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聖典引用 板
3105
:
a hope
:2014/11/03(月) 21:08:54 ID:cEpBaIdo
>>3102
つづき
p28 後から3行目〜
私が諸方へ講習に行きましても、時々こう云う弁解をされる地方がある。
「ああ農繁期でございますからどうも人の集まりが悪いのでございます。」そうかと思うと、
「祭日とかち合いましたので、人がその方へ行きまして、講習会の集まりが悪いのでございます。」
あるいは「雨が降りましたのでどうも人の集まりが悪いので御座います、」などと、
責任を農繁期や祭日や雨天に課して、自分の努力の不足にアリバイをつけようとする人がある。
ところが、或る農村に講習に行って雨が降ったときに、「先生、今日は雨が降りまして有難うございます」とお礼を言われたこともある。
そう云う所では「雨が降ったので百姓が野良にでられないから、野良にでるかわりに、
この講習会に集って来るのでございます。神様有難うございます」と喜ばれるのであります。
それなのに、口実をつけるところは、「雨が降ったから人が集まり難いのであります。もしお天気なら、もっと集っとったんでございます」
まあそう云うように理屈をつけて自己弁解する。
その自己弁解をするようでは、この自らの主人公であるところの自覚が足りないのであると言わなければならないのであります。
(第四条についての雅春先生の解説終わり)
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