民族を歴史なき民族、精神的には国籍なき民族たらしめることが教育者の理想であると考へてゐるらしい大学教授たちも多いのである。これらの状態を或る人は日本は終戦後更に敗けつづけてゐると評したのであるが、戦争中は形の上で敗けてゐたが、終戦後は精神の上で敗けつづけてゐると云ふ意味であらう、その概ねは、外国民族の建てた理想への追随を無批判に受容れて、それが外来であるから、固有ではない、固有でないから新しい、新しいから価値があるとでも考へてゐるらしく見えるのである。しかし新しく遷(うつ)り変るものは真理ではないのである。真理は最も古くして最も新しきものでなければならないのである。私が本書に於いて日本の理念と、日本民族の歴史とを高く掲げ、その理想の象徴としての国家形態を、天皇制に見出し、日本民族の歴史を通して「久遠に流るる」一貫した日本民族の易ることなき理想と憧憬とが何処より来るかを究めんとする所以は、日本が「日本」なるものの理念及び理想を失ふことは、物質的国土の一部を失ふよりもなほ重大なる喪失であると感ずるからである。……

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<つづく>

335復興G:2012/06/04(月) 20:13:36 ID:84pogn5s

<つづき>
上記の中で、

>新しく遷(うつ)り変るものは真理ではないのである。真理は最も古くして最も新しきものでなければならないのである。<

というお言葉は、非常に重いものであると思います。
全てのもは、一つの中心生命から出たものであり、小は原子から大は太陽系まで、一つの中心をもっているのが、宇宙の根本構図である。それは最も古くして最も新しき真理である。その根本真理を、国の歴史の中で如実に体現してきたのが日本民族であり、谷口雅春先生は、その「日本なるもの」を限りなく愛し、「限りなき愛念を贈る」と書かれています。生長の家の「愛国運動」の原点はここにあると思います。

そして――前述『限りなく日本を愛す』の第1章「日本再建の道を拓くもの」には、次のように書かれています。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  第1章 日本再建の道を拓くもの

   過去を捨てる自由

 新しき日本が生れる。新しい人間が生れる。朝々が新生である。昨日見た夢がどんなに見苦しいものであつたにせよ。夜がそれを消してくれたのである。新しき日本が生れる。新しい人間が生れる。新しい人生が生れる。
 新しい人生をつくり出す基礎は、過去を捨てる諸君自身の能力にある。敗戦した日本などはないのである。日に日に新しき日本である。戦前よりも数等すぐれたる新しき日本である。しかも占領下に押しつけられたる民主主義の日本であつてはならない。すでにそれも過去である。過去はないのである。万物は常に新しく生れる。過去を把まなければ過去は消えるのである。押しつけられたる民主主義も結局過去のものである。それを捨てよ。捨てて新しきものを見出しそれに生きよ。(中略)

       ○

   礼拝合掌の精神を復興せよ

 似而非(えせ)民主主義の弊害のもう一つは、人間平等の思想が悪平等にまで発展して、尊ぶべきものを尊ばず、従つて自己をも尊ばず、すべての者を動物的肉体人間の一線に引卸(ひきおろ)したことである。人間の平等は、人類すべてが神性を内に宿すと云ふことであつて、先づ自己と相手を礼拝することから始まらなければならないのである。

 ……真の民主主義とは、「人間すべてを礼拝して行くのであり、秩序に従つて上が上であり、右が右であり、左が左であり、男が男であり、女が女であり、その位置に於ける差別をみとめながら、その本質なる神性を礼拝し尊敬して互に与へ、且つ奉仕し合つて行く」ところに真の民主主義があり、地上に天国浄土がうまれて来るのである。相手を礼拝せす、互ひに軽蔑し、心で、また言葉で罵り合ひ、自分の利益を暴力で、又は集団で威脅して戦ひとつて行くところには好戦主義の利己主義があるばかりである。……

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<つづく>

336復興G:2012/06/04(月) 20:14:27 ID:84pogn5s

<つづき>
 上記を読めば、生長の家で説く愛国心、谷口雅春先生が提唱されている愛国運動は、すべての人を「神の子」として礼拝し尊敬して、互いに与え、奉仕し合って、地上に天国浄土をもたらす――そういう日本精神を愛し、発揚させていこうという運動なのだ――ということがわかります。

 しかし、現実世界で愛国運動といえば、過度に日本の国益にこだわり周辺国と対立抗争を事としたり、「左翼と戦う」ような闘争的愛国運動というのもあるようですから、
a hope 様が
>どうしてもわたしには、生長の家の愛国運動というものが理解できないのです。<
 とおっしゃるのも、その辺のところに疑問がおありなのではないかと思われます。
 ちがうでしょうか?

 さて、私はこうして皆様とご一緒に勉強させていただいて、今回のweb誌友会のテーマ

『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』

 が、次第に明確化して来つつあります。

 まずは、
 「完全な信仰」をもつこと。すなわち「神」は完全であり、神がそのコトバにて創造り給うた完全な世界がすでにあることを信じ、感謝する神想観に徹すること。

 そして、すでに「神の恵みきたるとき、一切の争いは止み、すべての戦いは停止し、去にしときの敵と味方とは手を挙げて平和をほめたたう。」 という状態が実現していることを信じ描いて、明るく喜んで、精一杯の愛行奉仕をさせていただこうと、今決意しています。

 本当にありがとうございました。

 5月23日のWEB誌友会以来、もうすでに3週間になろうとしています。6日(水)の21時でちょうど3週間になりますので、その時刻で今回の誌友会の 「 後 夜 祭 」 を締めにさせて頂こうと思いますが、よろしいでしょうか。
 まだ言い残したことがあると思われる方は、なるべくそれまでにどうぞ、ご発言をお願いしたいと思います。
 ありがとうございます。

339うのはな:2012/06/05(火) 17:51:31 ID:???
トキ管理人様

 以前に、誌友会開催時には、うのはなはアク禁にするように申し出しましたが、
再度御検討のほど、おねがいします。

 謹慎中でも人の文の添削をしたり、誌友会後も他の人にガーガーと突っかかり、
誌友会ひとつするのにも、これだけ疲労しないといけないのかと思う訊け管理人さんが
以下のようなことを言っているためです。

 わたしが参加しないと何回も言ってそのとおり実行したあとにでも、まだこんなことを
いわれています。文句をいっても「不参加者からクレームが来たけどどうしたらいいでしょうか」なんて
頼りない話を聞くのもこりごりです。誌友会ひとつするだけで。

  ・・・あんなのは、スルーすることです。(笑)貴女の心の方が今、大切です。ですんで誌友会に参加したいならばここで、やりましょうかね。藤原先生の本、これで誌友会をやるのです。貴女は好きでしたよね?藤原先生の本・・・・私が司会をやれば珍入、これは断固許しませんから。藤原先生風で行きます。もう、「帰れ!!!」てなもん(笑)ですんで、ご安心を(笑)

340トキ:2012/06/05(火) 19:38:41 ID:wMN6QtyI
>>339

うのはな様のご意見は正直、よくわかりません。
わざわざアクセス禁止にしなくても、見なければ良いと思うのですが。
(ごめんなさい)

他の方で、ご意見がありましたら、お願いします。

合掌 ありがとうございます

341うのはな:2012/06/05(火) 20:39:18 ID:???
だから、前もって何回か誌友会には参加しない、妨害しない意味のことを
事前にここで表明し、仕事中だからパソコンはやらない、みないといったことまで
説明して、そのとおり実行したというのに、訊け氏からその後も何回も
誌友会のことでなんだかんだといわれたんです。

それで、このあいだ、こっちが見ない参加しないを有言実行しても、こんなふうに
訊け氏から書かれるから、訊け氏を安心させる、黙らせるためにも、ここで管理人のほうから
当日はアク禁にすると明記してほしいと要望したんです。

そのときとおなじように今度は別のブログで書いたりしているから、
参加予定者や今後のためにも、私自身や訊け氏のために、
「当日アク禁にします。」と明記してくださいと再度お願いしているんですけど。
簡単な理屈だと思いますが、どうしてわからないのでしょうか。

342うのはな:2012/06/05(火) 20:45:36 ID:???

それにトキさんは前回から訊け氏が司会をしてその前夜祭や後夜祭だと
ここの版がゴタゴタしたことをどうおもっているのでしょうか。

 ぼくの管理が行き届かなくてすみません、とか最後にそんなセリフだけで終るのなら
訊け氏を中心とした誌友会は中止してもらいたいと思います。

343a hope:2012/06/05(火) 21:07:41 ID:kcv2QXTk

復興Gさま

>>336
>> 上記を読めば、生長の家で説く愛国心、谷口雅春先生が提唱されている愛国運動は、すべての人を「神の子」として礼拝し尊敬して、互いに与え、奉仕し合って、地上に天国浄土をもたらす――そういう日本精神を愛し、発揚させていこうという運動なのだ――ということがわかります。

 しかし、現実世界で愛国運動といえば、過度に日本の国益にこだわり周辺国と対立抗争を事としたり、「左翼と戦う」ような闘争的愛国運動というのもあるようですから、
a hope 様が
>どうしてもわたしには、生長の家の愛国運動というものが理解できないのです。<
 とおっしゃるのも、その辺のところに疑問がおありなのではないかと思われます。
 ちがうでしょうか?<<


まさしく、復興Gさまのおっしゃる、そこのところにわたしは疑問を感じていました。
生長の家の教えは、「悪なし」「罪なし」「現象なし」の光明一元、実相独在のはずなのに、
どうして、わたしたち「生長の家人」が、そのような「現象の問題」に取り組む運動をしなければいけないのか...?
そのことを、以前から大変、疑問に感じていました。

これは、「愛国運動」や「政治運動」だけのことではなく、今の教えと言われている、「環境問題」や「原発問題」にも同じことが言えます。
わたしたち「生長の家人」がすべき人類光明化運動は、そんなことではないような気がしてならないのです。

そして、その「真の人類光明化運動」をすることこそ、今回のweb誌友会のテーマ、

『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』

になるのだと感じています。

>>5月23日のWEB誌友会以来、もうすでに3週間になろうとしています。6日(水)の21時でちょうど3週間になりますので、その時刻で今回の誌友会の 「 後 夜 祭 」 を締めにさせて頂こうと思いますが、よろしいでしょうか。

復興Gさま、了解しました。
わたしの中でも、今回のテーマの答えがだんだんまとまりつつあります。

明日は仕事がお休みなので、落ち着いてお勉強できるのでありがたいです。
もう一度、今までの流れを見直して、ゆっくり考えてみます。

みなさまも、どうぞ、
>>330の如月さまの謹写してくださった、

第七回生長の家相愛会男子全国大会講話 谷口恵美子先生 より一部抜粋
    最高の教えを、正しく沢山の人々

なども、参考にされて、どうぞご自分のこととしてこのテーマを考えてくださったらとても嬉しいです。

344うのはな:2012/06/05(火) 21:10:10 ID:???

トキさんが他の方の意見もお願いします、と優柔不断なようなので、
初回から熱心に参加されていた方々、また前回参加していたのにもかかわらず
女子大生さわぎに巻き込まれ、不参加表明された方、初回から訊け管理人さんの
司会を推薦されていたa hope さまの意見、および、誌友会終了後は家族に迷惑がかかった
とかいって、最近は姿が見られないユタカさまなどの意見をお持ちしています。

345a hope:2012/06/05(火) 21:37:33 ID:kcv2QXTk

うのはなさま

うのはなさまから、わたしにお声掛けがあって、とてもうれしいのですが、
申し訳ないのですが、わたしもトキさま同様、うのはなさまの「訊け」管理人さまに対する
ご意見は、理解しがたいです。

わたしはうのはなさまのことを、とてもチャーミングでかわいらしい魅力にあふれた方であると感じていますし、
「訊け」管理人さまのことは、前途有望な素晴らしい才能をお持ちの方だと感じています。

お二人のことは、初めから大好きでしたし、尊敬していますし、大切な仲間だと思わせていただいています。
そして、アホのa hopeは、お二人の「大調和」が先か、生長の家の「大調和」が先かひそかに楽しみにしているのですよ(笑)

346如月:2012/06/05(火) 21:51:00 ID:ki/haAjk
うのはなさんは、訊けさんに
「うのはなさんが誌友会の邪魔しにくる」発言をされるのがイヤなんですね。

うのはなさんがいくら「邪魔しない」と言っても証明するものが無いから
アク禁にしてもらえば、それが物理的に証明されるということですね。

私がうのはなさんの立場だったら、トキ管理人さまから[アク禁宣言]をしてもらえば
自分の噂をされる心配が無くなるから、その分、心穏やかに過ごせるかなと思います。

私の考え方が間違っていたら、ごめんなさい。

347如月:2012/06/05(火) 21:54:06 ID:ki/haAjk
>>345
a hopeさまは前回、うのはなさまに素晴らしい提案をされました。
あれは、すごい名案だったと思います。

348如月:2012/06/05(火) 21:59:40 ID:ki/haAjk

>>336 復興Gさま

順番が逆になりまして、申し訳ございません。
もう一度、見直して、自分の意見のトンチンカンな部分を
リミットまでに修正できれば、投稿させていただきます。

349うのはな:2012/06/05(火) 22:02:05 ID:???
>>345
訊け管理人さんから、わたしに対して警告や、わたしからしたら嫌がらせのような
文章、他の人と普通に話しているときにでも、横からやいやいいってくる、そんな妨害されているような
気分が、誌友会前後にずっとあって、訊け氏から妨害はすでにはじまっています、と
そんな実況中継されるような文までここに掲載されていました。
それで、わたしは何回もここで誌友会には参加しない旨を書いていたんです。
それがわたしが女子大生のことや訊け氏のことに関して何かかけば、リサさんは結局参加しなかった
それはわたしのせいかのように書かれ、他の方からも訊け氏にそんなことはないと思うとか心配させたんです。

それで、ゴタゴタが終ったと思っていたら、またなんだかんだといってくるから、
そんな騒ぎをおこさないために、訊け氏を静かにさせるためにも、皆に安心してもらうためにも、
「うのはなさんは当日アク禁にしますから、訊けさんもそれ以外の方も安心してご参加ください」
というためにも、トキさんに明記してくれないかと頼んでみたんです。
読まなかったらいいといっても、実際ここで訊け氏はいろいろいってきたじゃないですか。
それで他の人が訊け氏のブログに誘導されたりして、その後参加をやめられたんですよ。

トキさんがそれを明記できないなら、訊け氏に注意してもらえないかといっても
それもやらないみたいです。

 訊け氏からは、わたしをアク禁にしてといったら許されると思っているなど
挑発的な文を書かれたりしています。
 ふたりの大調和って、あなたはなにをあほなことをいってるんですか?

 誌友会に伴うゴタゴタをおさめるために、ふたりが口論にならないためにも、
わたしを当日アク禁にするといえば、彼も彼が心配している女子大生とやらでも
安心するのではないですか?そしたらわたしも他の人も訊け氏の乱射投稿や腹が立つ警告文など
見なくてすむし、ある意味調和のために「わたしを当日アク禁にしたら」と
いってるんですよ。

あなたはよくわたしのことを好きだとかどうだとかいってくれてるようですが、
わたしはあなたのように訊け管理人の肩を持って、私を責めてくるような人は
大嫌いです。

350a hope:2012/06/05(火) 22:08:54 ID:kcv2QXTk
訂正

>>343 上から20行目

今の教えと言われている、「環境問題」や「原発問題」にも同じことが言えます。
          ↓
今の教えと言われている、「自然環境保護運動」や「原発反対運動」にも同じことが言えます。

351a hope:2012/06/05(火) 22:23:42 ID:kcv2QXTk

うのはなさま

わたしは、うのはなさまに嫌われてるのは知っています。
でも、どうしてもうのはなさまが好きなのですよ。

それに、わたしは、うのはなさまをアク禁にするのは反対です。
だって、もしトキさまが、うのはなさまをたとえ一日であってもアク禁にしたら、
トキさまが、うのはなさまをこの掲示板から排除したということになりますからね。
そんなこと、トキさまにしていただきたくありませんから...

何と言われても、うのはなさまが大好きな、アホのa hope でございます。

352うのはな:2012/06/05(火) 22:26:58 ID:???
それと、今後このての話題は誌友会版には書かないことにしたいと思いつつ、
a hope さんに言っときたいのですが、あなたは悪意がないのはわかっていますが、
本流やここで真の生長の家のおしえとは何ですか?だとか、なんだかんだと信徒や組織会員に
質問するだけのことはした挙句に、私は伝道したいとは思わない。だって雅春先生のおしえを伝える
人たちが人の批判をしているんですもの、なんて、雅春先生が人を批判するのを許すのか、という
訊け管理人と似たようなことを書かれていましたが、そういう意味でも、あなたのような人は迷惑です。

 女子会版でも、わたしが漫才だとか仕掛けたわけでもないのに、ももんがさんとの話しも他でやってくれだとか、
大変不条理に思っています。

 今後うのはなさんが好きでどうでとかいわれるのは、できたらやめてください。

353復興G:2012/06/06(水) 09:24:16 ID:84pogn5s

>>343 :a hope様。
>>……生長の家の教えは、「悪なし」「罪なし」「現象なし」の光明一元、実相独在のはずなのに、どうして、わたしたち「生長の家人」が、そのような「現象の問題」に取り組む運動をしなければいけないのか...?
そのことを、以前から大変、疑問に感じていました。
これは、「愛国運動」や「政治運動」だけのことではなく、今の教えと言われている、「自然環境保護運動」や「原発反対運動」にも同じことが言えます。
わたしたち「生長の家人」がすべき人類光明化運動は、そんなことではないような気がしてならないのです。<<

――とても重要なご発言だと思います。
それは、
「中心をつかまずに円周の周辺部分のことばかりを重要視して運動しているのはおかしい」
ということであろうと思います。
「人間は神の子」という中心自覚をおろそかにしたまま、「現象あり」と認めて病気治しのようなことばかりやっていては、本末顛倒である。「現象あり」の自覚のままでは、たとえ病気が治っても、やがて肉体は死ぬのである。本当の幸福は、死なないいのち、永遠生命の自覚を持つこと、環境は心の影に過ぎないことを知ることにある。それを伝えることが、根本真理の伝道である。それを大切にしなければならない、ということであろうと思われます。

とても大切な着眼点ですね。
ありがとうございます。合掌 拝

354復興G:2012/06/06(水) 10:15:19 ID:84pogn5s

>>348 :如月様。
皆々様。

合掌 ありがとうございます。

私は>>5月23日のWEB誌友会以来、もうすでに3週間になろうとしています。6日(水)の21時でちょうど3週間になりますので、その時刻で今回の誌友会の 「 後 夜 祭 」 を締めにさせて頂こうと思いますが、よろしいでしょうか。<<

と書いておりました。それが今夜のことになりましたが、<21時>というのは、その時刻で締めきらなければならない理由があるわけではないので、お仕事(家事を含む)をお持ちの方は21時ではきびしいという方もいらっしゃるでしょうから、今夜いっぱい、24時あるいはそれを少々過ぎても、終電の時間くらいまででかまわないと思います。あまり時間を気にせずに――
でも、一応今夜いっぱい、ということでお願いしたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。
合掌 拝

355ルンルン:2012/06/06(水) 13:46:02 ID:NS71OwS.
復興G様

初めまして、ルンルンと申します。

>>319の文に引き続き

<<「完全な信仰」をもつこと。すなわち「神」は完全であり、神がそのコトバにて創造り給うた完全な世界がすでにあることを信じ、感謝する神想観に徹すること。

 そして、すでに「神の恵みきたるとき、一切の争いは止み、すべての戦いは停止し、去にしときの敵と味方とは手を挙げて平和をほめたたう。」 という状態が実現していることを信じ描いて、明るく喜んで、精一杯の愛行奉仕をさせていただこうと、今決意しています>>

上記文も、読んでいて ホワーッと鳥肌が立ちました。

トーキングスティックボードの時から、ずっと読ませて頂いてます。

有難うございます。

合掌 拝

356a hope:2012/06/06(水) 20:38:57 ID:kcv2QXTk

みなさま こんばんは

第3回web誌友会「後夜祭」は、今夜一杯でおしまいになります。
大先輩である復興Gさまの司会補佐としてのお役をいただいた a hope ですが、
そのお役を受ける時に、『本来はたくさんの人々の魂を救えるはずの「生長の家」がこのような事態になってしまっているのが残念でならず、
自分のようなものでもできる事は何でもできることはさせていただこう。』という気持ちで受けさせていただきました。
しかし、前夜祭から始まり、当日の誌友会、そして後夜祭、とずっと参加しているうちに、
自分自身の内面がどんどん生長していっていることに気づきました。

そして、司会者の復興Gさまおよび、参加してくださったみなさまのおかげて、今回のテーマ

『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』

についての、自分なりの答えを見つけることができました。


>>343でも発言しましたが、簡単に言ってしまえば、それは『真の人類光明化運動をすること』であると感じています。

そして、具体的な内容は、すべて「菩薩は何を為すべきか」に詳しく述べられていました。
先ほど、第1章 「菩薩の正しき生き方について――人類光明化運動指針の解義」をすべて読み終わりました。


これは、復興Gさまからも助言いただきましたが、第2条の解説のところに、
わたしの疑問点であった、「愛国運動」についてのわたしが心から納得できる回答がありました。

以下、新版P14〜15より抜粋
>>「愛国運動」というと国だけを愛すると云う意味にもとれますし、しかも「愛国」と云う文字は、日本国民が「愛国」という場合には、一種の国粋主義として日本の国だけを愛するという意味になって、世界の人類を愛すると云うところまで広くその光明化の意味が徹底しないということになるのでありますから、直ちに唯物論者や左翼思想の人などはついて来ると云うことにならないという欠点があえます。ところが人類を救うと云うことになれば、唯物論の人でも左翼の人でも、いやしくも人類を愛する人ならば、どんな人でも皆ついて来られるのでありますから、やはり吾々の運動は人類光明化運動でなければならないのであります。
その立教の使命である人類光明化運動とは第一に何を為さんかとする運動であるかといいますと「それは神の子としての人間なるものの本当の相(すがた)をすべての人々のうちに開顕(かいけん)し」と書かれているのであります。ここにもこの光明化運動が決して日本人だけを対象とするものではないことが、明記されているのであります。この運動は、すべての人々の中にですね、その実相が神の子であると云うことを開顕(かいけん)するところの運動であり、それを確立するところの運動であるわけであります。・・・(中略)
この全ての人間の実相を神であるとして拝むことによって、その実相の完全さを顕し、その完全さを確立する運動が、生長の家の人類光明化運動で、その実践が聖使命菩薩であります・・・<<

これを、読んでわたしは胸のつかえがとれたようにすっきりしました。

しかし、その後の第5条には、金木犀さまが教えてくださった「真の愛国心」につながる日本国家形成の理念が
古事記などのお話などから詳しく書かれていて、その内容の深さに唸ってしまいました。

そして、わたしは復興Gさまが>>343でお答えくださったコメント

>> 生長の家で説く愛国心、谷口雅春先生が提唱されている愛国運動は、すべての人を「神の子」として礼拝し尊敬して、互いに与え、奉仕し合って、地上に天国浄土をもたらす――そういう日本精神を愛し、発揚させていこうという運動なのだ――ということがわかります。<<

の意味をよく理解することができました。

(つづく)

357a hope:2012/06/06(水) 20:48:40 ID:kcv2QXTk
>>356(つづき)

第9条には、人類光明化運動の中心が、人ではなく「神意」であることがはっきり書かれています。
これは、復興Gさまが、>>311のKジロウさまへのコメントで、

>>光明化運動の不動の中心は 「 神 意 」 であるわけで、谷口雅宣総裁が、生長の家大神の御教えが流れ出る其のパイプ的役割となって神意を聴いて書かれたのでなければ(人間知で書かれたとすれば)、それが教えの中心になるような「聖経」としてはならない、ということになるでしょう。その意味で、「『真理』とは言えなくなります!」 は、その通りであると思います。<<

とお答えして下さっていますが、
雅宣先生ご自身が「大自然讃歌」「観世音菩薩讃歌」も、
ご自分で書かれた長編詩だと、公言されているのですから、
わたしも、それらの長編詩は「真理」とは決して言えないものであると感じています。

本当に、感じたこと、思ったことがたくさんありすぎて書ききれません。


最後に、わたしが今回のテーマ

『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』

の答えとして、今の「生長の家」のこの事態の中で、わたしたちにとって、なによりも大切だと感じたのは、

「わたしたち一人ひとりが、「真の生長の家の教え」を正しく理解すること」だと思いました。

それには、「生命の實相」はどうしても欠かせない、大切な、大切な聖典だと強く思います。

その、聖典をないがしろにする現教団は、もはや「生長の家」という名前を名乗るのには、
ふさわしくない団体なのではないかと感じています。

私自身はこれからも、ひとりで「真の生長の家の教え」を学び続けたいと思っています。

みなさま、長々と書いてしまいすみませんでした。
でも、これでも、a hopeは言いたいことの半分も言ってないのですよ(笑)

実は、仕事が忙しくなってきています。
これから、しばらく書き込みをお休みさせていただきます。

ですが、また、余裕ができましたら、必ず戻ってきますし、
皆さんの書き込みの閲覧はできるだけさせていただきますので、
これからもよろしくお願いいたしますね。

それでは、復興Gさま、みなさま、本当にありがとうございました。
そして、おつかれさまでした。

358トキ:2012/06/06(水) 20:49:43 ID:5NKHoWS6
 復興G様のご指摘は重要だと思いました。

 生長の家政治連合の活動中止以来、谷口清超先生はもっぱら信仰活動をメインに組織指導を展開されました。
谷口雅宣先生も、政治活動からの決別を宣言されましたが、その代わりに環境問題へと関心を持たれました。
 ただ、考えたら、確かに、政治活動は良くて環境活動は悪いとか、逆に環境問題は大事だが、政治問題から
は距離をおく、というのも変です。

 本来なら、ここで、広く議論をし、信徒が納得のいく組織運動のあり方をすべきだったのかもしれません。
谷口雅宣先生の資質から言えば、議論を活発にし、その上で信徒が納得の行く結論を導くのが良かったとは
思います。

 私個人は、生長の家は、本業である信仰に力を入れ、政治や宗教は、本体とは切り離しての形で運動を展開
すべきかとは思いますが、正しいか、どうかは思案中です。

 ただ、復興G様やのご発言はとても適格な内容だと賛嘆する次第です。

合掌 ありがとうございます

359復興G:2012/06/06(水) 22:00:54 ID:84pogn5s

合掌 ありがとうございます。

トキ様、a hope様、金木犀様、如月様、さくら様、SAKURA様、ハマナス様、あさひ様、役行者様、Kジロウ様、今の住人様、ルンルン様、志恩様、「訊け」管理人様、うのはな様……(順不同です)
まだ洩れている方もあるでしょうが、この第3回WEB誌友会 前夜祭から誌友会開催中および後夜祭までの間に、積極的なご発言やご協力をくださいました方々、またご発言等はなかったにしてもお見守りくださっていましたすべての方々に、心より感謝申し上げます。

たいへん勉強させて頂きました。至らない司会でしたが、管理人トキ様、司会補佐をつとめてくださいましたa hope様には、特に篤く感謝申し上げます。

「 後 夜 祭 」 も3週間に及びましたので、このあたりでだいたい締めにさせていただきたいと思います。今夜いっぱいと申し上げましたので、まだ時間はございますが、いちおう締めのご挨拶を申し上げます。
ありがとうございました。

愛する生長の家皆々様の上に、これからも、神様の大いなる祝福とお導きがありますように。

感謝 合掌 拝

360さくら:2012/06/06(水) 23:28:07 ID:uSGRBL7.
復興G様

ここに書くことはもういたしませんが、この度の誌友会の前夜祭でのお礼だけは、復興Gさまに申したく、書き込みお許し下さい。
前夜祭での復興Gさまが答えてくださったことですが、実は、その後、わたしはずっと思考し続けました。
しかし、その御蔭様で、自分の実感として気づきがあったことを、感謝申し上げます。
わたしは、言葉を知らなくて、理屈みたいに聞こえるかも知れませんが・・「本分を尽くす」、
と言った意味を、復興Gさまが、内証のさとりや内的体験のことにつなげて答えてくださいました。
それは、自分の心にひっかかりがあった課題を、実感につなげてくれるような、とても的確なヒントであったと、感謝しているのです。
わたしは、・・おそらく今までどのようなことに関しましても、「表面的なもの」、を問題にしていたと思い知りました。
それは、末端のことだと、改めて分かったという気がしました。
本当の「実現力」というのは、まさに「自覚」のことだ、ということや、吉本隆明がいっていた沈黙の力のことや、身体性
がなぜ重要か(それは、人が人を理解することの本質とか、
禅の悟りはなぜ「言葉」ではなく、身体性に密に関わるのかといったことなど)なども
考えが繋がる機会を与えていただきました。
そして、なにか、こう・・もうひとつの世界が開けたような、すがすがしい気持ちになりました。
・・ここには、書ききれませんが、あの時、復興G様が、
わたしの言葉にもあきれず、ご自分の実感からの言葉で、親身に答えてくださった御蔭だと思っております。
「本分を尽くす」ということは、変わっていないです。
しかし、今までとはちがった気持ちでこのことをこれからも、考えていきます。

相変わらず、言葉足らずで、すみません、。

ありがとう御座いました。

感謝拝。

361如月:2012/06/07(木) 02:21:02 ID:ki/haAjk
先日、NHKでオウム真理教のドラマが放映されましたが、家族全員が
途中で気持ちが悪くなったのでテレビを消しました。

それと同時に、新興宗教はやめてくれ頼むと家族に言われ
どうすれば、生長の家の教えがまともで、且つ最高の真理であるという事を
理解してもらえるだろうと悩みました。

それが、今回のテーマに繋がると思うので書かせていただきます。

最高の真理に触れている雰囲気は、傍にもわかるようでなければなりません。
復興Gさまは、誌友会の前にヒゲを剃って臨んで下さいました。
今まで私は、宗教に理解の無い家族を、やりにくい家族としか見ていなくて
どうやって、彼等を変えようかとばかり考えていましたが
変わらなければいけないのは私でした。
復興Gさまのように、人=神の子に対して拝む事を続けて行けば
いつか、まわりから理解されると希望を持ちました。

また日本は個人主義の国ではなく、世界を一つにする使命があることを
自覚し、真理国家たる日本国の中心核体として天皇に
お座りいただけるように、強く憲法改正を願わなくてはと思いました。

真理は谷口雅春先生が、我々に預けて下さった大切な種です。
正しい知識を持って、立派に開花させるように、勉強も続けます。

そして、このような使命ある国に生まれた事、真理に触れられた事を
喜び、明るく朗らかに生活しようと改めて思いました。

まとめると、明るく朗らかに、勉強を続け、正しい知識を得て
まわりを拝み、憲法改正を願うということになりました。

小学生の作文のようなまとめになってしまいましたが、、、
ギリギリ今夜ということで、ご勘弁下さいませ。

復興Gさま、a hopeさまはじめ、お世話、ご尽力下さいました皆様に
改めて御礼を申し上げます。

                     感謝 合掌 拝

362復興G:2012/06/07(木) 04:57:56 ID:84pogn5s

a hope 様
ルンルン様
トキ様
さくら様
如月様

合掌 ありがとうございます。
私の発言を、とても深く受け止めてくださっていますことを感じ、感動しております。
私も、具体的実践となると、まだまだこれからです。
皆様に負けないよう、明るく、よろこんで実践して行かなくちゃ、と思います。
これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

バンザイ!

363復興G:2012/06/07(木) 09:54:32 ID:84pogn5s

トキ様

合掌 ありがとうございます。
第3回WEB誌友会の司会をさせていただき、3週間という少し長い後夜祭も一応締めとさせていただきました。
ありがとうございました。

さて、これからまたWEB誌友会を続けるかどうか、続けるなら司会は交替制でということになってますので、どなたにしていただくか、などの話し合いが必要と思われますが、その議長、主導権をトキ様にお返ししてよろしいでしょうか? よろしくお願い申し上げます。

364トキ:2012/06/07(木) 13:54:23 ID:jLn8IC0U
 復興G様、司会を勤めて下さりありがとうございました。

 あの点の辛い山ちゃん1952様も ご自身のブログで、web誌友会には好意的でしたので、これも復興G様の徳のおかげだと
思います。次回の開催につき、皆様のご意見をお願いします。

合掌 ありがとうございます

365トキ:2012/06/08(金) 17:40:46 ID:hVPz/ILo
 WEB誌友会について、山ちゃん1952様より、ご自身のブログでなご意見を頂戴しました。

 特に、文字という特性上、パソコンのキーボードを打つ必要がありますが、その早さに差がある、という点は
確かに考えないといけない点です。すると、開催の期間を数日に設定してもよいのかもしれません。司会は
大先達の復興G様がされたので、問題はなかったと思っています。ただ、時間がないので、どうしてもうまく
発言ができなかった人はおられたかもしれません。その点は、管理人である私の責任だと思います。

 あと、新しい「聖経」や現体制についてのご発言については、少し思案をしてから、申し上げます。

貴重なご意見を頂戴した山ちゃん1952様に感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

366うのはな:2012/06/08(金) 17:51:29 ID:gTn97m6I
トキ様。復興G様。ユタカ様。その他関係者皆様。意義のある誌友会を
運営してくださってありがとうございました。
 
 それで次回から、前夜祭だなんだかんだで皆様に御迷惑をおかけしたくありませんし、
余計な争いをおこさないためにも、参加・不参加に関係なく相手に警告文など出したり、
あるいは、万が一アク禁にするなど、そういった処置は、トキさまだとか、組織経験のある方
の権限で行なうようにしてもらえないでしょうか。
 私は、とりあえず、以前から誌友会は終了後にゆっくり読ませてもらって、というかんじの
傍観者ですが、今度警告やなんだかんだの注意は実績のある方にやってもらいたいと希望します。

367復興G:2012/06/10(日) 19:31:46 ID:84pogn5s


トキ様、うのはな様、皆様

あまり書き込みがないようですので、WEB誌友会について、私の希望を書かせて頂きます。

1. この掲示板上で『生命の實相』をテキストにして真理を学び研鑽し合うWEB誌友会は、始まってからまだ3回目が終わったばかりです。いよいよこれから本格的に、実りあるものに育てて頂きたいと希望いたします。私もできるかぎり協力させていただきたいと思います。

2. 内容は、『生命の實相』第1巻の「總説篇」(「七つの光明宣言」とそのご解説)については3回にわたって勉強させて頂きましたので、次に進み、「實相篇」(光明の真理)をテキストとし、「物質無」の真理、メタフィジカル・ヒーリング(生長の家の健康学)を学んで身につけて行きたいと思います。

3. トキ様がおっしゃるように、
>>文字という特性上、パソコンのキーボードを打つ必要がありますが、その早さに差がある、という点は確かに考えないといけない点です。すると、開催の期間を数日に設定してもよいのかもしれません。<<
に同感します。2時間とかに限定されていると、やりとりにタイムラグが出て交錯し、問答の形になりにくく、コミュニケーションが難しくなります。また、その時間都合が悪い方は参加できません。「開催の期間を数日に」というのがよろしいのではないでしょうか。2〜3日程度が適当ではないかと思われます。

4. うのはな様のご希望――<余計な争いをおこさないためにも、参加・不参加に関係なく相手に警告文など出したり、あるいは、万が一アク禁にするなど、そういった処置を……>というのは、管理人トキ様は、この掲示板では原則として「アク禁」はしないという方針ということですから、迷惑をかけると思う方は、自主的に謹慎していただく(書き込みを遠慮して頂く)よう、お願いするしかないと思われます。

5. 司会者は交替制で、ということですから、次はたとえば金木犀様など、いかがでしょうか。お願いできたら、ありがたいと思います。

以上、私の希望を書かせて頂きました。

皆様、いかがでしょうか。

368うのはな:2012/06/10(日) 20:01:46 ID:gTn97m6I

復興G さま、ありがとうございます。

>4 の御意見などにおおまかに合意していますが、アク禁はともかく、
   警告文などを司会者や、司会者以外の人が出した場合の最終責任は
   ここの掲示板の管理人であられる「トキ」さんに請け負っていただきたい
   と思います。

  私は現在雅春先生の講義テープなどを拝聴することのほうに興味がありますし、
  以前からそうしているように、迷惑回避のため、次回の誌友会も不参加することにします。
  いつも復興G様など参加する人たちから教わるばかり、貰ってばかりの閲覧者ですが、
  今後の誌友会の御盛会をお祈りします。

                                       拝

369トキ:2012/06/10(日) 21:33:43 ID:Sup3o8Sw
復興G様

 お返事が遅れて申し訳ありませんでした。教団の行事に参加しており、今帰ったばかりです。
しかし、教区では、箝口令がひかれていて、公然の場では、うかつな事は話せない状態です。が、
裏に回ると、谷口雅春先生の教えを真剣に学ぼう、という声が増えているのを痛感します。


 ご丁寧なご教示、ありがとうございました。的確なご指摘で、その通りだと思いました。
日程を数日にしたら、どなたでも参加できるし、書き込みの遅い人でも大丈夫だと思います。

 次回はそれで行きたいと思います。金木犀様は確かに司会に最適かと思います。(勝手な事を
言って、申し訳ありません)

 では、皆様、他にもご意見をお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

370 志恩:2012/06/10(日) 22:45:18 ID:.QY5jUA6
復興G様、トキ様

次回の司会は、金木犀様に 私も大賛成です。金木犀様のご都合のいい日に、合わせます。
金木犀様、お受け下さいますでしょうか?

私は、打つのが、すごくのろいので、今後の司会については、遠慮したいので、その件は、どうか
ご了承くださいませ。

371金木犀:2012/06/10(日) 23:13:37 ID:j28jHRaM
復興G様
トキ様
志恩様

せっかくご指名頂きましたが、私の場合、夜はどうも時間が取りにくく、
少し無理だと思います。うちは食事がわりと遅いし、その後も色々やることがあるので、
家族をほったらかして、自分がパソコンの前に座りにくいのです。
だから、いつも遅れて参加しているのですが、
家族は生長の家の信徒ではありませんから、なんかやりにくいです。

次回からは、出来れば参加者でなく、後日に経過を見させていただく方に
回らせて頂きたいと思っているくらいなのです。

372復興G:2012/06/11(月) 08:51:17 ID:84pogn5s

トキ様
金木犀様
志恩様
他 皆々様

合掌 ありがとうございます。

WEB誌友会の開催時間は、今までの「2時間」から「数日」に変えますと、少しゆっくりできて、打つのが遅い方でもできるという利点があると思います。半面、司会者にとっては、長時間拘束されるような感じがあって、負担を感じられるかも知れません。

そこで、考えたのですが、
1. 数名の「司会団」をつくる。
2. 「司会団」のメンバーの中から、毎回交替制でメインの司会者を出す。司会団のメンバーは、メインの司会者にならないときも、「副司会(司会補佐)」として、司会者が都合の悪い時間帯には司会代行をするなどの協力をする。
(なお、司会団メンバーには、教団擁護派〈に近い方〉から反教団派〈に近い方〉まで、偏りなく入って頂く。)

というのは、どうでしょうか。

その数名の司会団の一員には、私も加わらせて頂いても結構です。金木犀様も、志恩様も、加わってくださいませ。あと、a hope 様、如月様、さくら様、SAKURA様、ハマナス様……など、いかがでしょうか。トキ様は、掲示板の管理人、責任者として、全体的に見守り統括して頂くので、別格です。

――ということで、私も協力させていただきますから、次回メインの司会者は、できれば金木犀様で、いかがでしょうか。

誌友会の開催時間帯は、21時ぐらいから翌日あるいは翌々日の23時ぐらいまで、というのでもよろしいかと思いますが……。

373復興G:2012/06/11(月) 08:58:13 ID:84pogn5s

追伸です。

「訊け」管理人様には、もうしばらく自主謹慎をお願いしたいと思います。
合掌 拝

374「訊け」管理人:2012/06/11(月) 09:19:51 ID:???

>復興Gさま

 了解致しました。申し訳ございませんでした。





375 志恩:2012/06/11(月) 11:20:08 ID:.QY5jUA6
復興G様

いつもみ教えの神随をご教示下さいます事、心から有り難く存じております。
この大転換期の最重要時期に、復興G様の様な 見識ある大先輩のお方が、このトキ様掲示板に、在籍しておられることは、
吾々にとりまして、どんなに心強いことでしょう。

WEB誌友会は、ユタカ様がご発案くださって、第1回目は、ユタカ様が進行役で、訊け様が司会をされましたが、
この誌友会は、復興G様のようなお方が、精神的支柱として、羅針盤として、はじめから ご指導くださったので、方向を誤る事無く

成り立って来たのではないでしょうか。
トキ様も、指導者として適格なお方ですが、いそがしいので、いつ仕事が入るか、分らないということで、司会は辞退されてます。

金木犀様は、ご家族がまだ生長の家でないので、ずっとパソコンの前に座っての司会は、困難だといわれます。
では、ハマナス様は、というと、最近、はたっと、姿を消されて、いらしていません。

役行者さまは、どうされたのでしょう。司会のできそうな、さくらさまもいらしてないし、では、SAKURAさまならとか、
つぎつぎ思い浮かべても、
肝腎のユタカ様が、行方不明で、ahope様も仕事を持たれましたし、只今バラバラ中で、まとまりが、付かないように私は、思うのですが。

私は、私の考えを僭越ながら申し上げれば、当分はWEB誌友会は、お休みにして、
いつも通り、
復興G様が、これは、と心に浮かばれたことを、いつものように、この掲示板に書き込まれていろいろと教えて下さる方が、
どなたの心の負担にもならず、ご自分の書き込める時間帯に、自由に書き込んで行く気楽さがありますので、しばらく
落ちつく迄、
WEB誌友会は、お休みにした方が、いいのではないかしらと、思っているところです。

皆様、別のご意見がございましたら、なんでもおっしゃってくださいませ。

376如月:2012/06/11(月) 13:33:32 ID:ki/haAjk
復興Gさま
志恩さま
皆々さま

なかなか、条件が揃わなくて難しいところです。
質問なのですが、誌友会と座談会では形式が違いますか?

聖典板に復興Gさまが謹写してくださったような座談会はどうですか?
物を知らないで書き込んでいます。お許しを。

377役行者:2012/06/11(月) 16:02:35 ID:LqX0gxBY

 志恩様

 役行者はただ今、充電中でございます(*^-^*)

378復興G:2012/06/11(月) 18:48:48 ID:84pogn5s

>>375 : 志恩様

>しばらく落ちつく迄、WEB誌友会は、お休みにした方が、いいのではないかしらと、思っているところです。<

それもよろしいかも知れませんね。
ありがとうございます。

>>376 :如月様

>誌友会と座談会では形式が違いますか?
聖典板に復興Gさまが謹写してくださったような座談会はどうですか?<

誌友会というのは各地で誌友(生長の家の月刊誌を購読している信徒)が集まって輪読会をしたり、講師の講話を聴いて信仰や親交を深めたりする集まりで、祈りに始まって祈りに終わるとか、聖典をテキストにするというような決まりがあります。
一方、座談会というのは特に決まりはなく、雑誌の記事を作るために選ばれたメンバーで特定のテーマを設けて話し合うとか、練成会の中で感想や体験を発表し合う座談会とか、いろいろあります。
聖典板に私が謹写させていただいたのは、雑誌(『理想世界』)の記事を作るための座談会でした。

掲示板上で座談会というのは、顔が見えないし、書き込みに時間のずれが出ますから、なかなか難しいのではないかと思われますが……どうでしょうか。

379トキ:2012/06/11(月) 21:19:54 ID:741I/XOM
 今、実はダライ・ラマについての講演を聞きました。

 ダライ・ラマが、チベットの解放を非暴力の手段で運動をする意味を話しておりました。

 他の人間が、チベットは平和的に開放するのではなくて、軍事的に中国から奪還する、という質問をダライラマにしたのに対し、

 「この仕事を平和的に成し遂げようとするならば、おそらくは何十年、場合によっては何世代もかかることになるでしょう。
私達は断固たる態度で、しかし、辛抱強くあらねばなりません。もし、私達がこの仕事に成功するならば、本当に世界の文化に
貢献できるのです。すなわち、力のないチベットが圧倒的に力を持つ中国に勝利しえたならば、人びとは非暴力の威力を知る事
ができるのですから。それは、他の国々にとってもモデルとしての役割りを果たし、他の国々を勇気づけ、彼らに非暴力の手段を
採用させる事になるのです。
 もし、私達が暴力を使って勝利しても、私達に手に入るものいっぺんの土地に過ぎないのです。そんな事をしたら
私達が希求し、あこがれるチベットは永遠に失われてしまうでしょう。」

 今、本流復活派と教団は、裁判をしています。しかし、本当の勝利は、真理の探求によって得られると思います。
教団であれ、本流復活派であれ、裁判での勝利では、人心を得る事は難しいと思います。

 web誌友会については、仮にお休みとしても、真理の探求の場として、どうあるべきか、話し合いが出来れば幸いだと思います。

合掌 ありがとうございます

380如月:2012/06/11(月) 21:34:13 ID:ki/haAjk
>>378: 復興Gさま

丁寧なご回答ありがとうございます。

>座談会というのは特に決まりはなく、雑誌の記事を作るために選ばれたメンバーで特定のテーマを設けて話し合うとか、練成会の中で感想や体験を発表し合う座談会とか、いろいろあります。
聖典板に私が謹写させていただいたのは、雑誌(『理想世界』)の記事を作るための座談会でした


な、なるほど。そういう違いがあったのですか。 
てっきり、ほぼ無礼講で行われるのが座談会かなと予想しておりましたので
それでは、上の方々に対して失礼に当たって良くないのかもしれないと、そちらの方で考えていました。

>顔が見えないし、書き込みに時間のずれが出ますから、なかなか難しい

ありがとうございます。
前の人の発言に、続ける感じの座談会は、誌友会よりもっと時間の合わせ方が
必要なのですね。 顔が見えないのも加わり難しそうです。

やはり、志恩さまがおっしゃる通り、しばらく落ち着くまで待つのが良いように思えて来ました。

復興Gさま、誌友会の後夜祭が終わり、ホッとされているかと思いきや
バトンタッチするまで、責任を持ち続けて下さっていたのですね。
気付かなかった自分が恥ずかしいです。

                                              感謝 合掌 拝

381復興G:2012/06/11(月) 21:54:34 ID:84pogn5s

>>379 :トキ様。

合掌 ありがとうございます。
上記は、魂にひびく、素晴らしい名演説でした。

本当に、そうです。
生長の家も、暴力的な非難の言葉の投げつけ合いや裁判でどちらかが勝利しても、それは生長の家の勝利ではなく、生長の家が生長の家でなくなることであり、真理の大敗北になると思います。

本当に真理が平和的に勝利するためには、これもおそらくは何十年、場合によっては何世代もかかることになるかも知れませんが、それでも、ねばりづよくそれを成し遂げなければなりません。

私の机の前に、武者小路実篤直筆の色紙の写真コピーが貼ってあります。

「龍となれ 雲自づと来たる」

と書かれてあり、その下に森稔・森ビル元社長解説の言葉があります。
「龍は天高く昇り、その眼は遙か遠くまで見渡す。孤立しているように見えても、高い志で理想を説き続けていけば同志は自然に集まってくる」と。

森社長は、六本木ヒルズの建設という夢を描き理想を掲げ、不可能と思われた困難を乗りこえ多くの地権者を説得して理想を実現するのに17年かかったそうですが、そのときにこの武者小路実篤の色紙が「こころの玉手箱」となった、と書かれていました。

私たちも、理想を掲げてくじけず、「龍」となりましょう。

382如月:2012/06/11(月) 22:04:43 ID:ki/haAjk
>>379: トキ管理人さま

ダライ・ラマについての講演の内容をお教えくださいまして、ありがとうございます。
BIG ISSUEのインタビューに載っていましたが、ダライ・ラマは難民で
ホームレスの方の気持ちがわかりますよ。というような事を言われていました。

自分の国があるというのは、とてもありがたい事です。
前回の誌友会で、日本の使命を勉強させていただき
真理の勉強の必要性と素晴らしさがわかったように思えました。

>裁判で勝ったとしても、人心を得ることは難しい

その通りだと思います。
裁き合い、何とかならないのか、奇蹟を願うばかりです。

383復興G:2012/06/11(月) 22:12:11 ID:84pogn5s

>>380 :如月さま
皆々さま

トキ様の>>379を読みましたら、前にユタカ様が、「訊け」様と、たとえ2人だけであってもWEB誌友会は実行するぞ、と言ってられたのを思い出しました。
「しばらく落ち着くまで待つ」などと言ってると、理想が後退してしまって、だめになるかも知れない。たとえ2人でも3人でも実行し続け、一歩でも二歩でも前進し続けることが大切かな、と思われて来ました。いかがでしょうか。

384如月:2012/06/11(月) 22:34:04 ID:ki/haAjk
>>383: 復興Gさま

訊け氏は確かに、余計な事やカチンと来る発言が多いですが
彼はどんなにカッとなっても、きれいな言葉を使われています。
とても優しい方なのですが
ネット上での人の気持ちに多少鈍感なところがあるかなー…ごめんなさい

頭が良く、本もたくさん読まれて引き出しも多い方で
やる気に満ち溢れていらっしゃいます。

司会に向いておられます。

ただ、うのはな様を傷つけるような発言だけは禁句でお願いします。
最近は、のぞいていませんが、彼のブログのお仲間も
うのはな様の噂をやめていただけたらなというのが願いです。

疑われるくらいならアク禁にして欲しいという気持ちはよくわかります。

SAKURAさまが、まだ発言をされておられませんし、私は何が反対という
明確なものは持っておりませんので、みなさまの意見に従いたいと思います。

385トキ:2012/06/11(月) 22:34:18 ID:741I/XOM
 どうも、私ごとき人間が書いたものを賞賛して下さり、恐縮いたします。
大先達の復興G様こそ、私のような若輩者のモデルです。

 少しペースを落として、続ける等の方法があると思います。
例えば、一つのテーマというか、文章をアップして、1日待って、それから総括なり指導
なりをされてはどうでしょうか? それなら、一本指で打っている人も対応ができるかも
しれません。

 でも、他の方のご意見が大事ですから、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

386アクエリアン:2012/06/11(月) 23:32:33 ID:f9ZiNTlA
トキ様

ダライラマ法王の講演のご紹介ありがとうございます。

今、現代、仏教の世界では、ダライラマ法王が最も影響力を持っているのでは
ないかと思っています。

チベット仏教というと、以前は、どうも迷信くさい感じがして、敬遠していたの
ですが、あの、オウム事件で、チベット仏教がクローズアップされて、私も
ダライラマ法王の本を読み始めたのですが、このチベット仏教はとても迷信
などという言葉で片付けられるものではなく、反対に、人類への福音ではない
か、という気がしてきました。

アメリカのチベット仏教の世界的権威あるロバート・サーマン教授は、
チベット仏教について、

「彼らは、霊性・精神性の世界を最も勇敢に探求する人々であり、・・・・・
私などは、彼らのことを「宇宙飛行士」ならぬ、「心の宇宙飛行士」と呼びたい
ぐらいだ。
宇宙飛行士は宇宙の果てを求めて勇敢な旅に出るが、霊性の師たちは、
人間の内側にある無意識の果てを求めて、人間の生において無意識がとる
あらゆる側面を探求し、死をも超える。」

と述べていますが、このような霊性、精神性の探求へのために、科学者と共同
で研究する姿勢が世界から注目されているのでしょう。

科学の研究成果を積極的に参考にしている雅宣さんは案外、ダライラマ法王
の影響があるのかも知れません。

387ハマナス:2012/06/11(月) 23:40:21 ID:u5mC.eb2

復興G 様

ありがとうございます。
大変お礼が遅くなりました。web誌友会の司会という大役をありがとうごいました。
hope様も補佐役ありがとうございました。

また、数多くの引用文を投稿して下さいました、復興G様を初め皆様、ありがとう
ございました。私は仕事で参加出来ませんでしたが、じっくりとご参加の皆様のご投稿を
拝読し勉強させて頂きました。

谷口雅春先生の『限りなく日本を愛す』を拝読いたしまして、再び日本の素晴らしさ、
天皇陛下への尊敬の思いを強く致しました。尊いご愛念に心より感謝申し上げます。

司会については、仕事で遅くなることがありますので、申し訳ございません。
失礼させて下さい。

志恩様
このところ、わが教区では、白鳩会をはじめ、教区の行事が目白押しで中々投稿出来なくて
失礼しております。でも、ちゃんと、拝見しております。

感謝合掌

388SAKURA:2012/06/12(火) 02:32:35 ID:e4ggbbF6
トキ様 へ
復興G様 へ
如月様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは… ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜〜す。
皆様…お久しぶりで〜〜〜す。

■>復興G様
「前回のWEB誌友会」の司会…ありがとうございました…。改めまして【感謝!】
>…たとえ2人でも3人でも実行し続け、一歩でも二歩でも前進し続けることが…<
上記の「復興G様」のお言葉…同感で〜〜す。
【順番制…と以前の時におっしゃつていらつしゃいました記憶が〜〜】
ですから「金木犀様…」との思いもありましたが…><残念です〜ネ!!
最後に、皆様の“方針内容”に…従わさせて頂きます次第なのですが〜〜〜?

■>トキ様
拝読させて頂きました…“投稿文”賛同!させて頂きます…。
切なる願いは、多くの方々の“参加…”をと“望み”なのですが…少しずつでも
ワン・ステップ!ワン・ステップ!参加される方が、増えますといいです〜〜ネ!
「トキ様…」…「アクエリアン」様の投稿を、久しぶりに拝読させて頂きました…。
【順番制…と以前の時におっしゃつていらつしゃいました記憶が〜〜】
「トキ様」がお忙しい様ですと?「アクエリアン」様は如何でしょうか?

■>如月様
お久しぶりで〜〜す。色々なところの“投稿文”拝読させて頂いておりました…。
多々参考になりまぁ〜〜〜す。賛同で〜〜す。

■■今回の「誌友会…」については、私も皆様の“考え方”に同意させて致します…。

そうなのです〜〜ョネ!
「生長の家」では、「3人いれば?かしまし娘…」と云いますから…???
【“2人〜3人からでも…少ない人数”“内容の充実したもの”であれば、宜しいのでは?】
更に!ウエットも…含んだ「楽しい誌友会…ルンルン〜♫〜」に、されたらいいのではと?
その様に思いますし…如何でしょうか?

■一つ提案なのですが…… ><
更に“タイトル”を一項目に、絞って「3時間の討論体制」は、如何でしょうか〜〜?
私の個人的な事なのですが???><
【キ−ボ−ド…を打つ】にしても〜〜〜遅い方です…。
なので?“投稿文”のkeyを打つ間に〜〜〜次なる“ステップ”になっています。
“ヤ〜〜〜ット”今からと云う時に「次の課題…」に移行していますから、
ついていきますのに…必死?? ><なのですが…!

「対面の誌友会…方式」と「パソコンでの誌友会…方式」は〜〜〜
“テ−マ”を少しだけ絞る事に、して頂きますと幸いに存じます…。(現段階では?)
そうしますと…色々な観点からの“参考文献”も又「誌友会…」時に、
“投稿”して頂けますのでは?そうしますと「楽しさも?倍増!」でしょうか〜〜〜?

                                再合掌

PS:
■「アクエリアン様」…お久しぶりですが、「ブログ…」楽しく〜♫〜
拝読させて頂いております…。
本日“投稿”されていましたです〜ョネ!
ふと?思いましたが…!「今回!司会…」お願いできましたら〜〜如何でしょうか?
これは?一個人としての“意見”なのですが???

389 志恩:2012/06/12(火) 07:04:30 ID:.QY5jUA6
ハマナスさま

おげんきでいらしたので、安心しました。^^
ハマナスさまは、お仕事をされていらっしゃるから、仕事で遅くなることもあり、
司会は、ちょっと無理のようですね。

390 志恩:2012/06/12(火) 07:12:51 ID:.QY5jUA6
アクエリアンさま って、昔から有名なお方ですよね。
SAKURAさまは、アクエリアンさまのブログを拝見しているのでしたか。

突然の、SAKURAさまからの勇気ある「司会」ご指名ですが、
アクエリアンさまは、受けて下さいますでしょうか?

391金木犀:2012/06/12(火) 07:15:51 ID:j28jHRaM
皆様 おはようございます。

昨日はかなり皆様のご意見が出たようですね。
今読みまして、私は、SAKURA様のご意見がいいような気がします。
テーマを一本に絞って、そこから多少脇道にそれることがあっても、
とにかくテーマが一本に絞れていれば、途中参加でも迷うことなく
入ってこれますし、又、司会進行は次に行くかどうかを決める役目
というのが主でしたから、基本的に司会も途中の段階では
不要になるのではと考えます。会途中は、各々が気を配るとしておけばいいのではないでしょうか。
司会は、会の始まりと、終わりを整える役目と考えれば、会のはじめには
例えば招神歌と、『真理の吟唱』の中から一つ選んで貼り付けるとか、
ある程度マニュアル化しておいて、前夜祭で、貼り付ける文章は、参加者で
貼り付けたい人が、一人一文、とかに決めて置いて、貼り付け、
それ以外にも貼り付けたい人は、聖典板に貼るということに
すれば、司会の負担は、かなり減るのではないでしょうか。
交代制にするならば、誰でもできるようにする司会の負担を減らすことが必要で、
前後夜祭は、やりたい人が自然に集まってやるとか、その程度にして、司会の担当から
外すとかしたほうがいいのではと思います。
仕事を持っている方は、前後夜祭までは面倒見切れないのではないでしょうか。
とにかく、このように司会の負担を減らせば、キーボードを打つのが早い遅いとは
関係なく司会もでき、定期的に開催することも可能になるのではないでしょうか。

392 志恩:2012/06/12(火) 07:50:55 ID:.QY5jUA6
金木犀様

貴重なご意見、ありがとうございます。
SAKURA様のご意見に賛成なんですね。

WEB誌友会に対する 金木犀様ー『案』

◎{テーマを1本に絞っておく}

◎ 司会は、会の始まりと,終わりを整えるお役目と考えれば、会途中は、
  各々が気を配ることで、基本的に司会も途中の段階では、不要となる。

◎ 会のはじめに、例えば、招神歌と、真理の吟唱の中から1つ選んで貼付けるなど、
  これをある程度マニュアル化しておくと、司会者の負担は軽くなる。

◎ 前夜祭で、貼付ける文章は、参加者で、貼付けたい人が、1人1文を、聖典板に貼付ける。

◎ それ以外にも貼付けたい文がある場合も、聖典板に貼る。

トキ様、復興G様、皆々様 いかがでしょうか。
私は、皆様がいいと思われる方針に合わせます。

で、司会者は、SAKURAさま、いかがでしょうか?

393金木犀:2012/06/12(火) 08:14:15 ID:3iUAOjZ.
志恩様

そういえば貼り付ける文章は聖典板にということでしたっけ?
私は、この板に貼り付けるのかと思ってしまい、一人一文で、
それ以外は聖典板にとしたのですが、聖典板に貼り付けるのだったら、
誌友会用の貼付けは、必ず、一人一文を厳守して、誌友会用と明記する
ようにしたらいいと思います。そうしないと、a hope様や他の方々が
毎日連続して投稿されるものなどと区別しないと、わかりにくくなりますから。

394 志恩:2012/06/12(火) 09:17:33 ID:.QY5jUA6
金木犀様

そうですよ、たしか。
{誌友会用の謹写の貼付けも、聖典板}に でしたよ。
ですから、金木犀様が言われるように「WEB誌友会用」と明記して貼付した方が、プリントアウトするとき、
紛らわしくなくて、すみますね。

私は、先日、復興G様宛に、
司会者になって下さる方が、見当たらないし、いつも
多く発言して下さる若手のahope様は、仕事を持たれて出かけるようになられたし、ハマナス様、さくら様も
いらっしゃらないし、、、というわけで、しばらく落ちつく迄、誌友会は、お休みしては、どうでしょうと
申し上げましたが、

復興G様は、しばらく待つというより、例え、2、3人しか集まらなくても継続した方がいいとお答え下さいました。
SAKURA様、金木犀様のご意見も同様でした。

それにしても、司会役を受けてくださる人がいないと、、、というわけです。
SAKURA様は、たまたま参加されました有名なるアクエリアン様に、突然勇気をだして司会役を打診されましたが、
アクエリアン様は、今回たまたま いらしたわけですから、OKして下さるとは、思えません。
で、一番、受けて下さりそうなSAKURA様に、私が、打診させて頂きました。

私は、トキ様、復興G様が、ご指導してくださるWEB誌友会なので、司会者の受け手がないときは、
司会者なしで、トキ様、復興G様 ご指導ではじめても、いいんじゃないかと思いますけれど、金木犀様は、どう思われますか?

395 志恩:2012/06/12(火) 10:32:13 ID:.QY5jUA6
「谷口雅春(先生)に訊け」管理人様が、ご自身のブログで
WEB誌友会をはじめる模様です。あちらに、看板が、立ちました。

あちこちで、はじめるということは、いいことですね。

396金木犀:2012/06/12(火) 11:42:50 ID:3iUAOjZ.
志恩様

私もそう思います。司会はなくても、一応最初に招神歌と最後に光明思念の歌を
貼り付けるのみで、あとは司会なしで十分にやれると思います。
例えば、一応早めに来た人が、名乗りを上げて、時間が来たら貼り付ければいいのではないでしょうか、
それを合図に、各々が心で思念し、その後に意見を出し合う事にすればいいと思います。
又、参考資料を貼り付けたい人が、一人一文で貼り付ける中に、誰かが『真理の吟唱』を
貼り付けておけばいいと思います。多少真理の吟唱が多くなっても、或は全く無くても、
それはそれで、仕方がないということでいいのではと思いますが。

私は誌友会を開催しても、すこし休会しても、どちらでも構いません。

それからテーマについては、よく考えたら、前回のように、
「一人ひとりの法灯継承」とかいうテーマは基本的には、
『生命の實相』を読み進んでいく上での具体的なタイトルとは別でしたね。
これは今後しばらく、誌友会の共通なテーマとして、置いておいて、
一個一個の誌友会の進行上の範囲は、司会が要らない程度の範囲、或は、
最初から、全体の範囲を見て意見を言い合うということにすればいいのではないでしょうか。

397 志恩:2012/06/12(火) 11:54:56 ID:.QY5jUA6
トキさま、復興Gさま

396のように、金木犀様が、おっしゃってます。

398復興G:2012/06/12(火) 14:25:14 ID:84pogn5s

SAKURA様
金木犀様
志恩様
皆々様

合掌 ありがとうございます。
今日は出かけておりましたが、皆様、WEB誌友会のあり方について、熱心にご討議くださっていて、ありがとうございました。今、拝読いたしました。

司会者にあまり負担がかからないように、あるいは司会者がいなくても定期的に開催できるようにと、いろいろお考えくださって、ありがとうございます。

>>391金木犀様のご提言を、 >>392で志恩様が整理して下さり、393〜396でお二人が補足して下さったアイディアは、当を得たご意見であると思います。

トキ様、いかがでしょうか。

あとは、具体的にいつ(次回および今後定期的に開催するとすればどのように)開催するか、などの詰めに入って行ってよいのではないでしょうか。

399トキ:2012/06/12(火) 14:50:50 ID:GcZn5ST.
 遅れてすみませんでした。

 復興G様の言われる事に賛同致します。具体的な事についても、みなさまの
ご意見を頂戴できれば幸いです。

合掌 ありがとうございます

400アクエリアン:2012/06/12(火) 18:08:34 ID:ngLIbASo
Sakuraさま

司会のご指名、恐縮しています。

ここには、あまり書き込みしていませんので、ふさわしくはないと思います。

そして、ここ最近、パソコンを触れる時間がほとんどありませんので無理です。

今、スマホから書いています。

至恩さま。

愛読者の一人としていつも楽しみにしています。

401復興G:2012/06/12(火) 19:58:50 ID:84pogn5s

では、まず開催時期について、私の提案です。

月一回定期的に開催するとして、

【毎月第二金曜日21:30から、次の日曜日23:30まで】
(50時間。まる2日と2時間)

というのを提案させていただきます。

その場合、6月はもう第二金曜日が過ぎていますから、次は7月13日(金)21:00〜15日(日)23:30ということになります。

いかがでしょうか。

402 志恩:2012/06/12(火) 20:14:19 ID:.QY5jUA6
アクエリアン様

あなた様のご高名は、だ〜〜いぶ前より、存じています。あれは、古いどこかの掲示板だったと思います。
とても いいご意見を書いていらしたので、印象に残っております。

私ごときをご存知とは、光栄でございます。
SAKURA様は、あなた様のこと ブログを拝見してるとかで、知っておられるようです。

また、お時間のゆるすときは、ここの掲示板へお立ち寄りいただけたら、有り難いのですが、
ここの掲示板のこと、今後とも、よろしくおねがいいたします。

WEB誌友会も、来月になりますが、トキ管理人様と復興G様のご指導のもと、開催されますので、
是非、そのときは、見てくださいね。ありがとうございました。

お返事のご心配なく。(^^)

403 志恩:2012/06/12(火) 20:33:43 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

トキさまが、ご許可下さって、ほっとしましたね。

復興Gさま、
早速に、具体的な開催日をご提示くださいまして、感謝します。

月1で、毎月第二 金曜日の夜9時半から 日曜日の夜11時半まで。(50時間、まる2日と2時間)
スケールが大きいですねぇ!(◉‐◉)   これですと、ご自分の都合のつく時間に だれでも書き込めます。

で、次回の開催日は、7月13日(金)夜9時半から。
私は、賛成です。
試行錯誤で、これで、やってみて、訂正したいことが出てきましたら、次回、また訂正すれば良いのですものね。

ありがとうございます。

皆々様は、いかがでしょうか?

404トキ:2012/06/12(火) 21:03:34 ID:GcZn5ST.
復興G様、投稿者様

 いつもお世話になります。宜しくお願いします。

405SAKURA:2012/06/12(火) 21:42:02 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
復興G様 へ

こんばんは… 大変御無沙汰いたしております…。
昨日は、若輩者の【SAKURA】の一言メッセ−ジを拝読して頂き…
ありがとうございます。

更に!私自身>>401(復興G様…投稿文)拝読いたしまして…

■■【復興G様…提案内容に関しまして…】

■>月一回定期的に開催するとして…< 
この事は「真理をお互いに討論する!!」その主旨に於きましても、
“賛同”させて頂きます…。
個人的には、【インタ−ネットを使っての誌友会】この新しい試みを…
皆様に知って頂き…参加して頂く“機会”をとの、思いがいっぱいです…。
そうです〜〜ョネ!
一人でも?そして、一人一人と増えていって…!また次なる機会は?“楽しみ〜〜!”
その様な【WEB誌友会】が、将来出来ますと嬉しいかぎりですが…

■>【毎月第二金曜日21:30から、次の日曜日23:30まで】
(50時間。まる2日と2時間)<     
この時間設定に関しましては?少し時間を頂きますと幸いです…。
(時間が長く〜〜〜?感じてしまうのですが〜〜〜><)
一つ気がかりなのは?“時間が長時間”になりますと…参加者は、都合の云い時に、
“参加”出来るのでは?この事は“メリット…”でしょうが…
反面…「真理…討論の焦点が??」明確さが…最終的に難しくなるのでは?
その様に、個人的に思いが致しますが?如何でしょうか??

但し“開催曜日スタ−ト…”が、【金曜日…】この事はよろしいのではと思います…。
何故なら、一般の方々も“参加”出来ますのでは?
「土・日休みの方々」にも参加してだけますかとも?思う次第です…。
                                   再合掌

406SAKURA:2012/06/12(火) 21:43:02 ID:V.pKl3yA
アクエリアン様 へ

>>400拝読しまして
こんばんは… ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜〜す。

■今日は、私事で“バタ〜バタ〜♫〜”とした時間を過ごしまして、
今!パソコンをオ−プンしますと…“ア〜〜〜〜〜ッ!”ビックリ!!
いつも…「ブログ…」を拝読させて頂きながら〜〜〜♫
“博識…”な方です〜〜〜ネ!その様に思っておりました…。
今回は、私事“一個人の考え”として、【推薦】させて頂いた次第なのですが〜〜?
“お返事…”頂けるとは、思いませんでしたので…?感激〜〜〜!!
しかしながら…「司会の件…」に関しましては、残念に思います…。><

余談ですが、今後とも「楽しみにブログ…!」拝読させて頂きます…。(微笑)
処で「WEB誌友会」は、参加出来ますでしょう〜〜〜か??
“お話”できますと、楽しいですよ〜〜〜ネ!
                               再合掌

407SAKURA:2012/06/12(火) 21:44:56 ID:V.pKl3yA
志恩様 へ

こんばんは… ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜す。

>>395拝読しまして…
いつも…新しい“情報…”教えて頂きありがとうございます…。
いろいろな処で「インタ−ネットを使っての誌友会」将来性を考えますと…
素晴らしい事です〜〜ネ!

話は変わりますが?「個人的」に?いつも思うのですが〜〜〜
「志恩様」お忙しい様ですが…【誌友会】参加されませんのです〜〜〜か?
「WEB誌友会」での【志恩様…考え】を、拝読させて頂きたい〜〜〜です?
【神様に“メッセ−ジ”…】託します…。
無理なのでしょうか〜〜〜♫〜〜〜            再合掌

408 志恩:2012/06/12(火) 22:04:01 ID:.QY5jUA6
SAKURAさま

私がWEB誌友会の最中に書き込まないのは、打つのがすごく遅いので、皆様の足を引っ張ると
いけないと思いまして、遠慮しているからです。私が打ってる間に、皆様は1kmくらいは、
先を走っています。(笑) 時間が、ゆっくりになれば、何とか、書き込めるでしょう。

409如月:2012/06/13(水) 07:14:42 ID:ki/haAjk
おはようございます。

皆様、素晴らしいアイディアと具体的な方法をお決め下さいまして
ありがとうございます。

いいですね。 
開催日が数日に渡るので、、入力が苦手な方も
参加してくださると思います。。

前回はあさひ様が参加して下さってとても嬉しかったし
今回は、志恩さまも参加をして頂けるという事で、嬉しい限りです。
楽しみです。

                              感謝 合掌 拝

410 志恩:2012/06/13(水) 09:46:45 ID:.QY5jUA6
如月さまも

参加されますこと、たのしみにしています。合掌

411如月:2012/07/07(土) 13:07:31 ID:ki/haAjk
ありがとうございます。
今回は50時間(7月13日(金)21:00〜15日(日)23:30)ありますので
ゆっくり入力の方の参加も期待できそうです。

テーマは「一人ひとりの法灯継承」を当分の間の共通のテーマとして
『生命の實相』を読み進んで行き
司会は無しで、早めに来た人が最初に招神歌と最後に光明思念の歌を貼りつけて
各々、思念して意見スタートという形を金木犀さまが提案して下さいました

一週間前なので、ageます。

412a hope:2012/07/08(日) 12:33:50 ID:kJvHf4/g

みなさま こんにちは

前回のweb誌友会後、わたしはしばらくの間この掲示板の閲覧をお休みしていましたが、
その間に皆さんは次回の誌友会に向けて、たくさん話し合ってくださっていたのですね。
ありがとうございます。

如月さまが、>> 411で 
>>テーマは「一人ひとりの法灯継承」を当分の間の共通のテーマとして
『生命の實相』を読み進んで行き<<
と、提案してくださっています。

これに関してですが、先程、この板の書き込みを読み返していましたら、
以前復興Gさまが、>>367で以下のように提案してくださっています。

>>367 :復興G:2012/06/10(日) 19:31:46 ID:84pogn5s
トキ様、うのはな様、皆様

あまり書き込みがないようですので、WEB誌友会について、私の希望を書かせて頂きます。

1. この掲示板上で『生命の實相』をテキストにして真理を学び研鑽し合うWEB誌友会は、始まってからまだ3回目が終わったばかりです。いよいよこれから本格的に、実りあるものに育てて頂きたいと希望いたします。私もできるかぎり協力させていただきたいと思います。

2. 内容は、『生命の實相』第1巻の「總説篇」(「七つの光明宣言」とそのご解説)については3回にわたって勉強させて頂きましたので、次に進み、「實相篇」(光明の真理)をテキストとし、「物質無」の真理、メタフィジカル・ヒーリング(生長の家の健康学)を学んで身につけて行きたいと思います。
   
(以下 略)<<


ですから今回のweb誌友会では、

・《テキスト》 『生命の實相』第1巻の「實相篇」(光明の真理)【頭注版P41〜】
・《内容》 「物質無」の真理、メタフィジカル・ヒーリング(生長の家の健康学)

ということで是非皆さんと共にお勉強させていただきたいとわたしも思いますが、
復興Gさま、トキさま、皆さまいかがでしょうか?

413 志恩:2012/07/08(日) 15:00:20 ID:.QY5jUA6
如月様、a hope様

WEB誌友会の件で、書き込みをありがとうございます。
誌友会の開催月日と時間の設定について、
復興G様が、下記のようにご提案下さってましたね。

毎月第2金曜日の、午後9時半から、日曜日の午後11時半まで。

(50時間。まる2日と2時間)

ですから、この7月は、13日の金曜日の午後9時半からということに。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/401

414 志恩:2012/07/08(日) 15:10:46 ID:.QY5jUA6
>>413の つづき

>>401:復興G様のご提案に対して、SAKURA様が、その 復興G様が言われたご主旨には賛同するが、
時間設定に関する事で、長時間過ぎはしまいか、それについては、考えさせてくださいと、
申されましたが、その後、SAKURA様の「時間に関することでの書き込みが、ありません。」

それで SAKURA様、
WEB誌友会、開催日が、迫っておりますので、時間に関する貴女のお考えを早急に書き込んで下さる様に
お願いします。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/405

415 志恩:2012/07/08(日) 15:51:59 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

ご無沙汰致しております。
最近、いらしてませんけれど、お変わりありませんか?

WEB誌友会は、復興G様の舵取りがありませんと、運航が案じられます。
お元気でいらしたら、また、ご指導をお願いしたいのです。

416如月:2012/07/08(日) 20:16:45 ID:ki/haAjk
a hopeさま

ありがとうございます。
>>411の書き込みは、>>391で金木犀さまがご提案下さったものです。
a hopeさまが、過去に遡って読んで下さり復興Gさまの提案を
再掲載して下さったおかげで、とてもわかりやすくなりました。
誰も来られないのかと不安になっていましたので、とても嬉しかったです。
さすが〜

417如月:2012/07/08(日) 20:22:08 ID:ki/haAjk
志恩さま

ありがとうございます。
人の書き込みを整理するのは、とても難しいですね。
いつも志恩さまが整理して下さっている事が、どんなに有難い事か
よくわかりました。 
今まで気付かなくてすみません。

SAKURAさまのお返事が無い事など、目配りが行き届いておられますね。

復興Gさまが最近来られなくなって、私も心配しておりました。
下記が最新の書き込みのようです。

本流対策室/2 板
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1331290102/1419

418みすはなまる(みすまる改め):2012/07/08(日) 21:23:28 ID:855gR.IE

皆さまこんばんは。

私はweb誌友会は初めてですが、参加させて頂いてもよろしいでしょうか。

是非よろしくお願いします。
頻繁な参加は難しいとおもいますので、空いた時間に参加させて頂きたいと思います。

419如月:2012/07/08(日) 21:43:52 ID:ki/haAjk
>>418
みすはなまるさま改名されたのですね。
可愛いお名前ですね。

>初めてですが、参加させて頂いてもよろしいでしょうか

http://www.youtube.com/watch?v=vi9AdfCN6IQ

こちらこそよろしくお願いします。
私の方がみすはなまるさまより、ずっとずっと信仰歴が浅く(実質今年に入ってから)
知らない事ばかりですので、是非教えて下さい。

420みすはなまる(みすまる改め):2012/07/08(日) 22:32:39 ID:65ETl2GM
>>419如月さま

てなもんや三度笠での歓迎有難うございます♪嬉しいです。

藤田まこと…若いですね。私大好きでした。はぐれ刑事シリーズで主に見ていましたが、まだまだ演じていただきたかったです。

私は、誌友会の参加は、生長の家にいた時以来で久しぶりです。
私の方こそ、如月さまや皆さまに色々教えて頂きたいと思っています。
よろしくお願いします。

421 志恩:2012/07/09(月) 00:23:53 ID:.QY5jUA6
みすはなまる様

もちろんです。みすはなまるさまが、参加して下さるなんて、とてもうれしく思っております。
如月様が、「あたり まえだの クラッカー」で、ユーモア溢れる歓迎をされたので、
おかしくて笑ってしまいました。

私も、藤田まことは、だいすきでした。必殺シリーズは、欠かさず観ていたくらいです。(笑)

本題のWEB誌友会のことですが、
復興Gさまが、WEB誌友会のご指導に、いらしてくださるかどうか、まだ、復興Gさまからお返事がありません。

私は、裏方専門の人間ですので、WEB誌友会のお世話というような大役は、できません。
復興Gさまが、
2、3人でもいいから続けてWEB誌友会は、やったほうがいいと思います、と、
ご提案下さったので、私は、トキさまと復興Gさまのご指導があるからと思いまして、続けることに
賛同したのです。

復興Gさまからのご連絡を待ちまして、今後、どうするかは、改めて、トキ管理人さまにお伺いしたいと
思っております。トキさまは、(本部ではないけれど)教団のお方だそうですから、金、土、日は、お忙しいかも
しれません。

その場合、WEB誌友会は、当分、延期という選択もあるかもしれませんが、そのときは、ご了承くださいますように
お願いします。

422みすはなまる(みすまる改め):2012/07/09(月) 07:45:24 ID:P6XIFl4w
>>421志恩さま

おはようございます。歓迎いただいて有難うございます。
嬉しいです。
私は、直接復興Gさまとは対話をさせていただいたことがないので、大変楽しみにしております。お元気でいらっしゃいますでし
ょうか。

今日も一日、皆さますてきな一日をお過ごしくださいませ。

423如月:2012/07/09(月) 08:36:37 ID:ki/haAjk
志恩さま

私も必殺シリーズ大好きでした。
生長の家の人に言うと引かれるかと思っていましたが…良かったです(笑
復興Gさまが来られないと延期やむなしという事ですね。 わかりました。


みすはなまるさま

誌友会の真ん中の日が7月14日で、7は完成の数字と言われているので
期待していたのですが。
ここにいらっしゃる方は皆さんレベルが高くて、私にとってはどなたも先生なのですが
全体のレベルに合わせると、やはり復興Gさま待ちですね。


a hopeさま

いつも、何でもさせていただきますと積極的で優しいお言葉をありがとうございます。
今のところ、以上のような状態です。a hopeさまごめんなさい。

424復興G:2012/07/09(月) 09:24:39 ID:84pogn5s

如月様、 a hope 様、 志恩様、 みすはなまる様、 SAKURA様
皆々様。

合掌 ありがとうございます。

ちょっと宇宙旅行に出かけておりました。ご無沙汰して申し訳ございません。WEB誌友会のことを忘れてはいませんでしたから、ご安心ください。皆様もお忘れにならないでいてくださいまして、本当にありがとうございます。皆々様のご愛念(真理への)に感謝感激しております。ありがとうございます。

宇宙旅行と申しますのは、space travel ではなくて、universe, cosmos への旅とご理解下さい。つまり、ロケットに乗って全宇宙空間のうちのほんの僅かな距離を移動する旅ではなく、時空間を越えた、無限荘厳なるcosmos なる宇宙への旅でございます。

――なんて、かっこいいことを申し上げました。

『生命の實相』というのは、その宇宙旅行――space travel ではないuniverse, cosmos への旅のガイドブックと言えるのではないかと、私は思っております。ご一緒に楽しい宇宙旅行ができるといいですね。
よろしくお願い申し上げます。

50時間(まる2日と2時間)という長時間(今までの誌友会に比べれば)を使うようにしましょうということになったのは、その時間中ずっとパソコンに張り付いていなくてよい、宇宙と地上を行き来しながらときどき顔を出すかたちでよいということを意味していると考えます。

このたび、「50時間(7月13日(金)21:00〜15日(日)23:30)」(>>411で如月様が確認貼り付けしてくださいました)のうち、私自身、2回(各2時間)地上の誌友会に出なければならないことになりました。しかも移動時間としてその前後片道1時間以上、往復約3時間を要しますので、合わせると約10時間は地上の誌友会出席でWEB誌友会からは退席していることになります。皆様、そうした地上のご用がおありでしょうから、参加可能な時間にできるだけご参加いただくということで、楽しく充実した誌友会ができればと願っております。SAKURA様も、そういうことでご理解いただけますでしょうか。

では、しばらくは前夜祭ですね・・・・・・

425a hope:2012/07/09(月) 09:25:55 ID:kJvHf4/g

みなさま おはようございます。

如月さま 

色々気を使っていただきありがとうございます。

復興Gさまが、行方不明なのですね(笑)。
ご旅行か何かでこちらをご覧になっていらっしゃらないのではないでしょうか。

でも、今週末のweb誌友会のことは、忘れてはいらっしゃらないと思いますので、
きっと、当日は、御指導してくださるのではないかと思います。

また、この掲示板には復興Gさまだけではなく、大先輩がたくさんがいらっしゃいますし、
今まで書き込みはさせていなくても、素晴らしい指導者の方々がたくさん閲覧してくださっているのではないかと拝察しています。
わたしたちに、やる気さえあれば、きっと、御指導いただけると思います。

SAKURAさまのお返事がまだないようですが、わたしはweb誌友会に向けて、
お勉強していきたいと思います。


志恩さま

志恩さまも、生長の家の大先輩です。
裏方などとご謙遜されずに、今回は3日間と期間も長いですから、
志恩さまのペースでweb誌友会にご参加してくださることを願います。


トキさま

このような状態ですが、いかがでしょうか?

わたしは、今日はこれから仕事ですが、夜はもどります。
よろしくお願いいたします。

426復興G:2012/07/09(月) 09:29:07 ID:84pogn5s

追伸 長らくご無沙汰してご心配をかけ、まことに申し訳ございませんでした。深くお詫び申し上げます。

 感謝 合掌 拝

427a hope:2012/07/09(月) 09:32:58 ID:kJvHf4/g

今日は、わたしは朝からラッキーです。
復興Gさまと、ほぼ、同時投稿ができました!

やっぱり、復興Gさまは、ちゃんと覚えて下さっていましたね。

前夜祭も楽しみです。

それではわたしの愛する「生長の家」のみなさな、今日も素晴らしい一日をお過ごしください!

428 志恩:2012/07/09(月) 10:16:32 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

やったぁ〜〜♫
お顔、出して下さって、大安心しました。

これで、安心して7月13日(金)夜9時半からのWEB誌友会が、開催される運びになりました。
復興Gさま、今後とも ご指導をよろしくお願い申し上げます。

いつも
積極的に発言してくださるahope様が、当日も翌日もお仕事だそうですが、どうぞ、合間をぬって、
ご発言くださいますように。

最近、ここの掲示板に 入られた みすはなまる様もご参加下さるそうですので、うれしいです。

SAKURA様、復興G様がコメント下さった様に、ず〜〜ぅと、PCの前に、いなくてもいいそうですから、
ご自分の書き込める時間に、自由に書き込めば、いいそうですから、その点、気が楽ですよね。ご理解くださいませ。
そして、また、発言も期待しています。

トキ様、
復興G様が、戻って来て下さいました。
WEB誌友会、開催可能になりました。よかったです。
トキ様と、復興G様の舵取りは、必須条件ですので、
トキ様も、ご指導をよろしくお願いいたします。

役行者様、聞こえてますか、役行者さまもご指導をおねがします。

金木犀様、さくらちゃんも、来てくださいね。。

できれば、誌友会のとき、スターダスト様、アクエリアン様、Kジロウ様も、なにかコメントを戴ければ
ありがたいのですが、、観覧車様もいらっしゃいましたね。

うのはなさまは、観覧席ですか。

その他、なまいきだけど、私のいとしい子もいますが、全員のお方の名前を、1人1人、書きませんが、ご都合のつくお方は、どなたでも
いらして下さいませネ.本流のお方も、よろしければ、、感謝、合掌。

429観覧車:2012/07/09(月) 20:41:18 ID:???
> 428の志恩様

web誌友会なるものどのようなものなのか、密かに観覧してようかと思っていました矢先に
私のニックネームを出していただき、ありがとうございます。

生命の実相は1巻と7巻しか持っていない無知な者でございます。
こんな私には参加資格などないのではないでしょうか^^;

430如月:2012/07/10(火) 08:21:20 ID:ki/haAjk
復興Gさま

ありがとうございます。
ご指導いただける事を心より感謝申し上げます。
行方不明扱いをしてしまい、失礼のほどお許し下さい。
不安が無くなり大安心です。
楽しく、明るい誌友会まちがいなしです。

                          感謝 合掌 拝

431如月:2012/07/10(火) 08:28:48 ID:ki/haAjk
>>429:観覧車さま

志恩さまが、まだいらっしゃらないうちにお声を掛ける失礼お許し下さい。

参加したいと思えばそれが参加資格だと私はとらえています。
無知においては、私の方が観覧車さまに負けない自信があります。
今回は>>412にa hopeさまがお示しくださっているように

・《テキスト》 『生命の實相』第1巻の「實相篇」(光明の真理)【頭注版P41〜】
・《内容》 「物質無」の真理、メタフィジカル・ヒーリング(生長の家の健康学)

の予定ですので、一巻お持ちなら大丈夫です。

こちらこそよろしくお願いします。

432 志恩:2012/07/10(火) 09:59:53 ID:.QY5jUA6
如月さま、観覧車さま

観覧車さま、
如月さまが、お答え下さった通りです。どうぞ、ご参加を。
思ったことは、なんでも ご自由に書き込んで下さいますように。

大先輩でいらして、真理にお詳しい
復興G様、トキ様が、この度も、ご指導くださいます。

それなのに、参加費は、タダですから(笑)
参加されることは、たいへん おトクであり、得ることも多々あることと存じます。

如月様
テキストと内容を書いて下さって、ごしんせつに、ありがとうございます。

433トキ:2012/07/10(火) 14:57:14 ID:UjnWkWEc
>>432

 復興G様はともかく、私は真理に詳しいとは言えませんが(笑)。

 ともあれ、皆様のご参加をお待ちしております。

合掌 ありがとうございます

434観覧車:2012/07/10(火) 21:24:59 ID:???
如月様、志恩様、ご親切にどうもありがとうございます。

ちょうどテキストが第1巻ということもありますので、
参加させていただくことにします。

みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

435復興G:2012/07/12(木) 01:48:25 ID:84pogn5s

 第4回WEB誌友会のテキスト、
 『生命の實相』第1巻「實相篇」(光明の真理)第1章・第2章を、聖典板に謹写掲載させていただきました。
 どうぞ、ご活用ください。(部分的にコピペして感想などを投稿するとか・・・に)
 合掌 拝

436a hope:2012/07/12(木) 08:05:28 ID:kJvHf4/g

復興Gさま

今回のweb誌友会のテキストを謹写掲載してくださりありがとうございます。
『生命の實相』第一巻は、わたしが初めて読んだ「生長の家」の聖典で、
「生長の家の教え」の素晴らしさに気付かせてくれた、大切な大切な聖典です。
何度読み返しても、魂が震えます。

復興Gさまが謹写してくださったので、テキストをお持ちでない方も参加できますね。
「真の生長の家の教え」の基本がなんであるのか、ここをしっかりお勉強すれば、はっきりわかるのではないかと思います。


それでは、わたしの大切な「生長の家」のみなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしください!

437 志恩:2012/07/12(木) 08:36:17 ID:.QY5jUA6

 復興G 様

 a hopeさまも おっしゃって下さいましたが、

復興G様、聖典板に(944~958) 明日の13日、夜9時半からの「WEB誌友会のテキスト」を謹写してくださいまして、
誠にありがとうございました。大変うれしく有り難く思っております。
早速、プリントアウトさせていただきます。

いつもながらですが、深いご愛念がなければ、できないことと存じました。

日本のため,世界のため、、、世界の皆様もご覧になられてますが、
「真の生長の家の教え」の原点を、われわれに ご教授賜りたく、今回のご指導もトキ管理人様とともに
よろしくお願いいたします。
                合掌礼拝

438みすはなまる:2012/07/12(木) 08:53:37 ID:kzsrkxKM

復興Gさま

生命の実相の謹写をいただき、ありがとうございました。
真心に心から感謝申し上げます。

しっかり拝読し、参加をさせていただきます。
よろしくお願いします。
トキ管理人さまも、ご指導をよろしくお願いします。

a hope さま

本流掲示板での、誌友会のご案内をみました。
皆で一緒に真理を学び、光が放たれるとよいですね。
きっと、そうなりますね。

439トキ:2012/07/12(木) 10:25:10 ID:ODGq9QN2
復興G様

 ご多忙の中、生命の実相の謹写ありがとうございました。

 私のような若輩者のは、復興G様のような尊敬できる先達は、大きな目標です。今後ともご指導を
お願いいたします。

合掌 ありがとうございます

440 志恩:2012/07/12(木) 11:23:56 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

今、本流掲示板を見て参りましたが、なんと、a hope様が、明日13日、夜9時半開催の
WEB誌友会の宣伝文を、あちらの掲示板に貼ってました。

すごい!!  勇気、ありますね、 ahope様。

441SAKURA:2012/07/12(木) 18:07:00 ID:jtL0zmY.
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは…  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■■ 第4回 WEB誌友会 ■■
昨日…深夜近くから【復興G様… 下記の資料】が“投稿”されております…。
観覧者の皆様の中で、資料が手元に??の方は参考に“コピ−”されましたら
如何でしょうか?尚!【各板の閲覧する項目数】は、おおよそ“7投稿者メッセ−ジ”でしょうか?
従いまして、直ぐ【奥殿入り…】でしょうかしら〜〜ン!とりあえず【PR…】方々〜♫〜

<第4回 WEB誌友会 予告偏>
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/944 
                <つづく>                 No.1

442SAKURA:2012/07/12(木) 18:08:57 ID:jtL0zmY.
<つづく>                 No.2
>>441 続き投稿です…。

<第4回 WEB誌友会用テキスト>

■ 『生命の實相』 第1巻    
《實相篇(上) 光明の真理》 より(1)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/945 

《實相篇(上) 光明の真理》 より(2)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/946 

《實相篇(上) 光明の真理》 より(3)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/947 

《實相篇(上) 光明の真理》 より(4)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/948 

 《實相篇(上) 光明の真理》 より(5)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/949 

《實相篇(上) 光明の真理》 より(6)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/950 

《實相篇(上) 光明の真理》 より(7)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/951 
                        
《實相篇(上) 光明の真理》 より(8)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/952 

《實相篇(上) 光明の真理》 より(9)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/953 

《實相篇(上) 光明の真理》 より(10)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/954 

 《實相篇(上) 光明の真理》 より(11)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/955 

《實相篇(上) 光明の真理》 より(12)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/956 

《實相篇(上) 光明の真理》 より(13)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/957 

 《實相篇(上) 光明の真理》 より(14)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/958 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■尚!【聖典板…】と申しても、毎日“投稿する皆様…”の文が、やはり私も含め、
多々の方がいらっしゃいますものと思います…。その点、この前後は難しい〜〜く思いますネ!
従いまして、当然【奥殿入り…】になりますのは、致し方のない事で…と思いますが??
〜〜〜〜〜ア〜〜〜〜〜ッ!一時間足らず〜〜〜><ですもの〜〜〜ネ!「SAKURA」投稿文も…
再合掌

PS;今回【2か所…!!■WEB誌友会■部室板/3…“投稿”の形式をとらさせて頂きます…。

443SAKURA:2012/07/12(木) 18:47:21 ID:jtL0zmY.
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■上記投稿文>>441>>442に記載に記載させて頂いております「URL…」は、
何度も申します様に【復興G様…】の投稿されました“WEB誌友会…参考文章…”です。

此処に、さぞ!時間的・目の酷使?…考えますと本当に“感謝”申し上げます…。

■■さて!此処から“ブレイク”しまして…【一言…】
「復興G様」より「以降の投稿に関して」ですが〜〜〜
昨日?かなりの“ペ−ジ”に、一応!私も本日の【聖典投稿】どうしましょうかと???
気持ちの上で…【一瞬…】たじろぎましたが〜〜〜><
朝!!見ますと〜〜〜〜〜???
【hope様から==>訊け管理様==>志恩様==>商人==>SAKURA】ですが〜〜〜
その後の〜〜〜「志恩から更に別名4人のイヤミ」でしょうか〜〜〜しらン???
これが【学ぶ会…貴康先生擁護派】の…■【光明化の実態】なのでしょうか〜〜〜♫〜〜〜
と…思わずには居られませんでしたが???

■此処にては、私一人【現総裁雅宣先生派…】デスモノ〜〜!
それでこの様な“イヤミ”に成る事を〜〜〜〜〜されるのでしょうか???????
■■ 最後に!!!!!
私なりに【復興G様…の投稿して頂きました資料】此処で【再現…】させて頂きましたが?
本当に【復興G様…】ありがとうございます…。
                                   再合掌

444 志恩:2012/07/12(木) 19:33:53 ID:.QY5jUA6
SAKURAさま

WEB誌友会のご案内や、復興G様が謹写してくださったご文章を再度,貼って下さって、ありがとうございました。
SAKURA様が、私の今朝の聖典板での発言が、イヤミで言ったのか、ということですが、イヤミで言ったつもりは、ありません。

今朝、聖典板に、私は、ついうっかりと、聖典でない普通の会話を書き込んでしまいました。それで、書き込んだ直後に、それに気がつきましたので、
自省を込めて、普通の会話は、今後、部屋板のほうで……と、皆様に申し上げたのです。

以前も、実は、そういうことがあり、どなたかに「ここは聖典板じゃなかったかしら」と言われた事がある事も,思い出したのです。
SAKURAさまの場合は、真理から抜粋して書き込んでおられる部分もありますので、聖典板に書かれても、ちっとも、問題なかったと思います。

むしろ、
私は、商人様に対して,申し訳なかったと、反省しています。
久しぶりに、せっかく いらして下さったのに、お気を悪くされたかしらと案じております。
私は、批判するつもりで言ったのではないのです。また、こりずに、是非 いらしてくださいませね。

私は、総裁擁護派だからとか、本流復活派だからとか、以前から 区別していません。
違った意見には,反論はしますが、イヤミを言うという感覚は,持ち合わせておりません。

でも、掲示板での書き込みは、顔が見えない分、むづかしく、いやみにとられてしまうこともあるのは、
致し方ない事です。そのように、受け取られましたら、ごめんなさい。
いやみとして、私は、言っておりませんので、ご了承ください。

445 志恩:2012/07/12(木) 19:38:24 ID:.QY5jUA6
SAKURAさま

言い忘れましたが、
私は、みすはなまる様同様に、ときみつる会を応援している者です。

446商人:2012/07/12(木) 20:59:33 ID:mVEEHx/o
443>SAKURA様

商人です。

板を間違えて申し訳けありませんでした。
訊け様の文章を読んでいて、ついコメントしたくなり、どうもすみませんでした。
悪気はありませんので、すみませんでした。気をつけます。

師恩様
いつもありがとうございます。

優しいお心感謝いたしております。
また時間がありましたらお仲間にいれてください。

本当にありがとうございます。
商人

447如月:2012/07/12(木) 21:38:33 ID:ki/haAjk
復興Gさま

生命の実相の謹写を拝見しました。ありがとうございます。
大変な労力に何と感謝を申し上げればよいのか言葉がみつかりません。

とても読みやすいレイアウトで、しかも、他の投稿者さんと時間がかぶるのを避けて
深夜に掲載して下さっているという、どこまでも行き届いた心遣いに
こういうところからも、学びが始まっているのだと気付かせていただきました。

                                    感謝 合掌 拝

448>>447 訂正 如月:2012/07/12(木) 21:40:42 ID:ki/haAjk
実相 ×
實相 ○

訂正してお詫び申し上げます。

449Kジロウ:2012/07/12(木) 22:24:56 ID:VJun9unU
復興G様

テキスト書込みありがとう御座いますm(_ _)m

今週末は忙しいので、覗くたけになるかもしれませんが、多少なりともコメをいれれたらと思いますm(_ _)m

450SAKURA:2012/07/12(木) 22:33:09 ID:EYYbA066
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■■ 第4回 WEB誌友会 ■■
昨日…深夜近くから【復興G様… 下記の資料】が“投稿”されております…。
観覧者の皆様の中で、資料が手元に??の方は参考に“コピ−”されましたら
如何でしょうか?尚!【各板の閲覧する項目数】は、おおよそ“7投稿者メッセ−ジ”でしょうか?
従いまして、直ぐ【奥殿入り…】でしょうかしら〜〜ン!とりあえず【PR…】方々〜♫〜

<第4回 WEB誌友会 予告偏>
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/944 
                <つづく>                 No.1

451SAKURA:2012/07/12(木) 22:36:02 ID:EYYbA066
<つづく>                 No.2
>>450続き投稿です…。

<第4回 WEB誌友会用テキスト>

■ 『生命の實相』 第1巻    
《實相篇(上) 光明の真理》 より(1)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/945 

《實相篇(上) 光明の真理》 より(2)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/946 

《實相篇(上) 光明の真理》 より(3)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/947 

《實相篇(上) 光明の真理》 より(4)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/948 

 《實相篇(上) 光明の真理》 より(5)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/949 

《實相篇(上) 光明の真理》 より(6)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/950 

《實相篇(上) 光明の真理》 より(7)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/951 
                        
《實相篇(上) 光明の真理》 より(8)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/952 

《實相篇(上) 光明の真理》 より(9)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/953 

《實相篇(上) 光明の真理》 より(10)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/954 

 《實相篇(上) 光明の真理》 より(11)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/955 

《實相篇(上) 光明の真理》 より(12)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/956 

《實相篇(上) 光明の真理》 より(13)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/957 

 《實相篇(上) 光明の真理》 より(14)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/958 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■尚!【聖典板…】と申しても、毎日“投稿する皆様…”の文が、やはり私も含め、
多々の方がいらっしゃいますものと思います…。その点、この前後は難しい〜〜く思いますネ!
従いまして、当然【奥殿入り…】になりますのは、致し方のない事で…と思いますが??
〜〜〜〜〜ア〜〜〜〜〜ッ!一時間足らず〜〜〜><ですもの〜〜〜ネ!「SAKURA」投稿文も…
再合掌

PS;今回【2か所…!!■WEB誌友会■部室板/3…“投稿”の形式をとらさせて頂きます…。

452うのはな:2012/07/13(金) 09:28:16 ID:gTn97m6I

ローマ字さくらさんへ。

 貴方は、学ぶ会や介護業界には創価学会が多数入っているなんていうし、
 人が病気の話をすれば、たしか去年からだったのに生長の家では病なしなんて
 いいますのに〜〜なんて、教義を出してくるし、人の光明面より暗黒面をみて
 イヤミかしら〜〜〜と邪推するし、雅宣先生の讃歌には感銘を受けるし、
 なにをはなしてるのか聞き取るのに苦労することが多いし、まさに、
 今の生長の家の地方講師になるのにふさわしい方だと思いますよ。

 また、よろしくお願いします(なにが?)

453商人:2012/07/13(金) 12:33:12 ID:TCt66b8E
446>
志恩様
すみません誤字がありました。

あやまって師恩様になっていました。今きづきました。

どうもすみませんでした。

454 志恩:2012/07/13(金) 12:38:04 ID:.QY5jUA6
商人さま

ご丁寧に、ありがとうございます。
志恩は、仮の名ですので、師恩でも詩音でも、なんでもいいのです。気にしていないのです。
どうも、却って、すみませんでした。また、いらしてくださいませ。

455商人:2012/07/13(金) 15:37:07 ID:TCt66b8E
志恩さま

ありがとうございます。

感謝

456a hope:2012/07/13(金) 18:42:12 ID:kJvHf4/g
みなさま、こんばんは。

SAKURAさまが >>450〜<第4回 WEB誌友会 予告偏>を >>451〜 <第4回 WEB誌友会用テキスト>を貼り付けてくださっています。
ありがとうございます。
時間が迫ってきましたので、予告編だけもう一度再掲示させていただきますね。

<第4回 WEB誌友会 予告>

・《日時》 7月13日(金)夜 9時30分より
     7月15日(日)夜 11時30分まで(50時間)

・《場所》 WEB誌友会板

・《テキスト》 『生命の實相』第1巻の「實相篇」(光明の真理)【頭注版P41〜】

・《内容》 「物質無」の真理、メタフィジカル・ヒーリング(生長の家の健康学)

みなさまと一緒に、「真の生長の家」の教え「生命の實相」をお勉強できて、わたしは本当に幸せです。
それでは、またあとで。

457 志恩:2012/07/13(金) 19:42:23 ID:.QY5jUA6
a hopeさま
仕事があって、出られないとおっしゃってましたが、出席、出来そうなんですね、よかった〜。^^


復興Gさま

復興Gさまが、テキストを謹写して下さったお陰で、頭注版の「生命の實相」を拝読するより、
プリントアウトしたもののほうが、活字も大きいし、時々 行間も開けて書き込んで下さってますので、とても読み易くて、
ラッキーです。ご愛念,心から有り難く存じております。

トキさま、ご覧になってますか。
今日のWEB誌友会は、司会者、なしですね。

でも、復興G様、トキ様のご指導がありますので、大船に乗ったきもちでおります。
先日、WEB誌友会の事で,皆様と話合いをしましたときに、金木犀様が、どなたか、会の始まりに
「招神歌」と、その他どれか1つ、「真理の吟唱」の言葉を書き込んだらいかがでしょう、と言われていました。

私は、打つのが遅いから,間に合いません。
トキ様、復興G様、そういう場合、どなたに、「招神歌」の書き込みを、おねがいしたらいいですか?

どなたか、私が、書き込みますというごしんせつなお方が、いらしたら、お願いしますか?
ご指導をよろしくお願いします。

458復興G:2012/07/13(金) 19:49:26 ID:84pogn5s

如月様、 a hope 様、 志恩様、 みすはなまる様、 トキ様、 観覧車様、 SAKURA様、 商人様、 Kジロウ様、 うのはな様・・・・・・
皆々様。

合掌 ありがとうございます。

皆々様の並々ならぬご愛念に、深く深く感謝と尊敬の思いを表明させていただきます。

あと2時間弱で第4回WEB誌友会が正式開催ですね。

私は、すでに神様のお導きにより、誌友会が始まっているような思いです。
如月様のご発言を皮切りに、皆様がいろいろ言ってくださって、ありがとうございます。

私は、皆様をご指導するなどというおこがましい気持ちは持っておらず、私が一番学ばせて頂く側ではないかと思っております。すでに、いろいろ学ばせて頂いています。ありがとうございます。

今回は特定の司会者なしのまま、皆様がそれぞれ皆、司会者のお気持ちで取り組んで下さっているのですね。
ありがとうございます。

私が聖典板にテキストを謹写投稿しておきましたら、奥殿入りになった投稿文を、SAKURA様が、再度貼付掲載宣伝して下さいました。ご愛念に深く感謝いたします。ありがとうございました。

さて、皆様が司会者のお気持ちで、開会時の「真理の吟唱」や「祈りの言葉」なども、気がついた人が貼って下さるということでしたが、重複したり、遠慮なさってだれもしなかったり――ということがないよう、「自分がしよう」と思われた方は、実行準備される前に予告宣言していただくとありがたいかなと、思いました。いかがでしょうか、よろしくお願い申し上げます。

感謝 合掌 拝

459 志恩:2012/07/13(金) 19:50:43 ID:.QY5jUA6
ここのトキ管理人様の掲示板上での
WEB誌友会の会長さんは、

正式には、表立って言ってはいけないのかもしれませんが、復興G様が、陰の会長さんだと思っております。
副が、トキ様。

それで、復興G様、トキ様,すみませんけれど、わかりませんので、いろいろとご指示頂けませんでしょうか。
よろしくおねがいします。

460 志恩:2012/07/13(金) 19:55:21 ID:.QY5jUA6
458を読まずに、459を書き込みしました。
復興G様、失礼しました。ご指示くださって、ありがとうございます。

461トキ:2012/07/13(金) 19:59:46 ID:D0kMJKeY
 私などは、未熟者ですから、ご指導をいただくほうです。

462観覧車:2012/07/13(金) 20:00:18 ID:???
みなさま、ありがとうございます。

今日は早めにお風呂もすませ、ただいまパソコンを立ち上げました。
あと1時間半ですね。

どうぞよろしくお願いいたします。

463あさひ:2012/07/13(金) 20:01:42 ID:/3nxKE2Q

生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給え

吾が生くる吾が力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命

吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能

天地の祖神の道を伝えんと顕れましし、生長の家の大神守りませ。

464あさひ:2012/07/13(金) 20:10:30 ID:/3nxKE2Q

すみません。あわてて招神歌 書き込んでしまいました。ごめんなさい。

465復興G:2012/07/13(金) 20:25:43 ID:84pogn5s

>>464 :あさひ様。

ありがとうございます。

少し早かったかも知れませんが、もう始まっているようなものですから、
これで、開会の祈りとさせていただきましょう。

ありがとうございました。
感謝 合掌 拝

466SAKURA:2012/07/13(金) 20:26:19 ID:V.pKl3yA
うのはな様  へ

こんばんは…  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>452拝読させて頂きまして…
■ >貴方は、学ぶ会や介護業界には創価学会が多数入っているなんていうし、
 人が病気の話をすれば、たしか去年からだったのに生長の家では病なしなんて
 いいますのに〜〜なんて、教義を出してくるし、人の光明面より暗黒面をみて
 イヤミかしら〜〜〜と邪推するし、雅宣先生の讃歌には感銘を受けるし、
 なにをはなしてるのか聞き取るのに苦労することが多いし、まさに、
 今の生長の家の地方講師になるのにふさわしい方だと思いますよ。
また、よろしくお願いします(なにが?)< (投稿文抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■昨日“お返事”投稿させていただこうかと〜〜〜思ってましたが??
日中!私事にて……遅くなりましたのですが〜〜〜?そうです〜〜〜ネ!
この“投稿〜??”果たして〜〜〜【誉め言葉?嫌み言葉?〜〜〜】どちらかと?
随分【迷い〜〜〜?悩み〜〜〜?】抜きまして…最終的に【誉め言葉…】かしら〜〜〜ン?

何故って!■昨日の【心の法則…】にて……
ネガティブ感情・ネガティブ言葉???【人生…】を振り返りますと、【その通りの事が実現】ですモノ!
それならば…「人生劇場…常にポジティブ感!」で〜〜〜〜〜ゴ−!ゴ−!で〜〜〜す。

■■ですから〜〜〜最後の頂きました“言葉”
>今の生長の家の地方講師になるのにふさわしい方だと思いますよ。<…(抜粋投稿)
■「生長の家」の“地方講師”……目指しまして只今「勉強中…!!」

そして……私への“言葉”を頂きました事に〜〜〜“感謝”申し上げます。


                                               再合掌

467復興G:2012/07/13(金) 20:26:52 ID:84pogn5s

合掌 ありがとうございます。

私は、>>438でみすはなまる様が、そして>>440で志恩様が、「a hope様が本流掲示板でWEB誌友会の案内をされている」と教えてくださったので、そちらの方を見させていただきました。
そして、とても教えられました。

http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&amp;mode=res&amp;log=383
ですね。

このスレッドで投稿されている山科様のご指導は素晴らしいと思い、一部引用されている『生命の實相』第8巻第4章および第24巻p.88〜99全文を読み返しました。

いずれも、今夜からのWEB誌友会のテーマと深くつながるものだと思います。
特に後者は、今夜からのテキストで「病気はない」と宣言されていることの深い意味がわかるご文章ですので、少し長いですが、ここに謹写掲載させていただこうと思います。聖典引用板では、すぐに奥殿に入ってしまうおそれがありますので。長いですが、お許しください。

468復興G:2012/07/13(金) 20:35:08 ID:84pogn5s

(『生命の實相』第24巻「質疑篇」p.88〜99より)
<1>

二、現象なしの自覚について

(問)――病はないことはない。病は現象としてあるのである。それはただ実在ではないのである。それを「病なし」と言いきるのは言いすぎである。現象は無いことはない、現象を全否定してしまうのはまちがいである。現象は本体的実在ではないことはもちろんであるが、本体展開して現象となるのであって、現象なしと言いきってしまうのは奇矯だと言う人があります。(中根氏出題)

(答)――生長の家では「現象は実在でない、病は実在でない」という言葉を各所のページで説いておりますが、また時には、非実在と書いて「あらず」とか「ない」とかふりがなをつけたところもあります。が、近ごろはいっそう平易なわかり易い言葉で直截的簡明に「病気はない」「現象はあるように見えてもない」と力強く言いきることにしているのであります。わたしがなぜこう言うかは悟った人は知っていると思います。われわれが平常使っている言葉は、現象界を言いあらわす言葉であって、実相に直参する言葉ではありませんから、その言葉をそのまま利用して、至妙の実相に直参せしめるためには、普通とちょっと違う「奇矯に見えるかもしれない」言葉を使うのであります。言葉は月を指す指であって、言葉の表現にとらわれていては、月を指す指の形が太いとか細いとか議論していると同じで、いつも月が見えないことになるのであります。

「現象はない」という言葉をわたしが使うようになるには霊感的な導きはむろんありますが、わたしとしては人間的にもよほど苦心したのであります。第一、「実在」という言葉は哲学上の言葉でありまして、普通の人には(少なくとも中学程度卒業くらいまでの哲学的素養なき人には)理解しがたい言葉なのであります。「実在」とは何を意味するかということになりますと、大変むずかしいことになりまして、『生命の實相』のような大衆の光明化を目指している聖典には、こんなむずかしい言葉はなるべく少なく使いたいと思いました。ある信徒の方はわたしに「生長の家は高遠の真理を驚くほどやさしく書いてありますが、どうもまだ言葉がむずかしいと言う人が多いから、できるだけやさしく書いてくれ」というような注文もせられたのであります。いろいろ考えたすえ、この「実在」という哲学上のむずかしい言葉を、わたしはたんに「アル」または「本当にある」という言葉に代えたのであります。これを哲学的に理屈を捏ねて、実在でないというのと単に「ない」とは大いに意味が違うような言葉の穿鑿(せんさく)問題に浮き身をやつすのはまちがっているのであります。わたしの使っている言葉にはいろいろ平易化の上に苦心があるのですから、言葉で引っかかって揚足をとらずにその真意を知って実相に直参していただきたいのであります。が、「実在」と「アル」とはそんなに問題にするほど違いません。また、その逆、「実在でない」と単に「ナイ」とはそんなに違いません。「実在」という言葉はむずかしそうな言葉でありますけれども、英語では、“Being”すなわち「在ること」という字を使って「実在」と言うのであります。わたしはこの英語の易しさに感心しました。「実在」と言わずに「アルコト」とは平易で要をつくしています。「実在」が「アルコト」であれば、「実在でない」ことを「ない」と平易に言ったら、かえって平易でわかりやすいと思います。

 むろん、英語の“Being”を「実在」と読ませるにはBを花文字にしてあります。日本語には花文字がありませんから、花文字を使うわけにゆかないので、前後の関係で「実在でない」という意味をわからすように苦心した上で「ない」という言葉を使い、また時々、花文字の代わりに、その「ない」という言葉の所に傍点を付したりして、それとなく解るようにしてあるのであります。
<つづく>

469復興G:2012/07/13(金) 20:35:47 ID:84pogn5s

(『生命の實相』第24巻「質疑篇」p.88〜99より)
<2>

 生長の家で、「現象は無い、肉体は無い」とハッキリ「無い」と言いきることに反対する人に二種あります。その一説は、色即是空の「空」という字は単に「ない」という言葉と異(ちが)う、アルにはアルのであって何かアル、それは実在でないと言うだけだ、と言う人であり、その二は「諸法実相」という仏教上の言葉を「現象即実相」と解する人であります。ところが、仏典には「空」をハッキリ「無し」と断言してあるところもあります。『般若心経』にも「五蘊皆空」と書いてあって、その「空」を説明するためには、「色受想行識もまた無し」とか、「老死無し」とか、「老死の尽くることも無し」とか、仏教でもやはり「無い」という言葉を持ってきて説明するほかに仕方がないのであります。「老死」すなわち老いたり死んだりすることは現象でありますが、『般若心経』には「老死というものは単に無いのではない、現象としてはあるのである。実在でないだけである」というように、長たらしい緩慢な表現の仕方をしてないので、端的に簡明直截的に「老死無し」と一喝し、始めから人間に老死は無いのだから、これから悟って無くなるというようなものでないという意味をふくめて「老死の尽くることも無し」と言っているのであります。『般若心経』の用語などでも「空」とは単に無とはちがうというような批評をせられる人から見たら、「老死無し」というのは言葉が奇矯である。老死は実在に非ずと言わなければまちがっている。もし「老死無し」というような奇矯なことを『般若心経』に書いたら人心を惑わすものであると経文の結集(けつじゅう)者に抗議を申し込まねばならぬでありましょうが、その当時は言葉に引っかかる人がなく、用語がまずくても経文の神髄をつかむ人が多くて、その経を読んでも気狂(きちがい)になる人もなく、かえって気狂が治るくらいで、今に至るまで、この経文が改竄(かいざん)されたということを聴かないのであります。

 実際に『生長の家』を読んで「不完全な現象はあるように見えてもないのだ」また「ただ至妙の実相のみがあるのだ」と教えられても、続々と病気が治る、環境が治る、経済状態がよくなる実例があらわれるのはなぜでしょうか。はたして「現象はない」「病気はない」「不幸はない」等々……というふうに「ない」という言葉を使うことが、不適当なのであれば、そういうよい結果が起こることはありません。

 世間普通の人は、現象界の出来事は皆そのままあると思っているのです。それで、現象の一種である病気もあると思っている。老死もあると思っている。不幸も災難もあると思っている。あると思うがゆえに捉われ、捉われるがゆえに病気にかかりやすく、かかった病気が治りがたく、かえって老死を速め、不幸災厄の前に屈服してしまうのです。しかしそれらの不完全な現象は、「あるように見えてもないんだぞ」とわたしが掛け声をかけてあげると病気に崩折(くずお)れていた人が妙に立ち上がり、もう老衰していたと見える人が若返って白髪まで黒くなり、不幸の前に勇気を失っていた人が勇気を回復して事業に邁進成功し、意地悪の姑や、放蕩の良人(おっと)なども、あるように見えてもないんだぞと掛け声をかけると、そんな悪い姑や良人はない、神の子たる本当に深切な姑や良人ばかりがあると思って姑や良人に隔意なく事(つか)えるようになって、今まで地獄状態であった家庭が光明化した実例もたくさんあります。
<つづく>

470復興G:2012/07/13(金) 20:36:30 ID:84pogn5s

(『生命の實相』第24巻「質疑篇」p.88〜99より)
<3>

 「ない」という言葉と「実在でない」という言葉は哲学上の論議を交す場合には、あるいは厳密に区別して使わなければならぬ時もあるかもしれませぬが、生長の家でわたしが「ない」という言葉を現象に関して使う場合は、哲学上の理屈をこねるためではなく、老病不幸等(現象)をあると思って執着していて、かえって迷い苦しんでいる人に、その迷い苦しみを取り去るために、応病与薬的に投げかける喝であって、それが「言葉の薬」として実際的に迷いを去る上に効果を顕わして迷いが去り、老病不幸が治っていれば、それでわたしの目的はとげられ、信徒が『生長の家』や『生命の實相』を読む目的を達せられているのであります。

 たとえば、薬というものはたいてい毒性をもったものですが、病気に応じて、適当に調合して適量に用いると効くことがあります。現象界をあると思いすぎて執着し、苦しんでいる人に対しては、「ない」という端的直截な言葉が一等よくきくのであって、「ない、ない」と幾度繰り返しても、五官の方では常にあるように見えていて、「ある、ある」と主張してくれているのですから五官の方での「ある」という主張と、生長の家での薬語「ない」とが適当に中和して、迷いや執着を去る上に効果を奏し、事実上、実効上、病気が治り、不幸その他がいちじるしく癒やされているのですから、生長の家で、「現象は無い」という言葉を使うのは、その用法がまちがっていると言われないのであります。

 およそ薬というものは、薬それ自身に毒性があるから使ってならないというわけのものではないのであります。モルヒネは毒薬であっても、本当にそれがよく効いたら人間に適するようにしてそれを使えば、かえって胃腸病が治ったり神経衰弱が治ったりすることがあります。そうすると、モルヒネのような毒薬でも、本来毒であるか薬であるかは容易に分かるものではない、使いようによって毒ともなれば薬ともなるのであります。

 それと同じく、「無」という言葉も下手に使えば、人を気狂にするかもしれない、今まで哲学にかぶれて厭世自殺をしたり、仏教の「空」をさとったと思って隠遁生活をする人が出たりして、仏教は厭世思想だという悪評を受けたのも無を説き「空」を語る言葉の薬剤が、効きすぎたり、効かなすぎたりしたからであります。上手にこれを使えば、現に、生長の家のように病を治し、運命をよくするのであります。同じヨードでも、ヨードは普通なら細胞を破壊する激毒性がありますが、ある操作をこれに加えておくと強壮剤となります。「無」の言葉は今まで「ある」と思っていた現象を「ない」と言いきるのですから、ヨード以上に峻効をもっている。それを適当の効果を持たすように、文章の中にいわばコロイド状に組み込んであるのが『生長の家』であり、『生命の實相』であります。だから『生長の家』を読んで効くか効かぬか、薬になるか毒になるかは、読んだ多数実験者の実際例によって証明せられているのです。

 かくのごとく「無」の字は峻効を有するので、生長の家では、それが人間に働きかけて、生命を生かすので、有効無害の働きをするように、文章中に巧みに他の言葉と混ぜて調合してあるのであります。「無」の字、「ない」という言葉は、生長の家の発明でも発見でもありません。釈迦の昔からある言葉ですが、生長の家の独創的なところは、「無」の字、「ない」という言葉を、文章全体の中に織り込んであるその織り込み方にあるのであります。

 この織り込み方はわたし独特であって、わたし独特のインスピレーションによって書いてゆくので、誰にも真似はできないのであります。思想は真似はできても、言葉の調合は真似ができないのであります。だから、今までお経を読んでも聖書を読んでも治らなかった病気でも、その同じ真理が説いてある生長の家では、聖典を読んだり話を聴いただけで病気が治るのであります。
<つづく>

471復興G:2012/07/13(金) 20:37:07 ID:84pogn5s

(『生命の實相』第24巻「質疑篇」p.88〜99より)
<4>

 「現象はない」とか「病気はない」とかいう言葉は、語法が不穏当であるとかいって注意して下さるのはありがたいが、毒性峻烈なヨードでもヨード剤として特殊の分子構造のうちに結合せしめてヨードを安定せしめたときには無害有効となるがごとく、「無」の字の効果は峻烈であっても、わたしの書きまたは話す特殊の文章組織の中に結合せしめたときに効力が最も卓絶した薬物となるのであります。それで、『生命の實相』を読む人にはその人の心の中に、こちらで処方した「無」の字の一定刺激を連続的に与える方が効果がよいのであります。それで、生長の家で説いている「無」の字や、「現象はない」という語だけを抽出してその「無」の内容や効能を理屈でいろいろ詮議しても「無」の字の効果は、わたしの執筆全体にひろがっていて、はじめてヨード剤のように効果を現わしますのですから、単に「無」の字や「現象はない」の語句だけを抽出して語句の適否を非難することは見当外れです。ヨード剤でもその成分中のヨードだけを抽出して激毒性であると言って批評してみても、ヨード剤全体が効果を現わせばその薬は優良であるではありませんか。

 薬剤に併用禁忌の薬があります。たとえば鉄剤を飲んでから、タンニンを含有するものを飲むと、鉄とタンニンとが結合して、吸収不能のタンニン鉄になるのであります。生長の家で「病気はない、老死はない、不幸はない、あるように見えても現象はない」と言いきるところに飲み易い(無学者にも解り易いの意)美妙(びみょう)な言葉の鉄剤となるのですが、その「ない」という言葉に茶々を入れる批評を読むときには、その「茶々」の中にはタンニンが含まれていますので、そのタンニンがせっかくの「ない」という言葉の鉄剤と結合して吸収不能のタンニン鉄となり、読者の心に「無」の字の吸収を不完全ならしめ、心の鉄剤の効果を薄めますので、わたしはこれを避けたいと思っているのであります。

 近ごろ、生長の家思想の有名なると効果の顕著なるにつれて、その全体の思想を踏襲して、包装や名称だけを加えて、一旗あげてみようとし、かつあまり同じことを書いても受売りであると一見わかるので、同じ意味を異なる文章で書き表わし、「何々会」等という別異の名称で雑誌などを出される方がありますが、そういう雑誌の文章は「無」の字の言葉の調合法がちがうので、わたしの処方した「言葉の鉄剤」に「茶々」を入れることになります。茶々を入れられるとその人の心のうちで、「無」字のバランスがこわれるので『生長の家』を読んで万事好転していた人が、その種の雑誌を併用したために「無」字の鉄剤の吸収率が鈍ってふらつく人があります。そうしてその種の、雑誌の現象はあるとかないとか論じてある文章を読んだ日には、心のバランスが破れてなんとなく不安で、会社にいても思うように仕事が運ばなかったり、集金が集まらなかったり、ついぞ起こらなかった歯痛が起こってきた人などもあります。

 「無」を説くのは仏教でも、一燈園でも説いている。キリスト教でも解釈の仕様によれば「無」を説いているのです。生長の家と、それらの宗教とどこがちがうかと言いますと、「無」字の扱い方が「ない」と易しく言いきって、その「ない」がわたしの文章全体の流れの上に巧みに効果的に織り混ぜられていて、古今に多く類例を見ないような、読む人のこころに端的に作用して、病を即座になおすほどに心の解放を与え、「無」を説くとも隠遁的にならず、厭世的にならず、かえって積極的な活動力を与える点にあるのであります。むつかしい複雑な「無」の理論をお読みになりたければ仏典にはいくらでも複雑なものがありますから、『大乗起信論』でも、『大般若経』でもお読みになるとよいと思います。この問題については「善き樹はよき果実を結ぶ、果実を見てその樹の良否を知れ」というキリストの言葉でお答えしたいと思います。理屈でその樹は悪い果を結ぶはずだという理論が通りましても、実際その樹が善き果を結ぶ場合には理論の方にまだ気づかれない欠陥があるのです。理論で宗教で病気が治るはずがないと結論されても、実際に治る以上はその理論の気のつかないところに真理があるのです。真理というものは多数決の理屈で定まるものではありません。そういう論議を読むのに費やす時間がありますならば、言葉をよく調合せしめたる――「無」字を巧みに調剤してある聖典『生命の實相』を幾度でも繰り返し読んで、少しでもいっそう深く悟りに入られるよう希望致します。

472復興G:2012/07/13(金) 21:17:07 ID:84pogn5s

さて、「真理」とは何でしょうか。「絶対的真理」というものがあり得るでしょうか。

本流対策室板の>>1823で金木犀様が紹介してくださっている YouTube の「異次元は存在する」というリサ・ランドール博士の講演
http://youtu.be/arKlj3pJQnc

を、面白く拝見しました。
そして、『今を生きる――服部仁郎氏と生長の家』という本の第1篇「奇蹟の人」の扉裏に書かれてある文章を思い出しました。一部抜粋します――

  ==========

 五官の目より見れば、人間は肉体であり、有限であり、病み、老いそして死ぬ者である。しかし、それ以上のものを知る者は幸である。

 いまここに、(二次元平面の世界に住んでいる)ナメクジの夫婦がいるとしよう。そしてそれを眺めている人間がいて、花嫁のナメ子さんをつまみあげ、どこか別の揚所へ移してしまったとしよう。夫のナメ吉氏は、愛妻の突然の蒸発に驚き、嘆き悲しむ。やがてまた、可衰そうに思った人間が、ナメ子さんを夫の所へ連れて来て置いてやったとしよう。ナメ吉氏は驚いて、われに天佑神助の奇蹟ありと喜ぶだろう。

 人間はタテ・ヨコ・厚みの三次元の世界に住んでいる。そして、五官の感覚によってはこの三次元の世界しか感じられないから、その範囲で説明のつかないようなできごとに出くわすと、ナメクジのナメ吉氏のように、これは奇蹟だと驚く。そして、そのようなできごとは、なるべく否定したがるもののようである。しかし、事実は事実であって、否定できない。

 生ける宗教は、五官の世界、三次元の世界を超えた本源の世界を教えるものである。だから常識から見れば奇蹟と思われるようなことが起るのが、あたりまえなのかもしれない。

  ==========

――これは、「異次元は存在する」というリサ・ランドール博士の話に通じるものですね。
リサ・ランドール博士の研究でも、素粒子が突然消滅することがあり、それは三次元あるいは時間を一つの次元に数える四次元をも超えた五次元世界が存在すると仮定すれば、別次元(異次元)の世界へ移動したと考える考えることによって説明がつく、といわれるのです。

異次元世界が存在することを証明するのは極めて困難なことでしょう。なぜなら、私たちは五官を通しては四次元時空間に展開された現象以外に見たり考えたりすることができないのですから。

この世界(現象世界)には、「絶対的真理」というものは存在しないと考えられます。

今夜からのテキスト、『生命の實相』第1巻「實相篇」に出てくる「エーテル」のことも、とても考えさせられる面白い題材だと思われます。

まもなく正式開会の時間になりますね。

では、どうぞよろしくお願い申し上げます。

473復興G:2012/07/13(金) 21:26:56 ID:84pogn5s
(谷口雅春先生『真理の吟唱』より)

「繁栄と健康と幸福を得る祈り」

 わたしは神の子である。一切の現象界の喧噪を超えてわが心ひたすら神に向かうのである。静けさの中にわたしは現象を超えて神に直接触れるのである。而して神より、生命と愛と力と勇気と智慧のインスピレーションを受けるのである。
 かくてわたしは必要に応じて神から適切なるアイディアを受けとるのである。新しき有効なるアイディアはわが脳裡に閃くようにあらわれる。わたしはそのアイディアを見のがすことなく、聴きのがすことなく、直ちに実行に移すのである。アイディアは実行に移さなければ煙のように消えてゆくものである。それは実相世界より出で、現象界の時間空間の世界に種まかれる。時間空間の世界にそれを発芽させ、生長させ、花をひらかせるのは、人間の役目であるのである。もし人間が実相世界からアイディアを受けながらそれを発芽させ栽培し、生長させることがなければ、アイディアの種子は実相世界へ還り行くことになるのである。
 わたしは今、心をひたすら神に振り向け、実相世界のアイディアに波長を合わせて、あたかも優秀なるテレビ・セットに、放送番組を受像するが如く、天国の状態をわが住む世界に実現するのである。それゆえ、神の聖なる計画は着々としてわが住む世界に実現し、わが行くところに必ず地上天国は実現するのである。
 わたしは今、地上に天国を建設する使命を受けて地上に降誕した天使であるのである。わたしは、愛語と讃嘆と和顔とによって地上に天国を建設するのである。わたしは万物に感謝し、万物を讃嘆し、万物を祝福する。私に讃嘆されたるものは必ず讃嘆されるにふさわしい実相の善さを発揮し、わたしに祝福されたるものは必ず祝福の功徳によって健康となり、繁栄し、悲しみは消え去り、悦びはくるのである。それゆえに私は健康の天使であり、繁栄の天使であるのである。
 わが権威は神より来るのである。わが権威と能力とは神より来ることを知るがゆえにわたしは決して傲慢にならないのである。わが能力は、わたしが神の導きに対して、最も謙虚にへりくだりて従順に随いたる時に最もよく発揮せられるのである。わたしは体験を通して神への従順は人間の権威であることを知るのである。それゆえに、われ常に自己を空しくして神の導きを受け、受けたる導きはすぐそれを実行に移して、一歩一歩この世界に地上天国を建設するのである。神はわが一歩一歩を祝福し給う。それゆえにわたしの行為は誤ることなく適確に功を奏するのである。神に感謝し奉る。ありがとうございます。

474如月:2012/07/13(金) 21:30:33 ID:ki/haAjk
 谷口雅春先生 『真理の吟唱』 より

    「ただ善のみ実現するための祈り」

 私の生命は 神の生命が地上に自己実現するために肉体として出現したのである。
 だから肉体はただの物質ではないのである。
 わたしの肉体は神の生命の顕現体である。
 それゆえに常に完全であり、健康であり、幸福であるのが本来の相である。
 だからわたしは決して病気だとか、不健康だとか、不幸だとか、貧しいとか言って
 呟くことをしないのである。
 悪しき事を想念して呟くのは、「言葉の創造力」の逆用である。

 わたしは今、一切の消極的なものの考え方、自己劣等感を棄て去ったのである。
 未だかって、私に関して如何なる”悪しきこと”も起こったことはないのである。
 私は一度も病気をしたこともなければ、一度も災難を受けたこともなく、一度も貧しかったことも
 ないのである。
 
 病気や災難や貧乏の経験が過去にあったと思うのは、それらはただ白日の「夢」でしかなかった
 のである。
 現象はただ「夢」でしかないのである。
 実相においては、常に 私 は健康であり、完全であり、裕かであり、すべての善き事物が
 ことごとく整えられ備えられていたのである。
 
 今日より後、わたしは現象界をも、自分の意のままに支配するのである。
 「夢」が自己の想念の具象化であるように、現象界も自己の想念の具象化であるのである。
 だから、自己の想念を支配することによって現象界の出来事を支配し得ることは
 当然だと言わなければならないのである。
 
 神は法則として宇宙に充ち満ちてい給うのであるが、法則には、わたくしの差別意志は
 もたないのである。
 神は決して、人間に自己の意志を強制し給うということはないのである。

 法則は、酸素に水素を近づけなかったならば水を具体化することを強制しないのと同じように
 私たちが、心に不完全や不幸や病気を想念しないかぎりは、それらが 私 たちに関して
 具体化してくることはないのである。
 何でも心に想うことが現象界に実現し、心に否定するものが現象界から消滅するのが
 法則なのである。

 今より後、わたしは、ただ自己の実相の完全さのみを想うのである。
 されば、私は 次のごとく想念する。

 「 私は 神の子であり、善であり、完全であり健康であり、無限の進歩向上であり、裕かであり
  幸運にめぐまれており、家族すべて仲好く、あたかも地上天国のごとき生活を送るのである。」

 このように、私は常に想念に”善き事”のみを念ずるのである。
 だからその念ずる言葉のごとく、"善き事”のみが 私の身辺には起こってくるのである。
 神がこの真理をわれらに知らしめ給うた事に対して無限の感謝の意を表し奉る。
 ありがとうございます。

475復興G:2012/07/13(金) 21:33:44 ID:84pogn5s

時間はたっぷり、50時間ありますから、あわてる必要はありませんね。

ゆっくり急いでまいりましょう。たのしい宇宙旅行へ・・・・・

476トキ:2012/07/13(金) 21:34:21 ID:D0kMJKeY
 ありがとうございます。宜しくお願いいたします。

477如月:2012/07/13(金) 21:37:35 ID:ki/haAjk
復興Gさまありがとうございます。
トキさまありがとうございます。
すでに、色々とご準備いただいております皆様心より感謝申し上げます。

遅くなって申し訳けございません。
大急ぎで準備して再び参加させていただきます。ありがとうございます。

478SAKURA:2012/07/13(金) 21:45:11 ID:V.pKl3yA
復興G様 ヘ
こんばんは…      ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

大変御無沙汰いたしております…。(横スレ〜〜〜で、失礼致しますが?)
■昨日からの【WEB資料】を、投稿して頂きました事に、深く感謝申し上げます…。

そして、本日からの【WEB誌友会開催…50時間!!】楽しみに致しております次第です…。
いよいよ〜〜〜〜〜♫〜〜〜〜〜【宇宙旅行船〜〜】に〜〜搭乗させていただきま〜〜す。
【50時間…宇宙旅行!!!】楽しみ〜〜〜ですネ!!

                                               再合掌

PS:少し〜〜〜小惑星旅行…に行ってきますが〜〜♫〜〜

479a hope:2012/07/13(金) 21:50:57 ID:kJvHf4/g
復興Gさま、如月さま

真理の吟唱の謹写、ありがとうございます。

また、復興Gさまは、『生命の實相』第24巻「質疑篇」 二、現象なしの自覚について を全文、謹写くださりありがとうございます。
わたしは、まだ全文拝読していなかったので、とてもお勉強になります。
本当に、今回のweb誌友会の<内容>「物質無」の真理、メタフィジカル・ヒーリング(生長の家の健康学)に、深く関係していますね。

今回は、時間がたっぷりあるので、ゆっくり自分のペースで考えられるのでいいですね。

宇宙旅行、わたしも十分楽しめそうです。

480トキ:2012/07/13(金) 21:51:56 ID:D0kMJKeY
>>472

 『今を生きる――服部仁郎氏と生長の家』という本の存在は知りませんでした。
紹介していただいたお話も、分かりやすい話だと思います。
 貴重なお話を紹介して下さり、ありがとうございました。

481みすはなまる:2012/07/13(金) 21:58:29 ID:ZAz7ASpg

有難うございます。

復興Gさま、如月さま

真理の吟唱を謹写頂いて有難うございます。
どうぞ、宇宙旅行よろしくお願いします。

482復興G:2012/07/13(金) 21:59:51 ID:84pogn5s

如月様

「真理の吟唱」ありがとうございます。
読みやすく区切ってあって、うれしく魂にしみいります。

SAKURA様

【宇宙旅行船〜〜】に〜〜搭乗〜〜
ですか。ワクワクしますね。

私もちょっと〜〜小惑星旅行…に行ってきますね。

483a hope:2012/07/13(金) 22:06:50 ID:kJvHf4/g

頭注版P42《扉裏の言葉》の冒頭の言葉に、

「自性(じしょう)円満の「生命の実相(ほんとうのすがた)」を大悟すれば、忽然(こつねん)として病自消す。」

とあります。
わたしは初めてこの文章を読んだ時、この生長の家のメタ・フィジカルヒーリング(神癒)さえ体得すれば、
これからの人生は怖いものなしなのだと思いました。

聖典「生命の實相」には、その真理と方法が誰にでもわかりやすい言葉で、詳しく丁寧に説明されています。
これからも、素直な気持ちで「生命の實相」を心をこめて読み進んでいけば、自分にも「生命の実相(ほんとうのすがた)」は大悟できるわけですから、
わたしは、毎日ワクワクしながら「生命の實相」を拝読しているのです。

484SAKURA:2012/07/13(金) 22:30:52 ID:V.pKl3yA
こんばんは…… 
>>472拝読しまして
■>さて、「真理」とは何でしょうか。「絶対的真理」というものがあり得るでしょうか。<

■■【真 理】…単純に〜〜【SAKURA】 の“解釈論”を申し上げます…。

私に取りまして【真理…】とは、身近な事?簡単な“モノ”では?
と…この頃!痛切に思います…。
何故なら【幸福論】この事を、だれしも探し求めていますものと、思います…。
■【人を活かす!!!生かされる!!!】此の“原動力”が〜〜〜【真理】と思います。

例えば“笑顔”・“会話”…そうです!【賛 嘆…!−−>ポジティブ感−−>笑顔】思います…。
そうしますと、相手も「ポジティブ感…」お互いに活かされる事になるのでは??
当に!【人を活かす!!!活かされる!!!】繋がるものと思います…。今!を活かした事に…!
■今!今!を活かす事が【生長の教え】です〜〜ョネ!
「今を活かす」と言いますと、【今の流れを活かす事…】だとも、思う次第なのですが〜〜〜?

■昨日!何度も得しました様に、私は「ある女性」その人を見まして 、
いろんな「人生劇場」を見させて頂きましたが〜〜〜!
「或るおばさん」は、歌唱力が上手なのに〜〜〜“笑顔”が足りないので〜〜〜><
ある男性も“笑顔”が足りないので〜〜〜【人生の勝者…】は、やはり!!!
■【言 葉 は 神】ですから〜〜〜【姿=笑顔】で〜〜〜しようかしら〜〜〜ン!

■【活かす=笑顔】は、人を受け入れる“原動力”…『天国の門への第一歩』ではと思います!!
活かす!【世の為〜人の為〜活かす事は、自分を活かす事にも〜〜更に!調和が出て来ますから〜】
こうして考えていきますと“当たり前が一番”いい様にも思えるのですが〜〜〜

まず!恐縮ですが?此の様な観点から、私は入って行こうと思います…。
■【今!今を活かす…】此処から〜〜始点として参ります。
今から…「資料熟読中…」

485復興G:2012/07/13(金) 22:47:41 ID:84pogn5s

>>483 :a hope様。

小惑星旅行から帰ってまいりました。

>>「自性円満の「生命の実相(ほんとうのすがた)」を大悟すれば、忽然として病自消す。」<<

――素晴らしいことですよね。

そして

>> 医者を英語でフィジッシャン(physician)といいますが、メタフィジカル・ヒーリングを行なう人はメタ・フィジッシャン(meta-physician)というべきであります。フィジッシャンはフィジックすなわち物質的なものに頼って病を癒そうとする人でありますが、メタフィジカル・ヒーリングを行なう人はメタ・フィジッシャンすなわち哲学者として、物質発生以前の原理の体得者でなければならないのであります。……昔はメタ・フィジッシャンといえば机上で宇宙論や実在論を唱えるだけの哲学者のことを申しましたが「生長の家」の皆さまは「哲学を生きる人」または「哲学を実生活する生活者」という意味でのメタ・フィジッシャンになっていただきたいのであります。<<

とつづくわけですね。私もその 《「哲学を生きる人」または「哲学を実生活する生活者」という意味でのメタ・フィジッシャン》 でありたいと、決意を新たにしました。

>>素直な気持ちで「生命の實相」を心をこめて読み進んでいけば、自分にも「生命の実相(ほんとうのすがた)」は大悟できるわけですから、わたしは、毎日ワクワクしながら「生命の實相」を拝読しているのです。<<

すでにあなたは神のいのちを生きていらっしゃるのですよ。よろこびましょう! バンザイ!

486 志恩:2012/07/13(金) 22:48:05 ID:.QY5jUA6
雅春先生は、「實相篇(上)光明の真理」①で

「精神力で病気を治療するさいに最も邪魔になるものは、
病気なるものが、動かしえざる物質的根拠をもっているという一般人の信念であって、この信念を根本から
打ち破っていかなければ、病気の根源を絶滅するということが出来ないのであります。そこで物質とは、本来「無」であること、
。。。。。。。。。。「すべての物はコトバにて造られる」すなわちコトバ(心の波動)が、万物の創造の創造者であるということ、
これが根本的にわかってきたとき、はじめて、われわれは本当に完全なメタ・フィジッシャン、すなわち物質にとらわれない哲学者に
なれるのであります。」

と、ありますが、現代の波動医学というのでしょうか、脳医学というのでしょうか、その医学も進歩しまして、雅春先生が説かれた
この主張が、正しい事が,証明されておりますので、うれしいことです。

人間の脳は、今現在、世の中に存在する 最も高性能の最速コンピューターよりも、さらにすばらしいことは、周知のことですが、
そのコンピューターよりすばらしい頭脳を、
”理想とする健康状態を自分のものにするために”、どのように活用すればいいか…

脳には、今現在の状況を 把握するという知覚能力もありますが、実際には、「ない」ことを思い描く、想像力も装備されています。

そのとき、注目される脳の特性とは、脳で描いた内容が、イメージ上のものであろうと、実際に起きた内容であろうと、脳自体は、
どちらも実際に起きたというふうに認識、そして、記憶するという点にあるそうです。

ですから、実際には、病んでいる状態の自分自身が、今ここに居たとしましても、「健康である自分の姿」を心の中でイメージし続ければ、
脳は、「自分は健康である」と、自覚するそうなのです。

この場合、脳は自分にとって、都合のいいものから優先順位を付けるようですから、たとえ、今の状態が如何に悪くても、どんどん
良いイメージ情報を脳の記憶層に送る事により、脳に記憶される内容が,悪い情報から、良い情報へとすり替えられていくようです。

そうなりますと、脳の記憶に蓄積された「情報通りの良き姿」、つまり、「本来の健康の姿」になっていく現象が、現実に起こって来るようです.

「生命の實相」を読んだり、練成会に参加したりして、即病気が治るのは、「病なし」の真理に脳が、急撃され、前から脳に蓄積されている
病念が、一気に浄められ、一気に健康体が,現われる現象なのかもしれません。

生長の家の教えは、空想で終わらず、イメージしたものを、実生活に実現させることで、救われる 意義深い教えだと思っております。

487復興G:2012/07/13(金) 23:05:27 ID:84pogn5s

>>484 :SAKURA様。

>さて、「真理」とは何でしょうか。……
■【人を活かす!!!生かされる!!!】此の“原動力”が〜〜〜【真理】と思います。<

私も、その通りだと思いますね。
【人を活かす!!!生かされる!!!】此の“原動力”。

それは、現象界の物質・肉体を超えた、超次元の世界なる、一つの大生命から来ると私は信じます。

私が>>472
>この世界(現象世界)には、「絶対的真理」というものは存在しないと考えられます。この世界(現象世界)には、「絶対的真理」というものは存在しないと考えられます。<

と書いたのは、「絶対的真理」は、この世界(現象世界)にはなく、現象界の物質・肉体を超えた、超次元の世界にある。その「絶対的真理」こそが唯一の実在である、と信じているわけです。

そうすると、ありがたくて、思わず笑顔がほころびますね。

488 志恩:2012/07/13(金) 23:26:16 ID:.QY5jUA6
『毒矢のささった』例えのお話なので、病気というより怪我の部類になりますけれど…

「哲学を生きる人」というお言葉をお聞きして、少し前に調べたことを、思い出しました。
スターダスト様から、阿含経のことを教えていただきましたので、阿含経の頁を調べていて、見たのです。

 〜毒矢のたとえ〜(お釈迦様)

「ある時、人が毒矢に射られたとする。
 ところが、もしもそのとき、その射られた人の傍にいた哲学青年が、
 かけつけてくれた医者に対して

 「この矢を射たのは、一体だれであるのか。 
  弓は、どのようなものであるか。
  弦(つる)は、何でできているか。
  矢羽は、どんな鳥の羽であるのか。
  それが、わからないうちは、矢を抜くな。」と言ったら、矢を射られた人は、それが分る前に死んでしまうであろう。

  必要なのは、まず毒矢を抜き、応急の手当をすることである。」

 なんだの かんだのと、哲学的なことを考えても、この世に現実としてある様々の苦しみが、なくなるわけではない。
 重要なことは、その苦しみをなくすには、どう手助けするかということだ。

 (これは、哲学に満足のいく答えを気かぬうちは、修行に励む気がしないという哲学青年に向かって、お釈迦様が
  説いたものだとされています)

489 志恩:2012/07/13(金) 23:34:29 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

脳の波動医学ではなくて、それらを超えた超次元からの、1つの大生命からくる真理によって、本来、完全円満の
実相の健康体が、実現するということですね。
教えてくださって、ありがとうございます。

私が、昔、一瞬にして、重度の腎臓病が消えたのは、それかもしれません。

490 志恩:2012/07/13(金) 23:38:25 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

WEB誌友会ですので、違うと思われた事は、遠慮なくおっしゃって、おしえてくださいませ。^^
勉強会ですから、ご指導ください。
私は、なにを言われても,大丈夫です。反論したいときは、させていただきますけれど、

491a hope:2012/07/14(土) 00:01:32 ID:kJvHf4/g
>>485復興Gさま

(P44後ろから7行目)
>> 精神力で病気を治療するさいに最も邪魔になるのは、病気なるものが動かしえざる物質的根拠をもっているという一般人の信念であって、この信念を根本から打ち破って行かなければ病気の根源を絶滅するということができないのであります。そこで物質とは本来「無」であること、仏教でいえば「色即是空(しきそくぜくう)」すなわち「色(しき)」(物質)とは畢竟(ひっきょう)「空(くう)」であるということ、キリスト教でいえば「すべての物はコトバにて造らる」すなわちコトバ(心の波動)が万物の創造者であるということ、これが根本的にわかって来たときはじめてわれわれは本当に完全なメタ・フィジッシャンすなわち物質にとらわれない哲学者になれるのであります。昔はメタ・フィジッシャンといえば机上で宇宙論や実在論を唱えるだけの哲学者のことを申しましたが「生長の家」の皆さまは「哲学を生きる人」または「哲学を実生活する生活者」という意味でのメタ・フィジッシャンになっていただきたいのであります。<< 

この部分に、わたしは赤線を引いてありました!

①昔のメタ・フィジッシャン(meta-physician)= 机上で宇宙論や実在論を唱えるだけの哲学者
②本当に完全なメタ・フィジッシャン(real-meta-physician) = 物質にとらわれない哲学者、「哲学を生きる人」「哲学を実生活する生活者」

メタ・フィジシャン(哲学者)にも、二通りの意味があるのですね。
そして、雅春先生は、「生長の家」の皆様には、②の物質にとらわれない哲学者、「哲学を生きる人」「哲学を実生活する生活者」になっていただきたいと述べられていますね。
わたしも、そうなりたいと思います。

>>すでにあなたは神のいのちを生きていらっしゃるのですよ。よろこびましょう! バンザイ!<<

素晴らしいお言葉、ありがとうございます。
神のいのちを生きている自分を喜んで、今夜はそろそろおやすみしたいと思います。

また、明日参加します、

それでは、わたしの愛する「生長の家のみなさま」、今夜は宇宙旅行の素敵な夢を見てくださいね!
おやすみなさい。

492復興G:2012/07/14(土) 00:03:37 ID:84pogn5s

>>486 : 志恩様。

レスが遅くなり、すみませんでした。

「スタンフォード大学の神経科学教授であるカール・プリブラムは、
『人間の大脳の中には、宇宙全体の情報が巻きこまれている』という。……
 これが事実なら、人間は誰でもとてつもない可能性を持っていることになるのであり、これらの可能性をなんらかの方法で開発することができるならば、人間はすばらしい能力を発揮することができるようになる。
 この可能性を開発できる方法とは、このような可能性が無意識に実在することを信ずることにほかならない。信じて意識で一生懸命に努力すれば、この意識の努力の極限において無意識からのひらめきがあって、奇蹟と思われるようなことが起こる」
 と『精神科学』昭和61年5月号の「談話室」欄に、経営心理研究所長の松本順氏が書かれていました。

カール・プリブラムの論は面白いと思い、ちょっと勉強してみようかなと思ったりしていますが、まあこれも現象界の科学のことですね。

現象界の科学には、「絶対的真理」はあり得ないと、私は思っています。

科学の進歩によって、人間は宇宙の神秘を次々に開示し、理論で説明できるようになってきました。
しかし――たとえば、天動説から地動説によって天体の運行の法則が明らかにされてきました。では、地動説が絶対的真理かと言えば、そうでもない。地動説が絶対ならば、新幹線が時速300kmで走っているというとき、地球の自転・公転の速度を考慮に入れて絶対速度を測っているかと言えば、そんなことはしない。地球は動いていないとする“天動説”で測定している。

ニュートンの発見した万有引力の法則は大発見だったが、それはアインシュタインの特殊相対性理論によって、絶対的真理とは言えなくなった。アインシュタインはすべての事象を一つの理論で説き明かそうとしたが、失敗に終わり、特殊相対性理論も、その後の量子力学によって、絶対的なものではないと否定された。……

テキストの『生命の實相』第1巻「實相篇」に書かれている「エーテル」というのは、主に19世紀までの物理学で、光が伝播するために媒質として必要と考えられたもので、アインシュタインの特殊相対性理論などの理論がエーテルの概念を用いずに確立され、「エーテル」はもはや廃れた物理学理論の一部であると考えられている。
しかし、「エーテルは存在しない」というのが絶対的真理かと言えば、そんなわけでもなく、将来また「エーテル」論が復活する可能性もないとは言えない。

この『生命の實相』頭注版編集の時、東大大学院で物理学を専攻していた宇佐美誠二氏(後に横浜国大教授)が、『生命の實相』にエーテル論が採用されていても、宗教的真理を説くために、「無」の別名として使われているので問題ではないと、谷口雅春先生に進言された。それで、エーテル論はそのまま今でも頭注版に採用されて「物質無」が説かれているのですね。

493 志恩:2012/07/14(土) 00:10:26 ID:.QY5jUA6
私は,最近、波動医学についての文章をよみまして、別の角度から見ました雅春先生の「病なし」の真理が、
精神医学的にも証明されてきたことを喜んでいたのです。肉体以外のエーテル体(オーラ、霊体)、アストラル体(幽体)その他についても
宇宙空間から大生命からのいのちのおかげで、活性化されていることも実証されてきましたので、
この「生命の實相」哲学は、現代でも十分に通用する真理である事が,分りまして,誇りに思っているところです。

しかし、このWEB誌友会は、「生命の實相」以外の事には,触れない方がいいのでしょうか。
生命の實相の勉強会ですから、、

494復興G:2012/07/14(土) 00:15:25 ID:84pogn5s

志恩様は、随分いろいろと、新しい分野のことも勉強していらっしゃいますね。

尊敬しちゃいます。私も、まだまだ勉強しなくちゃ。

ありがとうございます。

では、また明日。おやすみなさい。

495 志恩:2012/07/14(土) 00:39:03 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

ご丁寧なお返事をありがとうございました。復興G様は、宇宙物理学についても
勉強されてたのですね。宇佐美誠二先生、お懐かしいです。
今回、勉強する生命の實相に、エーテルのことが、よく出て来ますので,私も、ネットで
「エーテル」のことをあらためて,調べていました。
それには、
エーテルは、否定されたけれど、結論としては、エーテルの実在性は、完全には
否定されていないといえる。とありました。

アインシュタインが相対性原理を最も根本的な原理として考えたのに対し、特殊相対性
理論の基礎を造ったローレンツは、相対性原理の根本がエーテルであると考え、
「長さの収縮」や「時間の遅れ」に表されるように、物体の特性は、エーテル中の運動に
より変化すると考えた。アインシュタインとの違いは、長さや時間について絶対的な基準
を設けることを可能と考えるか否かである。これは物理哲学の問題であるため、決着は
ついていない。従って,エーテルの存在は,完全には,否定されていないと言える。

ですから、復興G様がおっしゃるように、エーテル論が,復活する可能性はないとはいえない、と
言えるようです。

496復興G:2012/07/14(土) 05:09:01 ID:84pogn5s

志恩様

>>アインシュタインが相対性原理を最も根本的な原理として考えたのに対し、特殊相対性理論の基礎を造ったローレンツは、……<<

あ、私が<アインシュタインの特殊相対性理論……>なんて書いたのは間違ってたわけですね。事ほどさように、私の勉強なんていい加減なものです。「ちょうどよい加減」ならいいんですが、科学的なことはきっちり勉強していないということです。志恩様の向学心はたいへんなもので、感心させられます。いろいろ教えてくださって、ありがとうございます。

それにしても、見えているものが見えているとおりに存在する、固体は固くつまった物で不可入の存在であると素朴に考えている人々の常識を打ち破り、物質は心の影、映像にすぎないのだから、心でどのようにでも支配できるのだということを、納得できるように、谷口雅春先生は、言葉を尽くしてやさしく説いてくださっているのですね。

宇宙空間にエーテルが詰まっているという考えは、「高天原に神詰まります」という天津祝詞を想起させます。
その神は「隠り身」で身を隠していらっしゃる……。

ところで志恩様、前の方の>>486にさかのぼりますが――

>>脳には、今現在の状況を 把握するという知覚能力もありますが、実際には、「ない」ことを思い描く、想像力も装備されています。<<

と書かれている、“「ない」こと”というのは、常識では、病人においては健康状態が“「ない」こと”ですけれども、生命の実相哲学、「生長の家の健康学」では、病気が“「ない」こと”であって、“病気”はウソの情報である。たとえ病気にあらわれて見えていても、それはナイ。神のつくり給わないものは、夢まぼろしに過ぎず、無い! それが真実の情報である、と確信することですよね。「病気は無い」というのは単なるイメージ情報ではなく、実在の本当の情報である、というのが生命の実相哲学、「生長の家の健康学」であると思います。その信念が確立するように、谷口雅春先生は言葉を尽くして真理を説いて下さっていると思います。だから、『生命の實相』を、もっともっと読まなくては……。

生長の家教団の現状も、いわば病気の状態でしょう。しかし、「病気は無い!」 「争いは無い!」 「すでに大調和がある!」 というのが真実の実相で、今の状態は、『生命の實相』を本当に読んでいない、メタ・フィジッシャンになりきっていない私たち信徒の心の影、夢まぼろしの映像かも知れませんね……。

では、神想観をいたします。

497復興G:2012/07/14(土) 05:53:43 ID:84pogn5s

皆様、おはようございます。

今日もたのしい宇宙旅行ができますように。

私は午後から地上の誌友会がありますので、一時宇宙船から離れ地上に戻ります。でも、夜にはまたスペースシャトルで宇宙船にドッキングしますので、よろしくお願いいたします。

>>489 : 志恩様

>>脳の波動医学ではなくて、それらを超えた超次元からの、1つの大生命からくる真理によって、本来、完全円満の実相の健康体が、実現するということですね。……
私が、昔、一瞬にして、重度の腎臓病が消えたのは、それかもしれません。<<

差し支えなかったらその、「一瞬にして、重度の腎臓病が消えた」という体験のことを、語っていただけませんか。

498 志恩:2012/07/14(土) 08:01:04 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

おはようございます。復興Gさまは、午後からは、宇宙船を離れて地上へ戻られ,夜には、またスペースシャトルで宇宙船にドッキングされるそうですね。(笑)
地上での誌友会から、宇宙での誌友会から、ご指導にお忙しいのですね。復興Gさまが、お元気でいらして、ほんとうにうれしいです。このように、われわれは、直接、
ご指導いただけるのですから。

昨日,WEB誌友会板に、復興Gさまが、謹写されたご文章も、プリントアウトさせていただきましたが、私にとりましては、昔から読み慣れている筈のご文章なのですが、
すごく新鮮に感じています。

「現象は実在ではない、病は実在ではない」という真理で、現象を思い切り断ちきり、、至妙実相に直入する心境になれる オリジナルの雅春先生の芸術的文章力にも、
今更ながら感動しているところです。

でも、新鮮に感じるのは、頭で分っていたつもりで、実は、分っていない。という点も多々あると思います。
そいう自分を発見することも、面白くてわくわくする体験ですね。

宇宙空間にエーテルが詰まっているという考えは「高天原に神詰まります」という天津祝詞を想起するというのも実感していることです。
1つ1つ、そのように想いを致して、神想観を続けてきました。

最近なんですよ、物理、科学、精神医学の本も 読んでみようと思いましたのは。
私は,今迄、それらを出来るだけ、避けていましたからね。

読んでみようと思いましたのは、初心者様のおっしゃることが、さっぱり分らないので、例えば、「ヒモ理論」なんて、ちんぷんかんぷんでした。
それで、私は、ヒモのさきっぽのところでも、理解してみたいと最近、思ったのです。初心者様のお気持ちを理解できないかしら、と思ったのです。
しかし、その専門書を買って読んでみましたが、ほとんどわかりませんでした。
でも、それらを、かじった程度でも知ったことにより、一層 雅春先生の説かれた真理の、ほんものさと、重厚感を感じる事が,出来ました。

精神医学も波動医学も現象医学の1つです。それは、現象面を研究したものなので、必ず行き詰まりがあります。
それより先の、実相へ直参しなければ、解決出来ない問題は、山積みだと思っています。

私の高校時代のクラスの担任の先生は、生命の實相をさしあげたら、ご縁があり、感動されて、ご自分で全巻買って読破され、8つもあった病気が、全部きえたのだと
お手紙をいただきまして、私の結婚式に出席してくださり、その体験談を祝辞代わりに述べてくださったことが、ありました。

親戚のおばさんも、5つも6つもあった持病が真理を読んだことが、きっかけで、全部消えて、すっかり生長の家に はまりました。
まだまだ、数知れず、神癒の体験は、ございます。生長の家の本を読んで、病が消えるというのは、事実なのです。

だけれど,中には、病気が、治らない人も居ました。それは、病という悪に見える物のお陰で、その人なりの課題をあたえられたことによりまして、魂が磨かれ、
魂が進化しているのあり、病も悪ではないと、教えられてきました。

私が、重度の腎臓病が、一瞬に完治した話は、小学2年のときの体験です、最近、ここの掲示板で発表したことがございました。でも、これは、
生長の家へ入信するまえのことで、宗教とは、まったく関係のないところでのこと、ヒマラヤ聖者さんのおかげのことなので、すみませんが、
省かせていただきます。

その後、数年して、母と私が,生長の家に入信させていただく、ご縁をいただきましたのも、前もって
そのような奇蹟の体験を得ていたことで、目に見えない世界の実在を信じていたからだと思います。

499 志恩:2012/07/14(土) 08:07:40 ID:.QY5jUA6
みなさま、
せっかく、復興Gさまが、ご指導下さっていますので,私は、朝は、いろいろと
ご飯のしたくとかありまして、しばらく引っ込みますので、
みなさま、
どうぞ、どしどしご発言くださいませ。

500a hope:2012/07/14(土) 08:21:45 ID:kJvHf4/g

みなさま、おはようございます。

復興Gさまが>>472で紹介して下さった、
『今を生きる――服部仁郎氏と生長の家』という本の第1篇「奇蹟の人」の扉裏に書かれてある文章の、
なめくじの夫婦のお話と、金木犀様が紹介してくださっているという
リサ・ランドール博士の消えた素粒子のお話はとても興味深かったです。

人間は現象世界だけを見つめて生きていると、五官の世界で判断できることから、
真実(真理)を見つけようとしてしまうのですね。
でも、わたしたちは、現象世界を、それぞれ別の見方や考え方でとらえるわけですから、
これぞ「真実(真理)だ」と思うこともそれぞれ別々になってしまうので、
共通の「絶対的真理」などと言う事は、現象世界ではあり得ないという事でしょうか・・・うーん 難しいですね。

今回のテキストの範囲に詳しく説明されている、エーテルも、
わたしたち人間には見えず、聞えず、触れることもできない、無味・無臭の存在なのだそうですね。
だからこそ、昨晩、志恩さまと復興Gさまがお話されているように、このように科学で色々なことが証明できるようになった現在でも、
その存在の有無ははっきり断言できないのですね。

(つづく)

501a hope:2012/07/14(土) 08:30:12 ID:kJvHf4/g
>>500つづき)

しかし、わたしは生長の家人ですから、「生命の實相」を素直に読み進んでいきたいと思います。

わたしは、(P49の7行目〜)エーテルと大自在の大聖者とを同様に考えている所が面白いと思いました。

>>……エーテルはここにもその無礙自在な特性を発揮していて、われわれの測定機にはかからないのであります。ここが面白いところで大自在の大聖者がわれわれの判断の測定にかからないと同様であります。
エーテルはこのようにわれわれがその実体を測ってやろうと思うと何もない。しかもそれはわれわれに光と熱とをつたえてくれるのでありまして、それはまた大聖者がとらえどころのない自由な人格でありながら光と熱とをわれわれに与えてくれるようなものであります。……<<

さらに、(P51の6行目〜)
>>このようにエーテルという実体はわれわれに光と熱とを与えてくれ、あらゆる生物に生命力を与えてくれ、われわれの眼をひらいて物の色や形の美しさを見せてくれていながら、自分自身の姿を顕わさないのでありますから、人類はながい間、このエーテルという霊妙不可思議体の存在を知らなかったのであります。十九世紀の初めになってその存在にうすうす気づいた先覚者が出てきました。ところが、その後またエーテルの存在を否定する学者が出てきたりしまして、やっと最近になって電気磁気の実験はもちろん、ラジオなどの日常目的にこのエーテル波動を利用する装置が発明せられるようになり、とうていこのエーテルの存在を否定することができなくなったのであります。
 かくのごとくこのエーテルという霊妙な実質の波動によってわれわれは日々生存しなくてはならないエネルギーを供給されているにもかかわらず、人間はついこの間までエーテルなんてものは存在しないと思っていた。なんでも人間というものは、触ることも眼に見ることもできないものは存在しないと考えたがるものであって、無神論、無霊魂論などというものも五官ばかりにたよろうとする、こういう人間の弱点から出発しているのであります。<<

エーテルと言うのは、人間の五官では感じる事ができないけれども、
人間や他の生物を生かしてくれている大切な存在なのだという事がわかりました。
そして、五官にばかりたよって現象世界の不完全さばかりに捉われていると、
わたし達にとって本当に大切なこと(生命の實相…神…真理?)が
何時まで経っても判らずじまいになってしまうのではないかと感じました。

>>496

>>生長の家教団の現状も、いわば病気の状態でしょう。しかし、「病気は無い!」 「争いは無い!」 「すでに大調和がある!」 というのが真実の実相で、今の状態は、『生命の實相』を本当に読んでいない、メタ・フィジッシャンになりきっていない私たち信徒の心の影、夢まぼろしの映像かも知れませんね……。では、神想観をいたします。<<

と復興Gさまもおっしゃっていますが、今、わたしたち「生長の家人」に大切なのは『生命の實相』を心読して、
神想観をして、わたしたち一人一人の「内なる神」を顕現させることなのではないかと思いました。

ところで、今日は 復興Gさまの地上の誌友会に行かれ、御指導されるようですね。
わたしも、今日は午後から仕事ですし、午前中は他の用事で忙しいです。
また、夜、拝見したいと思います。

今回のweb誌友会の内容は、ちょっと難しいですが、志恩さまも>>499でおっしゃっていますが、
このように復興Gさまのご指導を受けられるチャンスはなかなかないと思います。
みなさんがテキストを読んで、赤線を引いたところを紹介されるだけでも、きっとお勉強になると思います。

みなさま、どうそ気軽にご参加くださいね!

502如月:2012/07/14(土) 09:43:58 ID:ki/haAjk
ありがとうございます。

難しいお話をされていますね。 レベルの高さにドキドキしてしまいます。

ここでグッとレベルが下がります。
この「メタフィジカル・ヒーリング講座」は何と六年にわたりて連載されたという事で
私などは凡人なので、当時の人は六年間も病気のままだったのだお気の毒…と
思ってしまいました。

しかし、>>498の志恩さまのお話では生命の實相を読んで病気が治った人も
治らなかった人もいるという事でした。

当時も、もしかしたら一回目の講座だけで病床から立ち上がった方もいらっしゃっただろし
連載終了後も寝たきりの方がいらっしゃったかもしれません。

その差は、素直に信じるという事なのでしょうか。
でも、それだと何でもかんでも信じるというリスクを犯してしまう事になりますよね。

だから、その場合は自分の中にあるホンモノと比べるのではないかと思いました。
嘘ばかりの人間だと、ホンモノのサンプルが無いから照らし合わせようが無い。

しかし、日頃から精進し自分の中にホンモノがたくさんある人はすぐに照合できて
すぐに信じられたという事ではないでしょうか。
だから、生長の家の本を読み、スッと入ってこられる方は、そういう資質を持たれている方だと
私は思います。

503トキ:2012/07/14(土) 09:46:11 ID:ehXo8Epw
>>492

 生命の実相のエーテルの掲載には、そんな裏話があったのですね。
御教示、ありがとうございました。

確かに、生命の実相で大事なのは、現象無し、の悟りですから、物理学での
見解の変化などにこだわるのは意味がないかもしれません。

宇佐見先生は、神誌にもよく登場された立派な先生でした。夭折されたのが
惜しまれます。

504みすはなまる:2012/07/14(土) 10:11:42 ID:2hVK8sCk
皆さま おはようございます。

昨夜はあれから寝てしまい
これから出掛けますので、夜遅くなると思いますが、参加させてもらいたいと思います。

少しだけ…拝読し感じたことは
エーテルとこの度発見された、神の粒子とよばれる粒子ですが、何か時代越えても共通するものであるような感じを受けました。
科学的な検証では、共通しないかもしれませんが…。

ふとした思いまでで…すみません。
また、夜遅くに参ります。

505復興G:2012/07/14(土) 11:19:17 ID:84pogn5s

>>498 志恩様

詳しく長文のレス、本当にありがとうございました。こちら、超亀レスですみません。

>>親戚のおばさんも、5つも6つもあった持病が真理を読んだことが、きっかけで、全部消えて、すっかり生長の家にはまりました。
まだまだ、数知れず、神癒の体験は、ございます。生長の家の本を読んで、病が消えるというのは、事実なのです。
だけれど,中には、病気が、治らない人も居ました。それは、病という悪に見える物のお陰で、その人なりの課題をあたえられたことによりまして、魂が磨かれ、魂が進化しているのあり、病も悪ではないと、教えられてきました。<<

人生の本当の目的は魂の進歩にあるわけですよね。
「無相円相一切相の神示」に
 「吾が臨(きた)れるは物のためではない、生命のためである。肉のためではない、霊のためである。これを覚るものは少い。物の生滅に心を捉えられ、物が殖えたときに信仰を高め、物が減ったときに信仰を失い、身体が健康になったときに神を讃え、家族の誰かに病気が起ったと言っては信仰を失うが如きは、神を信じているのではなく物を信じているのである。物は結局移り変るものであるから、物の御利益の上に建てられた信仰は、物の移り変りによって壊れるのである。神が病気を治して見せるのは、肉体は心でどうにでも移り変らせることが出来ると言う事実を見せて、『体』は念(こころ)の影だと言う真理をさとらせるためである。…(中略)…汝ら心して真を知れ。汝たちも神の子であるから我れと同じきものである。肉体は汝の一つの現れであって汝の全相ではないのである。」

とありますからね。

現在は、生長の家草創期に服部仁郎氏が体験されたような奇蹟的治病体験などは少なくなっていますが、上記の神示をかみしめて、本当に「神の子」の自覚を深めるチャンスなのかも知れませんよね。
ありがとうございます。

506復興G:2012/07/14(土) 11:37:05 ID:84pogn5s

トキ様、 a hope 様

>>500
>>復興Gさまが>>472で紹介して下さった、
『今を生きる――服部仁郎氏と生長の家』という本の第1篇「奇蹟の人」の扉裏に書かれてある文章の、なめくじの夫婦のお話と、金木犀様が紹介してくださっているというリサ・ランドール博士の消えた素粒子のお話はとても興味深かったです。
人間は現象世界だけを見つめて生きていると、五官の世界で判断できることから、真実(真理)を見つけようとしてしまうのですね。<<

ありがとうございます。
『今を生きる――服部仁郎氏と生長の家』という本は新書判の小さい本でしたが、その第1篇「奇蹟の人」の扉裏に書かれてある文章の元ネタは、橋本健氏著『四次元世界の神秘』という本にあります。
『今を生きる』の編集者が、橋本健氏の了解を得て、借用したものだと聞きました。
橋本健氏著『四次元世界の神秘』には、もう少し詳しく書かれていますから、それをコピペさせていただきましょう。

これを読むと、一層リサ・ランドール博士の説をもっとずっと早くに橋本健氏がおっしゃっていたことがわかります。

ちなみに、橋本健氏は昭和23年東大電気工学科卒の工学博士で、生長の家本部講師として谷口雅春先生の随行をされたこともある方でした。

507復興G:2012/07/14(土) 11:38:36 ID:84pogn5s

(橋本健氏著『四次元世界の神秘』より)

   二次元世界の生物は三次元をどう見る

 われわれが四次元のことを考える前に、二次元世界の生物――二次元しか知ることのできない生物がいたとして、その二次元の生物は、三次元のわれわれをどう見るでしょうか、一つ考えてみることにしましょう。

 第1図が二次元の世界、すなわち平面の世界です。ここに厚みのないナメクジが二匹、ナメ子とナメ吉が住んでいると仮定してみましょう。二匹は二次元の生物ですから、この平面のことしか知りません。

 この二匹を箱入娘に育てるためには、第1図のように、矩形を書くだけで、もうこの二匹は、この四角形から外に出ることはできないのです。平面上に書いた四角形、これが彼等二次元の生物から見れば、絶対の石壁になるわけです。この紙の外にわれわれ人間がいることを、彼等は知ることができません。

 ところで、われわれ三次元の人間からは、二次元のナメクジをよく見ることができます。そこでわれわれが、あまり二匹のナメクジが仲がよいのでちょっとうらやんで、「ナメクジのくせにナメ合ってやがってナメーきな奴だ」ナメ吉をとっちゃえ……とばかり、ナメ吉を紙の外につまみ出したとします。そうすると、ナメ子にとっては、突如としてナメ吉が消えたと思うわけです。

 そこでナメ子は、ナメ吉をたずねて三千里、二次元の世界をたずね歩いたとしても、ナメ吉はもはや二次元にはいませんから、見つけることはできないのです。「ああナメ吉は神かくしにあってしまった」とナメ子はなげき悲しむでしょう。

 それを見ていた人間が、あわれに思って、ナメ吉を二次元平面の世界に返してやるとすれば、「アッ、突如としてナメ吉が出現した! 奇跡だ!」とナメ子は狂喜することでしょう。

 しかし不思議だ、こんなことはあるはずがない、とナメ吉は物理学者になって、二次元の物理学を研究したとしても、彼は人間を見ることができないので、二次元だけの研究では、どうしてこんな奇跡が起きたかを知ることはできないのです。

 「ああ、わが二次元の物理学行きづまれり」といって、ナメ吉物理学者はなげくでしょう。

 このように、三次元のわれわれは、二次元世界の住人に対しては、神の如き、生殺与奪の力を持っており、物質消滅、物質出現の奇跡を行なうことができるのです。

 つまり、日本銀行の金庫の中に密封してある金塊やダイヤモンドも、四次元世界の住人にとっては、われわれが、紙の上に書かれた四角形が何の邪魔にもならないと同様、金庫の鉄壁は四次元の生物にとって何の邪魔にもならずに、スルスルと通り抜けることができるのです。

 四次元の生物がいたとすれば、それはわれわれにとって、神のようにどんな奇跡でも行なうことができるはずです。

 そして四次元を仮定しなければ説明のできない現象が、宇宙科学時代の今日この頃、われわれの近くに起きているのです。

   三次元の影が二次元にどう映るか

 二次元の生物であるナメクジは、三次元の生物である人間を直接見ることはできないのですが、もし影が映ったとしたら、その影は二次元ですから見ることができるのです。……(後略)

508復興G:2012/07/14(土) 11:44:55 ID:84pogn5s

つまり、三次元のわれわれは、二次元世界の住人に対しては、神の如き、生殺与奪の力を持っており、物質消滅、物質出現の奇跡を行なうことができる。

そのように、三次元(あるいは四次元時空間)を超えた別次元にいる神秘者、高級霊などの存在を、物理学者も認めざるを得ないような時代がやってきつつあるのかも知れませんね。

509復興G:2012/07/14(土) 11:48:30 ID:84pogn5s

補足ですが、橋本健氏が「四次元世界」と言っておられるのは、「時間」を次元の一つに入れないでの話です。

510復興G:2012/07/14(土) 11:53:05 ID:84pogn5s

>>504 :みすはなまる様。

そして皆々様。

私もこれから出かけますので、次は夜にまた・・・・たのしく続けましょう。

よろしくお願いいたします。

511 志恩:2012/07/14(土) 12:42:19 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

2次元の世界の生き物、ナメ吉とナメ子の話は、とても愉快ですね。
2次元世界のナメ吉とナメ子は、平面世界に住んでいても、線しか認識しないんですよね。
例えば、われわれが、白い紙の上に、コーヒーをこぼした場合、ナメ吉とナメ子は、可哀相なことに、模様を見る事ができない。
線しか見えない。われわれが、コーヒーの模様を見ることができるのは、紙の真上から覗いているからにほかならない。

ナメ吉たちが、2次元の生き物だと認識できるのは、われわれが、3次元から 見下ろしているから認識できる。
しかし、時間やその他の概念を加えると、われわれの世界が、4次元だと認識できるのは、われわれが、4次元どころか、4次元以上の生き物である…という
ことになるでしょうか(笑)

意識は、4次元、肉体は3次元か……

たまに、意識が4次元以上の人間が居ます。そういう人間は、『永遠の今』とか『宇宙はひとつの織物』なんて表現がでる派。
あと、「霊」「オーラ』「妖精」とかも すらすらと、口走ったりする。
そういう人間は、5次元意識の生き物といえるのかもしれません(笑)

512 志恩:2012/07/14(土) 12:52:04 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

橋本 健 博士著「四次元世界の神秘」のご紹介、感謝いたします。
昔、神誌「精神科学」に、サボテンに関することで博士の記事が載っていたことを思い出します。

513 志恩:2012/07/14(土) 13:08:48 ID:.QY5jUA6
トキ様、あさひ様、SAKURA様、如月様、ahope様、みすはなまる様

WEB誌友会でのコメント、たのしく拝見させていただきました。
ありがとうございます。
2回目までは、遠慮して観覧席におりましたが、今回は、ちゃんと参加するようにと、
皆様から背中を押されて、このように出ておりますが、

なんか、私が昨夜から多く発言しているために、
私が、皆様の大事な復興G様を独り占めしてしまってるような感があり、大変申し訳ない
気がしています。

私は、発言するより、ほんとうは、見ている方が,すきなのです。
皆様、どうぞ、なんなりとご発言くださいますようにお願いします.

514如月:2012/07/14(土) 13:22:27 ID:ki/haAjk
志恩さま、そんな事気にされないで下さい。

志恩さまに発言していただくと、とても勉強になりますので喜んでいます。

うちは、昨晩スーパーから持ち帰った段ボールの中にゴキブリがいて

それがスクランブルをかけて来た後、行方不明で家中パニックです。

ときどき、私だけ抜け出して誌友会に参加しています。

515金木犀:2012/07/14(土) 13:37:25 ID:2NPr9/wE
おはようございます。

今、皆様の投稿を読んでいて、あまりの高度な議論に、ただただ素晴らしさにうっとりとした気持ちで
書き込みを追っていました。特に志恩様はほんとによく勉強されるのですね。
しかもきちんと自分の言葉にして話しておられてよくわかります。復興G様の博識にも驚きです。

『今を生きる――服部仁郎氏と生長の家』の中のナメ子トナメ吉のお話は、むかし橋本健氏の本で読みました。
そのナメクジの話は例えが面白かったので印象に残っています。
エーテルの話を読むと、私はいつも「神は一切所に遍在し給う」という言葉を思い出します。
エーテルは物理的に考えだされたものではありますが、一切を産み出す無、そして隙間なく存在するもの、
神そのもののその性質を象徴化したものという感じが致します。

ところで、物質はないという真理は、根本の真理の一つですが、今の物理学では物質を
細かく分析して、とうとうこれ以上は分解できない素粒子を見つけ、
さらには、それが、振動するエネルギーのひもだと言う所まで来ていますが、
いくら物質の原理が解き明かされても、人間は物質ではないという真理に変わりはなく、
また物質とは、心が化したものであるということも真理だと思いますから、
これらのひも状のエネルギーもヒッグス粒子も、
エーテルの捉え方が進化したと考えればいいのではという気もします。

62ページの
自己の生命の霊妙さの自覚――これすなわち仏教でいえば正等覚(さとり)を得ることであり、キリスト教でいえば神の子としての自覚を得ることであり、古神道でいえば「尊(みこと)」としての大自覚をうることであります。この大自覚に達するのがあらゆる宗教の目的――いな、人間そのものの目的であり、この大自覚に達すれば、自覚した程度にわれわれに宿っている生命力は発現するのでありますから、キリストのように他人の病気を一言でなおしたり、釈迦のようにいろいろの神通力を発揮することもできるわけで、むろん自分が病気で苦しんだり、生活難で苦しんだりするような、不如意不自由な状態は消滅してしまうはずであります。
 
この人間は霊的存在であるという自覚のもとでは、病気も一瞬にして治癒してしまうこともあるというのは、
復興G様の仰ったように、高次元の存在がちょっと手を加えられたのかも知れませんし、
あるいは、人間自身の本来の實相からの正しい投影が、一瞬にして高次元から届いた
とも言えるのではないでしょうか。
この3次元空間に住んでいると思っている我々の肉体は、
実は高次元にいる我々の影であり、本体ではないと雅春先生は仰っています。

『神人に語り給う』のなかの「本来生、不滅の神示」では、
「物質界は念に従って生ずる念の映像なるが故に、従ってまた滅すれども、『人間』は本来物質界に生ぜざるを以て又滅すると云う事もない。人間は本来『生』である。」
と書かれています。我々は、一度もこの3次元空間に生まれでたことはないのだということです。

物理学者が、吾々はこの次元に張り付いているから、
他の次元に移動できないと言っていても、それは肉体という影の話で、
他の次元世界があれば、おそらく吾々のより高次の魂は、
自由自在に移動できるのではないかと考えます。
もしかしたら霊魂進化の高い段階であれば可能ではないかとも思ったりします。

516トキ:2012/07/14(土) 16:48:54 ID:ehXo8Epw
 橋本健博士のお名前を聞いて、懐かしく思いました。

 橋本博士は、確か、最初、学界に信仰に関連する論文を出して問題視されたので、
科学分野での実績を上げる事に方針を転換され、いろいろな業績を上げられたと聞いております。
 全く知らない人に真理を説く場合の心構えとして、考えるべきですね。

 ただ、ナメクジの喩えは、自分も笑えないです。神様から見たら私もナメクジみたいな存在かもしれません。
ここは、謙虚に真理を学びたいと思います。

 志恩様、どんどん発言をして下さい。楽しみにしております。

517如月:2012/07/14(土) 18:25:40 ID:ki/haAjk
ナメクジの話は私も身につまされました。
謙虚に学びたいと思います。

今日、甘露の法雨をあげる時に生命の實相40巻をグッと縮めたものが
甘露の法雨だと教えていただいたのを思い出し
今回のメタフィジカルが、どの部分に当てはまるのだろうと
考えながら読んで驚きました。 全項目が当てはまりました。
だから、聖経をあげるだけで病気が癒されるのだと納得しました。

別スレでアクエリアンさまが応援してくださっていますね。
アクエリアンさまありがとうございます。
組織 板
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322573377/913-914

518トキ:2012/07/14(土) 20:10:35 ID:ehXo8Epw
>>505

>>現在は、生長の家草創期に服部仁郎氏が体験されたような奇蹟的治病体験などは少なくなっていますが、上記の神示をかみしめて、本当に「神の子」の自覚を深めるチャンスなのかも知れませんよね。
>>ありがとうございます。

 確かに難しい問題です。例えば、遠隔地の人から相談を受けた場合、以前なら地元の教化部を紹介できたのですが、今は、少し慎重になってしまいます。
それは、組織の状態が昔とは変わって来たからです。

 自分自身、真理の勉強がまだまだなので、以前は、神誌や普及誌を渡していました。が、最近は、
内容が環境方面に偏重しているので、渡しても、あまり反応がよくないのです。ただ、本日、思った
のは、やはり自分が勉強をしないといけない、という反省です。

 もともと、文書伝道の意義は、真理が間違いなく伝わるという点でした。
そこで、自分が真理を勉強し、間違えなく伝える、という覚悟をしないといけないと
感じた次第です。

520アクエリアン:2012/07/14(土) 22:02:13 ID:y9HkOCcQ
如月様

ご紹介ありがとうございます。

生長の家の教えは、難しい。

これが現在の、率直な心境です。

いまだに、生長の家の教えについては初心者という心境ですので、この誌友会を拝読させてもらいながら、学ぶさせてもらっています。

以前、大論争掲示板で、ハンドルネーム難破船という方が、今後の生長の家のあり方として、ニューソートの団体として、やっていくべきだ、と書かれていて、大いに、賛同したものです。

そして、ニューソートと言えば、ユニティ教会が、真っ先に、出てきたというわけです。

ここは、ネット活動は、非常に洗練されていて、生長の家も、大いに学ぶところが、あるのではないか、そういう思いで紹介させてもらいました。

521SAKURA:2012/07/14(土) 22:07:25 ID:V.pKl3yA
トキ様 ヘ
復興G様 ヘ

こんばんは…  ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
昨日は、途中にて「小惑星…宇宙旅行」を〜〜〜先程まで“再度”しまして〜〜〜
…今!皆様の“投稿文”拝読させていただいております…。

■私事ですが…本日【14日…亡き母の命日】でしたので…私も【霊界…】を少し〜〜〜
亡くなりました時の「母の魅霊様」を、見ましてからは〜〜〜♫〜〜〜
つまり!この時は【心霊現象…】と云うべきでしょうか??いろいろ考えてしまいました。

「谷口雅春先生の言葉」の中に…
■『我々の心霊現象研究の目的は出生前および死後の生活がありうるか、肉体の死後、
霊魂は存続するかについて正しい知識を得ることである』…
この様に霊魂の世界も現象世界であって「実相」とはちがうのですよ〜〜〜ネ!
そして、「霊界…」の存在を、初めて分かりましたので、本当に驚くと同時に、これは
ボ〜〜〜〜〜〜〜ッとした“人生”ではと、考えを新たに思いました…。
「徳久先生」も同じ事を、記載されています書物がありますモノ!
此処で新たに【死後の世界…】の存在を〜〜〜〜〜自覚しました…。

■「亡き母」は、最後まで『意志力…』の強さを、私に教えてくれた様に思います…。
口癖のように「後!1年〜〜〜90歳まで〜〜〜」この言葉を私に〜〜♫〜〜
本当に【言葉の力…】のよって、自分自身の【心を支配】するすべを…
知っていたのでしょう…。
そして「直前までの母の肉体」は、傍から見ましても【老化…】は感じませんでした…。
この事も…『心の法則』

■【不 老 長 寿 の 秘 薬 … 心 に あ る !! 他 の ど こ で も な い】
今回!!「復興G様」の「誌友会資料」参考に拝読させて頂きながら〜〜〜
個人的に、考えさせられた「一日…」でした…。
                                再合掌

522みすはなまる:2012/07/14(土) 22:49:39 ID:VYVSpdT.
有難うございます。

復興Gさまの、>>507のなめくじの話ですが、大変興味深く読ませていただきました。
うちには、猫がいますので、猫の目線ではどのような世界が展開されているのだろうかと、猫と一緒に猫の目線で過ごした時間がありました。
しかし、猫が冷蔵庫の上に上がると、視界が一気に開け360度展開観察するのです。
なめくじと猫では違いますね。余談になりました。

しかし、なめくじの話を聞いて古い古い先人のことを思いました。
現代人と比し、感覚や直感が研ぎ澄まされていたとききます。
先人は既に、四次元〜五次元であったのだろうかと思ったのです。

今は便利な手段が沢山ありますから、感覚的にも退化している…それは肉体的にですが、あるのかと感じます。
ですから、神想観が大切なのですね。

>>513 志恩さま

お気になさらないで、沢山ご発言をお願いします。
志恩さまは、幅広く勉強されており、大変勉強させて頂いてます。
大切な先輩でらっしゃいますので、よろしくお願いします。

523復興G:2012/07/14(土) 23:14:23 ID:84pogn5s

合掌 ありがとうございます。
遅くなりました。
PCのトラブルもありまして、やっと状態が調いました。
宇宙船にドッキングです。

>>515:金木犀様。
ご参加、ありがとうございます。
ナメクジナメ子とナメ吉のお話も、橋本健氏の本で読まれたことがあったんですね。
また、きっちりとテキストを引用してのご発言も、さすがです。
>>62ページの
自己の生命の霊妙さの自覚――これすなわち仏教でいえば正等覚(さとり)を得ることであり、・・・<<

この「正等覚(さとり)」について、谷口雅春先生の「久遠の今」というご講義は、超次元の深い真理が語られていると思われます。以下――

http://www.youtube.com/watch?v=e2ol5ztA3z8
http://www.youtube.com/watch?v=lDSwsxbLfes

>>516:トキ様。
>>橋本博士は、確か、最初、学界に信仰に関連する論文を出して問題視されたので、科学分野での実績を上げる事に方針を転換され、いろいろな業績を上げられたと聞いております。全く知らない人に真理を説く場合の心構えとして、考えるべきですね。<<

そんなこともあったのですか。よくご存じですね。
橋本氏は発明家としても有名で、電光掲示板や、エレクトロニクスに関する特許をたくさん持っておられるということは聞いていました。学会でのことは、さもありなんとは思われます、私も少し似たような体験がありますから――しかし、橋本氏にそのようなことがあったとは知りませんでした。東京杉並の荻窪にお住まいの時、ご自宅を訪ねて歓待して頂いたこともありましたが……。

>>517:如月様。
>>今日、甘露の法雨をあげる時に生命の實相40巻をグッと縮めたものが甘露の法雨だと教えていただいたのを思い出し、今回のメタフィジカルが、どの部分に当てはまるのだろうと 考えながら読んで驚きました。全項目が当てはまりました。だから、聖経をあげるだけで病気が癒されるのだと納得しました。<<

すごい!

組織板でのアクエリアン様の応援メッセージのことも、ありがとうございました。

アクエリアン様。
>>この掲示板で、これからの人類光明思想運動の大切なパートナーとなるであろうユニティのテーマソングを紹介させてもらいましたが、この歌をきっかけに、この団体に興味をもっていただければ、大変ありがたく思います。<<
(組織板より)

――私は、ユニティに大いに興味を持ちました。
ありがとうございます。

524a hope:2012/07/14(土) 23:20:26 ID:kJvHf4/g

>>506復興Gさま

なめくじの夫婦のお話は、橋本健氏著『四次元世界の神秘』という本からの引用だったのですね。

>>橋本健氏は昭和23年東大電気工学科卒の工学博士で、生長の家本部講師として谷口雅春先生の随行をされたこともある方でした。<<

本当に、昔の生長の家には、素晴らしい知識人の方々がたくさんいらしたのですね。

昨晩、志恩さまも、

>>現代の波動医学というのでしょうか、脳医学というのでしょうか、その医学も進歩しまして、雅春先生が説かれたこの主張が、正しい事が,証明されておりますので、うれしいことです。<<

と御発言をされていましたが、このようなお話を色々聞くと、科学の方が後から、
「生長の家の教え」に歩みよってきているような感じがしますね。
「生長の家の教え」は「万教帰一の教え」ですが、もしかしたら宗教だけではなくて、
あらゆる学問(科学)を、たとえば哲学・心理学・物理学・医学・政治学・経済学・宇宙科学・天文学……
すべてを包括してしまうような、そんな凄い教えなのではないかと、わたしは思い始めています。

そのような、偉大な教えに、触れることができたこと、そして、こうして皆様と一緒にお勉強できる幸せをわたしは今、実感しています。

また、なめくじのお話や、エーテルに関しては、他の皆さまも大変興味をもたれているようで、
皆さまの書き込みを拝見して、お勉強させていただいています。
みなさま、ありがとうございます。

特に、エーテルに関しては

>>496 復興Gさま
>>宇宙空間にエーテルが詰まっているという考えは、「高天原に神詰まります」という天津祝詞を想起させます。その神は「隠り身」で身を隠していらっしゃる……。<<

>>515 金木犀さま
>>エーテルの話を読むと、私はいつも「神は一切所に遍在し給う」という言葉を思い出します。
エーテルは物理的に考えだされたものではありますが、一切を産み出す無、そして隙間なく存在するもの、神そのもののその性質を象徴化したものという感じが致します。<<

この、復興Gさまと金木犀さまのご発言から、エーテルと神(大自在の大聖者?)の関係が、
何となく分かってきたような気がします。

本当に、生長の家の教えは、深いですね! 
わたしは、勉強していて飽きるということがありません。
(つづく)

525a hope:2012/07/14(土) 23:23:50 ID:kJvHf4/g
(>>524つづき)

さらに、金木犀さまは、第2章 P62後ろから4行目

『自己の生命の霊妙さの自覚――これすなわち仏教でいえば正等覚(さとり)を得ることであり、キリスト教でいえば神の子としての自覚を得ることであり、古神道でいえば「尊(みこと)」としての大自覚をうることであります。この大自覚に達するのがあらゆる宗教の目的――いな、人間そのものの目的であり、この大自覚に達すれば、自覚した程度にわれわれに宿っている生命力は発現するのでありますから、キリストのように他人の病気を一言でなおしたり、釈迦のようにいろいろの神通力を発揮することもできるわけで、むろん自分が病気で苦しんだり、生活難で苦しんだりするような、不如意不自由な状態は消滅してしまうはずであります。』

を引用され、(ここは、わたしも濃い赤線を引いてありました!)

>>この人間は霊的存在であるという自覚のもとでは、病気も一瞬にして治癒してしまうこともあるというのは、
復興G様の仰ったように、高次元の存在がちょっと手を加えられたのかも知れませんし、
あるいは、人間自身の本来の實相からの正しい投影が、一瞬にして高次元から届いた
とも言えるのではないでしょうか。
この3次元空間に住んでいると思っている我々の肉体は、
実は高次元にいる我々の影であり、本体ではないと雅春先生は仰っています。

『神人に語り給う』のなかの「本来生、不滅の神示」では、
「物質界は念に従って生ずる念の映像なるが故に、従ってまた滅すれども、『人間』は本来物質界に生ぜざるを以て又滅すると云う事もない。人間は本来『生』である。」
と書かれています。我々は、一度もこの3次元空間に生まれでたことはないのだということです。……<<

と、ご発言されていますが、こちらを拝見すると、
生長の家の真理「人間は神の子」「神より出でたる光なり」という意味が、
イメージとしてわかったような気がしました。


そして、私たちの実相(ほんとうのすがた)は、宇宙に満ちていて、
アクエリアンさまが紹介してくださった歌のように 「unity 」 永遠に一つの存在なのかも知れませんね。

ああ、a hopeは、今日もまた、宇宙の夢を見てしまいそうです。
それでは、わたしの大切な「生長の家」のみなさま、おやすみなさい。

526みすはなまる:2012/07/14(土) 23:24:42 ID:c9C6QREU

有難うございます。

拝読していて、心にのこったところですが、66頁の最初から4行目の次の箇所です。

>>つまり「真の人間(リーアル・マン)」を認めるということは、「真の人間」(光明生命)に陰影(か げ)のあるフィルムを当てがわずに、「真の人間」そのものを直接(じか)に見ることになり、したがっ て陰影のある暗い映画が人生というスクリーンにあらわれなくなり、「光明生命」ばかりが客観化してス クリーンにあらわれることになるのであります。>>

このお言葉は、素直に嬉しいです。
神の子はみな、光の方向に伸びようとしているから、道を歩いたり、家事や車の運転をしているときにでも、周囲の方々の光明を念じて想像していることが、嬉しくなります。

527復興G:2012/07/14(土) 23:29:24 ID:84pogn5s

>>521 :SAKURA様。
ありがとうございます。
私は、霊界というのは、この世とは異次元の世界であろうと思っています。

>>522 :みすはなまる様。
>>なめくじの話を聞いて古い古い先人のことを思いました。現代人と比し、感覚や直感が研ぎ澄まされていたとききます。先人は既に、四次元〜五次元であったのだろうかと思ったのです。<<

おそらく、その通りでしょうね。だから「古事記」のような、宇宙の成り立ちを直観把握した神話物語が語られたりしたのでしょう。


ありがとうございます。
皆々様。私は明日午前中、また地上の誌友会に出張です。戻るのは夕方になると思います。よろしくお願い申し上げます。では、おやすみなさい。

528復興G:2012/07/15(日) 00:13:45 ID:84pogn5s

>>524 :a hope 様。

>>お話を色々聞くと、科学の方が後から、「生長の家の教え」に歩みよってきているような感じがしますね。
「生長の家の教え」は「万教帰一の教え」ですが、もしかしたら宗教だけではなくて、あらゆる学問(科学)を、たとえば哲学・心理学・物理学・医学・政治学・経済学・宇宙科学・天文学……すべてを包括してしまうような、そんな凄い教えなのではないかと、わたしは思い始めています。<<

おそらく、その通りでしょうね。

私は今、天外伺朗(てんげ・しろう)著『ここまで来た「あの世」の科学』という本(すでに古い本で、10年も前にベストセラーになった本だそうですが)を、遅まきながら読み始めています。
「あの世」というと、ふつうは死後の世界、いわゆる「霊界」のことを指しますが、天外氏は最新の物理学などにも詳しい元ソニーの最先端技術者で、天外氏のいう「あの世」というのは、ちょっと違うようです。

<「この世」では私とあなたは別人であり、路傍の石ころや空飛ぶジェット機は、それぞれ別個の独立した物体であり、太陽や月は、私とは無関係なはるか彼方にある天体です。
ところが、「あの世」では、私はあなたであり、同時に石ころでもジェット機でもあり、また太陽や月、さらにはアンドロメダ大星雲でもあるのです。>

そして、「宇宙全体がひとつの生命体なのではないか」という仮説が浮かび上がってくる、といわれるのです。面白いですね。a hope 様のおっしゃるとおりでしょう。

ではまた、明晩。
おやすみなさい。

529あさひ:2012/07/15(日) 03:03:43 ID:/3nxKE2Q
復興G様

天外伺朗氏の著書、私も何冊か読み、考えさせられました。

嬉しいです。

530 志恩:2012/07/15(日) 03:59:47 ID:.QY5jUA6
思えば、この『生命の實相』が初版皮表紙で発刊されたのは、昭和7年(1932年)、
今から、80年前のことです。
昭和7年とは、日本では、1月に桜田門事件、5月に5.15事件があった年です。

80年まえの物理学、精神医学は、現代のようには進化していませんでした。
当時、谷口雅春先生は、インスピレーションによって、この著書を表されたわけです。

そうして、80年後の今日になりまして、昨日も申し上げましたが、最近の波動医学を知れば知るほど、「生命の實相」の
『正確性・信頼性』に、私は、驚嘆しております。

それを、皆様にも、お伝えしたくて、また少し,つづきを書かせて頂きます。

《實相篇(上)光明の真理》②
>>「波動」は「無」のかたちをした真実存在が、形に化して感覚的事物になって顕れるために
  是非必要な過程であって、われわれが波動(リズム・コトバ)によって創造活動が展開すると申します真理も
  こんな点からも理解されるのであります<<

《……光明の真理》⑨
>>肉体は想念の影
 人は心であり、物質は心に思い浮かべた想念(おもい)が形に化したものであります…<<

上記、謹写の通り、谷口雅春先生は「波動」についても、すでに言及されてます。そして、肉体は、想念の影とおっしゃってます。


〜〜現代波動医学〜〜
人のからだは、3次元空間の「肉体」がありますが、その他に、目には見えませんが、バームクーヘンのように、いくつかの体が、肉体の外部に、重なってあります。
外界(自分以外の部分)との境界線は、皮膚ですが、
→ ■肉体 ■気体 ■エーテル体(霊体・オーラ) ■アストラル体(幽体)と重なってあります。

この中で、エーテル体は、肉体より7〜10センチ程、(掌が敏感になると、エーテル体にも触れます。)
私たちの肉体細胞も、宇宙空間から大生命のエネルギーを戴いて、生命活動を維持しています。それが,想念により、肉体がスモッグに覆われて
いると、宇宙からのエネルギーが、肉体には伝達されにくくなり、細胞の活性化がされないままになります。
                                            〜つづく〜

531 志恩:2012/07/15(日) 04:56:39 ID:.QY5jUA6
(現代の波動医学)
エーテル体は、想念で変化する。(普通は、気体とエーテル体は、1つに考えられているが、東洋医学的に考えて、気体・エーテル体と分けた。
気体は、皮膚より、さらに5センチ程、外側に膨らんだ形となっている。エーテル体は、皮膚より7〜10センチ外側にある。)

〜エーテル体について〜

なにかの病気で臓器を取り出したり、指など、怪我して欠損した場合でも、
エーテル体は,数ヶ月間は、そのままでいる。

❶ですから、たとえ、病気になろうが、臓器がなくなろうが、指が欠損しようが、「病気だ、あの臓器が無い、あの指が無い」、と
 思わない事です。
それは、あくまで肉体レベルの問題であり、エーテル体レベルでは、ちゃんと完全な状態で存在し続けている。
しかし、病気だ、臓器が無い、指が無いと思い続けますと、人間の思いには、エネルギーがありまして、その思いのエネルギーの働きで、
状態が、現象化してしまうのです。エーテル体も、その思いのエネルギーによりまして、その部分が、欠けた形を表してしまうのです。

❷例えば、胆のうを取り出したとしましたら「胆のうさん、ありがとう。いつもお世話様です。」
            小指を欠損したら「小指 さん、ありがとう。いつもお世話様です。」
            体調くずしたら 「からださん、ありがとう。いつもお世話様です。」(10秒唱えただけでも、2倍活性化する)

❸語りかけが、終わったら、その部分に意識を向け、完全の状態を心に描きます。そして、その部分が、光輝いている、光に包まれている
 イメージを持ちます。すると,エーテル体を通して、肉体もケアーされます。

始めのうちは,嘘でもいい。口先だけでもいいから、自分のからだに感謝のコトバをなげかけてください。

★さらに、エーテル体を活性化するには、以下のことが大切!!
 一つには、人に対する思いやり、人以外の生物に対する思いやり、次に、物にも人にも自分のからだにも、感謝の気持ちを持って暮らすこと。
すると
 エーテル体は,活性化されて、5〜10倍、活性化されていきます。
                                   〜つづく〜

532金木犀:2012/07/15(日) 05:01:53 ID:c6PHlB9I
おはようございます。

復興G様
あさひ様

天外伺朗氏という方は、私はよく存じませんが、復興G様の引用を読むと
どうやら、氏の仰っているあの世というのは実相世界のようですね。
仏教で言うまさに彼岸(実相の浄土)を指している気がしますね。

志恩様や、本流のコスモス様の紹介された渋谷先生の超常体験
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&amp;mode=res&amp;log=2519
『光の国から』その④ 私の実相体験 (10695)
あるいは、林武画伯の超常体験を読むと、なにか伝わってくるものがありますね。

画伯は「おれはただ一人の人間であればよい」と謙虚になった時の「素直な人間性を一挙に取り戻した晴れ晴れしさ」の底で、「地上の一切のものが、自分に語りかけてくるのを実感した」体験を、書いています。

百姓たちの顔が全く美しく見えた。生命そのものが限りなく尊く感じられる。そこには広々とした、大きな高い新たな自然な緊張がからだにみなぎった。百姓たちを百姓だと意識しないのである。僕はどの人にも、いんぎんに頭をさげ、そしてあいさつを交わした。そういう人たちにいちいち抱きつきたかった。ただ慕わしくてしようがなかった。

そしてその時「外界に不思議な変化が起こった」といいます。そして突然強烈な生命体験が彼を襲います。

僕は素直になって、ものを見ることにより、明暗を越え、現象を越えて、そこに本当に木が生えているのを見、本当に飛ぶ雲を見た。
……(中略) ……そのとき僕は、歩きなれた近くの野辺をぼつぼつと歩いていた。すると突然、いつも見慣れていた杉林の樹幹が、天地を貫く大円柱となって僕に迫ってきた。それは畏怖を誘う実在の威厳であった。形容しがたい宇宙の柱であった。僕は雷に打たれたように、ハッと大地にひれ伏した。
同時に、地上いっさいのものが、実在のすべてが、賛嘆と畏怖 をともなって僕に語りかけた。きのうにかわるこの自然の姿──それは天国のような真の美しさとともに、不思議な神魔のような生命力をみなぎらせて迫る。僕 は思わず目を閉じた。それはあらそうことのできない自然の壮美であり、恐ろしさであった。(林武 「美に生きる」)

533 志恩:2012/07/15(日) 05:20:34 ID:.QY5jUA6
(現代の波動医学)
■アストラル体
健康な肉体を持っていれば、それでOKかというと、そうではありません。まだまだなにかが足りません。
この人生を,どのように送っていきたいか。人生をどのような目的でいきるか、意志がはっきりしている人は、
アストラル体が、しっかりしています。

もう1つありました

■本質生命体(真我)

仏陀もキリストも,過去に聖者といわれた人たちは皆、この真我を理解されていらしたようです。
「私の本質は,完全無欠、光そのものなんだ!」と思って暮らすだけでも、人生に於いて,大きく差がつくかもしれません

 私は 純粋な 光です
 私は 純粋な 光です
 私は 純粋な 光です

このように唱えて、その光に包まれた「自分」をイメージして生きてみましょう。
                   
                            〜おわり〜

皆様、どうですか?びっくりでしょう。
谷口雅春先生は、すでに80年前に、現代になって、ようやくわかってきた、このような波動医学をも、インスピレーションにより、
すでに、受け取って書き表しておられたのです。
アストラル体、真我までに、なりますと、現在の医学は、まだ、行き詰まっておりますね。
生長の家の教えは、それよりも、はるかに先を行き、超越していますね。

534 志恩:2012/07/15(日) 05:26:22 ID:.QY5jUA6
金木犀様

いつも格調高い書き込みを、有り難く拝見しています。
おげんきで、出てくださって、うれしいです。
私への過分の励ましのお言葉も感謝しております。

535金木犀:2012/07/15(日) 05:36:17 ID:c6PHlB9I
渋谷先生や林武画伯、あるいは他のいろいろな人の実相を垣間見たような体験は
人間だけでなく、実はこの世のあらゆるものが、その本体は実相世界にあり、
存在の全ては、この三次元世界には、本来不生であり、不出であり、
あるのは影ばかりであるのだと言う気がしてきますね。

志恩様

波動医学というのはすごいですね。現代医学を超えた、本当の生命医学ですね。
見えている身体が実は影であり、その奥にあるエーテル体、幽体、霊体こそがより一層実体であると
する医学なんですね。
この波動医学というのは、検索してみましたら、ドイツで始まったと書いてありますね。
なんかたしかに、21世紀は、長期的周期における時代の変わり目だという気がしますね。

536 志恩:2012/07/15(日) 05:55:07 ID:.QY5jUA6
生長の家では「肉体はない、心もない、」「現象なしである」と、「現象」を一刀両断の勢いで断ち切り、
神想観のときは、大生命と直結しまして、
ただひたすら「実相完全円満、光のみ」の実相世界に直参しますので、
われわれにとりましては、このようなごちゃごちゃした説明は、不必要な状態なのですが。

理論的な面から言いまして、80年前に雅春先生のおっしゃっていらしたことが現代の波動医学でも、
証明されてきたということを,言いたかったのです。

537ルンルン:2012/07/15(日) 10:15:51 ID:NS71OwS.
復興G様
私は数か月前に、検索してここのTSBにたどり着き、復興G様の「実相独在」を見つけて、心に歓喜の雄たけびをあげました。
少しずつ読んでは、噛みしめて(いっぺんに読んだらもったいないので)また続きを読んで、そして噛みしめて、途中まできたら、また初めに戻ってもう一度かみしめて読んで、と、わくわくしながら時間をかけて読みました。
それは、今も一緒です。そのあと訊け様のブログも知り、両方今もずっと読み続けている文章です。
ところで、(私も天外伺朗氏の本は、立ち読みしたことがあります。[立ち読みってお恥ずかしいのですが)瞑想のこととか書いてらっしゃいますよね。自分はその時「自己が神の子である」という事を知識でなく実感として把握したくてたまらない時でした。
神想観を必死にやっても無理でした。「神想観」で悟るのは、無理なのではないか?と思いはじめてました。それで、神我一体の境地を目指す瞑想の教室やヨガ教室等を探して、習いに行ったこともありました。しかしそういう境地を目指す業法を教えるほどの先生は
やはりその先生なりの「真理のお説」を持っていらして、「神と人間は一体である。」という所は同じなのですが、どの先生も(物質無し}を知らないのです。生長の家を知らないのですから当然なのですが・・・・・
業法は案外危険なので、よっぽど先生を信頼してやらないと、強い偏差がでてしまいます。当然先生の説も信じなければなりません。が、どんなに神我一体の境地に導くために良い成果を出す業法であっても<物質アリ>という説を認めることは私には無理でした。
ので、結局その教室はやめざるを得ないのでした。<物質無し>から離れて、<物質アリ>の説を信じようとすると非常な苦しみをともなうのです。
(神の子である」「神と一体」こんな内容の本は案外たくさんあります。でも「物質無し」を教えてくれたのは、雅春先生だけです。物質が無しか有るか の違いは天と地程の違いが有りますね。

復興G様、志恩様、金木犀様、みすはなまる様
実相独在って、もうす〜ごい真理ですね。
(自分に事ばかり書いて申し訳ありません)有難うございました。

538如月:2012/07/15(日) 13:34:13 ID:ki/haAjk
今回は50時間もお時間をとって頂いていて、助かります。
ご指導くださっている先生には申し訳ないのですが、心から感謝を申し上げます。
皆様のお話もとても参考になります。全部、プリントアウトです。
レベルの高い話が続いていますが、私は自分のレベルでしか参加できませんので、みなさま引かないで下さいね。

>>471で謹写していただいている

 近ごろ、生長の家思想の有名なると効果の顕著なるにつれて、その全体の思想を踏襲して、包装や名称だけを加えて、一旗あげてみようとし、かつあまり同じことを書いても受売りであると一見わかるので、同じ意味を異なる文章で書き表わし、「何々会」等という別異の名称で雑誌などを出される方がありますが、そういう雑誌の文章は「無」の字の言葉の調合法がちがうので、わたしの処方した「言葉の鉄剤」に「茶々」を入れることになります。茶々を入れられるとその人の心のうちで、「無」字のバランスがこわれるので『生長の家』を読んで万事好転していた人が、その種の雑誌を併用したために「無」字の鉄剤の吸収率が鈍ってふらつく人があります。そうしてその種の、雑誌の現象はあるとかないとか論じてある文章を読んだ日には、心のバランスが破れてなんとなく不安で、会社にいても思うように仕事が運ばなかったり、集金が集まらなかったり、ついぞ起こらなかった歯痛が起こってきた人などもあります。

を読ませて頂いて、a hopeさまの症状(?)を連想してしまいました。
雅春先生のご文章は、遺伝子の配列のように変えてはいけないのですね。

ちょっと脱線します。
昨夜、この誌友会の夢を見ました。
訊け監督さんが登場されていました。 福山雅春さんではなく文字のみで「ダァーッハッハッハッ」と。
それを見て、へこたれない人だなあと笑ってしまう夢でした。
私たちの存在が無いというのは、このネット上の感覚にも似ていますでしょうか。

539ルンルン:2012/07/15(日) 14:55:23 ID:NS71OwS.
如月ちゃん
こんにちは
おもしろい夢ですね。ふふ。
訊け様ね、案外顔も福山雅春さんより、徳久先生に似てるかもね。

えっと、私ね、この世は実相のみだと思ったらフワ〜と幸せ感がわいてくるんです。

いつもじゃないんですが。波あるんですがぁ。波の下の時「じっそおー」という

ハンドルネームで質問したこともありました。( ゚ω^ )ゝ

如月様、ほんとに雅春先生の「無」の教えはすごいですね。

私がレスして申し訳ありませんでした。やっぱり閲覧だけにしておきます。
ありがとうございました。

540 志恩:2012/07/15(日) 15:06:55 ID:.QY5jUA6
ルンルンさま

どうぞ、どしどしご発言なさってくださいませ。復興Gさまは、多分、夕方には、おうちへ戻られるのでは
ないでしょうか。今日の昼の時間帯は、地上の誌友会のご指導におでかけでお留守なので、お返事がないのだと
思います。

復興Gさま宛てですし、
「実相独在」については、深い真理なので、復興G様にお返事いただいたほうが、いいと思っているのです。

541 志恩:2012/07/15(日) 15:11:58 ID:.QY5jUA6
如月さま

コメント、有り難がとうございます。今回は、司会者が居ませんので、全員が司会者みたいになっております。
よろしくおねがいします。

復興Gさまは、昼は、誌友会へ おでかけ。
トキ様は、日曜日は、昼は、教団会議でおでかけ。

私も、これから庭仕事で、外に出ます。今夜11時半までありますので、皆様、自由にされてるのでしょう。

542如月:2012/07/15(日) 15:31:57 ID:ki/haAjk
>>539 ルンルンちゃん

誰が誰にレスしてもいいと思うよ。 気にする人は少数じゃないですか?
少なくとも私はレスしていただくと嬉しいです。

私も全然、神想観ができなくて、以前SAKURAさまが映画館に座ってスクリーンを見る感じと
書いて下さっていて、それはすごく参考になりました。

それにしても「無」の教えのすごさに気付かれたルンルンちゃんはすごい。
私は今まで、その重要性がわかっていませんでした。
先祖供養とか、前世の業とか、そんなものにばかりこだわっていました。
ルンルンちゃんありがとうございます。

訊け監督の夢面白かったですよ。
誰が何を書いても「ハッハッハッ」で、そのうち皆も笑い出すという。
みすまるさまも書かれていましたが、ハンドルネームや書き込みで
イメージされたその方たちがまわりに居らっしゃって一緒に笑うのです。
でも、回線切ったら誰もいないでしょう。 私も。 無いんだなと思いました。

543みすはなまる:2012/07/15(日) 15:54:30 ID:GpLjp1XI
皆さま こんにちは♪

ルンルンさまも、お久しぶりです。

なかなかコメントの言葉が見つからず、皆さんの素晴らしいご発言に、感動しながら拝見しております。

50時間という時間のおかげで、練成会のような感覚で過ごしています。これから、晩ごはん作りと家事をしますので、また夜伺います。

544如月:2012/07/15(日) 15:56:08 ID:ki/haAjk
>>543 みすはなまるさま

素敵、素敵ですね。 練成会。そんな感覚がしてきました。私も。


>>541 志恩さま

志恩さまが書き込みは、ものすごく勉強になりました。
謙遜ばかりされていますが、隠せませんね。
朝早くから、夜遅くまで目配りして下さっていて、志恩さまが参加して下さって良かったと
心から喜んでおります。

今回は時間があるお陰で、私も自治会の会議があっても、こちらにも参加できて幸せです。

観覧席の方は、いつものメンバーばかり発言したら入りづらいかなとも考えたのですが
あまり、シーンとした中に入るのも逆に勇気がいる感じもしますので
回数は気にしないで発言していくことにしました。

地上から戻って来てご指導くださる先生は大変だろうと思いますので
私の発言は読み飛ばしていただいて、全然構いません。 

観覧車さま、どうぞ勇気を出して、
観覧席の方々も、ハンドルネーム神の子さんのままでどうぞ。

…って私の立場で言ってしましました。 生意気でごめんなさい。

545観覧車:2012/07/15(日) 16:26:04 ID:???
>>544
如月様

私のハンドルネームを覚えていてくださり、ありがとうございます。
家事や仕事でバタバタしており、パソコンを立ち上げて更新されたコメントを
読むだけで時間がかかっております(汗)

みなさまのコメントが意義あるものばかりで、感動ばかりしております。
難しいご文章もありますので、理解することにも時間がかかっております(汗汗)

もう少しのあいだ、観覧席で勉強させていただきますね。

546復興G:2012/07/15(日) 18:04:36 ID:84pogn5s

只今、帰りました。
ありがとうございます。
よろしくお願いいたします。

>>537 :ルンルン様。
>>「神の子である」「神と一体」こんな内容の本は案外たくさんあります。でも「物質無し」を教えてくれたのは、雅春先生だけです。物質が無しか有るか の違いは天と地程の違いが有りますね。……
<物質無し>から離れて、<物質アリ>の説を信じようとすると非常な苦しみをともなうのです。……
実相独在って、もうす〜ごい真理ですね。<<

――それがす〜ごい真理だ!とわかるあなたも、只者ではありませんね。

>>えっと、私ね、この世は実相のみだと思ったらフワ〜と幸せ感がわいてくるんです。<<

バンザイ!

いつも愛深く「実相独在」、「実相からの出発」を叫んでいらっしゃった別府正大先生は鹿児島出身だったけれども、「チェストー」とは言わず、いつも「バンザイ!」と叫んでおられました。
それはだれにでもわかる言葉で、という先生の愛念から出た言葉だったと思います。
この掲示板では、「チェスト」でもわかる方が増えて来ているとは思いますが、新しい方にはわからない、外国語みたいに聞こえると思いますから、私は別府先生がいつもおっしゃってた「バンザイ!」を使います。別府先生を知ってらっしゃる方、先生を思い浮かべて、もう一度、

バ ン ザ 〜〜〜 イ !

547復興G:2012/07/15(日) 18:18:30 ID:84pogn5s

上記>>546、まずは、久しぶりのルンルン様宛で

バ ン ザ 〜〜〜 イ !

と叫ばしていただきましたが、私の留守中にも絶大な愛念をもってこの宇宙船の運航を支えて下さいました

志恩様、如月様、みすはなまる様・・・・・
皆々様、

本当に、本当に、ありがとうございます。皆々様のために、もう一度、

バ ン ザ 〜〜〜 イ !

548復興G:2012/07/15(日) 18:32:18 ID:84pogn5s

>>529 :あさひ様。

深夜のレス、ありがとうございました。

天外伺朗氏の『ここまで来た「あの世」の科学』は、平成17年には文庫本になって出されてるんですね。

私は諸雑誌に掲載された天外氏の記事を読んで興味は持っていましたが、この本はタイトルに「あの世」という言葉が使われているので、いかがわしい霊界通信のことでも書かれているのかと早とちりしてました。しかし、そうではなくて面白そうな本だと知り、最近取り寄せて読み始めました。面白くて、勉強になります。また教えて下さい。

549復興G:2012/07/15(日) 18:55:22 ID:84pogn5s

>>531 : 志恩様。

>>(現代の波動医学)
エーテル体は、想念で変化する。(普通は、気体とエーテル体は、1つに考えられているが、東洋医学的に考えて、気体・エーテル体と分けた。気体は、皮膚より、さらに5センチ程、外側に膨らんだ形となっている。エーテル体は、皮膚より7〜10センチ外側にある。)<<

目に見える肉体の外に、目に見えない「気体・エーテル体・アストラル体」などが存在する、というのは、信じられます。しかし、目に見えず、普通の測定器にかからないというのは、これも「異次元」のものなのでしょうか。
将来、異次元の体の存在でも、実証されるときが来るのでしょうか。
興味があります。

しかし、異次元の存在も、実在ではなくて仮存在、つまり非存在――影にして実在に非ず――であり、完全円満至微至妙なる実相が独在、というのが根本真理でしょう。

でも、いきなり「現象なし、実相独在」と言ってもわからない、信じられない方がたくさんいらっしゃいますから、多くの人々のために、お釈迦様が繋宝珠の譬えで説かれたように、対機説法として、根本因(実相独在)だけでなく中間因のもろもろのことを研究し説くことも救済のためには必要なのでしょうね。

私も勉強させていただきます。

550復興G:2012/07/15(日) 19:01:29 ID:84pogn5s

>>543 :みすはなまる様
>>544 :如月様

豪華宇宙船練成会ですね。

551復興G:2012/07/15(日) 19:19:07 ID:84pogn5s

>>532 :金木犀様

>>天外伺朗氏という方は、私はよく存じませんが、復興G様の引用を読むと、どうやら、氏の仰っているあの世というのは実相世界のようですね。仏教で言うまさに彼岸(実相の浄土)を指している気がしますね。<<

現象世界を意味する「此岸」はまさに「この世」。「彼岸」は「向こう岸」「あの世」を意味しますからね。それは遠くにあるのではなく、此岸と彼岸、この世とあの世は表裏一体、彼岸(あの世)も今此処にありで、もっと言えば「彼岸独在」、「此岸は幻のような影、映像に過ぎない」というのが根本真理なのでしょうが、天外氏がそこまで言っているかどうか、ですね。
るかどうか、ですね。
そこまで言っていれば、生長の家と同じになるか――と思いますが――。

ありがとうございます。

552復興G:2012/07/15(日) 19:21:58 ID:84pogn5s

上記、「るかどうか、ですね。」がダブってました。ごめんなさい。

553a hope:2012/07/15(日) 19:32:51 ID:kJvHf4/g
みなさま こんばんは

このweb誌友板も、今日はたくさんの方々が参加してくださって、にぎやかですね。
とても興味深いのですが、ちょっと難しいお話が続く中、如月さまのゴキブリの登場にご家族中がパニックになったお話や、
みすはなまるさまの、猫が冷蔵庫の上にのった時の視界の展開のお話は、おもしろくてホットしました。
ところで、みすはなまるさまのお宅にも、猫がいるのですね!
なんか、この掲示板の投稿者、猫飼ってる人、多くないですか・・・?

また、今日は、あさひさま、ルンルンさま、観覧車さまなども書き込みしてくださっていてうれしいですね。
きっと、書き込みはされていなくても、たくさんの方が、このweb誌友会を見守ってくださっているのではないかと思います。
他のみなさまも、遠慮せず、どんどん書き込みしてくださいね。

テキストと、内容は以下の通りです。

・《テキスト》 『生命の實相』第1巻の「實相篇」(光明の真理)【頭注版P41〜】
・《内容》 「物質無」の真理、メタフィジカル・ヒーリング(生長の家の健康学)

テキストを読んでの感想や、疑問点、また、感動した個所を紹介していただくだけでもお勉強になると思います。
時間は、今夜、11時30分までとなっておりますが、前回もその後夜祭が何日間かあり、テーマについての話し合いが続けて行われました。

今回の内容に関することでしたら、時間はあまり気にせずに、
投稿されていいのではないかと思います。(個人的な意見ですが・・・)
きっと、復興Gさま始め、他の大先輩の方々が、時間のある時に、御指導してくださると思います。

それでは、わが家はこれから夕飯です。
また、あとで。

554復興G:2012/07/15(日) 19:43:23 ID:84pogn5s

>>536 : 志恩様。

 現象はまず心の世界で出来上がったものが展開される影、映像のようなもの。だから、現象が現れる前に、心の世界でつくられた映画フィルムを見るような予知預言の能力をもった異次元の霊が、それを伝えてくるというようなことがあるようです。

 リチャード・ゼナーというアメリカの霊媒的預言者が、第2次世界大戦直後の1947年(昭和22年)に、こう書いています。
(リチャード・ゼナーのことは谷口清超先生のお訳しになった『天と地とを結ぶ電話』の中で紹介されていますが、これはまた別の本を図書館で見て感銘を受け、筆写してあった言葉です)
いまから65年も前の預言ですよ。

「まもなく世界全体が、新しく生まれ変わる。
 まったく近いうちに、地上のすべての政治、経済体制は、ガラリと一新される。技術も、社会も、今とは比較にならないほど進歩する。理解がみなぎり、一体となった世界社会が実現する。
 原子力は、生活の便利のために利用できるようになる。政治面で婦人の役割は、さらに重要になる。指導的立場に立つ婦人がふえてくる。古くから残っていた階級は消滅する。
 最も変るのは教育である。その理論も実際も、根底から改革される。それは、人間観に一大変革が起こるからである。
 人間とは何か?
 現在では、環境にもみくだかれ、生活にこづき回され、機械や社会体制の部品となって、いつ廃物とされるかわからない、情けない、無力で不安定な存在にすぎない。人間とは本来、そういうものではなく、宇宙的にかかわりあっている、巨大な存在なのだ――と、アガシャは教える。」
(アガシャとは、7千年前エジプトに生まれた宗教政治家、霊人ということですね。)
そして、

「それを自覚せねばならぬ時がまもなく訪れてくる。激しいショックを受け、大きな試練をのりこえて、いやでも人間は、本当の自分自身に目ざめ、偉大な自覚を抱くようになる。それがつまり地上の浄化だ。
 この上もなく平和な、輝かしい時代は、人類をゆり動かす大きなショックとともにやってくる」

と。その新時代が、いまどんどんやってきているような気がしませんか?

555復興G:2012/07/15(日) 19:48:31 ID:84pogn5s

a hope 様

ありがとうございます。
私一人が難しいことをたくさん書きすぎました。
皆様、どうぞお気軽に何でもお書き込みくださいね。
ありがとうございます。

556トキ:2012/07/15(日) 20:19:51 ID:mvkkBFys
>>555

 いえいえ、復興G様のご投稿は本当に勉強になります。どんどんお願いします。

 リチャード・ゼナーの言葉、そうかもしれませんね。新しい時代が到来するので、今、天変地異の
ような現象が見えるのでしょう。でも、本当に我々も真理を学ばないといけないと感じました。

557みすはなまる:2012/07/15(日) 20:35:28 ID:hOHZbp/M

>>537 ルンルンさま

私も、実相独在…この言葉を今現在どこまで自分が理解しているかわかりませんが、この言葉の意味を理解できたとき、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。

人間神の子の、神は神棚の神様だと子供の頃は信じていたのです。

雅春先生は、肉体もない、心もないのである…と仰られましたものね。
実相独在…神の性質のみが人間なんだ〜って思えたとき涙が止まらなかったこと思い出します。
では、これからお風呂に入ってきます。

558a hope:2012/07/15(日) 21:09:21 ID:kJvHf4/g
>>555 復興Gさま

今回は、テキストの内容に、分子とかエーテルに関して述べられているんので、
どうしても、話す内容が難しくなってしまったのだと思います。

ですが、トキさまもおっしゃっていますが、復興Gさまや他のみなさまのお話は、
難しいですが、とてもお勉強になっています。
プリントアウトして、じっくりとお勉強したいものばかりです。
復興Gさまの素晴らしい御指導には、心から感謝しています。
きっと、他の閲覧者の方々も、今回のweb誌友会の経過を見ていただけば、
「生長の家の教え」がどんなに偉大なもなのか、実感してくださっているのではないかと思います。

でも、せっかくの機会なので、できるだけたくさんの方と「生長の家の教え」の素晴らしさを共感したいと思い、
>>553の発言をさせていただきました。

復興さま、これからも今まで同様のご指導をどうぞよろしくお願い致します。

559 志恩:2012/07/15(日) 21:52:28 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

お帰りなさいませ。お待ち申し上げておりました。
こちらは、今日は午後から、東京の息子一家が、また、遊びに来ていて、私はなかなか、パソコンの前に座れずにおりました。失礼しました。

ご丁寧なコメント、光栄に存じます。別府正大先生は、本部時代のとき、本部で会議や勉強会があって、先生が本部へいらしたとき、
度々親しくお声をかけていただいて、少しだけですが、お話していました。

別府先生が、日本教文社の「光の泉」誌の編集長でいらしたときのことです。
別府先生は、その後大部経ちましてから、教化部長になられて「バンザイ」も口ぐせでいらしたけれど、「実相先生」と呼ばれていらしたくらいに、
「實相独在」を持論にされてましたから、私は、最初のうちは、復興G様は、別府先生かしらと思っていました。でも、半年程まえ ネットで、
別府先生が幽界へ旅立たれたニュースを偶然みつけて、あれっ、ちがうお方だったんだ  と気づいた次第です。

>>549:復興G様のコメントにございます

 《将来、異次元の体の存在でも、実証されるときが来るのでしょうか》ということですけれど、
その異次元の世界も 映画のスクリーンに投影された映像の如き仮の存在だとすれば、光輝く完全円満至微至妙の存在が、実在なのですから、
異次元世界が、見えようが見えまいが、どちらでもいいということになりますよね。

波動医学については、おっしゃる通りです。1つの対機説法として、新人の人にお話すれば、説得力ある新しい医学だと思ったのです。
雅春先生説が、論理的に実証されて、正しさが、判明したという事は、「生命の實相」の例えが、古い、古いという人がいますので、
その方達への説得材料にもなると思いまして、お伝えしたかったのです。

>>554:復興G様のお話の

 霊媒的予言者のこと、リチャード・ゼナーさんが、今から65年前に

「間もなく世界全体が、あたらしく生まれ変わる」と預言したそうですが、アガシャの預言もそうですが、多くの預言者が、
 「大変革のまえに、地上の大浄化が、まず行われる.そして、その後に地上天国が訪れる」と言っていますね。

調べてみましたら、大本教の出口王仁三郎さんも、偉大な霊能者で、数々の預言をされてたお方なんですね。預言が当たったのは全部ではないでしょうけれど、
かなりの確率で言い当てていると、ありました。
大本教といえば、雅春先生が、お若い時代に勉強されていたところでしたよね。
 
〜これが 出口王仁三郎さんの預言・動画です〜

 http://www.youtube.com/watch?v=h5xJVMVpAZ0

560復興G:2012/07/15(日) 22:20:04 ID:84pogn5s

>>559 : 志恩様

丁寧なレス、ありがとうございます。

異次元の世界というのは、「見える」ことはないでしょうが、「存在する」と証明されることはあり得るかなあと思っています。

私の予感ですが・・・・・・

出口王仁三郎氏の預言についてのYouTube、興味深く拝見しました。

同氏がすごいスケールの人だったという話はよく聞きますが、なぜか、私はどうしても好きにはなれません。

ありがとうございます。

561a hope:2012/07/15(日) 22:28:56 ID:kJvHf4/g
>>537 ルンルンさま

>>私は数か月前に、検索してここのTSBにたどり着き、復興G様の「実相独在」を見つけて、心に歓喜の雄たけびをあげました。
少しずつ読んでは、噛みしめて(いっぺんに読んだらもったいないので)また続きを読んで、そして噛みしめて、途中まできたら、また初めに戻ってもう一度かみしめて読んで、と、わくわくしながら時間をかけて読みました。
それは、今も一緒です。そのあと訊け様のブログも知り、両方今もずっと読み続けている文章です。<<

わたしも、復興GさまのTBSでのお話には、とても感動したのですよ!
時々、わたしのコメントがあったでしょう?
本当は、あのとき、復興Gさまのお話で良くわからないところもたくさんあったんですが、
ものすごーく背伸びして、一生懸命ついていっていたのです(笑)。
また、わたしは訊けブログも大好きです。
「訊け」管理人さまは、いつまでもうのはなさまと和解できず、そのことに関しては困った方だとも思いますが、
でも、あの「訊け」ブログで今までたくさんの方々の魂を救ってこられたと思うのですよ。
だって、わたしも救われた一人ですから・・・
だから、わたしは今でも「訊け」ブログの大ファンですし、「訊け」管理人さまのことは心から尊敬しているのです。

「生長の家の教え」がこんなに素晴らしいものでなかったら、
わたしは今、ここにこんなに必死に書き込みはしていないと思います。

世間を見渡すと、心に悩みを抱えて、苦しんでいる人たくさんいますよね。
一見、明るくふるまっていても、心に大きな不安を抱えていたりする人も多いと思います。

だから、「生長の家」が以前のような、人々の魂を救うことを目的に活動する組織に戻れば、
どれだけ沢山の人々の魂が救えるかと思うと、こんなわたしでもできることはしようと思うのですよ。


この掲示板をご覧の雅宣総裁先生、本部の偉い方々、本流の先輩方へ

本来の「生長の家の教え」は、人々の魂と、日本の国を救える最高の教えなのですよ!
いつまでも、争いごとをしていないで、はやく大調和してくださいませんか?

ああ、今は、web誌友会中でしたね。
でも、勉強すればすれほど、「現在の生長の家」の現状を残念に感じてしまうのはわたしだけでしょうか・・・。

話がそれてしまいまして、申し訳ありませんでした。

562観覧車:2012/07/15(日) 22:32:49 ID:???
みなさま、ありがとうございます。

恥ずかしながら、今ようやくテキストでありますところのP.76まで読めました(汗)
科学や物理があまり好きでないので、第一章を読むのは正直辛かったです。
そんな中、空気も何もないところに充ち満ちているのがエーテルであるということがわかり、ひとつ賢くなりました。
1巻は昔に読破したつもりが、エーテルと云う言葉に記憶がないということは、
しっかり読んでない証拠ですね。
この機会に読むことができてよかったです。

第二章は興味のある項目でしたので、昔に読んだことも思い出しながら
すらすらっと読めました。
この辺を読んでから、頭痛・腹痛・やけど・風邪では薬に頼らない生活をしております。
そのせいか、めったにこのような病気にはかからなくなりました。
たまに頭痛がおきても一晩寝れば治ってたりします。
風邪もこれ、何十年とひいていません。

でもでも、バセドー氏病という原因不明の病気にかかっていまして、10年ほど薬に頼った生活をしています(恥)
これをなんとかしないと、生長の家の信徒だと大きな声で言えませんよね(苦笑)

ギリギリになりましたが、私の感想とさせていただきます。

563金木犀:2012/07/15(日) 22:47:39 ID:aJM4tFz2
皆様有り難うございます。
みなさまのコメントを読んで、ほんとに素晴らしい方々ばかりでまぶしく感じる気がします。

みすはなまる様
実相独在で、涙がでるほどに感動されたんですね。
音叉が共鳴して鳴り出すように、雅春先生の真理のことばで、内なる神の子が鳴り出した感じですね。

ルンルン様も、物質なしを一度聞いたら、それが本物だという直感で、
他の物質ありという話は、もはや受け入れられなくなったのでしょうね。

復興G様の仰ったリチャード・ゼナーとかアガシャの話は『天と地を結ぶ電話』に書いてあるのですか。
私も、その本を読みたいと思いながら、まだ読んでいません。
志恩様は読まれたのですね。ほんとに志恩様は勉強家ですね。
新しい世界が、まるで人類光明化がなされた後のような世界だということを伺うと
生長の家の人類光明化が、しっかりと達成される日が来るのだという安心感というか
希望が湧いてきますね。
尤も、天変地異がその前に起るというのは、
東日本大震災や九州の洪水を思い浮かべてしまいます。
ちょっと心配ですね。
しかしたしかに今の世の中は、あまりにもひどいと思うことも多いので、
浄化が必要なのかも知れませんが、その浄化が少しでもゆるやかなものになるように、
私たちが、光明化運動をしなくてはいけないのでしょうね。
でも今の時代、神誌といえるものがなかなか無いので、難しいですね。
谷口雅春先生を学ぶ誌も、心のかけはし誌も、ポスト投函するには高価過ぎますね。

564復興G:2012/07/15(日) 23:01:45 ID:84pogn5s

現象の「次元」について、補足になりますが、「次元」には谷口雅春先生「ひろがり」とルビを振られたところがあったと思います。
その「ひろがり」すなわち四次元時空間というのも(あるいは五次元世界が証明されたとすれば五次元世界というのも)、生命表現の舞台であり、もともと存在するのではなく生命が創り出した仮のものである。生命は時空間の中に誕生したのではなく、時空間をも創り出したのである。その時間未だ発せず、空間未だ発せざる「未発の中」なる「久遠の今」に実相がある。そこには一切の至微至妙完全円満なる原型がすでに備わっている。時空間の舞台に展開されたすがたはことごとくその影(映像)にすぎず、夢まぼろしのごとく、本来存在しないものである。――そういうことでしょう。

わたしたち人間も肉体は時空間の中に誕生し、やがて死滅するように見えるけれども、実は、本体は、時空間をも創り出した大生命と常に一体で、死ぬことはないのである。それが真理である。この真理を自覚することが救済である。それは、時空間を超えた真理であるから、時空間の中の科学的手法で証明することはできなくとも、「真理は汝を自由ならしめん」で、真理を自覚すると環境の主人公として運命を支配することができる。

もうひとつ本当を言えば、自覚しようがしまいが、「実相独在」だからみんなすでに救われているのである。だから無条件にただ喜べばよいのである。よろこぶことが感謝である。よろこぶことが大懺悔である。感謝と大懺悔のあることろ、現れていた病いも消えるのである。だからただ「バンザ〜イ!」と喜べばよいのである! ありがとうございます!

565復興G:2012/07/15(日) 23:17:51 ID:84pogn5s

気がついて見れば、まもなくWEB誌友会は一応閉幕の時間になりますが――

テキスト第2章の最後のところに、こう書かれています――

  ===========

月々出ている『生長の家』誌および『生命の實相』を読むだけで病気のなおる人がある事実は何を意味していましょうか。これはこれらの刊行物には現代人にわかりやすい言葉で「生命の実相」が説いてあるからであります。釈迦が説いた真理、キリストが説いた真理、『古事記』や『祝詞(のりと)』にかいてある真理を実に平易にわかりやすく説いてある。それも単に学究的に説いてあるだけでなく一つ一つ日常生活に応用ができ、これによって真理を生活に織り込み、心に光明をたもち、生活に幸福を実現し、肉体を健康化して、わたしのように生まれつき虚弱な肉体であったもので、ふつうの人の二倍以上の仕事をして平然としていることができる方法が説いてあるのであります。わたしが思いますのに月刊の『生長の家』を本当に心読してくだされば、ほとんどどんな病気でも治ります。諸君の知人には何か慢性病で苦しんでいる人はありませんか。そんな人たちに月刊の『生長の家』誌や『生命の實相』の本を読むようにすすめてあげてください。はじめは「本を読むくらいで病気が治れば世の中に医者にかかるものはあるまい」とその人はいわれるかもしれません。しかし、そういう人にこそ強いても読ませてあげてくだされば、後になってきっとその人の病気が治って喜ばれるのであります。

 これ等の刊行物は初めから終りまでただ一つの目的――「真理」すなわち「生命の実相」を説き明かして、これを皆さんが覚ってくださることによって肉体的にも境遇上にも健康になれるように苦心して編集してあるのです。ひとりびとりに治療法を施しているのでは、なかなか私の身体がなん百あっても世界の一切の病人を救うにはたりないのであります。それでわたしは真理を書いて読んでもらって、自然に読む人の病気が治るということを始めたので、本書もまた、その目的のために編纂されたのであります。

  ===========

 ああ! そうなのですね。
 本当にこれを「心読」して、その証人(あかしびと)となろうではありませんか。

566如月:2012/07/15(日) 23:22:12 ID:ki/haAjk
>>564 復興Gさま

ありがとうございます。
一読させていただきまして
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥
もうひとつ本当を言えば、自覚しようがしまいが、「実相独在」だからみんなすでに救われているのである。
だから無条件にただ喜べばよいのである。よろこぶことが感謝である。よろこぶことが大懺悔である。
感謝と大懺悔のあることろ、現れていた病いも消えるのである。
だからただ「バンザ〜イ!」と喜べばよいのである! ありがとうございます!
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥

それは、簡単そうですが難しすぎて、私のような初心者にはちょっと…と失礼ながら思ってしまいました。
でも、神様が親だと考えた時に、自分も親の立場なのでわかるのですが
母の日にプレゼントをもらうより、ニコニコと喜んで生活してくれているのが一番嬉しい事です。
…ああ、やっとわかりました。 まず喜べの意味が。
喜びます。 バンザイ!

567 志恩:2012/07/15(日) 23:31:26 ID:.QY5jUA6
復興G様、トキ様、金木犀様、如月様、みすはなまる様、ahope様、ルンルン様、観覧車様

出口王仁三郎さんの預言を読みますと、
一種の終末説ですから、心が暗くなる感じで、私も 好きに なれそうがありません、それは、日本も世界も
現象世界をみれば、現代は、このような荒れた状況になっております。しかし、世界の終わりを預言していた
アガシャの預言も外れています。

出口さんだけでなく、多くの霊媒者が、2012年12月を終末期のように預言していますが、
われわれ地上の人間だけが、実相を観て良き想念を送っているだけでなく、高級霊の方々も、フォローして下さっているそうですから、
大した事にはならず、良き方向へ、大転換するのだと、信じております。

私は、大本教の出口さんは、どういうお方か、存じ上げません。
今、ネットで見ましたが、1980年に大本教は、三派に分裂したとありました。
あそこは、教祖とは呼ばず、教主というそうですが、教主は、男性は なれず、女性のみが、なれるそうです。

それから、話が別になりますが、
他板で、スターダスト様が

 「信仰とはなんだと思いますか」と、皆様に問いかけておられました。
あらためて、問われると、言い表すのは、むづかしく感じるのですが、
復興G様、みなさまは、どのようにお考えでしょう。

あれ、11時半です。終了の時間になってしまいましたね。ありがとうございました。

568復興G:2012/07/15(日) 23:33:13 ID:84pogn5s

時間が来ましたね。

皆様が司会者の気持ちで発言して頂き、とても充実した意義あるWEB誌友会になったと思います。

本当に、ありがとうございました。

どなたか、閉会の祈りをしていただけませんでしょうか。

569みすはなまる:2012/07/15(日) 23:34:40 ID:nWzOnzlE

>>563金木犀さま

私も、神誌の愛行を行いたいと思うのです。
真理の言葉の家庭訪問用のパンフレットのような、冊子を愛行するのはどうだろうか…など、色々思いました。
真理の新聞みたいなものを、手作りして祝福愛行するのはどうだろうか…など、頭のなかで色々思いました。

しかし、神誌を愛行する時に大切なことは、訪問先のご家庭を祈り、祝福礼拝行ですよね。
結論は出ませんが、これからの愛行についても皆さんとお話してみたいです。

570 志恩:2012/07/15(日) 23:38:03 ID:.QY5jUA6
復興G様のご文章を読まずに、書き込みました。

既に、救われ済みと、教えていただいています。
ほんとうに、その通りでした。
ご指導を、感謝します。ありがとうございました。

571如月:2012/07/15(日) 23:39:41 ID:ki/haAjk
>>562 観覧車さま

私もエーテルの部分はじっくり読まずに、自己解決していましたが
観覧車さまの真摯な態度から学ばせて頂きました。
もう一度、しっかりと理解できるまで頑張ります。

私は風邪も頭痛も、すぐ薬に頼っていますので、観覧車さまを尊敬します。
バセドー氏病は、外科の分野だとばかり思っていましたが
原因不明というのは素晴らしいですね。 結びつける原因が無いから放しやすいですね。
>>553でa hopeさまが書いてくださったように、しばらくはテーマに沿ったお話ができると思います。

572 志恩:2012/07/15(日) 23:43:24 ID:.QY5jUA6
どなたか、閉会の《祈り》、おねがいします。
それから、あさひさまも
ご発言くださってました。ありがとうございました。

573復興G:2012/07/15(日) 23:46:14 ID:84pogn5s

閉会の祈りはそれぞれに、ということで、時間が来ましたから一応終了ですね。
ありがとうございました。

しかし、>>567 : 志恩様のお問いかけもありますから、もうちょっと・・・・

「信仰とはなんだと思いますか」

――それは、>>566 :如月様の投稿文に答えがあるような気がします。
いかがでしょうか。

それから、志恩様、
>>世界の終わりを預言していたアガシャの預言も外れています。<<
と書かれていますが、世界の終わりを予言したのはアガシャでなく、ノストラダムスではありませんか。
アガシャもそんな予言をしていましたか?

574 志恩:2012/07/15(日) 23:48:20 ID:.QY5jUA6
そうです、まちがいました。
ノストラダムスでした。アガシャでは、ありません。

575如月:2012/07/15(日) 23:52:20 ID:ki/haAjk
>>572 志恩さま
世界平和の祈りと光明思念の歌しか書けそうにないのですが
いつも、司会者の方が上手におっしゃるのを聞いているだけなので。
それでもよろしいでしょうか?

576如月:2012/07/15(日) 23:53:22 ID:ki/haAjk
あ、読まずに書き込みました。 すみません!!
それぞれ、ということで…

577復興G:2012/07/15(日) 23:59:46 ID:84pogn5s

志恩様、ありがとうございました。

如月様、できれば世界平和の祈りと光明思念の歌だけ、やっていただけますか?
お願いします。ありがとうございます。

578 志恩:2012/07/16(月) 00:00:06 ID:.QY5jUA6
復興Gさまが、おっしゃったポイントを
如月さまが、書かれたところですね。

生長の家の信仰とは、
「実相独在」だから、みんなすでに救われている。
だから、無条件でよろこぶべし。喜ぶ事が、感謝である。よろこぶことが感謝である。
よろこぶことが、大懺悔である。感謝と大懺悔があるところ、現われていた病もきえるのである。
バンザーイ!、これを自覚し、実行すること。

が、お答えでしたか。わかりやすいです。
教えて下さって、うれしいです、ありがとうございました。感謝合掌。

榎本恵吾先生も、おっしゃってましたね.思い出しました。

579如月:2012/07/16(月) 00:03:44 ID:ki/haAjk
   世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に
愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に
愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


    光明思念の歌

  天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
  天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

    ニ礼

    ニ拍手

  ありがとうございます。

580復興G:2012/07/16(月) 00:07:37 ID:84pogn5s


如月様、ありがとうございました。

感謝 合掌 拝

では、みなさま、おやすみなさい。

581 志恩:2012/07/16(月) 00:11:22 ID:.QY5jUA6
復興G様、トキ様
ご指導を感謝いたします。

皆様、いろいろと教えて下さって、ありがとうございました。
おやすみなさい。

582観覧車:2012/07/16(月) 00:13:18 ID:???

みなさま、本当にありがとうございました。
今後もこの掲示板で勉強させていただくことになりますが、
よろしくお願いいたします。おやすみなさい

>>571
如月様

つたない私の文章にコメントをいただきありがとうございました。
普段は忘れている病気なのですが、
薬を飲む時にやはり掴んでしまいますね^^;

583如月:2012/07/16(月) 00:13:53 ID:ki/haAjk
ま ま ま 間違って無かったでしょうか(汗)
みなさま、忘れて下さい。。。

とりあえず、喜びます。 バンザーイ!

復興Gさま遅くまでご指導ありがとうございました。 
トキさま、色々とお世話をお掛けしました。
宇宙旅行にお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。
見守ってくださっていたみなさま、ありがとうございました。

鈴夜ママさまも、実相の掛け軸をありがとうございました。

584a hope:2012/07/16(月) 00:18:08 ID:kJvHf4/g
第4回web誌友会 に参加されたみなさま、
閲覧して下さったみなさま、おつかれさまでした。

なんか、今夜は、わたしにしては、珍しく気持ちが落ち込んでしまい、
最後、書き込みができませんでしたが、
みなさまの書き込みを読んでいるうちに元気になってきましたよ!

そうですよね。実相独在なのですから、そのことを喜べばいいのですよね!


今回も、素晴らしい学びをさせていただけたことに、感謝いたします。
みなさま、本当にありがとうございました。

如月さま

世界平和の祈りと光明思念の歌

ありがとうございました。


それでは、わたしの愛する「生長の家のみまさま」おやすみなさい。

585ルンルン:2012/07/16(月) 00:33:20 ID:NS71OwS.
あ〜終わってしまいましたぁ。
すみません。11時半に帰ってきました。
あんまり暑かったのでお風呂に入らせて頂いてたら結局12j時前になってしまいました。
パソコンがぼろいので
今、パソコンがたちあがりました。
ざっと読ませていただきました。皆様、私のつたない書き込みにレスをつけて下さり
まことに有難うございました。
全文、今から再び、じっくり読まさせて頂きます。すごく楽しみです。
お疲れ様でございました。
ありがとうございました。バンザーイ!!ヽ(*´∀`)ノ

586SAKURA:2012/07/16(月) 01:19:13 ID:MTu2ruA.
復興G様 
WEB誌友会の皆様 へ
観覧者の皆様 ヘ

こんばんは…。 ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
ア〜〜〜〜〜ッ!終わってしまってる〜〜〜〜〜ワ!遅くなりましての“投稿”にてごめんなさい…。
今回の「復興G様…資料」頂きありがとうございました。拝読させて頂きながら
“総括的の感じました事”…此処に“投稿”させて頂きます…。

では〜〜〜〜〜今回頂きました資料から〜〜〜〜〜♫
■>昔から心は全てであって「物質論は念(心)の映像(かげ)」にすぎないという唯心主義の学説と、
物質はすべてであって、心というのは物質の化学作用の一種にすぎないという唯物論とが交替に
となえられて…云々…< (雅春先生著…「生命の実相」一部抜粋文)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
“外面”では?繋がっていますが〜〜〜果たして“内面”はかけ離れたものでしょうか??
【心 と 物 質 の 関 係 は ど う な の で し ょ う か!】

■個人的な“考え”なのですが〜〜〜
「西欧…」では“外的(美貌)?”から“内面”に〜〜〜なのでしょうか?
逆に、「日本…」では“内面”から〜〜〜“外面”に移行する様に思えるのですが〜〜〜?
最近は「日本」も“外的”が、すごいです〜〜〜ョネ!
【物質面…】を先に捉えていきますから〜〜〜どうしても!いつまでも“モノ”を追う形でしょうか?
最近は「人間の肉体」も〜〜〜「モノ??」と云った感じになっているのではないでしょうか?
そうです〜〜〜ョネ!社会風潮として【肉体人間】と、捉える方が多いのではないでしょうか??

■今回の「イギリスの歌手…ある女性」を、Tubにて拝見しまして〜〜〜
改めて“内面から出る笑顔”が、素敵に見えました!!そうして行きます内に、ふと!!
【幸福は追う“モノ”ではなく、そのままの“心=念”からの出発では〜〜〜】と思わずにいられません!

■聖経の中に
【物質はただ心の影…
影を見て実在と見るものはこれ迷い。汝ら心して迷いに捉わること勿れ…
汝ら『実在』にして永遠にして滅ぶることなし。】
ですから〜〜“心=念…”は、当然ですが、私の“潜在意識”の奥に入って行くモノです〜〜ョネ!

<つづく>         No.1

587SAKURA:2012/07/16(月) 01:22:20 ID:MTu2ruA.
               <つづく>            No.2

>>586の続き投稿です

■話はブレイクしますが???
今は昔?「創価学会」に入会の頃の【方便品、無量寿経のお経…】を拝読していました頃ですが??
そうです〜〜ネ!
確か“内容”が……「お釈迦様の方便…」でしたかしら〜〜〜ン!(アバウト的ですが〜) 
■>仏の姿を心に思い浮かべて見ると、千万の金色に輝き、八万四千の姿や特徴がある。
一つ一つの姿や特徴には八万四千の光があり、一つ一つの光は、ひとつ残らず、念仏する人を見すえて、
包容して捨て去ることがない。…云々…<
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■実は、【仏…】は、此処よりはるか遠くのところに、いるものと〜〜〜
現象で見ますと物質的に肉眼で【夜の空をみて〜〜〜遠くに星が〜〜〜】との解釈を…単純なる解釈!

そうなのです…。「宇宙の彼方〜〜」遠くにその「仏の国〜〜」その様な解釈にて『祈り』を致して…
今思いますと、かなりの熱心さで“徹していた”様なのです…。

ところが【霊界…この世界】を「亡き母の魅霊様」から【数字的に計算?】出来る世界では?無いですし、
そしてこの【仏…】この俗に申します【仏の国…】は私の【心の中…】にあるものと〜〜♫〜〜
随いまして【私の心の中…それは広大にして…無辺 …】ですモノ〜〜ネ!
これこそが…「宇宙に繋がる」モノなのでは〜〜〜無いのでしょうか??
つまり!此処で言います【宇宙…】とは?天文学上の様な“現象世界=現実世界”の事ではなく…
【心の中…宇宙】この様に思えるようになりました…。

■それを教えてくましたが……【ユング…】なのですが〜〜〜
ここ昨今の私は【祈り…】この中に〜〜〜於きまして、
【宇宙…】は、私の“潜在意識”そのモノの“心の中”にある〜〜と、思います〜〜〜。
そうしますと【心=無限大=自由】な〜〜気持ちが、わき起こりました次第です…。
■■今は【潜在意識…心】に、探求中です〜〜〜!!                

再合掌
PS;■■【心 の 法 則 …】…「雅春先生著(一部抜粋…)より」
■『どうしたら心の力が発揮できるかというと…
一つは精神統一によって心の訓練をする事…
二つには、物質の実在を否定して肉眼に見える世界はただ心の影であって、この肉体も心の影であるから、
自分の心によってどうにでもなると観ずる事なのであります。物質を確たる実在であると観れば
観るほどわれわれの心の力は物質に負けてしまうのであります。物質を無しとし本当の自分とは、
滅び亡き、久遠生きとおしの生命であり、自由自在に物質を駆使することができるのだと悟ったとき
われわれは完全に物質を支配することができるのであります。』
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
只今!!!【神想観=瞑想―イメージトレーニング】にて……神と波長を合わせる訓練中〜〜〜♫

PPS:ある“投稿”にて気になりましたのが…
「エーテル=神」この様な捉え方をされている様な“文章”が、目にとまりましたが…??
この件は「異議あり??」と私は、反論させて頂きます次第です…。

PPPS:
大変遅くなりまして…申し訳ございません…。
一昨日より皆様の“投稿”内容を拝読させて頂きながら〜〜〜「人それぞれの着目点の相違」〜〜〜
考えこみながら〜〜〜【投稿…】を躊躇致しましたが…
今回【総合的に…】解釈させて頂きました事を、述べさせていただいた次第です…。

■最終的に於きまして【人は何をこの世界で求めるのでしょうか……】つまり〜〜〜
【人 生 の 意 義】と申しましょうか?? 考えさせられました…。

588復興G:2012/07/16(月) 05:58:56 ID:84pogn5s

皆さま、おはようございます。

WEB誌友会から、一夜明けました。

「明けましておめでとうございます。」と言いたいような気分です。

>>584 :a hope様。

>>なんか、今夜は、わたしにしては、珍しく気持ちが落ち込んでしまい、最後、書き込みができませんでしたが、みなさまの書き込みを読んでいるうちに元気になってきましたよ!
そうですよね。実相独在なのですから、そのことを喜べばいいのですよね!<<

――なんか、私も似たような気持ちです。
a hope さまが、ルンルンさま宛に書かれた、次のご文章――

>>537 ルンルンさま
>>私は数か月前に、検索してここのTSBにたどり着き、復興G様の「実相独在」を見つけて、心に歓喜の雄たけびをあげました。少しずつ読んでは、噛みしめて(いっぺんに読んだらもったいないので)また続きを読んで、そして噛みしめて、途中まできたら、また初めに戻ってもう一度かみしめて読んで、と、わくわくしながら時間をかけて読みました。それは、今も一緒です。そのあと訊け様のブログも知り、両方今もずっと読み続けている文章です。<<

を読んで、私も改めて「実相独在」を思い出し、
「すでに救われているんだから、ただよろこべばよい! バンザ〜〜〜イ!」
という言葉が出てきたときに、自分自身が元気を回復しました。
「回復した」と言いますのは、その前はちょっとくたびれていたんです。
「もっと『生命の實相』をくり返し読んで『真の人間』を観る修行をしなければならない」
と、「ねばならない」にひっかかっていたら疲れやすくなって、かったるくて(だるいという意味です)、「無限力」を忘れてたんです。それが――
昨夜(というか今朝)は午前2時頃まで起きていて、3時間弱寝ただけで、5時前にはパッと元気で起きられました。それで、疲れがなくなっているんです。

ありがとうございます! 

今日は元気いっぱい、やりたいことをやります!
皆さまも、元気いっぱい、よろこびいっぱいの、よき日でありますように!

589復興G:2012/07/16(月) 06:37:25 ID:84pogn5s

>>563 :金木犀さま
>>復興G様の仰ったリチャード・ゼナーとかアガシャの話は『天と地を結ぶ電話』に書いてあるのですか。<<

私が>>554で投稿しました
「まもなく世界全体が、新しく生まれ変わる……」
という文章は、『天と地を結ぶ電話』ではなくて、別の本に書いてあったのを図書館で見つけて、筆写してあったものです。見たのは私が学生時代のことで、昭和30年ごろ、今から60年近く前のことです。書名は記録してなかったので、わかりません。原本を確認したいと思ってインターネットで検索してみても、出てきません。残念です。

590復興G:2012/07/16(月) 06:51:10 ID:84pogn5s

皆々さま。
谷口雅春先生著『生活の智慧365章』p.163に、次のように書かれていました。

   ================

  幸福の鍵は何処にあるか

 若しあなたに「どんな幸福の扉でも開く鍵があるのですが、あなたはそれを欲しくありませんか」と言われるならば屹度あなたは、「本当にそんなものがあるならば、それを得たいものだ」と思われるでしょう。その鍵は決して金属でできているものでも、楠や檜の板で出来ているものではありません。そんな物質で出来ているものは結局はこわれるものであります。虫食い錆くさるものに幸福を求めてはならないと教えられました。
 その鍵は“霊的なもの”で出来ているのです。そして他物にそれを求めても得られるものではなく、自分自身の内にその鍵があるのです。その鍵を『生命の実相』と呼ぶのです。それは必ずしも書籍の名前ではありません。『生命の實相』の本はその鍵の在所を示した本ですからそのように名づけたのです。
 その鍵はすべての人が自己の内にもっている万人具有の鍵であります。人間の生命のうちには「無限」が宿っているのです。その無限に気がついたとき、その人はその鍵を発見したのです。

   ================

 私たちは、「『生命の實相』の本を、薬の代わりに飲まなければ病気が治らない」と思うのも、迷信になるのではないかと思うのです。幸福の鍵すなわち「生命の実相」は、「すべての人が自己の内にもっている万人具有の鍵であります」と教えられているのです。「『生命の實相』の本はその鍵の在所を示した本ですからそのように名づけたのです」、しかし、外にそれを求め、これから修行をして悟りをひらかなければ病気は治らないと思うのは迷信になる。「実相独在」で、すでに救われているんだから、ただよろこべばよい!

上記『生活の智慧365章』には、つづいて次のように書かれています。

   ================

   「コトバの力」の正しい使い方

 自己の内に「幸福を開く鍵」が宿っていることを知っても、その鍵をどのように使えば本当に「幸福の扉」が開くか、その使い道を知らなければ、鍵はありと知りながらも、その扉を開くことが出来ないでしょう。その鍵を動かす力は“コトバの力”によるのです。その力をどちらへ回転するか、どの方向へ向けて動かすかによって、どのような大きな幸福がおとずれるか、小さな幸福しか与えられないかの相異がでて来るのである。

   ================

 では、どのように「コトバの力」を使うのがよいかというと、

「私は神の子、完全円満! 健康だ! 幸福だ! 
うれしいなあ! 楽しいなあ! ありがたいなあ! 
ますますよくなる! どんどんよくなる! 
バンザ〜〜〜イ!」

というような感謝とよろこびの言葉を、積極的に毎日使えばよろしいのですね。バンザ〜〜〜イ!

 ありがとうございます。

591復興G:2012/07/16(月) 07:35:24 ID:84pogn5s

>>586 :SAKURA様。

この長文を、WEB誌友会の時間内に書き込まないでいて下さいましたことに、心から感謝申し上げます。

あなた様のご文章は、何がおっしゃりたいのか、わかりにくくて、読むのに疲れて気持ちが悪くなってしまいます。ですから、それを察して、誌友会の時間内には遠慮して書き込まないでいてくださったものと、感謝いたします。
ありがとうございます。

以前から、いろいろな方が、せめて 「?? !! 〜〜 …… ♫ 〜〜〜ン」 のような記号を多用することをやめていただけば、少しは読みやすくなるでしょうと忠告されましたが、あなたは頑として聞き入れられない。それには、みなさん、迷惑しているのですよ。

それから、今回の書き込みにはなかったと思いますが、
自分の投稿文を、 “拝読” してください
などという書き方は、常識・教養ある人はしませんよ。自分の書いたものは、へりくだって、たとえば
「ご高覧、ご一覧いただけたら幸せです。乱筆乱文、お許しください。」
などと言うのが礼儀でしょう。
どうぞよろしくお願いします。

それから、
>>ある“投稿”にて気になりましたのが…「エーテル=神」この様な捉え方をされている様な“文章”が、目にとまりましたが…?? この件は「異議あり??」と私は、反論させて頂きます次第です…。<<

これは、私も
>>宇宙空間にエーテルが詰まっているという考えは、「高天原に神詰まります」という天津祝詞を想起させます。その神は「隠り身」で身を隠していらっしゃる……。<<
と書いたところがありました。
しかし、それは「エーテル=神」という意味ではありません。エーテルというのはあらゆる空間に詰まっていながら身を隠しているかのように測定器にはかからない、という点で、「高天原に神詰まります」という天津祝詞を想起させられる、と申し上げました。それが、「エーテル=神」と誤解されるおそれがあったとすれば、お詫びしますが、そんなことは思っていませんし、言ってませんので、よろしくご確認ください。

率直な苦言、感想を申し上げました。失礼の段は、お許し下さい。ありがとうございます。合掌 拝

592復興G:2012/07/16(月) 07:44:23 ID:84pogn5s

ちょっと補足です。
「エーテル=神」ではなく、「神はすべてのすべて」ですから、
「エーテルというのも神の無限相の一つのあらわれと考えられる」
ということですね。
ありがとうございます。

593如月:2012/07/16(月) 07:53:09 ID:ki/haAjk
復興Gさまおはようございます。
みなさま、おはようございます。

宇宙誌友会と地上の誌友会を忙しく飛び回られて
復興Gさまはきっと今日はヘトヘトになっていらっしゃるでしょうと
申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが

>>588午前2時頃まで起きていて、3時間弱寝ただけで、5時前にはパッと元気で起きられました。
>>それで、疲れがなくなっているんです。

エネルギーにあふれた素晴らしいご文章を拝見して感動いたしました。
そうなのですか?
お疲れでは無いのですか?
そういわれれば、私も普段と違ってスッキリとしていて意志とは関係なく中からやる気が沸いて来ています。
あれ? 今日はのんびりするつもりだったのに、やる気が沸いて来て、そうは行かない感じです。

それなのに、この素晴らしい目覚めが明日もあるだろうかとつまらない不安を持ってしまう自分がいます。
そういう時は正しい鍵の使い方を、感謝とよろこびの言葉を積極的に使えばいいのですね。
その鍵を自分が持っているのに持っていないような気がする時は、生命の實相を読めばいいのですね。

基本的な事が、何故、重要なのか自分の中でいろいろと解明(?)されて来ました。
ますますスッキリです! 
わかりやすく書かれた谷口雅春先生の真理を
それでもなかなか理解できない私に、ここまで咀嚼して教えて下さいまして何とお礼を申し上げれば良いのか
ありがとうございます。  喜びの生活をおくって参ります。

                                                       感謝 合掌 拝

594 志恩:2012/07/16(月) 09:31:57 ID:.QY5jUA6
復興Gさま、皆様、昨日は、おつかれさまでした。

〜新、情報ーー
  2012年12月で世界が終わると、多くの方が騒いでいますが、
  《終末論は、もともとイルミナティが作り上げた筋書きにすぎない》という記事〜(貼りました)

復興Gさま、ahopeさまが、WEB誌友会の最後に、気持ちが落ち込んでしまったのは、私が、昨夜、たまたま
見つけた出口王仁三郎さんの預言「2012終末説」を貼付したからだと思います。すみませんでした。

出口さんだけでなく、数多くの預言者が、2012年12月、世界が終わるという預言を発表して、われわれの気持ちを
不安に陥れております。

私は、復興G様がご紹介くださった霊媒的預言者のリチャード・ゼナーさんを、ネットで探しましたが、1つ2つ、ささやかな記事が
見つかっただけで、他は見つかりませんでした。

しかし、その代わりに、いいニュースを見つけました。
ご周知の通り、数々の流布されている預言の他に、マヤ暦ー「マヤ暦によると、2012年の12月で、世界は終わることになるのだ」と、
これについても世界は、騒いでおります。

で、新情報はですね、、マヤ暦の新解釈を示す「マヤ遺跡 新発見」があり、騒動がおきているというニュースです。
これによりますと、2012年12月は、1つの区切りにすぎない。世界の終わりを告げるものではない。
むしろ、いい方へ、向かう区切りのことを示唆しているのだ、ということです。

こちらのほうを、私は、信じたいと思いました。


http://blog.goo.ne.jp/narudekon/e/0c7da2deda95a045d297c9594707a866

595 志恩:2012/07/16(月) 09:41:35 ID:.QY5jUA6
復興G様ご紹介の、アメリカ アガシャ教会霊媒師・リチャード・ゼナーさんの
明るいメッセージも、貼らせていただきます。

 http://umidesu3.exblog.jp/2305733/

596金木犀:2012/07/16(月) 10:04:45 ID:35fFjNQQ
皆様おはようございます。

昨日はみなさま全員の素晴らしいコメントに、なんて立派な方々がお集まりになったのかと
さすがに生長の家の信徒の方は違うと誇らしく思いました。

復興G様も誌友会に書き込みをはじめられた途端に、何か大船に乗ったような安心感が
板全体に広がる感じがしました。ほんとにご指導有難う御座いました。
やはり復興G様のご指導は貴重な気が致します。ユタカ様が、復興G様を中心にと思われたのが
ほんとによくわかります。

それから志恩様の素晴らしさが、誌友会に参加されたことで、一層良くわかりました。
今まで参加なさらなかったのは、ほんとうにもったいないことでした。
いろんなことをよく勉強されているし、みなさまへの気の使い方など、
復興G様の副官といった感じで、お二人の今回のお働きには、絶妙なものを感じます。

志恩様のマヤ暦に関する新情報は、私も聞いた気がします。
テレビか新聞で見た気がします。で、見た時に、やっぱりそうだろうなと思ったものです。
雅春先生が説かれている古事記の予言からすれば、これからいよいよ住吉大神の浄化が終わって、
伊耶那岐命の左の御目が浄められて天照大御神が御誕生になって、天皇の実相が現れると
云うところまで来ようとしている時に、世界が滅びてたまるかと言う気がします。

みすはなまる様がおっしゃったように、この生長の家の哲学を普及させる工夫を
私たちはしていかなくてはいけませんね。

597 志恩:2012/07/16(月) 10:34:19 ID:.QY5jUA6
金木犀さま

私へのもったいない お言葉 恐縮致しております。
まだまだ至らないところだらけの私です。

わたしこそ、金木犀様のような博識で人柄もいいお方が、ここの掲示板で発言されますことを、常々、大変有り難く心強く思っております。

復興G様のことは、金木犀様のおっしゃるとおりですよね。復興G様がいらっしゃると、大船に乗ったようです。
ユタカ様のひたむきな純粋さで、ユタカ様が、復興G様にお願いして下さった
おかげで、このように復興G様のような大先輩のお方に、引き続き、ご指導していただける幸運に恵まれております。

マヤ暦の新情報は、すでにご存知でいらしたとのこと、さすがですね。

598あさひ:2012/07/16(月) 11:56:05 ID:/3nxKE2Q
合掌

たくさんのテキスト資料 プリントアウトして拝読させていただいています。

テキストのアップ感謝です。

              合掌

599a hope:2012/07/16(月) 12:31:57 ID:kJvHf4/g
みなさま こんにちは

みなさまのおかげで、今回の誌友会では、たくさんの話題でもりあがり、大変有意義な時間をすごさせていただきました。
みなさま、本当にありがとうございました。


>>594で志恩さまが、復興Gさまとわたしの落ち込んだ理由が、
出口王仁三郎さんの預言「2012終末説」を貼付したからだとおっしゃっていますが、
わたしは自分でも本当の理由はよくわからないのですが、
わたしも復興Gさま同様、出口王仁三郎さんという方に、あまり良いイメージを持っていなかったのは事実です。

なぜなら、谷口雅春先生が聖典のどこかで、「大本教」を否定されていたような気がしたからです。
その個所を、見つけましたので、聖典板に謹写させていただきます。

文章の中に、

>>そしてついに神罰の神を否定してしまい、神は愛であり、善であり、すべてのすべてであるから、
罪というものは造らないのであるから、罪は存在しないのであるという一大真理に到達した結果、
今まで罪をつぐなわんがために自分を自縄自縛して苦しませねばならぬというその考えが、
潜在意識からのぞかれることになったのであります。<<

と雅春先生は、はっきり、大本教の神を否定しています。
生長の家の神さまは、決して罰をあてるような神さまではないのですよね。
だから、わたしたちは「生命の實相」を心読して、「神の子」の自覚を深めていけば、
自然と潜在意識がきよめられて、あらゆる不幸(貧乏、病気、不幸、災難等)は消えてなくなってしまうのだと思いました。

それでは、わたしの大好きな「生長の家」のみなさま、今日もまた、素晴らしい休日をお過ごしください!

600SAKURA:2012/07/16(月) 12:53:33 ID:EUALcDkQ
WEB誌友会の皆様 へ
観覧者の皆様 ヘ

こんにちは…。 ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
ア〜〜〜〜〜ッ!終わってしまってる〜〜〜〜〜ワ!遅くなりましての“投稿”にてごめんなさい…。
今回の「復興G様…資料」頂きありがとうございました。拝読させて頂きながら
“総括的の感じました事”…此処に“投稿”させて頂きます…。

では〜〜〜〜〜今回頂きました資料から〜〜〜〜〜♫
■>昔から心は全てであって「物質論は念(心)の映像(かげ)」にすぎないという唯心主義の学説と、
物質はすべてであって、心というのは物質の化学作用の一種にすぎないという唯物論とが交替に
となえられて…云々…< (雅春先生著…「生命の実相」一部抜粋文)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
“外面”では?繋がっていますが〜〜〜果たして“内面”はかけ離れたものでしょうか??
【心 と 物 質 の 関 係 は ど う な の で し ょ う か!】

■個人的な“考え”なのですが〜〜〜
「西欧…」では“外的(美貌)?”から“内面”に〜〜〜なのでしょうか?
逆に、「日本…」では“内面”から〜〜〜“外面”に移行する様に思えるのですが〜〜〜?
最近は「日本」も“外的”が、すごいです〜〜〜ョネ!
【物質面…】を先に捉えていきますから〜〜〜どうしても!いつまでも“モノ”を追う形でしょうか?
最近は「人間の肉体」も〜〜〜「モノ??」と云った感じになっているのではないでしょうか?
そうです〜〜〜ョネ!社会風潮として【肉体人間】と、捉える方が多いのではないでしょうか??

■今回の「イギリスの歌手…ある女性」を、Tubにて拝見しまして〜〜〜
改めて“内面から出る笑顔”が、素敵に見えました!!そうして行きます内に、ふと!!
【幸福は追う“モノ”ではなく、そのままの“心=念”からの出発では〜〜〜】と思わずにいられません!

■聖経の中に
【物質はただ心の影…
影を見て実在と見るものはこれ迷い。汝ら心して迷いに捉わること勿れ…
汝ら『実在』にして永遠にして滅ぶることなし。】
ですから〜〜“心=念…”は、当然ですが、私の“潜在意識”の奥に入って行くモノです〜〜ョネ!

<つづく>         No.1

601 志恩:2012/07/16(月) 12:57:01 ID:.QY5jUA6
ahopeさま

>>599:を読ませて頂くまえに、ahope様が、生命の實相から見つけてくださり、聖典板に
謹写されましたご文章を、拝読しました。

私も、以前に読んでいる筈なのですが、詳細のところは、忘れていました。大本教に
おられたころの雅春先生のご体験と、大本教の教えである罰を与える神を捨てて、ただ善のみの
救われ済みの神を悟られたときのご体験を書かれた雅春先生のご文章を、改めて読ませて頂いて、

この生長の家の教えの深さ広さを再認識させて頂けました。
早速に、ピンポイントで、探されたahope様は、たのもしいですね。

ありがとうございました。

602SAKURA:2012/07/16(月) 12:58:23 ID:EUALcDkQ
                     <つづく>            No.2

>>600の続き投稿です

■話はブレイクしますが???
今は昔?「創価学会」に入会の頃の【方便品、無量寿経のお経…】を拝読していました頃ですが??
そうです〜〜ネ!
確か“内容”が……「お釈迦様の方便…」でしたかしら〜〜〜ン!(アバウト的ですが〜) 
■>仏の姿を心に思い浮かべて見ると、千万の金色に輝き、八万四千の姿や特徴がある。
一つ一つの姿や特徴には八万四千の光があり、一つ一つの光は、ひとつ残らず、念仏する人を見すえて、
包容して捨て去ることがない。…云々…<
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■実は、【仏…】は、此処よりはるか遠くのところに、いるものと〜〜〜
現象で見ますと物質的に肉眼で【夜の空をみて〜〜〜遠くに星が〜〜〜】との解釈を…単純なる解釈!

そうなのです…。「宇宙の彼方〜〜」遠くにその「仏の国〜〜」その様な解釈にて『祈り』を致して…
今思いますと、かなりの熱心さで“徹していた”様なのです…。

ところが【霊界…この世界】を「亡き母の魅霊様」から【数字的に計算?】出来る世界では?無いですし、
そしてこの【仏…】この俗に申します【仏の国…】は私の【心の中…】にあるものと〜〜♫〜〜
随いまして【私の心の中…それは広大にして…無辺 …】ですモノ〜〜ネ!
これこそが…「宇宙に繋がる」モノなのでは〜〜〜無いのでしょうか??
つまり!此処で言います【宇宙…】とは?天文学上の様な“現象世界=現実世界”の事ではなく…
【心の中…宇宙】この様に思えるようになりました…。

■それを教えてくましたが……【ユング…】なのですが〜〜〜
ここ昨今の私は【祈り…】この中に〜〜〜於きまして、
【宇宙…】は、私の“潜在意識”そのモノの“心の中”にある〜〜と、思います〜〜〜。
そうしますと【心=無限大=自由】な〜〜気持ちが、わき起こりました次第です…。
■■今は【潜在意識…心】に、探求中です〜〜〜!!                

再合掌
PS;■■【心 の 法 則 …】…「雅春先生著(一部抜粋…)より」
■『どうしたら心の力が発揮できるかというと…
一つは精神統一によって心の訓練をする事…
二つには、物質の実在を否定して肉眼に見える世界はただ心の影であって、この肉体も心の影である
から自分の心によってどうにでもなると観ずる事なのであります。物質を確たる実在であると観れば
観るほどわれわれの心の力は物質に負けてしまうのであります。物質を無しとし本当の自分とは、
滅び亡き、久遠生きとおしの生命であり、自由自在に物質を駆使することができるのだと悟ったとき
われわれは完全に物質を支配することができるのであります。』
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
只今!!!【神想観=瞑想―イメージトレーニング】にて……神と波長を合わせる訓練中〜〜〜♫

PPS:ある“投稿”にて気になりましたのが…
「エーテル=神」この様な捉え方をされている様な“文章”が、目にとまりましたが…??
この件は「異議あり??」と私は、反論させて頂きます次第です…。

PPPS:
大変遅くなりまして…申し訳ございません…。
一昨日より皆様の“投稿”内容を拝読させて頂きながら〜〜〜「人それぞれの着目点の相違」〜〜〜
考えこみながら〜〜〜【投稿…】を躊躇致しましたが…
今回【総合的に…】解釈させて頂きました事を、述べさせていただいた次第です…。

■最終的に於きまして【人は何をこの世界で求めるのでしょうか……】つまり〜〜〜
【人 生 の 意 義】と申しましょうか?? 考えさせられました…。

603 志恩:2012/07/16(月) 13:12:36 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

この2012年12月に 世界は終わる という世界終末説は、かなりの多くの預言者といわれている世界の方々が、
「預言」として、もっともらしくネット上や著書で発表しており、その情報は、世の中に流されて 氾濫しております。

ですから、それらの預言を打ち消して、「それは、終末でなく、一段とよくなるための区切りの月日なのである、」ということを、
こういう掲示板で、復興G様や、ahope様が、発言されたこともたいせつなことだと思っております。

604a hope:2012/07/16(月) 13:21:09 ID:kJvHf4/g

>>601志恩さま

志恩さまが、出口王仁三郎さんを話題にあげてくれたからこそ、
わたしはさらに深く「生長の家の真理」をお勉強できたのです。
ありがとうございました。

わたしは、実は、まだ、「生命の實相」を全巻読破していないのです。
ちゃんと、納得しないと、次に進めないタイプなので・・・
でも、だからこそ、ピンポイントで探せたのかも知れません(笑)。

今回の誌友会では、志恩さまから色々な情報をいただきとてもお勉強させていただきました。
そして、わたしもあらためて「生長の家の教え」の素晴らしさを認識させていただいています。

志恩さま、いつもありがとうございます。
そして、これからもご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

605 志恩:2012/07/16(月) 13:22:11 ID:.QY5jUA6
SAKURA様

貴女がご指摘の「エーテル=神」という考え方を、今回のWEB誌友会で、どなたかされたという1件についての
回答は、復興Gさまが、そのようには、発言していない旨を、すでにお答えくださっています。

私も、復興G様と同じ考え方です。

あとは、なにをおっしゃりたいのか、わるいけれど、よくわかりません。

606a hope:2012/07/16(月) 14:03:04 ID:kJvHf4/g
>>603 志恩さま

>>a hopeさま
この2012年12月に 世界は終わる という世界終末説は、かなりの多くの預言者といわれている世界の方々が、
「預言」として、もっともらしくネット上や著書で発表しており、その情報は、世の中に流されて 氾濫しております。
ですから、それらの預言を打ち消して、「それは、終末でなく、一段とよくなるための区切りの月日なのである、」ということを、
こういう掲示板で、復興G様や、ahope様が、発言されたこともたいせつなことだと思っております。<<

復興Gさまに関してはわかりませんが、
わたしは、「2012年12月に 世界は終わる という世界終末説」には、
全く興味がなくて、詳しいことすら良くわからないのです。

だから、今まで一度も、それらの予言を打ち消したこともなく、まして、
「それは、終末でなく、一段とよくなるための区切りの月日なのである、」などと、
発言した記憶もありませんので、志恩さまはこの件に関しては、
きっとどなたかと人違いされているのではないかと思います。

みなさまに、誤解されると困るので、この件に関しては、はっきり否定させていただきます。

607 志恩:2012/07/16(月) 14:42:33 ID:.QY5jUA6
>>606:ahopeさま

ahopeさまは、私が大本教の出口王仁三郎さんの預言の動画を貼ったことで、大本教の考えと反する

「生命の實相」に雅春先生がお書きになった、大本教に対する雅春先生のお考えである

「罪の自覚と贖罪の観念は、人間を不幸に導く」という題の謹写を、聖典板981に、されたわけです。

その「生命の實相」の文章の内容というものは、その当時の。。

>>大本教(つまり、出口さん)が、大本教の神さまによって、日限きって予告された最後の審判の日を前にして、威嚇的な神罰宗教の発言をされたので、真剣に考えずにおれなかった…<<

というものです。

つまり、雅春先生は、出口仁王三郎さんが、言われた、大本教の、この神罰を与える、神を否定されました。

私が昨日、貼付した出口さんが預言している内容も、大祓があるという、同じく「最後の審判の預言をしていた」わけですから、

只今、世の中を騒がしている2012、12月、終末説と繋がる事の預言的発言を出口さんが、動画で、されていたことに対して、

ahopeさんは、雅春先生のお考えを示して、出口さんの終末説を否定されたというように、捉えました。


復興Gさまのご発言は、「實相独在」ですから、これもまた、遠回しなおっしゃりかたで、2012、12月に、世界が破滅する事等、あり得ないということを
おっしゃったと、私は、捉えたのです。

608 志恩:2012/07/16(月) 15:08:14 ID:.QY5jUA6
行動も言葉の1つなのです。

お子さんを、いとしい笑顔でハグしたら「愛しているよ」という言葉になります。

私が、動画を貼った内容に、反論する「記事」を貼って、私にそれを示したという事は、
「私は、あなたの貼った動画の人の意見に、反論します」というのと同意語になるのです。

609a hope:2012/07/16(月) 16:34:17 ID:kJvHf4/g
>>607 >>608志恩さま

申し訳ありませんが、わたしは、志恩さまの貼り付けてくださったという、
動画は、最初の方だけちょっと拝見しましたが、ほとんど拝見していないのです。

だから、出口仁王三郎さんが、動画でどんなことを予言されているのか知りません。
ただ、出口仁王三郎さんという、お名前に反応しただけなのです。

わたしは、預言者ではありませんし、霊能者でもありません。
「生長の家の教え」が大好きな、ただの主婦です。

だから、世の中の予言者さまや霊能者さま方々の予言されたことを、
否定するなど、どう考えても出来ませんし、それに、
「それは、終末でなく、一段とよくなるための区切りの月日なのである、」
などという、預言めいた発言は決してしていませんので、その件に関しましては、
あらためて、否定させていただきます。

ただ、志恩さまが

私が、動画を貼った内容に、反論する「記事」を貼って、私にそれを示したという事は、
「私は、あなたの貼った動画の人の意見に、反論します」というのと同意語になるのです。

とおっしゃるのなら、そういう気持ちも少しはあったのだと思います。
生意気なことしまして、すみませんでした。

でも、わたしが貼ったのは、記事ではなくて、生長の家の聖典の言葉と、
その内容に関する、わたしの私的な意見です。
(2012年12月のことに関しては、一切触れていません。)

わたしの意見が、間違っているのであれば、御指導いただけるとありがたいです。

610復興G:2012/07/16(月) 16:39:35 ID:84pogn5s

志恩様・a hope 様

また別のところへ出かけておりましてレスが遅くなりました。

>>594 : 志恩様
>>復興Gさま、a hopeさまが、WEB誌友会の最後に、気持ちが落ち込んでしまったのは、私が、昨夜、たまたま見つけた出口王仁三郎さんの預言「2012終末説」を貼付したからだと思います。すみませんでした。<<

私がちょっと疲れていたというのは「出口王仁三郎さんの終末説を見たから」なんて、それほど私は単純でやわではないつもりです。

>>出口さんだけでなく、数多くの預言者が、2012年12月、世界が終わるという預言を発表して、われわれの気持ちを不安に陥れております。<<

そうなのですか。今でも世界終末の預言で気持ちを不安に陥れられてるような人がいるんですか? 信じられません。私は終末預言などには興味がなく、情報も知りませんでした。

ですから、私も「それは、終末でなく、一段とよくなるための区切りの月日なのである」と発言したこともありません。

なお、a hope 様が聖典板に謹写してくださいました件、

>>当時の大本教は、その教祖の筆先にも「地震雷火の雨ふらしてたいらげるぞよ」とあり……<<

ということに関しては、面白い後日譚があります。

戦後、昭和30年代だったと思いますが、谷口雅春先生が京都府綾部にご巡錫になって講習会をされたときのことです。谷口雅春先生は生長の家を創始される前、大本教の幹部をなさっていたことがあり、その当時谷口先生のファンだった大本教の幹部を、生長の家人たちが誘ったら、「懐かしい谷口先生のお話を聞きたい」と、何人かの人たちが連れ立って聴講に来られたそうです。
谷口雅春先生は講習会でもよく、「最後の審判において、罪ある者が地震雷等々の天災地変で皆殺しにされる」というような大本教の教えは間違っている、というお話をされるが、このたびだけは大本教の人たちがきているから、そのお話だけはしないでいただきたい、と生長の家の幹部の人たちは願っていたそうです。

ところがあに図らんや、「恐れるものは皆来たる」で、講習会の冒頭に、
「大本教では……」と、そのお話を始められた。
ところが、それまでの、大本教否定のお話とは違っていた。

「今まで私は、大本教の教祖のお筆先にある、神が“地震雷火の雨ふらしてたいらげるぞよ”というような天変地変を起こすというのは、変だ。愛なる神が、そんなことをするはずはない」と、大本教を批判してまいりました。
しかし、今朝神想観をしましたら、それはこちらの解釈が間違っていたのだとわかったのであります。
それを書いたのは出口直(なお)という無学な教祖で、“お筆先”は全部ひらがなで書かれている。
「じしんかみなりひのあめふらしてたひらげるぞよ」
というように。それを、「地震雷火の雨ふらして平らげるぞよ」と漢字交じりの文章に書き直すことをやっておられたのが谷口雅春先生だったのです。それは、漢字の当て方が間違っていたのだ! と、インスピレーションが天降って来た、と先生は話されたのでした。
<つづく>

611復興G:2012/07/16(月) 16:40:06 ID:84pogn5s

<つづき>
正しい漢字の当て方は、
「自身神なり」で、「火の雨」は、人間は神の子だという真理の火の雨であり甘露の法雨である。そして「平らげる」とは、世界に平和をもちきたすという意味である!

――そういうインスピレーションが天降って来たのです、と谷口雅春先生は綾部の講習会で話された。大本教の教祖のお筆先は間違っていなかった。間違っていたのは、こちらの解釈だった! と話された。
それを聞いて、聴講に来ていた大本教の人たちも喜ぶし、その人たちを誘って講習会のお世話をしていた生長の家の幹部も安堵の胸をなでおろし、バンザイを叫びたいくらい喜んだ、ということです。

このお話は、その後『白鳩』誌にも掲載されましたし、私は当時講習会のお世話をした幹部の方から、直接にそのことを聞きました。

この話には、まだ付録があります。
その頃、綾部では干ばつ、水飢饉で、長い間雨が全く降らず、田んぼはひからびて、ひび割れしているような状態だった。それで雨乞いの祈りを続けていたが、その効果があらわれず、困っていた。しかし、愛の神を信ずる生長の家の素直な信徒は、「今日は谷口雅春先生がお見えになるんだから、きっと雨が降る」と言って、傘を持ってきた者もあったという。しかし、雨になりそうな気配は全くなかった。

ところが――です!
午後から「神想観実修」となったとき、一天にわかにかき曇り、ゴロゴロと雷が鳴り始めた。そして先生が招神歌を唱え、「イユーッ!」と気合いを掛けられたとたん、稲妻とともに「ド〜〜ン、ゴロゴロ・・・・・」とひときわ大きな雷鳴が鳴りひびき、ザーッと大雨が降り出したそうです。

先生のお側でお世話をしていた人がちょっと先生のお顔を拝したら、先生はニコッとお笑いになったような気がした、と語っておられました。

ちょっとうまく出来すぎたドラマみたいですが、信じられますか? 本当にあったことだそうですよ。

612SAKURA:2012/07/16(月) 17:26:54 ID:EUALcDkQ
トキ様 へ
ウエブ誌友会の皆様 へ
観覧者の皆様 へ

こんにちは…   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

先程…友人から“携帯メ−ル”を頂きまして、
一言…“パソコン開け!!昨日の「WEB誌友会」反論しなさ〜〜〜イ!”との〜〜〜
私は、“ぼんやり〜〜〜”うつろ眼で“パソコン”を開けましたが…

>>586>>587【SAKURA】投稿文に関しての“お返事”ありがとうございます。
>>591「復興 G様」から頂きました“お返事”拝読させて頂きまして(下記抜粋投稿)

■>あなた様のご文章は、何がおっしゃりたいのか、わかりにくくて、読むのに疲れて気持ちが悪く
なってしまいます。ですから、それを察して、誌友会の時間内には遠慮して書き込まないで
いてくださったものと、感謝いたします。ありがとうございます< (一部抜粋投稿)


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■■>あなた様のご文章は、何がおっしゃりたいのか、わかりにくくて、読むのに疲れて気持ちが
悪くなってしまいます。<

此の言葉…毎回!「学ぶ会…」の方々のおっしゃいます“投稿文章”内容と受け止めさせて頂きます。
私は、【復興 G様】が、少なくともこの様な文章を書かれましたこの時点で…
知人が申していました事(考え)を、私も認めておりましたが、“言葉”として「文章表現」しますと、
口頭で聞きます場合とは、おおよそ大差があり、特に“文章表現による言葉”は、
相手に対して、かなり残ってしまいます。そうです〜〜ネ“【潜在意識…】にかなり入り込むでしょう!
それが、本人達の【狙い…】でしたら〜〜〜
つまり【ネガティブ感情=>自尊心を傷つける・自信を無くす】を、脳裏に植え付ける事が…
第一の目的手段でしたら〜〜〜と心理であるものと判断させて頂きます。
この事は、私個人としまして【現総裁雅宣先生…擁護一人】ですから、
そうです〜〜ネ!考え方によりますと【あなたは???こうなんだ!!】と言う事を、
それこそ【固定観念…】を、植え付けることになりますと、解釈しております次第です…。

この事は「生長の家」の根本理念…相手を【讃嘆…】する事を、「谷口雅春先生」は、私どもに、
指導して下さいました…。
そして【讃嘆…】する事で、その人の“長所”を活かし、かつ“短所”を無くす…
つまりは、向上につながるという事となるのでしょう。この事とは、隔たりを感じます。 

■この場をお借りしまして【反論…の答弁】を、此処に【更に“筆談…”】させて頂きます…。

■■此の友人が、更に知人の「大学教授…」にコピ−を送ってくれたそうで、
(毎回!毎回!口癖のように投稿するの〜〜〜ネ!)それで、コピ−を、送ってくれたそうですが?

■その大学教授が、知人に伝えた事は、
今まで“コピ−”を読んだけど…「現代文」として当たり前に通用するし、内容はわかりやすいが……
逆に、「解らないという“投稿文”…それなら
何処がどの文章で?どの言葉が理解しがたいのか?そして、気分が悪い言葉か?
具体的に、投稿していいのではないか〜〜〜??」
この様に相手が“文章表現言葉”を、伝えてくるのは、この“投稿者”自身の心理としては、
今まで文章を見た限り…「固定観念…優先」だから、はなから相手に対して「拒否…答弁」になる。

更に此の相手の方「復興G様」と言う人が【幹部?と言う役職】なら、尚更!【具体論…】の答弁を、
しないと下の者はついて行くのだろうか〜〜〜疑問点と言ったそうです…。

それから、失礼だが、尚更【幹部?と言う役職】の地位であるならば、広範囲の見聞が出来ないかぎり、
人を指導?ましてや【信仰…】となると“イメ−ジ的”には【人生論…】まで発展・左右するから、
この事は、大変な重要視されるべきものではないかと思うが…
ならば本当に、【読会力】を考える上で、「学歴」があるのであろうか?
指導者としての【やさしさ…】を考える上で『疑問視…多々ある』のだと伝えてほしいと…

上記内容を知人が、伝えてくれた事で、私も同様に感じた次第です…。
この事は、私自身も、以前から抱いていた事ですが〜〜〜?

                    <つづく>

613SAKURA:2012/07/16(月) 17:28:46 ID:EUALcDkQ
こんにちは…   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>612投稿の続きです。

先程…友人から“携帯メ−ル”を頂きまして、
一言…“パソコン開け!!昨日の「WEB誌友会」反論しなさ〜〜〜イ!”との〜〜〜
私は、“ぼんやり〜〜〜”うつろ眼で“パソコン”を開けましたが…

>>586>>587【SAKURA】投稿文に関しての“お返事”ありがとうございます。
>>591「復興 G様」から頂きました“お返事”拝読させて頂きまして(下記抜粋投稿)


■>以前から、いろいろな方が、せめて 「?? !! 〜〜 …… ♫ 〜〜〜ン」 のような
記号を多用することをやめていただけば、少しは読みやすくなるでしょうと忠告されましたが、
あなたは頑として聞き入れられない。それには、みなさん、迷惑しているのですよ<

>それから、今回の書き込みにはなかったと思いますが、
自分の投稿文を、“拝読”してください…。
などという書き方は、常識・教養ある人はしませんよ。自分の書いたものは、へりくだって、たとえば
「ご高覧、ご一覧いただけたら幸せです。乱筆乱文、お許しください。」
などと言うのが礼儀でしょう。どうぞよろしくお願いします。<  (一部抜粋投稿)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■>以前から、いろいろな方が、せめて 「?? !! 〜〜 …… ♫ 〜〜〜ン」 のような記号を多用することをやめていただけば、少しは読みやすくなるでしょうと忠告されましたが、あなたは頑として聞き入れられない。それには、みなさん、迷惑しているのですよ<

■此の件で…「一言…」反論答弁を、此処でさせて頂きますので…?
前回も「モモンガ様」から上記の「?? !! 〜〜 …… ♫ 〜〜〜ン」に関して、お言葉を、
頂いておりました。
その時点での私自身の見解は
【後!に余韻を残しまして、拝読して頂きました方々個人個人の考えにて『解釈して頂きたいもの』と
…その様な見解を“投稿”させて頂いた次第ですが…?】

■■それから【みなさん】この“言葉”いかように解釈致しましたら宜しいのでしょうか?

あくまでも“私の考え方”に同調されて頂いています方々が…拝読して頂きましたならば、
それで宜しいのではと、随分前から判断しております。
何故なら、私が“投稿”致しても此処の他の投稿されておられます方々(主に!学ぶ会?)は、
はなから拒否的“言葉”を、述べられますから…私一個人としては、対外的に『観覧者の皆様』を、
対象にさせていただいている次第です…。
此の件に関しましては、以前“投稿”させて頂きました…。

■今回の「復興G様」の御文章を拝読しまして…更に前回の「文章…」を参考文献として、
私なりの『生長の家…2世』と致しましての、「雅春先生」「雅宣先生」両先生の御指導の【真理】を、
基に私なりの【投稿答弁】を…記載させて頂きたいものと思います…。

                                   再合掌
PS:
■■私は【現総裁雅宣先生…擁護派一人】此処の2チャンネルですが……
果たして、【真理…】に関しての討論でしたら、まだしも、
失礼ながら、それ以前の事での私に対して、つまり【現総裁雅宣先生…擁護派一人】と、
言う事での、「イヤミ…拒否権」の様に解釈致しましたが…

<つづく>

614SAKURA:2012/07/16(月) 17:30:28 ID:EUALcDkQ
>>613投稿の続きです。

こんにちは…   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

先程…友人から“携帯メ−ル”を頂きまして、
一言…“パソコン開け!!昨日の「WEB誌友会」反論しなさ〜〜〜イ!”との〜〜〜
私は、“ぼんやり〜〜〜”うつろ眼で“パソコン”を開けましたが…

>>586>>587【SAKURA】投稿文に関しての“お返事”ありがとうございます。
>>591「復興 G様」から頂きました“お返事”拝読させて頂きまして(下記抜粋投稿)


■>あなた様のご文章は、何がおっしゃりたいのか、わかりにくくて、読むのに疲れて気持ちが悪く
なってしまいます。ですから、それを察して、誌友会の時間内には遠慮して書き込まないで
いてくださったものと、感謝いたします。ありがとうございます<

>以前から、いろいろな方が、せめて 「?? !! 〜〜 …… ♫ 〜〜〜ン」 のような記号を多用することをやめていただけば、少しは読みやすくなるでしょうと忠告されましたが、あなたは頑として聞き入れられない。それには、みなさん、迷惑しているのですよ<

>それから、今回の書き込みにはなかったと思いますが、
自分の投稿文を、“拝読”してください…。
などという書き方は、常識・教養ある人はしませんよ。自分の書いたものは、へりくだって、たとえば
「ご高覧、ご一覧いただけたら幸せです。乱筆乱文、お許しください。」
などと言うのが礼儀でしょう。どうぞよろしくお願いします。<  (復興G様…一部抜粋投稿)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■■>それから、今回の書き込みにはなかったと思いますが、
自分の投稿文を、“拝読”してください…。などという書き方は、常識・教養ある人はしませんよ。
自分の書いたものは、へりくだって、たとえば
「ご高覧、ご一覧いただけたら幸せです。乱筆乱文、お許しください。」などと言うのが礼儀でしょう。
どうぞよろしくお願いします。<  (復興G様 一部抜粋投稿)

■■>それから、今回の書き込みにはなかったと思いますが、自分の投稿文を、“拝読”してください。<

此の言葉…大変失礼ですが【尊敬語・謙譲語…丁寧語】に於きまして
■【自分の投稿文を、“拝読”してください…。】この様な【命令…言葉】
一度も此処【2チャンネル】にて、投稿に際し使用した事は、私の脳裏にはありませんが〜〜〜?

仮に?この様な”投稿“を、以前閲覧されたものと”判断“させて頂きましたので、
(大変恐縮ですが、その【事実…】を踏まえての上だと解釈させて頂きました次第ですので…)
具体的な「投稿ボ−ド」・「いつ」・「そのナンバ−」を教えて頂けますと幸いです…。

■これは、私自身、今後の【人間として向上する】上で、大変勉強になりますので…
時間があられます時に、教えて頂きますと…幸いに思います。
(尚!現時点私も自分自身の“投稿文”を保存しており、今!調べております最中です…)


■■自分の書いたものは、へりくだって、たとえば
「ご高覧、ご一覧いただけたら幸せです。乱筆乱文、お許しください。」などと言うのが礼儀でしょう。
どうぞよろしくお願いします。<(復興G様…一部抜粋)

■私は語弊がありますと困りますが…
先ず!私自身の“投稿文体”は【丁寧語…】を基調に投稿させて頂いております。
但し、あくまでも「観覧者の皆様」に対しての“投稿”を主体と致しておりますので…
「ケ−ス・バイ・ケ−ス」でしょうか?
【〜〜〜〜かしらン】と言う使い方で“余韻・柔らかさ”を、出して“皆様の一人”でも…
此の「生長の家」の素晴らしさを…従来の【固い“イメ−ジ”】ではなく〜〜〜
「柔軟性…」しかも「真理…」の素晴らしさをお伝えしまして、
「生長の家」の門を叩いて頂けましたらと思っております…。
従いまして…【丁寧語…】この使い分け…この事は重要視されると思います…。
しかしながら【その言葉の表現…丁寧語】果たしてどこまでの【文体…】と致すべきでしょうか?

■今!新たに「勉強題」と、私自身捉えております次第です…。

                                 再合掌

615SAKURA:2012/07/16(月) 17:44:30 ID:EUALcDkQ
トキ様 へ
ウエブ誌友会の皆様 へ
観覧者の皆様 へ

こんにちは…   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>591>>592「復興G様」投稿文を拝読させて頂きまして

>>612>>613>>614【SAKURA】続き投稿です…。
今回の【ウェヴ誌友会…】での頂きました“資料”を参考に、させて頂きながら…思いました事!
多々ありましたが…?

■【エ−テル】に関しましては、失礼ながら…
他の“投稿者様”の文章からの“解釈”に関しまして、私自身の考えを、投稿させて頂いた次第です。
■【 エ − テ ル  = 神 】これに“異議“表明でしょうか??

従いまして、当初から「復興G様」に対しての…云々…ではありませんでしたが…

■後程、私の【エ−テル…】に関しましての
今回「生命の実相…復興G様からの参考資料」を、拝読させて頂きまして、
総括的な私一個人の【エ−テル…】に関しまして“投稿”させて頂きます…。
ご了承頂きますと、幸いに存じます。
                                再合掌

616 志恩:2012/07/16(月) 17:48:33 ID:.QY5jUA6
復興Gさま、ahopeさま

コメント、拝見しました。
復興G様は、出口さんの動画を見て下さったけれど、出口さんは、あまり好きになれないと
おっしゃってましたし、ahopeさまも、どちらかというと拒否反応を示されて、その後、今日になって、反論の文章を謹写されたので、
あのように、私は書きました。

復興G様は、ちょっと疲れていたというのは、私が、あの出口さんの暗い終末説の動画を貼ったからだし、ahope様も
いつもになく、気持ちが落ち込んでいるとおっしゃったのは、私が、あの暗い動画を貼ったせいだと、責任を感じていたんですよ。

そうしたら、今日になって、先にも書きましたが、あの動画の内容に反論する、記事をahopeさまが載せられたので、私は、さもありなんと思ったのです。
ですけれど、今、おふたりのお話をうかがいましたら、そうじゃなかったのですね。

しばらく前からですが、ネット社会や、文壇の世界やで、世界や、日本を騒がしている、アセンション、世界終末説などについてのことは、
情報が氾濫していましたが、おふたりとも、何も興味も、関心も、もたれてなかった。

ですから、あの動画に対しての、反論の記事を載せたのでもなければ、終末説とか
1つの区切りの年であるとか、まったく、関心もなく、気にもとめておられなかったから、それについてのコメントもしたつもりもないということを、
理解させていただきました。

それは、勘違いしてて、すみませんでした。私の場合は、いい宇宙人が出て来る本とか、他の惑星にいるらしい宇宙人についての本とか、
聖者とか、マヤ文明の不思議とか、そのようなことにも興味をもって読んでいまして、
真偽のほどは、わかりませんが、みなさんも、そういうことに、興味があるように思ってしまっていたんですね。失礼しました。

復興Gさまが教えて下さいましたが、
雅春先生が、綾部でのご講習会にいらしたときの、大本教にまつわるお話は、雅春先生らしいすてきなお話で、ほのぼのとした感動を
おぼえました。そして、雅春先生は、天候さえも、変えられる神通力をお持ちのお方でいらしたのですね。

     ありがとうございました。

617復興G:2012/07/16(月) 17:50:26 ID:84pogn5s

志恩さま
a hope さま

「地震雷」→「自身神なり」の素晴らしい感動的なお話を思い出させてくださいました
ことに、心より、心より(どこかで聞いたような言葉でしたね)感謝申し上げます。

これも神様のお導きでしょう。やっぱりこのWEB誌友会は、神様がお導きくださっていますよ。
ありがとうございます。

SAKURA さま。

とてもきつい苦言を申し上げましたが、あなた様はそれをきっちり受け止めてくださっていますね。
最後の1行、

>>■今!新たに「勉強題」と、私自身捉えております次第です…。<<

を拝読しまして、さすが素晴らしいSAKURAさま! と感謝祝福申し上げます。

ありがとうございます。

合掌 拝

618SAKURA:2012/07/16(月) 18:12:07 ID:EUALcDkQ
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんにちは…   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>591>>592「復興G様」投稿文を拝読させて頂きましたが…」
>>612>>613>>614【SAKURA】続き投稿です…

■■「復興G様」… 一部抜粋“言葉”
■>今!新たに「勉強題」と、私自身捉えております次第です…。<<
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■上記の“言葉”に関しましての…“勉強”この意味は…誤解されませんように…
お願い致します…。
さらにすべての「投稿文章」は、全部違う【SAKURAの内容投稿】に、なっております…。

■■【観覧者の皆様】…
御多忙と存じますが、拝読して頂きますと幸いに思います…。
>>612>>613>>614【SAKURA】続き投稿です…


尚!!今から“パソコン”から、私用にて離れますので…後程“投稿答弁”させて頂きます

619復興G:2012/07/16(月) 18:38:27 ID:84pogn5s

>>616 : 志恩さま。

私は、
>>雅春先生は、天候さえも、変えられる神通力をお持ちのお方でいらしたのですね。<<

というように、個人の神通力と考えるような個人崇拝にはあまり賛成できません。それより、生長の家大神のお力で、谷口雅春先生にインスピレーションを授けられ、そして神が天候さえも左右されたと考えた方がよいのではないでしょうか。そして、私たちもまた、大神様に護られているのだと・・・・・

620復興G:2012/07/16(月) 18:48:49 ID:84pogn5s

SAKURAさま。
「具体的に指摘を」というご希望がありましたので、1点。
上記
>>618で、
>>■■【観覧者の皆様】…
御多忙と存じますが、拝読して頂きますと幸いに思います…<<

の「拝読して頂きますと幸いに思います」も、御自分の文章を読んで頂きたいという意味ですから、
「ご高覧くださいますと幸いに思います」
の方がよろしいと思います。
「拝読」というのは、拝んで読めということですから。

ありがとうございます。合掌 拝

621復興G:2012/07/16(月) 18:56:45 ID:84pogn5s

SAKURAさま。
一点、お伺いします。

>>613>>614で、
>>此処の2チャンネルですが……<<
>>此処【2チャンネル】にて<<

というというお言葉が出てきますが、ここは【2チャンネル】なのですか?
お教え下さい。

622復興G:2012/07/16(月) 19:25:33 ID:84pogn5s

>>616 : 志恩さま。

私はうかつにも、「世界や、日本を騒がしている、アセンション」というのに、あまり興味を持っておりませんでした。

ネットで改めて検索してみたら、善い言葉が出てきました。

   ===========

「アセンション」(ascension, 地球の次元上昇)とは、本来、地球の「霊レベル」が「1つだけ」上がる、という意味。
アセンションとは、三次元から五次元へ移行することです。物質世界から意識世界(Consciousness World)への昇華(しょうか)になります。物質世界の重い波動を超越して、軽やかな、あるがままの自分に戻ることです。
なにも特別なことではありません。言われてみれは「なんだ、そんなこと」とつぶやかれるれるのがアセンションの信実です。しかしながら、「そんなこと」に行き着くまでに、多くの経験を乗り越え、意識の変革を達成しなかればなりません。
アセンションとは、少しも難しいことではありません。
悪い想念で汚した地球を元に戻すこと、これ以上の環境を汚さないこと。
人間の個人のレベルでいえば、心を、魂を磨くこと。
自分の欲望ばかり追求するのではなく、多くの人と分かち合うこと。
獲得したものを独占するのではなく、広く共有すること。
広く動植物を慈しみ、その生態系を保存して、子々孫々に伝えること。
日光、空気、水、食物に感謝して、自他の生命と人格を最大源に尊重する。
日々を楽しく、感謝に満ちて、ワクワク暮らすこと
自分が魂であるという自覚をすること。
魂は「生き通し」です、ですから「永遠」なのです。⇒ これに気が付くことです。

   ===========

――それなら、生長の家の人類光明化運動とまさしく協働できることではないですか。

志恩さま、「アセンション」のことを教えてくださいまして、ありがとうございます。

623SAKURA:2012/07/16(月) 19:58:08 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
ウエブ誌友会の皆様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

先程…友人から“携帯メ−ル”を頂きまして、
一言…“パソコン開け!!昨日の「WEB誌友会」反論しなさ〜〜〜イ!”との〜〜〜
私は、“ぼんやり〜〜〜”うつろ眼で“パソコン”を開けましたが…

>>586>>587【SAKURA】投稿文に関しての“お返事”ありがとうございます。
>>591「復興 G様」から頂きました“お返事”拝読させて頂きまして(下記抜粋投稿)

■>あなた様のご文章は、何がおっしゃりたいのか、わかりにくくて、読むのに疲れて気持ちが悪く
なってしまいます。ですから、それを察して、誌友会の時間内には遠慮して書き込まないで
いてくださったものと、感謝いたします。ありがとうございます< (一部抜粋投稿)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■■>あなた様のご文章は、何がおっしゃりたいのか、わかりにくくて、読むのに疲れて気持ちが
悪くなってしまいます。<

此の言葉…毎回!「学ぶ会…」の方々のおっしゃいます“投稿文章”内容と受け止めさせて頂きます。
私は、【復興 G様】が、少なくともこの様な文章を書かれましたこの時点で…
知人が申していました事(考え)を、私も認めておりましたが、“言葉”として「文章表現」しますと、
口頭で聞きます場合とは、おおよそ大差があり、特に“文章表現による言葉”は、
相手に対して、かなり残ってしまいます。そうです〜〜ネ“【潜在意識…】にかなり入り込むでしょう!
それが、本人達の【狙い…】でしたら〜〜〜
つまり【ネガティブ感情=>自尊心を傷つける・自信を無くす】を、脳裏に植え付ける事が…
第一の目的手段でしたら〜〜〜と心理であるものと判断させて頂きます。
この事は、私個人としまして【現総裁雅宣先生…擁護一人】ですから、
そうです〜〜ネ!考え方によりますと【あなたは???こうなんだ!!】と言う事を、
それこそ【固定観念…】を、植え付けることになりますと、解釈しております次第です…。

この事は「生長の家」の根本理念…相手を【讃嘆…】する事を、「谷口雅春先生」は、私どもに、
指導して下さいました…。
そして【讃嘆…】する事で、その人の“長所”を活かし、かつ“短所”を無くす…
つまりは、向上につながるという事となるのでしょう。この事とは、隔たりを感じます。 

■この場をお借りしまして【反論…の答弁】を、此処に【更に“筆談…”】させて頂きます…。

■■此の友人が、更に知人の「大学教授…」にコピ−を送ってくれたそうで、
(毎回!毎回!口癖のように投稿するの〜〜〜ネ!)それで、コピ−を、送ってくれたそうですが?

■その大学教授が、知人に伝えた事は、
今まで“コピ−”を読んだけど…「現代文」として当たり前に通用するし、内容はわかりやすいが……
逆に、「解らないという“投稿文”…それなら
何処がどの文章で?どの言葉が理解しがたいのか?そして、気分が悪い言葉か?
具体的に、投稿していいのではないか〜〜〜??」
この様に相手が“文章表現言葉”を、伝えてくるのは、この“投稿者”自身の心理としては、
今まで文章を見た限り…「固定観念…優先」だから、はなから相手に対して「拒否…答弁」になる。

更に此の相手の方「復興G様」と言う人が【幹部?と言う役職】なら、尚更!【具体論…】の答弁を、
しないと下の者はついて行くのだろうか〜〜〜疑問点と言ったそうです…。

それから、失礼だが、尚更【幹部?と言う役職】の地位であるならば、広範囲の見聞が出来ないかぎり、
人を指導?ましてや【信仰…】となると“イメ−ジ的”には【人生論…】まで発展・左右するから、
この事は、大変な重要視されるべきものではないかと思うが…
ならば本当に、【読会力】を考える上で、「学歴」があるのであろうか?
指導者としての【やさしさ…】を考える上で『疑問視…多々ある』のだと伝えてほしいと…

上記内容を知人が、伝えてくれた事で、私も同様に感じた次第です…。
この事は、私自身も、以前から抱いていた事ですが〜〜〜?

                              <つづく>

624トキ:2012/07/16(月) 19:58:32 ID:dxChuO0w
 復興G様、素晴らしい御文章をありがとうございました。
出口王仁三郎さんは、確かに大物だったみたいです。ただ、当時、京都府警の特高警察の刑事だった
銅銀さんという人の回顧録によると、確かに不敬罪に該当する発言はあったみいです。素晴らしい
力はありましたが、最後、尊王の気持ちがなかった点が、惜しまれると感じました。

SAKURAさま。

 いつも個性的な文章を楽しんで拝読しております。ただ、私のような青二才に対しては、変です〜
と言っていも大いにいいですが(笑)、復興G様や志恩さまのような先達へは、その表現は、
変です、変〜変〜変〜ですよ。

 ちなみに、2chというのは、ネットの世界では、ある事ない事を提示する巨大掲示板を意味します。
中には有益な投稿がありますが、酷い誹謗中傷が平気で投稿されており、しかも管理人がそれを放置して
いるので、警察が摘発を考えている、という話です。ここは、「したらば」掲示板です。ちなみに、
本流掲示板は、「せっかく」掲示板です。

合掌 ありがとうございます

625SAKURA:2012/07/16(月) 19:59:49 ID:V.pKl3yA

こんばんは…   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>623投稿の続きです。

先程…友人から“携帯メ−ル”を頂きまして、
一言…“パソコン開け!!昨日の「WEB誌友会」反論しなさ〜〜〜イ!”との〜〜〜
私は、“ぼんやり〜〜〜”うつろ眼で“パソコン”を開けましたが…

>>586>>587【SAKURA】投稿文に関しての“お返事”ありがとうございます。
>>591「復興 G様」から頂きました“お返事”拝読させて頂きまして(下記抜粋投稿)

■>以前から、いろいろな方が、せめて 「?? !! 〜〜 …… ♫ 〜〜〜ン」 のような
記号を多用することをやめていただけば、少しは読みやすくなるでしょうと忠告されましたが、
あなたは頑として聞き入れられない。それには、みなさん、迷惑しているのですよ<

>それから、今回の書き込みにはなかったと思いますが、
自分の投稿文を、“拝読”してください…。
などという書き方は、常識・教養ある人はしませんよ。自分の書いたものは、へりくだって、たとえば
「ご高覧、ご一覧いただけたら幸せです。乱筆乱文、お許しください。」
などと言うのが礼儀でしょう。どうぞよろしくお願いします。<  (一部抜粋投稿)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■>以前から、いろいろな方が、せめて 「?? !! 〜〜 …… ♫ 〜〜〜ン」 のような記号を多用する
ことをやめていただけば、少しは読みやすくなるでしょうと忠告されましたが、あなたは頑として聞き入れられない。それには、みなさん、迷惑しているのですよ<

■此の件で…「一言…」反論答弁を、此処でさせて頂きますので…?
前回も「モモンガ様」から上記の「?? !! 〜〜 …… ♫ 〜〜〜ン」に関して、お言葉を、
頂いておりました。
その時点での私自身の見解は
【後!に余韻を残しまして、拝読して頂きました方々個人個人の考えにて『解釈して頂きたいもの』と
…その様な見解を“投稿”させて頂いた次第ですが…?】

■■それから【みなさん】この“言葉”いかように解釈致しましたら宜しいのでしょうか?

あくまでも“私の考え方”に同調されて頂いています方々が…拝読して頂きましたならば、
それで宜しいのではと、随分前から判断しております。
何故なら、私が“投稿”致しても此処の他の投稿されておられます方々(主に!学ぶ会?)は、
はなから拒否的“言葉”を、述べられますから…私一個人としては、対外的に『観覧者の皆様』を、
対象にさせていただいている次第です…。
此の件に関しましては、以前“投稿”させて頂きました…。

■今回の「復興G様」の御文章を拝読しまして…更に前回の「文章…」を参考文献として、
私なりの『生長の家…2世』と致しましての、「雅春先生」「雅宣先生」両先生の御指導の【真理】を、
基に私なりの【投稿答弁】を…記載させて頂きたいものと思います…。

                                   再合掌
PS:
■■私は【現総裁雅宣先生…擁護派一人】此処の2チャンネルですが……
果たして、【真理…】に関しての討論でしたら、まだしも、
失礼ながら、それ以前の事での私に対して、つまり【現総裁雅宣先生…擁護派一人】と、
言う事での、「イヤミ…拒否権」の様に解釈致しましたが…

                                       <つづく>

627さくら:2012/07/16(月) 20:08:45 ID:EQcsc7eM
うえは、626は、削除ねがいます。

629トキ:2012/07/16(月) 20:14:14 ID:dxChuO0w
>>626

 まあ、この板では、青二才は私だけですから、大丈夫ですよ。

 まあ、いちおう、御希望なので、削除はしますが。(笑)

630トキ:2012/07/16(月) 20:18:53 ID:dxChuO0w
復興G様

 今回はご多忙の中、誌友会で素晴らしいご指導を賜り、深く感謝申し上げます。

 なかなか、こういう深い真理の話をじっくりと読めて、学べる機会が少ないので、今回の誌友会には参加
された皆様はもちろん、閲覧者様も大いに勉強になったと思います。

 皆様、講師の復興G様に拍手をお願いします。(パチパチパチ)

 参加された皆様からも、復興G様への感謝のお言葉をお願いいたします。

復興G様、長時間のご指導、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

631トキ:2012/07/16(月) 20:22:48 ID:dxChuO0w
 あと、追加すると、復興G様のご注意は、SAKURA 様への愛情がこもっていると
思いますよ。

632トキ:2012/07/16(月) 20:31:12 ID:dxChuO0w
>>625

SAKURA 様

 いや、【現総裁雅宣先生…擁護派一人】という理由ではないのです。

ただ、webとは言え、誌友会ですから、指導に当たられる講師には、十分な礼儀
とか敬意は必要だと思うのです。これが、部室板とかだったら、おふざけもありです
し、冗談も大事ですが、こういう真面目な板で、しかも真面目な話をしているところ
では、やはり配慮は大事だという事です。これは、本流復活派とか教団派とか関係なく
大事な事だと思います。

 また、誌友会開催中は、やはり講師の指導とか運営に従うのが生長の家ではルールに
なっています。SAKURA 様の個性は理解しておりますが、誌友会開催中は、それなり
の配慮をお願いできれば幸いです。生長の家では、人 時 処の三相応が大事だといい
ます。そういう意味なんです。

 講師は忙しい中、みなさんボランティアで指導をしていただきます。そのご苦労
は結構大変なんですよ。

 決して、SAKURA 様を排除する意図はないので、その点はご了解下さい。

 ネットだけの表現なので、誤解が生じると思いますが、宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

634さくら:2012/07/16(月) 20:34:09 ID:EQcsc7eM
わたしも、ですが…

わたしは、トキさまのお人柄は、大好きなのですが、
あまりに「生長の家特有の対応」などやご意見には、正直、ときどき、がっかりすることもございます。

青二才(おんなでしが)が、こんなことを申しまして、
たいへん失礼いたしました。

削除で…

635さくら:2012/07/16(月) 20:35:02 ID:EQcsc7eM
あ…二つ削除で、お願いします。

636如月:2012/07/16(月) 20:43:22 ID:ki/haAjk
復興Gさま

ご指導ありがとうございました。
パチパチパチパチパチ

私は今日、羽が生えて外に飛び出してしまいました。
今、色々と拝見させていただいて>>610-611の後日談に
大変、感動しました。
こういうお話は、なかなか誌友会でも聞けません。
ありがとうございました。

637復興G:2012/07/16(月) 20:43:43 ID:84pogn5s

トキ様

この掲示板運営のご苦労は並大抵のものではないと思います。トキ様のおかげで、意義あるWEB誌友会を開催することができました。本当に、本当に、ありがとうございます。

皆さま、ご一緒に、トキ様に感謝申し上げましょう。

ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。

合掌 拝

640トキ:2012/07/16(月) 20:53:20 ID:dxChuO0w
>>634

 どうも、行き届かず、すみませんでした。

 なかなか女ごころはわからないので、ご指導のほど、お願いいたします。
できるだけ皆様のご意見を反映させていただきます。

合掌 ありがとうございます

641トキ:2012/07/16(月) 20:54:12 ID:dxChuO0w
>>634

 あ、両方とも削除ですか?

642a hope:2012/07/16(月) 20:55:18 ID:kJvHf4/g
>>610復興Gさま

大本教の面白い後日譚を、教えてくださりありがとうございます。

大本教の教祖さまは、出口直さんという女性の方だったのですか。
そして、その直さんがひらがなで書かれた、
「じしんかみなりひのあめふらしてたひらげるぞよ」
を大本教では、
「地震雷火の雨ふらして平らげるぞよ」
と解釈していて、それを後に、雅春先生が神想観中に、本当は、
「自身神なり(真理の)火の雨ふらして平らげるぞよ」
という、世界に平和をもちきたすという意味だったと気づかれたのですね。

正しい神想観から得られるインスピレーションは、世の中を光明化するのですね!
それが理由で、大本教はその後「万教同根(万教帰一)」の教えに転向されたのでしょうか?

また、雅春先生の「イユーッ!」の後、干ばつ続きの土地に雨が降ったというお話も、
偶然と言って片づけてしまえないようなお話ですね。

「生長の家」やっぱりすごい!


>>616志恩さま

わかっていただけて、うれしいです。
ありがとうございます。

わが家には、まだ小さな子どもたちがいるので、暗い未来を予言するような話や、
TV番組は、できるだけ避けるようにしているのです。
自分自身が、子どもの頃、ノストラダムスの大予言に恐怖を感じた経験がありますし、
今回の東日本大震災の報道をたくさん見ている子どもたちを、必要以上に怖がらせたり、
これからの人生に希望を持てなくなるようには育てたくありませんからね!

その点、「生長の家の教え」は完ぺきです。
「神の子」の自覚さえ芽生えれば、いかなる不幸も消えてしまうわけですから・・・


>>622で、復興Gさまが気づかれたこと、素晴らしいですね!

>>アセンションとは、少しも難しいことではありません。
悪い想念で汚した地球を元に戻すこと、これ以上の環境を汚さないこと。
人間の個人のレベルでいえば、心を、魂を磨くこと。
自分の欲望ばかり追求するのではなく、多くの人と分かち合うこと。
獲得したものを独占するのではなく、広く共有すること。
広く動植物を慈しみ、その生態系を保存して、子々孫々に伝えること。
日光、空気、水、食物に感謝して、自他の生命と人格を最大源に尊重する。
日々を楽しく、感謝に満ちて、ワクワク暮らすこと
自分が魂であるという自覚をすること。
魂は「生き通し」です、ですから「永遠」なのです。⇒ これに気が付くことです。 <<

だってこれ、「生長の家の教え」そのままじゃ、ありませんか?
生長の家の光明化運動って、アセッションのためのものだったのかも知れませんね。

643復興G:2012/07/16(月) 21:13:55 ID:84pogn5s

SAKURAさま。

私は、トキ様が見抜いて下さいましたとおり、あなた様への愛情をこめて、率直な苦言を申し上げました。本当に、SAKURAさまの上に神様の御いのちが流れ入って、光り燦然と輝いていらっしゃるお姿を拝ませて頂きながら、きびしい苦言を申し上げました。それは、本当です。
私は、どのような批判も(講師、指導者として失格、というような批判も)、甘んじてお受けします。
でも、あなた様への愛情をこめて申し上げたことを撤回する気はございません。
私は、決して、神に誓って、あなた様を排除するために嫌みを言ったなどということはございません。
信じて頂ければ幸いです。
過去も、これからも、あなた様のますますのご生長と、お幸せを祈っています。
ありがとうございます。
合掌 拝

644如月:2012/07/16(月) 21:14:36 ID:ki/haAjk
SAKURAさまのご文章について

誌友会板で書くか、部室板で書くかどちらがふさわしいのかわかりませんが。

私は前回の誌友会の時に、SAKURAさまがいつもの調子で投稿されたのを見て
一生懸命、キーを叩かれている姿を想像して、大変、愛しく感じて笑ってしまいました。

それは、私がSAKURAさまに対して責任が無いからではと、思うのです。
私はおばあちゃんが孫に対する、やや無責任の愛で、SAKURAさまをかわいいなぁと
感じましたが復興Gさまは、もっともっと深い愛で発言されているように思います。

それと、SAKURAさまはさすがにデザイナーのお仕事をされているだけあって
右脳が発達されているのですね。
ですから、視覚に訴える文章が書けるのですね。

それで、まぁ私などは脳みそがそれほど詰まってませんので
車に例えると軽自動車なので、右でも左でも動ける代わりに
人の意見に流されやすく自分というものがしっかりしていないので
楽と言えば楽なのですが

そうでは無い大型車の脳をお持ちの方は、右脳から左脳への切り替えをするだけで
大きなハンドルを動かすわけで、大変、お疲れになるというのも想像できるのです。

どうでしょうか。 また勝手な解釈でトキさまを困らせることになったら…ごめんなさい。

645如月:2012/07/16(月) 21:15:44 ID:ki/haAjk
復興Gさま

割り込みまして、申し訳ございません。

646Kジロウ:2012/07/16(月) 21:18:43 ID:VJun9unU
お役で忙しかったので、久々のコメです

皆様、Web誌友会お疲れ様でした


大本の出口氏について
深見東州が書いてます
雅春先生はじめ
色んな人に影響力を与えた人だと思います!



深見東州(半田晴久)先生の教え
http://worldmate.seesaa.net/article/129576732.html

647SAKURA:2012/07/16(月) 21:24:40 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
ウエブ誌友会の皆様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>624拝読させて頂きまして…

■一部抜粋投稿になりますので…
>復興G様や志恩さまのような先達へは、その表現は、変です、変〜変〜変〜ですよ。<
============================================

■此処に於きまして「復興G様」や「志恩さま」の【身分・お顔】も、私自身存じておりません。
但し、私が此処に「参加…投稿」させて頂きます前からの“お方”でありますので、
先輩?役職?想定は、私なりにさせて頂きましたが…
■此処で、私なりの「言葉」を使わせて頂いた次第なのですが……

■■以前から、普通の投稿に関しましてもかなりの【暴 言】を頂いておりました。
実に、ありがたいことなのでしょう…??随分!考えこんだ時期もありました。
此処に於きまして【雅宣現総裁先生…擁護派…私一人】でしょうと、推測いたしておりますと、
「他の投稿者の皆様」に関しましては、明らかに【日本語の文章…形態】オカシイ〜〜♫〜〜
判断いたしましても、その方々には、一切も【言葉…注意】されていませんでしたが…?
この件は、以前より【疑問詞】致しておりました…。【「WEB誌友会」の準備段階にても??】
この事は、明らかに【イ ジ メ …差別用語】と、判断させて頂きました…。

■■それに関して…それに、此処【2チャンネル…素敵な「したらば掲示板」…】に於きまして、
実に、残念なことです…。(規則して?何を投稿しても良いような事を、記憶しておりますが?)
【公的機関…2チャンネル】に関しまして、【警察が動き出している】のは、私自身存じております。
今回、【管理人「トキ」様…】からの“言葉”を頂きますまでは、
■【障 害 者 団 体】に、相談窓口に、立ち寄ろうかと思いましたが…

■■【WEB誌友会…】此処は、
【言論の自由・表現の自由…】の討論が出来ないのでしょうか〜〜〜?そうしますと、現状は、
「学ぶ会」「靖国見真会」…etcのみの“投稿”・“閲覧”と成ります訳ですから、果たして、
【観覧者の皆様の判断…】は、或る一方的な「考え方」を、拝読されまして行かれます事でしょう。
■■この事は【現総裁雅宣先生…側】としては、不利に思いますが〜〜〜

■■最後に今回の【WEB誌友会…】の他の方々の“投稿”を見まして、流れが異なる様でしたので、
俗に言います【空気を読み取る??】この観点からも、時間外に…随分悩んだ末に、
私自身の“考え…”を、【言論の自由として“投稿”させえて頂きました】

                               再合掌

648復興G:2012/07/16(月) 21:26:51 ID:84pogn5s

a hope さま。

あの話(大本教の後日譚)には、私も涙が出るような感動を覚えました。

>>大本教の教祖さまは、出口直さんという女性の方だったのですか<<

大本教の教祖さまは、出口直と出口王仁三郎(直の娘婿)と、二人教祖ということになってる
らしいですね。

ありがとうございます。

649如月:2012/07/16(月) 21:28:07 ID:ki/haAjk
ああ、何だか変な事を書いてしまったような

うまく伝えられていません。

右脳から左脳では無く、左脳から右脳へハンドル切るのが疲れると
言うつもりでした。

書けば書くほど墓穴ですが、まぁ、笑って下さい。私は人に笑われるのは慣れてます。

650SAKURA:2012/07/16(月) 21:33:25 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
ウエブ誌友会の皆様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

先程…友人から“携帯メ−ル”を頂きまして、
一言…“パソコン開け!!昨日の「WEB誌友会」反論しなさ〜〜〜イ!”との〜〜〜
私は、“ぼんやり〜〜〜”うつろ眼で“パソコン”を開けましたが…

>>586>>587【SAKURA】投稿文に関しての“お返事”ありがとうございます。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/586 
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/587

>>591「復興 G様」から頂きました“お返事”拝読させて頂きまして(下記抜粋投稿)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/612 
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/613 
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/614 
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/615
上記が、私が「復興G様」から頂きました“投稿文”に対しましての私の“考え”を、この場をかりまして、
投稿させて頂きました…。ご了承の程、申し上げます…。
                                        再合掌
 
■ご多忙と存じますが、もう一度「観覧者の皆様」が、閲覧・拝読して頂きますと幸いに存じます。
尚!今後は「閲覧組」として…時間外に感想を、投稿させて頂きますが…?

651 志恩:2012/07/16(月) 21:34:44 ID:.QY5jUA6
トキ様

今日は、WEB誌友会の後夜祭みたいに、賑やかですね。WEB誌友会、お世話様になりました。
お優しいお言葉を、ありがとうございます。

復興G様

アセンションをわざわざ、調べて下さったのですね。いろいろと、ご教授を、感謝いたします。
「地震雷火の雨ふらして平らげるぞよ」を雅春先生は、神想観中にインスピレーションを得て
「自身神なり(真理の)火の雨ふらして平らげるぞよ」という意味に気づかれたなんて、すごいたのしいお話ですね。

ahope様

貴女のお気持ちは、理解させていただきました。今後は、暗めの動画は、貼りません。
すみませんでした。

実は、私の周囲、.例えば、息子夫婦は、シルバーバーチ、その他が大好きで、(私も好きですが)うちへ遊びに来ると、宇宙人だとか、
マヤ文明のこととか、毎回ではありません。時々ですが、そういう話題で、つい盛り上がってしまいます。

ご近所の、私の生長の家の女性の友人も、その”け”がありまして、
アセンションの話とか、彼女は自分の前世の記憶があり、また、他人のオーラも見えるそうで、そういう話で、互いに盛り上がり、、
私は、そういう人達の影響を受けているうちに、私も、知らず知らずに変わり者に、なってしまっているのだと思います。

今後は、気をつけるように致します。

さくらさま

今回は、おでかけだったのでしょうか。お見かけしませんでしたね。
なにか、コメントされたのを、削除されましたね。見ていないので、わかりませんが、、
なんでもおっしゃってください。

652SAKURA:2012/07/16(月) 21:47:10 ID:V.pKl3yA
如月様 ヘ

こんばんは…   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>644>> 649拝読させて頂きまして…

何時も〜何時も“お声”を掛けて頂きました事に、この場をもちまして感謝申し上げます。
そして「文章」から、目には見えませんが??
それこそ「右脳?」働かせまして「イメ−ジ?」想定させて頂いております。

■言葉からの【優しさあふれる人柄…】と思います。
その事には、この場をもちまして、深く感謝申し上げます…。

最後に、私も「如月様」を見習いまして…【軌道修正…】でしょうか?? 

PS:何時も、人に“笑いを振りまく素敵な方”…「如月様」
何時も投稿して頂きますと、観覧者の皆様も…益々「生長の家…」に、
興味を抱いていただけるものと思います。

653観覧車:2012/07/16(月) 21:55:06 ID:???
>>650
SAKURA様

観覧者の一人としてコメントさせていただきます。

①まず、「〜〜〜」は多くても一つにしていただけないでしょうか?
あと、【】のカッコ記号は、見出しのときだけ使ってください。
それでだいぶ読みやすくなるかなと思います。

②毎回同じことの繰り返しは、必要ないと思います。

③それから、
> ■ご多忙と存じますが、もう一度「観覧者の皆様」が、閲覧・拝読して頂きますと幸いに存じます。

このご文章について、「閲覧・拝読」というのは変だと思います。
閲覧だけでいいのではないでしょうか?
拝読してくださいというのは、あまりにも上から目線のような気がします。

よろしくおねがいします。

654如月:2012/07/16(月) 21:57:21 ID:ki/haAjk
SAKURAさま
>>652

ありがとうございます。
私の事をそんなに誉めてくださるのはSAKURAさまだけです。
ちょっと涙がでました。 嬉しくて。


私はSAKURAさまの、ご文章のファンなのですが
ちょっと壁画を読み解くような楽しさがあって(悪い意味にとらないで〜)
書こうと思っても、書けなくて、ああ私はガチガチだなぁと再確認した次第です。

もしかしたら部室あたりだったら、大丈夫かなとも思うのですが?
うかつな事は言えません。 私ってチキン

655みすはなまる:2012/07/16(月) 22:17:48 ID:OnaXoyqc
皆さまこんばんわ。

今日は早朝から、スポーツ大会に行ってきました。

まずは、素晴らしい誌友会と申しますか、素晴らしい豪華宇宙船練成会をご指導いただきました、復興Gさまと管理人のトキさまに感謝を申し上げます。
本当に、有難うございました。

そして、志恩さま、a hope さま、如月さま、金木犀さま、観覧車さま、kジロウさま、SAKURA さま、まだまだいらっしゃったと思います。お名前を覚えてなくて申し訳ありません。

皆さまお一人お一人のご意見が、勉強になりました。
感謝申し上げます。

でもまだまだ、皆さまのご意見が続いていたのですね。
あとで、読ませていただきます。
今回参加させて貰って一番心に感じたのは、パソコン欲しいです!!
神様、パソコンください。
スマートフォンはむつかしいです(笑)

656 志恩:2012/07/16(月) 22:31:40 ID:.QY5jUA6
みすはなまる様

今日は、早朝からスポーツ大会にいってらしたそうで、健康的ですね。

みすはなまる様は、たしか、スマホで参加されてるのですよね。

パソコン、持っていらっしゃらなかったのですか。

神様、どうか、みすはなまる様に パソコン をお与えください!!

(生長の家式に・笑)既に、与えられました。
  
  ありがとうございます。
  ありがとうございます。

658さくら:2012/07/16(月) 22:48:07 ID:EwqdvcHg
うえ、削除お願いしてます。

659SAKURA:2012/07/16(月) 23:50:43 ID:V.pKl3yA
トキ様 ヘ
観覧者の皆様 ヘ

こんばんは…   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>620>>653拝読させて頂きまして
■【拝読】…名詞「読むことを筆者を敬っていう謙譲語。」

■■さて!この【謙譲語…】に関しましては、「2通り…解釈論」があります…。
■【謙譲語Ⅰ】は、動作の向かう相手を立てる言い方です。
■【謙譲語Ⅱ】は、その場の話し相手、つまり「聞き手」を立てる言い方で、
この場合は、【観覧者の皆様方】に対しましての“言葉”です。
これは、動作の向かう先とその場の話し相手の両方を立てる場合に使います。
”動作の向かう先”と”話し相手エ”は、同一人物の場合もあれば、他人の場合もあります。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■上記観点にて、
そのような意味合いでの“言葉の使用”を、させて頂いております…。

■【閲覧・拝読】…言葉に関しまして

■>閲覧(えつらん)とは図書館関連の用語で、利用者が資料を館外に持ち出さずに見ることを言う。
また近年では、インタ−ネットの用語として、ウェブブラウザを用いてウェブペ−ジを見ることを
閲覧と言い…<
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■上記観点にて、
【閲覧・拝読】…読んで頂きましたら〜〜〜との思い出の“文章言葉”とさせて頂いております。
あえて“此の意味合いにて言葉”を、使わせて頂きました…。ご了承頂けます様、御願い申し上げます。

最後に…
■【日 本 語】…
これも言葉遣いにおける心得のひとつだとおもうので、書かせていただきます。
こういうところ(ブログのコメント欄やBBS)に書き込むとき、初めに一言挨拶が有った方が、
良いのではないかと?私は思う次第です…。
いきなり本題から書かれると、やや唐突な感じがします。
ですから、私は、初めてのかたでも、既に存じ上げている方でも、最初に、
「こんにちは」さらに100%ではありませんが??、書くように心がけております。
                                                        再合掌

660復興G:2012/07/17(火) 07:22:43 ID:84pogn5s

>>659 :SAKURA様。

おはようございます。ありがとうございます。

>>659は、以前のSAKURA様の書き込みとくらべて、見違えるように読みやすくなっています。
「記号の多用をやめていただければ」とお願いした言葉を素直に聞いてくださって、実行されているのですね。うれしいです。感謝します。ありがとうございます。

そして、言葉の使い方について、深く考えて頂いていることもよくわかりました。大進歩だと思います。ありがとうございます。

ところで、【拝読】について、もう少し深く考えさせていただいたのですが……

「読むことを筆者を敬っていう謙譲語」ですね。その「筆者」というのは、相手であって、読むのが自分である場合に、「拝読」というのだと、私は思います。
相手を尊敬して、拝んで読む、ということですね。

もう一度言いますが、相手が筆者で、自分が読者の場合に、相手を立てる謙譲語なのです。

自分が筆者で、相手が読者の場合に使うのは、間違っている。

――というのが、私の解釈です。私は間違っているでしょうか。国語の先生とか、敬語・謙譲語の使い方の権威者に聞いてみてください。

なお、
>>こういうところ(ブログのコメント欄やBBS)に書き込むとき、初めに一言挨拶が有った方が、良いのではないかと? 私は思う次第です…。いきなり本題から書かれると、やや唐突な感じがします。<<

とおっしゃっていますこと、そうですね。
でも、自分の名前(ハンドルネーム)は、頭に表示されていますから、「○○です」と改めて名乗らなくても、わかります。
それよりも、誰にコメントしたいのか、何番のコメントにレス(応答)したいのか、を明らかにすることが適切かな、と私は思っています。
そうして、「初めにひと言挨拶」は人時処相応で、場合によってはいきなり本題、でもよい場合もあるように私は感じています。流れに乗る、という感じが好ましいように思います。いつも紋切り型の挨拶から始まるのではなくて。

以上は、私の感想です。

このように、SAKURAさまと率直な意見交換ができることを、うれしく思います。今後とも、よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。合掌 拝

661金木犀:2012/07/17(火) 08:13:44 ID:auusu5IE
SAKURA様

謙譲語というのはへりくだることで、基本的にその動作を行うものがへりくだることです。
文章の中で、話して、聞き手、その動作をなすものがいた場合、その上下関係により、複雑に謙譲語と尊敬語が
組み合わされます。
例えば、天皇陛下と、大臣と、さらに下にいる私という人間関係があった場合、
私が大臣に向って、どうか天皇陛下の詔勅を拝読してください、とお願いすれば問題無いですが、
天皇陛下に、私がどうか大臣からの報告書を拝読願いますと言えば、間違っていると思います。
要は、誰を一番尊敬すべき地位に置くかという問題です。
投稿を観覧者様に拝読願いますといえば、観覧者様の動作がへりくだることになり、
また、その動作の向かう相手は投稿者本人になるので、これはおかしいと思います。
観覧者様に、たとえば資料としての天皇陛下の詔勅を示して、ご拝読くださいとすれば、
観覧者様が天皇陛下の詔勅に対してへりくだることになるので、正しいことになります。

662さくら:2012/07/17(火) 08:23:56 ID:vxm3Yqkc
トキ管理人さま

657を、削除、お願いしております。

663復興G:2012/07/17(火) 09:14:17 ID:84pogn5s

>>661 :金木犀さま。

詳しくご教示くださって、ありがとうございます。
お説の通りでしょうね。

敬語・謙譲語の使い方は、複雑に考えると難しいようにも思えますが、基本は、相手を尊敬して拝む、自分を低く下に置くという気持ちではないかと思います。

ですから、「拝読」というのは、特殊な場合を除いては、 自分がすることであって、相手に求めることではないと思います。

金木犀様が例示してくださった、<天皇陛下の御詔勅を示して、これを“拝読してください”と、相手に求める>というような三者関係の場合は、特殊な例として適切でしょう。
しかし、二者関係の場合は、「拝読」 は 「自分がすること」 であって、 「相手に求めること」 ではないと思います。

SAKURAさま。ご覧くださっているでしょうか。
上記のように思いますが、いかがでしょうか。

664金木犀:2012/07/17(火) 09:23:16 ID:auusu5IE
復興G様

恐縮です。
復興G様の仰るとおりだと想います。

665復興G:2012/07/17(火) 18:25:41 ID:84pogn5s

SAKURAさ〜〜〜ん。

あなたは本当に素直ですばらしい方ですね。
私の娘のような思いで、幸せを祈ってますよ。

皆々さま。

この掲示板には、人を○○派だとか何だとかと言って差別してイジメたりする人は一人もいませんよね。

「イジメ」 というと、いま社会問題になってますが、「泥かぶら」 という演劇、ご覧になった方はいらっしゃいますか? 私は50年も前に青年会の同志といっしょに見に行った記憶があります。とてもすばらしく、感動しました。

作家・評論家の戸板康二も、かなり前に、絶賛した感想文を書いてました。
以下、戸板さんの感想文を抜粋紹介します。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「泥かぶら」(眞山美保作・演出、新制作座公演。昭和27年10月初演。文部大臣奨励賞・第7回菊池寛賞受賞作品。平成17・18年度 文化庁「ほんものの舞台芸術体験事業」に採択)は、美しい作品である。こんなに人の心をやさしいものにし、どういう人間にも生きる喜びがあるということを、しみじみ思わせてくれる名作は、あるまい。

 眞山美保さんは、戦後の荒廃した日本が、泥にまみれ、屈辱に顏をゆがめている時に、これを書いた。泥かぶらは、当時の日本だったと、いえなくもない。

 しかし、いまの時点でも、いやむしろ現代においてこそ「泥かぶら」は一層観客の気持ちに、切実に、訴えるともいえる。 醜く、すさんだ生活をしている少女が、いじめられる。西洋にもそんな事があるかも知れないが、かなしいけれど、日本の子供には、弱いもの、欠点のあるもの、動物などをいたわる性質がとぼしいような気がするのだ。教育の至らなさでもある。

 社会問題になっている学校での「いじめ」の実状を思い、昔の泥かぶらが、どんなにつらい日々を送迎したかと考えると、涙が出て来る。

 しかし、この芝居で、みにくくても、その顔を恥じず、いつでもニッコリ笑い、人のために尽くそうとすれば、その人間は、かならず美しくなるということを、教えられる。ぼくは客席にいて、久しぶりに、声をあげて泣きたいほどの感動を受けた。こういうドラマを、全国の人々に見せるなら、どんないい教訓になるだろう。

 演劇は、いわゆるお説教という形でなく、作品と演技者とが舞台から、直接大切な、生涯忘れがたい、すばらしい真理を、与えてくれるものである。「泥かぶら」は、そういう意味において、みんなに吹聴したい公演である。 (以下略)

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 最近に――と言っても、1年くらい前に、ノートルダム修道女会シスター・ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんが講演されたDVDの宣伝文がうちに舞い込んできました。「泥かぶら」 の話を紹介しながらの講話録です。こらがまたすばらしく感銘を受けましたので、ご紹介します。

 渡辺さんは、「私たち一人一人は、みんなある意味で泥かぶらだと思うんです」 と言われるんです。

 私も、自分は「泥かぶら」だ――と、思いました。
 <つづく>

666復興G:2012/07/17(火) 18:26:54 ID:84pogn5s

 <つづき>

  いつもにっこり笑うこと

     ノートルダム修道女会シスター
     ノートルダム清心学園理事長
       渡辺和子

 今日の題、 「いつもにっこり笑うこと」。 ご存知の方もおありかと思いますけれども、『泥かぶら』 という劇の中に出てくる言葉でございます。

 あるところに、一人のたいへん顔の醜い少女がおりました。孤児であったこともあって、村の悪童だちからさんざんにいじめられます。

 昔から顔の美しいきれいな人を 「うりざね顔」 「卵に目鼻」 というような表現を使って表しておりますけれども、「泥かぶら」 は、蕪(かぶら)のような顔の形をしておりまして、それも白ければまだしも、洗ってない泥んこの蕪というので、「泥かぶら」と呼ばれてはいじめられておりました。いじめられても、それを黙って受けとめる子ではなくて、悪童たちにむかって竹の棒を振りかざしてケンカをする。そうするうちに顔がますます醜くなる。

 そんなことをする毎日でございましたけれども、ある日のこと、一人の旅のおじいさんが、通りかかりました。その日も竹の棒を振り回して悪童だちと戦っている泥かぶらにむかって、

 「お前がそんなに悔しいのなら、これからおじいさんが言う三つのことを、来る日も来る日も守ってごらん。お前はきっと、村で一番美しい子になれるよ」
と言い置いて旅を続けていきます。

 その三つのことというのが、

──いつもにっこり笑うこと
──人の身になって思うこと
──自分の顔を恥じないこと

でございました。

 この日から泥かぶらは、村の悪童だちとの戦いでなくて、自分自身との戦いを始めます。悪口を言う子供たちに石を投げつけようとして、手のひらに握って投げようとしながら、

 「ああ、おじいさんが、いつもにっこり笑うことと言ったっけ」

と思い出して、その小石をぽとんと落としてしまう。そして、にっこり──たぶん最初はひきつったような笑顔だったと思いますけれども、とにかく怖い顔をなくして笑顔にする。

 自分をいじめていた村の夫婦の一人が脚気になりました。高いところにしか生えていない薬草を飲まないと治らない。年取っておりますから、なかなか高いところまで登って薬草を取ってくることができない。泥かぶらは、いい気味だ、私をいじめたバチだというふうに考えたんですけれども、

 「ああそうだ、おじいさんが人の身になって思うことと言っていたから、私は崖をよじ登って、おばあさんのために薬草を取ってきてあげよう」
と決心いたしまして、崖をよじ登っていく。

 そんなことが続きまして、村の人々、子供たちも、

 「近頃は泥かぶらが変わったよ」
 「笑顔がよくなった」
 「やさしくなった」

 いつの間にか泥かぶらは、村の人気者になりました。子守を頼まれたり、お使いを頼まれたり、それを笑顔で、いそいそとする、そんな泥かぶらに変わっておりました。

 でも、村の中を流れている小川に行って顔を映してみるんです。こんなに苦労して笑顔をして、やさしくしているからきれいになっただろうか、と顔を映してみますけれども、顔は相変わらず前とおんなじたたずまいと申しましょうか、それしかない。でも泥かぶらは、きれいになりたい一心で、おじいさんが言った三つのことを守り抜きます。
<つづく>

667復興G:2012/07/17(火) 18:27:38 ID:84pogn5s

<つづき>
 村にある日、一人の人買いが参りまして、村でも器量よしで評判のこずえちゃんという子を、借金のかたに連れて行こうといたします。こずえは泣いて嫌がりますし、両親も泣いて詫びるわけです。それをじっと見ておりました泥かぶらは、人買いの男に向かって、

 「おじさん、私はね、両親がいない孤児なの。だから私がいなくなっても誰も悲しむ家族はいない。私をこずえちゃんの代わりに連れて行って」と言って、身代わりに連れて行かれます。

 道すがら、泥かぶらはニコニコしながらその人買いの男に、どんなに村の子供たちがかわいくて、村の人たちが親切か、ということを話して聞かせ、そして人買いの男が、「疫れた」 「おなかがすいた」 というときには、自分が里に降りていってお酒や食べ物を調連して、逃げていくのかなと思っていても、ちっとも逃げて行かないで、戻ってきて人買いの世話をいたします。

 ある朝のこと、人買いは一枚の紙を残して、泥かぶらを置いて去っていきます。その紙になんと書いてあったか。

 ──ありがとう、仏のように美しい子よ。

と書いてございました。

 泥かぶらは、自分がきれいにはなれなかった。けれども、おじいさんが言ったことは本当だった。仏のように美しい子よ、と言われたことに気づいた。

 というのが、『泥かぶら』という、真山美保さんのお作りになった劇のあらましでございます。

     ※  ※  ※

 私たち一人一人は、ある意味で泥かぶらだと思うんです。私はもちろんのことなんですけれども、それは、一人一人は美しくなる可能性をもっている、ということを表しています。

 もうひとつは、私たち一人一人は、なにがなし、笑顔を忘れてふきげんな顔をすることが多い。そして自分勝手。私さえよければいい、私の家族さえよければいいという気持ちで、生活しやすくなっている。

 さらに、自分の顔を恥じている。つまり人さまと比べて、どうして私はこんな生活しかできないんだろうとか、どうしてあちらの子供はよくできて、うちの子供はできが悪いんだろう──つまり自分の顔を恥じている。

 その私たちが、 「きれいさ」 というものではなくて、そろそろ 「美しさ」 というものに目を向けるときが来ているのではないでしょうか。

 「鬼も十八、番茶も出花」、ときには、「娘十八、番茶も出花」 ということわざがございます。お見受けするところ、ほとんどの方が十八歳以上でおいでになる(会場笑い)。私も出がらし族の一人でございますけれども、この出がらし族にとりまして、もう、きれいになることよりも、もっと大切なのは心の美しさ。そしてそのためには、この 「いつもにっこり笑うこと」 「人の身になって思うこと」 「自分の顔を恥じないこと」──この 「三つの化粧品」 が大切になるのではないかと思います。すでに大切になっていると言ってもいいかもしれません。
<つづく>

668復興G:2012/07/17(火) 18:28:29 ID:84pogn5s

<つづき>
 「三つの化粧品」 の宣伝をさせていただきますけれども、一つにはお金がいらない、ということです。今、化粧品はずいぶんお高いんだと聞いておりますが、ひとつにはお金がいらない。

 二番目に、使っても減らない。使えば使うほど、質がよくなる。

 三番目は、携帯可能。どこへでも持っていける。

 そして最後、これはアンチエイジング。つまり、年をとらないためにとても大事な化粧品だと思います。年はみんなとります。年を重ねることは止めることができませんけれども、そうでなくて、若々しく、少なくともその年どしで若々しく元気よく、人さまのことも考えて笑顔で生きていける。 「自分の顔を恥じない」 わけですから、自分らしく生きていく。そのためにこの 「三つの化粧品」 はとても大事だと思います。(以下略)

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 以上が、渡辺和子さん(ノートルダム修道女会シスター・ノートルダム清心学園理事長)の講話録抜粋でした。

 この 「泥かぶら」 の演劇を創作し、劇団 「新制作座」 をつくって長年のあいだ監督、指導をつとめられた眞山美保(まやま みほ)さんは、2006年3月12日に84歳で亡くなられたそうですが、近年まで後継者の方たちによって 「泥かぶら」 の上演は続けられていたようです。

 今も、いじめ問題はますます広がっているようですが、みんなが 「泥かぶら」 の気持ちになって、 “三つの化粧品” を愛用する人が増えると、世の中、明るくなって行くんでしょうがね・・・・・。

669さくら:2012/07/17(火) 18:52:44 ID:kySfCW0U
復興Gさま

>この掲示板には、人を○○派だとか何だとかと言って差別してイジメたりする人は一人もいませんよね。

そうなのですか……
それは安心しました。
わたしはへんなことばかりに興味があるので、むかしからの「真の生長の家」の人には、ほんとうにいじめられか、しかとされると思っておりました。
復興Gさまがおっしゃるのですから、ほんとなのですね。

いつもすばらしいお話、ありがとうございます。

670SAKURA:2012/07/17(火) 19:25:13 ID:x4whOXPA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

此処からは【SAKURA…の独り言】にて“投稿”させて頂きま〜〜〜す。

■【日 本 語】に関しまして…■
私自身、この国“日本”…“日本人”としてこの国に生まれた事に、幸せを感じます次第です。
さて!基本的人権として【言葉…】に関しまして?ア〜〜ダ!コ〜〜ダ!の討論
その前に一番大切なのはなんでしょうか??

此処は?少なくとも私一個人は【生長の家…人への救済】
この事を、亡くなられました「谷口雅春先生」は、私どもに使命として残されました…。
そして、【言葉=言霊】と言う事で、特に“日本語の重視”を、確かに、私共に教えて頂きました。

さて!中には【言葉の捉え方?】人それぞれでしょう??
従いまして、逆にその人の【文章体…に於けます使用の言葉】に関し
厳密に相手を“さばき出します事?”と言う事は、判断しますと、
その方自身【日本語の使い方…】きっと100%此処の“投稿者”の中で?いや少なくとも
観覧者の皆様方以上に【正確なる日本語を使用】していると自負されての事と判断させて頂きます。

正直申しますと【明治…】にてある程度、こわれていますかと?思います。
勿論!文化的にも、壊れていますかと〜〜〜
【歴史を探索】しますと“オモシロイ”と、言う事でしょうが〜〜〜?

古代に於きまして、そうです〜〜〜ネ!日本語の変遷は、ありましたと思いますが…?
縄文時代・平安時代…各時代に【仮名ずかい…etc】に関しても変わって来ております…。
当然【皇室…】に於かれましても、【言葉…】に関しましては、変わっていられるものと、
思われます…。ある所からの耳寄りな情報ですが…?多々…ありますが?(シ−クレット)

此処で、この【日本語…】を、おっしゃいます方が色々いらっしゃいますでしょが
■今一番大切なのは…
現在の混沌とした社会情勢の中で、如何に多くの方々の“悩める心”を、
救済していくには?どうしたらいいのでしょうか…?

私自身は、まず!如何に【真理…】を、人にお伝えしていくべきかと〜〜♫〜〜
それには【人 を 引 き 込 む 文 章 タ ッ チ !!】
これによりまして、人は「真理…」が、ズシ〜〜〜ン!“心の中”に入っていくものと、
これは、私自身の考え方です…。勿論!この事に関しまして「賛否両論」ありますでしょうが??
従いまして、この事を“主旨”と致しますので…
先ず!第三者であられます「観覧者の皆様」に、少しでも“投稿文”を、閲覧・拝読をして
頂けます事を中心に、考えて投稿をさせて頂いている次第ですが?

【類 の 法 則】でいいのでは?その様に考えている次第です…。
そしてこの事は「勉強中…」ですが〜〜〜><難しいですネ!
後は…今の件は【沈 黙 思 考】とさせていただきます。
                               再合掌

PS:当然!反対論の方は、この考え方にて「ネガティブ感情」を持たれますならば??
ジャンプして拝読されなくても、宜しいのではないでしょうか?精神的に良くないですもの〜〜ネ!
この事は、逆に私にもいえますでしょうかしら〜〜〜ン!

671SAKURA:2012/07/17(火) 19:27:47 ID:x4whOXPA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

此処からは【SAKURA…の独り言】にて“投稿”させて頂きま〜〜〜す。

>>592【SAKURAの投稿文】を、此の“ボ−ド”にて掲載させて頂きましたが、
この投稿に至るまでの【過程。。。】は、下記にて…拝読した頂きますと幸いに存じますが〜〜?

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/659 

                                   再合掌
PS:
「WEB誌友会」に於きまして、【SAKURAの投稿】に関しまして
「真理の討論」よりも?【日本語…討論】になりまして肝心の物事から、ずれている様に、
個人的に思う次第です…。此れも「考えの相違」でしょうかしら〜〜ン!
従いまして…此の件(日本語…云々)は、これにて【沈 黙 思 考】とさせて頂きます。

672神の子さん:2012/07/17(火) 20:13:10 ID:65ETl2GM
>>656 志恩さま

祈りの言葉を有難うございます。
嬉しいです。
パソコンを一番良いときに、与えられました。
神様、有難うございます。

673みすはなまる:2012/07/17(火) 20:54:26 ID:ffNG7FhM

>>672は、みすはなまるです。
失礼しました。

>>665からの復興Gさまのお話を拝見しました。

私は、本流復活と、ときみつる会を応援している者です…と投稿時に申しておりますが、決してどのようなお考えを持たれている方にも、イジメとか差別の意識は全くありません。

だって、皆さん神の子の真理が大好きな、同じ兄弟姉妹の神の子ではないですか。
私は厳しい事も発言すると思います。失礼に当たるようなこともあるかも知れません。でも、生長の家の方でも真理を存じてらっしゃらない方にも、神の子どうしとして接したいと思います。

泥かぶれのお話ですが、初めて知りました。


>>その三つのことというのが、

──いつもにっこり笑うこと
──人の身になって思うこと
──自分の顔を恥じないこと>>

神様に既に与えていただいている、宝に気づくことが大事ですね。
人に笑ってもらう前に笑おう…
人に思ってもらう前に相手を思おう…
与えていただいている、肉体に有難うを言おう…

そんなことを思いました。
不調に先に目がいきやすいですが、与えられている恵みの大きさに気づくことを忘れちゃいけませんね。

カーネギーの言葉にもありました…
笑顔は元手は要らず、効果は絶大…という内容の詩を見たことがありました。
良い勉強をさせていただきました。
有難うございます。

674みすはなまる:2012/07/17(火) 21:17:40 ID:SLik4wD2

続きです。

>>667
の復興Gさまの


>>その私たちが、 「きれいさ」 というものではなくて、 そろそろ 「美しさ」 というものに目を向けるときが来て いるのではないでしょうか。>>

というご発言を拝見し
人間はみな、美しいもの、永遠に変わらない真理を求めている…という気もしたのです。
みな、何らかの形で神の子を表現しようとしてますものね。役に立ちたいと思うきもちがあるわけですし。

普段の目の向け方を、少し変えることで、泥かぶれの仏の心を顕すことができるのではないかなと。

きれいさと美しさ…
一見似ているようで、深い違いがあるように感じます。
そういう私もまだ、理解出来ていない気がします。

675 志恩:2012/07/17(火) 21:36:12 ID:.QY5jUA6
>>672:神の子様(たぶん、みすはなまる様)

パソコンを、ご希望でいらっしゃいましたね。
みすはなまる様のご希望が、叶いますように!!

私の場合は、全く欲しくなかったのです。むしろ、器械ものは苦手なので、全然興味もなく、やりたくもなく、なにせ、私は
携帯電話さえ持たなかったわけですから、パソコンなど、私には必要ない!と決めていたのです。

ところが、ある日のこと、結婚して他県に住んでいる長男の息子が、パソコンを抱えてやって来ました。
(息子は、学生時代からC言語から勉強してたほどのパソコンマンでした。)
主人は、やらないと言うので、それでは、母さんが、やれということになってしまいましたわけです。
それで、仕方なく、私が…しぶしぶ(泣)
つまり、
最初のパソコンは、長男が私にプレゼントしてくれたのです。それで、1年間、ブロバイザー契約料とやらも
息子が、私の分を払ってくれました。

基本的な使い方も、息子が私に教えました。理由は、母さんがボケてほしくないからというのと、
母さんは、生長の家オンリーだから、それもたいせつだけれど、世の中のことも、ネットを通してもっと知って欲しいから、という
理屈つきでした。

それで、私は、折角プレゼントしてくらたからと、やりたくもないPGをですね、たま〜に開いて、メールとネット検索だけ、やっておりました。

それなのに、どうしてだか、なんでだか わかりませんが、私は、生長の家の危機を
感じました結果、いつのまにか、このような敷居の高い、掲示板に紛れ込んでしまっている今日このごろでございます。

676 志恩:2012/07/17(火) 21:50:53 ID:.QY5jUA6
復興G様

「泥かぶら」のお話、ほんとにいいお話ですね。人間は、笑顔が一番美しいですものね。
みすはなまる様もおっしゃってますが、「きれい」というより「美しい」というものに、目をむける時期が来ていますと、
私も、思います。

美しい微笑の人には、心が和み、癒されます。

若いときは、若さはじける笑顔
年配になれば、慈愛のこもった笑顔

どちらも 美しいですね。

677みすはなまる:2012/07/17(火) 21:59:34 ID:zcruWQj2
>>675 志恩さま

そうだったのですか…。
志恩さまは、最初はパソコンをされるおつもりがなかったのですか…。志恩さまのいつもの、ご発言からはそのように感じませんでしたので、びっくりしました。

でも、息子さまはお優しい、お母様思いの方なのですね。
息子さまが、パソコンをプレゼントされなかったら、ここで志恩さまと出会うことができなかったですよね。

きっと、この掲示板へ神様が、息子さんを通して志恩さまを導かれていたのかもしれませんね。

私は、携帯電話からの投稿がずっと続いております。
携帯のスマートフォンも利点はありますが、発言をする際には、パソコンからの投稿がみやすいのではないかと、想像をしております。

画面にタッチしながらの入力は、指が思いもよらない場所に当たってしまうのです。前発言を見るのに、スクロールが難しいのです。
でも、お陰さまでかなり早く入力出来るようになりました。
これも、勉強ですね。

678さくら:2012/07/17(火) 22:00:56 ID:vxm3Yqkc
みすはなまるさま

>でも、生長の家の方でも真理を存じてらっしゃらない方にも、
神の子どうしとして接したいと思います。

…しみじみ、わたしも、同じ気持ちです、
宗教のちがいや、考えのちがいなど、なんでもないほどに、
ほんとは、みなひとつなのだと、かんじます。
みすはなまるさまの温かなこころを、かんじました…。

…さいきん細かくよめず、割り込みして失礼しました、

実は、…いつか言おうと思ってましたが、みすはなまるさまが改名時、
微笑ましく心温かになりました、笑
ありがとうございます。拝

679 志恩:2012/07/17(火) 22:02:05 ID:.QY5jUA6
SAKURA様

8割以上の方々が、SAKURA様が、〜〜〜〜、……、!!!!などの記号を多用されるために、読みづらく感じている事は、
前々から、何人の人から、読みづらいから、記号の多用は、やめていただけないかと、貴女は、お願いされてます。

SAKURA様の友人や大学教授は、何ともない、読みづらくは、ないと、おっしゃってるそうですが、ここの観覧者の皆様や掲示板の
仲間の多くも、実際に、貴女の文章は、記号が多すぎて、記号が気になって、
折角、SAKURA様が、主張しようと思っている事が、めだたなくなっているということは、ほんとうのことです。

それは、貴女がどなたを擁護しているからとか、いじめとかいやみとか、そういうことは、まったく関係のないことです。

680SAKURA:2012/07/17(火) 22:55:42 ID:tB36Kte6
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

此処からは【SAKURA…の独り言】にて“投稿”させて頂きま〜〜〜す。

■【日 本 語】に関しまして…■
私自身、この国“日本”…“日本人”としてこの国に生まれた事に、幸せを感じます次第です。
さて!基本的人権として【言葉…】に関しまして?ア〜〜ダ!コ〜〜ダ!の討論
その前に一番大切なのはなんでしょうか??

此処は?少なくとも私一個人は【生長の家…人への救済】
この事を、亡くなられました「谷口雅春先生」は、私どもに使命として残されました…。
そして、【言葉=言霊】と言う事で、特に“日本語の重視”を、確かに、私共に教えて頂きました。

さて!中には【言葉の捉え方?】人それぞれでしょう??
従いまして、逆にその人の【文章体…に於けます使用の言葉】に関し
厳密に相手を“さばき出します事?”と言う事は、判断しますと、
その方自身【日本語の使い方…】きっと100%此処の“投稿者”の中で?いや少なくとも
観覧者の皆様方以上に【正確なる日本語を使用】していると自負されての事と判断させて頂きます。

正直申しますと【明治…】にてある程度、こわれていますかと?思います。
勿論!文化的にも、壊れていますかと〜〜〜
【歴史を探索】しますと“オモシロイ”と、言う事でしょうが〜〜〜?

古代に於きまして、そうです〜〜〜ネ!日本語の変遷は、ありましたと思いますが…?
縄文時代・平安時代…各時代に【仮名ずかい…etc】に関しても変わって来ております…。
当然【皇室…】に於かれましても、【言葉…】に関しましては、変わっていられるものと、
思われます…。ある所からの耳寄りな情報ですが…?多々…ありますが?(シ−クレット)

此処で、この【日本語…】を、おっしゃいます方が色々いらっしゃいますでしょが
■今一番大切なのは…
現在の混沌とした社会情勢の中で、如何に多くの方々の“悩める心”を、
救済していくには?どうしたらいいのでしょうか…?

私自身は、まず!如何に【真理…】を、人にお伝えしていくべきかと〜〜♫〜〜
それには【人 を 引 き 込 む 文 章 タ ッ チ !!】
これによりまして、人は「真理…」が、ズシ〜〜〜ン!“心の中”に入っていくものと、
これは、私自身の考え方です…。勿論!この事に関しまして「賛否両論」ありますでしょうが??
従いまして、この事を“主旨”と致しますので…
先ず!第三者であられます「観覧者の皆様」に、少しでも“投稿文”を、閲覧・拝読をして
頂けます事を中心に、考えて投稿をさせて頂いている次第ですが?

【類 の 法 則】でいいのでは?その様に考えている次第です…。
そしてこの事は「勉強中…」ですが〜〜〜><難しいですネ!
後は…今の件は【沈 黙 思 考】とさせていただきます。
                               再合掌

PS:当然!反対論の方は、この考え方にて「ネガティブ感情」を持たれますならば??
ジャンプして拝読されなくても、宜しいのではないでしょうか?精神的に良くないですもの〜〜ネ!
この事は、逆に私にもいえますでしょうかしら〜〜〜ン!

681SAKURA:2012/07/17(火) 22:56:53 ID:tB36Kte6
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

此処からは【SAKURA…の独り言】にて“投稿”させて頂きま〜〜〜す。

>>592【SAKURAの投稿文】を、此の“ボ−ド”にて掲載させて頂きましたが、
この投稿に至るまでの【過程。。。】は、下記にて…拝読した頂きますと幸いに存じますが〜〜?

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/659 

                                   再合掌
PS:
「WEB誌友会」に於きまして、【SAKURAの投稿】に関しまして
「真理の討論」よりも?【日本語…討論】になりまして肝心の物事から、ずれている様に、
個人的に思う次第です…。此れも「考えの相違」でしょうかしら〜〜ン!
従いまして…此の件はこれにて【沈 黙 思 考】とさせて頂きます。

682みすはなまる:2012/07/17(火) 23:25:49 ID:0ZjosHJM
>>678 さくらさま

有難うございます。
声をかけていただいて、嬉しいです。有難うございます。
いつでも「ようっ」って感じで、声をかけてください。
私も声をかけさせて貰いますね。

みすはなまる…に改名したのは、他の掲示板に私の前のペンネームと同じ方が、いらっしゃったからなのです。志恩さまのお声かけがなければ、私は改名するという、愛!?の表現ができなかったのです。

私の親友や周囲の方は、なぜか宗教を熱心にされている方が多いのです。不思議なのです。でも、どの方も互いの宗教を悪く言いませんし、一人の人として接してくれていますし、私はその親友や周囲の方が大好きなのです。

生長の家にいたときに、ある生長の家の先輩とお話をしたいことあったとき、誌友会以外の場所で真理の話をするなら会えるけど、ただ会って話をするだけなら会えない…と言われたことがあってびっくりしました。

先輩とは女性どうしでしたし、失礼なことは申し上げてないと思っていましたのでショックでした。
その時、私は自分を振り返り、自分に生長の家でない方を排除する心がなかったか反省をしたのです。
すると、懺悔が出てきましたね…。

その先輩とは、生長の家を離れた今はお会いすることもありませんが、本当に感謝しています。大切なことを教えてくださったのですから。
その時から、どんな方とも人として神の子として、接しよう…そう思ったのです。

余談が長くなりました。
他の板で、さくらさまと初心者さまの会話を拝見し、さくらさまは心柔らかな、優しい知的な方でいらっしゃると思ってました。

どうぞ、またお話をしましょう。
有難うございます。

683みすはなまる:2012/07/17(火) 23:40:36 ID:bAijypnk
SAKURA さま

同じご文章が、2回掲載されていますよ。
もしかすると、他に掲示されたいご文章を誤って掲載されたのでしょうか?

それとも、何かご立腹されてらっしゃいますか?
もしそうであれば…

SAKURAさまのことは、誰も悪く申していません。
同じ神の子兄弟姉妹です。
一見きつく見える言葉の裏に、愛なる仏さまが、輝いてらっしゃいます。
復興Gさまも、志恩さまも、皆さまも…。

私への返信はいりませんので…
ゆっくり気をつけて、お仕事からご帰宅くださいね。

684 志恩:2012/07/18(水) 00:51:43 ID:.QY5jUA6
SAKURAさま

皆様が、貴女のためを想って、様々なコメントをさしあげているのは、1人や2人では、ありません。

❶とにかく、貴女のコメントは、記号が多過ぎるということ。記号ばかり気になり、折角の貴女の主張が、届きにくい。それは、勿体ない事です。
❷いちいち、大文字のSAKURAで〜〜す、と断らなくとも、「名前:00000」と出ますから、それは、うざく感じるからやめたほうがいい。
❸「拝読」という言葉の、使い方が間違っている、「閲覧ください、」のみで、いい。

他の方々も、そのように感想を述べています。
それでは、そのように言うご本人の文章力はどうなのかというのとかと言われますが、お互いが、気づいたことを言い、
ご自分で納得したら、お互いが、直せばいいことです。

上記のSAKURA様の文章は、記号がすくなくなり、以前より、ずっと分り易くなりましたので、有り難いです、

SAKURAさま、だいぶ改善して下さって、ありがとう。

685復興G:2012/07/19(木) 11:43:25 ID:84pogn5s

>>669 さくら様
>>673 みすはなまる様
>>676 志恩様

最後までお付き合いくださって、やさしいコメントをくださり、ありがとうございました。

皆々さま、ありがとうございました。

私はこれからまたすぐ旅に出る予定が続いていますので、次にお目にかかるのは次回第5回WEB誌友会の時になろうかと思います。

毎月第二金曜日の夜から50時間でしたね。
ということは、次は

8月10日(金)21:30より
8月12日(日)23:30まで

となりますね。

その日程の予定表をみますと、また3回の誌友会出張予定が入っています。
11日(土)の夜と、12日(日)の午前・午後です。
ですから私はその時間は不在となりますが、それ以外の時間がたっぷりありますから、大丈夫ですね。
また皆さま、お一人お一人が司会者のつもりで、よろしくお願い申し上げます。

では、皆々さまの上に神様の大いなる祝福の光が充ち満ちて、愛と幸福の光の前進ができますように! お祈りしています。本当に、ありがとうございました!
See you again!

686 志恩:2012/07/19(木) 13:57:58 ID:.QY5jUA6
復興G様

また、旅に出られるのですか。
WEB誌友会の開催日が決まっているので、安心していられます。
おかげさまです。8月10日(金)pm9:30~

次回もよろしくお願い申し上げます。
  Have a nice trip back.  よい旅を!

687トキ:2012/07/19(木) 17:05:28 ID:4x7KEY.g
復興G様

 このたびは,ご多忙の中、ご指導を賜り深く感謝申し上げます。

 また、来月、誌友会を楽しみにしております。宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

688さくら:2012/07/19(木) 18:09:26 ID:vxm3Yqkc
>>682
みすはなまるさま

あたたかいお言葉、ありがとうございます・・。

みすはなまるさまの体験を聞いて、わたしも共感いたします。
わたしが初めて生長の家に触れて指導してくださった先生は、こう言ってくれました。
「あなたが生長の家に入るかどうかなんて関係ないよ、
人として幸せになってほしい、それだけなんだよ」と。
頑なになって宗教には偏見のあったわたしは、この言葉を聞いて、生長の家っていう宗教は信じられるな、と思えました。

結局、宗教の違いや思想の違いも、大きな神様の愛の中で、みんなが学びの最中なのだと、思っています。

みすはなまるさまの人として愛情の深さに触れて、ホッとした気持ちになれました。
ありがとうございます、感謝。

689さくら:2012/07/19(木) 18:13:09 ID:vxm3Yqkc
>>685
復興Gさま

今回も、書き込めなくて、失礼しました。
書き込めなくても、読んで学んでいます。

ありがとうございます。


感謝合掌。

690SAKURA:2012/07/19(木) 18:38:52 ID:V.pKl3yA
「みすはなまる」様 へ

こんばんは…… ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>683拝読させて頂きまして……

大変御無沙汰しております…。遅くなりましての“メッセ−ジ”で、申し訳ございません。

■> 同じご文章が、2回掲載されていますよ。
もしかすると、他に掲示されたいご文章を誤って掲載されたのでしょうか?<
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■上記の“言葉”を、頂き“心配”してとの事と思いますが〜〜〜
>>680>>681>>の【SAKURAの投稿文】…更に!それ以前の>>650“言葉”は、
しっかりと、私自身の“潜在意識”に残りました…。
そうですョ〜〜〜〜ネ?いろんな方がいらっしゃいますのです〜〜〜ョネ!
今回!この場を持ちまして【人間模様…心理】を、垣間見させて頂きました…。
これも、人生劇場の上で、【感謝…!】でしょう〜〜〜かしら〜〜〜ン!
従いまして……「立腹…この感情」はしていません〜〜〜です。
■実は!intentionnallyで〜〜〜す。

そして私はあくまでも【現総裁雅宣先生擁護派…】として、この【2チャンネル…】を、
御多忙にもかかわらず拝読して頂いております「一般観覧者の皆様方々」への、
“メッセ−ジ”とさせて頂いております次第なのです…。(一人ですもの?)

人は各自【考え方…捉え方の相違】多々ありますから、「みすはなまる様」は、
私からは【反対派…】として見ますから、かといってその人柄は…“やさしさ”が、
お見受けいたします次第です。それは、それで宜しいのではないでしょうか〜〜〜?
但し、私は「みすはなまる様の投稿文」に対しましては、いつも“返事”をとの想いで、
気分ばかりが先行しています。ごめんなさい!!!
逆にいつも 、楽しく〜〜♫〜〜“拝読”させて頂いております次第です…。
 
再合掌

                               
PS:「パソコン」に関しましては、必ず!「ゲット!」です…。私も実はこの事は?
別の“ボ−ド”にて“思い出のゲット!”が〜〜〜此の件を、投稿させて頂きましょうかと、
思っております…。
それから、【夏本番】となりそうですので、体調には、くれぐれも気を付けてくださいませ。

691みすはなまる:2012/07/19(木) 20:53:27 ID:CIur6abI

>>690 SAKURAさま

温かいお返事を有難うございました。
それと、SAKURA さまのパソコンゲットの件、また教えてくださいね。お話を楽しみにしております。

私とSAKURAさまは、確かに考えが反対ではありますけれども…
私は、雅宣総裁が退いていただくことを、いつもいつも考えてる訳ではないのです。
本流掲示板に投稿される方全員が、学ぶ会ではないと思うのです。
でも裏を返せば、生長の家が大好きだからこそ、あんなに懸命に投稿されるのだと思います。

私としたら、雅宣総裁には、総裁職から退いて頂かないといけないと思います。ですが、雅宣総裁をこけおとす思いは全くありません。何より大事なことは、みんなで生長の家の真理を学び、家庭で会社で、社会で生かしていくことだと思います。

そうでなければ、何のために雅春先生が生長の家の火をかざされたのか…無駄になってしまいます。
雅春先生の想いを無駄にしたくない…だから生活に生かし、真理を護りたいと思うのです。

692みすはなまる:2012/07/19(木) 21:00:18 ID:ffNG7FhM

>>691の続きです。

色々、脱線して書いてしまいましたが、上記は私の考えであるまでです。
今後も、立場は違えども神の子の兄弟姉妹の一人である、SAKURAさまとも、色々お話をしていきたいと思います。SAKURA さまは、努力家でらっしゃるような気がしています。

今日も気をつけてお帰りくださいね。
有難うございます。

693みすはなまる:2012/07/19(木) 22:55:39 ID:RON4Ix1Q
>>685 復興Gさま

有難うございます。
来月の誌友会、了解しました。カレンダーに記入しておきますね。

素敵な旅行にバンザーイ!!気をつけて、楽しんで行ってきてください。
来月も、よろしくお願いいたします。

694みすはなまる:2012/07/19(木) 23:11:21 ID:O5Zq8uUA

>>688 さくらさま

温かいお言葉を有難うございます。

確か以前、雅春先生の人生読本で拝見したと思うのですが…違っていたらご免なさい。

お母さん…という言葉にも、国が違えば色々な呼び方があります。
ママやおかあちゃん、母上、おかん、日本だけでも地方により、様々呼び方があります。

しかし、どの呼び方も間違っていないのです。

それと同じように、日本のみならず世界中には数えきれないほどの宗教がありますが、神様や仏さまの表現は違えども、みな、どれも間違っていないのです。神様には色々な顕れがありますが、どの教えも間違っていないのです。

ですから、さくらさまが今まで出会われた宗教も、生長の家の万教帰一の教えによって、より深く真理の発見があるかも知れませんね。

生長の家で、素晴らしい先生に出会われて本当によかったですね。
真理に出会い喜ぶことが、最高の喜びですものね。

さくらさま、有難うございます。

695a hope:2012/07/21(土) 10:16:08 ID:kJvHf4/g

みなさま、おはようございます。

今週は、仕事と生活に追われ、聖典謹写はさせていただいていますが、なかなか閲覧書き込みの時間がとれませんでした。
後夜祭には、 さくらさまも登場されていて、コメントを差し上げたかったのですが、余裕がありませんでした。
ごめんなさいね。

>>665復興Gさまの「泥かぶら」は、わたしは、小学生のころ実家の市民ホールで観劇しとても感動した記憶があります。

──いつもにっこり笑うこと = 日時計主義
──人の身になって思うこと = 自他一体感
──自分の顔を恥じないこと =神の子の自覚

「生長の家の教え」大好きなわたしは、このように解釈させていただきましたけれど、
みなさまは、どう思われますでしょうかしら〜〜〜ん???(SAKURAさま風に・・・)


SAKURAさま

わたし、最近SAKURAさまの投稿は、最近すごく読みやすくなってきたと感じています。
そしてそのご意見は、この掲示板では、とても貴重なものだと感じています。
ですが、SAKURAさまご自身も、おっしゃっていますが、読みたくないと感じてら、
スキップされていいのではと思います。
わたしも、時間のない時には、みなさまの投稿をスキップさせていただいています。
ただ、一度読んだものが、何度も再投稿されていると混乱するので、正直うんざりします。
SAKURAさもの、ご意見も貴重ですが、他の投稿者のみなさまのご意見も同じように貴重なものが多いのです。
SAKURAさまが、何度も同じ内容を投稿されると、他の方々の貴重なご意見が、(奥の殿?)に行ってしまいます。
そこのところを、もう少しご配慮いただけたらと感じています。
(つづく)

696a hope:2012/07/21(土) 10:17:39 ID:kJvHf4/g
(つづき)
話は、「泥かぶら」に戻りますが、
孤児でいじめられ続けてきた少女にとって、優しい言葉をかけてくれたおじいさんは、
神さまのような存在だったのかも知れませんね。
だからこそ、その3つの言葉を信じ続けることが出来たのだと思います。

今のわたしにとって信じることができるのは、「生長の家の神さま」の言葉です。
そのお言葉は、聖典「生命の實相」の中にあり、他の谷口雅春先生の聖典の中にあると信じているのです。

「信じる者は救われる」という言葉を良く聞きますが、
わたしは、自分の信じたものを、信じ続けていきたいと思っています。


さくらさま、初心者さま

わたしの発言した、『真の生長の家の教え』という意味は、そういう意味です。

「真の生長の家」はすでにあるのだと思います。
そして、その自覚があろうがなかろうが、すべての方々が「生長の家人」なのだと感じています。

以前、わたしは、『真の生長の家人』という発言をしてしまったかもしれませんが、それは取り消させていただきます。
『「真の教え」を体得された、「生長の家人」』という意味で使わせていただきました。
誤解を招くような発言をして、大変申し訳ありませんでした。

わたしがこれから生涯をかけて学び、信仰していきたいのは、『真の教え』の方なのですよ。
申し訳ありませんが、雅宣先生の教えは、わたしには『真の教え』とは思えないのです。

繰り返しますが、わたしにとって『真の生長の家の教え』=聖典「生命の實相」ということになります。

ただ、これはわたし個人の意見ですので、あまり気になさらないでくださいね。

人はそれぞれ、信仰の自由がありますので、さくらさまや、初心者さまが何を信じても、
それは自由なのだと思います。

来週から、夏休みに入るのですが、わが家は大変忙しくなります。
でも、わたしは毎朝の「神想観」「聖経読誦」「愛行」は必ず続けたいと思っています。

この掲示板も、「聖典」謹写、web誌友会参加など、無理のないように参加させていただきたいと思っていますので、
みなさまどうぞ、これからもよろしくお願い致します。

ところで、次の誌友会は、復興Gさまもおっしゃっていましたが、

8月10日(金)21:30より
8月12日(日)23:30まで

わたしも、仕事も入っていますが、参加出来る時間帯に、参加したいと思います。

それでは、わたしの愛する「生長の家」のみなさま、素晴らしい週末をお過ごしくださいね!

697さくら:2012/07/21(土) 11:46:44 ID:aB3O2gzw
a hopeさま

時間ないので、またあとで、おもうことを書きます。

698如月:2012/07/21(土) 12:44:32 ID:ki/haAjk
>>665-667  復興Gさま

泥かぶらのお話、ありがとうございます。
こういう良いお話は子供だけでなく大人にも
知って欲しい、触れて欲しいと思いました。

私も偉そうな事は言えませんが、最近は親として祖父母として
首をかしげたくなる思考の人が多い気がします。

他人事ととらえず、宇宙意識で繋がっている自分を高める事で
世の中が良くなって行くと信じて、生命の實相の勉強を
続けるつもりです。
復興Gさまは、地上の誌友会だけでも相当お忙しいのに
ネットだけで、顔も知らぬ私たちの為にご指導して下さっています。
とても、ありがたく、もったいなく思っています。
                             感謝 合掌 拝


>>695 a hopeさま

お仕事やお家の事で忙しい中、聖典の謹写をつづけていただいて
ありがとうございます。

誌友会では、時間やテーマなどを要所要所に掲載して下さったり
書き込みのヒントをいただくので、安心して書き込めて喜んでいます。
どうか次回の誌友会も無理の無い範囲でよろしくお願い致します。


ハマナスさま

毎日、聖典謹写いただきまして、ありがとうございます。
心が疲れきっている時は、聖典板だけ覗かせていただいて
生きるエネルギーをもらっています。
今回の誌友会は、お忙しくてご参加を見送られたとの事ですが
またチャンスがありますので、ご一緒できますこと楽しみにしています。

699さくら:2012/07/21(土) 19:52:14 ID:vxm3Yqkc
>>696
a hopeさま

いつも気にかけてくださって、本当にありがとうございます。
わたしは、a hopeが生長の家の教えが好きで、誰よりも純粋な心で学ぼうとされていることを感じてその姿勢は尊敬しています。

総裁の教えが真の生長の家の教えだとは、わたしもまったく、思っていません。
わたしも組織にいたとき、雅宣総裁の方針にどうしても納得がいかなくて、
生長の家の大切なものがどんどん失われていくことに悩んでいたので、
(正直読みたくはなかったけれど、笑)小閑雑感も、ブログも読んで、
総裁がなにを考えているか、自分で知って考えようとしました。
ネットで飛び交う噂だけで判断するのは、いやなので。
総裁が、生長の家で暴挙ともいえるようなことをしているのは、どんな考えなのか、
そして、なぜ、その暴挙をゆるすような体制が生長の家の組織にあるのか、
そのようなことを、考えてました。

a hopeさま個人の考えや、信じるものをどうこう言っているのでは、
決してないのです。誤解しないでください。
・・特にわたしは個人的な経験から、
宗教の排他的な要素が、とても悲劇的なことであるということに、
すこし、過敏なのかもしれません。
信仰にしろ、思想にしろ、自分と違うものを、自ら慎重で充分な検証もしないままに
虚説である、サタンが憑いていると、平気で言えてしまう姿勢を
わたしとしてはとても疑問に思っています。

「真の教えを体得した生長の家人」しか、a hopeさまは信じられませんか。
生長の家を知らない人だって、違う宗教や思想を持つ人だって、
世界にはたくさんいます。
わたしは、同じように、みんな学びの最中だと思っています、
大きく言えば、真も、偽も、ないと思っています。

総裁は確かに、宗教団体を間違った方向に導いていますが、
じゃ、これから生長の家が、組織としてどういう改善をすべきか、というような、
もっと、おおきな枠組みで、考えてほしいな、とわたしは思っています。
総裁を追放しても、組織の体制が根本的に変わらなければ、また同じようなことが
起こらないとは限らないですし。

総裁の教えが間違っている、虚説である、真の生長の家ではない、総裁一人追い出せば、真の生長の家が取り戻せる、と考えるのは、簡単なことですが、
信仰というのは、自分の気持ちのよいものだけを受け入れるという姿勢ではないんじゃないかな、とわたし自身は思ってます。
そのときこそ、信仰の姿勢が、試されるようにも感じます。

a hopeさまのなにを信じるか、を否定しているのではないのです。

わたしは、宗教が、自分と違う、と云うものに対する拒絶反応があるとしたら、
どのような態度をとるべきか、とても慎重に考えてしまうということです。

気分を悪くされたら、ごめんなさい・・。
でも、a hopeさまには、率直にお話ししておきたかったので。
お仕事や、こちらの聖典、誌友会頑張ってください。祈。

700さくら:2012/07/21(土) 19:57:49 ID:vxm3Yqkc
>>694みすはなまるさま

お母さん…という言葉にも、国が違えば色々な呼び方があります。
ママやおかあちゃん、母上、おかん、日本だけでも地方により、様々呼び方があります。

しかし、どの呼び方も間違っていないのです。

それと同じように、日本のみならず世界中には数えきれないほどの宗教がありますが、神様や仏さまの表現は違えども、みな、どれも間違っていないのです。神様には色々な顕れがありますが、どの教えも間違っていないのです。

ですから、さくらさまが今まで出会われた宗教も、生長の家の万教帰一の教えによって、より深く真理の発見があるかも知れませんね。



すみません、みすはなまるさま。
しばらく、泣きました。

701初心者:2012/07/21(土) 20:38:51 ID:TfQ0e6RA
a hope様

>人はそれぞれ、信仰の自由がありますので、さくらさまや、初心者さまが何を信じても、
それは自由なのだと思います。

以前、たしかどこかで「虚説」という言葉を、ホープ様は使っておられたようにおも
います。これが事実であるとすれば、何を信じても自由だということは、虚説を信
じるのも自由だということをいっておられるのでしょうか。何を信じるのも自由だ
が、それは虚説だということをおっしゃりたいのでしょうか。

「信仰の自由」などと簡単に口走ってよいものなのでしょうか。これはつまり、
何を信じるかを他人に強制できないということを言っておられるのだとおもいま
す。もしそうであれば、おっしゃるとおりだというしかありません。何を信じるかを
他人に強制できない以上、信仰の自由というよりほかはありません。ただ、これほ
どまでに信仰の自由を重んじておられるホープ様が「虚説」という言葉を用いられ
たとすれば、それはなぜなのかということをいぶかしく思うばかりです。

少なくとも信仰の自由を尊重しておられるのであれば、他人が何を信じようとも、
それにたいしては敬意を表すべきではありませんか。少なくともそうすることが
礼儀であるとお考えにはなりませんか。他人が信じるものを「虚説」といってはば
からない人物から「信仰の自由」という言葉が出てくるはずがありません。ホープ
様が「虚説」という言葉を用いられたというのは、わたしのたんなる思い込みに
すぎないのでしょうか。

>申し訳ありませんが、雅宣先生の教えは、わたしには『真の教え』とは思えないのです。

わたしも「真の教え」であるとはおもっておりません。

702SAKURA:2012/07/21(土) 22:15:32 ID:V.pKl3yA
トキ様 ヘ
観覧者の皆様 へ
a hope 様 へ

こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>695「a hope 様」投稿文を拝読させていただきまして…
大変!遅くなりましたが…前回に於きまして「アシスタント?」としての存在でしたかと
思います…。御多忙の中、インフォして頂きました多々の“情報”感謝申し上げます…。
ありがとうございました…。

此処で「一言…」お断り申し上げますが?
■「現総裁雅宣先生…擁護派」と致しましては、以前からの皆様方々の“投稿文章”を、
拝読させて頂きますと…
【中間派?もしくは…「学ぶ会」「靖国見真会」「ときみつる会」より?】の方々が、
大半なのでしょうか?その様な“判断”を、させて頂いております。

■>SAKURAさまが、何度も同じ内容を投稿されると、他の方々の貴重なご意見が、
(奥の殿?)に行ってしまいます。そこのところを、もう少しご配慮いただけたらと
感じていだます。<         (一部投稿抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

この内容から?私のつたない“投稿”を拝読して頂いております事に、
“感謝”申し上げます。ありがとうございます…。

■唯!私一個人にきましては【総裁先生…擁護派】と、明確に此処で宣言しておりますのは、
私一個人との“想い”が致します…。
未熟者ですから【時間管理…不十分】で【投稿】におきまして再三とはいきませんし、
【此処の皆様方】以外の方で、まだ!拝読されていらっしゃらない方々への、
【現総裁雅宣先生…擁護派】としての“意見・考え”を閲覧して頂けますとの“想い”から、
再投稿!再三投稿!の形式を、この場をもちましてとらせて頂いております…。
宜しくお願い申し上げます…。

それに【気分…が悪い】との事ですから?【ジャンプ…】して、他の“投稿者様”へと、
閲覧していただければと、思います。
どうしてかと申しますと…【ストレス】になりますでしょうから??
そして、同じ考えの方々【類の法則…】にての討論の方が、楽しい〜〜のではと?思います。

多忙な中での「観覧者の皆様」が、私もそうですが〜〜〜『奥殿まで』閲覧・拝読されます事は、
過去の私の経験から、時間的・アイケア−(目の疲労)から申しても、大変ですもの?
此の事から、いろいろ考えましての“再投稿”とさせて頂いております…。

さて!「a hope 様」もお仕事をされていらっしゃいます…。との“投稿…”を、以前!…
しかも?私の記憶では「御主人・子供様」素敵なファミリ―をもたれ、更に!時間を割いて、
「投稿…」されていらっしゃいます事は、尊敬の念です…。

尚、いよいよ【夏本番…】ですので、くれぐれも“体調”には気をつけられます事を、
お祈り申し上げます。                   
                               再合掌

703観覧車:2012/07/21(土) 22:29:22 ID:/egGcx9Y
>>702
SAKURA様へ

> 観覧者の皆様 へ

と書いてあるので読ませていただきましたが、

> この内容から?私のつたない“投稿”を拝読して頂いております事に、
> “感謝”申し上げます。ありがとうございます…。

とのご文章の「拝読」の使い方がまだ間違っていると思います。
今一度お確かめください。

704SAKURA:2012/07/21(土) 22:34:35 ID:V.pKl3yA
復興G様 ヘ

こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■大変遅くなりましたが…
前回の「WEB誌友会…ロングラン…50時間」お世話になりました…。
更に!御多忙の中、時間の合間に「投稿」されていらっしゃいました事…
拝読させて頂いておりましたが…感謝申し上げます…。あらためまして…

■ありがとうございます…。

そして、前回の「WEB誌友会…資料」コピ―させて頂きましたが、かなりの【時間】を、
要されたのではとの思いで、【感謝!】の言葉につきます。ありがとうございます…。
(勝手ながら…1〜14章までのURLを、貼り付けさせて頂きました…。
お断りしておりませんでしたが…“コピ−”しやすいのでは?その“想い”からでしたが?)

今後とも「WEB誌友会」での…御指導・御活躍を心よりお祈り申し上げます。
                           
再合掌

PS:明日【7月22日…暦の上では大暑】くれぐれもお身体には、お気を付けてくださいませ…。

705みすはなまる:2012/07/21(土) 22:35:52 ID:hcaOcTss

さくらさま

私はある時期、組織活動をしていたとき、宗教の枠ということを考えた時期がありました。
宗教の枠を超えて、協力し合う…という意味の枠ではありません。

知らず知らずのうちに、「わたしは、〇〇の宗教だから」という枠を自分で作るつもりはないものの、「総裁がこう考えておられる」=自分の考えを考える以前に、総裁の考えに前ならえしている枠です。

上手く表現出来ずごめんなさい。
私は、雅春先生や清超先生の時代には、いま述べた後者の枠について全く思うことがありませんでした。感じることもありませんでした。
現総裁が実権を握られてから、後者の枠を感じるようになり、苦しみを感じるようになったのです。

人間は神の子である表現は、宗教や文化により千差万別です。
私は、それで素晴らしいと思うのです。哲学にも、表現は世界中千差万別です。それで素晴らしく思うのです。
私は、その神髄が唯神実相哲学と信じています。またある方は、違う表現をされるかもしれません。それもそれで素晴らしいと思います。

それほどまでに、神様はみちみちていらっしゃり、多様性であるとおもうのです。
人間の技術も同じですよね。多様性に富んでいます。人間は神仏の最高の自己実現だからだと思うのです。

さくらさまが、>>699でコメントされていましたが、現総裁がやめることだけで万事解決…という問題ではないと思います。私は、現総裁に退職して頂きたいと思いますが、もっと大きな視点でみると、本流復活派や学ぶ会の方や、現教団の方々のお陰で、どんどん浄化されている…ですから、、現総裁には退職して頂きたいと思います。というよりも、そういう流れになるように思います。

光に向かっているはずですから。
人間の神性仏性は。

706SAKURA:2012/07/21(土) 22:53:38 ID:V.pKl3yA

>> 703に関しまして…“投稿”させて頂きます…。

こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
私自身は、納得した上での「投稿」ですので…後は【此の件は、沈黙思考】です…。
                                  再合掌

PS:
■ロ−マ字(大文字)の【SAKURAの 独り言 】
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■【拝 読】…名詞「読むことを筆者を敬っていう謙譲語。」
さて!この【謙譲語…】に関しましては、「2通り…解釈論」があります…。

■【謙譲語Ⅰ】は、動作の向かう相手を立てる言い方です。
■【謙譲語Ⅱ】は、その場の話し相手、つまり「聞き手」を立てる言い方で、
この場合は、【観覧者の皆様方】に対しましての“言葉”です。
これは、動作の向かう先とその場の話し相手の両方を立てる場合に使います。
”動作の向かう先”と”話し相手エ”は、同一人物の場合もあれば、他人の場合もあります。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■上記観点にて、そのような意味合いでの“言葉の使用”を、させて頂いております…。

■【閲覧・拝読】…言葉に関しましては?

■>閲覧(えつらん)とは図書館関連の用語で、利用者が資料を館外に持ち出さずに見ることを言う。
また近年では、インタ−ネットの用語として、ウェブブラウザを用いてウェブペ−ジを見ることを
閲覧と言い…<
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■上記観点にて、
【閲覧・拝読】…読んで頂きましたら〜〜〜との思い出の“文章言葉”とさせて頂いております。
あえて“此の意味合いにて言葉”を、使わせて頂きました…。ご了承頂けます様、御願い申し上げます。

■ 最後に…【日 本 語】…
これも言葉遣いにおける心得のひとつだとおもうので、書かせていただきます。
こういうところ(ブログのコメント欄やBBS)に書き込むとき、初めに一言挨拶が有った方が、
良いのではないかと?私は思う次第です…。
いきなり本題から書かれると、やや唐突な感じがします。
ですから、私は、初めてのかたでも、既に存じ上げている方でも、最初に、
「こんにちは」さらに100%ではありませんが??書くように心がけております。

再合掌

707観覧車:2012/07/22(日) 06:51:10 ID:/egGcx9Y
>>706
SAKURA様

> ■【拝 読】…名詞「読むことを筆者を敬っていう謙譲語。」

「SAKURAさん、私、観覧車の文章を拝読していただけますか?」

これは正しい言い方でしょうか?

708うのはな:2012/07/22(日) 07:58:10 ID:gTn97m6I
>とのご文章の「拝読」の使い方がまだ間違っていると思います。
今一度お確かめください。

使い方が間違っているということを、このひとが説明しているのに、
 まだ、追及しているのか。
 このあと、わかりません、理解できませんと延々と続くんだろうなあ。

709初心者:2012/07/22(日) 08:23:54 ID:TfQ0e6RA
「枠」はあるほうがよいのでしょうか、それともないほうがよいのでしょうか。
画家はカンバスという枠があるからこそ自己表現できるといった言い方はよく
なされますね。わたし自身の経験でも、何かものを書くにあたって、テーマという
枠があるのと、自由に何でも書いてよいというのとでは、枠があるほうが書きやす
いような気がいたします。

かつての生長の家に「枠がなかった」というのは感じます。組織活動においても
「枠」があったとはおもえません。まるで「何もないところに絵を描け」とでもいわ
れているようで、数集め以外に何をやってよいのかわからないというのが、多くの
活動者の共通認識ではなかったかとおもいます。

現在の教団については何も存じませんが、「枠」とでもいうべきものはあるのかも
しれません。

これは印象にしかすぎませんが、現総裁が絵手紙や日時計主義といった方針を
打ち出されたところを見るかぎりでは、その思想性はあまりにも貧弱であるとの
印象を持ちます。

現教団から提供される「枠」があったにしても、カンバスにして絵を描けるほどに
洗練されたものではなく、その枠にとらわれてしまうことで、逆に自分という存在
がゆがめられてしまうという事態が起きているのかもしれません。

新興宗教はまだまだ歴史が浅く、その思想性はいまだ脆弱であり、各方面からの
批判に応えることでみずからを鍛え上げる必要があります。生長の家は、すでに
完成されたものではなく、依然として発展の途上にあるものと考えます。かつての
枠なき組織活動にしても、発展の途上における試行錯誤のひとつであったと考え
るよりほかはありません。

710初心者:2012/07/22(日) 08:54:10 ID:TfQ0e6RA
「浄化」ということで思いだすのは、『風の谷のナウシカ』の、あの毒々しい腐海が
浄化の役割を果たしていたという設定ですね。穢いものこそ浄化の役割を果たす。
これは真実であるのかもしれません。

本流で穢い汚れ役に徹してらっしゃる方々も、穢れ(けがれ)を一身に引き受けて
おられるという意味では浄化の役割を果たしておられるともいえそうです。穢れ
を遠ざけ、きれいごとばかりを並べ立てている人々は、浄化ということでいえば、
ほとんど何の役にも立っていないばかりか、むしろ穢れを放出しているのではない
かと感じることがあります。

711a hope:2012/07/22(日) 09:03:01 ID:kJvHf4/g

さくらさま 初心者さま

わたしには、聖典「生命の實相」や他の雅春先生の聖典のお言葉が、
自分の魂にいちばん響くのです。
だから、信じるのです。

そして、みすはなまるさまも>>694でさくらさまにコメントされていますが、
わたしがなによりも「生長の家の教え」で素晴らしいと感じているところは、
それが「万教帰一の教え」だというところです。
「真の生長の家の教え」を学んでいけば、すべての宗教の共通の真理がより深く学べると信じているのです。

わたしは討論は苦手ですし、組織活動に関しては経験も知識もほとんどありませんので、
これ以上のお返事は控えさせていただきますね。

わたしは、さくらさまのことも初心者さまのことも「生長の家人」であると思っていますし、
大切な人だと思っています。

これからも、どうぞよろしくお願い致します。

712うのはな:2012/07/22(日) 09:19:48 ID:gTn97m6I
本流で穢い汚れ役に徹してらっしゃる方々も、穢れ(けがれ)を一身に引き受けて
おられるという意味では浄化の役割を果たしておられるともいえそうです。穢れ
を遠ざけ、きれいごとばかりを並べ立てている人々は、浄化ということでいえば、
ほとんど何の役にも立っていないばかりか、むしろ穢れを放出しているのではない
かと感じることがあります。


総裁先生、ありがとうございます(笑)

713初心者:2012/07/22(日) 09:20:30 ID:TfQ0e6RA
a hope様には言行不一致という言葉がもっともお似合いですね。

714初心者:2012/07/22(日) 09:25:18 ID:TfQ0e6RA
うのはなさま〜

けっしてそのような意味では。うふふ。

715さくら:2012/07/22(日) 09:30:09 ID:vxm3Yqkc
初心者校長って、女性に優しいと思っていたら、
結構、いじわるですのね!

女の子をいじめたら、ゆるしませんよ!

716a hope:2012/07/22(日) 09:38:59 ID:kJvHf4/g
>>712 うのはなさま

本当に、「生長の家」の教えは深いですね。
穢れを浄化してくださっている方々に感謝しなればいけませんね。

ありがとうございます。

717うのはな:2012/07/22(日) 10:02:47 ID:gTn97m6I
 次の誌友会には、感謝の心で握ったおむすびをお持ちよりくださいませ。

 たべもの感謝 こどもミュージカル
 http://youtu.be/7JAsXLHw0Jc

718みすはなまる:2012/07/22(日) 10:15:12 ID:BUfrVyJk
>>709 初心者さま

確かに、枠があるからこそ、キャンバスに絵画という作品が生まれると思います。
雅春先生や清超先生の時代には、枠がない…そこには誰でも生長の家に来れ、参加者の思想を縛り付けなかったように思われます。
ですから、雅春先生にも清超先生にも、講習会やご指導の練成会で自由に質問が出来て、的確にご指導いただけていました。

今は、現総裁への質問には、制限…枠があります。
講習会での質問は、講演内容に関することだけであり、参加者の魂の自由がないように思われるのです。

雅春先生の時代には、枠がないけど、そこには宇宙の法則の規律がしっかりされていました。その頃、ジュニアと高校生時代を過ごした私は、そのように感じていました

719初心者:2012/07/22(日) 11:12:27 ID:TfQ0e6RA
みすはなまる様

現教団にしても、本格的な枠組みを提示する意思や能力がないにもかかわらず、
やむなくそれをなそうとして無残な失敗の連続に終わっている、といった
ところでしょうね。みすはなまる様のお気持ちはお察しいたします。

720さくら:2012/07/22(日) 11:14:05 ID:vxm3Yqkc
みすはなまるさま

いつも、お言葉、ありがとうございます。
みすはなまるさまが感じてらっしゃった、枠ってどのようなものでしたでしょうか。
わたしは、組織の中で、こうしたらもっと生長の家が世間に受け入れられるのに、
もっと、こういう運動が、信仰の形ではないか、というようなことを、
青年会の活動の中で自分の場所で提案したりしましたが、
本部の方針がどうだ、こうだ・・それも納得がいかない理由で、組織の中ではほとんど
抑圧も感じていました。
でも、わたしのやり方がもっと上手く出来れば良かったのですから、
若気の至りと反省していますが。
今は、組織を離れたことで、生長の家の素晴らしさを再認識していますし、
自由に自分の場所で行動できているので、わたしには、その方が良いです。

みすはなまるさまの時代は、組織活動も、のびのびと良かったのでしょうね、。

不変の真理といっている宗教が、トップによって、こんなに右往左往している組織なら、
わたしはやはり、信用は出来ないと思っています。
トップをいくら素晴らしい人に変えたからといって、それは人につくだけではないかと思うんです。
だから、どのような信仰運動をして、なにを実現するかのビジョンを考える方が、
興味があります。

ここでも、信を築く前に、組織を論じるな、と先輩に遠回しに言われたことがあり、
確かにその通りなのですが、
その割には、トップの欠点ばかりが指摘されて、大きな枠組みがなにも見えてこないことは、やはり変だな、と思っています。

勝手なこと書いて、すみません。
わたしも、良い方向になっていると、信じています。
それでは、また、よろしくお願いいたします。祈。

721さくら:2012/07/22(日) 11:16:22 ID:vxm3Yqkc
あ、>>718も読まずに、投稿して申し訳有りません、、

みすはなまるさまが仰る、枠。わたしも、抑圧として、感じていました。

722初心者:2012/07/22(日) 11:45:02 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

横から失礼いたします。

>不変の真理といっている宗教が、トップによって、こんなに右往左往している組織なら、
わたしはやはり、信用は出来ないと思っています。

不変の真理を説く教団がなぜこのありさまなのか。ここからがスタートのはずで
す。トップに責任を押し付けたからといって片付く問題ではありません。

723トキ:2012/07/22(日) 15:49:50 ID:x4kBFct2
>>722

 ノーベル経済学賞をもらった人だからといって、商売に成功するとは限りません。
とはいえ、経済学の学者が商売に全員、商売に不向きではありません。森ビルの先代の社長は
社長になる前には、横浜国立大学経済学部の教授だったらしいですから。

 山ちゃん1952様が、内務省の資料をアップされていますが、戦前や戦後は当局からの監視
が厳しく、自由な布教ができなかったのに生長の家は拡大しました。今は、どうでしょう。

 そのあたりも、みんなで考えるべきです。

724さくら(島の借住):2012/07/22(日) 18:04:32 ID:vxm3Yqkc
トキ様

合掌ありがとうございます。

トキ様が「考える4」で書かれていたように、宗教の「救済」は、
小さな事からそして対人間であるという、そして地道な活動をされてこられた
トキ様のお心を尊敬し、共感いたします。
また、違う考えや形式を持つ他宗教に対する尊重の想いも共感します。
先日天理教の方とお話ししましたが、(・・わたしは無知なので天理教の教えは深く知りませんでしたが、)とても愛が深く社会の問題に取り組む実行力も素晴らしい団体だと思って、いまの生長の家も見習うべき点がおおいにあると感じました。
当然のことですが、宗教にかかわらず、愛の深さや実行力、神に対する信仰の深さに学ぶべき点が多々ありますし、トキ様が仰るように、やはり、結局は人間なのだと思い、学んでいきたいと思いました。

わたしは、別の宗教をしていたとき、数や金集めや、おおきな政治や法律などの変革しようとするような活動をさんざんしてきて、それが、「人類を救うんだ」と傲慢に思っていたことをおもうと、自分には学びだったとはいえ、おおきな間違いをおかしていたことを痛感いたしました。それは、信仰運動とは、ほど遠い事でした。
(もちろん、わたしの根本の信の部分が間違っていたことが一番の原因でしたが。)

宗教の活動も、自分の教えが一番正しいと、主張することだけでなく、
人に実際お役に立てる地道な活動が、結局は、社会に受け入れ認められる宗教になると感じています。
結局社会にその教えや主張を認めていただくのは、
そのような信用を得て初めて出来ることだとわたしも思っています。
大きな枠組みを変えようとする運動は、やっている本人は「やっている感」は強いかも知れませんが、結局は信仰の運動としてはなにもなしえないのではないかとずっと感じてきたのですが、いかがでしょう。

たとえば、地域の問題ですが、実際地域の人達の中に入っていって話を聴き、その地域独特の人間関係のなかで信頼を得て(地方など閉鎖的であったりするので)様々な問題に一緒に寄り添って、新しい仕組みを作る取り組みをしていくなどの実際活動が必要なのではないかと思います。それこそ、地域の問題は、結局は人間の密な繋がりで、政治的な大きな枠組みからは見えないことがたくさんあります。
法律を変えたり、立場を明らかにして主張することはとても大切なのですが、
宗教としては、もっと、人に寄り添う活動ができてはじめてその主張が人の心に響くのだと感じてます。

トキ様の書いておられることを読んでもそうですが、
組織でも、そのような観点から具体的な社会的取り組みができれば、
これからの生長の家がもっと信頼を取り戻せる団体になるのではないかと感じました。



725SAKURA:2012/07/22(日) 18:50:32 ID:V.pKl3yA
さくら様 へ

こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】 で〜〜〜す。
向こうの【お部屋での掲示板…】楽しい〜〜会話…弾んでいらっしゃいます様で〜〜〜

■横スレで申し訳ありませんが?
>>724拝読させて頂きまして…
一つ興味深い“文章”が目に付きましたので、教えて頂きますと幸いです。
>先日天理教の方とお話ししましたが、(・・わたしは無知なので天理教の教えは深く
知りませんでしたが、)とても愛が深く社会の問題に取り組む実行力も素晴らしい団体だと思って、
いまの生長の家も見習うべき点がおおいにあると感じました<  (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

実は、私も投稿しております【霊界編…】の処で【天理教開祖…】の件には、触れさせて
いただいた次第なのですが…。丁度、【天理教…】の事が、気になっていましたので〜〜〜!
脳裏から離れなく思っておりましたが…その矢先「お話…」をされたそうなのです〜〜〜ョネ!

【天理教】サイドの現在の活動?多々お聞きになられたかとの(文章から拝読させて頂きまして)
判断にて、是非!その時の“お話の”を伺えますと幸いに存じます…。

                                    再合掌

PS;
いよいよ夏本番になりますが〜〜〜ひらがなの【さくら様】は、夏は??如何でしょうか??
くれぐれも“体調”には、気を付けてくださいませ…。
夏はダウン気味のロ−マ字(大文字)の【SAKURA】 で〜〜〜す。

726さくら(島の借住):2012/07/22(日) 18:54:51 ID:vxm3Yqkc
>>722初心者さま

>不変の真理を説く教団がなぜこのありさまなのか。ここからがスタートのはずで
す。

ありがとうございます。
初心者さまは、いつも、根本的に問題を考えられていますね・・。

・・トキ様が書いておられたように、高度すぎて、
ついていけないものが多々ありますが、笑、

問題の表層だけではなく、根本的解決の道は、大切ですね。

ありがとうございます。

727さくら(島の借住):2012/07/22(日) 19:19:02 ID:vxm3Yqkc
>>725
こんにちは、ローマ字の【SAKURA】さま、お元気でお過ごしですか?
ひらがなの【さくら】です。呼び掛けて下さって、とても嬉しいです。

実は、わたし、SAKURAさまに、ずっと、怒られてると思っていたんです・・。
鈍感なので、なんで怒られてるか、あまり把握出来なくて、その節は失礼しました、、。
なので、SAKURAさまにお話かけたくてもご遠慮させていただいたので、
呼び掛けてくださって、ありがとうございます。

なかなか掲示板の全てを読み切れなくて、SAKURAさまのご投稿も、
把握しきれずに、失礼があったら申し訳有りません。
SAKURAさまは、いろいろ話題豊富で、他の宗教からの学びもされているのですね。
霊界編のところも、後でゆっくり目を通させてください。

天理教の方の活動は、わたしが聞いたのは一部ですので、たとえばですが、
今回の東日本大震災で、いち早く瓦礫撤去のための(しかも)手持ちのブルドーザーを出動させて、救済に向かったそうです。
また、被災地への救援物資や避難所として場所を提供するなどの、すばやい対応などもあったようですね。
大きな教団ですから、当然なのかもしれませんが、でも、その手持ちのブルドーザーを用意したのも救援物資も、阪神大震災の経験から宗教として実際の人の救済活動を、いかにすべきかということを、反省して学ばれたからだ、ということを聞きました。
団体としても、経験から学ばれて社会的貢献をすることは素晴らしいな、と感じました。

お話しした方は、被災地でボランティアをされている方でした。
瓦礫撤去などの必要とされる、力仕事はほとんど終わってきているけれど、
これからは、心に寄り添ったきめの細かいケアができる、
女性の役割がとても大切になってきていることを話しました。
被災地の方達は、見た以上に、心の壁を一つ一つ乗り越える葛藤も
まだまだ、あるようですね・。
お互い宗教はちがうけれど、こうした活動を通して、
ともに社会的な貢献を出来ることは、素晴らしいと共感しあえてとても嬉しかったです。

今の社会情勢の中で、宗教として、人の心に寄り添ってひとつひとつ出来ることがあると、
信じています。考えていきたいですね、。

SAKURAさまとお話ができて嬉しいです。また、いろいろ教えてください。



728SAKURA:2012/07/22(日) 19:52:30 ID:V.pKl3yA

さくら様 へ

こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】 で〜〜〜す。
“お返事”ありがとうございました。…が?

そうですよ〜〜〜ネ!
昨年のあの「東北・関東大震災」のに於けます【ボランティア活動…】此の事は、
日本国民!いえ…世界中の方々が…『心からの支援』をされた事は、失礼ながら一目了然との
考えでしたので…その事は私の“脳裏”の中では、『当たり前』…の様に受け止めていましたモノで、
【人間として…】との想いが…私の考え方でした…。
今でも「被災地の方々」に於けましての精神的ダメ−ジは、他人ごとではなく「祈り」に、
徹することしか私には出来ない“現状”なのです…。(個人的なのですが〜)

私が伺いたく思いました事は、文章からの判断にて、日ごろの日常茶飯事の活動体制を…
先日のお話の中で、天理教の方と“お話”されていらっしゃいましたかと思いました
次第なのですが??日頃からの“活動体制”この事が今日の【天理教】の存在を揺るぎのないモノに、
したのではと思い…参考になりますのではと?思いましたのです。…が?

この件は、どうでしたのでしょうかしら〜〜〜ン?と思った次第なのです。

                              再合掌

729さくら:2012/07/22(日) 20:34:00 ID:aB3O2gzw
ローマ字【SAKURAさま】

こんばんは。ひらがな、さくらです。
SAKURAさまの想いとズレがあり、思惑に答えられずに、
たいへん失礼いたしました、、。

わたしは、普段からは天理教の方との交流はなく、
普段の活動がどのようなものであるか、聞き及んでおりませんでした…。
ほかの方がご存知なら、わたしも学ばせて頂きたいとおもいます。

お聞きしたことと、違うことと想い、
一方的に応えて失礼しました。

お仕事ご活躍ですね。
どうぞ、暑くなりますので、体調をお気をつけくださいますように…。

合掌、ありがとうございます。

730トキ:2012/07/22(日) 23:18:58 ID:7D47skN2
>>724

 今日は、教団の行事の後、美女とデート(?)してきました。お返事、遅れてごめんなさい。

 難しいお題なので、少し考えてからお返事申し上げます。
ただ、青年会時代に、街角で神誌や普及誌の愛行をしたときに、他の宗教の人と鉢合わせになったのですが、
結構、いい雰囲気で話ができるのです。これは、根底にある「愛」は同じだからだと思います。

 で、思うのですが、生長の家で学んだ事を、今度はその人が自分の生活の中で生かす。これは、政治家なんかは
国家が問題になると思うのですが、教育者は教育で、主婦は地域社会で、と様々な太陽で具体化する。その内容で
はなく、精神が大事だと思います。

 この間、過激派の女性活動家だった早見優子さんという人が書いた「I love 過激派」を読み、その後、彼女の
インタビューを見たのですが、彼女が過激派を辞めたのは、「運動に魅力がなくなったから。魅力がない運動が
成功するはずがないのです。」と言っていたのも面白かったです。つまり組織論は大事ですが、運動に「魅力」
を持たせる。これが宿題ですね。ちなみに、彼女は現在、鈴木邦男さんの「一水会」に臨時に籍を置いている
みたいです。

731山本富士子:2012/07/25(水) 08:46:11 ID:0qw8iKoo
725
SAKURA さま

福岡は天理教がとても目立つ町ですよね。
大濠公園の近くにもおおきな建物がありますし、
町をねりあるく行も目つきます。
家庭訪問もまめにされているようで、イケメン、さわやか青年が
二名組で教会行事の案内にみえたときは、思わずふらっといきそうに
なりました。

親戚が静岡県にいるのですが、作家の芹沢光冶良(せりざわこじろう)
記念館があります。彼の両親は裕福な網本だったのですがすべての資産を寄進
して天理教の布教師になったため、かれは苦学しました。作家になって
高名になったのち、晩年、神(天理教の)の五部作という不思議な連作をかきました。

私も寄付のつもりで図書館から借りずに買いました。

SAKURAさんにおすすめします。(ごめんなさいね。なんでも
知っていらっしゃるかたに生意気かしら)
新鮮お料理メニュー、いつもありがとうございます。

732山本富士子:2012/07/25(水) 09:59:36 ID:0qw8iKoo
間違い・・・こうじろう
・・・・網元

733本流より転載:2012/07/25(水) 10:02:11 ID:???

>>だからいわんこっちゃない!福岡のゆには道場で、「讃歌」の犠牲者が出る…!NEW (11584)
日時:2012年07月25日 (水) 09時37分
名前:「靖国見真会」参加者


福岡のゆには道場で、一人で、熱心に「讃歌」を読誦していた本部講師が、とうとう、勤務が出来ない状態になったようです。

もともと精神不安の気があったところに、悪霊を呼ぶ?「讃歌」なんかを誦げるから、こんなことになる…?

回りの人はそう言っているそうですよ。

普通の人でも気分が悪くなると言うこの「讃歌」、ましてや精神的に弱い人が読んだら、こうなるのはわかりきっていたことなのに…。

この本部講師の先生には悪いですが、身をもって、この「讃歌」の読誦には注意せよ!と喚起していただいたということで、感謝を申しあげたいと思います。

一刻も早く、お元気になられますよう、お祈りしております。

734SAKURA:2012/07/25(水) 10:29:58 ID:V.pKl3yA
山本 富士子様 へ

おはようございます…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

先日!ひらがなの「さくら様」に対しまして、「天理教の方と」お話されたという事で…
私は、「天理教の方々」の日常の活動を…知りたく思いましたのです〜〜〜。
と言いますのは、近所に、立派な天理教の建物は、ありますよ〜〜〜ネ!良くご存じですかと?

「天理教」の事は「生命の実相」にも記載されていましたが…?現在の事状を、
何とな〜〜く知りたく思いましたので〜〜す。

今回「山本様の情報…」有り難うございます…。「検索エンジン」にて、興味がありますので、
紹介して頂きました“書籍”を、取り寄せて見ようかと、いますが…??「感謝!」です。

それにしましてもFUK…の事、よくご存じですかしら〜〜ン!
前回も「FUK…商店街」の事状、実に、詳しく御存じなのです〜〜〜ネ!ましてや、
私の近くの「商店街…唐人商店街」も、お知りになっていましたので、ビックリなのですが〜〜?
御親戚が…いらっしゃいますモノ〜〜あたり前でしょうか?お近くなのですかしら〜〜〜ン!
もしかしましたら?いつか?何処かで?通りすがりにて…すれ違っていたカモ?知れません〜ネ!
つい〜つい〜「イメ―ジ」を、抱いてしまいましたが〜〜〜?(微笑)

■実は、現在の「生長の家…お家騒動」…多くの方が、「雅春先生の時代」から、
本当の救いを求めこの【生長の家の門…叩く】事となった方々がいらっしゃいますのではと…
従いましてこの素晴らしい「生長の家…御教え」本来の姿に、戻ってほしいと思いましたの!
時々、私事ですが、「天理教の方々が…周辺部の街頭を掃除」されていますのを見た事があります。
その時、いつも思いますのが、はたから見ますとその姿が【団結心…行動派(社会奉仕)…etc】
ある面【宗教本来の使命】にも感じます時がありましたのです〜〜〜ョネ!
それで、現在の活動体制の事を、ご存じでいたらっしゃいましたら?その思いがしたのです。

■【神 の 道 と 人 の 道】とも言うのでしょうか?ふと!思いついたので〜〜す。
                                  再合掌
 

PS:本当に素晴らしいこの教え…現代の社会状況を踏まえての「生長の家」に、
戻って頂けましたらと、思いますのよ〜〜ネ!
そういいますと、ひらがなの【さくら様】も、もう一方の「お部屋」で討論されていましたですもの?
「山本様」も、この現状…心配のご様子ですかと〜〜お見受けします。

735SAKURA:2012/07/25(水) 14:07:15 ID:V.pKl3yA
トキ様 ヘ
観覧者の皆様 へ

こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
昨日からの投稿文も含めまして、感じました事を、ここで“投稿”の形を、とらせて頂きます。

■此処からは【SAKURA の独り言】としまして“投稿”させて頂きます…。

「最高裁…」前に、際しまして、此処FUKの状況を、投稿されていらっしゃいますのですネ!
思いますが……?もしかしまして、ほとんどの“投稿者”が、九州なのかしら〜〜〜ン!
「文体…言葉…etc」から、いろいろ考えますと…以前から思ってしまいますかしら〜〜〜ン!

さて!『どこの分派?』でしょうか?各教区に“葉書”による“中傷メ−ル作戦”をされて
いらっしゃいますならば、受け取りました信者の方々・職員に取りましては、文章による伝達
ですから、潜在意識に、残る事も多々と思います。此の事は、単にFUKだけではなく、
全体的に及んでいるのでしょうか?その様に推測致します…。

しかしながら、私の知人は…この様に話しています。(FUK在住)

■清超先生の時代から…三代目となりやはり、その時その時の総裁先生の考え方がありますでしょ!
それに、ついていけない方は、当然出ていくしかないのでは?更に、グチャグチャ不満を
持つの位なら、やめた方が!出ていった方が!その人の為と思うわ〜〜〜ョ!
(元気パワ−のキャリアウ−マンで…聖経は現総裁先生がおっしゃいますならば…との言葉です。)

■私は、勉強不足で判らないところもあり今から勉強です〜〜〜ョネ!
でも、年だから、まだ「甘露の法雨」を読む事が私には、あっていますネ!でも〜〜〜♫〜〜〜
勉強していきます〜〜〜ですか?ネ〜〜〜

このように、積極的に「現総裁雅宣先生の指導…」に関しまして、トライ!する心…
そうです〜〜ョネ!新しいうねりを感じながら「現総裁雅宣先生」に中心帰一と思われる方!!
従来の教え…少し抵抗感を持ちながらも、学んでいこうと思われる方!!
この両者は、『前向きなる姿勢…受け入れる心…』ではないでしょうか??

更に思いますのは〜〜〜
『礼拝主義…他人の悪を心に記憶せず、言葉にも表現しないで、相手の本質の神を
拝むのである。キリストも言ったところの「なんじの敵を愛せよ」という心情に一致する』
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■この言葉のように、固定観念で相手に対し「〜〜なのだ!〜〜聖経はダメなのだ!」この様な、
固定観念で『新しい大自然讃歌…』を、されましても果たして此の事自体が…
相手に対し『ネガティブ感…』を与えていますから〜〜〜><
『この地上はそのまま天国となり、極楽浄土に??』なるはずが、ありませんです〜〜〜ョネ!!
結果は、…その人自身に,必ず!!帰って来るのでは、ないでしょうか??その様に思います…。

現在の私は「新しい長編詩?」を読誦しておりますが、拝読後は、自然に“元気パワ−を、
頂いておりますが??この事は『心 の 法 則』という事になりますでしょうか??

                                   再合掌

PS:トキ様ヘ…
現在「生長の家…お家騒動」にての『甘露の法雨』の功徳…果たしてありますのでしょうか?
ある所からですが「甘露の法雨」事態に…【呪詛…】されているとか?耳にしましたが〜〜〜
まさかです〜〜〜ョネ!

736トキ:2012/07/25(水) 18:34:44 ID:Qab6ammg
 例の葉書作戦ですが、さすがに良識ある本流復活派の方々の御提言が受け入れられ、
中止になったのは良かったです。こういう事は本当に恥ずかしいし、悲しい事だと思い
ます。

 SAKURA様は、例の長編詩を読んでおられるのですか。私はマネをしたくありません
が、幸運をお祈りします。でも、基本は甘露の法雨ですから、宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

738観覧者:2012/07/26(木) 08:17:36 ID:TCt66b8E
管理人様
>737は削除してください。

やはり個人的な感想はやはり控えたくおもいます。

739a hope:2012/08/07(火) 09:40:45 ID:kJvHf4/g

みなさま おはようございます。

「第5回web誌友会」の開催が迫ってきましたので、予告をさせていただきます。

テキストの範囲ですが、前回は「生命の実相第1巻」實相篇の第2章まで、拝読しましたので、
今回は、同じく實相篇 第3章「あらゆる人生苦の解決と実例」(頭注版P77〜)ということになるかと思います。


<第5回 WEB誌友会 予告>

・《日時》 8月10日(金)夜 9時30分より
      8月12日(日)夜 11時30分まで(50時間)

・《場所》 トキ掲示板、WEB誌友会板

・《テキスト》 『生命の實相』第1巻の「實相篇」(光明の真理)【頭注版P77〜】

・《内容》 あらゆる人生苦の解決と実例など


今回の内容は、「人生苦の解決」ですから、みなさま、お勉強のし甲斐があるのではないのでしょうか・・・?

わたしは、今週は夏休み中でも最高に忙しい週ですが、web誌友会には是非参加させていただき、
わたしの『人生苦』を解決していきたいです。

それでは、トキさま、勝手に予告を張らせていただきましたが、よろしくお願いいたします。
また、トキさま、いつも素晴らしいお話と、二つの掲示板の管理をありがとうございます。
なかなか、書き込みできませんが、いつもお勉強させていただいています。

復興Gさま、暑い日が続いていますが、お元気でお過ごしのことと思います。
今回もまた、ご指導よろしくお願いいたします。

それでは、わたしの大切な「生長の家」のみなさま、
今回も、わたしたちの大切な聖典「生命の實相」を一緒にお勉強して、
「真の教え」を法燈継承していきましょう!


それでは、今日も元気に仕事に行ってきます!!

740トキ:2012/08/07(火) 09:48:27 ID:VnsxGRTw
>>739

 ありがとうございます。助かります。

741志恩:2012/08/07(火) 10:31:34 ID:.QY5jUA6
復興Gさま、トキさま、ahopeさま

WEB誌友会が、数日後に迫りましたね。
a hopeさま 宣伝をありがとうございます。


復興Gさま、トキさま、
また、ご指導をよろしくお願いします。

みなさま、今回も 是非、ご参加を!

742志恩:2012/08/07(火) 10:52:07 ID:.QY5jUA6
私の前回の反省は、自分が、最初から でしゃばって しゃべり過ぎた為に、私ばかり目立って、
他の方々の参加や、発言が、いつもより 少なかったことです。

今回のテーマは、「あらゆる人生苦の解決と実例」ですから、多くの方々の 参加が 期待出来そうです。

また、敬愛する復興Gさま、トキさまに、いろいろと教えて頂ける いい機会ですので、みなさま、思っておられることを
何でも御発言くださいますように。

私は、今回、発言は、控えめにさせていただきますので、よろしくお願いします。

743如月:2012/08/08(水) 14:14:40 ID:ki/haAjk
>>739 a hopeさま

開催のお声かけありがとうございます。
きちんと、整えて予告、宣伝して頂き心から感謝申し上げます。

期間中は子供の友達が泊まりに来る事になっているので、なかなか
書き込める隙が無いような不安もあり、どうしようかと迷っていましたが
お忙しい中でも、参加されるa hopeさまを見習って少しでもと考えています。
よろしくお願い致します。

744如月:2012/08/08(水) 14:27:38 ID:ki/haAjk
>>742 志恩さま

志恩さまのお話は、とても為になり(誌友会以外の板でも)
雅春先生に直接教えを受けられた方と、同席させていただけるなんて
なんと幸せな事かと、そのありがたみを噛み締めています。

それに、志恩さまは議論をまとめるのに長けていらっしゃって
一人では理解できない事でも、志恩さまが解説つきで整理してくださるので
とてもありがたく思っています。
ですので、書き込み回数など気になさらず、どんどん、無理の無い範囲で
発言していただけるとありがたいです。

私のパソコンはますます熱くなる時間が増えてしまって
扇風機などを使って冷やしながら書き込みをしています。
ですので突然消える事があったらごめんなさい。

745志恩:2012/08/08(水) 15:27:38 ID:.QY5jUA6
如月さま

いつも おやさしい(でも、ゴキには、手厳しい)如月さま、フォローのコメントを
感謝いたします。でも、1.2.3回目までは、私は、うのはなさまと観覧席に
いましたけれど、すごく賑わっていたのです。なのに、前回の4回目は、閑散としておりました。

私のせいだと思われます。

「生命の實相」の輪読会ですのに、
私は、「生命の實相」以外の話題に はみでることが多いからだと反省しております。

多くのみなさまのご参加が、ありますように!!!

いよいよ、明後日になりましたね。
復興Gさまは、宇宙の旅から無事、お帰りかどうかと案じている所です。
いっこうに、音沙汰が、ございませんものね。

トキさまには、すでに、お願いしてございます.
如月さま、ありがとうございました。

746SAKURA:2012/08/08(水) 16:21:10 ID:V.pKl3yA
ウエブ誌友会の皆さま
こんにちは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

今年は「亡き母」の初盆ですが…出来る限り「おじゃま虫」かもしれません。…が?
できるだけ参加したく思いますが・・・また!同じ形式での?参加でしょうか??

■如月様 へ
ひと言…“メッセ−ジ”なので、参考になられるかは?分かりませんが〜〜〜?
「ノ―トパソコン・タイプ」なのでしょうか?
熱が…発散できません時は“小型の扇風機”にて、熱を除去しますが?
もう一つは、設定します“場所”を、熱伝導がしにくい「大理石(ケ−キ用)」の
上に設置しますと…いいのでは?
更に近頃は、斜めに置くように“支えるオプション”があります〜〜〜ョ!
これで!随分私自身も、古い“パソコン”が、頑張って起動しているのです〜〜〜ョ!
如何でしょうか??
(なお…ケ−キ用の大理石…安いです〜〜ョ!当時はアマゾン¥1000以下で入手できましたが?)

如月様の一言ポイント…楽しみです〜〜ネ!
                            再合掌

747a hope:2012/08/09(木) 07:53:40 ID:kJvHf4/g

志恩さま 如月さま お優しいわたしへのコメントありがとうございます。
そしてSAKURAさま お元気そうでなによりです。

本当に、なかなかゆっくり掲示板の投稿を拝見できないのが残念なのですが、
わたしは最近は、仕事にも慣れ、実生活がとても充実してきています。

毎朝の神想観はどんなに忙しくても必ず30分以上はしています。
そして、聖経「甘露の法雨」の特に『人間』の項目のところを読誦していると、
「どんな人でもやっぱり神の子なんだ!!!」 
ということがだんだん実感できるようになってきました。

今朝は、聖典板で筆者した言葉「精神一到何事か成らざらん」が心に響きました。
意味は”最後のギリギリまで一つの心を以て貫き通すこと”

それに「自分が変われば世界が変わる」のですものね。
わたしは、その言葉を信じて、「真の生長の家の教え」をひたすら信仰し続けますよ〜〜〜。
アホですから…(笑)

それでは、わたしの愛する「生長の家」のみんなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしくださいね!

748a hope:2012/08/09(木) 07:59:15 ID:kJvHf4/g
≫747訂正 12行目
筆者→謹写 

≫最後の行
愛する「生長の家」のみんなさま→愛する「生長の家」のみなさま

すみませんでした。

749志恩:2012/08/09(木) 08:11:19 ID:.QY5jUA6
ahopeさま

お仕事にも慣れ実生活も充実されて、神想観もされていらっしゃるそうで、すごいです。
おげんきで、なによりです。

それにしても、明日の夜、誌友会ですのに、復興Gさまは 音沙汰ないですね。

750如月:2012/08/09(木) 11:47:56 ID:ki/haAjk
>>745 志恩さま

それは、気にされすぎです。
前回から司会者無しで50時間の会となりましたので、その影響です。
司会の方がみつかれば良いのですが、なかなか大変な役割なので厳しいですね。

復興Gさまは、今までお約束通りに行動されていた方ですので大丈夫だと
思いますが、暑いですし、私も心配しておりました。

751如月:2012/08/09(木) 12:05:05 ID:ki/haAjk
>>746 SAKURAさま

素晴らしいアドバイスをありがとうございます。
そうです。ノートパソコンなのです。 しかも低スペックの。
おっしゃる通り熱がこもっている感じです(泣
今もどんどん温度上昇中 イェィ☆

ケ−キ用の大理石なんて思いつきもしませんでした。
熱伝導しにくい素材なんですね。
大理石の上のパソコンって☆*・゚・*:.。.*.。.:*・☆優雅☆*・゚・*:.。.*.。.:*・☆な感じですね。

SAKURAさまのお買い物も、いつも優雅で、ユニークで
その発想は無かったわというのばかりです。
レイングッズのお話も素敵だったし、100円の服の話は謎でしたし。

SAKURAさまの深い話から優雅なお話まで、いつも楽しみにしています

752如月:2012/08/09(木) 12:16:02 ID:ki/haAjk
>>747 a hopeさま

どんなに忙しくても、神想観を30分以上されるとは、すごいと思います。
なかなか、できません。 いつの間にか寝てしまう私はどうしよう。

でも私も見習って頑張ろうと、今、a hopeさまの書き込みを見て決意しました。
甘露の法雨も、15分の壁を切ろうとするくらい早口ですし
神様はa hopeさまを通じて私にメッセージを届けて下さったのかもしれません。
うのはなさまの謹写して下さった文章にもありましたが、こういう親の姿勢が
子供に伝わるのですね。  反省 反省  気付かせていただきました。
ありがとうございます。

753トキ:2012/08/09(木) 21:12:22 ID:rbewl/IQ
>>749

 そうですね。大丈夫だと思いますが。

754復興G:2012/08/09(木) 22:53:38 ID:xKxowNU.

a hope 様、トキ様、ほか皆々さま。

合掌 ありがとうございます。
ご無沙汰して、すみませんでした。

明日からのWEB誌友会、参加します。
どうぞよろしくお願いいたします。

合掌 拝

755志恩:2012/08/10(金) 03:42:27 ID:.QY5jUA6
復興G様

宇宙旅行からお帰りなさいませ!
また ご指導のほど よろしく お願い致します。

756a hope:2012/08/10(金) 08:03:17 ID:r8H4x9xE

<第5回 WEB誌友会 予告>

・《日時》 8月10日(金)夜 9時30分より
      8月12日(日)夜 11時30分まで(50時間)

・《場所》 トキ掲示板、WEB誌友会板

・《テキスト》 『生命の實相』第1巻の「實相篇」(光明の真理)【頭注版P77〜】

・《内容》 あらゆる人生苦の解決と実例など


復興Gさま、おかえりなさい。
どこの組織にも属していない一人信徒のわたしには、このweb誌友会でみなさまと一緒に
聖典「生命の實相」が学べ、先輩方からご指導していただけるのは、本当にありがたいです。
仕事に行く前に、夏休みの宿題をする子どもたちと共にちょっと予習したいと思います。

こちらをご覧のみなさま、感動して赤線を引いたところを紹介するだけでも、
一緒に勉強しているという気持ちになれるのが、web誌友会のいいところだと感じています。
ご参加お待ちしていますね。

「訊け」管理人さま、役行者さま、さくらさま、うのはなさま、ハマナスさま、金木犀さまや、みすはなまるさま、
ルンルンさま、観覧車さま、あさひさま Kジロウさま・・・
お名前は全部あげきれませんが過去にweb誌友会板にに書き込みされたことのあるみなさまは方はもちろんですが、
他の投稿者のみなさまや閲覧者のみなさまも、今回も時間に余裕がありますので、みなさまのペースで是非ご参加してくださいね。
きっと今回も、落ち着いた雰囲気で「真理」のお勉強ができるのではないかと、わたしはワクワクしています!

この掲示板を管理してくださっているトキさまには、いつも心から感謝しています。

それでは、わたしはこれから子どもたちと一緒に朝のお勉強(テキストの範囲の拝読)をしたいと思います。
みなさまと、今夜お会いできるのを楽しみにしています。

757SAKURA:2012/08/10(金) 10:03:51 ID:V.pKl3yA
復興G様 ヘ
a hope様 ヘ

おはようございます…。ローマ字(大文字)の【SAKURA】 で〜〜〜す。

アア〜〜〜〜〜ッ!私の“名前…”ナ〜〜〜イ“のです〜〜〜ネ!
此処でも…“おじゃま虫〜〜〜”なのでしょうか? 
そうです〜〜〜ネ!【障害者…イジメ…障害在りでしょうか?】しっかり…頂きました。
でも私の【援軍…神様】ですモノ〜〜♫〜〜 
此処でも【現総裁雅宣先生…擁護派】として頑張って、前回と同じく“投稿”させて、頂きます。
宜しくお願い申し上げます…。

今日から始まります「WEB誌友会」開催につきまして、楽しみに致しております…。
今年は、例年以上に“暑い”ものと?思いますが…くれぐれも“体調”には、気をつけられてくださいませ…。
最後に…
■【長期〜〜〜RAN〜〜〜誌友会】…討論会を、楽しみに致しております…。
                                                再合掌

758SAKURA:2012/08/10(金) 10:11:59 ID:V.pKl3yA
如月様 ヘ

>>751拝読させて頂きまして…

“お返事”ありがとうございます…。参考までに…【クッキング用…大理石?】投稿させて頂きます…。
あくまでも?参考なのですが〜〜♫〜〜 (微笑)

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E9%87%91%E5%B1%9E-D-3584-%E5%A4%A7%E7%90%86%E7%9F%B3-%E3%82%81%E3%82%93%E5%8F%B0/dp/B001KN54NY

■ ゲット出来ます事…信じまして【お祈り】致します〜〜〜〜〜ゥ!
でも?ごめんなさい…値段が><少し違いますので〜〜〜〜m(。。)m
【物 価 上 昇 】なの〜〜♫〜〜ですモノ?他のネットショップよりは><“お買い得”みたいです〜ネ!

ご覧になってくださ〜〜〜ればいいのですが〜〜〜

                                    再合掌

759トキ:2012/08/10(金) 10:21:36 ID:8rpDHx/w
謹告

 今回、管理人が行き届かず削除が遅れて投稿者様にご迷惑をおかけしました。
深くお詫び申し上げます。

 つきまては、誠にお手数ですが、ご本人もそうですが削除要請に気がつかれた方が、
管理人へ連絡を頂ければ、見落とし防止のため、助かります。

tokirijicyo@yahoo.co.jp

 なお、削除要請は、本人確認ならびに削除手続の公正のため、掲示板上に投稿でお願い
する形式には変化はありません。

 では、宜しくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

760a hope:2012/08/10(金) 10:24:29 ID:r8H4x9xE

SAKURAさま

出勤前に、この板確認してよかったです。
わたしがSAKURAさまや志恩さまや如月さまのお名前をいれなかったのは、
昨日御挨拶をさせていただいておりますし、みなさまの書き込みから、
今回のweb誌友会にはご参加されるのがわかっていたからです。
本当に、名前を羅列するというのは難しいですね・・・
次から気をつけたいです。
でも、SAKURAさまは、そんなことでウジウジしているようなひ弱な女性ではないので安心しています。
もちろんSAKURAさまのご参加も楽しみにしていますし、頼りにもさせていただいています。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

でも、できれば、「記号の多用」を控えめにしてくださると、
拝読時間が短縮できるので嬉しいです。

それでは、わたしの愛する「生長に家のみなさま」a hopeは今日も元気に仕事に行ってきます!!

761さくら:2012/08/10(金) 10:51:49 ID:xZIVx4hU
復興G様
皆様

合掌ありがとうございます。
掲示板においてこの期間は、復興G様もご登場され、特別な期間と感じます。

いつもありがとうございます。


a hopeさま

いつも熱心な推進ありがとうございます。
素晴らしい学びの場となりますことを、お祈り致します。



762SAKURA:2012/08/10(金) 11:22:47 ID:V.pKl3yA
如月様 ヘ

こんにちは…  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>758に関して … 一部補足させて頂きます…。
ごめんなさい 〜〜><あわててしまいましたので…

【URL…】なのですが〜〜〜上手く行く時と?行かない時が?ある様なのです〜〜モノ?〜〜〜><
(確認しますと…ジャンプしないのですモノ?)><


■アマゾンで…下記の“言葉”を入れて“検索”して下さいませ…。
 【大理石 めん台 Dー3584 パール金属】で〜〜す。

本当に、ごめんなさい。            再合掌

763SAKURA:2012/08/10(金) 11:35:18 ID:V.pKl3yA
如月様 ヘ

こんにちは…  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■【再再投稿……】なので〜〜〜す。
不思議な気分??なのですが〜〜〜><

先程の【URL…】は、「したらば板」を通しますと…スム―ズにいくのです〜〜〜ョネ!
どうしてなのでしょう〜〜〜か?

どちらでも「トライ!!」してみて下さいませ。
金メダル…?【ゲット…】お祈りさせて頂きます。早く“パソコン”いつもスムーズに起動しますと、
良いですよ〜〜〜ネ!
          再合掌

PS:本日は“おせっかい【SAKURA】でした…。

764トキ:2012/08/10(金) 11:44:58 ID:8rpDHx/w
復興G様

 お待ちしておりました。やはり、復興G様がおられないと寂しいです。
ご指導、宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

765復興G:2012/08/10(金) 19:21:37 ID:xKxowNU.

合掌 ありがとうございます。

聖典板に、第5回WEB誌友会のテキスト、『生命の實相』第1巻「實相篇」第3章を謹写アップロードさせていただきました。
ご活用ください。

再合掌

766a hope:2012/08/10(金) 19:56:35 ID:r8H4x9xE
さくらさま

お久しぶりです。
コメントありがとうございます!
「人間は神の子である!」の生長の家の真理ががより深く潜在意識に刻まれるように、
今回も「生命の實相」を学んでいきたいと思っています。
さくらさまの参加も楽しみにしていますね!

復興Gさま

『生命の實相』第1巻「實相篇」第3章を謹写アップロード、ありがとうございます。
今回も、ご指導よろしくお願いいたします。


みなさま

今夜は、9時半からの開催ですが、ちょっとその時間に間に合いそうもありません(汗)。
ですが、都合のつく時間に気軽に参加させていただきますので、よろしくお願いいたします。

よろしくお願いいたします。

767トキ:2012/08/10(金) 20:05:03 ID:8rpDHx/w
 投稿者様へ

 web誌友会開催中、誌友会に参加されない方は、別板もご利用下さい。

http://jbbs.livedoor.jp/study/11788/

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

768トキ:2012/08/10(金) 20:06:24 ID:8rpDHx/w
復興G様

 このたびは、ご多忙の中、ご指導を賜ります事を深く感謝申し上げます。
 大先達のご指導をいただける事に感激しています。

よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

769志恩:2012/08/10(金) 20:33:59 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

聖典板の方、拝読させてただきました。分り易くて、たすかっております。
今回も、WEB誌友会のテキストを、大変長文ですのに謹写して下さいました深いご愛念に、心から感謝申し上げます。

復興G様が、ご指導にいらして下さって、幸せに存じております。
よろしくおねがいします。合掌

770志恩:2012/08/10(金) 20:42:27 ID:.QY5jUA6
トキさま、

よろしくおねがいします。

ご参加の皆々様、

よろしくおねがいします。

今、私は、テキストを、読み直しているところです。
わくわくしますね。(^^)

771トキ:2012/08/10(金) 20:47:18 ID:8rpDHx/w
 復興G様のおかげです。感謝、感謝です。

772復興G:2012/08/10(金) 21:24:04 ID:xKxowNU.

皆々さま。
合掌 ありがとうございます。

今回のWEB誌友会中、私は明11日(土)午後、リアルの誌友会に出張します。
そこでは、会場主の奥様が癌ということで、「祈り合いの神想観」をして快癒を祈ってほしいと言われています。

今回のWEB誌友会はまさにその「祈り合いの神想観」に神の力、真理の力をいただくよう、神に導かれている誌友会となるように思われます。まことにありがたいことであります。

谷口雅春先生は、「家族や身近な人が、医術では手の施しようがないような病気になって、神癒を祈ってほしいと頼まれたような場合には、『私はまだ真理に触れたばかりで未熟者ですから、そのような力はありません』などといって断ってはならないのである。神癒は神が為し給うのであるから、誰でも己を空しくして神のいのちの流れ入るパイプとなれば、み業は神が為し給うのである。」

というような意味のことを随所でおっしゃっています。

私たちに必要なのは、「信」と「愛」の力なのですね。

「神は悪をつくり給わないから、悪はないのである。神は病気をつくり給わないから、病気は無いのである」という「信」の力。そして、「あなたは私であり、私はあなたである。友の憂いに我は泣き、我が喜びに友は舞う」というような、自他一体の「愛」の力。……

まもなく開会の時間になりますね。
どなたか、「真理の吟唱」なり、「開会の祈り」なり、書き込んで頂けるとありがたく思いますが……。

ありがとうございます。

773SAKURA:2012/08/10(金) 21:29:59 ID:V.pKl3yA
復興G様 へ

こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
大変ご無沙汰いたしております。ヨコスレで申し訳ございません。

開催まで…後残り僅かに差し迫まっております。いつもよりも「緊迫感」を感じます
私なのです。…が?

先月の最後の“言葉”から、しばらくの間…遠方にいかれるような”メッセ―ジ”で
いらっしゃいましたが、お元気そうな感じが、伺えました。
又、復興G様の司会での【WEB誌友会】… 雅宣派として参加させて頂きます事を
何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。この機会を頂きます事に、
深く感謝申し上げます次第です。

何卒、前回と同様、よろしくお願い申し上げます…。
                              再合掌

774復興G:2012/08/10(金) 21:32:20 ID:xKxowNU.

では、招神歌。

生きとし生けるものを生かし給える御祖神 元津霊ゆ幸へ給え。
吾が生くるは吾が力ならず 天地を貫きて生くる祖神の生命。
吾が業は吾が為すにあらず 天地を貫きて生くる祖神の権能。
天地の祖神の道を伝えんと顕れましし 生長の家の大神守りませ。

775復興G:2012/08/10(金) 21:35:29 ID:xKxowNU.

773 :SAKURA様。

ありがとうございます。

今ここは神の国。神の国には、雅宣派も雅春派もありませんよ。
みんな平等一体の神の子ばかりです。
ありがとうございます。

776<削除>:<削除>
<削除>

777トキ:2012/08/10(金) 21:37:02 ID:8rpDHx/w
>>776

 すみません、復興G様、お祈りを続けて下さい。宜しくお願いします。

778復興G:2012/08/10(金) 21:41:37 ID:xKxowNU.

トキ様、招神歌をご親切に読み方付きで書き込んでくださいまして、ありがとうございました。

招神歌は、一回だけでなく何回も唱えてよいのですよね。

779復興G:2012/08/10(金) 21:44:23 ID:xKxowNU.

皆さま、どうぞ自由に祈りの言葉なり、ご発言なりをご投稿ください。
ありがとうございます。

780トキ:2012/08/10(金) 21:50:30 ID:8rpDHx/w
 どうも失礼をしました。

 明日、ガンの方のために出講をされるとの事ですが、何か私達で出来る事はしたいと
個人的に考えています。

 掲示板という場所ですから、ご芳名などの開示は制約はありますが、せめてリアルに
講話をされる時間帯に合わせて祈らせていただきます。

合掌 ありがとうございます

781復興G:2012/08/10(金) 21:56:13 ID:xKxowNU.

わが生命はそのままで完全であり、どこにも欠点はないのである。完全なる神のいのちに生かされてあるのである。

だから、ただ感謝あるのみ、喜びあるのみなのである。

バンザイ! ありがとうございます!

薬に頼ったり、何かをひとのせいにして他を責めたり、なにものかを恐れたりする必要は全くないのである。

ありがとうございます。バンザイ!

わが生命は永遠に死なない命である。わが内に無限が宿っている。

バンザイ!

782トキ:2012/08/10(金) 22:02:42 ID:8rpDHx/w
>>1116(聖典板)

 ご啓示の聖典の三好さんの体験談ですが、立教当時、谷口雅春先生は信徒からの要請があれば、直接、祈って下さったと聞いております。
後年、信徒の数が飛躍的に増えると、それも難しくなりましたが、それでも、かなり後年まで、祈られる事があったみたいです。

 こういう精神は、信徒として、見習いたいと思います。

 これは、生長の家の信徒の方ではないですが、学校時代の恩師は、戦争中、陸軍で下士官をしていましたが、自分の留守中に突然、部隊が
出動し、置いてけぼりをくらったみたいです。その時は、冷たいと憤慨したが、後で、その部隊が全滅した事を知り、驚いた、と話していま
した。

 どうぞ、他の方々もどんどん書き込んで下さい。

783復興G:2012/08/10(金) 22:09:13 ID:xKxowNU.

780 :トキ様。

ありがとうございます。

皆さんで祈って頂けたら、素晴らしいことになりますね。

よろしくお願い申し上げます。

時間は、夕方5時からの誌友会です。

5時半〜6時半くらいのあいだ、祈り合いの神想観をすることになりそうです。

その方は、以前にガンの手術をして健康状態になっておられたのですが、またリンパ腺に転移が認められたということです。

しかし、神はガンなどつくっておられませんから、そんなものは「ない」のです。

神につくられたままの完全健康なおすがたを、絶対の信をもって、拝ませて頂きます。

その時にご一緒に祈ってくださる方のために、明日その時間が近づきましたら、祈りの言葉を

ここに書き込ませて頂きますので、ご協力、ご恊力をお願いします。

ありがとうございます。

784SAKURA:2012/08/10(金) 22:10:33 ID:V.pKl3yA
復興G様 へ
合掌   ありがとうございます…。

>>775の言葉…ありがとうございます。

■>今回のWEB誌友会中、私は明11日(土)午後、リアルの誌友会に出張します。
そこでは、会場主の奥様が癌ということで、「祈り合いの神想観」をして快癒を祈ってほしいと
言われています< (復興G様 投稿より一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

”ガン”…此の言葉が眼にとまりました…。さぞ、ご家族の心痛を察しますと、私どもが
出来ます事は…「【お祈り】に参加させて頂きます。

そして、失礼ながら【祈り合い神想観】の時間帯は、何時頃なのでしょうか?
差し支えなければ、更に同じ時間に【お祈り】させていただきたく思いました。…が?

                                        再合掌

785トキ:2012/08/10(金) 22:14:50 ID:8rpDHx/w
>>784

 すばらしいご愛念ですね。賞賛させていただきます。

786復興G:2012/08/10(金) 22:21:25 ID:xKxowNU.

>> 皆さんが「生長の家」の説くところを読んだり「神想観」を実修したりして、神の子たる自己の生命の実相に触れ、真理をさとって病気(その他の人生の凡ゆる不幸)が治るのは、他の類似の治療法のおよびもつかぬ根本的な治療であります。なぜなら、それは自己の生命の実相が自覚されてくるにしたがって、本物でない、ウソの、仮の、迷いの、実際はありもせぬのにあるようにみえているいろいろのあらゆる人生苦が、あたかも光が輝き出せば闇が消えてしまうように消えてしまうからであります。
(77頁)

そして
>>
 神癒の骨髄となるのは「真の人間」たる完全なる「神人」を自分において観るとき自己治療が行なわれ、相手においてみるとき他人治療が行なわれるのであります。
(100頁)

これですね!

787復興G:2012/08/10(金) 22:24:02 ID:xKxowNU.

784 :SAKURAさま。

ありがとうございます。
お祈り、よろしくお願い申し上げます。
時間は、>>783 に書いたとおりです。

788復興G:2012/08/10(金) 22:26:32 ID:xKxowNU.

それでは、私はちょっとお風呂に入ってきます。宜しくお願いします。

789トキ:2012/08/10(金) 22:38:15 ID:8rpDHx/w
 そうですね。他の方も、可能ならお祈りをお願いします。

>>786 のような体験をする事は、病気はもちろん、他の事にも通じる事だと思います。素晴らしい文章を
紹介して下さった復興G様に心から感謝申し上げます。

 SAKURA様も特別の思い入れがあると拝察しますが、ご投稿をお願いします。もちろん、他の方々も
ご投稿をお願いします。

合掌 ありがとうございます

790a hope:2012/08/10(金) 22:57:18 ID:r8H4x9xE
こんばんは

やっと、参加できます!感謝!


P77には、人生苦の解決(病気やその他の人生の凡(あら)ゆる不幸)は、自己の生命の実相(ほんとうのすがた)を自覚すれば消えてしまうと書いてありますが、
なかなか、その自覚に至るのが難しいのだと感じました。

現代社会で生活していると、病気になれば病院に行くのが当たり前です。
そして、たくさんの種類の薬を処方してもらいます。
しかし、この聖典「生命の實相」には、

P78より引用
≫それは薬物療法でも霊的療法でも結局は同じことであって、自分以外の他の物に頼らねば自分が自分を治す力がないという信念をつぎこまれるということは、しょうらい自己の「生命」が生長の本道をたどってゆくうえに重大な障害となるのであります。
で、私は皆さんはむろんのこと、皆さんの知人のかたにも、「みずから起て。生命みずからで治せ。何ものにも頼るな」の一点張りで押し通したいのであります。「生命」みずからの力で自分自身を治すことができるならば、なんの弊害もない、弊害がないばかりか、治すたびごとに「生命」自身の霊妙な力についての自信ができてくるのであります。

と書いてあります。
これは、現代の一般人にはなかなか、受け入れられない真理なのではないかと、正直感じています。

私自身、数年前現教団に入信し「生長の家の信徒」となってから、寝たきりになるような病気をしました。
「生命の實相」を拝読し、神想観をしていながら、そのように体調を壊してしまったのです。
薬や注射には頼りたくないという気持ちが強かったですが、痛みには勝てませんでした。

復興Gさまが、明日の誌友会でガンで闘病中の方のために「祈り合いの神想観」をされると書き込みされていますが、
わたしは、その時間帯は仕事中なので祈れませんが、家に戻りましたら祈らせていただきたいと思います。

ところで、復興Gさまやトキさまや他の生長の家の講師の方々は、ガンなどで闘病中の方にも
「生命の實相」などの聖典の拝読をすすめたり、神想観の実習をお勧めされていますか?

791トキ:2012/08/10(金) 23:02:31 ID:8rpDHx/w
 今、手許にはありませんが、詳説 神想観には、確か、祈り合い神想観は、もっとも素晴らしい神想観である、
という説明があったと記憶しております。

 他の人のために、祈る。これは素晴らしいですね。

 話が変わりますが、聖典で三好さんのために谷口雅春先生が説明をされている内容が素晴らしいです。
人間の都合で考えるよりも、神様のご意思を考えるべきなんですね。

792トキ:2012/08/10(金) 23:05:33 ID:8rpDHx/w
>>790

 ご参加、ありがとございます。心から歓迎申し上げます。

 そうですね。先ず、お勧めします。もちろん、聖典を受け取るかどうかは、その人によって違いが
ありますが、祈らせていただくのは同じです。私の場合、神想観の実修は、少し後にします。
 先ずは、お話から始めています。

793a hope:2012/08/10(金) 23:15:42 ID:r8H4x9xE

すみません。
≫790で質問させていただきましたが、わたしはもう眠くなってしまいました(笑)
明日の朝、また参加させていただきたいと思います。

それでは、まだ、あまり書き込みが多くないようですが明日は土曜日ですから、
たくさんの方が参加してくれることでしょう。

それでは、わたしの大切な「生長の家」のみなさま、おやすみなさい。

794a hope:2012/08/10(金) 23:18:20 ID:r8H4x9xE
≫792 でトキさまがお返事をくださっていましたね。
気がつきませんで、≫793を書き込みました。

トキさま、ありがとうございました。

795復興G:2012/08/10(金) 23:40:33 ID:xKxowNU.

昭和42年11月号『生長の家』誌の法語に、次のように書かれてありました。

>>
   二十四日の法語 人を癒やす体験によって信仰を深化せよ

 誰かが病気にかかって医術ではかばかしくなく、何としても治してあげなければならないと家族のものが、あなたに縋(すが)って来たときに、あなたは、「私は医者でないし、そんなに信仰が深くないから私にはとてもそんな病人を治す力はない」などと断ってはならないのである。
 誰でも「愛」があれば、祈りを通して神さまの治す力の媒体となることができるのである。その病人及び家族の悩みについて思い、「気の毒だなア」と同情の念を起し、神に「彼を私の祈りを通して癒したまえ」と祈り、片手を空中に高く捧げて、神に通ずるアンテナとし、もう一方の片手をその病者の患部にかざし(近くにいても遠隔にいても同じ、遠隔の場合には、相手の名前を数回念じ、相手が其処にいる想いを起して手をかざせばよいのである)次の如く一心に念ずるとよいのである。
「住吉の大神の宇宙浄化の力、われを媒介として病いの根元である一切の迷いを浄化し給うのである」
 以上二十分ばかり繰返し念じて、その間じゅう神の霊光が自分の天を指さす手から流れ入り、自分の全身に満ち、その霊光が患者に按手しているもう一方の手から患者の患部に降りそそいで病患の部が現に癒されつつあることを瞑視し終ってから、
「既に“病あり”との迷いは住吉大神の宇宙浄化の御力によりて浄められ消滅したのである。病いの根源である迷いが消滅したから病気も既に消滅してしまったのである。ありがとうございます」と十分間繰返し念ずるがよい。大抵の病気は、この祈りと瞑視と感謝とによって癒やされるものである。重病のときは一日三回、治るまで毎日繰返して祈る。普通の軽い病気なら、一日一回だけ又は二三日間つづけるだけで癒やされるであろうが、病状によるし、迷いの深さにもよるのである。兎も角、この方法によって家族の病気や頼まれた人の病気を実際に治してその体験によって信仰を深めるがよいのである。人の病気を癒し得た体験がないような事では体験に立脚する地についた信仰は湧きにくいのである。

   二十五日の法語 住吉大神御出現の意義

 住吉大神は宇宙浄化の大神である。住吉大神の宇宙浄化の御業が行われた後に、天照大御神の御誕生が行われたとは古事記の説くところである。天照大御神とは、宇宙の魂であり、宇宙の中心生命であらせられる大神である。天照大御神の完全出現によって地上は光華明彩、幸福充満の世界となるのである。住吉大神の宇宙浄化は、キリストの最後の審判に当るのである。審判とは神罰を当てるという意味ではない。あるべきものが、あるべき位置にあるよう裁決を下されるということである。“実在”を実在として判決してそれを隠蔽の世界から存在の王座の世界に引上げ、“仮妄”を仮妄として判決してそれを“無”の世界に追放するのである。その時“悪”は本来存在しないからすべての“悪”(病、不幸、遭難、不調和等)は姿を消し、ただ善美にして調和備われる実相世界の風光が、現実世界に顕現し、仏教的に謂(い)えば今此処に浄仏国土が実現し、キリスト教的に謂えば「みこころの天に成るが如く地に成り」て千年王国が地上に実現するのであり、神道的に謂えば住吉大神の本地にまします住吉世界(龍宮城)が地上に顕現し、不老長寿、無限供給の世界が地上に成就することになるのである。<<

このコピー、どこかに保存してあったはずだと思い、探していましたら、出てきました。

こういう信仰をもって祈りを実践して行きたいと思います。

この通りを実践してではありませんが、私はガンが完治する体験をいくつか目の当たりにしてきました。

796復興G:2012/08/10(金) 23:43:29 ID:xKxowNU.

病気治癒の体験については、また明日に。

では皆さま、神にまもられて、やすらかにおやすみなさい。

797あさひ:2012/08/11(土) 04:12:23 ID:/3nxKE2Q
復興G様

合掌

テキストUP有難うございます。感謝

病気治癒の体験楽しみにしています。

        合掌

798金木犀:2012/08/11(土) 05:09:49 ID:auusu5IE
復興G様

誌友会開催にあたって、いつもご尽力に感謝致します。
生長の家誌の法語、大変有難う御座います。5時〜6時は少し忙しい時間帯ですので、
私もちょっと時間をずらして、祈らせて頂きます。
ところで、「人の病気を癒し得た体験がないような事では体験に立脚する地についた信仰は湧きにくいのである。」
というお言葉は、痛いですね。体験がないのが普通の人の場合当たり前かと思っておりましたが、
体験がないのが、実は信仰の道では、おかしいことなのですね。

こちらの誌友会が始まってから、『生命の實相』を読み始めたり、準備不足で、参加が遅れまして申し訳ありません。
第三章は、真理を知ることで、心が変わり、それがたちどころに現実の環境運命を変える体験例が
多く載せられていて、とても心強いです。最後の三好さんへの話は、トキ様もおっしゃっていたように、
雅春先生が懇切丁寧に心得をお話くださり、参考になってありがたいです。
神想観による神との一体感、ひたすらこれに尽きると言う気がします。

それにしても、この三好さんという方は、希望が実現したあとの、ご報告を疎かにしておられるのが、
雅春先生のご深切なご指導に対し、ちょっと忘恩的な感じがしますね。
感謝の心が行き届いてない気がします。

799復興G:2012/08/11(土) 06:21:18 ID:xKxowNU.

皆さま、おはようございます。ありがとうございます。

今日は神に祝福された、わが人生の最も素晴らしき日であります。

――という言葉が浮かんできました。練成会の起床放送の言葉です。

毎日、毎日が、ことごとく「神に祝福された、わが人生の最も素晴らしき日」なのですね。

>>797 :あさひ様。

ご参加、ありがとうございます。あさひ様のご体験もどうぞ語ってくださいませ。

>>798 :金木犀さま。

ありがとうございます。

毎日、毎日が体験――と生きたい、行きたいですね。

>>最後の三好さんへの話は、トキ様もおっしゃっていたように、
雅春先生が懇切丁寧に心得をお話くださり、参考になってありがたいです。
神想観による神との一体感、ひたすらこれに尽きると言う気がします。

それにしても、この三好さんという方は、希望が実現したあとの、ご報告を疎かにしておられるのが、
雅春先生のご深切なご指導に対し、ちょっと忘恩的な感じがしますね。
感謝の心が行き届いてない気がします。<<

「急いで頼み事に来る人は多いが、急いでお礼に来る人は少ない」という

天理教祖か誰かの言葉がありましたが、私は「急いでお礼を言いに行く」人でありたいと、自己反省しました。

「急いでお礼を言いに行く」ような人は、きっと幸せがあふれるようにやってくる人でしょうね。

ありがとうございます。

800復興G:2012/08/11(土) 07:00:03 ID:xKxowNU.

>>790 :a hopeさま。

>>P77には、人生苦の解決(病気やその他の人生の凡(あら)ゆる不幸)は、自己の生命の実相(ほんとうのすがた)を自覚すれば消えてしまうと書いてありますが、なかなか、その自覚に至るのが難しいのだと感じました。
現代社会で生活していると、病気になれば病院に行くのが当たり前です。そして、たくさんの種類の薬を処方してもらいます。しかし、この聖典「生命の實相」には、

P78より引用
≫それは薬物療法でも霊的療法でも結局は同じことであって、自分以外の他の物に頼らねば自分が自分を治す力がないという信念をつぎこまれるということは、しょうらい自己の「生命」が生長の本道をたどってゆくうえに重大な障害となるのであります。
で、私は皆さんはむろんのこと、皆さんの知人のかたにも、「みずから起て。生命みずからで治せ。何ものにも頼るな」の一点張りで押し通したいのであります。「生命」みずからの力で自分自身を治すことができるならば、なんの弊害もない、弊害がないばかりか、治すたびごとに「生命」自身の霊妙な力についての自信ができてくるのであります。<<

と書いてあります。
これは、現代の一般人にはなかなか、受け入れられない真理なのではないかと、正直感じています。

私自身、数年前現教団に入信し「生長の家の信徒」となってから、寝たきりになるような病気をしました。
「生命の實相」を拝読し、神想観をしていながら、そのように体調を壊してしまったのです。
薬や注射には頼りたくないという気持ちが強かったですが、痛みには勝てませんでした。……

ところで、復興Gさまやトキさまや他の生長の家の講師の方々は、ガンなどで闘病中の方にも「生命の實相」などの聖典の拝読をすすめたり、神想観の実習をお勧めされていますか? <<

ありがとうございます。
お返事が遅くなりまして、申し訳ありません。

最後のご質問ですが、生長の家を全く知らない高校時代同期生の友人が大腸ガンで余命幾ばくもないと医者から宣告されたというとき、聖経『甘露の法雨』を贈呈して、読むように勧めましたら、「これは不思議な本だ。読むと、心が安まる」と言ってくれました。しかし彼はジャーナリストでしたから、私も、それ以上は、a hopeさまと同様、
「現代の一般人にはなかなか、受け入れられない真理なのではないかと、正直感じて」勧めませんでした。彼は、約半年後に亡くなりました。
「もっと積極的に生長の家の真理を伝え、祈ってやるべきだった」と、反省しています。

信徒のガン治癒成功体験については、また後ほど語らせていただきます。

801志恩:2012/08/11(土) 07:19:52 ID:.QY5jUA6
第三章の一番しょっぱなに雅春先生がお書きになられました

 光の子とならんために光のある間(うち)に光を信ずぜよ、われは光として世にきたれり。(『ヨハネ伝』第十二章)

この”光のあるうち”に、とは、どういう意味なのか、そして、雅春先生は、なぜ、第三章の最初の最初に、このキリストの言葉を
載せられたのか、と、その深意が知りたくて,私は、このたび 雅春先生著「ヨハネ伝講義」を買いました。

p253によると、これは、イエスが迫り来る十字架の予感がしているとき、イエスが群衆にむかって演説した言葉でした。


(雅春先生は、私は独自の霊感によって、真のイエスの生命にふれられて、イエスの魂を理解し得たと 信ずると述べておられます。
   ですから、イエスと、ご自分を重ね合わせて講義をされてる霊感のコトバだと思います)

イエス「なお、しばらくの間、光はおまえたちの中に生きているであろう。光のある間に魂を進歩させて、迷いの暗に追いつかれぬ
ようにせよ。
暗の中を歩むものは、どこにいけば救われるのかしらないのだ。光の子になるために、光のある間に光を信ぜよ」

イエス「私を信じるものは、私を信じるのではない、私を遣わし給うた者を信じるのだ。神は光源であり、私は光である。だから私を
見るものは、神を見るのだ。

私が、光として、この世に来たったのは、すべて私を信じる者が、暗黒の世界に彷徨わないためである。人がたとい私の言を聞いて
それを守らなくとも、私は、これを審きはしない。私は、救いのために来たのであるから。

しかし、私を棄て、私の言葉を素直に受けぬ者を審く者は、別にある。それは、法則である。
わが語れる神のコトバである。私は心の法則を語るのであって、心の法則にそむいたものは、最後にはその法則によって審かれるのだ。

私は、おのれの知恵や力でしゃべっているのではない。
私を遣わし給いし父みずから我が言うべきこと語るべきことを命じたまうのだ。わたしは、その命令が永遠のいのちであることを知る。

さらば私は、天の父が私に言いたまうたままを語るのだ」

802志恩:2012/08/11(土) 07:39:10 ID:.QY5jUA6
p93[ヨハネ伝講義]

「生命の實相」を読んで病気が治るというのは、
本に真理が書いてあって、神が人の心に触れるからだ。神が人の心に触れるのが、宗教なのである。
神が人の心に触れると、人間の心に「廻心」(えしん)というものがおこる。肉体的人間のみをみていたのが、くらりと、その心が廻転して、
内在の『実相人間』(神・大生命)を、自己の内にみるようになるのであります。

古き「病める自分」は消滅し、新しき無病の「神の子」は実現するのであります。

心から教えを歪め(ゆがめ)ないで信じるならば、イエス以上の奇蹟を実演しなければならないというのであります。


※今、生長の家では、むかしのように病気も、そんなに治癒しなくなったのは、教えを歪めてるからじゃないかどうか、、、

805志恩:2012/08/11(土) 07:55:58 ID:.QY5jUA6
生命の実相1、第三章
p97

人間は物質という死物でないからこそ、生き死にがあり、物質だと思っていたものも、その実は「信念」が仮に
形をあらわしたものであるから、人間という心的存在に関係をもちうるということになるのであります。

それでわれわれは人間と薬との関係を、物質と物質との関係のように思っていたのが誤りであることがわかり、
人間と薬との関係は、「心」と「心」との関係、意識と意識との関係であることが覚られるのであります。


以上のご文章が、心に刻まれました。

806志恩:2012/08/11(土) 08:00:52 ID:.QY5jUA6
復興Gさま、トキさま

「ヨハネ伝講義」を読みましたが、「光のある間(うち)に」という意味が、まだ漠然としていて
わからないのです。

「光のあるうちに」とは、どのような意味でしょうか。
教えていただきたく思っております。

807志恩:2012/08/11(土) 08:04:34 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

おはようございます。聖典板にと、思われたのを、ここへ書き込まれたのかしら。
別に、削除しなくてもいいと思いますけれど(笑)

808a hope:2012/08/11(土) 08:17:18 ID:r8H4x9xE

みなさま おはようございます!

今朝は、あさひさま 金木犀さま、志恩さまも投稿されていてうれしいです。

今朝の神想観中、昨晩復興Gさまが≫795で謹写してくださった
「二十四日の法語」にある祈りをイメージしてやってみました。
「自分は空っぽなんだ!自分は神さまのパイプなんだ!」心をむなしくすると、
全身に「サーっ」と鳥肌が立ちました。

これから、みささまの投稿を拝見させていただきます。
>

809復興G:2012/08/11(土) 09:11:22 ID:xKxowNU.

>>801〜806 志恩さま。
>>「ヨハネ伝講義」を読みましたが、「光のある間(うち)に」という意味が、まだ漠然としていて、わからないのです。「光のあるうちに」とは、どのような意味でしょうか。<<

よくぞ訊いてくださいました。ありがとうございます。

これは、「光はまもなく消えて無くなってしまう(イエス・キリストは十字架に磔けられる)から、光のある今のうちに光を信じなさい」という意味にもとられかねない言葉ですが、真意(神意)はそうではないのですね。

榎本恵吾先生は、その著『光のある内に』の中に、次のように書かれています。

  **********

“光のある内に光を信ぜよ、われは光として世に来れり”
(イエス・キリスト……『生命の實相』より孫引き)
“光のある内に”の[内]とは、同じくイエス・キリストの言った“神の国は汝らの内にあり”の[内]である。これは時間・空間を超えた万物発生の枢機を握る“久遠の今”(Eternal Now)である。“久遠の今”とは生長の家であり、創造の本源世界であり、高天原である。“久遠の今”に還ったときが、人々が生長の家人となり、尊師の弟子となるときである。キリストも釈迦もこの“久遠の今”から生れ出でて来たのである。生長の家は久遠の昔からある。この“今”に還ったとき、人々もまた、久遠の昔から尊師の弟子であったことを知るのである。

  **********

上記で、榎本先生は、ヨハネ伝の「光のある“間”に」というのを「光のある“内”に」と書き換えられています。光は外にあるのではなく、わが内にあるのだ、と。

神は、光は、時間・空間の中に誕生したのではなく、時間・空間をも生命表現の舞台として仮に創り生みだしたものであり、人間も本体は「神の子」として時空を超えた存在である。わが内に一切を照らす[光]があるのだ。その[光]を信ぜよ、「われ神なり」「自身神なり」と信ぜよ、ということなのですね。「久遠の今」とは、時空を生み出した本源世界であって、それが「生長の家」です。だから
「キリストも釈迦もこの“久遠の今”から生れ出でて来たのである。生長の家は久遠の昔からある。この“今”に還ったとき、人々もまた、久遠の昔から尊師の弟子であったことを知るのである」
ということになるわけです。

私たち人間は、わが内に宇宙を蔵する偉大な存在なのですね。『日々読誦三十章経』九日の経言(のりごと)にあるとおりです。

810「訊け」管理人:2012/08/11(土) 09:33:24 ID:???

>>806志恩さま


 失礼致します。この「光ある間(うち)に」の意味ですが、私流解釈では「堅信の手帳」、これがキーワードになろうかと思っています。まあ、こんな、大雑把な説明では「はあ?」になるでありましょう。ですので以下、この意味を触れて参ります。「なぜキーワードが『堅信の手帳』なのか」の理由ですが、それは以下であります。

 ・・・・さて、このヨハネ伝の一節を雅春先生は、第三章の冒頭に掲載されておられるわけです。この意図を推測するに、「体験談による堅信のお勧め」、これを強調されておられるのではないかと思います。つまり、私はこの、「光の子とならんために光のある間(うち)に光を信ずぜよ」ですが「体験談に拠る堅信を得よ」と云った意味に、解釈しました。

 さらに補足すればこの、「光ある間(うち)に」とは、五官領域でも「信仰の成果が確認できる間に」という意味なのでは、ないでしょうか(聖書ではこの後、イエスは磔にされます。)さらにそしてこの言葉、「信仰の成果が確認できる間に」とはこう、言い換えられるのではないでしょうか。その言い換えた一文はこうです――「信仰の成果が確認できる間は、『人間神の子』を確信しやすいのです」と。

 ・・・ところで生長の家には「堅信の手帳」というものが、あります。私はこの手帳でもずいぶん、救われました。左頁に希望することを書きそして、右頁に成果の確認+感謝を記す手帳です。これを繰り返すと堅信が、得られやすくなるのです。ですので体験に裏打ちされた信仰は、非常に強力なものだと思いますし、それ故に貴女様の問いかけ――「なぜ雅春先生は第三章の冒頭に、ヨハネ伝を掲載されたのか」の意味ですが、これはおそらく、「体験談に拠る堅信を得よ」といったものになるのではないか、そんな結論を得た次第です。少なくとも私にはそう、感じてなりません。


<補足>

※ 「光の子とならんために光のある間(うち)に光を信ぜよ」

 一見するとイエス、かなり傲慢なことを申しておられます。あたかもこれ、「私が皆さんの五官に触れられる間に、神を信じなさい」とこう、解釈されかねない言葉とも、言えるでありましょう。ですがこれ、もしもそんな解釈をされる方がおられたら、「間違いです」と言えましょうか。
 ここで云う「光のある間に」とは、現象からみた場合のことだと思います。實相から観れば光、これは常に差し込んでいるわけですが現象、ここから観ればそうとは言えません。そして、現象面を良化しようと思ったならば、(やや飛躍しますが)「体験談を重視せよ」、こう云われておられる気が致しております。五官領域でも信仰の成果を確認できれば、神の子たる自分への堅信、容易に造られることと思います。

811「訊け」管理人:2012/08/11(土) 09:34:36 ID:???

 >>809未読での投稿でございました。(>>810

 失礼致しました。

812復興G:2012/08/11(土) 09:37:01 ID:xKxowNU.

 『日々読誦三十章経』より <九日の経言>

   自己を偉大にする言葉

 吾れは吾が心のうちに廣大無邊なる宇宙を藏する。
 星をみつめて佇(たたず)む吾れは見詰めらるる星よりもなほ廣大なのである。
 吾れは吾れのうちに星を理解する類ゐなき能力(ちから)のある事を見出すのである。
 吾れは空の星以上のものである。
 何故なら吾れは彼等を理解すると同時に、自分をも理解するからである。
 吾れは天に在(ましま)す神々の如くに造られたのである。
 吾れは星の軌道を闊歩する偉大なるものなのだ。吾れは主の如く永遠の道を歩む者なのだ。
 吾れ心を有するが故に、吾れは世界の王者である。
 いま吾れは吾が仕事の上に王者としての第一歩を踏むのである。
 吾れは星よりも大なるが故に此の宇宙を造れる力と同じものなのである。
 然り、吾れは宇宙を造れる力と一体なのである。
 いま吾れは凡ゆる種類の恐怖と弱小と卑陋とを超越して生活する。
 吾れは空の星に比肩せらるべきものである。
 吾れは、大地をつくり、天空を支へたまふ神が、われを安固に保護したまふことを信ずるのである。
 それ故に吾はこころ安らかである。
 地の造り主、天の造り主と吾れは眞に一体である。御親神様に感謝いたします。


ありがとうございます。合掌

813トキ:2012/08/11(土) 10:12:23 ID:31q2213o
>>798

 おはようございます。

 これは私も気をつけたいと思います。

 確か、「急いで頼み事をする人はいても、急いで御礼を言う人は少ない」という
言葉を聞いた事があります。人間の気持ちとしては仕方がないのかもしれませんが、
そういう事では他人への配慮が足りないと思います。

814復興G:2012/08/11(土) 10:41:55 ID:xKxowNU.

『光のある内に』の表紙のそで部分に、次のように記されています。

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

“光のある内に光を信ぜよ、

神の国は汝らの内にあり。”

ここに永遠の光がある。

よろこびの歌をうたおう、生命(いのち)の讃歌を。

「今」が天地(あめつち)の初発(はじめ)の時である!!


ありがとうございます。

815復興G:2012/08/11(土) 10:49:00 ID:xKxowNU.

イエス「私を信じるものは、私を信じるのではない、私を遣わし給うた者を信じるのだ。神は光源であり、私は光である。だから私を
見るものは、神を見るのだ。

私が、光として、この世に来たったのは、すべて私を信じる者が、暗黒の世界に彷徨わないためである」

――この「私」は久遠のキリストであり、住吉大神であり、私たちも同じ神の子、住吉大神の全心全霊なのですね。

それが「神の国は汝らの内にあり」ということでしょう。

ありがとうございます。

816復興G:2012/08/11(土) 10:54:40 ID:xKxowNU.

上記は、>>809 「ヨハネ伝講義」解釈のつづきになります。
合掌 拝

817トキ:2012/08/11(土) 11:33:03 ID:31q2213o
>>809

 ガンで思い出したのですが、ガンになった人をお見舞いに行ったら、その人が声明の大切さを切々と語るのです。
その上で、これは、私のようなガンの人間だけではなく、どんな人でも、命の素晴らしさ、生きている事の意味の
大切さは共通すると話していました。
 また、その時に悩んで、初めて神様の事を考えた、とも話していました。

 普段、何気なく生活をしている私達ですが、いったん、ガンであるとか、余命幾ばくと言われると、初めて生命の
意味を考えます。でも、地上で限られた命であるのはガンであろうと、なかろうと同じ。だとすれば、私達は生きている
今を喜び、感謝すべきなんでしょう。

 関係のない話を書いてごめんなさい。少し感じたので、書きました。

818志恩:2012/08/11(土) 12:09:01 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

お礼の言葉が、遅くなりまして、すみません。
809で、復興G様が、榎本先生の文を引用されて、とても分り易く説明下さったので、
すっきりと理解することができました。
おかげさまで、こころのももやもやが、消滅しました。

ご文章が、奥のほうへ入ってしまいましたので、貼付させていただきます。
ありがとうございました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/809

819志恩:2012/08/11(土) 12:38:47 ID:.QY5jUA6
>>810:
『訊け』管理人様

コメント、ありがとうございます。
復興G様が、お答え下さいましたが、榎本恵吾先生は「光のある”間”に」を「ひかりのある”内”に」と書き換えられたそうですね。
これは、榎本先生フアンのきけさんも、ちょっぴり、見落として ましたでしょう。
かくいう私も榎本先生フアンですのに、見落としてましたよ。

あのコトバ、読みようによれば、
「もうすぐ、我(イエス)は、十字架に磔になるので、急げ、時間はないぞ、我が生きてる間は、残り少ないのだ、
タイムリミットであるぞよ、
だから、おぬしらは、いそいで 光を信じないと、もう、おぬしらは、永遠に救われんのじゃ」

とりようによっては、そうとれます。
だけれど、イエスが、そんな傲慢な言葉を群衆に向かって言うわけないしなあ、と私は、もやもやしていたのです。

訊け君の答えも、よかったです。
頭だけでなく、真理を実践せよ。そうすることによって真理は、汝の堅信となるのである。というわけですね。

光は、わが内にあるのだから、光の子とならんために、内なる光(神)を信ぜよ、信ずるためには、実践して堅信に
ならずば、本当の信になりませぞ。ですか。

ありがとうございます。
きけさん、「堅信の手帳」、実践されてるのですね、すごくいいことです。
以前は、「奇蹟の手帳」と言いました。私も、愛用してましたよ.最近は、やってませんけれど。

後で見直してみると、みな、願い事が叶っていましたよ。

820志恩:2012/08/11(土) 12:41:09 ID:.QY5jUA6
トキさま

実際に親身になられて、真理をお伝えなさっているご様子が、よく分ります。
書き込み、うれしく拝読させて頂いてます。

821志恩:2012/08/11(土) 12:52:45 ID:.QY5jUA6
復興Gさま、トキさまが、いろいろと教えて下さってますので、皆様、どうぞ、お気軽にご参加くださいませ。
訊けさま、金木犀さま、a hopeさま、SAKURAさま,あさひさま、も、
ご参加、ありがとうございます。

今日は、午後から復興G様は、生の誌友会のご指導で、夜まで おでかけだそうです。

私も、昼は、あれこれと忙しくて、なかなかPCの前に座ることができません。
また、夜遅くにPC の前に…
しばらく失礼しますが、みなさま、どうぞ、ご自由に書き込みされて、ご参加下さいますように。

822復興G:2012/08/11(土) 13:22:36 ID:xKxowNU.

 私も今までの伝道人生の中で、医術の及ばぬガンやその他の難病が、真理の自覚によって快癒した人の体験は、いろいろと目の当たりにしてきました。少し、ご紹介します。

[その1 喉頭ガン治癒の体験] 怒りっぽかった男性のG.H.さんが喉頭ガンと診断され入院した。奥さんと誌友さんたちが一心に祈った。ある日突然、病院の医者、看護師、他の患者さんたち、その他あらゆるものが光かがやいて見え、ただありがたく感謝の気持ちが湧いてきた。すると喉がムズムズしてきたので、洗面所でガーッと何かを吐き出したら、それで完全治癒していた。それ以来、G.H.さんは人が変わったように柔和な笑顔の人になってしまった。

[その2 胃ガンが消えた体験] 相愛会の地区幹部をしていたY.N.さんは、熱心のあまり教区の指導に反撥しいつも文句を言って抵抗していました。
ところが大きな胃ガンが発見され入院。みんなで祈りました。私も病院を訪ねて握手し、激励しました。涙を流して喜ばれ、手術後起ち上がって完全快癒し、生まれかわったように明るく積極的な活動をされるようになりました。それで地域全体、さらには教区全体の雰囲気が変わるほどの影響がありました。この方の手記が出てきましたので、ご紹介します。

  「胃ガンとの戦い」をやめて
  神様の大いなる導きの中で
                  Y. N.
 私は、講師の「既に癒されていますよ」の慈悲深い言葉で、胃癌との戦いをやめました。神様に全てを託すことが出来ました。教区の練成会に、一言御礼をと思い、参加しました。涙がとめどもなく流れ、御礼の言葉も出ず、ただ講師の手を握りしめておりました。多くの方に祈っていただき、「人間は神の子なんだ。病気は私の業が消えていく姿なんだ。」と自覚することが出来ました。
 この喜びを多くの方に伝えねばと自然に思えるようになりました。私が喜びをもって行動すれば、まわりも変わってきます。心強い仲間が一緒に立ち上がるではありませんか。
「私が○○会場で体験談を発表します。是非来て下さい。」と、以前だと恥ずかしくて言えなかった事が、今では堂々と自信を持ってお誘い出来ます。
 生かされている自分が今ここに居る。それだけでありがたい。神様の御心のごとく生きてまいります。

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

上記は成功体験ですが、講師の中には、ガンになってもひた隠しにかくして、薬や医療に頼らずに治すと頑張りながら、早く亡くなってしまわれた方もありました。
「薬に頼らない」という形だけにとらわれて無理をしてはいけないと思います。頑張って闘うのでなく、感謝感謝で生きることが肝心だと思われます。

>>817: トキ様

>> 普段、何気なく生活をしている私達ですが、いったん、ガンであるとか、余命幾ばくと言われると、初めて生命の
意味を考えます。でも、地上で限られた命であるのはガンであろうと、なかろうと同じ。だとすれば、私達は生きている
今を喜び、感謝すべきなんでしょう。

その通りですね。ありがとうございます。

823如月:2012/08/11(土) 14:00:54 ID:ki/haAjk
復興Gさま

聖典板へのテキストの謹写、ありがとうございます。
いつも、ご愛念をいただきまして、またこのたびも地上と宇宙の両方を
行き来しての、ご指導ありがとうございます。
遅くなりまして、申し訳ございません。

824復興G:2012/08/11(土) 14:20:20 ID:xKxowNU.

合掌 ありがとうございます。

私はまもなく祈り合いの神想観を行う誌友会に出かけますが、「祈り」にご協力くださいます皆さま、お忙しい時間帯でしょうから、時間はずれてもかまいませんから、どうぞよろしくお願い申し上げます。

祈りの対象者は、K.Y.さんという60歳くらいの女性で、料理研究家。切除手術したガンがリンパ腺に転移しているという診断です。生長の家二世で、青年会時代から生長の家の活動をしてきました。この方は、私たちの愛を引き出すために、観世音菩薩として私たちの前に現れてくださいました。尊い観世音菩薩様として、拝ませて頂きます。次のように祈らせて頂きます。

     祈り合いの神想観実修法

実 相 礼 拝
○祈りに入る言葉

  〈相手と一体となる言葉〉
「ありがとうございます。ありがとうございます。
神の子のいのちの姉妹であるK.Y.様。住吉大神様の御前に、K.Y.様の実相円満完全健康を心より祈らせていただきます。あなたと私とは一つのいのちでございます。あなたは私であり、私はあなたでございます。ありがとうございます。ありがとうございます。」

招  神  歌
○祈る側の思念の言葉

「住吉の大神の宇宙浄化の力、われを媒介として病いの根元である一切の迷いを浄化し給うのである」
「既に“病あり”との迷いは住吉大神の宇宙浄化の御力によりて浄められ消滅したのである。病いの根源である迷いが消滅したから病気も既に消滅してしまったのである。ありがとうございます」

(聖経版『真理の吟唱』一六二〜一六四頁)
「あなたは“神の子”であり、神の有ち給えるあらゆる善きもの、美しきもの、豊かなるも の、調和せるものの継承者であるのである。それゆえにあなたは常に最高の健康と、繁栄と、美と、豊富と調和とをこの現象界にも実現するのである。

 あなたが“神の子”であるということは、神のもちたまえる一切の御徳の実現者であるということなのである。神が病気にかかり給うことは決してないのであるから、神の御徳を実現するあなたもまた決して病気に罹ることはないのである。神が老衰したまうということは決してないのであるから、神の御徳を継承するあなたもまた決して老衰するということもないのである。神は無限の富者であり、決して貧乏になるということはないのであるから、神の後継者であるところのあなたも、また決して貧しくなることはないのである。あなたは“神の子”として、あらゆる富の要素を自分の身辺に引き寄せてそれを実現することができるのである。

 あなたは“神の子”であるから調和の実現者である。あなたが行くところに必ず調和がくるのである。」

「神よ、われらの祈りを叶えて下さいましてありがとうございます。ありがとうございます。すでに祈りは叶えられました。ありがとうございます。ありがとうございます。
 神よ、御心の如く私達をお使い下さい。ありがとうございます。ありがとうございます。」

光明思念の歌(みすまるの歌)
実 相 礼 拝

  以上です。よろしくお願い申し上げます。

  合掌 拝

825トキ:2012/08/11(土) 14:41:30 ID:31q2213o
>>824

 ありがとうござます。喜んで祈らせて、戴きます。

826如月:2012/08/11(土) 14:58:13 ID:ki/haAjk
神想観の時間の半分は、他の人のため、または世界平和のため等、全然自分の利益を離れた
ことのために光明思念を集中することによって、自分自身の祥福をも増進することが出来るのであります。
神想観は神の御心に吾が心の波長を合わす事です。
そして、神の御心とは我欲の事は思わず、ひたすらにあらゆるものを愛し、祝福するのが神の御心ですから
自己の事を思わず他のために祈る神想観こそ、最も神の御心にかなった神想観であると言い得るのであります。

>>824

はい! 喜んで祈らせて頂きます。

827さくら:2012/08/11(土) 15:03:30 ID:xZIVx4hU
>>824

祈らせて頂きます。
合掌。

828金木犀:2012/08/11(土) 15:43:50 ID:auusu5IE
復興G様

私も少し時間外れますが、祈らせて頂きます。

皆様のご投稿非常に皆心打たれるものばかりでした。
志恩様のご質問と、ヨハネ伝などの聖典謹写、有難うございます。
鋭い目の付け所ですね。お陰様で、復興G様や訊け様の深いお答えを得て
大変勉強になりました。
私は信仰の盛り上がる機運のときに、鉄は熱いうちに打てみたいに、しっかり正信をつかむところまで行って
後戻りすることのない信仰を育てておけという意味かと思っておりました。

また、光あるうちにとは、やはりイエスが十字架に掛かる前にという意味もあるという気がしました。
というのは、光あるうちに、光の子となるというのは、法灯を継ぐということではないかと思ったのです。
イエス存命のうちに、しっかりと真理を学び、イエス亡き後に、イエスの代わりに人々を救いうる人物として
今のうちに、しっかりと法灯の継承をしておけという意味に取りました。
イエスの時代は、きっとイエスの著書というものもなく、イエスの口伝えの眞理を学ぶ時代でしたでしょうから、
そういう意味かなと思った次第です。
でも復興G様も訊け様のお答えは、もっと素晴らしい気がします。
聖典をしっかりと読んで学ばれていることに感動しました。やはり聖典を読み込まねばいけませんね。

829SAKURA:2012/08/11(土) 16:42:12 ID:g1svTII2
復興G様 へ
トキ様 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。   
皆様の討論中、横スレにて失礼いたします…

>>824拝読させて頂きまして…
■> 祈りの対象者は、K.Y.さんという60歳くらいの女性で、料理研究家。
切除手術したガンがリンパ腺に転移しているという診断です。生長の家二世で、
青年会時代から生長の家の活動をしてきました。この方は、私たちの愛を引き出すために、
観世音菩薩として私たちの前に現れてくださいました。尊い観世音菩薩様として、
拝ませて頂きます。次のように祈らせて頂きます。<  (復興G様投稿文 一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■本当に“年齢60歳”…私も”投稿文“を、拝読しました時“ビックリ”です…。
年齢が?ひと事でもありませんもの〜><(個人的感想です。…が?)
最初の“???がん”でしたかは?存じませんが、ましてや、
【料理研究家…?】との事で、尚更!“ビックリ”の一言です。

さぞ!【精神的に“プレッシャ−”】が、あられましたのでしょうかと、思った次第です。
隣の“パ−トナ−”も15〜16年前に乳がんの初期症状で、当時を思い出しますと、
診断直後は、“恐怖心”が先に浮かんだと本人が云っております。そして、時間経過にて、
今日の彼女がいます。
その後、私自身も病気になり、それからというもの“料理研究”に没頭するようになり、
或る“食材料理”にて回復にいたり、この事は“ホ−ムドクタ−”も“学会に発表”された様で、
認める事となり、今日の私達が、存在している次第です。

【病…本来なし!】当にそうですと、パ−トナ−が、“迷いの心”を、つかむことにより、
この現象世界に生じた結果であるのですから、“放つ心”を持って【神にゆだねる“心”】にて、
当時【お祈り…】に徹しました事を思い出しました。

■時間帯をお聞きいたしましたので【集団の祈り…】に、参加させて頂きます…。
必ず!我が内なるみ親の神に、私どもの願いが届くものと、
其の“信力”にて【祈り】に参加させて頂きます…。             再合掌

830a hope:2012/08/11(土) 17:21:35 ID:r8H4x9xE
みなさま こんばんは

予定より、仕事を早く終わらせることができました。
5時半〜6時半くらいのあいだの「祈り合いの神想観」に参加させていただきます。

合掌。

831志恩:2012/08/11(土) 17:52:59 ID:.QY5jUA6
私も、午後6時から30分間、時間を作りましたので、
「祈り合いの神想観」に参加させていただきます。
復興Gさまが、実修法を載せてくださいましたので、プリントアウトしました。

この実修法は、別の機会に 祈りたいお方もありますので、役立ちます。

832トキ:2012/08/11(土) 19:43:46 ID:31q2213o
 皆様、お祈りありがとうございます。

 まだ、復興G様はお帰りではありませんので、お祈りは続けますが、同時に書き込みも再開させて
いただきます。皆様の御感想など、お願いを申し上げます。

合掌 ありがとうございます

833志恩:2012/08/11(土) 21:45:23 ID:.QY5jUA6
>>828;
金木犀さまの投稿文を見まして、金木犀さまの捉えられた「光あるうちに」の考え方も、恵吾先生が受けとられたこととは別に
1つの大切な考え方ではないかと、私は、思いました。

幾つもの考え方があっていいと思います。
金木犀は、つぎのように言われました。

「光あるうちにとは、やはりイエスが十字架に掛かる前にという意味もあるという気がしました。
 というのは、
 光あるうちに、光の子となるというのは、法灯を継ぐということではないかと思ったのです。

 イエスの存命のうちに、しっかりと真理を学び、イエス亡き後に、イエスの代わりに、人々を救いうる人物として、
 今のうちに、しっかり法灯の継承をしておけという意味にとりました。

 イエスの時代は、イエスの著書というものがなく、イエスの口伝えの真理を学ぶ時代でしたでしょうから、
  そういう意味かなと思った次第です、」

復興G様、トキ様は、金木犀様の捉え方を、どう思われますか?
 私は、これも、そうかもしれないと思える回答の1つでした。

なぜなら、
雅春先生著「ヨハネ伝講義」の「はしがき」の終わるところに、雅春先生は、このように書かれておられるからです。

「私は、本書を校正しながら、磔に、釘(つ)けられて後、復活したキリストが、ペテロと食事を共ににしたのち、
『汝(ペテロよ) この者ども(十二弟子)に勝りて、我(イエス)を愛するか』と、三度繰り返したづねられる処に
 至って、滂沱として涙せずにいられなかった」

とあるからです。この本の初版本は、昭和35年8月に発刊されています。
すごく意味深に感じました。その後の、生長の家とご自分の、未来を透視されてたのかと、思う程です。

この本のp385に、雅春先生の大事なご講義の文が ございます。。

「イエスを愛するとは、「人類を愛する」ことであり、

「人類を愛する」とは、具体的に目前の人間を愛することであり、そのためには、
生命(いのち)をも捨てるということであります。「愛する」ということは、ただ「好きだ」というような生易しい事ではない。

愛する者のためには、無条件に従う、そして生命まで捧げる事だということを教えたもうたのです。
無条件に、したがわないような者は、本当に愛しているのではない。」と。

ただ、イエスとペテロの間で、救いがあるなと思いましたのは、
ペテロは、本当は、イエスを愛していたということです。彼が、裏切った行為をしたのは、
イエスがとらえられたとき、連座する事をおそれたからで、そのために、「イエスを知らず」と三たび言ってしまったのでした。

ですから、復活したイエスがペテロに、「わが羊をやしなえ。…われに従え」と言うコトバに、無条件に従い、自分の失敗を乗り越えて、
ペテロは、無条件にイエスに従って生きたのです。


そのペテロの墓の上に、今のバチカンがあるそうです。

サン・ピエトロとは「聖ペテロの」という意味なのだそうです。

834a hope:2012/08/11(土) 21:48:24 ID:r8H4x9xE

「祈り合いの神想観」は、信徒だった時に練成会で一度参加させていただいたことがあります。
その当時は、「浄心行」や、「感謝行」などの新興宗教独特の雰囲気になじめずにいましたから、
「祈り合いの神想観」にもかなり抵抗がありました。
でも、周りから祈られる人になるように勧められ、しぶしぶ前に座りました。
その時は正坐にも慣れていませんでしたので足はしびれて辛いし、よく意味もよく解らないし、
とにかく私自身は「早く終わってくれ〜〜」とばかり祈っていました(笑)。
ところが、祈っていただいた後、数日前捻って痛めていた右手首の痛みが消えていたので驚きました!

わたしのように、しぶしぶと仕方なく祈られていてもその功徳があるのですから、
積極的に心をむなしくして祈ってくださる方々の愛を素直に受ける気持になれば、
「祈り合いの神想観」の功徳はすごいものなのではないかと感じてます。

835a hope:2012/08/11(土) 21:50:38 ID:r8H4x9xE

>>800 復興Gさま

>>最後のご質問ですが、生長の家を全く知らない高校時代同期生の友人が大腸ガンで余命幾ばくもないと医者から宣告されたというとき、聖経『甘露の法雨』を贈呈して、読むように勧めましたら、「これは不思議な本だ。読むと、心が安まる」と言ってくれました。しかし彼はジャーナリストでしたから、私も、それ以上は、a hopeさまと同様、
「現代の一般人にはなかなか、受け入れられない真理なのではないかと、正直感じて」勧めませんでした。彼は、約半年後に亡くなりました。
「もっと積極的に生長の家の真理を伝え、祈ってやるべきだった」と、反省しています。<<

復興Gさまも、そのようなお気持ちになられたことがあるのですね。
あたしは「今の生長の家教団」には全く興味がありませんので、
「生長の家の真理」を人様に伝えるには、自分自身がその真理を体得するしかないと思っています。
最近では、できる神想観の種類も増えてきました。
その時の、気分やその日一日の過ごし方などから、神想観の種類を選んでしています。

P101の最後の行
『イエスが手を按じて祈ったということは聖書のところどころに出ていますが、神想観にて実相を観じて病気を治すには、手を按ずるということは必須のことではないのであります。手を触れず按ぜずに病人の前で「神想観」をやっているだけでは、病人自身にとってはなんだか頼りない気がするだろうと思って、手を按じて思念してさしあげてもよい場台かありますが、このごろのように「手のひら療治」や触手的治療法がはやるときには、手を按じない方が混同されなくてよいのであります。手のひらという物質で治るのなら物質治療であって超物質治療(メタフィジカル・ヒーリング)ではないのであります。ただ神想観によっておのずから自分または病人の生命の実相たる「神人」が輝き出すことによって病気が消滅するのであってこそ、メタフィジカル・ヒーリングであります。(中略)
相手にある「神人」を、こちらからハッキリと観ずれば、相手の病気が治るばかりでなく相手の人格などもすっかり変わってくるのであります。「神想観」を病気治療法だと思っていられるとまちがいであります。病気が治るのは、ただそのごくごく随伴的の功徳にすぎないで、神想観の功徳は実に宏大無辺、性格でも運命でも境遇でも、この「神想観」によって改善されてくるのであります。』

生長の家の「神想観」は決して病気治療が目的なのではないのですね。
神想観によって自分自身のまたは相手の『神人』『実相』『真の人間』を観ることができたとき、
当たり前のように起こる随伴的の功徳が、「神癒」なのですね。
今回のこのweb誌友会のために、「生命の實相」第1巻を読みなおしていて、さらに理解が深まりました。

この機会をわたしに与えてくださった生長の家の大神さま、
そしてトキさま、復興Gさま、みなさまに今、わたしは感謝の気持ちでいっぱいです!!!

836志恩:2012/08/11(土) 21:54:16 ID:.QY5jUA6
第三章の一行目の
「光の子とならんために光のある間に光を信ぜよ、
         われは光として世にきたれり。」(「ヨハネ伝」第12章)
に ついての、別の捉え方のことで、質問させて頂きました。

837志恩:2012/08/11(土) 22:33:42 ID:.QY5jUA6
復興Gさま、トキさま

ガンのことで、具体的なお話を、ありがとうございます。
私の実母の姉にあたる おばさんも、生長の家の本を読み、6つか7つあった持病が全て消えた体験があります。

高校時代の担任の先生にも、生長の家の本を差し上げましたら、ご縁があって、その男の先生は、ご自分で
「生命の實相」を全巻買われて、読破されて、その先生も、いくつも病気があったのが、完全に健康になったと
お手紙を戴いたことが、ございます。

私自身の体験では、40代後半のころ、左胸のところに2㎝×2㎝ほどの石のように堅いしこりができたことが
ありまして、強く押してみても、全く痛みは無いしこりでしたが、気になって、一応、
区がやっている乳がん検診を受けましたところ、がんセンターへ、至急行き、精密検査をするように
言われました。
私は、すぐに、がんセンターへ行き、予約しました。3、4週間後が、予約日になりました。
それで、
とにかく、夫に対する感謝がたりなかったのだと反省する点もありましたが、「甘露の法雨」を、朝夕、いままでよリ、心をこめて読誦しました。
すると、ある朝、胸を触ってみましたら、石のようなしこりが、何も無くなってしまっていたのです。

それでも、一応、がんセンターに予約してありましたので、精密検査は、受けましたが、何も無い、という結果が
出たという、うそのようなホントの体験はしたことが、ございます。

そのことは、家族宛てに遺言状まで書きましたし、母にもお別れの感謝のことばを述べたほどですから本当のことです。
私の場合は、精密検査を受診する前に、消えてしまったので、ガンかどうかは、わかりませんが。

しかし、私は、病気に関しては、
悪いところが現われたら、素直に、病院へ行き、治療して治したらいいと思っている人間です。私の実母の姉にあたる おばさんは、
生長の家に入信した当初は、6、7あった病気が全部消えるという体験を戴きましたが、70過ぎて、急に直腸がんになり、死亡しましたからね。
おばさんが、ガンで入院中に私は、何度もお見舞いに病院へ行ってますが、おばさんは、いつも「甘露の法雨」を、枕元においており、しばらくして、
穏やかにあの世へ旅立つて行きました。

やはり、いい信仰していれば心に大安心がありますから、このように病気になっても、そのままで、穏やかに生きられるのだと教えられました。

838復興G:2012/08/11(土) 22:37:54 ID:xKxowNU.

皆々さま。

合掌 ありがとうございます。

遅くなりました。只今帰りました。

リアルの祈り合い誌友会は、感動でした。

皆さまの霊的パワーが送られて来ていたからでしょう。私自身も感動のうちに、
祈りを受けて頂いたK.Y.夫人も涙があふれてきたと言われましたし、同席して
祈りに加わっていた別の男性講師も涙が出たと言われました。皆さまの真心いっぱいの
ご協力のおかげだと思います。本当にありがとうございました。

K.Y.夫人は、足がむくんでいて痛いとは言われていましたが、とても喜んで、お元気な容子でした。

きっと、神癒が進行中だと思います。ありがとうございました。

感謝 合掌 拝

839志恩:2012/08/11(土) 22:39:37 ID:.QY5jUA6
>>833
上から四行目の金木犀様の敬称が抜けていました。すみません。

840如月:2012/08/11(土) 22:41:22 ID:ki/haAjk
皆さんの書き込みが素晴らしく、感心しています。
そんな中、恥ずかしながら書かせていただきます。

○真理はなんじを自由ならしめん○

この意味がようやくわかったような気がします。
これまで教室などで「神様が自由を与えて下さっている事に感謝」と教えられても
私の自由(自由になるお金)(自由になる時間)(自由にできること)なんて
しれているのにという不満の気持ちから「無い事に比べたらありがたいです」くらいの
感謝しか出来ていませんでした。
もっと正直に書くと、少ないと不満に思っていて、この少ない自由までも取り上げられたくないとの
神様との取引きのような気持ちからの感謝でした。

しかし改めて
○「真理を知る」というのも「大覚をうる」というのも、ひっきょうは自分の生命の本質すなわち
○実相を知ることで、これができれば因縁を超越して完全な自由がえられるのであります。

を拝読しまして、自分の自由が他人に比べて少ないという大きな誤った考え方だった事に気付かせて
いただきました。
神様は分け隔てなく無尽蔵の自由を与えて下さっていたのに、自分がわずかな真理しか知らなかった為に
わずかな自由しか持てなかったのだという事にやっと気付きました。
理屈というフィルターを通して、わずかな真理(自由)しか持てなかったのは、自分の不勉強のせいだときづきました。

大いに反省です。

841志恩:2012/08/11(土) 22:56:37 ID:.QY5jUA6
復興G様

お帰りなさいませ。私も6時から、30分間、復興G様が教えて下さった「神想観実修法」に添って、
祈りに参加させて頂きました.KY夫人様は、足は、むくんでいて痛いと
おっしゃっていたけれど、お元気そうで、よかったですね。

842あさひ:2012/08/11(土) 23:20:01 ID:/3nxKE2Q
合掌

私もお祈りに加わらせて頂きました。
有難うございます。    
       
      合掌

843復興G:2012/08/11(土) 23:25:10 ID:xKxowNU.

>>833 :志恩さま。ありがとうございます。
>>828:金木犀さまの投稿文を見まして、金木犀さまの捉えられた「光あるうちに」の考え方も、恵吾先生が受けとられたこととは別に1つの大切な考え方ではないかと、私は、思いました。幾つもの考え方があっていいと思います。
金木犀は、つぎのように言われました。
「光あるうちにとは、やはりイエスが十字架に掛かる前にという意味もあるという気がしました。
 というのは、光あるうちに、光の子となるというのは、法灯を継ぐということではないかと思ったのです。
 イエスの存命のうちに、しっかりと真理を学び、イエス亡き後に、イエスの代わりに、人々を救いうる人物として、今のうちに、しっかり法灯の継承をしておけという意味にとりました。
 イエスの時代は、イエスの著書というものがなく、イエスの口伝えの真理を学ぶ時代でしたでしょうから、そういう意味かなと思った次第です」
復興G様、トキ様は、金木犀様の捉え方を、どう思われますか?<<

――志恩さまのおっしゃるとおりだと思います(幾つもの考え方があっていいということ)。

844SAKURA:2012/08/12(日) 01:47:24 ID:3FZDdXDA

こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
今日は、皆様と「祈り合い神想観…」に参加させて頂きました事に、感謝申し上げます。

■「復興G様」からのお話で…早くその方の【実相…】が、この現実世界に現れます様に、
いえ、お話を伺いましたところ…現れつつ或るものと確信させて頂きました…。
更に、日々の【お祈り…】の中に、その方への愛念をお祈り申し上げます…。

私の“パ−トナ−の実例体験”も正直申しますと昨年詳しく投稿させて頂きましたが
>>829にて【SAKURA】が投稿させて頂きました事(下記参照)
❖ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/829

参考に観覧者の皆様が、拝読した頂きますと幸いに思います。
更に「志恩様」の投稿文(>>837)を拝読させて頂きまして、“パ−トナ−”と同じ時期に、
「乳がん…」との事で、 此の年齢は、この病気になる女性が多いと改めて思い知らされました。

余談ですが…
■医学会でも「30歳代から高齢の女性ほど罹患率が高い為、今日では多くの国で検診を受けることが、
推奨されている。検診には胸部自己診断法 (breast self-examination) と
マンモグラフィー (mammography) も含まれる。
改めて≪国からの定期検診の機会≫を得ております今日、この事に感謝しております日々です。

今日の【復興G様】の“投稿メッセ−ジ”から、
■真の伝道者…真理を伝えられる人、真理に救われた人は、必ず真理の伝道者となるものである。
真理は伝道するとき生きて来て自他を利益(りやく)するからである。
こうして一人から二人、二人から四人、四人から八人、……と関算式に伝道者が拡大される事
によって地上天国が建立される事になるのである。(谷口雅春先生の言葉…抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

「復興G様」の言葉(>>838のお話から)
本日は“感動・感銘”を受ける一日となりました…。ありがとうございます…。   再合掌

845あさひ:2012/08/12(日) 07:05:04 ID:/3nxKE2Q
合掌

私の母は現在96歳8か月目、 80歳の時大腸がんで腸を15cm位切除手術、その後元気でした。

89歳の時転倒して大たい骨 骨頭骨折 その為 人工骨頭置換手術 その後は伝い歩きになりました。

90歳の時、再び 大腸がんが見つかり、手術当日、本人の胸にぐりぐりとの申し出により、
検査結果、乳がんが見つかりました。その為、二つの手術を同時にやりました。
乳がんの方は、たちが悪いものとかで、いつどうなるかわからないといわれました。
術後の乳がんへの対応は医師より提案はありましたが、高齢なので、副作用も考え
なにもしていません。しかし、その後、6年8か月弱、 いつどうなるかわからない状況は
何事もなく、過ごしております。

ただ、老化はすすんでおり、今後の対応課題ではあります。
母は昭和10年からの誌友です。しかし、現在は雅春先生のことも、記憶のかなたみたいで
聖歌を歌う会でもあればとおもいます。

母の癌状況ご報告させて頂きました。      合掌

846志恩:2012/08/12(日) 09:18:15 ID:.QY5jUA6
a hopeさま、如月さま、SAKURAさま、あさひさま

WEB誌友会板の書き込み、ありがたく拝見しました。
後ほど、復興Gさま、トキさまが、お返事下さると思います。
お待ち下さいませ。

私も、少しだけ コメントさせて頂きます。

私が、40代後半のとき、左胸に石のように堅いしこリが出来て、「甘露の法雨」の読誦を続けていたら消えてしまった体験談を
させて頂きましたが、消えたのは、乳がん検診後、20日ほど経った時のことで、がんセンターで精密検査を受ける数日前の
ことでした。

それは、私、1人だけで祈っていたように書きましたが、実母も兄弟姉妹も祈ってくれてましたし、母は、飛田給道場へ
神癒祈願までお願いしてくれていたのでした。
そのことを,書き忘れました。

a hopeさまは、友人のお方に甘露の法雨をさしあげたそうで、実行力、ありますよね。

SAKURAさまのパートナーさんは、15~16年前に乳がんの初期だったそうですが、ある食事療法で、16年経ったいまも
お元気でいらっしゃること、SAKURAさまも食事を全面的に見直されて,今はお元気にお過しだそうで、よかったっですね。

あさひさまのお母様は、96歳8ヵ月でいらっしゃるそうで、がんがみつかって手術されたり、大腿骨骨折されたりと、
お母様が一番大変ですが、娘さんでいらっしゃるあさひさまも、あれこれと大変でいらっしゃることでしょう。

がん細胞は、全員が、体内に保持しているそうですから、ご高齢になりますと、免疫力が低下して、ガンが発症し易くなると
聞いています。でも,ご高齢になると、がん細胞は、それ以上発育しないそうですね。とどまっていて,悪さはしないと聞いています。

肉体は、借り物ですから、もともとは、無いものであり、肉体が病気になっても、実相は、完全円満と教えて頂いています。
神癒が起きて、たちどころに、ガンや病気が消える人もいれば,消えない人もいます。

消えない人は、消えない人で、
実相完全円満を祈りながら、ありのままに、病気を受け入れて、それも1つの課題を与えられたのだと
受け止めて、こころ穏やかに生きて行くのが、信仰の道だと、私は、そのように考えている人間です.

847役行者:2012/08/12(日) 09:24:59 ID:/8DCd3GQ
 皆様

 体験というのは、心身ともに人を救済する力があると思います。

 掲示板でこのようなことを記述することは大いに意義があると思います。
   
         合 掌

848復興G:2012/08/12(日) 10:53:19 ID:xKxowNU.

>>846 :志恩:2012/08/12(日) 09:18:15 ID:.QY5jUA6
a hopeさま、如月さま、SAKURAさま、あさひさま
WEB誌友会板の書き込み、ありがたく拝見しました。
後ほど、復興Gさま、トキさまが、お返事下さると思います。お待ち下さいませ。<<

志恩さま、ご深切な対応に心から感謝します。ありがとうございます。
そして、皆々さま、ありがとうございます。
役行者さまからも応援のコメントをいただき、ありがとうございます。

皆々さまの真心に、感動でいっぱいです。
本当に、ありがとうございます。

私は今朝は家族・親戚などの課題に対応する時間をいただきまして、皆さまへのお返事、コメントが遅れております。お許しください。
また 後ほどに。 感謝 合掌 拝

849志恩:2012/08/12(日) 10:55:16 ID:.QY5jUA6
役行者さま

コメント、ありがとうございます。
元新教育者連盟の講師でいらした野木清司先生は、以前、重いガンにかかられたことが、あるそうですが、
祈りに徹していらしたら、ある日、汚れものが、いっぱい便と一緒に出て、きれいにガンが,治ってしまったという体験を
お持ちのお方です。

ガンも、このように神癒で消えてしまうこともあります。

でも、消えない人も居て、そういう方達への、信仰者としてのあたたかいフォローは、とても大切なことだと,私は思って
いるのです。
信徒さんの中には、医学を避けて、薬を絶対拒否する人も、おられると聞きます。
それは、違うのではないかと、私は考えています。

医者は、治してあげたいと、愛の心で,薬を処方して下さるのですし、手術もして下さるのですから、医学も
神様の愛の現われだと受け止めて,素直に病院へ行き、治療するのも、1つの信仰の道だと思います。

850童子:2012/08/12(日) 10:55:25 ID:M7ribEwU
皆様へ

 「祈り合い神想観」に関しましては、『人間苦の解放宣言』に詳しいですよ。

 おじゃましました・・

851志恩:2012/08/12(日) 11:14:09 ID:.QY5jUA6
これはこれは、童子さま

ようこそ,お越し下さいました。

童子さまが言われた
『人間苦の解放宣言』をアマゾンコムで、見てみましたら、目次が掲載されていました。
「祈り合いの神想観のやり方」とか「浄心行のやり方とか」、載っているのですね。
これは、信徒として、持っているといい本ですね。
中古を買っても、たいていは新品同様なので,中古を買いました。

ご深切に 教えて下さって、ありがとうございました。

852a hope:2012/08/12(日) 12:04:08 ID:r8H4x9xE

志恩さま

いつも、適切な話題を提供してくださったり、貴重な体験談をお話し下さったりして、
このweb誌友会を有意義なものにしてくださりありがとうございます。
わたしは、志恩さまの真理を求めて熱心にお勉強されている姿を拝見していて、
いつも心から感動し、そして尊敬させていただいています。
見習わせていただきたいです。

また、>>846では、わたしへのコメントをありがとうございます。
ですが、「甘露の法雨」をお友達に上げたのは復興Gさまですよ。
わたしにはまだそんな勇気はありません(笑)。
わたしは、お守り型の「甘露の法雨」を家族分用意して、ランドセルに入れたり、
主人の出張や修学旅行の時などは、必ず持たせるようにしています。

今朝は、役行者さまや童子さま(!)もコメントをくださっていて、何と素敵なことでしょう!

あさひさまのお母さまの体験談も素晴らしいですね。
御文章から、高齢のお母さまをご家族が温かい愛で支えている様子が、
目に見えるように伝わってくるようで、とても温かい気持ちになりました。
ありがとうございます。

他のみなさまの、体験談や感想もとてもお勉強になっています。
時間がなくて、なかなかコメントできないのがもどかしいです。


みなさま、このweb誌友会は、とりあえず、今夜、11時30分までとなっていますが、
毎回、後夜祭も大変盛り上がっています。

あまり時間は気にせずに、みなさまのペースで是非ご参加くださいね!

853志恩:2012/08/12(日) 12:26:00 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

甘露の法雨をお友達に差し上げたのは、復興Gさまでしたか。
それは,失礼しました。(笑)

854金木犀:2012/08/12(日) 12:27:36 ID:auusu5IE
皆様の体験談、大変参考になり、信仰に自信を与えられる気がします。
お盆の時期であり、なかなか書き込みの時間が取れませんが、読ませて頂くだけで、
感動します。特に祈り合いの神想観の功徳の大きさには、感動です。
私も昨夜、家族が寝静まったあとに、神想観でK・Y様のことを祈らせて頂きましたが、
その前に、なるべく早く祈って差し上げたいと思い、お風呂に入ったときに、半身浴の状態で、
神想観しました。復興G様の書かれた祈りの言葉は、うろ覚えで、だいたい近い内容の言葉を
考えて祈っておりましたが、繰り返し祈っているうちに、この誌友会参加者観覧者の方々の祈りと
共鳴するような感覚を感じました。
その感覚にちょっと感動して、一つ心で祈るときには、同じ生長の家信徒であり、実相においては皆一体だと
強く感じました。また菩薩雲集という言葉が浮かび、祈り合いの神想観のあるところにまさに浄土が出現するような
まさに、神は愛であると、感じさせて頂きました。

ところでテキストでは、如月様の投稿にありました、「真理は汝を自由ならしめん」という言葉と、そのタイトルの付いた一節(P79)
がやはり印象が強いところでした。
私は最近、「本来生、不滅の神示」を読み、感動して、その中に書かれていた神想観をしばらくやっていたことがありますが、
その神示には、
「物質の束縛に縛られざるものを人間と言うのである。真の人間は『神の子』であって物質ではなく、肉体ではない。肉体ではないから物質の世界に出入する事もない。物質の世界に出入することもないから物質の世界より見れば人間は『不生』である。不生であるから滅することもないのである。」
と書かれています。

生命の實相のここの部分には、如月様も引用されておられましたが、

「真理を知る」というのも「大覚をうる」というのも、ひっきょうは自分の生命の本質すなわち実相を知ることで、これができれば因縁を超越して完全な自由がえられるのであります。その人は因縁を超越しますから、物質的な原因結果に束縛されるようなことがけっしてなくなる。遺伝がどうの、体質がどうの、冷たい空気がどうの、固い食物がどうの――そんなことに縛られないで「生命」それ自身の本質の完全な状態――すなわち「真の人間」が表に出てくる、そのときすなわち病気が治ってしまうのであります。

と書かれており、
生命の本質、真の人間、リアルマンを知ることであり、物質にあらず、肉体にあらず、金剛不壊の霊的実在である人間を観るという神想観の継続こそ最高の修行であること、
自己であろうと、他人であろうと、人間は物質的肉体的存在ではないと、観じることから全て始まるのだと思いました。

855役行者:2012/08/12(日) 12:40:05 ID:/8DCd3GQ

 志恩さま

 >>849
わたしもそのように思います。
 

 復興Gさま 

a hope 様

 私も、お祈りさせていただております。

 掲示板をとおして、救済運動が展開されるのは素晴らしいこと存じます。

 これからも気楽な時間に、投稿させていただきます。

 童子さま

 是非、チョクチョク、お越しくださって、ご指導のほどお願い申し上げます。

856SAKURA:2012/08/12(日) 12:48:33 ID:SNRCpPFw

トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは…… ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

今回の「WEB誌友会」冒頭にて「復興G様」から、知り合いの方への【祈り合い神想観…】
呼びかけをいただきまして、参加させて頂く事が出来まして、
此の件に関しまして、私自身は>>829>>844投稿させて頂きましたが…
❖ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/829
❖ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/844 
更に投稿者様の“お話”の中から…が?

■■改めまして【 信 ・ 愛 】のタイトルに…感銘したのです。(>>772復興G様投稿…)
❖ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/772 

昨日の「祈り合い神想観」 にて、思い出しましたが

■スタ−・デ−リ−の言葉から…
【デ−リ−がライファ−と親友になった初めにからに話したところの語は、
「人を愛するという事は、人を知るということである。人を知るということは彼を助け、
癒すことができるということである。かようにして神は、愛を通してその癒す力を
働かせ給うのである。」またライファ−はいった。
「愛は決して失敗はしない。愛は恐怖をかなぐり棄てる。愛は法則を成就するものである。】
…云々…
❖救いは神にまかせよ
【そんなに人を救おう救おうと力むものではないよ。静かに坐して君が救い得る相手が
得られます様にと祈るんだよ。他の方法で君は君の救おうという相手のところへ闖入
(ちんにゅう)する様なやり方はやめなければいかん。すべて救いのことは神の手にまかせるのだ。
そうすると彼が、その適当な時と適当な場所とを定め給うのだ。
そして又、神は君の口に必要に応じた適当な言葉を与えたまうだろう。まず『愛』を第一に、
その次は『信頼』だよ」とライファ−はいった。】(一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

大変恐縮ですが…
此の素晴らしい「谷口雅春先生」の紹介して下さいました“スタ−・デ−リ−の言葉”を、
此処にて“投稿”させて頂きました。

                             再合掌

857復興G:2012/08/12(日) 16:43:07 ID:xKxowNU.

合掌 ありがとうございます。

皆々さま。真心こめてご発言くださっています皆さまに、たいへん感動しています。ありがとうございます。

さて、私は少し前にさかのぼって、大事なことと思われる根本問題について、さらに深めて追究しましたことを投稿させていただきます。

それは、>>801で志恩さまが提起してくださいました課題、今回のテキスト第三章の冒頭に
「光の子とならんために光のある間(うち)に光を信ぜよ、われは光として世にきたれり。(『ヨハネ伝』第十二章)」
とあることについて、です。

>>833 志恩さまから
>>金木犀さまの投稿文を見まして、金木犀さまの捉えられた「光あるうちに」の考え方も、恵吾先生が受けとられたこととは別に1つの大切な考え方ではないかと、私は、思いました。幾つもの考え方があっていいと思います。……復興G様、トキ様は、金木犀様の捉え方を、どう思われますか?<<
というコメントをいただきました。それに対して
>>843 で私は
>>――志恩さまのおっしゃるとおりだと思います(幾つもの考え方があっていいということ)。 <<

と書いておりました。
これについて、改めて深く考えなおしてみました。

その結果、
「光のあるうちに」の考え方、榎本恵吾先生が受けとられたことと、金木犀さまの捉え方とは、別のものではなく、一つのものとして考えることが、素晴らしい道を拓くことになるのではないかと思うに到りました。

志恩さまは>>833で(金木犀さまのコメントに関して)
>>光あるうちに、光の子となるというのは、法灯を継ぐということではないかと思ったのです。
 イエスの存命のうちに、しっかりと真理を学び、イエス亡き後に、イエスの代わりに、人々を救いうる人物として、今のうちに、しっかり法灯の継承をしておけという意味にとりました。<<

とおっしゃっています。

そうですね。そこで、その「法燈」とは何でしょうか。
私は、「久遠の今」にこそ、生長の家の法燈がある。これを継承することが、法燈を継承することである、と思っています。

では、「久遠の今」とは何か。

それは、イエスが「ヨハネ伝」で言っています――
>>イエスは呼(よば)わりて言い給う『われを信ずる者は我を信ずるにあらず、我を遣(つかわ)し給いし者を信じ、我を見る者は我を遣し給いし者を見るなり。我は光として世に来れり、すべて我を信ずる者の暗黒(くらき)に居らざらん為なり。<<
[イエス「私を信じるものは、私を信じるのではない、私を遣わし給うた者を信じるのだ。神は光源であり、私は光である。だから私を見るものは、神を見るのだ。私が、光として、この世に来たったのは、すべて私を信じる者が、暗黒の世界に彷徨(さまよ)わないためである。]

――その「私を遣わし給うた者」すなわち「神」在し給うところであります。
<つづく>

858復興G:2012/08/12(日) 16:43:45 ID:xKxowNU.

<つづき>
谷口雅春先生は、「久遠の今」という御講話レコードで、次のようにおっしゃっています。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

     久遠の今

 生長の家の生き方、あるいは生長の家の哲学の中で、一番重大な問題は、「今」ということであります。この「今」ということがわかったら、それが本当の生長の家の悟りであるわけです。

「今」というのは、過去―現在―未来―と流れている時間の一部分の「現在」というところを「今」というのではないのであります。この「今」というのは、もう一つくわしくいうと、「久遠の今」ということであります。英語のEternal Nowという意味での「久遠の今」であります。そして「今」の中にすべてが含まれているところの「今」であります。

 仮りに、縦の線をかいてこれを時間であるとし、横の線をかいてこれを空間であるとします。そして縦の線と横の線とが交叉した所、ここがちょうど「今」に当るのであります。いまだ時間も空間も現われていない、時間と空間がそこから現われるところの、その中心の「無」であります。これは神道の言葉でいうと「常今」と言いますが、禅宗などでいうと、いわゆる「無」であります。「無」というと、なんにも無いのを「無」というと、考える人がありますけれども、全然無いんじゃないのであります。禅宗に「無字透関」という言葉があります。「無」の字の関門を透るという意味であります。『無門関』という禅宗の書物もあります。その「無」というものの関門を本当に知ったときに、吾々は自由自在になれるのであります。

 ところで、その「無」というのは――現象界のすべてのものは時間の中に、空間の中に現われておりますけれども、その時間・空間の本のところ、時間・空間が未だ現われない、その「常今」のところ、そこには「なんにも無い」かというと、「なんにも無い」んじゃない。時間・空間がそこから現われてきたんだから、時間・空間がやっぱり「有る」と言わなければならない。時間・空間が一点に巻きおさめられて、その一点もない。すべてのものが、一点もないその中にそのままアルのであります。
(中略)
 それは、もうひとつ別の言葉でいうと、シナの『中庸』という書物に、「喜怒哀楽未だ発せざるを中という」と書いてある。その「中」であります。「天之御中主神」の「御中」であります。一切の時間と一切の空間とが未だ発せざるところの御中の中心であります。これは「未発の中」といわれているところのものである。「喜怒哀楽未だ発せざるを中と謂う。発して節に中る、これを和という」とありますが、その「中」から一切のものが現われて、時と人と処に応じて、ピタリと急所にあたって、有効にすべてのものがピシリピシリと出来て行くのが、それが「和」、すなわち和解の「和」なんであります。
<つづく>

859復興G:2012/08/12(日) 16:44:30 ID:xKxowNU.

<つづき>
 生長の家の神想観の時に、「吾れ今五官の世界を去って実相の世界に入る」というのがありますが、「吾れ今」というその「今」が、「常今」であります。Eternal Nowであります。「久遠の今」であります。「吾れ、今……」というとき、自分が今ここに、「吾れ」と「今」と「此処」とが全く一つになってしまう。「久遠の今」が、「今」「此処」「吾れ」と一体になってしまって、時間と空間とを絶したところの「実相の今」というものがあらわれてくるのであります。

 その「実相の今」の、そこに私たちは生活するのです。何月何日の何時何十分、どこそこの空間において生活する――と、そんなふうに生活するのだったら、吾々はいろいろな問題にひっかかることになります。「いつ、だれが、あんなことをぬかしやがった」というので腹が立ってきたり、クシャクシャしたりするんだ。それは、本当の「今」というところに生活していないで、ある時間の流れの中で、どこかの空間的存在として生活してしまっておるから、いろいろと悩まなけれぱならないことが起ってくる。持越し苦労とか、取越し苦労とか、疑心暗鬼――なんていういろいろの心のモヤモヤが出てくるんです。それで、常に「吾れ・今・此処」というその実相の中に、「未発の中」のなかに坐って、なんにも掴まないでいれば、時と人と場所とに応じてピシリ、ピシリと節に中る。事々物々間違いなく適当な処置がとれるということになるのであります。

「智慧の言葉」に、「『今』の中には凡ゆるものが輝いている。『今』は常に新しく、『今』は常に喜びに満ちている」と書かれておりますが、久遠のいのちが常に今、此処にあれば、喜べるのが当り前なんであります。此処には一切のものがあるのであります。「真空妙有」である。真空の「無」の中に坐しながら、あらゆる妙なるものが、そこに存在するのであります。「真空」にして同時に「妙有」であって、そこは無色透明である。無色透明であるから何にもないのかというと、あらゆる色が備わっているのであります。無色透明の太陽光線みたいに、一切の七色の光が渾然ひとつになって、対立がないのであります。

 そういう無色透明の生活が、生長の家の生き方であります。そういう「今」のいのちの中に生きておったならば、いま、たとい肉体が病気にあらわれておっても、そんなことはもう問題ではない。いのちそのものは病気でも何でもない。「今・此処」に「吾れ」はあり、今・此処は真空の中に妙有があって、妙有から滾々といのちが流れ注いでくるから、もう寿命が来た場合は別だけれども、霊界へ転住する時期が来ていない限り、現象的にもすみやかに病気が治ってくるのであります。「今」というものは、過去・現在……そんな時間の流れでフラフラするような、いいかげんなでたらめな生活ではないのであります。
(以上、谷口雅春先生御講義レコード『久遠の今』より。『光のある内に』所載)

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

 このご講義の最初に、先生は

<生長の家の生き方、あるいは生長の家の哲学の中で、一番重大な問題は、「今」ということであります。この「今」ということがわかったら、それが本当の生長の家の悟りであるわけです>

とおっしゃっています。その「今」とは、時間と空間とを絶したところの「実相の今」であり、何月何日の何時何十分、どこそこの空間において……というようなところではないのです。私たちの命の本源世界であり、それはまた「わが内にあり」なのです。
<つづく>

860復興G:2012/08/12(日) 16:45:06 ID:xKxowNU.

<つづき>
ちょっとむつかしい議論みたいになりました。
すみません。

この「久遠の今」を生きる、とは、具体的にはどう生きることになるのでしょうか。
それは、「己が命を救わんとする者はこれを失い、他のために己が命を捨てるものは永遠の命を得る」ということで、「自分というものはなかった」と自己放棄して、ただ「愛」に生きることであると思います。

それが、イエスの御心を生きることであり、法燈継承であると思うのです。

>>856 でSAKURAさまもおっしゃったくださったように、<改めまして【 信 ・ 愛 】>ですね。
スター・デーリーの言葉はまた素晴らしいですね。

ありがとうございます。

861復興G:2012/08/12(日) 17:09:33 ID:xKxowNU.

さて、「光のあるうちに」ということについての、榎本恵吾先生の理解というのは、上の方に上がってしまいましたから、もう一度貼付させていただきます。

榎本恵吾先生は、その著『光のある内に』の中に、次のように書かれています。

  **********

“光のある内に光を信ぜよ、われは光として世に来れり”
(イエス・キリスト……『生命の實相』より孫引き)
“光のある内に”の[内]とは、同じくイエス・キリストの言った“神の国は汝らの内にあり”の[内]である。これは時間・空間を超えた万物発生の枢機を握る“久遠の今”(Eternal Now)である。“久遠の今”とは生長の家であり、創造の本源世界であり、高天原である。“久遠の今”に還ったときが、人々が生長の家人となり、尊師の弟子となるときである。キリストも釈迦もこの“久遠の今”から生れ出でて来たのである。生長の家は久遠の昔からある。この“今”に還ったとき、人々もまた、久遠の昔から尊師の弟子であったことを知るのである。

  **********

上記で、榎本先生は、ヨハネ伝の「光のある“間”に」というのを「光のある“内”に」と書き換えられています。光は外にあるのではなく、わが内にあるのだ、と。

ところで、新約聖書「ヨハネ伝」の原文では、
「イエス言い給う『……光の子とならんために光のある間(ま)に光を信ぜよ』」と、「間」という字に「ま」と振り仮名してあります。しかし谷口雅春先生は、『ヨハネ伝講義』で、「間」の振り仮名を「うち」となおされたのです。「ま」では、現象の、流れる時間の一部分のところを指していると受けとられるので、「久遠の今」を意識されて「うち」と振り仮名を直されたのではないかと思われます。そのお気持ちを汲んだ榎本先生はまた「間(うち)」というのを「内」に直して、それを本のタイトルにまでされた――そのように私は考えるのです。

ありがとうございます。

862トキ:2012/08/12(日) 18:26:06 ID:/As0gfBA
復興G様

 榎本先生の事、懐かしく思い出しました。榎本先生は、晩年は、生長の家宇治別格本山の神癒祈願部におられました。
まるで、島流しのようだ、という印象を受けましたが、全くご本人は気にしていないようでした。いつも、私のような
若い人が訪れており、話し込んでおられたのが記憶に残っています。

 榎本先生は、お日様の絵を書いて下さった色紙や本を分けて下さりましたが、その背景には、「光」という意味がある
のだなあ、と復興G様のご指導を拝見し、思った次第です。

 私にもいくつか信仰体験がありますが、そういう体験を辛抱強く耳を傾けて下さいました。しかし、後年、先生ご自身
にももっと素晴らしい信仰体験があるのを知り、あれは愛念で聞いて下さったのか、と驚きました。宇治までは距離があり
行事のない日は、かなりの時間をかけて京都まで行きました。

 ある時、いつものように、長い時間をかけて、宇治まで行ったら、「もう亡くなられました」ということを係の人から
聞いて驚いた経験があります。組織的には不遇だったかもしれませんが、信仰者としては本物だったと思います。
 普通の人なら、グチも出たかもしれませんが、明るく超越した表情だったのは、こういう心境だったせいか、と
納得しました。

863goro:2012/08/12(日) 19:20:42 ID:Cc8Z7oOY

トキ様

 黙っていると誤解を生みそうなので書きます。

神癒祈願部というところは純粋宗教部門として、
生長の家の一番重要な宗教部門なのです。
部門長は尊師からもっとも信任された先生方でした。

榎本先生がどれほど喜んでおられたか知らないで
いい加減な事を云わないで下さい。

半知半解で多くの人を結果として迷わせることを何とも思わないのですか? 
アナタの悪い癖です。アナタの将来のためにこれ以上無知をさらけ出さないで
くださることを祈りたいです。

864復興G:2012/08/12(日) 19:23:53 ID:xKxowNU.

>>862 :トキさま。

ありがとうございます。

榎本先生は「一粒の麦、地に落ちて死なば、多くの果を結ぶべし」と言った
イエスの言葉のように、命をかけて「久遠の今」なる「実相独在」に命をかけて、
たくさんの人々を光の世界に導かれました。そして霊界へ旅立たれてからも、
なお多くの人々を、真の生長の家に、光の世界に導かれていると思います。

まさに、「光の子とならんために、光のある内に光を信ぜよ……われは光として世に来れり」を地で生きられた
方だと思います。

ありがとうございます。

865復興G:2012/08/12(日) 19:43:07 ID:xKxowNU.

「榎本恵吾記念館」サイトに、恵吾先生が神癒祈願部長として「幽斎殿」で祈願
しておられたときに記された随想と思われる「幽斎殿 Ⅰ」というご文章が掲載
されています。

http://homepage2.nifty.com/hanabira/

榎本先生のご心境が伝わってきます。
ありがとうございます。

866SAKURA:2012/08/12(日) 20:22:55 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
復興G 様 へ
誌友会の皆様 へ
こんばんは…  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

今回頂きました「生命の実相」資料…コピ−させて頂きました。前回もですが…
書籍とまた違う“インパクト”を、頂きます。前回も「復興G様」の御多忙の中、資料提供
ありがとうございます…。

■ 真理はなんじを自由ならしめん

「生命とは神の子である」――

【真理はなんじを自由ならしめん…】
この言葉から、今回は「真理」はと?第三者に聞かれました時は、
果たして私はどの様に応えますでしょうか、自問自答してみました…。
私は【真理は哲学】と、答えてしまいました…。
【真理は、悟る?ならば…“悟り”は何処から〜〜でしょうか】と、考えていきますと、
【言葉=言霊】から、始まると思います〜〜〜ョネ!
「雅春先生」が、いつもおっしゃいます事が【言葉は神】と言います様に、
全て“言葉”から“心がポジティブにもネガティブにも…”この様に、心の状態が働きだします
モノと思います。

此処で、初めて“悟って行動”でしょうかと思います。
■ですから【真理=言葉】なのではと、思いますから、私は広範囲の意味で、これからの
“国際化運動――>国際的思考”としまして【哲学から始まる】事と、
判断しております。これは【「学ぶ会」「靖国見真会」「ときみつる会」…etc】 の皆様とは、
解釈論が異なるかも知れません。…が?

■先生の言葉からも、【生命とは神の子】である。
実相を知ることでこれができれば因縁を超越して完全な自由が得られるのであります。その人は、
因縁を超越しますから、物質的な「原因・結果」に、束縛されるような事、事態が、決してなくなる。
それを、引き出すのが“言葉”から始まるモノと私は、今回の「復興G様」の資料から、
私なりに考える機会を頂きました事を、改めて感謝申し上げます…。

例えば〜〜なんですが?
私は“病気”だと言えば、無意識のうちに“潜在意識”に入り込んできますから、
「人間 神の子」と、いくら言いましても?“言葉”から発した…“その言葉”で、自然に入り
込む確率性が、多少はあるモノと思います…。
【原因が、結果を生みだすのでは?】その様に考えまして、そこまでに至りますまでには、
やはり【哲学的思考】が必要かとその様に思います…。【哲学の言葉】が入ってきますので、
それも“強い言葉”です〜〜〜ョネ!「潜在意識」に入れ込むには、やはり“言葉”から
はじまるのではないでしょうか?

■【真理…はなんじを自由ならしめん】は…、
【自由な“心”で実相を見ていく】この練習は、やはり【祈り】・【書籍】になって行きます。
私は【正しい真理】を知る事は、“ボディティブな思考”が大事ではと、思うのです。
何故なら、ネガティブ思考は、そこに停滞してしまい前向きな思考が出来ないと判断します。
ですから【真理=哲学=言葉】として“表現”されていくのではと、思う次第です。…が?
更に【今を活かす…】は、全て、これも“捉え方の間題”で行きますと、
考えさせられます部分が、あります。

■【今回、現総裁雅宣先生に対して“悪の言葉の力(中傷)”を、使われています。】
この様に私は、判断しますから、これも【真理はなんじを自由ならしめん…】でしょうかしら〜ン?
これも、入るのでしょうか?先ずは、はいらないとは、云えないと思いますが…?
如何でしょうか…?この事は“潜在意識にイメ−ジを入れ込む”この様な心理作戦でしょうか・

【迷い…】は、“心”からですから“言葉の力”で!書物を拝読致しまして、更に
【神想観=瞑想…】で、正しい方向に“心”を、振り向けていく…この繰り返し〜繰り返しから、
初めて「自覚」が出来まして、其処から【人 間 神 の 子】に、スム−ズに、
入って行くのではないでしょうか???その様に思います次第なのです…。

                                再合掌
PS:次に、頂きました“資料”を、只今拝読させて頂いております…。

867SAKURA:2012/08/12(日) 21:18:57 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
復興G様 へ
こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

皆様の「榎本先生」への思い出は、色々あられますでしょうと、改めて思いました。
さて!私事ですが…
今は亡き【榎本先生のお話】で、いつも思い出しますのは“ニッコリ・スマイルの顔”なのです。
やはり【宇治の奉仕活動】ですネ!
いつも「榎本先生」に、“奉仕”が始まりますと、いつも土壇場に…
“パ−トナ−”が先生へ“電話”をしまして、私達の“奉仕配属場所”はいつも先生の担当で、
【幽祭殿…】がほとんどでした。…が?
個人的に今は亡き「榎本先生」に、一言「先生!楽な場所に、少しでも…ダメですか?」と。。。
その時の先生は、笑いながら、一言で「ダメだ〜〜ョ」との言葉でした。

それでも一番思い出しますのは、やはり、当時の私は【現象人間…】でした。
先生に【宝くじ…】を購入しましたから“祈って下さい!”と、いつもの十八番の言葉を、
言っていましたら、一回だけ“一万円で、その事を、先生に連絡しますと、笑いながら、
「すばらしい〜〜!一万円でも“十分…お金”に、変わったのだから、モット思念をもてば、
十分いける」と…大きな“笑”われました。…が?今!思い出しますと、
やはり【想念=思念】が、十分に活用されていませんでしたから、あの時の、
今は亡き「榎本先生の笑った顔」が、よく思い出します…。もうすぐ【盂蘭盆大祭…】ですし、
更に、私の故郷の【地区道場】にも、先生が来た事が、あった様でした。

そういえば故郷の「道場」では、「榎本先生のスロ−ガンのお日様マ−ク」が…
お手洗いとか?に、貼られていましたが、しかも、既に、私が、中・高校の頃から貼られていた事!!
更に友人は「榎本先生」の御蔭で、前以上に勉強を“死ぬほどの勉強”と、言いだしたのも
先生の“ポジティブ・マ−クの心”なのです。…が?
私は、当時の「亡き母」の時代は、本当に、先ず【真理…】でしたかと思います。?
何時から〜何処からの時点から〜“人数路線”になったのかが、分りませんが…!
懐かしいです〜〜〜ョネ!!私も【真理】を、しっかり“潜在意識”に入れ込んで、
今は亡き「榎本先生」と、同様に“勉強中”です。

此処では、私は【現雅宣総裁先生…擁護派一人】ですが、現代のニ−ズ性にあった【真理…】を、
中身は同じなのですが、別の角度から説かれているモノと思います…。つまり、
これは私が思いますには【心で作る世界】この事は亡き「雅春先生」もおっしゃっていましたが、
【心 の 法 則】と同じ事を、私どもに指導して頂いていると個人的に確信しております。

                              再合掌

868トキ:2012/08/12(日) 21:45:03 ID:/As0gfBA
 SAKURA様、素晴らしい思い出、ありがとうございます。先生の真髄が出るような話ですね。

 榎本先生は何冊か自費出版(?)で本を出版されておられます。最も有名なのは「弟子像」で
しょうが、他にも何冊か本を出されていて、その中には先生ご自身の体験なども書かれています。
 それを拝読し、榎本先生が様々なご苦労をされた末に、あのお悟りにたどり着いた事を知り
心から尊敬をするようになりました。

 ただ、goro様からのご指摘は、謙虚に受け止めます。私も、まさか、榎本先生があんなに早く
亡くなられるとは予想もしていなかったので、「そのうち、また、ゆっくりとお話ができるだろ
う」と思っていました。今から思うともったいない事をしました。私が接したり、本で読んだ
榎本先生の像は、おっしゃる通りに一知半解だと思います。
 goro様が覚えているエピソードをぜひ、ご紹介下さい。

869トキ:2012/08/12(日) 21:57:24 ID:/As0gfBA
>>865

 素晴らしい内容の御文章ですね。もちろん、>>862の前言は喜んで撤回してお詫びします。

 丁寧なご教示をして下さった点、復興G様に深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

870復興G:2012/08/12(日) 22:08:44 ID:xKxowNU.

ありがとうございます。
だんだんWEB誌友会の終了時刻が近づいてきますが、テキストの最後の小見出し、「運命のケミカライゼーション」以下のところをお読みになって、皆さま、何かお感じになったことはありませんか? 

>>運命にもケミカライゼーションということがあるがために、われわれにとっては人生が非常におもしろくなるのであります。運命にケミカライゼーションが起こらねば、医者はいつまでも医者、看護婦はいつまでも看護婦、会社員はいつまでも会社員、労働者はいつまでも労働者であって、転換期というものに会うことができないのであります。ただ、この転換期の暗黒期に「失望」という奴によって確信を失つてしまうと、せっかく明るくなりかかっていた運命が、自分の心の力でまた本当に暗くなって来るかもしれないのであります。生長の家の『智慧の言葉』に「悪くなるほど、善きことが近づいて来たと思え」という意味のことが書かれていますが、これは病気を治そうとする人にとっても、運命を開拓せんと欲する人にとっても、いつまでも座右に備うべき箴言(しんげん)であります。<<

――私はこれを拝読して、生長の家教団、人類光明化運動も今「運命のケミカライゼーション」を起こしつつあり、“この転換期の暗黒期に「失望」という奴によって確信を失つて” はならない、とお教え頂いていると思いました。「悪くなるほど、善きことが近づいて来たと思え」とご教示いただいているのですね。

871トキ:2012/08/12(日) 22:35:05 ID:/As0gfBA
>>870

 正直申しまして、教区にいる人間としては、目の前の事の処理で追われていたので、困ったなあ、という気持ちが
ない訳ではありませんでした。しかし、「悪くなるほど、善きことが近づいて来たと思え」というお言葉は、自分の
中に、大きな励みとなるものです。

合掌 ありがとうございます

872goro:2012/08/12(日) 22:37:00 ID:Cc8Z7oOY

 トキ様

>>goro様からのご指摘は、謙虚に受け止めます。私も、まさか、榎本先生があんなに早く
亡くなられるとは予想もしていなかったので、「そのうち、また、ゆっくりとお話ができるだろ
う」と思っていました。今から思うともったいない事をしました。私が接したり、本で読んだ
榎本先生の像は、おっしゃる通りに一知半解だと思います。
 goro様が覚えているエピソードをぜひ、ご紹介下さい。<<

上記トキ様の御返事は私の指摘とは接点がズレていますので、
私の先生とのエピソードを紹介するのは辞退します。

873トキ:2012/08/12(日) 22:40:47 ID:/As0gfBA
>>872

 了解しました。

 貴重なご指摘を頂戴した事に深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

874志恩:2012/08/12(日) 22:41:53 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

ご丁寧なご回答を、心から感謝申し上げます。今日は、人の出入りが多くて、なかなかPCの前に座れずに
おりまして、お返事が遅くなってしまいまして、申し訳ありません。

みなさま、恵吾先生にとてもご縁のあったお方達でいらっしゃるんだなと、私も、尊敬している先生ですので、
不思議な縁(えにし)を感じております。

復興Gさまが、教えて下さった事によりますと、イエスのあの「光のあるうちに」というコトバは、「久遠の今
を生きる」ということに、繋がるという事で、ございますね。

「久遠の今を生きる」というこの考え方は、イエスも雅春先生も、ご自身の人生を貫いた生き方ですものね。

常今が一番。雅春先生は、うまずたゆまず、今,今、今、を大事に、毎日毎日原稿を書かれ、ご講話をされ、
いつ今生の死が訪れても、悔いのない人生を送られました。雅春先生は、自ら「久遠の今」を生き続けられて、真理に至る道を
われわれ後輩達に生きたお手本としてお示し下さって、幽界の世界へ旅立たれました。

875神の子さん:2012/08/12(日) 22:44:12 ID:2RWEBQiQ
>>868
トキ様

goro様が指摘されているのはそこではないと思います。
島流しがなんたら&hellip;というところだと思います。
全然無知な私でもわかりました。

876goro:2012/08/12(日) 22:49:52 ID:Cc8Z7oOY
web誌友会という場所柄をわきまえずトキ様あてに苦情を申し上げているのは
トキ様の一知半解とか誤解の問題ではなく、生長の家のもっとも重要な
純粋宗教部門である神癒祈願について、トキ様の榎本先生に対する
侮辱的とも取られかねない内容の投稿です。

トキ様の御心に、光のある内にその光で我が内を照らしてみて下さい。

>>862の前言は喜んで撤回してお詫びします<<

などと簡単に言えることではないのです。
おわかりでしょうか?

877復興G:2012/08/12(日) 23:12:16 ID:xKxowNU.

ありがとうございます。

ここで、私の身近なところで最近にあった、というか現在も進行中の、明るい体験の話題をご披露します。

私と同じ相愛会の会員で76歳のYさんについててです。
Yさんは、今年4月28日早朝、トイレに立ったとき、くも膜下出血で倒れ、救急車で病院に運ばれました。

その前からYさんは、聖経『甘露の法雨』読誦が大好きで、千巻読誦を重ね、もう1万巻に達しようとしていました。奥さんは、生長の家青年会活動で結ばれたカップルなのですが、最近は生長の家から離れ、ご主人の聖経読誦を冷笑しながら見ている風だったそうです。

ところがご主人が倒れて救急病院の集中治療室で手術を受けるとき、その奥さんが真剣に聖経『甘露の法雨』を読誦された。すると、ご主人の元気でニコニコと笑っている顔ばかりが浮かんで来たそうです。結果は――いろいろと、偶然とは思えない奇蹟的な幸運が重なり、発病後約3ヵ月半たった今、リハビリ中ですが、ほとんど何の後遺症もなく(普通に歩行でき、言語障害も認められない)、恢復しておられます。

くも膜下出血では、大半の人が死亡または重い後遺症が残る(寝たきりになるなど)と言われていますが、Yさんは、このような事例は稀有のことであると、担当医が一番喜んでいるということです。

Yさんは、この“ケミカライゼーション”によってすっかり浄められたようで、以前よりも温和な明るい姿をあらわして、元気になっておられます。奥さんもこれをきっかけに、信仰を回復されたのです。

ありがとうございました。

878a hope:2012/08/12(日) 23:13:41 ID:r8H4x9xE

復興Gさま トキさま みなさま

わたしは、数年前、偶然であった聖典「生命の實相」を読んで魂を震わせ現教団に入信しました。
でも、「今の教え」になじめず体調を壊し、本流宣言の掲示板に出会い真実を知り、退会しました。
そして、ちょうど1年前のこの時期に、このトキさまの掲示板に書き込みをはじめたのです。

思えば、わたしが体調を壊し、苦しんだのも、よくなるためのケミカライゼ―ションだったのだと思いました。
だって、わたしはこの1年で、自分でも驚くほどに生長できたと思うのです。

もちろん、わたしはまだまだこれからですが、この掲示板や他の掲示板で、
お勉強させていただいたおかげで、以前のわたしと比べたら精神的にとても強くなっていますし、
神の子の自覚も強くなってきています。


「久遠の今」の意味は、今のわたしはまだ漠然としかわかりません。
ですが、今していることを楽しむこと、目の前の人を愛すること、
どんな人も神の子だと信じきること、すべての出来事に感謝すること、
そんな自分にできることをこれからも、精一杯やっていきたいと思います。

「生長の家の教え」に出会えたことたこと、みなさまに出会えたことに心から感謝しています。

今回のweb誌友会も、わたしにとってとてもお勉強になりました。
忙しくても参加させていただいて、本当によかったです。
トキさま、復興Gさま、みなさま、お疲れ様でした。
そしてありがとうございました。

次回の「第6回web誌友会」も楽しみにしています!


追伸

女子会板にも書きましたが、a hope家は、明日からキャンプに出かけます。
数日間、聖典謹写をお休みさせていただきます。

879志恩:2012/08/12(日) 23:19:23 ID:.QY5jUA6
トキさまは、この掲示板で一年以上前から接していますので、トキさまのお考えは存じていますが、
今の教えを
昔の時代の,吉田國太郎先生、藤原敏之先生、榎本恵吾先生のような考え方の教えに
回帰したいと、強く望まれておられるお方です。

恵吾先生のことも、とても尊敬されてます。
本当は、侮辱して言われたのでは、ないのです。
ちょっと、誤解される感じでおっしゃったので、皆様に叱られてしまって、お気の毒に思います。

組織的に考えた場合、恵吾先生の元の 練成部部長 職というのは、信徒に直接ご指導されたり、
信徒の皆様にご講話されたりする
華やかな目立つ職場だったと思うのです。

それが、神癒祈願部に なられますと、それまでのように、信徒の皆様に直接、表舞台で、ご講話されたりすることは、
出来なくなりますから、組織的に考えますと、華やかな職場から地味な職場へ移動したということで、
島流し的にとられるのかもしれません

恵吾先生は、地位とか名誉とか、いっさい考えておられませんでしたので、あれだけのおかたでしたのに、理事にも
なられませんでしたが、どこの職場であろうとも、最大限に喜ばれて,最大限にそこを生かして,よろこんでよろこんで生きらた
先生だったのでしょう。

もちろん、神癒祈願部は、神霊が天下る聖なる貴い部署です。

880SAKURA:2012/08/12(日) 23:23:40 ID:V.pKl3yA
復興G様 ヘ

こんばんは……  ロ‐マ字の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>865の紹介して頂きました【榎本恵吾記念館 サイト】を、拝見させて頂きまいて、
懐かしい「亡き榎本先生」のお顔を見まして、つい><涙ぐんでしまいました。

改めまして「復興G様」…
紹介して頂きました事に、感謝申し上げます…。 先生の声が耳もとで囁いて下さいました様に、
何となく伝わりました…。【ニッコリ!マ−ク…!】            再合掌

881SAKURA:2012/08/12(日) 23:24:40 ID:V.pKl3yA
トキ様 ヘ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>868拝読させて頂きまして
■>榎本先生は何冊か自費出版(?)で本を出版されておられます。最も有名なのは「弟子像」
でしょうが、他にも何冊か本を出されていて、その中には先生ご自身の体験なども書かれています。
 それを拝読し、榎本先生が様々なご苦労をされた末に、あのお悟りにたどり着いた事を知り
心から尊敬をするようになりました。< (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

私は「亡き榎本先生」の自費出版は知りませんでした…。その中の「弟子像」と、教えて頂き
ましたので、知人に聞きましてとりよせられましたらと、思います…。

私にとりましては【盂蘭盆大祭…今は亡き“榎本先生”】とついつい【連想ゲ−ム】にて、
思いだす次第ですもの〜♫ この“情報”を、教えて頂きました事に感謝申し上げます…。

                              再合掌
PS:別板にて“ネ−ミング”の件で、ご迷惑をおかけしましたが、ありがとうございます。

882志恩:2012/08/12(日) 23:26:42 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

質問です。「大自然讃歌」は、読誦されるのですか?

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=hikarinomi&amp;mode=res&amp;log=76

883如月:2012/08/12(日) 23:28:11 ID:ki/haAjk
私はケミカライゼーションというのが怖くて仕方が無いのです。

劇的に運命が好転しなくてもいいから、平凡でボチボチと暮らして行きたいというのが本音です。
それが怖くないように、自分であれこれイメージしてみましたが

カーテンを閉め切った真っ暗な部屋(無明)の中にいて、思い切ってカーテンを開け光(真理)を入れたら
まぶしくて、目がくらんで何も見えなくなってしまうような、そんな状態でしょうか。

884如月:2012/08/12(日) 23:32:25 ID:ki/haAjk
しばらく席を外しますので、許可なく閉会の祈りをする事をお許し下さい

885如月:2012/08/12(日) 23:33:03 ID:ki/haAjk

◇◇◇世界平和の祈り◇◇◇

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い
すべての人々の心に、愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


◇◇◇光明思念の歌◇◇◇

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

886復興G:2012/08/12(日) 23:39:24 ID:xKxowNU.

WEB誌友会は閉会の予定時刻(23:30)になりました。
「世界平和の祈り」をして、区切りとさせていただきましょう。どなたか、「世界平和の祈り」をお願いします。
しかし、その後も恒例で「後夜祭」として投稿を続けて頂いていますので、ご発言のある方は安心して続けてください。ありがとうございます。

887復興G:2012/08/12(日) 23:41:15 ID:xKxowNU.

あ、如月さま、ありがとうございます。
すでに「世界平和の祈り」を書き込んでくださっていました。
ありがとうございます!!

888志恩:2012/08/12(日) 23:45:19 ID:.QY5jUA6
如月さま

閉会の祈りをありがとうございます。
>>883


ケミカライゼーションというコトバ自体が、なんか怖そうですものね。
なにが、幸せって、平凡でぼちぼち くらい、幸せなものはない気がします。

まぶしくて目がくらんで、何も見えなくなる状態ってのは、「幸せ」というより ♡「恋」♡じゃないかしら。

889復興G:2012/08/12(日) 23:48:52 ID:xKxowNU.

>>882 :志恩さま
>>質問です。「大自然讃歌」は、読誦されるのですか?<<

宇治の盂蘭盆大祭の中で、2日目の18日、午後3:30〜4:35の「自然災害物故者追悼慰霊祭」では「天使の言葉」と
「大自然讃歌」が読誦されるらしいですね。

890復興G:2012/08/12(日) 23:57:35 ID:xKxowNU.

>>883 :如月さま
>>私はケミカライゼーションというのが怖くて仕方が無いのです。
劇的に運命が好転しなくてもいいから、平凡でボチボチと暮らして行きたいというのが本音です。<<

だいじょうぶですよ。神は愛ですから、耐えられないような苦痛を与えられることはないそうですから。
人類の運命のケミカライゼーションでも、高級霊がはたらいて、あまりに悲惨なことは起こらないように
運命を修正してくれると言われています。
「恐れるものは来たる」と言われていますから、恐れないで、「ケミカライゼーションということがあるがために、
われわれにとっては人生が非常におもしろくなるのであります」と言われていますから、たのしみにしましょう。

891復興G:2012/08/12(日) 23:59:26 ID:xKxowNU.

「案ずるより産むが易し」とも言われますからね。

892トキ:2012/08/13(月) 00:00:21 ID:/As0gfBA
>>890

 ありがとうございます。安心しました!

893復興G:2012/08/13(月) 00:05:51 ID:xKxowNU.

では、今夜はもうやすませて頂きます。
皆さま、本当にありがとうございました。
神様の愛につつまれて、やすらかにお寝みください。

894志恩:2012/08/13(月) 00:12:16 ID:.QY5jUA6
復興Gさま、トキさま、はじめ 皆様

お世話様になりました。ありがとうございました。

895如月:2012/08/13(月) 00:23:55 ID:ki/haAjk
>>888 志恩さま

そうなのです。 言葉が怖いですよね。
もう少しふわっと、した言葉がいいですね。
目がくらむような恋とは…うまい事言いますね!

896如月:2012/08/13(月) 00:24:51 ID:ki/haAjk
>>890 復興Gさま

遅くまで、ご指導ありがとうございました。 

>神は愛ですから、耐えられないような苦痛を与えられることはない<

そうなのですか! 良かった、安心しました。
それなら安心して続けて行けます。 ありがとうございました。
「案ずるより産むが易し」ですね。
どんなケミカライゼーションが自分に起こるのかビクビクしていました。

897如月:2012/08/13(月) 00:27:34 ID:ki/haAjk
トキさま
皆々様

高尚な論議の中、お目汚しをしてすみませんでした。
おかげさまで、今回もたくさんの事を学べました。
ありがとうございました。

898SAKURA:2012/08/13(月) 00:54:31 ID:V.pKl3yA
如月様

こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

個人的には、思いますのです〜♫〜
いつも“ポジティブな発言”は、周囲を癒してくださいますモノ〜♫
【ケミカライゼ−ション】…これは「如月様」には、縁がないものと思います…。

昨日からの“楽しい〜♫ ”投稿拝読させて頂きまして、ありがとうございます。
                            
 再合掌

899SAKURA:2012/08/13(月) 00:57:25 ID:V.pKl3yA
トキ様 ヘ
復興G様 ヘ
観覧者の皆様 ヘ

こんばんは……  ロ‐マ字の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>870拝読させて頂きまして…

■【ケミカライゼ−ション】と言う言葉を よく聞きます。
「生命の実相…第2巻」にも
「エディ夫人がケミカライゼ−ション…すなわち心機一転の化学反応」となずけたところのもので
ありまして、心が光明に照らされてくると、今まで「迷い」のやみが「肉体の影」に映し
出していたところの病的状態の自壊作用を促すので病気そのものが自壊する必要上、黴菌(ばいきん)や
分秘物を排除すべき痰や咳がいくぶん増加してくるのであって、いっこう恐るべきことではなく、
むしろ歓迎すべきことなのです。」
…病気の急変…のみならず

>>877の「復興G様」の投稿にようから…
「怒り・恐怖・不安」この様なネガティブ感情は、やはり、「雅春先生」も、
「有毒性の生理的部質を発生せしめるとか?生理的器官は小さくちぢかんで完全に働かない?」…
その様な言葉を述べられていらっしゃいました。…が?

そうです〜ネ!別の観点から見ますと「ケミカライゼ−ション」…仮に私が、
「怒り」・「恐怖」・「不安」…これは、どこから生まれます“感情”なのでしょうか?
つまり「迷い」から来るものと私は思います・・。では?迷いの原因は?真実を知らずに、
ある面では、自分自身の“我”が優先しまして時には“あ〜でもない?”・“こ〜でもない?”
妄想的な部分も出てきますでしょう。
この【我欲…】と言います部分は、ある面では、逆に申しまうと【業…】となって来るものと思います。
【我欲…】と言いますモノは、「神の御心」には叶わぬ事もあると、私は判断しております…。
その様な場合は、仏教で申します“業”となってこの「現実世界=現象世界」に、現れてくるのでは
ないでしょうか?私の捉え方は…

■【ケミカライゼ−ション】=【自壊作用…】も含んでいるモノと判断しています…。

ですから、これは他人により現実界に現われる方と、そうでない方がいらっしゃいますと、
思います。それは「神の御心に叶わない」場合は、現実として出てくるのではとの判断なのです。

やはりポジティブ感情にて【これからよくなる!益々よくなる!】その様に“心”を、
常に前向きに持ちます事は【人生の目標達成…】と言います意義に於きましては、この
【プラス思考のケミカライゼ−ション…心機一転】は、必要と思います…。

この事は「雅春先生」が説かれます【人生は心で支配せよ】これに繋がるモノともいます。
最終的には、「現総裁雅宣先生」も説かれています【心の法則】を駆使する事が…、
どこまでこの「現象世界」で、出来ますか?その持続性の“心の真価”を問われている様に、
思えました…。今、更に思考中です…。

■今回の“気付き”を、多々なる方面から学ぶ事が出来まして、改めて感謝申し上げます。
そして、皆様方の考えを、学ぶ機会を頂きました事に、
【現総裁雅宣先生…擁護派】と致しまして、深く感謝申し上げます…。
                                   再合掌

900あさひ:2012/08/13(月) 01:13:46 ID:/3nxKE2Q
「悪くなるほど、善きことが近づいて来たと思え」という言葉が心に残りました。
夜明け前ほど暗い。そう考えると、怖いもの知らず、「何が来ても善くなるしかない」嬉しいですね。
ウエブ誌友会有難うございました。

901金木犀:2012/08/13(月) 02:30:10 ID:auusu5IE
復興G様

有難うございます。
誌友会に参加しようと思いながら、どうも今回はうまく行かずに、いつも皆様の去られたあとに
覗いて見るはめになってしまいます。しかし、その代わりに落ち着いてしっかりと読むことが出来、
復興G様の引用された『久遠の今』、榎本圭吾記念館へのリンク「幽斎殿 Ⅰ」の御文章もしっかりと
読むことが出来、大変感銘を受けました。

確かに復興G様のおっしゃる通り、イエスの法灯を継承するとは、光の内を自分のものにすることであり、
光そのものと一体となることであり、自分が「久遠のキリスト」と一体となることでありますね。
そしてそれは、榎本先生が「幽斎殿 Ⅰ」で繰り返し書いておられるように、神即自分であり
一切は神のみであり、一切は自分であり、それ故自分というものはないのであり、無我として消え切ったら、そこに実相現象渾然一体が
顕れ、実相、現象という区別もすでになく、あるものは神のみ、ということなのでしょう。この御文章を見ながら、御文章の力に支えられて、思索を進めればなんとなく思索の上では
わかるのです。あくまで、なんとなく、くらいですが。
これを実際に生活に活かせるかといえば、まだ神想観をうんと沢山しなくてはいけないようにも思います。

『久遠の今』というレコードの講義は聞いたことがあります。
雅春先生が、徳久博士が学生時代、将来医学博士になって、と思っておられたという話をされていました。徳久博士が、その頃はまだ博士ではないが、と関西訛りで何度も仰るのがおかしくユーモラスに聞こえました。そして、今大学で勉強しているのは、これは手段であり、
将来医学博士になるためである。では医学博士になるのが目的かと言えば、これも手段であり、これはお金を儲けるためである、ではお金を儲けるのが目的かといえば、
これは手段である。お金を儲けて、豊かになって、お妾でも作ってと、何処まで行っても、手段手段の生活であったという話から、始まる講義でした。
徳久先生が、生長の家に触れて、今までの自分の生き方が、今を生きていない、今が手段でしかない生活であったという反省をされる話でした。
今を生きるとは、手段を生きるのではない、将来の手段としての今ではない、今の中にある久遠を生きること、今の中の完全を生き切ること、
そのようなお話であったのを、うろおぼえながら覚えています。
まだそのレコードは、うちにあるはずですが、今度探してみようと思います。

常今の生活とは、今が手段でなく、今の中に無我となって、神が顕れるような生活をすることなのでしょう。
無我となって、神に全託する、「我心をむなしくして、み心に沿い奉る」という心境になることではないかと思います。
まだまだ、そのような心境にははるかに至らないですが、きっとそうなれば、我という縛りから開放された自由自在の
神そのものの真我が顕れるのでしょう。なんだか、雅春先生や、天皇陛下のご心境が、こういう状態ではと思います。

902あさひ:2012/08/13(月) 02:51:32 ID:/3nxKE2Q
金木犀様

今を生きるとは、手段を生きるのではない、将来の手段としての今ではない、今の中にある久遠を生きること、今の中の完全を生き切ること、

心に残りました。徳久先生のレコードをお持ちとか、是非聴きたいものです。
有難うございました。

903志恩:2012/08/13(月) 05:12:03 ID:.QY5jUA6
金木犀さま

「久遠の今」の動画を貼付させていただきます。前編・後篇 あわせて拝聴して約15分。

『久遠の今』 前編 谷口雅春先生ご講話


  http://www.youtube.com/watch?v=e2ol5ztA3z8

904志恩:2012/08/13(月) 05:14:26 ID:.QY5jUA6
 『久遠の今』 後編  谷口雅春先生ご講話

  http://www.youtube.com/watch?v=lDSwsxbLfes

905復興G:2012/08/13(月) 08:21:02 ID:xKxowNU.

皆々さま、おはようございます。

真理の奥殿、「今此処天国」に誘われる、素晴らしいWEB誌友会だったと思います。

皆さま、如何でしたでしょうか。

最後に志恩さまが谷口雅春先生ご講義『久遠の今』の動画を貼付してくださって、最高でした。

皆々さま、そしてご家族皆々さま、すべての上に、神の癒やしと祝福のみ光、無量寿のいのちが燦々と流れ入り、

幸せに満ちた神の子の生活がひろがりますように。

 感謝 合掌 礼拝

906復興G:2012/08/13(月) 08:50:46 ID:xKxowNU.

合掌 ありがとうございます。

「新天新地の神示」を拝掲させていただきます。


   新天新地の神示

 見よ、われ既に天地を新たならしめたのである。人々よ、眼の蔽いをとれ、われは新しき智慧である。新しき生命である。新しき宇宙である。新しき光明である。われ臨(きた)って此の世界は既に変貌したのである。既に信ずる者の暗黒は消え、醜悪(しゅうお)は滅し、病いは癒え、悲しみは慰められ、苦しみは柔らげられた。神秘を見て人々よ、目覚めよ、覚めてわが新しき光に照らして存在の真実を見よ。われは存在の実相を照らし出す完成(ななつ)の燈台に燈を点ずるものである。

悲しみに泣き濡れた人々よ。いま眼を上げて吾が光を受けよ。汝の悲しみは喜びに変るであろう。病める者よ、いま病の床より起ちて、わが生命を受けよ。われを拒むな。われを信ぜざる者は已(や)むを得ぬ。われを信ずる者は黙坐してわれを念じ、われに依り頼れ。われ汝等に『神想観』と言う観行を教えたればそれを為せ。われに汲むものは常に新しき力に涸れないであろう。吾を呼ぶ者のもとに吾れは常にありて、汝らのために汝らの重きくびきを軽からしめる。なんじ一人ならば吾れを念じて吾れとともに二人なりと思え。なじら二人ならば、吾れを念じて吾れと倶(とも)に三人なりと思え。悩める者よ、わが言葉を読めば苦しめる魂も軽くなり、悲しめる魂も慰めを得ん。そはわれは限りなき大愛であるからである。

汝ら事にのぞんでわれを呼べば、自己の知らざる智慧の湧き出ずるに驚くであろう。信ぜぬ者、呼ばぬ者は、不憫であるが助けようがないのである。汝の心の疑いがわが心の波長に合わないからである。遠くにいて救われている者もあるが、近くにいても救われぬ人もある。仕方のないことであるが不憫である。もっと兄弟たちに、『生長の家』を伝えよ。神の愛は貰い切りではならぬ。頂いたお蔭を『私』しないで、神の人類光明化運動に協力せよ。『生長の家の神』と仮に呼ばしてあるが、『七つの燈台の点燈者』と呼んでも好い。七つの教えとイスラエルの十二の分派(わかれ)がわが教えで新しき生命を得るのだ。わが教えはどんな教えをも排斥するような狭い宗教ではない。教えの太宗(もと)であるから宗教と言うのである。
  (昭和六年五月六日神示)

907金木犀:2012/08/13(月) 12:24:41 ID:auusu5IE
アサヒ様
有難うございます。ほんとにまだお若い頃の雅春先生のお声が聞けて、
生長の家を知ったばかりのときに聞いて、心に残ったレコードでした。

志恩様

『久遠の今』の動画貼り付け有難うございます。いつも志恩様の行動力には尊敬の念を覚えます。
まさに、志恩様は『今』を生きておられる人だと思います。

私の持っていたレコードは如意宝珠観の裏面にこの講話があったのですが、
最後の徳久先生の『よろこびの発見』という本があるという部分から始まっている短いものでした。
本当は、こんなに長い講話だったのですね。復興G様の謹写されている文章もなんかレコードと違うから、
あるいはそうかなと思ってはおりましたが、こうして全体の講話を聞かせていただき
ほんとに有難うございます。

復興G様

素晴らしいご指導を有難う御座いました。『久遠の今』をプリントアウトして、
しっかりと読みたいと思います。動画を聞きながら、読んでいくときっと最高ではないかと
思います。
いつも、労を厭わず的確な御文章を謹写してくださり、本当に有難うございます。
今後とも宜しくご指導をおねがいいたします。
素晴らしい書き込みをして下さった神の子の皆様、有難う御座いました。

908goro:2012/08/13(月) 13:13:32 ID:Cc8Z7oOY
志恩様

尊師の尊い動画有り難うございます。
子供や孫達の為に録画しておきたいと思います。
機会がありましたら又よろしくお願い致します。

909復興G:2012/08/13(月) 14:22:14 ID:xKxowNU.

金木犀さま、あさひ様、志恩さま、goroさま、皆々さま。

ありがとうございます。

「久遠の今」のレコードは、2枚になっていて、
1枚目は、片面がご講義「久遠の今 1」、もう片面が基本的神想観。
2枚目はご講義「久遠の今 2」と如意宝珠観でした。

私はそれを、溝がすり切れるほど聴きましたが、ある時期にテープに録音しなおして、レコードは使命を終え廃盤にしました。
(このご講義を動画に編集した人とYouTubeにアップした人を知っていますが、申し上げることはできません)

これは、子孫に残すべき尊い価値あるご講義だと思います。

ありがとうございます。

910復興G:2012/08/13(月) 14:57:02 ID:xKxowNU.

SAKURA さま、たくさんの書き込みを、ありがとうございました。

特に、>>899で 「ケミカライゼーション」について詳しく解説していただき、たすかりました。

ありがとうございました。

911トキ:2012/08/13(月) 16:59:42 ID:M6RayxhQ
復興G様

 長時間、ご多忙の中、素晴らしいご指導を賜り、ありがとうございました。

 復興G様のご指導は卓越したもので、個人的にも勉強になりました。
さすがは大先達だと思います。榎本先生の記事も懐かしく拝読しました。

 投稿をされていない方々も、この一連の投稿を読まれて深く得る部分が多かった
と思います。皆様、復興G様に心からの拍手をお願いします。(拍手)

 今後ともよろしくご指導をお願いします。

合掌 ありがとうございます

912復興G:2012/08/13(月) 17:36:45 ID:xKxowNU.

トキ様、ありがとうございます。
トキ様がこの掲示板を死守して運営管理にがんばってくださっているおかげです。皆々さま、管理人トキ様に感謝いたしましょう。
ありがとうございます。ありがとうございます。

ところで、ロンドンオリンピックは華やかに感動のエピソードをたくさん残して終了しましたが、11日のボクシング男子ミドル級では村田諒太(東洋大職)が金メダルを獲得。その陰には妻佳子さんの大きな支えがあったということが報じられて、明るい話題になってますね。

「北京五輪出場を逃し、引退した後を“食事もろくに取らず、抜け殻のような毎日だった。本当にこの人はボクシングが好きなんだと思った”と振り返る佳子さん。復帰後、前向きな気持ちになってほしいと願いを込め、

“五輪で金メダルを取りました。ありがとうございます”

と紙にしたため冷蔵庫に貼った。……その通り、夢は実現した」と、日経紙は報じており、テレビでも(テレ朝でしたか)そのことを報じていました。
この奥さん、生長の家じゃないでしょうか……。

913SAKURA:2012/08/13(月) 17:41:59 ID:V.pKl3yA
復興G様 ヘ

こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

今回の【WEB 誌友会】参加させて頂きましてありがとうございました…。
「復興G様」からの>>910の“お返事”頂きまして…感謝申し上げます。

まだまだ勉強中の私なりの【ケミカライゼ−ション】を投稿させていただきました事に、
「復興G様」に、感謝申し上げます…。私事ですが…

■【新 天 新 地 の 神 示】

【見よ、われ既に天地を新たならしめたのである。人々よ、眼の蔽いをとれ、われは新しき智慧で
ある。新しき生命である。新しき宇宙である。新しき光明である。われ臨(きた)って此の世界は既に
変貌したのである。既に信ずる者の暗黒は消え、醜悪(しゅうお)は滅し、病いは癒え、悲しみは慰め
られ、苦しみは柔らげられた。神秘を見て人々よ、目覚めよ、覚めてわが新しき光に照らして存在の
真実を見よ。われは存在の実相を照らし出す完成(ななつ)の燈台に燈を点ずるものである。】
                                     一部抜粋
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■今日は、この言葉が、格別に私の「心」の奥深くに〜深層部まで〜入りました……。
この言葉にて、日々の“心”を磨く事の重要性を、更に、感じました次第です。
私自身が、いつも、よい言葉をだすことに注意を払いまして“行“じます事は、相手の方に対し、
もちろん私自身も“心”そのモノが、ポジティブになつて参ります…。そうしますと…
全てが〜運命をも〜良い方向に行くモノと、信じてやまない“素直な心”が、現れて来ました。

本当に…“目覚めよ〜♫〜”と言う感じなのです。

余談になりますが、ある処で「コメント…」致しました。一部なのですが…
■それまでの、私の心の片隅に、ひそかに隠れていましたでしょう〜〜〜
自分自身のネガティブ感情(不安?嫌な感情?)を、はるか彼方〜へ“アウト・プット”する事が、
出来ました。【心機一転…ケミカライゼ−ション】

その様に私のこころの【ベスト・フレンド】と対話しまして、決めましたとたんに、
まだ明けやらぬ朝、外へ出かけますと…何と目の前に“黄金色のパノラマ風景”に、
いつもの光景が、様変わりなのです…。【心が変われば、世界が変わる。】

【見よ、われ既に天地を新たならしめたのである。】

本日は、この言葉が、私に“ピッタリ”なので〜〜〜す。
本当に、色々成る資料掲示…「復興G様」ありがとうございます…。    再合掌

PS:
今日から「お盆」ですが…もう少しで“帰宅路〜♫〜”ヘと…
いつものドタバタ??お仏壇の掃除をしまして、今年の年頭に「亡くなった母」をお迎え…
ふと!母がしていましたこの時の行事…
お供えモノをのせる台、季節の果物、野菜などの七種を……思い出しながら…、

お仏壇に向かい…「生長の家…お経」を。チ〜〜ン!チ〜〜ン!

914志恩:2012/08/13(月) 18:03:16 ID:.QY5jUA6
今朝、あるテレビ番組に村田諒太君の奥さんが出演していて、飛行場からテレビ局へ直行したそうですが、

「すでに金メダルをとりました。ありがとうございます」と書いて冷蔵庫に貼った
 エピソードを話していました。あれは、3年前から貼ってあったそうですが、

彼女は、この精神は、私の母から教わったものだと言ってました。
とにかく,彼女は、子供のころから、いつも自然体に前向きな気持ちでいられるそうです。

夫が、ネガティブになると、自分は夫をどうやって励ましたらいいか、心を砕いていると
言っていました。家庭をたえず明るい雰囲気にしているそうです。まるで、生長の家の人みたいだと、私も思いました.

915志恩:2012/08/13(月) 18:28:22 ID:.QY5jUA6
復興Gさま、トキさまはじめみなさま
今回のWEB誌友会も、たくさんたくさん教えて頂けて,幸せに存じております。

今朝も、私宛に下さいました皆様のコメントも、全部 拝見しました。
お1人お1人、お名前をあげますと
書き忘れがあると失礼に当たりますから,書きませんが、皆様に、心から感謝しています。

ありがとうございました。

916SAKURA:2012/08/13(月) 18:59:36 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ

こんばんは…… ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

「トキ様」ありがとうございました… 。
今回は、いろんな形での“問題”もあり、そういう状況下で、
「復興G様」の資料…此方も、改めて【真理の勉強】の機会を頂きます“きっかけ”になりまして、
些細な事にも、自然体で眼につくような気持ちに、させられました、

「復興G様」・「トキ様」の掛け声で…【祈り合い神想観】を、楽しく〜♫〜
【真理の追求】を、して行く事が出来ました次第です…。そして、素直な心の私にて、
今回は“素直”に、「復興G様」の資料をコピ−しまして“真剣”に熟読してみますと〜〜〜、
以前とは異なりますのですが〜〜〜「新たな発見」なのです。…不思議な気分!

当たり前でしょうかしら〜〜〜ン!

どうして?前回よりも【真理…】の意味が、理解出来ましたから……?
物事の「捉え方」も、“変化”していきます〜〜〜ネ!先ず!今は【与えられた事に感謝】です。

管理人「トキ様」……
大変、【WEB誌友会】お世話になりました…。感謝申し上げます。
                                     再合掌

917トキ:2012/08/13(月) 19:30:14 ID:M6RayxhQ
>>916

 いえいえ、全て復興G様がご尽力して下さった事で、私は何もしておりません。
復興G様に感謝、感謝です。

918復興G:2012/08/13(月) 21:18:24 ID:xKxowNU.

皆々さま、ありがとうございます。

このWEB誌友会は、神様が指導してくださっている誌友会である、という思いがしてなりません。私も、神様に導かれているし、皆さまのご発言も、みな神様に導かれていらっしゃると思われるのです。素晴らしい、ありがたいことだと思います。ありがとうございます。

ところで、次回の誌友会ですが……定例開催日は
【毎月第二金曜日の午後9時半から、日曜日の午後11時半まで】
となっております。それだと9月は14日(金)夜から16日(日)夜まで、ということになりますが……

実は、その開会日 9月14日午後から、私は他教区から呼ばれていて(教区練成会に出講)一泊で出かけなければなりません。帰着は15日(土)夜になります。

それで、もしよろしければ1週間前の第一金曜日

9月7日(金)21:30〜9日(日)23:30

に変更させていただければ、私も最初から参加できると思うのですが、いかがいたしましょうか。私は不在でも、予定通りの定例日に、皆さまで(神様のお導きのままに)やっていただいてもよろしいと思いますが……。

919復興G:2012/08/13(月) 21:30:41 ID:xKxowNU.

追伸です。
9月第三金曜日の21日からですと、22日は秋分の日で、お彼岸の先祖供養会があり、23日(日)も行事がありますので、第一金曜日

9月7日(金)21:30〜9日(日)23:30

の方が、私は都合がよろしいのですが……。

920トキ:2012/08/13(月) 22:44:30 ID:M6RayxhQ
 私は、個人的には、web誌友会は、復興G様のご都合に会わせるべきかと思います。
他の方々のご意見もお願いします。

合掌 ありがとうございます

921志恩:2012/08/13(月) 22:48:10 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

ご都合の良い日を教えて下さって、ありがとうございます。
トキさまのご都合は、いかがなのでしょう。
トキさまが、よろしければ、われわれが、その日に合わせるということで、よろしくおねがいします。
復興Gさまとトキさまが、いらっしゃらないと、
お尋ねできませんので、合わせさせて頂きます。
私は、その日で大丈夫です。

922志恩:2012/08/13(月) 23:09:00 ID:.QY5jUA6
>>920:トキさまの書き込みを拝見しないで、921を書きました。
失礼しました。トキさまが、その日でよければと思いますが、

他の方々のご意見も、お聞きしたく、よろしくおねがいします。

923金木犀:2012/08/14(火) 06:41:53 ID:auusu5IE
私も、復興G様がいらっしゃらなければ、中心の指導者を欠いた様な頼りない
気持ちがしますので、やはり復興G様のご都合に合わせて開催していただきたいと思います。

924復興G:2012/08/14(火) 14:28:54 ID:xKxowNU.

トキ様
志恩さま、金木犀さま、皆々さま。

合掌 ありがとうございます。

それでは、勝手ながら、次回 第6回WEB誌友会は、私の都合により、

9月7日(第1金)21:30より
 〜9日(日)23:30まで

に予定させていただきます。

テキストは
『生命の實相』第1巻「實相篇 光明の真理<上>」の第4章「心の世界における運命の形成」と第5章「生きた事実を語る」
の2つの章テキストとして学ばせて頂きたいと思います。よろしいでしょうか。

ありがとうございます。

925志恩:2012/08/14(火) 16:05:03 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

トキさまと金木犀さまのコメントが、ございましたが、
われわれは、皆、復興Gさまのご都合に合わせますので、>>924、9/7で、決まりです。 
また 次回も よろしくお願い申し上げます。

926如月:2012/08/15(水) 11:54:12 ID:ki/haAjk
遅くなりました。

今回もご指導ありがとうございました。
とても勉強になりました。
次回の誌友会についても、ここまでの流れに異存はございません。
またご指導いただけるのを喜んでおります。よろしくお願い致します。

927a hope:2012/08/15(水) 14:41:16 ID:r8H4x9xE
みなさま こんにちは


<第6回WEB誌友会予告>

≪日時≫9月7日(第1金)21:30より
    9月9日(日)23:30まで
≪テキスト≫『生命の實相』第1巻「實相篇 光明の真理<上>」P113〜P166
≪内容≫ 第4章「心の世界における運命の形成」第5章「生きた事実を語る」


次回も、復興Gさまのご指導のもと、みなさまと大切な聖典「生命の實相」を、
お勉強できるのを楽しみにしています!

感謝 合掌

928a hope:2012/08/17(金) 08:43:33 ID:r8H4x9xE

みなさま おはようございます。

第5回web誌友会は、「参加者の『祈り合い』で始まり、生長の家の真理『久遠の今』を語って終わった」
そんな、「真の生長の家」にふさわしい、心が浄まる素晴らしい誌友会だったと思います。

わたしは、今回の誌友会で「祈る」ということの本当の意味を、お勉強させていただきました。
「生長の家の教え」では、実相を「観る」「礼拝する」「祈る」…と、色々な言葉で表現されていますが、

今までわたしは、神想観をしていても、本当には相手の実相を観ていなかったような気がします。
自分の暗誦した「祈りの言葉」を繰り返し唱えていることで、
相手の実相を「観た」「礼拝した」気になっていたのだと思いました。

>>850で、童子さまが、ご推薦して下さった、「人間苦の解放宣言」の祈り合いの神想観実習本義を、
あらためて拝読しました。
以前、web誌友会で、復興Gさまが「祈る側の心構え」の(1)〜(3)までを謹写してくださいました。(>>216 >>217 >>218)

ですが、(4)相手を癒すには非ず、自分の心を癒すなり  にも、素晴らしい体験談が二つ載っていて、
わたしは、それを拝読することで「ああ、『実相を観る』とは、そういうことだったのか・・・」と実感できました。
(4)は、信仰/体験板に、謹写させていただきます。

100の言葉での説明を聞いても実感できない真理が、1つの体験談を聞いて実感できてしまうのだなと感じました。

宇治の練成会では、体験談をとても重視すると聞きました。
もともと一つである「神の子」のわたしたちですから、誰かの体験談を聞くことによって、
自分も癒されるのは、「自他一体の自覚」をもってすれば当然のことなのかもしれませんね。


今日から、宇治別格本山では「大祭奉仕」が行われているのですね。
ハマナスさまは参加されるそうで素晴らしいですね!

宇治別格本山盂蘭盆供養大祭の成功を、心からお祈りしています。

感謝 合掌

929金木犀:2012/08/17(金) 10:32:15 ID:auusu5IE
a hope様

先に体験板の方を見て素晴らしさに感動したところでした。
ほんとに的確な謹写をなさっているとおもいます。
a hope様のご心境がものすごい勢いで進まれているような気がして
あっけにとられる程に感歎しています。

930a hope:2012/08/18(土) 10:47:31 ID:r8H4x9xE
金木犀 さま

わたしの聖典の謹写に、もったいないようなコメントをありがとうございます。
わたしは、この1年間で、本当によくお勉強させていただきました。
独学で、聖典だけを勉強していたのではこのような生長はさせていただけなかったと思います。
こちらの掲示板で、みなさまとつながっていたからこそだと感じ、管理人のトキさま始め、
投稿者の一人ひとりのみなさまには心から感謝しています。

ですが、わたしはまだまだこれからなのです。
わたしが、「一人信者」でいて一番怖いと感じているのは、増上慢に陥ることだと思います。
自分は「真理」を知ったと勘違いしてしまうほど怖いことはないと感じています。
これからも、こちらの掲示板で素晴らしい「真の生長の家の教え」を、
謙虚な気持ちでお勉強させていただきたいと思っています。

みなさま、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

931さくら:2012/08/18(土) 12:57:05 ID:0i7KfNLo
どうしてa hopeさまは、真の生長の家とあえて、
何度もお使いになるのですか?

932さくら:2012/08/18(土) 12:58:57 ID:0i7KfNLo
わたしはなぜか、「真の生長の家」と何度も何度も
お使いになることに、とても悲しいきもちがします。

933さくら:2012/08/18(土) 13:00:22 ID:0i7KfNLo
雅春先生は、「真の生長の家」とこ言葉を、
お使いになられたでしょうか。
どなたかご存知ならご教示頂けたらありがたいです。

934a hope:2012/08/18(土) 13:29:39 ID:r8H4x9xE
さくらさま

わたしはもう何度もお話していますが、わたしは聖典「生命の實相」に魂を揺さぶられて、
「現生長の家教団」に入信しました。
しかし、その「今の生長の家の教え」特に雅宣先生のお書きになった著著を拝読し、
「祈りの言葉」を唱えていて、心身ともに非常に病んでしまったのです。

だから、この掲示板をご覧のみなさまおひとりにでも、
わたしのような辛い経験をしていただきたくないと思い、あえて「真の生長の家の教え」と発言させていただいています。

わたしにとって「真の生長の家」=「生命の實相」であり、
今の教えは“真の教え“だと思わないから、あえて「真の生長の家の教え」と表現させていただいているのです。
“真”でななくても、“本物”とでも“本当”でもかまいませんが・・・
そして、「真の生長の家」はもうすでにあるのだとわたしは信じています。

さくらさまを悲しませたくはないのですが、わたしには自分の経験から感じたことを、
素直に発言していく義務があるように感じているのです。
申し訳ありませんが、さくらさまのおっしゃっていることはわたしには理解できないのです。

ごめんなさいね。

935さくら:2012/08/18(土) 13:46:18 ID:0i7KfNLo
真の生長の家とは、あなたにとっての真の〜なのですね、
わかりました。
なら、あなたしか理解できないので、納得しました。
雅春先生は、そのようなことは決して言われなかったので。
そのことばが、あなただけのことばなら、好きにお使いになったらよいとおもいます。

それから、もし、なにかのせいで、気分がわるくなったなら、それは、
外にあるもののせいではないと、わたしは理解しています。

これ以上書くと、
あなたには理解できない「議論」になるので、
もうお話はしません。

あなたの理解される「真の生長の家」で、学ばれますことを、
お祈りします。

936a hope:2012/08/18(土) 14:02:19 ID:r8H4x9xE

この掲示板をご覧のみなさま

わたしの病状は気分を害した程度の状態ではなかったことだけは、
はっきりお伝えしておきます。

でも、そのことはさくらさまご指摘どうり、自分の内側に問題があったからこそ起きた
よくなるためのケミカライゼーションだったと理解しています。

だから、今はすべての出来事や、雅宣先生始め本流の先輩方、
そしてすべてのこの掲示板での出会いに感謝しています。
もちろん、さくらさまにもです!

わたしはこれからも自分の理解できる「真の生長に家の教え」を、
一生懸命勉強し、少しでも真理に近づきたいと思います。

さくらさま、応援ありがとうございます!

937みすはなまる:2012/08/18(土) 14:16:21 ID:1TMI0kC2
>>a hope さま

私は、雅春先生がお説き下さった真理を、唯神実相哲学とよく申します。

a hope さまが真の生長の家と言われたことと、唯神実相哲学とは、同じ…もしくは同じ意味合いかも知れませんね。

私は、家庭内でのインターネット環境が整いましたので、来月の誌友会には参加させて頂けると思います。

よろしくお願いいたします。

938さくら:2012/08/18(土) 14:24:29 ID:0i7KfNLo
人間に理解できる真理や神事というのは、
ほんとうにごくわずかだな…思わずにはいられません。

たとえば、地震ひとつとっても、その原因など、霊的なことも現象的なことも、はっきりわかったとは言いきれないものがいまだ残ります。


a hopeさまには、このようにまとめられてしまい、こちらの意図を全く理解されないというのは、心痛いことですが、
わたしは、だれにとっても、都合のよいことは言えないので、
仕方ありません。


ちなみに、生長の家用語ではないので、
真の生長の家の方には理解されないかもしれませんが、
悪はない、とは、現象的に見ないようにすることではなく、
この現象界で、神様から頂いた能力を使って、人事を尽くした後ではじめて訪れる境地なのではないかな、とわたしはおもっています。
理解できないものを、なんでもいいように解釈する、ということとは、ちがうのではたいかなと感じています。

祈拝

939さくら:2012/08/18(土) 14:29:15 ID:0i7KfNLo
わたしはこちらでは、だれも親しく会話をするような
仲間はいません。
仲間同士は、声を掛け合い、なにか言われればかばいあいができますが、
こちらで書いてご理解いただくことなく、カルトなどと非難されたときや、論点をずらされたとき、
「敵でも味方でもない、」訊けさまと、初心者さまが、ご理解いただきました。

感謝しています。

940a hope:2012/08/18(土) 16:05:03 ID:r8H4x9xE

みすはなまるさま

真の生長の家の教え=雅春先生がお説き下さった教え=唯神実相哲学
そうです!
そういうことだとわたしも思います。
「唯神」「実相独在」が、「真の生長の家の教え」なのだとわたしは感じています。
教えてくださり、ありがとうございます。

次回のweb誌友会にはご参加くださるのですね!
わたしは、「生長の家の唯神実相哲学」をみなさまとお勉強できて本当に幸せです。
これからも、よろしくお願い致します。


さくらさま

わたしたちはみな神の子で、もとは一つなのですから、
みな大切な仲間なのだとわたしは思わせていただいています。

でも、現象世界では、その人その人の方法で学びながら生長していくわけですから、
考え方の違いが出てきてしまうのは仕方ないことなのではないかと思います。

以前、この掲示板では、女子会などでさくらさまやかぴばらさま、
Queen beeのママなんかと楽しくお話していましたね。
今は、わたしは生活環境が変わってしまい、以前のようなお話はできなくなりましたが、
さくらさまやみなさまからからは本当にたくさんのことを教えていただきました。
その思い出は、わたしの大切な宝ものです。

さくらさまや初心者さまは「訊け」管理人さまや他の方々の「組織」や「真理」に関するお話は、
あらゆる方面に豊富な知識がある方でなければなかなかついていけない難しいお話なのだと感じています。
だから、わたしのようなふつうの、どちらかというとアホな主婦にはとても理解できるものではないのです。
さくらさまを理解してあげられないことは、わたしもとても心苦しく感じています。
本当にごめんなさいね。

941さくら:2012/08/18(土) 20:27:28 ID:pfeYmdso
わたしは、今までも、それぞれの学びを尊重していたつもりですし、
a hope様とは組織の話もしたことないので、その点もご理解していただこうと思っていませんでしたし、
また仲良しの仲間になり、なんでも理解してもらうつもりで、おたずねしたわけではないので、
なぜこうして心なく謝られるのか理解できず、悲しいですが、
避けたいのがわかりました。

ほんとうに、真の生長の家と何度も使うことにある意図を感じましたので、おたずねしただけでした。

a hope様が個人的経験から、理解できるものに対して、
真の〜、と使うことがわかりましたので、もう大丈夫です。

ありがとうございました。

942a hope:2012/08/18(土) 20:59:43 ID:r8H4x9xE

さくらさま

わたしは、もうまぎらわしい、真の〜、は使いませんので、ご安心くださいね。
これからわたしは、「生長の家」の“生命の実相″哲学=唯神実相哲学を信じてお勉強していきます!

さくらさま、わたしは心なく謝っているつもりはありませんし、
さくらさまを避けているつもりもありません。
仕事を始め、以前のような余裕がくなくなってしまったのです。

でも、もうやめましょうね。

こちらこそ、ありがとうございました。

944うのはな:2012/08/19(日) 20:41:33 ID:vtexDD8Q
>わたしは、今までも、それぞれの学びを尊重していたつもりですし、

この発言は、a hope さまに向けてされたものだと思いますが、
 
 あなたが書写した聖典引用など読む気がしないといわれたものにしてみれば、
 よくこんないいかっこがいえるなあと、あきれる想いです。

945うのはな:2012/08/19(日) 20:43:56 ID:vtexDD8Q

 しかし、統一協会から生長の家にスパイとして派遣されてきて、
統一性がないといわれる人っていうのは、こういうものなのだ、ということは
学ばせていただきました。

946うのはな:2012/08/19(日) 20:45:51 ID:vtexDD8Q
すみません。今、気がつきましたが、943 は部室雑談版に載せるべきものでした。
削除してください。

947さくら:2012/08/20(月) 08:36:42 ID:mOxYRrb.
話がよくわかってないのに口をだすa hopeさんや、など書いていたうのさんですが、
話の流れに関係なく、統一性のないカルトスパイの話に論点をうつして下さり、ありがとう。

この話は終わりたかったので、多義的な文章で話や論点をずらしてくれて、助かりました。



948うのはな:2012/08/20(月) 09:47:54 ID:0OK1Hwak
>947

 話がよくわかっていないのにというのは、a hope さん自身がわたしに
これこれこうだからこんな悲惨な状態になったのではないですか?と、訊け氏と私の口論に
口出ししてきた、質問のようなことをしてきたから、其の事実をいったまでです。

 さくらさんが、話の論点を移してというのがよくわかりません。
わたしは、最初からさくらさんと何かを対論している、論じている意識がなく、
試合の提案など、そのほかいろいろな面で余計なことをいってくるなあという
思いから、自分のおもうがままのことを書いてるだけです。

 だから、この話は終りたかったので、というのも、誰と何の話のことなのか
不明瞭です。そして、さくらさんは訊け氏が私に対していやがらせをしてきた、
いさかいの原因になった「多義的な文章」の話を持ち出しています。
その当初は「わたしはうのちゃんの一文多義な文章が好きだ」とかそんなことを書かれていたと
思いますが。

 私の投稿によって助かったというのなら、その返礼の意味でも、今後は
訊け氏がわたしに精神的苦痛をあたえたものまねをしないでもらいたいと思います。

949うのはな:2012/08/20(月) 09:56:23 ID:VyV.9uks
>947

 話がよくわかっていないのにというのは、a hope さん自身がわたしに
これこれこうだからこんな悲惨な状態になったのではないですか?と、訊け氏と私の口論に
口出ししてきた、質問のようなことをしてきたから、其の事実をいったまでです。

 さくらさんが、話の論点を移してというのがよくわかりません。
わたしは、最初からさくらさんと何かを対論している、論じている意識がなく、
試合の提案など、そのほかいろいろな面で余計なことをいってくるなあという
思いから、自分のおもうがままのことを書いてるだけです。

 だから、この話は終りたかったので、というのも、誰と何の話のことなのか
不明瞭です。そして、さくらさんは訊け氏が私に対していやがらせをしてきた、
いさかいの原因になった「多義的な文章」の話を持ち出しています。
その当初は「わたしはうのちゃんの一文多義な文章が好きだ」とかそんなことを書かれていたと
思いますが。

 私の投稿によって助かったというのなら、その返礼の意味でも、今後は
訊け氏がわたしに精神的苦痛をあたえたものまねをしないでもらいたいと思います。

950うのはな:2012/08/20(月) 09:57:36 ID:VyV.9uks
 すみません。電波が入りにくくて、また二重投稿になってしまいました。
949と、この投稿は削除してください。

951さくら:2012/08/20(月) 10:10:17 ID:mOxYRrb.
うのさんも、今までの話の流れがわかってないのに、統一性のないカルトのはなしになったので、わたしもうのさんの話がなんの意味するかわかりませんが、思ったことを書いたまでです。
読んで見たら、うのさんもわたしとa hopeさまの話をわかってないようなのに、なぜ、こんなかっこいいことを書けるのかなどの話になるのか、わからないので、思ったことを書いたまでです。
わたしもうのさんの部外者への怒りがわかりませんが、何度も同じようなことを読まされて、迷惑していたので、ルールを守って欲しいと、思ったことを書いたまでです。

うのさんがなんの話かわからないのに、思ったことを書くように、わたしも思ったことを書くこともあるのです。



952さくら:2012/08/20(月) 10:19:15 ID:mOxYRrb.
それから、わたしの一部の発言だけ取り出されていますが、
わたしは、うのさんが、いつも聖典謹写や他のよい本の転写していることは、尊重してますし、たのしみに読んでます。

会話の流れの中で、読む気がしたない、と書いたのは、
最低限のルールを守っていただかないと、その文章も、よみづらく思ったので、その思ったことを書いたまでです。
うのさんの学びを尊重してないという、発言ではありません。



953さくら:2012/08/20(月) 10:20:50 ID:mOxYRrb.
誤: 読む気がしたない、⇨
正: 読む気がしない、

954「訊け」管理人:2012/08/20(月) 10:27:10 ID:???




 カッコーン・・・(獅子おどし音)

 

 ・・・ところで、ぶぶ漬けいかがどすか?



 あんじょう、きばりやせ・・・・(京都言葉?)


追伸



 おおきに。





(カッコーン・・・・)



          。  。
          ヽ_/
         /´,ノ
    .カコーン/`l/
    (( ,/l;l/
    /`l,,l;l
   ,(ヽ/ l;l
   /´` ̄´,l;l
   `ー'-'´',l;l


 部室板か、下の茶屋も空いておりますええ・・(京都言葉?)

○ 茶房「ぶぶ漬け屋」
http://jbbs.livedoor.jp/study/11788/

955「訊け」管理人:2012/08/20(月) 10:34:44 ID:???
○ 茶房「ぶぶ漬け屋」


○ ぶぶ漬け茶房「いけず」に、訂正です。
http://jbbs.livedoor.jp/study/11788/

956うのはな:2012/08/20(月) 10:41:43 ID:fZPFPaaU
 さくらさんのいうことはわかりますが、訊け氏がそういうふうに私のぶんをまねたり、
私との口論になったりしたから、私にたすかったというのなら、もう訊け氏のまねを
するのはやめてくれませんかといってるんです。あなたが提案した試合ブログでも苦痛を受けてるけど
あなたがなにか責任もってくれるわけではないでしょう?

a hope さんがみんなが楽しく雑談できるような版ができたらと提案してから
部室版ができましたが、その版でも悲惨な目にあいました。
今また、訊け氏が出てきているようです。

さくらさんが思うがま書くのはいいですが、訊け氏の真似はせず、オリジナルな
ところでお願いします。

自分が人に言われるのがいやなら、じぶんのも他の者に迷惑かけないようにしたらいいと思いますよ。

957神の子さん:2012/08/20(月) 10:53:56 ID:7ECcFa/.
web誌友会 板

958うのはな:2012/08/20(月) 11:02:16 ID:D0l4ZWVo
傍観主義、教団援護派なのに、「中立掲示板」だというトキ管理人さまへ

 部室版ができる前も、わたしは懸念するのようなことを書きましたが
それについての管理人などの見解はなく、部室版ができたら落ち着くだろうといわれていた
その部室版で、光明思想を掲げながら人を排除する勢力だとか、以前否定したのに、否定していないとか
訊け氏が割り込み、悲惨な状況になりました。
その訊け氏とおなじやりかた、訊け氏の口調文体などを真似ている人が出ています。
キケ氏はなんのためにぶぶ漬けのはなしなど何回もしているのでしょうか。
最初はさくらさんにわたしが京女のことなど聞かれてそれについて応答したのがキッカケだと思いますが。

訊け氏には以前にもさくらさんにこんなことをいったとか、誰誰さんにこういったとか
いう理由で、横からやいやいいわれ続けてきました。

個人的にはさくらさんでも、a hope さんでも訊け氏の肩を持つような人にしゃべりかけて
ほしくないと思っていますが、別版でトキさんが極悪非道管理人にはトキがキツく注意しますから
といっていたのは、この版でも有効でしょうか?

 キケ氏がおかしなマネをしだしたら注意するようにお願いします。

959うのはな:2012/08/20(月) 11:03:27 ID:D0l4ZWVo
957 名前:神の子さん 投稿日: 2012/08/20(月) 10:53:56 ID:7ECcFa/.
web誌友会 板

 そうでしたよね。わたしもいま、そのことを書こうと思っていました。
 ありがとうございます。

960神の子さん:2012/08/20(月) 11:03:59 ID:7ECcFa/.
web誌友会 板

961神の子さん:2012/08/20(月) 11:07:56 ID:7ECcFa/.
キケ氏はなんのためにぶぶ漬けのはなしなど何回もしているのでしょうか。


迷惑だからだと思います。
返信要りませんがなにかあるならここで↓

○ ぶぶ漬け茶房「いけず」
http://jbbs.livedoor.jp/study/11788/

962うのはな:2012/08/20(月) 11:11:36 ID:D0l4ZWVo
 WEB誌友会で、わたしは組織経験の無い人などが司会をするのはふさわしくないと
意見しましたが、a hope さんは訊け管理人さんが司会をしたらいいと意見していました。
結果的に訊け氏は司会を降板して謹慎するとかいいながら、その謹慎中にも文の添削など
一文多義でとか言い出し、不調和な干渉をしだしてきたことをつけくわえておきます。

963うのはな:2012/08/20(月) 11:14:11 ID:D0l4ZWVo
 さくらさんへ

迷惑だからだと思います。
返信要りませんがなにかあるならここで↓

○ ぶぶ漬け茶房「いけず」
http://jbbs.livedoor.jp/study/11788/

 ということです。わたしはぶぶ漬好きではないから行く気ないですよ。
 なにかあるならここでがまたはじまったようですね。
 トキさん、しっかりしてください。

964神の子さん:2012/08/20(月) 11:17:00 ID:7ECcFa/.
web誌友会 板

965トキさんへ:2012/08/20(月) 11:48:33 ID:rDrPNupg
964 名前:神の子さん 投稿日: 2012/08/20(月) 11:17:00 ID:7ECcFa/.
web誌友会 板

何回も同じことを書かれるのは迷惑だから、次におなじものが出たら削除
する規約をつくったらどうでしょうか。形をかえた攪乱あらしのようです。

966さくら:2012/08/20(月) 11:53:40 ID:mOxYRrb.
……うのはなはん

○ ぶぶ漬け茶房「いけず」
http://jbbs.livedoor.jp/study/11788/

おいでやす。
みなさん、かんにんえ〜…、、

967うのはな:2012/08/20(月) 12:26:32 ID:x2Rfd9Ns
 
 ぶぶ漬け茶房「いけず」

 というから、また訊け氏が私の文を盗んでブログをつくったのかと思ってたら
うのはなアイランドのことじゃないですか。
 あそこは頭のおかしい人に占領されてるようなので行きません。
 最初はうのはなさんのための掲示板みたいなかんじでしたが、実際できてみると
あつかましい男に占領されています。そんな人と遊びたい人が行って下さい。

 もう、きょうはここに書き込まないから、しつこくいわないでくださいね。
 さくらさんも早く初心者さんとのしっぽり版でもつくってもらってください
 頼りない男性に頼んで。

968なんという自虐:2012/08/20(月) 13:10:29 ID:9IPJs8eU
うのはなアイランドのことじゃないですか。
 あそこは頭のおかしい人に占領されてるようなので行きません。

969神の子さん:2012/08/20(月) 13:32:12 ID:imulzmiM
>>968

kouiuhitotte atamawaruidakedebnaku
sigotomo
himananndarounaaaa

970金木犀:2012/08/21(火) 12:27:32 ID:VOugKW.o
ローマ字はやめてもらえませんか。
ものすごく読みにくいです。
アルファベットで書きたいなら、きちんと英訳してから書いてください。
それなら、まだ読んでみる価値はあると思います。

戦後に、日本語をローマ字にしようという意見もあったりしましたが、
ゾッとしますね。

971トキ:2012/08/21(火) 18:06:00 ID:OtLkCEFs
>>965

 ご意見、ありがとうございました。皆様のご意見もお願いをします。

合掌 ありがとうございます

972トキ:2012/08/23(木) 15:53:11 ID:MVBBkgK.
ご利用者の皆様へ

 いつもこの掲示板をご愛用下さり、ありがとうございます。

 突然ですが、この掲示板に「教区会員」板(仮称)を作りたいと思います。

 現在、教区つまり「現場」では、本部の恣意的な組織指導により、混乱が生じております。そのため、退会者が続出してい
ます。が、その中でも、退会もせずに、教区でがんばっている幹部、講師、信徒も多数おられます。しかし、環境はどんどん
悪化し、将来の見通しもつかないので、悩んでいる人は少なくないです。

 「甘露の法雨が入手できない」「絵手紙の誌友会の開催を強要される」「今度なった連合会長が酷すぎる」等等、教区なら
ではの悩みはあると思います。

 そこで、同じ教区の会員同士が情報交換し、励まし合う板を作ろうと思います。皆様のご意見も拝聴の上で、特に異論が
なければ、数日後に設置するつもりです。板を増やすのには、利用者の皆様の都合を考えると申し訳ありませんが、よろし
くお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

973ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/09/04(火) 13:05:00 ID:gn5QzOTA
ご無沙汰してすみません。 復興G様、皆様、ご活躍ありがとうございます。 

WEB誌友会に参加できないので、質問をおいていきます。

もし、題材からかけ離れていたらスルーしてください。

楠本先生著の「伝道物語」の表紙の裏に「陰徳」って書いてありました。

伝道と陰徳ってどのような関係で繋がっていくのだと思いますか?

974a hope:2012/09/04(火) 21:48:42 ID:r8H4x9xE
みなさま こんばんは

<第6回WEB誌友会予告>

≪日時≫9月7日(第1金)21:30より
      9月9日(日)23:30まで

≪テキスト≫『生命の實相』第1巻「實相篇 光明の真理<上>」P113〜P166

≪内容≫ 第4章「心の世界における運命の形成」第5章「生きた事実を語る」


今回の内容の一つ「心の世界における運命の形成」ですが、これを今回勉強することには、
とても意義があることと感じています。

なぜなら、ちょうど今、宇治での大雨落雷の被害と、宇治別格本山での大自然讃歌読誦との関係を、
みなさまが議論されているからです。

そして、部室板 >>1345〜>>1348で、トキさまが今回のテキストの範囲内の文章をいくつか引用されて、
今回の災害と大自然讃歌読誦の関係に関する解説をしてくださっています。
他のみなさまの書き込みも、とてもお勉強になります。

わたし個人の考えでは雅宣先生の「大自然讃歌」自体には、
自然災害を招くような力はないと感じています。

考えがまとまらないので、今はこれ以上の発言は控えます。
これから、web誌友会に向けて勉強し、web誌友会に参加しながら、
自分なりに、この「公案」の答えを見つけたいと思っています。

また、>>973でユタカさまが
>>伝道と陰徳ってどのような関係で繋がっていくのだと思いますか?

と質問してくださっています。

わたしは、楠本先生の「伝道物語」は全部は拝読していませんが、
以前わたしが、トーキングスティックボードのスティッカ―で、
伝道について話している時に、うのはなさまが一部謹写してくださった資料があるので、
そちらの方も読み直してみたいと思っています。

最近、如月さま、金木犀さま、みすはなまるさまなどの常連さまの書き込みがありませんが、
みなさま、web誌友会をわすれないでくださいね!

また、お名前をあげていくとどうしても漏れがでてしまうので名前をあげるのは控えますが、
その他の投稿者や閲覧者のみなさまのどうか気軽に参加してくださいね!

それから、復興Gさま、今回も御指導どうぞよろしくお願い致します。
 
感謝 合掌

975みすはなまる:2012/09/05(水) 23:30:36 ID:F/qw4v76

>>974 a hopeさま

お声をかけて頂いてありがとうございます。

誌友会は、参加は難しい日もありますので、少しではありますが参加させて頂きますね。よろしくお願いします。

>>973 ユタカさま

はじめまして。

私個人的な捉え方ですが、伝道は祝福礼拝行であると思っています。真理をお伝えし、生長の家の誌友になっていただけるなら、それに越したことはないかもしれませんが、相手に真理をお伝えすると同時に、訪問先の家を祝福礼拝する…

祝福礼拝行うことが尊い陰徳ではないかと思っています。

976a hope:2012/09/07(金) 09:25:05 ID:r8H4x9xE
みなさま おはようございます。

<第6回WEB誌友会予告>

≪日時≫9月7日(第1金)21:30より
      9月9日(日)23:30まで

≪テキスト≫『生命の實相』第1巻「實相篇 光明の真理<上>」P113〜P166

≪内容≫ 第4章「心の世界における運命の形成」第5章「生きた事実を語る」


みすはなまるさま

わたしも、3日間のうちの都合のつく時間帯に参加させていただく予定です。
後夜祭もあるので、あせることもないですので気楽に参加できますよね!
こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します。

如月さま

部室板ではコメントをありがとうございました。
どうも、現在の生長の家の問題をweb誌友会の話題にするのは、
どうかな〜と考えてしまいました。

ですが、今回の「心の世界における運命の形成」勉強することは、
生長の家の問題点を考えるのにはピッタリのテーマなのではないかと思うのです。

「悪はない」「現象はない」「人間は神の子」「生きとおしの生命」・・・
これらの「唯神実相哲学」を人々に伝え、
人々の魂を救うのが「本来の生長の家の使命」なのではないかとわたしは思うのですが、
現実には、魂を救うどころか退会者が激増しているそうですね。
どうして、こんな状態になってしまっているのでしょうね。
これは、ユタカさまの質問の「伝道と陰徳」にも無関係ではない気がしています。


復興Gさま

まだ登場されていませんが、今夜お会いできるのを楽しみにしています。
御指導どうぞよろしくお願い致します。

977復興G:2012/09/07(金) 13:57:00 ID:xKxowNU.


>>976 :a hope さま。

お久しぶりです。
<第6回WEB誌友会予告>を出してくださり、ありがとうございます。今夜からまたお目にかかれる――いや、お話し合いができることがたのしみです。

皆々さま。
私は只今たくさんのお仕事を戴いていて、今回の誌友会中も最終日の9日(日)午後から重要な仕事が入り、その準備もしなければならないので、今回はテキストの聖典謹写は省かせていただこうと思っていました。しかし、そんな手抜きはいけない、という内なる神の声が聞こえてきましたので、やはりそれをさせていただくことにし、只今謹写中です。あと1時間くらいで、アップロード(聖典板へ)できると思います。よろしくお願い申し上げます。

a hope さま。
「挨拶版」1285・1293のご質問、拝見しました。
私も、これは今回の第6回WEB誌友会で、生長の家の問題点を考えるのにはピッタリのテーマだと思います。

ですから、テキストの謹写が終わりましたら、誌友会開会前に、(前夜祭中に)私なりの思い、考えを、こちらで述べさせていただきます。
ありがとうございます。

978志恩:2012/09/07(金) 15:19:27 ID:.QY5jUA6
復興G様、トキ様

WEB誌友会、いよいよ、本日となりましたね。
またご指導をよろしくおねがいします。

役行者様、金木犀様、アクエリアン様、アボガド様、みすはなまる様、最近おみえになりませんが、いかがされましたでしょう。
お元気でいらっしゃいますか?

私は、発言を、少なくしますので、
皆様、どんどん、思われた事を発言くださいますように!!

その他、皆様のお名前を、1人1人書きますと、書き落ちがあるといけませんので、
書きませんが、皆様、今回も、どうぞ、よろしくおねがいいたします。

979志恩:2012/09/07(金) 15:29:44 ID:.QY5jUA6
復興G様

たくさんのお仕事を抱えていらっしゃるそうですのに、
また、聖典を謹写してくださいますそうで、ご愛念、感謝申し上げます。

いつも、すみません。

980トキ:2012/09/07(金) 16:12:29 ID:aSV5c/8g
復興G様

 今回もweb誌友会でご指導を賜り、深く感謝申し上げます。ご多忙の中、貴重なお時間を頂戴して、
ご講義をして下さる事に御礼を申し上げます。

 この誌友会は、たくさんの閲覧者様がおられるので、信徒の信仰の指針となりうるものだと思います。
今回も宜しくお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

981役行者:2012/09/07(金) 18:25:43 ID:TbHz4HEI
 志恩さま

 何とか生きてますσ(^_^;

 ですが今日はせわしいので、9日までには投稿しますよ(^O^)

982みすはなまる:2012/09/07(金) 18:49:33 ID:2YwYoulQ

志恩さま

有難うございます。なんとか元気に過ごしております。
志恩さまの、他掲示板やこちらでの、深い心意気のある気持ち良い素晴らしいご発言に、元気を頂いていたのです。本当に有難うございます。

最近届いた学ぶ会誌や心のかけはし誌に感動し、パワーを頂いておりました。

誌友会は参加させて頂きます。空いている時間に勉強させて頂きます。どうぞ、よろしくお願いします。


志恩さま、発言を少なくなさらないよう、楽しみにしておりますので、よろしくお願いします。

復興Gさま、よろしくご指導お願いします。生命の実相の謹写も有難うございます。

誌友会で、皆さまの光輝く実相に巡りあえますこと、楽しみに礼拝させて頂きます。

983復興G:2012/09/07(金) 19:00:17 ID:xKxowNU.

皆々さま。
合掌 ありがとうございます。

今回のテキスト、
『生命の實相』頭注版第1巻「實相篇 光明の真理<上>」 第4章「心の世界における運命の形成」・第5章「生きた事実を語る」(P113〜P166)
を謹写し、「聖典引用板」に20回に分けてアップロードさせていただきました。どうぞご活用ください。

志恩さま、トキ様、役行者様、みすはなまる様。
コメントありがとうございました。

a hope さま。
「挨拶板」1285・1293のご質問を、こちらに転載させていただき、こちらWEB誌友会板で勉強させていただきたく思います。よろしくお願いいたします。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

>>挨拶板 1285 :a hope:2012/09/06(木) 09:48:26

「相談・質問」です。よろしくお願い致します。
web誌友会の板に投稿しようかとも思いましたが、個人的な内容なのでこちらにさせていただきました。

今朝、神想観をしている時に心に浮かんだことを、急いでメモしました。

心の世界においてハッキリ実現してしまっている大きな事件や大災害は、現象世界に現れてきてしまうのを止めることはできない。しかし、「人間神の子」の自覚があり、常にそういう波動を放っていれば自然に危険を察知でき、その事件や災害に巻き込まれずにすむ。それは、今までのたくさんの「生長の家の歴史」で実証されている。

『大自然讃歌』や『観世音菩薩讃歌』は、神さまはいるが、「人間は罪の子」であり自然破壊を続けているという二元論的考えを持ち、更に、天地一切の物どころか一番身近な御兄弟とすら和解されていない谷口雅宣先生によって書かれた長編詩で、文章の内容はどうであれ、その波動は「人間神の子」を否定しているし、大不調和である。
その、大不調和の波動をもつ『大自然讃歌』や『観世音菩薩讃歌』を読誦し、自分の波動をそれに合わせてしまうとどうなるだろうか・・・?
これから現象世界に現れて来るであろう大不調和な事件や大災害に巻き込まれてしまう可能性はないだろうか・・・?
わたしは、自分の身を守るため、谷口雅宣先生の『大自然讃歌』や『観世音菩薩讃歌』は絶対に読誦しません。

また、宇治市内や宇治別格本山で起きた大雨落雷の被害と『大自然讃歌』の関係についても、思うところがありますが、今日はこれから仕事ですので、また後で述べたいと思います。

また、わたしの生長の家の信仰歴は、ほんの数年です。
以上に述べた事は、あくまでもそんなわたしが、今朝神想観をしていて頭に浮かんできたことです。
このわたしの考えは正しいのかどうか、復興Gさま、トキさま、他の先輩方に是非ご指導願いたいです。
よろしくお願いいたします。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

984復興G:2012/09/07(金) 19:02:44 ID:xKxowNU.

ひきつづき a hope さまの「挨拶板」1293のご質問を、こちらに転載させていただき、こちらWEB誌友会板で勉強させていただきたく思います。よろしくお願いいたします。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

>>挨拶板 1293 :a hope:2012/09/06(木) 19:38:53
 1285の質問につづき、宇治市内と宇治別格本山を襲った大雨落雷の被害について、思うことを述べさせていただきます。
宇治市内での大雨落雷の被害はもう起こることが決まっていて、止めることが出来ない自然災害だった。
そんな中で聖地宇治別格本山にも被害がでた。
なぜだろうか? 
本来なら、必ず護られるはずである聖地宇治別格本山にも被害がでたのは、やはり、「人間神の子」を否定する波動をもつ「大自然讃歌」を、講師の先生方や信徒が受け入れてしまったからなのではないのだろうか・・・?
しかし被害があったとはいえ、宇治別格本山の被害はそれほど大きなものではなかった、というのは、宇治別格本山では講師の先生方始め信徒の方々が、「甘露の法雨」などの唯神実相の聖経を毎日あげて実相を礼拝し、先祖供養、水子供養なども欠かさなかったための功徳だったのではないか・・・。
わたしは、そんな風に感じました。
先輩方、御指導よろしくお願い致します。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ――上記、a hope さまが「挨拶板」1285・1293に提出されたご質問は、今回のWEB誌友会の「心の世界における運命の形成」「生長の家出現の使命」といったテーマに深く関わることであり、こちらで勉強することは、生長の家の問題点を考えるのにピッタリだと思います。それで、テキストをしっかりと学びながら勉強させていただきたく思います。

よろしくお願いいたします。 合掌

985復興G:2012/09/07(金) 19:20:46 ID:xKxowNU.

>>973 :ユタカ(なせば成る我ハ神の子)様。
>>ご無沙汰してすみません。復興G様、皆様、ご活躍ありがとうございます。WEB誌友会に参加できないので、質問をおいていきます。
楠本先生著の「伝道物語」の表紙の裏に「陰徳」って書いてありました。伝道と陰徳ってどのような関係で繋がっていくのだと思いますか?<<

ユタカ様。
生きてましたか。
もう、霊界へ転住されたのかと思ってましたよ(冗談)。
このWEB誌友会は、ユタカ様の熱血から生まれたものですから、子どもを見捨てるようなことはしないで、責任を持って育ててくださいね。

今回はWEB誌友会に参加できないのですか。
でも、いい質問をおいていってくださって、ありがとう。
しっかりと答えを出すように、勉強します。
ありがとうございました。

986復興G:2012/09/07(金) 19:32:01 ID:xKxowNU.

a hope さま。
私は >>977
>>「挨拶版」1285・1293のご質問、拝見しました。
私も、これは今回の第6回WEB誌友会で、生長の家の問題点を考えるのにはピッタリのテーマだと思います。
ですから、テキストの謹写が終わりましたら、誌友会開会前に、(前夜祭中に)私なりの思い、考えを、こちらで述べさせていただきます。<<

と書きましたが、そんなにあわてることはないと思い直しました。WEB誌友会の中で、勉強させていただきましょう。よろしくお願いいたします。合掌

987トキ:2012/09/07(金) 19:34:58 ID:aSV5c/8g
復興G様

 実にピッタリのテーマだと思います。私も、勉強するのが楽しみです。宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

988志恩:2012/09/07(金) 19:37:32 ID:.QY5jUA6
役行者様、生きておられましたか、ほっとしました。

みすはなまる様も、最近、いらしてないので、どうされたかしらと、
さびしく思っておりました。

ユタカさま、お時間が出来たときで、よろしいのですから、
コメントをおねがいします。

みなさま、
復興G様、トキ様に、
わからないことや疑問点は、どんどん、おたずねしましょうよ。

989a hope:2012/09/07(金) 20:38:18 ID:r8H4x9xE
みなさま こんばんは

復興Gさまが登場して下さって、ホッとしました。
聖典板には今回もテキストの謹写を本当にありがとございます。
これで、テキスト『生命の實相』をお持ちでない方も一緒にお勉強できますね。
わたしも、発言するときに活用させていただきたいと思います。
また、わたしの「挨拶板」での1285・1293の質問を、テーマとして取り上げてくださり感謝します。

最近では、神想観中に心をむなしくしていると、色々な考え(?)が浮かび上がってきます。
今回の質問内容は、かなりはっきりと浮かんできました。

ですが、わたし自身はこの内容に関してほとんど自信がないのです。
ですから、是非とも、みなさんで一緒に考えていただき、御指導をしていただきたいです。

みなさま、よろしくお願い致します。

それから、開催が今夜9時半からですが、開会直前に、準備祈願の言葉(以前ユタカさまが用意して下さったもの)を貼らせていただき、
『真理の吟唱』から、「神護と神智を受ける祈り」を謹写させていただきたいと考えております。

今回も、たくさんの「生長の家の御教え」を愛するみなさまが、
一緒に聖典『生命の實相』をお勉強してくださることに感謝します。

 合掌

990a hope:2012/09/07(金) 21:22:50 ID:r8H4x9xE
第6回WEB誌友会開会の時刻 21:30 が近づいてまいりましたので、「準備祈願」として以前ユタカさまが発表されました祈りの言葉を、またここに貼らせていただきます。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

(準備祈願) 住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
  住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
  今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
  今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

991a hope:2012/09/07(金) 21:26:22 ID:r8H4x9xE
つづきまして、『真理の吟唱』より、「神護と神智を受ける祈り」を謹写させていただきます。


神護と神智を受ける祈り

私は、今、普遍なる神の内に生き、神の御前に坐し、神の生命を呼吸し、神の智慧を受け、神の愛にとりまかれ護られているのである。神の愛は完全に私を護り給うているのであるから、如何なる人類意識の迷いも、自分に感応することができないし、また如何なる個人の逆念も憎悪の念も嫉妬の念も呪いの念も自分に近寄り、且つ自分を傷つけることはできないのである。私は、ただ神の霊波のみを、神の愛のみを、神の智慧のみを、神の生命のみを感受し、それを呼吸し、それを具体化し実現するのである。

私は、いま心をひたすら神のみに集中し、神の御声をききつつあるのである。神の智慧の大海原より滔々として神の智慧は私に流れ入って来て、私を正しさと、繁栄と、健康と、調和と、幸福とに導きたまうのである。

私は、今、大きく心の窓をひらいて、神の大いなる智慧の光を受け入れつつあるのである。光の満つるところに闇はないのである。智慧の満つるところに失敗や愚かさはないのである。わたしの生活は今、大いなる神の御心につつまれ、一切の暗黒は消え、醜悪は滅し、成功と繁栄の雰囲気につつまれていることを自覚したのである。その自覚は、時々刻々小やみなく、わが現実に実現してきて繁栄と幸福の生活となりつつあるのである。

ああ神は讃むべきかな、神は感謝すべきかな、わが行く道を常に照らしたまいわが生活を常に護りたまう。神は常に与えたまう。私は常にそれを受けているのである。しかし、ただ受け、蓄えるだけではせっかくの神の恵みも停滞し、腐敗し、せっかくの神の恵みも、その完全なる祝福の相をあらわすことはできないのである。“与えよ、さらば与えられん”は幸福生活の第一カ条であるのである。受けるのみにて与えなければ、パイプの中が閉塞してしまうのと同じように、神の供給も途中でその流入が停止してしまうのである。

それゆえに、私は、常に与えられたる神の恵みを次に渡す。第一に神に還元して、私の如く、救われる人々の殖えるための献資とし、第二に災害に遭いたる気の毒な人の少しでも多く救われんがための寄付金とするのである。神は必ずしも献資の額の多寡をもって我が真心を秤りたまうのではないのである。貧者の一燈は長者の万燈よりも、その真心においてすぐれたる献資であることもある。しかし、私は自分を欺くことはしないのである。私は素直に受けるべき祝福は受け、与うべき祝福は吝しみなく与えるのである。私は吝しみなく与えるが故に、神からの無限供給のパイプは閉塞せられず、滔々として新しき供給がゆたかに流れ入ってくるのである。神様、これからの真理を知らしめ給いしたことにを深く感謝いたします。

合掌

992トキ:2012/09/07(金) 21:54:01 ID:aSV5c/8g
>>991

 素晴らしい御文章をご紹介下さり、ありがとうございます。

993復興G:2012/09/07(金) 22:17:14 ID:xKxowNU.

a hope さま、ありがとうございました。

あと、時間になりましたらどなたか、招神歌を書き込んでいただけると、神様に
導かれた誌友会の開催となりますね。
よろしくお願いいたします。
合掌 拝

994あさひ:2012/09/07(金) 22:25:22 ID:/3nxKE2Q
復興G様

合掌
今回も膨大なテキスト掲示していただき感謝です。
ワードに張り付けプリントアウトしましたので、じっくり拝読させて頂きます。
      合掌

995復興G:2012/09/07(金) 22:34:44 ID:xKxowNU.

時間になりましたね。
すでに素晴らしい祈りの言葉を a hope さまが書き込んでくださいましたから、
それを拝読することで開会といたしましょう。
ありがとうございます。

996a hope:2012/09/07(金) 22:40:42 ID:r8H4x9xE
復興Gさま

ご発言、お待ちしておりました。
どうぞよろしくお願い致します。

あさひさま

またお会いできてうれしいです。
今回もどうぞよろしくお願い致します。

トキさま、志恩さま、みすはなまるさま、役行者さま、その他のみなさまも、
どうぞみなさまのペースでご参加どうぞよろしくお願い致しますね。

997復興G:2012/09/07(金) 22:46:26 ID:xKxowNU.

では。

>>983 より
>> a hope さま。
>>心の世界においてハッキリ実現してしまっている大きな事件や大災害は、現象世界に現れてきてしまうのを止めることはできない。しかし、「人間神の子」の自覚があり、常にそういう波動を放っていれば自然に危険を察知でき、その事件や災害に巻き込まれずにすむ。それは、今までのたくさんの「生長の家の歴史」で実証されている。
『大自然讃歌』や『観世音菩薩讃歌』は、神さまはいるが、「人間は罪の子」であり自然破壊を続けているという二元論的考えを持ち、更に、天地一切の物どころか一番身近な御兄弟とすら和解されていない谷口雅宣先生によって書かれた長編詩で、文章の内容はどうであれ、その波動は「人間神の子」を否定しているし、大不調和である。
その、大不調和の波動をもつ『大自然讃歌』や『観世音菩薩讃歌』を読誦し、自分の波動をそれに合わせてしまうとどうなるだろうか・・・?
これから現象世界に現れて来るであろう大不調和な事件や大災害に巻き込まれてしまう可能性はないだろうか・・・?
わたしは、自分の身を守るため、谷口雅宣先生の『大自然讃歌』や『観世音菩薩讃歌』は絶対に読誦しません。<<

ありがとうございます。
結論から言えば、私も、谷口雅宣先生の『大自然讃歌』や『観世音菩薩讃歌』は読誦しません。

a hope さまがおっしゃるとおり、『大自然讃歌』や『観世音菩薩讃歌』は、神さまはいるが、「人間は罪の子」であり自然破壊を続けているという二元論的考えを持って書かれた詩であると、私も感じるからです。

テキストである『生命の實相』第1巻第4章「心の世界における運命の形成」118ページの冒頭に、

「いろいろ最近の研究の結果によりますと、すべての地上の事件は『物質世界』にあらわれて来る以前に『念(こころ)の世界』でできあがるのでありまして、『念の世界』でできたとおりが、物質世界に映ってはじめて地上の事件となってあらわれて来るのであります。」

と書かれています。それは、a hope 様がおっしゃるとおり、今までたくさんの古今東西の歴史で実証されている、その実例が、『生命の實相』には紹介されています。

私は8月18日、宇治の盂蘭盆供養大祭に参加していました。
ご存じのように、その日午後3時半から、「自然災害物故者慰霊塔建立予定地」の前で、『大自然讃歌』を一斉読誦する慰霊祭が行われることになっていました。
午前中から始まっていた招霊祭が終わりに近づき、「自然災害物故者慰霊祭」の行われる時刻が近づくと、一天にわかにかき曇り雷鳴がとどろいて、大雨が降り始めました。大拝殿では瞬間的ですが停電があり、スピーカーの音声がしばらく聞こえなくなるというハプニングがありました。
当然、もはや野外の慰霊塔建立予定地での「自然災害物故者慰霊祭」は無理で、30分遅らせて大拝殿の中で行うことになりましたが、私は、「自然災害物故者慰霊祭」のとき停電で『大自然讃歌』が読めない、聞こえない状態になるのではないかという危惧を抱きました。

私は宇治への出発前に、総裁の「唐松模様」からコピーした『大自然讃歌』を改めて見たとき、「これはちがう」と思いました。聖経『甘露の法雨』とは全く違うと言っていいものだと感じました。
<つづく>

998トキ:2012/09/07(金) 22:49:58 ID:aSV5c/8g
>>997

 なるほど、おっしゃる通りですね。

999復興G:2012/09/07(金) 22:53:56 ID:xKxowNU.

<つづき>
聖経『甘露の法雨』では、たとえば

  神は遍在する実質且つ創造主なるが故に
  善のみ唯一の力、
  善のみ唯一の生命、
  善のみ唯一の実在、
  されば善ならざる力は決して在ることなし、
  善ならざる生命も決して在ることなし、
  善ならざる実在も亦決して在ることなし、
  善ならざる力即ち不幸を来す力は畢竟悪夢に過ぎず。
  善ならざる生命即ち病は畢竟悪夢に過ぎず。
  すべての不調和不完全は畢竟悪夢に過ぎず。
  病気、不幸、不調和、不完全に積極的力を与えたるは吾らの悪夢にして、
  吾らが夢中に悪魔に圧(おさ)えられて苦しめども
  覚めて観れば現実に何ら吾らを圧える力はなく
  吾と吾が心にて胸を圧えいるが如し。
  まことや、悪の力、
  吾らの生命を抑える力、
  吾らを苦しむる力は
  真に客観的に実在する力にはあらず。
  吾が心がみずから描きし夢によって
  吾と吾が心を苦しむるに過ぎず。
  ……

と、「現象なし」「実相独在」がはっきりと断言されているので、ただよろこべるのです。

それが、『大自然讃歌』では

  されど師よ、
  “神の子”なる人間互いに争わず、
  平和の経済長く続けども、
  自然の破壊弥増し進むは
  如何なる理ならん。

  天使答え給う――
  人間は未だ意識拡がる途上にありて、
  “自然即我”
  “我即自然”の実相に眼開かず。
  個にこだわり
  全を見渡し得ざる故に、
  自然と戦い、
  自然から奪うことで
  自己の価値増すと錯覚せり。
  また、欲望肥大し、
  制御しがたき人未だ多い故なり。

と、「現象あり」「人間は本来神の子だが、現象は罪の子、欲望の子」というニュアンスになっていると感じます。

テキスト『生命の實相』第1巻第4章には

<<不幸な事件を吸い寄せる「心の中の磁石」とはなんであるかと申しますと、その根本的なものは、神と一体でない、神と離れた心であります。心の内に神という無限力に生かされているという自信がなく、自分の生命は物質の偶然的集合でつくられていて、外から加わる偶然の力ですぐ破壊してしまうであろうというような誤れる生命観がわれわれの心の奥底の大部分を占領していると、それが磁石となって不幸を引き寄せる、病気を引き寄せる、そのほかさまざまの人生苦を引き寄せる。だからこの「磁石」を取りのけるためには、何よりもまず、自分は大生命の無限力に生かされているという徹底した大信念を心の奥底に築きあげて、自分の生命は決して物質の偶然的集合でつくられたものではなく、常に大生命の無限力で護られているという真理を心の底深く信ずるようにならなければならないのであります。>>

と書かれています。
<つづく>

1000復興G:2012/09/07(金) 23:00:45 ID:xKxowNU.

<つづき>
ですから、私は宇治での「自然災害物故者慰霊祭」で『大自然讃歌』を一斉読誦するというとき、
私は勧められても『大自然讃歌』は買いませんでしたし、讃歌読誦というときに私は聖経『甘露の法雨』を
一所懸命黙読していました。そうしなければ、また停電になるのでは・・・とも思われたからです。
幸いにして、停電はしませんでした。ホッとしました。

1001復興G:2012/09/07(金) 23:08:07 ID:xKxowNU.

『大自然讃歌』は、文法的にも、文語体に口語体が入り交じっていて、おかしな日本語になています。
とても、聖経のかわりになるようなものではなく、聖経を補強するものでもありません。全然ちがうものです。

1002志恩:2012/09/07(金) 23:19:40 ID:.QY5jUA6
復興G様

復興G様に「甘露の法雨」と「大自然讃歌」の相違点の詳細を教えて頂いて、
とても有り難かったです。

復興G様は、8月18日のとき、宇治に参加されていらしたのですね。

復興G様も、新経は、読まれないと、うかがいまして、なんか、胸に安堵感がひろがりました。

うれしくて、私は、涙ぐんでおります。

1003復興G:2012/09/07(金) 23:21:22 ID:xKxowNU.

テキスト『生命の實相』第1巻第5章の、小見出し「生長の家出現の使命」(p.153〜)というところには、

<<本書や『生長の家』誌を谷口雅春個人の機関誌だと思っていられる方があればそれはたいへんな勘違いであります。これは神が起こされた「神の国運動」の一つのあらわれであって、谷口雅春はただ、神から霊感的に示された言葉をペン尖(さき)にふくませたインキで文字にしてゆく。『生長の家』誌に書かれた一言一句も、肉体なる谷口雅春の言葉はない。・・・・・>>

とあります。そして、小見出し「選ばれた人々」(p.157〜)のところには、

<<皆さんは光明思想をひろめることをもって、一人の人間の営利事業に参加していると思ってはなりません。わたしはただ神から書かしめられている。そして編集の監修をしている。
 これをひろめてくださるのはあなたたちの使命なのであります。他の人々よりも一日早くこの「神の国運動」を知らされたということは、この「神の国運動」の最初の大使徒として選ばれた証拠ではありますまいか。
諸君よ、選ばれた使命をゆるがせになしたまうな。>>

と書かれてあるのであります。

1004復興G:2012/09/07(金) 23:43:53 ID:xKxowNU.

<つづき>

上記のように、谷口雅春先生ご在世中は、谷口雅春先生は

「わたしはただ神から書かしめられている。そして編集の監修をしている。これをひろめてくださるのはあなたたちの使命なのであります。」

と書かれています。
しかし今、3代目の谷口雅宣総裁時代になりました。
谷口雅宣総裁は、「私の書くものは私が書いているのであって、神の御言葉ではないから、私の書いたものは“聖典”とは呼ぶな」とおっしゃっています。
当然、私の書いた詩は私が書いたものだから、聖経とは呼ぶな、ということになるのだと思います。

時代は移り変わったのです。
「生長の家総裁は、ただ神から書かしめられている。信徒の皆さんはそれを広めてくださるのが使命です」という時代は、過ぎ去ったのです。

「皆さんが、神と等しきもの、神の子である。神である」
「皆さんが、谷口雅春である」

と谷口雅春先生はお教えくださったのです。
それを、本当に自覚して、信徒ひとりひとりが起ち上がらなければならない。

そのことを、総裁谷口雅宣先生は身を以て教えてくださっているのだと思いますが、皆さま、いかがでしょうか。

1005あさひ:2012/09/07(金) 23:52:10 ID:/3nxKE2Q
>「皆さんが、神と等しきもの、神の子である。神である」
「皆さんが、谷口雅春である」<

こんな時代背景だからこそ、私たちひとりひとりが、上記の自覚を持つことが
大切であると言うことですね。

真に自立した人たれと言うことですね。雅春先生御存命中以上に。

1006あさひ:2012/09/08(土) 00:03:49 ID:/3nxKE2Q

復興G様

今、テキスト全部拝読させて頂きました。テキスト掲示していただくことは
本当にありがたいです。

掲示のための御苦労を思うと、我々参加者への愛がそうさせているのだと、いまさら感謝申しあげます。

          感謝合掌

1007志恩:2012/09/08(土) 00:11:55 ID:.QY5jUA6
言霊と龍神様について、ネットで調べたんですけれど、
宇宙には、八百万(やおよろず)の神々が存在していますが、

天候には、天候担当の神様が居て、その神様の使者として、人間界と霊界の間を取り持っているのが、
龍神様なのだそうです。
龍神様というのは、人格をお持ちの神様。つまり、人間のように、怒ることがある神様なのだそうです。

そして、言霊ですが、
言霊のエネルギーは、それが集団的に集まれば、人間が想像する以上に、爆発的な 強いエネルギー力を持っている。

それで、人間が悪い波動の言葉
(たとえば、新経もそうだと思います、水子霊とか生霊の念もあるでしょう)が発せられますと、
悪い波動が、わ〜っと、出ていきます。
黒い煤の固まりのようなものが、竜巻のように天空に舞いあがり、天空を、覆う如く天空の波動が、黒く汚れていきます。

すると、龍神様は、それが、見えますし、感じますから、非常に不愉快になるわけです。
で、これは、えらいこっちゃ、急いで、天空を浄めなければならないぞとお思いになる。

それが、雷鳴、豪雨と化すことがあると,ネットに書かれてありました。

全ての雷雨、豪雨、洪水が、龍神様のお働きだとはいえないでしょう。高気圧が原因の事も,他の原因があることも、
勿論あると思いますが、
ときによれば
言霊の波動(エネルギー)を浄める為に、龍神様がお働きになる場合も、あるのかもしれません。

1008復興G:2012/09/08(土) 00:12:43 ID:xKxowNU.

あさひ様。

遅くまでおつきあいくださいまして、ありがとうございました。

では、また明日にしましょう。

皆さま、おやすみなさい。

1009復興G:2012/09/08(土) 00:15:52 ID:xKxowNU.

志恩さま、ありがとうございました。

今夜はもう寝んで、明日にしましょう。

おやすみなさい。

1010志恩:2012/09/08(土) 00:18:26 ID:.QY5jUA6
復興G様とあさひ様のご文章を読まないうちに,書き込みしましたので、
論点が、ずれておりまして、すみません。

復興G様に同意させていただきます。
聖典の謹写も、かなりの長文ですのに、いつも御愛念、ほんとうに、ありがとうございます。

1011志恩:2012/09/08(土) 00:19:42 ID:.QY5jUA6
そうですね、もう、12時過ぎました。
おやすみなさい。

1012a hope:2012/09/08(土) 00:44:23 ID:r8H4x9xE

復興Gさま

わたしは正直にいえば、雅宣先生に心から感謝しています。
なんか、そういう言うと、偽善的に聞こえてしまいそうでなかなか言うのに勇気がいますが・・・(笑)

なぜなら、雅宣先生が正当に「生長の家の教え」を説いてくださっていたとしたら、
今のような、わたしの姿はなかったのではないかと思うからです。
普通に信徒になって、ご利益信仰にとどまっていた可能性が大きいからです。

ですが、雅宣先生が「生長の家の教え」からかけ離れた教えを説いてくださったおかげで、
わたしは自分で本物が何かを見つける力をつけることができたからです。

「わたしが谷口雅春先生である」
1年前に、トーキングスティックボードで初めて復興Gさまからご教示された時、
「え〜〜〜」あり得ない!!!
という思いの方が正直強かったです。
でも、今は、そうなんじゃないかな?と思えるようにまで生長させていただけました。

雅宣先生が反面教師となって生長の家の総裁をしてくださっているからこそ、
ここまで生長させていただけたのだと思い心から感謝していますし、雅宣先生のことを愛しています。

ですが、感謝して愛しているからといって、
雅宣先生のされていることを容認出来るわけではありません。

間違いに気付かせて、暴走を止めてあげるのも愛だと思うのです。

わたしは、どうしたら雅宣先生がご自分で気づいて、懺悔してくださるのだろうか、
1年以上前から、そればかり考えているような気がします。

いったいどうしたら、いいのでしょか?

みなさんはどうしたら、雅宣先生は心を開いてくださると思われますか?

今日はもう遅いので、わたしもこれでおやすみさせていただきます。
明日は、午前中出かけますが、午後から参加させていただけると思います。

わたしの大切な「生長の家」みなさま おやすみなさい。
よい夢をみてくださいね!

1013あさひ:2012/09/08(土) 00:56:01 ID:/3nxKE2Q
合掌

皆様 おやすみなさい。  合掌

1014復興G:2012/09/08(土) 08:43:40 ID:xKxowNU.

皆さま、おはようございます。
今日も、神様に導かれ、神様に祝福された素晴らしい一日でありますように。
ありがとうございます。

>>1007 :志恩さま。

「龍神」というのは、自然霊である、と谷口雅春先生はどこかでお教えくださっていたと思います。

<<どんな事件でも、最初は「心的存在」であって、自分の心もまた「心的存在」である。>>
(テキスト133ページ)

で、志恩さまは
>>全ての雷雨、豪雨、洪水が、龍神様のお働きだとはいえないでしょう。高気圧が原因の事も,他の原因があることも、勿論あると思いますが、ときによれば、言霊の波動(エネルギー)を浄める為に、龍神様がお働きになる場合も、あるのかもしれません。<<

と書かれていますが、「高気圧が原因」というのも、もとは「心的存在」すなわち、龍神様のおはたらきということもできるのではないでしょうか。つまり、自然現象もすべて元は心的存在のあらわれなのではないでしょうか。

しかし、私は、『大自然讃歌』という詩が、“爆発的な強いエネルギー”(積極的な破壊力)を持っているとは思えません。

>>そして、言霊ですが、言霊のエネルギーは、それが集団的に集まれば、人間が想像する以上に、爆発的な 強いエネルギー力を持っている。
それで、人間が悪い波動の言葉(たとえば、新経もそうだと思います、水子霊とか生霊の念もあるでしょう)が発せられますと、悪い波動が、わ〜っと、出ていきます。
黒い煤の固まりのようなものが、竜巻のように天空に舞いあがり、天空を、覆う如く天空の波動が、黒く汚れていきます。<<(志恩さまの書き込み)

――「悪」は「非実在」で、積極的力はないと思います。聖経『甘露の法雨』に

 <<善のみ唯一の実在、
   されば善ならざる力は決して在ることなし、
   善ならざる生命も決して在ることなし、
   善ならざる実在も亦決して在ることなし、
   善ならざる力即ち不幸を来す力は畢竟悪夢に過ぎず。
   善ならざる生命即ち病は畢竟悪夢に過ぎず。
   すべての不調和不完全は畢竟悪夢に過ぎず。
   病気、不幸、不調和、不完全に積極的力を与えたるは吾らの悪夢にして、
   吾らが夢中に悪魔に圧えられて苦しめども
   覚めて観れば現実に何ら吾らを圧える力はなく
   吾と吾が心にて胸を圧えいるが如し。
   まことや、悪の力、
   吾らの生命を抑える力、
   吾らを苦しむる力は
   真に客観的に実在する力にはあらず。
   吾が心がみずから描きし夢によって
   吾と吾が心を苦しむるに過ぎず。・・・・・>>

とあるとおりでしょう。
「悪夢」は、「ない」と無視して、積極的に聖経『甘露の法雨』をもっともっと読誦して行けばよいのではないでしょうか。

1015トキ:2012/09/08(土) 09:22:16 ID:tvQ5ylXM
>>1004

 おはようございます。重大なご指摘、ありがとうございます。

 谷口雅春先生ご存命の時代と現代のあり方がよくわかりました。宇治での出来事は
その証明だったと思います。的確なご指導に深く感謝申し上げます。

1016志恩:2012/09/08(土) 09:24:38 ID:.QY5jUA6
復興G様

ご回答、ありがとうございました。黒い煤のかたまりのような波動については、
霊能者でもある世界救世教の創立者の岡田氏というお方の
文、その他の霊能者の方の文の引用でした。

それらは【悪夢】、、、悪夢はないと,無視して、積極的に「甘露の法雨」をもっともっと
読誦すればいいというアドバイスを、ありがとうございました。

それで、練成会のプログラムに、「大自然讃歌」読誦の項目が、9月から入り、
施行されているようですが、もしも、親戚の人が、練成会に参加する場合、
どのように、アドバイスしたら、よろしいでしょうか。

1017復興G:2012/09/08(土) 10:01:43 ID:xKxowNU.

>>1016 :志恩さま。
>>練成会のプログラムに、「大自然讃歌」読誦の項目が、9月から入り、施行されているようですが、もしも、親戚の人が、練成会に参加する場合、どのように、アドバイスしたら、よろしいでしょうか。<<

練成会のプログラムに「大自然讃歌」読誦の項目が入っている、というのは、宇治の練成会のことでしょうか。それは、困りましたね。

「大自然讃歌」読誦のときに、それは拒否して聖経『甘露の法雨』を黙読する、ということができるといいかな――と思われますが――。私は「自然災害物故者慰霊祭」のとき、そうしましたら、ふだん『甘露の法雨』だけ誦げているときよりも『甘露の法雨』がありがたく素晴らしく思われて、感動しました。しかし一般の方が練成会に参加されて、そのようにされるのは難しいでしょうね。
でも、「私はそうしたいのです」と練成会担当者にはっきり申し上げてみたら、いかがでしょうか。「それはいけません。そうするなら、退場してください」と言われるかどうか。

1018復興G:2012/09/08(土) 10:39:24 ID:xKxowNU.

宇治で、盂蘭盆供養大祭直前に局地的集中豪雨で水害があり、大祭中も18日午後に雷雨で「自然災害物故者慰霊祭」が予定地で開催できず遅延、ということが起きたことについて、思うことを補足します。

何事も“偶然”というものはない。原因があって、結果がある。「原因」の根本は、心的なものです。

宇治には、生長の家の「人間は神の子」「実相独在」の真理によって救われ、人類光明化運動に挺身致心献資の誠を捧げ生涯をささげ尽くされた高級霊がたくさん祭られています。その高級霊達が、“新経”に悲しみと怒りの思いをもたれた、その結果であるということは、あり得ると思われます。

“新経”は、聖経『甘露の法雨』の素晴らしさを引き立てるための“引き立て役”としては、意義があったのかも知れません。でも、もう“不必要”として、やめた方がよいと私は確信します。

1019トキ:2012/09/08(土) 10:50:38 ID:tvQ5ylXM
>>1017

 例えば、幹部や講師の人なら、その時に席を外す、というやり方は可能だと思います。が、
新人の人には難しいかもしれません。担当者に正直に申し上げた上で、席を外すか、その時
は、瞑目合掌して、頭の中で、別の事を考えるか、等の方法があると思います。もっとも、
それも、その場所によって、変わるでしょう。

1020志恩:2012/09/08(土) 11:09:27 ID:.QY5jUA6
復興G様

総本山の方の練成会です。光明掲示板のほうに、実際のプログラムが貼付されています。
9月9日の日の練成会で、「大自然讃歌」は読誦すると印刷されてます。(明日ですね)

福岡のゆにわ練成会で、本部講師のかたが「大自然讃歌」を読誦したら、仕事に出られない様な
体調不良におちいったそうですし、この偽経に、毒がないというのも、不確かに思えます。

熱帯魚でも、淡水の清らかな水に住んでいる水槽のところへ、何滴かでも毒液をたらしたら、いちころで死にますよ。

宇治のほうは、まだプログラムを確認していませんので、わかりませんが。

とにかく、生長の家教団から9月の練成会からは、「大自然讃歌」を読誦するようにとの、
指示が、組織に出ていると聞いています。ですから、本部からの指令ですから、組織としては、
逆らえないのかも、です。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=255

親戚の人には、「大自然讃歌」読誦のときは、どうするか、自分で考えて行動すようにと伝えます。
甘露の法雨を黙読するのも、いいですし、波動を受けたく無かったら、その時間帯は、理由を言って参加を
拒否するとか、自分を守る為の行動が、必要な練成会が、はじまりました。

私は、新経が刊行されるというニュースが出てから、
パソコンをやっていない、生長の家の親戚、知人、友人には、電話で暑中見舞いのご挨拶を兼ねて、電話で、この新経が刊行される
経緯を、1人1人に、説明させて頂きました。

毎朝、「甘露の法雨」を読誦している人が多いからです。
その人達が、知らないで、「甘露の法雨」の読誦を辞めて、騙されて、かわりに「大自然讃歌」を読み始めると、今後の運命は、
いいことにはならない、とわかっているからです。

いくつかの県のうちの、ある県に住んでいる親戚の人が、その県の教化部に行き、私から電話で聞いた話を教化部の人に
言いましたら、教化部の人が「だれが、そんなウソを言ったのか!」と、怒ったそうです。

それを、親戚の人が、私に電話をかけてきて言うので、

パソコンで「生長の家」を検索して見たら、様々な情報や掲示板もできていて、正しい情報が、満載してますよと
言いました。だから、私が言ってる事は、ウソではないと言いましたら、その件は、一応、納得してくれまして、
兎に角、今後も甘露の法雨、天使の言葉などの本来の聖経しか、読まない.
と言ってくれました。。

ほんとうは、00県の、、と言いたいところですが、親戚の人に、差し障りがあるといけませんので、県名は、言えませんけれど。

教化部は、自分の県の信徒が減るといけないと思って、信徒に事実を言わないのかどうか、知りませんが、教化部から先きへの情報は、
絶たれているところが、多いのではないでしょうか。

このように、パソコンをやらない人達へは、正しい情報が、行き渡らない確立が高いですから、われわれは、自分だけ読まないのではなく、
やはり、「甘露の法雨」の方を、しっかり、今後も読む様に、親戚、知人に、友人に、伝える責任があると思っております。

1021志恩:2012/09/08(土) 11:19:17 ID:.QY5jUA6
トキさまも、偽経のことで、アドバイス、ありがとうございます。

1022復興G:2012/09/08(土) 11:23:46 ID:xKxowNU.

>>1012 :a hopeさま。
>>雅宣先生が反面教師となって生長の家の総裁をしてくださっているからこそ、ここまで生長させていただけたのだと思い心から感謝していますし、雅宣先生のことを愛しています。ですが、感謝して愛しているからといって、雅宣先生のされていることを容認出来るわけではありません。間違いに気付かせて、暴走を止めてあげるのも愛だと思うのです。
わたしは、どうしたら雅宣先生がご自分で気づいて、懺悔してくださるのだろうか、1年以上前から、そればかり考えているような気がします。いったいどうしたら、いいのでしょうか?<<

素晴らしいご心境に感動します。

私は、長い目で見たら、生長の家は大丈夫だと思うのです。なぜなら、それは神様が始められた、神様の人類救済運動なのですから。

テキスト153ページには、次のように書かれているではありませんか。

<<「生長の家」出現の使命
 このようにジャーナリズムは・・・(中略)・・・人類を暗黒の病的想念で一呑みにしようとしているのであります。「生長の家」運動がこの時起こらなかったら、われわれ人類はこの暗黒の想念の大きな口に鯨(くじら)が鰯(いわし)の群を呑みほすように一呑みにされるかもしれないのであります。しかし、神はわれわれ人類をまだ見捨て給わなかった。そしてこの真理の言葉の運動を起こすべくわれらに起つように命ぜられたのであります。<<

神は、決して「われわれ人類をまだ見捨て給わない」と、私は信じます。しかし、今、「祈り」に徹した行動、献身を怠らないことが必要でしょう。

<<諸君よ、選ばれた使命をゆるがせになしたまうな。時は過ぎ行く。・・・(中略)・・・希望は実現の母である。わが希望は必ず実現する。信じて望めば能わざることは一つもないのである。・・・・・・神は献身を要求し給う。「容易に」ということを神は決して喜び給わないのであります。・・・・・・神は何事にも「本気」すなわち真剣ということを要求し給うのであります。「献身」の前には、誰でも自分が「本気」であるか、よい加減な自己欺瞞(にせもの)であるかが自分自身にハッキリわかる。そのために神は「献身」を要求したまうのであります。換言すれば「価を払う」ということを要求したまうのであります。>>

今、私たちは何ができるか。
a hope さま。皆々さま。
今、私たちは、神から選ばれ、神から使命を授けられ、神に生かされているのだと思います。

<<本当の献身とは必ずしも持ち物を神様の所へ持って行くことではない。かくしなき心になって、持ち物のみならず、自分の全部(すべて)が、その生命までも、神様のものだと認めることであります。自分の生命(いのち)さえも神様のものであると解れば、かくしなき心で神の家族の働きができるのであります。>>

ありがとうございます。

1023復興G:2012/09/08(土) 11:29:46 ID:xKxowNU.

上記、<<  >>で囲ったところは、すべてテキスト『生命の實相』第1巻のご文章です。

1024如月:2012/09/08(土) 11:40:13 ID:ki/haAjk
復興Gさま

今回もまた聖典板にテキストを謹写頂きまして、ありがとうございます。
おかげさまで、パソコンだけで誌友会に参加でき、まわりからも
ネットをやっているようにしか見えていないはずで、大変助かります。
お忙しい中での御指導にも心から感謝申し上げます。

a hopeさま

誌友会に開催のさまざまなご準備、ありがとうございます。
開催の祈り、真理の吟唱、を心の中で読み上げると一瞬にして本当の
誌友会場にいるように思え感動しました。

これから、皆様が書いてくださったものを拝読し、また後ほど投稿させていただきます。
ありがとうございます。

1025志恩:2012/09/08(土) 12:19:06 ID:.QY5jUA6
a hopeさまの
受け取り方は、プラス思考で、すばらしいと私も思います。

1026みすはなまる:2012/09/08(土) 12:51:50 ID:MsWbsy1g

 皆さま こんにちは。

 昨夜、復興Gさまが謹写くださいました、ウェブ誌友会テキストをワードに転写して、現在(10)まで、拝読を終わりました。

 膨大な謹写の前に、復興Gさまの深い御愛念を思うと、目頭が熱くなってまいります。
 改めまして、有難うございます。

 そして、a hopeさま。
 開会のお祈りをありがとうございます。
 如月さま同様、誌友会場に座する思いで、パソコンの前におります。

 私は、この後外出し、帰宅が夜になります。
 まだ、ゆっくりと皆さまの今までのご発言をお聞きしていない段階ではありますが、私のいまの感想を述べさせていただきます。
 

 まず、ウェブ誌友会テキストの(5)より、一番最後のところです。

 <<関東大震災のような大事変は一人の人間の念の向き方を変えるだけでは、それを起らないようにとどめることはできないけれども、念の向き方が、その当時幸運の方へ吸い付くようになっている人は、あの震災にあってちっとも不幸になりようがない。>>


のご文章を拝読したときに、大祭時宇治別格本山で起こった災害が眼に浮びました。

宇治別格本山でも、土砂崩れなどの災害が起きたけれども、参加者の方の身には何もなかった。
そして、大拝殿や宝蔵神社が崩れ落ちることはなかった・・・これは、参加者の方や宇治にいらっしゃる総務はじめとする職員等の皆さまが、御先祖様への愛の心を発してらっしゃり、大事にいたらなかったのではないだろうかと思ったのです。

雅宣総裁の二つの讃歌は、復興Gさまも仰っておられますように、「神様はいるけれども、現象人間は罪深き者だ」という内容です。

そのような二元論的な詩を作られる、作者の心境をお察しするに、環境問題という移り変りゆく現象に焦点をおき、神様を観じるのではなしに、環境という現象を観じた詩であると思います。
ですから、「神即吾」ではなく「自然即吾」になってしまっているのであると思います。

どんなに、心洗われるような美しい自然の風景でさえも、それは現象でしか他なりません。
どんなに、素晴しい作品であっても、それは現象でしか他ありません。
どんなに、良い現象でも悪い現象でも、執着してはならないですものね。

あの二つの讃歌には、神様を拝するのではなく
神、仏を廃し、移ろいゆく現象世界(環境世界、物質世界)を拝するものを感じます。

詩には言葉の背後に、作者の思念も含まれていますから、集団で読誦する場合は、同じ波動を引き寄せてしまうのではないかと思います。


あと、テキスト(8)で 

<<この不幸な事件を吸い寄せる「心の中の磁石」とはなんであるかと申しますと 〜 自分の生命は決して物質の偶然的集合でつくられたものではなく、常に大生命の無限力で護られているという真理を心の底深く信ずるようにならなければならないのであります。>>


のところに大変感銘を受けました。

日常生活を送る上で、愛をもって現象処理を行うことは大切なことですが、神想観以外でも、道を歩きながらでも大生命の無限力で護られている念を深く自覚していきたいと思いました。

このような、現在の生長の家の現象を通して、其のことの実相を観じる学びをさせていただき、生長の機会とさせていただくのですから、大変大きな意味において雅宣総裁の実相に感謝なのだとも思います。
しかし、雅宣総裁の言動行動を、私は肯定しておりません。

また、夜に続きを拝読し、参加させていただきます。

1027トキ:2012/09/08(土) 13:51:26 ID:tvQ5ylXM
 盂蘭盆供養大祭の以前は、教区でも、「大自然讃歌を練成会に入れないといけないなあ」という相談を偉い人が話していました。
しかし、盂蘭盆供養大祭の後は、さすがに幹部もショックを受けていて、どうしたら良いか、迷っています。本部の命令だから、
一応、読まないといけませんが、実際には、会場から抜け出す人が続出するだろうし、幹部もそれを黙認せざるを得ない状態です。

 しかし、いつまでもこんな不健康な状態に悶々とするのではなく、前向きに、今回の件がどんな意義を持つのか、真剣に学ぶべき
時期だと感じております。

1028復興G:2012/09/08(土) 15:09:08 ID:xKxowNU.

>>1026 :みすはなまる様。

ご参加、ありがとうございます。

素晴らしいご投稿、うれしく感謝します。合掌

1029復興G:2012/09/08(土) 15:31:45 ID:xKxowNU.

トキ様。

私は、今各教区の教勢がどんどん衰えながらも、なんとか持ちこたえているのは、雅宣総裁の「今の教え」に忠実に従ってその普及に全力を注いでいるからではなく、谷口雅春先生の御教えを真剣に伝えようとしているからであり、かなり無理をしていますから、もう長く持ちこたえることはできないと見ています。これ以上急激に教勢の衰退があらわれてくると、雅宣総裁も、大反省せざるを得なくなられるのではないでしょうか。

ともかく、神様が始められた運動であるならば、何事があろうとも必ずいっそうよくなる。それは、前回のWEB誌友会でテキストとして学びました、「運命のケミカライゼーション」が起こりつつあるのだ、と信じましょう。

<<運命にもケミカライゼーションということがあるがために、われわれにとっては人生が非常におもしろくなるのであります。運命にケミカライゼーションが起こらねば、医者はいつまでも医者、看護婦はいつまでも看護婦、会社員はいつまでも会社員、労働者はいつまでも労働者であって、転換期というものに会うことができないのであります。ただ、この転換期の暗黒期に「失望」という奴によって確信を失つてしまうと、せっかく明るくなりかかっていた運命が、自分の心の力でまた本当に暗くなって来るかもしれないのであります。生長の家の『智慧の言葉』に「悪くなるほど、善きことが近づいて来たと思え」という意味のことが書かれていますが、これは病気を治そうとする人にとっても、運命を開拓せんと欲する人にとっても、いつまでも座右に備うべき箴言(しんげん)であります。<<
(『生命の實相』第1巻第3章より)

ありがとうございます。

1030復興G:2012/09/08(土) 15:36:03 ID:xKxowNU.

上記、「谷口雅春先生の御教えを真剣に伝えようとしている」 というのは、教区の教化部長などのことです。

1031トキ:2012/09/08(土) 15:51:35 ID:tvQ5ylXM
>>1029

復興G様

 ご指導、ありがとうございます。本当に、今、教区では、幹部や職員は真っ青な顔をしています。幸い、私は、この掲示板で
復興G様をはじめ、皆様からご指導を頂戴しているので、不安なく過ごしております。たまに本部の人と会って話しても、内心
の動揺が見えます。

 ただ、こういう事があったから、みんな、信仰の意味を考え直していると感じます。

 空気があるのが当たり前ですが、空気が薄くなると、空気のありがたみがよく分かります。それと同じで、甘露の法雨が入手
できなくなり、「大自然讃歌」を読む羽目になると、あらためて甘露の法雨のありがたみが実感します。

 そういう体験をすると、個人個人が信仰のあり方が変わると思います。この体験こそが、一人一人にとって、大切だと思います。

合掌 ありがとうございます

1032復興G:2012/09/08(土) 16:31:32 ID:xKxowNU.

>>1031 :トキ様

ほんとにそうですね。
今は、すばらしい新生のチャンスだと思います。

(ほかの仕事をしながらで、レスが遅くなってすみません)

1033a hope:2012/09/08(土) 17:16:05 ID:r8H4x9xE

復興Gさま

>>神は、決して「われわれ人類をまだ見捨て給わない」と、私は信じます。しかし、今、「祈り」に徹した行動、献身を怠らないことが必要でしょう。

「祈り」に徹した行動が、神への献身なのですね。

<<本当の献身とは必ずしも持ち物を神様の所へ持って行くことではない。かくしなき心になって、持ち物のみならず、自分の全部(すべて)が、その生命までも、神様のものだと認めることであります。自分の生命(いのち)さえも神様のものであると解れば、かくしなき心で神の家族の働きができるのであります。>>

そしてこれは、「神へ全托」ということですね。
「もう、そうするしかない!」ってわかっているはずなのに、
わたしはどうしても現象を見て何とかしようと考えてしまうのですね。反省です。


話はちょっと変わりますが、わたしは最近仕事を再開したのですが、職場での人間関係が以前とは比べ物にならないくらい上手くいっています。
毎朝の神想観のときに、家族、親戚、友人、ご近所さん、この掲示板の方々に加え、職場の人たちのこともお祈りしています。

実は、わたしは今だに「実相を礼拝する」ってことが上手くできないのです。
だから、最近では、自己流のお祈りに変えています。
上司・同僚一人ひとりのわたしに親切にしてくれている時の笑顔を想い浮かべて、
「あ〜、○○さんて、本当にいい人だな〜〜。一緒に仕事が出来て幸せだな〜。」と心から思うようにしているのです。
そしたら、本当に職場の上司・同僚がそんな風に変わってきているので驚いています!

雅宣先生に対しても、漠然と「実相を礼拝」しているだけでは、効果がないということが、
たくさんの方々の話からわかりました。
わたしは、祈るときに感謝の気持ちを込めることが大切なような気がしています。

生長の家の教えは、「天地万物に感謝」の教えなのですから、
やはり「生長の家」の総裁先生に感謝できないのはおかしいとおかしいと思うのはわたしだけでしょうか?
それとも、雅宣先生だけは、天地万物に入らないのでしょうか・・・?

「雅宣総裁先生、いつもわたしたち信徒のことを思いやってくださりありがとうございます。
優しい笑顔をありがとうございます。愛してくださりありがとうございます。」

と、こんな風に、具体的な「感謝の言葉」を信徒全員が毎日唱え、
総裁先生の優しい姿をイメージしたら総裁先生変わってきませんでしょか?
これも、 a hopeの妄想でしょうか・・・。


SAKURAさまのよく、「総裁擁護派はわたし一人ですから〜〜〜」っておっしゃっていますが、
わたしは、この掲示板の投稿者や閲覧者の方々のほとんどは本質的には総裁擁護派なのだと感じています。
ただ、総裁先生の「生長の家の御教え」に反するような言動を批判されているだけなのだと思います。

まとまりのない文章で申し訳ありません。

1034a hope:2012/09/08(土) 17:25:17 ID:r8H4x9xE
>>1033訂正
下から5行目

SAKURAさまのよく→SAKURAさまがよく

1035復興G:2012/09/08(土) 18:40:54 ID:xKxowNU.


>>1033 :a hopeさま。
>>わたしは、祈るときに感謝の気持ちを込めることが大切なような気がしています。
生長の家の教えは、「天地万物に感謝」の教えなのですから、やはり「生長の家」の総裁先生に感謝できないのはおかしいと思うのはわたしだけでしょうか?
それとも、雅宣先生だけは、天地万物に入らないのでしょうか・・・?
「雅宣総裁先生、いつもわたしたち信徒のことを思いやってくださりありがとうございます。優しい笑顔をありがとうございます。愛してくださりありがとうございます。」
と、こんな風に、具体的な「感謝の言葉」を信徒全員が毎日唱え、総裁先生の優しい姿をイメージしたら総裁先生変わってきませんでしょか?
これも、 a hopeの妄想でしょうか・・・。<<

a hope さまには、負けました。
完全脱帽礼拝です。

私にも、a hope さまの思いが写ったのでしょうか、雅宣先生の優しい笑顔が浮かんできました。

私も、実践しましょう。毎日、雅宣先生の優しい笑顔を思い浮かべて感謝の祈りをすることを。
ありがとうございます。

本当は、全信徒みな、雅宣先生に感謝したいのですよ。

1036トキ:2012/09/08(土) 20:03:21 ID:tvQ5ylXM
 徳川幕府の最後の将軍 徳川慶喜公は、将軍職在職中は、部下からの評判は決してよくありませんでした。が、
大局的な視線から大政奉還を断行し、日本国を近代国家に変えた点で歴史家の評価を集めています。

 今後、谷口雅宣先生が、後世の人からどう評価されるか。良い方向へと生長の家のあり方を変える人であります
ように。

1037みすはなまる:2012/09/08(土) 20:32:28 ID:2lIvJwWc
>>1033 a hope さま

大変感動いたしました。

そうですよね。本流復活派の方たちも、生長の家の真理を学んでいる方々です。本当に雅宣総裁が憎くてたまらない方は、いらっしゃらないと思います。

皆さま、真理のもとに笑顔で喜びあいたいに決まっています。


私はお昼過ぎに投稿させて頂きましたが、他にも感動したご文章が沢山ございました。

ただ、1つだけこの度の宇治の集中豪雨において、気になっていることがあります。
それは、宇治で讃歌を読誦したから、御先祖さまも悲しまれ、怒られているのではないか…という声を目にしたり、聞いたりしたことです。

以前宇治別格本山に行ったときに、午前2時ごろでしたでしょうか。目が覚めた私は、聖経の声を耳にしました。
大拝殿の方へ耳をすませると、荘厳なこの世とは違う聖経の大合唱が聴こえてきたのです。その時間は就寝中で、どなたも大拝殿にはおられませんでした。

私はその時、御先祖さまは常に私たちと一緒に、居てくださっている…私たちを応援下さっているのだと確信しました。

決して、この事は自慢話ではないのです。御先祖さまは、常に私たちと一緒に応援下さっていることを伝えたく、話させていただきました。

生長の家の現在の状況も、すべて御先祖さまはご存じでらっしゃり、霊界より聖経を読誦下さっているに違いないと思います。

顕幽相携えて、御先祖さまとともにあることを忘れないようにしたいと思います。
今世の修行の場で、運命を明るく生かされていくことに、御先祖さまがともにあることを、忘れないようにしなければ…と思います。

1038志恩:2012/09/08(土) 20:48:13 ID:.QY5jUA6
ahope様がご指摘の様な祈りのことですが、
私は、永年、毎朝、雅宣先生の笑顔を浮かべての祝福の祈りは、続けております。
私は、個人の雅宣総裁を憎くて、数々の発言をしているのでは、ありません。

ahope様が、ご自身の周囲の方達の事を、相手の優しい笑顔を浮かべて、祈りながら生きておられるという事は、
真理の実践であります。それはそれで、成果がでたそうで、素晴らしいことだと、思います。

これがですね、個人相手と公人相手とは、ちがう問題だと、まえから私は、言っているのですが、まちがいでしょうか?

野田総理の笑顔を浮かべて祈れば、野田総理は、愛国者に変わりますか?
北朝鮮の将軍様は、笑顔を浮かべて祈れば、人格者に変わるでしょうか。

雅宣総裁が、間違った事をしているという自覚があるなら、別です。心を入れ替えることがあるでしょう。
彼は、自分は、正しいことをしていると思っているのです。

ですから、神の命は生きておられますが、行動は、変わるどころか、ますますエスカレートしているでは、ありませんか。
雅宣総裁は、ご自分が決意し、今春、全国幹部の前で、宣言したことを、着々と実践しているのです。

私は、少し前に、
【雅宣総裁は、今年の2月28日、本部で開催した全国代表者会議で、「生命の實相」にも「聖経」にも頼らないで行く事を
宣言した模様です。(靖国見真会参加者様)】という当時の掲示板の記事を読み直したところです。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1311411528/1201-1300

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1311411528/1951


当時の掲示板にコメントされた復興G様と八咫烏(金木犀)様の投稿文を貼付させて頂きます。

雅春先生の説かれた「真理」こそ、吾等が回帰する原点であるという理念を軸に
同じ志しを持つ人達とともに、諦めずに発言を続けていくことこそ、

雅宣総裁に内在する神に対する本当の、感謝行だと、私は、信じております。

1039みすはなまる:2012/09/08(土) 21:05:30 ID:2lIvJwWc

>>1038の志恩さまの

>>これがですね、個人相手と公人相手とは、ちがう問題だと、まえから私は、言っているのですが、まちが いでしょうか?<<

のご意見と同じなのです。

いつの日か、復興Gさまにご指導を仰ぎたいと思っておりました。

大変大きな意味においては、雅宣総裁に感謝であるとは思います。

身近な方や家族、夫婦での合わせ鏡というのは理解出来ます。
しかし、生長の家の総裁が、自分の合わせ鏡というのは理解出来ずにいるのです。

勝手を申しますが、よろしくご指導お願いいたします。

1040志恩:2012/09/08(土) 21:16:28 ID:.QY5jUA6
復興G様のご文章が、貼付されてませんでしたので、再度、貼らせて頂きます。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1311411528/1292

1041志恩:2012/09/08(土) 21:35:21 ID:.QY5jUA6
雅宣総裁は、「聖経」に、つまり、雅春先生が天啓をいただいて書かれた「聖経」に頼らず
ということを、全国幹部の皆様の前で、宣言されたとか、されなかったとか、
そのことが、当時、話題にのぼっておりました。

そして、その後、今、現在はどうなっているかと申しますと、
ご自分で作った「新 聖経」とやらを、刊行して、全国組織に指示して、
売っているのです。

雅宣総裁は、
だれがどう言おうと、ご自分の意志だけを、貫いて実行されるお方です。

ですから、ahope様が言われる様に、神想観のときに、彼の笑顔を浮かべるのは、生長の家らしい祈りだと
存じますが、それはそれとして、

彼は、彼の持論である、生長の家の教えとは正反対の二元論を、相変わらず主張し、
その二元論を、彼作のお経にまで、練りこんでいるのですから、

彼は、生長の家の教えに反する行為をしているわけです。
ですから、その考え方と行為に対しては、
信徒として、断固NO、という発信をしていかなければ、生長の家の神様を
雅宣総裁と手を組んで、裏切る事だと、私は、思います。

1042あさひ:2012/09/08(土) 22:22:47 ID:/3nxKE2Q

志恩様

合掌 

>彼は、生長の家の教えに反する行為をしているわけです。
ですから、その考え方と行為に対しては、
信徒として、断固NO、という発信をしていかなければ、生長の家の神様を
雅宣総裁と手を組んで、裏切る事だと、私は、思います。<

私も全く同じ思いです。

            合掌

1043志恩:2012/09/08(土) 23:02:24 ID:.QY5jUA6
みすはなまる様

 いい質問を、有り難かったです。合わせ鏡の件は、私も再度、
 復興G様にお尋ねしたかった事柄でした。忘れていました。

それから、みすはなまる様が、今日のお昼過ぎに投稿された文ですが、
私が、表現したくても表現できなかった想いを、見事に書き表して下さっていて、
大変感動しました。随分、奥の方へ行ってましたので、此処へ再度、貼らせて
いただきます。

 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1026

1044志恩:2012/09/08(土) 23:04:21 ID:.QY5jUA6
あさひ様

コメント、うれしかったです。
ありがとうございます。
同感して下さって、感謝いたします。

1045復興G:2012/09/08(土) 23:04:28 ID:xKxowNU.

>>1041 :志恩さま。

私も、たとえば『大自然讃歌』(私はこれを「新経」とは言いません)は断固NOと言ってますし、a hope様もそうおっしゃってますよね。

しかし、志恩さま。

>>雅宣総裁は、だれがどう言おうと、ご自分の意志だけを、貫いて実行されるお方です。<<

ということは、
≪すべての地上の事件は「物質世界」にあらわれて来る以前に「念(こころ)の世界」でできあがる≫(テキスト118ページ)
という真理からすると、どういうことなのでしょうか。すでに、念のフィルムの世界に、今日のこの事態は出来上がっているということでしょうか。だとすると、
≪映写機に一定の事件のフィルムをかけて映画を映しながら、スクリーンに映った映像を消しゴムで消そうとする≫(テキスト139ページ)
ような愚を犯していてはだめだと思いませんか?

≪われわれの災難とか不幸とか病気とかいうことも最初は「念(こころ)の世界」に造られるのでありますが、これも「物質世界」に顕われてくるまでに「念の世界」にまだ事件があるうちに、修正(なお)しておいたら、災難が災難にならず、不幸が不幸にならず、病気が病気にならずに「物質世界」にあらわれてくるのであります。つまりメタフイジカル・ヒーリングというのは「念の世界」における事件を修正しておいて、こん後「物質世界」へそれが映って現実の事件として出て来るさいに不幸や不健康をなるべく出さないようにする方法だということがいえましょう。≫(テキスト119ページ)

ということで、正しい法則・真理にのっとった、メタフィジカルヒーリングの方法をとることが、神の御心にかなう道であり、回り道のようで実は近道なのではないでしょうか。

1046志恩:2012/09/08(土) 23:20:40 ID:.QY5jUA6
復興G様

”すべての地上の事件は「物質世界」にあらわれて来る以前に「念の世界」でできあがる。”

ということで、

公人である総裁が、
新経は、自分が作るぞ、と念の世界で思われて、それを実際に作ったから、新経が、物質世界にあらわれたわけです。

その新経が、フイルムだとしますと、
フイルムをかけて、スクリーンに写った映像は、消しゴムで消そうとしても、消えません。

ですが、そのフイルムが、正しくないと思った場合、みなで忠告して、フイルム自体を破棄してもらうことは、
可能だと思います。

そのフイルムが、あるかぎり、繰り返し、繰り返し、映写されることになると,思います。

何も言わない,何も行動しないということは、
マイナスの行動だと教えていただいております。

1047a hope:2012/09/08(土) 23:26:06 ID:r8H4x9xE

復興Gさま 

わたしは復興Gさまを、負かせてしまったのですね(笑)
たぶん、わたしのアホさ加減は、世界クラスのものだと思います。
世界のアホは、復興Gさまをも負かすのですね!
自信がつきました。ありがとうございます。


みすはなまるさま

<<以前宇治別格本山に行ったときに、午前2時ごろでしたでしょうか。目が覚めた私は、聖経の声を耳にしました。
大拝殿の方へ耳をすませると、荘厳なこの世とは違う聖経の大合唱が聴こえてきたのです。その時間は就寝中で、どなたも大拝殿にはおられませんでした。
私はその時、御先祖さまは常に私たちと一緒に、居てくださっている…私たちを応援下さっているのだと確信しました。
決して、この事は自慢話ではないのです。御先祖さまは、常に私たちと一緒に応援下さっていることを伝えたく、話させていただきました。>>
生長の家の現在の状況も、すべて御先祖さまはご存じでらっしゃり、霊界より聖経を読誦下さっているに違いないと思います。

という、宇治別格本山でとても貴重な体験をされたのですね。
このお話を伺って感じたのですが、そのご先祖様たちの中には、
谷口雅春先生、輝子先生、清超先生、藤原敏之先生、榎本恵吾先生・・・・などの
先生方もいらしゃるわけですよね。

本当に、「生長の家」を愛し、神の御心を生きようとしているもが、
御先祖様たちに応援されないはずはないとわたしも思います。
貴重な体験談を教えてくださりありがとうございます。
宇治別格本山というのは、本当に聖なる場所なのですね。
ますます、練成に行きたくなりました!


志恩さま

わたしは志恩さまが総裁先生を憎くて色々発言されているなんて、今まで一度も感じたことはありません。
むしろ、志恩さまこそ、本当は総裁先生を心から愛していらっしゃるのではないかと思っています。

わたしも志恩さまのお考えとほとんど同じ内容の投稿をしているつもりなのですが、
どうも、わたしの文章力のなさからか、志恩さまにはわたしの真意がうまく伝わらなかったようで残念です。

わたしは、志恩さまのことは、心から尊敬させていただいています。
これからも、どうぞご指導よろしくお願い致します。



ところで、みなさま a hopeは、明日一日、子どもの行事ででかけます。
夜、遅くならないと、こちらに参加できないと思います。
ですが、みなさまの投稿を拝見して、後夜祭に参加させていただくもりですのでよろしくお願い致します。

それでは、わたしの愛する「生長の家」のみなさま、おやすみなさい。

1048あさひ:2012/09/08(土) 23:33:25 ID:/3nxKE2Q

志恩様

>ですが、そのフイルムが、正しくないと思った場合、みなで忠告して、フイルム自体を破棄してもらうことは、
可能だと思います。<

>そのフイルムが、あるかぎり、繰り返し、繰り返し、映写されることになると,思います。

何も言わない,何も行動しないということは、
マイナスの行動だと教えていただいております。<

私も全くそう思います。

たとえば、尖閣の問題でも、中国の実相を祈るだけではダメで現実の対応 石原都知事のように
行動を起こすことにより、状況が変化するわけですから。

ただ実相を祈るのみでは状況はますます悪化してしまうと考えます。

1049復興G:2012/09/08(土) 23:44:06 ID:xKxowNU.

>>1046 :志恩様。

”すべての地上の事件は「物質世界」にあらわれて来る以前に「念の世界」でできあがる。”
そのフィルムは、雅宣総裁一人でつくられるものでしょうか?
私は、決してそうではない、そんな簡単なものではないと思っています。
生長の家教団80年の業がつくりあげてきたものではないでしょうか。

1050志恩:2012/09/08(土) 23:48:18 ID:.QY5jUA6
あさひ様

おっしゃる通りですよね。尖閣の問題でも、石原都知事が行動を起こした結果、
状況も変化し、世論を決起し、国も動いて来たのだと思います。

本流の方々も、ただ本来の生長の家に原点回帰することを目的として、行動されて
おられるのです。

1051復興G:2012/09/08(土) 23:50:06 ID:xKxowNU.


総裁に対して、「こいつは絶対に言うことを聞かない奴だ」と思い言いながら、言うことを聞かせようとしても、それは無理ではないでしょうか。

しかし私は>>1029に書きましたように、
>>私は、今各教区の教勢がどんどん衰えながらも、なんとか持ちこたえているのは、雅宣総裁の「今の教え」に忠実に従ってその普及に全力を注いでいるからではなく、(教化部長などが)谷口雅春先生の御教えを真剣に伝えようとしているからであり、かなり無理をしていますから、もう長く持ちこたえることはできないと見ています。これ以上急激に教勢の衰退があらわれてくると、雅宣総裁も、大反省せざるを得なくなられるのではないでしょうか。<<

と思っているのです。しかし、繰り返しますが、今回の『大自然讃歌』などには“NO”を言い続けます。祈ってればいいなんて、誰も言ってません。

1052復興G:2012/09/08(土) 23:58:55 ID:xKxowNU.

では、「世界平和の祈り」をして、今夜はもう寝むことにいたしましょう。

皆さま、お寝みなさい。ありがとうございました。

1053神の子さん:2012/09/09(日) 00:03:25 ID:???
総裁の真のお姿を確認しよう!

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=hikarinomi&amp;mode=res&amp;log=16

1054あさひ:2012/09/09(日) 00:11:28 ID:/3nxKE2Q
復興G様

>そのフィルムは、雅宣総裁一人でつくられるものでしょうか?
私は、決してそうではない、そんな簡単なものではないと思っています。
生長の家教団80年の業がつくりあげてきたものではないでしょうか<

谷口家の色々な教育の成果でもあるでしょうし、生長の家教団80年の業の
成果でもあるでしょう。

しかし、今となっては、祈りつつ、現実対応もしないと、悪貨は良貨を駆逐して
しまいます。

ヒットラーも早いうちに芽を摘めなかったため、あのような大虐殺を引き起こしました。
今こそ、祈りつつ知恵ある対応が必要と考えます。

1055志恩:2012/09/09(日) 00:17:50 ID:.QY5jUA6
復興G様

そのフイルムは、雅宣総裁一人で作られるものではなく、生長の家教団80年の業が
つくりあげてきたものではないでしょうか?

と、おっしゃることは、もしも、そうだとしまして、
復興G様が,今回、御愛念で謹写して下さいました(8)のところに、書かれてありますように、

雅宣総裁は、その80年分の業を背負われて、やることなすこと、失敗して、不幸を吸い寄せているということは、
雅宣総裁が、背負うことになった業も、やはり、総裁ご自身が、根本的に 神と離れた心であるからではないでしょうか。

「心の内に神という無限力に生かされている自信がなく、彼の思想が二元論にこだわっていることは、また、自分の
生命は、物質の偶然的集合で作られていて、外から加わる偶然の力ですぐ破壊してしまうであろうというような誤れる
生命観が、雅宣総裁の心の奥底の大部分を占領していると、それが磁石となって,不幸をひきよせる。。。。」

(上記の真理の文章のところどころに、彼の名を入れさせて頂きましたが、、。)

彼は、ずっと以前より、実相独在ということばが、だいきらいでした。
なぜ、実相と現象と2つ、あってはいけないのだという具合に、二元論者でありました。

ですが、彼も本来は、霊妙無限力に生かされておられるのですから、外側の偽物の堅い殻をどんなに、
痛くはがされようと、傷つく事のない強い命だと思っております。

堅い殻は、はがれないままでいくのか、どうかは、わかりませんけれど、、

1056ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/09/09(日) 00:20:15 ID:gn5QzOTA
>1049 復興Gさま

こんばんわ、今の時間ですみません。 今でているのだけ読んだので的外れかも知れません。

80年の業 そうかもしれません。 谷口雅春開祖先生が 足が立たずに車椅子にお乗りになったのは、信徒が「先生、助けて!助けて!」と先生にぶら下がるから先生の足が重くて立てなくなったんだよ。 と言う話を聞いた事がありました。 生長の家の高級霊が運命の修正をしないわけないので
なんらかの 目に見えぬ世界の「意図」 があって 大自然讃歌 が発行されたのではないでしょうか?

私の個人的見解でまちがえていると思いますが、また、このWEB誌友会の題と外れていたらすみません。

現代では、自分が七つの燈台の点燈者の神示を生きる。(すべての実相と和解する)

自分が 生命の実相を生きる (私の生き方は 神の生命を喜ぶ事)

自分が甘露の法雨を生きる。(私の生き方は 甘露の法雨を 今よりずっと大事のお経であるとして感謝して大切に扱いながら読む・甘露の法雨が無くても大丈夫!と言えるように暗記する。 寺の坊主のように一人で言えるくらいになる)


もう、、、私、見当違いの単純馬鹿発言でしたらスルーしてください。 出直しますので。。。。

1057ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/09/09(日) 00:24:45 ID:gn5QzOTA
高級霊の念の修正って個人だけ?だろうか?

教団の運命も 超超高級霊の開祖先生や2代目先生。歴代の教化部長によって修正されない訳がないのでは??

良くわかりませんが・・・・

1058ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/09/09(日) 00:32:46 ID:gn5QzOTA
要は・・・

80年の業 → 谷口雅春開祖先生にぶら下がってきた事

全3個の投稿は 個人的見解です。。。。

おやすみなさい。明日、昨日のから読んで又きます・。

1059志恩:2012/09/09(日) 00:36:40 ID:.QY5jUA6
復興G様

1つ1つ、誠実にお答え下さって、ありがとうございました。
おやすみなさい。

1060志恩:2012/09/09(日) 00:40:17 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

来て下さったのですね。こんにちわ、さようなら、みたいに早い引き上げですが、
また、あした、おねがいします。
いらして下さって、大歓迎です。おやすみなさい。

1061志恩:2012/09/09(日) 00:44:57 ID:.QY5jUA6
80年の業→谷口雅春先生にぶらさがってきた事。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   ☝ 
  なんじゃそりゃ。ぴんとはずれ。
 生長の家の大神様を信じて生きて来ました。

1062復興G:2012/09/09(日) 01:21:50 ID:xKxowNU.

>>1039 :みすはなまる様
≪ >>1038の志恩さまの
>>これがですね、個人相手と公人相手とは、ちがう問題だと、まえから私は、言っているのですが、まちがいでしょうか?<<
のご意見と同じなのです。
いつの日か、復興Gさまにご指導を仰ぎたいと思っておりました。
大変大きな意味においては、雅宣総裁に感謝であるとは思います。
身近な方や家族、夫婦での合わせ鏡というのは理解出来ます。しかし、生長の家の総裁が、自分の合わせ鏡というのは理解出来ずにいるのです。勝手を申しますが、よろしくご指導お願いいたします。≫

というご質問にお答えしていませんでしたね。昨日私は別の仕事をしながら時々このWEB誌友会をのぞくような状態でしたので、失礼しました。

さて、
≪身近な方や家族、夫婦での合わせ鏡というのは理解出来ます。しかし、生長の家の総裁が、自分の合わせ鏡というのは理解出来ずにいるのです。≫

ということですが、これは「君民同治の神示」に、「天皇と国民は合わせ鏡」という意味が示されていることから、「総裁と信徒は合わせ鏡」ということになるのではないでしょうか、と申し上げたことがあるのであります。この神示の原文を掲示しますと、

≪国は人間生命の外延である。それは身体が人間生命の外延であるが如くである。人間生命が神より生れたる神聖なるものであるという自覚が、その外延であるところの国をも神より生れたる国であるとの神聖性を要求するのである。この要求が神によってその国が造られたのであるとの神話を創造するのである。しかも人は自己が無にして絶対であり、一切の主であり、永遠者であり、久遠の主宰者である(民主)との自覚を、生命の外延の世界に於ても持つことを要求するのである。観られる世界は観る人の心の世界であるからである。身体も国も共に観る者(主体)から反映せられる世界(客体)である。観る心の要請が身体に於ては脳髄の存在となり、国に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。(後略)≫

というので、これは、日本民族の祖先が、人間は「神の子」であるとの自覚を持っていたので、天孫降臨の神話を創造し、天照大御神の子孫である天皇を中心として君と民が拝み合う国をつくった、ということであります。

だから、生長の家信徒が本当に「神の子」の自覚を持てば、総裁は信徒を拝み、信徒は総裁を拝む、というすがたがあらわれるのではないか、ということです。

私はまた、>>1049
>>”すべての地上の事件は「物質世界」にあらわれて来る以前に「念の世界」でできあがる。”
そのフィルムは、雅宣総裁一人でつくられるものでしょうか? 私は、決してそうではない、そんな簡単なものではないと思っています。生長の家教団80年の業がつくりあげてきたものではないでしょうか。<<

と書きました。ほんとにその通りだと思っています。

私は、学生時代18歳のころから約60年あまり、生長の家の運動にかかわって、その光と影の両面を見てきました。それを振り返ってみて、つくづくと上記のように思うのです。
<つづく>

1063復興G:2012/09/09(日) 01:44:19 ID:xKxowNU.

ユタカさん、ありがとうございます。

>>80年の業→谷口雅春先生にぶらさがってきた事。

それは、必ずしもピント外れではないと思います。
信徒は(私自身を含めて)、まったく谷口雅春先生にぶらさがってきた事は、事実だと思います。

そうでなければ、今日のような状態は出て来なかったでしょう。

志恩さまがおっしゃる、
「心の内に神という無限力に生かされている自信がなく、彼の思想が二元論にこだわっていることは、また、自分の生命は、物質の偶然的集合で作られていて、外から加わる偶然の力ですぐ破壊してしまうであろうというような誤れる生命観が、雅宣総裁の心の奥底の大部分を占領していると、それが磁石となって,不幸をひきよせる。。。。」

というのは、「彼」「雅宣総裁」を「私」と置き換えても、まったくその通りでした。

自分が変わらなければ、決して環境が、世界が変わることはない、「自分が変われば世界が変わる」というのが、生長の家練成会などでいつも掲げられてきたメーンタイトル、スローガンだったのではありませんか。

1064復興G:2012/09/09(日) 01:47:36 ID:xKxowNU.

「自分が変われば世界が変わる。」

この素晴らしい言葉を思い出させていただいたことに感謝しつつ、今度こそ本当に、おやすみなさい。

1065王様の耳はロバの耳:2012/09/09(日) 02:41:51 ID:???
宇治にあれだけ大きな被害が出たのに生長の家の信徒に被害は無かったというのはデマです。

実害はありました。 無いと言い切る前にアンケートでも取って全部調べたのでしょうか。

アンケートと言えば谷口恵美子著の料理本あなたは買いましたか?というのは書かされました。

解答欄は  A.買った B.これから買う の2択でした。

この嬉しい結果を引っさげて狡猾な幹部は頭をなでてもらいに行くのでしょう。

総裁は自分が幹部の頭をなでてやっていると思っているかもしれませんが、大間違いです。

そうやって操られて行くのです。 これからも、これまでのように。

偽経も「代わりになる新しいお経でもあればねぇ…チラッ」とでも言って書かせたのでしょう。

このまま総裁を侵食されるがままに放置するのが愛ですか。

1066みすはなまる:2012/09/09(日) 04:34:31 ID:xo4yLU/o

復興Gさま

合掌 ありがとうございます。

昨夜は早く寝てしまいました。遅い時間までご指導をいただいて、本当に有難うございました。
今日は、私も子供の行事でほぼ1日留守をいたしますので、夜遅くになると思いますが来させていただきたいと思います。

>>1062での復興Gさまのご指導と、それ以前の皆さまのご意見をお聞きして感じたことを述べさせていただきます。

君民同治の神示を拝読しまして、

>人間生命が神より生れたる神聖なるものであるという自覚が、その外延であるところの国をも神より生れたる国であるとの神聖性を要求するのである。この要求が神によってその国が造られたのであるとの神話を創造するのである。>

のところで、国家においても、いま現在の生長の家のことも、家族をはじめとする身近におけることも、今世(今生)のものとしてだけで捉えてはならないように思えてきました。

自分や雅宣総裁や信徒さま皆さんの、過去世のことはわかりませんけれども、おそらく同じ波動と言いますか、永遠なる学びの過程において出会っているようにも感じます。

今現在わたしは、教団ではなく学ぶ会と、ときみつる会に籍をおいております。

しかしながら、雅宣総裁はじめ「生長の家」の実相を観じつつも、愛の気持ちを持って、総裁に意見をさせていただく・・・要は「静と動を伴った祈り」を大切にしたいと思うわけなのです。

今生の「私」のみの感情で考えてしまえば、どうしても“雅宣総裁の意見とは似ても似つかない”と判断してしまいます。

そこは、「私」のみの感情で考えてはならない・・・・

なぜならば、ある意味において、教団信者を離れたとは言え、ここまで真理を深く学ぼうという思いになれたのは、雅宣総裁のおかげであると感じています。

生長の家の歴史80年の様々な念の集積でもあり、それ以前のはかり知れない念の集積の結果でもあり・・・それを含めて合わせ鏡であるのだろうかと、そのように受け止めさせていただきました。

私の未熟な意見でありますので、復興Gさま、皆さまご指導のほどをよろしくお願いします。

1067みすはなまる:2012/09/09(日) 05:08:09 ID:xo4yLU/o

>>1043 志恩さま

こちらの方こそ、ありがとうございます。

志恩さまのご質問を読ませてもらったときに、同じ思いだと思い、連動して頭に浮かんできたのです。

それと、>>1026を再掲していただいてありがとうございます。

実は、隠すことでもございませんので(隠す思いもございませんでした)申し上げますと、私は別掲示板において、別ペンネームで吉田國太郎先生の青年に向けたご文章を謹写させていただいているのですが、そのご文章が現信徒に向けたお言葉であると、受け止めざるを得ない感をうけております。

そのご文章に、>>1026で述べさせて頂いた、いまの私の想いの原点がございます。

別ペンネームを使わせていただいているのは、「みすはなまる」の前身である「みすまる」と別掲示板でのペンネームに深い思い入れがありますので、使い分けて使わせていただいております。

言っても言わなくても良いようなことなのでしょうが、隠すことではございませんのでお伝えさせていただきます。

こちらになかなか伺えなかったのは、親の身体症状の急変の入院と仕事があり、パソコンでは謹写のみさせていただいていた次第なのです。

でも、志恩さまの貴重な想いが私の発言において、表現させていただくことができましたのでしたら、この上ない幸いです。

ありがとうございます。

1068みすはなまる:2012/09/09(日) 05:19:27 ID:xo4yLU/o

>>1047 a hopeさま

きっと、榎本先生や吉田國太郎先生、服部先生など、数多くの先達が見守ってくださり、応援をしてくださっていると思います。

谷口雅春先生は、神界にて常にお導きくださっているようにおもいます。

自分ひとりでは、つらいことでも、神様とご先祖さまと一緒であると思うと、何一つ恐れることはありませんよね。

a hopeさまが、宇治別格本山に行かれる日が必ず来ると、私は信じておりますね。

すでに、a hopeさまのなかに、神殿「生命の実相」があるのですから。

1069みすはなまる:2012/09/09(日) 05:33:49 ID:xo4yLU/o

>>1065 王様の耳はロバの耳さま

私は総裁を放任させておけば良いとは思っていません。

それは>>1066を読んで頂けましたら、お解りいただけると思います。

それと、宇治市の豪雨被害では犠牲者も出ておりますし、自宅が被害に遭われた方もたくさんいらっしゃいます。

私が>>1026で述べましたのは、「宇治別格本山」においての話で言わせていただきました。

勿論、その場に参列されていた信徒の方がたの心中をお察しすれば、精神的気持ちにおいての被害はどんなにか、あったことでしょう。

ただ、信徒の方に雷が落ちたとか、信徒の方が怪我をしたという話は聞いておりませんし、宇治別格本山においてみると、一見土砂崩れの被害の方にばかり目が行きがちですが、あの豪雨のなかで宝蔵神社や幽祭殿が無事であったことに、感謝の念を向けることも大切であると感じているのです。

1070王様の耳はロバの耳:2012/09/09(日) 07:10:00 ID:???
18日に大切な商談がありました。

前日、準備万端にして早めに就寝したにも関わらず、当日はずっと眠気に襲われ

乱れた交通網に翻弄されながらも、遅刻はせず到着し、いざ商談となると

雷雨、雷鳴で8割がた決まりかけていた商談がパーになりました。

8割決まりかけていたとはいえ、気を抜いたわけではありません。

その為に宇治に神癒祈願も出し、神想観もし、甘露の法雨も誦げていました。

最後の砦でした。 ここ数日ずっと一家心中を考えていますが子供を巻き込むのだけは避けたい。

宇治で偽聖経を読むのがわかっていたら、宇治に神癒祈願など出さなかった。

1071みすはなまる:2012/09/09(日) 07:25:09 ID:xo4yLU/o

>>1070 王様の耳はロバの耳さま

そういうことがあったのですね…。
あなた様の、心中を知らずに発言してしまい、申し訳無く思います。すみませんでした。

ただ、生命を断つことはしないでください。
お願いします。
あなた様の、身に起きた現象はどんなに辛く苦しいことでしょう。
しかし、現象は現れて、洗われ浄化されるのです。
ですから、王様の耳はロバの耳さまも、一見悪く見える現象でも、浄化され、必ず光に通じていると信じています。

お願いです。
あなた様にしかない、尊い使命をもって生かされているのですから、思いをここに吐いて頂いて、神様の大生命に生かされて下さい。

1072みすはなまる:2012/09/09(日) 07:42:11 ID:xo4yLU/o
王様の耳はロバの耳さま

ここには、素晴らしい生長の家の大先輩が沢山いらっしゃいます。皆さま素晴らしい方ばかりですので、お力になってくださると思います。

宇治などでの個人指導も良いと存じますが、私も入会しております、谷口雅春先生を学ぶ会の連絡先もお伝えしておきますね。

03-5829-6410です。
ここにも、力になってくださる素晴らしい先生方がいらっしゃいます。蔭ながら王様の耳はロバの耳さまの実相をお祈りしております。

1073王様の耳はロバの耳:2012/09/09(日) 07:53:39 ID:???
ありがとうございます

もう宇治は信用できません

学ぶ会の電話番号ありがとうございます

自殺はしたいけどできません

子供に手をかけるなんてできません

これからずっと負け組みの人生をどうやって生きていくか考えます

励ましありがとうございます

1074復興G:2012/09/09(日) 08:37:45 ID:xKxowNU.

みすはなまる様。

あなたは本当に愛深いすばらしい方ですね。
ありがとうございます。ありがとうございます。感謝合掌。


王様の耳はロバの耳さま。

あなたは、今、神様に、そしてご先祖様に、最も祝福されていらっしゃいます。
陰極は、必ず陽転します。
私も今朝、王様の耳はロバの耳さまのことを祈らせていただきました。するとあなた様が神に、ご先祖様に祝福され、歓喜に満ちた光り輝くお姿で、神の子として新生し起ち上がっておられるお姿が目に浮かびました。
絶対、大丈夫です。
あなたは人生の大勝利者になられます。
いや、すでに人生の大勝利者でいらっしゃいます。
神様に祝福され、ご先祖様に導かれ守られていらっしゃいます。

<<運命にもケミカライゼーションということがあるがために、われわれにとっては人生が非常におもしろくなるのであります。運命にケミカライゼーションが起こらねば、医者はいつまでも医者、看護婦はいつまでも看護婦、会社員はいつまでも会社員、労働者はいつまでも労働者であって、転換期というものに会うことができないのであります。ただ、この転換期の暗黒期に「失望」という奴によって確信を失つてしまうと、せっかく明るくなりかかっていた運命が、自分の心の力でまた本当に暗くなって来るかもしれないのであります。生長の家の『智慧の言葉』に「悪くなるほど、善きことが近づいて来たと思え」という意味のことが書かれていますが、これは病気を治そうとする人にとっても、運命を開拓せんと欲する人にとっても、いつまでも座右に備うべき箴言(しんげん)であります。<<
(『生命の實相』第1巻第3章より)

ありがとうございます。ありがとうございます。合掌

1075王様の耳はロバの耳さまへ:2012/09/09(日) 08:52:51 ID:???

一千億円の事業を倒産させ、無一文から御教えによって立ち上がり、現在

演歌歌手として活動されている方のブログをお勧めいたします。

過去ログをお読みになると、素晴らしい再生のヒントが秘められていますよ。

http://igaiganet.seesaa.net/article/173337318.html

1076復興G:2012/09/09(日) 09:22:58 ID:xKxowNU.

>>1075 様。

なんと素晴らしいことでしょう。

一千億円の事業を倒産させ、無一文から御教えによって立ち上がり、現在

演歌歌手として活動されている方のブログ。

これは、まさに 王様の耳はロバの耳さまのために用意されていたみたいですね。

王様の耳はロバの耳さまは、本当に、神様に祝福され、導かれていらっしゃいます。

必ず新生し、起ち上がられます。

ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝 合掌 礼拝

1077役行者:2012/09/09(日) 10:26:30 ID:CSeqac6k

 合掌

 現時点で雅宣先生が総裁である以上、教団は現総裁とそのまわりの幹部の意向に従って進んで行くでしょう、それが厭なら辞めるしかないのです。

 そのような現況下で、私たちはどうしたらいいか?

 結論からいうと、現総裁を信じ、苦悩を少しでも理解し、オベンチャラばかりでもなく、また批判ばかりでもなく、共に生長の家を創造し築いてゆく!ぐらいの覚悟が一人ひとりに必要だと思うのです。

 このようね現状になり、今まで以上に、現総裁も真剣だと思うのです。
 今回の新経本についても、限られた期間でつくられたものでありますし、あまり良い出来とは思っていらっしゃらないと思います、また現時点では甘露の法雨に代わるものとは到底考えてないと思われます。憶測ですが・・・

 では我々信徒はどうすればよいか?


 教団の前途を信じ、甘露の法雨をよみ、待つなか、少なくとも現総裁の苦悩を少しでも理解してゆくことだと思います。
 この掲示板に登場されるくらい真剣な皆様方だからこそ、特にできることがあると思うのです。

 今の幹部は、新経本と宇治での災害との関係、また新経本の活用法など、教養ある信徒に的確な明確な説明はしておりません、よっぽど、トキさまの方が分かりやすく説明されております。

 ◆組織板 >2069 >2070
   
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322573377/1069


 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322573377/1070


 教団が提示してくれないのなら、ここから万人が納得して頂けるような内容を提示してゆく!
 そして、そのような行為こそ、今の信徒の心に光を灯すことになると思うのです。

 最後に、教団の創始者ファミリーのことですが、もうそろそろファミリー会議を開き、和解の方向に舵を切っていただければと思っています。
 私の思慮分別では、創始者ファミリーがひとつになって初めて、生長の家教団の全体智が顕現し、前途が明らかになってくると思うのです。大変、畏れ多いことですが、もちろん創始者ファミリーの未来もより拓けてくるモノと存じます。なぜなら、そのときこそ、雅春先生の叡智が顕現するときですから・・・

1078復興G:2012/09/09(日) 11:15:08 ID:xKxowNU.

>>1077 :役行者さま。

お久しぶりです。

上記ご投稿、一々納得できるものです。真剣に肝に銘じてまいりましょう。

今は、本当に生長の家信徒にとって重大な、生まれ更わりの時であると思います。

>>現総裁を信じ、苦悩を少しでも理解し、オベンチャラばかりでもなく、また批判ばかりでもなく、共に生長の家を創造し築いてゆく!ぐらいの覚悟が一人ひとりに必要。

同感します。

ありがとうございました。

1079志恩:2012/09/09(日) 11:24:10 ID:.QY5jUA6
みなさま、おはようございます。
6歳と3歳の孫をつれて、子供たち一家が昨日から泊まりがけで来ていて、ただいま、家におります。
今日は、朝から,孫たちが家中で走り回っている賑やかな状況下、私は、なかなかPCの前に座れないでおります。

今、いそいで、皆様の投稿文を拝見しました。

復興G様

復興G様は、さすが大ベテランでいらっしゃいますね。
いろいろと教えて下さって、ありがとうございます。

王様の耳はロバの耳様

ようこそ、いらしてくださいました。
復興G様とみすはなまる様が、お答え下さっていて,よかったです。
自殺は、思いとどまって下さって、ほっとしました。
いいブログのご紹介も感謝します。

みすはなまる様

光明掲示板で、吉田國太郎先生のご文章を謹写されているのは、
みすはなまる様(の別名)でいらっしゃるのですか。みすまるさまも、そうなんですか。
みすはなまる様は、復興G様も言われましたけれど、ほんとにおやさしいし、聡明なお方ですね。
見習いたいと思いました.

a hope様

私は,以前からa hope様のこと、だいすきです。会話ができますこと、しあわせに思っています。
いつも誌友会の宣伝もして下さって、ありがとうございます。

役行者様

ご登場下さって,光栄です。
トキ様の両派の【新経本】に対するバーチャルのご意見は、本当に的を得ていますよね。
トキ様は、実に、頭のいい すてきなお方です。
それから、
今後の生長の家の生き方ですが、
どういう気持ちで 生きていったらいいか というのは、神想観で自分の内なる神に聴きながら
生きてまいりますが、発言、行動については、

今、組織内におられるお方と、私の様に組織外にいるものとでは、捉え方が自ずから違うと思います。

役行者様のコメントを、のちほど、ゆっくり考えさせていただきます。

どちらにしても、何もかもが,変わるしかない運命にあると感じております。
いつも、教えて頂いています。合掌


※ 総裁先生は、どのようなご判断があったかは,存じませんが、この時期に二次元思想の「新経」を作り、
 刊行したというセンスは、いただけないです。
 しかも、9月から練成会で読誦するように、また、ご家庭でも読誦するようにと,全組織に指令を出されました.

「甘露の法雨」にかわるおのでないといいながら、別の思想のお経を刊行して、補強したのだと言い、
 信徒に読ませようという、そういう発想が
 どこから湧いて来るのか、、、
 とうてい、信徒として、受け入れられるものでは,ありません.

1080復興G:2012/09/09(日) 11:24:58 ID:xKxowNU.

私は、今日午後から行事予定が入りましたので、半日退席します。

次にお目にかかれるのは夜になります。

よろしくお願い申し上げます。

合掌

1081志恩:2012/09/09(日) 11:39:22 ID:.QY5jUA6
この時期、
パソコンが、全国で普及し、多くの方々が、生長の家に関する正しい情報を得られるという事は、
とても、幸運な時代だと思います。

私は、ある日、結婚して独立して家から巣立って行った長男が、パソコンを抱えやって来て、
私に,パソコンをやる様に言い、すぐ出来る様に,セットしてくれたり、1年間も使用料を
私に代わって払ってくれるという親孝行をしてくれたお陰で、

苦手なパソコンで、まだ右手の人差し指1本で打つ、という未熟者ですが、
なんとか掲示板に参加させて頂いたり、様々な情報を知る事が出来ています。
それらの情報は、パソコンをやっていない,親戚,知人,友人にも教えてさしあげています。

私は、みすはなまる様もそうだそうですが、「学ぶ会」と「ときみつる会」の会員です。

多方面から学ばせていただいて、また、それを、仲間達に,情報発信していきたいと思っております。

1082ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/09/09(日) 12:35:43 ID:gn5QzOTA
谷口雅春先生の御講話テープから

戦後「水浮くかばね・・・」と言う歌を謳いながら戦争をするのを生長の家で大反対したとのことです。

これを聞くとやはり真理でないものには生長の家も反論をしていく団体だと思いました。 さらに生長の家の雅春先生が講演すると取り締まりがあったりしたそうですが、 

谷口雅春先生がとられた行動は 「皇軍 必勝」と言う短冊を一日500枚も書かれたそうです。

これに、大自然讃歌 を当てはめると 甘露の法雨をもっともっと沢山の回数を読まないと! と感じた。

1083志恩:2012/09/09(日) 12:38:22 ID:.QY5jUA6
また、これが自慢話としかとられないとしたら、かなしいですが、お話します。

昔のこと、
原宿本部で、ある催し物(バザー)があった折り、当時、小学生でいらした雅宣さんも
輝子先生とご一緒にいらしてて、その催し物をご覧になってました。

その日、私は、輝子先生の荷物持ちの係を仰せつかっていたので、おそばにおりましたら、
雅宣さんが、輝子先生の隣にいらして、私も、すぐそばにおりましたので、写真を撮る
編集者が、一緒の写真を撮ってくださって、3人、(他の方も写ってますが)ご一緒の写真を、あとでいただきました。
その写真が、私のアルバムにあります。

つまり、偶然、雅宣さんと1つの写真に収まったこともあったので、その写真を拝見するたびに
個人的には、私は、雅宣さんのことは、私自身は、被害を受けていないこともあるので、かわいいなと思えて、
むしろ、情が、うつっているのです。

ですから、なんとか、生長の家の教えを理解してもらえないかしら、とか、
雅春先生を崇敬していただけないかしら、とか、ずっと、切なく想い、実感をこめて、私は,私なりに祈ってまいりました。

しかし、彼は、副総裁の大役をいただかれて、を含めますと、この20年間、彼は、本来の生長の家でない方向へという行動が、
エスカレートするばかりです。
もう、情がどうのこうのとかいう問題では、なくなっております。

なのに、ahope様は、総裁の笑顔をあたまに浮かべて感謝の祈りを、みなでしたら,総裁は
実相が、あらわれるのではないかとか、いわれました。
復興G様も、同意されました。
そして、総裁の姿は、やはり、われわれの合わせ鏡だというご意見です。

それは、まるで、生長の家を学んで来た世界中の人達が、総裁を祝福してこなかったから、というようにも
聞こえる発言に思えました。……

総裁の行動を批判している方達のなかには、総裁が教えに反する行動をされるために、生長の家を愛するあまり、
中には、総裁をにくんでいる人もおられるでしょうけれど、そういう人は、極々少数だと思います。

皆様、神想観のおりには、私もそうですが、総裁を同じ神の子として、祝福している方々が、ほとんどだと思います。

おそれながら、反論になるかもしれませんが、そういう行為は、みなさま、続けているのです。

以前、トキ様が、総裁が、この時期に、新経でも自分で作られて、刊行されたら、それこそ、信徒の多くは、
離れる。と予想されてました。いま、それが、現実となりました。

われわれ、信徒は、総裁のお気持ちばかり、察していて  それで、いいのだろうか。
世界の人達の多くが,自殺を考えたり…個人救済を待ち望んでいる時期なのに、、と、思えるのですが。

1084あさひ:2012/09/09(日) 12:52:54 ID:/3nxKE2Q

志恩様

今、教団は火事真っ最中の時のように思います。このままでは死人多数となりますから、
祈りつつ、懸命の消火活動が大切と思います。

役行者様や復興G様のような信仰の深い方は別にして、多くの人はよく理解されないまま
踊っているということもあると思います。

パソコンという文明の利器を使って啓蒙活動は大切と思います。

私の周りでは、教団の制約があり、大変と言う人もあれば、雅宣先生素敵という人もあり、様々です。

いずれも、真実の情報が不足しています。目隠し状態では正しい判断ができません。

>多方面から学ばせていただいて、また、それを、仲間達に,情報発信していきたいと思っております。<

全く有難いことです。よろしくお願い申しあげます。

核の地下実験なども 地球に大きなダメージを与えているのでしょうね。

左翼系の方はこの件はあまり話題にされないようですが。

雅春先生が晩年、「みなさん一人一人が谷口雅春ですよ。あんたも あんたも あんたも」と我々を、指刺されつつ
仰られたことが忘れられません。「パテントは皆さんに渡しましたよ」と言われたことも忘れられません。

幸いにして雅春先生のお声を多く拝聴したものとしては、そのことを伝えて行くことは大切と考えています。

遠藤義男氏の真理は死刑の鎖も放つ講演、スターデリー氏のキリストの愛に潤んだまなざしから信仰者になったことの講演なども忘れられません。

志恩様も聴かれたのではありませんか。

善き時代に拝聴したものとして、事実を伝えて行きたいですね。
今後ともよろしくお願い申しあげます。

         合掌

1085あさひ:2012/09/09(日) 13:05:15 ID:/3nxKE2Q

志恩様

>世界の人達の多くが,自殺を考えたり…個人救済を待ち望んでいる時期なのに、<

全く同感です。

まず日本国が国難に直面しており、借金財政で将来が心配です。

今こそ雅春先生の教えを実践し、個人も国も、世界も救われることが必要と考えます。

その為には聖典 聖経が多くの人に読まれることが大切、また、一人では孤独ですから、互いに助け合い
励ましあう仲間と場が大切と思います。

そういう場があちこちにあるといいのですが。

        合掌

1086志恩:2012/09/09(日) 13:06:01 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

よくぞ、いらしてくださいました。なんか、どういうわけか、WEB誌友会、発言が少なくて。
私ばかり目立って、いやなんですけれど、私、ほんとはね、観覧席にいたいのですけれどね。

思っていたより、発言が少ないので、どうしたものかと……
発起人のあなたが、宇宙旅行へいらしてたので、困っていました。

ありがとう.来て下さって。

あれですよね。「大自然讃歌」を練成会で読む場合は、その前に「甘露の法雨」を読誦して、
「甘露の法雨」が、偽経が発する 二次元思想の悪い波動を浄めているというのは、どういうものでしょう。

まるで、農薬がいっぱいかかってる野菜の対し方みたいに
「農薬のいっぱいついた野菜は、たっぷりのきれいな水を、洗い桶にいれ、そこで、しゃばしゃばして、
しかも、流れる水でも、よーく洗って、毒である農薬を洗いながしてから、野菜を食べましょう。」

みたいな、
なんか毒消ししないと読誦できないおそろしいお経って、世の中に、あの偽経の他に、あるのかしら。。

1087志恩:2012/09/09(日) 13:18:47 ID:.QY5jUA6
あさひ様

コメント、ありがとうございます。
おなじ志のお方がいらして、
励まされます。

なにも知らない人は、普及誌にも、偽経のことが、大大的に宣伝されてますし、
そして、生長の家教団として、ご家庭で読む様に勧めているわけです。

みなさまは、「甘露の法雨」と「偽経」と2冊は、時間がかかって読めませんから、

教団からの指示を、鵜呑みにされる方々は、偽経の方、1冊を読む様に
なる方も増えると思います。すると、知らず知らずのうちに、二次元思想が、潜在意識に入って行きます。

生長の家教団は、うぶな信徒を騙す結果になります。
そんなことして、いいのでしょうか。まっとうな宗教団体が!

あさひ様
スターデリーの著書は、私の少女時代の愛読書でした。
あのような、個人の魂を救ういい本が、生長の家からどんどん刊行されてほしいですね。

1088山本富士子:2012/09/09(日) 13:41:31 ID:yVXXAsYE
ユタカ様
以前ご親切にしていただきありがとうございました。
わたしもすこしづつなれてきて、こうして投稿できるように
なりました。

本当にそうですね。今こそ甘露の法雨をもっとたくさん読まなければと
思わせていただきました。ありがとうございます。

復興G先生、皆様

私は聖使命会費をお預かり奉納させていただいている方々に、おことわりの
連絡をやっと、やっとさせていただきました。
「これはつらい作業でした。」

単なる趣味の会の会費ではないだけに、おすすめし、お取りつなぎしたこと
の日々も思い出し、せつない作業でした。
志恩さまが「入魂」とおっしゃっていましたが、まさしくそうです。
そうしてご奉納させていただきました。

私は年齢を考えると自分の生活の中に「大自然讃歌」を宗教行として
取り入れる余裕はありません。

純子白鳩会総裁の講話に夫婦の道として、おじいさんのもってきた、くさったりんごを、絶対の信を
もって「ハイと受け取り」喜べば、すばらしい世界が開けるを応用して
雅宣総裁の「大自然讃歌」を素直によろこべません。

だったら退会してください。ということになりますが、、、トキ先生がご指摘なさるように
これは、我々年代にとってつらいものです。

私自身は「学ぶ会」や「ときみつる会」の冊子を購入することでささやかに良心を
なぐさめてもらっています。

☆誠魂奉安される「竜宮住吉本宮」の長崎総本山が聖地と呼べなくなりました。
だから私はおずかりできなくなりました。さびしいです。こんなことをいうとは思いも
よりませんでした。

いずれ「大自然讃歌」も補強されロックンローラーでヘイ!とパフョーマンス
されて、、、これは笑い話ですが、、、

これだけ言ったらけっこうスッキリしました。皆様お話を聞いてくださり
ありがとうございました。

1089トキ:2012/09/09(日) 13:56:55 ID:184yzMyc
>>1070

王様の耳はロバの耳 様

 詳しい事は知りませんが、これから毎日、あなた様の幸せを祈らせていただきます。

私は、谷口雅宣総裁の文章は読みませんから、その点はご安心下さい。

合掌 ありがとうございます

1090あさひ:2012/09/09(日) 14:14:31 ID:/3nxKE2Q

志恩様

>生長の家教団は、うぶな信徒を騙す結果になります<

そうですよね。生長の家という限りは。

雅宣氏は自分の現在の境地を心から信じておられるのではないでしょうか。

だから新経は良いことをしたと思っておられるのでは。

雅春先生の教えをなくすことこそわが使命と。

雅春先生の教えは間違っていることを発見したと本人は英雄気分では。

だから、表面上は生長の家を装いつつ、実は雅宣教に入れ替えることが使命と
使命感でやっているのでは。 と思います。

ですから、本人に後ろめたさなど、微塵もないと思います。

だからこそ、今まで大胆に構造改革できたのではないでしょうか。

私は裁判が不利な状況になったとき、雅宣板 生命の実相 聖経が出ると確信
していました。案の定、雅宣経がでました。

これを座視することは耐えられません。

雅春先生の教えから、雅宣教に変化している現実を伝える必要があります。

今は小さな炎かもしれませんが、津々浦々に伝えなければとおもいます。

            合掌

1091志恩:2012/09/09(日) 15:34:48 ID:.QY5jUA6
あさひ様

裁判が不利になったとき、雅宣経ができると、思っておられたのですね。
私も、同感でした。

教団本部が、最高裁に上告したのは、あれには「かくしだま」が込められているのだという
情報も、以前、ありましたが、それを聞いた時,
私は、かくしだま とは、雅宣総裁が,仕組んだ「生命の實相」と「聖経」の
抹殺だと、直感しました。

座視していることは、住吉の大神様に申し訳がたちません。

1つ1つの小さな炎ですが、あきらめず、炎が、消えることのないように、津々浦々に
お伝えする使命が、われわれ信徒の使命でもあると思っております。

今後は、
きっと 雅宣総裁著「新・生命の實相」刊行の日も、あるやもしれません。

1092志恩:2012/09/09(日) 15:46:26 ID:.QY5jUA6
山本富士子様

おひさしぶりですね。
横スレ失礼致します。

ユタカ様あての
意味深な書き込みですが、ユタカ様なら、よく理解出来る事柄なのでしょう。

富士子様は>>私は、聖使命会費をお預かり奉納させていただいている方々に、
       おことわりの連絡をやっとさせていただきました。「これは、つらい作業でした」<<

と書かれておられますから、つらいけれど、良心に基づいて、なさったご心情が、お察しできました。

いつかきっと、本来の生長の家らしい生長の家に回帰したときは、またこぞって、われわれも
そのような行動をさせて頂く日が来ると、私も、祈りながら行動と発言をしている日々で、ございます。

おたがい、これからも元気でいましょうね。ありがとうございます。

1093山本富士子:2012/09/09(日) 16:50:13 ID:j4J7TnRo
志恩様

いつも書き込みありがとうございます。
どんなにはげまされているかわかりません。

もうすぐ、敬老の日がくるのにこんな目にあうとは
思いもよりませんでした。

けれど、人それぞれ思いもかけない目にあい、のり越えて
いるのだと自分を 励ましました。

志恩様は これからもっと大変になるときに
大切な方です。どうか御身大事でいてください。

たよりにしています。いつもいつも応援の祈りをしています

それから今ひとつ、疑問におもうことはトキ先生がしきりに
バーチャル初音で討論すべきと言っています。

しかし生長の家は生活に実行する、宗教なのです。
大自然讃歌が正しいか、そうでないかではないのです。

総裁作 長編詩がすでに教化部や 練成道場に持ち込まれたのです。
信徒はそれを受け取るか、断るかのふたつにひとつなのです。

もはや企画会議の時はすぎたのです。

どうぞ 受け取られたかたは、一生懸命入魂読誦くださいませ。
生長の家のはしくれとして、りっぱな次世代聖教になることを
祈らせてください。

志恩様
つらい気持ちを わかってくれてありがとうございます。

1094役行者:2012/09/09(日) 16:52:34 ID:CSeqac6k
 
 復興G様、志恩さま、ユタカさま、あさひ様

 また

 皆様

 「大自然讃歌」が出版されてしまった以上、教団に残るためには読誦の方向で行かないと締め付けがあるでしょう。

 そこでどのように対処したらいいかというと、やっぱり、より甘露の法雨を読誦するしか方法はないでしょう。ここは宗教団体なのですから、まず救済を中心に展開してゆくべきで、ならば中心は、甘露の法雨でしょう。
 志恩さまが云うよう、「大自然讃歌」は二元論の視点から生命倫理、自然との調和を詠んでいます。それを熟知していれば“毒”とはまでいかないような気がします。
 云うなれば、活用法です。どのような時に新経本を読誦するかということです。内容を冷静に詠んでみると、人間が多様性を重んじ、自然と調和した生き方をしましょう、ということでしょう。
 練成で取りあげなければならないなら、そのような行事の時に詠めばいいかと存じます。また、そのような行事に取り入れれば良いのではないでしょうか!どちらにしても、甘露の法雨を読誦してから大自然讃歌ですね。

 それと、役職者の方々は本当に裁判で勝てると信じていた節はあります。ですから始めは新経本をつくる予定はなかったでしょう、だから、限られた期間でつくられた挙げ句の果て、現在のような状況なのでしょう。

 ということもあり、教団幹部が恣意的に「甘露の法雨に取って代わる新経本だ」と企んでいると宣伝するのは、時期尚早でしょう、どちらにしろ戦略的にも、「甘露の法雨に取って代わる新経本ではない」と宣伝しておいた方がいいです。ようく考えて見れば分かりますよ。
 
 また、今回の大自然讃歌と宇治の災害との関係なのですが、正確には、「分からない」というのが本当でしょう、しかし、偶然がしかもドンピシャで襲ってきましたので、何かしら因果関係をはっきりしなければならないでしょう。

 私が思うに、宇治の局部集中豪雨と雷等は、たぶんご先祖様や水子さまの念の自壊作用かと思います。ビックリされたのでしょう。しかし、これからもし、このようなことが繰り替えされるとしたら、たぶん“「大自然讃歌」イコール豪雨”という生長の家の信徒の念によって展開される可能性が高くなるのではないかと思うのです。
 あまりにも偶然すぎて、みんなそのように思っているからです・・・いずれにせよ、聖経ではなくあくまでも、経本です。

 教団幹部が、より的確な適切な説明を、どのようにしてくるか、楽しみにしております。
 

 必ず、日本国に誕生した生長の家は、使命を果たすため、まず身内同士で和合すると信じています。

 
>遠藤義男氏の真理は死刑の鎖も放つ講演、スターデリー氏のキリストの愛に潤んだまなざしから信仰者になったことの講演なども忘れられません。・・・善き時代に拝聴したものとして、事実を伝えて行きたいですね。<

  >その為には聖典 聖経が多くの人に読まれることが大切、また、一人では孤独ですから、互いに助け合い励ましあう仲間と場が大切と思います。

 そういう場があちこちにあるといいのですが。<

 私もそのように思います。                         合 掌

1095志恩:2012/09/09(日) 18:54:06 ID:.QY5jUA6
役行者様

良きアドバイス、感謝いたします。
合掌 礼拝

1096志恩:2012/09/09(日) 18:59:36 ID:.QY5jUA6
山本富士子様

コメント、あいがとうございます。
そういえば、9月は、敬老の日が、ありましたね。

山本富士子様の様な純粋なお方が、存在されてて、
どんなにか 心強いことでしょう。

お互い、これからも げんきでいましょうね。

1097志恩:2012/09/09(日) 19:39:59 ID:.QY5jUA6
「か が み」の間に 「が」(我)が、あっては、

「か み」には、ならない。 かみ は、顕れない。

雅宣総裁にも 吾々にも 言えることですね。

1098志恩:2012/09/09(日) 19:52:23 ID:.QY5jUA6
1097:は、
どこかで読んだ言葉です。
うまいこと、いいますよね。

1099復興G:2012/09/09(日) 19:59:50 ID:xKxowNU.

皆さま、ありがとうございます。
只今戻ってまいりました。

ここはWEB誌友会の場で、テキスト『生命の實相』第1巻第4章・第5章を深く学び、信徒われら一人ひとりがみな真理の法燈を継承して生きましょう、というのがテーマでありましたね。そのことを忘れずに、残る時間、お互い真剣に勉強してまいりましょう。

>>1097 :志恩さま。
>>「か が み」の間に 「が」(我)が、あっては、
「か み」には、ならない。 かみ は、顕れない。<<

そうですね。『生命の實相』をお書きになった谷口雅春先生も、
≪わたしは『生長の家』の教祖ではない。わたしは諸君と共に『生長の家』の教えを聴聞して、ひたすら、その教えのごとく生き行こうと努力する一人の求道者にすぎない≫
(『生命の實相』頭注版第1巻14ページ)
とおっしゃっています。私たちは、真理の前に、神の前に、心を空しくし、常に謙虚でありたいと思います。

1100トキ:2012/09/09(日) 20:15:21 ID:HGfTDKCs
 復興G様、お帰りなさい。

 実は、私も人と会っていました。彼女は、今は、普通の御仕事をしていますが、若い頃はキャバクラで働き、永年No1をはってきた
女性だったそうです。その人が、自分のキャバクラ時代を思い出して、こんな事を話していました。

 「私も、男性を騙す、とまではいかなくても、相手の純情を踏みにじってお金を儲けていた時期がありました。例えば、自分に
気がある男性のお客さんに、まるで自分も気持ちがあるような素振りをして何回も来客させてお金を使わせ、No1になった時期も
あります。しかし、そういう卑怯な手段をしていたら、確実に自分に悪い事が返ってきました。それに気がついてからは、自分は
そういう人を騙すようなやり方は止めて、正直に頑張ってNo1を貼ってきました。今は、そういう商売を止めて、昼間の仕事をし
ていますが、毎日が勉強です。」

 という話でした。少し考えさせられました。

(つづく)

1101トキ:2012/09/09(日) 20:22:08 ID:HGfTDKCs
本流光明掲示板にこういう事が書いてありました。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=274

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心に沁みました (1197)
日時:2012年09月07日 (金) 19時54分
名前:あめのうずめ

(前略)

総裁が惨禍経を出したことで、いよいよ教団のおかしさが露呈してきましたが、組織ももうかなり前からおかしくなっていたように私には思えるのです。
それは全て総裁のせいばかりとは言えないのでは、と私は思うのですが,縹様はどうお考えでしょうか?
とにかく白鳩はどこへ行っても先生だらけだったし、千巻読誦や、普及誌千部一括をやった人は、英雄のようでした。

講習会ともなれば、“積善の家に余慶あり”の掛け声のもと、自分の家庭をほったらかして組織活動に邁進していました。
彼女達は、“これは神様のお仕事だから”を合言葉のようにしていましたが、私にはよく理解できませんでした。

そして、“問題もありがたいのよ”とか“徳積みしないと徳切れになる”とか・・

極め付けは、“何でもハイ”だから、お役を頼まれたら素直にハイと引き受けるようにとの事でした。
これは組織には都合がいいでしょうが、真理とはかけ離れている様に思いました。

3年前、組織の小さな集いに行った時は、もっと驚きました。
とても先生とは思えない人が講師補になっていて、大変な気合いでした。
もちろん総裁派だったのでしょうが、この人は出講先で一体何を話すのだろうと冷や汗が出ました。

『まず心に自己の生命の円相を自証せよ、組織は自然に浄まるであろう。』
とありますが、組織が劣化していったから、それに見合う総裁になったということはありうるでしょうか?

卵が先か鶏が先かみたいな話になりますが、総裁と組織とは、合わせ鏡のようだったという事は言えないでしょうか?

(後略)

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1102ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/09/09(日) 20:28:31 ID:gn5QzOTA
2012年6月17日 (日)
光明一元の人生観を堅持しよう
 今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山にある谷口家奥津城で谷口雅春大聖師二十七年祭が厳かに挙行された。前日まで降っていた雨も上がり、薄日も差す心地よい天気となり、奥津城前の広場には、団体参拝練成会の参加者など約600人が集まって、雅春大聖師の限りない教恩に感謝しつつ、聖経読誦のなか玉串拝礼、焼香を心を込めて行った。私は御祭の最後に概略、以下のような挨拶をさせていただいた。
 
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 皆さん、本日は谷口雅春大聖師二十七年祭にご参列いただき、ありがとうございます。

 私は昨年のこの年祭では、雅春先生とフェンウィック・ホルムズ博士の共著である『信仰の科学』という本から引用して、「神の国は汝らの内にあり」という聖書のキリストの言葉の意味についてお話ししました。その時の挨拶の内容は、今年出版された『次世代への決断』の本の中に収録されています。この聖句の意味をひと言で申し上げれば、「心の眼が開かれている者にとっては、神の愛に溢れる天国はいたるところに見出せる」ということでした。「心の眼を開いて実相を見よ」ということです。そのためのトレーニングとして、生長の家の運動では「日時計主義」の実践を皆さんにお薦めしているし、この団体参拝練成会でも、絵手紙を描いたり俳句を詠むことを通して“真象”を見る練習をしているところであります。
 
 谷口雅春先生はまた、「生長の家の礼拝の本尊は観世音菩薩である」と教えてくださいました。この真理は、非常に深い意味をもっていまして、簡単にはそのすべてを理解するのは難しいのです。そこで私は今年の全国幹部研鑽会でその一端をお話ししました。また、ブログにもこれについて連載記事を書き、さらにそういう理屈っぽい説明は苦手だという人のために、直感的、右脳的な理解をしてもらおうと思い、「観世音菩薩讃歌」という長編詩も書かせていただきました。今度この長編詩が「大自然讃歌」と共に折り本型の経本として出版されることになりましたので、皆さんには是非、ご愛用いただきたいのであります。

1103ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/09/09(日) 20:30:06 ID:gn5QzOTA

経本としてご愛用いただきたい。

とすでに言われてしまいました!!!!!  さぁ、みなさんどうしますか?

1104トキ:2012/09/09(日) 20:34:57 ID:HGfTDKCs
 私も、青年会の幹部の経験がありますから、この投稿の内容には覚えがあります。

 具体的な事は書きませんが、インチキとはいかなくても、インチキに近い事をして、数字をあげて
いた事は自分も見聞をしています。教団には人格者が多かったですが、指導者に声の大きな人がなり、
無理や無茶としか言いようがない指導をしているケースもありました。私が青年会時代は、まだ、
谷口雅春先生の直弟子の方々がご存命でしたが、「こんな組織指導は、谷口雅春先生のご意志とは
違う」と言い切っておられました。

 私は,今以上に青二才で世間知らずでしたが、組織指導で受ける命令の中には、常識から考えても
おかしな内容のものがありました。もちろん、活動自体は、素晴らしかったですし、活動体験は貴重な
ものだったので、感謝はしています。が、中には、おかしなものがありました。こんな組織指導を
していたら、いつか、組織はおかしな事になるのではないか、という感想を持っていました。

 現在、総裁が「乱心」をし、暴走をしています。これは、否定できないと思います。しかし、過去の
自分達の組織としての言動に問題がなかったか、というと、これも問題があった事は否定できないと
思っています。そういう点も反省の上、今後、どういう信仰や運動をすべきか、という点は思案中です。

合掌 ありがとうございます

1105復興G:2012/09/09(日) 20:43:22 ID:xKxowNU.

>>1090 :あさひ様。
>>雅宣氏は・・・・雅春先生の教えをなくすことこそわが使命と。雅春先生の教えは間違っていることを発見したと本人は英雄気分では。だから、表面上は生長の家を装いつつ、実は雅宣教に入れ替えることが使命と使命感でやっているのでは。 と思います。<<

――そうでしょうか。私は、雅宣氏はそれほどすっきり単純ではなく、役行者様が>>1077でおっしゃっているように、今、苦悩してらっしゃると思います。
雅宣氏は、「学生時代に、自分が将来生長の家総裁のあとを嗣がなければならない人間だと思うと、重圧に打ちひしがれてノイローゼになりそうだった」と漏らされたことがあったと、聞いたことがあります。でも、「わからないことを知ったかぶりせず、自分に忠実に歩もう」と居直りを決められたのではないかと、私は拝察しています。

≪このような現状になり、今まで以上に、現総裁も真剣だと思うのです。
 今回の新経本についても、限られた期間でつくられたものでありますし、あまり良い出来とは思っていらっしゃらないと思います、また現時点では甘露の法雨に代わるものとは到底考えてないと思われます。憶測ですが・・・
 では我々信徒はどうすればよいか?
 教団の前途を信じ、甘露の法雨をよみ、待つなか、少なくとも現総裁の苦悩を少しでも理解してゆくことだと思います。≫
と役行者さまが>>1077でおっしゃってることは、だいたい当を得ているのではないかと、私は感じます。

それを、≪教団幹部が恣意的に「甘露の法雨に取って代わる新経本だ」と企んでいると宣伝するのは、時期尚早でしょう。どちらにしろ戦略的にも、「甘露の法雨に取って代わる新経本ではない」と宣伝しておいた方がいいです。≫と役行者さまが>>1094でおっしゃっていることも、その通りであろうと思います。

と言っても、私は『○○讃歌』を肯定するわけではありません。絶対にNOです。それは、言い続けます。

1106みすはなまる:2012/09/09(日) 20:54:27 ID:MWmy8QgI

皆さま こんばんわ。

やっと一息つける時間を持つことができました。

>>1079 志恩さま

 私が>>1067で、ややこしい表現をしてしまい、申し訳ありません。

 別掲示板でご活躍されている、「みすまる」さまは、私とは別人でいらっしゃいます。

 別掲示板では、「マリーゴールド」です。

 以前、こちらの掲示板での私のペンネームは、「みすまる」でした。
 
 ある時、他掲示板でも、同一ペンネームの「みすまる」さまがいらっしゃることが解り、「みすはなまる」に改名させていただいたのでした。

 いまの「みすはなまる」も大変気に入っております。


 それと、皆さま


 >>1086において志恩さまがユタカさまにも仰っておられることと、私の想いが関連してくるのですが、私自身に言い聞かせるつもりを込めて発言します。

 甘露の法雨を誦むだけではなく、解釈も同時に理会していく重要性を感じます。

1107復興G:2012/09/09(日) 21:35:48 ID:xKxowNU.

>>1101 :トキ様。

「光明掲示板」の質疑応答記事は、すばらしいですね。感銘をうけました。
ご紹介、ありがとうございました。

1108復興G:2012/09/09(日) 21:57:46 ID:xKxowNU.

>>1102>>1103 :ユタカ様。
>>経本としてご愛用いただきたい。とすでに言われてしまいました!!!!!さぁ、みなさんどうしますか?<<

「NO」と言います。
総裁に「ハイ」と従えない者は、出て行け!! と言われたら、「ハイ」と、出て行きます。

『光明法語』から、また貼りましょう。

≪ 七月三日の法語 「ハイ」の無限力

 最も重き言葉は最も簡単なる言葉である。それは「ハイ」の一語である。一切の行為は「ハイ」にて動き、一切の事物は「ハイ」の一語にて成就する。汝、使命を感ぜんか、唯「ハイ、ハイ」とのみ言え。然してこれを実行せよ。然らば必ず成就せん。「ハイ」とは決意である。使命に対する決意である。如何なる困難も、吾使命を感ぜんか、「ハイ」の決意にてその困難は斫(き)り拓かれ、坦々たる大道となる。「ハイ」は汝を自由ならしめる。「ハイ」は実相その儘(まま)である。

  七月四日の法語 「否定」の威力

「ハイ」に対立する最も簡単にして最も偉大なる力は、「否!」である。汝病気ならんか、「否!」と断じて言うべし。病いすなわち必ず癒えん。汝に不幸来らんか。「否!」と言うべし。如何なる不幸も汝を傷つける事は出来ない。最も自由なる人は自己の好まざることに対して断じて「否」と言う。かかる人には如何なる不幸も近づく事が出来ない。世界は如何なる「幸福」でも「不幸」でも自由に販売しているところの百貨店だと言える。それを求める貨幣は「決意」である。≫

ありがとうございます。

1109みすはなまる:2012/09/09(日) 22:03:10 ID:MWmy8QgI

復興Gさま

真心あふれるご指導をありがとうございます。

いま再度テキストを再拝読しております。そこで、一つ教えて頂けますでしょうか。

テキスト(16)におきまして

<ともかく、現代の誤れる物質主義を源流とする人類生活暗黒化運動は、全世界のほとんどすべての出版物を金力で掌握して、記事に、広告に、全力をつくして人間生活から光明を奪おうとしているのであります。<

という箇所を拝読していますときに、感じたのですが

現総裁のお考えは、二元化であります。一元化は否定であります。

ということは、総裁のお考えは人類生活暗黒化運動に値することになるのでしょうか。

総裁先生が、もしご覧でしたら失礼をお許しください。

1110志恩:2012/09/09(日) 22:13:31 ID:.QY5jUA6
復興G様

お帰りなさいませ。ご丁寧なご指導を、ありがとうございます。



トキ様

光明掲示板の記事を貼付して下さって、ありがとうございます。
縹様は、誠に博識ですし、素晴らしいおかたです。
あめのうずめ様も同じくでいらっしゃいます。

総裁先生は、ご乱心。
来春は、森のオフィスへ引っ越すということもありますから、
様々な課題が、待ち受けていますね。



みすはなまる様

別の掲示板でのペンネームは、マリーゴールド様で、
みすまる様は、みすはなまる様とは、別人とのこと。

了解でございます。

甘露の法雨は、真理のエッセンスが,簡潔に述べられいますから
日々、読誦していても飽きません。
心を込めて、入魂で、理会しながら、読むべし。ですね。

こちらのことも、了解でございます。

1111志恩:2012/09/09(日) 22:21:30 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

経本にするって、総裁先生は 宣言されてたんですね。
唐松模様では、しないと、言ってたのに。
おおうそつき!
しかも、総本山で、とは! これは、どんびき。

これについてのコメントは、復興G様、トキ様が、されていらっしゃいますからね。

【ご乱心】 以外のなにものではありません。

1112志恩:2012/09/09(日) 22:24:08 ID:.QY5jUA6
しかも、言うにことかいて、

「経本として、ご愛用いただきたいとは!!!!!」

なんて、ことでしょう!!!!

1113さくら:2012/09/09(日) 22:42:36 ID:e8ieIrPA
復興G様 皆様
合掌、ありがとうございます。いつもご指導ありがとうございます。
>”すべての地上の事件は「物質世界」にあらわれて来る以前に「念の世界」でできあがる。”
そのフィルムは、雅宣総裁一人でつくられるものでしょうか?
私は、決してそうではない、そんな簡単なものではないと思っています。
生長の家教団80年の業がつくりあげてきたものではないでしょうか。
・・個人的に、組織にいたときには、いろいろな矛盾をかんじたり、方針に悔しい思いもあったからこそ、自分なりに組織のことや総裁の文章を直接読んで理解したうえで(自分の嫌悪を抜きにしましたし、そのことで総裁に迎合して従うということでは決してありません)、わたしも今まで考えてきました。
・・笑顔を思い浮かべて祈る・・というより、切実に総裁には思いを抱いてきたつもりです。
そうした上で、いまは、復興G様のお言葉に納得できる思いでおります。
復興G様が引用してくださった「君民同治の神示」の「合せ鏡」という意味も、
賛同、といいますより・・いまは、実感に近い意味で、心に深くしみいるお言葉でした。
>私たちは、真理の前に、神の前に、心を空しくし、常に謙虚でありたいと思います。
復興G様のこのお言葉が、心に残り振り返りました。ありがとうございます。


ひとつ、このたび、ホープ様の質問で始まっていますが、
>しかし、「人間神の子」の自覚があり、常にそういう波動を放っていれば・・、
ということには、どういった意味があるのかを理解ができないところがあります。
雅春先生は、どんな人の中にも、神の子の本性が宿っていてその実相を礼拝することを説いてくださり、それが生長の家の教えの根本であると理解していましたので、

わたしも、総裁の「大自然讃歌」は聖経にふさわしくないと想いますので、読みませんし、甘露の法雨を補うものなどということは認めることは決してないことに賛同なのですが、「波動」をはなって自分を守るために〜、というニュアンスは、言葉は悪いですが、生長の家の教えというより、似非スピリチュアルのような考えに近いものがあるようにかんじています。
災害が起きたとき、自分の心を振り返り反省することを必要とされることとおもいますし、そのとき、できることを考え行動していくことが大切であると思わせていただいています。
ありがとうございました。拝

1114さくら:2012/09/09(日) 22:43:36 ID:e8ieIrPA
行間が空かず、・・読みづらい文章になり、申し訳ありません。

1115志恩:2012/09/09(日) 22:49:54 ID:.QY5jUA6
>>1109:の みすはなまるさまの質問に関連しますけれど

復興G様が謹写してくださいました(17)にも、その続きが、書いてありますね。

>>今申しましたように
  人類生活暗黒化運動は金力の魔手をもって、全世界を掌握し、
  毎日の発行部数十数億万にのぼる宣伝機関を備えて、われわれ人類から神の子(または仏の子)たる
  自覚をうしなわしめようとしていて余念がないのであります。<<

まるで、
二次元思想を練り込んだ雅宣経を指しているみたい…

1116a hope:2012/09/09(日) 22:53:58 ID:r8H4x9xE

みなさま こんばんは

a hopeは、今、やっとパソコンの前に座ることができました!
さっとですが、みなさまの投稿を拝見しまして、感動しています。
みなさまのおかげで、今回もとても有意義な誌友会となっていてとてもうれしいです。


ところで、みすはなまるさま

えーっ?みすはなまるさまは、マリーゴールドさまだったのですか!!!
言われてみれば、納得です。わたしは、今、非常に感激しております。

本流青年掲示板、光明掲示板では、いつも聖典の謹写をありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。

ところで、みなさま、第6回web誌友会は、とりあえず、後40分ほどで閉会の時間ですが、
わたしは、まだみなさまの投稿をしっかり拝見していませんし、大切なお話も続いているようですので、
みなさまそのまま後夜祭に突入してくださいね。

ですがけじめとして、時間になりましたら、 前回如月さまが書き込みして下さった、
「世界平和の祈り」を、貼り付けさせていただきたいと考えています。

もし、如月さま(今日はまだお見えになってないようですが・・・)が、今回も担当してくださるのならば、
お任せしたいと思います。

みなさま、ご了承ください。

1117志恩:2012/09/09(日) 23:04:12 ID:.QY5jUA6
さくら様

私は、
尊敬している人にでも、愛している人にでも、情が移っている人にでも、
自分の意見は、意見として、はっきり言わせて頂く人間です。

相手が、特に公人の立場の人であれば、尚のことです。
まちがったことをしていると思った場合は、はっきりと忠言することが、
その人の内なる神への奉仕だと思います。

ただ、かばったり、きれいごとを言ったり、甘やかすのが、愛では、ありません。

1118a hope:2012/09/09(日) 23:11:23 ID:r8H4x9xE
さくらさま

お久しぶりです!
また、この掲示板でお会いできてうれしいです。

今回、復興Gさまとトキさまが、このweb誌友会のテーマとしてふさわしいとして、
わたしの挨拶板での質問を取り上げてくださっていますが、これに関しては、
わたし自身も、全然自信がないのですよ。

だからこそ、ここでみなさまにご意見を聞きたいと思っていたのです。

さくらさま、貴重な意見をありがとうございます。

これからも、どんどん発言してくださいね!

1119さくら:2012/09/09(日) 23:26:16 ID:e8ieIrPA
志恩様

あなたさまの使命感の自覚の深さや、
ご愛念の深さは、誰もが認め、承知しておりますので・・ご安心ください。

ただ、理解や人に感謝するのは、わたしにとっても、決してきれいごとではないですね・・。

・・個人の小さな経験で申し訳ないのですが。わたしは、ひどくまちがった宗教を信じていた時、
救ってくださった方は・・とにかく、それは信じられないくらいにわたしをとことん信じてくださって、
・・絶対いやだったと想うのですが、なんどもなんどもわたしの話を聞いてくれて、
わたしの間違って信じていた宗教の教本までを読み通してくださって、
理解をしてくださろうとしました。それは、決して迎合ではなく、
神からくる愛情以外のなにものでもなくて、ただ、わたしの実相を常に信じて祈っていてくださいました。
それに気がついたとき、わたしは救われました。
そのおかげで、わたしは、ここに生きていることができています。
それは、単に、きれいごと、ではなく、わたしの小さな、でもわたしなりに切実な、
実感なのです。



1120みすはなまる:2012/09/09(日) 23:30:27 ID:MWmy8QgI

>>1115 志恩さま

ご発言頂いて感謝します。
じつは、その志恩さまがご発言下さった箇所も、大変気になっていたのですが、1箇所だけにさせてもらったので、志恩さまにご発言下さって、有り難いです。

ありがとうございました。


>>1117さくらさま

お久しぶりです。お逢いできて良かったです。

おそらく…a hope さまは、以前に現総裁の祈りの言葉を拝読続けていかれる中で、かなりお身体を壊されたと、お聞きしたように思います。ですので、ご自身を守りたいと思われるお気持ちに、共感出来ます。

違っていたら、a hope さま、ごめんなさいね。

a hope さまは、ご家庭の主婦でいらっしゃいますし、愛するご家族のためにも、まずご自身を守りたいと思われるお気持ちは、充分理解が出来ます。

さくらさまのご意見は尊重させて頂いております。

1121ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/09/09(日) 23:34:30 ID:gn5QzOTA
すみません、時間がすぎてしまいますが、閉会後の後ほどまた、投稿させていただきます。

よろしくお願いいたします。

1122さくら:2012/09/09(日) 23:37:25 ID:e8ieIrPA
みすまる様

お言葉感謝いたします。ありがとうございます。

わたしが言いたいのは、家族を持つ主婦としてご自分を守ることが
理解できないという意味ではないのです、
それは、ご家族のため、ご自分を大事にされるのは当然です。

ただ、質問を読んで、その考え方にみ教えとは違う違和感を感じたことを、
率直に書かせて頂きました。

ありがとうございます。

1123復興G:2012/09/09(日) 23:37:53 ID:xKxowNU.

ありがとうございます。

あっという間に、閉会の予定時間になりましたね。

どなたか、世界平和の祈りをして、一応締めていただけませんか?

1124a hope:2012/09/09(日) 23:41:54 ID:r8H4x9xE

みなさま、第6回web誌友会閉会の時刻となりました。
まだまだ、お話は尽きませんが、とりあえず、閉会とさせていただきます。


世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に
愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に
愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


    光明思念の歌

  天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
  天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

    ニ礼

    ニ拍手

  ありがとうございます。

1125復興G:2012/09/09(日) 23:44:31 ID:xKxowNU.

a hope さま、ありがとうございました。

では、後夜祭をつづけましょう。

1126志恩:2012/09/09(日) 23:55:16 ID:.QY5jUA6
さくら様

公人のお立場にあるということは、人類に対して計り知れないくらい 影響力を持つ重要な使命を
課せられたお人です。

個人に対する気持ちと、公人に対する気持ちは、わけるべきでは、ないでしょうか。

1127a hope:2012/09/09(日) 23:57:31 ID:r8H4x9xE
さくらさま

わたしが、波動と表現したのは、生命の實相に雅春先生が「心の状態」のことを、
「ラジオの受信機のようなものだ」と表現されているからです。 P125 7行目

ですから、波動=心の状態 ということになります。
誤解を招く表現をしてもうしわけありませんでした。

>>1120みすはなまるさま

御察しくださった通りです。
あの時は、本当に家族に心配と迷惑をかけてしまいました。
ですが、今ではそれもすべてよくなるためのケミカライゼーションであったと理解できました。
今は、すべての出来ごとに感謝しています。

1128志恩:2012/09/09(日) 23:58:37 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

閉会の世界平和の祈りを、ありがとうございました。
すごい用意がいいですね。あっという間に出されましたもの。

1129復興G:2012/09/10(月) 00:01:46 ID:xKxowNU.

>>1109 :みすはなまる様。

>>テキスト(16)におきまして
<ともかく、現代の誤れる物質主義を源流とする人類生活暗黒化運動は、全世界のほとんどすべての出版物を金力で掌握して、記事に、広告に、全力をつくして人間生活から光明を奪おうとしているのであります。<
という箇所を拝読していますときに、感じたのですが、現総裁のお考えは、二元化であります。一元化は否定であります。ということは、総裁のお考えは人類生活暗黒化運動に値することになるのでしょうか。<<

すごい質問をくださいましたね。
――志恩さまがレスをくださってるようですが、私も、はっきり言えば、そうなりかねないと思います。

テキスト(15)にも
≪毎日日本国中に合計なん百万なん千万という発行部数をもったジャーナリズムは皆いちようにこの人類生活不健康化、不幸化の運動に味方しているようにみえる。全世界でいうときは十数億の発行部数に達するジャーナリズムが毎日コトバの力で人類生活を不健康化するための印刷物をバラまいていることになる。新聞紙の大半は栄養剤と薬との広告で埋まっている。その広告は「おまえたち物質で造られた人間よ、おまえはこの薬を飲まないと治らないぞ。」「この栄養剤を飲まないと健康になれないぞ。」とおどしつけている。これは新聞が広告料という金のために牽制されて「悪しき言葉」の力の宣伝に利用されているからであって、こんな広告を読めば読むほど、われわれ人間が神の子だという信念、物質ではなくて生命であるという信念が失われて、人間は物質であるから永久に薬物の奴隷として永久にその前にひざまずくべきものなりとの烙印(やきいん)を押されることになるのであります。≫(頭注版152〜153ページ)

と書かれています。『○○讃歌』はそれほどひどいものではなく、巧妙に善悪二元論をできるだけ隠す形に表現されてはいるものの、やはり根本的には「物質あり」「罪あり」の二元論で書かれていますから、本当の「神の子」の自覚をくらます迷いの要素があると思います。ですから、人類生活暗黒化運動に値することになりかねないと、私は思います。

役行者様は、
≪「大自然讃歌」は二元論の視点から生命倫理、自然との調和を詠んでいます。それを熟知していれば“毒”とはまでいかないような気がします。
 云うなれば、活用法です。どのような時に新経本を読誦するかということです。内容を冷静に詠んでみると、人間が多様性を重んじ、自然と調和した生き方をしましょう、ということでしょう。
 練成で取りあげなければならないなら、そのような行事の時に詠めばいいかと存じます。また、そのような行事に取り入れれば良いのではないでしょうか≫
とおっしゃっています。それもひとつの方法でしょうが、私は、そんな時間があったら、聖経『甘露の法雨』を誦げます。“讃歌”はよみません。

1130みすはなまる:2012/09/10(月) 00:04:11 ID:MWmy8QgI
>>1122 さくらさま

お気持ち、了解いたしました。

私の癖でですね…。
どうしても、相手の立場やお気持ちから理解させていただこうと思うところがございまして…。

真理はひとつ…
ただですね…相手のお気持ちや、立場や想いに寄り添って真理を語り、ともに学びあえたらと感じるのです。

ありがとうございます。

1131a hope:2012/09/10(月) 00:07:03 ID:r8H4x9xE
志恩さま

あれは、前回の誌友会で 如月さまが書き込みして下さったものを、
再投稿させていただいたのです。
ですから、如月さまとの共同作業なのですよ(笑)

1132復興G:2012/09/10(月) 00:07:36 ID:xKxowNU.

>>1113 :さくら様。

ご丁寧なレス、ありがとうございました。
参加してくださって、うれしいです。
遅くなって、すみません。

1133復興G:2012/09/10(月) 00:17:50 ID:xKxowNU.

まだまだ続きそうですが、12時過ぎましたので、いちおう感謝の言葉を述べさせていただきます。

このたびの第6回WEB誌友会、またとても勉強させていただきました。本当にありがとうございました。

とても意義ある誌友会になったと思います。

ご参加くださいました皆さま、本当にありがとうございました。御礼感謝申し上げます。合掌礼拝。

どうぞ、まだご発言のある方は、お続けください。

私はおやすみさせていただこうかと思います。みなさま、おやすみなさい。

1134みすはなまる:2012/09/10(月) 00:21:32 ID:MWmy8QgI

>>1129 復興Gさま

ご指導頂いてありがとうございます。

復興Gさまも、人類暗黒化運動になりかねない…と思われていらっしゃる…ということなのですね。

だからこそ、聖経を読誦を運動化するほどに、させて頂かないといけませんね。

役行者さまのご発言にも、気になるところはあるのです。
役行者さまのご発言と言うより、総裁のお考えですね。

自然と調和…は、危険に感じるのです。
人間も自然の一部であります。
現象における自然も、肉体人間も移ろいゆくものですから。

でも、そのような考える時間があれば、聖経を読ませていただきます。

貴重なご指導をありがとうございました。心より感謝申し上げます。

1135みすはなまる:2012/09/10(月) 00:24:30 ID:MWmy8QgI

復興Gさま

貴重なお時間をありがとうございました。

次回もよろしくご指導お願いいたします。

おやすみなさいませ。

1136a hope:2012/09/10(月) 00:27:00 ID:r8H4x9xE
復興Gさま

今回も、お忙しい中、素晴らしい御指導をありがとうございました。
後夜祭でも、引き続き御指導をどうぞよろしくお願い致します。

みなさま

わたしも、今夜はもうやすませていただきます。
それでは、わたしの愛する「生長の家」のみなさま、おやすみなさい。

1137復興G:2012/09/10(月) 00:39:38 ID:xKxowNU.

>>1134 :みすはなまる様。

>>自然と調和…は、危険に感じるのです。
人間も自然の一部であります。
現象における自然も、肉体人間も移ろいゆくものですから。<<

その通りですね。ありがとうございます。合掌 拝。

1138さくら:2012/09/10(月) 00:44:35 ID:e8ieIrPA
復興G様

温かいお言葉ありがとうございます。
いつも的確なお言葉でご指導くださり、感謝いたします。

ありがとうございます。拝


みすまる様

>ただですね…相手のお気持ちや、立場や想いに寄り添って真理を語り、ともに学びあえたらと感じるのです。

みすまる様は、いつも愛情深く、たとえ意見がちがっていても、心を汲んでくださるやわらかな懐の深さを感じて、感謝しております。
だから、お気持ちはよくわかるのです。
ただ、ここへ書くときには、混乱を避けるため、あえて、文意を優先させて頂くことにしております。
どうぞ、生意気なところや、失礼がありましたら、お許しください…。
ありがとうございます。

志恩様

>”すべての地上の事件は「物質世界」にあらわれて来る以前に「念の世界」でできあがる。”
そのフィルムは、雅宣総裁一人でつくられるものでしょうか?
私は、決してそうではない、そんな簡単なものではないと思っています。
生長の家教団80年の業がつくりあげてきたものではないでしょうか。

総裁が公人であるがゆえに、復興G様の上のお言葉や、
「君民同治の神示」の「合せ鏡」という観点が、胸に残り、考えさせて頂きました。

ありがとうございます。

ホープ様

出会う方と学びが違っても、考えが違っても、神の子の本性を拝む生長の家を、
わたしもこれからも学んでいきたいとおもっています。

ありがとうございます。


学びをありがとうございました。拝

1139ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/09/10(月) 01:03:25 ID:gn5QzOTA
ありがとうございます、素晴らしいWEB誌友会です、さぼっていたらいけませんね。どうもすみません。

>1004 雅宣総裁が身をもって教えてくれていると言うところに完全同意いたします。 みすはなまる様が>1026に書かれているのが私の思っている回答と同じように思えました。

私は雅宣先生に身を持って教えていただいたこと。
1 ネットを通していろんな人から、戦前の話、谷口家の事、天皇陛下の事、愛国心を教えていただいた。2 その先達先生の話を読んでいて実相と現象が分けられた。

今は、組織も現象、生長の家教団も現象で甘露の法雨さえもこの世に現れた時点で現象になるのかな???

と、思い始めて、実相の世界はこの世の言葉では表現できないさらに、さらに精妙な高度な実在世界があるんだろう。。。。 と想像しています。

それと、いいちこ様のブログのように普通に日常の生活をして趣味を通して仲間を創ってそこであのように真理の言葉を発信していくように雅宣氏は信徒に伝えたかったかったんじゃないのか?と思います。 それが絵手紙とか急激にやったモンだから信徒に伝わらなかったし返って誤解を生んだと思う。 普通に生活して地域社会や趣味の世界に溶け込み、その場その場で光を、真理を発信して言って欲しいと伝えたかったんじゃぁないの?と思いました。

私も文章力がなくて考えを上手く表現できずにすみません。


みすはなまる様 祝福伝道の件、ありがとうございます。また、お話したいです。よろしくお願いします。
復興G様 さぼらずに出席いたします。素晴らしいご指導ありがとうございます。
志恩様 歓迎ありがとうございます、これからさぼらずに出席いたします。 雅宣氏の小学生の時をご存知なんて!! 素晴らしいですね! どうかお体をお大切になさってご健康でこれからもお元気にご活躍下さいませ。
a hope様 進行係りを有難う御座いました。 お世話になりました、いい御題をありがとうございました。
山本様 これからもよろしくお願いします。
皆様 ありがとうございました。

復興G様、志恩様 WEB誌友会の発案者はユタカでなく訊け管理人が本流の初板の時に始めたものでした。
復興G様、そろそろ、大量投稿やその他の反省の時期を解いて、また、参加上の注意を聞け管理人様にお話して頂いて、発言、参加をお許しいただけませんでしょうか??
または、お許し準備をお考えくださいます様お願いいたします。 私は訊け管理人様がいると元気が出てきます、 また、いないとなぜか自分までしょぼくれてしまいます・・ あと訊け管理人様も仕事で真理を生かしていて職場を通して生命の実相を販売した話などを聞けて参考になりました。
そんなこんなで、よろしくお願いします。

WEB誌友会、最高!! みなさま、有難うございました!! さぼらないで参加しまーーーす!!

1140ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/09/10(月) 01:09:10 ID:gn5QzOTA
明日も仕事にいくのでおやすみなさい、復興G様 時間のある日にちで構いませんので返事を下さい。

1141みすはなまる:2012/09/10(月) 04:12:11 ID:g7/8xJvw
>>1119 さくらさま

志恩さまへのご発言なのに、横から失礼します。

目が覚めて、なぜかここに来てしまいました。

>>1119のなかで、さくらさまは…

ただ、理解や人に感謝するのは、わたしにとっても、決してきれいごとではないですね・・。

と言われておられます。

きれいごとではない…というのは、現象生活を送る上で、どんな時も感謝や理解が出来るばかりではない…ということですよね?

引用させて戴いたご発言の後に、さくらさまの実相を観じ祈り続けて下さった方のことを、さくらさまはお話下さっています。

その方は、本当に海よりも深く、山よりも高い愛を持たれた方なのですね。昔、総本山でお会いしたときの、谷口清超先生を想い出してしまいました。

でも、その恩人なる方がさくらさまの実相を祈り続けて下さり、理解しようとされていた…ということは、さくらさまに、自ずから相手と考えが違えども、それを超えてすべての人に、事に、物に感謝出来る…と言うより、感謝され続けてらっしゃる魂が、さくらさまの内にあるように思います。

その、さくらさまの恩人なる方は、全身全霊をもって、さくらさまに、「貴女は素晴らしい方だから頼みますよ」的なメッセージをお伝えされたかったのかも知れませんね。

偉そうに申しました。
お陰さまで、谷口清超先生の愛深い笑顔が思い出せまして、あと少しだけお布団で休みます。

1142志恩:2012/09/10(月) 04:49:46 ID:.QY5jUA6
復興G様、トキ様

今回も、心のこもったご指導をほんとうにありがとうございました。

役行者様
みすはなまる様
あさひ様
a hope様
如月様
ユタカ様
山本様
さくら様
王様の耳はロバの耳様
  
いろいろと、教えて下さいまして、ありがとうございました。合掌 礼拝

1143トキ:2012/09/10(月) 09:26:05 ID:w2l23cVg
 復興G様、参加者の皆様、今回もありがとうございました。深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1144山本富士子:2012/09/10(月) 09:39:47 ID:3dBRM7/s
復興G様、トキ様

皆々様

朝になってよみました。すごいド迫力のご指導を頂いていたのですね。
ありがとうございます。

≫七月四日の法語 「否定」の威力≪

自由自在に明るく生きるヒントをいただきました。

ありがとうございます。

1145SAKURA:2012/09/10(月) 10:22:54 ID:SbalnCM2
復興G 様 へ

おはようございます…。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜す。
横スレにて…失礼いたします。

この度の【WEB 誌友会】今回は、私事にて“閲覧”させて頂きました…。
何分!今回の「WEB 誌友会」前にての色々なる“アクシデント”にて……><

「復興G 様」を、中心にての「学ぶ会」「トキみつる会」…etc皆様方の【誌友会…】を、
外側席にて、勉強させて頂きました。ありがとうございます。

そして、今回【心の法則…】を、勉強する機会を頂きまして、深く感謝申し上げます…。
今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます…。           再合掌

1146復興G:2012/09/10(月) 10:32:47 ID:xKxowNU.

トキ様、皆々さま、本当にありがとうございました。

ところで、次回10月の第7回WEB誌友会ですが、定例の第2金曜日夜から次の日曜日ということで、

<第7回WEB誌友会予告>
≪日時≫10月12日(第2金曜日)21:30より
    10月14日(第2日曜日)23:30まで
≪テキスト≫『生命の實相』第1巻「實相篇 光明の真理<上>」の残り全部、P167〜P219
≪内容≫ 第6章「愛と真理によって更生せよ」・第7章「『生長の家』の超生理学」

でよろしいでしょうか?
トキ様、よろしくお願い申し上げます。
合掌 拝

1147復興G:2012/09/10(月) 11:14:30 ID:xKxowNU.

>>1145 :SAKURA様

ありがとうございました。
今後とも、よろしくお願いいたします。
合掌 拝

1148復興G:2012/09/10(月) 11:35:30 ID:xKxowNU.

>>1139>>1140 :ユタカ(なせば成る我ハ神の子)さま

>>参加上の注意を聞け管理人様にお話して頂いて、発言、参加をお許しいただけませんでしょうか??

私が期待しているのは、うのはな様とのことです。うのはな様とバトルを始められたら、誌友会にならないのではないかと
危惧しています。

訊け様は、「うのはな様が悪い」、「自分は被害者だ」と思ってらっしゃるようですが、そんなことはないと、
今回の誌友会で 学ばせていただいたと思います。

訊け様が本当に変わられたら、うのはな様も変わられるはずです。
それを、待っているのです。
ありがとうございます。

1149うのはな:2012/09/10(月) 12:05:19 ID:bZiCwTy.

 復興G 様 はじめウェブ誌友会参加者様

 静謐、整然と行われた誌友会版で、わたしの名前が出て恐縮いたしております。
 すくなからず、この版にも悪影響が出たようで申し訳ありませんでした。

 期間が一日に限定されなかったのに、煩雑とした感じがなく有意義な意見が出た
 ことには感心しています。皆様は現場でも家庭でも誌友会の経験や勉強が豊富な方たち
 なんだと思います。

 私も先月、非公式で出講してくださった講師の先生などのお話を伺い、何度も聞いた覚えのある
 聖典引用などでも改めて心に響くものがあり、楽しい思い出をつくることができました。
 今後の誌友会発展と、ひとりでも救われる方が出ることをささやかにお祈りします。

  感謝合掌

1150トキ:2012/09/10(月) 12:12:07 ID:w2l23cVg
>>1146

復興G様

 ご丁寧なご指導を頂戴し、深く感謝申し上げます。いつも深い内容で,勉強になります。
重ねて感謝申し上げます。

 ご提案の日時、宜しくお願いします。今、少し時間がないので、あらためて御礼を申し上げ
ます。ありがとうございました。

合掌 ありがとうございます

1151志恩:2012/09/10(月) 12:45:01 ID:.QY5jUA6
復興G様、トキ様、

また来月のWEB誌友会も、ご指導をよろしくお願い致します。

皆様も

よろしくお願い致します。

1152神の子さん:2012/09/10(月) 12:52:31 ID:X6fc8/b2
うのはな無罪
訊け有罪

生長の家は素晴らしい

1153復興G:2012/09/10(月) 13:02:37 ID:xKxowNU.

>>1139 :ユタカ(なせば成る我ハ神の子)さま

>>今は、組織も現象、生長の家教団も現象で甘露の法雨さえもこの世に現れた時点で現象になるのかな???

と、思い始めて、実相の世界はこの世の言葉では表現できないさらに、さらに精妙な高度な実在世界があるんだろう。。。。 と想像しています。

それと、いいちこ様のブログのように普通に日常の生活をして趣味を通して仲間を創ってそこであのように真理の言葉を発信していくように雅宣氏は信徒に伝えたかったかったんじゃないのか?と思います。

それが絵手紙とか急激にやったモンだから信徒に伝わらなかったし、かえって誤解を生んだと思う。 普通に生活して地域社会や趣味の世界に溶け込み、その場その場で光を、真理を発信して言って欲しいと伝えたかったんじゃぁないの?と思いました<<

素晴らしい心境ですね。学ばせてもらいます。

次回ご参加を、たのしみにお待ちしています。
ありがとうございます!!!

1154志恩:2012/09/10(月) 16:41:26 ID:.QY5jUA6
さくら様

こちらは、昨日も一昨日も、来客があり、あわただしくしておりました。
終わりの時間帯にも、席をはずしていて、失礼致しました。

読み返してみまして、
雅宣経が出た後の回答としては、
>>1139:でユタカ様が、私と同じような考えを述べておられました。
私も、
この雅宣経につきましての捉え方として、一番近いのは、
>>1026:みすはなまる様の回答のように思えました。

「合わせ鏡」「君民同治の神示」という観点は、
 最後にいらした 
さくら様が、私宛のコメントで
『復興G様のそのお言葉ー胸に残り、考えさせて頂きました』と、
言われているのを、只今、読ませて頂きました。

私は、正直言って、まだ、その考えには、到っておりません。

ご指導いただいたことは、とても有り難く存じますが、
たくさん教えていただいた中で納得出来た部分と、
どうしても、自分は、そうは思えない,納得出来ない部分は、
分かれております。
それは、ひとそれぞれでありまして,
自分と同じ考えばかりでは、ありませんので、ご了承くださいませ。

1155志恩:2012/09/10(月) 17:22:09 ID:.QY5jUA6
さくら様

「君民同治の神示」については、存じています。

これは、「天皇陛下と国民のあり方」についての神示です。

これが、「雅宣総裁と私」の神示でもあるとは、どうしても思うことが、できないという意味です。

””日本の国柄がすばらしいのは、天皇陛下は国民を,神の子として拝んでくださることである。
しかしながら、国民は、自分自身を神の子であると観ているのであろうか。

国民が自己を神の子ではなく、唯物的な人間であると観るならば、天皇陛下も同じように観えてくるのだ。
だから、吾々は、自己は、神の子と観ることである。””

という教えだからです。

1156トキ:2012/09/10(月) 20:32:39 ID:w2l23cVg
復興G様

 すばらしいご指導をありがとうございました。ご多忙の中、長時間のご対応は素晴らしかったです。
今回は、特に、大自然讃歌などの「新経本」などでしたから、関心も高かったと思います。

 この「新経本」は、タブーというか、教区でもみんな言及を避けています。これが甘露の法雨に
代わったら、大半の幹部が、復興G様と同じ結論を出すと思います。

 経営の神様と言われた松下幸之助さんですが、会社の経営が傾いた時に、熱海に全国の幹部や代理店
の代表者を集め、3日間に渡り話し合いをしています。いわゆる『熱海会談』ですが、このとき、
松下幸之助さんは率直に今までの方針を謝って撤回し、代理店側もその誠意をくんで、和解して協力する事を
約束しています。

 生長の家も今は大変な状況にあります。この松下幸之助さんの姿勢には学ぶべき点があると思います。

合掌 ありがとうございます

1157みすはなまる:2012/09/10(月) 23:36:55 ID:N2rj6yM6

皆さま 有難うございます。

私は、このたび復興Gさまがご紹介された「君民同治の神示」を高校生時代に拝読したきりで、理会できていないことに反省でした。

それで、今日は空いた時間に『秘められたる神示』から「君民同治の神示」と講義を拝読しておりました。

今月のWeb誌友会は終了しましたが、私の独り言になっても構いませんので、発言をさせてください。

講義のなかで・・・

>>この神示に於て注目すべき点は「無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇」とあることであります。天皇は単に「一切の主」であるだけではなく、「無にして絶対」なのであります。他の国の色々の人間団体にも中心者や主宰者はあります。しかし「無にして絶対」なる中心者は殆ど全く存在しないのであります>>

とあります。この前後にもご文章は続きますが、この神示は>>1155で志恩さまも仰っておられますが、講義全体を拝読させていただいて、天皇陛下と国民についての神示であると感じました。

雅宣総裁は、神一元の信仰は持たれておられません。讃歌にも象徴されるように、二元論者であられます。ということは、中心が一つではないのです。ですから雅宣総裁は2本柱なのです。

中心がどっちつがずの二元であって、何に帰依してよいのか解らないのは当然であるように思えてきたのです。

>>1062において復興Gさまは

<<日本民族の祖先が、人間は「神の子」であるとの自覚を持っていたので、天孫降臨の神話を創造し、天照大御神の子孫である天皇を中心として君と民が拝み合う国をつくった、ということであります。

だから、生長の家信徒が本当に「神の子」の自覚を持てば、総裁は信徒を拝み、信徒は総裁を拝む、というすがたがあらわれるのではないか、ということです。>>

とご指導くださいました。


少し話が飛ぶのですが、これは実話なので詳細はふせますが、以前こちらの掲示板に発言したことがあるのですが、私の近所のとある診療科を掲げた診療所がございます。

最初は、そこの院長先生も本来の診療科の診療をされておられました。

しかし何年か前から、少しずつ本来の診療科から逸れた全く違う診療を行い始めたのです。

今でも看板は元々の診療科の看板を掲げてらっしゃいますが、中味は全く違う診療を行っているのです。

そこの先生を信頼尊敬していた患者さんは、通ってもなかなか治癒しないので、他の同じ診療科を掲げる診療所に行き病気が治癒したという、話があります。

例えばですが、ここの診療所に働いていた看護師さんは、本来の診療の仕事が出来ないので辞めたいと思っても、看護師さんは院長先生と合わせ鏡であるから、院長先生を拝みなさい・・・となるのでしょうか?

院長先生は、ご自分の判断と思いや信念で、本来の診療と逸れた診察をお始めになったと思うのです。

院長先生の判断や信念が、さまざまな業が関与していたとしても、一切は経営者の責任において行われることだと思います。


私がまだ教団信者であったとき、雅宣総裁は講習会で「個人救済が必要ないとは言わないが、今の時代そのような個人に目を向ける時代ではなく、もっと大きく環境問題やCO2削減に目を向けていかなければならない」そう聴きました。

確かに、現世のみで考えることではない永遠の学びであるのではないかと、誌友会で申し上げました。そのことを否定するわけではありません。


しかし、やはり今ここに来て、「君民同治の神示」に雅宣総裁と信徒を当てはめて考えることができなくなりました。














もう今月のWeb誌友会は終わりましたのに、

1158みすはなまる:2012/09/10(月) 23:56:21 ID:N2rj6yM6

>>1157の補足になりますが、紹介したとある診療科の先生が、全く違う診療を始めたというのは、例えば眼科の先生が、眼科の看板を掲げたまま、整形外科の仕事を始めたということなのです。

いまの生長の家に当てはめて考えると、「神の子の真理を学びたいと思って、生長の家に行ったら、環境問題のノーミート勉強会と絵手紙教室だった」ということになると思います。

1159志恩:2012/09/11(火) 00:19:17 ID:.QY5jUA6
>>1157:みすはなまる様

みすはなまる様の「君民同治の神示」の捉え方に、同意します。いつも具体的な表現力がおありになって
すごいですね。

復興G様の数々のお言葉にも、たくさん教えていただいたり、同意をさせて頂いております。
もちろん、トキ様のお言葉にも、
そして、
復興G様が、雅宣経に、はっきりとNOをつきつけられた潔さにも,感動しています。

ですが、人間には、それぞれの考え方が、ございますので、これについては、どうしても納得できないというお言葉も
中には、あるということをお伝えさせて頂いているのですよね。

1160復興G:2012/09/11(火) 08:01:48 ID:xKxowNU.

みすはなまる様
志恩さま
皆々さま

おはようございます。

WEB誌友会は一応終了の形はとっても、“後夜祭”は“これでおわり”という時期は決めておらず、一週間以上に及ぶことも、これまでにもありましたから、まだ続けてもよろしいと思います。まあ、いつまで続けても、お互いに完全に納得、とはいかないかも知れませんが……。

さて、私は今朝も仏前で先祖供養・神想観をしました。

「ご先祖様のいのちは神様のいのち。ご先祖様のこころは神様のこころ。ご先祖様のからだは神のみからだ。そしてご先祖様のいのちは私のいのち。ご先祖様の心は私の心。ご先祖様のからだは私のからだ。
“私”というものは、なかったのでした。“私”は、空っぽなのでした。私の中にご先祖様がいらっしゃり、ご先祖様の中に私はあり、私はご先祖様とつねに一体なのでした。
私の中にすべてがあり、全ての中に私はあり、私は全てなのでした。私は光なのでした。愛なのでした。無限の智慧なのでした。無限の生命なのでした。私の中に神が生きていらっしゃるのでした。ありがとうございます。」

そう念じてから、招神歌を唱えます。

「生きとし生けるものを生かし給える御祖神 元津霊ゆ幸え給え……」

と念ずるとき、既に“自分”というものはなく、すべてが自分なのですから、“神のいのちがすべてのものに割き延えられますように”という祈りになります。

うれしいです。ありがたいです。
その時、「君民同治の神示」ご講義に
≪「無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇」。天皇は単に「一切の主」であるだけではなく、「無にして絶対」なのであります。≫
とある、「無にして絶対」なのは天皇だけでなく、自分もまた「無にして絶対」なのである。すべての人が、「無にして絶対」なる存在にましますのである――と、思われるのでした。

「雅宣総裁は、神一元の信仰は持たれておられません。讃歌にも象徴されるように、二元論者であられます。」

といったとき、自分もまた二元論者になっているのではないか――そのように、私は反省されました。

「神一元」ということは、自他一体、絶対善の世界のみがある、ということなのですよね。

1161みすはなまる:2012/09/11(火) 08:50:50 ID:eA4POJBE

>>1159 志恩さま
>>1160復興Gさま

有難うございます。

私の発言を読んでいただき、感謝申し上げます。ありがとうございました。

これから、仕事にでかけますのでまた夜にお返事をさせてください。

よろしくお願い申し上げます。

1162志恩:2012/09/11(火) 09:52:31 ID:.QY5jUA6
復興G様

>>1160:復興G様によりますと、

「雅宣総裁は、神一元の信仰は持たれておられません、讃歌にも象徴されるように、二元論者であられます。」
といったとき、自分もまた二元論者になっているのではないかーーそのように、私は反省されました。
「神一元」ということは、自他一体、絶対善の世界のみがある、ということなのですよね。<<

ということですが、
雅宣総裁の命も、善そのものの大生命の分け御霊を戴いて、雅宣総裁は、生きています。
彼に流れている大生命は、「神一元」であり、「絶対の善」であり、その実相世界では、大生命(神)とも、吾々神の子たちとも「自己一体」の世界。

しかし、人間は、修行をするために、この世に生まれて来ました。
自分の念が具象化する現象世界に生まれて来ました。大生命に生かされながら。

この世では、どのような、考え方を選択して生きて行くか、個人個人に自由な選択意志というものが与えられています。

雅宣総裁が、選択した生き方は、二元思想でした。
雅宣総裁は、ご自分の二元思想の念を、具象化した世界を生きておられる.
彼の思考回路全部が、二元思想が基であり信念となり、意識は、それに固まっている。

よって、彼の頭では、雅春先生がお説きになれた、彼の思想の真逆である「一元的唯心論(唯神實相)」は、理解不能です。
ですから、雅宣総裁は、彼が常に主張する二元思想で雅春先生を審判し、いつも雅春先生を、かれの尊敬する他の哲学者より下に置き、
雅春先生を見下した発言を延々と繰り広げているのです。

雅春先生は、人間は肉体ではない、この世は物質ではない、という、「二元論を完全に否定された一元的唯心論」を、生命の實相に
著されました。
つまり、雅春先生ご自身が、
人類重罪宣言(二元論・人類暗黒化運動)は、間違いだと否定されて、
人類無罪宣言(一元論・人類光明化運動)が正しいのだと、はっきりおっしゃっておられるのです。

雅春先生は「我」で言われているのではなく、天啓を享けられ、「神様の言葉」を、人間に伝えておられる。

ですから、雅春先生の弟子であるわれわれ信徒は、雅春先生同様に、二元論は,間違いだと、はっきりと宣言すべきだと,私は,思います。
二元論は,間違いだという事が、自分も二元論になることだというのなら、雅春先生も,間違いだという事になってしまいます。

しかも、
こrが、個人だけで二元論を信じておられるなら問題は、ないのですが、
そうさいという立場を利用して、
その間違った二元論を、雅宣経というお経に、ねりこんで、純粋な信徒に、こっそり、暗黒思想を、忍び込ませようとしているのです。

これこそ、住吉大神への酷い裏切り行為であります。口のうまさで、
雅春先生の説かれた光明思想を封じ、暗黒思想を、広め様としているのです.
大変な犯罪行為なのです。合わせ鏡だなどといって、悠長に目をつむって、指をくわえて見ている事は、われわれも、二元論に手を貸すことに
なると思います。

1163復興G:2012/09/11(火) 10:17:27 ID:xKxowNU.

志恩さま。

>>合わせ鏡だなどといって、悠長に目をつむって、指をくわえて見ている事は・・・・

私は、悠長に目をつむって、指をくわえて見ているつもりはありません。

自分がいつの間にか二元論者、相対者の立ち位置に立っていて、相手を責めているのは、鏡に写った
自分の姿に怒っている愚をおかしてはいないか、という反省が必要だと思います。

ただ、「無にして絶対なる者」の立ち位置に立って、いうべきことを言わなければ、天に向かって唾を吐くような
ことになるのではないかと、私は自戒しています。

1164復興G:2012/09/11(火) 10:29:41 ID:xKxowNU.

もちろん、志恩さまのお姿は、私の姿です。
志恩さまを責めるつもりはありません。
ただ、平安をお祈りしています。

1165役行者:2012/09/11(火) 11:44:05 ID:RB7B58to

 志恩さま

 仰りたいこと理解出来ます。

>>雅春先生の弟子であるわれわれ信徒は、雅春先生同様に、二元論は,間違いだと、はっきりと宣言すべきだと,私は,思います。
二元論は,間違いだという事が、自分も二元論になることだというのなら、雅春先生も,間違いだという事になってしまいます。

しかも、
ここが、個人だけで二元論を信じておられるなら問題は、ないのですが、
そうさいという立場を利用して、
その間違った二元論を、雅宣経というお経に、ねりこんで、純粋な信徒に、こっそり、暗黒思想を、忍び込ませようとしているのです。<<

 公の立場、しかも総裁が、生命の実相という一元哲学に対して二元哲学を生長の家に持ち込むことはおかしい、ということでしょう。

 釈迦も、イエスもまた雅春先生も、この境地を太悟するまで、これはこれは途轍もない時空間の繰り返し(転生)があったと思うのです。ですから、私なんか、直感でこの一元哲学を信じるしかないと諦めているのです。そこを踏まえ、地球創世の成り立ち等、いろいろ勉強させていただこうと思っています。

 復興Gさまも仰ってましたが、現総裁の場合は、公人の立場よりも、自分に真っ正直に思想を展開される方を選ばれたのでしょう。

 ここまで来たら、政治的戦略はなるべく少なめにして、ご自身に真っ正直な思想をそのまま展開していただきたいモノです。

 丁とでるか半とでるか、天才的頭脳をもって生まれて持ち合わされている現総裁と創始者ファミリーが和解する方向で、その思想が展開されていくことを私は希望します。

1166志恩:2012/09/11(火) 11:59:56 ID:.QY5jUA6
雅春先生は、一元的唯心論(唯神実相論)を、公に宣言されたということは、

裏を返せば
二元論は間違っていると、唯物論者と二元論者を切られたことになります。
言葉をかえれば、二元論者、唯物論者を、責められました。

相対的な相手といいましても、相手の実相に対してではなく、
現世において、相手が、間違った暗黒思想の念により顕した 間違った考え方や相手の間違った行動について、批判したのです。

雅春先生の弟子であるわれわれが、雅春先生同様に

二元論を否定し(責め)、

その二元論者が、合わせ鏡であり、実は、相対する相手は、自分の姿であるとすれば、尚の事、自分を厳しく見直し、自分を激しく叱責する責任が
あるのではないでしょうか。

自分だけ不幸になるならば、まだ許されますが、自分の考えかたや、行為が、多くの人類を暗黒思想に追いやるとしたら、
それは、それは、自分を,厳しく攻めなければ,神に申し訳が立ちません。

自分を姿が,間違っていれば、間違っていると,自分を反省し,自分を攻める事が,なぜ,愚かな行為なのですか?

正常な行為であり,神によしよしと、褒めて頂ける行為だと私には,思えます。

1167志恩:2012/09/11(火) 12:19:09 ID:.QY5jUA6
役行者さま

コメント,ありがとうございます。
どういおうと、こういおうと、生長の家の総裁は、雅宣先生であり、
このままいくのでしょう

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=292

ユタカ様情報によりますと、6月に,総本山で、雅宣総裁先生は、2つの雅宣経を刊行しますので、
みなさま、ご愛用ください。と

いわれたそうですし、
地方の組織におられるという山本富士子様の書き込みによりますと、すでに、教化部には、
販売用の雅宣経は、届いていて、あとは、信徒が買うか,買わないかの判断に委ねられた、

とおっしゃってました。
貼付させて頂いた光明掲示板の靖国見真会参加者様のご文章によりますと、
組織にいるかぎり、雅宣経は、逆らわずに、買うしかないということになってしまったそうです。

復興G様、トキ様は、大ベテランでいらしてて、教えにも精通されてる見識が高い方々ですから、
〈読まない〉といわれてます。

それは、組織の大先輩だから,出来る技です。
パソコンをしていない、なにもわからないうぶな信徒は、ただただ 新しいお経が発売されたのだと、
素直に買われて行かれて、ご自宅のご仏壇の前で、甘露の法雨どうように、読誦されていく方も
増えていくと推察できます。

このような、二次元思想を、なにげない形ですりこまれている雅宣経が、じわじわと,組織を通して
浸透していくことを、
だれも、黙したまま、行って行く事は、雅宣総裁の共犯者です。

凶とでるか、どうでるか、おまかせで、死ぬも生きるも、ともに、総裁と!!というのが、組織におられる皆様の
お気持ちなのでしょう。

いままでを拝見していますと、ピンチは、チャンスなのに、チャンスをピンチにされてます。。

1168復興G:2012/09/11(火) 13:41:52 ID:xKxowNU.

志恩さま。

>>死ぬも生きるも、ともに、総裁と!!というのが、組織におられる皆様のお気持ちなのでしょう。<<

私はそんな殊勝な、と言いますか、一徹な気持ちはもっておりません。

私の思いは、すでに申し上げてあります。すぐにご理解いただけなければ、それは仕方ありません。

やがて、わかっていただけることを信じて、待ちましょう。

1169goro:2012/09/11(火) 15:31:38 ID:Cc8Z7oOY

今回のweb誌友会において、皆様の熱心なやり取りを固唾を飲んで見守っていました。
時には涙がこぼれそうになったこともありました。本当に皆様の熱心な討議に心を打たれました。

復興G様のお言葉も理解できますが、心情的には限りなく志恩様のお考えに近いものがあります。

志恩さまより、三代目が横浜の講演会で決意と覚悟の言葉を教えて頂きました。
長文ですが以下に紹介します。

1170goro:2012/09/11(火) 15:32:32 ID:Cc8Z7oOY

生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

>>460 :志恩:2012/09/07(金) 16:54:36 ID:.QY5jUA6
goro様
随分前の事ですが、私が、横浜アリーナで雅宣総裁先生の講演会を拝聴しに参りました時、
雅宣総裁先生は、ご自分が、宗教家として、個人救済をやめて、環境問題を中心にやろうとされている
ご決意を語られた。
そのとき、
雅宣先生が、思想の柱の1つにされているといわれるマザーテレサの、次の文を読み上げられました。
私は、急いで、めもり、帰宅してから,ネットで調べて、正確な言葉を知りました。

雅宣先生が、環境問題を進めるのに、心の励みにされているマザーテレサの言葉です。

1171goro:2012/09/11(火) 15:33:12 ID:Cc8Z7oOY

(前略)
あなたが善を行うと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。

目的を達しようとするとき、
邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行ないをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく善を行ない続けなさい。

あなたの正直さと誠実さとが、
あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で誠実であり続けなさい。

助けた相手から恩知らずの仕打ちをうけるでしょう。
気にすることなく助け続けなさい。

あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。
けり返されるかもしれません。

気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。
気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。

あなたは、
あなたで あればいい。

1172goro:2012/09/11(火) 15:33:45 ID:Cc8Z7oOY

総裁は、だれがなんといおうと、宗教家は、環境問題をやるのが、いまの
宗教家の使命であると、自分は,思う。

だから、誰が、反対しようが、誰に邪魔されようが、環境問題をやるという
自分の強い信念は、今後曲げる事はない、と宣言されました。

ですから、彼の言い分を受けようとされたり、彼は,彼の考えがあるのだからというふうに、
今の教えを捉えてうけられるなら、,雅春先生の教えを捨てて、雅宣総裁に,ついて行くしかないのです。

どちらを選択するか、過渡期にかかっておりますが、
ベテランの方々が、おっしゃるのは、神は、我がうちにあるのだから、
現象は、現象として、実相は自ら現われるのだから、先ず,自分のうちにある神を対象に,神の子としての自分をいよいよ、研鑽して
生きましょう、と申されております。

1173goro:2012/09/11(火) 15:34:30 ID:Cc8Z7oOY

新経本は、すでに、練成会で読誦されています。とめようが、なくなっております。
雅宣総裁の思うがままが、継続されるわけです。
雅宣総裁は、自分は、正しいことをやっていると思っておられるのでしょう。
まさに、総裁は、マザーテレサの言葉とおりの信念を貫いて生きておられるのです。

これについては、goro様もそうですが、

復興G様は、どのようにお考えでいらっしゃるのかも、お尋ねしたいところです。


461 :志恩:2012/09/07(金) 17:05:26 ID:.QY5jUA6
goro様が書いて下さったM.キースの祈り「逆説の十ヵ条」を
マザーテレサが、信条とされたのですね、内容は、同じですから。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/1219

1174goro:2012/09/11(火) 15:36:41 ID:Cc8Z7oOY

462 :goro:2012/09/07(金) 18:46:28 ID:Cc8Z7oOY

 志恩さま

環境保護団体として活動していくという事について、
生長の家の三代目は国家・個人の宗教的救済事業を放棄するという事ですから
完全な方向転換であり、生長の家信徒に対する裏切り行為です。

トキさんの言われる「和解」など不可能です。確信犯なのですから
話せばわかるというレベルのことではありません。

どのような素晴らしい言葉を引用されようとも虚しくなるだけです。
一人よがりの偽物の善を、真理の言葉で纏い強弁することほど卑劣なことはありません。

463 :志恩:2012/09/07(金) 19:29:07 ID:.QY5jUA6
goro様

コメント、ありがとうございます。
「個人救済は、考えていない」と、本来の生長の家の使命を放棄した
雅宣総裁は、生長の家の住吉大神への裏切り者であり、信徒に対する裏切り者なんですよね。

わたしも、そう思います。

1175志恩:2012/09/11(火) 15:43:09 ID:.QY5jUA6
goro様

私が、前にgoro様宛てにコメントさせて頂いた文を、貼って下さったのですね。

そうでした。この件についても、
復興G様にご教授いただきたいと、思っていたのでした。

goro様、フォロー、ありがとうございます。

1176goro:2012/09/11(火) 15:50:09 ID:Cc8Z7oOY
谷口雅春尊師の教を中心として、信徒とともにありながら
環境問題に取り組んでくださったらどんなにか支持されたであろうにと思うと
誠に残念ですが、三代目御夫妻のの実相を観る祈りをさせて頂きます。

1177役行者:2012/09/11(火) 16:21:19 ID:ugNZvmuc

 合掌 同感! 必ず良くなると信じてます。


 >谷口雅春尊師の教を中心として、信徒とともにありながら
環境問題に取り組んでくださったらどんなにか支持されたであろうにと思うと誠に残念ですが、三代目御夫妻の実相を観る祈りをさせて頂きます。<

1178みすはなまる:2012/09/11(火) 21:29:04 ID:QJgYrANU

有難うございます。

復興Gさま

私はこの「君民同治の神示」に出会えたことに、感謝しなければなりません。

引用していただいたことに、心から感謝御礼申し上げます。

>>1167で志恩さまが、


<<いままでを拝見していますと、ピンチは、チャンスなのに、チャンスをピンチにされてます。。 >>

と仰っておられることを、言い換えれば

要は、教団組織にいらっしゃる方は、大生命の無限供給の流れ(チャンス)に蓋(ピンチ)をして生活をされているのではないでしょうか。


祈り(生命ののりごと)というのは、神想観だけではありません。

言葉・行動も祈りであると思うのです。

私は、谷口雅春先生著「秘められたる神示」の君民同治の神示の111ページから掲載されている、体験談を読んでいるときにショックを受けました。

しかしながら、上手く今の自分の気持ちを説明をすることができません。


教団組織にいらっしゃる方は、

それなりの事情・・・あえて申します。

無限供給の流れに蓋をされる・・・事情がおありでしょう。

しかし、文中の体験談の中の方の言葉を借りるならば・・・・・

組織にいらっしゃる方は、なぜ「宗教法人 生長の家」ばかりを掴み、無限供給の入り口出口はどこからでもあるのに、どうして自ら大生命の入り口や出口に蓋をするような生き方を選択されるのでしょうか。

私は、神様から折角「学ぶ会」と「ときみつる会」を与えていただいたのですから、ここで「生命の實相」を広め活動していくことこそ、宇宙にひろがる「生命ののりごと」ではなかろうかと感じました。

教団を離れられた「学ぶ会」や「ときみつる会」で真理を実践されている多くの方々は、自らの行動をもって「善一元」の祈りをされたわけです。

宇宙大生命にこだまする行動(祈り)をされているのだと、真に思います。

その宇宙大生命にこだまする祈りこそ、いつの日か生長の家が雅春先生の説かれた真理のもとに一つになる喜びの祈りであると思います。


この発言は、ここの掲示板に書く内容ではないと思います。

組織にいらっしゃる方が読まれたら、憤慨される内容でしょう。


私は厳しい表現をしましたが、その神示から感じました。

でも私は、あえてこの発言を、ここに書かせていただきます。

復興Gさまは、>>1160において


<<「雅宣総裁は、神一元の信仰は持たれておられません。讃歌にも象徴されるように、二元論者であられます。」

といったとき、自分もまた二元論者になっているのではないか――そのように、私は反省されました。>>


と仰いました。

雅宣総裁が聖経を補強される目的で、二つの讃歌を発表された以上、それは「宗教法人 生長の家」としての見解でもあり、方針です。

ですから「二元論者です」と言わないまでも、「宗教法人 生長の家」に所属している以上、厳しい表現になってしまいますが、無言であっても二元論を認め雅宣総裁の方針に「ハイ(拝)」としたがうことになるのではないでしょうか。

1179志恩:2012/09/11(火) 22:04:00 ID:.QY5jUA6
みすはなまる様

みすはなまる様のご意見に,全く同感です。

雅宣総裁が聖経を補強される目的で、二つの讃歌を発表された以上、それは「宗教法人 生長の家」としての見解であり、方針です。
ですから、「二元論者です」と言わないまでも、「宗教法人 生長の家」に所属していれば、よそ様から見たら、無言であっても、所属されてる方々は、
皆様揃って、二元論者と、みなされますよね。

チャンス(大生命の無限供給の流れ)をピンチ(蓋)してしまうとは、みすはなまる様は、うまいこと言われます。
なぜに、来るチャンス、来るチャンスを、ピンチしてしまうのか、二元論者は、大生命の無限供給の波長と、波長が異なりますからね。。。

1180みすはなまる:2012/09/11(火) 22:26:57 ID:HmPmXjmU

>>1179 志恩さま

有難うございます。いつも同館くださり、有難うございます。

<<なぜに、来るチャンス、来るチャンスを、ピンチしてしまうのか、二元論者は、大生命の無限供給の波長と、波長が異なりますからね。。。


そこが大切なところだと思いました。

「雅宣総裁の実相を祈る」と発言されている方もおられますが

大生命の無限供給と異なる波長(闇)は、大生命の神の波長(光)でしか対応できませんものね。

1181復興G:2012/09/11(火) 22:28:00 ID:xKxowNU.

>>1178 :みすはなまる様。

私は今、何ものにも縛られることなく、完全自由であり、大生命の無限供給の流れ(チャンス)に蓋(ピンチ)をするような生活はしておりませんので、ご心配は無用です。「縛られていても自由自在」(智慧の言葉)の心境にならなければ、どこへ行っても、どこにいても、「無限供給に蓋をする」ような生活になるでしょう。

もう一度言いますが、私は今、完全に自由です。自由に、自分の使命のままに、生きておりますので、ご放念ください。

今、私は教団組織に所属していますが、決して縛られてはいません。執着していませんから。本当に自由で、いつでも飛び出そうと思えば飛び出せる立場にあります。ありがたいです。


goro さま、志恩さま。

谷口雅宣総裁のご心境について、一層深く参考になる資料をご呈示くださって、ありがとうございました。

総裁は、マザーテレサの言葉とおりの信念を貫いて生きておられるのであれば、なおさら、「あなたは間違っている」とただ責め立てても無駄でしょうね。
無論、祈っているだけでも駄目で、行動は必要です。しかし、祈りに基づいた、神に導かれた行動でなければだめでしょう。神に導かれた行動ならば、ピンチをチャンスに変えることができます。私は、チャンスをピンチに変えるようなことは、決してしていないつもりです。
私には、私でなければできない使命があると信じています。まだまだ行動力もあります。
私は、すでに命を捨ててかかっているつもりですし、失うものは何も無く、無限が与えられておりますから、これからです。いっそう深く祈りつつ、前進いたしましょう。

よろしくお願いいたします。
合掌 拝

1182志恩:2012/09/12(水) 06:33:49 ID:.QY5jUA6
復興G様

1つ1つ誠実にお返事下さって、感謝致しております。

トキ様のお話ですと、原宿本部では、毎日 「大自然讃歌」を読誦しているそうです。水不足で、ダムも底をついてますから、東京こそ大雨が降って欲しいところですけれど、
毎日「大自然」を「讃歌」しているのに、効能は、まだのようです。

ユタカ様が、以前、総本山で「甘露の法雨」を読誦して、雅春先生が、雨乞い されたら、読誦している最中に,雨が降って来たのに、と書かれています。

トキ様は、本部で、「甘露の法雨」を誦げてもらいたいと,書かれているところを、みますと「甘露」に変わって、「大自然」を読誦しているのでしょう。

このような情報を聞きますと、
やはり、お経は、じわじわ全国規模で、雅宣経に、すり替えて 行くのではないかと、思えてなりません。

とにかく、総裁の実相の祝福は継続しています。

1183志恩:2012/09/12(水) 06:42:47 ID:.QY5jUA6
政治連合板より

トキ様のご文章

 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1308542823/1667


ユタカ様のご文章

 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1308542823/1668

1184あさひ:2012/09/12(水) 23:54:41 ID:/3nxKE2Q

志恩様

東京はいつ断水するか心配です。今のところはいつも通りですが。

今こそ雅春先生の教えに回帰するときです。

どこかでお目にかかりたいです。

どこかで設定できませんか。

昭和44年ごろの実相研鑽会には参加していました。

生高連 生学連 勤務38年 その間子育て 退職後のライフワークなど 多忙ながらも、
常に雅春先生の教えにみちびかれました。

雅春先生の教えが隠されそうな今、微力ながらも頑張りたいと思います。

同じ志の方がおられ嬉しく、力強く感じます。

感謝合掌

1185山本富士子:2012/09/13(木) 05:49:00 ID:3dBRM7/s
あさひ様

志恩様

≫どこかでお目にかかりたいです。

どこかで設定できませんか。≪

オフ会ですか?
私も入れていただきたいです。

上京は慣れています。

1186みすはなまる:2012/09/13(木) 07:53:43 ID:7z4obqIk
あさひさま

志恩さま

山本富士子さま

おはようございます。

もし、お目にかかれるなら、最高に嬉しいです。
上京は難しいですが…。

実はこの掲示板に私が来た理由が、志恩さまと会話をさせて頂きたかったからでした。

1187あさひ:2012/09/13(木) 08:51:47 ID:/3nxKE2Q

山本富士子様
みすはなまる様

返信ありがとうございます。

志恩様も入られてオフ会できるといいですね。

集合場所は原宿本部ロビー(?)靖国神社(?) 大森駅(?)学ぶ会ロビー(?)

あさひ自宅(?)その他アイデアあるといいですがーーー

             合掌

1188志恩:2012/09/13(木) 09:10:17 ID:.QY5jUA6
あさひ様
山本富士子様

いつか皆様とお会いする日がくるといいな、と私も思っていますが、
同じ志を持つ方々に、そんなふうに言っていただけて、涙がでるほど、うれしいことですが、
今は、生長の家の過渡期であり、やはり、お会いするのは、今では、ないという気がしているのです。

今の時期は、掲示板上でお話したいと思っております。

山本富士子様の親しくされてる奥様は、私と同時期に本部にいらしたお方のようで、
私も、その奥様を、きっと存じていて、山本様も、実は存じているお方なのかもしれません。

あさひ様は、昭和44年の実相研鑽会に参加されていらしたということですから、
私より、少し後年にご活躍されたおかたのようです。
考え方が、似ていて、むかしのいい時代の懐かしい温かい かおりがしています。

実は昨年末、あるところで、近県に住んでいる、昔、青年会を一緒にやってた人と会いました。
その人とは、年賀状は永年やりとりしていましたので、、、

すると、その人は、
学ぶ会に入っていて、話も聞きに行ってるというので、おどろきました。このような掲示板での運動が、
静かにじわじわ浸透しているのだ、とわかりました。

それは、小さいようで、大きい嬉しいおどろきでした。

掲示板での、吾々の ささやかな発言も、決して無駄ではないということの証明でもありましたから。

でも、お会いしましして、長時間かかって,交通費かけてお互いお会いしましたが、
懐かしくうれしいひとときでは、ありましたが、

2時間ほど、話ました話の内容は、ほとんど、昔は、よかった、こうでしたね、ああでしたね、で
おわったのです。
お互い70歳前後になりましたので、気持ちだけは、張り切っているのですが、ばりばりに行動していた昔のようには、いかないのでね。

ま、そういうわけでございまして、
いまの生長の家は、ひどすぎますので、私は、お会いすれば、どうしても ぐちりたくなりますから、
私としましては、
今は,過渡期ですから、掲示板上での会話をさせて頂きたく思っております。


あさひ様、山本様の、お優しいお言葉,心から感謝しています。

 合掌 ありがとうございます。

1189志恩:2012/09/13(木) 09:44:31 ID:.QY5jUA6
もちろん、
昔の友とは、昔の話ばかりで、おわってはいません。
生長の家同士ですから、お互いにできることは、やろうという前向きの話も、しました。
それは、お互い、できる範囲のことですが、やっております。
結論としては、
今の教えのことも、偶然ではない。だからよくなるのだ、という話になりました。

こころの法則は、曲げられないからです。

1190志恩:2012/09/13(木) 10:35:02 ID:.QY5jUA6
みすはなまる様

みすはなまる様にまで、そんなふうに言っていただけて、ほんとうに恐縮してしまいます。
私も、お三方ともだいすきな方々ですし、それに、いつか、うのはな様にもお会いできたらいいな、とも思っています。



ここは、WEB誌友会板ですが、80を越えられるという私の敬愛する大ベテランの復興G様が、お元気で
いらして、直接ご指導いただけます事、どんなにか、ありがたいことでしょう。
トキ様にもご指導いただけます事、

生長の家の皆様ともこのようにお話で来ます事、どんなにか、幸運に思って感謝しておりますことか、、

遠い時代をさかのぼり……雅春先生は、言うまでもなく、世界の、日本の、精神的、思想的支柱のお方ですが、
幾多の聖賢、聖者の教えをたずねても、その教えの根底には、共通する真理がありますよね。

ただ理論とか理屈ではなく、理想を高く掲げるだけでもなく、

個人個人が、よりよくいきるためには、どうしたらいいか、
光明の道を歩める方法が、的確に示されている。人間として、最も知りたい真理が的確に示されている。

それが、本来の生長の家の教えですものね。

それらが,解き明かす救済は、今日的にいえば、
個々の潜在意識にある記憶層に、無意識に積もり積もっている唯物論的意識を浄化し、内なる人間の神性、仏性に目覚めさせ、
それを顕現していくことにあるのではないでしょうか。

個人の人間の魂の計り知れない進化が得られるのも、そういう真理に目覚めた人々だと,幾多の教えに説かれています。

それに気付くことができない人は、唯物論に延々とコントロールされてきた人だということは、否定できません。

人間は、創造者である分け御霊(わけみたま)そのものが、内にあって、たゆまず自己創造をつづけている。

それらの真理は,目には観えませんから、唯物論者には理解出来ませんが、吾々のように本来の生長の家を信じられる人には、
信じられます.自己の意識に光の窓をあけることができますのも,内なる神を信じられるからだと思います。

修行の身ですから、だれでも、課題を与えられていない人は、いませんが、
よりよく、生き甲斐をもってのりこえられる方法を、教えられております。

それが、今の教えでは、なにも、教えていません。

吾々の様に,本来の生長の家を生きている 志しを同じくする者は,諦めずに、お互い、今後も発言していきましょうね。

1191志恩:2012/09/13(木) 11:03:28 ID:.QY5jUA6
神想観するとき、甘露の法雨を読誦するとき、
守護霊、守護神様への感謝の言葉もたいせつな1つですから、

それも、おたがい、心に留めて…

神想観をすること1つとりましても、地道な小さい1歩ですが、ありのままの自分を肯定し、目指すべき明日があることは
幸せだと思います。

悔いのない人生とは、有頂天になるような達成感を得ることではないと、芸能界の浮き沈みの人生のはかなさを
見ても、痛感しています。

人間とは、いかなる者か,我とはいったい何か、これが分った時、
その人は,永遠に救われ、多くの人間がこの問いに答えを得られる時,人類は救われ、地上天国がみられると、
雅春先生は、教えて下さいましたが、本当の人間の救いとか幸せは,そこにあるなあと,最近,特に
感じています。

神とは、宇宙に遍満する大生命であり、生命の原理であり、創造の原理であり、人間とは、神の生命を形ある
世界に活動せしめんとする神の子。

本来の生長の家が説く、このような神と人間との関係を知り得たならば、この現象世界に生きていて、、
どのように自分がいきればいいか、自ずから、導かれますし、生き方を知り得るようになりますから…

吾々は、肉体の生死を超えて、終着点のない道を歩んでいますが、人間の真実の生き方という みちしるべを
教えて頂いていますので、未来に 不安がないのが、最高に、有り難いことですね。

1192志恩:2012/09/13(木) 11:49:30 ID:.QY5jUA6
前にも,私は、昔の青年会の人達にも、実情は伝えてるという話は、したことが、ありますが、
その後の事は、それぞれが忙しいので、私に言って来ていません。

昔の青年会の人達は、そこで、止まってはいず、その人達には,生長の家の仲間も、生長の家を引き継いだ子も孫もいるわけです。
どの道を選択するかは、それぞれが考えられて実行されることになると存じます。

1193山本富士子:2012/09/13(木) 12:19:27 ID:3dBRM7/s
あさひ様、みすはなまる様、志恩様

楽しい会話ができ、うれしく思いました。
ありがとうございました。

いつの日また、トキ様や復興G様の いのちがけの悲願が実り
さすが生長の家と、さわやかかぎりない大調和の日にこそ
お会いしたいですね。

皆々さまよろしく お願いします。

1196「訊け」管理人:2012/09/13(木) 17:46:10 ID:???

>>1194

 そいは、「トーキングスティックボード」4月23日付近です。

 記事番号は1390番台だったと記憶しております。(日時は間違っていないと思います)




1197うのはな:2012/09/13(木) 17:53:15 ID:fZPFPaaU

ユタカ氏へ

 その誌友会で一升瓶片手にマンガ絵を書いて「さくらマネ」と呼びかけていた
訊け氏は世界一の誌友会にしましょうといいながら、前夜祭のころからほかの人から
苦情注意などがありましたが、結局最終的に責任をとって司会役を降りる、といい
谷口雅春に訊けブログ女神の部屋の中でも、この掲示板の投稿を自分のブログに
映して、さまざまなことをいっていました。
番号は覚えていませんが、大調和の神示をテーマにしたあの誌友会は何だったのか、と
いまだに訊け氏のマンガ絵や書き込みを見て考えることがあります。

1198「訊け」管理人:2012/09/13(木) 18:00:26 ID:???

>ユタカさま

 今確認して参りました。>>1196掲載情報で、間違いありません。

 同箇所にも、黙示録の件が掲載されております。ご参考になさってください。




1199うのはな:2012/09/13(木) 18:05:01 ID:fZPFPaaU

 今までわりがあわないからもうここにはこないとか、もうすぐいなくなる
とかいっていった訊け氏は、謹慎を解かれたのでしょうか?

1200うのはな:2012/09/13(木) 18:05:31 ID:fZPFPaaU

 今までわりがあわないからもうここにはこないとか、もうすぐいなくなる
とかいっていった訊け氏は、もう謹慎を解かれたのでしょうか?

1201ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/09/13(木) 18:15:50 ID:gn5QzOTA
トキ様
ありがとうございます。

天才 訊け様より 上記教えて戴きました!! 本当にスゴイ人です!!! カッコイイです!!! やっぱり訊け管理人です!!

訊け様  有難うございます!! (正座 合掌)です!! やっぱり訊け管理人さんです! スゴイです! 絶対な方ですね!!

復興G様と志恩さまのやり取りで、G様が、志恩様がそうおっしゃるのは

「志恩さまは私の心の影です」とおっしゃっていました。

訊け様もどうぞ自己一切者の自覚で、WEB誌友会にまた来てください。 訊け様がいると楽しくて活気が出ます。夜の眠気がぶっ飛んで興奮して眠れないほど楽しいです!! しかも・・・夜中なのに大声で笑いました!! 一日も早い登場を願っています!!

訊け様 復習のご案内を本当にありがとうございます!! 訊けさんじゃないとできないね・・・・  超チョー ありがとーーー!!

1202ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/09/13(木) 18:19:25 ID:gn5QzOTA

 だから 『 訊け 』管理人 でしょ・・・・


 生長の家のことなら・・・  うん!!! 納得!!

1203ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/09/13(木) 18:23:21 ID:gn5QzOTA
おぉおおおおおお〜〜〜〜!!

確認まで!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ありがとうございます!!!!

しっかり勉強させていただきます。 内容も確実に暗記しないといかんバイ! 自分!!


お世話になります!!  これからも!  きっと・・・・ よろしくお願いいたします。(最敬礼)

1204うのはな:2012/09/13(木) 18:38:29 ID:D0l4ZWVo
ユタカ氏へ

 あなたは誌友会のこと、家族に迷惑がかかったとかそういう理由でいなくなり
訊け氏の責任のことなどがわたしが尋ねると、トキさんに、不参加者から意見が出てが
どうしたらいいでしょうかとか、そんなたよりない様子でした。
トキさんからもこれといった指導はなかったと思います。

そんな訊け氏は自分のブログで誌友会をするとかいって、トキさんも訊け氏へ
応援コメントなど入れていたと思います。
次回から、訊け氏のブログなど、ユタカ氏に波長があう、誌友会に参加されたらどうかと思います。

1205うのはな:2012/09/13(木) 18:40:54 ID:D0l4ZWVo
1985 :「訊け」管理人:2012/04/15(日) 00:07:08 ID:???  ―┼‐         ノ     /   |  --ヒ_/     /   \ヽヽ    ー―''7
   `」   ┼,   二Z二   レ   /  /´レ' \ ―7 ̄}  |  ー-、   /
 (__  (|フ)   (__ノ  _ノ  ∨`  ノ  /  /     _ノ    \_


    ─┼-        /   |   ‐┼-   |     ー|―
    ─┼─ |   \ レ  /   ̄Tー  /      ノ -─
   (二フヽ  \/    _ノ   (二フ\  ヽ_ノ   / 、__

     i';i
    /__Y
     ||V||                   /⌒彡
  _ ||.I.||         /⌒\     /冫、 )
  \ ||P|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ `./⌒ i `  /ゝ     _,,..,,,,_
  ||\`~~´  (<二:彡)    \( >     ('\\  ./ ,' 3 `ヽーっ
  ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄\`つ    ⌒ _) l   ⊃ ⌒_つ
     .|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||                `'ー---‐'''''"



 今回の反省点・・・・・・・


 WEB誌友会の、 開 始 時 間 。

もう少し、早くやりますか?次回は(笑)

1206ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/09/13(木) 19:00:37 ID:gn5QzOTA
敬愛するうのはな様

いろいろとご心配をしていただいて、誠に有難うございます。

うのはなさまの 超天才的に的を射た真理の抜書きには毎回超超・・・感動し、感謝して心で合掌しながら読ませて戴いております。 本当にタイムリーに答えや返事がすぐ出てくるところなぞ、天才です!!!
トキさんの書き込みに青年会のリーダーをされていたことが書かれてありました。 きっとすばらしい成果をあげながら皆さんを導いて行かれた事だったと思います。

すべてにおいて未熟なユタカですが、先達のみなさんと一緒に勉強したいと思っております。
うのはなさん、これからも素晴らしい真理の書き込みをよろしくお願いいたします。 

尊敬するうのはな様へ・・・

1207ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/09/13(木) 19:03:17 ID:gn5QzOTA
今も トーキング1376(うのはな様)に超感動、感激しながら

写経の気持ちで手書きで写しています・・・本当に有難うございました。

1208うのはな:2012/09/13(木) 19:20:25 ID:YT9aDVnY
ユタカ氏へ

 いきなり不躾に意見を出したようで失礼しました。わたしは不参加者でありながら、
また訊け氏などから文章添削公開指導されたりするぐらいの無骨者ですから、
本来なら、ユタカ氏やほかの人に意見できる資格がないのかもしれませんが、
部室版123版 そのほかの掲示板でも、マンガ絵を掲載し続ける訊け氏が最近、部室版の
投稿があまりにもくだらないとか、初めてここを見た人は生長の家っていうのはなんてくだらないところなんだと思われないかなど
上から目線でコメントしているのを見て、頭に来たので書かせてもらいます。

他の参加者さまたちの中では、ユタカ氏のチョーなんとかという「若者固有」言葉や
訊け氏の牛丼の絵など、誌友会では浮いていたように思います。
わたしも今の雅宣先生教団には反対しながらも、非公式で講師や誌友を集めて勉強座談会を
する場合は、ノーミート料理や日本和菓子などを中心に差し出したり、
参加者さまたちに失礼のない言葉遣いを考えながら勉強させてもらっています。

ユタカ氏も雑談版などとちがって、誌友会版などは全国教区相手の話し方というものを
考えられたらどうかと思います。
わたしがいうと説得力ないのですが、えらそうにきこえたらすみません。

1209トキ:2012/09/13(木) 19:21:15 ID:h8Dr/pUY
>>1201

 ご投稿、ありがとうございました。復興G様はすばらしいです。大先達だと拝察しますが、わたしのような
若造とは違い、さすがに谷口雅春先生の教えを体得されていると感じます。真理の深さには圧倒されます。ま
あ、私はまだまだすが、ここには、志恩様など、谷口雅春先生をご存知の方が多数おられるので、そちらを
信頼して下さい。よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

1210ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/09/13(木) 21:25:50 ID:gn5QzOTA
うのはな様

言葉遣いのご注意有難うございました。 気をつけて参ります、またご指導の程よろしくお願いいたします。
うのはな様は先生の先生だったのですか!!!!!  人が持っていないようないろいろな書物をお持ちの方だな・・・と思っていました。

いろいろな視点からこれからも、ご指導よろしくお願いします。

1211ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/09/13(木) 21:28:45 ID:gn5QzOTA
>>1209

トキ様はよく昔の話をされますが、若造って謙遜ですね。。。

1212goro:2012/09/13(木) 21:33:27 ID:Cc8Z7oOY
若造 とは

デジタル大辞泉 - 若者や未熟者をあざけっていう語。

1213ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/09/13(木) 21:37:58 ID:gn5QzOTA
だから・・・・・ トキさんは大力量人なの・・・

しかも、すごい愛行でしょ・・・

トキさんの作った板の多さ!! ご愛念の賜物です。。。 感謝・合掌

1214うのはな:2012/09/14(金) 09:12:43 ID:ql9uKkCg
>>1210

わたしは、先生とか呼ばれる人間ではありません。
 知り合いがたまに講話にきてくれるっていうだけの個人趣味勉強会
 をやったことがある、っていうだけです。
 すこしえらそうな書き方だったと、反省しています。
 次回のWEB誌友会もがんばってください。

1215みすはなまる:2012/09/14(金) 14:58:39 ID:ruAzv6v.

<<1190 志恩さま

温かい有難いお言葉をありがとうございました。

何度も読ませていただいて、大切な指針とさせていただきます。

ありがとうございました。

1216志恩:2012/09/14(金) 19:42:42 ID:.QY5jUA6
みすはなまる様

ご丁寧なコメントを、うれしく存じました。

光明掲示板で、マリーゴールド様(みすはなまる様)が謹写されている
吉田國太郎先生のご文章は、とても読み易く書かれてますので、
とても楽しみに、夜中に拝読して 感動しています。

すごい長文ですのに、ありがとうございます。

1217志恩:2012/09/14(金) 19:58:47 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

最近、いらして下さってて、活気が出て、有り難く思っています。
ユタカ様は、しばらく行方不明になっておられましたので、どうされたのかしらと、
みなさま、心配しておられました。
私もですけれどね。

そして、前もって
ユタカ様が、復興G様に WEB誌友会のご指導をお願い下さっていましたお陰で、

その後も、司会者なしでは、ありますけれど、
実質的には、復興G様がWEB誌友会の会長、トキ様が副会長のようなお役目を
引き受けて下さいまして、

このようにWEB誌友会は、継続されてます。
で、様々なご指示は、会長の復興G様にお任せしております。

ですから、WEB誌友会のことで、
ご意見が、ございましたら、復興G様とやり取りして下さいませね。

私は、復興G様のご意見に合わせておりますので、宜しくおねがいします。

1218ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/09/14(金) 20:48:29 ID:gn5QzOTA
志恩様

は〜〜〜い! 分かりました。。。。

復興G様のお手伝いをしてまいります。

1219ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/09/14(金) 20:51:02 ID:gn5QzOTA
復興G様

何か手分けして作業をするような資料作りなどありましたら、

参加者みんなで分けてやりませんか?  ユタカは遅いので少ししか出来ないかも知れませんが、何かお手伝いありませんか??

1220みすはなまる:2012/09/14(金) 20:54:26 ID:mcCBRESM

>>1216志恩さま

有難うございます。

そのように仰って頂けて、有難く思います。

謹写も後半に入っておりますので、吉田國太郎先生のお言葉に感謝しながら、続けてまいりたいと思います。

有難うございました。

1221あさひ:2012/09/23(日) 20:03:01 ID:/3nxKE2Q
合掌
goro様

1174 :goro様に同感です。

      合掌

1222神の子さん:2012/09/23(日) 20:27:53 ID:R.cq6sKE
>>1221 あさひ様
何が言いたいのかわかりません(笑い)

1223神の子さん:2012/09/23(日) 20:29:33 ID:R.cq6sKE
ごめんなさい、1174のgoro様に全く同感ということですね

1224復興G:2012/09/24(月) 15:46:33 ID:vWpLkCzM

あさひ様、goro様、志恩様、皆々さま。

あさひ様の >>1221を見て、
>>1174 :goro様
あたりの皆さまの書き込みを読み返しました。

ところで――昨日私は、ある合唱団の月一回の練習日で参加しておりました。その合唱団は、讃美歌を中心に、無我になって祈りの歌を美しいハーモニーでうたう合唱団です。

歌った讃美歌の一つに(133番)

「夜はふけわたりぬ。ゲッセマネの園に
なやめるイエス君 ひとり祈りたもう。

胸さくる(裂ける)ほどの きみの苦しみを
おもわで御弟子ら 夢路をたどりぬ。

世の罪に泣きて いのるわが君を
父なる御神は 棄てさせたまわず。・・・(後略)・・・」

というのがありました。

私はこれを歌いながら、谷口雅春先生の御心を思いました。
谷口雅春先生も、生長の家の現状を、胸裂ける苦しい思いで祈っておられるのではないか――と。

「皆さんが谷口雅春である」とおっしゃった先生のお言葉を本当に受け止めたら、私たちもまた、胸が裂けるような悲しみとともに祈りをもって対処するのが本当ではないか――と思いながら歌っていました。

そして、谷口雅宣総裁にも、悩み、祈る気持ちはあるのではないかと思いました。

すべては雅宣総裁の「住吉大神への裏切り」のせいだとして攻撃に終始することを、はたして谷口雅春先生はお喜びになるでしょうか?

そして、それが問題解決への道になるでしょうか?

私も、なやみ、苦しい気持ちです。

  合掌 拝

1225山ちゃん1952:2012/09/24(月) 16:13:09 ID:RtA64Ims
>私はこれを歌いながら、谷口雅春先生の御心を思いました。
谷口雅春先生も、生長の家の現状を、胸裂ける苦しい思いで祈っておられるのでは
ないか――と。

「皆さんが谷口雅春である」とおっしゃった先生のお言葉を本当に受け止めたら、
私たちもまた、胸が裂けるような悲しみとともに祈りをもって対処するのが本当で
はないか――と思いながら歌っていました。

そして、谷口雅宣総裁にも、悩み、祈る気持ちはあるのではないかと思いました。

すべては雅宣総裁の「住吉大神への裏切り」のせいだとして攻撃に終始することを、
はたして谷口雅春先生はお喜びになるでしょうか?

私も、なやみ、苦しい気持ちです。<

私は出来る限り雅宣総裁を擁護しようとする気持ちは全く”ゼロ”ではないという気持ち
はあって然りだと思います。
だが、もう雅宣体制から25年になっている。本当に雅春先生の思いがあれば、絶版など
しないのではないか、また経本など作るようなことはしない。そういう観点が違うのです。
峻厳なる愛こそ求められるのです。厳しいことを言えばこそ成長する人がいます。
もう六十過ぎた総裁には遅いのかも知れないが、でも今からそういう峻厳なる愛を発することも
方針として大切に思います。
私の周りにもそういう厳しさをいう元本部講師も沢山います。云っても無駄なのかも
しれませんが、やはり云い続けるのが変革への道に思います。

そして、それが問題解決への道になるでしょうか?

1226みすはなまる:2012/09/24(月) 16:39:25 ID:FAyEEv72

復興Gさま

ありがとうございます。お久しぶりです。

私が、もし雅宣総裁の立場…もしくは雅宣総裁と似た立場だったら、どうするだろうか…考えてみました。

私だったら、生長の家の教義と自ら行いたい事が違いますから…と、はなから生長の家に就職を絶対にしません。

もし、就職してしまっても、やめて自分の考えを生かせるところに行くと思いました。

たとえやめて独立しても、先で何らかの形で生長の家とタイアップ出来るかも知れませんしね。それこそが、互いに生命を生かして無限生長の道を歩む事ではないでしょうか。

雅宣総裁の立場が、もし私ならどうするだろうか…に例えて考えてみました。

雅宣総裁ご自身も、周囲の方からも喜ばれて使命を果たせると、雅春先生もお歓びではないかと思います。

雅宣総裁=生長の家で和解して、雅春先生の教えに戻って…と枠を作って考えると、苦しくなってしまうと思います。

総裁がいま現在持たれている、魂の使命を果たし、生命が生きる道を応援して差し上げる
思いであれば、苦しいお気持ちが少しでも和らぐのではないでしょうか。

若輩者が大変失礼を申しました。

私の発言がこの場に不適切でしたら、削除されても構いません。

1227goro:2012/09/24(月) 17:38:49 ID:Cc8Z7oOY

復興G 様

>>1224 拝見いたしました。

ゲッセマネの祈りの言葉は記憶にあります。(正確ではないと思いますが)

神よ、神よなんぞ我を見捨て給うや
この苦き盃を我より取り去り給え、
されど我が意を為さんとするには非ず、
御心のままに為さしめ給え。

雅宣先生を「悪の存在」として観ているわけではありません。
山ちゃん様も言われています。

 >>雅宣体制から25年になっている。本当に雅春先生の思いがあれば、絶版など
  しないのではないか、また経本など作るようなことはしない。そういう観点が違うのです。
  峻厳なる愛こそ求められるのです。厳しいことを言えばこそ成長する人がいます。
  もう六十過ぎた総裁には遅いのかも知れないが、でも今からそういう峻厳なる愛を発することも
  方針として大切に思います。<<

我が意を為さんとするには非ず・・・深く切なる思いで胸が満たされています。

1228復興G:2012/09/24(月) 18:10:40 ID:vWpLkCzM

>>1218・1219 :ユタカ(なせば成る我ハ神の子)様。
>>何か手分けして作業をするような資料作りなどありましたら、参加者みんなで分けてやりませんか? ユタカは遅いので少ししか出来ないかも知れませんが、何かお手伝いありませんか?? <<

合掌 ありがとうございます。お申し出に感謝します。

テキストの謹写は、すでにだいたい打ち込まれたファイルがあり、あとはそれを校正し読みやすい形に整理して、聖典板にアップできるサイズに分ける作業だけなので、私の方でさせていただきます。

ところで、ユタカさんは楠本先生の『伝道物語』をよく読んでいらっしゃる、そして伝道練成にも参加されたことがおありなのですね。私も楠本先生の『伝道物語』はとても感動して読んだことがあり、これは前回勉強した第5章を、身を以て実践された具体的体験の記録ですね。そして次回学ぶ第6章「愛と真理によって更生せよ」にもつながる素晴らしい資料だと思います。ですから、ユタカさま、『伝道物語』の中から、ここぞと思われるところを、謹写紹介してくださいませんか。

そして、前回宿題にしてあった課題がありました、

>>973 :ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
>>ご無沙汰してすみません。復興G様、皆様、ご活躍ありがとうございます。WEB誌友会に参加できないので、質問をおいていきます。
楠本先生著の「伝道物語」の表紙の裏に「陰徳」って書いてありました。伝道と陰徳ってどのような関係で繋がっていくのだと思いますか?<<

という課題です。この出題をされた動機について、くわしくコメントをいただければありがたいです。そうしてこの課題をめぐっての勉強が、深まるとありがたく思いますので、よろしくお願いいたします。

1229復興G:2012/09/24(月) 18:31:47 ID:vWpLkCzM

>>1225 :山ちゃん1952様。
>>1226 :みすはなまる様。
>>1227 :goro様。

私の>>1224のコメントを読んでくださり、レスをくださったことに感謝いたします。
私からは、いま特に申し上げることはございません。
ありがとうございます。 感謝 合掌

1230山ちゃん1952:2012/09/24(月) 19:35:20 ID:RtA64Ims
復興G様へ
あまり無理に書かないほうがいいかもしれませんね。
さて、私はどうして書いたかというと

>すべては雅宣総裁の「住吉大神への裏切り」のせいだとして攻撃に終始することを、
はたして谷口雅春先生はお喜びになるでしょうか?<

この言葉は完全に間違っています。間違っているその内容を批判するのは私は正しいと思います。
烈しい言葉で「攻撃」と云われています。
おかしいのは”正論”として述べるのがどうして攻撃になるのか不思議です。
それを間違うから私は違和感を感じるのです。しかも「雅春先生が一番涙されているのが現総裁の行為
ではありませんか」そう思われないなら、仕方ありません。

1231アクエリアン:2012/09/24(月) 20:03:03 ID:wB.eNS/M
>>1226

みすはなまる様のご意見に賛成です。

雅宣さん、コロンビア大学で、国際関係論を学ばれたのですから、国連職員になられたら、良かったのにと思います。

価値観が、完全な異なっていますから、雅宣さんが、現在の地位に居座る限り、お互い、不幸になるだけです。

宜しく、ご自身の使命を自覚されて、一刻も早く、ふさわし人に総裁の地位を、譲るべきです。

1232志恩:2012/09/24(月) 21:28:31 ID:.QY5jUA6
復興G様

お久しぶりです。今日,私は多忙のため、只今、やっとパソコンの前に座ったところです。
掲示板を開きましたら、
なんと、山ちゃん様が、いらしていて、ビックリしました。とても嬉しいです。

私も、山ちゃん1952様
   goro様
   みすはなまる様
   アクエリアン様のご意見に同感です。

それと、もしも、私が畏れ多くも、
谷口雅春先生だとしまして、
孫が、雅宣さんでしたら、

本流の方々より,誰よりも、遥かに厳しく峻厳なる愛で、雅宣さんを叱咤し、即、総裁の座を降りるよう、凛とした態度で、申し渡すと思います。

雅春先生が悲しまれているのは、人類へと委託された神様のメッセージを、悉く肉親である孫が、抹殺したことでは
ないでしょうか。
雅宣さんが、雅春先生に反する「大東亜戦争侵略説」も総裁として公言されたこと、1つとりましても、日本の為に、どれほど雅春先生は、お嘆きでしょうか。

雅宣さんが、悲しく思われているとしたら、何に対してかというと、本流掲示板が2つに増えた事ではないでしょうか。
前に、総裁先生の影武者の人かどうか知りませんが、初心者様が,言われました。

「本流掲示板が出来る前までは、私は、心が穏やかでいられたのに、、」と。その本流掲示板が、潰れると思われたのに,2つに増えたんですから、
悲しいとしたら、それでは、ないでしょうか。

9月22日(土)の唐松模様を、ご覧になられましたでしょうか?
結語は,何て言われたと思います?
『(ご自分の作った)「観世音菩薩讃歌」を、皆様,日常的にお読み下さい。』と、いわれたんですよ。
甘露の法雨は、ほっちらけです。呆れました。

相変わらず,雅宣さんは、したたかです。

その他のことは、先に申し上げました通り、皆様と,同感で ございます。合掌

1233トキ:2012/09/24(月) 21:32:21 ID:Cny51xIo
>>1230

 いつも憂国のご発言、深く敬意を表します。私のようなたわけた後輩がいるので、さぞや頭が痛いと思います。
いや、山ちゃん1952様や靖国見真会参加者様にしても、損得を考えずに、生長の家の事を考えておられるお姿には
深く敬意を表します。(これは、本当です)

 しかし、生命の実相の頭注版 第36巻 p35にこういう文章がありましたので、紹介させていただきます。復興G様はおそらく
大先達であり、私は青二才であります。復興G様が月なら、私はスッポンです。ですが、スッポンなりに、お月様の考えを忖度する
と、多分、こういう事かと思うのであります。

 「なかには、「私は何年来の『生長の家』の誌友である」「私は『生命の実相』を何巻読んだ。それだのにお陰がない」という
ような人は、そう言うだけに心が何かにひっかかっているのです。現象を見て「まだまだ供給がない」と引っかかったり、誰かと
ある問題でひっかかって喧嘩している。誰かと衝突している。誰かを怨んでいる、何かの事柄に心がひっかかっている、その心が
結ばれ、解けないですらすらしないでは、『生長の家』を何回読んでも、『生命の実相』を何回読んでも、まだ本当の生長の家で
はないのであります。」

・・・・と谷口雅春先生はご指導をされています。私はお二人と違って、はるかに出来の悪い弟子ですが、弟子は弟子ですから
谷口雅春先生のご指導には従う必要があります。それで、泣く泣く、和解、和解と言っているのであります。「和解なんて
言うのは、怪しからんん!」とご叱責される場合は、私ではわかりませんから、どうぞ、谷口雅春先生にお尋ねください。
(これ、教団側の方々にもお願いをします。)

 ただ、これは私の考えですから、別に山ちゃん1952様を責めたりしておりません。ご了承下さい。

合掌 ありがとうございます

1234あさひ:2012/09/24(月) 21:49:04 ID:/3nxKE2Q
   
   山ちゃん1952様
   goro様
   みすはなまる様
   アクエリアン様
志恩様
   のお考えに同感いたします。

 間違っていることに対して正論を述べることは闇に対して光を照らす
 ことだと思います。

 感謝するのは闇に対してではなく実相に対して光に対してではないでしょうか

 闇に対して いいくらかげんに対応していては、全く前進はありません。
 闇に対しては光を持って対応することこそ雅春先生の弟子のすべきことでは
 ありませんか。

 国難の今こそ雅春先生の教えを生きお国のためになろうではありませんか。

1235SAKURA:2012/09/24(月) 21:49:32 ID:jH5uEFzM
アクエリアン 様 ヘ
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1231の“投稿文章”から〜♫〜

■>雅宣さん、コロンビア大学で、国際関係論を学ばれたのですから、国連職員になられたら、
良かったのにと思います。価値観が、完全な異なっていますから、雅宣さんが、現在の地位に
居座る限り、お互い、不幸になるだけです。<   (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■【国連職員…】
職種・経歴にも条件がありますでしょうが〜〜〜勿論!年齢制限は、ありますでしょうが……
一般的には【国際社会…に於けます社会的貢献…】
この「イメ−ジ…」ですかと?
当然の事ながら〜【知 識…人 格…哲 学】が在られると思います…。

それに【コロンビア大学…哲学】に関しましては、著名人がいらっしゃいますから……
どうしても、日本国内では、その【大学…世界ランキング?】と申しますか、
知られていない部分がありますでしょうかと〜?思います。…が?
個人的には「新しい息吹〜♫」を、頂けますモノと、ある面では思います。…が?

                                再合掌
PS:
それに【コロンビア大学…世界的にも…著名人】が、いらっしゃいますし
【 宇宙開発…NASA 】 との関連性も……かと

1236あさひ:2012/09/24(月) 22:00:25 ID:/3nxKE2Q

トキ様

はじめまして  初めて書かせていただきます。  合掌

>誰かと
ある問題でひっかかって喧嘩している。誰かと衝突している。誰かを怨んでいる、何かの事柄に心がひっかかっている、その心が
結ばれ、解けないですらすらしないでは、『生長の家』を何回読んでも、『生命の実相』を何回読んでも、まだ本当の生長の家で
はないのであります。<

と引用されていますが、雅宣氏と喧嘩しているわけではなく、衝突しているわけでなく、怨んでいるわけでなく
ただ、正論を言っているのみとおもいます。

ですから、トキ様の引用はこの際あてはまらないのではありませんか。
お尋ねいたします。

こう書きましても私はトキ様に感謝申しあげておりますので、よろしくお願い申しあげます。

             合掌

1237志恩:2012/09/24(月) 22:12:53 ID:.QY5jUA6
9月22日に,雅宣総裁先生が、おっしゃったことですが、
光明掲示板に、要約されたものが,載っておりました。

 投稿者=なでしこ様

雅宣総裁先生のお言葉の要約

〜尖閣諸島問題について〜

【① 現象というものは、激しく移り変わるものであるから「善だ、悪だ」ととらわれず、表面の変化に動ぜず、
   共産中国の邪な悪現象を前にしても、相手の”神の子”の実相が現れる時を信じて待つべし。
   そして、
   信仰者らしく、心穏やかな生活を送ればよいのである。

② 一見すれば、共産中国は”悪”と見えるが、”悪役”を演じて,日本を”善導”してくれていると感謝の思いで対処すれば
  良いのである。
  生長の家では、こういう自覚を”観世音菩薩の教え”というのである。】

(雅宣総裁の、尖閣問題に関するご意見発表は,これ以外にないのです)

然らば、吾々日本国民は,共産中国の理不尽な尖閣諸島略奪戦略を如何に捉えて、対処すべきか。


谷口雅春先生著「新講・甘露の法雨解釈」P87

雅春先生のお言葉ー

◎ 平成の”元冦”(げんこう、侵略すること)と、捉えねばなりません。だから、執権・北条時宗を見習い、
  全国民が、一致して不退転の決意で、領土保全を図らねばならないのであります。

  仮に、曖昧な態度で、この尖閣問題に譲歩すれば、共産中国は,完全に占領するまで、次々と継続して、
  理不尽な戦略を繰り出して来て、沖縄本島をも、侵奪してきます。

1238志恩:2012/09/24(月) 22:35:19 ID:.QY5jUA6
>>1233:トキ様

トキ様は、
雅宣先生の考え方に、似て来られましたね。

1237;
の光明掲示板の文章は、ここへ貼付させて頂きます。

SAKURA様のコメントの数々は、
貼付しました中の③にあります現在の、本部の本部講師のご意見と同じに聞こえます。
本部へ電話して見ると,本部の本部講師は、次のように、答える。

◎「生長の家大神ー雅宣総裁ー教え」であって、雅宣総裁は「生長の家大神」から啓示を受けて
 語っておられます。だから,雅宣総裁に中心帰一することが大切です。

◎本部の方針は,雅宣総裁と磯部理事長先生のご意向です。教え通り「中心帰一」しなければなりません。

◎大東亜戦争は、侵略戦争であって、人類進化のための摂理上、不可避であったというのは,間違いで、
 そんな事は.雅春先生は、おっしゃってません。(注:本部講師の勉強不足の露呈)

◎(信徒の反論に対しては)それは、あなたの個人的なお考えにすぎません。

 ★その洗脳のキーワード=「時代即応」★

 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=381

1239志恩:2012/09/24(月) 22:45:26 ID:.QY5jUA6
あさひ様

同意のコメント、感謝いたします。
私も,雅宣さんのことを、恨んでいたり,憎んでいたり,などのマイナスの気持ちは,全然、
持ち合わせておりません。

1240志恩:2012/09/24(月) 22:49:11 ID:.QY5jUA6
大東亜戦争の話題が出ましたので、

「大東亜戦争と、日本が残した偉大な遺産」という動画を貼付させて頂きます。

 間違った日本の歴史観を、根底から覆してくれる
 真実のすばらしい動画です。

 http://ameblo.jp/rocknrollgood/entry-11117350623.html

1241みすはなまる:2012/09/24(月) 23:21:46 ID:PngdS9BY
アクエリアンさま
志恩さま
あさひさま

同意下さいまして、ありがとうございます。

goro さま、山ちゃん1952さまのご意見にも同意します。

復興Gさまが、夕方のご発言にコメントさせて頂きましたが、復興Gさまは、特に申し上げることはありませんと仰っておられますのですが…

雅宣総裁を攻撃や批判をしようなどとは、全く思っておりません。
あさひさまも言われたように、正論を伝えているだけです。

私は、雅宣総裁の実相を祈る思いはございませんし、和解は100パーセントに近く難しいと感じております。
しかし…
雅宣総裁のあるべき場所で、ご自分の希望を叶えるべく、生命が悦んで使命を生かされて欲しいと願う者です。
雅宣総裁がされていることは、生長の家でされる事ではありませんよ…と思い続けている者です。
される場所を間違えると、ご自分のみならず、周囲の生命をも殺す事になりますよ…と訴える者です。

今の生長の家を見ていると…
中華人民共和国に似ているように感じます。尖閣諸島問題にしてみても、生長の家の現状と似ているように思います。

1242志恩:2012/09/25(火) 00:05:29 ID:.QY5jUA6
みすはなまる様

私も、尖閣諸島問題に対する雅宣総裁の発言を,読みまして、これは、ご自分に対することでもあるな、
と,感じました。

私(雅宣総裁)が,何をやろうとも,何を言おうとも、あなたがたは【善だ,悪だ】と,騒がずに、
私の実相を見て,祝福して生きておれば,安穏というもの。
そのように、生きていれば、あなたたちは、心穏やかに生きておれるのです。

それが、生長の家の教えであり、観世音菩薩の教えです。

そうやって、洗脳されて、しまいには、新経本が、聖経になるのです。

1243あさひ:2012/09/25(火) 06:05:52 ID:/3nxKE2Q
   山ちゃん1952様
   goro様
   みすはなまる様
   アクエリアン様
  志恩様

中国の教育

尖閣問題でも中国は長い期間をかけて、日本は侵略国、尖閣は中国の国土と
義務教育から 教育してきました。その結果、中国人の多くは、教育どおりに洗脳
されているのです。

この中国の 日本に対する間違った教育の事実を 多くの日本人が知らないと思います。
このことを、広く知らせることの必要性を痛感します。

日本の教育は雅春先生が憂えておられたようになってしまっております。

また、雅宣氏のやり方は 実に洗脳のテクニックと思います。

谷口雅春先生は何をお喜びになるか という視点で物事を判断したいと思います。

雅春先生は、時代に合わせて、雅宣氏に中心帰一して盲目的に雅宣氏に従うことが
生長の家だとは、言っておられないと思います。

雅宣氏に中心帰一という事自体 中心帰一を間違ってとらえていると思います。

1244志恩:2012/09/25(火) 07:42:35 ID:.QY5jUA6

中国も韓国も、学校教育で全国民に、日本に関しての捏造した情報を植え込み、
尖閣諸島も竹島も、自分達の領土だということは、中国、韓国の教科書にも載せてあり、

洗脳が行き渡っているそうです。
一部の日本をよく知る人達だけは、それがウソだと知っていますが。

他国の領土(島)も、今、日本にやっていると同様の手口で、つぎつぎに侵奪して行っている
強盗国なのです。

しかし、日本は、メディアも教育も、日本国民には、そういうことは知らせず、ゆえに、日本国民は、他国に関する危機管理能力0で、無関心、他人事、また、ケンカはよくない。
相手の善意を信じて、こちらが友好的にしていれば
おさまる、話し合いで分ってくれる、そのように、お人好しに思い込んでいる人々が、ほとんどだということです。

生長の家も、教団からは、正しい情報を知らされていませんので、雅宣総裁や教えの先輩によって洗脳されてしまった生長の家の信徒達は、今の,中国,韓国の国民と、同じ状況です。
雅宣総裁の間違った行為を批判する人がいようものなら、よってたかって、教えの一部を持ち出して、雅宣総裁先生の行ないを、批判している人達を「それでも、生長の家か」と、なじるのです。

雅宣総裁は、磯部理事長、三浦晃太郎とともに、「教規改正」を決行し、報復人事を敢行しました。自分に対して、反対や慎重論を主張した教化部長の多くを更迭したのです。
雅春先生,清超先生を踏みにじるように、後継者である雅宣先生は、その真逆を行ない、独裁体制を構築し、ご自分の思いのままに、今も尚、やりたい放題を続けているのです。

>>1238;に貼付しました光明掲示板の記事に、

谷口雅春先生は「軍備は本当に不必要か?」という題で、書かれてあります。

谷口雅春先生のお言葉ー
(前略)
。。実相世界の「一切の生物処を得て争うものなき」状態があらわれたなら、そんなものは要らん筈だと言えるのであります。
しかし、現代の日本人が果たして、それだけの精神的力量又は、高い心境に達しているかという事が、問題なのです。

ーこの続きは、貼付させて頂いたご文章をご覧くださいませ。ー

1245志恩:2012/09/25(火) 07:46:38 ID:.QY5jUA6
1244:は,皆様 宛てです。

1246あさひ:2012/09/25(火) 08:38:41 ID:/3nxKE2Q
 山ちゃん1952様
 goro様
 みすはなまる様
 アクエリアン様
志恩様

志恩様が
>中国も韓国も、学校教育で全国民に、日本に関しての捏造した情報を植え込み、
尖閣諸島も竹島も、自分達の領土だということは、中国、韓国の教科書にも載せてあり、

洗脳が行き渡っているそうです。
一部の日本をよく知る人達だけは、それがウソだと知っていますが。

他国の領土(島)も、今、日本にやっていると同様の手口で、つぎつぎに侵奪して行っている
強盗国なのです。<

と書かれていますが、皆様も全く同感されるのではないでしょうか。

とすれば、この事実をどうやって多くの方に伝えて行くか皆様のお考えを
お尋ねしたいと思います。

雅宣氏はある面、中国 韓国教育方針と同じやり方のように思いますが
いかがでしょうか。
         
              合掌

1247みすはなまる:2012/09/25(火) 09:19:16 ID:uQ4DMu6s

志恩さま
あさひさま
皆さま

おはようございます。

私も、あさひさまが仰るように、雅宣総裁は、中国や韓国と同じ教育をされていると思います。

先日の講演会でお聞きした講話の中で、韓国は恨の教育…中国は中共の教育…日本は自虐の教育をされてきた。今のこの状態は、教育の違いの結果であると。(私の受け止め方に違いがあれば、申し訳ございません)

雅春先生も、竹島問題は国家の威厳の違いであると、ご著書の中で、仰っておられたと思います。

日本の戦後教育に大きい問題があると思います。
日本の国の歴史が正しく教育されていない事から来ていると思います。教育現場において、何が自分に出来るか…
私は教育者ではありませんが、生命の教育誌を校長先生におわたしすることなら、出来ますから実行に向け、準備しようと思っているところです。

志恩さまが雅春先生のご文章を紹介下さっていますけれども、本当だな…と思いました。
生高連のとき、みんなが家に鍵をかけるように、日本の国にも鍵が必要だと学びました。
世界中の人々が、家に鍵をかけないで良い状態になったとき、本当に軍備は必要なくなるのかも?知れませんね。

1248山ちゃん1952:2012/09/25(火) 15:59:24 ID:RtA64Ims
歴史教育というのは言葉は簡単ですが、その「縦の世界」というのを理解するのは難しい
と感じます。私は「古事記」「日本書紀」「万葉集」や「平家物語」「霊異集」のようなものも
読んでいます。だが文章だけの把握だけでは通り一片の解釈しか出来ないように感じます。
日本人としての自覚というのが、大きく求められる昨今。
万葉集の起源は壬申の乱というのが一つの日本をまとめようとすることの発祥であると保田與重郎
は云いますが。私は白江村の戦いに「大和」というのをまとめようとすることが起源のように
私は感じております。大伴家持が編纂して「言の葉」により日本の原点を求めて編纂したのが
「万葉集」であるように感じています。そうした「万葉集」には国防(防人)の歌が数多くありますが、
やはり白江村の戦いの敗れたことで国民の意識をまとめようと獅子奮迅した記録のように
思います。
額田王の歌に
熱田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな

そうした国民の感情の根本にその中心にあったのが「天皇」であり、「中(みなか)の精神」であったように感じて
おります。
それは一つの「霊性」とよぶべきものであると思います。その霊性を揮わせるのが生長の家
でいう「天皇信仰」そのものである。
そう云うものが失われて久しい。『生命の實相』の文章をいくら穿っても「天皇信仰」の中核
というのが中々わからなった私です。それを天皇に求め、天皇に帰ることこそが「生長の家」の
役割であります。

1249goro:2012/09/25(火) 16:13:19 ID:Cc8Z7oOY

 外務省の尖閣諸島の領有権についての基本見解 平成24年9月 (外務省ホームページより)

尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、
単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、

1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです。
同諸島は爾来歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、

1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていません。
従って、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、

第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、1971年6月17日署名の琉球諸島及び
大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれています。

以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものです。
なお、中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき

米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、
中華人民共和国政府の場合も台湾当局の場合も1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及び
はじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものです。

また、従来中華人民共和国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点は
いずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえません。

1250アクエリアン:2012/09/25(火) 19:59:13 ID://wjfy6c
>>1235

SAKURA様

いつも、精力的なご投稿、
敬服しております。

■>雅宣さん、コロンビア大学で、国 際関係論を学ばれたのですから、国連 職員になられたら、 良かったのにと思います。価値観が、 完全に異なっていますから、雅宣さん が、現在の地位に 居座る限り、お互い、不幸になるだけ です。< (一部抜粋) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆ ■【国連職員…】 職種・経歴にも条件がありますでしょ うが〜〜〜勿論!年齢制限は、ありま すでしょうが…… 一般的には【国際社会…に於けます社 会的貢献…】 この「イメ−ジ…」ですかと? 当然の事ながら〜【知 識…人 格… 哲 学】が在られると思います…。

まさに、国連こそ、雅宣さんにピッタリの職場ではなかったのかと思うのです。
過激な民族主義、ナショナリズムを警戒し、世界平和実現のために尽力し、地球の環境問題の解決のために、最もエネルギーを注いでいる国連の職員こそ、雅宣さんの哲学にフィットする職場ではなかったかと。
そしてコロンビア大学で学ばれた国際関係論と英語がおおいに役に立つのではなかったかと。
何か、ご自身の歩まれるべき道を間違えられたのではないか、そんな気がして仕方ないのです。

>それに【コロンビア大学…哲学】に関 しましては、著名人がいらっしゃいま すから…… どうしても、日本国内では、その【大 学…世界ランキング?】と申します か、 知られていない部分がありますでしょ うかと〜?思います。…が? 個人的には「新しい息吹〜」を、頂 けますモノと、ある面では思います。 …が?

コロンビア大学という名前を聞くと真っ先に思い浮かぶのは、著名な日本文学者で、最近日本に帰化されたドナルドキーンさんですね。
NHKでも、コロンビア大学での授業風景が放送されたりして、興味深く見ていました。

SAKURA様がおっしゃられるように、私も「新しい息吹き」を期待したものです。
が、しかしながら、期待外れというのでしょうか、何か、根本的な部分、価値観、が、生長の家の価値観と異なるのではないか、そんな気がしてきたのです。
この、コロンビア大学留学中に、雅宣さんの根本的な価値観、哲学、が、形成されたのではないかと思っています。
よく、海外留学してから、日本の素晴らしさに目覚めたという話を聞きますが、雅宣さんの場合は、逆に、生長の家の愛国の教えに、これからの国際化の時代において、危険なものを感じるような思想形成をされたのではないか。
それが、一連の愛国書の絶版処置につながり、あの問題の大東亜戦争侵略発言につながったのでしょう。
生長の家に「新しい息吹き」を吹き込むどころか、反対に、根本的な教義を、「今の教え」という名の元に、解体しかけてきたのではないか、そういう思いがしてきました。

これでは、一体、何のための留学だったのか、という思いがしてきますが、この経験こそ、雅宣さんにとっては、生長の家の教えを内部からではなく、外部の目でもって検証するという貴重な機会を与えてくれたものだったのでしょう。

そこで、ハッキリと、生長の家の愛国の教えは、これからの国際化の時代には、ふさわしくないという確信を持たれたのではないでしょうか。

ちょっと時間がないので、続きは、また、後程。

1251志恩:2012/09/25(火) 22:29:12 ID:.QY5jUA6
1249:
山ちゃん1952様

ようこそ、お越し下さいました。大変、うれしく存じております。
山ちゃん様のーわたしのブログーは、とても勉強になりますので、時々拝見しています。

山ちゃん様は、日本史から古事記、万葉集…、生長の家の歴史…、教えの根本思想…、と、
とてつもなく博学でおられますから、いつも教えて頂いております。

山ちゃん様は、8月3日、4日のブログのほうでも、金木犀様と、「国防問題」を語り合っておられましたね。

尖閣諸島を守れるかどうかは、
今後日本全体の国家として、自国を守れるかどうかの試金石であること。
現在の生長の家で、すっかり抜けているのが、「国家の危機感」だということなどを。

国家に対する危機感を自然なかたちで持つには、雅春先生の「愛国書」を拝読しますのが、一番いいのですが、絶版されてしまって残念です。

それを読む事により、歴史的に何が起きてきたかを
順に知ることが出来ましたし、単に歴史の流れが、わかるだけではなく、

山ちゃん様が、おっしゃったように、「天皇信仰」の中核である「中(みなか)の精神」のこと、天之御中主神の「中」の霊的理念を
承け継いで、その姿が国家として顕れたのが「天皇を中心とする日本国家」であること、また、日本民族の霊的理念についても、、、
以前は、各方面で、度々、詳細に亘る講義もされていたのですが、今の本部講師のお方で、それについて話せる講師は、極少数になっているのでしょうね。

壬申の乱の白江村の戦いについても、改めて、日本史をひもといてみましたが、、、

「万葉集」には、国防(防人)の歌も,数多くあったのですね。私は、女性なので、相聞歌のほうに、気をとられておりました。(笑)
額田王の歌の、
「熱田津に 船乗りせむと……」は、雄々しくて、女性なのに、まるで、戦いに出陣する男性のような歌ですね。

私は、額田王の歌は、
「君待つと わが恋をれば わが屋戸の すだれ動かし 秋の風吹く」も、覚えています。

 (あなたを待ってると、すだれが動いたから、あら、いらしたかしら、と思ってしまいましたわ。だけど、風でしたわ)
 話が,横に それましたが、
 彼女は、恋多き女性だったそうですね。今でいえば、イベントの女王。バサラの女ってところでしょうか。

 国防の問題が、相聞歌のほうへ移動しまして、すみません。      つづく

1252志恩:2012/09/25(火) 23:20:00 ID:.QY5jUA6
山ちゃん1952様

私は、いま、吉川寅二郎著「嗚呼(ああ)至誠の人 乃木希典将軍」(たちばな出版)を読んでいる途中ですが、
最初から、感動、感動で、涙でぐちゃぐちゃになっております。

以前、山ちゃん様から吉川寅二郎著「楠木正成」を教えて頂いて、それが、読み易かったので、こちらも中古ですが、買いました。

【私は、日本人が,国防問題や国家の危機感に目覚めるのに、乃木将軍の伝記等を,読むのも、啓蒙を受けますから、特に、
若い方々には、このような伝記を読まれる事を、お勧めしたいと思います.】

乃木氏は、幼少のころ、泣き虫でした。それに、11歳の夏のときに、母親が、蚊帳の金具を外したとき、金具が、あやまって乃木氏の
左目にあたり、左目は、視力をほとんど失ってしまったのです。しかし、彼は.親に心配かけてはいけないと思い、死ぬまで他人には、話さなかったそうです。
彼は、実は、生涯、左目は見えない、中途視覚障害者だったのでした。

その彼が15歳の時、「おれは、立派な軍人になって、この日本を守らなければならない」と一大決意しました。松蔭の影響も受けていました。

まだ、途中までしか、読んでおりませんから、後略ですが、、

乃木将軍は、高潔にして純粋無比なる「尊皇絶忠の人」であり、「至誠の人」。また、人柄がすばらしいお方だったのです。
おどろくことに、乃木将軍は、現下の日本を予言していました。日本の行く末を大変憂いて、尚かつ、世相の乱れまで予言していたのでした。

「翻って、現下の日本を見よ。
物欲にとらわれるあまりに”道義心”が、地に堕ち、エゴイズムが、氾濫し、巷は地獄図を呈してしまっている。」と、まさに、乃木将軍の予言とおりです。

翻って、現下の生長の家を見よ.と置き換えると、よく、わかりますよね。

「愛国心」は、失われ、今や「忠孝精神」は、雲の彼方だ。

元生長の家本部講師であった著者は、次のように、書いておられます。

”このまま放置していると、日本(生長の家)は,取り返しのつかない事態に陥ってしまう。

吾々は、声を大にして日本(生長の家)を救わねばならない。「神国日本」(本来の教え)は、断じて滅亡させてはならない。”



山ちゃん1952様、よき著者を紹介して下さいまして、感謝致しております.合掌。

1253志恩:2012/09/25(火) 23:27:37 ID:.QY5jUA6
goro様

尖閣諸島に関する外務省の資料を貼付して下さいまして、ありがとうございます。

また、他の板に
「日本精神の真髄」の謹写も、長文ですのに、して下さいまして、
難解な漢字が、沢山あり、大変でいらしただろうなと、思いながら、ご愛念を,感謝しつつ読ませて頂きました。

1254志恩:2012/09/26(水) 00:04:11 ID:.QY5jUA6
額田王を、バサラの女と書きましたので、

【君が変われば、世界が変わる。we are the world. yatta.】

 の

 【戦国バサラ】、別バージョンの動画を貼らせて頂きます。

 http://www.youtube.com/watch?NR=1&amp;feature=endscreen&amp;v=QoDjxIUAHlY

1255志恩:2012/09/26(水) 00:12:19 ID:.QY5jUA6
天武天皇の側近であった額田王は、恋多き女性で、かっこいい飛鳥のアイドルでしたが、
バサラ(表現する)女と,失礼なこと、書きましたから、

山ちゃん様に、不謹慎だって、お叱りを受けるかもしれません。(笑)

1256志恩:2012/09/26(水) 00:33:05 ID:.QY5jUA6
1250:アクエリアン様

貴重なご意見を,ありがとうございます。
読ませて頂きました。
私も、同感です。

1257goro:2012/09/26(水) 00:38:37 ID:Cc8Z7oOY

額田王の御歌ですが、とても好きです。

 茜指す紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る

情景が目に浮かびますね。

昔は男性の求愛に女性の返事は袖を振って答えたそうです。
独身女性の振袖は今でもありますが、袖を振る意味を
知っている奥ゆかしき女性はいるのでしょうか?
袖にされるなどの言葉は今も残っていますが・・・。

1258goro:2012/09/26(水) 00:43:12 ID:Cc8Z7oOY

 志恩さま

「日本精神の真髄」他は全てコピペです^^;

お気遣い感謝します。

板を独り占めしたようで申し訳なく思いますが、できる限り紹介させて頂きます。

1259志恩:2012/09/26(水) 07:59:08 ID:.QY5jUA6
goro様

「日本精神の真髄」は、1つ1つ打ったのではなく、コピーしてペーストされたのでしたか。
私は、PCに疎くて、そういうのが、わかりませんので、自分は、1つ1つ,打っておりますもので(笑)

文としても、コピーできるのですね。無知で、はずかしいですけれど、
どちらにしても、為になる文章をありがとうございます。

額田王の歌の
「茜さす……」も、古代のロマンですね。
当時の袖は、筒袖で、腕より長くつくってあったそうですよ。

この額田王の歌に大海人が、また、歌で返すのですものね。
万葉の頃は、優雅なものです。

1260うのはな:2012/09/26(水) 15:38:45 ID:UyKarZdg

別版でリンク紹介したら、訊け氏の仲間のような人から、「お前がいうな」
と、罵声を浴びせられました。下品なうのはなさんだから、神の子様も、
そのような姿で登場されただけでしょうか?

 よくわかんないけど、こちらで貼らせてもらいます。

谷口雅春先生神示講義 光明掲示板
 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=324

1261<削除>:<削除>
<削除>

1262うのはな:2012/09/26(水) 16:45:49 ID:uk3bgnv2
>1261
 笑 神の子さん、お心遣いをありがとうございます(笑)

 もう、きょうは別版に行かないつもりなので、またよろしくお願いします。

1263<削除>:<削除>
<削除>

1264トキ:2012/09/26(水) 18:24:52 ID:moBAhXPY
>>1263

 おめでとうございます・・・・って、これって、別板なの?

1265山ちゃん1952:2012/09/26(水) 18:37:11 ID:RtA64Ims
goro様
額田王の有名な歌ですね。
私は当初は紫野(むらさきの)ですから京都北区の地名であると解釈していましたが、標野(しめの)が
滋賀県の蒲生にあります。ここは皇室の猟場地域で大阪の禁野というところもかつてはそういう所でした。
野という地名にはそういう猟場があった場所が多いです。禁野の隣にある交野もそうです、大和の宇陀野
もそうですね。不思議かもしれませんが禁野と書いて”しめの”と呼びます。

袖振るというのは女性から誘う行為として受け止められています。私はいつも首を振られています。

1266トキ:2012/09/26(水) 18:41:49 ID:moBAhXPY
>>1261
>>1263

 この投稿に引用されている掲示板については、トキ(=管理人)は一切関与していません。

 「したらば」に問い合わせをしますので、しばらくアクセスをしないで下さい。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1267トキ:2012/09/26(水) 18:52:28 ID:moBAhXPY
 ごめんなさい。

 1261 と 1263 は、事情がよくわからないので、しばらく削除します。
この掲示板を運営する「したらば」様より、返答があったら、再度、アップ
します。宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1268うのはな:2012/09/26(水) 19:01:16 ID:4rq1UWDw
>1267
どさくさにまぎれて出てきました。わたしも急にリンク貼ってあったので
びっくりしました。でも、せっかくだから、これから、松下奈緒さんの「ありがとう」
ピアノ曲か、なにか歌を貼ります。

 高尚な話を遮断してしまい、申し訳ありません。

 山ちゃん、わたしは首を振ってないですよ(笑)
 そっちが、手を振ったんでしょう(笑)

 それでは、このスレから失礼します。

1269うのはな:2012/09/26(水) 19:02:28 ID:4rq1UWDw

 って、アクセスしないでくださいってことですね。わかりました。

1270トキ:2012/09/26(水) 19:06:20 ID:moBAhXPY
 引用されていたアドレスは、見たところ、この掲示板のアドレスとほぼ同じで、後にいくつかの枝番号が
あります。たぶん、携帯電話などで見やすいようにカスタマイズしてもらったものとは思いますが、何ぶん、
事情がわからないうちは、公開をひとまず止めます。したらばを運営するライブドア様に問い合わせ中ですの
で、その返答を待って、再度、お知らせします。

 あの、もし、あのアドレスについて、ご存知の方はご教示をして下されば嬉しいです。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1271アクエリアン:2012/09/26(水) 19:11:56 ID:e46IJOpo
>>1256

志恩様

コメントありがとうございます。

1272アクエリアン:2012/09/26(水) 19:15:27 ID:F2iFe02Y
>>1250

生長の家の法燈継承者の第一の仕事とは、何でしょうか。

云うまでもなく、開祖谷口雅春先生の、執筆されたご文章を、すべて漏れなく、この現象世界に残し、より多くの人に、読んでもらう、ということでしょう。

現在の、「法燈継承者」は、これとは、正反対のことをやっていますね。

何やかやと、まったく理解できない、言い訳を作って、雅春先生のご文章を、信徒や、一般の人たちの目に触れることができないように、読むことができないように、画策しているようにしか思えないのです。

信仰者の姿勢、態度として、あのオウム真理教信徒よりも、はるかに劣るのではないか。

オウム信徒でさえ、教祖逮捕後、教祖のすべての説法を、人類のために、真理、宇宙の法則として、残さなければならないという、使命感のもとに、「ファイナルスピーチ」を作ったというのに。

オウムの説法の内容は別として、このオウム信徒の教祖への信仰心こそ、本来の、あるべき信仰者の姿勢でしょう。

現在の自称「法燈継承者」様に、決定的に欠けているものこそ、開祖谷口雅春先生に対する信仰心 ではないでしょうか。雅春先生へのリスペクトが、決定的に欠けていると私は考えています。

1273goro:2012/09/26(水) 20:16:55 ID:Cc8Z7oOY

>>1265 やまちゃん様

気になったので調べてみました^^;
標野については一般人の立ち入るを禁止する区域を標(しめ)で囲った。
とありましたので禁野も同じ読みと意味なのですね。


御覧の皆様の御参考に「万葉集入門」より。しばし万葉気分に浸りました(笑
"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""
天皇の、蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)したまひし時に、額田王の作れる歌

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る

巻一(二十)
………………………………………………………………………………………………………………
茜色の あの紫草の野を行き その御料地の野を歩いてるとき 野の番人は見ていないかしら
ああ あなたそんなに袖を振ふらないでよ
………………………………………………………………………………………………………………

この歌も国語の授業などで必ずといっていいほど習う有名な一首ですね^^

ただ、学校の授業ではここで掲載した大意そのままの意味に解釈されて、
正確な意味はあまり教えられることはないかと思います。
(まあ、学校の先生も万葉集の専門家ではないですから、それは仕方がないですが・笑)

現代の感覚からいうと、男性が自分に向かって袖を振っているからといって、
なぜそんなに人に見られたら困るのかちょっとわかりにくいですよね。

じつは「袖を振る」とは、この時代の呪式のようなもので、恋しい人の魂を自分のほうへ引き寄せるように、
おいでおいでと袖を振る恋の仕草のことなのです。

つまり現代人が手を振るような軽い意味ではなく、この時代では明らかな求愛の仕草なのですね。
しかも、額田王(ぬかたのおほきみ)はこの時点では天智天皇の妻ですが、
実は以前はこの歌で袖を振っている大海人皇子(天智天皇の弟)の妻でもあって一女をもうけているのです!!

どうもこのあたりの関係がよくわからないのですが、とにかく今は兄の天智天皇の妻である額田王に、
かつての夫である弟の大海人皇子(おほあまのみこ)が隠れて求愛しているという非常に興味をそそられる一首ですね。

いや、実をいうとこの歌は宴席での戯れ言の応酬歌なのだそうですが、
そのあたりについてはまた大海人皇子が答えて詠んだ次の歌で解説させてもらいますね(笑)

1274goro:2012/09/26(水) 20:17:33 ID:Cc8Z7oOY

"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""
皇太子の答へませる御歌〔明日香宮に天の下知らしめしし天皇、謚(おくりな)して天武天皇にといふ〕

紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも

巻一(二十一)
……………………………………………………………………………………………………………………………
紫草のように香れる君がもし憎かったなら いまは兄の妻の君を どうして恋い慕うことがあるものか
……………………………………………………………………………………………………………………………

この歌は先に紹介した額田王の「あかねさす…」の歌に答えて大海人皇子(おほしあまのみこ 後の天武天皇)が詠んだ歌です。
この二首はセットになっているので、必ずといっていいほど一緒に紹介されますね^^

まあ、歌の意味をそのままに取るなら、いまはもう兄の妻になってしまったかつての妻(これ自体すごい話ですが^^;)に、
「君をいまでも慕っているのです」と求愛する危険な恋の歌ですが、前回も述べたように実はこの二首は宴席での戯れに詠まれた応答歌のようですね(笑)

そもそもこの歌を詠んだ時点での額田王たちは、すでにこの時代のかなりの高齢で、
おじいさん、おばあさんだったようです(笑)

しかもその席には額田王のいまの夫である天智天皇もいただろうといわれているのですから、
目の前でこんな戯れ歌を詠えるというのは逆にこの3人の信頼関係の深さのようなものを感じられなくもないのかな(と勝手に想像)

まあ、実際のところは当人たちにしかわかりませんが、そうでなくてはこんなヤバイ人目を忍ぶ歌が後世に伝えられているわけがありませんよね。

1275アクエリアン:2012/09/26(水) 22:05:22 ID:pNx5eJ1Y
>>1272

人類光明化運動のために、谷口雅春先生の教えを、プロパゲイトする、つまり、SAKURA様のかつておられた、創価学会の言葉を使えば、広宣流布するということが、生長の家の法燈継承者としての、第一の仕事でなければならないのは云うまでもないことでしょう。

この使命を自覚されていないのが、現在の自称「法燈継承者」様ということなんですね。

法燈継承者としてのやるべき仕事をやらない人が、居座っているというのが、現在の根本問題でしょう。

和解などという考えが、そもそもピント外れだと思います。

開祖への信仰者のない人、リスペクトのない人は、一刻も早く退くべきです。

1276SAKURA:2012/09/26(水) 22:08:34 ID:jH5uEFzM
アクエリアン様 ヘ

こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
こちらこそ…“お返事”頂きました事に、大変恐縮しております…。
(遅くなりましたが?お訊ねしたい事が〜〜〜あります。)

>>1250>>1272の“投稿”から〜♫〜
■>しかしながら、期待外れというのでしょうか、何か、根本的な部分、価値観、が、
生長の家の価値観と異なるのではないか、そんな気がしてきたのです。<   (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

❤〜先ず!お訊ねしたい事は?上記の文章にて【生長の家の根本的な部分、価値観】……
この事に関しまして、具体的なお話を頂きますと…幸いです。…が??

■>生長の家の法燈継承者の第一の仕事とは、何でしょうか。
云うまでもなく、開祖谷口雅春先生の、執筆されたご文章を、すべて漏れなく、この現象世界に
残し、より多くの人に、読んでもらう、ということでしょう。<  (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

❤〜 この中の【この現象世界に残し、より多くの人に、読んでもらう、ということでしょう。】…
なのですが〜〜〜?失礼ながら…【より多くの人に、読んでもらう…?】
その後は、如何なのものに、なるのでしょうか?

果たして『現総裁雅宣先生』が、おっしゃいます様に……私もと〜〜〜
【読む事?】【読んで理解する事】この相違は、どの様にお考えでしょうかしら〜〜〜ン?
そして【読む事…】これだけで…【魂の向上】が、ありますのでしょうか?
あるとしましたら“具体論”頂きますと…幸いです。…が??

❤〜【読む事…】これだけで【魂の向上】その様に解釈??なのでしょうか〜〜〜?

■この件は【雅春先生…】も「現総裁雅宣先生」と同じ事をおっしゃいました文章を、
見ました記憶が?ありますのですが〜〜〜??? 
再合掌

PS:
そして【魂の向上…】この事は?当然【人格…】にもつながりますが?
人への【批判・中傷論】この事が、果たして“人格論”に繋がりますのでしょうか?
今回…私もしっかり「タタカレ〜♫」でしょうか??【現総裁先生…擁護派一人】ですが???

1277SAKURA:2012/09/26(水) 22:45:31 ID:jH5uEFzM
アクエリアン様 ヘ

こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1250>>1272>>1275の“投稿”から〜♫〜

それに関しましての>>1276の“SAKURA投稿”の 続きなのですが〜〜〜

■> 創価学会の言葉を使えば、広宣流布するということが、生長の家の法燈継承者としての、
第一の仕事でなければならないのは云うまでもないことでしょう。< (一部抜粋文)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

❤〜【広 宣 流 布】 この事は、ごもっともと思います。…が?
この「運営・組織体制…」に関しましては???
『現総裁雅宣先生…』から、始まったモノではないものと、思います。…が?

今回の「生長の家…お家騒動」に於きまして
『分派…「学ぶ会」「靖国見真会」「ときみつるかい」…』この時代からでも、ありますのです。
…が?つまりは………
■【長い間の組織体制・運営体制…】この事自体が、原因ではと?思います。

■【人 数 !! 人 数 !!】この強化方針をなさったのが…
十数年前の??「全国白鳩会会長であられました当時の千葉出身の白鳩会会長」と?
お聞きしました事が、ありますのです。…が?勿論それに賛同されました『理事会にも責任』…と?

更に「2代目総裁清超先生…」の時代から【当時の理事会…】は、清超先生の“声”にも?
果たして、当時の【理事会・本部職員・幹部…方々】は、耳を傾けられていらっしゃいました
のでしょうか??少なくとも「原宿本部」にての…或る行事の出来事ですが?
「亡き先生」が、冒頭に「理事会が〜〜〜」と一言おっしゃいました“言葉”は、
印象的です。…が?(勿論…パ−トナ−の筆談によります。)

従いまして【生長の家の法燈継承者】この条件に関しましての【評価…】に関しましては、
私自身、疑問点があります。…が?
❤〜ようやく、【今!!始まったばかりでは??】その様に解釈しています…。
(当時から…内部にての派閥が、かなりあるモノとお聞きしています。が…???)

補足としまして、【創価学会の池田会長】が、現在の“学会の状態”にまで、到達するには、
私の記憶では、あの『御本尊…』に関しましても【多難なる時代…】がありまして、
当時の大変な状態からの【脱出??】
現在に至るまで……『十 数 年 !!』かかりました記憶が、あります。

この件も含めまして…どの様なる“お考え”が、あられますのでしょうか???
■【即 決!!】なのでしょう〜〜〜か??
                                     再合掌

1278アクエリアン:2012/09/26(水) 23:09:46 ID:u/M3Z9Ow
>>1276

SAKURA様

コメントありがとうございます。


>*〜先ず!お訊ねしたい事は?上記の文 章にて【生長の家の根本的な部分、価 値観】…… この事に関しまして、具体的なお話を 頂きますと…幸いです。…が??

やはり、歴史観でしょう。

池田大作氏とも対談されたことのあるイギリスの歴史家トインビーは、歴史の研究最終巻「歴史家の霊感」のなかで、次のように述べています。

ーーーーーー

歴史家の視角

人びとは、なぜ歴史を研究するのか。 この問いを個人に即して言えば、本「研究」の 筆者は何故、子供の時分から歴史を学び、今完 結しようとしているこの本に三十年もの歳月を 費やしたのか。 歴史家は天性のものなのか、それとも造られる ものなのか。 歴史家はいずれも自己の経験に基付いてものを 言うであろうから、この問いに対してそれぞれ 独自の答えを持っているであろう。 「意見は十人十色」Quot homines, tot sententi ae(テレンティウス「フォルミオ」第二幕第四 場十四行)であって、各人が自分の意見を述べ なければならない。 本「研究」の筆者個人の答えは、歴史家は、幸 いに人生に一つの目標をもち得た他の人間と同 じく、「神を追い求め、神を見いだすように」 (「使徒行伝」第十七章第二七節)という神の呼 びかけのうちに自己の使命を見出したのである 、というのであった。 もしこの個人的な答えが読者に好意をもって 迎えられるならば、それはまたおそらく、われ われが最初に掲げた問いのなかに暗に含まれて いるもう一つの問いに答える助けになるであろ う。

われわれはいきなり、われわれは何故歴史を研 究するのか、という問いから始めたが、まず歴 史ということによって何を意味するか、という ことを問うべきであったのである。やはり個人 的経験から自分一個の意見を述べるにすぎない が、筆者は、歴史とは、誠実に神を追い求める 魂の活動に於いて自己を顕示する神の姿ーーそ れはおぼろげで、部分的なものではあるが、そ の限りに於いて紛れもなく真実の神の姿ーーを 見ることであると答えたい。「神を見た者はま だひとりもいない(「ヨハネによる福音書」) 」し、われわれの見るどんなに明瞭な姿も神の 「断片的な光」にほかならないからにして、職 業の数だけ異なった視角があり、歴史家の視角 は、異なった才能と異なった経験をもつ魂が、 「想像を絶して巨大なみわざ(ゲーテ「ファウ スト」)」の異なった断片を通して見られる神 の異なった部分的な姿を捉える、多くの異なっ た視角の一つにすぎない。歴史家の視角のほか に、天文学者の視角、物理学者の視角、数学者 の視角、詩人の視角、神秘家の視角、預言者の 視角、聖職者の視角、行政官の視角、法律家の 視角、軍人の視角、船員の視角、漁夫の視角、 猟師の視角、羊飼いの視角、農夫の視角、職人 の視角、技術者の視角、医師の視角がある。こ のように列挙してゆけば何ページにも及ぶであ ろう。人間の職業は数多く、種々さまざまであ り、そのおのおのが与える神の姿は狭く微かな ものであるからである。歴史家の視角は、これ ら無数の視角のうちの一つにすぎないが、それ は他の視角と同じように、人類の漸次的な実在 認識に対して独自の貢献をする。

歴史の貢献は、人間の経験では六つの次元を 示す枠のなかで進行する、神の創造活動のヴィ ジョンを与えることである。歴史的視角は、物 理的宇宙が”時間・空間”の四次元の枠のな かで遠心的に動き、地上の生命が"生命・時間 ・空間" の五次元の枠のなかで進化的に動き、 さらに精神を賦与されて第六の次元に高められ た人間の魂が、その精神的自由を宿命的に行使 して、創造者に向かって、或いは創造者から離 れて動いてゆくありさまを示す。

ーーーーーーー

特に感銘を受けたところは、
「歴史の貢献は、・・・・・神の創造活動のヴィジョンを与えることである。」という考えです。

大東亜戦争の意義は、トインビーが、述べているように、神意の表れ、催し、という観点から、捉えないと、その真の意義というのが、分からなくなると思います。
谷口雅春先生は、大東亜戦争の宗教的意義の観点から、お説きくださっていますでしょう。
現総裁の、単なる国際法の視点からの解釈では、深いところの意義は、分からないでしょう。

1279アクエリアン:2012/09/27(木) 17:40:57 ID:gB.jQ6tU



SAKURA様

>失礼ながら…【よ り多くの人に、読んでもらう…?】 その後は、如何なのものに、なるので しょうか?

果たして『現総裁雅宣先生』が、おっ しゃいます様に……私もと〜〜〜 【読む事?】【読んで理解する事】こ の相違は、どの様にお考えでしょうか しら〜〜〜ン? そして【読む事…】これだけで…【魂 の向上】が、ありますのでしょうか? あるとしましたら“具体論”頂きます と…幸いです。…が??

*〜【読む事…】これだけで【魂の向 上】その様に解釈??なのでしょうか
ーーーーーー

中島省治谷口雅春先生を学ぶ会代表は、次のように述べられています。

ーーーーー

教団創始者・谷口雅春先生の御 本を、法燈継承を自認する者と言 えども、ましてや谷口雅春先生の 御意思で設立され、文書伝道の聖 なる使命をもつ日本教文社が重版 停止などできる道理はない。

ーーーーー

文書伝道こそ、生長の家の伝道の、最も特色とするところでしょう。

生命の実相第一巻実相篇には、次のように書かれています。

ーーーーー

月々出ている「生長の家」誌および「生命の実相」を読むだけで病気のなおる病気がある事実は何を意味していましょうか。・・・・

わたしが思いますのに月刊の「生長の家」を本当に心読してくだされば、ほとんどどんな病気でも治ります。・・・・・

これらの刊行物は初めから終わりまでただひとつの目的ーー「真理」すなわち「生命の実相」を説き明かして、これを皆さんが覚ってくださることによって肉体的にも境遇上にも健康になれるように苦心して編集してあるのです。

ーーーーーー

これで、私が、ひとりでも多くの人に谷口先生のご文章を読んでもらうことが生長の家の伝道の特徴とするところだという理由が分かっていただけたと思うのですが、どうでしょうか。

勿論、 SAKURA 様が、以前書かれていたようなお考えも考慮にいれなければならないとは思いますが、あくまでも、根本は、谷口雅春先生のご文章でなければ、生長の家ではなくなるのではないでしょうか。
次のように書かれていますね。

ーーーーー

創立者「谷口雅春先生の言葉」難し〜 〜イ><と… 現代国語になりまして【当用漢字…】 指定の漢字?言葉の表現?が変わって きまして 更に「若者の日本語」??理解しがた いのですが…?

「70歳代〜80歳代の方々」ですら、 おっしゃつていますのです〜〜ョ! 【日本語…難し〜〜〜イ!】 ましてや、今の若者“心悩めるモノ”此 の方々の“ハ−ト”・ 【現代風の表現…エッセンス的なも の】が必要ではないでしょうか??
ーーーーーー

それでは、谷口雅宣総裁の、ブロクの文章を読んだり、ご著書を読んだりして、病気が治ったり、運命が好転したりという奇跡が起こったということがあるのでしょうか。

まあ、こういうことが起こせるような霊的能力をお持ちなら、生長の家にとどまる必要などないと思うのですが、とどまる限り、やはり、第一のものを第一にしなければならないと思います。

創価学会が、日蓮聖人の御書をいまだに講義しているのは偉いなあと思っているのですが、
http://www.sokanet.jp/kaiin/kyogaku/e-kogi/201209.html

谷口雅春先生のご文章をないがしろにしている、現在の生長の家は、こういう姿勢は見習うべきでしょう。

1280SAKURA:2012/09/27(木) 19:32:19 ID:jH5uEFzM
アクエリアン様 ヘ

こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1276>>1277の【SAKURA…】の投稿に関しまして〜〜〜
昨日>>1275>>1278>>1279の「アクエリアン様…」の“投稿のお返事”を頂きました事に、
感謝申し上げます。

今“パソコン”を、オ−プンましたので…もう少し致しまして、
【 ロ−マ字のSAKURA 】の感じました事を、投稿させて頂きま〜〜〜す…。
頼りない〜〜“お返事”かもしれませんが???

❤〜 尚!昨日の【ジョンレノン??】ではありませんでしたが〜〜〜><
素敵な〜素敵な〜「イマ―ジン〜♫〜」のプレゼント………
ありがとうございます…。
余りにも?素敵な【ボディ−……マドンナ】ですから“鏡…”とにらめっこ><
私は?と言いますと【迫力満点??】かしら〜〜〜ンと、
知人が〜〜何時も〜〜“痩せると〜”>< 今回も【Tub…】を紹介しますと?
『痩せると〜❤似てる〜❤』との…“メッセ−ジ”頂き?落ち込み気分【SAKURA】で〜〜〜す。

いまから私の【ダイエット…物語???】
当に〜〜〜「心の法則…… イメ―ジ・トレ−ニング」にて、
積極的なる思考・精神力よりも……「セルフ・イメ―ジ…」しっかりと……
今回〜❤〜触発〜❤〜 させられましたかしら〜〜〜ン  ウフフ
                              
再合掌

PS:
それでは?後程…“投稿”させて頂きま〜〜〜す…。

1281SAKURA:2012/09/27(木) 22:30:37 ID:jH5uEFzM
アクエリアン様 ヘ

こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1276>>1277の【SAKURA…】の投稿に関しまして〜〜〜
昨日>>1275>>1278>>1279の「アクエリアン様…」の“投稿のお返事”を頂きました事に、
感謝申し上げます。(遅くなりまして…ごめんなさい。)

■  歴史家の視角    イギリスの歴史家トインビ−
>まず歴 史ということによって何を意味するか、という ことを問うべきであったのである。
やはり個人 的経験から自分一個の意見を述べるにすぎない が、筆者は、歴史とは、誠実に神を
追い求める 魂の活動に於いて自己を顕示する神の姿−−それはおぼろげで、部分的なものでは
あるが、そ の限りに於いて紛れもなく真実の神の姿−−を 見ることであると答えたい。
「神を見た者はまだひとりもいない(「ヨハネによる福音書」) 」し、われわれの見るどんなに
明瞭な姿も神の 「断片的な光」にほかならないからにして、職 業の数だけ異なった視角があり、
歴史家の視角は、異なった才能と異なった経験をもつ魂が、「想像を絶して巨大なみわざ
(ゲ−テ「ファウ スト」)」の異なった断片を通して見られる神の異なった部分的な姿を捉える、
多くの異なった視角の一つにすぎない。< (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
❤〜以前……アクエリアン様が紹介して頂きました書籍…
【 コリン・ウイルソン…その人と思想の全体像 】その中でも…【第6章 オカルト】を…
教えて頂きました…。その時から「神?…霊感?…霊界?…」
この【関係…】が??私の“興味…”を、そそる事となりました。かと〜〜〜
これに関しましては、特に「イギリス…」歴史上に於きましては…信じられな〜〜〜イ!><
本当に、目を見張るものが在りますのでしょうかと???【勉強中…霊界通信…】

■>人間の経験では六つの次元を 示す枠のなかで進行する、神の創造活動のヴィ ジョンを
与えることである。歴史的視角は、物 理的宇宙が”時間・空間”の四次元の枠のなかで遠心的に動き、
地上の生命が"生命・時間 ・空間" の五次元の枠のなかで進化的に動き、 さらに
精神を賦与されて第六の次元に高められた人間の魂が、その精神的自由を宿命的に行使して、
創造者に向かって、或いは創造者から離れて動いてゆくありさまを示す。<一部抜粋
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
❤〜「神…バイブル?…そうしますと…」…最終的に【真理】に至りますでしょうか???

但し「霊の世界…」地上生活にての体験が、死後の世界に於きまして反省なる課題として与えられ、
その後、ますますと自分の成長を促進させる事を【指導霊・高級霊の導き…】によりまして…
その「魂の向上」へと…いくのでしょう〜〜〜かと!思います…。
■ ■ その事を可能にするのが【愛〜❤】でしょうかと…【魂 の 向 上 へ 繋 が る】

これは「別のボ−ド」にて■「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2
【SAKURA投稿…ジュリアの霊界通信】から【愛…絶対の愛】という事が 、理解出来ました。が?

■この事は…「生長の家…」の教義の一つ…【神 は 愛 な り】……
本当に、そうなのです〜〜〜ョネ!そして…

■>天文学者の視角、物理学者の視角、数学者 の視角、詩人の視角、神秘家の視角、
預言者の 視角、聖職者の視角、行政官の視角、法律家の 視角、軍人の視角、船員の視角、
漁夫の視角、 猟師の視角、羊飼いの視角、農夫の視角、職人 の視角、技術者の視角、
医師の視角がある<( アクエリアン様の投稿…一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
❤〜その「霊界の世界」にて…
出会った霊魂からの色々な体験(これが…多々なる「視角…」となるのでしょうか)を、
折りにふれる事から、お互いに【精神向上の過程】により、まず“栄養成分”として…
お互いに「協力関係…」になりまして、更なる「次の世界…」へ行くのでしょう〜〜〜かと?

こうしていきますと……「秘 密…?」ウフフ
❤〜〜【永遠の魂〜〜〜生命は永遠〜〜〜】という事になりますでしょうか???
                                 再合掌

PS:時間の合間にて、『続き投稿』を、させて頂きますので〜〜〜

1282菊池風磨:2012/09/28(金) 08:42:07 ID:SYyxbZaw
[※ これを全部読んだら願いが叶います。祈ってください。

菊池風磨の境界性人格障害は心の余裕が無くキレやすい。激しい怒りの感情をコントロール出来ない。物事を勝ち・負け でしか考えられない両極端思考。見捨てられる事に不安を感じている・自己否定されると自己防衛の為に相手の評価を下げる。フられるとストーカーになる。常に精神状態が不安定・情緒不安定。変な人・性格が悪い人と思われる。気が付くと周りから人が居なくなる。周りの人を振りまわす。嫌われたと思うともっと嫌われる様な事をする。会話が成立しない。コミュニケーションが下手。落ち着きが無い。気分によって態度がコロコロ変わる。フられるとリストカットをして気を引こうとする。アダルトチルドレン。トラブルになりやすい。自己中心的。自殺率が高い。繊細で傷付きやすい。幼少期に虐待されていた。人の意見を真に受けやすい。人との意見の違いに怒りを感じる。感情のコントロールが出来ない。などの症状が有ります。

この文章をコピーして2ちゃんねるの掲示板に10回貼り付けないと願いと逆の事が起こります。 ]

1283菊池風子:2012/09/28(金) 09:48:11 ID:???
>>1282
ここの掲示板に登場してはるお人、そんなんばっかしや・・・・・・・

1284アクエリアン:2012/09/28(金) 18:32:05 ID:3vWBqT4M
SAKURA様

コリンウィルソンのオカルトを勉強されているとのこと、私もうれしいです。

それと、いま、何かとさわがれているマドンナの歌のコメントをいただき、ありがとうございます。

マドンナの活動は、世界に影響を与えていますね。

カバリストとしてのマドンナは私には魅力的な存在です。これからも注目していきたいです。

コリンウィルソンのオカルトの思い出を、大瀧啓裕という人が書いておられます。
その一部をここに紹介させてもらいます。

ーーーーーー

コリンウィルソンという作家は、著書でさまざまな書物を紹介するのが魅力のひとつになっている。「オカルト」の場合は椀飯振舞きわまった感がするほどで、X機能にからめて西洋神秘思想を歴史的にたどった内容ともあわせて、七十年代のオカルトブームの原動力であったことはいまさら申すまでもなく、その意味でひとつの時代を象徴する書物といえよう。

小学生最後の年にまったく偶然からマエストロ澁澤を発見して以来、ぼそぼそとオカルティズムの世界を探っていた私にしてみれば、コリンウィルソンが「オカルト」で扱う万巻の書物は干天の慈雨に等しく、干魃にあえぐ大地から驟雨を呑み尽くすように、注文しては読みふけるという熱い日々のつづいたことが、いまでもあざやかに思いだされる。

ーーーーーー

私も似たような経験があるので、なるほどそうだったなあと、
共感をもって読みました。

西洋神秘思想の歴史を学ぶのに、これほど面白い本はほかにはないのではないか、そんな思いにさせてくれる本ですね。

コリンウィルソンの代表作とも云える本だと思います。

この本とは、これからも一生付き合っていくことになりそうです。

1285SAKURA:2012/09/28(金) 23:55:55 ID:jH5uEFzM
アクエリアン 様 ヘ

こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1284の“アクエリアン様…投稿”から〜♫〜
>>1281の【SAKURA…】の投稿に関しまして〜〜〜“お返事”ありがとうございます…。
(大変遅くなりまして…ごめんなさい。)

❤〜 【コリンウィルソン…その人と思想の全体像】この中のオカルト……
実は?今日の“ネット・ニュ−ス”にて……“オモシロイ”事が、目に留まり?御存じでしょうか?

■【ハリ−・ポッタ−シリ−ズ】…イギリスの女性作家?の事ですが〜〜〜♫
この中での、【スト―リ!】なのですが… 考え込んでしまいました。…が?
「アクエリアン様」の紹介して頂きました書物から?更に“連想ゲ−ム”を致しますと??
今、振り返り、思いますと……><【海外の映画…】
日本で言います“オカルト=恐怖・怪奇”と言いますよりも、その根底には、
【霊の世界…哲学論…】が、あるモノと【再発見…】です…。

■こうなりますと【生命は永遠〜〜私どもは霊〜〜従いまして〜〜“永遠の旅”が始まる!】かと?

それを映像化します時に、多少の“インパクト”が……必要?で、あの様な形となったのでしょうか?
それにて、今までの【オカルト映画…海外版】の見方が〜〜その捉え方が、全て…
“一変”してしまいましたのです…。一番!恐怖?あの「エクソシスト…」で〜〜〜すが><

ここで「雅春先生」も「生命の実相…永遠なる生命」この事は「雅宣現総裁先生」も同様に……

例えば…椅子が飛揚するとか?人が消えるとか?この事は【霊界通信…】にての参考として
でしょうか?海外の場合は、多々なる【事実・実験…】に、よりまして…かと???
今!まだ【勉強中…】ですが?
そして、この「霊の世界」にての、【魂の向上…永遠なる生命…】に向けては、果たして?何が?
必要かと??考えていますと……勿論「絶対なる愛」と言えますかと??
これは「人格…」から生じますもので…では具体的には???
更に【心…意識】この関係が【心の法則…】に至るのでは・・・その様に思います。…が?

■この【心の法則…】に関しましては、
「人生は心で支配せよ…雅春先生著」更には、「心でつくる世界…雅宣先生」にて、
共通なるモノを、私どもに導いて下さっている事に、新たに【感謝…】申し上げる次第なのです。
                               再合掌

PS: 参考まで??如何でしょうか??
■「ハリ−・ポッタ−」の作者J・K・ロ−リング…関しまして…
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120928-00000024-it_ebook-sci
そして、素敵な【書籍…紹介】に、「アクエリアン様」に、感謝申し上げます…。

1286SAKURA:2012/09/28(金) 23:57:42 ID:jH5uEFzM
アクエリアン 様 ヘ

こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1281>>1285の【SAKURA…】の投稿に関しまして〜〜〜続きなのですが?

■> 西洋神秘思想の歴史を学ぶのに、これほど面白い本はほかにはないのではないか、
そんな思いにさせてくれる本ですね。<  (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

この事は…本当にそうです〜〜〜〜ネ!
私も人生に於きまして【長〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜イ!お付き合いの“書籍”】になりそうです。
ありがとうございます…。

■ 余談ですが…【カバリスト…】タロット〜〜〜?
私も、よく致しま〜〜〜す。意外と“当たる確率…???%”なのです。
                                 再合掌

1287アクエリアン:2012/09/29(土) 09:40:11 ID:dWADrjxM
SAKURA様

紹介していただいた、

「The Casual Vacancy ソーシャル読書会」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120928-00000024-it_ebook-sci

このオンラインでの読書会、なかなか面白い企画ですね。

この web誌友会と似ていますね。

今後、このような企画が増えてくるように思います。

この読書会を企画している、
フライングラインという会社の理念を転載させてもらいます。
なかなか力強い文章です。
確かに、本には、その人の人生を変えてしまう偉大なる力があります。

http://www.flyingline.co.jp/s/mission/

Mission
Boost the Book Power

本には力がある。

それは、人を行動へと駆り立てる智恵や勇気で あり、楽しみや安らぎを与えるエンターテイメ ントであり、作り手が込めたものだ。

本の力は人に触れられて初めて解放される。

書店で、図書館で、友人に薦められて。

しかし、本に本来の力を発揮させるのは結構難 しい。

全ての本が全ての書店に並ぶ訳ではない。図書 館も然り。

まずは本の存在を知ってもらう必要がある。

その本を必要としている人に情報を伝える。

情報さえ手に入れば、流通の発達した現在、そ れを手に入れることは比較的容易だ。

私たちの使命は、本の情報を必要としている人 に伝え、その力を解放し加速することだ。

時代とともにメディアは変遷していく。

岩壁、木簡、パピルス、羊皮、紙、デジタル、 本の形は変わっても、そこに込められる力は変 わらない。

いや、可能性を増してさらに加速していく。

私たちのもう一つの使命は、その先頭に立っ て、新たな本の可能性を追及することだ。

1288a hope:2012/10/01(月) 11:26:17 ID:r8H4x9xE

<第7回WEB誌友会予告>

≪日時≫10月12日(第2金曜日)21:30より
    10月14日(第2日曜日)23:30まで
≪テキスト≫『生命の實相』第1巻「實相篇 光明の真理<上>」の残り全部、P167〜P219
≪内容≫ 第6章「愛と真理によって更生せよ」・第7章「『生長の家』の超生理学」


みなさま、おはようございます。
みなさまの所は、昨晩の台風は大丈夫でしたか?

10月に入りましたので、ここで一度、復興Gさまが、先月貼ってくださった、
web誌友会の予告を再度貼らせていただきます。

昨晩、今回の内容である第6章「愛と真理によって更生せよ」を久しぶりに読み返したのですが、感動の連続でした。
生長の家の愛である、赦す愛、自他一体の自覚なんかが詳しく説明されています。

p183「無知無明」のところに、有名な釈迦の教えである『知らずに犯した罪、と知って犯した罪』のお話が紹介されていて、

『つまり「真理を知らぬ」ということは、あらゆる罪の源になる大きな罪(包み)であって、
この大きな「包み」に包まれて、真理の光線が心の中に入り込まないから、
その暗闇の中でいりいりとありもせぬ怪物が心の迷いではびこる
―――この怪物の中に、病気とか、不幸とか、不和とか、家庭くとか、
生活難などといういろいろの一つ目小僧や、三つ目小僧や、大入道がいるのであります。・・・・・』

とように解説されています。

つまり、わたしたちは、聖典「生命の實相」をちゃんとお勉強して真理を知れば、
真理の光線が心の中に差し込んで、あらゆる人生苦から解放されるのですよね!

生長の家の問題にしても同じなのではないかと思いました。
聖典「生命の實相」にすべての答えが書いてありますものね。
わたしたち一人一人が、その真理を魂で理解して、いかに実践していくのかが大切なように感じました。

それでは、わたしの愛する「生長の家」のみなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしください!

1289a hope:2012/10/01(月) 11:33:45 ID:r8H4x9xE
>>1288 訂正
下から11行目

その暗闇の中でいりいりとありもせぬ怪物が
  ↓
その暗闇の中でいろいろとありもせぬ怪物が

失礼しました。a hope は今日は遅番です。
それでは、みなさま行ってきま〜〜す!!

1291SAKURA:2012/10/01(月) 16:36:27 ID:m1q2iwKA
アクエリアン様 ヘ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1287“アクエリアン様の投稿”から〜♫〜

■フライングラインという会社の理念を転載させてもらいます
>まずは本の存在を知ってもらう必要がある。その本を必要としている人に情報を伝える。
情報さえ手に入れば、流通の発達した現在、そ れを手に入れることは比較的容易だ。
私たちの使命は、本の情報を必要としている人 に伝え、その力を解放し加速することだ。
時代とともにメディアは変遷していく。岩壁、木簡、パピルス、羊皮、紙、デジタル、 本の形は
変わっても、そこに込められる力は変 わらない。いや、可能性を増してさらに加速していく。
私たちのもう一つの使命は、その先頭に立っ て、新たな本の可能性を追及することだ。<(抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

とても素敵な“理念…の言葉”ありがとうございます…。(遅くなりまして…)
この中で……
❤〜>【時 代 と と も に メ デ ィ ア は 変 遷 し て  い く。!!】
岩壁、木簡、パピルス、羊皮、紙、デジタル、 本の形は変わっても、
そこに込められた力は変わらない。……云々……<

此処の言葉は特に…現在の【生長の家…】の状況を、如実に現しているのでしょうかとも?思います。
ですから、逆に言いますと【時代とともに「生長の家…」も?体制・方針・組織…etc】 考え直す
分岐点でしょうか??
そして、【そこに込められる力は変わらない。】この事は…そうです〜〜〜ョネ!
【教義…つまり真理】は普遍という事でしょう〜〜〜か?
但し…【メディア=表現手段の相違…】がありましょうとも???かしら〜〜〜ン

今この国!日本は「21世紀になりまして…ソ−シャル・メディアヘの関心はますます、増加の
一方ですが、但し使い方によっては?その影響力が…多大な面もありますでしょうか?
特に“ネット”での“言葉の暴言…”とかは??ある面は、表現力の難しさを、感じます。…が?
ある面は、その認識を踏まえましての【伝道…】が必要でしょうか?

最後に【オンライン読書会…】私は??【原書…】も可能ということは、世界の距離感が、
身近に感じさせられますでしょうか??私の場合は…【日 本 語】専門?で〜〜〜す。(微笑)
「アクエリアン様」は、語学力が〜〜〜すごいですもの???
                                再合掌
PS:
余談ですが…【乱立??投稿??】お好きな様です〜〜〜ネ!
【超〜〜〜マジメ派】なのです。…?【ローマ字のSAKURA】 なのですが〜〜〜後程 ???
“オモシロイ”モノを??発見しましたので…(微笑)

1292SAKURA:2012/10/01(月) 16:41:35 ID:m1q2iwKA
トキ様 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■あわてて“投稿”してしまいましたので…ネーミング【SAKURA…(大文字)】でした。
>>1290をデリートお願い致します…。

お忙しい処を、何卒よろしくお願い致します…。    再合掌

1293さくら:2012/10/01(月) 20:26:07 ID:X6nuajHI
本流掲示板>1883

復興G様

合掌ありがとうございます。

復興G様、お言葉を頂き、ありがとうございます。

わたしはいま…復興G様には、申し訳ない気持ちを感じています。
…それは、わたしの想いの中でですので、うまくお伝えできませんが…。

復興G様は、ここにいる信徒に、web誌友会などを通して、学びの機会を常に、公平に、与えて下さいました。
心をこめた言葉が届かないとき、胸がいたいことはなかっただろうか…そのような想いもあります。

申し訳ありませんでした…。

わたしはただ、生長の家で無条件で救われました。
それは、ほんとうに、無条件で、救われていました。
…どんなに、間違えて、どんなに迷っていても、とにかく、どこまでも、許されていました、
…いまは言葉が他に見つからないのですが…。


先日、何気なく歩いている時、大調和の神示が口をついてでて、…その内容には改めて驚くような気持ちがしました。
いつも読んでいるのに、涙が出てきました。

復興G様、お言葉をありがとうございます。大切にします。

そして、申し訳ありませんでした。

感謝再拝。

1294復興G:2012/10/01(月) 20:35:25 ID:vWpLkCzM

>>1293 :さくら様。

合掌 ありがとうございます。
いたらぬ爺ですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

感謝 合掌 拝

1295アクエリアン:2012/10/01(月) 20:49:13 ID:TH1ixxcI
SAKURA様

コメントありがとうございます。

そうですね、時代と共に、組織や伝え方は、変わったいかなければならないでしょうね。

おっしゃるように今が分岐点なのかもしれません。

語学力にかんしては、私は、まったくダメです。

今は、話すことよりも、書けることが求められていると思います。

韓国に、スマホなどの分野で、後塵を拝しているのは、英語力も大きな原因ではないのかと思うときもあります。

これから、ますます英語力があらゆる分野で、求められるのでは、ないか、と思います。

中国人のエリートの英語力はすごいものです。

国際政治 で、負けているのは、やはり、英語力の差にあるように思います。

1296goro:2012/10/01(月) 21:00:04 ID:Cc8Z7oOY
英語力があっても、日本人として、日本の国柄・文化・歴史などを
話せないと結局相手にされなくなります。

日本の歴史的で特筆されるべきは万世一系の天皇を頂き、
2700年の間ただの一回も国体が変わらなかったことですね。
そういう意味で世界最古の国なのですが、現在の学校教育で
この様なことが教えられていないのは誠に残念なことです。

1297如月:2012/10/01(月) 21:04:54 ID:ki/haAjk
>>1288  a hopeさま

こんばんは! WEB誌友会のお知らせならびに呼びかけありがとうございます。

もう7回目になるのですね。  

最近は、名無しの神の子さんや動物さんたちも増えてにぎやかになって来ていますし

パソコン環境が整った方もいらっしゃるようなので、楽しみですね。

いつも、忘れずにお知らせいただきまして、感謝しています。

復興Gさま、トキ管理人さま、先輩の皆々様、よろしくお願い致します。

1298復興G:2012/10/01(月) 21:15:43 ID:vWpLkCzM

>>1288 :a hopeさま。

<第7回WEB誌友会予告>を掲示してくださって、ありがとうございました。また、うれしくたのしく真剣に、勉強させていただきましょう。よろしくお願いいたします。

1299トキ:2012/10/01(月) 21:41:13 ID:dSq1TAaA
復興G様

 今回も、復興G様のご指導をいただく事を深く感謝申し上げます。<第7回WEB誌友会予告>では、
お世話になります。宜しくお願い申し上げます。ありがとうございます。

合掌 ありがとうございます

1300アクエリアン:2012/10/01(月) 22:02:16 ID:BjzfckI.
goro様

おっしゃる通りだと思います。

まずは、自国の歴史、文化、伝統を、話すことができるようになることですね。

いま、国連などで、歴史認識が、取り上げられ、問題になっています。

あの大東亜戦争の意義を、これから、どのように訴え、説得させていくのか、大きな試練が待ち構えています。

西尾幹二さんは、歴史認識こそが、これからの、国際社会において、その国の序列を決めていくのだと言っておられますが、まさに、その通りの様相を呈してきました。

愛国者は、英語にも強くあらねばならないと、ある人はが言っていましたが、日本の立場を国際社会で訴えていくには、どうしても、日本を引っ張っていく人には、しっかりとした歴史認識と高度な英語力が求められのですが、それらがどうも心もとない気がしています。

1301a hope:2012/10/02(火) 08:43:25 ID:r8H4x9xE

みなさま おはようございます。

あちこちの板で、また、生長の家本流関係の掲示板で、すばらしいお話合いがされているようですね。
光明掲示板での、さくらさまと縹さまのお話は、わたしも興味深く拝見させていただきました。

どちらのお話の内容を聞いても、「そうだ、そうだ」と納得していました。
それだけ、お二人が、真剣にお話合いをされているのだと感じました。

このweb誌友会では、聖典「生命の實相」をお勉強しているのですが、わたしはやはり、
本流復活をめざすのであれば、この聖典「生命の實相」を中心にしていただきたいと個人的に思っています。

わたしは、以前、web誌友会で金木犀さまから「生長の家の愛国」について、色々ご教示していただき、
興味を持ち、現在、雅春先生の愛国書「私の日本憲法論」を拝読中ですが、時代背景も違いますし、内容もとても高度なので、
なかなか苦戦しています。

わたしのような戦後生まれの、愛国心についてほとんど知識のないものが、
たとえば、もし、「学ぶ会」さまや、「ときみつる会」さまの行事に参加させていただき、
このようなお話をいきなりされてしまうと、一瞬にして、気持ちが引いてしまう気がします。

現在、日本には、生活苦で悩んででいる人、人間関係で悩んでいる人、
将来を不安を感じている人など、個人的な悩みで精一杯の人々でであふれています。

そんな方たちに、「人間・神の子」の真理をお伝えすることこそ、
信仰の中心であり、本来の「生長の家」の使命なのではないのでしょうか?

このことが、不完全なうちに、「愛国心」であるとか、「環境保護」を推進していくのは、
本末転倒で、さらに、そのようなことをしている組織・団体は他にもたくさんありますから、
「生長の家」としては、今現在の日本の国民には、広く受けいれられないような気がします。

今、「本流」と、「現教団」と教えを二分するのがいいのでは・・・
というような意見もあるようですが、わたし自身は、そうなった場合、どちらの側にも属さないと思います。

わたし自身は、「唯神実相哲学」をお勉強でき、「人間・神の子」の真理のもと、
人類光明化運動が実践できる一つに大調和された「生長の家」の復活を強く望んでいます。

以上、新入り a hopeが、大変生意気な意見を述べさせていただきました。
ご気分を悪くされる方も多いかと思いますが、これが、わたしの率直な意見です。

少しでも、みなさまの、ご参考にしていただけたら、ありがたいです。

感謝 合掌

1302みすはなまる:2012/10/02(火) 09:22:53 ID:2IsN5bWE
a hope さま

おはようございます。

国のいのちと人のいのちはひとつです。
皇恩に感謝し、国を愛することと、神の子を学ぶことは、切っても切り離せることではないと思っています。

私も勉強中で偉そうに言えませんが…。

学ぶ会は、そのときの会のテーマにもよると思いますが、国のことも唯神實相哲学も学べますから、気にされなくても大丈夫ですよ。

もし、興味あられるようでしたら、気軽にお問い合わせされてみてください。

1303復興G:2012/10/02(火) 09:49:12 ID:vWpLkCzM

a hope さま
皆々さま

合掌 ありがとうございます。

a hope さまが、>>1288
<第7回WEB誌友会予告>を掲示してくださいましたが、はやはるか彼方に隠れてしまいましたので、もう一度貼付させていただきましょう。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>>1288 :a hope:2012/10/01(月) 11:26:17
<第7回WEB誌友会予告>
≪日時≫10月12日(第2金曜日)21:30より
    10月14日(第2日曜日)23:30まで
≪テキスト≫『生命の實相』第1巻「實相篇 光明の真理<上>」の残り全部、P167〜P219
≪内容≫ 第6章「愛と真理によって更生せよ」・第7章「『生長の家』の超生理学」

>>みなさま、おはようございます。……今回の内容である第6章「愛と真理によって更生せよ」を久しぶりに読み返したのですが、感動の連続でした。
生長の家の愛である、赦す愛、自他一体の自覚なんかが詳しく説明されています。
p183「無知無明」のところに、有名な釈迦の教えである『知らずに犯した罪、と知って犯した罪』のお話が紹介されていて、『つまり「真理を知らぬ」ということは、あらゆる罪の源になる大きな罪(包み)であって、この大きな「包み」に包まれて、真理の光線が心の中に入り込まないから、その暗闇の中でいろいろとありもせぬ怪物が心の迷いではびこる―――この怪物の中に、病気とか、不幸とか、不和とか、家庭くとか、生活難などといういろいろの一つ目小僧や、三つ目小僧や、大入道がいるのであります。・・・・・』とように解説されています。
つまり、わたしたちは、聖典「生命の實相」をちゃんとお勉強して真理を知れば、真理の光線が心の中に差し込んで、あらゆる人生苦から解放されるのですよね!
生長の家の問題にしても同じなのではないかと思いました。聖典「生命の實相」にすべての答えが書いてありますものね。
わたしたち一人一人が、その真理を魂で理解して、いかに実践していくのかが大切なように感じました。
それでは、わたしの愛する「生長の家」のみなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしください! <<

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

さて、皆さま、ここは「WEB誌友会板」として、トキ管理人様のご愛念で設置された板ですね。
あと10日でまた<第7回WEB誌友会>が開催されますので、そろそろその前夜祭という形になって行くと思います。
それで、只今誌友会のテーマとは別の話題でも、意義ある討議がなされておりますが、これについては、できればどこか別の板に移動して継続していただけるとありがたいと思うのですが、いかがでしょうか。よろしくお願い申し上げます。

1304復興G:2012/10/02(火) 09:59:00 ID:vWpLkCzM

ユタカ様。

お元気ですか。
第7回WEB誌友会に関することで、はるか彼方に埋もれてしまった投稿、もう一つ貼付アップロードさせていただきます。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>>1228 :復興G:2012/09/24(月) 18:10:40
>>1218・1219 :ユタカ(なせば成る我ハ神の子)様。
>>何か手分けして作業をするような資料作りなどありましたら、参加者みんなで分けてやりませんか? ユタカは遅いので少ししか出来ないかも知れませんが、何かお手伝いありませんか?? <<

合掌 ありがとうございます。お申し出に感謝します。

テキストの謹写は、すでにだいたい打ち込まれたファイルがあり、あとはそれを校正し読みやすい形に整理して、聖典板にアップできるサイズに分ける作業だけなので、私の方でさせていただきます。

ところで、ユタカさんは楠本先生の『伝道物語』をよく読んでいらっしゃる、そして伝道練成にも参加されたことがおありなのですね。私も楠本先生の『伝道物語』はとても感動して読んだことがあり、これは前回勉強した第5章を、身を以て実践された具体的体験の記録ですね。そして次回学ぶ第6章「愛と真理によって更生せよ」にもつながる素晴らしい資料だと思います。ですから、ユタカさま、『伝道物語』の中から、ここぞと思われるところを、謹写紹介してくださいませんか。

そして、前回宿題にしてあった課題がありました、

>>973 :ユタカ(なせば成る我ハ神の子)
>>ご無沙汰してすみません。復興G様、皆様、ご活躍ありがとうございます。WEB誌友会に参加できないので、質問をおいていきます。
楠本先生著の「伝道物語」の表紙の裏に「陰徳」って書いてありました。伝道と陰徳ってどのような関係で繋がっていくのだと思いますか?<<

という課題です。この出題をされた動機について、くわしくコメントをいただければありがたいです。そうしてこの課題をめぐっての勉強が、深まるとありがたく思いますので、よろしくお願いいたします。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
以上、隠れていた書き込みを再貼付させていただきました。よろしくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます。

1305志恩:2012/10/02(火) 10:14:50 ID:.QY5jUA6
復興G様

お久しぶりでございます。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。

1306SAKURA:2012/10/02(火) 13:20:12 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ

こんにちは…  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す.。

今月【 10月12日からの誌友会 】に関しましての“開催…御連絡”頂きまして感謝申し上げます。

私自身ですが、いつも“テ−マ”を頂きます事によりまして、新たなる【真理…】の勉強する上で、
個人的ですが、本当に深く【真理…御教え】にふれる機会を頂く事となり、感謝の念でいっぱいです。
ありがとうございます。
今から、「皆様方の誌友会投稿…討論」楽しみにさせて頂きますと共に…宜しくお願い申し上げます。

最後に、朝夕の気温の差にて…くれぐれも“体調”には気を付けられます様にと……思う次第です。
                                      再合掌

1307はいにこぽん:2012/10/02(火) 19:46:29 ID:???
こんばんわ、はじめましてです。

25年ほど前に生長の家に触れまして、5年ほど白鳩会員でお世話になりました。
といっても、母親教室に通うぐらいの末端会員でした。
支部が分かれ、新しい支部長さんとの折り合いが悪くなり退会してしまいました。
現在は子供も手が離れ、もう一度生長の家を勉強したくて再度入会したいなあと思っているのですが、昔の支部長さんそのままでしたので躊躇しています。
ネットでいろいろ調べていましたら、このweb誌友会というのにたどり着きました。
なにやら、生命の実相で勉強されているみたいですね。
ここなら組織に入らなくてもよさそうで興味を持ちました。

よろしくおねがいします。

1308トキ:2012/10/02(火) 19:59:18 ID:Yrym1ahc
>>1307

はいにこぽん 様

 ご参加を心から歓迎申し上げます。丁度、web誌友会が開催されます。
お気軽にご参加下さい。御質問などもお気軽にどうぞ。私達も勉強になります。

 では、今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1309はいにこぽん:2012/10/02(火) 20:37:06 ID:???
トキ様

早速レスポンスいただきありがとうございます。
ちょうど来週に行われるのですね。それまで予習をしておきます。

生長の家の勉強をさせていただく機会に恵まれましたことを感謝いたします。

合掌

1310復興G:2012/10/02(火) 23:16:10 ID:vWpLkCzM

1307 :はいにこぽん様。

大歓迎します。
たのしく真剣に勉強させていただきましょう。
よろしくお願いいたします。
合掌 ありがとうございます。

1311a hope:2012/10/02(火) 23:55:07 ID:r8H4x9xE


みなさま こんばんは

>>1297如月さま

本当に、もう、第7回目になるのですね・・・
わたし、今まで皆勤しているかもしれません(笑)
如月さま、いつもお心遣いありがとうございます。
今回もどうぞよろしくお願い致しますね。


復興Gさま 

ご挨拶が遅れてしまいましたが、今回もまた御指導よろしくお願い致します。
楠本加美野先生の「伝道物語」はわたしも今、拝読中です。
他にも欲張って色々読んでいる本があるので、なかなか読み終わりませんが、
本当に涙なくしては読めないような体験談の連続で、
わたしは「生長の家」の教えに触れることが出来たことを、心から幸せだと感じています。

それにしても、ユタカさま最近登場されていないようですが、復興Gさまからのメッセージを読まれて、
お返事くださることを祈ります。


>>1302みすはなまるさま

メッセージをありがとうございます。
女子会板にてお返事させていただきますね!


はいにこぽんさま

始めまして。
わたしは、入信数年の新入りですが、名前のように ahoなので、いつも、生長の家大先輩方相手に、
平気で失礼な質問や発言をしてしまっています。
この掲示板は個性的な方も多いですが、みなさま本当はとても優しくて、愛にあふれた方ばかりですから、
毎回、そんな a hopeを見捨てることなく、辛抱強くご指導くださっています。

ですから、はいにこぽんさまも、安心してご参加くださいね。
一緒にお勉強出来て幸せです。
どうぞ、よろしくお願い致します。

最後になりましたが、トキさま、今回もご指導をどうぞよろしくお願い致します。

感謝 合掌

1312はいにこぽん:2012/10/03(水) 09:02:27 ID:???
復興G様、a hope様 ありがとうございます。

清超先生の時の講習会で購入した生命の実相1巻をやっと勉強する時がきたんだなあと喜んでおります。
どうぞよろしくお願いします。

また私は、スカイプなど音声でできる勉強会にも興味があります。
リアルタイムなのでなかなか時間合わせの問題が出てくるかと思いますが、大きな夢として胸に抱いております。

合掌

1313復興G:2012/10/06(土) 22:31:01 ID:vWpLkCzM

合掌 ありがとうございます。

今回の<第7回WEB誌友会>のテキスト、『生命の實相』第1巻第6章と第7章を、聖典引用板の方に、
22回に分けて謹写アップロードさせて頂きました。

どうぞ皆さま、web誌友会では、それを部分的にコピペしてご感想を述べられるなどにご活用ください。
ありがとうございます。

1314トキ:2012/10/06(土) 22:58:47 ID:/Kocoiho
復興G 様

 ご多忙の中、ご指導をいただくこと、深く御礼を申し上げます。
宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

1315a hope:2012/10/07(日) 07:27:55 ID:r8H4x9xE
復興Gさま

テキストの聖典の謹写、ありがとございます。
今日は、ゆっくり、聖典のお勉強ができそうです。

感謝 合掌

1316如月:2012/10/07(日) 10:55:53 ID:ki/haAjk
復興Gさま

合掌 ありがとうございます。
早速、拝読させていただきました。
たのしく真剣に勉強させていただきます。ありがとうございます。

1317SAKURA:2012/10/07(日) 11:08:18 ID:jH5uEFzM
復興G様 へ

こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

昨晩…「WEB誌友会のテキスト」を、お忙しい中“投稿”して頂きまして、
厚く御礼申し上げます…。改めて、頂きました内容項目にて、勉強する機会を、
頂きました事に…深く感謝申し上げます。今後ともよろしくお願い申し上げます。
                          再合掌

1318志恩:2012/10/07(日) 13:14:24 ID:.QY5jUA6
復興G様

いつも、深いご愛念を感謝致しております。聖典板の方を拝見して、
学ばさせて頂いております。

私は、出過ぎた発言が多く、皆々様に不愉快な思いをおさせしてるようですので、
今回は、観覧席にて、見学させて頂く予定です。

ありがとうございます。

1319みすはなまる:2012/10/07(日) 20:38:57 ID:ZAz7ASpg

皆さま有難うございます。

復興Gさま、トキ管理人さまには、いつも温かいご愛念に感謝申し上げます。

私自身の心身のバランスを保つ事の困難もあり、今後こちらでの発言は控えさせて頂きます。

色々ありがとうございました。感謝申し上げます。

みすはなまる拝

1320復興G:2012/10/08(月) 12:36:16 ID:vWpLkCzM

トキ様、a hope さま、はいにこぽん様、如月さま、SAKURAさま、志恩さま、みすはなまる様

合掌 レスポンスをありがとうございます。
心を空にして、素直に謙虚に、うれしくありがたく、真理を学ばせていただきたいと思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。
再合掌 拝

1321ユタカ(神の子人間を生きよう:2012/10/11(木) 08:17:49 ID:gn5QzOTA
おはようございます。

すみません、事情があって今回は欠席します。

宿題 分かりました。 今回は間に合いませんので準備が出来たらここに?貼り付けいたします。

誠に申し訳ありません。。。

トキ様、復興G様 皆様 よろしくお願いいたします。

1322a hope:2012/10/12(金) 07:42:34 ID:8tjYhMb6
みなさま おはようございます。
今夜、21時30分(9時半)〜より、第7回web誌友会が開催ざれます。

<第7回WEB誌友会予告>
≪日時≫10月12日(第2金曜日)21:30より
    10月14日(第2日曜日)23:30まで
≪テキスト≫『生命の實相』第1巻「實相篇 光明の真理<上>」の残り全部、P167〜P219
≪内容≫ 第6章「愛と真理によって更生せよ」・第7章「『生長の家』の超生理学」


生長の家の大先輩であり、講師でもあられる、復興Gさまと、トキさまがご指導してくださいます。
テキストの範囲を読んで、感動したところを紹介してくれるだけでもお勉強になると思います。
期間は3日間と長いですので、みなさんのご都合のつく時間帯に是非ご参加くださいね。

わたしは、聖典「生命の實相」や他の聖典のお言葉は、生長の家の大神さまが、
谷口雅春先生を通して、わたしたち一人一人に伝えてくださった「真理」の言葉なのだと思います。

だから、そのお言葉は、わたしたち一人一人が謙虚に受け止め、自分の今までの「心の持ち方」を反省して、
自分自身の生活に生かしていくものなのではないかと思っています。
それは決して、他人を評価したり、それまでの自分の行いを正当化するためのものではないような気がします。

だって、「自分が変われば世界が変わる」 のですものね!

今回、志恩さま みすはなまるさま ユタカさまなどは、参加されないと言われていますが、
とても、残念に思います。
気持ちを変えられて、少しでも参加していただけると、とても嬉しいです。

本当の「生長の家」には、本流も、総裁派もなくすでに大調和されているのだとわたしは信じています。


なお、開会30分前の今夜9時頃、以前ユタカさまが謹写された「準備祈願の言葉」と、「世界平和の祈り」を再掲示させていただき、
 真理の吟唱より「神の愛を実践する祈り」を、謹写させていただく予定です。
みなさま、ご協力をどうぞよろしくお願い致します。

それでは、わたしの大切な「生長の家」のみなさま、今夜お会いするのを楽しみにしていますね!

1323復興G:2012/10/12(金) 20:35:31 ID:vWpLkCzM

a hope さま
皆々さま

合掌 ありがとうございます。

あと約1時間で、第7回web誌友会が始まりますね。
たのしみで、ワクワクしますね。

a hopeさまには、また特にお世話をかけます。
よろしくお願いいたします。

>>1322で a hope さまは、
>>生長の家の大先輩であり、講師でもあられる、復興Gさまと、トキさまがご指導してくださいます。<<

と書いてくださいましたが、私 復興Gがご指導申し上げるなどとは思っておりません。
指導者はただ一人、神様であり、谷口雅春先生であると思っております。私も謙虚にすなおに、神の御導き、谷口雅春先生の御導き、ご指導にしたがいたいと思っております。
また、ご参加の皆々さまが神様の御導きのまにまにご指導くださると思っております。
よろしくお願い申し上げます。
合掌 拝

追伸
私は他の用事も入っており、特に14日午後は出かけなければならない行事がありますので、席をはずします。その間は皆さまが司会者・指導者の気持ちで進めてくださるものと信じております。ありがとうございます。

1324a hope:2012/10/12(金) 21:03:57 ID:8tjYhMb6
第7回WEB誌友会開会の時刻 が近づいてまいりましたので、「準備祈願」としての祈りの言葉を掲載させていただきます。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

(準備祈願) 住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
  住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
  今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
  今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

1325a hope:2012/10/12(金) 21:07:29 ID:8tjYhMb6
つづきまして、聖典『真理の吟唱』より、「神の愛を実践する祈り」を謹写させていただきます。


神の愛を実践する祈り

すべての人の生命の奥底には神のいのちが宿っているのである。それを仏教では「一切衆生悉(ことごと)く仏性あり」というのである。それをキリスト教では「内在のキリスト」というのである。その〝仏性″といい、「内在のキリスト」というのは、われわれ日本人では〝神″と呼ぶのである。〝神″がすべての人々のうちに宿っているのである。〝宿っている″どころか、〝神″こそが人間の〝本当の命″であり、肉体は、〝神″が地上に天降って自己実現するための媒体であって、肉体は、〝人間そのもの″ではないのである。肉体の奥に、物質の奥に、霊妙きわまりなき、神通自在の神霊が存在するのであって、その神霊こそが、〝人間そのもの″であるのである。

その神霊の本質は、〝愛″であり、〝智慧″であり、〝久遠不滅の生命″であるのである。私たちが愛を完(まっと)うしたとき、わが内部の神霊は本当に生きたのであり、本当に生きたとき、人間は生き甲斐を感ずるのである。神の愛はすべての人を憎まない。神の愛はすべての人を赦すのである。神の愛はすべての人を生かすのである。神の愛は偏った好き嫌いをしないのである。すべての人に調和してすべての人を幸福にせずにはおかないのが神の愛である。神の愛は行届くのである。神の愛は決して躓くことはないのである。神の愛は自分を愛しない人をも愛するのである。神の愛は、その相手となる人が自分を愛しなくとも寂しくはないのである。神の愛に寂しいということはないのである。神の愛はただ愛するのである。神の愛は決して自分を愛して貰うことを求めないのである。神の愛は無条件の愛である。神の愛は報いを求めないのである。愛は求めないでも、それを実践するとき愛自身を完(まっと)うするのである。

神の愛が自分に発現したとき、自分は神聖となるのである。何故ならその人は決して利己的な欲望をもたないからである。神の愛は無我の愛である。無我のところに神があらわれるのである。我の願いを含んでいる愛は汚れている愛である。愛の仮面をかぶっている煩悩に過ぎないのである。手垢のついた愛は、愛の仮面をかぶった利己主義である。愛は快楽主義ではないのである。愛は自己の快楽を放棄する。愛は求めないで、すべてを捧げる。自分のすべてを捧げ終わったとき、そこに却って完(まっと)うするものがある。それが神の愛であるのである。

神の愛は静かに降りそそぐ夜露が、すべての植物をうるおして生気を与えるように、静かに音もなく、目立つこともなく万物を生かす。万物を生かしながら、自分が生かしてやったというような顔すらしないで、朝が来れば消えて行くのである。それでよいのである。それが神の愛である。この事を知ら給(たも)うた神に感謝します。

1326復興G:2012/10/12(金) 21:27:42 ID:vWpLkCzM

a hopeさま。

誌友会準備祈願の祈りと、聖典『真理の吟唱』より、「神の愛を実践する祈り」を謹写
掲載してくださって、ありがとうございます。

この、「神の愛を実践する祈り」は、まさに今回の誌友会のために用意された祈りだと思われます。
魂が歓喜します。ありがとうございます。

1327如月:2012/10/12(金) 21:34:15 ID:ki/haAjk
復興Gさま トキさま a hopeさま

ありがとうございます。
楽しく勉強させていただきます。
どうぞよろしくお願いします。

1328トキ:2012/10/12(金) 21:34:44 ID:DQ8V/CEY
>>1323

 「ご指導」という言葉は復興G様には適切ですが、私のような青二才には不適切ですよ。(笑)

>>1326

 復興G様、ご指導のほど、よろしくお願いを申し上げます。今回も素晴らしいWEB誌友会になることを
確信しております。ありがとうございます。

 皆様もご参加のほど、よろしくお願いを申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1329復興G:2012/10/12(金) 21:35:56 ID:vWpLkCzM

開会時刻の21:30になりました。
上記招神歌を各人で黙念あるいは朗唱して、スタートです。

1330復興G:2012/10/12(金) 21:45:17 ID:vWpLkCzM

>>1322でa hopeさまは
>>本当の「生長の家」には、本流も、総裁派もなくすでに大調和されているのだとわたしは信じています。<<

と書いてくださいました。
みんな一つの生命、神において一体であり大調和している。それしかないのですね。

現象にどのような姿があらわれて見えようとも、それは一層素晴らしい実相が顕現するための過程にすぎないのである。

そのすがたを心眼ではっきりと見透し、「愛と真理によって更生」しなければならない。

1331如月:2012/10/12(金) 21:46:40 ID:ki/haAjk
今回は、許すというところから始まっていて私には心苦しいテーマです。

『眼に見える兄弟を愛することができないで、どうして眼に見えない神を本当に愛することができようぞ』

とありますが、目に見えるから許せない気持ちが湧き上がって来るのであって、許せない相手でも

目の届かない場所にいてくれれば、その間は怒りを忘れた状態でいられるから平穏でいられるのですが。

生長の家の勉強を続けていけば、目に見える相手も許せるようになるのでしょうか。

(すみません。しばらく席を外します)

1332a hope:2012/10/12(金) 21:53:24 ID:8tjYhMb6
復興Gさま 如月さま トキさま
そして、みなさま こんばんは。

やっぱり、web誌友会は楽しくお勉強したいですよね。
閲覧者のみなさま、どうぞ気軽に参加してくださいね!

1333a hope:2012/10/12(金) 22:03:53 ID:8tjYhMb6

>>1332で、「楽しくお勉強したいですよね。」などと言っておきながら少し暗い話題になってしまいますが・・・

P168 8行目〜
>>・・・・病人はきっと人間というものを冷たいものだと観ている。人間だけでなく「生命」というもの、「神」というものを、冷たいものであると観ている。「生命」と「生命」、人間と人間とが互いに孤立しているかのように観ている。あるいは「神」なんてないものだと観ている。あるいは「神」というものはあると思っていても、神と人間とのあいだに親と子との関係ほど親しいつながり、すなわち「愛」というものを感じることができないで、「神罰」とか「神の怒り」とかいう冷たい方面ばかりを見ている、こんなわけで、病人は心の底が温かい愛にうえている、人間と人間とを冷たく、なんの関係もないもののように見ている・・・

 ですから、病気を治すには、まず病人の心から「人間は孤立して淋しいものだ」という誤った先入観念を取り去ってしまわなければならないのであります。そのためには人間と神との関係を知的に理解するということも必要ではありますが、何よりもまず、具体的な愛――愛の生きた言葉、病人への力づけ、深切な態度、勇気をつけ、心を明るくするような言葉によって、なるほど人間は自分一人という小さな力で孤立して生きているのではないという事実を目の前に見せる。アリアリと手で触れるように兄弟の愛で見せると、その結果、病人が心に兄弟の愛、神の愛をアリアリと感ずる。ここに本当の「神からいただく癒す力」が流れ入る門が病人の心にひらかれるのであります。<<

という、文章を拝読していて、わたしはとても胸が苦しくなりました。
というのは、ここのところ、わたしの身近なところで、何人かの方々が病気や自殺で亡くなっていて、
その訃報を聞くたびに、自分にも何かしてあげられることがあったのではないか・・・と後悔していたからです。

自殺してしまうというのも、一種の心の病気にかかってしまうからだと思います。
まだ、20歳前で自ら命を絶ってしまった近所の青年の訃報を聞いたときには、本当に辛かったです。
どれだけ、苦しみ悩んだのだろうか、どれだけ、不安だっただろうか、恐怖心もきっとたくさんあったと思います。
ここに書かれている、「具体的な愛」をわたしが、もしくは誰か周りの人が実践できていたら、
彼は死なずにすんだのではないかと思いました。

1334復興G:2012/10/12(金) 22:03:58 ID:vWpLkCzM

>>1331如月様。

ご参加ありがとうございます。
>目に見えるから許せない気持ちが湧き上がって来るのであって、許せない相手でも
目の届かない場所にいてくれれば、その間は怒りを忘れた状態でいられるから平穏でいられるのですが。<

なるほど。どうしましょう。

1335復興G:2012/10/12(金) 22:08:06 ID:vWpLkCzM

谷口清超先生の面白いご文章の載った昔の普及誌『白鳩』が出てきました。
「妻の尊厳と自由」という題で、夫が暴力をふるう場合、妻は負けずに実力行使をせよと書かれているのです。

――と言っても、その「実力行使」とは、暴力には暴力をもって相対せよというのでないことはもちろんですね。
生長の家では、「実力」とは、「実相を観る」力のことをいうのです。

清超先生は次のように書かれています。
「表現の第一の担い手はコトバであり、そのコトバも否定的な言葉ではなく、明るい、真理のコトバが何よりも大切である。それ故、生長の家の人間・神の子・無限力の真理を、正しい言葉でますます多くの人々にお伝えして、夫や親や子にも、遠慮することなく愛語・讃嘆の“実力行使”をして行くことをおすすめする次第である。」
と。

以上は、『白鳩』平成8年3月号に掲載されていた谷口清超先生のご文章でした。何かのご参考になるとうれしいです。

1336トキ:2012/10/12(金) 22:10:24 ID:DQ8V/CEY
 昨日は偶然、ネルソン・マンデラの話を本で読みました。彼は南アフリカの黒人解放運動の指導者で、後年、
南アフリカの大統領になった人です。

 余談ですが、昔の神誌には、斎藤忠さんが、時事解説を書かれていました。この中に、この南アフリカの
人種差別の問題が書かれていて、これは間違っていると、批判されていたのを記憶しております。

 この南アフリカの人種差別政策はアパルトヘイトと言われ、世界中から批判を浴びましたが、南アフリカの
白人指導者は、これを頑固に維持しました。弁護士だったマンデラは一時は武装闘争に走り、ついには当時の
政府から、テロリストの指導者として、終身刑を宣告され、その後、27年も投獄されます。

 この27年間の投獄の間、彼は、どうやら武装闘争から話し合いによる和解へと考え方をかえたみたいです。

 しかし、後年、人種差別政策の廃止を考えた大統領フレデリック・デクラークが内密にマンデラと何回も
会談し、議論を重ねます。その結果、両者は信頼関係を築きます。やがてマンデラは釈放されます。

 釈放されたマンデラを迎え、黒人達は解放運動についての会議を開きます。その時に、マンデラは闘争では
なく、白人との和解を主張します。当然、出席した黒人達は強く反発しますが、3日間に渡る議論の末、全員が
白人との和解に合意します。

 その後、彼は大統領に選出され、平和裏にアパルトヘイトが撤廃されます。その後、南アフリカの再建が順調
に進んだのは言うまでもありません。

 これに対して、ジンバブエのように、白人へ報復をした国は、結局、国が乱れてしまっています。

 和解の大事さを痛感します。

合掌 ありがとうございます

1337復興G:2012/10/12(金) 22:22:41 ID:vWpLkCzM

>>1333 :a hopeさま。

あなたは、とても愛深い方なのですね。ラザロが死んで遺族が嘆き悲しんでいるのを見て「イエス、涙を流し給えり」と聖書にあるのを思い出します。

しかし、そのあとイエスは、「死せるにあらず、眠れるなり」と言ったら、ラザロは生き返ったと、聖書にはありますね。

1338トキ:2012/10/12(金) 22:25:40 ID:DQ8V/CEY
>>1335

 そう言えば、谷口雅春先生も、蒋介石総統の「暴をもって、暴に報わず」、「徳をもって、暴に報う」
という話をされておられましたね。

1339SAKURA:2012/10/12(金) 22:36:55 ID:XKr/ryCE
復興G様 へ

こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
横スレにて…申し訳ありません。…が?

本日からの【WEB 誌友会…開催】宜しくお願い申し上げます…。
そして、いつも【課題…テ−マ】を、提示して頂きます事は、深く【真理の勉強】をさせて頂き
ます上で、本当に“感謝”申し上げます。(資料を…いただいきます事…も含めまして)

今回は、特に下記の “投稿文章”は、今の私には“ピッタリ”なのです。…が?
■>みんな一つの生命、神において一体であり大調和している。
現象にどのような姿があらわれて見えようとも、それは一層素晴らしい実相が顕現するための
過程にすぎないのである<  (復興G様…投稿抜粋文)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

昨日より…知識不足の為に…支障があった事を、知りましたので…アタフタ><
只今【対応策…】思案中にて…“バトル中”なのです。
この「現象にて…どの様な姿が…云々…」この言葉が、身にしみますでしょうか?
解決次第…【WEB 誌友会…】お仲間に参加させて頂けますと幸いに存じます。…が?

                                   再合掌

1340如月:2012/10/12(金) 22:46:02 ID:ki/haAjk
>>1333 a hopeさま

20歳の青年の自殺とは何と悲しく辛い事でしょうか。
生長の家は内紛を起こしている場合では無い…

1341如月:2012/10/12(金) 22:47:11 ID:ki/haAjk
>>1339 SAKURAさま

こんばんは! 三日間よろしくお願いします!

1342復興G:2012/10/12(金) 22:57:01 ID:vWpLkCzM

>>1331 如月さまへのご参考に――

「新講『甘露の法雨』解釈」(谷口雅春先生著)の77頁から、次のようなお話が書いてあります。
神奈川県の高下佐一郎さんの奥さんの体験談として、

 ≪“ラミー麻”に何万という毛虫がついているのを高下さんが神想観をして、聖経『甘露の法雨』にあるとおり「一切の生物処を得て争うものなく、相食むものなき」状態が実相である。「毛虫よ、あなたも神の子であって、人間に必要なラミー麻を食いあらすようにはできていないのである」と一心に念じて、天地一切のものに、そして毛虫にも和解なさった。そうすると、翌朝にはその何万という毛虫がいなくなっていた。
 毛虫を憎んで、こちらが毛虫のような「毛嫌いする心」を持つと、毛虫はますますそこに現れてくる。害虫が出て来ないようにするためには、害虫を憎むことなく、「神様のおこしらえになった世界には害虫なんて存在しない。あなたは神の子であって、決して人に害を与えるような存在ではないのです」と念じて、その実相の完全な姿を心に描いて拝むのがよいのです。そうすると毛虫のような、人に害を与えるものは本来ないから益虫にかわってしまうのです。≫

――という話が書いてあり、その後にこう書かれています。

 ≪「悪」は絶対無いのであって、その奥にある実相の「善」のみが独在することを深く信じて、その実相を礼拝するのが、本当に「実相を拝む」ということであり、天地一切の実在に和解することであります。……実相の「一切の生物処を得て 争うものなく相食むものなき 調和した状態」を心に描いて、それを見つめ礼拝し感謝した時、悪しき現象はさっきの高下佐一郎さんの場合のように消滅するのであります。……しかし実際の場合として、皆さんが凡ゆる場合に虫類の実相の完全さを拝んだら害虫が全部消えるか否かは皆さんの悟りの力量如何にあるのです。肉眼には「悪」の姿が見えるのに、実際に「善」のみがあると、その実相を拝み切れるかどうかという事です。≫

 とあります。それが生長の家の「実力」なのですね。
 実力を向上して、遠慮なく実力行使をしようではありませんか。(>>1335を参照ください)

1343a hope:2012/10/12(金) 22:59:52 ID:8tjYhMb6
>>1339 SAKURAさま

また、ご一緒に、聖典「生命の實相」が出来てとてもうれしいです。
どうぞ、よろしくお願い致しますね。

>>1337 復興Gさま
>>1340 如月さま

そうでした。
人の生命は「生き通し」でした。
復興Gさまの、ラザロの死のコメントを読んで、心がジーンときてました。


詳しいことは、書けないのですが、その青年は、家庭にも恵まれていませんでした。
両親がいつも不在で、下の弟妹たちと共に、おばあちゃんに育てられていたのですが、
おばあちゃんも数年前に亡くなりました。
わたしは、まだ、幼さが残る弟妹達のことも不憫で仕方がありません。
わが家の子どもと、同級生の子どももいるのです。
今は母親が戻ってはいるようですが・・・ 何とか、自分に出来ることをしていってあげたいと思います。

ところで、今の日本の世の中には、そのような、不幸な子どもたちがたくさんいるのではないのでしょうか?

>>1336で、トキさまが、ネルソン・マンデラのお話をしてくださり、和解の大事さを痛感されているようですが、
わたしも、「生長の家」の和解、大調和こそ、唯一の平和への道、さらに、日本国実相顕現にもつながる道なのではないかと感じています。

すみません。
わたしは、今夜はもうお休みさせていただきます。

みなさま、おやすみなさい。 
今夜は、大調和の素晴らしい夢を見てくださいね!

1344復興G:2012/10/12(金) 23:04:15 ID:vWpLkCzM

>>1339 :SAKURA様

ご参加、ご投稿、ありがとうございます。
また吉報のご投稿をお待ちしています。

1345如月:2012/10/12(金) 23:05:19 ID:ki/haAjk
>>1342 復興Gさま

ありがとうございます。 まさにその[毛嫌いする心]です。

「表現の第一の担い手はコトバであり、そのコトバも否定的な言葉ではなく、明るい、真理のコトバが何よりも大切である。
それ故、生長の家の人間・神の子・無限力の真理を、正しい言葉でますます多くの人々にお伝えして、夫や親や子にも、遠慮することなく
愛語・讃嘆の“実力行使”をして行くことをおすすめする次第である。」

この実力行使がよくわからなかったのですが、毛虫の例えのおかげでやっとわかりました。
思いついたのは[賛嘆日記]です。 書いてみようと思います。 ありがとうございます。
ずっと避け続けるわけに行かない相手だったので、悩んでいました。。ありがとうございます!

1346復興G:2012/10/12(金) 23:16:26 ID:vWpLkCzM

>>1342 の続きです。

『私はこうして祈る』(谷口雅春先生著)に、次のような祈りの言葉が書かれています。
≪この眼は神の眼である。善以外のもの、美以外のもの、完全以外のものはなにも見ないのである。この眼は神の眼である。毎日毎日いっそうその実相の完全なる視力があらわれつつあるのである。自分の眼は神の眼である。人々の善さのほか、美しさのほか、完全さのほかはなにものをも視ないのである。≫

――そうすると、耳・口についても、次のように祈るとよいのでしょう。

○この耳は神の耳である。善き言葉以外のもの、美しき言葉以外のもの、讃嘆の言葉以外のものはなにも聞かないのである。この耳は神の耳である。毎日毎日いっそうその実相の完全なる聴力があらわれつつあるのである。自分の耳は神の耳である。善き言葉のほか、美しき言葉のほか、完全さのほかはなにものをも聞かないのである。

○この口は神の口である。善き言葉以外のもの、美しき言葉以外のもの、讃嘆の言葉以外のものはなにも語らないのである。この口は神の口である。毎日毎日いっそうその実相の完全なる話力があらわれつつあるのである。自分の口は神の口である。人々の善さのほか、美しさのほか、完全さのほかはなにものをも語らないのである。

○私の父(舅)は良い父だ。私の父は神様だ。
私の母(姑)は良い母だ。私の母は神様だ。
私の良人(おっと)(妻)は良い人だ。
私の良人(妻)は神様だ。
私の息子(娘)は良い息子(娘)だ。
私の息子(娘)は神様だ。
我が家の嫁は良い嫁だ。我が家の嫁は神様だ。
私の孫は良い孫だ。私の孫は神様だ。
私は世界一の幸せ者だ。ありがとうございます。

合掌。

1347復興G:2012/10/12(金) 23:22:31 ID:vWpLkCzM

如月さま
皆々さま

ありがとうございます。

では、私もそろそろやすませていただこうと思います。
皆さま、ゆっくりおやすみして、またよい朝をお迎えください。
おやすみなさい。

1348さくら:2012/10/12(金) 23:28:30 ID:e8ieIrPA
復興Gさま。

みなさま。ありがとうございます。
みなさまの書き込みをみていろいろ考えされていただきありがとうございます。
・・思いつくまま、書くことになりますが、申し訳ありません。

・・ずっと前に「ガンジー」の映画を見て、印象に残った場面がありました。
だいたいこんな感じだったとおもうのですが。

非暴力主義をつらぬいたガンジーは、周りの人にも、平等と愛を実行するように説いて、
それは家族にはときに厳しく指導していたようです。
上流階級のガンジーの家庭には召使がいましたが、ガンジーは、召使に命令をして奥さんを厳しくしかりつけ、召使であっても人間として敬意を示さなければならない、平等に扱え、と言います。
インドの階級社会の厳しさには日本の感覚では実感が持てないのですが・・
その奥さんには、いままで自分が築いてきた世界観からはその行為は、耐え難いものだったようです。
奥さんは、ガンジーの愛の行いに賛同し、文句も言わずに支えてきたのに、そのときだけ初めてガンジーに反抗してこう言いました。
「誰もが、あなたのような聖人ではないのよ。わたしにも心があるの。
あなたのように立派な行いをする人間ばかりだとおもわないで!」

そのとき、ガンジーは、苦い顔をしているだけの場面が映っていました。
でも、わたしは聖人であるガンジーが、どんなに正しい行いであっても、人に強制することはできないのだ、と分かった経験だったのではないかな、と感じました。

正しいと分かっていても、できないことがたくさんありますし、
人を憎んでいるとき、愛することが大切だって分かってるけど、そんなの、奇麗事じゃないか、そうおもうこともわたしにはありました。
また、逆にそうできない人がいれば、なんでできないんだ、と理解ができないことも、ありました。

如月様が
>目に見えるから許せない気持ちが湧き上がって来るのであって、許せない相手でも
目の届かない場所にいてくれれば、その間は怒りを忘れた状態でいられるから平穏でいられるのですが。
生長の家の勉強を続けていけば、目に見える相手も許せるようになるのでしょうか。

とかかれていましたが、
・・わたしの場合は、生長の家に触れて、自分がどれだけ許されていて、
どれだけ無条件に生かされているかをつくづくと知って、
自分の目から見たら、許せない愛せないものはあるかもしれないけれど、
神様からみたら・・自分とおなじように許されて愛されている存在だと、
前よりずっと思えるようになりました。
またその自分が憎んでいる人の姿は、昔の自分の姿として、神様が見せてくださっているかもしれないとも考えます。

>実相の「一切の生物処を得て 争うものなく相食むものなき 調和した状態」を心に描いて、それを見つめ礼拝し感謝した時、悪しき現象はさっきの高下佐一郎さんの場合のように消滅するのであります。

復興Gさま、一連のご紹介してくださった文章を拝読し、力をいただきました。
ありがとうございます。



1349さくら:2012/10/12(金) 23:29:59 ID:e8ieIrPA
あ、>>1346も読まずに書き込みました。

あした、よみます。

おやすみなさい。

合掌。

1350役行者:2012/10/12(金) 23:39:34 ID:dmkkxZas
 一身上の都合で、遅くなりました。

 和解は、確かに難しいです、生物界では、多様豊かな世界が破壊
され、寡占化・独占化が調和を乱しています。
 まるでそれを模倣しているかのように、国と国同士しかり、
また食物の独占化など、政治、経済、宗教界に至るまで
多様性がおかされようとしてます。
 まずは、双方、相手の存在を認める!そこからはじまるような
気がします。
                                  合掌
  また、おやすみなさい。

1351さくら、訂正。:2012/10/12(金) 23:40:16 ID:e8ieIrPA
ガンジーは、召使に命令をして奥さんを厳しくしかりつけ、

ガンジーは、召使に命令をした奥さんを厳しくしかりつけ、

1352さくら:2012/10/13(土) 06:57:26 ID:e8ieIrPA
 >まずは、双方、相手の存在を認める!そこからはじまるような気がします。

多様性を認めるのは、お互いが生き残るのに大切なことだと、思います。
一律の考えしか認めず、他のものを生かせないなら、自分の道を狭め、
自分も滅びの道へ向かってしまいますね、。

1353復興G:2012/10/13(土) 08:00:44 ID:vWpLkCzM

>>1348 他:さくら様
>>1350 :役行者様

おはようございます。
ご参加くださり、真剣にお考えくださってのコメント、本当にありがとうございます。考えさせられました。

>>1352 でさくら様もおっしゃってますように、
>多様性を認めるのは、お互いが生き残るのに大切なことだと、思います。一律の考えしか認めず、他のものを生かせないなら、自分の道を狭め、自分も滅びの道へ向かってしまいますね。<

そうですね。
――「すでに大調和している」と、神に祈りを続けながら、役行者さまのおっしゃるように、
>まずは、双方、相手の存在を認める!そこからはじまる<
ということで、一歩一歩進んで行くことでしょうね。

ありがとうございます。

1354a hope:2012/10/13(土) 10:05:23 ID:8tjYhMb6
みなさま おはようございます。

昨晩は、わたしが休んだあとに、さくらさまと役行者さまも参加されていたのですね!
一緒に、お勉強出来てうれしいです。よろしくお願い致します。

今回のweb誌友会のテーマとなるものの一つはは、「愛と赦し」なのでじはないでしょうか・・・
そして、わたしはこに「愛と赦し」こそ、生長の家の教えの根本になるのではないかと思っています。

また、さくらさまがガンジーのお話をされて、志恩さまも、部室板でガンジーの記事をのせていらっしゃいますが、
わたしはガンジーに関しては、「無暴力で平和を訴えたインドの聖人」というくらいの知識しかなかったのですが、
その行動には、深い意味があるようですね。


「多様性」という言葉を聞くと、雅宣先生の「四無量心の神想観」を思い出します。
生長の家の教えは、「唯神実相」であるのに、「多様性」という言葉を聞くと、
その教えと矛盾を感じてしまうのはわたしだけでしょうか・・・。
「多様性」を認めるとは「現象あり」を認めてしまうことにつながりませんか・・・?

役行者さまがおっしゃる、「相手の存在を認める」というのは、「現象の相手」のことですか?
それとも、「相手の実相」のことでしょうか?

わたしが、現教団で「生長の家の教え」を勉強していて、一番混乱したのがそこのところなのです。
たとえば「生長の家の教え」を離れてた、現象生活の中では多様性を認め合うのは、
社会生活を円滑に送るために当然のことなのだと思います。
生長の家の「唯神実相哲学」の中で考えると、わたしはとても矛盾を感じてしまいます。

みなさんは、どう思われますか?

1355a hope:2012/10/13(土) 10:13:30 ID:8tjYhMb6
>>1354
誤字、脱字だらけですみません。
最後の所だけ、訂正します。

生長の家の「唯神実相哲学」の中で考えると、わたしはとても矛盾を感じてしまいます。
            ↓
ですが、生長の家の「唯神実相哲学」の中で考えると、わたしはとても矛盾を感じてしまいます。

1356a hope:2012/10/13(土) 10:38:57 ID:8tjYhMb6
すみません。
わが家は、これから出かけます。

夜には戻りますので、また、よろしくお願い致します。

1357如月:2012/10/13(土) 10:39:53 ID:ki/haAjk
みなさま、おはよう…こんにちはでございます。

多様性ということですが [ねばならない] を取り払うのが生長の家だと教わりました。

ちょっとズレるかもしれませんが貼ります。

生命の實相より。21巻 頭注版 p.166〜

生長の家では、天地一切のものと和解せよと、説いています。 しかしこれも和解という言葉に
言ひっかかってはならない。 和解という一筋道に凝り固まるとかえって衝突することもある。
何事も和解、和解と、その一本道に乗っていると、医者が病苦で弱って自分で死にそうだと言って
いる患者を診察して、患者の悪い症状と和解したつもりで、「あなたは大変熱が高い、もう死にそうだ」などと言ってごらんなさい。 医者はいかにも病人の意見とは和解したことになるでしょうが、
そのために患者を生かすことはできないでありましょう。また、すべての人と和解せよ、と言うと
敵が攻めて来ても、それに手向かうことは和解にならないというので、こちらは少しも防ぐことを
せずに、ただ頭を下げている━そうしたら結果はどうなるか、敵に踏みにじられて滅びて
しまうことになる。そのように、「こうせねばならぬ」という窮屈な一本のレールの上の乗っていたら
他人をも生かされないし、自分も滅びてしまわなければならない。
それでは、真理を明らかにすることもできないのであります。それでは本当の道ではない。 
本当の道というのは、一つに凝り固まってしまうのでなく、機におうじて縦横無尽に姿を変じ
それによってすべてが生かされる道でなければならないのです。
ある時は観世音菩薩のごとく優しくあることも必要だし、またある時は不動明王のごとき
権威をもって起つことも必要なのです。 常にこうなければならないというのではない、臨機応変
無碍自在に動きうる道でなければならない、そうあるのが本当の道であって、その本当の道に
のった生活をすることが大切なのであります。 では、どうしたら一つに凝り固まらない自由自在な
本当の道にのることができるかといいますと、それは実相に入ること、すなわちわれわれの
実の相(すがた)を悟ることであります。

1358如月:2012/10/13(土) 10:44:30 ID:ki/haAjk
貼りましたが、意味がわかりません(汗)

『それは実相に入ること、すなわちわれわれの実の相(すがた)を悟ることであります』

む、難しい!

1359さくら:2012/10/13(土) 11:30:36 ID:DoKrLFvw
みなさま。

多様性という言葉にだけ、引っかからないでください。

わたしは、自分自身がどこに立つかが、それが、問題だと思うのです。

この時、多様性や和解とは、中心からみる、和解であり、多様性なのです。
なんでもかんでも受け入れるような、雑多な混合を意味しません。

自分の中心が、大調和の心にぴったりとそうとき、現象にも整う世界がある
とわたしは感じます。

わたし自身は、いつもこの心境ではないことがありますが…、
でも、その絶対感謝の世界にすっぽりと自分が包まれたとき、
和解にさえ囚われ無い、争いにさえ囚われない
多様なものの中にありながら、調和している…
そういう世界を感じられるのではないでしょうか。



1360さくら:2012/10/13(土) 12:45:57 ID:DoKrLFvw
如月さま

如月さまの謹写を読まずに書き込みしまして、すみませんでした…。
ここも、素晴らしい箇所ですね。
ありがとうございます。

わたしは、生長の家の「唯神実相」を学ぶというのは、
言葉にとらわれて、
「これが真の生長の家」で、違うこといえばすぐ「虚説」だとか、「真の生長の家じゃない」と決めることではないと思っております。
これは、信仰がまだ浅いとか長いとか、そういう問題ではなく、
学ぶ姿勢にあると思うのです。

>では、どうしたら一つに凝り固まらない自由自在な
本当の道にのることができるかといいますと、それは実相に入ること、すなわちわれわれの
実の相(すがた)を悟ることであります。

中心からみるとは、まさにこのことだと理解いたしました。
ありがとうございます。

合気道の開祖、植芝翁は、「どんな試合であっても、わたしは負けたことない」と言いましたが、
それは、植芝老翁が強いからということではありませんでした。
試合なので、一見、相手と相対して敵対しているように見えても、植芝老翁の中では、敵など存在しないということでした。
なぜから、自分は宇宙と一体であ
るので、その自分に敵対し負かすようものがこの世に存在しないという絶対者の自覚があったからだそうです。
そういう自覚と実相に入るとは、共通しているのかと、おもわれました。

敵がかかってくれば、もちろん、武器をもち戦うことになるかもしれません。
病気になりウイルスを排除する治療をすることになることもあります。

そのとき、すべて、自分の中心がどこにあるかを見失うことがなければ、
とらわれる必要がないことも、理解いたしました。

ありがとうございます。



1361復興G:2012/10/13(土) 13:55:07 ID:vWpLkCzM

>>1354 :a hopeさま。

>>役行者さまがおっしゃる、「相手の存在を認める」というのは、「現象の相手」のことですか?
それとも、「相手の実相」のことでしょうか?
わたしが、現教団で「生長の家の教え」を勉強していて、一番混乱したのがそこのところなのです。
たとえば「生長の家の教え」を離れて、現象生活の中では多様性を認め合うのは、社会生活を円滑に送るために当然のことなのだと思います。ですが、生長の家の「唯神実相哲学」の中で考えると、わたしはとても矛盾を感じてしまいます。みなさんは、どう思われますか? <<

ここは、とても大切なところですね。

具体的に言うと、前に「本流対策室板/3」で
>>1857 :トキ:2012/10/01(月)
>>本流光明掲示板で、以下の投稿がありました。
「和解」派の皆さんにお尋ねします。ここまで互いの主張が違えば、無理な「和解」よりかは「棲み分け」の方が、「教え」にも叶うというものではないでしょうか…?
日時:2012年10月01日 (月) 09時03分
名前:「靖国見真会」参加者
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res
&log=439
 という投稿です。どなたか、ご感想やご意見をお願いします。<<
というのがありました。

その答えとして私は、こう思います。
生長の家出現の使命は、中心帰一の神の構図を地上に実現することにあります。
谷口雅春先生著『第二青年の書』に、「神の創造を貫く根本的構図は“中心”が一つあること」として、次のように書かれています。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

   ≪神の創造を貫く根本的構図は“中心”が一つあること

 …(前略)…その御心の最も根本的なものは、何かというと、神様が創造したすべてのものには“中心”があるという事なのであります。そしてその中心は一つなんです。水素の原子核がヘリウム原子核になるように融合したら二つが矢張り一つになってしまうのだから、やはり“中心”は一つだといえます。それが唯物論的に偶然に或る物体に“中心”があるというのではなんの意義もないのでありますけれども、これは、宇宙の万物を創造した「普遍的知性」の設計の中にある根本構図であるというところに深い意義があるのであります。既に中心があって、左右陰陽釣合型になっている根本構図は雪の結晶にも見られるし、植物の幹や葉脈にも見られるし、脊柱動物にも見られるし、そしてそれらの生理作用を統一している意識は無形の中心であり「一つ」であります。“中心”が二つあったら、それは分裂病であり、病的であります。世界にも「一つ」の“中心”がなければならない。ところが今世界の国々は、残念ながら“中心”が一つになっていない、分裂病の様相を呈していまして、国々互いに分立して、相争い、どの国が中心か判らない。だいたい今は米国とソ連とが二大陣営の中心になっておるのでありますが、“中心”が二つあるから喧嘩をするのであります。それだから、吾々は戦争が何時起るか判らんというので常におびやかされていなければならないのであります。結局争いは、やがて争いのない安定のところへ落着くための動揺であることは明かでありまして、やがて“中心”が一つになるという時代が来るということを吾々は察することが出来るのであります。…(後略)…≫
(注。本書は昭和34年に発行されたものです)
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(つづく)

1362復興G:2012/10/13(土) 13:55:51 ID:vWpLkCzM

(つづき)

さて、a hope様が
>>役行者さまがおっしゃる、「相手の存在を認める」というのは、「現象の相手」のことですか?
それとも、「相手の実相」のことでしょうか?<<

これは当然、「相手の実相」を見て、であるべきなのですが、まずは相手を悪者として排斥する姿勢を改め、「棲み分け」でもいいから“共存”を認める。
しかし、それは過渡的な状態であって、ずっとそれでよいかと言えば、そうではない。「棲み分け」が続くのだったら、生長の家出現の意義はなくなると思います。今までいろいろな宗教宗派が乱立しながら、なんとか日本では宗派争いはおさまって「棲み分け」ができている状態のように思われますから、そこへ生長の家がまた分派して現象的「多様性」は増えても、神の創造の根本構図である中心帰一・万教帰一は実現しないのであれば、生長の家は何のために出現したのか、意味はなくなるのではありませんか。それが神の御心にかない、谷口雅春先生の切なる理想 御悲願、御教えにかなうことだとは、私にはとうてい思えません。皆さま、どう思われますか?

1363復興G:2012/10/13(土) 13:56:31 ID:vWpLkCzM

>>1357・1358 :如月さま
>生長の家では、天地一切のものと和解せよと、説いています。しかしこれも和解という言葉にひっかかってはならない。和解という一筋道に凝り固まるとかえって衝突することもある。……(『生命の實相』21巻p.166〜)<
>貼りましたが、意味がわかりません(汗)
『それは実相に入ること、すなわちわれわれの実の相(すがた)を悟ることであります』
む、難しい!<

とても素晴らしいところを貼ってくださいました。そして、簡単に「わかった」と言わないで、「わかりません」とおっしゃるところが素直で素晴らしいですね。

『叡智の断片』に、次のようなご文章があります。

『道は絶対である。絶対には対立がない。道に乗って生きるとは絶対無我の生活になり切ることである。一切の対立がなくなることである。一切の対立がなくなるから一切に和解し、一切を敬(とうと)び、一切が清まり、一切が寂(じゃく)である。これが茶道の清寂であり、そのまま清まる日本の道である。対立する争いをもって生活するが如きは、日本の道ではなかったのである。道は「寂」であり、動くものなくして動いており、その動くや必ず万物を生かすのである。対立のなき動きは全機であり、無にして一切であり、○であるから一切と調和するのである。それを大和の道と云う。構える心がないから、事を構えず、事を構えないから事が起らないのである。構えることがなければそのままとなり、其のままは実相であり、実相は善ばかりであるから善きことのみが現われる。「私」のはからいがないから、全体の動きとピッタリと「一」である。全機である、全即一であり、一即全である。』

上記のお言葉も、素晴らしいですよね。
私は今、「自分というものはなかった。空っぽだった。すべてが自分だった」と、常に自分に言い聞かせるようにしています。そうすると、上記の境地に近づけるように思っています。ありがとうございます。

1364トキ:2012/10/13(土) 15:29:16 ID:Kyl8B8o6
>>1363

 きっと、一人一人の信徒が、上のような自覚をし、それが広まると、大きな変化が生まれるような感想を持ちました。

1365復興G:2012/10/13(土) 15:36:16 ID:vWpLkCzM
>>1364 トキ様
ありがとうございます。

 私は今回のテキスト『生命の實相』第1巻第6章p.183〜190、聖典板に謹写した第6章(7)〜(9)に書かれている「旧我の否定と新しき更生」「実生活を癒す宗教」というところがまたとても大切なところであると、感銘深く拝読しています。

 ≪仮に、ここに、身体じゅう腫物(できもの)だらけの人間があるとしまして、「人間は神の子だ」と教えられたとします。そこでその人間が、その腫物だらけの身体(からだ)を「神の子としての完全な身体」であると思いこみ、その腫物だらけの身体を「これこそ完全な神の子の姿だ」といって自慢しだしたとしたならば、実にはたから見て見苦しい鼻つまみの所業(しわざ)でありますし、それではまた、その病気もなおらないのであります。

 人の徳性にしましても芸道上の技倆にしましても、このままで「神の子」としての自分の貴さや深さがでていると思ったらそれは慢心でありまして、それ以上、その人は徳性においても、芸道においても進歩するということはないのであります。

 本当の「神の子」としての自覚というものはそんな安っぽいものではない。今の状態をありありと反省し、こんな見苦しい不完全な状態は「神の子」らしくないということを知り、自分は神の子であるから、こんな不完全な状態は自分の本性ではない、本性でないものはウソである、いつまでもウソを自分の天性だと思って天狗になっていてはならないと、豁然(かつぜん)大悟、「神の子」としての自分が別に厳然として存在することを悟る――これが「神の子」としての本当の自覚であります。

 こうして今まで「これこそ自分だ」と思っていた「仮妄(うそ)の自分」を捨ててしまうことが、新しく「神の子としての自覚」に入る第一歩であって、毎日反省して、蛇が皮をぬぐように毎日「ウソの自分」を捨てる――こうすることによってわれらは毎日新たに神にいっそう近づくことができる、すなわちわれわれの無限生長の道があるのであります。≫

――生長の家は「ねばならぬ」という縛りから解放する宗教であるからと言って、油断して、野放図な、傲慢な生活に陥っていないか。常にきびしい自己反省を怠ってはならないと、自戒しています。そこにこそ、本当の「神の子」としての自由な、魂が解放される生き方ができると思うのです。

1366役行者:2012/10/13(土) 16:25:32 ID:IcLAp85.

 a hope さま

 お久しぶりです、もう、如月さま、さくらさま、また復興Gさまがわかりやすく応えてくれていますから大丈夫だとおもいますが、私の視点からも述べてみます。

 >たとえば「生長の家の教え」を離れてた、現象生活の中では多様性を認め合うのは、
社会生活を円滑に送るために当然のことなのだと思います。
生長の家の「唯神実相哲学」の中で考えると、わたしはとても矛盾を感じてしまいます。<

 生長の家では、便宜上、神の定義を三つに分けております。
 一つ目が、宇宙創造神で、唯神実相の世界そのものだと思います。
 二つ目が、応現神
 三つ目が、祖霊神など、人格神
 
 その宇宙根源から自由無碍に働きとして顕現できる神が、応現神です。たとえば、天使もそのハタラキの一例です。
 
 こちらは多様に存在するかと思います、如月さまも聖典で引用して下さっています。

 そのうえ、人格神となりますと、ますます多様化します。

 このように多様なはたらきが、神の創造の中に如実にあらわれていると思われます。

 神が創造された、地球、特に人間誕生前を視てみると、森羅万象万物、多様な生物が均衡を保ちながら、イトナミを続けてまいりました。多様性を表現された神の御心を我々人類も肝に据えてイトナミする必要性はあるかと存じます。
 
 ここで肝心なのが、一即多 多即一の華厳経の教えで、中心と秩序は多様性からハズすことはできないかと存じます。

1367神の子さん:2012/10/13(土) 19:50:54 ID:8tjYhMb6

みなさま こんばんは

web誌友会の期間は、大好きな発泡酒もハイボールもがまんできる a hopeです(笑)


如月さま さくらさま 復興Gさま 役行者さま

わたしの「多様性」の質問にお答えくださりありがとうございます。
これは、わたしのとても個人的なことで、以前本流の掲示板でもこちらの掲示板でもお話させていただいたことなのですが、
わたしは雅宣先生の「祈りの言葉」「四無量心を行ずる神想観」そして「経本」アレルギー(?)なのです。
その理由は、いままで山科さまや、復興Gさまなどからご指導いただいているので、
自分ではもう十分理解していますから、本当はこれ以上こだわるつもりはありませんでした。

ところが、今回「多様性」という言葉を聞くとまた雅宣先生の「四無量心を行ずる神想観」を思い出してしまい、
ちょっと過剰反応してしまったのかもしれません・・・すみませんでした。

みなさまの投稿は何度も拝見させていただきました。
ですが、わたしはまだまだ勉強不足なのでまだはっきりと皆様のご意見を理解できましたとは言えません。
今夜、もう一度、じっくり読みなおさせていただきます。
中心帰一が大切だということはわかってきているのですが・・・

ですが、今、漠然と感じていることがあります。
わたしは、たぶん、雅宣先生の「多様性」という言葉に矛盾を感じているというよりも、
生長の家の総裁でありながら、『御兄弟やたくさんの本流の方々と和解されていない雅宣先生のお言葉の波動』と、
『大調和の心境のもと神様から天下ったお言葉を聖典に書きとめられた雅春先生のお言葉の波動』との違いに
矛盾を感じているのではないかと思いました。
その、波動(波長)の差があまりにも大きいので、アレルギー症状のものが出てしまうのではないかと思うのです。

ところで、復興Gさまや、トキさま、役行者さまなどの現教団に所属されていらっしゃる方々は、
雅宣先生の「四無量心を行ずる神想観」に関してはどう思われているのでしょうか?
わたしのように、生長の家の教えを学びたくて入信した新人の信徒に、
その新しい神想観をお勧めされているのですか?

1368a hope:2012/10/13(土) 19:59:49 ID:8tjYhMb6
>>1367は 神の子 a hope の投稿です。

ついでに、訂正です。
下から6行目
アレルギー症状のものが → アレルギー症状のようなものが

1369トキ:2012/10/13(土) 19:59:51 ID:Kyl8B8o6
>>1367

 こんばんは。「四無量心を行ずる神想観」は、私は勧めていません。
先ずは、谷口雅春先生の教えを学びなさい、という話をしております。
 その上で、「四無量心を行ずる神想観」をする、しないは本人にまか
せています。ほとんどの人はしません。

教団でも、建前では、「四無量心を行ずる神想観」をしなさい、という
指導はしていますが、実践している人は少数みたいです。教区行事で
どうしても、という場合は、仕方なくしていますが、帰宅してから
自分でやりなおしをしています。

合掌 ありがとうございます

1370復興G:2012/10/13(土) 20:12:08 ID:vWpLkCzM

>>1367 a hope 様

私も、「四無量心を行ずる神想観」は先導したこともないし、勧めたこともありません。「大日本神国観」は先導したことがありますが……。

1371さくら:2012/10/13(土) 20:19:58 ID:d3HE6i2s
復興Gさま、
役行者さま

多様性や生長の家の自覚の意義を深い真理から説明してくださり、
ご指導ありがとうございます。
自分の自覚も足りないところを自省しようと心得ました。

…わたしは、多様性を生物学的にも、また、文化的な意味においてもある言葉として、使用いたしました、
わたし自身の知識や認識の浅さからと反省はしておりますが、
…個人の雅宣総裁に対するアレルギーにより反応されるのには、
正直、とても心外です。

なぜなら、このように表面の言葉に反応されて、
真の生長の家じゃないと排斥されたらどうでしょうか。
今までも、そのような誤解があったので、誌友会にも参加するのも、
躊躇する気持ちが正直ありました…。

もっと勉強したい気持ちはありますが、
今後は、こちらでの発言は控えさせて頂きます。
ご指導ありがとうございました。

>これは当然、「相手の実相」を見て、であるべきなのですが、まずは相手を悪者として排斥する姿勢を改め、「棲み分け」でもいいから“共存”を認める。
しかし、それは過渡的な状態であって、ずっとそれでよいかと言えば、そうではない。「棲み分け」が続くのだったら、生長の家出現の意義はなくなると思います。今までいろいろな宗教宗派が乱立しながら、なんとか日本では宗派争いはおさまって「棲み分け」ができている状態のように思われますから、そこへ生長の家がまた分派して現象的「多様性」は増えても、神の創造の根本構図である中心帰一・万教帰一は実現しないのであれば、生長の家は何のために出現したのか、意味はなくなるのではありませんか。それが神の御心にかない、谷口雅春先生の切なる理想 御悲願、御教えにかなうことだとは、私にはとうてい思えません。

この言葉もそうですが、復興Gさまのお言葉は、支えになります。

感謝合掌。

1372a hope:2012/10/13(土) 20:43:13 ID:8tjYhMb6

さくらさま

わたしは、個人の雅宣先生に対して、アレルギーなど持っていませんよ。
よく、わたしの文章を読んでください。
どうして、いつも少しずつ論点をずらされるのですか・・・

わたしは、
>>わたしは雅宣先生の「祈りの言葉」「四無量心を行ずる神想観」そして「経本」アレルギー(?)なのです。<<
と言っているのです。
そして、そのような方々は、他にもたくさんいらっしゃると思いますよ。

さくらさまは、一体何が目的で、この掲示板に書き込みされているのですか?
一体、何を、お勉強されたいのですか?
「生長の家の教え」なのではないのですか?

と言っても、もうお返事はいただけないのですよね。

1373復興G:2012/10/13(土) 20:58:15 ID:vWpLkCzM

a hope様。

私は、実相世界は無限の「多様性」に充ち満ちた、そしてすべてが秩序をもって中心帰一していながら、縛られるのではなく自由に解放され生かされている、喜びの世界だと思っています。


さくら様。

さくら様は、上記のことをいつもおっしゃっていて、よくわかっていらっしゃると思ってきました。これからも、余計な心配をしないで、自由に積極的に発言していただきたいと思います。ありがとうございます。

1374SAKURA:2012/10/13(土) 23:39:07 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ

こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
大変遅くなりましたが〜〜〜>< 私事の【難問題…】ようやく“対応策”が?
出来ましたでしょうか??
情報社会の今日ですが?私のキャパシティ−異常の“問題”にて??頭打ちでしたが><
「神様からのメッセ−ジ…」にて?何とか〜〜〜なのです。ホット!ホット!

残りの“時間”を【WEB誌友会…】参加させて頂きます事…何卒宜しくお願い致します。

                               再合掌

1375SAKURA:2012/10/13(土) 23:40:05 ID:jH5uEFzM
「a hope 様」へ
「如月様」へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

昨日の“お言葉…”ありがとうございました…。ようやく〜〜〜><ホット!気分??
何卒…宜しくお願い申し上げます。
                              再合掌

1376さくら:2012/10/14(日) 00:15:08 ID:d3HE6i2s
a hope様

>個人の雅宣先生に対して、

個人が持っている、雅宣総裁の言葉や経典に対して、

その意味です。
論点はずらしは意味がわかりかねます。

>さくらさまは、一体何が目的で、この掲示板に書き込みされているのですか?

申し訳ありませんが、これはわたしの信仰の問題ですので、
あなたには答えるべきことではないと思っております。
失礼ながら、お答えしかねます。
ありがとうございます。



1377さくら:2012/10/14(日) 00:23:05 ID:d3HE6i2s
>>1973
復興Gさま

余計な心遣いを申し訳ありませんでした。
また、ご理解を深く感謝いたします。

いまの生長の家の問題を考えることもまた、個人的にも信仰に向き合うことでありますが、
…まだまだ自我が強く、また言葉の使い方も浅はかで、
自分ながら、とても片意地のはった態度が目立つことと自覚しておりますので、
学びの妨げになれば、発言を控えたいとおもいました、。

今の教団では、…自分としてはどうしても信仰の学びに違和感を感じて活動をやめてしまいましたが、
それでも、生長の家と名のつくところが、誤解があり悪くとられることがあれば、
自分のことのように、ほんとうに悲しい気持ちになります。

そういう思いが先立つことは反省しておりますが…
ただ、好悪の感情的反応や偏見を超えて、そこで起こっている現状を正しくみようとすることや、
こうした学ぶ機会を生かし、信仰でのりこえることを大切と思っております。
自分への自戒もこめて、こうした態度を大切にしたいと思っております。

学びは続けて参ります…。
復興G様が、いつもご自分を常に謙虚に律しておられるお言葉や他の方へ指針になるよう、的確に示してくださるお言葉は、支えになっており、
自分を振り返りたいと感じています。

ありがとうございます。



1378SAKURA:2012/10/14(日) 00:50:38 ID:jH5uEFzM
復興G様 へ
トキ様 へ
誌友会の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

やっと!やっと!何とか??のりきれそうな気持ち…になる事ができました。…が?
本日の皆様の“投稿”を〜〜〜やっと!何とか拝読させて頂く気持ちになりました…。
“皆様のお話”を読んで参りますと……【実相?現象?…】なのでしょうか??

皆様!のお話を参考に【身近な処…】でもいろんな【真理の勉強…】があるのではないでしょうか?
此処!何日かは【SAKURA…も実相・現象の世界】へ仲間入りでした。…が?
至る処に【真理をつかむ為のチャンス…勉強】でしょうか……??
更に、久しぶりに“ダイレクトのコメント”の中で『日頃のモノを捨てて?整理・整頓…』の事が、
掲載されていました。今の私は、いまだに“過去の産物?いろんな荷物”があり、
正直“思い出”を引きずっていますのでしょうか?【これも〜〜あれも〜〜】と、見ていく内に…
〜捨てきれないモノが、多々ありますので、毎週!毎週!のメルマガに…「整理・整頓…」を!
その様に、内心は思っていたのです。…が?
ある時、イギリスの“アッパ−・ミドル・クラス”の方の“生活スタイル”を見たり、書籍にて
知る事になりまして“ショック”かなり〜〜私は【反省モ−ド…】まず!モノの価値観を見きる事!
が大事なんです〜〜〜ョネ!
ある時は、有名な“紅茶の空き缶”更にいろんなガラクタ…“香水の瓶”が〜〜〜><
そして!今までの私は、そのような“ガラクタ?を飾っています。が〜〜〜><
どうかしますと!増えすぎて〜〜?これが気がつくときに【倉庫行き?】となり、
その倉庫の荷物…実は!更に“若い頃の洋服…”が捨てきれずに??それも【倉庫…】に、
気がつきますと【倉庫…過去の荷物に埋め尽された状態】でしたのです〜〜〜ョネ! ウフフ

イギリスの“アッパ−・ミドル・クラス”のご年配は、モノを大事にします。更に“代々の家具”
の手入れをしていて、それは、いつ見ても“古く見えないモノ”それには“手入れのコツ”が、
あるようなのです〜〜〜ョネ!私は、自分の周りに或る物を“比較”して、恥かしくなりました。
【価値あるモノ…】と思いながら…【心で見る眼…】という事なのでしょうか??
【モノの価値観】は、その人の“心からの見方”で、決まるのです〜〜〜ョネ?
“ミドル・クラス”の方は、古い家具の汚れは、ある??モノで人塗りしますと〜〜〜
そうなのです。簡単に、汚れがとれて…その家具は、よみがえる様になるそうです。更に、
いろいろな工夫!!があるそうです。…そして、この事を、楽しんでいるのです??〜♫〜

あちらは、朝起きますと…ご主人が“紅茶”を持ってきますのが“習わし”なのだそうです。
本当に…【紅茶で始まり〰〜♫〜〜紅茶で1日が終わる〰〜♫〜〜】のが、『イギリスの習慣』とか?
これも“生活のリズム”かしら〜〜〜ン!           (つづく)

1379SAKURA:2012/10/14(日) 00:52:38 ID:jH5uEFzM
復興G様 へ
トキ様 へ  
誌友会の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>> 1378の投稿の続きです…。

■ブレイクし過ぎましたでしょうか?【現象・実相…】は、自分のきめた【世界観…】があり、
これを“認めたくないモノ”に、出くわしますと〜〜〜><それが【現象…】になりやすく、
つまり【心のレンズ…】が、曇ってしまうのです〜〜〜ョネ!

■「お月様…」は、いつも夜空から優しく照らして下さいます。…が?時としては、
【雲がかかると…お月様が見えない><…】この様に“人の心の捉え方”ではと思うのです。…が?

今!私の現状に起きている【難問題は“現象”…】ですが?
“家具の手入れ”の様に……ひと拭きの手入れ(掃除)?のコツ…は【自分の心の捉え方…】かも?
その様に思えるようになりました。…が?

では【実相…世界】に行くにはどうしたらいいのでしょうか??
それは“簡単!!……汚れをふき取る!!”この様にしたらいいのです〜〜〜ョネ!
このような“お話…を清超先生”がおっしゃっていました。…が?

■今の私は憎しみを覚える人がいます。…が?こればかり、見つめていきますと【壁…】に
塞がれてしまうでしょかと??【壁…】を打ち破る“勇気”がいるのです〜〜〜ョネ!
でも、打ち破り過ぎるのも【問題…】そこで。。。【精神統一…】が必要なのです〜〜〜ョネ!
更に…【四無量心…】の“言葉”が目につきましたが〜〜此の“言葉”も、奥深い“言葉”で…
理解して行きますと〜〜〜“日本語…奥行き”がある様です。正直申しまして、当初は?
【四 無 量 心】…此の“言葉”に、抵抗感がありました。…が?調べていく内に、
いつしか【頭の体操…】の様に、『人間の叡智の探求…』に思えましたでしょうか??

日常生活から〜〜〜少し【寄り道?廻り道?…】でしたが〜〜〜
今から「復興G様」のテキスト…勉強しまして“投稿”させて頂きます。…
よろしくお願いいたします。(今日は…独り言…)      再合掌
                       
PS:【女子会…】に投稿させていただこうかしら〜〜〜ン?思いましたが……
此処に投稿させて頂きました。…が?【実相・現象…】と言います事で??? 
明日から…【真面目な感じで??】投稿させて頂きます…。

                         つづく

1380復興G:2012/10/14(日) 04:18:10 ID:vWpLkCzM

a hope さま

私は、あなたを愛しています。
――なんて、ラブレターみたいですが――
あなたは、とても素直に率直に、自分の思いを表現される。
一方、ひたむきに生長の家の教えに超入し、それを生ききりたい熱願して、実行してもいらっしゃる。
私は、a hopeさまのおかげで、どれだけ気持ちが浄化され、励まされてきたことか。

でも、人間、誰しも、感情を爆発させてしまうことだってありますよね。私も、あります。私はけっこう、怒りっぽいのですよ。それで、それをなおすために、私は「浄円月観」の神想観に励みました。

「神の無限の愛、われに流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。われに浄円月の雰囲気ただよう。わが雰囲気は、やわらかく、あたたかく、浄く、美わし。すべての人々に平和とよろこびを与え、すべての人々の罪をゆるし、すべての人々を愛するのである」

と念じて、自分の背後から浄らかなお月様の光のようなオーラが燦然と輝き出ていることを心に描くのです。
a hopeさまも、きっとそれを実行していらっしゃるのではないでしょうか――と思われるように、あなたのご発言は感じられてきました。

今、私は浄円月観の「われに」ということろを「a hopeさまに」と置き換えて祈らせていただいています。

浄円月の雰囲気をもった a hopeさま。ますます輝いてください。 合掌


さくら様、SAKURAさま、皆々さま。
皆々さまも同様です。

「皆々さまの上に、浄円月の雰囲気ただよい、光明燦然と輝いていらっしゃいます。皆々さまの雰囲気は、やわらかく、あたたかく、浄く、美わし。すべての人々に平和とよろこびを与え、すべての人々の罪をゆるし、すべての人々を愛していらっしゃいます。ありがとうございます。ありがとうございます。」

「神の無限の愛、この掲示板に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。この掲示板に浄円月の雰囲気ただよう。その雰囲気は、やわらかく、あたたかく、浄く、美わし。すべての人々に平和とよろこびを与え、すべての人々の罪をゆるし、すべての人々を愛するのである。ありがとうございます。ありがとうございます。」

感謝 合掌

1381復興G:2012/10/14(日) 07:59:11 ID:vWpLkCzM

皆さま、おはようございます。

私は今、あらためてテキストの『生命の實相』第1巻第6章を読みなおしています。

すると、これは前にも何回も読んだところでも、また新たに新鮮に、深く魂の底に刻まれるように
入ってくる感じがします。
それは『生命の實相』の不思議さであり、人間知を超えたもの、谷口雅春先生が心を空にして、
神から書かしめられたものであるからなのでしょうね。
それで、私たちもまた心を空にして拝読すれば、一歩一歩神の国が実現してゆくことになるのだと
思われます。
その過程で、一見不調和と思われるような出来事、難事が出てくるのは、すべていっそう深くすばらしい
自覚に導かれるための肥やしになっていると思われます。
この世界に無駄は一つもないのですね。
ありがとうございます。

1382如月:2012/10/14(日) 08:36:52 ID:ki/haAjk

復興Gさま ありがとうございます。

昨日後半からはパソコンが使えなくなったので、今改めて皆様がお書き下さったものを
読ませていただきました。
これから、また自治会に参りますので、午後から出講される復興Gさまに、お礼を申し上げられるのは
今しかありません。 ありがとうございます。 私の悩みを解決に導いて下さいまして、誌友会に参加
できて良かったと大喜びしています。 

ところで今の流れの中で、私は猛反省いたしました。
それは、以前の誌友会開催まえに個人的感情から[誌友会不参加宣言]を真っ先にして
しまったのが自分だと気が付いたからです。
誰が参加できて、誰が参加できないとかも無く、全てに開かれている真理への道
その誌友会への道を狭めてしまったのです。

それ以来、意思表示のひとつに誌友会の参加、不参加が使われるようになったことに対して
皆様に申し訳なかった、復興Gさまに申し訳けなかった、谷口雅春先生に申しわけなかったと
お詫びを申し上げる次第です。

>>1381の中で『一見不調和と思われるような出来事、難事が出てくるのは、すべていっそう深くすばらしい
自覚に導かれるための肥やしになっていると思われます』と復興Gさまがおっしゃって下さいました。

自分がみなさまを煽動してしまったという自覚と反省です。

a hopeさまの疑問を私は浅く考えていましたが、さくらさまは、もっと深くとらえられていたので
自分とは別格だと感心しながら読ませていただきました。
また、それにお答えになるa hopeさま。 お二人とも頭が良く愛が深く素晴らしい先輩方です。

ありがとうございます。 ありがとうございます。
毎日が新生です。

1383復興G:2012/10/14(日) 09:12:10 ID:vWpLkCzM

>>1382 :如月さま。

ありがとうございます。ありがとうございます。合掌

1384a hope:2012/10/14(日) 09:49:46 ID:8tjYhMb6

みなさま おはようございます!

今朝のわたしの神想観は 「如意宝珠観」でした。
『住む人尽く身健やかに、心美(うるわ)しく、相形(すがたかたち)美しく、和顔愛語賛嘆にみたされたり。』
の、「住む人」というところを、この掲示板で知り合った方々みなさまひとり一人のお名前を入れさせていただきお祈りさせていただきました。

そして、雅宣先生と純子先生もお祈りさせていただきました。
今朝は、光明燦然とした光の中で、お二人が慈悲に満ちた笑顔で、
わたしたち信徒を見守って下さっているお姿を拝見することができました。
これはわたしにとって初めてのことなので、とても感動しました。

わたしは、子供の頃は「素直な子」だと言われのびのび育ちました。
ですが成人して社会に出ると、その素直さが返ってわざわいしました。
「生意気だ」「調和を乱す」みたいに言われ、職場ではいつもたたかれていました。
感情の起伏も激しく、よく、喧嘩もしていました。

そんな、わたしが感情のコントロールをしようと思いだしたのは、結婚して子供ができてからです。
自分なりに、禅を勉強したり、気功をしたり、ヨガをしたり、精神世界の本もたくさん読みました。

ですが、「生命の實相」ほど、わたしの魂を震わせたものはありませんでした。
「この教え」さえ、マスターすれば、「自分は幸せになれる!」そう確信したのです。

ですが、いざ、信徒になってみると、現象の「生長の家」は、大不調和でした。
新入生のわたしは、それに気付かず、先輩方の勧めて下さる雅宣先生の本を必死に読み、神想観をして、祈りの言葉を唱えました。
そして、精神的バランスをこわし、病気になりました。
ですが、今ではそのことは、わたしの今までの業の自壊作用だったので誰のせいでもなく、むしろその事に感謝しています。

この掲示板で素晴らしい皆さまとお会いできて、そして真理のお勉強ができてわたしは本当に幸せです。

わが家は、今日もこれから出かけます。
帰りましたら、また、皆さまの投稿をゆっくり拝見したいと思います。

それでは、わたしの愛するみなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしください!

1385復興G:2012/10/14(日) 10:18:30 ID:vWpLkCzM

合掌 ありがとうございます。
テキストの『生命の實相』第1巻170頁以下、「人をゆるせば病気が癒る」というところ(聖典板 謹写文2・3)に、
≪自動車王ヘンリー・フォードが常に数十冊を手もとにたくわえていて、悩んでいる友人に会うごとにその一冊を与えることにしていたという書に『無限と調和する生活』と題するニュー・ソートの本があります。≫
とありますが、これはR.W.トライン原題 “In Tune with the Infinite” という本で、『幸福はあなたの心で』と題し、谷口雅春先生が訳され、「新選谷口雅春選集9」に収められています。そこでは、少し表現のちがうところがあり、次のように書かれています。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  ▽心が肉体に及ぼす力

 恐怖や心配は、肉体の通路を閉塞する原因となるのである。それだから、大生命の流れが、滔々と流れ入らないで、徐々に停滞した状態で補給されるに過ぎないから、健康が阻害されるのである。これに反して希望に燃える感情や、平静な心の状態は、肉体のチャンネルを開いて、大生命が滔々として流れ入り、其処に病気が足場をつくることを得せしめないのである。
 暫く前のこと、或る婦人が自分が重大な疾患にかかっていることを其のまた友だちに話していた。それをきいていた私の友だちは、その病気の婦人とその妹との間にはあまり調和した感情が存在していないことを知っていたのである。彼はその病気の症状の詳細を注意深くきいていたが、その婦人の方をマトモに見て、しっかりとした、しかし深切な語調で、「あなたの妹さんを赦しなさい」と言つた。
 その婦人は、驚いて、まじまじと彼を見つめたが、やがて、
「わたしは赦すことはできません」と言った。
「よろしい。では」と彼は答えた。「あなたの心の関節の硬さをじっとつかんで、その同類のリューマチスを放さないでいなさいよ。」
 それから数週間経つた後であった、彼はふたたびその婦人に出会ったのである。すると軽々とした足どりでその婦人は彼の方へ近づいて来て、
「わたし、あなたの助言のようにいたしましたの。わたし妹に会いまして、よく話して妹を赦しました。わたしたちは、また元通りの仲好しになりましたの。そしたら、どうしたのか知れませんが、そのためか別の原因か、憶い出してみると、その二人が和解した日から、痛みが軽くなりまして、今ではあと形もなく完全に治つてしまつたのです。そして二人はお互にもう決して離れては生活できないほどの仲好しになったのでこざいます。」
 ここにも心が原因で、病気が結果だという実証が見られるのである。
 わたしたちは次のような確かな証拠のある実例を数例挙げることができる――
 ある母親が、極くわずかな間、憤怒の発作にかられた。ところが胸に抱いている子供がその一時間後に死んだのである。これはこの母親が怒りの発作にかられている間に、肉体組織の中に内分泌せられた毒素によって母親が汚染せられて、有毒な乳汁となったためである。他の実例の場合には、死にはしなかったが重態に陥って痙攣をひきおこした。(原文は正漢字・旧仮名遣い)

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

(つづく)

1386復興G:2012/10/14(日) 10:44:15 ID:vWpLkCzM

(つづき)
上記の本は、自動車王ヘンリー・フォード一世が常に数十冊を手もとにたくわえていて、悩んでいる友人に会うごとにその一冊を与えることにしていたということですが、のちにこの本の著者トラインが、フォード自動車会社の創立25周年に当たる年にフォードと対話した記録が、『生命の實相』第2巻の195頁以下にとりあげられています。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

   ヘンリー・フォードの致富法

 記者――実は光明思想による事業経営の問題で、ぜひあなたの御意見をうかがいたいと思いまして、ちょっとお騒がせ申したわけです。全世界はあなたが、世界最大の工場の一つ――フォードの大自動車工場の創立者だったことを知っています。僕は若い時には資本も何もないほとんど無一物だったあなたが、これだけの事業を成就したのには驚嘆せずにはいられません。その秘訣をうけたまわりたくってまいったのですが。
 フォード――失礼ですがちょっとちがいます。君は僕がそのとき「ほとんど無一物」だったとおっしゃるが、正しいとはいえません。誰でもあらゆる物をもって出発する。すべてがわがうちにあるんですからな。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ここに、「(現象的には)無一物のときからすでに無限をもっていた」という自覚がフォードにはあったということが示されています。

「すでにある!」
「すでに、大調和している!」
「神の世界には、悪はない。ただ善のみがある!」

常に、この大真理に立ち還って行きましょう。

1387復興G:2012/10/14(日) 10:46:01 ID:vWpLkCzM

それでは、私はこれから午後出発への準備にかかりますので、あとはまた夜にお目にかかります。

ありがとうございます。

1388トキ:2012/10/14(日) 13:36:21 ID:eQYN4Beo
>>1386

 そう言えば、本田宗一郎さんも、「無一物中、無尽蔵」という言葉が好きだったと聞いています。
やはり、フォードとおなじ自動車の創業者として、何か共通するところを感じたのかもしれませんね。

1389役行者:2012/10/14(日) 14:59:09 ID:Tzk1if3U

a hope 様

 もう、ほとんど解決されたと思いますが、私の感じたことを述べます。

>わたしは、たぶん、雅宣先生の「多様性」という言葉に矛盾を感じているというよりも、生長の家の総裁でありながら、『御兄弟やたくさんの本流の方々と和解されていない雅宣先生のお言葉の波動』と、『大調和の心境のもと神様から天下ったお言葉を聖典に書きとめられた雅春先生のお言葉の波動』との違いに矛盾を感じているのではないかと思いました。その、波動(波長)の差があまりにも大きいので、アレルギー症状のものが出てしまうのではないかと思うのです。<

 内容の問題と云うより、上記理由による生理的な嫌悪感ということでしょう。
 ならばこれから解決してゆくのではないかと思います。
 地球もすべていま、進化向上しております、そのなかに存在します、生長の家の中心者、現総裁も進化向上しているのです。
 それから、一代目と三代目を比較するのはコクです。そのプレッシャーで大体、三代目は押しつぶされるのです。もっとも、三代目の宿命として、一代目には無条件に降伏するしかスベはないのではないかといまのところ思っています。
 家光公をみてみると降伏したうえで、新しい展開をみせています。気持ちが楽になるのでしょう。きっと。

 >ところで、復興Gさまや、トキさま、役行者さまなどの現教団に所属されていらっしゃる方々は、雅宣先生の「四無量心を行ずる神想観」に関してはどう思われているのでしょうか?<

 私の個人的な感情はできるだけ抜いて、応えます。

 一般的に四無量心はつまり慈悲喜捨の心は、人類に示されていることと思います。

 その人類が、その他の森羅万象生物界に影響を及ぼすこともある、というより、いま喫緊の課題となっています。そのため、付け足したのではないかと思います。

 多様な生物に溢れた世界というのは、愛そのものだと思うのです。
 人と人から、人と森羅万象生物に至るまで範囲を広げたということかと思います。
 
 それは、初代・雅春先生もそのようなことを述べてらっしゃいますが、現代、この時代の喫緊の課題として取りあげ、強調されたのではないかと存じます。

                                   合 掌

1390a hope:2012/10/14(日) 18:30:34 ID:8tjYhMb6

みなさま こんばんは


復興Gさま 役行者さま

生長の家でいう「多様性」とは、実相世界における「多様性」のことなのですね!
そこには、憎み合いや、殺し合い、また、自然破壊などもなく、すべてが一つの神に中心帰一して、
大調和しているその中での「多様性」ということなのですね!

>>そし多様な生物に溢れた世界というのは、愛そのものだと思うのです。
>>人と人から、人と森羅万象生物に至るまで範囲を広げたということかと思います

という意識から、雅宣先生はこれまでの運動を展開してきたというわけですか・・・。
なんか、すごくよくわかった気がします。
ありがとうございます。

でも、復興Gさまや、トキさまがおっしゃるように、基本はやっぱり、
「生命の實相」であり、雅春先生の教えなのですね。


わたしは、今回 「アレルギー症状」という言葉を使うことに少し抵抗を感じていました。
ですが、それ以外にピッタリくる表現が見つからなかったのです。
わたしが「アレルギー症状」という言葉を使うことで、みなさんが違和感や嫌悪感を感じらたとしたら深くお詫びいたします。

役行者さまが、「生理的な嫌悪感」と表現してくださいましたが、
たしかに、今のわたしには、雅宣先生の「祈りのお言葉」や、「神想観」、「経本」に対して、
過去の辛い経験からくる「生理的な嫌悪感」があるような気がします。

でも、入信したてのわたしにはそれは全くありませんでした。
ただ、ひたすら、信じていたのです。
ですから、やっぱり、わたしの精神状態や体調がおかしくなったのは、
雅宣先生のお言葉と波長が合わなかったからだと思います。

わたしは、雅宣先生自身に対しては、生理的嫌悪感は全くありません。
今は、生長の家の総裁先生として心から感謝していますし、敬愛しています。


役行者さまは、>>1389で、
>>私の個人的な感情はできるだけ抜いて、応えます。

とイミシンに発言されていますが、どうしてですか?
「わたしは、あなたのこの行動をこんな風に感じていますよ。」
と正直に発言してあげることは、愛ある行為だとわたしは思いますが・・・ちがうのでしょうか。


ここで、話はテキストの内容に変わります。

今回のweb誌友会の内容は、「愛と赦し」がテーマのようになっていると感じていますが、
復興Gさまが、>>1365で紹介された「旧我の否定と新しき更生」「実生活を癒す宗教」のところもわたしはとても心に響きました。

自分は「神の子」だから神さまにすべて赦されているのだからといって、傲慢になってはいけない。
常に自己を反省して、不完全な自分を認めないで「神の子」としての自覚を深めていきたいと思いました。
大切なのは、やっぱり、毎日の神想観 聖経読誦 聖典拝読 そして、自分にできる愛行なのだと思いました。

1391復興G:2012/10/14(日) 18:48:10 ID:vWpLkCzM

>>1390 :a hope さま。

すなおな a hope さまのコメントを拝読して、安心を覚え、うれしく思いました。ありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。

1392復興G:2012/10/14(日) 19:30:19 ID:vWpLkCzM

合掌 ありがとうございます。
前にも引用しましたテキストの『生命の實相』第1巻170頁「人をゆるせば病気が癒る」というところに、
≪自動車王ヘンリー・フォードが常に数十冊を手もとにたくわえていて、悩んでいる友人に会うごとにその一冊を与えることにしていたという書に『無限と調和する生活』と題するニュー・ソートの本があります。≫
とある、R.W.トライン原著 “In Tune with the Infinite” 谷口雅春先生訳『幸福はあなたの心で』に、次のようにあります。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

   第二章 宇宙における至高の真理

 宇宙における最も目を瞠(みは)るべき中心的事実は何といっても無限の生命、無限の力を有する宇宙霊というようなものが凡ゆるものの背後に存在して、それがすべてのものに生命を賦(あた)え、すべてのものの内に、すべてのものを通して、それみずからを顕現しつつあるということである。それは第一原因として、それみずから存在する原理であって、その原理から万物が生じ来つたのである。否、単に生じ来っただけではなく、今も尚、滾々(こんこん)と湧き出ずる泉の如く万物がそこから誕生しつつあるのである。もし其処に一個の個性生命が存するならば、それは必ずや、それを発生したところの根源としての無限生命がなければならないのである。もし其処に、ある性質、又は愛の力が存するならば、必ずやその愛が生じて来た根源なる“無限愛”の源泉がなければならないのである。もし其処に智慧というものが存するならばその智慧が生じ来った源泉となるべき“無限智”なるものが存在しなければならないのである。これは「平和」についても、「力」についても、また吾々が物質的存在だと称するところのものについても同じことが言えるのである。

 それだから、すべての物の背後には、すべてのものの本源なるところの無限生命・無限力なる「霊」が存在するのである。吾々を取巻いて到る処に遍在するこの無限力者は、一定不変の大法則と力とを媒介として、創造し、働き、支配しつつあるのである。吾々の日常生活のあらゆる行動もこの同じ大法則と力とによって支配されているのである。路傍に咲きいでる名もなき花の一つ一つも、この一定不変の法則に随(したが)って萌え出で、生長し、花咲き、やがて萎(しぼ)むのである。また天と地との間に霏々(ひひ)として降る雪も、一定不変の或る大法則によって形成せられ、降りつもり、やがて融けるということになつているのである。

 或る意味では、この大宇宙には法則のほかに何ものもないとも言えるのである。もしこのことが真実であるならば、その法則の背後にはこれらすべての法則の創造者である「力」が存在しなければならないし、その「力」は創造せられたる法則よりも偉大なるものでなければならないのである。

 此の凡てのものの背後に存する“無限生命”にして“無限力”なる“霊”を私は称して「神」とよぶのである。私は諸君がそれを何と呼ぼうと意に介しない。大慈、光明、摂理、超越霊、全能者又は諸君が最も便宜と思われるどんな名称で呼んでも差支えないのである。宇宙には一切の本源者が存在するというこの中心的な大事実を、私たちが一致して認める限り、その名称如何は何等意に介する必要はないのである。…後略…

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 一切は波動であり、一切者すなわち神の波動と同調すれば(In Tune with the Infinite)無限の幸福は来たり、同調しなければ不幸になる。それは私たち自身の心の持ち方次第だということなのですね。

1393a hope:2012/10/14(日) 19:57:10 ID:8tjYhMb6
>>1391復興Gさま 

ご心配をおかけしたようで、申しわけありませんでした。
前回もそうでしたが、わたしの発言は素直すぎるところがあるようで、
気をつけなければいけないと今反省しています。

こちらこそ、これからもご指導をよろしくお願いいたします。

1394如月:2012/10/14(日) 20:13:20 ID:xGc5AuIc
人を許すのは
「あの人を許して解放したから、私も病気から解放して下さい」という取り引きや方法では無いのですね。
納得しました。
神様と波長を合わせる為なんですね。
さくら様の書き込みを見て思い付いたので、今日は半日、神様の目を付けて行動してみました。
神様はこんな人でも愛しているのかと思いながら見ると、何だか面白くなって、その人の肩をたたいて「でも、あなた、許されてるんですよ。」と
知らせたい衝動にかられました。
理性が勝って良かったです。

1395a hope:2012/10/14(日) 20:25:55 ID:8tjYhMb6
>>1394如月さま

>>さくら様の書き込みを見て思い付いたので、今日は半日、神様の目を付けて行動してみました。
>>神様はこんな人でも愛しているのかと思いながら見ると、何だか面白くなって、その人の肩をたたいて「でも、あなた、許されてるんですよ。」と
>>知らせたい衝動にかられました。
>>理性が勝って良かったです。

これ、すごくいいアイデアですね!
わたしも、早速明日、いや、今からやってみようかと思います。

如月さまって、なんか、すごい!!

1396如月:2012/10/14(日) 20:45:04 ID:xGc5AuIc
うへへへへぇ(気持ち悪い笑み)
a hopeさま、ありがとうございます。
多分、今日の私はこれくらい不気味だったと思います。
レジに割り込んで来た子供とか、頭をヨシヨシしてしまったら、通報ものですから、危なかったです。

1397復興G:2012/10/14(日) 20:46:58 ID:vWpLkCzM

>>1390・1393 :a hope さま。

>>役行者さまが、「生理的な嫌悪感」と表現してくださいましたが、たしかに、今のわたしには、雅宣先生の「祈りのお言葉」や、「神想観」、「経本」に対して、過去の辛い経験からくる「生理的な嫌悪感」があるような気がします。
でも、入信したてのわたしにはそれは全くありませんでした。ただ、ひたすら、信じていたのです。ですから、やっぱり、わたしの精神状態や体調がおかしくなったのは、雅宣先生のお言葉と波長が合わなかったからだと思います。
わたしは、雅宣先生自身に対しては、生理的嫌悪感は全くありません。今は、生長の家の総裁先生として心から感謝していますし、敬愛しています。<<

――この a hope さまの体験は、とても貴重なものだと私は思っています。私などは、そういうセンシビリティがマヒしてしまっています。
どうぞ、その素直な感覚といいますか、それを大切にして下さい。
「わたしの発言は素直すぎるところがあるようで、気をつけなければいけないと……」
私は、それが a hope さまの存在価値のように思いますよ。

1398復興G:2012/10/14(日) 21:01:09 ID:vWpLkCzM

如月様は、「神様の目を付けて行動……」ですか。

≪この眼は神の眼である。善以外のもの、美以外のもの、完全以外のものはなにも見ないのである。この眼は神の眼である。毎日毎日いっそうその実相の完全なる視力があらわれつつあるのである。自分の眼は神の眼である。人々の善さのほか、美しさのほか、完全さのほかはなにものをも視ないのである。≫

という目でしょうか? 「無限愛の目」 「無限のゆるしの目」 なのでしょうね。

1399如月:2012/10/14(日) 21:13:02 ID:???
>>1398 復興G様

申し訳ございません。
自分の、この目は神様の眼で完全なのですね。
その自覚がありませんでした。
自覚の意味が、まだ理解できておりませんでした。
ごめんなさい。
ガッカリされましたでしょうか。
呆れられましたでしょうか。
ごめんなさい。拝

1400a hope:2012/10/14(日) 21:39:16 ID:8tjYhMb6
復興Gさま
>>1392

ものすごく深い真理が書かれた文章のような気がします。
1回拝読しただけでは理解できないので、プリントアウトして、何度も拝読したいです。
さすがに、雅春先生が訳したことにより、原文よりパワーが増していそうですね!

>>1397
わたしの素直さはわたしの存在価値ですか・・・うーん
そこまで言ってくださったのは、復興Gさまが初めてです。
でも、「素直さだけが取り柄」だとは、時々言われますが...(笑)
それでは、このままの a hopeでいかせていただきま〜す。

今回の web誌友会は、参加者が少ないので、復興Gさまを一人占めしているようでとてもうれしいです!
如月さまが、積極的に参加してくださっているのも、とてもうれしいです。


如月さま

如月さまの神さまの目、わが家ではすでに効果抜群ですよ!

「いまだ宿題を終わらせず、テレビを見ている、わが子も、神さまはお許しになっているのだ、
わたしも、神の子だ、何も言わずに見守ってあげよう・・・」

こんな感じに心を変えたら、なんと、直後に宿題をやり始めましたよ!

すごいです!!

1401復興G:2012/10/14(日) 21:40:43 ID:vWpLkCzM

>>1399 如月様。

「この眼は神様の眼である」というのは、「私はこうして祈る」(谷口雅春先生著)にある
祈りの言葉なのですよ。ふだんは「この眼は自分の肉体の眼である」と思っているので、
本来神様から頂いて、神様に生かされている命だから、そうして
「この眼は神様の眼である」と断定する言葉で祈るわけで、ふだんその自覚がないから
祈る言葉です。ですから、そう祈ってよろこびましょう!

1402トキ:2012/10/14(日) 22:01:06 ID:8hlIs9VE
>>1401

 すばらしい言葉ですね。「私はこうして祈る」をあらためて拝読しようと
思いました。

1403a hope:2012/10/14(日) 22:02:54 ID:8tjYhMb6
さくらさま

言いたいことがあるのなら、はっきりとわたしにおっしゃっていただきたかったです。
わたしは、掲示板の空気も詠んでいますし、正直すぎる発言で人を傷つけているのも十分承知しています。
ですが、それ以上に、何が「生長の家の真理」なのか明らかにしておくことは大切だと感じたので、
今回はこのような形の発言をさせていただきました。

「真の生長の家」なら、誰一人どんな宗教の人であれ、だれひとりも排除なんてしないと思いますよ。

1404a hope:2012/10/14(日) 22:11:50 ID:8tjYhMb6
>>1403 訂正
掲示板の空気も詠んでいますし→掲示板の空気も読んでいますし

さくらさま、いったいどうされましたか?
さくらさまらしくないと感じ、とても残念です。

1405如月:2012/10/14(日) 22:11:57 ID:???
>>1401 復興G様

ありがとうございます。
祈った後に、喜びます!
私はこうして祈るは、一回通読致しましたが、全然自分のものに出来ていませんでした。
丁寧に拝読して、喜びます。
ありがとうございます。
感謝 合掌

1406如月:2012/10/14(日) 22:20:59 ID:???
>>1400 a hopeさま

書き込む方は少ないけれど、見られているのかと思うと…
どうしましょう。
一人でレベル下げてしまって。
SAKURAさま、ハイニコポンさま
お忙しいのですね。

1407トキ:2012/10/14(日) 22:26:27 ID:8hlIs9VE
 皆様、どんどん書き込みをお願いいたします。
質問や疑問も歓迎です。(と、言って、答えられない質問がきたら、一目散に逃げたりして)

1408ハマナス:2012/10/14(日) 22:26:27 ID:x2zmnlqw

みなさま
こんばんは。

復興G様
いつもながら、膨大な『生命の實相』第1巻よりの謹写に感謝いたします。
あらためて 第1巻の、素晴らしさがわかりました。
徳久先生も「地方講師たる者は、『生命の實相』第1巻の「七つの光明宣言」の
解説を熟読して、すらすらと、言えるようでないといけませんよ。」とテープの
中で、仰っていました。

今回謹写して下さったご文章はどれも素晴らしいのですが、特に次の箇所が特に
心に深く残りました。
    
「旧我の否定と新しき更生」
 「本当の「神の子」としての自覚というものはそんな安っぽいものではない。
今の状態をありありと反省し、こんな見苦しい不完全な状態は「神の子」らしく
ないということを知り、自分は神の子であるから、こんな不完全な状態は自分の
本性ではない、本性でないものはウソである、いつまでもウソを自分の天性だと
思って天狗になっていてはならないと、豁然(かつぜん)大悟、「神の子」としての
自分が別に厳然として存在することを悟る――これが「神の子」としての本当の自覚で
あります。

 こうして今まで「これこそ自分だ」と思っていた「仮妄(うそ)の自分」を捨ててしまう
ことが、新しく「神の子としての自覚」に入る第一歩であって、毎日反省して、蛇が皮を
ぬぐように毎日「ウソの自分」を捨てる――こうすることによってわれらは毎日新たに
神にいっそう近づくことができる、すなわちわれわれの無限生長の道があるのであります。」

毎日新生する、無限の生長の道に進んで行きたいです。
ありがとうございました。

感謝合掌

1409復興G:2012/10/14(日) 22:33:14 ID:vWpLkCzM

>>1406 :如月さま。

如月様のお書き込みは神様のお書き込みです。決してレベル下げてなんかおられませんよ。

1410うのはな:2012/10/14(日) 22:34:55 ID:MXfo9tzo

 合掌 ありがとうございます。
 すこしお邪魔させてもらいますね。

 こないださくらさんは、掲示板の真の生長の家とかいう言葉を使って
 わけのわからないことを言ってましたが、この方はちょっと位の高いところ
 から「あなたたち」:目線で話す方だなと思います。

 私の信仰の話なのでお答えするわけにはいきません、、
 っていうふうに、話にならない人なので、ここの誌友会の雰囲気を保つためにも
 現存しているメンバー中心に有意義な誌友会を続行していただけたらと思います。

 皆様いつもありがとうございます。

 拝

1411復興G:2012/10/14(日) 22:41:55 ID:vWpLkCzM

>>1408 :ハマナス様。

ご投稿、ありがとうございます。

「旧我の否定と新しき更生」 というところは、本当のよろこびの生活を続けるために
怠ってはならない、とても大切なところだと、私もあらためて思っているところです。

本当に、ありがとうございます。

1412神の子さん:2012/10/14(日) 22:45:16 ID:???
うのはな様

貴女のコメントは、誌友会とは無関係の、ただの人格攻撃です。しかも、貴女は参加してもいない「部外者」です。今後は上記のような発言を慎んでください。

1413a hope:2012/10/14(日) 22:55:15 ID:8tjYhMb6
>>1408 ハマナスさま

ハマナスさまが掲示板に戻られて、ホッとしています。
また、誌友会に参加くださりうれしいです。
わたしも、「旧我の否定と新しき更生」は、とても重要な箇所だと感じています。
わたしも、これから毎日新生し、無限生長し続けたいです。

ハマナスさま、こらからも、どうぞよろしくお願いいたします。

1414ハマナス:2012/10/14(日) 23:29:35 ID:x2zmnlqw

a hope様
こんばんは。ありがとうございます。

開会の祈りから始まり「神の愛を実践する祈り」の謹写とありがとうございます。
早速、印刷させて頂きました。毎日拝読したいと思います。
こちらこそ、これからもどうそよろしくお願いいたします。

感謝合掌

1415復興G:2012/10/14(日) 23:33:28 ID:vWpLkCzM

 皆さま、web誌友会はお開きの時間となりました。

 皆さまのご参加で、とても有意義な誌友会であったと思い、感謝いたします。

締めくくりとして、聖経『真理の吟唱』より、「神の愛に溢るる祈り」を謹写拝読し、皆さまのご家庭の幸福を祈り、祝福しまして、一旦お開きとさせていただきたく思います。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   神の愛に溢るる祈り

 神の輝く愛が自分の全身に流れ入り、常に神の愛が自分の全身から雰囲気となって放射されているのである。わが家庭全体に神の愛が雰囲気となって満ちわたり、すべての家族ことごとく愛の雰囲気にとりまかれ、輝くような悦びと平和と幸福とに生き生きとして生活しているのである。

 わが家庭は神の家であり、神の子の集まりであり、常に神の智慧に導かれ、神の愛に満たされているから、如何なる不幸も病気も自分の家庭を訪れることはできないのである。

 神の愛がわが家庭を護りたまうがゆえに、わが家庭には善きこと、好ましきこと、美しきこと、調和したことのみが集まつてくるのである。神の愛はゆたかなる供給である。神は決して富を求むる者に貧しさを与えたまうことはないのである。しかもすべての家族は天分にかなう仕事を通して全人類に奉仕しているのであり、ゆたかなる供給は自己が人類に与えたる貢献に対して、“動・反動”の法則を通して自己に返つてくるのであつて、決して、価を払わずして供給を得ようとするような卑怯な心を、神は私たちに与えたまうことはないのである。そういう卑怯な心を根絶したまうことこそ却って私たちに与えられた神の愛であり恵みであるのである。

 わが家族はすべて神の子であるから、決して無責任な卑怯な心を持つことはないのである。自分の一切の行為に対して責任を負い、決して偶然のチヤンスで幸福を得ようというような卑怯な心はもたず、ただ「与えれば与えられる」の法則に従つて、神からの恵みを受け入れるのである。

 「与えれば与えられる」の法則によって循環してくる幸福に対しても、私たちは決して自力によって、「人に与えた」とは思わないのである。与える資源も、与える力も、すべて神からの賜物であるから、私たち個人はただ神の恵みの通過するためのパイプのようなものであるのである。私たちが自己の持っているところの富を、能力を、すべてのものを、次へ廻さなかったならば、神の恵みの通過するパイプが塞ってしまったようなものであって、自分自身の生活も快適にはなれないし、また人にも迷惑をかけ、神に対しても誠に申し訳けがないのである。愛とは決して単なる感情でも抽象概念でもなく、他にとってためになるものを与えんとする意志の努力であるのである。

 常に私たちを護りたまう神の愛に感謝いたします。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

ありがとうございました。合掌

1416如月:2012/10/14(日) 23:54:51 ID:ki/haAjk
>>1415  復興Gさま

ありがとうございます。「神の愛に溢るる祈りが心に染み入りました。

今の私を取り囲む状況の暗雲を一度に取り払っていただきました。

何回も読ませていただきます。ありがとうございます。

50時間にも及ぶ長時間の御指導ありがとうございます。

御指導いただいた内容を忘れずに、聖典を読み進めたいと思います。


                               合掌 拝

1417a hope:2012/10/15(月) 00:01:48 ID:8tjYhMb6

復興Gさま 

「神の愛に溢るる祈り」を謹写くださりありがとうございました。

>>私たち個人はただ神の恵みの通過するためのパイプのようなものであるのである。<<
神さまの恵みの通過するパイプが塞らぬようにこれからも「生長の家」のお勉強を続けていきたいと思います。


わたしにとって、今回もまた、とても貴重な学びのweb誌友会となりました。
ですが、反省すべき点も多くありました。
テキストである聖典「生命の實相」を拝読し、勉強すればするほど、
現象の「生長の家」との矛盾を感じてしまいます。
ですから、このweb誌友会でも、どうしても話題が、そちらの方に行ってしまいます。

今回、誌友会前に参加を表明されていた、はいにこぽんさまや、
毎回参加されていた朝日さまなどの参加がなかったのも、参加しにくい雰囲気があったからだと思います。

反省して、次回からは気をつけたいと思いました。

参加してくださったみまさま、閲覧してくださったみなさま、お疲れさまでした。

感謝 合掌

1418如月:2012/10/15(月) 00:16:01 ID:ki/haAjk
>>1417 a hopeさま

誌友会前のお声かけに始まり、行き届いたご準備に頭が下がりました。

おかげさまで、素晴らしい誌友会となりました。

私のような者でも、生長できたと思います。 ありがとうございます。お疲れ様でした。

                               合掌 拝

1419如月:2012/10/15(月) 00:19:28 ID:ki/haAjk
トキさま

いつもいつも、板全体を見守って下さり、またこのような誌友会の御指導までいただき

大変心強く、ありがたく思っています。

日頃、なかなか感謝を伝えられませんが、感謝しています。 本当です。

ありがとうございます。     合掌 拝

1420SAKURA:2012/10/15(月) 00:20:25 ID:jH5uEFzM
復興G様 へ

こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

遅くなりまして……やっと?やっと?や〜〜〜っと今!“事務所”に、まい戻ったところです。
今日は、張り切って、昼頃まで「生命に実相」を読ながら……
昼過ぎに“投稿文”を……パ−トナ−の“ナンシ−”と、楽しみながらいたのです。…が??

しかしながら…昼過ぎから【難問題…アクシデント…ぶり返し…】 >< そうしますと〜〜
この“ぶり返しアクシデント”……もう!!脳回路が“混線模様”
もう〜〜〜〜〜気がつきますと?【理性…】?と言いますよりこちらまで【感情…?】が><
出てしまい〜〜〜やかん頭になりやすく〜〜〜更に!事務所にいませんので…
自宅では“パソコン…”が“一台…オンリ−”です。その解決策のやり取りに“時間”がかかり、
イラ!イラ!〜〜〜の状態でした。

やっと“11時過ぎ”に何とか持ち直しの「解決策の考え?」が浮かびました。
正直!パソコンも開く余裕がなく、意識力が希薄でしたかと反省しています。…が?
ようやく…落ち着いたところでしょうか??

■「復興G様」「誌友会の皆様」 本当に、申し訳ございませんでした…。 m(..)m

今から!皆様の“投稿”を拝読させて頂きながら…“投稿”をさせて頂く行動を取らせて頂きます。
本当に!!ごめんなさい。(自分中心に?思われても…しかたがありません。…が?)

再合掌
PS:「復興G様」……
朝の【祈り…】の言葉…ありがとうございます…。いつも?正直申しますと【基本的神想観…組】?
の私でした。【浄円月観】は、調布時代によくしていましたが…又…気持ちが少しだけ?トライ!
…してみましょうかと…思いました。…が?

1421如月:2012/10/15(月) 00:23:25 ID:ki/haAjk
さくら様、役行者さま、SAKURAさま、ハマナスさま

素晴らしい書き込みをありがとうございました。

大変、勉強になりました。

また、見守っていて下さっていた皆様、最後までお付き合い下さいましてありがとうございました。
 
                                                  合掌 拝

1422如月:2012/10/15(月) 00:24:53 ID:ki/haAjk
>>1420  SAKURAさま!!

お疲れ様です。 お仕事大変だったのですね。

どうぞ、お続け下さい。 読ませていただきます。勉強になりますので。

ありがとうございます。

1423SAKURA:2012/10/15(月) 04:31:29 ID:jH5uEFzM
如月様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1422の“投稿”から〜♫〜
❤〜数日前から〜〜〜ダウン!ダウン!の心が、とても”優しさ言葉“……にて、
少ずつ“心”が、ほぐれてきましたでしょうか???
今後とも、よろしくお願い申し上げます…。

【感謝!!】                       再合掌

1424SAKURA:2012/10/15(月) 04:33:37 ID:jH5uEFzM
復興G様 へ
トキ様 へ
誌友会の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

「生命の実相」の中から…p167より

=== ◆六章 愛と真理によって更生せよ ========================☆

≫≫神癒によって兄弟の病気を治すには、われわれは自分の念(こころ)淨まらなければ
ならないのであります。自分の念が、ありとあらゆる「罪」や「迷い」というものから
除き去られて、神の無限の生命力が自分の念をパイプとして流れこんで来るようにならな
ければならぬのであります。〜〜〜
>>これに反して自分の念が「迷い」に閉ざされ罪に堰かれて、自分自身が神の「生命の水
を流しこむパイプになることができなければ、神の「生命の水」(治してくださるお力)が
患者に達せず、したがって病気が治りにくいのであります。 (抜粋文
=============================================

■【祈る…】時に“清まる心”がなければ〜〜〜「神様の御心」に伝わることが?
出来ませんです〜〜〜ョネ!
今日の“アクシデント”は、確かに私の“念”も多少は入りましたかと?その時の“心”は?
“調和の精神”は?あるようで >< ないのかも??
ただ!相手の言い分の“奥の心…ジ〜〜〜ッと観察”……覗きながら考えていく内に、
ただならぬ感情が〜〜>< そのような時は、理性?を優先にと思いながら?
まず【私の心=念を調和の調べの世界へ…集中】でしょうか???〜〜〜そして、今!
起きている“課題に集中”して、取り組み、更に……【意識=意志にて前に振り向く…】
それを、更に【前面に押し進めながら……祈り】かと??そう!【祈り…】ます時は、
もう【調和の精神】は、神様にアンテナを“前面的に振り向ける事!”それは、私の“心”を、
【〜♫〜穏やかな調べ〜♫〜調率…】して行く事でしょうか?
今回!病気でも?何でも?実生活に活用できる“問題”です〜〜〜ョネ!
今日は、も〜う“前面”進む事を集中しようと【切り替えモ−ド】にやっとなりました。…が?

=============================================☆
≫≫「目に見える兄弟を愛することができないで、どうして眼に見えない神を
本当に愛することができようぞ」  (抜粋文)
=============================================☆

■やはり“愛”はいたるところにあるのでしょうか〜??
そうです!“愛の調べ”なのでしょうか〜??元々ないものをあるような“錯覚”……
それは「悪魔の心」なのでしょうか〜〜〜><
まず【悪魔…】は“お金”に負ける“心…”その“心…”は迷いでしょうか?
迷いがある時は、如何して「神様の御心…」を、入れることが出来るのでしょうか??
まず!出来ないのでは「悪魔の心」は、まず【物質世界=唯物論】でしょうかしら〜〜〜ン!
「物質…」におかされた“心…”は、病気でもしますと【物質世界=唯物論】が根本ですから、
当然 “病気がある!”と捕まえていますでしょうから、その“心…”!は【悪魔のいけにえ】です!

認めた事が、当然!この現象世界に現れるますから【実相…】ではないのですモノ〜ネ!!
病気はまずないのです〜〜〜ョネ!【実相世界…】では!!
病気は“迷いの世界”に引きずられながら〜〜〜歩くようなモノ ><【悪魔の世界…扉?】
【迷いの学校…】なんです〜〜ョネ!これが、いろいろな形で現れてきます。【迷い=悪魔】へ…

                    (つづく)

1425SAKURA:2012/10/15(月) 04:35:45 ID:jH5uEFzM
復興G様 へ
トキ様 へ
誌友会の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>> 1424の投稿の続きです…。

■さて!今日の“アクシデント”私の環境も、似たような世界です。
見たくないモノが?目の前に“現れた時”…関わりたくないモノを?関わった時……
すべて【迷い=悪魔…囁き】が現れたと……最近!思えるのです。

例えば“吸血鬼・ゾンビ達”は【お金に執着】しています。そして、良心の仮借は?「ゼロ」
一つの言い訳の様に〜〜まるで【呪文…】のように言い聞かせています。
それを、毎日【呪文…】しながら“お金”の為に【言い訳論…】でしょうか???

■【彼らが“バカ”だから?こういう事をしていいのだという感じでの正当論!】
全て“お金”〜〜〜“お金”に結びつけて物事を、考えての行動ですから、そのような
【心=念波…】は、神様の“心”更に“愛”は、程遠い〜〜〜モノです。
彼等も、それは承知しているのですから、すがるものは【悪魔の世界…】に引きずられ?
入っていきますかしら〜〜〜ン!

■【ジ ュ リ ア の 伝 言】では「悪魔…」はその人の弱みをみつけて、
はいり込みますから、全て【モノの価値観…唯物論】が優先になりますかと〜〜〜?
彼らの【祈り…すべて“密教”】でしょうか??そして、【悪魔払い=悪魔儀式】…
その方法は多々ある様ですが??“いけにえ?”には?相手によりけりかと?
代表的な“いけにえの宗教…”もあります〜〜〜ョネ!
【車輪の棒を、一本“地獄”に置いていている!】彼らは、つまり!もう何度も〜何度も〜
【永遠にその世界の呪文…に縛られる】ので〜〜〜す。【海外のオカルト映画…】の様に〜><
私は「黒幕デザイナ−・吸血鬼・ゾンビ…」は、そのような状態と、最近!判断したのです。

❤〜私は【ジュリアの伝言】と一緒で…【神=意志=意識】に繋ぐことが〰〜♫〜〜
自由に出来る“愛”の世界に……飛んで行ける?
そう!【調率しながら“神様”へ!…】全面!信頼して振り向けて行ける事が出来るのが、
自分の【意識世界に、これが瞑想=神想観の事なのでは?】と、この頃思います。
自分の【心 を 強 化 す る 近 道】でしょうか〜〜〜><
今!新たに益々【自分の心の意識に=目に向ける事が出来るのが“祈り”…】なのです〜ネ!
こうなりますと【実 相 ・ 現 象 も 超 越 ?】しますかしら〜〜〜ン?
私の“心”を蓋をしていますと【悪魔…足音】が近付きます。…が?

■その魔除けは〜〜〜【瞑想=祈り=神想観】です。…かと??
“怒り”・“悩み”・“不安”とか〜〜〜“ネガティブ感情”が何処かへ消えていき〜〜♫〜〜
【私の心=本来の心】が“私の内部の声”が……その“声”が必ず!囁いてくるようです。
そこからが、本当の【始まり??】です〜〜〜ョネ!

■■【祈 り … 大 切 な “心 の エ ッ セ ン ス ”!!】でしょうか?

                                    再合掌

1426神の子さん:2012/10/15(月) 06:28:35 ID:QbPEeOzU
>>1412
IDを表示させない人のほうが部外者だと思いますよ。

1427うのはな:2012/10/15(月) 08:27:44 ID:dmjkWKLo
1412 :神の子さん:2012/10/14(日) 22:45:16 ID:??? うのはな様

貴女のコメントは、誌友会とは無関係の、ただの人格攻撃です。しかも、貴女は参加してもいない「部外者」です。今後は上記のような発言を慎んでください。

部外者なら発言できないのではなくて、部外者ほど多くの発言や横入りしているのが、
ここの掲示板の特徴でもある、と思います。
最初から、少しお邪魔します、と断っていますよ。

1428SAKURA:2012/10/15(月) 09:22:59 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ
おはようございます……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

私事にて…大変申し訳けありませんでしたが…昨日は真夜中近くの“投稿”になってしまいました…。

❤〜ごめんなさい…。もしも?「奥殿…行き」なっております場合 >< お時間ございましたら?
“奥の間”まで……閲覧して頂きますと、幸に思います。

                              再合掌

1429復興G:2012/10/15(月) 09:29:35 ID:vWpLkCzM

トキ様
皆々さま

合掌 おはようございます。ありがとうございます。

管理人 トキ様のおかげ、そして参加者・見守って下さいました皆々さまのおかげで、意義ある『生命の實相』勉強のweb誌友会ができましたことを、あらためて感謝申し上げます。
私もこれを機会に、もう一度テキストと皆さまの書き込みを拝読しなおし、心新たに精進、前進いたします。
また日を改めて感謝の投稿をさせていただきます。
合掌

1430復興G:2012/10/15(月) 09:33:51 ID:vWpLkCzM

>>1428 :SAKURAさま

ありがとうございます。
すみません、少しお時間をください。
明日になるかも知れませんが……よろしくお願いいたします。
合掌

1431トキ:2012/10/15(月) 09:36:24 ID:TYeiqSp6
復興G様

 今回もすばらしい御指導を賜り、深く感謝申し上げます。
ご多忙の中、ご丁寧なご指導を賜り感謝しております。

合掌 ありがとうございます

1432SAKURA:2012/10/15(月) 09:39:03 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ
トキ様 ヘ
誌友会の皆様 ヘ

おはようございます…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1420>>1423>>1424>>1425>>1428の引き続き“投稿” …宜しくお願い申しあげます…。

さて!皆様の【四無量心…】に関しましての“捉え方?”…etc拝読させて頂きながら〜♫〜

■【雅春先生…創刊号】から抜粋を……させて頂きます。

〜〜〜【抜粋投稿】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■■【三 種 の 愛】
愛せよ。少しも求めず愛せよ。これが愛の秘訣である。
こんなに愛してやってゐるのに相手を斯うだと批難するな。呟くな。
愛は、その結果がどうなるからとて愛するのであつてはならない。
愛すること、そのことが神の道だから愛するのだ。
愛すること其のことが幸福だから愛するのだ。
結果をもとめた愛は必ず不幸に終る。

愛の三段階―――
第一階は愛した結果の利益を予想するところの愛である。これは功利的な愛である。利益になら
なければ腹が立つ。

第二階は、相手が喜んでくれるから愛するのである。これは功利的ではないが相手も喜んでくれ
なかったり、相手が自分の好意に気がついて呉れなかったら腹がたつ。

第三階は至上階に位する愛である。第一階の愛も、第二階の愛と共に『我』がある。『自分がかう
した』『自分がああした』『然るに彼は』と云う風に、『自分』と云うものを脱け切ってゐない。

至上階の愛は、『自分』を全然脱却してゐる。それは飄々乎として捕へんと欲すれど捉へることが
出来ない。『先刻はこんな 結構なことをして頂きましてどうも有り難う』と云われても、『ヘェ、
わたしが? 何時そんなことをしましたかねぇ。』と空らとぼけるのではないが、心から自分の
愛の行為を忘れて了ったやうな愛である。

それは自分がしたいのではない神と偕なる時、おのずから出来た愛であるから、「自分がした」と
云う感じが少しも残ってゐない。

                    つづく

1433SAKURA:2012/10/15(月) 09:41:29 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ
トキ様 ヘ
誌友会の皆様 ヘ

おはようございます…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1420>>1423>>1424>>1425>>1428>>1432の引き続き“投稿”…宜しくお願い申しあげます…。

 これが惟神(かんながら)の愛である。神流れの愛である。神催しの愛である。神と偕なる愛
である。大菩薩の愛である。
生長せんとする家はこの大愛を目標にして進まねばならない。

家庭の葛藤は、舅姑と嫁との争ひは、夫婦親子間の紛争すべて『自分が斯うしてやったのに、
彼は斯うした』と云う不平から起こるのである。
 かふした不平は自分が神から遠ざかったことの證據である。
かかる不平起れば叱する他を自己を一喝せよ!渇!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

❤〜これは「生長の家」創刊号… 昭和5年3月1日発行…この中の抜粋なのです。…が?
この文章を見ますと【神 は 愛 な り 〜〜絶 対 の 愛 !】と…
それには…第一条件??でしょうか『我…』これを捨て去らないといけないのです〜〜ネ!
ふと?私自身を振り返りますと…??【反省…】しきり…の私です。

更にこれこそが【神の愛…惟神(かんながら)の愛…】なので〜〜〜ネ!
「神々とともに」「神のご意志のままに」という…日常生活を送る私たちに取りまして……
いつもそばに『神様との一体感??』その感覚を自覚しないといけませんでしょうかと??
そうしますと……【神の子…】本当に!本当に!自覚に入りますでしょうか〜〜〜??

今回の“アクシデント”から?つい?つい?なのですが〜〜〜
“感情”が先になりましたでしょうか??そうしますと……どんどん“深み?”に転げ落ち!!
当に【石…】になってしまいまして?とても『神の子…』とは、ほど遠〜〜〜い“私”に ><
不満〜〜〜不平〜〜〜怒り〜〜〜ネガティブ感情が >< 飽和状態!!!

その時!!【祈り…】にて、正しい“想念”を、内なる神様から…頂きまして、
ようやく『惟神(かんながら)の愛』…の“心の状態”に…??
それでも…正直言いますと、今回は?【祈り…】いつもよりは?時間がかかりましたでしょうか?

さて!
【雅宣先生…】の説かれています『四無量心…』この事も、“愛の形”を説かれています。…が?
但し……4段階??でしたかと??同じ事を、おっしゃつています。
【慈・悲・喜・捨】…行じる事が「生長の家」の信者としての使命…なのです。と明記されました。??
まだまだ【本当の人間??】私自身“人間失格”部分がありますでしょうか??
そして、もう一つ「今の時代…次世代に…この“素敵な〜青い〜地球”残す為にも」…
自然に対しても…考えなくてはいけないのでは〜〜〜その様に思います。…が??

■【人生というの素晴らしい旅…】を旅していくには…
そうです〜〜ョネ!より良いモノにするには?改めて…【〜愛〜】しかも

■■【神の愛…惟神(かんながら)の愛…】…この事が…次なるステップに繋がるのでしょうか?
                                     再合掌

1434役行者:2012/10/15(月) 11:00:44 ID:Tzk1if3U
 a hope 様


 >イミシンに発言されていますが、どうしてですか?
「わたしは、あなたのこの行動をこんな風に感じていますよ。」
と正直に発言してあげることは、愛ある行為だとわたしは思いますが・・・ちがうのでしょうか。<

  確かにそう思います。幼子のような心も大切にしてゆきたいと思います。

1435ハマナス:2012/10/15(月) 11:33:26 ID:x2zmnlqw

みなさま、復興G様

こんにちは
Web誌友会では、素晴らしいご指導と、しめくくりの“神の愛に溢るる祈り”を
ありがとうございました。感謝申し上げます。

合掌

1436復興G:2012/10/16(火) 18:54:17 ID:vWpLkCzM

1432 ・ >>1433 :SAKURA さま。
そして
皆々さま。

ありがとうございます。

web誌友会で学ばせていただいてから、私は「榎本恵吾記念館」に新しくアップされた「文書館11 幽斎殿Ⅳ」を感銘深く拝読しました。

これは、榎本先生が宇治別格本山の祈願部長として、入龍宮幽斎殿で深い祈りに徹しておられたときに、湧き上がって来たといいますか、天降って来たといいますか、悟りの境地からほとばしって出できた言葉を、そのまま書き記された御文章だと思われます。
http://homepage2.nifty.com/hanabira/

一部抜粋をここにコピペさせていただきましょう。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 住吉大神はみづからの消え切りの澄み切りである無量の光りであり給う、その光りに包まれることが、自分もまた消えていることであり、これを「全身全霊浄めらる」というのである。

 「塩椎大神に導かれて」とは、塩椎大神がみづから「私は無い」と消えてい給う、その消え切りに消え切り給うている、その聖なる輝きに浴することを意味するのである。

 「無の門関に坐する」とは、無いものを無いとすること、すなわち、言葉、想念にて「無い」と言えるすべてのすべてを「無い」とすること、ただただその一筋でよいということなのである。

 今朝目覚めた時、「ただ嬉し」という声が内よりひびいた。湧き出でた。そして同時に「その輝くひびき、声、湧き出ずるものも無い」のであった。

 言葉、想念にて「無い」と言えるものすべて無し。
 神無し、實相無し、内なし、神の国無し。光り無し。その無しも無し。その無しの無しの無しも無し。

 「“無”を貫いたとき、そこに實相がある」と言えども、その「貫く」という意味は、その「實相」をも“無”とすることにあるのである。「“無”を貫いたとき、そこに實相がある」ということも“無い”と言えるからである。

 實相というものが自分の外にあるのではないのである。神というものが自分とはなれて外にあるのではないのである。外にあるものは實相でもなく、神でもなく、澄み切りでもないのである。

 自性とは“在りて在る”なる自分無き渾(す)べての渾べてなる今ここなる神であり、天国にして極楽なるものであるのである。

 久遠崩るることなき今ここなる渾べての渾べてなるもの。渾べての渾べてなる、他なく相対なく、証明不要なるものであり、因縁超脱なるものである。

 “吾が生くるは吾が力ならず、天地を貫きて生くるみ親のいのち”とは、自分は無く、神の一部ではなく、神そのものの全身がここに生き給うことなのである。この自性円満なる、すべてのすべてなるものの声として“一羽の雀と言えども、父のゆるしなくしては地に堕(お)つること能わず”と鳴りひびいているのである。道元はこれを“一切衆生悉有(いっさいしゅじょうしつう)は仏性”と言い給い、釈尊は“山川草木悉皆成佛、有情非情同時成道”と宣(の)り給うたのであり、大聖師谷口雅春先生は、“天地一切のものに感謝すべし”と単的に示されたのである。
(榎本恵吾記念館より、つづく)

1437復興G:2012/10/16(火) 18:55:08 ID:vWpLkCzM

(榎本恵吾記念館より、つづき)

 “最早(もは)や吾れ生くるに非ず、神ここにありて、渾べての渾べてし給うなり”である。
神が今ここに天国し給い、神が今ここに極楽し給うているのである。神が“吾れ”し給うているのである。

 「父の許しなくば、一羽の雀といえども地に堕つること能わず」

 もしも、父の許しがなければ、悲しむことも、悩むことも、病いに罹ることも、憎むことも、恨むことも、死することも能わざるなり。それが能うのはただただそこに父のゆるしなるもののみが實在し輝き満ちているからなのである。
 そして、その父は「吾が内にまします」のである。それ故に「許すは吾れにあり」であるのである。

 天地一切、万事万物万象ことごとく「父の許し」そのものであるのである。「一切衆生悉有は仏性」であり、「娑婆即寂光土」であるのである。

 「現象無し」とは、現象への限りなき父の許しを意味しているのである。

 「現象無し」とは、現象と見ゆるものはそのまま父の赦しの輝きそのものであることであり、「五蘊皆空(ごうんかいくう)」とは「五蘊皆光」であるのである。

 「許すは吾れにあり」とは、許す側、創造する側、生み出す側にいることを意味するのである。
 音を生み出す側のよろこびに立つまでは、どんなに音からよろこびを得ようとも、“これでよい”という完全なる充足は味うことは出来ないのである。景色でも、景色から何かを、よろこびを得ようとして、景色に求めている間は充足は得られないのである。景色を生んでいるよろこびこそ、最後なるよろこびであるのである。

 「他(隣人)を己れの如く愛せよ」とは、神を己れとして愛せよ、ということであり、實相世界を己れとして愛せよ、ということであり、天国極楽浄土を己れとして愛せよ、ということであり、釈尊を己れとして愛せよ、ということであり、キリストを己れとして愛せよ、ということであり、大聖師を己れとして愛せよ、ということである。

 “己れとして”とは、己れの展開として、それのひろがりとしてということであり、“愛せよ”とは観ぜよ、ということである。

 「他のよろこびを自分のよろこびとせよ」とは、他としてあらわれた自分を、神なるよろこびそのものとして、その實在の相(すがた)を観ぜよ、ということである。自分をとりまく天地一切のもののよろこんでいる姿は“自分がよろこんでいる姿である”ということである。自分がその人のよろこんでいる姿として展開しているということである。
(榎本恵吾記念館より、つづく)

1438復興G:2012/10/16(火) 18:55:46 ID:vWpLkCzM

また、たとえば、古事記神話の最初の記述について――
(榎本恵吾記念館より)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「日々大祭(たいさい)」である。大祭とは、吾が内に一切があることを拝むことにほかならないのである。外は無いということである。無いものを無いと知るのはまことの自分であり、實在(ある)ものを實在(ある)と知るのもまたまことの自分であるのである。大祭は自分の中で行われるのである。

「天地(あめつち)のはじめのとき、高天原(たかあまはら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣比神(たかみむすびのかみ)、神産巣比神(かみむすびのかみ)、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)、天之常立神(あめのとこたちのかみ)、国之常立神(くにのとこたちのかみ)、豊雲野神(とよくもぬのかみ)。これら七柱の神は独神(ひとりがみ)なりまして、身(みみ)を隠し給えり」と『古事記』には記されているのである。独神(ひとりがみ)とは絶対神ということであるのである。

 天地一切万物は「山川草木国土悉皆成仏、有情非情同時成道」と釈尊の拝まれたごとく、ことごとく仏であり、神である故、天地一切万物はことごとくそのまま独神(ひとりがみ)すなわち絶対神であるのであって、身(みみ)を隠し給いて、みづからの消え切りの澄み切りの聖なる輝きそのものなのである。高天原は遠くにあらず、「吾が内に、今ここに、吾れとして」あるのである。

 高天原も龍宮本源も自分自身のことであったのであり、天地一切万物ことごとく、そのまま高天原であり、創造の本源、龍宮本源そのものであったのである。これが「はじめのはじめ」の消息であり、無の無のそのまま無しの無しの澄み切りにして、真空にして妙有(みょうう)なる消息であるのである。

 神癒祈願お申し込みのお一人お一人が独神(ひとりがみ)すなわち絶対神にましますのである。絶対神とは完成なる、成就そのものなることを意味しているのである。

 實相世界の、神の無限の智慧の海、愛の海、生命の海、供給の海、よろこびの海、調和の海の六つの御徳の海もそれぞれそのままに絶対神すなわち独神(ひとりがみ)であり給いて、身(みみ)を隠し給うて、澄み切りなのである。
 それ故、この六つの御徳は一つなる澄み切りの「生かす力」なのであり、それが流れ入って、吾れに満ち満ちて不透明なる肉体が無色透明に澄み切るのが神想観であるのである。

 斯くの如く、斯くの如くして、生長の家の聖典の一言一字はことごとく独神(ひとりがみ)にましまして身(みみ)を隠し給いて、聖の聖なる、はじめのはじめなる澄み切りの輝きにましますのである。
(榎本恵吾記念館より、つづく)

1439復興G:2012/10/16(火) 18:56:27 ID:vWpLkCzM

(榎本恵吾記念館より、つづき)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 高天原に成りませる「七柱」の神は「無限柱」の神を意味しているのである。七は完成、完全をあらわし、完全は無限をあらわしているのである。その無限柱の神はことごとく独神(ひとりがみ)にましまして、無限柱の神ことごとくが絶対そのものにましますのである。無限とは「すべて」をあらわして、すべてのもの、天地一切万物がそのまま、ことごとく独神(ひとりがみ)すなわち絶対神であることであるのである。

 天地一切万物ことごとくを独神(ひとりがみ)すなわち絶対なるものとして観ずることが天地一切感謝であるのである。感謝とは絶対価値の判定である、とはこの意味でもあるのである。

 神の一人子とは、神なる一人子であり、神は独神(ひとりがみ)にましますが故に、その子は独子(ひとりご)であるのであり、独子(ひとりご)とは絶対なる子ということであるのである。
 絶対なる子が一人子なのである。

 浄まるとは、あるべきものがあるべき相(すがた)にあることである。それ故、天地一切万物ことごとくは独神(ひとりがみ)であるのであれば、その独神(ひとりがみ)であることを観じ、認め、生くることが浄まっていることなのである。独神が独神していることこそが浄まっていることにほかならないのである。……

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 これは榎本先生の大悟徹底した「現象はない」 「自分はない」 「神のみあり」 「我れ神なり」 「すべては神なり」 の境地から出てきた言葉だと思います。いかがでしょうか。

SAKURAさまが >>1432
>>さて!皆様の【四無量心…】に関しましての“捉え方?”…etc拝読させて頂きながら〜♫〜■【雅春先生…創刊号】から抜粋を……させて頂きます。<<
として、愛の3段階についての御文章の最後に
「これが惟神(かんながら)の愛である。神流れの愛である。神催しの愛である。神と偕なる愛である。大菩薩の愛である。生長せんとする家はこの大愛を目標にして進まねばならない。」
とありました。そして
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【神 は 愛 な り 〜〜絶 対 の 愛 !】と…それには…第一条件??でしょうか『我…』これを捨て去らないといけないのです〜〜ネ!ふと?私自身を振り返りますと…??【反省…】しきり…の私です。更にこれこそが【神の愛…惟神(かんながら)の愛…】なので〜〜〜ネ!「神々とともに」「神のご意志のままに」という…日常生活を送る私たちに取りまして……いつもそばに『神様との一体感??』その感覚を自覚しないといけませんでしょうかと??
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
と書かれていましたが、私の場合は、あるときふと、「自分」というものは本来なかったのだ――と気がついたとき、自分の中にすべてがあり、すべてが自分だった――と思えました。そして「四無量心」を行ずる事が、無理な義務ではなく、無限に大きく広がる喜びだと思われました。
 そして、家族や接する人々とも、すべて “In Tune with the Infinite”、無限と調和したように、問題は解決し、いっそう良い方向へと自然のうちに導かれているようで、ただ感謝、感謝です。
(つづく)

1440復興G:2012/10/16(火) 19:51:57 ID:vWpLkCzM

(つづき)
また、以前>>528 でちょっと触れたことのある天外伺朗(てんげ・しろう)著『ここまで来た「あの世」の科学』という本を読了しました。(あさひ様も読まれたということでしたね。ほかにもお読みになった方もいらっしゃるでしょう)

天外伺朗氏は元ソニーでCDや「AIBO」ロボットなどを開発担当した最先端の科学者、技術者、工学博士で、最新の物理学やユング心理学・東洋思想などにも詳しい方。「あの世」というと、ふつうは死後の世界、いわゆる「霊界」のことを指しますが、天外氏のいう「あの世」は、ちょっと違います。生長の家でいう「実相世界」に近い、「全てが一体」の本源世界です。そして、

『宇宙は、全体として、ひとつの生命体です。その基本は、「無条件の愛」であり、また「仏性」であり、宗教が神や仏と呼ぶ概念と一致します』

という結論になるのです。

<「この世」では私とあなたは別人であり、路傍の石ころや空飛ぶジェット機は、それぞれ別個の独立した物体であり、太陽や月は、私とは無関係なはるか彼方にある天体です。
ところが、「あの世」では、私はあなたであり、同時に石ころでもジェット機でもあり、また太陽や月、さらにはアンドロメダ大星雲でもあるのです。>

こういう結論(といっても仮説の段階ですが)を導くのに、天外氏は壮大なスケールで、科学と宗教の相克の歴史、デカルト・ニュートンからアインシュタインの相対性原理、量子力学、ボームの「ホログラフィー宇宙モデル」、カプラの「タオ自然学」、プランク・スケールの「超ひも理論」、プリブラム……そしてフロイト、ユング等の深層心理学などをわかりやすく咀嚼・解説し総合しながら、前記のような結論を導き出しているのです。生長の家の説くところを裏付けるようなところが多々あって、とても面白く読めました。
ちなみに、オビには

「神の正体、生命の秘密……最先端科学で解き明かす 人類最大の謎」
というコピーが入っています。

この本(『ここまで来た「あの世」の科学―魂、輪廻転生、宇宙のしくみを解明する―』改訂版)は、祥伝社黄金文庫として文庫本で安く出ていますから、まだお読みになっていない方は参考に一読されることをお勧めします。

でも、こういう理論(仮説)は、現在の科学的手法では、反復可能な実験で立証されるというようなことは永遠にできないのかも知れないと思われますが、真理は、誰にでも宿っていますから、魂で納得できる真理というものがあると、私は思っています。

それが、『生命の實相』には書かれているのだと思います。もっともっと、それを学び、実践して、魂を高め、自他の、すべての人類の、幸福を増進、増大させて行きたいと思います。

web 誌友会はそのための貴重な場です。
トキ様、ありがとうございます。
ご参加くださいました皆々さま、本当にありがとうございました。
今後ともいっそう研鑽に励んでまいりましょう。
皆々さまの魂の向上と幸福増大をお祈りいたします。
ありがとうございました。
合掌

1441トキ:2012/10/16(火) 20:05:33 ID:8TAkEh76
復興G様

 すばらしい御文章を紹介して下さり、深く感謝申し上げます。

 榎本先生は偉大な先達ですが、公刊された著書が少ないので、信徒の中には、知らない人もいます。
こういう形で紹介されたら、きっと多くの方々に良い影響を与えるでしょう。

 生長の家信徒にとっても、有益で、望ましい事だと確信しています。ご多忙の中、
ご文章を紹介して下さり、深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1442復興G:2012/10/17(水) 11:22:53 ID:vWpLkCzM

>>1441 :トキ様

ありがとうございます。

なお、SAKURAさまが、「四無量心」、「四無量心を行ずる神想観」 のことに言及されていました。
それについて思うことを書かせていただきます。

私は、「四無量心を行ずる神想観」は、谷口雅春先生がお教え下さったもので十分であり、何も付け加える必要のないものだと思っております。それで谷口雅宣総裁が新バージョンというのを発表されたということは記憶にあり、それがどこへ行ったか、探してもなかなか出てまいりませんでしたが、やっと見つかりました。それは、総裁の2010年新年のご挨拶にありました。以下の通りです。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

(総裁の2010年新年のご挨拶より)
≪ご存じのとおり、生長の家には「四無量心を行ずる神想観」というのがあります。これの“新バージョン”を作りましたので、ここにご紹介いたします。
 
 (神想観の最初の基本部分に続いて、次のように唱えます)
「わが心、神の無限の愛、仏の四無量心と一体にして、虚空に広がり宇宙に満ち、一切の衆生をみそなわして、その苦しみを除き、悩みを和らげ、楽を与え、喜びを与えんと欲するのである。
 わが心、神の無限の愛、仏の四無量心と一体にして、さらに虚空に広がり宇宙に満ち、地球のすべての生命(せいめい)と鉱物の一切を見そなわして、その苦しみを除き、楽を与え、多様性を護り、喜びを与えんと欲するのである」
 (この2つの言葉を繰り返して念じた後で、次のごとく念じます)
「一切衆生の苦しみは除かれ、悩みは和らげられ楽は与えられ、喜びは与えられたのである。ありがとうございます。ありがとうございます。
 すでに、地球のすべての生命(せいめい)の苦しみは除かれ、楽は与えられ、多様性は護られ、喜びは与えられたのである。ありがとうございます。ありがとうございます」≫

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 この“新バージョン”を行じていると、気分が悪くなることがあるのはなぜでしょうか。
 それは、人間は自然を破壊し、自然に苦しみを与え多様性を減らしてきた悪者である、と人類を責めている潜在意識があって書かれているからではないでしょうか。

SAKURAさまは、>>1433
>>さて!【雅宣先生…】の説かれています『四無量心…』この事も、“愛の形”を説かれています。…が?但し……4段階??でしたかと??同じ事を、おっしゃつています。【慈・悲・喜・捨】…行じる事が「生長の家」の信者としての使命…なのです。と明記されました。??まだまだ【本当の人間??】私自身“人間失格”部分がありますでしょうか??そして、もう一つ「今の時代…次世代に…この“素敵な〜青い〜地球”残す為にも」…自然に対しても…考えなくてはいけないのでは〜〜〜その様に思います。…が??■【人生というの素晴らしい旅…】を旅していくには…そうです〜〜ョネ!より良いモノにするには?改めて…【〜愛〜】しかも■■【神の愛…惟神(かんながら)の愛…】…この事が…次なるステップに繋がるのでしょうか?<<

と書かれていました。
“??”などの記号が多くて、意味がはっきりわからないところが多々ありますが、なんとなくお気持ちは伝わります。
で、それについて思うところを次に書かせていただきます。
(つづく)

1443復興G:2012/10/17(水) 11:23:30 ID:vWpLkCzM

(つづき)
私は今、ある合唱団でコーラスをしています。その練習・発表曲目の一つに、「山のいぶき」(松前幸子作詞・川崎祥悦作曲)というのがあります。その歌詞をご紹介します。

     ○

山すそを洗う せせらぎに
耳をすませば しみじみと
山のいぶきが 山のいぶきが 思われる
(上の3行、くりかえす)

明る過ぎる夏の陽射(ひざ)しに
木々の青さが光り
小鳥の歌と そよ風を
呼んでいるのか 呼んでいるのか
山よ 山よ 山よ

流れ行く雲を しぶき行く水を
懐(ふところ)に抱いて
微笑(ほほえ)む山
喜びが 喜びが
峰(みね)をつたって 峰をつたって
こだまする

それは山の 山のいぶき
それは山の 山のいのち
(上の2行、くりかえす)

     ○

――とても言い詞だと思われませんか。
地球は生命体であり、山も生きている。
お釈迦様が「山川草木国土悉皆成仏、有情非情同時成道」とおっしゃった、お悟りの喜びの心境は、こういう思いだったのではないかと、私は感動しながら歌っています。曲もすばらしいです。YouTube にアップされているのもありますが、私たちの合唱の方が、もっと感動をこめて美しく歌っているのではないかと思っています。
(YouTube の一例↓)
http://www.youtube.com/watch?v=AFCKVlWcTRU&amp;feature=related

雅宣総裁が「四無量心を行ずる神想観」の“新バージョン”や「大自然讃歌」をつくられたお気持ちのそこにも、この「山のいぶき」の歌のように、自然の中に神のいのち、喜びのいのちを拝み、ともに手を取り合ってよろこびたいというお気持ちがあるのではないでしょうか。――私は、そう思います。
この「山のいぶき」という歌も、「大自然讃歌」という題がつけられてもよいような歌だなあ――と思いながら……。

1444復興G:2012/10/17(水) 11:44:34 ID:vWpLkCzM

上記、
<この「山のいぶき」という歌も、「大自然讃歌」という題がつけられてもよいような……>
というところは、むしろ
<この「山のいぶき」という歌こそ、「大自然讃歌」という題がふさわしいような……>
と言った方がよいでしょうか。

1445SAKURA:2012/10/17(水) 22:14:13 ID:jH5uEFzM
復興G様 へ

こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

先日から【WEB 誌友会】に、於きまして私自身が、“感想”を、投稿させ頂きました処…
お忙しい中【復興G様…】からの“お返事”…そして私自身知らなかった“情報…”教えて頂き
感謝の気持ちで…今!下記の御文章を、拝読させて頂きながら、後日、投稿をさせて頂きたく思
いました。
此処昨今…“電波妨害?”…詳しくは申せませんが >< まだ!“混戦模様…”にて?

>>1436>>1437>>1438>>1439>>1440>>1442>>1443>>1444…【復興G様…の投稿の御文章】
非常に興味深く…“考える世界”を抱きました。
そして、今まで以上に?個人的なのですが【宗教と科学…】此処から更に【現象世界……
実在世界…】素晴らしい御文章から?色々考えさせられている次第です…。

大変申し訳ありませんが…【時間を……】いた抱きたく思います。
                               再合掌
PS: 【復興G様…】
少しずつ…投稿させて頂きますので、宜しくお願い申し上げます。

1446「訊け」管理人:2012/10/18(木) 06:42:35 ID:???

>>復興Gさま


 懐かしさのあまり、返信文を投稿致します。貴殿ご紹介曲『山のいぶき』ですが、懐かしい歌でありました。これは中学の頃、合唱の自由曲でした。(なお課題曲は『大地讃頌』でありました。この曲も素晴らしいので後段に掲載致します。)


 動画を視聴し当時の先生の話などを、思い出しましたね。


 この『山のいぶき』は先生曰く、「変声期を迎えた男んし(衆)のための歌」とか(笑)まあ、どういう意味かと云いますとあの、男声単独パートがあるのですが(「山〜すそ〜をあ〜らう」♪)ここは、変声期を迎えた男子生徒が、自分の「大人になった声を確認するところ」だとか。先生はこう云っておられましたね。「お前達、(ここを歌うと)『俺も大人になったなあ』チ、思わんか?だはははは(笑)」という感じで。そしてたしかにそう、思ったなあ、あの時。「おお俺の声、大人になっちょる」てな風でしたね。いや、懐かしい話です。
 余談ですがこの先生は、バリバリの左翼(日教組)でしたけど、おもしろい方でした。沖縄戦を体験されて授業は、常に沖縄戦の話です。でも左翼は左翼でも、ミギの人が言うほど酷くはなかったですね。先生曰く「ふるさとにッ!米軍が来たんだよ・・・・普通、戦うだろう。だから我々中学生も、兵隊さんの助けをしたんだよ」「だけど戦争はしちゃ、ならん。ぜったいならん」「村一番の秀才が、流れ弾に当ってあっさり死んだよ。生き残ったのは、ボクのようなボンクラばかりでな」「申し訳、ないな」という風な。


 ・・・・話を戻します。ちなみに我がクラスはあの時、市のコンクールに出場しましたね。課題曲『大地讃頌』自由曲『山のいぶき』は、懐かしい歌です。先生のことも思い出しました。感謝します。(またまたちなみにその後、合唱部からスカウトが来た私でした。野球強豪高からはスカウト、来ませんでしたけどねw)


<註>

※ 課題曲:『大地讃頌』
http://www.youtube.com/watch?v=dUiqrLE-aHY&amp;feature=related

<歌詞> 
母なる大地の懐に 我ら人の子の喜びはある
大地を愛せよ 大地に生きる
人の子ら 人の子その立つ土に感謝せよ
(人の子ら 人の子ら 土に 感謝せよ)

平和な大地を 静かな大地を
大地を誉めよ 頌(たた)えよ 土を

恩寵の豊かな 豊かな 大地 大地 大地
(我ら人の子の 我ら人の子の 大地を誉めよ)

頌えよ 頌えよ 土を
(誉めよ 頌えよ)

母なる大地を 母なる大地を
頌えよ 誉めよ 頌えよ 土を

母なる大地を ああ 頌えよ大地を ああ

1447復興G:2012/10/18(木) 09:31:19 ID:vWpLkCzM

>>1445 :SAKURAさま。
>>【復興G様…の投稿の御文章】 非常に興味深く…“考える世界”を抱きました。そして、今まで以上に?個人的なのですが【宗教と科学…】此処から更に【現象世界……実在世界…】素晴らしい御文章から?色々考えさせられている次第です…。
少しずつ…投稿させて頂きますので、宜しくお願い申し上げます。<<

レスをありがとうございます。
どうぞ、ゆっくりと、お願いします。ご投稿をたのしみにお待ちしています。


>>1446 :「訊け」管理人殿。
返信文、ありがとうございます。
貴殿も『山のいぶき』を中学のときに歌われましたか。それはよかった。
>>なお課題曲は『大地讃頌』でありました<<
この曲も、また素晴らしいですね。そして、YouTube にアップされているのは、会場の参加者(聴衆も)全員で一緒に歌っているところが、なおすばらしいと思いました。合唱は、そうあるのが最高ですね。

1448復興G:2012/10/19(金) 10:52:48 ID:vWpLkCzM

「山のいぶき」の歌に関連して、浮かんできた『真理の吟唱』の一節――それは、「天国の荘厳を実現する祈り」の後半のところです。

     ○

   「天国の荘厳を実現する祈り」より

 ≪・・・・・まことに心が一転して“真実存在の世界”に振り向くとき、一切の悪しきもの、暗きもの、醜きもの、汚れたるものなどは消え去り、見渡すかぎり、善きもの、明るきもの、美しきもの、清きもののみが、わが身辺および環境にあらわれるのである。
 見よ、われらの環境の美しきかな。すべての存在は生命が脈動して光を放ち、輝いて見え、どこにも死物の如き物質は存在しないのである。まことにこの世界の一切のものは、釈尊が菩提樹下において覚(さと)りたまいし時の如く、山川草木国土(さんせんそうもくこくど)ことごとく、神の実現、仏の現成(げんじょう)たる世界なのである。山も歌い、川も歌い、草も木も、国土も、すベて “神の生命の讃歌” をうたう。山は川を讃えて聳(そび)え、川は山を褒めて潺湲(せんかん)として流れる。樹草(じゅそう)ことごとく美しき華をひらき、豊かなる五彩の果実たわわに結ぶ。天人天鼓を撃ち、美しき伎楽を為し、天女山腹に舞い遊びて、五彩の花吹雪降る。今、心眼われにひらきて、この美しき実相を見る。眼なきものこれを見ること能わず、眼ありとも、心の眼ひらかざるものこれを見ること能わず、されど我れは今心の眼ひらきて、この世界の実相の荘厳を見る。ああ感謝すべきかな神、ああ讃美すべきかな神。われら大神の御前に、脆(ひざまず)き、頓首し再拝し奉る。≫

     ○

 ありがとうございます。
 これぞ「生命の讃歌」であり、「大自然讃歌」であると思います。いかがでしょうか。
 合掌

1449トキ:2012/10/19(金) 16:23:45 ID:SKfERkP6
>>1448

 本当におっしゃる通りですね。きっと、本部や教化部では、これから

「天国の荘厳を実現する祈り」を毎日、よみなさい、という指導になるかもしれませんね。

 すばらしいご祈りを紹介して下さり、ありがとうございます。

1450<削除>:<削除>
<削除>

1451<削除>:<削除>
<削除>

1452復興G:2012/11/03(土) 10:04:34 ID:vWpLkCzM

 合掌 ありがとうございます。

 11月に入り、今日は文化の日。明治天皇の御誕生日で、戦前は「明治節」と言いました。
 「明治節」の歌の歌詞を掲げましょう。

   明 治 節

一、アジヤの東 日いづるところ
ひじりの君の 現れまして
古き天地(あめつち) とざせる霧を
大御光(おおみひかり)に 隈(くま)なくはらひ
教へあまねく 道明らけく
治めたまへる 御代(みよ)たふと

二、恵の波は 八洲(やしま)にあまり
御稜威(みいつ)の風は 海原(うなばら)越えて
神の依させる 御業をひろめ
民の榮ゆく 力をのばし
外(と)つ國々の ふみにも著く
留めたまへる 御名(みな)かしこ

三、秋の空すみ 菊の香たかき
今日のよき日を 皆ことほぎて
定めましける 御憲(みのり)を崇め
諭しましける 詔勅(みこと)を守り
代々木の森の 代々とこしへに
仰ぎまつらん おほみかど

 さて、今月のweb誌友会の予告がまだなされていませんでしたので、させて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

<第8回WEB誌友会予告>
≪日時≫11月9日(第2金曜日)21:30より
    11月11日(第2日曜日)23:30まで
≪テキスト≫『生命の實相』第2巻「實相篇 光明の真理<下>」 はしがき p.1〜2、本文 p.1〜p.50
≪内容≫ 第1章 「生長の家」の超薬物学

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 さて、おの第2巻の「はしがき」には、次のように書かれています。<つづく>

1453復興G:2012/11/03(土) 10:06:36 ID:vWpLkCzM

≪『生命の實相』 頭注版 第2巻≫

    はしがき

 本巻に収められた實相篇の「生長の家の超薬物学」は、『生命の實相』全集全巻を通じての枢軸部をなす部分であり、その一部分が六十四ぺージずつ二冊のパンフレット『いのちのゆには』および『こころ我を生かす』と題して発刊せられたとき、その読者のうちに無数の奇蹟的治癒が起こり、著者みずから驚異の念をみはった部分である。たとえば、当時子爵で宮中の舞楽の係をしておられた秋田重季氏の笛の友達である京都の谷口隆之助氏が直腸癌で悩んでおられたとき、たまたま『いのちのゆには』のパンフレット一冊を得て、一夜に二回読み終ると、翌朝にはすでに忽然、直腸癌の症候が消滅した。それを谷口隆之助氏から秋田氏が直接きいてさっそく生長の家の誌友となり、『生命の實相』の愛読者となったごとき、また岩手県大更村の工藤てつ氏は、胃癌のため盛岡病院で治癒の見込みなしとの宣告を受けて呻吟中、たまたま本章の一部が雑誌『生長の家』に掲載され、その見本誌の無代進呈を一燈園の『光』誌にて知り、請うて見本誌二冊を繰り返し読むうち、忽然として、「人間・本来病無し」の自覚に入り、さしもの胃癌も全治して、以後最近まで二十五年間あまり健康に生活せるなど、驚くべき奇績が続出したのである。
 ここにわれらは世人から「本を読んで病気が治る」ところの治病宗教というあまりありがたくない迷信的な名称を賦与されたのであるが、そのよってきたる理由はどこにあるであろうか。それははたして迷信であろうか。決してそれは迷信ではないのである。ここに仏教の生きた神髄があり、キリスト教の生きた神髄があるのである。読む人必ず手を拍いて"仏典かく解すべきか、聖書かく解すべきか快哉、快哉"と叫ぶであろう。読者はみずからこれを読んで冷暖を自知せらるべきである。
 とくに本巻掲載の部分は繰り返し繰り返し、寸暇を見てでも常にいくべージでも読まれることにせられるならば、自覚の深化に役立って単に健康のみならず、あらゆる人生問題に処して、立処皆真なる生活を営むことをうるにいたるのであるから、まことに『生命の實相』全巻中の最も有意義な部分である。

   昭和三十七年五月二十日

著 者 識 す 

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――≪『生命の實相』全巻中の最も有意義な部分≫と言われているこの第2巻を、皆さまと共に、最初からしっかりと学び直してまいりましょう。

<第8回WEB誌友会予告>
≪日時≫11月9日(第2金曜日)21:30より
    11月11日(第2日曜日)23:30まで

 よろしくお願い申し上げます。
 再合掌

1454志恩:2012/11/03(土) 10:49:29 ID:.QY5jUA6
復興G様

明治節のご紹介と、今月のWEB誌友会のお知らせを、ありがとうございます。

ご指導して頂ける
復興G様のような大先輩がいらして、とても有り難く存じております。
また、よろしくお願い申し上げます。


>>≪『生命の實相』全巻中の最も有意義な部分≫と言われているこの第2巻を、
  皆さまと共に、最初からしっかりと学び直してまいりましょう。

<第8回WEB誌友会予告>
≪日時≫11月9日(第2金曜日)21:30より
    11月11日(第2日曜日)23:30まで<<

1455如月:2012/11/04(日) 11:59:58 ID:ki/haAjk
>>1452 復興Gさま

ご無沙汰しており申し訳ございません。
明治節は単語で知っているだけで、歌詞は今回が初めてです。
どの程度、浸透していたものなのか何も知りませんが、親からは聞いた事がありません。
ありがとうございます。

誌友会のお知らせを頂きましてありがとうございます。
楽しくお勉強できることを楽しみにしています。
『全巻を通じての枢軸部をなす部分』との事ですね。緊張します。
ご指導よろしくお願い申し上げます。

1456役行者:2012/11/04(日) 15:03:30 ID:rS9o6pAY

 私のスケジュール表に参加予定と記しておきます。

1457志恩:2012/11/04(日) 15:14:05 ID:.QY5jUA6
 役行者様がご参加下されば、千人力です。
 ありがとうございます。

1458トキ:2012/11/04(日) 22:41:06 ID:41hrgdiQ
復興Gさま

 今回もご多忙の中、ご指導下さる事、深く感謝申し上げます。

 こういう時期だからこそ、落ち着いて勉強をしたいです。
宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1459a hope:2012/11/05(月) 07:26:45 ID:8tjYhMb6
みなさま おはようございます。

少し反省することがあり、聖典謹写以外は自主謹慎中の a hopeですが、
web誌友会という貴重な学びの機会は逃すわけにはいきません。

今回も、自分のペースで参加させていただきたいと思っています。

みなさま、どうぞ、よろしくお願い致します。

感謝 合掌

1460志恩:2012/11/05(月) 07:51:07 ID:.QY5jUA6
a hope様

毎回、WEB誌友会の細々なことを行き届いてお世話して下さって、感謝しています。
また、頼りにさせて頂きます。よろしく。

1461志恩:2012/11/05(月) 09:35:03 ID:.QY5jUA6
復興G様、トキ様、役行者様、皆様、


WEB誌友会のときでも、構いませんけれど
初心者様が、投げかけて下さった次のことについて、皆様のお考えを、教えて頂きたいと思います。
(エクリチュールとは、書き物という意味です。)

同じ生長の家の信徒でも、こうも教えの受け取り方が違うのは、以下の初心者様が
いわれることが、1つの原因なのでしょうか?

初心者さまのコトバ
>>エクリチュールとして残されたものは、それが何千年いぜんのものであったとして
も、文字が解読されさえすれば、その内容は、それが書かれた当時の人類とは
まったく異なる常識や価値観を持つ現代人にとっても理解可能なものとなるで
すよ。エクリチュールは理解されてしまう。これがその末路です。<<
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

840 :初心者:2012/11/04(日) 15:15:35 ID:qBrfhCPc
>>831

「開祖離れ」が問題になっているのでしょうか?もしそうだとすれば、これは
必然の流れと考えます。なぜなら、それがエクリチュール、つまりは書き言葉の
宿命であるからです。

釈迦、キリスト、ソクラテス。真に偉大とされる人物は「書く」という行為をおこなっ
ていないはずですね。エクリチュールの末路がどんなものであるのか、それを知っ
ていたということでしょう(ここかしこの掲示板での「貼りつけ」がエクリチュール
の末路を如実に物語っているではありませんか。書き手不在の状況で、しかも一部
をぬきだすことで、それぞれの読み手の事情におうじた理解のされ方がなされて
いるではありませんか)。

エクリチュールとして残されたものは、それが何千年いぜんのものであったとして
も、文字が解読されさえすれば、その内容は、それが書かれた当時の人類とは
まったく異なる常識や価値観を持つ現代人にとっても理解可能なものとなるで
すよ。エクリチュールは理解されてしまう。これがその末路です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
840:の初心者様の難解な言葉を、役行者様が、平易な言葉で解釈して下さいましたのが、以下の843:です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

843 :役行者:2012/11/04(日) 15:50:49 ID:rS9o6pAY

初心者さまの言葉はいつになく難しいので、解説させていただきます。
 つまり、聖者、教祖といわれる先達の方々が、いつの時代に、どの場所で、どのような背景(場面)で語られたのか??
 その語られた言葉は、時代が変遷し、場所が変わると、その「言葉」だけ暴走しやすくなる、ということだと思います。

 その言葉の深い意味とは、かけ離れてしまう可能性を秘めていると云うことでしょう。

 簡単に実例を述べますと、イエス様の言葉が、「魔女狩りをしても良い」と解釈できる言葉に暴走してしまうと云うことです。 
 あまりにも極端な事例ですがこういうことです。

 ただ一言申し上げたいのは、現教団にもこのようなことは起こりうるということです。

 たぶん、このような解釈でおおよそ間違いないと思うのですが...
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

856 :アクエリアン:2012/11/04(日) 20:21:40 ID:58IsEi0I
>>851

真に偉大な人物は、このことを知るが ゆえに書くことをしてこなかったとい え そうです。
偉大な人物にしてそうであ るのなら、凡人はなおさらですね。<

聖徳太子
弘法大師空海
親鸞聖人
日蓮聖人
道元禅師

日本の偉大な宗教者は、皆さま、書かれていますが。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

1462志恩:2012/11/05(月) 11:16:09 ID:.QY5jUA6

《ソクラテス》(紀元前469年頃 - 紀元前399年4月27日)は、

古代ギリシアの哲学者。妻は、悪妻として知られる。

ソクラテス自身は著述を行っていないので、
その思想は弟子の哲学者プラトンやクセノポン、アリストテレスなどの著作を通じ知られる。

著作をおこなわなかった理由 は、いくつもあるようですが、
その1つに、

ソクラテスは、過剰な知識が必然的にもたらす結果、表面的な理解しかできないことを恐れていた。
と…。

ソクラテスは自説を著作として残さなかったため、
今日ではその生涯・思想共に他の著作家の作品を通してうかがい知ることができるのみである。
これは「ソクラテス問題」として知られる一連の問題を発生させている。

1463志恩:2012/11/05(月) 11:25:33 ID:.QY5jUA6
 「聖書」は誰が書いたものでしょうか。(ネット情報より)

 聖書は神の言葉です。

 文明意識は、この神の言葉を、ばらばらにしてしまったのです。

 その結果、専門学ができているのです。ここに地球全体の大きい流れがあるのです。

 聖書は、旧約聖書と新約聖書に分かれており、

 旧約聖書は、モーセ、ダビデ、ソロモン、数人の大預言者、小預言者達が書いたものです。

 新約聖書は、イエスの弟子達が書いた四福音書と、パウロの伝道記録、書簡集、ヨハネの黙示録等が集められたものです。
 
 誰が聖書を書いたかを考えることもいいのですが、それも人間の常識的な探求になりますから、

 なるべく常識を棚上げにした方がよいと思います。

1464志恩:2012/11/05(月) 11:32:09 ID:.QY5jUA6
釈尊の教えのエッセンスをまとめたものが
「般若心経」ですが、誰が書いたかは分からないようです。

これは結論的に言いますと、人間の常識で書いたものではないのです。

般若心経を常識で書いたものなら、遠離一切顛倒夢想とは言いません、
人間の常識に合うようなもっともらしい説明をするにきまっているのです。

 般若心経は五蘊皆空とはっきり言っているのです。
不生不滅不垢不浄といっているのでありまして、人間は生れていない、
従って死ぬこともないといっているのです。

  これは常識以前の問題です。

1465志恩:2012/11/05(月) 13:10:10 ID:.QY5jUA6
上記のように、哲学者や聖者たちは、、
ご本人は著述されなくとも、弟子たちが、聖者や哲学者の説法や講話などから、

それぞれの哲学者や聖者の
《思想》というものを、後生に伝える為に、著書や聖書や仏典などに
ご本人の代理で、著述されてきました。

それは、雅春先生のご講話を文字にして、代理の人が、書き表したことと、
同じでは、ないでしょうか。

つまり、その人の《思想》をそのまま、伝えていたわけです。

ですから、弟子とか、その教えを継承する人物は、
もともとの教えを遺すべきと思います。

ご自分が救済や、霊的能力がないからと言って,その部分は,スルーして伝えず
得意の《環境問題》に都合のいい様に、ご自分なりに解釈されて、後生に
伝えるというやり方は、誤ったやり方だと思います。

別板で,初心者様は《仏》とは、人ではないという意味で、「自然」だということだと
言われました。仏とは、仏陀のことで、自然のことでは、ありません。

すべて、自然なのだとして、結びつけるのは、教えを曲げて,後生に伝えることであり、
とんでもないことだと私は思います。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

726 :初心者:2012/10/11(木) 20:08:49 ID:qBrfhCPc
アクエリアン様

(略)

これは事実なのでしょうか、そうではないのでしょうか。もしこれが事実であると
すれば、霊的能力はもちろんのこと、おそらくは救済者としての能力がないという
こともご自分で認めておられるのではないかという気がいたします。こうした意味
では十分に謙虚であられるとおもいますが、アクエリアン様のお考えはいかがでしょう。

総裁は宗教家としても救済者としてもその能力はないと自覚しておられるような
気もいたします。だからこそ環境運動に活路を見いだそうとしておられるのでは
ないかとも想像いたします。

1466志恩:2012/11/05(月) 13:18:14 ID:.QY5jUA6
ここの多くの皆様の発言によりますと、総裁一人の責任でないということですので、

すべての人の責任という訳で,これも,今後の課題ですね。

1467役行者:2012/11/05(月) 13:59:36 ID:WYRhV0Zo
 合掌

 聖者や教祖の方々にとって後世、自分の書いた文章の部分的「言葉」が、暴走して使われたとすると、それはそれは忍びないでしょう。

 ただこれは、歴史の必然性かもしれません。

 深い奥行きのある「言葉」が浅薄な「言葉」に塗り替えられ、形骸化しその「言葉」のみが暴走することだけは避けたいと思うのです。たぶん、現総裁はそのことを皆に理会していただきたいのではないか、と思っております。

 ですから、雅春先生の「言葉」も使い方によっては暴走するので、現総裁はブレーキをかけているのではないかと思うのです。
 
 ですから、ブレーキを思いっきり踏みながら、アクセルを踏んでいる状態が現教団だと思うのです。
 
 しかもブレーキの方が強いのです(笑)


 書き物も浅薄な読み方をすれば、如何なる場合でも暴走するのです。それは現総裁の文章においてもしかりです。
 ならば、読み手に問題があると思うのです。
 情緒豊かな、意味深い、読み方の出来る人間を育成することだと思います。
 たぶん、現総裁はそれはやって来た..と仰るとおもいます。
 ただ、やり方に問題があったと思うのです。
 どのようにして、情緒豊かな人間力のある方々を育成してゆくか!
 この課題も話し合ってゆければと思います。

 つまり、般若心経や聖書の深淵な内容を如何に理解してゆくか、その姿勢、そちらの方が問われてしかるべきだと思います。

1468志恩:2012/11/05(月) 16:47:26 ID:.QY5jUA6
役行者様

>>   前略

 つまり、般若心経や聖書の深淵な内容を如何に理解してゆくか、
 その姿勢、そちらの方が問われてしかるべきだと思います。<<


般若心経や聖書の深遠な内容を如何に理解するかということと、「生命の實相」を、そして、現総裁の思想を、いかに理解するかということは、
同じ事のようなことであるとおっしゃってるように,聞こえますが

過去から現代に至る迄、、般若心経をテキストにして学ばない仏教会はないし、聖書をテキストにしないキリスト教教会も
世の中には存在していません。

しかるに、生長の家では、もともとの聖典である「生命の實相」をテキストに勉強しては、いけないというおふれを、教団が全組織に出しており、
誌友会に出講した講師が雅春先生の教えをおおっぴらにすると、出講停止処分にされてるというオゾマシイニュースも聞いています。

また、聖経「甘露の法雨」が、教団から発売出来なくなる(光明思想社からは発売される)というこの時期に、
よりにもよって、雅宣総裁は、ご自分でお経をこしらえて、全組織を通じて発売され、すでに全教化部に配置され、練成会では、
プログラムにいれられ、使用されています。


《瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず》という
役行者様もご存知の、漢の時代の有名な言葉がありますよね。

 君子は、嫌疑を受けるような状況に自分の身を於いてはならない。

 瓜畑で履をはきなおしたりすれば瓜盗人と思われてもしかたがない、
 たわわに実ったスモモの木の下で冠を直せば李盗人と思われても仕方がない。 という。

つまり、
「人から疑いをかけられるような行為は慎むべし」という君子たるもの処世訓を述べているのですが、

 虞氏は
「磨けば玉となる名石は、たとえ泥にまみれて汚れたといえども卑しめられず、
また柳下恵というお方は、冬の夜に凍えた女を寝床にいれてその体を温めてやったからといって、
男女の道を乱したと他人に非難されることはこれっぽっちもなかったと聞き及んでおります。
これは日頃から行いを慎んでいたればこそ、人に疑われずにすんだのでございます。」とも言っています。

やはり、このようにブーイングの声が高まってしまったのは、
いままで、総裁が、されてきたこと考えれば、

嫌疑を受けるにあまりある前歴がありますので、雅宣総裁の不徳の極み、身から出た錆でもあると推察できます。

役行者様は、もともとの生長の家の教えのままでは、今の時代では通用しないと
総裁先生と,同様なお考えをお持ちでおられるように感じます。

しかし、だからといって、「今の教え」では、この時代に発展する可能性も低いということも見抜いておられていて、
今は、思案中のようにお見受けします。

1469SAKURA:2012/11/05(月) 20:00:47 ID:jH5uEFzM
復興G 様 ヘ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>1447の「復興G様」 の前会の【WEB誌友会】の内容からの私自身の“捉え方”を…
投稿させて頂きたいと思っております次第です。まことに、御無沙汰致しております私です。…が?
(気〜〜〜長くお時間頂きまして…申し訳御座いません。)

個人的に、今回は「他の投稿内容にて…ヤカン頭?」になっておりまして…【理性…?】
つまりは【脳回路…】が?一方通行でしたので、只今から「冷却…?」にて…
少しずつではありますが…【前回の誌友会】での感じました事を“投稿”させて頂きます。(冷汗)

■【復興G様…真理の勉強会】…本当に【魂の向上】の勉強をさせて頂きます上で、
この様な機会を頂きます事は、心から“感謝”の気持ちで…いっぱいなのです。

そして、今回の【 WEB誌友会…11月9日よりの開催 】楽しみに〜♫〜させて頂きます…。
何卒、若輩モノですが、御指導の程…宜しくお願い申し上げます。     

( つづく)

PS:復興G 様 ヘ
「朝夕…」の気温の差が、厳しい昨今ですので…くれぐれも“風邪”を引かれませんように、
お忙しい様で、体調には気を付けられます事を、心からお祈り申し上げます…。

■そして『明治節…』
一、アジヤの東 日いづるところ   ひじりの君の 現れまして
古き天地(あめつち) とざせる霧を  大御光(おおみひかり)に 隈(くま)なくはらひ
教へあまねく 道明らけく      治めたまへる 御代(みよ)たふと
…云々…

❤〜この頃の“日本語…言葉の美しさ?響きの良さ?“でしょうかと、改めて思いました。

再合掌

1470ハマナス:2012/11/05(月) 21:08:05 ID:x2zmnlqw
復興G様、SAKURA様

ありがとうございます。
11月3日は、明治天皇陛下のご誕生160年でした。

「光明道中記」に雅春先生がお書きになられていましたので、ご紹介致します。
 
  十一月三日  明治節、清明心の日
  至上の愛は神と偕なるときおのずから出来る愛だ。

  さしのぼる朝日のごとくさわやかにもたまほしきは心なりけり
 
 明治天皇のこの御製を拝誦し奉る毎に朝日の如き無我の心境が思われるのである。
 何故朝日はあんなにさわやかなのだろうか。それは新たに生れるからである。
手垢がついていないからである。こんなにも清明(さわやか)な姿を顕わさしめる
のである。太陽には我はない。そのままである。従順である。さしのぼる時がきた
とき差しのぼり、沈むべきときには沈んで悲しむと云うことがない。落日を悲しいと
見る者は見る人の心の反影に過ぎない。烈々と照っても功に誇らず、常に跡をのこす
ことを求めず、来って驕らず、去って悲しむと云うことがないのである。而も一切衆生
として、一物として、その恩恵を受けないものはない。まことに広大無辺なる姿である。
吾々のいのちは太陽より来る。吾等太陽の如く生きんかな。吾等は太陽の子だ。清明心
の子だ。どんな時にも光のみを見るのが日本人である。
 よろこべ、勇み、楽しみ、潔く前進せよ。

感謝合掌

1471役行者:2012/11/06(火) 07:17:07 ID:WYRhV0Zo

 志恩さま 

  ことわざが出てくるとはアッパレ!

 説得力があります。

 また、問題を提起したのに、今の自分の思考を洞察してくださるとはこれまたアッパレでございます。

 さて、

 >>役行者様は、もともとの生長の家の教えのままでは、今の時代では通用しないと
総裁先生と,同様なお考えをお持ちでおられるように感じます。

しかし、だからといって、「今の教え」では、この時代に発展する可能性も低いということも見抜いておられていて、
今は、思案中のようにお見受けします。<<


 「もともとの生長の家の教え」と「今の教え」と二つの道をお示しくださりありがとうございます。
 ところで、私が述べたいことはきっと、「仏典」「聖書」「生命の実相」を如何様に解釈するか!我々の力量に大いに関わってくるのではないか!と云うことではないかと想います。

 浅薄な解釈をすると、たとえば「魔女狩りして良い」となります、深遠な解釈をすると「内なる光と共に歩む」事になります。
 いずれにしても、聖典、聖書に問題があるのでなく、解釈する我々に問題があるのではないか!と問題を提起したつもりなのでしょう。


 聖典、聖書の解釈をどのような心構えで、また姿勢で取り組めば奥行きのある、情緒性溢れる解釈をできるのか、を問うていると想われます。

 「もともとの教え」と「今の教え」と云うように、二つの道を示すのも一つの方法なのですが、その「教え」の内容に対して、深遠なる解釈をする信仰姿勢を問題にするのも一つのやり方かなあ、と想った次第です。

 書き物を記しても、解釈をするのは人間なのですから、その解釈する人間側の力量を高めるにはどうすれば良いか、を話し合えればと思ったのでしょう。

         合掌

1472志恩:2012/11/06(火) 07:35:32 ID:.QY5jUA6
役行者様

役行者様は、「魔女」を「雅宣総裁」に置き換えて,考えてみて下さい。
  と、おっしゃりたいのだと存じます。

     書いて下さいましたように、

 それよりか、「内なる光と共に歩む」事に、心の重点を置いて!!

 >>心を生長させるのは、
 いずれにしても、聖典、聖書に問題があるのでなく、
 解釈する我々に問題があるのではないか!と問題を提起して下さったのだと思います。


 聖典、聖書の解釈をどのような心構えで、また姿勢で取り組めば奥行きのある、
 情緒性溢れる解釈をできるのか、を問うていると想われます。

 「もともとの教え」と「今の教え」と云うように、二つの道を示すのも一つの方法なのですが、
 その「教え」の内容に対して、深遠なる解釈をする信仰姿勢を問題にするのも一つのやり方かなあ、と想った次第です。>>

 WEB誌友会に相応しい問題の提起をして下さって、ありがとうございます。

 このことにつきましては、復興G様、トキ様も、おっしゃりたいことだと存じます。学ばせて頂きます。

1473役行者:2012/11/06(火) 07:57:06 ID:WYRhV0Zo

 私の思考を凌駕した深読みにはまたまた、アッパレでございます。

 そうですね、みんなで話し合えたらうれしいです。

1474志恩:2012/11/06(火) 10:27:43 ID:.QY5jUA6
掲示板の皆様

私は、このような大転換期にあたり、「生命の實相」を心を込めて精読し直しておりますが、
私の場合は、聖典を読めば読む程、

雅宣さんは、「魔もの」に思えます。

しかし、教団側の多くの皆様や,雅宣さん側に立たれる方々から見れば、
本流派が「魔もの」に,見えるのかも知れません。

聖典の解釈の心構えを変えるということは、遠回しにいえば、
生長の家の現状を、そのまま受け入れて、見守っていて下さい。
雅宣さんを批判せず、実相を祝福していてくださいと、いうふうにも聞こえます。

勿論,私は朝夕の神想観のおりには、雅宣さんの光り輝く実相を祈っておりますし、
私は、個人の雅宣さんご自身のことは、全然憎んだこともありません。

私は,時々、森のオフィスの落慶式の動画も観ています。
そして、早送りして,雅宣さんのスピーチの場面から、よく
拝見しており、おやつれになったなあと,幼い頃の彼の無邪気な笑顔を思い出して、
しみじみ物思いにふけったりしているくらいです。

しかし、私は「雅春先生の教えを捨てられない」人間なんです。

そういう意味ではないと、お叱りを受けると思いますが、

《魔女狩りの魔女が,雅宣さんに当てはまる》というでしたら、遠回しに、そういうことになります。

従いまして、
今回も、私は、なるべく発言は控えて、うのはな様とご一緒に観覧席のほうで、
学ばさせて頂くことを多くしたいと存じております。

(発言をしないという意味ではありません。学ぶ方を多くしたいという意味です)

皆様、お返事はいりません。よろしくお願いします。

1475アクエリアン:2012/11/06(火) 12:18:26 ID:d2o7qaZs
役行者様

>ところで、私が述べたいことはきっ と、「仏典」「聖書」「生命の実相」 を如何様に解釈するか!我々の力量に 大いに関わってくるのではないか!と 云うことではないかと想います。<

同感です。

その前提として、生長の家の教えの全体を学ぶことができるような環境を整えていくことが、教団の責任なのですが、それが充分に果たされていないことが、問題ですね。

絶版状態にあるものを、まず、読めることができるようにすることでしょうか。

自分には、理解できないから、出版しないなどということがないようにお願いします。

日本教文社様。

1476役行者:2012/11/06(火) 12:47:44 ID:Pfch4vmI

 >>1475

 アクエリアンさま、救われました(-.-)y-゚゚゚


 まったくもって、異議ありません!

1477復興G:2012/11/06(火) 15:02:57 ID:vWpLkCzM

皆々さま
ありがとうございます。
第8回web誌友会は、前夜祭から多くの方々の貴重な活発なご投稿を頂いていて、ありがたく感謝いたします。

私は、今テキスト『生命の實相』第2巻第1章の謹写にかかっております。50頁あります。全部謹写を終わりましたら、まとめて聖典引用板にアップさせていただくつもりです。

ところで、私は >>1470 :ハマナス様が謹写引用してくださいました、「光明道中記」の御文章、うれしく感銘を受け、いろいろ想いが展開しましています。もう一度、ハマナス様のご投稿文をペーストさせていただきます。

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

>>11月3日は、明治天皇陛下のご誕生160年でした。
「光明道中記」に雅春先生がお書きになられていましたので、ご紹介致します。
 
  十一月三日  明治節、清明心の日

  至上の愛は神と偕なるときおのずから出来る愛だ。

  さしのぼる朝日のごとくさわやかにもたまほしきは心なりけり
 
 明治天皇のこの御製を拝誦し奉る毎に朝日の如き無我の心境が思われるのである。

 何故朝日はあんなにさわやかなのだろうか。それは新たに生れるからである。
手垢がついていないからである。
こんなにも清明(さわやか)な姿を顕わさしめるのである。
太陽には我はない。そのままである。従順である。さしのぼる時がきたとき差しのぼり、沈むべきときには沈んで悲しむと云うことがない。
落日を悲しいと見る者は見る人の心の反影に過ぎない。烈々と照っても功に誇らず、常に跡をのこすことを求めず、来って驕らず、去って悲しむと云うことがないのである。
而も一切衆生として、一物として、その恩恵を受けないものはない。まことに広大無辺なる姿である。

吾々のいのちは太陽より来る。吾等太陽の如く生きんかな。吾等は太陽の子だ。清明心の子だ。どんな時にも光のみを見るのが日本人である。よろこべ、勇み、楽しみ、潔く前進せよ。<<

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

――私も、「太陽の如く生きんかな。太陽の如く生きよう。」

>>吾等は太陽の子だ。清明心の子だ。どんな時にも光のみを見るのが日本人だ。よろこび、勇み、楽しみ、潔く前進しよう<<

と、思います。
<つづく>

1478復興G:2012/11/06(火) 15:03:49 ID:vWpLkCzM

明治天皇は、 また
「罪あらば吾をとがめよ天津神(あまつかみ) 民はわが身の生みし子なれば」
という御歌を残されています。これは、幸徳秋水など、大逆(天皇暗殺)を侵そうとして捕らえられた、社会主義者たちのことを詠まれた御製です。御身を害しようとするものでさえ、自分の子であるとして、「罪あらば吾をとがめよ天津神」とお歌いになったのです。御世は大変な時代で、不幸な出来事も数多く起きた。それらの責任はすべて自分にあるとされるお心をお持ちなのが、日本の皇室の伝統なのですね。
誠に有り難いことであり、そして、私たち国民もまた、その大御心をわが心として生きるのが、日子・日女(太陽の子、神の子)としての生き方でしょう。

ところで、生長の家総裁は、「生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ)」と招神歌で吾らが唱える「御祖神(みおやがみ)」の化身であられるのがその実相だと思います。みおや(御親)なる神が、わが子なる信徒をとがめて排除し、裁判沙汰にして裁き争うことなど、あり得ないことだと思われます。
「生長の家大神――総裁・副総裁――御教。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心」と言われている、その「神意」は、御祖神(みおやがみ)さまの御心ですから、明治大帝が、自分を暗殺しようと企てた者があっても、「罪あらば吾をとがめよ天津神」と歌われたように、すべての人々をわが子として平等に愛しておられるのが本当だと思われます。
しかし、現実にはその「あり得ない」ことが現れている。
ここが、生長の家信徒われらの正念場だと思われます。

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

≪谷口雅春先生『實相と現象』より≫

≪或る時、弟子が、イエスに対して、「誡めの内で一番尊い誡めは何でございますか」と訊いた。誡めというのは道徳律とでもいう意味であります。道徳律の中で一番尊い道徳律は、いったい何でございますか。といってたずねた時に、マタイ伝の二十二章で、イエスはこういうふうに答えておられます。

 「『なんじ心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして主なる汝の神を愛すべし』これは大にして第一の誡命(いましめ)なり」といっているのであります。それでここに「主なる神」とありますから、人間の方は僕で、主人であるところの神様を愛するのであるかというと、そういう意味ではないのです。「なんじ心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、主なる“汝の神”を愛すべし。」といわれた教に注目すべき言葉があるのです。

 「汝、イエスの神を愛すべし。」とはいっておられないのです。「主なる“汝の神”を愛すべし。」即ちお前の主人公であるところの“汝の神”を愛すべし。とこう言っておられるのであって、すべての人間には、その自己の内に神が宿っているということをイエスは認めて、「汝の内に宿っている汝の主なる神を愛すべし。」と、このように言っておられるのです。≫

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

――私は、「総裁が悪い」と他に責任を転嫁することは、内なる神を愛することにならないと思いました。それでは、外なるものによって自分が支配されているという「僕(しもべ)」、もっと言えば奴隷状態に自分を置くことになるのではないか。自分が神の子、宇宙の中心ならば、運命の主人公としての生き方は、「一切は自分の責任」 「罪あらば吾をとがめよ天津神」という気持ち、自覚を持って生きることではないか――。

1479復興G:2012/11/06(火) 15:17:42 ID:vWpLkCzM
前文で、
>>しかし、現実にはその「あり得ない」ことが現れている。<<
というのは
>>みおや(御親)なる神が、わが子なる信徒をとがめて排除し、裁判沙汰にして裁き争うことなど、あり得ないことだと思われます。<<
というのを指します。また、
>>人間の方は僕で<<
の「僕」は“しもべ”と読んで下さい。

1480復興G:2012/11/06(火) 16:07:03 ID:vWpLkCzM

前回のweb誌友会の後夜祭 >>1394 で如月さまが、

>>今日は半日、神様の目を付けて行動してみました。神様はこんな人でも愛しているのかと思いながら見ると、何だか面白くなって、その人の肩をたたいて「でも、あなた、許されてるんですよ。」と知らせたい衝動にかられました。<<

と書かれていました。

最初それを読んだとき、私はその「神様の目を付けて行動する」とおっしゃる気持ちが、どんな気持ちか、よくつかめませんでした。
今思いますのは、すべての人をわが子のように思って、平等にいとおしく愛する気持ち。もし争いあっていたら、どちらか一方の味方をするのではなく、胸を痛めながら、「仲よくしてくれるように」と祈る気持ち――で見るのが、神様の目で見ることかなあ――と思いました。

私は小さいとき、毎日よく兄弟げんかをしていました。あるとき、逃げる弟を追いかけて追いつき、後ろから弟の背中を押して、前に転ばしてしまいました。弟は倒れて怪我をし、大泣きしました。それを見ていた母が、胸を痛め何とも言えない悲しそうな顔をしたのが、今でも想い浮かびます。私も、あのときはひどいことをしたと、私は自分でも胸を痛めます。

そのときの母親の気持ちが、天皇様の大御心であり、親神様の御心かなあ、と思ったりしています。

この掲示板、web誌友会板でも、たとえば さくら様と a hope 様、どちらも神様の目をもって見れば、かわいいかわいい愛娘です。お二人とも、とても純粋な、神様を愛し、真理を追究していらっしゃる、愛すべき尊い神の子でいらっしゃいます。しかし、それぞれ個性天分が異なる面もおありのようで、お互いに不調和かと思われるような言葉を出されることもあったかも知れません。

お二人は、それぞれの個性天分、よさを認め合っていらっしゃると思いますが、言葉の上の表現でも、仲よく認め合って、やっていって頂けたら嬉しいなと、僭越ながら“神様の目”を付けて見たら、そう思います。

老婆心で(老爺心?)ちょっと余計なことを言ったかも知れません。お許し下さい。
これからまた、テキストの謹写に入ります。
ありがとうございます。合掌

1481a hope:2012/11/06(火) 17:34:13 ID:8tjYhMb6

>>1480復興Gさま

さくらさまとわたしのことで、ご心配をおかけして申し訳ありません。
さくらさまがわたしに対して、あまりよくない感情を持たれていることに関して、
わたし自身、どうしてなのか心当たりがあるのです。(みなさまにはわからないと思いますが・・・)
それは、すべてわたしに原因があることなので、さくらさまに対しては本当に申し訳ないと感じています。

さくらさまとは、たしかに「生長の家の教え」に関しては意見の合わないことが多いです。
ですが、わたしはさくらさまがこの掲示板にいてくれたからこそ、今までこうしてここで発言を続けてこられたのだと思っています。
さくらさまのことは、「生長の家」の先輩として心から尊敬していますし、心から感謝しています。
それに、きっと実際にお会いしても素敵な女性なんだろうな〜と感じています。

わたしは、今回の第8回web誌友会では純粋に「生命の實相」の内容を学ばせていただきたいと思っています。
さくらさまとも、以前のように仲よく一緒にお勉強させていただけたらとてもうれしいです。

復興Gさま、さくらさま、そしてみなさま

今回も、アホの a hopeをどうぞよろしくお願い致します。

1482さくら:2012/11/06(火) 19:01:46 ID:JiHdFUis
>>1480復興Gさま
>>1481a hopeさま

合掌、ありがとうございます。

先月は、不適当な態度で、神聖な誌友会の雰囲気を壊してしまい、申し訳ありませんでした。

なにより、復興Gさまには、このように心にかけて頂いていることに、胸が一杯になりました…。

わたしは、ahopeさまのことは、以前より、信仰の友として心から尊敬もし、愛しております。

ただ、自分のいたならさや、未熟さを大変、反省しておりますが、
自分の信仰には、正直にいたい気持ちは変わりません。
…それは個人的感情などではなく、
信仰の姿勢として、わたしのなかにある問題です。

…いつも、あらく、拙い表現しかできなくて、誤解を与えるようなことがあり、たいへん申し訳ありません。


わたしは生長の家に触れてすぐ、一年かけて「生命の實相を40巻」を、拝読させて頂きました。
「読み終わったとき、あなたの人生は変わってるから、騙されたと思って、読んでみなさい」と言われました。…はじめは、ほんとうに生長の家に騙される、と思って読んだんです。
その間は、ほんとうに無我夢中で、これで自分が変われなかったら、生命の實相を読めと言った人を恨んでやる、と思うくらいでした。

ちょうど、一回目を読み終わるころだったのですが…ある作業中に、無心の状態といったようになり、
会う人ごとに祝福したいくらいの一体感を感じて、自分が消えてしまうような、ものすごい幸福感に襲われました、…そんなのは、はじめての体験でした。
神様は、こんなにわたしを許してくださっていて、こんなに祝福して下さって、こんなに愛して下さっているということを、わたしはその時、はじめて知ったように思いました。
…「神の目」があるとしたなら、どんな人であったとしても隔てることなく、平等に愛を与えながら、見てくださっていたのだと、わたしははじめて知り、今までの自分の傲慢さに、打ちのめされたみたいな気持ちさえしました。

その日から、神想観を真剣にやりはじめて、毎日泣きました。毎日たくさん涙がでました。
わたしは、変わってました。


意見や捉え方が違うことをこえて、
尊重し合える a hopeさまには感謝しています。

…しばらく、こちらでのみなさまの学びを優先に考え、ここでの発言を控えさせて頂きます…。

お祈り申しあげます。

感謝拝。

1483a hope:2012/11/06(火) 20:17:21 ID:8tjYhMb6
>>1482さくらさま

胸がいっぱいになりました。

実は、わたしも、今朝、神想観をしている時にさくらさまと同じような気持ちになっていたのです。
それは、現象世界で争い合っていたり、病気で苦しんでいたり、人生に悩んでいるように見える人々でも、
本当は、すべての人々を、神さまが分け隔てなく優しく包んで守ってくださっている、
そういうイメージがハッキリと湧いてきたのです。
嬉しくて、嬉しくて、ありがたくて、息が出来ないくらい感動して涙を滝のように流したのです。


さくらさま、大好きです!
さくらさまと、同じ「生長の家の教え」を信仰できて、わたしは本当に幸せです。

ありがとうございます。 合掌。

1484志恩:2012/11/07(水) 11:03:42 ID:.QY5jUA6
>>1478:復興G様

今回も、WEB誌友会用のテキストを聖典板の方へ、謹写して下さるそうで、いつもながらの深いご愛念、感謝申し上げております。

私は、1478:復興G様のご投稿文で、納得がいかない箇所がございますので、大先輩の胸をお借りして質問させて頂きます。


復興G様は、《明治天皇様の詠まれた御製》と、
      《雅春先生のご著書「實相と現象」の中のイエスキリストの言葉》を引用されまして
      次のように①、②のご意見をおっしゃっておられます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
復興G様曰く

①>> すべての人間には、その自己の内に神が宿っているということをイエスは認めて、「汝の内に宿っている汝の主なる神を愛すべし。」と、
    このように言っておられるのです。
      (だからー)

  ――私は、「総裁が悪い」と他に責任を転嫁することは、内なる神を愛することにならないと思いました。

   それでは、外なるものによって自分が支配されているという「僕(しもべ)」、もっと言えば奴隷状態に自分を置くことになるのではないか。

自分が神の子、宇宙の中心ならば、運命の主人公としての生き方は、「一切は自分の責任」 「罪あらば吾をとがめよ天津神」という気持ち、自覚を持って生きることではないか――。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

②  >> 生長の家総裁は、「生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ)」と招神歌で吾らが唱える



   「御祖神(みおやがみ)」の化身であられる のがその実相だと思います。



みおや(御親)なる神が、わが子なる信徒をとがめて排除し、裁判沙汰にして裁き争うことなど、あり得ないことだと思われます。

「生長の家大神――総裁・副総裁――御教。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心」と言われている、その「神意」は、御祖神(みおやがみ)さまの御心ですから、
 明治大帝が、自分を暗殺しようと企てた者があっても、「罪あらば吾をとがめよ天津神」と歌われたように、すべての人々をわが子として平等に愛しておられるのが本当だと思われます。
しかし、現実にはその「あり得ない」ことが現れている。

  ここが、生長の家信徒われらの正念場だと思われます。<<

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 この①と②の復興G様のご意見が、理解出来ないでおります。
                                     つづく

1485志恩:2012/11/07(水) 11:51:03 ID:.QY5jUA6
>>1478:で、復興G様は、明治天皇の御製をご紹介くださいました。

>>明治天皇は、 また
「罪あらば吾をとがめよ天津神(あまつかみ) 民はわが身の生みし子なれば」という御歌を残されています。

これは、幸徳秋水など、大逆(天皇暗殺)を侵そうとして捕らえられた、社会主義者たちのことを詠まれた御製です。
御身を害しようとするものでさえ、自分の子であるとして、「罪あらば吾をとがめよ天津神」とお歌いになったのです。御世は大変な時代で、不幸な出来事も数多く起きた。

それらの責任はすべて自分にあるとされるお心をお持ちなのが、日本の皇室の伝統なのですね。
誠に有り難いことであり、そして、私たち国民もまた、その大御心をわが心として生きるのが、日子・日女(太陽の子、神の子)としての生き方でしょう。<<

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それで、私は、明治天皇は、どういう天皇でいらしたのか、ウィキペディアで調べさせて頂きました。
  明治天皇  (第122代天皇)

(在位期間
1867年1月30日 - 1912年7月30日(慶応3年12月25日 - 明治45年7月30日)

近代国家の確立
明治15年(1882年)、軍隊を「天皇の軍隊」と規定した軍人勅諭を発し、
大元帥として軍隊の統率にあたり、軍備の増強に努めた。


列強への道
日本が初めて直面した近代戦争である日清戦争と日露戦争では、天皇は大本営で直接戦争指導に当たった。
また、外交上は日英同盟を締結し、列強の一員たるべく、軍事的・経済的な国力の増強を図った。……)

  国家的な お仕事の記録は、たくさん情報がありすぎますので、省かせて頂きまして、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  今回は、明治天皇の、《お人柄》に絞って、ご紹介させていただきます。


   明治天皇の御製(天皇の自作和歌)が3つ載っておりましたが、最初の和歌がこれでした。

 「よきをとり あしきをすてて外国(とつくに)に おとらぬ国となすよしもがな」


       〜お人柄と影響 〜




日常生活は質素を旨とし、どんなに寒い日でも暖房は火鉢1つだけなど、自己を律すること峻厳にして、天皇としての威厳の保持に努めた。
赤坂の東宮御所(現在の迎賓館)の完成を報告しに来た片山東熊に『華美過ぎる』と叱った。

「記憶力が抜群で、書類には必ず目を通したあと朱筆で疑問点を書きいれ、内容をすべて暗記して次の書類と違いがあると必ず注意し、
よく前言との違いで叱責された伊藤博文はごまかしがきかないと困っていた」とある。

乗馬と和歌を好み、文化的な素養にも富んでいた。
一方で普段は茶目っ気のある性格で、皇后や女官達は自分が考えたあだ名で呼んでいたという。

私生活では、日本酒を好み、夜は女官たちと楽しそうに宴会をする事が多かった。
晩年は糖尿病を患い酒量は減退したが、健康のためにワインなどを飲んでいた。

また当時の最新の技術であったレコードをよくかけ、唱歌や詩吟、琵琶歌などを好んでいた。

兵たちと苦楽を共にするという信念を持っていた。例えば日清戦争で広島大本営に移った際、暖炉も使わず、
殺風景な部屋で執務を続けるといった具合であった。こうした態度は晩年で自身の体調が悪化した後も崩れることがなかった。

天皇は伊藤博文の欠点を「西洋好き」と評していた。

教育に関しては儒学を基本にすべしとする元田の最大の理解者でもあった。
特に明治17年(1884年)4月下旬に皇室ではタブーとされた牛肉と牛乳の飲食をされた。

残すべき文化は残し、取り入れるべき文化は取り入れるという態度を示した。

写真嫌いは有名である。福岡県下広川村において軍事演習閲兵中の姿を遠くから隠し撮りした写真が残っており、
これが明治天皇が最後に撮影された姿と言われている。

大喪の日には、陸軍大将・乃木希典夫妻を始め、多くの人が殉死した。

貧困層に対する医療政策として1911年(明治44年)2月11日、『済生勅語』によって、
皇室からの下付金150万円を済生会創設に下付された。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1486志恩:2012/11/07(水) 12:40:35 ID:.QY5jUA6
私は、明治天皇は、
罪あらば、自分を咎めよなんて、いつなんどきも、悪の行ないを,許しておらえたとは、思えません。

たえず、ご自分のことより、日本国民のことを考えられて、生きておられたという意味であると、私にはとれました。

それは、つぎの御製にお心が表れていると存じます。
「よきをとり、あしきをすてて…」。ちゃんと、よいことか、わるいことかを、選別されておられた。

>>「よきをとり あしきをすてて外国(とつくに)に おとらぬ国となすよしもがな」<<
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

それから、明治天皇は、赤坂の東宮御所の完成を報告にきた片山さんに、華美すぎることを、叱ったり、

「内容をすべて暗記して次の書類と違いがあると必ず注意し、
よく前言との違いで叱責された伊藤博文はごまかしがきかないと困っていた」とあるように、

全て、自分の責任としたのではなく、叱責するときは、叱責し、注意されるときは、注意されておられたのです。

それに、質素を旨とされておられた。ということですから、

雅宣総裁のように、自分のお金でなく、信徒の浄財なのに、森の中に行くなどと、本まで出版して、
信徒に大ウソ言って、150億円も使って、高級リゾート地へ移住しようなんて、絶対にされなかったと思います。

そこでは、練成会もするつもりはないそうです。宗教団体なのに、地元の役所には、宗教行事は、一切行わないという約束のもとで、
森のオフィスを建てていると聞いてます。

全国の教区5者の、交通の便のことまで、考えられての選択だったのでしょうか。時々、本部へ行かなければならないのだと
トキ様がおっしゃってましたけれど、、。総裁なら、信徒全体のことを考えて決めるのが、本当でしょう。

最寄り駅には、JRの列車は、2時間に1本しか通過しないことを調査した上での選択だったのでしょうか。
ご自分だけの都合しか考えてないんじゃないのかしら。

行楽地、リゾート地は、たまに行楽で訪れるからいいのであり、仕事を定年でリタイアーした裕福な人間が、ログハウスなど建築して
そこの土地から、あまり移動せず、優雅に暮らすことを目的にする土地でありますから、全国の幹部が、まめに行かなきゃならない交通の便の
いい土地ではないのです。

これらのことも含め、総裁のされてきたことを指摘することは、「総裁に責任を転嫁する」ことなんですか?
私には、とても、納得できません。

転嫁するということは、雅春先生の本を絶版にしたことから、谷口家のご兄弟や気に入らない部下達を追放したことから、
森のオフィスのことから、
ほんとは、われわれが、やったことなのに、総裁のやったこととして、総裁に責任を転嫁してる、という意味になります。

というより、総裁のやって来た事は、信徒全員の責任である。
その信徒全員の責任であることを総裁の責任に転嫁したというふうにもうけとれるのですが、
私には、理解が出来ない事です。


>>日常生活は質素を旨とし、どんなに寒い日でも暖房は火鉢1つだけなど、自己を律すること峻厳にして、
天皇としての威厳の保持に努めた。

赤坂の東宮御所(現在の迎賓館)の完成を報告しに来た片山東熊に『華美過ぎる』と叱った。

「記憶力が抜群で、書類には必ず目を通したあと朱筆で疑問点を書きいれ、内容をすべて暗記して次の書類と違いがあると必ず注意し、
よく前言との違いで叱責された伊藤博文はごまかしがきかないと困っていた」とある。<<

1487志恩:2012/11/07(水) 12:47:04 ID:.QY5jUA6
②  >> 生長の家総裁は、「生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ)」と招神歌で吾らが唱える
  「御祖神(みおやがみ)」の化身であられる のがその実相だと思います。>>

これが、総裁の実相なら、20年、30年と生長の家の組織のトップにおられるのに、みなで彼の実相の礼拝を続けるという
宗教組織として、信徒たちが、総裁を祈るなどというありえない祈りをしていますのに、
なぜ、彼は、実相があらわれないで、まだまだ まだまだ あこぎに行為を続けておられるのでしょうか?

質問させて頂きます。

1488志恩:2012/11/07(水) 14:55:57 ID:.QY5jUA6
新人に、生長の家のこと話す時に、

生長の家というのは、総裁がすることなすこと、自分の責任だと思わなきゃならないところです。

と説明したら、どなたもそのようなウットウシイ教えには、入ろうとされませんよ。

1489復興G:2012/11/07(水) 16:07:45 ID:vWpLkCzM

>>1487 :志恩さま。
>>② >> 生長の家総裁は、「生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ)」と招神歌で吾らが唱える「御祖神(みおやがみ)」の化身であられる のがその実相だと思います。>>
これが、総裁の実相なら、20年、30年と生長の家の組織のトップにおられるのに、みなで彼の実相の礼拝を続けるという宗教組織として、信徒たちが、総裁を祈るなどというありえない祈りをしていますのに、なぜ、彼は、実相があらわれないで、まだまだ まだまだ あこぎに行為を続けておられるのでしょうか?<<

――だからこそ、
≪しかし、現実にはその「あり得ない」ことが現れている。
ここが、生長の家信徒われらの正念場だと思われます。≫
と、申し上げているのであります。

まだ、テキストの謹写中ですので、あまりお答えできませんが、以上がお答えです。

1490復興G:2012/11/07(水) 21:03:21 ID:vWpLkCzM

>>1484 :志恩さま。

テキストの謹写をやっと終えましたので、少し補足説明をさせていただきます。

≪以下、志恩様のご質問≫~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>>1478:復興G様
私は、1478:復興G様のご投稿文で、納得がいかない箇所がございますので、大先輩の胸をお借りして質問させて頂きます。
復興G様は、《明治天皇様の詠まれた御製》と、《雅春先生のご著書「實相と現象」の中のイエスキリストの言葉》を引用されまして、次のように①、②のご意見をおっしゃっておられます。 
復興G様曰く
①>> すべての人間には、その自己の内に神が宿っているということをイエスは認めて、「汝の内に宿っている汝の主なる神を愛すべし。」と、このように言っておられるのです。(だからー)
 ――私は、「総裁が悪い」と他に責任を転嫁することは、内なる神を愛することにならないと思いました。
それでは、外なるものによって自分が支配されているという「僕(しもべ)」、もっと言えば奴隷状態に自分を置くことになるのではないか。
自分が神の子、宇宙の中心ならば、運命の主人公としての生き方は、「一切は自分の責任」 「罪あらば吾をとがめよ天津神」という気持ち、自覚を持って生きることではないか――。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
まず、上記のことが理解できない、とおっしゃっていました。それで、少し補足説明です。

「災難にあう時節には、災難にあうがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候(良寛)」

上記は、良寛さんの言葉だと言われていますが、とても深い意味をもっていると思われます。

まず、「災難にあう時節」というのは――
何事も、原因のない結果というのはありません。
そして、現象界の出来事は、ただ一つだけの原因で、大きな結果が出てくるということもありません。
運命には、大きな流れというようなものがあると思われます。
その大きな流れに逆らって、それを否定しようと、じたばたすることが、災難を災難にしている。
まな板の鯉のように、じたばたしないで、災難の意味をしっかりと受け止めれば、災難が災難でなくなり、魂の飛躍のチャンスともなり得るのだ、ということではないでしょうか。

身の上にあらわれたことを、他人のせいにして攻撃するのは、今の世の常識かも知れませんが、生長の家の御教えは、世の常識をくつがえすものだと思います。

今回のテキスト『生命の實相』第2巻第1章にも、「外のものに頼るな。自ら起て!」ということが、すばらしい説得力をもって書かれています。
薬にすがったり、杖にすがったりするものは、無限の生命力を発現させることができない。「他物に頼らざる者はついに勝つ」と説かれています。そうです、それが
「汝の内に宿っている“汝の”主なる神を愛すべし。」
ということであり、それが生長の家の御教えであり、平和と幸福への黄金の真理だと、私は今思っています。それが、
>>――私は、「総裁が悪い」と他に責任を転嫁することは、内なる神を愛することにならないと思いました。<<
と書いた背景の想いです。

わかって頂けるかどうか、わかりませんが、
志恩様!
いい年をして、いい加減にもう、じたばたすることをやめて、少し静慮してみられたらどうですか!
と、申し上げたいです。

1491みすはなまる:2012/11/07(水) 21:52:58 ID:GpLjp1XI
横から大変失礼します。

復興G様

いい年は、万人すべてが、常にその時にしか味わえない「いい年」でいらっしゃいます。

私には、志恩様はジタバタされているように感じません。

常に永遠に新しい今を生きる真理を、様々な角度から大変熱心に、お勉強されていらっしゃる、大切な先輩でいらっしゃいます。

志恩様はじめ、本流で学んでいる方は、雅宣総裁を蹴落としたり、攻撃したりする思いは、基本持っておられません。
それは、学ぶ会やときみつる会に来ていただければ、お解り頂けることです。

志恩様は、周囲の方に愛情ふかく、真心をもって大切に接してくださる、素晴らしい御方です。

部外者が余計なことを申しました。

1492通りすがり:2012/11/07(水) 22:31:35 ID:???
いい年って何歳くらいを言うのでしょう?

1493アクエリアン:2012/11/07(水) 22:32:12 ID:u/M3Z9Ow
志恩様と復興G様のやり取り、興味深く拝見させてもらいました。

私は志恩様のお考えに、賛同します。

法燈継承者は、その責任をキッチリと果たさなければならないのだ、果たせないのなら、他の相応しい人に変わってもらう、という、当たり前の考え方で、対処していけばいいのではないでしょうか。

そういう当たり前の考え、姿勢がとれなかったから、ここまで生長の家はおかしくなったと思っています。

生長の家の法統継承者を考える場合、自分の内面の問題として考えるよりも、むしろ、生長の家の神界の本部の視点から考えるべき問題なのではないかという気がします。

生長の家の神から、谷口雅春先生を経由して説かれた人類光明化の教えを継承しないのなら、生長の家の神界の本部は相応しい人間を選ぶのは当たり前であり、その当たり前のことがなされなかったことが問題なのだ、という考えです。

私はそういう考え方の人間です。

1494トキ:2012/11/07(水) 22:40:28 ID:3OSP8Grc
 皆様、ご意見ありがとうございます。

 誌友会が始まるので、話は短めに申し上げます。

 復興G様は、前回は、訊け管理人様に「鉄槌」を下され、今回は志恩様に「鉄槌」を下されたのですが、
それも、ご両人への深い愛情があるからだと信じます。

 ただ、私が、一番、反省しないといけないと感じています。

 よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1495goro:2012/11/07(水) 23:46:14 ID:vOpRa7bQ

>志恩様! いい年をして、いい加減にもう、じたばたすることをやめて、少し静慮してみられたらどうですか!<

>>復興G様は、前回は、訊け管理人様に「鉄槌」を下され、今回は志恩様に「鉄槌」を下されたのですが、<<
>>それも、ご両人への深い愛情があるからだと信じます。<<

 アクエリアン様のお考えに激しく同意します。
本流派が総裁を「悪」と観ていると断じているのは擁護派又は和解派の方々であります。
私たちは物事を善悪で断じてなどいません。

トキ管理人の考えには抗議します。
断じて「鉄槌」などではありません。
志恩さまに失礼です。

1496さくら:2012/11/08(木) 00:10:03 ID:ez1gwKOs
わたしも、goro様と同様、トキ様の考えに抗議します。

復興Gさまが「静観されよ」ということを意図されて諭してくださったのは、
個人への「鉄槌」などではなく、み教えに立った立場からのお言葉であり、復興Gさまに失礼であると思われます。
それは、志恩さまに対しただけでなく、我々信徒への言葉として、わたしは真理を感じ、心にとどめたいと感じました。

それに、なぜ、トキさまが一番反省されるとして、ここでもバランスをとってまとめようとされるのでしょうか。
大事な話なので、バランスをとって綺麗事でうやむやにするべきことではないと思われます。

下の者にはなにかあっても、何事もないように素通りされますが、
上の方にはバランスを取られているのは、素晴らしい組織人だとは思って尊敬していますが、
心がないな、と少しおもうこともあります。

…たいへん失礼なことをもうしまして、申し訳ありませんでした。



1497志恩:2012/11/08(木) 00:16:07 ID:.QY5jUA6
復興G様

バレてましたか!私が、いい年をして、じたばたしてるってこと(笑)

PCを通して見えるのかしら…、千里眼をお持ちなんですね。

私が、もう少し若ければ、じたばたせずに、ルンバのような軽やかな動きが出来るんですけれどね、
最近は、年のせいか、想いと行動がスムーズにいきませんで、口も身のこなしも、
このように、じたばたしておりますの。

復興G様と私は、
《災難》に遭ったときの対応の仕方が、異なっていることが、
復興G様のご文章で分らせて頂きました。

これは、考え方の相違ですから、これについて対話させて頂いても、どこまで行っても
平行線だと感じました。

これにつきましては、年とは、関係のないことです。

この年で出来ることで、自分で出来る範囲のことを、じたばたでも、やるっきゃないと私の場合は、
強く思って発言しているのです。

魂のふる里のことですから、じっとしては、いられない性格なんです。

復興G様は復興G様の生き方がおありのように、
私は私の道をいきます。

真理については、いつもたくさん教えていただいて、感謝いたしております。
今後も、学ばさせて頂きます。

返信、ありがとうございました。

 合掌礼拝

1498志恩:2012/11/08(木) 00:42:26 ID:.QY5jUA6
みすはなまる様
通りすがり様
アクエリアン様
トキ様
goro様
さくら様

コメント、ありがとうございます。
私は、復興G様の事は、前々から敬愛しています。
でも,人間ですから意見の相違や納得出来ない事、理解出来ないことは、
あります。

以前は、遠慮して納得出来ない事でも分ったふりをして、黙っていたのですが、
それは、自分に不正直だと思い直しまして、最近は、どんどん言うようにさせて頂いております。

「いい年して」というのは、鉄槌ではないと思っております。
復興G様は、私より10歳以上年上でいらっしゃいますから、私に言っておられますが、
その言葉は、ご自分に対しても言っておられるんだな、ということは、わかりますので。

以前は、復興G様は、かなりのご発言をされてました。
総裁に対する辛口発言もされてたことありました。

最近、無口になれれたのは、大きい流れに身を任せられる様になられたからかも
しれない…と、復興G様の今回のご発言を読ませていただいて、思っております。

1499志恩:2012/11/08(木) 01:01:23 ID:.QY5jUA6
以前の復興G様のご投稿文の1つを貼付させて頂きます。

組織 板
295 :復興G:2012/01/21(土) 13:09:51 ID:ojEbkDH2

 私は昨年7月、次のように書き込んでいたことがあります。
 狭い体験、一面的な観点からの拙文であると思いますが、『生命の實相』裁判判決を前に、再掲載させていただきます。
 〜〜〜〜〜〜〜〜 *
 ……私は「総裁援護派」と申しましても、必ずしも今までの雅宣総裁のすべてをよしとして「ヨイショ、ヨイショ」と
 お神輿担ぐような援護派ではございません。畏れながら、これから、たいへんきびしい直言献言を申し上げたいと思っております。

 (中略)昭和50年前後ごろ、青年会で『理想世界』百万運動を繰り広げたリーダーの森田征史氏・安東巌氏らは、
 当時生政連の中央部に直接関係していた方ではありませんでしたが、谷口雅春先生の悲願を深く受け止め、真心を持ってそれにお応えしたいと、
 命がけの活動を展開して来られたと思います。

 谷口雅春先生の悲願──それは、「日本国家の成仏」ということであり、具体的には「明窓浄机」(S49.12)にはっきりと書かれております。

「……私は政治方面の天分など持ち合はさないのだけれども、国家の危機と、年間三百万人殺される胎児のことを思ふと止むに止まれない気持で、
  政治方面にここまで努力して来たのである。

 しかし生政連もここまで育つて来て、私のやうな素人が口を挿まないでも一人立ち出来る錚々たる
 人物が中央には数人はゐるからこれらの人々に委せておけば大丈夫だと思ふ。

 私が生政連関係の仕事に嘴をはさまないことにしても信徒及び誌友諸賢は生政連から後退しないやうにして頂きたい。

 現在の日本国は思想や国民の精神状態から見れば開闢以来の一大国難の秋(とき)なので、その国難を支へる宗教、政治、思想団体といへば、
 まだ力が充分発揮できないが、生長の家のみであるからである。

 ……せめて胎児の虐殺をやめさせる法律が通るまでは、
  吾々の国会代表を減らすことはできない。これは私の生涯の願ひである。

……しかし、政治方面の知能や機略は私の専門外にあるので、此処には希望をのべるだけで私が長崎に退いた後は、
  政治のことは今後、副総裁に全托してやつて頂くことにする。

 私は九州別格本山を、別格を消して大本山に完成することに
  人生の最後の任期を賭けたいと思ふ。」

 ──とお書きくださっているこの谷口雅春先生のご悲願に、生政連がお応え出来ないなら、自分たちがそれにお応えしようと、
   命を捧げる気持ちで若い情熱を燃やし猛烈な運動に献身したのが、当時の青年会活動であり、今もその志を捨てないで戦っている
   人たちがいると考えられます。

                  つづく

1500志恩:2012/11/08(木) 01:03:49 ID:.QY5jUA6
        (つづき)

しかし、当時の運動には若気の至りで行き過ぎ
 ……「手段を選ばず」のようなことも出てきたため、『理想世界』百万部は達成したけれども、無理がたたって「国家救済」の持続的運動は挫折した。
  その間、現白鳩会総裁の谷口純子先生をも家族のように守り育てて“百万運動”に献身していた
  リーダーのN氏を除名処分にするというようなことも起きた。

 そこで現谷口雅宣総裁は、そのような体制をたたきつぶすことこそむしろ生長の家を救い国を救うことになるという、
 ある種の使命感をもって、戦ってこられたようにお見受けいたします。

 動あれば反動あり。
 反動として、「雅宣総裁追放」こそが谷口雅春先生のご悲願を実現する道である、と立ち上がっておられるのが、
 現在の「生長の家本流宣言」を名乗るグループや「谷口雅春先生を学ぶ会」の皆さんであろうかと思われます。

 この悪循環を、どこかで断ち切らねば、永遠に混乱は続くでありましょう。

 総裁先生にお伺い申し上げます。生長の家を愛し、大聖師谷口雅春先生をこよなく敬愛し、そのご悲願を達成したいと、
 命がけの気持ちでやってきた者たちの心情を理解することも出来ず、そういう人たちを敵に回して戦うということは、

 総裁先生の提唱される「日時計主義」とどういう整合性を持つのでありましょうか。お教えください。
 矛盾したことを続けられるのなら、即刻「日時計主義を実践しよう」などという看板は下ろして頂きたく存じます。

 大調和を説く生長の家が、骨肉の争いや、元大幹部と裁判沙汰で争うなど、絵にもならないお笑いぐさであります。
 そのような姿勢を続けられるのなら、生長の家総裁の座を降りられた方が、人類のためになります。

 賢明にして偉大なる、神にまします 生長の家総裁 谷口雅宣先生。

 先生は、上記のようなことは夙に御賢察くださり、今までの方向を大転換して、大調和、大和解への道へと舵を切り直す
 準備をなさってくださっていますことと信じます。

 大和解こそが、生長の家全信徒を本当に救済し、人類を救済する第一歩となります。

 われら生長の家信徒は、総裁先生の大いなるご愛念のもとに、生かされているのでございます。
 そのことに深く思いを致し、心からなる感謝を捧げます。

       頓首平伏合掌礼拝

1501ハマナス:2012/11/08(木) 01:48:27 ID:x2zmnlqw
復興G 様

「光明道中記」の明治天皇陛下に関する投稿を再アップして頂きまして、ありがとうございます。
復興G様の1478と1489のご文章を拝見し、感動致しました。さすがに、素晴らしいです。

>――私は、「総裁が悪い」と他に責任を転嫁することは、内なる神を愛することにならないと
思いました。それでは、外なるものによって自分が支配されているという「僕(しもべ)」、もっと
言えば奴隷状態に自分を置くことになるのではないか。自分が神の子、宇宙の中心ならば、運命の
主人公としての生き方は、「一切は自分の責任」 「罪あらば吾をとがめよ天津神」という気持ち、
自覚を持って生きることではないか――。

>――だからこそ、
≪しかし、現実にはその「あり得ない」ことが現れている。ここが、生長の家信徒われらの正念場
だと思われます。≫と、申し上げているのであります。

『生命の實相』第8巻P.169より謹写させていただきます。 

  わが業はわがなすにあらず天地を貫きて生くる祖神(みおや)の権能(ちから)

「自もなく他もなく、天地ただ一つの祖神のなかにある。われらが求めているのは小さな我の力で
求めているのではない。天地全体の力で求めているのである。だからわれが求めると同時に天地間
のどこかに必ずその求めを満たすものが顕現しつつあり、われそれを求むれば、その求められる
ものがわれを求めて互いに相近づきつつある――その相近づくのは神の力、広大無辺なる力である
からその広大無辺の力に導かれて、わが求めるは必ずかなうのである。」

同 P.171より

「どんな苦悩が来たとて、われわれは恐れてはならない。苦情を言ってはならないのです。恐る
ればわれらの生命力は減る。苦情を言えばわれわれの生命力は減る。呟く時間に、恐るる時間に、
自己の宿る神の栄えを顕わすために一歩一歩忠実に向上せよ。静かに神の子なる時自己の栄えの
自己実現を想望しつつ突進せよ。想念は行く手を照らす光であり、同時に現実を押し上げる発動
機である。信ぜよ、自己の宿る神を信ぜよ。不屈のものが自己にありと信ぜよ。絶えず、絶えず、
その日のことを忠実につくしながら、欲するものを心に描いて進め。かくすれば、宇宙の力おの
ずから動き来たって、われらの希望する想念の雛型に従って、われらの欲する事物を具象化して
くれるのであります。想念は力である――それが正しき想念であり、利己的目的のみではなく、
自己を高め上げ、自己の他に対する有用性を高めることを含んでいる念願でありますならば、
神に祈り、その希望を神に委ねて、その日その日の務めを完全に尽くして行くならば、成就し
ないということはないのであります。」

命懸けで、神の子の自覚を深め、行じてまいりたいと思います。
ありがとうございました。

1502SAKURA:2012/11/08(木) 06:26:43 ID:dBLl2Ogo
「復興G 様」 ヘ ・ 「トキ様」 へ ・ 「観覧者の皆様」 へ
おはようございます……。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1469の“SAKURA投稿“から〜〜(一部抜粋)
私事で、恐縮ですが“パ−トナ−”の【御両親の介護関係…】で、昨日から既に、別の場所に
移動しての一日でした。…が?ここ数日は、時間調整が難しい中での“投稿体制”をと…

■此処で“横スレ”にて…申し訳ございませんが……
〜〜〜【投稿抜粋】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■そして『明治節…』
一、アジヤの東 日いづるところ   ひじりの君の 現れまして
古き天地(あめつち) とざせる霧を  大御光(おおみひかり)に 隈(くま)なくはらひ
教へあまねく 道明らけく      治めたまへる 御代(みよ)たふと
…云々…

❤〜この頃の“日本語…言葉の美しさ?響きの良さ?“でしょうかと、改めて思いました。(抜粋文)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■この紹介していただきました【明治節…】この歌詞?と申しますか?“言葉の使い方…”
例えば…【〜♫ 治めたまへる 御代(みよ)たふと ♫〜】此処の処まで見て参りますと…
ついつい脳裏に【 君が代〜♫ 】を、瞬時にして思いました次第なのです…。
【日本語…】の美しさ〜♫〜 “響のニュアンス”この様に、見ていった次第なのです。
更に…【日本民族の“魂”…さざれ石】が?… 

■■ 【 君 が 代 】
❤〜君が代は 千代にやちよに
さざれ石の 巌(いわおと)なりて  苔のむすまで ……

A thousand years of happy life be thine!
Live on, my Lord, till what are pebbles now,
By age united, to great rocks shall grow,
Whose venerable sides the moss doth line.

汝(なんじ)の治世が幸せな数千年であるように
われらが主よ、治めつづけたまえ、今は小石であるものが
時代を経て、あつまりて大いなる岩となり
神さびたその側面に苔が生(は)える日まで
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■ 明治維新後の1880年(明治13年)に曲がつけられ、以後は国歌として扱われるように
なった。1999年(平成11年)に国旗及び国歌に関する法律で正式に国歌に制定された。
元は平安時代に詠まれた和歌である。

この“言葉…”は、確かに平安時代からの“和歌”と語数の中にその心情を巧みに表現され
ていますから…ついつい【この「我が君」から「君が代」への変遷…】このように、
つい“日本語の言霊”を、改めまして思った次第なのです。
従いまして、
ここ最近は、社会情勢も含めまして【国 歌】であります「きみが代…」この言葉を、
同時に連想しまして、前回、復興G様の“明治節…に対しての投稿…”を、させていただいた
次第です…。

当に!現在は【明治維新…】政治面に於きましても、新しい動きがありますので…それも
含めまして感銘しました次第なのです。…が?

❤〜参考に【国家…君が代〜♫〜】お時間がございましたら拝聴下さいますと幸いです。

http://www.youtube.com/watch?v=98vjTRCR3bA&amp;feature=plcp
(第82回 選抜高校野球大会(平成22年・甲子園)にて国歌独唱、全国に大きな感動…
呼んだ天使の歌声!)

                               再合掌

1503復興G:2012/11/08(木) 08:45:50 ID:vWpLkCzM

合掌
志恩様、ほかコメントをくださいました皆々さま。

ありがとうございます。

今日はこれから夜まで一日出かけなければなりませんので、お一人お一人にお返事、コメントはできませんが、こころから感謝し、ご無礼はお詫びし、祝福のお祈りをさせていただきます。
合掌 ありがとうございます。礼拝

1504「訊け」管理人:2012/11/08(木) 09:38:59 ID:???


 「考えの相違だから仕方がない」「これ以上は平行線」・・・・そんな言葉で片付けてよいのでしょうか。ここは重要な点だと思います。言うまでもなく此処は、「世界一の教えを奉ずる集団」です。掲示板にはそんな方々が、集まっているはずです。「考えの相違だから仕方がない」「これ以上は平行線」という言葉で返答されるのは、思考停止の様に感じられます。(答えは聖典に、書かれてあるのです。しかも誤読余地もなく)

 つづけます。参集される皆さんの手許には少なくとも、各種聖典があるはずです。そして(手法に変化はあれど)基本線に於いてそんなに、相違点が出てくるわけがありません。それを「考えの相違だから仕方がない」「これ以上は平行線」で片付けられてはたとえば、聖典を論拠に意を尽くした側は、虚無感が漂うというものです。「考えの相違だから仕方がない」「これ以上は平行線」・・・・・・そんな話で片付けられる話でしょうか。これは。

 知的誠実さあらば返答は、少なくともこうなるのが普通ではないでしょうか。手法面での相違点を認めつつも「それでは聖典に基づいて考えます」と――それなのに相手方ご返答が、「考えの相違だから仕方がない」「これ以上は平行線」ならば、それでは御教えの入っていない一般人となんら変わりがありません。個人的にはそう考えます。




追伸

 その、「考えの相違だから仕方がない」「これ以上は平行線」の内容は、聖典に基本を置いておられるのでしょうか。内容は判然としませんしましてやそのお言葉は、聖典を論拠にされてのものとは思えません。(反論あらばどうぞ)考え方に相違あれども少なくとも、「我が行動は聖典の、ここに立脚しております」と明記されるのが、最低限の礼儀だと思います。

1505トキ:2012/11/08(木) 10:12:19 ID:KeI.yaiQ
 おはようございます。

 「鉄槌」という表現が、みなさまの気分を害したら、これは私の本意では
ありませんので、お詫びします。すみませんでした。

合掌 ありがとうございます

1506志恩:2012/11/08(木) 10:21:00 ID:.QY5jUA6
訊け君には分らなくても、復興G様は、私が申し上げた意味は、分って下さってますよ。

 復興G様が言われた《今が、正念場です》というお言葉に、復興G様の心の奥にある心情が表れているではありませんか。

復興G様は、今、生長の家で起きている事は「災難だ」ということも、しっかり認識されてます。

復興G様は、雅宣経も自分は、読経しないとも,以前はおっしゃってましたし、なんでもかんでも今の教えを
受け入れて「雅宣総裁擁護派」でおられるわけではなのです。

今、教団は全組織におふれを出していると聞きます。
「生命の實相」をテキストにしないようにと。また、ご自分が作ったお経を、練成会で使用する様に、全国に命じられていて、
全教化部には、雅宣経が設置されてるとのことです。

復興G様が、80を過ぎられるご高齢にもかかわらず、例え2、3人でも参加者があればいい、それでも「生命の實相」をテキストにした
WEB誌友会は、続けたほうがいい、と仰られて、毎回、すごい長文のテキスト用の「生命の實相」からの謹写をして下さってたり、ご指導
下さっているのは、

「生命の實相」を消してはならない、という思いと、閲覧者の皆様に、「生命の實相」の素晴らしさをお伝えしたいという本来の生長の家を
崇敬される切なるお気持ちがあるからだと,存じます。

「災難」に対する態度は、静かに実相を祈られるタイプと、私のように、祈りながら発言するタイプの人と、わかれますし、
雅宣先生に対する対応も、わかれます。

その対応に仕方で、相手を追求していても平行線ですから、、、、ということを申し上げたのです。
未来に対する思いは、一緒なのですから。

以前、復興G様が、「生命の實相」にたいする熱い思いを述べられたご文章が、ありますから、つぎに貼付させて頂きます。

1507志恩:2012/11/08(木) 10:23:34 ID:.QY5jUA6
トキ様

コメント、感謝します。仲介してくださろうとされて、
トキ様は皆様に叱られてしまって、かえって、すみませんでした。
ご愛念、ありがとうございました。

1508志恩:2012/11/08(木) 10:25:01 ID:.QY5jUA6
貼付させて頂きます。

「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板
1292 :復興G:2012/02/29(水) 09:56:49 ID:ojEbkDH2

「本流宣言掲示板」の方に、
<2月28日、代表者会議で、谷口雅宣先生が、『生命の實相』にも「聖経」にも頼らないでいくことを宣言した模様です。(「靖国見真会」参加者様)>

と出ています。
が、これは本当のことでしょうか。

もしそれが本当だとしたら、私は >>1204 で申し上げましたように、
<生長の家の根本教義は、『生命の實相』に記されています。……根本真理の神の波動がそこには鳴りひびいています。その『生命の實相』がなくなっても、新しい雅宣総裁の『新・生命の實相』が書かれたらよい、とは私は思いません。もし仮にそうなるようだったら、生長の家から神様が無くなることになるので、私は離縁していただきます。>
ということになります。

雅宣総裁が本当に、神そのままの実相を現し、形の上だけでなく真理の法燈を継承していらっしゃるならば、そのようなことをおっしゃるはずはない。実相の総裁は、決してそのようなことをおっしゃっていないのだと信じます。

 “『生命の實相』にも「聖経」にも頼らないでいく”というのは、外なるものに頼らなくても、内なる生命の実相に頼ればよい、とおっしゃるのでしょうか。たしかに谷口雅春先生は、「外に求めず、わが内に求めよ」とおっしゃいました。しかし、そのことに気がつかせて頂いたのは、『生命の實相』に書かれた真理の御言葉によってであります。その『生命の實相』はいらない、と否定することは、『大般涅槃經解釋(だいはつねはんぎょう かいしゃく)』にあります

「もし、宗教人であれ、在家の人々であれ、師に対する恩知らずの麤悪(そあく)の言葉をもつて正法を誹謗し、その重大な悪業を犯しながら悔い改めようとはせず、心に慚愧の思ひを起すこともないならば、そのやうな人を名づけて一闡提(せんだい)の道に趣く者といふのぢや」
ということになる恐れがあると思われます。

そのような「五逆の罪」を総裁に犯させ奉ってはならない。ですから、総裁が『生命の實相』はいらない、とおっしゃったというのが本当なら、私は「離縁して頂きます」と申し上げます。

<釋尊は御自分のお説きになる教へを「正法」と仰せられ、御自分の説法にケチを付けたり、攻撃したりする者を「正法を誹謗する者」として、そのやうな者に、布施することはよろしくないとせられたのであります。>
<釋尊の教団から脱退して別の教団を立て、その教への殆ど全部を盗用しながら、その表現する言葉の言ひ廻しを一寸かへたり、重大な点一二の別異の説をもつてその表面を塗り替へたりしながら、「釋尊の教へよりも、この教への方が立派であるぞ」と言つて自分への信者集めに狂奔して師を攻撃するやうな弟子もあつたのであります。>

と『大般涅槃經解釋』にあるような「叛逆の弟子」に、総裁御自身がなってしまわれると、信徒が皆迷いの道に行ってしまいますから、大変なことです。

1509「訊け」管理人:2012/11/08(木) 10:27:05 ID:???

>>志恩さま


 ストレートに申します。「じたばた」の意味ですがこれは、貴女さまご発言や
行動内容が「聖典を基礎にしていない」ことに起因しております。

 相違点はあってよいのです。あってよいのですがどうしても「じたばた」に見え
る理由、それは、「聖典に基づいていないから」になります。

 「違う。私の行動は聖典準拠よ」がご返信でしょうか。それならば該当箇所を指摘
くださいませ。そうされれば少なくとも、第三者には「じたばた」しているようには、
見えぬものと思います。





1510「訊け」管理人:2012/11/08(木) 10:30:58 ID:???


<補足>

※ それならば該当箇所を指摘くださいませ。


 考え方の相違ですがまずは、その内容をご明記ください。さらにその上で、
聖典の該当箇所をお知らせください。私が謹写致しましょう。

 つまり、相違点あれども少なくとも、「志恩さんの行動・発言は聖典に基礎あり」
を、周囲に示す必要がありましょう。そしてそれは復興Gさまに対する最低限の礼
儀なのではないでしょうか。現時点では貴女さまが、一方的に議論中止させており
ます(少なくとも印象では。)。相手側は聖典を論拠に説得されておられるのですよ、
貴女さまに於かれても聖典を基に反論を、されるべきではないですか。

1511うのはな:2012/11/08(木) 10:49:54 ID:e2uGAy0E

    トキ掲示板=争いの家

1512トキ:2012/11/08(木) 10:56:36 ID:KeI.yaiQ
 いろいろご意見はあると思いますが、ここは誌友会の会場ですので、できればその点を
ご考慮お願いいたします。

合掌 ありがとうございます

1513西向く人:2012/11/08(木) 11:03:58 ID:M7ribEwU
  
  聖典に準拠してお応えしようか

  それを知ってどうする

  毎日のようにブログを更新していても、それが判らぬか

  そうか、ただコピーしているだけだからな

1514「訊け」管理人:2012/11/08(木) 11:20:15 ID:???

>>西向く人さま


 ところで『信仰の科學』でありますが、やはり英訳でした。まえがきにありました。

 あの、ご著書の御文章ですがやはり、雅春先生のものは「英訳後、再度日本語訳された御文章」
だと明記してありました。ただコピーしているだけですので、見落としておりました。


 英文を日本語に訳された御文章だからなにか、いつもとトーンが違ったのでしょうね。




1515志恩:2012/11/08(木) 13:47:04 ID:.QY5jUA6
訊け君とは、やりとりしません。
無駄な時間を費やすだけですから。

以前にもあなた宛に、私は徹夜して、
書き込んで回答しましたが、それでも、和解について、なにも答えてないと
あなたは言いました。揚げ足取りに終始しています。

うのはなさんと和解されてからに願います。
あなたの言葉が、虚しく響き渡るだけです。

1518志恩:2012/11/08(木) 13:58:34 ID:.QY5jUA6
聖典に基づいた和解については、語り尽くされて来ています。
それでも、
受け取り方は、まっぷたつに別れております。
また、書きますか?同じ聖典からの引用部分を。

和解、和解がはじまりましたね。

ご自分が主張されるのに、
都合のいい箇所の「聖典」の文章を、いつも引用されて、
書かれていて、
和解を実行されていない
あなたのなかよしの雅宣総裁におっしゃってください。
聖典を実行せず
根本真理と対策を説かないのは、雅宣総裁なのですから。

1519トキ:2012/11/08(木) 14:47:30 ID:KeI.yaiQ
 あらあら。なかなか、活発な議論がされていますね。
やはり、それだけ生長の家を愛しておられるからだと深く感謝申し上げます。

 この件は重大な問題ですから、また、別に時間をとって、議論できれば良いですね。
誌友会の場所ですから、少し趣旨が違いますから。

 では、宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1520うのはな:2012/11/08(木) 15:26:39 ID:zzNh6pl2

 トキさん、訊け氏は別版でも事実をコピペしてくださいとか、
ごちゃごちゃいっています。
 訊け氏にも注意するようにしてください。

1521志恩:2012/11/08(木) 15:28:07 ID:.QY5jUA6
小銭入れは、キーロックつきの金庫の中に入れとかなきゃ。

1522「訊け」管理人:2012/11/08(木) 15:46:51 ID:???


○「花は咲く」(東日本大震災復興支援ソング)
http://www.youtube.com/watch?v=jqKiZqhE3ZE

<歌詞>

真っ白な 雪道に 春風香る
わたしは なつかしい
あの街を 思い出す
叶えたい 夢もあった
変わりたい 自分もいた
今はただ なつかしい
あの人を 思い出す
誰かの歌が聞こえる
誰かを励ましてる
誰かの笑顔が見える
悲しみの向こう側に
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう
夜空の 向こうの 朝の気配に
わたしは なつかしい
あの日々を 思い出す
傷ついて 傷つけて
報われず 泣いたりして
今はただ 愛おしい
あの人を 思い出す
誰かの想いが見える
誰かと結ばれてる
誰かの未来が見える
悲しみの向こう側に
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
いつか恋する君のために


<補足>

 合唱隊は宮崎勢です。川南町は口蹄疫で牛が全滅しましたが今回、他地域の県勢がふんばりで「和牛五輪」を制しました。エリート種の牛を欠いての、全国制覇です。県民は現在、皆、涙しております。

1523うのはな:2012/11/08(木) 17:01:17 ID:UyKarZdg

    志恩さまへ

 さくらマネがいなくなり、志恩さんなどが相手にしてくれないとなると、訊け氏が
部外者には弁論機会がないとか、ごちゃごちゃと被害妄想じみたことをしゃべっています。
トキさんもたよりないので、迷惑しています。

1524さくら:2012/11/08(木) 18:01:38 ID:Qe.xcyA2
…わたしは、トキさまの「鉄槌」という言葉に不快などを感じて書いたのではありません。
仲介に入り八つ当たりを浴びたとの話にしないで頂きたいと思っております。

復興Gさまは、なにより雅春先生のみ教えに基づいたお立場に立たれて、志恩さまにあのお言葉を言わざるを得なかったのは、それは、み教えに真剣であられたこそと思っております。
その想いを少しでも、ご理解しなければ、復興Gさまやみなさまが尽力されておられるこの誌友会も報われないのではないかとかんじましたので。
トキ様も話をそらされようとなさいますが、これは学びにとても大切な論点であると、わたし自身は思っています。
なぜなら、復興Gさまは、あくまでみ教えを中心として言われておられるのであり、個人的感情や意見の受け取り方ややり方の違いなどで、このようなことを言われたわけではないと思われます。

一番下っ端の鈍ら信者なので、わたしは、和解を言っても、先輩から生意気だ、宗教人としてもあり得ない女だ、元スパイだといくらののしられ、管理人様にも軽くあしらわれても仕方ない立場かもしれませんし、
部外者も小銭だポイだと言われても仕方ないかもしれませんが、

いま復興Gさまが言われたお立場は、精魂込めた真理の謹写のあとのお言葉でした。
ハマナスさまは、そのお言葉に対し、「命がけで神の子を行じたい」とのお言葉でお受けになりました。

雅春先生のみ教えを継承すると言われる本流派を応援されるみなさまは、少しでも、この点をご考慮して頂ければと個人的には願っております。


…なお、この意見に関する個人の人格攻撃は、別版でお願い申しあげます。
このようなことがあると雰囲気もじゃまになりますので、今後、こちらでの発言も控えたいと考えております、
たびたび失礼いたしました。

(ただ、別版での返信はお約束できかねます。)




1525神の子さん:2012/11/08(木) 18:02:13 ID:???

>トキさんもたよりないので、迷惑しています。

↑ じゃ 出 て い け ! 皆 が 喜 ぶ ぞ !

1526トキ:2012/11/08(木) 18:47:53 ID:KeI.yaiQ
 なんだかなあ、と少し寂しい気分です。この掲示板は、どの立場の人も制限なしに投稿できる事が
目的に作りましたが、こんな争いが怒るのは自分の本意ではありません。自由な意見が投稿されると
いうことは、当然、自分と違う意見も存在すれば、自分が好きになれない人も来る訳です。
 そこで、ファイト! というのは、他の投稿者様や閲覧者様に、ご迷惑をかけることになり
ます。

 やはり、生長の家どうし、谷口雅春先生の教えを学ぶ者どうし、解釈に違いがあっても、
お互いに尊敬しあいましょう。

 よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます


管理人敬白

1527うのはな:2012/11/08(木) 19:30:57 ID:E.iyQwvc

240 名前:「訊け」管理人 投稿日: 2012/11/08(木) 14:14:05

 まあしかし・・・・呆れるね(笑)いやホント(笑)

 誰も聖典なんて、読んでおられないよね。興味すら無い感じだね。

 生長の家関連掲示板でマイノリティ化しているのが、「谷口雅春・光明思想」
と云うわけだから、どんなブラックユーモアだろうか。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 また呼び捨てにしてますよ。

1528うのはな:2012/11/08(木) 19:32:34 ID:E.iyQwvc
>1525

「荒らし」ってなに? △ ▽  ▲ ▼

 スレッドを乱立させたり、長文や意味を持たない文字列やアスキーアートなどをコピー&ペーストしたり、削除対象になるものを書き込んだり、掲示板の使い勝手を悪くしてしまう行為一般の総称です。
 個人の誹謗中傷、度の過ぎた差別発言、むやみに不必要なスレッドを上げること、執拗な煽りや叩き、なども荒らしとみなされる場合があります。
 平たく言えば、他人に迷惑が掛かる書きこみはアウトってことです。。。

 荒らし行為に遭遇した場合は、諌めたり挑発したりなど、むやみに対抗しないようにお願いします。特に荒らしを煽るのは逆効果です。
 荒らしに反応したらあなたも荒らしかも。。。

1529トキ:2012/11/08(木) 19:54:36 ID:KeI.yaiQ
 すみませんが、この場所は、誌友会の会場として予定されています。

 この板には、誌友会に関係のない話題はご投稿をお控え下さい。
宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1530志恩:2012/11/08(木) 20:31:21 ID:.QY5jUA6
さくらさん

いくら敬愛していても、違う人間同士ですから、どうしても理解出来ない点も、受け入れられない点もある場合があるのです。
「聖典に基づいて」、、「み教えを中心に」、、

それは、ここの掲示板の皆様、本流の皆様も、口を揃えて仰っておられます。
しかし、皆様、聖典に基づいて、み教えを中心に、お考えですのに、
受け取り方が、それぞれ違っております。


私の場合は、復興G様がおっしゃる

① 「総裁のすることなすことが、全てが我が責任である」、という考え方と、

② 雅宣総裁が、住吉大神の化身だという考え方は、決して納得できません。

その考え方を、さくら様とハマナス様は、感動されて、同意されました。
それは、それで、いいのでは、ないでしょうか。

それを、私にも、受け入れよと、貴女に言われても、受け入れられないものは、どう言われても受け入れられないので、
仕方、ありません。

それから、復興G様が「今が正念場」とおっしゃったのは、別板でトキ様がコメントされてますが、

>> 谷口雅宣先生が、ご兄弟と和解をするか、しないか、の二者択一です。それ以外の選択肢はありません。<<

これを指しておられるのかなと思いました。

続きまして、
〜以下は、教区におられるというトキ様の『和解について』のお言葉です〜

>>谷口雅宣先生が、ご兄弟と和解をすれば、これは総裁が谷口雅春先生の教えに忠実に従う、という事を意味しますから、
本流復活派も万歳という事になります。さらには、これだと、谷口雅宣先生ご自身も皆様から、
その英断を賞賛されますから、組織内での立場も安泰という事になります。

 しかし、もし、谷口雅宣先生が、ご兄弟と和解を拒否したら、
これはこれで、残念ですが、いわゆる「本流復活」が成就する事になります。

なぜなら、神は法則であり、個人の属性に関係なく公平に働きます。生長の家総裁であろうが、私の
ような末端の信徒であろうが、それは変わりません。そして、自分の兄弟とすら和解できない事は不調和な波長を出して
いる事ですから、神様の波長とは合いません。神様の波長と合わなければ、運命がよくなるはずがありません。
 どんなに努力をしても、確実に失敗します。

 この数年の総裁の方針を拝見すると、たいへん申し訳ありませんが、見事なまでに失敗の連続です。昔は総裁への
尊敬の念は一応、教区も持っていましたが、最近ではだんだんと尊敬の念は消えつつあります。昨日、兄弟と争って
覇権を握ったものの、遂には会社から追放され惨めな晩年を過ごした中内功さんの話を書きましたが、同じ運命は確実
に谷口雅宣先生にも来ます。下手をすると、もっと悪い末路になるかもしれません。

 そして、「今の教え」なるものを本心から信奉している人は、少数の狂信的な人を除けば、ほとんどいません。
大半が表面で言っている事と内心とは違います。そして、谷口雅宣先生が、おられなくなったら、表面をとりつくろう
必要はないですから、一気に今までの反動が来るでしょう。そうなったら、あとは「谷口雅春先生の教えに戻ろう」という
事になるだけです。<<


さくらさんは、このトキ様の現場のご意見を、どう受け取られましたか?

1531志恩:2012/11/08(木) 20:41:50 ID:.QY5jUA6
私は、トキ様の上記のご意見は、
復興G様も、ご同意されるご意見ではないかと、思っております。

私が、具体案を出せないでいるのは、今は、現場に居ないからです。
ですから、今現在、現場でご活躍の皆様に現場の実情を教えていただくしかないのです。


アクエリアン様のつぎのご意見も、本来の生長の家に回帰するために、賛成です。

>>生長の家の教えを学ぶために信徒になっているのだから、
開祖谷口雅春先生の聖典で、学ぶというのは、当たり前のことですね。

雅宣総裁は余計なことというのでしょうか、
信徒が教えを学ぶ環境を邪魔しているのではないか。

信徒が直接に開祖の教えを学ぶことができるような、
読書環境をまず整備することが、法統継承者の第一の仕事でしょう。

今の教えなどという、余計な雑音は必要ないんです。

総裁は雑音の出し過ぎなんです。

ただ、ただ、裏方に徹して、信徒が直接、真理を学ぶことができる環境を整備すること、
環境問題を問題にするのならば、信徒が聖典を学ぶ読書環境の整備、
まず、これを第一にやらなければならない。 <<

1532a hope:2012/11/09(金) 08:24:29 ID:8tjYhMb6
みなさま おはようございます。
いよいよ今夜、9時半より、第8回WEB誌友会が開催されます。

<第8回WEB誌友会予告>
≪日時≫11月9日(第2金曜日)21:30より
    11月11日(第2日曜日)23:30まで
≪テキスト≫『生命の實相』第2巻「實相篇 光明の真理<下>」 はしがき p.1〜2、本文 p.1〜p.50
≪内容≫ 第1章 「生長の家」の超薬物学


復興Gさま
聖典板に、『生命の實相』第2巻第1章の謹写をありがとうございます。
また、御指導をよろしくお願い致します。

みなさま
今夜、a hopeは、また、開催直前に、「準備祈願」としての祈りを掲示させていただき、
聖典『真理の吟唱』より「内在の生命力を振起(しんき)する祈り」を謹写させていただく予定でいます。


みなさま、覚えていらっしゃいますか?
このweb誌友会の大きなテーマは、『一人ひとりの法燈継承』 です。

わたしたち「生長の家」を愛する信徒一人ひとりが、聖典「生命の實相」の偉大さを再認識し、
100%の信頼を持って心読して、一人ひとりが「生長の家の教え」をしっかりと「法燈継承」すれば、
「生長の家」は必ず大調和するのだと思います。


復興Gさまも紹介してくださいました、第2巻のはしがきには、

<<本巻に収められた實相篇の「生長の家の超薬物学」は、『生命の實相』全集全巻を通じての枢軸部をなす部分であり、
その一部分が六十四ぺージずつ二冊のパンフレット『いのちのゆには』および『こころ我を生かす』と題して発刊せられたとき、
その読者のうちに無数の奇蹟的治癒が起こり、著者みずから驚異の念をみはった部分である。>>

とあります。

今回の内容は、雅春先生ご自身が『驚異の念をみはった部分』なのです!
真剣に、でも、みなさまと一緒に楽しくお勉強させていただきたいと思っています。

それでは、わたしの愛する「生長の家」のみなさま、今夜お会いするのを楽しみにしていますね!

1533さくら:2012/11/09(金) 08:57:51 ID:qLq/w8RU
>>1531


志恩様

質問を受けましたので、お答えだけします。


「>① 「総裁のすることなすことが、全てが我が責任である」、という考え方と、

② 雅宣総裁が、住吉大神の化身だという考え方は、決して納得できません。

その考え方を、さくら様とハマナス様は、感動されて、同意されました。
それは、それで、いいのでは、ないでしょうか。」


これは「ひとつの考え方」として、賛同したわけではなく、
復興Gさまが、自ら生長の家の真理を実践されようと「一切者の自覚」に立たれておられること、
またその真理に、自らの考えなどを挟まず「ハイ」と受けたハマナスさまの信仰姿勢に打たれた、ということです。
ここに生長の家でいう、真理に対しての「絶対ハイ」の姿勢を感じました。
また、いまの生長の家の現象にとらわれるのではなく、それを突き抜けた、中心の実相を観る目、実相覚を解いて下さっているとかんじました。

また、復興Gさまが引用された良寛さんの
「災難にあう時節には、災難にあうがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候(良寛)」

上記は、良寛さんの言葉だと言われていますが、とても深い意味をもっていると思われます。」

神への絶対的な信頼と全託という、深い信仰の姿勢を書いて頂いていると受けました。



「>それから、復興G様が「今が正念場」とおっしゃったのは、別板でトキ様がコメントされてますが、

>> 谷口雅宣先生が、ご兄弟と和解をするか、しないか、の二者択一です。それ以外の選択肢はありません。<<

これを指しておられるのかなと思いました。」


復興Gさまが「正念場」と書かれたのは、
実相直視の生長の家の真理を、信徒がいかに実践することが大事かという覚悟を言われたと、受け取りました。

また、トキさまの意見に対してどう思うかとのことですが、
わたし自身は、トキさまのような、組織に責任を持つ立場ではありませんので、
トキさまは、トキさまのお立場で実感されておられることを書かれておられると思っておりますし、
精一杯ご自分のところで尽くされているところを、尊敬しています。

わたしのいまの立場で、組織が改善されることを願っておりますが、
もう、組織に関わらず、自分のおかれた立場で、自分が救われた信仰を信じて、実践するしかないとおもうだけです。

1534さくら:2012/11/09(金) 08:58:26 ID:qLq/w8RU
「上士聞道 勤而行之 中士聞道 若存若亡 下士聞道 大笑之 不笑不足以為道 故建言有之 明道若昧 進道若退 夷道若纇 上徳若谷 大白若辱 広徳若不足 建徳若偸 質真若渝 大方無隅 大器晩成 大音希声 大象無形 道隠名無 夫唯道 善貸且成


上士(じょうし)は道を聞けば、勤(つと)めて之を行う。
中士(ちゅうし)は道を聞けば、存(あ)るが若(ごと)く、亡(な)きが若し。
下士(かし)は道を聞けば、大いに之を笑う。
笑わざれば、以て道と為(な)すに足らず。
故に建言(けんげん)これ有り。
明道は昧(くら)きが若く、進道は退くが若く、
夷道(いどう)は(らい)なるが若し。
上徳は谷の若く、広徳は足らざるが若く、
建徳は偸(おこた)るが若し。
質眞(しつしん)は渝(かわ)るが若く、太白(たいはく)は辱(じょく)なるが若く、
大方(たいほう)は隅(かど)無し。
大器は晩成し、大音は希声(きせい)、大象(たいしょう)は形無し 、と。
道は隠れて名無し。夫(そ)れ唯だ道は善く貸し且つ成す。」


わたしは、老子のこの言葉が好きですが、
復興Gさまの「静慮」と言われたことばには、
ここへ通じるような、大きな視点をかんじました。


志恩さまには、いままでたくさんの学びに感謝しています。

ありがとうございました。

感謝拝。

1535復興G:2012/11/09(金) 10:02:50 ID:vWpLkCzM

皆さま、おはようございます。

a hope さま、web誌友会予告、ありがとうございます。
安心しました。

昨日、私は一日出かけていましたが、その間、志恩様、訊け様などたくさんのかたから活発な書き込みをいただいたようですね。ご愛念に心より感謝申し上げます。

トキ管理人様からご注意を頂いていますように、ここは『生命の實相』をテキストにして、真剣に真理を学ばせて頂こうという場でありますから、議論をふっかけて相手をけなすようなことはやめていただきたいと思います。私も心を空しくして、神様のお導きを受けたいと思っております。

ただちょっと、昨日皆さまから書き込みを頂いているなかで、思うことを書かせていただこうと思いますが、しばらく時間を頂きたく思います。午後まで、お待ちください。
よろしくお願い申し上げます。合掌

1536復興G:2012/11/09(金) 10:16:35 ID:vWpLkCzM

>>1533 >>1534 さくら様。
私の意を十二分に(十分以上に)くみ取ってくださいまして、ありがとうございます。
もう、申し上げることはないくらいですが、午後から、もうちょっと私からも書かせて頂きます。
ありがとうございます。

1537「訊け」管理人:2012/11/09(金) 11:29:26 ID:???


 フランス料理店が開店しまして、一年を迎えました。今日はそんなお話など。テーマは「やはり自力解決じゃ、ダメなのよ」といったものに、なろうかと。誌友会テーマとも関連しそうですので、以下掲載致します。・・・・ところで一年前、私にはある悩みがありました。どんなネタかと申せば「不良資産」になります。

 ・・・・まあ以下は、企業会計絡みで複雑です。解り易さ重視で、ザックリ書きますが「ある不動産所有が、経営圧迫を招いていた」わけです。この不動産ですが、売れば「安値で叩かれる」(=自己資本を圧迫)というものです。また、売らないままだと「銀行査定悪化」という不動産です。まさにこれ、「進退両難の公案」でして、私は連日ウンウンと唸っていたわけでありました。(いっそ、「更地にして駐車場にしようか」とも思いましたが、これでは銀行借入を増やします。故にダメです。)

 ・・・・買い手がついても(安値で)×、買い手がつかない場合は銀行査定の面で×。さあ、どうするか――この話ですが、テーマはこうなります。「人間智慧で解決できぬ場合は、神へ全托せよ」・・・もう本当に不思議な話なんですが、行き詰った時ほど好転の兆しなのです。以下体験で私は、確信を持っている現在です。

 なぜだか急に、あるシェフ(フランス料理店主)が名乗りを上げてくれました。そしてこの、「売れずで大変+売っても大変」な不動産を、賃貸してくれることになったのです。この奇蹟が生じてこの、進退両難の公案は、解決(※)されたのでありました。「賃貸か・・・あの不動産を賃貸してくれる人が、この世にあったか」と感動しましたが、賃貸による公案解決、これはまったく思い浮かびもしませんでした。(仏料理店が借りてくれる程の建物では、なかったためです)・・・・・さてこの、一連の動きに関して私は、一切なにもしておりません。なにもしていないのに神が、解決し給うたのであります。

 異議があるかもしれません。以下補足します。

 「なにもしていない」とは、こういう意味です。「具体的に、解決策をイメージしたわけでもない」ということになります。テナントが現われますようになどと、「祈ってすらいなかった」という意味です。テナントの登場がこの公案の解決だなどと、当時の私には思い浮かんでも来ませんでしたからね。(既述どおりそんな価値ある不動産とは思っていなかったため。)ましてや連日、この不動産のことでガンガンに行動していたわけでも、ありません。ともかく各種聖典や、吉田國太郎先生や榎本惠吾先生、または服部仁郎先生や藤原敏之先生の御文章を拝読していただけです。そして、「なんとかなるだろう」と(不安ながらも)楽観、していただけです。外しか見ていない人ならば「なんとノンキな経営者だろう」と、映ったことでしょう。

 ですが、本当になにもしておりませんでした。(=自力解決に乗り出してはいなかった、の意)

 ・・・・なにもしていなくとも、「なにかしている」――この辺の機微にふれた、一年前の出来事でした。そしてそのフランス料理店ですが、昨日無事一周年を迎えました。今回の誌友会テーマ(自壊作用+神への全托)とも関連がありそうですので、特に掲載致しました。


追伸

 自力作善も良いだろう。しかし生長の家では、それは違うだろう。全托を疑い自力作善に邁進するならそれは、若き日の吉田國太郎先生になるのでは、ないか――先生が「神への誠實てふ美はしい心を抱いて私は地獄へ顛落しようとしてゐた」と、著書で述べておられるところのお姿。これに当るのではないであろうか。
 自力作善も良いだろう。しかし生長の家では、それは違うだろう。世間常識を超えたところに、真理はあるのであろう。(やはり、凄みを感ずる思想です)
 





<註>

※ 進退両難の公案は、解決

 売ったら安値です。決算書上では高値で掲載してありましたんで、マズイわけです。ここにフランス料理店が名乗りをあげてくれたお蔭で決算書上でのマイナスが避けられました。
 さらにはテナントですから銀行に、「不動産の有効活用を実施。マイナス査定を取り消されたし」な打診を行なうことも出来ました。銀行側にしてもこれ、私の理屈になんの落ち度もありませんでしたので、スラスラと「OK」が出ました。

1538志恩:2012/11/09(金) 11:38:05 ID:.QY5jUA6
復興G様

復興G様がおっしゃったご投稿文の中で、私としては、理解出来ない事、2点をコメント
させて頂いた事が、ここは「生命の實相」を学ぶところであるから、議論をふっかけるところではない、と
お答えくださったのでしょうか。
そして、
>>1531:で、さくらさんが私に、おっしゃったことを、今回も復興G様は、さくらさんは、ご自分の気持ちを充分すぎるほど、わかってくださったと、
今回もさくらさんのご意見に同意されました。

前回のWEB誌友会前に、さくらさんと私が、別の板で対話していたときも、復興G様は、ご自分は、全面的にさくらさんの意見に賛成するという
いわゆる和解派のご意見を書かれました。

前回、ahopeさんと、さくらさんが、ぶつかったときも、ほんとは、さくらさんが、けつまくったのに、
さくらさんに注意すべきところ、さくらさんにはひと言も注意せず、ahopeさんのほうを注意されました。なぜですか?

以下は、さくらさんから、私宛ての、今回のコメントです

    ( 復興G様のご意見です)↓

>>「>① 「総裁のすることなすことが、全てが我が責任である」、という考え方をする、

    ② 雅宣総裁が、住吉大神の化身だ思っています。

   その考え方を、さくら様とハマナス様は、感動されて、同意されました。
それは、それで、いいのでは、ないでしょうか。」


これは「ひとつの考え方」として、賛同したわけではなく、
復興Gさまが、自ら生長の家の真理を実践されようと「一切者の自覚」に立たれておられること、
またその真理に、自らの考えなどを挟まず「ハイ」と受けたハマナスさまの信仰姿勢に打たれた、ということです。
ここに生長の家でいう、真理に対しての「絶対ハイ」の姿勢を感じました。
また、いまの生長の家の現象にとらわれるのではなく、それを突き抜けた、中心の実相を観る目、実相覚を解いて下さっているとかんじました。

また、復興Gさまが引用された良寛さんの
「災難にあう時節には、災難にあうがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候(良寛)」

上記は、良寛さんの言葉だと言われていますが、とても深い意味をもっていると思われます。」
神への絶対的な信頼と全託という、深い信仰の姿勢を書いて頂いていると受けました。
(中略)
復興Gさまが「正念場」と書かれたのは、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
実相直視の生長の家の真理を、信徒がいかに実践することが大事かという覚悟を言われたと、受け取りました。<<
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
上記について、復興G様は、さくらさんのご意見に全面的に賛同されたわけですが、

この復興G様の実相直視ということを実践する、つまり、具体的に行動に表すと,
結局、復興G様がおっしゃった①と②の結論になるのでしょうか?

 ① 「総裁のすることなすことが、全てが我が責任である」、という考え方をする。

 ② 雅宣総裁が、住吉大神の化身だ思っている。

つまり、実相直視の生長の家の真理を実践するとは、ごちゃごちゃと、現象の批判はするな、それが、私に対して、
『いい年してジタバタするな』、とおっしゃった
意味なんでしょうか?復興G様の真意がわかりません。

①②が、その通りだとおっしゃいますと、それは、和解派であり、「雅宣総裁擁護派」でいらした、
もともとからの復興G様の立ち位置になられます。

以前は、神奈川の堀様と,復興G様のお二人が、「総裁擁護派」の両雄だと、言われておられましたよね。
あのときから思いますと、変化を感じさせて頂いておりましたが、復興G様は、そこの位置に、戻られたのですか?

1539「訊け」管理人:2012/11/09(金) 12:06:17 ID:???

>>志恩さま


○復興Gさまの御主張(要約)


<御主張内容>


「現実にはあり得ないことが現れている。ここが、生長の家信徒われらの正念場だと思われます。」


<ではどうするか>

(一例)
>>1478(ご論拠を『実相と現象』に置かれ)私は、「総裁が悪い」と他に責任を転嫁することは、内なる神を愛することにならないと思いました。それでは、外なるものによって自分が支配されているという「僕(しもべ)」、もっと言えば奴隷状態に自分を置くことになるのではないか。自分が神の子、宇宙の中心ならば、運命の主人公としての生き方は、「一切は自分の責任」 「罪あらば吾をとがめよ天津神」という気持ち、自覚を持って生きることではないか――。」


<理由>

>>1490「身の上にあらわれたことを、他人のせいにして攻撃するのは、今の世の常識かも知れませんが、生長の家の御教えは、世の常識をくつがえすもの」であるため。


※言うまでもなく上記は要約であり、御主張の「骨子部分」であります。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<「訊け」管理人コメント>

 あくまでも設問は「聖典を基に行動を考えれば、どんな答えになるのか」と云ったものです。ですのでこれは「誰々さんは○○派に変わった」等の話では、ありません。総裁擁護派であろうが、本流派であろうが「聖典に基づいて行動するならば、我等は如何に行動すべきや」――設問の真意は、斯くの如しと察します。この設問論点をご確認の上議論されんことを、お願い申し上げる次第です。



1540志恩:2012/11/09(金) 12:06:19 ID:.QY5jUA6
なにもしないで、無策で、聖典読んでたら、
雅春先生の教えは、護れるんですか、個人問題と公人問題は別のことです。

人時処が、あるでしょう。
尖閣諸島も、何されても 黙っていたら、中国に乗っ取られるでしょう。

現実的に総裁は、「生命の實相」をテキストにすることを全組織に禁じているそうじゃないですか。

「甘露の法雨」の代わりに、お経にしないと言った口の乾かないうちに、総裁が、ご自分の作ったお経を、お経として
全組織を通して売っている。練成会、誌友会では、すでの読経されてる。ご自分だけ読まなければ、いいことなんでしょうか。

世間に、偽経がひろがることを防ぐことも、大事なことでは、ないんですか?
まだまだ、ありますが。。。

それらは、現象だから、見るな、そして批判するな、、そして、実相直視だけを実践するのが、生長の家を生きることなんだと
おっしゃりたいのでしょうか?

私は、そんなのは、生長の家の信仰者ではないと思います。

現象世界に生きているのですから、実相を礼拝しながら、ちゃんと現象処理をすることこそ、

生長の家の真理を生活に生かす生長の家の信仰者だと思います。

1541志恩:2012/11/09(金) 12:23:40 ID:.QY5jUA6
トキ様

仲裁のご心配なく。
大人同士の話し合いです。

1542西向く人:2012/11/09(金) 12:27:25 ID:M7ribEwU

  釈迦族が滅亡しようとするとき、釈尊は何をしていたか!?


  『増一阿含経』には、ただ木の下で坐禅をしていたと。

1543「訊け」管理人:2012/11/09(金) 12:33:16 ID:???

>>1540志恩さま
 
 一点だけアドヴァイスなど。なお、部外者相手ではその文でもOKです。ですが、知的誠実さを担保するためにも、以下の様式で御主張を掲載されることを、お勧め致します。(今回のお相手はこの、部外者ではないのです)

 先ず「結論」をお書きください。御主張内容の<結論>を掲載します。

 その後<主張理由>等をお書きください。さらにはここで、論拠を聖典から明示されることをお勧めします。たとえば、以下も論拠を挙げられることを、お勧め致します。

○「それらは、現象だから、見るな、そして批判するな、、そして、実相直視だけを実践するのが、生長の家を生きることなんだとおっしゃりたいのでしょうか?」
○「私は、そんなのは、生長の家の信仰者ではないと思います。」


 上記に関してご明示ください。たとえば「聖典○○の何頁にこうある」といったカタチが、望ましいと思います。論拠を挙げねばならぬ理由、それは貴女さま御主張が一見すると、「雅春先生の御主張と矛盾があるため」になります。少なくとも掲示板に過去掲載されている御文章とは、矛盾します。ですので、論拠掲載を、求めておられるのであります。(これがないとため「じたばたしている印象」になります。)

 皆さんも期待していると思います。その「現象処理」と「実相直視」の関係に関して、貴女様がご主張されてください。言うまでもなく「聖典論拠ない」ものは此処では、主張とは呼べません。



1544トキ:2012/11/09(金) 13:21:46 ID:jo0ZfsUg
 了解しました。ただ。別の板でお願いできないでしょうか?

 やはり、誌友会の会場なので、その準備もありますので。

合掌 ありがとうございます

1545復興G:2012/11/09(金) 13:27:40 ID:vWpLkCzM


「訊け」管理人殿

あなたは、横から口だししないでください。
あなたは、志恩様から、「あなたとは議論したくない」と言われていましたよね。
そのあなたが余計な口出しをするので、この板が荒れるのです。
やめてください。

志恩様には、私が直接お答えします。

1546復興G:2012/11/09(金) 13:33:18 ID:vWpLkCzM

>>1530 で、志恩さまが
>>私の場合は、復興G様がおっしゃる
① 「総裁のすることなすことが、全てが我が責任である」、という考え方と、
② 雅宣総裁が、住吉大神の化身だという考え方は、決して納得できません。<<

とおっしゃっていますが、正確には私は、>>1478

>>生長の家総裁は、「生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ)」と招神歌で吾らが唱える「御祖神(みおやがみ)」の化身であられるのがその実相だと思います。みおや(御親)なる神が、わが子なる信徒をとがめて排除し、裁判沙汰にして裁き争うことなど、あり得ないことだと思われます。(中略)
しかし、現実にはその「あり得ない」ことが現れている。
(中略)ここが、生長の家信徒われらの正念場だと思われます。<<

と書いているのありまして、「雅宣総裁が、住吉大神の化身」とは申していません。
「御祖神(みおやがみ)の化身」というのは、理念の総裁です。「実相」という言葉は、一般の人には理解しにくいと思われますから、通用しやすい言葉で言えば、「理想」とか「あるべきすがた」という意味になります。
しかし、生身の雅宣総裁は、必ずしも「御祖神(みおやがみ)の化身」としては「あり得ない」すがたに見えることもある。だから、《今が、正念場です》ということになるのであります。

その「正念場」とは何か。

まず、「正念(しょうねん)」とは何かと言いますと、それは『生命の實相』第3巻75頁、「生長の家は何を信ずるか」の中に、次のように書かれております。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

≪   第四章 生長の家は何を信ずるか

 生長の家の生き方とは、個々人のうちに、無限を意識し、日常の生活が無限の生命のうちに融かされ生かきれ、無限の知恵に導かれ、少しの恐怖も、不安も、悲しみも、憎しみも、嫉みもなしに生活する生き方であります。すべての心の不安、恐怖、憂欝、取り越し苦労という精神的な苦痛はもちろん、現実の病気災難というものも、われわれが神から離れることによって起こるのであります。神はすべてを支配し給うのでありますから、われわれはいかにしても本当に実在せる世界、すなわち「実相世界」においては神から離れることはできないのであります。しかし、この現実世界というものは、日本では古来から「現(うつ)し世」という、われわれの「念」が影を投じて映している影の世界、仏教でいえば念の仮作(けさ)せる化城(けじょう)の世界でありますから、われわれが神の創造と調和しない不完全な「念」を描きますと、現実世界すなわち、われわれの「念」の仮作せる化城界には不完全な状態があらわれるのであります。別の言葉でいいますと、つまりわれわれはなんでも空想できる、神の造り給わないような不完全な状態でもなんでも空想できる、その空想が影を映している空想の世界の幻が現実世界の病気とか災難とかいうものであります。この、われわれの想念が、神の創造し給えるそのままの状態を念じますことを「正念(しょうねん)」といいまして、その正念の影が映れば現実世界は完全な病気も災難もない状態を現出するのであります。つまり「正念」とはあらゆる事物を神の造り給えるままの状態そのままに念ずることで、そういう正念をもって生活することを神に結ばれた生活というのであります。「正念」の反対に神の造り給わない事物――病気、災難等、一切の不完全を、完全なる愛の神はけっして造り給わないのでありますが、このような神の造り給わない事物をわれわれが念うことは、神の真創造を「離れて」空想をありもしない事物に自由に飛ばすことでありますからそういう念を「妄念(もうねん)」とか転倒(てんどう)の念とかいい、そのような「転倒(さかさま)の念」をもって生活することを神から離れて生活すると仮にいうのであります。(中略)
 神と神の創造せる世界(本当に実在する世界)の完全さを信じない人ほど気の毒な人はありません。(後略)≫
<つづく>

1547復興G:2012/11/09(金) 13:34:27 ID:vWpLkCzM

そして、谷口雅春先生は『真仏教の把握』p.49〜51に、<正念を以って煩悩を除け>と題して、次のようにお説きくださっています。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

≪ それで、この『維摩経解釋』の本の三一二頁に、舎利弗(しゃりほつ)という智慧第一の釋尊の弟子が質問しているのに対して維摩が答えているところを読んでみます。
 又問う、「衆生を度せんと欲せば、当に何の除く所なるべき。」(衆生を度するというのは、衆生すなわち人類を救ってやろうと思ったら、当に何を除くように教えなければならないか)といって訊いたのです。
 答えて曰く、「衆生を度せんと欲せば其の煩悩を除け。」又問う、「煩悩を除かんと欲せば、当に何の行ずる所なるべき。」(煩悩を除こうと思ったら、どのように行じたら、いいのであるか教えて下きい)答えて曰く、「当に正念を行ずべし。」
というように維摩は答えているのであります。

 “正念”というのは、「ここは正念場だ」などというでしょう。「ここが正念場だ」というのは、正念を出して来なければならないギリギリの場だ、という意味であります。

 舎利弗が「煩悩を除かんと欲せば、当に何の行ずる所なるべき」と訊いたときに「当に正念を行ずべし」と維摩が答えたのです。(中略)そして、
 「不善は不生であり、善法は不滅なり」とハッキリ割り切って答えているのであります。
 不善というのは“悪”のことです。“不善”すなわち“悪”というものは、あるように見えても“不生”である。そんなものは生じたことがないから存在しないのであります。「善法は不滅なり」で、ただ善なるものだけが不滅であるから、それを念じなさいと維摩はいっているわけなのであります。
 ここが大切なところで、正念場である、今この時、この場が、この正しい想念を起こす“場”である。≫

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

――私が>>1478で 《今が、正念場です》 と書いたのは、まさにそういう意味であります。志恩様が、「正念場」とは
「>谷口雅宣先生が、ご兄弟と和解をするか、しないか、の二者択一です。それ以外の選択肢はありません。< これを指しておられるのかなと思いました。」と書かれているのは、全くの見当違いであるということを、申し上げておきます。

1549神の子さん:2012/11/09(金) 13:38:40 ID:RpoApEBs
>>1539
あんたが投稿するとシラけるからやめてくれ

1550神の子さん:2012/11/09(金) 13:42:04 ID:RpoApEBs
>>1543
高級な魂のレベルの方にアドバイスとはなんたる事!!下がれ!!

1551トキ:2012/11/09(金) 13:54:49 ID:jo0ZfsUg
>>1548

 志恩様、ご投稿ありがとうございます。

 ただ、復興G様の個人情報に関する書き込みは、控えて下されば嬉しいです。

 書き込みが、正確であれ、不正確であれ、ここは本部関係の人も多数閲覧していると聞いています。
どなたに迷惑がかかるか分からないので、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1552復興G:2012/11/09(金) 13:58:23 ID:vWpLkCzM

私の立場は、終始一貫、何も変わってはいないつもりです。

1554トキ:2012/11/09(金) 16:18:24 ID:jo0ZfsUg
>>1553

 すみません
よければ削除要請をお願いできないでしょうか?

 もちろん、その後、当該部分を削除したご文章を他の板へ投稿されるのは
大歓迎です。

合掌 ありがとうございます

1557うのはな:2012/11/09(金) 16:53:36 ID:Zt/jytnM

 すみません。横から失礼します。
上記1554のトキ様の意見に賛成です。管理人が強制削除してもいいものかと思われます。
さっき、別島で、わたしの本名を出そうかといってる人がいて、それから数分後にセキュリティから
警告がありました。

 物騒な世の中なので、復興G様の平穏な信仰生活のためにも、志恩さまの
自主削除要請をねがいます。

1558志恩:2012/11/09(金) 17:09:39 ID:.QY5jUA6
うのはなさん

ご忠告、ありがとう。
さきほど、すでに1548は、削除して頂きました。
実名は,申し上げるつもりは、ありませんでいたが、経歴を言ったのは、わるかったです。
今後、きおつけます。

1559a hope:2012/11/09(金) 19:32:38 ID:8tjYhMb6
<第8回WEB誌友会予告>
≪日時≫11月9日(第2金曜日)21:30より
    11月11日(第2日曜日)23:30まで
≪テキスト≫『生命の實相』第2巻「實相篇 光明の真理<下>」 はしがき p.1〜2、本文 p.1〜p.50
≪内容≫ 第1章 「生長の家」の超薬物学

みなさま、今夜ですよ!
今回も、みなさまと一緒に聖典「生命の實相」がお勉強出来て幸せです。
よろしくお願い致しますね。

1560復興G:2012/11/09(金) 20:20:31 ID:vWpLkCzM

a hope さま。

お世話になります。
ありがとうございます。
よろしくお願いいたします。
合掌

1561復興G:2012/11/09(金) 20:28:57 ID:vWpLkCzM

神様、ありがとうございます。

このweb誌友会にご参加の皆々さまの上に、神様の限りない愛と祝福の
み光が燦然と天降りまして、生長の家大神様の御導きのまにまに、真理の
奥殿に導かれますすばらしい誌友会となりますことを、感謝申し上げます。

ありがとうございます。ありがとうございます。合掌

1562トキ:2012/11/09(金) 20:42:02 ID:jo0ZfsUg
 よろしくお願い申し上げます。

1563a hope:2012/11/09(金) 20:55:17 ID:8tjYhMb6
第8回WEB誌友会開会の時刻 が近づいてまいりましたので、「準備祈願」としての祈りの言葉を掲載させていただきます。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

(準備祈願) 住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
  住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
  今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
  今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

1564復興G:2012/11/09(金) 21:00:44 ID:vWpLkCzM

a hope さま、タイミングよく、ありがとうございました。

皆さま、招神歌を唱え(あるいは念じて)神様の御導きをいただき、誌友会を始めさせて頂きましょう。
ありがとうございます。

1565a hope:2012/11/09(金) 21:00:49 ID:8tjYhMb6
次に、聖経「真理の吟唱」より、『内在の生命力を振起(しんき)する祈り』を謹写させていただきます。



内在の生命力を振起(しんき)する祈り

われわれが祈るとき、神想観するとき、または真理のコトバを念ずるとき、または聖典ならびに聖経を読誦(どくじゅ)するときには、宇宙に満ちている創造の根源力に呼びかけて、その創造力を善なる方向に駆使しつつあることになっているのである。祈ることも、念ずることも、読誦することも、いずれもコトバの力を使いつつあるのである。「ヨハネ伝」第一章には、「太初(はじめ)にコトバあり、コトバは神と偕(とも)にあり、コトバは神なりき。……万のもの是によりて成り、……」と書かれていて、コトバというものに創造力があることが示されているのである。そのコトバの力を、明るい方向に、積極的な方向に、建設的な方向に駆使すれば、自己のうちに宿る宇宙的な力が開発されて、われわれは一層健康になるし、幸福になるし、一層好運が訪れて来、事業や商売は繁栄することになるのである。

「自己の内に宿る宇宙的力」とは「内在の神」の力のことである。われわれ自身の内に宿る宇宙的な力は、この大いなる太陽を銀河系の中で職女性の方向に向かって走らせている力と同じ力であり、また太陽の周囲を旋回公転する遊星を動かしている力と同じ力であり、牡丹の樹に牡丹の花を咲かせ、藤の木に藤の花を咲かせ、リンゴの木にリンゴの果(み)を実らせ、梨の樹に梨の果を実らせる神秘な力と同じなのである。

そのような不思議な偉大なる力がわれわれには宿っているのである。しかしその偉大なる力を有効な方向に使わないときには、自動車のエンジンをかけたまま停車している時に、エネルギーは積極的に建設的な仕事をせず不快な噪音(そうおん)をたてながら車体を震動させているのと同じように、せっかく、われわれに宿っている内在の神の力も何ら積極的に建設的なはたらきをしないで、エネルギーは内攻して、自分自身の肉体を単に疲労させることになるだけなのである。

それゆえに、私は、自己の内に宿る神の力を、常に積極的に建設的に使用せんことを念願するのである。積極的に建設的に「内在の力」を使用するには、コトバに暗黒的、消極的な悲観的なことを言わず、心に不平や小言(こごと)や呟きや暗い事を思わないことが必要であるのである。よき言葉の力は聖典や聖経に書かれてあるから、それを読むことによって、自己に「内在する神の力」をよき方向に呼びだして使うことができるのである。

すべてコトバで唱えることおよび心で思うことは一種の「祈り」であり、そのコトバおよび思いの方向に、「内在の力」を動かして創造の方向を決定することになるのである。私はいまこの真理を知ったのであるから今より後決して暗い言葉、呪う言葉、悲しい言葉、不平の言葉などを唱えず思わず、ただ悦びと感謝と将来の明るい希望の言葉とのみを心に思い、コトバで唱えるのである。この真理を知らしめ給いし神に感謝いたします。

1566復興G:2012/11/09(金) 21:08:18 ID:vWpLkCzM

a hope さま。
ありがとうございました。


さて、テキストの『生命の實相』第2巻「はしがき」には、前にもアップさせて頂いたと思いますが、

≪ 本巻に収められた實相篇の「生長の家の超薬物学」は、『生命の實相』全集全巻を通じての枢軸部をなす部分であり、その一部分が六十四ぺージずつ二冊のパンフレット『いのちのゆには』および『こころ我を生かす』と題して発刊せられたとき、その読者のうちに無数の奇蹟的治癒が起こり、著者みずから驚異の念をみはった部分である。≫

と書かれていますね。これは、たしか「今を生きる」で有名な服部仁郎先生も、肺炎で呼吸困難になり医者がもう駄目だとさじを投げた状態の時、この『こころ我を生かす』と題した当時10銭のパンフレットと、招神歌を記したメモのようなものを、伊東種さんという画家からもらって、「自分は自分の力で生きているのではなかった。使命があって、神に生かされていたのだ」と思ったら、すーっと呼吸が通るようになり、起ち上がってしまった、ということでしたね。すごいことだと思います。

1567復興G:2012/11/09(金) 21:15:04 ID:vWpLkCzM

今、私たちは生長の家の御教えになれてしまって、あまりおどろかなくなっていますが、
初めてこれを読んだ人にとっては、とても驚きだったのでしょうね。

『生命の實相』を読んで、大変感動に打たれたとおっしゃる方が、ここではさくら様も、
a hope 様も、そうでしたよね。

具体的なご体験がありましたら、今一度教えて頂けたら幸せです。

1568復興G:2012/11/09(金) 21:17:45 ID:vWpLkCzM

皆々さま、それぞれご体験がおありでしょう。

なんでも、ご遠慮なく、お書き込みください。

1569復興G:2012/11/09(金) 21:22:05 ID:vWpLkCzM

時間はたっぷりありますから、ゆっくりまいりましょう。
ありがとうございます。

1570a hope:2012/11/09(金) 21:29:31 ID:8tjYhMb6
復興Gさま

web誌友会の開会時間より少し早く始めてくださりありがとうございます。

わたしは、本流宣言の掲示板でも、このトキ掲示板でも何度も書いていますが、
聖典「生命の實相」第1巻を読んで、本当に全身が震えたのです。
魂が震えたと言っても過言ではありません。
二―ル・ドナルド・ウォルシュ の「神との対話」を読んだときにも
同じような状態になりましたが、「生命の實相」は、その後、自分のペースで、
巻を読み進めていますが、どの巻のどのページを拝読しても、同じように魂が震え続けています。
わたしは、これは、本当に神さまが、谷口雅春先生を通してお伝えして下さっている「真理の言葉」が書かかれた
すごい聖典なのだと心から信じています。

1571復興G:2012/11/09(金) 21:49:55 ID:vWpLkCzM

私は、小さいとき「体が弱い」ということで、過保護的なお坊ちゃん育ちでした。小学校2年生の時、微熱が続き、「肺門リンパ腺炎」ということで三ヵ月間学校を休みました。今思えば何でもなかったのではないかという気がするのですが……37度位の熱は、小学生の低学年ではよくあることだそうですから。
その後も、どこか体が具合が悪いと言えば親が心配して大事にしてくれるので甘えて、お腹が痛いだの、頭が痛いだのと言っては、よく学校を休んでいました。そんな意気地なしだったんです。

それが、今は、アラハチとかアラサン(傘寿周辺の年齢)と言われる年になりましたが、こんなに元気で他に頼らない、意欲的な同年齢の者はめずらしいといわれるようになったのは、まったくこの『生命の實相』のたまものなのです。詳しいことは今書けませんが・・・・
高校時代のの同期生が50人ほど集まって同期会を最近にも行ったのですが、私が際だって一番元気でした。
ありがたいことです。

日本航空の再生でまた男を上げた稲盛和夫さんも、中学時代に『生命の實相』を読んだことが、人生の歩みに大きな影響を与えたと言われていますね。

1572a hope:2012/11/09(金) 21:53:33 ID:8tjYhMb6
>>1570 つづき
特に、今回の内容の「生長の家の超薬物学」は、唯心論について書かれているのだと思いますが、
自分の心から、恐怖心や憎悪心を取り除き、常に平和な気持ちでいれば、それだけで病気が治ってしまう、
という真理を知った時には、ものすごいよろこびを感じました!

ですが、感情のコントロールというのはそう簡単に出来るものではない、ということも身にしみて感じています。

1573復興G:2012/11/09(金) 22:02:51 ID:vWpLkCzM

前記、「こんなに元気になったのは『生命の實相』のおかげ」と書きましたが、実は、a hope様のように『生命の實相』を読んでから魂が震えたのではありませんでした。高校時代のことです、私はまだ『生命の實相』を読まないうちに、父が読んで感動していただけで、その感動が魂に響いたのかどうかわかりませんが、ある日突然、魂が打ち震えるような感動が湧いて、「自分が生きているのは自分の力ではなかった! 無限の宇宙大生命に生かされていたのだ!」 という思いが湧いて、突然に世界が、人生が変わってしまった、という体験があるのです。

1574a hope:2012/11/09(金) 22:11:08 ID:8tjYhMb6
>>1573復興Gさま

「自分が生きているのは自分の力ではなかった! 無限の宇宙大生命に生かされていたのだ!」

このような体験をすると人生観が変わってしまうのですね。
復興Gさまの人生観がどのように変わったのか教えていただけますか?

1575復興G:2012/11/09(金) 22:22:55 ID:vWpLkCzM

>>1572 :a hope さま。
>>今回の内容の「生長の家の超薬物学」は、唯心論について書かれているのだと思いますが、自分の心から、恐怖心や憎悪心を取り除き、常に平和な気持ちでいれば、それだけで病気が治ってしまう、という真理を知った時には、ものすごいよろこびを感じました!
ですが、感情のコントロールというのはそう簡単に出来るものではない、ということも身にしみて感じています。<<

そうですね、ここは真理の入門編のようなところですから、まず唯神実相論の手前で、唯物論から唯心論へと観を転換させるような事例、説得から始まっていますね。谷口雅春先生も、自伝篇に書かれているように、「心の法則、恐怖心や憎悪心を取り除き、常に平和な気持ちでいれば、それだけで病気が治ってしまう、という真理を知っても、その心をコントロールできなかった」と書かれていますからね。

私は、この章の後ろの方、「他物に頼らざる者はついに勝つ」(p.45、聖典板謹写文19)という小見出しの中で、

 ≪ここにわたしは、片足片手を失いながら、松葉杖にも義足にも頼らないでひたすら自分の生命力のみに頼っていたならば、その人間は松葉杖や義足に頼った人とどれだけ大きな相違を生ずるかということを、実例をもってお答えしようと思うのであります。
 東海道線国府津(こうづ)駅を降りて小田原街道を十四、五町小八幡(こやわた)という小村に石井峰雄氏という片手片足の偉人がありました。
 この人は六歳の時小田原電鉄上り電車に轢(ひ)かれて片手と片足とを失ったのであるけれども、義足にも松葉杖にも頼らずに、自分の内に潜んでいる「無限の生命力」にのみ頼って歩くことにせられたからであります。
 「何物にも頼るな。ひとりで立て。」
 この人はまるで「生長の家」のこの「智慧の言葉」そのままを生活されたのであります。
 その結果はどうなったかといいますと、松葉杖にすがって歩く片足の不具者はふつうかろうじて歩むことができるというほかに能がないのに、この人は片手片足のままで高跳びができる、水泳ができる、木登りができる、果物むきができる、およそ四肢のある人のできることならなんでも人に劣らずできるというようになられたのであります。≫

とあります、このお話に、あらためて感銘を深くしました。高校時代の感動を思い出しました。そうだ、
 「何物にも頼るな。ひとりで立て。」
だと、決意しました。そして、求めるよりも、与える生活を徹底してやっていこうと、奮い立ちました。

1576復興G:2012/11/09(金) 22:32:01 ID:vWpLkCzM

>>1574 :a hopeさま。

前後ちぐはぐになりましたが・・・・

>>復興Gさまの人生観がどのように変わったのか教えていただけますか?<<

自分は肉体で、与えるよりも奪わなければ損だ、という人生観から、無条件に与えるよろこび、

与えると言っても、自分の力ではなく、宇宙大生命から力を戴くのだから、与えることが自分の得なんだ、
というような思いですね。だから、人生にはただ喜びしかないんだという・・・・

そういう、天地がひっくり返るような、人生観の大転換が、突然何ものかの力によって、なされてしまったような
感じで・・・・私は、それは先祖の導きがあったのだと信じていますが。

1577トキ:2012/11/09(金) 22:38:45 ID:jo0ZfsUg
 遅れてすみませんでした。個人指導が入って、その対応をしていました。

 実は、私のような若造でも、生長の家の真理で病気が消えた、という体験を何回も
見ているのです。だいたいが医者が見放したような重い病気ですが、それが治ったの
です。

 宇治の練成を受けたときも、周囲でそういう人が出て、驚いた記憶があります。

 これは、人間ではできない事ですね。

1578復興G:2012/11/09(金) 22:38:56 ID:vWpLkCzM

今のところ、a hope 様と復興Gの二人の対話誌友会みたいになっていますが、まだあと48時間もありますから、もう私は今夜は今からお風呂に入ろうかと思います。

ありがとうございます。

1579復興G:2012/11/09(金) 22:43:21 ID:vWpLkCzM

あ、トキ様。
失礼しました。

病気が消えた体験の実例など、お話し頂けますか?

1580復興G:2012/11/09(金) 22:48:42 ID:vWpLkCzM

ごめんなさい。
私は、web誌友会開会時間を30分間違えて、早く始めてしまったようですね。

ちょっと張り切り過ぎていました。ごめんなさい。
今、やっと気がつきました。

では、お風呂に行ってきます。

1581a hope:2012/11/09(金) 22:59:53 ID:8tjYhMb6
>>1575>>1576 復興Gさま

すみません、本当に今のところ参加者がわたしと復興Gさまとトキさまだけのようですので、
遠慮なく質問を続けさせていただきます。

復興Gさまが高校生の時に悟られた「求めるよりも、与える生活」「無条件に与えるよろこび」・・
そこのところを、もう少し具体的にお話くださるとうれしいのですが・・・

トキさまの、「医者が見放したような重い病気が治った」という経験のお話も是非お聞かせいただきたいです。

ですが、今夜はわたしも、もうここでお休みさせていただきたいと思います。

それでは、わたしの大切な「生長の家」のみなさま、おやすみなさい!

1582トキ:2012/11/09(金) 23:16:10 ID:jo0ZfsUg
 具体的な状況は申しませんが、がんが消えた、というのは何度か経験しました。

 その他、ある難病が治ったというのも親戚にいます。
それまで、神も仏もあるものか、という価値観の人でしたが、医者から「あなたの
病気は医学では治りません」と言われると、仰天して、そのまま教化部へ直行し
て「生命の実相」全40巻を買って来て、徹夜で1週間で読みました。それまで
は何回言っても、生長の家なんか見向きもしなかった人が(笑)、必死になって
本を読んで、気がついたら病気が消えていました。さすがに、今は聖使命会員に
なっています。

 宇治の練成会を受けた時に、医者から見放されてフラフラの状態で家族と参加された
人が治り、帰りには食堂でご飯をモリモリ食べているのも目撃をしました。宇治は
他にも病気が治ったのを見ています。昔ですが、宇治の練成会を受けた時に、大講堂で
子供が走り回っていたのですが、ある子供が大人しく座っていたのです。私の母親が、感心
して、その子の母親に「あなたの子供は行儀が良いですね」と声をかけると、「いえ、この子
は足に障害があり、歩けないのです」という返事をしていました。

 それが練成会が終わる頃には、その子が歩いているのを目撃しました。

 こういう奇蹟はあるのですね。

1583復興G:2012/11/09(金) 23:24:06 ID:vWpLkCzM

トキ様、ありがとうございました。

では、皆さま、今夜はやすませていただきます。
おやすみなさい。

1584如月:2012/11/09(金) 23:41:13 ID:ki/haAjk
>>1582 トキさま

宇治はやはりすごい場所なのですね。
宝蔵にもよくこのような体験が載っていますが、半信半疑でした。
しかし、トキさまが目撃されたのでしたら本物ですね。

やっとパソコンが空いてa hopeさまの開会の祈りから順番に読ませていただいて
いよいよ参加できそうかなというところですが、皆様もうお休みのようですね。
復興Gさま、遅くなって申し訳ありませんでした。
毎回、テキストの謹写と御指導に感謝しております。 ありがとうございます。

1585役行者:2012/11/09(金) 23:43:18 ID:c/fGmjEo

合掌 

 生命の実相が顕現するところ、自己治癒力がはたらき、自然に治癒
されるのでしょうね。

 神の無限の知恵、愛、生命、供給、歓び、調和の波動は、
我々がリアルに住むこの世界に、神のいのちの霊波を
もたらすのでしょうね。
 救いとは、現世利益であって、現世利益でなく神のいのちが
満ちあふれていて、自然に問題が解決してゆくのでしょうね。
 常住坐臥できる限り、神と直結した生き方を模索してゆきたいと
思いました。

  おやすみなさい。

1586復興G:2012/11/10(土) 08:46:22 ID:vWpLkCzM

皆さま、おはようございます。

如月さま、役行者さま、ご参加ありがとうございます。

昨夜は早くやすんでしまって、ごめんなさい。

今朝は、いつも離れたところにいる息子が来ていたので、朝食後少し話をしていました。

私は、この土・日、めずらしく特別な出かける行事予定が入っていないのです。
しかし、リアルの方で相手をしなければならない人もあるし、やることはいっぱいありますから、
全時間web誌友会に貼り付いているわけではありませんが、いつもよりかなり時間がとれます。
楽しみに、私も皆さまのご質問にお答えしたりできます。

皆さま、お楽にご自由に、活発なご発言をどうぞ。

役行者様、
>> 生命の実相が顕現するところ、自己治癒力がはたらき、自然に治癒
されるのでしょうね。
 神の無限の知恵、愛、生命、供給、歓び、調和の波動は、
我々がリアルに住むこの世界に、神のいのちの霊波を
もたらすのでしょうね。
 救いとは、現世利益であって、現世利益でなく神のいのちが
満ちあふれていて、自然に問題が解決してゆくのでしょうね。
 常住坐臥できる限り、神と直結した生き方を模索してゆきたいと
思いました。<<

本当に、その通りなのでしょうね。

a hope さまからも、昨夜私に宿題の質問を残されているようですから、後ほどまた書かせて頂きましょう。

1587a hope:2012/11/10(土) 09:23:08 ID:8tjYhMb6

みなさま おはようございます。

昨晩は、わたしが寝てしまった後、如月さまや役行者さまのご参加もあったのですね!
トキさまの、宇治の練成での体験談、すごいですね!
宇治別格本山では今でもそのような奇蹟が起き続けているということでしょうか?
如月さまのおっしゃる「宝蔵」というのも気になります。

ところで、今日はわたしの住んでいるところは最高によいお天気です。
a hope 家は、これから家族でかけます。
掲示板には、夜戻れると思います。

それではわたしの愛する「生長の家」のみなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしください!

1588トキ:2012/11/10(土) 11:05:43 ID:QTnVpw/c
 おはようございます。

 病気が治る、治らないのは不思議で、それほど篤い信仰の人でもないのに、宇治の神癒祈願や
飛田給の聖経法供養で治った人もいれば、篤い信仰者なのに治らない人もいます。ただ、それも
理由があると思います。

 戦前は谷口雅春先生ご自身が祈って下さったのですが、谷口雅春先生に祈ってもらっても、
「このかたの病気は治りません。」と言われ、亡くなられた方がいたとも聞いています。

 まあ、そう考えると、私ごときが祈って治らなかったとしても、当然かもしれません。
・・・・という冗談はよくないから、取り消します。

1589復興G:2012/11/10(土) 13:47:24 ID:vWpLkCzM

ありがとうございます。
>>1581 :a hopeさま のご質問
>>1575>>1576 復興Gさま)>>復興Gさまが高校生の時に悟られた「求めるよりも、与える生活」「無条件に与えるよろこび」・・そこのところを、もう少し具体的にお話くださるとうれしいのですが・・・<<

そうですね、詳しく書くと長くなりますが、皆さまからの書きこみが少ないので、少し当時の背景を振り返りながら、書いてみましょう。・・・

僕は、前に書きましたように、小さいとき体が弱くて、家は比較的裕福だったので過保護のお坊ちゃん育ちでした。どこか体が具合が悪いと言えば親が心配して大事にしてくれるので甘えて、お腹が痛いだの、頭が痛いだのと言っては、よく学校を休んでいました。そんな意気地なしだったんです。

戦前、父は旧満州で成功して財を成していたんですが、敗戦で全てを失い、身一つで内地へ引き上げてきた時が54、5歳でした。帰国してからすることなすこと挫折続きで、希望と自信を失い、心のルンペン(浮浪者)のようで、怒りっぽくもなっていました。それが、『生命の實相』に触れて熱心に読み、生長の家の誌友会に参加するようになってから、様子が変わってきたのです。『甘露の法雨』というお経のような詩のようなものを読誦したり、神想観という変なことを(と、当時私は思いました)したりして、生長の家の集まりに行くというときは、若返って幼稚園児が遠足に行くのをよろこんではしゃいでいるような雰囲気なのです。私は、父は気がふれておかしくなったんじゃないかと思っていました。

私は、小学校を卒業して旧制中学に入り、それが占領軍の命によって六三制男女共学の新制高校へと、学制改革の大変動があった時期でした。

父は、事業に失敗挫折して意気消沈しながら、私を含む6人の子どもを飢えさせないために、畑を借りて必死で野菜、いもやカボチャをつくるような農作業をしたりしていました。私は中学時代など、学校から帰ってくると、「畑を手伝ってくれ」と言われる。私は、「おれ、腹が減って力が出ないよ」などと言って、本気で手伝おうとはしませんでした。

そんな状態の時、ある日腹痛を起こし、もう七転八倒の苦しみで、高熱がつづき、日赤病院に入院しました。盲腸炎がこじれて腹膜炎で、炎症が進み腸に癒着が起きている。そんな状態で最近死んだ人がいると言われました。私も死を覚悟しました。しかし、死にませんでした。父が、枕元に『甘露の法雨』を置いていてくれ、祈ってくれているようでした。日に日に痛みがとれてきて、ついに退院ということになりました。手術はしませんでした。

そうして家で少し静養していたある日のことです。
「天地がひっくり返るような、人生観の大転換が、突然何ものかの力によって、なされてしまったような感じ」という体験をしたのは・・・・。

と言っても、傍(はた)から見たら何の変化もなかったでしょうし、私自身の体の感覚としても、別に変わったことはなかったのですが。

『致知』という雑誌の12月号(最近号)に、荒井義雄さんという80歳の気功家が、村上和雄先生(生長の家でもおなじみの、筑波大学名誉教授)と対談した記事が載っていて、荒井さんはあるとき“クンダリーニ覚醒”という体験をされた。それは、あるとき気功をやっていたら、尾てい骨のあたりがムズムズしてきて、熱い塊のようなものが背骨をものすごい勢いで昇って頭上を突き抜けていった。電気に打たれたような衝撃で、体が勝手に動き始め、目尻の方からグーッと明るくなったと思ったら、眩しい光になって回転し始めた――というような体験が5日間も続いた、というように語っておられますが、私にはそのような体験は全然なかった。
周囲にも、私の体にも、何も変化はないまま、意識が変わった。それは、魂が初めて目覚めた、という思いでした。<つづく>

1590るんるん:2012/11/10(土) 15:25:31 ID:NS71OwS.
お久しぶりでございます。
たまにしかこれないので、復興Gさまの投稿文は、そしてこの板の他の方の書き込みも、リアルタイムでよめないのですが、いつも欠かさずにそして大事に読ませて頂いております。

(今日も5時過ぎから出かけるのと、たまの休日なのでやることもたまってるので閲覧する時間は限られてますが

できるだけ、合間合間に読ませて頂きます。

>>1589の続きが読みたくて 読みたくて興奮してます。

わくわくして、待っております。ヽ(=´▽`=)ノ ドキドキです。

(あ、早く書き込んでください。という意味ではありません。ゆっくり書いてください。)

有難うございます。



1591復興G:2012/11/10(土) 15:58:21 ID:vWpLkCzM
るんるん様、ありがとうございます。

1592復興G:2012/11/10(土) 15:59:22 ID:vWpLkCzM

>>1589のつづき

そのとき思ったのは、自分は今まで何というバカだったんだろう! 今、自分は生きている、この命を大切に生きなくては。命は、出せば出すほど無限に湧いてくるものではないか。それを出さないのは、バカだ! と声のない声が聞こえたような気がしました。私はその瞬間、いいようのない感動に全身がふるえました。

 すぐに私は裸足(はだし)で外の畑へ飛び出して行きました。力いっぱい働きました。昨日(きのう)までの私は、働いたらくたびれて死んでしまう、働いたら損だ――と思っていました。ちがった! 今、私は生きているのだ! 生命なのだ! 今、この命を生き切ろう、出し切ろう! そう思って、裸足で外の畑へ飛び出していって、鍬をとり、はたけを耕したり、水くみ(そのころ家には水道はなく、井戸水を汲んで生活用水につかっていました)などを始めました。井戸水は、汲んでも汲んでもいっこうに減る気配はない。後から後から地下水が井戸にしみこんで満たしてくれる。命も、汲めば汲むほど湧いてくる命を、今与えられているのではないか。生命は、力は、出せば出すほど無限に湧いてくるのだ! 力は出さなければ損なのだ、と感じられるのでした。心臓が高鳴るほど、うれしくて、うれしくてたまりませんでした。

それで、一所懸命働いていると、隣のおばさんが、
「あなた、えらいね。まんじゅうのようなものを作ったから、お食べ」と言って、そっとまんじゅうを渡してくれました。その頃は、食糧がなくてみんな腹を空かしてひもじい思いをしていた頃のことです。

私はそれまで、父から「畑を手伝ってほしい」と言われたら「腹が減って動けない」と言って、「働いたら命を損する」と思い、食べるときには兄弟で奪い合いの喧嘩をする、というようなエゴイストでしたが、この時フト、「これを独り占めしないで弟に分けてやったら、どうだろう」という思いが湧いたのです。

それで、食べたいのを我慢して、弟が遊んで帰ってきたとき、「おい、隣のおばさんからまんじゅうをもらったから、やるよ」と分けてやったら、弟はびっくりして、にっこりうれしそうに笑う。

そのとき私は、聖書にあるイエスの言葉、「十里の公役を強いられなば二十里を行け」 「人もし汝の右の頬を打たば、左をも向けよ」 「下衣を取らんとする者には上衣をも取らせよ」 というような言葉が浮かんできました。祖母が熱心なクリスチャンでしたから。

私はそれまで、「イエスって人は、バカじゃなかろうか」くらいに思っていましたが、そうではなかった! これは、すごい魂の勝利者としての霊的な喜びを人々に伝えようとしていた、偉大な男であったのだ! 私も、この「吾れ世に克てり」という喜びの生き方を続けよう! と、思ったのでした。

家に飾ってあった、クリスチャンだった祖母の写真が、にっこりと笑っているように思われました。

それで、私は、この体験は、祖母の導きによるものではなかったかと思っているのです。

だって、私は自分で何の修行をしたわけでもなく――『生命の實相』を読んだのでもなく、講習会を受講したのでもなく、練成を受けたのでもなくて、突然そのような体験を、他動的にいただいたのですから。

1593復興G:2012/11/10(土) 16:52:07 ID:vWpLkCzM

>>1592のつづきです。

上記の体験は、高校2年生の終わり頃の体験です。

高校3年になったとき、よい先生に出会いました。

その先生は、早稲田大学出で、応召で北満へ出征し、終戦後シベリアに捕虜として抑留され、臨死体験のようなことを経験された方でした。極寒のシベリアの地で強制労働させられ、穴掘りをしていたとき(おそらく栄養失調や凍死で亡くなった同胞戦友を埋める穴を掘っていたのではないでしょうか)、自分の魂が離脱して空中から自分の穴掘り作業する姿を見ているというんです。
そのとき、「自分は奴隷のように強制労働させられていると思っていたけれど、ちがう! 自分は今、自由だ! 主人公だ! 自主的に、愛をこめて穴を掘ってやろう」と思ったそうです。
それで離脱していた魂はもとの肉体のところへ戻り、穴掘りを、自主的な気持ちでやり出したら、いくらでも力が湧いてきた。
そうしてやがて故国へ送還される日が来、日本へ帰って私たちの高校の国語の担当として赴任して来られたのでした。

その先生は、「人生の目的は、今だ。今が目的だ」と言われました。「人生に、目的はない」と言われたこともありましたが、それは、単に「今」を未来のための手段と考えるな、「今」を生きよという意味でした。
今、生かされていることがありがたくて、寝るのがもったいないと、古書店で本を山ほど買ってきて勉強しておられるかと思うと、「おーい、君たち! あの雲を見い! きれいだなあ!」と言って、歌を詠まれる。画も描かれる。
後に、大学教授にもなられ、91歳で亡くなられるまで短歌の同人誌の編集に当たられていました。
その先生は、私たちに、こうも言われました。

「人生で、偉大とは方向を見つけることだ。いい先生を見つけることだ。若くして求むれば老いて豊かなり」とゲーテも言っている。君たち、東京へ行け。東京へ行って、いい先生を見つけろ。」と。

私は、「ハイ、そうします!」と心に決めました。
<つづく>

1594るんるん:2012/11/10(土) 16:53:45 ID:NS71OwS.
復興Gさま

ドキドキして読ませていただきました。

何という素晴らしい体験! なんという絶対体験!有難うございます。

自分はこういう体験話を読むのが大好きなのです!わくわくして読ませて頂きました。

さすが復興G様です。 命で悟られたのですね!

私は思うのですが、復興G様は過去世で修業を積まれたのではないでしょうか?それで、今生でそういう体験をされたのではないでしょうか?

過去性で修業をされたから、その結果そういうおばあ様の元にお生まれになって、おばあ様からのお導きも得られるような流れになったのではないでしょうか?

ヽ(*^^*)ノ

1595復興G:2012/11/10(土) 17:01:56 ID:vWpLkCzM

結論から言えば、私は東京へ出て、その「いい先生」を見つけることができました。
それが、谷口雅春先生でした。

谷口雅春先生によって、まことに老いて豊かな、偉大な人生の方向を教えて頂きました。

1596<削除>:<削除>
<削除>

1597復興G:2012/11/10(土) 18:18:58 ID:vWpLkCzM

るんるん様、ありがとうございます。

1598復興G:2012/11/10(土) 18:19:39 ID:vWpLkCzM

上記、>>1594 >>1595
>>「人生で、偉大とは方向を見つけることだ。いい先生を見つけることだ。若くして求むれば老いて豊かなりとゲーテも言っている。君たち、東京へ行け。東京へ行って、いい先生を見つけろ。」と。
私は、「ハイ、そうします!」と心に決めました。

――結論から言えば、私は東京へ出て、その「いい先生」を見つけることができました。
それが、谷口雅春先生でした。<<

この間の事をもう少し書きますと――

私は、東京へ行くと決めても、家は没落して貧乏ですから、上京して仕送りを受けて大学へ行く経済的余裕などはない。しかし、国立大学に入れば、授業料は安くて、寮にでも入って家庭教師をしたり育英資金をもらえば、家から仕送りをもらわなくても大丈夫やっていけるというので、私の選択肢は「国立大学に入る」ことに絞られました。そうして受験勉強も始めたのです。

その間、父の読んでいる『生命の實相』という本にすごい魅力を感じ、少し読み始めたら、吸い込まれるようで、受験勉強をそっちのけにして読みたくなる。そのとき、私は「いや、今は我慢の時だ。東京へ行って、人生の方向を見つけるよい先生に出会うために、今は受験勉強を優先しなければならない」と思って、自分を抑えたのです。じっと我慢の子だ、と。

そうして、国立大学入学の目的は果たしました。

しかし、大学で、人生の師に出会うことはありませんでした。大学は、私にとってストレス以外の何ものでもありませんでした。私は退学願いを出しました。
そのとき、高校で「東京へ出ろ」と勧めてくれた先生が上京してこられ、「元気でやってるか」といわれる。「ハイ、元気でやってます。だけど、大学はつまらないから、退学願いを出してきました」と言ったら、「退学してどうする」と言われる。「まだ、どうするかは決まっていませんが」というと、「それでは、退学しては駄目だ。僕が行って退学願いを取り返してやろう」と言われる。

尊敬する先生にそう言われては、「では、お願いします」とは言えない。仕方がないので、「先生にそう言われるのなら、私は自分で退学願いを撤回してきます」と言って、大学の事務局へ行って撤回し、退学はしませんでしたが、大学の講義は聴かず、受験勉強時代に読みたかった『生命の實相』を求めて、『生命の實相』ばかり読んでいたこともありました。

『生命の實相』に書かれていることは、私の魂が求めていたものでした。これは、本物だと、魂が納得しました。

まだ原宿の本部会館が建つ前のことです。赤坂の道場で生長の家青年会に入会し、当時「お山の集い」といって「お山」(谷口雅春先生のご自宅)での青年会に出席し、初めて谷口雅春先生に直接お目にかかることができました――。

こうして、私の人生の師と出会うことができ、方向付けが決まったのです。

1599トキ:2012/11/10(土) 18:40:29 ID:QTnVpw/c
 復興G様のお話を拝見していると、いい時代だったなあ、と感じます。
 また、拝読して、清々しい感想を持ちます。

直接、谷口雅春先生のお話も拝聴できたし、学校の師弟関係も今よりも密接だったと思います。
 そういうご経験があって、初めて今の復興G様が誕生したのですね。
 尊敬する先達のお話を聞くと、自分も大きく学ぶ点があります。

 今の会員や信徒には、こういう話が必要だと思います。
貴重なご経験を披露して下さった復興G様に深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1600復興G:2012/11/10(土) 18:53:57 ID:vWpLkCzM

さて、前に書きました 『致知』という雑誌に載っていた、荒井義雄さんという気功家と、村上和雄先生の対話で、その記事の最後にこう言っておられます。

 村上 自分が変わることで、運命もよくなっていくわけですね。
 荒井 そう思います。私は、うちに気功の修練に来ている人たちによく言うんです。気功をやっても、家庭が平和でなければダメだって。
 綺麗な花があると蝶々が飛んできて、鳥が飛んできて、あたりは平和な花園になりますね。自分の波動に共鳴、共振するものが引き寄せられてくるわけですから、周りの環境が悪いということは自分も悪い。周りが明るくて笑いに満ちているようだったら自分のやっていることは正しいんだって。
 村上 なるほど、それはまさしく真理だと思います。
 昨年の震災や、最近の領土問題などで日本は大きく揺れ動いていますが、一人ひとりが自分を高めて周りをよくしていくことで、日本もきっとよい未来を築いてゆけるし、それを世界にも発信していかなければなりませんね。

 ――同感します。
 そのような「本来の生長の家」を実現するために、私はこれからの人生を懸けたいと思います。

1601復興G:2012/11/10(土) 18:55:49 ID:vWpLkCzM

トキ様、ありがたいコメントを頂戴し、恐縮します。
ありがとうございます。

1602復興G:2012/11/10(土) 19:10:15 ID:vWpLkCzM

 最近のある誌友会で、ある講師が、こんな話をされました。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ある所に、不和なことで有名な家と、平和なことで有名な家がありました。
 そこで、ある人が、不和になるもとと、平和にくらせるもととを、調べてみようと思いたちました。
 さっそくその人は、平和な家へおじゃましました。
 その家では、ちょうどおじいさんが、大なべを買って来たところでした。おじいさんは、その大なべを土間におろして、上がりぐちにこしかけて、たばこをすい始めました。すると、下の様子を知らないむすこが、屋根うらから割木(わりき=たきぎ)を投げおろしました。これが、悪いことに大なべにあたったのです。
 大なべがくだける音に、はっと気づいたむすこは、すぐさま屋根うらからおりて、両手をついて、おじいさんにあやまります。
 するとおじいさんは、屋根うらのすぐ下に大なべを置いた、わしが悪かったと言います。
 おどろいて外からかけこんだおばあさんは、わたくしが、なべをすぐにしまわなかったから、こんなことになった。悪いのはわたくしです。かんにんしてくださいと言います。
 そこへ、おくのへやから、むすこのよめさんが出て来て、おじいさまは、あの人が、屋根うらにおられるのを、ご存じなかったのですから、そこへなべを置きなさるのも、あたりまえです。あの人が、屋根うらにおられるのを知っておりながら、早くなべを取りのけることに、気がつかなかったわたくしが、悪うごさいましたと、あやまります。
 するとおじいさんが、これは、だれの罪でもあるまい。割木がわしの頭をくだかないように、なべがやくばらいをして、割れてくれたんだろう。人にけががなくて、ほんに、めでたい、めでたい。そのように言って、この家のなべさわぎは、丸くおさまったのです。
       ○
 さて、その人、こんどは、不和の家をたずねてみました。
 この家では、おじいさんが、酒を買って来て、とっくりを、上がりぐちに置いたまま忘れておりました。
 そこへ外から帰って来たむすこが、あやまってとっくりを、けころがしたのです。むすこは、むっとして、こんな通り道へ、とっくりを置いたじいさんが悪いと言いました。
 おくから出て来たおじいさんは、お前が、足もとに気をつけないからだと、むすこを悪者にします。
 そこへおばあさんが出て来て、やっぱり、こんなとおり道に置いたじいさんが悪いと、きめつけました。
 腹を立てたおじいさんは、お前が、気をつけて、早くしまっておかないのが悪いと、やり返します。するとおばあさんはむすこのよめさんを呼んで、わたしは目がうすいのに、気をきかせて、とっくりをしまわないお前のせいだと、言います。
 よめさんも、負けてはいません。わたしは、おくのへやにおったので、何も存じませんと言いはります。
 そんな有りさまで、この家のとっくりさわぎは、大げんかになったということです。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 生長の家は、どちらですか? もちろん、前者、「平和な家」ですよね。

1603a hope:2012/11/10(土) 20:00:33 ID:8tjYhMb6
>>1589>>1600復興Gさま

わたしのぶしつけな質問に、とても貴重なご自身の体験を心をこめてお話しくださり
ありがとうございます。
今、1回通して拝見しましたが、とても感動して、涙が出そうになりました。
あとで、落ちつきましたら、何度も拝見したいと思います。


ルンルンさま

お久しぶりです!
web誌友会に参加してくださってとてもうれしいです。
本当に、復興Gさまのお話、素晴らしいですよね!
きっと、こちらを閲覧中のたくさんの「生長の家」の方々が、わたしたちと同じように感動されていると思います。


みなさま

復興Gさまは、谷口雅春先生から、直接指導を受けた素晴らしい「生長の家」の講師の先生です。
そんな、素晴らしい先生から、web上とは言え、リアルタイムで御指導していただけるわたしたちは、
本当に幸せですね。

どうぞ、ご気軽にご参加くださいね!


トキさま

トキさまがこの掲示板を管理・運営してくださっているからこそ、このような貴重な学びをさせていただけるのです。
本当に、トキさまには感謝してもしきれません。
いつも、わたしたちを大きな愛で見守ってくださり、ありがとうございます。

感謝 合掌

1604復興G:2012/11/10(土) 20:16:53 ID:vWpLkCzM

ありがとうございます。

1605復興G:2012/11/10(土) 20:17:36 ID:vWpLkCzM

ありがとうございます。

さて、テキストの勉強をしましょう。

『生命の實相』第2巻第1章には、喀血は自浄作用、瀉血療法だから恐怖する必要はない。肉体は激動しても心が安静なら血は止まる、など、恐れるべきものは何もないのだから、恐怖心を持たなければ病気もおのずから治る、ということが書かれています。また、p.38の中ほどから(聖典板謹写文16の冒頭)には、次のように書かれています。

≪ われわれは飢饉にでもあい絶食せねばならぬようになって一、二週間も断食しますと、身体の衰弱がはなはだしく健康に非常に有害でありますが、健康法の一種として一、二週間断食しますと非常に身体の健康状態が改善するのであります。
 これはなぜであるかと考えてみますと、飢饉のさいには「食べなければ衰弱する」と思いながらも食物がないからやむをえず絶食しているのでその信念のとおり衰弱するのであります。
 が、断食療法のさいには「断食していれば健康になる」と信じて断食をしますからその信念のとおり健康になるのであります。同じ「断食」でもこのとおりで、信念の差異によって健康法ともなれば衰弱法ともなるのであります。≫

このご文章を読んで、ある方の体験談を思い出しました。

その方は、もう100歳に近いご高齢の方ですが、私の高校時代の恩師と同様、シベリアに抑留されて強制労働をさせられた体験をお持ちの方です。

わずかな食物しか与えられず強制労働させられ、栄養失調で沢山の日本の元兵士たちが亡くなっていくのでした。だから、労働を監督するロシアの兵士を、「ロすけ」と呼んで憎んでいた。そのとき、一人だけいつも「ありがとうございます。ありがとうございます」と唱えている奴(同胞)がいた。
「お前、何がありがたいんだ」と聞くと、「すべてがありがたい」という。「じゃあ、あのロ助どものこともありがたいと感謝するのか」ときくと、そうだと答える。
「そんな馬鹿な! だれがそんな馬鹿なことを教えているんだ」というと、生長の家だ、という。
はじめは相手にしなかったが、見ていると、栄養学を学んで人間はどのくらいのカロリーや栄養分が必要かという知識を持っている者ほど早く栄養失調になって死んで行く。
ところが、いつも「ありがとうございます」と唱えている奴は、顔つやもよく、元気である。呼吸をする毎に、「空気よ、ありがとうございます」と念じて感謝して吸うと、空気だって栄養になるんだと、その人は言う。
ばかばかしいと思ったけれども、自分もやってみようかと思って、それを実行することにした。「ありがとうございます。ありがとうございます」と一呼吸毎に感謝して空気を吸う、ということを始めた。
そうすると、ありがたいことに元気になって、思念によって人の病気を癒やす力まで出てくるようになってきた。
それで、「ドクター」と言われるようになった。

それを見たロ助、ロシア兵が、聴診器を持ってきて、「ドクター、病人がいるから診てやってくれ」と頼んでくるようになった。思念しながら手当をしてやると、病人が治っていくのだった。

あるときは、「難産で苦しんでいるのがあるからドクター、助けてくれ」と言われたこともあった。神妙に聴診器で診察するまねをして、重曹かなにかを「これはよく効く薬だから、大丈夫、必ず無事に産まれる」と断言して、逃げ帰った。その後、何も責められることはなかったから、どうやら無事に生まれたらしい。

そんなことがあって、ロシア兵からも感謝され、特別にジャガイモをくれたりして、無事に過ごし、日本に帰ってくることができた。それから『生命の實相』を読み、地方講師になって活躍し、地域の人たちから先生、先生と頼りにされて、藍綬褒章を受章され、90歳を過ぎても元気に活躍されていた方があったのです。

これは、本当の実話です。

1606トキ:2012/11/10(土) 20:21:22 ID:QTnVpw/c
>>1605

 シベリアの強制労働は、日本人のみならず多くの国の人に恐れられました。中には、ポーランド人捕虜のように
何千人もの人が処刑されたケースもあります。そういう地獄のような場所で、真理を生かして、生き抜いた人がい
るのは素晴らしい事です。感心しました。

1607如月:2012/11/10(土) 21:16:19 ID:ki/haAjk
復興Gさま、素晴らしい体験の数々をありがとうございます。

働いたらくたびれてしまう。働いたら腹が減るとの考えを人生観の大転換によって
働いたら強くなり働いても腹が減るどころかまんじゅうまでもらえてしまった。
また、シベリアに抑留されていた人は感謝して空気を吸う事によって健康になり
人を癒せるまでになった。 どれもこれも感動のお話です。

私の中にはある思い込みがあるのですが「良い人ほどガンになる」
つまり、憎まれっ子世にはばかるの逆です。
同じ考えの人が友人にもいまして、ある日彼女に「良い人ほどガンになるから
あなたも気をつけた方がいいよ」と言われてしまったのです。 真顔で

私が腹の中まで良い人かどうかは別にして、少なくとも表面上は良い人なので
この言葉を言われて以来、気になって気になって。
生長の家を知る前の私でしたから、色々な情報の中から[ストレスは万病の元]という結論を出しました。

しかし、どんなにストレスを溜めない工夫をしてもストレスは無くなりません。
それどころか意識するほどストレスが増えます。
その悪循環から抜け出せたのは[恐怖心を持たなければ病気もおのずから治る]という真理に
触れたお陰だと思っています。

先月、テレビで活躍していた流通ジャーナリストの金子 哲雄さんが肺カルチノイドのため亡くなられました。
この方はご兄弟を3人とも亡くされているので病気に対する恐怖心が大きすぎたのではないでしょうか。

1608復興G:2012/11/10(土) 21:49:23 ID:vWpLkCzM

如月さま。

コメント、ありがとうございます。

ちょっと席を外していて、お返事おそくなりました。

如月様は、「良い人ほどガンになる」という思い込み、悪循環から、もう
[恐怖心を持たなければ病気もおのずから治る]という真理に触れて、
抜け出されたのですね。よかった。おめでとうございます。
もう一歩進めば、「病気は神の造り給うたものでないから、本来無い」ということになるのでしょう。

早く、この真理で多くの人たちが救われるといいですね。
ありがとうございます。

1609みすはなまる:2012/11/10(土) 22:17:16 ID:c9C6QREU

>>1607 如月様

金子哲雄さんの件にて、ご参考までに…

http://blog.livedoor.jp/kinisoku/lite/archives/3573880.html

1610復興G:2012/11/10(土) 22:57:54 ID:vWpLkCzM

皆さま、ありがとうございます。

web誌友会は、まだ明日いっぱいありますから、今夜は私はこれにてやすませていただこうかと思います。

その前に、今、地域の小学校の子どもたちと一緒に大人たちも歌う「合唱フェスティバル」(私も参加します)で、歌うことになっている「みんなのハーモニー」という歌の歌詞を、世界中の大調和、大ハーモニーを祈って、ここにアップさせていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

合唱フェスティバル20周年記念
「みんなのハーモニー」
    作詞・作曲 筒井雅子

 プロローグ
  みんなで うたうと
  たのしくなるよ
  こころのてを つなごうよ

1.あなたの声 私の声
  みんなの声を合わせて
  世界でただひとつの
  花束(ブーケ)を作ろう
  子どもたちも 大人たちも
  歌おう 思いを歌に乗せ
  世界のみんなに届けよう
  ハーモニーのブーケを

    時空を越えて
    分かち合えるもの
    それはすてきな音楽
    歌う喜び

2.横糸はメロディ 縦糸はハーモニー
  みんなの心を織りこみ
  世界でただ一枚の
  ショールを作ろう
  子どもたちも 大人たちも
  歌おう 思いを歌に乗せ
  誰かの肩にそっと
  ハーモニーのショールを

    時代を越えて
    受け継がれるもの
    それはすてきな音楽
    歌う喜び

3.この胸の思い
  歌の翼に乗せて
  大空に放とう
  涙も微笑みもみんな
  七色に輝き
  子どもたちの 大人たちの
  頭上に高く広がり
  明日へと続く虹となる
  ハーモニーの架け橋に

  届けみんなのハーモニー
  歌は心のメッセージ


では、皆さま、おやすみなさい。

1611復興G:2012/11/11(日) 09:05:31 ID:vWpLkCzM

皆さま、おはようございます。

昨夜は、「みんなのハーモニー」を心で歌いながら、こころ安らかに寝ませていただきました。

この「みんなのハーモニー」という歌を作詞・作曲された筒井雅子さんというのは、現職の小学校音楽教師で、今年12月に開かれる「合唱フェスティバル」20周年記念につくられた歌です。まだ一度も公開の場で演奏されたことはなく、印刷された楽譜もなく、作曲者手書きの楽譜のコピーを見て、私も地域の合唱団で練習をしています。混声四部合唱に、ソプラノあるいはテナーの少数によるオブリガート(助奏)までついた、力作の名曲です。

ところで、その「合唱フェスティバル」では、私たちは「ひとつの朝」という歌もうたいます。これはかつて昭和50年代にNHK学校音楽コンクールで高校の部の課題曲になったことがある歌だということですから、ご存じの方もあるでしょう。朝が来ましたので、この歌の歌詞をアップさせて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

  「ひ と つ の 朝」

            片岡 輝 作詞
            平吉 毅州作曲

今 目の前に ひとつの朝
まぶしい光の洪水に
世界が しずまないうちに
さあ 方舟(はこぶね)に乗って 旅立とう
あのノア達のように 旅立とう

たとえば 涙に 別れること
たとえば 勇気と 知り合うこと
たとえば 愛を 語ること
時には 孤独と 向き合うこと
旅立ちは 旅立ちは 旅立ちは いくつもの出会い

今 目の前に ひとつの海
逆巻く怒濤の洪水に
船が くだけないうちに
さあ 両腕をつばさに 飛び立とう
あの鳥達のように 飛び立とう

はばたけ 明日へ まだ見ぬ 大地へ
新しい大地へ まだ見ぬ 新しい大地へ
生きる喜びを 生きる喜びを
広がる 自由を求めて
広がる 自由を求めて

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

<つづく>

1612復興G:2012/11/11(日) 09:06:04 ID:vWpLkCzM

上記の歌の中に、「ノアの方舟(はこぶね)」というのが出てきますが、ノアの方舟のことは『生命の實相』第11巻万教帰一篇のp.117〜119に書かれています。

≪ノアの方舟(はこぶね)とは神の教えの船ということである。仏教でも、これを船にたとえて如来の願船とか大乗とか小乗とかいいます。ノアというのはNO・Aであります。「NO」は空であり「A」は阿字であり大日如来の本体であります。諸法は空である。「空」であるといっても、何もないということではない。諸法は空(NO)であって、同時にその空の背後に無量光、無量寿の大日如来(A――阿字)が在まして、この大日如来のみが実在である。われわれの生命は大日如来より出で、大日如来の内にあり、大日如来と一体である。この真理の真教えが「ノアの方舟」であります。すなわち「生長の家」の教えはちょうどこの「ノアの方舟」に当たるのであります。≫

と。だから、
「さあ 方舟に乗って 旅立とう」
というのは、生長の家の説く万教帰一の真理の教えの船に乗って、大ハーモニーの世界へ旅立とう、ということになるんだと思って、私は嬉しくなって歌っています。

1613復興G:2012/11/11(日) 09:31:28 ID:vWpLkCzM

上記、「ひとつの朝」 の合唱、YouTube から

http://www.youtube.com/watch?v=deVbnQVOA4Y

1614a hope:2012/11/11(日) 10:15:57 ID:8tjYhMb6

みなさま おはようございます!


復興Gさま

すばらしいお話をたくさんしていただき、本当にありがとうございます。
ただ、ただ感動の連続です。
あまりにも感動的過ぎて、みなさまお言葉が出ないのではないかと思います。
ですが、わたしは、復興Gさまの魂をこめられ一言ひとことは、みなさんの心に、魂にしっかり響いていると確信しています。

また、今朝は、素晴らしい合唱曲を、2曲紹介してくださりありがとうございます。
今、復興Gさまが紹介してくださった「ひとつの朝」を聴きながらこの投稿文を書いています。
わたしは、学生時代コーラスをしていて、歌をうたうのが大好きなのです。
そう言えば、如月さまも合唱部だったと以前うかがった気がします。

わたしはいつの日か、復興Gさまや、如月さま、またこの掲示板のみなさまと一緒にこのような素晴らしい歌を歌えたらどんなに素敵でしょうね!

1615a hope:2012/11/11(日) 10:32:01 ID:8tjYhMb6

わたしばかりが発言するのも気が引けるのですが、他の方の発言が少ないようなので、また「生長の家」の教義のことで質問させていただきます。

実は、先月聖典板に謹写した「生活読本」の内容について、ある神の子さまから質問を受けたのです。
後から神の子さまは、御自分の思い違いだったと仰っていましたが、わたしは自分でも、その聖典の文章がちょっと疑問に感じたので、
自分なりに考えた解釈を投稿させていただいたのです。
でも、あまり自信がありません。
ここで、ご指導いただけるとありがたいです。

その後、同じ神の子さまだと思いますが、うのはなさまにも、生長の家の「唯心論」と「唯神実相論」についても質問されています。
うのはなさまはお答えが今のところ見当たりませんので、そちらのご指導もしていただけると嬉しいです。

以下に、聖典板より、該当する投稿文を転写させていただきます。

1616a hope:2012/11/11(日) 10:38:23 ID:8tjYhMb6
以下、聖典板より転写

神の子さんとわたしのやり取りです。

1421 :a hope:2012/10/15(月) 08:27:27 ID:8tjYhMb6
新版 生活読本 谷口雅春先生著

第四章 明るい心を持ちましょう
♦健康を考えて健康を得よ


悪いことや詰まらぬことなど、考えないように致しましょう。
これを食べたらお腹をこわすとか、寒い風にあたったら風を引くとか、つまらぬことを思わないようにしましょう。

思うとおりにあらわれるのが、心の法則なのです。
「わたしは神の子だから常に健康で楽しくて、愉快だ」と考えるように致しましょう。
そう考えると、いつも愉快で達者でいられるのです。

乞食はゴモクの半分腐ったような食べ物をひろって食べても一向に病気にならないのです。
浮浪児は、貰ったオニギリをゴミだらけのきたない手で、鷲づかみにして食べていても一向おなかをこわしません。
布団もなしに、夜露のおりる上野公園でねていながら元気で病気にかかりません。
それは病気なんて思わないからなのです。

ところが、よい家に育った坊ちゃんや、嬢ちゃんは、病気にならせてはいかぬ、
風邪を引かせたらいかぬ、お腹をこわしたら大変だと、始終小さいことに気をつかって、
注意に注意をかさねていても始終病気になっているのが多いのです。

それは何故ですか。
それは「病気」のことを始終思っているからなのです。
「病気になったら大変だ」と始終思っているからなのです。

こう云う人はアメリカではトラブル・シーカー(trouble seeker)と云って軽蔑(みさげる)されています。
病気のない間から、病気が何処かにないかしらと、さがしまわっているようなものなのです。
それだから、病気をさがし当て、小さい病気でも、心で恐れて大きな病気にしてしまうのです。

キリストは「求めよ、さらば与えられん」と申しましたが、こう云う人は、病気を求めて病気を与えられるのです。
それよりも諸君は健康を求めて健康を得たらよいでしょう。
(つづく)


1427 :神の子さん:2012/10/15(月) 21:12:37 ID:fwBhZpmg >>1421
a hope様
いつもすばらしいご文章を謹写していただきありがとうございます。
陰ながら感動しながら拝読させていただいています。
このご文章は少し疑問に思いましたので質問させていただきます。
最後から二行目のキリストはというところです。
こう云う人はというのはキリスト様の事になりますよね?
キリスト様が病気を与えるということになってしまわないでしょうか?
私の解釈の仕方がだめなのでしょうか?



1430 :a hope:2012/10/15(月) 22:53:53 ID:8tjYhMb6 >>1427 神の子さん

うれしいお言葉をありがとうございます。
以前、謹写していた 「人生読本」や今回の「新版 生活読本」は、
谷口雅春先生の、子どもやお年寄りでも生長の家の真理が理解でき、
幸せになれるようにとの愛念から執筆された聖典だとのことが、はしがきに書いててありました。
わたしは、「これを読んでくださる人が、ひとりでも、幸せな気分になってくれたらいいな〜」
と祈りを込めて謹写させていただいています。


ですが、今回の神の子さんの質問は、言われてみれば、ちょっと考えてしまいますね。

>>キリストは「求めよ、さらば与えられん」と申しましたが、こう云う人は、病気を求めて病気を与えられるのです。
>>それよりも諸君は健康を求めて健康を得たらよいでしょう。

ここのところですよね?
わたしは、生長の家の新入生で、講師でもなんでもありません。
ですから、今回の神の子さんのご質問にお答えできるような立場ではないのですが、
これもお勉強なので、自分なりに考えてみました。

キリスト=実相=神の子である。

自分自身に完全円満な健康な姿(キリスト=実相)を求めれば、現象にも完全円満な健康な姿が与えらますよ。
でも、キリストを求めず、現象の不完全な姿(不健康)ばかりを求めていれば、
キリストは顕れることはできないので、代わりに心に思ったままの不完全な姿(病気)が与えらますよ。

こんな意味でしょうか・・・?
うーん。難しいですね。
復興Gさま、トキさま、他の先輩方、ご指導をよろしくお願いたします!

1431 :a hope:2012/10/15(月) 23:15:53 ID:8tjYhMb6 >>1472神の子さん 

>>こう云う人はというのはキリスト様の事になりますよね?

ここの、「こう云う人」とは、トラブル・シーカー(trouble seeker)つまり、
「病気になったら大変だ」と始終思っている人のことだと思います。

(つづく)

1617a hope:2012/11/11(日) 10:41:59 ID:8tjYhMb6
(つづき)

1438 :神の子さん:2012/10/16(火) 06:24:58 ID:YfMozNg. >>1431
a hope様 ありがとうございます。
本当ですね、二回目よく読みましたらトラブル•シーカーである事がわかりました。
よく読んでから質問をするべきでした。拙い質問にお時間をとっていただき申し訳ございませんでした。今後ともよろしくお願いいたします。



1440 :a hope:2012/10/16(火) 07:37:28 ID:8tjYhMb6 >>1438 神の子さん

>>よく読んでから質問をするべきでした。拙い質問にお時間をとっていただき申し訳ございませんでした。

とんでもありません。 
わたし自身も、たとえ、「こう云う人」がトラブル・シ―カ―であっても、
ちょっと疑問の残る文章だと思ったので、考えてみてよかったです。
 ただ、解釈が正しいかは、不明です(笑)
先輩方のご指導を待ちたいと思います。

神の子さま、こちらこそ、こらからもどうぞよろしくお願い致します。

――――――――――――――――――――――――――――――

以上が、わたしと神の子さんのやり取りです。

1618a hope:2012/11/11(日) 10:48:14 ID:8tjYhMb6
次に、うのはなさまへの質問の箇所を上げさせていただきます。
(うのはなさま、神の子さん、勝手をして申し訳ありません)

―――――――――――――――――――――――――――

1422 :うのはな:2012/10/15(月) 12:05:53 ID:JsVayk8A    自壊作用は魂を磨かれる機会

  先生の御本に“自壊作用がこなくて、全てが整うというような甘い考えを持つな”
というお言葉を拝見したことがございます。私宅にも、「神想観をやり、『甘露の法雨』
を誦げているが何か調子が良くゆかない」という誌友さんがいらっしゃったのでございます。

 長いこと生長の家の本をお読みになっておられるそうですけれども、実はどこを読んでいるのか
分らないような読み方だろうと思います。その場合、その人にそれだけの自壊作用があるということは、
その人の魂を、今ここですばらしく研かれる機会が与えられたのだということを、先生は口がすっぱく
なるほど、私達におっしゃっていただいております。

 私たちはややもすると、目の前の現象が整うことが何よりも良いことかの如く、考えがちでございます。
けれども目の前に良いことが現われたのを良いと思うときは、すでに峠を越したときじゃないかと私は思って
おります。常に私達は、失敗とみえることに直面することによって、すばらしく研かれてゆくんじゃないかと、
“自壊作用”に自分ながら感謝させていただいております。

『實相研鑽』第三集 川野岩五郎氏 P88 谷口雅春 先生監修

1423 :うのはな:2012/10/15(月) 15:38:25 ID:r.C5sfeA     生長の家は単なる唯心論ではない

 唯物論を抛棄すると言いますと、その対蹠的な唯心論ということを考える人が
多いのですが、生長の家では「唯神実相論」と言っていまして、「人間の心」が何でも
創造すると云うのではないのであります。

 唯神のみ、実相のみ、実在であって、人間の妄心などみとめないと云うのが、生長の家の
説いている唯神実相論の哲学であります。現象世界というのは、これは神様の造ったものじゃないの
であって、神様の創った“実在の世界”のその表面を、雲の漂うように“心の迷い”をもって蔽いかくして、
もやもやと現している“虚の世界”にしか過ぎないと云うことを、説いているのであります。
実在は満月のように円満完全であるのに、心の曇りがもやんもやとしているから、ハッキリと明るい円満な月が
あらわれないで、薄暗い、斑点のある汚い月が現象として見えている。

その、もやもやっと縺れ紛糾しているこぐらかった心を、さっぱりと、ほどいてしまったら、それが即ち“解脱”であります。
解脱とは一切の束縛から、ほどかれ、脱することで、そうすると、自由自在の本来の実相、実際の状態が現れて来るのです。
これが仏の状態であります。

『涅槃経』には「解脱をもって仏となす」と書かれていますが、私たちは本来の自由自在を奪還して一切の苦厄から解き脱した状態に
なって終うのです。そして人間の「いのちの実相」の円満完全な姿がそこに現れて来るのです。それがエデンの楽園の奪還であります。
楽園を地上に奪い還して、もう一ぺんこの世界を、地上天国的な状態にしようとする運動が、
この生長の家の人類光明化運動であります。

『日常生活の中の真理』 無門関・聖書篇  谷口雅春 先生P167-168

(つづく)

1619a hope:2012/11/11(日) 10:57:04 ID:8tjYhMb6
(つづき)

1428 :神の子さん:2012/10/15(月) 21:26:04 ID:fwBhZpmg >>1422
うのはな様
すばらしいご文章を謹写していただきありがとうございます。
生長の家は「唯神実相論」であると書いてありますが、「現象は自分の心の写しである」と書かれたご文章も他のところで拝読した記憶があるのですが、これは唯心論で、これも生長の家の教えとは言わないのでしょうか?

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

以上が、うのはなさまの謹写された文章と、神の子さんからうのはなさまへの質問です。

神の子さんは、  上の質問で、「>>1422うのはな様 」 と呼びかけていらっしゃいますが、
唯心論のことを書かれた文章は、>>1423の方なので、そちらの方も転写させていただきました。

復興さま、御指導よろしくお願いいたします。
みなさまも、是非一緒に考えてくださいね。

1620復興G:2012/11/11(日) 11:43:56 ID:vWpLkCzM

a hope 様、ありがとうございます。

上記の、聖典板での質疑応答は、今回の誌友会テーマにとても関係の深い内容で、ここに転写していただいたのはよかったと思います。聖典板を見ていなかったので、私は初めて知りました。

それで、前段の、
>>キリストは「求めよ、さらば与えられん」と申しましたが、こう云う人は、病気を求めて病気を与えられるのです。それよりも諸君は健康を求めて健康を得たらよいでしょう。<<
の「こう云う人」とは、キリストのことではなく、トラブル・シーカー(trouble seeker)つまり、「病気になったら大変だ」と始終思っている人のこと、というのはその通りですね。

それから、後段の、
≪生長の家は単なる唯心論ではない
 唯物論を抛棄すると言いますと、その対蹠的な唯心論ということを考える人が多いのですが、生長の家では「唯神実相論」と言っていまして、「人間の心」が何でも創造すると云うのではないのであります。≫
≪「現象は自分の心の写しである」と書かれたご文章も他のところで拝読した記憶があるのですが、これは唯心論で、これも生長の家の教えとは言わないのでしょうか?≫
という、うのはな様のご質問ですか、これについて考えてみましょう。ちょっとお時間をください。

1621復興G:2012/11/11(日) 11:45:24 ID:vWpLkCzM

どうぞ皆さま、どなたでも、ご意見を書き込んでくださいね。
ありがとうございます。

1622トキ:2012/11/11(日) 11:59:08 ID:UIcvZp4E
 なかなか難しい、しかし重要なご投稿ですね。思案中です。

 私個人は、「久遠生命の神示」が参考になると思っています。ただ、自信はありません。

1623a hope:2012/11/11(日) 11:59:17 ID:8tjYhMb6
>>1620 復興Gさま

>>≪「現象は自分の心の写しである」と書かれたご文章も他のところで拝読した記憶があるのですが、これは唯心論で、これも生長の家の教えとは言わないのでしょうか?≫
>>という、うのはな様のご質問ですか、これについて考えてみましょう。ちょっとお時間をください。

とありますが、これは、神の子さんからうのはなさまへの質問です。

すみません。貼り付け方がうまくいかなくて、わかりにくかったかも知れません。

1624復興G:2012/11/11(日) 12:48:13 ID:vWpLkCzM

>>1623 :a hope様

了解しました。取り違えて、ごめんなさい。

1625復興G:2012/11/11(日) 13:00:42 ID:vWpLkCzM

ともかく出題は、要約すると
   〜〜〜〜〜〜〜
≪生長の家は単なる唯心論ではなく、「唯神実相論」である≫
というのが、生長の家の究極の御教えですが、それでは
≪現象は自分の心の写しである≫
というのは、生長の家の教えとは言わないのですか?
   〜〜〜〜〜〜〜
ということですね。

トキ様が、「久遠生命の神示」が参考になると思っています、と書かれているのは、
「本来生、不滅の神示」のことでしょうか。たしかにそこに、大切なヒントはありますよね。

1626るんるん:2012/11/11(日) 14:08:25 ID:NS71OwS.
あほな私ですが、少し いいですか?

『唯神実相論』これが生長の家の最も大切な『根本真理』で ただ神のみ在る(現象は無い)『唯神実相』ですね。これを雅春先生は「根本真理」

別の言い方で「縦の真理」とおっしゃってます。

で、>>現象は自分の心の写しである≫というのは、生長の家の教えとは言わないのですか?<<
      ↑
雅春先生はこのことを「縦の真理」と区別して「横の真理」とおっしゃってますね。『唯心論』は横の真理ですね。

それにしても「縦の真理」つまり「根本真理」唯神実相論。すごいです。誰も教えてくれなかったすごい真理ですから。

 心の法則くらい、他でも説いてますし・・・でも、唯神実相をこの現象世界に表すにはつまり心の法則(横の真理)が必要ですから・・・

うまく書けてません。下手な文章のうえに、偉そうな書き方になってしまって申し訳ございません。

1627復興G:2012/11/11(日) 15:42:23 ID:vWpLkCzM

るんるん様
書き込み、ありがとうございます。
その通りですね。

それについて(「縦の真理」と「横の真理」について)私は、こう思っています。
「横の真理」(心の法則)というのは、現象は影に過ぎず、「本来無」なのですから、「現象無し」「神のみ実在」を自覚したとき初めて、人間の幸福のために有効に働く真理である。「縦の真理」なしに「横の真理」(心の法則)を知っても、運命を支配することはできない。だから、必ずしも幸福にはならない。

『人生は心で支配せよ』というご本もありますが、それは「神の心で支配せよ」ということであって、「人間の心で支配しよう」と思っても、それは無理なことだと思われます。

だから、如月様も>>1607で、生長の家を知る前には
>>[ストレスは万病の元]という結論を出しました。
しかし、どんなにストレスを溜めない工夫をしてもストレスは無くなりません。それどころか意識するほどストレスが増えます。<<

ということでしたね。 a hope 様も >>1572

>>自分の心から、恐怖心や憎悪心を取り除き、常に平和な気持ちでいれば、それだけで病気が治ってしまう、という真理を知った時には、ものすごいよろこびを感じました! ですが、感情のコントロールというのはそう簡単に出来るものではない、ということも身にしみて感じています。<<

と書かれていました。

ところで、お釈迦様は、お悟りになったとき、「山川草木国土悉皆成仏、有情非情同時成道」つまり、今此処がそのまま大調和し生かし合っている仏の浄土だ、とおっしゃったのです。生老病死の四苦があり弱肉強食の悲惨な世界だと思っていたのは、夢幻のごとく「無」だった、「色即是空」だ、とお悟りになって、それを説かれた。

「本来生、不滅の神示」には
≪釈迦は『人間』の生老病死の四苦を見て出家したと言えども、釈迦はそのときまだ『人間』を見ていたのではない。念の影を見て『人間』と思い違いしていたに過ぎない。釈迦が此の世を見て無常と観じたのも『真の人間』の世を観たのではない。それは無明の投影の世を観て無常としたのである。真の人間は無常の中にあらず、肉体の中にあらず、人間は永遠不死、金剛身、実相身、清浄身である。≫
とあります。

さて、釈迦は、悟りの境地をそのまま説かれたけれども、衆生にはその境地がわかる者がいなかった。それで「三界は唯心の所現」つまり、現象は自分の心の写しであるということを、まず説かれた。
それは釈尊の教えではないかというと、それも釈尊の教えに違いはない。

それと同様に、≪現象は自分の心の写しである≫というのも、もちろん生長の家の教えです。
しかし、それは、「現象あり」と思っている人には、いきなり「現象は本来無いのです」と説いても、「この通りアルではないか」と言って受け入れられないから、まずは方便説法として「心の法則」を咲きに説かれることもある。

しかし、「現象は影に過ぎない、それは本来ナイのである。神と神の創造し給うた完全な世界のみが実在する。今此処が神の国であり、すでに大調和している」というのが、生長の家の究極の教え(唯神実相論)であり、それを自覚したときはじめて、ただ喜び、ただ感謝する生き方ができて、「現象は自分の心の写しである」という「心の法則」が有効に働き、幸福になれる。

1628復興G:2012/11/11(日) 15:45:27 ID:vWpLkCzM

咲きに→先に(訂正です)

1629復興G:2012/11/11(日) 16:10:30 ID:vWpLkCzM

≪現象は自分の心の写しである≫というのも、もちろん生長の家の教えです。しかし――

「懺悔」について、「小懺悔」と「大懺悔」があり、現象の自分の心を反省して、「申し訳ございませんでした」と悔いるのは「小懺悔」なのですね。

昨夜、>>1602で紹介しました「不和の家と平和な家」の話で、「平和な家」では

>> その家では、ちょうどおじいさんが、大なべを買って来たところでした。おじいさんは、その大なべを土間におろして、上がりぐちにこしかけて、たばこをすい始めました。すると、下の様子を知らないむすこが、屋根うらから割木(わりき=たきぎ)を投げおろしました。これが、悪いことに大なべにあたったのです。

 大なべがくだける音に、はっと気づいたむすこは、すぐさま屋根うらからおりて、両手をついて、おじいさんにあやまります。

 するとおじいさんは、屋根うらのすぐ下に大なべを置いた、わしが悪かったと言います。

 おどろいて外からかけこんだおばあさんは、わたくしが、なべをすぐにしまわなかったから、こんなことになった。悪いのはわたくしです。かんにんしてくださいと言います。

 そこへ、おくのへやから、むすこのよめさんが出て来て、おじいさまは、あの人が、屋根うらにおられるのを、ご存じなかったのですから、そこへなべを置きなさるのも、あたりまえです。あの人が、屋根うらにおられるのを知っておりながら、早くなべを取りのけることに、気がつかなかったわたくしが、悪うごさいましたと、あやまります。<<

というところまでは、家族の各人が、「私のせいで、悪うございました」と「小懺悔」をしているのです。
ただ、ここまででは、その家庭は暗い雰囲気になってしまって、平和かも知れないけれども、幸福な家にはならない。最後におじいさんが、

>>これは、だれの罪でもあるまい。割木がわしの頭をくだかないように、なべがやくばらいをして、割れてくれたんだろう。人にけががなくて、ほんに、めでたい、めでたい。<<
そのように言って、この家のなべさわぎは、丸くおさまったのです。――ということになるのです。

この、「すべてよし」と見て喜ぶのが、「大懺悔」に近いと言ってよいのかも知れません。
<つづく>

1630復興G:2012/11/11(日) 16:47:27 ID:vWpLkCzM

「大懺悔」について。

『仏説観普賢菩薩行法経』には、次のようにあります。(「新編聖光録」より)

≪……昼夜六時に十方の仏を礼して懺悔の法を行ぜよ。大乗経を誦し……一切の人を視ること猶(ことごと)く仏の想の如くし、諸の衆生に於て父母の想の如くせよ。……心を観ずるに心無し、顛倒の想より想(おこ)る。此の如き想の心は妄想より起る。空中の風の依止(えし)する処なきが如し、……是の如き懺悔は心を観ずるに心無し。法、法の中に住せず、諸法は解脱なり、滅諦なり、寂静なり、是の如き想をば大懺悔と名(なづ)け、荘厳懺悔(しょうごんざんげ)と名け、無罪相懺悔と名け、破壊心識(はえしんしき)と名く。此の懺悔を行ずる者は、身心清浄にして法の中に住せざること、猶し流るる水の如し。……
 無量の勝方便(しょうほうべん)は実相を思うより得。……
 一切の業障海(ごっしょうかい)は、皆妄想より生ず。
 若(も)し懺悔せんと欲せば端坐(たんざ)して実相を念(おも)え。
 衆罪(しゅうざい)は霜露(そうろ)の如し、慧日(えにち)能(よ)く消除す。(仏説観普賢菩薩行法経)≫

――この最後のところ、
「若(も)し懺悔せんと欲せば端坐(たんざ)して実相を念(おも)え。衆罪は霜露(そうろ)の如し、慧日(えにち)能(よ)く消除す。」
これですね。これが大懺悔です。「一切の業障海(ごっしょうかい)は、皆妄想より生ず。」――一切のゴタゴタは、皆妄想から生じたのであるから、

「端坐(たんざ)して実相を念(おも)え。」
正座して、「完全円満なる神のみ実在で、悪はないのである」という実相を念(おも)うことが、大懺悔なのですね。

そうすると、「衆罪(しゅうざい)は霜露(そうろ)の如し、慧日(えにち)能(よ)く消除す。」

もろもろの罪(完全な実相を隠蔽していた包み)は、太陽の前の霜や露のように、たちまち消え去ってしまうというのであります。

そうして、
「無量の勝方便(しょうほうべん)は実相を思うより得」
というのは、無限に勝(すぐ)れた智慧ある方便、方策は、神(実相)を思うところからわき出てくる、というのであります。

「神想観をして実相を祈るばかりで、何もしない」なんていうことはあり得ない。実相を思えば、「無量の勝方便(しょうほうべん)」がわき出て、適切な行動がとれるわけであります。それは、『真理の吟唱』の「天地一切と和解する祈り」に、

 「すべての人と事と物とは、今ここに渾然と調和しており、たがいに争い立つということはないのである。

 現象の世界に、如何なる対立の関係があろうとも、如何なる闘争の関係があろうとも、それは妄想の顕わすところであり、妄想はやがて消えるべき運命にあるのであるから、私はそれを恐れることもないし、それに愕(おどろ)くこともないのである。

 妖雲羃々(よううんべきべき)と空を覆うことがあっても、その上には常に蒼空(あおぞら)があるのと同じように、如何に暗澹たる状態が現象的にあらわれてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。

 心を動ずることがないから、何らの対策をも講じないのかというと、決してそうではないのである。心を動ずることがないから、最も適切なる智慧が泉の如く湧き出でて暗を消してしまう処置ができるのである。」

とある通りなのであります。

1631復興G:2012/11/11(日) 16:56:06 ID:vWpLkCzM

つづいて、「天地一切と和解する祈り」には、次のようにあります。

 ≪光の進軍に対して暗は逆らうことも、抵抗することもできないのである。事に応じてわが為すところの行為は、神の子として大神の智慧の炬火(たいまつ)をとぼして進軍するのであるから、誰もそれを遮ることはできないのである。

 神は「暗(やみ)に対しては光を以て相対せよ」と仰せられているのである。光は進む、暗は消える。神はわれらに「常に心を明るくもて」と仰せられているのである。一時(いっとき)といえども私は心を曇らすことをしないのである。神は勇気の本源であり、神の子たる私は、勇気そのものである。神の智慧われに来りて、迅速果敢に適当なる決意と断行をなさしめ給うのである。

 ああ、感謝すべきかな、天地万物は、ことごとく神の子として兄弟姉妹であり、われを常に祝福し、われを常に援助し、わが希望を必ず成就せしめ給うのである。≫

と。ありがとうございます。
感謝 合掌

1632復興G:2012/11/11(日) 19:09:04 ID:vWpLkCzM

――『新編聖光録』で、前に引用させて頂いた「大懺悔」についての項に続いて掲載されているのは、「法華経 安楽行品」からの抜粋です。それは――

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

○如来の滅後、末法の中に於て、是の経を説かんと欲せば、応(まさ)に安楽行に住すべし。
若しは口に宣説し、若しは経を読まん時、楽(ねが)いて人及び経典の過(とが)を説かざれ。亦諸余の法師を軽慢(きょうまん)せざれ。他人の好悪長短を説かざれ。声聞の人に於ても亦、名を称して其の過悪を説かざれ。亦名を称して其の美しきを讃歎せざれ。又亦怨嫌の心を生ぜざれ。善く是の如き安楽の心を修するが故に、諸々の聴くこと有らん者、其の意に逆わじ。難問する所有らば、小乗の法を以て答えざれ。但(ただ)大乗を以て為に解説(げせつ)して、一切種智を得しめよ。(法華経、安楽行品)

というのであります。その意味は、

≪ 如来の滅後に末法の時代においてこの経を説こうと思うならば、安楽の行をなすべきである。

 もしこの経を口に説き、また経を読む時には、他の人や他の経典の悪口を言ってはならぬ。

 また他の法師を軽んじたり、慢(あなど)ったりしてはならぬ。

 また他人の好悪(よしあし)や長所・短所を説いてはならぬ。

 また声聞の人の名をあげて、その過悪(あやまち)を説いてはならぬ。

 また名をあげてその人の美(よ)き事をほめ讃えてもならぬ。

 また人を怨み嫌う心を生じてはならぬ。

 よくかくの如き安楽の心を修めるが故に、すべての聴衆は菩薩の意にさからわないであろう。

 また難しいことをいろいろ問いかけてきても、小乗の法をもって答えてはならぬ。

 ただ大乗の教えのみを説いてその人に一切種智(いっさいしゅち)を得させよ。≫

 ――私たちが今、尊師の滅後に、いかに行ずべきかにういて、具体的に教えられているような気がします。
<つづく>

1633復興G:2012/11/11(日) 19:09:43 ID:vWpLkCzM

 その「安楽行品」の続きを、経典の原文は省いて解釈文のみ掲載しますと――

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

≪後の世の佛法がまさに滅びようとする時に、この経典を受持(たも)ち読講する者は、嫉妬や諂(へつら)い・誑(あざむ)きの心を懐いてはならぬ。

 また佛道を学ぶ者を軽んじ罵り、その短所をさがし求めてはならぬ。

 もし比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の中で声聞を求める者、縁覚を求める者、菩薩の道を求める者があれば、この人を悩ましたり、疑いや後悔の心をおこさせたりして、その人に『お前達は佛道から遠く離れている。とても佛の一切智を得ることができないだろう。何故なら汝は放逸(きまま)で佛道の修行をおこたり怠けているからだ』などと言ってはならぬ。

 またいろいろな教えを戯れに論じたり、教えに関して争ったり競ったりしてはならぬ。

 常に一切衆生に対して慈父のごとき想いを起こし、もろもろの菩薩に対しては大師であるという想いを起こすべきである。

 十方世界のもろもろの大菩薩に対して、常に心から敬い礼拝せよ。

 一切の衆生に対しても平等に法を説け。

 法に順(したが)って多くもせず少なくもせず、また深く法を愛する者のために、特に多く説くというようなことをしてはならない。

 この菩薩が後の世の佛法がまさに滅びようとする時において、この第三の安楽の行をまもって法を説くならば、決してこの人を悩ましたり乱したりする者はないであろう。

 志を同じくする好(よ)き人々が、共にこの経を読誦するであろう。

 また多くの衆が来てこの経を聴き、聴き終ってよく持(たも)ち、読誦し、説き、また書き、もしくは人にも書かせ、経巻を供養し、敬い、尊び讃めたたえるであろう。≫

 ――と、説かれているのであります。

1634復興G:2012/11/11(日) 20:36:08 ID:vWpLkCzM

――上記、法華経「安楽行品」の解釈文は、法華経研究家で生長の家地方講師(教務)でもあられた、藤村義彰様(故人)の遺著『新訳 法華経』に拠りました。感謝いたします。合掌。

さて、>>1616>>1619で、a hope 様が提出された課題には、まだ疑問点が残っていますでしょうか。

≪よい家に育った坊ちゃんや、嬢ちゃんは、病気にならせてはいかぬ、風邪を引かせたらいかぬ、お腹をこわしたら大変だと、始終小さいことに気をつかって、注意に注意をかさねていても始終病気になっているのが多いのです。それは何故ですか。それは「病気」のことを始終思っているからなのです。「病気になったら大変だ」と始終思っているからなのです。こう云う人はアメリカではトラブル・シーカー(trouble seeker)と云って軽蔑(みさげる)されています。病気のない間から、病気が何処かにないかしらと、さがしまわっているようなものなのです。それだから、病気をさがし当て、小さい病気でも、心で恐れて大きな病気にしてしまうのです。
キリストは「求めよ、さらば与えられん」と申しましたが、こう云う人は、病気を求めて病気を与えられるのです。
それよりも諸君は健康を求めて健康を得たらよいでしょう。(谷口雅春先生『人生読本』より)≫

というところの、「こう云う人は、病気を求めて病気を与えられるのです」の「こう云う人」とは、キリストのことではなく、「病気になったら大変だ」と始終思っている人。その人は、(現在意識で)病気を求めているわけでなくても、病気のない間から、(潜在意識で)病気が何処かにないかしらと、さがしまわっているようなものだから、いわば「病気を求めている」、だから「求めよ、さらば与えられん」で、求めた病気が与えられるのだ、ということですね。おわかりでしょうか。

a hope 様は、
≪キリスト=実相=神の子である。自分自身に完全円満な健康な姿(キリスト=実相)を求めれば、現象にも完全円満な健康な姿が与えらますよ。
でも、キリストを求めず、現象の不完全な姿(不健康)ばかりを求めていれば、キリストは顕れることはできないので、代わりに心に思ったままの不完全な姿(病気)が与えらますよ。
こんな意味でしょうか・・・?≫
と、むつかしく考えられたようですが、そんなに難しく考える必要はないと、私は思いました。

それから、トキ様が >>1622 で、
>>私個人は、「久遠生命の神示」が参考になると思っています。<<
と書かれたのに対して、私は神示集を探しましたが「久遠生命の神示」というのは載っていなかったので、「本来生、不滅の神示」でしょうか、と申しました。
しかし、聖経『天使の言葉』の前に「『久遠生命』の神示」と題されて神示が二つ載っているのでしたね。
これは、『神示集』では、「無相円相一切相の神示」および「帰幽の神示」と題されている神示です。
神示が天降ったときには、無題であった。これに題をつけられたのは、後で谷口雅春先生がその内容から便宜上つけられたので、聖経と神示集ではタイトルが異ってつけられていたのでした。
勉強になりました。トキ様、ありがとうございました。

1635SAKURA:2012/11/11(日) 21:03:36 ID:jH5uEFzM
復興G様 へ
トキ様 ヘ
誌友会の皆様 ヘ
こんばんは……  ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

私事で、やっと先程から【WEB誌友会…】の皆様方の“投稿…”を閲覧させて頂きまして、
此処に“投稿”させて頂きます…。(私事で遅くなりまして…申し訳御座いません。)

今回は“パートナー”の介護関連にての私事でしたので…「11月7日からは、時間調整が難し
い状況でした。要約、自宅に戻りましたので…皆様の“投稿”されています事柄も含めまして…
【タイミング】が…と改めまして思った次第です。…が?更に【 体 験 談 の お 話 】も
含めまして…横スレにて申し訳ありませんが……ここに“投稿”させていただきます。

■■【生長の家…御教え】は、“病 無 し”です〜〜〜ョネ!今回【病気…】についてですが、
私事で恐縮ですが 【私の亡き父も…“結核3回…”を、この「御教え」で、治りました。…が?
やはり!瞬間【心を強化…】して【病はない!!!】という【真理…】だけでの教えでしょうか?
亡き父の【真理への理解力】が、何処までで、あったのでしょうかと?今にして思いますと……
確かに、その強い精神力は、認めます。本当に【精神のコントロール】が“瞬間…”は出来まし
たのでしょう。ですから当然の事ながら…それで治りました。…が?【再度!また…再発!】な
のです。何故?何故?その様な事が〜〜〜同じ繰り返しが〜〜〜なのでしょうか???
この精神【持続性…】が??ある時?無くなってしまったのでしょうか?では?その【病は無い…】
この事に、到達しますには…「不安?恐怖心?」このような引っかかりの【心…法則】が〜><
潜在意識の何処かに?【こだわりの心】としてあるからなのでしょうか?【再発…】

■【宇治の練成会…参加】しまして…その時は“治った!”が?……また【再発…】これが、
一番多いのでは?その様に思える事が?何度かあります〜〜〜ョネ!

                   つづく

1636SAKURA:2012/11/11(日) 21:06:56 ID:jH5uEFzM
復興G様 へ
トキ様 ヘ
誌友会の皆様 ヘ
こんばんは……  ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1635の投稿の続きです。

■ こうして考えますと、やはり
【真理…】を、徹底的に“潜在意識”に入れ込む事が、一番大事なんのではないでしょうか??
こうして考えますと【心のトレーニング】が、必要になるのです〜〜〜ョネ!!
「病気はない!!」との訓練…この事は“神にすがる事”ではなく、甘えるのでもなく、
【私の心=神】なのです〜〜〜ョネ!……そうして考えますと、やはり!
❤〜【心を360度転回する事…】から始まる事ではと〜〜〜思うのです。…が?ふと!
今回は、「亡き父」のことを思い出してしまいました。

ブレイクしますが…私も…今現在【不景気…??】です。…が?これこそが〜〜〜この時こそ〜〜〜
【チャンス!到来で〜す】と…“心の映画館のスクリーン”に描いて、前に進む“軌道修正”なのですが?

「谷口雅春先生」がお悟りになられました時の一節に……
■【実相】は【物質はない】……【心も無い】という自覚をとおして、はじめて明らかに…で
しょうかと???此処からが【生長の家…御教え】の根本なんです〜〜〜ネ!!
今の私は、要約【物質は無い】と言うこの境地になってきています。…が?【進行形…】
これで…ようやく【生長の家…理解】しつつ〜〜〜とう言うこの頃です。当然【病も無い】…も含めまして!
そして【心も無い】…つまりは?“引っかかり…?”・“こだわり…”?という理解でしょうかと?思います。
当に【四無量心…の心】でしょうか……??改めまして、思った次第です。

皆様の“投稿…”を、楽しみながら“閲覧”させて頂きました時の、私自身の“想い”でしょうかと???
                                                         再合掌


                                           再合掌
PS
雅春先生が【360度回転…】と名付けておられますところの…
180度回転では今まで「ある」と思っていたものが、「ない」となった状態で、その180度回転の
『無の関門』を、もっと通りこして、もう180度回転して、360度回転して、モトへもどった時、形は
同じでも、中味が生まれかわったものになっているのです。
今まで「肉体が人間だ」と思っていたのに、「肉体は無い」と言われてビックリして、そこに引っ
かかっていては、180度回転です。ところが、そうか「肉体は無いのか」と、一度肉体を否定して
しまって、それでは何があるのだと、「肉体なし」を通りこした時、実相人間があるのだ、それは
「神の子」なのだ、と360度回転してしまいますと、形は同じ肉体人間のように見えても、中味が
すっかり入れかわって、「実相人間」、「神の子人間」を自覚して、今までと全然ちがった、新しい
「人間」として、生きることができるのです。…(抜粋文)…
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

この文章が目に留まりました時…「雅春先生…」の言葉の使い方に【感銘・・・・】した次第です。
当に【病は無い…】でしょうかと??
 
❤〜今回の私事の事情も含めまして、勉強の機会を頂きました事に感謝申し上げます。

1637a hope:2012/11/11(日) 21:09:41 ID:lAQRWvUs

復興Gさま
たくさんの素晴らしいご指導ありがとうございます。

先ず、
――――――――――――――――――――――――――――
≪生長の家は単なる唯心論ではなく、「唯神実相論」である≫
というのが、生長の家の究極の御教えですが、それでは
≪現象は自分の心の写しである≫
というのは、生長の家の教えとは言わないのですか?
――――――――――――――――――――――――――――
という、聖典板での神の子さんのご質問ですが、るんるんさまが生長の家の「縦の真理と横の真理」を、例にあげてくださって復興Gさまが「お釈迦様がお悟りになったときのお話」をしてくださり、丁寧に分かり易くご説明くださったので、わたしにもよく理解できました。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
>>1627
≪現象は自分の心の写しである≫というのも、もちろん生長の家の教えです。
しかし、それは、「現象あり」と思っている人には、いきなり「現象は本来無いのです」と説いても、「この通りアルではないか」と言って受け入れられないから、まずは方便説法として「心の法則」を先に説かれることもある。
しかし、「現象は影に過ぎない、それは本来ナイのである。神と神の創造し給うた完全な世界のみが実在する。今此処が神の国であり、すでに大調和している」というのが、生長の家の究極の教え(唯神実相論)であり、それを自覚したときはじめて、ただ喜び、ただ感謝する生き方ができて、「現象は自分の心の写しである」という「心の法則」が有効に働き、幸福になれる。

ここのところが、お答えですね。
復興Gさま、るんるんさま、ありがとうございました!
よく理解できて、すっきりしました。
きっと、聖典板でうのはなさまに質問された神の子さんも、同じようにすっきりされているのではないでしょうか・・・?

さらに、復興Gさまは、「不和の家と平和な家」の話の例えで、「小懺悔」と「大懺悔」についても、
とてもわかりやすくお話してくださいました。
こちらも、わたしはとてもよく理解できました。
ですが、その後のお話は、ちょっと難しいので、これからプリントアウトして、何度も拝読したいです。
(つづく)

1638a hope:2012/11/11(日) 21:12:08 ID:lAQRWvUs

(つづき)
ところで、みなさま
第8回web誌友会は今夜11時30分で一応閉会となります。
ですが、今回は、復興Gさまが沢山の「生長の家」の真理をお話し下さいました。
現在の、わたしたち「生長の家」信徒がなすべきこと、心掛けることなどたくさんご教授して下さっているように感じています。
わたしには、もっと時間をかけて読まないと本当に理解できない内容のものも多いです。
web誌友会終了後も、引き続きお勉強させていただくつもりです。
また、後日、質問などさせていただくかもしれません。
復興Gさま、その時は宜しくお願致します。

1639復興G:2012/11/11(日) 21:38:04 ID:vWpLkCzM

>>1635>>1636 :SAKURA様。
ご投稿、ありがとうございました。

人生、いろんなことがあります。

>>1618で a hope様が、聖典板から転写してくだいました、うのはな様の投稿文(『實相研鑽』第三集より)「自壊作用は魂を磨かれる機会」――というのも、考えさせられるものでした。

≪(聖典板)1422 :うのはな:2012/10/15(月) 12:05:53
   自壊作用は魂を磨かれる機会
 先生の御本に“自壊作用がこなくて、全てが整うというような甘い考えを持つな”というお言葉を拝見したことがございます。私宅にも、「神想観をやり、『甘露の法雨』を誦げているが何か調子が良くゆかない」という誌友さんがいらっしゃったのでございます。
 長いこと生長の家の本をお読みになっておられるそうですけれども、実はどこを読んでいるのか分らないような読み方だろうと思います。その場合、その人にそれだけの自壊作用があるということは、その人の魂を、今ここですばらしく研かれる機会が与えられたのだということを、先生は口がすっぱくなるほど、私達におっしゃっていただいております。
 私たちはややもすると、目の前の現象が整うことが何よりも良いことかの如く、考えがちでございます。けれども目の前に良いことが現われたのを良いと思うときは、すでに峠を越したときじゃないかと私は思っております。常に私達は、失敗とみえることに直面することによって、すばらしく研かれてゆくんじゃないかと、“自壊作用”に自分ながら感謝させていただいております。
(『實相研鑽』第三集 川野岩五郎氏 P88 谷口雅春先生監修)≫

――これは、良寛さんが
「災難にあう時節には、災難にあうがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候(良寛)」
と言われたご心境で、川野岩五郎氏が、おっしゃった言葉ではないかと思いました。

天外伺朗(てんげ・しろう)氏は、
「災難や逆境が、なぜ苦しみになってしまうかというと、直面することも受容することもできず、ジタバタとそこからのがれようとするからです。
つまり、災難そのものより、それを否定しようとする自らの心の動きが、苦しみの源泉だし、災難を人生のうえでの大きな災厄に育ててしまう元凶なのです。」

と言っています。“自壊作用”に感謝すれば、それは災難をのがれて幸福をよぶことになる、ということでしょうと思いました。それは、本来「実相独在」で、悪はナイ、夢幻のようなものだから、「恐れずに虎に立ち対(むか)えば虎はうなだれ、熊に立ち対えば熊は避けて後退(あとずさ)りせん」(聖経『続々甘露の法雨』)とある通りで、すべては魂の向上の機会なのでしょう。

ありがとうございます。

1640復興G:2012/11/11(日) 21:46:31 ID:vWpLkCzM

>>1637>>1638 :a hope さま。

ありがとうございます。
このweb誌友会で、いちばん勉強させて頂いたのは、私でしょう。本当に、ありがとうございました。
管理人のトキ様、お世話くださった a hope 様、その他ご参加くださって貴重なご発言をくださいました皆々さまのおかげです。

まだ1時間あまりありますが、今までだけでも、充実した、よい勉強ができたことを、感謝いたします。ありがとうございました。

1641a hope:2012/11/11(日) 21:51:04 ID:lAQRWvUs

>>1634復興Gさま

わたしの〝キリストは「求めよ、さらば与えられん」″の解釈は、やはり、考えすぎでしたか…(笑)
ちょうどそのころ、「最後の審判の神示」について、女子会板でみすはなまるさまとお話していたので、
こちらについても、考えすぎてしまったようです。
本当はわたしはどちらかというと、物事を直感で判断するタイプなので頭で深く考えるのは苦手なのです。
これからは、自分の直感を信じて、生長の家の聖典をしっかり心で拝読していきたいと思いました。

復興Gさま、御指導ありがとうございました。


>>1635 SAKURAさま!

ここ数日間、SAKURAさまの投稿がなくてどうされているかと思っていました。
今回もweb誌友会に参加してくださりありがとうございます!

お元気そうでなによりです。

1642a hope:2012/11/11(日) 22:06:21 ID:lAQRWvUs
復興Gさま、トキさま そしてみなさま 

閉会時間まで参加したいのですが、明日は仕事もありますので、
今夜はこれでお休みさせていただきます。

今回も、素晴らしい学びをさせていただいたことに心から感謝します。

みなさま、本当にありがとうございました。 
そして、おやすみなさい。

1643さくら:2012/11/11(日) 22:41:17 ID:e8ieIrPA
復興Gさま
トキ管理人さま
ご参加のみなさま

合掌ありがとうございます。
この度の誌友会におきまして、お言葉の一つ一つが胸を打ちました。

…初心に戻り、生長の家の信仰に出会えたことを、改めて誇りにも思えました。

この二日間、この板を開くたびに、練成を受けているみたいで、とても清まる気持ちがしましたし、……とても楽しかったです。
(復興Gさまの体験談も感動でした!)
原点に戻った気がして、自分を静かに振り返ることができました。

…改めて、日々の学びを大切にして、信仰の中心をしっかり確立することの大切さを思いました。

たくさん想いがありますが、
それを自分のなかで熟成できるよう、これから学んで行きたいと思います。

ご指導、心から感謝いたします。

ありがとうございました。

さくら拝

1644るんるん:2012/11/11(日) 22:56:58 ID:NS71OwS.
復興G様

出かけていて、帰ってきて 今、全部読ませていただきました。これから何回も読ませて頂きます。
沢山のご指導 いつも本当にありがとうございます。
(いつも、復興G様の大量の書き込みを読ませて頂いてるのに、読みっぱなしでろくにお礼も言わず、本当に申し訳ありません。)

a hope様
私のうまく書けていない文にそんな風に言って下さり有難うございます。
復興G様がちゃんとまとめてくださり、良かったです。

sakura様
360度回転 そうですね。
自分、そこまで回転できてないです。 物質無しはホントに難しいですね。

1645SAKURA:2012/11/11(日) 22:57:37 ID:jH5uEFzM
復興G 様 へ
トキ様 へ
a hope様へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
1635>> 1636の投稿の続きです…。

■復興G 様 へ

>>1639の“頂きましたお言葉”…感謝申し上げます……。
そうなのです〜〜〜ョネ!思わぬ“アクシデント…”“予期せぬ><…あり”でしょうか??
今回は「人生は…ドラマ」全てに“無駄”という事は、ないモノと改めて思いました次第です。
更に「復興G 様…資料」を、閲覧しながら、時間の合間にて“投稿”させて頂きます。

■a hope様へ

>>1641の“お返事の投稿”から…
「a hope様」の投稿…ゆっくり閲覧させて頂きまして…改めて感じました事を・・・
“投稿”させていただきたく思いました…。
そして…明日の“お仕事…”のため…“お休み”されますとの事…お忙しそうで何よりです。
朝夕の寒暖の差…厳しく感じますこの頃ですので…くれぐれも体調に気を付けられます様…
【お祈り…】申し上げます。
                                 再合掌

1646SAKURA:2012/11/11(日) 23:18:32 ID:jH5uEFzM
復興G 様 へ
トキ様 へ
ルンルン様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1635>>1636>>1645の投稿の続きです…。

■ルンルン様 へ
こんばんは… そうなのです〜〜ョネ!今回は私事にて…時間調整が出来ませんでしたので……
この事も【肉体人間…】という事が、何処かに?“引かかつて”いましたのでしょうか?
【無 限 力】が〜〜〜>< 私も【180度回転の…肉体人間】でしたかしら〜〜〜ン!
今改めて【360度回転…人間】へと…

■雅春先生の言葉からの抜粋…
雅春先生が【360度回転…】と名付けておられますところの…
180度回転では今まで「ある」と思っていたものが、「ない」となった状態で、その
180度回転の『無の関門』を、もっと通りこして、もう180度回転して、360度回転
して、モトへもどった時、形は同じでも、中味が生まれかわったものになっているのです。
今まで「肉体が人間だ」と思っていたのに、「肉体は無い」と言われてビックリして、そこ
に引っかかっていては、180度回転です。ところが、そうか「肉体は無いのか」と、一度
肉体を否定してしまって、それでは何があるのだと、「肉体なし」を通りこした時、実相人間が
あるのだ、それは「神の子」なのだ、と360度回転してしまいますと、形は同じ肉体人間の
ように見えても、中味がすっかり入れかわって、「実相人間」、「神の子人間」を自覚して、今ま
でと全然ちがった、新しい「人間」として、生きることができるのです。 (一部抜粋文)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

「雅春先生の言葉の表現」素晴らし〜〜〜イ!と【感激…】ひとしおです。
引き続き「復興G様」の今回の資料を…勉強させて頂いております…。
                                   再合掌

1647復興G:2012/11/11(日) 23:34:55 ID:vWpLkCzM

さくら様
るんるん様
SAKURA様
コメント、ありがとうございました。うれしく、感謝いたします。
「360度回転」ということも、あらためて考えさせられました。ありがとうございます。


 皆さま、web誌友会はお開きの時間となりました。
 締めくくりとして、聖経『真理の吟唱』より、「繁栄と健康と幸福を得る祈り」を謹写拝読し、皆さまのご家庭の幸福を祈り、祝福しまして、お開きとさせていただきたく思います。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

(谷口雅春先生『真理の吟唱』より)

「繁栄と健康と幸福を得る祈り」

 わたしは神の子である。一切の現象界の喧噪(けんそう)を超えてわが心ひたすら神に向かうのである。静けさの中にわたしは現象を超えて神に直接触れるのである。而して神より、生命と愛と力と勇気と智慧のインスピレーションを受けるのである。

 かくてわたしは必要に応じて神から適切なるアイディアを受けとるのである。新しき有効なるアイディアはわが脳裡(のうり)に閃(ひらめ)くようにあらわれる。わたしはそのアイディアを見のがすことなく、聴きのがすことなく、直ちに実行に移すのである。アイディアは実行に移さなければ煙のように消えてゆくものである。それは実相世界より出で、現象界の時間空間の世界に種まかれる。時間空間の世界にそれを発芽させ、生長させ、花をひらかせるのは、人間の役目であるのである。もし人間が実相世界からアイディアを受けながらそれを発芽させ栽培し、生長させることがなければ、アイディアの種子は実相世界へ還り行くことになるのである。

 わたしは今、心をひたすら神に振り向け、実相世界のアイディアに波長を合わせて、あたかも優秀なるテレビ・セットに、放送番組を受像するが如く、天国の状態をわが住む世界に実現するのである。それゆえ、神の聖なる計画は着々としてわが住む世界に実現し、わが行くところに必ず地上天国は実現するのである。

 わたしは今、地上に天国を建設する使命を受けて地上に降誕した天使であるのである。わたしは、愛語と讃嘆と和顔とによって地上に天国を建設するのである。わたしは万物に感謝し、万物を讃嘆し、万物を祝福する。私に讃嘆されたるものは必ず讃嘆されるにふさわしい実相の善さを発揮し、わたしに祝福されたるものは必ず祝福の功徳によって健康となり、繁栄し、悲しみは消え去り、悦びはくるのである。それゆえに私は健康の天使であり、繁栄の天使であるのである。

 わが権威は神より来るのである。わが権威と能力とは神より来ることを知るがゆえにわたしは決して傲慢にならないのである。わが能力は、わたしが神の導きに対して、最も謙虚にへりくだりて従順に随いたる時に最もよく発揮せられるのである。

 わたしは体験を通して神への従順は人間の権威であることを知るのである。それゆえに、われ常に自己を空しくして神の導きを受け、受けたる導きはすぐそれを実行に移して、一歩一歩この世界に地上天国を建設するのである。

 神はわが一歩一歩を祝福し給う。それゆえにわたしの行為は誤ることなく適確に功を奏するのである。神に感謝し奉る。ありがとうございます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

◇◇◇世界平和の祈り◇◇◇

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い
すべての人々の心に、愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

◇◇◇光明思念の歌◇◇◇

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ありがとうございました。

1648如月:2012/11/12(月) 09:12:59 ID:ki/haAjk
>>1608 復興Gさま

長時間に渡る御指導ありがとうございます。

また、真理に触れて悪循環から抜け出せた事を祝福下さいましてありがとうございます。
もう一歩進んで病気無しにたどりつくというのが課題です。

難しく思いましたが、a hopeさまが>>1637でおっしゃってたように私にもよく理解できて
すっきり致しました。 復興Gさま、るんるん様、ありがとうございます。

藤原俊之先生で [すべてを癒やす道] で
『方便が必ずしも無用であるというのではありません。真実に至る過程を方便というのであります。
また、本当に救われるためには、自我的努力を必要としないのでありますが、しかしそれが解るのは
自力にかぎりを尽くしてみた者にだけ判る結論なのであります。
やってみないで必要か必要でないかという結論は得られません。食べてもみない者に
おいしいかおいしくないのかの答えは得られないのと同じであります。
釈尊が”苦行は悟りの因にあらず”と結論さられたのは、人間力をその限界まで出し切ってみられた
からであります。 私達は幸いにも谷口雅春先生によって、廻り道しないでも、真理に到達出来る
最高の近道をお示しいただいております。 ”我れ神の子”の自覚に徹し、ただ喜ぶだけで救いを
成就できるという天国、極楽への最短距離の教えをいただいたのでありますから、素直に受ける
だけでよろしいのであります。』 とお書きくださっています。

どうも私は廻り道をしているようですが、今回の誌友会でかなり理解できました。
でも、まだストンと入って来ない自分が残念です。

1649トキ:2012/11/12(月) 09:17:14 ID:8IqGrmKY
 復興G様

 長時間、丁寧なご指導を賜り、深く感謝申し上げます。
 この掲示板の全ての閲覧者様にとって、きわめて有益な誌友会だったと確信をしています。

ご多忙の中、貴重なお時間を頂戴し、ありがとうございました。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1650如月:2012/11/12(月) 09:26:02 ID:ki/haAjk
>>1609 みすはなまる様

金子哲雄さんの遺書をご紹介して下さいましてありがとうございます。
最近テレビに出てきた人なのに、往年の俳優が亡くなられた時以上に
ネット上では話題になり、皆が彼の死を悼んでいたのが印象的でした。

何とも言えない魅力がある人だったのですが、流通の情報を集める彼が
実はあの世の情報を集めていたのではないかと思えるような遺書でジーンと来ました。
生き通しと教えられても悲しいです。

その話とは別になりますが、みすはなまる様がこの掲示板を見て下さっていたた事がわかり
とても嬉しく思っています。 どうか、これからもお願い致します。
私がパニックになった時に優しく御指導いただきましたが、まだまだ不安定な若輩者ですので
見捨てずにお願い致します。

1651如月:2012/11/12(月) 09:37:54 ID:ki/haAjk
SAKURAさま

誌友会が始まる前にパートナーの親御さんの介護問題…と書かれていたので
今回はご参加が無理なんだろうなと思っていました。
しかし、調整してご参加下さいましてありがとうございます。

【360度回転】
これが新生ということなのでしょうか。 
私もSAKURAさまと同じく進行形ですが、もっともっと後ろを歩かせていただいています。
しかし、【全てに“無駄”という事は、ないモノ】というのは本当にそう思います。
私もスクリーンにいっぱい描いて前進して行きます。

1652復興G:2012/11/12(月) 10:57:26 ID:vWpLkCzM

トキ様、ありがとうございました。トキ様のおかげで、このような有意義なweb誌友会の場が与えられ、
これは神に導かれた場であると思わせて頂きます。ありがとうございました。

如月様。
昨夜の締めくくりの「世界平和の祈り」は、前の誌友会で如月様がアップしてくださいましたのを、コピペ
させていただきました。ありがとうございました。それがまことにぴったりとふさわしい形におさまっています。
これも、大いなる 見えないものに導かれてできたような気がします。

皆々さま。
私も、今回の誌友会の記録を読み返してみて、私が書いたものも、私が書いたのではなく、大いなるものに
導かれて書かせて頂いたような気がします。私も、それを拝読して肝に銘じてこれから生きて行こうと、深い感銘をもって
読み返しています。
(自分が書いたものではないような気がするので、「拝読」と書きました。)
ありがとうございます。

1653復興G:2012/11/12(月) 13:13:20 ID:vWpLkCzM

昨日の朝、アップしました「ひとつの朝」という合唱曲は、昭和53年と59年の2回、NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部 の課題曲だったそうで、たくさんの高校生をはじめ教育関係者などが一所懸命うたった歌のようです。だから、YouTube にもたくさんの演奏がアップされています。

ということは、たくさんの人々が、

「さあ 方舟(はこぶね)に乗って 旅立とう あのノアたちのように 旅立とう」

と、一所懸命うたったということです。

「ノアの方舟」の話は、旧約聖書に出てくる物語ですから、この歌の作詞者はクリスチャンか、少なくとも宗教的素養のある人でしょう。もしかしたら、生長の家、『生命の實相』を読まれた方かも知れません。

この歌をたくさんの人々が歌っているということは、多くの人たちの魂が、ノアの方舟すなわち神の教えの船に乗りたいと願っているのだ――そう私は思いました。人はみんな、自覚しようとしまいとにかかわらず、神の子であって、誰しも、宇宙の真理、万教帰一の救いの願船、生長の家の教えを求めている。生長の家は、万人を救う大乗の船ですから――。

>>1614で、a hope さまが、
>>わたしはいつの日か、復興Gさまや、如月さま、またこの掲示板のみなさまと一緒にこのような素晴らしい歌を歌えたらどんなに素敵でしょうね!<<

と書いてくださいましたが、掲示板の皆さまとは近未来に、そしてやがては全世界の人たちと共に、「みんなのハーモニー」の歌も、歌える日が来ることを夢見、願いながら、ハーモニーの輪を広げていこうと思っています。

1654復興G:2012/11/12(月) 13:50:58 ID:vWpLkCzM

10日(土)夜、>>1610でアップさせていただきました、
「みんなのハーモニー」の歌について、思うことを投稿させて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   「みんなのハーモニー」

 プロローグ
  みんなで うたうと
  たのしくなるよ
  こころのてを つなごうよ

1.あなたの声 私の声
  みんなの声を合わせて
  世界でただひとつの
  花束(ブーケ)を作ろう
  子どもたちも 大人たちも
  歌おう 思いを歌に乗せ
  世界のみんなに届けよう
  ハーモニーのブーケを

    時空を越えて
    分かち合えるもの
    それはすてきな音楽
    歌う喜び

2.横糸はメロディ 縦糸はハーモニー
  みんなの心を織りこみ
  世界でただ一枚の
  ショールを作ろう
  子どもたちも 大人たちも
  歌おう 思いを歌に乗せ
  誰かの肩にそっと
  ハーモニーのショールを

    時代を越えて
    受け継がれるもの
    それはすてきな音楽
    歌う喜び

3.この胸の思い
  歌の翼に乗せて
  大空に放とう
  涙も微笑みもみんな
  七色に輝き
  子どもたちの 大人たちの
  頭上に高く広がり
  明日へと続く虹となる
  ハーモニーの架け橋に

  届けみんなのハーモニー
  歌は心のメッセージ
   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

この、
「時空を越えて 分かち合えるもの それはすてきな音楽 歌う喜び」

「時代を越えて 受け継がれるもの それはすてきな音楽 歌う喜び」

の、「音楽」というところを、心の中では
≪『生命の實相』の教え≫と置き換えて歌ってもよいのではないかと、私は思いました。

「歌う喜び」は、「学ぶ喜び」と思ってもよいし――。

榎本恵吾講師も、『生命の實相』に書かれている御文章は、喜びの音楽のようだ。その喜びのこころ、響きを、魂で感得しながら読むべきだ、と言われたましたよ。

1655トキ:2012/11/12(月) 15:25:58 ID:8IqGrmKY
 戦争が終わった後の話ですが、日本海軍の部隊がイギリスの収容所に入れられました。
戦争が終わった直後ですから、イギリス兵と日本兵の間にはトラブルが絶えず、険悪な雰囲気が
流れていました。

 その時に、日本海軍の主計士官が、歌の上手い兵隊を集めて、合唱団を作りました。最初は
竹やぶの中で練習し、レパートリーの中に、イギリスの民謡も入れました。そして、夜中、イギリス兵
の宿舎の近くで練習した歌声を披露しました。

 これが毎日続くと、イギリス兵の態度が段々と軟化し、トラブルが少なくなってきました。ある夜、
イギリス軍の司令部でパーティーがあり、頼まれて日本海軍の合唱隊が歌声を披露すると、大好評。
 その後、収容所の周囲を囲んでいた有刺鉄線がなくなり、監視所から機関銃が消え、あちらこちら
で日本兵とイギリス兵が交流する場面が見られるようになったそうです。

 そんな話をふと思い出しました。

1656みすはなまる:2012/11/12(月) 16:08:13 ID:BUfrVyJk
>>1650 如月様

もしかしたら、既に如月様はご存知でらっしゃるかもしれないと思いつつ、何かしらお役に立てばと添付させて頂いた次第です。

ときどき、この掲示板を閲覧させて頂いております。

最近は、雅春先生の御著書を前に真剣にどれだけ拝読し、神想観を行じているだろうかと、いたらなさを実感しております。
ただ、行じ日々生活に生かし実践していきたいと思う今現在です。

日々寒さを増す中、大自然の絵画を山々を見つつ観じる今日この頃です。
どうぞ、如月様、皆様方…御身体を大切にお過ごしくださいませ。

感謝 合掌

1657復興G:2012/11/12(月) 16:23:42 ID:vWpLkCzM

>>1655 :トキ様。

映画にもなった「ビルマの竪琴」を思い出しますね。

1658復興G:2012/11/12(月) 16:41:28 ID:vWpLkCzM

>>1656 :みすはなまる様。

横からになりますが、ご投稿、ありがとうございます。
この掲示板をときどき閲覧して下さっているそうで、ありがとうございます。

>>最近は、雅春先生の御著書を前に真剣にどれだけ拝読し、神想観を行じているだろうかと、いたらなさを実感しております。ただ、行じ日々生活に生かし実践していきたいと思う今現在です。
日々寒さを増す中、大自然の絵画を山々を見つつ観じる今日この頃です。<<

かつて、『理想世界』誌に谷口雅春先生が、次のような祈りの言葉をお書き下さったのがありました。

   * * * * *

神よ、荘厳にして美しき緑なす丘、
透きとおる蒼空(あおぞら)に漂う白き雲、
山々の樹々に囀(さえず)る小鳥の歌、
清冽(せいれつ)なる渓流に泳ぐ金鱗銀鱗(きんりんぎんりん)、
万物はあなたの影を宿して生き生きと輝いています。
あなたの輝きをもて人類の心を照らしたまえ。
すべての人類が争うことなく
唯一つの神の生命の岐れ(わか)なることを自覚し
互いに手をつないで
み心が既に“実相の世界”に成るが如く
現象の世界にも、至福平和の世界が実現いたしますように、あなたの無限の愛をわれにそそぎ給え。

   * * * * *

私はこの祈りの言葉が大好きで、記録してあるんです。
共に、祈りつつ実践してまいりましょう。
ありがとうございます。

1659トキ:2012/11/12(月) 18:33:11 ID:8IqGrmKY
>>1657

 確かにそうですね。

1660さくら:2012/11/12(月) 19:21:56 ID:sLdinDjY
>>1658

…よこのよこからになり、失礼いたします。

美しい祈り…ですね。

唱えると、自分のうちに、万物の生き生きした命が息づいて、
それが、外へ外へと広がるような、清々しい気持ちになりました。

良き祈りを教えて下さり、ありがとうございます。

感謝合掌。

1661SAKURA:2012/11/12(月) 20:35:32 ID:I9yDgPHk
復興G 様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1647の“お言葉”ありがとうございました。
昨日の【閉会…】での“お祈り…” ■「繁栄と健康と幸福を得る祈り」
正直申しますと“感激の言葉”でした。

…と申しますのは
■>かくてわたしは必要に応じて神から適切なるアイディアを受けとるのである。新しき有効
なるアイディアはわが脳裡(のうり)に閃(ひらめ)くようにあらわれる。わたしはそのアイディアを
見のがすことなく、聴きのがすことなく、直ちに実行に移すのである。アイディアは実行に移さ
なければ煙のように消えてゆくものである。それは実相世界より出で、現象界の時間空間の世界
に種まかれる。時間空間の世界にそれを発芽させ、生長させ、花をひらかせるのは、人間の役目
であるのである。もし人間が実相世界からアイディアを受けながらそれを発芽させ栽培し、生長
させることがなければ、アイディアの種子は実相世界へ還り行くことになるのである。<(抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■本当に、混沌としました現状…素直に「神の方へアンテナ…を向けまして、メッセ−ジを
受信出来る様」に、子供の様な素直な“心…”にて【神様へ全托…】する事に…
【こころ=>意識…】を、向けています…。
そうしますと…夜など…“神様からのメッセ−ジ”を、受信できるかと??思い【お祈り…】
させて頂きました。本当に“6感?”頂きますモノ〜〜〜ですネ!そう感じます。
そして、今後もこの素敵な“祈りの言葉”を…実行させて頂きます…。

❤〜遅くなりましたが…【WEB誌友会…】大変お世話になりました事に、感謝申し上げます。

                                   再合掌

PS:
「復興G様…」から頂きました“WEB関連資料”での、若輩者の私の“感じました事”を、
引き続き…マイペ−スにて投稿させて頂きます。宜しくお願い申し上げます。

1662SAKURA:2012/11/12(月) 20:37:21 ID:I9yDgPHk
トキ様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

私事にて…時間調整(パ−トナ−の介護関係にて…)がうまくいかなく…
参加が〜〜〜残念な思いでしたが…当に!滑り込み“セ−フ”にての参加でしたのです。…が?
皆様の“投稿”を、閲覧させて頂きながら、新たなる【再発見!】が…厳密に申しますと、多々
ありましたでしょうか〜〜〜?
本当に…この度の…【WEB誌友会】お世話になりました…。”感謝…”

                                  再合掌

1663SAKURA:2012/11/12(月) 21:07:52 ID:I9yDgPHk
如月様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

大変、御無沙汰いたしております…。今回は?私事にて【WEB誌友会】参加が〜〜〜><
滑り込み“セ−フ”でしたのです。お元気そうな“いつもリズム感〜♫〜”の
「如月様の投稿言葉…」ついつい“笑いの種”を……いつも“いただいて〜〜〜ます!”

>>1651の投稿の中から
>もっともっと後ろを歩かせていただいています。<  (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■「360度回転…」…私も“忍者…伊賀のかげ丸”までには到達…していませんが???
“後ろ??”これって…ややもしますと【他力心願?】になるのでは〜〜〜?(言葉遊び?)
これではいけないと思いますので…【自力心願…内部の新生開発】での【360度回転…】に
なるため「心のイメ−ジトレ−ニング!」トライ!です。
この解釈論?如何でしょうかしら〜〜〜ン??
 
>>1648の投稿の中から…
■>私達は幸いにも谷口雅春先生によって、廻り道しないでも、真理に到達出来る最高の
近道をお示しいただいております。 ”我れ神の子”の自覚に徹し、ただ喜ぶだけで救いを
成就できるという天国、極楽への最短距離の教えをいただいたのでありますから、素直に
受けるだけでよろしいのであります。』<   (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
現在の私は【ア〜〜〜ッ!失敗では??】と思う事も…多々あります。…が? この頃では…
この【廻り道】…これも又!ある面では〜〜〜いいじゃないの??「楽観主義」なので〜〜す。

最終的には、あの【ウイニング・ゴ−ル】目指し…その様に思える様になりましたかと??
                            
                            再合掌

1664復興G:2012/11/13(火) 09:41:32 ID:vWpLkCzM

>>1663 SAKURA様

>>現在の私は【ア〜〜〜ッ!失敗では??】と思う事も…多々あります。…が? この頃では…
この【廻り道】…これも又!ある面では〜〜〜いいじゃないの??「楽観主義」なので〜〜す。

最終的には、あの【ウイニング・ゴ−ル】目指し…その様に思える様になりましたかと??<<

ありがとうございます。そうですね。失敗も成功のもとですよね。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「困難を克服して伸びる祈り」 (谷口雅春先生『真理の吟唱』より)

 神は宇宙の本源であり給い、自己の内に“無限”を包蔵し給うのである。宇宙の一切のものは、神の無限の内容が、時間空間の枠を通して逐次に展開し行く姿であるのである。それゆえに今日は昨日よりも一層よく、明日は今日よりも一層よくなることは間違いないのである。

 たとい一時、暗黒の状態があらわれようとも私は決してそれについて悲観することをしないのである。暗黒と見える時にも生命の生長の営みは行われているのであって、植物は、夜のうちに一層伸びるということである。われわれの魂も、境遇が苛辣(からつ)であり、周囲の一切のものがただ暗黒に閉ざされていると見える時には、かえっていろいろの反省や努力が行われて、明るい幸運にめぐまれている時には、ないがしろにせられていた魂の部分が一層伸び且つ向上し進化するのである。肉眼には明暗の二相があるかのように見えているけれども、魂にとっては、明暗ともに、生長と進歩との機会なのである。悪しきものは宇宙のどこにも存在しないのである。

 “悪”は本来存在しないのであるし、失望落胆すべき事情も決して存在しないのである。わたしの希望は、神の希望がわたしという噴出口を通して、実現して来ようとしている衝動であるのであるから、その希望は自分自身の卑怯な臆病な躊躇逡巡(ちゅうちょしゅんじゅん)をもって妨害しない限りは必ず成就し実現するのである。「不可能」という語は、それが他の人々に不幸を与え迷惑を蒙らせるような願いでない限り、あなたの「生活の辞書」には存在しないのである。

 私は今日より後、一切の卑怯な躊躇と臆病な逡巡とに別れを告げるのである。私は勇敢に希望実現の道を歩む。神が導き給うのであるから、決して道に迷うことはないのである。私は一切の不幸や災厄や病気や貧しさに対して別れを告げるのである。なぜなら、そんなものは本来“神の子”には存在しないのであり、それはただ“迷い”の影に過ぎないからである。

 私は今、“人間・神の子”の真理を、以前よりも尚一層明らかに覚ったのである。この真理の光に照らされて私は光の中を歩むのである。真理の光の照り輝くところ闇は姿を消すのである。

 私は光に照らされて、神の示したまえる大道を歩むがゆえに、私の行く先はことごとく神の光に照らされて、暗きは明るくなり、険しきは平らかとなるのである。

 私は神を信じ、神の導きを信じ、つねに神の叡智を受けて進むがゆえに、わが心は疑いの念に一瞬でもくらまされるということはないのである。

 神に導かれるわれわれ家族にとっては、明日についての思い煩いも心配も不安もないのである。神の光に照らされて人生の大道を歩む私たちは誠に幸福なるかなである。神に深く感謝し奉る。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ありがとうございます。

1665復興G:2012/11/13(火) 15:07:45 ID:vWpLkCzM

 もう一つ、「人生の苦難を克服する祈り」を謹写拝読させて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     人生の苦難を克服する祈り

 私たちは神の子である。私たちの家は“神の子”たちの住む“神の国”なのである。神はその全智にして全能なる力をもって私たちを愛し給い導き給うのである。

 神の愛は近視眼的愛ではなくて遙かに前途を見越して、有終の美を飾る如き結果をわれらに与えたまうのであるから、現在の状態がたとい如何なる状態であっても私たちは神に対する信頼を失うということは絶対にないのである。

 神は常に、その全能なる力をわれらに授け給い、全智なる智慧によって私たちを導き給う。神の護りは完璧にして、神の導きは完全であるから、私たちは常に迷うことなく、神の“内からなる導き”に全托して、大安心のもとに行動することができるのである。

 神は常に最も良き道を知り給う。神は時に困難な道をわれらに示し給うことがあるけれとも、それはその困難の岩盤の下に素晴しい宝鉱が埋蔵されている時に限るのである。そのような時、困難を困難としないで、困難の岩盤を掘鑿(くっさく)して行くならば、われらは露頭(ろとう)にはみられない素晴しい宝鉱に到達することができるのである。

 それゆえに私たちは決して困難を避けようとはしないのである。神は石油でも金鉱でもダイヤモンドでも、何らの労作もなくして誰でも汲み出し、誰でも拾えるような、手近な地表には置き給わなかったのである。大なる宝庫は、困難に打ち勝つ勇気と忍耐とをもって努力する者にのみ、その報酬として与えられることになっているのである。

 努力を通してのみ価値あるものが得られるように神がこの世界を計画しておられることは、努力を通してのみ、人間の魂の能力は進歩し向上するからなのである。
 初等科の学科は容易(たや)すくしてそれを学ぶに努力を要しないけれども、深遠なる真理は、初等科の容易(やさ)しい学科だけでは得られないのである。上級に進むにしたがい、学科は次第に困難となる代りに、その蘊蓄(うんちく)する真理はいよいよ宏大深遠なるものとなるのである。困難なるもののうちにこそ蘊蓄が多いのである。

 しかし人生においてわれらに課せられる学科は決して、われらの、その時の発達の程度において到達解決できないような困難なものではないのである。自分の魂の現在の発達の程度に応じて、努力さえすれば掘鑿できる程度のちょうど適当な困難さが用意されているのである。
 だから一見如何に抜きがたき困難と見える事態に遭遇しようとも、結局それらは私たちの克服し得る力量の範囲内にあるのである。それゆえに私たちは困難を決して恐れないのである。

 レジャー多すぎれば人は却って困難をつくってそれに挑戦する、そして奥穂高で遭難し谷川岳で遭難する。しかし私たちは、もつと生き甲斐のある人生行路の峻峰(しゅんぽう)に挑戦して、ついに困難を克服することを喜びとするのである。この力と自覚を与え給うたことに対し神に感謝いたします。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ありがとうございます。合掌

1666みすはなまる:2012/11/13(火) 17:12:51 ID:Nc8s0Epk

>>1658復興G様

素晴らしい雅春先生のお祈りを、ありがとうございました。

浄円月観を連想いたしました。

感謝合掌

1667復興G:2012/12/04(火) 22:50:48 ID:vWpLkCzM

合掌 ありがとうございます。

  <第9回WEB誌友会予告>

≪日時≫12月7日(金)21:30より
    12月9日(日)23:30まで
≪テキスト≫『生命の實相』第2巻「實相篇 光明の真理<下>」  p.51〜p.98
≪内容≫ 第2章 無礙自在の「生命の本性」を発揮せよ

で開催させていただきますので、皆さま、それぞれお忙しいことと思いますが、空いたお時間に、お気軽に、『生命の實相』の勉強にご参加ください。

 テキストの『生命の實相』第2巻を拝読して真理を学ぶことが目的です。自己主張や論争が目的ではありませんので、よろしくお願い申し上げます。合掌

1668a hope:2012/12/05(水) 07:25:13 ID:ueIDSztA
復興Gさま トキさま

第9回誌友会を開催してくださり、ありがとうございます。
今回も自分のペースで参加させていただき、「しっかりと「生命の實相」の真理を学ばせていただきます。
どうぞよろしくお願い致します。


わたしの愛する「生長の家」のみなさま

また、みなさまと「生長の家」の聖典、「生命の實相」をお勉強出来て幸せです。
「生長の家」に出会えたこと、みなさまに出会えたことに心から感謝しています。

感謝 合掌

1669トキ:2012/12/05(水) 16:36:05 ID:/N.xbRE.
>>1667

 ご教示、ありがとうございました。

 皆様のご参加を心からお待ち申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1670復興G:2012/12/07(金) 17:22:42 ID:vWpLkCzM

皆々さま

合掌 ありがとうございます。

本日、12月7日(金)21:30より
    12月9日(日)23:30まで
  <第9回WEB誌友会> を開催させていただきます。
≪テキスト≫は『生命の實相』第2巻「實相篇 光明の真理<下>」  p.51〜p.98
≪内容≫ 第2章 無礙自在の「生命の本性」を発揮せよ

です。

過去数回、テキストの該当部分を全部謹写して「聖典引用板」にアップさせていただいていましたが、全文アップは著作権問題がありますので控えさせて頂いて、今回より、特に話題として取り上げたい部分だけを少しずつ、ここにアップさせて頂くことにいたします。

皆さま、それぞれお忙しいことと思いますが、空いたお時間に、お気軽に、『生命の實相』の勉強にご参加ください。

1671復興G:2012/12/07(金) 17:25:39 ID:vWpLkCzM

≪テキスト 『生命の實相』 頭注版 第2巻「實相篇 下」より (1)≫
---[Page 71]---

    白墨の線も自分を縛る綱だと思えば動けなくなる

 鶏を静かに抱いて少しもその翼や足をバタバタすることができないように抱きすくめ、それを床の上に横に置いて、眼のところから床の上に白墨で一直線を引いて静かに手を離しますと、その鶏はもう起き上ることができないのであります。これはふつう、鶏に催眠術を施す方法だといわれておりますが、鶏が動けなくなったのは決して催眠術によって鶏本来の力が奪われたのではないのであります。鶏の力は外からは誰も奪っていない。鶏自身はチャンと元々どおりの力をもっている。しかしその鶏は、自身がいったん、ちっともバタつくことができないように抱かれて床の上に置かれ、あげくの果てに、目の前にありありと自分を縛りつける紐のような白線を見た、しかもその白線がジッと自分を縛りつけているらしく、なおも依然として目の前にある、そのために鶏は「今自分は縛られている」と信じ、その「縛られている」という迷いの考えに「心」が引っかかって、生まれつきの自由自在な活動ができないで起きる力を失ったのであります。

 鶏は白墨の線を見て、それが自分を縛る紐だと信じたがために、自由に起きて歩き廻ることができないのでありますが、われわれ人間はそんなバカなことにだまされはしない

---[Page 72]---
かというと、必ずしもそうではない。人間は複雑な知恵をもっておりますから複雑にだまされるのであります。われとわが学問、われとわが知恵にだまされるのであります。病理学という学問にだまされ、衛生という知恵にあざむかれ、黴菌という微生物が自分の身体に侵入したとか、不治の癌腫であるとか、その他いろいろの医学上の不治症だと宣言されると、ちょうど一本の白線を目のところから引かれた鶏のように、その生活力が立ちすくんで、出るべき生活力も出ずにズンズン衰弱してゆく。こんな人は実に危険な立場にある、ぜひとも速く真理を知らしてあげねばならぬ。あまり衰弱してしまうと生命の真理の本を読む気力すらなくなる。こうなったら、真.理はありながらその人の心に入らず、光は照らしていながら心の扉が閉まっていてその人を明るくすることができないのであります。

 無限に生きる力はありながらもわれとわが誤れる信念で生活力が立ちすくんでしまう。起き上がる力はありながらも、一本の白墨の線に心が引っかかって起き上がることができない病人ほど実にかわいそうなものはない。どうしても病人に本当のことを知らしてあげたい。病気は無い! それは白墨で心に描いた線だ。じっさいそれはわれわれの生活力を縛る紐ではないのだ。このことを病人に知らしてあげたい。

 白墨で描いた線に縛られたつもりになっている鶏は、その白墨の線を消せばたちまち起き上がる。それと同じように、医者の診断や、徴菌が伝染(うつ)るなどという病的観念の白墨で、八方から縦横に描かれた

---[Page 73]---
線に縛りつけられたつもりになって、いくらでも出せば出る生活力を自分の「心の迷い」で出ないようにしている病人には、医者の診断や、黴菌病原説がけっして本当の実在を示すものではないぞ、医者は心の迷いの影が、肉体という鏡のここにこう映っているということを診断するだけであって、何もそこに本当には病気というものが実在するのではないぞということを知らしてあげることができれば、たちまちその病人は白墨の線を消されて起き上がる鶏のように起き上がるのであります。

 先日生長の家の二月の例会のあった時に、和歌山の井内章二君が来られての話に、同君の親しい友人に、長い間ある慢性病にかかって熱がなかなか下がらなかった人があったので、雑誌『生長の家』の(第一集)第六号を一冊送ってあげたら、それを読むと急に熱が下がって気分がよくなったといってその人から喜んで来られたそうであります。

 「自分を縛りつけている病気というのは本当の紐ではない白墨の線なのだ。その病気というのを本当の紐だと思うものだから自分は起き上がる力を失つてしまっているのだ。白墨の線そのものに自分を縛る力はない。縛る紐がここにあるという迷いの心、病気がここにあるという『迷いの心』が自縄自縛となって自分の天から授かった本然の生命力を弱らしていたのだ。なるほどそうであった。自分の生命は神よりこれを享く、病気になるはずはないのであった。」こう豁然大悟せられた方は、真理の書籍を一冊読むだけでも効果があらわれて来るのであります。

 しかし、真理の書籍を
<つづく>

1672復興G:2012/12/07(金) 17:26:36 ID:vWpLkCzM

≪テキスト 『生命の實相』 頭注版 第2巻「實相篇 下」より (2)≫

---[Page 74]---
読んでもそう端的にパッと真理がわかる人ばかりではない。「あんなにあの人はこの紐を白墨で描いた線だというけれども、白墨で描いた線なら、始めから自分をこんなに縛っているはずはないではないか。今まで自分が縛られていたということが、この紐が白墨の線でない証拠である。」こんなことを考えて、なおその白墨の線を本当の紐だと疑っている間は、いつまでたってもやはり白墨の線に縛られていなければならないのであります。

 それと同じことでありまして、「この本には病気は心に描いた影だと書いてあるが、影ならばじっさいに自分が衰弱するはずがない、こんなにじっさいに咳が出るはずがない。それだのに、こんなにじっさい頭が痛いではないか。こんなにじっさいに熱が出ているではないか。このじっさいが影であるはずはない。」こういう疑いを心に懐(いだ)いている人は自分の現在の動けない容体を証拠として、白墨の線を実際の紐だと主張する鶏と同じであります。

 自分の現在の容体は、自分の「心の迷い」――鶏ならば「自分を縛る紐が実在する」という「心の迷い」、人間ならば、自分を病気にする力をもった何かが自分のほかにあるという「心の迷い」――の影でありますから、「心の迷い」の影をもって自分を縛る紐や病気の客観的存在を証拠だてるわけにはゆかないのであります。

    自分の心以外に自分を病気にする力のあるもの無し

---[Page 75]---
 たいてい病人というものは、自分を病気にする力をもった何かが自分以外にあって、それが何か自分に禍いしているように考えたがるのでありますが、じっさいは白墨の線に縛られた鶏と同じで自分の「心」以外に自分を病気の容体にするものはないのであります。つまり「心」がある一つの「迷いの念」にひっかかって生命本然の自由性を失うところに、その「心の影」としていろいろの病気の症候があらわれることになるのであります。

 漠然として病気にかかったその時に、医者に診てもらって、ここがこう悪いぞと宣言してもらうことはハッキリと目に見えるところに白墨の線を引いてもらうことになるのであります。

 たとえば、あなたの病気は胃癌であるといわれる。あるいはあなたの病気は肺尖カタルだといわれる。たいていの病人はこういう宣告を聞かされると、表面は平静のようでも急に容体が悪化する。これはなぜかというと心の目の前にハッキリ白墨で線を引かれたためにますますそのことが気にかかり、そこに「心」がひっかかり、しじゅう病気の名前を思い、絶えず病気の場所を気にし、いよいよ「迷い」を深くしてその「迷い」の影として病気の徴候を重らせることになるのでありますが、心をその病気から放ち去れば病気の徴候もしだいに軽減するのであります。

 むろん、その人が医学的に診断してみて、すでに胃癌の徴候があり、あるいは肺尖カタルの徴候があったりするならば、その人の「表面の心」が知ると知らぬとにかかわらず、そ

---[Page 76]---
の人の「奥底の心」はすでに「迷い」というものにひっかかってそこに滞っておって、かつて自分の心の底に植え付けられた「病気の心的種子(たね)」に養分を与えているのであります。そこへもって来て「表面の心」にまでもその病気の存在を知らせれば、「病気の心的種子」はいっそう栄養を供給されて加速度をもって生長するのであります。

 最も善い方法としては、人間の本性は神の子であり、決して病気にならないものであること、病気になっている最中ですらも「本当の自分」は決して病気でないこと、ただ病気だと信じ、迷い、ただ迷うている信念だけが病気を妄想して、その「妄想」を肉体という鏡に映し出しているのだという真理を、いく回でも生長の家の本を読んで、心の底にたたみこみ、潜在意識のうちにある病的観念を照破して本来の無に帰せしめれば善いのであります。

 こうして、病気の心的種子が無くなれば病気は根本的に枯れて再び芽が吹いて来ようがないのであります。

1673復興G:2012/12/07(金) 17:38:40 ID:vWpLkCzM

まずは、上記のところを拝読して、お感じになったことなどを発表することから入りたいと思います。が、
上記以外でも、疑問に思うことや、ぜひご発表になりたいことがありましたら、ご遠慮なく、ご投稿ください。

ありがとうございます。

1674復興G:2012/12/07(金) 17:49:49 ID:vWpLkCzM

開会時刻が近づきましたら、どなたか開会の祈りの言葉を書き込んでくださいますよう、お願い申し上げます。

1675トキ:2012/12/07(金) 18:00:39 ID:oJHbsaTc
復興G様

 ご多忙の中、ご指導を頂戴できる事に心から感謝申し上げます。

 本日もよろしくお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

1676トキ:2012/12/07(金) 19:16:33 ID:oJHbsaTc
信仰生活の神示

 信仰生活とは、無用意の生活ではない。
すべてに於いて完全に用意されている生活である。
凡そ信仰生活はど完全に用意されている生活はない。
それは心が完全に用意されているだけでなく、物質にも完全に用意されている生活である。
物質は心の影であるから心が完全に用意されているとき物質も必要に応じて完全に与えられるのである。
家庭は一つの有機体であるから、良人が明日の用意をしないときには妻が明日の用意をするようになる。
妻が明日の用意をしないときには良人が明日の用意をする。
右の手が利かなくなったら左の手が利くように成るのも同じことだ。
それは自然の代償作用でそう成るように計らいがあるのである。
それは有難い自然の計らいであるから、夫婦互いに感謝するのが好い。
信仰生活とは明日の用意をしない生活だと思って、明日の用意をする配偶を信仰がないと思って夫婦が争う信仰深い家庭があれどもみんな誤った信仰である。
「明日のことを思い煩うな」という意味は、「明日の用意をするな」と言うことではない。
信仰生活とは冬が来てから綿入を縫えと言うような生活ではない。
秋から冬に要る綿入を縫うて置いても、それは「取越苦労」ではない。
心が整えば秋から冬に要るものがちゃんと判って、自然法爾に其の要る物を用意したくなるのである。
自然法爾と言うものは、外から自然に与えられることばかりではない、内から自然に催して来るこころの中にも自然法爾がある。
心が乱れて病気になったときに心が調えばその病気を治すに適当な食物が欲しくなるのも自然法爾である。
野の鳥も卵を産む前に自然に巣を作りたくなる。
卵を産む前に巣を作っても小鳥は取越苦労をしているのではない。
「生長の家」の生活は物質に捉われない生活だと言っても、物質をきたながる生活ではない。
金銭を穢いもののように思ってそれを捨てねば気が安まらぬような心も物質に捉われているのである。
物質は影であるから綺麗も穢いもない。
卵を産む前に小鳥が巣を造りたくなるように自然に用意をしたくなる時には内からの囁きに導かれて好い、心が調えばその心の展開として用意すべきものは適当の時に用意したくなる。
全て用意するものを信仰浅きものと思うな。
用意しないで取越苦労をしている生活もあれば、取越苦労をしないで自然に用意している生活もある。

(昭和6年12月5日 神示)

*本日は12月7日ですが、「信仰生活の神示」があまくだった日に近いので、web誌友会開催にともない謹写させていただきました。

1677SAKURA:2012/12/07(金) 20:05:04 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

本日、12月7日(金)21:30より
   12月9日(日)23:30まで
  <第9回WEB誌友会> を開催させていただきます。
≪テキスト≫は『生命の實相』第2巻「實相篇 光明の真理<下>」  p.51〜p.98
≪内容≫ 第2章 無礙自在の「生命の本性」を発揮せよ (抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

❤〜早いもので、今年最後の【WEB誌友会の開催…】御連絡を頂きまして、感謝申し上げます。

「復興G様」から「生命の実相」のテキストの該当部分の掲示を頂きまして、私なりに、勉強
させて頂く機会を頂きました事は、振り返りますと、今までの「生命の実相」拝読の時とは
また異なる「雅春先生の言葉」に、此処は今回“私の心情”と、ピッタリ〜此処も〜この様に…
云々…とか?当に【 生きた生命哲学…真理 】を、学ぶことができま機会を頂きました
この【2024年度…】だと思いました。

今回、雅宣先生擁護派ですが、時間の合間にて“参加”させて頂けます機会を、頂けましたら
幸いです。何卒宜しくお願い申し上げます…。(遅くなりましたが…)
                               再合掌


PS:昨日は、此処FUKでは一部“みぞれ”が〜〜〜くれぐれも“お風邪”を引かれません様
にお祈り申し上げます。尚!先程【地震速報…】がありましたが???如何でしたでしょうか?

1678NANCY:2012/12/07(金) 20:23:09 ID:jH5uEFzM

復興G様 ヘ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【NANCY】と申します。

はじめての“参加”を…させていたきますので、何卒宜しくお願い申し上げます。
尚!只今頂きました“テキスト…勉強中”ですので、ワンテンポ??づれるかもと ><
正直申しますと“不安!〜〜〜ファ〜〜〜ン!”なので〜〜〜すが?

                                再合掌

1679トキ:2012/12/07(金) 20:52:46 ID:oJHbsaTc
>>1677
>.11768

 ご参加を心から歓迎申し上げます。

 よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

1680復興G:2012/12/07(金) 21:01:43 ID:vWpLkCzM

第9回WEB誌友会開会30分前になりましたので、「準備祈願」としての祈りの言葉を、前回同様に掲載させていただきます。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

(準備祈願)
 住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。

  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ

  住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける 今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。

  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。

  今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。

  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます


世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

1681復興G:2012/12/07(金) 21:04:19 ID:vWpLkCzM

    新しき天地に生まれる祈り

 生れ変りの時が来たのである。われわれは自分自身が先ず生れ変ることが必要なのである。自分自身の心が生れ変ることが必要なのである。釈尊の説かれたごとく、この世界はことごとく自分の心の展開であるから、自分の心が生れ変ることは自分の環境が一変し、自分の生活が一変し、自分の肉体の健康が一変することを意味するのである。

 われわれが心に強く描いてそれを見つめるところのものが現象界にあらわれてくるのである。これが現象顕現の法則である。だから私たちは、人を見るのに、人を悪人だと見て、それを善導しようなどと思っては、決して相手の人々を教化して善ならしめることはでさないのである。“悪人”と見れば、そしてその人の“悪”を心で見つめれば、悪は一層ハッキリと現象化しきたって収拾がつかなくなるのである。

 だから私たちは決して人の“悪”をば、肉眼が見ることがあっても、心では見ないのである。そして彼は実相においては善であり、彼の内には釈尊同様に仏性が宿っており、キリスト同様に神性が宿っているのだと見て、心で合掌し礼拝するのである。

 私たちは自分自身が自分の心で善のみを見ることができるようになったとき、環境も運命もただ“善”のみの展開としてよくなるよりほかはないと知るのである。

 私たちは、まず心を神に振り向ける。心を神に振り向けるとき、この世界に神があらわれるのである。神は善であるから、この世界に神があらわれれば、この世界は善のみの世界となることは当然であるのである。神は病まないのであるから、心を神にのみ振り向けるとき、自分たちは病むことなき状態に到達し得るのである。

 心を神にのみ振り向けるとき神は乏しくないのであるからわれわれも求むるのに乏しいということはあり得なくなるのである。

 心を神にのみ振り向けるとき神は老いないのであるから、われわれも老いるということが無くなるのである。

 すべての病い、貧乏、不幸、老衰等の悪現象は神の造りたまうたものではないのであって、人間の消極的想念の産物であるのであるから、われわれが心を神に振り向けるようにのみ心がけるならば、すべての悪現象は私たちの世界から姿を消してしまうようになるのである。それはあたかも光の照るところの世界には闇が存在し得ないようにである。

 われわれは遷(うつ)り易(かわ)る現象の善悪に心を捕えられてはならないのである。遷り易るものは本来実在でないから、先のものが消えては、次のものがあらわれ、あらわれてはまた消えるのである。われわれはこの遷り易る現象世界に住みながらも常住不変のただ善のみの世界を諦観するとき、このうつり変る現象世界に「永遠の善の世界」が影をうつして、現象世界に、ただ善のみの世界が展開する。これが地上に永久平和の天国楽園を建設する唯一の道なのである。

 この真理を知らせ給いし神に対して深く篤き感謝をささげます。

1682トキ:2012/12/07(金) 21:07:37 ID:oJHbsaTc
 復興G様、本日もご指導を宜しくお願いいたします。

1683復興G:2012/12/07(金) 21:28:23 ID:vWpLkCzM

トキ様

ありがとうございます。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

1684トキ:2012/12/07(金) 21:34:32 ID:oJHbsaTc
復興G様

開会の祈りは、

>>1680

でなされたと考えてよろしいでしょうか?

1685志恩:2012/12/07(金) 21:35:50 ID:.QY5jUA6
復興G様、トキ様、皆様

ご指導、感謝いたします。
今回も、勉強させて頂けて、うれしいです。
皆様、どうぞ、ご発言くださいませ。

1686如月:2012/12/07(金) 21:38:12 ID:ki/haAjk
聖経『続 真理の吟唱』より、「愛の絶対価値を高揚する祈り」


★★★愛の絶対価値を高揚する祈り★★★

今ここにわれは生きているのである。”生きている”とは何と神秘なることであろうか。
わたしが生きているということは、決して物質の機械がここに動いているということではないのである。
考える力が生きているということである。
愛する力が生きているということである。
知る力が生きているということである。
よそずのものと調和し、調和せざるものを排出し、矛盾を克服し、混乱を鎮定し、更に一層大なる
価値を生み出す不思議なる力がいきているということである。
 私は今、この不思議なる偉大なる力を尊敬し礼拝するのである。
私が今此処に生きているということは、この不思議なる神秘力が生きているということである。
この神秘力を私は”神”として讃えるのである。
それは物質の光がなくとも見ることが出来る力である。
それは電灯も、何の灯明もない胃腸の中で、食物として摂取した色々の成分を分類し、選択し
必要なるものを吸収し、不必要なるものを外に送り出すところの、それは見ずして見る力であるのである。
 私が今此処に生きているということは、この不思議なる神秘力が生きているということである。
物質の力は、物質的法則と、化学式に従って機械的に動いて行くに過ぎないが、この神秘力は
物理化学の法則を利用しながら進んで行くが、自由意志を備えていて、法則をのり越えて
新たなる独特の個性ある価値を創造する力である。
それは、他の人とは異なる個性ある血液型をつくる力であり、個性ある指紋をつくる力であり
一点一画を描いても、その”点”にも”線”にも個性を示す不思議な力であるのである。
 単なる物質は個性のない類型をつくるが、生命は単なる類型をつくることは決してないのである。
人間は絶対者の個性的表現であるから、よく似た顔をしているようだが、悉く個性の異なる
顔貌を備えているのである。
一本の樹木の単純な葉ですらも、一枚一枚個性の異なる葉脈をその葉の上に描くのである。
それは類型がないから、他に似たものによって代換えすることが出来ない。
その一つが減ずることは、かけ換えのない絶対勝ちが一つ減ることになるのである。
 生命の神秘、不可思議なる価値は、そのかけ換えのない絶対なる創造力に存するのである。
その一つすらも減ずることは絶対価値が減ずるkとに成るのであるが、絶対価値は、絶対であるが故に
減ずることも減することもあり得ないのである。
減じたり滅したりするものは、すべて相対価値のものばかりである。
貯金として貯えられたる貨幣の価値は、相対価値であうrが故に、物価との相対的比較上
減って行くのである。
しかし人間が誰かを”愛”したという”愛”は絶対価値であるが故に、その”愛”は永遠に
滅することも減ずることもないのである。
 日本国民が国家を愛して国家を護るためい戦った。
その”戦い”という行為は、対手(あいて)があり相対的なものであるから、立場立場の異なる
人々によってその価値・不価値を色々に評価されるけれども、その”戦い”という相対的行為の
奥にあるところの日本国民が天皇を愛し大日本帝国をあいしたというその純忠なる”愛”の
価値は相対的比較を絶した絶対なるものであるから、肉体をいう相対的存在が滅びても
永遠にその”愛”の価値が滅びることはないのである。
純粋の愛は、絶対者に属し、絶対界より出でたるものであるが故に
それは永遠の価値をもっていて滅びることはないのである。

1687SAKURA:2012/12/07(金) 21:38:26 ID:jH5uEFzM
トキ様 ヘ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】 そして【NANCY】です。

遅くなりましたが、今回の【WEB誌友会】何卒宜しくお願い申し上げます。
余談ですが?
只今!此方は【雷鳴…】が〜〜〜♫〜ゴロゴロ〜♫〜〜〜すごいのです。…が??
まるで?まるで?〜〜〜多々なる連想を、言い訳ではありませんが“ツイツイ…”して
しまいましたかと。(○○○○合戦???)でしょうか〜〜〜☆  
  再合掌

1688トキ:2012/12/07(金) 21:38:31 ID:oJHbsaTc
志恩様、ご参加を心から歓迎いたします。

他の皆様もどんどん、ご参加下さい。

1689トキ:2012/12/07(金) 21:39:28 ID:oJHbsaTc
如月 様、聖経『続 真理の吟唱』の読誦、心から感謝申し上げます。

1690如月:2012/12/07(金) 21:39:31 ID:ki/haAjk
開会に間に合わなくてすみません!
一週間ぶりにPCを奪取しました!

バタバタしてすみません。
よろしくお願いします

1691トキ:2012/12/07(金) 21:44:33 ID:oJHbsaTc
 では、復興G様、よろしくお願いします。

1692NANCY:2012/12/07(金) 21:57:56 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【NANCY】と申します。

頂きました≪テキストの「生命の実相」第2巻…≫の中から、
■【 無礙自在の「生命の本性」を発揮せよ 】この冒頭から拝読させて頂きますと…
「雅春先生…」の【分析…】の素晴らしさ!本当にそうなのですネ!今回のテキスト該当部分…
驚く事ばかりでしょうかと……

❤〜大まかに“ピックアップ…”しますと…冒頭の「雅春先生」の言葉から……
肩こり…
血液の滞り…
生理的状態が暗示により感染する… 云々…

■この頃、冬場になりますと個人的ですが…潜在意識の中に【風邪…】が、浮かんでしまいます。
今回、復興G様のテキストの中から…下記にて抜粋なのですが?
〜〜〜【抜粋文】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
---[Page 72]---
かというと、必ずしもそうではない。人間は複雑な知恵をもっておりますから複雑にだまされる
のであります。われとわが学問、われとわが知恵にだまされるのであります。病理学という学問
にだまされ、衛生という知恵にあざむかれ、黴菌という微生物が自分の身体に侵入したとか…
…云々…
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

此処の文章が?特に、目に留まりましたかと。
つまり「化学的?医学的?」そして【信仰…】との関係は如何かと???只今思考中でしょうか?
テキストの冒頭からも含めまして…
                              つづく

1693いきなり訂正:2012/12/07(金) 21:58:59 ID:ki/haAjk
謹写後、見直さず投稿して申し訳ございませんでした。

★愛の絶対価値を高揚する祈り六行目
      よそずのものと調和し←×
      よろずのものと調和し←○

。..。.:+・゚・*:.。..。.:+・゚・*:.。..。.:+・゚・*:.。..。.:+・゚・*:.。..。.:+・゚・*:.。..。.:+・゚・

復興Gさま。
トキ管理人様はじめ皆様よろしくお願いします。
NANCYさま、はじめましてですね。 よろしくお願いします。

1694トキ:2012/12/07(金) 22:01:07 ID:oJHbsaTc
 生命の実相第2巻を拝読して、鶏の話が出てきましたが、私は小学生のころに鶏ではなく、ウサギの飼育係をしておりました。
で、ウサギというのも面白い生き物で、自分が通り道が決まっていて、其の道しか通らないのです。で、小学生ですから、ウサギ
を驚かすと、ウサギが逃げるのですが、その逃げる道が決まっています。で、どの道を通るか判ると、その道で先回りして、
ウサギが来るのを待っています。すると、ウサギはこちらが待っているのを知っているのに、必死で走ってきます。もちろん
そうすると、待ち伏せをしている私に行き当たるので、捕まります。

 ウサギは、この道でなければ成らない、とこだわって、簡単に捕まってしまう。これが、野生でしたら、このウサギは
いっぺんに餌になってしまいます。そう考えると、こだわるという事は、恐いことだなあ、と感じます。

 おそらく、このウサギや鶏同様、人間はもっと複雑に、思い込みが激しいのだと思いました。

1695SAKURA:2012/12/07(金) 22:06:32 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ  トキ様 へ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

頂きました【今回のテキスト該当部…】から、個人的ですが…冒頭から勉強・投稿形式を
取らせて頂きます。

■第二章 無我自在の「生命の本性」を発揮せよ
❤心を肉体に引っかからせるな
=====【生命の実相 2巻から抜粋 】======================== 病気にかかるとすぐ医者のところへ駆けつけて、胃が悪くないか、心臓はよわっていないか、
肺臓にラッセルでも聞こえていやしないかいろいろと詳しい説明をききたがる人がありますが、
…云々…「人類的恐怖がありますかので、その恐怖を「肉体なる影」に映し出していよいよ本
当に肺臓の組織まで悪くしてしまうのであります。心が肉体の生理作用に及ぼす影響は実に恐
ろしいものがあります。〜〜〜たとえば我々が肩に力が入れれば肩がこります。肩が凝るとい
うのは血液が肩に滞って新しい血液と入れ換わらないことをいうのであります。〜〜〜云々〜〜
心が上の方に集注しているから肩におのずから力が入るのであって、決して「筋肉」という物質
が、物質自身の作用でそこに力を入れるというわけではないのであります、心が持とうと思わな
い限り、どうしても鉛筆一本でも持てないでありましょう。で、われわれが肩に力を入れたとい
うのは「心が」肩に力を入れたことであります。「心」が肩に力をいれたとき何が起こるかといい
ますと、「心」の影として最も最初に鋭敏に「心」のとおりに動き出すものは血液なのであります。血は生命の根源ではなく、「心」の作用に最も感じやすい「心の影」なのであります。完全に
血があっても心が死ねば、その人が死ぬ実例は前章にたくさんあげておきました。ただ血は影の
形に添うがごとく心の行くところに添うので、血は古来から霊性があるように思われて、
日本の古書には「霊」のことをチと読ませたところがあります。  (谷口雅春著)                          
============================================

■そうです〜〜〜ョネ!!心に暗示をかける事でしょうか???そう【アラジンのランプ…」で〜
♫〜ごまひらけ〜♫〜と…心に入れ込む事ですョネ???さらに決めつける「心」からは、何も
生まれないようにも思えます。たとえば”悪口”ばかりいいます人は、寄ってきます人も、
それ好みの方が仲間にでしょうかと???【類の法則…」も、単に”モノ”だけではなく、そう
【心の法則の類の仲間】同士にも、云えます事ではと思えます。当に……!!
❤〜【すべてが”こころ”で決まる】事なんでしょう〜〜〜ネ!!!今回、ここでも”固定観念”
で決めつける方が、いらっしゃいます様に思えます。この人は〜〜〜と>< 自分の狭い心で
相手を服従させるような表現が多いです〜〜〜ョネ!そのような時の私の心は、確かに、一瞬!
萎縮して構えます。…が?

■ここが“ミソ”で、まずは、何も自分は変わらないのだから、つかむ事もない!!!と…
”心…”で思いますと、まるで〜まるで〜澄みきった気持ちに、なりますかと。

更に!どうしても落ち着かない場合は、そう〜〜〜【神想観…」が一番”ピッタリ”でしょうか?

余談ですが?最近!過去を振り向いている自分がいます。そのような時【心は反省…」ばかり><
更に、このような人間に出会ったおかげで”私は聴力喪失になった事”…許しがたい!!この考え
は、本来の私自身は”楽観主義的思考”なのですが、現在の私に取りまして…あまりにも執拗な
相手の尾行…これも今まで考えなかった事ですから、【心が過去に…タイムマシ−ン】です。

■振り向きますと”過去”にとどまり”前進…”は、ないのです〜〜〜ョネ!!でも少しは、
その過去の【業…】に対しての清算カモ??そうしますと必要な事カモ??と、今の私は、
【強い信念…】で、過去の資料を調べているところです〜〜〜が???

今回頂きました【テキスト該当部分の冒頭から…】
当に【全て…”こころ”で決まる人生とは?全て自分自身の”こころ”で決る。決断!】かと…
あらためまして、思いました。…が???■■【 心の法則 】なのですネ!

1696復興G:2012/12/07(金) 22:34:59 ID:vWpLkCzM

>>1686 :如月様
聖経『続 真理の吟唱』より、「愛の絶対価値を高揚する祈り」はすごい祈りですですね。

SAKURA様、NANCY様、トキ様、ありがとうございます。

 「現象本来なし」だから、引っかからないことが大切、ということですよね。

 「心の法則」というのも、「現象の心」は「ない」ものですから、「神の心」を出してくることによって初めて現象を支配することができるのだと思います。

 私は、テキストの>>1671>>1672にアップされた御文章を拝読して、思いましたことは、この「鶏の目の前に描かれた白墨の線」という譬えに合致するのは、肉体の病気の症状だけのことではない、「現象が不完全に見えること」はすべて「白墨の線」と同じではないかと思いました。

 「不完全が自分の外にある」と思って悩むことは、すべて「白墨の線」であって、本当にあるものは、神と、神より出でたる完全なもののみである、ということです。

 「榎本恵吾記念館」サイトに、新しく「文書館12 幽斎殿Ⅴ」というのがアップされたようです。
そこに、次のように書かれていました。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 生きていること自体が自分ではなく神であり給うのである。自分は無いのである。自分は全くのゼロであるのである。自分が存在すること自体が神であり給うのである。神は“汝は吾れであり、吾れが渾べての渾べてである”と愛し、拝し、観じ給い、吾れとなり給いて神ご自身を生き給うているのである。……(「榎本恵吾記念館」サイトの「文書館12 幽斎殿Ⅴ」より)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「私は、ないのである」
 「全てが、私である」
 「ただ、神のみである」

 ということですね。
 榎本先生はまた、次のようにも書かれています。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「神の国は汝らの内にあり」とは「神とその国は汝が生めるものなり」ということなのである。すべて「内」とは「吾が生めるもの」という意味なのである。

 「吾が内なる中心に神います」ということは単に自分は神を中心に入れている入れ物であるにすぎなく、入れものと中身とは依然として異質なるものである、ということではなく、自分のいのちが中心に神を生んだのであり、自分のいのちそのものであり、自分そのものであるという意味であり、自分と中身なる神とは等質、同一であるということでなければならないのである。等質、同質であればこそ、神を吾が内に生むことの出来る“I AM”なのである。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――これは、すごいことだと思います。

1697SAKURA:2012/12/07(金) 22:40:26 ID:jH5uEFzM
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>> 1694トキ様より(抜粋…)
>【おそらく、このウサギや鶏同様、人間はもっと複雑に、思い込みが激しいのだと思いました】<

❤〜そうです〜〜〜ョネ!本当に思いこみで「人間関係…」が、おかしくなったり、どうかしま
すと【犯罪事件…殺人】でも?起きたりでしょうか???ほとんどが、これが原因でしょうか?

今回、私も「トキ様の言葉」より感じました事は【人間の思い込みは、複雑?激しい?モノ】で
しょうか???そうしますと、例えば……この人は”悪い人間”と、思い込みますと〜〜〜?
いつまでも!いつまでも!それを捕まえるまでの”永遠の状態”でしょうか??
もしくは、ストップに到るには【犯罪事件…」のどちらかの選択肢でしょうか?

■これは”道徳的”にも…”人間的”に考えても、正直”腑”に落ちませんです〜〜〜ョネ!
                                  再合掌

1698復興G:2012/12/07(金) 22:43:09 ID:vWpLkCzM

如月さまが謹写して下さいました「愛の絶対価値を高揚する祈り」では、

≪人間が誰かを”愛”したという”愛”は絶対価値であるが故に、その”愛”は永遠に
滅することも減ずることもないのである。
 日本国民が国家を愛して国家を護るためい戦った。
その”戦い”という行為は、対手(あいて)があり相対的なものであるから、立場立場の異なる
人々によってその価値・不価値を色々に評価されるけれども、その”戦い”という相対的行為の
奥にあるところの日本国民が天皇を愛し大日本帝国をあいしたというその純忠なる”愛”の
価値は相対的比較を絶した絶対なるものであるから、肉体をいう相対的存在が滅びても
永遠にその”愛”の価値が滅びることはないのである。
純粋の愛は、絶対者に属し、絶対界より出でたるものであるが故に
それは永遠の価値をもっていて滅びることはないのである。≫

というところに、格別の感銘を受けました。

ありがとうございます。

1699復興G:2012/12/07(金) 22:59:13 ID:vWpLkCzM

>>1694 :トキ様
>>1697 :SAKURA様

>> ウサギは、この道でなければ成らない、とこだわって、簡単に捕まってしまう。これが、野生でしたら、このウサギはいっぺんに餌になってしまいます。そう考えると、こだわるという事は、恐いことだなあ、と感じます。
 おそらく、このウサギや鶏同様、人間はもっと複雑に、思い込みが激しいのだと思いました。 <<

――考えさせられますね。

「現象あり」と見ていると、どうしても、「思い込み」が激しくて、そこから抜け出しにくい。常に「現象なし」「自分はないのである」「ただ神のみ」の自覚に立ち還らなければ、「思い込み」を持ってしまう危険性がありますね。
自戒しなければならない、大切なことだと思います。

1700復興G:2012/12/07(金) 23:01:16 ID:vWpLkCzM

皆さま、ありがとうございます。

このweb誌友会、まだあと2日間ありますから、今日は私はこれにてやすませて頂こうと思います。

ありがとうございました。おやすみなさい。

1701トキ:2012/12/07(金) 23:23:13 ID:oJHbsaTc
>>1700

ありがとうございます。

なお、ご投稿は夜間も歓迎いたします。
よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

1702さくら:2012/12/08(土) 00:14:45 ID:.noC14Us
復興G様
トキ管理人様
ご参加のみなさま

合掌ありがとうございます。

投稿を拝読させて頂いて、素晴らしい気づきにあふれていて、どの言葉もいまの自分に、ピッタリの言葉でした。

実はさいきん、個人的に、親しい知人の身体のことで…少し過剰に「心配」してしまっていました。

「大丈夫!」と頭で分かっていても、何かあると、どうしても、心は一つの現象にとどまりがちで…。

それは自分のこころに引っかかり、神のこころをあらわせない状態だったのかな…と思いました。

…一番はじめに思ってしまったのは、知人に何かあったら、と…心配なこころだったので、反省しました。



対立する気持ちがないつもりでも、
何か自分の心に「こだわり」ができてしまうと、それが現象に現れるのかな。ともおもいます。

正直、わたしには、まだまだ、「こだわらないこころ」は、難しいことが多いです。


掲示板では、ここ一ヶ月くらい、「神の子」の名で、聖典板にまで、たびたび、意地の悪い書き込みがなされていたので、ここに書き込むのも雰囲気を壊すので、本当はやめようと思っていました。
他の方は気づかない程度のことなのでしょうが、せっかくの場で、興ざめしてしまうので…。
ただ、いまの自分には、真理の学びが必要だと思いましたので、申し訳ないのですが、書かせて頂きました。

わたしにも、「こだわるこころ」があるから、反省しなければならないし、
そう言わざるを得ない気持ちが、わたしにはあるのだと、いま、思いました。

>生きていること自体が自分ではなく神であり給うのである。自分は無いのである。自分は全くのゼロであるのである。自分が存在すること自体が神であり給うのである。神は“汝は吾れであり、吾れが渾べての渾べてである”と愛し、拝し、観じ給い、吾れとなり給いて神ご自身を生き給うているのである。……(「榎本恵吾記念館」サイトの「文書館12 幽斎殿�」より)

この言葉が、とても響きました。

いまは、この「祈り」を深めていきたいです。

またよろしくお願いいたします。



1703復興G:2012/12/08(土) 07:54:10 ID:vWpLkCzM

さくら様、皆々さま

おはようございます。

書き込み、ありがとうございます。

どうぞ、また書き込んで下さいね。

ありがとうございます。

1704復興G:2012/12/08(土) 09:05:27 ID:vWpLkCzM

 ありがとうございます。

 また、少しテキストをアップさせて頂きましょう。

≪テキスト 『生命の實相』 頭注版 第2巻「實相篇 下」より (3)≫
---[Page 78]---

    病気の心的種子、決して恐れるにたらず

 しかし「病気の心的種子」は、前にもいったようにいろいろの機会にわれわれの心の底に
---[Page 79]---
忍び込んで来るのであります。この「病気の心的種子」をこうして根本的に取り除くことができればそれにこしたことはありませんが、病気の心的種子がいかに心の奥底に蒔かれていましても、これにわれわれが自身で栄養分を与えぬようにすれば、それだけでも決してじっさいの病気となって発芽せぬのであります。

 植物の肥料に堆肥(たいひ)といって馬糞や、枯草や、藁などを積み重ねておいて腐らせたのを肥料に与えると非常によく生長します。それと同じで、病気の心的種子も、その種子の周囲にいろいろの心の塵埃(ごもく)を積み重ねて風通しの悪いようにしておきますと、早く芽を吹いて生長するのであります。心の風通しのよい人は、病気の心的種子がたといまかれていてもカラカラに乾いてしまって病気の芽が吹かないのであります。

 わたしは先に売薬の広告や、病人の蒼ざめた顔や、新聞雑誌にのった病気の記事などは、真に恐るべき「病気の心的種子」のまき手だと申しましたが、この「病気の心的種子」というものはじっさいまた恐るべきでありますが、同時にまたちっとも恐れるにたりないものであります。なぜなら心の法則を知らない間こそは、知らず識らずこの病気の種子に肥料をやって「現実の病気」を生長させる恐れがありましたが、皆さんのように毎号『生長の家』を読んで本当に心の法則を知られたならば、もうこの病気の種子を養い育てるために心の塵埃で堆肥をつくるということがなくなるからであります。

 このサトリの発達の順序を考えてみますと、最初の時代は、何も知らないで、病気の解剖図
---[Page 80]---
や売薬の広告を読み、病気の心的種子を心の底に植えつけられ、それを生長させてじっさい病気にかかったのでありますが、少しく「心の法則」が解りかけてきますと、もう病体の解剖図や売薬の広告を読むとどんな害があるかということを知ったために、そんなものを見たり読んだりするのがなんだか恐ろしくなり、できるだけそれに接するのを避けよう避けようとするようになるのであります。

 むろんこんなものは避けるにこしたことはない。「心の法則」に達した人にでも迷いに強(し)いて近寄らぬということは必要なことであって、古今を通じて剣術の名人だった塚原卜伝(ぼくでん)でさえも強いて危険を冒さないことを正道としていたのであります。しかし真に「心の法則」に達して来ますと、「病気の心的種子」を避けるのだって、恐れて避けるのではなくなるのであります。

 「蛙(かわず)の面(つら)に水」がかかっても蛙の面は水をはじいて、冷たがりもしないように、われわれの心に「病気の心的種子」になりそうなものが、八方から目に入り耳に聞こえて来ましても、心が真に自由であるなら少しもそれにとらえられないようになるのであります。蛙の面に水がかかっても蛙が苦しいとも冷たいともなんとも不快を感じないのは、蛙が水というものを征服して、水に対しては実に自由自在の境地に達しているからであります。

 われわれの心も病気観念に対して真に自由自在の超脱した境地に達しますと、水を頭からブッかけるように、病気観念を正面から浴びせられてもなんともなくなる。病的観念をいくら植え付けても、自由自在に風通しの好
---[Page 81]---
い、光線がゆたかな心のうちでは発育しようがなくなるのであります。

 で、病的観念の種子が知らぬ間に何かの機会に心の底に植え付けられていましても、心がその種子に引っかからぬ――すなわち蛙の面が水に引っかからぬと同じように、われわれの心がその病的観念の種子に引っかからぬならば、水が蛙を害することができないように、その病的観念はわれわれを害することはできないのであります。病的観念の種子を養い育ててじっさいの病気にしてしまうものは、われわれの心がたまたまその病的観念に引っかかって「迷い」の塵埃(ごもく)で、その種子を育てる堆肥を作ったからであります。

1705復興G:2012/12/08(土) 09:22:33 ID:vWpLkCzM

>>1704のテキスト文で、

病気の心的種子がいかに心の奥底に蒔かれていても、「蛙の面に水」と、はじき返してしまうようになるには、
これこそ、さくら様が

『>生きていること自体が自分ではなく神であり給うのである。自分は無いのである。自分は全くのゼロであるのである。自分が存在すること自体が神であり給うのである。神は“汝は吾れであり、吾れが渾べての渾べてである”と愛し、拝し、観じ給い、吾れとなり給いて神ご自身を生き給うているのである。……(「榎本恵吾記念館」サイトの「文書館12 幽斎殿�」より)<
この言葉が、とても響きました。
いまは、この「祈り」を深めていきたいです。』

と言ってくださった、こういう祈りに、常に立ち還って行くことが根本だと、私は思います。

1706トキ:2012/12/08(土) 09:38:20 ID:tRbdVDEA
おはようございます。
 
 確かに、同じ物を食べても、ある人が食中毒になっても、別の人がならない場合もあります。
生活をしていると、病気の種から避けるという事はできませんから、そういう物に触れても、
”「蛙の面に水」と、はじき返してしまうよう”、自分がならないといけませんね。

1707復興G:2012/12/08(土) 09:50:37 ID:vWpLkCzM
 ありがとうございます。

 また、少しテキストをアップさせて頂きましょう。

≪テキスト 『生命の實相』 頭注版 第2巻「實相篇 下」より (3)≫
---[Page 81]---

    善人だのになぜ病気にかかるか

 私の友だちは実に善人だのに肺病にかかっている。これはどういうわけですか――というような問いを聞かされることがあります。なるほどこれはしごくもっともなお尋ねであります。

 この問いには、神がもしあるならば善人をこそもっと護って健康にしてもよさそうなものだという意味が含まれているのであります。しかし「善人とはなんですか」と問い返すとちょっとその人は答えにまごつくでありましょう。

 「いやしくも悪を犯さない人だ」とその人は答えられるかもしれません。あるいはまた「善悪の観念のハッキリした人だ」と答えられるかもしれません。あるいはまた「ごまかしの利(き)かぬ人だ」と答えられるかもしれ
---[Page 82]---
ません。ともかくも肺病になるような性質の善人は、善悪の観念のハッキリしたごまかしの利かない、いやしくも悪を犯さない、もしあやまって悪を犯したら、いつまでも心がその悪にこだわっていてなかなか心が自由になれないで自他の悪を咎め、いつもクヨクヨと人生を考えているような窮屈な心の善人が多いのであります。

 あらゆる他の善さがありましても、心の自由が欠け、窮屈で、気が小さく、いつもクヨクヨ自他の悪にかかわっているようではその人の善さの大部分の価値は失われてしまうのであります。

 われわれは善人でなければならない。いやしくも悪を犯すことを恥としなければならない。けれども「善」でさえもそこに引っかかってわれわれが心の自由を失うとき、われわれは罠にかかってしまうのであります。

 皆さんは、善といえばなんだとか悪といえばなんだとか、それは一目瞭然のことのように考えていられるかもしれませんが、われわれはこの世界においてある自分のきめた一つの行ないだけが善であって、そのほかのことは悪であると決めてしまうことはできないのであります。

 一人の貧しく憐れなる人間に金を恵むことを例にあげていいますと――金を恵むことはふつう「善である」と考えられていますけれども、金を恵んでもらったがためにその人が助かる場合もあるが、金を恵んでもらったがために、その人の依頼心が増長し、人間をだましやすいものだと考え、人間の慈善心を利用して、働かずに生活しようとその人が思うようになるかもしれないのであります――もし、われわれが
---[Page 83]---
こんな人に金を恵んでやったならば、かえってその人の生活を堕落に導くようになる。

 われわれはこういう人に接するとき、こういう人が金を貸してくれと頼むとき、その人の心的雰囲気を感じてなんとなく金を貸したくなくなりましょう。あるいは金を貸さないだけでなく、かえって手酷くののしりたくなるかもしれない。そして、その人は恥をかいてののしられて興奮してうらめしそうに帰って行く、帰ったあとでその人は、あんなにいわれた時の口惜(くや)しさを思い出しかえって発奮して独立独行この世の中に成功する、するとその時金を貸してくれずにののしられたということはその人にとって真の救いになったのであります。

 それだのに窮屈な善人は彼をののしって帰らせたあとで、なぜ自分はあの貧しい男をあんなにののしったのだと自分の心の狭さを悔いる。自分はなぜあの男に金をやらなかったのであろう。自分は善人のつもりでいたけれども本当は守銭奴であったのだ、一人の貧しい人にさえ施しをすることができないあさましい自分だったのだ――こう思ってその窮屈な善人は、自分を責め、自分を苦しめ、ついに自分自身が気欝症となり、この気の滞りが堆肥となってかつて心の底に植えられた病気の心的種子がそろそろ芽を吹きそれが胸に来れば肺病ともなり、心臓病ともなるのでありましょう。
<つづく>

1708復興G:2012/12/08(土) 09:51:23 ID:vWpLkCzM

<つづき>
 ここに窮屈な気の毒な善人の陥った非常な迷いがあるのであります。その迷いのために、病気の心的種子に肥料が与えられる。貧しき人に会ったならば金を施すほかに善の道はありえない――その人は善
---[Page 84]---
というものをそういうふうに一つの型に推しはめて、ある場合その型にはまらなかった自分自身を責める、あるいはその型にはまらない他の人間を見ては、その他の人間を心のうちで批難する。こうして窮屈な善人は自分を責め、他を責め、この自由な伸び伸びとした世界を、自分の心一つで不自由な狭いものにして毎日自分を嘆き、人を責めて悲しみと不平と憂欝とでその日を送るようになるのであります。

 これは一例でありますが、万事について一つの「善」というものに心が引っかかるために心の狭い善人は病気になりやすいのであります。たといこれほどまででなくとも、肺病や胃病になられるような善人は、事ごとに自他の行為に対する批判力が強くて、律義で、窮屈で、気が小さいところがあるのであります。この窮屈さを取り去ってしまえば病気の肥料となるところの気欝というものがなくなるから、病勢がとみに衰えるのであります。

    一時を救うのではなく根本的に救うことが必要

 そんなら、貧しき人に会って自分が彼より富んでいても恵む必要はないのか、恵まないでもそれでよいのか? ――とムキになって問いつめて来られる人があるかもしれませぬがここが大切なところであります。ある時には恵まないがよろしく、ある時には恵むのがよろしいのであります。恵む恵まぬが問題ではなく相手を救う――根本的に救うというこ
---[Page 85]---
とが目的だからであります。

 われわれはまず善をなそうという念願をもたなければならない、それと同時に常に、「わが行ないをして神意(みこころ)にかなわしめ給え」と祈らなければならない。そしてその祈りを深めることによって、神の聖意(みこころ)があらゆる事にあたって、自分の行ないを通じて現われて来るという自信をもたなければならないのであります。

 われわれはある人に金をやってその人が根本的に救われるか、金をやらずに彼の意気地なさを叱責する方がその人を根本的に救うことになるのか、人間心では知ることはできない。ただ神と一致することによって――神を自分の内部に祈り招(よ)ぶことによってすべてを知り給う神の聖意(みこころ)が自分を通じて働いてくださるという自信がもてるのであります。

 自分の知恵で善悪を定めるのではなく、自分に宿って、中から催してくる神の知恵に従うのであります。神に従う事こそ唯一の善であり、唯一の愛であり、唯一の知恵であって、そのあらわれは怒りの爆発となって出て来ようとも、貧しい人をののしって帰すようなことになろうとも、それを善とか悪とか、とやかく人間心で批評することはいらないのであります。そこに本当の超越的な「善」が生きて来るのであります。

 この超越的な善が生きるときわれわれは真に道徳的な自由を得るのであります。今、わたしはあの貧しき人に対してののしったが、あれは悪かったと後悔して自分を責めることはいらない、自分を責める暇があれば、「どうぞわたしのののしりが因縁になって、あの貧しき人が本当に救われますように」と心から
---[Page 86]---
の祈りを、その人の背後から捧げてあげる方がよいのであります。

 こうして本当に祈れる人なら、祈っているうちに、「これでよし、あの人は救われる」という感じが湧いて来るか、「これではいかぬ、なんとかしてあげる方がよい」とか吋から心に浮かんで来る、この祈りのうちに内部から浮かんでくる導ぎの声にまかせて次の行動をとればよいのであります。
<つづく>

1709復興G:2012/12/08(土) 10:05:33 ID:vWpLkCzM

<つづき>

    祈りに始まって祈りに終る

 すべて祈りに始まって祈りに終るとき――腹を立ててもよく、腹を立てなくともよく、ののしってもよく、ののしらなくともよく、金を貸してもよく、金を与えなくともよい――それはすべてを知り給う神の知恵が自分に宿って、自分の「我(が)」の知恵でなしに行なわれるのでありますから、どんな行為ももう後悔する必要もなく、自責する必要もない。広いゆったりとした、何をしても自由自在の境涯に出られるのであります。

 心がこうして自由自在の境涯に出られますとき、心の中に滞りというものがなく、実に伸び伸びとした「神の子」本然のよい気持になれるのであります。心が自由自在になれるから、腹を立ててもよいのだといわれても、いつまでも一つの事に心が引っかかって腹を立てているということも自然になくなる。また相手を救う必要上、一時カッと腹が立った姿をあらわしめられてもその腹の立つということにいつまでも心が捉えられないで、すぐ
---[Page 87]---
その人のために祈ってやれるようになるのであります。

    自分自身の生きる力が最上の名医

 何をしても神の聖意(みこころ)が自分を通して働いてくださる――このことが祈りによって、自分の心の内に確立して来ますならば、われわれは自由な無恐怖な状態になれるのであります。神に導かれて立つ腹ならば腹を立ててもそれがかえって人の救いになる。それと同じように、神に導かれて出る熱ならば、熱が出てもそれがかえって病気の救いになる。

 咳が出てもよいし、下痢をしてもよいし、患部が痛んでもよいし、そのほかどんな容体が出て来ても恐れることはないのであります。熱は黴菌という「迷い」を消滅さすために起こる。咳は黴菌の死体や不潔物を吐き出すために出る、下痢は今まで全身の細胞を中毒さし弱らしていた毒素を瀉出(しゃしゅつ)するために起こる、痛みはその刺激によって病患部の治癒に必要な血液を集中さすために起こる――こういうふうに今まで、病気の徴候だと思って怖(お)じ恐れていたものが、実は病気の徴候ではなく、隠れていた病気の原因をいったん形に現わして外に浮かび上がらせた上でさらにそれを消滅さすための徴候だということがわかって来る。

 こうなると、熱はけっこう、咳(せき)はけっこう、下痢はけっこう、疼痛(とうつう)はけっこう――そのたびごとに自分はいっそう今までよりも健康になりつつあるということがわかって来る
---[Page 88]---
のであります――すると熱があっても熱さましはいらないし、咳が出ても咳止めはいらないし、下痢があっても下痢止めはいらないし、そのほかどんな薬もいらない――自分自身の「生きる力」こそ、自分にとって一等の名医であることを信じて、その施術に委せきりますから、自分自身の「生きる力」も自分に信頼して委された以上は責任をもってぜひ自分自身で治さねばならぬということになり、たとい熱が高まっても、脳膜炎を起こすほどにはならず、脈搏が速くなっても心臓を麻痺さすほどには速くならず、結局薬を用いたときよりも、自然療能という名医が、病気に応じていかなる他の療法よりも、迅速に適宜の処置をとってくれるのであります。

 なぜなら、自然療能という医師は自分の外にある人を招(よ)んでくるのではなく、自分の内にチャンといる名医だからいかなる医師よりも、迅速に処置がとれ、外から患部を想像するのではなく、内にいて患部の状態を知りつくしていて、それに適応する抗毒素の製造や体温の調節や便通の調節をするのでありますから、その処置をまちがえるということは決してないのであります。
<つづく>

1710復興G:2012/12/08(土) 10:06:31 ID:vWpLkCzM

<つづき>
 ところが、内部の「生きる力」すなわち自然療能博士にその処置をまかさないで、外から呼んで来た医学博士の投薬を行ないますと、自然療能博士の内的投薬が、突然の外部的干渉で撹乱されるのであります。自然療能博士は内部にいるので、その患者が、外部の医学博士に頼る気を起こした瞬間に、もうそれをただちに知っています。彼はこの患者
---[Page 89]---
に二心(ふたごころ)あることを知って、もう自然療能の手をいく分加減し手控えして、外部から何が這入(はい)って来るかと身構えをするのであります。
 その時、次のことが起こります。

 (1)たいてい外から投薬される薬物は、内部の細胞自体にとってはある毒作用をともなった異物なので自然療能博士は今度はその毒作用を打ち消すために半分の力を割(さ)くのであります。そのため自然療能博士は全部の力を病気を治す方に集中することができない。

 (2)仮に外部からの投薬が、自然療能博士が今ちょうど身体(からだ)の中で製造しようとしていた薬物と同一性質であったとしますと、自然療能博士は内部の自家免疫薬の製造の手をいく分か休めて外からの薬物を喜んで迎えるのであります。その代り自然療能博士はこの次の時も適当なる薬物が外から来るであろうとの予想をもって、しだいに内部の自然療能力を働かせずにおくようになるのであります。消化剤の連用のごときがかえって消化力を低下せしめるごときはこれであります。
 こうなって自然療能力が弱っている時に、何かの原因で病状が変わったり外部からの薬物が急に変わったりすると、自然療能力はその全能力を発揮しない癖がついているので、ついにその人は病にたおれてしまうようになるのであります。

 (3)自然療能博士が熱を高める必要を認めて熱を高めている時に、解熱剤をのませると、一時熱はさがりますが、自然療能博士が熱を高める必要があると信じている限りこんどは解熱剤に打ち勝ってでも熱を上げねばならぬと努力しますので、熱が普通以上
---[Page 90]---
に長引くことになります。胃酸過多に重曹剤をのませれば、結局はいっそう胃酸の分泌が増加するなどもこの例であります。
 結局、外から来る薬は、たといそれが病気を治す力のあるようなものであっても、自然療能の半分の力を他に割くか、それを怠けさすか、撹(か)き乱すか、その調子をとれなくするかすることになり、結局最初より「自然の生かす力」に頼り切った人ほどにはすみやかに好結果をもたらすことはできないのであります。

 自分の内部の「生きる力」に信頼できる人は決して重い病気にかかるものではありません。なんらかの外的傷害その他で毒物が自分のうちに這入(はい)って来ましょうとも、はじめから「内部の生きる力」が全能力を発揮してそれを防ぎ止める癖がついていますから大事にいたらないで健康を回復するのであります。

1711a hope:2012/12/08(土) 10:16:43 ID:ueIDSztA
おはようございます。

復興Gさま トキさま そして、みなさま

今回は、家庭の事情でなかなか書き込みできませんが、シッカリとお勉強はさせていただいている a hope です。
すばらしい書き込みをありがとうございます。 合掌。

今回の範囲も、久しぶりに再読してみまして、あらたに大切だと気づきたところがいっぱいあり、
わたしの聖典は、さらに色とりどりに線が引かれてしまいました(笑)

復興Gさまが昨日引用して下さった箇所ではないのですが、(時間がなくて謹写できないのが残念です)
P63 に紹介されている 賀川豊彦氏の「神の乳房」というご自身の体験のお言葉ににとても感動しました。

谷口雅春先生も 、『本当の祈りは「無我」になって神に抱かれて神と一つになることであります。』と言って、
この賀川氏の体験を紹介されています。

わたしは、今朝の神想観の最中にこの賀川氏の体験を思い出していました。
素晴らしい神想観をすることができましたよ!

それでは、みなさま、あわただしくて申し訳ありませんが、わたしはこれから仕事です。

わたしの愛する「生長の家」のみなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしくださいね!

1712復興G:2012/12/08(土) 11:15:46 ID:vWpLkCzM

>>1711 :a hope様

ありがとうございます。

賀川豊彦さんの「神の乳房」という御文章が載っている原本を私は学生時代に読んで、

感銘を受けたことを思い出します。その本はもうぼろぼろになって、引っ越しの時に処分されたか、
今は見当たらなくなっているのですが・・・・

『生命の實相』頭注版第2巻では、63〜64頁に掲載されていますね。なつかしい御文章です。

ありがとうございます。

1713復興G:2012/12/08(土) 11:18:22 ID:vWpLkCzM

私は今日これから出かけなければならない約束行事があって、戻りは夜になります。

よろしくお願いいたします。

1714SAKURA:2012/12/08(土) 12:40:15 ID:vwhqycTM
復興G様 ヘ
こんにちは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1699に於けます「復興G様」のお言葉…ありがとうございます。 頂きました“言葉”から、
■【>「現象あり」と見ていると、どうしても、「思い込み」…<】本当に、ついつい現実を見て
しまいがちな状況は、多々あります。当に、「雅春先生の御教え…精神修行」をと、あらあためて
思います次第です。

昨日の【NANCY…】さんの投稿から〜〜私も 同様に、
■冬場になりますと、この頃、個人的ですが…潜在意識の中に【風邪…】が、浮かんでしまいます。
先程の【復興G様のテキストからの… “抜粋文”】からなのですが……
現代人は【唯物論…】が多いのでしょうかと。そうしますと、どうしても【薬剤…】に頼ります
でしょうか?多少は、心の片隅で“薬の副作用…”を、拒否しながらも…その様に思う次第なの
です。…が?ですからその時の【意志・意識力】は、現代人は希薄な面がありますでしょうかと?

≪現実に如何に対処すべきか≫を、唯物論的な考えですと…どうしても【薬剤…】に頼りますで
しょうかと。此処でその時の心理はどうかと申しまうと…例えばですが??
熱が出る!悪寒が!咳が!…云々…ドンドンと〜〜そうです〜〜〜ョネ!「病気への思い」が、
増大しますでしょうかと。病気を縛りつける事になりまうのです〜〜〜ネ!!

■>「今自分は縛られている」と信じ、その「縛られている」という…云々…< (抜粋)

そうなのです〜〜〜ョネ!これが【思い込み…執着】になりますかと??
それは、下手をしますと、“生きる活力”が〜〜〜マイナスになります事もありますでしょうか。
そこで、【信仰…真理】そうです!心の持ち方…の重要性を、改めまして、受け留めました。…

■■すべて【 心 の 法 則 】でしょうか……? 思った次第です。
                                  再合掌

1715SAKURA:2012/12/08(土) 12:43:46 ID:vwhqycTM
「復興G様」 ヘ  「トキ様」 へ  「WEB誌友会の皆様」 へ
こんにちは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

今回の「復興G様」からの頂きました“該当テキスト…”の冒頭からですが……

❤心を肉体に引っかからせるな
======生命の実相 2巻から抜粋=========================
 ともかく「心が」しじゅう滞る場所には血液が滞るのでありまして、「心」が肩に、滞る人
は血が肩に滞って肩が凝り、「心」が首にとどこおって脳充血や脳溢血や不眠症などを起こす
のであります。こういう傾向のある人はとどこおっている箇所を按摩してもらうと一時その
滞っている血を散らすことになって非常によい気持ちでありますが、それは一時的であって、
「心」を滞らせている限り、そこにまた間もなく鬱血して来てそこが凝るのであります。
                              (谷口雅春著…)
===========================================

■以前は〜〜〜私も“肩コリ”…本当に“コリ〜コリ〜”なのです。特に、この寒さが増し
ます処の冬場は…いつも“首を回して”いましたかと。ですが?此処最近は、少々“肩コリ”
もありますが、以前のようには“肩コリ”飛んで行け〜〜〜♫〜〜〜なのです。
アラ〜〜〜?如何してかしらンと、思ってみますと、以前よりそうなのです。小さい物事に
【執着…】しなくなったのです〜〜〜ョネ!!

そして、今年母がなくなりましたが、此処3年間分からない事実が〜〜〜><
❤〜【亡き母の霊界通信…】で、何と「亡き母」からの【直感…】でしょうか???見え
ない事が?理解しがたい事が?今では、物事が良く見えるよな【透視…】が、多少とも
出来出しまして、それからなのでしょうか…??“肩コリ”の材料が、幾分以前より薄れ
てきまして、最近では、前以上に“物事”が見え、それが良し悪しに付けましても、こう
いう時こそ前に進む言動力の傾向にと……!!言えますでしょうかしら〜〜〜ン

■さて“心が滞る事”は、やはりこれも【執着…】からでしょうか???以前の私は、
ある面【執着のかたまり】でしたでしょうか??“コリ〜コリ〜執着?”
今では【放す事…を!すべて神様におまかせ…全托していたら?】という感じでの“行動・
スタイル“なのです!!そうなのです。モ〜〜〜ウ!何の不安もなく、まず!前進!前進!
前に進む事が【人間の使命…】でしょうかと???
それでも“血液の流れ”は滞る事もあり、この時はまだ【執着心…】が?あるのではと、今
頂きました“復興G様のテキスト該当部分”にて改めて思えます。…が?まだまだ足りない
のでしょうか?【心の執着…を放す、そして、おまかせ心になる事が〜〜〜】でしょうかと。

❤〜【私の“肩コリ”は、心の狭さから器量でしょう〜〜〜ネ!!!また、一つですが?
“心の進歩”に、私の“心のエッセンス”です〜〜〜ネ!!】
この素晴らしい〜〜〜【真理…】を勉強させて頂きます機会に感謝です。
                                   再合掌

1716トキ:2012/12/08(土) 14:57:24 ID:tRbdVDEA
 これは生長の家の人ではありませんでしたが、大学の元同級生が卒業後、医師から「精神病」と診断され
自宅に何年も引きこもっているのを知り、自宅を訪問した事がありました。
 そのとき、同級生が見せてくれたリストに、自分が毎日、医師から処方されて飲んでいる薬が書かれて
いました。それを見ると、20種類もの薬が書かれていました。驚いた私は、薬剤師をしている親戚にそれを見せる
と、「こんなに飲んでいたら、普通の人でも病気になる!」と言われました。
 ちなみに、処方をした病院には、テレビで有名な精神科医も勤務していました。

 後日、別の外科医と話をすると、「いわゆる鬱病などと言うのは、3ヶ月もじっとしていれば、そのまま治る病気
なのです。それを、医者が変な薬を飲ませるから、何年もかかるのですよ。」と言われて事を記憶しています。

 その後の事はわかりませんが、どうなったのか、気になります。

1717トキ:2012/12/08(土) 20:51:38 ID:tRbdVDEA
 追伸しますと、復興G様がご提示の聖典を拝読すると、この同級生のようなケースは極端ですが、
程度の違いはあれ、私も同じような状態にあるのではないかと思う次第であります。

1718NANCY:2012/12/08(土) 21:25:26 ID:jH5uEFzM
「復興G 様」 へ   「トキ 様」 ヘ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。

>>1716の投稿内容から〜♫~ (下記にて一部抜粋)

■>同級生が見せてくれたリストに、自分が毎日、医師から処方されて飲んでいる薬が書かれて
いました。それを見ると、20種類もの薬が書かれていました。驚いた私は、薬剤師をしている
親戚にそれを見せると、「こんなに飲んでいたら、普通の人でも病気になる!」と言われました
…云々…  (抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

拝読しまして【薬漬け…】現状を、改めて感じましたでしょうか?そして、正直申しますと、
【薬剤の副作用…】当に処方により新たなる“病気…併発する事も?”感じ取りましたでしょうか?
やはり【医者の使命…】の中に、部分的に“心のケア−”の必要性を痛感致しましたでしょうか……。
人は「生命…の生死を><」…云々…の際には、やはり絶対の信頼を、その担当医に抱きますから、
その責任は、多大なものでしょう。…が?現状を拒み?もがく状態?の精神状態の時こそ、本当に
【生きた生命哲学…真理】を、その担当医から“アドバイス”をいただきますと【生きた活力…】
いただくものです〜〜〜ョネ!

■■「復興G 様」からの“テキスト該当部…”の中から

■>自然療能という医師は自分の外にある人を招(よ)んでくるのではなく、自分の内にチャンと
いる名医だからいかなる医師よりも、迅速に処置がとれ、外から患部を想像するのではなく、内に
いて患部の状態を知りつくしていて、それに適応する抗毒素の製造や体温の調節や便通の調節をす
るのでありますから、その処置をまちがえるということは決してないのであります。<(抜粋文)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

此処で、本当に自分自身の中に【自然療能という医師…】がいますかと…自覚を致す事が…新たな
る“活力”をもつ事が出来ますでしょう。そして、この事は医者が、やはり“心のケア−”と致し
ましての“アドバイス”の必要を感じ、そして【真理の伝道…】かと、思う次第です。

                                     再合掌

1719如月:2012/12/08(土) 21:55:58 ID:ki/haAjk
トキさまのウサギのお話面白かったですね。
ウサギは構造上後退はできないんじゃ?と心の中で突っ込みを入れたらおかしくて笑ってしまいました。
でも、コース変更はできますし、やはりこだわりの心、思い込みの心は道を狭めますね。

ところで
『あらゆる他の善さがありましても、心の自由が欠け、窮屈で、気が小さく、いつもクヨクヨ自他の悪に
かかわっているようではその人の善さの大部分の価値は失われてしまうのであります。』
                                            ━━━テキストより━━━
あてはまる人を知っています。
とても正義感が強く真面目で自分にも他人にも厳しい人です。
オウムや創価のせいで宗教が大嫌いな人に、自由な心になってもらう方法はないでしょうか。

1720トキ:2012/12/08(土) 22:17:56 ID:tRbdVDEA
>>1719

 ウサギは面白いです。道を先回りして、ウサギが来るのを待っていると、私がいる場所にそのまま全速力で突っ込んできます。
で、頭をパッと捕まえると、そのまま止まります。これが、他の動物だと、こちらを見て、そのまま止まるか、横道にそれます。
今、飼っている犬なんかは、実に賢くて、うまく逃げますね。

 さて、宗教を嫌う人が多いのは、残念です。ただ、宗教家も反省しなければなりませんね。近所のキリスト教の熱心な信者が
いて、その人なんか、キリスト教以外は邪教だと言うのです。創価学会みたいなものです。こんな偏狭な人を見たら、誰でも
嫌に成ります。ただ、これは、私も深く気をつけないといけない部分です。

 で、そういう人には、宗教に入りなさい、と言ってはいけないと思います。ただ、自分の行いを正しくすることと、その人
には、明るく、親切にするのが好いと思います。誰でも時期がありますから、時期がきたら、その人も宗教に関心を持ちます。
 それまでは、神様に祈って、時期が来るのを待つのがよいかと思います。

1721復興G:2012/12/08(土) 22:25:39 ID:vWpLkCzM

 皆さま、復興Gは只今戻ってまいりました。

 あまりたくさんの書き込みはなかったようで、助かりました。
 にぎやかにたくさんの書き込みがあるのがよいとは限りません。
 大調和(みすまる)の歌にも、「宇宙(くに)静かなり」とあって、榎本恵吾先生は『「今をよろこぶ」生活のヒント』に、次のように書かれています。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「宇宙(くに)静かなり」の「静か」とは、すべてのものが処を得ていることである。聖は聖。光りは光。神は神。人は人。すべてそのものが自らをそのものしているときを「静かなり」と言うのであります。人間は神であり、聖であり、至上であり、光りであるときを、「静かなり」というのである。

 心臓でも、異常があって動悸が大きくしているときはまことににぎやかでありますが、それは心臓のいのちが処を得ていない、充分にその働きが出来ていないときであります。心臓が処を得て、まことになめらかに作動し、人体に最もよい貢献をなしているときは、心臓があるのかないのか全く忘れられているときであります。

 「静かなり」とは、全くすべてのものが調和して、澄み切って、大活躍の出来ているときであります。全くの澄み切りの状態であります。それは全く気づかれないすがたであります。それは、吾々が迷えたと思っても、全く気づかないにもかかわらず輝きつづけ、生長しつづけている神の子のいのちの輝きと同じであります。

 いのちは、聖なるうちに聖なる生長、発展を遂げつつあるのであります。われわれの聖なる使命は、すべてのものと大調和のうちに、大調和が大調和しつづけて行きつつ果されてゆくのであります。それは神に生かされて、自ずからなされているものであります。

 山を観よ、川を観よ、木を観よ、花を観よ、空を観よ、海を観よ。そこには何か、自ずから吾らに心を開かしてくれるものがある。しかしただただ、そこには山は山し、川は川し、木が木し、花が花し、空が空し、海が海している姿があるのみである。「同じものが同じする」という、処を得た静なる姿があるばかりである。

 そして、それを偉大でないとは誰れも言わないのであります。偉大とは、自足ということである。他によって成り立っているということではない。人間はそれ自身で神の子であって、聖であって、静かであって、そのまま偉大なのである。

 神は宇宙を創造し給い、万物を生かし生長せしめていても、姿を現わし給わず。コトリとも音をたててい給わないのである。全く静かなるものである。全く己れを消してい給うのである。ここに聖なる、至上なる輝きがあるのであります。神はどこにも姿をあらわし給わず、否定しようと思えばいくらでも否定出来るようにしておられるのである。無神論者が神を否定すればするほど、それは神の無我なる、聖なるものの偉大さの自己証明となっていることを、そこに拝まずにはいられないのであります。

 静かなるうちに、聖なるうちに万物は生み出され、生長し、発展しているのである。静かなるもの、聖なるものとは、知らぬうちに、自覚されないうちに、すでにあるもののことである。神の子は「修行、修行」という大きな音をたてる必要は全くないのである。ただただ、すでに生かされてあったことに想いをいたすことがあるだけであります。ただただ輝いているだけなのが、神の子であります。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

と。

1722復興G:2012/12/08(土) 22:31:24 ID:vWpLkCzM

SAKURA様
トキ様
NANCY様
如月様

書き込み、ありがとうございます。
うれしく拝読しています。

1723SAKURA:2012/12/08(土) 22:33:56 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ  トキ様 へ
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1677>>1687>>1695>>1697>>1714>>1715>>SAKURA投稿の続きです…。

>>1716トキ様からの“コメント”より  その①
■>同級生が見せてくれたリストに、自分が毎日、医師から処方されて飲んでいる薬が書かれて
いました。それを見ると、20種類もの薬が書かれていました。驚いた私は、薬剤師をして
いる親戚にそれを見せると、「こんなに飲んでいたら、普通の人でも病気になる!」と言われま
した…云々…  (抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■「トキ様の友人」の行方は、気になります〜〜〜ネ!非常……に!

個人的な話ですが「亡き母」も、老人サ−クルに出入りしだしてからでしょうか???
“ケア−のボランティア”が、紹介しました医者から、これも【老人ホ−ムの関連会社】で、
すべて此処の病院との関連からでしょうか??急に【認知症…】との、認定判断なのです。

■当時!この診断“オカシイ…のでは?”と、パ−トナ−ともども、変に思いました。
当時の「亡き母」は、私どもから見ても【正常…普通の人】でした。…が?
但し?“姉・妹たちの判断”にて、この“老人ホ−ム”から“認知症専門??”と言いますか
その“老人ホ−ム”に入居しだしまして、更に、この医者の言葉を、絶対的に信じている傾向
でした。ところが?ある時、ひょんなことから、私は、不審を抱くようになり、その医者に、
“面会の約束”を取ったのです。…が?その時あるケア−の方が、あの先生は慶応出身の方
ですから、大丈夫です〜〜〜ョと、何度も何度も言われましたが、私は、不信が益々と…

そして、当日、一応面会しますと、単刀直入に『モ〜〜〜ゥ!第三セクタ−は誰ですか?』と、
この言葉を直ぐさま頂いたのです!!私なのに、「障害者は一人前にみていない感じ」での
偏見の態度…当時!東京の病院に聞き【人 権 侵 害 】になると、教えて頂きました。
それでも「亡き母」は、私よりも“姉…”に頼りったのが……“死期を早まらせた原因”の
一つと申しても過言ではないでしょうと、思います。そして、どうも結局は、この担当医の
先生は、慶応出身ではなく、何処かの??大医学部でした。…が?(学生の頃は、医学部
としてはバカ大と“パ−トナ−”が……)そして、
失礼ながら、東京都比較しますと地方の医療関係者の知識が【薬剤…】一つにしても、勉強
不足かと当時は思いました。閲覧者の皆様の中にも…感じますところがありますのでは?更に
「トキ様」の投稿内容から、失礼ながら、ある面「有名な先生」と言われている人程、時と
しては、何処までの【医者のモラル…】があるのでしょうか?その時は、痛切に思いました
次第です。

■私も【薬剤…】は、今は“ネット世界”がありますから、まず【調べる事に優先!】……
それでも判らない時は、やはりホ−ムドクタ−の先生に聞いています。どうかしますと、
東京のいきつけの【薬剤師…】にも聞きますと、意外と“いい情報・オモシロイ情報”も、
頂けますから、正直申しますと、此処九州は“勉強不足”の感が致しますかと??
                            (つづく)

1724SAKURA:2012/12/08(土) 22:36:04 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ  トキ様 へ
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1677>>1687>>1695>>1697>>1714>>1715>>1723>>SAKURA投稿の続きです…。

>>1716トキ様からの“コメント”より  その②

■此の方が、まだ“薬…”を服用されていますと【副作用…】の症状も気になります〜〜ネ!
そして「亡き母」が【老人ホ−ム】に入居しましても“命の保証”は何処まで?言葉に語弊が
ありますカモ知れませんが…【何処までの介護心…介護のこころ】なのでしょうか?私には、
何も話しませんでしたが?当時“叩かれたようなアザ…”がありました。…が?
本当に、ケア−の方でも、現状!向こうの方々が担当の場合は、向こうの“ウイルス感染”も
あり得るのでは?人は少なくともウイルスをもっていますので…「亡き母」の死亡原因の病名
が、正直言って“ごまかしの部分?”かと、感じ取った次第です。今から、自分の“心”を
改めて、もう一度【鍛え直す…折り返し地点】でしょうかと。

「トキ様」も、その“友人…からのお話”にて【薬…】は??これで、前以上に
『生きた生命哲学…真理』への“進歩向上”でしょうか?(失礼な表現かと?ごめんなさい)

■更に!“知人”が、病院の“薬…”を、本人の思いのほか種類が多かったの
でしょうか?私どもに“薬…”に関して、これを東京の先生に聞いてほしいとの事で、依頼
されまして「先生…」に聞きますと、やはり?全く意味がないし?場合によっては【副作用】
がある〜〜〜???モット!モット!【カルテ…】を、見ないと判断が〜〜〜><
なるべくなら、服用しない方が良いと言われて、まず【薬の処方説明書】を送りまして、
その後、薬の種類をある程度控えて……服用しまして、この事が結果的には「いい結果」に
なりましたが……?【治る!】という本人の“ゆるぎない強い意志…こころ”でしょうかと。

ついつい【唯物論的…】になりましたが「医者もモラル…?低下の医者」もいますから、
まず!色々な方法にて、調べる事からでしょうか???
そして【こ こ ろ の 法 則】駆使すべきでしょう〜〜〜。

                              再合掌

1725如月:2012/12/08(土) 22:39:51 ID:ki/haAjk
>>1720 トキさま

ありがとうございます。 無理にすすめなくて良いのですね。
私は、今回のテキストの部分だけでも何とか読んで欲しいと思っていたのですが
「ありがとう教はカルトだ」と以前に、はねつけられた事があるので。

祈って、その時期が来るのを待ちます。
真面目で神経質で、精神を病む一歩手前の人なので、そんな人を見ていると
薬やお酒にひたっているヤクザさんの方が健康に見えるくらいです。

1726如月:2012/12/08(土) 22:57:49 ID:ki/haAjk
復興Gさま
おかえりなさいませ。

榎本恵吾先生の『「今をよろこぶ」生活のヒント』から「静か」についてのご説明ありがとうございます。
荘厳な静かさがアリアリと目に浮かぶ素晴らしいお話で感動いたしました。

1727NANCY:2012/12/08(土) 23:12:01 ID:jH5uEFzM
「復興G 様」 ヘ  「トキ 様」 ヘ
こんばんは……        ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1678 >>1692 >>1718の投稿の続きです。

>>1719>>1720の投稿から〜
■>オウムや創価のせいで宗教が大嫌いな人に、自由な心になってもらう方法はないでしょうか。<

此処の“言葉…”の処で“引っかかり”なの で〜〜〜す???
■ 宗 教 ■を、一概に【オウムや創価…】と〜〜〜♫〜〜〜限定しても??

思いますに、【宗教…】にふれますのは?その指導的立場の方以外は〜〜〜>< 学者タイプ…?
おおかたは【迷い・悩み…】からその門をたたくのでしょうかと??その時、一番身近に感じる?
或いは第三者(知人…etc)を通じて参考になります【 宗教の…門 】に、触れますのではないの
でしょうか〜〜〜?他にもありますでしょう〜〜〜かと?
一時“マスコミ”で取りざたされていました「統一教会」「法の華」…も ><

■■ですから【宗教…】この出会いも「導き…」でしょうかと思います。
厳密に言いますと「導き…人格論」に入って行くかと思うのです…。…が??

そして、たとえ【 健康面・経済面・家庭面・人間関係…etc 】多々なる問題でありまようとも?
最終的には、思いますにはどの宗教も【 人 類 意 識 … 心 の 法 則 】を、説かれて
いらっしゃいますのではないのでしょうか? 個人的に思う次第です。 …が?

いろいろと…個人的に【 宗教の旅???巡り〜♫〜 】を、致しましたが
最終的には「雅春先生の説かれました…真理」は、素晴らし〜〜〜イ!モノと、益々と思うのです。

1728トキ:2012/12/08(土) 23:15:39 ID:tRbdVDEA
>>1727

 そうですね。失礼をしました。

1729復興G:2012/12/08(土) 23:20:53 ID:vWpLkCzM

SAKURA様
如月様
NANCY様

ありがとうございます。


前に>>1711 でa hope様が触れてくださった
賀川豊彦氏の「神の乳房」という御文章ですが、その部分、テキスト『生命の實相』第2巻p.62〜64から謹写しますと、

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

    無我本然(ほんねん)の状態に還れ

 で、われわれが身体のどこかが健康でない状態になったとしますと、その時にぜひなさねばならぬことは、心を肉体のどこにも滞らせず、身体のどこからも心を放ち去って、無我本然(ほんねん)の状態に還ることであります。

 われわれの本然の生命の相(すがた)は無我でありまして、形によってここからここまでが自分だというような、そんな限られた窮屈なものではありません。それだのに身体(からだ)という有限のものを描いてそれに「心」を滞らせて病気になったのでありますから、その「限られたわれ」の感じを放下(ほか)し去って、大生命――大無我に帰一しなければならないのであります。

 大生命――大無我に帰一し、無我本然の状態に立ち還りますと、忽然(こつねん)として本来の無限自在さがわれわれの生命に立ち帰って来て病気がなおるのであります。

 日本古来の「鎮魂(たましずめ・ちんこん)」の術と申しますのも、「内体の感覚を蕩尽(とうじん)してひたすら天之御中主命(あめのみなかぬしのみこと)と一体になる」のが本義でありますが、仏教の禅定でも同じことであって、自己の本然の「無我」を体証することであります。

 キリスト教の祈りと申しますのでも、必ずしも「神様、どうぞこの事をわがために成就したまえ」と一つのことに執着してそれを頼み込むことばかりではないのであります。

 本当の祈りは「無我」になって神に抱かれて神と一つになることであります。賀川豊彦氏も昭和六年一月中の大阪毎日新開に「神の乳房」と題して次のようなことを書いていられます。深き体験のお言葉だと思いますので次に引用させていただきます。

 「年久しく私は、神との対坐を祈りのうちにつづけてきたが、四十を越えて今日、端坐して祈るときの嬉しさと、平安と、休息をこよなくよろこんでいる。これまで、祈りをすることが何か特殊な変態の世界にはいって行くように思われていたが、このごろになっては、睡眠と同様に一つの本能であることに気づかれてきた。

 綿のように疲れた体を床柱に凭(もた)らせ、しわがれた血の出る喉の呼気をしずめ、しずかに神にすべてをうち任せて孤坐すれば、醒めたる霊に、睡眠以上の安息が与えられる。邪気は逃げ去り、神秘の霊域は眉間(みけん)にせまり、火気なきトタン屋根の下にも、春陽の暖かさが通うてくる。求むるでもなく、せがむのでもなく、母の二つの乳房の間に、小さい顔をねじこんでいる赤ん坊のように、ただ神の乳房を両手に握り、静かに、静かに静坐すると、地震も、地辷(じすべ)りも、暴風も、洪水も、災厄も、疾病もこわいものではなくなってしまう。

 わたしはもうすでに、無窮の愛に吸い込まれ、すべての不浄を忘れて神の懐(ふところ)に帰ったものである。壁も、トタンも火鉢の灰も、それらは神の乳房の毛孔のように考えられる。神の乳房に吸い着くことを知ったわたしには、徹夜の労作も、神の与え給う睡眠に均(ひと)しい。

 ただ祈りはつづく、祈りはつづく。わたしの生命の祈りはつづく。神の乳房に吸い着いたわたしは、両眼をうち開いて、眠りよりなお安らかな安息を味わう。」

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 以上はテキスト『生命の實相』第2巻からの引用でした。

1730復興G:2012/12/08(土) 23:29:35 ID:vWpLkCzM

 私は、毎月一回、讃美歌を中心にしてアカペラ(無伴奏)の美しいハーモニーを味わって歌う合唱団にも参加しています。そこで毎回必ず歌う聖歌に、讃美歌310番「しずけき祈りの…」というのがあります。
 その歌詞は――

1.しずけき祈りの ときはいと楽し
 なやみある世より われを呼びいだし
 父のおおまえに すべての求めを
 たずさえ至りて つぶさに告げしむ

2.しずけき祈りの ときはいと楽し
 さまよいいでたる わが魂(たま)をすくい
 あやうき道より ともない帰りて
 こころむるものの 罠をのがれしむ

というのでありますが、これを歌うときの気持は、「神の乳房」に吸い付くような祈りの気持かも知れません。

「私は、ないのである。ただ神のみいます。今、ここに神が生きてい給うのである。ありがとうございます。」

と、神に全托して、「今」をよろこんで生きて――生かされてまいりましょう。

1731復興G:2012/12/08(土) 23:34:07 ID:vWpLkCzM

では、皆さま、今夜は静かに、やすらかにおやすみなさいませ。

ありがとうございました。

1732SAKURA:2012/12/09(日) 01:44:58 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ  トキ様 へ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1677>>1687>>1695>>1697>>1714>>1715>>1723>>1724>> SAKURA投稿の続きです…。

頂きました【今回のテキスト該当部…】から、個人的ですが…冒頭から勉強・投稿形式を
取らせて頂きます。

❤ 生理的状態は暗示によって感染する   その①
======生命の実相 2巻から抜粋=========================
 精神的感染によって、あくびという生理作用が感染ったり、人の涙を見てこちらも涙が出た
り人の食べるのを見て唾液が出たりする事実は、誰でも知っているところであります。これを
見ればわれわれの心の状態がどんなに生理作用に影響を及ぼすかは考えてみてもわかるのであ
ります〜〜云々〜〜ラジオ・ドクタ−が衛生のことや健康法のことについて説くことは参考に
なります。けれども、黴菌の恐るべきことや、人間が少しでも不注意であれば病気に冒される
ことなどを説いて、恐怖心をそそることは感心しないのであります。それは人々を病気の想念
の中におくことになりますし、病気の想念により喚起された恐怖心によって、生理作用が攪乱
され、病気に対する抵抗力が鈍ってしまいかえって病気になってしまうのであります。予防医
学は社会政策的立場において必要でありますけれども、すでに病気になっている人が、通俗医
学の書を読んだりラジオ・ドクターの病気恐怖の話をきくのは必要でないばかりか、恐怖心を
そそられて病気に対する抵抗力を薄弱ならしめますから、なるべく避ける方が結構であります。
                             (谷口雅春著)
==========================================

■“病気になる事”は、以前の“心の種をまいた結果”でしょうか???たとえばですが?
父親が【癌に侵されて病気】になりまして、悲しいかな?死亡…そうしますと、人間の潜在
意識の中に【自分もいつか〜〜〜“癌…”になって、同じような死を迎える】という
“恐怖心の種”が、無意識に植えつけられて、いつか月日が立ち【時間・空間】でしょうか?
忘れた時に“恐怖の病気の芽”があらわれるのです〜〜〜ョネ!!

                               つづく

1733SAKURA:2012/12/09(日) 01:49:43 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ  トキ様 へ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1677>>1687>>1695>>1697>>1714>>1715>>1723>>1724>>1732>>SAKURA投稿の続きです。

頂きました【今回のテキスト該当部…】から、個人的ですが…冒頭から勉強・投稿形式を
取らせて頂きます。
>>1732>>投稿の続きです…。

❤ 生理的状態は暗示によって感染する   その②
これは【三界の唯心所現】として現れる!「生長の家の人」ならば、必ず知っています言葉!

■私も“5歳の頃交通事故…”に遭い、その時、空中に跳ね跳ばされて運よく“木の枝”が
クッションになり、一命を取り留める結果となりました。…が?ですから“顔のホホ”に、
傷が出来ておりまして“4センチ”くらい縫合しております。当時の医療では難しいのです
が、私の記憶では、車に乗せられて横になって運ばれていく光景を、今でも覚えています。

その後、手術が無事にすみ、目が覚めて“顔のホホを中心に包帯…”更に、腕も骨折です。
ですから、三角巾??みたいな固定していた感じ?当時の包帯をした“姿…”が、この頃よ
く浮かんできます私です。その時、当然の事ながら頭部を打っていますから「体の後遺症」
がと?当時の“両親の恐怖心”は???多大なものであった事でしょう。
ある時…小2の頃でしょうか?「担任先生」が“左の聴力”が、以前より聞こえがオカシイ
のではないのかと言われて、“病院…”へ、その時の病院の担当医の先生は、頭部を打ってい
ますから、今回は、運よく“無事”に乗り切れましたが、今度、なにか事故で…例えば、
頭部を叩かれたり?打ったり?このように“頭部”に何らかの力で、損傷しますと神経系が、
侵かされる事になると…つまり■【聴力喪失…】を言ってた事を「亡き母」は、良く言って
いましたから、私は“潜在意識”で、常に“交通事故…”を、再度!起こさなければいいと
思い、そうしますと、潜在意識に【 “大丈夫!”事故が起きなければいい!! 】と…、
いつかその自覚を、忘れてしまい、そうこうしています内に【21歳の夏の頃…の出来事】…
これが「タタキ男」に叩かれ“出血…”です。
その後、忘れもしませんが“22歳の3月10日の朝”に目が覚めても“音〜♫〜”が全く><
前日の【音のある世界…から…音のない世界】に、当に【暗闇の世界…】に引きずり落とされ
この日が【聴力喪失…日時】に、なりました。

■逆に今思いますと【 心 の 法 則 】 つまり“両親の言葉の念?”で、この様な
“悪い男…タタキ男”に、想念感情から結ぶ事となつたのでしょう〜〜〜。
「種をまく!」のも、やはり“いい種”を巻く事が、その後!結果として“大輪の花”が、
咲くのではと思います。…が?この【タタキ男の執着…】は、今日でも“腹”が立ちます
が、それを「雅春先生の言葉」から…【こころで縛りますと、また同じ繰り返し〜】になり
【四次元の世界…】に入っていくようなモノです〜〜〜ョネ!!この様に、毎日!毎日!
“決めつける事=思い込み事”は、必ずその時は、一時的にごまかしても、必ずや!
化けの皮が、出てくるのですから、そう断言して思うこの頃です。【円環…】

■あの「ヒットラ−の時代」も“永遠”には続かなかった事でしたでしょ〜〜〜う!!
これにならって【必ず!今は善くないけれど…必ず!良くなる事を信じて進む事】に、心を
振り向け…そして【祈る…】事が出来る人が❤〜【人生の勝者…】と思う次第です。

最終的に、相手に“恐怖心”を与える言葉を使用するよりも“希望の言葉”が一番!!
しかも【 正しい希望実現の言葉…】でしょうかと。?

1734a hope:2012/12/09(日) 09:53:57 ID:ueIDSztA
みなさま おはようございます。

わたしの住む所は、昨日はとても寒かったです。
紅葉もほとんど散ってしまい、いよいよ本格的な冬が到来したという感じです。

今朝、みなさまの投稿を拝見しまして素晴らしい内容に感動しています。

復興Gさまが>>1721で、

>>あまりたくさんの書き込みはなかったようで、助かりました。
 にぎやかにたくさんの書き込みがあるのがよいとは限りません。<<

とおっしゃって、榎本恵吾先生のご文章を紹介してくださっています。

ですが、実際に現象生活を送っていると、なかなかこの「静か」な心境に至れないのが現実なのではないでしょうか・・・?

今回の範囲で気になった言葉で、「人類意識」というのがあります。
さらに聖典には、「人類の通念」ですとか「人類の共通観念」という表現もされています。

たとえば、
『病気になったら、薬を飲まなければ治らない。』
『こんなに寒い日に、薄着でいると風邪を引く』
『咳をたくさんしているから、風邪をひいている』…というよな、
世間で常識とされているようなことが「人類意識」というのだと思いますが、
そのような人類意識に戸惑わされてしまい、わたしたちは心静かにしていられないのではないかと感じました。

偶然なのだと思いますが、ハマナスさまが昨晩、聖典引用板で「人類意識の大波を超出すべし」という、
雅春先生のお言葉を謹写してくださっています。
わたしは、このような偶然が起こるは、ハマナスさまのお祈りの力が深いからなのではないかと感じ、
ハマナスさまにはいつも感謝し、心から尊敬させていただいています。

以下、ハマナスさまの聖典引用板への投稿です。(ハマナスさま、勝手をして申し訳ありません。)

―――――――――――――――――――――

1777 :ハマナス:2012/12/08(土) 23:56:13 ID:mR2szZkc
人類意識の大波を超出すべし
(『新版生活の智慧365章』p.308)

「病気は無い」と“心”で念じたら病気が消えるならば、「肉体は無い」と“心"で念じたら肉体が消える筈だが、そんなに念じても肉体は消えないではないかと云う質問があるが、それは“心”と云うものが幾層にも重なっていて、一個人の単なる表層の現在意識で念ずるだけでは、人類全体の意識や、個人の意識にしても深層にある潜在意識面にある観念は容易に消えないと云う理由によるのである。

一個人一個人の意識内容は集団して一個人の人類意識と云う巨大な波動となって、個人個人の意識をその上に浮動させているのである。だから人類意識が「此の毒薬を幾グラム服(の)んだら死ぬ」と知っている毒薬を飲むならば、その人個人は、それが毒薬だと知らなくとも服用すれば、人類意識の“唯識の所現”としてその人は毒薬に当てられて死ぬことになるのである。だから其の人が人類意識の大波を超出するのだけの大信念を起し得るよう、熱心に神想観をして実相の完全さを揺るぎなく瞶(みつ)めない限りは、人類意識の大波のまにまに打ち上げられて破壊されることになるのである。

個人が「肉体がない」と心の表層で念じても肉体が早速には消えないのは、個人自身の潜在意識の中に「肉体がある」と云う観念の惰力が残っているのと、人類意識の中に「人類は肉体をもつ」と云う観念があり、その波から超出出来ないからである。

感謝合掌

―――――――――――――――――――――――


>>だから其の人が人類意識の大波を超出するのだけの大信念を起し得るよう、熱心に神想観をして実相の完全さを揺るぎなく瞶(みつ)めない限りは、人類意識の大波のまにまに打ち上げられて破壊されることになるのである。<<

とあるように、この人類意識の大波を乗り切るためには、真の神想観(祈り)をして、神の子の自覚を深めるしかないのだと思いました。


>>1729復興Gさま

賀川豊彦氏の「神の乳房」という御文章を謹写してくださりありがとうございます。
また讃美歌310番「しずけき祈りの…」歌詞も素敵ですね。
「祈り」は楽しいものなんだということが、わたしにもようやくわかってきました。
そして、聖歌を歌うことでも、神との一体感を感じられるようになったらどんなに素敵でしょうか…。

素晴らしい聖歌を紹介してくださり、ありがとうございます。

みなさまお一人おひとりのご投稿にも、コメントをしたいのですが、なかなか時間が取れなくて残念です。
ですが、拝見して、お勉強させていただいています。
ありがとうございます。

合掌。

1735復興G:2012/12/09(日) 10:21:57 ID:vWpLkCzM

>>1733 :SAKURA様

深夜のお書き込み、ありがとうございます。

>>【必ず!今は善くないけれど…必ず!良くなる事を信じて進む事】に、心を振り向け…そして【祈る…】事が出来る人が❤〜【人生の勝者…】と思う次第です。<<

ありがとうございます。
『【祈る…】事が出来る人が❤〜【人生の勝者…】』

――本当に、そうだと思います。

祈るとき、「神は完全にして神のつくり給いしすべてのものも完全なり」なのですね。

ある人の子どもが、高いところから落ちて脳震盪(しんとう)を起こした。それ以来、しばしば癲癇(てんかん)の発作を起こすようになった。それは、前に脳震盪を起こしたのが原因だから仕方がない、と思ったいたが、あるとき、過去はない! 未だかつて脳震盪を起こしたことは、いっぺんもないのが実相だ、神の子だ! と、そう思ったら、子どもはそれきり癲癇を起こすことがなくなった、という話をどこかで聞いた(読んだ)記憶があります。

実相神の子は、交通事故に遭ったことはない、完全円満なお姿がすでにある。ありがとうございます。
そのお姿を観じ、礼拝させて頂きます。
合掌礼拝

1736復興G:2012/12/09(日) 11:01:32 ID:vWpLkCzM

>>1734 :a hope様

 コメント、ありがとうございます。

>>聖歌を歌うことでも、神との一体感を感じられるようになったらどんなに素敵でしょうか…。<<

 ――谷口雅春先生作詞の「堅信歌」も、私が大好きな聖歌です。

 「堅信歌」の歌詞は、

1. われは聴く わが内なる声を
 “みひかりを常にもとめて
わが御手をしかと握れよ
安らなれすべて善ければ
とこしえに此処極楽に
なれは今まもられてあり。
  われは汝(な)の内なる神ぞ
  わが護り常に完たし。”

2. われは聴く わが内なる声を
  “われ常に汝(なれ)をまもれば、
  われ常に汝(な)を導けば、
  何時(いつ)のとき何処(いずち)にあるも、
  汝は完(ま)たく清くけがれず、
 行く道に迷うことなし。
  われは汝(な)の内なる神ぞ
  わが護り常に完たし。”

ですね。

 この「内なる」というのは、自分の内に小さくかくれている、というような意味ではない。
 榎本恵吾先生もおっしゃっていますように、

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 生きていること自体が自分ではなく神であり給うのである。自分は無いのである。自分は全くのゼロであるのである。自分が存在すること自体が神であり給うのである。神は“汝は吾れであり、吾れが渾べての渾べてである”と愛し、拝し、観じ給い、吾れとなり給いて神ご自身を生き給うているのである。……(「榎本恵吾記念館」サイトの「文書館12 幽斎殿Ⅴ」より)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ですから、「自分はないのである」と自覚したら、おのずから
≪われわれの本然の生命の相(すがた)は無我でありまして、形によってここからここまでが自分だというような、そんな限られた窮屈なものではありません。……大生命――大無我に帰一し、無我本然の状態に立ち還りますと、忽然(こつねん)として本来の無限自在さがわれわれの生命に立ち帰って来て病気がなおるのであります。≫

というようになることだと思います。

 そうは言っても、気になる「人類意識の大波」を超出すべし――素晴らしいですね。

合掌

1737トキ:2012/12/09(日) 11:46:26 ID:dcwAKtQA
 「自分はないのである」というのは、高齢の方がよく言われます。
やはり長く人生を経験すると、そういう心境になるのでしょうか。
 ただ、何もしていないで、そういう心境にはなれないとは思います。
やはり、真面目に勉強をし、行もして、はじめてわかるのかもしれない、
と感じています。

1738さくら:2012/12/09(日) 11:48:04 ID:WA9w81Yw
復興G様
ご参加のみなさま。

>>1703
復興G様、温かいお言葉ありがとうございました。学びを機会を与えて頂いて、感謝しています。

本当は、知人の身体のことでも、わたしには、大切なものを失う「恐れ」の心がとてもあることが、分かったんです。

何かを「失うのが怖い」と思うのは、外のものに依存する心がまだまだ強いからかな、と思うのですけど…
近しいものなど余計に、「執着」の心が出てしまいますね、、



復興G様がお書きくださった「静かなり」の意味が心に残りました。

 >「宇宙(くに)静かなり」の「静か」とは、すべてのものが処を得ていることである。聖は聖。光りは光。神は神。人は人。すべてそのものが自らをそのものしているときを「静かなり」と言うのであります。人間は神であり、聖であり、至上であり、光りであるときを、「静かなり」というのである。


以下、すべてのご文章から…、
すべてのものが、処を得て調和しているとき、「自らをそのものとしているとき」それが、「静かなり」、とハッとしました。

先日、聖典板に、『静思集』からの、
「寂静にして鳴るなり」「寂静にして病むなり」という言葉を、謹写させて頂いたのですが、それを思い出しました。
わたしには、意味が難しかったのですが、とても心に響いた言葉だったので。


祈りの方向を教えて頂き、すこしずつ、心のコリが和らぎました。

ありがとうございます。

1739さくら:2012/12/09(日) 11:48:37 ID:WA9w81Yw

それから、自分の中の課題の一つでしたが、
如月様の質問にトキ様がお答えになっているところがあります。

>>

>さて、宗教を嫌う人が多いのは、残念です。ただ、宗教家も反省しなければなりませんね。近所のキリスト教の熱心な信者が
いて、その人なんか、キリスト教以外は邪教だと言うのです。創学会みたいなものです。こんな偏狭な人を見たら、誰でも
嫌に成ります。ただ、これは、私も深く気をつけないといけない部分です。

 で、そういう人には、宗教に入りなさい、と言ってはいけないと思います。ただ、自分の行いを正しくすることと、その人
には、明るく、親切にするのが好いと思います。誰でも時期がありますから、時期がきたら、その人も宗教に関心を持ちます。
 それまでは、神様に祈って、時期が来るのを待つのがよいかと思います。


この姿勢はとても素晴らしい伝道の姿勢でもあるな、と思いました。

わたし自身、宗教だけの話ではないのですが、自分がこれが「絶対正しい」と思ってしまうと、
正直、「そうではない人、それと違う考えの人」に対して、やはり反発や嫌悪を感じてしまうことがあります。
受け入れられない気持ちと、自分の考えを強制したくなる気持ちでしょうか…。
ひどくなると、人を区別して、ある意味「差別的な意識」を感じることもあったかもしれません。
自分では、この想いに、さみしい気持ちがあるのにです。

前の宗教していたときには、殊更、この傾向が強かったし、だから、ぶつかる心も多かったと思います。

そんな中で、生長の家に触れて、もっとも感銘を受けたみ教えの一つが、「萬教帰一」の教えでした。
それは、すべての良き宗教宗派の教えの真髄に光をあてて生かすのが、生長の家の教えだと知ったので、この教えこそ、宗教間の和解を実現する偉大な教えだと感じました。

…でも、やっぱり、それさえも、「これが絶対正しい」に、自分の心が凝り固まってしまうと、そこにぶつかるものがでできてしまうのですね…。
この点でも、トキ様の姿勢は素晴らしいと感じました。

如月様が謹写して下さった
聖経『続 真理の吟唱』より、「愛の絶対価値を高揚する祈り」
の中で、

>人間が誰かを”愛”したという”愛”は絶対価値であるが故に、その”愛”は永遠に
滅することも減ずることもないのである。
 日本国民が国家を愛して国家を護るためい戦った。
その”戦い”という行為は、対手(あいて)があり相対的なものであるから、立場立場の異なる
人々によってその価値・不価値を色々に評価されるけれども、その”戦い”という相対的行為の
奥にあるところの日本国民が天皇を愛し大日本帝国をあいしたというその純忠なる”愛”の
価値は相対的比較を絶した絶対なるものであるから、肉体をいう相対的存在が滅びても
永遠にその”愛”の価値が滅びることはないのである。
純粋の愛は、絶対者に属し、絶対界より出でたるものであるが故に
それは永遠の価値をもっていて滅びることはないのである。

という言葉がありました。

一見、相対的な価値観の違いや対立すると見える物事や相手があると見えても、

その奥に、永遠の価値を持つ神の愛の世界では、一体であるのが、真相だと信じることが大切なのですね。

それが、この誌友会で教えて頂いている、祈りにあると、受け取りました。

ありがとうございます。

1740「訊け」管理人:2012/12/09(日) 12:21:30 ID:???

>>1737トキ理事長


>>「自分はないのである」というのは、高齢の方がよく言われます。やはり長く人生を経験すると、そういう心境になるのでしょうか。<<


 そうかもしれませんね。ただし若輩者であれ「生死の境」を彷徨った経験などあれば、そのような心境になれるのかもしれません。少なくとも「近づくこと」くらいは、可能かもしれませんね。私なんかでもかの、リーマンショックを経験し御教えのありがたさ、堪能出来ました。なにせ「自分がある」限りは、心労が絶えぬわけです・・・

 たとえば「自分がある限り」とは、こんな意味です。

 たとえば、請求書を出した金額が¥2,000万だったとします。そうなると当然、人間知で考えれば翌月入金は¥2,000万であるはずです。(当り前の話です。請求額を超えて入金があるはず、ないわけですからね)。そしてこの場合、「入金¥2,000万では資金ショートだ」とします。こんなケース下で「自分がある」限りは、資金ショートするというシナリオ以外、思い浮かんでくるハズがありませんよね。

でも実際はその、「請求額を超えた額」が、突如入金になったりするのです。しかも「充分に運転資金として活用可能な額」がポンと、なぜか銀行口座に振り込まれていたりするのです(!)こんなことは「自分がある」(=自我を殺し終えていない)限りは、予想不能なことです。そして中には、取り越し苦労気味に〝自殺〟〝一家心中〟を選択する経営者も、出て参るわけです。

 若輩者であれ「生死の境」を、彷徨った経験などあればそのような心境になれるのかもしれません。少なくとも「近づくこと」くらいは、可能かもしれませんね。「自分はないのである」なる心境ですが、自殺寸前まで追い込まれたりすると、案外簡単に得られる心境なのかもしれません。(その意味で「自殺まで追い込まれた経験」というものも、「神の御使い」と言えるかもしれません)
 なお、余談ながら戦前期に御教えが広まった理由も、この辺りだったのかもしれません。なにせ当時は「25歳まで、生きられるかどうか」という若者が多数いたわけでしょう。そしてそんな、死線を彷徨う経験ある若者であれば現代でも、充分に通用する教えだと思っております。


>>1738さくらマネ

>>(趣旨)身近な者に対して執着が沸き、なかなか祈りの効果が現れないケース<<

 私の場合は「外注」します。祈りをアウトソース、します(^^)。意味は、知り合いの白鳩姉さんに「祈ってもらうようお願いする」ことです。

 やはり、たとえば「自分の会社の業績」なんてテーマになると、なかなか祈りの効果がありません。貴女が(以前より)言われる如く執着の念が生じるためだと思います。他人の病などは簡単に治せるんですが、自分の会社業績の場合が「なかなか上手くいかぬ」という、そんな事態に見舞われました。

 ・・・・そこで私は、「外注」しました。祈りをアウトソース、したわけです。まあ、徳久先生も「祈り合い」を重視しておられましたが、理由はおそらく、その辺りだったのではないでしょうか。

追伸

 ちなみに知人の白鳩姉さん達ですが、成就率100%です。(^^)もう、彼女たちに祈りを「依頼した時点」で私、もう、大安心の境地になれるのです。大安心の境地になれるのですからつづけて、唯心所現の法則でそのとおりに進展していくという・・・・

1741神の子さん:2012/12/09(日) 13:04:49 ID:3Dk63Vjg
神聖な誌友会の場で「祈りの外注」ってどんな心境であれば書けるのかな?
「祈り」についての根本的な理解が出来ていない。
「祈り」の事を「費用対効果」と同等に考える人って、驚きを通り越して虚しいだけだ。
尊師を呼び捨てにする理由もよくわかる。

オレはアンタのために祈るよ。

1742「訊け」管理人:2012/12/09(日) 13:16:53 ID:???

 と、言うことで皆さん「さようなら」






1743さくら:2012/12/09(日) 14:10:12 ID:WA9w81Yw
>>1740
訊け管理人様

ありがとうございます。
「祈りの外注」というのは、新鮮な言葉ですが、
本当、そうですよね。

自分に関することや自分の執着あることは、なかなか、純粋な祈りにならないことがあるな…、とわたしも感じましたので、
真理に叶っている、とおもいました。

そういえば、わたしが自分のことでくよくよしがちな時に、
生長の家の講師の方が、
「そういうときほど、人のために祈りなさい」とご指導くださいました。

はじめの頃参加した練成の、「祈り合いの神想観」は、本当に感動したのを覚えてます。
祈って頂きたい人が前にでて、練成員が向き合うようにただ、その人のために一心に祈り合う…
その時、わたしは、その姿がとても「美しい」と感じました。

グループで、小さな輪になって、祈り合いをしたこともありましたが、
その時には、祈っているうちに、本当に、ただ、涙が出てきました。
人のために祈るのは、一体である自分も救われていることなんだな、と実感したことです。

訊け管理人様の、ただ、神にそのままゆだねる、大安心のこころは、祈る上で、大切な心境ですね。

教えて頂きありがとうございます。

1744如月:2012/12/09(日) 14:22:34 ID:ki/haAjk
>>1740 訊け管理人さま

自殺未遂を数回して生死の境を彷徨った人がいますが、いまだに隙あらば死のうとします。
そこで自分は無いのだという心境になってくれていればなぁと思います。
こういう人には祈ってあげるしか無いのでしょうね。
祈りにはじまり、祈りに終わるというのは良い言葉ですね。

1745復興G:2012/12/09(日) 14:43:43 ID:vWpLkCzM

さくら様
トキ様
皆々さま

 合掌 ありがとうございます。

 ご投稿、ありがとうございます。

 ところで、私はずっと、今回のテキストを拝読しながらも、考えていました。

 現在の生長の家教団の状況も、いわば病気の症状を現しているようなものではないのか。
 それを、健康状態に回復するには、いかにあるべきか、自分はいかに祈り、いかに行動すればよいのか――そのヒントがこのテキストの中にあるのではないかと。

 これまでテキストを拝読してきて、教えられましたことは、「無我になって、神に全托して祈りなさい」ということが重要な柱であったと思います。

 しかし、その「自我をなくして」「無我になって」というのが、なかなか難しい。
 そして、自我をなくして祈るだけで、果敢な行動をともなわなかったら、症状は消えない、問題は解決しないかもしれない。

 そう思いながら他の聖典も傍証のために見ておりましたら、『實相研鑽』[第一集]にとても参考になる記事があるのが目にとまりました。「“無我”の限界について」というテーマで、昭和35・7・31、当時地方講師の方たちが熱心にいのちがけの気持で研鑽し合い、谷口雅春先生のご指導をいただいた記録です。かなり長文になりますが、もう50年以上前のことであり、ここに登場される講師の方々は皆すでに霊界へ旅立たれた方々ばかりでありますので、お名前もそのままに、謹写ご紹介させていただこうと思います。
 よろしくお願い申し上げます。

1746志恩:2012/12/09(日) 14:48:06 ID:.QY5jUA6
トキ様は、うさぎ体験を語って下さいましたが、
私も、過去に、ニワトリ体験がございます。

今回のテキストの71頁に、

「白墨の線も自分を縛る綱だと思えば,動けなくなる」とうタイトルのところに
例として、ニワトリに催眠術を施す方法が載っておりますけれど、

《ニワトリを静かに抱いて少しもその翼や足をバタバタすることができないように抱きすくめ、
それを床の上に横に置いて、眼のところから床の上に白墨で一直線を引いて静かに手を離しますと、

そのニワトリはもう起き上がることが出来ないのであります。。。》

というものですが、
私が高校生の時のことですが、

実家の父が、「生命の實相」のこの部分を拝読後、

「ほんとかどうか、実験したい」と言い出しまして、東京でしたが、たまたま近所に
ニワトリを飼ってる家があったものですから、そのおうちの人に交渉して承諾を得て、

興味津々の、われわれ家族が立ち会いのもと、
父は、一羽のニワトリを
実際に、地面に押さえつけて、ニワトリの眼の前に、白墨で白い線を引いてみました。

すると、ニワトリは、本に書いてある通り、即座に死んだように硬直して、動かなくなってしまいました。

この「生命の實相」に書かれていることは、本当だったのです。

われわれ家族は、実験者の父と共に「ほんとだ、ほんとだ」と歓声をあげました。
凝り性の父は、「もう1羽、やってみるか」と、もう1羽やりました

結局、2羽のニワトリが、われわれの眼前の足元で、死んだように硬直して動けなくなって
いるのでした。

ところがですね,今,思い出してもおかしくて笑いがこみ上げて来るのですが、
この催眠術は、施す術は書いてあるのですが、術を解く方法は、書かれていなかったのです。

まさか、変わりもんの父のように、実際にやる人があるとは、思われていなかったのかもしれません。

それで、父は、ものすごく焦りまして、汗だくになって、あれこれやって、やっと元に
戻したのでした。

今でしたら,ネットで調べれば、すぐに分ります。
「パンパンと2拍手すると、はい、催眠から眼が覚めます」と言ってから、2拍手すれば、
催眠術から解放されることを。

やはり、頭で理解したことは忘れがちですが、
感動体験したことは、何年経っても、忘れないものです。

1747NANCY:2012/12/09(日) 14:51:32 ID:jH5uEFzM
「復興G 様」 ヘ  「トキ 様」 ヘ
こんにちは……        ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1678>>1692>>1718>>1727の投稿の続きです。…が??

>>1732>>1733の【SAKURA様の投稿内容】を、閲覧させて頂きながら…(下記URLにて参照)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1732
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1733

個人的に思いました事は……今回【聴力喪失…そして“心の法則”との関連】に関しまして思い
ましたのですが?実によく“病気”をしました時に生じます【 恐怖心=ネガティブ感情 】が、
そうです〜〜〜ョネ!そこから生じます“恐怖”・“不満”…伴う“不平”……此処から、更に
【念の法則】にて、必ずや【引き寄せの法則】による次なる【出来事…アクシデント】となります
事が、理解出来ました。
そうでありますならば【ネガティブ感情でありますところの“悪感情”…】に関しては、当に
❤【幸福な生活…】を望みます私どもにとりましては、少なくとも抱くべきではないモノと!!!
改めまして、考え直した次第です。

■当に「生命の実相」中の言葉に…… (雅春先生著)
〜〜〜【抜粋文】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『三界は唯心の所現である。そこまでわかっていたから、家族たちの病気が心なあらわれである
ということは明らかであった。しかし心をいかにすれば自由になしうるかがまだわからなかった
のである。心配すればその心配の形にあらわれて病気になる、それは解る。しかし、家族が病気に
なっているのを心配しないでいることはむずかしいのである。』
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

本当にこの“言葉…”に、最も値しますモノと、思った次第なのです。そして、

■【 心 が 一 切 現 象 の 源 で あ る …!!】ですから、今回の
“恐怖の種”・“悩みの種”・“不平の種”……etc
これは逆に【マイナス要素…】になりますモノと…改めて思いましたかと…。

つづく

1748トキ:2012/12/09(日) 15:04:33 ID:dcwAKtQA
>1740

 web誌友会へのご参加、ありがとうございます。

 祈りの外注ですか。(笑)
確かに、祈り合い神想観がそうですね。面白い表現だと思いました。

1749復興G:2012/12/09(日) 15:18:18 ID:vWpLkCzM

『實相研鑽』[第一集](谷口雅春監輯)より
「“無我”の限界について」(S35・7・31)<1>

  “無我”の限界について (35・7・31)

    公憤して胃に孔あく

 橋村正治 「無我の限界について」というとちょっとおかしな問題ですが、私がこの疑問に達した経過を簡単に申し上げまして、問題の主旨を明らかにさしていただきます。

 私は昭和十五年に入信いたしました。べつだん入信の動機は病気とかいうようなことではないんですけれども、当時十二指腸潰瘍の宣告をうけて医者の薬をのんでいたのが、『生命の實相』第一巻を読ましていただいてから、薬はいらないんだということがわかりましたので止めまして、それっきり医者にもかかりませんし、長年の間別に何ともなかったんです。

 最近になりまして胃潰瘍が再発(十二指腸潰瘍とは同じようなものだそうで)、二、三回血を吐きまして、最後に胃に孔があきましたので、四月のなかばにいやおうなしにお腹を切られまして、胃を三分の二とってしまわれたんです。

 ところで私は入信以来、最近にいたりまして“我(が)”というものがなくなったと自分では思っていたんですね。ところが入院しましたとき、“まだお前には我(が)があったんだ”ということをマザマザと見せていただいたんです。それは私につきそって下さったおばさんが非常に我の強い方でして、私のいうことはちっとも聞いてくれない。むろん病人の看護ですから、病人の言うことをいちいち肯(き)くわけにはいかんのは当然ですけども、いろんなことがあって「ああ、これは自分にまだ我が残ってたんだ」ということを分らしていただいたんです。(そのおばさんは、私が退院するまでに誌友になってくれました)

 それで私つくづく考えてみまして、どうも自分には、まだ我がある。どういうところにあったかしらと思って考えてみましたところ、私が昨年来、東京都連合会の副会長をやらしていただいている期間に、都連をめぐるいろいろの問題についてちょいちょい憤慨した。そういうときに我があらわれたわけなんです。

 最初に血をはきましたのが三月の初めでしたが、考えてみるとその時に何かの問題で憤慨しとるですね。それは一週間ばかりして治りまして、今度は四月初めにまた血をはきました。その時も何か憤慨してるんですよ。それから最後に胃に孔のあいた時には、ある問題で非常に憤慨しまして、伊藤会長にも大それた進言をしたくらいで、今でも赤面のいたりなんですが、帰った翌日の次の晩かに孔があいちゃったわけなんです。

 私はそれまでただ慢然と「私事について“私”が出さえしなければ我はないんだ」と思ってたんです。ところが“公”の問題でも憤慨したりするということは、やはり“我”のあらわれだということを悟らしていただいたわけなんです。
<つづく>

1750復興G:2012/12/09(日) 15:18:54 ID:vWpLkCzM

『實相研鑽』[第一集](谷口雅春監輯)より
「“無我”の限界について」(S35・7・31)<2>

    “我”をなくせるか?

 ところが「我がない」ということは結局、相手はないということなんですから、相手があって憤慨する以上は、それは我があるわけで、大いに分らしていただいたつもりでおりますが、さてひるがえって社会の状態なんか見ますと、どうも憤慨せぎるを得ぬことが多いんですね。

 たとえば日教組だとか、総評だとか、これは憤慨せざるを得ないわけなんですよ。そういう場合にはやはり、これは“我”のあらわれにはちがいないんですけどね。我がなければ相手がないわけで、早い話が、神様になれば、あんな日教組や総評は問題にされないんだろうということになる。あれはああいうことしたとか、こういうことしたとかいう悪い状態は神様のお目には入らないんじゃないかと思いますね。

 そうすると我が完全になくなるためには(神に近くなるためには)そういう悪いことは自分の認識に入らないようにならなきゃいかんのじゃないか。認識に入る以上は、やっぱり、我はあるんだと。そこまで考えてきて私は分らなくなったわけです。どこまで我をなくしうるか、人間として、肉体人間として、どこまで我をなくしうるものだろうかと。また、なくしてもいいんだろうかと、五里霧中の状態になりましたので、皆さまの御指導をねがいたいと思うのでございます。ありがとうこざいました。

 司会 大分むつかしい問題ですが、どうぞ御遠慮なく発言を願います。現在、橋村講師のような状態におかれているという方でも結構でごぎいます。

    ガーンとやって反省

 林利男 無我になることは悟りの境地だと思うんですね。私なんか最も我の強い方でして、その証拠には前の住居のお隣りの方が、とても私の方へつっかかって来るんですよ。「立ち向う人の心は鏡」ですから、そういう人が近所にいていろいろいわれるのも私の我のある証拠だと思いまして、心に合掌しながらつきあっていました。

 しかしその後もしばしば問題が起るので、これはいったいどういうわけであるかと、私は大いに反省したんです。一つは私の職業(弁護士)がいけないんで、ある程度闘争してなきゃならない。闘争という言葉はないんですが、これは一度ガーンとやって、迷いを覚まさせなきゃいけないと思って、頭からガーンとやったところ、それから非常によくなった。

 しかしそれが、大いに『生命の實相』を説いてよくなったんなら私は手柄ですけどね、威圧を加えてよくなったというんじゃ、名誉でもない。そこに私はあとで「ああ自分には我がぬけきらないなあ」と悲しみをまざまざと感じたんですが、まあ反省するだけの私になったことは、やはりみ教えのおかげなんです。昔は反省しなかったですから。

 ところが無我ということはですね、結局は公けの問題にしろ私の問題にしろ、神と一つになり切ること、自分の個我が滅却してしまわなけりゃならない。われわれは個性の生命を神から与えられておりますから、個性の生命が働くことはいいんですが、それが神と一つの生命において働く。いわゆる個我が、普遍我いわゆる宇宙の生命と一つになった働きをする境地になることが無我ではないかと思うんです。

 だからある場合には、迷いを摧破(さいは)するためには大いに日の丸運動をおこし真理運動をおこして、共産主義や行きすぎた革新思想を催破するということは、やはり神と一つになるところの運動であり、その場合においては無我の運動である。だから大いに勇敢にやってもよろしいと思います。

 それでどこに限界があるかというと、自分のイノチが個の利益のため、個の考えのみのためにうごいているか、あるいは公けの神と一つになった動きをしているかというところに、その限界があるんじゃないかと思うんであります。私自身その限界一杯に動いていないことを非常に悲しむものですが、そういう考えだけは持っております。
<つづく>

1751復興G:2012/12/09(日) 15:19:29 ID:vWpLkCzM

『實相研鑽』[第一集](谷口雅春監輯)より
「“無我”の限界について」(S35・7・31)<3>

    影はゆれるが跡をとどめず

 白山守夫 終戦後しばらくのころでございましたが、神誌に谷口先生が官僚の横暴を非常に攻撃されたような御文章があったのでございます。そのとき私は「平和そのものと思っていた先生もやはりそういう攻撃をなさるのか」と思ってお手紙で御質問したわけです。そうしたらこういう名文の御返事をいただきました。(手帖に書きとめた原文のままを朗読する)

 「太刀先だけを見てその太刀筋を批評すべからず。憤激はせず、憤慨の語調をとる。虚にして実なり。共産党は何故あんなに拡がるか、官僚に対する憤激の形をとる故なり。滔々(とうとう)たる官僚攻撃の波に和する。これ全体に和するなり、和して同ぜず。呵々(かか)」

 私は非常に打たれまして、今でもよく覚えております。
 先ほどの御質問の中の、私事による憤慨や公共的なことに対する憤慨の場合でも、先生のお手紙を拝見しまして憤慨の語調をとるが、腹の底からは怒っていない。つまり

 「風に木の葉がゆらいでゆらいだ影が映っても、影は跡をとどめず」

 そういうように我のない場合には、そういう語調をとったとしても、自分自身がそれにまきこまれない場合は、自分を痛めるということはないという意味のお言葉だと、この御文章を非常に尊く、一生忘れんようにと覚えとるわけでございます。

 菱沼利一 「信徒行持要目」の第二項――“そのままの心を大切にすべし”というところに、お答えの意義を感じさせていただきました。私たちは常に感情に走りやすいのでこざいますが、ただ今のお答えのように、無我ということは、自己の感情をとり除いた上で行うことであると感じさせていただいたのであります。“そのままの心を大切にすべし”というのは非常に疑問でしたが、そのままの心というのは、神様の心であるということに感じまして、本当にありがたく拝聴さしていただきました。

    よごれものは受けて洗う

 伊嶋四耕 今日の本部道場の午前中の法語は田中イサノ先生の慈悲喜捨の「四無量心について」のお話でございましたが、この問題と非常に関連深く、ありがたく拝聴いたしました。

 谷口先生は常にお教え下さっていますが、不完全なものが目に入った時には、心に入った時には、やはり一応それは自分が取捨しなければならない。自分がそれを本当にとって、それをようく玩味して、そういうものはないのであると本当に考えなければ、生きていけないのであると、仰せられておるところを常に感じさせていただいております。

 さらに谷口先生がお教え下さいますように、よごれ物がここに出て来て、きれいにしようと思うならば、やっぱりそれは洗わないときれいにならないのであります。その場合、水で洗うのか、湯で洗うのがいいのか、陰ぼしがいいのか、日光にあてるのがいいのか、石鹸はどういうものを使うのか、それらを知らなければならない。それが本当の洗濯の意義である。その智慧はどこから出て来るのか、それは神の智慧によるのであり、神想観にあるのだと考えます。ありがとうございます。
<つづく>

1752復興G:2012/12/09(日) 15:20:02 ID:vWpLkCzM

『實相研鑽』[第一集](谷口雅春監輯)より
「“無我”の限界について」(S35・7・31)<4>


    相手を生かす愛

 山本暎一 伊嶋講師が申されましたように私もそう考えております。きたないものは一応うけとらなくちゃきれいにならない。その汚いものをうけとった時に腹が立つんですね。そういういろんな感情をなくするにはすべて愛である。

 たとえば全学連が運動し、共産党がさわぐ。これは真理国家としてこの日本の実相顕現という真理の点から見る時には、彼らはまちがっている。そこでまちがっていることを一応うけましてですね、どうしたら彼らを正しい真理の道に目覚めしめるか、神想観によってみちびく。のみならず、日の丸擁護会というような運動をもって徐々に彼らに知らしめることが必要で、あくまで相手を生かす。感情で相手をやっつけるんでなくして、あくまで相手を生かす。つまり愛である。生かす道はいろいろあるわけですが、議論すればいかにも腹立っているように見えるけれども、心の奥では相手を生かすということが根柢にならないと問題は解決しない。

 たとえば御本にありますように、自分の子供は何でも完全であると拝んでればいいもんじゃない。真理は、剣の如く鋭く、半面において、鳩のごとくやさしいという、愛と智慧とが表裏一体をなしている。智慧のない愛はいかん。子供が今、何か変なビンのものを飲もうとしているというときに、ただ拝んでおっちゃいかん。そのビンに青酸カリが入っているということになると、母親はいかに子供が泣き叫ぼうとも、横つらをはり倒してでもそのビンをもぎとる。この行為そのものは、いかにも腹を立てて引っぱたくような姿に見えますけれども、これはあくまでも相手を生かす精神の現われである。

 つまり涙をもって愛の鞭をふるうという場合、やはりここには鋭い智慧が必要でありまして、すべてきたないものは一応うけとっておいて(これは公けでも私的でも同じだと思う)すべて相手を生かす道が(あるいは形の上では争いのように見えるかもわからんけれども)ある。あくまでも真理を知らしめる。正してあげようという愛念に代っていくならば、ちょっとは腹が立ちましてもまた、相手本位に行ける無我の世界に入れるんじゃないかと思うのでございます。

    “そのままでいいんですよ”とは?

 中野愛子 私たちが毎日生活しておりますと、“神の愛ならばこうすべきだ”ということは分るわけなんです。心静かに考えますと、学生に対する態度や教職員との縦横一切の人間関係は、“神様ならこうする”ということから“自分はどうすべきか”ということは、もうちゃんと答えは出てるんです。(中野さんは東京女子経済短期大学教授)

 しかし実際そういう問題にぶつかりました時に、明らかに答えは判っていながら、心ならずも、その答えとちがったかんばしくない態度が出てしまうことがあるわけなんです。

 そうすると非常に反省させられまして「ああ、また悲しいことをしたな」と他の人から見ればそういうことは問題じゃないだろうと思うんですけど、一つ一つの言葉や行動の中に毎日反省させられるんです。

 そんなとき私は、『生命の實相』の中から自分に都合のいいような言葉を選んだり「神様は愛だからそのままでいいんですよ」と谷口先生がおっしゃったお言葉などを一所懸命となえてみても、だめなんでございます。それで「“神様”と言ったら、いいんだよ。そのままでいいんだよ」とか「あすはまあがんばってごらんなさい」というような形で、私などは自己を勘弁していただいておるんでございます。

 あるいはまた親鸞聖人の煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)なんて素敵な言葉を考えて、このまま菩提かしら、天国が一緒にあるとすればこれでもいいのかしらって、いうように考えて、絶対の愛というものは批判もされないんじゃないかしらなんて思うのでこざいますが、一所懸命神想観して、自分を磨いて完全にというような直線的なことは(できる方はできると思うんですけど)なかなかむつかしい。私など非常にぬらりくらりと欠点だらけでございますが、先生、その時どのように神様はお救いいただけるんでしょう。質問と共に、“そのままでいいんですよ”というこの楽な方がいいような気がいたしますので、お伺いいたします。
<つづく>

1753復興G:2012/12/09(日) 15:20:40 ID:vWpLkCzM

『實相研鑽』[第一集](谷口雅春監輯)より
「“無我”の限界について」(S35・7・31)<5>

    大いなるみ手に抱かれ

 黒田輝子 ただ今、無我につきまして皆さんから結構な御意見、御体験を頂戴したのでございます。私、それに対しまして、私の唯今の心境の一端をちょっと申しあげてみたいと思うのでございます。

 私は入信は十四年で二十二年に講師にさせて頂きました。当時、広島県におりましたが、島根県にお話にまいりまして、佐藤さんというお宅でお風呂をいただいているとき、もう周囲の一切に対しまして良い気持になりながら感謝さしていただいておったのでこざいます。そのとき突如として耳にきこえたと申しますか何と申しますか、親鸞聖人のお言葉がこう響いたのでございます。

 「煩悩障眼(しょうげん)して見えずといえども大悲倦(あ)くことなく、われを照す」(その時に私はその言葉は存じませんでした)

 「あらっ」と思いまして、同時に私は嬉しくて嬉しくて、ああそうだったんだ、私は今までこの世に生をうけてから、憎いとか可愛いとか、惜しいとかほしいとか、腹が立つとか、しゃくにさわるとか、そういう煩悩にあけくれる生活をつづけておったにもかかわらず、神様の御愛、仏様の御慈悲は「お前はこれではいけないから、こちらに向かなきゃいけない」というような激しいものでなく、私の知らないうちに私を慈悲の御手にしっかりとおだき下さいまして、今私を生長の家のすばらしい御教えの中にひき入れて下さいまして、しかも皆さんの前に立って神仏を説き人間の生きる道を説くことを教えて下さいました。

 本当にありがとうございます、と、私はお風呂の中に泣きぬれたのでございます。本当にそうだった。神様は私が行こうと思えばどこへ行こうと、憎んでおろうと怒っておろうと、それをいけないとは決しておっしゃらないけども、ゆきづまったり、かべにゆきあたった時には、自然に自分が神様の方にむくように、神さまの方からしていて下さったんだ。ありがとうこざいます。今まで仏教を研究し、いろいろな宗教をきかせていただいたけれども、どうしても分らなかったそのことを、『生命の實相』によって谷口先生に導かれて知り、私はなんてありがたいんだろうと思いまして、お風呂の中で泣いて泣きぬれたのでございます。

 それ以来、私はただありがたい、うれしい、ありがたい、というわけで生活させていただいておりました。

 そのうちに広島県の五日市に参りました時に、お床にかかっておりましたお軸にただいまの言葉、「煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我(ぼんのうしょうげんすいむけん だいひむけんじょうしょうが=ぼんのうしょうげんしてみえずといえども だいひあくことなくつねにわれをてらす) 雅春書」と書いてありました。

 それを拝見いたしました時にまた泣きぬれたのでございます。(谷口先生のこの御揮毫を拝見いたしましたのはそこだけでございます) そこでそれについてお話させていただきましたら、皆さんもたいへんおよろこび下さいました。

 私はまことに我のつよい女でございまして、自分を顧みる、いわゆる常に「わが内なる声」を聞きながら、私の欠点を「ああ、これはいけなかった。そうじゃなかった。私はまたあの方をこんなふうな目で見ていた。口には出さなかったけれども、心でこういうふうに思っていたんじゃないか、申しわけなかった」というように反省し、脚下照顧しておりますが、まだまだだめなんでごぎいます。相手を、問題の瞬間に、「相手は神であった」と拝める、どんな瞬間にもすべてを拝める私にならせていただきたいと、一所懸命精進させていただいておるのです。そこに立ちましたときはじめて、世の中のすべての問題も私の心の中で浄化して、お導きすることができるのじゃないかと、私のただいまの心境でございます。
<つづく>

1754復興G:2012/12/09(日) 15:21:11 ID:vWpLkCzM

『實相研鑽』[第一集](谷口雅春監輯)より
「“無我”の限界について」(S35・7・31)<6>

    もっと日本人の我を出すべき

 法貴雪子 私は無我の限界はあると思います。『生長の家』誌三十五年八月号の明窓浄机の最後のべージを読ましていただきましたら、谷口先生は御自分の身に日本の国の危機をお引受けになって、左の耳翼から前額にかけて痛みに耐えかねると書いてございました。

 私は昔、「自分のためには汗を流し、人のためには涙を流し、国のためには血を流す」という言葉を読んだことがありますけれども、私たちが怒っていいのは、そして体が痛くてもいいのは、国の問題の時だけであると思います。

 谷口先生のは我ではいらっしゃらなくて、そのまま実相でいらっしゃるでしょうけれども、私たちは今あまりにも無我になりすぎていると思います。私たちは本当の意味で、日本人としての“善人の我”を出して、もっと団結しなければ、谷口先生お一人に全部お引受けさしたのではあまりにもったいないと思います。もっと限界をはっきりひいて、私事だとか公けのことといっても、日本の実相顕現に関係のないことなら全部ガマンすべきです。そのために胃病になっても肺病になってもそれは致し方ない。そんなことで傷つく私たちの実相ではない。

 谷口先生はこのあいだ目黒の公会堂での講演のとき、「天皇が政治をおとりにならないから、凡人が政治をとっておるから、今日本の国は乱れている。日本のため、天皇の御代になるまでがんばりましょう」と、この物情騒然たる今日、堂々とおっしゃられました。しかも公会堂の壇を踏みならさんばかりにして、(私は本当に先生が般若(はんにゃ)におなりになって、ああして怒っていらっしゃるんじゃないかと思うくらい)烈々と話される先生の御気迫に本当に打たれました。それを思いますとき、私たちは本当に、今はもう我を出してもよいと思います。生長の家の我だけは絶対に出すべきだと思います。(拍手)

 司会 それでは最後に谷口先生の御意見を伺わしていただきます。

    すべてのものは善きように働いている

 谷口雅春 ありがとうございます。皆さんからいろいろ尊い見解を承りまして、だいたい言うべきことは言い終ったように思います。中野愛子さんの非常に反省の深い言葉を承りましたが、「自分でこうするとき神様ならこうなさるであろう、と頭ではわかっているけれども、実際には腹が立って変なことを言うこともある」というのはね、“それでいいんです”よ。(笑)

 “それでいい”というのは、それは自分の過去の中にいろいろのレコードがありましてね、仏教的に言うと、業というものがあって、それがある機会にまきもどされて形に現われて消えてゆくんだから、それをもう一ぺんつかまえないようにしてですね、“それでいいんだ”と放す。

 黒田輝子さんがおっしゃったようにね、「煩悩の中に溺れているようだけれども、大悲倦くことなく我を照す」というわけで、その煩悩の流動するに従って腹立つ言葉が出てくる。そこに大生命の無限の愛があって、自分の業も自然と解消してゆきつつあり、それによってまた相手の業も解消してゆきつつあってですね、自然にこの世の中が浄化されてゆきつつあるということになるわけでありましてね。だから腹が立つとか、何とかいうような問題にひっかからないで、“そのままでいいんですよ”という所へ行くところにですね、神様の大生命の無限の愛の中に自然と生かされて、常にわれわれは宇宙浄化の働きの中にのっている、ということになると思うんです。

 共産党に憤慨するのも、これも自然と宇宙浄化の働きの中に乗っておりましてね、日本精神(顕現)のために大いに公憤するのも、これも真理国家の実現という、実相の正しい相(すがた)を実現するために動き出しているところの一つの神催しの波であります。だからそれも“そのままでいいんですよ”ということになるわけですね。

 雷が鳴って雷霆(らいてい)霹靂(へきれき)が空をゆり動かすように見えているけれども、それは宇宙の電気の不調和が中和するために動いているというのと同じようにですね、“すべてのものは善きように動いておって、悪いものは一つもない”というところへいって、落着きが得られるということになると思うんです。そうでなければ、途中にひっかかっておれば、反省して反省して反省にくたびれてしまって、自己暗示で劣等感を得て、ますます悪い方へ崩れてゆくのであってですね。劣等感なしに、宇宙の本当の大自然の浄化作用の中にのっているんだという大安心が「大悲倦くことなく我を照す」ということになるんだと思います。ありがとうございます。
<完>

1755復興G:2012/12/09(日) 15:39:46 ID:vWpLkCzM

 ――以上、長文を謹写掲載させていただきました。

 結局、谷口雅春先生のご指導は、

 ≪「煩悩の中に溺れているようだけれども、大悲倦くことなく我を照す」というわけで、その煩悩の流動するに従って腹立つ言葉が出てくる。そこに大生命の無限の愛があって、自分の業も自然と解消してゆきつつあり、それによってまた相手の業も解消してゆきつつあってですね、自然にこの世の中が浄化されてゆきつつあるということになるわけでありましてね。……≫

 ≪日本精神(顕現)のために大いに公憤するのも、これも真理国家の実現という、実相の正しい相(すがた)を実現するために動き出しているところの一つの神催しの波であります。だからそれも“そのままでいいんですよ”ということになるわけですね。≫

 ――で、「必ずよくなる」と、大生命の浄化の御働きを信じ、祈りつつ、使命感のままに行動して行けばよい、ということになるのでしょうね。

1756「訊け」管理人:2012/12/09(日) 15:43:49 ID:???
>>1753

>>「煩悩障眼(しょうげん)して見えずといえども大悲倦(あ)くことなく、われを照す」<<


>>1754


>>“それでいい”というのは、それは自分の過去の中にいろいろのレコードがありましてね、仏教的に言うと、業というものがあって、それがある機会にまきもどされて形に現われて消えてゆくんだから、それをもう一ぺんつかまえないようにしてですね、“それでいいんだ”と放す。<<


>>“すべてのものは善きように動いておって、悪いものは一つもない”というところへいって、落着きが得られるということになると思うんです。そうでなければ、途中にひっかかっておれば、反省して反省して反省にくたびれてしまって、自己暗示で劣等感を得て、ますます悪い方へ崩れてゆくのであってですね。劣等感なしに、宇宙の本当の大自然の浄化作用の中にのっているんだという大安心が「大悲倦くことなく我を照す」ということになるんだと思います。<<


 誠にありがとうございます。感動致しました。


追伸

 悪いものを観た際、どうすべきや?――よごれたものは「受けて洗えばよい」

 「洗う」とは、いかなる行動を指すや――“すべてのものは善きように動いておって、悪いものは一つもない”というところへ、行くこと。

1757復興G:2012/12/09(日) 16:09:15 ID:vWpLkCzM

私も、>>1753 「大いなるみ手に抱かれ」という黒田輝子様のお話に、とても感動しました。

「煩悩障眼雖不見(ぼんのうしょうげんすいむけん=煩悩障眼して見えずといえども)大悲無倦常照我(だいひむけんじょうしょうが=大悲は倦むことなく常に我を照らす)」というのは、「私たちは煩悩が障りして眼に見えなくても、阿弥陀如来の大慈悲は常に私たちを見捨てずに、(無倦=あきることなく)慈愛の光明で包んでくださっています」という意味で、親鸞聖人が「正信偈」の中に書き記されている言葉でありますね。

黒田様は、この言葉を知らなかったけれども、あるとき島根県にお話に行ってお風呂をいただいているとき、突如としてこの言葉が耳にきこえたというか、響いてきて、ありがたくてお風呂の中で涙にむせんだ、というのでありますね。

『私は嬉しくて嬉しくて、ああそうだったんだ、私は今までこの世に生をうけてから、憎いとか可愛いとか、惜しいとかほしいとか、腹が立つとか、しゃくにさわるとか、そういう煩悩にあけくれる生活をつづけておったにもかかわらず、神様の御愛、仏様の御慈悲は「お前はこれではいけないから、こちらに向かなきゃいけない」というような激しいものでなく、私の知らないうちに私を慈悲の御手にしっかりとおだき下さいまして、今私を生長の家のすばらしい御教えの中にひき入れて下さいまして、しかも皆さんの前に立って神仏を説き人間の生きる道を説くことを教えて下さいました。
 本当にありがとうございます、と、私はお風呂の中に泣きぬれたのでございます。』

 と、発表されています。

 私も、なんだか感動して、涙が出てきました。

 ありがとうございます。

1758志恩:2012/12/09(日) 16:34:24 ID:.QY5jUA6
復興G様

大変貴重な資料をご提示下さいまして、深謝申し上げます。

『實相研鑽』[第一集](谷口雅春監輯)より
「“無我”の限界について」(S35・7・31)

  
私は、昭和35年は、まだ本部には、おりませんでしたが、
復興G様が、この資料を持っておられたということは、
この頃から『實相研鑽』に出席 出来るほどの幹部でいらしたわけで…。

それにしても、よくこんな古い時代の資料を、保存されてらしたなぁ!!と、おどろくばかりです。

この時のご発言の男性の方々は覚えていないのですが、女性の方々のことは、よく覚えております。


谷口雅春先生の締めくくりのお言葉は、本当に、智慧と愛が溢れていらっしゃる貴重なお言葉だと存じました。

 >>  『すべてのものは善きように働いている』

 谷口雅春  ありがとうございます。皆さんからいろいろ尊い見解を承りまして、だいたい言うべきことは言い終ったように思います。中野愛子さんの非常に反省の深い言葉を承りましたが、
 「自分でこうするとき神様ならこうなさるであろう、と頭ではわかっているけれども、実際には腹が立って変なことを言うこともある」というのはね、“それでいいんです”よ。(笑)

 “それでいい”というのは、それは自分の過去の中にいろいろのレコードがありましてね、仏教的に言うと、業というものがあって、それがある機会にまきもどされて形に現われて消えてゆくんだから、
 それをもう一ぺんつかまえないようにしてですね、“それでいいんだ”と放す。

 黒田輝子さんがおっしゃったようにね、「煩悩の中に溺れているようだけれども、大悲倦くことなく我を照す」というわけで、その煩悩の流動するに従って腹立つ言葉が出てくる。
 そこに大生命の無限の愛があって、自分の業も自然と解消してゆきつつあり、それによってまた相手の業も解消してゆきつつあってですね、

 自然にこの世の中が浄化されてゆきつつあるということになるわけでありましてね。だから腹が立つとか、何とかいうような問題にひっかからないで、“そのままでいいんですよ”という所へ行くところにですね、
 神様の大生命の無限の愛の中に自然と生かされて、常にわれわれは宇宙浄化の働きの中にのっている、ということになると思うんです。

 共産党に憤慨するのも、これも自然と宇宙浄化の働きの中に乗っておりましてね、

 日本精神(顕現)のために大いに公憤するのも、これも真理国家の実現という、実相の正しい相(すがた)を実現するために動き出しているところの一つの神催しの波であります。

 だからそれも“そのままでいいんですよ”ということになるわけですね。

 雷が鳴って雷霆(らいてい)霹靂(へきれき)が空をゆり動かすように見えているけれども、それは宇宙の電気の不調和が中和するために動いているというのと同じようにですね、
“すべてのものは善きように動いておって、悪いものは一つもない”というところへいって、落着きが得られるということになると思うんです。

そうでなければ、途中にひっかかっておれば、反省して反省して反省にくたびれてしまって、自己暗示で劣等感を得て、ますます悪い方へ崩れてゆくのであってですね。
劣等感なしに、宇宙の本当の大自然の浄化作用の中にのっているんだという大安心が「大悲倦くことなく我を照す」ということになるんだと思います。

ありがとうございます。<完> <<

1759SAKURA:2012/12/09(日) 16:46:27 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ  トキ様 へ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1677>>1687>>1695>>1697>>1714>>1715>>1723>>1724>>1732>>1733>>
SAKURA投稿の続きです。

頂きました【今回のテキスト該当部…】から、個人的ですが…冒頭から順次「勉強・投稿形式」
を、取らせて頂きます…。昨日からの続きですが……

❤  病気の真の感染原因
======生命の実相 2巻から抜粋========================
 病気は物質的感染によっても起こる場合もありますが、その根本原因は、物質的感染を
容易ならしめる薄弱な抵抗力と、その病気の忌まわしい症状を心に描く連想作用とが、病
気感染の有力なる精神的土台を作るのであります。 食中毒を起こして下痢をして赤痢に
なったというがごときは、赤痢菌の感染による場合もありますが、その食事の時「これは
変だ」と思わしめるのがあったか「あまり水を飲みすぎてお腹がじゃぶじゃぶする」とか、
「お腹が冷えた」とかいう感じが病気を連想せしめて、 胃腸の消化作用を弱め、腸内消
毒作用をもつ胆汁の分泌などを少なくし、ついに病菌に打ち勝った抵抗力をなくして病気
を起こすのであります。                 (谷口雅春著)
==========================================

■病気になりますと、必ず!【原因・結果の法則】があるようにも思えます。ので、病気の
原因をつきとめていきますと、必ず!心からの“精神作用”が多大でしょうかと??まれに
【外部要因…】で起こる事も、本当にありますモノ! 私の経験ですが、今!思いますと、
当にそのような事が、度々起きたのです。…が?

■此処で、当時「千葉の行徳在中の頃」の出来事です。そこの“賃貸住居…”で、やはり?
今振り返りますと【水…】に、何か?異物が混入された感じの経験があります。…が?
その時は、知らずに【水…】を使用していましたら“パ−トナ−”は胸にしこり、そして、
私も“出血”が頻繁に起きるようになり、当時の私の潜在意識には【病気はない!!】と
固く〜固く〜信じていました時に〜〜〜エッ!【パ−トナ−のガンの早期発見】でした。

その時、自分の病気の事に“心を振り向ける”よりも、ひたすら“パ−トナ−のガン”に
集中!!の私でした。…が?当時は、まず【祈り…】そして【治る…】これのみを“集中”
していましたら【検査の結果…】2週間後に“ガンが消えて”いましたが、この時、私も
気がつきますと【自分自身の出血も収まり】当に【祈り…】で、全て治ったのです。ややも
しますと“病気”は不安ですが、此処で【 一念集中して祈り…】に徹し、心を振り向ける
のですから、この時こそ【チ ャ ン ス 到 来】なんでしょうかと思います。それは当に!

今!今しか出来ない事を、神様が私に“振り向かせる事”その気づき…頂いたものと!
本当に【心 の 法 則 の 訓 練】なんです〜〜〜ョネ!!

「唯物論的…原因」??その前に、全ては【心の精神作用での病気】言い換えますと、すべて
【自分の心の影…迷い】ですから、必ず“治る事”を信じることが、そしてこの事への
【持続精神作用…】が必要かと思えます。
【病気こそ正しい道徳観念の気づきをもつ“チャンス到来”】と解釈しても良いかと思えます。

■■“言葉の力”で……プラス思考の暗示を続けましょう。そうしますと、必ず!
【無限の宝庫…】があらわれる〜〜〜〜そう!「なんでも出来る!無限力」

最後に、今の私は、この時の“心境”を思い出し【獅子奮迅にて前に進む事!!】でしょうか?
「病気本来無し…」これこそ【無の境地…】でしょうか〜〜〜?

1760志恩:2012/12/09(日) 16:52:49 ID:.QY5jUA6
私は、昔、谷口雅春先生が、
官僚の横暴さや、公人の間違った意見に対して,結構激しく ”憤慨 ”されてるご様子を、お近くで拝見したことがありますので
雅春先生は、あのように憤慨されておられて、お体に障らないものかしら、、と不思議に思っていたことがございましたが、

実際は、憤慨はせず、憤慨の語調をとられたいたという今回の ご発言をして 納得した次第です。


 >>《影はゆれるが跡をとどめず》3

 白山守夫 終戦後しばらくのころでございましたが、神誌に谷口先生が官僚の横暴を非常に攻撃されたような御文章があったのでございます。
 そのとき私は「平和そのものと思っていた先生もやはりそういう攻撃をなさるのか」と思ってお手紙で御質問したわけです。

 そうしたらこういう名文の御返事をいただきました。(手帖に書きとめた原文のままを朗読する)

 「太刀先だけを見てその太刀筋を批評すべからず。憤激はせず、憤慨の語調をとる。虚にして実なり。共産党は何故あんなに拡がるか、官僚に対する憤激の形をとる故なり。
 滔々(とうとう)たる官僚攻撃の波に和する。これ全体に和するなり、和して同ぜず。呵々(かか)」

 私は非常に打たれまして、今でもよく覚えております。
 先ほどの御質問の中の、私事による憤慨や公共的なことに対する憤慨の場合でも、先生のお手紙を拝見しまして憤慨の語調をとるが、腹の底からは怒っていない。つまり

 「風に木の葉がゆらいでゆらいだ影が映っても、影は跡をとどめず」

 そういうように我のない場合には、そういう語調をとったとしても、自分自身がそれにまきこまれない場合は、自分を痛めるということはないという意味のお言葉だと、
 この御文章を非常に尊く、一生忘れんようにと覚えとるわけでございます。<<

1761NANCY:2012/12/09(日) 17:17:53 ID:jH5uEFzM

「復興G 様」 ヘ  「トキ 様」 ヘ  「観覧者の皆 様」 へ
こんばんは……        ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1678 >>1692 >>1718>>1727>>1747>>の投稿の続きです。…が??

>>1732>>1733の【SAKURA様の投稿内容】を、閲覧させて頂きながら…(下記URLにて参照)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1732
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1733
■確かに、家族が病気になった場合は、心配しないということは非常に難しいモノです。…

更に「生命の実相」に雅春先生がおっしゃいました言葉に……(抜粋文)
〜〜〜【抜粋】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『心が一切現象の源であると知ったとき、その心が思うように支配せられたならばなんぼでも
ないが、その心が思うように支配されない時には、心のものがかえって恐怖の種の原因となる
のである。…云々…』
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

つまり、前回の【>>1732>>1733のSAKURA様の投稿】であります処から生じます
“恐怖の種”・“悩みの種”・“不平の種”……etcこの感情ですと何時までも『心の安住…』は、
当に!ほど遠い世界になりますものと、思います。何時も〜何時も〜この「狭い世界」での
堂々巡りとなりますのでしょうか??

■『実相の世界』は、どこでしょうか〜〜〜><
此処で「徳久先生の文章の中から…」一部抜粋させて頂きます。

〜〜〜【抜粋文】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「私は思索を重ね、静思を重ねたけれども安住の境地にはたっしなかった」と書いておられます。
それから、
「ある日、わたしは静坐合掌瞑目して真理の啓示を受けるべく念じていた。わたしはその時、
偶然であろうか、神の導きであろうか、仏典の中の『色即是空』という言葉を思い浮かべた。
と、どこからともなく声が、大濤(おおなみ)のような低いが幅の広い柔らかで威圧するような
声が聞こえてきた。

『物質はない!!!』とその声は言った」

先生がお悟りを開かれる、「神よりの啓示の最初の言葉」が、「物質はない」であったのです。
生長の家の真理は、この「物質はない」から、はじまっているのです。つづいて
…云々…『色即是空』という言葉をつづいて思い浮かべた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

これは「実相世界…」への『悟り…の言葉』かと、思います。しかしながら、現実の私は、今
現在でも、どうしても「五感での現象世界=現実世界」にどっぷり浸り気味と、反省するのです。
病気の時は、そこに引っかかりの心…又!経済問題・家庭問題・人間関係の問題…etcも同様です。
この事は「現実世界=現象世界」は、最終的には、物事に於きまして振り回される事の原因になり
ますでしょうかと?

つづく

1762志恩:2012/12/09(日) 17:22:01 ID:.QY5jUA6
復興G様

如月様からのご質問でしたけれど、
復興G様は、うつ病について

どのようにご指導をされてますでしょうか?

私の場合は、前にも言いましたが、近所のうつ病の女性2名の
人と友達になって、ただ話を聞いてさしあげるということで、
年数はかかりましたが、その方達は,今は、うつ病は、すっかり消えています。

しかしですね。うつ病の治った女性の1人のおかたに、社会人になったひとり息子さんが居るのですが、
その息子さんが、昨年あたりから、お母さんと同じ様なうつ病にかかりまして、
半年ほど会社へ行かれない状況になりました。

でも、地方公務員なので、クビには、なっていないそうです。
そのような病気の場合は、休んでいても地方公務員の場合は、お給料もちゃんと支給されるそうです。

私は,息子さんの方まで手がまわりません。お母さんには、以前に
生長の家の真理の本を差し上げましたが、その息子さんは,宗教には、全然関心がないようです。

今は、息子さんは、心療内科へ通院してるそうですが、処方してもらった薬が合うとかで、最近ようやく
会社へ行ける様になってきたと、お母さんは、よろこんでいます。

うつになる人は、まじめでやさしいタイプの人が多いと聞きます。
実際に、うちの近所のうつになった奥さんは、2人とも生真面目なタイプです。

宇治の練成会の体験談集をみますと、練成会に参加すると、うつが治ったという人が
多くおられますけれど、生長の家の縁の無い方を、お導きするのは、限界があり、むずかしいなと、
私の場合は思っています。

1763復興G:2012/12/09(日) 17:54:19 ID:vWpLkCzM

>>1756 :「訊け」管理人様
>>1758>>1760 志恩様

ご投稿ありがとうございます。

私はこの実相研鑽会に登場されているすべての方をなつかしく存じ上げていますが、S35.7.31の研鑽会の場に私自身参加していたかどうか、参加していたような気もしますが、記憶は定かではありません。その頃私は光明実践委員になりたてぐらいだったかと思います。『實相研鑽』は単行本として日本教文社から出版されていますから、誰でも買って読むことが出来ます(今品切れでなければの話ですが)。

ともかく、この本は当時の谷口雅春先生と弟子(地方講師・光明実践委員)との丁々発止のやりとりなどが載っていて、貴重な本だと思います。

ありがとうございます。

1764SAKURA:2012/12/09(日) 18:03:00 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ  トキ様 へ  観覧者の皆様 へ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1677>>1687>>1695>>1697>>1714>>1715>>1723>>1724>>1732>>1733>> 1759>>
【SAKURA投稿】の続きです。

頂きました【今回のテキスト該当部…】から、個人的ですが…冒頭から順次「勉強・投稿形式」
を取らせて頂きます。>>1759続き投稿です。

❤  人類意識と個人の潜在意識との問題
======生命の実相 2巻から抜粋========================
 病気の知識のない子どもには、病気に対する恐怖心などというものはないのであろうに、
病気にかかることがあるのは、病気が決して心の作用によるのではなく、じっさいに物質
的原因で起こる証拠ではないか――という人があるかもしれませんけれども、それは赤ん
坊の「意識」といえども「人類全体の潜在意識の大海原」の中に動いている「一波」なので
あります。したがって無邪気な赤ん坊の意識は「人類全体の病気を信ずる心」の波動に常に
乗せられて動いているのでありますから、親が病気を思わないでも、本人が思わないで赤ん
坊は病気にかかるのであります。そしてまた「こうしたら病気が治る」ということをすれば
病気がなおるのであります。               (谷口雅春著)
==========================================

■前回!記しました様に、本当にそうなのです〜〜〜ョネ!と、改めて思います、
【念の波動…】を、知らずに受け入れる!これは「無意識な状態」での事でしょうか???
「雅春先生」のおっしゃる言葉から❤〜【 「人類全体の潜在意識の大海原」 】これが
【念の波動】なんです〜〜〜ョネ!!そうしますと【 密教 】も、それに当たります。

…が?

【 密教 】とは???実際に“行”じています「黒幕デザイナ−」・「吸血鬼」・「ゾンビ」が、
更に「元々元W会長」達…もでしょうか【密教の対象…】にしています「人?」もしくは
「赤ん坊のような素直な心の人?」へ…… 知らず知らずの内に…【潜在意識…】に入れ込む
【念の波動…】が、あるのです〜〜〜ョネ!!
これを知らずに受けた方は??その人の心の中に【悪感情…ネガティブ感情】がありますと
この念波と同調し“アクシデント”が起きる事となりますでしょうか?? 逆に申しますと
この【悪念波…密教】を受けた方が、これを知って“捕まえない心境”そうなのです〜〜ョネ!

■【放つ心…捕まえない心】が、一番の対処法でしょうか?
「生長の家…現象なし!物質は無い!心も無い!……」従いまして…「無い…の世界」かと。
そして、心が【正しい心境・境地】に入っていきますと、この様な
「人類全体の潜在意識の悪波動」を、つまり受けつけない事になるはずなのです。

そうしますとこのような【環境は心の影という事!!】になります〜〜〜ョネ!!今の私は、
彼等の仕業に、更に!彼らの“心の貧しさ?=低級霊”に、引っかからない様にと…
【無我の心境】として…
【人間としての大きな使命観】をもちまして、前に進む事と・・・でしょうか??
                        
 再合掌

1765復興G:2012/12/09(日) 18:07:18 ID:vWpLkCzM

>>1762 :志恩様

うつ病の方のお導きについて。

私は、重いうつ病の方のご指導をしたことはありません。

「私は神の子、完全円満。これから毎日あらゆる点でいっそうよくなる。必ず善くなる」

私の中に太陽が照り輝く。私は太陽である。

うれしいなあ。たのしいなあ。ありがたいなあ。わあ、笑いましょう」

というような行を毎朝つづける、ということで、重症でなければ健康増進ができていましたから、

重い場合については、わかりません。

1766志恩:2012/12/09(日) 18:08:17 ID:.QY5jUA6
今回は,病気がテーマですが、


「日本のメタボ検診 海外から笑われる」とい記事を読み,私は、考えさせられました。
2012.12.06


 《調査を行なったラッセ・クログスボール医師は、調査結果についてこう述べている。

「検査項目で設定されている「基準値」である。この値は非常にあいまいなものだと多くの医師が声を揃える。

 東海大学医学部名誉教授の大櫛陽一氏がいう。
「ほとんどの健診や人間ドックにおいて、日本の基準値は年齢はおろか性別でさえも分けていない項目が大半です。

20歳の活力に満ちた男性と80歳のおばあさんが同じ基準で判断されるのはどうでしょうか。

 また、科学的な根拠のない基準値を設定している検査項目が多い。それは、各分野の臨床学会が患者数を水増しするために厳しい基準を作っているからです。

そのため、健診受診者のほとんどが異常とされる項目もある。
*********************************************************

特に、メタボ関連の基準値であるウエストや血圧、脂質などは欧米に比べて極端に狭い基準値を使っているので問題です」


 こんなデータがある。日本人間ドック学会が今年8月、昨年に人間ドックを受診した全国の約313万人について、

「異常なし」とされた人の割合が過去最低の7.8%だったと発表した。メタボ関連の項目一つで「正常者が50%」になり、複数の項目を調べることで、

 健康な人の9割以上が何らかの異常と指摘される状況になっている。
******************************************************************
これには同学会さえも「生活習慣病に関する項目の判定基準が厳しくなっている」と頭を抱えたほどだ。》



 また、  中村仁一医師著「大往生したけりゃ 医療とかかわるな」(自然死のすすめ)幻冬舍新書の ご一読もお勧めします。

1767志恩:2012/12/09(日) 18:10:58 ID:.QY5jUA6
復興G様

早速のお返事を、ありがとうございました。合掌

1768NANCY:2012/12/09(日) 18:17:46 ID:jH5uEFzM
「復興G 様」 ヘ  「トキ 様」 ヘ  「観覧者の皆 様」 ヘ
こんばんは……    ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1678 >>1692 >>1718>>1727>>1747>>1761>>の投稿の続きです。…が??

>>1732>>1733の【SAKURA様の投稿内容】を、閲覧させて頂きながら…(下記URLにて参照)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1732
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1733
■確かに、家族が病気になった場合は、心配しないということは非常に難しいモノです。…

更に「徳久先生の書籍文章の中から…」続き投稿にて、一部抜粋させて頂きます。

〜〜〜【抜粋文】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
無いよりいっさいを生ず。一切現象は心の所現にして本来無。本来無なるがゆえに、無より
いっさいを生ず。有よりいっさいを生ずと迷うがゆえに、有に執して苦しむのだ。有に執せ
ざれば自由自在だ。供給無限、五つのパンを五千人に分かちてなお余り、『無』より百千億万
を引き出してなお余る。現象界は念のレンズによると見ゆれどもここに無し。知れ、一切現象
無し。なんじの肉体も無し』

では、心はあるであろうかと思うと、その瞬間『心もない!』とその声は言うのだった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

この文章の所から『????ない』この事への理解が…この頃ようやく理解しつつでしょうか?

■■「実相」は、「物質は無い」「心も無い」と、「生長の家…御教え」は、説かれています。
この【 無 】ということに、やはり一時は私も“こだわりの心”となりましたでしょうか…!
例えば、病気に例えますと『心』と『肉体』の関係を多々なる観点からみますと…
「雅春先生の言葉」の中にも■【 想像妊娠 】ということに関しての文章があります。
当に【病 気 と い う の は 、 心 が 強 い 影 響 が あ る …】つまり
【心の影である肉体…】となりますかと、思う次第です。こうして参りますと…『ない…無!』を
更に考えますうちに……???

では?心の持ち方で“病気が治る”と捉えますといいのでしょうか??此処で、よく
“病気が治った体験談”を耳にしますが『病気が治る=心が変わる』そこの根本を、良〜〜〜く
認識すべきで、振り返りますと、当然のことながら【心が変われば…病気も治る…体も健康に】
でしょうか?

この事は【SAKURA様の投稿>>1759】 にも該当しますのではと思いました。 (下記URL)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1759

そして『 我 … 無 我 の 境 地 』ではと、解釈するようになったのです。

              つづく

1769観覧車:2012/12/09(日) 18:24:18 ID:onAYWLyc
唱和35年の「実相研鑽」、当時の真剣な信徒の求道問答は色褪せず今も感動します。

触発されて本流掲示板にあった童子さんの阿倍野道場の記事を読んで、息子さんの芳邨一弘弁護士の古いネット講演を思い出しました。

①童子さんの記事:http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=826


日時:2012年12月06日 (木) 02時50分
名前:童子

          ◆芳邨十四喜(よしむらとしき)氏は語る


 『私が四ツ橋道場へ行ったのは十四年頃でした。生長の家が別にいいと思って行ったのとちがうんです。 〃あれは邪教だ〃と思っていました。ところが生長の家に知識層が吸収されて行く。それが私には解せません。それで一つのぞいてやろう思うて、四ツ橋道場へ行きましたわ。


 道場は三階でしてね。昇って行くと丁度寺田先生が指導していなさる最中でした。田舎の村長さんみたいなけったいな人が羽織、袴はいてやってたんですね。その時の指導が面白かったんです。

 三角関係で悩んでいる中年の婦人でした。その御主人が二号さんとアメリカに渡ってしまって食えなくなって、その御主人と海をへだてて争っているのがらちあかん。 それで 〃もう私は玄海灘へはまって死ぬつもりで切符買うているんだ〃と頑張っているんですわ。


 そしたらあの寺田先生は、純情な人ですから頭から汗ぽつぽつと流いて湯気立てながら指導なさる。湯気たててね。

 そのときの寺田先生の指導は、「そのアメリカに行っている主人を拝め」というんです。 そしたらその奥さんは 

 「私がこの手でおがんだら先祖に申訳ない。拝まんならんのは主人や」

 というて寺田先生に喰ってかかるんですよ。 寺田先生は元気にね、「それでも拝むんや!」って、・・・・ 私はそれを聞いていて 〃はあ面白いな、こんな世界もあるのかいな〃 と思って、はじめて‘拝む’ということを私は其処で聞いた。 その奥さんは、

 「私は明日、玄界灘はまって死んで、主人の首にとりついて仇討ちをする」

 その時、明日死ぬというから、私は 〃この人どないなるやろう。女の人ってこわいなあ〃 と思うて聞いておった。 そしたらその奥さんは寺田先生の言うことを聞かないから、先生はとうとう 〃帰れ! 帰れ!〃 とおこりはった。それで奥さん帰ると思ったら帰らんでちゃんと坐っているんですよ。 〃あのおっさん怒らんといいのに、何でまたあんなにきつう怒りはるんやろうな〃 と思っておった。

 翌日ですよ。私は〃もうあの奥さん玄海灘へはまって死んだかいなあ〃と調べに行くこっちゃ・・・・・ それで次の日に又四ツ橋道場へ行って三階へトントンと上がって見たら、昨日の奥さんが来ていなはる。 〃やれ死なないでよかった〃 やはり私の心根は可愛らしいのね(笑声)


 それから五日位したですが、その奥さんが、「こんな遠い日本から手を合わせて拝んでもアメリカに届きますか」と質問したんですよ。寺田先生は「届きます」と言う。私は 〃ああ、あの奥さんの心、随分おさまったんだな〃 と思いました。

 私は根が坊主ですから、郷里の北陸へ帰ってこの教え弘めたらいいなと思いました。この頃になると、別に生長の家は悪いことも教えてないし、邪教だと思ったけども邪教じゃないわという気持になって、これまで土・日曜は漫才に行っておったのをやめて、四ツ橋道場に通ったですよ。


②芳邨弁護士の講話:http://www.sakaerukai.com/houraku/0717yosimura.html

芳邨一弘弁護士の本が出たとき「弁護活動をとおして見た人生の光と影―「維摩経」の心を求めて 」を弟さんからネット愛行して頂きました。

1770志恩:2012/12/09(日) 19:20:50 ID:.QY5jUA6
観覧車様

ご深切に、芳邨一弘弁護士の古いネット講演を貼付して下さいまして、ありがとうございます。
とても見たかったのですが、私のPCは、Windows対応でないので、残念ながら見れないのでした.

私は、AppleコンピュターMac(マック)でして、
これ不便。
今度買い替えるときは、Windows対応のを買おうと思います。


芳邨十四喜(よしむらとしき)氏の息子さんだということですから、お父さん同様に
話術が面白いお方なのでしょうね。。

1771復興G:2012/12/09(日) 19:41:07 ID:vWpLkCzM

 ありがとうございます。
 ここでテキスト第2章の最後の所をアップさせて頂きましょう。

≪テキスト 『生命の實相』 頭注版 第2巻「實相篇 下」より (5)≫

    刺激療法の効果は心の自由を回復するにある

 世間には鍼灸(しんきゅう)療法というものがあって、皮膚の一部を焼いたり刺したりすると病気が治るのであります。それにはその療法が効(き)くという予備的信念を強めるためにいかめしい学説的背景をもった経穴(けいけつ)すなわち灸所(つぼ)というものがあります。近ごろは皮膚の感覚過敏点というものが研究されて来まして、どの内臓の神経はどの皮膚の部分につながっていて、ある内臓が悪いと皮膚のある一定部分の神経が過敏になっている。で、逆にこの部分の皮膚を焼いたり、電気をかけたり、小さな傷をつけたりすると、その刺激で、内臓の作用が興奮されたり鎮静したりするということが研究され、また焼けた肉体の一部は吸収されて自己蛋白体療法となり、自己の抗病力を強めるということも発表されました。

 そういう学説でいかめしく武装されて来ただけこれらの物理療法はいっそう効果を収めるようになったのであります。しかし、いろいろ物理的理由や生理的理由があるにしましてもこれらの療法に効果があるゆえんは、何よりもまず、これらの療法の温熱または疼痛の刺激が病的観念に引っかかっていたわれわれの心を病気の出ている場所から解放するからであります。

---[Page 92]---
 かつて私は西村美亀太郎(みきたろう)博士の眼球温罨法(おんあんぽう)療法で、ほとんどあらゆる病気が治ると主張されている話を紹介しましたが、これはあらゆる病気が博士の主張するように眼から来るからではなく最も感覚の鋭敏な眼の方へ向けて心の注意を転ずるために、その病気と病気の出ている場所とに心がひっかからなくなるからなのであります。

 だから万病を癒す刺激療法は、何も眼球を温罨法で刺激する方法だけには限らない、平田式熱鍼快(ねつしんかい)療術でもほとんどあらゆる病気が治ると主張されているのであります。平田式の治療法をみましても患部の中心区域には決してその熱鍼を当てて刺激しないのでありまして、患部以外の点を刺激する、足のうらとか、首筋とか、後頭部とか、たいていは患部とはできるだけ遠ざかった場所を円錐形の熱い鍼(はり)の尖(さき)で刺激するのであります。

 施法者はむろん「これで病気は治る」と信じつつ施法する、受法者も「これで病気は治る」と信じて治療を受ける。その時の術者の心の態度がいかに患者に波及して影響するかは、「祈りの心、奉仕の心でするほど効果が多い」と創始者平田内蔵吉(くらきち)氏が言明していられるのでもわかるのであって、決して物理的理由ばかりで病気が治るのではありません。

 ともかく、一方には、施法者の強い「治る」という信念の波及で病的観念の根を抜きつつ、他方では病気でない場所を熱い鍼で刺激されるために、今まで患者の病気の局所の辺に低迷し滞っていた心が自由になって、そこから「心」が他へ散ることができるようになる、今まで「心」がそこに凝りかたま
---[Page 93]---
り滞って、病気の極子を養い育てていたのだったが「心」が自由になって、病気の局所に滞っていることを止めるために、もう病気の種子を養い育てる肥料がなくなり、病気はひとりでに自滅せぎるをえなくなるのであります。

 つまり、それが、どんな方法によりましょうとも「心」の自由を回復しさえすれば、病気というものは本来気の滞りが形にあらわれたものでありますから、気の滞りの消滅とともに病気そのものも消滅するのであります。
<つづく>

1772復興G:2012/12/09(日) 19:41:47 ID:vWpLkCzM

≪テキスト 『生命の實相』 頭注版 第2巻「實相篇 下」より (6)≫

    大乗仏教の根本的思想は心の自由を説いている

 では、「気の滞り」はどうしたら消滅さすことができるかという問題に再び帰って来るのであります。

 われわれが何か事物に「心」がとらえられてそこに「心」がひっかかるというのは、感覚に見える「現象世界」の事物を実在だと思っているからそれに執着し、執着するからそこに心がとらえられるのであります。

 毎度申すとおり、感覚で見る世界の事物は実在ではなく影である。影だと知ったならば執着する必要がなくなる。執着しなかったら心がどこにもひっかからない。ひっかからなくなったら「心」は本来の自由を得る。このことは大乗仏教の中心思想として説かれているのでありまして『大般若経第十般若理趣分』には巧みにこれを要約してありますから、その一部を次に読んでみます。

---[Page 94]---
 「一切の法は自性(じしょう)空(くう)なるを以ての故に、自性遠離(おんり)なり。遠離に由るが故に自性寂静(じゃくじょう)なり。寂静に由るが故に自性清浄(しょうじょう)なり。仏かくの如き般若(はんにゃ)の理趣、清浄の法を説き已(おわ)りて金剛手菩薩に告げて言わく、若し、此の甚深微妙(じんじんみみょう)の般若の理趣、清浄の法門を聞くことを得て、深く信受する者あらば、……一切の障礙(しょうげ)皆染(せん)すること能わず、謂(いわ)ゆる煩悩障、業障(ごっしょう)、報障多く積築すと雖も皆染すること能わず。……一切の法に於て皆自在を得て恒(つね)に一切勝妙の喜楽を受けん。」

 つまり、『大般若経』も「生長の家」の説くところも古今の真理は同じでありまして、感覚に映ずるいっさいの現象は空無である、現象が空無であるからその奥に清浄なるものがある、その奥に円満なるものがある、その奥に自在なるものがある。この清浄、円満、自在なるものこそ実在であるからこの真理を信解(しんげ)せよ、受持(じゅじ)せよ、読誦(とくじゅ)せよ、修習(しゅうじゅう)せよ、なんじは自由自在の境地になれるであろう。どんな煩悩障のなかにいても、業障のなかにいても、報障のなかにいても、それに捉えられることはなくなるであろう。つまり、この真理を信じ、理解し、読み、実修したならば今までにどんな悪い悪業があり、どんな悪い因縁があり、どんな悪い障りを作っていようとも、それに煩(わずら)いせられずに自由自在の境地にいることができるというのであります。

---[Page 95]---

   『生長の家』は現代人のために説かれた現代の生きたお経

 むろん『大般若経』を読んでよく解る人はそれをお読みになって実習せられるがよいのであります。真に読み信じ理解し実習せられれば病気が治るばかりでなく、事業などの上にも自由自在の境地に入れるのであります。

 釈迦はこの同じ経の中に「この金剛の法門を聞くことを得て信解受持し、読誦修習するもの有らば一切の事業皆能く成弁し、常に一切の勝事と和して、修行せんと欲する所の一切の勝知、諸々の勝福業、皆速かに円満す」と説いていられるのであります。

 お経は何も職業僧侶ばかりが読むべきものではありません。病人が読んで病気が治り、事業家が読んで自他を成就する最も完全な知恵が湧いて来るところに値打があるのであります。

 キリストは「死せる者に死せる者を葬らせよ」と断然いっていられます。死骸というからっぽにお経を読み聞かすのには生きた僧侶はいらない。生きた人に、生きたお経を読み聞かすのであってこそ、始めて生きた知恵が湧いて来る。病人が聞いたら病気が自然に治る知恵が湧いて来る。事業家が聞いたら事業を建て直す本当の知恵が湧いて来る。それであってこそお経というものが尊い。

 しかし、今の世の中に、「大般若経』を読んでその意味が本当にわかる人は、職業僧侶かその道の専門研究家のほかにはほとんどない。解る人にとっては生きたお経であるが、解らぬ人にとっては
---[Page 96]---
「生きたお経」ということができない。
<つづく>

1773復興G:2012/12/09(日) 19:42:28 ID:vWpLkCzM

≪テキスト 『生命の實相』 頭注版 第2巻「實相篇 下」より (7)≫

 釈迦の住んでいた時代と、われわれの住んでいる時代とは人間の生活状態も異うし人間の知恵も異う。それで説明の仕方や、実例の引き方や、譬喩(たとえ)のたて方も、使う言葉も、変えて来てこそ、現代人に解りやすいお経となって来る。生長の家の本を私が書いている目的は実にそこにあるので、その目的がどの程度まで達せられつつあるかは読者諸氏の知っていられるとおりであります。

 在来、家族中で一等虚弱な繊弱な体格の息子であった人が、生長の家の本を読むようになられてから誰よりも健康な、健康の標本のようになられて、自分よりも数倍体格のよい人たちの数倍も仕事をしても疲れないようになられた方もあります。

 不景気でほとんど皆が皆まで就職を求めて就職難で困っているような時代に、今まで貰っていたサラリーをきれいにさらりと捨てて、独立新開業をする知恵と勇気とが湧き出て来て現在相当にやっていっている人も出ました。

 在来薬迷信にかかっていて一日も薬なしにはいられなかった難治の慢性病患者で『生長の家』数冊を読んで服薬を申止する勇気が出て、たちまちその十数年来の難病から癒された人もあります。

 「果実を見てその樹の良否を知れ」という諺がありますが、今までのところにおいて、「生長の家」の本を信解(しんげ)し読誦(とくじゅ)し実修している方はこれだけの効果を得ていられるのであります。

 「生長の家」の本をわたしが書くのならばあまりに喋々(ちょうちょう)その効果を語ることは気がひけるわけでありますが、これはわたしが書くのではない。わ
---[Page 97]---
たしにインスピレーションを与えて書かしめ導く霊界の神があることを霊眼でチャンと見ている読者も数氏あるのであります。

 わたしは先生ではなく、先生とは天を指さして霊界の神であるというほかはない。よく生長の家の本部の建物はどこだときく人がありますが、わたしが今坐っているここは生長の家本部ではなく「生長の家本部」は霊界にあるのです。

 そしてわたしはただこの霊界の本部の神の啓示を出版する役目を受け持たされているだけですから、雑誌『生長の家』第二集第一号にもわたしのことを「生長の家」の出版部係と書いてあります。住吉在住当時のわたしの宅へお出でになった方はこぞんじでありましょうが、わたしの宅には「生長の家出版部」とのみ標札が出ていた。
 これは霊界にある「生長の家本部」と地上にある出版部とを区別せんがためであった。

 ともかく、わたしは皆さんとともに『生長の家』の一読者として、それを読み、習い、修養して皆さんとともに一歩一歩向上せんと努力している一求道者にすぎないのであります。わたしだって道をはずせば立ちどころにそれが具象化するのであります。

 かくのごとく『生長の家』は単なる人間なるわたしが書くのでないからこそ尊い現代の経典たるを得るゆえんで、読んで病気が治るほどの真理が書けているのであります。聖書やお経も肉体のキリストや釈迦の言葉ではなく神の啓示が、キリストや釈迦の口からほとばしり出たからこそ尊いのであります。「わたしがするのはわたしの業ではない、天の父のなしたまう業だ」と、キリストもこのことを知っていた。

---[Page 98]---
 わたしも今同様のことを感じています。先日も「生長の家」の昭和六年三月例会における誌友の一人の話に、その方がある日、姉の所へ『生長の家』を送ってあげられた。すると、それが姉の留守中に着いたので、その姉の良人がひらいて見て読まれた。その良人といわれる方は本来善い方だが、当時身持ちが乱れていた。その方が『生長の家』をお読みになると、ピッタリとそれ以来不品行をお止めになって、その家庭に和気あいあいたる空気が蘇生(よみがえ)って来たのであります。
 わたしは当時夫婦生活については一度も本文に書いたことがないのにこんな事が起こった。そこに神の書かせ給える神誌『生長の家』の権威が明瞭に出ているのであります。
<完>

1774NANCY:2012/12/09(日) 19:53:36 ID:jH5uEFzM
こんばんは……    ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1678 >>1692 >>1718>>1727>>1747>>1761>>1768>>の投稿の続きです。…が??

>>1732>>1733の【SAKURA様の投稿内容】を、閲覧させて頂きながら…(下記URLにて参照)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1732
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1733
■確かに、家族が病気になった場合は、心配しないということは非常に難しいモノです。…

しかも私も良く耳にしますが「生長の家…病気を治す処?」とかいわれますが???この言葉を、
「亡き清超超先生」もそして「徳久先生」もおっしゃつていましたかと……!
この事は、最終的には【 心の持ち方で“病気が治る”と捉えますといいのでしょう】此処では、
“病気が治った体験談”を、その過程経過を冷静に見ますと『病気が治る=心が変わる』そこの
根本を、良〜〜〜く認識すべきで、振り返りますと、当然のことながらですが〜〜〜♫〜〜〜

「生命の実相」の中からの抜粋……
〜〜〜【抜粋文】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「元来「生長の家」は人類の思想中よりその転倒妄想を去らしめ人類生活の全面を光明化せん
我為に出現したので病気治療のみを目的に出現したのではありません。」(一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

そうなのです〜〜〜ョネ!
■【心が変われば…病気も治る…体も健康に】でしょうか?
最終的には【 心 の 持 ち 方! 心 の 法 則】でしょうか??
これは、全ての問題解決の『鍵…心の持ち方』と考えますと、今現在の社会問題も改善出来る…
その様に思えるのです。「ストレスからのうつ病…」とか?「自殺」とか?…でしょうか?

此処で「復興G様」の抜粋文から

〜〜〜【抜粋文】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
■>ですから、「自分はないのである」と自覚したら、おのずから≪われわれの本然の生命の相
(すがた)は無我でありまして、形によってここからここまでが自分だというような、そんな限ら
れた窮屈なものではありません。……大生命――大無我に帰一し、無我本然の状態に立ち還りま
すと、忽然(こつねん)として本来の無限自在さがわれわれの生命に立ち帰って来て病気がなおる
のであります。<
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

今から…此処の“解釈論…”を、【NANCY】 なりに考えて参りたく思います。…が?
■【 自 分 は な い の で あ る!】という“言葉…”に関しまして、更に
>>1737の投稿を、参考にしながら……
                                つづく

1775復興G:2012/12/09(日) 20:05:54 ID:vWpLkCzM

 テキストを拝読してまいりますと、結局、私たち人間は「神の子」であって、本来外なる何ものにも支配されない「心の自由」を持っている。

 その心とは、神の心である。自他の区別をしない、「本来一体」の心である。

 その本来の「心の自由」を得ることが、病気を克服し、運命を支配し、幸福を得る根本である。それが根本真理なのですね。

 ≪われわれが何か事物に「心」がとらえられてそこに「心」がひっかかるというのは、感覚に見える「現象世界」の事物を実在だと思っているからそれに執着し、執着するからそこに心がとらえられるのであります。

 毎度申すとおり、感覚で見る世界の事物は実在ではなく影である。影だと知ったならば執着する必要がなくなる。執着しなかったら心がどこにもひっかからない。ひっかからなくなったら「心」は本来の自由を得る。……≫

 この根本真理を把握して、自由自在な健康幸福生活を送り、この真理を広めて、地上天国を樹立するよう、使命を果たしてまいりましょう。

≪わたしは皆さんとともに『生長の家』の一読者として、それを読み、習い、修養して皆さんとともに一歩一歩向上せんと努力している一求道者にすぎないのであります。わたしだって道をはずせば立ちどころにそれが具象化するのであります。
 かくのごとく『生長の家』は単なる人間なるわたしが書くのでないからこそ尊い現代の経典たるを得るゆえんで、読んで病気が治るほどの真理が書けているのであります。≫

――とのお言葉をかみしめて――。
合掌

1776復興G:2012/12/09(日) 20:11:16 ID:vWpLkCzM

>>1774 :NANCY様

ご投稿、ありがとうございます。
どうぞお続けください。

1777トキ:2012/12/09(日) 20:22:14 ID:XNoBEp5E
 これは私のやり方ですが、生長の家に入る前や、入ってからもしばらくは、暗黒的な思考をしていたので、
鬱病みたいな状態になった事がありました。そこで、つとめて笑うようにしました。声をあげると、さすがに
「危ない人」だと思われるので、心の中で笑っているようにしました。すると、鬱病的な感情は出なくなり
ました。

1778SAKURA:2012/12/09(日) 20:58:18 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ  トキ様 へ  観覧者の皆様 へ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1677>>1687>>1695>>1697>>1714>>1715>>1723>>1724>>1732>>1733>>1759>>1764
SAKURA投稿の続きです。

頂きました【今回のテキスト該当部…】から、個人的ですが…冒頭から勉強・投稿形式を
取らせて頂きます。(オンリ−・ワン?でしょうか?)

❤  通俗医学書の功罪
======生命の実相 2巻から抜粋========================
 したがってわれわれは人類の病理学的知識がどんなものであるか、治療学的知識がど
んなものであるかを知っておくことはある意味からいって必要なのであります。人類の通
念は、それを現在意識が知ると知らざるとにかかわらず(潜在意識はそれを知っているが
ゆえに)それに触れると害せられ、それに従うとつごうがよくゆくのは、法律はそれを知
ると知らざるとにかかわらず、触れた者は罰せられるようなものであります。だから人類
全体または一地方、一時代の多数人が「これは害がある」とか「こうすると病気にかかる」
というようなことはしないほうが「君子危うきに近寄らず」ということになるのでありま
す。しかしここがむずかしいところでありまして、「これはいかぬ」「これは善い」といろ
いろのことを知りますと、いわゆる「知恵の樹の果」をたべた結果となりまして、生活の一
挙手一投足が戦々競々として、ただこれ、栄養学に、衛生学に、予防医学にかなわざらん
ことを希うことになりますから、常に病気恐怖に心がとらえられ、ちょっとしたことにも
病気を連想し、心に描くものが形にあらわれるという原則にしたがってかえって病気にか
かりやすくなるのであります。            (谷口雅春著)
=========================================

■【知識…】は、知らないより知った方が、いいです〜〜〜ョネ!良く言われます処の
【知らずにします事より、知ってした方が大きなやけどもしません】ですから…そう!!
“知識”を習得しますと、潜在意識に無意識なる“行動”が…“ラクな方”を求めやすい
のカモ…そうしますと【楽々に治る!全てが順調にいく!…】この様になりますでしょうか?

たとえば【金…】をもっていれば、なんでも出来ると、考えやすく、そこから本人の
【自己中心的なる行動…】が生じますでしょうか!【楽〜楽〜〜〜〜♫〜〜】たとえ
不利な状態でもそこに“金”という“ステ−タス”を置いていますと、そこに、その人は
猛進なのです〜〜〜ョネ!!相手の“不幸”とか顧みずと…とりあえずは“表面上”を
つくろう形での“行動”ですかと?

このような人種が「黒幕デザイナ−」と「吸血鬼」「ゾンビ」達…でしょうか???そして
「吸血鬼」「ゾンビ達」は、必ずその言葉の中に似た“表現言葉”で、それは、必ずや
【暴力団…ヤクザ…金…】此の言葉が〜〜〜出てきますネ! これは、ある人に取りネガティブ
感情を与えますモノと…そして、この人に取りましては、相手の感情を“ネガティブな状況へと
催眠状態…に導く手段“でしょうか〜〜〜??

これは先生のおっしゃいますように「君子危うきに近寄らず」に当てはまります。…が?
ですから【正しい知識】は、大事なのです〜〜〜ョネ!!【真理…】を、正しく表現できる
ように今の私は、前に!又一つ…前に!進む過程なのですが???そして、【正しい心の法則】
を知りますと、こような人達と関わる接点も?必要性も?自然と消滅するのです。

皆様は、本当に“悪しき言葉…”は、それだけの【価値観…】だと思います。…が?
■■悪い「知恵の樹の果」食べないことは【日々…の祈り】になるはずです。…が?

                            再合掌

1779志恩:2012/12/09(日) 21:00:23 ID:.QY5jUA6
トキ様

「心の中で笑うんですね」。それはいい方法。 それなら私、得意です。だから、私、病気になりにくいのかも(笑)

笑うと、幸福な時に出るセロトニンの分泌が増え、NK細胞が活性化され、ストレスホルモンであるコーチゾールが減る。

鬱病は、脳のセロトニンの分泌が,過度に無くなるのが原因だと言われていますから、薬も飲まず、自分でセロトニンを作り出せるなんて、
副作用もなく経済的でもあり、いい方法ですよね。

 例え、つくり笑いでも脳が、カンチガイをして脳の血流が増えて脳が活性化し、NK細胞を活性化する刺激となる。
だから、苦しい時でも 悲しい時でも 腹立つ時でも、無理に 笑うことは、心と体のために良い。

ただし、つくり笑いの時は、目と口もとの両方で笑うことが刺激を送るために必要なのだそうです。

良い情報を脳に伝えるために、目の間の(眉間)のしわをとることと、左右対称な笑顔にする事が大切なのだそうです。

 目が上手に笑うと大脳皮質にまで刺激が伝わるのですが、口のみの笑いだと大脳辺縁系のみの伝わりとなるので、
効果が違ってくるのだそうです。
                     o(^-^)o(笑)… o(^-^)o(笑)… o(^-^)o(笑)


 笑いの効果は、2時間だそうですね。2時間ごとに、心の中で笑っていらば、かなりの健康増進に!
鬱病な感情は出なくなるのですよね。

近所の鬱お母さんにも、教えてさしあげようと思いました。

1780志恩:2012/12/09(日) 21:33:24 ID:.QY5jUA6
私が、
叔母さんに生長の家を勧めたときは、叔母さんは、5つくらいあった病気が
奇跡的に消えたのです。

しかし、叔母さんは、70すぎたとき、直腸ガンになって、治療も虚しく
亡くなりました。

ですから、
私は,今の気持ちとしては、病気であっても無くても、、、無いほうが、いいに決まっていますが、
どちらでも、いいような気がしています。

1781志恩:2012/12/09(日) 22:07:02 ID:.QY5jUA6
トキ様

すごいですね。生長の家は…、もう、こてこての「雅宣教」になってますよ。
あちらも、笑いの練習しています。目等さんが、先導して大笑い。
とありました。

 どこにも,創始者である雅春先生の名が,見当たりません. 
          ほんとに病んでますねえ、生長の家は、、、


光明掲示板より
>>偽経の日常化、カルチャー・スクール化が着々と進行していますNEW (4446)
日時:2012年12月09日 (日) 20時59分
名前:唖然

下記引用の本間本部講師のブログを拝見しました。
偽経の日常化、カルチャー・スクール化が着々と進行しています。


2012年11月30日 (金)
秋季大祭に於ける「全国地方講師会長懇談会」


1. 各教区に於ける経本『大自然讃歌』『観世音菩薩讃歌』読誦の事例発表
   2. 新刊書『生長の家ってどんな教え?』の活用について
『次世代への決断』『おいしいノーミート 四季の恵み弁当』活用について

3. 新しいタイプの誌友会開催の意義と出講講師の心得について
−−質疑応答・フリートーキング−−
 6.閉会の挨拶                     ………目等 教化・講師部長
7.「新生日本の実現に邁進する祈り」・閉会の祈り     ………本間課長補佐

「開会の祈り」「自然と人間の大調和を観ずる祈り」につづき、

 
 連絡事項の後には、各教区地方講師会からの“自然と共に伸びる運動”推進についての活動報告と意見交換−
 まず、今年度発刊された新経本『大自然讃歌』と『観世音菩薩讃歌』使用の事例について各教区の講師会長から発表…

教化部での早朝行事や練成会の中で経本『大自然讃歌』及び『観世音菩薩讃歌』を拝読する時間を設けているとの報告がありました。
埼玉教区の講師会長からは、練成会の行事の中では、自ら率先して「経本」の先導を担当しているとの報告もありました。

 また、地方講師・光明実践委員研修会において、開会・閉会時に「自然と人間の大調和を観ずる祈り」・
「新生日本の実現に邁進する祈り」を拝読すると共に、研修会の中で『大自然讃歌』や『観世音菩薩讃歌』を拝読して、
神・自然・人間の大調和せる世界を実現する意義を全講師が噛みしめながら…

 更に、新刊書の活用については、『次世代への決断』や『おいしいノーミート 四季の恵み弁当』をはじめ、
特に、今秋季大祭において発刊された総裁先生の新刊書『生長の家ってどんな教え?』は、
地方講師・光明実践委員研修会や受験勉強会に於けるテキストとして十分活用し、

 
意見交換の後に、目等教化・講師部長による「閉会の挨拶」ということで、目等部長先導による「笑いの練習」が行われ、
                                  :********************

楽しい嬉しい大笑いの「閉会の挨拶−懇談会−」となりました。

 大笑いの「閉会の挨拶」の後に…
※懇談会の後、会場となった顕斎殿(龍宮殿控室)で「記念写真」を撮りました。
まだ目等部長先導の“大笑い”の余韻がつづいていました。<<
*************************

1782さくら:2012/12/09(日) 22:18:20 ID:e8ieIrPA
閉会の祈りの前に失礼します…、

もうパソコンを閉じてしまうので、お礼だけ置かせて頂きます。

復興G様

いつも、信仰の原点に立ち返らせて頂き、心より感謝いたします。
今回もまた、大きな気づきと指針を与えて頂きました。
ご指導ありがとうございました。


ご参加の皆様
生長の家の皆様

いつも、愛深い気づきを頂き、もう一度、わたしを「生長の家」に導いて下さり、ありがとうございます。


本当に、皆様のおかげです。


ありがとうございます。


礼拝

1783復興G:2012/12/09(日) 23:04:50 ID:vWpLkCzM

皆さま、ありがとうございます。

11時を過ぎ、閉会時刻が迫りましたので、ひとつ、聖経『続真理の吟唱』より、祈りの言葉を掲載させていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

    われら“誠”を生きるための祈り
        (聖経『続真理の吟唱』より)

 “誠”とは「成る言(ことば)」と書くのである。自己に宿る神の至上命令たる“言(ことば)”を生きることを“誠を尽くす”というのである。その“言”とは、『ヨハネ伝』福音書には「はじめに言あり、言は神とともにあり、コトバは神なりき。よろずのもの是(これ)に由(よ)りて成り、成りたるものにひとつとして是に由らで成りたるはなし。これに生命(いのち)あり」と示されていて、更につづいて「この生命は人の光なりき。光は暗黒(くらき)に照る。而して暗黒は之を悟らざりき」と示されているのである。

 ここに「暗黒(くらき)」とあるのは肉体を指していうのである。神の生命が肉体に宿って、肉体に生命を与え給い、見る力、聴く力、知る力、味わう力、創造する力等を与え給うて、肉体を生かして居たまうのである。それなのに、肉体はその内部にある聖なる生命の光に気がつかずして、肉体それみずからの力によって生きているかの如く錯覚していて、内なる光を見ることができないのである。それゆえに“誠”が生活にあらわれないのである。聖書はこれを「暗黒(くらき)」と名づけているのである。

 しかし肉体が生きているのは、内に輝いている神の生命の光に照らされ導かれ生理作用を営んでいるのである。そしてその光はイエス・キリストだけに宿っているのではない。だから「もろもろの人を照らす真(まこと)の光ありて、世にきたれり」と聖書は録(しる)しているのである。

 「世」とは「世界」のことであるが、「肉体」も一つの世界であるのである。ところが暗黒なる此の物質の世界は、もろもろの人を照らす真(まこと)の光ありて「世」に来り、その光は「世」に在り、「世」はその光に由りて成りたるに、「世」はこれを知らなかった。それゆえに聖書はこれを歎いて「かれは己(おのれ)の国にきたりしに、己の民は之を受けざり」と書いているのである。

 けれどもこの光を素直に受けて、自分を生かしているのは物質ではない、肉体ではない、自分を生かしている光は神の生命であると悟った者は――という意味で「されど之を受けし者、即ちその名を信ぜし者には“神の子”となる権を与え給えり」と『ヨハネ伝』は書いているのである。「名」というのは「はじめに言(ことば)あり」のコトバであって、万物及び人間生命の由って来る本質又は実相である。自分の生命の本質は“神のいのち”である。其の実相を知ったとき、人は“神の子”たる権を与えられているのである。

 「言(ことば)は肉体となりて我らの中(うち)に宿り給えり」われら即ちすべての人間に言(ことば)は宿っていて、それが仮に肉体の姿をあらわしているのである。この実相を知っても知らないでも本来人間は“神の子”であるけれども、それを知らない間は“神の子”たる権を行使することはできない、一種の放浪者であり、迷い児であるのである。彼は虚仮(こけ)不実の仮存在であって「誠あることなし」である。

 人が誠実に生きるとは“単に真剣に生きる”ということではなく、人間の本質であるところの実相すなわち“神の子”の自覚に基づいて生きることなのである。われらこの真理を悟り得たるは神の導きにほかならず、神に感謝し奉る。ありがとうございます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

1784NANCY:2012/12/09(日) 23:05:55 ID:jH5uEFzM
「復興G 様」 ヘ  「トキ 様」 ヘ  「観覧者の皆 様」 へ
こんばんは……        ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1678>>1692>>1718>>1727>>1747>>1761>>1768>>1774の投稿の続きです。…が??

先程の>>1774の投稿の中からですが……
〜〜〜【抜粋文】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
■>ですから、「自分はないのである」と自覚したら、おのずから≪われわれの本然の生命の相
(すがた)は無我でありまして、形によってここからここまでが自分だというような、そんな限ら
れた窮屈なものではありません。……大生命――大無我に帰一し、無我本然の状態に立ち還りま
すと、忽然(こつねん)として本来の無限自在さがわれわれの生命に立ち帰って来て病気がなおる
のであります。<
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

此処に、思いますには、
■>…云々…「自分はないのである」…云々…形によってここからここまでが自分だというような、
そんな限られた窮屈なものではありません<
ここの『自分はないのである』という処に、正直申しますと“引っかかり”でしょうか……

先ず!「生長の家」…で説かれています処の「雅春先生の言葉」の中から……

■>『「物質は無い!」「病気は無い」と、この「無い」ということをさとるのは、名人の階級に
属するものである、とハッキリ説いておられます。…』<   (抜粋文)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

私もこの“無い…”の言葉には何時も?引っかかり、下記の「雅春先生の言葉」の中から……
要約と理解が〜〜〜しつつでしょうか?

                           つづく

1785NANCY:2012/12/09(日) 23:07:55 ID:jH5uEFzM

こんばんは……        ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1678>>1692>>1718>>1727>>1747>>1761>>1768>>1774>>1784>>の投稿の続きです。…が??

下記の「雅春先生の言葉」の中から……要約と理解が〜〜〜しつつなのでしょうか?

〜〜〜【抜粋文】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「『生長の家で物質は無い、現象界は蜃気楼のように心の影にすぎない』と申しますのは理論や
理屈でそう言うのではなく、実際真理において『物質は無い』から無いと言うのであります。
実相から観て現象は映像(えいぞう)であるから映像(かげ)であるというのであります。その
ほかに別に理屈はないのであります。むろん聖典『生命の実相』の中にはてん大の筆を揮って
物質の無い理論が詳しく書いてあります。しかしそれは実相の悟りに導くためにそう書いてある
だけでありまして、理論がこうだから『物質は無い』と結論するのではありません。理論は、
真実の悟りに導く方便として後から造ったものであって、理論より先に『物質は無い』という
真理がり、その真理の啓示を解りやすく納得させるために理論を説いているのであります。
だからその真理に権威があって、読んで信じる人の心に『生命の実相』を悟らせ、自由自在
の心境に達せしめ、その副作用として医術難治の固執でもズンズン治る例がたくさんあるので
あります」                    (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

■つまり『無い…』この“言葉…”なのですが〜〜〜
これは『真理に於きまして「無い…」という事と、「生命の実相」を拝読します内に、後日、
私自身知ることになりました。そうです〜〜〜ョネ!
❤〜『真理…心の持ち方…心の法則』というべきなのでしょうかと?

そうしますと「肉体」はあると思いがちですが【甘露の法雨…】の中にあります処の
“五感の世界を去って…云々…”といいます様に、現実世界から【実相世界…】へと入ります。
そこは自由自在なる…世界!!当然のことながら、そうしますと「肉体も無い!」という事に
なりますでしょうか……??
当に【 “こころ”次第で、自由自在 】という事でしょうか……!今回 思いましたのは
“病気”というものは、一つの現象世界での『迷いから生じます…“心”』から生まれます
モノであり、ということは『迷い…』を無くしますと、当然“病気も消える事”になりますで
しょうかと。

では『迷い…』は、思いますに“対象の事物”に対して、自分自身の“我・我欲”にて、思う
ようにならず、ある面では『 誇示・執着…etc 』がするが故に、生じますのでしょう。
ですから【 無…無我の境地 】をどこまで、この現実界での人間として出しきるかという事
でしょうか……?
【自 我 を 死 に き る べ し ……! 無 我 の 境 地】

■■従いまして『 正 し い 心 の 法 則 』を駆使します事は、
全てが…【実現可能…思考の実現】なのでしょうかと思います。……「肉体なし」「病無し」!!!
                               
再合掌

1786復興G:2012/12/09(日) 23:29:14 ID:vWpLkCzM

NANCY様

最後までご投稿、ありがとうございます。
これからも、引き続きこの道を究めてまいりましょう。


閉会の時刻が近づきました。

この第9回web誌友会、管理人トキ様の絶大なご支援ご協力をはじめ、皆々さまのご参加、ご愛念をいただきまして、有意義に行われましたことを、心より感謝申し上げます。

>>1775で申し上げましたことを、もう一度結びの言葉として掲げさせて頂きます。

 今回のテキストを拝読しますと、結局、私たち人間は「神の子」であって、本来外なる何ものにも支配されない「心の自由」を持っている。

 その心とは、神の心である。自他の区別をしない、「本来一体」の心である。

 その本来の「心の自由」を得ることが、病気を克服し、運命を支配し、幸福を得る根本である。それが根本真理なのですね。

 ≪われわれが何か事物に「心」がとらえられてそこに「心」がひっかかるというのは、感覚に見える「現象世界」の事物を実在だと思っているからそれに執着し、執着するからそこに心がとらえられるのであります。
 毎度申すとおり、感覚で見る世界の事物は実在ではなく影である。影だと知ったならば執着する必要がなくなる。執着しなかったら心がどこにもひっかからない。ひっかからなくなったら「心」は本来の自由を得る。……≫
(テキストより)

 この根本真理を把握して、自由自在な健康幸福生活を送り、この真理を広めて、地上天国を樹立するよう、使命を果たしてまいりましょう。

≪わたしは皆さんとともに『生長の家』の一読者として、それを読み、習い、修養して皆さんとともに一歩一歩向上せんと努力している一求道者にすぎないのであります。わたしだって道をはずせば立ちどころにそれが具象化するのであります。
 かくのごとく『生長の家』は単なる人間なるわたしが書くのでないからこそ尊い現代の経典たるを得るゆえんで、読んで病気が治るほどの真理が書けているのであります。≫(テキストの最終部分)

――とのお言葉をかみしめて――。


では、最後に世界平和の祈りをさせていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

◇◇◇世界平和の祈り◇◇◇
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い
すべての人々の心に、愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

◇◇◇光明思念の歌◇◇◇
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ありがとうございました。

1787トキ:2012/12/09(日) 23:44:50 ID:XNoBEp5E
復興G 様

 ご多忙の中、長時間に渡り素晴らしいご指導を賜り、深く感謝申し上げます。
この誌友会に参加された方々はもちろん、閲覧者様にも意義の深い内容だったと思います。

 本当に、ありがとうございました。

合掌 ありがとうございます

1788トキ:2012/12/10(月) 00:00:40 ID:XNoBEp5E
 また、参加者の皆様、閲覧者様にも、心から感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1789志恩:2012/12/10(月) 07:55:26 ID:.QY5jUA6
復興G様、トキ様、

ご指導を感謝申し上げます。合掌

1790a hope:2012/12/10(月) 08:22:42 ID:ueIDSztA
復興Gさま、トキさま、ご参加下さったみなさま、

素晴らしい誌友会をありがとうございました。
今回は時間的余裕があまりなく、なかなか参加できませんでしたが大変お勉強させていただいています。
まだすべて拝見していないので、これからしっかり拝見したいです。

また、『本流対策室』板では、復興Gさまが、<<生長の家教団 戦後60年の運動 その光と影>>として、
を、執筆して下さっています。

わたしは、聖典「生命の實相」に魂を揺さぶられ、数年前に信徒になったばかりの新人で、
生長の家の歴史についてはほとんど知りませんでした。

ですから、なせ、万教帰一の教えである「生長の家」がこのように分裂してしまっているのか、不思議でしかたありませんでしたが、
『本流対策室』板の復興Gさまの書き込みや、他の先輩方のお話を伺っていると、だんだんその理由もわかってくるような気がします。


わたしの現在の感想ですが、わたしたち信徒一人ひとりが、>>1783で復興Gさまがおっしゃっている、

>>結局、私たち人間は「神の子」であって、本来外なる何ものにも支配されない「心の自由」を持っている。
>>その心とは、神の心である。自他の区別をしない、「本来一体」の心である。
>>その本来の「心の自由」を得ることが、病気を克服し、運命を支配し、幸福を得る根本である。それが根本真理なのですね。

この、「生長の家」の根本原理をしっかりと理解していさえすれば、分裂など起こり得なかったのではないかと感じました。


『わたしは「神の子」だから、なにものにも支配されないぞ!
わたしの運命はわたしが支配するのだ!
だから、もう、だれのせいにもしないぞ!』

わたしは、復興Gさまのお言葉が心に響き、そんな風に決意しました。

感謝 合掌

1791a hope:2012/12/10(月) 09:22:48 ID:ueIDSztA
>>1790訂正

>>1783で復興Gさまが→>>1786で復興Gさまが
②この、「生長の家」の根本原理→この、「生長の家」の根本真理

1792復興G:2012/12/10(月) 11:14:04 ID:vWpLkCzM

さくら様、トキ様、志恩様、a hope様、皆々さま

コメント、ありがとうございました。

さくら様が聖典引用板に謹写アップしてくださいました、「萬教歸一の藭示」に

≪われは大いなるものなるかな。すべての教を呑吐(どんと)して、これに生命を與へ、すべての相争ふ教をその眞髄に於て握手せしめる。吾れはすべてを包容し、すべてに光を與へ、すべてに栄養を與へ、すべてを生かす地下水である。他の如何なる宗教をも誹(そし)らず批(う)たず、常に讃事(たたえごと)と、善き言葉とを雨ふらして、それを浄めその眞髄に燈(ひ)を点ずる。あらゆる宗教がその眞髄を禮拝して手をつなぐやうにならねば此の現實世界の改造は完成せぬ。精藭界が先で現實界はその影である、元亂れて影完からず、宗教家よ、宗派争ひをしてゐる時ではない。≫

とある神示に、あらためて感じ入ります。

「元乱れて影完からず」

――この「元」にしっかりと立ち還らねば、生長の家出現の意味はなくなります。

合掌

1793SAKURA:2012/12/10(月) 21:29:09 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ  トキ様 へ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1677>>1687>>1695>>1697>>1714>>1715>>1723>>1724>>1732>>1733>>1759>>1764
>>1778【SAKURA投稿…】の続きです。

■■>>1735「復興G様」 ヘ
こんばんは…… 
今年、最後の【WEB 誌友会…開催】に、於きまして、参加させて頂きました事、感謝申し
上げます。此処に、挨拶が、大変遅くなりました事、深くお詫び申し上げます。

そして>>1735「復興G 様の“ お返事”」…ありがとうございました。
遅くなりましたが…閲覧させて頂きまして、
「脳震盪の方」は、高いところから落ちて「脳震盪…」を起こすようになったそうで、更に
それが“きっかけ”での【てんかんの発作…】が起きるようになったとの事なのですネ…そして、
「親の愛…深い愛」で、その後!治ったとの事……素敵な【体験談…】を、ありがとうございます。
本当に【 親 の 愛 の 想 念 感 情 の 波 動】が…きっと
「神の御心」に叶いましたのでしょか?その事は、本当に人ごとではなく“良かった〜〜〜!”かと。

■さて!私の場合は、まだ異なるケ−スになりますでしょうか?
世間一般での“誤解…”が、常に感じるモノがあります。それは……
【聴 覚 障 者 と 身 体 障 害 者 の 開 き】この事は、聴覚障害団体の知人でも
常日頃から感じます問題であり、かなりの隔たりがあると思います。…が? どうしても、一般
の健常者の皆様は【身体障害…】と言いますと、必ずや【目に見える形での障害…】という観念
の捉え方が一般的傾向かと思えます。知人でも、この様な考えが、今日の日本人の大半では、な
いのでしょうか?と、良く話題にします事柄です。正直な話!まったく異なります…。
ましてや、
姿・形として【障害に見えない場合の中途聴覚障害…】には…世間一般からの冷ややかな“視線”
を、常日頃から感じ取ります。何といっても「聴覚障害」は【人間関係…コミュニケ−ション】に
於きまして、人の接触が限定されますし、この事は、もちろん【視覚障害者…】も同様です…。あ
る時は、【視覚障害団体…】の所に、個人的にボランティアに参加した事もあります…。そして、
この方達も含め“仕事”も限定されますので、やっ〜〜〜と!自力にて得た“職種”でも、
「黒幕デザイナ−」「吸血鬼」「ゾンビ」からの【 妨 害 】更に??そうです〜〜〜ネ!
「信者同志…でも?」例えば?「元々元W白鳩教区会長の妨害」は、【ある面は信仰者の道】に
反するモノと思います。

正直、今回本当に【分派…学ぶ会】の方々の参加での(常日頃)投稿内容でも、このような体験
に関し、だれ一人として“声…”をかけられない状況の現実…この事は【信仰…真理】の前に、
世間一般では、第三者的には【人格…】を見ますでしょうかと…?個人的に思った次第です…。
今回、改めて、これでは、例え【生長の家…真理】という“素晴らしい真理でありますところの
❤〜【 「生命の実相」の討論…… 】どこまでの【ネットでの閲覧者…】されました方々がの
心に、どの様に響くのでしょうか?【救 済】に関しては、弱冠“不安な気分”が生じますので
は無いでしょうか??

個人的には【WEB誌友会…】参加に当たりましては、常日頃から、思いますのは、
【迷い・悩み…ある方々】を、この素晴らしいい【生命哲学…】のお導きしたい…という根本から
【分派…云々…】の前に【生長の家…雅春先生の真理を学んだ?学んでいる?者同志…】での、
仲間意識として、あくまでも【討論…】という形の“参加”が私の“基本的考え方”なのです。

まだまだ若輩者の私ですので…【復興G様】から頂きました【テキスト該当部…】に関し、
冒頭からの選択にて、初めての方が閲覧でしたらと【私なりの引用…】を、させて頂きました。
また!テキスト該当部に関しまして“勉強続行…”させて頂きます…。やはり、私自身は、
【キ−ボ−ドで打つ…この事は、脳裏にしっかりと入り込みますでしょうかと???】それにて
スロ−・テンポ…なのです。

最後に、今年の春先より「復興G様」からの【勉強テキスト…】を頂きました事は、
私の【真理…勉強】を極めていきます過程に於きましては、多大な価値ある機会を頂きましたと、
此処で改めまして、深くい感謝の念をと。。。思います。本当に、ありがとうございます……。
今後とも、若輩者の私ですが、何卒よろしくお願い申し上げます。

                       再合掌

1794SAKURA:2012/12/10(月) 21:30:39 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1677>>1687>>1695>>1697>>1714>>1715>>1723>>1724>>1732>>1733>>1759>>1764
>>1778【SAKURA投稿…】の続きです。

■「トキ様」…遅くなりましたが、今回の【WEB誌友会…参加】させて頂きました事に、感謝申し
上げます。ありがとうございました…。

後で、今回の【WEB誌友会…投稿内容】を、見直しますと、確かに?もしかしますと?
一人!!【SAKURA暴走…】してるのかしら〜〜〜ンと??? (冷汗…)

今回の【討論課題…】が、“テキストの最後のペ−ジ”からでしたので、個人的な判断にて
(私の【WEB誌友会…参加】する際の基本的な考えを、「復興G様 宛へ」記載させて頂きましたが)
私は、やはり“テキスト冒頭部である最初からの方が理解しやすいのでは〜〜><”と言った感じで、
「復興G様の配慮の言葉…」に、甘えまして“ペ−ジ”を進めていきました。そうしながら〜〜と、
それでも、追いつかなくって〜〜〜><気がつきますと、【中途半端…】のような感でしょうか??

後に、また【続き投稿…】をさせて頂きます。…が?(ズウズウし〜〜〜く!)【ウサギではなく亀】

■「トキ様」の“コメント…”より、遅くなりましたが…
>>1777の投稿内容から
【心を一点にして切り替えますと“うつ病”が消えましたのです〜〜〜ョネ!今の私も、さすがに、
神経質では??と思われるくらい「吸血鬼」・「ゾンビ」…そして「黒幕…」の執拗さは、計り知れない
気持ちです。従いまして、みたくないモノを、見ていく内に、そこに「かなしばりのような生活の日々」
でしたかと??当に【暗黒世界…暗やみ〜〜〜どっぷり??】でしたかと。
ところが、これが、今回!【真面目に最初からキ−・ボ−ドで先生の言葉を打って投稿】しますうちに
……私も、本当の意味での【 こ こ ろ の 法 則 】が、見えてきたようです。
「トキ様」ように“笑う事が少ない私…”ですが〜〜〜><「トキ様」をお手本に、私も、
モット!モット!【心を開いて…心を光明化…】していこうと思います。ありがとうございます。
                                   再合掌

1795復興G:2012/12/11(火) 16:54:22 ID:vWpLkCzM

>>1793 :SAKURA様

丁寧なご投稿、ありがとうございました。

『生命の實相』第22巻「聖語篇」≪智慧の言葉≫に、次のような聖語があります。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

○名騎手はかえって駄馬をも乗りこなそうと試みる。ことさらに乗りこなせない病弱な肉体を選んでその肉体に宿って来た「生命」がある。生まれつきの不具者、難病者の「生命」はそれである。

○皆のものよ、不具者と難病者の「生命」をいっそう尊べ、彼の「生命」は名騎手であるから、特にかかる不便利な肉体に乗っているのである。彼を軽蔑するな。憐れむのさえ、名騎手たる彼の「生命」に対しては失敬である。その「生命」の悲壮美に驚異せよ。讃嘆せよ。

○不具者よ、不治の難病者よ。病苦に耐えよ。よき乗馬(肉体)をもっている人を羨むな。他を呪うな。自己の「生命」が特に名騎手であるから病弱な乗馬(肉体)に乗っていることに自信をもて。弱い音(ね)を吐くな。名騎手たる自己の(生命)を恥ずかしめるな。

○一つの「生命」は地上なる肉体を選んで這入(はい)ってくるとき、その受くべき苦しみをあらかじめ知りながらその肉体に宿ってくる。受苦の多き生命ほど「高速」の進化をとげる。

○飛行機は高速であるから歩くより震動は激しい。高速に進化する「生命」よ。歩く者の震動の少なきを羨むな。速力の迅(はや)きを見て喜べ。

――『生命の實相』第22巻「聖語篇」≪智慧の言葉≫より――

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

清川妙さんという、91歳の文筆家・古典研究家がいらっしゃいます。今も、毎月3つの雑誌に連載ものを執筆し、今年も2冊の新刊書を出されています。
『つらい時、いつも古典に救われた』と、
『91歳の人生塾』の2冊です。

そのほか、毎月3ヵ所の古典教室に講師として出講されています(その一つに谷口純子先生も通っておられるそうです)。

さて、その清川妙先生の息子さんが、完全に音の世界から遮断された「聾(ろう)」でした。でも、親と子の想像を絶する努力で、結局早稲田大学を卒業し、すばらしく充実した幸せな人生を送られることになったのです。
そのお話を、ご紹介しましょう。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

清川妙先生は昭和20年8月の終戦3日目、生後3ヵ月の赤ちゃんだった息子さんとともに、復員兵などがすし詰めのすさまじい列車に乗った。一人の兵隊が網棚から荷物を下ろそうとした時、汽車が大きく揺れて急停車。網棚から、鉄砲を3、4本布で巻いた固い包みが、眠っていた赤子の頭上に落ちた。それが原因だと思われる。成長しても、周囲の音に何も反応しないことがわかってきた。

近所の子はどんどんしゃべることばが増えて行くのに、わが子は「ング、ング、ング」と言うばかり。
清川さんは、涙と、絶望と焦慮と、そしてよその子に対する嫉妬に明け暮れた。
<つづく>

1796復興G:2012/12/11(火) 16:55:09 ID:vWpLkCzM

<つづき>
――清川さんの「聞こえない葦」という手記より――

 その地の日赤に連れていった日、耳鼻科の医長から
 「ろう学校に入れるのですね」
 と止(とど)めをさされたとき、私の悩みはくっきりと輪郭を持った。私は春嵐の町を、一史(息子さん)を抱いて夢遊病者のように帰っていった日のことを、忘れることはできない。

 この子の耳は、ただの飾りに過ぎないのか。思いなしか、耳たぶの肉も薄く、不幸そうな耳。私にはその耳が、線の切れた電灯のような気がしてくるのだった。

 もしもそんな手術が許されるならば、私は、自分の耳を、耳の神経を一史にやりたい。音のない、これからの長い一生。世間から、一人前にも扱われず、日陰の草のように弱々しく生きるかもしれぬ一生を、これからわが子が持とうとするのか。

 愛情深い結婚をした私ども夫婦の、最初の子。限りない愛情を注いでやまぬ祖父母の最初の孫なのに、一史は、どうして、そんな運命を背負わなくてはならないのだろう。

 どの子もどの子もみな聞こえるのに……。

 私は、よその子供が皆しゃべることができるのが、不思議でたまらなかった。はだしの足を泥まみれにしながら、嬉々としてしゃべり散らして、遊ぶ子供たち。私は道ばたにたたずんでそれを聞く。耳の聞こえる子が、また、その親が、たまらなく羨ましい。

 私の心には索漠(さくばく)とした風が吹く。私の顔からは生気が失せた。呆けたように目をすえ、思いはいつもひとつところを堂々巡りしていた。

 「一史は耳が聞こえないのだ」という、抜きさしならぬ事実。この足かせはどうしても取れぬ。泣いたって、わめいたって。

 私は、耳に栓をしてみる。音は、地虫のようなかそけさに変わり、まるで真空のなかにいるようなたよりなさ。一史は、一生この空白のなかで生きなければならぬ。鳥の声も虫の音も、人の声も音楽も、劇も映画も、すべての美しい物音も、なんだって聞こえはしない。

 音の闇のなかで、一生、手さぐりで生きていかなければならぬ一史よ。

 一史は、けげんな顔で私を見守り、真似して自分も耳を押さえるのだった。

 私の目には涙があふれ、一史のひなたくさい髪も、まるい頬も見えなくなった。

 ――以上は、清川さんの「聞こえない葦」という手記より――


そんなとき、ラジオで聞いた 盲聾唖三重苦の聖女 ヘレン・ケラーの

 「ありがとう、ありがとう」

 という、少ししわがれた、しかしはっきりした声が、生々しく胸に飛び込んできた。

  「ありがとう」とラジオにききしヘレン・ケラーの声よ一日(ひとひ)の耳朶(じだ)をはなれず

と、清川さんは歌に詠んだ。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

――清川さんの「聞こえない葦」という手記より――

 耳が不自由であっても、唇を読み取ることによって人の話もわかるし、また、上手な忍耐強い訓練によって、発声もできるようになるということを、私は前から、本のうえでは知っていたが、現実に、ろうの人の声を聞いたのは、これがはじめて。

 私は揺さぶられた。

 「よし、負けないでやってみよう」

 けっして、一史を人生の敗者にはしたくない。……
<つづく>

1797復興G:2012/12/11(火) 16:56:02 ID:vWpLkCzM

<つづき>

 ――清川さんは、当時山口県の山口市にお住まいでご夫婦ともに高校の教師をしていらっしゃいましたが、息子さんを人生の勝利者にする、幸せな人生を送らせるための最高の教育をしてやろうと、千葉県市川市国府台の東京教育大学附属聾学校が日本で一番進んだ聾(ろう)教育をしていると聞き、一家あげて国府台に移り住んで、必死の努力をされるのです。

 「聾教育は、底なしのつるべで水を汲むようなもので、根気が要りますよ」と、聾学校の校長さんから言われる。
 底のないつるべでは、水を汲み上げようとしても、ほとんど水は上がってこない。それでも、一滴ぐらいはつるべに着いて上がってくるだろう。その水のひとしずく、ひとしずくをためていこう、と覚悟をきめて。

 結果、息子さんは聾学校から早稲田大学に進学し、ろう学校の先生になった。生徒たちに限りない愛情を注ぎながら、歴史を教えた。恋をし、すばらしい伴侶も得た。幼いころから夢中だった中世城郭の研究を続け、仲間とともに「忘れられた城下町を歩く会」という同好会活動もおこなっていた。まわりのみんなに愛され、充実した、幸せな人生を過ごしていた。平成7年(1995)膵臓癌のため49歳で亡くなるその日まで。

 その間、清川さんは、

≪私がもの書きになったきっかけは、ひとつの記事だった。
 長男で耳の不自由だった一史が描いたお城の絵を、ある新聞の記者の方がごらんになって、耳の不自由な息子をどう育てたか知りたいと取材にいらした。その記事は、地方版、そして全国版に大きく掲載された。昭和32年(1957)のことだった。
 記事が掲載された十日後、ある婦人雑誌の記者の方から、息子を育てた経験を手記にして書いてみないかという依頼が来た。
 私はその手記を心をこめて書いた。60枚の原稿を1週間で書きあげた。
 『聞こえない葦』と題したその手記を、編集者はほめてくださった。
 「この人は、ものを書いて生きていける人じゃないかと、編集長が言っていました」
 そのひと言が私の支えとなった。それから3年間、書きたい、という気持ちが積もりに積もった私は、あの日の編集者に電話して会い、そこから縁をつないでいただいて、ライターとしての生活をスタートさせたのだった。≫

 ということになったのでした。それで、

 ≪一史の病気の正体が膵臓がんで、余命は月計算だと、医師から告げられたとき、私がまず思ったのは、彼のいのちの灯の尽きる最後の最後まで、しあわせにしてやりたいということだった。
 私は、一史の妻である千恵子さんに言った。
 「一史は、子供のときには、家族のみんなから愛されて育ち、結婚してからは、あなたといういい妻を持ち、学校時代も職場でも、たくさんのいい友だちを持ちました。最後のときが来たいま、愛しきり、愛しぬいて、一史を送ってちょうだい」
 千恵子さんは、その言葉をみごとに完了した。一史の妹の茉莉子もまた、看病に加わり、ふたりのすばらしいバトンタッチのおかげで、一史はしあわせな最後の日々を得た。
 死に顔は澄んで美しかった。私はその顔の上に涙をこぼし、こう言った。

 「一史、いい人生だったね。充実した人生だったね。」
 「そして、私も、あなたに育てられて、こうして今も幸せな、充実した人生を送らせてもらっているのよ。ありがとう。」

 今も私のなかに生きている一史に向かって、私はその言葉を繕り返している。≫

1798復興G:2012/12/11(火) 16:59:53 ID:vWpLkCzM

×繕り返している → ○繰り返している

1799復興G:2012/12/11(火) 17:43:33 ID:vWpLkCzM

>>1793:SAKURA様。

>>“仕事”も限定されますので、やっ〜〜〜と!自力にて得た“職種”でも、「黒幕デザイナ−」「吸血鬼」「ゾンビ」からの【 妨 害 】更に??そうです〜〜〜ネ!「信者同志…でも?」例えば?……<<

――>>「吸血鬼」「ゾンビ」<< なんて、そんなものは「ない」のですよ。

あなたは、聖経『甘露の法雨』を読んでいらっしゃいますか。

読み方が足りないのではありませんか。

上記のようなことを書かれる時間があったら、もっと『甘露の法雨』をお読みください。聖経『甘露の法雨』には

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

神は遍在する実質且つ創造主なるが故に
善のみ唯一の力、
善のみ唯一の生命、
善のみ唯一の実在、
されば善ならざる力は決して在ることなし、
善ならざる生命も決して在ることなし、
善ならざる実在も亦決して在ることなし、
善ならざる力即ち不幸を来す力は畢竟悪夢に過ぎず。
善ならざる生命即ち病は畢竟悪夢に過ぎず。
すべての不調和不完全は畢竟悪夢に過ぎず。
病気、不幸、不調和、不完全に積極的力を与えたるは吾らの悪夢にして、
吾らが夢中に悪魔に圧えられて苦しめども
覚めて観れば現実に何ら吾らを圧える力はなく
吾と吾が心にて胸を圧えいるが如し。
まことや、悪の力、
吾らの生命を抑える力、
吾らを苦しむる力は
真に客観的に実在する力にはあらず。
吾が心がみずから描きし夢によって
吾と吾が心を苦しむるに過ぎず。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 と書かれているではありませんか。

 「吸血鬼」「ゾンビ」なんて、そんなものは実在ではない、妄想ですよ。妄想のことなど、二度と言わないでください。
 合掌

1800「訊け」管理人:2012/12/11(火) 17:57:12 ID:???

>>復興Gさま

 素晴らしいお話をありがとうございました。さて、以前投稿した拙文を再掲致します。
話題は、「支援学校の野球部が快進撃」というものであります。


(信仰体験板より再掲)

27:「訊け」管理人 2011/07/27(水) 11:28:24

BGM
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&amp;v=xbmhCC_ygss

 最近感動した話です。我が田舎の中学校野球大会にて、なんと支援学校(障害児)の野球部がベスト4に入りました。

延岡ととろ聴覚支援学校野球部、ベスト4へ!
http://www1.ocn.ne.jp/~miyatiku/jhs/jhs62ken/jhs62ken/jhs62ken.html

 なんかこう・・・なんというのか、普通こんなこと、有り得ないと思います。なにせ我が田舎の野球部ですけど、結構レベルが高いんですよね。あ
あ、そんな中で彼らですけど、「よくやったなあ」と涙が出てきます。やはり神の子、無限力ですね。

補足

 まず野球ですけどね、聴覚障害のある子たちが「どうやって飛球を処理するのか」不思議なんですよね。

 あの「カキーン」という金属音で、だいたいの捕球位置を算出するわけなんですけど、彼ら、どうやったんだろう・・・もう、尋常の集中力でもない
限り、無理だと思います。

 そして、件の延岡ととろ聴覚支援学校ですけど、云うまでもなく全員が「聴覚障害の子」とのことです。グランドでの指示も手話だったとかで・
・・いやーホント、強豪揃いの宮崎県大会でよく、ベスト4に入ったものだ!一度、指導者の方に会ってみたいなあ。そして『生命の實相』を献本してみましょうかね(笑)そしたら「全国制覇」したりして(笑)

 でも本当によくやったよなあ・・・ものすごく感動してます。他の障害者の励みになって欲しいですね。

(終了)

◆追記◆


○肉体のハンディを克服した青年
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/52473288.html

<ダイジェスト>

 そして幼いとき、不具になって扱いにくい肉体になるような乗馬に乗っているのは、〝神の生命〟であって、〝神の子〟のうちでも高級霊なのだと知らされたのでした。つまり不具の体という扱いにくい乗馬に乗っても、ひとに劣らず人生の競争に耐えて行くためには、その乗り手である「人間の魂」がよほど勉強をし、注意をし、勇気を奮い起こし、努力しなければならない。そのような努力の中から魂の進歩が得られてくるのである。

(『真理入門25章』197頁より)

1801復興G:2012/12/11(火) 18:41:33 ID:vWpLkCzM

ありがとうございます。

1802SAKURA:2012/12/11(火) 20:10:54 ID:jH5uEFzM
復興G様 へ トキ様 へ 観覧者の皆様 へ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1677>>1687>>1695>>1697>>1714>>1715>>1723>>1724>>1732>>1733>>1759>>1764
>>1778>>1793>>1794>>【SAKURA投稿…】の続きです。

■「復興G様」からの“お返事…”ありがとうございます…。…ですが??  (その1)
                   
■いろんな方が、いろんな方、改めていらっしゃいますのですかと…本当に、御自身が現実!その身に
なってみないと理解が出来ないのでしょうかと……??

特に>>1799の投稿内容にて
更に【妄想…】という感覚での捉え方でありますかとの…云々…その様な“考え方”と理解しました。
この件ですが、此処まで実際投稿します事を、躊躇しましたが、再三【警察…】に話をもっていって
おります…。尚「警察本部…」まで行った事もあります…。後は…いつか“投稿”するか“ブログ”
で…!その様な考えが、私自身にはあります。…が?しかしながら、この件は【事実…】であり、
しかも「タタキ男」の件は、他にも深い〜深い〜因果関係が、あります。

■尚!!【タタキ男】というこの定義ですが、記載したりなかったのでしょうか……?
もう一度明記しますが、この事は専門的になりますが「アイロン」をします時に使用します【棒…】
そうです〜〜〜ネ【厚みが2.5センチぐらい!長さが20センチぐらいの…板】で、頭部を一撃です…。
当に【一瞬時の出来事…】ですから…出血!!尚!直ぐ様病院に行きましたが、当時の“カルテ”は、
直ぐさま【隠ぺい工作…】でした。他にもこの事に関しての事が〜〜〜これが原因での、
現在の■【中途障害…突発性難聴】の存在なのです。

■この事も【妄想…】と“解釈論”になりますのでしょうか〜〜〜??変です〜〜ネ!

この事を、詳細に、此処にて“投稿”しますと…私自身の個人的な“プライバシ−”にもなり
ますので……いずれ「タタキ男…」の件は、「裁判…」になりますでしょうかと…。
風の便りでは……【分派側…に入会】しているとの“うわさ話“も〜〜〜チラホラ〜〜〜

■私の使命感は「服飾をとしての光明化」であり…今の私は「うらやむ!妬む!」感情は、
全くありません。当然の事ながら、知人の「中途聴覚障害者」も、むしろ自分自身の「仕事」に対して
の前向きの気持ちがありますから、そちらの方への意志・信念が強いのです。そして、同様な考え方が、
私自身の仲間の考え方の根本です…。あくまでも…健常者と対等論としての“仕事”をする認識が…

ですから、【視覚障害者へのボランティア】も同じ人間・ハンディ−がありましても【仕事】という、
前向きなる姿勢を、持っております…。かなりの狭められました「仕事内容」にはなります。…が?

■例えば…【老人病聴覚障害…】を、例に取りますと、当然の事ながら、その状況下になるまでは、正常
であり、ある事情からか“聴力の低下”となります。その場合、過去の聴力と比較しますと、そこに
当然の事ながら【葛藤】が、生じますでしょう。ですから、此処に投稿されていらっしゃいます皆様も
ある“きっかけ”からの【聴力喪失】は、今やあり得ないとは断言できません…。
その時に於けます、御自身の“感情…”は、単に、此処で一部抜粋させて頂きますが……
>>1795【病苦に耐えよ。人をうらやむな。…云々…】この事を、果たして100%思わないという感情の
持主なのです〜〜〜かと!多少は、その瞬間は、マイナス感情が生じますモノと、思いますが…。

では、そうでないという事でしたら、今までの“他のボ−ド投稿内容…”には、当に!当に!
【神の子としての自覚】の【慈 愛 あ る 言 葉】ばかりでしたのでしょうか???
それは【相手の賛嘆を少しでも言葉として表現】されましたのでしょうか……?

  つづく

1803SAKURA:2012/12/11(火) 20:13:23 ID:jH5uEFzM
復興G様 へ トキ様 へ 観覧者の皆様 へ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1677>>1687>>1695>>1697>>1714>>1715>>1723>>1724>>1732>>1733>>1759>>1764
>>1778>>1793>>1794>>1802>>【SAKURA投稿…】の続きです。

>>1802投稿の続きですが…… (その2)

私が閲覧させて頂く限りには【分派…特に「学ぶ会」…】の方々の言動は、“疑問視”ですかと…?
あくまでも【WEB誌友会…】の投稿は>>1793に記載していますところの考えが私の基本の考えです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1793 (参照URL…)

今回「生命の実相」抜粋を、ピック・アップして頂きまして、誠に感謝申し上げます。
■■但し、人それぞれの【捉え方…抜粋箇所】ですから、その時の心情として、つまり……
現時点での「復興G様」自身の日頃からの【身障者への考え方】と受け止めました…。
改めて、そこでその人の【人 格 論】になりますでしょうかと……認識する事となりました。

尚!「生命の実相」の中に記載さ荒れています「雅春先生の文章」は、知っておりますが〜〜〜!
更には【甘露の法雨…】も、私なりに読誦させていただいております次第です。…が??

                                   再合掌

1804如月:2012/12/12(水) 08:35:28 ID:ki/haAjk
復興Gさま トキ管理人さま 

このたびの誌友会での御指導ありがとうございました。
最後まで参加できなくて申し訳ありませんでした。

また、ご参加下さった皆様のおかげで、新たに気付かせていただいた事も多く
充実した誌友会でした。ありがとうございました。

開会のあとに謹写させていただいた真理の吟唱があまりにもミスが多く雅春先生にも
読んでいただいた皆様にも申し訳なくて、修正版を載せると供に、深くお詫びを申し上げます。

1805如月:2012/12/12(水) 08:36:10 ID:ki/haAjk
聖経『続 真理の吟唱』より、「愛の絶対価値を高揚する祈り」

★★★愛の絶対価値を高揚する祈り★★★

今ここにわれは生きているのである。”生きている”とは何と神秘なることであろうか。
わたしが生きているということは、決して物質の機械がここに動いているということではないのである。
考える力が生きているということである。
愛する力が生きているということである。
知る力が生きているということである。
よろずのものと調和し、調和せざるものを排出し、矛盾を克服し、混乱を鎮定し、更に一層大なる
価値を生み出す不思議なる力が生きているということである。

 私は今、この不思議なる偉大なる力を尊敬し礼拝するのである。
私が今此処に生きているということは、この不思議なる神秘力が生きているということである。
この神秘力を私は”神”として讃えるのである。

それは物質の光がなくとも見ることが出来る力である。
それは電灯も、何の灯明もない胃腸の中で、食物として摂取した色々の成分を分類し、選択し
必要なるものを吸収し、不必要なるものを外に送り出すところの、それは見ずして見る力であるのである。

 私が今此処に生きているということは、この不思議なる神秘力が生きているということである。
物質の力は、物質的法則と、化学式に従って機械的に動いて行くに過ぎないが、この神秘力は
物理化学の法則を利用しながら進んで行くが、自由意志を備えていて、法則をのり越えて
新たなる独特の個性ある価値を創造する力である。

それは、他の人とは異なる個性ある血液型をつくる力であり、個性ある指紋をつくる力であり
一点一画を描いても、その”点”にも”線”にも個性を示す不思議な力であるのである。

 単なる物質は個性のない類型をつくるが、生命は単なる類型をつくることは決してないのである。
人間は絶対者の個性的表現であるから、よく似た顔をしているようだが、悉く個性の異なる
顔貌を備えているのである。
一本の樹木の単純な葉ですらも、一枚一枚個性の異なる葉脈をその葉の上に描くのである。
それは類型がないから、他に似たものによって代換えすることが出来ない。
その一つが減ずることは、かけ換えのない絶対勝ちが一つ減ることになるのである。

 生命の神秘、不可思議なる価値は、そのかけ換えのない絶対なる創造力に存するのである。
その一つすらも減ずることは絶対価値が減ずることに成るのであるが、絶対価値は、絶対であるが故に
減ずることも減することもあり得ないのである。
減じたり滅したりするものは、すべて相対価値のものばかりである。

貯金として貯えられたる貨幣の価値は、相対価値であるが故に、物価との相対的比較上
減って行くのである。
しかし人間が誰かを”愛”したという”愛”は絶対価値であるが故に、その”愛”は永遠に
滅することも減ずることもないのである。

 日本国民が国家を愛して国家を護るために戦った。
その”戦い”という行為は、対手(あいて)があり相対的なものであるから、立場立場の異なる
人々によってその価値・不価値を色々に評価されるけれども、その”戦い”という相対的行為の
奥にあるところの日本国民が天皇を愛し大日本帝国を愛したというその純忠なる”愛”の
価値は相対的比較を絶した絶対なるものであるから、肉体をいう相対的存在が滅びても
永遠にその”愛”の価値が滅びることはないのである。
純粋の愛は、絶対者に属し、絶対界より出でたるものであるが故に
それは永遠の価値をもっていて滅びることはないのである。

1806如月:2012/12/12(水) 09:02:32 ID:ki/haAjk
SAKURAさま

今回もSAKURAさまがご参加して下さって、とても有意義な誌友会になりました。
心から感謝申し上げます。

このWEB誌友会に、多くの人が参加して欲しかったので、前回あたりから個人個人に話しかけない方が
多くの人が参加しやすいのかなぁなんて考え始め、今回は意識して指導者の方以外にはお声をかけないように
していました。

唯一、訊け管理人さんにだけ話しかけたのは、訊けさんに対して神の子さんが嫌味を言われた事に
対する抵抗のつもりでした。
一般の誌友会などは、誰でも大歓迎、君は来て君は帰れなんて誌友会を私は知りません。
だからWEB誌友会でも同じようにしたかったのです。

SAKURAさまは初めから順番通りに投稿されて、私は尊敬していました。
私はマイペースで投稿してしまい、テキストを置いてくださった復興Gさまに申し訳ないなぁと思いながら
会場を見ると、SAKURAさまがきちんとテキストを使ってくださっていて救われました。

1807如月:2012/12/12(水) 09:26:31 ID:ki/haAjk
>>1724でSAKURAさまのお母様の老人ホームでのお話ですが、以前この関連の仕事を
していたとき、ある婦人が突如まったく喋ってくれなくなった事を思い出しました。

一人のスタッフだけは信用していて、誰もいない場所で『自分は神の化身に見張られていて喋ったら殺すと
言われている』と打ち明けたのですが、どう考えても薬の影響なので、お医者さんに相談して
ある薬を無くしたところ、いつもの明るいご婦人に戻られたのです。

薬ってこわいですねー

ちょっと出ますので、またのちほど

1808復興G:2012/12/12(水) 09:43:30 ID:vWpLkCzM

如月様。

貴女の深い、深い愛の心に、心から感謝をささげます。


SAKURA様。

ありがとうございます。

少しきついことを申し上げましたが、貴女がもう一歩、もう一段飛び上がって

幸福をつかまれますようにと願ってのことでした。

おゆるしください。

ありがとうございます。合掌

1809SAKURA:2012/12/12(水) 21:03:37 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1677>>1687>>1695>>1697>>1714>>1715>>1723>>1724>>1732>>1733>>1759>>1764
>>1778>>1793>>1794>>1802>>1803>>【SAKURA投稿…】の続きです

>>1808の「復興G様」のお返事…こちらこそ、御丁寧にありがとうございました…。

正直申しますと…現在の私の心境は、何よりも思いますには、私の場合に於いての例えですが…
【聴覚障害…生まれながらの方、及び、中途聴覚障害…】の方のこの2のタイプに於きましての
精神的【葛藤…】〜〜〜それでなくとも、度々の言葉?となりましょうか……
「タタキ男」「ゾンビ達」そして『黒幕デザイナ−』……この執拗なる私どもへの【執着…】が、
私どもにとりましては、この“ 現実世界=現象世界 ”に於きましての【壁…】であり、
この事が、潜在意識に忘れた頃に又目の前に…出てくる!この繰り返しが〜〜〜><現在も!

■どんな時でも「生命の実相」に於きまいての【雅春先生の真理の言葉…】が如何に心の支えかと?
今回は、ことのほか、長い間の心の支えとなっていますかと?痛感した次第です…。

今年『復興G様』からの「生命の実相」の“テキスト該当部”にて、個人的に勉強をさせていた
だく機会(スロ−テンポですが……)を、春先より頂きました事は、本年度に於きましての、
私自身にとりましては大きく「人生の舵とり」の上で、多くの価値を、頂く機会となりましたかと。

❤〜ありがとうございます…。 今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます…。

                                  再合掌

PS;今回の“お言葉”は、ちょっぴり“キツ〜〜〜イ!”感が〜〜〜 ><
それでも、それを跳ね返すぐらいの意志力・認識にて【私の使命…】を、邁進していきたいと…
今年も残り少ない日々と…“冬将軍にて、寒さが厳し〜〜〜イ!昨今かと…”くれぐれも体調には、
お気を付けられます様に…そして御活躍を、心から【お祈り…】申し上げます…。

1810SAKURA:2012/12/12(水) 21:05:53 ID:jH5uEFzM
如月様 ヘ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1677>>1687>>1695>>1697>>1714>>1715>>1723>>1724>>1732>>1733>>1759>>1764
>>1778>>1793>>1794>>1802>>1803>>1809【SAKURA投稿…】の続きです

>>1806>>1807の「如月様」の言葉…お返事を頂きました事に、感謝申し上げます…。

■話は変わりますが…大変御無沙汰致しております…。事情も私なりに理解させて……。処で、
何時も、私自身は“如月様の投稿文章…”から、楽しく〜!心安らぐモノ〜!を、その“念波”
と申しますか?頂いておりまして、その事は、私にとり“再エネルギ−・パワ−源”かと。?
今回、お忙しそうで、そういう時に、私宛てに“お返事”頂きまして、ましてや……
私自身は【今回の復興G様…テキスト該当部】を、冒頭から順次、私なりの捉え方で投稿させ
て頂き、その事の感想を頂きました事に〜〜〜(冷汗)なのです。【吾輩は…若輩者ですモノ】

今年を振り返り【WEB誌友会…】にて、この「2チャンネルのネット世界」にて、この様に多少
なりとも「コミュニケ−ション…機会」を頂きました事に、深く感謝申し上げます…。“感謝!”

尚!時節柄、寒さ厳しくなって参りますが、体調にはくれぐれも、お気をつけられます事【お祈り】
申し上げます…。何時も“ホット〜〜♫〜〜暖かな言葉…”…ありがとうございます…。

                                    再合掌
PS:
この様に、寒さが厳しくなりますと〜〜〜【風邪??】
余談ですが…本当に“くすり…”は怖いです〜〜〜ョネ!❤〜【クスリ…は?リスクが大かと…】
やはり【 “真理のクスリ”…が、最高に“無限治癒力”でしょうか〜〜〜 (微笑) 】

1811runるん:2012/12/23(日) 10:18:09 ID:pic01rm6
SAKURA様

**尚!!【タタキ男】というこの定義ですが、記載したりなかったのでしょうか……?
**もう一度明記しますが、この事は専門的になりますが「アイロン」をします時に使用します【棒…】
**そうです〜〜〜ネ【厚みが2.5センチぐらい!長さが20センチぐらいの…板】で、頭部を一撃です…。
**当に【一瞬時の出来事…】ですから…出血!!尚!直ぐ様病院に行きましたが、当時の“カルテ”は、
**直ぐさま【隠ぺい工作…】でした。他にもこの事に関しての事が〜〜〜これが原因での、
**現在の■【中途障害…突発性難聴】の存在なのです


そ、そんなひどい事をされたのですか??訴えられましたか?同僚に?でしょうか?

ひどい奴です!!その男は今どうしてるのでしょうか?のうのうとお気楽に生きてたら許せない気分です!!

お苦しかったでしょうね。障害が残らなかったら「忘れることもできるでしょうが・・・」残ったら・・・中々・・簡単に「無」

と断ち切れるものではない・・ですよね。

1812神の子さん:2012/12/24(月) 23:32:57 ID:???

>「タタキ男」「ゾンビ達」そして『黒幕デザイナ−』……

「生長の家」なのに・・・何故?

1813神の子さん:2012/12/25(火) 00:24:57 ID:3Dk63Vjg
波長が合うんでしょ?

1814runるん:2012/12/25(火) 07:36:47 ID:pic01rm6
復興G様

1799を見ないで、1811を書き込みました。



ただ、sakura様は耳に障害が残られたので、その相手の男性にゾンビ男というのも無理ないかなと、

思いました。

でも、sakura様にも、申し訳ありませんでした。

復興G様  常に実相を観られてること、ほんとにすごいです。私はやはり、壁にぶちあたると

「現象にとらわれてしまいます」

ほんとに、難しいです・・・ね。ダメですね。

あの、結果的にいやみな書き込みをになった感じで申し訳ありませんでした。

1815復興G:2012/12/31(月) 20:56:25 ID:vWpLkCzM

トキ様
皆々さま

合掌 ありがとうございます。

現象界は有為転変いろいろあった2012年、平成24年ももうあと残す時間はわずかとなりました。

しかし、私たちの生命は神のいのち、久遠不滅の生命です。
この久遠生命の真理、生命の実相を学ぶWEB誌友会を、今去ろうとしている21012年、ここで皆様とともに9回にわたり学ばせて頂きました。ありがとうございました。

また来たる年も、よろしくお願い申し上げます。

1月は、第2金曜日からですと11日からになりますが、それだと私は12日(土)と13日(日)夜の2回、予定された行事があって、日曜日大詰めの時に不在となります。

その次の週、18日(金)から20日(日)ならば、20日午前中にはリアルの誌友会予定がありますが、あとは特に行事は予定されていませんので、私の都合はその方がよろしいのですが、いかがいたしましょうか、皆さまのご意見を伺って決めたいと思います。

よろしくお願い申し上げます。

よいお正月をお迎えください。

合掌 拝

1816復興G:2012/12/31(月) 21:17:40 ID:vWpLkCzM

なお、上記1月の第10回web誌友会でテキストは、『生命の實相』頭注版第2巻のつづきで、第3章はp.99〜115(17頁分)、第4章はp.116〜138(23頁分)で、合わせて40頁文ですから、第3章および第4章をテキストとするのが適当かと思われますが、いかがでしょうか、このこともご意見を伺いたく存じます。よろしくお願い申し上げます。

1817トキ:2012/12/31(月) 21:19:20 ID:FptI/wKI
復興G様

 今年1年、すばらしいご指導を賜り、心から御礼を申しあげます。
復興G様のおかげで、こちらを閲覧されている方々も、もちろん私も、深く真理について
学ぶ事ができました。本当にありがとうございました。

 もとより、ご指導にあたられる復興G様のご都合が最優先だと思っています。

 私個人は、復興G様のご提案には、何も異論はありません。

 では、来年もよろしくお願いいたします。良いお年を御過ごし下さい。

合掌 ありがとうございます

管理人 敬白

1818SAKURA:2012/12/31(月) 21:46:45 ID:bhGD4phA
runるん 様 へ

はじめまして……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
大変遅くなりましたが【runるん様の>>1811>>1814】を閲覧させて頂きながら……

■【やさし〜〜〜イ!言葉】に、感謝申し上げます…。実は、此処では、この様な“言葉…”を、
頂いたことがありませんでしたので?正直申しますと…躊躇致しました。本当に【感謝…】です。
何時か?何処かで?【タタキ男…】この私の人生に於きましての【汚点…】は、ブログでも?此処に
てでも“アバウト的に投稿”させて頂きますでしょうかと。

■はっきり申しますと【洗脳…マインド・コントロ−ル】されていたと、今では確信しております。
つまり【バカ!!バカ!!…親もバカ!!親もバカ!!】という事で、自分自身の【思考すら喪失】
状態でしたかと。当時は20代の前半にて、今にして思えば?その様に云えますかと。

最後に、此処の投稿者の中で「タタキ男??」と思う様な文体があるのですが〜〜〜?その事も、
いずれ【確信…】が出来ますでしょうか?

最後に【今年最後の…やさしい“言葉…”は、神様からのプレゼント】と、投稿を閲覧させて
頂きました時に、思った次第です。

■【 良い年の瀬…そして…良い“お年”を、お迎え下さいますよう「お祈り」申し上げます。…】
                                 再合掌

1819SAKURA:2012/12/31(月) 22:00:37 ID:bhGD4phA
復興G様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

今年も〜〜〜“あと数時間”となりました。…が??早いモノで、今年春先から【WEB誌友会】に、
参加させて頂き…更に【復興G様…】の毎回に於けます【テキスト…】本当に、振り返りますと、
自分自身でもそれなりの【真理…掴む機会】を、頂きましたかと。この一年間は“意義ある年”かと。
此処にて、改めまして、深く感謝申し上げます。ありがとうございました…。

■最後に“良い年の瀬…そして…良い年をお迎えされます事を、心より「お祈り…」申し上げます。

再合掌

1820トキ:2012/12/31(月) 23:04:10 ID:FptI/wKI
runるん様

 ご投稿、ありがとうございます。

 楽しいご文章で、読むのが待ち遠しいです。
来年もぜひ、ご投稿をお願いします。

合掌 ありがとうございます

1821a hope:2013/01/07(月) 07:57:57 ID:E6WSUXC.
>>1815>>1816 復興Gさま

昨年は、一昨年に続き、web誌友会などで、たくさんの真理を教えていただきありがとうございました。

掲示板というのは、本当に不思議な世界ですね。
現実でありながら、夢をみているようなそんな空間で、お互いに何の素性もわからない同士が交流を深めていくのですから…

ですが、「人間は物質ではない」わけですから、このような物質人間の相手が見えない場所であっても、
魂の交流は深まっていくのだなぁと感じています。

web誌友会も、もう第10回を迎えるのですね!

真の「生長の家の教え」を勉強したいわたしにとって、この掲示板は大切な場所です。
なぜなら、管理人のトキさまは、どなたも排除なさらない、
そして、生長の家の教えで最も大切な真理である「和解」を決して忘れることがない素晴らしい生長の家人だからです。

第10回web誌友会ですが、その週末は、毎日仕事や他の用事が入っていて、少し落ち着きませんが、
自分のペースで、参加させていただきたいと思っています。

復興Gさま、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

1822a hope:2013/01/07(月) 08:06:28 ID:E6WSUXC.

掲示板をご覧のわたしの愛する「生長の家」のみなさま

谷口雅春先生の弟子であり、「生長の家」人であるわたしたちは、今、何をすべきなのでしょうか?
忘れかけていましたが、このweb誌友会の大きなテーマは、「一人ひとりの法燈継承」です。

わたしは最近、立ち向かう相手が現象においてどんな姿をしていようとも、
自分がしっかりと「生長の家の教え」を理解さえしていれば、そんな姿は現実ではないのですから、
まったく気にならなくなるような気がしてきましたよ。

わたしは、今年もこの掲示板で、真の「生長の家の教え」を学ばせていただくつもりです。
みなさまと一緒にここでお勉強できて a hopeはとても幸せです。

今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

1823a hope:2013/01/07(月) 08:52:57 ID:E6WSUXC.
補足

>>1821>>1822において、わたしは真の「生長の家の教え」と表現させていただきました。
以前「真」と言葉を使うのはやめようと思いましたが、
やはり、「生長の家の教え」は、生長の家の大神さまから谷口雅春先生に天下った真理以外はわたしには考えられず、
それ以外の「虚説」はわたしには受け入れがたいので、あえて真の「生長の家の教え」と表現させていただきました。
わたしは、「虚説」は現象世界にはあると思いますが、闇は光を当てれば消えてしまうように、
「虚説」も「真説」をあてれば消えてしまうものだと信じています。

1824復興G:2013/01/09(水) 11:31:16 ID:vWpLkCzM

>>1817 :トキ様
>>1819 :SAKURA様
>>1821 :a hope様

そして皆々さま

ご無沙汰をお詫び申し上げます。
しばらくPCから離れておりました。PCの不調もありました。

遅れましたが
あけましておめでとうございます。

本年も、光明一元の真理=神の光をすべての人に送る神の子の使命を生ききってまいりましょう。

1月、第10回web誌友会は

1月18日(金)21:30から
1月20日(日)23:30まで

テキストは
『生命の實相』頭注版第2巻 第3章および第4章をテキストとさせて頂きます。<第3章p.99〜115(17頁分)、第4章はp.116〜138(23頁分)合わせて40頁文です>

私も、20日(日)は午前と午後2つの予定行事が入りましたので、20日の日中は不在となりますが、夜には戻って来ることができます。

では皆さま、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

1825復興G:2013/01/09(水) 11:55:09 ID:vWpLkCzM

 合掌 ありがとうございます。
 新年に当たり、「実相世界の現象化」のためにはどうすればよいかを、古事記神話の天之岩戸開きの項から、谷口雅春先生がまとめて教えて下さっていますことを。掲げさせて頂きましょう。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

≪『古事記と現代の預言』 谷口雅春先生著より≫

日の大神である天照大御神が天之岩屋戸(あまのいわやど)にお隠れになったために世界が暗黒化してしまったのを、再びこの世に天照大御神を喚招(かんしょう)し奉って、この世を光明化するための行事

一、常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を啼(な)かす。
(常住不変の実相世界の真理を宣布する――「ココケッコー、今ここ天国」と歌う)

二、鏡を作りて中枝(なかつえ)に繋(か)ける。
(現象的あらわれを心の鏡として、自己反省して心を改める)

三、弥栄(やさか)の真輝珠(まがたま)を作りて、それを上枝(ほつえ)に繋(か)ける。
(実相世界はすべての魂が真に輝いていて美しく、各々の魂は孤立分離していないで、一つの玉の緒)によって統一された大調和の世界であることを観ずる)

四、実相世界の真栄木(まさかき)を根こじにこじて現象界に移植する。
(現象が如何に暗黒に見えていてもその暗黒を見ないで、実相の根元世界の光明遍照の有様をジッと観ずる)

五、白和幣(しろにぎて)、青和幣(あおにぎて)を作って下枝(しずえ)につける。
(人に接するに、必ず和顔愛語の布をもって柔らかく包んで接する)

六、太御幣(ふとみてぐら)を奉祀(ほうし)して祝詞(のりと)をあげる。
(�`大生命�a及び祖先の生命をお祀りして聖経または祝福の祭文を読誦する)

七、天手力男神(あめのたぢからおのかみ)をして待ちもうけさせる。
(機会をはずさず断行の決意をする)

八、天之日影(あめのひかげ)を手次(たすき)にかけ、天之真斥(あめのまさかさき)を鬘(かずら)として、天香山(あめのかぐやま)の小竹葉(ささば)を手草(たぐさ)に結(ゆ)いて、天之岩屋戸に汗気伏(うけふ)せる。――アメノウズメノミコト
(心を空しく、雑念妄想を無くして、心が裸になって、神のお導きを待つ)

九、蹈みとどろかし、神懸(かみがか)りする。
(いよいよ、神霊来臨したまい、何を為すべきかを指示し給う。その指示のまにまに、自然に行動する――アメノウズメノミコトは無我になって裸おどりをなさる)

十、八百万(やおよろず)の神共に咲(わら)いき。
(暗い表情を棄てて、既にあたかも光明が輝き出たのを悦ぶ如く、明るい笑顔をもって行動する)

――以上、谷口雅春先生『古事記と現代の預言』より――

1826トキ:2013/01/09(水) 11:57:59 ID:pFigj4Ss
復興G様

 謹んで、新年のご挨拶を申しあげます。

 昨年はすばらしいご指導を賜り、ありがとうございました。

 今年が、本当の意味での和解の元年になりますよう、精進をいたしますので、
なにとぞ、ご指導、ご鞭撻のほど、お願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1827復興G:2013/01/09(水) 12:07:53 ID:vWpLkCzM

   一月一日 (千家尊福作詞・上真行作曲)

一、年のはじめの 例(ためし)とて
  終りなき世の めでたさを
  松竹たてて 門(かど)ごとに
  祝う今日こそ たのしけれ

二、初日のひかり さしいでて
  四方(よも)に輝く 今朝(けさ)のそら
  君がみかげに 比(たぐ)えつつ
  仰ぎ見るこそ 尊(とう)とけれ

<「君がみかげ」は、天皇様のみ姿を意味します>

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

  『叡智の断片』より (谷口雅春先生)

       ○
 新年とは新たに生れる時である。時々刻々新年の気持ちで生活せねばならぬ。
「今、天地の開ける音をきけ」と金光教祖は教えられた。必ずしも正月のみが新たなる誕生の時ではない。吾がいのちは今、時々刻々に新生する。
       ○
 いまが、永遠である。永遠の今(Eternal Now)今が吾が生の肇(はじま)りであり、今が、自分の生活のはじまりである。今、すべてが始まるのである。
       ○
 正月にはお餅をつく。それはどういう意味であるかと言えば、先ず水を入れて、火で炊く。水は陰であり火は陽である。陰陽合一して、そこに凡(すべ)てのよきものが誕生するのである。
 お餅をつけばかくして陰陽合一し、そこに一つの新しい全体が造り出される。もちごめのぶつぶつとした一つ一つの米粒はバラバラな個別ではなくして、望月(もちづき)のごとき円満な新しい一つの全体を形造るのである。全体が完全にとけ合ってまんまるいすべすべとしたお餅が出来上がる。そのお餅を大小二つこしらえて、それを上下に重ねるのである。それは新たなる陰陽合一を意味するものである。
       ○
 お餅が出来上がると更にお雑煮をこしらえる。雑煮に入れる餅は円い餅が縁起にかなう。一つの完成した円い餅が、更に色々な他の餅や、其の他の食物と一つにとけ合って新たにより一層大きな統一をこしらえ上げるのである。全てのものがもちによって一つに統一されそしてその雑煮が人間のお腹の中に入れられる――人間の心の中にその「統一」がのみこまれて人間が円満完全な調和した心になる象徴である。
       ○
 正月には松を立てる。松とは何であるかと言えば、それはときわ木であって、永遠に栄える木、即ちサカキ(榊)である。コトバの力で今年一年の栄えを象徴するために立てるのである。神前に立てるサカキは、永遠に栄える木「生命の樹」を象徴している。
       ○
 門前に門松を立て、神に榊をそなえるのは、実は自分の心の中にサカキ(栄える木)を立てることである。榊は所謂「神様」にささげるものではなくして、かえって「自分自身」に捧げるものなのである。それ故、榊をそなえる場合には美しい生き生きとした緑の葉をみんな自分の方に向けて供える。「神様」の方には裏のきたない方が向いている。されば「神様」は自分以外の建物の中に在ますのではなくして、自分自身の心の中に存在するのであることを知らねばならぬ。
       ○
 元旦の神前にはおみきを供える。おみきはサケ(酒)である。サケ(Sake)は、やはりサカエ(Sakae)を表わすことばである。サカキを立ててサケをのむのは「サカエ」るものを観る事であり、それは「サカエ」るものを創造り出すことである。新たなるいのちの創造である。サケ(酒)はサカエ(栄え)であるから陽である。ものをいきいきともえ立たせる働きである。それに対して水は陰である。
       ○
 しめなわ(注連)の縁起は次の通りである。しめなわは天照大神が天の岩戸からお出ましになった時、二度と再びお入りにならない様に張りめぐらしたものであると古事記に書いてある。それはどういう意味かと言うと「再び退転しない」という意味である。再びもとの暗い生活には帰らないという誓いをあらわす。しめなわを張りめぐらす所はどこかのかど口の様な所だと思っていたら大間違いで、実は、自分の心の中に張りめぐらすのである。心の中で、「二度と再び過去のあやまちには退転しない」と固く決心することなのである。
――以上、『叡智の断片』より(谷口雅春先生)――
<つづく>

1828復興G:2013/01/09(水) 12:14:31 ID:vWpLkCzM

  『叡智の断片』より (谷口雅春先生) <つづき>

       ○
 毎朝、御主人に向かって挨拶をなさるのに「お目出度うございます」と言っていた人がいる。その奥さんにとっては、毎日毎日が、「新年」であった、「元旦」であった。
       ○
 凡てのものを「神」として本当に拝む事の出来る時、その人は、自分自ら「神」となるのである。何故なら、此処に「神」があるということがわかるのは、自分の心に「神」があるからである。人は誰でも凡てのものに「神」を認め、「神」を拝む時、その人は既に自ら「神」となっているのである。同様に「あいつは鬼だ」と言う人は、自分自身で「鬼」となっているのであることを反省すべきである。
       ○
 観よ、――さらば現れる。
 神想観をして実相を観よ、――さらば実相が現れる。
 観を変えよ、――さらば世界が変る。
       ○
 人間は、各々一個の創造者である。そして人間は各々自分の射造った世界の中に住む。
       ○
 男性の尊厳は女性を虐待するところにあるのではない。女性を本当に拝むところにある。
       ○
 凡てのものを神として拝める人は、自分が神であるのである。神のみ神を拝めるのだ。妻を神として拝める良人(おつと)は神であり、良人を神として拝める妻は神である。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「常山(じようざん)の蛇勢(だせい)」

 常山に住む率然(そつぜん)という蛇は、頭を攻撃すると尾で立ち向かい、尾を攻撃すると頭で襲いかかり、中央部を攻撃すると頭と尾が襲ってきます。よく兵を用いる者は、この率然のようなものだという出典(『孫子』九地)の言葉からきています。
「善く兵を用うる者は、譬えば率然の如し。率然とは、常山の蛇なり。其の首を撃てば則ち尾至り、其の尾を撃てば則ち首至り、其の中を撃てば則ち首尾倶(とも)に至る。」
  ○常山 … 中国にある山、恒山のことで、中国五岳の一つ。
  ○率然(卒然) … にわかなさま。ただし、ここでは蛇の名。
「常山の蛇勢」は兵法で先陣と後陣、左翼と右翼が互いに呼応して戦う、隙のない戦法、隙がないたとえです。「首尾一貫」していることにもいいます。この蛇(率然、卒然)のように軍を動かす事ができれば、戦上手と言えるのですが、では、その方法とは?

『呉人(ごひと)と越人(えつひと)と相悪(にく)むも、その舟を同じくして済(わた)り風に遇うに当たりては、その相救うや左右の手のごとし』――「呉と越、敵同士の二つの国の人であっても、同じ舟に乗って嵐に遭遇して、舟が危ないとなれば、お互いが協力して左右の手のように動くはずだ」――良く聞く四文字熟語・『呉越(ごえつ)同舟』です。これは、単に陣地を同じにしたり、一緒に戦うといった意味ではなく、敵味方一丸となって……という事です。孫子は、思想や政治、地の利をうまく利用すれば、全軍を、あたかも一人の人間のように扱う事ができると、孫子は説いています。

1829復興G:2013/01/09(水) 12:44:34 ID:vWpLkCzM

>>1826 :トキ様

ありがとうございます。

生長の家も、いよいよ今年は「正念場」ですね。

1830復興G:2013/01/09(水) 13:18:46 ID:vWpLkCzM

トキ様。

トキ様が去年3月に「部室」板/3 に書かれた次のご投稿は、とても素晴らしく大切なことであると思います。
もう一度ここいnコピペさせていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

「部室」板/3
582 :トキ:2012/03/20(火) 19:44:09 ID:P1yrXYLM

 最高裁判所の判決は教団敗訴であるのは確実ですが、それが悪い事か、と言うと、それはそれで教団にも良い事だと思います。

 私は永年、活動をしてきましたが、ある時期までは、組織の方針には無条件で従うべきであると思い込んでいました。しかし何故、活動をするのだろう、という疑問がわきました。それで、大学で「分からなくなったら、原理原則に戻って考えなさい」と教授に言われた事を思い出し、生長の家の原理原則に戻ると解決したので、それから「原理主義者」をもって自他共に任じております。

 生長の家の原理原則とは何か? それは、「人間は神の子」ということです。

 例えば、ある人を生長の家の講演会にお誘いする場面で、「この人を本当に幸せになってほしいから」という理由で誘うのと、「教団からノルマが課せられており、それを達成するために、この人に行ってもらう」というのでは、外観は同じでも、内容は天地の差があります。前者は相手を神の子と拝んでいる姿であり、後者は自分の都合で相手を利用している姿です。ところが運動や組織の話ばかりが教団内でなされるようになり、いつしか自分も相手も神の子である、という姿勢が忘れられるきらいがありました。特に、私においては、そうでありました。

 今回、教団内でこのような騒動が生じたのは、原理原則を忘れた運動を展開した結果であると思っています。ですから、今度、行き詰まったら、また初心に戻り、原理原則に基づいた運動をすれば良いのであります。

 特に、私は個人救済の重要性を痛感しております。悩み、苦しんでいる人はたくさんいます。そういう人が真理で救われるのを見るのは、かかわった自分にも感激です。そういう光景を見ると、理屈ではなく、感性から、個人救済の重要性を感じます。今は、教団も本流復活派も「大きな話」をするのが好きですが、先ずは個人救済を見直す事が大事だと思います。

 もし、教団敗訴の判決が出たら、謙虚に反省し、何をすべきかが明らかになると信じております。その意味では、歓迎すべき事かもしれません。
 合掌 ありがとうございます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

そうですね。
今年の干支は「癸巳(きし)」。「癸(き)」は「揆」に通じ、「万事筋道を立て正しい理に従って処理しなければ、(一揆のような)事が起こる」可能性があります。しかし、筋道を失せず勇敢に溌溂と前進すれば、蛇が冬眠を終えて、或いは脱皮して新しい姿で生活を始めるように、新しい展開が始まる、ということを意味するようです(安岡正篤著『干支の活学』による)。

よい年にしましょう。
ありがとうございます。

1831さくら:2013/01/09(水) 14:15:02 ID:vKqBwMl.
>>1830
復興G様
トキ様

合掌ありがとうございます。
昨年中は、ご指導御愛念を頂きありがとうございました。

みなさまに対してそうですが、
特に復興G様、トキ様には、誌友会などでさまざまご教示頂きまして、折に触れ、個人的にも信仰姿勢に学ばせて頂きましたことを、
こころより、感謝申し上げます。

>初心に戻り、原理原則に基づいた運動をすれば良いのであります。
>理屈ではなく、感性から、個人救済の重要性を感じます。今は、教団も本流復活派も「大きな話」をするのが好きですが、先ずは個人救済を見直す事が大事だと思います。

この内容には、常々賛同していたことでしたので、
ご挨拶させて頂きました…。

本年、自分の場所で、地道に学び、地道な実践を心がけたいと思います。

本年もよろしくお願い申し上げます。



追伸

復興G様、新年に相応しいこころ洗われるご文章を、ありがとうございます。
お正月に会った姪っ子に、…今度は、ちゃんと、お正月のお飾りの意味も、お餅の意味も説明できます…(!)

1832SAKURA:2013/01/09(水) 16:59:17 ID:ybpOApPc
復興G 様 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1824 >>1830の閲覧より……

昨年は【真理の勉強…】参加させて頂きました事は、私に取りまして“意義深い”一年でした。
本年度も「復興G様」を中心に【WEB誌友会にて…真理の勉強】を開催されます事は、昨年
以上に「魂の向上」につながるモノと自覚し…内なる声と対話しながらの躍進の年に致したく
思います。何卒、本年もご指導ご鞭撻のほど…宜しくお願い申し上げます。
==============================================

❤〜去年は、私に取りまして「母…の他界」は、私にとってはある面では【精神の向上の年】で
もあったようです。そして、
■「復興G様…からの今日の言葉」より……
【原理主義は=神の子・・・】そうなんです〜〜〜ョネ!改めて自覚・認識を頂きました。

❤【大自然賛歌…】にも。。。
【吾まさに、環境は心の影なりとの教えの意味をりかいせり。自然環境も人類の心の反映ならば、
人々の争う心、自然界の乱れとなって表出せん。されど師よ、“神の子“なる人間互いに争わず。
・・・省略・・・】この様に「原理主義と決め込む心」は、「神の子・・・」ならば、自ずと
自然に入ってきますかと。そして【神の子なら、正しい理念も生まれてくるようです。】

今年は、昨年年末からの“風邪”を引きまして、逆に良い意味での【神の子の自覚…】が、
いよいよ深まっていくようです。
本日の【復興G様 からの 言葉】改めて気づきを頂きました事に、深く感謝申し上げます。

                                       再合掌

1833みすはなまる:2013/01/09(水) 18:42:52 ID:0sJRrIf2

新春のお悦びを申し上げます。

最近は、此方の誌友会板に発言させていただくことはございませんが、時々目を通させてい戴き、勉強させて戴いております。


復興G様が、>>1830におきましてトキ管理人様の

>>生長の家の原理原則とは何か? それは、「人間は神の子」ということです。>>

の御文章を引用されておられます。

この「人間は神の子」である真理は、実に深い真理であると感じました。
今日は、谷口雅春先生御著書「第二青年の書」を拝読して過ごしておりました。

P203に

>>日本皇室の御紋章が十六菊であるということは、釈尊の示された金波羅華の秘密であります。十六方向の国々が一つの中心に帰趨して渾然一体となる――そうならせなければ、世界は原水爆戦で潰滅するほかはないのであります。

それで、この生長の家の運動は、日本の使命実相を明かににして、人類を本当の平和に導いて行くところの根本自覚を日本国民に興えるために神様が地上に下された運動でありますから、ただ単に病気が治ったら、病院を退院するのと同じように生長の家をやめるのでは生長の家出現目的から外れているのであります。

病気も無論治ります。しかしそれは信仰の出口ではなく、入口なのであります。この運動を次から次へと伝えて、日本の使命を自覚せしめることが必要なのであります。

この生長の家によって少しでもおかげを受けた人、物質的なおかげは受けないでもお心の眼が開いた人は、ことごとくこの生長の家の運動を、そういう国家的な運動に、人類的な運動に結びつけて、生長の家発祥の人類救済の根本目標に近づいて行かなければならないのであります。>>


この雅春先生の御文章は、“過去のもので今は違う”ではございません。
真理であり、不変なる御言葉です。
現在、教団は、「日本の使命実相を明かにした運動」をされていません。

是非、教団内部から「日本の使命実相を明かにした運動」が展開されることを祈って止みません。


雅春先生は、「生長の家の運動は、日本の使命実相を明かににして、人類を本当の平和に導いて行くところの根本自覚を日本国民に興えるために神様が地上に下された運動」とございます。

私はこの雅春先生の御心を実践することが、「人間神の子」を生かされることであると信じ、今年も神の御心のままに運動をさせて戴きます。


合掌 再拝

1834トキ:2013/01/09(水) 19:08:32 ID:pFigj4Ss
>>1830


復興G様

 大先達の復興G様からお褒めを頂戴するのは、恐縮いたします。

 私自身、この投稿をわすれがかっていました。反省しています。
ご提示下さり、ありがとうございました。

合掌 ありがとうございます

1835復興G:2013/01/09(水) 19:59:38 ID:vWpLkCzM

さくら様
SAKURA様

レス、コメント、ありがとうございます。

そして
>>1833 :みすはなまる様。

>>日本皇室の御紋章が十六菊であるということは、釈尊の示された金波羅華の秘密であります。十六方向の国々が一つの中心に帰趨して渾然一体となる――そうならせなければ、世界は原水爆戦で潰滅するほかはないのであります。それで、この生長の家の運動は、日本の使命実相を明かににして、人類を本当の平和に導いて行くところの根本自覚を日本国民に興えるために神様が地上に下された運動でありますから、ただ単に病気が治ったら、病院を退院するのと同じように生長の家をやめるのでは生長の家出現目的から外れているのであります。

病気も無論治ります。しかしそれは信仰の出口ではなく、入口なのであります。この運動を次から次へと伝えて、日本の使命を自覚せしめることが必要なのであります。
この生長の家によって少しでもおかげを受けた人、物質的なおかげは受けないでもお心の眼が開いた人は、ことごとくこの生長の家の運動を、そういう国家的な運動に、人類的な運動に結びつけて、生長の家発祥の人類救済の根本目標に近づいて行かなければならないのであります。>>

>この雅春先生の御文章は、“過去のもので今は違う”ではございません。真理であり、不変なる御言葉です。
現在、教団は、「日本の使命実相を明かにした運動」をされていません。
是非、教団内部から「日本の使命実相を明かにした運動」が展開されることを祈って止みません。<

上記のことは、とても大事なことだと思います。
私も、「日本の実相顕現を抜きにした世界平和はあり得ない」と固く信じ、発言しています。
共に、それを言い続けて行きましょう。

しかし、トキ様がおっしゃるように、

>>例えば、ある人を生長の家の講演会にお誘いする場面で、「この人を本当に幸せになってほしいから」という理由で誘うのと、「教団からノルマが課せられており、それを達成するために、この人に行ってもらう」というのでは、外観は同じでも、内容は天地の差があります。前者は相手を神の子と拝んでいる姿であり、後者は自分の都合で相手を利用している姿です。<<

この後者のようなことが現在の運動でも一般にひろがっており、これでは全く自他共に救われません。無条件の愛を行ずることによって、自他共に救われ、それが日本の心、大和魂を発揚することになって、日本の実相顕現につながって行くと思います。この基本を原理原則として忘れないようにしたいということで、「個人救済の重要性」ということをトキ様はおっしゃっているのだと、私は思っています。

そしてもちろん、みすはなまる様がおっしゃるとおり、「日本の使命実相を明かにした運動」をして行かなければ、生長の家出現の意味はなくなります。

ありがとうございます。

1836あさひ:2013/01/10(木) 00:38:22 ID:/3nxKE2Q

復興G様  トキ様

「分からなくなったら、原理原則に戻って考えなさい」との掲示板への掲示をされたトキ様

それを コピペして下さった復興G様 有難うございます。

私も全く同感です。道に迷ったら引き返せというのと同じですね。

有難うございました。     合掌

1837志恩:2013/01/10(木) 04:37:39 ID:.QY5jUA6
復興G様

昨年も一昨年もいろいろと教えて下さいまして感謝いたしております。
今年もご指導をよろしくお願い申し上げます。

皆様がおっしゃるように、「分からなくなったら、原理原則に戻って考えなさい」という
トキ様のお話も、いいお話ですけれど

復興G様がご紹介くださいました安岡正篤氏のお言葉も、いい言葉ですね。
ありがとうございます。

>>「癸(き)」は「揆」に通じ、「万事筋道を立て正しい理に従って処理しなければ、(一揆のような)事が起こる」可能性があります。

しかし、筋道を失せず勇敢に溌溂と前進すれば、蛇が冬眠を終えて、或いは脱皮して新しい姿で生活を始めるように、新しい展開が始まる、
ということを意味するようです(安岡正篤著『干支の活学』による)。<<

1838復興G:2013/01/10(木) 11:40:51 ID:vWpLkCzM

あさひ様
志恩様

合掌 ありがとうございます。
うれしいコメント、感謝いたします。

基本の原理原則、「人間は神の子」「実相独在」「現象は影である」――その「天之御中」に立って、勇往邁進いたしましょう。

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1841復興G:2013/01/12(土) 06:37:49 ID:AB6RqYXc

トキ様

上の1839・1840を削除お願いします。

1842復興G:2013/01/12(土) 06:38:59 ID:AB6RqYXc

>>1821 :a hope様。

a hope様へのレスが亀どころではない、寿命がきた蛍光灯のようなレスになってしまって、すみません。

>>掲示板というのは、本当に不思議な世界ですね。現実でありながら、夢をみているようなそんな空間で、お互いに何の素性もわからない同士が交流を深めていくのですから…ですが、「人間は物質ではない」わけですから、このような物質人間の相手が見えない場所であっても、魂の交流は深まっていくのだなぁと感じています。<<

 ――まったく、その通りです。a hopeさまのことも、まるで自分の家族のように思っていますよ。

>>1822 :a hope
>>掲示板をご覧のわたしの愛する「生長の家」のみなさま
谷口雅春先生の弟子であり、「生長の家」人であるわたしたちは、今、何をすべきなのでしょうか? 忘れかけていましたが、このweb誌友会の大きなテーマは、「一人ひとりの法燈継承」です。
わたしは最近、立ち向かう相手が現象においてどんな姿をしていようとも、自分がしっかりと「生長の家の教え」を理解さえしていれば、そんな姿は現実ではないのですから、まったく気にならなくなるような気がしてきましたよ。
わたしは、今年もこの掲示板で、真の「生長の家の教え」を学ばせていただくつもりです。
みなさまと一緒にここでお勉強できて a hopeはとても幸せです。今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。<<

 ――「一人ひとりの法燈継承」――そうですね。

 それは、生長の家の原理原則、「人間は神の子」と自分を拝み、すべての人を拝むということ。

 私は最近、榎本恵吾先生の書かれた「誌友会への所感」という御文章が出てきて読み返し、「これだ!」「ここに立たなければ!」と深い感銘に包まれています。

 web誌友会を前に、その御文章をここに啓示、掲示させていただきましょう。

1843復興G:2013/01/12(土) 06:40:16 ID:AB6RqYXc

     誌友会への所感 (榎本恵吾)――<1>

   《これは、私が、誌友会や聖典講義に立たせていただく前に、心新たにするための憶え書きのごときものであります。》

 『信』とは『人が言う』と書いている。『信』とは他をからずして、自から発するのである。それは自分が“宣言”することなのである。

 先づはじめに、神は“光りあれ”と宣り給うたのである。そこに元(はじめ)の信ということが立ったのである。

 いまここに神なる、光りなる神の子が立っている。その光りなる、神なる人が再び“吾れ光りなり”“吾れ神なり”の言葉を発するのである。

 I am that I am という。これは信の成立を意味している。I am God しかして、また God I am (God is Me) である。

 すでに救われずみの、光りなる自分がさらに“光りなり”という言葉を発する。その光りのひろがりとして誌友会が成立しているのである。

 “信ずる”とは、創造(つく)られずみのものに合一するという意味のほかに、創造すること、産み出すことの意味があったのである。

 生長の家の集りは光りの集りである。そこには“光り”が集まって来るのである。先づ光りなるものがあるのである。集まってから光りとなるのではないのである。それははじめて来た人についても同じことである。

 “誌友会に行こう”と思うことが、内なる如来が、天照大御神がその人の内からお顔を出されて、輝き出して、そう思うのである。したがって、“誌友会に行きたいなー”と思ったとき、すでにその人は如来の輝きであり、光明そのものであり、天照らして光なる人がそこに立っているのである。

 その如来なる、光明なるいのちが家を出発する。そして周囲のすべてを輝かせながら誌友会場にやって来るのである。ある人は徒歩で、ある人は車で、あるいは電車に乗って。道路を歩けば道路を燦然たる光りでかがやかせながら。そして電車に乗れば、その人から出る光りによって電車は光りと化し、木々の間を通れば木々を輝かせながら誌友会へ、誌友会へと光りが集まるのである。

 再び言う。誌友会に来てから光りとなるのではないのである。“光り”が集まって来るのである。その光りがさらに光りする行事が誌友会である。

 その光りなる如来に坐ってもらって、会場の畳はどんなに喜んでいることであろうか。光りに集まっていただいて座布団はどんなに喜んでいることであろうか。その会場全体がどんなに喜びに輝いていることであろうか。

 そこに坐っている光りからすれば、その光りをめでて、すべてのものがその人のために輝きながら用意されていたのである。その会場となっている家は、何年前に建てられたか知れないが、その人の今日そこに坐られることのために、その家が何年か前に用意されたのである。講師もその人のために今から何十年前に今日その人のいのちを祝福するためにと神がどこどこの地に生まれさせ給うたのであるということが、わかってくるのである。

 自分を“光りである”と宣言しハイと光りに飛び込んでいるときが、人が“信”となっている時であり、そのとき、その人は、“自分がこの世にうまれてここにいることをこんなにもすべてのものが喜んで呉れているのか!”ということがわかってくるのである。“疑わずに光りに飛び込め”とみ教えに示されている。

 この話しを聴いたある誌友は、“光りだった。光りだった。”とコトバでとなえながら帰途についた。すると、歩道が“さあ、お通り、さあ、お通り下さい”とよろこんで光りの道を開けて呉れたというのである。

 またある人は、家につくとすぐに感激して電話をかけて来たのである。その人がいつものように帰るために電車に乗った。“そしたら、私の前に座席が空いていたんです!”というのである。しかし座席はこれまでもいくらでも空いていたのである。それが、今日は“光りが行くのである”と宣言して乗ってみると、その座席が光りを迎えて、光りに坐ってもらうことを喜んで“さあ、お坐り、待っていましたよ”と迎えて呉れたというのである。
<つづく>

1844復興G:2013/01/12(土) 06:41:04 ID:AB6RqYXc

     誌友会への所感 (榎本恵吾)――<2>

 光りだ。光りだ。と云っているとすべてのものが自分に祝福の光りを送ってくれており、光りの中に生かされていることがわかってくる。雨の音を聴いても、花の咲くのを見ても、何か今までとちがって、何か自分とシックリと来るようになった。“あっ、自分は、これから天地一切のものに感謝するのかと思っていたら、そうではなかったのだ。自分が天地一切のものから喜ばれ、拝まれ、感謝されていたのであった。”と解って来たのである。

 釈尊が“苦行は悟りの因に非ず”として、“すでに光りであった”と如来地に飛び込んだとき、山川草木国土悉皆成佛、有情非情同時成道と観えて来たのである。釈迦はこのとき天地一切のものと和解されたのである。つまり、自分が天地一切のもの即ち如来にとりかこまれていたことがわかったのである。

 尊師の“天地一切のものと和解せよ”の一句は、まさに釈迦の山川草木国土悉皆成佛、有情非情同時成道に相当するのである。尊師が現象を超えて、實相の大地に降り立たれたときが、尊師が天地一切のものと和解せられたときであったのである。弱肉強食、生老病死のそのままに、不完全、不調和はそのまま無く、大調和に抱き合って讃えあっている人類のすがたをそこに発見せられたのであった。その光の大調和のすがたが誌友のそのままのすがたなのである。

 誌友会は、これから光りとなるための準備をするところではない。光りとなるための決意をするところではない。それではいのち(神・光り)のゆにはということにはならないのである。準備のためであれば、それはいのちとなるためのゆにはとなる。光りは天国は、愛行やもろもろの行の彼方にあるのではないのである。實相とは、単に可能性として存在するだけなのではないのである。すでに今・ここに實相の光りは開かれ輝いているのである。その光りが輝く為の如何なる行も必要としないのである。もろもろの行が必要であるということが、天国を西方極楽浄土として遠くにおしやることになったのである。

 光りとなるため手段としての、神の前での成績かせぎとして愛行やもろもろの行があると思うとき、それがどれだけ出来ているかいないかが問題となり、それを基準として、自分を裁き人を裁くことになるのである。この裁きが地獄なのである。このような意味での愛行であるとき、親鸞のことばは次のように響いて来るのである。

  『愛行の人なおもて救われる。
    いわんや悪行の人をや』
 と。

 パウロはコリント人への手紙の中で次のように言明している。

  『たとい我、わが財産をことごとく施し、
   またわが体を焼かるるためにわたすとも、
   愛なくば、我に益なし』
 と。

 私はともすれば、よほど愛がなければわが財産を施すこと、他のために死すことはとても出来るものではなく、財産を投げ出し、死ぬことが出来るのは愛のある証拠であると思っていた。しかし、愛のないそれらの行もあるのである。

 先づ、無条件に神の大愛の中にゆるされ、生かされ切って、自分が神の光りと一つであるとの事実にハイとうなづくこと。神の中に飛び込むことによって、神の側に、光りの側に、愛の側に立つこと。その愛なる自分が行くことが愛行なのである。愛(光)となるためにこれから行くのでは、全財産を投げうっても、身を捨ててもそれは空しいことであったのである。三度びくりかえそう。もしも、誌友会に光りでないものが、光りをもらいに来るのであれば、それは乞食であるといわねばならない。乞食が集まるのが生長の家の誌友会ではないのである。光りなるものがすべてを輝かせて集まっているのである。それ故に誌友会は光りを世界に輝かせるところの光りの集団なのである。その行事は如来の荘厳行事なのである。荘厳とは何か、それはすでに光りであるという事実であり、荘厳行事とは、光りが行う行事なのである。
<つづく>

1845復興G:2013/01/12(土) 06:42:34 ID:AB6RqYXc

     誌友会への所感 (榎本恵吾)――<3>

 過去の如何なる行をも放ち去って、いまここに平等の如来光が全員から照りかがやいているのである。すでに光りであるから、光りは外に向かって輝き出でるより他はないのである。それ故、自分は、神様と一緒になってすべてを輝かせているのである。自分は生長の家の光りによって、神の光りによって照らされる側だと思っていたが、すでに自分は光りとなっており、すべてに光りを与える側にいたのであった。照らされる自分から照らす自分への生まれかわりなのである。

 今まで、自分は与えるものがないと思っていたが、自分は気がついてみれば、神とともに天地を創造し、神とともに世界を生かし、神とともに世界に光りを与えていたのであった。この光りは、今・ここにすでに無条件にわが全身にかがやいている光りなるが故に、このことを素直に「ハイ」とうけるとき、自分のみではなく、わが家族のすべてが、無条件に光りそのものであり、光りの集まりがわが家であったことが観えてくるのである。わが家族は、形の上で生長の家に入っているものもいないものも、すべて光りであり、神の子であり、神そのものであったのである。わが家はそのままで全世界を照らす灯台であり、太陽の集まりであったのである。まことに、わが家は生長の家であったとの祝福をこめて礼拝の心がおこって来るのである。

 いままでは、生長の家の聖典を読んでから光りとなり、光りとなるために誌友会に集まり、神想観をすると思っていたがそうではなかったのである。光りはすでに顕れ出でましているのである。何がなくとも先づ人間は生長の家であり、光りであったのである。わがいのちが生長の家であったのである。生きているということが生長の家そのものであったのである。

 この光りを発見されて、すべてのものへの讃嘆、礼拝のすがたとして形にあらわれたのが尊師のお書き下さっている聖典なのであった。

 この聖典は、『あなたは、この本を読まなければ神の子になれませんよ』とか、『この本によって、はじめてあなたは救われるのですよ』という姿はしていないのである。逆に『私が目覚めてみれば、すべての人々はそのままで、何もつけたすことのいらない如来そのものであったということがわかったのです! こうして、私は、本によってみなさまを拝ませていただいているのです』という合掌のお姿をこの聖典に拝するのである。

 その光りを萬物に発見されたとき、尊師は天地一切のものと和解されたのであった。生長の家の光りを点ずるとは、天地一切のものを祝福し礼拝することであったのである。人類光明化運動とは全人類祝福運動であったのであり、全人類礼拝運動であったのである。

 時は来ているのである。そしてすべての病人はすでに光りとして立っているのである。この光りであることに素直に「ハイ」とうなづくことが「疑わずに光りを受ける」ということなのである。

 われわれは「我」を消してから、「罪」を浄めてから、光りとなるのではない。それは非実在なのである。それを放っておいて、“ハイ”と光りの中にとびこんだとき「我」は消えるのであり、「罪」も消えるのである。先づもって飛び込むことが大切なのである。誌友会場主も自分が先づ飛び込むことによって光りとして立つ。するとすべての誌友の中に光りを観ることが出来るのである。自分が過去の成績にひっかかり、現象を認めて、光りを受けて立っていなければ、自分も立つことが出来ず、誌友も立つことが出来ず、共だおれとなるのである。

 『疑わずにわが光りを受けよ』とは、愛行だとか、行だとか、どれだけ長く生長の家をやっているとか、そのようなものを条件とせずはじめからそのまま自分が光りであることを“ハイ”と宣言せよということである。受けるとは、自分が光りであると宣言することである。

 光りと光り、絶対と絶対とが響き合い鳴り合うというところが誌友会である。
<つづく>

1846復興G:2013/01/12(土) 06:43:14 ID:AB6RqYXc

     誌友会への所感 (榎本恵吾)――<4>

 この絶対の光りにじっと眼をとどめれば、そこにいのちが無言のままに喜びに輝きながら唱っている、その歌が聴こえて来るのである。それは、すべてのものが観世音菩薩であり、その妙智力のひびきがそこにあるからである。ここにいたって、語られる言葉の内容は問題ではなくなるのである。体験談の大小などは問題ではなくなるのである。むしろ、体験は小さければ小さいほどよいということ。小さいものの中に如何に大きないのちの喜びを発見するかということである。小さいことを如何に大きく喜び感動出来るか。その感動の大きさこそが重大な問題なのである。どんな小さなことの中にもそこには神が鳴っていたまうのである。

 すべての人の中に神を拝むということは、真の祝福ということであり、真の祝福とは、手段としての祝福ではないということである。手段としての祝福ではないとは、将来何かをやってもらうため、その人をある能力に到達せしめるためのテクニックとしての祝福ではないということである。本当にその人の中に、今、此処に天国の実現を拝むことなのである。将来聖使命会員になってもらうためとか、愛行をやってもらう菩薩となっていただくためとか、そのような手段としての拝みであっては真の拝みということにならないということである。

 尊師は、『生命の實相』によって人類を拝まれたのであると書かれている。それは絶対の荘厳な拝みであって、“この本によって人類を神の子にしてやる”などという姿をこの聖典はしていないのである。ただただ既に久遠の昔から如来であるところの實相を拝まれている姿が聖典なのである。

 われらの拝みも尊師の拝みの延長なのである。わが合掌は尊師の合掌なのである。わが祝福は、神の祝福であり、尊師の祝福であり、天国そのものの鳴り響いている姿なのである。

 愛行とは、“愛が行く”と書いている。すでに光りであり、神であり、愛であるところのものが行くのである。これから光りとなるために行くのでは愛がゆくことにはならない。それは暗が光りとなるために行くのであるから正しくはこれを“光明化しに行く”ということは出来ないのである。それは、その行によって光りとなるための成績をかせがせてもらうために行っているのであるから、むしろ自分が“光明化されに行っている”のであると言わなければならないのである。これは、尊師の開かれた光明一元の道ではない。

 そうではないのである。既に今、無条件にわれらは金剛不壊の光りとしてここに立っているのである。それは天皇の六合照徹の光りである。われらはすでに与えるべきものを持っているのである。自分はいままで与えるべきものがないと思っていたが、そうではなかった、自分は神とともに光りを与える側に立っていたのであった。自分は世界に光りを与え天地を神とともに創造し、天地萬物をささえ生かしめていたのであった。“光りが近づくとき、すべての暗黒は消える”と神示されているあの光りは、先づ、神なる光りが自分を照らすということではなく、この光りは、神とともに今、輝いている自分の光りであったのである。

 それ故、“光りが近づくとき、すべての暗黒は消える”とは“あなたが近づくときすべての暗は消える”ということである。ここにすべての人は、光りをはなつ光明化の人として立ち上がるのである。“今、すべての病人が立つことが出来る”というお言葉は、すべての人はいま、光明化運動の光明の主体者として、神の光りの先きとして輝いていることを神が祝し給いて発せられたお言葉なのである。

 ここに来て私たちに、この無条件の光りは、自分のみかわが家の全員に輝いており、わが家庭は光りの集団であるという本当のすがたが観じられるようになるのであった。
<完>

1847rei:2013/01/12(土) 08:15:57 ID:bo95azFI


なんと、素晴らしい!!!


ありがとうございます。

いつも隅っこで座っておりますが、参加させてもらってます。

合掌
ありがとうございます。

1848復興G:2013/01/12(土) 10:08:40 ID:AB6RqYXc

>>1847 :rei 様

ありがとうございます!

1849a hope:2013/01/14(月) 07:44:49 ID:TqpbsVIM
>>1842 復興Gさま

>a hopeさまのことも、まるで自分の家族のように思っていますよ。<

うれしい御言葉を、ありがとうございます。

合掌。

わたしも、復興Gさまはもちろん、この掲示板で知り合ったすべての方々に対して、
家族のような親近感を感じています。

わたしたちは、生長の家の大神さまの導きにより巡り合った、魂の家族なのだと思います。
まさに「生長の家」の家族ですね!

ですが、たとえ家族であっても、意見の相違があったり、相手を理解できなかったりすることはあると思います。
だからと言って、決して相手を悪人と決めつけたり、排除したりせず、

>生長の家の原理原則、「人間は神の子」と自分を拝み、すべての人を拝むということ。<

が真の「生長の家の教え」ということでしょうか…?

また、榎本恵吾先生の素晴らしい文章を紹介して下さりありがとうございます。
本当に、恵吾先生の文章は、拝読しているとどんどん心が軽くなっていくから不思議ですね!

いよいよ、今週末が第10回web誌友会ですね。

このweb誌友会って、参加者が少ないときでも、
reiさまのように静かに見守って下さっている先輩方がたくさんいるのですね。


実は、数日前についにわたしのパソコンが動かなくなりました。
それで、この掲示板にも書き込みができませんでした。(今は、家族用のものを使っています。)

ですが、早朝の時間などを利用して皆さんとお勉強させていただきますので、
今回もどうぞよろしくお願いいたします。

1850a hope:2013/01/14(月) 07:49:27 ID:TqpbsVIM

『第10回web誌友会』予告

≪日時≫
1月18日(金)21:30から
1月20日(日)23:30まで

≪テキスト≫
『生命の實相』頭注版第2巻 第3章および第4章
<第3章p.99〜115(17頁分)、第4章はp.116〜138(23頁分)>

1851復興G:2013/01/16(水) 09:57:38 ID:AB6RqYXc

>>1849・1850
a hope さま

コメントと、web誌友会予告、ありがとうございます。

>>わたしたちは、生長の家の大神さまの導きにより巡り合った、魂の家族なのだと思います。まさに「生長の家」の家族ですね!
ですが、たとえ家族であっても、意見の相違があったり、相手を理解できなかったりすることはあると思います。
だからと言って、決して相手を悪人と決めつけたり、排除したりせず、
>生長の家の原理原則、「人間は神の子」と自分を拝み、すべての人を拝むということ。<
が真の「生長の家の教え」ということでしょうか…?<<

なんと素晴らしいことを言ってくださるのでしょう。

そうですよね。
そして、「八紘一宇」という日本建国の理想は、八方の世界人類みな一つの魂(たま)の緒でつながった家族のように、仲よく拝み合って行こうということですから、この日本の心を全世界に広めて行くことが、イエス・キリストの説かれた「御国を来らす」ことであり、釈尊の説かれた金波羅華の浄土を地上に持ち来すことにもなる! それが、大日本世界国(ひかりあまねきせかいのくに)の理想である。だから、この真の日本を守ることが世界平和の礎になる。それが真の「生長の家の教え」なのだと思います。

ありがとうございます!

皆さま、今月のweb誌友会も、ご一緒にこの生長の家の真理を深く学んでまいりましょう。どうぞよろしくお願いいたします。

合掌

1852トキ:2013/01/16(水) 12:44:09 ID:cVSDAep.
>>1851

 そう言えば、戦前に入信された信徒さんの話では、戦前は信徒のことを「家族」
と呼んでいたそうです。今でも、「規約」を見るも「生長の家の信徒を家族と称す」
とあったはずです。

 誌友会、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

1853a hope:2013/01/18(金) 09:09:50 ID:TqpbsVIM

みなさま おはようございます。

いよいよ、今夜9時半から「第10回web誌友会」が開催されます。
今回も自分の参加出来る時間に参加させていただき、みなさんと「生長の家」の真理を
お勉強させていただきたいと思っています。

開会30分くらい前に、(準備祈願のお祈り)と、聖経「真理の吟唱」から、
『智慧と愛と赦しのための祈り』を謹写させていただく予定でいます。

今回も、復興Gさま、トキさまなど「生長の家」の大先輩から「生長の家」の真理を
教えていただけることに感謝の気持ちでいっぱいです。

この掲示板をご覧のわたしの愛する「生長の家」のみなさま、
わたしたち一人ひとりが喜びに満ちた『光』なんですよね。
このweb誌友会に集まって「生長の家」に大きな灯をともしていきましょう!

1854a hope:2013/01/18(金) 09:11:24 ID:TqpbsVIM

『第10回web誌友会』予告

≪日時≫
1月18日(金)21:30から
1月20日(日)23:30まで

≪テキスト≫
『生命の實相』頭注版第2巻 第3章および第4章
<第3章p.99〜115(17頁分)、第4章p.116〜138(23頁分)>

1855復興G:2013/01/18(金) 19:20:29 ID:AB6RqYXc

>>1853・1854 :a hope 様

合掌 ありがとうございます。

積極的なご参加、うれしいです。

お世話をかけます。

よろしくお願い申し上げます。

合掌

1856トキ:2013/01/18(金) 19:58:01 ID:LRgaH7Fg
 ありがとうございます。お世話になります。よろしくお願いします。

1857a hope:2013/01/18(金) 20:57:08 ID:TqpbsVIM

みなさま

第10回WEB誌友会開会30前になりましたので、「準備祈願」としての祈りの言葉を掲載させていただきます。

(準備祈願)
 住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。

  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ

  住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける 今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。

  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。

  今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。

  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます


世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

1858a hope:2013/01/18(金) 21:05:13 ID:TqpbsVIM

聖経「真理の吟唱」より
『智慧と愛と赦しのための祈り』

私は神の子である。
〝神の子〝であるということは神より小さき者という意味ではないのである。
〝神の子〝とは、〝神の具体化〝であり、姿形(すがたかたち)の幽(ゆう)なる神が、
姿形の顕(けん)なる神として自己実現して来たという意味なのである。
それゆえに神のもちたまえる全徳をわが身に体現し得(う)るのが〝神の子〝なる人間である。
もし、神の完全なる姿を具体化することができなかったならば、
それは完全な神の実相が宿っていないからではなく、神の完全なる実相が宿っていながら、
それを自覚しないからに過ぎないのである。

〝神の子〝は神の完全さを、自己の実相として内部に包蔵するのである。
それゆえに神の完全なる生命はわが内にあり、それを神想観によって自覚すれば、
その生命力はますます健全となるのである。
また、〝神の子〝なる人間には神の完全なる智慧はわが内にあり、
神想観によって、その智慧を自覚する程度に従って、それは自己を導く光となり、
日常生活にも、職業方面にも、あらゆる企画や行動に決して躓くことがなくなるのである。

人間は神の子であり、神の完全なる愛が自己の内に宿っているのであるから、
私の愛は完全であり、如何なる人の罪をも完全にゆるして咎めることはないのである。
そして罪は本来存在しないのであるから、その人に罪があらわれているのは、
その人の実相が陰になって隠されているだけであるから、その人の完全なる実相を観じ、
真理の光をもって陰の暗黒を消し去るようにしてあげれば必ずその人の完全なる実相が顕われ、
かつて敵と見えたりし者は味方となり、自分の協力者となり、相(あい)ともに真理の道を進むようになるのである。

神の愛は全包容的であり、如何なる人々をも看過(みのが)すということはないのである。
それゆえに神の子なる私の愛も全包容的であり、如何なる人々をも赦すのである。
唇にて〝彼を赦す〝というのは容易であるけれども、私は単に言葉にて「赦しました」というだけではなく、
全精神を以てすべての人々を赦すのである。
赦すというよりも、すべての人々の実相を観ずるとき、すべての人々の実相は神の子であるから、
赦すべき罪もないことを知って、その実相の完全さを解放するのである。
本当の赦しというのは、相手の悪や罪をみとめて、それを怺(こら)えながら赦してやるというのではなく、
罪なき彼の実相を観じて、それを解放し顕現させるのであるから、彼自身がそのまま完全になるのである。

われは今、すべての人間の〝神の子〝たる実相の完全さを観じて、
この世界がまことに神の創造になる完全世界なる事を知り、
一人として罪人も悪人もなき事を知り、悦びに満たされているのである。

感謝 合掌。

1859復興G:2013/01/18(金) 21:16:21 ID:AB6RqYXc

a hope 様

ありがとうございます。

素晴らしい開会「準備祈願」としての祈りの言葉と、「真理の吟唱」の『智慧と愛と赦しのための祈り』、しっかりと拝読しました。

ありがとうございます。

1860復興G:2013/01/18(金) 21:26:38 ID:AB6RqYXc

ありがとうございます。

開会時刻が迫ってまいりました。

テキスト『生命の實相』第2巻より、一部 謹写させて頂きます。

   第三章 「生長の家」の神人論

(前略 p.102 3行目より)
 それでわれわれの五官を通じて存在を見る心は「迷わしの心」であって、存在の実相を観る心ではないことがわかるのであります。だから、われわれは五官の感覚で見たり知ったりしたところのものを存在の実相だと思ってはならない。存在の実相はただの感覚では見られない状態にある。「美」を見、美を知るには、われわれの内に宿っている「美」が対象(あいて)にある「美」と互いにパッと照らし合わされた時に「なるほど、そこに美があるな」とわかる。絵心がないと絵の「美」が本当にわからない。名画はそれ自身「美」を備えていても、見る人の心に名画と同じ「美」が開発されていないと「なるほどそこに美があるな」とはわからない。すべてそこに「何か」がある事がわかるのは、自分の内にあるものと同じものがそこに出ているからであります。

 「善」でも同じことであります。ある人の善行を見てわれわれが感激して「そこに善があるな」と解るのは、われわれの内にある道徳性――すなわち「善」が相手にあらわれている「善」と、互いに照らし合わされた結果、「なるほどそこに善があるな」とわかるのであります。だから道徳性(善)の無い人、または開発されていない人には、他の善行を見てもそれを感心することができない、自分に無いものは相手にいくらあったからとてそれがわからない、聖者はひとの悪を見ないといいますが、それは聖者が悪を見ないのではない、聖者は自分の内に悪がないから、他人の悪が見えないのであります。

 ひとを常に批評的に観て、「あの人はあんな行ないをしたから、それは必ずこういう悪い動機からしたのであろう」と、常に想像をたくましゅうしているような人は、その人自身の心に「悪」があるから、相手に悪があるとわかるのであります。そうすると、他人の心情の「悪」が目につく人は必ず自身の心情に「悪」がある証拠であるから、決して他人の「悪」を批評したりする資格がないのであります。だから「他人が悪いな」と気がついた時は、「それがわかるのは自分の心のうちに悪があるからだな」と反省すべきであります。

 黒住教祖は「たち向う人の心は鏡なり」といわれましたし、大本教祖は「ひとが悪いと思っているのは皆わが身が悪いのであるぞよ」と明快に平易な言葉でこの大真理を道破していられます。イエス・キリストもパリサイ人が罪ある女を石にて打とうとしているときに「なんじらのうち罪なきもの彼女を打て」と、表面は道徳家でも審判(さば)きの心に満ちている人の心には悪が宿っていると反省を促していられるのであります。

 この反対も真実でありまして、「ひとが善い、あの人も善い、この人も善い」と常に思えるようになった人は偉い人であります。なぜなら常にその人の心には「善」が宿っているからであります。時々、ひとが善く見えたり、またすぐに悪が見えて来て相手に失望したりするような人は、時々自身の心に「善」が宿って来ても「悪」がすぐ宿って来て交替になる人であるから、われわれは自分の心に「善」ばかりを養って、他の「悪」を見ようにも見えないように修養をつみたいのであります。

1861復興G:2013/01/18(金) 21:30:14 ID:AB6RqYXc

<つづき>

     存在(もの)の実相(ほんとのすがた)は何によって知るか

 で、「美」を見るには自分の心に宿っている審美性すなわち「美」で照らし出して見なければわからない。「善」を見るには自分の心に宿っている道徳性すなわち「善」で照らし出して見なければわからない。こういうふうに何事でも、みんな自分の心の内にないものは見えないということが会得されるのであります。

 では、存在(もの)の実相(ほんとのすがた)を観るにはどうしたらよいかといいますと、「自分の実相(ほんとのすがた)」によって存在の実相を照らし出して見るほかはないのであります。「存在の実相」と「自分の実相」とが互いに照らし合わされ触れ合ってカチカチと如実に鳴る、そこに存在の不思議な円満な実相がありありとわかる。なるほどこの世界は神が創造(つく)り給うた完全円満な世界であるとわかるのであります。

 この存在の実相を知る力は五官でない。これは仏教でいえば「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」すなわち「実相覚」といって一種の霊覚であります、しかしそれは霊覚といっても人間の怨霊(おにょう)や動物の霊魂の姿を見るような第六感ではないのであります。このような第六感で見える世界はやはり鏡のように澄みきった実相の世界ではなく、「実相」という鏡の上に「迷い」という息を吹きかけてできた曇りの模様のようなものを見別けるにすぎないのであります。

 で、われわれが確実に存在(もの)そのものの実相(ほんとのすがた)を知るには、五官を超越し、第六感さえも超越してこの「実相覚」によるほかはないのであります、だからわたしはこの「実相覚」にのみ遠慮なく頼って存在(もの)の実相(ほんとのすがた)を観ることにするのであります。

 五官はその世界を眺めて「すべては物質でできている」と申します。「実相覚」はこの世界を眺めて、「すべては妙々不可思議の霊質でできている」と申します。どちらがはたして本当でありましょうか。(霊質とは仮に不可説の霊妙な本質につけた名称であります。)

 「物質」と「霊質」とは牲質においても、本質においても正反対であります。どちらか一方が「真」であれば、どちらか他方が「偽」でなければなりません。どちらか一方が「実在」ならば、どちらかの他方が「非実在」でなければなりません。二元論は自己撞着に陥ります。

 存在(もの)の実相をとらえるには、われわれは「実相覚」によって「一つの神」すなわち、在りとし在らゆるものを在らしめている一つの力、生きとし生けるものを生かしている一つの力を認めねばなりません。「在る」ということと「生きている」ということとは「実相覚」で観れば一つのことであります。在るものはすべて生きている。存在とは生命の別名である。生命とは神の別名である。神とは完全の別名である。すなわち存在するものはすべて生命であり、神であり、完全であるのであります。

 けれどもわたしがここに「存在する」というのは物質的な相(すがた)で「あらわれている」ということではないのであります。形がここにあらわれていることを人は「ここにものがある」といい、形があらわれなくなったら「それは無くなった」というのでありますけれども、それはただ「迷いの客観化したもの」(forms of error)が映って出たとか消えたとかいうことを知る五官のハタラキだけのことであって、物質は仏典の各所に説かれているように、夢の如く虚妄不実のもので、親鸞聖人も「火宅無常の世界はみなもて、そらことたわごと、真(まこと)あることなし」といわれました。

1862復興G:2013/01/18(金) 21:41:30 ID:AB6RqYXc

 ありがとうございます。
 すでに「準備祈願」で祈りをしておりますが、もう一度招神歌を唱えさせて頂きましょう。

  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ

  生長の家大神、第10回web誌友会を導き給う。
  すべての人々を「人間 神の子」の真理の奥殿に導き給う。
  ありがとうございます。ありがとうございます。


神よ、荘厳にして美しき緑なす丘、
透きとおる蒼空(あおぞら)に漂う白き雲、
山々の樹々に囀(さえず)る小鳥の歌、
清冽(せいれつ)なる渓流(けいりゆう)に泳ぐ金鱗銀鱗(きんりんぎんりん)、
万物はあなたの影を宿して生き生きと輝いています。
あなたの輝きをもて人類の心を照らしたまえ。
すべての人類が争うことなく
唯一つの神の生命(いのち)の岐(わか)れなることを自覚し
互いに手をつないで
み心が既に�`実相の世界�aに成るが如く
現象の世界にも、至福平和の世界が実現いたしますように、あなたの無限の愛をわれにそそぎ給え。
  (谷口雅春先生『理想世界』昭和34年3月号 「3月の祈り」より)

ありがとうございます。ありがとうございます。

1863復興G:2013/01/18(金) 21:44:27 ID:AB6RqYXc

み心が既に�`実相の世界�aに成るが如く

→み心が既に“実相の世界”に成るが如く

1864a hope:2013/01/18(金) 21:46:37 ID:TqpbsVIM

復興Gさま、トキさま、みなさま
今回もどうぞよろしくお願いいたします。


>>1860に復興Gさまが、謹写してくださった箇所ですが、この箇所には、とても厳しい真理が書かれていると思いました。

特に、
p103 2行目〜

>>…ひとを常に批評的に観て、「あの人はあんな行いをしたから、それは必ずこういう悪い動機からしたのであろう」と、
常に想像をたくましゅうしているような人は、その人自身の心に「悪」があるから、相手に悪があるとわかるのであります。
そうすると、他人の心情の「悪」が目につく人は必ず自身の心情に「悪」がある証拠であるから、決して他人の「悪」を批評したりする資格がないのであります。
だから「他人(ひと)が悪いな」と気がついた時は、「それがわかるのは自分の心のうちに悪があるからだな」と反省すべきであります。…<<

わたしは今まで普通に社会で生きてきましたが、他人の悪ばかり目についてきました。
今でも仕事をしていると、同僚や上司の「悪」と思える言動が目につきます。
まだまだ、自分の心の中には、たくさんの「悪」があるのだなあ〜と反省しなければいけないのですね。

1865復興G:2013/01/18(金) 21:53:09 ID:AB6RqYXc

テキスト『生命の實相』をしっかりと拝読、心読、霊読、体読して、お感じになったことをご発表ください。

時間はたっぷりありますから、ゆっくりとまいりましょう。

私は、特に上記 >>1861の後半で、

>> ……「在る」ということと「生きている」ということとは「実相覚」で観れば一つのことであります。在るものはすべて生きている。存在とは生命の別名である。生命とは神の別名である。神とは完全の別名である。すなわち存在するものはすべて生命であり、神であり、完全であるのであります。<<

というお言葉に、感銘を受けています。

1866復興G:2013/01/18(金) 22:00:32 ID:AB6RqYXc

>>1864 :a hopeさま。

すばらしい反省ですね。
「実相世界の現象化」のために、古事記神話の天之岩戸開きの項で

二、鏡を作りて中枝(なかつえ)に繋(か)ける。
(現象的あらわれを心の鏡として、自己反省して心を改める)

とあったのを思い出しました。

神社にも、ご神体は「鏡」というのが多いですよね。

1867神の子さん:2013/01/18(金) 22:15:10 ID:LRgaH7Fg
>>1860

>>「あの人はあんな行いをしたから、それは必ずこういう悪い動機からしたのであろう」

 耳が痛いご文章です。(笑)

 ちょっと、脱線しますね。ごめんなさい。

 昔、シンドラーのリストという映画がありました。まあ、ご存知の人も多いと思います。オーストリアの山師というか
実業家というか、オスカーシンドラーという男が、第2次世界大戦でドイツ占領下のポーランドにやってきます。で、
ドイツ軍の将官に賄賂をばらまいて強制収容所の囚人をタダで使う権利をもらい、会計士のイザック シュターンという
ユダヤ人を無理矢理パートナーに仕立て上げ、ユダヤ人の金持ちを脅して出資させて軍需工場を造ります。で、大金持ち
になるのです。別に彼は、善意で始めた訳ではなくて、自分が金持ちになりたい、という動機で始めたのです。
 大金持ちになったシンドラーは、酒の女に狂います。それを見た、シュターンは軽蔑の眼で彼を見ます。

 ところが、働いているユダヤ人にとって、シンドラーの工場で働いている間は生命が保証されるのです。それで、彼らは
口々にシンドラーに「ありがとうございます」と感謝をするのです。最初はシンドラーは不愉快になります。別に彼らを
助けるつもりで工場を始めたのではないから。しかし、毎日、口々にユダヤ人が彼に感謝の言葉を現している間に段々と
シンドラーの言動が変化します。

 やがて、戦局の悪化で強制収容所が閉鎖される事になります。このままでは、工場で働いているユダヤ人はガス室に送られ
ることになります。そこで、シンドラーはサディストの強制収容所の所長 アーモン ゲートに莫大な賄賂をわたし、ユダヤ人
をアウシュビッツ移送から阻止します。もうけた金を吐き出してユダヤ人を救おうとするシンドラーに、シュターンは、尊敬と
驚きの眼で、囚人のリストを示して言います。「このリストは絶対の善です」と。

 そして安全なチェコに収容所を移転させ、役人に賄賂を渡して囚人の殺害を禁止させ、最後は破産してしまいます。
戦争が終わって、彼に感謝をする囚人にシンドラーは、泣きながら、自分があんなに浪費をしなければ、もっとたくさんの人命
が救えたのに、と後悔をします。

 別にシンドラーは始めの動機は利己的なものでした。が、途中から、人々の感謝の言葉で、動機が変化したのです。映画を
見ていて、そう感じました。そう考えると、動機よりも、やっている人を拝む姿勢が大事かな、と思いました。

 どうも、関係のない話をして、ごめんなさい。

1868トキ:2013/01/18(金) 22:15:42 ID:LRgaH7Fg
>>1867はトキです。ごめんなさい。

1869復興G:2013/01/18(金) 22:23:00 ID:AB6RqYXc

>>1867:トキ様

人間は誰でも皆、本来神の子である。

だから、どんなことがあっても、結局は神の子の実相が顕現するように、神はつくられているのである、ということかなと思いました。

ありがとうございます。

1870復興G:2013/01/18(金) 22:24:49 ID:AB6RqYXc

では、もう少し テキストを謹写させていただきましょう。 
<p.106より>

     実相の世界における神人としてのわれの存在

 本当の人間――神が造ったままの人間――わたしが常に「真の人間(リーアル・マン)」または「神人(ゴッド・マン)」といっている人間は物質の人間ではないのであります。それは円相の人間、光明身の人間、自在身の人間、清浄身の人間、虚空身の人間、無憂苦の人間、絶対無病の人間――いくらわれらが上等の最上の言葉をもって説明しても、この物質界の事物を形容するためにできている現在のわれわれの通用語ではとても説明のしようがないほど完全な人間であります。

 そんな人間がこの世界に実際あるものかと疑う人もありましょうが、皆さんめいめいが今現に実相の世界においては、この霊妙な円相の人間、光明身の人間、自在身の人間、清浄身の人間……等々であられるわけで、それが本当の「あなた」なのであります。この「真の人間(リーアル・マン)」をおいてその他にあなたはないのであります。あなたは真の人間――すなわち「神の子」で神人(ゴッド・マン)なのであって、今あなたが、これこそ自分の身体(からだ)だと思っているその肉体は「ウソのあなた」「念の影のあなた」なのであります。

 『華厳経』の入法界品第三十四ノ十七には善財童子が文殊師利の教誨を受けて、無量の大知、無量の神通を得て、普賢菩薩の所行の道場に透入し普賢菩薩を見たということがあります。すると、「普賢菩薩の金剛蔵道場に在って如来の前に坐し、大衆に囲繞(いにょう)せられ、心虚空のごとくして染着(せんじゃく)するところ無く、心に退転なく、衆生のうちにおいて最勝最上にして、いっさいの世間能(よ)く壊(やぶ)る者なく、一切菩薩もその知恵の境界を察する能わず、不思議のもろもろの妙功徳を具(そな)え……云々」とありますが、この普賢菩薩というのはなんであるかというと「衆生のうちにおいて最勝最上である」とあるから、明らかに一個の人間であります。

 その人間が、一切菩薩もその知恵の境界を察する能わずというのですからよほどの大知恵を成就しているのであります。この大知恵を成就した普賢菩薩がどこに坐しているかというと、金剛蔵道場である。金剛蔵道場とは金剛不壊の実相世界であります。また『観普賢菩薩行法経』には「普賢菩薩はいまし東方の浄妙国土に生ず……身量無辺、音声(おんじょう)無辺、色像(しきぞう)無辺なり。この国にきたらんと欲して、自在神通に入り身を促(ちぢ)めて小ならむ」と書いてあります。衆生の一人でありながら、彼は実相世界(金剛蔵道場)に坐すときは、身量無辺、色像無辺であるので、われわれは神想観によって実相世界に帰一し実相人に接触することができるのであります。

 善財童子が金剛蔵道場の普賢菩薩を見たときの心はどうであったかと申しますと『華厳経』入法界品第三十四ノ十七によりますと、「正念して……虚空界に等しき心、一切無着の心、一切刹(せつ)を浄めて障礙(しょうげ)なき心、一切法の境界において障礙なき心、一切十方に充満する」等々の心を起こしたとあります。この正念して虚空界に等しき等々の心を起こすことが神想観であります。神想観中「生長の家」の神様の姿を拝するというのは、善財童子が正念して金剛蔵道場の普賢菩薩を見たのと同じようであります。

 すべての人は普賢菩薩と同じように衆生の一人であると同時に身量無辺、色像無辺、音声無辺なのであります。音声無辺であるというのは、われわれの実相は天地に満つるコトバであるからであります。これが金剛蔵道場すなわち実相世界における「われ」の実相(ほんとのすがた)なのであります。
<つづく>

1871復興G:2013/01/18(金) 22:26:15 ID:AB6RqYXc

<つづき>
 神想観に入る時に静かに端坐合掌瞑目して「われ今、五官の世界を去って実相の世界に入る。自分の坐っているのはこれ実相の世界であって、神の無限の知恵、無限の愛、無限の生命、無限の供給に満されている大調和の世界である。この大調和の実相の世界にいてわれ神の子として神より無限の生かす力の供給を受けつつあるのである」と念じて精神統一にいるのは、自己が衆生の一人であると同時に普賢菩薩と同じように身量無辺、音声無辺、色像無辺である自己の実相を悟らんがための行法でありまして、これこそ真正の観普賢菩薩行法なのであります。

 本当の自分の実相は今も儼然(げんぜん)として実相の世界(エデンの楽園)に存在する、今までも天地とともに生きとおして来た、これからも天地とともに生きとおして、朽ちず、老いず、苦しまず、病まず、悩まざる円相的妙楽の存在、金剛身、不可壊身、無量無辺身、自由自在身、久遠の如来、アブラハムの生まれぬ前より在るところの「久遠のキリスト」なのであります。

 今まで自分たちの実相をこの肉身であると思っていたのは自己の真性を磔(はりつ)けに架け、自己の実相をエデンの楽園から仮に追放して有限身をもって無辺身に換え、有限生命をもって無限生命に換え、自己の生命の実相を蔽い隠していたのであります。その蔽いを取りさって自己の内に宿るキリストを復活せしめる、これがキリストの再臨であり、普賢菩薩の在(おわ)す実相浄土「東方浄妙国土」の地上再現なのであります。

 これこそ一切苦厄を度(すく)う神癒の根本原理であってこの原理を、自分に宿る真理と宇宙に存する真理と相触れてカチカチ鳴る体(てい)の直接的認識作用すなわち「実相覚」によって悟らなければ、われわれは「本当の自分」――金剛不壊身(こんごうふえしん)の自己を掴むことができないわけで、この自己を掴むためにする修行が、毎日一定の時間を期してみなさんに実修していただいている「神想観」の修行であります。

 天理教祖が最初神憑(かんがか)りになったときに、その憑(かか)って来られた神は、「元の神、実の神である」といわれた。この「元の神、実の神」というものこそ「本来の世界にいる金剛身(かみ)」すなわち「実相の世界にいる神人」でありましょう。それはたんに普遍的な原理とか法則とかいうような冷たい存在ではなく一種の人格的存在である。しかしそれは物質的肉体をもっていられるかというと、それは霊妙身、金剛身、自由自在身であって、肉体をもっていられるのではない。これを仏教では「如来(にょらい)」といっているのであります。

 「如(にょ)」は「真如(しんにょ)」であり「大生命」であり、「神」であり、宇宙独一真神であります。この「真如」から来生(らいしょう)せし神人が如来であります。『生命の實相』第五巻霊界篇に収録せる「デンマーク戯曲家の霊界通信」にも、「人間とは神から放射された観念である」ということが示されてあるのでありますが、「神から放射された」ということは「真如から来生した」ということと同じことであります。

 太陽から放射された光線は、太陽とは決して別な存在ではない、太陽を離れて「太陽の光線」は存在しない、「太陽の光線」と太陽とは一体である。それと同じく、「真如」から離れて「如来」は存在しない、「如来」と「真如」とは一体である。そのごとくまた「神から放射された観念」であるところの「人間」も、「神」から離れて存在することはできないのであって、神と人間とは一体なのであります。

 だから「生長の家」の「智慧の言葉」には「道を歩く時には今神が道を歩いていると思え」とあるのであります。おなじようにわれわれは机に凭(よ)っている時も「今神が机に凭っている」と思うべきであります。夜寝床に横になる時にも「今、神が横たわっている」と思うべきであります。こういうようにして常にわれは神人であるという自覚を失わないようにすると、われわれは常に朗らかな光線ゆたかな気分を維持することができ、自分の実相の円満さが「影であるところの肉体」または「境遇」に映写されてきて、肉体は健康に境遇は幸福になってくるのであります。

 ありがとうございます。

1872a hope:2013/01/18(金) 22:46:54 ID:TqpbsVIM
>>1866 復興Gさま

ありがとうございます。

唯神実相の真理から考えると、「悪は本来ない」のですから、その「ないはずの悪」が見えてしまうというのは、
『自分のかけている心の眼鏡が曇っているから』だ、ということになるのでしょうか……?

相手の「悪」が見えてしまうのは相手に責任があるのではなく、
すべて自分自身の問題だということになるのでしょうか?

また、生長の家の教えでは「悪はない」と言っておきながら、「虚説と和解してはならない」
とも言っています。

「悪」と「虚説」はどう違うのか、はっきりとしていません。

御教示いただけるとありがたいです。

いつものごとく、質問だけしておいて、申し訳ありませんが、
わたしは、明日仕事が早番なので、今夜はこれでおやすみさせていただきます。
明日、また参加させていただきます。

それでは、わたしの愛する「生長の家」のみなさま、おやすみなさい。

1873トキ:2013/01/18(金) 22:52:55 ID:LRgaH7Fg
>>1871

「神想観に入る時に静かに端坐合掌瞑目して「われ今、五官の世界を去って実相の世界に入る。自分の坐っているのはこれ実相の世界であって、神の無限の知恵、無限の愛、無限の生命、無限の供給に満されている大調和の世界である。この大調和の実相の世界にいてわれ神の子として神より無限の生かす力の供給を受けつつあるのである」と念じて精神統一にいるのは、自己が衆生の一人であると同時に普賢菩薩と同じように身量無辺、音声無辺、色像無辺である自己の実相を悟らんがための行法でありまして、これこそ真正の観普賢菩薩行法なのであります。」

 私自身、フルタイムで仕事をしているので、仕事で接する場合には、なかなか相手を拝めない時があります。
仕事をしている人の多くはそういう人が多いと思います。それで、プロ野球や漫才をみて、ビールを飲んで寝てしまう。
 そうやって、ストレスの発散をする。

 一般の人は、そういう人が多いと思います。
が、それでも、やはり昼間の事を考えてしまう場合があります。で、若い頃は、まあ、今でもそうですが、
クヨクヨと考える場合があります。

 ただ、そんな心境で考えても、ロクな事はないみたいです。

 昼間、何があっても、原理原則に戻り、祈りで考えてみる。その中で、本当の向上があると思います。
 原理、原則というのは、ここに書かれている事だと思います。

 年齢が高くなると自然と悟とばかり言えなくて、やはり、自分から求めて学ばないと、ある年代で向上が鈍化すると
思います。これは恐い事だと思います。やはり、真理の本を読み、謙虚に考える。そういう姿勢は、きっと死ぬまで
必要なのかな、と思います。

 忙しくなると、どうしても、真理は真理、実生活は実生活と思いがちですが、本当は忙しい時ほど、学ぶべきなの
かと痛感します。でも、偉そうな事を言っても、まだまだ、私は修行中です。

1874復興G:2013/01/19(土) 00:05:36 ID:AB6RqYXc

>>1872 :a hopeさま。

>>唯神実相の真理から考えると、「悪は本来ない」のですから、その「ないはずの悪」が見えてしまうというのは、『自分のかけている心の眼鏡が曇っているから』だ、ということになるのでしょうか……? 相手の「悪」が見えてしまうのは相手に責任があるのではなく、すべて自分自身の問題だということになるのでしょうか?<<

>>また、生長の家の教えでは「悪はない」と言っておきながら、「虚説と和解してはならない」とも言っています。
「悪」と「虚説」はどう違うのか、はっきりとしていません。
御教示いただけるとありがたいです。<<

――たいへんよい質問を出してくださって、ありがとうございます。
(私は、テキストの御文章をアップしてからお風呂に入ってきました)

一つずつ、じっくりと考えてまいりましょう。

まず、①ですね。
>>唯神実相の真理から考えると、「悪は本来ない」のですから、その「ないはずの悪」が見えてしまうというのは、『自分のかけている心の眼鏡が曇っているから』だ、ということになるのでしょうか……? 相手の「悪」が見えてしまうのは相手に責任があるのではなく、すべて自分自身の問題だということになるのでしょうか? <<

そういうことですね。
でも、唯神実相の真理から考えると、「悪は本来ない」のですから、『心の眼鏡が曇っている』ということも「ない」のですよね。

「ないはずの悪」が見えてしまったというのは『自分のかけている心の眼鏡が曇っていたから』だ、と気がついたら、長くそこ(反省)に引っかかっていないこと。神の子はサル(反省ザル)ではありませんから、早くそこから去る。

自分を責めてばかりいないことです。あまり自分を責めていると、かえって周囲の人が責められているような、暗い気持になってしまうものです。完全な神だけしかない! というのが根本真理なのですから、そこに立ち還らなくては。
「光明一元」の、「悪は無い」――「自分の曇りもない」ところ、「自他一体の完全な神の生命だけがある、ありがたい。ただ感謝」というところに立ち還ることですね。

完全にその境地に到れば、「衆罪は霜露のごとし、慧日よく消除す」で、悪は消えてしまう、ということになると思います。

それは、a hopeさまも、
>>1822
>>わたしは最近、立ち向かう相手が現象においてどんな姿をしていようとも、自分がしっかりと「生長の家の教え」を理解さえしていれば、そんな姿は現実ではないのですから、まったく気にならなくなるような気がしてきましたよ。<<

と書かれていた通りですね。


②については、また明日考えさせて頂きましょう。
ありがとうございます。
では、おやすみなさい。

1875復興G:2013/01/19(土) 10:01:33 ID:AB6RqYXc

皆さま、おはようございます。

今朝、神想観をしましたら、次のような思いが浮かんできました。

生長の家の人類光明化運動は、神が始められた神の国運動である。

しかし、現在の有様は、天照大御神が岩戸隠れなさった時のようだ。『古事記と現代の預言』によれば――

≪須佐之男命の乱行により、時間の順序を司る天斑馬(あめのふちこま)が逆回転して、昼が夜になってしまった。即ち明るかるべきこの世界が暗くなってしまったのであります。すると、高天原(たかあまはら)も暗く見えるし、葦原中國(あしはらなかつくに)もことごとく暗く見えるようになったのであります。高天原は實相世界ですから永久に暗くなることはないのですが、見る人の心の秩序が顛倒して心が暗くなれば、どんなに光明遍照の實相世界でも暗く見えます。それは悟りをひらいた人には、この世界は「唯心所現の世界」即ち心の想いが展開した世界だとわかりますが、悟りのひらいていない人には、この世界が物質の塊の暗黒世界だと見えるようなものであります。

 高天原は實相世界(生命の世界)であり、夜見國(よみのくに)は暗(やみ)の國(無の國・暗は“光の無”であって積極的存在ではない)であり、黄泉國(よもつくに)とも称(い)われて、死の國であります。「生命の世界」が「無の國」にはたらきかけて、その中間にできた現象界が葦原中國(あしはらなかつくに)であります。葦(あし=悪)とも蘆(よし=善)とも称する青人草(人間)の生うる世界で、善悪混淆の現象世界が葦原中國であります。それが心の持ち方が顛倒して“悪し”の面ばかりがあらわれるようになり、喧々囂々(けんけんごうごう)として、あたかも安保反対闘争時の國会内外の乱闘さわぎにも似た状態があらわれて、所狭きまでむらがる蝿がブンブンと涌き立つような大騒ぎでいろいろの妖(わざわい)が無数に起こって來たというのであります。≫

――というよな状況になっていると思われます。

 しかし、現象界は実相世界の完全なすがたを、時間的順序を通して段階を追って展開して行く映画のようなものですから、天照大御神の岩戸隠れも必要なのである。それがあればこそ、岩戸開きが行われた後、いっそう素晴らしい世界が展開して行くのである。だから、憂えてばかりいる必要はないのだ。――そのように思われたのであります。

 必ず、岩戸開きは行われて、いっそう素晴らしい光あまねき世界が展開するときが来る! そのようになっているのだ! だから、>>1825の行事を、粛々と実行して行けばよいのだ!
 ――そういう確信が湧いてまいりました。

1876復興G:2013/01/19(土) 10:16:52 ID:AB6RqYXc

>>1825 修正
六、太御幣(ふとみてぐら)を奉祀(ほうし)して祝詞(のりと)をあげる。
× (�`大生命�a及び祖先の生命をお祀りして聖経または祝福の祭文を読誦する)
○ (“大生命”及び祖先の生命をお祀りして聖経または祝福の祭文を読誦する)

1877トキ:2013/01/19(土) 10:22:41 ID:uEWrvcJY
 おはようございます。素晴らしいご指導、ありがとうございます。

 他の皆様も、ぜひ、どんどんご参加下さい。

1878トキ:2013/01/19(土) 10:40:07 ID:uEWrvcJY
 人生でも、山あり谷あり。活動をしていても、うまく行く時期もあれば、どん底の時期もありました。

 法人としての生長の家もそうでしたね。白鳩が「決戦」という名前になった時期もあれば、紙がなくて
印刷物が出せない時期もありました。谷口雅春先生が公職追放をされた時代もありました。
先達はそれを見事に乗り越えてきたのです。

 後輩である我々も、後の世代に恥じないような態度で、この難局を乗り越える姿勢が大事だと
思います。

1879神の孫:2013/01/19(土) 11:18:57 ID:pic01rm6

虚説とは= 物質有り。  ですよね。

この物質世界が、この肉体が有る。と信じる。→ これ虚説。  ですかね。

1880復興G:2013/01/19(土) 11:36:01 ID:AB6RqYXc

さて、>>1874で書いたこと――

≪ >>唯神実相の真理から考えると、「悪は本来ない」のですから、その「ないはずの悪」が見えてしまうというのは、『自分のかけている心の眼鏡が曇っているから』だ、ということになるのでしょうか……? 相手の「悪」が見えてしまうのは相手に責任があるのではなく、すべて自分自身の問題だということになるのでしょうか?<<

――そういうことですね。でも、唯神実相の真理から考えると、「悪は本来ない」のですから、『心の眼鏡が曇っている』ということも「ない」のですよね。
「ないはずの悪」が見えてしまったというのは『自分のかけている心の眼鏡が曇っていたから』だ、と気がついたら、長くそこ(反省)に引っかかっていないこと。神の子はサル(反省ザル)ではありませんから、早くそこから去る。≫

――上記は、「小懺悔」にとどまっていてはだめだ。「大懺悔」すなわち、今回のテキスト『生命の實相』第2巻では

≪本当の人間――神が造ったままの人間――わたしが常に「真の人間(リーアル・マン)」または「神人(ゴッド・マン)」といっている人間は物質の人間ではないのであります。それは円相の人間、光明身の人間、自在身の人間、清浄身の人間、虚空身の人間、無憂苦の人間、絶対無病の人間――いくらわれらが上等の最上の言葉をもって説明しても、この物質界の事物を形容するためにできている現在のわれわれの通用語ではとても説明のしようがないほど完全な人間であります。
 そんな人間がこの世界に実際あるものかと疑う人もありましょうが、皆さんめいめいが今現に実相の世界においては、この霊妙な円相の人間、光明身の人間、自在身の人間、清浄身の人間……等々であられるわけで、それが本当の「あなた」なのであります。この「真の人間(リーアル・マン)」をおいてその他にあなたはないのであります。≫

とある、その「真の人間(リーアル・マン)」に立ち還ること。そして、ただ喜ぶこと。それが「大懺悔」である。

≪自分を責めてばかりいないことです。あまり自分を責めていると、かえって周囲の人が責められているような、暗い気持になってしまうものです。完全な神だけしかない! というのが根本真理なのですから、そこに立ち還らなくては。「光明一元」の、「悪は無い」――「自分の曇りもない」ところ、「自他一体の完全な神の生命だけがある、ありがたい。ただ感謝」というところに立ち還ることですね。≫

と、>>1874に書いていましたね。

ここでちょっと、プライベートなうれしい体験を書かせて頂きましょう。

今年は、私の最初の孫が20歳、成人式を迎えたんです。
長男の長男なのですが、息子の勤務地の関係で、ちょっと離れたところに住んでいます。
で、長男家族と両祖父母(嫁の両親も招待)そろって初孫の成人祝いの食事会を持ちました。

そしたら、孫が感謝の言葉を記したカードをくれました。
私宛のカードには、こう書いてありました。

<おじいちゃんへ
信念を貫くために、いつまでも志を持って生き生きとしたおじいちゃん。
小さい頃から、いつも明るいおじいちゃんと一緒にいると、本当に楽しくて幸せでした。
おじいちゃんのように、夢のある、いつも明るくて人から慕われる大人になりたいです。
   平成25年1月14日
             孫の名>

――孫からこんなカードをもらって、私は最高に幸せでした。
そして、このような幸せな時を持つことができたのは、谷口雅春先生のお説きくださった生長の家の御教えによって生きてきたからであると、あらためて感謝の念を深くしました。そして、これからもご恩報じのために、ますます明るく勇往邁進して生きなければならぬとの決意を新たにしました。ありがとうございます。

1881復興G:2013/01/19(土) 11:44:05 ID:AB6RqYXc

>>1879 :神の孫 様。
>>虚説とは= 物質有り。  ですよね。
この物質世界が、この肉体が有る。と信じる。→ これ虚説。  ですかね。 <<

ありがとうございます。
その通りですよね。

「神の孫」様のご発言を機に、

>>また、生長の家の教えでは「悪はない」と言っておきながら、「虚説と和解してはならない」とも言っています。
「悪」と「虚説」はどう違うのか、はっきりとしていません。
御教示いただけるとありがたいです。<<

の課題に取り組んでまいりましょう。

まずは、皆さまからの活発なご意見ご投稿をお待ちいたします。
ありがとうございます。

1882トキ:2013/01/19(土) 11:50:14 ID:uEWrvcJY
>>1880


 御孫様のご成人、おめでとうございます。さすが、復興G様の御孫様です。立派な方だと感服しました。

 子供の頃は、大人になると自動的に「立派な人」になるのだろう、と想像していましたが、そんな事は
なくて、普段、強い信念をもち、まじめに努力しないと尊敬される大人にならないとわかりました。
 その意味で、正しい信仰を持つ事こそが、高齢になってからの人生を左右すると思います。
 復興G様は、その点、やはり先達だけに、尊敬できます。

 余談ですが、取引先のある老人の方が違う意味で教訓になりました。某帝国大学を卒業し、当時の
高等文官試験(今の国家公務員1種試験)に合格し、某官庁に勤めていた人です。が、威張るので
家族からも嫌われてしまい、退職後は天下り先で寂しい人生を送っていました。仕事で接する事が
あったので、休み時間に話し相手になると、喜んでおられました。生長の家の行事にも誘いましたが、
ご自分の信仰があるので、断られてしまいました。

 復興G様は、その点、ご高齢と拝察しますが、信徒から尊敬され、家族から愛され、ネットでも
頼りにされています。さすがに生長の家の先達だけの事はあります。信徒の手本ですね。

 私も、復興G様を手本に、精進を重ねたいと思います。

1883復興G:2013/01/19(土) 12:43:00 ID:AB6RqYXc

>>1882 :トキ様。

過分なお言葉に、穴があったら入りたい気持です。

でも、「実相の真人(リーアル・マン)なる私を讃嘆してくださったと思い、感謝いたします。
ありがとうございます。

1884復興G:2013/01/19(土) 12:48:12 ID:AB6RqYXc

さて、ほめて頂いたので、② の課題に取り組む前に、また調子に乗って脇道へ行くことをお許しください。課題と必ずしも無関係ではないと思いますので……

>>1880 の最後に孫のことを書かせて頂いたつづきなんですが……

私は成人式の翌日15日に、孫宛にメッセージを贈りました。次のようなことを書いて――。

≪……14日成人祝いの日、東京では朝から空は暗く雨が降っていて、やがて雪に変わり、そのため交通渋滞も起きて私は祝賀会場のつくば山水亭へ行くのに40分も遅れて、ご迷惑をかけてしまった。

せっかくの祝いの日に、なんで?
と、私もはじめは思った。

しかし、思い直した。
悪い天気なんていうものはない。雨も、雪も、嵐も、みんな素晴らしいよい天気なのだ。
毎日晴ればかりだったら、植物は育たない。干ばつで土地はひからび農作物も穫れなくなって、飢饉になる。雨も必要、雪も必要、嵐も必要なんだ。そう思い直した。

人生も、晴れのような、楽なことばかりではない。それがいいのだ。苦労もあった方が、人生の味わいも深くなり、喜びも大きくなる。人間が大きくなるのだ。だから、困難も、挫折もよいことなのだ。だから、雪の日の成人祝い、おめでとう!

ドイツの文豪ゲーテは、「若くして求むれば、老いて豊かなり」と言った。

この場合の「求める」というのは、他に求めるのではない。
志を高く持って、どんなことに出会っても貪欲にそこから魂の栄養を吸収するということ。
「豊か」というのは金持ちになることではない。精神的財産をいっぱい持っていること。

アンドレ・ジイド(1869〜1951)というフランスの文学者は、「文学における影響について」という講演で、次のように言っている。(ジイド『プレテクスト』小林秀雄・河上徹太郎訳より)
       ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆
 紳士淑女諸君
 私はこれから影響というものの弁護をいたしたいと思います。
世には善い影響と悪い影響とがある、そう一般に考えられております。私はこれを区別しようとするのじゃない、凡そ影響というものを善いものも悪いものも引っくるめて弁護しようとするのであります。
 甚だ善い影響だが、誰もそうとは思わない、そういう影響があると思う。
 絶対に善い影響、絶対に悪い影響というようなものはない、善い悪いはこれを受けるもの如何にあると思います。
 私の考えでは、世には何事につけても巡り合せが悪く、事がうまくはこばないような劣等な性質を持った人があるが、反対に、何でも結構な糧(かて)となし、言わば石ころもパンに変えてしまうような性格をもった人もあると思います。「ヘルデルがまさに私に教えたいと思ったものは、すべて貪り食らった」とゲエテは申しております。
       ○
 偉大な精神が貪るように影響を求めるというのも、そういう人たちは自分自身の富を確信し、本能的な感情に溢れ、自分に固有の豊富さに就いて淳朴で、新しい花のひらくのを楽しみにして待っている、そういう具合に生きているからです。
       ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆
――この中から生き方の糧となるものをくみ取って、幸福な人生を築いて行ってほしいと切に願っている。
 では、あらためて、成人おめでとう! 君は必ず人生の勝利者となる! ≫

――上記は、私から孫に贈ったメッセージの一部です。

1885復興G:2013/01/19(土) 13:27:09 ID:AB6RqYXc

上記のメッセージをここに貼らせて頂いたのは、アンドレ・ジイドの言葉にも、常に自分の偉大な可能性を信ずる光明思想が背後にあると思ったからです。

≪本当の人間――神が造ったままの人間――わたしが常に「真の人間(リーアル・マン)」または「神人(ゴッド・マン)」といっている人間は物質の人間ではないのであります。それは円相の人間、光明身の人間、自在身の人間、清浄身の人間、虚空身の人間、無憂苦の人間、絶対無病の人間――いくらわれらが上等の最上の言葉をもって説明しても、この物質界の事物を形容するためにできている現在のわれわれの通用語ではとても説明のしようがないほど完全な人間であります。≫

と言っても、
<釈迦の弟子中でも有数な高弟、迦葉(かしょう)さえも、この肉体にとらわれて本当の体――金剛身(こんごうしん)、不可壊身(ふかえしん)、常住身を見ることができなかったらしいことが、お経に出ているのであります>
と、テキストの112ページには書かれています。

≪『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』巻三、金剛身品には次のように書いてあります。
 「善男子(ぜんなんし)、如来身とはこれ常住身、不可壊身(ふかえしん)、金剛身、非雑食身(ひぞうじきしん)、すなわちこれ法身なり」と釈迦が弟子の迦葉にいわれた。すると迦葉は釈迦に向かって「世尊、あなたの所説のごとく、かくのごとき霊妙身をわたしは少しもあなたに見ません。ただ無常、破壊(はえ)、塵土(じんど)、雑食(ぞうじき)等のあなたの身を見るばかりです。なぜかといえば、如来よ、あなたは今涅槃(ねはん)というて肉体が滅びようとしていられるではありませんか」といった。そこで釈迦が迦葉に答えていわれた「なんじ、いまわたしの肉体が死ぬにしても、本物のわたし――すなわち如来の身を不堅(ふけん)、可壊(かえ)の無常なる凡人の身だというてはならない。なんじは今まさに知らねばならない、如来の身は無量億劫、無始無終に堅固であって破壊しがたきものである。……」と。これはキリストが「アブラハムの生まれいでぬ前(さき)よりわれは在る」といったのと好一対で、たれでも「本当の自分」というものを実相において眺めた者はそれがわかるのであります。≫
(テキスト『生命の實相』第2巻112〜113ページより)

私たちはふだん肉眼を持って目に見える現象世界を見ていますから、目に見えない実相身を悟ることは、釈尊涅槃の時でも、高弟の迦葉尊者でさえできていなかった。それくらい、ある意味で難しいことなんですね。

で、
>>生長の家の教えでは「悪はない」と言っておきながら、「虚説と和解してはならない」とも言っています。
「悪」と「虚説」はどう違うのか、はっきりとしていません。
御教示いただけるとありがたいです。<<

これも、>>1879で「神の孫」様が
>>虚説とは= 物質有り。  ですよね。
この物質世界が、この肉体が有る。と信じる。→ これ虚説。  ですかね。 <<

と書き込んでくださいました通りだと思いますが、それが「悪」とどう違うか――なかなか難しい課題だと思います。言葉の上だけで「こうだ」と論議することはできても、魂が納得して、生まれ更わりができないと――と、思ってしまいます。

でも、いろいろな面から、御教えの骨髄、精髄に迫ってまいりましょう。

皆さまのご発言をお待ちします。
ありがとうございます。

1886トキ:2013/01/19(土) 18:23:29 ID:uEWrvcJY
 ご説の通り、「虚説」とは、物質あり、という考え方かと思います。とはいえ、かって、大川隆法が
「谷口雅春霊言集」なる本を捏造し、純粋な信徒を惑わした時に、機関誌には「虚説に惑わされるな」と
いう題材で文章が載りました。広く考えると、神様から天下った信仰ではなくて、人間が造った捏造の
信仰も意味するのかもしれません。

 ただ、安易に「虚説」という言葉を使うと、濫用と言いますか、自分と違う意見はみな、虚説という
事になりかねないと思います。中世の欧州では、「異端」という言葉が暴走して、魔女狩りのような
ことを宗教家がしました。

 あくまでも自分を戒めるための言葉であると、私個人は考えています。

合掌 ありがとうございます

1887復興G:2013/01/19(土) 19:46:26 ID:AB6RqYXc

そうですね。
ありがとうございます。

「虚説に和解してはならぬ」というのは、特に『生命の實相』第14巻第4章(p.55〜65)に書かれていることでありますが、
ここを部分的に読むだけでなく、『生命の實相』第13巻〜14巻の「倫理篇」全体をしっかり拝読して、谷口雅春先生の
お悟りの境地に近づく努力を抜きにして喋々すると間違うおそれが多いと私は思います。

私は今、その点をしっかりとふまえるよう、「倫理篇」の中の大切なポイントを謹写中です。
後ほどアップさせて頂きます。

1888SAKURA:2013/01/19(土) 20:21:43 ID:dGeUHjWM
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■大変…御無沙汰いたしております。
いつも「復興G様」の【抜粋テキスト…】ありがとうございます。
実は〜〜〜><事務所に「生命の実相…2巻」を置いていましたし〜〜〜
遅くなりましたが…【WEB誌友会】に参加させて頂いても宜しいでしょうかう??

唯今【事 務 所】にいます。

「トキ様」の“コメント”に私も“後…で?”……と「先延ばし??」かと思いました。…が?
今、旨く言葉として表現が??出来かねますかもと。此処で、簡単に“コメント”させて頂きます。

さて!!実況中継ですが(冷汗)今から【2巻…】を読んでいきます。…が?現在の時点の思考です。

■■【 虚説 = 悪 】でしょうかとの事ですが???
先程「トキ様」の投稿の【魔 女 狩 り】です〜〜〜ョネ!
あの時代は、【人間が霊的な事が、できます人に対し、そうですネ!例えば“物品を移動する事”が
できる人…そのような人に対し“対象人間”とされまして【魔女狩り…】でしたモノ。
当時の「霊媒師」は、悲惨な時代背景でしたでしょうかと。
つまり、世間一般では【認 め な い 心】そのものです〜〜〜ョネ?

■例えば、私も【悪 は 本 来 無 い】と思います。…が?それはこの「現実世界=現象世界」
に於けます視野にて、見える範囲?感じます範囲?では……?今の私は…ここでよく云いますが??
【吸血鬼・ゾンビの人達】は、【悪との取引での…行動】なのです〜〜〜ョネ!そのような人達は、
【悪…との自覚】は、全く無いものと思っております。…が?この【捉え方の相違…】

では?私と云いますと【吸血鬼・ゾンビ達は…“悪”そのモノ】と見ている訳です〜〜〜ョネ!
ここが【ポ イ ン ト】で、彼らの“悩み”を、第三者である他人が、相談を受け聞いていく
事は、果たして【解決策…】は、どの様になりますでしょうかと。

それは〜〜〜“悪…”という定義の相違ともうしますか【無理…】というものではないでしょうかと。

同じような「境遇・環境の人間…」が、そこで【悪…の定義】が異なる事を、自覚しまして、
始めて“目ざめる!”とします、そのような人間を【救済ができる…】のではと思います。
【 類 の 法 則 】かと。

■【本来は、悪は無いのです。】…が?、私の見方と?彼らの見方?の相違にて見えるのは、
彼らが【お金…】に負けて、相手に対し如何なる行動【嫌がらせ行動・からかいの行動…etc】を、
しても、それは、かれらの【世界観での尺度…】で見てるのですから〜〜〜
本人達に取りましては【悪…】とは取らないのでしょうかと。つまり、私が、彼らに対し
【悪 … 悪 魔】と見なしても、通じないのも“当たり前”ととるべきでしょうか?ですから、
【私は悪は本来ない!と……彼らが、ワザと来ても…><本来は存在しない!と見ていく事】が、
この五感で見えます【現象…】に、惑わされず、いつしか消えていく事に繋がるのではと思います。

【吸血鬼・ゾンビ…】は存在しないという感じで…視界を変えて、みていけば〜〜〜
これらの「現象…」に振り回される事もなくなるのではと、皆様の投稿を閲覧しながら、
フト!フト!〜〜〜思いました次第です。…が?
この【訓 練 中】〜〜〜〜〜でしょうか??

1889SAKURA:2013/01/19(土) 20:32:45 ID:dGeUHjWM
「復興G 様」 へ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1887の「復興G 様」の言葉から〜♫〜
■>「虚説に和解してはならぬ」というのは、特に『生命の實相』第14巻第4章(p.55〜65)
…云々…<  (一部抜粋の言葉)

本当に【この言葉…】実感しました。“認めない〜〜〜こころ〜〜〜”ですネ!!
つまり【つかまえる“心…”も…認める事になりますでしょうかと〜〜〜】ですが?
とても〜〜〜とても〜〜〜【難問…】です。唯今!実行中…です。

1890a hope:2013/01/19(土) 22:02:04 ID:TqpbsVIM
みなさま こんばんは

>>1867トキさま

シンドラーのリストという映画の興味深いお話をありがとうございます。
わたしも、そのお話ほどではないのですが、似たような経験があります。

わたしがPTA役員をしていた時なのですが、PTA会長の役の引き受け手がなくて困っていると、
あるお父さんが快く引きうけてくださいました。
彼は年齢もとても若かったですし、わたしには最初、彼がとても頼りなく見えました。
ですが、周りから、快く引き受けてくれたこと感謝され、
「会長、会長」と呼ばれ、頼りにされていくうちに、
最初頼りなく見えた彼にだんだんPTA会長らしい貫禄が出てきました。
そして、最後の卒業式にはとても立派な感動的な挨拶をしてくれました。

そんなことから、わたしは、人というのは、周りから感謝されたり、
頼りにされたりることでずいぶん変わるものなのだな〜と実感しています。

先日、うのはなさまが、信仰/体験板>>914で「ありがとうごさいます」
の言葉が起す奇蹟のお話を紹介してくださいましたが、心からの感謝の気持ちというのは、
ほんとうにありえない奇蹟を起こせるのではないかと感じています。


>>1874>>1880復興Gさま

わたしの二つの質問を取り上げて下さりありがとうございます。
①>>唯神実相の真理から考えると、「悪は本来ない」のですから、その「ないはずの悪」が見えてしまうというのは、『自分のかけている心の眼鏡が曇っているから』だ、ということになるのでしょうか……? 相手の「悪」が見えてしまうのは相手に責任があるのではなく、すべて自分自身の問題だということになるのでしょうか? <<

に関しては、お返事をありがとうございます。
小懺悔は必要だけれども、長くそこに引っかかっていてはいけないのですね。
「真の人間(リーアル・マン)」(つまり「神の子」ですよね?)の自覚=大懺悔の心境にならなければいけないのですね。

そして、この自覚を深めるために、神想観をするのですね!
だんだん解ってきました。
すばらしいをご指導をありがとうございます。

②に関しては、わたしも、生命の實相「倫理篇」をじっくり読みなおす必要を感じています。
引き続いての御指導、どうぞよろしくお願いいたします。

また、お孫さんがご成人されたとのこと、おめでとうございます。
すばらしいお孫さんの感謝のお言葉と、復興Gさまのお孫さまへのメッセージ、
今から、もう一度ゆっくり拝見させていただきます。

感謝 合掌。

1891a hope:2013/01/19(土) 22:02:48 ID:TqpbsVIM
SAKURAさま

ご参加、とてもうれしいです。
「悪」と「虚説」の関係を本当に理解するのはとても難しいことのようですね。

ですが、これは「生長の家の教え」を正しく法燈継承するには、
避けては通れない重要な問題だとわたしは感じています。

ここで、お勉強できることに心から感謝しています。

そして、先輩方の御意見をたくさん聞かせていただいて、
自分なりに納得のいく答えが見つかればいいなと思っています。

1892a hope:2013/01/19(土) 22:18:16 ID:TqpbsVIM
>>1879神の孫さま

はじめまして!

>>虚説とは= 物質有り。  ですよね。
この物質世界が、この肉体が有る。と信じる。→ これ虚説。  ですかね。<<

つまり、唯神実相 (一元論)以外の二元論を信じることが虚説であるということなのでしょうか…?

ご参加してくだったことに心より感謝しています。
御教示ありがとうございました。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

1893復興G:2013/01/19(土) 22:37:50 ID:AB6RqYXc

a hopeさま

おかえりなさい。ありがとうございます。

『生命の實相』第13巻・14巻「倫理篇」には、今回のテキスト第2巻第3・4章に書かれてある根本真理を、さらに系統立てて詳説してあり、大変勉強になります。

そして、a hope様が提起してくだいました

>>生長の家の教えでは「悪はない」と言っておきながら、「虚説と和解してはならない」とも言っています。
「悪」と「虚説」はどう違うのか、はっきりとしていません。
御教示いただけるとありがたいです。<<

という課題についても、詳しくご教示くださっていますから、そのポイントとなるところを謹写、掲示させていただきます。

<倫理篇 永遠価値の生活学(1)>

(『生命の實相』第13巻 p.112〜118より)

   第四章 自心の展開としての客観世界

 ……(前略)……
 仏教では「三界は唯心の所現であり、心外に別に存在無し」と申しますが、それを徹底的に実生活の上でも実証せしめているのが「生長の家」であります。キリスト教でも「口に入るものなんじを汚さず、口より出ずるものなんじを汚す」とイエスがいっていますのは、外にあるように見えているものは、本当は外に独立性をもっているものではないから、それ自身で穢(けが)す力はない、外の物で穢されるとか穢されぬとかいうけれども、実は外は内界の投影であるから、もし汚されるならば、内から出るものすなわち「心」によって、および心によって発せられる「言葉」によって汚されるのだといっているのであります。

 われわれは日常生活において、「これは外界だ、われわれの心ではどうすることもできない」と思っている事件や、周囲の人々の行為や心持ちが、われわれ自身の一個の心を変えることによって、事件が変わってき、人々の行為や心持ちが変わってくる事実によって外界はわれわれ自身の内界の投影だということがわかってくるのであります。(中略)

 ……その一、二例をあげておきますならば……(略)……こういうようにこの二人の親が見本であります。子供は母親にとって一見すれば外界の存在のように見える。外界の存在だと思って、外界扱いをして、内界をうっちゃらかして、外界ばかりを治そうとしてみても治らないが、内界を治してしまうと、外界と見える子供の病気が治ってしまう。すなわちこの二人の母親にとっては、彼女の子供は彼女の「外界」ではなく「内界」だったのであります。

 これを押し広めて考えてみますと、彼女の子供だけではなく彼女の周囲いっさいのものいっさいの人々が、彼女の外界の存在ではなく、彼女の内界の存在であることが判明するのであります。さらにこれを押し広めて考えてみますと、すべて「外界」というものは無い。すべてが自己の「心内の存在」だといいうるのであります。

 こういうようにしてすべてが自己の心内の存在であるということを悟るのが、本当の知恵というものなのです。すべてが自己の心内であるということが解ると、本当に「自他一体の実相」がわかってくるのであります。言葉の便宜上、自他一体と仮に申しますけれども、「他」は本来無い、「自」ばかりなのであります。彼Aも「自分」であり、彼Bも「自分」であり、彼Cも「自分」なのであります。三界は「ただわが心の所現」であることがわかるのであります。

 で、罪とは「自他一体」の実相を知らないことであるとともに、「三界はただわが心の所現である」との真理を隠蔽して知らないことをいうのであります。客観世界がただ自心の展開であることを悟らないために、外界に見える事物を「内界の存在」だと知らず、外界に心を捉えられ、心をひっかからすために、ここに「五官的存在」に捉われる罪(隠蔽)が顕われてくるのであるのであります。
<つづく>

1894復興G:2013/01/19(土) 22:40:03 ID:AB6RqYXc

<倫理篇 永遠価値の生活学(2)>

(『生命の實相』第13巻 p.140〜141より)

     教育の目的

 教育とは道徳教育にせよ、職業教育にせよ、芸術教育にせよ、知能教育にせよ、本当にあるものを現われの世界に引っ張り出すところの方法、本当にある値打を現実の世界に延長し出してくるということであります。そこでこの人生の目的も、道徳の目的も、教育の目的も、芸術の目的もみな一つの本当にあるものに一致してくるということになるのであります。むろんそれが一致してこなければならないというのは、それはすべての価値は本当にあるものに源を発するのであり、人生の目的は、本当にあるものを現わすにあるからなのであります。人生の目的がそうであるとしますと、道徳の目的も、芸術の目的も、教育の目的も、さらにもっと進んでいえば、あらゆる人間の文化活動の目的はいずれも本当にある値打をいかに現わすか、ということが根本になるわけなのであります。

     教育方法論の根拠

 ところが、今までは教育にせよ、人生における諸般の訓練にせよ、たいてい本当にあるものを現わすために、「ここが現われておらんぞ」といって、その現われておらない悪いところを指したものです。
 「お前は腹立てているな。腹立てることは、値打のないことだから止せよ」という。すると、相手はますます腹を立てるというようなぐあいだったのです。「悪しきもの」は「真価がないこと」であり、「本当にあるもの」は必ず価値があるとすると、「悪しきもの」を指さして、そこから善きものを生み出そうとすることは、「無い」ものを指さして「有る」ものを呼び出そうとする愚かさであったのです。「悪」ということは実在が現われていないということ、本当にある価値が現われていないということであって、決して積極的存在ではないのであります。ですから、その無い現われに執着しないで、本来無い「悪」が現われているのは心の支持力で、あるかのごとく現わしているのですから、心を「悪」から放下して光明の言葉を発せば消えるのであります。ところが、これまでの教育は、無い「悪」をわざわざ言葉に現わして指摘し、これを表現して、ますます強く心に思い浮べますから、ない「悪」が言葉の支持力によって消えないのであります。今まで教育盛んにしてますます「悪」が盛んになったのは、「悪」を指摘し、「悪」を心の世界に描くようにしたからであります。心の世界で「『悪』というものはないんだ、あるかのごとく見えても、それは心をそこから放下してしまえば本来無いのであるから消えるほかはない」と、全然考えないことにいたしますと、それで消えてしまうのであります。

(『生命の實相』第14巻 p.6〜15より)

     悔い改めよ天国は近づけり

 この「生まれ更わる」ということをまた「悔い改め」というのであります。イエスはその弟子を遣わして「悔い改めよ、天国は近づけり」と宣べ伝えしめました。この言葉は英訳の聖書では“Repent, for the kingdom of heaven is at hand”と書いてあります。この“at hand”という言葉は手近にある、そこに利用しうるように手の届くところにあるという意味であって、これから近づいてくるという意味ではないのであります。だから「悔い改めよ、神の国は近づけり」というのは、「神の国がこれから来るからその準備のために改心せよ」というのではないのであります。

 悔い改めよというのは、心をクラリと転向せよ、今までこれが自分であると力んでいた「自分」はそれは「本当の自分」ではなかった、それは「ニセ物の自分」であった、「本当の自分」は別にあった、それは「神の子なる自分」であったと悟る。ここに完全に「われの転回(おきかえ)」というものが行なわれる。これが悔い改めであり、新生であるのであります。こういうように悔い改めが行なわれ、われの転位というものが行なわれますと、もうそこにはチャンと手の届くところに、生きて利用できるところに神の国というものが現われているのであります。「悔い改め」すなわち「われの根本的置き換え」と同時に「神の国」――幸福の国、常楽の国――は実現するのであります。
<つづく>

1895復興G:2013/01/19(土) 22:41:50 ID:AB6RqYXc

<倫理篇 永遠価値の生活学(3)>

(中略 p.12〜)
 「悔い改め」はこういうように「われの置き換え」――「ニセ物のわれ」を「本物のわれ」に置き換える悟りでありますから、いつまでも「自分は悪い」に引っかかっているのはいけないのであります。高橋正雄さんでも、「われの置き換え」ができるまでの「自分」を「悪い悪い」といっていられますけれども、「われの置き換え」のできてしまってからの「自分」を悪い悪いとは思っていられないのであります。むしろ「自分は偉い」と思っていられるからこそ雑誌を出したり講演に出かけていって道を説いたりしていられるのであります。この「自分は悪い」ということにいつまでも引っかかっていたら今の高橋正雄さんは無いのであります。今でも高橋正雄さんは「すまぬすまぬ」などと講演していられますが、高座へあがって講演したりせられるところを見ますと、本当は「自分は偉い」と思っていられるに違いないのであります。

     悔い改めは「悪を犯すまいの決心」ではない

 また「悔い改め」とは一悪一悪と順次悪を減じて、一善一善と順次「善」を積み立ててゆくということではありません。全体の悪が、クラリと光の方向へ転向してゆくことなのであります。われ全体の乗り換えができず、いつまでもおとぎ話の「カチカチ山」の狸のように泥の船に乗っていては、一つ、二つ、三つと水の浸入口を順次埋めていっても、結局その船は沈んでしまうほかないのであります。

 泥船はただ一つ水の浸入口が明いているだけでも沈んでしまうのであります。毎日具体的な一悪一悪を減ぜんとしてできるだけ罪を犯さないようにしましても、完全に「われの置き換え」というものができていないで、いつまでも泥船に乗っているのではまたどれだけでも水の浸入口ができてくるように、また別の悪が湧き出てくるのであります。だからわれわれはいくら悪を犯すまいと思っても「ニセ物のわれ」という泥船に乗っているかぎりは、次から次へと「悪」が出てくるのであります。

 これでは本当の悔い改めとはいうことはできない。泥船の孔を塞ごうと決心することが、われの乗り換えではない。悪を犯すまいと決心することが悔い改めではない。孔のあきやすい泥船から、金剛不壊の実相のわれに乗り換えてしまうことが悔い改めなのであります。

 金剛不壊の実相の船に乗り換えてしまうと自然に船に孔があかなくなる、その人の行ないにボロが出なくなる、自然にその人から悪行が消えてくるのであります。

(『生命の實相』第14巻 p.24〜25より)

     悔い改めと世界の変貌

 「悔い改め」というものは、ちょっと考えると心だけの問題のようでありますけれども、これは「われの置き換え」――われそのものの内容がクラリと一転してしまうことでありますから、それはただ心だけの問題ではない、世間そのものが一変して別世界になるのであります。自分が変われば世界が変わるということはちょっと考えると「そんなことはあるはずはない」と思われるかもしれませんが、自分が変わればその人の世界が変わる。自分が眼を開けば世界は明るい、自分が眼を閉じれば世界が暗い。これは事実であって、理屈ではない。理屈であればなんとでも駁撃(ばくげき)することができるのでありますが、事実であるからなんとも否定のしようがないのであります。

 われわれは心がクラリと一転して「偽存在のわれ」を見なくなり、「真実在(ほんもの)の神に創造(つく)られたままのわれ」を見ることをキリスト教では「悔い改め」と申しますが、仏教では「サトル」と申します。「サトル」には「覚」という字を書く。そして「サトッタ人」を仏といい、覚者という。この「覚」という字は「覚める」という字であります。われわれが夢を見ている、夢の中でわれわれはある環境の中に住んでいる、夢の中ではその環境は実在だと思っている。しかし一たび覚めると環境がクラリと変化してしまう。なんじゃ悲劇の中にいたと思っていたのに蒲団の中かとわかる。しかし夢を見ている人に「それは夢だよ。覚めたら、お前の周囲の事情は、お前が今見ているような不完全な状態ではない」と教えてやっても、覚めるまではわからない。それと同じで、覚(さと)れば環境までも変わってくるものだということを、まだ覚らない人に教えてあげてもなかなか解りにくいのであります。
<つづく>

1896復興G:2013/01/19(土) 22:42:37 ID:AB6RqYXc

<倫理篇 永遠価値の生活学(4)>

(『生命の實相』第14巻 p.55〜65より)

   第四章 和解の倫理

     悪魔の試みにも和解すべきや

 われわれが神の方ヘクラリと向きを変え、神に従って生活しようと決意したとき、かえってその神に従う生活に反対し邪魔をしようとするような環境があらわれて来ることがあります。この状態をキリスト教では「試みに逢わせられる」と申しますし、ある教えでは「引っかけ戻しの仕組みである」といっています。それはあたかもわれわれが神想観をして精神統一をして、ただひたすら「神と一体」なる観念に精神を集注しようとしますとき、いよいよますます雑念が浮かび上がってくるようなものであります。「生長の家」倫理学の中心思想は、「人と神と一体であり、万(よろ)ずのもの皆神より出でたるものであるから、なんじを害するものは一つもないのであるから、天地一切のものと和解せよ」ということであります。そこで天地一切のものと和解するには、天地一切のもの、すなわち異端邪説とでも和解したらよいかどうかが問題になるのであります。

 卑近な例を引いてみればいっそうよくわかると思いますから、先日、大阪から来られた浜田夫人の「家ダニ退治」のお話を申し上げましょう。それはその人が近ごろ引っ越していった家にたくさんの「家ダニ」がいて、その「家ダニ」に触れると、南京虫の食い跡のように腫れ上がって痒(かゆ)いのであります。ホルマリンガスの燻蒸消毒を三回おやりになりましたが、それでも「家ダニ」が絶えないのであります。それでその家の奥さんが、「万教帰一篇」第六章に書いてある「南京虫に食われぬ話」を思い出されまして、実相の念力で「家ダニ」を逐(お)い出して見ようとお考えになりまして、神想観をして大体次のように実相を念ぜられると、その翌日から「家ダニ」がその家から消滅したのであります。――
 この家は人間の棲居(すまい)であって家ダニの棲み家(すみか)ではない。家ダニには家ダニの棲み家があって、実相の世界においては、互いに相侵すことなく完全に調和しているのである。自分は家ダニを害することなく、家ダニは自分を害することなく、完全に調和しているのが生命の実相である。
 こう繰り返し念じながら、実相の互いに相傷つくることなき調和した相を念じていると、家ダニとその人との関係に実相が鮮やかにあらわれて、家ダニは、家ダニの棲み家に帰り、人間をささなくなったのであります。この事実は、その翌日たずねて来られた神戸の田村福子さんも、自分の家で同様に念じて家ダニのいなくなったことを、こちらから求めざるに自然話し出されたので、浜田夫人の場合が決して偶然でないということがわかったのであります。今この事実を考察してみたいのであります。
<つづく>

1897復興G:2013/01/19(土) 22:43:21 ID:AB6RqYXc

<倫理篇 永遠価値の生活学(5)>

 ここに「和解の倫理」がハッキリと顕われているのであります。和解するのは誰と和解するのかというと、「自分を害する家ダニ」と和解するのではないのであります。「害する者」と和解するのは、「害する者」をのさばらせることになるのであります。

 たとえば、結核菌という、人間を害する敵と和解することを考えてみます場合、結核菌は人間を害するものだと思いながら、結核菌と和解するつもりでことさらに結核菌を培養して、これを呼吸器に吸い込むということにいたしましたならば、いかにも結核菌と人間とは和解したように見えるかもしれませんが、それは「実相の結核菌」と和解したのではないのであります。

 「生長の家」倫理学の特色といたしますところは、存在を「実相]と「仮相(まよい)」とに別けることであります。そして「仮相」は存在するように見えても、それは非実在(ない)というのであります。そして「実相」だけが存在するのであって、その「実相」は完全であるというのであります。

 例をあげていえば、人間に結核病を惹き起こす毒物としての結核菌は、それは仮相であって実相ではないのであります。この場合、われわれが仮相の結核菌を認め、許し、それに触れ、それを培養することにすれば、われわれ人類は滅びるのであります。なぜなら「仮相」を実在だと思ってこれに和解し、「仮相」をことさらにのさばらせれば、実相はますます隠れるほかないからであります。

 ところが、神は結核菌を人間を害するようには作ってい給わないのであります。結核菌は人間に対して無害の状態に造られており、実在の世界においては、人間と結核菌とは調和して互いに生かし合っているのであります。調和が実相であって、「実在する結核菌」の本当の相(すがた)なのであります。それで「結核菌と和解する」とはこの本当の姿を認めて、その心の投影(芭として自然に結核菌と人間とを互いに相侵さない状態に至らしめるので、われわれを害する「仮相の結核菌」を認め、それに栄養を与え、培養するということではないのであります。

 大体、「仮相」というものは、あるように見えても本来無い――「無いもの」と和解のしようがないのであります。それでわれわれが和解するとは、ただ「本来あるもの」と和解するほかない。それでわれわれが、「天地一切のものと和解せよ」という場合は、仮相――われわれに対して毒性または敵性をもって顕われているウソのスガタ――に和解するのではなくて、実相(すなわち、われわれと本来調和し、われわれと互いに生かし合っているその物の内性)と和解することなのであります。

 さらに例をあげてみれば、ここに放蕩息子がいるとします。放蕩息子といえども人間でありますから、実相は放蕩息子ではないのであります。放蕩息子にあらわれているのは仮相すなわちウソのスガタであります。それでその息子に和解する場合を考えてみますと、「放蕩息子よ、よう放蕩してくれた。わしはお前の放蕩を喜ぶぞ」というように仮相に和解していたのでは、仮相はますますのさばって大きくあらわれて来るのであります。

 よく富豪の甘い親をもった家庭に始末におえない道楽息子があることがあります。これは道楽息子という仮相を排撃することをしないで、仮相に和解してしまったからであります。仮相に和解してしまったら仮相があらわれる。それではいけない。それで「生長の家」の聖経『甘露の法雨』には、「仮相(かりのすがた)に対しては実相をもって、相対せよ」「非実在に対しては実在をもって相対せよ」と書いてあるのであります。
<つづく>

1898復興G:2013/01/19(土) 22:44:03 ID:AB6RqYXc

<倫理篇 永遠価値の生活学(6)>

     仮相は本来「無」と知るのが実相への和解

 だから、真に和解するとは、「ものそのもの」の完全なる実相を認めその実相と和解することであります。「家ダニ」を見たならば、吸血鬼であるその仮相を見ず、互いに調和した場所において相侵し相傷つけないように造られている「完全なる家ダニ」と和解することであります。結局「和解する」とは、その「実相」を見て、その実相において完全を観ることであります。

 対人関係、対物関係の和解は、そういうように物そのもの、人そのものの実相を見て、それと実相において和解してしまいますと、相手の調和した実相があらわれて相手が自分に逆(さから)いまたは害しなくなるのでありますが、「迷い」に対したり「誤れる見解」に対しては、われわれはいかなる態度をとるべきでありましょうか。「迷い」に対して和解したら、真理が消えてしまうのであります。「誤れる見解」に対して和解したら実相がくらまされてしまうのであります。だからわれわれは、決して「誤れる見解」に和解してはならないのであります。

 「誤れる見解」をわれわれは「虚説」と申しますが、虚説とはよく名づけたものであります。「誤れる見解」は実相の世界にはない。それは「虚説」すなわち「無い説」でありますからわれわれは虚説と和解することは絶対にできないのであります。虚説に和解したら自分の完全なる実相が昧(くら)まされ、完全なる実相が昧まされたならば、その投影として不完全なる現象すなわち不幸、病気、災厄等があらわれてくるのであります。

     虚説に和解してはならぬ

 虚説の中でも、最大の虚説は「物質はある」という見解であります。『生長の家』誌友の中で近ごろ脱線して「物質もある、心もある」という二元論に誘惑されたり、「現象も真我のあらわれである」という説に惑わされたりした人がありました。その理由は、われわれは天地一切のものと和解しなければならないから、「物質はある」という説とも和解したとき、本当の真理がかえってわかるのだという理論から、虚説に対しても一応は耳を傾けなければならないというわけだったのであります。

 われわれは天地一切の実在(もの)と和解しなければなりませんけれども、虚説に対して和解してはならないのであります。「人は二人の主に事えることはできない」という諺があります。虚説に和解したら実相をくらますことになります。実相をくらませばみずから迷うことになるのであります。迷えば迷いの影を現象界にうつして、現象界がままならぬ相(すがた)にあらわれてくるのであります。

 「物質もある、心もある」という二元論に引っかかって、現象界が変にみだれて集金が集まらなくなったり、商売がうまくゆかなかったり、歯痛(はいた)が酷くなった数氏の実例は、かつて『生長の家』に書いたとおりであります。

 最近また「真我も迷う」の妄説に引っかかって、絶えて久しく煩わなかった頭部の湿疹になやまされて、すんでのことに医者にかかりそうになった時、初めて気がついた人があります。それは最近「生長の家」の説を受け売りして、少しばかり異色を見せて独立しようとして「迷いは真我より起こる」と発表した某々氏の雑誌を読んで、その妄説にまどわされ、真我は迷うものやら、迷わぬものやらわからなくなって、心が迷って、「本来清浄の実相」を見ることができなくなったことに原因するということを知り、神想観をして、本来迷わぬ「本来清浄の実相」を観ることを努めたところが、その頭部の湿疹が癒ってしまったという報告を受け取りました。

 「生長の家」の家族となり「真我は神であり、本来清浄の実相である」ということを知らされながら、時々そういう異端邪説に耳を傾けるようになるのが、これいわゆる「試みに逢わせられる」のであり、「引っかけ戻しの仕組み」であります。精神統一せんとすればするほどかえって雑念が浮かぶのと同じであります。この時に雑念妄想の方に心を傾けたら永久に精神統一しがたいのと同じように、この時に異端邪説に和解して耳を傾けたら、自分の実相が昧まされ不幸があらわれるのであります。

 「なんじの敵を愛せよ」といったイエス・キリストさえも、「サタン」に対しては和解していないのであります。イエスが四十日四十夜、精神統一の修行をしている時、そこに幻のように現われたサタンに対しては、イエスはそのサタンの邪説に耳を傾けようとしないで、「神を試むべからず、サタンよ退け、主なるなんじの神を拝し、ただこれのみに事(つか)うべし」と、一喝しているのであります。この場合、サタンとは異端、邪説、妄説、妄想、雑念のことであります。
<つづく>

1899復興G:2013/01/19(土) 22:44:42 ID:AB6RqYXc

<倫理篇 永遠価値の生活学(7)>

 「ただ神のみ――ただ実相のみを観よ」ということが、「主なる汝の神を拝し、ただこれのみに事うべし」ということです。そのほかの妄説妄想には決して和解して、耳を傾けてはいけない。ただ「サタンよ、去れ」と一喝しているところに、イエスの示されたる「サタンに和解すな」との範例をわれわねは見なければならないのであります。

     光は暗と和解せず

 「敵を愛せよ」と仰せられたイエスが、なぜ「サタンよ、退け」といわれて、「サタンを愛せよ」といわなかったのでしょうか。「敵」というものも、その実相は完全な人間でありますから、「敵を愛せよ」とは、その実相なる完全な人間を見て愛せよという意味において、正しい真理であります。

 しかしサタンというものはどうであろうか。それは精神統一修行中に現われた妄想が客観化したものであります。妄想というものは「本来無いもの」をあるかのごとく描いたのが妄想でありますから、その客観化であるサタンというものも、結局は存在するかのごとく見えても本来非実在であります。

 それで、敵ならその敵の実相を見れば、敵の内性に神の子なる実相を見て愛することができますけれども、異端、妄説、妄念、妄想は「本来無い説」――虚説――でありますから、その実相を見れば、「本来無い」ということがわかるだけでありますから、「本来無いもの」(虚説)に和解することは絶対にできないのであります。

 光は暗と和解することはできない。光が近づけば暗は消えるほかはない。それと同じく真説は虚説に近づけば虚説を消す働きになる。真理が妄想の客観化なるサタンに和解せんとして近づけば、かえってサタンを消す働きにならざるをえない、すなわち言葉でこれをいえば「サタンよ、去れ」の一喝とならざるをえないのであります。

 虚説を許さないことをもって、和解と寛容の徳がないように思うのはまちがいであります。また虚説を容(い)れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのもまちがいであります。虚説を排撃することいよいよ明瞭であればあるほど、真説は明らかに照り、それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

 わたしにも最近その例がありました。「生長の家」の某支部をみずから造るべく申し出られまして、聖典『生命の實相』を数十部みずから進んで預かって帰られた方がありました。その某氏は最近、「物質はある」「真我も迷う」の虚説を立てて「生長の家」の真説を迷わす機関雑誌を発行されたのであります。それとともに聖典『生命の實相』を誌友その他に売られたまま、その公金を私用に着服費消しておしまいになったのであります。

 わたしは「真我は神であるから決して迷わぬ」という正説をもって文章でその虚説を排撃したのでありますが、(すなわち虚説に対してはどこまでも排撃したのでありますが)その人が消費された公金に対しては少しも咎めず、無条件にその金額を進呈して決して請求しませぬという深切な手紙を書いて、その人の実相――決して公金を費消せぬような完全なその人の実相を見ることにしたのであります。これがわたしの範例であります。虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許すことにしたのであります。

 どうかみなさんも虚説に対しては和解することなく、どこまでも「サタンよ去れ」の態度で進んでいただきたく、人間に対しては、その表面の包み(罪)を見ないで、その罪なき完全なる実相を見て、その罪を赦す(その罪を本来無いと見て捨てる)ことにしたいのであります。

 要は「天地一切のものと和解せよ」との「生長の家」の第一最大の誡命(いましめ)は「天地一切のものの実相と和解せよ」ということであって、仮相や虚説に対しては「サタンよ去れ」と排撃すべきなのであります。釈迦もキリストも同じような態度で虚説を駁撃せられたのであります。
(以上)

1900復興G:2013/01/19(土) 23:03:58 ID:AB6RqYXc

――以上、長々と聖典の引用をさせていただきましたが、トキ様が>>1886
>>安易に「虚説」という言葉を使うと、濫用と言いますか、自分と違う意見はみな、虚説という事になりかねないと思います。中世の欧州では、「異端」という言葉が暴走して、魔女狩りのようなことを宗教家がしました。
 あくまでも自分を戒めるための言葉であると、私個人は考えています。<<

と書いてくださいましたように、「虚説に和解してはならぬ」という言葉は、安易に「虚説」という言葉を使うと、濫用と言いますか、自分と違う意見はみな、虚説という事になりかねないので、自分を誡めるための言葉というように考えると間違いがないように思われます。
ありがとうございます。

「倫理篇」は、私も繰り返し拝読して、自覚を新たにして行きたいと思っています。
ありがとうございます。

1901復興G:2013/01/19(土) 23:14:27 ID:AB6RqYXc

SAKURAさま、書き込みありがとうございます。
お返事遅くなって、すみません。
「悪」本来なし、という真理は、難しいといえばほんとに難しいですが、聖経『甘露の法雨』にあるように、「悪」があると見えてるのは夢、悪夢なんだ。覚めてみればそれはないんだ、と思えば、心配がなくなって楽しいですよね。
ありがとうございます。

さて、私は明日は午前・午後ともに出かけなければならない行事が入りましたので、このweb誌友会から離れることになります。
それで、今日は集中的に書き込みをさせていただきましたが、明日は夜からの参加になります。

今夜はこれにておやすみさせていただきます。

ありがとうございます。

1902a hope:2013/01/19(土) 23:48:47 ID:TqpbsVIM
復興Gさま

倫理篇の謹写、ありがとうございます。
本当は、すぐにでも拝読してお勉強していのですが、わたしも明日また早朝から用事があって一日出かけます。
今夜はわたしもこれでおやすみします。

明日以降にじっくりと、心読して、お勉強させていただきます。
そして、後夜祭に入ってしまうかもしれませんが、また、感想など述べさせていただきたいと思います。

わたしの大切な「生長の家」のみなさま、みなさま

みなさまも、この機会にもう一度聖典「生命の實相」の真理を一緒にお勉強し直してみませんか?

この素晴らしい「生長の家」の真理を、真に理解できれば、人生に怖い物はなくなると思います。
そして、一人でも多くの人が、この「生長の家の教え」の素晴らしさを再確認して、
真理を悟れば、かつての生長の家のように数々の奇蹟がよみがえって来るのではないかと思います。

そして、その一つひとつの奇蹟が大きな灯火となって日本国を光明化し、さらに大きな灯となって、
世界平和につながっていくのではないでしょうか…?

それともこれは、アホの a hopeの夢物語なのでしょうか…?

わたしの愛する「生長の家」のみなさま、おやすみなさい。
みなさまも、素晴らしい夢を見てくださいね!

1903さくら:2013/01/20(日) 07:46:15 ID:e8ieIrPA
復興G様
トキ様

ご指導ありがとうございます。

生長の家のみ教えの立場から、「虚説」の見解を示して下さり、ありがとうございました。
宗教が、まして、生長の家においてこの言葉をやすやすと使うのには、個人的経験からも、…どうしても堪え難いものがありましたので、お二人の正知に感謝いたします。
この掲示板では、みなさまそれぞれ生長の家の真理の先輩で、学ぶことが多くありました、
真理は広大無辺なので、そのときの考えや、それぞれの課題や表現がちがうことなどは、当然のことだと思っています。
お互い理解しがたいことがあっても、それはどちらかが「虚説」なのではなく、
奥にはいっていけば、そこは神の命でひとつなのだと、生長の家で学んできたことでした。
…だから考えが違うことなどは本質的にはそれ自体が問題ではなく、
そこに対話する心の基盤さえあれば、理解や共存が可能だとも信じています。
どんな人の実相も神であるし、ただ、学びのために、それぞれの課題に取り組んでいる姿なのだと思います。
そういうことを理解する智慧が、宗教なのかな、と生長の家に出会って思ってきました。

ただ、この掲示板を経験して、それを安易に「虚説」という表現に出会い、それが心に引っかかる、個人的な課題でした。
自分の中にこそある虚説こそ排するということを自分も学びました。生長の家で学ぶ同士の表現として、正直、すこしショックなこともありました。
ほかに言葉は違っていても、「自分の正義」以外を排除する気持ちが根底にあれば、宗教をしていることが、逆に欺瞞におちてしまうな…と感じ、自戒しました。

それはそれで、宗教というものを考える学びになり、感謝しています。

このことは復興G様のご文章からも充分学びましたので、
みなさまの学びをつづけてくださいますよう…ながながかきましてすみません。

前の繰り返しになりますが、お二人の姿勢には学ぶことがあり、感謝しておりました。ありがとうございます。

追伸:
SAKURA様には、いつも料理から読書から、他宗教の体験など、勢力的な書き込みで、読みきれてはいないのですが、…多方面から学びになりました。
意見の捉え方は違いますが、人生の先輩としていろいろ、参考になりました。
ひらがな「さくら」と間違われることを懸念されていたので、お声かけは、いつも遠慮していましたが、この機会に感謝をおいてきます、ありがとうございます。



1904志恩:2013/01/20(日) 08:02:25 ID:.QY5jUA6
復興G様、トキ様様、ご指導を感謝申し上げます。
ahope様、神の孫(ルンルン)様、SAKURA様の書き込み、拝見しました。

SAKURAさんの書き込みによりますと、
お父様が、叱るタイプのお方だったそうですけれど、

私の実家の父も、情は厚い人でしたが、ものすごく怒りっぽい人で、
ちょっとしたことで、「えっ、これ、怒ること?」と思うようなことを、

かっとなって、私も含めて家族をよく怒鳴るつけるタイプの人でした。
しらふのときの父と、飲酒後の父は、ジギルとハイドの如く、別人格になる人で、

霊的な問題もあったのかもしれませんが、父は、とにかく、酒好きな人でしたけれど、
飲酒後は、暴言,暴力を振るうという、所謂 酒乱の人でした。

ある日、私が中一のとき、私が、学校から 帰宅すると,
酒に酔って、祖母に暴力を振るっている最中の父が部屋にいて、

それを目の当たりにした私は、頭の中が真っ白になりました。

私は、一瞬、祖母を守らなきゃと思い、学生カバンを放り投げ、
父に向かって体当たりで突進し、父を突き飛ばしました。

すると、やおら立ち上がった父は、深酒だったこともあり、私に対して、
怒りくるって、手加減せず、ゲンコツで
思い切り、何度も 私を殴りました。

私の、唇は,切れ、左の耳の鼓膜は 破れて血が流れ、私は、失神してしばらく、意識不明になっていました。
母は、そのとき、留守でした。祖母の心配する声で、私は、やっとわれに返りました。

それから後の事、私は,自分では、気がつかずにおりましたが、会話の声は,普通に聞こえるのでしたが、
電話のベルのような高音部分が、聞こえなくなっている事を、耳鼻科で診てもらって知りました。

ですから,私は、そのような父に、殺意を感じる程、父に憎しみを抱いておりました。

その後、私が、中2のときに、母と私が、生長の家に入信しまして、

私が、中学3年のとき、まだ生長の家ではなかった父に隠れて、私は、夏休みに
中学生でしたが、飛田給の高校生練成会に参加するという神縁をいただくことができましたので、

そのチャンスを得られたおかげで、
私の観の大きな転換があり、
憎んでいた父を赦し、母と私が、教えを実践し、父の酒乱は,すっかり消えてしまいました。
生長の家の教えは、ほんとうに すごいです。

私は、本来の生長の家の教えに救われたのでした。

その父も、しばらくのちに、自宅で誌友会を開いてくれる程の、生長の家の信徒になってくれたという体験が
あるのですが、

暴言,暴力は、なくなりましたが、父の、もともとの怒りっぽい性格は、持って生まれた性格ですから、直りませんでしたよ。

でも、私は、父にいつも叱られていたので、他人のちょっとした優しさや深切が、普通の人の数倍も、ありがたく感じられる
自分になれたのだと、今,振り返りますと、何も無駄な体験はなかったのだという思いを深めております。

そして、人生を深く考えるようになれたのも,あのような父があったればこそだと、今は、思えております。

私の耳は、自然治癒力が働いて、今は、電話のベルの音も、ちゃんと聞こえるようになっております。

「しかし、これは個人の家庭内の問題が解決した体験です。」 これを忘れないで頂きたいと思います。

公人問題は、別問題です。   つづく

1905志恩:2013/01/20(日) 08:03:54 ID:.QY5jUA6
さくらさんも,書き込んでおられました。
失礼しました。

1906志恩:2013/01/20(日) 08:12:31 ID:.QY5jUA6
さくらさんの言葉


>>「自分の正義」以外を排除する気持ちが根底にあれば、宗教をしていることが、逆に欺瞞におちてしまうな…<<

本来の生長の家の教えと照らし合わせて考えて、もともとの、その教えと、ちがう説を論じている説を、生長の家の場合「虚説」と
言っているのでは、ないでしょうか。

自分にとって、正義か不正義か、そのような自分中心の、利己的な感覚で、本来の生長の家へ復帰する運動を、本流の方々はしているのでは、
ありません。誤解のないようにお願いします。

1907a hope:2013/01/20(日) 08:13:05 ID:TqpbsVIM
みなさま おはようございます!

さくらさま!!

ご参加お待ちしておりました。
聖典「生命の實相」の真理は本当に素晴らしいですね。
そこに書かれている「真理」をしっかり法燈継承していくのが、
わたしたち、生長の家人の使命だとわたしは感じています。

わたしは今回のテキストの範囲や、昨晩復興Gさまが謹写してくださった倫理篇をしっかり心読して、
先輩方の御指導を謙虚な気持ちで受けたいと思っています。
さくらさまの投稿もいつも拝見しています。
そして、とてもお勉強させていただいています。
ありがとうございます。

できれば、今回のテキストの内容に関する、さくらさまのご感想などもいただけるととてもうれしいです。
わたしは今日はこれからでかけますが、夜また戻ります。

さくらさまと一緒に聖典「生命の實相」のお勉強が出来てとてもうれしいです!

どうぞよろしくお願いいたします。

1908志恩:2013/01/20(日) 08:18:43 ID:.QY5jUA6
今、忙しいので、公人問題は後ほど…

1909a hope:2013/01/20(日) 08:22:26 ID:TqpbsVIM

>>1903のさくらさまの書き込みだけ拝見して>>1907を投稿しました。

志恩さまもご参加くださっていたのですね。
ありがとうございます。

これから出かけるので、後でご投稿内容をゆっくり拝見させていただきます。
志恩さまのご参加がないととてもさびしいです。

今回も、ご指導よどうぞろしくお願いいたします。

1910解説者:2013/01/20(日) 08:44:02 ID:???

皆様、この板でははじめまして、ですね。

よろしくお願いいたします。

>「しかし、これは個人の家庭内の問題が解決した体験です。」 これを忘れないで頂きたいと思います。
公人問題は、別問題です。<

生長の家の教えは大乗の教えですから、個人や家庭のみならず、国家をも救済する教えであると私は教わってきました。

公人は別であるということでしたら、国家など公の機関は信仰ではなく、運動でしか救われないということになります。

たしかに雅春先生は共産党と和解せよとはおっしゃらなかった。しかし、共産党を排斥し、攻撃せよともおっしゃらなかったのでは?

いちばん大切なのは、大日本真理国家の、金剛不壊の日本がアルということを生長の家信徒一人一人が日々の祈りの中で認めていくことではないでしょうか?

志恩様の公人についての解説を楽しみにしております。

1911志恩:2013/01/20(日) 09:36:02 ID:.QY5jUA6
ahope様も、復興G様が謹写して下さったところを指摘されてますけれど、
p103 2行目〜

>>…ひとを常に批評的に観て、「あの人はあんな行いをしたから、それは必ずこういう悪い動機からしたのであろう」と、
常に想像をたくましゅうしているような人は、その人自身の心に「悪」があるから、相手に悪があるとわかるのであります。
そうすると、他人の心情の「悪」が目につく人は必ず自身の心情に「悪」がある証拠であるから、決して他人の「悪」を批評したりする資格がないのであります。
だから「他人(ひと)が悪いな」と気がついた時は、「それがわかるのは自分の心のうちに悪があるからだな」と反省すべきであります。…<<

これにつきましては、
現実世界で生きているのですから、自分の中に,悪があり、悪もみる目があること。
                自分の中に、善があり、善をみる目が、あること。
そのように、作られて
この世に生を受けた、生まれでて、修行しているのですから、両方、備わっているのが、当たり前だと思っております。

雅春先生が、おっしゃっておられるのは、なんでもかんでも、批判ばかりしている、そういう人にむかって、
諭されているのだと思います。

人の振り見て,我が振り直せ。という言葉がありますが、批判する心が人間になかったら、世の中のことが、なにも
改善しないでは、ありませんか。

他人が,悪い事をしているな、とおもったら、そう思う自分の心に,悪があるからだ、あいつが悪事を働くのも、己の責任である。

それを、家庭内の問題で考えるならいざしらず、公人がやる悪事のことまで、全て自分が、やったのと同じだなどと、
ばかな考えを持つなら、宗教など、やらない方が、まともな考えかたが出来、まともに解決出来ますから、宗教は、やらない方が、
ましだということになっるでしょう。

宗教のすばらしさは、実相の完全さを観じ、祈り、そこから、神様からのベストな解決法の知恵を頂き、
それを基に、相手の誤った行い を批判し、 これが解決法だと神様から受けた知恵を実践することにより、

宗教をやってない人には、分らない 奇跡的な問題解決を得ることができますから、そこにいい宗教をやっている価値があるのだと、
思います。

(たとえば、、、つづく)

1912志恩:2013/01/20(日) 10:07:21 ID:.QY5jUA6
昨日、新聞(産経)を整理していましたら、1/9の新聞が目につきました。

「再び、拉致を追う」と題して書かれた米国編でした。

>>「娘は、工作船の暗い船底に 閉じ込められ、

『お母さん 助けて、お母さん 助けて』と

壁をかきむしって、絶叫し続け、暗い海を運ばれたといいます』

米議会の高い天井の公聴会室に横田早紀江さんの万感をこめた声が響いた。

2006,4,27 、北朝鮮の国際的拉致に対する公聴会だった。
早紀江さんは、29年前に13歳だった娘のめぐみさんが凍土の共和国へと
連れ去られた模様を脱北した元工作員の供述等を引用して証言するのだった。

満員の会場は、静まりかえり、議員たちは涙をぬぐった。

翌日、ジョージ、W,ブッシュ大統領は、早紀江さんと息子の拓也さんを
ホワイトハウスに招き、そして、会談し、
「大統領になってから最も感動的な会合と評した。

愛する子を拉致された母への同情だけでなく、彼女のオーラに胸を
揺さぶられことを忘れられないという反応だった。略<<

この記事を読み返し、お母様と娘さん,お二人の辛い気持ちを考えますと、
私は、今更ながら、身に沁みて胸がつまりました。

なぜ、この記事をここへ載せたかと申しますと,この北朝鮮の将軍さまが
やったことも、

全て、己の責任と、自分が反省ばかりして、祈ってばかりいて、どうするんですかと
いいたいのです。将軍さまも、身内には、いいようです。

しかし、実相は神の子でも、やることといったら、あこぎ三昧では、ありませんか。

この問題は、未解決ですが、批判しているから、解決に至らないのでしょうか?

そうでは、ないでしょう。みなで,批判しているから,その後の拉致が、思うように
出来なくなっているんじゃないのですか?

悪い事は,悪い事なんです。

この現象世界には、悪い事をする人もおれば、悪人も存在しているのです。

悪い事をする公人は、断じて許しては,ならないのです。

1913志恩:2013/01/20(日) 10:12:42 ID:.QY5jUA6
読者様

ここをご覧になられていましたら、お返事下さい。

ここの掲示板には、和解派のメンバーが多数おられます。

その方達は、和解しか無い,和解しか無いと、念仏されてます。

読者様のお考えでは、雅宣総裁は、本流派の皆様と

和解されるお気持ちが、おありになるとお思いですか?

1914解説者:2013/01/20(日) 10:33:58 ID:???

そもそも生長の家の教えは、神想観や聖経読誦によって罪の子、肉体人間から神の子になるのではない。

もともと神の子であり、それを観じることによって神性が顕れてくる。私はそう教わってきました。

人類光明化運動としての愛国運動もそれと同じで、悪いものを善くするものではないと思います。

「谷口雅春に訊け」ブログ内の記事に榎本恵吾先生のお言葉があります。

清め上げなければならない日本はなく、愛国運動によって完全にしなければならない日本も無く、實相日本の完全さを見て未だ顕現していないことを嘆かなければならない日本もなく、今既に始めから高天原なる完全なる日本の實相だけがあると諭されていたのである。それを知ることによってのみ日本は神国たり得るのであり、吾等も又真の愛国者たることが出来るのである。悟ることである。新たに生まれることである。自分が無くなることである。

1915トキ:2013/01/20(日) 10:50:42 ID:UVsStHb2
>>1903

 ご丁寧なご投稿、ありがとうございました。

 ただ、私はまだまだ新米で、復興G様のような大先達と比べると、勉強中ですよ。
私も、雑巾がけのつもりで、参加しております。(笑)

 本当に、ご指導をするほうではなくて、復興G様からいただくほうです。

1916しー:2013/01/20(日) 10:56:51 ID:.QY5jUA6
解説者さま

>>そもそも生長の家の教えは、神想観や聖経読誦によって罪の子、肉体人間から神の子になるのではない。
もともと神の子であり、それを観じることによって神性が顕れてくる。私はそう教わってきました。
人類光明化運動としての愛国運動もそれと同じで、悪いものを善くするものではないと思います。<<

ただただ 祈ってるだけでいいってことですか?
そうすれば、もともとの善なる実相が現われてくる、

なにもせずに、自分の責任だと、おのれを反省し、ただただ祈っていることが、
本来の教えを実行する方法だと、おっしゃりたいのですか?

1917志恩:2013/01/20(日) 10:57:30 ID:.QY5jUA6
しーは、志恩。

1918志恩:2013/01/20(日) 11:01:22 ID:.QY5jUA6
トキ様

復興G様とトキ様は、
幹部でいらして、私は末端信者ですから、私は教えていただくほうですが、
でも、納得いかないところは、納得いかないので、生意気な言い方になり、
申し訳ありませんけれど、発言させて頂いております。

1919志恩:2013/01/20(日) 11:07:56 ID:.QY5jUA6
復興G様、トキ様、SAKURA様、さくら様、解説者様、
これで、
訊け君が参加されたら、(神の孫様は、中間派?)

WEB誌友会は、雅宣総裁擁護派の集会になってしまいます。

まるで、雅宣総裁を、批判するな,批判するな、
そういう感じにお見受けします。

1920志恩:2013/01/20(日) 11:10:32 ID:.QY5jUA6
ゆたか様が、WEB誌友会への参加を見送られておられる理由が、わかる気が致します。

1921トキ:2013/01/20(日) 11:17:12 ID:UVsStHb2
>>1919

 いえいえ、そんな場所ではないので、ご安心下さい。

1922志恩:2013/01/20(日) 11:26:42 ID:.QY5jUA6
トキ様

定年を75歳にされたのは、私が内部の幹部でしたら、雅宣総裁のほっぺにチューしたいくらい
うれしいことだと思います。

ここで、もう一息、
雅宣総裁が、『負けるが勝ち』と,心の内を内部改革され、新しい決断をされ、

負けたく無かったとおっしゃる雅春先生、貴康先生に
負けるお気持ちになれば、つまり、偽物の自我をお捨てになれば、

本流をも合わせ飲む、器に変身出来るのでは、と、
期待されてるのでしょうね、トキ様は。

1923志恩:2013/01/20(日) 11:30:13 ID:.QY5jUA6
復興G様は

親分様ですもの。和解派の。

1924トキ:2013/01/20(日) 11:36:26 ID:UVsStHb2
>>1922

 大丈夫ですよ。大事なのは、この掲示板をご覧の人達に訴える事です。つまり、
援護派もいて、和解派もいて、批判派もいて、それぞれに意見を出し合い、それを
パソコンの前で見ている人達が判断する事です。仮に、ここで志恩様が少数派だと
しても、画面で志恩様の意見を見て、「なるほど、志恩さんの言う事が正しい。トキ
はなにもわかっていない。」という人が多ければ、志恩様が投稿した意味があるの
ですから、頑張って、ご自身の意見を開陳して下さい。

1925志恩:2013/01/20(日) 11:41:47 ID:.QY5jUA6
トキ様

お返事、ありがとうございます。
私も、これから昼になりますし、昼間は雑用が多いので、なかなか書き込めませんで、
すみません。

1926トキ:2013/01/20(日) 11:48:57 ID:UVsStHb2
 復興G様がすばらしい文章を書かれていますから、感じた事や思った事をどんどんご投稿お願いします。

1927トキ:2013/01/20(日) 11:51:40 ID:UVsStHb2
 少し用事で離れますので、もし、この板が満杯になったら、「web 誌友会 板/2」へ続きを
書いて下さい。よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1928志恩:2013/01/20(日) 13:31:28 ID:.QY5jUA6
光明掲示板より転載

「虚説とは」何かが、掲載されてました。


”虚説”とは何かに一言! (2404)

日時:2012年10月11日 (木) 08時38分
名前:「靖国見真会」参加者


「トキ」掲示板でえらく“虚説”が話題になっていますね。

“虚説”とは、谷口雅春先生の「教え」と違うことを言います、それだけのことです!

谷口雅宣先生が、谷口雅春先生の「教え」と違うことを説いているから、それを“虚説”と言っているだけのことです…。

だから、谷口雅宣先生の「教え」とは「和解」できないと言っているのですけど…。

何か、それにご不満でも…?
まだ、言ってほしいですか…?

谷口雅宣先生は、なんで谷口雅春先生の本を絶版にするんですか…?
谷口雅春先生の新刊書をなんで出版停止にするんですか…?

自分の説いていること、或いは説こうとすることが、谷口雅春先生の「教え」と齟齬をきたすということが明々白々だったからでしょう…?

谷口雅宣先生に、その自己認識があったからでしょう…?

谷口雅春先生の本を読んでいると、谷口雅宣先生の言っていることが違う、おかしいということが信徒にわかってしまう、それを恐れたからでしょう…?
私共は、谷口雅春先生の「教え」を基準に照らして、谷口雅宣先生の説いていることを“虚説”だと言っているのです。

「左翼」だったら、おそらく「大東亜戦争は侵略戦争だ」と言う谷口雅宣先生のどこが“虚説”かと言うでしょうね…?

つまり、何を基準にするかで、“虚説”であるかどうかは別れるということですよ。

私共は、谷口雅春先生の教えを信奉しているのです。

その「教え」に照らして“虚説”かどうかを判断しているのです。

ですから、谷口雅春先生の「教え」を基準にして考えようとしない人に、何を言っても無駄だと思うようになりました。
こちらの言い分に耳を貸す気持ちがさらさらないのですから!

だから、私は、一貫して、今の教団はおかしいと感じている人にこそ、言葉掛けをしていこうと思っています。
今度の新しい「経本」で、これは“虚説”だという人がどんどん増えていることを実感しております。

これを“虚説”だと受け止め得ない人には、結局、何を言っても無駄のような気がしております。

こういう人は、完全なる“谷口雅宣教原理主義者”なのですから!
ですから、そういう人との論議は、私に言わせれば、これほど“不毛な議論”はないということになるのです。

1929解説者:2013/01/20(日) 13:38:35 ID:???

>>1916
>ただただ 祈ってるだけでいいってことですか?
そうすれば、もともとの善なる実相が現われてくる、
なにもせずに、自分の責任だと、おのれを反省し、ただただ祈っていることが、
本来の教えを実行する方法だと、おっしゃりたいのですか?<

人の、国家の実相を観て、祈ることが「なにもしない」ことだとは思っていません。

私自身、危機感を抱きながら活動していた時期もありました。しかし、そこに魂の喜びはあったのかと自問自答したとき「否」との結論に到りました。やはり、信仰も運動も神の生命を生きる喜びが出発点だと思うのです。

危機感を煽るというスタイルは現教団も地球温暖化やCO2の話をよくしていますよね。それよりも先ず実相世界のすばらしさを説かないと、地球温暖化に対しての運動になってしまいます。前述の榎本恵吾先生がおっしゃっているように、生長の家の運動は決してそうではありません。

以下に初代「生長の家本流復活掲示板」宣言を転載します。

『本流復活生長の家掲示板宣言』

一、 我らは生長の家に巣食う癌細胞、谷口雅宣を生長の家から駆逐することを目的とする。
二、 我らは志を同じくする生長の家各県教化部長、本部理事、本部講師、生長の家職員、一般信徒、ならびに外部団体、生長の家の本流復帰を望むグループと共同行動を起こし谷口雅宣を生長の家から駆逐する。
三、 本掲示板は上記の目的を遂行するために設立されたものであり、多少の意見の違いはあっても、この目的のために皆が心を一つにするものである。
四、 我らは生長の家大神、谷口雅春大聖師の御心を受け継ぐものである。
五、 谷口雅宣は正統な法灯継承者ではなく、生長の家大神、谷口雅春大聖師の御心を抹殺するものであり、これゆえに生長の家の大神の下、我らは起ちあがるのである。
六、 生長の家の御教えを永続的に存続させるためには、谷口雅宣を生長の家から追放することが第一であり、谷口雅春大聖師の御教えを心から大切にし末代にわたり次世に語り継ぐ事が重要である。
七、 谷口雅宣を生長の家から駆逐するには、まず、皆が声を上げる事が重要であり、その声を上げる場としてこの掲示板は設立され、その具体的行動を示すためにこの掲示板は意義をなすのである。
八、 谷口雅春大聖師の御教えは崇高なものであり、それを低卑な雅宣教に変質せしめたところに谷口雅宣の大罪があり、谷口雅宣を生長の家から駆逐することこそが、生長家大神、谷口雅春大聖師の御心にかなうことであり、そこに我らの使命、大義があるのである。
九、 我らは慎重かつ大胆にこの目的に邁進し、一糸乱れぬ行動を以て立ち向かうのである。
十、 我らの行動は生長の家大神の御意志と共にあり、必ず成就するのである。

・・・・・・・・・。

どうしても私は上記「宣言」に魂の喜びを見出せません。

日本が、教団がどうあっても、その奥にある実相を観る自分でありたいと思っています。

1930goro:2013/01/20(日) 14:25:21 ID:nCo1DokU

Web歯友会は直接参加したことはありません。
途中参加でまことに申し訳ありませんが
一言申し上げたき事がありますのでお許し下さい。

昔、ブラックソン師が飛田給道場において講演されかことがありました。
通訳は、渋谷晴夫先生でした。

ブッラクソン師は、英語で何やら叫んで、イキナリ走って壇上の右端から飛び降り、
左端へ勢い良く走り、また、壇上に飛び乗って演壇まで走り、何やら叫びました。
聴衆者はその光景を見て、何を叫びなぜ走り回ったのか、わけが分からず、
通訳の渋谷先生がどうされるのか、固唾を飲んで見守っていましたら、
身振り手振りまで、ブラックソン師と同じようにして、壇上の右端から飛び降り
左端から飛び乗って演壇まで戻り叫ばれました。

 私(ブラックソン師)は谷口雅春先生が飛んでいる飛行機から
 飛び降りなさいといわれたら何も考えず無条件に飛び降ります。
 信じるという事はそういうことです。

というような事を、熱く激しく語られました。会場はは割れんばかりの拍手の嵐でした。

ここで、様々なお考えを展開されておられる方々は、「私・個人」としての
お考えを述べておられると思いますが、皆様方も「発展途上人」であることを
自覚しておられます。それでも「真理」「実相」について堂々と述べておられます。
「業の流転」とは関係なくです。

現総裁と教団幹部は、雅春尊師の御教えを受け継いで、悟っていてもいなくても、
また、どのような「業の流転」の中にあっても、「公人」として人類の前に立ち、
真理を説き続けることが最低限の責任であるはずです。

1931goro:2013/01/20(日) 14:28:13 ID:nCo1DokU
WEB誌友会に訂正です。すみません^^;

1932志恩:2013/01/20(日) 15:09:12 ID:.QY5jUA6
解説者様

初代「生長の家本流復活掲示板」宣言は、言い方が、過激ですね。

>>『本流復活生長の家掲示板宣言』

一、 我らは生長の家に巣食う癌細胞、谷口雅宣を生長の家から駆逐することを目的とする。…<<

それに引き換え、
今の本流掲示板である光明掲示板は、言い方がソフトになっていますね。


>>「生長の家光明掲示板」の目的 (1)

日時:2012年08月01日 (水) 13時25分
名前:管理人

私たちは、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経の著作権者と行動を共にして、
その著作権者および「行動を共にする」人々のみが「生長の家」を名のる世界を目指します。<<


初代の、雅宣総裁を、駆逐するという言い方は、きついと思いますが、
それだけのつよい覚悟を表現されておられたのでしょう。

辞めて頂くことが出来ない規約に、雅宣総裁が、書き換えてしまい、改悪したそうですから、
このまま、これからも総裁の座は、彼だということになりますでしょう。

解説者がいわれる
>>人の、国家の実相を観て、祈ることが「なにもしない」ことだとは思っていません。

私自身、危機感を抱きながら活動していた時期もありました。しかし、そこに魂の喜びはあったのかと自問自答したとき「否」との結論に到りました。
やはり、信仰も運動も神の生命を生きる喜びが出発点だと思うのです。<<

という生き方が、復興G様、トキ様、解説者様、さくら様、SAKURA様、訊け様、ahope様
、、いわゆる和解派の皆様の、統一した考え方であり、今後もそういうお気持ちで、生きていかれる方針は、
変わらないと,思います。

同じ生命の實相を拝読しましても、あちらと、こちらでは、捉え方が異なります。

それぞれが、正しいと思う生き方をするのが、お互いに幸せに生きる道だと思っております。

1933志恩:2013/01/20(日) 15:21:32 ID:.QY5jUA6
goro様

へぇ〜、goro様は、

昔、ブラックソン師が飛田給道場において講演されかことがあったとき、
(通訳は、渋谷晴雄先生)
goro様は、現場にいらしたのですか。

それはそれは、貴重な現場に!!

>>ブッラクソン師は、英語で何やら叫んで、イキナリ走って壇上の右端から飛び降り、
左端へ勢い良く走り、また、壇上に飛び乗って演壇まで走り、何やら叫びました。
聴衆者はその光景を見て、何を叫びなぜ走り回ったのか、わけが分からず、

通訳の渋谷先生がどうされるのか、固唾を飲んで見守っていましたら、
身振り手振りまで、ブラックソン師と同じようにして、壇上の右端から飛び降り
左端から飛び乗って演壇まで戻り叫ばれました。<<


渋谷晴雄先生著「光の国から」の、52頁に「ブラックソンさんの通訳になる」というテーマで
渋谷先生が、大変魅力的にそのときのことをお書きになられていますよ。

昭和50年(1975年)のこととあります。
私は、もうとっくに本部を辞めていたときです。

渋谷先生が、
「ブラックソンさんにはじめてあったのは、飛田給道場の貴賓室においてである。
夕方4時頃、いるはずの彼がいない。しかし、白い歯で,彼の居る事がわかった。」…と。

1934SAKURA:2013/01/20(日) 16:02:03 ID:4tf.tE3w
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1888>>1889 SAKURA投稿の続きです…

■【 虚説 =  悪 = 現象 】…この様に、入っていきます〜〜〜ョネ!
前回【>>1888 】に、記載投稿しましたのは、やはり〜〜〜
“人間”である以上は、この問題は、その人なりに取り組んでいく【課題…】でしょうかと思えます。
…が??
今回、更に【復興G様から…「生命の実相…13〜14巻」】を、紹介して頂きました。
本当に、お忙しい中…ありがとうございます。ところで…どうしても私自身は、要約…
最初からの「生命の実相」を、今回勉強させて頂くに当たり…やはり「2巻…」からの、
順次にての“勉強”をさせて頂きたく事を、進めていきたく思うのです。…が?

■さて!私の場合は、私自身の“問題からの出発…”での体験にて、【真理…をつかむ事】に、
なった様な感じが致します。当然のことながら〜〜〜只今でも【真理への勉強・修行中…】です。

■■【釈迦…】も【キリスト…】も、確かに【悪魔のお話】はあります。…が?
此処で【キリスト…】の場合には「サタン!去れ〜〜〜!」とおっしゃつています様に、これは、
今思いますと【彼らが、悪魔と見えますのは、やはり!環境の違いなのでは〜〜〜】と、断言でき
ます次第です。…が?〜〜〜今!今!まだ引き続き「生命の実相2巻」を読んでから、最終的な
私なりの【解釈論…】を此処にて、投稿させて頂きます。
但し【解釈論…】は人それぞれですので…【類の法則…】にてのモノとなりますかと。

■只今…「生命の実相…2巻」を拝読していっている最中です・…。

                            再合掌

1935SAKURA:2013/01/20(日) 16:11:16 ID:4tf.tE3w
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1888>>1889>>1934 SAKURA投稿の続きです…

■ 今日は、お昼にての「討論??」…閲覧させて頂きましての【一言…】
■■ >>1904 の投稿に関しましての感想……  その①
拝読しまして、マタマタ…【ダブリング文章】その様な感じにも見受けられる文章体でしょうか?

昨日、確かに■【聖 典 板】で“投稿…”しました。…が?? [下記URL…]
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/1956
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/1957

【 志恩様の体験談 】を、今回!閲覧させて頂きました。…が?
それは「志恩様のお父様」は、【酒乱の方??】だそうですかと。酒を飲みますと【暴 力】かと?
更に!!【暴力…】が振るわれて、更に【耳の鼓膜…】が破れたそうです〜〜〜ネ!
しかしながら【耳の鼓膜…】は戻ったそうです〜〜〜ネ!本当に、良かったと…思います。

不自由さは、尚の事、人一倍理解できますモノ…! 尚〜〜〜

                     つづく

1936SAKURA:2013/01/20(日) 16:13:31 ID:4tf.tE3w
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1888>>1889>>1934>>1935>> SAKURA投稿の続きです…

■■ >>1904 の投稿に関しましての感想……  その②

>>1935 その①投稿の続きです
■■【 耳 の 鼓 膜】は、おおかた再生可能…これが一般の見解ですが。
此処昨今では…【人 工 鼓 膜】もありますから??

■さて、私の場合は、一言申し上げます…。私の「亡き父」に関しましても……
この【聴力喪失…】の原因は【M・河○…がタタキ男】です。この【タタキ男…】から頭部の上を、
“アイロンのタタキ棒…(長さ25〜28CM…幅7〜8CM…厚さ2.5CM…の板)で、瞬時にして、
頭部の上層部を一撃されたのです。…が?当に、これが後に、後遺症としての【聴力喪失…の原因】
になり…現在に至るわけです。しかも【鼓膜…】では無く…【神経…】…なのです。
それに【第三者…他 人】です。…が?
当時の事を、此処にての“投稿…”閲覧しまして、思い出してしまいましたが、当に【叩かれた…】
この時は、後遺症として【聴力喪失…】になるとは、つゆとも思いもしませんでしたし、その
【叩かれた…】のち、半年ほどして【遺症…】として、出てきまして、近くの個人病院にすぐさま
診察を受けましたえが、その病院の判断では、【原因不明…】との判断にいたり…後は、大手病院を
転々としましたが??やはり〜〜〜><(尚!その個人病院の“カルテ”ですが、1年後に、問い
合わせても紛失…云々…)なのです。 変! 変!
ところが、その後!何十年後に“パ―トナ―の両親(功労賞受賞式)”が、東京に上京する事になり、
そこのホテルでの会食の後…“ロビ−”で倒れたのです。その時?居合わせて下さいました香川県の
方が「応急処置」・「救急者の手配」にて…それで搬送先の“大手病院…”にて【脳検査…】となり、
こともあろうに、これにて【聴力喪失…原因】が、【頭部上層…傷跡が脳にある】判明したのです。

当に【神経…】これを、治すことは可能だそうですが…【アメリカ…神経学】との事で、当然
医療費がかなりかかりますとのこと??願わくば“夢…”描きまして【治る!治る!…】かと。

■■さて!「亡き父」に関しまして……
皆様も、子供の頃ですが「両親に叱られる」この経験は、あられますでしょう…。
今は?皆様の家庭では、どうかは定かではありません。…が?
私の「亡き父」の場合…【お酒を飲んで…叱る?】これは、全くないのです〜〜〜ョネ!
実は「亡き父」は、【コップ1杯…】だけでも飲みますと、すぐさま横になり寝てしますうのです。
つまり【酒に弱い…タイプ】です。
この【叱る…】に関してですが、「亡き母」の性格が、母の実家の家庭環境が当時女中さんも、いま
したので“ノホ〜〜〜ン!んホ〜〜〜ン!”な性格で、「亡き父」と言えば?今で言いますと……
【転職組…最初は旅館経営】でしたので、当時の職業柄“事こまやか?”そして“気がきく?”と
いう性格で、全くその環境が違い…全てが“180度違う環境下?”と申しますか、【小言…】が多く、
そのはけ口が…一番要領が悪い〜〜〜私に対しての“ヤツアタリ…”となりましたのです。…が?
この事は、後に「亡き父」も、当時の心境を母に言っており「私に悪かった〜〜!」といっていた
事を、「亡き母」から聞いております…。
今となっては、父の精神状態から、多々なる条件も加わり【感情のコントロ−ル…】が、上手く出来
ていなかったものと…私自身も理解が出来まして、今日では「仏壇で…父との対話」をしております。

■さて上記の件を…【WEB誌友会の今回の主旨】からそれていますモノと…思いましたが、
しかしながら、私自身■【>>1904閲覧させて頂いての事】なのです。どうしても【誤解されては?】
との一存にて、此処にての“投稿…”させて頂きました次第なのです。….が?
閲覧者の皆様…何卒、御了承下さいますよう願い申し上げます。

                                再合掌

1937志恩:2013/01/20(日) 17:36:20 ID:.QY5jUA6
SAKURA様

耳のことで、本当はおっしゃりたくなかったことでしょうけれど、
詳しく教えて下さって、すみませんでしたね。

貴女の損傷した部分は、鼓膜でなく、頭部の神経のほうを損傷した後遺症によるものだったのですね。

そして、貴女の場合は、お父様からでなく、他人のタタキ男からの暴力によるものでしたか。

>>現代医学では、【神経…】これを、治すことは可能だそうですが…【アメリカ…神経学】との事で、当然
医療費がかなりかかりますとのこと??願わくば“夢…”描きまして【治る!治る!…】かと。<<

そうですか、
そういう神経再生手術を受けるには、健康保険ではなく、個人負担になるのでしょうから、どのくらいの費用が
かかるかは、知りませんけれど、治るといいですね。

貴女が、ゾンビだとかいろいろと、いわれるのも、この件は、無理ない事だと、私は思いました。

私の場合は、軽くて済みましたけれど、
「りーんりーん」という電話の音が聞こえていないということで、私は家族に不思議がられて、耳鼻科へ行き,診てもらって
高音が聞こえなくなっていることを知り、それだけでも、不安に感じておりましたから、

もっともっと、不便な状況が永く続いておられるSAKURAさんは、よくがんばっていらっしゃると思います。

娘が北朝鮮に拉致された早紀江さんに、将軍様を恨むな,感謝せよ、将軍様が悪いとおもうのは、貴女のこころに悪のこころが
あるからだ、と言ったら、すごいいやみになりません?

人間、許せない人がいたら、ゆるせなくていい自由もあって好いんじゃないかなと,私の場合は思います。

それを機動力にして、自分なりに学んで行けば、いいんじゃないかと私は、思います。

1938志恩:2013/01/20(日) 17:54:17 ID:.QY5jUA6
1932:の文中の一部、解説者様の様の敬称が抜けていました。
解説者様、ごめんなさい。

1939SAKURA:2013/01/20(日) 20:10:09 ID:e4ggbbF6
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1888>>1889>>1934>>1935>>1936 >> SAKURA投稿の続きです…   その①

■「a hope様」…投稿 に関しての感想??   
❤〜(遅くなりましたが…私に声をかけて頂きまして、ありがとうございます…。【感謝…】

■>【「悪」と「虚説」の関係を本当に理解するのはとても難しいことのようですね
ですが、これは「生長の家の教え」を正しく法燈継承するには、避けては通れない重要な
問題だとわたしは感じています】<   (一部抜粋文)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■■【「悪」と「虚説」の関係を本当に理解するのはとても難しいことのようですね】
そうです〜〜〜ョネ!!
以前の私は、正直申しますと【五感…(一般的な総称)】つまり
【目・耳・舌・鼻・皮膚を通して生じる五つの感覚!】人間の感覚の総称での捉え方……
そうしますと…そこには【感情…】が入ってきますので、その時点での【念=想念】が生まれ、
例えばですが???相手が“嫌だ〜〜〜!”という感情は、【以心伝心…】と申しますか?
実に!!その通りになりますから〜〜〜この頃は、振り返りますと、変に【納得…】かと。
今では、あの当時の「悩み・迷い…」は何であったのでしょうかと?自問自答の時も多々です。

■【五 感 で 見 る 事 !!】は“現象…”で見ているのです〜〜〜ョネ!!
(ここで、「雅春先生」は…【五官…】という漢字での表現かと。)

此処で、少し理解しましたのが、難しいのではなく、その人の【こころの目で見る】此処からが、
始まりではないでしょうか??現在の複雑化します【人間関係…】に於きましては、お互いに
“嫌な〜〜〜ァ感情?”を抱くの場合、その時こそが
【神 想 観 で 相 手 の 実 相 を 見 て 行 く】このように訓練する事なのですネ!
確かに…これは【修行…】かと。【普賢菩薩=人間】なのです〜〜〜ョネ!

■■【普 賢 菩 薩 は 金 剛 心 と し て 人 間 の 心 の 修 行 す る 事…】

この様に今の私は、解釈しています。後程にて、詳しく私なりに“解釈”する事になりますかと。
さて、これに関しましては、私が【東京第一教区のY本教化部長先生…】に、以前
相談した事があります。それは、個人的な問題であります【吸血鬼・ゾンビ…の問題】でした。

先生は話の内容を聞かれまして〜〜〜【無い!無い!と、存在していないと思え!】との
【一言…】なのです。しかも、かなり強い語調で〜♫〜
 私は、それに対しまして【現在、見えるモノは、ある!!なのに何故!どうして!無いのでしょう
かと〜〜〜】聞き返しましても、更に!!先生は……笑いながら
【心で無い!と…みる訓練をする事ダョ〜〜〜】とこの様におっしゃいました。“ポカ〜〜〜ン?”

今にして思いますと「Y本教化部長先生…」少しづつですが?理解ができまして、そう思うのです。
本当に【五官の目…現象で認める事とは〜〜〜次々“難問”が厄介なくらいに、
繰り返し〜〜繰り返し〜〜自分自身に差し迫ってきますモノ!!】 大変で〜〜〜す。(微笑)

当に、彼らは【五官の眼…現象で見た事だけを、認める“視角境界…”でしょうかと。】
そして、こちらは、このような考えの方に巻き込まれますと〜〜その【根本の捉え方の相違!】にて
【もう〜〜〜ない!】という“訓練が必要”になり、そこで初めて【悪を認めない事】になるのでは?逆に…自分の“心にまだひっかる心…”がありますと、それは、まだ【悪を認めた事】になるのです
〜〜〜ョネ!!

                          つづく

1940SAKURA:2013/01/20(日) 20:12:27 ID:e4ggbbF6
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1888>>1889>>1934>>1935>>1936>>1939 SAKURA投稿の続きです…      その②

■■【 虚 説 に 和 解 し て は な ら ぬ】は〜〜〜、
認めない【心の法則…】そのモノになるのではと思います。更に【類の法則…】で、仲間を増やす
事が、一番の【魂 の 訓 練 に も な る の で は ?】と思いますし、
これが…【仲間同士〜〜〜天国の門〜〜〜地獄の門】どちらかではと】この様に思います。

皆様もそうですが“病気…”をしたとしますと?【認めない心の訓練】で〜〜〜当然ですが、
皆様は【神想観で「病気は無い」と…「本来…無い!」】この様に自己顕現でしょうかと。!!
それと同じく【心の訓練…】は、【心の尺度の展開】であり、私は【祈り…】で、解決する問題と
つまり【神想観…】での切り開ける問題と思う次第です。

そして、                     
■>>「生長の家の教え」を正しく法燈継承するには、避けては通れない重要な問題だと
わたしは感じています】<<  (一部抜粋にて)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

私自身は【正しく法燈継承する】これに関しての解釈は、どのようにかと。

これは「生長の家の教え…人類救済運動」ですから…あくまでも【人 を 救 済 】が先決と…
【現総裁雅宣先生】に関しての“人格の中傷”をする事が、優先の様に思えますところですが?
あくまでも、擁護派の私は「総裁先生に中心帰一での生長の家を運動」が寛容かと。この様に
思う次第です。また「分派の皆様方々」は、各会の「代表者様に中心帰一での運動」かと……

最終的には【雅春先生…人 類 を 救 済 】しますのが【魂の向上=生長の家】かと、
この様に、個人として思う次第です。…が???
全ては…【 こ こ ろ で の 捉 え 方 の 相 違】かと、改めて思うのです。

PS:この事は、あくまでも私の捉え方ですので…
                            つづく

1941トキ:2013/01/20(日) 21:06:22 ID:DmbuLu3U
 今度のNHKの大河ドラマは「八重の櫻」です。こちらには、たくさん「櫻」様がおられるので、
親近感がわきます。

 この八重さんは、戊辰戦争では、西洋銃を持ち出し、長州藩や薩摩藩の人達をバンバン撃ちます。
当然、画面でも、会津藩の人達が、官軍に銃や大砲で攻撃をします。
どなたかがご覧になられたら、激怒するような光景です。しかし、実際には、テレビの画面だけの
話ですから、裏では、撮影が終わると、仲良く談笑しているのです。

 今、援護派だ、批判派だ、和解派だと議論をしていますが、実際には、これと同じ事かと思います。
みんなで議論をし、話し合う事で、また復興G様のご解説を拝見しているうちに、真理がより近くなる
のではないかと思います。

1942復興G:2013/01/20(日) 21:10:39 ID:AB6RqYXc

トキ様
皆々様

合掌 ありがとうございます。
只今帰ってまいりました。

このweb誌友会板を拝見いたしますと、たくさんの皆さまから活発な書き込みをいただいていて、うれしく感謝申し上げます。

ところで、私は今日一日、午前・午後ともリアルの世界で責任の一端を担う行事で奮闘してまいりまして、少々グロッキーであります。眠気をもよおして、頭がよく回転しません。

まことに申し訳ございませんが、この誌友会のまとめを私がすべきならば、まとめは明日にさせていただくわけにはまいりませんでしょうか。つまり、会期を一日延長ということに……

あるいは、ともかく今夜で締めることにして、トキ様がまとめをしてくださいますか。

トキ様、決定を一任しますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

勝手をもうしまして、申し訳ありませんが、今日はやすませていただきたく、お許しください。
合掌礼拝。

1943トキ:2013/01/20(日) 21:27:55 ID:DmbuLu3U
>>1942

 ご多忙の中、本当にありがとうございます。実は、私もリアルの世界でバタバタしておりました。

 おそらく、まだまだ書きたい事がある人が多いと思います。会期を1日延長に大賛成です。

 ご多忙の中、ご指導を賜ります復興G様、本当にありがとうございます。
ゆっくりとお休み下さい。

 また皆様、あと1日、御付き合いをお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1944SAKURA:2013/01/20(日) 22:12:13 ID:IxTatX/w
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1888>>1889>>1934>>1935>>1936>>1939>>1940>> SAKURA投稿の続きです… .
 
■■【復興G 様】…今日一日、お忙しいスケジュ−ルにて…「おかえりなさいませ〜♫〜」
ここで、スロ−テンポの【SAKURA…勉強会(2巻)】を拝読しましての、投稿をさせて頂きます

===【生命の実相…抜粋】=================================
■【五感的存在の否定】    その①
>>皆さん御承知のアイシュタイン博士でありますが、この科学界の大天才が「相対性原理」
という法則を発見した。この学説はなかなかむずかしいもので世界中で数人の天才しか本当
に理解しえないであろうと、アイシュタイン博士自身が言っているほどの学説・・・・
・・その学説の中心となるのは、われわれの五官で知ることの出来るものは、われわれの
知覚力との関係上、相対的にそう見えるにすぎないので、存在の本当の相(すがた)がわか
るのではないかということであります。
>>その一、二の例をここに解りやすく…云々…
>>たとえばある薬を服ませれば、その人には手に持った時計が床の上まで落ちるのに二十四
時間もかかって落ちるように感じられる。それかといってそう感じる人の方がまちがっている
という証拠がはない。
>>ふつうの人がはいろいろの食物や栄養をとって、それが吸収されて知覚機関に循環してい
る結果、手に持った床の上に落ちるまで瞬時しかかからないように感じられるのであります
>>・・・すべてこれは関係上の問題すなわち相対的の問題であって、本当にその時間がどれ
ほど長くかかっているものであるかは、五官では解らないのであります。(一部抜粋)
==============================================

■人によって【時間の観念…】は、本当に違うのです〜〜〜ョネ!
例えば、この時期ですと、ついつい“学生時代”を思い出します。受験の時間は、その内容に、
ある時は「難問の難しい問題〜〜><」が、出ますと、それを理解するまでは、時は、一瞬止まっ
たような感じでしょうか??そして、解答を出すのに“イライラ…焦り”かと。逆に、その問題
が、簡単に解決しますと、その時間は“時間もクリアする…”従いまして、残りの時間も“タップリ”
別の表現ですが、例えば、仕事として“販売の時…”は、売れています際、お客様との回転率が、
多く、本当に“時間の経過”も、“ア〜〜〜ッ!”という間に過ぎていきます。…が?逆に、
お客様との接客が少ない…つまり回転率が殆ど無い場合には、実に悲惨な状況ですかと。(微笑)
実に、ものすごく一日が?時間が?長〜〜〜く!感じられます。このような心理が、全ては……
【人間の心…】から、きているのではと思うのです。
狭量の“考え方”は、またそれも、ある面では【時間経過が無駄!】に過ぎていくのでは?
【時間は常に、刻々と平等に過ぎ去るモノ】では?しかしながら、【心の捉え方…】で、
一日に於けます「時間観念…」が変わり、過ぎ去り、終わっていくのです〜〜〜ョネ!!

                         つづく

1945SAKURA:2013/01/20(日) 22:13:56 ID:IxTatX/w
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1888>>1889>>1934>>1935>>1936>>1939>>1940>>1944  SAKURA投稿の続きです… 

■また「雅春先生…」が、別の観点からお話をされています…。

===【生命の実相抜粋】】=================================
■【五感的存在の否定】   その②
>>われわれの眼にカーブが曲って見えたり、直線がまっすぐに見えたりするのも、われ
われの眼球がまん円い結果であって、眼球をまん円く」ないもの取りかえるとすると、カ
ーブの方がまっすぐに見えたり、直線の方が曲って見えたりするのであります。するとわ
れわれが曲線だ、といっているのも、その線そのものがまっすぐなのであるか、曲って
いるためであるかは五官では判別できない、ただそれはわれわれの眼の球との関係上、そ
う見えるにすぎないのであります。時間的長さも空間的形態も、このようにわれわれの知
覚機関との関係上、相対的にただそう感じられるだけで存在(もの)の実相(ほんとのすがた)
はわれわれの五官ではしることができないのであります。  (一部抜粋)
==============================================

■ですので【現象での物事】は、それぞれの見た事だけを、認めない見方です〜〜〜ョネ!
人によって、その人の“心の捉え方”で、【人生が短くも!長くも!ある事となり、現象での五官
とは、五感で見る事になりますよ〜〜〜ネ!!
そうして考えますと、やはり【時間の使い方…】は“楽しい心”を伸ばすことは、
【心=実相世界に入る事】でしょうか??やはり無理して“環境”の合わない人とは、避けていき、
どうしても避けられな状況の場合は【心の眼で実相…】を見て【祈る…】だけでいいと思います。
何故なら、今の私は、彼らの「世界観が理解できないし、そして、それは私に取り、理解出来無い
世界ですから」と思います。■【 時 間 の 観 念 は 心 で 決 ま る 】のでしょう。

===【生命の実相】====================================
>>先生は、さらに五官を通じて存在(もの)を見る心は{迷わしの心}であって、存在(もの)
の実相(すがた)を観る心ではないことが分かるのであります。
≫≫五官の感覚で見たりしたところのものを存在(もの)の実相(ほんとのすがた)だと
思ってはならない。   (一部抜粋)
===========================================
■■この様に「雅春先生…」は、私どもに指導しておられますので
【心の眼で見る事は、やはり“神想観”でしょうかと??神に“心…”を振り向ける事!!】が、
これが、一番の“かなめ”かと改めて思う次第です。…が?
                               つづく

1946志恩:2013/01/20(日) 23:39:20 ID:.QY5jUA6
結局

雅宣総裁が、なにをされようと、かにをされようと、現実は無いのである。
虚説mないのである。
実相は完全であるのだから、どのようなあこぎなことを雅宣総裁が、されようが、悪をみるのは、悪があなたのこころにあるからだ。

ただ、実相をみて、よろんでおりなさい。
そうしたら、完全なる実相が現れる。

雅宣総裁に中心帰一しなさい。

と、和解派の皆様は、くちを揃えておっしゃりたいのでしょう。

洗脳とは、おそろしいものです。

1947志恩:2013/01/21(月) 00:02:39 ID:.QY5jUA6
生長の家教団は、

「自然との共生運動」「エコ活動」「鶏肉は食べるけれど、ノーミート運動」
「脱原発」「民主党支持」…を中心に運動をする市民運動団体のような組織になりました。

1948志恩:2013/01/21(月) 01:12:06 ID:.QY5jUA6
いい忘れましたが
私の実家の父は、会社も経営していましたが、その他、服飾デザイナーでもあり、
当時、日本人で2人しか得ていないフランスの服飾デザイナーの称号を、フランスから得ていた優秀で、
才能豊かな人でもありました。

お酒を飲んでも、外では、人格は変わらず、温厚な人で通っていて、うちの中だけ、人格が変わっていたので、
なにか霊的な関係があったのではないかと思っています。

母と私が、生長の家に入信し、毎朝,「甘露の法雨」を読誦するようになってから、病気がうそのように
消えてしまいましたから。父のおかげで、真剣に行じられたのだと思います。

1949復興G:2013/01/21(月) 07:26:18 ID:AB6RqYXc

皆さま、おはようございます。
ありがとうございます。

トキ様、このweb誌友会の会期一日延長をお許しくださいまして、ありがとうございます。

では、もう一日、『生命の實相』の真理研鑽を続けさせて頂きましょう。

>>1944 :SAKURA様
>>===【生命の実相…抜粋】===
>>■【五感的存在の否定】    その①
>>皆さん御承知のアイシュタイン博士でありますが、この科学界の大天才が「相対性原理」という法則を発見した。この学説はなかなかむずかしいもので世界中で数人の天才しか本当に理解しえないであろうと、アイシュタイン博士自身が言っているほどの学説・・・・・・その学説の中心となるのは、われわれの五官で知ることの出来るものは、われわれの知覚力との関係上、相対的にそう見えるにすぎないので、存在の本当の相(すがた)がわかるのではないかということであります。<<

そうですね。

――これは、端的に言えば、『叡智の断片』に
≪時間空間の中に生命が生れて来るのではなくして、生命が時間空間をつくるのである。時間空間は吾が心の中にある。時間空間は生命の掌中にあるのである。≫

ということでありますね。

その、時間・空間を生み出した元のところ、時空いまだ発せざる「中(みなか)」、「久遠の今」に、「実相」がある。『叡智の断片』にはまた、次のようなお言葉もあります。

≪現象刻々流転。されど流転せざる者あり。「今・即久遠」なり。
「今」を把握すれば人の病い癒え、国の病い癒ゆ。
     ○
 久遠即今の真理を知らざる者は、滅びずと雖も亡者なり。
     ○
「今」を把握せざる者、天壌無窮を永久に知ることなし。
「今」を把握せざる者、「不死の生命」を永久に知ることなし。
     ○
「敗戦前、真の日本なし。敗戦後、真の日本なし。現象裡、真の日本なし」前後際断の「今即久遠」にのみ真の日本あり。真の日本を知らざる者は日本人に非ず。≫

――それで、テキスト『生命の實相』第2巻p.109〜に

≪本当の自分の実相は今も儼然(げんぜん)として実相の世界(エデンの楽園)に存在する、今までも天地とともに生きとおして来た、これからも天地とともに生きとおして、朽ちず、老いず、苦しまず、病まず、悩まざる円相的妙楽の存在、金剛身、不可壊身、無量無辺身、自由自在身、久遠の如来、アブラハムの生まれぬ前より在るところの「久遠のキリスト」なのであります。

 今まで自分たちの実相をこの肉身であると思っていたのは自己の真性を磔(はりつ)けに架け、自己の実相をエデンの楽園から仮に追放して有限身をもって無辺身に換え、有限生命をもって無限生命に換え、自己の生命の実相を蔽い隠していたのであります。その蔽いを取りさって自己の内に宿るキリストを復活せしめる、これがキリストの再臨であり、普賢菩薩の在(おわ)す実相浄土「東方浄妙国土」の地上再現なのであります。

 これこそ一切苦厄を度(すく)う神癒の根本原理であってこの原理を、自分に宿る真理と宇宙に存する真理と相触れてカチカチ鳴る体(てい)の直接的認識作用すなわち「実相覚」によって悟らなければ、われわれは「本当の自分」――金剛不壊身(こんごうふえしん)の自己を掴むことができないわけで、この自己を掴むためにする修行が、毎日一定の時間を期してみなさんに実修していただいている「神想観」の修行であります。≫

――神想観をして、「吾れ今五官の世界を去って実相の世界に入る」という、その「今」が、「久遠の今」である、とお教え頂いております。
<つづく>

1950復興G:2013/01/21(月) 07:27:10 ID:AB6RqYXc
<つづき>
 榎本恵吾先生は、『光のある内に』の中で、次のように書かれています。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

『生長の家』とは何か。それは自分のいのちのことである。「久遠の今」(Eternal Now)において、万物はこの一点におさまっているのである。そして、自分のいのちが「今」「此処」にあれば、『生長の家』も「今」「此処」にあるのである。
「久遠の今」に立ったとき、すべてのことは自分のいのちの中に発見され、常に自分のこととして問題とすることが出来る。
 この「久遠の今」の中に自分を発見し、『生長の家』を発見しなかったら、『生長の家』は自分からはなれたよそごととして、ついに終る。
 また、隣人に説明するにしても、自分の中に『生長の家』を発見し、話す相手さえも自分の生命の中に発見するのでなければ、ついに『生長の家』もよそごととなり、単なる遠くのものを指し示す説明に終ってしまう。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――そして、谷口雅春先生の御講義レコード『久遠の今』のお教えを引用されています。それをここにも載録させていただきましょう。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     久遠の今

 生長の家の生き方、あるいは生長の家の哲学の中で、一番重大な問題は、「今」ということであります。この「今」ということがわかったら、それが本当の生長の家の悟りであるわけです。

 「今」というのは、過去―現在―未来―と流れている時間の一部分の「現在」というところを「今」というのではないのであります。この「今」というのは、もう一つ精しくいうと、「久遠の今」ということであります。英語のEternal Nowという意味での「久遠の今」であります。そして「今」の中にすべてが含まれているところの「今」であります。

 仮りに、縦の線をかいてこれを時間であるとし、横の線をかいてこれを空間であるとします。そして縦の線と横の線とが交叉した所、ここがちょうど「今」に当るのであります。いまだ時間も空間も現われていない、時間と空間がそこから現われるところの、その中心の「無」であります。これは神道の言葉でいうと「常今」と言いますが、禅宗などでいうと、いわゆる「無」であります。「無」というと、なんにも無いのを「無」というと、考える人がありますけれども、全然無いんじゃないのであります。禅宗に「無字透関」という言葉があります。「無」の字の関門を透るという意味であります。『無門関』という禅宗の書物もあります。その「無」というものの関門を本当に知ったときに、吾々は自由自在になれるのであります。

 ところで、その「無」というのは――現象界のすべてのものは時間の中に、空間の中に現われておりますけれども、その時間・空間の本のところ、時間・空間が未だ現われない、その「常今」のところ、そこには「なんにも無い」かというと、「なんにも無い」んじゃない。時間・空間がそこから現われてきたんだから、時間・空間がやっぱり「有る」と言わなければならない。時間・空間が一点に巻きおさめられて、その一点もない。すべてのものが、一点もないその中にそのままアルのであります。

 これをもうひとつ別の言葉でいいますと、「絶対無」ということであります。「絶対無」と言えば、多少この意味がわかる。有・無相対の「無」、「有る」に対して「何にも無い」という「無」じゃないのであります。絶対の「無」である。対立がない。その絶対の「無」をつき貫いたところに、そこに「実相」があるのであります。

 ところで「無」というのは、「絶対」などという文字をつけると分るけれども、ただ単に「無」というと、吾々はおおむね相対の「無」を考えます。それで「無」の字の代りに「空」という字をもって来て、仏教などでは表わしているのであります。これにもうひとつ「真」という字をつけて、「真空妙有」というような言葉があります。真空――本当の空である。空っぽの空じゃないのであって、その中に一切のものが含まれておって、そしてどこにも偏らないのであります。
<つづく>

1951復興G:2013/01/21(月) 07:27:40 ID:AB6RqYXc
<つづき>
 それは、もうひとつ別の言葉でいうと、シナの『中庸』という書物に、「喜怒哀楽未だ発せざるを中(ちゅう)という」と書いてある。その「中」であります。「天之御中主神」の「御中(みなか)」であります。一切の時間と一切の空間とが未だ発せざるところの御中の中心であります。これは「未発の中」といわれているところのものである。「喜怒哀楽未だ発せざるを中という。発して節(せつ)に中)(あた)る、これを和という」とありますが、その「中」から一切のものが現われて、時と人と処に応じて、ピタリと急所にあたって、有効にすべてのものがピシリピシリと出来て行くのが、それが「和」、すなわち和解の「和」なんであります。

 生長の家の神想観の時に、「吾れ今五官の世界を去って実相の世界に入る」というのがありますが、「吾れ今」というその「今」が、「常今」であります。Eternal Nowであります。「久遠の今」であります。「吾れ、今……」というとき、自分が今ここに、「吾れ」と「今」と「此処」とが全く一つになってしまう。「久遠の今」が、「今」「此処」「吾れ」と一体になってしまって、時間と空間とを絶したところの「実相の今」というものがあらわれてくるのであります。

 その「実相の今」の、そこに私たちは生活するのです。何月何日の何時何十分、どこそこの空間において生活する――と、そんなふうに生活するのだったら、吾々はいろいろな問題にひっかかることになります。「いつ、だれが、あんなことをぬかしやがった」というので腹が立ってきたり、クシャクシャしたりするんだ。それは、本当の「今」というところに生活していないで、ある時間の流れの中で、どこかの空間的存在として生活してしまっておるから、いろいろと悩まなければならないことが起ってくる。持越し苦労とか、取越し苦労とか、疑心暗鬼――なんていういろいろの心のモヤモヤが出てくるんです。それで、常に「吾れ・今・此処」というその実相の中に、「未発の中」のなかに坐って、なんにも掴まないでいれば、時と人と場所とに応じてピシリ、ピシリと節に中る。事々物々間違いなく適当な処置がとれるということになるのであります。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――私たちは、この「久遠の今」に立つとき初めて真の「自由自在」を得るのであります。

 谷口雅春先生のこの「久遠の今」のご講義レコードは、私も持っておりました。LPレコード2枚で、1枚がA面にご講義「久遠の今(1)」、B面に基本的神想観のご指導。2枚目はご講義「久遠の今(2)」と如意宝珠観のご指導であったと記憶しています。そしてその「久遠の今(2)」のご講義で、

≪生長の家の教えは「天地一切のものと和解せよ」という教えでありますが、その「和解」というのは、「中」に立って、発して節に中(あた)る、時と人と場所とに応じてピシリ、ピシリと節に中るということである。間違った奴をのさばらしておいて自分は天地一切と和解しているんだなんで思ったら、大間違いであります。≫

 と、激しい口調でおっしゃっていたのを思い出します。
 私はこのレコードを、すり切れるほど拝聴しまして、ある時期にテープレコーダーでテープに声を写させて頂き、レコードは廃棄してしまいました。そのテープがどこかにあるはずなので、これから探してみようと思っております。

 「虚説に和解してはならない。」

 そして、
≪虚説の中でも、最大の虚説は「物質はある」という見解であります。≫
 とお教え頂いているのであります。

 「久遠の今」なる「実相の大地」こそ真の実在であり、現象は影に過ぎないのにそれを実在と錯覚しての論議や争いは、すべて虚説、ということになるのではないでしょうか。だからここで論議されていることだって、私も含めて、みんな「虚説」であるかも知れない。

 だから、常に「自分は今、どこに立っているか。現象を超えた、久遠の今なる実相の大地に立って発言していたか、発言しているか」と顧みる、自覚することこそ大切なことだと思います。

1952a hope:2013/01/21(月) 09:09:36 ID:TqpbsVIM

みなさま おはようございます!

昨晩は、こちらに戻る予定でしたが、わたしも復興Gさま同様、昨日一日子どもの行事に付き合い、
大変疲れていて、さらに、とても嬉しいことなのですが、こちらの板にたくさんの書き込みがあって、
読み切れなかったので、参加を見合わせました。


昨日は、さらに解説者さまとgoroさまのご参加があったのですね。
ありがとうございます。

お二人の掲示板へのご投稿は、いつも拝見しています。
素晴らしい投稿内容にいつも感動したり、そしてお勉強させていただいたりしています。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。


>>1939 SAKURAさま

わたしの投稿への御感想をいただきありがとうございます。

>>【目・耳・舌・鼻・皮膚を通して生じる五つの感覚!】人間の感覚の総称での捉え方……
そうしますと…そこには【感情…】が入ってきますので、その時点での【念=想念】が生まれ、
例えばですが???相手が“嫌だ〜〜〜!”という感情は、【以心伝心…】と申しますか?
実に!!その通りになりますから〜〜〜この頃は、振り返りますと、変に【納得…】かと。<<

このSAKURAさまのお言葉には、正直「ドキリ」としてしまいました。
仕事などをしていましても、こちらら「いやだな〜」という感情をもってしまうと、
自然にその感情が相手につたわって、コミュニケーションがしっくりいかない時があるからです。
そんな時は、相手もきっとわたしのことを「いやな奴だな…」と思っているのではないかと感じています。


>>現在の複雑化します【人間関係…】に於きましては、お互いに
“嫌な〜〜〜ァ感情?”を抱くの場合、その時こそが
【神 想 観 で 相 手 の 実 相 を 見 て 行 く】このように訓練する事なのですネ!
確かに…これは【修行…】かと。【普賢菩薩=人間】なのです〜〜〜ョネ!
■■【普 賢 菩 薩 は 金 剛 心 と し て 人 間 の 心 の 修 行 す る 事…】
この様に今の私は、解釈しています。<<

素晴らしいご指導をありがとうございます!
今回、このweb誌友会に参加して『神想観』の素晴らしさを再認識しています。

感謝 合掌

1953a hope:2013/01/21(月) 09:11:25 ID:TqpbsVIM

復興Gさま

わたしは、>>1884の復興Gさまのお孫さまにあてたメッセージを拝見してちょっとした気づきがありました。

>>悪い天気なんていうものはない。雨も、雪も、嵐も、みんな素晴らしいよい天気なのだ。
毎日晴ればかりだったら、植物は育たない。干ばつで土地はひからび農作物も穫れなくなって、飢饉になる。雨も必要、雪も必要、嵐も必要なんだ。そう思い直した。
人生も、晴れのような、楽なことばかりではない。それがいいのだ。苦労もあった方が、人生の味わいも深くなり、喜びも大きくなる。人間が大きくなるのだ。だから、困難も、挫折もよいことなのだ。だから、雪の日の成人祝い、おめでとう!
ドイツの文豪ゲーテは、「若くして求むれば、老いて豊かなり」と言った。
この場合の「求める」というのは、他に求めるのではない。
志を高く持って、どんなことに出会っても貪欲にそこから魂の栄養を吸収するということ。
「豊か」というのは金持ちになることではない。精神的財産をいっぱい持っていること。<<

自分にとって、「嫌なこと」、「不都合なこと」「不幸なこと」等は、すべて「悪」であると考えがちですが、
でも、「生長の家の教え」では「悪なし」なのですよね。

わたしは、この「悪なし」の教えを、今まで"Nothing"の〝無し〝だと思っていました。
だから、『「悪い」と思うことは本来、存在自体が〝無い〝いことなのだから、気にしないようにすればいいのだ!』
と解釈していたのです。
ですが、この復興Gさまの、メッセージを拝見して、

「悪なし」の教えはそういうことではなかった!

と気づきました。

「悪」と思われる現象も、自分の考え方、とらえ方一つですべて「善」にすることが出来るのだ!!!

と。

そして、「悪」と「虚説」の関係も、自分なりになんとなく解ってきたような気がします。


トキさま

web誌友会の開催期間を一日延長してくださりありがとうございます。
ですが、わたしは今日もこれから仕事ですので、一日ではみなさまの学びには追いつかないと思いますが、
後夜祭でも、引き続きお勉強させていただくつもりでいます。
どうぞよろしくお願いいたしす。

素晴らしい学びの場を提供してくださっている、トキさまにはいつも心から感謝しています。

合掌。

1954トキ:2013/01/21(月) 09:54:29 ID:JCzlgAQE
 本当に多数のご参加、ありがとうございます。

 腰を据えて、真理の勉強をする。そういう姿勢が日常生活の中では、なかなか続かない場合があります。
面白いのは、普段、自宅で拝読する聖典と、こういう場で拝読する聖典が、何か違った感じで読める事です。
 いろいろと顔を会わさない同志が、こういう場で真理の話し合いをし、研鑽をするのは、自分自身、新鮮に
思えます。

 ご多忙のん化ア、ご指導下さる、復興G様、ありがとうございます。

1955トキ:2013/01/21(月) 10:59:33 ID:JCzlgAQE
 ごめんなさい。誤植です。

ご多忙のん化ア、ご指導下さる、復興G様、ありがとうございます。
         ↓
ご多忙の中、ご指導下さる、復興G様、ありがとうございます。

1956さくら:2013/01/21(月) 12:06:41 ID:7nETw8OI
復興G様
みなさま

>「久遠の今」
>「実相の今」
>「天之御中主神」の「御中(みなか)」

端的なお言葉ですが、すべての宗教の教えの中心が、生長の家では、とても分かりやすくとかれていて…新鮮な感に打たれました、ありがとうございます。

完全な神の子が、わざわざ不完全な 現象世界にきて、それぞれの表現の場で、このことにたどり着くために、学ばせて頂いていることは、
難儀だけれど、楽しく、奥深いですね、笑。


わたしは、だれが「真の生長の家」だとか、それ以外は虚説だといったものはないと思っています。

…たとえば、「家ダニ」にとったら、人間の方が「虚説だ」というかもしれません、笑。
例えば、ナチスのユダヤ人大虐殺は、劣勢遺伝を抹殺することが人類にとって有益だというような「正義」に基づいて行われたことともいえます。
…立場が変われば、どちらともなるのが、現象世界の「善悪の価値基準」なのではないかな…と。



ぼるぼ様が別板で書いてらっしゃいましたが、ほんとうに日本の「常識」が外国で必ずしも通用するものではありませんね、
日本は単一民族で、多少のズレがあるにせよ…だいたいが同じような「常識レベル」の範囲で安心して生きてこれたので、「人は、自分と同じように考えてくれるはずだ。そうじゃなきゃおかしい!」と甘えの中でこられたのじゃないかな…と思うこともあります。
外国に一歩でれば、向かい合う相手は、常識も違えば、宗教も違い、信じてるものが違えば、もしかしたら無条件に殺されることもあり得る激しい歴史がありました。

その中で、人間がどう和解するかという智慧や対話が、必要だということですね。

どちらの正義を主張することより、「御中」に立つ、宗教の智慧が大切だとおもいます。

「法燈継承」といいますが…雅春先生は、全人類に真理を皆伝されたもので、
ご縁があって「生長の家」にふれたものが、お預かりしているというか、…そういう感じがしました。

いまの生長の家の組織の問題も大切ですが、
…ここでも、せっかく生長の家をご縁を頂いた同じ同士として(すごいご縁ですね)
生長の家を広くお伝えするためにどのようなことができるかも話せるようになると良いな、と個人的には思います。

そんなことを考えると、ワクワクします、笑。

ありがとうございました。



1957復興G:2013/01/21(月) 13:41:58 ID:AB6RqYXc

>>1946 :志恩さま。
>>結局 雅宣総裁が、なにをされようと、かにをされようと、現実は無いのである。虚説mないのである。実相は完全であるのだから、どのようなあこぎなことを雅宣総裁が、されようが、悪をみるのは、悪があなたのこころにあるからだ。ただ、実相をみて、よろんでおりなさい。そうしたら、完全なる実相が現れる。雅宣総裁に中心帰一しなさい。と、和解派の皆様は、くちを揃えておっしゃりたいのでしょう。洗脳とは、おそろしいものです。 <<

ありがとうございます。

私も、かつては「総裁に中心帰一しましょう」と言っていたことがあります。
しかし、最近は、そうは言っていないことは、貴女もご承知のことだと思います。

「和解」とは、>>1951で書きましたように、谷口雅春先生は
≪生長の家の教えは「天地一切のものと和解せよ」という教えでありますが、その「和解」というのは、「未発の中」に立って、発して節に中(あた)る、時と人と場所とに応じてピシリ、ピシリと節に中るということである。間違った奴をのさばらしておいて自分は天地一切と和解しているんだなんて思ったら、大間違いであります。≫

とお教えくださっています。「中(みなか)」「神意」に帰一するのが真の中心帰一である、と思っております。
なんでも総裁のおっしゃることに中心帰一、というのは、間違っている。それは谷口雅春先生のお教えではなく、真の生長の家ではないと思っております。

昨日、午前中はリアルの世界で『生命の實相』第24巻をテキストとした勉強会をしました。

24巻の後半は「質疑篇」で、誌友の質問、疑問に谷口雅春先生が懇切にご教示をされた記録が収録されています。その186ページ以下に、つぎのような質疑・ご回答が載っていました。
<つづく>

1958復興G:2013/01/21(月) 13:42:34 ID:AB6RqYXc

<『生命の實相』第24巻 質疑篇より(1)p.186〜 >

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   十九、方便法と真実法

 (問) 最近「光明思想普及会」が成立いたしまして、その豊富な広告力とめざましき活動によりまして、全世界が生長の家の光明思想に浸潤して行きます様子は、大変結構なことだと存じていますが、その広告宣伝の方法について私は一つの疑義をもっています。というのはその広告に引例されたる事実談が、すべて奇跡的な異常な(われわれは体験があるのであたりまえのことだと思いますが)事実ばかりであることです。

 かくのごとくでは、宗教というものは異常の世界であるという誤解を一般人にもたせ、また、一方識者からは宗教はそんな表面の世界の奇跡のことではない、生長の家がそんなところに止まっているのでは、生長の家は実につまらない何某教同様の宗教だとの誤解を受ける惧(おそ)れがあると思います。私は古くからの信徒として生長の家を愛するからこそ言うのですが、生長の家のありがたいところは、平凡な生活のうちに神が生きていることを自覚させていただける点であり、何がなくとも喜べる生活が生長の家だということにあると思います。

 その御平生の主張に近ごろの広告文は反対であって、行文の重心が奇跡にあったり、病気にあったりしているのはすこぶる遺憾であると思います。むろん私は、『生命の實相』を読むことによって病気の治った一人でありますので、奇跡も疑うわけでもなく、病気の治る事実も疑うわけではありませんが、その宣伝が奇跡や病気治しに傾いているのは生長の家の神髄を誤解させるおそれがあると思って大変残念に思うのであります。どうか宣伝部の方々に、も少し質実な落ちついた宣伝ぶりをしていただいて、生長の家が健全な発達をするように祈って止みませぬ。(東京、大正大学学生、T生)

 (答) いろいろ御注意下されありがとうございますが、あなたのような仏教を専門に研究していられる方には、釈迦に説法でございますが、『法華経』の譬喩品にある次の話を思いだして下さい。紙面をとらないように、信徒小塚晴弘氏の要約によります。

 ある所に長者があって、まことにたくさんの財宝や大きな家を持っていました。その家の一つは古び腐れていましたが、それが物凄い火事になりました。しかし、その家の中には何十人の子供たちが「火事の恐ろしさ」を少しも知らずに、かえって火事をおもしろがって無心に遊びたわむれています。長者はなんとかして、この子供たちを無事に、この「今にも焼け落ちようとしている火宅」の中から、広い安全地帯へ救い出したいものだと考えて、「おい子供たちよ、急いで門の外へ出ておいで、とても珍しい、とてもおもしろい立派な鹿車(ろくしゃ)や、羊車(ようしゃ)のおもちゃをあげるよ」と言いました。すると、子供たちは喜んで、急いでその焼けている家の中から飛び出して、広い通りへ無事出て来ました。そこで長者は、一同に「おまえたちはみんな自分の子だから、これをあげよう」と言って、みんなに同じように、おもちゃの鹿車や羊車でなしに、ほんものの大きな七宝ずくめの立派な立派な生きた白牛がこれを曳き、多くの従僕らが護衛しているような車を与えました。

 「この火宅の中で無心に遊びたわむれている子供らこそは汝ら衆生であり、おもちゃの車をあげようといって、彼らを救い、ほんものの立派な車を彼らに与えるものは仏である。」

 あなたはこの譬話(たとえばなし)を読まれた瞬間に、「そうであったか。なるほど、なるほど」とお解りになるでありましょう。
 生長の家で病気治しや奇跡を宣伝するのは、病気治しそのもののために、奇跡そのもののために宣伝するのではありません。
<つづく>

1959復興G:2013/01/21(月) 13:43:20 ID:AB6RqYXc

<『生命の實相』第24巻 質疑篇のご教示(2)p.188〜 >

 それは、「今にも焼け落ちようとしている火宅」から一切衆生を安穏の地帯に救い出さんがために、「ここまでお出で、おもちゃをあげよう」と言って誘い出すための玩具(おもちゃ)なのです。
 おもちゃだと言っても、ただ嘘の方便ではない。君も体験しているとおり、本当に病気が治るのでありますが、肉体を治したところが、それは、百年長くて二百年すれば消えてしまうところの、「本来無い肉体」なのです。われわれはそういう「有限の宝」を与えるために大衆を呼んでいるのではない。

 しかし、大衆は、君のように宗教的法悦ばかりを今は望んでいるのではない。猫に小判という言葉がありますが、赤ん坊に百円札をやってもありがたがらないでしょう。「有限の肉体の癒し」や、ちょっと不思議な現象界の奇跡のごときは、「永遠の生命を掴む」という真実の無限の富の前には、極めて小さなることであります。しかし、無限の富を見せても、「赤ん坊に百円札」のような結果になるのではその赤ん坊を救うことができませんから、まず赤ん坊の欲している玩具を示してまた実際に玩具を与えて玩具を模型として研究さすことが必要なのであります。

 「赤ん坊とは」実際に病気や家庭苦に悩んでいる人の喩えでありましてこういう人たちには、「その病気や家庭苦の治る道があるからここへ来い」と言って引っぱり寄せ、その病気や家庭苦を実際に治してみせて、この模型により「三界唯心所現」の理を知らせるということにすると、その人が救われるのであります。

 病気や家庭苦の顕われまたは消えるのは、これ「三界唯心所現」の一大理法「模型」すなわち「玩具」であります。そして健康を回復し、家庭が治まるのは、これ人間本来仏子(または「神子」)の、一大実相の「模型」すなわち「玩具」であります。この模型によって研究し、児童の遊戯心を利用しつつ次第に工学の蘊奥(うんおう)を極めしめれば、幼児の玩具についての経験から発達してついには多数の旅客をのせて一時間に百マイルの速力で走るような飛行船も造ることができるようになるのであります。

 『法華経』を説くときにもお釈迦さんは、「止みなん、止みなん、この真実を説いたら、お前たちは誤解して地獄へ堕(お)ちるであろう」と言っていられる。
 「人見て法説け」でありまして、大衆に対する新聞広告のごときものは、まだあれでも高尚すぎるくらいであります。薬で病気が治るということはわかっても心で病気が治る、さらに三界は唯心の所現であるなどということは解らない人が多いので、これをわからすためには、新聞広告をまだまだ大々的にする必要があると思います。

 君は、生長の家は「平凡な生活がありがたい」ということを知らせる真実の教えだと言われますが、平凡でなければありがたくないのでは捉われた見解です。
 病気が治る事実を発表したらありがたくなく、平凡で感謝している人を発表したらありがたいのでは、偏った考えではありませんか。
 むろん平凡な生活もありがたいし、異常な奇跡もありがたいのです。自分が平凡でありがたいから、他人が奇跡をありがたがってはいけないということはないはずです。

 本当の真理を言えば「奇跡」がありがたいのでもなく、「平凡」がありがたいのでもないのです。「奇跡」の奥に「平凡」の奥にあるわが生命の実相が本来神であり仏であることがありがたいのです。周囲が明るいからありがたいのではなく、自分が光体であることがありがたいのです。
 自分が光体であるがゆえに周囲へ振り向けば、そこに時には「奇跡」という光線となって現われ、時には「平凡」という光線ともなってあらわれるのですが、どちらの奥にも自分の光体たる実相が輝いているのでありがたいのであります。

   <以上、『生命の實相』第24巻 質疑篇より>

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

――これを読んだときに、ある人がこう言いました。

「生長の家が今、“森の中へ行く”というのも、この譬話のおもちゃのようなものでしょうかね」と。
<つづく>

1960復興G:2013/01/21(月) 13:43:52 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 それで、私は思いました。
 
 ――なるほど。病気を治しても、百年もすれば消えてしまう「本来無い肉体」であるように、一時的に地球を救ったって、地球にも寿命があってやがては消えてしまうものである。だから、“森の中へ行く”というのも、“おもちゃ”の段階なのだ。

≪今までも天地とともに生きとおして来た、これからも天地とともに生きとおして、朽ちず、老いず、苦しまず、病まず、悩まざる円相的妙楽の存在、金剛身、不可壊身、無量無辺身、自由自在身、久遠の如来、アブラハムの生まれぬ前より在るところの「久遠のキリスト」≫(テキスト『生命の實相』第2巻p.109)

≪あなたも、私も、いまだかつて肉体として生まれたることもなく、したがってこれからも死することなき久遠永劫の存在≫(『生命の實相』第24巻P.185)

という自覚を与えることが、おもちゃでない本物の宝を与え、究極の救い、「真理は汝を自由ならしめん」とイエスが言った真理を与えることになる。それが生長の家出現の目的である――と思ったのでした。

 ところで、「今の教え」は、この「究極の救い」をもたらしているのでしょうか。

 ――そこにはまだ、ほど遠いのではないか、というのが私の思いです。

 谷口雅春先生のお書きくださった『生命の實相』などの聖典を読むと、魂が歓喜し、やすらぎを覚えます。しかし、雅宣総裁の書かれたものを読んでも、残念ながらそうはならない。(失礼なことを申して、すみません。しかし、それが実感です。)

 しかし、私たち生長の家の御教えに触れた者は、みんな「神の子だ」と教えられているのです。

 イエスは『なんじ心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして主なる汝の神を愛すべし』これは大にして第一の誡命(いましめ)なり」といっている。ここに「主なる神」とあるから、人間の方は僕(しもべ)で、主人であるところの神様を愛するのであるかというと、そういう意味ではない。「汝、イエスの神を愛すべし」とはいっておられない、「主なる“汝の神”を愛すべし」と言っておられるのであって、すべての人間には、その自己の内に神が宿っているということをイエスは認めてこのように言っておられるのです。

 生長の家信徒は、総裁の僕(しもべ)、奴隷ではない。各々みな、自己の内に神が宿っている、宇宙の中心者である。

 「生長の家総裁がかわらなければ、信徒は救われない」のだったら、信徒は総裁の僕、奴隷ということになりませんか?

 ちがうでしょう。
 「自分が変われば、世界が変わる」というのが、谷口雅春先生の御教えではなかったのですか?

1961志恩:2013/01/21(月) 14:16:47 ID:.QY5jUA6
復興G様

ご丁寧なる貴いご講話をありがとうございました。
お説き下さいました事を、後ほど、静かな時間になりましたら、ゆっくりと
考えさせて頂きます。 合掌 礼拝

1962志恩:2013/01/21(月) 14:35:33 ID:.QY5jUA6
復興G様

ひとこと申し上げますが、自分だけで信仰している場合は、
総裁が、どんな人であろうと、
雅宣総裁が、どのような運動方針を出そうと、例え「生命の実相」をテキストに使うなと
命令されようと、

自分だけのことを考えていれば、神を対象に生きていればいいのですから、
なんの問題もないと思います。

しかし、今後の生長の家そのものを考えた場合、

生長の家全体の組織の司令官であるのは、総裁であるのですから、
どういう考え方の人が,総裁であるかは、大問題だと思います。

生長の家でない、生長の家の教えを、そのまま継承していない人が継承した場合、

どなたが、総裁であっても、いいということには、ならないのでは、ないでしょうか?

やはり、うそをついたり、
間違った事をされた場合は、心ある信徒は、黙っていずに、発言しなければ、

どんどん、間違った方向へ行ってしまいますから、
どんどん、本来の生長の家は、消えていってしまいますから、

そういう場合は、
黙認して祈ってばかり居る事は,神の道に反していると,私は思います。

1963復興G:2013/01/21(月) 14:51:52 ID:AB6RqYXc

 もし、三代目総裁が、谷口雅春先生のお説きくださった最高の真理のお悟りをそのまま受け継がれ、徳高く愛深くご指導くださっていたら、信徒はいつまでもただ総裁に寄り頼ってばかりで、総裁を神と崇めまつり、「自分が神の子である、釈尊やイエス・キリストと同じ尊い永遠の存在である、宇宙の中心者である」という自覚に到ることはなかなか難しいでしょう。

 だから、信徒皆がその自覚を持つように、神はちゃんと信徒のレベルにふさわしい総裁を配剤してくださっているのである。

 「私たちは神の子である。私たちの家は“神の子”たちの住む“神の国”なのである。神はその全智にして全能なる力をもって私たちを愛し給い導き給うのである。神の愛は近視眼的愛ではなくて遙かに前途を見越して、有終の美を飾る如き結果をわれらに与えたまうのであるから、現在の状態がたとい如何なる状態であっても私たちは神に対する信頼を失うということは絶対にないのである。」

と、『真理の吟唱』<人生の苦難を克服する祈り>にある通りです。

>>1953で a hope様が書いてくださったことにも通じますね。

また、>>1843 に引用させて頂いた榎本恵吾先生の「誌友会への所感」で、「誌友会」というところを「講習会」と置き換えれば、次のようになります(一部抜粋です)。

≪生長の家の集りは光りの集りである。そこには“光り”が集まって来るのである。先づ光りなるものがあるのである。集まってから光りとなるのではないのである。それははじめて来た人についても同じことである。
 “講習会に行こう”と思うことが、内なる如来が、天照大御神がその人の内からお顔を出されて、輝き出して、そう思うのである。したがって、“講習会に行きたいなー”と思ったとき、すでにその人は如来の輝きであり、光明そのものであり、天照らして光なる人がそこに立っているのである。
 その如来なる、光明なるいのちが家を出発する。そして周囲のすべてを輝かせながら講習会場にやって来るのである。ある人は徒歩で、ある人は車で、あるいは電車に乗って。道路を歩けば道路を燦然たる光りでかがやかせながら。そして電車に乗れば、その人から出る光りによって電車は光りと化し、木々の間を通れば木々を輝かせながら講習会へ、講習会へと光りが集まるのである。
 再び言う。講習会に来てから光りとなるのではないのである。“光り”が集まって来るのである。その光りがさらに光りする行事が講習会である。
 その光りなる如来に坐ってもらって、会場の椅子はどんなに喜んでいることであろうか。光りに集まっていただいて、その会場全体がどんなに喜びに輝いていることであろうか。≫

 ――講習会受講者のたとえ一割でも、このような気持を持って輝く姿で集まり、よろこびの光を発すれば、必ず総裁のお姿、ご講話の内容も素晴らしいものに変わってくること必定だと私は思います。

 信徒一人一人が中心者である。奴隷ではないのである。神の子なのである!

 なんという素晴らしいことでしょう!

 そんなことを考えると、本当にワクワクしますね、さくら様。

1964復興G:2013/01/21(月) 15:05:27 ID:AB6RqYXc

志恩さま。

上記>>1963は、志恩様の>>1961>>1962を見ないで書き込みました。

しかし、>>1963でだいたいお答えになっているのではないかと思います。
つまり、現在の総裁は、現在の信徒のために、最もふさわしい方が現れてくださっていて、それが神の配剤なのではないかと思われるのです。

このような思いを引き出してくださった志恩様は、まさに尊い観世音菩薩さまでいらっしゃると、礼拝し、感謝申し上げます。
ありがとうございます。

1965志恩:2013/01/21(月) 15:22:41 ID:.QY5jUA6
復興G様

お答えを,ありがとうございます


復興G様のコメント

>>もし、三代目総裁が、谷口雅春先生のお説きくださった最高の真理のお悟りをそのまま受け継がれ、徳高く愛深くご指導くださっていたら、
信徒はいつまでもただ総裁に寄り頼ってばかりで、総裁を神と崇めまつり、「自分が神の子である、釈尊やイエス・キリストと同じ尊い永遠の存在である、
宇宙の中心者である」という自覚に到ることはなかなか難しいでしょう。

 だから、信徒皆がその自覚を持つように、神はちゃんと信徒のレベルにふさわしい総裁を配剤してくださっているのである。<<


何事も偶然の出来事は、発生しないという法則を思い起こせば、

雅宣総裁のように、生長の家の教えを、継承してない人なのに、左翼的な思想の人なのに、そういう人が、
この世界的使命を持つ 

たいせつな たいせつな
生長の家の教団の、総裁の座に居座ってしまっているということは、

復興G様が、おっしゃっるように、人智では計り知れない 深い意味が、あるのかもしれませんね。

ご深切にご教示下さって、ありがとうございました。

1966復興G:2013/01/21(月) 15:27:40 ID:AB6RqYXc

志恩様

ご丁重なレス、誠にありがとうございます。

礼拝

1967トキ:2013/01/21(月) 18:20:58 ID:JCzlgAQE
 少し話がずれますが、今、総裁を批判する人もいれば、援護する人もいます。私自身は和解を唱えている人間ですが、批判派も援護派も
それぞれしっかりとした根拠があり、その反対にそれぞれに弱点があるとも思います。しかし、両者に共通しているのは、「総裁」の立場
をかなり特別視している部分が強いと思います。

 もちろん、総裁は教団にとって最高指導者であり、その意味では特別であるのは間違いがないのですが、総裁の発言一つで、今まで西に
向いて走っていたのを、いきなり東に向かって走るようなあり方が本来の活動あるいは信仰の姿勢ではないと思います。これは、全く復興G
様が言われる通りで、私個人は復興G様のお考えを支持します。

 今、少し思案をしている点があるのですが、それもまとめて投稿をしたいと思います。

合掌 ありがとうございます

1968SAKURA:2013/01/21(月) 19:17:46 ID:dGeUHjWM
a hope様 ヘ  

こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1888>>1889>>1934>>1935>>1936>>1939>>1940>>1944>> 1945の【SAKURA投稿】
の続きです…。 

>「a hope」様の【>>1952の投稿】を頂きまして……

■早々の“お返事”感謝申し上げます…。大変遅くなりました事…申し訳ございませんでした。
今日は、私事で、日中【 バタバタ!ドタバタ!の〜〜〜一日…】でした。…が?
ヤ〜〜〜ット!今!!皆様の“投稿”を閲覧させて頂いております…。 【進行形…】

私も、この【 WEB誌友会 】にて、「a hope様 」と、この様に“真理の勉強”をさせて頂きます
機会を…当に!この様に【ネット上での対話】ができます事に、深く感謝申し上げます。

今後とも、何卒宜しくお願い致します。
                                再合掌

1969トキ:2013/01/21(月) 19:23:34 ID:JCzlgAQE
 この掲示板が登場した頃は、まだ聖典の裁判も地裁レベルでの判決が出た頃でしたから、法律に詳しい人に尋ねると、十分に
法律上の和解も可能な時期でした。弁護士によっては、具体的な方法をあげて「私なら、和解できる」という人もいました。
 しかし、高裁の判決も出てしまい、もうすぐ最高裁判所の判決も出ます。

 もう一つ言えるのが、これが始まった頃は、まだ「分派」の勢力や評価が信徒の間では、重要視されていなかったのです。が、
高裁判決、さらには「大自然讃歌」「観世音菩薩讃歌」が出てしまい、一気に信徒の間に動揺が走るようになりました。それに
比例して、「分派」の勢いは急激に増大し、それに反して教団からの脱退者が増加しました。言い方は悪いですが、以前なら
教団が「分派」を呑んでかかっていたのですが、今は、「分派」が教団を呑んでかかっている状態なのです。

 すると、今、法律上の和解をしようとしても、「分派」側は、簡単には応じないでしょう。今、教団側は、例の「新経本」で
「聖経」の不在を乗り越えようとしていますが、信徒の多くは、そこまでお目出度くないです。

 そういう状態を見ると、それでも「和解」を唱える意義があるのなか、という疑問は確かにあります。しかし、生長の家の
和解とは、「天地一切のものと和解せよ」と言う事です。難しいから「和解」をしないとか、相手が誰だから和解しないとか、
という意味ではないので、こんな状況でも「和解」を唱える意味はあるかと思います。

 そもそも、考えると、この一連の争いは、「下層」の信徒や職員、幹部には関係のないところで始まった事です。教団や「分派」
の元偉い人達は、それなりの理念や信念で、それぞれの運動方針を決めていますが、我々、「下層」の人間とは関係のないところ
で始まった争いに、右往左往するのは、おかしいと思います。

 思うに、今回の紛争があって、多くの人ははじめて戦前や戦後の谷口雅春先生の御著書、あるいは吉田國太郎先生や榎本恵吾先生
の御著書を読んだと思います。このような争いがあった事は本当に残念な事ですし、個人的には恥ずかしい事だとも感じています。
が、この紛争がなければ、信徒は安逸な信仰を継続していたかもしれません。

 余談ですが、今回の「森のオフィス」の建設のために、長さ4m以上の木材が4万本も使われます。最初、それを見たときには
「もったいない事をするなあ」と思ったのです。が、その後に、若い木を植えたら、それは次世代への生命の伝承となると思います。

 今、この紛争に当たって、私達、一人一人が、自分の本当の信仰を確立し、生活に生かす姿勢を保つ事が大事だと思います。

と、偉そうな事を言っても、まだまだ修行中ですので、ご教示のほど、お願いいたします。

1970トキ:2013/01/21(月) 19:46:29 ID:JCzlgAQE
 復興G様の御指導を拝読して痛感したのは、やはり求めて、真理を勉強しなければならない、という事ですね。
まだまだ、谷口雅春先生のご本も入手可能ですから、自分から動かないといけませんね。

1971SAKURA:2013/01/21(月) 19:48:03 ID:dGeUHjWM
「復興G」 様 ヘ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1888>>1889>>1934>>1935>>1936>>1939>>1940>>1944>> 1945>>1968の【SAKURA投稿】
の続きです…。 

>「復興G 様」から頂きました【>>1949…】に関しまして・・・・・

お返事ありがとうございます。昨日は、大変の疲れとの事で…それでも
早々の時間に、お返事を頂きました事に、深く感謝申し上げます。
只今…引き続き、「生命の実相…2巻」の続き投稿として、今!ヤ〜〜〜ットのことですが
【パソコン…】の“key!…”を打ち始めております。

本日の“テキスト”…(頂きました“お返事…”の中からです。…が?)

■>時間空間の中に生命が生れて来るのではなくして、生命が時間空間をつくるのである。
時間空間は吾が心の中にある。
時間空間は生命の掌中にあるのである。<  (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■【 時間・空間 】は、【 心 の 中!】と云う言葉に、確かにそうですかと、改めて思います。
【 心 の 力 】と表現させて頂きますが…
例えば…「朽ちず、老いず、苦しまず、病まず、悩まざる、円相的妙楽の存在」全てが…
改めて【 こころ 】と、頂きました言葉から、改めて認識しました。

但し、その切実なる【自己の真の願い…】が、不動のものであり…
神に対して切実に願うとしますと、それは【心の法則…】によりまして、成就すると…

「復興G 様」様の“抜粋文章”を閲覧させて頂きながら【人間の心が創る】と確信しました。

引き続き【生命の実相…2巻】このテキストからの投稿をさせて頂きます。
但し【こころ…】この捉え方の相違が…個人個人と思いますので、最終的には【類の法則】かと。
尚!スロ―テンポにてでの、投稿となりますので…閲覧者の皆様方も御了承頂きますと、
幸いに思います。

                                  再合掌

1972SAKURA:2013/01/21(月) 20:15:21 ID:dGeUHjWM
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1888>>1889>>1934>>1935>>1936>>1939>>1940>>1944>>1945>>1968>>1971
【SAKURA投稿】の続きです…。 

===【生命の実相…2巻よりの抜粋】===========================
■【五感的存在の否定】   その③

>>名画はそれ自身「美」を備えていても、見る人の心に名画と同じ「美」が開発されていな
いと「なるほどそこに美があるな」とはわからない。すべてそこに「何か」がある事がわか
るのは、自分の内にあるものと同じものがそこにでているからであります。「善」でも同じ
ことであります。ある人の善行を見てわれわれが感激して「そこに善があるな」と語るのは、
われわれの内に道徳性――すなわち「善」が相手にあらわれている「善」と、互いに照らし合わ
された結果、「なるほどそこに善があるな」とわかるのであります。だから道徳性(善)の無い人、
または開発されていない人には、他の善行を見てもそれを感心することができない、自分に無い
ものは相手にいくらあったからとてそれがわからない、聖者はひとの悪を見ないといいますが、
それは聖者が悪を見ないのではない、聖者は自分の内に悪がないから、他人の悪が見えないので
あります。ひとを常に批評的に観て、「あの人はあんな行ないをしたから、それは必ずこういう
悪い動機からしたのであろう」と、常に想像をたくましゅうしているような人は、その人自身の
心に「悪」があるから、相手に悪があるとわかるのであります。そうすると、他人の心情「悪」
が目につく人は必ず自身の心情に「悪」がある証拠であるから、決して他人の「悪」を批評し
たりする資格がないのであります。だから「他人が悪いな」と気がついた時は、「それがわかる
のは自分の心のうちに悪があるからだな」と反省すべきであります。  (一部抜粋)
==============================================

■【人間関係 の問題】では、まず!必ず起きる問題です〜〜〜ネ!!
【相手が悪い!!という前に、こちらが、相手をさす“こころ…”がある分けですから、
「雅春先生」の言葉からも、【相手への念】が、必ずや伝わるのモノでしょうかと。??そして、
私の場合を、例えますと、【関わりたくな〜〜〜い】と強く“心で想念…”してしまいます事は、
反対に【念の具象化…】で、これが、かたちとして、現われてくるのです〜〜〜ネ!!

同じように見たものでも、例えば【絵の鑑賞…】をしますと、その【絵…】が「素敵〜〜〜ネ!」
と聞きますと、私は「どこが〜〜〜ぁ?」と答えます。それに対し、相手が「ここがいいの〜〜ョ」
と云いますと「フ〜〜〜ン?」理解できます。…が? “環境の違う人”は、これが分からない
のと、逆に息まいて、こちらがまるで“バカ扱い…”されますかと。これは【類の法則…】

これは、こちらの【念からの具象化なのか?】〜〜〜少なからずもと、悩んでしまいます。…が?
どう考えても、その人の“環境…”から来る事に〜〜〜おなじ絵を見てわからないけれど、
そこには『 何処か?同じ共通点が?あるという事を探すこと』が〜“始まり”かと思いながら…

今回!相手に対し、まずは“相手の気持ち”になっての【理解する事…】が歩み寄りでしょうかと。
こう考えますと【 類の法則 】でも、相手を讃歌しながら“良い美点…”を見ていく訓練も
大事です〜〜〜ョネ!
此処で【相手への讃嘆言葉…】いざ!25〜30項目を挙げてくださいと言われますと…意外と時間が?
やはり、これは日頃の訓練であり、瞬時にして【讃嘆…言葉】が出ないと言います事は、
私もそうですが…“相手をさす心…”が、潜在意識の中に定着していますかと???

■まず身近にできる事は、すぐ近くの【 隣の〜隣人から〜始まり 】それは、やはり、
【 類 の 仲 間 】になる事でしょうかと??そこから【人間関係の訓練】ですネ?
 
                        つづく
PS;今回の【生長の家…お家騒動】は〜〜〜???

1973SAKURA:2013/01/21(月) 21:02:01 ID:dGeUHjWM
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1888>>1889>>1934>>1935>>1936>>1939>>1940>>1944>>1945>>1968>>1971>>1972の 
SAKURA投稿の続きです… 

===【生命の実相…2巻の抜粋】=============================
■【五感的存在の否定】   その④

>>時々、ひとが善く見えたり、またすぐに悪が見えて来て相手に失望したりするような人は、
時々自身の心に「善」が宿って来ても「悪」がすぐ宿って来て交替になる人であるから、
われわれは自分の心に「善」ばかり養って、他の「悪」を見ようにも見えないように修養を
つみたいのであります。                    (一部抜粋)
============================================

■そうです〜〜〜ョネ?果たしてどうなのでしょうか?【こころは毎日かわるとの事です。…が?】
この事を、ふんだんにおっしゃつている方がいた事を、思い出しました。それは、ある面では
情緒不安定な感情〜〜〜がありまして、ある面では【感情のコントロール】も関与しての
常日頃の【 “こころ”は、毎日変わる… 】でしょうかと。此処で、改めて問題が…
そうなのです…。【感 情 論…】そして【環 境】も多大と思います。

■前回も申しました。…が? 私の現実の「体 験 談」からなのですが〜〜〜
今の私も、やはり“捉え方・考え方”が全くといってそぐわない【人種…そう!吸血鬼・ゾンビ】です。
何度も〜何度も〜関わりたくないと、毎日!事あるごとに!言っています。それくらいの【想念…】
そして【感情…】でしょうかと??
今回、昨年の年度末から病気して近くの「内科病院…」に診察して頂き、そこは、意外と
「威厳のある先生」であり、更に「看護婦さん…」との会話が、楽しい雰囲気でもあります。実は、
最初診察に伺いました時、当初の「看護婦さん」の応対に“ビックリ…”でした。…が?(やはり、
東京と応対が違う事に、正直戸惑い感かと。><)と云いますのは?そこに伺う従来の“患者…”の
方と、異なっていたのでしょうか?“嫌〜〜〜な視線??”を頂きましたのです。(微笑)
しかしながら、こちらも負けずに、その応対をかわしまして行きますと、気がつきますと、向こうの
方が、私どもから受け取ります感じが〜〜〜いい方へと良くなりまして、お互いに“好感度…”と
なりました次第です。本当に、最初の診察時の印象は?当時は“ビックリ”でしたかしら〜〜〜ン!
…が、今日では「先生」も「看護婦」さんも親切にての応対です。【以心伝心…】かと。

そこは、ある程度の患者さんが〜〜〜落ちついた!マナーのある患者!が多くて、安心しておりまし
たが、今回の病気で、最初はいつもと変わらない患者の方々なのに、気がつきますと、
周りの患者は、変!変!〜〜〜変な感じが、通院するたびに増えていって、看護婦さんも〜〜〜
“アタフタ感…”になっているようです。診察を受けるに「コートも着ないで?どうみましても??
部屋着(ネマキなの??)このような感じなのです。??ふと!【吸血鬼・ゾンビ…??】かと。
こうなりますと“心…”が、だんだんと“すさんだ心”になります。…が?

■【相手の美点…】を見ても、直ぐさま納得して“変わる心”という事は?こうして考えていきま
すと、やはりこれは【 類 の 法 則 】でしょうか??
…と!そこからの【訓練・修行】に、なるのではと思いました次第です。…が?そうしますと〜〜〜
今の私どもの“環境…”は、ある面では、これが【一番の修行の場】になるのですかと。

つづく

1974復興G:2013/01/21(月) 21:23:34 ID:AB6RqYXc

 皆さま、ありがとうございます。
 会期の一日延長をさせていただきましたが、それももう間もなく終了時間となります。
 もちろん、後夜祭もありますから、じっくりと落ち着いて勉強させていただきたいと思いますが――一応補遺・まとめをした方がよいと考えます。それで――

 今回のテキスト『生命の實相』第2巻第3章の冒頭に、〈参考〉として、経典・聖書などから四つの引用文が掲載されています。次の四つです。

 ① 是(こ)の身は幻の如く顛倒(まよい)より起こる。是の身は夢の如く虚妄(こもう)の見(けん)たり。是の身は影の如く業縁(ごうえん)より現ず。是の身は響(ひびき)の如く諸々の因縁に属す。是の身は浮雲の如く須叟(しゅゆ)にして変滅す。是の身は稲妻の如く念々に住(とどま)らず……<『維摩経』方便品(ほうべんぼん)>

 ② 迦葉(かしょう)、仏に白(もう)して言(もう)さく「二十五有(う)に、我(が)有りや否や」 仏のたまわく「善男子(ぜんなんし)、我とは即ち是れ如来蔵(にょらいぞう)の義、一切衆生悉く仏性あり、即ち是れ我(が)の義なり。……如来今日、普く衆生の諸々の覚宝蔵を示す、所謂(いわゆ)る仏性なり。一切衆生この事を見已(おわ)らば、心に歓喜を生じて如来を帰仰(きごう)す。」<『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』如来性品(にょらいしょうほん)>

 ③ たとい無量百千億の魔も如来の身血を侵し出すこと能わず。故は如何ん。如来の身は血肉、筋脈、骨髄にあらず。如来は真実にして実に悩壊(のうえ)なし。<『大般涅槃経』月喩品(げつゆほん)>

 ④ イエス答え給う、「我もし已(すで)に栄光を帰せば我が栄光は空(むな)し。我に栄光を帰する者は父なり。即ち汝らが己(おのれ)の神と称(とな)うる者なり。然(しか)るに汝らは彼を知らず我は彼を知る、もし彼を知らずと言わば汝らの如く偽り者たるべし。然(さ)れど我は彼を知り、且つその御言(みことば)を守る。汝らの父アブラハムは、我が日を見んとて楽しみ且(かつ)これを見て喜べり。」ユダヤ人(びと)いう、「なんじ未だ五十歳にもならぬにアブラハムを見しか。」イエス言い給う「まことに誠に汝らに告ぐ、アブラハムの生れいでぬ前(さき)より我は在るなり。」(『ヨハネ伝』第八章五四−五八節)


 以上の四つの原典引用文は、とっつきにくくて難しいと思われるかも知れませんが、>>1949〜1951に書きました「久遠の今」(時間・空間を生み出した元のところ)に吾々の生命の本体が時空を超えて実在していること、そして現象・肉体は、その生命が創り出した3次元スクリーン(あるいは時間という次元を含めて4次元時空間のスクリーン)に映し出された映像、影だ、本来無いものだとわかりますと、理解しやすくなると思います。

 さらに、谷口雅春先生著『維摩経解釋』『大般涅槃経解釋』『ヨハネ傳講義』などを拝読しますと、いっそう分かりやすくなります。

 それで、上記三聖典から、関連部分を抜粋謹写させていただきましょう。
<つづく>

1975復興G:2013/01/21(月) 21:24:15 ID:AB6RqYXc

 ① 是(こ)の身は幻の如く顛倒(まよい)より起こる。是の身は夢の如く虚妄(こもう)の見(けん)たり。是の身は影の如く業縁(ごうえん)より現ず。是の身は響(ひびき)の如く諸々の因縁に属す。是の身は浮雲の如く須叟(しゅゆ)にして変滅す。是の身は稲妻の如く念々に住(とどま)らず……<『維摩経』方便品(ほうべんぼん)>

について、『維摩経解釋』より――

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 是の肉体は幻のようなものである。幻というものは、「無い」ものを「ある」かの如く幻想するのであって、「無い」ものを「ある」と見、「ある」ものを「無い」と見る顛倒(さかさま)の想いの産物であるのである。

 是の肉体を物質として見るのは夢みているようなものであって、虚(むな)しきものをあると錯覚して妄想をたくましうしているにすぎないのである。

 是の身は影のようなものである。一種の影像であって、業(ごう)の波動が「縁」に触れて形をあらわしたのは、恰(あたか)も、影の波動(業)がスクリーンという「縁」にふれて形をあらわした「銀幕上の人間」みたいなものである。

 この肉体は響きのようなものであって、山峡(やまかい)に立って谷へ向って「オーイ」と呼ぶと、谷間から「反響(こだま)」が「オーイ」と返事をして、恰も実体のある人間が返事をしてくれたように見えるけれども、それは実在するのではなく、こちらから出した声の波動が因(原因)となって、谷間の岩壁等が反響を起す「縁」となって生じたもので、それは因縁の産物にすぎないのであり、「因」が滅するか、「縁」が滅するか、或いはその両者ともに滅すると、結局消えて行くもので、不滅の実体なんて存在しないものである。

 此の肉体というものは、空に浮ぶあの雲のようなものである。その浮雲を眺めていると、あの雲は人間の形をしていると思ってみている間に、須叟(しばらく)の間に、その形が変ってなくなってしまうのである。

 此の肉体は稲妻(いなづま)のようなものである。念々持続ということがない。一瞬にして消え去ってしまうものである。
<つづく>

1976復興G:2013/01/21(月) 21:25:04 ID:AB6RqYXc

 ② 迦葉(かしょう)、仏に白(もう)して言(もう)さく「二十五有(う)に、我(が)有りや否や」 仏のたまわく「善男子(ぜんなんし)、我とは即ち是れ如来蔵(にょらいぞう)の義、一切衆生悉く仏性あり、即ち是れ我(が)の義なり。……如来今日、普く衆生の諸々の覚宝蔵を示す、所謂(いわゆ)る仏性なり。一切衆生この事を見已(おわ)らば、心に歓喜を生じて如来を帰仰(きごう)す。」<『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』如来性品(にょらいしょうほん)>

について、『大般涅槃経解釋』より――

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 釈尊が実相は無常・苦・無我・不浄ではなく、常・楽・我・浄が実相じゃとお説きになつたものですから、迦葉菩薩は「二十五有に転々と生れ更る存在にも『我』というべき本質的な実体があるのでございますか」と訊いたのであります。

 二十五有というのは、我々の霊魂が生れかわって行くと考えられている世界に、欲界・色界・無色界の三種の「界」があり、その「界」を分って二十五種類の「有」の世界があるのであります。「有」というのは「仮有」すなはち「仮存在」の世界なのであります。(中略)

 「実相」は真如法性(しんにょほっしょう)であり、そのうちに一切のものを蔵しており、ここから如来が生れて来るのでありますから、これを如来蔵ともいうのであります。

 そこからすべてのものが放送されて現象界にあらわれて来るという点から喩(たと)えてみますと、実相は如来を蔵する放送室のようなものであります。それが色々の波長を放送いたしますから現象界という色々のテレビ受信機に受像されて、そこに「転現」します。この「転現する」ことを「生れ更る」というのであります。

 受像は転現しますから「生れ更る」ように見えますが、すなはち「無常」であり、「無我」であり、「変易」するように見えますが、放送室には儼然(げんぜん)として「如来蔵」が存在するのであります。この如来蔵こそ不滅の「我」の本体であります。

 すなわち我々は、不滅でありながら滅をあらわし、「生れ更らない」でいながら、いろいろの「界」に転現して生れ更るごとく見せているのであります。

 こうして衆生として生れ更って来るように見えるのは、ともかくも、その放送室「実相」に「仏性」(という我)が存在するからであります。これを「一切衆生ことごとく仏性有り、すなわちこれ我の義なり」と釈尊は仰せられているのであります。

 現象としてみて見れば三界というテレビにあらわれた衆生でありますけれども、その奥を見れば「実相」に仏性があるのであります。仏性があるのに、仏性の方を見ないで、転現する現象だけを見て、その転変に心を奪われ執著して煩悩をおこしているから、仏性の方はおろそかになって、衆生は仏性を見ることが出来ないのだと仰せられたのであります。
<つづく>

1977復興G:2013/01/21(月) 21:25:45 ID:AB6RqYXc

 ④ イエス答え給う、「我もし已(すで)に栄光を帰せば我が栄光は空(むな)し。我に栄光を帰する者は父なり。即ち汝らが己(おのれ)の神と称(とな)うる者なり。然(しか)るに汝らは彼を知らず我は彼を知る、もし彼を知らずと言わば汝らの如く偽り者たるべし。然(さ)れど我は彼を知り、且つその御言(みことば)を守る。汝らの父アブラハムは、我が日を見んとて楽しみ且(かつ)これを見て喜べり。」ユダヤ人(びと)いう、「なんじ未だ五十歳にもならぬにアブラハムを見しか。」イエス言い給う「まことに誠に汝らに告ぐ、アブラハムの生れいでぬ前(さき)より我は在るなり。」(『ヨハネ伝』第八章五四−五八節)

について、『ヨハネ傳講義』より――

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 (「汝はわれらの父なる、ユダヤ人の大祖先として最も尊敬しているアブラハムよりも大なる者であるか、彼は死んで、それから後に出て来た多くの預言者たちも死んでいるではないか。それにお前の言を守らば永遠に死なないと言う、貴様は一体何であるか?」 とユダヤ人たちがいきり立って言ったとき)

 その時イエスはこう言われたのであります。

 「『我もし己(おのれ)に栄光を帰せば、我が栄光は空(むな)し』 自分を自分が尊い者であると言ったらその栄光は空しいけれども、私に栄光を帰する者は我が父である。我が父は、お前達の崇めておるところの本当の神様である。本当の神様が我が父であって、その神様がわたしの実相を讃嘆して、『汝は神の子であるぞ』とわたしに栄光をあたえているのである。神が、お前達の崇めている本当の神が私をここに遣わし給うて、実相の子としての実相の響きを出させておられるのである。

 『然るに汝らは彼を知らず、我は彼を知る』 私は本当に神を知っている。お前達は『神』を説いても本当には神を知らないのである。ところが、私は、本当の父なる『実相の神』を知っているのに、今更、神を知らんなどと言えば嘘吐(うそつき)になってしまうから、断じてそう云うことはできない。自分は肉の子であるとはどうしても言わないのだ。自分は実相(かみ)の子であるから、実相(かみ)の子であるというより仕方がないのだ。

 『汝らの父アブラハムは、我が日を見んとて楽しみ且(かつ)これを見て喜べり』――汝らの父アブラハムは、このイエスが出て来てそうして人間の実相を伝える――この日の出て来るのを予感していられて非常に喜んでいたのである。」 こうイエスが言われたら、
 「なんじ未だ五十歳にもならぬにアブラハムに会ったことがあるか。そんな出鱈目(でたらめ)、出放題(でほうだい)を言ったとて誰も信ずる者はないぞ」とユダヤ人はそれを反駁したのであります。

 数千年前に生れたユダヤ人の遠祖であるアブラハムであります。そのアブラハムがお前を知る筈はない。お前はまだ五十歳にもならぬじゃないか。どうしてアブラハムを知る筈はない――これが一般常識であります。

 それに答えられたイエスの言葉が有名な 「まことに誠に汝らに告ぐ、アブラハムの生れいでぬ前(さき)より我は在るなり」 と云う一句であります。この肉体の自分は三十三歳位に見えているけれども、こんな肉体は、本当の自分ではない。自分は、久遠生き通しの実相がここに顕現しているのである。だからアブラハムの生れぬその前の前の前より、自分は久遠の実在として存在しているのだ――こう言われたのであります。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

――以上、ありがとうございます。

1978復興G:2013/01/21(月) 22:24:59 ID:AB6RqYXc

SAKURA様。

テキストに添って、精力的に書き込みをしてくださいまして、ありがとうございます。

それを無視したわけではありませんが、割り込んで投稿したようで、申し訳ありません。

お詫びします。感謝します。

一応終了時刻になっても、まだ後夜祭がありますから、どうぞお続けください。

1979トキ:2013/01/21(月) 22:26:03 ID:JCzlgAQE
 復興G様、ご指導、ありがとうございました。

 私個人の感想ですが、大事なのは、聖典を拝読し、その上で各自が感じた事が「正解」なのかと思った次第です。
もちろん、慢心に陥ってはいけなのですが・・・・。過去は、信徒にとっては、教団や総裁の示す解釈が唯一で無二の
正解であった、という事だったと思うのです。これからは自分が神の子である、という事から発想を初め、聖典を
拝読して、各自がベストだと思う事を行動に移すべきかとも感じるのですが、そのためには、先ずは、行をしっかり
することが大事かもしれません。
(だからと言って、好き勝手な事をしても良いとはおもいませんが。)

 しかし、この解釈は私の我流ですから自信はありません。これをご覧の多くの信徒の方々のため、ご指導を
お願い申し上げます。

1980a hope:2013/01/21(月) 22:50:18 ID:TqpbsVIM
みなさま こんばんは

ちょっと前にやっとパソコンの前に座ることができ、今日一日のみなさまの投稿をさっと拝見させていただきました。
とても深い内容に魂が震えています。
これからプリントアウトした今回の誌友会のすべての内容をじっくりお勉強させていただく予定です。

ですが、わたしは明日も早いので、閉会前ですが今夜はもうお休みさせていただきます。

聖経 真理の吟唱から、「有限そのままに無限を悟る祈り」を謹写させていただきます。

感謝 合掌

1981SAKURA:2013/01/21(月) 22:52:06 ID:dGeUHjWM
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1888>>1889>>1934>>1935>>1936>>1939>>1940>>1944>>1945>>1968>>1971>>1972
>>1973>>のSAKURA投稿の続きです。

===【生命の実相…2巻の抜粋】=============================
■【存在(もの)の実相(ほんとのすがた)は何によって知るか】   その①

>>で、「美」をみるには自分の心に宿っている審美性すなわち「美」で照らし出して見なければ
わからない。「善」を見るには自分の心に宿っている道徳性すなわち「善」で照らし出して見なけ
ればわからない。こういうふうに何事でも、みんな自分の心の内にないものは見えないということ
が会得されるのであります。では、存在(もの)の実相(ほんとのすがた)を観るにはどうしたら
よいかといいますと、「自分の実相」によって存在の実相を照らし出して見るほかないのであります。
「存在の実相」と「自分の実相」とが互いに照らし合わされ触れ合ってカチカチと如実に鳴る、
そこに存在の不思議な円満な実相がありありとわかる。 (一部抜粋)
============================================

■■「神想観…」で奥深く見つめる〜〜〜【実 相】
但しこの時の“心の持ち方”になりますでしょうか?【善…なる心のみ】かと。
そして、それは【祈り…】そのものになります〜〜〜ョネ???そうしますと、
本当に【 エデンの園…世界観が変わる 】事になりますのでしょうかと。

===【生命の実相…2巻の抜粋】=============================
■【存在(もの)の実相(ほんとのすがた)は何によって知るか】   その②

>>このような第六感で見える世界はやはり鏡のように澄みきった実相の世界ではなく、「実相」
という息を吹きかけてできた曇りの模様のようなものを見別るにすぎないのであります。
で、われわれが確実に存在そのものの実相を知るには、五官を超越し、第六感さえも超越して
この「実相覚」によるほかはないのであります、だからわたしはこの「実相覚」にのみ遠慮
なく頼って存在の実相を観ることにするのであります。 (一部抜粋)
==========================================

■■本当の“奥の〜奥の〜心”に入っていくには、【甘露の法雨】にもありますが、
〜♫〜五感を超越〜〜さらに第六感も超越して貫く心の〜〜深層に入っていく〜♫〜
これはもう【神との一体】になるほかは無いと、改めて思いましたかと。
そう【 実相を見つめる訓練 】それは、本当に【祈ること…神想観】になりますモノ!!
「心の奥底の心〜〜〜」に入っていくようです。【祈り…】も深くなりますと
〜♫〜宇宙に貫く〜〜心〜♫〜 ……に“本当の心”に戻るのです〜〜〜ョネ〜〜〜
そうしますとこの【五官…目・耳・舌・鼻・皮膚を通して生じる五つの感覚】は物質でできていますから、
当に【仮の姿…】となりますでしょう!!それを“超越すには???”
【物質は無い!から始まる分けで、悪も無い!という事から始まる】訳です〜〜〜ョネ!
■【 心 の 眼 】どの様なものでしょうか???

                  つづく

1982a hope:2013/01/21(月) 22:53:08 ID:TqpbsVIM

聖経『真理の吟唱』より

有限そのままに無限を悟る祈り

み光は降(くだ)りたまえり、み光は降りたまえり。
大神の伝え給える御言葉は、まことにぞ光にましますのである。
我らすべてを照らし給い、迷いの暗黒より我らを救い出(いだ)さしめたまうのである。
聖なる神の御言葉(みことば)は、その真理の御光をもてわれらの実相を照らし出(いだ)したまい、
我らに人みな〝神の子〝たることを知らしめたまうのである。

人が〝神の子〝であるということは、〝人の形〝として顕われたる〝神〝であるということである。

神は無限であるが、人の形は有限である。
有限なる形のうちに、無限を表現することが、人間が地上に生まれ出(い)でたる使命であるのである。
画家は方尺(ほうじゃく)の画布(がふ)の上に無限をあらわす。
無限そのままに無限になるときには、何ものも表現されないのである。
無限がみずからを局限して有限ならしめることによって表現は行われる。
完全なる自由を享受して何らの抵抗もなき空中には絵を描くこともできないのである。
画家が、自己の絵筆の自由なる運行に摩擦して抵抗し、絵筆の無限の自由を制限するところに、
美しき絵が描かれるのである。
普賢菩薩は虚空(こくう)に満ちて普遍なるその智体(ちたい)をみずから縮小して
六牙(りくげ)の象に乗りたまえる普賢菩薩の現象身をあらわすのである。
現象の中に実相あり、これを覚らなければならないのである。
実相の顕現としての現象となるとき、そこに浄土現前し、地上に天国が建設せられるのである。
人身(じんしん)このまま有限にして内に無限を蔵(ぞう)す。
蔵するに非ず、有限そのままに無限であるのである。
肉体の中(うち)に、実相〝神の子〝が宿っていると仮にいうといえども、
肉体の中に小さく宿っているのではないのである。
無限の実相の中に於いて肉体が表現されているのである。
それゆえに、この身は実相の表現として、有限そのままに無限であるのである。
この身は実相の表現として有限そのままに無限であるから、
人間の寿命は無限にして永遠に死することはないのである。
時に、〝死する〝如く見えることがあっても、それは表現身が、
ただ表現の場を換えただけの事であり、人間そのものは死するのではないのである。
人間は不死であり、無限であり、虚空に満つる霊身である。
それゆえに我れの本体は阿弥陀仏であり、大日如来であり、普賢菩薩であり、観世音菩薩であり、
一切所(いっさいしょ)に転じ現われて大自在であるのである。
われは、〝内在のキリスト〝であり、物質としての肉体は本来無いのである。
肉体無し、本来霊身なりと知ることが、肉体を十字架にかけるということである。
何人も肉体を十字架にかけるとき、本来のキリストがあらわれる。
これが新生であり、復活である。
「もはやわれ生くるに非ず、キリストわれにあって生くるなり」と言いしパウロの言葉は真理である。

1983復興G:2013/01/21(月) 22:55:23 ID:AB6RqYXc

a hope様、ありがとうございました。

1984復興G:2013/01/21(月) 22:58:28 ID:AB6RqYXc

 ありがとうございました。

≪現象刻々流転。されど流転せざる者あり。「今・即久遠」なり。
「今」を把握すれば人の病い癒え、国の病い癒ゆ。≫

≪汝は真理を知らざるべからず。真理は汝を自由ならしめん。≫

――この「久遠の今」なる「実相の大地」に立って、光なる永遠生命を輝かして、愛と喜びの生活に邁進いたしましょう。

この第10回web誌友会は、皆さまのご協力により、まことに意義ある誌友会となりましたことを、心より感謝いたします。
ありがとうございます。ありがとうございます。

これにて一応第10回web誌友会を閉じさせていただきたく損じます。

では、最後に世界平和の祈りをさせていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

◇◇◇世界平和の祈り◇◇◇
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い
すべての人々の心に、愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

◇◇◇光明思念の歌◇◇◇
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ありがとうございました。

1985SAKURA:2013/01/21(月) 23:04:42 ID:dGeUHjWM
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1888>>1889>>1934>>1935>>1936>>1939>>1940>>1944>>1945>>1968>>1971>>1972
>>1973>>1981のSAKURA投稿の続きです。

>>1978 『復興G様』からのお言葉…ありがとうございます…。
【 心 遣 い の 言 葉 】に改めて…【感謝!!】です。ありがとうございます・・・。
続けて… 更に、私なりの【解釈論…】を
此処で引き続き投稿させて頂きます事に、『復興G様』…への感謝の念を……申し上げます。
                               
再合掌

1986SAKURA:2013/01/21(月) 23:06:57 ID:dGeUHjWM
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1888>>1889>>1934>>1935>>1936>>1939>>1940>>1944>>1945>>1968>>1971>>1972>>1973
>>1981>>1985のSAKURA投稿の続きです。

===【生命の実相…2巻の抜粋】=============================
■【存在(もの)の実相(ほんとのすがた)は何によって知るか】   その③

>>「物質」と「霊質」とは性質においても、本質においても正反対であります。
どちらか一方が「真」であれば、どちらか他方が「偽」でなければなりません。どちらかが
一方が「実在」ならば、どちらかの他方が「悲実在」でなければなりません。二元論は
自己憧着に陥ります。   (一部抜粋)

===========================================

■■こうして考えていきますと。私のもの見方も、どれが正しいのかといった感じは
時折でありますが“疑問”になる事も、今の【生長の家の騒動】は何かが“おかしい感じ?”
に見えてしまいます。
どちらが正しいのかは、これは【今後十年後に、結果が出てくる】のではと思います。

よく、早急な言葉に思えます【失敗…との否定論】をおっしゃいますが?私にしてみますと…
これだけの【現総裁先生…中傷・人格否定論・結果否定論…etc】を考えますと……
果たして、【この方々が…現役=本部職としての勤務】時点で、果たして上司の指示を
何処まで行動としてなされていらっしゃいましたかと?ある面では【疑問…】を抱きます。

私は、今回の【現総裁雅宣先生のお経】を読誦していますが、意外と“奇蹟”に近い事も
あるのでは?まだ「お経…」は、昨年の夏から(4月頃?)から始まったモノかと…。
世間一般でも【石の上にも3年・・・】この様な言葉もありますかと。この期間が、余り
にも早急に見えます。…が?私自身は、新しいこの「お経…」を読誦しながら、言葉を理解
していきますと“さわやかな気分”に入っていき「お経…」も楽しくなり、毎日!毎日!
【甘露の法雨…】と、両兼用にての読誦をしております。
これが、すごく“グ−”なのです〜〜〜ョネ!!

■そういう【きめつけ心】でいきますと、
やはり【物質】と【霊質】との正論は、本当に、雅春先生の言葉の
【自 己 憧 着 に に 陥 り ま す】は、本当に、そうなのですかと。!!
今!今!を活かしながらの生活に密着する事が【自己の信仰の形…】ではと思うのです。

やはり、各々の皆様の捉え方が異なりますのは致し方の無い事になるのでしょうかと思いつつ、
私は【類 の 法 則】にて、「現総裁雅宣先生…擁護」とさせていただきまして、
今の総裁先生に…私なりの【真理の探究…が深くなりつつある事に…感謝】でしょうかと。

                 つづく

1987志恩:2013/01/21(月) 23:41:09 ID:.QY5jUA6
復興G様、トキ様
一日延長してまで、ご指導くださいまして、ありがとうございました。
ahopeさん、最初と最後のお世話を、いつもすみません。
SAKURAさんも、私とは,考え方はちがう人ですけれど、たくさんのご発言、拝見していました。
復興G様が謹写してくださった真理の言葉、改めて拝読させていただいているところです。
ほんとうに、ありがとうございました。合掌 礼拝

1988復興G:2013/01/22(火) 10:02:33 ID:AB6RqYXc

志恩様、ありがとうございました。

トキ様、皆々さま、ありがとうございました。

合掌 礼拝

1989さくら:2013/01/22(火) 10:28:49 ID:gMZh2DOU
復興G様

心より感謝申し上げます。

ワクワクする誌友会を、ありがとうございます!

\(^^)/←…バンザイマークで失礼します。

合掌拝。

1990トキ:2013/01/22(火) 11:52:46 ID:uNu2SSuM
 復興G様、すばらしいご指導を賜り、ありがとうございました。
ご多忙の中、後進の我々に貴重な時間を使って下さり、とても嬉しく思います。

 今後とも、ご指導のほど、お願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1991a hope:2013/01/24(木) 09:35:48 ID:TqpbsVIM

みなさま おはようございます。

第10回web誌友会もたくさんの真理が詰まった素晴らしい内容だと感じています。

復興Gさま、トキさま、そして参加くださったみなさま、閲覧してくださったみなさま、
ありがとうございます。

わたしは聖典引用板に「新版 生活読本」を謹写させていただいているのですが、
ちょうど今謹写中の内容が、本を読むコツについて書かれているのです。

谷口雅春先生も、たくさんの本を執筆されています。

わたしは、その中には、雅春先生に直接「生長の家の大神さま」から天下ったお言葉もあれば、
その時の時代背景に応じて、雅春先生御自身が「生長の家の真理」にそって、
その時代の現象世界を光明化するために書かれたお言葉もあるような気がします。


それは、谷口雅春先生ご自身が、

>>読む分量ばかり多くて、読んだことについて深く自分で考えてみない者は、
本に読まれたのであって、本を読んだのではないのであります。
「ことごとく書を信ずれば書なきにしかず」という諺(ことわざ)もあります。
書に読まれてしまっては、自分の力はつきません。
自分で本の善いところを吸いとるだけの力がなくてはなりません。<<

と「生活読本」でおっしゃっていることからも、谷口雅春先生は、
「たとえ自分の書いた本であっも表面だけ読んで盲信せず、しっかり心読して『真の教え』ををつかみなさい」
とおっしゃっているような気がしてなりません。

このweb誌友会は、生長の家の真の聖典『生命の實相』をテキストにして、
生長の家の根本真理「久遠生命の真理、生命の実相」を学んでいるのですよね!

わたしは、今回の内容に合わせてテキストの範囲や倫理篇などをじっくり心読しています。
本当に素晴らしい「生長の家の教え」に魂が震えています。

みなさま、『生命の實相』は本当に素晴らしい真の聖典ですね!

ここで皆さんと一緒にお勉強できて、a hopeは、とても幸せです。

感謝 合掌

1992SAKURA:2013/01/24(木) 13:12:22 ID:hX/B0oxc
こんにちは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■■>a hope様 へ
>>1891 a hope 様よりウエブ誌友会ありがとうございました。
>>1939>>1940>>【SAKURAの返事】です…。

今回の【WEB誌友会…】の、参加を躊躇していましたが?もしくは参加しないといった方が、
当初の私の正直な気持ちでした。…が?
【ノ―ミ―ト運動…】の“写真をトリック…”といった感じでの以前の“別板ので投稿”で、結局
この“写真…”が、「現総裁雅宣先生のお嬢様」だと分かり、更に「フエスブック…」にて確かに、
写真を閲覧できましたが……今回!私の判断での投稿に誤りがありまして、心の中に“皆様にお騒せ”
してしまい、【WEB誌友会】の前夜ですので…参加の方に影響がと心配になりまして、更に、考えの
相違はありますが【総裁先生…擁護派】としての【真理への討論】に、もう一度、参加させて、
頂こうとオもぅた次第です…。…が?
何故ならば、テキストの中に【五感の否定…】といいます、人間の通常の心情に“ピッタリ”と、
今回の私自身の“お騒がせ”も含め、皆様の真理の捉え方を…この様なる思い出参加となりました
のです。

■余談ですが…此処の「管理人様…トキ様」は【ノケモノ…総裁先生擁護派…異分子】扱いですが…
今回は、特にヒシヒシと感じましたでしょうかと。[裏メ−ル]が、かなり名指しできているのでしょ
うと思いましたが…此処で末端信者(献金斜陽族)としては【生長の家…お家騒動】の行く末もです。
…が?此処昨今の世間でも暗い事項ばかりが目に付き、日常生活に於けます【真理…追究】をいたし、心に一筋の安らぎ…これを求めているのでしょうかと。
これを…■【誌友会…WEB誌友会】に求めての…参加に…

今回は、失礼ながら、第一印象の通りの「a hope様」でいらっしゃいました事に…改めて感謝です。
❤〜実は【故人…義春様】との【ト−キング・ボ−ド】にての【投稿対話…】を閲覧させて頂いて
おりました。それを閲覧しながらいつの間にか「a hope様」の考えが?変わっていかれたのでしょうか?
これが昨年からの正直な話で…これも私の【五感の否定…】から生じるのでしょうかと…その様に、
心に抱きながらの今回の「a hope様…お返事」を頂き…【真理の勉強…】を前向きにされる…最初の
“イメ−ジ!”の方と、思った次第です。この様に、多々なる意味で、勉強になりました。

■やはり【真 理 の 追 究】は、「人生の問題」をかかげました時に、前向きなる姿勢を頂きます…。
そして「生命の実相」をテキストにての勉強会は、改めて自己を振り返り見ることの機会と…
本当に【魂の向上へ…】繋がるモノとの判断です。…が

改めて…「a hope様…」に感謝申し上げます…。      再合掌

1993SAKURA:2013/01/24(木) 13:23:58 ID:hX/B0oxc

こんにちは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1992の投稿に関しまして… 
■【 訂 正 事 項 】下記の様になりますので…申し訳ございません…。

≪ 旧 ≫   頂こうとオもぅた次第です…。…が?      ×
  ↓       ↓        ↓
≪ 新 ≫   頂こうと思った次第です。…が?        ○
                               再合掌

1994SAKURA:2013/01/24(木) 14:27:13 ID:hX/B0oxc
こんにちは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■>「復興G 様」 へ

■■ 【WEB 誌友会…第10回…】から〜〜〜

「復興G 様」から頂きました「アインシュタイン…のお返事」で“捉え方”が、いろいろ
あって面白いです。…その様に思いました次第です。そこからです。…が?私も“リズム”が
出来まして、楽しくなった次第なのです。「復興G 様」のやはり【経験からの真理…】も、
何時か?閲覧出来ます機会がありましたらと思いますが、お忙しい中での【WEB誌友会…指導】に
深く感謝申し上げます…。

更に!いつも、貴重なる資料を此処に転写して頂き、スロ−テンポの【SAKURA】は、後日に
読む事になってしまうのですが、その時は“理解…”が、今一つの私は、後からついていく
【真理…勉強】にと、どうしてもなっていきます時に、此の多々なる資料が、きっと私なりに
活かされて来るモノと、改めて思いまして、更には、その事が、今後の私の体験に繋がっていき、
活かされる事になりますかと、この様に感じた次第です。…が?

ただ、私の未熟な脳内解釈ですから、やはり「生命の実相」の頂きましたテキストの範囲でしか、
【真理の勉強】に於きまして、余裕がない私なのです。今…【今回のWEB誌友会】にて、転写
して頂いた抱きました資料を、拝読していってる次第です。…が?〜〜〜また時間を調正しながら、
理解出来ない事が?分からない事が?…出てきましたら、質問投稿させて頂きたく思います。
私も、まだまだ「雅春先生の書籍」の数々は、拝読していませんので…「復興G 様」には、
叶わないです。色々なる本からの抜粋に…多々なる先生の解釈論があります事に“ビックリ”なのです。

そして「復興G 様」に甘えまして、事前に指摘頂きました『生命の実相』のテキスト範囲内容から
の私なりに、解釈した事を、投稿しました事を、お詫び申し上げます。
それと共に、また、引き続き“投稿形式”を、させて頂きますので……
何卒、今後ともご指導の程、宜しくお願い申し上げます…。         再合掌

1995SAKURA:2013/01/24(木) 15:45:54 ID:hX/B0oxc
「復興G様」 へ  「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1888>>1889>>1934>>1935>>1936>>1939>>1940>>1944>>1945>>1968>>1971>>1972>>1973
>> 1981>>1986>>の【SAKURA投稿】の続きです…。 

===【生命の実相…抜粋】===============================

■【実相の世界における神人としてのわれの存在】   その①
>>この普賢菩薩というのはなんであるかというと「衆生のうちにおいて最勝最上である」
とあるから、明らかに一個の人間であります。その人間が、一切菩薩もその知恵の境界を
察する能わずというのですからよほどの大知恵を成就しているのであります。この大知恵
を成就した普賢菩薩がどこに座しているかというと、金剛蔵道場である。金剛蔵道場とは
金剛不壊の実相世界であります。省略〜〜衆生の一人でありながら、彼は実相世界(金剛
蔵道場)に座すときは、身量無辺、色蔵無辺であるので、われわれは神想観によって実相
世界に帰一し実相人に接触することができるのであります。 (一部抜粋)
========================================

■■普賢菩薩は【人間…】なのです〜〜〜ョネ!!私たちは【人間の神の子…】ですから、
思いますに?【半分は霊的人間…】なのです〜〜〜ョネ??ですが【半分は現象人間…】で
もあるという事になりますでしょうか?【 肉体は仮りモノ 】ですから、いつかは ><
“滅ぶモノ?朽ちるモノ”?…でしょうかと!しかしながら【 心=魂 】は永遠に残るモノ
次の世界へも連なるモノかと…この時、私達は、【心の深層〜〜〜】へと深く入っていく訓練を
していませんと【死後の世界…】と云いますか?次なる世界=霊界で、いつまでも〜いつまでも
【肉体…】に拘ることにもなりかねませんモノ!此の現実社会に於きましても【半分霊的人間】
ですから“精神統一”しますと【神と一体】になれるのです〜〜〜ョネ! 要するに、
【神と一体とは、普賢菩薩の座する金剛蔵道場にて…それは“神想観による祈り】この事なの
ですかしら〜〜〜ンと、思うに至りました…。精神統一に入りますと【神の叡智を司る〜〜】
それは【神の知恵…】を受けるの事なのです!改めて思いました。

人間智では?解決できませんですモノ!

私達は【普賢菩薩になれる〜〜〜何もかも“モ〜〜〜ウ!”既に頂いている事に確信…して、
「大知恵」をすでにいただいている〜〜と思います】この、確信した【祈り…】が、
ダンダン〜ダンダン〜深く深層に入っていく過程で【実相世界…】に突入なのでしょうか??
そう【タイム・トンネル】みたいですネ〜〜〜〜 ??次元世界へかと
                               
つづく

1996復興G:2013/01/24(木) 16:57:24 ID:AB6RqYXc

>>1991 :a hopeさま。

>>……それは、谷口雅春先生ご自身が、
>>読む分量ばかり多くて、読んだことについて深く自分で考えてみない者は、本に読まれたのであって、本を読んだのではないのであります。「ことごとく書を信ずれば書なきにしかず」という諺(ことわざ)もあります。書に読まれてしまっては、自分の力はつきません。自分で本の善いところを吸いとるだけの力がなくてはなりません。<<
と「生活読本」でおっしゃっていることからも、谷口雅春先生は、「たとえ自分の書いた本であっも表面だけ読んで盲信せず、しっかり心読して『真の教え』ををつかみなさい」とおっしゃっているような気がしてなりません。<<

 そうですよね。

 私は、昔学生時代に、『生命の實相』拝読に没頭するきっかけとなる影響を受けた本のことを思い出しました。

 それは、前にご紹介したアンドレ・ジイドの『プレテクスト』から「文学に於ける影響について」という講演記録、それからトルストイの『人生読本』、亀井勝一郎の『読書に関する七つの意見』などです。

 トルストイの『人生読本』には――

 ○ 最も野蛮な迷信の一つは、人間は信仰無しに生き得るものだという独断に対する、現代の所謂学者の大多数の迷信である。

 ○ 真の宗教とは、吾人を囲繞する無限無窮の人生に対する吾人によって打ちたてられた一種の関係の謂いである。即ち、吾人の生活をこの無限無窮と結びつけ、吾人の行為を導く所の関係である。
 あらゆる宗教の本体は、何の為めに私は生きるか、自分を取り巻く無限無窮の世界に対する私の関係は如何なるものであるか、という疑問に対する解答の中にのみ存する。

 ○ 知識は記憶力によってではなく、自己の思想上の努力によって獲得された時にのみ、知識であり得る。

 ○ 学問に於て是非とも究め知る必要のある唯一の知識は、吾人が如何に生くべきであるかという事実に対する知識である。そして此の知識は、何人にも凡て獲得されるのだ。

 ○ いろんな知識をかき集めている学者共は不憫なものだ。ひとりよがりの哲学者達、飽くことを知らぬ研究家等は不憫なものだ。是等のよくない富者等は、ラザロの徒が絶えず飢えに悩んでいるにも拘わらず、毎日毎日自分たちの知識上の饗宴で無為徒食しているのだ。是等の人々は皆無に等しい代物でお腹が一杯になっているのだ。何となれば、そうした空しい知識は、道徳的完成にも社会的完成にも力を致すところがないからである。

 ○ 無益な学問をうんとこさと学び知るよりは、人生の法則を少し知る方がましである。

 ○ 自己の無識を恐れず、虚偽の知識を恐れよ。真実でないものを真実と思惟するよりは、むしろ何にも知らない方がましである。

 ――などとありました。
<つづく>

1997復興G:2013/01/24(木) 16:58:03 ID:AB6RqYXc

<つづき>
 そして、亀井勝一郎著『読書に関する七つの意見』 には

 ○ 読書の目的は、自分の理想とする人間像を心の中に確立することである。或は自分の座右の書を持つということだと云ってもいい。それは世代や年齢や気質によってそれぞれ異なるのは当然だ。しかし私の経験では十年から二十年の歳月が必要である。多くの迷いを経なければならないのは当然だが、様々に訓練されて、ある程度の読書を積み重ねて行くうちに、大体これだけあればいいという自分の座右の書というものが次第にきまってくるものである。つまり自分の原典である。
 
 ○ 自分を統一するためには結局は一冊あればいい。という意味は信仰があればいいということなのである。

 ○ 青年諸君にすすめたく思うのは、……原典の中の原典に帰れ。ヨーロッパで云うならば、プラトンの対話篇、バイブル、あるいはギリシャ神話を読むこと。日本の場合には万葉集とか古事記とか、書紀を読む。あるいは広く東洋の場合は論語とか老子の教えに接する。これは強調していいことと思うが、私の接した偉大な思想家や文学者は、例外なく思想の源泉に還ることを忘れなかった人ばかりである。トルストイは原始キリスト教に還り、ゲーテは古典ギリシャに還り、親鸞は釈尊に還り、本居宣長は古事記に還った。還るという意味は、思想の源泉に浴して身心を新にし、よみがえるということである。私は原典中の原典をあげたが、むろん自分の発見した原典であってもいい。それが自分の邂逅し信愛するものであるならば、いっそ自然へ帰ったって差支えないわけだ。精神の背骨はここでのみ養われるであろう。このことは、年齢の如何にかかわらず生涯にわたってくりかえすべきことだと思う。

 ○ ……一流の哲学や文学を読むのはいい。しかし読んだとたんにわけのわからぬことを口走るのは困るではないか。自分の肉親や友人に向って語るように、あたりまえの言葉で表現すればいいのである。読書によって所謂「大きな言葉」だけを覚えるのは、読書の害というものではあるまいか。

 次に何か問題に直面すると、誰はどう考えているか、誰某の説はどうかと、やたらに本から引用する人がある。学者や評論家などに多い例で、東西古今にわたって権威ありそうな説を引き出さなければ気がすまないらしい。ひまで読書ばかりしている人の中にもそういう例がある。読まない人よりましかもしれないが、他人の意見の中に自分を埋没していいものだろうか。この場合の読書とは一種の自殺ではあるまいか。

 我々は自分の意見、他人の意見と言うが、「自分の意見」なるものを詳細に分析してみると、それは殆んど他人の意見の複合体であるような場合がある。むろん人間は自分ひとりだけの努力で成長することは出来ない。必ずそこには読書、あるいは師や先輩の指導があり、つまり私の謂う「邂逅」によって成長するものである。しかしそうして受けいれた思想が全然消化されず、ただ学説や理論として頭脳の中にぎっしり詰っている人間ほど厄介なものはない。つまり臆病になるのだ。自分の自発的発言に対し危険を感ずるのだ。

 古代ギリシャにターレスという哲学者がいた。彼はいつも天を仰いで星の秘密を探ろうとしていたが、あまり熱心に空ばかり見ていたので、足下の穴に気づかず、或るときその穴に落ちこんでしまった。これを見ていた一人のトラキアの娘が大いに嘲笑したという伝説がある。
 ターレスは或る意味では愚かな人かもしれない。しかし東洋に「大愚」という言葉があるように、「大愚」でなければ大きな仕事は出来ないということも考えねばならない。
 つまり私はこういう学者のタイプが」好きなのだ。ターレスの愚さに親しみを覚えるのである。

   ************************

 上記のような読書論などに深く影響を受けて、私は『生命の實相』拝読に没頭したのでした。
 なつかしく、思い出しました。

 合掌 拝

1998復興G:2013/01/24(木) 17:14:01 ID:AB6RqYXc

SAKURA様。

熱心な学びのお姿、投稿に感謝します。

私たちは、今、そのまま神に生かされているしかないのですね。うれしい! ありがたい! と、よろこびましょう。

合掌

1999SAKURA:2013/01/24(木) 18:10:06 ID:x24JjvTk
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こんばんは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>> 1981>>1986>>1995 の【SAKURA投稿】の続きです…。 

===【生命の実相…抜粋】===============================

■【実相の世界における神人としてのわれの存在】   その②
>>善財童子が金剛蔵道場の普賢菩薩を見たときの心はどうであったかと申しますと
『華厳経』入法界品第三十四ノ十七によりますと、「正念して……虚空界に等しき心、
一切無着の心、一切刹を清めて障礙なき心、一切法の境涯において障礙なき心、一切十方
に充満する」等々の心を起こしたとあります。この正念して虚空界に等しき等々の心を
起こすことが神想観であります。

>>音声無辺であるというのは、われわれの実相は天地に満つるコトバであるからであります。
これが金剛蔵道場すなわち実相世界における「われ」の実相の世界に入る自分の座っている
のはこれ実相の世界であって、神の無限の知恵、無限の愛、無限の生命、無限の供給に満た
されている大調和の世界である。この大調和の実相の世界にいてわれ神の子として神より無限
の生かす力の供給を受けつつあるのである」と念じて精神統一にいるのは、自己が衆生の一人
であると同時に普賢菩薩と同じように身量無辺、音声無辺、色蔵無辺である自己の実相を悟ら
んがための行法でありまして、これこそ真正の観普賢菩薩行法なのであります。(一部抜粋)
============================================

■■私達は、「普賢菩薩様…」のように【日々の祈り】の自覚が、そして、日々のこの行事で
あります【神想観=瞑想】で〜〜〜【神との一体】になれる素晴らしさは、計り知れないモノ
でありまして、それは【心の青空…あの澄み切った世界観】がみえてきますのでしょうかと。

時折ですが?仕事の関係上【先祖供養…】だけですませる事がありましたが、最近は、
【神想観…】を中心に致しますと、やはり【発想の転換…】ができまして、良い事と云いますか?
物事が、スムーズになる事が、生じます。…が?そして、如何しても【現象で物事捉える】この
ような傾向がちですが、今の私は「活かされている〜〜〜実感」がフツフツ湧きあがり、この
素晴らしい【精神統一…神想観】に感謝です。もっと、深く【祈り…】に徹していき〜〜〜
私も【普賢菩薩の仲間入り】になれるようです〜〜〜ネ!!

■毎日「金剛蔵道場すなわち実相世界における「われ」の実相の世界に入る自分の座っている」
私は、“実に〜幸せかな〜〜♫〜〜”と、あらためて「雅春先生」に感謝です。そして、
現在の「総裁先生」に感謝です。では、今から、そうですとも!
【人間…神の子ですもの!!】と認識しながら“金剛蔵道場”の中へ入っていきましょう!!

                                  つづく

2000SAKURA:2013/01/24(木) 18:25:57 ID:x24JjvTk
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こんばんは……    ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>> 1981>>1986>>1995>>1999  の【SAKURA投稿】の続きです…。

「復興G様」 へ…
ご丁寧に頂きました“お返事”感謝申し上げます…。特に>>1997 の中の投稿からなのですが、
■>自分を統一するためには結局は一冊あればいい。という意味は信仰があればいいということなの
である。< (一部抜粋)

此の言葉が…私には心に“ズシ〜〜〜ン!”と入り込み…益々と【テキスト…コピー】にて、
【真理の追究…】を邁進したく思います。新たなる“資料…”感謝申し上げます。

では最後に〜〜〜❤〜〜〜〜
===【生命の実相…抜粋】===============================

■【実相の世界における神人としてのわれの存在】   その③
>>この自己を掴むためにする修業が、毎日一定の時間を期してみなさんに実修して、
いただいている「神想観」の修行であります。
>>だから「生長の家」の「知恵の言葉」には「道を歩く時には今神が歩いていると思え」
とあるのであります。同じようにわれわれは机に*よっている時も「今神が机に*よっている」
と思うべきであります。こういうようにして常にわれは神人であるという自覚を失わないよう
にすると、われわれは常に朗らかな光線ゆたかな気分を維持することができ、自分の実相の
円満さが「影であるところの肉体」または「境遇」に映写されてきて、肉体は健康に境遇
は幸福になってくるのであります。
======================================

■【神想観の重み…】を、深く理解しました。私も、今から【神想観の素晴らしさ】にて、
遥かかなたの「宇宙に〜〜宇宙に〜〜☆」に、入っていきそうです。
毎日が〜毎日が〜“楽しい修行”になりそうな気配なので〜〜〜す。
当に【祈り…】も、生かす事ですネ!            つづく


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