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聖典引用 板

2035goro:2013/02/13(水) 22:47:24 ID:nCo1DokU

 雅宣総裁の建国記念日(紀元節)式典の御挨拶「建国神話の普遍性と特殊性」の内容と、生長の家の本来の古事記解釈とは根本的な違いがあります。雅宣総裁には、生長の家の最高指導者として、せめて、天皇国家としての建国の理想を語って欲しかったと思います。

 以下の文章は、野木先生の「古事記の序文概説」の一部を抜粋したものです。
雅春尊師の「唯神実相哲学」と、野木先生の古事記解釈が渾然一体となって、「天皇国日本の実相」を余すところなく説いて下さっていますので、古事記の学びの道標として参考にして下さい。

 古事記には、外来思想のように、英雄偉人や聖者という固有名詞の評価や理想はない。神々の事績を鏡として、民衆や下位の者に(サタンの利でなく)真実の利があるかどうかという「聖の道」のみが存在する。この違いが見えなければ古事記の思想は理解できない。従って、序文は、次のように古事記の思想を結論している。

泰平の世は歩むようで…事ある時は疾走するように…時代の動きは、異なった時代が、あざなう縄のように去り…現れてくる。「文雅な政治」と、「質朴な政治」は、違っているように思われやすく、時の天皇によって、異なった政治をしているように見えるが、歴代天皇は、歴史を貫く「古事記の初心に従った未来」を見通しており、常に「神々の事績に神習うこと」を一貫した指針として知ろしめす。

従って、教化道徳は廃れ切って、自国の歴史を否定する者が出て来ると…
その中でこそ、人心の汚濁は濾過されて…時節至れば…真実は自ずから萌え騰り、古事記の心を種とする天皇と、神の子吾を自覚する人々が出てきて、常に、新しい時代に応じて…さらに未来を見通した古事記の心が蘇る。従って、新しい学問や風潮が現れて…「古事記の心は絶えるか」と思えても、神ながらなる道は人知れず補われ…必ず新生して顕れるのである。

これは政治に限らない。天地一切のものは、宇宙的レベルから地上の自然や個人に至るまで、それぞれの道(性質)にしたがって、春夏秋冬のような時節を経過している。しかも、現象の世界は、原子的な極微の次元の波動がテレビの画像のように、間断もなく映し出している「映像の世界」(人間関係は想念の現れ)であり、「古(いにしえ)を稽(かんが)え」の言葉通り、天地創造の初めから現在まで造化参神の道に継続して進んでいる。

しかしながら、「風猷(風教道徳)すでに頽(すた)れたるに」という場合。実際は、時代の流行的乱れや組織社会での乱れもあるけれども、根本的な課題として、創世記で言えば、「地を這う蛇(サタン)の知恵に眩(くら)まされた心と認識」であり、古事記の「黄泉国・須佐之男命が事依さしに従わなかった時・天之石屋戸開き」の問題である。須佐之男命は、地上に追放されて、大蛇(おろち)を退治て得た草薙剣を、天照大御神に献上した。この時、天地初発の初心に継続して「和歌(敷島の道)の祖(おや)」となった。

これは、肉体(サタン)人間の心から「神の子人間」を自覚して「風猷(ふうゆう)頽(すた)れたるに縄(ただ)された」のである。即ち「廃(すた)れない限り」例えば、食べ物は、体内で完全に腐敗しなければ下痢になる。果物は熟して腐らなければ種が熟成しない。

「自分で黄泉の心に気づくまでは、神でも為す術(すべ)はない」ということである。

聖哲が真実を説いても、開拓者が事業を起こしても、受け継ぐ組織の地位を得た者は、たちまちサタンに変身して権力者となり世相は廃れる。しかし、マルチメディアの時代になって権力や贈収賄など、役得根性(サタンの心)も糺されて裁かれる時代になって、権力者は存在しにくくなった。…さらに、人間の無責任なサタン的生き方は、自然環境や生態に悪影響を与えている。…二十一世紀以後は、権利と自由謳歌のサタン思想で「自滅する」か「仕え祭る・真釣合う」という、人類初発の思想が常識になるかどうかである。


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