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聖典引用 板
1978
:
goro
:2013/01/27(日) 01:20:28 ID:nCo1DokU
>>1976
の続き
終戦後の御心境については、語るべき多くの事柄がある。前述のように、私が再び陛下のお側にお仕えするようになったのは、終戦の日から二ヶ月ばかり後であった。当時、国内の状況はいかがであったか。国民は衣食住すべて窮乏の極に達している。私は陛下の御心中を拝察して、まことに断腸の思いに耐えなかった。
敗戦による国内秩序の混乱、また戦時中の統制が解除されたのを機とし、言論の自由は特に目にあまるものがあった。特に天皇の御責任を追求する論説には、なかなか鋭いものがある。陛下は新聞をよくお読みになるから、これらの論説の横行は、よく御存知であるが、どういう訳か、天皇の戦争責任に関する論議にだけは、一言もおふれにならないで、避けよう避けようとなさる。何かのはずみで、話題が天皇の責任論に近ずく様子が見えると、すぐに話題を変えておしまいになる。
私の胸には、昭和の初めの頃の話であるが、陛下が、御自分の御責任について、深刻な反省をなされたことの記憶があるので、このたびの敗戦については、さぞかし、これに数倍する深刻さを以て、おん自らを責めておいでになるであろうことは、お察しするに余りある次第であるが、なぜ、御自分の御責任に関する話題を回避なさるのか、その理由を私の在職中には遂に知ることができなかった。
昭和の初めころのお話しというのは、個人の名誉に関することであるから、その人の姓名や事件の起こった時期を、此処で明らかにすることは避けるが、とにかく私が侍従として陛下のお側におった或る秋の夕暮の頃のことである。その時の内閣書記官が、慌ただしく侍従職に馳せつけてきて、一個の上奏箱を私に手渡していうには、この箱の内には、一刻を争う内閣総理大臣の至急の上奏書が入っているから、速やかに御裁可を仰ぐように特に配慮していただきたい、とのことであった。私は、その箱を受け取って、直ちに陛下のお室に参り、陛下のお机の上にある鍵箱から鍵を拝借して、これを開いた。これは通例のことで、上奏箱は、この鍵でなければ開くことができないのである。
箱の中から出てきたのは、ただ一通の上奏文書であった。何某起訴処分の件、右謹んで裁可を仰ぐ。年月日。内閣総理大臣何某印、という表題の上奏紙の裏に、数枚に亙る司法(現在の法務)大臣の起訴理由書が綴ってあった。当時の慣例として、正三位勲一等というような身分の人が犯罪の疑を持って起訴される場合には、陛下のお許しがなければ手を付けることができない内規があったので、大至急そのお許しを得るための上奏であったのである。
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