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聖典引用 板

2784SAKURA:2014/03/18(火) 11:26:31 ID:bVpYKXPA
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…】

■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】  
(生長の家家族の祈願および修養)     谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 いっさいのものを拝め ― その3 ― 】*=======*=======* =======*=======*
>>2778>>2779>> 投稿の続きです…。

 けれども、『法華経』は決してこの、そういうエーテルみたいな、千遍一律の、空気よりも
まだまだ」はかないような同室平等な世界を説いているのじゃないのであります。
『法華経』の「自我偈」に書いてある実相の世界は、一様平等なホモジニヤスな世界ではなく、
実に実に美しい世界が書いてある。園林諸々の堂閣、種々の宝をもって荘厳せり、宝樹華果多く
して衆生の遊楽する所なりと書いてある。あれが本当の実相の世界です。

言葉に現わしてあるからまだ完全に現れていない。それはただ形容が書いてあるだけであります
けれども、あれが実相の世界であります。その美しい実相の世界が、われわれの五官のレンズ
を通して眺めると、そのレンズに曇りがあるからいまわれわれが肉眼で見ているような、こう
いう美しさやら、汚れやら、愛やら、争いやらが取り交ぜて現れている。美人もあれば、病人の
ような憔悴した醜い相もあるというふうに出ているのでありますけれども、本当のわれという
ものは「無限荘厳の我」である。活気溌剌たる無限に生きる力を持って、無限荘厳の身を持ち、
無限荘厳の世界の中に今現に住んでいるいるのであります。

今現にその実相世界に住んでいるのです。今現に住んでいるその世界を、肉体が死んでから
そういう無限荘厳の世界へ往くのだと思うとまちがいであります。衆生劫尽きて大火に焼かる
ると見る時にも、病苦にて痩せさらばうて貧しい病床にいるように見える時にも、今現に、
われわれは宝樹華果多き実相の国土に安楽身を逍遥させているのです。

今現に実相の国土にいるけれども、五官のスクリーンすなわち網目を通して、下へ映る世界は
縦・横・厚みだけしか映らない。それ以上のひろがりの世界はスクリーンの上にあって残って
いるので、われわれの五官という網目を通して見るとどうしても縦横厚みの三次元しか見えない。
その三次元だけでも完全に原形そのままに見えればよいのだけれども、念のレンズに凹凸さま
ざまの歪みがあるために、真直な顔が歪んで見えたり、近眼でもないものが近眼に現われたり
している。

それでその念のレンズの無明(くもり)というものを断ってしまったら近眼が近眼でなくなり、
あるいは、病人でなくなるといううふうになる。けれども、ここに健康になり、近眼の治った
人間でも、それが五官に見える現象人間である限り、まだまだ本当の人間ではない。
それは本当の無限荘厳の、無限の美しさ――その何といおうか、言いようのない、無限の妙なる
実相人間の姿を、ただ縦横厚みの三次元だけを撮影する写真機で映した人間なのです。

それからは無限次元の複雑な美しさ捨象(すて)られている、ただそれが比較的歪みなしに
映っているのは、健康な人間として扱われているのであります。

つづく


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