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聖典引用 板

3095a hope:2014/10/27(月) 23:23:48 ID:cEpBaIdo
>>3094つづき

p21

それですから真に人権を尊重し、その自由と平等との基礎を確立しようと思ったならば、
「人間は神の子である」と云うところの根本を把握せしめなければならないのであります。

戦後、殊にこう云う混乱が起こって来るのは、爰(ここ)に示されている通り、
「人間が人間でありながら人間なるものの本当の相(すがた)を見失っている所から発している」のであるから、
其の事実を見つめなければならないのです。

爰(ここ)に「機縁は」とあるのは、皆さんが、生長の家に入って来られるその「機(はずみ)」になった「縁(えん)」と云うものは、
「生老病死」即ち、生活の苦しみや、老いる苦しみや、病の苦しみや、将又(はたまた)、
死の恐怖と云うものが機縁になって入って来られたかも知れぬけれども、その入信の機縁は「生老病死」のいずれであろうとも、
「必ず人間神の子の自覚の確立に、導いて行くことが光明化運動の本旨(ほんし)である」その事を自分だけ知ったら足れりと云う訳ではない。

他の人をも、その本旨を悟るように導いて行くのが菩薩としての愛行であります。

だから、この最後の所にどう書いてあるかと云うと、「……光明化の本旨であることを互に明らかにし合わなければならない」と書いてあるのです。

「互に明らかにし合わなければならない」――明らかにし合うのであって、自分だけいいと云うのではなくて、
互に「人間は神の子である」と云う実相を把握せしめる事こそ人類光明化運動だと云うことを、
相互扶助して明らかにし合わなければならないと示されているのであります。


それじゃあ人間神の子の把握をしっかりしなければならんと云うが、
その人間神の子の自覚とはそもそもどの様な自覚を根本とするかを明らかにしなければならないと云って次に説明してあるわけです。――

(第三条 についての雅春先生のご解説、終わり)


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