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聖典引用 板

3152SAKURA:2014/12/07(日) 23:15:34 ID:???
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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>>3148>>3149>>3150>>3151 の投稿の続きです….。
■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 まず自分に深切であれ ―その7―【 転載編 ―】*=======**========*

■さっき申しましたように、甘いものの好きな人は甘いものを他に与え、煙草の好きな人
は煙草を他に与える。そして自分自身の自由自在な実相の好きな人は実相を他に与えるの
であります。

 ところが誰でも、本来自由自在なのが実相(ほんとのすがた)なのでありますから、
自由自在の境地を求めない人はない。煙草の好きな人も本当は煙草そのものが好きなのでない、
なんとなくぎコチなく淋しく自由自在な感じが失われている、その感じをごまかすために
煙草を喫み酒を飲むのです。

金の欲しい人でも、金のそのものが欲しいのではない、金があると自由自在になんでも
ふるまえると思うから金をほしがるのです。ところが金を持っても酒煙草を喫んでも、
それに執(とら)われたらかえって自由自在が失われる。

金に執すれば金に縛られ、酒煙草に執すれば、酒煙草の奴隷にせられてしまう。
これでは、もともと自由自在を求めたのが何にもならない。自由自在を求めてかえって
不自由自在を得たことになるのです。

 ですから自分が真に自由自在に解脱した喜びというものに得たならば、
われわれは全人類の得(え)んとして目指しているこの喜びを人々に与えなければならぬのです。
これが自他一体の真理なのです。そうしてここに自分が仏の実相を鳴り出せば、かたわらにいる
人々の内にある仏が鳴り出すということになるのであります。

これは釣鐘の共鳴のようなものであって、二つの釣鐘を並べて置いてこちらの釣鐘をゴーンと
撞くとその隣の釣鐘もゴーンとまた共鳴して鳴り出すのです。それは、一人の人の実相の響きが
鳴り出す時は、「一切衆生仏性あり」で、他の人々の中に宿っているところの仏性が鳴り出して
表面に顕われて顕在的になるのであります。

だから人を悟らすには、まず「自分は神の子だ、仏の子だ」と気づいた人が、そうであると
いうことを言葉に出してガ―ンと鳴り出すということが必要なのであります。そうすると
その隣の鐘――否、その付近にいる人たちもやはり自分のうちにある尊き仏性がガ―ンと
鳴り出して顕在となり、またその響きがさらに共鳴を起こして、すべて人々、到るところに
仏が現われて来るということになるのであります。

そしてすべての人々悉く仏性が顕われ、これが本当に隣人を愛するということになるのであります。
それでその次の第十二条にはこう書いてあります。

              次の項目につづく
❤〜SAKURA


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