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聖典引用 板

2820SAKURA:2014/04/18(金) 14:16:58 ID:GAUySuWA
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こんにちは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【  転載編… 】その2
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】
(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 各宗教に対する生長の家の立場 ―その9−1 】*=======*=======* =======*=======*

 ■こんなわけで、この世の中のあらゆる宗教は、おのおの総ての電燈は照らす光として
働いているのと同じように、すべて人生の燈台となり、人の心を照らす光の輝きをしてい
るのであります。

 それに、いちいち相手をけなして自分ばかり善いのであると、こういうような宗教争
いをするようなことでは実にみっともないことであります。

 宗教は要するに愛を説くものである。愛とは、仏教でいえば慈悲と申しますが、キリ
スト教でいえばたいてい愛という。愛とは何であるかというと自他一体の実相の働きで
す。すべて生物および森羅万象を、その形容である物質的方面から見ると、自と他の対
立したように分かれているけれども、本来一つのものであるということを知ることが愛で
あります。たとえば、われわれが子供を可愛いと思うのはどうして可愛いのであるかとい
うと、それは自分から出たものである、本来自分と一つのものであるという気持がするか
ら自分の子供が可愛い。ところが、他人の子供は何となしに自分から出たような気がしな
い。すでに悟った人は別でありますけれども、肉眼で見たところ、どうも自分から出たよ
うな気がしない、自分と一体であるような気がしない、それで他人の子供はあまり可愛く
なくて自分の子供だけは可愛いという鬼子母神のようなかたよった愛になるのでありま
す。つまり、愛というのは自分と他とは一つのものであるということを知ることが愛であ
ります。この愛というものを宗教の上に押し広げてゆきます時には、自分の宗教と他の

>>宗教とはやはり一つのものである。ということがわかった時にははじめて宗教とが愛
によって結ばれるということになるのであります。<<

すべての生きとし生けるもの、すべての人間を愛によって結びつけ自他一体であるという
実相を知らせ本当の相を悟らせるために現われたところのこの宗教が、宗教同志仲がわる
くて、互いに欠点をあばいて石を投げ合いして、あいつはわるい、あいつを撲滅しなけれ
ばならない、あいつが栄えたらわしの方の宗教が栄えなくなるというふうな利己的な観念
をもって、争いあうというふうでは本当に宗教がこの世を照らすために現われたという
目的に反くわけであります。

                    つづく


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